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#不穏なキャプション
tokyomariegold · 20 days
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2023/11/27〜
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11月27日 都庁へ出張から始まる一週間。また、2時間半もあったら京都へ行けちゃうじゃん!!と思いながらお昼過ぎとかに職場へ出勤した。
昨晩は、ふと、年賀状のことやアドベントカレンダーの記事のこと、これからと今の仕事のことを考えて、どれも自分がいなくなったら頓挫してしまうような気がして、全てが負担になってあまり眠れなかった。写真やインターネット以外で自分がいなくてはどうにもならないものを作りたくなかったのに、関係を作ろうとしたり社会に出るとどうしてもそうはいかなくなっちゃうのかな。 今日は満月だけれど月を見る余裕すらない気がする。
都庁から職場までの移動中に、年末に予定してる大阪行きの新幹線を予約した。教えてもらった下鴨ロンドのSNSを眺めた。
午後の勤務が始まって、一日中現場へ出ずっぱりの予定の中、途中抜けをして産業医の先生と面談。 今のとても目まぐるしくて全く身体がもたない日々をお話しし、上席の方へ一報入れてもらうことになった。今の所の、わたしがわたしを守る術が、これしかなかった。
面談終わりに先生から、夏に退職された保健師さんと最近別の仕事でお会いしたそうで(他の場所で保健師さんをされているとのこと)「◯◯さん(私の名前)によろしくお伝えください、と言っていましたよ。」とご報告いただく。嬉しい。
何もかも虚無な気持ちになっていて、着たい服も撮りたい写真も、インターネットに置きたい言葉も、食べたいものも、会いたい人も、見たい月もない気がする。わたしを癒せる猫はいない気がする。 (これを今、業務中抜けして受けた産業医面談の後の面談室で、1人残って体力を回復させがてら書いています。今から戻ります。)
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11月28日 昨日は結局カメラを二台待ちして満月を見に行った。アドベントカレンダーに投稿したい2023年のことの素案を作れた。これに応募しても…(何さまのつもり?)と思って悩んでいた写真の公募に応募するキャプションや写真を用意できた。 なんだかんだ何かをしてしまって、やっぱりそれができると生きてて少しましな気分になれる。
今日の職場は直属の上司とわたし以外が出張で不在で、何だか久しぶりにまともに職場に滞在できて穏やかに仕事ができた気がする。今週いっぱいで産休に入る上司と、お腹のお子さんのことや仕事のこと、職場の方々のこと等たくさんお話した気がする。「いつまでも待ってます!」と強く伝えてしまった。もしかしたら年度を越えて自分がいなくなっているのかもとずっと思いながら。
少なくとも後2回は都庁へ出向かないといけなくなり、返事なんて来ないと思って送ったメッセージにはやはり返事はなく、もう一生会えないのかな、と思った。
もう一生会えない、と言えば、毎朝通勤途中に見かけていた、木の幹が二股に割れたところに収まっていた落とし物の11匹の猫ポーチがいなくなっていた。3月ごろに見つけてからずっと誰にも拾われず木の幹に収まっていたねこ。ついにいなくなってしまった。
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11月29日 今月何回目?都庁へ向かっている(さすがに落ち込んでもいる!)。この移動時間が虚しすぎる。
西の方へ移り住みたい、の前に、西の方で一度展示をするのもいいかもしれない、と思った。 ソニーもニコンもだめでした〜、と、そろそろ夏に展示したギャラリーへ行って白濱さんに相談したいと思っていたところだった。関西のおすすめの展示スペースを聞いてみよう。
見つけてしまった写真の公募も、キャプションを手直ししたり、写真を見直したりして、手持ちのものでなんとかした感はあるけれど、今晩応募を完了させたい。友人が言う様に知らない審査員の方々ばかりだけれど(無知ですみません…)、今は何か写真の活動を続けているという体を保ってたい。そして、何かできると、やっぱり作品のことを考えるのは楽しい!と思ってしまう。
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お昼休みに歩いていたら電柱に“迷い猫を保護しています!飼い主募集中”の張り紙を見つけた。 勝手に飼い主を募集したりしていいんだっけ?と、最近更新された大島さんの日記を思い出す。
また歩くと、昨日歩道に落ちていた“16時〜16時30頃帰ります”と言うメモ付きのエナジーゼリーが、袋を破かれて中身が綺麗になくなっていた。カラスが飲んだのだと思う。その先には飲みかけのザバスのパックのプロテインミルクが落ちていて、そちらもカラスが飲んでいた。鳥もエナジードリンクやプロテインを飲んで心持ち元気になったりするのかな、と、なんだか面白い。
2年前くらいの楽天スーパーセールで買ったイソップのハンドソープを職場の方にもらってもらった。洗面台の下に入れたままだったのでありがたい!お礼に、と、最近スペインに行っていたとのことでチョコレートと桃のジュースのお土産をいただいた。
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recoo-tomioka · 1 month
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五感について
本来、母性としてのメタファーって海だけじゃなく、大地もなんだけど、何故、海が象徴とされやすいか。よくリリックで出てくる共通性かな?
歌詞の中からみつけることが多いかも。。
これ、去年なんとなく思っていたものに最近気付けたくらい、、何かが変わってきているのかなと。段々だったりはっきりだったりだと思いますが…
必ずしも変わることがって訳でもないことも、、
環境を変えて両親との関係が変わったのって物質的な距離感くらいかもしれない。環境も人それぞれ。一個人の俺の話。
自立!俺はできてきているのだろうか…なるべくゆったり進まなきゃな…
無理しない、頑張り過ぎないのが一番。と
エゴに寄らず、自分を大切にすることも。。なんとなくですが、優し過ぎる人は周りへの意識や配慮を感じます。俺がもっと持つべき意識の一つ。勝手にこんな判断はある種の支配性になるかもしれないので、今後は変えていきます。
家庭環境やセンシティブなものを書くには細心の注意が必要でした。俺が子どもの視点として、子どもはよくみてるし、感じやすい。子どもがいる親御さんはずっと仲良くしていてほしいですが、出来る限り。切実過ぎますが、
親御さん同士でも色々あります。理屈じゃないものだとも思います。
魔術や日常の中で感じ得るものって四大元素に集約されがちだけど、二元論の脱出においての陰陽思想や、プラスエーテルとしての五行思想というものがある。と記事を読みました。
まだ判断できていませんが、自然と化学についてだとは思います。
自分の中での挑戦です。
年末に渾身のギャグを放ったつもりが大スベりしたのでゴダールの空白は風かと。 観直したい…
知識っていうのは調べればいくらでも身につくんだろうけど、とか思っていましたが、夢中になれるものがみつけられるって最高。俺は作品を作る必要があったので作ることにしました。
行動の仕方も人それぞれ。してるから良い訳でもない。悪い訳でもない。状況も人それぞれ
あっちをたてればこっちがみたいなのあるから界隈には属さない。聖域みたいな場所があればそこ。
LOS APSON?は最高。あんなにレコ屋のようで雑貨屋という
表向きレコ屋だった。雑多な店らしいです
知らないことだらけってのはほんとに面白いことばかり。
視野はもっと広げていきます。
失敗を恐れてなさ過ぎるのも問題なのかもしれません…
