前回の投稿から4年ほど経ってしまいました、ご無沙汰しております。
倉庫生活5年、相変わらず倉庫で暮らしています。
私ら夫婦と妻の父の3人で自分たちで倉庫をリフォームをした記録です。
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屋根はスレートで頑丈なのですが、6枚の明り取りの半透明の部分が有り、そこが���外線で少し劣化していまして、そこからの雨漏り部分をコーキング剤で埋めました。命綱とヘルメット着用(写真添付)。
倉庫内は、通常は上から下へ作業するのだと思うのですが、生活拠点となるこの倉庫の2階の床は約30年間の傷みが激しく、穴も開いていたり危険な状態でした。ですから、まずは床の下地をコンパネで固める作業から入りました(写真添付)。エアーコンプレッサーはいつの間にか父が買ってくれていて、コンパネを固定するエアータッカーは同じ集落に住む大工の方が貸してくださいました。
ちなみに、コンパネや垂木やベニヤ、断熱材のスタイロフォームなどは、大量に使うため、建材屋さんを探してまわり、直で購入させてもらいました。
大量で自分たちでは運べなかったので、運送トラックで我が家まで持ってきてもらいました。
購入したものは、毎回エクセルに記入してお金の管理というか、最後にどのくらい金額がかかったかを知るために記録(写真添付)。
木材や断熱材は、木材屋さんから購入した分とホームセンターで買った分とで当時のこの時点でトータル70万〜80万くらいかと思います。
つづく、、、
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倉庫1階の左側は10坪ほどの和室でした。
そこにも荷物がたくさん詰まっていたので整理整頓処分。
スッキリしたところで、壁や畳はカビや湿気で傷んでいたので剥がしました。
壁のベニアを剥がすのに使ったのはバール。ベニアを貼るのに使っていた小さな釘が残るので、それは金槌についている釘抜でこまめに抜きました。
壁を取り除き垂木の骨組みになると、大工さんの仕事が分かるので、こうやって作るのか〜!と発見があります。
壁の中にネズミがもみ殻で作ったベットがあったり、ネズミの暮らしっぷりも分かりました。動物って器用。
解体の作業もすごく勉強になりました。
つづく
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1階、だんだんと片付いてきて向こう側(倉庫の奥)が見えてきたところですね。
これでも片付いた方です。
1階が片付けば次は2階。作業に必死すぎて2階の途中の写真を撮っていませんが、2階が片付くとこんな感じ(写真参照)。2階は30坪、約60畳あります。
言葉で書くと簡単になってしまいますが、片付けって本当に大変な作業です。
今、数ヶ月ぶりに写真を見返すと、胃が痛くなり、身体中が痒くなってくる程。
痒くなってきたので、、、
つづく
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片付けの中で、懐かしさを感じるお宝っぽいものも多々発見いたしました。
んが、なんせ20数年放ったらかしだったので保存状態は非常に悪く、泣くなく処分。その他、ネズミのミイラを2体発見。
よく考えると思い出のある品々ばかりなのですが、思い出に浸る時間も心の余裕もなかったので、ひたすら無心で拾い集めては大きな処分袋に入れていました。
何回もゴミ処理場に行ってるのに、なかなか倉庫の荷物(ゴミ)が減らない、ゴールはあるのだろうかと、、、。
でもこれが終わらなきゃ私たちは住むところがない。
ちなみに、倉庫の片付けと、家づくり(今後記事にアップする)をしている間は、2人揃って妻の実家に居候でした。
つづく
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倉庫の片付けで使ったもの。
作業着/マスク/手袋/ゴーグル/タオル/帽子/安全靴/バール(物を小さくする時に叩いたり割ったり)/細かいゴミをまとめる袋/フォークリフト/トラック/強い精神力/強い心/無心/半端ない体力/強い心/美味しいご飯/十分な睡眠/気晴らしの温泉/ゴミ処理代
フォークリフトとトラックは、近所の父親の知り合いの方に貸して頂きました。(写真は産廃の業者さん)
フォークリフト様サマです。細かい可燃ごみ・不燃ごみを大きな袋に分別、ごみ処理場では中身だけ処分、袋は分別用にまた取っておきます。
この袋をフォークリフトで持ち上げてトラックに積む作業がとても難しい、積荷のバランス大事です。
おそらく、20トン程の倉庫の荷物を処分したのではないでしょうか。
ちなみにこの地域のごみ処理場の持ち込み料金は、500kgで1,020円でした。や、や、安い!ありがたや。
産廃業者のクレーン車は、UFOキャッチャーのように次々と鉄金属を掴んではトラックに積んでいきました。
つづく
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そもそも、倉庫じゃなくてもと思われてしまいますが、単に面白そうだったのと、妻が働いていた写真事務所のある建物が3階建て倉庫で、1階がパン屋、2階が写真事務所、3階がレンタルスタジオになっていて、そこで長年働いていた事もあり、倉庫の可能性を知っていた事も一つです。
両親のOKも頂き、ひとまず私たちは家賃のかからない住居を得ることができました。大変なのはこれから。この倉庫に埋まっている荷物の数々の整理と処分。夫の有給休暇の消化を使い、引っ越してくる前に倉庫をすっきりさせようと決意。約2週間、毎日、朝から晩までゴミ処理場への往復。ゴミ処理場では計量で料金が決まるので、少しでも重さを減らすために、鉄金属類は地金屋さんに引き取ってもらいました。
つづく
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自分の使い方を考えた結果、環境を変えることにしました。
働いた対価の多くは生活費に消え、家賃は縁もゆかりもない大家さんの元へ。自分の働いた対価の行方、それを考えた時になんだか虚しさを感じました。
どうせなら心身ともに気持ち良い使い方をしたい。
次に住む場所、実はどこでも良かったのです。
今まで私たちはそれぞれの故郷を出てから、奈良、大阪、倉敷、岡山と遊牧民のごとく移動してきて、どこへ行こうと抵抗がありませんでした。
いろいろ考える中で「都会より田舎、猫も一緒なので猫も暮らしやすい環境、花や野菜を育てたい」などのキーワードが出てきました。
ちょっとした言葉や思い付きも書き留めておくことが大事ですね。
そのうちひらめいたのが、妻の実家の倉庫。
二十数年放ったらかしの荷物だらけ。
つづく
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まずはじめに、今30歳を少し過ぎた私たちは、20代後半ごろから、この先の生き方・暮らし方を考えるようになりました。なんとなく、こうありたい70歳までの年表を作ってみたら、ぴったりとはいかないけれどその年表を歩むような生き方・暮らし方をしている気がします。
生き方とは自分の使い方。
なるべく健康で好き勝手に毎日を過ごして行きたい、そう思い、まずは衣食住や仕事や遊びに伴う貨幣経済を見直すことを始めました。そして、夫はさっそく仕事の退職を決めました。妻はのらりくらり今まで通りの仕事スタイル。
つづく
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