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#ジェフ・ウォール
satelliteee-com · 7 months
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Jeff Wall North & West 2016年3月にカナダのオーデイン美術館で開催予定だったバンクーバー出身のジェフ・ウォール「North and West」展の展覧会カタログ。 ジェフ・ウォールは、故郷のバンクーバーに住み、彼の作品のほとんどがバンクーバーとその近郊で撮影されたものでありながら、地元を超え、歴史や記憶といった普遍的なテーマを扱う。だからこそ、彼の作品は世界中で賞賛され、テート・モダン、MoMa、シカゴ美術館など、数え切れないほどの国際的な展覧会のテーマとなっている。フォト・コンセプチュアリズムにおける彼の重要性は、美術界全体が認めており、彼の映画的写真は、一般大衆にも学会にも絶大な人気を誇っている。 彼が本展のために選んだイメージは、歴史の意味と、私たちが住む街をどのように記憶しているかを探求している。私たちの心に刻まれた街は、もはや存在しない。都市の風景は絶えず変化するが、過去の名残は残り、歴史の影響は決して終わらない。「North and West」は、ジェフ・ウォールの深く感動的で影響力のある作品群に迫る、簡潔で欠かすことのできない一冊。 ISBN-10: 1927958873, ISBN-13: 978-1927958872 p.55, 25.7 x 1.3 x 28.4 cm 2016/10/11
Jeff Wall: North & West
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hiruzenmegata · 4 years
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1012自分をはげます
 制作活動に限らず、なにかを考えたり、じっと観察することをやりすぎて、それがクセになってしまうということは、「いじわるな人間になる」ということと非常によく似ていると思う。悪意をもって積極的に人を攻撃するような「いじわるな人間」とは違うにしても、常に一定の距離を保って、なにか対象について冷めた視線を自覚的に、意識的に持ち続けるよう自分を調教した人間が、しかも視座が多ければ多いほうがよかろうという批判精神を大切にしてさえいる。……このようにして、「いじわる」という言葉の響きの幼さ、素朴さにむしろ肯定的なにおいを嗅ぎつけたうえで、そのうえでいいますが、観察癖のある人間のいじわるさはすてきだし、いじわるな作品に出会うとうれしい。ソフィ・カルとかやばない?
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(五年前に拾った手紙)
 そうそう、ソフィ・カルに限らず、写真をつかったアート作品はなにかと、「絵画」とか「カメラ」の構造や制度について自己言及的・自己批判的・メタ的なふるまいをすることが多い。(ジェフ・ウォールかっこいい)メタ的な視点を持つこと(それをこうしてピックアップしちゃう注意力が身についていること)は、コーゾーシュギっちゅう時代の趨勢の残響のなかに生きているからこそかもしれんし、まあ平たくいってそういう視点にすぐ立てる身のこなしを得意とする人のこと「頭がいい」なんて表現したりするけど、ともかく、「メタ視点」への移動を可能にするのも「いじわるさ」な気がする。「ある種のいじわるさ」じゃなくて、むしろそれこそが「いじわるさ」のど真ん中な気がする。
「気がする」連呼しているのは「いじわるさ」への自信がないからで、それは裏を返せば、「いじわるになりたい」って考えているって話。いじわるになりたいし、いたずら、迷惑行為や犯罪行為、意味や主張のあることではなく、いたずら、がしたい。とは思うんだけど、「自分なりの条件にあてはまるいたずら行為をやりたい、というのがまず先にある」状態でなにをしても、それは「自分なりの条件」からはずれてしまう。いたずらができない。
 蛭子能収さんが、単行本のタイトルを相談した編集者の提案「私はバカになりたい」を「まるでオイが天才みたいやからいいね」つっておおよろこびしたて話を思い出しましたけど、わたしはね、いじわるになりたいなあ、いじわるになりたい。意地が悪くなってみたいもんだよ。
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 わたしは嫌いなやつを自作の小説のなかに登場させ、そいつを殺したことがあるんですが、そういえば蛭子能収さんも、学歴の自慢をしてきた編集者を漫画に登場させて殺していた。これはこの記事を書いていて思い出したこと。蛭子さんと共通点が複数あること、あまりうれしくない。(漫画は好き)
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さて前回の記事の最後に書いていた、友人と中華街を歩いた話から続けて日記を書きます。
彼は甥っ子がとにかく大好きで、仕事帰りにはいつも甥っ子の動画像をみたいのだけど、電車のなかでみてしまうとニコニコのニヤニヤになってしまうからそれが恥ずかしくて悩んでいる。ところがこの半年以上、甥っ子に会えていない。ということを、ほんとうにさみしそうにそう語る。「小さい子の半年は長いからね、もう忘れられてるかもね、誰にでもなつっこい時期や、誰にでも人見知りする時期が子供にはあるというし、いま会いに行っても相手してくれないかもね」追い打ちをかけておれは、ニコニコのニヤニヤでいじめます。数日後、連休を見つけた彼は突発的に帰省していました。「久々の甥っ子どうだった?忘れられてなかった?」と訊いたら、「そんなことはなかった!」とうれしそう。久しぶりのおじさんによろこんでくれた甥っ子に「絵本読んで!!!」とねだられて、いいよいいよって応えたら、甥っ子の持ってきたのはおもちゃのカタログだったそうです。トミカが欲しいらしい。それか仮面ライダーのなにか。このおじちゃんは甥っ子にはなんでも買ってしまう。甥っ子はそれをわかっている。話すテンポはゆっくりじゃないけど、「かわいい」という言葉だけすごくタメて言う(〇〇は〇〇ですよね、〇〇だったりして〇〇って〇〇じゃない? 〇〇みたい。ははっ、か~~~わ~~~い~~~い~~~~~)人だから、甥っ子の話のときは滞空時間が増える。
その友人、もちろん好きですけど、どこが好きかというと、きちんとしていなくても構わないっていう部分については徹底的にぼんやりしているところ。めちゃくちゃ隙がある。���た目はむしろちょっといかついくらいなはずなのだけど、ひとりで都心にでると四回に一回は必ず宗教勧誘を受ける。それでも善人なので、たとえばちょっと困ってそうな人がいると自分から声をかけて手助けすることもある。夏には、新宿で荷物を運んであげたおじいさんから日本酒が二瓶送られてきていた。けどそんな「いい話」はとても珍しく、たいていは何らかの勧誘につながっている。みなさん!都心で急に「このへんで、いいラーメン屋知りませんか?」と話しかけられたら要注意ですよ。
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赤レンガ倉庫でビールをあけて、「このあいだ話」に興じます。彼の鼻の穴に血の乾いたあとがあるのを見つけました。今朝がた鼻血をだしたのかもしれない。
ワールドポーターズをぬけてコスモワールドの方向へ。固有名詞というか、ローカル名詞ばっかですみません、桜木町駅にむかって移動しているということです。ワールドポーターズっていうのはショッピングモールで、丸見えになるポイントがあるとは知らないんであろう場所でそこそこの年齢の男女が、エレベーターを待っているにしてはやりすぎなスキンシップをしているさまをふたり見下ろして、ちょっとひいたあと、露出狂というか、野外で性的な行為に及ぶ自分を人に見て欲しいというタイプの人がインターネット上にアップロードしていた、横浜の夜景をバックにはしたない姿になっている自分自身の写真がかなりきれいな写真で、画質もそうだが横浜の夜景がきれいで、あまりの美しさに笑ってしまった、みたいな話をしていました。ビールはあけたけどお互いひと缶ずつだけだし、とっても穏やかな調子で話しています。「おもしろ」になるかと思って書いているだけですが、この話の強烈さが印象つよくて、ほかの話題は思い出せないな。僕はそのとき、去年末にまた別の友人とワールドポーターズ通り抜けてたときのことを思い出したりしていた。そのときは、椎名林檎の文体はほかの人がつかうとクソ寒くなるよねって話をした。その話をしているとき、わたしは「無罪モラトリアム」のバンドスコアの質感を思い出していた。それから、カラオケで福山雅治をいれる人がきらい、みたいなことを(話し相手が)していた。大森靖子さんやパフュームやあいみょんの話がされていた気がします。これはなんの伏線でもない。
