Tumgik
#ロールズ
takahashicleaning · 14 days
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TEDにて
キンバリー・モトリー: いかに法の支配を守るか
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
「公正」の定義は、「公平」の「判断や言動などがかたよっていないこと」に加えて、「正義」の方向に現在進行形で進んでいる事象のこと。
「正義」の定義は、この場合、マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義である!と言っています。
知ってるつもりで思い違いしてること!
公平概念は「ハンデをつけて上限を公平に!」
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じで、これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
弱者は皆、その国の法律によって守られるべきです!
たとえ、その法律が忘れられ無視されていようとも。アフガニスタンなどで活動するアメリカ人訴訟弁護士キンバリー・モトリーは、国際的な弁護士活動の中から3つの事例を紹介し
その国の法律でどれだけ正義と公正さ(法律をその立法目的である「保護」のために使うこと)をもたらせるか語ります。
思うに、行政府のないアフガニスタンのような場所で公正さを実現するのは難しく、それには3つの理由が挙げられます。
行政府のない状態がどのようになるか?スティーブン・ピンカーが言う所のジョンロックがすでに解決しています。
1つ目の理由は、簡単に言えば、人々が自らの法的権利についてあまり知らないということで、これはグローバルな問題だと思います。
2つ目は、きちんと法律があったとしても、しばしば、部族慣習が優先され法律が無視されます。ちょうど、最初のジグラがナグマを売ると決めたようにです。
公正さを阻む3つ目の問題は、たとえ素晴らしい法律があっても、こうした法律にもとづいて戦おうとする人(弱肉強食?銃による暴力?)も弁護士もいないことです。
それこそ、私がしていることで既存の法律。多くは使われていない法律を使い、クライアントの利益のために法律を活用するのです。
私たちは、人権というグローバルな文化を創り、グローバルな人権経済に投資する必要があります。こうした意識を持つことでグローバルな規模で公正さを大きく向上させられます。
法律は、私たちのものです。民族や国籍、性別、人種にかかわらず私たちのものなのです。正義のために戦うことは、狂気の沙汰でも何でもありません。企業もこの取組みに本腰を入れるべきです。
企業が人権に投資をすれば、事業上の資本利得となります。ビジネスやNGO、個人であろうと法の支配は、私たち皆のためになります。同じ考えのもと協働することで人々や民間・公共部門の垣根を越えて
人権を尊重するグローバル経済を創造し、皆で人権保護を支持するグローバル投資家になるのです。そうすることで私たちは「公正さ」を共に手にできるかもしれません。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
ベーシックインカムを導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
正義については、マイケル・サンデルも言うように、ジョンロールズの言葉が良い手本になるかもしれません。
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいこと��す。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
<おすすめサイト>
フィリップ・ハワード: 壊れた法制度を直す4つの方法?
警察比例の原則 - Wikipedia
毎年4 月 2 日は、国際ファクトチェックデー。
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
スティーブン・ピンカー: 暴力にまつわる社会的通念
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
アダム・フォス:検察官が訴える、これからの刑事司法制度の姿!
<提供>
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extracts-sheep · 1 year
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はるかかなた@isawmydevil
「リベラルがなぜ嫌われるのか?」というテーマが盛り上がっているようですが、政治哲学の分野では50年ほど前に盛り上がったことがある話題なので、簡単にご案内します。リベラルの中の人の属人的な資質の問題ではなくて、あくまでリベラルが抱える理論的な問題だからです。(1/n)
午前5:13 · 2022年11月19日
今から50年ほど前に盛んだったその論争は「リベラル=コミュニタリアン論争」と名づけられています。当時は抽象的な議論に感じられたはずですが(実際抽象的だったわけですが)、理論哲学で議論されたことは2世代(大体60年)ほど遅れて世俗社会にあらわれてきますので、(2/n)
今から振り返ると意外と味わい深く感じられるところもあるのではないかと思います。どちらかというとnoteに書くような内容なので冗長になりますが、書きながら考えているところもあるので、ご容赦ください。明け方前に目が冴えてしまって寝つけないハリネズミの戯言であります。(3/n)
1971年、ジョン=ロールズというハーバード大の政治哲学の教授が一冊の本を出版しました。タイトルは“on the theory of justice”、邦題は「正義論」といいます。この本は理論リベラリズムの革命と言われていて、今日的なリベラリズムの理論的な骨格をつくった本といっても過言ではありません。(4/n)
中身が800ページほどある鈍器本なので内容は非常に多岐に渡りますが、今回のツイートに必要なエッセンスということで要約しますと、「功利主義批判」です。
