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#フィルム現像30分仕上げ
monthly-ambigram · 3 months
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2024-2月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「レトロ」です◆
今月は参加者の皆様に「レトロ」のお題でアンビグラムを制作していただいております。各参加者が思い描くレトロなものは何でしょうか。ぜひじっくりご覧ください。
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「懐古趣味」 旋回型:きいろいビタ氏
レトロをそのままとらえれば、「Retrospective=懐古趣味」。レトロ文字風にきれいにまとまっています。既存作との違いにも注目してみてください。装飾によりエレガントに仕上がっていますね。
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「懐古趣味」回転重畳型:Σ氏
一見同じ対応付けのように見えますが、字画の差分を重畳型で解決し自然に仕上げています。足し引きの調整が絶妙です。対応付けを読み解いてみてください。
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「レトロゲーム」鏡像型:ヨウヘイ氏
ドット絵にするとレトロ感を感じるのは、実はある程度以上の世代だけなのかも知れません。 ロゴ的にまとまっているのと、ドット表現がぴったりなこともあり、変形していても何となく読めてしまう面白さがありますね。
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「アーケードゲーム」 旋回型:つーさま!氏
同じ形が「アー/ケー/ド/ゲ/ーム」の5とおりに読める力作です。前後の言葉のつながりにより「ケー/ゲ」を振動させているのも面白いです。
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「ブラウン管のレトロなテレビ」 回転型:超階乗氏
ブラウン管のテレビ、今は教科書から知る人も多いでしょうね。 ブラウン管の画像の乱れのような表現が解釈に自由度を持たせているようです。
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「しろくろテレビ/ちゃぶ台」 図地反転型: いとうさとし氏
1950年代のお茶の間の光景ですね。 7文字と4文字で対応付けできてしまうのが神業ですね。文字数の差をどのように吸収しているかに注目してみてみると面白いです。
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「pixel」回転型:繋氏
液晶パネルや電光掲示板なども昔はピクセルがしっかり見えているのが普通でした。 「pi/el」を切り替える共有部分の表現がピクセルにマッチしていて自然ですね。読みやすいです。
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「古びた箱庭の下、広い芒畑が昭和の幻影と馨.辺境が甦る」 鏡像型:ちくわああ氏
文字列生成の大作が仕上がってきました。とにかく解読するのが楽しい作品、すごいです。ぜひじっくり読み解いてみてください。
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「ガリ版」 回転型:lszk氏
謄写版の俗称。昔はテストや学級新聞などもガリ版で刷っていました。 輪郭の角度調節が上手なので、ここまでデフォルメしても容易に読めてしまいます。匠の技です。
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「大正ロマン」 回転型:peanuts氏
大正時代の雰囲気を伝える思潮や文化事象。 既存作とは対応解釈が異なり、余計な線がなくなるように作字している点が優れていますね。作字としてもステキで素晴らしいです。
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「レトロモダン」 図地反転回転型: いとうさとし氏
古いながらも現代的で洗練された意匠。 レトロキネマ風の文字を彷彿とさせるデザインでステキです。「ロ/モ」が裏表にできるのが驚きです。
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「明治モダン」回転型:無限氏
昭和レトロ、大正ロマンときたら明治モダン。 右から左に読むようにデザインすることで対応付けがしっくりくる一石二鳥の解決策です。字形もハイカラでよいですね。
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「セピア色」 振動型:lszk氏
色あせてセピア色になると古さと共にエモさも感じます。 切り替わる字画は一本だけできれいに読みが変わります。素晴らしい発見と表現力です。
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「三丁目の夕日」 鏡像型:kawahar氏
昭和30年代の東京を舞台にしたお話。 影のような表現で斜めになっており純粋な鏡像型アンビグラムとはなっていませんが、この表現が雰囲気と可読性向上につながっていて面白いです。
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「湯沸かし器」振動型:海氏
昭和の台所には湯沸かし器が設置されているものでした。 各文字とも大胆な解釈ですが、確かにそう読めます。「器」の略字を知っているとより読みやすそうです。
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「高度経済成長」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
日本においては1955年頃から1973年頃が高度経済成長期とされます。 さすがの仕上がりです。3組分きれいに対応付けできる言葉を見つけるのも関心です。隙間で調整している部分が気になって文字として読めない人は、薄目でぼんやり見るなどすると読みやすくなるかもしれません。
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「鉄人28号/横山光輝」 回転共存型:兼吉共心堂氏
昭和30年代に描かれた、同時代を舞台にした漫画。 赤字と黄色の縁取りのカラーリングは実際のロゴのうちの一つに似せたものですね。黄色部分をうまく利用して字画あまり部分を処理しています。
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「ティファニーで朝食を」 回転型:.38氏
1958年小説発表、61年オードリー・ヘプバーン主演で映画化。 「朝食」を手掛かりに解読可能なデザインになっていて、「ティファニー」部分の組み方を読み解くのが楽しいです。
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「写ルンです」 鏡像型:douse氏
1986年発売開始、レンズ付きフィルムの先駆け。 「写/す」がピッタリすぎますね。全体的に作字としてステキで、レトロ文字の香りもします。
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「純喫茶」  回転型:螺旋氏
酒類を扱わない純粋な喫茶店のこと。特殊喫茶と区別するため昔は純喫茶と名乗る喫茶店が多かったようです。 随所に思い切った解釈がされていますが、うまい字画配置により読みやすく仕上がっています。レトロ文字風の書体でまとまっていてステキです。
最後に私の作品を。
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「感慨」 旋回型:igatoxin
昔を思うといろいろと感慨深いものがあります。レトロ文字風に仕上げてみました。
お題「レトロ」のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。昔を感じさせつつ新しい風も感じさせる作品が集まったと思います。
さて次回のお題は「うた」です。カラオケ、歌謡曲、和歌、現代詩、Ado、替え歌、ファルセットなど 参加者が自由にうたというワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は2/29、発行は3/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー}   2月{TV}        3月{クイズ}        4月{健康}   5月{回文}    6月{本}               7月{神話}   8月{ジャングル} 9月{日本史}     10月{ヒーロー}     11月{ゲーム}         12月{時事}
2024年 1月{フリー}  
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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tokyomariegold · 7 months
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2023/7/22〜
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7月22日 今日は風が爽やかで涼しかった。 どこを見ても夏休みだ!
休日出勤をして、職場の街にある山への登山客と電車に乗る。みなさん朝から頑張るな〜と、先日、のこの山くらいの標高ではそんなに山頂も涼しくない、と教えてもらったことを思い出す。
久しぶりにフィルムカメラを持って出かけられた。 確か先月末のネガがそのまま入っていて、私にしてはこんなに現像を出せていないのは珍しい。フィルムが高騰して、フジも生産を再開したみたいだけれど、80%(?!)値上げするとのこと。 でもfashion snapに“一本2,000円、それでもフィルムで撮り続ける人は増えている”という記事があった。
休日の職場は、ただでさえ広くて、人がいても閑散とした感じがあるのに、今日はさらにしんとしていた。ちゃんとこんなにもみんなまじめに休んでいるのね、と安心もする。
一期下の方とバスで帰りながら「夏休みって感じだね〜」と話した。そのまま電車で、パルコのナインチェイベントの話や、長野県立美術館でmameの展示を観た話、結婚式に行った話を聞かせてもらった。 mameの話が出来る嬉しさや、遠くの街で開催されている展示にぱっと足を運べるフットワークの軽さに、職場にこうゆう方がいてくれて救われる…と改めて思う。
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そのまま錦糸町パルコへ行ってみた! 錦糸町パルコ、初めて入ったけれど、上下階の移動キャパだけがオーバーしていて(フロアはそんなに混んでない)、フロアに降り立つ毎に並ぶ。なんか来たことある?他のところと間違えているだけ?! パルコにしては、吉祥寺のマルイ感。 ミッフィーのお店屋さんは展開がなく、フォトスポットだけだった!ので、近くのコスメショップの店員さんに頼んで写真を撮ってもらう。
下の階の無印だけが充実していた。本や商品の陳列の様子がパルコの無印っぽかった。
数年前、就活した時に落とされた某大学の採用面接の面接官が、今隣の部署の上司だと知ってしまい、あんまり就活を気負って頑張らないほうが良かったな、と思ってしまう。
展示の連絡の返信をやっとできたり、メールを返してえらい!
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7月23日 アイスクリームフィーバーを、好きな友人たちと観て、31アイスクリームをまんまと食べてきた。 私の住んでいる町の隣の、大きいショッピングモールの映画館で待ち合わせ。 今日も一定量のシャボン玉が飛んで、酷暑の中サッカーのパスを親子でしていたり、テントを張ってピクニックをしている家族連れがいて、幸せもいいけれど倒れないといいな、と思ってしまう。
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待ち合わせ駅の改札に、3人それぞれアイスクリーム仕様のファッションを身にまとって集合。ただ日曜日(?)に上映スケジュールが更新される常識を知らず、なんと今日から観ようとしていた回はなくなっていた…! 次は18時台なので、どうしよう、とわたわた。 30分移動した先に、12時から上映回がある、と友人が調べてくれて、そちらへ行ってみることに。 一人で行っていたら、どうにも落ち込んで暑い中歩き回って倒れていたかも、と思うと夏はなるべく誰かと遊ぶか、お部屋でぐったりしていた方が良いのかも。
移動した先の、郊外の、ありきたりなショッピングモールの3階の映画館でアイスクリームフィーバーを鑑賞。 初めて10分くらい観られなかったけれど、とても、とても嬉しい気分になる映画だった。本当に、友人達と一緒に観られて良かった! 駅前に31アイスクリームがある、と、3人でアイス(コーン)を買って、外の木陰で食べた。 私は今年初アイスだった。と、いうか1年ぶり? 31はもっと久しぶりで、ポッピングシャワーにした!
