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#ガラス窓のある造作壁でゆるやかに独立させた、こだわりキッチンのお家
jp-arch · 5 years
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デザインハウス・エフ // ガラス窓のある造作壁でゆるやかに独立させた、こだわりキッチンのお家 // 埼玉県ふじみ市
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の���拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごと���色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青��光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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hakobitsu · 7 years
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午前二時
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※縦書きリンクはこちらから https://drive.google.com/open?id=0B7K8Qm2WWAURQW5DektvN2NNYWc
 ハザマは夜中の二時を愛している。
 それは偏愛と言っていい類のものだ。毎日わざわざその時間まで起きておいて、二時そのものを撫で回したり手のひらの上で転がしてみたりするわけではないが、夜中の二時になると何故か心が安らいだ。時計の針が二時を指しているのを見ると自然に深いため息が出て、張ったばかりのカンバスを前にしているような心持ちになる。
 二時は確実に暗い。どんな場所にいても必ず暗い。そしてどんな場所にいる誰もがもはや夜は暗いと認めるほどの暗さがそこにある。静かに息を潜めながら話す人々がいる。大きな声で騒ぐ人々がいたとしても、それは夜中の暗闇の中で自分の存在をアピールしたり、地面と壁の場所を確かめるためのようなものだ。ひとりひとりが切り離され、孤独を噛みしめる。心地よい孤独もあれば、身を切るような寂しさを伴う孤独もある。いずれにせよ、自分という人間の輪郭がくっきりと闇の中に浮かんでくる。  ハザマはそんな夜中の二時という時間が好きだった。自分の境界みたいなものが、昼間の喧騒で曖昧になってしまったことに気づくことができるから。そしてそれをリセットすることができるからだった。
 その金曜日は仕事を終えて帰ってきたのが二十一時ごろで、家着に着替えてソファで煙草を二本ほど吸ったあと、そのまま横になって眠ってしまった。目が覚めた時にはとっくに日付は変わっていて、首と頭がずきずきと痛かった。  ハザマはバスタブに熱い湯を沸かしてゆっくりと浸かった。身体をわずかに動かすと響く水の音以外は、低い地鳴りのような音しか聞こえなかった。窓から入ってくる風が、濡れた頬に心地よかった。  目を閉じる。二時だ。みんなもう寝静まっている。バスタブの湯に浸かりながら、ハザマはひとり、二時の奥底に潜り込んでいく。
 そしてハザマはいつものように色々な場所に思いを馳せる。それは別に、特に思い入れのある場所というわけではない。  その日にまぶたの裏に浮かんできたのは、学生時代に行ったレコード屋だった。
 もちろんレコード屋も二時だった。店には誰もおらず、もちろん音楽は鳴っていない。中古のレコードボックスの中で、80年代に流行ったネオアコバンドのシングル・レコードが佇んでいるのが見える。  それは海外のインディーズバンドを紹介するレーベルもやっているレコード屋で、ヨーロッパ圏のギターポップやカジュアルなジャズなどに強かった。そういう音楽は君の守備範囲外だったが、近くを通るとつい寄ってしまうレコードショップだった。  覚えているのはクリスマス前のことだ。当時付き合っていた恋人のプレゼントを探しに街に出て歩き疲れた途中、たまたま横を通って立ち寄ったのだった。  カザマが普段行くような、ダンボールの中にありったけの中古のレコードが詰め込まれているような店ではなくて、店がちゃんとセレクトしたものだけを置くレコード屋だった。ゆるいボサノヴァがかかっていた。床にはレーベルのロゴをあしらったカーペットが敷かれている。店員の若い男は、パソコンの画面を見ながらホットドッグを食べていた。器用に片手でレコードの針を上げて、次のレコードを置いた。次にかかったのはオレンジ・ジュースのレコードだった。検番しているのだ。  試聴機に近寄って、ヘッドホンでレーベルのコンピレーションを聴いてみた。それは決して悪いものではなかった。店内でかかっている音楽こそハザマの趣味に合うものではなかったが、コンピレーションの中身は悪くなかった。むしろとても良いものだった。カザマが普段聞かないようなポップソングも、自分が予想する展開を裏切るような構成だったし、耳障りが心地良かった。  こういうのを恋人にプレゼントするのはどうだろう。普段、自分ほど積極的には音楽を聴かないタイプではあるけど、もしかすると彼女と自分とのちょうど中間地点くらいに位置する音楽かもしれない。二人でどこかに行ったりとか、自分の家で彼女が料理を作ってくれる時なんかに流すのだ。  ハザマはそのコンピレーション・アルバムを買って帰ったが、結局恋人にはプレゼントしなかった。やはりどこか押し付けがましいような気がしたのだ。そして一度も家のCDプレイヤーのトレイに乗ることもなかった。恋人が家に来ている時は、小沢健二とかフィッシュマンズばかりが流れていた。  そのコンピレーション・アルバムは、多分今もハザマの部屋のどこかで眠り続けている。恋人とは別れてしまった。  誰もいない夜中二時のレコード屋は、また朝になってボサノヴァやギターポップがかかるのを待っている。おそらくハザマには、それはどれも似たようなものにしか聞こえない。
