Tumgik
#インスタ中心の生活
patsatshit · 4 months
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いつもは僕が気になる友人たちにインタビューをしている「対話篇」ですが、今回はなんと日常炒飯事くんが僕にインタビューを挑んでくれました。ひとまわり以上も年の若い友人に手のひらでまんまと転がされる様を、どうぞご笑覧下さい。
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〔日常茶飯事〕炒飯事、個人店もアイドルも変わらないと思ってるんですよ、世の中にはこんなにたくさんのアイドルがいるのに(お店があるのに)自分のところを選んでくれるなんて!みたいな感じで、商売なんだけど、でも、選んでくれる(推してくれる)喜びが凄くあると思っちゃってるんですけど土井さん、これは妄想ですか?サイクルショプすずめでは来てくれる人たちが次に進むため飛び立つための?一時的な止まり木的な役割もできたらな的な話を直接、聞いただか読んだだかしたんですけど、でも今まで来てくれてたお客さんが急に来なくなるのは次に進んだということだから嬉しいことでもあるんだけど、絶対根っこではどこか寂しいと思うんですよね、たまには連絡してよね、お店に来てよね、でもべったりは嫌よみたいな、実際にも今タラウマラから離れるお客さんが増えた的なことも言ってましたが、土井さんは推し変についてはどう思いますか?自分は推し変に関しては見る目のないバカの迷走だと思ってます。なんというか量と早さをコントロールしたらうまいこと推せると思うんですよね。桐乃みゆさんのことをみゆっぴって呼びたいのにまだ呼べたことない、自分には無理かも、呼べてないってことはこれから呼べるかもしれないってことだから、を抱えてやってくみたいな感じで。
〔土井〕さすが炒飯くん、いきなりええとこ突いてくるやん。炒飯くんとはサイクルショップすずめからの付き合いやから、なんだかんだでもう7年とかそれくらいの付き合いになるんかぁ。確かにその間にほんまに沢山の出会いと別れがあったわ。炒飯くんの指摘にあるように、僕は店なんて止まり木で十分やと思っていて、次から次に羽を休ませては巣立っていくというのが理想で、それ以上の関係性は窮屈に感じるし、最初からそこまで密接な人間関係を求めてもいない。若い子を育てるとか、お客の音楽を聴く幅を広げたいというような大それた野望も抱いてない。適当な距離感で羽ばたいて行ってくれるのが丁度いい。でも、去り方は重要やと思うねん。「立つ鳥跡を濁さず」という良い言葉があるのに、実際には食い散らかした挙句にその場を糞まみれにして「ほな、さいなら」みたいな奴が多いよね(笑)。いや「ほな、さいなら」を言うてくる奴はまだマシな方で、そのまま去っては遠方からウンコ爆弾を落としてきたり、レジ金を啄んでいくような奴もおるからなぁ(笑)。やっぱり飛び去り方は大事やと思うわ。ここ数年、強く感じていることやけど、僕のまわりでアーティストを気取ってるような人たちはとにかく弱い、弱すぎてこっちが逆にビビっちゃうくらいに弱い。当人たちはそれを必死に隠そうとしてるけど、やっぱり捲れるよね。面と向かって何も言えない人たちは、カゲで好きなこと言うてはるみたいやけど、僕は所在地も電話番号もメールアドレスも世間に晒して生きてるから、ちょっとそういう人たちの感覚は理解に苦しむなぁ。炒飯くんの「推し変」というのをきちんと理解して答えられてるか怪しいところがあるけど「推し」をころころ「変える」ような人は、そもそも「推す」ということを理解してないんちゃうかなって思う。好きな対象にはどこかに嫌いというか受け入れ難い一面もある筈で、そういうこともきちんと飲み込んだうえで「推す」訳やん。好きだからこそ、あなたのこういうところが嫌いです、と言える。ちゅうか言わないとあかん。好きなアーティストの発表する楽曲や作品が全部好きになる訳ないやん。打率10割のバッターがこの世に存在せえへんことが何よりも物語ってるし、野球好きの人らは好きな選手が三振したら、えげつない罵声を浴びせはしても、だからって「推し」を辞めることはないやん。野球ファンの人ら、あれほんま長いこと根気よく「推し活」してるで。それに比べてアイドルやアーティストやショップを推してる人たちは何か気に食わんことがあったら簡単に手のひらを返す印象がある。自分が好きだと思い込んでるときは何でもかんでも褒めるのに。だからやっぱり「推す」ということがわかってないと思ってしまう。あと呼び名問題はめっちゃわかるわ。僕はジャニーズ系のアイドルやクラブ界隈の人たちが年齢やキャリアに関係なく相手を「くん」呼びする感じが苦手で、僕は炒飯くんのこともしばらくずっと「さん」呼びしてたと思う。小野ちんのことを「さん」から「ちん」と呼べるようになるまでに5年くらいかかったもん(笑)。WDのマーシーさんやSFPの今里さんは僕よりも年上やけど基本的に「土井さん」って呼んでくれてる。でもたまに話が盛り上がってテンションが沸点に達したときには「土井くん」に変わったりするねん、あれ好きやわ(笑)。
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〔日常炒飯事〕そうなんです、炒飯事は良いところを突いちゃうところあって、土井さんの「JAGUAR」だって一読で自分が好きだなと思ったところをここが訳わからなくて一番好きでしたって送ったら、そうやねん梶原くん僕もそこが一番好きやねんってなりましたもんね。なんか分かっちゃうんですよねそういうのが、たくさん本を読んでるのでポイントというか本の声が。梶原さんって呼ばれた記憶無いんですけどありましたっけ?7年の付き合いだしあるかも!土井さんの声色推しとしてこれは言っておきたいんですけど土井さんのカジワラくんのイントネーションが好きなんですよね、桐乃みゆさんの炒飯事〜も好きなのですが、今も土井さんの声が聞こえてきてます。去り方!これは土井さんからのパスだと感じました。アイドルっていつか卒業するもので、だから去り方は常に考えてますね、でもやっぱ自分、去り方には自信あるので任せてください!patsat!桐乃みゆさんはいつも最高にするからって言ってくれるんですけど、だから炒飯事も最高にするって決めてます。土井さんそれが不思議なことに桐乃みゆさんに対しては、どこか嫌いというか受け入れ難い一面が、推して3年目?くらいなんですけど無いんですよ!(もしかしたら炒飯事は2年間その場でグルグル回っているだけなのかもしれない)でも安心してください。炒飯事、本をたくさん読んでるので受け入れ難いこともゴクゴク飲めると思ってます!押忍。弱い人が多いって話ですけど皆んなどこか不安でその不安が人を動かしてる気がするんですよね、商売も推すことも推されることもってな感じで、そこら辺は土井さん的にどう感じてますか?なんか自分は不安な人に安心して欲しい気持ちがあるんですよね、人の不安を煽りたく無いというかでも時々不安を煽るようなことをしちゃうんですけどね。野球やってたんですけど、あんなのやんなきゃ良かったと思ってますね、あれのせいで自分は人の話を理解していないのに取り敢えず返事しとくみたいな癖がついてしまった気がします!土井さんはボクシングやってたんですよね確か、インスタのストーリーに載せてたミット打ちならぬ段ボール打ちの動画?凄く怖かったです!怒らせたらアカン!よくタラウマラのレジの金を盗もうと思うわ!野球やってたけど本を読む方が好きで、ジャニーズといえば、加藤シゲアキさんあの人結構良い小説書きますよ、『なれのはて』と『オルタネード』しか読めてないんですけど。こんなに本を理解できてる(本なんて理解できないことも含めて理解できてる)自分という読書がいて幸せだろうな本はぐらいの気持ちで本を読んでいるぐらいど��か自分に自信がありつつ同時に桐乃みゆさんに対しては自分はホラーじゃなくて喜劇になれているんだろうか?と毎日不安に押し潰されそうになってます、なんかカルチャーとか文学とかそういう世界にいない普通って言ったら、なんだその括りはとか怒られちゃいそうなんですけど普通のそこらへんの同世代の女性とかに炒飯事のインスタグラムを見てもらいドン引きしてもらわないと、心が保たない気がしてて、でも、そのドン引きは本気のドン引きじゃなくて呆れ笑いというかそういうのが嬉しいんですよね面倒くさいですよね、そういうところもキモいよとバッサリ切り捨てて欲しいくらいです。SかMかといえばどちらかというとMなので、でも一線を超えて呆れられることに怯えてるみたいな不安が自分にはあります。たくさん呆れられてきたからだと思います。土井さんはSですか?Mですか?なんというか自分は喜劇だと思ってやってるんですけど真剣でもあって、でも笑っても欲しくて、ふざけちゃうんですけど、それが度を越すと、人に対してアイドルに対してファンに対して、失礼になると思うので気をつけてるのですがそこが難しいです、日常炒飯事という名前もどう考えても滑っててうすら寒いし。
〔土井〕いや、ほんま僕も何で野球を例えに出したのかわからんくらい昔から野球をやるのも見るのも苦手やねんけど、たぶん炒飯くんからプレゼントしてもらった鹿島田真希の『来たれ、野球部』に引っ張られたんや(笑)。そもそも僕がボクシングを選んだのもチームプレイがとにかく苦手で、ひとりで黙々と打ち込めるものを探し続けて辿り着いただけやから。そういう意味では小説も一緒。それらはドストエフスキーの言うところの「地下室」みたいなもんやな。いまこれ鹿島田真希からの流れでドストエフスキーの名前を出してんけど、ほんまねぇ、アクセサリー集めるみたいな感覚で私家版のエッセイやzineを集めてる「読書好きの人と繋がりたい」人たち、マジでちゃんと読もうぜドストエフスキー!あれこそ真の弱者やで。あんなにゲスくて屁理屈をこねくりまわしてるだけやのにおもろい小説もないよね。僕の小説に出てくる登場人物たちの会話の噛み合わなさは間違いなくドストエフスキーからの影響、というかほぼそのまんま。いや、話が逸れたな(笑)。そう、弱さについて。いまの戦争被害者やDV被害者たちは本当に望まずして弱き立場に追いやられた人たちで、そういう方々の不安は一刻も早く解消された方が良いとは思うんやけど、僕がさっき言うた「弱さ」は「逃げ」と同義の脆弱さというか、『呪術廻戦』の両面宿儺が最も嫌悪する「弱さ」に近い感じかな。弱さに弱さを掛け合わせて、ほんまの弱者を押し退けて自分たちの居場所を確保する感じ。ほんまきついわ。『死ぬまで生きる日記』や『鬱の本』が受ける背景には弱者救済のフリをした承認欲求が潜んでるよね。あともう一度「推し」について、桐乃みゆさん、炒飯くんの話を聞いてるとマジで凄いなって思う。彼女の「日常炒飯時じゃーん!」の言い方は確かに僕も惚れそうになったわ(笑)。あれほんま良い。炒飯くんは僕の声を推してくれるけど、きっとそれくらい声とかイントネーション、抑揚は重要なんやで。どれだけ良いことを歌っていても声が生理的に無理やったら受け付けられへん。だから最近のラッパーのほとんどが無理やねん。発声方法がテンプレート化し過ぎてて、そっちが気になって歌詞の内容がまったく入ってけーへん。それでも諦めずに歌詞カードを熟読してみるんやけど、え、何も言うてないに等しいやん、みたいなのばっかりで(笑)。「俺の後ろに道ができてた」とか「太巻きを吸って吐いてchill」意外の言葉が聴きたいのに、そこから先の言葉になかなか出会えない。それやったら「ピカチュー」とか「でも寒いよね」とか「気づいたら刺青だらけだなぁ」とか「得意技でしゃがめ」とか「ババババレンシアガ」みたいに最初から何も言うてない人たちの方が遥かに好きやな。僕はこういう人間やからレーベル側の人たちからしたら面倒臭いったらありゃしない。そのあたりも含めてWDsoundsやMIDNIGHT MEALの方々は僕の性癖をすごく理解してくれているから、こちらも本音で好きなものは好き、苦手なものは苦手と腹を割って話せる。だからSかMかと聞かれたら……うーん……どっちやろか、えー、どうかな、でもどちらかと言えば逆境に立たされた方が燃えるところがあるからMなんかな(笑)?
