TEDにて
ジョーン・ブレイズ&ジョン・ゲーブル: 先入観のフィルターバブルから自由になろう
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
西洋キリスト教圏の一神教での話です。日本は、多神教なので、当てはまらない場合もあります。
ジョーン・ブレイズとジョン・ゲーブルは、自分とは違う政治観で投票をする人たちと友達になってほしいと言います。
政治観が、正反対でありながら、長年の友人でもある二人は、すぐには同意できないような相手と、腹を割って話し合うことの価値をよく知っています。
政治観が、反対である人々の間にある理解の溝を埋めるにはどうしたらいいか、そして、お互いに耳を傾け、互いを思いやる機会を生み出すにはどうしたらいいか?
一緒に考えてみましょう(ことによると、生涯かけた友情も生まれるかもしれません)。
(ジョーン・ブレイズ)、政治観の違う友人はいますか?
一緒に何の話をしますか?
私は進歩主義です。進歩主義者ばかりの町に住み15年前は、保守派の友達は1人もいませんでした。今は様々な友人がいてその1人がジョンです。
(ジョン・ゲーブル)、私は進歩主義ではなく、共和党支持者で共和党支持の家庭に生まれ保守的な南部で育ちました。地元や全国レベルでも共和党の政治支援の仕事をしてきました。過去24年間は、テクノロジー業界にいるので非常に進歩主義的な地域に住んでいます。ですから、進歩主義の友人も多くジョーンもその1人です。
(ジョーン)私はカリフォルニア、バークレーの生まれで進歩主義的であることで有名な大学町です。今もここに住んでいます、1998年、モニカ・ルインスキーとクリントン疑惑の弾劾から半年後、私は、共同でMoveOn.orgを1行の嘆願書で立ち上げました「議会は直ちに大統領を譴責して、国家が直面する、喫緊の課題に話題を移すべき」
これは実は様々な意味で、とても求心力のある嘆願書でした。クリントンが好きでも嫌いでも国家にとって最善なのは、けじめをつけることだと同意できたのです。
MoveOnのリーダーとして分極化が進むのを目にしてきました。そこでこう思いました。どうして私の考えは、この国の他の地域の人たちとこんなにも違っているんだろう?
そこで2005年に様々な政治観を持つ草の根運動の指導者たちと交流する機会に恵まれると迷わず飛びつきました。これまでに話す機会が、なかったような多くの人々と仲良くなりました。クリスチャン・コアリションのリーダー格も含みます。
MoveOnが左派ならば、この団体は右派だと見なされます。このおかげで私は米国議会でクリスチャン・コアリションのリーダーの1人である友人とネット中立性のロビー活動ができました。すごいことです。多くの関心を呼びました。この活動は、実に目が覚めるような経験でした。
そして、こう思ったんです。どうやったらとてつもなく多くの人たちが、考え方の違う相手と、本当の意味で交流できるだろう?と。
(ジョン)私の生まれは、テネシー州オナイダ、ケンタッキー州の小さな炭鉱の町、スターンズの州境にある町です。生まれてから数年はそこに暮らし、また別の小さな町ケンタッキー州、フランクフォートに移りました。つまり、私は根っから保守的なアメリカの田舎町で育ったのです。スターンズとバークレーは、ちょっと様子が違います。
私は90年代にテクノロジー業界で仕事をするため西部の進歩主義的な地域に移りました。マイクロソフトやネットスケープで働きネットスケープ・ナビゲーターの製品管理主任にもなりました。
初めて広く利用されたウェブブラウザです。インターネットの初期は、私たちはあるヴィジョンに突き動かされていました。世界中の様々な人々や様々な考え方と通じ合うことができたら素晴らしい判断ができ、世界中にあふれている美しい多様性ゆえにお互いの価値を認識しあえるだろうという考えです。
実は20年前のスピーチでは、そうもいかないだろうと述べました。私たちはただ単に違う方法で互いを差別するようになるだけではないかと。
さて、どうなったでしょう?、
ある日、目が覚めて互いをもっと嫌おうと思ったわけではありません。
結果は、こうでした。
雑音が多すぎたんです、人の数も考え方も多すぎます。そこでテクノロジーを使ってフィルターをかけます。
すると、どうでしょう?
すでに同意できる考えだけが残るのです。一般的な考えも残ります。自分と同じように考える自分に似た人が残るのです。
良いことのように思えますよね?
