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#ポール・サイモン
ogawa-xd · 2 years
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祖国への愛など
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ポール・サイモンのアメリカという曲がある。 YouTube でゆっくりと聞き直して、たとえば国について、このように愛しさやあるいは苛立ちも込めて、心を吐露することはできないものだろうかと考える。一人の大人として。
(たとえば、 https://www.youtube.com/watch?v=sFAoWwUwknc )
国を愛する、というと途端に感情が先走り偏向がかってしまうのはどうしたものなのか。多くの過激な愛国の言動に未熟な感じをいだくのは、自分が歳を取ったせいなのか。人っていうのはそれほど単純じゃないと自分は思う。
自分が愛国者かと問われれば、どうなのか悩む。 それは伴侶や親兄弟を愛するか、という問いと同じだ。 あるいは自分を愛するか、という問いと言い換えてもいい。 どちらも憎んではいない、という意味では愛しているし、 どちらもそこから逃れられない呪縛という意味では、憎しみがなくもない。 自分は、今ここにいる自分でない何かに成ろうとするもの、ではないのか? 自分の気持ちを一つの「愛国者」という言葉の容れ物には入れることはできない。
祖国を愛するといってもかまわないが、その対象はしょせんは土地であり制度であり祖先であり歴史である。それは自分そのものにとっては他者であり事物である。 いや自分とても、ひととき一つの精神を宿しただけの、一つの人という物体である。その者がいだく「愛」も、ひとときの一つの花火のような現象でしかない。かりに魂だけは永遠に滅びない、といってみたところでその状況は変わらないだろう。
そういう醒めた回路を一度はとおったうえで、熱く愛することができるといいのだけど。
つまり、祖国であれ恋人であれ隣人であれ趣味であれ、愛する対象を経て、そういう思いを抱くものとしての返ってくる自分自身をこそ見つめたい、そう自分は思っているのだと思う。
詞は自分と恋人の私的なできごとを語っているが、メロディは愛と郷愁に満ちている。
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アメリカ
恋人でいよう、結婚していっしょに幸せになるんだ 少しだけどバッグの中にはもちあわせもある そうして、タバコのパックとミセス・ワグナーのパイを買って ぼくたちはアメリカを探しに歩き出した
Kathy、ピッツバーグでグレイハウンドに乗ったときに、ぼくは言った ミシガンはいまでは、夢のように思える、 サギノーからヒッチハイクして4日もかかった そうやってアメリカを探しはじめたんだ
バスに乗って笑い 乗客たちの顔を見て遊ぶ ギャバジンスーツの男はスパイだ、と彼女が言う 気を付けろ、彼の蝶タイは本当はカメラなんだ、とぼくは言った
タバコをとって、レインコートに1つあったと思うんだ 最後の一本は1時間前に吸ってしまったわ それでぼくは景色を見て、彼女は雑誌を読んだ ひらけた草原の上に月が昇っていった
Kathy、ぼくは道に迷ったみたいだ 眠っているのはわかってたけど、話しかける 自分は空っぽで苦しいのに、どうしてなんだかわからない ニュージャージーターンパイクで車列を見る 彼らはみんなアメリカを探しに出かけてきたんだ
みんなアメリカを探している だれもがアメリカを探している
(私訳)
220809
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)6月3日(金曜日)
   通巻第7356号  <前日発行>
 ランド・ポール、ハーレー上院、マシー下院議員らが反対
  議会の討議なしにウクライナへの武器援助はおかしい
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 バイデンのやっていることは何だ。親ばか遊びを止めろ、ウクライナへの武器供与の400億ドルパケッジは議会で十分な議論もないままに強行されている、と連邦議会に反対の声が上がっている。
 上院で反対の声を上げたのはランド・ポール、ジョシュ・ハーレー各議員。下院ではトーマス・マシー議員らだ。
 ランド・ポール(ケンタッキー選出上院)はロン・ポール元下院議員(テキサス州)の息子、小さな政府を目ざすリバタリアン政治家の典型である。
 ジョシュ・ハーレー上院議員(ミズーリ州選出。前ミズーリ州司法長官)はバイデンの当選は不正投票によるとして、バイデン当選を認めない運動と不正追求の先頭に立った。
 トーマス・マシー下院議員は一家七人全員がクリスマスツリーの前に銃を持って勢揃いの写真を配信したほど、銃規制に反対し犯罪に立ち向かえと訴えるタカ派。
 ネオコンと民主党リベラルが組んだウクライナへの膨大な武器援助に対して、共和党内に潜在的には11人の上院議員、下院で57名の共和党議員があり、保守本流でトランプ前大統領に近いヘリティッジ財団も、彼らの意見に賛成を表明した。
バイデン政権の発足以来(1)猛烈インフレが襲い、バイデンの支持率は36%しかない(2)不法移民が135万人も米国へ這入り込んだが、取り締まりが手抜きとなっている(3)治安の悪化が顕著で、たとえばシカゴ警察は400人の募集に60人しか応募がなかった。銃乱射事件が頻発しても、取り締まると批判されるので警官のなり手がない。
NY地下鉄は犯罪がふえても対策無策。母親たちは「子供たちに海外の学校へ通わせたい」と言い合っている。
こんな折に、ペロシ下院議長の夫君がアルコール運転で逮捕され、またホワイトハウスからはカマラ・ハリス副大統領の上級顧問だったサイモン・サンダーズ女史を筆頭にすでに21名の黒人スタッフが離職した。
これを「BLAXIT」と読んでいる。
ほかにも国内問題が山積みなのに、バイデン政権はウクライナに没頭し、国内政治をおろそかにしているとポール議員等は噛みついた。
しかし6月1日、バイデン政権は高性能ロケットを、ロシア国内には撃たないとのウクライナが約束したので、供与を決めた。
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ryotarox · 2 years
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イギリス民謡「スカボロー・フェア」の歴史
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この動画は30分もあって、濃い。フィールドレコーディングの音源も紹介されてる。