“正義とは最大多数の最大幸福であること”を旨とする【功利主義】がアングロサクソン社会を支配する倫理哲学として機能する中で、(5/n)
功利主義の負の側面が現実社会に致命的な悪影響を及ぼしているのではないか?とロールズは危機感を持ちました。意外なことに日本人にも関係のある話題でして、というのも彼は太平洋戦争に従軍してまして、フィリピンで日本軍と戦っているのですね。原爆投下直後の広島も目撃しています。(6/n)
原爆投下の道徳的な根拠の一つは功利主義です。実際マンハッタン計画を統括したスティムソン長官は、原爆投下によってより多くの米兵と日本人の命が助かると考えました。「最大多数」の「最大幸福」。これが原爆投下の道徳的な拠り所です。しかしロールズはこれを端的に誤りだと考えました。(7/n)
事実彼は1995年に“50 Year after Hiroshima”という論文を書いて功利主義原理による原爆投下の道徳的な正当化を批判しています。
彼の功利主義批判の本質は何かというと、「功利主義的は少数者の不幸を道徳的に正しいこととして認識させ、事実そのように行動させてしまう」という点にあります。(8/n)
それでは功利主義の何をどう考えたらまずいのかということですが、「功利主義は最大多数の最大幸福と言うが、もし自分が抑圧されるマイノリティーの側だったとしたら道徳的に正しいと賛成しないんじゃね?」ということです。(9/n)
アメリカ人だって自国に原爆が落とされるとなったら、いかなる理由があったとしてもどれほどの人が賛成するでしょうか。功利主義は現実の社会運営に支障をきたすほど“ダブスタ”な考え方なんじゃね? それって普遍的な正しさとは言えなくね? というのがロールズの問題提起でした。(10/n)
そこで彼が考えたのが「だったらどんな立場や境遇の人でも賛同できる社会こそが最もダブスタじゃない正義的な社会なんじゃね?」ということでした。彼は“無知のヴェール”として有名な思考実験を考案するのですが、その解説はネト記事などにお任せして先に進めます。(11/n)
https://juse-p.co.jp/files/download/26/ch7.pdf
どんな人でも正しいと考えられることはそうそうあるものではありません。ロールズは、「社会的に正しいことというのはそんなに多くはなく、公正な社会を支える必要最小限のものに留まる。それ以上のことは正しさというより多様性の問題なので、お互い寛容でいようね」的なことを主張します。(12/n)
あらゆる人の立場や視点を入れ替えても成立するルールが、今日的なリベラリズムが構想する正しさの基準です。ゆえに反差別主義的。よく勘違いされるのは、相手はAだと言っているがその理論を使うと逆に私の言うことが正しくなっちゃうから論破〜という思考法はリベラリズムではありません。(13/n)
仮にバカとアホが口喧嘩していたとして、二人の立場を入れ替えたとしても、それはアホとバカの口喧嘩になっただけです。それはただの低レベルな口喧嘩なのであって、普遍的な議論ではありません。反転可能性テストなのではなく、ただのミラーリング(嫌がらせ)なのであります。(14/n)
さてこのようなロールズのリベラリズム哲学ですが、究極的なポイントは「功利主義のように考えると、道徳上致命的に問題のある局面が浮上する」という道徳哲学批判になります。ここを踏まえて次に進みます。
良かれと思って構想されたリベラリズムが、なぜこうも嫌われる考え方になったのか?(15/n)
これも少なからず正鵠を得ているとは思いますが、「いやそうではない。中の人がまともだったとしても、ロールズのいうリベラリズムには道徳的な考え方として致命的な欠陥がある」的なことを真面目に言い出した人たちがいました。コミュニタリアンと呼ばれる人たちです。(17/n)
それが1980年代にアメリカの政治哲学界で盛り上がった「リベラル・コミュニタリアン論争」です。概要を簡単に説明します。(18/n)
コミュニタリアンというのは日本語で「共同体主義」と訳されます。個人を社会の出発点だとみなすのが個人主義だとすると、個人を育て上げるのは共同体なのだから共同体が社会の出発点になると考えるのが共同体主義になります。
さてそんなコミュニタリアンがロールズをどう批判したか?(19/n)
この批判がいかに哲学的(抽象的)なものだったのかを感じていただくため、ここからはある論文から原文ママで引用します。「リベラル・コミュニタリアン論争再訪(宇野重規)」です。抽象的だからこそ、40年後の今でも(今でこそ)示唆的に響くところがるように感じます。(20/n)
“サンデルは、負荷なき自我(unencumbered self)」という概念を提示して対抗する。ロールズがいうような「無知のヴェール」をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない。→(21/n)
“しかしながら、そのような抽象的な自己に、はたして道徳的な判断ができるのだろうか。人間は歴史的・社会的に状況づけられて生きている。そのような状況と切り離された人間は、いわば剥奪された自己でありそのような自己はいかなるものにも愛着をもてず→(22/n)
「自分はいかなる存在なのか」について内省することもできない。したがって,そのようなロールズの議論では善を選択することも、正義を構成することもできない、というのがサンデルの結論である。”
はい、何を言ってるかさっぱりですね。わたしもつい数年前まではそうでした。(23/n)
サンデルが何をそんなに躍起になって批判しているのか、わたしがその意味が肌で感じるようになったのは、昨今のキャンセルカルチャーを目の当たりにするようになってからです。彼らのリベラル批判はキャンセルカルチャーのリスクを警告したものだったのだと、腑に落ちるようになりました。(24/n)
ここは解説が必要になると思いますし、ようやっとわたしのツイートの本旨になります。先ほどの宇野論文の記述を再確認します。
「『無知のヴェール』をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない」という部分です。(25/n)
これはどういうことかというと、【相手に反差別的に考えることを求めるということは、相手の「歴史的・社会的属性をはぎ取って」、いったん丸裸な個人になることを要求する】ということなんです。
