Tumgik
kininarizm · 3 years
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将棋カフェにいく
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先週の平日、バイクの修理がてら時間ができたので
以前から興味のあった将棋カフェに足を運んでみた。
毎日じわじわ3局指しているものの、
勉強が苦手なので相変わらずその場の感覚的なノリだけで指しているため
2段に上がれず初段の10%〜40%あたりをウロウロしている。
シロートが感覚で上がれるのはせいぜい初段〜2段くらいまでだろうなとは自覚しており、そこそこ強くもなりたいのだが努力はしたくない。
そんな将棋を舐めているゴミは誰だ。俺だった。
そんなわけで対人でないと基本的に棋譜の見直しをしないため
たまにはリアルで指したいとは思っていたのだが、
将棋会館の道場はなんとなく老若男女蠱毒渦巻く敷居の高見泰地を感じるのだ。(勿論そんなことはないと思うのだが奨励会のアレで)
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↑将棋会館のイメージ
というわけで、お菓子でもつまみながらダラダラできそうな将棋カフェに一度お邪魔してみようと思い立った次第である。
入ると、棋力を聞かれワンオーダー1500円で何時間でも入れる。満喫とかカラオケ的なシステムで、食べ物のみコンビニでの買い物などの出入りも自由である。
とりあえず注文を聞かれたのでクラフトビールを注文した。切れていたようなのでハートランドをもらった。初手で酒を入れてるあたり会館だったらつまみ出されそうなタイプのエンジョイ勢だ。
平日の開店直後だったので常連っぽい方しかいなかったが、適当に店員Aさん(三段)が同棋力くらいの人を見繕ってくれる。2戦くらいすると休憩タイムがある。
対戦結果:
学生くらいの方:棋力2段 ●●
30代くらいの方:棋力? ○
店員Bさん:棋力2段くらい ○
小学6年生:棋力初段? ○
平日だったからか、棋力が同じくらいの人が多かった。土日だともう少し級位者〜有段者で棋力が上下に振れるのかも。
対戦方法は振り駒・10分切れ秒読み30秒のチェスクロック形式が主流。
戦型は右四間エルモ・中飛車穴熊・銀冠・右玉あたりを選択。
謎の垂れ歩など性格の悪い手を駆使し、まぐれで半分勝つことが出来たのだが、最初に当たったお兄さんとは完全に格の違いで負けてしまった。
将棋5戦くらいしたら疲れたので、その場に居た人とカタン、スカウト、コヨーテあたりのボードゲームをした。久々にカタンやった。スカウトはよく分からなかった。
しかし将棋、もうずっと2筋、7筋を空ける戦い方をしていない。
定石系を覚えないままここまできてしまった。
最後に1手交代の回し将棋をしたのだが、今まで適当な指し方ばっかしてきたのであまりに序中盤の駒組みが分からなすぎて2戦とも雑な力戦模様になってしまい、一緒に組んだ方に迷惑をかけてしまった。
というわけで、序盤、中盤、終盤隙がない戦い方を目指して!
無敵囲いからやり直します。
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kininarizm · 3 years
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映画:フィッシュマンズ 人が離れていく寂しさ
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フィッシュマンズの映画を見た。
インタビュー形式(と過去の映像)の音楽ドキュメンタリーで172分2500円という
色々とハードルが激高な単館系の映画なのであるが、
結論から言うと
非常に疲れるというか、しんどい話であった。
スタジオでのレコーディングのやりとりが主な話題なので、私みたいなにわかファンより、寧ろ音楽をやっている人や、商業音楽とインディーズの境界を考えたことがある人たちに向けた映画だったのかもしれない。
結末としての物語はやはりヴォーカルの佐藤伸治の死に向かって集約されていくわけだが、
そこには同時に、過去の映像を通して、1人の天才を中心にした学生バンドが時代の波に翻弄されながら、ゆるやかに瓦解していく様子が描かれていた。
フィッシュマンズはその独自色の強い音楽性から孤高のバンドと評される。
その男、佐藤伸治は明確に売れたがっていた。
物語中盤では売れたい理由と、売れたくない理由が羅列されたノートのページが映し出された。モテたい、とか皆が幸せになる、など俗に売れたい理由のほうが多かった。
考えれば至極当たり前の話ではあるが、フィッシュマンズは初めから玄人志向のバンドではなかったというところである。
同期であるウルフルズやスピッツのように売れたいバンドであった。
しかし、ウルフルズのように直情的でも、スピッツのように抒情的でもなかった。いま以上に音楽がコミュニケーションツールとしての側面が強かった時代でありわかりやすいカテゴライズが求められていた頃でもあるし、佐藤が作品世界を言葉で必要以上に説明するのが苦手なタイプであったため、それゆえの難解さや世間の受け入れづらさがあったのかもしれない。
バブルとイカ天バンドブームという時代の力も借りて後押しされたフィッシュマンズは、鳴り物入りで海外でのレコーディングや、
ドラマタイアップなどを獲得していく順調そのものの出だしであったが、
とにかく、結果(販促)的にはウルフルズやスピッツのようには売れなかったバンドであった。
1992年の『100ミリちょっとの』タイアップの失敗や、
いざ曲を出しても一向に評価されないフラストレーションの積み重ねは、
徐々に佐藤の音楽と詩世界を内向世界の方向に向かって研ぎ澄ませていった。
1994年のフロントマンの1人でもあった小嶋の脱退後、
プライベートスタジオに移籍してからなおその傾向は強まっていき、
のちにZAKが目から血を流しながら編曲したと語られている
LONG SEASON(35分の曲が1曲だけ入ってる怪作アルバム)に繋がるような、
より一層の狂気に近い音楽的な先鋭化が、
HAKASE、ZAK、柏原といったメンバーの脱退に繋がっていく。
当初5人だったメンバーは、1998年の暮れには
ついぞ茂木との2人体制になっていた。
ベースまで脱退してしまったバンドは、既にバンドのカタチを残していなかった。
君が今日も 消えてなけりゃいいな
また今日も 消えてなけりゃいいな
君が今日も 消えてなけりゃいいな
また今日も 消えてなけりゃいいな
(『ゆらめき in the air』1998年)
Long seasonにしろ、ゆらめきin the airにしろ、walking in the rhythmにしろ、
メンバーが1人また1人と消えていく中研ぎ澄まされていく精神状態で生み出されていった後期の曲は
生と死の狭間を揺蕩うここではない世界で作り出された音楽のような感じで、
聴く分にも妙な緊張感が漂い、あまり軽い気持ちで聴くことは出来ない。
佐藤伸治はこのゆらめきintheairを遺作として、3ヶ月後の99年3月に亡くなることになる。
私がフィッシュマンズを知ったのはphaのブログからだった。
佐藤伸治の詞世界は、彼の作る音楽とともに一貫して愁いや寂しさ、諦念、無常観みたいなものを感じさせる部分があり、新卒で働いて病んでいた私のすぐそばに寄り添ってくれているようなそんな気がした。会社の近くを流れる目黒川を眺めては私はこれからどうなるんだろうと思いながら、混迷と逡巡をさまようさ中でよく聴いていた。フィッシュマンズの音楽世界は、まだ20代前半だった私にとって、ひとつの現実逃避の手段となっていた。
フィッシュマンズは初期と後期で作風がガラリと変わる。
そのため人によって評価がわかれるが、初期曲も後期曲も、バブルに始まり阪神大震災・サリン事件を経て経済のどん底へと向かっていく1990年代のアナログ時代とインターネット時代が交差するような、光と闇と鬱屈した魅力が詰まっていると思っている。
尾崎豊にしろ、志村正彦にしろ、若くして亡くなるバンドメンバーの死がバンドを過剰に神格化させている風潮を感じる。
この映画は、よくも悪くも真正面からバンドメンバーや家族に佐藤の人柄を語らせる部分によって払拭させてくれる部分があった。
それゆえに、生身の人間が音楽に先走りすぎたしんどい話なのであった。
先の会社を辞めた後しばらくして、沖縄をバイク屋で借りたSR250で一周回ったことがある。
ある夜泊まったゲストハウスのテラスの隅にくたびれたラジカセとカセットテープがあった。8曲目にフィッシュマンズが入っていた。『いかれたbaby』だった。
私は黙ってラジカセのスイッチを押し、音楽をかけた。
現実逃避の果てに飛び出した喧騒の都会から離れて
沖縄の冬の夜風とともに流れてきた佐藤伸治の歌声は、
その温かさでもって失った心を包みこんでくれるようで、満点の星空の下で、私は何度も何度も、何回も何回も巻き戻してはフィッシュマンズをかけるのであった。
窓の外には 光る星空
君は見えない魔法を投げた
僕の見えないところで投げた
そんな 気がしたよ
(『いかれたbaby』1993年)
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kininarizm · 3 years
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上上下下LRLRBA
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最近ルービックキューブを回している。
ただただ無心に回している。
その結果、時間はかかるがなんとか6面すべて揃えられるようになってきた。
ただ、正直なぜそうなるのか原理はよくわかっていない。
ルービックキューブの動かし方は車の動かし方と同じである。
後方確認してミラーと座席を調節し、キーを回しエンジンをかけ、
シートベルトをし、サイドブレーキを下ろし、ギアをDに入れてアクセルペダルを踏む。
なんかよくわからんが動く。
以上。
ねっっ?簡単でしょ?(ボブの絵画教室)
その間いちいち、
エンジンをかけてハンドルを切るとステアリングシャフトに回転運動が生じタイロッドが引っ張られてナックルがタイヤの角度を変えピストンが下がりクランクシャフトが回転し吸気バルブが開きピストンを押し上げた混合気が点火プラグの火花で着火し膨張した混合気によりピストンが降下しクランクシャフトが推進軸の回転をしたからいま自動車が走りたい方向に動いたんやな〜
などといちいち考える人は少ない。
いたとしてもトヨタの社員くらいであろう。
なので、ルービックキューブのコツは、
群論やら写像やらといったこムズカしそうな3次元幾何学の原理から理解することではなく
U'/L'U'L/Uy’/RUR' などといったいくつかの謎の呪文を暗記することにあり、
頭の中で呪文を詠唱・復唱しつつ、
何度もまわして身体に染み込ませることの方が大事なのである。
3段目で覚えるべき呪文がなかなか難解で手癖で覚えるのに少し時間を費やした。
そこまでできるようになってようやく群論とかの話になるのだが、
とりあえずネットに転がっている数学的な解説レジュメを見たところで
巡回置換と逆元の解説でうぎゃーとなってしまった。大学の数学はむずかしい。
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kininarizm · 3 years
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ウマ娘が面白い
”キミと夢をかけるよ
何回だって勝ち進め 勝利のその先へ!”