The True Story of “Scarborough Fair” and "The Elfin Knight" - with 30 historical recordings - YouTube
youtube
(Scarborough Fair - A Melodic History I - YouTubeから)
最後の字幕(DeepL訳)
歌詞は、古い曲であることは分かっている。歌詞のほとんどは、元の文脈から変更され、歪曲されているため、どの程度古いかは不明です。 音楽的には、伴奏の音楽はすべて現代的である。 しかし、謎めいたドリアン旋法のメロディーはどうだろう。モダンなのかオーセンティックなのか? 皆さんのご意見をお聞かせください。
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スカボロー・フェア - Wikipedia
『スカボロー・フェア』(Scarborough Fair)はイギリスの伝統的バラッドである。 この歌は、スカーバラ(スカボロー)の市(フェア)で、聴き手に昔の恋人への伝言を頼むという形式を取っており、「縫い目のないシャツ」を作ったり、それを「乾いた井戸で洗う」など、一連の不可能な仕事を成し遂げてくれれば、再び恋人になれるだろうと歌っている。 『スカボロー・フェア』の歌詞はバラッド『エルフィンナイト』[1]に共通したものが見られ、これは1670年頃に遡る。18世紀末には現在の『スカボロー・フェア』とほぼ同様の歌詞が記録されているが[2]、「スカーバラの市」に言及するバージョンの最古の例は1883年のものである[3]。 古いバージョンでは伝言形式ではなく、そのため地名に対する言及もないものや、伝言形式であっても他の地名に言及しているものが見られる(ウィッティンガムの市、ケープアン、"twixt Berwik and Lyne" など)
フランク・キッドソンの Traditional Tunes (1891) [10]には2種類の『スカボロー・フェア』の楽譜が収録されているが、いずれも現在良く知られているものとは全く異なる陽気でユーモラスなメロディである。 サイモン&ガーファンクルの演奏などで有名な『スカボロー・フェア』のメロディは、イワン・マッコールとペギー・シーガーによる The Singing Island (1960) に収録されているものに由来する。 これは1947年に「ヨークシャーのミドルトン・イン・ティーズデールの元鉛鉱夫のマーク・アンダーソン」(p. 109) から教わったものだとされる。しかしその歌詞は僅かな変更を除いてはキッドソン版を丸ごと借用している[4]。
サイモン&ガーファンクルの1966年のアルバム『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』に収録された「スカボロー・フェア/詠唱(Scarborough Fair / Canticle)」[11]は、「スカボロー・フェア」を基に、ポール・サイモン作の反戦歌「ザ・サイド・オブ・ア・ヒル」より引用した歌詞を加え[12] 、主にアート・ガーファンクルが作曲した新しいメロディをつけた[13][14]「詠唱」を対位法的に重ねている。 サイモンは渡英した際にマーティン・カーシーからこの曲のことを知って気に入り、これにアレンジを加えてリリースした。1967年の映画『卒業』の挿入歌として用いられ、世界的に有名になった。
Scarborough Fair (ballad) - Wikipedia
The copyright credited only Simon and Garfunkel as the authors, which upset Carthy, who felt that the "traditional" source should have been credited. The rift persisted until Simon invited Carthy to perform the song with him as a duet at a London concert in 2000. サイモンとガーファンクルのみが作者としてクレジットされており、「伝統的な」出典がクレジットされるべきだと感じていたカーシーを怒らせた 2000年にサイモンがロンドンのコンサートでカーシーを招いてこの曲をデュエットするまで、この対立は続いた
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The first recorded version using the best-known melody was performed by Audrey Coppard on the 1956 album English Folk Songs.[17] A decade after collecting the song, MacColl released his own version, accompanied by Peggy Seeger on guitar, on the 1957 LP Matching Songs of the British Isles and America[18] and an a capella rendition another decade later on The Long Harvest (1967).[19] In 1965, Martin Carthy sang "Scarborough Fair" on his eponymous debut album after having picked up the tune from the songbook by MacColl and Seeger.[20]
(DeepL訳)最もよく知られたメロディを用いた最初の録音版は、1956年のアルバム『English Folk Songs』でオードリー・コパード Audrey Coppard が演奏*した[17]。
* Scarborough Fair - YouTube (1956 Audrey Coppard)
この曲を収集してから10年後、イワン・マッコールはペギー・シーガーのギターを伴った自身のバージョン**を1957年のLP『Matching Songs of the British Isles and America』で、さらに10年後にアカペラ版を『The Long Harvest』(1967)でリリースしている[19]。
1965年、マーティン・カーシーは自身の名を冠したデビュー・アルバムで、マッコールとシーガーの歌集からこの曲を取り上げ、「Scarborough Fair」を歌った[20]。
** Ewan MacColl - Scarborough Fair - YouTube (1957 Ewan MacColl)
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tumnikkeimatome · 14 days
