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#しかしぷにぷに(状態)は可愛いから良かった愛す。
patsatshit · 5 months
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タラウマラのすぐ近くに障がい者福祉サービスを提供している「お気楽島」という事業所があって、理事長で落語家の桂福点さんはじめ、施設利用者さんとは僕も日頃から色んな話をする。我妻ゆりかのことが大好きなNさんとはインスタグラムのお気に入り画像を見せ合いっこするし、淡路周辺のお店事情に詳しいKくんはどこのお店の店員さんが愛想が良くて、どこのお店の店員さんが可愛くて、みたいな情報を常にアップデートしてくれる、絵を描くことが大好きなTさんとは『呪術廻戦』の話でいつも大いに盛り上がる。そんな「お気楽島」のルーキー、Rくんと福点さんがある日タラウマラにやって来て、福点さんが開口一番に「お仕事中に申し訳ないんやけど、Rくんにちょいとばかし性教育をしてもらえないでっしゃろか?」と言う。聞けばどうやらRくん、女性スタッフさんの前でオ◯ニーをしちゃったらしくて、しかもそのまま発射したとのこと。そんな訳でタラウマラ店頭で即席の課外授業を実施。僕はRくんに自分の体験を交えて、人前でチ◯コを出すことの諸問題について講義をした。横で福点さんが「そや」とか「もういっちょ」とか合いの手を入れてくる。どうやらRくんには「スケベ」という単語が突き刺さったようで、これから事業所に戻って、当のスタッフさんと話し合いをしたいと反省していた。その後、Rくんは人前でのオ◯ニーは控えて、ひとりでこっそり楽しんでいるらしい。
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次に知的障がいのあるサドルさん(仮名)の話。サドルさんは定期的にタラウマラで自転車のサドル交換に来てくれる常連さんで、そもそもサドルは交換する必要がないくらいキレイな状態だから「まだ交換しなくても、十分に使えますよ」と指摘するもののサドルさんは「サドル交換して!」の一点張りで、こちらの話を聞き入れる余地はなし。ちゅうことでサドルさんの自転車から取り外したサドルをタラウマラで確保しておいてサドルさんが交換したい気分になった際に交換して、その際に取り外したサドルはまた次の交換時まで確保するというルーチンを僕とサドルさんの間で構築した。因みに小学四年生のサドル上げ下げちゃん(仮名)という子も当店の主要人物のひとりなのだが、彼女は日に何度もサドル上げてー、下げてー、を繰り返す。一時期あまりにも頻繁に上げ下げを繰り返させるもんだから、ついつい冷たくあしらってしまったことがあって、それからしばらく顔を見せなくなってしまい、あとからとても反省した。サドルを上げ下げすることが彼女の本当の目的ではないのだろうし、それを無下にしてしまうことで彼女からの無言のメッセージを一方的に断ち切ってしまうことになりかねない。まぁ、いまはまたサドル上げて下げてが再開されて煩わしいことこの上ないのだけれど(笑)。そんなサドルさんが珍しくサドル交換ではなくパンク修理に訪れたときのこと。タイミング悪くサドルさんが「タイヤべこべこー!」とタラウマラ店頭に姿を現す数秒前に別のお客さんの前後タイヤ交換を依頼されたところだったので、その旨サドルさんに伝えると、瞬間湯沸器のごとく憤怒し、大声を上げて大激怒したのだ。キレたサドルさんを見るのははじめてだったので少し驚いたけど、僕はこういう局面には慣れている。そんな大きな声を出してもどうしようもないよ、静かに待ってもらうか、他の自転車屋に見てもらうしかないからね、先客のタイヤ交換をしながらそう伝えるとサドルさんは更に激昂し、そんなに待てない!遅すぎる!てるてる嫌!わーーーーー!っと、わめき散らした。近隣店舗の方々が店先に一瞬だけ顔を出して、すぐに引っ込めた。僕は粛々とタイヤを交換していくが、サドルさんの興奮はおさまらず、店頭のプライスカードをひっぺがしてアスファルトに叩きつけたり、通行人の方々に対しても威嚇するように大きな声を出し続けていた。するとひとりのおっさんが「なんや、こら、文句あんのか?ああ!」とサドルさんに詰め寄って来た。僕は慌てて工具を床に置き、イヤイヤそんなんよろしいからはよ行ってください、この人は僕に怒ってるだけでお父さんには関係のない話ですから、そう言うとおっさんは「やんねやったらいつでもいったんど、コラ!」と吐き捨て、店を後にした。あんまり大きな声を出してたらこんなことなるよ、僕が作業を再開するときチラッとサドルさんの顔を見ると、その表情は明らかに怖気付いていた。そしていつもよりも倍速のスピード感でタイヤ交換を終わらせて、いよいよサドルさんのパンク修理に取りかかろうかというとき、またしてもタイミング悪く、別のお客さんが「タイヤ交換お願いします」とやって来た。せっかく落ち着きを取り戻しかけていたサドルさんがふたたび着火する。お姉さんの前に仁王立ち、鬼の形相で「来るなーー!」と叫んだのだ。すぐさま間に割って入り、事情を説明するとお姉さんは漫画の吹き出しのような大きな大きな「はぁぁぁぁ」というため息を漏らしつつも、自転車を預けて買い物に行ってくれた。僕はサドルさんに「大事なお客さんに来るなとか言うたらあかん!」と一応は注意をして、今度こそサドルさんのパンク修理に注力する。サドルさんは蚊の鳴くような声で「うん」と言い、それからは作業が終了するまで大人しく待ってくれた。そして翌週にはまたいつものようにサドル、ではなく今度はライトの交換をしにタラウマラにやって来た。もちろんそのライトもサドルさんのためにキープ、ライトオン!
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また別の自閉症スペクトラム症の青年の話。いつも親子で来店してくれる物腰の柔らかい人たちなんだけど、息子さんの自転車のタイヤが不具合だという理由で持参されたときは、珍しくふたりともやけに険悪なムードで来店時からずっとささくれ立っていた。あんたがきちんとメンテナンスしてないからやで、と母が言えば、あなたは自分の責任を棚に上げるのですね、と息子が切り返す。一体いつになったら私の付き添いなしでやっていけるの、との母の言葉に、お兄さん、うちの母は二重人格なのでこの人の話に耳を傾けないで下さい、と息子。修理の最中も互いの罵詈雑言は途絶えることなく、しまいには母がヒステリックにいい加減にしなさい!と叫んだ。すると青年は口ごもるように、ま���そうやってエルヴィン団長みたいにキツい言い方をする……と呟いたのだ。瞬間、僕は修理の手を止めてふたりの前に立ちはだかり、右の拳を左胸に抱えて「心臓を捧げよ!」と叫んだ。するとどうだろう、たちまち青年の顔がほころんだではないか。母もぷっと吹き出した。それから修理が終わるまでずっと三人で『進撃の巨人』『呪術廻戦』『チェンソーマン』の話をして盛り上がった。やっぱりアニメも観とくもんやな、いや、ほんまに。青年の人生ベストアニメを聞き出すのが当面の目標です。
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joemotofuji · 8 months
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテレビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました😚♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くものの純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てくるのは、日本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいます。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見ていなかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシストと最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにしており、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑ったり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知ることができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽と当たり前に生きる中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるのって辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンディング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大盛り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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doctormaki · 7 months
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エジンバラは、実は人生3回目である。始めて行ったのは10歳の夏。Military Tatooのチケットを良く取れたなぁと、当時の商社の手配力に感動する。2回目は大学生の時。Balmoral城やSt.Andrewsへ行った。そして、今は一泊8万円出しても泊まれないThe Balmoralに宿泊して、エジンバラ城を見ながらEnglish Breakfastを食べてたっけ。ちなみに、ワシはお子様の頃から、English Breakfastが好きで朝からbaked beans, baked tomato, bacon, sausage, fried egg sunny side up, poached egg, toastなど、朝からガッツリ食べる朝食を、自分はそこまで食べない癖に、こよなく愛していた事を、今回アイルランド、スコットランドの旅では思い出した。大体、continental breakfastって何やねん。温かいんはお茶かコーヒーだけかい、ボケ。。。ジャム位出せや。。。と子供の頃に大陸ヨーロッパへ旅行する度に心の中で愚痴っていた事を思い出した。ガハハ。食べ物の恨みとは斯くも恐ろしい。
学会は適当に発表を済ませ、適当ツッコミも交わし、しつこい質問者には慇懃無礼に御礼を申し上げ、ちゃんとチェアもして、海外で活躍している事を鼻にかけながら日本に帰れないルサンチマンたっぷりの研究者や、海外に憧れているのに海外でポストなんか手に入るわけ無いやろ、明後日来いやボケ的な能力を棚上げして、海外に出ている研究者を憧れつつも、日本の処遇文句しか言わないルサンチマンたっぷりの研究者、日本の大学でテニア持ってるんやしもう十分やろと思うのに海外にいる研究者が妙に羨ましいルサンチマンたっぷりの研究者に会った。めんどくさ。。共通しているのは、日本人は老若男女関わらず、みんなルサンチマンたっぷり。何でなんでしょうね。誰も満足していない社会。
ワシは大学は好きだが、学問が好きなだけで、こういう大学関係者のつまらないルサンチマンの戦いは実に下らないと思う。まぁ勝手にやっててねと思うのに、何故か絡まれる。ベムが吠えてくるチワワに迷惑顔で棒ヨダレ垂らしつつ、勘弁してワンに。。。と苦笑いしていたのと全く同じ状態。流石に棒ヨダレは垂らせないので、たっぷり脇汗をかくことにしておく。ドイツが羨ましいなら、お前のポストくれっつーの。いくらでも代わったるで。。。っと、笑ってオチョクリつつ、大学教員の癖に、他人の家の芝生は緑に見えるということわざも知らんと、よう教壇にのうのうと立っとるわ。。。と感心する。ワシはワシの状況に十分満足しとる。所詮、運も含めて自分の能力に見合った所におるんでしょうと、自分のバカさ加減を承知の上、処遇なんて諦めていますんで。父上と母上にはせいぜい長生きして頂いて、不遇なアホ、天才とアホは紙一重レベルのアホに生まれた娘を養ってもらわんとね。
仕事が終わったら、後は、もうお隠れ遊ばす事にして、残りの滞在は学会はぜーんぶサボって、観光。子供の頃から憧れたネス湖へ、13時間の日帰りバスツアーに出かける。隣に座ったボストンから来ているNancy伯母さんに可愛がってもらって、バスの中ではおしゃべり、観光先ではジュースなどを奢ってもらう。ワシ、お前の住んでいる所の有名大学のライバル校におったんよ。。。と言うと、Yale?って聞いてくるので、そーそーと言うと、なんと娘婿が教授をしていると言う。世の中狭い。New Havenへは孫息子の面倒を良く見に行くという事で、New Havenのアイスクリーム屋さんやレストランで話がめちゃくちゃ盛り上がる。なんというローカル話。
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ネス湖ではボートにも乗って遊覧した。実に37年来の夢が叶ったのかと、地味に嬉しかった。インヴァネスにも行きたかったが、またの機会までお預け。エジンバラ城は、丁度、Military Tatooが終わったばかりで、まだ観覧席の取り壊し工事をしていたが、この観覧席に座っていた37年前の少女は、年齢を重ねて、色々あって、色々と病気して、色々な所で生活してみて、悲しいことも嬉しいことも色々とあったけど、心の中は、10歳のままかも。。。という驚愕の事実を再確認できた。
それにしても、英語ってラクざます。ぼんやりしていても、大体、意味が分かるので、全くホームの感覚。ドイツでは、それなりに気を張っているんだなぁと自覚。バスの中では意識不明になる事多し。今回の旅行では、自分のルーツ探し、あるいは親戚に会いに来ているアメリカ人たちの多さと、インド人の多さに驚愕した。そして、土産物が無い事にも驚いた。否、土産物は腐るほど売られているのだが、京都と同じ。欲しいという欲求が一切湧いて来ない品々だらけ。
タータンチェックも、ウール生地ではなくポリエステル混じりの物が多く、縫製もいい加減。手仕事が無くなっている。全世界的な現象で、手仕事をできる人がいなくなっているのだろう。タータンチェックのスカートのプリーツが、全くプリーツ無しの、タダの巻きスカートになっている事には驚愕した。逆に、男の正装用品だったので、男性のスカートのプリーツはきちんと作ってあった。そりゃ、あんな寒い中でスカートの中はノーパンフルチンらしいからなぁ。プリーツでも無いと、玉も縮み上がるだろうと思いつつ、土産物物色して何も買���ず。ワシはあまりの寒さに、ネス湖へ行く途中のトイレ休憩で、ド田舎の洋品店で、店のおばあちゃん3名に、カシミアのマフラーを選んでもらった。おばあちゃんは、どの国でもお節介で優しい。写真で着ている紫のタータンチェックのマフラーは、店番おばあちゃん達のお見立てで選んで貰ったものです。一万円ちょっとのカシミアマフラー。
初日のエジンバラでは、胃に優しいものをと思い、ベトナム料理屋さんへ。ここで、ScottのラガーマンPeterとSarahの夫婦と意気投合。結局、奢ってもらう事になる。スコティッシュは温かい人々が多い聞くが、ロンドン生まれロンドン育ちのサラは、Peterほどの典型的なスコットはいないわよ!と笑う。Peterは74歳。人生は楽しまなきゃ。働いて、働いて、頑張って、頑張って、そして、多いに楽しむのが人生だよ。シンプルに考えなきゃ。今は、お前、アレだろ。携帯であーでもないこーでもないって情報ばかりに左右されて、ここで(デカイ手で自分の胸をバンバン叩きながら)感じる事をしないのさ。頭でばかりコネクリ回すから、何が幸せなのか分からなくなっている。お前、幸せって何だ? ワシ、うーん。。。笑ってる事かな。 ピーター、そうだろ。こうやって、お前は日本から来る。俺はここで好物のビールを飲む。サラは好物のフォーを食う。これで良いんだよ。幸せって。身近にあるんだ。とても身近にあるし、探す必要もない。幸せは、毎日、こうやって、美味いビールを飲みながら、ラグビー見て、笑って、時に怒って、泣いて、そして笑うことだ。なーんだお前、分かっとるやないか。おい、サラ。こいつはホンマモンの哲学者だ。話が通じるからな。ガハハと笑いつつ、私を抱きしめる。
サラは、麻貴は日本人なんだから、そんなにすぐ抱きつかないの!と嗜めつつ、笑っている。嫌なら言ってね。ピーターは、良い人なんだけど、スコットだから、すぐ気を許すとtouchy、触り魔になるのよ。でも、イヤらしい意味は無いのよ。ワシ、全然気になりません。大丈夫。というと、すかさずピーターは、サラのヤキモチー!とサラを冷やかす。ラグビーで玉を掴み合うのはスコットもやるけれど、掴み方にも色々とコツがあるのよと、掴み過ぎると反則になるしな、と慶應ビー部の友人マレが、ビー部で玉つかみ役だった事を話してみると、ピーターは真面目に玉つかみ談義。勿論、サラに怒られるピーター。楽し過ぎて名残り惜しく、スコティッシュの温かい人柄に存分に触れた夜だった。最終日にもう一度伺い、ありがとうのカードを店主のキム伯母さんに託す。キムは常連さんのピーターとサラ夫妻を中国新年に自宅にお招きするらしい。
今回のフライトは、毎回、delayの憂き目にあった。エジンバラからはヒースロー経由だったが、ヒースローではターミナルがラウンジのあるターミナル5だったので、馴染みのラウンジで、5時間ほど過ごす。父上に感謝。コーク行きの時はターミナル3だったので、レストランのハシゴをしたが、帰独便は楽だった。しかし。。。ワシはこのロンドンのラウンジで食べるものと相性が良く無いらしく、いつもお腹が空くので何かしら食べては、胸焼けがする。文句は言えないけど、微妙な気分。飛行機を待っている間に、悩んでいた公募に応募してしまった。人生なんて、適当。頑張って働いて楽しむ事に全力投球すれば、後は、適当良いのかも。。。と、少しだけ思えた旅だった。
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Lyrics:
dæ marf, kreyjof emihe bhéidir gu wuil ʃé ʃó kjart níx læn meʃtår aʃó ax tá curjas ag' támœ aʃó
halmar áy goiʃés márn halræ ay curjas níx agæn ax n'ʃaxmárn rawæ ag' seiʃé låhanai flosco; tá ʃé dekar ankare a skilja Tar éʃa til, támœ gjorg kreyjof nù
+++
これを「歌詞」と呼ぶべきかは怪しい。音をただ書き表しただけ、ともいえるから。
んで「これ」そのものの話になるんですが。これは「ゲール語やりたいのに、VOCALOIDじゃ音素が無いんじゃアッ!!」と頭かきむしった末に生まれたハナモゲラ語です。ゲール語じゃないけどそれっぽいやつっす。
「bhéidir gu wuil ʃé ʃó kjart」≒「b'fhéidir go bhfuil sé seo ceart」とか、そんな感じになってる。さほどヒネってはいないので、解読そのものは容易だと思います。ので、答えはわざわざ書かないです。
ただ、ひとつだけ。「ag'」としたものは「agus」に相当しています(要は略した)。なのでag siúl~とかのagではないッス。
It's not exactly "lyrics". It can be said that this is just a written representation of the sound.
so, it's a pseudo-fictional language that was born after scratching my head, saying, "I want to make Gaeilge sing, but VOCALOID doesn't have Gaeilge phonemes!" 
mar... It's not Gaeilge, but it's something like that.