ところが、そうでもないのです。
このような狭い世界観を持っていると2つの恐ろしいことが起こります。
まず自分の考えへの信頼が、過剰になり始めます。
次に自分と違う相手に対してどんどん偏狭になります。
身に覚えがありませんか?
現代のアメリカや、現代の世界はこうなのでは?
朗報としては、テクノロジーは、変化しつつあります。良い方向に変化しうるのです。
だからこそ私は、AllSides.comを始めました。フィルターバブルから解放されるようなテクノロジーとサービスを生むためです。まず最初にユーザーの偏見を特定する技術を作りました。
違う考え方を並べてみることでニュースメディアのフィルターバブルから自由になれます。それから、ジョーンに出会いました。
(ジョーン)ジョンに会ったのは、ワシントンDCの郊外で橋渡し役をしようという超党派の理想を掲げたグループと一緒でした。コミュニティのつながりを取り戻すことが目的でした。
お互いの違いは、強みになりうるし、異なる価値観は補完し合えると考えており、戦う気持ちを乗り越えて自分の価値観を手放すことなくすべての人の価値観を尊重できます。
ジョンと一緒に愉しく散歩するうちにフィルターバブルを打ち破るための彼の仕事を知りました。力強く素晴らしいものでした。別々の筋書きの中に暮らしているのは、良いことではありません。事実を共有していなければ、対話を持つことも協力して問題を解決することもできません。
(ジョン)今日覚えて帰ってほしいのは、ジョーン・ブレイズに散歩に誘われたら行くべきだということです。
きっと変わります。私はものの見方が大きく変わりました。
フィルターバブルから自由になるには、情報のフィルターバブルだけでなく人間関係や社交上のフィルターバブルも考える必要があります。
人間は自分で考えるほど賢くありません。理性で判断することばかりではないのです。感情的に直感的に判断したり、頭を使って都合よく正当化したい事柄を理性で都合よく正当化するだけのことです。
私たちはヴァルカン人のスポックというよりは、大胆不敵なカウボーイ型のカーク船長とか情熱的な理想主義者のマッコイ医師に似ています。新しい「スタートレック」のキャストが好みであればこちらですね。
(ジョーン)強い女性もお忘れなく!
(ジョン)強い女性たちですね。
(ジョーン)なら、いいわ。
二人とも「スタートレック」のファンです。あんな楽観主義的な未来を好きにならずにいられませんよね。
(ジョン)素晴らしい未来を描けるのは、とても重要なことなんです。何が問題なのかを理解することもとても大切ですが、行動も起こせねばなりません。では何をすれば?実はそんなに難しくありません。生活に多様性を取り入れればいいのです。
情報だけでなく人間関係の多様性もです。多様性。真の意味での「多様性」です。人種やジェンダーも重要ですが、それだけでなく・・・
年齢の多様性もです。若者と年配者、地方の人と都市の人、リベラル派と保守派、アメリカに限って言えば、民主党派と共和党派のように自分のフィルターバブルから自由になり、多様性にあふれた生活を送っている優れた例が隣にいるジョーンです。
(ジョーン)お尋ねします。宗教や政治観などの違いによって人間関係がこじれたり、失われたりした経験がある人はどのくらいいますか?
手を挙げてください。そうね、今年は話をした多くの人たちからこうした経緯で人間関係がこじれたと聞きました。涙をこらえながら疎遠になった家族のことを話す人を多く目にしてきました。
リビングルーム・カンバセーションとは、政治的・個人的な違いを癒やす試みです。シンプルな対話です。
考え方の違う2人が、それぞれ友人を2人ずつ招待し、建設的な対話をします、
全員がシンプルなルールに従います(最初が肝心で丹念に直接人に会い許可をもらいつつプロトコルを共有しないと気が触れていると思われ憎しみの連鎖になります)
建設的な対話を前提に好奇心を持つ。
建設的な対話を前提に耳を傾ける。
建設的な対話を前提に敬意を払う。
建設的な対話を前提に順番に話す。
どれも幼稚園で習うことですよね?
とっても簡単です(直接人に会い許可をもらうことが大切。TVやマスメディアを通じると転化してポピュリズム、同調圧力や優越的地位の乱用になる)
だから、あらかじめ決めておいたテーマについて話す頃には、(直接人に会うため)ある気持ちが生まれているのです。
「この人、結構好き���も」(暴力より対話の民主主義のルールはここから?多神教のテーラワーダ仏教ではサンガと言います)
すると、話の聞き方が変わります。
これは人間の性分なのです。
気にかける相手の話は、よく聞くものです。
それから話を振り返り、次のステップに進むかもしれません。
これは耳を傾ける行為であって・・・
ディベートではありません!
