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#コツコツと色々種まきしていこうと思う
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キャスト情報・コメント・ポスタービジュアル・予告映像・公開日一挙解禁!
80歳にして初主演 平泉成×期待の次世代俳優 佐野晶哉(Aぇ! group)
年の差58歳。素直になれないふたりが紡ぐ、美しくて優しい感動作が誕生!
あるた梨沙による同名漫画を原作とした映画『明日を綴る写真館』(監督:秋山 純、脚本:中井由梨子)の公開日が6月7日(金)に決定し、予告編とポスタービジュアル、各種コメントが解禁となりました!
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●平泉成(鮫島武治 役)コメント
秋山監督から「映画を一緒にやりましょう」とお誘いを受け、お話をお聞きしたところ、なんと主演での出演でした。いつの日かこんなことも・・・と60年、コツコツと積み重ねてきたつもりの俳優人生でした。
鮫島写真館に集う人々の優しくて心温まる愛情物語、そして何より私好みのシナリオでもありましたので「よろしくお願いします」とお返ししました。撮影が始まり、多くのスタッフ・キャストのみんなとパスだ、フェイントだ、ロングパスだ、とまるでサッカーのような現場でしたが、秋山監督の大きな背中を皆で追いながら全力で走り抜きました。
佐野くんは素直でチャーミング、とてもとても良かったです。また若い頃から知っているベテラン俳優陣も快く出演してくださり、そのお芝居は深みを増した素敵なものでした。
人の温もり、人を想う心が物語の底にあり、きっとこの作品を押し上げてくれると思います。
どうか劇場に足をお運び楽しんでください。
●佐野晶哉(五十嵐太一 役)コメント
五十嵐太一役で出演させていただきますAぇ! groupの佐野晶哉です。
「またかならずやろう!」と言ってくださっていた秋山監督と中井さんの作品に、もう一度出演させていただき撮影期間は喜びの毎日でした。
日常に綴られている愛を思い出せる温もりに溢れた作品です。
成さんと鮫島さんの背中を重ね合わせながら太一と共に成長させていただきました。
この映画が皆さんの明日を彩る一枚になることを願ってます。
●原作:あるた梨沙 コメント
映画化のお話をいただいたときは、驚きと喜びが同時に湧き上がりました。
まさか自分の漫画が映画化するなんて!の驚きと、私の漫画を見つけてくれてありがとうございます!の喜びです。
一度、撮影現場にもお邪魔したのですが、写真を確認するためにモニターを見つめる太一の表情、そこに声をかける鮫島さんの優しい声色。平泉さん、佐野さん、おふたりともイメージ通りに(イメージ以上に)キャラクターを表現してくれていて感動しました。
太一たちの仕事が、生活が、成長が、たくさんの方に見ていただけることを嬉しく思っています。
映画版「明日を綴る写真館」の公開、とても楽しみです!
𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒 𓂃 𓈒
映画『明日を綴る写真館』は、6月7日(金)全国公開です。ぜひ映画館でご覧ください!
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blue-aotan · 1 month
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ハロー(´ー∀ー`)2024.3.21
リンツのチョコレートが食べたすぎて買ったのはいいものの、コロナ後遺症のせいでちゃんとした味が分からなかったあおです!
食べたい欲求をしっかり満たせない現状。
かと言って量食べればいいって訳でもなく、7ヶ月が経過しました。
未だに煙のにおいもします。
私が感じるに、コロナになる前の感覚には戻れない気がします。ウイルスに感染して、私の細胞とか神経系とか全部変異してしまったのではないでしょうか。
私のようにコロナワクチンを一度も打ってない人が職場にいますが、その人は感染しても嗅覚・味覚に変わりはなかったそうです。
(動悸や息苦しさもないみたい
ワクチンが関連してるとははっきりとは言えないし、やっぱり人それぞれ症状が違うんですよね。
私の場合は動悸が増えてたまに苦しくて眠れない時もあったり、過呼吸のような息苦しさがたまに出たり。
(最近記憶力もかなり低下してる気がします
コロナではなく別の病気の可能性もありますが←
それでも生きて好きなことができるうちは命に感謝です。
コロナ後遺症の話はいい加減飽きたので別の話題。
先日、この腰痛と肩こりを解消すべく整体へ行ってみました。
男性の整体師さんなので抵抗はあったのですが、物腰柔らかく症状を細かく聞いて下さり重心の位置や正しい姿勢なども教えてくれて今後も頑張って通い続けようかな…となりました。
ボキボキっとかはしない方針のところだったのですが、まぁまぁ痛かったです😭
みてもらったところ
・激しい巻き肩
・一部が反り腰
・腹筋が上手く使えていない
・左の骨盤が歪んでいる
・骨盤全体が前傾になっている
・重心がずれている
・股関節が悪い
・や��外反母趾気味
このように悪い部分が沢山ありました…
腰痛は姿勢のせいもありそうですね。
運動不足による筋力低下も原因の一つかもしれません。
ストレッチをしてる時に股関節がパキパキ鳴ってて、普段歩いたりとかふと動いた瞬間にパキっと鳴る事が結構ありますと言ったら
「よくないです!!痛みが出てきたりしたらすぐに言って下さい!!」
と言われました。
膝がよくパキッと鳴るので股関節のパキもそこまで深くは考えた事なかったのですが、今回それが悪いことなんだと改めて知りました😰
(痛みは今のところ全くない
正しい姿勢・重心を日々意識しながらコツコツと直していきたいと思います!
そんなこんなで3月も終わりに向かっておりますが、今年はなんだかんだ休日にすべき事が色々と立て込んだりしていて最近ようやく落ち着いてきました。
携帯のキャリア・機種変更や車のタイヤ買い替えなどなど。
なんか面倒臭いなーーーーって先延ばしにしていた事を今年は頑張ってやっていこう!って気にやっとなりました←笑
スマホも2年で機種変すれば残りの機種代払わなくていいとかそういったタイプの契約増えてますけど、すごい面倒臭がりの私は2年で機種変する事がめんどくさいってなってしまうのよね…
お得にしたいなら面倒くさがらずに身軽にフッ軽で即行動できたらいいんでしょうけどなかなか…ねぇ😭
お金が余るほどあればそんな事ちまちま考えなくていいのに←
好きな機種を好きなだけ買うよね←
(何個もいらんわいw
ってことで色々新しくなって気分爽快
そして暖かくなってきて気持ちも軽くなってきましたよねぇー
冬の鬱さらば( ˊᵕˋ )
なんだけど←
季節の変わり目で色んな不調がありました。
なんか体調悪いなーと思ってたんだけど、多分ストレスと自律神経の乱れっぽい事が判明しました。
動悸・吐き気・胃痛・頭痛…
みなさんも無理せず休み休みお気をつけ下さいませ😷
花粉症じゃないだけ御の字です!
気分アゲ↑になってきたので、ホラーゲーム買いました
(どんな流れやねん
私の心臓が止まるのが先かクリアできるのが先か…笑
乞うご期待🥱🫀
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psytestjp · 2 months
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renachtara0313-blog · 7 months
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ポケモンスカーレットバイオレットでポケモン熱が上昇しまくりの状態だ
 DLC 碧の仮面が配信された日に、DLCのメインストーリーを完走した。分量としては短いが、ポケモンの物語でも「叙述トリック」というのか、設定のミスリードなのか、信頼できそうなポケモンや人物がそうでもなかったという結論に繫がっていたので驚いた。いきなりDLCの追加ポケモンが商品化していたことにも驚いたが、ストーリー進めるとオーガポンが確かにとても可愛らしかった…。ちなみにオーガポンは「pon yo pon!」といった形で英語版で喋っている。日本語版ではどんな風に喋っていたのかな。
 追加要素としては、剣盾未実装だったポケモンが割と出てきてくれた印象があってとてもワクワクできた。後はマップがコンパクトかつランクごとのポケモンの振り分け割合自体はパルデアと同じだからなのか、テラレイドバトルの効率がとても良い。昨日今日と秘伝スパイスがコツコツ円滑に補充できていてハッピーな気分だった。
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 テラレイドバトルのおかげで、貴重な進化アイテムを消費せずキタカミの里産の進化後ポケモンも回収できたりした。ヨノワールはフラフラする時でさえもイケメンである。
 何より今回嬉しいのは、合図してポケモンにその場で止まってもらったり、任意の表情のポーズを撮ってもらえるようになったこと。
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 ご近所に叱られそうだが、外であればいかなるポケモンでも連れ歩きして良い模様なので、色々とドキッとする(???)写真も撮れてしまう…。
 (…実は異種愛といった関係性が結構好きなので、ダークライとか色粘りしてバイオレットに連れてきたくなった。バンギラスもいいな。)
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 もちろんこんな可愛くポップな写真も撮れてしまう。一番アラビアテイスト漂う、リップさんのジムがある街でフーパと一緒に撮った。(フーパのモチーフがランプの魔人みたいなので)DLC後編はバトルが難しくなる可能性がありそうだが、選出ポケモンに縛りがなければフーパ育てて連れて行こうかな…
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ヒトモシ「なんかお気に入りの街があった(※ゴーストジムがあったところ)ので撮影してもらったモシ! カチコールさんは暑いと辛そうなのでそこはディスタンスを保ったモシ」
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 昨日は森でミミッキュ&ボクレーに会ったので、今度は山で色粘りしたいね。頂上の池でもいいかもしれない。願わくば夜の時間帯に…。
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 あま+からスパイスで揃えられたので、今回はコフキムシをピンポイントで粘ってみた。無事会えたはいいけど、流石に捕獲パワーつけてもウルトラボールでの捕獲は無理だったという。で、たまたま前回色庭園ビビヨンゲットの際使わなかったフレンドボールが余ったので、そっちを使って無事捕獲。フレンドボールの赤い柄をカーニバルの髪飾りの装飾と見立てると、全然合うのでは?と自分で納得できてしまった(!)。ブラジルからのポストカードが余っており、サバンナは別途好きな友達がいるので、今度勉強して一緒にユニオンサークル色探しを実施しようかなと思ったり。ポストカードの整理が大変な状態なので、引き続きビビヨンの色粘りはコツコツ続けていく。
ポケモンをやる時の心得
 どんなフィクション作品に手をつけても、結局ポケモンが一番楽しいに戻ってくる。
 そこで、ポケモンとリアル生活を両立させつつ、どう楽しんでいくかの方向を前々から考えていたが、次のような感じでいいんじゃないかなと思った。
好きなポケモンたちを活躍させる(色捕獲、育成…何でもいいので実績をつくる)
できれば好きなポケモンたちが、初めて出てきた世代or初めて出てきたマップが出るゲームで活躍させられると嬉しい
ポケモン図鑑(ソフト内、Go、HOME全部含めて)はできれば埋める(ページが埋まっていくのを見るのが気持ち良いので)
※好きなポケモンは色々いるけど、生活状況を鑑み、ブラッキー+ゴーストポケモン+ビビヨンを優先枠とする
 既に3連休の2日分がポケモンでほとんど経過している状態でわろちである。これからも生活とバランス取って楽しんでいくぞ。
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the-drawing · 8 months
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BUCK-TICKに寄せて ver1.0
1987年にメジャーデビューしたBUCK-TICK(バクチク)というバンドは、35年経った今もなおメンバーチェンジをせず、活動を止めることもなく、常にバンド独自の道を進んでいる。
僕は、彼らを通っていない。
所謂”世代ではない"というやつだ。
それ故に数えきれないほど問われた「何故、今BUCK-TICKなの?」という質問。
「好きだから」で片付けていたその質問に対して、自分自身と向き合って考えた時、明確な答えが欲しくなった。
2023年6月18日、コツコツとここから書いていこうと思う。
まずは、彼らのことを簡単に紹介する。
なるべくファン目線に、ぐいぐいと行かないように気をつけるつもりだ。