『ユメヲカケル/スペシャルウィーク(和氣あず未)、サイレンススズカ(高野麻里佳)、トウカイテイオー(Machico)、ウオッカ(大橋彩香)、ダイワスカーレット(木村千咲)、ゴールドシップ(上田瞳)、メジロマックイーン(大西沙織)』
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今期やってるウマ娘が面白い。
西のマーガレットサッチャーと並んで鉄の涙腺を持つと言われる
この私をもってして3回も泣いてしまった。
以下長いのでオタク特有の早口と思って聞いてほしい。
自分は競馬は全く見ない・興味がなかった人間で、
しいて言えば新聞やニュースなどで
オグリキャップ、サイレンススズカ、ディープインパクト、キタサンブラック
は聞いたことがある、程度
F1で例えるならセナ、アロンソ、シューマッハの名前は聞いたことある、
程度のごく一般レベルの知識である。
それが作品を見終わると、にわか知識であろうと
2,30頭の馬名を覚えてしまうのだから、コンテンツのちからは偉大である。
▽あらすじ
ウマ娘のあらすじを簡潔に説明すると、
日本一のウマ娘(レース優勝)を目指して、地方から上京したり、トレセン学園に通うメンバーがレースで競い合いつつお互いを高めあっていく
ざっくりいえば陸上部系スポ根青春物語である。
また、1期は1998年の名馬スペシャルウィークとサイレンススズカの悲劇を主軸とした話、
2期は1991年、初の無敗クラシック三冠馬に輝くと期待されたトウカイテイオーの度重なる挫折と復活、メジロマックイーンとのライバル関係を主軸とした群像劇である。
そしてキャラクター背景が90年代競馬史をなぞらえたフィクションであるため、
ある種ググればどういう展開になるか予想がつきやすい、オチのわかりきった結末を描いた作品ともいえる。
では、なぜそこに感動があるのか。
たとえば、1期のWヒロインの1頭であるサイレンススズカは、
圧倒的なスピードをもってして
1998年の秋天皇賞で後続に8馬身〜10馬身を広げる前例のない爆逃げをかまし、
伝説級のタイムで第4コーナーを曲がろうとした矢先に粉砕骨折が発生。
レース中に安楽死させられるという非業の死を遂げる。
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サイレンススズカの悲劇は競馬ファンでない僕でも聞いたことあるレベルの話なので、つまり史実からすれば、登場人物の1人が死ぬことは既に確定しているのである。
そしてその各期における運命的なレース
『この世界の片隅に』で1945年8月6日が近づくにつれてソワソワしたようなあの不安とも緊張感ともとれない時間が、
1期では98年天皇賞開催の7話、
2期では93年有馬記念の回まで悶々と続いていく。
もちろん公式がネタバレ状態なので寧ろそういった前提知識がない層を
ターゲットとしている作品ではあるのだが、
このような各馬の悲劇と栄光の歴史を知っているオールドファンに対しても
救済だったり、思いがけない結果も予想される展開となっているのが、今作の見どころである。
つまりこれはあくまでアニメであり、
現実で起こった悲劇を、結末を、歴史の書き換えを行うことができうるのが
脚本の妙であり、唯一創作が現実を凌駕できるファンタジー表現であり、
僕が好きなドラクエ6のような、
できれば、こうであって欲しかった夢の世界
擬人化することであの時あの馬はこう思っていたのかも知れない、
現実には関係性がなかった馬も影響されていたのかも知れない、
などといったエモエモな浮遊感を伴ったIFストーリーが
努力、友情、勝利の熱いスポ根の基本線にそっと添えられていることに
あの頃のあなたも、この頃のわたしもカタルシスを感じているのかもしれない。
2期も特にスポ根青春群像劇として、仮にフィクションなら
編集にその場で突き返されるとしか思えないほど畳み掛けるように連続で理不尽な逆境が正面からぶつかってくるのだが、
でもこれ、現実なのよね、という圧倒的なリアリティをもって「ぐぅ」の音も治まって説得されてしまう。
というわけで興味を持った人はぜひ見てほしい。
音楽もいいです。
余談であるが、全く競馬に縁はないのだけど、
実は日本で唯一の競馬学校が実家から歩いて10分程度の所にあった。
武豊はとっくに卒業した頃だったけど、小学校で遊んでいた近くで
後の名馬にのる沢山の未来の騎手たちが切磋琢磨していたのであった。
また同時に中山競馬場にもバスで1本で行ける所でもあったので、
G1級のレースなどが開催された時は、すぐにバスが満員になったのを覚えている。
90年代後半のあの頃、身近な所で生まれていたであろう数多の熱狂や興奮を、
よもや20年経て追体験するとは思わなかった。
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kininarizm · 3 years
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やたらバンドマンの居るピザ屋で働いていた時の話
”パンジャービーからアーグラ ジャイプル ラジャースタンに飛んで
盲目の恋は遠い故郷を超えて胸燃やすのさ
シヴァとドゥルガーに祈りを 空と大地には愛を
ガンガー沿いのプジャーよ恍惚の彼方へつれてって”
『恋のバングラビート/wienners』 PUFFYのアジアの純真とか
水曜日のカンパネラのシャクシャインとか
tomaton' pineの踊れカルナヴァル
のような地名を羅列する系の偏差値2くらいの曲が好きです。
似たような曲あったら教えてくれ 数年前、渋谷のちょっと高めのピザ屋でバイトをしていた。
飲食店といっても原付で近所を回る配達バイク便の方だったが、
暇なときは調理補助したり品出し手伝ったり納品したり色々やっていた。
なぜかやたらとバンドマンやら演劇やら芸能系の人が居るピザ屋で、
柄本明の劇団の俳優やらお笑い芸人やってる人やら色々いた。
配達先も土地柄か色々面白くて、
日本で一番家賃の高いマンションの住人や
コロナで話題になった芸能人や
とあるガールズバンドのラジオ配信中に配達しにいったこともあった。
(後日みたらUSTで配信されてて笑った)
そんなわけでいたのは数ヶ月だけだったが個性的なメンバー達と
美味い賄いで中々思い出に残るバイトだったのだが
そんなある日先輩のバンドマンの人と帰宅中、
さいとう君は音楽何が好きなの?と聞かれて
「そーすねー最近のはあんまよくわからないんですけど
フィッシュマンズとwiennersが好きです」と答えたら、
その先輩もフィッシュマンズが好きで、
フィッシュマンズの映画、クラファン募集しているよねという話になった。
あと先輩はwiennersのドラムと仲がいいという話をしていた。
ついでにwienners(というか玉屋2060%)が売れないのはおかしいという話もした。(主観)
あれからしばらく経つが時代はやはりwiennersでなくawesome city clubだ(主観)
音楽が跳ねる、というのはつくづく曲単体の良さ云々とか
以外の要因、タイアップ要素である。
(awesome city clubをdisってる訳でなく、ふつーに勿忘は好きである)
フィッシュマンズの映画、
確か元々は昨年だか一昨年の公開予定で、紆余曲折あったが
今夏公開されることが決定したようで、
ふとこの時の会話を思い出して書いてみた。
あの時以来連絡は全くとっていないが
コロナ禍で大丈夫かなと久々に先輩のバンドを検索してみた所、
まだ脱退しておらずご健在だったようなので良かった。
色々落ち着いたら先輩のバンドも一回聴きに行って
いつかオーイシマサヨシのようになって
ラジオであの頃のピザ屋の話でもしてほしいと思った。