風があって少しは涼しかったけれど、やはり酷暑でアイスは一瞬で溶けてしまって、映画を観てコーンが良かった私達は、したたるアイスで手がべっとべとになってしまった。
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全然知らない町だったけれど意外とすんなり帰ってこられて良かった。
昨晩、NHKアカデミアやwiredでお話をしていた睡眠学者の監修したポケモンスリープをダウンロードして、今朝登録してみた。 今まで全くポケモンをやってこなかったけれど、早速ピカチュウをもらえて嬉しい。 ユーザーネームの付け方の話を友人にしたら、“だいふく”とつけている、と教えてくれて、以前、他の友人にswitchを借りた時もユーザーネームが“だいふく”だったことを話す。
お仕事全然頑張れない窓なので、年休消化計画ばかり立ててしまう。 スーパーで半額の桃を懲りずに買ってしまった。 今日は美味しいといいな。
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666blackpanther · 1 year
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LimeLightの暗室を利用しまして レンタル暗室p.pod代表本拠地での講座希望も大丈夫ですよ                                                    
レンタル暗室p.podへの情報は
https://twitter.com/p_pod301
こちらからGOです
中村浩之氏が教える初心者暗室講座を随時募集しておりますヨ ☆講座終了後は定期的に中村暗室教室卒業生による展示を開催致します ☆銀塩写真の楽しさ難しさを学べる講座です☆現時点では密を避けるためにも受講生1名での開催としています LimeLightでは月曜日講座のみとなっております 講師:写真家 中村浩之より一言 カラーやデジタル写真ばかりじゃなくて、銀塩フィルムでモノクロ 写真を楽しみたい。 撮影は何とかなるけれど、その後の現像や暗室作業って難しそう。 これまでは、お店に現像・プリントを頼んでいたけれ ど、自分でやってみたい。 そういった方々に、フィルム現像から暗室でのプリント、額に入れれば即・展示も出来る、仕上げまでの基礎的な作業手順を 学んで頂ける、初心者向けの講座をはじめます。 講座内容・月曜日(全6回、各回2時間半程度)は以下の通り*講座内容よって講座時間30〜1時間ほど変動あります *レンタル暗室p.pod では日程は違います 第1回 (月)18:30〜 まずはフォトグラムで、簡単なプリント体験。  第2回 (月)18:30 〜 フィルム現像をしよう! 第3回 (月)18:30 〜 暗室作業の第一歩!ベタ焼きとテストプリント。 第4回 (月)18:30 〜 RCペーパーで、ワーク・プリント。 第5回 (月)18:30 〜 本番プリント!作品制作。 第6回 (月)18:30 〜 最終仕上げ!スポッティングとブックマットにマウント。 *月曜日が祝日のときは翌週の月曜日に講座を開催します 料金は、33,000円(受講料 25,000円+印画紙・薬品・ブックマット等教材費5000円+消費税) *受講を途中で中断された場合でも料金の返金はできません 個人でご用意頂くもの 撮影済み・未現像モノクロフィル ム(35mm判×3本、又はブローニー120判×2本、ISO100・400どちらでも可) ※第1回の受講時に、必ず1本提出して下さい。残り は、第2回の受講時にご自身で現像していただきます。 編集用白手袋 皮膚が弱い方、アレルギー等が心配な方は、ゴム手袋や 腕カバーなどの防護用品。 なるべく汚れても構わない、動きやすい服装でご参加下さい。(エプロンの着用をお奨めいたします) ***** 講師:写真家 中村浩之 略歴はこちら 定員:1名様 メールフォームよりhttps://form.run/@konma–1603944167 ご連絡いただければOKです
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lifefind-blog · 24 days
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自己紹介-2
FUKEは、2007年ごろに写真における「色彩革命」の可能性を自覚し、デジタル芸術写真のなかで個人的な感情を表現要素として使い始めました。写真の分野において、色彩は絶対的なものではなく、色彩の見え方や感じ方は、人によって異なるほうが真実だという「革命」です。油彩画の分野ではこの革命は100年以上前に起こっています。
あまり知られていませんが、チューブ絵の具の発明で、画家たちがパレットの上で色彩を作り出すことが技術的に手軽になったことが、印象派などの画家たちの個人的色彩革命のきっかけでした。
クロード・モネ、ファン・ゴッホ、エドワルド・ムンク、エゴン・シーレらは、絵画史の色彩革命の中で個人的な色彩の自由を意識し、これこそが否定的継承という属性を備えた本物の芸術だと自覚し実践しました。彼らはあの時代、絵画に強い感情や微細な感覚を付け加え始めたのです。彼らは、「こんなものは、絵画の冒涜だ」などと、しばしば言われました。彼らが作ったものは当時の常識の範囲内の普通の絵画でなく、それ以外の何かつまり 「歴史を動かす大きなうねり」だったのです。FUKEは、絵画の流れを汲む写真芸術の歴史のなかで、このことに気付き自覚的に感情や感覚を写真に持ち込み、写真の分野の側から絵画表現の境界を拡張する試みを自覚的論理的に行おうとしています。
FUKE作品を初めて目にした人々は、直感的に、普通の写真ではない、写真なのか絵なのか判定できない、画面の中で何が起こっているのかわからない、と感じることが多いようです。FUKE個展会場で過去に鑑賞者同志がそういう話をしているのを何度か聴きました。今回の抽象的な大作のシリーズは、特にわからないのではないかと思います。
1988年に東京での個展で発表した、暗室の引き伸ばし機でフィルム画像を印画紙に照射しながら、複数の筆に現像液や定着液をつけて、描画や合成をしたモノクロ作品にも同様のことを言われました。画廊を訪れた写真関係者はほぼ全員、何がどうなっているのかわからないと首をひねって帰り、彫刻や現代美術の関係者は面白がっていたそうです。「絵画と写真の境界領域」を活動拠点として作品を作り続けているためだと思います。常識的な写真の範疇を越え、否定的継承という芸術属性を備えた写真以外の何かであってほしいと願いながら制作しています。
モノクロ印画紙のFUKE作品の面白さを30年以上前に最初に見抜いてくれた飯沢さんだけは今回発表の抽象的な新作シリーズの一つを見てすぐにFUKEが何をしたかったのか解ったと言ってくれました。 2019年4月記
幸福感、多幸感の追求 FUKE芸術の一つの側面では、虹の色相を含む明るい天国のような世界観を持った、現実と天国の橋渡しをするような風景を作ります。現実の風景や植物をもとにして撮影された写真は、FUKEの絵心と芸術によって、現実から離れ、上空に舞い上がった別世界のように見えるものになります。その世界を構成する虹色は、美を追求するための手段であり、また、一つの価値観に偏らない多様な価値観をお互いに尊重し合い世界を構成していくという考えの象徴でもあります。 植物の明るい新緑は次の生への息吹です。生命活動の準備が始まったことを示しています。 それはより多くの太陽の光を受け入れる準備であり、また強すぎる光から体を守ります。緑色の意味は体を保護することです。FUKEの芸術作品においては生命感と光の世界を象徴できるようなトーンを与えます。 FUKEの風景作品の目的は、幸せに満ちた瞬間を最も美しい形で残すことです。天国の共通の感覚を持つ夢のような記憶を与えられた場所として仕上げています。FUKEは北海道の雪のシリーズを洗練させ可能な限り美しい思い出として仕上げています。 それらはすべて、2011年3月11日より前に撮影された幸せな風景の記録です。 FUKE芸術のもう一つの側面は、デジタル写真で何が可能なのかを追求し、新たなイメージ世界を発見し、それを目に見える形にしていくことです。すでに色彩遠近法・COLOR STEREO VISION、キュビズムのもう一歩先への展開、暖視・VISUAL WARMER、真珠色・IRIDESCENT、燐光・PHOSPHORESCENCE、金調・GOLDEN TONALITY、感覚反応色・SENSORY REACTION COLORS、情緒の色度・CHROMATICITY of EMOTION、絵画と写真の境界横断・Crossing the border of painting and photographyなどを発見し、作品化しています。 2018年10月記
About FUKE FUKE is Japanese artist. He makes the new type of digital art photography, using the digital technique and his painter’s mind to convey the gentle, tender feelings or sometimes strong emotion. When you see something through FUKE’s images, you will be able to feel the most beautiful side of the scenes that you never felt before. He is looking for the unknown beauties in everyday life, and adds his individual feeling and emotion into his art of digital expressions. He is one of the most progressed pioneers in this art field of the color expression in photography. Adding the individual feelings to art photography is a very new thing. The art photography before him did not contain a purpose of this color emotional expression. The color of the photography is not thought of as a subjective thing, but it is thought of as an objective thing usually, still now. This is the reason why many people are amazed by FUKE’s photo art. It is often said that FUKE’s art is not photography, but painting. Maybe it is the real art photo beyond the ordinary. FUKE began this digital color expression in 2007. It is such like the way of making colors by Edvard Munch, Egon Schiele , Vincent van Gogh and Claude Monet did. They did it in their paintings at the time when color revolution in painting arts had began in past century. They added strong emotions and feelings into their paintings and they were often told that “it is not the painting! “ at the time. Well, they were not ordinaly painters but the great artists. FUKE began to make his emotionally colored digital photos based on the history.
FUKE says like this. " I make something which speaks to us. At first, imagine to climb up a high mountain and look at the distance, think that there is oneself who obtained a large field of vision. The expressed something with the high will goes across the area. Even if it was born at a specific small place, it will be also liked by the people at other places.
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kokoro-m · 3 years
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Do you wanna be a villain? Me,not.
今日は本当に天気が最高だった。正直昨日も一昨日も最高だったけど、今日は凄かった。何駅分か歩いた帰り道、住宅の路地に差し掛かるたびに右を向いては浮かぶ夕焼けの移り変わりは魔法のようだった。生き生きとした橙色が雲をわたあめにして、また一本先の路地を覗けばわたあめがライラック色、これほどまでの幸福な帰り道はなかった。マスク越しでもわかる澄んだ空気を歌を歌いながら噛み締め、時折飲み物を飲むふりをして両手を広げた。信号を渡っている最中に撮ったフィルムに映る空はきっと絶好の光景だ。私は私の人生の主人公だった。歩いても歩いても現れる木、薄れて見える月。人間をここまで幸せに誘ってくれるその全てが自然の産物で、この地球に生きている。4/22、Earth Dayに感じるには涙が出るほど美しい街の新緑だった。
地球環境について、環境破壊について、私たちが「今」できることは何か。それに気づけるキッカケになる、大切な日。
誰もが心地よい世界を作っていくには、今までの「知らない」を拡大させて当事者意識を持つことが第一だけれど、環境問題に対して、私はまだ階段の前で靴紐を結び直しているくらいの位置にいる。
問題視されるものにいざ向き合う時、私は常に自分の中に潜在的にあった悪魔のような「無意識」とにらめっこをする。I've got all these demons hiding underneath... 無知を片手に過ごしていたが、反省さえ出来なかったのは、それが当たり前だと思っていたからだろう。
自動販売機の隣にあるペットボトル・カン・ビンのゴミ箱に、おにぎりの包みビニールをぽいっと捨てたこともある。キャップとラベルと本体も分別しなかったし、ガムの包装紙を剥がす細い紙が道に落ちても拾わなかった。何のことも考えてなかった。それによって傷つく人も、何より自分が毎秒触れている足の裏に広がる大地、それらから形成される地球が苦しんでいるのかとは。目に見えて焼き尽くされてしまうような自然破壊は想像しやすいかもしれない、けれどもっと、毎日吸っている空気が流れている時に、寄り添える人間になりたい。
地球温暖化が進んでしまっている、だから夏場のエアコンは30度、冬場は19度に。教室の壁にかかったリモコンの下に貼ってあった。私家ではエアコンあんまりつけないようにしてるんだ!地球のためだもん!そう胸を張っていた。仕事や出先でいろんな人と出会うおかげで、SNSのフォロー欄や検索欄から、普段過ごしていれば興味を向けなかった分野の話題までえれることが出来る。環境に対する思いも、それがなければ何ら子供時代と変わっていなかったかもしれない。
ある時、家にペットボトルが溜まっていた。昨日飲み残した緑茶と、その日、外出先で買った水。どちらも飲み干せていないまま、部屋の机の上で放置されていた。いったい私はなんてズボラなんだ?と思った。中の飲料さえ無駄にしているし、ペットボトルだって二本も余ってしまっている。洗って使いまわそう、そう思っていたのも忘れて捨ててしまうときもある。私が普通に行なっていたことは確実な「無駄な資源」で、ゴミを増やしてしまっている。自分が悪党に思えた。
とはいえ、じゃあ明日からゴミ0を目指すぞ!と思っても、本当にこれは難しくて、これくらいならいいかが積み重なってしまう。The politicianを見た時、主人公が選挙活動のアピールで若年層に訴えかけるにはまず地球環境についてよく考えていると伝えなければと、お湯ではなく水でシャワーしたり、食べ残しはコンポストにしたり、好きなコーヒーを我慢して、などと悪戦苦闘している姿に笑っていたのだけれど、それらを本当に日常的に続けている活動家の人は凄い。海外に住む同い年の人のTiktokは最高にクールだ。本当にすごい。調べても調べても足りない。
結果論ではなく物事の過程にも着目すれば、また新たな(私にとっては)改善点が出てきたり...試したいことがたくさんある。新しい取り組み、って私的にはお金がかかっちゃうなと懸念しがちだけど、最近は自分を優先させない生き方も楽しいなと思い始めた。自分は、この環境に生かされているのに、私が環境を殺す一因にあるから。この人はこんなことまで、そんな視野を持って、すでに果敢に試しているなんて。最近では尊敬したい人が増えに増えた。陳腐な言葉だけれど、なんて地球は大きくて、どれだけの問題があって、それを今までの大切な21年間、どんな目をして私は無視していたのだろう。
超新米の私は、今日は出先でまたペッドボトルを買う始末になってしまったけれど、ウォーターボトルとマイストロー、エコバッグや紙袋をおぼろげに抱えて過ごすようにしている。いらなくなった服を近所の年下の子が着てくれるなんて優しさも貰い、あとは必須のコーヒーボトルやミニ水筒、買うだけは簡単なんだけど、まずは形から入ろうと去年の自粛から意識している。
至高の天気に恵まれた日。私は来年の今日までに、どのくらい成長できるだろうか。これからを未来を守るために、良かったら一緒に。
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yamasakiko---ji · 4 years
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firstly, abandon the realm of verisimilitude.