 風呂を上がると、ドアの磨りガラスの向こうでリビングの明かりが灯っていた。ハザマの恋人がキッチンのテーブルに腰掛けてビールを飲んでいる。 「起きてたの?」 「眠れなくて」 「起こしちゃった?」 「まあ」恋人はビールに口をつけて間を空ける。「気にしないで」  ハザマは自分の分のビールを取り出した。 「珍しいね、飲んでるなんて」 「うん」  恋人は積極的に飲酒するタイプではない。いつもハザマが勧めても、ハザマの開けたビールを一口か二口飲んで満足してしまう。  ハザマとハザマの恋人は、向かい合わせに座って黙ってビールを飲んだ。  二人は付き合って一年と半年になる。暮らし始めてからはちょうど一年ほどだ。「他人と暮らすことは難しい」と兼ねてから散々色々な人から聞いていたけど、ハザマにとってそれは別に難しいことではない。ただひとりの暮らしがツーセットあるだけだ。相手がどう思っているかは別として。 「話があるの」
 ハザマは彼女の話を聞きながら、彼女と暮らし始める前に住んでいた一人暮らし用のアパートを想像する。風呂のない木造建てのアパートで、大学生時代から住み続けていたアパートだった。  隣の部屋にはいつも手の震えている-----いつも発泡酒の空き缶が大量に詰め込まれたゴミ袋が捨てられていたから、アルコール中毒だったのだろう-----老父が一人で住んでいた。  今日の二時二十七分、そのアパートにはもう誰も住んでいない。ボロボロで、ハザマが学生時代にはちらほら部屋が埋まっていたが、ハザマを最後に新しく入ってくる人はいなかった。  老父はハザマが引っ越すちょうど一ヶ月ほど前に部屋で死んだ。ハザマがその日仕事から帰ってきた時、警察と市の職員が家の前にたくさんいて、その老父について色々と話を聞かれた。いつ頃から姿を見ていないか?最近何か不審なことはなかったか?身内や親交関係などについて聞いたことはあるか?いずれもハザマの知らないことばかりだった。
 ハザマがもう要らなくなったレコード屋古本を売り、一人暮らし用の小さな冷蔵庫や洗濯機をリサイクルショップに引き渡し、新居に持っていくものを箱詰めしている頃、ちょうど老父が住んでいた部屋も整理が始まったようだった。  間の抜けた黄色いジャンパーを着た男二人が、部屋から荷物を運び出していた。大きなトラックを横付けして、色褪せた箪笥や小さな座卓を載せていく。 「孤独死のようでした」と、背の高くて年かさの方の男が言った。軍手とマスクを外し、鼻の頭を掻いた。 「お引越しですか?」 「ええ、まあ」 「まあ、こんなことがあってはね。臭いも相当キツかったんじゃないですか?亡くなられてから、二週間くらい経っていらしたそうです。まだまだ暑い日もありましたし」  二週間。 「まあ、お気になさることはないですよ」  そう言って彼は、茶色いドアの開け放たれた部屋に向かって手を合わせた。若い方の男が、市のゴミ袋を両手に抱えて出てきた。
 そんな老父との最後の会話を、ハザマはよく覚えていた。 「とうとうふたりだけになってしまったね」  それは老父とハザマだけを残して、最後の住人が引っ越して行った後のことだった。仕事に出かける前、新聞を片手にした老父とすれ違った時の話だ。ハザマと老父以外の戸のポストは、すべて目張りされてしまっていた。  自分がそれに対して、何と答えたのかはどうしても思い出せない。
 ハザマは時々考える。  もし老父が今も亡くならずにいて、僕は彼女と暮らすために引っ越しをしていたら?  もし老父が亡くなったことを知る前に、自分が引っ越しをしていたら?  もし老父が亡くなってしまう前に、引っ越しをするんです、ともし老父に伝えていたら?  もしそもそも僕に引っ越しの予定なんてなくて、ある日突然老父が部屋で一人で亡くなって腐ってしまっていたのだと知らされていたら?
 彼女は別れ話をした。ごめんなさい。地元に帰らなきゃいけないの。母親の調子が良くなくて。そして、あなたのことをとても愛しているけど、ずっと愛していられるかどうかは正直自信がない。感謝している。深く深く感謝している。どうか許してほしい。今別れるのは自分にとっても辛い。それでももう、ずっとこういう関係を続けていけるとは思わないの。あなたはあなたらしく、あなた自身のために時間を使うべきだと思うの。わたしのことなんて気にせず。
 二時二十七分の無人のアパートは、静かに佇んでいる。アパートは、ハザマが出て行った後取り壊されることになった。そろそろ重機がやってきて、そこを更地にしてしまうのだろう。  ハザマの部屋と老父の部屋は隣同士対で、鏡合わせのような間取りになっていたはずだ。薄い壁に仕切られたふたごの部屋。もう一方の部屋の畳には、老父が最後にそこにいた痕跡を残したままになっている。ハザマがよく腰掛けて外を眺めていたベランダの窓はぴっちりと閉ざされている。淀んだ空気が部屋の中に溜まっている。