そんな毒にも薬にもならない話。
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kininarizm · 3 years
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ノリアキの描いてきた等身大のリアル
"いつかくるさ
誰もが
仮面をとる朝が
また どこへでも行ける
君の本当のキーでさ"
『know real key/ノリアキ』
インターネット老人会という割にたかだか10年そこそこ前の
2chやvipやflashといったサブカル大喜利のようなイキったタグがたまに
twitterでバズるたびに、1990年代にパソコン通信やワープロに
電話回線を繋げてnetscapeで中途半端に表示される16色のエロ画像に
一喜一憂していた本物世代の気持ちを鑑みてはドゥシュピィン…と背筋がうすら寒くなる今日この頃であるが、
クリスマスイブの日に突如として始まった
ノリアキの
11年ぶりの一夜限りの復活ライブ
には、
にわか老人として久々に魂が心から震わされた。
というか、心が震えすぎて
人生初スパチャをしてしまった。
な��で、今日は一インターネットウォッチャーとして、
ノリアキ現象とは何だったのか、という部分と、先日のライブについて振り返ってみたいと思う。
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皆さんはノリアキについてご存知だろうか。
ノリアキは、元々は「夢をかなえるゾウ」の著者(当時はまだ作家本業になる前)
である水野敬也が、
ストリートパフォーマンスの延長で始めたネタブログ「ウケる日記」内の
「後輩オーディション」を通過した筑波大生”高橋典彬”の見た目が味わい深い、
という一点突破のみで
こいつをミュージシャンにしてみよう
という悪ノリから2005年に始まった一企画ネタであった。しかし、
引きこもりミュージシャンという特異な肩書
その衝撃的なルックス
すべてネタに振り切っているかと思いきや中毒性・深みのある歌詞、音楽性
などから
徐々にネタの範疇を超えて人気に火がついていき、00年代半ばから後半にかけて、インターネットの極北で密かにムーヴメントを起こしていった。
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ノリアキの歌詞で際立って有名なものは、『UNSTOPPABLE』
における「エミネム、zeebraも全部フェイク」というリリックであろう。
(これに対してzeebraは2016年に「彼にとってのリアルとは違うって事と理解してます。寧ろエミネムと並べてくれて感謝です(笑)」といったアンサーを返している)
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ノリアキはそのヒョロヒョロガリガリ色白の身体で
hiphopに興じるmvを演じることによって、
本当にリアルな自分、等身大の自分を伝えているのか?と
格好から入りがちな日本のhiphop・音楽シーンを風刺し、
『unstoppable』や『きみはポイズン』では
fakeが跋扈する世の中に対して挑戦的なメッセージを投げかけていた。
こうした態度から
”hiphop界のレジェンド”
"日本音楽界のサーベルタイガー"
”ノリアキだけが「real」それ以外は「fake」”
などと半ばミーム化した存在としてhiphopの文脈で語られることが多かったノリアキであったが、彼の真価、もといネタではなく純粋に聴いて心を打つ曲は、むしろhiphopではなく、ポップスにあった。
なかでも個人的に好きな曲は
『だれかおれをすきになれ』。
ノリアキ作曲の哀メロと素朴で優しい歌声、ストレートで直情的な歌詞は
普遍的であり、誰にとっても刺さるはずである。
興味がある方はぜひ聴いてもらいたい。
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というわけで、一躍インターネットの大海原でスターとなった
ノリアキであったが、アルバムをリリース後活動は縮小気味になり
2009年に突如引退を宣言。
その後10年余り、表舞台には一切登場せず、
各界からノリアキを求める声こそ高まれども、
そのキレイすぎる幕引きと、一枚のアルバムで十分やりきった感もあり、
名実ともに伝説の存在となった。
ノリアキは例えるなら00年台のヨモギダ少年愚連隊、
あるいはポケットビスケッツともいけるかもしれない。
それだけ、企画と音楽が突出していた。
もうネットには戻ってこないと思っていた。
残念だけど、まぁ得てしてこういう企画モノは
そういうもんだよな、とも納得していた。
そんな2日前、
記事を漁ってると、不意に目についた
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!!!!!!!!?????????
ノリアキがコロナと戦うために帰ってくる!!????
はああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!??????????????(大歓喜嬉ション失禁号泣全裸土下座)
というわけで、大麻やらで長らく活動中止だったアーティストが復活する日のファンの気持ちを初めて理解した。(ノリアキは別に不祥事起こしてないけど)
というわけで待ちに待った配信当日、
画面越しではあるが、
実際に見る生ライブは高揚が抑えきれなかった。
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久々に表舞台にたったノリアキは全く変わっていなかった。
いろはすを握りつぶしてしまうほどの怒りで
コロナと戦うため全人類のために歌う、と宣言し
一夜限りの復活を果たしたノリアキは
歌も相変わらずで
ここに至るまでを知らない視聴者が同接につられて興味本位で見たら、
奇行種のオッサンがカラオケをしているようにしか見えないレベルで
見るに堪えなかっただろう。
しかし序盤こそボロボロだったが、10年のブランクをものともせず
すべてを曝け出しやりきる姿勢は、紛れもなくあの頃realな表現を伝えてくれた
等身大のエンターテイナー・ノリアキだった。
皆がノリアキに涙していた。
俺は涙は全く流れてこなかったが、心はまっ白に感動していた。
先程、ノリアキは10年ほど表舞台に登場せず、と書いたが、
ひとつだけ嘘をついた。
ノリアキ、もとい高橋典彬は、人工知能の研究者として山形で
コンピュータ将棋について講義をしている動画が2018年に確認されている。
今では、全く別の畑で活動しているかつての演者が、
当時と同じ熱量を期待する観客の前で表現する
緊張は、如何ほどのものだろうか。
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4曲前後のセトリが終わり、
アンコールで
だれかおれをすきになれと名曲が続き
声の調子も整いはじめヒートアップしていくと、
remix版unstoppableで会場のボルテージは最高潮に達した。
そして、アンコール終了後、
そこにもうあの頃のノリアキはおらず、
サングラスとバンダナという仮面を脱ぎ捨てた一技術者である、
高橋典彬だけが、たたずんでいた。
観客に向けてコロナに対し健闘している医療関係者へのエールと予防対策を言葉少なに語り会場を後にした11年ぶりのノリアキの一夜限りの登場は、
プロジェクト・ノリアキの終止符と共に、
あっという間に、
1時間足らずで去っていた。
その代わり、11年後の区切りは、11年ぶりの新曲を新たに携えてやってきた。
彼の決意と、決して表情には現れない熱い想いは、
医療従事者に届いただろうか?
