【開催中日記】
安曇野個展、速くも、
明日4/22月で終わりです。
ちなみに
今回の展覧会タイトルは
"雨の樹" という店名をうけて、
また、会期中の七十二候
"虹始見 にじはじめてあらわる"
からつけました。
作品世界とも絡んでくれたかな
と思っていますがどうかな…
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戸次祥子展「葉影の虹」
4/12〜22(水曜休)
11:00~17:00
於:雨の樹
長野県安曇野市穂高有明9929
(google map あり)
tel. 0263-31-6678
mail
[email protected]
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空間のことや余談など:
(写真3、4)
居心地の良い喫茶スペースは、紙に注文を書いてカウンターに出す→出来たら呼んでくれる方式。とってもおいしい珈琲をいただけました。廊下には、本のたくさん詰まった本棚や、造り付けの瀟洒なカップ棚もあります。
全て、木工の井崎正治さんによる空間。やさしいクリーム色の漆喰壁ですが、床や天井など、絶妙に配されたダークトーンが空間を引き締めていて、私の作品も引き立てられました。今回は、壁じゅう目一杯に作品を陳列くださっていたけれど(数点はずして頂いたほど;)、逆にうんと少ない作品数で、しつらい的な展示にしても、良さそうな場所だと思いました。
(写真5、6、7)
この感じだともうコラージュだけでも私は充分な感じでしたが、木口木版も色々並んでいます。初期、過渡期のものも。
(写真8)
雨の樹店主 岡本由紀子さんは、「あづみのチロル」「安曇野スタイル」といった、アート・クラフト作家の拠点やネットワークを長く運営してこられた方です。そのお人柄を慕って来られている感じのお客さん多数。ここに至るまでの想いを書き留めた手製本が。一冊購入。
(写真9、10、11)
さまざまな一期一会や再会あり。
隣町で山羊追いをしてから来てくれた千絵さん(下北沢で個展中)。
穂高駅から徒歩で来られた川岸さん(六月に雨の樹で個展)。
小学五年生くらいの男の子から突然紙と鉛筆を渡されて、
「食べ物を一つ、リアルに描く。よーいドン!」
…負けた気がする。
私は皿に盛っただけのカレーを描いた。
(写真12)
玄関も良い。
靴を脱いで、柔らかなスリッパに履き替えます。
・
穀雨に入った。
雨の日の雨の樹も良さそうですね。
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【開催中日記】
安曇野と、会場風景から
展示レイアウト by 雨の樹(ほんの少し私も)
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戸次祥子展「葉影の虹」
4/12〜22(水曜休)
11:00~17:00
於:雨の樹
長野県安曇野市穂高有明9929
(google map あり)
tel. 0263-31-6678
mail
[email protected]
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在廊日、来たものの、個人的には時の過ぎた作品を、どう伝えて良いのか、正直しばらく悩んだ。でも、みる人にはそんなことは関係なく、目の前の作品が発する小さな声を、熱心に聞き取ろうとしてくださる方がいる。ならば私も改めて自作に向き合い、すこし雑音を帯びつつも聞こえてくる過去からの信号に、耳を澄ませてみた。
押し葉を切ったモチーフを、
計画的に、かつ、即興的に組んでいく。
欠かせないのはリズム。
流れているように。
落ち着くように。
音や言葉が粒になって響く、
ひとときの空間のようなものを、
表現したかったのかもしれない。
やがて消えていく残響、遠ざかる風…
そして、
目に見えない、
大切な何かが残る場所を。
20年前、旅先の安曇野で惹かれて、何気なく拾った落ち葉をきっかけに、コラージュ作品が生まれた。それから約10年、毎年晩秋になると、"画材"を仕入れに安曇野を訪れ、制作を続けていた。なので、作品に使われている葉の9割以上は安曇野産だ。北アルプスの山並み、静かな森の香り、広々と見渡せる高原、水の流れ… 自然の風土と、そこに腰を落ち着けて暮らすクリエイティブな人々の独特の気風とが、当時の私の心境を刺激したのかもしれない。最初はただハガキに貼っただけの遊び。それが、続けるうちに、少しずつ高じていった。