「誰かと暮らすのは楽しかった?」  僕がそう聞くと、彼女は赤くなったまぶたをこすった。化粧をしていない彼女の顔が好きだった。 「変な聞き方するのね。『僕と暮らすのは楽しかった?』じゃなくて?」  缶ビールは空になっていたけど、僕は底に溜まった雫が落ちてくるのを待った。 「誰かと暮らすのだよ」 「そうね。わたしもあなたも、きっと誰かと一緒に暮らすのって向いていないタイプなんだって思っていたけど、こうなってみると悪いものじゃなかったわ」
 彼女は先にベッドに入った。もしかすると彼女は、僕がベッドに入ってくるのを待っているんじゃないかというような気がした。あるいは、こんな日くらいは彼女と一緒にベッドに入った方がいいんじゃないかなと思った。  二時四十一分だった。誰もがひとりの時間だった。たとえ彼女と一緒にベッドに入ったとしてもひとりだろうなと僕は思った。缶ビールをもう一本開ける。  いつか誰かと暮らす日が再び来るのだ���うか。そしてその暮らしの日々には毎日必ず二時がやってきて、僕にどんな思いを抱かせるのだろうか。  僕は老父がひとりで冷たくなっていったところを想像する。そしてそれが、決して寂しいとか寂しくないとかそういう次元の話ではなかったことを祈った。
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mashiroyami · 5 years
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Page 72 : 住処
「本当にこんな所に住んでるんですか?」  セントラル北区、ルージュ通りのとある交差点にて一行は車から出ると、開口一番クロは真弥にそう尋ねていた。 「なに、今更。まだガセ情報のこと妬んでるのか」  クロからの返答は無い。図星であることを汲んだ真弥は面白くて仕方が無さそうに肩で笑う。その態度が軽率だと映ったのだろう、クロの鋭利な眼光が真弥に刺さる。しかしそれを真弥は物ともせず、手から滑り落ちる水の如く躱していく。 「ま、本当だよ。ただここらへんは高級住宅街だからな。俺の家はもっと離れたところにあるから、ここからは歩く」  彼の言う通り、彼等を取り巻いているのは高層マンションの羅列であった。刻一刻と夜へと近付いていき、未だ太陽の影響が遠く西の空に僅かに残る宵の生み出す独特の空気感で支配されている。その中で、無数にある窓の多くが白く光っている。狭い面積に押し込めるように何百、何千、それ以上の世帯を取り込んだこの北区は、セントラルに住む多くの人間の居住区という色が強い。  次から次へと送り込まれてくる車と車の隙間に吸い込まれていくように去っていくタクシーを横目に見送る。先程まで彼等が居た南西区――繁華街に比べると交通量は和らいでいるが、今立っている通りは車線も多く設けられた北区の巨大街道である。行き交う車両は決して少なくない。日が暮れて帰宅の途についていると思われる老若男女が歩道を行き交う中、クロ達は真弥の後ろに付き、暗闇に包まれつつある赤レンガ造りのメインストリート・ルージュ通りに沿って歩く。 「ラーナー、その格好、寒くない?」  歩きながら真弥は振り向きざまに言い放つ。唐突に声をかけられたラーナーは一瞬目を点にしたものの、慌てて首を激しく横に振った。 「大丈夫です! 私けっこう暑がりなので……!」 「そう? セントラルって全国的にも暑い地域らしいんだけど、最近朝晩は冷え込んできたから」 「ああ、そうですね……秋になったから」 「だね。日中は相変わらず馬鹿みたいに暑いんだけど。俺は暑いの苦手だから早く本格的な秋になってほしいもんだ」  寒いのも苦手だけどね、と付け加えると、ルージュ通りから離れるように左へ曲がる。  足音をすり抜けていくような冷えた風に対して、いい風だと、真弥はひどく穏やかな声音でそう呟いた。秋の息吹に左腕無き袖は緩やかに揺らいでいた。遠くをぼんやりと眺めるように真弥の背中を見つめていたクロは、静かに口を開く。 「楽しそうですね、真弥さん」 「楽しいよ。今日はいい日だ」  即座に返してから、真弥は左へと方向を転換する。刹那に見えた横顔は鼻歌でも歌いだしそうだった。 「懐かしくて楽しい気持ちになるんだよ、こうしてると。お前等と居た頃の思い出なんてろくなものがないはずなんだけどな」  すう、と歯の隙間から空気を吸う音。そしてゆっくりと吐いていく音。そんな真弥の深呼吸が、後方にも聞こえてくる。  ろくなものがない。そう、いくら思い出そうとしたところで楽しかったという言葉が適合する思い出など無い。浮かんでくるのは、どこまでもつまらない痛みばかりだ。  今、彼の頭に過ぎっているのはかつての記憶。細目で見つめる、もう体感することのない彼方の映像。共有は出来ないが、真弥の言葉を受けてクロや圭の脳裏にも同じように過去に自分が見て感じた景色が蘇る。 「……俺は、ろくなものがなかったからこそ、今クロや真弥さんといることはすげえって思う」  勿論、ラーナーとも、と小さく圭は付け加える。  真弥は顔だけ振り向かせた。その表情はぽかんと目を丸くしていたが、真摯で素直な顔つきをしている圭を確認すると、満足そうに頷く。 「そういうこと。皆よく生きて来てくれたよ。俺は幸せです」 「ですってなんだよ、らしくねえなあ」  苦笑する圭の声は不思議と弾んでいて、どこか息苦しくなった雰囲気だったものの、酸素を得たように安寧が広がっていく。 