ディベートではありません!
ディベートではありません!
とても大きな力を持つものです。
自宅のリビングルームで異なる見解の人たちと話をするということは、ものすごい冒険です。
自分とは違う人でも相手を尊重し、好きになれるのだと再発見することになるでしょう。とても力強い経験です。
(ジョン)さて皆さんは、何に好奇心を抱きますか?
(ジョーン)話したくてたまらないことは何ですか?
(ジョン)その話をしましょう。みんなで一緒に。
(ジョーン)そうね。
(2人で)ありがとう。
はじめに、大統領制や二大政党制での前提です。
2017年のノーベル経済学賞のセイラー教授が提唱する「ナッジ」このような行動科学の視点を公共政策に組み込もうというアイデアはもともと2003年に経済学者のセイラーと
法学者のサンスティーンによって書かれた論文「リバタリアン・パターナリズム」からの一部です。
法規制による強制でもなく、経済的インセンティブによる誘導でもなく、選択の自由を維持したまま、人間の持つ心理的バイアスをうまく利用することで、人々の行動を「良い方向へ」導くということ。
高度な透明性が前提です。
リバタリアン(=極端な自由主義)とパターナリズム(=家父長主義)という一見矛盾する態度を結びつけるというアイデアは、アメリカの民主党と共和党の対立により合意形成が行き詰っていた
議会の膠着を打破しようとする意図もあった可能性もあります。安全・環境・健康分野にも応用範囲は広がっています。
リバタリアニズムとは、荒野からではなく、行政府のある社会システム内で成功したにも関わらず、極端な経済的自由と極端な社会的自由(極端な個人的自由、極端な政治的自由)を共に求める極端に強欲な思想であり
リバタリアン自身によるノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は、極端な個人的自由は高いが極端な経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は、極端な経済的自由は高いが極端な個人的自由は低く
ポピュリズム(ここでは権威主義や全体主義などを指す)では、極端な個人的自由も極端な経済的自由も低い。という位置付け。
リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げるため、リバタリアニズムと相反する。日本では、リベラリズムの意味は世界標準ではなくガラパゴス化してるため定義が異なります。
パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家が個人の生活に干渉し、その自由・権利に制限を加えることを正当化する原理。
強いパターナリズムと弱いパターナリズム、直接的パターナリズムと間接的パターナリズムがある。と言葉が定義されている。
個人的なアイデアとして、議論を整理できるだけで、このような一般生活者にはくだらない権力争いのためにどうにでもなる言葉ではなく、政策開発のため一定の期間で議論を尽くしたら
具体的なマクロ経済学前提の政策できっちり誤差を含めた数値に変換できればより良い社会システムを創造できるかもしれません。
最後に、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーに興味が有ります。
(個人的なアイデア)
未来は誰にもわかりません。ヨーロッパでウクライナ侵攻が起こることも・・・
他の可能性としては、すでにイギリスの映画にもなっている情報機関網でロシアの動きを2022年以前に?
しかし、回避できずイギリスも含めたヨーロッパ全体がエネルギーの急激な価格変動に現在なっています。
日本には、あまり知られていないが・・・
旧植民地コモンウェルス諸国(イギリス連邦)が世界中に点在してあるので、ここで経済圏を形成して貿易してる?
第二次大戦後、植民地からの独立後は、ここに加盟するか否かも自由になっています。
旧植民地コモンウェルス諸国(イギリス連邦)は、本国のユナイテッドキングダム(UK)にいる国家元首を自国の国家元首���している国もあります。
通貨もポンドペッグにしている諸国もあり、EUのユーロにしてしまうと混乱してしまうことも要因に?
中国やインドよりも多い約20億人近くの人が加盟しているので、デジタル化に伴い、金融政策や財政政策も安定化?
かつての奴隷貿易と移民?