はい。これ、キャンセルカルチャーの論理なんですよね。(26/n)
相手の職業というのは、運も含めてその人物及び共同体の歴史的・社会的属性の結実に他ならないわけです。なので、その職業というものをキャンセルして(はぎ取って)、丸裸になった個人になって考えてみれば反差別的な物の見方もできるようになるだろう、と。(27/n)
差別的な人間が反差別的に物事を見るようになるためには、自分に内面化されている共同体との歴史的・関係的な結びつきを一旦はぎ取られることを要求されます。その過程の中で、共同体の中に位置づけられた人間は「剥奪された自己」に貶められ、→(28/n)
「愛着をもてない、自分がそうなりたくはない自己」になってしまう。サンデルはそれをリベラル本人が自分に対してそうなってしまうことを危惧したわけですが、まさかのまさか、サンデルの当時の予想を超えて→(29/n)
現実社会はリベラル的思考がそれを「他人に対してやってしまう」というステージまで到来してしまったのだと、個人的には総括しています。
実際、ロールズはサンデルらの批判を一部受け入れ、約20年後に「政治的リベラリズム」というこれまた大著を執筆します。修正点としては→(30/n)
「自己にかかる負荷(共同体における歴史や社会的な属性)をはぎ取って考えるのは、あんまりいい考え方じゃなかったね」ということです。
ロールズがもともと功利主義批判から出発したことを思い出してください。(31/n)
彼の問題意識としては、「功利主義には機能する場面もあるが、道徳的に重大な局面で致命的なミスリードを生んでしまうことがある(ヒロシマに対する原爆投下等)。だから考え方自体を見直そうぜ」ということでした。(32/n)
なので彼はサンデルらから「功利主義が危険だっていうのはわかるけど、あなたのいうようなリベラル的な考え方も理論的にリスクを抱えるんじゃね?」という批判を真摯に受け止め、自論を修正したものだと思われます。(33/n)
ロールズからすれば無知のヴェールはあくまで思考実験で、「自分がヴェールをかぶって一旦あらゆる属性から解放された状態になれば、自分が不利な立場にいる可能性もあるわけだから、損得勘定で考えてみてもある立場の人が特に不利になるルールには賛成しないんじゃね?」ということでしたが、(34/n)
サンデルらから「いやいや。まじでそう考えたら、やばいから。普通に考えて自分の属性を一旦はぎ取るって考え方自体がかなり危険でしょ」という突っ込みを受け、「ぐぬぬ。確かに」となった。まぁそんないきさつだったと理解しています。(35/n)
かといってリベラリズムの敗北とか退場ということでもないのだろうと思っています。ここまで功利主義、リベラリズム、共同体主義という三つの政治的哲学が出てきましたが、大事なこと(そして最も教訓的なこと)は、どの哲学にも「絶対最強」というものはないんだろうということです。(36/n)
功利主義、リベラリズム、共同体主義。この三つの異なる政治哲学は、むしろじゃんけんのような三すくみの関係なのではないでしょうか。(37/n)
マイノリティー���抑圧を正当化する功利主義はリベラリズムに批判され、
共同体の中に生きるリアルな“生”のキャンセルを求めるリベラリズムは共同体主義に批判され、
そして異なる共同体同士の争いを調停するための原理を持たない共同体主義は功利主義に批判される。
そんな関係。(38/n)
社会はより公正であるために「三権分立」の仕組みで世の中まわっていますが、政治哲学に関しても功利主義、リベラリズム、共同体主義の三権分立で社会がまわっていると考えるのが健康的なのかもしれません。(39/n)
それぞれ言うこと考えることもごもっともではありますが、「それぞれ批判し合って当然。絶対正義原理はない。むしろそれが社会として健康的」と考えることが社会で生きるうえでは現実的だし、何よりリアリズムということなのかもと最近はつとにそう思います。(40/n)
先ほどロールズ晩年の著、「政治的リアリズム」を紹介しましたが、主な主張はこんな感じです。この点、井上達��の指摘が簡潔なので、そのまま引用させていただきます。(41/n)
「ロールズが言うには、リベラルな社会では、宗教的、哲学的な立場が多元的に分裂しているから、論争的な哲学的立場に依拠しないと受け入れられないようなそういう正義原理じゃダメだ、と。→(42/n)
じゃあ、何がその支えになるかというと、ロールズが言うのは「重合的合意(overlapping sonsensus)」。どの哲学的、宗教的な教説からも、理由は違うけど、結論だけ共有できる。「同床異夢」的に。そういうのを、「オーバーラッピング・コンセンサス」という。”(43/n)
理想的リベラリズムから出発したロールズが晩年は「政治的現実主義(リアリズム)」に逢着したのは、個人的には含蓄深いものがあると感じています。
ということでリベラルはなぜ嫌われるのかというと、「そもそも理論的にそういうものを含んでいるから」というのが今のわたしのアンサーです。(44/n)
ちなみにわたしの自認はリベラルでフェミニストです。長い長い連ツイでしたが、もし最後まで読んでいただいた方がいたとしたら、その方がいちばん寛容な精神をお持ちな方なんだろうと思います。お付き合いありがとうございました(45/45、了)。
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kennak · 1 year