:2023/04/22追記:
あるtweetを目にして危機意識を抱き、気が変わったので和訳つきの動画を上げました。この意図は隠すべきものじゃないと思えたのだ。
個人的には道徳や倫理観は宗教に根差したものであるべきでなく、人権と人道と科学的・医学的根拠に基づいたものであるべきと考えています。なので、この21世紀においても特定の宗教に帰依する態度に好意的な意見は持てない。
まして、無宗教を自認しながらも参拝したり御朱印集めたりする能天気じゃぱにーずに向かって「今こそ日本人は信仰心を持ち、民族意識を高めるべきだ、信仰心を失ったから日本はダメになったのだ」みたいな頓珍漢なことをのたまうヤツは許せない。日本史と世界史をやり直せ、って言いたい。
これでいいんだよ、無宗教で良いの。日本的無宗教の態度は不可知論とか言い換えも色々できるけど、でもとにかく日本人は「ガチガチの宗教」を疎む性質のままでいいんだよ。これこそ未来のあるべき姿だもん。
宗教はそもそも、支配の道具。歴史を見れば分かるし、現状を見ればもっと分かるだろうけど、宗教は分断と争いしか生まないものなの。古くは生贄、近年では選民思想に異教徒排斥、虐殺に侵略、民族浄化、女性の人権の抑圧、信徒の搾取などなど。個々人の心の平穏のために犠牲にするものが、まるで割に合わない。つまり平和な宗教なんてない。
宗教なんて全部滅びて過去のものになりゃいいとさえ思う。過去のものになったら、そのときには「ダメダメな子ね❤ こんな歴史は繰り返しちゃいけないわ❤」って愛でてやるわい。
それに、自分は逆のことを思うんだ。信仰心と民族意識を手放したかわりに、道徳観と倫理観の水準は上がっただろ、ってね(ただ、近年は「触らぬ神に祟りなし」というか、波風を立てない=秩序を維持するために良心を捨てる人が増えた傾向にありませんか、とは思う。それが「curjas」という曲のテーマです)。
それに道徳観・倫理観の向上には文学を始めとする大衆娯楽が一番効果的だ。大衆小説の登場によって民衆に人権意識が生まれたとさえ言われているのだから。小説もそうだけど、漫画やゲーム、映画とか、素晴らしい作品は世界中でたくさん作られているので、宗教の経典への理解を深めるぐらいなら大衆娯楽の海に溺れるほうが百倍マシです。てか、大衆娯楽の海にはどっぷりつかっとくべきですよ。
もし日本人の質が下がったとするなら、それは時間的拘束があまりにも過酷すぎて十分に余暇を楽しめないことに理由があるとしか思えない。少なくともその問題は、信仰心とか民族意識とは何の関係もないですね。
宗教はクソだし、民族意識なんてゴミだし、愛国心なんて唾棄すべきものです。そんなものは要らない。
:追記エンド:
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elle-p · 11 months
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P3 Club Book Mitsuru Kirijo short story scan and transcription.
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桐条美鶴の暴走
桐条美鶴は悩んでいた。
どうやら、自分は普通の同年代の女子とは、少し違っているらしいのだ。
思えば、いままではシャドウとの戦いと、勉学に明け暮れる毎日だった。愛する父親のため役立つことなら、どんな苦労も厭わなかった。そしてそれは、ごく普通のことだと思っていた。ごく最近までは。
きっかけは、やはり修学旅行だろう。日ごろの学校での勉強と違い、たとえ数日のことであっても、学友たちと朝から晩まで寝食をともにすることで、ほんのちょっと、自覚せざるを得なかった。何というか、一般常識的に、自分は少しズレているのではないか、と。そういえば特別課外活動部の仲間も、生徒会のメンバーも、自分から距離を置いているのではと思えることが、しばしばあるような気がする。
つい先日も、真田明彦に「なあ、私は······普通とは違うのだろうか?」と率直に相談してみた。美鶴の質問を聞いた明彦は、いつもの爽やかな笑顔のままピクリとも動かなくなり、たっぷり1分ほど時間を置いた後に、個性というものがいかに大切か、ひとりひとり違う人間とはなんと素晴らしいことかといった内容で熱弁をふるい、歌を歌いながら立ち去った。曲目は『世界にひとつだけの花』。最後まで、美鶴と目を合わせようとしなかったのが、印象的だった。
これはやはり、遠回しに「問題あり」と言っているのだと、さすがに理解できた。
生徒たちの上に立つ生徒会長として、そして特別課外活動部を率いる責任者として、これではいけない!いまさら、一朝一夕で一般常識とやらを身につけることは不可能だろうが、せめて、せめて周囲の人々に慕われるような、そんな人間になろう!そう美鶴が発奮したのも、無理のないことだろう。そして、彼女の性格上、行動は迅速だった。---はた迷惑にも。
「か······会長っ?いま、何と言······」
「ど、どうかしたのか?い、いや······違うな······どうかしたの?ち、千尋ちゃん?」
「か、かいちょおぉぉぉつ!?」
生徒会室に、生徒会会計である伏見千尋の絶叫が響き渡った。美鶴の“慕われる人柄になろう作戦”が発動した翌日の放課後。彼女はさっそく、それを実行し、戦果を上げていた。
やっていることは大したことではない。まずは形からだけでもと、美鶴が知る限りでもっとも人当たりがいい少女---山岸風花の喋りと動きを真似しようと思った。それだけだ。
それが、予想以上の破壊力だったことは、誰にとっても不幸なことだった。美鶴はただ、千尋の「会長、この件はどう処理しましょう?」との質問に、こう返答しただけだったのだ。
「ち、千尋ちゃんは、どうしたらいいと思う?」
そして、にっこり。
柔らかい笑顔、のつもりだが、日ごろ使っていない表情筋を酷使したため、頬の端がピクピクしていることに本人は気づいていない。おかげで、それは笑顔というよりも、どう見ても何かを企んでいる顔にしか見えない。
それでも、悲鳴を上げて真っ白になった千尋を心から心配して、美鶴が優しく声をかける。
「大丈夫?千尋ちゃんっ?」
これがトドメとなった。
ぴきっ。千尋の中で何かが壊れる音がした。
「いやあああぁぁぁあ!ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!私が悪かったなら謝ります!お願い!許して!言いたいことがあったら死ぬほど責めてくださって構いませんからぁ!丸呑みにして生きたままじわじわ胃の中で溶かしていくみたいな生殺しはしないでぇ!ごーめーんーなーさーいー!!」
ありうべからざる異常な現象を目撃し、千尋の脆弱な精神は、簡単に灼き切れていた。恐怖に翻弄され、被害妄想で心は満たされ、ついには胎児のような丸い姿勢でうずくまって、ごめんなさい会長を差し置いて彼には手を出しません、とか訳のわからぬことを呟いている。
「え······お、おい、伏見?みんな?ど、どうしたんだ?何が起こった?」
千尋の狂態に、ようやく状況に気づいた美鶴が周囲を見回したときには、すでに生徒会室の中には、まともに口がきけるものはいなかった。
「そ、それは······申し訳ありませんでした······って言うのも変ですね。うふふ」
「いや。私が半端に山岸の真似などしたのが悪かったのだ。やはり、本物には敵わない」
生徒会室の惨事が、数台の救急車のサイレンをもって幕を引かれたあと、美鶴は廊下でたまたま出会った風花を連れ高等部校舎の屋上へとやってきていた。作戦失敗に少々へこみつつ、美鶴は無断で手本としたことへの侘びを風花に告げ、自分のミスの原因を率直に訊いてみる。
「やっぱり······口調や立ち居振る舞いって、その人だけのものですから······。無理をしてもどこかでボロが出るのは仕方ないです」
「しかし、それでは······皆に一歩引かれてしまうのだ。私の態度は、どうも硬すぎるらしい」
「だったら、話す内容かなあ······」
「内容?」
「少ししか······一緒にはいられませんでしたけど、荒垣先輩って話してみると面白い人だったんですよ。最初はちょっと怖くて近づきにくかったですけど、けっこう冗談とか言うし」
「冗談か。なるほど······」
美鶴の脳裏に、高等部に上がったばかりの頃の荒垣の面影が浮かぶ。確かにあの事件が起きるまでの荒垣は、どちらかというと陽気なタイプで、いまで言えば順平のようなパーソナリティの持ち主だった。
「そうか······納得いった!山岸、恩にきる!」
「え?あ······桐条先輩?どちらへ?」
「さっそく寮に帰って、草稿を練ってみる!明日は幸い、全校集会がある日だからな!」
そう言って、風花を取り残したまま、猛スピードで美鶴は立ち去った。それは、入浴中に「わかった!」と叫んで裸のまま往来へ飛び出したアルキメデスのような勢い。もちろん、美鶴は何にもわかっちゃいなかった。
翌日の朝、講堂には集会のため全校生徒が集まっていた。恒例の眠気を誘う校長訓示、学年主任教師からの諸注意のあと、「続いて、生徒会からのお知らせがあります。会長、どうぞ」とのアナウンスが、エコーを伴い講堂に響く。そして、いつものように堂々と背筋を伸ばした。桐条美鶴が壇上に姿を現わした。
カツカツと靴音を響かせ舞台中央に立った美鶴は、演台上のマイクの角度を軽く直し、視線を前に向けて講堂を隅々まで脾説する。それは正しく、王者の貫禄。昨日のようなイカレた様子は微塵も感じさせない、常と同じく凛々しい姿に、舞台袖に控える生徒会役員たちが胸をなでおろした、その瞬間。
「······おっはー☆」
······ざわつ。
軽く短いざわめきが広がる。一瞬、その場にいた全員が、自分が幻聴を聞いたと思ったに違いない。ただひとり、山岸風花だけが、昨日の不用意なアドバイスのことを思い出し、顔面蒼白にして固まっている。
ざわざわざわざわ。
徐々に増えるざわめきに、美鶴は焦っていた。おかしい。こんなはずではなかった。最初に軽いツカミで聴衆の緊張をほぐし、その後、小粋なジョークの連打で笑いの渦を我が物とするはずが······。そのために、わざわざ古書店で『アメリカンジョー 100選』やら『大人のフランス小話』やらを買い漁って研究したのに。やはり、美鶴が幼いころに 一世を風靡した朝の子供向け番組の名セリフとはいえ、ネタが古すぎたのだろうか?しかし、最近では滅多にテレビも見ない自分に思いつくネタは······あった!確か伊織が言っていた最近流行りの······。
「······お手上げ侍」
しーん。
今度こそ静寂が周囲を包み込む。生徒ひとりあたり、平均して5本ずつ白髪が増えていた。もはや働く者はいない。そして、しばしの言葉の真空状態を経て、「いやあぁぁぁぁぁ!!」と響き渡る千尋の絶叫。昨日のトラウマが、このタイミングで蘇ったようだ。ここが学校でなく職場だったら、PTSDで労災がおりるに違いない。
その日、月光館学園に緊急出動した救急車は、10台を越えたという······。
放課後、今度こそ真剣に、美鶴は落ち込みまくっていた。ほぼ徹夜で考えたスピーチが目も当てられない失敗に終わったことも原因だが、何より、アドバイスを活かせなかったことを風花に告げに行った際。
「別に構いませんけど、今度からは一般人の目の前でマハブフダイン (氷結ハイブースタにより威力1.5倍) は止めてくださいね、うふふ」
とか、ぐっさり言われたことが、相当に堪えていた。あれで、風花は意外と毒がある。ちなみに風花の目は、微塵も笑っていなかった。
そんなわけで、美鶴は意気消沈して寮への帰路をとぼとぼと歩いていた。と、そこに。
「あれ?やっほー、美鶴センパイ」
と、声がかけられる。それは、美鶴も良く知った、岳羽ゆかりの声であった。いつもならここで、「ああ、ゆかりも今帰りか?」などと、自然と会話が始まるのだが、連日の失敗で美鶴はすっかり調子を狂わせていた。思わず、美鶴の口を突いて出たのは。
「や、やっほぉー、ゆかり······」
言葉が美鶴らしくないなら、態度も美鶴らしくなく、ゆかりの反応を下から窺うような、おどおどした表情になっている。
「······」
「······」
「······きもっ」
ぐっさり。
容赦のないゆかりの言葉が、美鶴の胸に深く突き刺さる。そして---。
「う······ううっ」
「あ、あれ?美鶴センパイ?」
「······うえっ」
「え?ウソ?ちょ、ちょっと泣かないでくださいよ!ご、ごめんなさい、ごめんなさい。ちょっとした冗談ですから。あー、よしよし」
子供のように、美鶴は泣きじゃくっていた。
---夕刻。なかなか涙が止まらない美鶴を、ゆかりは長嶋神社の境内へと連れてきていた。小さジャングルジムや、その向こうの境内が、照り映える夕陽で橙色に染まってゆく。
「すまない······ゆかりにまで、愛想をつかされたかと思って、つい······」
「だーかーら!違いますって!だいたい、仲良くなかったら上級生相手に『きもっ』なんて言えるわけないじゃないですか?」
やや目の端は赤いものの、美鶴は何とか泣き止んで、今は少し落ち着いた様子だった。
「で、いったいどうしたんですか?今日のセンパイ、はっきり言ってヘンでしたよ?」
親しさゆえとはいえ遠慮のないゆかりの物言いに、美鶴はうぐっと言葉を詰まらせるが、それでも淡々と先日からのことを説明した。すべてを聞き終えたゆかりは、大きく溜め息をつくと、ばっさりと切り捨てるように言う。
「バッカじゃないですか?」
「ば、馬鹿とは何だ! これでも真剣に······」
「バカですよっ!」
そう言って美鶴の目を見つめるゆかりの表情は、なぜだか少し怒っているようだった。
「ゆ、ゆかり?」
「センパイ、ぜんぜんわかってない!」
怒っているようで、それでいて、少しだけ寂しさを含んだ顔。
「いいですか、一度しか言いませんよ?少なくとも寮の連中や生徒会の人たちは、誰も美鶴先輩を敬遠なんて、まして嫌ったりなんてしてません!見ててわからないんですか?」
「ゆかり······」
「風花が美鶴先輩に親身にアドバイスしたのはどうしてです?いつもと違う先輩にみんなが驚いたのは、いつもの先輩がいいと思ってるからでしょ?まったく、いつも自分ひとりで納得して突っ走るの、悪い癖ですよ?」
「私は······このままでいいのかな?」
「そのままの先輩で、いいんです!」
「······一般常識がなくても?」
「はなから期待してません!」
「······嫌われて、ないか?」
「みんな、先輩が好きなんです!」
どくん。
ゆかりの言葉に含まれた、ひとつのキーワードが、美鶴の胸を打つ。それは、自分でも気づいていなかった、もっとも欲しかった言葉。
「も、もう一度!」
「へ?」
しょんぼりと気力を失っていたはずの美鶴が、一転してすごい剣幕でゆかりに詰め寄る。
「いまのセリフ······」
「え?みんな······先輩が······好き?」
じ~ん。
そんな描き文字がバックに見えるように、美鶴は全身を震わせて感動していた。そして、 さらに顔を紅潮させつつ、ゆかりを問い詰める。
「ゆ、ゆかり······は······どうなんだ!?」
「わ、私っ!?私は······きですよ」
「聞こえない!」
「あー、もう!そんなことわざわざ口に出して言わなくても······。あ······」