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YOASOBI 4月10日夜にホワイトハウス晩餐会に出席後、4月12日カリフォルニア州インディオで開催される米国最大規模の音楽フェスコーチェラに出演:日本を代表するアーティストとして東海岸と西海岸を駆ける
岸田首相訪米に合わせたホワイトハウス晩餐会にYOASOBIが招待 4月10日、ワシントンD.C.のホワイトハウスで開催される公式晩餐会に、日本の音楽ユニットYOASOBIが招待されることが明らかになりました。この晩餐会は、岸田文雄首相夫妻の訪米に合わせて、バイデン大統領夫妻がホストを務めるもので、日米の友好関係を象徴する重要なイベントとなっています。 世界的アーティストのポール・サイモンも出席 晩餐会には、YOASOBIだけでなく、世界的に有名なシンガーソングライターのポール・サイモンも出席し、歌唱を予定しているとのことです。日本と米国を代表する音楽家が一堂に会するこの晩餐会は、両国の文化交流の新たな一歩となるでしょう。 コーチェラ・フェスティバルにも出演決定 YOASOBIは、ホワイトハウス晩餐会の翌日に控えている移動を挟んで、4月12日にカリフォルニア州インディオで開催され…
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curry-cook · 2 months
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1日数食日記
2/27(火)
朝から池袋で仕事。集中していたようなダラダラしていたような。音楽聴きながら作業できるのは本当にありがたいが、このような日々がいつ終わるのだろうか。
音楽
1. はじめてのポール・サイモン(Apple Music プレイリスト)
2. Home Again - Live from Central Park, New York City, May 26, 1973 / Carole King ★
今映画でやってるのはこれか。TapestryとFantasyの曲だけで構成なんて奇跡か。
3. Joga / Bonnie Prince Billy ⭐︎
前から良いのは知ってるから⭐︎マークで。
4. Slow Summits / The Pastels ★
あんまりちゃんと聴いてなかったけど、素晴らしい。"Come to the Dance"なんか坂本慎太郎みたいだ。
5. Longshot for Your Love / Pale Fountains ⭐︎
小西康陽さんの英文ライナー素晴らしいんだよな。
読書
1. インスピレーション / ポール・ゾロ
その他
1. ブギウギ 2/27放送回 (NHKプラス)
2. 新春大放談 1990.1.2. (ラジオ→YouTube)
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ewweird · 5 months
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前日譚映画の感想
『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(原題:WONKA) 『夢のチョコレート工場』『チャーリーとチョコレート工場』 原作「チョコレート工場の秘密」と続編「ガラスの大エレベーター」 他のロアルド・ダール作品についても触れているネタバレと個人の見解を多く含んだ感想です。
日本ではティム・バートン監督の『チャーリーとチョコレート工場』が有名ですが、本作は原作「チョコレート工場の秘密」と、1971年に同原作から映画化された『夢のチョコレート工場』をオマージュを捧げた前日譚映画です。 この視点を踏まえて鑑賞すると、より楽しむことができると考えます。
基となった原作は、フォーブスが毎年公開する「死後も稼ぎ続ける著名人ランキング」で2021年初の1位にもなった(ネットフリックスがダールの作品を管理してきた英ロアルド・ダール・ストーリー・カンパニーを約6億8400万ドル(約780億円)で買収した為)、世界的に有名な英国の作家、ロアルド・ダールが執筆した「チョコレート工場の秘密」です。
原作「チョコレート工場の秘密」から実写映画化されたのは、1971年の『夢のチョコレート工場』と、2005年に再構築された『チャーリーとチョコレート工場』の2作品です。 物語の中で登場するウィリー・ウォンカは、原作でも謎に包まれた人物であり、二つの映画もそれぞれ独自の解釈に基づき、ジーン・ワイルダーとジョニー・デップが演じました。両者の演技は原作を尊重しつつも異なる解釈を提供しており、ウォンカのキャラクターが異なる視点で魅力的に描かれています。
日本での宣伝は「あの『チャーリーとチョコレート工場』を覚えていますか?」と日本テレビ放送「金曜ロードショー」でウィリー・ウォンカの吹替声優を担当した宮野真守がナレーションを務めるCMを流すといった、誤解を招くプロモーションを行われていたため、数多くの日本の方々のレビューにて「"父親が歯医者で、幼少期に歯の矯正器具をつけられ、お菓子を禁じられ、父親の目を盗み食べたチョコに魅了されてショコラティエになった"2005年版『チャーリーとチョコレート工場』のウォンカの映画オリジナル幼少期設定との整合性がつかない」点への不満や「ティム・バートン版のダークさが足りない」「ティム・バートン版の前日譚だと思って観に来たのに全然違う」といった感想を多数見受けられました。
そして、レビューサイトでの今作品への評価へ影響を与えている為、日本でのプロモーションは作品への弊害が大きく、改善が切に望まれますが、現状も『夢のチョコレート工場』を紹介したプロモーションを行われない点からも、残念ながら望みは薄いかと考えます。
2005年版『チャーリーとチョコレート工場』はティム・バートン監督による独自の解釈と、ロアルド・ダールの毒気のあるダークな作風に焦点を当てた奇妙でダークな作品です。ウィリー・ウォンカの幼少期の映画オリジナル設定や続編『ガラスの大エレベーター』のオマージュを含め、これまでのティム・バートン監督作品の要素を巧妙に組み込み、名作映画のパロディも取り入れています。この一作で完結しています。私も大好きな作品です。
そのため、日本語の邦題タイトルロゴデザインが2005年版と酷似している点は、映画化された過去の作品にも今作に対しても敬意が欠けていると感じられます。さらに、パンフレットでは『夢のチョコレート工場』に触れず、作品紹介ページでは2005年版に1ページを使って紹介され、1971年版は1ページの半分にも満たしていませんでした。唯一の言及がポール・キング監督によるインタビューだけであることも確認されました。この情報をあらかじめ知っていれば、私は日本国外版を購入していたかもしれません。日本での宣伝がこの作品にとって最大の痛手となっている可能性が高いです。非常に残念です。