毎度レーベルのキャプションとか作品関係は何度も意見もらって、手直ししてからリリースしてるとはいえ、、先人があってこそとはいえ、自分で足場を作っていこうと再認識。
嘲笑するくらいだったら、嘲笑される側として、嫌なこと言われても気にせず笑い飛ばして生きていきたい。元からそんな感じなんだけどな…言葉一つでとてもダメージになりますよね。配慮が足りていなかったと思います。
文章書くのは難しい。けど、楽しいからこれからは
ちゃんと形にしてから。こういう形態では誤解が多過ぎる。
経験とは
俺の最悪の失敗を反面教師にしてくれる人が1人でもいれば最高だなとは思う。
落ち着いてたら誰にも怖がられないで済むかな。俺が穏やかでいて怖がらなきゃいい話か。実際どうなんだろうな…昨日久々行ったけど、最近クラブあまり顔を出せておらず
そういえば、昨日初めてこの日記読んでると言ってくれた人に会った。もしかしたらの想定越えてくるものですね…有難い。けど、一個人の見解でしかないものだから。日記って基本自分自身に向けてだし、中々向き合ったりたまに逃げたり俺の弱さがよくみえること…一応、リビングだけど、個人部屋ではないくらいの開き方を目指してた。人間らしく迷ったり言い切ったり、揺らいでたけど。。人の数だけ言葉の受け取り方がある。それでも、言葉以上の気持ちですよね。
誰が読んでるのか本当のところはわからないところもあったから、不安だけど、基本的には全体の意識としても。あとから読み直すと捉えよう沢山あるなと…手探り。意識とか、他のSNSに比べるとかなり環境違う。フォロワーとか見られてることへの無意識の意識とか、集団性とか。完璧じゃないから、自分なりのバランス。俺の体質のことももっと知らないといけなかった。色んな人のことも考えて自己編集までやるのは相当根気のいる日記だった。。もっと視野を広げて、考えて、理解しないといけないことだらけですが…次で3回目、ラスト…
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manganjiiji · 3 months
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家格は屑星の二にて候
さて。仕事が始まってございますな。ぜんぜん。ぜんぜん4時間とかです。でもいつもの通り立ち仕事(本屋)なので、まだ2回しか行っていないのでとにかく帰宅してから脚が痛い。結構、結構ね、乗換駅で歩くんだよね。毎日とくに伸縮性のないジーパンを履いているためとにかく階段がきつい。でも2回目の今日は1回目の勤務より痛みがましだったので、このままちょっとずつましになるといいですな、と思う。最近、連日5000歩ほど歩いただけで、とにかく横になった時に足にしびびび!という稲妻が走るかのような痛みが発生する。この状況になるともう動く気が起きない。よくないことだ。この痛み自体は何年も前からある、というか小さい頃からあるようなないような気もするのだが、とにかくぴりぴりとした痛みが足からふくらはぎ、太ももにかけて駆け抜けてゆく。急激に太った頃もこれが酷かった気がするので、最近また太りすぎて下半身に負荷がかかっているのであろう。だいたい62kgだと思う。60kgがたぶん、せめて私の脚が支えられるぎりぎりの体重だと思う。食べすぎているんだ。お腹いっぱいでも、空いていなくても、とくに飢餓を感じていないのに、ただ「間が持たないから」という理由で1日4食くらいになっている日がある。普段は1日2食なので、異常である。これを1日2食に戻して守ったところでとくに痩せない。特に痩せなくても、健康のためにせめて59〜60をふらふらするくらいの体重にはなりたい。危険だ。もう4年前になるのか、20kg太った。正確にはまず16kg太り、その後8kg太ったので24kg太り、4kgなんとか落として今。20kg太ったのは度を越した飲酒と暴食である。毎日が急性アル中のような状態で毎日尿失禁していた。そのおかしさを認識できずへらへらと号泣しながら生きていたため、限界を越えてどんどん太っていった。社会的にも最終的には総崩れになったが、まあいい経験だったと思う。そもそも酒が一滴も飲めないサラブレッドの家系で飲むと体調不良(頭痛ゲロ)必至だったのだが、慣らせば馴れるもので、体と脳と筋肉はぶっ壊れたが、酒が「全く飲めない」ではなくなった。人間としても様々なことを経験して全く何をやっているのか、22〜23歳のやるであろうことを32〜33歳で経験した。嵐のような日々だった。その後の反動というか、まほやくジャンルでかなり知的で成熟して落ち着いた人種と交流したことにより、わ、わたしって、かなりやばい……。ということにようやく気づき、そこからさまざまな意識改革が行われた(友人には「全く根本をわかっていない、意味が無い」と評されるであろうが)。9歳年下の同居人大学合格のための住み込み家庭教師を経て、なんとか人間としての感覚を身につけていったような気がする。そこ(同居人氏合格)からもうすぐ2年が経とうとしている。相変わらずあまり自分が「ましになった」という感覚は少ないが、病状はかなり改善したと思う。不眠に陥ることが少なくなったし、うつ状態(希死念慮を伴う)も月に1~2回、つまり2日〜4日で済んでいる。カウンセリング、主治医変更、投薬(通院)の安定、偏頭痛薬の注射、生家との距離を置けたこと、障害年金の受給が始まったこと、など、この2年で変化したことが多くある。これらの変化がなければ、今私はここまで穏やかに生きることはできていなかった。さまざまな友人がつねに物心両面で支え続けてくれたからこそであって、私の努力というのはほとんどない。本当にこんな頑固でわがままでナルシストでとくに旨味のない(コンテンツとして面白みのない)ただおちゃらけているだけの人間に、よくもまあここまで徳の高い友人達が繋がっていてくれるものだ、と思う。恩返しとしては私が元気で楽しく小説でも書いて生きていくことだと思う。小説といえばあんさんぶるスターズ!!の大人気カップリング、燐一(りんひい)のラブコメを7000文字ほど一日で書き、数年ぶり(体感)にpixivに投稿した。本当に久しぶりの事だった。Twitterで文庫ページメーカーに収まる程度の正体のない短文を書いたりはしていたが、二次創作をきちんと(対外的に姿勢をただして)投稿するのは2年ぶりくらいで、かなり緊張した。というのも、私はmusicのメインストーリーの第1部を読み終わった+αくらいの人間なので。せめてメインストーリー第2部まで読み終わりたかったのだが、結局書いてしまった。また読んだはずの第1部の記憶も怪しい。というわけで、もう石を投げて下さいという趣旨のキャプションをつけて投稿した。あんスタの二次創作をしている方々は基本的にストーリーは全履修が当たり前だと思っていると、私は勝手に思い込んでいるので、こういう半端者が書いたブツはそもそも読まれないことが多いと思う。読んでもらえてもライト層とか(キャラが好きなだけでストーリーは読まない層)。私はソシャゲのストーリーを読むのがかなりかなりかなり苦手な人間であるため、これからもすごく遅い進捗なのではないか、と思うが、あんスタのメインストーリーはかなり好きである。テーマが民主主義と主権者の政治参加の話だし、それを封建制の君主の家に生まれ、そこから逃れてきた天城燐音が大衆に訴えるという図が何よりも説得力があってよかった。明治維新で、天城燐音のような自発的に民主主義に目覚める人間がいたとしたら、日本はまあ違っただろうな、と思うが、私たちが戦後生まれだから天城燐音を創り出せるのであって、まあそれは旧日本には無理だ。民主主義ではなく、議会制度という程度の認識、江戸幕府+列藩が共和政になり、議院内閣制を採用したくらいの理解がせいぜいだったろうと思う。これは絶対王政や産業革命を経ていない日本ではごく当たり前のことと思う。よくこの、自前の頭の良さと勤勉だけで、民主主義国の歴々に立ち向かえたなあと思う。ただ、結局はトップダウン式の政治を人々が「望んでいる」のもあって、日本の民主主義というのはかなり保守的だ。今の日本の左派を見ても、「政治家は○○をしろ/するな」というだけで、自分が政治家になるとか、政治家に対して影響力のある活動をするとか、そういうことではないらしい(ように私には見える)。