Tumgik
efnui · 4 months
Text
20231231
2023年、あまり記憶がない。記録や写真を見たらああそうやったなとは思うけど、自力で思い出そうとすると何してたっけな……と。できる限り自力で月毎に振り返ってみる。
●1月:年末年始は岩手。追いかけていた大阪の案件がやっと契約。成長。
●2月:神戸の案件を引き続きやってた。失注したけど。やっと少しだけ暇になって資格勉強をしてた。
●3月:資格試験受けた。沼津に小旅行。下旬からまた仕事が忙しい。
●4月:引き続き仕事が忙しい。役所の書類仕事に追われる。GWに帰阪。
●5月:この1ヶ月は本当に仕事を辞めたくなるくらい忙しかったし報われなさを感じてた。頑張って何の意味があるんと思いながら頑張ってた。
●6月:5月に頑張ってた福岡の案件が実った。この時点で今年度の目標達成。自信が更についたと共に周囲に怒りを覚えていた。少し傲慢にもなった。
●7月:忙しさを振り切って台北旅行。暑かったけど楽しかった。年一回は海外行きたいな。刺激を受ける。
●8月:何してたっけ……。夏休みは大阪に帰った。サマソニにも行った。あと誕生日。おいしいイタリアンをご馳走になった。
●9月:初めて自分が契約した案件が完工。一人前になれた気がした。出張が多かった。客ともバトった。疲労。
●10月:前半忙しかった。ちょっとずつ暇になったような気がする。
●11月:ややゆとりが出てきた。ペルシア語を読んだり、展示を見に行ったりができた。初めて外語祭にも行けて満足。
●12月:年末挨拶で出張も飲み会も多かった。謎の体調不良。異動が確定する。
え、なんかやっぱり忙しかったな。私より大変な人が居るのはわかってるが上を見てもキリない。私のキャパシティから考えて忙しかった。人間のことが何回も嫌いになった。笑
一応2023年の目標を立てていたので振り返りたいと思う。下記が1月頃にしていた私のツイート。
Tumblr media
仕事量は減る方向に持っていけてると思う。後進のために業務マニュアルも作り始めた。本の感想は一部だけになるけど、ある程度の長文で記録することができた。継続したいな。資格はひとつだけ、受験資格期限がギリギリのやつがあって勉強して合格した。ペルシア語もいちいちカウントはしてなかったけど読めてた方かな。適度に無関心でいられたかは微妙。ホットヨガ最近行けてない……行きます。
2023年の読んでよかった本も挙げておきたい。語学系の2冊は本当にモチベーションが上がったし読み物としても非常に面白かった。
種田輝豊『20ヵ国語ペラペラ』
山崎ナオコーラ『ベランダ園芸で考えたこと』
長澤信子『台所から北京が見える』
村田沙耶香『殺人出産』
市川沙央『ハンチバック』
実はTumblrの更新をもう辞めようと思ってる。使いづらくなってきてしまった。自分でアーカイブは残して良いタイミングになったら記事も消すつもり。2024年からはnoteで更新する。もし読んでくれている人がまだ居たらこちら(https://note.com/iunfe)を覗いてみてください。読んでる人おるかな? たまに「読んでるよ」と言われることがあるので、一応……。Tumblrには浪人生を終える頃からお世話になったので約10年使ってたんかな。Tumblr、本当にありがとう! また戻ってくることがあればそのときはよろしくね。
3 notes · View notes
efnui · 4 months
Text
20231217
すんごい体調が悪い。発熱、腹痛、悪寒、下痢。こんなにしんどいのはコロナに感染したとき以来。年々、身体が苦痛に耐え難くなっていってる気がする。どれだけ布団を被っても寒気がしてつらい。体の節々は痛いし、お腹はゆるいし、殺してくれと思った。たぶん私は闘病とかできないタイプや。夫に看病してもらって、雑炊も作ってもらったとき、この夫と結婚して本当に良かったな……と思った(本人にも言った)。昔、病気になったときに母親に心配してもらったり甘やかしてもらったりしたのが嬉しかったのを思い出した。病気のときだけプリン、ゼリーとかアイスをたくさん買ってもらえたな。とにかく健康は大事。元気があるのは尊い。