コラージュ制作も約10年を過ぎた頃転機があり、森歩きは登山に変わった。視点は、葉から、石へ。コラージュから、版画へ。テーマも… 。手法に変化はあれど、何を美しい(よし)とするか、どうにか表現しながら、探ってきた。だけかもしれない。今も、これからもきっと。
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【展覧会のお知らせ】
4/12金〜4/22月(水休)の期間
安曇野の「雨の樹」
というギャラリーで作品が展示されます。
2010年代前半のコラージュ作品が多くゆきます。
(コーディネートby Gallery SINCERITE)
新作は出ませんが
展覧会タイトル、つけました。
あと、13土、行きます。
作品に関するご質問など、お受けします。
コラージュの作品が出来たきっかけは実は安曇野でした。その後、山に登るようになったきっかけも、間接的には安曇野でした。なので安曇野は、個人的には大切な地点です。
(写真2)
ギャラリー雨の樹
JR大糸線穂高駅から、北アルプスの見えるほう ”山麓線"(県道25号線)へ向かう緩やかな登り斜面のなかほどにあります。駅からは、車なら5分、自転車なら15分、徒歩なら30分。
元築70年の古民家。今年プレオープン期間を経てopenされたばかりのお店です。11時~17時。水曜休。Googleマップあり。 instagramあり。@amenoki_azumino
(インスタ、私もアカウント作りましたが、ごめんなさい結局ほとんど使ってません)
(写真3)
2023年サンセリテでのコラージュ展示風景
今回は、うってかわって漆喰��の空間。
どれがどんなふうに並ぶのかお任せしました。
ありがとうございます。楽しみです。
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【日記】
車窓から不二見。久々。
やや日が過ぎたけども先週末、神奈川県立近代美術館の水沢勉館長が退任されると知り、最終講義を聴きに行った。気になっていた企画展「芥川龍之介と美の世界」(〜4/7)に併せて。ご在職46年中、私が交流いただいたのは最後のほんの数年。でも、作品に真剣に向き合ってくださり、時にさりげなく楔のような言葉を頂き、とてもお世話に(は変だな)励みに、刺激になったから。やや急で、とんぼ返りしかできないけども、Tさんが、快く車を出してくれた。よき一日だった。
講演テーマは「三角世界へのいざない」
漱石の『草枕』の一節 “してみると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでよかろう”(英題 The three-cornered worldの元となった文)に拠る。
美術館の歩み、お仕事のエピソード、美術人達との熱い交流が、(多分ほんのピックアップで)語られ、最後は、同館の旧鎌倉館で大きな個展が開催された、木口木版画家柄澤齊さんの小説作品『ロンド』のこと。締めに、その作中音楽に絡めて、グールドの弾くバッハのピアコンから一曲流した。目の醒めるような、イ長調アレグロのメロディを、目をつぶって聴く。途中ちょっと薄目を開けたら、少し下を向いて瞑想するような表情の水沢さんが見えた。同時代の、また時代を超えた、音楽家たちや美術人たちの交歓が、伝わってくるような4分間。曲が終わると自然と拍手が起こり、その中を笑顔で退場された。
イサム・ノグチのこけしと、石人のいる中庭には旧知の方々や、美術館ゆかりの方々が続々集まってきていた。それぞれに、三角な世界をもつ人たちが、引き寄せられるように。そこに立つ自分も、いつしか、一角を磨滅させつつあるんだろうか。どこか惰性で四角に戻ろうとする力と、日々葛藤しながらも。水沢さんにせめて対面でご挨拶し、退散する。ここにいた人たちにはきっとまた会えると思った。三角のうちに住めたなら。
Tさんの車に足早に乗り込み、Youtubeで拾ったグールドをかけて、無駄なことをゆるゆる喋りながら帰った。
「めちゃくちゃ天気良かったし」「混んでたね美術館も」「情報量多すぎたけど面白かった」「漱石は字より絵がうまい」「芥川のは友達の字に似てた」「"歯車"タイトル変えすぎ」「河童グッズ貰えるやつやるの忘れた」「ともかく猫がかわいい」「凹んでもまだ死にたいとは思わない」「いい雰囲気だったー穏やかで」「こんな公立美術館ほかにあるのかな」...
