Tumgik
lipcleanentry · 1 year
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25時の白日夢
若林菜穂の絵を初めて見たのは2020年の四谷未確認スタジオでの個展「wink」だった。知り合いの絵描きに「彼女の絵は見たほうがいい」と勧められてのことである。古い銭湯を改装した個展会場にはパステルカラーが多く用いられたソフトフォーカス調のペインティングが並んでおり、どこか温かみのある上気したような色調のせいか、部屋全体の室温にまで影響を及ぼしているかに感じられた(確か冬の時期だったと思う)。温かみ、と言うと素朴な形容になってしまうが、あえてそう書いてみたい。若林の絵には、親しい人同士が集い、束の間の時間を共有するときの親密な空気が流れている。コーンアイスを食べながら歩く夜の街、お菓子が並ぶ団欒のテーブル、そういった主題は画家の個人的な経験をもとにしているのかもしれず、同時にそこには誰の記憶にも訴えかけるような普遍性もある。とりわけ目に留まったのがコーヒーカップを描いた作品。コーヒーから立ち上る湯気が丁寧にじっくりとした筆致で描かれており、画面中央の真っ白い塗りの領域――これは煙ではなく白色蛍光灯の反映か何かだろうか?――と繋がって、浮遊感漂うアンビエントな絵画空間を演出していた。 若林の絵は、その時・その場所でしか生起しない感情、感覚、温度や湿度までを記録するような印象がある。未確認スタジオで見た作品、特にコーヒーカップの絵の白塗りの領域を折に触れては思い出していたところ、先日(正確に言うとすでに昨年の出来事なのだが)、25時という名前のアトリエ兼展示スペースで若林の作品を再見する機会を得た。ソフトフォーカス調の描法は変わらず、しかし未確認スタジオで見たときよりも「光」に対する感性のレンジが広くなり、ネオン、月明り、夕暮れとも夜明けともつかぬ微妙な時間帯の空など、異なる色合いの明暗が色彩豊かに描き分けられていた。 もうひとつ変化を感じたのは、絵のなかで幻想性がより色濃くなっていたことだ。ネオンで型どられた鼓笛隊が夜の空に浮かぶ絵などは特に顕著だが、図像的にあからさまではなくとも――たとえばねじれたタオル(?)のような物体が色面に突然あらわれる抽象的な作品にも、白日夢の気配は充分に侵入していた。本場西洋のシュルレアリスムというよりも、どちらかというと日本の戦前の内向的なシュルレアリスム(北脇昇あたり)との類縁性を感じる(もっとも、若林の作風のほうが圧倒的にポップなのだが)。 個展会場となった25時というスペースは、郊外の住宅街にあるため、ふだんあまり使わない沿線の降りたことのない駅で下車し、バスと徒歩でアクセスした。比較的新しい集合住宅が続く街並みや広い空を眺め、スマホを片手に、目的地に無事に辿り着けるかどうかおぼろげな不安を抱えて景色のあちこちに目を泳がせた。午後の遅い時間帯で、まだ明るい空の先に夕焼けの到来が予感され、逆光が瞼に痛く、自分がまるで夢のなかに迷い込んだかのように感じられた。そうしたシチュエーションが、若林の絵の世界ともリンクして、絵と現実が反転するかのごとき経験をもたらしてくれたように思う。 ある種の絵画作品は、鑑賞してしばらく月日が経ったあとも尾を引き、仕舞われたはずの記憶の層からイメージを浮上させ、目の前の景色にオーバーラップしてくる。若林の作品もおそらくはその類いなのだろうと、コーヒーの湯気、それに絵に描かれていた鼓笛隊を脳裏に浮かべながら、いま反芻している。
[展覧会情報] 若林菜穂個展「paradoxial sleep」(25時) 2022年12月25日~27日
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lipcleanentry · 1 year
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「台所詩」の可能性
「台所詩」などというジャンルは寡聞にして聞いたことがないが、そのようなジャンルがこの世の中のどこかに存在してもおかしくないのではないかと最近妄想している。少なくとも、詩の生まれやすい場所、詩のモチーフになりやすい場所というのがあるわけで、台所がそうした詩作のトポスの筆頭に上がるのは間違いない。「台所詩」なる架空のジャンルを真に受けて考えてしまうのは、谷川俊太郎の有名な詩集に『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』というのがあるからかもしれないし、石垣りんのような生活に密着した詩を書く詩人の作品から台所の風景が想起されるためかもしれない。そういえば川田絢音も「台所で詩を書く」と何かのインタビューで答えていた。異国での彷徨体験を主題とする川田の詩が台所から生まれるというのはかなり意外だが、台所のような生活備品や食材に囲まれた乱雑な空間のほうが、完成された本が整然と並ぶ書斎よりも案外詩作に向いているということだろうか。 台所詩なるものを妄想したのは、現代詩文庫のシリーズから出ている岩佐なをの詩集を読んでいて、「ながし」という詩がたまたま目にとまったからだ。
家の魔所をさぐって まず 「洗面所」という言葉を発すれば ひとみなおそろしがる そこからはたくさんのあぶらが流され 毛が流れときには詰まり またある折には ぐにゃぐにゃした物体をも 無理に指で押し込んで長そうとする 「流し」(ステンレスの)(川なり。)(いのちをも) あなたの流したものを、 白状しなさい。 色もいいなさい。
〔……〕
近眼や遠視とは関係なく 按配よく焦点が合わないつくりになっているから この世に漂うお化けを見ないで済む えてして蛇口に吊り下がったり 排水口から頭を擡げたりしているお化けを 怖れずに生活できる快適さ ぴちぴちぴちぴち 水場は獨り言を言い続けている 言わせておけ、封じ込めることが総て適切ではない。 (岩佐なを「ながし」)
岩佐の詩は、日常風景と怪異のぐんにゃりとした混じり合いを事もなげに描き出す。この詩も例外ではなく、どこかユーモラスで丸味のある語り口にうっすらとした気味の悪さが滲んでいる。さらに、ながしという水場が怪異の棲息空間として親和的に描かれており、ステンレス、蛇口、排水口といった金属質のマテリアルと相俟って、陰陽的な調べを奏でている。浄化と廃棄。この詩のなかでは「ながし」という場所の担う特性が、清濁併せ呑むかのごとき寛容なかまえで見つめられているのだ。 むろん、これは「ながし」のうたなのであって「台所詩」ではない。おそらくここでの「ながし」とは洗面所のことだ。しかしながら私は、この短い詩の外縁に、洗面所から台所、家中の水道管、さらには下水へと至る水の巡りを想像した。ここから詩の舞台を台所へと移設すれば、流れる「あぶら」は人間の皮脂だけでなく、食材とされる動物の脂や食用油の類まで含むことになるだろう(ひらがなの選択は語が示す範囲の拡張にも貢献している)。 また、ながしや台所が詩の舞台に相応しいのは、そこに水だけでなく、火、ガスといった物質生成のエレメントが揃っており、調理という一種の化学的操作が行われている場だからでもあるだろう。人はそこで刃物を振るい、火を熾し、肉や野菜を刻む。料理というものは、単語と単語、節と節の組み合わせから思わぬ飛躍を生み出す詩人の仕事に相通じるところがある。 台所詩は奥が深い。さらなる台所詩を求め、手元にある詩集から台所詩の系譜に位置付けられそうな斎藤恵子の「ガステーブル」という詩を引用してみる。
夜更け 眠られなくて何か飲もうと キッチンに行った 子どもの頃台所は暗かった 手元だけ灯した台所の コンクリートの流しで 母は米を研ぎ 羽釜で炊いていた 鋳物の重いコンロの火は ときどき 激しい勢いになり 釜を焦がすまでに燃えた 寒く湿った日は なかなか点かなかった 大きな火ちいさな火 ばらつき乱れ 憤怒のような荒い息をたてた (斎藤恵子「ガステーブル」)
斎藤の詩は現代詩的ないかにもな技巧やひねりを前面に押し出すタイプではなく、どちらかというと素朴な作風であるが、そのぶん台所という詩舞台のようすが(過去の記憶とともに)一音一音くっきりと明朗に伝わってくる。斎藤の詩が描き出すように、台所という場には一種の暴力性がある。暮らしの核を成す場でありながら、どうだ、制御できるか、と言わんばかりに猛り狂い氾濫して人間の技量を試す場。だからこそ、台所の本性が剝き出しになる時間帯として、夜(この詩の場合は夜更け)の場面が選ばれやすいのかもしれない。「ガステーブル」の凛とした詩語に触れながらそんなことを思う。