去年の今頃のように、再び仮面がとれる時を信じて。
ライブ本当に良かったです。
ありがとう、ノリアキ。
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kininarizm · 4 years
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abemaトーナメントが面白い
藤井新棋聖の誕生を傍から見ていて、
最近また将棋ブームがきてるなという感じである。
将棋はキヤビルで4,5年前にtomozoneくんに教わって以来アプリでほぼ毎日指している。
ただ、棋書を読んでガッツリ勉強するのはなんとなく違うかなという感じがするので、
金子タカシの「寄せの手筋200」を本棚にしまったまま、
特に努力もせず、顔洗って歯磨きする感覚で惰性で指し続けている。
かなしいかな気がつけば将棋だけが無意識レベルまで落とした唯一の日課になってしまっている。
とはいえ先日、2年近く足踏みした1級をようやく抜けてアプリで初段になれたので、嬉しい。
アマ初段というのは我々のような初心者にとって一つの到達点なので、
これからもゆっくり2段を目指していけたらなと思う。
それはさておき、最近abemaトーナメントという将棋の棋戦が面白い。
今回はabemaトーナメントの面白さを伝えたいと思う。
abemaトーナメントとは、
その名の通りabemaTVで放映されている早指し棋戦である。
八大タイトルとは別の非公式戦であり、ここでの勝敗は生涯勝敗数に含まれないので、
軽くいってしまうとお遊び枠になるが、その反面思いがけず熱い戦いが見れるのがこの早指し棋戦の良さみである。
①試合展開がスピーディー
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abemaトーナメントはフィッシャールールというチェスの試合では有名なルールを輸入している。
一人持ち時間5分
一手指すごとに5秒追加される
という超速ルールである。
つまり理論上、脳死で5秒以内に指し続ければ時間は無限に増えていくのだが、
序盤の定石系はともかく中盤以降思考が必要になる場面が確実に出てくるので、
後半は時間切れとの戦いでバンバンチェスクロックを叩きまくる気迫の展開が繰り広げられるのである。
僕のように2日制や長時間のタイトル戦は終盤だけ見れればいいかな〜とか考える
怠惰な将棋ファンでも、一局一局が短いので長時間見れ、
なおかつ早指しならではの徐々になくなっていく時間のプレッシャーによる打ち間違いや、華麗な駒の捌き、詰めろからの寄せなど、双方の逆転に次ぐ逆転のドキハラが見れるのが魅力の一つである。
②ドラフト制の採用
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abemaトーナメントは、これまで過去2回個人戦として行われていたが、
第3回である今回からは野球でおなじみのドラフト制を採用している。
勝てそうなメンツを順番に指名していくのである。
タイトルホルダー+A級棋士がリーダーとなり、藤井くん指名権を掛けて骨肉の争いが繰り広げられる…かと思いきや意外とトントン拍子で進んでいき、
羽生を擁するabemaドリームチームを監督として率いるサイバー藤田社長と
””社長への忖度””という暗黙の了解を超越した勝利への執念がプログラムされた将棋サイボーグ永瀬の一騎打ちが見どころである。
ちなみに社長は負けた(ドリームとは)
③団体戦としてのキャラクター性と物語・重責
abemaトーナメントはドラフト指名による団体戦である。
将棋で団体戦…?という疑問は当然である。
将棋は個人競技であり、基本的に敵は自分以外の全てとシビアな世界だが、
今回はチームの戦局と、相手のカードを見極めながら誰を試合に当てるか考えるといったチーム全体の戦略性が問われる戦いとなっている。
先週は、本戦トーナメントで
麻雀大好きメンバーで構成されたチーム広瀬(大三元)と
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(青嶋・広瀬・黒沢)
地味キャラが揃っていて地味に強いチーム三浦(ミレニアム)の試合を
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(本田・三浦・高野)
「先手にマヌーサかけたい」などの迷言(?)でおなじみの
解説名人である藤森五段が担当するという回だったのだが、
これが思いがけず名勝負であったのでダイジェストでお伝えしたい。
状況は、互角の戦いで一進一退の攻防が続くも、
前局の第7局で黒沢が勝利し、これまでトーナメント6戦全勝であった広瀬をぶつければほぼ勝利確定といった勝敗を分かつ第8局、終盤戦である。
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(今まで未出場だったのになぜか早指しが異様に強すぎるダークホース広瀬)
しかし、ここであろうことか広瀬は第8局に
2連敗して未だに見せ場がなかった青嶋未来をぶつけるのである。
これぞ団体戦という感じである。単純な勝利としては広瀬の登板で
リードを保ったまま勝ち確を目指していくだけでよいのだが、
チーム全体として気持ちよく準決勝に進むには青嶋の勝利が欠かせなかったのである。
しかしここ1番の第八局は終始青嶋が攻めきる展開だったものの、
最後の最後の秒読み10秒で端攻めを高野に受け潰され、
チームメンバーの期待に応えられなかった青嶋の敗退。
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まさかの3連敗に青嶋もこの表情である。
悲しすぎる。
そんなこんなで到来したエース対決の9回裏。
無敗の広瀬は青嶋の敵をとりチーム三浦に勝ち、準決勝に進むことができるのか…!!??
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という感じで、
結果はしばらく無料配信されているのでぜひご覧頂きたい。
このように
えっ将棋ってこんなに手に汗握る青春ドラマだったっけ…!?
と思わせてしまうような熱い演出が光るのが本棋戦の見どころである。
(と話の都合上完全に大三元に肩入れしてたが、ミレニアムも3人ともいいキャラが揃っている)
▽というわけで
王位戦の木村ー藤井戦
叡王戦の永瀬ー豊島戦
とタイトルホルダー同士の戦いが控えに控えた今日この頃であるが、
今一番アツくて素人目にみて(これ大事)面白い将棋を魅せてくれるのは
abemaトーナメントである。みんなも推しチームを決めて応援しよう。
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(ゴキ中見たいのでチーム振り飛車応援してましたが、本戦でレジェンドの"""パワー"""に圧倒され負けてしまいました。残念!)
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kininarizm · 5 years
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ツジズム映画の真髄
過去最大級の台風が日本列島に来るか来ないかと目される日曜朝、
普段あまり映画を観ない自分が珍しくも、京橋の国立映画アーカイブという所でやっている
ぴあフィルムフェスティバル
という自主制作映画の映画祭を見に行ってきた。
なぜ唐突にも自主制作映画を観にいったかというと、
友人の作品が入賞したからである。
そしてその友人とは、あろうことか、M1で一緒に「手が震える」としてコンビ漫才を組んだ相方ツジことつじしんぺいである。
(参照:https://kininarizm.tumblr.com/post/165747020982/)
ただのフリーター仲間だと思っていたツジの、まさかの新進気鋭の作家の登竜門であるぴあフィルムフェス受賞は、
元相方である俺にとどまらず、界隈に大きな衝撃をもたらした。
ツジくん、君って奴は、、、
薄々感じてはいたものの、そんなにスゴい奴だったのか!?‥
ぼくはちょっぴり一抹の淋しさを覚えた。
M1出場後にツジに彼女が出来た時も似たような寂寥感を覚えたが、
この取り残されるような、遠い感情はなんなのだろうか。
その悶々とした答えを探るためにも、
急遽大学時代の知り合い間で
ツジの映画を見に行く会が企画され、満を持して行ってきたのである。
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ついた���
国立映画アーカイブの側壁に揚々と鎮座するツジの堂々とした佇まいに画像に思わず笑ってしまった。
現場はまるで孫の晴れ舞台を訪れたお婆ちゃんのように、はたまた爆買い中国人観光客のようにツジ関係者一同による軽い撮影会になっていた。
僕らの他に写真を撮ってキャッキャしてる集団は皆無であったが、恥ずかしいよりも嬉しいのだ。
だってあのツジである。
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(ツジの溢れでる「巨匠」感。インド人ボリウッド監督といわれてもなんら不思議ではない。こんなん笑うやろ)
さて、という訳で開幕した
ぴあフィルムフェス。
ツジの作品「自転車は秋の底」は「東京少女」「ワンダラー」との同時上映で、トップバッターであった。
入場後時間があったので、配られたパンフレットを読んでいると
唐突にツジの作品インタビューが登場してきたので腹筋が崩壊する前に
そっ閉じした。
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さてそうこうしている間に上映の時間となっていき、
照明が徐々に暗くなっていく。
あっという間に70分が過ぎ、すべての作品の上映が終わり、
余韻を残しながら作品インタビューの時間に入った。
ここでツジ監督の時だけ
・終始止まらない横揺れ
・主演俳優が寝坊でインタビューに来ない
・ので客席にいた2回だけ撮影に参加したスタッフを急遽壇上に呼ぶ
・ツジの一挙一動ごとに会場に広がる笑い
・質問タイムがなぜかこの作品だけ司会に切り上げられる
などといったイベントがあったが、ここでは割愛する。
▽ネタバレ感想
◉自転車は秋の底(ツジ監督)
全編通してみた感じ、映画というより映像作品に近いという印象。
・表現が全体的に前衛的。
・現代美術の展覧会でインスタレーションといっしょに展示してそうな作品というとなんとなく伝わるだろうか。
・タイトルは最初には出ず、ワンルームに住むお兄さんが風呂に水をために行く所から物語(?)は始まる。
・画面は全編通して暗い。観客に緊張が与えられる。
・中盤、コンビニから帰宅する主人公が、自転車が自転車を襲うのを目撃した恐怖で、パスタがクロマキー的に回転するシーンは音楽効果と合わさって圧巻の一言。びっくりした。
・音がいい。たとえばserial experiments lainで度々サブリミナル的に挿入される電線のシーンのジーっていう音と画面表現は脳裏に焼き付くが、この映画の自転車登場の音もそんな感じ。
・自転車のライトはロボットの目に近い。ドラクエのキラーマシンさながら。よって観客もだんだん彼らを擬人化して見えてくる。
・結局の落とし所は、「なぜ自転車は人間を襲うのか」「登場人物の男女は自転車を接点に交錯するのか」あたりの「タネ明かし」「緩和」を観客は期待して中盤過ぎから見ていくと思うが、これら疑問は作品内でなんの解決されないまま作品は宙ぶらりんで完結する。
・最後の最後までほぼサイレント映画で、映像と効果音とBGMで物語を見せていく展開。ここまでやり通してたのに最後のとってつけたような喋りは蛇足のような気もするが、あれはあれで必要だった気もする。
・結局女性が(を)追っていたのは宇宙人なのかなんなのか、上映後のトークで解説されないとわからなかった。
・ED曲急にポップすぎないですか?