身振りとしての映像 - 中平卓馬
 はっきりいってしまえば、いわゆる「ブレボケ」と呼ばれた写真の「表現」について、いまさら何かをいいつのる気はない。私はすでに決着を自分ではつけた気でいる。だが、なおかつこのテーマで何かをしゃべるのを引き受けたのは、いわゆる「ブレボケ」というやつがひとつの表現の様式、かつて、1960年代の終わりから70年にかけてあったひとつの「表現の意匠」として整理され、ああいうのもあったな、とレッテルをはられ、そのまま「写真史」の中に埋め込まれてゆくことへの異議申し立て、という動機以外の何ものでもない。  「ブレボケ」、この奇妙な言い回し、あるいはこれに随伴するもうひとつの奇称「コンポラ」(なんということだ、これは)、それらは、当時のわれわれの「表現」に外から与えられたものである。当事者たるわれわれは、具体的には森山大道と私は、自分の写真をそのように呼んだことは一度もない。おそらく当時、自分の「表現」に距離を置い��考えるゆとりなど、われわれは持っていなかったであろうし、「ブレボケ」と呼ばれるのを苦笑いとともに受け入れていたにすぎない。  だが、同時に、人は自己がそうあると信じるもの自身であるわけにはゆかない。人は他者に名指されるものでもある。他者の眼差し ... などとおおげさにいわなくてもよい。つまり、自分たちが、自分たちの表現が「ブレボケ」と呼ばれ始めたときから、われわれは少なくとも社会化されたのだ。だから、「ブレボケ」がひとつのエコール(流派)と受け取られ始め、その亜流までが出始めたときから、われわれは当然自己の「表現」への社会からの照り返しを受けざるをえなかった。そしてそこにわれわれの責任が生じたこともまた否定できない。  事実、写真「表現」の技法への転化といったものが、いつの間にか私たちの写真そのものの中にも起こったのではなかったか。私は当時、はっきりとそう意識していたわけではなかったが、そういった予感��近いものを感じていたことは確かである。写真の技法くらい安易で簡単なものはない。美術、たとえば絵画の技法ならまた別のことがいえるかもしれない。技法の習得にはそれ相応の時間と勉強が必要である。そして獲得された技法そのものは、すでにその作家の造る作品と無縁ではありえない。ところが、写真の技法ほどイージーなものはない。まさにその安易さが、写真のもつ特性のひとつではあるのだが ...。  たとえば「ブレボケ」を例にすればよい。比較的遅いシャッター・スピードでも、強引に、あるいは気軽にシャッターを押す。像は「ブレ」る。暗室作業も簡単である。高温のフィルム現像液での長時間現像、のりにのったネガをさらに四号ぐらいの硬調の印画紙に焼き付ける。むろん焼き付けの露光時間は、普通考えられるようなものではない。30分から、ときには1時間もの露光。出来上がった写真の粒子は荒れ、像は当然「ボケ」てくる。まぁこんな具合である。それさえわければ、だれでも「ブレボケ」派だ。  だが、われわれはこのような技法を前提にして写真を撮っていたのでは、けっしてない。むしろ、これまで写真の常識とされていきた技術のイロハ、グラデーション、光と階調や、その他なにやらかにやらを考えて写真を撮る、ということをはじめから無視しただけである。問。なぜ無視したか? 答。私は初めからそんなことは知らなかったし、また知ろうとする欲求すらもっていなかったから。私にとって、たったひとつの関心は、現実をどうとらえるか、とらえることができるか、ということだけにあった。  もう少し詳しくいえば、われわれが日々を生きている、その一瞬一瞬を肉眼でとらえるように、世界と私の出会いをカメラでとらえることがどうしたら可能か、ということである。われわれの存在は、それ自体すでに世界との「関係」そのものであるといってもよいだろう。「関係」ぬきに人間は存在しない。その「関係」たる私が、日々、一瞬一瞬を生きてゆくこの世界と私の白熱する磁場、「関係の関係」とでもいうべきものをどうフィルムに定着することができるか、ということである。視線の厚み、世界の肉質を、どうしたら薄っぺらなこの紙っぺらに印することができるか、といことである。  日常的には、われわれの視線は一つ一つの対象を明確に意識し(もっとも対象といったとき、それはすでに主体との対語を語っているのであるが)、それだけを全体から切り離して見ることはけっしてない。あるひとつを見る、その意味をとらえる、そしてこの場合、視線はけっして連続しているのではない。ひとつひとつはバラバラな対象とそのおぼろげな記憶、それをわれわれは想像力によってつなぎ合わせ、そこに一本の意味の系を作り上げているだけなのだ。そしてそれを可能にするのは、歴史としての私の身体である。  だから、見るということは、けっして眼球に関するものだけではない。「見ることの身体性」と中原佑介はいった。まさしくその通りだ。見るということは、この世界を通り過ぎてゆく、その私の身振りと切り離して考えることはできない。見るということは、一枚のタブローを見ることとけっして同じではない。当然のことながら、出来上がった一枚の写真を見ることと同じではない。そこにはすでに見るための距離があらかじめ設定されている。われわれは安心して一枚の絵、一枚の写真を見ることはできる。一枚の絵、一枚の写真にそそがれるわれわれの視線は安定しており、確かなものである。だが、われわれが生きてゆくこの現実においては、われわれの視線はけっしてそのような安定したものであることはできない。そのひとつひとつは交錯し、うつろいやすく、不確かなものである。だがそれらがいくつもの重なり、それに記憶がからみ、遠近法がからみ、このようにして現実の視線は逆に厚みを獲得し、生きたものとなる。当時、私を突き動かしていたものは、そのような視線の不確かさ、と同時に世界の不確かさをひきずりだし、それを対象化することであり、それを強引にカメラという手段を通じてやろうとしていたような気がする。  やってしまった自分の行為を、このように整合する言葉によって説明することは、みずからの行為を薄めることになるのは知っている。だが同時に、それは自分が行った行為の再読をあるいは可能にしてくるかも知れない。私は、今という時制で書いているにすぎない。  つまり、こういうべきであろう。われわれは、どうあれ与えられた一つの状況を生きる。その身振りを振る無二刻印するという、しょせん不可能なことをあえてやってみようという衝動にかられていたのではなかったか。そしてそのとき、たまたま生まれてきたのが「ブレ」であり、「ボケ」であった、と。「ブレ」「ボケ」は、当時の私にとっては、正確な像よりもはるかに肉眼に近いものであった。私は、当時しきりにいっていた。一枚の写真とは、一回限りの生を日付とともに生きるその生の痕跡であるにすぎない。だが、まさに痕跡であるにすぎないところに、写真のリアリティーを求めていたのだ。ときには過大な思い込みを入れて。視線の不確かさ、世界の不確かさ、それを一枚の写真に刻印することそのおびただしい並列を通して見るということをもう一度考え直そうという衝動。今では「ブレボケ」集団と呼ばれている「プロヴォーク」というグループをわれわれが結成したのは、そしてそれが可能だったのは、けっして言葉で述べられはしなかったが、最低限、この衝動を心のどこかで共有していたからであろう。  われわれは、それまで伝統的にあった写真の美学を否定した。いや、むしろそういったものと無縁の位置にあろうとした。われわれが写真に見たものは、ただの視覚の約束事、約束事を前提とした美学のバリエーションでしかなかった。それらは、私にはすべて嘘事であった。むろんあまりにも思い上がった考えであったろう。だが、若さとは、しょせん大胆さと愚かしさと、そしてちょっとばかりの美しさの入り混じったものである。  結果として「プロヴォーク」は何をし、何をしなかったか。それは私自身すでに書いたし、また構成メンバーの一人一人が決着をつけたと思う。あとは他者の算定にまかせる他はない。だがひとつだけいえることは、制度としての写真美学、瞞着(まんちゃく)された視覚への一時的切り裂き、それを通しての視覚の攪拌(アジテーション)を、たとえわずかながらもやることに成功したかもしれない、ということだ。だがそれは、しょせん見果てぬ夢であったかもしれない。  あたり前な話で恐縮だが、カメラはいうまでもなく「限定された」四角いのぞき穴である。要するにカメラは世界を主体=対象の二元論に還元する近代の所産であることだけはまちがいない。だがわれわれは、日々を四角いフレームで限定して対象化してながめながら生きているのではない。しかも、さきにも書いたように、見るとはだた眼球だけにかかわるものですらない。そのような見ることの洗い直しを、カメラを通して決行しようとしたこと、それはしょせん矛盾撞着をはじめから前提していたのか。そして、われわれの手に残されたものはすべて私が生きた生の局限された一部、しかもその痕跡以外の何物でもない。せいぜい、われわれが手にすることのできたものは、このひとつひとつバラバラな私と世界の「関係」の像だけである。  だが、このペシミズムゆえに、われわれは、いや、私はというべきか、この「ブレ」て「ボケ」た現実のミメーシスに「リアリティー」という特権を付与しようとしていたのだ。  私はすでに三年前、ある評論集の冒頭のエッセーの中で、このへんのところに関して私なりの総括を出した。それは今にして思えば、あまりにも比喩的な言い回しのために、かなりの誤解をまねくものであった。だが、その大筋は次の通りだ。「プロヴォーク」の初発のエネルギーは、いつのまにかその手つきだけが、手法として突出してゆき、それとは反比例して、本来の姿勢を急速に骨ぬきにされていった。いうまでもなくこれは、グループとしての「プロヴォーク」に関してのことであり、メンバー一人一人のことではけっしてない。しかも「プロヴォーク」のメンバー全員が「ブレボケ」写真を発表していたのではない。ちょうどそのころ、ネイサン・ライアンズ・リー・フリードランダーらの『コンテンポラリー・フォトグラファーズ』という写真雑誌が日本でも紹介され、この雑誌の名前の奇妙な縮小語「コンポラ」がつくりだされ、「ブレボケ」「コンポラ」「プロヴォーク」は、同概念として受け取られるようになった。むろん、おかげでわれわれは社会的に浮上した。そして次第に集団としてのエネルギーを失い、また集団であることの必然性もなくなっていった。われわれは解散した。それがロラン・バルトが巧妙にいい当てた「名づけられた反抗、これほど人を安心されるものはない」から身を守るたったひとつの解決策であった。  70年に一冊の写真集を出したあと、「ブレボケ」という手法だけが前面に押し出されていったとき、私はむしろこの本来は結果として出て来たにすぎないものが、われわれ自身に転化してゆくのを感じていた。私は「コンポラ」からも「ブレボケ」からも、かつての「プロヴォーク」からも身を引きたいと思った。  むろん、これまでの形で写真を撮り続けることは、いとも容易だった。ときには、人を感動させることのできる気のきいた写真の何枚か何十枚かはできただろう。だが、自分がかつての自分自身を模倣すること、これほど無残な話はない。それは他者を模倣することとは根本的に違っている。他者を模倣すること、それは自己を変えることでもある。私は「ブレボケ」と呼ばれた私自身、足かせをはめられた私に戻りたくはなかった。私は、写真から徐々に遠ざかっていった。  そんな状況にあったとき、私はふとしたはずみで、ある「デッチアゲ殺人裁判」を知り、その実質上唯一の証拠となった写真を知った。写真に写されたものは事実であるという、世間一般の常識の根深さも知った。写真のもつトリック、写真のあいまい性について考え始め、次第に写真家としての写真 - 作品という枠から、今日の社会において流通するあらゆる映像、テレビ、写真、ヴィデオに関心を向けていった。  映像の氾濫するこの社会において、映像は現実のイメージであることを超え出て、逆に映像が実体化し、現実そのものを縛り上げる。このような倒錯がいつから生まれたのか。そして私自身がとってきた写真を逆に考えた。「ブレボケ」と呼ばれた私の写真を。あれは一体現実であったのか。虚像であったのか。私はあれこそ現実、私にとっての現実であると信じて疑わなかった。その信念ぬきに、私の写真を撮る行為は成立しなかった。だがそれが一度外に出されれば、それははたしてどうなるのか ...。  そのころ、私はカメラを持っていなかった。持つ気もなかった。どうして写真を撮らないかと心配した友人の一人は、本気で「デッチアゲ殺人裁判」の証拠となった写真の責任をとって、もう写真をやめたのかと聞いたことがある。それはあきらかな思い過ごしであった。だた、私には「肉眼」の方がはるかに信頼するに足るものだ、という確信がうまれかけてきたことだけは、たしかである。  なぜ「ブレボケ」か、この問いに対して、今こたえられるのはこれくらいのことだ。ひところ、私にとって「ブレボケ」は一番肉眼に近いものであったと。そして今、再び写真を撮り始めたとき、私の中に何かが変質していることを、私は知っている。つまり現実は、世界はそう簡単にとらえられるものではない。とりわけ、カメラという制度としての視覚を前提した手段をもってしては。  だが、また始めるだろう。初めからやり直した。それがどうなってゆくか、私には予測はつかない。必要ならば、また「ブレ」たり「ボケ」たりするかもしれないし、全然しないかもしれない。ただ、カメラをもって世界に真正面から対峙すること、その点をないがしろにしてしまっては、もとのもくあみどころか、敵前逃亡になってしまうだろう。  もう一度繰り返すならば、「ブレボケ」は、写真表現の様式などではけっしてなかった。だが、いつのまにかそのように名指され、名指されながらいつのまにか少しずつ、そっちの方向へひきずられていってしまったのだ。  森山大道は、依然として「ブレボケ」の極へ突っ走ろうとしているかに見える。それもまたよい。私はイヤになったらすぐにやめる、そのような体質をもっている。だが、自分自身にまといついた矛盾を全部引き受けながら耐えてさまよう勇気をもっているならば、森山大道よ、極の極まで突っ走ってみることだ。  すでに十三、四年前、仕事もなかったころ、そうだ夏の終わり、すでに金色の秋の日が差す長者ヶ崎の海だ。何冊も何冊もの写真雑誌やグラフ雑誌を手で持ち上げて立ち泳ぎしながら、あの小島に泳ぎつき、一日中1ページ、1ページをめくりながら、二人で「なんだこんな写真」「これもダメ、あれもダメ」と怒り狂っていたあのころの何に向かってかわからない憤りを、けっして忘れないことにしようではないか。
『アサヒカメラ』1976年3月号
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m-b-chat · 5 years
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バイトその2
le vendredi 15 février / 2019年2月15日(金曜日)
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きょうは研究協力のために大学へ。今,研究室にいます。朝,現像されたフィルムが届いていたので早速見てみました。後ほど載せますね。
間も無く先生が来て,実験室に案内してくれました。眼筋の測定。以外に集中力が必要でした。単調な実験だからと,先生がYouTubeで洋楽をかけてくれました。Shape of Youとか,Maroon 5のSugarとか,Countn’ starsとか。スタンダードナンバー(?)