さて、肝心の今作の映画の内容ですが、
ファミリー向けのミュージカル前日譚映画として観ると、楽しめます。『夢のチョコレート工場』を予習してから観ると、もっと楽しめます。ロアルド・ダールの児童書を沢山読んでいるなら、もっと楽しめるはず。明るく楽しいポール・キング監督の独自解釈が加わった愛にあふれたウィリー・ウォンカのファンフィクション前日譚映画でした。というのが全体の私的な総括です。
ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーの脚本は、原作『チョコレート工場の秘密』と1971年版『夢のチョコレート工場』へのオマージュ、ロアルド・ダールの他作品のエッセンスもちりばめた素敵なものでした。
また、全体の美術の作りも、基が児童書であり、夢のあふれる彩度が高く明るい、子どもたちに向けた作品であることを意識されています。ディズニーランドの初期デザインを手がけたハーパー・ゴフがアートディレクターを務めた『夢のチョコレート工場』へのリスペクトを込めた作りとなっていました。 音楽に至っても『夢のチョコレート工場』の名曲"Pure Imagination"、"Oompa Loompa"はもちろんの事、今作のオリジナル曲もポップで思わず身体が踊りだし、心の弾む楽曲が多く、ウォンカが「空飛ぶチョコ」(Hoverchocs)を唄いながら紹介する"You've Never Had Chocolate Like This"の楽曲は、ウォンカが自身の発明した商品をご機嫌で説明する、原作のような語尾に感嘆符をつけて話すテンションが高いウォンカを想起させる曲でした。
予告編からも『夢のチョコレート工場』の名曲"Pure Imagination"、"Oompa Loompa"を取り入れ、ウォンカの有名な台詞「So much time and so little to do. Wait a minute. Strike that. Reverse it.」(時間が沢山あるのに、やることがない。 待った、逆にして。)から派生した「So quiet up and listen down. Nope. Scratch that, reverse it.」があった所や、オレンジの顔色に緑の髪色のウンパルンパのデザインからもそうですね。しかし、身長は原作に記述のある「No higher than my knee!」(私の膝までしかないわ!)という身長設定を採用しているといった点からも、ポール・キング監督は原作と『夢のチョコレート工場』の設定をオマージュした前日譚にしたんだな!と、最初の予告編を観た時からとても興奮したのを今でも覚えています。
それと同時に上記の台詞は、二つの単語を入れ違うことに意味のあるジョークですので、その派生した台詞の翻訳が予告編では意訳されていたことから、日本語翻訳に対しても一抹の不安があったのも覚えていました。 しかし、本編での翻訳は予告編で意訳されたものから変更され、二つの単語の意味を少し取り違えたものとなっており嬉しかったです。 ロアルド・ダールの言葉遊びたっぷりの英語を日本語翻訳することはとても骨が折れる作業だと思われます。
ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーが手がけたこの脚本は、原作や『夢のチョコレート工場』へのオマージュが多数含まれており、見つけるたびに楽しいイースターエッグが隠れていました。
「Pure Imagination」や「Oompa Loompa」などの名曲はもちろん、階段を上り下りする足さばきや、杖の回し方、階段の形は、チョコレートルームに入る際のシーンを連想させました。
お金のコインが側溝に落ちるシーンは、1971年版のチャーリーが同じく側溝でお金のコインを拾う場面とリンクしていますね。
シルクハットから次々に物を取り出すシーンでは、「ガラスの大エレベーター」でウォンカがプラム色のジャケットのポケットから様々なアイテムを取り出す場面を思い起こさせます。
宿屋で書かれる長い契約書は、5人の子どもたちがチョコレート工場に入る前に書かれる契約書にオマージュを捧げていますね。
宿屋から洗濯場へ直結するランドリーシュートへ放り込まれるシーンは、ベルーカ・ソルトが焼却炉へ落とされる未来の予兆を示唆しているのかもしれません。
洗濯の仕事を教わる過程でのシーンは、1971年版のチャーリーが母親の働く洗濯屋で同様に木べらを使って混ぜるシーンにリンクしています。
「Willy Wonka's Wild and Wonderful Wishy-washy Wonka Walker.」という発明品の名前に込められた"W"の使用法は、1971年版の「Wonka Mobile」や「hswawknow」(「WonkaWash」を逆から綴った)や原作のチョコレートバーに見られるネーミングセンスと共通しています。
「Willy Wonka's Wild and Wonderful Wishy-washy Wonka Walker.」の形状は、フルコースが味わえるガムの製造マシンに酷似しています。
警察署長の体型が変化しお腹のベルトがはじける場面は、バイオレット・ボーレガードがお腹のベルトがはじける場面を連想させます。
ウォンカが店を持つ想像するシーンでのピンクに染まる壁は、原作の工場内の長い廊下の壁がピンクであることを示唆しているのかもしれません。
倒れない杖のシーンは、1971年版でのウォンカの工場登場のパフォーマンスを思い出させます。
ウンパルンパのトランクの中身がお酒だらけである事は、原作のバタースコッチとバタージンの部屋でのウンパルンパたちが酔っているシーンを連想させます。
「ホバーチョコ」(Hoverchoc)は、「炭酸上昇ドリンク」(FIZZY LIFTING DRINKS)からインスパイアされており、チャーリーとジョーおじいちゃんが飛んで行くシーンも酷似しています。
チョコレートまみれになるウォンカとヌードルは、オーガスタス・グループがチョコレートの川に落ちるシーンを想起させます。
チョコレートカルテルの三人が歌う「Sweet Tooth」の歌詞には、1971年版のウォンカのソルト氏に耳打ちする"Candy is dandy, but liquor is quicker."のセリフが引用されていますね。
ウンパルンパが盗み際に話す「I said,Good Day.」は、1971年版のウォンカがオフィスで怒鳴る場面の台詞「Good Day Sir!」から派生した台詞ですね。その後のウォンカが「彼が勝ちました」と話すことからも「You Lose!」を思い起こしますね。
ウォンカのお店にお爺さんをご招待するシーンでは「Make a wish Count to three」を思い出す台詞がありましたね。
