Tumgik
peke-kakeru · 3 years
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前回の日記は11月だったらしい。そのことすらも忘れていた。日記を週に何回かぐらいは書く余裕のある生活をしたい。
慌ただしい二ヶ月だった。元バイト先に当時の生徒に会いに行った。マイナンバーカードを更新した。祖父の見舞いに行った。ゼミの発表があった。引っ越した。祖父が危篤ということで実家に帰った。クリスマスを家族と祝った。妹の誕生日を祝った。祖父の家で年を越した。祖父が息を引き取った。通夜があった。葬式があった。自宅へと戻って荷ほどきをした。ある程度片付き、卒論へと本腰を入れ始めた。
羅列するとこんなものなのか。
左手の人差し指のタコのようなものはだんだん大きくなっていて、右頬の口内炎のようなものは大きくなったり小さくなったりしている。
とりあえずはご飯をきちんと作り、卒論に目処を作り、適度に運動をしよう。それで精一杯だと思う。
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peke-kakeru · 3 years
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2020/11/03 午前1時記す
 昼前に起きる。ほっともっとで唐揚げ弁当を買い、風呂に入り、急いで支度をし、雨が降っていたのでバスで大学へ行く。バスを待っている途中、列の後ろに先輩が並んでいた。目が合ったような気もするし、合わなかったような気もする。気付かれていたなら軽く会釈した方がいいし、気付かれていないなら無視する方がいいと思ってしまう。数日前にも似たようなことがあった。うまく人とすれ違えるようになりたい。
 友人の研究室へ貸していたスピーカーを取りに行く。理系の研究室に入るのは初めてで、これぞ研究室だという感じに驚く。私はほとんど文系のようなもので、自分の机すらない。つまり、ゼミ生とのコミュニケーションの場が日常的にないのだ。場所があるというのはとても大事なことだ。教室のように、1日の大半を同じ場所で過ごすこと。高校までに友人たちとできていた何気ない会話の重要性を、大学に入り、引きこもりのような生活をするようになってから感じている。このような状況になってからさらに。そういう意味でもオンラインというのはよくない。まあしかし、対面授業だったからといって、ほとんど会話はしていなかったけれど。
 ゼミはいつも通りだった。先輩に話しかけられた。その先輩が先週した質問が当たり前のことすぎたよね、という話。性格の悪い私は、自分が馬鹿だったということをわかっていますよ、と皆に伝えたかったからなのかな、と思ってしまった。
 ゼミが終わり大学の図書館で本を読む。女性誌の手帳特集が面白かった。誰かの書いた字を見るのが好きだ。例えば偉人のノートだとか。字には性格がよく現れているなと思う。自分の字が嫌いだ。きっとこれは自分の声が嫌いだ、というのに似ているのだと思う。
 手帳をつけるのが苦手である。何度も挫折している。よくこれまでそれで生きてくることができたな。今度こそは上手くやりたい。そんなことばかりだ。こんな生活だからこそ、ちゃんと時間を管理しないといけない。YouTubeでドラゴンボールの違法アップロードばかり見てなんになると言うのだ。世界にはもっと面白い作品がたくさんあるし、その時間で私は作品を生み出すことだってできるのだ。なのに。いや、大仰な言葉遣いにはなるが、それが人間というものなのだろう。大袈裟すぎるのであれば、それが現代人の特徴なのかもしれない。昔の人もそうだったのかもしれないが。
 図書館でピーターシンガーの著作の冒頭を読んだ。なぜあなたは寄付をしないのか、と話。論理的に考えれば、その数百円で遠い誰かの命を救えるのであれば寄付をするだろう、と。全くその通りだと思う。でも、それができないのが人間なんじゃないかな、と思った。私たちは考えることに疲れてしまうのだ。きっと、考えたくない、楽をしたいというただそれだけなのだ。それはどこか、私がイヤホンをして町を歩いていること、知っている人と会っても気付かないフリをすること、できれば飲み会に行きたくないことと通ずるところがある気がする。疲れたくないし、何も考えたくない。でもそれが行き着く先はウォーリーで描かれていたようなユートピアなのではないか。摩擦がなくなって、緩やかに私たちは滅亡していくのだと志摩遼平は言った。私がこの研究をすること、飲み会に行くこと、誰かを誘うことはそれに歯向かうことなのだ、と書くとセカイ系みたいだ。
 そんな余裕がないというのもあるだろう。あの手帳に書かれた生活には、その余裕がないように思えた。自分の生活で精一杯なのに、遠い誰かのことなんて考える暇なんてないのだ。私がこんなことを言えるのは、余裕があるからだ。それは悪いことではないのかもしれない。余裕があるからこそ、誰かのことを考えることができるのではないか。であれば、この余裕を保ち続けなければならないのではないか。それは金銭的にも、時間的にも、精神的にも。そしてその余裕は、逆説的かもしれないが、計画を綿密に立てること、記録することから生まれるのだろう。
 またLINEを既読無視してしまった。電話した方が早いのにな、と思ったり思わなかったり。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/10/15 午後3時記す
 『ブックスマート』を観たあと、タコスを食べ、バーへ行き、朝方までやっている居酒屋で飲んだ。タコス屋ではメスカルという酒を飲んだ。虫をすりつぶした辛いスパイスのようなものをかけたオレンジと一緒に。ショットは初めてだった。以前、中学校の同級生と原価バーに行った時に、飲む流れになったが、お前は別に飲まなくてもいいよ、と言われて結局飲まなかった。そこで強がって飲むという男気のようなものはあまり好きではない。いや、好きであってはいけない、と思い込んでいるのだ。
 大学に入った時に口の中の粘膜からDNAを採取し、お酒に強いかどうかという検査を行った。僕はお酒に弱いけれど、顔が赤くならないタイプらしい。したがって、お酒に強いと勘違いされて飲まされるので気を付けろということだった。僕はこの話をよくする。飲めないのに飲んでいるんだよ、と相手に伝えたいのかもしれないな、と今書いていて思った。そういうのはもうやめた方がいい。
 店員さんがメガネのストラップにマスクを引っ掛けていて格好いいなと思った。後日、STUTSのYouTubeでの配信を観た時に、長岡亮介もそうしていて格好よかった。
 ずっと行ってみたかったバーに入る時、マスターになんて声をかければいいのか分からなくて戸惑った。昼間は喫茶店として営業しているバーで、一度だけコーヒーを飲みに行ったことがあった。壁にはmid90sのポスターが貼ってあった。格式ばったバーという感じではなく、マスターと言うのはなんだか変な感じがする。店主、の方がしっくりくる。なんて声をかければよかったのだろう。などと考えつつほとんど何も覚えていないけれど、映画や音楽の話をした気がする。
 帰宅してすぐに寝た。
 そこから数日何をしていたのかあまり覚えていない。
 9月9日
 高校の時の友人たちと台湾料理を食べながら飲んだ。6人のうち就職予定だった二人が無事内定をもらったとのこと。いつの間にか大学の卒業が目前に迫っていて、ついこの間までは浪人生で一緒に頑張ろうと話していたのになと思う。早い。高校時代の友人たちが今どうしている、などという話をした。そういうのが嫌だったと後で一人から聞いた。
 じゃあ何を話せばいいのだろう。どのくらい踏み込めばいいのか、ということを話しながら考えるようになった。これを言うと喧嘩になるかな、と言う時に僕は避けがちである。大して何も考えていないので、突っ込まれると何も言い返せないから、というのが大きいけれど。直感的な人間だな、と自分では思っている。何かをじっくり考えている人だと思われがちな気がする。案外そうではなく、単にアホであると思って話してくれると助かる。みたいなことを言っておけば、もっと楽しく、正直に話すことができるようになったりしないだろうか。
 友人のうち一人が、恋人とあまり会わないのだという話をしていた。気になったけれど、どういう関係性なのか詳しく聞くのが怖かった。気を遣いすぎなのかもしれないし、もしかしたら本当は話したくなかったのかもしれないからそれでよかったのかもしれない。それは本人にしか分からない。でも僕の振る舞いによって、自分のプライベートを話したくない人だ、という風に周りに感じさせたのかもしれない。気を遣わないように振る舞う、という気をうまく遣えればと思う。きっとそれは可能なはずで、注意深く、繊細にコントロールすることができるようになりたい。「愛と注意深さは同じじゃない?」みたいなセリフが『レディバード』に出てきてとてもいい言葉だなと思った。注意深く観察するということでもあるし、注意深く接するということでもある。
 性風俗に関する話題がこのメンバーだと挙がるのだけれど、上手くなんと返していいのか分からない。別世界の話だな、と感じるし、別にそれでいい気も今はする。
 二軒目の居酒屋で、以前働いていたバイト先の先輩から今度飲もうという誘いがあった。先輩の友人であり、久しく会っていなかった高校の時の部活の先輩も来るということで、二つ返事で行きますとLINEを返した。
 始発までうどん屋でワードウルフをしながら過ごして、そのままアパートまで帰った。つい飲み会の最後の最後までいることが多いけれど、途中で帰るということがたまにはあってもいいのかもしれないな、と『あざとくて何が悪いの』の第一回を見て思った。あざとい、という形容詞がポジティブな意味で使われ始めたのはいつからなのだろう。
 9月10日
 少し寝て夜、自宅でラッパーの友人たちとレコーディングを行った。自分の作りたい感じの曲ではない。でもそれはジャンルの幅を広めるいい機会になるだろうと思ってやってみた。ということで納得している。ドラムに関してはlogicのdrummerそのままで、こちらからするとそれでいいのかという気もするし、管楽器の音もlogic付属の音で、ペラい感じがしてこれでいいのかなという気持ちが正直あった。mixで音を太くしたりタイミングを生っぽくしたりということにこだわってみたけれど、気づいてくれただろうか。などと思いつつ、レコーディングの作業は夜まで続いた。割とぶっ通しでの作業が苦にならないタイプである。誰かに見られていたり、追い込まれていたりする場合に限るけれど。結果的にいい感じに仕上がったのではないでしょうか。まあでも、テンプレ通りで実験性がないな、とも思う。