数十分後,
「どんな曲が好きなの?洋楽?邦楽?声入ってるやつ?」
「ん~,リクエストしても良いですか。」
「良いよ。」
というわけで早速。
ベートーヴェン 交響曲第9番(カラヤン指揮,ベルリンフィル)を。
「カラヤンのってありますか?」
「ああ,丁度カラヤンのが出たよ。ベルリンフィル...去年解禁されたんだね。1968年の録音...50年前か..」
全楽章を鑑賞しました。圧巻です。いつもは通学のBGMとして聞いてはいますが,鑑賞したのはOEKによる生演奏以来。
続いて,
シューマン ピアノ協奏曲イ短調(アバド指揮,P:ポリーニ)
先生「色々あるよ。ツィマーマン,マルタ・アルゲリッチ,アンドリュー・フォン・オーエン,クラウディオ・アバド / マウリツィオ・ポリーニ...ポリーニ有名だよねえ。」
わざわざスピーカーを接続して再生してくれていました。
音楽もそうですけれど,良い体験が出来ました。眼の周りに電極を貼り付けたりして,楽しかったです。写真撮ってもらえば良かった...。
あと,時々広告が入ってくるのが楽しかったです。ローソンの「ちょい乗り自動車保険」。動画がYouTubeの公式チャンネルに上がっていました。しかも,今日アップロードされたばかり。
BGMの合間に何度も聴いたので耳に残っちゃいました。楽しいCMではありませんか。最初はラジオか何かかな?と思ったのですが,広告だったのですね。古めかしい意匠で制作されていて,音だけ聞いているとラジオ感があります。
帰りは学内の郵便局へ行って,フィルムの現像料の振り込みを済ませました。
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大学会館で,オケがパート練習をしているのを目撃。大きな弦楽器やフルートなどきらびやかでした。
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カモを一羽だけ観測できました。貯水池みたいな所に群れで泳いでいるのです。以前撮影した写真がこちら。
カシャッ!
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今朝届いたばかりの銀塩写真です。
バスで帰ります。
カフェには行けず。また来週にでも行きましょう。
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段々とライトが目立つようになってきます。
駅から家まで,ガクッと落ち込みましたがそれ以外はとっても健康でした。
明日もこの調子でレポートを頑張りましょう。
ではお約束どおり,フィルム写真をご覧に入れます。待たせたわりには全然大したこと無いのですけれど。
フィルムもカメラもレンズもいつも通り。
ASA100の業務用フィルム(135-24) / ニコンFM / AI NIKKOR 50mm F1.8 S
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綺麗でしょ!弟をバス停まで迎えにいった時に撮ったのです。三脚を持ってこなかったので車の屋根にカメラを固定して,50mmのレンズでF値を1.8⇒2.8にし,シャッターを30秒間 開けっぱなしにしました。
気軽に撮った天体写真ですけど,今までで一番うまく撮れたし撮っているときも楽しかったです。やはり気軽に撮れるのが性に合っているようです。三脚を立ててフードを付けてレリーズを付けて...と重装備だと失敗が許されない気がして..。
冬は空が澄んでいるのでまたチャレンジしたいです。
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ゼロ枚目。フィルムの最初の一コマには不思議な愛着を覚えます。感光していて写っていない範囲があるのが他の24枚とは違うので。いつか0枚目だけ集めて写真展に飾ってあげたいです。
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雪が積もった日,嬉しくて何枚も撮っていました。晴れていると雪が輝いて見えて美しいです。
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デパートの屋上に昇った時のものですね。色々なアングルを試していたのでした。
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いつもとは別の道を通ってカウンセリングに行った時。
夏には青々とした並木になって,壮観です。いつか友達をポートレートしようと思います。
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香林坊で夜景を撮るときの定番スポット。
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兼六園で撮ったものですね。
余談ですが,兼六園の近くに小立野という街があって,散歩したいなあと思っています。
冒頭でも触れたように,今回は格安現像サービス「超プリ!」を提供してくれるサンキューフォトさんにフィルムの現像&データ化をお願いしました。火曜日に送ったら水曜日に着いて仕上がり,金曜日(;今日)に受け取れるという快速。画像は茶色を基調としたトーンで,コダックの同プリを思い出させます。
早いし郵便振替も現金で出来るので,気軽に頼めるお店です。
それに,何と云っても安いです。カメラ屋さんで現像+データ化を頼むと1,100~1,300円はかかるのに対し,2本まとめて送ると
超プリ:726円 気軽,早い
プリネットワン:625円 綺麗!!
と,爆安。
ネットのラボは安くて良いですね!ハマりました。
そういえば今日は,
小さな女の子を連れたご夫婦とすれ違いました。お二人とも一眼を提げていて,女の子の手にも何と,「写ルンです」が ! 良いなあと思いました。無事に大きくなってくださいね。
バスに乗るとき。すぐ近くの教会から鐘が聞こえてきて,時計を見ると正午でした。良い音色!
ほんの些細なハッピーなことを大切にしまっておきます。何より,生きるための灯し火になります。
来週は木曜以外はずっと家に籠もります...。再び空虚感に襲われるのでしょうか。でも,お散歩したり映画観たり,楽しいと思うことをやって上手に気分転換したいです。絵も良いですね。
とにかく明日はレポート頑張りますね。
M Bはこれからお風呂に入って眠ります。
おやすみなさい。
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alexswak · 5 years
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマ��」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」��匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/10/29〜
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10月29日 いろいろ疲れているので、日記も写真も今日の予定もすっぽかそう!の気持ちでいちにちを始めたら、全てまずまずやり遂げてしまった。
3ヶ月に一度の歯科検診へ。 前回、黒ごまラテの着色いじりへ不服を態度で伝えることができた、と思っていたのは勘違いで、今回も黒ごまラテから始まった診察。黒ごまラテは飲んでないけれど着色汚れがある。お茶をやめて水にしろ、言われたこともあったけれど、それは無理なので、コンクールジェル、シュミテクトホワイトニングの2回磨き+コンクールマウスウォッシュの消毒+ホワイトニングマウスウォッシュ、で術を尽くしていた口内事情。それを伝えると、シュミテクトホワイトニング以外やめてみましょう!と、新商品のシュミテクトホワイトニングの試供品をくれた。 シュミテクトって海外では違う商品名らしい。 とにかく歯が白くなって嬉しい。 でも口を開けっぱなしだったからか、喉を痛めてしまった。それと、毎度のことながら歯医者さんの後はお腹を壊している。
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都写美で野口里佳の“不思議な力”を鑑賞。 ほとんど観たことのある作品だった。作品展の空間に居られることがとても幸せに感じた。心地よい展覧会で幸せ。 撮っているものは、キュウリやヤシの木やコップなど、シンプルで一瞬で認識することができる写真。でも、じっくり落ち着いて観ていたくなるようにさせてくれる写真たちだった。 潜水して撮影したり、胃カメラを使って撮影したり、思っていたよりへんなことをしているのに、写真はシンプルで美しいのが不思議。 “夜の星に”のデジタル映像とコンタクトシートの展示を観て泣きたくなった。 昔、平日の曇天の昼の品川のキャノンギャラリーで観たことがある作品。会社員たちと、昼食にテイクアウトした商品を入れた緑の袋が、モスバーガーの店舗からどんどん出てくるシーンに、わ〜〜〜となった記憶。
何となく街のちょっとした陽の当たるところとか、そうゆう写真を撮っても良いんだね、と思い出して、まんまと写真をたくさん撮って恵比寿駅まで戻った。
アトレの無印良品で冬のお部屋のものなどを買い込んだ!
夜お部屋で花火が打ち上がる音を聞く。
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10月30日 今日の日はもうないものとして過ごしていたので、少しの家事や用事を済ませることができただけで大満足な日だった。
体の調子は変わらずに良くなく、体力を余分に消耗している体感でソワソワしながら日中を過ごした。
スーパーで年末年始っぽい音楽が流れている。駅前の歯医者にはツリーがあって、ショッピングモールにはカボチャのアイテムを身に付けた子供がたくさんいた。
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10月31日 昨晩、渋谷と京都のライブカメラ配信を見ていたら、渋谷はハロウィン前日の人の多さで、警察も出動していた。予定していたライブは、渋谷のライブハウスが会場だったので行けなくてよかったかも。
風邪薬が効きすぎているのか、エネルギーが勢いだけ有り余り、でもチャージはされていないのでスカスカの身体が、今日もずっとソワソワしている。 朝、一応体調が戻った気がして出掛けてみた。 途中で抗原検査キットを処方してもらう。 フィルム現像を出しに写真屋さんへ行くと、年賀状の注文をしている人がいた。
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平日の昼間のオフィス街がやはり大好き。 大手町から日比谷までの丸の内を歩いて歌って、ショーウィンドウを眺めて写真を撮っている時が一番楽しい!と思った。 みんなが働いているのに休んでいる優越感なだけ?と考えたけれど、みんな働いているのを知らない大学院生時代からこの通りを歩くのが大好きだった。 東京駅は外国の方が増えた。
日比谷のTOHOシネマズで映画を鑑賞。 うん、少しずつ映画館恐怖症?が治ってきている…はず。今日は2時間超の作品で、途中、とてつもなく気持ち悪くなりかけたけれど、足をゆさったり深呼吸をして凌げた。 鑑賞したのは趣里ちゃんが出演し、根本宗子が脚本の“もっと超越したところへ。” いろいろすごかったし、音が大きくて何度か酔っていた。趣里ちゃんの動き方や身体のバランス感がとても好き。 こないだyoutubeで予告を見た三浦透子ちゃん主演の映画にも、あっちゃんと元乃木坂の子が出演していたな〜、と思い出す。 映画は、後半からエンドロールまでが、演劇っぽい作品!と何も映画にも演劇にも詳しくないのに、なんとなく思っていた。
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映画の後、大丸のパパブブレでラスト1つのハロウィンキャンディセットを購入し、大学の研究室へ持っていくことにした。
駅から大学まで、都会特有の長い信号待ちの横断歩道を2回渡りながら、1つ目を渡った後、とっても走れば2つ目の青信号に間に合うことなどを思い出した。 結局、大学まで行って、何か怖気付いてしまい神保町古本祭りを眺めて帰宅した。
東京の平日の昼間って、たくさん撮りたくなるシーンがあって貴族の遊びが捗ってしまう。
丸の内のショーウィンドウの中のものたちが、どれもキレイで、それを欲して入店する人達も気品があるので安心する。 平日に、北関東のスーパーやディスカウントストアやショッピングモールやファミレスばかり見ていると、インターネットで欲しくないものばかり買ってしまうので、精神衛生的にも金銭的にも良くない。
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11月1日 朝起きて、これはだめなやつ!な身体だったのでお休みをすることにした。 けれど、このままずっと休んでしまうのでは?と、午前休にする。8時の電話をかけるまでの時間、いろいろな言い訳を頭の中でし続ける。 連絡をした後も、この午前休を何か有効的に使わなくては…!と眼科を予約。 身支度を済ませた時に、身体が本当に空っぽで薬の効果で駆動力だけ湧き上がっているのに気が付き、予約まで1時間以上あるのに家を出てしまう。
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すぐエネルギー切れになり、何か食べよう!と思った。 いつもは、少しの血糖値の上昇でも身体がきつく眠くぱったりしてしまうため、日中に食事はしない。でも、こうなると無理で、他のことが見えず、食物を探し彷徨ってしまうことがたまに起きてしまう。
とりあえずキレートレモンを片手に電車に乗った。 車内では秋の行楽のアナウンスが流れていて、窓の外を���て、休んでいた3日間で通勤経路の秋がどっと深まっているのを感じた。 無心で金曜から予定していた旅行をキャンセルした。 隣の席の人のスマホの画面を見ると、東博の“国宝展”のチケットを予約して、ラインで予約完了の報告をしている。あ!と、友人に国宝展のお誘いメッセージを送ると、なかなか予約が取れないらしい。その時、他の人からディズニーランドへ行く予定の確認が来ていて、でも今は全くディズニーランドなんて行きたくない!どちらかと言えば、有給とってでも国宝展へ行きたい気分。
下車した先のスタバの店員さんが赤いTシャツを着ていて今日からクリスマス解禁。
ここからまたコンビニというコンビニをうろつき、食物を探すけれど納得のいくものがなく、駅のちょっとした物産展へ入ってみると、こだわりプリン的なものが半額だったのでちょうど胃も辛いし咀嚼も辛いので、食べてみることにした。
広場の椅子とテーブルでは、女子高生が1人数学の問題集を解いていた。 私もそこに座りプリンを食べた。 近くではロボットが実走させられている。 プリンはカラメル以外は食べることができたし、満たされる美味しさを感じることができた。半額で190円支払ったので定価400円程する高級プリン…。
血糖値おばけになってガクガクしながら出勤して、やっぱり苦しくて虐げられて泣いたり、体調不良でワクチン接種できなかった事を笑い飛ばされたり、暇だけど何か手伝いますか?何をどうすればさらに職場環境が向上するか的なの前向きな話題を聞いたりして半日を過ごした。
すぐ泣きたくなる。すぐ、みんな良く喋るなー、ってモードになる。暇な時間をどう埋めるべきかで私の頭はとっても忙しい。そして実際に暇でもなくて、それはもう忙殺。
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11月2日 うさもっちの白はamazonで既に売り切れ!