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〔日常炒飯事〕そろそろインタビューを始めたいと思います。今回はインタビューを受けてくださりありがとうございます。よろしくお願い致します。人や生き物が亡くなったときそれが自分じゃなかった理由がないことについてどう思いますか?
〔土井〕おい!いま僕に話してるのは虎杖か?それとも宿儺か?いつの間に契闊を唱えたんや!って言うくらいに見事な切り替えをありがとう(笑)。他者の死が自分のものではないと断言できない件、それはもうべケットやクライストの愛読者としては一生考えていかないとあかん問題やと思うけど、それは常に喜劇と紙一重で、お葬式って、独特の緊張感のなかにクスクスしてしまうような笑いの要素が多分に含まれてるやん。だからコントのネタにもなりやすいと思うねん。結婚式みたいな華やかな場で、それこそネタを披露する親類縁者や友人の振る舞いを見て心底面白いと思ってる人はおるんかな?僕なんかはむしろピシッと張り詰めた告別式の空気感のなかでの僧侶の一挙手一投足に目が離せなくなる。ちょっと躓いたり、読経の最中に噛んだりしただけで吹き出してしまいそうになる(笑)。あれやん、甲本ヒロトが言うてた「いなくなったことは大したことじゃない。いたってことが凄いんだ」ってやつ。だから死はある意味では自分のこととして受け入れることができるけど、結婚式や出産はどこか他人事というか、知ったこっちゃない、みたいな感覚が付きまとう。これはあくまでも僕の個人的な体験に基づく感想やからね。だからという訳でもないのかもしれんけど、昨年亡くなったスチル��の近松くんの棺は最後の最後までよう開けんかった。開けたらそこに自分の遺体があるような気がして。僕にはまだやるべきことがあるって思ったから。それだけ彼の死は「近かった」んやと思うわ。
〔日常炒飯事〕『劇場版チェンソーマン レゼ編』の公開が決定されましたが、その際の藤本タツキ先生の「お互い消耗品として誰かに使われる存在のデンジとレゼのモチーフはアニメ映画「人狼」内の主人公とヒロインを参考にしました。構図なども もろな部分があると思うので是非「人狼」も見てほしいです!」というコメントについてコメントをください。
〔土井〕おお!『人狼』をまったく知らん、いますぐ観なければ……。そもそも僕がアニメや漫画にハマったきっかけは紛れもなく炒飯くんやからなぁ。僕の知識なんてペラペラですよ。『チェンソーマン』も『呪術廻戦』も炒飯くんが教えてくれたよね。ほんま感謝してるわ。いまやその両作は僕に1週間生きる目的を与えてくれる生命維持装置みたいもんやから(笑)。とにかく『人狼』は今週末にでも観るとして『チェンソーマン』はほんまに凄いよね。断然原作が好きやけど、特に第二部の「つまらなさ」がほんまに凄い(笑)。これは揶揄してる訳じゃなくて、やっぱり大切なことを本気で伝えようとしたら「退屈」や「難解さ」は避けて通れないと思うから。思想家の佐々木中が「フーコーやスピノザを噛み砕いてわかりやすく解説しろって言われるけど、それは冒涜や」みたいなことを言うてはったわ。いま『チェンソーマン』が描こうとしてるのは革命以前の「運動」そのものやから、運動には象徴が必要なだけで、あとはセクトの地味な思惑が勝手に物語を運んでいく。当然、主人公はお飾りやから、第一期のようなヒーローもの(それでもだいぶ捻くれてるけど)を期待する人には退屈で仕方ない。バトルの派手さや構図の妙もすっかり影を潜めてて、でも人気絶頂期にこれをできるってほんま凄い!連合赤軍をそのまんま描いた山本直樹の『レッド』よりヤバい!子どもはただちに『チェンソーマン』を棚に戻して『僕とロボコ』をレジに持って行きなさい(笑)。
〔日常茶飯事〕今日何着てますか?
〔土井〕RC SLUM のピーポくんパーカー!
〔日常茶飯事〕ストリートスナップ撮ってる者なんですけど撮影させてもらっても良いですか?
〔土井〕炒飯くん、やっぱりエグいな。それな、ほんまその感じがまさに藤本タツキがやろうとしてる「デンジとレゼ」やんな。あれほんま何なん?カメラやSNSなんてなかった方が人間は幸せやったんちゃう?
〔日常炒飯事〕妻であるゆきこさんに惹かれた理由を教えてください。
〔土井〕ほんまエグいな(笑)。いっぱいあるけど、一番は顔かな、ゆきこの顔を見てたら落ち着くねん、顔が好き。
〔日常炒飯事〕最後の質問になります。今の土井さんの敵は何ですか?
〔土井〕これはいくつも答えのパターンが思い浮かぶけど、炒飯くんには中途半端なレトリックは通用せえへんから、真っ向勝負でいくわ。敵は百万年書房や!あそこがやろうとしていること、やっていることが僕にとっては害悪以外の何ものでもない!あれらを取り巻く環境、ムード、サービス、金の流れ、それがはっきりといまの僕の敵や!
〔日常茶飯事〕ありがとうございました。良いクリスマスプレゼントができたと思います。
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kennak · 4 months
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 SNSではホストクラブでの売掛(ツケ払い)禁止を条例制定すべきだと盛り上がっている。今回は悪質ホストクラブの問題解決にむけて2つの重要な点を書く。 1.営業は歌舞伎町に来る前から始まっている  「ホストにハマる」と聞くと、「いや、そもそもホスト行くなよ」というツッコミをしたくなる。そう、普通のイメージは、歌舞伎町で飲んで、ほろ酔いになった時、ホストの初回の声掛けに誘われて、「え、1000円でいいの?」となって行く感じのシーンを想像する。だけど、ホストの営業活動はもっと前から始まっている。 いまのホストはSNSを積極的にやっていて、Tiktokやショート動画、インスタで発信をしている。そこでいいねを押したりコメントを書いたりすると、ホストからDMが届いて、やり取りが始まる。そしてある程度仲良くなってから店に誘われるのだ。もちろん従来のように、歌舞伎町でキャッチに声掛けられてとか、ホスト通いしている友達に誘われてという人も多いが、こんなリアルでの誘いも、事前にSNSの動画や投稿をみて、なんとなくホストへの好印象があるので、店に行くハードルがぐっと下がっている。若い世代の女の子にとってホストはSNSを通じて一昔前よりもずっと身近な存在となっていて、歌舞伎町に行かなくともホストクラブへの間口が開いている*1。この点が、歌舞伎町で客引きをしているただのぼったくり店とは違うところで、対策するときに考慮する必要がある。 2.ハマった本人は(困っているが)困っていない  なんのことか分からないと思うが、ホストにハマって、カケのために風俗に沈められて、本人はさぞ困っているのだろう、と思いきや、本人はそう思っていないケースがある。むしろ風俗で稼いだ金でもって、なお担当ホストに通い続けるというのがままあるケースで、それを心配したり、困ったりするのは本人ではなく、家族や周囲なのだ。 たとえばこんな感じだ。娘のホスト通いと借金に父母が気づき、すったもんだの末に支援団体に相談する。じゃあ本人と担当ホストを呼んで話し合いましょう、となる。娘、担当ホスト、父母、弁護士、支援団体が同席で話し合いをする。ところがその場で、娘は顔を伏せ、ホストと手をつなぎ合って、窮状を訴えるどころか「大丈夫、大丈夫」と隣の担当ホストを励ます、という状態だ。本人は未だ恋愛の真っ最中で、担当から捨てられるのを何よりも恐れている。たとえその場で借金のカタがついたとしても、また通い始めるのは目に見えている。 つまり、ホス狂の人の心は、宗教、ギャンブル、アルコール依存等の問題に似ている。「お前騙されているって!」、「お金とられるだけなんだから!」と心配するのは近しい周囲の人で、一方の本人は「うるさい! ほっておいて!」、「私が稼いだ金を、私が使って何が悪い!」と幸せをつかむために、強い意志をもって走っている。でも行きつく先は地獄だ。カネで作り上げた恋愛を続けるのはツライ道のりだが、逆に考えれば、その恋愛に必要なのはカネだけで、カネさえあれば続くラクな恋愛でもある。こういう状況で、本人の意思に反する方向で解決させるのはかなり難しい。 ◆解決策はあるのか  2つの点を挙げたが、ほかにもホストとホストクラブの契約関係など、解決策を考える段階で、ややこしくさせる点もある。しかし、もっとも大きな課題、考えなければならない問題はこの2つだ。 一番いい解決策は、業界が自主規制することだ。これだけ問題が大きくなってますよ、そのうちめちゃくちゃ厳しい規制が入りますよ、その前に業界でまとまって解決してください、という話だが、歌舞伎町だけでホストクラブの系統?派閥?が複数あるようで、早急な意思統一は難しそうだ。ホストクラブの中には売掛での営業をしない良心的なグループもあるが、ホストの多くはカネを稼ぎたいと思ってホストになっており、稼ぎやすいホストクラブを求めている。そういう逆境を押しのけるにはやはり世論の高まりは重要で、世論を受けて、警察も直接お金のトラブルには介入できないものの、風俗に送ったホストを管理売春だなんだで摘発するようになり、悪質な営業の歯止めになる。こういうことを積み上げて業界にプレッシャーをかけてほしい。 SNSで話題の「売掛禁止」については、すくなくとも区の条例ではできない*2。法律での規制も、業種の特定や、どこまでが売掛なのか、を考えると難しそうだ。ただ、消費者問題としてとらえて、宗教の献金トラブル同様、洗脳状態での金銭のやり取りをチャラにする、返金させることはできるかもしれない。 結局今の法律で区としてできることは、悪質ホストがいるから気を付けてね、と啓発をすること、協力的なホストクラブに自主規制をお願いすること、警察と連携して(売春などに繋がる)悪質なケースについて取り締まりを強化すること、困っている人を支援団体につなげること、といったことだろうと思う。こう挙げるとショボい解決策だが、なかなかこれ以上は難しいのが現実だ。  最後に、大久保公園周辺の立ちんぼについて衝撃的だった話を書いておく。今年1~9月に売春をしている70人を警察は摘発した。そのうちの約半数は遊興費やホスト通いのためだった。さて、売春自体は違法だが、罰則はなく、むしろ保護・更生の対象なので、警察は説教とともに「困っていたら行政に繋ぎますよ」と提案をする。では70人のうち、何人が行政に相談したかというと、たったの4人だった。残りの66人はどうなったんだろうと考える。反省して体を売ることをやめた人もいるかもしれない。でも多くはそうではないだろう。場所と手段を変えて、体を売り続け、ホストに貢ぎ続けるんじゃないかな。彼女たちが万策尽きて、首が回らなくなって、夢から覚めた時どんな風に思うんだろう。結局最後は本人が気づかないと直らない。だから沼らないように事前に情報を提供することや、自分が困っていることに気づいたとき、相談できる人や、機関があって、それに加えて行政がサポートできる体制ができればいいなと思う。  (これ男のケースは悲惨で「バカだなあ」で終わりなんだよね。ホステスや風俗嬢の色恋営業にやられて惚れ込んで、会社潰したり借金まみれになった男、税金で助ける気はみんなおきないし、飲み代やプレゼントは洗脳状態だったとして返金させるのも同情論はでてこない) *1:ちなみにホストクラブのHPの所属ホスト紹介ページにはだいたい個人のLINEのリンクがある(キャバクラにはない) *2:法律の範囲内で制定できる条例という手段では、法律で許されている決済手段を禁止することはできない。「ホストクラブは身の丈にあった営業をしましょう」という理念条例ならできるが、なんの意味もない。
ホストクラブ売掛規制に関する整理 - 渡辺みちたか(自民党・新宿区議会議員)official blog
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reportsofawartime · 7 months
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ゆな先生
@JapanTank