言わなくてもわかるだろう、と言いかけて、ゆかりは美鶴の目を見てしまい、そして悟る。美鶴はもちろん言わずとも理解していた。だが、いま必要なのは、はっきりとしたゆかりの言葉なのだ。それを訴えかける、美鶴の必死な視線を受けて、ゆかりは苦笑しつつ言った。
「私も、美鶴先輩が好きですよ。······ほ、ほかの人と同じようにですけどね」
心からの言葉を美鶴に贈り、それでも妙な感じに誤解されないよう釘を刺すことも忘れない。
「さ、さて!そろそろ暗くなりますから、さっさと寮に帰りましょう!」
ゆかりが、軽く染まった頬の色を隠すように、ベンチから腰を上げて美鶴に背を向けた。そしてそれを追うように、美鶴も慌てて立ち上がる。
「お、おいゆかり!ちょっと待て、できればもう一度······その······」
ゆかり以上に頬を染めて、美鶴が先ほどの言葉を重ねてねだる。しかし、ゆかりは構わず先をずんずんと歩いてゆく。
「知りません。もう十分でしょ?」
「······ゆかりは、意外とケチなのだな······」
「ケチって何ですか!ケチって!」
「ケチじゃないか。先日だって······」
「あ、それ蒸し返します?先輩こそ······」
ぎゃあぎゃあと喚きつつ、薄明のなかを歩くふたり。その姿は、10年来の親友同士のもののよう。美鶴の小さい悩みは、いつの間にか春の雪のように融け去っていた。
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oimotoai · 1 year
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K-POPをフェミニストアートとして読む 
(G)-IDLE『Nxde』MV考察
はじめに 
 K-POP アイドルグループ、(G)I-DLE(アイドゥル)は2022年10月にリリースした新アルバム『I love』で、発売と同時に iTunes Top Album 部門全世界40地域で1位を獲得し、タイトル曲『Nxde(ヌード)』は韓国国内音源サイト全てで1位を独占する「パーフェクトオールキル」を達成した。また、タイトル曲『Nxde』はビルボードワールドデジタルソングセールスチャートで13位にランクインし、彼女達の影響力が韓国国内に止まらないことが示された((G)I-DLE 日本公式サイト 2022)。 
 「ヌードという言葉の検索結果をジャックしたかった」とメンバー達が話しているように、この楽曲が韓国社会の性被害問題に与えた影響は大きい。(G)-IDLE は韓国語で「아이들」と表記されるが、英語の「I(アイ)」の読みとしての「아이(アイ)」には、韓国語で「子ども」という意味がある(들は複数を表す接尾辞)。以前までは、韓国のポータルサイトで「아이 누드(子ども ヌード)」と検索すると、児童ポルノに関するサイトや画像がヒットしていたが、「아이들 (アイドゥル)」による『누드(ヌード)』という楽曲が発表されたことで、検索結果が彼女達の新曲のプロモーションで埋め尽くされるという現象が巻き起こったのだ(Sato 2022)。 
 タイトルだけでも社会に肯定的な影響を与えた『Nxde』は、歌詞に込められたメッセージ、様々なオマージュを用いた皮肉たっぷりのミュージックビデオ(以下MV)で、彼女達を「まなざしの対象」として消費する社会への反抗を表している。本稿では、この『Nxde』が、エンタメ業界及び社会全体に蔓延るmale gazeや商業主義を告発しながら、ステレオタイプを批判し、「ヌード」という言葉の再領有を試みている点について考察する。 
モンロー、バンクシーへのオマージュによるmale gazeおよび商業主義の告発
 「私が一番イケてる」とガンを飛ばす2NE1の『I AM THE BEST』、容姿を揶揄してくるアンチに唾を吐くMAMAMOO の『HIP』、自分らしくでいるときが完璧なのだと歌いあげる ITZY の『WANNABE』など、ありのままの自分で強く堂々と生きる姿を提示する、所謂「ガールクラッシュ」コンセプトは、K-POP市場において不動の人気を集めてきた。しかし、今回の(G)-IDLE による『Nxde』は自己肯定や個人の関係を描き出すことに終始せず、K-POP産業や社会の構造を俯瞰して捉え、痛烈に批判しているという点で、他とは一線を画している。 
 「Why you think that 'bout nude 'Cause your view's so rude」というフレーズに始まるMVのコンセプトはバーレスク。メンバーの衣装やブロンドの髪は明らかにマリリン・モンローへのオマージュだ。商業映画の中でmale gazeを向けられ、快楽の媒体として消費され続けたモンローに扮したメンバーは、スマホやカメラを手にした「鑑賞者」たちに囲まれながら歌い踊る。「私は裸で生まれたのであって、そこに卑猥な意味づけをしたのはお前達だ」という力強い歌詞さながらに、妖艶さを誇張するようなポーズを取りながらも、表情には彼女達の意志が感じられる。「見られている」という状況をその外側から写した映像という点では、女性を視線の客体として肖像化してきた絵画の構造に類似しているが、彼女達は見られていることに自覚的であり、その視線を拒否するどころか、見ている側であるはずのこちらに視線を跳ね返す勢いで、しかとカメラを見据えているようである。そこに、性的ファンタジーが投影された受け身の女性像はない。
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 モンローを引き合いに、女性たちに向けられてきたまなざしを可視化したことに加え、曲中 2:49での「변태는 너야(変態はお前だ)」という歌詞と共に裸の女性のイラストがシュレッダーにかけられるシーンは、バンクシーの『Love is in the Bin』を彷彿とさせる。アートが常に採点され、その所有権を争って金が積まれていくというオークションの商業主義を批判したバンクシーのパフォーマンスの引用によって示唆されるのは、女性(アイドル)たちを厳しい美的基準のもとで常にジャッジし、素行を監視し、採点し、競わせ、消費することで利益を産み続けてき��エンタメ業界の有害性への批判の姿勢だ。
 また、シュレッダーにかけられることになるイラストの女性が、輪郭を保ったままスキャンダル記事の断片から成るコラージュに変化していくシーンは、身体の断片化や平面化によって、女性を性的欲望の対象(=モノ)として描いてきた家父長的な映像・ショービジネス界隈の悪しき「伝統」への皮肉を感じさせる(Mulvey 1975: 809)。
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このように『Nxde』は、有名作品のオマージュを通し、女性 (アイドル)の身体が他者のまなざしによって占有され、評価され、利益のために利用されている構造を強く批判しているのである。 
ステレオタイプを模倣し批判する 
 「Baby how do I look? How do I look? 아리따운 날 입고 따따랏따라(美しい私を纏ってタッタラッタラ)」という『Nxde』のサビは、鑑賞者の性的な視線によって作り出された女性像及び、女性達が彼らを満足させるために纏ってきた「美しい私」の空虚さを暴き出す。ここで使われている動詞「입다(イプタ)」とは、衣服などを身に纏う・着るという意味で、「美しい私」の着脱可能性を示唆している。このサビの歌詞は、日々良きものとして消費されるアイドルたちの煌びやかな外見や振る舞いが、彼女らのありのままの姿ではなく、あくまで消費者達、業界関係者達のrude な視線によって着せられた括弧付きの「美しい私」に過ぎないことを暗示しているのではないだろうか。
 『Nxde』のMV中では、この括弧付きの「美しい私」が過剰に強調されており、例えばメインボーカルのミンニは『Diamond is a girl’s best friend』のモンローを思わせるピンクのドレス に身を包み、冒頭のAメロで以下のように歌う。
Hello my name is 예삐 예삐요  ハロー。私の名前はかわい子ちゃん
말투는 멍청한 듯 몸매는 섹시 섹시요  話し方はおバカみたい。だけど体つきはセクシー
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 舞台・衣装・ヘアメイクも相まって、この歌詞が「美人でセクシーな頭の悪い尻軽」という、いわゆる「blonde bombshell」ステレオタイプのことを指していることは明白だが、艶やかなクラブの舞台に立つ彼女をMVという媒体(もうひとつの舞台)を通じて見せることで、このステレオタイプがあくまで仰々しい演出の一部であり、「彼女たちはショーのためにそれをわざわざ演じている」ということを見る側に気づかせる。
 さらに、この歌詞に続くウギのパートでは、「그럼 다이아 박힌 티아라 하나에 내가 퍽이나 웃게 퍽이나 웃게(だからダイヤのついたティアラ1つで、私が喜ぶとでも思った?)」と、『Diamond is a girl’s best friend』で提示されるような「美しくおバカで何よりも高価なダイヤを求める女性像」を信じて近寄った者たちを突き放す。
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 ダイヤを渡せば我がものにできるような意思のない存在だと思っていた対象(女性)が、主体性を持って反論してくるという状況は、欠陥(lack)として扱われ、排除される女性の存在によってマスキュリニティの優位性が保たれてきた男性中心社会(Irigaray 1974: 308 女性を不完全な他者とすることで男らしさとは何なのかの輪郭が形作られるので、イリガライいわく、女性は男性の「鏡」。偶然か意図的か、MVにも鏡のシーンが出てくる...!)を動揺させる。このように、『Nxde』は欲望の対象をまなざすrudeな視線によって女性の身体に映し出される「美しい自分」像が、本当の彼女達個人とはかけ離れていることを示しながら、家父長的で一方的な性的消費が行われている社会構造を批判しているのである。 
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「ヌード」という語の再領有
 「美しい私を纏う」というサビからは、また別の意図も読み取ることができる。それは、「ヌード」という単語に肯定的な意味を見出し再領有することで、それが指すところの彼女たちの身体自体をも回復する試みである。美術界における「ヌード」とは、男が抱く異性愛的欲望を投影した「女」のイメージを意味し、描かれる対象である女性たちは徹底的に受動的な立場に置かれ、主体性を認められず、彼女たちが何者であるか、何を考えているのかなどの情報は性的幻想化の障害として徹底的に削除されてきた(笠原 2018:109)。作詞・作曲・コンセプトの提案まで担ったリーダーのソヨンは、この伝統的な「ヌード」への意味づけからの解放を目指しているようである。ソヨンは自分の本来の姿を「ヌード」と表現して曲を書いたのに、「エロい歌なの?」「扇情的すぎるのではないか」という会社の反応に、「絶対に世に出さなければ」と思い、ヌードが猥褻な言葉ではないということを世間にわからせてやると決心したのだと、出演したTV番組で語った(Todoroki 2022)。
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 また、サビ前の「꼴이 볼품없대도 어쩌면 네게도 다신 사랑받지 못한대도 (不恰好だとしても、もしかしたらあなたにもう愛されることができないとしても) Yes I'm a nude」という歌詞からの流れも考慮すれば、サビで纏う「美しい私=nudeの私」とは、他人の欲望を映し出す平面的な女性像ではなく、素のままの自分を意味していることが読み取れる。「Nxde」が収録されたアルバムのテーマが自己愛であることも考えれば、曲名の 「Nxde」で「u」が伏字になっている理由も見えてくる。彼女たちが描く「ヌード」に、性的な視線でまなざしてくる u(you)は必要ない。(G)I-DLE は「ヌード」という単語を自己愛の対象である「素のままの自分」として読み替え、女性の裸が欲望によって消費されることに反抗しているのだ。
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さいごに 
 本稿では、(G)I-DLE の最新曲『Nxde』のMVを、male gazeと商業主義批判、ステレオタイプ批判、「ヌード」の再領有という3つの観点から考察した。
 自分自身の身体は他者に占有され、評価されるべき物ではない。私は私の生まれたままを受容して、他者から気に入られないとしてもその態度を貫くのだ。このような強い意志を感じさせる『Nxde』が、K-POP史における画期的なフェミニスト的楽曲のひとつであることは間違いない。「あるべき姿」の強要に抗するメッセージを打ち出したグループのメンバー全員が、痩身で白い肌、大きな眼に整った顔立ちであることは、representationの面で限界があると言わざるを得ないだろう。それでも、韓国の美の基準を満たし、テレビに出演し、韓国だけでなく世界に向けて発信できる人気アイドルという地位を存分に利用し、社会に問題を投げかけていることの意義は非常に大きい。
 カムバック前に公開された動画 “I love” Interview における、わざとらしく欲望を掻き立てるような編集とと煽るような台詞は、フェミニストによる批判をシャットアウトしてきた「まなざす」人々のMV視聴を促進したに違いない。そうして扇情的な映像を期待した彼らは、最後に「変態はお前だ」と言い放たれるのである。
参考文献・サイト
Aya Sato,2022,「わいせつな検索結果を一掃…韓国アイドルの歌が起こした変化」COSMOPOLITAN(https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean entertainment/a41741485/gi-dle-new-song-nxde/). (G)I-DLE 日本公式サイト,2022,「(G)I-DLE、Mini 5th『I love』米国ビルボード「トップアルバムセールスチャート」にランクイン」(G)I-DLE 日本公式サイト,(https://gidle.cubeent.jp/news/992). 笠原美智子,2018,『ジェンダー写真論』里山社. Laura Mulvey, 1975, "Visual Pleasure and Narrative Cinema." Luce Irigaray, 1974, "Speculum of the Other Woman." Yuki Todoroki,2022,「過激だと反対され…(G)I-DLE ソヨンが明かす「Nxde」の制作秘話」COSMOPOLITAN(https://www.cosmopolitan.com/jp/k-culture/korean entertainment/a41827839/221101-gidle-nxde/).