「らしくないって俺からしてみれば圭もそうだから。お前は本当に雰囲気柔くなった」 「へへっそれは自覚ある!」  自慢げに胸を張ると、悪戯心が真弥の中で光る。 「そうそう、ちょっとガキっぽくなったよなあ」 「なんだとう!?」 「俺もちょっとそう思います」 「クロまで言うか!」  ふと流れるように圭の視線がラーナーの方へと向いて、その先で彼女は胸の高さで右手の握り拳をつくる。 「圭くんはそういうところが可愛いと思うよ」 「あんまりフォローになってねえ!」  耐えかねたように笑い声が弾け飛ぶ。圭は唇を突っぱねて不満を露骨に出していたが。  そこからは当たり障りの無い話が自然と続いていった。緊張がほぐされた状態で弾んでいく会話。しかし足は確実に次の目的地へと近づいていく。 「さーてもう目の前だ、けどその前に一言」  メインストリートに並ぶような高層建築物と比較すると年季の入ったアパートや一軒家が立ち並ぶ住宅街に入ってきたところで真弥は一度立ち止まって、くるりと半回転。クロ達に向かい合う。 「クロは知ってるだろうけど、一人同居人がいるのね。そいつ、ちょっと人見知りが激しいんだよ。今日君ら連れて帰るのも連絡してないしどうなるかわからないけど……多少喚いてもあんまり気にしないでいて」 「喚くって……」 「俺が話つけるから気にするな。こっち」  クロの呆れの声を躱し、真弥は建物の間の細い道を進んでいく。ささやかな街灯がまばらに点いているが、寂しげな光は足元を十分に照らせていない。黒く塗りつぶされたような頑丈なコンクリートの上を一歩一歩進んでいく。車の音は既に遠くの方へと投げ出され、ざらりと地を撫でる足音だけが鼓膜に響いていた。  突き当たりを右に曲がってすぐの場所に、駐車場のような広場があった。普通車が一台通れるか通れないかの瀬戸際といった細い道であったが、少しでも空いた場所を埋めんとばかりに所狭しと建物が連なっているこの地域では珍しく、だだっ広い空間であった。その前にやってくると、広場の奥に二階建てのこじんまりとしたアパートが建っていた。セントラルに入ってから常々高層ビルに圧倒されていたためにそのサイズは余計に小さく見える。が、建物自体はしっかりとしたコンクリート造りで、古めかしさを感じさせない。いくつかある窓に明かりがついていることで人気があることも確認できる。  真弥の誘導で彼等は広場へと入り、そのままアパートの玄関口へと入る。階段はあるがその横をすり抜けて、建物の裏側へと回ると、いくつかのドアが立ち並んでいた。言うまでも無くそれぞれの住民の部屋へと繋がる扉である。真弥は一番奥へと進む。  建物は勿論違うものの、ラーナーはウォルタで弟と共に住んでいた自身の住居と似た光景だとぼんやり考えていた。一階。廊下を一番奥まで進んだところ。全てが始まった、あの瞬間。――今、思い出してはいけない。ラーナーは拳を強く握りしめ、早まろうとする動悸を抑えつける。 「さて」  一息ついたのち、真弥はインターホンの下に自分の左の親指を触れさせる。一秒程の間が空いてから、ピピッという可愛らしい電子音が鳴り、その直後に扉の錠が自動で開けられる音がした。曇りの無い動作だが、やっていることはセキュリティ設備の充分整った施設にも負けない最新技術の一端である。それがごく普通のアパートの一角で垣間見えたのだから驚きだ。 「すげえ!」  真っ先に目を輝かせて感嘆の声をあげたのは圭だった。クロもラーナーも目に新しい技術に目を丸くする。 「指紋認識ってやつ。鍵持ち歩くのなんかめんどくさいからね。同居人がやってくれた」  ドアノブに手をかけてその扉をゆっくりと大きく開け放ってから真弥が先に入り、暗い廊下の明かりをつける。クロ達は一瞬躊躇うように目を見合わせたが、先にクロが入り、続いてラーナー、そして圭と続く。最後に圭が恐る恐る扉を閉めきると、自動的に扉にロックがかかる。一瞬の光景に圭の胸は大きく高鳴った。しかし先に入った面々がどんどん廊下を進むのに一歩遅れて気が付き、慌てて追いかける。  二人分は並べそうな廊下の横にはいくつか扉があったが目も暮れず、正面の扉へと向かう。半透明の小さなガラスが埋め込まれた扉はリビングルームへと続くものであり、中の様子は見えないが明かりが零れていることから、真弥の言う同居人が居ることが予想された。身体を強張らせた面々だったが、真弥はあっさりと扉を開く。  隙間から音が零れる。ラジオから流れる小さな音楽だ。清潔感が保たれた、というよりそもそも殆ど物の置かれていないリビング。椅子に腰かけて穏やかな表情でコーヒーを飲んでいた人物が、真弥と、そしてその後ろから続いてきたクロの姿を目に留めた瞬間、彼の動作は完全に停止する。 「丁度良かった、今休憩中? ちょっと三人知り合い拾ってきてしばらくここに置くことにしたからよろしくー」  なんて軽い口調だろうか。  全身を強張らせたままの同居人を横目に、真弥はクロ達を順次部屋の中へと招き入れる。忍びこむように三人は緊張の面持ちでリビングへと入っていく。入って左手側にラジオが乗ったテーブルに、椅子が二つ。同居人の青年はここに座っている。右手側に黒いソファとテレビ。それ以外には目立つものは見当たらない。真弥が扉を閉めて、計五人が収容される。それだけの人数が入っても十分な広さが保たれている。二人で住むには広すぎるくらいの空間だろう。  ラジオから流れる曲が途切れる。  重い無音の世界が佇む。  