 結局、求められるのが誰かの真似なら俺がやる必要なんてないのでは、とも思う。といろんなクリエイターが言っていたことが実感としてわかるようになった気がする。実際に何かを作るということは大事だ。アーレント読まなくちゃ。
 出来上がったものをtwitterに貼ってみると、高校の時のクラスメイトが褒めてくれた。ありがたい。いろいろなことがあったけれど、ちょうどいい距離感なのではないかと思う。
 9月11日
 野球を見に行った。
 9月12日
 中学時代の友人と飲んだ。彼はもう働いていて、翌日から長崎で出張とのことだった。半年間は長崎にいるらしい。マッチングアプリや街コン、派遣バイトについて教えてもらう。別世界の話だな、と思いながら話を聞いていた。派遣バイトは登録してみようと思った。いろいろな職業を体験するということは面白そうだ。体験、というか実際に働くわけだけれど。実際に働いてみないとその業界のことはなかなか分からない。僕も自分の働いていた予備校がどのような仕組みで回っているのかということに関してはだいぶ詳しくなったし、何が問題か割と言語化して話せるようになってきたと思う。そういえば、それもいつかこの日記に書いたからなのかもしれない。
 9月13日
 10日にレコーディングしたラッパーのうち一人の別のクルー合計3人とレコーディングをした。うちサイファー はしたことがあるけれど、まだヒップホップをちょっと聞き始めたぐらいの一人は後半の8小説が英詞で驚いた。一応、僕のやっていることはプロデュースになるのだが、どれくらい口を挟んでいいのか分からない。そこのフロウはさ、とか言っていいのだろうか。悩んでいそうなところでこうしてみたら、と口を出してしまったけれどはたしてよかったのだろうか。
 遅れてやってきたもう一人はラップをするのが初めてということだった。きれいな金色に染めた短髪の彼は、とても緊張しているようで、声が少し震えていたし、ラップ自体もはじめは16小説にうまくおさまらなかった。どれくらい助言をしていいのか分からなかった。DAWの中でなんとかしようとした。よくなかったなと思う。彼にどうしたいか聞くべきだった。大学を辞めて、街で薬をたまにやったり、pornhubをたまに見たり、そして大切なのは友人と家族で、という内容のラップに切実さのようなものを感じた。当事者のことは当事者にしか分からないけれど、こういう形で関わることができてよかった。僕はこれまで不自由なく幸せに育ってきて、そんな僕に何ができるのだろうと最近よく考えている。大学でなんの研究をするのか、という指針もそれだった。それは置いておいて、数時間にも及ばないけれどレコーディングをしたこと、そして出来上がった曲が彼のためになっていればと思う。
 9月14日
 昼からゼミがあった。
 以前働いていたバイト先のO先輩、先輩の彼女、先輩の友人で僕の高校の時の部活のT先輩の四人で飲んだ。20時ぐらいから飲みはじめて、8時ぐらいまで飲んだ。人生で一番長く飲んだと思う。結構な量飲んでさすがに酔ってはいたけれど、フラフラになるほどというわけではなかった。実はお酒に強いのかもしれない。O先輩が作ってくれたウイスキーをピルクルで割ったやつが美味しかった。自分はちびちびとなら長時間飲むことができて、しかも理性を保っていることができるやつなのかもしれない。若いだけか。久しぶりに焼酎を飲んだけれど、意外と大丈夫になっていた。お酒だと食わず嫌いということがない。飲まず嫌い、かもしれない。
 T先輩とは四年半ぶりぐらいに会ったのだけれど、関西弁を使う時にちょっと性格がきつくなる程度で、変わっていなかった。関西弁自体にとげを感じているのかもしれないし、違う言語のようなものだとしたら、実際に性格が変わっているのかもしれない。今度その辺を聞いてみようと思う。
 途中、恋愛の話になった。偶然だけれど、T先輩も僕と似たような人と付き合っていたらしい。気持ちの浮き沈みにムラがある人と。自殺を仄めかすような人と。O先輩は、すぐに切ればいいじゃない、と言っていた。そう思えたらどれだけ楽だったろうし、それも正解なのかもしれない。でも、彼/彼女が死ぬかどうかは、事後的にしか分からないのだ。それはある意味で、自分の責任を、罪悪感を軽くしたい、ということなのかもしれない。罪悪感に対する鈍感さの話だ。
 O先輩は浮気をする。O先輩の彼女も。二人の関係のことだから僕にはそれがいいとか悪いとか判断する権利はない。O先輩が性的に奔放なことはかつてのバイト先では有名な話で、その浮気相手から妊娠しているのかもしれない、と僕は相談を受けたこともあった。でも、彼女が浮気したことを聞いてO先輩はショックを受けたらしい。その相手がバンドマンで、とも言っていた。その情報を言う必要性ある?と思ってしまった。どこにショックを受けたんだろう。自分は浮気ばかりしていたのに、相手の浮気に落ち込むのには筋が通らない、とも言っていた。へー、と思った。どうでもいいや、とも。O先輩の彼女が寝たタイミングで、浮気について聞いてみた。実際は寝ておらず、先輩と彼女がちょっと険悪な雰囲気になったため、僕とT先輩は廊下に避難した。T先輩は僕の研究テーマの話をとても真剣に聞いてくれて、とても嬉しかった。先輩も似たようなテーマに関心があるらしく、頑張ってね、と言ってくれた。
 ともあれ、僕の行動指針が罪悪感を減らしたい、ということがわかってきた。責任を負いたくないということでもあるし、それは相手に責任を負わせるということでもある。言い換えれば、自分が加害者ではなく、被害者になろうとしている、ということだ。なぜなら、被害者の立場にいることには楽な側面があるから。これは実際に何かの被害に遭われた人がずるい、と言っているわけではない。そうではなく、被害者にならなくてもいいのに、あえて、加害の怖さから目を逸らして、被害者になろうとしているということが僕の問題なのである。
 こういったことを考えているのは、東浩紀と國分功一郎の影響だろう。彼らの哲学のほんの一部しか理解できて���ないけれど、それはかつての辛かった恋愛を乗り切る上での支えとなっている。傷つける、ということは、自分も刺される覚悟を持つということである。そうやって深くなる関係もある。でもそんなサイヤ人みたいな生き方はどうなんだ...という思いもまだある。けれども、相手を頼ることで、自分を頼ってくれやすくなる、ということはきっとあるだろう。
 元恋人は自分ばかりが頼っているようで嫌だと言っていた。簡単に言えば、僕は受動的すぎるのだ。誰かに迷惑をかけるということ、誰かの人生に責任を持つということを注意深く、丁寧に行えるのかことについて考えている。それは技術のようなものだろう。生まれ持った性格が、と言っていても何も始まらないし、それは生まれついた環境によって規定されるのだから仕方がない、ということと同じだろう。そういう側面も否定できない。けれども僕は、それに抵抗するべきだ、と元恋人に訴えていたのではないか。お前は自分の生まれ持った性格を変えようとしないのに、自分にはそうしろと言うのは違うのではないか、と。
 生まれ持った性格が優しい人と、技術で優しく振る舞っている人のどちらが好きか、という漫画をtwitterで目にした。後者の方が頑張っているから好き、という結論だったと思う。本心ではそう思っていないだろ、と言われることを恐れているように思う。だから何だ、と言い返してやればいいかもしれない。
 朝になるとT先輩はさすがに酔いが回ったようで、泣いていた。泣き上戸っているんだな、と思った。O先輩は彼女と二人きりにした方がいいだろうという雰囲気を察し、T先輩はうちで少し寝てもらった。帰った後、ラインで何事もなかったかと聞かれたが、何事もなかった。12時間飲んでベロベロな人に何かするなんてことあるのだろうか。
 9月19日
 また同じ四人で飲んだ。T先輩がなぜ院に進まず、就職したのかという話を聞く。経済的なことが原因とのことだった。O先輩の彼女も奨学金の話をしていた。母も祖母も叔母も私が経済的に苦しむことがないようしてくれていたし今もいるのだな、とありがたく思う。元バイト先でも経済的なことが原因で行きたい大学に行けないという生徒がいた。無力だな、と思った。それぞれ様々な背景があるのだ。そのことへの想像力が僕には少ない。帰省している友人からTENETを見ないか、という連絡もあり、T先輩と同じ電車で帰る。お別れが苦手なのだ、という話をした。寂しがりなのかもですね、という話も。先輩の言っていることがとてもよくわかる、ふりを自分はしているんじゃないか、と思った。まるで自分にも言い聞かせるように。
 駅で元のバイト先の同僚と遭遇した。軽く飲んだ。O先輩のかつての浮気相手もいて、ちょうどO先輩とO先輩の彼女と飲んできたところです、と言うと、どーでもいい、と言っていた。何度も何度も。
 9月20日
 友人と『TENET』を観て、サイゼリヤで飲んだ。前回の台湾料理の飲み会で、昔話だとか、あいつがどうとかの話ばかりだったことを嘆いていた。もっとふざけたいのだと。一人でふざけているように感じた、と。確かにな、と思いつつ、昔話をするしかないという気持ちもわかるな、と思った。他に共通の話題がないから。どんな話をするのか、それも技術だ。知識の前提が同じ人だと会話は弾むだろう。でもそれじゃつまらない。ただの内輪ネタじゃないか。技術なのであれば、リストのようなものを作ることが可能なはずである。
 9月21日〜10月14日
 疲れてきたので箇条書きにしておく。気が向いたら詳しく書こう。
・元バイト先の後輩と飲んだ ・帰省した ・じいちゃんに会った ・歯医者に行った ・『インセプション』を観た ・『レディバード』を観た ・『ムーンライト』を観た ・『mid90s』を観た ・『行き止まりの世界に生まれて』を観た ・『ベイジルタウンの女神』を観た ・『ラストブラックマンインサンフランシスコ』を観た ・『オンザロック』を観た ・元生徒の合格祝いをした ・大学の友人たちと飲んだ ・山本直樹を何冊か読んだ ・『チェーンソーマン』を読んだ
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peke-kakeru · 4 years
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2020/10/13 午前1時記す
 どこまで書いたっけ。確か、9月はじめの飲み会までだ。昨日、またそのメンバーと飲み会をしたけど、9月に何をしていたのかという話をあまりしなかった気がする。何を話していたんだろう。