台所には野菜が眠っていて、しばしばそれらも詩におけるすぐれたモチーフとなる。台所詩の可能性は尽きないように思えるのだが、架空のこのジャンルについて妄言を尽くすには、まだまだサンプルが少ない。この短いエントリはひとまず閉じて、台所詩についてはまた時をあらためて考えてみたいと思う。
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lipcleanentry · 2 years
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薄暗がりのなかで
だいぶ以前のこと。茅場町にあった(今はもう存在しない)ギャラリーで福田尚代さんの展示を見た。 そのとき展示されていたのは、無数の消しゴムを舟のようなベッドのような形態に彫刻した作品だったように記憶している。室内は薄暗く、消しゴムの舟たちは仄暗く静かに発光していた。 ひとつひとつが灯りを点している。命がある。そう思った。と同時に、消しゴムが墓標であり、生と死のはざまを漂流しているようにも見えた。
長い時間、それらを見つめていると、ギャラリーの電灯が不意に落ちて、すべてが暗闇の中に溶けてしまった。 錯覚である。しかしなぜか、怖くはなかった。一瞬の暗闇が見る者と見られる者の非対称な関係を解消し、すべてを等しく包むように感じられたから。
見えないこと、そのことがひどく安心だった。美術作品を見ていてそのような心持ちになることは稀有な出来事かもしれない。あのときの出来事は、長い年月を経たいまもなお、折に触れては繰り返し思い出されるのだ。
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lipcleanentry · 2 years
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鳥居万由実『07.03.15.00』
身体から抜け出した魂が遥か上空から人類の営みに目を凝らしているような、いつもと変わり映えない夕刻の情景に「いま・ここ」から遠く離れた国々の出来事を刹那的に重ね合わせるような、不思議な感触をまとわせた書物だ。『07.03.15.00』。暗号めいた数字の並びは特定の日付や時刻をあらわしているのだろうか。謎めいているのはタイトルばかりではない。薄い小冊子のようなこの書物をどのジャンルに分類すればよいのだろう。小説のようで小説ではなく、散文のようで散文でなく、寓話のようで寓話でなく。詩人の書いたものだから詩、と定義して済ませられるかと言えば、そんな単純な話でもない。001から062までの数字が割り振られた断章の数々は、お伽噺、哲学的考察、情景描写、学園もの青春小説を数珠つなぎのように結び、読者の意識を絶え間ない航海に案内する。その波間で遠大な宇宙観が顔を出すのだが、決して仰々しい語り口ではない。口数はむしろ少なめ。複数の世界で構成された広大な宇宙をタンポポの綿毛のやわらかいアンテナで直感する、というふうに、本書に通底するポエジーは慎ましやかで儚いものだ。
「古代人は月や太陽は空を航海する船だと考えていた。波を何百キロも運ばれて、打ち上げられた浜で芽を出す椰子の実をも、異界から精霊を運んでくる小舟だ。 それから身体、身体は魂の舟。でも箱と、その中の魂とすると、物質と精神が切り離されてしまう。身体が死んだあとも、魂が生きのびるようにと欲したので容れもの(ハコ、フネ)と人の魂は分けて考えられた。でも身体=フネと魂は切り離せないと最近はいわれる。ケータイは昨今誰もが持っているミニチュアの船で、アラジンの魔法のランプみたいに私たちの魂の一部はそこに格納されている。もっと当世風に言えば、身体と魂は切り離せないから、魂の原料のひとつはケータイ……。じゃあ何と何と何を混ぜれば魂になるか……? ケータイはサブ身体、サブ魂。途方にくれて虚無に吞まれないためには、魂をどこかに入れなきゃいけない。何か容器を、箱を必要とする。箱は、誰かある人の世界をおさめている気がする。ケータイも、ひとつひとつが墓のようでもあり、部屋のようでもあり……、凝集した星のようでも……。」(36頁)
舟は本書のなかで繰り返し語られる重要なモチーフのひとつ。生まれ、死に、転生するという一連のサイクルの傍らにあるものであり、導きの乗り物であり、漂流を免れず、舳先はつねに前方を指して、「書くこと、語ること」そのものの冒険に付き従うものだ。その舟が、ケータイのようなごく身近にある現代的意匠と比喩を結び、そこからさらに墓、部屋、星雲へとイメージを豊かに変容させていく。想念と観察のとどまらなさが美しい。ゆったりと収縮する文体の呼吸もあいまって、日常の時空から徐々に離陸するような感覚を味わわせてくれる。 詩人は遠大な宇宙観が一瞬の事象の交差に出現するありさまを高い精度で描出している。他方、何気ない情景描写の秀逸さにも感銘を受けた。たとえば、次のような一文。
「遠くの電線が、空の光の反照を浴びて、蜘蛛の糸のように溶けかかっている。夕日は、紅鮭ピンク、薔薇桃色、カメオピンクと移ろいながら、じわじわ色相を変えていた。」(70頁)
あるいは、意識が風景へと溶け出して人称が行方不明となるような、以下の描写にも。
「一日、曇り、蒸し焼きにされるような高湿多湿。全てが霧に包まれている。 夏休みが好きだ。それが永遠を感じさせるからだ。開け放たれた窓、たえず動いていく風、伸びていく植物。屋外で過ごす人々の、独特で手ぶらで甘ったるい、声の響き。 それらは事後を思わせる。なんの事後かといわれれば分からないが、人称の事後だろうか。わたしがいなくなり、わたしとあなたがいなくなったあとの、その先の、その前の空気も時折鼻先をかすめていき、ひとつのたえず震える水面の音楽となるような。」(37頁)
鳥居万由実の詩集はいつも入手困難で長らく読めずにいたが、ひょんなことから第二詩集『07.03.15.00』を知人から借りることが出来た。いつか返却する、その束の間の関係もこの本らしい読者(私)への触れ方と言えようか。 二度、集中的に読んだ。一度目は師走感が迫りまくる年末の自宅で、二度目はひとけのない人工的な埋め立て地を散歩したあと、オレンジ色の照明が印象的な喫茶店で。現実の些事と速度を忘れ、風がビュンビュン吹き荒ぶ上空から街並みが暮れていくのを眺めたり、不意に触れた手のひらの感触に身に覚えのないデジャヴを感じたり、ホテルの建物の無機質な区画に透明な目を同化させたり……。幸福で寂しさに少し胸が痛む珠玉の読書体験。エコーだけを頼りにするしかないような不思議な余韻が残った。
「もしやり直せるなら、われわれが個体でなかった時までやり直したい。波の中の波のように群体で、あるいは同じ水の、大気の、ふるえだった時まで。」(78頁)
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lipcleanentry · 2 years
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隣室からの音楽
昨年の話になるが、LAVENDER OPENER CHAIRという食堂兼ギャラリースペースで、リトアニアを拠点に活動する写真家ゲルダ・パリウシテの展示を見た。
個展タイトルは「For Cecil」。セシル・ロバートという名前で活動するYoutuberのチャンネルに触発され、オマージュ写真とも言うべき一連のシリーズを制作したという。食堂と一続きになったスペースにはオフセット印刷による大判写真が展示されていたが、点数はかなり絞られていた。また、粗い解像度で撮影された異国のスナップショットは多くの情報が読み取れるほど饒舌に何かを語るわけでもない。ノスタルジーを喚起する色調にセンスを感じるものの、コンセプトが明確に理解できるわけでもなく、展示をざっと見ても自分からは遠いものとしか感じられなかったのが正直なところだ。しかし、展示を見てから、パウリシテがオマージュを捧げたYoutuberセシル・ロバートの存在はなんとなく気になっていた。
のちに調べたところ、セシル・ロバートというYoutuberは、誰もが知る名曲に音楽編集ソフトでリバーブなどのエフェクトをかけ、「隣りの部屋から聞こえてくる音楽」や「誰もいないショッピングモールで流れるBGM」のような音質に仕上げて自分のチャンネルにアップロードすることで有名なアカウントのようだ。現在は活動を休止しているが、類似のコンテンツを製作するアカウントはセシルの以前も以後も複数存在したらしい。活動期間は数年と短かったが、「ガーディアン」紙が特集を組むほど一時期は人気を博したという。