浅く溜息をつきながら真弥は同居人の近くに歩み寄り、彼の目の前で手を振る。  茶髪を群青色のヘアバンドで括り、分厚い黒縁の眼鏡をかけた青年はゆっくりと視線を真弥へとずらしていく。殆ど停止状態だったがその手は僅かに震えているようだ。持っている白いマグカップに入ったコーヒーは揺れている。状況をまったく読めない彼は目で必死に真弥に説明を求めているかのようだった。 「さっきの聞いてた? こいつら、俺の知り合い。しばらく泊める。了解?」  尋ねておきながら返事がやってくる前に真弥は再びクロ達の方へ振り返り、青年の背に手を置く。 「こっちがさっき言ってた同居人。名前はノエル。この通り停止してるけど、ま、面白い奴だから仲良くしてやってくれ」  簡単に紹介されたものの、クロ達は困っているようである。突然な訪問故に仕方の無いことだが、同居人・ノエルも事態を把握出来ず動揺している。歓迎とはかけ離れた、���様な空間だった。窮屈な空気の中で、真弥だけがリラックスして飄々と自分のペースを維持している。それでも真弥の作った流れに乗ろうと自己紹介を試みようと、まずラーナーが一歩を踏み出そうとしたそれとほぼ同時に、再び音楽が流れ始めたラジオを乱暴に叩くように止める音が響く。急に動き出したノエルの真っ黒な瞳は一気に見開かれていた。 「はあああああぁぁぁあああああ!?」  沈黙を切り裂く突然の叫び声に一同の心臓が露骨に跳ね上がる。唯一平然とした様子を見せてているのは、声の源から一番近い真弥であった。興奮が収まらぬままノエルは椅子から勢いよく立ち上がり、ぐんと大きくなった眼で隣にいる真弥を凝視する。 「そんなの聞いてませんよ!? 大体どこのどいつですか! なに僕に言わずにずかずか家に入れてるんですか!?」  一言も発さず石の置物のように静止していた人物と同じとは考えられない熾烈な物言いである。 しかし全く動じないのが真弥という人物であった。まるで遊んでいるかのように、軽い態度を改めない。 「そんなもん言ったらお前絶対部屋に入れないからに決まってんじゃん」 「なっ……当たり前じゃないですか! 知り合いって、あんたの知り合いが今までまともだったことがあるか!?」 「あー」  後方でノエルに慄いているクロ達に一度視線をくれてから、再びノエルを振り返りにっこりと笑う。 「大体俺よりマトモだから大丈夫」 「そういう問題じゃない!」 「そう、問題はそこじゃない。遥々やってきた客をそんな風に言うお前の方が問題だ」 「軽く僕にすり替えるな! とにかく僕はこんなの認め――」  ノエルが怒号を吐いているその最中、真弥の右手が、青年の肩に勢いよく圧し掛かる。一瞬のことだった。肩から走った触感と同時に悪寒に貫かれて、彼の喚くような声は突然途切れる。  返ってきた静寂。  クロ達からは見えない位置で、表情が無に還っている真弥。  無言の力がノエルをきつく縛り上げて、押し黙らせる。  ふと、真弥がまた笑みを取り戻した時には、ノエルにある声を荒げるための気力は削がれていた。 「ちょっと黙れよ」  既に黙り込んでいるノエルに止めの一言を突き刺した。返答がある気配は無い。ノエルの表情は怖がっているように影が差していた。  真弥はその様子をしばらく観察した後、何事も無かったかのようにクロ達に手を差し出す。その切り替えの早さは、周囲を置いてきぼりにしてしまう。 「左からクロ、圭、ラーナー。クロと圭は俺の昔馴染だ」  紹介を受けて、動揺は明らかに収まってないものの改めてノエルの瞳はクロ達を捉える。黒縁眼鏡を軽くかけ直して客の姿を凝視していたものの、居たたまれなくなったのだろうか。挨拶の一声も出せないまま、その場を乱暴な足取りで離れようと歩きだす。飲みかけのコーヒーを机上に残し、リビングから続く別室の扉の向こうへと早々と消えていこうとした。 「ノエル」  扉が閉まる寸前、真弥の声がかかりノエルの動きは止まる。 「こいつらはお前が恐れるような奴じゃない」  威圧を保ったままの低い声は、苦虫を噛んだように歪んだノエルの表情を崩すことはない。扉と壁の隙間からノエルは最後に抵抗するように真弥を鋭く睨みつけると、リビングが震撼するような大きな音を立てて扉は閉められた。乱暴に歩く足音が時間と共に溶けるように消えていくと、代わりに無音の圧力が増していく。  その沈黙をゆっくりと裂くように、真弥の深い溜息が落ちていく。 「悪いな。あいつ、慣れれば落ち着いて話せる奴なんだけど、特に初対面の相手は苦手でな。異様に警戒するんだ」  真弥は肩を落としたまま苦笑する。 「いえ……というか、今更ですけど良かったんですか? 俺達、ここに来て。……泊まらせてもらえるってこと、俺達すら初耳でしたけど」 「どうせ宿決まってないくせに」真弥は苦笑する。「気にするなって言ったろ。こうなることは分かっていた」  予想の範囲内だった真弥だが、クロ達からしてみればこの家の安寧を崩したのは紛れも無く自分たちであり、出ていくべきなのはノエルの方ではないように思われた。騒動を越えてみれば、旅の一行は呆気にとられて一歩動くことすら出来なかったのだが。今もどうすべきか分からず、立ち尽くしているといった様子である。 「ノエルのことも後々話すよ。あの感じだと本人からはまともに話せないだろうし」 「……はい」 「悪いな、空気悪くして。適当にそこらへん座りな。本当に何も無いけど、お茶くらいならあるから出すよ」  真弥が促しに呼応するように、顔を俯かせていたラーナーの顔が急にぱっと上がる。 