ユバル・ノア・ハラーリも言うように・・・
予算を見ると、EUでは、加盟国の国防予算の平均額は、国家予算の3%程度でした。これは、ほぼ歴史上の奇跡です。
有史以来、ほぼ常に、王や皇帝やスルタンの予算の5割なり、8割なりが、戦争や軍隊にまわされています(これが無駄使いの根本で生活の向上に貢献しません)
国連の「世界人権宣言」もあり、庶民の生活の向上からEUでは、わずか3%です(平均なので1%台も含めて)
日本は、1%と驚異的で優秀です。
資源の少ない日本の場合は、防衛費増額するとスタグフレーションにもなりえます。
応用として、シビリアンコントロールから数学的裏付けのあるゲーデルの不完全性定理からも国防予算の防衛費削減が必要です。
そして
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたい道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
ヒンズー教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にした古代ローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。
現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権です。
ブレグジットの本質は、君主制多数のヨーロッパ大陸から独立し、アメリカ大陸に新天地を求めて200年くらい。
第二次世界大戦にも勝利し、大統領制もフランス革命の成功を踏襲改善しつつ、人口も億単位の規模で増加し、国土も巨大。三権分立前提の民主主義を先人が創造。
現在、世界中の最高の知性が知恵と工夫でバランスよく構築した!
アメリカ型の大統領制は、地方議会が先で、その上に傘のように覆われている歴史的背景から地方分権が見事に成功している(ミレニアム前)
その成功を再びヨーロッパが踏襲改善。マーストリヒト条約を発効して、合意を得た上でEUが設立された。通貨もドルに対抗してユーロにした。20年後、中国はデジタル人民元をテスト中。
日本は、逆に、明治維新に中央集権化されて、廃藩置県されたから地方分権は不可能。立憲君主制でもあり、イギリス議会を参考にしている。
イギリスより大きい島国。人口も倍以上。だから、人口が少ないイギリスは、大統領制のEUから離脱して立憲君主制を維持しようとしてる?
その中、中国が、日本の55年体制自民党の開発独裁体制を参考にして人口の規模をテコに、人間一人ではなく、政党が共産党一極集中で、デジタル国家開発独裁主義を社会実験している過渡期が現在の状態です。
デジタルレーニン主義?ハンナアーレントが警告する全体主義?にも似ています。
日本も中国から絶妙なバランスで離脱して、距離を置きつつ立憲君主制を維持した方がいいかもしれない。
日本もさまざまな貿易圏を広げています。
人口の規模が10億人を超えると異なるシステムが必要になる一例ですが・・・
何億人からが最適か?社会実験中です。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
他にも、社会実験していたことは、規制のないGAFAMが、何億人超えたところで異なるシステムが必要になるか?
と言うこともテストしています。
そして、10億人あたりでという結果が見え始めたところで、中国はいち早く切り替えようとしていました。
トランプ前大統領は、これに対応していた可能性も考えられます。
だから、10億人以下の1億人程度の日本など、その他の国々は、関係ありません。
害悪が増加し、混乱し、他国につけこまれるだけです。
サンデルの言う問いの解答は、中国は民主主義ではなく、バイデンの言う専制主義でもなく・・・
人類史上初の「君主のいない一党独裁型封建制」かもしれないとインスピレーションがきた!
ヨーロッパの封建制度フューダリズム(Feudalism)とは違う東洋版だけど。
国土、人数も何もかも戦う前に負けている・・・日本は、外と戦争しても勝てないことは「自明の理」
そんな防衛費増やすくだらないことよりも同額を低収入庶民の年収を600万円以上に底上げして充実させた方がいい。
内側に対して精進しないと!!歴史的に見ると、このほうが、日本は結果的に「急がば回れ」
防衛省は「省」に格上げしないで、「庁」のままの方が緊張感を保ててたことも見抜けないし、政治家も腐っている愚か者と言わざるを得ません。
シビリアンコントロールと不完全性定理も理解できない?