そして、初期からのファンという方々や意見が異なるという方々もいらっしゃると思いますが、新規という目線で生ぬるく一個人の考えと捉えてもらいたい。
BUCK-TICKは、以下の5人で構成されている。
ボーカルの櫻井敦司。
ギターの今井寿、星野英彦。
ベースの樋口豊。
ドラムのヤガミ・トール。
樋口とヤガミは実の兄弟であり、櫻井と今井は同級生、後輩に樋口と星野という関係性だ。
細かいことはWikipediaを参照してほしい。逸話やエピソードが多くて面白い。
曲は基本的にメロディメーカーの今井が中心に���野と共に作曲し、作詞は櫻井が行っている。
「ヴィジュアル系」という印象が強くあるかと思うが、アルバムによって表情が大きく異なるためロック、ポップ、エレクトロニック、昭和歌謡など一括りには決してできない。
その証拠にWikipediaのジャンルの欄をぜひ見てほしい。
例えば、彼らを一躍有名にした1990年発売のアルバム『悪の華』はゴシック系のロック、1997年発売『SEXY STREAM LINER』はロックよりもエレクトロニックな打ち込み要素を盛り込んだアルバム作品になり、2000年発売『ONE LIFE,ONE DEATH』はノイズをふんだんに使い破壊と創造を思わせた。
実験的であり、先進的な楽曲が生まれるごとに、前作までの彼らのイメージをさらに更新する。
近年の作品は、平和という重いテーマを背負いつつ言葉とサウンドで物語が転じていく『No.0』、コロナ禍に制作を続けた『ABRACADABRA』ではジャンル幅への挑戦を試み、昭和歌謡を世界観に取り入れるなど更なる音楽領域を手に入れた。
そして、35周年として彼らが作り上げた最新アルバム『異空 -IZORA-』は、これまで積み上げてきた音楽から感情、景色を生々しく閉じ込めた作品だ。
僕が初めて彼らの音楽に触れた時に走った感情。
それは、震災での悲しさや寂しさを音楽で埋めるためのものだったかもしれない。
しかしながら、それをキッカケにしてのめり込み、結果として彼らの楽曲を知れば知るほど過去に嫉妬する僕がいた。
僕が生まれた頃、彼らはもう『スピード』をリリースし、12年周期で開催するライブ『Climax Together』が始まったのだ。
僕の手が届かない歴史があるからこその「憧れ」。
BUCK-TICKに出会うまでの時間が無駄だったとか、他の音楽を否定する訳ではない。
ただただ、リアルタイムで彼らと同じ時間を歩めていたなら、と思いたくなるほど美しく、愛おしいのだ。
その「美しい」には2つの意味がある。
分かりやすくまずはビジュアル面での意味から。
メンバー全員が還暦に近づいている中で(ヤガミは執筆現在でジャスト還暦)、それぞれが歳を思わせないほどの美しさを持ち合わせている。
櫻井は言わずもがな、変わらぬ顔立ちとステージで魅せる表情、指先までもが息を呑むほど曲に陶酔し、曲の世界を表現している。
今井はライブごとの衣装も奇抜だが、時期によって髪型を変える。
デビュー初期は全員で立てていた髪も、時代が経つにつれてオールバックであったり『RAZZLE DAZZLE』の際はサラサラストレートになったり、赤やピンク、緑に飽き足らず『ABRACADABRA』ではアマビエを彷彿とさせる奇抜なカラーを見せたりと、頬に「B-T」を描くくらいにはBUCK-TICKの象徴的存在である。
初期から変わらずクールで寡黙なキャラクターの星野は、ステージ上でレフティの今井に対して対照的な位置にいて、櫻井を中心として左右対称にギタリストが立っているのも1つの美しさだ。
フロントの3人に目を奪われがちになるが樋口に目を向けると、各所で渋さを見つけることができる。
昔は硬派な弟キャラとして口を一文字にして弾いているスタイルではあったが、今では表情豊かに楽しんでいる表情を見てとれる。
そして、フロントだけでなく客席への目配りも欠かせない優しさが彼の美しさだ。
最後に、ヤガミはなんと言ってもドラムスタイルに目を惹かれる。
僕は、ドラムのうまさを評価できるほど耳が肥えてないし、理解もしていない。
しかし、体がブレずミスなく曲を演奏する柱としての存在である彼の凄さは言葉にできなくとも理解しているつもりだ。
メンバーで唯一髪を立てており、最年長でありながらも一番の茶目っ気のある彼無くしてこのバンドは成り立たない。
2つ目の美しさは「曲の美しさ」だ。
BUCK-TICKの存在を知っている人に問いかけるとやはり『悪の華』のダークでアグレッシブなイメージが強いと聞く。
エモーショナルかつ危うさを纏った世界も、もちろん彼らの楽曲だ。
しかし、僕が彼らに興味を持って収集を始めたのは2012年発売『エリーゼのために』そしてアルバム『夢見る宇宙』がリリースされたタイミングだった。
このアルバムは、僕にとってBUCK-TICKのベースとなっている。
バンドサウンドを前面に押し出しながらもホーンセッションによる曲の派手さ、ピンクの照明が浮かぶセクシーさ、耳から聞こえる櫻井の歌声は首を絞めてくるような恐ろしい感覚も覚えさせるが、必ず最後には優しい愛で包んでくれる。
このアルバムが火種となり、僕のBUCK-TICKへの炎が灯された。
1992年から12年後の2004年に開催された『悪魔とフロイトーDevil and Freud-Climax Together』を見てから、死と生が彼らのテーマなのだと気づいた。
「すべての亡骸に花を すべての命に歌を」
胸が痛いほど平和への訴え、愛を強く感じるステージだった。
生も死も表裏一体であり、それらは他国や夢物語、非日常の話ではないということ。
年齢が増すごとにそれを感じているのはメンバー自身だ。
『ABRACADABRA』に収録されている『忘却』という曲について、櫻井がインタビューでこのような趣旨の話をしていた。
「自分が死んだとして、季節は変わらず巡り、周りも忘れていく。でも・・・という寂しさがある。」
近年のインタビューでも年齢や死についてをハッキリと口に出しているのを目にすると、僕がこれまで勝手に抱いていた「憧れ」としての彼らが僕らと同じ人間であることに気づかされる。
おかしな話ではあるが、僕は至って本気だった。
僕が好きなものは永遠だと。
その「永遠」が僕には「美しさ」だった。
数多のロックバンドが音楽シーンを彩ってきた。
ジャンルや用いる楽器、演奏スタイルなど歴史を振り返っていくと、僕にはある疑問が浮かんだ。
「どうして現代では"熱狂的"がないのか」
例えばX JAPANが東京ドームでライブをし、あまりの観客の熱でドームが揺れた!のような���。
過去のBUCK-TICKの映像を見ても、縦ノリで頭を振り乱し、悲鳴にもとれる歓声に僕は興味を示した。
僕が過ごしてきた時間の中でそのような状況は見たことないからだ。
アイドルのコンサートで聞く黄色い声援とはまた違う。
体全体がステージのメンバーを求めるような勢い、音楽に魂ごと身を委ねているような表情。
それこそがまさに、先に記述した僕の手の届かない「憧れ」である。
「熱狂的ファン」を現代の言葉で表すならば「ガチ勢」とでも言うのだろうか。
だとしても、70-90年代のバンドの「熱狂的ファン」と「ガチ勢」をイコールにしてはいけない。
結局のところ代わる言葉など無いのかもしれない。
あくまで個人的な意見。
念のため、今でもBUCK-TICKのライブはそのような熱狂的ファンが集う場所ではないことも理解してほしい。
至って普通のライブであるので、安心して遊びにきてほしい。
「死を想い、生を想え。」
櫻井の口から時々放たれるこの言葉が僕は好きだ。
今この瞬間、そもそもライブに来て「死」を感じることなんて無いはず。
自分が「楽しい」と感じているこの時間は「生きている」と実感できる時間。
その変換を彼らから導き出されると余計に盛り上がってしまう。
非日常を味わいに来ているのに、日常を重ねてしまう。
その重ね方はプラスな時もあるし、マイナスな時もある。
しかし彼らのライブには必ず「救い」や「愛」があるのだ。
戦争と平和が色濃く描かれた『No.0』リリースのホールツアーの締めは『Solaris』だった。
魚や蝶になって、小さな君を見守りたいという気持ちを描いた曲。
スタンディングツアーの締めは『鼓動』という、儚いながらも美しく強く生きているこの世の人々を抱きしめるような曲。
コロナ禍でのライブでは、医療従事者へ自分自身を愛してほしいという気持ちから『LOVE ME』が届けられた。
そして、ニューアルバム『異空』では、様々な生き方の人たちを鼓舞する『名も無きわたし』で終わりを迎える。
愛や優しい温もりに包まれることによって、僕の場合は存在意義を与えられたような感覚になる。
「この世界で生きていても良いんだ」と。
大袈裟なニュアンスなのだけれど、僕は小さい頃から名前があることや自席があることに安心感を抱いた。
名前を呼ばれる、座るべき席がある、その度に嬉しくなる。
そんな気がするだけ。
曲の捉え方は人それぞれではあるが、僕はそうやってBUCK-TICKのライブを楽しんでいる。
チケットがある、僕が座るべき席がある、目の前で5人が鳴らす。
それは、生きている中で僕に与えられた「愛」なのだ、と。
ここまで書き上げた上で、目的の質問に戻ろう。
「どうして、今BUCK-TICKなのか?」
それに対する僕の答えは。
「彼らの曲を通して、生きていることを感じたいから」だろうか。
ようやく伝えたかった言葉が見つかった気がする。
2023年8月29日。
今日もこうして、今この瞬間にも彼らの曲を聞くことができることをとても幸せに思う。
読んでくれてありがとう。
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enrichmyheart · 10 months
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なぜ歴史の話を持ち出したのかと言えば、各々の持つ「憂い」を取り除くためです。
私の話の根幹に「今を生きる人々の人生の幸福度を最大化する」というものがありましたが、これは結果的に巡り巡って自分のためでありました。
不幸な人間の増殖による社会的懸念については度々お話してまいりました。
過去や未来の「憂い」に思いを馳せる行為。これは翻ってみれば「今のわたくし」を直視することを避ける目的もあるかもしれません。逃げるというと言い方は悪いのですが、逃げるという行為も自分(の心)を守るための大切な戦略であります。しかしやはり、本質から目を逸らし続けることでは、根本解決には至りません。
人間は不完全な生き物ですから、誤った選択をしたり、失敗を犯すことは度々起こります。自分の過ちを認められないということは、そこから進歩することはありません。このときに成長を阻害するのがプライドという硬い殻です。
では、一切の「憂い」を取り除き、硬い殻を破り、素の心(素直)に戻ったときに、人の脳内で何が起こるのか——『スポンジ化』です。
言語というキーから様々なデータを吸収し、人間だけが持つ「主体」という判定機を武器に取捨選択し、既成概念を破壊して自分なりの構築物を生産する——純粋な子どもとオトナを使い分けて生産活動に邁進することができます。
大人、子供、男、女、若者、高齢者、人種……。人間がこういう色分けが好きな理由は、原始的思考——弱者マウントによるものですが、これが成長抑制の主たる要因です。
人の持つ成長意欲を阻害する原因は、古来より受け継がれてきたこの「弱者マウント」による社会的構築物の中に、溢れかえっています。ようやく可視化社会によって、これらがつぶさに見えてきました。
これからは間違いなく「素直になったもの勝ち」になるでしょう。脳内をスポンジ化して、より良い構築物を正当性を持った商品価値に変えていく。それが全人類の救済のカギとなると考えて憚りません。
なぜなら反社会的行為=頭が悪い、という共通認識が形成されつつあるからです。原始脳のくびきを離れて欲求と抗うことは、始めは大変だと思うかもしれません。しかし「コツコツ」は、はじめの一歩を進めてしまえば、思いのほかハードルが低かったことに気づくことでしょう。
さらに可視化社会——相互監視社会がこれを強化します。相互監視社会という窮屈さも、我慢という筋肉が習慣という惰性に変わったとき、その人生は日常に変わります。
仏教との親和性が高い理由は、否応なしに自律を求められる点にあるのだと思います。
このことを子供に教えてあげることができる存在はこれまでは、そう多くありませんでした。その存在の分母が大きくなっていったときに、社会は変わっていくのだと思います。
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scone0624 · 10 months
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一昨年の秋からラピスドリームオーケストラさんに入れていただいて、初心者ながらチェロパートの隅っこでよちよち楽器を弾いています。
上手な皆様が周りにいる中で全然弾けてなく、だからといってめちゃくちゃ練習熱心にしてるわけでもないので我ながらずぶといな〜と思う次第ですが、そういう自分の技術を棚上げにした上でオーケストラって楽しい!というのを合奏練習の中でひしひしと感じています。
オーケストラというのは私の中でずっと憧れだったのでその中にいるだけでなんだか心躍るものですが、実際に練習の中で音楽が作られていき、いろんな人の意見や思いで細部にこだわりをこめていく過程を体験していると音楽って凄いな〜!と合奏の練習のたびに楽しくなっています。(こんな風に思うこと自体がどこか他人事、お客様気分のようで自戒もあるのですが)