 時空を戻す。甥っ子大好きぼんやり人間の彼と歩く横浜、桜木町駅の近く、「日本丸(日本丸メモリアルパーク)」のところでアイドルっぽい人らが握手会っぽいことをしていた。ファンっぽい人たちが群れてたので近寄ってみたけど、ポスターのひとつも掲示されていない。あとで「横浜 握手会」などでツイッターを検索したら、NON STYLEみたいな名前のアイドルさんらが握手会してたみたい。
それを見送って道を渡ると、ショッピングビルの中庭的広場で大道芸人が「最後の大技」をしていました。机や椅子を重ねた上に立ち、火を飲んだりしていました。
横浜美術館の外観(トリエンナーレ仕様になっている)すらみずにランドマークタワーのあたりのビルにはいる。ジェラート屋さんの列で子供が走りまわる。彼はハンディアイロンと一般的なアイロンと、両方持っているがあまり使わない。今日着ているディーゼルの上着にはアイロンをかけている。高かったから。彼は翌日の予定を面倒がる。忙しさの波が激しい職場で、かなりヒマなとき机に突っ伏して寝る先輩がいる。「海上散歩」を読み間違えて「陸上散歩一時間800円だって」と看板を音読する。桜木町駅前を、彼は写真に撮る。兄が「ゆず」のファンだから、ゆずの聖地に立ち寄ったという自慢をしたいらしい。けれど、駅を知っている人はわかると思うが桜木町駅前って別に写真に撮ってわかりやすいような感じじゃない。桜木町駅にきたことのない人が写真だけぱっとみて「あ!あそこね!」ってなるようなものじゃない。まあ、わたしの知ったことではない。
 以上のように事細かに、「話題はなんであったか」「どのような言い間違いがあったか」「どのような仕草があったか」「そのとき、なにを思い出していたか」などを書き留めてしまうのは、自分がなんらかの時間を過ごしたという歯ごたえに「この人と一緒にどこどこにいきました」という情報だけでは不満足が残るからだ。はっきりくっきり、どうでもいい情報をこそ記しておかなければならない。という焦りを持っているためです。とはいえ、律儀に書き残すことを近年ほとんどしていないのだけど。相手のプロフィールなど、つまり出身地や家族構成、勉強していたことや部活について、あるいは恋愛歴や読書歴は、なるべくメモするようにしている。見返すこともないのだけど。
 桜木町から乗る電車はそのまんま和光市までゆく、東横線と副都心線のつながったやつ。車内で彼は、甥っ子が遊園地の、パンダの乗り物に乗っている動画をみてニコニコしています。わたしは、NON STYLEが好きという彼のその振る舞いをみながら、姪っ子のことになると涙腺がもろくなりすぎてしまうオードリーの春日さんのことを連想していました。
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わたしはいま、映像作品をふたつ作っています。そのうちのひとつは、さまざまな人へインタビュー取材をさせていただき、収集したものを編集する、というもの。この制作のためのインタビューを撮らせていただくため、中華街の翌日、出演者の人に会いに行きました。場所は自由が丘です。ロケ場所が自由が丘であるということがわかるショットが欲しかったのですが、駅前では謎のイベントをしており、この音がうるさい。だから駅前を撮影しても都合が悪い。八代亜紀さんの新曲が云々、という声が聞こえたので一瞬、「え!八代亜紀さんがきているの!??うそ??」と期待しましたが、うそでした。駅前で、電波にのせずにラジオをやっているような状態。大音量でただ曲を流す。曲と曲の間に司会者によるトークがはいる。「去年は誰々さんをスペシャルゲストとして呼ばせていただいておりました!しかし台風のために中止になりました。それで、フィナーレを迎えることができませんでした!それでは次の曲です!」つって阿部真央的な感じの曲が鳴り響いていました。
AマッソのTシャツを着た出演者からたっぷりインタビューを搾りだし、小雨から逃げつつオムライスを食べて夜に解散。どのようなことをして、どのような話を聞いたのか、これは作品に関わることですしあまり書きませんが、それはそうとこの「作品」をどうしたものか。発表のアテがないのでふわふわ、はらはら、しています。この映像はいったいなんなのか。
 しかしこの週末の日曜日にも、やはり同じ作品のためのインタビュー撮影を行った。ZOOMを利用しての録画です。というか、出演者8名のなか、7名はZOOMでの録画であります。自由が丘までロケしにいったのはかなり特別なシーン。背景や、写っているひとの胴体が動く映像が欲しかったのです、ZOOM録画映像だけだと視覚的にあまりに単調なのでね。とはいえこの日曜の録画は特別であった。なぜならインタビュー出演者は映像制作に携わっている人だから知識がある、それ以上に、部屋に機材がある。ほんでもってバッキバキにキマった画面になるってえワケ。
 発表のあてのない作品制作を重ね、僻みでしかない被害妄想を膨らませ、自分の制作活動を呪いつつ、まあどうせいつか死ぬからいっか、と自分に言い聞かせてすごしています。ほんとうは金沢21世紀美術館に展覧会をみにいった話まで書きたかったんだけど分量的にこれでおしまい。お元気で。
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ari0921 · 4 years
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 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和2年(2020)5月22日(金曜日)
 米上院「外国企業説明責任法案」を全会一致で可決
  ルビオ議員ら更に強力な法案を準備へ
*****************************
 
 マルコ・ルビオ上院議員を筆頭にトム・ティルス、ベン・サッセ、ジョン・コーニョン、トム・コットン、ミット・ロムニー(以上共和党)に民主党のジェフ・メークレイ議員らがムニューチン財務長官に書簡を送り、「米国の中小企業でハイテク、宇宙航空、エネルギー分野の枢要部品を製造するなどしている企業が、コロナ災禍により経営がふらついている隙を衝いて、中国資本に狙われている」とし、緊急の対応策をとるよう求めた。
 「とくにコロナ以後、株価が下落して資金調達に難儀をきたしている企業を、中国政府のファンドに支えられた中国資本が民間ファンドを装って、買収攻勢をかける傾向が見られる」とし、なんらかの強い対応策が必要と訴えている。このルビオ書簡は5月20日のことである。
 同書簡のコピィはポンペオ国務長官とオブライエン大統領国家安全保障担当補佐官にも送付された。
 同様な規制措置はEU、インド、豪にもみられ、とくに豪州は中国に対して強い法的措置を準備している。
 5月20日には上院で「外国企業説明責任法」が可決され、ただちに下院へ送付されている。全会一致だった。
下院も対中国に関してはほぼ超党派の合意が成立しており、トランプ政権の中国政策に関してだけは足並みを揃えている。ただし同法は、中国を名指ししてはいない。
 この外国企業説明責任法は、第一にウォール街に上場している怪しげな中国企業の在り方を問うものである。
会計報告、企業報告の不透明な情報公開を続ける企業に対しては強制的に上場廃止ができる内容となっている。
 当局は会計検査を義務づけ、三年しても改善がみられない企業を対象としている。
 ナスダックにはアリババ、百度、テンセントなど中国企業がひしめき合うように上場しており、会計監査法人の監査を情報の誤魔化しなどですり抜けてきた。
トランプ大統領は、「中国企業がウォール街を忌避し、ロンドンや香港や、フランクフルトなど他国の株式市場に上場先を振り替えても一向に構わない」と強気の姿勢を崩していない。
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tayano · 4 years
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自分に同意しない人間は道徳的に劣っていると示唆する政治対話は必然的に、政治的な分断を広げ、深める。それこそ今われわれが目にしているものだ。先週発表されたウォール・ストリート���ジャーナル(WSJ)とNBCニュースの共同調査では、公的生活のほとんどあらゆる問題において党派的分断が表面化し、私生活でもその傾向が強まっていることが明らかになった。  例えば、民主党支持者の84%はトランプ氏が経済を過剰に重視し、新型コロナの感染が拡大する中で人々の安全確保に十分取り組んでいないとみている。これと対照的に、共和党支持者でトランプ氏を強く支持する人の83%が、経済と人々の安全確保の正しいバランスをとっているとみる。  さらに衝撃的なのは、新型コロナ対策として公共の場でマスクを着用するという、単純で一見すると政治と無関係な判断を巡り、党派的な分断が起こっていることかもしれない。公の場で常にマスクを着用するという人々の間では、大統領選で民主党の候補指名が確実なジョー・バイデン前副大統領の支持率が66%、トランプ氏が26%となった。全くマスクをしないか、めったにしない人々の間では、トランプ氏が83%、バイデン氏が7%の支持率だった。  民主党系の世論調査専門家ジェフ・フォーウィット氏と共に調査に関わった共和党系のビル・マキンターフ氏はこうした調査結果について、「われわれがこの国の全てを、党派色フィルターを通して見ていることを非常に強く表している」と語った。