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【入国拒否された女性の話】 あるインフルエンサーがハワイで入国拒否され、日本に強制送還された話。 売春目的と判断された説、観光といいつつインフルエンサーの仕事をするから説、そもそも売春婦の履歴がある説、様々な意見や分析があるがその経緯と可能性を考えてみよう。 【日本人売春婦の増加】 かつて韓国人やタイ人などが海外売春しまくっていたのは有名だが、貧しくなり貞操観念も崩壊した日本人女性の売春婦も非常に増加した。 日本で梅毒感染者数が爆発的に増えているのも、売春増加説の有力なデータである。 日本でもパパ活という名目で実際は売春をしている女性はかなりの数に上り、東京でバーやレストランに行くと、明らかに夫婦でも上司部下でも夜の店の関係でもない中年男性と若い女性(プロではない)が食事をしている様子を見る機会は増えた。 我が国の世界に占めるGDPの割合は、1995年をピークに毎年右肩下がりであり、今や1人あたりGDPはシンガポールの3分の1、アメリカの半分であり、購買力平価での1人あたりGDPでは韓国にも抜かれている。 株式投資をする人はぜひサイゼリヤの決算書を読んでほしいが、サイゼは日本では全く利益が出ていないが、どんどん海外進出し海外店舗で利益を出せている。 サイゼと同じように、売春婦たちは貧しくなった日本にとどまらず、海外に進出していったのは当然であった。 Twitterで #海外出稼ぎ と検索すると、売春婦を募集している業者や、成功した売春婦に偽装したアカウントが出てきて、連絡を取ってみると売春婦斡旋業者だったりすることも多い。 【売春の場所】 海外売春がよく行われる場所として、ドバイ、シンガポール、上海、ハワイ、ラスベガス、ロサンゼルスなどが多いとされるが、コロナ前では特にドバイとシンガポールは流行していた。 私はこれまで何十回と海外に行ったことがあるが、シンガポール行きの飛行機は判定がしづらかったが、ドバイ行きの飛行機で1人で乗り、欧州へと乗り換えをすることなくドバイに入っていく若い派手目な女性を見たことは何度もあった。 よくインスタで何の仕事をしてるか収入源も不明なキラキラSNS女性が、ドバイの高級ホテルでの滞在を投稿してたりすることがあるが、大体は売春か、パパ活である。 1回行って1ヶ月で数百万稼いで帰ったりできるし、日本にいるフォロワーには高級ホテルに滞在している自慢をできるので一石二鳥だ。 本人たちは売春していることをインスタフォロワーに気づかれていないと思ってるかもしれないが、私は随分前から、女性が誰と来てるかを明かすこともなくドバイによくチェックインし、高級ホテルの投稿をしている場合、売春かパパ活をしてる者の可能性があると思って見ていた。 【なぜその国が選ばれるか】 ではなぜドバイやシンガポールが選ばれるかを解説しよう。 ドバイやシンガポールは税金が非常に低く、特に株式売買に関わる税金がない。 日本では高所得ならば所得税+住民税で最高55%、株式売買利益にも20%の税金がかかるので、高収入や金持ちの日本人はドバイやシンガポールに引っ越す人も増えてきている。 例えば年収5000万の人の場合、日本では単純計算で手取りが半分の約2500万円になってしまうが、シンガポールでは最高税率が22%なので、3900万円になる。 ドバイならば所得税0%なので、5000万円がまるまる手取りになる。 またシンガポールは日本との時差は1時間、ドバイも5時間であるので、北米や欧州と比べると時差が少なく日本の客に対するビジネスもしやすい。 それゆえに、富裕日本人の海外引越し先として選ばれていた。 また、シンガポールとドバイは法人税もべらぼうに安く、日本と犯罪者引き渡し条約もないので、グレーゾーン界隈の怪しい人々が引っ越すには最適な土地でもあった。 反社属性がある金持ちは当初シンガポールに住んでいたりしたが、シンガポールも当局が厳しくなってきたので、最近は当局の監視が甘いドバイに引っ越す人も増えてきた。ガーシー事件でも日本の警察当局の手がなかなか及ばなかったのは記憶に新しい。 【女性の不足】 しかし広いマンション、治安の良い街、日本食が手に入るスーパーがなどがいくら整備されても、現地の世界一ブスが多いと言われるシンガポールで東南アジア人を抱いても嬉しくないし、中東ドバイではイスラム系国家で抱ける女性も少ないわけで、日本人女性の存在は貴重である。 そこで日本から若い女性を空輸していくビジネスが必要とされるわけだが、それが海外売春斡旋業者であり、日本人売春婦たちである。 日本では数万円でしか買ってもらえない女性でも、海外ならプレミアがつき10万20万払う人もいるし、日本で売春をすると知り合いに目撃されてバレたりする可能性もあるが、ドバイやシンガポール現地に住む日本人富豪や、上海などで金持ち中国人相手にすると金払いもよく、バレにくい。 何よりインスタで旅行に来てるセレブ感も出せていいねも稼げるので自己承認欲求も満たされ、都合が良かった。 また、ハワイやロサンゼルスなどは現地に住む日本人(金持ち)が多く需要が高いのは言うまでもない。 中国では、若い頃から日本のAVを熱心に(違法に)見ていた世代が大人になった。 日本人女性に対して様々なプレイができると妄想を描く男性も多く、日本に来て女体盛りをしたり、わざわざ風俗店に来る中国人男性も多く、AV女優の蒼井そらが「蒼井そら先生」と長年中国で敬愛されてきたのも知っている人も多いだろう。 【警戒する当局】 売春婦が国に入ってくるのに寛容な国もあるが、アメリカのように昔から東南アジア人の売春婦を問題視していたり、違法就労目的で観光ビザで入国しようとしたりするのを警戒したりしてきた国の入管当局も馬鹿ではない。 売春には常に裏社会の人間がついてまわるので、裏社会の資金源になり、それは国内の治安悪化をもたらす。 かつては国力が強かった日本は、日本人は日本で働けば高い給料が得られたわけだし、売春婦も日本人に体を売っていればそれなりの待遇が得られたわけなので、わざわざアメリカへいって違法に働こう、売春をしようという人は少なかった。 実際、1995年の日本全体のGDPは、米国を100としたときに70もあった。 2023年現在、アメリカGDPを100とした場合、中国が70、日本が17である。 日本のGDPが中国に抜かれて世界3位に転落するかもと騒いでいた時代はそんなに昔ではないはずだが、それだけ日本が没落し、今年は、かつて2倍以上の差をつけていたドイツに抜かれる可能性も出ているのは、今始めて知った人もいるだろう。 今は米国で金を稼げば日本より遥かにたくさんもらえるわけで、結果として日本からアメリカに観光や出張で行く人以外に、(1)売春婦 (2)就労目的者 の2種類が増加した。 日本人がかつての東南アジア人になったようなものである。 今も世界最強のパスポートであることは変わらないが、それは日本人がこれまで強い経済力と低い海外犯罪率で培ってきたもので、要は昔の日本のサラリーマンのおっさんたちが、必死に稼いで物を作り輸出して外貨を稼いで築いてきた結果であり、日本人がビザなしでどこでも海外旅行にいけるのは、彼らのおかげである。 私が海外に行くとき、日本のパスポートだと顔パス状態で、後ろにいるアフリカ系やイスラム系の人がくつを脱がされ荷物をすべてチェックされて、多くの書類を提出している、というシーンに出くわすことは少なくないが、日本が貧しくなっていき、海外での違法就労や犯罪を増やすと、彼らのように扱われる日が来ないわけではない。 【警戒される人】 国力が強かった時代は、現地語も英語も全くできない物見遊山のちゃらんぽらんの日本人が細かな予定を決めずに入管に来ても、悪さはしないし自国で金をたくさん使ってくれるだけだったのでどの国も顔パスで入国させていた。 しかし、貧しい国となり、違法就労や売春目的が増えるとなると相手も態度が変わるわけで、それが今回の女性の入国拒否にもつながる。 今回入国拒否されたということは、同じようなペルソナ、つまり (1)女性の一人旅 (2)目的が曖昧 (3)滞在先が不明瞭 (4)本人の仕事が不明瞭 (5)英語も怪しく教育水準も怪しい などは典型的な売春婦または違法就労者のスペックと扱われ始めたということであり、日本人だらけのハワイでも拒否されたということはハワイの現地に売春や違法就労目的で入る日本人女性が増えてきたということになる。
【今回の女性】 今回の女性は、入管に対して下記の特徴があったと自白している。 (1)32歳女性で一人でハワイへ (2)会社員をしていると当初嘘とつき、のち「インフルエンサー」とゲロる (3)宿泊するホテルを自分で予約していない (4)滞在日数に対して妙に多い服を持っている (5)服が多い事に対し、「着替えて何枚も写真をとるから」と回答 「これで売春婦扱いか」と驚く人もいるかもしれないが、この人が日本人ではなく貧しいアジアの発展途上国の女性であったなら、売春婦であるか違法就労のどちらかと認定されてもおかしくないのは想像がつくと思う。 しかも職業を当初嘘をついている。 また、今回は売春婦扱いなのかの最終的な結論はわからないが、インフルエンサーと回答しておいて「着替えて何枚も写真を撮る」というのも猛烈に馬鹿な話で、インフルエンサー業務をアメリカでビジネスビザもないのに行おうとしていると認定されて拒否されたとも考えられるわけで、売春、違法就労どちらの可能性もある。 今回入国拒否された自称インフルエンサーの女性は、わざわざ顔を出してテレビの取材を受けていたが、テレビ朝日の取材では、当初職業を嘘をついたことは伏せていた。 岡島カレンさんという人で、インスタアカウントも公開されているのでぜひ見に行ってほしい。 当人のインタスタアカウントは、キラキラした毎日と言われたらそうではあるが、ホテルのベッドの上で撮影した写真や、水着の写真など、典型的なドバイの売春婦インスタと同様の雰囲気がプンプン出ていて、「売春で生活しています!」と書いてあっても違和感はない。 これを現地のアメリカ人入国管理官に見せても、売春婦だな、と思われてもおかしくはあるまい。 【今後】 今日もカンボジアで日本人特殊詐欺集団が20人逮捕されたと報道があったが、かつて海外で犯罪をする日本人がこんなに増えることになるとは誰も想像していなかったと思う。 外国人が日本で犯罪をするし違法就労が多いから、制限しろ!と思う人のほうがまだ多いだろう。 しかし、まず日本人売春婦、そして日本人犯罪者らが海外に暗躍し、日本人が貧しくなり金を落としてくれないとなると、当然「日本人だから問題ないので顔パス入国」は今後は減っていく。 特に日本人売春婦の多さは、結果として女性が女性の首を締めている。 これまで外貨を稼いで日本を発展してきた人たちがいて、今も世界に自動車や電子製品を輸出し外貨を稼いで、信頼を得てその積み上げてきたものがあって、日本人は海外にいけるのであるが、日本人売春婦がぶち壊し、真面目に生きてきてやっとの思い出ためたお金で旅行に行く善良な日本人女性の旅をぶち壊すことになる。 貧しくなればなるほど日本人がビザなしで出ていける国も減り、警戒され、いつか貧困を極めたら入国管理官に屈辱的な入国審査をされる人ばかりになりかねない。 今回の女性は「私は被害者で悪くない!ぴえん!!」とテレビで顔出しをしてまで名前を売ろうとしているが、入国管理官に嘘をついていたのがまず大問題だし、インフルエンサーであるのに観光ビザで入ろうとしているし、結果として売春婦か違法就労者と思われたわけで、また一人日本人の名声を落とすことに加担したことになる。 海外で犯罪をしたり違法入国しようとする者が増えるのは、島国であり海外で商売をしないと生きていけない極東の資源のない日本国民にとってマイナスでしかなく、今以上に重罪として扱われるべきで、今後私達は同様の行為について影響を考え、厳しくあたっていくことが求められる。 【ハワイの豆知識】 ハワイの豆知識だが、ワイキキビーチの白い砂浜は、あれは全部他の場所からダンプカーで持ってきているものであり、元々砂浜ではない。 そしてハワイNo.1の名門ホテル「ハレクラニ」は三井不動産の、「カハラ」はエクシブを展開する日本のリゾートトラスト社の、「モアナサーフライダー」は国際航業の所有である。 「やっぱりハワイのホテルは違うねー」と言う日本人がいても、ただ日本企業が日本人に部屋を貸してるだけでしかないので要注意。 国際航業の元社長・故・小佐野賢治氏は、外為法で外貨持ち出しが厳格な時代にハワイの不動産を多く買収した人物だが、国会で「記憶にございません」という答弁をして有名になった人でもある。
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつ���て、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいな��いつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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manaplog · 9 months