簡単に言うと、ちやほやされてるアホです。これで気合い入れろ!!と言っても無駄でしょ。胆力のないアホだから。あっ、2回も言ってしまった。
胆力のない本当のアホに言うとムキになるから言いたくないけどね。これで3回目。
・・・と低収入庶民に虚仮(コケ)にされるくらいが国内の防衛にはちょうどいい真実になる。
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ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
エピソード4Episode4 - 政治の善性について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
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<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
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映画『グランドホテル』
というわけで(どういうわけだ? ←お約束)Amazon Primeでエドマンド・グールディング監督、グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード出演の映画『グランドホテル』(1932)を見ました。
「グランドホテル形式」という言葉の元になった映画です。
「グランドホテル形式」とは群像劇の一種で、ホテルや空港や結婚式場を訪れた互いに面識のない人々の物語を描く芝居や映画を指します。
私はもちろん言葉は知っていましたが、映画を見たことがなかったので、この機会にと思い見た次第です。
グレタ・ガルボは有名でな女優で、名前は知っているけれど、ちゃんと見たことはありません。調べてみると、それもそのはずーー1941年に35歳の若さで引退しているようです。
原節子かと思いましたが、調べてみると原節子は1963年に43歳で引退していますから、グレタ・ガルボの方が先により若い年齢で引退しているわけですね。
ジョーン・クロフォードは……『���がジェーンに起こったか』(1962)でしか知りませんでした。あれは実に怖い映画でした。
ネット情報によると、ガルボとクロフォードは当時ライバル関係にあり、一度も同じ画面に登場しようとしなかったとか。
うーん、女優って怖い。
ジョン・バリモアはドリュー・バリモアのお祖父ちゃんですか。見たことがない俳優ですが、彼が主演した『ジーキル博士とハイド氏』の映画化『狂える悪魔』(1920)はちょっと見て見たいかな。
そのほか、余命いくばくもないと知って全財産を叩いてグランドホテルに宿泊している中年男役でライオネル・バリモアという役者が、彼が働いている会社の社長役でウォーレス・ピアリーという役者が出演していますが、どちらも知りません(ちなみにジョン・バリモアとライオネル・バリモアは同じ苗字ですが、二人の間に血縁関係はないようです)。
舞台となるのはベルリンのグランドホテル。ベルリンの話なのに登場人物が全員英語で話すというのはおかしな気がしますが、まあそれは言っても仕方ありません。
グレタ・ガルボはロシアから来たバレリーナです。精神的に不安定でベルリン公演では客が少ないので、かなり頭に来ています。
ジョン・バリモアは貴族ですが、借金で首が回らず、ガルボの持つ真珠の首飾りを盗もうとしています。
ウォーレス・ピアリーは会社の合併を取りまとめるためにホテルに来ています。会社は危機的な状況にあり合併がうまくいかないと倒産しかねないようです。
ジョーン・クロフォードはその社長に呼ばれてきたタイピストーージョン・バリモアにデートを申し込まれウキウキしています。
ライオネル・バリモアは人懐っこい男で、残された人生をできるだけ楽しもうとしていて、ジョン・バリモアやジョーン・クロフォードと仲良くなります。
ある夜、ジョン・バリモアは真珠の首飾りを盗むためにグレタ・ガルボの部屋に忍び込みますが、ガルボが公演をキャンセルして戻って来たので見つかってしまいます。
どうなることかと思っていたら、彼はガルボに恋をしていると言います。盗みに入ったのを誤魔化すために嘘をついているのだろうと思っていたら、なんと本気のようで、自分が泥棒であることも正直に打ち明けます。
さらに驚くべきことに、ガルボは全てを知った上で彼の気持ちを受け入れ、一緒に次の公演地のウィーンへ行こうと言います。
ジョン・バリモアは喜んで同行するつもりですが、そのためには借金をなんとかしなければなりません。
ライオネル・バリモアがカジノへ行きたいと言うので、ジョン・バリモアはそれならホテルの客たちを集めて部屋でトランプをしようと提案します。
しかし、ジョン・バリモアはあっさり負けてしまいます。勝ったのは余命いくばくもない中年男のライオネル・バリモア。
ジョン・バリモアは彼の財布を盗もうとしますが、最後の最後に返すことにします。こんな善良な男から盗むことはできないというわけです。
困ったジョン・バリモアは今度は会社社長のウォーレス・ピアリーの部屋に盗みに入ります。
ウォーレス・ピアリーはジョーン・クロフォードのことを気に入って、正式にタイピストとして雇いたいと言い、ついてはホテルに部屋を取るとも言います。つまり、雇ってやるから一晩相手をしろということですね。
大人って汚い!