https://jp.wsj.com/articles/SB12390730502276204773504586434802144829580?shareToken=st26c36c06ff5c485daae352d1d2791b21&reflink=share_mobilewebshare
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keijukita2018 · 5 years
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戦略会議 #08 作家研究 トーマス・ルフ/Häuser | House (1987-1991)に関しての新たな解釈のエディティング
予定通り年内に『写真の理論』甲斐義明 月曜社, 2017のジェフ・ウォールの論文「取るに足らないものの印」を読み終えた。1995年にジェフ・ウォールによって書かれた論文で、コンセプチュアルアートへの写真の関わり方と写真のモダニズムがどのように実現されたかをジェフ・ウォールの視点から書かれた論文だ。1970年代以降のコンテンポラリーアートの写真を考える上で重要なある一つの視点であることに間違いはないものであったと考える。
この論文については今後も度々参照しながら現代写真とフォトコンセプチャリズムについては考えていきたい。 アバンギャルド以降、コンテンポラリーアート全般への理解があれば実に興味深く読めると思うが、そうでない写真家は自身がしていることはいったいどこを目指しているのだろうか?と本気で問い直す必要があることを迫られる論文である。このあたりはおいおい書きたい。 今回は論文の中で取り上げられていた、写真がモダニズム芸術となるにあたってコンセプチュアルアーティストが実践したふたつのうち後半で書かれた「アマチュアリズム」を読んで自分の知識と接続する部分があったので考えたい。
絵画や彫刻は芸術家それ自身をその他の人々と区別していた特殊な能力を吟味し、否認する還元主義の波の中、もともとそこにあった要素を取り除くことで、力強く区別化の印をつけていった。モダニズム芸術の受容とは一貫してこのような現象によって形作られており、この批判的反省の歴史的プロセスから切り離して考えることはできない。
写真の登場がこの歴史的プロセス自体を引き起こしたにも関わらず、写真は何かが写ってしまうというその性質上、自身が引き起こしたそのモダニズム芸術への受容へと進むことができず、その表象を問題として、還元主義の波へと乗り出すことが出来なかった。この写真が乗り越えられなかった壁によって、20世紀はじめの60年間、写真は絵画との距離を置く関係となる。
しかし、1960年代に多くの芸術家と美学生によって写真もこの還元主義的な波に飲み込まれることとなる。その波は「技術的なレベル」で生じた。
写真が名画を模倣する家庭で蓄積してきた画像としての品の良さ、技術的な洗練さの全てを捨て去ることで、写真をラディカルな論理の中に統合したのだった。
「こうして優れた画像の伝統的な印ーアジェからアーバスに至るまでの偉大な作者たちによって、それは練り上げられてきたーが欠如していることを明示した画像を正当化するいくつかの方法を見いだすことで、描画を捨てることなく、写真に不可欠の要素を検査することが可能になったのである。」ジェフ・ウォール (1995) 取るに足らないものの印 『写真の理論』p126
とジェフ・ウォールは述べている。
新たな批評的動向は、高級芸術と高尚なアカデミアに起源を有し、アバンギャルドの基本となるプロジェクトである「ハイアート」と「ローアート」の境界、芸術家とそれ以外の人々の境界、そして「芸術」と「生活」の境界を侵犯することとなった。
「それゆえラディカルな脱構築は「無感覚的=非美的なもの」のモデル追求という形で具体化した。」ジェフ・ウォール (1995) 取るに足らないものの印 『写真の理論』p128
新たな批評的即物主義に多大な影響を与えたのはデュシャンであり、無感覚的=非美的なものはレディメイドの中にその象徴を見出した。
初期のポップアートはアーサー・C・ダントのいうまさに「ありふれたものの変容」であり、凡庸なイメージを見つける競争であったのだろう。
写真は西洋の伝統的なみっつの偉大な規範ー形式的な規範、技術的な規範、そして主題の範囲に関する規範ーから分離され、アマチュアリズムそのものが写真の様式あるいはスタイルとして可視的なものとなった。 論文中、ジェフ・ウォールもそれが唯一の手段ではないとしながらも
「才能も技術もある芸術家が、限定された技量しか持たない人間を模倣することが、価値転覆的な創造的行為になったのである。」ジェフ・ウォール (1995) 取るに足らないものの印 『写真の理論』p136
このアマチュアリズムこそが、芸術の概念と基準に真っ向から対立するものであり、
「アマチュアリズムは物真似の形式である限りにおいて、ラディカルな還元主義の方法論となる。」ジェフ・ウォール (1995) 取るに足らないものの印 『写真の理論』p140 と述べる。
この「取るに足らない印」を読んで、自身の経験の中で読み違えをしていたと感じる部分にぶち当たった。
トーマス・ルフ《Häuser | House (1987-1991)》に関してだ。
昨年海外のアートオークションにて落札し、小さいサイズの作品を一点コレクションとして持っている作品でもある。
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Thomas Ruff (German, b. 1958) "Haus No. 12 III A," 1989/95; Chromogenic print (framed); Signed, dated and numbered 27/50 to verso; 6 1/2" x 9 1/4" (sight)
2016年に国立近代美術館、21世紀美術家での回顧展でもいくつかの作品が展示されたトーマス・ルフの初期の作品である。
その時の図録の解説によれば、
「「Häuser」もまた同じタイプの被写体を一定の方法で撮影したシリーズ。撮影対象は第二次大戟後にデュッセルドルフとその周辺に建てられた集合住宅や企業の社屋など、ルフが日常的に接していたごく普通の建築だ。建物の外観を撮影するというアイディアは、最初の作品、「lnterieurs」からの展開であり、前作同様、身近な環境を客観的に撮影していくことで、そこに何かを浮かび上がらせようとする試みである。同じタイプの対象を、一定の方法で収集・分類し、その集積の上に共通性や差異、背後にある法則や力学などを見出そうとする方法をタイボロシー(類型学)と呼ぶ。写真におけるタイポロシーとして有名なのは,ルフが師事したベルント&ヒラ・ペッヒャーが、溶鉱炉や給水塔などの産菜建築を撮影した膨大な作品群だ。しかしモノクロフィルムを用い、光の状況や構図も一定に保った厳密なペッヒャー夫妻の手法に対して,「Häuser」は光線や距離感はほほ一定だが、構図はさまざまだ。実はルフはここでありふれた建築を、あえて建築写真のありふれた撮り方にならって撮影している。この二重の「ありふれた様式(クリシェ)」によって時代や社会が共有するものを可視化する試みなのだ。この作品では,必要に応じて、二枚のネガを接合するなど、初めてコンピューター上での画像加工が行われた。」『トーマス・ルフ|THOMAS RUFF』2016, 読売新聞社、国立近代美術館、金沢21世紀美術館
ということだ。
鑑賞した2016年当時、どうしたって「タイポロジー」に引っ張られてこのテキストを読み違えてしまっていたと今になって思う。「ルフはベッヒャーの弟子」という呪縛はルフの作品を「タイポロジー」という技術論へと還元してしまう。
本当に重要なポイントはタイポロジーという技術論ではなく、当時なんでわざわざ…と思った「絵ハガキ」のような写真そのものにあったのだ。図録のテキストでいうところの「あえて建築写真のありふれた撮り方にならって撮影している」という部分にあたるところだ。 作品をタイポロジーというにはあまりにも統一感のないシリーズと感じていたのは、この方向でのイメージづくりの真の目的は1980年代であった時代的なことを考えれば、ベッヒャー夫妻のタイポロジーを模倣したというよりはむしろ、ジェフ・ウォールのいうところのフォトコンセプチャリズムのコンテクストでアマチュアリズムによる写真のモダニズムをルフが参照していたのではないか?と考えられる。 ありふれた絵ハガキのようなイメージの作品はルフなりの「無感覚的=非美的なもの」としての芸術的価値転換であったのだろう。