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real-sail · 9 months
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日曜日午後2時、電波越しの達郎
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山下達郎がずっと嫌いで、好きだった。山下達郎(以下、達郎)は両親が好きな歌手で、わたしの理解では、あまり好みがオーバーラップしない両親ふたりにとっては珍しく共通の趣味のひとつとして楽しめるのが達郎の歌だった。それでも片方が好きで片方が嫌いな歌も存在するので、家族でのドライブのときにかけられるナンバーはかなり限られる。ゆえにわたしは「達郎のいろいろな曲を知っている」というよりは、「いくつかの限られた曲を聴き込んでいる」という嗜み方だ。でもそうしたわけで、幼い頃から達郎の歌声には親しんでいた、もうそれは否応なく。
嫌いだった理由はふたつある。ひとつに、その継ぎ目のないシームレスな声が、幼いわたしにはサイレンを彷彿とさせて怖かったのだ。そもそも町の防災サイレンが苦手な子どもで、火災予防週間になると余分に多く鳴るサイレンに耳を塞いで布団に潜り込んでいたくらい、わたしは「ぬるっと迫り来る音」が怖かった。すなわち達郎の歌声の繋ぎ目のなさは、わたしにとって人間離れしているもののように感じられた。それはすごい声を持っているからだということはのちに理解した。
もうひとつの理由は、両親が好きなものだから、同じものを好きになるまいとするある種の生存本能だと思う。エビデンスなしに書くけれど、ほら、自分と遠いDNAの人を人間は嗅ぎ分けられる、なんて言うじゃない。あれみたいなことだと思うのだが、子供の頃のわたしには両親が好きなものをたまにあえて避けたくなる機能が働くことがあった。
でも大人になってみると、達郎の歌はあまりにもわたしの耳にこびりついていることに気づく。何より、達郎の音楽をかけたり、達郎の日曜のラジオを聞きながら家族でドライブに行く図は、のちのち楽しい思い出として脳裏で再生された。一方で、自分の周りでは達郎を同じ濃度で聞いている友人がいなかった。高校、大学、または大学院での友人の中には自分たちの親世代に人気の歌手を好んで聞く人が何人かいて、それぞれの人が別の歌手のコアなファンだった。それにやや憧れて、わたしは達郎の曲が好きで聞くよ、なんてアイデンティティのように言うこともあった。
実際アイデンティティのひとつではある。両親はわたしの名前のインスピレーションを達郎の曲から得たらしい。国際ヨットレースのために書かれた曲を聞いて、帆を張ってさわやかな風を受けて海を進むヨットの図を思い浮かべたところから真帆という単語(何を隠そうこれは名前以前に船のとある状態を示す名詞なのである)に行き着いたと聞いている。
そう知って実際の曲『Blow』をCDプレイヤーでかけてひとりで視聴したときに、わたしは曲の渋さにびっくりしてしまった。それまでも耳にしていたがタイトルと中身が一致していなかった。この曲のことだったのか。『ドーナツ・ソング』のようなポップなほうをイメージしていたら、どちらかというと湿度が高いほうの曲。メジャーではなくマイナー。クラシックで言うところのレチタティーヴォのような感じ、というのは、まるで言葉を話すように歌われる曲で、文章にちょっと抑揚を強めに付けたら結果的に音程がついた旋律に聞こえる、そういう作りの曲だ。達郎の声のシームレスっぷりが遺憾無く発揮される。
そのときすでにヴァイオリンを弾いていたわたし、すなわち器楽奏者のわたしにとっては、レチは掴みづらくて苦手だった。もっとリズムがはっきりしていてほしかった。聴音能力もまだ未熟で、あまりに言葉然としている旋律は、絶対音感がありながら音高がわからなくなるくらいだった。器楽の人間ゆえに、今もそうだが、歌詞を聞き取る能力が弱い。言葉を単語としてではなく音として捉えてしまうので、言葉の存在感が強いと、わたしの耳はバグを起こしてしまうのだ。その曲はそれ以前から何度も聞いていたにも関わらず、わたしは達郎が何を言っているのかひとつもわからないでいた。
実際には普通に4拍子だし音高も楽譜にきっちり起こせるほうの曲だが、当時のわたしは、自分の知っている拍子と音高に明瞭に当てはまらない旋律にいらいらした。でも、両親はこの曲に良い印象を抱いたからこそ、大切な曲として聞き続けているのだと思うと、その愛を受け止めたかった。そしてわたしはヴァイオリンのお稽古の中で経験していた ― 第一印象で好きになれない曲も、根気強く付き合うと好きになれることがある、という現象を。きっとこの曲の良さがわからないのはわたしがまだ幼いからだろう、この良さがわかるまで何度も咀嚼していこう、とわたしは思ったのだった。
しかし達郎の歌の歌詞が聞き取りにくいというのは、一種の共通認識らしい。達郎のラジオ『サンデーソングブック』の中で忘れ難いエピソードがある。ある日のリスナーからのお便りで、「『LOVE GOES ON(その瞳は女神)』の歌詞の一部が空耳でどうしても『あけみ』に聞こえるけれど、それだと脈絡がないので絶対に違うはず、なんと言っているのですか」というものがあった。結局本来の歌詞は「アルケミー」のはずなのに「あけみ」という名前のように聞こえて仕方ないというオチだったはずだ。ちょうど��ひとりの女性への想いを歌い上げる曲なので、その女性が「あけみ」だという想像まで伴うところに可笑しさがあった。
このお便りを読み上げた達郎は、おもしろがっている様子だったが、答えを絶対に言わなかった。しつこくらい何度も「正解は歌詞カードを見てください」を繰り返して、答えを言わない達郎を、小学生のわたしは「意地悪な人だなあ」と思った。確かに、当時は音楽を聴くと言ったら必ずCDを買っていたはずだから、歌詞カードはそこにある。よほどお便りを出すより簡単に歌詞はわかっただろう。リスナーの人はそれでもお便りを出す手間をかけたのは、達郎との交流がほしかったわけで。ただ達郎のラジオを聞いてお便りするような人なら、そうした「意地悪さ」も嬉しがったかもしれない。そもそも、お便りが取り上げられただけでクジを当てたようなものだもんな。
でもわたしは、答えをその場で発表したほうがみんな楽しめるのに、と思った。わたしはそのあと曲がかかるまで該当箇所が思い浮かばなかったので、お便りへのコメントを聞いている間、すごくフラストレーションが溜まった。でも達郎流に言うなら、それで思い浮かばない人にまで親切にする義理はないのだろう。そういう人に“僕の音楽は必要ない”のかもしれない。
ちなみにその後しばらく空耳に関するお便りがいくつか続いた記憶がある。リスナーたちは「実は聞き取れない歌詞あるよね」と共感したのだろう。達郎はやっぱり、歌詞カードを見ろとしか言わなかった。ちなみにわたしは「高気圧ガール」をいつも「高気圧ケロロン」と空耳する。
嫌いだったはずなのに、すでにここまでで2500字以上も達郎の思い出を語っている。掘ればまだ出てくる。『新・東京ラプソディー』に準えて、母からはわたしに対して、自転車は国道246号線でしか乗らないでほしい、しかもおしゃれな緑色の自転車で、というかなり限定的なリクエストがあった話とか、中学時代の担任の先生が『クリスマス・イブ』を授業中に歌い出した時に、わたしはその曲の先の展開を知っているがゆえに「oh~yeah」という素人が真似をすると事故になりそうな部分で先生がどうするのか先回りして心配になってしまう話とか(先生は達郎風をやりきって教室は静まり返った)。それだけ達郎の歌はわたしに染み付いている。
そうして音楽が染み付いていることで、音楽を作った人の思想も無意識のうちにインストールしているのではないかという気がしてきて、恐ろしくなってしまったのが、先日のあの『サンデーソングブック』の発言だった。名前にもまとった達郎の影に、わたしは恐れ慄いた。もし両親が達郎のことを擁護したら、わたしは両親に絶望してしまうとも思ったし、もし両親が達郎の発言を知らないとしたら、知らないままでいるほうが家族の幸せかもしれないとも考えた。でも ― その数日後に両親と顔を合わせたときに、両親のほうから言及があった。達郎の件の発言にものすごくがっかりして、冷めてしまったこと。これまで何十年も楽しんできた時間を、台無しにされた気分になったこと。実際のラジオを聞いて、その語り口にもがっかりさせられたこと。
わたしは考えた。確かに真帆という名前のインスピレーションは達郎の歌から得たものだった。でもその歌の歌詞には全く出てこない言葉で、それは両親が見つけてあつらえてくれたものだ。こうして一緒に達郎にがっかりしたと言える両親が選んでくれたものであり、何より、ここまでおおよそ30年は、わたし自身がこの名前に自分の生き様を刻みつけてきた。この名前が司る人格は、誰のものでもない、わたしが形作ったものだ。むしろ達郎なんかに影響されて、この大好きな名前に残念なイメージを持たせられて堪るか、とも思った。
思い出は色褪せた。そこに流れる達郎の曲を、わたしたちは今は楽しめない。でもそこにあった家族の団らんまで色褪せさせて堪るもんか。わたしはこれからも思い出を大事に抱えていく。でも、そこにあった音楽を愛せなくなる出来事があったことも、忘れない。
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oka-akina · 1 year
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「終わりのある脱毛体験コース アンソロジー」musitさん取り扱い開始&作品レビューその①
「終わりのある脱毛体験コース アンソロジー」が、webマガジンmusit(ミュージット)さんのオンラインストアで販売されることになりました。本日から取り扱い開始です。 musitさんは、「音楽にまつわる様々なコンテンツを通して、あなたに「新しい発見」を届けるWebマガジン」とのこと。オンラインストアを見てみるとドラムセットやCDやアイドルのチェキと混じって脱毛アンソロが並んでいて、なんかすごくいいな〜とニコニコしてしまいます。 なんで音楽関係のストアに脱毛アンソロが? お声がけいただいたのでお預けしてみたというわたし自身なんかこうよくわかってない感じで恐縮なんですが、でもなんかこうこの「???」な感じがこのアンソロには合っている気がしています。 (アンソロに参加してくださっている鈴木レイヤさんがmusitさんでライターをされているそうで、でもレイヤさんつながりでご紹介いただいたというわけでもないそうで……偶然とおっしゃってましたが、わたしもレイヤさんにこの話まだしてないので本当によくわかっていない)
ある日うちの郵便受けに入っていた「終わりのある脱毛体験コース」というダイレクトメールハガキが、なんか小説のタイトルっぽいな〜とツイートしたことからスタートした冗談のようなアンソロで、まあなんていうか大喜利的な遊びなんですけども、突発的に、大真面目に遊ぶというのはいいなあと思いました。
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また脱毛の広告というのがもろルッキズムに直結する話題なので、遊びの同人誌だとしてもどういうふうにやろうか自分の中でいろいろ葛藤があって……。そこらへんのわたしのあれこれも、参加してくださったみなさんいろいろ汲んでくださって、勢い任せの突発本ですが思いのほか骨太な一冊になったように思います。あとまあなんていうか、イベントあわせで突発的に何か作るの楽しいよね。イベントのお祭り感というか。 そういうわけで当初は文フリ当日だけのつもりでいてその場で完売しているんですが、せっかっくリクエストいただいたので再版しまして、通販&委託となりました。たいへんありがたいことに再版分も先日の文フリ京都でわたしの手元からはすべて旅立っておりまして、あとはこのmusitさんのストアにあるだけです。気になる方どうぞよろしくお願いします。 試し読み的におかわだの小説はこちらにアップしています〜
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さてmusitさんでの取り扱い記念?的に、各作品のレビューをアップしていきます。1日1、2作ずつかな。もうちょっと解説!という感じにして副読本的なコピー本にしたかった気持ちもあるんですが、そこまでの体力がなく…。わたしの感想です。アンソロ読んでくださった方や参加してくださった方がなにかしら楽しんでもらえればいいなあという感じです。 今日はなむあひさんと宮田秩早さん。
伊藤なむあひさん
 抜け落ちた体毛が「マルチーズ状のなにか」になって、体毛への嫌悪が和らぐ、むしろ愛着がわく。本作での「終わりのある脱毛体験コース」とは、抜け落ちた毛と生活した束の間の時間のことであり、それを通じて「わたし」の嫌悪の感情に終わりがあった……というふうに読みました。  本作では、手間も痛みもなく自然に「するりと」体中の毛が抜け落ちます。いつも自分を悩ませていた嫌悪や憎悪の強い感情が、あるときふっとどうでもよくなることがありますが、そういうときのあっけなさを連想しました。  嫌悪が薄れ、自分の体を受け入れるという結論は、それだけ言おうとするとともすれば説教臭くなってしまいそうなところですが本作はそうはならず、すとんと腑に落ちる作品でした。小説の語りが自らの内側へ向くような感じ……、小さくプライベートな語りで、自分で自分の体を確かめ、慈しむような手ざわりだからかなあと思います。  説教臭いなあみたいな感想って読者が作品にのりきれずにさめちゃっている、白けちゃっている状態だと思うんですが、本作は語りの親密さやおかしみによってそれを回避していると思います。「UberEatsの人にわたしのつるつるっぷりを驚かれて落ち込んだときはわたしの頭に乗って笑わせてくれた。」とか、さらっと書かれているんですが、「わたし」と「毛」の親密さが伝わってきて読者を意地悪にさせないのだと思います。  最後の「そうしてつい車内の脱毛の広告を見る、と、やっぱり毛たちは威嚇するように逆立つのだ。」がいいなと思いました。毛は「わたし」の体に戻っていったけれども、この「わたし」は抜け落ちた毛と仲良く過ごした時間を経た「わたし」であり、以前より自分の体を客観視できるようになった「わたし」です。経験が心身に蓄積されている。物語のトンネルを抜けると主人公に変化があり、読者はそれを見届け、うれしい……という素朴な喜びがあります。  それまで憎らしく思っていたものを憎く思わなくなるのはいいことだな、よかったなとシンプルに受け入れられる作品でした。それは、毛の生えている体を受け入れるべきだ、自分のありのままを愛するべきだといったお説教を超えたところにある、物語の力のように思います。
宮田秩早さん
「体毛の遅れた死は人体の末端ゆえに、死と合一するのが遅い」、「風が吹けばそよぎ、私と他者を隔てる皮膚のうえ、次第に自他の境が曖昧になってゆくその境界線上で、すべての私を代表して、毛は、この世界に別れを告げることだろう。」……、脱毛は「みずからの死の疑似体験」になり得るのではという思索が脱線や遠回りをしながら、またやや理屈っぽい道を辿りながら展開されるのが非常に面白く、夢中になりました。語りに浸かる快感があります。  理屈っぽいとはいえ、隙のない論を展開して読者を説き伏せるという感じではないように思います。たとえばわたしは本作の、自分とポスター女優の姿を混同する・広告は混同を狙っている……あたりのところについて、語り手とはややちがう意見を持っているのですが、それはそれとしてこの理屈を聞いているのが面白いなあと思いました。ぜんぜんいやにならないですし、SNS的な反論したくてうずうずするとかでもなくて、なるほどなあと受け止められる。本作の語り手に余裕を感じるからかもしれません。たまたま目についた広告にこれだけいろいろ考える語り手は、きっと理屈をこねるという遊びをしている。そういう余裕になんだかほっとするし、うれしくなります。ちがう意見にも耳を傾けてくれそうだなあと安心して読み進めることができます。  いっぽう深く共感するところもあって、たとえば、「みずからの小心さと保守性に凝り固まった心根に深い失望を覚える……」「そしてものの数秒で、あれほど注目していた広告のことを忘れてしまう。」のくだりは、ほんとにそうだなあ、こういう感じあるなあと唸りました。脱毛に限らずたとえばSNSで見かけたさまざまの話題を、そのときそのときはかなり本気になって自分なりに考え込んだり、自論を捏ねてみたりするけれども、わたしはすぐに忘れてしまいます。パッと火がつき、過ぎ去ってしまう。一瞬一瞬はかなり本気だけど自分の興味関心は移り気で、そしてそうなりやすい環境についても考え込みますが、考え込むこと自体を楽しむような本作に励まされます。  そしてそれが遠回りの果てに美容とは別の方面にジャンプしていくのが小気味よく頼もしい。「『終わりのある脱毛体験コース』は始まるまえに終わってしまい、」という締め方が綺麗で可笑しくて好きです。終わりのある脱毛体験コースって小説のタイトルみたいだなあとツイートしたとき、いちばんに反応してくださったのが宮田さんでした。宮田さんとのやりとりから始まったアンソロで、寄稿いただいた作品がまさにそういう遊び心で牽引される語りで、ピシッと着地が決まり、なるほど!お見事!と唸りました。
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blue-aotan · 2 years
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ハロー(´ー∀ー`)2022.9.24
飼い猫のアリスは以前に比べると少し落ち着いてきましたが、それでもやはり突然怒り出すのは相変わらずでスイッチが何なのかわからないまま時が進んでいます。
タイミング的に私の仕事が始まって数日くらいにアリスに異変が起きたので、もしかしたらそれも関係あるのかもしれないな…と思いました。憶測でしかないのですが、今までずっと家に居たのに突然長時間家を空けるようになったことに戸惑い怒っているのかもしれません。
それとスリッパが嫌いみたいで、スリッパを移動させるだけでも怒りだしたりするので私としては猛獣アリスの攻撃から足を守るために履きたいけどwwスリッパはアリスの見えないところに移動させました😭
本当に猛獣と生活している気分です。だけど前よりは触れる時もあるので大丈夫そうな時にたくさん触ってブラッシングするようにしています。
動物病院へ連れて行くタイミングを見計らいながらの生活ですが…もう少し様子を見ようと思います。
この前、また姉達とグループトークをしていてHUNTER×HUNTERの話になったのですが、長女が
「ピカソみたいな名前のキャラおったよね?」
って言ってました←
ヒソカね←
ピカソはおらんのじゃ←
ということで映画ブログです〜
「オキュラス/怨霊鏡」
呪われた鏡のせいで子供の頃凄惨な事件が起きてしまったんだけど、父親も母親も死んだのはこの鏡のせいだと証明するために成長した姉弟が色々な手段で記録として残していきながら実験をするみたいなホラー映画。
いまいちです←
ようわからんホラーって感じ。
この男の子見たことあるな…と思っていたけどキングオブエジプトの子かー…(内容覚えていないけど←
パイレーツのウィルの息子役でも出てたのか…くらい私の中では印象が薄いw
「告白」
今年は邦画をかなり観ているわたくし。ながら見できるしそこまで真剣に観なくていいので観ようと思う機会が増えた気がする。歳をとったことで嗜好が変わってきたのかしら…とも思うけれど、観終わって大満足することはほとんどないよね←
洗い物しながら、とか日記書きながら、とかブログ書きながら、とか化粧しながら、で観れるから丁度いいしかといって洋画を吹替では観たくないので結局邦画になってしまうのね。
ながら見でも罪悪感がない←
そういった理由で観てもいいじゃないか。
湊かなえさんの小説は読んだことないけど、この映画はMVみたいだなーと思いました。教え子に自分の子供を殺された松たか子さんが復讐をする話。
子供相手だけど結構な復讐なんだよね。手加減なしさが私はいいと思いました←
段階踏んでいって子供の心を追い詰めていったりだとか、種を撒くみたいな感じで生徒にじわじわわからせていく部分が教育なのか復讐なのか何なのか。
牛乳に血液を混入させたのも生徒の母親に会って爆弾を仕込んだのも本当にしたのだろうか?
