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kurayamibunko · 3 years
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世にもキュートな物語
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『かわいいことりちゃん』
作 コナツ マキコ 絵 コナツ コウイチ
ことりちゃんと出会ったのは会社を辞めてメロンパンを買い、二子玉川の土手に座って往来する電車を眺めながら食べていた頃のことです。小鳥好きの相方からいつかお迎えしたいと言われてはいましたが、この世に生まれてから人としか接触したことがなかったため、どんな心構えで小鳥をお迎えすればいいのか、意思疎通はできるのか、衣食住はどうするのかと怖気付き、のらりくらりとかわしていました。しかし「田園都市線を眺めつづける人生を選ぶもよし、地球上で最も愛らしいことりちゃんと暮らす人生を選ぶもよし」 と言われては選択の余地はありませんでした。 
ともかく飼育本で知識を得ようと6冊ほど読んで茫然としました。 ・雛の時期は虫かごを保育器にして保温器具でしっかり温めるなど温度管理を徹底すること。 ・パウダーフードをお湯に溶かし温度計ではかりながら適温で1日複数回与えること。 ・毎食後に体重を測ってどれくらい食べたか記録すること。 ・以上を一人でご飯を食べられるようになるまでの数カ月間徹底すること。 ・巣立って以降も栄養管理と体重管理と温度管理に気をつけること。 ・フンやくちばし、羽毛の状態、体臭口臭などに異常がないか毎日チェックすること。 ・異常があればみてもらえるよう鳥専門医を見つけておくこと。 ・中毒を起こす金属類や感電の危険のあるコード類を小鳥の活動範囲に置かないこと。 ・ケージから出しているときは絶対に窓や扉を開けないこと。飛び出た際の全責任は飼い主にあること。 その他もろもろいったん小鳥をお迎えしたらその命は完全に飼い主に依存することになり幸せに健やかに生きてもらうために飼い主は全精力をかたむけてあらゆる策を講じなければならないというあまりにも重すぎる責務に、メロンパンはカスカスの砂の味わいになっていくのでした。
 お迎えしたのは生後1カ月のオカメインコです。町の小鳥店のほの暗く暖かい店内に並ぶケージの1つで、パウダーフードをくちばしにまみれさせうつらうつら眠っていたことりちゃんに相方が指を差し出すと、うつらうつらしたままそっと乗ってきたそうです。そのときこの子と一生添い遂げると決めたのだと後から聞きました。そのとき私が何をしていたかというと巣立ったばかりの別のオカメインコを腕に乗せてもらいわーわー舞い上がっていたのでした。 その後3カ月間、毎日数時間おきにパウダーフードをスプーンで与え、餌が冷たくなるとそっぽを向くのでそのたびに温め直して食べさせ、おなかいっぱいになったら体重を測って記録し、夜中に鳴き声が聞こえはっと目覚めると空耳だったり、外出先でも空耳したり、餌をあげる時間に間に合わないのでタクシーを飛ばしたり、飲みの誘いに「すみません、コレが(と手を羽ばたかせる)コレなもんで(手の指をクチバシのようにぱくぱくうごかす)」と給餌を理由にことわったり、24時間ことりちゃん最優先の厳戒態勢を敷くことになりました。 「鳥?ご飯なんてカゴに入れとけば勝手に食べるでしょ」と思われるかもしれません。しかし、あなたは赤ん坊が栄養バランスを考えながらスーパーで食材を選びごはんを炊き卵とチンゲンサイを炒め豆腐とワカメ入りのお味噌汁をつくり器に盛りつけ食べたあとに器を洗って洗濯機をまわしながら部屋を掃除できると思いますか、毎日、ひとりで。「いや、赤ん坊と鳥はちがうから」。ちがいません。ヒナは、いえ、成鳥になったとしても、猫でも犬でも爬虫類でも昆虫でも甲殻類でもいったん家にお迎えしたらその命は完全に飼い主に依存することになり彼らの人生に飼い主が全責任を負うことになるのです幸せに健やかに生きてもらうために飼い主はあらゆる策を講じなければならないのです勝手にご飯を食べるだなんてうちの子をなんだと思っているんだもちろん飲み会はお断りだし法廷でお会いしましょう。 初めての一人餌、初めての飛行、初めての換羽、初めての病院、初めての引越しなどいろいろな初めてを一緒に経験しながら、今年で同居11年目。首毛をなでさせてもらい鼻先をうずめて蜂蜜バターのような匂いを胸いっぱい吸い込んでしつこいやめてとクチバシで押しのけられながらもあきらめず 「かわいいなあかわいいなあこんなにかわいい生物が地球にいるなんてなあどこにいるんだそういえば隣の部屋にいるなあ」と撮影した写真を眺めながら隣の小鳥部屋に行って実物を眺めながらどっちがかわいかなあどっちもかわいいなあとデレ倒す日々を送っています。 『かわいいことりちゃん』は、そんなことりちゃんとのかけがえのない毎日を描いた絵本です。 朝起きて昼遊んで夜寝るまでの何気ない1日です。ご飯を食べたり歌ったり水浴びしたり羽繕いしたりいつもと変わらない1日です。でもそのことが、その存在がどれほど奇跡でありどれほど喜びをもたらしてくれるものなのか、1ページ1ページに心を込めて描かれています。 
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先日、久しぶりに会った親友とジンギスカン鍋を囲んだのですが、絶滅しているはずのドラゴンの子を3匹連れていたので驚きました。結婚式の貢物の卵から孵ったそうで、親友もまさか孵化するとは思っていなかったとのこと。生の羊肉を与えると口から炎を吐き出して上手に焼いて食べていました。 顔まわりを撫でると嬉しそうに身を寄せてくるし、羊肉を摘んだ指ごと食べられそうになるし、怒ると炎で焼き殺そうとするし、うちのことりちゃんと似ていなくもない元気な子たちです。このまま育てば人を背中に乗せて飛ぶくらい大きくなるそうですが、そうなれば巨大な竜舎が必要になるしご飯代も国家予算規模になります。でもたとえそうなったとしても責任を持って育てるつもりだと宣言する親友に私は胸をなでおろしました。そしてドラゴンたちが楽しく幸福に暮らせる竜舎づくりの参考にと、たまたま持っていた『KOTORI Life No.198 特集: 楽しい!飽きない!破壊できる!鳥さんのおもちゃ』 をプレゼントしました。 
翌日、親友は〈鉄の玉座〉を取り戻すための資金と兵士を募る旅へ出発していきました。小鳥の先祖は恐竜であり、ドラゴンも小鳥もほぼ同じ。七王国統一のために戦はさけられないようですが、とにかくドラゴンのことを一番に考えて、無闇に戦闘に参加させたり、定員以上に人を乗せたり、くれぐれも夜の王に触れられ亡者にされないようにと念を押しておきました。 人の愛情をたっぷり受けながらすくすく育ったドラゴンとことりちゃんと、いつか一緒に空を飛べる日を心から楽しみにしています。
『かわいいことりちゃん』 作 コナツ マキコ 絵 コナツ コウイチ ニジノ絵本屋
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kurayamibunko · 4 years
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今夜のおふろはわにわにと一緒に
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『わにわにのおふろ』 小風さち ぶん 山口マオ え
幼い頃住んでいた家は木造平屋建てで、台所と茶の間と寝室がある住居の棟、トイレの棟、客室の棟、お風呂の棟、納屋、洗濯棟の6つが中庭をぐるりと囲んでたっていました。 つまりお風呂に入るには外に出て中庭を突っ切らねばならず、お風呂からあがったら中庭を突っ切って住居の棟に戻らなければならなかったのです。
棟と棟は隣接してたいした距離ではないのですが、それでも冬場は厳しいものでした。お風呂から小走りに住居棟に駆け込む間に寒風にさらされて『シャイニング』のラストシーンになってしまうのです。 お風呂に入る時は大人と一緒でしたが、そんな家の造りのせいもあって祖母には湯冷めしないように熱めのお湯を強制されました。
熱さに耐えられずすぐ湯船から上がろうとするたび、 「あつーいのに首までつかってコキーッとして寝るんや」と祖母から叱られたものです。が、「コキーッ」がどういう意味か分からず「コキーッってなに?どういうこと?」と祖母にたずねては「コキーッはコキーッや」と強弁されるのでした。 
たしかにコキーッとなるくらい熱いお湯に首までつかって100数えて中庭に出ると、寒風にさらされてもほかほかなままでした。でも熱さに耐えきれずに祖母の制止をふりきって30ほどで湯船を出て、中途半端にしか暖まっていないので中庭をダッシュする間に凍えてしまい、震えながら布団に転がり込んで翌日風邪をひき、「言うこときかんとコキーッとせえへんかったからや」と祖母に叱られるのでした。
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そんな私とちがってわにわにはお風呂が大好き。しっかりお湯をためていろんなおもちゃを浮かべます。わにわにが一番好きなのはロボットのおもちゃ。 わたしも一度お気に入りのゴムボールを沈めては浮かべて遊んでいたのですが、「お尻の穴にはいって爆発したらどないするんや」と祖母から思わぬ爆発予告を受け、お風呂で遊ぶのは命がけであることを知って止めざるを得ませんでした。 その点わにわには、お風呂を大満喫です。
 わにわには あぶくを とばします。  ぶー ぶー ららら ぶー ららら わにわには うたも うたいます。 うり うり うり うり オーイェー 
さいごに おゆに もぐって じーっと あたたまります。
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そういったわけでお風呂に楽しい思い出がないまま大人になり、仕事で東北の温泉を取材した際に祖母の言つけ通りに首までつかって100数えて湯船からあがったとたんに立ちくらみと吐き気に襲われて以来、温泉も怖いしお風呂も苦手で毎日シャワーですませる暮らしを送っています。
以前かかった医者から「あなた息してないね、血も通ってない」と人外認定され、息の浅さと冷え性を軽減するために湯船につかりなさいと言われてからはたまにつかるようにしていますが、ぬるいお湯でもすぐのぼせるのでいつもスズメの水浴び程度になってしまいます。
お風呂にまつわるいい思い出はたった1つ。 ハードな仕事がようやく落ち着き、湯船につかりながら右手をお湯から上げて指先から落ちるしずくの音をぼーっと聴いていると、はっきり、順番に、鳴ったのです。5本の指先から湯面に落ちるしずくの音が「ドシラソファ」と。
我にかえって耳を澄ませましたがそれ1度きり。ものすごくきれいで、ものすごくかわいい音でした。たまにはお風呂も楽しいものですね。
『わにわにのおふろ』 小風さち ぶん 山口マオ え 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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ちいさな木から星が生まれる
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『おおきな きが ほしい』 文:佐藤さとる 絵:村上勉
ある惑星を地球みたいな場所に作り変えることをテラフォーミングといって、たとえば火星を改造するにはなんらかの方法で土壌に含まれる二酸化炭素を放出させて大気の温度を上げて氷を溶かして水をつくってそこへ二酸化炭素を吸って酸素を吐き出す微生物や藻を地球から持ち込んで繁殖させて地球のようになったら出来上がりです。
実家から出て一人暮らしを始めて、転職して、引っ越して、転職して、引っ越して、そのたびに新世界への期待と寄る辺ない気持ちがごっちゃになって、引っ越し業者のトラックを待ちながらきみはぼんやり床に座っている。 カーテンのない窓から差し込んでくる日の光はしらじらしく、なにも物がない部屋のどこへ視線を据えればいいのか分からずに、初めて入った近所のコンビニで買ったサンドイッチを包んでいたペラペラのビニールが床の上で妙な存在感を出していて、何曜日に捨てればいいかも分からない。 日中はずっと机に向かい、お腹がすいたら買い置きの袋麺をゆでて食べる。そしてふたたび机に向かう。夜中に何度も目が覚めるので起きて朝まで机に向かう。袋麺を食べて夜まで。そして夜中に目を覚まして朝まで。
袋麺にそそぐお湯が沸騰するのを待つあいだ、鍋の中を脇目もふらずに見つめていたきみ。ほんのすこし顔をあげて、ほんのすこし横を向けば、台所の小さな窓から青空がのぞいていたのに。雨もザーザーふっていたのに。飛行雲だって浮かんでいたのに。満月がとてもきれいだったのに。 そのほんのすこしのよそ見すら、きみにはできなかったんだそうだ。 新天地に移住して間もないころ、自分の存在意義を証明しようと、責任を果たそうと戦っていたきみは、よそ見をすることを自分に禁じていた。よそ見をしたとたんに転んで膝をついたが最後、立ち上がれないだろうし手をさしのべてくれる人は誰もいない。そんなふうに思っていたし、そうなるとしか思えなかったんだそうだ。
出張ついでにきみを訪ねて、ビールを飲みながらとりとめもない話をしている最中にきみが突然笑いだした。とくべつ面白い話でもないのに爆笑しはじめて止まらなくなって目から涙がにじんで流れになって笑っているのか泣いているのか分からなくなった。ぐしょぐしょの顔をティッシュでぬぐい、「ちょっと壊れた」と小さく息を吐いたその顔は青ざめていた。 まるで自分を機械みたいに言ったけど。機械だったら心も体も関係なく24時間動けてよかったかもしれないけど。でも、きみは全然機械じゃなかった。
なんでも完璧にやろうとするきみ。ささいなことでも100%の力を注ぐきみ。誰かに弱みを見せることをひどく恐れるきみ。誰かに頼ることを屈辱だと感じるきみ。自分をとことん追い詰めてしまうきみ。そんなきみのコチコチの心と体が水分でふやけてゆるんで夜中すぎにソファーにのびて寝てしまったから、すこし安心したんだ。
翌朝、一緒に散歩に出かけて、商店街のフラワーショップできみはゴムの木を買った。
●●●
「ぼく、おおきな 木が ほしいなあ。」 うーんと ふとくて、もちろん、かおる ひとりで てを まわしたくらいでは かかえられないような ふとい 木です。 かおるは まるで いま その木に のぼっているような きもちに なって、 わくわく してくるのです。
かおるの 木を かりて、いえを つくらせて もらっているのは、 りすだけでは ありません。とりの かけすと やまがらが います。