そもそも結局議員も世襲が強く、派閥も世襲議員を中心に回っている。このトップダウン式の1番頂点は何かと言うと、日本人が勝手に忖度している「幻想のアメリカ」だ。アメリカを初めとする欧米の意識に合わせよう、嫌われないようにしよう、というのが結局この国の大勢だ。現実的に、アメリカの核を初めとした軍事力に金を払って、防衛をアウトソーシングしているのもあり、そこにはやはり敗戦国としての力関係と悲しい自己評価の低さがあるため、「アメリカに従う」ことが与党ならびに自民党に求められることの第一義になっている。まあ私は個人的にアメリカがそんなに嫌いではないが、アングロサクソンははっきりと日本人をバカにし続けているので(というか、彼らには民主主義を生み出したという誇りがあり、日本人の猿真似など見るに耐えないと思っているだろう)、かれらの尺度でわざわざ自分たちを見なくてもいいだろうと思う。私たちは私たちの基準で世界を見ていいはずだ。そして当然アメリカより日本のほうが面白い国だし(僅差ながら)、この国に潰れてほしくないので、はやくアメリカから独立してきちんと(軍事力をバックにした)発言権のある国際社会の一員となって欲しいと思っている。17の頃から変わらない思想だ。軍事力を持つ=戦争の準備、ということで現在の日本では軍事力を持つことは忌避されているが、日本以外のほとんどの国は、どこもみな軍事力という「いざとなったら戦争してでも自国民を守る覚悟、世界すべてを敵に回しても自国民の命を優先する覚悟」を持っており、それが基本的には国家の仕事の最重要のうちの一つである。「戦争できない国」に住むということは、働いて稼いだ金の一部を税金として納めていると思いきや、捨てていると同じことだと思う。他国が攻めてきた時に、自国民を守れない政府に税金を支払っても意味がない。命の保障が国家の仕事の第一である。それは外圧はもちろん、内政においても同じ。だから人権という考え方があります。金を払ってアメリカの軍事力を頼るということは、自分たちには軍事力の決定権がないということ。イスラエルを支援しているアメリカの軍隊に多額の金を支払っている日本は、ガザ侵攻においても明確に加害者です。そのうえで、政府=国民ではないから私たちはイスラエルにNOを言い、デモをする。政府がアメリカに対して「NO」を言うことができないのでそうするわけですが、そもそも政府がアメリカに対して「NO」を言える世の中になったほうがいいと私は思います。国際社会の一員になるということは、公的にアメリカに「NO」を言える国であるということです。残念ながら、今は核兵器を持たねばそれは難しい事態となっていますが。
年始から何を長々と喋っているんでしょうね。私はbasicを読んでいないのでまだはっきりとはわかっていないのですが、結局天祥院英智がアメリカみたいなものなのかな。でも英智様よりも上に老害たちや、ゴッドファーザーなる旧世代がいるみたいだし(これは旧列強になぞらえられる)、basicでTricksterが何をやったのかがわかれば、あんスタ世界もさらに分かると思うので、basicを読むのも楽しみにしています。とにかくmusicは天城が面白い。突然の封建社会の申し子。そこからアンサンブルスクエアに飛び出してきた異分子2つ。ほかに注目株はやはり七種茨。主人公のあんずはどうなのかというと、今のところmusicでは目立った動きなし。主人公が番狂わせみたいな立ち位置だと面白いと思うんだけど、musicの第1部ではそれは天城一彩の役目だった。爽快に誰も彼をも救っていく、というか、天城燐音を救うためのスーパーヒーロー天城一彩。まさに主人公はこちらだった。ということはbasicでの番狂わせは明星スバルなのか?と思うが、そこはあんずに期待したい。あんスタは世界観構成だけではなくてキャラクターの絆や関係性も多種多様でおもしろいので、ありがたいなあと思っている。まほやくはこの点、「恋」にすべてが集約されていた(魔法使いは何にでも恋をする、恋こそが生きる理由)ので、関係性というか執着の度合いにあまりバリエーションがなかった。あんスタはユニットというものがあり、事務所というものがあり、学校があり、シャッフルユニットがあり、過去の因縁があり、過去の因縁があり、過去の因縁があるので、色々な人間が、人間との関わりに励んだり諦めたり反発したり愛したりしていて、バラエティ豊かに感じる。そもそもキャラクターが49人以上いるうえ、9年も続いているコンテンツだから、まほやくと較べることはできないのだが。ただ、まほやくのメッセージ性がかなりわかりやすいのに対して(話をしよう、よく話し合ってお互いを知った上で共に生きる道を模索しよう)、あんスタはかなりばっさりと「終わった関係」も描いており、まあ人生ってきれいごとだけじゃないよね、という冷めた、現実的に大人として生きるなら切り捨てざるを得ない人生のパーツというものを結構散りばめている気がする。まあちょっと期待しすぎかもしれないけど、三毛縞斑なんかは、見ていて痛々しいキャラクターだと思う。だからこそ桜河こはくと出逢ったことが、三毛縞斑ファンにはかなり感動的だったのではないかと思う。(この辺はよく知らないので適当ぶっこいてます。)
あんスタのスケジュール帳に日々のゲームの進捗や予定、コメントを書き込み、博文館懐中日記にその日の行動記録を書いているため、tumblrまで書きに来る気力が最近ない。上の二つをだいたい0時頃書いて寝るのが日課になっており、1月1日から続いている。
最近読んでいる本は『差別はたいてい悪意のない人がする』『客観性の落とし穴』『現代思想入門(千葉雅也)』。資本主義の〈その先〉へと、精読アレントも再開したいのだが、なぜ次から次へと新しい本に手をつけてしまうのだろう。いい加減にしてほしい。『母という呪縛 娘という牢獄』を昨晩3時間ほどで読み切ったが、何が言いたいのかわからないノンフィクションだった。というか、もし言いたいことがあるのだとして、それが私の予想通りであるならば、それは結論としては「糞」としかいいようがない本だった。児童虐待をなめている?教育虐待や精神的虐待、身体的虐待をここまで詳細にえがいておいて、なぜ「虐待」という単語が出てこないのか。虐待被害者は虐待加害者を殺すしか、もう生き延びる道がなかった、とすべての状況が言っているのに、ここにきてまだ「家族のあり方」「学歴偏重社会」だとか抜かしているのは、頭が沸いているのか?社会的養護に至れなかった被虐待児が成人してからも虐待を受け続け、トラウマケアなど遠い話で、物理的に母親という加害者から逃げられなかったという話を、ここまで「マイルド」な表現にしたのには、もはや悪意すら感じる。異常な人間が子供を虐め続けて、そのあげく子供に殺されたというそれだけの話なのに、なぜまだ子供を加害者かのように取れる余地を残すのか。異常な人間は周りがいくら何をしようが異常なまま子供を虐待するので引き離して子供を保護するしか方法がないです。こんな簡単なことをあと何千回この人生で言っていかなきゃいけないんだろう。社会との戦いは続く。私だって、「悪」なんて本当には無いよ、と言いたいよ。でもどこかで線引きしないと、誰も悪くなかったで終わるどころか、被害を訴えたやつが悪い、になっちゃうじゃん。たとえ自分がなんらかの被害を受けたとして、その憎悪の連鎖を断ち切って、自分は加害しない、と、「被害」を引き受けて生きていくのが人間ってもんだろう。好き勝手に加害して生きているやつは、逮捕されて、きちんと刑罰を受けるべき。虐待でもいじめでもなんでもそう。加害者側にも事情があった、っていうけど、事情のない人間なんかいないからね。弱いものを虐めてうさを晴らす人間の事情など斟酌する余裕はこの世にはないと思う。
2024.1.15
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ymifune · 1 year
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No revenge is the best revenge.