0 notes
efnui · 10 months
Text
20230701
Twitterの避難先としてマストドンに行くと今度はマストドンが重い。そういうわけでtumblrに来た。もうお前さんしかおらん。ふと思ったけど自分で簡単なプログラミング(?)を覚えて個人HPでも作ってみたらいいのかもしれない。古のモバスペ的な(私はnano派であった)。日記とリアルと分けて。
2 notes · View notes
efnui · 10 months
Text
20230617
夫とカラオケしながら葬式のときに流してほしい曲の話をしてたらすごく死ぬのが楽しみになった。昔からずっと言ってるけど、今まさに自分が生を手放そうとしていると実感しながらこの世の幕の向こうへ行きたい。
0 notes
efnui · 11 months
Text
20230606
Twitterじゃなくて、Tumblrに書き残しておこうって思ってると忘れてしまう。この気持ち大事やな、埋もれないように残しとかなってちゃんと思ってるのに。
台北旅行が決まったので台湾の本を読んでる。すんごく楽しみにしてる。四年ぶり二回目の台北。また行きたいところも新しく行ってみたいところもたくさんある。
0 notes
efnui · 11 months
Text
20230602
がんばれない。
が、意外と官公庁営業は向いていたのかもしれない。入札は制限のある中でどれだけ点を取ってゴールに近づけるかのゲームみたいで時折楽しい。一方で、これは営業ではないかもしれないとも感じる。
大学の頃の過ごし方にそんなに後悔はしてないけど、もう少し専門性を身につけて卒業していれば良かったのかもしれないと思うときは毎日どこかで現れる。まあ結局いつもの選ばなかった方ばかりが気になるないものねだり。ゆらゆらゆらゆら君の心、はなればなれ。はなればなれといえばクラムボン。
1 note · View note
efnui · 11 months
Text
20230519
常々Twitterは毒やなと思う。知らなかったことを知られる楽しさってやっぱりあるけど、今のTwitterは知らんでいいことを知ってしまう苦痛の方が圧倒的に多い。とわかっているのに開いてしまう。そうですね、あなたはそう思うんですね、という感じで流すしかない。
3 notes · View notes
efnui · 11 months
Text
20230517
今日は最高の気候だった。30℃あっても湿気がないと全然暑くない。年始に買った夏服をおろした。適度に仕事がどうでもいい。元上司から、仕事を覚えれば覚えるほど謙虚にならないといけないよとチャットが来た。うん。
0 notes
efnui · 11 months
Text
20230516
他部署の管理職が過労で倒れて入院した。傍目から見ててもいつそうなってもおかしくなかった。遅かれ早かれこうなる運命にあった。と私は思ってる。というか、私ですらそう思うのに、上層部がそれをわかっていなかったわけがない。こういうのを目の当たりにしてなおさら、助けてくれる誰かが必ず居るなんて期待をしてはいけないと痛いくらいに感じる。
1 note · View note
efnui · 11 months
Text
20230515
残業した帰り道、まだびっくりするくらい肌寒くて、でもほんのり夏の気配も混じっているような中を歩いていたとき、懐かしい匂いがいくつかした。でもそれが何の記憶に紐づいている匂いかはわからず、ただ一方で悪い記憶じゃなかったことだけがわかる。すると違う方向から風が吹いて、また別の懐かしい匂いが香ってきたそれは、イランの夜の匂いに似ているのがはっきりかつぼんやりとわかった。