いくつかの動画を視聴したところ、繰り返し聴いてしまう中毒性が確かに感じられた。手法自体はシンプルだがコンセプチュアル・アートのようでもあるし(おそらくセシル本人は「アート」のつもりでやっていないだろうが)、素材となっている楽曲が「懐メロ」であることも手伝って、エフェクトをかけて軽くなった音像にも関わらず妙にノスタルジーを喚起させられる。その「軽さ」は、現在ではもはや街中で見かけなくなった、ウォークマンから音漏れするシャカシャカ音に近いかもしれない。それは、ヴェール越しで伝わる音のように「私の耳孔」という個室にそっと侵襲するのだ。音源から隔てられているが、かすかに音楽は聞こえる、という程度の距離感が生み出す寄る辺なさと心地よさ。サムネイルに使用される人気のないショッピングモールや郊外都市の画像もアカウントのコンセプトにマッチしていた(おそらくこれらの画像は、海外で流行している「Liminal Spaces」の一種なのだろう)。
ひるがえってパリウシテの写真を想起すると、粒子の粗い彼女の写真は、それこそ「隣りの部屋から聞こえてくる音楽」のような曖昧な存在と言えるかもしれない。というか、日本ではほとんど名前を知られていない異国の作家自体、日本という極東の島国に住む「私」にとっては「隣りの部屋から聞こえてくる音楽」くらいの遠い存在なのだ。写真も作家もぼんやりとしていて焦点を結ばない、しかしその遠さを遠さのままに受けとめるということもひとつの受容の在り方だ。日頃、展覧会のレビューなどを書いていると、作家や作品を「理解しなければならない」「解釈しなければならない」という前提を当然のものとする癖がついてしまうが、それでもやはり、理解の及ばない「遠さ」に存在する作家や作品に出くわすことはある。そしてそのこと自体、かならずしもネガティブなことではないかもしれない、と、パウリシテの写真やセシルの音楽に触れながら思う。
最近はノイズキャンセリングのイヤホンも高性能のものが出回っていて、外界を完全に遮断して自分が視聴したいコンテンツに没入するための装置が進化している印象を受ける。効果のほどは知らないが、「消音効果のあるカーテン」なるものが人気という記事もSNSのタイムラインで見かけた。 自分の望む音だけを取り出し外界のノイズを遮蔽する道具立ての数々。そういうものを見るにつけ、現代人はよほど「ひとりになれない」生活環境に置かれていることなのか、と考えさせられる。コミュニケーションツールに溢れた情報環境が「孤独」を不可能にしている。どんなに外界を退けようとしても、侵襲してくる存在がある。だからこそ、その反動として、ノイズキャンセリングのイヤホンが象徴するような無音無響の潔癖が求められているのではないか。
「隣りの部屋から聞こえてくる音楽」「誰もいないショッピングモールで流れるBGM」のようにかすかに聞こえる音というのは、何かを介しつつ誰かを感じる、という微妙な距離感を演出するものでもある。ひとりひとりが隔絶した房(シェルター)にいながら、房と房は隣接する誰かの存在のも微弱なシグナルとしてお互いに受け取っているのだ。センサーは絶えず起動している、と同時に、敏感すぎるセンサーを休めるようなものとして「隣りの部屋から聞こえてくる音楽」がある。
孤独と共存は必ずしも背反するものではないのかもしれない。パリウシテの写真やセシルのコンテンツが教えるのはそういうことだ。少なくとも、いまいる私の場所からそれ以上の何かを言うのは難しい気がする。
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lipcleanentry · 2 years
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地上出口へ
仕事の関係で毎朝のようにA駅で降車している。地下鉄のホームから改札を抜けて狭い階段をのぼり、重くのしかかる地下の空気から脱け出すのだ。潜っていた時間自体はさして長くないはずなのに、地上出口の四角いゲートから外の景色がのぞくと、日の光をひさしぶりに見たような気になる。透明な光が斜めに降りてきて、一段一段をのぼるごとに、視野を取り巻くあかるさの階調が変わってゆくのがわかる。 なかば眠っていた頭が片時だけ冴えてすぐに沈静化するのはいつもこのときだ。地上出口は車の行き交いが激しい大通りに連絡する。無秩序にガチャガチャとひしめく街の映像から咄嗟に身を守らずにはいられない。感覚器を心持ち閉じて喧騒をやり過ごす。毎朝のルーティンは身体に叩き込まれているから、ここから先は両足を交互に動かして既知の道順をなぞるだけだ。 太陽の日に吸い寄せられて階段をのぼっていたときの、目的地ではない別の場所にむかう感覚は、すぐに消えてしまう。地上出口のことを後になってわざわざ意識にのぼらせたりはしない。昨日と同様、やるべき今日の仕事が目の前にあるのだから。 かわりに、歩きながら思い出していた。集団から分かれ、S駅までの15分ほどの道のりを二人で歩いた夜のことを。そのときは確か、二手に分かれた道の片方が工事中で通行止めになっていたため、ひきかえし、もう一方の道を行きなおしたのだった。 頼まれもしないのに地下鉄都営線のホームまでついていった。エスカレーターで地階へと降りていくとき、背後に立った私がちょうど相手を見下ろす格好になった。長すぎるエスカレーターはまるで冥界下りで、ついていってるのか連れられているのか曖昧に思える瞬間があり、糸が途切れないように必死に話しかけつづけた。 どこかの水際で引き返さなければならない、そんな予感があったから、結局その日の同行はホームまでとなった。 もし、あのまま最後までついていったら現在のわたしはどこにいるのだろう。もしかしたら私は、最寄りの駅のホームまでついていくべきだったのではないか。過ぎたことにも関わらず、意識はいまだにあの駅のホームで滞留している。 地上出口からはじまった断想は、冥府を引き返したある夜の記憶を手繰った。毎日の昇降と一夜の記憶は、なぜか私のなかではいつまでも対のものとしてあるのだ。
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lipcleanentry · 2 years
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ルールは本当に揺さぶられるのか
21_21 DESIGN SIGHTで開催中の「ルール?展」が評判のようだ。某アート系ウェブサイトの「エキシビジョンランキング」でもTOP5に入り続けているし、ネットで検索すると「普段21_21に来なさそうな若年層が連れ立って来館している」との情報も見受けられる。ゲーム要素の強い参加型・体験型展示がライトなアートファン含む広い層にウケているのかもしれないが、会期の早いうちに展覧会を見て雑然とした展示構成に落胆した身としては、「ルール?展」がそこまで評判を呼ぶ理由がいまいちわからない。まず、イントロが良くない。展示の冒頭、鑑賞者は配布されたリーフレットに二種類のスタンプを押すよう促されるのだが、スタンプが印字する「インストラクション」は鑑賞者の体験の質を左右するほど強い縛りをもつものではないし、そこでの指示内容も特に面白味が感じられない。展覧会場にあった「展示室内に置かれた木箱を動かすことができる」「背の順に並ぶ」などのインストラクションにも積極的に従う(もしくは読み替える)鑑賞者がいる���けでもなく、ルールの言葉が遵守すべき規律としての緊張感をもつわけでもなく、方々から集められた作品やプロジェクトがただ無造作に投げ出されているだけの印象だ。「鬼ごっこのルール」「ルールのつくられ方(法令の場合)」のような綿密なリサーチに基づくプレゼンテーションは新しい知識がインストールされるよろこびもあって確かに面白いのだが、現代美術系の作品が本展のコンセプトの(都合のよい)サンプルとして集められている悪印象がどうしても拭えなかった。おそらくここで現代美術に期待されているのは、制度化された慣習を逸脱・転覆したり、所与のものと見做されているルールを思わぬ視点から読み替えていく「創造的な身振り」なのだろうが、そうした身振りへの期待自体がすでに「現代美術」をステロタイプに押し込めているように思えるのだ(「ルール?