 9月5日、友人と『ブックスマート』という映画を観た。プロムだったり家でパーティを開く文化が日本にもあればいいのに、みたいな話をした。日本だとカラオケか、ラウンドワンか、ファミレスや焼肉で打ち上げか、ぐらいなんだと思う。自由に移動できるというのが重要。そう言えば、ラウンドワンに行ったことがない。それは良いとして、お前は恋したいと言いつつ今すぐにはしなくても別に良いという態度が良くないということで叱られた。まあ、でも素直な気持ちではある。前回も書いたような気がする。自分から誰かに出会いに行こうと必ずし積極的に動かなければならないわけではないだろうに。自分の自由な時間と天秤にかけてしまっているのだと思う。その天秤は、どんな人に出会うかによって傾きは変わるわけで、流れに身を任せるしかない気がする。
 小中学校の同級生が結婚して、家を建てているという話を聞いた。すごいなと思う。それに比べて俺は、とか言ってみたりもする。もういいよそういうの、ってことに似た怒りだったのかなと思う。とりあえず言ってみているだけなのだ。いくらでもそれに補足をつけることはできる。いい高校を出て、いい大学に行くことが本当に幸せだったのかな、とか。そしてそれは、人それぞれだろ、でだいたい丸く収まる話なのだ。そんなことはわかっている。わかっているけれど、そういう大きな何かのせいにすれば楽だから。きっとそれはグルーミングのようなものなのだ。でも本当は、僕の、あなたの、彼の個人的なことに向き合っていくしかないのだ。
『ブックスマート』はとってもいい映画だった。『フレンズ』のフィービー役の俳優が出ていて驚いた。『13の理由』だったり『セックスエデュケーション』を想起した。親友とのある意味で依存のような関係をどう解消するのかという話でもあったと思う。本当は言わなければいけないことを、このままではよくないことを放置して関係を続けているということは、色々な人間関係の中である。僕はなあなあでやっていって、いつかふとあわなくなるというのでも、それはそれでいいと思っている。衝突が好きな人もいる。きっとその方が関係は深くなるのかもしれない。でも僕は相手の本質みたいなものに触れるのにもう疲れてしまった。そういう意味では、まだ、元カノのことを引きずっているのかもしれない。本当は健全に喧嘩をできるようにならなくちゃ。中学校の頃までは、きっとできていたはずだ。より高次の優しさを持てればいいのでは、という話を昨日友人とした。それにはまた今度触れよう。まだ一日分ぐらいしか書いていないけれど、今日はこれで終わる。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/09/28 午前1時記す
 前回の日記を見返すと書かれたのは7月の頭だった。教授の部屋に入るのがしんどいという内容だった。翌日、大学へ行ったものの教授はおらず、結局、メールで用は済んだ。ビビりすぎである。これからもずっとこれを繰り返していくのだろうと思う。もし自分が部屋を持つような役職につくようなことがあるのなら、部屋に入る人が気兼ねないような方法を伝えたいと思う。
 この三ヶ月、いろいろなことがあった。けれど日記をつけていなかったから抜け落ちている記憶がたくさんある。7月の記憶は皆無である。7月、もしかして、誰とも会っていないのではないか。全く何も思い出せない。藤原さくらのライブ配信があったのは7月だったかしら。週に一度のゼミと講義のために、なんとか頑張って起きていた記憶はある。院試の勉強に本格的に取り組み始めたのが多分7月だ。
 8月の頭、同級生たちと飲んだ後、海岸まで花火をしに行った。毎年、決まってその日はその海岸で花火大会があるのだけれど、コロナの影響で今年はなかったから、その代わりにということで友人が会を開いてくれた。去年もそのメンバーで花火大会を見たのだった��一年が経つのは早いな、だとか、あっという間に四年生だ、だとかありふれた話をした。花火で文字を書いて、それをスローで写真に撮ったり、線香花火をして途中で落ちた人は院試に落ちるのだ、などとふざけたりもした。ありふれた話をするのが、過去の話をするのが嫌だと思っていた時期もあるけれど、最近は割とすんなりとそういった話をすることができるようになってきた気がする。四人のうち二人は来年はもう離れ離れになるかもしれない、ということで私はしんみりした気持ちでいた。友人たちもそうだったのかもしれないけれど、なんとなく確認はしないでおきたくて、口には出さなかった。
 その日にはかつてのバイト先での元同僚たちがそのバイト先に遊びに行っていた。ダブルブッキングで、院試もあるし、ということで参加しなかったがまたいつかその面々には会いたいと思っている。数日後、そのメンバーでのオンラインでの人狼に誘ってもらったけれど、またも院試があるということで断ってしまった。誘ってくれてありがたく思う。院試の準備が万端であればそういったことにならずに済むのだ。いつも追い込まれてしか始めないし、加えて心配性である。何度も同じようなことを書いてきたし、これからも反省し続けるのだと思う。ならなんとかしろ、とも思うがこれが性格というものなのだろうと半ば諦めている。善処はしたい。
 8月の中旬、院試があった。とても緊張した。面接試験で、目を瞑っている教授がいてムカついたし、自明だろと思う質問をされてイラッとしたりした。生意気な態度だったと思う。初日の英語の試験が全く間に合わなかった。マスクのせいで集中できなかったということにしている。半分は本当で、半分は言い訳である。無事受かることができて本当によかった。
 院試が終わってすぐ高校の時の友人たちとBBQをした。海岸沿い、夕暮れ時でとてもよい場所だった。食材の量は少し物足らなかったのかもしれない。恋愛をする前から、恋愛が怖いと言っていてどうするのだ、たった一人の経験で語るなよ、みたいなことを言われた気がする。恋愛はいいな、と思っているからといって、今すぐにしたいというわけではないということを、あるいは、今すぐにしたいからといってできるわけではないということをわかって欲しいなと思った。私は余裕のある時にしか恋愛ができない人なのかもしれない、と最近思う。余裕とは、精神的な、金銭的な、時間的な余裕のことである。たまたまいいなと思う人に巡り合うのを待つ、巡り会えなかったらそれまでだということだ。消極的なだけである。この話はまた後で出てくるから置いておこう。
 それから一週間はゼミの発表のために注いだ。悪くない発表ができたと思う。だいぶ慣れてきた。教授があなたは院に行くのだから、と発表前に言ったのはネタバレだったのかもしれない。
 発表の準備のために本を借りにその辺りで一番大きいであろう図書館へ行った。駅から出て図書館へと向かう間、高層マンションの群れを見た。中でも一際目立つ、縦にも横にも大きなマンションにびっくりした。まるで城のようだった。あそこにはどんな人たちが住んでいるのだろう。窓からは海が見えるのだろうか。経済格差...文化資本...などとありがちなことを思いながら歩いた。とても大きな歴史を感じる図書館だった。自動貸し出し機で本を借りようとしたものの、数ヶ月延滞したままのものがあり、借りることができなかった。前日に返したのに要注意人物と思われて、カウンターまで来いということなのだろうかと思い、怒られたくないので本は戻した。小心者である。翌日また行くと今度はすんなりと借りることができた。
 発表の数日前に息抜きということで角打の常連さんの誕生パーティへと赴いた。幼馴染みも来ていたもののほとんど会話と言える会話をしなかった。話はしたけれどとても空虚なものだった。ああ、そうか、その前に角打に行ったのが7月だったのだ。その日は街を二人でぶらぶらしたものの、ほとんど僕が行きたい店へと行った。昔は彼女が行きたいところが大半だったのに。彼女が行きたいと言って行ったお店は彼氏へのプレゼントを買うための店と、彼氏に構いきりで怒っている母親へのお詫びのプレゼントを買うための店だった。嫉妬、ではないけれど、どこか寂しい気持ちになった。角打で飲み終わった後、二人別れて帰ったのだけれど、彼女が家に帰ってこないということで彼女の母親から連絡が入った。慌てて彼女と最後まで一緒にいたはずの女将さんのラインをなんとか手に入れ連絡をしたものの返信はなく、とても心配したのだった。結局、ただ帰るのが遅くなっただけだったのだけだった。遊びに行くといつも彼女は母親とラインをしていた。必ずいつ帰るということは報告する人だった。だからとても心配したのだ。僕には、無事帰りました、という報告だけで、謝罪の言葉も何もなかった。これだけ心配して、色々手を回したのに、それだけかよと思ってしまった。でも、それは伝えなかった。伝えられないような関係になってしまったのだなと思った。彼女とどう向き合えばいいのかわからなくなっている。その状態で常連さんの誕生日パーティだったのだ。もしかしたら彼女は何か言おうとしていたのだろうか、言いにくい雰囲気にしてしまっていたのだろうか。多分、それは僕だけのせいじゃないのだ。そう思いそうになることそのもののせいで、こういった関係になってしまったのだと思う。昔の恋人のことを甘やかしすぎだ、許しすぎだと友人に言われたことがある。適切に怒ることができるようにならなくては、と思う。どうすればいいのだろう。今の僕にはそれがとてもできそうにない。
 ゼミの発表が終わり数日何をしていたのか思い出せない。確か、花火大会に行ったメンバーに一人加わって院試お疲れ様の会があったのはその辺りだ。そうだ、それは発表の日で台風が来ていて、とても風が強かった。友人のうち一人が、恋人と関係を初めてもとうとした時にうまくできなかったという話をしていた。今月中には卒業するのだ、と。ホモソーシャルな場になっていると違和感があった��れど何も言えなかった。何も言わないということが何かの表明になっていればいいと今は思う。会が終わり、深夜3時ぐらいに強風の中、友人を家の近くまで送って帰った。あの時間が僕はとても好きだ。
 今日はこれぐらいにしておこうと思う。明日は8時には起きないと。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/07/01 午前6時記す
朝6時だ。恐らくというか間違いなく寝たほうがいいのだけれど、気が向いたので久しぶりに書く。夜書いた文章は感情的になってしまってよくない、みたいなことをよく言いますがこれは朝なのか夜なのか。寝る前に書いた文章は、に変えてほしい。
一年の半分が終わった。お正月だったり、誕生日だったり、夏休みの始まりだったりとキリがいい時に頑張ろうと毎回思うものの、数日経ってしまうとそんなことはすぐに忘れてしまう。