ウォンカがお店で、お花の形のカップをかじるシーンは、1971年版のオマージュであり、ラストシーンのウンパルンパが手にしているお花のカップとの類似性が際立っています。
ピストルを突き付けられる場面は、原作と1971年版のマイク・ティービーがおもちゃのピストルを持っている場面と関連しているかもしれません(これは微妙ですが)。
ウォンカが母親から年に一度の誕生日にチョコレートをプレゼントされる描写は、原作のチャーリーを連想させますね。
地下に隠されたチョコレートタンクは、後に原作のウォンカが地下ならばどれだけ工場を広げても大丈夫だという発想に繋がったのかもしれませんね。
船の上でウンパルンパが虫眼鏡を使ってウォンカにつけられた指輪の跡を見るシーンは、オフィスでウォンカが虫眼鏡を使って契約書を読み上げるシーンを連想させます。
私が発見できていないだけで、まだまだたくさんあると思います。思い出したら追加していくつもりです。このような細やかなディテールやリンクは興味深く、楽しめました。
宿屋の二人に関しては、ロアルド・ダール原作の『いじわる夫婦が消えちゃった!』(原題:The Twits)からもインスパイアを受けているキャラクターであるかもしれません。
ウォンカとヌードルは、ウォンカとチャーリーのような存在のコンビに描くのだろうかと想像して観に行ったのですが、鑑賞して、ああこれは、ウィリー・ウォンカとマチルダ・ワームウッドの相棒コンビのようにしたのだなと思いました。
マチルダ・ワームウッドとは、ロアルド・ダール原作の児童書『マチルダは小さな大天才』(原題:Matilda)に登場する主人公の本が大好きな天才少女のことです。
ヌードルは酷い大人たちに囲まれて、本の虫(ブックワーム)であり賢いが、とても辛い人生を送りました。 「お仕置き部屋」に閉じ込められるヌードルのシーンは、『マチルダ』に登場するトランチブル校長の作り出したチョーキー(お仕置き部屋)を想起させましたね。
ポール・キング監督は映画制作のプロセスの中で、ロアルド・ダールの物語を日がな一日読むことができたことが、一番良かった部分だったとインタビューで語っていました。ヌードルを含め、映画オリジナルキャラクターを作成する際に、ロアルド・ダールの他の作品からエッセンスを取り入れ、ダールの雰囲気に近づけて物語に調和を持たせようとしたのだろうと考えています。
ヌードルは、これまで一度もチョコレートを食べたことがないと打ち明けました。ヌードルはマチルダともチャーリーとも異なり、ホットチョコを飲みながら本を読んだり、年に一度の誕生日プレゼントでさえもチョコレートを味わったことがないのです。チョコレートの魅力を知らないヌードルは、ウォンカにとって衝撃的な存在であり、2人の人生観は大きく異なります。 ウォンカは「一生分のチョコを渡そう」と話します。 この言葉は、後にゴールデンチケットに書かれた文言を暗示しているのかもしれません。
ウォンカとヌードルの関係は、まるで子どものような大人と大人のような子どものコンビのようです。私は一度は考えたことのある「もしもウォンカとマチルダの物語があったらどんなものだろう」というファンフィクションのような設定を楽しみました。 しかし、ヌードルの設定は、ダールが描いたマチルダのような親の愛情を受けず、血のつながりのないハニー先生との養子縁組を組むという設定とは真逆です。代わりに、ヌードルは血のつながりのない宿屋のミセス・スクラビットに育てられ、しかし愛情は受けられません。物語は、ヌードルが血のつながりのある母親と再会するという展開を迎えます。このキャラクターの背景は、作風の系統がやや異なるなと思います。
また、キリンが登場しますが、それはおそらく『こちらゆかいな窓ふき会社』(原題:The Giraffe and the Pelly and Me)に登場するキリンからの影響かもしれませんね。
そうですね、制作陣がイースターエッグのようにオマージュを散りばめたと話していた通り、多くのオマージュが含まれており、それを見つけることに夢中になりすぎました。
視点を変えて、前日譚としての話の整合性について考えてみると、本作は原作「チョコレート工場の秘密」と、1971年に初の実写映画化された『夢のチョコレート工場』にオマージュを捧げた前日譚映画ですが、原作や『夢のチョコレート工場』の前日譚として、つながるかと問われれば明確に確実にはつながると言えません。
『夢のチョコレート工場』の公開は1971年であり、"引退の時が近い"雰囲気の彼の若い頃を想定して、時代設定を最終的に1948年から1949年頃と設定したと話されています。 この時代設定のウィリー・ウォンカの前日譚としてのラストシーンから、1971年版のウォンカに繋がるとすれば、これらの出来事の間には約20年の時間が経過しており、この期間に何らかの出来事が起きなければ、物語がつながるのは難しいでしょう。 例えば、あのチョコレートカルテル三名が復讐に燃えて、スパイを送り込む描写をどうするのか、別のオリジナルエピソードが盛り込まれたり、他のウンパルンパがルンパランドからどう工場へ来るのかなどが考えられます。
また、作中でウォンカが字が読めないことを話しますが、1971年版のウォンカはラテン語やフランス語などの詩を引用して話すことからも語学が堪能であり「Nil desperandum(ラテン語) 絶望しないで! Au revoir, adieu, auf widersehn!(フランス語) さようなら、さよなら、もっと広く!」といった言葉を使用しています。原作の設定においても、世界地図に載っていないウィリー・ウォンカがたどり着いたルンパランドで、ルンパ語を駆使して交渉したエピソードや、工場内に住むウンパルンパがルンパ語ではなく英語を話すエピソードから考えると、ヌードルから文字を教わり、この前日譚映画から1971年版までの約20年間で本を読み学ぶ可能性も考えられますが、現状ではこの前日譚映画単体で考えると、設定に少々矛盾が生じます。
本作の若い頃の彼は、世界中を7年間駆け巡り、世界中でチョコレート作りを学び材料を集めてきたという設定でしたが、文字は読めないとしても船の人々との交流を介して、船でチョコレート作りのコックとして働きながら、人の親切によくしていただき、世界中の材料を集めたと想像すれば良いのでしょうかね。日本のさくらんぼ手摘み職人の説明も、この視点から考えると理解できるかもしれません。
ウォンカが自身のチョコレートによって人々が結ばれ、恋におちるといった、まるで恋のキューピッドのような役割を果たす理由は、おそらく彼が自らが創り出した驚くべき効果を持つお菓子を多くの人に届けたいと考えているからでしょうか。ウォンカのチョコレートによって恋が芽生える様子を観たいと思われるかと問われれば、私は特にそうとは感じませんでした。個人的には、このシーンが物語にどれほど必要か理解できませんでした。 また、「魔法のチョコレート」という表現に疑念を感じました。原作では、ウィリー・ウォンカの従業員にスパイが忍び込んでレシピが盗まれ、他のお菓子会社で同じお菓子が作られてしまいます。これにより、ウォンカのお菓子は魔法のようなものではあるものの、レシピ通りであれば一般の人でも作ることができることが示唆されています。したがって、「不思議なチョコレート」なら理解できますが、「magical」などの表現には疑念を感じました。