不二山が見え始めてからは、無言で帰った。
思えば、神奈川には縁が浅くはない。親しい友人が何人か住んでいたり、初めて木口木版とビュランに触れたのが藤沢のリン版画工房さんだったり、私自身、幼少期(小学校入学以前)は横浜に住んでいた。緑区(いまは青葉区らしい)の父の社宅。私の関西弁が薄いのは、一つにはそのためだ。でも、それ抜きにしても、改めて、たいせつな場所ができた感じがして嬉しい。(画像の冊子とプリントは、当日資料ではありません。)
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【日記】
切手を買う時は、なるべく、期間限定のふみの日切手や記念切手を選ぶようにしていたけれど、最近のはシールタイプでゴミも出るし、デジタルイラストの薄っぺらなデザインばかり。定番の63円切手が意外と良いことに気付く。特に今の季節。最初からこれ買えばよかった。封書にしたければ、鹿と前島密を加えたらトーンがいい。
・
来月は安曇野でコラージュ作品が展示されるので、ギャラリーサンセリテさんに追加作品をいくつかお預けした。写真3は、要補修のため出せなかった昔の作品。もう少し手を入れて、これは、あの子に贈ろうかな...。
小澤征爾に加えてポリーニも逝ってしまった。彼岸に、クラシック音楽のパラレルワールドが出来ていそうだ。
・
くだらない話だけども髪を切った。
しばらくセルフカットだったけど、6,7年ぶりに(もっとかなあ)プロの手で。美容室でなく理髪店で、刈り上げツーブロックにして貰う。まだ首筋寒いけれど、楽で、じき山で汗かく季節なので、とても気に入っています。スタイリング頑張り次第では、韓国アイドル(男)や、少年漫画の人気キャラ リヴァイ、尾形百之助風にもなれるようです。あと少し剃り込みを入れれば「ふてほど」のキヨシ風にもなれます笑。
ここではあげないけども、親しい友人に画像を見てもらったら、「アンドロジナス」と言ってくれた。そんな言葉があるんだ。
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【日記】
もう三月か… 速いな。
近くにある謎の小山(写真5)。朧げな夕方。円墳のようにも見えるけど、なんの痕跡も情報もない。地元の方が時々手入れをされているようで、じき桜が咲けば、きっとお花見山になる。
「春眠 その一」
わけあって数日間、作業部屋に寝起きした。昼間にはない静寂のなかで、気づいたことが二つ。
未明に、パーンと一音、トランペットが聞こえる。
この部屋にはヒグラシが居る。
はて?
もう5年ほど前に水源の川で拾った石がようやく動き始めた(写真1)。家族(猫も)でさえ入らないこの部屋には、いつしか、時空の歪みでもあるのかもしれない。
「春眠 その二」
このところ毎晩、鮮明で変な夢ばかり見る。ただ記憶は一日しかもたない。昨日はこんな夢。大きな顕微鏡のような形のコンピュータのある研究所のようなところに勤めていて、教授のような人から、使えるか?と聞かれ、実務経験はないけど一通り学んだと答え、ならよろしく、ととりあえず任された。気づけばもう一人若い同僚のような子がいて、教授が、今日は出勤者はふたりだけだからと、美味しそうなクッキーのような菓子を置いて行った。それをその同僚と二人でジップロックに詰められるだけ詰める。という夢。なんだこれ?