ルフが参照したのはベッヒャーのタイポロジーではなく、むしろポップアートのウォーホルの「ありふれたものの変容」でありジェフ・ウォールの言うところフォトコンセプチュアリズムの「取るに足らないものの印」というコンテクストだったのではないだろうか? つまり、ベッヒャー夫妻がルフの先生であったことは間違いないが、そこから学び自身の作品を芸術作品としていくために活かしたことは「タイポロジー」という技術論ではなく、ベッヒャー夫妻が「タイポロジー」で何を成し遂げたかという写真芸術のあり方で、写真芸術が何を成し遂げることで芸術的価値を創出するのか?というメディウムに関しての芸術論においてだけであったのではないだろうか? これによって、ルフの作品が「ベッヒャー夫妻のタイポロジーほと厳密ではない」というのはそもそもにルフは作品において、タイポロジー的な表現を目指したわけではなかったからではないだろうかという仮説が立つ。 その意味で初期のルフは間違いなくモダニズムの芸術家であるし、その後の作品の変化がベッヒャーから大きく離れていくことにも説明がつく。 ベッヒャー夫妻の功績の大きさから、あまりにデュッセルドルフの作家たちはタイポロジーに結びつけられ作品の論点がそこへ還元されすぎる傾向がある。 日本の徒弟制度を参照すれば、師匠の技術を引き継ぐのが弟子の役目であるのだろうが、ヨーロッパではじめての芸術大学の写真の教授はおそらく、日本の徒弟制度とはちがった教育をしたのだと思われる。 「ベッヒャー夫妻→トーマス・ルフ」のレンジだけを見ていればそうなっても仕方ないのかもしれないが、芸術おけるの1960年代後半以降に起きた審美的機能の一般的な疑問や方向転換の歴史を含め少しワイドなレンジで流れを見れば、ベッヒャー夫妻がアメリカの芸術の重要性に関連して遡及的に状況を評価し自身の陳述の中に強調したように 「ポップアートが明らかにした日常的なものへのアートの関心の高まり、そしてそれに関連した”新しい客観”と”形而学的な芸術”の復活」 ベッヒャーのタイポロジーも含めて初期のデュッセルドルフの作家たちはポップアートに現れた日常的なものへのアートへの関心のコンテクストを参照し、ジェフ・ウォールのいうアマチュアリズムによるラディカルな還元主義の方法論によって自身の写真をアバンギャルド芸術としていったのではないだろうかと考える。 「タイポロジーという技術的な表現方法を学ぶ」という日本の習い事的な発想ではなく、当時そこで行われていた教育の目的は制度化された芸術の概念への抵抗であり、「ハイアート」と「ローアート」、芸術家とそれ以外の人々そのそれぞれの境界への侵犯であり、フォトコンセプチュアリズムは写真を芸術それ自体として知的概念の状態へと還元する。 それはつまり、ウォーホルだけではなく、当然に根っこをたどればマルセル・デュシャンへ繋がるし、その手前には「あらゆる人が芸術家である」といったヨーゼフ・ボイスがいるのだ。
繰り返しになるが、日本におけるベッヒャースクールの作家はどうしても安易に「タイポロジー」へ還元されがちだ。大学院でのトーマス・ルフ研究はそうでないということを書きたいと考えている。 ずっと気になって玄関に飾っていた「絵ハガキのような表現」のトーマス・ルフ《Häuser | House (1987-1991)》に関してジェフ・ウォールの論文を読んだことで、納得いく解釈を持てたし、今後の研究の糸口を見つけたとも思える。 デュッセルドルフだけを学んでいても出来なかった解釈のエディティングだ。
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asa6fuji · 3 years
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イーロン・マスク、マーク・キューバン、リチャード・ブランソンがすべてGTEに夢中)
クリス:ジェフ、これらの名前と同じくらい大きいですが、あなたはアメリカで最も優れた技術投資の専門家の1人として歓迎されています。ですから、ここに再びあなたと一緒に座ることは喜びであり、特権です。家でチューニングしている人たちのために、私の名前はクリス・ハートです。今日は私があなたのホストになります。そして、私はジェフと言わなければなりません、それはすべての大きなプレーヤーが「G.T.E.」に彼らの動きをしているように聞こえます。ジェフ:ありがとう、クリス。ここにいることにワクワクしています。そうです、世界で最も賢い投資家が回っています…「G.T.E。」世界経済全体を一新する予定です。それは、不動産、テクノロジー、エネルギー、ヘルスケア、エンターテインメントなどを混乱させるでしょう...株式市場の誕生以来、単一の最大の金融イベントに火をつけます。このドシエの情報は、ロールアウトから数日かかる可能性があることを示しています。私の見積もりが正しければ、このテクノロジーはインターネットの113倍、5Gの600倍、暗号通貨の1,000倍の影響を及ぼします。クリス:それは想像しがたいことです。ほとんど考えられません。特に、これらの個々のテクノロジーのすべてで行われている幸運を考慮してください。それで、私たちはどれくらいの大きさで話しているのですか?数十億ドル?兆?ジェフ:もっと大きく考えて、クリス。総じて、2.1兆ドルが危機に瀕しています。これは株式市場の48倍です。ウォール街の最大のプレーヤーが真っ先に飛び込んでいる理由を説明しています…世界一の投資銀行であるゴールドマンサックスは、「G.T.E。」に4億ドルを投資している会社を支援しました。有名な投資銀行JPモルガンは、「G.T.E。」を専門とする100人の部門を設立したばかりです。アンドリーセンホロウィッツ— Facebookで早い段階で大金を稼いだ伝説的なベンチャーキャピタル—は、このテクノロジーへの2,300万ドルの投資を主導しました。世界最大の証券取引所でさえ参入しています。NYSEは「G.T.E.」への関与を発表したばかりです。ナスダックは「[G.T.E.]はついに準備ができた」と報告しています…そしてそれは4400億ドルの世界的なスポーツ産業を変革するでしょう。
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kuborie · 3 years
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アマゾン、LGBTQを精神疾患とする書籍販売せず サンディエゴにあるアマゾン・ブックスの店舗(1月25日) 2021年3月12日 13:26 JST
 米アマゾン・ドット・コムは、心と体の性が異なるトランスジェンダーについての書籍1冊を同社のプラットフォームから最近削除したことについて、LGBTQ+(性的少数者)の性自認を精神疾患と扱う書籍は販売しないことを決めたためだと述べた。
 同社はこの判断について、共和党上院議員のマルコ・ルビオ氏(フロリダ州)、マイク・リー氏(ユタ州)、マイク・ブラウン氏(インディアナ州)、ジョシュ・ホーリー氏(ミズーリ州)に宛てた11日付の書簡で説明した。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)はこの書簡を確認した。
 この4人は2月、ジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)に書簡を送り、削除された書籍「When Harry Became Sally: Responding to the Transgender Moment」をアマゾンのウェブサイトのほか電子書籍端末「キンドル」やオーディオブック「オーディブル」でも購入できなくなった理由を説明するよう求めていた。
 この書籍の著者は保守派の学者ライアン・T・アンダーソン氏。2018年2月に出版され、性自認などさまざまな問題を取り上げている。
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moccosnoon · 3 years
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アマゾン、「LGBTQは精神疾患」とした書籍の販売を中止
元スレ≫ アマゾン、「LGBTQは精神疾患」とした書籍の販売を中止 1 :moccosnoon ID:ZkW2JFji0 米アマゾン・ドット・コムは、心と体の性が異なるトランスジェンダーについての書籍1冊を同社のプラットフォームから最近削除したことについて、LGBTQ+(性的少数者)の性自認を精神疾患と扱う書籍は販売しないことを決めたためだと述べた。 同社はこの判断について、共和党上院議員のマルコ・ルビオ氏(フロリダ州)、マイク・リー氏(ユタ州)、マイク・ブラウン氏(インディアナ州)、ジョシュ・ホーリー氏(ミズーリ州)に宛てた11日付の書簡で説明した。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)はこの書簡を確認した。 この4人は2月、ジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)に書簡を送り、削除された書籍「When Harry Became Sally: Responding to the…
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ynbro · 3 years