一ヶ月に一度、卒論の進捗の発表がある。発表の前の一週間はそのことで頭がいっぱいになる。他のことが手につかない。シャワーを浴びずに寝てしまい、朝起きてから、という日が4日ほど続いた。部屋が散らかる。試験の時も、というか、締め切りがあるといつもそうなる。何とかしないとなと思う。体重を測ってみたら54kgだった。私の身長は175cmだ。さすがにまずいと思う。昔太っていた時期があって、まだその脂肪は残っている、なんてことはないのだろうけれど、つまめる。一体どの部分がなくなって体重が落ちているんだろう。やっぱり筋肉なのか。
複数の人の前で話すのが苦手である。どんな喋り方をすればいいのかわからなくなる。媚びた喋り方をしているような気がする。小学生の時に、笑い方がわざとらしいと指摘されたことがある。不自然に表情を作ってしまっている時がある。オンラインのゼミだから余計に表情で何かを伝えようとしているのかもしれない。多数の正面をじっと向く顔を見ながら話すことなど滅多になく、それが日常的にあるのは教師ぐらいじゃないのか。
教授の部屋のノックをした後どうすればいいのか分からなくて悩んでいる。今一番悩んでいることはそれだ。しょうもな。職員室が苦手だった。小学五年生の時、クラブ活動というものが始まり、週に一度、担当の先生にその日のクラブ活動では何をするのかを聞きにいかなければならない係だった。それが憂鬱で憂鬱でたまらなかった。何か嫌だったんだろう。大人たちに一斉に見られることなのか、その先生が嫌いだったのか。中学の頃は別に大丈夫だった。高校は嫌だったな。怒られる、というか、誰かの不機嫌な姿を見るのが嫌なのかもしれない。どうなんだろう。自分の性格を形成している何か根幹のようなものの一つだと思う。向き合わなければならないのだろう。
さて、今日は昼前に起きることができたら大学へ行こう。怒られても、不機嫌を向けられても別にいいじゃないか。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/04/30 午前2時記す
昨日ゆっくり時間をかけてストレッチをしたせいで、したおかげか筋肉痛に襲われている。それほど激しい動きはしなかったのだけれどこれだけ体に影響が出るとは思わなかった。20年くらい生きてきて初めてこんなに体を意識してストレッチをした。来月からはYouTubeでよく見るダンサーがオンラインでレッスンを始めるらしい。レッスンを受けてみようと思う。家にずっといると体を動かさなくなったな、と思うけれどもとよりあまり体を動かす生活をしていなかった。バイトに行くときにちょっと長い距離を歩いていただけだ。
時間があるので読もう読もうと思って読んでいなかったマルクスの『資本論』にチャレンジしている。わかっていたことだけれど難しい。ところどことなにを言っているのかわからない。同じ話を何度も繰り返すし、具体例が長い。本来の値段よりも高く売るのは騙しているだけで、それが重商主義だという話があった。以降それについてはあまり触れられないのだけれど(剰余価値は本来はしなくていい労働時間によって生じるという話ばかり出会う)それって結構大事なことなのではないか。転売ヤーとかってどうなんだろう。そんなことを考慮しないわけがなく、単純に読み違えているか今後どこかに書かれているのだと思いたい。当時のイギリスの工場で働く子供達の話が出てきた。違法な長時間労働で体を壊していく子供達のために、という気持ちもあったのだろうか。わからないことばかりだ。よく考えるとミクロ経済学との関連も知らない。どうフェミニズムに絡んでくるのかもまだわからない。もっと早く読み始めればよかった。
ずっと『資本論』は疲れるので合間にちくま文庫のフーコーコレクション6の「社会医学の誕生」を読んだ。ドイツは国家医学、フランスは都市医学、イギリスは労働力の医学という順に社会医学は形成されてきたという話だった。
医学は初め、労働者たちの健康のことは意識していなかった。18C初頭にドイツでは公衆衛生の発達のために医療が発達し、医学教育を国が公的に管理するようになる。フランスではまず軍人が規範化されたが、ドイツではまず医学と医者が、そして病人が規範化された。ドイツではまずはじめに医学が国によって統制され、それによって19Cに臨床医学が発展した、という順番。これが国家医学である。
18C末のフランスでは都市の発達に伴う政治的、衛生的な恐怖や不安が生まれる。ペストへの緊急政策についてはここに書かれている。住民は自宅にとどまること、町をいくつかの地区にわけ、各地区は特別に任命された者の責任の下に置かれること、検査官が日中は通りを見張ること、そこで見たことを首長に報告すること、毎日すべての家を検査しその家の人が生きているか確認すること、などが対策として取られていた。ハンセン病患者を隔離する方法に対して、こちらは緻密に記録、管理され監視された空間の中で社会を保っていく対策だった。これは宗教的な排除のモデルから、軍事的なモデルへの移行である。墓の個人化は宗教的な理由ではなく、医学的、政治的な考えによるものだという話も興味深い。また、伝染病の起きる理由の一つに都市の構造があるとされ(果たしてこれが科学的に正しいのかどうかはわかりかねるが、例えば空気の通りが悪いというような理由で)、町づくりについての政策が作られるようにもなる。これまでは私有地や私有財産にまで政策が関与してくることはなかった。人間の個人の身体への関心というよりは、大気や水といったものを研究する科学へ医学が組み込まれたのが、都市医学だったということである。公衆衛生という概念もこのときに生まれた。
なぜここまでは貧しい人々が医学的な脅威となっていなかったのか。まず数が少なく、また、郵便やゴミ収集などで活躍していたからである。それが郵便制度や交通システムの創設によって彼らの仕事が奪われたり、コレラが彼らの間で蔓延したりする中で、都市の中で貧しい地域と豊かな地域が分けられる。税金によって彼らの健康を保つような政策が取られていくが、これはもっとも彼らのためではなく、彼らを管理しやすくし、それによって豊かな人々を守ろうとするためであった(例えば疫病の蔓延から)。予防接種の確認や病気の記録は、貧しい地域の監視が目的であった。権威主義的な医療化から逃れたいと望む人たち、宗教的なグループもあった。
大雑把にまとめるとこのような感じである。結局「生権力」という言葉は出てこなかったけれど、なんとなく言いたいことは掴めたような気がする。あなたたちを救うためですよ、と善人のふりをしているけれど、その裏には管理、管理しようという権力側の欲望がある、というようなことだろう。
これを今に置き換えて考えなければならない。数週間前、緊急事態宣言が出る少し前、友人たちと食事をした。焼肉を店に食べにいくつもりだったがやめた。海なら密ではないし大丈夫だろう、となりかけたが警察にもし遭遇してとやかく言われたら嫌だということでやめた。僕は警察にとやかく言われようが気にしなくていいと思ったけれど、それを言うのはやめた。数日前、いつもならまばらに人がいる時間に誰も歩いていない通りを歩いていると、パトカーがパトロールしていた。そこまで見えなかったけれど、二人乗っていたのかもしれない。やだな、監視かよと思った。もし僕が誰かと一緒に外で話していたら何か言われただろうか。以前、公園でサイファーをしていただけでどこかの誰かが通報してやめるように言われたことがある。今ならもっとだろう。それは何ら問題のないこととされるのだろう。幸い僕には今パートナーもおらず、家族も健康で、もとより家に一人でいるのも何ともない性分だから困ってはいない。それが嫌な人もいるだろう。もし僕にパートナーがいたら、遠かろうと会いに行っていたと思う。もし親しい友人や家族に何かあったら会いに行くつもりだ。
あなたのことを思って、もしくは、他の人の迷惑になるから、と言われるとなにも言い返せない。それは善意を、正義を振りかざしているだけなのだ、と自信を持って言うことが、ましてその人に指摘することが僕にできるだろうか。
まだそういう人に会ったことはない。けれどいつか戦わないといけない日が来るのかもしれないと思うと憂鬱である。
いい人のふりをする人を見るとムカつくのが嫌だった。本当は裏で何か思っているんでしょう、と考えがちな性格だ。友人に君だって本当は風俗に行きたいんだろう、と言われたことがある。僕はそういう行為よりも、どこかへ行ったりする方が好きなんだけれど。例えば一緒にどこかへ出かけて写真を撮るということの方がずっといい。それは格好つけじゃない気がしているし、そっちの方がよっぽど恥ずかしいことのようにも思っている。でもそこには、自分が上に立ちたいという気持ちがあるのかもしれない。写真にはそういうところがあるような気もする。とりとめもなくなってきた。
本当に裏がない人の方が厄介かもしれない。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/04/28 深夜3時記す
約一ヶ月前に辞めたバイトのことを考えている。一緒にやめた友人がライングループを抜けた。僕はまだ抜けていない。何か一言残して退会するべきだと思う。でもなぜかそれができない。さよならを告げたい人はいるけれど、それは全員ではない。いいことを書かないといけない。こんな時期に不平不満を連ねられた文章を読みたくないだろう。
一緒にやめた先輩は一人一人にメッセージを残した。いい人ぶりやがってと思った。色んな嫌なことがあったのに、終わり良ければ全てよし、だなんてことはない。最後に褒めたからと言ってそれは有耶無耶にはならないと思う。彼の好きな音楽にそれが現れているような気がして嫌だ。その人の好きな音楽と、その人は切り分けて考えなければならないと思う。コナンくんがよく言う、ホームズが好きな人に悪い人はいない、なんてこともないと思う。極端すぎるのかもしれないけれど。
勧誘の電話がどうしても苦手だった。生徒に講座を押し付けるのも嫌だった。それは騙しているような気持ちになるからだ。もともとは自分も生徒だったから。講座をたくさん取ったからと言って必ず受かるわけではない。値段のことを気にする生徒もいる。子供が塾に行くために働いている親がいる。それを全部無視しているような気がしてならなかった。少ない講座数で志望校に受かるのが一番いいに決まっている。そんな当たり前のことすら言えなかった。それはそうだ。それが企業で、末端のアルバイトだったとしても働くということなのだと思った。
社長の言うことが絶対で、上司の言うことが絶対なのだろうか。会社のことを好きな人が多かったような気がする。会社の数字のために働いてなにが楽しいのだろう。それを達成したところで空虚だと思ってしまう。数字は数字だ。
それが何か商品を大人相手に売る、ということならわかる。相手は学生なのだ。いや、それも違う。