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Sunday August , 6
台風の中、きょう外出したツケがまわって中耳炎気味。
いたい(´;ω;`)
ずーーーっとぜんぶ上手くいってない。
仕事に?恋愛に?人間関係に?自分自身に。
変えたいときはとりあえず手っ取り早く髪を切る、明るく染める。深夜にインスタ漁って美容院を決めた。那覇ボブ。カラーが上手なひとがいい。
昨日よりは落ち着いた天候、それでも大荒れ。はじめていく美容院は幾つになってもドキドキする。ダブルカラーのつもりが、怖気付いて一回。暖色系はしたことなかったから自分的には冒険。
オレンジ🍊
気に入った〜。
濃いめにフルメイクした自分の顔は結構すき。
最近それさえも忘れてた。
「責任を持つということは問題が起きても何事もないようにカバーするということ」
いまの上司に言われて印象に残っている言葉のひとつ。
先々週からの激務と悪天候で買えていなかった備品を購入しに、美容院から徒歩圏内のスーパーへ買い物に行った。
休みの日に仕事のことを考えること自体がストレスではあるけど、残したままなことの方がわたしにとってはストレス。完璧主義やめたい。
購入後、店の外でタクシー拾うタイミングを待っていたら、おばあさんが話しかけてきた。
「近くの業務用スーパーに行きたいんだけど、わたしは此処のスーパーがそうだと思って来ちゃって。どうやら此処では無いの。あなた地元のひと?わかる?」
那覇市内ぜんぜん分からんと思いつつ、お困りのようなので一緒にGoogleマップをみて考えた。
マップをみてても埒が開かないので「嫌じゃなければ道案内するので乗せてもらえますか?」と提案して、乗り込んだ。
家に帰るだけの暇人だし、ここら辺はどこからタクシー乗ったとしても料金は変わらなさそうだし。
助手席にシスター姿のお友達の方がいて、背筋がのびる。
今から落ち合う方も含めて三人は中学時代のご学友で、50年振りの再会だそう。
豪雨の中、業務スーパー前で待ってらした女性が隣に乗り込んできて、ようやく会えた模様。
感動の再会に、無関係のわたしが同乗しててまじすみません状態😂
結局おうちの近くまで送ってもらって、その上エンダーのアップルパイもらっちゃった🍎
ひさしぶりに心の動くままに生きれた日。
予定をたてずその場のひらめいたノリで行動するのがわたしの自然体で、自分自身それが気持ちいい。
帰宅後、頭と気をつかうメッセージをおくるためにLINEを開いて現実に戻った。
性格も生活も変える。変えよう。
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aramashi · 1 year
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2022/12/24
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 クリスマスイブだからといって煌びやかな場所に遠出する話がまったく上がらず、選択肢が徒歩圏内の坦々麺屋だとかなのになんだか安心した。これでいきなり丸の内のイルミネーションを観に行こうなどと持ちかけられたら、何か後ろめたいことでもやらかしたのか��疑いそう。
 気になっていたラーメン屋を目指したものの想像以上の行列に怯み、少し引き返してハンバーガー屋に入ることに。細い階段をのぼった先には、4、5人がぎりぎり座れる程度のカウンターと2組のテーブルがこじんまりと並んでいる。壁には期間限定のメニューについて手書きで紹介したイラストがぺたぺたと貼られていた。どうやら国産の素材にこだわっているらしい。岩手の牛が特に推しのよう。
 彼はダブルチーズダブル、私はアボカドステッペンというものを頼んだ。ホットティーをいただきながら温まる。他のお客さんの多くはクリスマス限定のプレートを頼んでいるらしく、さっきから階段を上り下りする店員さんの手の上には、つやつやと血の色を放つステーキとバゲット、それにグラスワインが載っている。斜め前のカウンターに座っている女性は、写真を撮ってインスタにでも上げるのか、にこにことスマホを食事たちに向かってかざしている。うれしくって楽しくってしょうがない瞬間は、見返せるように残しておきたいし、他の人にも見てもらいたいもんね。
 いよいよ姿を現したハンバーガーは大口を開けても頬張れるか怪しいほどにずんぐりと大きく、思わず2人とも笑みがこぼれた。せめて食べやすいようにと袋の中でぎゅうと上下に押しつぶしながらゆっくり口に運ぶ。勢いよくかぶりつけば何もかもが溢れてしまいそうだけど、だからといってフォークとナイフでちまちま食べるのも味気ないから。
 ひと齧りふた齧りをして目を合わせる。今まで食べたものの中で3本指に入るんじゃない。完成度が高いよね。ここはリピ確定だな。そんなことを話しながらまぐまぐと口を動かす。ステッペンチーズなるものがあることはこのお店ではじめて知った。チーズ特有のくさみが少なく、それでいて軽い塩味と酸味が華やかに香り、しかもよく伸びる。野菜からもお肉からも鮮度が感じられて、無駄のないハンバーガーだった。
 思えば2022年は彼とたくさんご飯を共にした。最初から遠距離だったから各々勝手に過ごすことには慣れていたものの、それでも彼の上京を機に家がぐっと近づいてからは、なんやかんやで週に1、2回は会っている。互いの生活圏内においしいものを見つけると自然に、「今度は一緒に行こうね」と話が出るし、その実現までにもそう時間が掛からない日常が、今のところは続いている。
 満ち満ちた体を寒風に晒しながらコーヒーを片手に家まで帰る。昼寝をしたあとコンビニまで行ってどん兵衛と骨付きチキンとチーズケーキを買い、夜はクラフトビールで乾杯。クリスマスはおろか記念日に何かを贈り合う文化は私たちの中には気づけばなくなっていて、だけどそれでも寂しくなんかないな、と思う。こうやっておいしいものを食べてたくさん笑って過ごす毎日が続くなら、けっこうもう、十分な気がする。
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from191970 · 11 months
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230604
青組、速いです!赤組、頑張ってください!
マニュアル通りのやる気があるのかないのか分からない実況と聴き覚えのある、あの急かされる音楽で目を覚ます。
今日は近くの学校で運動会が行われているらしい。
そういえば 私も放送委員で同じような実況をしたっけ、と振り返る。小学生の頃、放送委員は運動会で担当の時間に自分の好きな曲を流して良いというルールがあり、私は一番ハマっていたアイドルの曲を流した。当時好きだった男の子に 「これ絶対○○(私)が流したと思った!でもちょっと(テイスト的に)違くない?」 と言われたことを思い出す。
放送委員という権力の下に 私は中学生になってから軽く暴走していた。朝にミセス、昼にマイファス(騒がしくない曲)、ユニゾン(騒がしくない曲)などを流していた。挙げ句の果てには、とある先生から 「君が担当の日は騒がしいね。」 などと皮肉を言われたのだが、やはり捻くれていた私は 黙って聴いてくれ、と反省などしていなかった。今になって振り返ると、甚だ迷惑な生徒だったと思う。
今日は朝から起きることができたからなのか、1人で出かけようという気分になった。
お気に入りのヒスのキャミを着る。
12時半が過ぎた頃、東京駅に着く。
高校3年の時の担任が骨董市で露天商として出店しているので、近況報告を兼ねて久しぶりに会いに行く。お土産を買って行こうとふらっとお店に入る。
「��のピアスめっちゃ可愛いですね!」
レジをしてくださったお姉さんについ最近開けたナベルのピアスを褒められる。
私ファーストピアスこんなに可愛くなかったんですよ〜
私、これファーストピアスなんです、1週間前くらいに開けたばかりで
そうなんですか!いいな〜 可愛いです!
ありがとうございます〜
勢いで開けたピアスに母は苦言を呈していたが、褒められたことで肯定されたような気持ちになった。
完全に気分が良くなったところで恩師に会いに行く。
先生、お久しぶりです!
ん?誰だ?
前回も 誰だ?と言われたので思わず笑ってしまいながらマスクを取る。
〇〇です
お〜!!久しぶり!
就活が終わったことを報告する。
先生には、進路相談の際に 世間的に需要がある方を選ぶか、自分のやりたい方を選ぶか、と悩んでいることを話したことがあった。
「自分がやりたい方をやりなよ。」
「学校名よりも学部よりも大学生活において何か一つやり遂げることを経験しよう。」
このアドバイスがあったおかげで、大学生活で一つ成果を残せたこと、自分が選択したやりたいことが実際に仕事で活かせること、何か道を選ぶ時に自分がやりたい方を選択できるようになったことへの感謝を述べた。
「大学で学んだことを就職して仕事で活かせる人なんてほとんどいないんだよ。俺だって、文学部は国語の教師になるしかないしな。だから、〇〇がやりたかったことが実際に仕事に活かせる所に就職が決まって良かったよ。いや〜今日は酒が美味く飲めそうだな〜。」
先生の最後の教え子になることができて光栄だったな、と思った。
電車に揺られ、14時半頃 高円寺に到着する。
今日は朝から何も口にしていなかったので、お気に入りの喫茶店に向かう。
アイスコーヒーとコーヒーゼリーを注文する。このお店はコーヒーゼリーのトッピングをアイスクリームか生クリームか選べるというちょっとした贅沢がある。
ゼリー好きなの?
はい、コーヒーゼリーが特に好きなんです。
マスターは、お店のコーヒーゼリーのこだわりや作り方などお話してくださった。そして、私の地元の話、就職後や残りの大学生活についての話を交わす。
「いっぱいバイトしてたくさん旅行に行きなね。」
学生生活もあっという間に終わりが見えていることに寂しさを覚えながら、残りの時間を有意義に使いたいと思った。
商店街に入り、以前行ったことのある古着屋さんに向かう。
インスタに投稿されていたハーレーのトップスが気になったためである。これは買わないといけない、と久しぶりに直感で感じたのだ。
店内に一歩足を踏み入れると古着屋さん独特の香りがする。素敵な古着屋さんは、あのお香の香りがする。
店員さんと話を交わす。就活が終わったご褒美に気になったトップスを見に来たこと、バイトを掛け持ちしようと考えていること、本当は古着屋さんや喫茶店で働きたかったこと。
「ウチ、最近 求人募集してて。」
求人募集って正社員さんだけかと思ってました
まあバイト場合によってはアルバイトも考えてて
え、そうなんですか!
オーナー上にいるので ちょっと呼んできますね
暫くするとオーナーの方がいらっしゃった。
どこから来たの?
私〇〇で、〇〇から〇〇分くらい下りです
下りなのか〜 場所どの辺りなの?俺の地元〇〇なんだけど
〇〇?!私も〇〇なんです、最寄りは〇〇なんですけど…
遠かったでしょ?俺も遠いのわかるから。
まさかの地元が同じという奇跡が起こり、最近で一番驚いた。
お二人にもヒスのキャミとナベルのピアスについて触れられる。有り難いことに他にも色々とお話することができた。
(君は)真面目でしょ?いい子だよね
やってみたかったら良いんじゃない?
お店を後にし、再び駅に向かう。予想外の展開にふわふわしながら歩く。やりたいことや夢は口にすべきだとよく聞くが、本当にその通りかもしれない、とぼんやりした頭で考えていた。
動揺した心を落ち着かせるかのようにコンビニに入る。レジ待ちの列に並ぼうと、近くにいた男性2人組を避けようとしたところウエハースが1つ落ちてしまった。2人と目が合う。
あ、すみません
こちらこそすみません
あの、〇☆*#!〜〜
1人は酔っているのかシラフなのか判断に困るような状態で、もう1人が申し訳なさそうに苦笑いをしていた。
なんか お姉さん いい匂いするね
おい、気持ち悪いからやめとけって
いえいえ 良かったです(?)
謎の会話をして店を出ると先程の2人も同様に駅に向かっており、自然と会話をする。
え!お姉さんそれヒス?
そうですヒスです
俺もさあ、30年前はヒス好きで!着てたんだよ
え、本当ですか!
うん、あの〇〇〇〇のデザインのあったじゃん、知ってる?〇〇〇〇!
〇〇〇〇って言うなよ
ああ!知ってますよ
ほら!知ってるって!〇〇〇〇!
50代くらいの方に見えたが、若い頃はヒスをよく着ていたらしい。高円寺を感じる。
お姉さんやっぱりいい匂いするね
香水ですかね?