ずっとCDやコンサートで聴いていたオーケストラの世界に、今いる場所が針の先1ミリ程度だとしても繋がっているんだと思うと、その片隅にいられる事自体が嬉しいものです。
この先楽器を続けオーケストラに所属している中で、いつまで続けられるかわかりませんが、ある種初心とも言えるこの感覚は覚えておきたいです。
さて、そんなラピスドリームオーケストラさんですが、ゲーム音楽のオーケストラという特殊な場なので演奏する楽曲はほとんど団内で手作りしているようです。いわゆる編曲です。公式に楽譜が出版されているものがあるわけではないので、耳コピからオーケストレーションまで団内の有志の方が行なっています。
私も楽器を始めるより前から楽譜作りをしていたぐらい編曲には興味があったため、昨年から関わっています。実際は私1人で完成させているわけではなく、団内の方や指揮者の先生による校正があり、何よりも妻の助けがあって完成しています。
この楽譜を作る作業、私の力量の問題もありめちゃくちゃ苦労しているのですが、実際に練習でオーケストラの皆様に演奏してもらえるのを聴くと全ての苦労が吹き飛ぶぐらい楽しさもあります。練習前にいろんなパートからフレーズが聴こえてくるのも楽しい。私が思いもよらぬ意図を汲み取って演奏してくださっているのを聴くと震えるような感動があります。
私は音楽を専門的に勉強した事があるわけではなく、いわゆる音感がいい訳でもなく、ただ音楽を打ち込んで再現するという作業自体はたくさんやってきただけの人間で、コツコツ楽譜を作ることに苦がない事だけが取り柄なので、私ぐらいの編曲はオーケストラにいるような人なら誰でもできるのでは?と常々思っていたりします。ラピスドリームオーケストラさんには編曲を担当している方が何人もおられ、実際に出来上がった譜面にはそれぞれの個性が色濃く反映されているので、もしかしたら私もまた私の個性みたいなものが気づかず譜面に現れているかもしれませんけれど。100人近くのオーケストラの皆様が演奏してくださり、それをまた1000人近くのお客様が聴いてくださるので、知らずに表出されているものが恥ずかしいものでなければ良いのですが。
今年も2曲担当させてもらったので、実際にどんな演奏になるか、演奏会でどのように聴いてもらえるのか怖さ半分楽しみ半分という気持ちです。
(下記に昨年私の担当した楽曲のYoutubeリンクを貼っています)
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heheyoubu · 1 year
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ロックンロールとは
ま永遠の命題ですわなこれは。
音楽をかじっている者からすればどんなジャンルの音楽にもそれぞれ良いところがある。クラシックにしろジャズにしろ演歌にしろ、まあ分かりやすいところばかり挙げたわけだがどれも特徴あるでしょ?それが好きか嫌いかは一旦置いといてそれぞれの特徴がその音楽を作りその精神を作るとわたしは思っています。わたしは音楽だけでなく文化というものそのものを愛しているのでこういう考えになるのかもしれない。もちろん異論は認める。ではわたしがいちばん愛する音楽ジャンルのうちのひとつであるところのロックンロールとは果たしてどのような精神を司っているのか。これからそれが明らかになりますたぶん。
ここまで言っておいてアレだがこの問いに一言で答えるのは非常に難しい。人間は考える葦であると言ったのはニーチェだったかカントだったか覚えていないが、すなわち人間は思考する生き物なのである。だがしかし人生の始まりから終わりまで同じ思考で生きている人間は誰一人としていない。さまざまな経験をしてその度に思考しそれぞれの物語ができる。音楽は人間の生活に根ざしたものだ。一種の知的高等生物である我々人類が音楽にさまざまな意味を見出してきたことは周知の事実だが、その意味は人によって様々であり、また1人の人であってもその時の経験や感情によって音楽が与える印象は様々なものとなる。したがってわたしというひとりの人間の視点から「ロックンロールとは何か」ということを語ることでさえ、いつどういった状況でどのように感じたという仔細を全て記さなければ不可能なのである。あでも今回は手短に書くね。なぜなら全て伝えようと思ったらマジで終わんなくて結局いつもみたいに諦めて止めちゃうと思うから。せっかく書きたいなって思ったから片鱗だけでも残しておきたい。どっちやねん。
『ロックンロールが死んで』という曲がある。わたしがロックというものに触れるきっかけになったDOESというバンドの知る人ぞ知る曲である。きっかけだったはずなのにいつのまにか終わっているとはいかに。これによるとロックは死んだものらしいんですね。「死んだ」ということは「生きていた」ということです。なんてこった生き物だった。でもわたしが言いたいのはこういうことなんですよ。生と死があるものには輪廻があるんですわな。あ待って宗教の話だとか思わないで敬遠しないで。生と死が繰り返すものだと思ってくれればそれでいい。別に同じ生き物に限った話じゃない。広い世界の中で、今この瞬間にも生まれるものがあって死んでいくものがある。ロックンロールひいては音楽それ自体も同じこと。わたしが最初に感じた彼らのロックンロールは死んだ。でも死んだらそこで終わりという訳ではない。また新しいロックンロールが生まれる。同じ場所にかもしれないし、違う場所にかもしれない。ただ新しく生まれたそれも紛れもなくロックンロールであり、「ロックンロール」自体がなくなるわけではない。残念ながらこの世に永遠というものはない。人工知能だって日に日に成長していくし、ロボットだって同じ動きを繰り返しているだけのように見えるけど一方で本体は経年劣化して朽ちていくし中身は状況に応じてアプデされていくよね。人間の営みであるところの芸術、ひいては音楽が変化しないわけがない。その変化がロックンロールの死であり新たなロックンロールの誕生ということである。お分かり?分かってもらえなくても話は続くよごめんね。
ここまでのことを踏まえて言えるのは、「ロックンロールとは『生きる』ということである」ということです。ま端的に言ってしまうと「ロックンロールは人生だ」という実にありきたりな一文に落ち着きます。在りし日のロックンロールは死んだとてなくなるものではない。クサいことを言ってしまえば、「あなたが感じたロックンロールは永遠にあなたの心の中に生き続けるのですよ」というような感じ。そしてこの『生きる』をもっと分かりやすく言うと『革命』になるのだとわたしは思う。突然話がデカくなったなって思った?実はそうでもないよ。革命ってすごく平たく言っちゃえば変化ってことだよね。なんか国とか時代とかを表すときに使われて勝手に規模が大きくなっちゃってるだけで、もうちょっと言葉自体をこっちサイドに持ってきちゃえばそんなに難しいことないよ。生きるために変わる。自分が自分であるために周りを変える。それが一番身近な意味で使える「革命」という単語で、自分に「革命」をもたらしてくれる、もしくは既にもたらしてくれた音楽こそがその人にとっての「ロックンロール」だと思うわけ。なんとか話繋がったよね?あんまり何も考えずにウワーーーー!って書いて後で修正するタイプだから筋が通ってなかったらどうしようかと思ってたけど今のところ何とかなってそうでよかった。今すごいホッとしてる。
そもそも現代の音楽シーンにおいてジャンル分けってすっっっっっっっっっっっっっごい難しいの。(すごくシンプルな言葉で表現するから咎めないで欲しいんだけど、)白人が言うところのブラックミュージックがあって、彼らには彼らの音楽いわゆるカントリーミュージックがあって、ビートルズがロックンロールを作った。日本には演歌があったり昭和歌謡があったりしたけど海外の音楽が入ってきて混ざり合ったりして、J popやJrockやその他いろいろな音楽ジャンルができたけど、特に2010年代に突入してからのバンドだったりアーティストについて言えば、一つの音楽ジャンルのみを掲げて活動しているものは極端に少ないだろうね。仮に掲げているものがひとつだったとしても聴いてみれば全然そんなことはない、ということもしばしば。2023年現在日本でトップの知名度を誇る公式髭おじさんや青林檎夫人やヌーの王でさえも、彼らはいわゆる「ロックバンド」というには大衆の目に晒されすぎてしまっているし、「ポップスター」というには尖りすぎているし、けれども明確にいろんなジャンルの音楽の影響を受けている。最近は演歌歌手だって歌舞伎町の女王が提供した楽曲を歌うし、ラブソングの王様はアイドルと一緒にアニメの主題歌を歌ってる。CDショップなんかはジャンルごとに並べないと話にならないからなんとなくしっくりくる分類で分けてるだけで、もはや音楽ジャンルなんてものはあってもなくても変わらないところまで来ちゃってる。
ここでひとつ言っておかなくてはならないのは、わたしはロックのいちファンとして「わたしはロックが好きです」と言うけれど、他のジャンルだって多少の優劣はあれど等しく好きだということである。幼少期には肉親の影響で吹奏楽、歌謡曲、演歌、クラシックというマイナー四天王を植え付けられ、クラシックピアノを習ったかと思えばショパンやベートーヴェンの短調ばかりを弾き倒し、正当な吹奏楽を始めたもののビッグバンドやジャズに傾倒し、中学生になって初めてロックに天啓を受けるのとほぼ同時期にボカロに頭を溶かされるという、どこからどう見ても異色の音楽経歴を持つわたしにとっては、どのジャンルも等しく自分の人生の中に当然にあるもので、正直なところ優劣をつけるという愚行に走ることは到底し難い。ならばなにゆえ「わたしはロックがすきです」という駄文で自己を表現するのか。答えは至極簡単である。それは前述の通り「ロックンロールは人生だ」を信念に掲げているからに他ならない。「生きる」ということは全生物が持つ普遍的な欲求もしくは遺伝子に植え付けられた使命なのだ。そして「ロックンロール=人生」という等式が成り立つならば「人生=ロックンロール」という等式も当然真であるからして、生物が生及び変化を永遠の命題とする以上、全ての音楽は人生と密接に結びつきそれ自体がロックンロールと呼べるものなのである。遠い昔、古典派音楽の作曲家たちは、貴族や王族のお抱え音楽家となり、彼らをパトロンにすることによって曲を書いている間の生活費を賄ったり演奏会に出向くための資金を調達するなどした。端的に言ってしまえば援助者と「寝た」人もいるだろうね。今の時代だって真偽は分からないけど似たような話はよく聞くじゃん。わたしは真相は本人たちにしか分からないから気にしたって仕方がないという意見を貫いているからあんまり気にならないんだけどね。だけど別に地道にコツコツ生きていたってバチは当たらない。困ることは何もない。じゃあ何故彼らはそれを良しとしなかったのか?それは彼らが、彼ら自身の音楽を作りそれを世に出すということを自分たちの「人生」だと定義づけたからに他ならない。自らの意思を音に込め、既存の音楽ではない自分にしかできない表現を完成させ、それを広く世に知らしめるため、彼らは自分の信念を貫き、それに伴う苦難を乗り越えた。その意志をロックンロールと言わずして何と呼ぼうか。彼らは、自分が、自分こそが変えてやろうって思ったんでしょ。別に他の人が変える未来もあっただろうし、誰も変えないという未来もあったかもしれない。その可能性すら覆して、革命を選んだ。ものすごい意志だとおもう。
結論。
何度も言うけど人生=ロックンロールであり、音楽という営みは全てロックンロールなの。だからどのジャンルの音楽も今ここに存在しているものは全てロックンロールに片足を突っ込んでると思うの。だからわたしはロックンロールを愛しているし音楽そのものを愛しているの。
すっごい単純なことを言うとさ、まあ自分語りではあるんだけど、音楽聴いてると生きようって気分になるんだよね。逆にいえば音楽聴く余裕もない時ってだいぶ精神的にやばいってことなんだけど。そういう時期もあったけど。たぶんなんでそう思うかっていうと、生きた証みたいなのを脳髄に直接流し込まれてる気分になるからだとおもう。隙あらば死にてぇって思ってたやつが20年以上生きてきたんだからこれもう違法薬物かなんかでしょ。効くやつと効かないやつがいるだろうけどさ。まあ何が言いたいかって音楽ってすごいねってことよ。ありがとう音楽。あなたのおかげでここまで大きくなりました。まあマジでほんとにね。あの時死んでたかもなって思うこといっぱいあるもん。今でも死にたいって思うことあるけどさ。生かしてもらってるからさ。なんか何が言いたいか分かんなくなってきちゃったからこの話はこの辺でとりあえず終わりにしようかな。
次は何の話にしようかもう決まってるんだけど、ある意味ではロックンロールの対極にあるとも言えるもの。だと思う。生きとし生けるものの反対にあるもの、我らが永遠のアイドル。初音ミクさんのお話をしようと思います。いつになるか分かんないけど期待しないで待ってて。愛が重すぎてたぶんしぬほど時間がかかるから。じゃあまた。
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kuzumisakuya · 1 year
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目指せ60Kg台!!ダイエット記録、11月14日です。76.5Kgです!!やったぁ!