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スペクターは、卓抜した編曲センスを誇るアレンジャーのジャック・ニッチ、優秀なエンジニアのラリー・レヴィン、“レッキング・クルー”なる呼称でもおなじみの西海岸系腕ききセッション・ミュージシャン・チームに属していたハル・ブレイン(ドラム)やアール・パーマー(ドラム)、ジョー・オズボーン(ベース)、キャロル・ケイ(ベース)、レオン・ラッセル(キーボード)、ドン・ランディ(キーボード)、グレン・キャンベル(ギター)、トミー・テデスコ(ギター)、スティーヴ・ダグラス(サックス)ら、そして気鋭の若手ソングライターだったジェリー・ゴフィン&キャロル・キング、ジェフ・バリー&エリー・グリニッチ、バリー・マン&シンシア・ワイルらで構成される一大軍団を率いて“ウォール・オヴ・サウンド~音の壁”と呼ばれる、深いエコーと圧倒的な音圧に彩られた独創的なサウンドを創造した。
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inkagop · 4 years
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Jeff Wall ジェフ・ウォール
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satelliteee-com · 2 years
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Thomas Demand The Complete Papers
ドイツ出身のトーマス・デマンドの過去28年間の全作品と彼の作品について書かれた主要なテキストを網羅する一冊。 1990年からの未公開の初期作品や彼の個々の作品に関する参考文献も掲載。ラッセル・ファーガソンのインタビューを始めとし、ジェフ・ウォールら錚々たるメンバーによるエッセイや、展覧会リストと文献目録も収録。スリップケース入り。
ISBN-10: 1910164909, ISBN-13: 978-1910164907 p.586, 31 x 25.4 x 5 cm 2018/5/18
Thomas Demand: The Complete Papers
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fujimoto-h · 6 years
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2017年の出来事と読んだ本と観た映画と年末と
 2017年もいよいよ終わる。今年は5月25日に母が63で亡くなるなどしたが、それ以前になにが起こったかまったく記憶にない。8時半(たまに11時)から21時やら23時やらまで働いたりしているせいだろうか。どうやら『ベルリン・アレクサンダー広場』のDVDboxや『サイタマノラッパー』ドラマ版のDVDboxを買ったまま一度も観ていないのは憶えている。  『文藝』のアンケート企画に「来たるべき作家」の一人として前の筆名で載っていたことも、春ぐらいのことかと思ったら7月だった。時期の記憶がだんだんいい加減になってくるのであった。  広島旅行やら島根旅行やら、あと『白鴉』30号を出して「アゴアク」という作品を載せ、先日ようやく同人誌評に取り上げられたが、褒められていない、というかそれ以前の問題。まあ、『白鴉』に載せた私の作品がこれまで全作品どこかしらで取り上げられつづけているという記録をまた更新できたのでこれでいいとする。そんなことよりもいま書いている作品が無事に仕上がることを祈る。  「アゴアク」についていただいた感想に、相変わらず主人公はどこまでも僻み��ぽい、でもどことなく品位がある、というのがあったのを昨日思い出して、それはたぶん、私の描き出す主人公の、まわりの世界や世間に対するプロテストなのだろうなあ、などと考えたり。  あと、2017年の文学フリマ大阪に参加した『白鴉』では来年1月21日の文学フリマ京都と5月6日の文学フリマ東京へ参加することがすでに決定しております。両方とも言い出したのは私であり、私がいるのは確実です。
 読書関係だと内藤千珠子氏の著書がとても面白かったことや、長年の課題であったベケットがようやく読めるようになってきたこと、詩を読みはじめたことが大きい。ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』もようやく読みはじめ、なんとか人間へ近づいていっている。来年早々に読んでしまって、長年の課題であるドゥルーズ『意味の論理学』に挑みたい。詩集であるていど稼いだ割に読了冊数73冊というのはどうかと思うが。冊数など関係ないと言われるだろうが、読みの浅い人間がせめて冊数がなければどうすればいいというのか。どうやら一般的に本をよく読むと言われている人物は年間300とか400とか読んでおられるらしいので、100にも満たない人間のベストなど不要だろう。  映画は毎年のことながら前半期になにを観ていたかすっかり忘れる。『アトミック・ブロンド』をもう一回ぐらいは観ておきたかった。これも映画好きを自称している人は年間平均500本は観ているようなので、本数ではなく回数にすることによって数字を稼ぐなどといういじましいことをしてもなお141などという、てんでお話にならない数字を出してしまう私などのベストになんの価値があるだろうか、ということでやらない。
 といったところで、来年もよろしくお願いします。
最近読み終えた本 ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック) 勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育=金田淳子=二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田)
最近観た映画 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド) 『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
2017年の本と映画の記録。2016年はこちら。
読了本73冊
松浦寿輝『BB/PP』(講談社) 二村ヒトシ/岡田育/金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWAメディアファクトリー) パスカル・キニャール『アマリアの別荘』(青土社) 赤木昭夫『漱石のこころ──その哲学と文学』(岩波新書) 町山智浩『映画と本の意外な関係!』(集英社インターナショナル新書) 津島佑子『半減期を祝って』(講談社) トーマス・ベルンハルト『ある子供』(松籟社) 三宅隆太『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』(新書館) トーマス・ベルンハルト『石灰工場』(早川書房)通算4回。 内藤千珠子『愛国的無関心──「見えない他者」と物語の暴力』(新曜社)
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』(ちくま文庫) 山本貴光『文体の科学』(新潮社) 『北の文学2016──北海道新聞文学賞、短歌賞、俳句賞』(北海道新聞社) 『シリーズ言語態(4)記憶と記録』(東京大学出版会) 小平麻衣子=内藤千珠子『21世紀日本文学ガイドブック(7)田村俊子』(ひつじ書房) 杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房) 内藤千珠子『小説の恋愛感触』(みすず書房) 内藤千珠子『帝国と暗殺──ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社) アルフレート・デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』(河出書房新社) アルフレート・デブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場──フランツ・ビーバーコプフの物語』(ぷねうま舎)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』(新潮文庫)2回。通算3回。 橋本陽介『物語論 基礎と応用』(講談社選書メチエ) アルフレート・デーブリーン『たんぽぽ殺し』(河出書房新社) ジャネット・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』(白水uブックス) カルロ・エミーリオ・ガッダ『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』(水声社) チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(河出書房新社) トーマス・ベルンハルト『消去──ある崩壊 新装版』(みすず書房)通算5回。 ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(亜紀書房) エルフリーデ・イェリネク『汝、気にすることなかれ』(論創社) 通算2回。 李珍景『不穏なるものたちの存在論──人間ですらないもの、卑しいもの、取るに足らないものたちの価値と意味』(インパクト出版会)