というわけで、本日のインパクト賞という感じだ。 間違いなく意味がわからなすぎて、観客の頭の上に沢山の疑問符を残して去っていく大雨洪水警報的な、感性のまま作って垂れ流したブツがそのまま激流となって昇華したような作品。これを狙って作ってたらびっくりだけど、インタビューで司会の方に「適当ですねw」とツッコまれるとおり、全くもって狙って作れないのがツジのツジたる非凡なところである。
◉東京少女(橋本根大監督)
・平成最後を生きる女子大生の万能感と漠然とした不安と令和改元に対する率直な感情を、ラップのような早口とテンポのいい映像と共に10分足らずで描く。
・女優の早口がすごい。
・話の構成は自己承認欲求の高そうな量産型女子大生の中身のない自分語り(というイデア)なので、見てて昔の自分を思い出しイタタタとなるようなムズ痒い感じを催した人も多かったのではないだろうか。 監督が女性じゃなくて男性だったのに驚いた。
・節々で現代っぽさは感じた。
・映像は極めてデザインチックで、作者はもう今年7作品作っているらしい。多作だね。
◉ワンダラー(小林瑛美監督)
・デンマークに家族で旅行に行こうとしたら夫に急な出張が入ってしまい、急遽一人で行くことになるも、空港に行く途中で気持ちが止めどなくなり、家で居留守を使いながら、偶然であった女性と二人で北欧旅行に行ったフリを演じていく話。
・3作品の中で唯一直球ストレートの一般的な脚本と演技で構成される映画。
・居留守中に旅行のフリ、という設定は面白かったと思う。
・テーマは女性の揺れ動く複雑な感情と虚栄心、男女のすれ違いあたりにあったと思うが、良くも悪くも邦画っぽい、起伏の少ない映画。
・最後はえっ?って感じで終わる。これも少しモヤモヤが残る。
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上映後にファンに取り囲まれ談笑するツジ。
一瞬彼がとんでもなく遠い世界に行ってしまったような気がしたが、
インタビュー時のgdgd感を思い起こし
結論から言うと、壇上に上がってもやっぱりツジはいつものツジだったので安心した。
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というわけでまさに文字通り台風の目であった今作品。
散々ネタ扱いしてきたけど本当に受賞おめでとう。
皆も行く機会があったら「自転車は秋の底」ぜひ投票してくれよな!
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kininarizm · 5 years
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とあるライダーの死
“何をしても、咳をしても一人 息を引き取り消えてしまう前に それを知っただけでもありがたい 去りがたい場所があってこその旅立ち 生命力そのものをも上回る、偉大な悲しみの力 静かに私を迎えに来た、後を濁さずに発つこの地から しかしこれほど潔い清い気持ちは、いまだかつてあっただろうか 初めて、確かに何かをしたいと思い それを実行するときが来た”(shing02/『No.13』)
昨年の終わり頃、1人のライダーが北海道で死んだ。
名を引きこもりライダー隼という。
suzuki隼に乗っている元引きこもりのツーリングライダー
なので、そのまんまの名前であった。
また、これが事故であればまぁバイク乗りによくある悲しい話なんだが、
彼のそれは自殺であった。
夏から始めた北海道ツーリング、
楽しい旅の思い出の全てはtwitterに紡がれていた。
美味しい海の幸を食べたり、
道中色々な人との出会いがあったり、
どれも充実感に満ちた楽しい旅の思い出に思えた。
恨みごとや、悲観的な言葉は一つもなかった。
一連の旅を終えた116日目の最後のツイートは、
ここが旅の終点という一縷の言葉と、
暗闇に映るダムの写真だけが残されていた。
後日SNSで繋がっていた人が警察に連絡し、入水死体として発見されたという。
散々楽しい旅のツイートをしておきながら何の前触れもなく訪れた
引きこもりライダー隼の突然の死は、界隈に衝撃と賛否両論の議論を呼んだ。
ただ僕にはなぜかそれが
美しい死に方だな、と思ってしまった。
旅に出る前までは仮想通貨や情報商材の仕事をしていたらしい。
ここからどこまで事情を察するかは置いといて、
おそらく元より死ぬ予定で旅を始めて、
資金が尽きたか、予定日になったのか知らないが、
ちゃんと遊ぶだけ遊んでから死ねたなら、心残りはないんじゃなかろうか。
自分も含めてだが、
バイク乗りというのは基本的に生への執着が希薄な方だと思う。
なぜかというと、バイクは危ないからだ。(そのまんま)
同じ道路を走行する周りの人たちが何がしかの
冷暖房のキかした金属の棺桶に守られて
ヌクヌクと60km/hやら100km/hやらで飛ばしている中、
同じことを生身の体で飛ばしているのだがら、死者数の統計とかとる以前に
誰がどう見ても防御力の差は歴然である。
高速道路で前後を4tトラックに挟まれた時の絶望感は、
さながらKONISHIKIと白鵬の2人と真正面から戦ってくださいと言われた3歳児の心境でも想像してみて欲しい。
なので、そういった諸々を踏まえた上でバイクに乗っている人間というのは大なり小なり
頭の中の大事な部分のネジが抜け落ちていると思うのだが、
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まあそれでもなんで乗っているのかと聞かれると、
まぁ単純にバイクは楽しいからであって、
乗ったことがない人に対して例えていうなら、
自転車で急坂をペダルを漕がずに下っている時の
あの終わらない加速、終わらない夏の感覚を思い出して欲しい。
バイクというのは基本的に信号で止まるまであの疾走感がずっと続く
と思ってもらえればいい。
想像するだけでドーパミンでお○ん○んがギンギンになってくるはずだ。
ぼくは脳細胞がちゃんと生きている人間は、
あの高揚感をどこで味わうんだろうかと度々思う。
ライブか、セックスか、くすりか。
でもやっぱりヤり方をちょっと間違えると、
頭が半分べろんちょしたり、植物人間になったり、
即死より悲惨な状態になってしまうのは目に見えているので、
普通の人がバイクこわいから乗りたくないなあと思うのと同じように
バイク乗りは道路こわいから死にたくないなあとか、そういうふうに考えるわけである。
僕も学生時代に一回事故に遭っていて、体は奇跡的にほぼ無傷だったものの
まぁタイミングが悪かったら普通に死んでいたので(バイクは大破した)
それ以降はそれまで以上に全方位に細胞がセンサーを向けるくらい気をつけて乗るようになった。
事故の影響から背後のクルマには特に注意する。
というわけで、僕は結構予期せぬ死を恐れていて、かといって予期した上での自殺とかも興味ないのだが、
同時に生に対する執着心がそんなある訳でもなくて、
でも最近特にやることもないしなんだかなあとか、
そんなアンニュイかつアンビバレントなことを思っていたりもする。
僕は、かつて46都府県を���した。
佐賀とか、福井とか、微妙にカスったりちょろっと滞在しただけの所もあったけど、
ライダーの聖地である北海道だけは、様々な理由から未だに一歩も足を踏み入れられずに今に至る。
行ったらもう目的がなくなってしまうのではないか、
とか
心の余白地帯を失うのが怖くてなのだろうか、
とか
引きこもりライダー隼のように自分も暗闇の淵に引き込まれるのを恐れているのだろうか、
とか
これからもなんだかんだ理由をつけて、北海道を1人では行かずに残しておくんだと思う。
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kininarizm · 5 years
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めも:教育・思想・宗教・情報リテラシーと脳と記憶
最近読んだ本
精日 加速度的に日本化する中国人の群像 (講談社+α新書)
https://www.amazon.co.jp/%E7%B2%BE%E6%97%A5-%E5%8A%A0%E9%80%9F%E5%BA%A6%E7%9A%84%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%BE%A4%E5%83%8F-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE-%CE%B1%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%8F%A4%E7%95%91/dp/4065128269
子供の頃から同じ政府のガス抜きとしての反日洗脳教育を受けている中国と韓国で、
日本旅行者も同数くらいの中韓において対日感情/意識が異なるのは何故なのか考察めも殴り書き。
(人口比は一旦スルー)
 ___ ♪ ∧__,∧.∩
/ || ̄ ̄|| r( ^ω^ )ノ  どうしてこうなった!
|.....||__|| └‐、   レ´`ヽ   どうしてこうなった!