こんばんは、久住咲夜(くずみさくや)です。 いつも日記を見てくださり、本当にありがとうございます! 嬉しいです。
日記を読んでいただきたいと思い、ランキング等を貼らずに、 シンプルにしてみました。 見ていただけるといいなぁ。
いつもは398円くらいするソフィの生理用品が、 ホームセンターで明日まで268円なので、 今月はもういらないのですが、 買いだめとして、悩みに悩んだ結果買いに行ってきました。 必要なものが安くなっているのだから、買わなくては。
40㎝と、42㎝で悩んだ結果、同じ入り数なので42㎝にしました。 あとは36㎝を買いました。 お店の方は厚意で黒い袋に入れてくれるのですが、 いかにも生理用品が入っていますと言う感じがして、苦手です。
明日40㎝も買ってたりして。 お散歩に良い距離なのです。
そして......ホームセンターにたこ焼き屋さんが隣接しているので、 買っちゃいました! 「明太子マヨネーズたこ焼き」。 750円。 高い!!。゚(゚´Д`゚)゚。 銀だこのメニューを見てみたら、もっと安いのに...。
ここのお店は必ず、 「新メニューやたい焼きもいかがですか?」と、 毎回すすめてくるので本当は嫌です。 今日もそうでした。
肝心の「明太子マヨネーズたこ焼き」ですが.........うむ。 普通のソースの方が何倍も美味しい(苦笑) ピンク色のマヨネーズがのっていますが、明太子の味というよりは、 一味唐辛子でピリッと味を付けたような感じで、
はて?明太子はどこ?
何て思ってしまいました。 大粒の8個ですが、途中から飽きてしまいました。 明太子マヨネーズの値段!と思って、 少しもマヨネーズを残さないようにして、 食べましたが、途中から家にあるソースかければよかったなぁ。
結果的には微妙でした。 680円なら大粒だしありかもしれないけれど、750円もするし。
でも、これで明太子マヨネーズ熱がおさまりそうです。
気になっていた、一正の「明太マヨはんぺん」も、 明太子マヨネーズというよりは、ポテトフィリングが入っていて、 明太子味は薄そうだし。
ちなみに、お惣菜には明太子マヨネーズちくわ天は、 もうありませんでした。 チラシの日以前も見れたのに。 もう終売かな。 似たような品物がネットでは冷凍食品でありましたが、 スーパーの冷凍食品コーナーにはありませんでした。
そもそもの「明太子マヨネーズ」が一種類だけ売っていましたが、 418円だったので手が出ないです。゚(゚´Д`゚)゚。
それでは本日のダイエット記録です。
11月14日 起床5:58
朝 ホットコーヒーお砂糖なし
昼 明太子マヨネーズたこ焼き
夜 なし
体重 76.5Kg 散歩 80分
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体重、76.5Kgになりましたー!!!。゚(゚´Д`゚)゚。 嬉しいです!!! 今日だけかもしれないけれど、減ったー!!! どうにかキープか、76Kgにならないかな。
たこ焼きを買ってから、うちに着くまで25分位かかりましたが、 程よい熱さで食べやすかったです。 今度は普通のたこ焼き...高いから、冷凍食品か、 スーパーのお惣菜ので良いかな(苦笑)
たまにはたこ焼きも良いですね♪ お好み焼きも全然食べていないなぁ。 粉物が食べたいです。
風が強くて、歩くのが大変でした。 強風の中で歩くことで、カロリー消費になっていると良いな。
お昼にがっつり食べたので、お夕飯は無しです。 栄養的には偏り過ぎているのだろうなぁ。
Fc2ホームページで「くずみさくやのすみか」を作ってみました! めちゃくちゃ試行錯誤をしました。 ホームページを作っている方々ってすごいです。 来ていただけると嬉しいです(*´ー`*) https://kuzumisakuya.web.fc2.com/
恥ずかしかったので、体重を書かずにいたのですが、公表します。
現在 76.5Kg です。
今月の目標体重は、75Kg です。 来月の目標体重は 72Kg です。
一番体重があった2年前は、102Kgありました。 これからもコツコツ頑張りたいと思います。
最近急激に寒くなりました。 くれぐれも体調には気を付けて、お過ごしくださいませ。
ではでは♪ 読んでいただきありがとうございました。
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2comlog · 2 years
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週報2022-09-02
・もう火曜日!?
すみません、下書きが消えて拗ねていたら火曜日になっていました。 この流れでお週報を火曜日更新に戻しても良い? いいよ!ありがとう。
・きらら発売!
今月はたくさんお手伝いをさせていただいていました。
いつもお世話になっている、小森くづゆ先生のVドルあーかいぶ!はもちろん、
【きらら10月号】小森くづゆ先生「Vドルあーかいぶ!」! ひなにコラボ配信を持ち掛けてあっさり断られるリコ。 さらにはアイドルの夢はあきらめたのかと問われ…!? ≪きららベースで振り返り連載中!≫https://t.co/LC6wQyDLlc #kirara pic.twitter.com/ipP79YaJPe
— まんがタイムきらら編集部 (@mangatimekirara) September 8, 2022
今月は例外的にわらびもちきなこ先生のしあわせ鳥見んぐなんかも!
【きらら10月号】わらびもちきなこ先生「しあわせ鳥見んぐ」! 翼の祖父の船に乗り、天然記念物にも指定されている御積島(おしゃくじま)にやってきたすず達。 船でのバードウォッチングにすずさんテンションMAXです🐥 めざせ珍鳥トリジャーハント! #kirara pic.twitter.com/Wp2PPzDPqj
— まんがタイムきらら編集部 (@mangatimekirara) September 8, 2022
今月のVドはそんなにモブ描いたりはしていないので分かりにくいかもですが、 背景諸々お手伝いしております。いやモブも描いてはいるな。
鳥見のが何やったか分からないと思います、それくらい…全部仕上がったお原稿のお手伝いでした…! 背景も殆ど触らず、塗っただけ! 一コマだけ、絵が下手すぎて二枚描いて選んで頂くみたいな地獄がありましたが、 (Vドも謎差分をお渡しして選んでもらう事が…たまーにあります…) それ以外はもう本当に塗って削ってだけでした。 海沢山かけてサイコー!それも鵜の回!(鵜の回ではないだろう)
突発故、何か大ミスしたらどうしようと思っておりましたが、 本当に切羽詰まった状況だったにも関わらず、 それでもわらびもち先生はとても優しくしてくださり、本当にありがとうございました。 無事掲載されており……よかった……
とはいえVドもVドで、「なんか…外背景…」みたいなコマを丸ごとお任せくださるケースも最近多く、 信頼…!という気持ちで少し嬉しいです。 4コマのちびっこいコマでコツコツ背景やるの大好き人類なので、 アシスタントは全部ずっと楽しいです。
…そんな事をキャイキャイと言っていたら、 今回の「わらびもち先生のとこ行ってこい」と担当さんからお声がけ頂けたので、 これはもっと言って言った方がいいのだろうか。 4コマ背景の黒ベタ率をあげたい方はご連絡ください!!
え?
・遊びまくる
たそちゃんと遊んだりしました。
たそちゃん。 自分の周りで「今年一番可哀想なオタクオブザイヤー」、間違いなくたそちゃん。 今年はまだ終わっていませんが、それでも…この半年だけでも「可哀想オブザイヤー」確定です。
というのも、春先に推しのアイドルが盛大なやらかしを告発され、活動休止をし、 「それでも箱には2推しが居るし…彼の築いた箱だし……」と箱を応援していたら、 先月、2推しも体調が芳しくなく、活動休止…という…… あまりにも…地獄の半年を過ごしたオタクなので……可哀想オブザイヤーです。
そんなたそちゃんの話を聞きた過ぎるので (野次馬根性ではなく…いや…まあ多少「ねえねえ今どんな気持ち???」はありましたが、 本当にそれは文字通りの…煽りとかではない、「げ…元気…?そんなわけないか…」の気持ちです。) 会いに行ってきた次第です。
別に会うのも久しぶりでは無かったのですが、 月見バーガーを食べながら 「猫ってさあ、カワイイんだよね」と語るたそがれの姿は……筆舌に尽くしがたすぎるものがありました。
「猫ってさあ、カワイイんだよね」、こんなに情報量の無い言葉、この世にないでしょ。 その後も街を歩きながら「クレープってさあ、美味しいよね」と言われ、「ねこかわいいと!等価の言葉!」と震えました。 希望を失った人間から出てくる言葉って「猫ってさあ、カワイイんだよね」なんだ…と思い知りました。
その後は普通に、ヨドバシカメラでシュレッター見て、 シュレッターの展示の上に、「このシュレッターはコレだけの紙を食べる事が出来ます」「これだけ細かく紙を食む事が出来ます」という意味で、 シュレッターの胃の中身がビニール袋に詰められ吊るされていており、 「なんだこの展示は」と感動したりしました。 現代美術みたいだった。
エロタワー行ったりもしました。 ブルセラの自販機見て「コレって…本当なのかな…」って毎回言うたそちゃんが大好きです。
帰りはお寿司食べて、ダラダラしてたらタソチャン的には大分吹っ切れたみたいで本当に良かったなあと思いました。 元気なオタクが一番良いんだから……
私も元気なオタクの精神を見直す事が出来たので良い機会でした。 うるせえ!知らねえ!つって何か描いてるオタクが一番なんよ。(諸説ありですが)
・映画見たりした!
たそちゃんとではありませんが、別の友人と映画を見ました。 何の映画?今何やってるの? それはね………
別に映画館で見たわけじゃないんです。
ネカフェのシアタールームで、お互い「好きな映画」を一本ずつ持ち寄って二本見る会 オタクみんなこんなん好きでしょ!