なつ。おおきな 木の うえの かおるの こやは、さぞ、すずしいでしょう。 もしかすると、こやの なかで、せみが なくかもしれません。 とんぼも あそびに くるかもしれません。
ふゆ。つめたい きたかぜ。きっと ゆきも ふるでしょう。 えんとつから、けむりが もくもく でたら、りすが くるみをもって あそびにくるかもしれません。
そして、また、あたたかいはるがくるのです。 かおるの 木は、どんな はなが さくのでしょうか。 りすも、かけすも、やまがらたちも、はなの いいにおいを かいで、うっとりするかもしれません。
いまは、かおるの せのたかさくらいしか ない、ちいさな 木ですが。
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その後、テラフォーミングの進捗はどうかな。ゴムの木は順調に育っていますか。吐き出した酸素が惑星全体に満ちて、雨や風、雲や雷が生まれるころでしょうか。 そのうちに朝ができて、昼ができて、きみは窮屈な宇宙服を脱いで軽いシャツをはおって、基地を出て、自分の作り出した環境へ踏み出していく。できたての酸素を思い切り吸い込む。鍋の中ばかり見ていたころは夜明けがくるなんて信じられなかった。でも、ちゃんときたことに驚く。 向こうから誰かがやってくる。太陽の光がまぶしくてよく見えないけれど、手を振っているみたいだ。きみも大きく振り返す。そしてきみ以外にも誰かがいたことに驚く。 きみと同じように、長い夜を過ごしていた人がいたんだ。 きみは1人じゃなかったんだよ。 ずっと前からね。 その誰かはわたしかもしれないし、別の人かもしれない。 でも、できれば、わたしならいいなと思う。 きみはしだいに足早になり、2人の距離は縮まっていく。
※文中の太字は本文より引用
『おおきな きが ほしい』 文:佐藤さとる 絵:村上勉 偕成社
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kurayamibunko · 4 years
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ひろって、しらべて、わけて、ならべて
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『キュッパのはくぶつかん』 作・絵/オーシル・カンスタ・ヨンセン
昨年夏ごろから不要なモノをネット経由でさばいています。稼いだ分だけ使っていた頃に買ったそこそこの値の服が3日分の食費にも満たないことに落涙しながらまあ2日は生きていけるなとポジティブに考えスーパーでパンと厚揚げと納豆にメタモルフォーゼしていく様を眺めています。
1番お金になったのは頂きもののイヤリング。意外とお金になったのはプレミアのついたアニメのテレフォンカード。まったくお金にならなかったのは服と文庫本でした。
そもそもモノに対する執着心が薄く収集癖もないために持ち物自体が少ないのですがこれには理由があって。幼い頃に祖母から「死んだら身一つであの世へいかなならんのや。いくら金持ちでも1円も持って行かれへんのやで。欲に目がくらんだらあかんで」と、ことあるごとに言われ続けたからです。この世に生まれて4年目くらいからあの世へ行く際の心構えを徹底指導されたお陰で、商才の芽が育つことなくモノへの執着心も薄く懐具合は年中豪雪地帯のまま現在に至ります。
そんな私とは真逆に、祖父には収集癖というか拾い癖がありました。 山へ畑仕事に行ったついでに土の中に埋まっている土器や陶器の破片を拾ってきたり、どこかからボロボロの古文書を拾ってきたり、どこかからすすけた壺を拾ってきたり、祖父が拾ってくるモノはたいてい用をなさないものが多く、用をなさないから捨てられたわけで、一見するとゴミでじっくり見るとゴミでした。
「またそんなもんひろてきて。悪いもんがついとったらどないするんや」と祖母に小言を言われても一向気にする風もなく、拾ってきた土器や壺に悪いもんが憑いている気配もなく、祖父は土器の年代を調べたり古文書を解読するなどひと通り楽しんだ後、大切なコレクションとして納屋の一角におさめるのでした。
そんな祖父に影響を受けて、私も小学生の頃に土器集めに凝ったことがあります。家の庭に敷かれた土は山からもってきたもので、昔そのあたりに住んでいた人が使っていた土器のかけらが雨風にあらわれ土中からはみ出てくることがよくありました。拾った土器を祖父に見せ「これはお椀のかけらではないか」「いや人の骨だよ絶対に江戸時代の人の骨だよ」とひとしきり意見を述べ合い、お菓子の空き箱に入れて納屋の一角の祖父のコレクションの中に一緒におさめるのでした。
当然祖母からは「悪いもんがついとるからほかしてまい」と再三注意を受けました。誰かが使っていたモノには誰かの思いがべったり張りついていて、次の持ち主に悪影響をもたらすというのが祖母の持論でした。でも土器を使っていたのは100年以上前の人だろうから100年たつと道具は付喪神という妖怪になって動き出すことを水木しげる先生から教わっていた私はむしろ動き出すところを見たいから大丈夫というのが持論でした。
あるとき、祖父がブリキでできたおもちゃの車を拾ってきました。赤色の塗料がところどころはげてサビついていますが、とても精巧にできています。畑をたがやしていたら出てきたそうで、かなり年代物だと思うから博物館の先生に見てもらうと嬉しそうに話してくれました。
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さて、今回ご紹介する絵本は、丸太の男の子キュッパが主人公のお話です。 祖父と同じでキュッパもいろいろなモノを拾い集めるのが大好き。
「ようし。きょうも おもしろいものを いっぱい あつめるぞ」 キュッパは わくわくしながら、もりに おちているものを つぎつぎに  ひろいます。
木の枝や松ぼっくりや葉っぱに混じって、シルクハットやネックレス、タイヤに金鎚にお面、メモの書かれた紙などいろいろなモノがたくさん集まりました。でも、拾ってきたものがあまりにも多すぎてしまうところがありません。キュッパは物知りなおばあちゃんに相談することにします。
「そんなに ものが たくさん あるのなら おまえも はくぶつかんを  つくってみたら どうだい?」
さっそくキュッパは友達から敷物やテーブルやイスを借り、拾ってきたものをきれいに並べて展示しました。キュッパの博物館はお客様で連日大盛況。
お客様を案内して展示品を丁寧に説明し、大はりきりのキュッパ。 しかし問題発生です。自分の家に博物館を作ったので、寝るところがせまくなり、箱につまずいで転んだり、トイレに行くのにもお客様と一緒に並ばなくてはいけません。 「あーあ、また まえみたいに かようびに もりへ さんぽに いったり、 どようびに おやつを たべたり、ラジオを きいたり できたらなあ」 キュッパはふたたび物知りおばあちゃんに相談。とても素晴らしいアイデアを思いつきました。この続きはぜひ絵本で。
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結局、ブリキの車は博物館の先生に見てもらうことはありませんでした。祖母が納屋の掃除をした際にゴミと勘違いして捨ててしまったのです。
「図書館の本で調べたらな、戦前のおもちゃで舶来物やったわ。博物館に展示できるほど値打ちもんやったのになあ、なんでほかしてしもたんやろなあ」と落胆する祖父に「大丈夫、江戸時代の人の骨のほうがすごいよ、こっちのほうが値打ちもんだよ」となぐさめ、私の土器コレクションからとっておきの人の骨を分けてあげました。
その後も祖父はいろいろなものを拾ってきましたが、定期的に祖母がゴミだと勘違いして捨て、それをふたたび拾ってくるというテクニックも駆使しながら地道にコレクションを増やしていくのでした。
祖父が亡くなってから、ゴミの中のいくつかは貴重な歴史資料として町の資料館に収められました。
※文中の太字は本文より引用
『キュッパのはくぶつかん』 作・絵/オーシル・カンスタ・ヨンセン 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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ふかふかふわふわ暗闇イリュージョン
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『くろいの』 作:田中清代 偕成社
「くろうなってから口笛ふいたらあかんで。狸や狐がよってきよるからな」という祖母の言いつけに狸や狐を見たいので裏口から外に出てこっそり口笛をふくも狸や狐はよってこず「ふいたけどこなかった」と夕飯の支度をしていた祖母に報告し大目玉をくらう幼稚園生でした。
当時住んでいた木造平屋建ての家は、台所や茶の間や寝室のある棟、トイレの棟、お風呂の棟、応接間の棟、普段使わない道具などがしまわれている棟、洗濯作業をする棟の6つにわかれていました。中庭をぐるりと囲んで各棟があり、つまりトイレに行くにもお風呂に入るにもいったん外に出ることになるのでした。
ですから夜中のトイレは一大事でした。
できるだけ我慢してしてしきれなくなったら勝手口から真っ暗な中庭に出て猛ダッシュでトイレの棟にかけこみます。薄暗い電球の灯りにぼんやり浮かぶのは、祖母の手により壁に貼られたマジカルカード。カードにはメラメラの炎を背負い鋭い槍を手にした怒り顔の人が描かれていて、いくらトイレを守るゴッドだと祖母に言われてもどう見てもデビルでなるべく目に入らないよう顔をそむけるのですが便器にしゃがんだ真正面に貼られているためにめちゃめちゃ睨まれながら用を足すことになるのでした。
あるとき、トイレから寝室に戻るといろいろなモノに遭遇するようになりました。 犬は飼っていませんでしたが布団の上にセントバーナードに似た巨大な犬が陣取り吠えかかってくるのです。体が透き通って向こうの壁が見えて輪郭が緑に光っているからおそらく一般的に犬と呼ばれるものではないなと幼いなりに思いましたが、なにせ真夜中でぼんやりしていたこともありそのまま布団に入り眠りにつきました。
ある夜は布団のまわりに黒いゼリーのようなぷるぷるのおだんごがたくさん落ちていました。目が2つあってパチパチまたたきながらこちらをうかがってきます。どしどし踏みつけると足の下でにゅうっとスライムのようにのびて何が面白いのかキャアキャア笑いだしました。おだんごたちをまんべんなくふみつけひとしきり大笑いされた後、そのまま布団に入り眠りにつきました。
ある夜は枕元に白い馬がいて、たたんで置いていた洋服をむしゃむしゃ食べています。取り返そうと服をひっぱるもひっぱりかえされ、ひっぱったりひっぱりかえされたりしているうちに服はぜんぶ食べられてしまい、そのまま布団に入り眠りにつきました。
祖母に一連の出来事を報告すると、「山が近いし家も古いから狸や狐がよって来て化けよるんやろ。あんたが子供や思てふざけとるだけやから相手にしたらあかんで」とのこと。
口笛をふかなくても狸や狐がよってきたのは嬉しかったけれどふざけてばかりだし、交流できないものかとある夜ふたたび出現したぷるぷるの黒いおだんごに触ろうとするもやはりキャアキャア大笑いされながら逃げ回られ、そうこうするうちに夜中の騒ぎはおさまりわたしは小学生に。以降、残念ながら狸や狐に化けられることなく今にいたります。
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今回ご紹介するのは、大好きな絵本作家の田中清代さんの最新作。 銅版画の柔らかな陰影が描き出すのは、 “くろいの” と女の子の、行きて帰りし暗闇物語です。
いつもの帰り道、女の子は塀の上に、くろいのを見つけます。女の子の足元から影が伸びているけれど、あたりはまだ明るくて夜には遠い。この世ならぬモノに遭遇するとされる黄昏時でもなさそうです。昼と夜の間にぽっかり空いた不思議な時間。
くろいのに招かれて、お茶をいただく女の子。この家、このお座敷、わたしの住んでいた木造平屋建てによく似ています。鴨居には知らないおじいさんやおばあさんの写真が飾られていて、神棚もありました。でも、このお座敷はちょっとへん。壁にシルクハットがかかり、神棚に食パンのようなモノが祀られ、鴨居には黒くてふかふかした何かの絵が飾られています。
くろいのは女の子を押入れの中へ誘い、いっしょに屋根裏へ。いよいよ暗闇アドベンチャーの始まりです。奥に進むほど闇はどんどん深くなり、豊かな世界が広がっていきます。
遊びつかれて黒いふかふかの何かに包まれて眠る2人。お座敷の鴨居に飾られていた絵は、この何かにすこし似ています。何か関係しているのでしょうか。何かのご先祖か何かでしょうか。ふさふさの尻尾から推測するに、ひょっとして、わたしが一緒に遊びたかった狸か狐でしょうか。 ●●●
わたしが小学生の頃に木造平屋建ては建て替えられ、今は駐車場になっています。近くの山は住宅地になり、ゴルフの練習場もできました。 当時の風景はもうどこにもなく、記憶もかすれがちですが、この絵本を読んだとき、昼間もひんやり薄暗かったお座敷や、風の強い晴れた日にみしみし家鳴りがしたことや、天井裏をイタチが走り回っていたことや、そして、狸や狐とひととき交流があったたことなどをつぎはぎに思い出していました。
今夜あたり、こっそり口笛を吹いてみるのもいいかもしれません。セントバーナードやおだんごや白い馬と旧交を温められるかもしれないし、ひょっとしたらくろいのに会えるかもしれない。そうしたらわたしのお座敷に招待して一緒にお茶を飲みたいし、行きて帰りし暗闇アドベンチャーに出かけてみたいと思うのです。
※文中の太字は本文より引用
『くろいの』 作:田中清代 偕成社
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kurayamibunko · 4 years
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丑三つどきは宴どき
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『こぶじいさま』 再話:松井直 画:赤羽末吉
初めて勤めた会社も、その次も、その次のでも、毎朝6時半から働いていました。朝が大好きで、朝早くから働くのが趣味だったからです。3時間後には大勢の人がやってきてごったがえしますが、それまでは電話も鳴らない静かなフロアにひとりきり。誰にも邪魔されることなく自分のペースで仕事をすすめることができました。
本当は5時から働きたかったのですが、ある朝その時間に出社したところ従業員専用の時間外通用口が開いておらず、インターホンを鳴らすと守衛さんがパジャマ姿で目をこすりながらあらわれて「あんたいっつも早いけどさすがに早すぎるで」と言われ反省。以降、6時半出社に落ち着きました。