インタビューにて『wonka2』を示唆した回答が行われましたが(リップサービスの可能性もありますが)2が制作されれば整合性があるかもしれません。
今回の前日譚映画は、ポール・キング監督にとって「子どもの頃から何度も何度も見て、DNAに刻まれた、とても神聖な存在」である1971年版『夢のチョコレート工場』の世界観のイメージの中にいる、独自の解釈したウィリー・ウォンカの若き頃を描いた前日譚でした。
「原作者が既に死去している作品の、他人が解釈し後付けで設定を行ったメディア化作品」は現在世の中に多く存在しています。 「チョコレート工場の秘密」(原題:charlie and the chocolate factory)は特に読んだ人にとって���象がとても色濃く変わり、「ウォンカは4人の子どもたちがひどい目に遭う出来事からも子どもが嫌いな人だ」「ウォンカはお小遣いが少ない子どもたちのためのお菓子を作ってるから子どもが好きな人だ」といった焦点の違いによって印象が異なります。そのため、謎が多く、想像の余地が多い作品であり、人それぞれのウィリー・ウォンカ像が存在すると考えられます。
ティム・バートン監督と脚本家ジョン・オーガストによる「父親が歯医者で、父親の目を盗み食べたチョコレートに魅了されてショコラティエとなったが、従業員の中にスパイが潜り込まれレシピが盗まれた事件をきっかけに、人間不信に陥り工場に引きこもり、久方ぶりに工場外の人間と交流したため戸惑いを隠せないウィリー・ウォンカ」も同様ですね。
そして今回のポール・キング監督とサイモン・ファーナビーによる「母親との船旅を経て、母の作ったチョコレートの味を忘れられず、世界中の人に届けたいと夢見る、人の親切を信じて育ってきたが、グルメ・ガレリアにて世界の厳しさを知る青年ウィリー・ウォンカ」というウォンカの善性に特化した若き頃を創造されていますね。
現在制作については謎に包まれていますが、『マイティ・ソー バトルロイヤル』で『夢のチョコレート工場』のパロディを取り入れ、"Pure Imagination"の音楽も劇中歌にしたタイカ・ワイティティ監督が、脚本、監督、製作総指揮を務めるNetflix長編アニメシリーズ『Charlie and the Chocolate Factory』が進行中です。『スポンジ・ボブ: スポンジ・オン・ザ・ラン』や『パウ・パトロール ザ・ムービー』を手掛けたCGアニメーション制作会社Mikros Animationも関与しています。この長編シリーズでは「チョコレート工場の秘密」の他に「ガラスの大エレベーター」もアニメーション映像にする予定で、「ウンパルンパ」に焦点を当てたオリジナルストーリーも制作予定だそうです。楽しみですね。
私はロアルド・ダールの「チョコレート工場の秘密」のメディア化作品を、「他人が解釈したウォンカ」を楽しみに鑑賞しています。簡単に言えば、「ウォンカのマルチバース」として観ています。「原作に近い」や「原作に基づいた」「原作のような」メディア化は多いですが、万人が完全に解釈一致するウィリー・ウォンカの作品が存在することは難しいだろうと思います。今回の前日譚映画も「ポール・キング監督とサイモン・ファーナビーによるウィリー・ウォンカの解釈」を楽しませていただきました。
『チョコレート工場の秘密』(原題:Charlie and the Chocolate Factory)は、1964年に初版が刊行され、1973年に原作者ロアルド・ダールにより改訂されました。日本では、田村隆一氏による1972年初版の旧訳版と、柳瀬尚紀氏による2005年初版の新訳版が存在します。旧訳版では改訂前のウンパルンパの表現がそのまま残っていますが、Augustus Gloopについては「オーガスタス・グループ」と、ほぼ登場人物の名前がそのまま訳されています。一方、新訳版では「オーガスタス・ブクブトリー」といった独自の翻訳がなされています。前日譚映画の公開に合わせて、新たな翻訳版が刊行されることを期待していましたが、残念ながら実現しなかったようです。
ちなみに、先述した『マチルダは小さな大天才』(原題:Matilda)は、映画化された2つの作品が配信されています。こちらもぜひご覧いただければと思います。
また、ウェス・アンダーソン監督による連続短編映画『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』『毒』『ネズミ捕りの男』『白鳥』もNetflixで視聴可能ですので、こちらもぜひお楽しみください。
さらに、『いじわる夫婦が消えちゃった!』(原題:The Twits)もアニメーション映画化が2025年に予定されており、これも楽しみですね。
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今回の前日譚映画には、ロアルド・ダールの児童書を、読者が再び手に取りたくなるような小ネタもたくさん含まれています。この作品をきっかけに、多くの方が本を読む楽しさを再発見してくれるといいですね。
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honyakusho · 8 months
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2023年8月16日に発売予定の翻訳書
8月16日(水)には2冊の翻訳書が発売予定です。
リペア : 「使い捨て社会」から「修理・修復社会」へ
ペーテル・エールディ/著 ジュジャ・スベテルスキー/著 高見典和/翻訳
日本評論社
ポール・サイモン全詞集 : 1964-2016
ポール・サイモン/著 栩木伸明/翻訳
国書刊行会
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brdc-a · 9 months
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『林田直樹のカフェ・フィガロ アーカイブ放送』  2023/07/23 18時配信
ゲスト:文学紹介者 頭木弘樹さん(16年6月放送)
今回は、文学紹介者の頭木弘樹さんのアーカイブ放送をお送りします。
<再生はこちら▶️>
※スマホ/タブレットはアプリからご視聴ください。 過去の放送は、Back numberで🎧
お二人の出会いのきっかけになった書籍「絶望名人 カフカの人生論」をテーマに、絶望名人とタイトルをつけられた理由や落語の要素、作家のフランツ・カフカについてお聞きします。どうぞ、お楽しみに♪
※この番組は、2016年6月12日、2016年6月19日に放送されたものです。