展」にそのような意図はなかったとしても、「アーティスト=ルールを攪乱するトリックスター」というステロタイプがいまだ世間的に根強いものであることを低く見積もるべきではないだろう)。 もしかしたら会期中に展示構成の変更があったのかもしれないし、「鑑賞者の能動的参入」を経て会場の雰囲気が活性化していったのかもしれない。ただ、少なくとも私が訪れた時点での「ルール?展」はさほど魅力のある展覧会ではなかった。また、だだっぴろい地下フロアにパーテーションもなく作品が散在する展示構成がどうしても「サンプルの羅列」的印象を強化めていて、とても受け入れられるものではなかった。たとえば遠藤麻衣の映像作品などはもっと映像や音声に集中できる環境をセッティングしてほしかったのだが、これは「展示の動線をもっときちんと組み立てるべきというご要望(ツッコミ)があればルール改善しますよ」という、展覧会側から鑑賞者への挑戦とみるべきだったのだろうか? 唯一、「現代美術」系のラインナップのなかで目をひいた作品が丹羽良徳の映像作品《自分の所有物を街で購入する》(2011)だ。「ルール?展」のために準備された新作ではなく過去作、しかも10年前の作品だが、近過去の都市風景のややノスタルジックな映像がとつぜん展覧会場のバックヤード的空間にあらわれるというシチュエーションも含めて興味深いものだった。映像のなかで丹羽本人が行っている「ルールの読み替え」はいたってシンプルである。駅の構内のキヨスクで雑誌を買い、それを別の書店に持ち込んであたかもその店の商品であるかのようにレジに提示し、もう一度「買い直す」。そして、夜の街を移動しながら最初に購入した一冊の雑誌で同じ行為を繰り返す。タイトル通り、自分の所有物となった雑誌を何度も購入するという作品である。余所の店で購入した商品を別の店のレジに通す、という行為が犯罪にあたるのかどうかはわからないが、いったんは私物となったはずの雑誌が商品に戻り、また私物となり……というサイクルが大都市の経済の動きに微細な亀裂を入れるさまが面白く、貨幣の流通・交換機能を問うコンセプトもなかなかに刺激的だった。さらに言うと、《自分の所有物を~》の面白さは、こうしたコンセプトレベルの話に尽きるものではない。何よりも目を引くのは、夜の新宿を揺動する丹羽のフリッパントな身のこなしである。その身体所作は、仕事を終えて自宅に向かったり買い物をしたり誰かに会いに行ったりするその他大勢の通行人とは明らかに質が違う。都市空間の異物としての犯罪者じみた身体、そしてその動きを背後から辿るカメラの追跡視点が本作の魅力を引き上げているのだ。要は、ルール読み替えの手法よりも、読み替えを遂行する身体そのものと、その身体をメタ的(もしくは共犯者的)に観測する視点の二重構造が面白い、といったところだろうか。丹羽のこの映像作品についてはもう少し考えてみたい気がする。 読み込みが足りないかもしれない無責任な一鑑賞者の立場から人気の展覧会にケチをつけてしまったが、「ルール」をテーマにするコンセプト自体は展開可能性に満ちていると思うので、とりわけ現代美術との関係において「ルール」をいかに捉え直すかが肝になるのだろうとあらためて感じた次第。というよりも、ルールを押し付けてくるのは誰(何)なのか、そもそもの構造への引きの視点が必要ということだろう。そうした視点はルールの読み替えなどという小手先の対処に終始している限り、アトラクションやゲームに接近した欺瞞だらけの「体感型展示」に興じている限りは持ちえないレベルのものと心しておくべきだ。
[展覧会情報] 「ルール?展」 21_21 DESIGN SIGHT 2021年7月2日(金)~ 11月28日(日)
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lipcleanentry · 3 years
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『ヴァリエテ』再見
Youtubeで映画『ヴァリエテ』(1925)を見た。E・A・デュポン監督によるドイツのサイレント映画。十数年以上前に一度観たことがあり、Youtubeに上がっているのを見つけて懐かしさついでに流し見したのだが、一時間半程度の尺のなかに見どころがたくさん詰め込まれていて思いのほか魅せられてしまった。字幕の飾り文字もフルオーケストラの演奏も絢爛でよく作り込まれており、カメラワークも100年近く前の古典映画とは思えないほどに機微が効いていて斬新である。主人公を演じるエミール・ヤニングスの名演はサイレント(台詞なし)のハンデを補って有り余るほど技術が高く、身体と顔の表情が物語の進行に従って千変万化する(小太りの中年男の一挙一動に何故か目が離せない!)。以前観たのが十数年前なのであらすじはほとんど記憶になかったが、有名な空中ブランコのシーンは割と鮮やかに覚えていたし、主人公が自分の妻を寝取った若い曲芸団員を殺害するくだりの「怒り」の演技はあらためて本作の一番の見せ場だと思った。
興味深いのは、本作が様々なジャンルや様式の混成体に見えるところだ。映画の冒頭、受刑者となった主人公の肩を落とした後ろ姿が判事と真向かう構図であらわれるのだが、背中のゼッケンにしるされた囚人番号のデフォルメチックな「28」という数字は表現主義を想起させるし(「いかにもドイツらしい!」と思った)、曲芸師がきりきり舞いの華やかな身体術を披露する空中ブランコの演技シーンはアクション映画の先駆的表現だ。中盤で曲芸団の演技が次から次へと披露される場面は映画と見世物の舞台の融合といった趣きで、まるでジョルジュ・メリエスの奇術の世界の進化形のよう。物語の基調は三角関係をベースとした愛憎入り混じる恋愛ドラマだし、主人公による若き曲芸師の殺害シーンは迫真性溢れるサスペンスの場面として鑑賞者を一挙に緊張状態に導く。加えて、殺人を犯した主人公に追いすがる妻が勢いあまって階段を転げ落ちるシーンは、シリアスなサスペンスの後に続く場面とは思えないほどスラップスティック調である。つまり、ここには節操がないまでに映画のあらゆる様式が接ぎ木されているのだが、換言すればそれは、『ヴァリエテ』という古典映画が後続の映画の参照項たりえる映像文法をたっぷり内臓させているということでもある。とにかくサービス精神旺盛な一作。『ヴァリエテ』がサイレント映画黄金期の傑作と呼び声高いゆえんがあらためて確認できた。
それにしても物語終盤のヤニングスの「怒り」の演技は素晴らしい。というよりも、俳優が身体まるごとで表現する「怒り」の感情が、映画のフレームいっぱいに充満してひとつの映像言語に高められるまでの一連のシークエンスが素晴らしいと言うべきだろうか。この場面では、フレーム内に極力余計な要素を映し込まず、ヤニングスの「顔」にフォーカスするという大胆なカメラワークが採用されている。さらに、殺される曲芸団員役のワーウィック・ウォードが、ヤニングスの異様な怒りに気づくや否や、怯え、萎縮し、命乞いの懇願から反撃に繰り出すという感情変化を短い時間のなかで巧みに演じているのも効果を挙げている(じりじりと相手を追い詰めるヤニングスと滑稽なまでに表情を転変させるウォードとの対比)。そして、ヤニングスの「顔」がスクリーンに真向かうかたちで映し出され、一歩一歩前に――つまり映画を見ている私たちの側に向かって――接近してくるとき、殺されるウォードの「逃げ場のなさ」は鑑賞者と共有され、鬼気迫る殺害シーンの迫真性を最大限にあらわすものとなる。「怒り」の矛先がスクリーンの手前に溢れ出すこの場面こそ、鑑賞者が「いま、自分は映画を見ている」という現存在を再帰的に自覚する瞬間であり、「映画を見ること」の快楽やスリルがもっとも高潮する最大の見せ場なのではないか。
サイレント映画の映像文法、映像言語には学ばされるところが多い。最近めっきり映画の鑑賞タイムが減ったので、今後は余裕があるときにサイレント映画あたりを気軽なスタンスで観るようにしたい。分析に踏み込むような何かにつながるかどうかはまだわからないが。
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lipcleanentry · 3 years
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安田悠個展「たゆたうままに時間の中で」
先日、久々に天王洲の寺田倉庫を訪れた。いくつかのギャラリーを廻ったなかでいちばん印象に残ったのがYuka Tsuruno Galleryでの安田悠展だったので、備忘録がてら所感を書き残しておきたい。