コンビニで買ったメロンパンをかじりながらパソコンを立ち上げそのまま仕事に突入することがほとんどでしたが、たまに、非常階段に出て外の景色を眺めながら朝食をとることもありました。景色といってもビルだらけです。ただ、わたしのいるフロアはまわりのビルよりも高い所にあったので、遠くまで街の様子をみはらすことができました。とくに、冬の朝が好きでした。
「冬はつとめて。をちこちのビルの屋上に置かれたるボイラから水蒸気が白うたなびきたるは言うべきにもあらず、やうやう白うなりゆくビルとビルのあいだから日の光が筋となりて1つ2つさしこんでくる様はいとをかし。そのさまを眺めつつ食べる山崎メロンパンはいとうまし」
平安時代ふうに言うならそんな具合で、会議室の奥の開閉禁止のドアをあけて非常階段にパイプ椅子を引っぱり出し、まだ人いきれで汚されていない冷たくクリアな空気と、冬の太陽にビルの角がキラキラ輝きだす様を眺めながら味わうKAGOME野菜生活100は、山頂で日の出を拝みながら飲む喜びに匹敵しました。
繁忙期には徹夜をすることもありました。午前2時半すぎに「原稿ご確認のお願い:明日で結構です」という件名で修正原稿をメールしてシステム終了ボタンを押すタイミングで「Re: 原稿ご確認のお願い:明日で結構です」と追加修正が即座に投げ返されてくる、思いやりに満ちたクライアントでした。
疲れと眠気はピークに達していますが、日ごろの早起きのせいで、午前3時を過ぎたあたりから霧が晴れるように頭の中がすっきりしてきます。起床時間の5時が近づいてきたことを脳が察知し、あたかもしっかり寝て疲れがとれたかのような、偽りの時が生まれるのです。1時間ほど。この時間を利用して一気に仕事を仕上げ、自宅に戻ってシャワーを浴びるために始発電車に飛び乗るのでした。
1度、電車に揺られている間に眠ってしまい、目が覚めると終点だったことがあります。「徹夜で飲んでたんやろ。若いからいうて無茶な飲み方したらあかんで」と駅員さんにさとされました。
仕事で徹夜をすると、丑三つ時と呼ばれる時間を会社で過ごすことになります。人も草木もしんと寝静まる午前1時から3時前後。古来から得体の知れないモノたちがこの世に姿をあらわす魔の時間帯です。
わたし自身は遭遇したことはありませんが、疲れと眠気をとろうと洗面所で顔を洗っていた後輩の耳元に、「がんばって…」と追い打ちをかけるような声が響いたり、先輩がただっぴろいフロアの向こうで仕事をしてる人がいると声をかけにいったら誰もいなかったり、そんなエピソードを聞くたびに、闇企業に棲みつく魔物も筋金入りなんだな、と感心していました。
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さて、今回ご紹介するのは昔話の中でもポピュラーな『こぶじいさま』。 ワーク系徹夜話の代表格です。
ひたいに大きなこぶのあるおじいさんが、山へ木を切りに出かけます。もうすこし、あとすこし、とずるずる残業しているうちに日が暮れてしまい、お堂で一泊することに。
草木も眠る丑三つ時、山奥から鬼どもが大勢やってきてお堂のまわりをぐるぐるまわりながら踊りだします。
くるみは ぱっぱ、ばあくづく、 おさなぎ、やぁつの、おっかぁかぁ、 ちゃぁるるぅ、すってんがぁ、 一ぼこ、二ぼこ、三ぼこ、四ぼこ……
バイブスの高すぎる鬼たちに、思わずおじいさんも飛び入り参加。
おれも たして、五ぼこっ
と、夜明けまで楽しく踊りあかしました。
「おまえの おどりもうたも、たいそう おもしろかった。あしたのばんも こいや。それまで、その おまえの ひたいの こぶを、あずかっておくのじゃ」 じいさまは、わざと あわてて、「そのこぶは たからこぶだから……」 「あしたのばん きたら、かえすぞ」
こぶがとれてすっかり身軽になったおじいさんは、大喜びで家に帰りました。 その話を聞いた隣に住むおじいさん。自分のこぶも鬼にとってもらおうと、いそいそ山へ向かいます。
丑三つ時になり、昨晩と同じように鬼どもがやって来ました。おじいさんはここぞとばかりに飛び出して踊り出します。
おにの うたに つづけて、 ___ 三ぼこ、四ぼこっ と、おなじことを くりかえしながら めちゃくちゃにおどりはじめました。 「じいさま。きのうの ばんのように うたえっ!」 となりの じいさまは、ますますいっしょうけんめいに、 ___ 三ぼこ、四ぼこっ と、おなじことを くりかえしました。
鬼どものバイブスは急降下。
「おまえが、あれほど だいじがったもの、これゃっ、かえしてやったぞ! それゃぁ、はやく かえれっ」
となりの じいさまは、こぶを二つ くっつけて、ぼんぼり ぼんぼりと むらへ にげかえった という はなし。 それっきり、これっきり、おしまい。
夜遅くまで仕事をしていて���ロクなことがないこと。最悪の場合、魔物に遭遇すること。フリースタイルが得意なら切り抜けられるかもしれないけど、言われたことしかできない凡庸なスタイルでは命取りになることが、ひしひしと伝わってきます。
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ある日、徹夜仕事で迎えた朝の4時ごろ、うつらうつらしているわたしの耳に笑い声が響いてきました。フロアにはわたし以外に誰もいません。ついに魔物が出たかと覚悟を決めて、笑い声のする方へ近づいていきました。
会議室の扉をあけると誰もいません。奥の非常階段の扉を開けるとスーツ姿のおじさんが2人、缶ビールを飲んでいました。
「わ、びっくりした、うるさかった?」 「……どちらさまですか」 「下の階のものです。そちらも徹夜ですか?」 「……はあ、まあ」 「飲みますか?」
下の階に入っている会社の人たちで、社内で飲むと匂いがこもってバレるからここで飲んでいるとのことでした。
「スーパードライと雪印カマンベールチーズなど賜はる。5時になるころには下の階よりさらに2人来たりてみなで宴す。やうやう白くなりゆくビルとビルの間、少し明かりて、交換したる名刺のおもてが朝日にうち光るもいとをかし。非常階段で名刺交換したるは、あとにもさきにも、あれ一度きりなり」 ※文中の太字は本文より引用
『こぶじいさま』 再話:松井直 画:赤羽末吉 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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「旅というものはな、行き先を決めてからでかけるもんじゃねえんだよ」
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『ちくわのわーさん』 作・岡田よしたか
「あんたのおじいちゃんは正真正銘の鉄砲玉や」と祖母は言っていましたが、それは祖父が世界を牛耳る極悪武器商人たちをつぎつぎ地獄送りにするステイサムのようなヒットマンだからではなく、文字通り行ったきり帰ってこないひとだったからです。
さっきまで裏庭で畑の手入れをしていたのに、誰にもどこへ行くとも告げずにふっと姿を消してしまう。洗濯物を干しに裏庭へやってきた祖母が祖父の消失に気づくころにはすでに1時間以上が経過しています。
「なんで一言いうてから出かけんのや車にひかれたらどないするんや具合悪うなって道ばたで倒れたらどないするんや」と、車にひかれる or 道ばたで倒れる前提で祖母の嘆きが始まり 、茶の間で宿題をしているわたしの耳にえんえん響いてくるのです。
「おじいちゃんが帰ってきたら直接注意すればいいのに」「本人になんべん言うてもきかんのや」「本人以外に言っても意味ないでしょ」などと不毛なやりとりしているあいだに夕方近くになって本人帰還。図書館で調べ物をして近所の友達を訪ねたあと山に植えた柿の木の様子を見に行っていたとのこと。
本人の顔を見たとたん祖母はすっかり安心してしまい、本人が何も告げずに姿を消したことやどんなに心配したかどんなに怒っているかを水に流すというより記憶から抹消。カレイの煮つけやホウレン草のおひたしなどをいそいそと食卓に並べはじめるのでした。
毎度毎度この繰り返しで、祖父以外の者が祖母の嘆きを聞かされるはめになり、「出かけるならおばあちゃんに声かけていってよ」とそのつど訴えるのですが、祖父はなぜか照れくさそうに笑みを浮かべてハイライトをふかすばかりで、気の向くままに鉄砲玉ライフを満喫していました。
そんな祖父の血を1/4受け継いだわたしも、小さいころから鉄砲玉傾向がありました。親が街に買い物に出かけるときに「わたしは行かない」と留守番を宣言するも、2分後に突然気がかわって飛び出していくのです。後を追いかけることもあるし、追いかける道すがら近所の友だちと会えばそのまま遊ぶこともありました。
後から祖母に「なんで一言いうていかんのや」とカンカンに叱られましたが、行きたいという衝動にかられるとそれ以外のことは考えられなくなるし、過保護な祖母に一言いったところで「あわてて走ってこけたらどないするんや子取りにさらわにれたらどないするんや」と、転んでケガ or 誘拐される前提で止められることは明らかでした。
この傾向は社会人になってからもつづき、私を含めて部署異動する数名のために開かれた会社の送別会で、突然ここではないどこかに行きたいという気持ちがわき起こっていてもたってもいられなくなり、とはいえ自分のための送別会を抜け出すのもどうかと思う気持ちはまったくなく、みんながいいかんじに酔ってきたのを見はからってドロン。友人を呼んで車で太平洋へ向かいました。朝日を見るために。花束をもったまま。
誰にもなにも言わずにいなくなるのがどれだけ楽しかったことか。誰にも気づかれず、誰にも止められることなくどこへだって行けるんだとわくわくしながら飛び出していく快感は、たまらないものがありました。 たぶん祖父も、この魅力に取り憑かれていたのではないかと思います。
そういえば、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭で、そぞろ神に乗り移られてそわそわし、道祖神に招かれて何も手につかなくなり、とにもかくにも旅にでたと書いていました。わたしも祖父も、どうやらそぞろ神や道祖神に取り憑かれていたようです。
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今回ご紹介するのは、祖父のようなちくわのお話です。
ぴゅうぴゅうと  くちぶえを ふきながら あるいているのは ちくわのわーさんでした。
素晴らしいオープニングです。ページをめくって1秒で、わーさんが明るくのんきな風来坊で、どこへ向かっているのかあまり考えてないし気にもしない鉄砲玉スピリットの持ち主で、ちくわ、かつ、口笛が得意であることも読者に瞬時に理解させてしまいます。
歩き疲れたわーさんが道ばたで休んでいると、イヌやネズミがわーさんの穴の中で昼寝やかくれんぼしにやってきます。
ふわーっく しょーん! 「なんか こそばゆいと おもったら。 はいるなら ひとこと いってちょうだいね」
スパゲティー&マカロニ兄弟がやってきて、口笛&ダンスバトルがスタート。
「あ こんなん してる ばあいでは ないんや」
どうやらわーさんはぶらついているわけではなく、行く所があるようです。 でも、転がってきたきたドーナツに興味津々。
「あんな ふうに まるうなったら  ころころ らくちん やろうなあ」
そこへ通りかかったまきずしさんに海苔や具をかしてもらい、穴にぎゅう詰めにしたわーさんは大はしゃぎ。
「ああ また みちくさ してしもた。はよ いかんと」
どの口が言うてんのや!と祖母に叱られそうですが、祖父もわたしもわーさんも、いったんそぞろ神に取り憑かれると、ひとつところに落ち着くことができずにそわそわうろうろ浮かれ出してしまうのです。
先を急ぐわーさん。いったいわーさんはどこへ向かうのか。 夕暮れどきの道に、ちくわの形をした影法師が長くのびていきます。
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あるとき、高級カラオケ店で取引先を接待することになりました。残業で遅れて来たわたしは、駆けつけ一杯と称してビールとウイスキーを立て続けに飲まされました。
そして気が付くと、警察署にいたのです。 所持品はカラオケのリモコン1つだけでした。
青白い蛍光灯が天井に整然とならぶ静かなフロア。壁にかかった時計を見ると午前3時すぎです。坊主頭でスーツ姿の警察の人が温かいお茶を出してくれ、「これどうぞ、 出張のおみやげ」とおまんじゅうをくれました。 おいしくいただきながら聞いたところによると、タクシーに乗ってこの辺りで降りたが財布もカバンもなくカラオケのリモコンしか持っておらずどうやら酔ってるみたいで様子がおかしいと運転手さんが連れてきたとのこと。
入り口近くのソファーに座ってうとうとしていると、先輩が迎えにきてくれました。「リモコン持って部屋から出ていくから機械の調子が悪くてカウンターに交換に行くのかなと思った。みんな酔っぱらって騒いでいたからいなくなったの気づかなくてびっくりしたよ。カバンもそのままだったし」
酔っ払った状態でそぞろ神に取り憑かれ、鉄砲玉スピリットが発動してしまい、リモコン片手にタクシーでどこへ行こうとしていたのか。太平洋か、日本海か。リモコン不在のままみんなでどうやってカラオケをしたのか。そもそもここはどこなのか。 「なんでリモコン持っていったの?」と真顔で問う先輩に、わたしは首をかしげるしかなく、警察の人は微笑みながらうなずいているのでした。
警察署を出ると、朝でした。不思議な夜を過ごしました。何がどうなったのかわかりませんでしたが、やり遂げた感と満ち足りた感で胸がいっぱいでした。何をやり遂げたのかはさっぱり分かりませんでしたが。
リモコンはその日のうちに返却しました。
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そういえばここ数年、わたしの鉄砲玉スピリットはなりを潜めています。後先考えずに、誰にも何にも言わずにうきうき出かけることはなくなりました。どうやら体中にいろんな重りがぶらさがり、身動きがとれなくなっていたようです。
そろそろ出かけてもいい頃合いかもしれません。祖父やわーさんや松尾さんのように、行き先があるようでないようなまま、飛び出していくにはちょうどいい季節です。 さっきから耳元で、そぞろ神もしきりにそうささやいています。
※文中の太字は本文より引用
『ちくわのわーさん』 作・岡田よしたか ブロンズ新社
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kurayamibunko · 4 years
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あなたの住まい、鬼対策は万全ですか?