詐欺師だとしたら相手が大人であれ老人であれ子供であれ、相手を騙すことに苦しむ、ということはあまりないだろう。あるとしたら詐欺師をやめた方がいい。
あのバイトは、実際は詐欺なのに、詐欺師にそれは詐欺ではなくよい行いだと信じさせようとしていた、ということではないか。あなたたちがよい商品だと思い込まなければ、生徒にそれを自信を持って勧めることはできない、とある研修で言われた。カルトに似ているのかもしれない。そう思っていないとあの人たちは自分を保っていられないのだろう。それができたらとても楽だったろうな。そうじゃない人もきっといたのだろうけれど。そう考えると自分のこの葛藤もとても馬鹿らしいものに思えてきた。あの場に居続けること自体おかしかったのだ。
でも、そこでその場を去っても、そこはそのままだ。それで苦しめられる人もそのままだ。8割削減��の話に似ているのかもしれない。誰か偉い人が決めたよくわからない数値目標を達成するために、その目標の正しさは置いておいて、皆が振り回される。それに従わない人は白い目で見られる。
僕の場合、白い目で見られているという被害妄想が強すぎたのかもしれないし、白い目を内面化してしまっていたのかもしれない。自分は間違っているのかもしれない、と思い続けることは大切だ。それじゃあ自己肯定感はさがるのかもしれないけれど。
断定的な言い方を避ける癖がある。
ずっと昼夜逆転している。早起きした時の方が1日の充実度は高いのだけれど。
論理が通っているってそんなに大事なことなんですか。それから漏れる何かが大事な気がする。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/04/17 午後11時記す
久しぶりに書く。
久しぶりに早起きをした。完全に昼夜が逆転した生活を送っていたから、徹夜して無理やり戻した。明日にはどうなっているのかわからないけれど、これを書き終わったらすぐに寝るから大丈夫だと思う。
早く起きるとなんでもできる気がする。1日が長く感じる。昼前にabletonで曲作りを3時間ぐらいして、ご飯をたいている間に洗濯物を干した。シンクに生ゴミが溜まっている。なんとかしなければ。なかなか勇気が出ない。
インスタグラムに作っている途中の動画をアップしたところアメリカのラッパーからメッセージをもらった。スラングばかりでなにを言っているのかわからなかったけれど、褒められているようで嬉しかった。
今日が誕生日の友人におめでとうのメッセージを送るも返信がなく少し凹んでいる。当日に言われるのが嬉しいと言う話をしたから送ったのに、やっぱり嫌だったのだろうかなどと悩むも、それ自体が気持ち悪いなと思いはじめこれ以上はキリがないから考えるのをやめた。
TOEICの公式問題集を数問解いて、休憩がてらにtwitterを見ていると中止とのことで笑った。院試どうなるのだろう。
コンビニや弁当屋では天井から透明のビニールのようなものがぶら下げられている。でもお釣りや商品はもちろん手渡しだ。なにが良くてなにが悪いのかよくわからない。
ほとんど家にいただけで、なにもないけれど、これだけ書くことはあるのだ。まだ未読のラインが18件溜まっている。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/01/31 午前1時記す
 人が大勢いる場所に行くのが苦手だ。初対面の人だったり、久しぶりの人に会って話をするのも苦手である。そういう場所に行く直前まで、どんな話をしようか、どんな話し方をしようか、どんな心持で話そうかと考えている。
 でも、その場に着いた瞬間にそのことは忘れてしまう。話しながら話している自分を客観視できればいいのだけれど、なかなか上手くいかない。別にする必要はないのだけれど。
 演奏だったりすると、それは重要なのかもしれない。いや、客観視しながらも、没頭している状態、それがゾーンと言われるものなのかもしれない。
 結局、何を言いたいのかというと、格好よくなりたいのだ。そして頭がよくなりたい。初対面の人にも気軽に話しかけたい。そうなるためには普段の生活が大事なんだろう。その場だけで、だなんて無理だ。
 以前に比べればだいぶ話しかけに行けるようになったような気がする。怖気付いている、もしくは気弱なふりをして相手に取り入るのは卑怯だ。
 無駄な時間を過ごすのはやめにしないと。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/01/27 午前2時記す
 前回の日記から約20にちが経った。今年に入ってもう一ヶ月が終わろうとしている。別に新しい年になったからと言って別に何かが変わるわけではないのだとつくづく思う。相変わらず去年と同じような、いや数年前から同じような生活をしている。
 この20日間で映画を三本観た。「パラサイト」「この世界のさらにいくつもの片隅に」「マリッジストーリー」どれもよかった。そもそも前評��が素晴らしいものしか観ていないのだからそれは当たり前なのだけれど。それにNetfrixで「セックスエデュケーション」のシーズン2も観た。
 MCバトルの大会にも行った。Future Funkのクラブイベントにも行った。なんだかなあという感じだったけれど。
 これだけ色んなものを観たり聞いたりする時間があるのだから、それを他のことに当てていたら、なんて毎回思うのだけれど、結局YouTubeを眺めながら1日を終えている。
 思えば高校一年生ぐらいの時から、いやスマホを持ち始めたぐらいからこんな感じだ。しつこいぐらいに繰り返し言っていることだけれど。そろそろ試験期間だ。追い込まれず余裕で乗り切りたい。何かのきっかけにしたいと思う。そのためにもそろそろ寝よう。
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peke-kakeru · 4 years
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2020年1月8日 午前2時記す
週末の飲み会以降、うまく睡眠をとることができていなくて調子が悪い。今年が始まってまだ一度も自炊していないし、運動もしていない。
今日は昼頃起きて、ゼミに行き、なすのボロネーゼを学食で食べて帰宅。ナスが二切れしか入っていなかったのだけれどとても美味しかった。とても風の強い日だった。しかし小春日和であり、風と寒さは別なのだということに改めて驚いた。
帰宅した後、ゲンロンカフェの正月のイベントの残りを見た後、押井守監督の『ビューティフルドリーマー』を見た。久しぶりに宮台真司の話を聞いて、格好よくならなければ、と思った。容姿がどうのこうのというわけではなく(しかしまあ、努力して変えられる部分は努力するとして)、振る舞い方や日々の過ごし方として。年末から年始にかけて人と飲む機会、話す機会が沢山あったのだけれど、あえて自分を卑下するような話し方、振る舞い方を多くしていた。なんでそんなことをしていたのだろう。無意識のうちにそう振る舞っている。自分を一周先に回って先に弁護しておこうとするような。
勉強が足りていない。昨日は言いたいことをうまくまとめられなかった。どう思われるだろうと言うことを気にしすぎている。今日のゼミでは質問にほとんど答えられなかった。
「自ら不幸にならない なろうとはしないで」 カネコアヤノ『かみつきたい』
人と比べて僕は幸せな方だと思う。だからと言って不幸になろうとはしなくていいのだとは思う。でもその分、人のことを、社会のことをやっぱり考えなければいけない。
バイト先の後輩や同期は日本の教育を変えたいと言っていた。後輩は口だけで知識があまりにも足りていない。TSUTAYAのビジネスコーナーに平積みされているような本だけを読んでいてはダメだよ。同期は自分の考えに共感してくれる人を、生徒を増やしたいのだと言っていた。それじゃあ宗教だ。
二人とも自分の考え、価値観に圧倒的な自信を持っている。羨ましいような気もするけれど、絶対そうはなりたくない。僕は葛藤している人が好きだし、何かを言い切るには覚悟と背景が必要なのだ。僕にはまだそれがない。だから勉強と経験が必要だ。それに制作も。
今日はいいビートが作れた。『ビューティフルドリーマー』はとてもいい不思議な映画だった。僕が生まれる13年前、1984年に公開されていた。すごいことだ。それから36年が経ち、アニメは進歩したのだろうか。自分の生まれる前を羨むのは、昔はよかったという懐古になるのか。なんだか違うような気がする。
明日は雨だろう。早めに家を出て、カレーを食べよう。
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peke-kakeru · 4 years
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2020/01/04 午前1時記す
年末から正月は実家で過ごした。お菓子やジュース、飲み物が際限なくある状況で自分がいかに怠惰になるのかということがよくわかった。元々、痩せすぎていたものの、たった一週間でこんなに太るのかというぐらいに太ったように思う。その原因は何か。
実家にはソファがない。これは多分、母がソファが嫌いだったからだった気がする。冬なのにこたつが出ていなかった。適当な毛布が3枚ぐらいその辺りに置いてあり、それをかけて、床の上で、ござの上で1日を過ごす。案外、床の上に長く座るというのは辛い。普段、僕はソファか椅子に座って暮らしているから、寝っ転がりようがない。机の前の椅子に座ると、何かしなきゃいけないという気になる。家に誰かいると作業中に話しかけられる。答えなければいけない。当然、イヤホンを外していないといけない。
しかし、高校受験や大学受験をした際は家で勉強していたわけだ。一体、どこで勉強していたのだろう。現役の時は床に座って、浪人していた時は机で勉強していたような気がする。あの時代のことを考えだすと止まらなくなるので今日はやめておく。
母は僕と妹が大学に行くようになり、一日働くようになった。こたつを出すのも面倒になったんだろうと思う。今日、中学時代の部活の先輩たちと飲んだ。彼らはちょうど社会人一年目である。一人は仕事以外はほとんど寝ていると言っていた。昼休みも寝ているそうだ。1日8時間は寝ているのに。それぐらいに疲れるのだと言っていた。もう一人は、マッチングアプリで出会った彼女はいるものの、二週間に一回ぐらいしか会わないのだと言っていた。そんなに働くというのは大変なことなのだろうか。