友人は、「白蛇:縁起」という、チャイナ系3Dアニメ映画を持ってきてくださりました。 「異種恋愛だから!!!!」と言いながら。
https://white-snake.jp/ ↗公式ホームページ。
私と、この友人は、一介の女子高生二人の事を「異種恋愛」と呼んでいるので、 そんな友人の持ってくる異種恋愛、「コレは本当に異種恋愛なのだろうか」という疑いの気持ちも少しありましたが………
本当に異種恋愛だった!!!トトロいるもん!!!
異種恋愛アリ、姉妹間激重感情アリ、えちえち幼女アリで最高でした。 何言ってもネタバレになる気がするので何も言えんのですが、 たった90分かそこらで「異種恋愛スターターキット全部入れました」みたいな密度だったので満足感が凄かったです。 単純に「異種族の恋愛」だけじゃなく、「身分の違うもの」という描かれ方も少しするので、 そういうのがグッと来る方にもおすすめできるとおもう。
映像もずっと綺麗だったねえ…。わりとどこも高低差のある景色で、世界の広さが最高だったし、 質感も…布や髪、そして鱗フェチの人にはたまらないのだろうなと思いました。
ネタバレ��てえ~…… 流石に我慢しますが、「異種恋愛って!そうだようねえ!!」というオチがとても良いのだ…
じゃあお前は何を持って行ったんだいというのは……
ANNA!!!!!!
(リュック・ベッソン監督なので普通にド・メジャーなのでは? 私はあまり映画を見ないので一生これを擦ります。 WOWOW民の父が居間で雑に見ていたのを横から見て気に入ったパターンです。 わりと序盤に中判カメラで撮影して、ブローニーフィルムがトントンと並んでいく描写があり、 それでムッ!いいねえ…と思ってみたら最強女映画で大好きになってしまった。 別の友人にこの話したら「レオンも見ろ」と言われました。まだ見てない…)
以下見た事が無い方向け。
みなさん、スパイアクションと、強い女は好きですか? じゃあ見た方が良いです。その二つが…好きならば……
友人は百合厨なので「超強強女スパイが仕事しながら女と寝たりするよ」と言っただけで 「じゃあそれ見ましょう」と言ってくれて最高でした。
別に百合映画ではないのですが、私はコレを百合が好きな人に見て欲しいなと思っています。 普通に男女の濡れ場多いんで(女スパイなんだから当たり前だよなァ!いや…そういう意味で無くても多いのですが)、 そこにアレルギーが無い「強い女ラバー」だったらもうホントお勧めです。 そして主演のサッシャ・ルスの顔面がとんでもなく良いので、画面がずっと強いです。
アクションシーンも「ヒュー!」って感じでいいです。 私は序盤の実践試験と、中盤の音ハメ殺人ダイジェストのシーンが大好き!
https://youtu.be/OlJ3zn5pWBo ↗実践試験編はトレーラーがあがっていました。
友人は「応援上映向き!」と言っていました。そうだろうか。
一日に映画二本も見てアカデミックだったねえ…と言い、飲んだくれて解散しました。 なんか色々あってこの友人とは来週も会うことになっており少しウケます。 毎週会ってない?違う学校に通ってる女子中学生?
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uchu-household-blue · 2 years
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富士山🗻知らなかった、竹取物語の終わりがこんなだとは。もらってきてた除籍本の問題集も読みながらソワソワしていた。映画も演出として原作とまた趣異なりというかに思い出すんだけど、それというのは翁たちとの別れ、老親と喩えてもよいか、育ての親というもの、古文読んでみて、かぐやの涙は止まらない、月に向かうしかない迎えの来る心、身体、やっぱり境界の生命だった。こういう語り口 きっと情念に焦点が合う描かれ方は納得させられてしまうなと。🔍 🥽 1番高いところ、近いところで辛うじて待ち合わせたのかと感じたついでに、君の名は。っぽくもあると思った。世話ないや。苦しくて当然。木ノ下さん前もテレビで見かけて思った、声もずば抜けた個性だけど唇の色ばかり気にな��ゥ ここはいま昔です、という読者を閉じ込める導入とその古文って、親的,支配的とふとひらめいたら、うなされてもいた。けど、だからこそないことにしたりできないのだ。
他番組で阿部ちゃんがブラックホールになってたのでぞぞっ。 自分でかいた絵にも励まされる。正しい。竹取物語は夢オチ...じゃなかったけど、と今回私としては捉えたけど、私自身がなんとかモノという枠組みで考えていける気がしてない人生だし今も無理で這いつくばる面あるから、それでも平気なふりしてきただけだし、それでも!貴種たち、①トルストイの描いたミハイルの天人とも重なりながら、なんとか譚が価値を交換せずともーハッもしかしたら、枠組み先行で交換しようとするから作り話になるのであってー物質的な盛れ方を引き合いに転ぶのであって 消費者に対して生産者もか分別されてしまうのであってーイメージの膨れる速さというか、譚の表出が盛りだくさんでいいんだなそうだよなと冒頭で思えただけでも日々のトラウマを解きたくなれそう。こういうことをコツコツも。思い知る手も微笑む手も、あなただけのもの、分け合うものは直線上ではきっとないよな、何度考えても無為と空気だよな、どうしようもなく。自尊ってなんだろう。違うな自尊の意義ってどこに置かれて棚出来るだろう。トリックスターに、無数の私として描かれてみたい。そんなふうに今日の日を寝たい。包まれていけた日々 あるようでない、ないわけじゃない、痛まないなら何も考えるな答えにしたいだけだったかもしれないけれどそれにしたって置き場は探しながらになっちゃうものでしょう、くそったれ、全然わかりたくない 恐ろしくて描けなかったことたくさんあるだろうよ、でも答えとは出来ない創作な気がよりしている、何か割れた音はたまにする、今朝もした、心がなくなってしまうんでしょというか普遍的影のレベルで、まだ光の輪郭すら分からない、その都度でいいから無意識と名付けた
大気のめぐりだった。千の風的でもいいけど。そして感情から出る発芽だったろうか。ひとつ思うのは、やっぱり灰だった、。何に触れているかは失くさなくていいんだ。夢をみることが夢で、耐えることが現実の境界で、それでも、よしとするしかないんだ、そうだ。待ち合わせて、たどり着く場所に自らの手と自ずとの登りな心性で。両面、留まる心、悩みから解放されたくないの空間へのわかりみもやばい、ティーンズにとっても絶対...。狂気自体と切り離されるわけもなく、迎えがくる。個人的に親指姫との分かれ道も感じていけそう。読み物として、好きとかどうとか思わない。けどなんか切実な切なさ。引き裂かれているし、何か決断のようなものがあろうと、迎えを引き寄せるその畏れ自体を感じで読んでみたい。すると、強く強く、死にたくて、強烈に、死ねない!!の思いをかぐやに、日本人の心に見る。しなしなになりたいんだ、分かってもらわなくていいもうこんなにも!の境界で、幸福をはなさないようなー紛れたくない紛らわしたくなくてそれはきっと空気を感じているからかもしれない、息をしているだけで自然というものと内側から、内側からそばにいる。展かれたほうへ向かいなにか振り切るための無でもあって。対立する二項でいて行き来出来る存在として。いなくなりたいんだ、とてつもなく。でもいいんだそれで。きっときっと若者もそう思っていける。そんなでいて それでも目的とかいって口実つくる。体系化されて手や思い込みのなかの広ささえ どうせ違い合うのに、これだけ空気を見出して且つ分けて、。生きたい、も静けさの底からもたらすものが充分としてあって。ほぼ出来ないよきっとけどやるんだけど 私は一粒を大事にした。何もない不在を撫でた。最初からないものなのか なくなったものなのかくらいは描かれうるだろう一方で無為の神様は流されてしまった。描きたいんだよ。賭けたいんだよ。難しいだけなんだよ。なんで愛しまなくても苦しいの変わらない、けれど分かっているはずなんだよ。信じていくはずなんだよ。描いて欲しいんだよ。これまでも、これからも
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from0287 · 3 years
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明けましておめでとうございます🌅 昨年は大変お世話になりました。 今年もよろしくお願いします! 毎年地元で初日の出を見てから、生まれた地元の産土神の黒磯神社に初詣行って、父ちゃん母ちゃん側のじぃちゃん、ばぁちゃん、友達、後輩の墓参りから新年始まりました。 そして元旦恒例の新年会をやって、ずっと家でのんびり。 4日には都内戻るのでそれまでゆっくり休みたいと思います。 #丑年#年男 #六白金星#八方塞がり #コツコツと色々種まきしていこうと思う (那須高原) https://www.instagram.com/p/CJi5u9gjeZ7/?igshid=lbftbrt9yer3
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guragura000 · 2 years
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おしゃれについて
療養中で時間が有り余っているせいか、近頃はおしゃれのことで頭がいっぱいだ。明日は何を着ていこうか。目的地は病院なのだから着飾る必要なんてないのだが、せっかく私服を着る機会なのだし、と気合を入れてしまう。それにお気に入りの服を身に纏って外に出ると、少し気分が上がる気がするのだ。
私はファッションセンスがある方ではない。出身地がイオンが頼りの田舎だからというのもあるし、おしゃれに興味が薄い親に育てられたからというのもあるし、天性のものでもある気がする。病気で定職につけずにいたためにお金がなく、持っているのはプチプラのものばかりだ。
それでもコーディネートを考えるのは好きだ。クローゼットのものを取っかえ引っ変えし、好みの組み合わせを見つけた時には心が踊る。時々、感じを変えてみるのもいい。レースのスカートをヒョウ柄のものに変えるだけで、違う誰かになれた気がする。小さい頃にやった変身ごっこみたいだ。