5月7日。不調。できるだけ正直に書こう。 4月にあまり納得できない注意をされたT先生のことが今も頭の中を回っている。「苛まれ」の状態は続いていて、中々そこから出ていけない。 仕事は円滑に進められるように、大人しくしてやっている。多分、そのままでいいのだと思う。かつ、「苛まれ」に浸かってしまっている頭をそこから脱却させるには、できるだけもう考慮に入れないということをもっと徹底させる必要があると思う。 No revenge is the best revenge. 懸案に入れない。換算しない。期待もしなければ、もうその4月の理不尽に対するプロテストもしない。ということなのだろうなと思っている。 傷ついたことや苦しかったことは感じ尽くす。何というか、落胆とか失望とか、そういう感情も軽視しないで、自分のものとして引き受け、感じ切るようにしようと思っている。が、そのきっかけがあったとしても、そのきっかけが自分の身に起こったことを後悔しないようにしたいし、責任を求めないようにするのだ。引き起こされた感情は全部自分のものとして引き受ける。 が、そういうきっかけとなった出来事に関わる人とはできるだけ距離を取るようにし、無駄なドラマに巻き込まれないようにしようとは思う。 多分、そういうことなんだろうな。 考えすぎるきらいがあることは結構もうわかっているのだが、「考えすぎているぞ」と思ってからその状態から抜け出すまでには本当にまだ時間がかかる。 話を変えよう。 引く日は今日も楽しめた。明日はストレッチデー。 明日からまたど平日が始まってしまうのだけど、メンタル的には割と大丈夫。やっぱり9日間連休があると、結構立ち直れるものだ。 転職者のための自己分析の本も最後まで読み終えることができた。正直、・・・だからどこをどう売ったらいいものかというのは、わからなかった。自分を低く評価することに慣れすぎてしまっていて。大学卒業後のアルバイトもかなり転々としていて、これはきちんと自分にも参加できる余地があった、やりがいがあった、楽しかったと思えたのが民泊運営と、せいぜい今やっている日本語教師ぐらいだから、この経験から強みを語れるようになれたらいいんじゃないかとは思っている。 音楽制作もした。5月3日水曜日ぐらいに着手し始めて、ビートを組み、メインボーカルのメロディーを組み、コーラスのメロディーを組み、歌詞を最後まで書いた。今日は結構強い雨が降っていたために、歌の録音はできなかった。タイトルは"Thrive"で確定。ジャケットも京都で撮影した写真をトリートメントしておいた。 キャプションも日本語で書いてあるので、あとは英訳すればいい。後でやろうかな。 あと、今日は脱いで自撮りをしようと思っている。定期的にやっているやつだ。 睡眠薬はサイレースを1.5錠にしたと書いたのだが、それでも睡眠が安定している気がしなかったので、引き出しに残っていたサイレースを出し、2錠にまで自分で増やした。 明日からも生き延びるので、どうか見守ってほしい。 これを読んでくれた方もどうか平穏無事なGW明けを過ごしてもらえれば。
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ysnsgt · 1 year
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【旅行記】日光――二荒山神社を中心に
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茨城県は古河歴史博物館で開催中の企画展「かえってきた堀川國廣」に合わせて、東京から見て方角が同じ栃木県日光の二荒山神社にお参りして祢々切丸を拝見しました。ついでに輪王寺宝物館や日光東照宮宝物館にも。寺社自体もじっくり観たかったのですが、そちらは時間切れにつきまたいつか。
今年の大河ドラマが「どうする家康」なのでもっと混んでいるかと思いましたが、適度な賑わいという感じで助かりました。さすがに奥日光にある中宮祠は全然人がいなかったです。
というわけで、以下ざっくり。ちょいちょい『刀剣乱舞』の話もするよ。
■二荒山神社 神橋
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世界遺産に登録されている日光二社一寺エリアの入口にある神橋からスタート。通り抜け不可で橋を往復するだけで有料なので観光と考えると割高感がありますが、お参りと考えればありありのあり。
この神橋は二荒山神社の管轄(?)なのですが、本命の本社にたどり着くまでの間に家光が眠る輪王寺や家康を祀った東照宮がドーンと並んでなかなかに困惑する配置でした。このルートが整備されたのはいつなのか、何を考えてこの配置にしたのか、当時の信仰や霊場を政治利用する思惑のようなものを考えてソワソワしつつ、大木が立ち並ぶ道はとっても気持ちが良かったです。
■二荒山神社 本社
神橋から15分くらい歩き、二社一寺エリアの最奥にある二荒山神社 本社に到着。思ったより近かったです。ご祭神の一柱が大巳貴命とのことで、「因幡の白兎」だろううさぎが社殿前に置かれていました。オタク史上最推しのスイクラ古橋さんのモチーフのひとつに大物主命を見出し、その上でウサギと友達な事実に感慨深いものを感じているのでここでもうテンションMAX。
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どう見ても獅子な狛犬が置かれていたり、面白い神社でした。
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で、お参りして社殿の中をふと見渡したところ、ある。鹿の皮の上に置かれた、祢々切丸をはじめ御神刀3振りが、ある……! さすがに社殿の中を撮影するのはどうかと思いつつ、感激のあまりパシャリ。でも恐れ多いのでさすがに掲載はしません。
とはいえこの3振り、事前に神社の方にお尋ねしたところレプリカなんだそうです。でも現役の姿を拝見できて光栄でした……偶然とは言え弥生祭の期間を狙って良かった……。巫女さんたちによる神楽舞? の練習や弥生祭の神事にもお目にかかれてめちゃくちゃ得した気分でした。
■ 二荒山神社 神苑
本社奥の有料区域にも足を踏み入れましたが、入り口で「縁結びの笹」「化け灯篭」の文字に吹き出す審神者私。祢々切丸、笹貫や青江と相性良いのでは……。
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化け灯篭は夜警中の武士が灯篭の灯りを幽霊と勘違いして斬りつけたという伝説があり、刀傷が残っているそうで。ワクワクしながら見てみたけどちょっと見つけられませんでした。残念。
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縁結びの笹もお社が置かれていたので正面からの写真は割愛。どうも笹自体が神道において重要な植物の気配がしましたが、こんなに笹を押し出してる神社は初めて拝見した気がします。やはり祢々切丸と笹貫は仲良くていいよ。でも笹貫は逸話が逸話なのであまり笹に縛られるのも不本意だろうか。
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神苑はあと太郎丸という大太刀が展示されていて、太郎……と熱田神宮に思いを馳せたりしちゃいました。鑑賞向きのライティングではなかったような、物自体はよく見えなかった気がします。
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とまぁこの時点でお値段以上だったのですが、神苑は御神体である山をミニチュアサイズ(とは言え全然迫力のある大きさ)で表現されてたり、「本殿(≒神様)から一番近いスポット!」とか恋愛運向上スポット? 四葉のクローバーが生い茂るエリアに体験型設備、人生訓が書かれた看板などなど、老若男女が楽しめるちょっとしたテーマパークみたいになってて何というか愉快な神社だな? 普段そんなに写真は撮らないタイプなのですが、パシャパシャ撮りまくってしまった。祢々切丸、たぶん真顔でユーモアをかっ飛ばす実は気さくなタイプなのでは……?
