なんだか急激に気温が下がって、秋の空気に変わりつつありますね。
自律神経が乱れておなか痛くなるので、何事もあまり極端なのは控えていただきたい。
好きなコーヒーも遠ざけ気味で。
ただ、木工屋の製作作業にとっては最適な季節なんです。
ふと気づけば
お店のシラカシの木にどんぐりがなってる。
この前、お客さんからプレゼントしてもらった新米の玄米30k。
ちょうど一か月前、事務所のキッチンに家庭用精米機を導入したところだったので、つきたてのほかほかご飯を堪能してます。
安心安全なお米が腹いっぱい食べれるって幸せなこと。感謝してます。
こちら製作中のオーダーキッチン。
引き出しレールを調整してます。
引き出し内部、包丁・カトラリー収納のアイデア。
引き出しの枠内にきっちりと「あつらえた」感じが良いでしょう?
パズルのように、収納配置の組み換えも自由自在です。
これは調整が難しい種類の引き出しレール。
押したら飛び出て来るタイプ。
これは初めての試み。
住宅のオーダーメイド洗面台の天板トップをリノリウム仕上げにしています。
右端の白い部分は化粧品を収納するところ。
鏡付きのフタ扉がついて。
真ん中の穴は洗面ボウルの排水。
左端の丸い金属はゴミ箱の開口。
取付施工が終わったら、また画像をアップしてみたいと思います。
これは大きなサイズの天板。書斎スペース用。
リノリウム貼りです。
長さ2500mm。規格外の大きさです。
柾目のオーク材でつくる
配線口カバーのデザイン。
艶消しワックス仕上げ。
天板断面のディテール。
ちょっと変則的な作り方にしてみました。
これは小ぶりなダイニングテーブル天板の製作。
リノリウム貼り。
リノリウムを貼った後。
完成したらまたご紹介してみます。
0 notes
No,2180 キッチンL型天板 作り替えのご依頼
30年間ご使用された、輸入オーダーキッチン、ノビリア製の
L型天板、ステンレスシンク、タッチレス水栓金具を新調しました。
キッチン天板は傷んだメラミン化粧板から、人工大理石天板へ作り替えました。
0 notes
ローカルベンチャー最前線:北の住まい設計社 渡邊恭延・雅美さん(前編)
大雪山の麓で、無垢材の家具や天然素材の家をつくる
人口約33万人。北海道内で2番目に大きい都市・旭川市があるエリアは日本5大家具産地のひとつでもあり、120年ほど前から家具製作が行われてきた地でもある。
そんな旭川市の中心部から東に車を走らせること40分。ビルや家などが立ち並ぶ市街地エリアから広々とした田園風景エリアを順に通り抜け、辿り着いたのが、人口約8千人の東川町に事務所を構える「北の住まい設計社」だ。
▲積雪の向こうに見える、もともと廃校だった工場事務所建物。
北の住まい設計社は、北海道産の無垢材で、オリジナルデザインの家具製作や卸販売、特注家具や什器などの製作、オーダーキッチンや床材・木製建具等の住宅パーツの製作および販売を手がける会社である。自社内に店舗を設け、北欧などの生活雑貨・インテリアグッズの販売や、カフェ事業も行っている。さらには、グループ会社の「北の住まい建築研究社」で、天然素材の住宅・店舗の設計やリノベーション、エクステリアのデザインや施工なども行っている。
創業は1977年。雄大な自然に囲まれた田舎町の、世に言う「効率」とは真逆の場所にあって、今ではグループで年間5.5億円を売り上げ、55人ものスタッフが働く。
ホームページを見てみると、家具づくりにおいても、家づくりにおいても、40年間変化しながら研ぎ続けてきたコンセプトや特徴は非常にわかりやすく言語化されている。
▲白を基調とした北の住まい設計社のホームページ
例えば、家具づくりにおいてのコンセプトは「昔ながらの工法で、手仕事で、修理も可能な方法で…ひとりひとりの職人が、それぞれひとつの家具を完成させて作ります」というもの。
無垢の木は家具になっても生きており、空気中の水分に自らの含水率を合わせようして、室内の湿度が高いと水分を吸い、湿度が低いと水分を出そうとする「呼吸」を行っていること、その時に木は伸縮するため、「呼吸」を妨げないよう、いろいろな工法や仕口で工夫していること、そういった構造上の制限の中で必然性のある機能的で美しいデザインが生まれてくることなどが綴られている。
家具の材料となる木材は北海道産材のみを使用。外国から材を取り寄せるのも多大なエネルギーを消費する。地球温暖化による環境の変化が現実のものとして感じられるようになってきた昨今、自然と共に暮らすことを考えたものづくりを通して、次の時代に人が生きていける地球環境を残したいと、使用する木材を北海道のものに絞ったのだという。
さらに、家具の表面は有機溶剤を含まない、ドイツの「LEMKE(レムケ)社」の天然亜麻仁油をベースにしたオイルや蜜蝋、パームヤシの油で作った石けん水溶液などの天然塗料で塗装。