巷では少し前から骨格診断、パーソナルカラー診断、顔タイプ診断なるものが流行っている。私も流行りに乗っかりセルフ診断をしてみた。結果は骨格ストレート、イエローベースのスプリング、顔タイプエレガントだった。やってみて納得、という感じだ。私は服を選ばないと着膨れてしまう。漆黒が似合わないし、丸っこいシルエットのものを着るとチグハグな印象になる(オーバーサイズ、好きなのでちょっと悲しいのだが)。骨格診断に縛られるのが嫌だと言う人もいるが、私はやってみてよかったなと思う。やらなければ未だにボーイッシュな服を着る女の子への憧れを引きずっていただろうから⋯⋯。骨格診断には3種類のものと7種類のものがあるらしい。7種類のものを試した結果、クラシックだった。トラッドのようなカッチリした品のある服が似合うらしい。
30代になり今まで着ていたものが似合わなくなったので、これはいい機会だと思った。どうせなら診断結果に沿ったものを着てみよう。ジャケットもヒールも敬遠していたが、着てみるとあら不思議。びっくりするくらい顔に馴染んだ。そういえば昔からガーリーやカジュアルを着ると顔だけ浮いてしまうという現象に見舞われていた。いくら着崩そうとも顔面からクソ真面目な雰囲気が漂うのである。ヤダー!と嘆いていたがなるほど、私のツラが求めていたものはジャケットだったのか。ベーシックな紺色のダブルテーラードジャケット。可愛いではないか、お前。羽織るだけでどんな服も真面目顔になってしまうところがいい。
ヒール。昔から苦手だった。履いて歩くと疲れるし、コツコツ音するのが高飛車で嫌な感じ。女性らしさが強調されるのもいただけない。と思っていたが、チャレンジしてみることにした。下駄箱に眠っていた黒いパンプスをジャケットに合わせて履いてみた。な、なんと。足が長く見える(当たり前だ)。短足でボトムスが映えないことに悩んでいたが、ヒールを履けば人並みのスタイルになれると気がついた。今まで敬遠していた分を取り戻すようにパンプスを履くようになった。
フレアスカートが似合わないことに悩んでいた。足が太く見えるのだ。それをタイトスカートに変えてみたら、おお、いけるじゃないか。ジャケットにタイトスカートにヒール、かっこいい。シャツを合わせるとフォーマルすぎてしまうので、ロゴ入りの長袖Tシャツで外すのがポイントなのだ。えーと、多分。
そう、ようやくカジュアルとフォーマルの見分けがつくようになってきた。今までコーデの成り立ちが全く分からなかったが、「自分にはフォーマルが似合う」と意識してから何となく理解できるようになった。「着崩す」だの「外す」だの、何を指してるのそれは、という感じだったんです。賢い人はもっと早くにコーデの成り立ちに気がついて、トレンドに振り回されない買い物をしていたんだろうな。若い頃から分かっていればもっとファッションを楽しめたのかもしれない。悔しい。ん? ちゃんと分かってるよ。スニーカーはカジュアルで、革靴はフォーマルなんでしょ? じゃあオーバーサイズシャツチュニックはどちらかと聞かれると⋯⋯フォ、フォーマルよりのカジュアル? じゃあヒール有りのビットが大きいローファーは⋯⋯や、やめてー。難しい。ファッション難しいよー。
避けていた服を試してみて思う。もしかして私は、人から真面目に見られることを避けてきたのでは、と。私は人からよく「真面目そう」と言われる。事実クソ真面目なので外れてはいないのだが、本当のことを言われるのってあまりいい気はしないものなのだ。何事にもかしこまりすぎる自分が嫌で、人の目を気にせず飄々と生きる女の子になりたくて、カジュアルな服を手に取ってきたのではないか。しかしフォーマルな、いわゆる「真面目な服」を身に纏うと、ウンウン頷いてしまうくらいしっくりくるのだ。カタブツな自分を受け入れられるようになってきたということだろうか。30代にしてようやくおしゃれの原点を見出した気がする。
ちなみに「服が好き」と言わないのは、その地点に到達していないからです。私はアウトレットモールすらない、8割の人間はユニクロやGUで服を買うような田舎に住んでいるので、いい品物を目にしたことがほとんどないのである。だからあのブランドはあんないいものを作っていて、と言われても、まあピンと来ない。だって見たことないし。車で4時間ぐらい走らなきゃハイブランドの店もないし。都会ではドリスヴァンノッテンやオーラリー、ヨウジヤマモトが流行ってることは(YouTubeで見たから)何となく知ってるけど⋯⋯。ヨウジヤマモト、うん、昔からある⋯⋯なんかダボダボしてて黒いんでしょ? 素材のこともよく分からない。コットンはシャツとかによく使われてて、ウールはあったかくてちくちくで、レーヨンは薄くてとろとろ、くらいの認識だ。ふ、服にまつわる一つ一つのストーリーを大切にする⋯⋯? ストーリーを知るためには店員さんに話しかけなきゃいけないよね? コミュ障にはハードルが高い。付き添いが必要なレベル。ね、ほら、駄目だよ。こんなんじゃ服好きを名乗れません。こないだまで古着屋に置いてあるコンバースが何で高いのか分からなかった人間ですから。
今のところお気に入りは、私を似合う服に導いてくれたテーラードジャケット。羽織っていて一番しっくりくる。古着屋で見つけたヒョウ柄のタイトスカート。履いていると強くなれる気がする。母からもらったダイヤの指輪。シンプルなデザインで可愛い。左手の薬指にしか入らないので、よく結婚しているのか聞かれる。んな人いません。まる6年彼氏いません。
次買うものも決まって���る。地元の雑貨屋で見つけた真鍮のイヤーカフだ。シンプルな形で、表面に鱗模様が入っている。厄除けの意味があるそうだ。キラキラしていて強そうでかっこいい。ほしい。レースのシャツも試してみたい。スウェットから襟をのぞかせたらきっと可愛い。少ない古着屋を辛抱強く回り、いい出会いを待とう。
もうすぐ雪が降る。新しいアウターをおろすのが楽し���だ。誰も見ない私の服。大好きな私の服。
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enrichmyheart · 10 months
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・真理の言語化⇒無我夢中
・日本が破綻しない合理的理由=根拠ある企業組織=コツコツ組織
+世界に先駆けて、弱者マウントから卒業しネオ地球人として、経済活動をメインに行うから。
・日本流、目利き商人の増加
・“めんどくさい”の丸投げ+疑わない=搾取の対象
・あなたは馬や鹿ではりません。あなたは人間です。人間は自分の特性を見つけることができる能力を持っています。そういう意味では、自分探しの心の旅は有効です。良い旅になるようお祈りします。
①虐待を趣味にする人の心を破壊するためのメッセージが湧いてきましたが、それをネット上にまき散らすと健全な心の人々をも巻き込んでしまうので躊躇っています。倍返ししたいです。
②心が悲鳴をあげている人が素直に「助けて」を言える社会になって欲しいです。
“ネットの中の人”の立場では、助けを求める人の隣に駆け付けることができません。
≒心が悲鳴をあげるまで何も言えない世の中です。心が悲鳴をあげても何も言えない世の中です。
①点と②点は“線”で繋がっています。
③ドロップアウト
「普通は」「常識では」そういう言葉が彼らを苦しめてきました。
④心の逃げ道の一切を塞がれたひとが、社会に及ぼす影響
⑤優越意識の再生産教育
⑥支配欲を満たすための弱者へのマウント行為
⑦心が救われるための手段
人の足を引っ張る or 努力する
⑧欲望依存症
負のスパイラル=生き方の癖
⑨オスの支配欲による社会構造=マウント(デフォルト?)
⑩オス=種を残すために他を狩る
メス=種を残すために協調しようとする(ひとりでは育てられない)
⑪オスの部分、メスの部分は両極ではない=脳内分布比率は人それぞれ
⑫歴史をほじくり返して政治利用して国民を煽る作戦⇒三流政治
⑬死ななくて良い命はたくさんあった。誰のせい? 加害者のせい? 加害者の裏に潜む背景は?
⑭宗教を利用して国民を欺き、戦闘気概を植え付ける作戦⇒四流政治
・『実感』している方もいらっしゃるかもしれません。
頭の中に『憂い』が残っていると、思考の働きが鈍くなります。頭=心をクリアにするには『憂い』を取り除かなければなりません。『憂い』は人それぞれ違います。
『憂い』は人それぞれ違います。
⑮恨みの量の測り方
恨みの深さ × (個体数 + 一族郎党) + 寿命
 + “正義感”の数
⑯巣の中で口を開けて餌を待っていたひな鳥は、待てど暮らせど来なくて泣いた。なぜなら親鳥は、餌をすべて自分で平らげてしまっていたのだから。
⑰国民の栄養を吸い取って自ら肥え太る作戦⇒五流政治
⑱世界中の“正義感”を敵に回す作戦⇒政治に非ず
⑲可視化社会∴裸の王様=注目の“的”
⑳「王様は、自分で自分の逃げ道を塞いだ。」
㉑可視化社会の恩恵⇒\も女も人種も超えて素直に『助けて』が言える世界
㉒あなたの「助けて!」が誰かの“正義感”の琴線に触れるものならば、それはどこかの誰かに届く。 可視化社会の恩恵によって。
㉓北風と太陽の、北風の大敗⇒自然の摂理
㉔『べき論』
政治はどこまでもロジカルである『べき』だ。こと政治に関しては、我々はどこまでも感情の煽りに流されずにロジカルである『べき』だ。政治に感情を便乗させてはならない。政治は国民の幸福の最大化にのみ、貢献すべき“ただのシステム”に過ぎない。感情の煽りに負けてはならない。したがって、全世界の国民の皆様の幸福度の最大化を祈る。
感情への煽りに負けてはならない。
そして政治には『個人的な面子』も不要だ。
㉖権力ごっこ、終わった?
㉗絞首台までのカウントダウン。かなりの人をやったからな。
㉘自分の手を汚さずにやっていると、だんだんマヒしてくる。気づいたときには遅い。汚れ仕事させられた皆様に、深く哀悼の意を手向けます。
㉙気づいたときに、並みの精神では正気を保てない。あの人は平気か。
㉚国民の皆さん、それぞれの自国の権力ごっこの行く末を、冷静にしっかりと観察し目に焼き付けてください。そこには盛衰の学びがあります。
㉛【再掲】恨みの量の測り方
恨みの深さ × (個体数 + 一族郎党) + 寿命 + “正義感”の数
㉜【ヒント】
・ハンバーグのツナギはパン粉。権力のツナギは?
・逃げるが勝ち
㉝【賢人の生き方を模倣する】
感情を発露させている人の炎上商法に乗ってはいけない。彼らはしっかりと冷静に観察する必要がある。なぜそういう言動や行動をとるのか? 時間をかけてじっくりと観察する。
彼らの目的は? 炎上商法により期待している効果=メリットとは?
見る目を養おう。
㉞【現代の国境】は誰にメリットを与えているか? 
誰にとってデメリットになっているか?
“わたし”は原始人として生きるか? 現代人として生きるか?