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■二荒山神社 中宮祠
本社からバスで1時間ほど行ったところの中宮祠にもお参り、というか祢々切丸が展示されている宝物館があるのでこちらが本命でした。本社はもののついでというつもりだったのですが情報量が多く、行ってよかった……。
中宮祠は中禅寺湖温泉から歩いて20分くらいだったでしょうか。目の前にバス停もあるのですが中禅寺湖温泉で10分ほど停車するので、歩ける人は歩いちゃった方が早いです。中禅寺湖に面しており、男体山の登山口にもなっていて(今は閉山中)、自然信仰、山岳信仰の気配が強く、人もまばらでとても静かでかなり好きな雰囲気の神社でした。そしてクソオタク私は「祢々切丸、やっぱり山伏国広と相性良いな……」としみじみ考えていた。
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宝物館は2階建で神社の古い宝物館としてはありがちな感じ……と油断していたら、2階の刀剣展示スペースはライティングもめちゃくちゃ良くてキャプションも充実、鑑賞し甲斐があってびっくりしました。御神刀3振りは1階の展示だったのですが、そちらも改修してくれないかな……クラウドファンディングとかどうだろう……。
で、肝心の祢々切丸ですが。「でけえwwwwwwwwwwwwwwww」が第一印象でした。いやでかい、本当でかい。特に拵がやたらでかく、私は成人女性としては手が小さい方と思われるのですが精一杯手を広げて何とか天地両側に指がかかりそうなくらい。そのくせ刀身の印象は物静かで穏やかでなごむもの��あり、刀剣男士の雰囲気とよく��なりました。写真では見たことありましたけど、あの迫力は実際に目の当たりにしてこそですね。行って良かったです。
館内は撮影禁止だったので、手水舎にあった等身大?ポスターの写真をペタリ。実はここでもあまりの大きさに笑ったんですけど、この写真だとよくわかりませんね残念……。このポスターちょっと欲しい。あまりにでかいので。
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残りの御神刀である瀬登太刀は福岡市博物館「侍展」以来の拝見。手入れに出されていた柏太刀も戻ったばかりで、3振りまとめて拝見できてラッキーでした。瀬登太刀もやっぱり好きだな~なんか懐きたくなる雰囲気があるんですよね。
宝物館、あと面白いものとしては天正期(!)のお神輿が3基だったか、何気なく置かれていて三度見しました。き、貴重ー!! 間違いなく今のお神輿と通じながら今とはまったく異なる趣で、すっごかったです。本当に歴史ある神社なんだなぁ……。
■ 日光東照宮 宝物館
時間があまったので戻って残り一社一寺の宝物館も駆け足ながら拝見。東照宮宝物館にはなにやら凄そうな刀が何振りが展示されていてさすが東照宮……という感じでしたが、個人的に印象に残ったのは被災刀の現代再刃3振りと茎のみの鋳型複製……だったかな。はじめは茎だけ切断して残したのかと思い青ざめました(笑)。
ちょうど先月水戸の徳川ミュージアムに伺って燭台切など被災刀を拝見していたので、しみじみしてしまいました。被災刀を後世に残す意志は通じていてこれが徳川なのかとも思い、けれど東照宮は再刃するものの徳ミュは被災刀自体はそのままに復元刀を製作するというスタンスの違いが興味深かったです。
■輪王寺 宝物殿 / 逍遥園
輪王寺宝物殿は当たり前ながら仏教美術系が中心。展示室も小さくサクッと眺めましたが、個人的に面白かったのは江戸時代最初期?に奉納された青銅器の……あれはなんだ、壺……? 花瓶……? おしゃれで見応えがあったというのもあるんですが、ちょうど2ヶ月前に中国青銅器の名品を拝見した上に「中世日本の茶道具にも影響を与えてる」ということを知ったばかりで、本当に通じるものがあって勉強になりました。やはり日本文化を知るには中国文化の勉強は必須だなぁ。
それから同じチケットで庭園も見られるとのことで、ちょうど大雨なのおあってこちらもサクッと一巡。何となく香川県丸亀の中津万象園にまた行きたいな~なんて思っちゃったんですが、庭園の作りが中津万象園と同じく琵琶湖モデルだったそうです。私は良いカンしてるな……。
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丸亀と言えばニッカリ青江ですが、昨年2022年は展示がなかったので今年はあるかなー、またお会いして中津万象園にも行きたいなー。中津万象園、知ってる限りで一番好きな庭園なんですよ。でも昨年は動き回りすぎたのと今年は既に色々ありすぎて精神が疲労気味なので今年はもう刀剣鑑賞目的の遠征はすべて取りやめたいような、でも鑑賞すると元気になるので悩ましいです。
■まとめ
一言で言うなら楽しかったです。外国人も多く観光客慣れしてる感じですが、コンクリート・ジャングルに囲まれてる都民としてはあの緑豊かな静寂さがとにかく良かった。効率悪く動いちゃったので全部は回りきれませんでしたが、そのうち腰を据えて満喫するのも楽しそうだなぁ。
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isawa-nkb · 4 years
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償いにも似た郷愁と憧憬みたいな 花飾りをつけた少女の目撃が相つぐ
大仰なカメラを抱えた共同幻想中毒者が 身代金携え街の底のペットショップへ
狂い咲きの夜桜は歌う猫を抱いて散った 星が落ちた夜に咲いた百合だけが本物だった!!