そしてさっきシャワーを浴びながら、香りが記憶と最も密接につながっているという話を初めて知ったのは矢沢あいの『NANA』だったなと思い出し、それから長いこと積んでいるうちの一冊、平山令明『「香り」の科学』(人生で初めて買ったブルーバックス)でそれを「プルースト効果」と知ったなというのも思い出した。今まさにプルースト効果が書いてあるページを引っ張り出して斜め読みしてみると、『失われた時を求めて』について書かれており(プルーストなのでまあ当然ではある)、あれ? そういえば最近どこかで『失われた時を求めて』についてどこかで読んだなと記憶を辿ってみたら、それは山鳥重『「わかる」とはどういうことか』の中で、日々の記憶について書かれている箇所があり、そこで『ユリシーズ』と共に言及されていたというところまで辿り着いた。どれも読み終えてない。知らないということだけを知っている。わからないということだけがわかる。
0 notes
efnui · 11 months
Text
20230513
母親の影響で、おかざき真里『阿・吽』を読み始めた。同時並行でコテンラジオの空海・最澄回を聴いてる。『阿・吽』で出てきたにうつ様って何(誰)を指してるんや?と思って検索したら丹生都比売神社から来てるっぽくて、いや私だいぶ前に丹生都比売神社行ったな……と今まで何も背景を知らずに見たり行ったりしてたものがあることを痛感した。まだ3巻までしか読んでないけど最終巻の14巻まで買ってしまうか迷う。
0 notes
efnui · 1 year
Text
20230424
最近は「不公平感」について考えることが多い。他人に対してはほどよく無関心あるいは寛容でいたいと思ってはいるけど、実際に自分がそれに近い状態でいられていると感じるのは自分自身が肉体的・精神的に安定している場合に限られる。
1 note · View note
efnui · 2 years
Text
20220714
足どりの軽やかな人に憧れている。就活をやめてアートの道を選び海外へ飛んでいった大学の同期、給料も福利厚生も良いのに「自分のやりたいことは他にある」「ここに居続けても自分にできることは増えない」と言って退職していった会社の同期たちのことを思い出しては、記憶の彼方で彼らがずっとまぶしい。
今年の2月くらいに、川内有緒『パリでメシを食う。』という本を、楽天の電子書籍で安くなってたのがきっかけで買って読んだ。パリで生活している多種多様な日本人たちを著者がインタビューしてまとめた本で、料理人、アーティスト、テーラー、カメラマン、国連職員、花屋などなどそれぞれ違ったいきさつで、違った思いを持ってフランス・パリに行き着いた日本人が登場する。本の中で描かれる文化の違う外国で四苦八苦する彼らの姿、けれどもだからこそその地を愛したくなる気持ちなど、私も一年にも満たない短い期間ながら留学したことのある身としてときに共感しつつ、ときに驚いたりしつつ読書を楽しんだ。この本に出てくる人たちも、皆足どりが軽やかな人たちばかりだった(少なくとも私にはそう感じられた)。読者の側から他人の話として受け取ると、そんな人生も面白そうと思えるけど、自分が同じ足どりで同じような歩みができるかというと到底できる気がしなかった。今の私は、牛歩の歩みどころか、立ち止まっているよう。
でも一方で、継続することの意味もあるように思われるし、まあ一人でぐだぐだぐずぐずしてるだけの平常運転といえば平常運転かな。いつ何をしても隣の芝生が青々としすぎてまぶしい(足どりの軽やかな人たちがまぶしいのも結局そういうこと。ていうか「隣の芝生は青い」って英語のことわざ《The grass is always greener on the other side of the fence.》の訳語やねんな。日本の言葉かと思ってた)。
2 notes · View notes
efnui · 2 years
Text
20220603