お前、、セクハラになるぞ
香水〜??
酔ってるのか酔ってないのかわからないその人は私に近づいて匂いの元を辿ろうとしていた。
普段ならば警戒心を持って離れていただろうが、その時は何故か この人面白いな〜、くらいにしか思わなかった。
ヒス似合ってるよ!素敵!
お姉さん ごめんなさいね〜〜
いえいえ!ありがとうございます
電車に乗り、今日一日を振り返ってみる。
高円寺、やはり面白い街だ。
今日は本当に出会いに恵まれた日だったな、と
感謝した。
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allclearsheet · 11 months
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主の喜びになりたい
こんにちは。お久しぶりです。
最近はずっとこれからどう生活するべきか祈っていました。
具体的にいうと、このまま実家暮らしのパート生活を続けるか、家を出て一人暮らしで正社員で働くかです。
raptさんがやったように、6時間ぐらいしか働かなくてよくて、また神様に意識を向けながら仕事ができる生活ができるように祈っていました。
しかし、色々と探してもこれだというものが見つけられず、どうしたものだろう思っていました。
出ていこうと思ったのは色々と理由があります。
信仰のない家族のことで悩んでいること
これからZOOMでraptさんや兄弟姉妹と繋がるにあたって、家の波長が悪いのではないか?と思っていること
経済的に厳しいこと
なかなか自分の欠点を直せず成長できないこと
ある程度の地方都市に行ったほうが肉的には栄えるのではないかと思っていること(例えばピアノ教室。田舎は指で数えるぐらいしかありませんが、都市部はもっと数もあり、教室も設備が整っており優れた先生が多数います。そういったところのほうが成長できるのではないかと思っていました)
他の兄弟姉妹の美しい景色や写真に惹かれて、私もそういったところに住んでみたい、と思っていること。(自分が住んでいる場所は田舎で自然は豊かなのですが、景色が美しいかといえばそうではないかなーと思っていました)
実家に帰って気が緩んでしまって怠惰になりがちなこと。(悪いクセが出てしまっています。)
だから転職して引っ越しして、生活を一新して信仰生活を立て直そうと思っていました。
しかし、自分の勝手な考えかもしれないし、サタンが与えた霊感かもしれないと思っていました。だから神様の御心にかなった道に行けますように、間違っているなら止めてください、教えてくださいとも祈っていました。
祈っていると伝わってきました。
あなたはここから出ていこうとしているが、それは果たして正しいのか。探していない、求めていないだけではないか?
あなたの思いも全て知っている。
世の中に働きに出るのはやめて、私ともっと愛し合おうではないか。
なんとなく感動があってある庭園に行きました。
過去にも風鈴を見に(聞きに)行ったことがあります。インスタに載せています。
https://www.instagram.com/p/CglxwLYvNQX/?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
instagram
2022年7月頃で、中国共産党の日本侵略が分かって、裁きと滅びを祈り求めなさい、また、中心者のことを軽んじるなと伝えてくださっていた頃です。なかなか滅びる気配がなくて人々も救われなくて、自分の心挫けそうなときに、もっと祈りなさい、救いを求めている人がいるから、と教えてくれた場所です。
日曜日なのもあって人は多かったです。久しぶりにこんなに車が停まっているのを見ました。
庭園なこともあって、人が多いにも関わらず流れる空気は穏やかでした。こういう場所もあるのだなと思いました。
大雨の影響で池の水が濁っていましたが、それでもなんか粋でした。
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今の季節は菖蒲(しょうぶ)がたくさん咲いていました。多くの種類があるようです。
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以前来たときより大きく立派な花を咲かせていました。
(2年前に母親と一緒に行ったのですが、植替えをしたばかりらしく、小さくあまり花も咲いていませんでした)同じ場所でも、全く別の景色を神様は見せてくださいました。あなたも同じ場所にいても、もっと成長して別の景色を見る、見せることができるようにもがきなさいといっているかのようでした。
たくさんの人が菖蒲の写真を綺麗ねーと言いながら撮っていました。そういう姿を見て、これぐらい立派に育ってもっと私達を喜ばせてほしいといっているかのようでした。
神様が与えてくださるものは美しいです。
最近は何かと疲れがちだったのですが、神様はちょっとした休息と安らぎを与えてくださいました。
折しもナナさんの新しい賛美歌がアップされていました。
https://youtu.be/VRcTFRt38Pk
youtube
「主の喜びになりたい。」
正しく神様の願いそのものだと思いました。
もっと励んでいきたいです。
神様にもraptさんにも兄弟姉妹にも喜んでいただける者になれるように頑張ります。
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79nihs · 1 year
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日記 / 5.7 / 写真を再び
どうもここ数ヶ月、写真が撮れなかった。半年前から撮っている写真のシリーズについてのことだ。製本ワークショップに参加して製本してみて、一度立ち止まって俯瞰的に見てみようと試みたが、これがまさかの急ブレーキとなってしまった。本の形になった高揚感に浸りつつ、「足りない」こと探し、粗探しを繰り返した結果、撮影を始めたときに抱いていた前のめりな感覚を忘れてしまっていたように感じていた。
京都国際写真祭でそれに拍車がかかった。凄みのある作品を三日三晩浴び続けることで、着眼点や撮影の技量、熱量、我が事とする力強さ、数え切れないポイントと比較ばかりして苦しくなってしまっていた。正直、息ができていない状態に陥っていた。1年前は「制作」をしていなかったから、どの作品も憧れのような対象だった。尊敬する写真家の自宅に訪ねて相談させてもらったり、他の写真家の方には、勤務中に彼の働く会社まで足を運んで助言を請うたりした。ようやく、自分なりの視点を持って撮影してこれたのではと、思った今年のはず…と思っていたのだが、違った。「作品をつくるようになった若い人」(と言われるようになった)は、先人たちから厳しいレビューを受け、落ち込んでしまったのだ。この落ち込みを誰かに解消してもらうことなんてできないし、親しい友人に話しても、結局情けをかけてもらいたいという気持ちから始まってしまうわけで、健全ではなかった。
先週には、撮影をお願いしていた方と長い時間お茶をして撮影に望んだが、正直に伝えた。「今は撮れるような状況ではない」と。相手からも、見透かされたような気がして、ブローニーフィルム一本を撮り切ることだけにしか集中できなかった。つまり被写体との対話ができていたとは言い難い。きょう、現像から上がってきた写真たちは、それなりに撮れているのだが、撮ったときの感情をまだ記憶しているので素直に見ることができないことで思い知らされた。現像があがるまでの高揚感、ポジティブな気持ちを抱いていなかったことに気づいた。
ここまでネガティブなことばかり書き連ねているのだが、ようやくトンネルを抜け出せそうな感覚をきょうは覚えた。一日を振り返りながら、いろいろ考えてみようと思ったからきょうは書こうと思う。
まずは、久々に早朝に起床できたことに始まる。朝マックに足を運び、エッグソーセージマフィンのセットを食し、スイッチを入れる。朝ごはんを食べると血糖値が高まり、血の巡りを感じる。ファストフードとはいえ、気持ちが前向きになったようだった。その勢いで、都内の展示へ。本当は丸木美術館に行きたかったが、せっかく晴れている日、2時間も電車に乗るのがもったいないと思い、終了日前日なのに諦めた。
昨日、WHOがコロナ緊急事態宣言の終了を発表。週明けにはコロナが第5類に移行する。パンデミック下に置かれていた日常は、ようやく活気づいてきたことを武蔵小杉から乗り換えた行楽日の総武線快速で感じた。先月行った京都も、外国人観光客が戻ってきて、マスクをしている人がほとんどみなかったので、不思議ではないのだが、東京にもコロナ前の日常が戻りつつあった。そんなことを思いながら、上野に着くとすごい人だった。動物園に並ぶ人々の姿も見えた。美術館前で記念撮影をする人。にぎやかな声が聞こえてくるから、自然と触発される。
向かったのは東京芸術大学陳列館。「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)(※)を見るためだった。初夏の日差しに浴びる青々とした葉をつけた木々が陰をつくる上野公園がこんなに気持ち良いとは思わなかった。陳列館の2階は、天窓から優しい日光が注ぎ込み、版画がすられたキャンバスや布がゆらゆらとしていた。版画は力強かった。日本、韓国、中国、香港、台湾、フィリピン、インドネシアのアーティストの作品をゆっくり何周もしながらみる。印象的だったのは、タイトルの通り、ボーダーを越えていくことの希望だ。
點印社(香港)の「私たちは輪になって食べる、刷る」は横長の大きな版画。テーブルでご飯を食べる様子を描いているのだが、そこに描かれているのは、人間だけでなく、シャチや、犬など動物もいる。コロナ禍によって幾多の国境が閉ざされた世界で、異なる国籍や民族やルーツ、バックグラウンドを持つ人々の間に境界線が引かれるようになったことを忘れてはいけない。そんな時代だからこそ、他者との時間を共有することを肯定し続ける力強さを感じた。登場する人々や、動物の表情は笑顔で豊かで、美しかった。決して丁寧に、きれいにつくられたわけではないけれど、その雑然さを版画で刻む描くことの尊さを感じた。
韓国のキム・オクさんが制作した7枚の版画からは、いつか未来で消える朝鮮半島の南北の境界線を想像させた。30年以上に渡り、朝鮮半島南部をくまなく歩き、フィールドワークしてきたというキムさん。農村地帯など韓国の原風景が描かれた7枚は、南北統一という先に続きがうまれるはずだという期待を抱かせ、そしていまだ解決しない南北問題について、極東の島国にいる自分をハッとさせた。
何よりエンパワーメントされた。この展示の作家の多くが社会運動に参画し、運動を活性化させたり、アジテーションを強化するという目的を持ったりしながら制作しているということを掲示されているテキストで知る。政治的抑圧に抵抗する。それは大きな主語を語りがちのように感じられるが、版画を刷るということによって我が事として捉える身体性が一層増していくように感じた。何より、作家自ら社会に対して、異議申し立てをするまでのプロセスを、自らの生活実践の場において果たそうとする姿勢が感じられた。だからこそ、「私たちは輪になって食べる、刷る」のカラフルな描き方に心が揺さぶられたのだろう。
何より、描いて、版を作り、刷るという繰り返しを諦めない。その先に、社会的に生じている苦しさから解放されるように思えた。新聞記者として多くの時間を、社会的課題について考えようとしながら、当事者性があるかどうかなど悩み、写真撮影においても強度があるかないかなど気にしていた自分にとって、今までの悩みがちっぽけに思えたし、何よりそうだ、自分が言いたいことを言えばいいんだと思えた展示だった。
彫り続ける作家たちの姿勢に刺激をもらい、浅草に移動してから入ったタリーズで本を開いた。坂口恭平の「継続するコツ」だ。数ヶ月前に綴方で購入したまま開いていなかったが、効果てきめんだった。「才能という言葉」の呪いにかけられたように、他者の作品を羨望の眼差しで見ていた。そして、撮影ができない状態に陥っていたけれど、それは「比較が始まり、否定が始まり、手が止まる」という項で正体が書かれていた。ある程度、自分がやりたいことを続けていくと「慣れ」が生じるというのだ。「慣れ」。なるほど。確かに、慣れてきた。こうして撮っていけばいいのだ。こう進めていけばいいのだという実感は、いつしか、「見る人に伝えるには○○が足りない」と完成度ばかり気にすることに変わっていたからだ。
製本して、足りないことが見えて、評価を受ける作家のアーティストブックやダミーブックに圧倒され、到底その領域に達していないのにと自分を卑下して、比較をし続けていたなと気付かされた。なんか自分が馬鹿らしくなった。撮っていく。それだけでまずは十分じゃないか。当初抱いていた撮りたい写真への気持ちは、いろんな人の助言や苦言や励ましで少しずつ変容したりしているけど、自分の撮りたいという気持ちに正直になれるのは自分しかいないわけなんだから。
そうだ。去年の7月、アレック・ソスに「SLEEPING BY MISSISSIPPI」にサインを入れてもらったとき、メッセージをお願いして書いてもらった言葉を思い出した。「Don't ever forget the feeling when you first piched up a camera」。そうだよね。初心忘れずって言うよね。いま撮っているカメラは別に「First」じゃないけれど、このカメラで撮っていくぞって嬉々としていたときのことを思い出した。小さな1Kで、千尋からも「買ってよかったね」なんて言われて、ファインダーを覗いて初めて装填したネガフィルムに彼女を焼き付けたんだっけ。うまく扱えず、フォーカスと露出を決めるのに時間がかかって切ったシャッターによって写し取られた千尋のふと力の抜けた表情が自分は好きだったんだなと。あの感覚があったから、静かに被写体となる他者に正対する感覚を今でも大事にしているのかもしれない。