盲目の刑事が嗅ぎ当てた 事故物件の地下スタジオ 突入したらもぬけの殻だ ピアノの上で受話器が遊んでる
団地の屋上 回送列車 番外地の街灯 途絶えぬ目撃談
塗り潰されたネームプレート 彼女の名前を思い出そうとした 今か昔か知ってた筈なんだ そもそもありやしない 妄想かもしれない 路地裏の奥の どん詰まりに誘う 野良犬が咥えた 小鳩の死骸
俺は泥酔した深夜零時半 癖毛の少女が俺に手を振ってた 俺は動揺して目をこすったら 消えてしまってた 幻みたいに
あるいは本当にそうだったのか? それとも俺の妄想なのか? その時、声が聞こえた気がした
https://twitter.com/he_tale_bass6/status/1231576446667067392
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ライナーノーツとか楽曲解説とか歌詞解説とかキャプションですらも宗教上の理由で本当なら書きたくないのですが、まぁ今回はボーカル外注したりコンピに提出したり小ネタをちょいちょい入れたり喋ること喋りたいことがわりかしあるので久々に文章を書こうと思います。
というわけでサークル「非実在性芸音科学」様主催『NUMBER ZAZEN COMPILATION』に、伊38 from ZAZENFOXXとして「Nishiogikubo Flashback」という曲を書き下ろして提供させていただきました。 お声がけいただいたあおいん様にあらためてお礼を申し上げます。このような機会をいただけまして大変楽しかったです。
https://twitter.com/aoiiiin/status/1229745997380648963
自分の話としては学生時代にナンバガのコピバンをやって、特に向井コードは自作の曲でもかなり拝借しまくってるので事実上伊38が一番影響を受けたバンドなのですが、ここまでもろナンバガリスペクトな曲を書く、というのはあらためて新鮮で面白い経験でした。いや今までもcabsやmiimiのパk……リスペクトな曲を書いたりしたんですけどね! ただ逆に、これまでのリスペクト作曲の経験から「直でそのバンドを拝借しようとするとちょっと外れた感じになる」という自身のノーコンさもわかってきたので、今回はナンバガというよりナンバガフォロワーのバンドをちょこちょこつまみ食いする形で作業を進めました。実際自分が好きで聞いてるバンドもナンバガに直接・間接的に影響を受けているバンドばかりなので、好き勝手書いてもナンバガっぽくなってたかもしれないんですがが。
というわけで実際に参考にしたのはまず、はな/szak/松本文紀による『終末の微笑』。
https://www.youtube.com/watch?v=zCjxVXX-YLE
なんなら自分がナンバガを真面目に聞き始めたのはケロQの『素晴らしき日々』、の主題歌『空気力学少女と少年の詩』からなんですよね。そのちょっと前からiPodにはナンバガ入ってたと思うんですが、当時は聞いても「ボーカル聞こえづらいしコードもディスコードしてるどころかダイアトニック使ってなくね……?」みたいに全く理解できなかったんですね。大体の人がそうだとは思いますが! でも当時はバンプとピロウズというポップロックしか聞いてなかったので……。 そんななかで偶然耳にした『空気力学少女と少年の詩』があまりにも名曲で衝撃を受け、すばひびをプレイし、ゲームも曲もナンバガ直下の作品だという情報を得て、あらためてナンバガにチャレンジしました。その直後にナンバガのコピバンを組んで自分で演奏して、ようやくナンバーガールというバンドとその曲の良さを理解し始めたという順番だった気がします。 そしてこの『終末の微笑』はゲームのED曲の一つ(挿入歌的なポジションの方が正しいか)なのですが、聞いていただいてわかる通りもろナンバガ直系というか、初めて聞いた時なんかドラムが入った瞬間にあまりにもアヒトサウンド過ぎて爆笑してしまいました。とても爆笑できるような精神状態じゃなかったはずなのになぁ……。そんなこんなでszak/松本文紀氏はぼくが最も尊敬している作曲家・ギタリストの一角なのでございまして、今回はこの曲を、特にCメロの急展開らへんを拝借させていただきました。ちなみにエゴサとかしてたらコンピ聞いてくださった人ですばひびを感じ取ってくれた方がいらっしゃったようで大変嬉しく思っております。意図が伝わってガッツポーズです。
あと直接的に拝借したのはハヌマーン『ハイカラさんが通る』。ぼく自身はコピーしてないのですがサークルの先輩同輩後輩でコピバンが沢山あったので耳に残っていて自主的にコード拾ったりしてました。ただ最初は「ハヌマーンぱくるぞおお」と思っていたのに最終的にアウトロでもろ引用するだけにとどまってしまったのが良かったのか悪かったのか。 この他参考にしたのは僕が最も尊敬する作曲家/ギタリストのもう一角、cabsの高橋國光コードだったり、あるいは初期きのこ帝国『国道スロープ』だったり、あるいは今回はあまり意識してないですがコピバンやったことのある透明雑誌やうみのてだったりでしょうか。他にはSuiseiNoboAzをパクるアイデアもなくはなかったのですが、ボアズは引用するのがかなりムズイというか骨格はどシンプルな歌モノに過ぎないしボアズ感を出すには頭からケツまでボアズを意識し続ける必要があって現実的じゃないなと思って却下したり。 というかナンバガコピバンでコピーしたのが透明少女・タッチ・ URBAN GUITAR SAYONARA・ZEGEN VS UNDERCOVER・TATTOOあり・CIBICCOさん・NUM-AMI-DABUTZ・OMOIDE IN MY HEAD・IGGY POP FANCLUB……なので、今思えばこれら全部からちょいちょい要素をパクってるなぁという。やっぱ飲み込んだものしか吐き出せないんだなぁと。
ともかく、  こういったナンバガフォロワー群を聞いてたからか、ミックスを知人(というかZAZENFOXXをミックスしてくれたぷれしお君)にチェックしてもらったら「ナンバガというより残響系に聞こえる」とのコメントをもらったり。そりゃあナンバガいなかったら残響レコードなんてなかったよなぁ。というかナンバガのあのクッソ音の悪い音源(そりゃ20年前なんだから悪くて当たり前だ)を現代風に作り直したら残響になるよなぁ。という当たり前だけど地味に盲点だったところに気付かされたりしました。
サウンド面でもう一つ話すとするなら、ひさ子パートというか右チャンネルのリードギター。ナンバガのひさ子もザゼンのカシオメンもそうなんですが、二人ともリードギター単体だとダサ……割とへちょいというか「こんなフレーズ普通採用しねえだろ」なリフを弾いてるんですよね。ただ伊38的にはそんなフレーズは弾きたくない……というか録る前にボツにしちゃうので大変困りました。しかしいいフレーズも思いつかず、結局Bloodthirsty butchersの『Jack Nicolson』のメインフレーズを改変。というわけでここでもナンバガをちょっと外しつつ引用した形になります。でもサビやCメロのひさ子コードは頑張って自力でひねり出しましたよ。 そうそうひさ子パートはブッチャーズに合わせて3カポなのですが、向井パートの左ギターは1カポ……というか半音上げチューニングです(cabs仕様ですね)。つまり右と左でカポ位置を変えることで和音構成が確実にずれるような仕掛けを施しています。
サウンドはこのくらいにして歌詞の話。向井的な歌詞、ナンバガの殺伐感を出すにはどうしたらいいのか。というかそもそも言いたいことが無くなって久しいので歌詞とかどうしたもんかと迷ったのですが、そんな中で思いついたのが「とりあえず鳩羽つぐを始点に考えてみよう」という。
https://www.youtube.com/watch?v=xXaLxqYlRNk