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月刊たくさんのふしぎ 『村を守る、ワラのお人形さま』 文・写真:宗形慧
わたしが育った家は鬼がもたらす災いに徹底抗戦するために、祖母によって二重三重にマジカルなバリアが築かれていました。
まず、鬼が侵入するおそれのある北東の庭にとがった葉をもつヒイラギを植えてトラップを仕掛け、同じく鬼が入って来やすい南西に赤い実のなる南天を植えて難を転じるバリケードにしました。
東側にはウバメガシの生け垣をぎちぎちにめぐらせて結界を作り、庭のなかほどに小さな社をつくってミイサンを祀り、毎日卵をおそなえして災難除けとしました。さらに玄関、トイレ、台所の壁に鬼をはねのけるパワーを内蔵したカードが貼られ、1年ごとに新しいものに取り替えられるのでした。
そんなマジカルハウスに暮らしていたわたしですが、お寺でもらったお守りをハサミで刻んで中に何が入っているのか確かめずにはいられないロクデナシで、たいてい厚紙しか入っていませんでしたがたまに文字が書かれた紙が入っていると大喜びで祖母に見せこれは何と書いてあるのか呪いの言葉かとたずねあんたはほんまにバチ当たりやでと叱られても懲りないのでした。
あるとき、祖母はマジカルツリーの中でも最強の魔除けパワーをもつ桃の木を庭に植えました。まだ若木だったので祖父がそばに添え木を打ち込んだのですが、それが祖母の逆鱗に触れました。
添え木を打ち込んだ地中に今この瞬間ドコンジンサンがいて祖父はドコンジンサンの脳天に杭を打ち込む暴挙をしでかしドコンジンサンが激怒してバチがあたって祖母は頭が割れそうに痛くて今すぐ抜かないとヤバイとのこと。よかれと思ってしたことでしたが祖父はしかたなく杭を抜き、祖母の頭痛はおさまったのでした。
祖母いわく、ドコンジンサンは土地の守り神で1年かけて東西南北と順ぐりにすみかを移っていくとのこと。当時小学生だったわたしは山芋のように長くて茶色くてボコボコした姿を勝手にイメージしながらドコンジンサンに会うために東西南北の庭をスコップで手当たりしだいに掘り返しては祖母に見つかってバチがあたると叱られても懲りないでふたたび掘り返すなどしていました。
こんなこともありました。祖母は北東の庭に立派なヤナギを植えていました。でも、ヤナギは個人宅に植えるとめちゃくちゃイーブルな凶木に変身すると誰かに忠告されたらしく、あわてて私に掘り起こすよう命じました。
木を掘り起こすなんてめったにないことで卒業アルバムの6年間の思い出作文に『柳ほり』というタイトルで寄稿するくらい強烈な体験でした。
ほかの子は伊勢志摩への卒業旅行の思い出を作文しているのにわたしだけヤナギを掘るのがすごくしんどかったけどすごく面白かったと書いているのを読んだ祖母にあんたは変わった子やでと言われたけどドコンジンサンとシンクロする祖母の方が明らかに変わっていました。
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さて、今回ご紹介するのは、一家族を災いから守るマジカル・ツリーではなく、コミュニティ全体を守るストロウ・ドールのお話です。
ニンギョウサマ、カシマサマ、ショウキサマ、ジンジョサマなど、各地で呼び名は異なりますが、どの神様も村の入口に仁王立ちになって、病気や災害が村に侵入してくるのを防いでくれます。
秋田県美郷町では、毎年田植えの準備が終わった後に、地区の人たちがワラを持ち寄って、全長4メートルのショウキサマを作ります。
ケヤキの木にショウキサマを固定して、頭や胴体にかざりつけをしていきます。
さいごに厄除けの絵札をお腹に貼って完成。これから1年間、ショウキサマが睨みをきかせて村を災いから守ってくれるのです。
わたしが住んでいた地区にストロウ・ドールはいませんでしたが、近所の川にプリンセスがすんでいて、彼女が地区全体の守り神でした。
祖父から聞いた話では、このあたりを治めていた殿様が敵が攻め込んできたためにプリンセスを船にのせて川へ逃しプリンセスは村人のために川の主になろうと決めて身投げ。以降、川の水が枯れることは1度もないとのことでした。
わたしが幼稚園生のころ大雨がふって川が氾濫し、当時住んでいた家を水びたしにされたのでプリンセスにはあまりいい印象をもっていませんでした。
でも、家を建てなおすときに盛り土をして土台を高くしたうえで祖母が東西南北にマジカルなバリアをはりめぐらしたので、のちのちプリンセスがうっかりやらかしても浸水することは二度とありませんでした。
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祖母に内緒で、わたしもマジカルなバリアを貼ったことがあります。小学5年生のとき、裏山で拾った土器と、小学校の授業で作った紙粘土の白鳥と、クリスマスにもらった透明なビー玉をナイロン袋に入れて、西北の庭のすみに穴を掘って埋めました。いずれもわたしの大切な宝物でした。
数日後、家庭菜園をつくるためにそのあたりを耕していた祖父に発見され、祖母にバレてしまいました。鬼から家を守るためのお守りだと主張しましたが、埋めたあたりにちょうどその時期ドコンジンサンがいたらしく祖母は頭が痛くなり、こんなものを埋めたからドコンジンサンが怒っていると言われて引きさがるしかありませんでした。
後日、こっそり東南の庭に埋め直しました。 今も埋まってるはずです。 今もわたしがつつがなく生きているのがその証拠です。 ※文中の太字は本文より引用
『村を守る、ワラのお人形さま』 文・写真:宗形慧 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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シェアハウス・ウィズ・モンスター
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『おばけのひっこし』 文:さがらあつこ 絵:沼野正子
上沼恵美子さんの家が大阪城だというのは周知の事実ですが、姫路城がわたしの家だというのはわたしにしか知られていませんが事実です。 幼いころ、買い物に出かけたときは決まって姫路城まで足をのばしてツルツルで急な角度の木の階段を1段1段のぼって天守閣に向かい、窓の外にひろがる美しい城下町を見はらしながら、わたしは本当は殿様の子どもでしかるべき年齢になれば姫路城からお迎えが来てお城に住んで民を治めるのだと心に誓っていました。
姫路城に行くと必ず立ち寄る場所が3つありました。天守閣と腹切丸、そしてお菊井戸です。いずれも妖怪や幽霊、血なまぐさい話がつきまとう場所で、わたしにとっては大好物のチョコレートが山盛りになっているウキウキウォッチングエリアでした。
まず、天守閣には刑部姫(おさかべひめ)がすんでいました。祖父から聞いた話では姫路城を守る妖怪で、1年に1度、天守閣で城主と面会し、運命を教えてくれるということでした。十二単を着た美しいお姫さまですが、宮本武蔵と対決して刀を授けたという伝説や、その正体は城の立つ姫山に棲む狐ではないかとも言われています。 しんしんと冷えるうす暗い天守閣の隅に小さな社が立っていて、毎回中をのぞきこんではお姫さまがいるかいないか確かめていました。
腹切丸(はらきりまる)は敵の攻撃を防ぐ建物です。これは大人になってから知ったことで、わたしが通っていた頃はここで切腹が行われていたとまことしやかに言われていました。 実際、白い漆喰の壁のところどころに茶色いシミが付いていて、立入禁止の柵からせいいっぱい首をのばして目を見ひらき壁をすみずみまでなめるように眺めてどんな小さなシミも見逃さず絶対これはおさむらいの血で絶対切腹したおさむらいがたくさんいてあれもこれも絶対おさむらいの血なんだからねと主張しては親に気味悪がられていました。
小学生のころ、雨が降った日は必ず授業の前に怖い話をしてくれる女先生がいました。学生時代は演劇部だったそうで身ぶりや声色は相当なもの。地元では超メジャーで小さいころから何度も聞かされもはや誰も怖がらない「お菊井戸」の話をしてくれたときも、カーテンを締め切った薄暗くジトジトした教室で「いち…ま…い、に…ま……い」と女先生が消え入りそうな声でお皿を数えていくうちに辺りがじわじわ冷えていき、ジメジメと苔むした井戸のまわりに青白い鬼火がぽっぽっと浮かび、「く…ま…い……」と恨みのこもった上目づかいで声をふりしぼった瞬間に、女子も男子も耳をふさいで半泣きになりながらお菊さんをなめきっていたことを猛省し許しを乞うのでした。
実際のお菊井戸はただっぴろい広場にあり、人が落ちないように石柱でガードされた立派な作り。城巡りのしめくくりに訪れてお菊さんやお皿の破片が落ちていないかをじっくり探すのが恒例行事になっており、頭蓋骨や指の骨を発見したことも何度もありますが、大人には紙くずにしか見えないようでした。
ほかにも、姫路城を作った大工さんが天守閣が傾いていることを妻に指摘されノミをくわえて飛び降り自殺していたり、家康の孫娘で姫路城に輿入れした千姫に怨霊がとり憑いたりと、姫路城は日本でもトップクラスの事故物件でした。 そんな場所にしかるべき年齢になれば住む予定のわたしは、刑部姫やお菊さんたちと暮らせる嬉しさ半分怖さ半分で、その日が来るのを心待ちにしていたのです。
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今回ご紹介する絵本は、姫路城にもひけを取らない事故物件に引っ越した、あるおとどのお話です。 子だくさんで家がてぜまになったおとどが、京のまちなかで引越し先を探していると、古くて大きな家を見つけます。
「ここは おやめなされ おばけがすんでいるという、うわさじゃ」 「なに、わしは おばけなど こわくはないぞ」 近所のおばあさんの忠告も笑いとばしておとどは一泊することに。
おとどが うとうと まどろみはじめたころ、 てんじょうのほうで、なにか こそこそ おとがしました。
天井の格子の1つ1つにばけものがぎゅうぎゅうに現れます。おとどは気にせず寝てしまいます。 「なんという おとこだ!ちっとも おどろかない」 「わたしたち、ほんとうの おばけなのに」 ふてぶてしく睨みつけるおとどが怖いです。ばけものはかわいいです。 後日、驚かそうとやってくるばけものを返り討ちにするおとど。 相当怖いです。おとどが。
困り果てたおばけの翁がおとどの前に現れます。 「わたくしども、おばけのいっかは、ここを おいだされると ほかに すむいえが ございません。どうか、このいえに ひっこすのは おやめください」 「それなら、いいかんがえが ある。いままで わたしのかぞくが すんでいた いえと、このいえとを、こうかんしようじゃないか」 満月の夜、おばけ一家は引っ越して行きました。 というか、おとどに立ち退かされてしまいました。
ばけものたちは天井裏に住んでいるから導線は重ならないし3000㎡くらいの広々した家だしみんなで一緒に暮らせたはずなのに、なんで追い出してしまったのか。わたしが姫路城に引っ越したあかつきには刑部姫もお菊さんもほかのばけものもみんなでシェアハウスするつもりだったので、おとどのやり方には不満がのこりました。
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お城からの呼び出しを待っている間にわたしは成人してビジネスパーソンになり、給与明細にならんだ数字にうち震えながらわたしが城主になったあかつきには切腹丸に社長を呼びつけてやると誓っていたころ、姫路城は世界遺産に指定され改修工事がはじまり汚れがきれいに取り払われてまっ白な姿に生まれ変わっていました。 その後もなかなか呼び出しが来ないため、しびれを切らして先日姫路城に行ってきました。城内は人であふれかえり、天守閣に登るのに2時間待ちの行列ができていました。1階から5階までそれぞれの階で甲冑やら刀やら日用品やらお城ゆかりの物が展示してあってそれを見ながら登るのが楽しかったのに、すべて取り払われてあふれかえる人をさばくためのスペースと化していました。 係の人が階段の両端にヒモを持って立ち、「はい次はここまで!はい前列の方は登ってくださあい!後列の方はもうしばらくお待ちくださあい!」と列をヒモ仕切りながら叫んでいるのでした。 天守閣にある刑部神社には人混みで近づけないのでお姫様がいるかどうか確認できず。城下町を見晴らす窓も次の人にゆずるために4秒しかのぞけず。「途中でたちどまらないでくださあい下りはこちらでえす!」と登ったとたんに降りることを強要されるのでした。
せめてあそこは昔のままのはずだと腹切丸に向かいました。茶色のシミはきれいになくなっていました。一縷の望みをかけながらお菊井戸へ向かいました。井戸のまわりは人だかりでした。大量のお賽銭が金網や井戸の底にたまっていて、お菊さんは連日相当な額を集金しているようでした。
リフォームされてきれいになったけれど、わたしが住みたかったのはこんなに騒々しいお城ではありませんでした。人もまばらでぶらぶら散策しながらお化けたちと交流を深めた姫路城は跡形もなく消え、アイドルのコンサート会場になっていたのです。 わたしはお菊井戸に仮想通貨を投げ入れて、1LDKのアパートに引き返すしかありませんでした。
※文中の太字は本文より引用
『おばけのひっこし』 文:さがらあつこ 絵:沼野正子 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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金の亡者になるために必要な、たった2つのこと
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『しにがみさん』 作・絵:野村たかあき 柳家小三治 落語「死神」より 小学校に上がるまでお金の仕組みを知りませんでした。量がたくさんあるほうがいいと思っていて、祖母と買い物に行き1000円払ってお釣りをもらい「よかったねーおかねふえたねー」と大喜びしていました。ペラペラの紙を1枚わたすだけで、銀や茶の丸くてきれいな玉を4つも5つももらえるのです。「お金がへったんやで」と祖母やレジのお姉さんに笑われても、1から5に増えているのにしかもきれいな玉で増えているのに、なぜへったと言われるのかなぜ笑われるのか分かりませんでした。