そこから先の展開は読めませんでした。盗みに入ったジョン・バリモアを見つけたウォーレス・ピアリーは揉み合ううちに相手を殺してしまいます。
それを目撃したジョーン・クロフォードはなぜか余命いくばくもない中年男のライオネル・バリモアに助けを求めます。
ウォーレス・ピアリーは彼らを買収して有利な証言をさせようとしますが、二人は頑として受け付けません(もともと正当防衛だから大した罪には問われないと思うのですが、違うのですかね)。
ウォーレス・ピアリーは逮捕され警察に連れて行かれます。
そんなことがあったとは知らないグレタ・ガルボは、ジョン・バリモアを探そうとしますが、周囲の人間にあの男はきっと駅で待っていると言われ、ウキウキしながらタクシーに乗り込みます。
ジョーン・クロフォードとライオネル・バリモアはなぜか意気投合し、一緒にパリに行くことにします。
パリで泊まるホテルはもちろんグランドホテルーーグランドホテルという名のホテルは至る所にあるのです。
最後は新しい客がホテルに到着するところでジ・エンド。
まあ、ジョーン・クロフォードとライオネル・バリモアがくっつくというのは、ちょっと作りすぎというか、うまく行き過ぎという気もしますが、それは言っても仕方ありません。
大切なのはこの映画が一つの形式を確立したことです。考えようによっては、この映画があったからこそロバート・アルトマンの一連の映画も、三谷幸喜の『有頂天ホテル』も、キムタクと長澤まさみの『マスカレード・ホテル』も、さらに言えば『タワーリングインフェルノ』や『ポセイドンアドベンチャー』もできたです。
どんなことでも最初にやった人間は偉大だということですね。
追記:
そういえば私が期待に胸を膨らませて見に行って、がっかりして帰ってきた『ホテル・ローヤル』とか、ウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』とかいう映画もありましたね。どちらもホテルで働く人間にスポットを当てたもので、グランドホテル形式とは少し違うような気がしますが……
それほどいい映画だとは思いませんでしたが、空港に集まる人々を描く群像劇という意味では『予期せぬ出来事』もグランドホテル形式の映画ですね。
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ミチ・ヒロタ・インタヴュー(2003)
Interview: 熊谷朋哉(SLOGAN)
Photos: ミチ・ヒロタ (Michi Hirota) + 廣田丈自 (Joji Hirota)
https://jp.audionetwork.com/browse/m/composer/joji-hirota_588
●はじめまして、熊谷と申します。
「あっはじめまして。ヒロタです」
●ミチ・ヒロタさんは日本でも全く謎のヴェールに包まれている方でして、実は私、非常に緊張しております。
「いえいえ大丈夫ですよ〜(とても明るい)」
●ありがとうございます。えーと、『スケアリー・モンスターズ』のリリース以来23年、日本にもミチさんの情報はほとんど入ってきていないんですが、日本のジャーナリスムの取材を受けられたことはあるのでしょうか。
「一度だけ、橋本さんというジャーナリストの方にインタヴューを受けたことがありますね(註1)。雑誌名は忘れてしまいましたが、ボウイのことだったかスパークスのことだったか。スパークスの『キモノ・マイ・ハウス』のジャケットに私が出ているんですけれどもね」
●え、そうなんですか!? すごいですね〜。じゃ、私、ミチ・ヒロタさんの顔を見たことあったんですね。すごいですね〜。びっくりしました。あのジャケットには2人の日本人女性が写っていますが、どちらなんでしょう?
「右側なんですよ。髪の毛を上にあげてるほうですね。左側は私のお友達なんですけれどもね。スパークスの連中とカメラマンにああいう顔にしてくれって言われてね。ああいうほうにしたほうがインパクトが強いからと。多分、そのときに一度記事が出ていると思うんですよ」
●あ、そうなんですか。いや、びっくりしました。えーと、今はロンドンにお住まいですが、どういった経緯だったのでしょうか。
「生まれは茨城の水戸でして、地元の音楽高校を出て、駒沢大の英文科でなんやかやしてるうちにフランス語を勉強したくなってヨーロッパに飛んだんです。だから海外は、ロンドンじゃなくてパリが最初だったんですね。パリ滞在中に、ツトム・ヤマシタの「レッド・ブッダ・シアター」というのがやって来て、知り合いになって、じゃ一緒にやってみないかと。で、それが大成功致しまして、ヨーロッパとアメリカと廻って、それからイギリス公演を行って」
●そこで廣田丈自さんとはお知り合いになられたんですね。
「そうですね。彼はまだ大学の4年生で長髪でしたけれど(笑)、ツトム・ヤマシタのところで音楽監督と打楽器をやっていてね。まじめで、毎日練習も一番最初に来ますしね。まじめで熱心な方だなあと思いまして(笑)」
●あのころのロンドンのアヴァンギャルドなアートシーンというのはどういう感じだったのでしょう?
「やっぱりね、ほんとにね、全盛期でしたよね。これまでにない形だったんじゃないでしょうか」
●ロンドンに拠点を置かれたきっかけというのは?