カラーリングも、卵の粉末と顔料の混ざった粉に水と亜麻仁油を混ぜ合わせた「エッグテンペラ」を使用し、ソファなどの一部を構成する革についても、クロムという薬品を使わずに古くからのタンニンで鞣す製造方法でつくられるスウェーデン・タンショー社のものを選択している。
まだある。生地についても、オーガニックコットンやウールなど、天然素材のものを採用。永く使い続けられるように、張替えや修理などにも対応している。
家づくりについても家具同様、永く住めることを第一の目標としている。そのためにまず行うのは土地探しだというから驚きだ。そして、土に還らない合板の板やビニールの壁紙、プラスチックなどは使わない。木・土・石を原料とした自然の家を、徹底的に追及しているのだ。
その根っこにあるのは、「自然であること」。綴られる言葉の随所に、次の世代へ負の遺産を残さない健全なものづくりへの思いが込められている。
仕事を通して北欧の自然観を伝えたい
そんな北の住まい設計社が誕生したのは、今から40年も前のこと。それまで旭川市にあったデザイン会社で、家具の設計や現場監督、工場の責任者などとして働いていた渡邊恭延さんと、グラフィックデザイナーとして働いていた雅美さんが二人で起業したのが始まりだった。恭延さんが33歳のころである。
しかし起業したものの、当時、恭延さんは自らの未来に確かな道筋を見出せずにいたという。そして、知り合いのツテを頼って妻の雅美さんと共に北欧・フィンランドに渡り、1ヶ月ほど滞在。その間、目の前に広がる田舎町の「自然と共生する姿」に胸を打たれたと雅美さんは話す。
▲こちらが渡邊雅美さん
「北欧の人たちは、30年前も今も、そこまで変わらない生活をしています。夏は一ヶ月ほど休みを取って家族でサマーハウスに行き、畑を作ったり、海辺に行ったり、絵を描いたり…。自分たちのリズムは絶対に乱さない、スタイルを変えようとしないところが素敵だなと思います。
娘が4年間、スウェーデンにお世話になって、その間にも北欧に随分通いました。福祉にしろ教育にしろ、『いろいろ問題もあるんだよ』と向こうの人は言うのですが、自然や地球のこと、人のこと、子供たちのことなど、一番大事にしなければならないことを彼らは大事にしている。根本的なところが、今の日本と違うなと感じます。
そういう北欧の人々から感じることを、仕事を通して伝えていくのが、私たちの役割かなとは思いますね」(雅美さん)
そして7年後、恭延さんが40歳の時。知人に紹介され、二人は今の場所にたどり着く。そこあったのは、廃校になって7,8年が経過し、雨漏りのする荒れ果てた小学校と、小さな平屋の教員住宅だけだった
雅美さん:「初めてここを見に来きた時も冬でしたね。高齢のご夫婦が二人で住んでいらっしゃって、その方たちが行き来する道が一本だけあって。夫と私とで除雪しながら、校舎に入っていったのを覚えています」
当時は車の免許も持っていなかったという雅美さん。人里離れた場所で暮らす不安はなかったのかと聞くと、「恐れや不安よりも、どこで何をやるのかを優先して決めた」と笑う。
「何かを立ち上げようと思っていたわけではなく、自然の中で、ヤギや羊、鶏などを飼ったりしながら暮らすことで、見えてくるものがあるだろうという感じでした。絶対にこの場所でなければならない、ということでもなかった」(恭延さん)
▲こちらが代表取締役の渡邊恭延さん
成り行きに任せたら、お客も仲間も増えていった
こうして行き着くままに拠点は定まり、二人の暮らしと、北の住まい設計社の家具づくりは新たなスタートを切る。最初は家の外で使う、鳥の巣箱やテーブル、椅子、ポストなどの小物の製造から始めた。その頃のコンセプトは「質素で豊かな暮らし」だった。
「お金持ちが使うような豪華なものじゃないけれど、素朴で普通の暮らし、田舎暮らし、そういうものをテーマに始めました」(恭延さん)
こつこつと家具を作り、販売することを続けているうちに、二人の知人がこちらを訪ねるようになってくる。遠方まで訪ねてきてくれた知人たちをもてなそうとお茶を振る舞っているうちに北欧のデザインの評判が口コミで広がり、予想を超えてその数はどんどんと増え、ある頃から家具づくりに支障をきたすほどになっていく。
当時はまだ北欧のデザイン自体が珍しい時代。恭延さんは、本場の“血”、つまりデザインに宿る魂をこの土地に入れたいと、北欧のデザイナーや建築家の招聘を構想するも、労働ビザが下りず断念。いろいろと調べた結果、アーティストなら可能性があるとわかり、外務省に掛け合って、数年かけてビザを取得。デザイン学校の生徒だったヤコブという青年を招き入れた。
このことが、結果としてそこからさらに加速度的に来訪者を増加させることになる。