以降、死ぬまぎわのこの年になるまでお金と縁遠いのは、幼少期の接し方に不備があったからだろうと思っています。
そもそもお金で物を買うということを知らない子供でした。 『掛取万歳(かけとりまんざい)』という落語があります。大晦日、1年たまった掛け買いのお金を取り立てにやってくる大家や魚屋を、あの手この手で追いはらおうと奮闘する長屋の夫婦のおはなしです。
後から知ったことですが、祖母も馴じみの八百屋さんで掛け買いをしていて、月末にまとめてお金を払っていました。ですから、一緒に買い物に行ってもお金を払うところを見たことがありませんでした。八百屋の奥さんにその日のおすすめを聞き、「じゃあこれとそれとあれもらおか」と野菜や果物を買い物カゴに入れてもらいそのままお店を出るのが当たり前の光景だったので、お店は欲しいものを好きなだけもらえるところだと思っていたのです。
ある日、店先で大好きなチョコレートを見つけて包装紙を破きむしゃむしゃ食べていると、奥さんと世間話をしていた祖母が気づき、「なにしとんやいなこの子はお金もはらわんと。泥棒したらあかんで」と叱られました。「食べたかった」「そんならそう言い、買うてあげるから」。そのときに初めて、お店のに並んでいる物はもらえるものではなく買うもので買うにはお金というものをお店に渡す必要があり渡さないと泥棒になってしまうことを知ったのでした。 そんなわけで、お金に対して相当ぼんやりしているうえに「金金言うとったら金の亡者になるで。強欲になったらあかんで」と祖母に言い聞かされて育ったこともあり、どちらかというとお金に対してマイナスのイメージを持って成人してしまったのです。 友人たちが結婚して子供を産んで家を買ったり建てたりしているときに、もうお金のために働きたくないから1年間働かずにどこまで生きられるかやってみようと思い立ち秋風が吹く頃には貯金も底をつき服やアクセサリーを売りはらい自分は没落王家の三男なのだと言い聞かせながら布団にくるまりお湯をすすって冬を越したこともありました。
数年前によんどころない事情で引っ越しよんどころない事情で勤めた会社の給与が地球に生まれて以降初めて見る金額で日々の食費にも窮するようになり、激安スーパーで1斤45円のパンをカゴに入れながらありがたいなあ50円玉でこんなに買えるなんてありがたいなあお金はとても大切でとても必要でお金がないと生きてゆかれないんだなあとようやく認識。
その年の目標を「積極的に金の亡者になる」と決め、「仮想通貨 しくみ」「ビットコイン はじめかた」「コインチェック 口座開設」でググるまでに成長することができました。 まずは、金の亡者になりそこなった先輩の失敗談に学ぶべく、この絵本を手に取りました。わたしの大好きな落語家、柳家小三治監修の絵本『しにがみさん』。高座では『死神』のお題で上演される、ゾッとするほど面白いおはなしです。
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食べ物を買うお金にもことかく夫婦者。「お金ができないなら豆腐の角に頭をぶつけて死んじまいな」と女房に追い出され、とぼとぼ橋を歩いております。
ほんとに、しんじまいたいよ。   おい、しぬんじゃないよ
びっくりした。だれだい? わたしかい、わたしは へへへ しにがみ だよ。 おまえに しごとを せわしてやる。
おまえは きょうから しにがみが みえる。 にんげんには じゅみょうってもんがある。 おもいびょうきの ひとには かならず しにがみがついとる。 まくらもとにいれば、たすからない。あしもとにいれば、たすかる。
アジャラカ・モクレン・キュウライス・テケレッツのパア このじゅもん��� となえて てをパンパンと、ふたつたたけば  しにがみは いなくなる。わかったな。
医者の看板を出すと、さっそく「主人の病気を治してほしい」と依頼が。見ると、死神が足元に座っています。男が呪文を唱えると死神はいなくなり、主人はたちまち元気になりました。
誰も治せなかった病人を治したことで評判が評判を呼び、男は大金持ちに。女房子供と旅にでかけて贅沢三昧。あっという間に一文無しに。
また、いしゃを はじめたが、いっこうに かんじゃが こない。 ぽつりぽつりときても、しにがみは まくらもとにいる。 「じゅみょうが ない。」とひきさがる。
大金持ちの商家の娘の病を治してほしいと依頼が来るも、やはり死神が枕元に座っています。お気の毒ですという男に、助けてくれたら五千両さしあげますとすがる父親。今でいえばだいだい5億円、もっとかもしれません。
金に目がくらんだ男は一計を案じ、娘の寝る布団の四すみに屈強な若者を座らせます。そのまま夜が明け、昼もまわり、死神が居眠りをはじめたところをみはからって、
ここだとばかりに、めくばせをして、ポンとひざをたたくと、 くるっと ふとんをまわし、 アジャラカ・モクレン・キュウライス・テケレッツのパア パンパン じゅもんを となえられて、びっくりしたのは しにがみ。 あわてふためいて どこかへ きえてしまった。 おかげで むすめは すっかり げんきになった。
はくしょん!ひとばんじゅう おきてたんで  はなかぜ ひいちまったかなあ。
おいっ   あっ、しにがみさん。 なんだい いまのまねは。 ここんところ、またおかねに こまっていたものですから… まあ、やってしまったことは しょうがねえ。 ところで、れいはもらったかい。   へえ、五千両。 まあ、それだけありゃ、にょうぼう、こどもはあんしんだ。 おい、ついてきな。
死神に導かれ、地面に空いた穴から暗闇を下っていく男。着いたところは、何千、何万本ものろうそくが燃えている場所でした。死神は、1本1本が人の寿命だと男に教え、男は今にも消えそうなろうそくを見つけます。
それが おまえだ。そいつがおまえのじゅみょうだ。 あたしの? いまにもきえそうですよ! このいせいよく もえているのがあるだろう。 こいつが おまえのじゅみょうだったんだ。 それを おまえは 五千両のかねに めがくらんで、 うりわたしてしまたんだ。
なんとかたすけてくださいな。いのちがなきゃしょうがねえ。 かねはかえします。
いざとなると だらしがねえなあ。このろうそくを あげるよ。 おまえの きえそうなのに つなぎあわせろ。そうしたら たすかる。
はい。はい。 ほれ、はやくしろ、きえると しぬぞ。 ほれ、きえるぞ。 ああ・・・つながった。おおきな ろうそくに ひがついたよ。 へへえ へへへ へ・・・はくしょん
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くしゃみをしなければ男は助かっていました。寿命も元どおりになり、五千両で裕福に暮らせたはずでした。無理をして徹夜で働いたために風邪をひき、ここぞというときに力を発揮できず、金の亡者になるどころか単なる亡者になってしまったのです。
わたしがこのお話から学んだのは、1.体を壊してしまう働き方はダメだということ 2.健康第一ということ。これらのベースをきちんと確立した者だけが、金の亡者になる資格を持つ、ということでした。 というわけで健康になるためにヨガをはじめました。 手首を捻挫して病院に行き診察料と薬代を払いました。 コインチェックに口座を開設しようと検討していたらハッキングされました。 どうやら死神さんではなく、貧乏神さんにとりつかれたようです。 金の亡者への道のりは果てしなく遠いのでした。 ※文中の太字は本文より引用
『しにがみさん』 作・絵:野村たかあき 柳家小三治 落語「死神」より 教育画劇
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kurayamibunko · 4 years
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ほんわか系クリミナル・マインド
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『どこいったん』 作:ジョン・クラッセン 訳:長谷川義史 そろそろ潮どきかなと思ったのは、辞める半年前の冬のこと。日の出前の真っ暗な通りを会社に向かいながら、昨日も6時出社で22時に帰って夜中の2時、3時、4時と小刻みに起きてしまいよく眠れなかったけど今日は早く帰れるかしらとぼんやり考えながら歩いていると、突然、自分の体がうすい透明の膜につつまれていることに気づきました。
車道にそって歩いているのに、通りすぎる車の音がありえないほど遠くに聞こえます。手をひろげてみると、やはりうすい膜に包まれていて感覚が鈍いのです。しびれてもいるようです。その瞬間、まずいな、このままでは『はてしない物語』の虚無みたいなモノに、取り込まれてしまうなと感じました。 いろいろあって引っ越していろいろあってようやくありついた仕事だったのでいろいろ目をつぶって働いていたのですが、入社当日に挨拶した先輩に「あと1カ月で辞めます。今は引き継ぎ期間なんです」と晴れ晴れした表情で言われたあたりからうすうす感づいてはいました。 生まれて初めて闇企業に入社してしまったんだなと。 以来、これは現実ではなくゲームの世界の出来事なんだ私はゲームをしているんだと自分に言い聞かせながら働いてきました。日々降りかかる闇な案件を、現実に起こっていることだと認識した時点で自分がつぶれてしまうと思ったからです。 でも、光企業あるいは準光企業でしか働いたことのなかった私にとってはある意味ラッキーでした。世界に誇る日本の最先端の労働環境を、まさに心身を削って経験することができたからです。 それでは、どんなスリリングなゲームが繰り広げられていたのか ほんの一部ですがご紹介しましょう。 ●怒声がこだまするフロア どこで調達してきたのか、気分屋の役員ばかりそろっていました。気に食わないと社員に怒鳴りちらすのが常で、『セッション』を見た観客がまるで自分も鬼教官フレッチャーに罵倒されているような気分になるのと同じ、息詰まる時間を社員全員が味わうことができました。 保育園で働いていたときに3歳児クラスをお手伝いしていましたが、彼らも相当な気分屋でした。でも、駄々をこねても理由をたずねれば説明してくれたし、説明できなくてもしばらくしたらご機嫌に遊んでいたし、何よりとっても可愛いかった。彼らの20倍以上も年上の、元園児たちの駄々に対処するスキルは私にはありませんでした。 ● 本当に存在した伝説の反省文 無茶な仕事をふっておいてなぜこんなこともできないんだとののしり、あげくに「入社してから今までお前が出した成果を文書にまとめて明日までに提出しろ」と意味不明な作業を社員に強要していました。こんなシーンは都市伝説だと思っていたので、初めて目撃したときは「ラピュタは本当にあったんだ!」と嬉しくなったものです。 ●どこからともなくわき出る領収書 役員たちは月に何度も関係者を接待していました。ちょっとした打ち合わせもホテルのレストランや料亭です。それが後々仕事につながったことは私の在籍中1度もありません。あるとき、経理のデスクにうず高く積まれた領収書の束を見つけ、書かれた金額に驚愕しました。わたしの手取りより多かったのです。わたしは彼らが遊ぶお金を稼ぐために、奴隷として雇われていたのです。 ●つぎつぎと消えていく人間 辞めることを同僚に話したときに「実は私も辞めるの」と返され、同僚の後任として採用された人は引きつぎ中の入社5日目に辞めました。「最短記録じゃないよ、入社日に辞めた人もいる」と同僚はほがらかに教えてくれました。辞めたら補充すればいいという考えが上層部に蔓延しており、適当に面接して入社させ、ある人は気に入らないからすぐ辞めさせる、ある人は実態を知ってすぐ辞めていく、そして再び募集するという美しいサイクルが出来上がっていました。 ●恐怖にふるえる占い師 よく当たるという占い師に後輩が鑑定してもらったときに、こう言われたそうです。「あなた一刻もはやく会社辞めなさい…真っ黒くて寒い…もうこの話はしたくない…寒気がする…ヘンな目が見える…この目はなんだろう」。実際、両隣をビルに挟まれた薄暗いオフィスで、太陽の光は1日中さしませんでした。ヘンな目についてはよく分かりませんでした。 ●とびかう怪文書 あるときから、役員あてに怪文メールが送られてくるようになりました。先輩からの情報によると、役員クラスしか知りえない内部情報や、誹謗中傷が書かれていたそうです。役員たちは疑心暗鬼になり、社内に犯人がいると断定し、探りを入れはじめました。
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そんな、ハルマゲドンが刻々と近づく中で出合ったのがこの絵本です。 『どこいったん』という関西弁の気さくなタイトルに惹かれ、ふんわりなごみ系のストーリーなんだろうな、今の私にはなごみが必要だなと手にとったのがまちがいでした。
なくしてしまった赤い帽子を探して、クマが仲間たちを訪ねます。 ぼくのぼうし どこいったん?   きみのぼうし しらんなあ。 そうか おおきに。
ぼくのぼうし どこいったん?   このへんでは みてへんで。 そうか おおきに。
ぼくのぼうし どこいったん?
ぼくのぼうし どこいったん?   みたで。あおうて まるいやつ。 それ ぼくのと ちがうわ。きにせんとって おおきに。
誰に聞いても帽子の行方はわかりません。落ち込むクマに シカがたずねます。 どないしたん?  ぼうし どっかいってん。だれも しらん いうねん。 どんなぼうし? あこうて とんがってて……。
さっき出会ったウサギが赤い帽子をかぶっていたのを突然思い出すクマ。 ウサギに向かって怒鳴ります。
おい、こら おまえ。 ぼくのぼうし とったやろ。
帽子を取り返したクマにリスがたずねます。
あの、ちょっと。 ぼうしかぶった うさぎ どこいったん?