「ツトム・ヤマシタのロンドン公演が大盛況で長くなりましたから、必然的にロンドンに拠点を置くことになりまして。で、廣田丈自の周りにも仲間が出来てきまして。ヤマシタさんたちは帰ってしまったんですが、彼はこちらで音楽活動をやりたいということでこちらに残ったんですね。その後結婚致しました。仲間の皆さんに祝って頂いてね」
●なるほど。ミチさんご自身は、どういう音楽がお好きだったんでしょうか?元々スパークスやボウイといった、少しモダンなポップ・ミュージックがお好きだったんでしょうか?
「私はポップ・ミュージックじゃなくてですね、ジャズとかクラシックが好きだったんですよ。ジャズだとアル・ジャロウとか、今も大好きですね。いわゆるプログレッシヴ・ロックだとウェザー・リポートとか、ああいう系統が大好きなんですね。クラシックだとオーストラリア人の、あの顔長いおばさんの、そう、ジョーン・サザーランドですね。
デヴィッドに関しては、常にメッセージを出されていて、あの姿勢には感服していました。もちろんヤマシタさんもスパークスも好きな人たちでしたよ」
●スパークスやボウイとはどういう経緯で共演をすることになったのでしょう? ボウイも、廣田丈自さんやミチさんと同じくリンゼイ・ケンプ・カンパニーとの関係がありますけれど。
「うーん、リンゼイというわけではないんですけれどもね。デヴィッドとリンゼイの関係はずっと昔のことで、私や廣田がリンゼイと関係していたときとは時代が違うんですよ。
本当に、いろんな出会いがあるんですよ。偶然にどっかのパーティで会って友達になって、で、その関係で紹介されたりとか。えーと、デヴィッドの場合はどうでしたでしょう、私はそのとき役者をやっていたんですね。ユル・ブリンナー、伝説の大俳優ですけれども、彼がブロードウェイから『王様と私』のロンドン公演を行うことになって。それで私がオーディションを受けて合格しまして、その関係だったかもしれません。自宅に電話が来まして」
●「デヴィッドです」って感じですか。
「いや、トニー・ヴィスコンティさんがお電話をかけてきまして。会いに行ってみたらそこにボウイが居て、日本語を教えてくれませんかと」
●なるほど。ボウイの第一印象は如何でした?
「そうですね、綺麗で清潔感のある、やっぱり綺麗な方ですよね」
●それで日本語の先生を始められたわけですね。それは、先に歌詞があってそれを教えていたということなんでしょうか?
「いえいえ、普通の会話を教えていたんですよ。「私は旅館が好きです」とか「私はお寿司が好きです」とか(笑)。彼が日本語で(音楽を)やりたかったのかもしれませんけれども。でもとても難しいというのがわかったんでしょうね。で、私の声を聞かせているうちに、この声が自分の音楽に乗ったら面白いんじゃないかということでああいったアイデアが出てきたんですね。日本語の響きが良いし、ミッチの声は合うんじゃないかと」
●ボウイは日本語で歌おうとしていたんでしょうか?
「ちょっとね、そのへんがあやふやなんですけれども、もしかしたらそうかもしれませんねえ。あんなに急に日本語を習いたいというのはね。でもまあ複雑なセリフは難しいということで、やっぱり「私は旅館が好きです」というところから(笑)」
●なるほど(笑)。どういう生徒さんでした?
「いや、まじめな人でしてね。あのですね、彼はほんっとにまじめなんですよ。どっちかというとおとなしい感じの、とっても好感度の高い方でしたね。大スター独特の横柄な態度もありませんしね」
●それで共演されることになったわけですね。「It's No Game (Part 1)」の録音はニューヨークで?
「いえ、録音はロンドンの、トニー・ヴィスコンティのアース・スタジオだったかな、そういうところでしたね」
●アルバム自体はニューヨーク録音でしたよね?
「そうなんです、ですから、私のあの歌は、デヴィッドとトニーと私との3人だけで作ったものなんですね。元々録音されていたものを私が何度も何度も聴いて、それに語りを、どちらかというとインプロヴァイズで乗せていったという感じですね」
●となると、ああいう演劇調の語り口調を考えられたのはどなたなんでしょう?