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「リベラルがなぜ嫌われるのか?」というテーマが盛り上がっているようですが、政治哲学の分野では50年ほど前に盛り上がっ��ことがある話題なので、簡単にご案内します。リベラルの中の人の属人的な資質の問題ではなくて、あくまでリベラルが抱える理論的な問題だからです。(1/n) · 今から50年ほど前に盛んだったその論争は「リベラル=コミュニタリアン論争」と名づけられています。当時は抽象的な議論に感じられたはずですが(実際抽象的だったわけですが)、理論哲学で議論されたことは2世代(大体60年)ほど遅れて世俗社会にあらわれてきますので、(2/n) 今から振り返ると意外と味わい深く感じられるところもあるのではないかと思います。どちらかというとnoteに書くような内容なので冗長になりますが、書きながら考えているところもあるので、ご容赦ください。明け方前に目が冴えてしまって寝つけないハリネズミの戯言であります。(3/n) 1971年、ジョン=ロールズというハーバード大の政治哲学の教授が一冊の本を出版しました。タイトルは“on the theory of justice”、邦題は「正義論」といいます。この本は理論リベラリズムの革命と言われていて、今日的なリベラリズムの理論的な骨格をつくった本といっても過言ではありません。(4/n) 中身が800ページほどある鈍器本なので内容は非常に多岐に渡りますが、今回のツイートに必要なエッセンスということで要約しますと、「功利主義批判」です。 “正義とは最大多数の最大幸福であること”を旨とする【功利主義】がアングロサクソン社会を支配する倫理哲学として機能する中で、(5/n) 功利主義の負の側面が現実社会に致命的な悪影響を及ぼしているのではないか?とロールズは危機感を持ちました。意外なことに日本人にも関係のある話題でして、というのも彼は太平洋戦争に従軍してまして、フィリピンで日本軍と戦っているのですね。原爆投下直後の広島も目撃しています。(6/n) 原爆投下の道徳的な根拠の一つは功利主義です。実際マンハッタン計画を統括したスティムソン長官は、原爆投下によってより多くの米兵と日本人の命が助かると考えました。「最大多数」の「最大幸福」。これが原爆投下の道徳的な拠り所です。しかしロールズはこれを端的に誤りだと考えました。(7/n) 事実彼は1995年に“50 Year after Hiroshima”という論文を書いて功利主義原理による原爆投下の道徳的な正当化を批判しています。 彼の功利主義批判の本質は何かというと、「功利主義的は少数者の不幸を道徳的に正しいこととして認識させ、事実そのように行動させてしまう」という点にあります。(8/n) それでは功利主義の何をどう考えたらまずいのかということですが、「功利主義は最大多数の最大幸福と言うが、もし自分が抑圧されるマイノリティーの側だったとしたら道徳的に正しいと賛成しないんじゃね?」ということです。(9/n) アメリカ人だって自国に原爆が落とされるとなったら、いかなる理由があったとしてもどれほどの人が賛成するでしょうか。功利主義は現実の社会運営に支障をきたすほど“ダブスタ”な考え方なんじゃね? それって普遍的な正しさとは言えなくね? というのがロールズの問題提起でした。(10/n) そこで彼が考えたのが「だったらどんな立場や境遇の人でも賛同できる社会こそが最もダブスタじゃない正義的な社会なんじゃね?」ということでした。彼は“無知のヴェール”として有名な思考実験を考案するのですが、その解説はネト記事などにお任せして先に進めます。(11/n) https://juse-p.co.jp/files/download/26/ch7.pdf どんな人でも正しいと考えられることはそうそうあるものではありません。ロールズは、「社会的に正しいことというのはそんなに多くはなく、公正な社会を支える必要最小限のものに留まる。それ以上のことは正しさというより多様性の問題なので、お互い寛容でいようね」的なことを主張します。(12/n) あらゆる人の立場や視点を入れ替えても成立するルールが、今日的なリベラリズムが構想する正しさの基準です。ゆえに反差別主義的。よく勘違いされるのは、相手はAだと言っているがその理論を使うと逆に私の言うことが正しくなっちゃうから論破〜という思考法はリベラリズムではありません。(13/n) 仮にバカとアホが口喧嘩していたとして、二人の立場を入れ替えたとしても、それはアホとバカの口喧嘩になっただけです。それはただの低レベルな口喧嘩なのであって、普遍的な議論ではありません。反転可能性テストなのではなく、ただのミラーリング(嫌がらせ)なのであります。(14/n) さてこのようなロールズのリベラリズム哲学ですが、究極的なポイントは「功利主義のように考えると、道徳上致命的に問題のある局面が浮上する」という道徳哲学批判になります。ここを踏まえて次に進みます。 良かれと思って構想されたリベラリズムが、なぜこうも嫌われる考え方になったのか?(15/n) 一つの答えは、そして少なくない人が認識しているのはおそらく「中の人問題」です。リベラリズムというのは本来はいいこと言ってたのに、中の人が本来のリベラリズムをちゃんと勉強していなかったり、そもそもあんまり賢くなかったりするからこんなことになってしまったんだ、的な認知です。(16/n) これも少なからず正鵠を得ているとは思いますが、「いやそうではない。中の人がまともだったとしても、ロールズのいうリベラリズムには道徳的な考え方として致命的な欠陥がある」的なことを真面目に言い出した人たちがいました。コミュニタリアンと呼ばれる人たちです。(17/n) それが1980年代にアメリカの政治哲学界で盛り上がった「リベラル・コミュニタリアン論争」です。概要を簡単に説明します。(18/n) コミュニタリアンというのは日本語で「共同体主義」と訳されます。個人を社会の出発点だとみなすのが個人主義だとすると、個人を育て上げるのは共同体なのだから共同体が社会の出発点になると考えるのが共同体主義になります。 さてそんなコミュニタリアンがロールズをどう批判したか?(19/n) この批判がいかに哲学的(抽象的)なものだったのかを感じていただくため、ここからはある論文から原文ママで引用します。「リベラル・コミュニタリアン論争再訪(宇野重規)」です。抽象的だからこそ、40年後の今でも(今でこそ)示唆的に響くところがるように感じます。(20/n) “サンデルは、負荷なき自我(unencumbered self)」という概念を提示して対抗する。ロールズがいうような「無知のヴェール」をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない。→(21/n) “しかしながら、そのような抽象的な自己に、はたして道徳的な判断ができるのだろうか。人間は歴史的・社会的に状況づけられて生きている。