そんなことを思いながら、ベトナムの写真作家たちのダミーブック展をあとにしたあと、ブローニーを装填した。ゴールデンタイムの日差しが当たる街にカメラを向けてシャッターを数枚着る。隅田川に沿って歩いていくと、ふと人を撮りたいなという気持ちが湧いた。
ふと、目が止まった。若い男女が微動だにせず、静かに抱き合っている姿に見とれてしまった。高校生か、大学生かな、と思い、声をかけさせてもらった。こうやって街にいる人に声をかけて撮りたいって伝えるの久々だな。心のなかで自分に語りかけていた。それに、やっぱり最初は緊張する。「ティックトックですか?」と聞かれたけど、「いえ違いますよ」という。最近、インスタやYou Tubeのショート動画で確かに「ストリートスナップ撮っているんですけど」という動画が流れてくるなと思い出した。それのおかげなのかな。恥ずかしがっていた彼らは、少し悩むそぶりを見せてくれたけれど快諾してくれた。撮らせてもらえる。高揚感が全身に走った。
マキナで露出を決め、フォーカスを固める。透明の四角いファインダーの向こうで、静かに佇む二人に引き込まれる。女性は恥ずかしいからマスクをしたままだったけれど、風になびく黒髪の隙間から見える青いカラーコンタクトをつけた瞳から向けられる視線が、まっすぐ力強く凛としていた。男性の方も、無表情ながら芯の強さを感じさせていた。
撮影後に聞くと、二人は15歳の高校1年生。男性はぼくの父とおなじ江戸川区で生まれ育ったという。在日朝鮮人の母を持ち、インスタグラムには日本と韓国の国旗アイコンを掲げる。聞きづらかったけれど在日コリアンかどうかを聞いてしまったが、「そうですよ」とさらりと答える。僕がこれまで川崎で取材をしてきたことなども伝えると、親しげな感じを見せてくれた。そして、なにより自分のルーツに誇りを持っているようだった。スケートボードが好きで、スケートボードが「バ先」だといって、店長のインスタグラムアカウントを見せてくれた。女の子はシャイだ。ファインダーの奥に見たあの視線の強さとは相反するのか、不思議だった。
街で声をかけ写真を撮る。撮影時間を入れても、賞味10分ほどしかなかったかもしれない。写真はSHOOTだ。池澤夏樹によると、「Shoot」は銃撃か撮影でしか使わない。だから、若い彼らをカメラの前に立たせる行為というのは、主従関係が生じ、抑圧・被抑圧の関係性が生まれることにほかならない。それでも、撮影を許容してもらうために、僕は彼らに誠意を伝えようとする。そして彼らも受け入れるために覚悟をする(覚悟を強いている可能性も忘れてはいけない)。そのわずかな時間でも、僕と彼ら彼女の間に一定の緊張感が生まれ、正対することによって他者を信じ切るしかないのだ。嘘偽りがないとは言い切れない。それでも、1/500秒という膨大な時間軸における一瞬、フィルムに焼き付ける行為そのものが、僕がこの社会に接点を築いていくことに必要なプロセスなのだと言い聞かせるには十分なんだ。そのことを、二人との出会いによって改めて認識させられた。
これが、明るい兆しだ。写真を諦めなくてよかったと思えた撮影だった。写真を撮ることでしか、僕は社会を知るすべがないことも知っている。それが、なにか明確なメッセージや、スローガンがなくても、そこに写し込まれた人々の姿によって、この社会の輪郭が際立ち、描かれていくことを信じたいから撮っている。僕にとって人を撮ること、正対してポートレートを撮ることとは、その決意表明みたいなものなのだ。沈みかけていた気持ちが、ようやく前を向き始めた。
※参考)近年、アジア各地で木版画による芸術・文化実践が再び注目を集めています。20世紀初頭の中国で魯迅によって始まった近代木版画運動は、民衆自身が社会や現実を表現する運動/方法としてアジア各地に伝播しましたが、20世紀後半になると社会構造やメディア環境の変化により下火となっていきました。しかし、2000年代から2010年代にかけてアジアの芸術家や社会活動家たちの一部は木版画を通じて社会や政治の問題を表現し、文化的直接行動や集団的創造の実験、さらには国境を越えた交流・ネットワークを生み出してきました。 本展は《「解/拆邊界 亞際木刻版畫實踐」(脱境界:インターアジアの木版画実践)》と題し、アジア各地から12の作家・活動団体による木版画を紹介します。とりわけ2020年に始まったパンデミックでは、人やモノの移動を一元的に管理する国境の問題や、差別や排外主義などの社会的、心理的な排除や断絶の問題を現前化させました。本展はわたしたちの生きる世界や社会に張り巡らされた「境界」を改めて主題化し、これらの境界からの離脱・解体を志向するトランスナショナルなアジアの木版画実践とそのネットワークについて紹介します。同時に、コロナ期に各地で制作された木版画を比較することで「アジア」という地理的/政治的概念への批判的認識と、さらなる理解・議論の可能性を開くことを目指しています。
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serendipityorchid · 1 year
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さて、今日はなぜ「Tumblr」でブログを書こうと思ったのかというお話です。
ブログを書こうかな〜っと夫・遊くんに相談したところ「いいね!」ということでさぁ、どこで書こうかな⁉️と言っていたら色々調べてくれた遊くんが「Tumblr」がいいと思う‼️とのこと。
あんまり聞いたことない…という私。
でも遊くんが、なんかオシャレだよ。
海外ではメジャーらしいよ。
インスタとTwitterを合わせた感じだって!よくない⁉️
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んー。どうしよう。
何かを決める時、ふーんわり納得できないのはいや。
どこで書いても一緒かなぁとかもっと普通にメジャーなところで⁉️など考えていると。
✨タンブラー好き✨Tumblrで書くことにする‼️
考えがきゅっっとまとまりました😊
理由はもちろん遊くんの熱心なプレゼン‼️ですがもう一つ好きの理由が🤭
Youtubeの優里ちゃんねるで優里さんと大好きな川崎鷹也さんが「かくれんぼ」と「魔法の絨毯」のマッシュアップをやっている動画が大好きで、鷹也さんが「君にもらったタンブラー」🎵と低音ハスキーボイスで歌うところが特に好き✨(夫・遊くんもモノマネしてくれるほど)
tumblrってタンブラ〜🎵
「タンブラ〜」にすると言った私にあれか❗️と遊くんが全て察した笑顔でにっこりしてくれた時はさすが遊くん‼️だと思いました😆
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そんな理由で決めたTumblrです。
みなさまよろしくお願いします😊
なんか不思議な話になりましたが、私の思うSerendipityは私たちの生活の中にある小さな幸せを大きく育てたり、チャンスや素敵なことを自分に引き寄せること。
そこで大事なことは好きなものに囲まれることだと思っています❣️
次回はそのお話ができればと思っています✨✨✨
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dal2bb · 2 years
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ジヨンベは2ショをインスタに上げてくれるし、じよんなんて「よんべが太陽なら僕はそっちを向いて咲くひまわり」をその写真にデコるし。祭り?
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最後に夜になって特大のニュース。よんべ10月頭のフェスでソロでステージパフォーマンスするってよ!(歓喜)
祭気分でよんべのソロアルバム聞き始めて胸がいっぱいになる。
ソロコン楽しかったなぁ。
2014年のソロコンのオーラス@大阪城ホールはあの年のベストライブ。一生忘れられない素晴らしいコンサートだったよね。
個人的な事情もあってあのライブは印象深いってのもある。
一緒に行った友人が2人いて、会社の同僚でもあったorあるんだけど、約10年弱経って、仕事上でもプラベでも立場も色々変わったなぁと思って。オーラス@大阪城ホールは9月にあったんですよね。私に誕生日より少し前。二人は誕生日プレゼントくれたんだ。サボンのセットだった。よく覚えてる。
当時私は会社でまぁ過酷で誰もやりたがらない前職の部署に飛ばされて2〜3年め頃。その直前まで同じ支店の立ち上げメンバーとして一緒に頑張った同年代の仲間同士で5人で仲良くしてた。そのうちの2人が同じビッペンだったからオーラス取れたし行こう!ってなって。
この日は確か9月の平日だったんだよね。
私=前職に飛ばされて2年位(土日休み)
友人A=一緒だった支店から別の支店に異動後同一の職種(平日休み)
友人B=一緒だった視点にそのままいる(平日休み)
私はどうしてもオーラス行きたかったのと、友人二人が大阪まで出てくるって言うんで、大阪出張を無理くりその日に合わせて夜の公演に間に合うようにダッシュで向かった。友人達は平日休みで余裕で2日間連続休みにして先に会場へ。開演ギリギリで私はスーツでゼーゼー言いつつ席について、お誕生日プレゼント渡された。公演は素晴らしくて本当に本当に最高で感動したんだけど、エンドロールは私は途中までしか見れなかった。次の日平日で休めなかったから。暗闇の中、ホール内の階段をこそこそササッと降りていくの、悔しかったんだよね。プレゼントの紙袋の紐に暗いから足引っ掛けちゃって、ちょっと階段でコケて周りに目立ってしまって。
すっごく良い公演だったしプレゼントも嬉しかったし二人のことも大好きなんだけど、だからこそか、帰りの新幹線の中で落ち着いて座ったら涙が出てきちゃったんだよね。
そういう思い出がある公演だ。
10年弱経った今。
結局前職で苦労はしたけど、代わりに胸張って「こんだけのことしてきました!」って言える経歴にはまぁなったかなと思ってて、前職から足洗って(←言い方)、新しい部署で新しい仕事をしている私。変わらず土日のみの休みが基本だけど、まぁ申請すれば月曜火曜でなければ平日も休み取れるかなって現部署。仕事の内容も産業としての流行り廃りに翻弄されることが少なくなって座ってできる仕事だし、安定してる。(まぁまたいつ飛ばされるかわかんないけど。その分貰ってるのでね…)
一方で友人達は。
友人Aは結婚して最初は働きながらでやってたけど結局会社を辞めた。辞めてすぐ子どもができて、双方の親とも近くで住んでて、いわゆる「賞賛される幸せ」ってのを勝ち取って過ごしてる。うちの親なんて彼女の生き方を大絶賛拍手喝采。田舎で一番賞賛されるのよ。子どもは男の子だったしね。←これ重要
でも相手の親御さんの土地に家建てて住んでて、すぐ裏に親御さん住んでて助かるけど!助かるけど!でも!という日々ではあるそうだ。あとあんなにいつも個性的でおしゃれだった彼女は今はそこは興味なくなってしまったよう。それはそれで良いし、ほんと賞賛されるべき人生だし、私には計り知れない全然違う種類の幸せを掴んでるんだと思う。
でも、とも思う。これからまた働くこともなく、一生家で家族のためだけに生きるのだなぁと、そういうのが望みだったんだなぁ。何かあったときどうするのだろう。何もないか。でも、と。彼女の社会でのキャリアは0だ。
たまにラインとか、実際会ったりとか、コロナ前はしてた。またコロナが少なくなってきたらちょくちょく会おうと思う。
友人Bは今でも同じ職種で別の支店で働いてる。でも最近彼女は様子がおかしい。たぶん心の病気に罹りかけてると思う。現在の支店が特殊な支店で、地場のパートさんやアルバイトさんと(まぁ誰でもだろうけど)合わなくて詰んでしまってる。仕事はできる人なので、全部一人で抱えてしまってヒステリー起こして過労。辞めたいということを言い始めたので、5人組のうちの1人が今、偶然私の隣の部署にいるので(彼女についてはまた別の機会に)一緒に心配で様子を見に先週行ってきた。新幹線で行く距離を。コロナ拡大中なので他の観光とかは一切無しで。話を聞く限りもうこれは病、という感じ。病院を受診するように強く説得したけど行くかなぁ…。辞めたいという気持ちは強いようだったので、辞めるにせよ部署変わる要望出すにせよ、人事の担当者に連絡するように強く説得したけどこれもするかなぁ…。辞めたくて転職活動もしているようだったけど、やはりずっと同じ職種で(しかも潰しが効かない対外的に。いわゆる接客業の現場主任)この年齢となると厳しいと。まぁそうだろうなぁ…職務経歴書に書くことがあまりにも少なすぎるかなと。上を目指すまではいかずともキープを目指す転職も厳しいだろうなぁ。
良い人なのですっごく心配。本当に心配している。また1ヶ月位経ったら病院だけでも受診したか確かめようかなと思ってる。私は独身で暇だし連絡するのは私の役目かなと。
よんべの2014年のソロコン@大阪城ホールから話がだいぶ逸れてしまったけど、あの時私は正直なんで私だけこんな仕事に追われて酷い部署で酷い仕事してるんだろう…って思いを抱えながら、悔しい思い出も込もで、良い公演だったと思ってる。あの時はそうだったけど、今はたぶん私が一番気持ちが楽に過ごせている気がする。そりゃ日々いろんなことはありますが。