現代の座敷童だの、幼少期の曖昧な記憶という概念の擬人化だのいろいろ言われつつも未だに謎に包まれた鳩羽つぐ。本家のみならずVRチャットにも模倣犯が現れ、しかしその模倣犯すらも名前が伏せられていて正体が掴めない。憧憬、あるいは後悔。非実在、あるいは実在。初恋あるいは失恋。記憶探し、しかしそれは妄想。ロックトランスフォームド状態におけるフラッシュバック現象。思い出したのか、はたまた幻覚だったのか。どうとでも解釈できる彼女は思考の出発点として個人的に重宝するというかどの方向にでも歩を進められるので思考を阻害することなく、しかし宙に浮いたままどこから始めればいいのかわからない創作作業において初めの一歩目あるいは零歩目として思考の地平に着地させてくれるのですね。というわけで今回は彼女そのものの曖昧さ、不穏さ、あるいは事件性を、NUMBER GIRL的冷凍都市解釈にスライドし、ZEGEN VS UNDERCOVER的世界観にもっていこうとしてみました。そして思い浮かんだワードが「西荻窪Flashback現象」。彼女のことが見える、彼女を思い出す、知ってると思い込む、しかしそれは記憶か妄想かMABOROSHIか、混濁していて何もわからない。ここに事件性や殺伐感を高めあるいは鳩羽感を薄めるために伊38的2019年ベスト映画『見えない目撃者』要素を入れようとしたんですが「盲目の刑事」のくだりしかねじ込めなかった。あと『Serial experiments lain』要素とか入れようかと思ったんですがさすがにとっ散らかるのでやめた。あと「街の底」のペットショップはEastern Youthへの目配せですはい。
という方向で曲と歌詞を書き始めた、のが忘れもしない2019年12月4日。鳩羽つぐ以上の事件が起きた日。バーチャルユーチューバーグループ「アイドル部」から、夜桜たま、猫乃木もち契約解除の発表。 あまりにもショックでその日は何も手につかなくなってしまいました。ああそうだ、これがバーチャルユーチューバーなんだ。所詮Virtual、仮想現実。きっといつしか彼女の動画のアーカイブは消され、我々の頭の中にしか思い出は残らない。いや、記録が消され頭の中にしかない記憶と妄想はいかにして峻別できるというのか。OMOIDEはしかしいつしか妄想に変わっていく。ああ、そもそもアイドル部という名前。��像と最初から銘打たれていたじゃないか。我々が熱中していたものは初めから砂上の楼閣に過ぎない。実在していないものに熱中する狂気。西荻窪Virtual Insanity状態。存在を知ったころには解散していたナンバーガール。画面の向こう側でしか見たことのない存在。台風によって中止されたRSR初日。初めから実存の保証なんて一切されていない。頭の中のそれらの区切りは頭の中という理由そのものによって余りにも酷く醜く脆弱だ。こんなにも儚いものに熱中している、あるいは熱中していた我々そのものの儚さ。
4日とその翌日が非番日だったので録音作業を進めるつもりだったのですが、この発表によって完全に何も手につかなくなってしまいました。というわけで鳩羽つぐで書こうとしていた曲に、たとえ文脈が不自然になろうと、この日を忘れないためにも2行をねじ込ませていただきました。たとえ桜が再び咲こうと、墜ちた星は二度と戻ってこないのだ。
という感じで作詞作曲録音作業は行き詰まりしかし逆に火が付き、なんとか1月にはオケが完成。そして下旬に後輩の紫水さんのボーカルを録音、提出という流れでした。 よく完成させられたなこの曲。ちなみに11月時点では一切進捗がなく過去曲のリメイクリテイクかストック曲の放出を考えていたんですが、12月頭にイントロのギターが降ってきて、その勢いでギリギリで描き下ろし新曲を提出することができたのでした。
スケジュールに余裕がない中歌っていただいた紫水さん。軽音サークルで東京事変やきのこ帝国やandymoriを歌っていたのを見て、あとギリギリ頼める年齢差と顔見知り具合だったのでお声がけしたのですが、数テイクでばっちりOKテイクを出してくれました。大変ありがとうございました……! 主催様の「ナンバガを女の子が歌ったらどうなるか気になる」との言葉から頼んでみたのですが、題材的にも野郎が歌うより女声の方がばっちりハマったので大正解だったと思います。重ね重ね御礼申し上げます……!
という感じで出来上がりましたNishiogikubo Flashback。が入った『NUMBER ZAZEN COMPILATION』。 ジャケットも素晴らしいし僕以外の曲もみんな名曲で曲順も完璧なので手前味噌でなく名盤なんじゃないかという気がしています。  現在通販準備中&今後のイベントでも頒布可能性ありとのことなので、今からでも興味が出た方は主催のあおいん様(https://twitter.com/aoiiiin)の動向をちぇけらです。
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nonkinoko0511 · 5 years
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バンドマンが忘れたくないを歌う理由
「そう言えば最近誰も死んでへんな。」インスタに映えそうな写真を撮るために赴いたはずの展覧会を出た時に感じたのはこれだった。インスタ映え素材が撮れたかどうかなどすっかりどうでも良くなって、頭の中では「死」が巡っていた。これほど「死」を訴えられたことは初めてだった。
始まりから、そういうものに敏感な人なら先に進めないような、「気持ち悪い」音が迎えた。会場のマップと、作品に関する気持ちほどのキャプションが載った紙を頼りに、彼の創り出す空間からメッセージを受け取ることを努力したが、尽力虚しく、言葉を欲しがるばかりだった。
前半は、ボルタンスキー自身に関した作品だった。幼少期に所有していたものを粘土で復元しようと試みた作品は、色がなくおぼろな形で、不完全なのか失敗したのか、それが何なのかもよくわからないものだった。この作品は、彼の初期の作品で、過去を取り戻そうと試みたのである。記憶を頼りに、再現したものであるが、再現すればするほど、記憶から遠ざかり、彼の幼少期の像をその作品から馳せることはできず、一つの粘土作品でしかなかった。このことから、彼は幼少期を復元することが不可能だと知る。彼はその事実について、「私の人生の中で、この時期(幼少期)は全面的に死んでいる。」と話している。その生きていた時間全てを復元したいと言う気持ちは、現在でいうと、SNSなどの媒体に記録することで「思い出化する」行為と通じる気がした。今、多くの人が SNSを利用し、自身の日常や好みを共有したりしている。SNSには様々な役割があるが、一つに「思い出化する」ということがあると思う。何か忘れたくない気持ちや、出来事を写真や日記などに記すことで、自分の中に生かしているのではないだろうか。また、彼は、子供時代から抜け出すことに苦労したとも本の中で言ってた。子供時代は完結して、消えてしまったということを思い知ったんだ。それは、人間にとっての初めての死の体験だと。私はまだモラトリアムだけれど、それでもしばしば、子供の頃の何かに回顧することがある。純粋無垢に人間と関わる気持ちだったり、その頃好きだったものを思い出したり。ただ、過ごしたことのほとんどは、消えている。その事実に気づいたからか、何なのかはわからないが、年を経るに連れて、人は記録を始める。現代は、記録メディアに富んでいる。自分の微々たる感情の変化さえも記録し、今は亡き感情と共存している。幼少期は忘れるものがないから、記録することを知らないのだ。その幼少期を取り戻そうとした彼の思いはわからなくもないと思った。
『合間に』という、彼の5歳から65歳までのイメージが映されている、紐でできたカーテンをくぐってからは、無造作な誰かもわからない人たちの死が目の前にやってきた。上に述べたことでもわかるように、彼は失うことを非常に恐れていたように思う。「死」は、失うことの全てだ。『モニュメント』と題された作品たちは、様々な様式があるが、誰かわからない人の顔だけを画角いっぱいに切り取ったモノクロの写真が、額縁に入れられ、その周りに、いくつかの電球が取り付けらえて光っているのが多くだった。暖かみのある黄色い光は、祀られた人の魂のようにも感じられた。写真の中の人は老若男女様々、ただ表情は皆穏やかで、どれも正面を向いていた。彼は、今の人々は、死から逃れようとしていると話した。現代の死の意味が霧散した現代において、失われた死の場所を構築することを目論んだのだ。私はこのモニュメントから、国も生きた年代もわからない人たちの死について考えざるを得なくなった。この綺麗な女性には何が起きたのだろう。しかし、顔以外の情報が何もない中でそれを想像してもまるで意味はなく、そのうち私は死の経緯について考えるのを辞めた。そして、他人事だった「死」が、自分の中に刷り込まれていくような感覚になった。