アーサー・ミラー『セールスマンの死』(ハヤカワ演劇文庫) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) 山代巴 編『この世界の片隅で』(岩波新書) 岡本雅享『民族の創出──まつろわぬ人々、隠された多様性』(岩波書店) 岡本雅享 監修・編著『日本の民族差別──人種差別撤廃条約からみた課題』(明石書店) サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水uブックス) 疋田龍乃介『歯車VS丙午』(思潮社) 稲川方人『形式は反動の階級に属している』(書肆子午線) サミュエル・ベケット『モロイ』(白水社) 辺見庸=目取真俊『沖縄と国家』(角川新書)
尹東柱『空と風と星と詩』(岩波文庫) サミュエル・ベケット『マロウンは死ぬ』(白水社) 稲川方人『封印』(思潮社) サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』(白水社) サミュエル・ベケット『伴侶』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『また終わるために』(書肆山田 りぶるどるしおる) サミュエル・ベケット『いざ最悪の方へ』(書肆山田 りぶるどるしおる) 『白鴉』30号 『星座盤』11号
『babel』創刊号 松浦寿輝『鳥の計画』(思潮社) 『時刻表』創刊号 田原『石の記憶』(思潮社) 田原『夢の蛇』(思潮社) 田原『そうして岸が誕生した』(思潮社) サミュエル・ベケット『蹴り損の棘もうけ』(白水社) 平田俊子『手紙、 のち雨』(思潮社) 高橋康也『サミュエル・ベケット』(白水uブックス) 平田俊子『戯れ言の自由』(思潮社)
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『新訳 カフカ──マイナー文学のために』(法政大学出版局) 小野十三郎『冥王星で』(エンプティ) 稲川方人『2000光年のコノテーション』(思潮社) 川田絢音『白夜』(書肆子午線) 平田俊子『詩七日』(思潮社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(上)』(河出文庫) 丁章『在日詩集 詩碑』(新幹社) トーマス・ベルンハルト『原因 一つの示唆』(松籟社) ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『千のプラトー──資本主義と分裂症(中)』(河出文庫) 平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館SJムック)
勝嶋啓太『今夜はいつもより星が多いみたいだ』(コールサック社) 岡田育/金田淳子/二村ヒトシ『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫) 平田俊子『アトランティスは水くさい!』(書肆山田) 映画観賞回数141回
『この世界の片隅に』(片渕須直)3回。通算5回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(ロバート・ゼメキス) 『ベストセラー──編集者パーキンズに捧ぐ』(マイケル・グランデージ) 『湯を沸かすほどの熱い愛』(中野量太) 『死闘の伝説』(木下恵介) 『マイマイ新子と千年の魔法』(片渕須直) 『ザ・コンサルタント』(ギャビン・オコナー) 『手紙は憶えている』(アトム・エゴヤン) 『マダム・フローレンス!──夢見るふたり』(スティーブン・フリアーズ) 『戦火の馬』(マリアンヌ・エリオット、トム・モリス)
『破門──ふたりのヤクビョーガミ』(小林聖太郎) 『ドント・ブリーズ』(フェデ・アルバレス) 『ドラゴン×マッハ!』(ソイ・チェン) 『ミス・シェパードをお手本に』(ニコラス・ハイトナー) 『92歳のパリジェンヌ』(パスカル・プザドゥー) 『マイ・ファーザー 死の天使──アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』(エジディオ・エローニコ) 『MILES AHEAD──マイルス・デイヴィス 空白の5年間』(ドン・チードル) 『ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち』(マテイ・ミナーチュ) 『こころに剣士を』(クラウス・ハロ) 『ブルーに生まれついて』(ロバート・バドロー)
『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・ピータ・サンフリト) 『MERU メルー』(ジミー・チン、 エリザベス・チャイ・バサヒリイー) 『沈黙 サイレンス』(マーティン・スコセッシ)2回。 『アイ・イン・ザ・スカイ──世界一安全な戦場』(ギャヴィン・フッド) 『クラッシャージョウ』(安彦良和) 『オアシス:スーパーソニック』(マット・ホワイトクロス) 『その街のこども』(井上剛) 『疾風スプリンター』(ダンテ・ラム) 『アリーテ姫』(片渕須直) 『アイヒマンを追え!──ナチスがもっとも畏れた男』(ラース・クラウメ)
『モアナと伝説の海』(ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー) 『AKIRA』(大友克洋) 『SING』(ガース・ジェニングス)2回。 『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(押井守)2回。 『キングコング──髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ) 『ショコラ──君がいて、僕がいる』(ロシュディ・ゼム) 『ドライヴ』(ニコラス・ウィンディング・レフン) 『殺しの烙印』(鈴木清順) 『ゴースト・イン・ザ・シェル』(ルパート・サンダース) 『東京流れ者』(鈴木清順)
『ラ・ラ・ランド』(デミアン・チャゼル) 『未来を花束にして』(サラ・ガブロン) 『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン) 『マグニフィセント・セブン』(アントワーン・フーク) 『美女と野獣』(ビル・コンドン) 『ナイスガイズ!』(シェーン・ブラック) 『ラビング──愛という名前のふたり』(ジェフ・ニコルズ) 『乱』(黒澤明) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(ジャン=マルク・ヴァレ) 『お嬢さん』(パク・チャヌク)
『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン) 『世界でいちばんのイチゴミルクのつくり方』(ファイト・ヘルマー) 『哭声』(ナ・ホンジン) 『わたしは、ダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ) 『ライオン──25年目のただいま』(ガース・デイヴィス) 『彼らが本気で編むときは、』(荻上直子) 『アシュラ』(キム・ソンス) 『ゆれる』(西川美和) 『花戦さ』(篠原哲雄) 『ディア・ドクター』(西川美和)
『ジャッキー──ファーストレディ最後の使命』(パブロ・ラライン) 『エンディングノート』(砂田麻美) 『ムーンライト』(バリー・ジェンキンス)2回。 『百万円と苦虫女』 (タナダユキ) 『溺れるナイフ』(山戸結希) 『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子) 『はらはらなのか。』(酒井麻衣) 『美しい星』(吉田大八) 『T2 トレインスポッティング』(ダニー・ボイル) 『未来よ、こんにちは』(ミア・ハンセン=ラブ)
『カフェ・ソサエティ』(ウディ・アレン) 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ロナーガン) 『光』(河瀬直美) 『武国』(熊切和嘉) 『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』(ガブリエーレ・マイネッティ) 『ハクソー・リッジ』(メル・ギブソン) 『セールスマン』(アスガル・ファルハーディー) 『海辺のリア』(小林政広) 『おとなの恋の測り方』(ローラン・ティラール) 『海辺の生と死』(越川道夫)
『ヒトラーへの285枚の葉書』(ヴァンサン・ペレーズ) 『ダンケルク』(クリストファー・ノーラン) 『ジョン・ウィック:チャプター2』(チャド・スタエルスキー) 『ベイビー・ドライバー』(エドガー・ライト) 『ザ・ドライバー』(ウォルター・ヒル) 『彼女の人生は間違いじゃない』(廣木隆一) 『ファウンダー──ハンバーガー帝国のヒミツ』(ジョン・リー・ハンコック) 『ボブという名の猫──幸せのハイタッチ』(ロジャー・スポティスウッド) 『ライフ』(ダニエル・エスピノーサ) 『ありがとう、トニ・エルドマン』(マーレン・アデ)