私の夢にはいつも、知らない顔ばかり出てくる。これから出会う人なのか、どこかですれ違った人なのか? とりあえず、明日には忘れているだろうから書き残してみた。
「春菜」
先日山帰りに野菜直売でみつけた"のらぼう菜" 。なるほど、ほうれん草と小松菜のあいだのような感じでくせがない。おひたしにしたり、炒めたりして頂いた(写真4)。そろそろ、山菜も出てくる頃かな。楽しみ。
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【日記】
今年安曇野に新しくできた「雨の樹」というギャラリー(カフェ付き)。良い名前ですね。
4月に、2015年頃までのコラージュ作品中心に展示される予定です。
隣市(山の向こう)に工房を構える井崎正治さんという木工作家さんが、立ち上げから施工まで関わられたご縁で、ギャラリーサンセリテさんが展示作品をコーディネートくださることになりました。3月は鈴木敦子さんの版画作品も行くそうです。雨の樹店主の岡本由紀子さんにも、先日お目にかかれました。まだ黎明?(プレオープン)段階とのことですが、遠くからもお越しいただけるギャラリーにして行かれたいとのこと。
今やすっかり木口木版に移行し、コラージュは、個人的には過去の、もはや他人の作品のようになりつつありましたが、一歩引いて改めて見ると、なかなか良いですね(笑)。上の作品(F6キャンバス410×318mm)は私物ですが、こんなタイプの作品が行きます。キャンバスを張る時、見える釘は全側面3つずつ(強度上足りなければ背面)。底面はブルーグレー。というのが、密やかなこだわりでした。初期のものはその限りではありませんが。
安曇野は、今から20年ほど前、コラージュ作品のできるきっかけになった土地なので、そこで作品が展示されるのは、ちょっと特別な感じもします。人里は変化もあるのでしょうが、山はきっと変わらない(はず)。会期中は私も、久々に、訪れたいなと思っています。松本から大糸線→穂高駅で自転車を借りて。
詳細はまた、日が近づいたらお知らせします。ちなみに昨年アカウントを作ったインスタグラム、たまに見ますが、結局ほとんど使ってません。。
・
余談ですが、猫の日。
ふたり合わせて12キロ。12歳。
すっかり大猫ですが、元気です。
スーパーピアノエンターティナーかてぃん君の
「Big Cat Waltz」でも聴くか→♪
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【日記】
雨水。
物質感あって好きな二十四節気の一つ。
青くさい菜の花が美味しい。
先日奥三河で見た某不動滝も、
今頃幅広の滝になっているかもしれない。
月の初めに、メジャーな話題作をもう一つ観たので備忘録。
『perfect days』
(少々ネタバレあり)役所広司扮する平山は清掃員だ。でも、彼が日々掃除する、東京のデザイナーズ公衆トイレの清潔さと無臭の映像空間はどこか非現実的で、平山は、まるで都市に生きる妖精のように思える。一見、余裕なき底辺の生活者であるかのようで、求道者にも道楽者にも見えるし、削ぎ落とされたライフスタイルはこだわりの塊にも見える。
でも、直接はっきりとは描かれない平山の過去の人生や出来事が、画面に映る室内の物や仕草や、誰かの一言に、さりげなく投影されていて、それを読むのは楽しい。また、若い同僚のタカシがさらっと、"10分の2" とか"10分の9"とか言うように、変化する人との接近度は、太陽を受け、風にそよぐ木の梢の濃淡のようにも思えてくる。
妖精は、見えにくいレイヤーにいるけれど、全く別世界のものではないと思う。ふとした折に、10分の9,10と接近し(レイヤーが重なって)、出会うことがある。都市でも、山でも…。 誰もが行き交う大都市の、ささいな一エリアを舞台に、世界の仕組みを一つ、見せられた感じがした。
平山が日々仕事に行く車で、カセットテープで聴く音楽が印象的で、特に私より少し上世代の人たちには話題のようだ。1970年代アメリカのフォークとかロックとか。私は初めて聴く曲ばかりだったけど、唯一日本人ヴォーカルのこの曲が好きだった→♪