㉟国民が賢くなれば結実しない空虚な舌戦などは何の意味も持たなくなる。あなたは弁舌家になりたくて政治家になったのか。今やほとんどの国民は、そんなあなたの言動を白け顔で見ているだろう。裸の王様という恥辱行為に早めに気づいた方が、傷は浅く済む。
〇現在の経済状態
・不当な商品価格設定=消費者の低価格要求圧力に対応した不当な価格設定=高品質低価格=低価格競争
・消費者の低価格要求圧力+重課税による消費意欲の減衰
⇒重課税のカネの流れ=市場からの投網漁による吸い上げ⇒薄く広く、玉石混交へ分散(垂れ流し)
・長期間による補助金ぶら下がり気質の醸成=イノベーション能力の減衰
・出る杭は打つ思考性=足を引っ張る+努力はしない=イノベーション能力の減衰
・大陸との分離による戦闘能力の低下=平和ボケ(経済的にも)
∴高付加価値のものを労せず安価に手に入れたがる消費者の醸成
・バナナの叩き売り理論⇒薄利多売(売り手)+依存症者(買い手)の醸成
〇ピンチをチャンスに
・人的資本(潜在能力)を経済活力へ振り向ける⇒弱者マウントの時間を自己投資時間へ振り向ける
・投資資金=嘱望、期待
・為替=現在価値、投機
・投資と為替の乖離の穴埋め=コツコツの増産、揺らがない自信の醸成=個人の幸福と組織の隆盛、投資家とのWin‐Winの関係
∴ネズミ算式人口増殖思考=敗者(家畜)の増産思考⇒誰得か(冷静思考へ)
・『空腹時間』という大切な機会の損失
「あれ食えこれ食え」の詰め込み外圧(食事に限ったことではない)から心身を守る方法⇒
“無”の時間をしっかりと作る
・正確なモノの流れを“理解”することで取捨選択能力は上がる
・正確なモノの流れ⇒自分が可視化できる範囲まで分解し補足すること=“納得”という自己認識のエビデンス
・自己認識のエビデンス⇒自分に対して有効なのであって他人を説得するための材料とは別問題=他者理解を得たい事柄かどうかとは別問題
・実業と精神業(精神業がまがい物になりがちな理由)
実業=物的証拠による共通認識
精神業=買い手が信じれば何でもあり⇒厳格な制限による精神業の法整備化(対価設定の制限。弱者救済目的ならば異論は出ないだろう、ナントカ法人さん)
・「真理」に照らせば、すべては芋づる式で出てくる
∴日本の土壌=実業に強いということ。目くらましの精神業に騙されない武器=知恵を持とう。カギは細分化によるバタフライ効果の補足=可視化する、だ。
・市場への政治介入による弊害例
雇用の上限年齢設定⇒気力・体力は人それぞれ。
・対話を通した議論を不可能にする具体例
少子高齢化対策に精神論「子どもは尊い」を持ち出したとき。「子どもが尊い」のは正論だが、人口増殖思想による地球汚染の弊害などは無視している(なかったことにする)と、議論は成立しない。子供が尊いことと、地球規模で考える社会問題はまったく別の事柄であることをまずは理解しないといけない。論理派に精神論が忌避される理由は恐らく、この辺にある。
㊱“私生活の暴露”という概念が存在しなくなる世界線 
※これはやや暴力的です
例えば誰かが勇気を出して「私は性依存症です」と声を上げたとする⇒Me too運動が起こり新たな社会問題として共通認識される⇒議論が成熟してきて「では倫理とは?」という議論が起こる⇒普遍的な人間の欲求として「寛容」が生まれる⇒趣味嗜好のひとつとして片づけられる=人類の多様性のひとつ
色々な考えの人がいる中で、このことに具合の悪くなる人もいるかもしれないが、だからといってその人が人に言えない趣味嗜好があるのかないのかは、分からない。
それぞれの趣味嗜好が治療すべきものなのか、容認すべきものなのかもわからない。今認知されていることと言えば、社会的に成功した趣味嗜好は「是」とされて依存症治療の名目になってしまうものが「非」と判定されていることくらいだ。
相互監視社会を据えた際に見える未来だけれど、何が正解かはわからない。ただしこの『世界線』は相互にメリットがある——それぞれが生きやすくなるだろう。当然、そういう下世話な仕事は淘汰される。転職先を探した方がいいかもしれない、と下世話な皮肉をひとつ。
なお、この「皆おんなじ人間だもの」が平準化してしまうと、一部の神格化されている人物やそれを崇拝する人々は猛反発するかもしれないし、一部はゲシュタルト崩壊レベルでしばらく動けなくなるかもしれない。真理は時に残酷だけれど、仕方がない部分もある。社会のデジタル化とワールドワイドな通信化を人間が望んでしまったのだから、パンドラの箱の開封は、自己責任でもある。いくら政策によって鎖国化したり強制封鎖しようとしたところで、人間ごときの権力の及ばぬところまでデジタルは侵食してしまっている。つまり「諦めろ」ということだ。
㊲放蕩息子の放漫経営によって生まれた負の資産がゴロゴロと。もはや資産ではなく負債だ。で、その負債=不良債権処理は誰が行うのか? 経営責任は誰がとるのか? お聞かせ願いたい。
『Q』には『A』をぶれなく答えるのが筋だ。
㊳デモとタイパ、その効果について紐解く
デモの時間対効果はいかがなものか? という疑問がひとつ。
デモによるインパクトはそれなりにあるが、難点をあげるとすれば、冷静に観察するサイレントマジョリティには届きづらいのではないか? というのが一点。
日本を例にあげると、たとえば悪法が数の力によって強制採決されてしまう場合、真っ先にデモという手段が浮かぶかもしれない。しかし日本は(私がこのような自由を与えられているように)ある程度は民主化が肯定されており、ディベートの自由がある。それであれば、ディベートに磨きをかける方が案外、遠回り(面倒くさい)ようでいて、確実なのではないか。というのが一点。
私は今、国民の皆様の神経を度々逆なでしながらも、非力ながらも、与党の数の力に対抗すべく国民の皆様の数の力に頼ろうとしているが(これが愚策かどうかは置いておいて)、色々な観点からデモを起こす勇気はない。コスパとタイパの観点から言えば、可視化社会のこの現代、国民への訴求は服を着せたり下駄を履かせたりしていない「生の声」によって説得するような気概を政治家には求めたいところではある。装飾しても、大概は見抜かれてしまう世の中だ。
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kennak · 3 years
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日本語で発信されるアメリカでの仕事とか生活の事情って、上手くいってる人の話が多いから底辺に近いエリアの話って全然伝わってないと思うんですよね。 その層で生きている人たちって情報発信しないし。 だから、今日こそはその辺を話したいと思います。 不法滞在や不法就労の状態の人がなし崩し的にグリーンカードが取れたのは昔の話で、2001年の同時多発テロ以降アメリカに合法的に在住するということは非常に難しくなった。だから、2001年以降にアメリカに渡って暮らしている人たちは結構高いハードルを超えた人達と言っていいと思う 就労ビザを取って優良な米国企業で働いている人達っていうのは、その中でも凄く優秀な人達だ。発信力のある彼らの言葉の影響力が強いのは当然なのだけど、同じアメリカ国内にも彼らとは全然違う世界で生きている日本人が沢山いる。そして、底辺に近いところで何とか生きている人も一定数いる、という話 アメリカに渡った日本人の歴史を話しだすと長くなるけど、今日は戦後、特に80年代以降にアメリカに渡り居着いてしまった日本人の話を中心に書きたいと思う。つまり、なし崩し的にグリーンカードが取れた朗らかな時代に渡米した「一世」達だ 「アメリカに来れば何かがある」と思う人は多い。というか世界中からアメリカンドリームを求めて沢山の人がやってくる。80年代であれば日本は豊かになっていたから過去の日系移民達とも他のアジアの国の人達とも違い経済移民ではなかった。モラトリアム移民と言ってもいいかもしれない 「何となくアメリカに来て、何となく居着いてしまった」と表現したら言い過ぎだろうか?でも、実際僕自身もこういう心境だった。偶然グリーンカードに当選した僕は何となくアメリカに来てしまったから彼らの気持ちがとてもよくわかる気がするのだ 僕が渡米したのは2004年。モラトリアムな先輩達から遅れること20年。ビザ要件が厳しくなってからというもの、留学でもなく、就職でもなく、結婚でもなく、なにも決まっていない状態で永住権だけもってフラフラしている若い日本人なんて超レアな存在で、80年代からタイムスリップしてきた若者の様だった 多くの日本人と同様にサンフランシスコ(隣のバークレーだけど)に住み着いた僕は英語が一言も話せなかった。アダルトスクールという無料の学校では移民向けに英語を教えてくれると聞き、2、3回は通ったけど詰まらなくて続かなかった。住んでいれば、いつか英語が話せる様になるだろうと楽観的に考えた 貯金は生活費2ヶ月分だったから、すぐに仕事を探し始めた。ジャズクラブと日本食レストランで有名なYoshi'sのキッチンヘルパーの面接に行ったのだけど、英語がさっぱりわからずに不合格。キッチンで働きながら、あわよくばライブが聞けるかも!と超甘い考えだった。 日本に住んでいた時、バイトの面接で不合格になったことがなかったから結構ショックだった。ただ、若いっていうのは何事もどこか他人事というか、焦りを感じないというか仕事が見つからないことを「怖い」とは全く思っていなかった。漠然と何とかなるだろう、と思いながら過ごしていた、ある日 近所の日本食レストランのシェフと知り合い即採用。英語の確認もされず、料理の経験も聞かれずに「日本人の若者」というポテンシャルのみで仕事を得る事に成功した。時給7.5ドルに加えてチップが一晩10ドルから30ドル。朝9時から夜10時までの通し勤務で、休みは週2回。福利厚生は無しという条件だった 普通カリフォルニアのレストランのキッチンはメキシカンに占められていて、そのお店も例に漏れずだった。フェアなオーナーの方針で僕は序列ではメキシカン達の下になった。彼らは初めて日本人の下っ端を手に入れた!そして英語よりもスペイン語を浴び続けるキッチンでの日々が始まった 飲食店という客商売だし、肉体労働でもあるのでストレスが高い。そういう環境では人々の本性が曝け出されてしまいがちだ。小さなお店でも職種や人種による序列、過去の経歴によるマウンティングなど人間臭いやりとりが沢山あった。僕は仕事の要領が悪く、メキシカンのリーダーからよく怒られた。 何をしても怒られた。スペイン語で色々言われても意味はわからないけど罵倒されてるのはわかるし、バカにされてるのもわかる。正直仕事中に泣いたこともあったと思う。後から入ってきたチベット人の若者には英語を馬鹿にされて、とにかく悔しかったし、その状況を変えられる気もしなかった それが渡米1年目の日々。日本人の寿司シェフやウェイトレスさん達には良くしてもらった。多分、不器用で何も出来ない若者だと同情されていたと思う(苦笑)その店で20年以上働いている高齢の女性には一度真剣に説教をされたを覚えてる。「この仕事が出来なかったら、どこでも通用しないよ」と ヒッピーあがりや、遊び人が多かった寿司シェフ達。彼らは80年代にアメリカに渡ってきて生きるために寿司を握った。その店は人気店だったからシェフ達は成功者だった。結構いい車に乗り、皆家も買っていた。皆が寿司シェフになりたがっていた。「ツネも寿司を覚えればちゃんとした暮らしが出来るぞ」 ウェイトレスやウェイターは週末の夜は一晩で100ドルから200ドルのチップももらっていた。それを羨望の眼差しで見ていた僕の月給は1000ドルいかなかった。彼女達は言った「キッチンをやめて良い店のウェイターになった方が良いんじゃない?」 毎日ひたすら野菜と肉を刻み続けていた。店のヒエラルキーの一番下っ端だったから、ウェイトレス達からの扱いも軽かったし雑用は全部回ってきた。こんなことをやるためにアメリカに来たのか?と考え続ける日々だった。こんなはずじゃないと思いながら、どうすれば何が変わるかわからなかった ある日、日本の友人からダイエットサプリを買って送って欲しいというメールが来た。ヤフオクで転売したいとのことだったのだけど、そこで初めて自分で商売するということを考えた。どうせレストランの仕事を頑張っても浮き上がれるかわからないし、リスクを取ってでも自分でビジネスをした方が良い、と 思いついた。上手いこと卸をやっている日本人社長を見つけ企画書を持って直談判をしに行った。生まれて初めて書いた企画書はポンコツだった筈だけど社長の答えはYesだった。そして、僕はキッチンで働きながら、自分の会社を設立した。個人事業主でも良かったが社長になりたかった。27歳の時だった。 自己資金ゼロで始めたから書類も全部自分で書いたし、サクラメントの役所にも自分で持って行って登記した。契約書も見積書もインボイスも何も知らなかった。ベンダーへの支払いが先で、顧客からの入金が後だということも知らなかったから早々にショートしかけた 親からお金を借りて何とかやり過ごし、レストランの仕事をやめて自分の会社の仕事に専念することにした。実際はキツい下っ端の仕事を一刻も早く辞めたかったからで、自分の会社の展望は何も見えていなかった。