そのような状況と切り離された人間は、いわば剥奪された自己でありそのような自己はいかなるものにも愛着をもてず→(22/n) 「自分はいかなる存在なのか」について内省することもできない。したがって,そのようなロールズの議論では善を選択することも、正義を構成することもできない、というのがサンデルの結論である。” はい、何を言ってるかさっぱりですね。わたしもつい数年前まではそうでした。(23/n) サンデルが何をそんなに躍起になって批判しているのか、わたしがその意味が肌で感じるようになったのは、昨今のキャンセルカルチャーを目の当たりにするようになってからです。彼らのリベラル批判はキャンセルカルチャーのリスクを警告したものだったのだと、腑に落ちるようになりました。(24/n) ここは解説が必要になると思いますし、ようやっとわたしのツイートの本旨になります。先ほどの宇野論文の記述を再確認します。 「『無知のヴェール』をかけられた原初状態における人間とは、いわば歴史的・社会的な属性をはぎ取られた、抽象的な自己に過ぎない」という部分です。(25/n) これはどういうことかというと、【相手に反差別的に考えることを求めるということは、相手の「歴史的・社会的属性をはぎ取って」、いったん丸裸な個人になることを要求する】ということなんです。 はい。これ、キャンセルカルチャーの論理なんですよね。(26/n) 相手の職業というのは、運も含めてその人物及び共同体の歴史的・社会的属性の結実に他ならないわけです。なので、その職業というものをキャンセルして(はぎ取って)、丸裸になった個人になって考えてみれば反差別的な物の見方もできるようになるだろう、と。(27/n) 差別的な人間が反差別的に物事を見るようになるためには、自分に内面化されている共同体との歴史的・関係的な結びつきを一旦はぎ取られることを要求されます。その過程の中で、共同体の中に位置づけられた人間は「剥奪された自己」に貶められ、→(28/n) 「愛着をもてない、自分がそうなりたくはない自己」になってしまう。サンデルはそれをリベラル本人が自分に対してそうなってしまうことを危惧したわけですが、まさかのまさか、サンデルの当時の予想を超えて→(29/n) 現実社会はリベラル的思考がそれを「他人に対してやってしまう」というステージまで到来してしまったのだと、個人的には総括しています。 実際、ロールズはサンデルらの批判を一部受け入れ、約20年後に「政治的リベラリズム」というこれまた大著を執筆します。修正点としては→(30/n) 「自己にかかる負荷(共同体における歴史や社会的な属性)をはぎ取って考えるのは、あんまりいい考え方じゃなかったね」ということです。 ロールズがもともと功利主義批判から出発したことを思い出してください。(31/n) 彼の問題意識としては、「功利主義には機能する場面もあるが、道徳的に重大な局面で致命的なミスリードを生んでしまうことがある(ヒロシマに対する原爆投下等)。だから考え方自体を見直そうぜ」ということでした。(32/n) なので彼はサンデルらから「功利主義が危険だっていうのはわかるけど、あなたのいうようなリベラル的な考え方も理論的にリスクを抱えるんじゃね?」という批判を真摯に受け止め、自論を修正したものだと思われます。(33/n) ロールズからすれば無知のヴェールはあくまで思考実験で、「自分がヴェールをかぶって一旦あらゆる属性から解放された状態になれば、自分が不利な立場にいる可能性もあるわけだから、損得勘定で考えてみてもある立場の人が特に不利になるルールには賛成しないんじゃね?」ということでしたが、(34/n) サンデルらから「いやいや。まじでそう考えたら、やばいから。普通に考えて自分の属性を一旦はぎ取るって考え方自体がかなり危険でしょ」という突っ込みを受け、「ぐぬぬ。確かに」となった。まぁそんないきさつだったと理解しています。(35/n) かといってリベラリズムの敗北とか退場ということでもないのだろうと思っています。ここまで功利主義、リベラリズム、共同体主義という三つの政治的哲学が出てきましたが、大事なこと(そして最も教訓的なこと)は、どの哲学にも「絶対最強」というものはないんだろうということです。(36/n) 功利主義、リベラリズム、共同体主義。この三つの異なる政治哲学は、むしろじゃんけんのような三すくみの関係なのではないでしょうか。(37/n) マイノリティーを抑圧を正当化する功利主義はリベラリズムに批判され、 共同体の中に生きるリアルな“生”のキャンセルを求めるリベラリズムは共同体主義に批判され、 そして異なる共同体同士の争いを調停するための原理を持たない共同体主義は功利主義に批判される。 そんな関係。(38/n)
はるかかなたさんはTwitterを使っています
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ryotarox · 2 years
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(【サンデルの政治哲学とは】正義の議論から共和主義までわかりやすく解説|リベラルアーツガイドから)
サンデルは、この「政治的リベラリズム」についてさまざまな批判を行いました。 分かりやすいものの一つは、「善」について棚上げすることは、特定の「善」に対して中立的になることにはならないということです。 たとえば、現在の女性の中には「結婚後も仕事を続ける」という価値観(善の構想)を持っている人が少なくないと思います。 このような価値観に対して、国家はそれを否定も肯定もせず「仕事は続けても辞めてもいい」という中立的な立場を取ると考えてみましょう。これを価値中立的と言います。 その結果、国家は女性が結婚後に働くことを保護しないため、女性は出産や育児によって収入が減ったりしてしまう可能性があります。国家の価値中立的な態度が、結果的に「結婚後は仕事をやめた方がいい」という価値観を重視することになるのです。 つまり、特定の「善」の問題を棚上げする(中立的である)という態度は、中立的ではない結果を生むということです。 このように、ロールズの思想に生じた新たな問題をサンデルは指摘しました。
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mreiyouscience · 2 months