50年も前の歌らしいけど、全然古い感じがしない。
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【日記】
ここしばらく付き合っている石達。曇天の日、自然光でスケッチした。小さな礫でも、見ていると、民俗的なむかし語りから、さらに、シームレスな、地質の時空へと誘ってくれる。写真に撮って画面上で反転させてみたり、拡大して細部を見ながら版を彫ることもたまにはあるけど、見え過ぎないほうが良いこともある。身体感覚を失わないように...(写真1~3)。
・
つい先日のこと。日頃、しばしば通る公園沿いの道で、ハッとして、自転車をキキッと止めた。初めて見たこんなもの。のぼり立て?(写真4,5) 今は住宅地の中の、わりと広々した児童遊園だけど、元々神社でもあったのかな? こんど機会あれば古地図を見てみよう。山中で見かける三角点や道標でも、こうした町中の石柱でも、ひっそり残された明治期の標石というものには(勿論もっと古いものでも)、何か心惹かれるものがある。人の手で、丁寧に文字が彫られて、わけあってそこに設置され、百年の風化を経て、時代の空気を、もの語っているからかな…。遠い時空への標石も、いつも出会えるとは限らない。アンテナを張っていたい。
・
最近実写映画にもなった好きな漫画「ゴールデンカムイ」(写真7~9)。勿論エンターテインメントだけど、予想を大幅に超えとても良い。映像ならではの迫力と、何より原作愛。どんなに原作が素晴らしくても、ともすれば、派手に伝わる映像の影になりやすい原作者が孤立しないよう、考えながら上映されている感じもした。原画の出番も設けたり↑。視覚効果は上回っても、映像何編重ねたところであの豊かな世界を描ききるのは難しいだろうな。原作の”樺太編”にも登場する、日本がただ一度きり設置したという国境標石も、いつか北海道に在るのだけでも見てみたい。写真6は、ロケ地の一つ「北海道開拓の村」にある橇屋。2022年旅中。
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【日記】
暑さにはわりと強いほうなのだけど、寒いと鬱々としやすく、何かにつけ、瞬発力もパフォーマンスも鈍る。寒さのせいにしちゃいけないな…。山とも言えない近くの小高い丘に初めて登って、少し、視点を変えてみた。向こうには、馴染みの山も見えているけど、知らない町を見た気分(写真1,2)。
この機に補修を一つ。展示に出してすぐ、まだ数部しか刷らないうちに、版木に亀裂が入ってしまった作品があって、気がかりだった。可能な限り手を入れ直し、一から刷り直す。前より少し重くなった。…ような気がする(写真3)。
これからの出展の予定、制作の予定が少しずつ入り始めた。半年後一年後でも、会期や〆切はいつも不思議なほどすぐやってくるから、ぼんやりはしていられないぞ。
・
年末大掃除で取り出した、久石譲の昔のCDを、ものすごく久々にかけてみる(写真4)。高校生の頃に買ったもので、もう傷だらけすぎて、いつぞやの引越し時に古本屋で買い取ってもらえず、長いことしまってあった。でも今改めて聴くと新鮮。郷愁は誘うけど中毒性はほとんどない。でもやっぱり、力のある音楽だなぁと思う。
《ピアノストーリーズ》(1988)は少し不穏な世界観だけど、確かジャケ買いだった。《ピアノストーリーズII》(1996)は耳馴染みの良い、すっかり落ち着いた曲の数々。個人的には早春の音楽。
《マイロストシティ》(1992)は1920sアメリカ(文学)の空気にインスパイアされたとかいう、作者40代の頃のアルバム。当時私は10代。そんな詳細はどうでもよくて、とりあえず「Two of Us」目当てに買ったのだったと思う。大林宣彦監督『ふたり』(原作 赤川次郎)の劇中歌"草の想い"の原曲だった。
2020年代の今、日本もまたある意味、さらに、失われた時代なのかもしれない。
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