ただ手に入れた社長という響きは多少は心の隙間を埋めてくれた 社長をやると社長と知り合うことが多くなるということをこの頃に知る。そして、社長には色んな種類がいることや、癖の強い人が多いということも知った。そして、何より追い込まれ過ぎると人は逃げるというか、飛ぶということを身をもって知った そう、飛んだのは僕だった。自���の会社を経営するには若すぎたし、甘すぎた。すぐに資金的に行き詰まってしまった僕がお客さんを協業先のベンダーさんに託して会社を畳む。アパートも維持できなくなり、知人の家の一部屋に転がり込んだ。そこにも居られなくなり一発逆転を狙った 「ラスベガスだ!」と思った。深い理由はなく、漠然とベガスに行けば何とかなると思った。住むところも何も決めずに10時間車を走らせて砂漠の中の街に移り住んだ。ストリップの外れの治安が悪い地域の一軒家にハワイから渡ってきたミュージシャン達7人との生活が始まった Craigslistで見つけたオーディションに行ってベースを弾いて幾つかのバンドに加入し、ミュージシャンユニオンに加入してミュージカルやホテルの仕事の現場に顔を出しながら演奏を機会を探ったが、突然あらわれた怪しいマネージャー取ってくるのは50ドル貰えるかどうかの小さなものばかり。 資金が尽きて徐々に深夜の怪しいビデオ屋の店番のバイトが生活の中心になっていく。早朝のストリップのホテルの建物は煌びやかさが一切なく、補修の後が生々しいただのハリボテだった。「全部偽物じゃん」と思いながら車を走らせて虚しさを抱えて家に帰る日々だった 怪しいビデオ屋を取り巻く日本人達もクセが強かった。元ヤクザだと息巻く某ホテル内の寿司シェフ。某ホテルのカジノのベテランディーラー。元風俗嬢で今でも過激な下ネタしか言わない高齢の女性。お店のDVDや売り上げを盗みまくる店長。北朝鮮から脱北してアメリカに流れてきて店を開けたオーナー (オーナーは日本人じゃないけど)この人達が理想の自分と現実の自分の境目がわからなくなった状態でマウントを取り合い店はいつも阿鼻叫喚に包まれていた。僕現実逃避をすべくブラジル人コミュニティに入っていきポルトガル語のエクスチェンジに没頭していた。何をしにベガスに行ったのか既に不明 ボロボロの生活で明日の食事をするお金も無いというところまで追い込まれていった。そんな状態でも「堅実に」とか「着実に」とか「コツコツ」などを考えることも無く、どうすれば一発逆転できるのかを考えていた。怖いことに何の疑いもなく、逆転出来ると信じ切っていた。もうすぐ30歳になる2007年の話 このアメリカ生活の最初の3年間に就労ビザを取ってアメリカ企業で働いている様な優秀な日本人には会ったことが無かった。僕の周りにいる日本人達は皆どこかなし崩し的に生きてきてしまった人達ばかりだった様に思えた。程度の差はあれ所謂「成功」からは遠い場所にいる人達だった。(続 11月になった瞬間にラスベガスは真夏から真冬に変わる。お金も尽き、食べるもの無く、風邪をひいてボロボロの部屋で寝込んでいる時に電話がなった 「仕事を手伝って欲しいんだけど空いてる?」 マウンティングと嘘の付き合いでしか自分を保てない人達とばかり接していたベガス時代に、僕が道を踏み外さなかったのは彼との交流があったからだと思っている。人としてのベースを崩さずに済んだ。本当に大恩人だ。 11月に入るとベガスは急に寒くなる。風邪をひき、お金も底を尽きかけていた時に中井さんから「来週一週間体空いてる?」との電話が。 聞くと砂漠の射撃場でFBI教官のサブマシンガンのDVDを撮影するので録音をやって欲しい、との事。1日100ドル現金で、奥さん手作りのお弁当付きで。 彼もまた夢を追ってアメリカに渡ってきた若者だった。根無草の様な時間を過ごした後に、この国に自分の居場所を少しずつ築き、そしてラスベガスに自分の城を築いた人だった。だから、根無草だった当時の僕のことを気にかけ、暗黒面に落ちない様に手を差し伸べてくれた そして見つけたのが中井さんの書いたコラムだった。 https://norari.net/gun/back_gun.php 自衛隊を除隊した若者が何のアテも無く渡米、バイクで大陸横断をしようとしてストーリーは始まる。アリゾナの砂漠、ラスベガスでのギャンブル生活、サンフランシスコでの銃のインストラクターを経てラスベガスで起業へと 「底辺」とはその社会において経済的にも社会的にも最下層に近いところに属しているということなんだと思う。そして、アメリカにおいてはマジョリティの経済圏で暮らせず、マイノリティのコミュニティの小さい経済圏でしか暮らせない人達は限りなく「底辺」に近いところにいると言って良いと思う
Tsunehisa Nakajima / AAPIさんはTwitterを使っています
13 notes · View notes
kafka1989 · 3 years
Text
A Pumi (Fekete István)/試訳
「プミ犬」  フェケテ・イシュトヴァーン
ここで道が分かれている。
左には、二つの尖塔がレンガづくりの教会からそびえる街、右には青い煙突がもくもくとけむりを放つ村、目の前には霧のもやがかったポプラの道。左側には無用なさわがしさ、ざわめきといったもの、右からはひんやりとする秋の静けさ。
「ペターク、お前はどう思う?」
犬は老人をちょっとみて、前に座り込んだ。ちぢこまって、わびしい、灰色に埋もれている。
朝は何の手がかりもなく感じられた。冷えこんでもいたし、あたたかいままでもあった。
その年老いて困った人間は、遠くの道をみやって、そして地表を杖でこつんとやった。
「踏ん切りがつかんな、我が犬よ。」
街には、おそらく、何かしら薬がある。今どきは何にでも薬がある���ら。疲れ切った絶望が彼らのまわりをぐるぐるしている。犬が、立ち上がった。
「じゃあ、いこうかね。」
老人は街の方にむかって、歩き始めた。
ゆっくり家々が見え始めて、通り沿いに立ち並んだ。そのあと、家々の層が深くなり、そこかしこに高い建物があらわれた。犬はちらちら後ろをふりかえって、飼い主の前にいながらより近くへ寄ってきた。すぐに彼のうしろにきて、足元にとどまった。
「これはこれは。」
老人は言った。
「このやかましいとこにいちゃあいかんよ。」
「薬屋はどこかにあるかね?」
彼は誰かに尋ねた。
「ハドハーズィ通りにありますよ。どうして犬をひもにつながないんです?」
老人は帽子をつついた。
「つなぎたくないんですよ。」
そして彼らは先へと進んだ。
「ハドハーズィ通りはどこです?」
女の人に尋ねた。
「並行してる通りですね、ここを右で、ふたつめがお探しの通りですよ。」
「並行してるだって?まあいいや、ペターク、おいで。」
しかし説明のとおりに、薬局は見つかった。
ドアの横に、杖を立てかけた。
「ここで待っていなさい!」
プミは、ドアが開いてからまた閉まるのを見て、そのあと、杖のそばに座り込んで、杖の取手を眺めつつ、もうひとつの目で通りを見ていた。人間がしっちゃかめっちゃかに歩くばかりで、犬は捨てられてしまったような気がしていた。
物音、匂い、周囲の様子にはなじみがなく、しかし、こうしたものの背後には、何かひどいものがやってきて、外の開かれた場所でいるほうが耐えやすいであろう、不安な時間があった。
薬剤師も年をとりつつある人だった。ひげもじゃの老いた浮浪者を見て、目でなでまわした。
「薬をさしあげますよ、きっと悪くはないものです。でも、別の考えがあります。病院に行って、主任の医師であるペーテルを呼んでください。着くまでに、全部彼は知っていますから。」
「知っている?」
「わたしが電話するんです。まあ、座ってください。それまでに何かさしあげますよ。今も気分がよくないでしょうから。」
「すこしね。」
薬剤師がグラスを置いたとき、ドアをひっかく音が聞こえた。薬剤師はそれが何かわかったので、ドアをひらいたとき、ペタークは老人に向かって一目散にかけよった。
「わたしの犬ですよ。すぐ全部よくなるよ。お前には言ったじゃないか、待っていなさいって!なんて犬なんだいお前は?誰かが杖を持っていってしまうじゃないか…」
ペタークは申し訳なさそうにドアのほうへ行って、薬剤師はその様子を見てもう一度笑いながらドアを開けた。そうするとペタークは重たい杖をひきずりこんだ。
老人は立ち上がった。
「ご迷惑をおかけしましたね。」
老人は杖をもつために止まって、そしてよろめいた。
「まだ犬もいるんですよ…でもわたしにとっては、一人の人間も同然です。医者はペーテルさんと言いましたっけ?」
「ペーテルです。ちょっとまって、犬にも何かあげましょう。」
ペタークはそんなものをこれまで見たことがなかった——薬剤師がもってきたのは皿にのせた肉だった。きれいだが、あやしい皿だった。
「まあ、お食べ。」
薬剤師は言った。
しかし、その犬は、興奮のうちに座りこんで、飼い主を見るばかりだった。
「親切なひとがお前にくれたんだよ。」
老人は言った。それでペタークは二口で肉を平らげて、皿をきれいに舐めてしまった。
「親切なひとだって、いったとおりだろ?」
ペタークは薬剤師の手も舐めて、彼の靴を嗅いだかと思うと、しっぽをぱたぱた振った。
老人は最後にやってきた客だったが、不安はすぐになくなった。医者が若い女性の研修医を遣わせたからだ。老人は羽織っていた毛布にも気がつかなかった。
「薬剤師さん...」
「服を脱いでください、ここはとても暑いですから。犬は外に置いていたんですか?」
「今そんなことを知りたいんですか?」
弱々しい声はあまり遠くへ届かず、感謝の深みへと落ち込んでしまった。研修医は、彼の答えを聴きながら、ほとんどすりきれた、しわくちゃの体を抱きかかえて、ゆっくりとまっすぐにさせ、顔に安堵を浮かべようとした。
「横になって、心臓を休める必要があります。おいくつですか?」
「80です。でもね、わたしの犬なんです、先生…お金が全然ないんです…」
「お金はかかりませんよ。犬も、一緒だと感じられる場所にいさせますからね。」
「何か薬をいただけませんか?日中横になったことはないんです…部屋の中だと息が詰まりそうで…」
「おさまりますよ。」
老人は、毛布を拾い上げた。
「おさまりますよ…もちろん、そう考えなければなりません。」
それから室内で、彼は落ち着いて、悲しい気持ちから眠気がやってきた。彼はたくさん寝た。そして、目が覚めたころには、窓の外に、黄色く染まったカエデの木を眺めていた。木から一枚また一枚と葉が散っていた。もし真っ黒い恐怖の、深い悲しみが到来したら、ただベルを鳴らせばいい、そのことで安心できた。
これほどの優しさを、今ほどに人々からうけたことは人生で一度もない。数日前までは、今ほどではなく、そして今はもう遅すぎるのだった。しかし彼は確信がもてなかった。というのも、ときどき、とても調子良く感じられることがあったからだ。
とりわけ、愉快な独り身の薬剤師が来てくれるときには。彼は一度、ペタークを忍び込ませたことさえあった。そんな美しい夜は、きっと彼の一生で一度もなかっただろう。人生について、これまで辿ってきた道について、見てきたものについて、友人について、そして亡くなってしまった人々について、彼は語った。そして眠りに落ちた。
「彼はあんな風に眠りにつくでしょう。」
医者は廊下でそう言って、言葉をつぐんだ。彼女は一人一人の患者に対して感情移入していたからだ。そして、もう、死んでしまう人たちはみんな、そのことをまだ知らないのだと分かっていたからだ。
夜半過ぎ、薬剤師のもとに、看護師から電話があった。身寄りのない老人が、彼と話したいのだそうだ。
「朝まで持たないかもしれません。」
老人が目覚めたとき、薬剤師はもうそこに座っていて、ベッドの隣には犬がいた。
「ペターク…」
犬は飛び上がって、老人の手を舐めまわした。
「ここに、ベッドの横に、わたしの杖があります。これも持っていってください。ペタークと杖とです。他には何もありません。」
沈黙が続いた。長く、垂れ落ちるような沈黙。
犬はゆっくりと部屋の隅へと動き、毛をそばだてたかと思うと、うーうーと呻き声をあげ、そして一度だけ大きく飛び上がり、むせびなくように吠えた。犬の悲しんでいる鳴き声が、彼にもわかった。
薬剤師が老人のぼろぼろの杖を手に取ったのは、もう夜明けのころだった。
「おいで、ペターク。」
病院から出るやいなや、犬は前方に歩き出し、古い杖のよく知っているコツコツという音に何度も振り返ってみせた。
「今行くよ、行くからね。」
薬剤師は言った。そして、彼の心に、信頼と愛とがあたたかく注ぎ込まれた。
教えてくれないか、ペターク、お前が僕を譲り受けたのだろうか、それとも、僕がお前を譲り受けたんだろうか?…
Tumblr media
*プミ犬は、ハンガリー産の小型犬種。
[原文] https://www.facebook.com/FeketeIstvan.iro/posts/10155300763294192/
[これは、勉強のための試訳です。間違い、理解の不正確な点のあることにつき、予め断るとともに、今後、理解の深まったときに、アップデートしていくつもりです。読む際にはご注意ください。]
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