【2023年最新書籍情報】
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『うんこ文学』ちくま文庫
人間は、食べて、出します。しかし、食事と違い排泄は人に見られた場合ずっとトラウマになることもあります。漏らす悲しみを知る人のための17編。著者:頭木弘樹 出版:筑摩書房 発売:‎ 2023年2月13日
・詳しくはこちら
『自分疲れ』創元社
難病の実体験に基づいたユニークな文学紹介活動を展開している著者が、「自分自身でいることに疲れを感じる」「自分自身なのになぜかなじめない」といった「違和感」を出発点にして、文学や漫画、映画など多彩なジャンルの作品を取り上げながら、心と体の関係性について考察していく。読者が「私だけの心と体」への理解を深める一助となる一冊。著者:頭木弘樹 出版:創元社 発売:2023年4月10日
・詳しくはこちら
『絶望名言 文庫版』飛鳥新社
NHK〈ラジオ深夜便〉の人気コーナー、ついに書籍化!病気、事故、災害、あるいは、失恋、挫折、そして孤独……人生における受け入れがたい現実に直面した時、人は絶望します。古今東西の文豪たちもまた、例外ではありません。絶望に行き当たり、絶望を見つめ、絶望の中で書き留められた珠玉の言葉たち。本書では、そんな文豪たちの「絶望名言」から、生きるためのヒントを探します。著者:頭木弘樹 出版:飛鳥新社 発売:2023年4月25日
・詳しくはこちら
【楽曲リスト】 2016/6/12 放送分
『異国の鳥たち』 作曲:オリヴィエ・メシアン 演奏:サイモン・ドッキング (ピアノ) トニー・ゴメス指揮、トロント・ウィンド・オーケストラ 『弦楽三重奏曲 Op. 20 第二楽章』 作曲:アントン・ウェーベルン 演奏:アニ・カヴァフィアン (ヴァイオリン) 、リチャード・オニール(ヴィオラ) フレッド・シェリー(チェロ) 2016/6/19 放送分
『A New Ground in E Minor, Z.T682』 作曲:パーセル 演奏:テレンス・チャールストン (チェンバロ) 『尺八五重奏曲 第三楽章』 作曲:ポール・モラヴェック 演奏:ジェームズ・如楽・シュレファー (尺八) 、ヴォザール弦楽四重奏団
音源提供:ナクソスミュージックライブラリー
番組テーマ曲:「フィガロの結婚 序曲」 (音源提供:ナクソス)
過去放送一覧はこちら <ブルーレディオTOPに戻る>
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umenoi · 11 months
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突発性難聴とは違うのかな?
アレもだいぶ聞こえなかったわよ。入院してステロイドするという医者もいるし。
お年とはいえども、早く治るといいなあ。
ポール・サイモン 左耳の聴力をほとんど失う ライヴ活動は一時中断 - amass
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satelliteee-com · 1 year
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Stephen Shore Selected Works 1973-1981
スティーブン・ショアは過去5年間にわたり、1973年から1981年に撮影された数百枚のネガをスキャンしてきた。本書では15人の写真家・キュレーター・作家・文化人からなる国際的に活躍するメンバーにより、1人10枚ずつの作品をセレクト。これらのポートフォリオはショアの作品がどのような影響を与えたのか、ショア独自のアメリカ像とは、など新たな考察や独特で明快な解説を収録。 ウェス・アンダーソン、クエンティン・バジャック、デヴィッド・キャンパニー、ポール・グラハム、グイド・グイディ、ホンマタカシ、アンミー・レー、マイケル・レシー、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、フランシーン・プロス、エド・ルシェ、ブリッド・サルヴェセン、タリン・サイモン、トーマス・ストルス、リン・ティルマンと各界を代表するメンバーによるセレクション。
ISBN-10: 1597113883, 13: 978-1597113885 p.279, 31.1 x 2.5 x 38.7 cm 2017/5/15
Stephen Shore: Selected Works 1973-1981
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yusakuniverse · 1 year
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松山千春のコンサート。
曲の合間は、人の死についての話が多かった。そんな中でも笑いも取れるのは話術だなぁ。
歌声は、年齢相応かもだけど、なかなか厳しいものがあった。定番曲の歌い方も癖が強くて、なかなかな感じでしたー。
と、考えると、還暦超えのポール・マッカートニーやサイモン&ガーファンクルのハイトーンボイスは、ワールドクラスだったのだと再認識をしたのでした。
そんな勤労感謝の日でした。
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wasite · 1 year
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WASITE.store 2022/10/30 now OPEN 今日の海 「明日にかける橋」 サイモン&ガーファンクルは マジモンの名曲。 人はいつでも明日に橋をかけ続ける。 そして! 1973年の今日 ボスポラス海峡に 「ボスポラス橋」 完成!!! まずボスポラス海峡ってのは、 トルコのイスタンブールの中で ヨーロッパ部分とアジア部分を隔てる海峡。 また、 ロシア・ウクライナが面する黒海と 地中海を行き来するために通る 超絶要所(チョークポイント)です。 そんな海峡で、 神話の時代も一波乱。 ギリシャ神話のゼウス。 めっちゃ不倫します、この神様。 イオという娘との関係が正妻ヘラにバレて、 ゼウス「やっべ!とりあえずこれで逃げ!」 イオを「牝牛」に変身させます! が ヘラ「お見通しやで」 で、ヘラは恐ろしいアブを放つもんだから 牝牛のイオは世界中を逃げ回る。 で、この海峡を泳いで渡ったことから 「牝牛の渡渉(としょう)」 という意味の「ボスポラス」 と名付けられました。 で、牝牛のイオさん。 なんとかエジプトまで逃げ延びたところで 人間に戻ります。 よかった! で、まぁゴタゴタはあるんだけど、 最終的にゼウスの子供を産んで、 エジプトの王様と結婚します。 めでたしめでたし。 というドラマチック人生も この海峡を渡りきったからこそ! 