「私、手伝います」  真っ先に言い放ち、先程は出せなかった一歩を踏み出す。テーブル横に併設されたキッチンに入って行こうとする真弥は、彼女の行動を制止させるように手を縦に翳す。 「いいよ。君はお客さん。今日一日疲れたんだからソファに座って休んでたらいい。そんな、コップに入れるだけだし」 「いや手伝います。運ぶの、大変でしょう」  ラーナーの視線は無意識に真弥の左腕があるべき長い袖へと向けられていた。  些細な点でも強情を張るところがある。物怖じしない姿勢に真弥は、断るのは拒みに繋がると判断した。 「じゃあお願いしようかな」  柔らかな微笑みに、ラーナーの表情は明るくなる。一歩遅れたクロと圭を残し、ラーナーは真弥について台所へと向かう。  リビングは殺風景だがキッチンも綺麗に整理されており、些細な傷がついたシンクの中には洗い物一つ残されていない。極限まで物を削ったような光景は、生活に対して無欲な傾向が垣間見える。ただ、生活感は丁寧に整えられており、極端に質素であるという印象は見受けられない。 「しっかりしてるね」  コップの入っている棚の位置をラーナーに教えて、自身は冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを出しながら真弥はそう述べる。 「そんなことないですよ」  頭上付近にある棚の扉を開けて人数分のコップを出そうとするが、二つしかない。それらをまず調理台に出し、続いて隣にあったマグカップに手をかける。そこで僅かに迷いが生じる。マグカップは三つ伏せられている。一つ、二つと順当に出してから、間を置いて三つ目も取り出した。 「初対面の人の家でもあまり緊張はしないようなタイプなのかな」 「緊張しますよ。今だってそうです。でも……前よりはそういうの、慣れた気がします」 「旅の間に、か」  真弥は一度ペットボトルを台に乗せる。ラーナーが開けようと手を伸ばしたが、その前に彼は右手の指先にぐっと力を入れてペットボトルの栓を回す。難なく蓋を取ってみせると、驚いたように目を丸くしているラーナーの前でそのままコップに順々に注いでいく。 「俺は今日初めて会ったから前の君の性格なんて分からないけど」  五つ目のカップまで来た時に真弥の動きは止まったが、優しい笑みを浮かべながらそのマグカップにも麦茶は注がれていく。 「きっと旅の間に逞しくなっていったところもあるんだろうね」 「それは……どうでしょうか」  ラーナーの声はあからさまに自信が無さげで、弱々しい。 「そんなものだよ。まあ、君の場合は昔からしっかりせざるを得ないところがあったかもしれないけど」  暗に両親のことを指されているとラーナーは察し、視線を落とす。初対面のはずなのに、どうしてこの人は全てを見抜いているように突いてくるのだろう。  ペットボトルの中身はちょうど使い切られる。シンクに容器ごと置くその手を離さないまま、真弥は懐かしむように目を伏せる。 「ラーナーを見たら、きっとニノは喜ぶだろうな」  実感を込めたようなその言葉は、ラーナーの心に波紋を広げるように染み渡っていった。 < index >
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cllngthothan · 6 years
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BINTTYS 2
失意が肩にのしかかる。 帰路の歩みも常になく重かった。歩道に積もった雪は人々に踏み固められて冷たい氷のようにイーサンの踵を跳ね返す。 お気に入りのカフェでランチを頼んでみても、サラダもあまり喉を通らなかった。テイラーを見習って過ごしてみれば思考がいくらか晴れるかと思ったのだが、やはり呑気にかまえていられる気分ではない。 特別心霊捜査課に配属が決まった時、テイラーはどうやってストレスを飲み込んだのだろう。喧嘩などせずに寄り添っていられたら、少しは支えになれたのだろうか――。 グラスの水面を眺め続けることを諦めて帰宅した頃には、冬の空は少し暗い雲に覆われ始めていた。 (このまま明日を待っているわけにはいかない……でもどうしたらいいんだろう) 降り始めた雪の中に佇んで自宅をぼんやり見上げる。 テイラーに相談することはもうできない。下手に巻き込んで、また彼のキャリアに傷をつけたくはなかった。だが話さないまま取調べ室から出られなくなったら、それもまた失望させるかもしれない。 (彼のことばかり考えている。……本当に手詰まりかも) ため息が一瞬視界を白く曇らせる。 いるのかいないのかも分からない幽霊よりはずっと深刻な問題だ。 イーサンはマフラーに口元を埋めて家の中に入った。誰もいない。当然だ。ヒーターで暖められた空気がなぜかよそよそしさを感じさせた。 雪を払い落としたコートをハンガーにかけると、キッチンへ向かって紅茶をいれた。愛用のマグカップは以前の職場でも使っていたものだ。普段使いにしなくてよかったと心底思った。 指先を暖めながらリビングへ移動する。定位置のソファに腰を下ろすと、クッションに沈むがままに身を預けて目を閉じた。 思わず声が漏れる。 「……疲れたなあ」 テイラーに会いたかった。他愛のない話でもいい――感情は全て彼に頼って話したいと願っているが、スマートホンに手をのばすことを理性が押し止めていた。 どうしたら、と何度目かのため息をついた時、ひやりと頬に触れる空気が冷たいことに気付いた。 それは錯覚ではなかった。