という疑問のまま終わったw
全て想像の中の出来事で、ただ心だけを追い詰めただけなのかもしれないけど本当のところは誰にもわからないという感じで邦画あるあるみたいな作風にも思えたのですが、小説を読んだらもっと具体的にわかるのでしょうか。
「マー -サイコパスの狂気の地下室-」
とあるおばさんが高校生達と仲良くなって慕われると思いきや変な行動をし始めて…みたいな話。
お酒が買えない高校生の代わりにお酒を買って飲む場まで提供し、仲良くなっていくんだけどもその中で自分の高校時代のことを思い出していったり言葉に傷つけられたりしてどんどん頭おかしくなっちゃうという展開ですw
本当に酷いことをされているから可哀想ではあるんだけど、1番可哀想なのは娘だと思う。
結局自分のことしか考えていないし、どうして娘を家に閉じ込めて変な薬飲ませて弱らせていたのかもわからないし、変なホラーでした←
「悪の教典」
サイコパス教師がショットガンで生徒を次々と殺していく話です。
教師役が伊藤英明さんなんだけど、かなり表情がやばかったです…瞳孔開いてて何の躊躇いもなく生徒を殺していく様子がマジでサイコパスでした。
だけどストーリーとしては「?」です。殺人鬼の心情はわからん←
「クリーピー偽りの隣人」
髭の西島さんも素敵だわね〜
でもさ2時間鑑賞してのこの結末は正直「なんで?」ってなったよね。竹内結子さんの絶叫の意味がわからず…説明が欲しいと思ってしまうことが多いイメージの邦画。
メッセージが複雑というか、分かりづらいというか。大体見る側に委ねようとしてくるよね←
見る人によって感じ方の違う映画はいいと思うよ。
色々な解釈できるっていうのも、感想言い合うのが楽しいと思うし。
でもこれは本当にわからないww
ただ香川さんがめちゃくちゃ気持ち悪い←
こんな人が隣人だったら地獄です。私だったら挨拶した時点でもう絶対に関わらないと心に決めますw
それと西島さんが最後らへんかなり香川さんを挑発するんですけど、そこも「?」でした。過去に一度サイコパスと関わって大失態して警察辞めてるのに、何でそんな不利になるような行動を取るのか理解不能でした。
奥さんもあんなに怪訝にしていたのにどうしてあそこまで隣人と関わろうとするのか謎だったし…
でももしかしたら夫との生活に不安や戸惑いを感じていたのかもしれないよねー。ちゃんと会話もしていなかったし、お互いに深く語ろうとしていなかったから招いた事態でもあったかもね。
それにしてもそこまでほったらかしにされていた訳でもないし、ちゃんと会話してくれようとしていた旦那さんだったし。私には奥さんの気持ちがよくわからなかったです。
「娚の一生」
この漫画が好きで昔読んだことがあり、映画化も知っていたけれど今回初めて観てみました。
この漫画で「枯れ専」という言葉を知り、私は枯れ専の要素もあるかもしれないと思っておりましたw
(昔は本当におじさん好きで有名だった私←誰にw
まぁーーーー豊川悦司さんで本当によかったよね←
キュンどころじゃない、ズドンです←
一撃で死にましたね��バハーーッ(それは麃公将軍
始めは何この厚かましい中老は?誰?となるのですが、もう何よりもねー見た目が素敵なのよ←
足長ーーーーーーー!!
そして何でこんなに白シャツ似合ってんの?←
スタイル良すぎなのよあなた←
恋なので仕方なかったですって!?
言われたいわ←
この一撃で死にました。主人公と一緒によろめきましたよね←
くぅーーーーーーーートヨエツめ!(呼び捨てにすな←
ほんであの例の足舐めシーン。
これは実写では気持ち悪いだろう、どんな人間でも気持ち悪いだろうと想像していた私。
そうでもなかった←
いや、汚いとは思った←
だがしかし!
汚い臭いとか超越した世界がそこにあった超越のトヨエツよ←
(うまいこと言わんでえーねん
向井理来てからの暴れっぷりも、そのあとの傷ついたトヨエツも全部いい。
最後私もバックハグしてあげたいと思ったわ。マジで。
心の中ではしてたよーーーーぐふふふふ
(お前が1番の変態である
この映画で、不倫に傷ついて田舎のお婆ちゃんの家に住み始めた主人公が自分に「負け犬ジュエリー」としてお高いネックレスを買ってるのよね。
それを聞いたトヨエツが「君は自分を大事にしなさすぎや!腹立つ」って本気で怒るシーンがあるんだけども、そこで泣きそうになった私です←
負け犬ジュエリーって言った主人公の気持ちがわかるし、仲良しの友達の結婚報告の後に死にたいって言った気持ちもすごくよくわかる。
だけどそこで卑屈になっている主人公に喝を入れるトヨエツがもう愛の鞭すぎて、愛が溢れてるよねーーーー
どーする?
(どーもせんわい
自分が怒られているような気がしたよね。
ドキッとしたし、あちゃー(照)ってなりました🤣
私、トヨエツと結婚します!
(本気のアホの子がここにいまーーす
白いスーツとか最高だったよね。白馬の中老よ←
王子じゃないけど王子よりも頼りになりそうよね。
とてもよかったです🤗
「グリーンランド 地球最後の2日間」
これずっと観たかったやつで、U-NEXTにきてたので観たけど…途中ですごい飽きた←
まず彗星が地球に落ちてくる世界終末系の映画なんだけど、専門家とかは何の被害も影響もないですって報道していたのにいざ落ちてきたら大爆発するのよね。
何それ?←ってなるじゃん
ほんで大統領アラートとか言って突然主人公に「あなたはシェルターへ避難できる人として選ばれました」ってメールが届くのよ。そんなことある?
無作為かと思いきやちゃんと条件の元選ばれているっていうのが後々にわかるんですが、専門的な職業+持病がない人って決まっていて、息子が小児糖尿病って発覚したら軍から「この選出は手違いです」とか言われて搭乗を拒否されてしまうのですよね。
7SEEDSかよ!ってなったよね←
しかも病気あるのにミスで選ばれるとか、そもそもそういう理由で避難できる人間を選ぶ政府も本当残酷だなと思ったし何という不快で不条理な選定なのでしょう。選ばれた人も選ばれなかった人も不幸にする流れ←本当に酷いと思った。
でも本当に地球に最後の日が近づいているのだとしたら、そういう選定はありそうっちゃありそうよね。結局金持ちと政治家、専門職の人、エリートしかそういう枠に入れないのよね。
あと小児1型糖尿病とか、映画では割と多い設定だよね…
インスリンがないと危険とか、危機的状況を生み出しやすいからって緊迫感を足すために病気持ちにするのもどうなのかね←
正当防衛ではあるけど、お父さん人殺しになっちゃったよ😭
奥さんも自己中心的なタイプであまり応援できなかったし←
特に何も感想はなくていつも通り文句ばかりしか出てきませんでしたよぉw
それと昨夜地上波であった
「竜とそばかすの姫」
めちゃくちゃ面白くなかった🥹
びっくりした←
何一つ刺さらなかったよ←
バケモノの子でガッカリしてたけど、もうこの監督のアニメは観ないと思う←
ナウシカの無駄遣い😭悲しい…
今日のブログはこの辺でおしまいです🤟
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tamanine · 2 years
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ニトラムとモガディシュ
昨日、6,555歩。(今日は家でずっと文藝の「私小説」特集を読んでいたが、私小説というのは、この期間からこの期間までに書いて!という形式で長年の執筆歴がある人に頼むのは難しいことなのかもしれないと思った)
最寄り路線の電車の座席で顔を上げると、ジョージ・A・ロメロ作品のTシャツを着た人が向かいに座っていた。ロメロ、ロメロご覧になるんですね、全然関係ないけどマリグナントもご覧になっていらっしゃるでしょうか等とぼんやり思う。
ターミナル駅から映画館へ、寸前まで地下道で行けるがスクリーンへエスカレーターを昇りまくることを考えると時間がギリギリで、一直線に紀伊國屋の地下まで向かっていく。B6出口を目指して歩きながら、こんなにわけのわからない地下道でもどの辺に出るのか把握できていることが不思議になる。京都も大阪もまださっぱり分からない。紀伊國屋ビルの地下から上がり、商店の並ぶ1階を抜けて無印の横に入れば新宿ピカデリーだ。
相変わらず動線が死んでいる。あまりにもわけがわからない設計なので、1度映画館に入りさえすれば空いた席にこっそり入って次々に映画を見れる古の映画館を回顧しているのだろうか等と思う。映画泥棒のディケディケしたあの動画を予告の前に流してくれる映画館は少し嬉しい。新宿ピカデリーもそうなので、動線死んでるな〜と思いながらも映画館自体は好きだ、音響やスクリーンでハズレだと思うこともなかった気がする。映画の予告をいくつか見て、気分が映画に向いた瞬間にあの煩い泥棒動画を見せられると、1900円も払って座っていることがバカバカしくなる。あんなものを、『お金を払ってわざわざ映画館にいる』人間に毎回毎回見せ続けることがバカバカしい。動いていないCOCOAのCMを延々と見せられていたこともバカバカしかった。オリンピックの決算を出さなかったことも屈辱的でうんざりする。
ブラット・ピットが新幹線に乗る映画の予告を見ると景気の良さで気分が良くなる。
モガディシュはよく出来た映画だったが、ソマリアという国全体を野蛮な雰囲気に描いているため、内戦の政府軍・反政府軍のどちらもが悪役の映り方をしており、事情が全然違うのはわかっているけれども、ミャンマーや香港のニュースを知っている中で見ると、反政府軍にも切実な事情があるのではないかと気になってしまう。(映画の「モンスーン/monsoon」は、ベトナム戦争の切り取りかたが素晴らしかった。)
ク・ギョファンさんはペニンシュラとD.P.で見たが、スクリーンの中で見ると「平凡さ」の似合わない雰囲気が凄い。あくまで作品の中で見える雰囲気だけ(私生活や素顔は見たことがない)だけれども、親密なパートナーと穏やかな老後〜という将来像が全然浮かばない。やわらかい雰囲気があるのに愚かそうにも賢そうにも見える。
南北の協力があったらしいという事実が明らかになったのは近年のようだけれども(イミテーション・ゲームのように)、政府組織の本当の動き、があのような状況でもそれなりに残っていた、後年でも明らかになった、というのが羨ましい。日本だって、養老孟司さんが言っていることや坂口安吾が書いていることのように、第二次世界大戦前後で突然「正義」がガラッと変わったのだから、そのさまを映画化したらものすごく面白い映画らしい映画で描けそうな気がするが、大きな映画では見かけない。イッセー尾形さんの「太陽」がそのような映画だったか、全然思い出せない。民衆の映画ではないので違っているような気がする。スパイの妻でも、青鬼の褌を洗う女のような終わりになっただけだった。
行きの電車で見かけたロメロTの人がモガディシュ後のエスカレーターを降りていくのを見かけ、同じ映画を見てたのか〜と思う。
百貨店のブランド品の店舗の前を通ったが、以前はガラガラだった宝飾品店に行列ができていた。今年二度目の値上げのお知らせが載っていたからだろう。値上げ幅もどれくらい大きいかがわからない。日常的にたくさん買うかたは別の店舗の別の窓口でお買い物をされていることだろうと思う。いつか買いたいな、と思っていたものの値段がどんどん上がり、二度と買えなくなる未来が浮かぶ。ヨーロッパへの飛行機はロシア上空を通れず、あらゆる面で一気に遠くなってしまった。どんなに見たいものがあっても本当に一大決心をしないと行けなくなってしまった。行ったところで、言語に不自由がある中病気になったらきちんと帰って来られない。
外で食事をするのもなかなか落ち着かないので、お腹が空いたまま甘いジュースを飲みながら帰り、丁度カレーができていたのでありがたく食べる。
夜中、今見るものではないのかもしれないなと思いながら「ニトラム」を見る。静かで、被写界深度の使い方が良く、音響も丁寧で、映画館で見ていたらとても好きだっただろう。
ガス・ヴァン・サントのエレファントとは全く違う映画で、だから現代的であり、悲しい。
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズがカンヌで賞をとったのはよくわかる。あの体型から見えてくる幼児性がうっすらと怖く、でもぎりぎりで「まだなんとかなったのでは」という気持ちが残る。
自分が子供の頃の、「親を悲しませてしまった」という記憶の強さを思い出して悲しくなる。父に対してではなく、母を悲しませてしまった記憶(父にはトップガンマーヴェリックを見せてあげられたので概ねチャラだ、海外旅行には行かせてあげられなそうなのが心残りだ、でも数年以内にどうにかなる気がしない)。母が買ってきたJリーグチップスか何かの感想を聞かれて、普通、と答えてしまい悲しませてしまったとか、いいお店の天ぷらを美味しそうな表情で食べてあげられなかったとか、限定品のBaby-Gを無くしてしまったとか、それくらいのことなのだけど。
マーティンの母親の「この子はもう無理かもしれない」という表情のリアリスティックな部分が凄い。ある程度はマーティンに向き合っていて、長い時間努力し、優しく穏やかな時間もあったはずだけれど、明らかにどこか諦めている。現実的なのだ。諦めも、残っている気持ちも両方ある。
マーティンの父親の切実さが悲しくて仕方がない。父親の方はずっと諦めきれず、マーティンの寂しさにも寄り添いがあり、綺麗な景色の家(B&Bの経営)に希望を託していた。「親の悲しむ顔」を見るのはあんなにつらいんだっけ。父親の方が諦めてしまった時に起こった出来事。
ヘレンの寂しさが自分の最近の寂しさに近く、つらくなる。自分の部屋にある、まだ着ていない新しい服。寂しさや惨めさが少しマシになるような気がして物を買ったりする。自分の価値は変わらないのに。
マーティンの悲しみと、惨めさがつらい。子どもの頃、母親が私の何かが気に入らず罵倒されているのを壁越しに聞いていた頃のことを思い出す。今は随分と、あの気持ちが遠いものになった。
ニトラムでは惨状は描かれておらず、wikiで事件の全貌を読んで驚いた。
私は他者に暴力をふるわないけれども(意図的には)、この映画のそれぞれのキツさの描き方は素晴らしかった。フォックスキャッチャーや、ナンシー(アンドレア・ライズボローさんの、凄く良い映画)のように寂しく、悲しかった。
映画の中で、マーティンがまともに褒められているのが銃を販売しているお店と銃の愛好者との会話だけで、あのお店でだけ彼はパーフェクト、素晴らしい、と一人前の大人の男のように扱ってもらえている。「一つだけでも居場所がある」状態があれば大丈夫なものなんだろうか、結局友達が多い人が一番偉いんだろうか?