あの時「大変だね〜(他人事)(あたりまえ)」と呑気に言ってた友人達も今はそれぞれ苦労してる。みんなそれぞれ順番に巡ってくるのかな、とも思ったり。
人ってどうなるか分からない。三者三様。それどころか人の数だけいろんな人生。
次また私が苦労する番が来るんだろう。嫌だな。もう全員苦労からは上がりたいな。
そんで、年取ってから全員が余裕を持ってよんべのコンサート行きたい。そういう日が来てほしい。いまだに私達は奇跡的にお互い気遣い、仲良くできている。よんべが長く歌い続けてくれたら実現するよきっと。頑張ってね。よろしく。
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kennak · 9 months
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さてこの度、私のオフィス、スマイルカンパニーと業務提携をしていた松尾潔氏が契約終了となり、その事について私の名を挙げたことでネットや週刊誌等で色々と書かれております。私はTwitter、Facebook、インスタといったものは一切やっておりませんので、ネットで発信することが出来ません。そのため、私の唯一の発信基地であるこのサンデー・ソングブックにて私の話を皆さんにお聞きを頂こうと思います。少々長くなりますが、お付き合いください。まずもって私の事務所と松尾氏とはですね、彼から顧問料を頂く形での業務提携でありましたので、雇用関係にあったわけではない。また彼が所属アーティストだったわけでもなく、したがって解雇には当たりません。弁護士同士の合意文書も存在しております。松尾氏との契約終了についてはですね、事務所の社長の判断に委ねる形で行われました。松尾氏と私は直接何も話をしておりませんし、私が社長に対して契約を終了するよう促したわけでもありません。そもそも彼とはもう長い間会っておりません。年にメールが数通という関係です。今回松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場ではその事については触れることを差し控えたいと思います。ネットや週刊誌の最大の関心事はですね、私がジャニーズ事務所への忖度があって、今回の一件もそれに基づいて関与しているのでは?という根拠のない憶測です。今の世の中はなまじ黙っていると言ったもの勝ちでどんどん噓の情報が拡散しますので、こちらからも思うところを正直に率直にお話ししておく必要性を感じた次第であります。今話題となっている性加害問題については、今回の一連の報道が始まるまでは漠然とした噂でしかなくて、私自身は1999年の裁判のことすら聞かされておりませんでした。当時私のビジネスパートナーはジャニーズの業務を兼務していましたけれど、マネージャーでもある彼が一タレントでもある私にそのような内情を伝えることはありませんでした。性加害が本当にあったとすれば、それは勿論許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば第三者委員会等での事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何も無い以上、コメントの出しようがありません。自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。ジャニーズ事務所は他にもダンス・演劇・映画・テレビなど、業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情などまったく預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知る術まったくありません。私が中学生だった1960年代に初代ジャニーズの楽曲と出会って、ジャニー喜多川さんという存在を知りました。何年か後に初代ジャニーズの海外レコーディング作品を聴いて私はとても感動して、このサンデー・ソングブックでも特集したことがあります。1970年代の末に私の音楽を偶然に聴いたジャニーさんに褒めて頂いて、そのご縁で数年後に私のビジネスパートナーが近藤真彦さんのディレクターとなったことから「ハイティーン・ブギ」という作品が生まれました。その後もジャニーズに楽曲を提供する中で、多くの優れた才能と出会い、私自身も作品の幅を大きく広げることができ、成長させて頂きました。たくさんのジャニーズのライブに接することが出来たおかげでKinki Kidsとの出会いがあって、そこから「硝子の少年」という作品を書くことが出来て、昨年の「Amazing Love」まで彼らとの絆はずっと続いております。芸能というのは人間が作るものである以上、人間同士のコミュニケーションが必須です。どんな業界・会社・組織でもそれは変わらないでしょう。人間同士の密な関係が構築できなければ、良い作品など生まれません。そうした数々の才能あるタレントさんを輩出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は、今も変わっていません。私の人生にとって一番大切なことは”ご縁”と”ご恩”です。ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。私にとっては素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁を頂いて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えて頂いたことに心から恩義を感じています。私が一個人、一ミュージシャンとして、ジャニーさんへのご恩を忘れないことや、ジャ���ーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的・倫理的な意味での性加害を容認することとはまったくの別問題だと考えております。作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。繰り返しますが、私は性加害を擁護しているのではありません。アイドルたちの芸事に対するひたむきな努力を間近で見てきた者として、彼らに敬意をもって接したいというだけなのです。ですから、正直残念なのは、例えば素晴らしいグループだったSMAPの皆さんが解散することになったり、最近ではキンプリが分裂してしまったり、あんなに才能を感じるユニットがどうして、と疑問に思います。私には何も分かりませんけれど、とっても残念です。願わくば、みんなが仲良く連帯して、素晴らしい活動を続けていってほしいと思うのは私だけではないはずです。キンキ、嵐、他のグループもみんな末永く活動していってほしいと思うばかりです。先日、男闘呼組の再結成という嬉しいニュースがありましたが、同じようにいつか近い将来、SMAPや嵐、キンプリの再集合も実現するような日が来ることを、竹内まりや共々に願っております。性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。私の48年のミュージシャン生活の中でたくさんの方々から頂いたご恩に報いることが出来るように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲をともに作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれている、とそのように解釈されるのであればそれでも構いません。きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。以上が今回のことに対する私からのご報告です。長々失礼しました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
山下達郎のサンデー・ソングブック 書き起こし
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gyohkou · 1 year
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23/04/23
ダンスに行ったがどうしても覚えられないステップがあり、最後まで習得できずに苦い顔をしたまま若干ふてくされて教室を後にした。友達と街で遊ぶ約束をしている日で本当によかった。(ロンドンは街という感じがしない。)途中何か食べたり飲んだりしながら、夜中までセントラルを歩き回った。東京はいくら歩いても歩き尽くせる気がせず、また街に表情があるが、ロンドンはどの駅で降りても変わり映えしない。思い出の有無の違いだろう。あと、東京には海があるけどロンドンには川しかない。
イギリス人にはパブの好みがあるのだろうか。どのパブもただのパブで、チップスはチップスだし、Neck oil は Neck Oil なのだ。英国パブ文化とは、すなわちビールを腹一杯になるまで飲みながら人と喋りまくる文化であり、内装とかメニューのラインナップとかはあまり関係がないのかもしれない。おそらく、パブはビールと人の感情が渦巻く場所で、ビールのうまさは話の盛り上がりにのみ比例する。あるいは応援するサッカーチームの勝敗か。
英語圏の人はめちゃくちゃ喋る。
わたしはそもそもあまり喋らない方らしい。結構喋る方だと思ってたが全然喋らない。誰とでも喋れると思ってたが、興味のない話題には興味がなく、世の中のほとんどの話題には興味がない。というモードの日が大半で、堰を切ったように躁状態になって喋り倒す日がごくたまにある。思えば、喋る、という行為で実存を感じていることがあまりない。喋っている時って、的確な言葉を探してから口に出した場合であっても、裏で(本当は違う)と感じている。
���分の中に相反する性��が同時に存在している自覚がある。
フラットメイト1、2が冷戦状態だったが、ついに2が別の村へ引っ越してしまった。寂しいけど、隣人がいなくなって超快適。まるで同じ部屋にいるみたいに音が響くから、いつも2の意識がちらついて、心休まる時間がなかったように思う。
暇にころされそうだった前職時代、身を粉にして働きたいと思っていたが、そういうのはあまりよくない。なるべく集中を切らさずにタスクを片付け続けているため、全集中常中のようになってきており、帰宅後や休日も興奮が収まらない。忙しいのは楽だけど、確実に身体へ負担がかかっている。ここからは手の抜きどころを覚えていく段階。
今まででいちばん自我が中性的で、女性性がほとんどどこかへ隠れてしまった。性別はグラデーションである。女性性とはわたしの本質ではなくて、女性性を使って現れる消化できない気持ちみたいなものがあるだけ、という感じがする。自覚している性別のグレースケール、かなり興味ある話題だな。
言語化の鬼の友人がおり、その子のインスタ日記にとても大事なことが書かれていた。生きる上で大事なのは霊性と魂の問題であり、やっていることには魂の価値観が伴っているか、自分の根源的欲求は何なのか、今やっていることはそれを満たす手段になっているか。それを考えるべきであると。
気泡を割っているようで割っていないこと。東京からロンドンへ生活圏を移動することなんか、わたしには簡単だった。ロンドンで家も定職も得て普通に生きている。支えてくれた人に感謝すべきとは思うけど、簡単だったから自分をすごいとは思わない。わたしの課題は、魂が生き生きとする場所や働き方をがんばって見つけること、自分の生をやりたいことで満たしていくための自己マネジメントなんだ。これができていない、気泡を割っているように見えて割ることができていない。
自分の環境からものすごく遠い場所にある価値観は、現実的でない故に魅力的で、心もよく動く。最近人前で、職人的な働き方をしてみたい、年単位でワイナリーで修行とかしたい、山小屋で働いてみたい、などと溢したが、これはどれもものすごく今のわたしからは遠いところにあり、新鮮で、輝いて見え、新しくなれそうな気がする。できるかもしれない可能性をいくつも手のひらで転がしている時間は希望に満ちている。その時間だけが幸福なのかもしれないとすら思えてしまう。実現されたら途端にグレーがかってしまうのだ。可能性という曖昧さがわたしを生かしているのかもしれないという危うい状態だ。わたしはこれからどんどん移動できる可能性を失うのに、新しい自分になれるかもしれないという可能性を掴みに行くという軸で生きていると、その移動の振幅はだんだん小さくなり、高揚感も薄まっていくのだ。自分の中に移動を作るような生き方にシフトする必要があるが、そのためには気泡を探し出さないといけない。わたしの魂が生き生きとする場所はどこ?働き方は何?あなたは何を願うの?エヴァンゲリオンぽくなってきたな!というよりエヴァが魂の話なんだ。
今日ユニクロでシンエヴァコラボのUT買った。うれしかった。
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studiobabysbreath · 1 year