「ここの部分はもっと怒ったようにしてくれとか、もうちょっと押さえてくれというのはトニーとデヴィッドからディレクションを頂いて、その他の部分は私のインプロヴァイズですね」
●レコーディングはどういう雰囲気だったんでしょうか?張りつめた空気が感じられるのですが。
「もうほんとにね、最高に幸せな、もう、何と言うんでしょう、レコーディングしてますという緊張感はまったくありませんでしたね(笑)。聴く人にはわからないだろうと(笑)。3人で肩を組みながら、こういうふうにやろうぜとかそういう感じで。自由にやらせていただきました。ほとんど私のイニシアティヴで」
●あ、そうなんですか。何度も録り直し等はされたんですか?
「どういうふうに詞を乗せるかを考えるために、曲はかなり聴きましたけれども、テイク自体は3回か4回しかしていませんね。結構短時間で録りました」
●あの歌詞に関してはどう思われました?
「うーん、難しいですね。日本の大学教授が書かれたということで、ちょっと難しい内容ですけれども、でも、宜しいんではないでしょうか。デヴィッドの体制に対する反逆精神みたいなものが充分に出されていて」
●出来上がったアルバムを聴かれたときにはどう思われました?
「やっぱりそれも難しいですよね。音としては面白かったですけれど、あとは、音を聞いて頂いた方がどう思われたかということですよね。私としては全てを尽くしたというか楽しくやらさせて頂きましたし」
●なるほど。ミチさんは、その頃からずっと俳優をやられていたんでしょうか?
「いや、総合芸術みたいなものですね。だから普通の役者と言うより、セリフをしゃべるというよりは、歌を歌ったり踊ったりというか、そういうことをずっとやってきていました」
●役者といえば、ボウイの『エレファントマン』は見られました?
「あ、見ましたねえ。宜しいんじゃないでしょうか。『エレファントマン』は、私、リハーサルにも行っていたんですよ。そういえばその後で、デヴィッドから、私にライヴ・エイドのコーラスをやってみないかという話があったんですよ。でも、あいにく、私、ポップスが歌えないんですね(笑)。一応デモテープを送ったんですけれどもね、でもやっぱりミッチにポップは合わないねということで黒人の女の子を採用することにしたと。最初から全然期待はしていませんでしたけれどもね(笑)」
●「It's No Game (Part 1)」がライヴ・エイドで生で流れたかもしれなかったわけですね。惜しい(笑)。ボウイとの記念写真はお持ちですか?
「ないんですよぅー(笑)。ほんとに無頓着でして」
●惜しい(笑)。廣田丈自さんもそうですが、ロンドンで、世界の最前衛の活動をしていくというのはどういう感じでしょう?
「そうですね、どこで活動するというのは人それぞれだと思うんですね。日本で活動するのが向いているという方もいれば、海外のほうが自分を発揮できるという人もいるでしょうね。ただ、こちらで活動するにはやはり個性が強くないと埋もれちゃうということがありますね。外見云々じゃなくて強い信念が必要ですね。で、良いものであればこちらの人は受け入れてくれますよね」
●ミチさん個人の今後のご予定は?
「バレエを続けております。健康のためにね。それと発声練習もしてま��て、主人の仕事のほうにももっと携わっていきたいなと思っています。これからデビューというのもなんなんですけれども、改めて歌もやっていければと思っています」
●日本には時折戻られていらっしゃるんでしょうか?
「ええ、毎年里帰りしております」
●あ、そうなんですか! お正月とかお盆とか日本にいらっしゃっているんですか?
「前回はいつ行ったんだったかな。2ヶ月ほど前に、娘の画材を買いに行きましたね。彼女はロンドンの美術学校でグラフィックデザインを学んでおりまして、彼女が使う和筆なんですけどね、こちらだと輸入品ということで5倍くらいのお値段になっちゃうんですよ。まあ別に旅費を掛けて行くほどのことではないんですけれども、里帰りのついでにね、重たいものを買って参りました!」
●なるほど。今度日本に来られるご予定は?
「日にちは決まっていないんですけれどもね、また来年行こうと思っています」
●あのー、関係あるのかないのか、廣田丈自さんもボウイ顔でいらっしゃいますよね。
「昔はね(笑)。昔ロンドンのレインボー・シアターでツトム・ヤマシタでやったときにね、武満徹さんが彼にね、「君はデヴィッド・ボウイのようだな」なんて仰ったことがありましたね。もうちょっとうちの主人のほうが骨っぽいんですけれどもね」
(註1)周囲に聞いてみたところ、近田春夫氏はこのことをご存じだった。
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