| ̄ ̄\三  / ̄ ̄ ̄/ノ´` ♪
|    | ( ./     /
中国では64天安門の記憶とネット検閲、その他共産党への不信感の蓄積が根底にあるのに対し、
韓国では光州事件や全斗煥打倒の記憶も大概に、大統領が変わるたびほぼ必ず自殺か監獄・亡命に追い込まれるのに
何故か毎回嬉々として政治家は要職に就くし人々は新政府に期待する
つまるところ、記憶の蓄積の有無が意識差ということになる
歴史感覚が継続的か刹那的かというところで、
日本は継続的(直線的)、韓国は刹那的(点的)・中国はその中間(共産党意向)。
これがそのまんま日中韓の歴史観や価値観の差異
放伐はどちらかというと中国大陸的思想だけど、民主化以降これが数年の短期サイクルになってるのが韓国
共産党はなんだかんだ戦後からほぼ一党独裁なので良くも悪くもある程度長期に安定しているため、
海沿い省の中産階級の民衆も上層部の対応の閾値を把握している感じ
微信で子細は管理されているとはいえ、民衆レベルで洗脳が解けかかっており
国内政府の信頼性が低いため 中央政府をかいくぐっても対日旅行からの生のプラスの感情が伝播しやすい
一方で韓国の場合、政府がデモで毎回リセットされる度に1945年が繰り返され、対日旅行などを経てプラスの感情を持っても国民情緒法で制裁されるため伝播しにくい
日中韓ともに貧困層やネットリテラシーの低い層が
現状への不満を発散する形でアンチ周辺国になるのは大差ない印象
(高須先生みたいな愛国イデオロギーは別物として)
個人的には
直近のレーダー照射、重用工、瀬どり問題と経済失調を抱えた文在寅の行く末と、
プーさん(習近平)の独裁権限が強まり思想抑制と国内の厭世観が強まる中、
生きているうちに中国が内圧の暴発で放伐をくらい民主化するかと、
周庭たその香港雨傘革命はこのまま尻すぼみになっていくのか、
仮に民主化した際に日中韓情勢がどうなっていくかが気になる所
若年層からの思想教育が与える影響について、
・ヤ○ギシズムのさよならカルト村(高田かや)
・最近無料公開されたA3(森達也)(これは青年層だけど)
あと他の新教宗教系エ○バ・法輪功弾圧 を読みたい
記憶の連続性の本ももっと読みたい
韓国的歴史観というか、時間が連続的でなく刹那的に感じられるというのは、
アスペ特性に親和性が高い(と個人的には感じる)
となるとある種我々が常識的に考えている蓄積型の継続的歴史観は
生得的ではなく後天的学習によって得られたものかもしれない
(世界5分前仮説があるように
アスペ的な思考、飛び跳ねる思考やコミュニケーション不全は脳梁の細さ、オキシトシン不足など
諸説あるがざっくりいえば前頭葉が死んでいるということ
これがワーキングメモリの不足を引き起こし人から聞いた情報の短期記憶の壊滅や後先を考えない時間を超越した突発行動に繋がっていき、
確認不足、注意不足、頻繁のもの忘れ⇨まわりまわって周囲との感情的不和と協調性のなさにつながっていく
そう考えると韓国の仕事のやり方ってどうなっているのだろうか
自分は多くの韓国人ほど感情豊かではないし歴史好きなのでむしろ長期記憶は残るタイプなのだが
民族と脳形成と記憶の視点からも思想教育については色々気になる所がある
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kininarizm · 6 years
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ハイスコアガールとぼくと大野さん
***
"終業のチャイムで走り出す ゼロフレーム
今日も戦いに飢えた獣とたわむれる
ずっと画面の端 待ちながら溜め続けた
情熱の炎が西の空染める
陽の当たるステージでは見えない 小さな想い
今も街のどこかで輝いている
心の奥のゲージを使うのはいつ? "
(sora-tob-sakana『new-stranger』)
***
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ハイスコアガールというアニメを今期ずっとみている。
おととい新リンダ家の引っ越し手伝いで留守番をしていたときもnetflixからずっとみていた。
90年代筐体格闘ゲーマーのラブコメ漫画とかなり題材はニッチな層の話なのだが、
スト2のガイルや源平討魔伝のババアといったレトロゲーのキャラが
画面端から応援してくれたり、ゲーム画面がふんだんに盛り込まれたり演出が心憎く、これがなかなか面白い。ゲーム業界黎明期の熱量が詰まったアニメだ。
作中では僕が生まれる1991年に人気が爆発するスト2がコミックリリーフとしてしばしば登場する。
このゲームは当然ながら我が家にもあった。
我が家は親がインベーダー世代からのゲーマーだったので、
物心ついた頃からファミコン、スーファミのタイトルはそこそこな数がラインナップされていたのだ。
僕はあまり格ゲーをやらなかったが、(コマンド入力が苦手なのである)
スト2だけはたまにRPGに飽きると引っ張りだして遊んでいた��
特に誰使いというのはあまりなかったが、リュウのステージ、ブランカのステージ、バルログのステージ曲が好きで、しばしばBGMを聞くために使っていた。
さて、この漫画の主人公ハルオくんは運動出来ず勉強出来ず、格ゲーで時に待ちガイル(※)も駆使しつつ勝ち上がることがアイデンティティの少年である。ゲーセンだけが彼の居場所なのだ。
対して作中のメインヒロインである大野さんは良家のお嬢様で、なおかつ成績良好運動も出来る光の世界の住人で、なおかつゲーセンでは当初弱キャラと思われていたザンギエフ使いである。
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作品のあらすじとしては、
1991年、小学生時代に大野さんとゲーセンで対決することから始まり、よき共闘関係(ライバル)だった2人が後に別れと再開を経て、さらに中学のクラスメイト日高さんを巻き込んで淡い三角関係に発展していき…
といった感じの話である。サブヒロインの日高さんも可愛いのでぜひ漫画も読んでほしい。逆算して´79生まれと考えると妙にリアリティを感じてしまうが。
さて、実際の所、ゲーセンに行った所でこんな大野さんや日高さんのようなゲーム大好き美少女との出会いはあるわけもなく、
(あったとしてオタサーの姫化した日高さんの囲い役くらいだろう)
ヤマノススメやばくおんのように日陰系野郎趣味の
あのころの青春のアツさや淡さをコンテンツ紹介と共に美少女に仮託している悲しい妄想のなれの果て、という穿った見方も出来る気がするが、
僕は、漫画をめくり大野さんの姿を見る度に一人の友人を思い出していた。
彼女の姿にはどうにも既視感があったのだ。
s嬢である。
***
sという友人がいる。
小学5年にはじめて同じクラスになった頃からなので、かれこれ15,6年の付き合いになる。
人付き合い苦手で基本的に連絡無精な僕が今でも不定期的に連絡をとってる友達の中では、紛れもなく最古のそれだ。
sは僕の初恋の相手だった。
当時から、sは控えめにいっても美少女だった。勿論僕の目が腐っていた可能性もあるが、
周りの人も言ってたのでそれはもう美少女のイデアであった。
黒髪、ミディアム、儚げな表情。見る人が見れば、深窓の令嬢といった感じだろうか。
彼女は同級生の中でも一際ミステリアスで、クールだった。ついでに頭もよかった。I進の偏差値でいうと、70くらいあった。さらにいえば運動も出来て、校内のマラソン大会では3位くらいで入賞していた。
sは字もかわいければ声もかわいく、要するにこの時の彼女は大野さんに似ていた。さすがに殴られたり会話ができないことはなかったが。
翻って僕は、運動も出来なければ勉強もそこそこ(I進の偏差値でいうと60くらい)、給食の時間に前に出て寒いギャグを言っては顰蹙を買うのが取り柄の典型的なお調子者タイプであった。
つまるところ、小学5年の頃にはなんというか、月とすっぽんというか、飼育小屋にいるうさぎと湿った石の裏をめくると出てくるなんかキモい虫、くらいの大きな隔たりがあったのだ。
小学6年に上がった頃、うさぎとキモい虫は同じ班になった。
小学生時分ながら机が隣になった時は心の中でガッツポーズしていた。本当は全身全霊で表したかったが、なにぶんシャイな年頃だったので、さも何事もなかったかのように振る舞ったりしたものだった。
s嬢も僕も中学受験生で、それをきっかけによく話すようになったように記憶しているが、彼女の都内への引っ越しもあってか、小学校を卒業しお互い別の中学に進学してからは疎遠になった。
その後、中学や、高校時代は年賀状を送ったり、1回だけ小学校のイベントで会うこともあったが、基本的には交流なく、この世界の片隅ならぬ記憶の片隅に追いやられていた。
転機が訪れたのは浪人生になった頃である。
現役時代、東大にはセンターの点数が足りず適当なノリで外語大を受けていたのだが、語学志望でその噂を聞きつけたsから小学校の友人経由で一通のメールが来たのだった。
紆余曲折を経て再会したsは、いつのまにか初音ミクを愛する電波少女になっていた。
彼女が格ゲーマーかつ電波ソングとエロゲーの愛好家であることを知るのは、それからしばらくしてからのことである。