仕事がしんどいなあと思うたびに手を伸ばして途中で積んでしまう鷲田清一『だれのための仕事』をまた一から読んでる。私わっしー読みすぎではないか。
なぜ働くのか、という問いが頸をもたげてきたとき、多くの人びとが「満ちたりた将来のため」という理由をもちだすであろうことは、先にみた。これは未来の幸福のために現在を貧しくする論理である。あるいは、決済をつねに先送りにする論理だといってもよい。(鷲田清一『だれのための仕事』)
いつもこれなんよな。「決済をつねに先送りする」ってクルアーンみたい。とりあえず読めるところまで読んでみる。また積んじゃうかもしれんけど。
1 note · View note
efnui · 2 years
Text
20220602
二週間ほど前にやっと引越しができた。新しい生活という感じがする。会社では旧姓のまま(旧姓を通称としてる)でいてるから、あまり名前が変わった実感がなかったのが、あ、私って名字変わったんか……と思うタイミングが増えた。
別に夫の姓になることを誰かに強要されたわけでもないし、むしろ夫は多忙な私を心配して「君の姓に俺が変えたっていいと本気で思ってる」と何度も言ってくれたけど、まあ嫌じゃないし私の姓にしてくれという理由もないし私があなたの姓になりますよと伝えて姓を変えた。けれど新しい名前を見るたびに、慣れてないからというのが一番なんやけども、自分という人間(が今まで生を全うして蓄積したもの)がいなくなってしまったかのような気持ちになる。喪失感というほど大層なものではないけど、新しい私!みたいな前向きな感情でもない。たかが名前程度でなんだという感じではある(名前なんて結局は他人との見分けをつけるためのラベルでしかない、というのは昔小中学生のときに園田小波の漫画『チョコミミ』で読んで、幼いながらもたしかに!と目から鱗が出たのをよく覚えている)。
私は選択的夫婦別姓に賛成してるけど、この問題がどうして反対意見を生み、解決を困難にしてるのだろうと思って独身のときにインターネットで検索をしたことがある。そのときに、ある女性が「私は自分の姓を変えたくなかった。姓が変わったときには泣いた」といった内容の話を書いているのを読んだ。私は変えたくなかったわけでもなく、涙が出るほどの感情を抱えたわけでもないけど、今となっては彼女の言いたいことを理解できなくもないなと思った。
しかしながら、好きな人の名前になるのが結婚の醍醐味というのはよく分からんな。それは人それぞれやろ。そういえばこの前、先に結婚した大学時代の先輩(女性)と飲んだときに、二人とも結婚後の名前の画数が最悪になるという話題で盛り上がった。名前の画数が最悪になっても楽しく生きていけるし、相手の名字にならなくても人生は楽しくできるよ。
3 notes · View notes
efnui · 2 years
Text
20220507
10連休も終盤に差し掛かった。これだけ長い休みになると何をしてたか詳細に思い出せない。友人と会う約束はしなかった。4月があまりにも忙しくて、人と連絡を取る余裕がなかった。tumblrを読み返すといつもいつも忙しいって書いてる。やな気持ちになるね。4月は具体的に何が忙しかったかというと、稼働日の7割近くが出張で前日に決まったりすることが多かった。すると移動に時間と体力、気力を取られ、書類仕事を腰を据えてこなせなくなり、フラストレーションが溜まる。5月も既に出張が何件か入ってるけど、あんまりもう増やしたくないなあ。第一、北陸、関西、四国、九州が担当エリアって広すぎる。