うちに小学生が数人来ることがあり、時折、一緒に住んでいる小学生より友達が先に来てしまい、止むを得ずNetflixのキッズチャンネルにして「好きに見て待ってて」とリモコンを渡すことがある。
小学生が並んでミニオンズを見て笑っているのを見るととても可愛い。
明日はミニオンの新作を見に行く。
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hummingintherain · 2 years
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頭を使いたくない疑惑 2022/05/20-2022/05/26
 5月20日(金)
 本が間に合わない。いろいろと間に合わせられない。
 5月21日(土)
 最近は夢をよく見る。今日はジャニーズと会う夢だった。職場の人がKing&Princeをこよなく応援しているのだけれども、���の話をよく聞いたせいなのかついに夢にKing&Princeのメンバーが出てきた。しかしよく話に出てくる、つまりは彼女が推している永瀬くんではなくて岸くんが出てきた。岸くんも話には出るのだがなぜかあまり好かれてはいない。岸くんとくん付けをしているけれども彼女は岸と呼び捨てにしているし、永瀬くんと書いたけれども彼女は廉くんと呼んでいる。なので私も永瀬廉くんを廉くんと呼んでいるけれども、廉くんは出なかった。岸くんのことは岸とはとても呼べず岸くんと呼んでいる。ざっくばらんな話を岸くんとしていた。その内容は覚えていない。ただ、話の中で、うちの職場の同僚がキンプリ好きなんですけど廉くん推しなんですよね、ということを伝えていた。言う必要のない余計なことを言っているなと後から思ったけれど、きっとそれを言っても大丈夫な相手だと判断して口を滑らせていた。懐の広さに甘えていた。お酒を飲んでいた。現実だったら眩しくて直視できないけど、夢だった。
 それにしても永瀬廉、ながせれん、という字面が、物語の主人公というか、少女漫画の恋愛シーンのお相手役というか、片思い相手というか、最終的には両思いになるような、つまりは漫画やゲームのようなかっこよすぎる名前だなといつも思う。苗字も含めて。ながせれん。長瀬とかではなくて、永瀬であるあたりもなんだかくすぐられる。なにしろ永遠の永。決して永瀬が上位という話ではなく、字面からの印象としてかっこいいなと思うだけなのだけれど、永瀬廉、なんだか設定を盛りすぎた名前に、顔までしっかりとかっこいい。そんな彼が表紙になったananを買ってきては「見てるだけで妊娠しそう」と笑いながら言っているのを少々ぎょっとしつつもジョークに同調して笑って見ているのだった。ネットスラング由来かと思っていた言葉が、普段の会話の中で出てくるとぎょっとする。
 最近、主にネットでとてもカジュアルに使われている、普段の生活であれば聞き慣れない言葉、冷静に意味を調べてみるとけっこうとんでもない意味を含んでいたりする言葉でありながら、にこにこと(恐らくは)悪気なく使われているのを目にするとなんだかなあという気持ちになったりする。でも、過激だと思う言葉が、他人にとってはそうでもないというハードルの差は確かに存在する。それは価値観の差であり、環境の違いでもあり、慣れでもあるし、また時代の流れによっても変わっていくんだろう。いちいち反応するのも過敏なような、そうはいっても個人的には注意深くありたいとも思う。  それはそれとして、夢に出てきたのは岸くんだった。でもキンプリに特別好意的な印象を持ち合わせていないから、極端に夢の中で盛り上がることもなかった。ただただ話していた。ただただ話せるような関係値をその場でつくろえるはずもないのだけれど、夢の中ではただただ話していた。そのほとんどを覚えていない。きっとどうでもいいことをずっとだべっていたのだろう。全部夢の中に消えた。起きてからネットで検索して岸くんの写真をみたけれど、その顔がほんとうに夢の中の岸くんと合致していたのかもよくわからない。ただ夢の中での岸くんをみて岸くんだと思った。あの人はほんとうに岸くんだったのだろうか。確かめるすべももうない。
 5月22日(日)
 歯医者の定期メンテナンスへ行った。治療をしている間は、治療とは別で一ヶ月に一度行うらしい。さすがに何度も顔を合わせている歯科衛生士なので、だんだんとやりとりにも慣れていく。今、虫歯治療のため仮の詰め物をしている部分だけ磨き残しが多いらしく、そこを重点的にもう少し頑張りましょうと言われる。頻繁なメンテナンスに、歯の隙間からぷうぷうと漏れ出る文句がなかなか止まらないまま歯を磨く日々だったけれども、そもそも長いこと定期検診にも行っていなかった、虫歯もたくさんできていた不良人なのだから、この処遇は致し方なしと反省が上回ってくる。  どうにかコピ本ができあがる。目標の日程には間に合わなかったけれども、週明けには郵送できそうだ。本を作るのはしばらく休みたい、と前にも書いたような覚えがあるけれども、今度こそしばし考えない方向でいたい思いあり。
 散歩をしている時に思うのは、過去から未来へと流れる時間の感覚は歩行の感覚から来ているのではないかということです。歩いた距離と太陽の位置の推移は否が応でも時間が先に進んでいることを感じさせます。歩行による距離の感覚はそのまま時間の感覚となります。また目的地への歩行には寄り道も含まれます。私は寄り道が大好きです。寄り道には直線的な時間の感覚を狂わせる働きがありますね。 「時」といいますと、一定方向への流れをイメージしますが、もし「時」が「解く」と同じ仲間の言葉だとするならば、むしろ一定の流れからはぐれることのほうが、より本質的な時間なのかもしれません。寄り道をすること。さまようこと。(『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』小津夜景 須藤岳史 P.75 素粒社)
 5月23日(月)
 Youtubeやラジオの垂れ流しを、特に手を動かすこともせず延々とやってしまう、Youtubeの場合であれば映像をずっと観てしまうというような事態が続いている。日曜になると通知で一日平均の画面表示時間を報せてくれるのだけれど、さすがにあまりにも問題だと危機感を覚えていて、そもそもなぜついつい観てしまうのかを考えた時に、頭を使いたくないのではないか? という仮説に至る。
 何を最近熱心に観ているかというと、何故かスマブラ関連の動画を観ているのだった。別のゲーム実況を観ていたらたまたまプロゲーマーのスマブラ配信の切り抜き動画だとか対談だとかが出てきて、急に観るようになったのだった。私はアクションゲームが苦手なのでスマブラなんて全然できないし、既に発売から三年くらいは経っているであろうSwitch版は購入してもいない。だからスマブラプレイヤーたちのスマブラ関連の話の八割くらい、技名や入力コマンドのような基本的な部分ですらちゃんと理解できていないような状態なのに、昔から切磋琢磨して関係性を育んでいるのだろうプレイヤーたちの対戦の様子なりお喋りなり大会の雰囲気なりを何故か延々と観てしまうのだった。格闘ゲームならではなのか、対戦内容がスピーディでライトな感覚でもなんだか楽しめるし、出ているキャラクターも慣れ親しんだ者たちだからというのもあるけれど、仲良い人たちがわちゃわちゃと話す空気感や、対戦ゲームならではの火花迸る雰囲気が面白い、と感じていて、とはいえゲームそのものを熱心にプレイしているわけでもないのに自分の時間の大半を奪われていくほど熱中しているのは一体なんなのかとなると、総括して頭を使いたくないからではないか、となるのだった。楽しめるものは多いに越したことはないけれども、理由が危機的なもので、こわい。文章は進まない、読書もなんだか全然できない、映像に没頭しゲームなら熱中する、脳をまともに使っている感覚がない、ひたすらに膨大な情報の波を受容し、だらけたままで時間をむさぼり眠り朝目を覚まし仕事へ行く。仕事では脳をフル稼働させているつもりなのだけれど、その反動で何もしたくないのかもしれない。ただぼんやりと生きてどうにかなっているならそれに甘えていたいような。自分自身の生産性のなさには目の前がくらくらする。それなのについ対戦会の配信を観てしまう。スポーツ観戦と同じ感覚で観てしまう。心の中で応援とかしてしまう。それ自体は悪いことじゃない。けれどもほどほどにしないと、歯止めがきかない。簡単にのめりこんでしまうスマホ中毒の闇が深い。
 文章を書いている間は、映像による視覚的な影響は勿論のこと、ラジオや歌のような明確な言語も邪魔なので、こうやって書いていれば少なくとも動画の邪念からは逃れられる。筆が乗ればそのまま邪念を忘れて熱中できる。けれどもどうにも筆が乗らない時もある。そういうときには誘惑が脳を何度も横切る。今は強い自制心もあるせいか、とにかく目の前の、今、この『朝の記録』にぶつかっていて、忘れていられる。そうするとすこし安心する。この安心感を刷り込ませるように、書いている。自分に対する躾けのようだ。トイレをうまくできたら褒めるような、おやつをあげるような。
 あえて頭を使うように仕向けないと、すぐに怠けてしまう。ただでさえ、ズボラな性格をしているのだから。
 5月24日(火)
 今日は休みなので作業と歯医者。型取りをした部分が完成して填め込まれる予定。歯医者通院を終えるまでの道のりがまだまだ長い。歯との付き合いは一生もの、治療費のためにも稼がねばならない。それから昨日通勤の際に投稿しようとしていた依託のコピ本荷物を、うっかり忘れてしまったので、今日こそは出しにいかなければならない。
 5月25日(水)
 先日出産した友人のところに顔を出しにいくがてら出産祝を渡すために、デパートの子供用品売り場へと向かった。子供服にしろ、おもちゃにしろ、小さな子が扱うためにつくろわれた小さきものたちがどんなものでも可愛らしく、心の膜がとろけていくようだった。存在そのものが祝福に包まれているような、淡く白い優しさや希望にくるまれた空気感。内側にめくるめくときめきを自覚した。
 結婚祝は何人か送ったけれども、出産祝は今回が初めてだった。年齢を重ね、結婚に次いで子供が生まれたという話を人伝に聞くことはあっても、関係の近しい人の出産は初だった。一体どんなものが良いのだろうと、ネットで軽く下調べをしてきても、いざたくさんの小さきものたちを目の当たりにすると、よくわからなくなっていく。出産祝で検索して上位にあがってくるようなサイトには、それはもう天使のような赤ちゃんの写真がいくつも載っていて、かれらはギフトに贈られるような上等な洋服を着ている。子供は成長が早いから、服を贈ってもすぐに使えなくなってしまうのだから勿体ないと思っていたのだけれど、売り場に一番多く並んでいるのは服なわけなので、なるほどこれは贈りたくなるのも選びたくなる気持ちもわかり納得した。けれど服のセンスは欠けているし、産まれる前に、特に新生児の段階で必要になるものは用意してあるだろうし、結局どこかで勿体ないという気持ちを捨てきれず売り場のお姉さんに長く使えるものはどれかと尋ねる。悶々と迷って結局恐らくは無難なよだれかけとポンチョになるような可愛らしいバスタオルとを買っていった。
 繁華街を歩いていると、修学旅行生が多く観られる風景が戻ってきた。白く清潔な制服を着て、男女合わせて五、六人くらいで歩いている姿や、ぞろぞろと一クラス分くらいの列を成した団体行動。もうほとんど以前と同じような光景が戻っていて、違うといえばマスクをつけているくらいで、二年ほど前の閑散としてほとんど人がいなかった頃の光景がきっとどんどん薄れていく。けれど二年ほど前にはここに来れなかった空白の学生たちもいて、初めから奪われた不在の光景がかつてあって、手放しに良かったね、と祝福するのになんだか難しさを感じつつ、やっぱり良かったな、と思う。
 横断歩道を渡っているときに目に入った、きっとこの子たちは地元の子たちだろうな、という制服の、四人で下校しているだろう女の子たちの中には一人、ズボンの制服を着ている子がいた。白い夏服のブラウスにスカートを着た三人と、ブレザーの上着まで着たその子は外見としてはとても暑そうだったので余計に目を引いた。女子はスカート、男子はズボン、という制服の垣根がすこしずつ溶けていっている。その子が単純にスカートが嫌だからズボンにしたのか、もっと深い理由があってズボンにしたのかはわからないけれども、暑い夏日でもあった昨日ですら上着を着ていたくらいだから、なにかそう単純でない理由もあるのかもしれない。かれらとすれちがう。二人ずつで前後にわかれた子たち。後ろ側に消えていく。
 制服の子をみて、眩しいなあ、と思うようになって、出産祝とか結婚祝とか、なにかと贈りものを用意することも増えて、なんだか順当に年を重ねているとちゃんと自覚した瞬間が増えた。
 5月26日(木)
 今日は気圧が低下し、雨が降る、それも雷雨との予報あり、しかし朝の陽射しは強く眩しい。時折、強い夏を感じさせる厳しい光がカーテンの遮蔽も突き抜けていき、窓を開けなければ湿気と共に部屋の温度はすぐにこもってしまう。夕方の雲は、もうとうに寒い時期を彷彿させる羊の群や鱗がびっしりと覆い尽くすようなものではなくなって、おおらかな様相をしている。やがてもっと夏が進んでいったら、厚みを増した積乱雲や、強く青い影の印象的な雲が、遠ざかったばしょで佇むようになるのだろう。しかしそうはいっても、もう五月も終盤。あと一週間もすれば六月。既に湿気は梅雨を思わせている。ひとたびしばらく昼間の外を歩けば、たとえ日が差していなくともじんわりと汗が額に滲む��昨日もまた、夕方のシフトの交代時、先輩がぱたぱたと服を揺らして暑い暑いと嘆いた。その時私はまだ外に出かける仕事があったので、自転車を走らせて目的地と職場を往復している間に、走り抜ける風ではどうにもならない汗が吹き出していた。
 ネットの広告に掲載されているネット漫画を読む機会は少ないのだけれども、気の迷いのようなものである漫画の無料公開分の八話分ほどを読んだ。ジャンルとしてはティーンズラブに属するもので、貧しい子供時代をおくり学歴コンプレックスをもつ美人な女性主人公と、彼女の住む古いアパートの隣の部屋に住み始めた端麗な男性の御曹司を中心とした物語。漫画は漫画、創作は創作として楽しめばいいのに、どうにも随所に微妙な現実的な生々しさがある一方で(高卒・大卒の差であったり、お金の話であったり)、主人公があからさまに隙だらけであったり、女性と男性の部屋のベランダの間の壁に大きな穴が開いてしまったまま放置していたり、ツッコミどころも多い。この主人公、仕事は確実にこなせるし、弟には大学に行って欲しいからと懸命に働く姿がしっかり者の印象もあたえるのに、なぜこんなに無防備なんだと読みながらもやもやしてしまうのだった。しかもこのお相手となる男性の方はどうも、過剰な執着、ストーカー気質の人間らしく、だからこそ余計にこの主人公が心配でならない。無料公開分しか読んでいない、ただ布団の中で暇を潰しただけのような時間ではあったのだけれども、この、創作は創作として割り切らずに現実的なフィルターを通して読んで、安易に楽しめなくなったところもたくさんあるんだろうと思う。それはこのネット漫画に対してだけではなく、あらゆる物語について。そうすると、自分の作ろうとしているものも、余分に考えこむ。現実的なものが面白いというわけではないのに。
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milkteabonbon · 2 years
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2022.5
5/1
牡牛座新月。占星術に片足を突っ込み出してから暦を見るのが面白い。来月には夏至!とんでもないなあ。一年の三分の一も終わるわけだなあ。ゾゾゾ。
5/2
明日から山と海しかないところ、もとい実家に帰るので手土産を買いに阪急へ。人混みに挫けそうになりながら五感のええもん詰め合わせを買いました。これが大阪の洋菓子系土産で一番おいしいねん!ついでに仙太郎にも寄って水無月を買いました。帰ったら食べる。百貨店の、特にデパ地下に行くと色んな関西弁が聴こえて楽しい。手提げを渡された後の「ありがとう」のイントネーションを聴くのも楽しい。
5/3
渋滞にはまっていつもより一時間以上遅くなりましたが無事到着。お昼を食べ終わるなりモンペ姿に着替えさせられ、長靴を履かされてタケノコ掘りに行き、山ほど掘り上げたかと思ったら今度は野蕗摘みに連れて行かれたので帰省とは労働なのだなあと思った。しろかきの終わった田んぼは山の緑を映すかがみになっておりました。
5/4
祖母を連れてドライブに行く。牧場併設のカフェでピザとジェラートを食べました。隠れ牧場マニアなので牛のかほりがするとついつい足を向けてしまう。海沿いを走らせていると展望スポットがあり、車を停めると「カメラある!」と祖母が写ルンですをバッグから取り出したので女子高生かよ!と思った。ツーショしました。
5/5
今日は田植えの日なのでお昼を食べてそそくさと帰宅。泥だらけの父とトラクターが見送ってくれました。お元気で。
5/6
いそいそと刺繍をすすめる。市章みたいなデザインになった!たまにはこんなのも良いでしょう。都合十時間ほど刺して完成。チョコラBBハイパーありがとうございました。
5/7
刺繍レッスンの打ち合わせに行く。新作が好評で何より。秋からどうするかを考えたりお茶したり。
5/8
息絶えそうな大型連休を抱き締めながら焼売を包み、蒸し、黒酢につけて食べました。十連休って月の三分の一なんですけどー!こんなに早いって聞いてないんですけどー!