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 僕が思うに、法律とは公に明文化された政治的な取り決めだと思います。なので、法律の理解のカギを握るのは論理的思考だけでなく、様々な利害がぶつかり合う中でそのような利害関係者が置かれた社会的及び政治経済的文脈とそれに伴う感情を考慮したうえで法律を冷静に、かつ、公正に解釈し、適用、施行するための知識とスキルなのです。このような法学を学ぶ上での態度を本著者はリーガルマインドと呼んでいます。このリーガルマインドは机に座ってただ勉強すれば身に付くものではありません。あなたの日々の生活の一挙一動の中で磨き上げられていくものなのです。ですから、「法律家としてどうありたいのか?」を自分自身に問いかけることが要求されます。このように、リーガルマインドを習得するためには自分自身の正義と徹底的に向き合う覚悟が問われているといえるでしょう。逆に言えば、この覚悟を伴わなければ、法律家として道を踏み外してしまうことでしょう。まさに、自分自身の正義と向き合うことは”綱渡り”なのです。
 あなたの正義がいかなるものか知りません。しかし、法律家としての道を志した原点を忘れなければ、正義を為すことは可能なはずですし、それを切に願っています。勉強頑張ってください。
 ~追記その1~
学部生のうちにハートの「法の概念」とロールズの「正義論」を読了すること、また、様々なメディアに触れ、その知識を活かしてボランティア活動に従事することを強く勧めます。
 ~追記その2~夢の実現方法―PDCAサイクルを実践するー
社会人に求められているPDCAサイクルを学生のうちに習得しておきましょう。
1,Plan ;具体的に目標をイメージしてそれをノートに書きとめる。
2,Do ;目標を達成するために努力する
3,Check;現実と目標のギャップを受け入れて何を改善すればいいか考えてノートに書きとめる。
4,Action;Checkでの反省を活かして努力する。
1,Planに戻る。
 〜追記その3〜
学生生活を送る上でのコツを添付した資料に記載したので良かったらぜひ参考にしてください。
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tomohikoyato · 7 months
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nakanohajime · 8 months
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デモを市民的不服従として正当に評価するために、ハーバーマスが引き合いに出すのは、J.ロールズの『正義論』である。この書の中でロールズは、いかなる場合において市民的不服従が正当化されるのかにかんする定式化を行っている。ロールズによる定義は次の通りである。市民的不服従としては、「大部分においてはよく秩序だって(well-ordered)はいるが、それでもなおかなり深刻な正義の侵害が生じてしまう社会という特殊ケースだけを対象とする。」つまり、ここでは、国民同士の利益が公正な原理のもとに統制されるような、リベラルかつ民主主義的な国家体制がある程度実現されているような社会が基本的な前提となる。その上で、それでも生じてしまう不公正にたいして、いかなる合理的な異議申し立ての途がありうるのかということが問題なのである。
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hisaterum · 1 year
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#nowreading 公正としての正義,ジョン、ロールズ、https://music.apple.com/jp/album/open-arms-re-recorded/281827867?i=281828304&l=en https://www.instagram.com/p/Cp-c-Hcvotu/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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haniwasubmarine · 1 year
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齋藤純一, 田中将人, 2021, 『ジョン・ロールズ』中央公論新社. 論理だけならどんなダメなものにでも適用できる。必要なのは道理、公正・正義への志向。 世でロールズが読まれ続けるうちはわずかでも希望はあるのかも。 #reading_notes https://www.instagram.com/p/CoAQ2XGPgGx/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ophelia333k-2 · 1 year
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読みたい本(読む本)
◆小説 ・M・バルガス=リョサ『都会と犬ども』 ・マルスの歌・ロブ=グリエ『反復』 ・ドストエフスキー『地下室の手記』 ・川上未映子『夏物語』
・ジョン・キーツ『キーツ詩集』
・『ランボー詩集』
・麻布競馬場『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』
・吉本隆明初期詩集
・岸田将幸『生まれないために』
・岸田将幸『岸田将幸詩集』
・現代詩手帖2011年5月号「言葉は力そのものである」
・藤原賢吾『人民の敵 外山恒一の半生』
・千坂恭二『哲学問答2020─ウィルス塹壕戦』
・『脱原発「異論」』
・J‐P・シャンジュー, P・リクール『脳と心』
・吉本隆明, 芹沢俊介『対幻想 : n個の性をめぐって』
・吉本隆明『共同幻想論』
・他人を見下す若者たち
・もうおうちへ帰りましょう
・ベケット『どんなふう?』
・透明だった最後の日々へ