それなら僕は働きたくない。もっと楽に、ちゃんと生活を送りたい。きっとこれは甘いのだろう。母にはこれ以上、無理をしてまで働いて欲しくない。今年もお年玉をもらった。僕はバイトをしていて、もし自分がいなくなったらここは回るのだろうか、と心配になる。杞憂なのかもしれない。そんなことを気にせずに仕事を辞めたっていいのだ。だってそうなっている職場が悪いのだから。そんな発想になれたらいい。今、少なくとも僕の知っている職場は、そんなことを言っていられないぐらいギリギリで回っているような気がする。いつか壊れることはわかっているのに、なんとかバランスを保っているような、そんな気がする。
とりあえず、まだ僕の学生生活は続くわけだから、その間は生活を送ろう。運動をして、野菜を食べて、朝きちんと髭を剃って、スキンケアもして、髪もセットして、プロテインを飲んで、洗濯物を干して、掃除をして、お金の管理もきちんとして。そんなことを働きながらできるのだろうか。とてもそんな気がしない。
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peke-kakeru · 4 years
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2019/12/28 午前4時記す
 日記を書かなかったここ数ヶ月の間に色んなことがあった。たくさんのライブに行ったし、なんだかんだで去年よりも多く飲み会に参加しているような気がする。ようやく曲の制作も始めた。長くなると思うけれど、一つ一つ書いていこうと思う。日記を書くのをサボっていたから、いつ何をしたのかということを思い出せないけれど、ライブに関してはインスタグラムに写真をあげているから思い出すことができる。いまだにあまり乗り気ではないのだけれど、その点はいいのかもしれない。写真を投稿するときには、必ずナルシズムが入り込んでしまうような気がする。だからなのか自分の顔が写った写真を投稿することができない。純粋のこの写真をみんなに広めようと思って投稿している人なんているのだろうか。そんな人に私はなりたい。と思っている時点でなれないだろうし、本当になりたいと思っているのだろうか。
 11月16日、前山蒼士のライブに行った。ROOMSに行くのは、中学生か高校生の時にダイスケのライブを見に行った以来だ。授業が終わって、制服のまま電車に乗って開演から少し遅れて入場した。重い扉が閉まっていて、開けるのが怖かった記憶がある。あれから数年が経ち、入るの���怖かったライブハウスに躊躇なく入ることができるようになった。  ほぼ弾き語り、諭吉佳作/menや長谷川白紙とのコラボ曲など数曲は打ち込みに合わせてというライブだった。ギターのストロークに合わせて体が上下する際、ほとんど周期的に、たまにランダムに床を踏みつける音が、会場のせいなのかバスドラムのような効果を発揮していた。弾き語りなのにダンスミュージックみたいだった。途中、ZAZEN BOYSの「KIMOCHI」のカバー。福岡という場所で、向井秀徳の作った曲をカバーを聞けてとても幸運だった。  打ち込みの曲を演奏する際には、ipadで曲出しをしているように見えた。バンドで演奏するのは難しそうな曲ばかりなのでそうなるのは仕方がないのだけれど、違和感を感じてしまう。ラッパーのライブであれば、DJがトラックを流すわけで、それと大差ないのだろうけれど、その違和感はどこから生まれているのだろうか。とはいえ、打ち込みで演奏した曲に限らずバンドスタイルでの演奏も見てみたい。  「五月雨」で最も盛り上がっていたけれど、本人としては納得している楽曲ではないらしく、初期に作った曲、それも売れるきっかけとなった曲の方が人気というのはよくあることで仕方はないのだろうけれど、なんだかなという気持ちになった。代表曲を超える曲を作らなければならないというのは、アーティストの宿命のような気もするけれど、崎山蒼士はそんなこと気にしていないように見えるし、どう思っているのか気になる。  福岡への新幹線で水木しげるの「総員玉砕せよ!」を読んだMCで言っていて、センスがいいなと思ったけれど、まだ読んでもいないのに何様のつもりだと反省した。水木しげる、という印象だけでそう思うようになってしまっている。普段から人を、その人の好きなものや嫌いなもので判断してしまっている。その人の趣味嗜好とその人は、関係がありすぎるわけでも、なさすぎるわけでもないのだという当たり前のことを忘れてはいけない。
 11月23日、去年よく通っていた飲み屋の常連の集まりに久しぶりに友人と行った。今年は長らく行っていないのに呼んでくれてありがたい。  会の開始時刻まで時間があったので、コーヒースタンドでお茶をすることにした。テーブルの上にジャズのライブのチラシが置かれていた。一緒に行こうよ、と言いたかったけれど、なんとなく言えなかった。スマホのホーム画面がいつか行ったライブの時の写真だった。僕のホーム画面も同じだった。それは言えたけれど、気持ちの悪い言い方になってしまったような気がする。単に「俺のと一緒だ」だけでよかったのに。勇気を出して誘ったジャズピアニストのライブの日は仕事で行けないと断られた。なんとなく言いにくかったのだろうなと言う感じがしたけれど、ただ単に言うタイミングがなかっただけなのだと思う。  二次会からの参加、どうやらまだ会場に誰も来ていないらしく、気まずいねということで少し散歩することにした。  飲み会には遅れて参加したいという話に肯く。遅れて参加したいけれど僕は臆病だから五分前にはだいたい着いてるという話はしなかった。そしたら散歩する時間が短くなるような気がしたから、なんてことはなく、単に話を合わせたかっただけなのだと思う。  最近気になっている人がいるのだという話には上手く頷けていただろうか。好きな人ができるとアディクティブになってしまうから嫌だという話をした。実際そうだったけれど、その具体的な実体験の話はしなかった。すればよかった。アディクティブ、という表現はよくoronoが使っていてその影響で使ったのだろうけれど、別にカタカナを使う必要はなかった。  気になっている人の職業が、かつて僕がなりたかった職業であること、そしてなれなかった職業であること、そもそもなりたかったのも本当なのかどうかわからない職業であることが僕を混乱させていた。  会の途中もそのことが離れず、今いい感じの人はいるのかという質問や将来どうしたいのかという質問にうまく答えることができなかった。いやうまく答えられなかったのはそのせいではなく、いつものことである。  会のあった居酒屋から出るときに低い天井で頭を打ち、その際に口の中を噛んだ。そのときにできた傷を気にし続け、いまだに口内炎っぽいなにかとして残っている。この口内炎っぽいなにかはメタファーなのだと言うこともできるけれど、それではただのロマンチストである。    11月26日、dcprgのライブを観た。ぺぺトルメントアスカラール、FINAL SPANK HAPPYに引き続き、今年三度目の菊地成孔によるライブである。FINAL SPANK HAPPYは本当は違うけれど。  ほぼ最前列で見ることができた。ポリリズムや変拍子にどう体を揺らせばいいのかわからなかったけれど、ステージに立つ錚々たるミュージシャンたちは各々バラバラな乗りかたをしていることに気づいて、途中からは適当でいいやという気持ちになった。年齢層は高めだったのだけれど、これまで観た中で一番の盛り上がりだったように思う。しかし、菊地成孔はMC中に「塩っぽいなと思ってた」と言っていたから、他の会場の盛り上がりはもっと凄かったのだろうと悔しい気持ちになった。  どの楽曲でも、各々の楽器に長いソロが割り当てられる。今まで観てきた大抵のロックバンドのライブでは、まずソロパートがある曲自体が数曲であることが多く、そのソロパートも長くて16小節ぐらいだ。そういう意味ではジャズのセッションに近いのだと思う。完全にアコースティックではない、エレキギターとベース、サックス二人、トランペット一人というブラス隊に、ツインドラム、パーカッション、ツインキーボードという編成はかなり珍しい。  中でも、トランペットの、ギターの、サックスのという三人の演奏に心を打たれた。音楽的にどう凄かったのかを説明する語彙を持ち合わせていないのが悔しい。どうしてもなんとなくの印象、見た目や動作の話になってしまう。それができるようになるためには、プレイヤーになるしかないのだろうか。  頬の膨らみが凄まじかったトランペット奏者である類家心平は後に調べたところによると、星野源の最新作「さらしもの」にも参加していた。元々は海上自衛隊に所属していたとのことだ。  ラッパーのBIMがかけているようなメガネ(サングラス)をかけ、パーカーをゆるっと着ていたサックス奏者MELRAWは、King Gnuの常田大希によるmillennium paradeにも参加している。彼のInstagramを見たところ、Kendrick Lamerのアルバムに参加しているベーシストThundercatとも共演しているらしい。菊地成孔と共に演奏するということだけでも演奏家としては十分に誇らしく、そして責任の伴うことであるにも関わらず、彼のバンドにサックスとして参加するというのはとてつもないことだ。そう思ったのだけれど、サラッとした顔で凄まじい演奏をこなしているのだから驚いた。Licaxxxやkiki vivi lilyとも交流があるらしい。  そして、王子様という言葉がぴったりな手入れの行き届いたロングヘアが格好いい大村孝佳は、後に友人に聞いたところによるとBABY METALのギターを務めているらしい。指の動きが速すぎてとても目が追いついていけなかった。メタルにおけるギターは基本的に四拍子の中でいかに規則的に早く正確に弾くかが重要な楽器であるはずで、変拍子やポリリズムとは遠いところにあるものだと思っていたけれどそれは間違いだった。YouTubeに彼の演奏技術を解説した動画が数多く投稿されており、いつかギターを持ちながら集中して見たい。  とにかく3時間があっという間に感じるライブだった。これまでに行ったライブの中で最も踊ったと思うし、自然と声を出したのもこれが初めてである。  書き忘れていたけれど、小田朋美の自分の演奏がない時の立ち振る舞いが綺麗だった。体を揺らしたり、踊ったり、しゃがんだり、演奏者をじっと見たりしている姿が格好よかった。あんな風に踊りたい。ODとは別人だなということがとてもわかった。