5/9
ぼんやりしながら仕事場へ行く。ほぼ皆さんぼんやりしていて良かったです。
5/10
頼んでいたモヘア届く!赤茶のたっぷりした巻き毛でツヤがあって……週末から製作に取りかかりたいです。おまけに頼んだゴールデンブラウンのビスコースも素敵でした。こうして在庫が溜まってゆく。
5/11
テディベアのことばかり考えていた。
5/12
芦屋ロサブランのミドルサイズが欲しくてジタバタ。そのうち買ってると思います。物欲にまみれながら仕事をしていたら嬉しいご連絡がありニコニコ。現実にしていきたい。
5/13
眉と襟足をきれいにしてもらいました。連休明けの金曜はまつパかネイルか眉サロンの予定を入れておくと死なずに済みます。彩村式ライフハック。
5/14
楽しみにしていた酸熱トリートメントをしてもらいました。こ、これはすごすぎる。たぶん続けちゃうな……。カットで髪を減らさなくても膨らみがおさまるし毛先もまとまるので多毛の民には激推しです。カラーがかなり抜けるので時期に注意。でもほんとにサラサラで嬉しい!
5/15
作り置きしたり掃除や洗濯をして過ごした。家の状態は心を表すので(とっ散らかっていた)。床を雑巾掛けしたら全身が痛いです。
5/16
夜になるとまだ冷えますね。ロイヤルミルクティを煮て飲みました。おうちでアイスチャイとスパイスカレー作りたいなあ。もちろんあいがけで!ナンも捏ねてみたいし夢が膨らむわん。
5/17
貴様〜!と思う出来事もありましたが労働なんてのは適当に給料に見合う仕事をしていればイインダヨと思い直して事なきを得る。
5/18
型紙を写したのですがなんか毛流れに合ってない気がする……。ので、以前作ったちびくまの型紙をリメイクしてビスコースに写しました。息抜き用の制作です。テディベアの息抜きにはテディベアを作ると決まっている。
5/19
乾燥が気になるので1時間に1杯はお水を飲むよう心がけている。それでも喉が渇く……。オフィスレディたちはどうしてるのかしら?お手洗いに行きすぎてサボっていると思われそうで不安!私のハンカチの湿りがきっと証明してくれるわ。
5/20
春にピチパツだったスカートがジャストサイズになっておりました。わお〜なんと嬉しいことでしょう。まだまだ頑張ります。最終的には上司の無茶なリクエストに腕力でお答えできるレベルになりたい。
5/21
実家からたくさん野菜が届きました。ほうれん草のおひたしや新玉ねぎでポテトサラダを作った。それから気になっていたサマータイムレンダを読み始めたのですが面白すぎて家人のクリーニングの引き取りに行けないくらいでした。南雲先生が好きです。シャツはちゃんと引き取れました。
5/22
ちびくまちゃんのパーツを縫製。幼さが出るように脚の付け方を変えてみたらあらかわいい、これはまるで……胎児……。彩村はリアルを追求しすぎるのが玉に瑕。
5/23
スイカをお昼ごはんにしている人は私以外見かけませんでした。夏バテか!?
5/24
ちびくまの目を決めかねている。ヴィンテージっぽいアンバーも可愛いけど茶色のポンチ目も可愛い。お日様にかざしながらずっと迷っています。
5/25
お給料日!といっても何事もなく帰宅。
5/26
お粉を使い切ったので百貨店に行きました。皆良い良いと言っているNARSのリフ粉のルースタイプを買う。今までコスメデコルテ、ローラメルシエを使っていたのですがどうじゃろか。
5/27
リフ粉すごい良かった!ちゃんとツヤが残ります。でもサラサラ〜。そら人気があるわけじゃ。
5/28
ちびくまちゃんのおめめ問題ですがアンバーに軍配が上がりました。きらきらしててきれいね。こっちをまっすぐに見つめる子になりました。おしゃべりさんなわけでもなく、私のおはなしをうんうんって聞いてくれるわけでもない、鏡みたいな子を作りたいと思っているので、良かった。しっかり磨かれた魂が入っているね。
5/29
帰省時に買い込んだ日本酒と実家のお下がりの牛肉ですき焼きをした。大人だけだと争いが起きなくて平和です。まだ明るいのに完全に出来上がっています。
5/30
ヘアカラーをしてもろたらえらい暗く仕上がってもうて一生懸命頭を洗っとります。でも職場で褒められたー。ローラメルシエのシマーピンクのチークと合わせたら5歳くらい若返ったのでこれはこれで良し……か?
5/31
久しぶりにマドレーヌを焼きました。貝殻のかたちのお菓子ってロマンチックだわと思いながら紅茶を淹れる魚座です。みなさんは新月の夜何をしていましたか?雨の降る夜は梔子がつよく香る気がします。
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poddyshobbies · 2 years
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787系 特急かもめに乗って(1)DXグリーン席
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(写真が多いです。There are many photos.)
西九州新幹線の長崎区間開業によって無くなる、博多-長崎の特急かもめに乗車しました。特急かもめは今回乗車した 787系と白いかもめの愛称の 885系が運行しています。
885系は大分までのソニックとしても、787系は大分以南の日豊本線の特急や博多と北九州を結ぶ朝夕の特急きらめきなどに使われています。
その 787系の4号車はビュッフェを改造した少し前後幅が大きめの普通座席(頭上の荷物入れが無い)や4人掛けのセミコンパートメントがあります。> 関連投稿。
そして、1号車には通常のグリーン席に加えて(1列だけですが)DXグリーン席やグリーン個室があったりします。
787系は長崎本線以外でも走っていますが、ここで DXグリーン席と個室を利用して長崎往復をしてきました。
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長崎へは13号、DX席に乗車しました。
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切符は事前に購入しました。
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787系では長崎側進行方向に向かって左・海側が2人席、右が1人席です。(885系は逆になります。)
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↑ 2人席 ↓ 1人席
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DX席は最前列の1列のみ。1AB+1c
グリーン席とはガラスのパーテーションあり。
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乗車して先頭方向へ
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個室の横を通って、
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ガラスドアを開けるとグリーン席です。
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出口方向
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2号車
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DXグリーン席 ~ 最大の特徴はリクライニングシートにあり。
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コンセントは2か所使えます。
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足置きはフラット近くまで持ちあがります。
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背もたれもかなり倒せます。
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体を少しずらすと寝そべった感じで車窓を楽しめます。
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窓枠にもペットボトルが置ける広さあり。(テーブルは収納状態)
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デビューは 1992年(平成4年)
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派手さはありませんが落ち着いて乗れます。(30周年、古くはなってますが良い感じはデビュー以来のままです。)
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席数が少ないので、かもめ廃止までどれくらい空き席になるのかわかりませんが … 同じ料金払うなら 36+3 の普通グリーン席よりずっと良いと思いました。(安いし)
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所要時間は 2時間1分 ~ いつもより少し早く感じたような。
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切符は2枚きっぷ(乗車券+特急券)を利用。DXグリーン、個室グリーンともに組み合わせ可です。
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片道 3150+2720=5870円
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博多-長崎は 200キロ以下なのでこの料金です。ちなみに通常のグリーン席は1600円。(個室グリーンはこの1600円の2人分、3200円です。DX席に480円の追加でOKなので最強かもです。)
YouTube > 車窓映像
春日付近 ~ 肥前山口(45分15秒)/ 肥前山口-長崎(1時間12分)
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takahashicleaning · 30 days
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TEDにて
ヒラリー・コッタム:機能不全の社会福祉システム制度を立て直すには?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
失業や薬物、家庭内不和が原因で、または、運に恵まれないせいで起こってしまう社会システム内での一般家庭の危機。
そこに介入し、立て直す役目を持つ社会福祉システム制度が、機能していないといいます。
ヒラリー・コッタムによれば、イギリスでは、典型的な、いわゆる崖っぷちの庶民の家庭を支える機関が、70以上あるのにも関わらず、本当に効果を上げている事業は存在していない。
支援を必要とする人々と福祉事業の間に親身で協力的な関係を築く仕組みを作るには?
自身が、ソーシャル・ワーカー(社会福祉士)で��るコッタムが、社会システムに根深くはびこる複雑な問題を解決するにはどうするべきかを問いかける。
時に、貧困、社会格差、健康障害、失業、暴力、薬物中毒など。あらゆる問題がまとめて1人に降りかかっているようなケースがありますよね。そんな人のお話です。
福祉の定義は、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉で、社会システム内にいるすべての市民に最低限の幸福と社会システム的援助を提供するという理念を示しています。
介護の定義は、障害者の生活支援をすること。 また、高齢者・病人などを介抱し世話をすることとされている。
福祉とは、概念が異なります。
世界初の社会保障制度の設計に貢献し「ベヴァリッジ報告書」を発表したウィリアム・ベヴァリッジの時代の人々は、いわゆる「世俗的な人間」は、信頼できないからと。
代わりに、人格や感情を持たない「制度」やその中で機械的に働く役人などを重んじました。現代の制度の社会問題の捉え方にベヴァリッジが与えた影響は、計り知れないものがあります。
1948年。晩年のベヴァリッジは第3の報告書を発表しました。そこに、大変な失敗を犯してしまったと記しています。人とコミュニティを取り残す結果になってしまった。
そして、その結果として、制度も人々自身も制度や手続の範疇でしか、人を見ないようになってしまったと書いています。残念なことに、この第3報告書は、彼の前の報告書に比べてほとんど読まれませんでした。
しかし、現代では、人間の限界をはるかに超えたテクノロジーの力を使えば、人間関係でもってベヴァリッジのモデルをひっくり返せることが可能になっています。
ここでも、人間の限界をはるかに超えたテクノロジーのパワーを借りましたが、ソーシャル・ネットワークサイト(SNS)的な人と人の繋げ方はしません!
だからこそ、何十万、何百万ではなく、1,000人くらいの洗練された規模に集約できるのです。
巨大法人であれば、悪性になってしまい、必ずしも、巨大法人が、善性にはならないことの良い例です。
従来のシステムとこの新システムの結果を比べるのは、非常に難しいのですが、最初の登録者1,000人だけ見ても従来の福祉サービスの3倍の成果です。
費用は従来に比べてほんの僅かです。
人と人が顔を合わせて繋がり、真の人間関係を築くため、そして、仕事探しを支援するために人間の限界をはるかに超えたテクノロジーを活用しています。
そして、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーに興味が有ります。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達が��じいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
日本の場合・・・
高齢者が治療する医療から移行して、体力作りのリハビリのために介護へ申請するときに・・・
医療保険から介護保険へつなぐ書類の申請のデジタル連携を行政府のデジタル庁他がサポートすれば・・・
移行するための書類の申請のスピードが上がり利用者の手間が減るかもしれません。
できれば、時間をかけて半月くらいにまで縮めてくれると助かります。
これ以外は、医療保険や介護保険のサービスは充実しているので現状は問題ないのかもしれません。
そして
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
ロビンハンソンの言うように、現実の脳自体をデジタルデータにして、人間のシナプスやニューロンの動きを数値化していくことで、現在では、数値化できない概念をコンピューター上で数値化していくということかもしれない。
ヘンリーマークラムが、人間のシナプスやニューロンの動きを数値化しようとしているが、より大きく人間の限界を遥かに超えるような発想で。
しかし、人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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greenthumgarden · 2 months
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自宅で簡単!無農薬・無肥料で育てるハーブの種類と栽培法⑩
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ハーブを使った料理レシピ
ハーブを使った料理レシピは、素晴らしい味わいと健康的な食事の両方を提供します。この記事では、バジル、ローズマリー、タイムなどの新鮮なハーブを使った料理レシピを紹介します。ハーブの豊かな香りと風味が料理に加わり、食卓を彩ります。さらに、ハーブは健康にも良い影響を与え、食事をより楽しく、栄養豊富にします。この記事を読むことで、あなたもハーブを活用した料理の世界に足を踏み入れ、新しい味覚の発見を楽しむことができるでしょう。
フレッシュハーブを活用したサラダレシピ
サラダは、健康的で美味しい食事の一部として人気があります。さらに、フレッシュハーブを加えることで、さまざまな風味や栄養をプラスすることができます。ここでは、フレッシュハーブを活用したサラダのレシピを紹介します。
材料
レタス 1個分
トマト 2個
キュウリ 1本
レッドオニオン 1個
ハーブ(バジル、パセリ、シソなどお好みのもの)適量
ドレッシング
オリーブオイル 2大さじ
レモン汁 1/2個分
塩 小さじ1/4
黒コショウ 適量
作り方
レタスは適当な大きさにちぎり、水にさらして水気を切る。
トマトは食べやすい大きさに切り、キュウリは薄くスライスする。
レッドオニオンは薄切りにし、水にさらして辛みを抑える。
ハーブは洗って水気を拭き取り、細かく刻む。
ドレッシングの材料を混ぜ合わせる。
ボウルにレタス、トマト、キュウリ、レッドオニオンを盛り、ハーブを散らす。
ドレッシングをかけて全体を混ぜ合わせ、完成。
ポイント
ハーブの種類や量はお好みで調整してください。バジルやパセリ、シソなどを使うと爽やかな風味が加わります。
ドレッシングはオリーブオイルとレモン汁のシンプルなものですが、お好みでハチミツやマスタードを加えても美味しいです。
フレッシュハーブをたっぷり使ったサラダは、さわやかで健康的な一品です。ぜひ自宅で試してみてください!