・エデン・エデン・エデン ◆哲学・思想 ・ドイツ・イデオロギー ・仮面の解釈学 ・共同幻想論 ・吉本隆明『天皇制と日本人』 ・吉本隆明, 芹沢俊介『対幻想 : n個の性をめぐって』 ・吉本隆明『共同幻想論』 ・中国が読んだ現代思想 サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで ・Ckaire Colebroo "IRONY" ・千坂恭二『哲学問答2020─ウィルス塹壕戦』 ・『脱原発「異論」』 ・J‐P・シャンジュー, P・リクール『脳と心』 ・プラトン『政治家(ポリティコス)』 ・『感覚の論理―画家フランシス・ベーコン論』 ・埴谷雄高――夢みるカント ・天皇と日本のナショナリズム ・埴谷雄高――夢みるカント ・雪片曲線論 ・チベットのモーツァルト ・生命の臨界―争点としての生命 ◆その他 ・自然哲学の数学的諸原理 ・みんなの前で褒めないでください ◆映画 ・シャイニング ・窓辺にて
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takahashicleaning · 2 months
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TEDにて
アダム・フォス:検察官が訴える、これからの刑事司法制度の姿!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
現在進行中の「移民による移民のための社会実験国家」がアメリカです。
これからお話するのは、私見であって、特定の検察局の見解や方針を反映したものではありません。
少年犯罪に対する、アメリカの刑事司法制度の選択肢は2つ。
刑事法に則って徹底的に罪を追及するか、それとも、若者に前科を負わせることが常に正しいのかを改めて考えるか。
当時、ボストンのサフォーク郡地区検事局で検察官を務めていたアダム・フォスが、人生の破滅に繋がってしまう刑罰の代わりに
立ち直る機会を与え前向きな方向に導く社会システムの司法制度改革を提唱する鋭いトーク。
彼らを守ってやれる検察官が何千と必要です。有罪にするよりも職を与えるほうが公共にとっては安全です。そのほうが誰にとっても得なのです。
通常なら何ヶ月もかけて、裁判の準備をする時間を事件が呈する問題に対する真の解決策を考え出すことに費やしました。時間の使い道としてどっちがいいでしょうか?
毎日、何千回もアメリカ中の検察官が振るっている権力という力は、大惨事を起こしうるほど強力です。
でも、同じ力で チャンスをもたらしたり、干渉を行ったり、支えになったり、もちろん、慈愛だって与えることができます。
こういった特質は、強い社会システムの証ですし、安全な社会システムの証でもあります。
社会システムが壊れているなら、その社会システムを自分が選んだ検事たちに時代遅れで非効率かつ高価な方法で直させてはなりません。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!
防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
働きながらも給付金を与えるベーシックインカム型も導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
働きながらも給付金を与えるベーシックインカム型も導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
働きながらも給付金を与えるベーシックインカム型も導入することで、軽犯罪を急激に減少させる効果が確認されています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
ヨーロッパでの一般データ保護規則(GDPR)でも言うように・・・
年収の低い個人(中央値で600万円以下)から集めたデータほど金銭同様に経済的に高い価値を持ち、独占禁止法の適用対象にしていくことで、高価格にし抑止力を持たせるアイデア。
自分自身のデータを渡す個人も各社の取引先に当たりデータに関しては優越的地位の乱用を年収の低い個人(中央値で600万円以下)に行う場合は厳しく適用していく。
キャシーオニールによると・・・
思考実験をしてみましょう。私は、思考実験が好きなので、人種を完全に隔離した社会システムがあるとします。どの��でも、どの地域でも、人種は���離され、犯罪を見つけるために警察を送り込むのは、マイノリティーが住む地域だけです。すると、逮捕者のデータは、かなり偏ったものになるでしょう。
さらに、データサイエンティストを探してきて、報酬を払い、次の犯罪が起こる場所を予測させたらどうなるでしょう?
あら不思議。マイノリティーの地域になります。あるいは、次に犯罪を犯しそうな人を予測させたら?あらら不思議ですね。マイノリティーでしょう。データサイエンティストは、モデルの素晴らしさと正確さを自慢するでしょうし、確かにその通りでしょう。
さて、現実は、そこまで極端ではありませんが、実際に、多くの市や町で深刻な人種差別があり、警察の活動や司法制度のデータが偏っているという証拠が揃っています。実際に、ホットスポットと呼ばれる犯罪多発地域を予測しています。さらには、個々、人の犯罪傾向を実際に予測しています。
ここでおかしな現象が生じています。どうなっ��いるのでしょう?これは「データ・ロンダリング」です。このプロセスを通して、技術者がブラックボックスのようなアルゴリズムの内部に醜い現実を隠し「客観的」とか「能力主義」と称しているんです。秘密にされている重要で破壊的なアルゴリズムを私はこんな名前で呼んでいます「大量破壊数学」です。
民間企業が、私的なアルゴリズムを私的な目的で作っているんです。そのため、影響力を持つアルゴリズムは私的な権力です。
解決策は、データ完全性チェックです。データ完全性チェックとは、ファクト(事実)を直視するという意味になるでしょう。データのファクトチェックです!
これをアルゴリズム監査と呼んでいます。
正義については、マイケル・サンデルも言うように、ジョンロールズの言葉が良い手本になるかもしれません。
マイケルサンデルは、メリトクラシー(能力主義)の陳腐さを警告し、諌め(いさめ)ています!