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✨kids撮影📸 お友だちを連れてきたんだ〜😆✨ . "kids撮影 ¥5,500(税込)" studiobaby's breath(スタジオベイビーズブレス)です♩ 当店では「撮影料+商品代」という撮影料金設定となっております📸 外観まで可愛い一軒家フォトスタジオにて自然光撮影を中心とし、様々な背景にて撮影をさせていただくフォトスタジオです🏡 是非、お気軽にお問い合わせください🙈💕 ご予約の受付はお電話にてお受けしております✉️✨ 撮影中につき繋がりにくい時もありますが、その際は問い合わせフォームよりご連絡お願いいたします。 これからも引き続き、インスタで沢山のお友だちをご紹介していきますので、是非楽しみにしていてくださいね💗 studio babysbreath(スタジオベイビーズブレス) 0466-77-4025 神奈川県藤沢市片瀬1丁目6-33 https://www.studio-babysbreath.com/ "#studiobabysbreath #スタジオベイビーズブレス #湘南 #藤沢 #茅ヶ崎 #鎌倉 #フォトスタジオ #写真館 #新生児 #ハーフバースデー #お宮参り #七五三 #キッズフォト #マタニティフォト #結婚記念日 #還暦記念 #湘南ウェディングフォト #湘南ロケーションフォト #家族写真 #family #湘南ママ #子育てママ #ペットのいる生活 #赤ちゃん #赤ちゃんのいる生活 #子供のいる暮らし #子育てママ応援 #子育て #湘南フォトスタジオ #湘南フォト" https://www.instagram.com/p/Cmimf5jJPRD/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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oka-akina · 2 years
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BALMを書店委託しました
 ペレカスブックスさんという書店さんに「掌編小説とエッセイのアンソロジー BALM」を置いてもらいました。自分の個人誌も。話しかけるのすごい緊張した。ジョギングしてるんかってくらい汗かいた。
 すごく近所のお店で、素敵なラインナップだな〜と以前から…かれこれもう4年くらい…思っていて、でもなかなか話しかけられずにいたのね。黙って本を買ったりインスタをフォローしたりが精一杯で、小説書いてるんで置いてくださいって言えなくて…。いやいきなり押し掛けずにメールで問い合わせようと書いてはみるけどそれも送れずにいて。  これまで短編集、「FLAT」とか「バタ付きパン蝶」とか作ったときも、このお店に置いてもらいたいな〜ってずっと思い浮かべていたの。あと鹿さんやなむあひさんや、誰かと書店委託について会話するたび、「どうやって話しかけてるんですか」とか「じつは近所にいい感じの店があるんですけど何もできず何年も経ってるんです」とかちょいちょい相談?していて…重っ…。恋バナじゃないんだよって感じよな…。  いやなんか近所すぎて難しいみたいなのあるでしょ。近所でなんかしくじったらまずいよなとか(挽回できない破綻ばかり想像してしまう)、あとどうしても、ツイッターとかBOOTHとかインターネットで告知する前提で活動しているので、ド近所のお店だと身バレ的にどうなのかしらみたいなのもあって。いやほぼほぼ本名みたいな名前でやってるわけだし、文フリだったり渋谷○○書店だったりに人間本体がいるので、身バレって言葉が適切かわかんないけど。まあでもイベントで独特な人に遭遇することはあったからな…。自分の生活圏に小説の活動を持ってくる不安はあったんだよね。
 そのへんの気持ちにちょっと変化があったのは、この2年のコロナのもろもろもあったかもしれない。遠出が難しいし、イベントも開催されるかどうかわかんない。ちょっとちがうやりかたを模索したかった。  またコロナよりもうちょっと前から、都心とその周辺で起きている動きとして、「都会のど真ん中はもう入っていけねえから、自分の家の近くで面白いことをやろうよ」みたいなのを感じていて。オリンピック前のインバウンド狙いで再開発やリニューアルがいっぱいあったけど(コロナのあれこれで思惑通りにいかなかったことも多いわけだけど)、家賃の高騰がとんでもなくて新たに入っていくのが難しい。そしてこの入っていけなさは、「上の世代が詰まってる感」にもある。  これ長くなるからはしょるけど、渋谷のパルコのリニューアルなんかもそうで、上の世代の文化のおさがりを着ている感があったというか…。なんていうの、わたしが子どものころからずーっといる人たちが、ずーっとなんかやってて、わたし37ですけど、ずーっと「キッズ」なんだよね。そういうの、たんに売れてない・成功してないからなのか?って思ってたんだけど、どうもそうでもない気がしている。いっかい大大成功したごく一部の人たちがずっと鎮座しいて、その人たちは何回もチャンスがあるから一生席があかねえみたいな…構造の話というか。  なので、新しく自分で何かやりたい人は、都心、とくに都会のど真ん中にはもうあんまりいなくて、もうちょっと手近なところで始めてる感じがある。渋谷とか新宿とかは駅も街もでかすぎて入っていけないし、街が固まっちゃってる感じ。都心からはずれてちょっとマイナーな駅や、都心であってもこれまで遊ぶところではなかった場所に、いい感じのカフェやホテルや独立系書店なんかができてるなーと思う。わたしがすごく好きな書店のマルジナリア書店さんは分倍河原だし、兜町や馬喰町がああいう洒落た感じになるとは思わなかった(兜町はしっかり再開発した感があるけど)。 「都会のど真ん中はもう入っていけねえから、自分の家の近くで面白いことをやろうよ」っていうのは、土地とか場所だけの話ではなくて、メディアの大小の話でもあるかもしれない。あえてものすご雑に言うけど、これだけ差別や偏見や暴力がはびこってどうしようもねえ社会で、いっかい流行ったり売れたりしたものって、だいたいなにかしら差別的なのよな。そういう社会に「のる」か「無視する」かじゃないと売れないわけだから。もしそこにNOを言いたいなら、そこじゃない場所からやんなきゃなんだろうな〜っていう。
 で、じゃあ近所でやってみようとしたとき、わたしはあんまり近所に胸をはれないんだよな…というのがあった。ペレカスブックスさんは埼玉県の草加市にあって、わたし草加市に住民票置いても���何年も経ってるんだけど、あんまり愛着ってないのね。愛着がというか関わりが薄い。  仕事忙しかった何年間かは、風呂と睡眠とるだけでほとんど家にいなかったので、近所のことがぜんぜんわからない。7時前に家を出て22時とかに帰ってくるから、家と駅の間のコンビニくらいしかわかんない。その後も仕事のあれこれでしばらく宇都宮にいたり、体調崩してほぼ布団の上にいた時間があったり、近所と関わりがないままずっと過ごしてきた。たまたま住んでるってだけで、親もきょうだいも親戚もこのへんにはいないし、友だちや知り合いもいない。  そしてわたしは子どものころから親の転勤であちこち引っ越していたから、どこが「地元」「出身」とも言い難いのね。住んだことがあったり通っていたことがあったり、入り浸っていたり…、いちおうの親しみのある町はあちこちあることはあるんだけど、「自分の」場所がどこかっていうとよくわからない。  たぶんこういう人いっぱいいる。わたしの住んでいるあたりは、いろんな会社の寮だったり社宅だったりがけっこうあって、そもそも自分もそうだった。たとえば大手町への通勤にドアtoドアで40分くらいかかるんだけど、まあみんな家賃と通勤時間ともろもろの最大公約数的に選んでる感じ。べつにここじゃなくてもいいし、誇れるものってとくにない、関東近郊っぽい感じのマインドだな…。そういううしろめたさもあるのか、ここで何かをやろうって人はあんまりいなかったように思う。べつに家の周りに何も(お店や文化や居場所が)なくても、電車乗っちゃえばすぐどこでも行けるし、家の周りで過ごす時間がすごく少ないわけだし。  それが、コロナのあれこれやさっきの「入っていけねえ感」もあって、ちょっとずつ変わってきているのかな…。わたしが棚借りてる渋谷○○書店は思いっきり渋谷なわけだけど、あれもちょっと新しい動きだと思ってる。これまでだったら駅直結の商業施設にああいうカルチャーや小商いを支援するようなフロアってなかなか考えづらかった。
 そういう心境・環境の変化もあり、また性加害事件へのpixivへの不信感からBOOTHではなくBASEで通販始めようとしているのもあって、「都会のど真ん中」「インターネット」ではないところで、なんかやってみようとしている感じです。といっても、本をちょこっと置かせてもらっただけなんだけども。
 ペレカスブックスさんは、イラストレーター・装画家の新井由木子さんがやっているお店で、草加駅から徒歩10分(って書いてあるけど7、8分)くらい。草加は北千住から10分。  ペレカ��Pelekasというのはリトアニア語で尾ひれという意味で、「物語は事実の尾ひれにある」という新井さんの考えから、お店の名前にしたそうです。猫と人魚のくっついたみたいなペレニャンというキャラクターが、お店の看板やブックカバーに描かれています。書店のほか、紙もののデザインなどもやっているお店です。  カフェコンバーションという喫茶店の一角にあって、二階は器とギャラリーのお店が入っています。カフェは分厚いホットケーキが看板メニュー。お近くにお越しの際は…ってこともなかなかない場所だと思うので、あれです、ゴーリーのとなりに並んだBALMを見に、よかったら遊びに来てください。となりの駅は後藤明生が住んでいた、「挟み撃ち」にも書かれていたマンモス団地の松原団地…がもうほぼほぼ取り壊されて、URと公園になってる…のでほんとにあんまり見るものはないんだけど…。
 ペレカスブックスさんは、基本的に新井さんが読んで気に入った本、おすすめしたい本を置いているお店で、zineの取り扱いは基本していないそうなのね。いきなり飛び込んできたおかわだの本をいいですよって置いてもらえたのは、近所に住んでるからっていうのはやはりあるからなのよな(あとBALMとハッシャバイはえもの表紙がめちゃくちゃいいからというのが大きい)。なんかそういうのを考えても、住んでいる町のことを捉え直したいなーというのを思った。わたし仕事とかでもそうなんだけど、なんだかんだ自分の経歴とか属性とかに助けられてるところがあって、いろいろ思うところがあるね。
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am-in-blue · 1 year
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煙たい話を読んだ
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この2人のようにわたしは女の親友と同居生活したいけど、同じ気持ちの人を"探して見つけて友だちになって親友になって"の過程を経ないといけないくて、長〜てなるし探すのも難しいし方法もわからないしで、てんてこ舞い。
恋愛中心ではなくてaroaceをオープンにして同じ考えの人を探そうと思ってアプリ入れてスワイプ&チャットを数か月してるけど、デミ要素もあるわたしにとったら何も見えてこなくて向いてない 結構上辺だけになってるような ブッククラブのようなそういうスペースあったらいいんだけど…作るしかないのかな…?
別々の職場で働いてる同性2人(成人)が一緒に暮らすことは"よっぽどの事情がある"と思われるらしい。それでその"よっぽどの事情"は同性愛-恋愛になるらしい。勝手に推測させられてそのままそういうふうだと思われて進んでいって接せられて広められたり、違う関係と言えば驚かれて、推測した本人たちはそうは思わないだろうけど、推測された方は消費されてると思うよ。エンタメじゃないんだよ、わたしたち。どこかに出かけて職場の知り合いや友だちとかに会ったとき、誰と来ているか、恋人か友だちか何かか、名前がつかない関係を言うのはとても難しくて、自分との関係は自分と○○(名前)で、○○(名前)は○○(名前)なのにそれ以上を表す言葉はないのに、表せないと恋人(異性)になるの、途方もなくなる。恋愛至上主義が垣間見えるしその中でも異性愛主義だよね。関係に名前をつけなくてもいいはずなのにつけてなかったから煙たがられて不思議がられておかしいと思われる。「友だち」という認識そのものが違ってたりするのだろうな。友だちへ向ける感情(友情)と恋愛感情の違いがわからないから、他の人が思う友だちとの違いに差があるな〜て常々思っててその溝を埋めるのは容易いことではないし多分相当苦労と疲労する。その差を表す言葉も見つからない。というかしなくちゃいけない?それこっちが?自分でもそれに名前をつけるのが難しいのに他者に説明をするのなんて専らだな。
学生のときは特段仲良くなくても同じグループじゃなくてもクラスメイトっていう繋がりはあるけど卒業したら一瞬でいとも簡単に消える。そのあとは少しのきっかけが無いと繋がることは難しくなってて、インスタとかTwitterとかで繋がってるじゃなくて、遊んだりご飯食べたりていう交流をするのが難しくて、これはクラスメイトな関係の子もだけど仲良くしていた子との関係もいうんじゃないかな。多分これは物理的距離に伴う心的距離の離れに当てはまると思う。近くにいるからこそきっかけがたくさんあって紡げることができる。相手の生活圏に入ることなのかな〜て。それに会わなくなっても平気で忘れていくのかもしれないしそれでも生きていけるかもしれない。でももしそこに物理的距離が生じたとしてもお互いの向き合い度で変えられるはず。会わなくなったら平気になるかは相手への想いの重さで違ってくるけど、でもいつか平気になっていなくても生きていられる日が来ると思う。脆いよね。友情っていうのは脆いと思われてるし二の次にされている。1番大切だと思うんだけどな〜
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