 12月6日、夜にZAZEN BOYS、深夜にtofubeatsがDJで出演するクラブイベントへ。  ZAZEN BOYSはギターのカシオメンの調子が悪いとのことで心配だったけど、椅子に座っていただけで演奏に影響はあまりないように見えた。あえて叱るという形でそれとなく触れるところに向井秀徳の優しさを感じた。dcprgを経ていたおかげか、変拍子に乗りやすい体になっているようである。  向井秀徳は一心亭というラーメン屋にライブ前に行ったらしく、替え玉ではなくご飯をセットで頼む主義だとMCで言っていた。ライブが終わって、クラブが開場するまで時間があったため、その一心亭に行き同じようにラーメンと白ごはんを頼んだ。  ラーメンを食べ終わりクラブへ向かう途中、ライブハウスの前を通るとちょうどZAZEN BOYSの面々が帰るところに遭遇した。出待ちをするファンが数人待機しており、遠くからその様子を眺めることにした。それぞれが別々のタクシーに乗って帰ると、ファンたちも解散したため徒歩五分ほどの距離にあるクラブへと向かう。  クラブの入り口ではサークルで少しだけ関わりのあった人に似ている人が年齢確認を行なっていた。多分その人だったのだと思う。向こうもおそらくこちらを認識していた。かといってなんと話しかければいいのかわからなかったのでそのまま通り過ぎた。  クラブに入ると、ホットドッグを食べている男性とすれ違う。「このスパイス、この香りなんだよな」という言葉にイラッとする。言葉というか、語りかたにナルシズムを感じイラッとしたのだろう。そんなこと本人にしかわからないのに、いや本人にもわからないのに。荘子の魚の話を思い出したけれど、��っとそういうことではないのだろうと思い考えるのをやめた。  このイベントはあるライブのアフターパーティということで、そのライブに出演していたアーティストを数人見かけた。隣にはいつも女性がいて音楽で成功するとモテるようになるんだと思ったけれど、どことなく寂しそうな顔をしているのを見てなんともいえない気持ちになった。  楽しみにしていたDJがこれかけておけば盛り上がるだろうというお決まりの曲をかけていて、手を抜いているなと思いガッカリした。  アメリカの国旗柄の服を着てアメリカに行きたいと叫ぶラッパーを見て、ふざけた曲を作るのはいいけれど、本当にあなたがしたいことはそれなのかと思うものの、もちろん余計なお世話である。ぺこぱのキャラ芸人になるしかなかったというくだりを思い出す。  そんなことが続きなんで俺はここにいるのだろうという気持ちになったので、午前3時ぐらいにクラブを出て深夜の天神を歩くことにした。  深夜の天神ではあちらこちらで工事が行われていて、コンビニの前にはトラックが止まり商品が運び込まれている。間近に見ると彼らの仕事のおかげで便利な生活ができているのだということを実感する。  天神や中洲を地理的に把握できていなかったのだけれど、人通りが極めて少ない深夜に徘徊したことである程度わかった。  中洲は海に近い側にラウンジや高級クラブ、キャバクラが集まっており、キャナルシティの横が風俗街、大きな川を挟んでラブホ街となっているようだ。  高級クラブの集まる地区では両手で着物の女性を抱く恰幅のいい男性を見て驚いた。ビルの入り口の看板に並ぶ会員制クラブの数の多さにも驚く。  キャナルシティの近くの川沿いを歩いていると、赤い欄干の橋を見つけた。その先には、瓦屋根のソープがあった。その風景を見て「千と千尋の神隠し」を思い出した。  ラブホ街を歩いていると、自販機の横に女性が隠れており話しかけられる。咄嗟のことで驚き走って逃げたのだけれど、振り返って見ると短いスカートを履いた背の低い三十代後半ぐらいに見えた。お金を払って、ということなのだろうけれど、実際に存在するんだとまた驚く。寒かろうに。  いつか僕はあのあたりで暮らすような気がするのだけれど、単に菊地成孔への憧れだ。住んだところでなにも変わらないのだ。どうせなら薬院辺りがいい。公団住宅に住むのにも憧れる。  歩くのにも疲れ、24時間あいているジョイフルでハンバーグを食べる。隣の席では女性が居眠りをしていたが、店員に起こされていた。寝るのはだめとのことだ。始発を待つ客でほぼ満席だった。  遠くのボックス席では若い男性たちが大きな声で話していた。何やらむかつくことを話していたけれどもう思い出せない。ムカついたという感情だけ残っている。内容を忘れるなら感情も忘れたい。  近くの四人がけテーブルでは、同じくクラブ帰りであろう三人組の若い女性たちが話していた。最近ナンパされたのだけれど、星野源に似た人だったから断ったという話をしていた。一人の女性の振る舞い方が格好よかった。肘のつき方、目線、相槌の打ち方が完璧だった。話している相手の目を見ているようで見ていないような目線だ。相槌は打ちすぎず適度に。
 12月13日、また友人とともに飲み屋の集まりへと赴いた。現地集合にしようと言われて、珍しいなと思った。結局、近いところで待ち合わせることになったのだけれどどことなく気まずい感じがした。  料理は各自で持ち込むということで、焼き菓子を買ったのだけれど、それが優しさを押しつけているのではないかという不安に駆られる。別にそれぐらいのことは負担ではないけれ���、相手に罪悪感を与えてしまうのであれば、自分はなにもしない方がいい、とも思った。考えすぎなのだろうけれど、そう思うようになってしまった。「買っとくけど、自分で選びたかったら言って」という風な言い方を実際はしたのだけれど、これはこれで考えてますよという感じが押し付けがましいなと思って落ち込む。正解はなんなのだ。  忘年会ということで、とても自分じゃ買うことのできない日本酒が並んでいた。せっかくいろんな人が集まっているのだから自然と離れて別の人と話すようになった。飲み会とはそういう場と思わなくてはならない。話したことのない人とも勇気を出して話すべきなのだ。あれは社交の場だ。  などと思っていると遠くから「彼氏ができたんですよ」という明るい声が聞こえたような気がした。軽く酔っていてきちんと聞こえなかったのだけれど、9割ぐらいは間違いないだろうという気がした。けれど聞けなかった。変な顔をずっとしていたと思う。しばらくして、はっきりと再び同じセリフを言っているのを聞き、さすがに何か言うべきだと思いツッコむ。上手くリアクションを取れていたのだろうか。周りの人からはひたすら励まされた。今日は飲めよ、と。たくさん飲んだ。落ち込んでいるように振る舞ったし、実際落ち込んでいたのかもしれない。もはやそれもわからない。色んな人から、色んな励ましの言葉をもらってありがたかった。ありがたかったけれど、そのどれにも納得はしていない。励まされはしたけれど。   「言いにくかったんだよ、理解してあげて」     理解はするけれど、腹が立ってもいいだろと思った。自分のことはなにも話していないのに。自分のことは差し置いて。だからだろうな、俺は俺のことを全然話していなかった。そりゃ話しにくいはずだ。
「俺も若い頃はそうだった」    知らん。
「彼氏の顔に似てるじゃん」
 思ってもそれは言っちゃダメですよ。
 でも一人だけ、単純じゃないんだということを理解してくれた人がいて嬉しかった。    帰り道に、「場を盛り上げるために落ち込んでいるフリをしていたね」と言われて肯いたけれど、そうだけれどそうじゃないんだ。多分、あなたもそうは思っていなかったでしょう。でも、そういう了解にしておくのがお互いにとっていいはずだと思っていたんじゃないかな。違うのかもしれないけれど。それが一番、摩擦が少ないから。  日にちが経ってきて少しは距離を置いて考えることができるようになってきて、どの感情も存在していたなと思う。よく言われることですが、物事というのはいろんな方向から見ることができる。  例えば、その場にいた多くの人が思っていたように、実は好きだった幼馴染に彼氏ができて落ち込んでいるという状況。  本当にただの友達だと思っていて、その友達に彼氏ができたことを純粋に喜んでいるという状況。  好きではあるけれど、付き合いたいかと言われれば今は違うなと思っていて、でも彼氏ができるのはなんだか落ち込むなあという中途半端な状況。  そのどれも正解で不正解なのだと思う。ありきたりなことを言うけれどグラデーションだ。どれかに当てはめれば楽なのだけれど。  幼馴染だからお互いの趣味はわかっている、自分はその趣味に当てはまらないこともよくわかっていた。と言うのももしかしたらただの了解だったのかもしれない。多分、いつからかわかっているようでわかっていなかったのだ。上辺だけの、了解だけの、悪く言えば嘘だらけの関係だったのかもしれない。その原因の多くは僕にある。言わなかったことが多すぎたのだ。関係が壊れることを恐れて。それこそが実はゆっくりと関係を壊すことを知らずに、いや薄々と気づいてはいながら。一気に壊れるよりも、ゆっくりと壊れた方がいいと思っていたのだ。そして、ゆっくりとゆっくりと壊れ続け、いよいよ最終地点にきたと言うことなのだ。そんな気がする。  「愛がなんだ」と言う映画を最近見たけれど、まさにそういうことだ。でも僕はテルコほど徹底できなかった。多分、自分の中途半端な好意を気づかれてしまった。中途半端である、言い換えれば、あわよくば、であることも。  「愛がなんだ」は、恋だとか愛だとかでは言えないなにかを描いた作品だと思っている。執着、嫉妬、諦め、意地、ノスタルジー、現状維持バイアス。そういった何かの混ぜ物だ。
 12月17日、上原ひろみのコンサートに行った。小学生の頃、ピアノのコンクールで立ったことのあるホールだ。僕はかつてこんなところで演奏していたのかと驚いた。妹はこのホールで金賞を取った。当時はその凄さがわかっていなかった。  たった一台だけ置かれたピアノ。そのピアノに置かれる指先に、数百人の視線が集中する。マイクやアンプ、スピーカーを通してでなく、ピアノ自体から、加えて壁で跳ね返って響く音の美しさに驚く。たった一台のピアノでこんなに色んな種類の、感情の音を表現することができるのだと。それは上原ひろみの凄まじい技術であるのはもちろんのこと、アコースティックな楽器の生の音であることにも拠る。ライブにばかり行きすぎてそのことを忘れていた。  正確なある音の連なりのしつこいほどの繰り返しによって、笑いを起こしていた。楽器の演奏で、言葉を介さずに笑いを起こすことができるのだ。  上原ひろみは地団駄を踏んだり、時折立ち上がったりしながら、声を出しながら全身で演奏する。ピアノの音色に混じってそれらの音も聞こえる。  演奏中に拍手が起こり、それに答えるようにまた演奏する。まるで観客と会話するようだった。    MCで「寒暖差が激しいですね」と言っただけなのに笑いが起こっていた。失礼だろと思うけれど、笑ってしまう気持ちがわからないでもない。でも嫌な気持ちになったのではないかと思う。おちゃらけた人が真面目なことを言っている、というギャップによる笑いなのだと思う。でも彼女のなにをもってそう判断しているのだ。  ラーメンの話もしていた。世界各国にラーメン屋さんがあること、特に豚骨ラーメンが人気であること、そこでラーメンを食べるとホッとしてホームだという気持ちになれるということ。とてもいい話だった。    演奏時間が20分を越える「Rapsody in blue」に感動した。鳥肌が立ち、泣きそうになった。緻密に練られた、しかし即興も交えた曲の展開で盛り上がりを作り上げ、そしてやってくる誰もが知っているテーマの到来で凄まじいカタルシスを作っていた。人生で初めてスタンディングオベーションをした。    あまりの感動でTシャツとパンフレットを買ったせいで、財布が底をついた。そのせいで大学の友人たちと焼肉に行った際に、迷惑をかけてしまった。大変申し訳ないことをした。常に銀行の口座には一定以上のお金を保っておくべきだ。