朝、霧が濃くて紅葉が白に生えていたので、何となく持って行けたカメラでたくさん写真を撮った。帰り道も何か月とか撮ろうとしたけれど、いつも撮っているよね?と自制を効かす。
ケイトはいつまでもつのかな。 お花の片付け時がわからず、1週間と決めてしまっている。 なるべく、本当は明日から旅行だったのに!と思わないように2日間は生活と自分を喜ばせる時間に充てたい。
SNS映えのためにずっと生活をしているので、なるべく“映え”がテキトーにバカにされる言葉にならないで欲しい。 (“映え”という言葉が出てきた時、私のしたかったことはこの一言で表せるのかも!と思ったりした。一瞬。) 明らかに仕組み作られてしまったインターネットの世界でなかった頃、飲み会帰りにさっきまで一緒にいたみんながするツイートをふぁぼしていた頃、そうゆう感じで、掴みどころのないツイートを仕事終わりにして、みんなでいいね!をし合うものだと思っていた頃、その頃のインターネットを知っている私は幸せだと思う。
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11月3日 午後の予定まで東京駅〜銀座をお散歩した。 国際フォーラムではゴジラのイベントが開催されていた。本当に外国人の観光客が増えていて、話題の食べ物とセルカ棒で写真を撮っている。 KITTEの郵便窓口では、年賀はがきや年賀切手を60枚、70枚と大口購入されている方が多い。今年はもう年賀状をやめてしまおうと思っていたけれど、30枚インクジェット年賀はがきを購入してしまう。卯年のデザインのうさぎは、どことなくマイナンバーカードのうさぎに似ていて、うーん。 うさもっちは20体ほど残っていた! 紅しかいなかったけれど、実物はとっても可愛い。お会計してくれた局員さんは“うさもっち”と、言わないようにお会計手続きをしている感じ。 その後エルメスへ行ってみると展示が変わっていたので鑑賞。犬の粘土アニメーションが面白かった。
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帰りにスーパーへ行く。 どうもずっとお腹が気持ち悪く何も食べたくないのに身体はエネルギーを欲していてあべこべな気持ちで食材を買った。レジでお会計していたら、隣のレジのおばさんが「これ使った?私は今日もう使っちゃったのであげる!」と、10%引きクーポンをくれた。「え!?あっ、ありがとう…」と、ろくにお礼も言えずに、おばさんが先に袋詰めを済ませて店を出ていく姿におじぎをしたら、振り返って手を振ってくれた。
今、少し長い地震があった。こわい。 今日は結婚する報告を受けた。こうゆう時、誰かいるとこわさが軽減されていいのかもしれない。大丈夫なきれいな人がいるといいのだと思う。
ケイトを生けていた花瓶を倒して水を撒いてしまった。ケイトはまだ元気そうだったけれど、さよならすることにした。
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11月4日 1日休んで1日働くくらいが身体的にはちょうど良い。 明日から文化祭なので、広場には仮設ステージが設営されていて、朝から夜まで準備をしている人がいて、少し元気になった。 こうゆうイベントが少しずつ許されていて、元々苦手だったものは、この感染症を理由に断ったりして利用しつつ、うまくやっていければいいな。 文化祭前夜の仮設ステージと照明と雨の夜がとてもよかった。 酉の市には行けていないけれど、雨が降っているので!と行けない理由もできて大人しく帰宅できた(でも40分くらい写真を撮って遊んで貴族退勤した)。
「3年目までのメンバーで新人さんの歓迎会をやるんですけど、どうですか?」とお誘い話を受ける。ちゃんとこうゆう会を開こうって思ったり、人に声をかけたりできる人ってすごい。確かに歓迎会らしい会がなくここまできてしまったので、3年経ってもなんとなく知っていてなんとなく過ごしている人だらけ。
先週の反省として、頑張って掃除をしすぎない(体調を崩す)と言い聞かせて、いま夜を過ごしています。
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666blackpanther · 23 days
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LimeLightの暗室を利用しまして
レンタル暗室p.pod代表本拠地での講座希望も大丈夫ですよ
レンタル暗室p.podへの情報は
レンタル暗室 p・pod (@p_pod301) / Twitter
大阪と神戸の間、西宮は甲子園口に、銀塩モノクロ写真が大好きなヒトが集まるレンタル暗室が出来ました!
Twitter
こちらからGOです
中村浩之氏が教える初心者暗室講座を随時募集しておりますヨ ☆講座終了後は定期的に中村暗室教室卒業生による展示を開催致します ☆銀塩写真の楽しさ難しさを学べる講座です☆現時点では密を避けるためにも受講生1名での開催としています
LimeLightでは月曜日講座のみとなっております
講師:写真家 中村浩之より一言
カラーやデジタル写真ばかりじゃなくて、銀塩フィルムでモノクロ 写真を楽しみたい。 撮影は何とかなるけれど、その後の現像や暗室作業って難しそう。 これまでは、お店に現像・プリントを頼んでいたけれ ど、自分でやってみたい。 そういった方々に、フィルム現像から暗室でのプリント、額に入れれば即・展示も出来る、仕上げまでの基礎的な作業手順を 学んで頂ける、初心者向けの講座をはじめます。
講座内容・月曜日(全6回、各回2時間半程度)は以下の通り*講座内容よって講座時間30〜1時間ほど変動あります *レンタル暗室p.pod では日程は違います
第1回 (月)18:30〜 まずはフォトグラムで、簡単なプリント体験。  第2回 (月)18:30 〜 フィルム現像をしよう! 第3回 (月)18:30 〜 暗室作業の第一歩!ベタ焼きとテストプリント。 第4回 (月)18:30 〜 RCペーパーで、ワーク・プリント。 第5回 (月)18:30 〜 本番プリント!作品制作。 第6回 (月)18:30 〜 最終仕上げ!スポッティングとブックマットにマウント。
*月曜日が祝日のときは翌週の月曜日に講座を開催します
料金は、44000円(受講料 印画紙・薬品・ブックマット等教材費+消費税)
*受講を途中で中断された場合でも料金の返金はできません
個人でご用意頂くもの 撮影済み・未現像モノクロフィル ム(35mm判×3本、又はブローニー120判×2本、ISO100・400どちらでも可) ※第1回の受講時に、必ず1本提出して下さい。残り は、第2回の受講時にご自身で現像していただきます。
編集用白手袋
皮膚が弱い方、アレルギー等が心配な方は、ゴム手袋や 腕カバーなどの防護用品。
なるべく汚れても構わない、動きやすい服装でご参加下さい。(エプロンの着用をお奨めいたします)
***** 講師:写真家 中村浩之 略歴はこちら
定員:1名様 メールフォームよりhttps://form.run/@konma–1603944167 ご連絡いただければOKです
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20180627
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フィルムを現像に出した、その待ち時間に書店へ入った。SNSで見かけた、タイトルに興味をそそられた本が一冊あった。が、その出版社のコーナーを探すも見当たらず。フィルムの受け取りは17時、今は15時。余裕があったので、他の本を物色しだした。
それほど大きくない書店なので、文庫本の置いてあるスペースはたかが知れている。今までに興味を持ったことがないような本をと目をあちこちに動かすも、食指がぴくん、と動くようなそれには出会うことができなかった。かれこれ30分は棚と棚の間を歩いただろうか。足に疲れが感じられる頃には「どうせ来たのだから、何でもいいから何か一冊買って帰ろう」という頭がすっかり出来上がっていた。
普段読んでいる作家のあたりは飛ばして見ていたのだが、ふと「川端康成 初恋小説集」が目に留まる。初恋、の文字が桜色に彩られている何とも安直な装丁であった。彼の創作の背景には、両親、とりわけ母の喪失があることは知っていた。だが、それ以外の女性関係についてはよく知らない。ほう、と思いぱらぱらと捲ると、初代という女性との往復書簡がまずあった。2014年に川端の旧宅から発見されたものらしい。
「君から返事がないので毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない。」「東京に来てからのことで心配なことあるなら、それも君の思ふ通りしてあげる。厭なことなぞ決してさせない。」「毎日どんなに暮らしてゐるかと、手紙が来ないと泣き出すほど気にかかる。」等々…
ああなんてことしやあがる、やめてさしあげろと思いつつも気になって仕方がなくなり、そのままレジへ向かった。
公園のベンチにもたれ読み進めると、まず同じタイトルの短編が4篇あった。「南方の火」と題うたれた、それぞれにほぼ同様の描写が見られる文章だった。初めに書いたものに何度も手を入れた跡が見えた。読み終えてから調べてみると、どうやら実際のエピソードを基に作られているらしい。作中のヒロインが告げる別れの手紙の内容が、初代から送られたそれと全く同じだったことから何となくそんな気はしていた。あ、こんなんアリなんだと思ったし、なにより作品としてきちんと成立していたことに流石、と唸った。一から創作する文章は書ける気がしないが、ここまででなくともぼくにもできるかもしれないと思った。
肝心の内容についても、切れ味抜群の言い回しは流石だが共感できる描写が多かった。川端の描いた彼女の姿は彼の今後の作品の中で展開される女性像とよく合致していて、なぜ彼の文章に魅力を感じるか非常に腑に落ちた。基本的な価値観について共有できる部分が多く、尊敬している人物と自分との共通点を見いだせたことがなにより嬉しかった。
とはいえ、なのか当然ながらと言うか違う部分もある。川端はこの初代という女性と婚約をしていたそうだが、この時22歳だったという。どこぞの22歳の放蕩学生がままならぬ自分の生しか考えていられないこととの対比が、また何とも痛快だった。いや、まだあと数ヶ月あるのでなにかの拍子に、そうそれこそ青天の霹靂のように…やめよう。
さあ、なんとも恨めしいことに後生大事にとってある手紙が二通、ぼくの手元にある。これを契機にぼくもひとつ短編を、、、書かないな。これはぼくだけのものだから。書かなくても価値を確かなものと認められるから。それで満足してしまっているからな、それでいい。早く続きを読んでしまおう、これは今読むべきものだと思うから。
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roomofsdc · 3 years
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SDC映画の部屋「ニュー・シネマ・パラダイス(1989)」
言わずと知れた20世紀終盤を代表する名作イタリア映画。「映画」をモチーフとして、第二次大戦直後から30年以上に亘る、田舎の映画館の映写技師と少年(高じて青年)との心の繋がりを綴る物語。
現代のシチリア、老女が息子に電話をかけようとしている。息子の知人が亡くなったのだ。ローマに行った息子は仕事が忙しく、もう30年も帰ってこない。でも「知らせなかったらきっと後悔する」と老母はあきらめずに電話をかけ続ける。その夜ローマの瀟洒なアパートメントでは、深夜に帰宅した息子に、同居している若い女性から母親の伝言が伝えられる。「アルフレードが死んだ」と。寝付かれない彼は、故郷の村を回想する… 
シチリアの戦後史を縦糸に、主人公と家族、主人公と映写技師、主人公と恋人などの関わりを横糸に、シンプルに織り上げられた大河ドラマ。オリジナルは3時間近くありイタリア国内での評判があまり良くなかったため、2時間ちょっとに監督自身が再編集したバージョン(劇場公開版)を公開したところ、あれよあれよという間に大ヒット、米アカデミー賞最優秀外国語映画賞も受賞した。気を良くしたトルナトーレ監督は3時間の完全版ディレクターズカットを公開したが、こちらの評価は正直芳しくない。もちろん劇場公開版では省略が多過ぎ話の流れがぶつ切りになって、消化不良を起こしている感もある。年老いた恋人を「禁じられた遊び(1952)」のブリジット・フォッセーが演じていたが、劇場公開版ではエンドロールで一瞬映るだけで、思い切り全部カット!でもその果敢な決断がオスカーを導き、若干30歳そこそこの彼を大監督に押し上げてしまったのだから、何が幸いするかは本当に分からない。
この「短縮版」映画のポイントは、まさに映画が魔術であるということ。例えば喜劇王トトのヒット映画を劇場外に映し出すシークエンス。まさに魔法のように映像がガラスから壁へ、そして窓から外へと這っていく。フォーカスや光量を考えると有り得ない設定だが、つい信じてしまいたくなる素敵なシーンだ。この魔法が忘れられない少年は、長じて港でも野外上映を行うが、降りしきる雨の中、「アルゴ探検隊の大冒険(1963)」の映像をバックに恋人が突然現れるのも、やはり幻想的な味わいがある。