さほど大きくはない、かといって小さくもない正方形もしくは縦長の画面がいくつか並んでいる。使用する色彩は彩度が低くて清涼感のある寒色系が多いが、薄塗りの層の隙間からは蛍光系のピンクやイエローといった不意を突く色彩ものぞく。全般的に画面はさほど厚塗りに見えない。しかし絵具の重なりの効果にはとても神経が行き届いていて、色層の薄さのなかにも多様なニュアンスがもたらされている。
近づいてよく観察しないとわからないことだが、筆触のヴァリエーションがとても豊富だ。刷毛の目が艶やかな筋を残して画面を滑っていくかと思えば、物質感の希薄な絵具層が不透明な雲のようにもっさりと画面を被覆し、タッチのきわが水蒸気のごとく蒸発してはかない余韻を残す。ハンドアウトの説明によると、絵筆だけでなく掃除ブラシやケーキ用ナイフなどを用いて描いているらしい。一見するとおぼつかないストロークは、「使い慣れた描画用の道具以外をあえて使用する=手癖からズレるものを呼び込んでいく」ことで生まれるものなのかもしれない。気象の変化を眺めるつもりで筆触の変化を楽しんだ。基本的に具象的なイメージは描かれておらず、派手に目を引く要素はないのだが、色んな描き方を試している様子が伝わってくる。
《Attaineg Shape》(2021)というタイトルの絵を見ていて、モネの《睡蓮》を思い出した。モネの《睡蓮》を見ているときに体験するのは、水面に浮かぶ睡蓮を俯瞰して見ているつもりが、どういうわけか同時に水中に居るような、分裂した身体感覚だ。あるいは、身体が逆立する感覚と言ってもよい。そして、《Attaineg Shape》もそのような逆立の感覚を引き起こす不思議な絵である。 《Attaineg Shape》は何よりもまず構図的に《睡蓮》を想起させる。画面の大部分を占める白っぽい領域が水面を想起させ、上方を横切るダイアゴナルなストロークが岸辺のような空間に見える。ただし、この岸辺に対応する対岸は画面の下方には描かれておらず、白っぽい領域はゆらりと迫る波が手前に滲出して溢れ出すような感覚を引き起こす。この風景に相対する者の「足場」はどこにあるのだろう? 画面の下部が「安定」の感覚をもたらさないので、画面のどこに視線を遣っても水面の反映ばかりを辿るしかないようなフラジャイルな浮遊感が生じる。岸辺のような「足場」が画面の上部に、そして「足場」を揺るがす水面が画面の下部(手前)に。この転倒現象が身体の逆立感覚を引き起こすのかもしれない。しまいには、画面上方のダイアゴナルな領域さえも移ろう水面に見えてくる(白っぽい領域から垂直にゆらめき昇るふたつの筆触はいったい何だろう?)。
具体的な「何」が描かれていなくとも、揺らぐストロークがあれば人は水の流れを想像するし、画面を水平に二分割するラインがあれば、空と地、もしくは空と海のような原初的空間を夢見る。安田悠の今回の出品作のいくつかはそうした連想を引き起こすものであったが、絶妙な筆触の重なり、構図の妙によって、具象的光景への安易な紐づけに留まらない画面づくりをきちんと成し得ていた。絵画的次元に高められた評価すべき仕事だと思う。
[展覧会情報] 安田悠「たゆたうままに時間の中で」 Yuka Tsuruno Gallery 会期:2021年7月17日~8月14日
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lipcleanentry · 3 years
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海の記述
行き先を定めず飛び乗った各駅停車でいつのまにか遠くに来ていた。都心から離れたその港町は休日のためにひとけがなく、広い道路の先の先までがしんとした空気に浸されていた。 海岸線を見るために陸の果てを目指した。閑散とした郊外。無機質な表情のオフィスビルと一定の間隔で植樹された街路樹が延々とつづいている。ランドマークらしいランドマークといえば遠くにそびえる展望台くらいしかない。この展望台を目がけ、ひたすらに大通りを歩いた。いくつかの信号をわたり、ときおり立ち止まって端末を取り出し、歩く方角に間違いはないか地図を確認した。 どれくらい歩いただろう。何台かの車に追い越され、軽い疲労感をおぼえはじめた頃、海のそばに新設された小さな公園にたどり着いた。公園の緑地帯をくぐり抜けると、突然視界が開け、なだらかな斜面をかたちづくる浜辺と大量の水が一挙にあらわれた。求めていた海が、これまで歩いた距離を忘れさせる雄大さで目の前に広がっていた。 海の経験。それは、視界の圧倒的な開かれとともにあり、全身を無防備に太陽の熱にさらすことと同義だった。晴れた秋の日の決して弱くはない光が容赦なく眉間を打ちつけた。海はその表面に無数の光の粒子を宿し、波の運動のたびに粒子をちらつかせていた。 海の表情を決定するのは潮の満ち引きばかりではない。緩慢に進む船の航跡が海面に複雑な紋様を描き出し、光の粒子は太陽光の射し込み具合によって強烈な照り返しを放った。直視などできない、しかし波面の絶えざる変化が、ありとあらゆる語を動員して海を語ることを求めるかのようだった。 水平線のきわを知りたくて沖の先に見つめる。すると、海と空の境界がひとすじの光に溶けるのが見える。海は沖に向かうにつれ氷盤のようにこごっていた。沖より手前に目を転じれば、やわらかく膨らむ波面が平衡の感覚を狂わせて、ひとつの海に異なる摂理が働いていることをまざまざと感じた。 空を見た。雲の群れが解読できない表音文字となって晴天を飾っている。空は、果てらしい果てがないゆえに複製不可能で、海に似ながらそれとは異なる領域を保っているように思えた。 誰かが書く。海には死の欲動が潜んでいると。すべての語を消尽しようとする衝動とすべての語に使役されんとする強迫がここにはあるけれど、しかしこの現実の海は、はたして死の誘惑だけで語れるものだろうか?
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lipcleanentry · 3 years
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瀬尾育生『モルシュ』
瀬尾育生『モルシュ』(思潮社、1999年)を久々に再読した。瀬尾は1948年生まれ。ドイツ文学・哲学の専門家であり、詩集だけでなく戦争詩や吉本隆明についての著作を世に送り出してきた詩人兼評論家である。評論も行う詩人の���品をよむとき、どうしても本人が築き上げた理論的な基盤を作品世界の理解に役立てようとする打算が働いてしまうが、そういったバックグラウンドをなるべく抜きして瀬尾の詩世界に沈潜してみたいとかねてから思っていた。逆に言えば、瀬尾の評論家としての仕事に魅せられているぶん、詩人としての仕事に向き合うだけの精神的余裕がこれまで持てなかったのだ。 『モルシュ』を久々に読んで思ったのは、外在的な文脈の参照なしに本書に収められた19篇の詩を解釈するには相当な力量が必要とされるだろう、ということだ。ここには20世紀における大量虐殺(ジェノサイド)の拭い難い記憶があり、強大な破壊の力で歪められた人間たちの不具の形象があり、声を奪われた者たちの希薄だがいつまでも消え去ることのない残像が亡霊のようにゆらめいている。いずれも20世紀に産出されてしまった負の歴史の遺産だ。世紀の節目である1999年にこの詩集が上梓された意味を考えずにはいられない。 歴史的背景にこだわり過ぎず、まずは愚直に「書かれた言葉」に即した読解を試みようとしたが、まず、引用のあたりをつけるのが難しい。行のどこからどこまでを切り取ればいいのか、皆目見当がつかないのである。「アイゼルン」という詩に「露出時間の足りない半透明の人が階段を降りてゆく。」というフレーズが出てくるが、まさにこの詩集全体が露出時間の足りない日光写真のごとく褪色していて、つかみ出し解剖台に上げるべき詩句をわからなくさせているかのようだ。 表象の暴力から距離をとるためにこのような詩になったのかもしれないし、あるいは表象の暴力からいまだ遠ざかることができないためにこのような詩になったのかもしれない。『モルシュ』の詩句はおしなべてガラス越しにあり、しかもガラスの表面には埃も塵も付着している。詩句の経年劣化。その向こう側には呼吸の弱い誰かがいるのだが、この間接性、生命力の希薄さはいったい何に由来するのだろうか?