はたと目を開けると、外気のように吐息が白い。部屋中が冷え切っているのだった。 (――まさか) 背筋が震えた。 恐る恐る視線を落とすと――そこに、それはいた。 あの夜と同じ、足首だけの幽霊。 イーサンはソファの上で全身を強張らせて固まった。腹の上においた手は指先まで冷え切っている。 何度も己の眼を疑い、まばたきを繰り返し、これが夢ではないことを確認した。自覚する限り、精神に異常はない。気温変化による錯覚でもない。 時計の針はもうすぐ16時を示そうとしている。深夜の幻想にはまだ早い。 足首の幽霊は動かない。小指をぴくりともさせず、ただイーサンを”見ている”。 そう、これは本物の幽霊だ。 数分はそのまま硬直状態だったかもしれない。 ごくりと生唾を飲んでから、イーサンは体を起こし、寒さと恐れで上ずる声で言った。 「……アンナ?」 足の親指がぴくりと震えた気がした。 「アンナ・リンカー、そうだね」 捜査ファイルの写真に写っていた笑顔は平和な将来を確信しているような温和な表情だった。ジョギングが趣味で、周囲からの評判もよく、魅力的な女性だったろう。 こんな姿になるなんて誰も考えてもみなかったはずだ。 「……ぼくがきみの事件を捜査しているから会いに来たのか」 返事はない。イーサンは思わず苦笑いした。当然だ、足なのだから。 視線を感じること自体がおかしいはずだ。だが、"彼女"の意識が確かにこちらに向いていて、何かを伝えようとしていることだけは感じ取れるのだった。 イーサンは目を伏せる。 「……期待してくれたことはありがたいけど、ぼくにはもう何もできないよ」 銃もバッジも取り上げられ、捜査ファイルを見ることができない。身に覚えのないこととは言え、周到に用意された罠にハマって今では容疑者扱いだ。 (本当に無力だ) ため息で視界が霞んだ一瞬、部屋中を殴りつけるような轟音が響いてイーサンの体を揺さぶった。 ――まただ。 幽霊が床を踏み抜かんばかりに何度も足を叩きつけている。その足首から流れ落ちた血は跳ね上がり、一面を赤黒く塗り潰していった。 「やめろ!」 イーサンは沸き起こる恐怖に身を竦ませた。 しかしその懇願も空しく血の海は広がっていき、激しい感情そのもののような音が鳴るたび空気の振動が全身を貫いていく。 「やめてくれ……! ぼくに何をしろって言うんだ!」 その時、轟音が脳を打ち抜いた。 全身をぶたれている。拳で、木の枝で、パイプで。目に映る光景とは裏腹に痛みが脳に伝達されないのは、これがイーサンの記憶ではないからだ。 体に圧し掛かる男の影が見えた。レイプしながら何度も殴り、泣いて助けを請う様を愉しんでいる。男の手にある指輪が、時折反射して視界に刻まれた。 声も出ないほど意識が遠のいてようやく彼は"彼女"の体から離れていく。 だがそれで終わりとはならなかった。 もうひとり、誰かが――もう何かを見上げる気力も失っていてはっきりとは視認できない――その手に斧を持ってそばに立った。 暗闇に覆われていく景色の中、床に転がる足がふたつ見えた。 「私の足よ」 我に返ると室内はしんと静まり返っていた。外気のような寒さの中、血もどこかへ消えて、アンナの足が踵を揃えて佇んでいる。 時計は16時を過ぎている。 「……アンナ……」 イーサンの声は震えていた。今自分が見たのは彼女の記憶だ。殺されるまでの数時間に起きたアンナの体験がイーサンの頭の中を通り過ぎて行ったのだ。 瞼を閉じるだけで鮮明な映像が蘇る。感覚器官だけが機能してない記憶にめまいがするようだった。 ソファからずり落ちて床にへたり込み、クッションに顔を埋めた。呼吸を整えながら、恐る恐る自分の足を確認する。少しひやりとする皮膚に指先が触れてそっと安堵した。 鼓動が少し落ち着くのを待ってから、イーサンは"アンナ"に振り向いた。 「……きみがなぜぼくのところに現れたのか、よくわかったよ。怖かったんだね……屈辱と、怒りと悲しさで頭がどうにかなりそうだった。――わかるよ、とても」 足に向かって話すなんて、これもまた不思議な経験だ。だがセラピストのようにあの手この手で話すよう促すことをしない。弱い者のように注意深く扱ったりもしない。 立ち上がる力を奪われるようで嫌いだった。 「彼に話したことはないんだ。デートの時は笑っていたかったし……強い人間だと思われていたかった。そうなれる気がしてたんだ、一緒にいると」 頬を沈めたクッションが、少しずつ体温を吸って温まっていく。心地よさに意識が傾いて目を閉じ、テイラーの姿を思い浮かべた。 「本当はそうじゃないってわかってたんだ。どうしてこんなに見栄っ張りなんだろう、自分でもイヤになるよ。だけど、寄り掛かられるのは彼もきっと嫌いだったろうから……これでよかったのかも。強くなりたかったのは本心だったし」 被害者のままでいたくなかった。心理学を履修し、警察官の道を選んだのも、きっと反骨心が作用したのだろう。クワンティコでの研修も人一倍努力した。 最初にトミーに憧れたのは、彼が警官としてのプライドをまだ持っていて、捜査に臨む姿勢からは正義を為そうとする精神があったからだ。 「……きみにこんな話をしても仕方ないか。でも……ありがとう」 ソファから立ち上がり、コートの袖に腕を通した。冷え切った生地が体温を奪う氷のようだ。せっかくの紅茶も冷水のようになっているだろう。 ポケットから取り出したスマートホンも氷のように冷たかった。 地図アプリを起動し、プロットをつけた地図を思い出す。この町に移り住んで数か月、窓から見える景色には慣れたものの、地図上でしか知らない路地も多い。