そして、最大の魅力は、映写技師が神父の指示で不承不承カットしていたフィルムの切れ端にある。映写技師は切れ端をコツコツと繋いで一巻のフィルムとして保管しておいたのだ。それは少年との約束であり、少年に対して封印していた「ノスタルジー」の魔術でもある。ヴィスコンティ、チャップリン、ルノワール…綺羅星のごとき名画のエッセンスがそこには詰まっている。
本筋のドラマがどんなに出来が悪かろうが、このラストシーンだけでこの映画は名作たりうるのだ。(そもそもクラシックの名画を挿入するだけで何故か映画のエネルギーが高まるのだから、ずるい手だと思うのだが…)
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yumie-morohoshi · 3 years
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やまがたり-出羽國如月独り旅
旅に出る場所。
私は寒いのが大の苦手、という理由だけで
それまでは、自分の生まれ育った関東より西南の、どちらかというと温��な地域に偏っていた。
真冬の北国だなんて、聞いただけで寒気がしてきていた。
ところが、である。
たまたま近所のカフェで何気なく手に取った、写真家・シャルル・フレジェの写真集「YOKAI NO SHIMA」の中に
藁でできた衣装を身に纏った人たちが、踊り回っている場面を見つけ
なんだこれは・・・面白そう、観に行きたい、という気持ちが頭をもたげてきた。
山形県上山市で毎年2月に行われる民俗行事「カセ鳥」。
寒いの嫌だ、と常日ごろ口にしていた私は
2019年の年明け、生まれて初めて、ユニクロの「ヒートテック」なるものを新宿まで買い求めに行き
「ヒートテック」なる繊維が生地に織り込まれている靴下と肌着を手に入れた。
それまで、ヒートテックというものがどういう形状をしているのか、まったく想像がつかなかった。
東北へ足を運ぶのは人生2度目、10年ぶり。
銀座にある、山形のアンテナショップの観光案内でバスの時刻表や地図をもらい
旅の相談をした。
まずは、昔ながらの旅館の外壁に鏝絵が施されているという銀山温泉。
翌日にちょうど、カセ鳥が行われる上山温泉。
2月の初旬、新幹線「つばさ」に乗り込んだ。
那須塩原を過ぎたあたりから雪が舞い始め、福島では止み
その後、また雪が深くなっていった。
新幹線といえば、東海道新幹線ばかり乗っている私にとって
山形に近づくにつれ、くねくねとカーブを描いてゆっくり走行していく新幹線はとても新鮮だった。
最初の目的地、大石田駅に到着。
もう雪が人間の背丈ほども積もっていて「わあ」と驚く。
シーズン中とあって、銀山温泉行きのバスを待つ人はかなりの長蛇の列で、当然バスの中はぎゅうぎゅう詰め。
入口近くで、なんとか足を踏ん張って30分強の道のりをやり過ごす。
銀山温泉は観光客でなかなかの賑わい。
共同浴場があるようだが、さすがにシーズン中は地元住民限定、と張り紙がしてある。
こんなに観光客が押し寄せてしまったら、昔から住んでいるかたがたは大変だろうなぁ、と思いを馳せた。
本日の宿は天童温泉。
そのまま銀山温泉に泊まればいいのに・・・とお思いかもしれないが。
あろうことか、観光案内でいただいた宿リストの上から順に電話をかけていき、シーズン中の一人客という理由で、見事にすべての宿からお断りの返答をいただいたのであった。
致し方あるまい。
もちろん銀山温泉周辺もかなりの寒さなのだが
日が落ちて、すっかり暗くなった天童の街を歩くと
しんしんと身体の奥まで染み渡る冷たさ。
スマホの地図の温度表示はマイナスを指している。
翌朝、かみのやま温泉へと向かう。
上山の街はこぢんまりし、昔ながらの建物がそこかしこに残っていて
どことなく、親しみがもてそうである。
高台にある上山城まで歩いたり、とにかくうろうろして
なんとなくの土地勘を掴む。
ここ良さそうだな、となんとなく目星をつけたカフェで
1人でも入りやすい、おすすめの夕食どころを尋ねる。
教えていただいた小さなご飯屋さんでは、年配の女性が温かく迎えてくれ
郷土料理の一つ、お麩を揚げたものをいただいた。
次の日。
いよいよカセ鳥の執り行われる当日。
上山城で祈願式が行われるのは朝10時からだったが、私はワクワクして待ちきれず
9時から敷地内にスタンバイし、着々と準備が進められる様子を眺め、関係者がやってくるのを待ち構えていた。
まず最初に、カセ鳥に扮する若者(だけではないと思うが・・・)が
頭に手ぬぐい、上半身裸(女性はタンクトップ)、ショートパンツにわらじを履いた姿で、お城の建物の前の石段にずらりと並び
一人ずつ順番に出身地と名前、カセ鳥に参加した回数を言っていく。
「埼玉県出身、○○ ○○、10回!」と参加者が声を上げるたびに、周囲から拍手や笑い声が起こって
それがまた一層、私たち見物客の心をワクワクさせるのだった。
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その後、若者たちは「ケンダイ」と呼ばれる、藁でできた蓑を頭から被せてもらい
何グループかに分かれて、街へと下りて行く。
私も迷わず、第一陣のグループのあとをついて、街へと下りる。
しばらく歩き、街の交差点のように少し広くなっているところへ差し掛かると
先頭にいたおじさんが、スピーカーで
「カセ鳥さまのーお通りだー!」と声を張り上げたのを合図に
ソレ カッカッカーのカッカッカー
カセ鳥 カセ鳥 お祝いだ
商売繁盛 火の用心
ソレ カッカッカーのカッカッカー
と、カセ鳥たちが声を揃えて囃し立てながら
輪になってユーモラスに踊る。
彼らが踊っているとき、街を練り歩いているとき。
住民たちは構わず、彼らに柄杓やらバケツやらを使って水をかけまくる。
カセ鳥たちは黙って受け入れる。
いや、むしろ自ら進んで水をかけられに行く、という方が正しいだろうか。
当日、雪でも降っていたら、カセ鳥さんたちはさぞかし辛いだろう・・・と思っていたのだが
幸い、穏やかに晴れ上がり、寒さもそれほど厳しくはなかった。
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周りで見守る地元住民も、カセ鳥に扮した面々も、私のように後をついて回る見物客たちも
みな、満面の笑みを浮かべている。
藁の衣装を纏っていないにしても、まるで自分がお祭りの主役の一員になったかのような
一体感、高揚感を身体に感じつつ、結局正午くらいまで、ずっと一緒になって街を歩き回った。
しかし---さすがに、ずっと歩き通しではそろそろ空腹を感じる時分に差し掛かった。
一段落したタイミングを見計らって、駅から40分あまり歩いたところにあるドーナツ屋さんを目指した。
カセ鳥を追って歩き回った上、さらにそこそこの距離を歩いたものだから
店に辿り着くや否や、空腹に耐えきれず、普段どちらかというと少食ぎみの私が、気づけばドーナツを4つも注文しており
お店のかたが「大丈夫ですか?」と面食らっていた。
案の定、3つ目を食す頃にかなりの満腹を感じたため
残りの1つは持ち帰りにしてもらった。
そして、空腹だけではなく---もう一つの危機感を覚えることになる。
カメラのフィルムの残り、である。
カセ鳥の活躍っぷりを余すところなく捉えたい、と意気込んで撮影し続けるあまり
フィルムの残が心もとなくなっていた。
ここはほぼ土地勘のない東北、山形・・・
上山は大都市というほどの規模ではないから、フィルムを置いているお店がまったくない、という可能性も十分ありうる。
とりあえず足で探すしかない、とばかりに
近くのコンビニ、土産物屋、写真館などをあたってみるが、手応えはないまま。
どうしよう・・・と焦りばかりを募らせていた、のだったが。
あれ?
そういえば・・・駅のすぐ近くに、レトロな佇まいの写真屋さんがあったよな・・・
もしかしたら、あそこなら、置い��あるかもしれない・・・
どきどきしながら、ドアを開ける。
左手のショーケースには年季の入ったカメラ(おそらくフィルムカメラなのではと思う)が数台並び
年の頃が私と同じくらいか、少し若いくらいのお兄さんが正面のカウンターに立っている。
「フィルム?ありますよ!」
やった!
鹿児島・枕崎に次いで、ここ山形でも運良く命拾いをしたのであった。
お祭りがお開きになる15時ごろ、一連のカセ鳥たちが一斉に駅前の広場に集まって
カッカッカー、カッカッカーと締めの踊りを披露する。
カセ鳥役の若者たちが、次々と藁のケンダイを頭から脱いでいく。
役割を終えたケンダイは軽トラに無造作に放り込まれ、そのままどこかへ持って行かれてしまった。
名残惜しいけれども、終バスに間に合うよう、次の目的地の宿に向かわねばならない。
在来線のボックス席に腰掛け、どこまでも広がる雪の積もった平野を眺める。
夕陽が薄く差してはいたが、雲は厚くたれ込め、真っ白い畑の向こうに数軒の家がぽつぽつ見える。
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もし私が、こういう雪国に生まれ、生活していたとしたら・・・
なんとなく、気分が塞いでしまうのではないか。
ここに住むひとたちは、厳しい環境下にあっても
それなりに日常を愉しめているだろうか・・・
地元のかたには失礼極まりないかもしれないが、そんなことをぼんやり考えていた。
17時ごろ、米沢駅に着き
白布(しらぶ)温泉行きのバスに乗り込む。
この温泉地は、たまたま銀座にある山形のアンテナショップの観光案内でお薦めされ
当初、訪れるつもりはなかったけれども予定に組み込んだ地である。
バスは、すっかり暗くなり、灯りも差さない山道をくねくねと進んでいく。
ほんとうにこんな山奥に、温泉なんてあるんだろうか・・・
バスには乗客は私一人しか乗っておらず、道中不安で心細くて仕方なかったが
バス停に着くと・・・ほど近いところに門柱があり、男性が懐中電灯を持って待っていてくれた。
すっかり雪の積もった石段を下る。
「足下、気をつけて下さいね」と懐中電灯で照らしてくれた。
なんて温かい心遣いなんだろう・・・
宿の入口を入ると、正面に囲炉裏のある和室があり
女将さんが、甘酒を振る舞ってくださった。
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それまでの不安は一気に払拭され
温かな感謝の気持ちでいっぱいになった。
宿はなかなか年季の入った建物だが、丁寧に手入れされている。
当日は祝日で、翌日が平日だったからか
宿泊客はあまりおらず
大浴場も、利用した際は私一人だけだった。
こんなに広々としたお風呂や空間を独り占めしてよいものか…
少々戸惑いながらも、仄かな白熱灯の灯る空間の湯船でゆったり身体を休めた。
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翌朝。
せっかくなので、露天風呂に入ってみようと思い立ち
大浴場の隣の、簡易な脱衣所の引き戸を開ける。
やはり、今日も誰もいない。
屋外に出てみると
予想通り、身を斬るような冷たさが全身を襲う。
しかし、ひとたび湯船に身を沈めると…
筆舌に尽くし難いほどの幸福感、安心感。
辺りには雪を冠った針葉樹が広がり
時折、ばさっ、と音を立てて雪が雪崩れ落ちる。
そんな様子を眺めながら
ぼんやりと、朝の雪国の空気と、じんわり身体を包み込むお湯の温かさを膚で感じていたのであった。
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旅の道中、積もった雪を観るばかりで
あまり雪に降られることはなかったのだが
米沢の街に来たところで、しんしんと
けっこうな量の雪が降り始めた。
バスの便が悪く、お昼を食べようと思った喫茶店まで
駅から40分あまりの道のりを、降雪をかき分け歩くことになった。
米沢牛、と書かれた看板のお店を尻目に
橋を渡り、喫茶店へ。
お昼を食べて、また40分あまりかけて
駅へと戻る。
雪は勢いを衰えさせることなく、ただしんしんと降り続けている。
駅の軒先で、ふう、と一息つくと
いつの間に現れたのか、見知らぬご婦人が
「ねえ、ちょっと、雪払っていい?」と仰って
雪をサッサっと払ってくださり
そのまま、何も言わずに去ってしまった。
自分では分からなかったのだが…私はその時、全身かなりの雪まみれだったようである。
土地勘のない雪国で、住民と一体になってカセ鳥を楽しんだこと。
温かなおもてなしをいただいたこと。
思わぬ親切を受けたこと。
2月のこの思い出は、静かに穏やかに
いまも私のこころを暖かくさせる。
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na0kitakehisa · 3 years
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Exif(Dec.2020)