で、ずっと夫とは一緒に過ごしていて、序盤は東洋文庫ミュージアムに行った。夫が無料のチケットをもらってきてくれたから。初めて見るモリソン文庫には圧倒された。かっこよかった。燃えずに今までいてくれてありがとう。展示も中央アジアや中東が多くてペルシア語専攻出身としてはとっても楽しかった。中国の文献を見ながら夫と「やっぱり中国語って雰囲気で読めるところあるね。ちゃんと勉強してみたいね」って話した。それから東洋文庫ミュージアムの隣にある青いカバという書店に寄って古本を2冊買い、大塚まで散歩した。ビール屋に寄って私はジンジャーエールを飲んだ。こんな味だったけな(©︎くるり)。夫の体調が悪くなり、それからすぐ帰宅。帰宅してから家で書類の整理をしてたら、大学時代のレジュメが沢山出てきた。その中からソグド語についてペルシア語で書かれたものが出て来て、今日東洋文庫で見た!と感動した。イラン人の先生が受け持ってた言語の授業が懐かしい。また勉強がしたい。
家がもうすぐ決まりそうで、GoodNotesに間取り図を広げて家具の配置を夫と二人で考えたりした。やっとやっと引っ越せそう。新しい家が決まる。ミニマリストを小馬鹿にするところが私には元々あった(好きなものに沢山囲まれて暮らしたい!という思想のもと……ね)けど、この引越しを機に持ち物を減らそうと思った。なぜならレイアウトを考えていると収納の限界というものを感じざるを得なかったから……。自分一人の家ではないし。部屋作りはゆっくりしていく。
実家のある大阪にも夫を連れて帰った。コロナ時代の結婚なので(?)なんと入籍後に初めて両親と顔合わせという。一年前はまさか結婚するなんて思ってなかったなとしみじみする。夫も普通に馴染んでて、結婚ってこんなにするっとしたものなんかと拍子抜けした(うちがフランクすぎ適当すぎというのもあるのかもしれない。あと私は昔から「結婚なんてする気ありませんから」と宣言し続けていたせいで諸々のハードルが下がっていたのもあるかも)。私の家族と家具屋に行ったり、叔父にも会ってもらったり、コストコに行ったり、夫に手料理を作ってもらってそれを一緒にみんなで食べたり、おばあの家に泊まって3人で朝ご飯を食べたり、おじいの仏壇にも挨拶したり(もしおじいの霊がどこかに存在するとするならこの結婚を喜んでくれているかな)、二人で大阪市内を散策したり、4日間色々あった。総じて楽しかった。
休みの間に話題の『ゴールデンカムイ』を一気読みした。実は2巻くらいまでは電子書籍で持ってるからこれからちまちま買い足そうと思う。一気読みすると先に進むことが優先されてあんまり咀嚼する時間がなくて良くない。一気読みしといてなんやけど。最終回は賛否両論ありそうと思ってTwitter検索したら案の定だった。谷垣、白石、門倉、鯉登あたりが好き。牛山も(チンポ先生!また会ったなお嬢!)。この連休中でおトイレに行くときは夫に「オソマ!」って言うようになった(女子キャラならオソマちゃんがダントツ)。
休み明けの仕事のことを、押し寄せてくるタスクのことを思うと少し憂鬱。休み中も少し仕事したけれど。休み明け初日も出張なのです。新幹線もマイルみたいなの作ってほしい。残り少ない休日はゆるゆる過ごす。
長文日記になった。たぶんまたしばらく更新しないと思う。
1 note · View note
efnui · 2 years
Text
20220426
深いつながりのあっただれかが死ぬということは、わたしをその思いの宛先としてくれていた他者を失うということである。これがなぜ痛いのか。その理由はそんなに不明ではない。〈わたし〉という存在は、だれかある他者の意識の宛先としてかたちづくられてきたものだからである。ひとはだれかに呼びかけられることによってはじめて、他者の意識の対象としてはじめて自己の存在を〈わたし〉として感じることができる。(鷲田清一『死なないでいる理由』)
泊まりの出張なので支店の大好きな営業のお姉さんと夜ご飯を食べてきた。私が自分の結婚について「でも心配する先が増えちゃったなあ」と話したら、「だけど心配する先がないと自分だって心配されないんだよ」と返ってきて、その瞬間にこの鷲田清一の文章を思い出した。かなり勢いで結婚したところがあるけど、肉親以外の大切な人が、わたしを新たな思いの宛先にしてくれたということか(逆も然り)。まあ肉親や配偶者、恋人だけがすべてではないけども、そう思うと心がじんわりした。
2 notes · View notes