ハーブを使ったアロマティックなメイン料理
料理においてハーブの使い方は無限大です。特に、アロマティックなハーブは料理に豊かな風味と香りを与えます。ここでは、ハーブを使ったアロマティックなメイン料理のレシピをご紹介します。
ローズマリーレモンチキン
材料
鶏もも肉 4枚
ローズマリー(乾燥または新鮮) 2枝
レモン 1個
オリーブオイル 大さじ2
塩・こしょう 適量
作り方
オーブンを180度に予熱する。
鶏もも肉に塩とこしょうをふり、オリーブオイルで全体をなじませる。
ローズマリーを細かく刻み、鶏もも肉にまぶす。
レモンをスライスし、鶏もも肉の上にのせる。
オーブンで25〜30分間焼く。
ポイント
ローズマリーとレモンの組み合わせで、華やかな香りと爽やかな風味が広がります。
鶏肉はじっくりと火を通し、ジューシーな仕上がりになるように焼きましょう。
このローズマリーレモンチキンは、簡単に作れるのに本格的な味わいが楽しめる一品です。ぜひご家庭でお試しください!
ハーブティーの作り方とその効能
ハーブティーは、自然な素材から作られる健康的で美味しい飲み物です。さまざまなハーブを使うことで、様々な効能を得ることができます。ここでは、ハーブティーの作り方とその効能についてご紹介します。
ハーブティーの作り方
材料
お好みのハーブ(乾燥または新鮮):ミント、カモミール、レモングラスなど
お湯:約240ml
作り方
鍋にお湯を沸かす。
お好みのハーブをティーポットやカップに入れる。
沸騰したお湯を注ぎ、蓋をして約5〜10分間蒸らす。
好みの甘味料やレモンを加えて、お好みの味に調整する。
お好みの温度になったら、飲む。
ハーブティーの効能
リラックス効果 カモミールやラベンダーなどのハーブティーは、リラックス効果があります。ストレスや緊張を和らげ、心身をリフレッシュさせることができます。
消化促進 ペパーミントやジンジャーなどのハーブティーは、消化を促進し胃腸の不快感を和らげる効果があります。
免疫強化 ローズヒップやエキナセアなどのハーブティーには、免疫を強化する効果があります。風邪やインフルエンザなどの病気を予防するのに役立ちます。
ハーブティーは、簡単に作れる上に健康に良いという点で、多くの人々に愛されています。自分の好みや体調に合わせて、さまざまなハーブティーを楽しんでみてください。
ハーブを使ったデザートと飲み物
ハーブは料理や飲み物に使われるだけでなく、デザートやスイーツにも素晴らしい味を加えます。その独特の風味や香りは、デザートをより特別なものにしてくれます。ここでは、ハーブを使ったデザートと飲み物のアイデアを紹介します。
1. ハーブを使ったデザート
ローズマリーレモンタルト レモンの爽やかな酸味とローズマリーの香りが絶妙にマッチしたタルト。生地やクリームにローズマリーを練り込み、レモンカードやローズマリーの葉をトッピングして、見た目にも華やかな一品に。
バジルストロベリーショートケーキ バジルの爽やかな香りがフレッシュなイチゴと相性抜群。ショートケーキのクリームやイチゴソースにバジルを加えて、新鮮でハーブの風味豊かなデザートを楽しもう。
ミントチョコレートムース みずみずしいミントの香りが広がるチョコレートムース。ホイップクリームやチョコレートソースと一緒に、ミントの葉を添えて、贅沢なひとときを味わいましょう。
2. ハーブを使った飲み物
ラベンダーレモネード ラベンダーの芳醇な香りとレモンの爽やかな酸味が絶妙なバランス。砂糖と水でラベンダーシロップを作り、レモンジュースと混ぜ合わせて、氷と一緒に冷たくして楽しむ。
ローズヒップティー ローズヒップの豊かなビタミンCが健康に良いハーブティー。ドライローズヒップをお湯で浸して、ハチミツやレモンを加えて、心身を癒すひとときを過ごそう。
シソモヒート シソの爽やかな香りが広がるハーブティー。シソの葉を湯で温めて、蜂蜜やレモンで味を調えて、体を温める健康的な飲み物として楽しもう。
ハーブを使ったデザートや飲み物は、その独特な風味や香りで人々を魅了します。ぜひ自宅で試してみて、ハーブの素晴らしい可能性を発見してください。
保存法を活かしたハーブの料理活用
ハーブは料理において重要な役割を果たすだけでなく、保存法によって長期間保存することも可能です。ここでは、保存法を活かしたハーブの料理活用について紹介します。
ドライハーブの活用 ドライハーブは新鮮なハーブと比べて風味がやや落ちるものの、保存性が高く、料理に便利です。ドライハーブは様々な料理に活用できます。例えば、パスタやピザ、スープなどの調味料として使う他、煮込み料理やロースト料理にも適しています。保存容器に密閉して湿気を避け、直射日光が当たらない涼しい場所に保管しましょう。
冷凍保存 ハーブを新鮮な状態で保存したい場合は、冷凍保存がおすすめです。ハーブを細かく刻んで氷のキューブトレイに詰め、オリーブオイルや水で覆います。冷凍庫で凍らせた後は、保存容器に移して冷凍保存します。この方法で保存すると、ハーブの風味や栄養を長期間保つことができます。解凍する際は、必要な分量を取り出してすぐに使用しましょう。
エキストラバージンオリーブオイル漬け ハーブをオリーブオイルに漬ける方法もあります。ハーブを洗って水分をよく拭き取り、保存容器に詰めます。その後、エキストラバージンオリーブオイルを注ぎ、密封して冷暗所に保存します。この方法で保存すると、オリーブオイルがハーブの風味を吸収し、料理に深い味を添えます。使用する際は、必要な分量を取り出してからオイルを使いましょう。
ハーブを保存する方法はさまざまですが、適切な保存方法を選ぶことで長期間新鮮な状態を保つことができます。保存されたハーブを料理に活用することで、常に新鮮なハーブの風味を楽しむことができます。
まとめ
ハーブを使った料理レシピを探求することは、食卓を豊かにし、健康をサポートする素晴らしい方法です。この記事では、バジル、ローズマリー、タイムなどのハーブを活用した様々な料理のアイデアを提供しました。ハーブの豊かな風味と栄養価は、料理をより美味しく、栄養豊富にします。さらに、ハーブには抗酸化物質やビタミンなどの栄養素が豊富に含まれており、健康的な食生活をサポートします。この記事を参考にして、あなたもハーブを使った料理の魅力に満ちた世界を探索し、家庭での料理時間をより楽しく、充実したものにしてください。
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kennak · 2 months
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色々と思うことがあったので書きなぐってる。超久しぶりの増田なので、読みにくかったらごめんなさい。小中の頃からパソコンでインターネットに入り浸ってきた。まぁそれなりにサブカルにどっぷりだったほうだと思う。あの頃からパソコンを触っていたおかげで、今ではWeb系IT企業でエンジニアをやっている。初めてインターネットに触れた頃、2ちゃんねる全盛期、おもしろフラッシュ倉庫全盛期というような感じだった。いいタイミングでインターネットをはじめられたと思う。本当に朝から晩までCeleronのクソPCで「ネットサーフィン」をしていた。あの頃の自分が居たから、今の自分がいると思っている。話を本題に移すのだが、あの頃のインターネットをやっているやつは、みんなネトウヨだったと思う。社会的にもややこしい時代だった気がする。中韓ではしょっちゅう反日デモが起こって、その度に国旗が燃やされてたし、その一方で日韓ワールドカップがあったり韓流が流行ったりと、何かと「そういった話題」に事足りなかった。この当時から、中韓、特に韓国に対する不信感が根強くついた。「みんなビジネスで日本と付き合っていて、実は腹の中では日本のことが嫌いなんじゃないか」と。韓流とか言って日本に稼ぎに来ているのに、一方で日本国旗を燃やしている様を見て、ネトウヨ中学生はそのように感じた。割と反韓感情を持っていたし、表立って日常生活では見せなかったが韓流等は毛嫌いしていた。親は韓流にハマることはなかったので、幸いにも生活に支障は出ることはなかった。全部なにかのパクリだと思っていたし、付け入られると良くないことが起こると思っていた。多分人生の中で一番ネトウヨしていたと思う。ある程度大きくなって、そんなことは一概には言えないことが分かってきた。中共はおかしいが、中国人自体は別に全員がおかしいわけではない。おかしくないやつもいる。韓国人だって、全員日本が嫌いで国旗を燃やすわけではない。この頃からある程度は中庸になってきたと思う。もう少し大きくなって進学していくと、大学だったり大学院には中国人留学生、韓国人留学生が居た。彼らは皆良いやつだった。しかしながら、魂に刻まれた何かがやっぱり心をざわつかせた。そこまで具体的に強い思いは無いがなんとなく障壁を抱いていた。そんなこんなで手放しに心を許せるような関係になることはなかった。社会人になってからもそうだ。同僚にはちらほら中韓にルーツを持った人がいる。日本国籍を取った人もいれば、就業ビザで働く人もいる。バックグラウンドは様々なので価値観は色々だが、少なくとも悪い人たちではない。中にはどっぷりなオタクも居て、私よりもエロゲに詳しいやつもいる。面白い。それでもなお、なんだかちょっとしこりがあるんだ。心の底に疼くネトウヨ精神が壁を作ろうとする。若干コミュニケーションがぎこちなくなってしまうというような感じだ。大陸系のコンテンツもほぼ消費してこなかった。「たまに良いエロ同人を描く人がいるな」くらいな感じしか触れてこなかった。向こう発のサブカルは若干避けていたところがあった。そんな中でブルアカが流行りはじめた。初めは大陸ソシャゲの一つだと思っていた。何なら相変わらずなネトウヨ精神で、大陸ソシャゲに対して良いイメージは持っていなかった。パクりか、品のない(金!女!暴力!的な)日本語の怪しいゲームしか無いと思っていた。でも思ったより流行った。Twitterには大量に画像が流れてきた。「金ばら撒いて、絵師に描かせるんじゃないか?」…失礼ながらそんな風にも思っていた。しばらくたった日。そう去年の今頃、ブルアカのストーリーが山場を迎えていることを知った。「最終編」なるものが始まったことと、アニメ化が決定したことを知った。たまに見るVTuber(名取さなさん)のプレイ動画を見て、なかなかしっかりとしたストーリーがあることが垣間見えた。正直、エロゲもびっくりなえっちなキャラデザのキャラばかりだったので、エロに全振りしたゲームだと思っていた。実はそうじゃないらしい。少し調べてみると、ミツキヨさんが音楽を担当していることを知った。同人音楽を聴く中で、前から知っていたコンポーザーだった。驚くことに彼は韓国人だったらしい。全然知らなかった。ちょうど仕事が一段落して少し時間ができた時だった。「最近サブカル趣味ができていないし、何かやりたいな」そんな風に思っていた。自分が理性的な人間だとは思っていたので、良くわからない魂に刻まれたネトウヨ感情で食わず嫌いをするのも良くないと思っていた。まぁ自称中庸なわけだし。なんとなく自分の琴線に触れる要素があるかもしれないと思った。そんなこんなでブルアカを始めることにした。やってみて、正直びっくりした。本当にスタッフがみんな韓国人なのか?と。日本のアニメ、ゲーム(エロゲも含めた)、ラノベ等々に影響された重厚なストーリー。それでいて、どことなく新鮮なストーリー展開。ミリタリーと青春とRPGが、絶妙なバランスで成り立っていることにびっくりした。このトンチキなキャラデザで。とりあえずブルアカめちゃ楽しい!!!!!!wwwwただただ圧巻された。正直猿真似でしょ?と思っていた自分の浅はかさを恥らしく思った。日本のオタク文化を、幼少期から浴びて成長した生粋のオタクじゃないと、こんな物作り出せない…と感じた。そしてそういったオタクは1人だけではなく、組織を作れるほどにいるらしく、かつ彼らの価値観は高いレベルで共有されている。ただただ驚きを感じた。日本でも、こんな素晴らしいアウトプットを出せるチームを作ることは難しいだろう。日本と同等かそれ以上に濃いオタクがたくさんいることを強く感じた。思えばまさに彼らは「海外のおまいら」であり「オタク外人ニキ」なのだ。ネトウヨが大好きな概念じゃないか。そしてそんな彼らは「韓国を舞台にしたソシャゲ」ではなく「日本(カルチャー)を舞台にしたソシャゲ」を作ると言う選択をしている。グローバル展開をする上で、それの方が都合が良いからだ。なぜなら日本風サブカルなコンテキストは、すでに彼ら同士で共有済みなため、それを基盤にした方が受け入れられやすいからだ。私の世代はまだまだ「オタク」に風当たりが強かった世代だ。中学の頃の嫌な思い出はいくつもある。未だに「オタク」を自称することに抵抗感がある。日本ですらこんなに受け入れられなかったのに、海の向こうにこんなにも仲間が居るということに、ただただ驚きを感じた。それに気が付き、初めて彼らと打ち解けられた気がした。まぁ私が勝手に打ち解けて勝手に自己解決しているだけなのだが。今ではブルアカ内の「ちょっと古臭いキャラクター名」も、「若干日本語がおかしい背景画」も、愛おしく感じる。これが日本のサブカルが世界に羽ばたいていった証拠なんだと。猿真似などではなく、真に価値観を共有したオタクたちが韓国にもいっぱい居て、そんな彼らが最高のコンテンツを作っているのだと。そんな感情の変化のおかげで、初めて韓国人の同僚とも腹を割って話せるようになった。向こうは気がついてないと思うが、私の中でのわだかまりはなくなった。大変喜ばしい。大陸コンテンツに対しても特に嫌悪感を感じなくなった。一気に楽しめるコンテンツの幅が広がった気分だ。長話になったが、そんなこんなでブルアカには本当に感謝している。ブルアカのお陰で、私の楽しめるコンテンツの幅、そして交友関係の可能性が一気に広がった。どうしてこんな話を書こうと思ったかというと、今日少しイベントがあったからだ。そう、ちょうどブルアカ3周年のリアルイベントがあったのだ。2周年の際に発表された情報がきっかけで、私はブルアカを始めたので、初のイベント参加だった。なかなかに楽しかった。好きな音楽のDJも聴けて最高だった。そんな中でTwitterにつぶやいた投稿が少しバズった。なんてことはないイベントの様子を伝えるツイートだったのだが、それなりに拡散した。するとクソリプが飛んできた。自称ネトウヨな人からだった。荒唐無稽な言いがかりで論理展開をし、ブルアカを貶めるような内容だった。多分彼からしたら「気がついてほしい!目覚めてほしい!」みたいな気持ちで送ってきたのだろう。多分議論しても無駄だと思ったので、そっとブロックした。ふとその時に感じたのだ。「逆だったかもしれねェ…」って。価値観なんて人それぞれだし、正直何が良いかなんてわからない。しかしながら見ず知らずの人に突然食って掛かって、その人の好きなコンテンツを貶したうえで啓蒙をするというのは、なかなかに感じが悪いし、それを実行しようと思うのはあまり健全な精神状態ではないだろうと思う。彼自信もあんまり楽しくないんじゃないかな?もっと楽しい道があるんじゃないかな?と勝手に感じた。彼にも、何かきっかけになるようなコンテンツとの出会いがあると良いな…そんな気持ちになったので、こんな増田を書いた。おしまい。
自称中庸ネトウヨの30代男性が、ブルアカに感謝していること
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