Exif(https://pointlessimages.com/works/exif/)のためのメモ ----- 今ここには私が撮影し��写真と、その撮影者である私を撮影した映像が流れている。そして、この撮影は境川という川の流路で、日の当たらない時間帯に、このようにして行われている。
先程の写真や今写っている写真の撮影には全てネガフィルムが用いられており、先程や今ディスプレイに出力されているのは、そのネガを現像したのち、スキャナーでスキャンをしたものだ。 ご覧のような環境の中での撮影なので、撮影者である私はカメラを三脚に固定し、シャッタースピードを30秒に設定したのちシャッターを切っている。その私を被写体とした映像を見るに、カメラがシャッターを切っている30秒の間、私はただソワソワしたり、キョロキョロしたりしている。 撮影とは、常に動き続けてしまう何かを別のものによって区切り、固定し、省略する、ということでもある。だが、こんな様子も「フィルム写真の撮影」と呼ぶならば、一体何が区切られ、固定され、省略されるのだろう。
1934年、コダック社によって35mm幅の写真用カートリッジ式フィルムが開発された。この軽量金属でできた筒状のカートリッジは「パトローネ」と呼ばれ、写真機へのフィルム装填や取り出し作業において暗室を必要としない点で画期的であった。パトローネは成人男性が両手を広げた長さである一尋 (いちひろ)、約182cmのネガが収容可能な設計となっている。この一尋というのは写真を40枚程度、最低でも36枚撮影できる長さでもあり、またこの36枚というのは、1925年に生産が開始されたライカカメラの仕様が36枚撮りであったことから踏襲された枚数らしい。
36枚撮影し終わったフィルムを現像屋に持っていき、仕上がりを1時間ほど待つ。フィルムはミニラボと呼ばれる自動現像機に通されたのち、店員さんが6コマずつにカットして、スリーブに入れて渡してくれる。 現像から上がったフィルムを、今度は自宅に持ち帰り、スキャナーでスキャンする。フィルムホルダーはちょうど6コマのフィルムが2列、合わせて12コマが収まる作りになっている。 フィルム露光後に他人の作業が差し込まれ、しかし暗室を通らずしてスキャンデータを作成する。手元にあるネガフィルムがデジタルデータになるまでのプロセスは理解しているが、それ以上小さな単位で、このネガフィルムがどのような時間を過ごしたのかは知る由も無い。 むかし和菓子の製造ラインのアルバイトで行っていた、大量のあんをひたすらモチにくるむ作業に似ているなと、たまに思う。
今、私が撮影を行なっている境川は、相模湾に注ぐ二級水系の本流であり、流路に沿っておおむね東京都と神奈川県の都県境を定める川である。
2020年4月、緊急事態宣言が発令された。インターネット上で放送されていた東京都知事の会見を見るに、どうやら都外への移動の自粛を要請する、とのことであった。自分が今制作を行なっている自宅は東京都町田市にあり、最寄りのコンビニやいつも消耗品を買うスーパーは境川を挟んで県向こうの神奈川県相模原市にある。困った。しかもそれから一週間とたたないうちに、県外ナンバーの車に投石をした人が逮捕された、などというニュースを見かけたりしたから、今度は本気で困ったし、Amazonで注文できる日用品の値段を見ては頭を悩ませたりもした。
今Amazonでコーラを注文すれば、明日には届く。 この仕組みは、配送倉庫や商品撮影のスタジオ、ネットワークシステムのサーバーなどに従事する数多くの人の移動によって成り立っている。そして、この移動は「今Amazonでコーラを注文すれば、明日には届く」という一つのフレーズの中で省略されている。Amazonに限らず、現実においては何か大きな制度や抗いがたい外的要因によってたびたび単位が規定され、物事の意味が省略される。それは歴史や、行政の都合や、自らの認識の不完全さに起因したりするし、コーラ購入や投石へのモチベーションもまた、こうした省略をあたかも自分自身が望んで決定したと勘違いするところから始まったりする。
1594年、境川流域を大水害が襲った。 この時、流域の村々が壊滅的な被害を受けた折に、当時の徳川氏の幕臣であった野村彦太夫が総検地を実施した。 それぞれバラバラなものとして成り立っていた人々の血族関係や土着的な物事が、川を囲む自然環境や立地の条件、すなわち近世の行政単位によって規定し直され、この川もまた「武蔵国と相模国の境目を果たす川」とみなされた。この時、高座(たかくら)川、田舎川、音無川など、流れる地域によって存在したいくつかの呼ばれ方は、どこかに流されてしまった。この後、川は単にさまざまなものの境目として歴史の中で扱われることになる。
今私は境川の上流部に位置する「小山」と呼ばれる地区で撮影を行っており、また私が撮影されている。
小山、というのは川を囲むように形成されたムラとしての名前であり、川が境川となったのちも、子供たちが石を投げ合って遊んだり、葬儀などを助け合ったり、川向こうに働きに行ったりしていたそうだ。地元住民団体の運動によって、今、川は自然豊かな状態が残されているが、蛇行していた旧流路に合わせて設定された都県境には却って微妙な飛び地が発生し、その調整作業は居住者と行政の間の問題によって殆ど進まなかった。境川は今でも、歴史において「地元住民団体の粘り強い運動」とみなされるような小さな単位においては、境ではない。
1962年5月、住居表示に関する法律が定められた。これは、町名・字名と地番ではなく、町名・字名と街区符号と住居番号または道路の名称と住居番号で住所を示す制度である。小山にもまたこの制度は適用され、相模原市側に「小山」という大字(おおあざ)、町田市側に「小山町」と「小山ヶ丘」という地名を残した状態で、バラバラに区切られた。なお、その後の再編などによって、結果的に今は相模原市小山と町田市小山町とが隣接していない状態となっている。
この小山にて、旧来の住民たちは現在の神奈川県相模原市側を「日陰小山」、町田市側を「日向小山」と呼んでいたそうだ。日向はのちに「小山ヶ丘」となるが、それは小山の日向であった丘陵地が1990年以降に、多摩ニュータウン計画のうち最も進行の遅かった「相原・小山土地区画整理事業」に指定されたことで名づけられた名前だった。そこは今、日向に相応しく、過剰なまでに明るく清潔な分譲住宅が鈴生りになっている。 日向が小山ヶ丘となっても日向を手に入れた一方で、日陰も、同じく1990年代以降に宅地化開発が進められた。ただし日陰では、元来存在する農地の区画に沿った状態での宅地開発、という方法が適用された。結果的に形成された街路網は狭く、暗く、複雑だった。
日陰日向、という呼ばれ方が単に地形上の理由で生じたのか、もしくは背後に心意があったのかはわからない。そうした心意があった、もしくはなかったという事の記録は、今となっては小山地区のいわゆる「古老」の言質以外にはない。国家や民族の歴史という大きな単位の中で、それを含み、またそれに満たない個々人の歴史は確かに存在するのだろう。そして今、それ以上のことは分からない。
今私は小山の境川沿いでフィルム写真を撮影しており、また私がデジタルカメラで撮影されている。
旧来より写真を論じる上では、今や過去、記憶や記録といった言葉が常に用いられてきた。2015年ごろには、フィルム写真もまた、今を記憶する、今っぽいものとなった。先ほどからここに登場するフィルム写真というのは、「35mm判ネガフィルムカメラで撮影され、そのネガをデジタルスキャンしたデータ」全般のことを指していたし、指している。今撮ったものがネガという物体に記録されるという体験は、生まれた時からカメラといえば「デジタル」だった10代の人間や、幼少期の記憶がネガフィルムに、それ以降がデジタルに結びついている20代の人間によって再発見された。いわゆる、リバイバルブームだ。
「デジタル」においては、フィルム写真の面倒さが省略される。フィルムの購入、巻き取りや露光の失敗、品質の安定しなさ、時間のかかる現像処理など。 デジタルは予想外のものが撮れないとか、デジタルは楽でフィルムは大変だからフィルムの方が優れている、と言いたいのではなく、おそらく人間は、撮影の簡便さや安定、速さ、その先にある退屈に多分、耐えられない。 複雑さや面倒さはある時、耐えがたいものとなる。しかし、今がひたすらこのまま続くのは、もっと耐えがたい。
では、フィルム写真の撮影がずっと続く、というのは、どういうことだろう。耐えがたいものを、また別の耐えがたいもので省略したとして、それもまたずっと続く。 今ここにあるのは、区切り、固定し、省略する作業が続く様である。せめて今のように、何が省略されたのかということだけでも記録できれば、これをこのまま続けることができそうなのだが。
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cosmicc-blues · 4 years
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3月の映画をふりかえる
☆黒沢清の『地獄の警備員』ーたましいが 地獄の業火に燃やされたー 凄まじい。ショットを積み重ねるごとに画面が累乗的に研ぎ澄まされゆく。特にとてもエレベーターには入りきらないかにみえた大勢の社員が、つぎのショットではたったひとりを残して全員すべてが箱のなかに収まっている、あのあたりから。まるでカフカの小説のような非現実の即物的な現前性。異形の内部空間がさらなる異形を産み出す。ピラミッドの内部からはとてもあの全景を想像できないように、あのビルの全景を外からみたものは誰もいない。『審判』を映画化したオーソン・ウェルズがこれをみたなら嫉妬にかられて墓穴からよみがえるだろう。
☆中川信夫の『生きてゐる小平次』ー眠れぬほどの強い愛 死人だって踊りたい ポンー 幽明の境を撮りたくば、キャメラで追うても仕方なく、キャメラを固定するがよし、と小津が言ったかどうかは知らないが、幽明の境のようなものは、やはり追えば追うだけ逃げ去るだけである。逃げるものと追うものとの果てのない無限運動を撮るならば、やはり固定カメラに限る。そうしておけば、向こうのから何かこの世ならぬものが画面にサッと紛れ込むこともあるかもしれない。
ロバート・アルドリッチの『テキサスの四人』ーどんなにあなたが好きだとしても お酒に飲まれたあなたはいやよー 四人の男女が笑顔で拳銃をかまえているのかと思ったら、酒の入ったグラスをかかげていた。酔っぱらってみたため、だんだんワケがわからなくなった。冒頭の砂漠での、拳銃とライフルの飛距離の差を活かした脅し合いは見事だった。
☆ニコラス・レイの『危険な場所で』ー盲目のひとほど ひかりの在りかを知っているー 夜がきて、そして朝がくる。そんな当たり前の出来事を克明に画面に刻むことのできた映画ははじめてみた。エリック・ロメールは『レネットとミラベル/四つの冒険』での珠玉の"青の時間"をあっさりとこえてみせる!
○ルイス・ブニュエルの『ビリディアナ』ー気高さには限りあり 愚かさには果てがない いざ最悪の彼方へー ショットのひとつひとつはどれも至福に満ちているのに、最終的な印象がなぜかあまりよろしくないあたりがブニュエルの底意地の悪さか。あまりにも素晴らしい踊りに、あまりにも素晴らしい記念撮影、ただ、それと同時に最悪の彼方がフタを開ける。
○アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの『密告』ー子供たちが駆けてゆく 映画の幕が開いたんだー フィルム・ノアールの印象が強い監督だけれど、どの映画もサスペンスで魅せながら、それ以外のストーリーとは直接関係のないアクションが画面を躍動させる。そう、たとえば、大勢の子どもがいきなり走り出したり。けっこう笑った。
○ジョン・フォードの『俺は善人だ』ー鏡のまえで悪い笑み 今日から俺は主人公ー 最高のひと言。1935年製作といえば『周遊する蒸気船』も同い年、この時期(西部劇に身を隠してゆく直前)のフォードはキレッキレもいいところだ!
○リンゴ・ラムの『監獄風雲』ー割れたメガネは 男の勲章ー いい映画をみた。無茶苦茶なんだけど気合いが入っていて、観終わって、笑顔になって、気持ちよく寝た。
○中川信夫の『怪奇十三夜〜血染めの櫛〜』ー櫛が ひたいに減り込んだー 60分足らずの映画で大変なものをみた。中川信夫は信用に足ると確信。
エド・ウッドの『プラン9・フロム・アウター・スペース』ー愛は 数式では測れないー なにやら退屈極まりない映画らしいという前情報のみで臨んでみると、たしかに薄ら寒さは漂うものの、もっと退屈な映画はいくらでもあるぞと思った。いや、むしろ、ふつうに良かったぞ。この映画の名誉?のため、○も☆も付けないこととする。
○ティム・バートンの『エド・ウッド』ーあなたの優しい眼差しは 星のように輝いているー もうね、笑いながら涙ウルウルですよ。あのゾンビ(ドラキュラ?)、だから顔を隠してたんかーい。観終わってから『プラン9・フロム・アウター・スペース』に戻って、エドも繰り返しみていたベラ・ルゴシ最期のショットをみた。泣いた。
○ジャック・ターナー『私はゾンビと歩いた!』ータイトルに だまされてはいけないー 唯々素晴らしいのひと言。映画の良きところを69分に凝縮したような映画だ。こんなにギラギラとしていて、尚且つ美しい映画はあまりない!