冒頭詩「旧型」の一部を、「切り取り」の勘所を間違っていないかという迷いとともに、おそるおそる引用する。
私たちのなかでとても静かになってゆく人がいる。 それがだれなのかもう私たちにはわからない。 私たちはわかりやすい言葉で話した、私たちのなかで だれが言葉を失ってゆくのかが、よくわかるように。しかし ものなれない片言のような足音で、いつも別の言葉を話そうとした 跛行する人が遠ざかってゆくと、 だれが沈黙してゆくのか、もう私たちにはわからなかった。 (「旧型」)
多数のなかで滅びの道程をたどる少数の存在。それは民族のことだろうか、それとも言語だろうか。「人」と言表されているにも関わらず、それは人間的な形象をまとっている気配がまったくしない。加害と被害の構図できれいに二分できるほど話は単純ではなく、多数と少数は数詞化できないオブスキュールなまとまりとして互いに混じり合っており、それゆえに「静かになってゆく人」が「だれなのか」、「私たちにはわからない」。「私たち」は「わかりやすい」言葉で話すしかないのだが、そのマジョリティの言語は「静かになってゆく」少数を救えるわけではなく、むしろ少数を絶滅へと追いつめてゆく。「私たち」は「私たち」の肉体の壊死として「静かになってゆく」少数を見つめるしかない。光が届かず互いの輪郭も分別できない闇こそが『モルシュ』の前提だ。
つづいて「乱視」より。
私たちの耳を演説が叩き続けた。それは二十世紀前半の巨大な演説のひとつだった。私は蛾であり、おまえたちは力ある蛾の幼虫である、とその演説は主張していた。 〔……〕 語る人が消滅しても演説はいつまでも続いた。遠くから腕が訪れてきてあなたの腕と取り替えられた。遠くから掌が訪れてきてあなたの額に湿り気を置いていった。遠くから爪が訪れてきてあなたの手首に刻み目を残していった。 私たちはときおり薄く眼をあけるが、ほぼしずかに眠りながら勾配を登った。言葉は私たちの高度に応じてさまざまにその形と意味を買えた。語ってよいことと語ってはならないことがそのたびに何度も交替した。 (「乱視」)
二十世紀前半の巨大な演説、という語がただちに想起させるのはヒトラーによるニュルンベルク党大会での演説だが、その映像はスクリーンに投影されたフリッカー混じり・ノイズ混じりの記録映画のそれである。というのも、「私たち」が知る歴史的場面とは、メディアを通じて否応なく記憶に沁みついてくる二次的な体験でしかないからだ。演説の声は独裁者の死後も残存し、兌換性のあるパーツとして「あなた」の肉体に深く食い込んでゆく。「あなた」という人称は20世紀の負の歴史以降を生きる21世紀のすべての人間にもあまねく作用する強制的な名指しであり、この拘束から逃れられる者は誰ひとりとしていない。
自らの小さな声を聴きながら過ごした腐蝕の日々をだれもが書き留めたことがある。泥地の文字で記された名簿だけがか細い演説の流れに切れ目を入れている。かつて群衆の声から私たちを切り裂いた方言が、いまは消えてゆく政府の隠語だった。《私たち》それがおまえの名だ。 (「満潮 あるいは地上にある人々のクラス」)
20世紀は多くの芸術家集団がマニフェストを起草した時代でもある。その際、「私たち」という複数形の主語は既存の価値体系を転覆する革命の主体として揚々と謳われたわけだが、対して『モルシュ』における「私たち」はそのような連帯がもはや不可能となった21世紀以降の、瑕疵ある「私たち」として読まなければならないだろう。「私たち」は傷を負い、かつ古びている。ゆえに、「暗いことを語りあう」ほかない(「モルシュ」)。棺桶のなかに群居する魂の群れ、その相互浸透状態において語られる言葉はもはや人間の言葉ではないのではないか。空恐ろしに懐かしさが混じる。
私たちもまたすぐ日が落ちてきたなくなる。私たちもまたすぐ匂うようになる。たちこめる中くらいの寒さの像が底の局面に結ばれ、やがて音たてて目蓋が降ろされると、それはまだ今世紀のこと、と細い字幕が一瞬写されて消える。 (「棚から」)
「すぐ匂うようになる」、つまり、「私たち」はいつでもすぐに腐臭を放つ屍体になりうるということだ。となると、音をたてて降ろされる目蓋とは、〈夜の帳-暗幕-臨終のサイン〉だろうか。引っ掛かりをおぼえるのはそれが「音をたて」るということで、この幕の重さには何らかの崩落の気配もある。 目蓋のイメージは詩集の最後を締める「アイゼルン」にも再来する。
そこに眼が現われ、私はあなたを読み解きたいと思う、私は、読者よ、あなたを一言残さず読み解き、ここに記録したいと思う、と言う。私が音を立てて目蓋をおろすとそこに眼が現われ、私はあなたを読み解きたいと思う、私は、読者よ、あなたを一言残さず読み解き、ここに記録したいと思う、と言う。 (「アイゼルン」)
ここにあらわれる眼のイメージは、なぜかオディオン・ルドンの描く不吉なひとつ眼の気球、さらには一つ目巨人・キュプクロスの神話を思い起こさせる。あるいは、隅々の空間にまで光を行き渡らせ、すべてを監視のもとに置こうとする一望監視装置(パノプティコン)の眼を。 「アウシュヴィッツのあとに……」というあの有名な言葉を持ち出すまでもなく、カタストロフィのあとに歴史を記述すること、そして詩を書くことには、どうしても暴力性と野蛮さがつきまとう。『モルシュ』はこの前提を引き受け、光の届かない場所で、なおも歴史を見つめ詩を読もう/書こうとする者のための詩集なのではないか。
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lipcleanentry · 3 years
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江代充数篇
実名の出てくる詩というものがある。たとえば須藤洋平『みちのく鉄砲店』(青土社、2007)所収の「苦悩」。わずか六行の短詩の最後で具体的な誰かのフルネームが突然名指しされるのだが、最初に読んだときはそのあまりにも赤裸々な固有名詞の裸出ぶりに大変驚いたものだ。むろん、そこで叫ばれた名が本当に誰かの実名であるかどうかの確証は、詩のなかのどこにも書き込まれてはいない。だが、相手の存在を名前ごと引きずり出して白日のもとにさらすような獣的な衝動に、手加減や虚飾は微塵も感じられなかった。あたかもこの詩の短さは、発作的な名指しの強度を損なわないための覚悟として選ばれたかのようだ。 須藤ほど生々しく激した「実名の公開処刑」ではないが、杉本真維子「果て」にあらわれる「Y原」という半匿名(半実名)表記にも禍々しい詩的暴力を感じた。イニシャルによる局所的な隠蔽が実名のプライバシー保護に向かわず、むしろ実名に負荷をかける方向に作用しているかに思えたのだ。 現実に存在する具体的な誰かの名前を自作において丸剥ぎにすること。名前の一部に冷たいアルファベットを貫入し、なかば無機物のようにぞんざいに扱うこと。それらは一種の残酷な呪法である。そのような手つきを目にして「現実に存在する誰かの名前を自作に行使する」ことの根源的なおそろしさを知ってしまうと、たとえ散文のような形式においても、軽々しく他人の名前を書きつける鈍感をつよく戒めずにはいられない。 ただ上記に挙げたのは極端な例であって、詩における実名開陳は必ずしも暴力的な方向にむかうわけではない。詩の主体から遠い関係性の者か係累の者か、愛する対象か憎む対象か、はたまた直接的にはなんの関わりもない歴史上の人物や有名人か――名を使用される相手と書き手の距離に応じ、実名が詩作にもたらす効果も大きく変わってくるだろう。(そんなものがあるかどうかはわからないが)「実名詩の系譜」を調べてみたら興味深い研究になるかもしれない。詩人が誰かの実名を自作に持ち込むときに判断をいかに線引きしているかというのも、気になる倫理的問題である。
ここから先は「他人の名前」ではなく「自分の名前」を持ち込んだ詩についての話だ。現代詩文庫シリーズの『江代充詩集』(思潮社、2015)を読んでいて、江代本人の名があらわれる数篇の詩に目が留まった。数は決して多くはない。が、「エシロ」という片仮名表記が不意に出現する詩がいくつかあるのだ。江代は「わたし」という一人称を多用してもベタつかせず清澄に響かせることのできる稀有な詩人だが、端正にすっと伸びていく行運びのなかに「エシロ」という片仮名表記が出てくるとさすがにぎょっとする。同時に、舌の上で心地よく転がる「エシロ」の音素に魅惑される。あまり出会わない部類の苗字であることも手伝って、「わたし」でも「江代」でもない「エシロ」が、実名開陳の生々しさともナルシシズムとも無縁の効果を上げていることに興味をおぼえた。