 そんな感じの二ヶ月だった。長くなったけれど、書かなければという罪悪感は薄まったし、少しは気持ちを整理することができた。まだまだ書けることは沢山ある。例えば、Breaking Badのことだとか。まあでも、この二ヶ月のことを書くのはこれぐらいでやめにしておこう。また気が向いたら書けばいい。多分書かないだろうけれど。
 たくさんのインプットをした一年だった。ちょっと早いけれど、明日から新年ぐらいの気持ちでいよう。本当は新年だからなんてことは気にせずモードを変えてもいいのだ。ただそれが染みついて内面化しているだけなのだから。哲学者ならもっと難しいことを言えるのだろうけれど。皆がそう思っているということには案外に強い力がある。なにはともあれ書き終えることができてよかった。
 ではまた明日。
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peke-kakeru · 4 years
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2019/12/11 午前2時記す
随分と久しぶりに書いている。毎日、書こうとは思うものの優先順位が後に後になってしまった。
毎日同じことができない。すぐに飽きてしまう。習慣というものが一つもない。多分、中学生ぐらいの時からその傾向は現れていて、高校に入ってからひどくなったと思う。
夜寝る時間も、起きる時間も定まっていない。決まったルーティンで暮らした方が、結果としてたくさんのことをできるのだとわかってはいるもののできない。
例えば、海外ドラマを見るのなら、毎日一話ずつぐらいの方が健康的だし、楽しみもずっと続くのだ。
そうすれば、他のことに使う時間も増える。ギターの練習とか、英語の勉強とか、それこそ日記を書く時間とか。わかっているのに、続きが気になって夜更かしして1シーズン終わるまで見てしまう。
自分の欲望をうまくコントロールできるようにならないといけない。環境を変えるか、気持ちを強く持つかのどちらか、いや両方だ。
チョコレートは食べ過ぎない方がいいから、買わない方がいい。家にあるとどうせ食べてしまうのだ。チョコレートを買うなら果物を買おう。筋トレだけはなんとか毎日続けよう。あとこの日記も。
今日はプレゼンの締め切りだった。レポートだとか資料の作成の日には気がつくと部屋が汚くなっている。直前に始めるからだ。他のことは後回しでいいや、という気になって洗濯物も干さないし、ご飯もコンビニやほっともっとになってしまう。
締め切りがある日にも、余裕を持ってご飯を作り、筋トレをし、日記を書く、そういう人間になりたい。
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peke-kakeru · 4 years
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2019/11/06 午前1時30分記す
iphoneのアラームで起きるのだけれど、アラームの音がだんだんと嫌いになってきた。起きたい時間に自然に起きることができる人がいるが信じられない。無意識を制御するということだ。できるようになりたいけれど、なんだか恐ろしいような気もする。ともかく、静かな音でゆるやかに目覚めたい。思えばここ数年、いや十年ぐらい、満足のいく目覚めができた記憶がない。すっきりと起きるという体験をしてみたい。
今日は給料日で、思ったよりも先月のバイト代が振り込まれていて驚いた。今月からは支出を記録しようと決めた。いつまで続くだろうか。
懇親会に参加するという件で、ゼミの教授にメールをした。毎回文面で悩む。短い文章でも、小一時間ぐらい悩んでしまう。決まった型があればいいのに。Googleで調べてもサイトによってまちまちだ。そんなメールを毎日送り合っている社会人はすごい。適当でいいじゃないか、と思ってしまう。
大学からの帰りにTSUTAYAによって『鬼滅の刃』をまとめ借りした。帰宅後、夕ご飯そっちのけで一気に読んだ。漫画やドラマなどを読み、見始めると寝食を忘れて一気に最後まで読み、見てしまう。体よくない。万全の状態で楽しんだ方がいいに決まっているとわかっているものの、それを続きが気になるという気持ちが上回ってしまう。   『鬼滅の刃』はスピード感のある漫画だ。いろんな漫画からサンプリングしてきている部分が多いのだけれど、そのせいで長ったらしくなることはなく、どんどんとストーリーが前に進む。主人公が敵をなんとか倒すものの力不足を感じ、厳しい修行に耐え、さらに強い敵に挑みなんとか倒し...を繰り返していく。多少粗いところも見受けられるけれど、テンポがよくてそんなに気にならない。
サンプリングされていると思う部分について。まず、「~の呼吸」はNARUTOの「〜遁」からというのはわかりやすい。「〜柱」も「〜影」だ。
鬼の設定は、日本古来の鬼というよりバンパイアからだ。人を食べるというカニバリズムも入っているから、当然『東京喰種』を思い出すのだけれど、それほどのシリアスさがない。金木くんの人を食べることに対しる葛藤に対して、よくわからないけれど寝れば大丈夫、というのはあっさりしている。   『東京喰種』では金木くんの心情がこれでもかというほど描かれていて、そこが魅力なのだけれど、正直その日の気分によってはまたかよと思ってしまうこともある。対して、炭治郎は辛いことはあったけれど、特段、自意識に関して悩みのない純粋無垢な少年で、感情移入して病むことなく読み進めることができる。
鬼、つまり敵を殺すことに対してそこまでの葛藤もない。鬼が鬼になってしまった理由は一応描かれるものの、それは殺されたあと、もしくはとどめを刺され死ぬ間際である。主人公が倒しても、殺してもいいのかなと逡巡することはない。これも読みやすさにつながっていると思う。倒してから、あなたも辛かったんですね、と哀れむ主人公はいい人に見える。
要するに、葛藤のなさがテンポのよさにつながっているのだ。
その他に2点。
鬼と人間の間の妹を連れるというのは、『アイアムアヒーロー』っぽい。
鬼の目に番号が記されているあたりは、『家庭教師ヒットマンリボーン』の六道骸からかなと思ったけれどどうだろう。
まあ、まだあるのだろうけれど、一読してすぐの感想はこれくらいである。
なんとなく、何かを見たり読んだり聞いたりしたことの感想を書くことをこれまで避けてきた。世の中には文章が上手い人がたくさんいて、それ相応の文章力がなければダメなのではないかと。しかしまあ、書かなければ上手くならないし、別に誰が読むわけでもなく、日記のようなものは適当に書いたっていいのだ。なるべく上手く書こうとは思うけれど、思いすぎてはだめだ。
ちゃんとやるけど、適当にやる、それがちゃんとやることにつながる。相反していておかしな言葉だけれど、そういうことなのだ。
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peke-kakeru · 4 years
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2019/11/04 午前0時30分記す
昨夜はなんだかんだで寝るのが遅くなって、あまり睡眠を取れずにバイトに行った。そのせいかずっとボヤッとしていて小さなミスをいくつもしてしまった。Kさんはそれを一つも怒ることなく、優しい人だなと思った。
電車での移動中は美術手帖を読んだり、spotifyのpodcastで「POP LIFE」のoronoが出ている回を聞いたり、録音していた伊集院光のらじおとの滝沢カレンがゲストの回を聞いたりした。
oronoの「全てがどうでもいい」という言葉がずっと頭に残っている。 滝沢カレンは言葉をとても丁寧に選んでいるのだけれど文法は独特で、でも言いたいことはとても伝わるのは不思議だなと思うし、僕はそこが好きだ。 その人だけの言葉、言語体系を持っている人に魅力を感じる。
バイトが終わって慌てて映画館に向かう。ぎりぎり「さよならたりないふたり」のライブビューイングに間に合った。即興の漫才をおよそ2時間程度やっていたと思う。凄まじかった。当然面白かったのだけれど、とても疲れた。もちろん、いい疲れである。
即興��からその場で漫才の設定やボケ、ツッコミを考えるわけで、若林の集中力、頭をすごい速さで回転させている様子が見ているこちらまで伝わる。たまにカメラが若林の顔に寄るのだけれど、目が怖かった。狂気、というと安直すぎる。ギラギラしていた、というのが近いような気がするけれどしっくりこない。
まるでMCバトルの決勝戦をずっとずっと見ているようだった。実際近い。スポーツの世界大会だとかを見て、同じ人間なのかよと思うことがあるけれど、同じことを思った。
今まで見てきた、聞いてきた若林の中で一番暴れていたような気がする。山ちゃんの横だといくらでもボケていいという安心感があるんだろうなと思って、それはとても羨ましい関係性だなと思う。若林は気持ち悪いと言っていたけれど。
友とはなんだろう。先日のゲンロンカフェのMCU関連のイベントで、東浩紀が「毎日一緒にいて考えが同じような奴は友達とは言えない。数年に一度会い、考え方も違うけれど、あいつとは友達だな思えるような関係、それこそが友だ」というようなことを言っていた。ちょっと曖昧なので見直そうと思っている。
これが半分わかるようでわかっていない。僕はあんまり人と会いたくない。毎日一緒につるんでいる人がいる、というのがよくわからない。大学でクラスにいつも二人で行動している人がいるが、気持ち悪いなと思ってしまう。単に僕の強がりなのかもしれないけれど。
なんとなく、若林と山ちゃんの関係性を見ていて少しわかったような気がした。樹木希林と内田裕也が年に数回しか会わなかったというのも何か近いような気がする。
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