『20センチュリーウーマン』(マイク・ミルズ) 『ロックンロール・ハイスクール』(アラン・アーカッシュ) 『少女ファニーと運命の旅』(ローラ・ドワイヨン) 『新感染』(ヨン・サンホ) 『ローマの休日』(ウィリアム・ワイラー) 『あしたは最高のはじまり』(ユーゴ・ジェラン) 『ザ・ウォール』(ダグ・リーマン) 『スペース・レイダース』(ハワード・R・コーエン) 『麗しのサブリナ』(ビリー・ワイルダー) 『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ)
『おしゃれ泥棒』(ウィリアム・ワイラー) 『メッセージ』 (ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『デス・レース2000年』(ポール・バーテル) 『夜明けの祈り』(アンヌ・フォンテーヌ) 『幼な子われらに生まれ』(三島有紀子) 『RE:BORN』(下村勇二) 『エタニティ──永遠の花たち』(トラン・アン・ユン) 『50年後のボクたちは』(ファティ・アキン) 『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)3回。 『コーヒー&シガレッツ』(ジム・ジャームッシュ)
『ドリーム』(セオドア・メルフィ) 『ハイドリヒを撃て!──「ナチの野獣」暗殺作戦』(ショーン・エリス) 『ブルーム・オブ・イエスタデイ』(クリス・クラウス) 『スイス・アーミー・マン』(ダニエル・シュナイナート/ダニエル・クワン) 『ロスト・イン・パリ』(ドミニク・アベル/フィオナ・ゴードン) 『リングサイド・ストーリー』(武正晴) 『はじまりのうた』(ジョン・カーニー) 『ELLE』(ポール・バーホーベン) 『散歩する侵略者』(黒沢清) 『アトミック・ブロンド』(デヴィッド・リーチ)
『審判』(オーソン・ウェルズ)通算2回。 『バリー・シール──アメリカをはめた男』(ダグ・リーマン) 『三度目の殺人』(是枝裕和) 『セザンヌと過ごした時間』(ダニエル・トンプソン) 『スモーク』(ウェイン・ワン) 『ゲット・アウト』(ジョーダン・ピール) 『鉱 ARAGANE』(小田香)2回。 『すばらしき映画音楽たち』(マット・シュレーダー) 『KUBO──二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト) 『シンクロナイズドモンスター』(ナチョ・ビガロンド)
『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー)
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wasite · 4 years
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WASITE.store 2020.01.12 now OPEN 今日の海 1964年の今日、ジェフ・ベゾス 誕生!!! 誰だ!? と思った人でもきっとこの人のお世話になってるはず。 Amazonの創業者でCEOです! そして、 アップルのスティーブ・ジョブズ、 フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ グーグルのラリー・ペイジ に並ぶ世界を変えた人たちのひとりでしょう。 2018年には、世界一の長者番付にもなりました。 そんな彼の人生と経営の「哲学」はこうだ! 「後悔最小化のフレームワーク」 年をとった後に、前職のウォール街から去ったことを、 後悔するか? 「NO」 インターネットの誕生に立ち会えなかったことを 後悔する? 「YES」 こうやって、自分の人生を想像して後悔しない選択を選ぶという。 言うのは簡単、って思うかもね。 誰だって後悔なんてしたくない。 したくないけど、 今だって後悔していることがあるんだから、 この先だって何があるかわからないじゃないか! とでも聞こえてきそう。 「後悔なんてしたことがない」 なんて人は、まずいないと思います。 (もちろん私だって) ただ、本当に簡単なことなんだけど、 気づいたことがあります。 後悔って、 例えば5分後でも、今より未来に、 楽しいとか、面白そうなことがあると、 頭の中からなくなるんですよね。 ワクワクすることと、後悔することって同居できない。 同じような例で、 緊張してる心理と、怒りの心理は同居できない。 みたいな感じ。 ベソスはインターネットの誕生と創生に心躍らせた。 「これはスゲーことになる」 ってね。 だから、ウォール街での仕事をやめて起業家になった。 一度は自己破産も経験するのですが、 その時に、5分後の未来にさえワクワクするような楽しいことがあったから、 今の成功に繋がったんだと思います。 ワクワクすることがない? いやー、なければ見つければいいし、なんなら作ってもいい! 5分後にピザが届く! ってなれば超ワクワクしない? 寿司でもいいよ! 後悔は経験として糧になるけど、 それ自体からは何も生まれない。 ならピザーラや銀の皿に電話した方がいいw これはある意味で訓練です。 どこに自分のワクワクするものがあるか?それを見つける訓練。 で、だんだんそれをもう少し先のことで想像してみる。 深夜1時半。 手元には、一本のストロングゼロがあるとする。 「飲むか?否か?」 明日の朝、目覚めの気分を想像してみる。 『ううううう、、、後悔しそうな気がする』 なら飲むのは否だ。 例えば!だよ、例えば!!! 人は本能的に痛みを避ける。 (特殊な趣味の人は除くw) 後悔も痛みと感じれば、その本能に従えば、 きっと 「いい感じ」 になるはず。 突然ふわっとした表現で申し訳ない。 だって、そこで成功するとか、 人生は良くなる、なんて言えないっすよ。 専門家じゃないし、カウンセラーでもない。 だけど、 そういう考え方で、私は少なからず「いい感じ」になってると思うw 楽しいことを探す訓練。これは、簡単なゲームですよ、ゲーム。 今日も楽しいゲームを。 #WASITE #ワシテ (Wasite) https://www.instagram.com/p/B7NDr7wDeiJ/?igshid=1araecani9xwp
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honyade · 5 years
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猿山洋平 × 柿島貴志 × 調文明 × 岩根愛トークイベント「写真と言葉の新しい航海」 写真誌『FOUR-D』1周年記念
この度、銀�� 蔦屋書店では、気鋭の写真雑誌『FOUR-D』の創刊1周年を記念して『FOUR-D』の主宰である猿山洋平さん、ギャラリーPOETIC SCAPE ディレクターの柿島貴志さん、『FOUR-D』にも寄稿した写真批評家の調文明さん、そして2018年度の木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の岩根愛さんをお招きして、トークイベントを開催致します。
『FOUR-D』は「写真を媒介として、撮るひと、撮られるひと、見るひと、伝えるひとが、対話する場所」をめざし、2018年に創刊しました。2号からは写真の言葉に着目し、ダン・アビー、酒井瑛作、きりとりめでる、調文明などが寄稿し、「いま」と対峙するフォトライティングを実践する重要なプラットフォームとなっています。
トークイベントでは、猿山さんより『FOUR-D』創刊の経緯をお話頂くほか、写真批評の歴史、写真と言葉の関係、求められる写真メディアについて、雑誌、ギャラリー、批評家、写真家というそれぞれの立場から多面的にディスカッションして頂きます。
写真家・島尾伸三さんらを中心に発行する写真評論誌『映像(旧:映像試論100)』のバックナンバーを特別販売致します。 皆様のご参加をお待ちしております。
<写真雑誌『FOUR-D』発行人 猿山洋平さんよりイベントに向けて> 私が写真に興味を持ったのは、ある文章のおかげでした。 言葉を通じて写真と出会い、その愉しみを知ったのです。 日本には素晴らしい作品がたくさんあります。 でも、鑑賞者の解釈の手伝いをする言葉はまだまだ足りません。 言葉が溢れれば、写真はもっと楽しくなると思うのです。 一方で、言葉の役割は写真の説明だけではありません。 ときに言葉は写真を挑発します。互いに共犯することで、新しい何かが生まれるのです。 未来の写真のために、言葉が必要なのです。 今回のトークは、次号に向けた公開編集会議。 鼎談するお三方や会場の皆さまとともに、新しい写真雑誌のアイディアを交わすことが出来れば嬉しく思っています。 さいごに一言だけ。 写真と言葉の少し真面目な話をしながらも、もっとカジュアルな楽しい話もしたいと思っています。 目の前の写真を見て、なんで美しいと思ってしまったのだろう? なんで心を動かされるのだろう? 少し立ち止まって、うーむと考え、言葉にしてみること。 それを書いてみること。誰かに伝えてみること。 その愉しみを皆さんと共有できればとても嬉しいです!