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kininarizm · 6 years
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時の止まった空間
昨日、「ワンダーウォール」という、 京都の伝統寮とその廃校を巡る運動を舞台にしたドラマが放映された。
寮の廃校を巡る運動を舞台にした作品は、 昭和30年代の横浜のカルチェラタンを舞台にした ジブリの『コクリコ坂から』などを思わせる作品だが、
ご存知の通りこれは現在進行形の京大吉田寮を巡る攻防が描き出されたリアルドキュメンタリーでもある。 吉田寮というと僕らくらいの世代だと、 四畳半神話体系のOP動画を思い出す人も多いのではなかろうか。
さて、そんな絶好のタイミングで、 先週ではあるがその舞台となった寮を見に京都に行ってきた。 ���
吉田寮は大正2年の建築である。
今年で築105年ほどで、連続で大量に人が住み続けている家屋としては他の指定重要文化財とひけをとらない(しそれ以上に���築史上重要な)部類だと思われる。
『檸檬』の梶井基次郎から”スマイル党総裁”マック赤坂 までここで学んだという。
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京大では立て看規制を巡る運動も含めて今年に入ってから京都市や大学職員と学生のいたちごっこが続いているのだが、
吉田寮も例に漏れず、 今年の9月末までの大学当局による一斉退去が勧告されている。
つまり、もってしてあと2ヶ月ちょいなのである。 吉田寮自体はまだ学生だった4,5年くらい前にも一度訪れていて、
その時もこんな猛暑の続く日だったのを覚えている。
当時から吉田寮は大学当局と廃寮をめぐってバトっていたのだが、
現在ほど緊迫した状況でないため、全体的に寮内の雰囲気もゆるく、
適当にそこらへんを半裸でほっつき回っている京大生(?)に 「中あがっていいですか?」と
聞いたところ、
「中にあがってもいいかもしれないし、上がってはいけないかもしれない、そ れは僕の決める問題ではない」
といったようなうざすぎる返答をもらい、
ウワアアアアアアなんだこいつめんどくせえええええええ
と京大的な洗礼を受けたのを覚えている。(結局OKだった)
翻ってタテカン問題も含めて退寮が差し迫った現在はというと、イベントを打ったり、見学会を開催したり、広報としてメディアに出演したり色々と頑張っているようだ。
僕は結構木造建築とか古い建物とかまちの雰囲気があるところが好きで、
だから今も築年でいうと吉田寮より古い明治生まれの粗忽長屋(リノベ済)に住んでいたりするのだが(断じて金がないだけではない)、
つまるところ風情のある木造建築を、金はなくとも時間のある今、
平成が終わり潰される直前にもう一度見たかったというわけである。
18きっぷでドンドコド���ドコと9時間かけて東海道線を乗り継いで向かった京都は暑かった。
駅を出てすぐに大量の熱波が押し寄せ、遠くに見える大文字山は、道路を行き交う自動車の排気ガスと排熱により蜃気楼のようにぼやけていた。
まちを歩けば50mごとにHPは1ずつ失われていき、 トラマナも使えない現状
ソルティライチやポカリといった清涼飲料(ぬるい)でせこせこ体力を回復していくしかないのである。
鴨川は先日の豪雨で溢れていたとは思えないほど水位が下がっていて、テントを張ってバーベキューやら水際でぴちゃぴちゃ遊ぶ家族連れで溢れていた。
盆地は夏に住むところではないなと改めて感じたものである。
さてさて、吉田寮は駅から遠い。
北側の京阪出町柳からも南部の神宮丸太町からも一定の距離があって 15分ほど歩く。全身は汗でべとべとである。
以下吉田で撮った写真。
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そんなこんなで自分は単純に部外者目線で楽しんだりしているのだが、自分が京大生だったらここに住んでみたかったなー、と常々思っている。
寮費は月2500円。1日バイトをすればお釣りがくる値段だ。
庭にはニワトリ(食用)やらクジャクが練り歩き、廊下を歩けば床が軋む。 廊下には24時間ムシキング深夜耐久上映回のチラシが貼っており、土曜には横の食堂がBARになる。
ぼくは、おもろい空間がなくなるのが単純に、寂しい。
こういった意味不明な空間を許容するゆるさが京大からなくなると、京大は以前以上にただの劣化東大というか地方帝大になってしまい、ますます個性が失われていく気がする。(そして東京一極集中がkskする)
自分にはまだまだ、京都には憧れの存在であってほしいのだ。
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kininarizm · 6 years
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筋トレ@2ヵ月目 停滞気味だが、筋トレ仲間が増えたのでモチベーションをあげていきたい。 目的は違うけど与沢翼がプライド捨てて筋トレ頑張ってるのを見ると俺もやらなきゃなー、と思う
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kininarizm · 6 years
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史上最高のゲーム音楽
みなさんは、ゲーム音楽といえば誰を思い浮かべるだろうか。
FFの植松伸夫だったり、
DQのすぎやまこういちだったり、
ロマサガの伊藤賢治だったり、
ギルティギアの石渡太輔だったり、
ストリートファイターⅡの下村陽子だったり。
色々な意見があると思うが、
僕は、ゲーム音楽といえばクロノシリーズの光田康典である。
子供の頃はRPGといえばDQばっかりやっていたのだが、
実は史上最高のRPGは思い出補正も含めて
スクウェアの坂口博信とエニックスの堀井雄二・鳥山明がタッグを組んだ
クロノトリガーだと思っていて、
最初に買ったサントラは何を隠そうクロノトリガーのゲームサントラなのだ。
DQはかなり中世ファンタジーに寄っていて、
FFは(近年は)近未来SF寄りの趣向だと考えているのだが、
クロノトリガーは
タイムリープをテーマにして原始から中世・未来まで各時代を行き来して世界を救うという、
この中間というか、それぞれの作品をアウフヘーベンしてうまくいいとこ取りを実現したのがクロノシリーズだなーー、と思ったのを覚えている。
そして、加藤正人の手がけるシナリオに関してもそうなのだが、何より光田康典の作る音楽がめちゃくちゃマッチしていて、そこが何より一番惹かれたのである。 
さて、このクロノトリガーには
同様に加藤正人×光田康典が担当した
クロノクロスという
タイムリープと対になるパラレルワールドをテーマとした続編のゲームがあり、
そのストーリー中で前作の主人公たちが死んでいて、その上思いっきり罵倒されるような場面があったりして、作品としては異色でファンの間でもかなりの賛否両論を呼んだ怪作だったりするのだが、
このゲームはとにもかくにも音楽がべらぼうにいいのである。
中でも、僕はこのゲームのOP曲が死ぬほど好きなのだ。
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どうだろうか。
散々タメてからじわじわ盛り上がってくるこの感じ。
なんと最高にテンションが上がってくる曲なのだろうか。
時の傷跡の衝撃的なイントロは
僕の心の中にやっぱバイオリンががちゃがちゃしている曲はいいな、やっぱ光田康典は天才だな、という感情をDNAレベルで刻み込んだ。
ついでにいうとクロノのBGMはトリガー・クロスを問わず戦闘曲もED曲もぜんぶ素晴らしい。特にED曲はなんというかすべての憑き物をとって心が洗われていくような感じがするのである。
というわけで、僕にとっての史上最高のゲーム音楽作曲家は光田康典であり、
久々にサントラを聴いていたら止まらなくなってしまい、最近は割と毎日脳内BGMとしても流れている。とてもいい。
光田康典の音楽の素晴らしさをなんとなく知って欲しくて書いた。
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kininarizm · 6 years
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釣りを教わる
野食やBライフカルチャーの信奉者として
前々から釣りには興味を持っていたのだが、いかんせん海釣りをしたことがなかったので、初心者釣り教室に応募をして横浜に釣りを習いに行ってきた。
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結論からいうと、
全く釣れず!
天気は暑すぎるくらいいい天気だったのだが、いかんせん高気圧が張り出して南風がなかなか強いのと、潮の流れの問題からなのか、周辺海域に魚が全くいない!
餌を撒けども撒けども全く釣れず…
というわけで、なかなかシブい結果だったのだが、
竿・リールの使い方、糸の巻き方などなど教わったので、2回目はまた個人的に行ってみたいと思う!
ことしの夏は海釣りに行く!!