「ヤコブの存在は大きかったですね。本場の血が入ったので、そこで多くのデザインが新しく生まれていきました。家具を作る体制も整っていましたし、指導力に優れた職人さんにも巡り合って、その方が後続を育ててくださった。そうしてヤコブが来てちょうど1年後くらいに、東京で��示会に出したんです。それがすごいことになっちゃって。
小さなところを借りたんですが、とにかくすごい人で、いろんなところから『売らせて欲しい』とお誘いを受けて、あの日が、たくさんの人が来てくれるきっかけになったと思いますね」(恭延さん)
そして、カフェスペースを併設したショールームをつくることに。これが現在展開しているカフェ&ベーカリー事業の原型だ。
▲カフェ店内。カジュアルでありながら、カジュアルすぎない落ち着く空間だ。
「もともと、ここへ移ってくる前のデザイン会社に勤めている頃、おいしくて安くて、気持ちがいいところで仕事の仲間たちと飲み食いができるお店がほしかったんですが、そういう場所がなかったので、自分たちでやっちゃったんです。
ものすごく繁盛して、2店舗出して、一緒に調理して、アルバイトの大学生を雇って、とてもたのしかった。でも、3年くらいして、これをずっとやり続けるのはつらいなと思って、一緒に働いてくれていた人に譲ったんです。つまり、飲食店の経験はあったんです。
それをここではするつもりはなかったんですが、こんなに遠くまで来てくださる方も増えてきて、お茶をしたりご飯を食べたりできるようにしようかと。だから、カフェも成り行きなんです」(雅美さん)
とはいえ良質な飲食店を構えるためには、優秀な人材が必要だ。どのようにしてその人材を確保したのかと問うと「見つけてきたものではなく、与えられたもの」という答えが返ってきた。
「今振り返れば理想的なことが実現できていますけど、最初は自分がやれることしかできないので、サンドイッチを出す程度の、北欧の学生食堂みたいな感じにしようと思っていたんです。
それが、有楽町にあるホテルのイタリアンに10年以上勤めていた人が、旭川に指導に来ていて、誰かの紹介でうちにも寄ってくれて。そしたら『ここでやらせてくれ』って。彼がいなかったらパスタとかまでやらなかったですね。その人が辞めた後も、今のシェフが、若かったんですけど引き継いでくれて、今に至っています。
お菓子も、厨房でお手伝いをしてくれていた女の子が、『私も厨房に入らせてください』と申し出てくれて、『そんなに難しいことをするわけじゃないのでお菓子教室に通ってみたら?』と伝えたら、真面目なのですぐに通い始めて(笑)。だから、カフェも採用も、計画立ててやったことではないですね」(雅美さん)
話を聞いていると、そこにはずっと、「自然」であることを追求してきた歴史を感じる。場所を決めるとき、家具の素材を選ぶとき、飲食店を始めるとき。「より自然である方」を選び続けていった結果、お客が増え、スタッフが集まり、売り上げが伸びてきた。
どれも、「売り上げを上げるため」に、狙ってやってきたわけではない。自然環境を守り、次世代によりよい世界をつなぎたい。そういう未来への“ギフト”をものづくりに込めてきたのだ。より自然であること、よりよい未来につながる商いを徹底すること。この二つは、これからの時代に起業するすべての人にとって、大切な示唆であるかもしれない。
【PROFILE】
渡邊恭延(わたなべやすひろ)
1945年、美深に生まれ。旭川市内の高校を卒業。旭川教育大学在学中にデザインを学ぶ。 設計事務所で店舗の設計、什器などの家具のデザインを手がける。 店舗什器など特注の家具工場を立ち上げ、マネジメント業務にあたる。
1977年、現在の北の住まい設計社を設立し現在に至る。
渡邊雅美(わたなべまさみ)
1952年、旭川に生まれる。旭川市内の高校を卒業後、東京のデザインスクールにてグラフィックデザインを学ぶ。広告代理店、ショップの販促業務の仕事を経て、1977年、現在の北の住まい設計社を設立。現在に至る。
株式会社 北の住まい設計社
所在地:〒616-8371 北海道上川郡東川町東7号北7線
設立:1977年12月21日
資本金:1,230万円
売上:グループで5.5億円(設計社では2億円)
従業員数:55名(ショールーム・カフェ含む)
事業内容:オリジナルデザインによる家具の製作、卸販売/特注家具、什器などの製作/オーダーキッチン、床材・木製建具等の住宅パーツの製作及び販売
URL:http://www.kitanosumaisekkeisha.com/
次回(後編)は、東川という土地との関わりや、渡邊さんご夫妻が目指すこれからの未来についてのお話をご紹介いたします。
<編集・撮影:新田理恵(NPO法人ミラツク) ライター:赤司研介(NPO法人ミラツク)>
0 notes