冬の日暮れは早く、窓の外は間もなく夜に染まろうとしていた。 「地理的分析で、ある程度の推測はできてるんだけど……きみが見せてくれた光景だけじゃ起訴はできないんだ。証言だけではダメ、状況証拠でも弱い、捜査資料ではなく物的証拠が必要だ。それを見つけたい――協力してくれる?」 アンナの足は"無言"でドアに向かって歩き出した。 慌てて後を追い、ドアノブに手をかけてイーサンはふと彼女に尋ねる。 「……ひょっとして……僕らのセックスをこの家のどこかで見てた?」 アンナは答えない。 「ごめん、今の質問は忘れて。どうぞ、レディーファーストだ」 ドアを開けるとアンナは軽快に走り出した。なんとも説明しがたい、コミカルな光景だ。 イーサンは笑いたい気分を抑えて、地図アプリをタップしてから彼女に続いた。 雪が降り積もった暗い夜道はところどころ硬く凍り付いている。 アンナの幽霊はわずかもペースを崩さずイーサンの前を走り続けていた。ふと気付くとすっかり見慣れない景色に囲まれていて、今更のように不安が押し寄せる。 ジョギング向きの靴に履き替えてくればよかったと、イーサンは何度も後悔した。陸上競技を引退した後も習慣としてジョギングは続けていたが、悪路の耐性まではついていない。 それでも体力作りには充分だった。辛うじてアンナの後ろを追いかけていられる。 「……アンナ?」 十数メートル先の暗闇でアンナが立ち止まっているのが見えた。 植え込みで見通しの悪い曲がり角だ。スマートホンをちらと覗くと、地理的プロファイルによる推測からそう離れていない。 息を整えながら速度を落とし、用心深く近寄った。アンナのつま先が見つめる先を覗き込む。 街灯をひとつ挟んでその向こうに一軒の小さな家があった。���をぼろぼろの柵に囲まれ、四角い物置小屋があるのが分かる。地図上ではすぐそばを川が流れているようだ。 「あれか……」 呟いて振り向くと、アンナはもういなかった。案内は済んだとでも言うように、気配すら残さなかった。 真っ暗な夜空から、静かに雪が降り始める。 (……まるで夢遊病患者の気分だ) イーサンの背筋を汗が伝い落ちて身震いする。導かれたことは確かなのだ。行動し続けるしかない。 吐息でたびたび目の前を遮られながら、イーサンは雪に足音を沈めながら歩き出した。街灯の明かりの輪を避けて歩道から外れ、目的の家にゆっくりと近づいていく。 視認できる距離まで来ると、外壁は風雨に汚れていて、枯れた蔦で覆われていた。木製の柵は碌に手入れもされず隙間だらけだ。家主の人物像は容易く思い描くことができた。雪で覆われたこの裏庭も恐らく荒れ放題なのだろう、方々で背の高い雑草が顔を覗かせている。 一階の窓にはオレンジ色の明かりがうっすらと宿っていた。 心臓がどくんと大きく跳ね上がる。現場への突入は何度か経験しているが、その時はいつもチームが一緒だった。テイラーもいた。 ――今は独りだ。 緊張で震える膝を二度殴り、ぐっと歯を食いしばる。 (やるんだ、やらなくちゃ) 意を決して足音を忍ばせて柵を跨ぎ、庭に侵入した。足跡はそのうち雪が隠してくれるだろう。一秒でも振り返る時間が惜しい。 物置小屋はペンキの剥げた木造なのに、ご丁寧に三つも鍵が備えられていた。ドアに手をのばす。氷を握ったような感覚だったが、やはり鍵がかかっている。 スマートホンのバックライトを向けると、横から振り付ける雪に覆われた窓があることに気付いて駆け寄った。かじかむ手で何とか払い落として覗き込む。ガラスにスマートホンを張り付けると、ライトが小屋の中をうっすらと照らしてくれた。 乱雑に積まれた様々な荷物。工具とタイヤ。その中に、見覚えのあるものがあった。 (――あの斧だ……!) イーサンは急いでカメラを起動した。フラッシュが室内を照らす。位置情報をつけてクラウドにアップロードしてしまえば、もしものことがあってもこのデータを失うことはない。 だが指の震えが止められない。体は冷え切っていたし、事態への興奮も影響していた。たかが数度のタップが儘ならず、イーサンは焦って舌打ちをしていた。 (回収する手段を考えなくては――) 送信ボタンに親指が触れたかどうか、その一瞬。 頭を強く殴られて、イーサンは意識を失った。
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2017/12/18(https://twitter.com/uminomokuzu79/status/942716871739969536)
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jp-arch · 4 years
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デザインハウス・エフ // ガラス窓のある造作壁でゆるやかに独立させた、こだわりキッチンのお家 // 埼玉県ふじみ市
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jp-arch · 5 years
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デザインハウス・エフ // ガラス窓のある造作壁でゆるやかに独立させた、こだわりキッチンのお家 // 埼玉県ふじみ市
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