最後に、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーに興味が有ります。
(個人的なアイデア)
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察の悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
続いて
日本では、こんな凄いの2022年に見つけました。
世界各国は?憲法に基づく規約の変更をみんなで国に要求しよう。
マイナンバーカードは、マイナポータルと言う「紐付けサイト」を利用する為のツールで利用者(国民)に全損害を押し付けられてしまう?
利用規約は「国が常に自由に」変更可能という憲法違反、人権侵害という凄まじい内容。
マイナポータルの利用規約の憲法違反、人権侵害という内容について
内閣府の「マイナンバー制度の定義」は「マイナンバーは社会保障、税、災害対策の3分野で複数の機関に存在する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます」
とマイナンバーカード、免許証、健康保険証の一体化は法律違反、憲法違反、人権侵害になります。
警察が拡大解釈してしまうと・・・免許証も一体化されたら、顔認証で本人の許可なく、現状の法律では
車ならNシステム、歩行者なら監視カメラで警察に無断追跡されてしまいます。
マイナンバーとマイナンバーカードは、GAFAMと同規模な日本の行政府が技術的にアカウント管理で同じレベルの運用をできない事は怠慢!
マイナンバーアカウントに無断アクセスしたらメールで自動通知が来る位の技術は実現できるだろ!
それから一体化だ。これは法律違反、憲法違反、人権侵害です。憲法に基づく規約の変更をみんなで国に要求しよう。
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extracts-sheep · 3 years
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ロールズとマーガレットは本の索引作成という共通の趣味を持っており、一緒に最初の休日はニーチェに関する書籍の索引を作成して過ごした。ロールズはこの時、自身の後の著作である『正義論』の索引も作成している
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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kennak · 2 years
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著者の津川さんは医学部を卒業した医師で、その後、ハーバードで「医療政策学」を研究して博士号を得た人だ。医学と経済学の両方に通じている。 ぼくがこの本を読もうと思ったのは、言うまでもなく宇沢先生の「社会的共通資本の理論」を研究しているからに他ならない。医療は、宇沢先生が「制度資本」と呼ぶ非常に重要な社会的共通資本だ。 医療政策とか医療経済の本はあまり読んだことがないんだけど、ぼくが読んだ範囲では、感心できた本は一冊もなかった。だいたいが、細かい制度調査の羅列みたいな本で、科学的でも経済学的でもなかった。高校の社会科の教科書のように退屈極まりないしろものだった。でもこの本は本当にすばらしい内容だ。この本の特徴を箇条書きにすると、 1. 比較的新しい経済理論を使って医療を分析している。 2. 科学的エビデンスをきちんと提出し、出所も明記している。 3. 非常に多くの分野からのアプローチを導入している。 4.無駄に読解しにくい経済モデルなんかを書かず、非常にわかりやすく言葉で説明している。 という感じだ。 まず、1については、例えば、「情報の非対称性」という経済理論におけるモラル・ハザードとか逆選択から説明したり、契約理論におけるプリンシパル・エージェントモデルを援用したりしている。 2については、第1章:医療経済学、第2章:統計学、第3章:政治学、第4章:決断科学、第5章:医療経営学、第6章:医療倫理学、第7章:医療社会学、第8章:オバマケアからトランプケアへ、といった多彩ぶりだ。とくに、第6章でロールズが出てくるのは感涙ものだった。 3については、さまざまな統計データや実験結果がきちんとした評価の上で解説されている。例えば、医療需要の価格弾力性(医療の自己負担が1%増えると、医療の利用が何%減るか)の測定とか、実証研究で流行りの回帰不連続デザインとか。
酔いどれ日記23 - hiroyukikojima’s blog
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lastscenecom · 3 years
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機会の平等が大切か、それとも結果の平等を優先すべきかという議論がありますが、どちらを重視すべきかの判断は状況によって異なります。  人種や性別の問題など歴史の中で積み上げられてきた問題を解決しようと思ったら、いわゆるアファーマティブアクションのような形で、ある程度は結果の平等に寄せる必要があるかもしれません。とはいえ社会が常に結果の平等を重視すべきというわけではなく、一生懸命に働いている人と、適当に仕事をして成果を上げていない人の給料がいつも同じであれば、その状態に不満を抱くのは当然だと思います。  この問題で有名な議論は、哲学者ジョン・ロールズによる「無知のヴェール」という概念です。あなたはこれから、世界中の誰か一人に生まれ付くとする。ただし、どこの地域、どこの人種、どこの家庭に生まれ付くかはわからない。生まれる前に社会のルールを決めなければならないとしたら、いまつくろうとしているルールは正しいと思いますか、という問いかけです。自分が不利な立場に立たされた時、そのルールを正当化できるのかと自問して、許されないと思うのならば、考え直す必要がありそうです。
データとAIの力でウェルビーイングな社会を実現する [インタビュー] 顧客の需要をより深く理解し、新たな価値を提案できるか | DHBR最新号から|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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qsfrombooks · 4 years
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ロールズの正義論を基本的に支持したうえで、修正を加えたり、拡張的に展開することを試みる傾向の議論が主流になったのに対し、「自由」に対する制約を可能な限り排そうとするリバタリアニズム(自由至上主義)や、共同体の中で形成される価値観が不可避的に個人の自由の範囲を制約することを認めるべきだと主張するコミュニタリアニズム(共同体主義)が、それに挑戦するという基本構図が生まれた
集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険 NHKブックス / 仲正 昌樹
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kuzmene · 5 years
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「公正」とは、ジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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