さっきまでウサギがいた場所は草や枝がバキバキに散らばり、ウサギの姿はどこにもありません。
し、しらんよ。なんで ぼくに きくん? うさぎなんか どこにも いてへんで。 うさぎなんか しらんで。 うさぎなん�� さわったことも ないで。 ぼくに きくのん やめてえな。
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先輩から「うちの部署も疑われてる」と言われ、「仕事で忙しいのに怪文作成なんてそんな時間ないですよ」「だよねえ…上にそう言っとくわ」と返され、暗澹たる気持ちになった私には、疑心暗鬼になって犯人探しに奔走する役員と、必死に帽子を探すクマがぴたりと重なっていました。
ラストシーンのバキバキに折れた草木の上に座り込むクマの無表情とお尻からはみ出た葉っぱのような脚のようなナニかに戦慄し、まさかのクリミナル・マインド展開にふるえ上がったのでした。 会社を辞めることが決まり、倉庫で資料を整理していたときのことです。窓をあけて作業をしていたのですが、風にふかれてカーテンがめくれあがり、背後の床に何かが置かれているのに気づきました。見ると、黒くて硬い石のような素材でできたピラミッド型のオブジェでした。 その三角錐の頂上に目が1つ描かれていました。 その1つ目は、こちらをじっと見つめているのでした。
※文中の太字は本文より引用 『どこいったん』 作:ジョン・クラッセン 訳:長谷川義史 クレヨンハウス
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kurayamibunko · 4 years
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いかすラッパで セッションしようぜ
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『ベンのトランペット』 作・絵:R.イザドラ 訳:谷川俊太郎
学生時代に『紫の履歴書』を読んでその生きざまに感銘をうけ、こんど死んだらもう地球に生まれ変わらない予定だと本人がおっしゃっているので死ぬまでにぜったい舞台やコンサートを見に行くのだと誓った美輪さんに初めてお目にかかったのは、リッツカールトン大阪で開かれた講演会でした。
常人では到底およばない美意識をもつ美輪さんにえらばれたホテルだけあって、廊下をうめつくす豪華な草花模様の毛足の長すぎる絨毯に足をからめとられてこけそうになりながら天井にとどかんばかりにいけられた白百合におどされながら美輪さんの前世はトウモロコシやピカチュウだったこともあるけれどフランスで伯爵夫人だったときはこんなお屋敷に住んでいたんだろうなあと感心しながら会場へむかいました。
会場前のフロアは、講演会のお客のほかに着飾った女性やフォーマルなスーツ姿の男性でにぎわっています。隣のホールの入り口に「◯◯家 ◯◯家 披露宴会場」と達筆な字で書かれた看板が出ていて、どうやら結婚式の披露宴の招待客が入り混じっているようでした。
講演が始まり、観音開きの入り口からあらわれた美輪さんは歓声と拍手に迎えられ、左右に別れた客席の中央を優雅なほほえみをうかべて手をふりながらゆっくりと歩みをすすめ壇上にのぼった夏の夜明けの空のような薄紫色のドレス姿はまさに伯爵夫人でした。
「ようこそいらっしゃいました、白鳥麗子でございます」 つかみも完璧です。
実家は長崎の遊郭街にある「世界」というカフェ。料亭や銭湯も経営し、昼間は部下に威張りちらしているのに夜はカフェの女給さんにハゲ頭をたたかれながらデレデレやにさがる社長がいたり、銭湯で職人さんが着古した作業着を脱いだらアポロンのようなたくましい体をしていたり、幼いころから“人の裸”を見るうちに、肩書きや洋服で化けているだけで人種も性別も職業も国境も、人の本質とはまったく関係ないと思うようになったこと。
太平洋戦争中に軍属の班長が赤い毛糸の下着を身につけていた女学生を国賊だとののしり顔が血だらけになるまで殴り、戦後、遊郭に遊びにきた進駐軍に派手なアロハのポン引きがつきまとっていて顔を見るとあの軍属の男だったこと。戦前は歴代の天皇の名前を少しでもまちがえれば殴っていた先生が教科書を墨で消せと言ったこと。
常識的に生きろとか常識がないとか言われるけど、常識なんてものは一夜にして簡単にひっくり返ってしまうもので常識なんてくそくらえと思うようになったこと。
終戦後、銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』で歌っていたとき、ライバル店ができて客足が遠のいたため当時世の中で見かけなかった紫色の生地でシャツとスーツを作り、爪も髪も紫に染めてユニセックスファッションでシャンソンを歌いながら銀座の街を練り歩き「銀座にお化けがでる」と有名になって野次馬がぞろぞろお店にやってきて売り上げがあがったこと。
気持ち悪いと石を投げる人もいたけれど、自分の姿や声を美しいとほめてくれる人もいたこと。
ときに当時の流行歌を口ずさみながら、ときに声色をつかいながら、まるで1人芝居のようにすすむ美輪さんのステージにわたしは呆然と見とれていました。
突然、美輪さんが話を中断しました。何かに気をとられているようです。すぐに再回したものの、ふたたび中断。 「聞こえますでしょ? あたくしの空耳じゃないわね?」
耳をすますと、静かな会場内にどこからか歌声がひびいてきます。つづいて誰かを紹介する司会者の声、そして歓声。どうやらとなりの披露宴会場の騒ぎがまあまあな音量でこちらにもれ聞こえているのでした。
美輪さんは日ごろから、観劇の際は客席でくしゃみや咳をするとほかのお客に迷惑だから必ずハンカチで押さえてするようにとおっしゃっているのですが、そんな美輪さんからしてみれば言語道断の事態です。いったいどう収集するのかハラハラしていると、
「ずいぶん立て付けの悪いホテルね」 その一言で会場は爆笑につつまれたのでした。
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シャンソンをこよなく愛する美輪さんですが、今回ご紹介する絵本に登場するのは、ジャズを愛する男の子。特にトランペットが大好きで、毎夜、非常階段に座って隣のジャズクラブから聴こえてくる音楽にあわせ自分のトランペットをふいています。
まいにち がっこうの かえりに、 ベンは ジグザグ・ジャズ・クラブに よる ミュージシャンが れんしゅうするのを みまもる
だが べんは なかでも トランペッターが とりわけ いかしてると おもう。
家に帰るとベンは、ママやおばあちゃんやおとうと、パパやパパの友だちにトランペットを聴かせます。
あるひ ベンが とぐちに すわって トランペットを ふいていると、だれかが いった。 「いかすラッパじゃねえか。」
ベンが憧れているあのトランペッターが声をかけてくれたのです。指を鳴らして鼻歌まじりに歩いて行く後ろ姿が素敵です。このシーンを読むときはいつも、トランペッター役はデンゼル・ワシントンかウィル・スミス、ジェイミー・フォックスで再生されます。
翌日の放課後、ミュージシャンが練習している音にあわせてベンがトランペットをふいていると、駄菓��屋の前にいた連中がからかいます。
「なに やってる つもりだよう?」 「ばっかじゃねえか! ペットなんか もってねえくせに。」
ポケットに手をつっこみ、とぼとぼ家に帰ったベン。 ジグザグ・ジャズ・クラブの明かりを見つめつづけます。
バンドのひとたちが ひとやすみしに とおりへ でてきた。 トランペッターが ベンに ちかづいて きいた。 「ラッパは どこに あるんだい?」 「もってないよ。」ベンは いった。 トランペッターは ベンのかたに うでを まわして いった。
この後、最高のエンディングがベンにおとずれます。
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ベンをバカにせず、からかわず、子供あつかいせず、教訓めいたことを一切言わず、トランペットを愛する仲間として接したトランペッター。彼の姿に、講演会の最後に聞いた美輪さんの言葉がかさなるのです。
容姿、年齢、性別、国籍、肩書き、着ているもの、住んでいる家、そういうもので価値判断するから、差別が生まれるんです。日本ではよく年齢を気にしますでしょ。恋愛でも若ければ若いほうがいいなんて、じゃあ赤ん坊が一番いいってことになるわね。
見えるものを見なさんな。見えないものを見なさい。それは「心」です。そうするとすべてが関係なくなります。「男のくせに」「女のくせに」もなくなります。「子供のくせに」「ジジイのくせに」「ババアのくせに」「金持ちのくせに」「貧乏のくせに」もなくなります。
容姿や性別や年齢といったものは、なおそうと思ってもなおせない。なおせないもので差別を受けたら理不尽です。そんなものは仮の姿でどうでもよろしい。目の前の人の心の純度がどれだけ高いか美しいか優しいか、それだけなんです。
だから、見えるものを見なさんな。 見えないものを見なさい。
※文中の太字は本文より引用
『ベンのトランペット』 作・絵:R.イザドラ 訳:谷川俊太郎 あかね書房
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kurayamibunko · 4 years
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妄想力で勝負しろ
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『かえりみち』 作・絵:森洋子
ころんで足をすりむくといけないから、足をむき出しにして風邪をひくといけないから、女の子は人さらいに狙われやすいからという祖母の3大方針にのっとり、幼少時はつねに髪を短くカットされ、1年中ズボンをはいてすごしていました。わたし自身も手のかからないざっくばらんな髪型が好きで、飛んだり跳ねたり駆けたりどんな動きも自由自在なズボンが好きで、ブルー系の色合いを好んで着ていたために初対面の子供や大人にしょっちゅう男の子に間違えられたし幼稚園当時の将来の夢は王子様になることだったのでむしろうれしかったしわたしはズボンを心から愛し、ズボンはわたしの大切なアイデンティティとなっていました。
年長組になったときから、ある事実がわたしをおびやかすようになりました。4月に入学する小学校の制服は女子はスカートが決まり。ズボンは男子の制服だったのです。「小学生になったらスカートをはかなければならなくてとても嫌だから小学生になるのは嫌でなぜ女子はズボンをはけないのか」と祖母に訴えたところ、「校則やからしょうがない。スカートやと思うから嫌なんや、スカートやと思わんかったらええがな」と難易度の高い解決法を提案されました。しかしどう見てもあのデザインはスカートにしか見えませんでした。 
入学前の2月、新1年生になる生徒たちが体育館に集められました。制服業者が流れ作業で採寸し、用意された制服を試着し、サイズの合ったものを購入する集会でした。女子には有無をいわさずスカートが渡されていきます。採寸待ちの列にならんでいるあいだに胸がどんどん痛くなり寒気がしてきました。まわりを見ると、どの子も平気な顔をして、むしろうれしそうに新しいジャケットやスカートを試着しています。わたしの番がやって来ました。
「はい両手を横にまっすぐあげてはいおろしてはいこれを着てみて」機械的に採寸され、スカートを突き出され、わたしはのろのろと片足づつスカートの中に入りました。「ズボン脱いでくれる、 ウエストはかるから」 ズボンを脱ぐ…? あまりの屈辱に視界がにじみました。スカートをはくだけでも吐きそうなのに、わたしのアイデンティティであるズボンを脱げと命じられたのです。
むきだしの素足にどっと冷たい空気がおしよせてきます。「はいうしろむいてつぎまえむいて」つま先からふとももまで冷気にからめとられガチガチに固まっていきます。生まれて初めてズボンを脱ぐことを強制され、スカートをはくことを強要され、アイデンティティを剥ぎとられたわたしは、もはや全裸も同然でした。
しかし、どうあがいても小学校に入学するにはスカートをはかねばならず、祖母の忠告にしたがって「これはスカートではなく別の服だ」と必死に思い込むことにしました。あらんかぎりの妄想力を駆使し、これは将来りっぱな王子様になるための修行の1つで、この服を着ることでパワーを身に付けることができてこれはスカートのように見えるけど魔法の甲冑なんだと思い込むことにしたのです。何がなんだかわけがわかりませんが、妄想でもってわたしなりに世の中と折り合いをつけた結果でした。 
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今回ご紹介するのは大好きな森洋子さんの絵本です。ランドセルを背負っているところを見ると、主人公は小学生でしょうか。わたし同様に、この女の子も妄想力を爆発させて、学校からのいつものありふれた帰り道を異世界へと一変させていきます。
ねえ、見えるでしょ。 ほら、あそこ
校門の向こうに広がる空では怪獣や魚や昆虫がカーニバルのまっ最中。交差点に立つおばさんがチェッカーフラッグをふっています。いよいよレースのはじまりです。現実の世界が右ページに、女の子が見ている妄想世界が左ページに展開していきます。
 踏み外したら 三千メートルまっさかさま
洋品店のおじさんは垂直の崖をのぼるクライマーに。女の子も奈落を見下ろす崖っぷちを慎重にわたっていていきます。
ここをのぼれば 手にはいる 千年前の黄金だ 
階段の手すりはぐねぐねからみあう木の枝に、踏み切りの信号は秘宝を守るいかめしい門番のようです。
おっとっと はくしゅ、はくしゅの綱渡り
川になった道路に溢れる巨大な���ニたちをよけながら、細い側溝を歩きます。
まだまだとおい 帰る家 えいっ とんじゃった
パラシュートをつけゴーグルを被った女の子。迷うことなく飛行機から飛び降りました。
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小学校5年生のとき、男子の間でスカートめくりがパンデミックを起こしました。教室や廊下ですれちがいざまにスカートに手を突っ込んでめくりあげ、女子が悲鳴をあげるのを見て楽しむという犯罪行為に、もれなくわたしも巻き込まれました。休み時間に友だちとしゃべっていると、ぶわっとスカートの中に風が吹きこんできて太ももまでめくれあがり、犯人たちはニヤニヤ笑いながら廊下に駆け出していきます。
女子だというだけで、スカートをはいているというだけで男子の性的なはずかしめの対象になってしまう自分。固まってしまい何の抵抗もできなかった自分。制止の声をあげるどころかニタニタ笑いながら眺めているほかの男子たち。すべてに血の気が引きました。そもそもわたしはスカートをはきたくないのに、なんとか折り合いをつけてはいているのに、さらにこんな仕打ちを受けるなんてもう限界だしこれ以上好きにさせていいわけがありません。
当時のわたしが将来なりたくてあこがれていた王子様は、キャプテン・ハーロックでした。仲間からの信頼あつく、義のためなら危険もかえりみず死地にのりこんでいく男です。ハーロックならこんなときどうするだろうと必死に妄想しました。
答えは簡単に出ました。
先生に注意されてもスカートめくりがおさまる気配はなく、休み時間になると女子はスカートを手で押さえて自衛するのが日常になりました。そのすきをついてめくるのが刺激的で面白いらしく、奴らはますます調子にのり暴走していました。そしてふたたびわたしが狙われたのです。
逃げ出す犯人の1人をつかまえズボンに手をかけ一気にひきずりおろしました。悲鳴をあげる女子、どよめく男子、ズボンを膝まで降ろされパンツ丸出しの犯人。「何するんやこいつ!」あわててズボンを上げた犯人とわたしはにらみ合いになりました。「おなじことわたしにした」「ヘンタイ!」「おなじことわたしにした」
この出来事は学級会で取り上げられ、スカートめくり禁止法が正式に可決されました。わたしがズボンをずらしたことも問題視され、非は犯人にあるにせよ手を出してはいけないと先生から注意を受けました。