☆清水宏『簪』ー夏休み 出会いと別れ そして映画ー 夏休みの公園ともなれば朝も早々から子供たちが集って大賑わい。でも日の暮れる頃になると、ひとりふたりと、ぽつぽつと帰りはじめる。昔からそんな寂しい情景に心惹かれている。
鈴木清順『すべてが狂ってる』ーかっ飛ばせ 青春ー 冒頭から清順監督にしては締まらない画面が続くと思ってみていたら、終盤にかけてもの凄い勢いで画面が締まり、からまり合い、収斂してゆく、流石。
ウィリアム・ボーダイン『ブードゥーマン』ーゾンビーノー ゾンビーー ベラ・ルゴシをみに。
○マキノ雅弘『昭和残俠伝 死んで貰います』ー雨宿りは いつでも魔法をかけー 世俗人にはもったいない愛というのもあろう。最後のさいごの、白いタオルを肩にかけるところまで、どこまでも純情な真心に痺れました。
サム・ペキンパー『昼下りの決斗』ー���る子は 育つー ペキンパーとは相性が良いのか悪いのか、いつも眠ってしまう。
○ウォシャ���スキー姉妹『クラウド・アトラス』ーいざ 草の根のレジスタンスー 久しぶりに大作らしい大作をみた。約3時間の上映時間で5世紀もの時を行き来する。トム・ハンクスやペ・ドゥナをはじめとする役者陣が特殊メイクで時を超え、複数人の人物を演じ分ける。エンディングで役者の紹介とともに彼らの扮した数々の人物が再登場するのには泣いてしまった。これぞ映画の優しい眼差し! いくつもの壮大な物語が交錯するなか、そのなかでも一番ショボくみえる老人ハウスから脱出する回にもっとも映画の息吹が走っていたのには笑ってしまった。
○オーソン・ウェルズ『謎のストレンジャー』ー真実は 隠そうと思えば露わになるー 痺れた。
☆ジャン・ルノワール『十字路の夜』ーとっても とっても いかがわしいー オープニングの音楽だけで、もう素晴らしい! ゴダールはこんなふうになりたかったけどなれなかった。アクセレイ・ゲルマンの『フルスタリョフ、車を!』でどうにか追いつくことができた。
☆ロベール・ブレッソン『神の道化師、フランチェスコ』ー神に向かって 走れー こんなにもひとが走っている映画はほかに知らない。ここに出てくる敬虔な牧師たちは、その直向きな宗教心ゆえにいつもせせこましく走っている。スットコドッコイなんだけど愛おしい! おお愛おしき映画よ!
☆ツイ・ハーク/リンゴ・ラム/ジョニー・トー『強奪のトライアングル』ーミイラに なってもー 最高すぎて鼻水垂れた。香港は3監督による30分ごとのリレーできっちり90分となれば、いかにも胡散臭くていい加減な映画ができそうだけど、はい、まったくその通りなんだけども、こんな最高な映画はみたことがない! とくにアンカーのジョニー・トー! 最高かよ!
○マイケル・マン『レッド・ドラゴン レクター博士の沈黙』ー心が震えるラブストーリーを みたことがありますかー 凶悪サイコパス殺人犯と盲目の女性の恋、それ以外のことはどうでもよい。
ホ・ジノ『八月のクリスマス』ー写真は 嘘をつかないー とてもとてもとても良かった!
○ニコラス・レイ/ヴィム・ヴェンダース『ニックス・ムービー/水上の稲妻』ー素晴らしき ニコラス・レイー ニコラス・レイの姿をみられて本当によかった。老いさらばれようとも、不屈の魂は健在だ!
黒沢清『復讐 運命の訪問者』
○ウディ・アレン『カイロの紫のバラ』ーどうしてもハッピーエンドにできないウッディに 幸あれー なんだけど画面は終始ハッピーに満ち溢れているよ! ホテルの支配人がタップを踊るところでは「いっけー」って画面に拳を突き立てて絶叫してしまった!
☆ジャック・ターナー『星を持つ男』ー大好きな音楽を 何度でも歌おうー 素晴らしすぎて終始泣き晴らした。類い稀な傑作。
ジョージ・B・サイツ『モヒカン族の最後』ーあなたのもとで死ねるなら 本望ー とても良かった。
ロイ・ロックウッド『ジャンボリー』ー映画に 救われたー 大ファンのジェリー・リー・ルイスがでているからみたけどブチ切れそうな退屈さだった。でも、最後には映画に救われた。これが映画で良かったな!
黒沢清『叫』
ロー・ウェイ『龍拳』ーお前はもう 死んでいるー あまり記憶にない。
○ジョセフ・コシンスキー『オブビリオン』ー野球帽を被れば いつだってー 近未来のSFだからって白いスーツを着てればいいってもんじゃない。トム・クルーズがニューヨーク・ヤンキースの帽子を被れば、いきなり画面が躍動する。ジョセフ・コシンスキー、期待のアメリカの映画監督だ!
☆マーク・サンドリッチ『トップ・ハット』ーステキな ステキな 雨宿りー もう本当になんなんですか! 格が違いすぎる! 冒頭のいきなり、ひとが喋ってはいけないという雰囲気だけで死ぬほど面白い! あとはそのままぶっちぎり!
☆ジョン・フォード『タバコ・ロード』ー讃美歌を うたえばー 数あるジョン・フォード映画のなかでもかなりアグレッシブな一作。最高過ぎる。
☆はとにかくよかった映画、○はとてもよかったけれど☆とは若干の差を設けておきたい映画としている。
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nakamura-norihiko · 6 years
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Thai Film Archiveへ行こう。
中村紀彦です。
 現在、わたしはバンコクの隣県ナコーンパトムに位置する街サラヤに滞在しています。この街はマヒドン大学をはじめとするタイの学術的な施設がいくつも建ち並ぶところではありますが、学生たちでにぎわう至ってのどかな場所です。じつはここに、タイ映画を牽引する施設がある。それがThai Film Archive(FAPOT)です。Thai Film Archiveにかんしては、このサイトで以前に詳述されているので、それを参照されたい(http://filmpres.org/preservation/thaifilmarchive/)。
とはいえごく簡単な紹介をしておこう。タイ映画アーカイブの歴史はとても長いが、近年の態勢になったのはごく最近のことだという。現在は館長のドーン・スックウォン、そして副代表チャリダー・ウアバルムンジット、同じく副代表のサンチャイ・チョーティロットセラニーが中心となり、タイ映画の保存・修復を一手に引き受ける公共機構として活動の幅を広げている。
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さて、わたしがこの施設でなにをしているかというと、タイ映画を閲覧しています。タイ映画を国内外に知らしめてきた映画監督チャード・ソンスィーの名を冠したメディアテーク「The Cherd Songsri library and Mediatheque」がある。事前に関係者へ連絡を取ることさえすれば、比較的容易に利用が可能なのです。もちろん、タイ映画の閲覧だけでなく、さまざまな映画にかんする書籍を閲覧することもできます。英語圏とタイ語の文献に限られていますが、当然ながら後者はやはりすぐれた配架数です。土曜日と日曜日、そして祝日に限りメディアテークは閉館するのですが、そうした日(週末や祝日)は隣接するタイ映画博物館が開館します。
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で、この黄色い壁のタイ映画博物館、内部の案内はすべてタイ語。タイで暮らす人々がここでタイ映画の歴史を楽しみながら学ぶ、という感じでしょうか。とはいえ、じつはThai Film Archive入り口付近にあるカフェ併設のインフォメーションセンターで、英語の翻訳機(タブレットを貸与、そのなかにあるThai Film Archive専用のアプリを使います)を借りることができます。まずスタッフに見学の旨を伝えると、おそらく翻訳機の貸出があることを教えてくれます。名簿に氏名を記載するだけでなく、自身のパスポートを施設に預けねばなりませんのでご注意を。
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この英語の翻訳機は、タイ映画博物館のツアーで基本的に使用するものです。たぶん個人では博物館内に入ることはできず、案内人ひとりと何人かの見学者とともに館内を歩くことになるでしょう。おそらく開館日は1時間ごとにツアー開催、ツアー内容も1時間ほどで終わります。ツアーも見学料もなんと無料。もちろんツアーなので案内人がたっぷりと説明してくれるのですが、タイ語です。ここで使用するのが翻訳機。厳密には、案内人が案内する内容の基本的な情報か英語で収録されています。つまり、ツアーとして館内を巡るうちに現れる番号と対応した録音音声を、自身で再生しながらツアーをともにするということになります。
内部の写真を撮りたかったのですが、さすがにダメだった。ともあれ、タイ映画博物館の内部はコンパクトにタイ映画史が詰まっている素敵な場所である。映画がいかにしてタイに伝わったか、王室と映画の関係性、映画館と日本人興業者の話、年代ごとに映画動向を追うブロックもあり、とにかく勉強になります。タブレットのような映像再生機でプレゼンがあったり、いろんなアイテムを触らせてもらえたりする(フィルムの切れ端とか衣装の一部とか)ので飽きさせない。なんと驚きなのが、タイ映画博物館の後半に映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの小さなブースがあるということ! いわゆるタイ映画史の名監督なる人物はたくさんいれども、まさか彼が(しかも長椅子で寝転んでいる写真、『トロピカル・マラディ』(2004)で使用された虎の絵が2点とともに設置)フォーカスされているなんて衝撃です。この虎の静止画像ですね。
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そして『ブンミおじさんの森』(2010)で登場した猿の精霊の着ぐるみも展示されていました!しかしタイ国内での彼の知名度は、副館長のサンチャイ氏曰く「バンコクのアートシネマ界隈では巨大な存在」ぐらいでしかなく、一般的な認知にはほど遠いという。それと同時にわかるのは、彼の諸作品がタイ国内で上映される機会も少ないこと、その消費が「アートシネマ制作者や批評家、研究者などの域を出ない」ということでしょう。今後、滞在中にそうした事情もサンチャイ氏から少しずつ伺っていく予定です。
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ちなみに、映画監督・批評家の金子遊が書いたエッセイのなかで、タイ映画博物館の一部が画像で公開されているので気になるかたはリンク先を参照されたい(「連載 批評≒ドキュメンタリズム③ クメール民話とアピチャッポンの東北」 http://webneo.org/archives/38524)。
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ツアーを終えて館外へ出ると、おしゃれな建物が立ち並ぶ。建物はそれぞれキネトスコープ・パーラー、ニッケルオデオン、そしてグラン・カフェ(!)。パーラーではキネトスコープのレプリカがいくつも設置。建物を案内してくださったジンさんが、突如キネトスコープの装置を開け、「ほらこれ、中にタブレットを仕込んでるからデジタルやねん」とタネ明かし。お、おう…。
10機ほど並ぶキネトスコープをそれぞれ覗き込むことでエジソン社の名作を観ることができる(『サンドゥ』とか)。ただひとつだけ、フィルムを装填したレプリカのキネトスコープがあるのでぜひ体感してもらいたい。それが『M・アーウィンとJ・C・ライスの接吻』(1896)である。ただし、それぞれ10バーツが必要。あくまでパーラーの雰囲気作りに忠実なのです。
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ニッケルオデオンのなかでは『大列車強盗』(1903)がループ上映。グラン・カフェには当然サロン・インディアンも存在する。地下へ降りると、スクリーンのある空間の真ん中にはシネマトグラフ(レプリカ)がある。スタッフが手廻しでリュミエール兄弟の映画作品を上映してくれる。屋外にはまだまだたくさん見所があるが、ひっそりとブラックマリア(エジソンが制作した最初期の映画スタジオ)があったのでぜひ確認してみてください。
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さいごに地図情報を載せておきます。バンコクからは国鉄フアランポーン駅からサラヤ駅まで(普通列車で約1時間30分、3等で20バーツ)まで移動、そこから徒歩で35分ほど歩けば到着です。サラヤ駅からはタクシーでも良いと思います。50バーツほどあればだいじょうぶです。また、もうひとつの方法はバス。バンコクの戦勝記念塔駅周辺のバスターミナルで515番のバス(オレンジ色の車体、始発は5時ごろ、終バスは23時ごろ発、かなり本数がありますよ)に乗ると、45分もあればバス1本でアーカイブ前に到着できます。2017年11月時点で23バーツでした。
https://www.google.co.th/search?client=safari&rls=en&dcr=0&q=thai+film+archive&npsic=0&rflfq=1&rlha=0&rllag=13798918,100303006,0&tbm=lcl&ved=0ahUKEwj657LCxb7XAhXCpY8KHcDwBZ8QtgMILw&tbs=lrf:!2m1!1e2!2m1!1e3!3sIAE,lf:1,lf_ui:2&rldoc=1
中村紀彦
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