【対象書籍のご紹介】 ・『FOUR-D ISSUE 5』(1ST ANNIVERSARY ISSUE)&『映像(旧:映像試論100)』セット 『FOUR-D』1周年記念号。エッセイとレビューもボリュームアップして掲載されています。
<コンテンツ> 写真分析の質感「インスタグラムと現代イメージ」への応答を通してーきりとりめでる 自画像試論:セルフ・ポートレイトからオート・ポートレイトへ ー 調文明 「わからなさ」に足を踏み入れる 志賀理江子「ヒューマン・スプリング」展 ー 酒井瑛作 など 島尾伸三さんらを中心に創刊された写真評論誌『映像(旧:映像試論100)』のバックナンバー1冊がセットになっています。 ※『映像(旧:映像試論100)』は、店頭でのお申込みの場合でも当日お渡しとなります。セットになる『映像(旧:映像試論100)』は、どの号が付属するかはお選び頂けませんので、あらかじめご了承ください。
・『FOUR-D』創刊号-ISSUE5全冊セット 1周年を記念した現行の「FOUR-D」全巻セット、創刊号から最新号の計5冊がセットになっています。
・『キプカへの旅』 第44回木村伊兵衛写真賞受賞作家、写真家・岩根愛が、キプカ(ハワイ語で「新しい生命の場所」を意味する)を文章と写真で綴った渾身のノンフィクションです。
【参加条件】 銀座 蔦屋書店にて下記の商品をご購入いただいた方にご参加いただけます。 ・書籍付き(『FOUR-D ISSUE 5』:540円/税込&『映像(旧:映像試論100)』:540円/税込)イベント参加券:2,160円/税込 ・イベント参加対象書籍『FOUR-D』創刊号-ISSUE5全冊セット:3,240円/税込 ・イベント参加対象書籍『キプカへの旅』:3,240円/税込
【申込方法】 ・店頭 ・お電話 03-3575-7755 ・オンラインショップ ※オンラインショップでの受付は2019年8月29日(木)午前9時の受注分までとさせていただきます。
【注意事項】 *参加券1枚でお一人様にご参加いただけます。 *イベント会場はイベント開始の15分前からで入場可能です。 *当日の座席は、先着順でお座りいただきます。 *参加券の再発行・キャンセル・払い戻しはお受けできませんのでご了承くださいませ。 *止むを得ずイベントが中止、内容変更になる場合があります。
【プロフィール】 猿山 洋平(さるやま ようへい) 写真誌 FOUR-D 主宰。 1992年、水戸生まれ、ジャカルタ/東京育ち。 2018年4月にFOUR-Dを創刊。
柿島 貴志(かきしま たかし) 1972年石川県生まれ。日本大学文理学部史学科卒業後に渡英。 ロンドンBlake Collegeを経て、Kent Institute of Art and Design(現UCA)ビジュアルコミュニケーション学科・フォトメディア卒。 帰国後はフォトエージェンシーにて海外写真家コーディネート、インテリアアート企業にてアート商品企画などを担当。 2007年にアートフォトレーベルphotta-lot、2011年にギャラリー、POETIC SCAPEを設立。 現在はPOETIC SCAPEの経営・ギャラリーディレクションのほか、写真作品の額装・展示ディレクションを行う。
調 文明(しらべ ぶんめい) 写真批評家/写真史研究者。1980年、東京生まれ。 日本女子大学ほか非常勤講師。写真雑誌などで執筆。 論文に「A・L・コバーンの写真における都市表現――三つのニューヨーク・シリーズを中心に――」(『美学芸術学研究』、2013年)、『ジェフ・ウォール――閾を駆るピクトグラファー』『写真空間4』青弓社、2010年)など。『FOUR-D (No.05)』(2019年5月)に「自画像試論:セルフ・ポートレイトからオート・ポートレイトへ」、『装苑』2019年7月号に「独自性を放つ色彩の表現者たち 日本の写真作家と、色のはなし」を寄稿。
岩根 愛(いわね あい) 写真家。東京都出身。1991年単身渡米、ペトロリアハイスクールに留学。 オフグリッド、自給自足の暮らしの中で学ぶ。 帰国後、アシスタントを経て1996 年に独立。 2018 年、初の作品集『KIPUKA』(青幻舎)を上梓。 第44回木村伊兵衛写真賞を受賞。 著作『キプカへの旅』(太田出版)『ハワイ島のボンダンス』(福音館)。
時間 / 19:30~21:00 場所 / BOOK EVENT SPACE 主催 / 銀座 蔦屋書店 定員 / 50名 問い合わせ先 / 03-3575-7755
チケットのご予約はこちら オンラインショップでの受付は2019年8月29日(木)午前9時の受注分までとさせていただきます。
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keijukita2018 · 5 years
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戦略会議 #12 写真のアイデンティティーについて/ ジェフ・ウォール「取るに足らないものの印」写真の理論より
先週の大学院のゼミで、君はこれを読んでおきなさいと薦められた『写真の理論』甲斐義明編 2017, 月曜社のジェフ・ウォールの「取るに足らないものの印」を今週は読み進めてきた。 年内には読み終わると思うが、何せ内容ではなく言葉のニュアンスと展開が難解だ。 今年はクレメント・グリーンバーグやアーツ・アンド・クラフツ運動、ドイツ観念論のカントやらアーサー・C・ダントーやらを読んで来たので、多少は読書に対して自信もついてきて、さらっと読めると思っていたがそう甘いものでもなかった。 かなり本質に迫る重要な内容なので、しっかり読みたいこともあって時間がかかる…たかだか50ページほどをすでに7日間もかかってしまった。 ジェフ・ウォールに現代写真の講義を夢で受けてうなされるほどにがっつり煮詰まった。
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ジェフ・ウォールが現代写真において重要とされる所以は、的確に芸術の流れを抑えているからであろうということはこの論文からだけでも十分に理解ができる。 前衛芸術(アバンギャルド)からモダニズム、ダダやシュールレアリスム、コンセプチュアルアート、ポップアートと並行して、写真が現代写真に至るまでをどう芸術として振る舞ってきたのかということを詳細に書いている。 基本的に同意する部分が多く、肌感覚として”何となく”だった写真を芸術とすることの”ある道筋”を的確に示しているだろうと考えられるし、それ以上に、ルーカス・ブラロックがジェフ・ウォールを訪ねてインタビューをしたということの意味がこれを読んでよく理解でき、それを面白くも感じられる。 とても勉強になる一冊だ。 年明けには何かしらのカタチで人目に触れるであろうが、ある展示会についてのレビューのテキストを1本書かせてもらった。この本を読んでいて思う部分も多かったので、そこには早速引用させてもらった。 この論文に関しては、今日明日で読み終えて、年明けは次の写真の抱える問題提起がなんなのか?スーザン・ソンタグ「この時代に思うテロへの眼差し」へ移行しようと思う。 こちらも先日のゼミで示された、僕への課題図書だ。
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notnotfashion · 5 years
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葛飾北斎とジェフ・ウォール
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