なぜわたしが注意されるのか、罪を犯したのは奴らなのにわたしも悪いのか、スカートをはいていたらめくられても仕方ないのか、なぜめくるのか、男子はバカなのか、先生が放置していたから奴らはどんどんつけあがったのではないか、ズボンをはいている女子ならめくられなかったのか、男子はバカなのか。 ぐるぐるもやもやしながら、ハーロックならこんなときどんな声をかけてくれるだろうと考えました。彼はわたしに言いました。 「お前の信じるもののために戦え。お前の胸の中にあるもののために戦え」 それはわたしの妄想でした。でもその妄想がわたしを救ってくれたのです。 義務教育を終えたときに修行期間も終わり、魔法の甲冑を脱いだわたしは人生にズボンを取り戻すことができました。 現実がちょっとつらいとき、ちょっとつまらないとき、今も妄想のちからを借りることがあります。自分が有名な英国俳優で仕事のシーンを撮影中という設定で苦手な業務に取りくむこともあるし、ゾンビまみれの世界で生き残りの人間を探す旅人設定でスーパーまでの道のりを用心しながら歩くこともあります。
先日、博物館で所蔵品を鑑賞しながらこれらの宝物は家来に命じて世界中から集めさせたもので全部わたしのもので今は博物館に貸出中という設定を楽しんでいると、それではつまりわたしは王様なんだなということに気づきました。以降、王様だけど家来が不在でしょうがなくという設定でスーパーに買い出しに出かけたり、王様だけどやや懐具合が厳しいからセールになったら買おうと我慢したり、妄想王様ライフを満喫しているところです。 ※文中の太字は本文より引用
『かえりみち』 作・絵:森洋子 トランスビュー
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kurayamibunko · 4 years
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Let's Be Enemies
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『きみなんか だいきらいさ』 作:ジャニス・メイ・ユードリー 絵:モーリス・センダック その日の放課後、わたしは教室を出てテニスコートに向かうきみを階段の踊り場で呼びとめた。ひょろ長い手足をまっ黒に日焼けさせてラケットケースを肩からななめがけしたきみは、「こないだもらったトマトとナスすごいおいしかった」とのんびり言い、こちらは慣れないことで緊張して背中を冷や汗がつたっているというのに夏野菜がどうのこうのとたしかにおいしかったけどと心の中でののしり、声をふりしぼった。
校庭を見おろす中庭のベンチにきみを呼びだすはめになったのは、副委員長のためだ。全学年を通じてきみが恋愛がらみのゴシップの対象であることはその手の話題をブロックしているわたしの耳にもとどいていた。わたしが図書室で怪盗ルパンを読みながら将来は神出鬼没の怪盗紳士になるんだと決意をかためていたときに、きみはテニス部のエースとして活躍し女子学生からラブ・レターなどわたされていることも知っていた。
しかしわたしにとってきみは、小学生のころナメクジに塩をかけたらほんとうに溶けるのか道ばたで実験したり、手づくりアリジゴクにアリを2匹ほうりこんで斜面を登らせどちらが早く脱出できるか競ったり、壁に黒猫と妻を塗りこめたサイコパスの話をやめてと言われてもやめずに聞かせて泣かせてしまいつられてわたしも泣いてしまったちょっと気弱で手足のひょろ長い幼馴染でしかなく、大きくなってからは家でとれた野菜をおすそ分けに持っていかされたときに挨拶するくらいの交流しかなかったし、きみに真心を伝えたいのだと副委員長からうちあけられたときは正気をうたがったし副委員長は真顔だった。 
周囲がほれたはれたでもりあがっているときにそんなものはくだらなくて汚くて生きていくのに必要ないものだと作文し、気の毒に思った国語教師に読みあげられるほど恋愛不要過激派のわたしが、こうして人の恋路に巻きこまれることになった。きみのせいで。 
ボブヘアがよく似合うやさしくてかしこい副委員長。エジプト関連本と鬼太郎とAKIRAが愛読書だったわたしに少女漫画を貸してくれて世の中にはミイラや妖怪や健康優良不良少年だけでなくお星さまとバラと砂糖菓子でできた世界があることを教えてくれた副委員長。学校を休んだ日はだいすきなキットカットをもってお見舞いにきてくれる副委員長。 
漫画好きという共通の趣味を通じてハグレもののわたしと友だちでいてくれる副委員長のためなら何でもしてあげたかったけれど、よりによって恋愛がらみ。よりによってきみとの。「高校がちがったらもう会えないかもしれないから今のうちに伝えたいの。あなたはわたしの親友で、彼とは幼馴染でしょう」
瞳に星をきらめかせた副委員長は、少女漫画を地でいくことにしたらしい。週末に副委員長の家でお手製���チャーハンをごちそうになったあとわたしの家では購入禁止だったポテトチップスを食べながら発売になったばかりの花とゆめを一緒によみ最近はBANANA FISHのアッシュに首ったけで鬼太郎とどちらが格好いいかチラシの裏に書いてもりあがった副委員長はもういない。 きみに恋したせいで。
「部活終わったら中庭のベンチに来てほしい友だちが話がある聞いてあげてほしい」一気にまくしたてるわたしにきみは目をまるくしながらうなずいた。「好きな人いるの」「いない」「ファンがたくさん」「さわいでるだけ」「ならよかった」「……なに言われるか、なんとなくわかるけど」ややうつむいて、目だけこちらに向けて、うっすら笑顔でそんなすかしたセリフを言えるようになったんだなきみは。台風の翌日の大あれの川にわたしのお気に入りの黄色いバケツをつっこんで水圧に耐えながらどれだけ持っていられるか競争して怖くなってすぐに離してしまいバケツはロストし泣きながら家に帰ってしまったきみが。
そばにいてほしいと副委員長からおねがいされ、2人がベンチの脇に立って話しているのを離れた場所で見ていた。グラウンドにひびく野球部のかけ声がうるさいし、夕陽もまぶしすぎるし、副委員長に何かあったらただじゃおかないと拳をにぎりしめながら目をこらしていると、副委員長が小走りにやってきた。友だちとして付き合うことになって明日から一緒に登校することになって本当にありがとうと言われた。毎朝いっしょに登校していたわたしはどうなるんだろう。怖くて聞けなかった。 
隣街に遊園地ができて、週末のたびに副委員長ときみがデートしているところをほかの女子学生が目撃しやっかみを込めて月曜日のゴシップとして振りまかれるのが恒例になった。観覧車に乗っていたらてっぺんで2人がキスしてるのを見たなんて砂糖にシロップをかけて食べるコメディが展開されているころ、週末に副委員長の家に誘われることはなくなり、わたしはキャプテン・ハーロックのムック本を読みながら将来は宇宙海賊になるんだと心に誓っていた。 
1度だけ、副委員長に誘われて遊園地に行ったことがある。もちろんきみもいた。副委員長に腕をとられジェットコースターの列に並ばされるのを高所恐怖症だからとことわって地上で写ルンですをかまえた。
のろのろ動きだしたジェットコースターからうれしそうに手をふる副委員長と、その横で手をふるきみ。どういうつもりできみがわたしに手をふっているのかわからなかった。その後に乗った観覧車で、きみは向かいがわに座って副委員長の後ろの背もたれに手をのばし肩をひきよせた。きみはわたしにとびきりの笑顔を見せ、わたしはハイチーズとまぬけなかけ声をかけながら写ルンですのシャッターを押した。
家に遊びに来てわたしが大切にとっておいたチョコレートアイスがいいとダダをこねて泣きだし後で買ってきてあげるからと親にゆずることを強要されバニラアイスを食べるはめになったことをきみはおぼえていないだろう。口の周りをチョコレートまみれにしながら雑に食い散らかしたアイスの味をきみはおぼえていないだろう。本当に好きなものをそれほど好きでもない奴に目の前でとられる気持ちを、きみは考えたこともないだろう。
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ジェームズと ぼくは いつも なかよしだったよ
でも きょうはちがう。ジェームズなんか だいきらいさ。
クレヨンは 1ぽんも かしてくれないし、 いちばんいい シャベルを とっちゃう。
ジェームズと ぼくが なかよしだったときは、 たんじょうびの パーティーに よんでやったよ。
とってもとってもなかよしだったから、みずぼうそうにも いっしょにかかったんだ。
だけど もう、ジェームズといっしょに みずぼうそうに かかったり  するもんか。
ぼくは まっすぐ ジェームズの うちへ いって いってやるんだ。 きょうから きみは ぼくの てきだ。 きみとあそんでくれる ともだちは もう ひとりも いないんだぞって、 いってやるんだ。
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家でとれたサツマイモを持っていかされたとき、プリントした写真もきみにわたした。「副委員長にも見せといて」「最近会ってないの?」「なんか忙しいみたいで」「そういえば、こないだBANANA FISH貸りた。あれおもしろいね」 地球の終わりはまだまだ先で、最後は爆発して終わると百科事典に書いてあったけれど、そのときのわたしはずいぶん先どりして爆発し、終わりをむかえていた。「鬼太郎が好きなんだって?そういえばむかしからお化けとか好きだったもんなあ」
「お化けと鬼太郎はぜんぜんちがうから。鬼太郎はお化けじゃないから」自分でも何が言いたいのかまるでわからなかったけれど、きみの口からこれ以上わたしの知らない副委員長のことや、副委員長とわたししか知らないことや、妖怪図鑑を見ながらどの妖怪がいちばん好きかきみと盛りあがったころのことを聞きたくはなかった。
ジェットコースターの写真はほとんどブレていた。写ルンですの性能をもってしても、時速70kmでわたしとの思い出をあっというまに上書きしていくきみたちを止めることなどできなかった。 「こんどはもっとうまく撮るよ」 こんどなんてないのにそう言って、きみたちに手をふって、鬼太郎は地球を後にした。
「きみとは ぜっこうだ!」 「いいとも!」
「さいならあ!」 「さいならあ!」
「ねえ、ジェームズ」 「なんだい?」
「ローラースケート やらない?」 ※文中の太字は本文より引用
『きみなんか だいきらいさ』 作:ジャニス・メイ・ユードリー 絵:モーリス・センダック 冨山房
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kurayamibunko · 4 years
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ハンニバルズキッチンへようこそ
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『あれこれたまご』 作:とりやまみゆき 絵:中の滋
卵を焼くのが面倒なのでお湯に放り込んでゆで卵にする。皮のついた野菜、特にジャガイモなどはむくのがいやなので買わない食べない持ち込ませない「非イモ三原則」を徹底。初デートで相手にカレイの煮付けを作らせる。
など、幼少の頃から口をあければ食べ物が入ってくる挿し餌街道をまっしぐらに進み、筋金入りの料理下手として世にはばかるわたしに、料理することや台所に立つことは怖くも難しくもないんだな、と思わせてくれた料理番組があります。
米国のTVドラマ『HANNIBAL』です。
主人公は、映画『羊たちの沈黙』で毎度おなじみ、精神科医と殺人鬼の二足のワラジを両立させるハンニバル・レクター博士。
FBIのウィル・グレアム捜査官とコンビを組んで猟奇犯罪事件を追いつつ、同時平行してレクター博士による殺人&ウィルを陥れるためには薬物使用も辞さずの強い気持ち&陥れたのは自分だけどウィルを本気で心配する強い愛&そんなご陽気メンタルなレクター博士のせいで毎晩うなされ汗まみれで替えの下着がいくつあっても足りないウィル&犬が大好きなウィル、といった見所が満載です。
登場する死体も普通ではありません。体からすくすくキノコが生えていたり顎を裂かれて人間チェロにされたり何体も積み上げてトーテムポールにされたり動物の骨をくっつけられ博物館に展示されたりします。
いったいこれのどこが料理番組なのか。
私が釘付けになったのは、毎話毎話、凄惨な猟奇殺人事件の合間にはさまれる〔Hannibal’sキッチン〕のコーナーでした。
食いしん坊で料理の腕前はプロ並みのレクター博士が、その才能を遺憾なく発揮し、「フォアグラ・オ・トルション〜遅摘みのヴィダルソースとイチジクを添えて」などちょっと何言ってるかよく分からない料理をさらりと作り、自分に、時に自宅へ招いたお客に振る舞います。
「なんの肉かしら?美味しいわ」と絶賛するご婦人に「おしゃべりな子羊ですよ」と優雅な微笑を浮かべ説明しますがもちろん嘘っぱちです。博士が頑張って自力で調達した人肉です。 
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広々したアイランドキッチンに、調理用の木のカウンターとステンレスのカウンターが1つずつ。スタイリッシュな業務用サイズの冷蔵庫には、部位ごとに切り分けた豚肉(人肉)や牛肉(人肉)がジップロックに包まれ整然と並んでいます。
レクター博士は木のまな板に子牛(人間)の肺を広げ、手のひらで丁寧に揉み込んで柔らかくします。数種類のハーブと塩を散らして下ごしらえ完了。その間にじっくりことこと煮込んだ牛肉(人肉)スープを裏ごし器でこし、金色に輝くスープを作ります。つづいてあまった豚肉(人肉)をひき肉にしてソーセージ作り。最後にフライパンにたっぷりバターをしき、さきほど下ごしらえした子牛(人間)の肺をフライパンでジューシーに焼き上げます。
真っ白いお皿に取り分けて、新鮮なトマトやオニオン、キノコを添えて出来上がり。どの料理もほんとうに美味しそうなんです。(映像がシアンきつめでやや禍々しくもありますが)
レクター博士ほどのお金持ちなら星付きレストランで3食外食だって可能です。でも他人の作る料理は一切食べず、シャツを腕まくりにして腰にパリッと糊のきいたエプロンを巻くというハンサムスタイルで台所に立ち、下ごしらえから一切手抜きせず、同時進行で複数のメニューを鮮やかに調理し、絵を描くように美しく盛り付けていくのです。
全ては自分や招待客の目と舌を喜ばせる極上の一皿のために。
料理が苦手で、台所に立つのがストレスに感じるわたしには、さまざまな技法と器具を駆使し、合間にワインを飲みながら嬉々として料理に興じるレクター博士の姿は衝撃で、理解不能でした。
なぜわざわざ出汁をとろうとするのか、なぜわざわざ肉に下味をつけようとするのか、なぜわざわざソーセージを手作ろうとするのか、なぜわざわざコーヒーを豆からひこうとするのか、なぜわざわざウィルのためにわざわざお手製のお弁当をわざわざ作るのか。それら全てのことを、なぜ心から楽しめるのか。
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久しぶりに台所に立ってみようと思いました。レクター博士のようにはできないけれど、丁寧に心を込めて料理をしてみようと思いました。そうすれば、博士が感じている楽しさを、少しは感じることができるかもしれません。料理に対するストレスを軽減できるかもしれません。わたしは、夕食代わりに食べていた亀田の柿の種の袋をそっと閉じました。
さて何を作ろうか、レシピ本なんてあったっけと本棚を眺めていたところ、目に入ったのが1冊の絵本でした。保育園でアルバイトをしていたときに読み聞かせで大人気だった『あれこれたまご』。
幸い冷蔵庫に卵があります。卵料理に決まりです。目玉焼きではなくオムレツというハイレベルな課題を自らに課したのは、台所というフロンティアに挑むわたしなりの決意表明でした。
絵本の主役はばちばちの関西弁でしゃべる卵たち
たまごは みんな 「しゃべり」やねん。
かさねて つまれて しゃべってる。
あのひとにやったら こうてほしいなあ。
おりょうりじょうず みたいやもん。
さあっ! なにに へんしんするんやろ?
あれ、なんや あつぅなってきた。
みてみて!ほっとけーきに へんしんしてん。
おいしそうやろ?
あっつ、あっつう!おだいどこ、ゆげで もうもうや。
よおといてもろたし、ほな いこか。
うわぁ、からだが とたんに ふわひらや。
たまごスープに へんしんや。
ちょびっとだけ のこってしもうた。
もう、へんしん でけへんのやろうか……?
てつだいに きたでぇ。
お、これでまた へんしん できるやんっ!
ほな、いこかぁ!!
みんなで なかよう たべてやぁ〜!!