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kininarizm · 6 years
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最近買った(読んだ)本
最近読んだ本をまとめます。 ○漫画 ・『日ポン語ラップのB子ちゃん』(服部 昇大) 日ペンの美子ちゃんならぬ、サグいオーラでひたすらバイブスを上げていく日ポン語ラップのB子ちゃんが1ページ漫画で勢いのある・面白い(あった)HIPHOPグループを紹介していく本。HIPHOPカルチャーといえばSoul’d out,knowbodynows+やShing02、エミネムのようなにわかだったりキャッチーなものを聴いたことあるだけで、ホンモノのラップ(?)を全然聞いたことなかったので入門書としては結構いいのかも。ちょっと聴いてみて面白かったのは、シンプルすぎるパンチラインが胸を打つKOHH「結局地元」「ビッチの鞄は重い」「貧乏なんて気にしない」,山梨の一宮を盛り上げるために生まれたstillichimiya「やべ〜勢いですげー盛り上がる」あたりか。DJみそしるとMCごはん好き。 ・『ゴブリンスレイヤー 1~4』(蝸牛 くも, 黒瀬 浩介,神奈月翔) ファンタジー世界におけるギルド最下層討伐案件であるゴブリンが及ぼしているゲスな悪行に焦点を当て、復讐の念から報復を誓ったゴブリンスレイヤーとプリーストを中心に描くダークファンタジー漫画。元は2chスレか何かだった��しい。90年代はスレイヤーズ、エルフを狩るモノたち、爆れつハンターなどこの手のファンタジーはエロコメディの視点から作られることが多かったが、最近はこの手も飽和しているようでダンジョン飯などファンタジーは×サブカル切り口で作っているモノが多い気がする。どちらにせよ僕はこの手の作品が好きなので当然面白い。 ○新書 ・『ヤクザと介護 暴力団離脱者たちの研究』(廣末登) 80年代、90年代を広域暴力団として各地を漂流し、カタギとしての人生再出発で新たに向かった先は介護職。暴対法を中心とした時代の流れにより、現在ヤクザが過去と比べてどれほど法的に規制を受けており羽振りが悪くなっているのかという窮状や、介護職に流れ着いた経緯、カタギの世界で待ち受けている試練と現実を描く。元不良の人生ドキュメンタリーの話を聞くのは好きなのだが、リアル任侠ヘルパーは実在したっていう所が肝か。どうでもいいけど同じ暴走族上がりの進藤牧師とかあの手の人々にヘルシングのアンデルセン神父を重ねてしまうのは僕だけでしょうか。 ○教養・歴史 ・『「宇宙のすべてを支配する数式」をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』(橋本幸士) 高校時代に『神様のパズル』という宇宙創生をテーマにしたハードカバーのラノベを読んで以来(イラストでジャケ買いした)、「重ヒッグス粒子」「13次元」「加速器」「超ひも理論」あたりのハイパー厨二ワードに惹かれ物理に興味が湧いたものの死ぬほど受験物理が苦手だった僕の、1000000000000000個くらいあるコンプのうちのひとつ、宇宙物理学コンプから買ってみた。阪大で宇宙物理を教えている教授である「パパ」がJK2名に語りかける口調で宇宙物理学系院生が最初に習う「素粒子の標準模型」の数式の意味を一冊かけて丁寧に解説してくれる本。 おそらく文系向きかつ平易に書かれているはずなのだが、無駄にパパの関西弁がいちいちやかましかったり、聞き役のJK2人が「こいつら絶対O蔭の東大マスターコース理系だろ…」というレベルで物分りが良すぎたりする点に激しく違和感を持つ(娘が有能すぎる)。 内容自体は小講義形式かつコラムで深堀できるようになっていて、ちゃんと日本語で説明してくれるのでなんだかんだわかりやすい。(理系文脈をちゃんと万人がわかる日本語で説明してくれる親切な本は以外と少ない)ただこれを読んだからといって人に説明できるかと言われると全くもって自信がない。とりあえず素粒子やクォークがどういうものかとかはわかった。(小並感) 超ひも理論編も買った。
・『自然のしくみがわかる地理学入門』(水野一晴) (自然)地理は世界史・日本史など他の文系地歴教科と異なり大抵地形成因などロジックで説明できるのだが、生徒に教える時の地学的素養やストックが少ないので買った本。なぜ池袋でも渋谷でもなく、新宿に高層ビルが立ち並んでいるのか?といったブラタモリ的な身近な疑問から、新期造山帯で鉄が取れる理由、山岳地帯の植生まで、生物学・地学的背景を含めて自然地理学的な視点から解説してくれる良書。欲を言えば水文学とかそっち系も欲しかったけど、地学の範疇になってしまうか。高校地理~大学初頭地理レベル。
・『新版 ヴィジュアル版ラルース地図で見る国際関係』(イヴ・ラコスト)
地政学の教科書的一冊。現代政治経済・宗教等と資源関係から発生している問題を地図・ビジュアルを元にまとめられている。なぜバルト三国に連なるカリニングラードだけロシアの飛び地なのか、ソ連強制収容所の立地分布、ジョージア・チェチェン紛争時に、アメリカ・ロシアの駐屯基地はそれぞれどこに分布していたのかなどなど、現代社会における戦争・宗教・そして資源をめぐる国際問題と現代史のおさらいをしたい人向けの一冊。これ一冊あれば君も池上彰を逆に説得することができるだろう。というか一枚絵があるだけで現代史はわかりやすくなる。
○小説
・『特殊性癖教室へようこそ』(中西鼎、魔太郎)
友人に勧められて買った本。というかマジで10年ぶりくらいにラノベ買った気がする。最後に買ったラノベって何かもう既に覚えていないんだけど、乙一か桜庭一樹だっただろうか。
どうでもいいが作者名の鼎という名前は、僕の高校の創立者と同じなので初見で読めたのだが、一般読者は果たして読めるのだろうか。内容は安心の角川スニーカーと見せかけてただの18禁官能小説であった。多感な10代前半をゴクドーくん漫遊記、ロードス島戦記、フォーチュンクエストで育った人間としては世の中もレーベルもニーズも変わるんだなぁ、、と90年代ラノベを懐かしくしみじみ郷愁を感じつつ、勃起しました。
しかし特殊性癖というタイトルをフックにしている層にどれだけ刺さっているのかわからないので、作者には是非ハプバーにでも取材で行ってス○トロとかハードSMの現場でも見てきて2巻でカゲキさを増してほしいなと思った。読者離れるかもしれないけど。SPAの編集の方とかはそのへん詳しいらしいですよ。
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kininarizm · 6 years
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告白と禊
軽度発達障害
というのはいかんせん難しい。
言ったところで相手も大抵「きもっ(お、おう)」とか「いや全然ふつーだよね」って感じになるし、
逆にフツーに自分なんかより色々生活や言動や行動がヤバくてこいつ絶対アスペだろ…
という雰囲気の人でも結構周りに適応しててちょっと変わった人認識で終わっていることもある。
まぁつまるところこんなもんいちいち公表する必要もなく、
要するにいまの社会構造上
個性と障害と適性と価値観の境界がめちゃくちゃあやふやだから発生している問題、というだけの話なのである。
当事者である自分の見解では、
「軽度」発達障害というのは正直障害といえるほどのものではなく、
この「病気」を取り巻く環境はすべて個性と価値観と職場適性から生じる問題だと考えているのだが、
そういう説明をしても伝わらない人が稀にいるのであえて「障害」としてFBで公表してみた。
(自分の会社の代表も同様に軽度発達で、そういう人を「支援」する立場にいるというのも大いにあるが)
たとえば
僕のようないたって常識的(?)で会話も基本的に通じてそこそこ学歴もある人間が
軽くそういうことを話すと、なんだこいつ、甘えか?(威圧)(マウント)
みたいな視線を送られることは多々あるし、これまでも多々あった。
(主に体育会系企業畑の方から)
その度に、
自分は26年間全く片付けをすることができず、
大抵の書類やものは高速でなくすし、
聞いた話は周りの雑音により意識を集中しないと全て右から左に流れていき、
人の表情から微妙な感情が読み取れず、
時間感覚に過去・未来がなくほぼ「現在」しかない不便さを
こいつはそんな苦労全くしたことないんだろうな~~~~~~~と内心
腸が煮えくり返ったりしたこともあったが、会話が通じない人間に何を話しても無駄なので
そうっすねー甘えっすねーみたいな感じでヘラヘラ流していたわけである。
世の中の大抵のものはマジョリティのために設計されているため
こういうタイプの人間から理解を得ることはもう放棄しているが、
逆に言えばそういう人とは基本的に関わりたくないので予防線的な意味もある。
まぁつまりこの「障害」が「障害」であるところのいいところは
最初からラベリングされておいた方が楽ということである。
こういうタイプの人間はたいてい
「障害じゃあしょうがないよね(哀れみ)(マウント)(距離置き)」
みたいな態度を勝手にとってくれるので、いちいち説明をしたり、
するたびに反論を食らったりしてお互い無駄な消耗をせずに済むのである。マホカンタである。
世の中で発達障害者になりたがる人が多かったり、逆に診断を受けて
安堵する人が多いというのは、つまるところそういうことであろう。
単純に人より金が多いとか、人から評価されること、人と同じである安心感だけを目標としているような
つまらん価値観のマウントくそ野郎から距離を取りたいだけなのだ。
「普通じゃなく」なるため、自分の価値観を肯定する作業にも診断が必要な時代なのである。
その社会が病理的なのかは分からないが。
かつて、もう10年近く前のことであるが、自分の特性が原因で
めちゃくちゃ失礼なことをしてしまったことがあって、その時は自分も謝ったのだが
いかんせん人との距離の取り方も今以上にど下手くそだったので、謝り方もめちゃくちゃ下手で、
超長文謝罪メールを2回近く送りつけるという思い返すたび死にたくなるようなかなりキモすぎることをしてしまい
その結果「もう話したくないです」「連絡してこないでください」とほぼ絶交状態となっていた女性がいた。
単純に自分の不器用さと若さからくる完全なる自業自得なのであるが、
自分の中では悔やんでも悔やみきれない、大変ほろ苦い思い出となっていた。
今回の投稿で、その女性から「いいね」が来ていたことで、
少しだけ、かつての胸のつかえが取れたような気がした。
今の自分があの頃に戻ったらもう少しうまくやれていたのだろうか?
あの頃と比較して、少しは成長した姿を見せられただろうか?
その答えはわからないけど、
数ある反応の中でのたったひとつの「いいね」は、
それだけでも救われる気持ちになった。
そんな気がしたのだ。
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