あなたの姿はみえず わたしもまたエシロとして隠れてきた 血が布のようについている 幼稚園の硝子戸裏からさまよい出て 鉄条網の影がうつる廃屋のように 身をまげ 砂利でできた子の靴を終りまでそろえる (「影」)
身をまげてくぐりぬける私もまた エシロ・エシロといいながら (「愛の槇垣」)
エシロ わたしたちは人より遅れているはずであるのに 行く行くの死がいまを被い 間近にみえるという思いから外れることができません (「セルの小径」)
イニシャル表記も含めてよいのなら、「場所」における印象的なアルファベット遣いにも注目すべきかもしれない。
靴下にEのイニシャルを縫いつけ 皮膚に覆われた指で書きつけることは わたしだけの務め (「場所」)
どうやら「エシロ」は一人称の「わたし」の生身からは少し逸れたものであるようだ。とりわけ、「影」における「わたしもまたエシロとして隠れてきた」という一文がこの詩の要諦となっているようで、立ち止まってさまざまな断想をめぐらせてしまった。何よりもまず、代々受け継がれてきた「姓氏」というものが「家系」と不可分であることを思い起こすのであれば、片仮名へと音素分解された「エシロ」の背後には「江代家」の脈々とした歴史をみとめざるをえない。それでも詩人は片仮名変換によって漂白された「エシロ」の表記を選び、「江代」ではあらわすことのできない自己の由来を一種の秘匿物として見つめている。「エシロ」の名は何か別のものを宿す依り代(ヨリシロ)でもあっただろうか。ここから一行目の「姿」のみえない「あなた」の存在が返照される。「あなた」とは誰か。その敬虔な響きから、江代がキリスト教の信仰をもつことがただちに思い出されるが、宗教的な背景をわざわざ引き合いに出さずとも、「影」の冒頭には、自然や身の回りの景色をみつめる次のような一文と共通するトーンが発見できるだろう。詩の基板を確かなものとして支えているのは宗教感情というよりも、あくまで情景観察なのだ。
わたしが自分の理解からかくされるとき、同じように名前の分からない鉢植えの植物が、ながい葉を見せ、人前で幾度でもわたしを振り返らせた。 (「ドラセナ 七つの日記」)
江代の詩が情景観察に基づくという前提を崩さずにいるならば、「影」における描写の主体は幼稚園の裏手のような場所にいて、砂利でできた(としか書けないほどに砂利にまみれた?)子どもたちの靴を身を屈めてせっせと並べている、と理解できる。ここで列を成して点々と続く小さな靴の像が視覚的に浮き上がるのだが、子どもたちの靴の系列は「家」の系列とどのような呼応関係にあるのだろうか。「家」の系列を強固に支配する父系制に対し、ここでは母性的なものを原動として動く/務める「わたし」の姿が孤絶したひとつの影として描写されているのではないか。おそらく「わたし」は誰に頼まれたわけでもなく自発的に子どもたちの散らかった靴を整頓している。「わたし」はきっと子どもたちの親ではないだろうから、血族ではない「わたし」と子どもたち、という新たな系列の構図がここに誕生するのだ。 気になる詩行はほかにもある。「血が布のようについている」という、直喩が直喩として届かないような奇妙にねじれた言い回し。この一行が、直後につづく「幼稚園の硝子戸裏」についての描写なのかどうかはわからないが、「布に血がついている」のではなく「血が布のようについている」という転倒した描写法により、「布」と「血」の地と図が反転可能性を帯びて、布地の繊維質に絡みつく「血」らしき滲みのイメージが硬い「硝子戸」にまで染みついてゆく。こうして「硝子戸」は汚され、古びたものとなる。品のよい翳りである。「家系」における「血」の線条的な継承とは異なった、「血」の転写表現があらわれるのはおそらくとても重要で、ここから「血を吸った地から糧は得られない」という一文の厳しさも際立ってくるはずだ。 「影」はとても短い詩で、このあと「どんな役柄にも 抱くことは抱かれることの慰めがつきまとう」という一文によって静かに閉じられる。最終行に訪れるのは家族的な共同体と擬似家族的な共同体の双方を包み込むささやかな慈愛の眼差しか。同時にこの最終行では「つきまとう」という動詞が「どんな役柄」を務めても圧し掛かる責務のようなものを示唆しているようで、関係性のなかを生きる存在についての深い洞察が見事に表現されていると感じた。江代の詩は終行がよいものが多く、それもまた個々の詩の完成度につながっているように思う。 江代には「みおのお舟」という代表作がある。一瞬女性の名前かと思うが、こちらの「みお」は人名ではなく、「水脈(みお)」のほうを指す。この詩については阿部嘉昭による「味読」の限りを尽くした詳解があるのでここでは踏み込まないことにするが、阿部による分析を読むまで鼠を川に流す詩とはまったく気づかなかった。どういうわけか、産まれてすぐに亡くなった嬰児を川に流す詩かと思い込んでいたのだ。まったくの誤読である。だが、小さくか弱い存在をおくるみのように包む清冽な川のイメージは、私の誤読と識者による詳解を経たいまもなお鮮やかなままに残っている。流れる命とそれを見つめる目。それもまた、「影」の時代から貫く江代の詩の主要なテーマなのではないか。
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lipcleanentry · 3 years
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岸幸太『傷、見た目』
岸幸太の写真集『傷、見た目』(写真公園林、2021)を見た。 https://pg-web.net/shop/photo-books/kizumitame/
写真家がかねてより継続してきた同名シリーズの集大成。布クロス装上製の豪華本で判型もA4版と大きく、手に取るとずしりと重い。はじめはずいぶんとお金をかけてつくったなと思ったが(実際、この写真集は決して安くはないお値段になっている)、このシリーズを概観するにはこれくらいの重厚さが必要なのだろう。書籍のラグジュアリーなつくりとシリーズの撮影対象(釜ヶ崎、山谷、寿町の日雇い労働者)のアンマッチが良い意味で写真集(ブツ)としての抵抗感をつくり出しているように思えた。
ノーファインダーで相手に気づかれず一瞬の表情をかすめとる撮影方法が、コンプライアンスにやたらとうるさくなっていまった現代の日本社会で今後も続けられるかどうか。肖像権の問題等を考えれば、かなり難しいのではないか。となると「傷、見た目」シリーズは、ある時代のある地域の労働・生活環境に潜伏してその地を根城とする人々を間近でとらえた貴重な証言になりえるかもしれない。というよりも、これらの写真はやがて失われるものへの郷愁をあらかじめ抱懐したシリーズだったと言うべきだろうか。そんなことを考えながら写真集を眺める。
本のつくりとしては、見返し頁の美しく端正な黒からはじまり、視界を燻すような臭い立つモノクロプリントが延々と続く……という落差がよかった。社会から忌避される、底辺的とされる存在へ下降していくことこそが本書の使命であることを、この構成が物語っているように思えたから。
高橋しげみ、倉石信乃によるテキストも読み応えがあり素晴らしい。良い写真集だ。
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lipcleanentry · 3 years
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あくがれ出づる(2010年の日記より)
2009年9月14日夕刊付の読売新聞に、大友真志の写真《あくがれ出づる9》が掲載されているのを見つけた。