牛にされて逃げさまよった時、 心も折れるでしょ!普通は。 ですが、明日に橋をかけるのです。 橋がなけりゃ泳ぎます。 そんな時の心のBGMは 「明日にかける橋」! 歌詞の「sail on silver girl」 直訳『漕ぎ出せ、銀の少女よ』 WHAT? 直訳じゃわかりません。 これはポールの後の妻(?)が、 初めて生えた白髪 白髪="シルバー" ヘア にがっかりって時の 妻に向けたメッセージって 内輪ネタだそうです。 私もヒゲに白髪が混じり始めた Silver boy ですが! とことんとんとん漕ぎ出しますぜ。 新しい新作の香りの企画に 「ぐぬぬぬぬ」 ってなってますが。 どうぞご期待くださいw 北斗の拳の種モミのじいさんも言います。 「今日より明日」 拳「久しぶりに人間にあった気がする・・・」 それに対してラオウさん。 (別件でね) ラ「意思を放棄した人間は人間にあらず!!    ただ笑いと     媚びに生きて      なにが人間だ」 牝牛にされたイオも、 明日へ明日へと歩いて泳いで、 久しぶりに(やっとね)人間になれました。 そこでドラえもんの先生の名言! 先生「目が前についているのは〜略    前へ前へと進むためだ!」 もうね、説明する必要もないくらい どストレートなメッセージ! 人は前に目がついてるからそう言いますが 牛の目は横についてます。 動物と人の目っていうのは、 だいぶ性質と役割が違います。 動物は、 目でも見ますが、耳でも見て、鼻でも見るんです。 ちょっとよくわかんない感覚ですよね。 だって違う動物なんだから仕方ない。 人の目ってのは、 サバイバル能力、というより、 社会コミュニケーション能力で進化したと 考えることもできます。 人の色彩感覚、これは 木ノ実や果実を色で認識する、と考えたり または、 人の細かい肌色や顔色の変化を見るため、 という説も。 目には黒目以外に白目もありますが これもコミュニケーションに一役。 「あなたを見ている」 ということ。 白目が見えない動物は どこを見ているかわからない。 さらに 高度な視覚情報処理能力によって 現実には遮られた視界の領域を 透視するかのような映像補完。 また、 目が捉えた映像の情報が 脳に伝達するまでの "時間差" を埋め合わせる、 まさに「未来予見」的な能力。 つまり、前を向いて 明日を見ている目は、 見えないものを見ていたり、 少し先の未来を描いている ってこと!! また長くディープになりそうw (それはそれで喜んでくれる人もいるんだけど) スマホで長文とか、 めっちゃ疲れるよね。 目が。 あんま目を酷使しすぎないで、 ゆっくり夕日でも見にいきましょう。 というわけで、今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! では、今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CkUtCrJPtpp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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スティーヴ・ガッドとトニー・レヴィンのリズムセクション。
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tumnikkeimatome · 2 months
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ソニーグループが音楽著作権獲得を強化、576万曲に:マイケルジャクソン、ポールサイモン、ビートルズやビヨンセなど世界的アーティストの楽曲を管理
ソニーグループの戦略的動き ソニーグループが音楽著作権の獲得に力を入れています。M&Aを通じて、故マイケル・ジャクソンやポール・サイモン、ブルース・スプリングスティーンの楽曲著作権を含む、576万曲を管理下に収めることに成功しました。この戦略的な動きは、音楽業界における同社の影響力をさらに拡大させています。 音楽著作権の重要性 音楽著作権には、出版権と原盤権の二つの主要な権利があります。音楽出版社は、これらの出版権を管理し、楽曲が使用された際に使用料を徴収し、その収益を作詞・作曲家に分配します。ソニーグループは、利用情報をリアルタイムで把握し、早期に利益分配する仕組みを整えることで、このプロセスを効率化しています。 SMPの戦略と成果 米ソニーグループ傘下の音楽出版社、米ソニー・ミュージックパブリッシング(SMP)は、世界最大の音楽出版社として576万曲を管理しています。これに…
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curry-cook · 2 months
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1日数食日記
2/26(月)
午前中の会議だけ参加して、終わったらすぐ帰宅。昼にご飯を食べて、休日の妻(車の定期点検から何からやってくれた!いつありがとう!)と並んで読書。夜になったら待望の『怪物』を鑑賞しよう、と息巻いていたら、急に仕事のラインが。しかも自分がミスして惨事を引き起こしていた。ありえないミスなので訳が分からず、しばらく家で何とかしようとしていたが埒が開かず、結局職場に戻る。さしあたりそこまで問題は大きくならなくて済みそうだったが、油断は禁物。明日も早めに出勤して様子を見た方が良さそうだ。帰りがけにスタッフの一人と音楽談義。ミッシェルの大ファンでいまだチバ逝去のショックで音楽が聞けないそう。気持ちはわかる。
音楽
1. Not So Much To Be Loved As To Love / Jonathan Richman ★
艶っぽいジョナサンも最高。
2. はじめてのポール・サイモン(Apple Music プレイリスト)
読書
1. インスピレーション / ポール・ゾロ
その他
1. ブギウギ 2/26放送回 (NHKプラス)
2. 新春放談 1999.1.10 (ラジオ→YouTube)
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lewonald · 2 years
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ポール サイモンの「ひとりごと」 一つの作品だけど全部違うCD CD番号が違います😎 #paulsimon #popfreak宇都宮 https://www.instagram.com/p/Ci04y-SvbXO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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