わたしが丁寧に心を込めて作ったオムレツは、どう見てもいり卵でした。 ご飯の上にかけるとチャーハンに見えました。どこでレシピを間違ったのかは分かりませんでした。
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レクター博士と同じくらい外食嫌いで料理上手な祖母の指揮のもと、包丁はあぶないからと持たされず、料理はええからあんたは一生懸命勉強して自立した職業婦人になりなさいと愛ゆえに台所から離され、家庭科の料理実習以外はまともに料理することなく大人になりました。
台所でまめまめしく立ち働く人たちを本当に尊敬するし、あなたも女なんだからちゃんとしなきゃとの忠告は薄笑いでスルーするし、台所はすべての人に平等に開かれ、その距離が近いか遠いかは個人によると思っています。 わたしにとっては、台所はファラウェイな存在でした。
でも、〔Hannibal’sキッチン〕のおかげで台所に立つことができたし、ベーシックな料理からトライすればいいことも分かったし、たまにはフォアグラ・オ・トルションに挑戦してみてもいいし、なんだかんだで美味しかったし、美味しいと嬉しいし、今度はもっとうまく作ってみようという気持ちにもなれました。
ライフスタイル雑誌のカリスマ・『暮らしの手帖』が提案する“ていねいな暮らし”を、毎日ハイレベルで実践するレクター博士。
わたしの背中を台所へと押してくれたレクター博士には感謝の念しかありません。たとえ、その食材と調達方法に、重大な問題があったとしても。
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『あれこれたまご』 作:とりやまみゆき 絵:中の滋 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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酒と裸とファレルとわたし
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『ひともじえほん』 作:こんどう りょうへい 構成:かきのはら まさひろ 写真:やまもと なおあき
ビジネスパーソンになりたてのころ、客先でのプレゼンや取材を前にガチガチに固まる体と心をリラックスさせるため、ウイスキーを飲んでいた時期がありました。会社を出る直前に洗面所へ行き、誰もいないことを確認して、カバンから携帯ボトルを取り出し一口飲みます。念のためもう一口飲みます。念のためもう一口飲みます。念には念をいれてあるだけ飲み干して口をゆすぎます。
この方法のダメなところはいくら飲んでも効かずガチガチのまま客先へ到着してしまうことです。しばらくつづけたあと、やめました。
が、念のためのお守りとして、携帯ボトルはカバンに常備していました。中身をウイスキーからブランデーに変えたのは、敬愛するシャーロック・ホームズ氏の影響です。探偵業をいとなむホームズ氏のもとへは、しばしば恐ろしい事件に巻きこまれ気が動転した依頼人が飛びこんで来るのですが、気持ちを落ち着かせるために、生のブランデーやブランデー入りの水を飲ませたり、気絶した依頼人にブランデーをハンカチにつけて嗅がせるシーンが出てきます。
携帯ボトルのフタを開けてブランデーの匂いを嗅いだ後、幼いころ祖母に教えてもらったおまじないを心の中でとなえます。「目の前におる人みーんなカボチャや大根やニンジンやと思たらええんや、なんにもこわいことあるかいな。とって食われるわけやなし、死ぬわけやなし」
ブランデーはへんな匂いがするし、会議室に並んだおじさんたちはおじさんたちにしか見えなかったけれど、祖母の言ったとおり、プレゼン内容を不服としたおじさんたちに襲われ食べられて死ぬ、ということはありませんでした。
 おじさんたちの一人が死にそうになったことならあります。
打ち合わせが終わって会議室を出ようとしたときでした。ドアを開けてくれたおじさんがこちらに倒れこんできたのです。何かにつまづいたかと支えようとしましたが、あまりの重量に耐えきれずいっしょに床に倒れこみました。おじさんは真っ青な顔でうーんうーんとうなり声をあげ、小刻みにふるえています。
先輩はすばやくおじさんをあお向けに寝かせると、アゴを持ち上げ気道を確保しました。わたしは119に電話します。ほかのおじさんたちは呆然とたちすくんでいます。「ご家族に連絡してあげてください!連絡先わかりますか!」先輩が大声で叫び、おじさんたちはようやく事態を理解したようで会議室から飛び出でていきました。
わたしはカバンの中から携帯ボトルを取り出し、ハンカチにブランデーをふりかけるとおじさんの顔へ近づけます。「息してるか!」「はい!」「それは!」「ブランデーです!気つけ薬です!」シャーロック・ホームズ式介抱術を素早く実行するわたしに、先輩は「……へえ」と曖昧にうなずきました。「なんで酒なんか持って」という質問の途中で救急車が到着。隊員の呼びかけに応えるおじさんに、ブランデーが気つけ薬の役割を果たしたことを確信しました。その後、おじさんは1週間ほど入院することになりました。原因は過労でした。
「とって食われるわけやなし、死ぬわけやなし」という祖母のおまじないは今も緊張するたびにとなえていますが、それにくわえて、ブランデーを嗅ぐかわりに音楽を聴きながら体を動かすという方法を採用しています。
アポイントの時間より20分前に現地に到着し、客先のビルの向かい側の歩道に、通行人にじゃまにならないように立ちます。イヤホンを装着し、ファレル・ウィリアムスの『Happy』を大音量で流します。「ジャン、ジャン、ジャン、ジャン、ジャン♪ インマイスィ〜ムクレイジワラマイバウトゥセイ!」のイントロにあわせて首をふりカバンをたたきます。サビの「ビコウズアイムハピ〜!」では足ぶみをくわえます。変な人に見られないぎりぎりの加減で、時間ぎりぎりまで体を動かしつづけます。この方法で意外とほぐれるのです。
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体を動かしてリラックスする方法のひとつに、日本古来の「人文字」があります。やったことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
客先のビルの向かい側の歩道で飛んだり跳ねたり、受付ロビーで待っている間に床に寝ころがったり逆立ちしたり、先輩や上司にも参加してもらえば一体感が強まり、モチベーションアップ、ひいては業績アップにつながります。
私も何度も公演に行ったコンテンポラリー・ダンスカンパニー「コンドルズ」の愉快なダンサーたちが、浴衣を着て人文字にチャレンジ。ぜひ絵本を見ながら真似してみてください。
いってらっしゃい おふたりさん
いきで いなせな いろおとこ
いつもいっしょに いこかの
い   ※2人で左右に並んで
ひやひやするけど ひゃくまで がまん
いち に ひゃく
わらって ごまかせ
ひひひの
ひ   ※2人で左右に並び逆立ちで寝転び
おっと びっくり おどろいた
おいらの おめんが にげていく
おみごと あっぱれ
おおおの
お   ※3人でポーズを作って
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この間ひさしぶりに、『Happy』でも人文字でもほぐれないくらいガチガチに緊張してしまう事態におちいりました。とにかくリラックスしなければと、youtubeで音楽をあさっていると、映画の予告編が始まりました。「今夜はお姫さまにならない? めちゃくちゃにならない? イッツァショーターイム!」熱狂する女性たちの前にあらわれたのは、腹筋ばきばき胸肉むちむちな男性ストリッパーのみなさんです。
「新しいダンスをみんなに見せてやるんだ」「女性が楽しんでくれたら最高だ」と徹底したプロ意識で舞台を作りあげる彼ら。世間から押しつけられた役割に押し潰され、私なんてとうつむく女性たちに耳をかたむけ「君はめちゃくちゃ魅力的なんだぜ!」とたたえる彼ら。
小一時間ばかり彼らのむんむんなダンスを再生しつづけ、励まされつづけた結果、緊張感は吹き飛んでいました。体も心もぐにゃぐにゃです。
「そうだ、わたしは素晴らしいんだ、じゅうぶん魅力的なんだ、だれもわたしを傷つけられないんだ、会議室は野菜畑ですおじさんたちはジャガイモやカボチャです、とって食われるわけやなし、死ぬわけやなし、イッツァショーターイム!」
できたばかりの新しいおまじないを心の中でとなえ、わたしはおじさんたちのもとへ意気揚々と向かいました。
「お約束は明日だとうかがっておりますが......」受付のおねえさんの美しい笑顔に送られて、ビルを出ました。
※本中の太字は本文より引用
『ひともじえほん』 作:こんどう りょうへい 構成:かきのはら まさひろ 写真:やまもと なおあき 福音館書店
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kurayamibunko · 4 years
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あこがれのスイーツを食べるはずがお茶漬けになった件
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『まゆとおおきなケーキ』 文:富安陽子 絵:降矢なな
この世に生まれて以降、一人暮らしで家を出るまでわたしに食事をつくり食べさせつづけてくれた祖母ですが、ひじきご飯、青菜のからし和え、筑前煮、かぶと油揚げの煮もの、切り干し大根、ブリの照り焼き、かぼちゃの煮つけ、あさり汁、きんぴらゴボウ、ほうれん草とこんにゃくの白和え、若竹煮など和食ひとすじで、バターを使う西洋料理に関しては完全に鎖国状態でした。
小学校の遠足や運動会で、友だちのお弁当に入っているつやつやのミートボールやふわふわのクリームコロッケや真っ赤なタコさんソーセージ入りのピラフを見るたびに、わたしのお弁当もそろそろ開国してほしいぜよ西洋料理が食べたいぜよつくるの難しければ冷凍食品というものがあるぜよとうったえてきましたが、「着色料やら防腐剤やらなにが入っとるかわからんのやで(20世紀後半当時、祖母調べ)」と却下され、おもに黒・茶系の色合いで構成された鎖国弁当をもたされるのでした。 
そんなわけで、ハンバーグやスパゲティを初めて食べたのは給食だし、グラタンやホットケーキは、町へ買い物にでかけたときに出島(レストラン)でしか食べることのできないご禁制の珍味でした。
あるとき、小学校の家庭科の授業で習った「シャケのムニエル」と「ほうれん草とにんじんのソテー」を家の人にふるまい感想を書いてもらい提出せよという宿題が出ました。ムニエルなぞという洒落たひびきの西洋料理など出されることのない我が家の地味な食卓に、はるか水平線のむこうから、かぐわしいバターの香りを漂わせて黒船が来航したのです。
 祖母はよく、水と卵と小麦粉と砂糖を混ぜて焼いた生地に蜂蜜をかけたおやつをつくってくれたのですが、ここにバターをプラスすれば、憬れのホットケーキに一歩近づくはずです。文明開化まであとすこし。ハンバーグやグラタンを家でつくってもらうためにも、バターを使った西洋料理のおいしさを祖母にわからせ、開国にもちこむしかありません。
食卓の近代化のためにいよいよ立ち上がるときがきたのです。
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さて、ホットケーキなどのふかふかケーキが登場する絵本といえば『ぐりとぐら』が有名です。フライパンでつくる黄色くてふかふかのカステラは子どもたちのあこがれですが、『やまんばのむすめ  まゆ』シリーズにも極上のケーキが登場するお話があります。
お客さんをまねいてパーティーを開くことになったやまんばかあさんとまゆ。お菓子作りをまかされたまゆは、世界一大きなケーキをつくろうと大はりきり。怪力やまんばの娘らしく、きょだいな鉢にきょだいなしゃもじをつっこんで、豪快にかきまぜます。
完成した種をおひさまの光でこんがりやこうとしますが、大きな雲が光をさえぎってしまいました。
まゆは きばちを あたまの うえに もちあげると、
オタマジャクシの くもの かげから にげだしました。
たにぞこまでの きゅうな がけを、
ばひゅんと いっきに かけくだります。
オタマジャクシ型の雲は、恐竜や大蛇にかたちを変えながらまゆを追いかけてきます。
はらっぱのはずれの ひだまりに きばちを おろして
ほっと ひといき。
「ここまで くれば、だいじょうぶ」
まゆが そらを みあげると……
「うへー! でかでか ニョロリンぐもだあ!」
急な坂道をかけのぼり、となり山の頂上にたどりついたまゆ。さいわい、大蛇の雲は3つにちぎれて流れていきました。
おひさまは ぽかぽか。ケーキのたねは もこもこ。
うれしくなって、まゆは うたいます。
「はやく ふくらめ でっかくなあれ もっとふくらめ おいしくなあれ」
ふわふわもこもこの美味しそうなケーキが完成。絵を眺めているとバターと砂糖の甘いにおいがただよってきそうです。 「さあ、みんな、とくせい でかでかケーキを めしあがれ!」
まゆも やまんばかあさんも おきゃくさまたちも、
むしゃむしゃ ぱくぱく もぐもぐ、むちゅうになって
おいしい ケーキを たべました。
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開国にむけた交渉は大詰めをむかえました。
この日のためにスーパーで買っておいた雪印バターを熱したフライパンにすべらせます。そこに、塩と胡椒を両面にまぶして小麦粉をはたいたシャケの切り身を横たえます。じゅうじゅうぱちぱち素敵な音と香ばしい匂いがしてきたら、ふたをして弱火で3分。こんがり焼色のついたムニエルの完成です。
ふたたびフライパンに雪印バターを入れ、刻んでおいたほうれん草とにんじんを投入、さっと炒めて塩胡椒をふれば野菜ソテーの完成。授業でならったとおりの、完ぺきな出来です。
祖母と祖父を食卓にまねき、ムニエルとソテーを盛りつけた皿をならべました。「上手にできとるやないか」とほめる祖父にわたしは鼻高々です。「バターをつかうと料理がおいしくなるよ塩あり塩なしバター��あって今日は塩ありバターをつかってるよバターはビタミンAがほうふなんだよ」と習ったばかりの知識をひけらかしつつ、バターの素晴らしさをプレゼン。いよいよ実食です。
シャケを一口食べたところで、祖母と祖父の箸が停止しました。「あんた、ちょっと、これ食べてみ」。あまりのおいしさに祖母はそれ以上言葉がでないようでした。わたしは祖母の皿からシャケを一切れつまみ、口に入れました。
「これ...... 塩ジャケとちゃうか」
交渉決裂の瞬間でした。生シャケではなく誤って塩ジャケを購入し、かつ塩をまぶし、かつ有塩バターでムニエってしまったのです。黒船が錨をあげて、わが家の浦賀沖から出港していきます。
祖父はおもむろにシャケの身をほぐしてご飯にのせるとお湯をかけて食べはじめました。「うん、こうすればちょうどええ塩加減や」。ムニエルがお茶漬けに生まれ変わった歴史的瞬間でした。
料理を食べた感想を祖母と祖父になんと書いてもらったのか、まったく記憶にありません。あまったバターは食パンにぬってたべました。 ※文中の太字は本文より引用
『まゆとおおきなケーキ』 文:富安陽子 絵:降矢なな 福音館書店
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