キャプションによると、その写真は仏教書の一頁を撮影したものである。年季の入った古書らしく紙はセピア色に変色している。写されているのは奥付の頁だろうか。検印とその上に被せられたパラフィン紙、旧字体で打たれた「西蔵大蔵経 第115巻」の文字がそこに確認できる。フレームに断ち切られ部分的にしか読むことはできないが、検印の脇にはこの本の編纂者らしき者たちの名が連ねられている。
そのほかは全くの余白が広がるばかりだ。クローズアップするカメラは紙面を限られた領域にトリミングし、文字のすべてを拾い切ることはない。前景化するのは書物の内容の「不在」だ。 頁はあたかもそれ自体が発光体のようであり、紙の物質性や本の厚みの表象はここでは廃棄されている。書物が召喚する時空はカメラによる光学的変換のうちに圧縮され、セピア色の紙や印刷された文字だけが経年の徴しとなる。
書物の召喚する時空とは何か。115巻に渡る仏教書の刊行の���史。読者から読者へと読み継がれてきた古書としての歴史。そもそも「西蔵大蔵経」自体、幾度もの筆写と改版を重ねてきた伝訳の歴史を孕む書物である。ちょうど写真のなかの折れ曲がった頁の角が象徴するように、ここには屈折した時空が折り畳まれているのだ。カメラの眼が焦点を当てたのは、仏教書の本文(テクスト)ではなく、分割されたインデックスとしての文字であった。
不可触の空間から上澄みのようにあぶれでる文字。その有り様はほとんど亡霊のようだ。だが何にも増して脅威的なのは、頁の周辺を包み込む予兆的な闇だろう。この闇は折れた頁の角から忍び寄り、今にも絶対的な暗さで紙面を覆い尽くしてしまいそうに見える。
そして仏教書とはまったく異なる対象を撮った写真でありながら、この驚異的な闇に連なる種類の闇を、photographers’ galleryのIKAZUCHIで行われた大友真志の個展「Mourai 1」の展示作品に感じた。 被写体は写真家の姉であり、撮影場所は北海道の実家。このシリーズは数年前から同ギャラリーで発表されており、自然光の差し込む室内でソファに腰掛けた姉を撮るというシチュエーションは今回もほとんど変わりがない。
IKAZUCHIには5点の写真作品が展示されていたが、撮影の日付は不明である(以前に撮ったものを今年プリントしたのか、あるいは最近撮ったものなのか。近い時期にまとめて撮ったのか、長いスパンを通じて撮ったものなのか)。 「5人の姉」は時間性の欠如した場所でそれぞれ別に存在しているようにも見えるし、互いにとても「似ている」。いったい何に「似ている」のか、起源はわからない。また普通に考えて同一人物である被写体を「似ている」と感じるのはおかしなことなのだが、「認識の壊れ」を誘発するような濃密な時空が写真家と被写体のあいだを満たしている。
光と影はこれらの写真において重要な言語だ。ある写真では顔の半分を、また別の写真では半身をくっきりと映える影のなかに埋没させ、フレームの外から差し込む自然光との対比から、ほとんど絵画的と言っていい明暗をつくり出している。とはいえ光と影の配分は、安寧とした秩序のなかに留まっているわけではない。影がいつしか被写体の身体を侵食し、すべてをふっと掻き消してしまいそうな危うさも感じられるのだ。
光と影に対する鋭敏さ、写真に折り畳まれる特異な時間感覚。まだまだ語れないことがある。 連続個展の第二弾「Mourai 2」が、あと少しで始まる。
(2010年3月6日)
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lipcleanentry · 3 years
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詩と地震
3月13日、遠方の美術館に向かう車内でぼんやりとスマホを手繰っているとき、詩人の荒木時彦のnoteを見つけた。記事は詩集の宣伝が主で頻繁に更新されている様子もなかったが、「私的なこと」というタイトルの短い詩に目が留まった。 https://note.com/tokitoki/n/n71e4d2e400da
短い詩なのであっという間に読み終わる。読み終わって、「これは詩?」と呆気に取られる。この詩における話者は、誇張を交えない淡々とした平叙文で自分と震災との距離を語るだけだ。形式的にはほとんど散文と言ってよい。詩性をかろうじて支えるのは3つの連による反復構造のみで、リフレインによる畳み掛けの効果は少ない。露骨な詩的飛躍もない。詩を詩らしく仕上げることへの自制が事もなげに為されていることに静かな驚きをおぼえた。
連を分かち隔てる指標、反復構造の基盤を成すのは何よりもまず「年代」である。最初に1995年、次に2011年、そして最後の三連目で2019年(おそらくはこの詩を書いた現在時制)の「私的なこと」が綴られている。古い日付から新しい日付へ向かっていくという意味では、この詩はごくオーソドックスに昇順で事象を並べているだけである。詩作者本人と詩における話者を同一視するのは素朴な読み方ではあるが、この詩の場合は同一視を受け入れて差し支えない構造をもっているように思える。
最初に読んだとき、第一連の「僕」が「建築学科の耐震構造関係の研究室に所属」していて「神戸に現地調査に入った」という記述は虚実入り混じりではないかと疑ってしまった。どこかにフィクションが入り込む余地でもなければ、事実の羅列にあまりにも終始しすぎたこの詩が「散文以外の何か」になりうるなどありえないのではないか、と。 けれど、何度か読み返しているうちに、やはりこの詩は(少なくとも話者=詩人にとっての)事実以外の何物も述べていないのだ、と納得された。むしろ、事実以外の何物も極力述べないというミニマルな形式にこそ、この詩の詩たるゆえんがあらわれているのではないか。一読すると、被災状況を調査する研究者だった1995年の「僕」と、うつ病を患い外界の出来事に心が動かなくなった2011年と2019年の「僕」のあいだには大きな断層があるように思える。が、震災の当事者ではない自分を「一時的に訪れる観光客と変わらなかった」と規定する1995年の「僕」とテレビが報じる震災を「あいかわらずそれは、メディアの向こう側にあった」と語る2011年の「僕」には、震災と自分とのあいだに距離を感じる共通した気質も見受けられる。詩人の生活、震災、そしてメディアを通じて送り出されるものが滑らかにつながらず、つねに懸隔をともなうという入れ子構造である。
「変わらなかった」「あいかわらず」という語句の反復が端的に示すものとは何か。とりわけ第二連と第三連で、病による失調によって不感症に陥った詩人の世界内の「位置」が変わらないことに留意したい。メディアが何を報じようと、詩人の日常と精神生活は何も変わらない。にもかかわらずこの詩には、レーダーのみが観測しうる微細な地殻変動がなぜか不意に人間の意識にのぼるような不穏さ、一定の速度で迫り来る津波のような不気味さが潜在している。 大地震は周期的にこの島国を襲う。それは、多くの人が統計的なデータに裏付けられた情報としてすでに知ってしまっていることだ。3つの連による反復構造は、詩人の個人的な失調とは無縁に大地震の周期性があることを言外に示してはいないだろうか。あるいは、大地震の周期性と詩人の失調が同期を「装う」ことを語って(騙って)はいないか。「僕」は震災の当事者ではない、メディアが報じるカタストロフを遠い出来事としか感じられない、にも関わらず大地震はこれまで何度もやって来たし、これからも来る。視界のだいぶ先、ずいぶん遠くにあると思っていた防波堤が足でも生えたかのようにひとりでに動き出し、いつのまにか近くに来ていた、とでもいうように。詩人が動かずとも外界の危機ほうが勝手に移動してくるのだ。
「私的なこと」に対する「まったく私的でないこと=大地震」という対比を持ち出すのがこの詩の解釈に妥当なことなのかどうか、それもよくわからない。この詩は徹頭徹尾「私的なこと」を書いているだけなのかもしれないのだから。しかしやはり、文法上はなんらおかしいところの感じられない散文調の文章に、破滅のシグナルが入り交じるほどおそろしいものはないわけで、その意味ではこの詩は一定以上の詩性を獲得しているのだ。3月11日からふつかほど過ぎた日に偶然この詩を見つけたことが、なにかのしらせに思えた。
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