普段、五体満足で殆ど不自由なく生きている私は、「死」から遠い。対して、「生」には敏感で、動物園に行った時には人間と共存していない動物たちを間近に感じて、「地球には人間以外もいる」ことをすっかり忘れていたことを痛感した。生きものに触れる機会は多いし、自らで近づこうとする。しかし、長らく「死」には近づいていない。と言うよりも近づきたくないのが、一般的な感情で間違い無いだろう。一番最近で、近しい誰かが亡くなったのは、中学生の時に飼っていたジャンガリアンハムスターのハナちゃんだと思う。いや、そのあとに、世話を半ばにしていたのに不思議と長生きした金魚のプクちゃんだったかもしれない。小学2年生の時に『おっきいおばあちゃん(曾祖母)』が亡くなって以来、お墓参りの数は増えていない。どうしてだろう、あまり覚えていない。これが彼の言っていた「死」の「死」だ。
彼の表現した「死」は命の尊さという意味よりかは、喪う、消えるという意味での「死」を表現したと考える。記憶することの限界、喪うことで訪れる「死」。そういう意味でも避けることのできない「死」を目の当たりにして展覧会を出た私は、その時に感じた気持ちを生かすために記そうと躍起になっていた。
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euex · 5 years
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Twitterにポイポイしたやつのまとめ
全く更新してませんでした。ごめんなさい。
といいつつもパズル自体は不定期で気が向いた時に作っており、Twitterに��げたりはしてました。いいね等でのレスポンスが早いし、Tumblrより気軽に上げやすいからついついそっちに上げてしまうんですよね。あと、一時期に関しては某診断メーカーの影響もあるかも。
そんなTwitterに上げてきた自分の問題の中から個人的に気に入ってるもの・反響が比較的大きかったものなどをいくつかピックアップしてまとめて、コメントを付け足してみたいなー、などと思い立って記事を作ってみました。半分ぐらい自己満足です。あと結構長いです。
 だいたい古い順で並んでいます。パズル名クリックでぱずぷれのリンクへ飛べます。 コメントで軽くネタバレしてるかもしれないので、解いてからコメントを読むといいかも。 それではどうぞ。
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1.ごきげんななめ(7×7) 
ごきげんななめ関係でなんかの流れがあって作ったのは覚えてるけど、なんの流れだったか覚えてません。配置に阪神は関係なさそうですが、気持ちよくループ禁から着地できます。
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2.月か太陽(10×10)
どう見ても月。一応、月の内側だけではどっちがどっちを通るのか分からないようになっています。ということはつまり外側で通る記号を判定するのですが、それでもパッと見だけではわからないように……なっているはず……。(弱気)
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3.Tapa(10×10)
またしても阪神が関係なさそうな配置が目につきますが、案外その部分がいい感じに壁や道を作ってくれます。Tapaにおいて33と4の表出はそれぞれでもかなり強いと思うので、33-4はTapaのために作られたネットミームの可能性が……?(絶対ない。)
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4.LITS(10×10)
中央に4×4の部屋を配置する10×10のLITSをみんなが作ってた流れに便乗して自分も作ったやつ。その時誰かが言ってた気がするけど、真ん中の部屋の展開は案外個性が出るものなんですね。私はIミノで対岸へ渡す展開を嫌うように、1辺にどどんとIを寝そべらせています。
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5.さしがね(10×10)
ここまで表出に統一性があるととてもきれい(小並感)。未だにそうなのですが、自分がさしがねを作るときはL字ブロックに振り回されがちです。上の辺りとかよく決まるよなぁ。
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6.LITS(10×18)
ノータイムで埋めれる4マスの部屋は4つあるのですが、その全てから「付近から発生した白マスで分断されたどちらかの空間にテトリミノが入る二択の部屋」が生えています。そのうちの1箇所から進んでいく展開を想定しているのですが、難易度は割と高めかも。Iの部屋から生えてる二択の形はもっとうまく使った問題を作ってみたいかも。
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7.ヤジリン(10×18)
先の診断で「表出に2を使わない」という条件で作った問題。ヤジリンは当時作り慣れてない感じだったので、作り慣れてないなりに頑張った感じ。今も作り慣れてるかと言われると微妙ですが……。
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8.ウソワン(8×8)
先の診断で「中央4×4を空白にする」という条件で作った問題。ルールの性質上、この縛りで唯一解にするには中央2×2が白マスで確定するようにしなければいけないので、盤面の狭さも相まって配置を決めるのがしんどかった記憶があります。その数日後に全く同じ診断結果が出たときはノータイムでパスしました。
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9.ましゅ(10×10)
先の診断で「難しめ」という条件で作った問題。難しいはずです……難しいよね?
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10.シャカシャカ(8×8)
先の診断で、「線対称」という条件で作った問題。右上から左下への対角線を軸に1と2が反転する線対称になってます。自分の中ではかなり綺麗に収められた問題だと思います。
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11.へやわけ(10×10)
先の診断で「点対称」という条件で作った問題。数字の位置が点対称になってます。右下に5の入り口を置いて数字のない範囲が広くなった影響で、左上のあたりが廊下でごりごりになってます。数字が置けないにしても廊下に頼りすぎな気がするので、次に数字点対称縛りをやる時は左上付近に数字が置けるように右下付近にも数字を置こうと思います。
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12.ぬりかべ(10×18)
先の診断で「表出1種類」という条件で作った問題。1つの数字が別の数字とぶつからない最広範囲を考える手筋がこの頃は好きでした。今でもこの手筋は好きですが作るときには、あるマスにシマを伸ばせる数字を考える手筋の方が多用してる気がします。
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13.ホタルビーム(10×10)
先の診断で「点対称」という条件で作った問題。びーーーーーーーーーーむ。ホタルビーム的には7って結構大きい数字な気がするのですが、その大きさを感じない問題になってると思います。
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14.ヤジリン(8×8)
先の診断で「難しめ」という条件で作った問題。いわゆる「ヤバリン(ヤバい難易度のヤジリンのこと)」の手筋をひとつまみだけ持ってきた感じの問題。自分は正直あまり好きではないんだけど、好きな人はヤバリン手筋だけで問題を作りきるぐらい好きなんだとか。ヤバい。
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15.Tapa(8×8)
先の診断で「中央4×4を空白にする」という条件で作った問題。自作のTapaの中では難しすぎず易しすぎずで一番丁度いい難易度な気がします。
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16.ぬりかべ(8×8)
先の診断で「中央4×4を空白にする」という条件で作った問題。 さっきのTapaでも思ったけど、このサイズで真ん中4×4空白は他の部分が狭すぎるっす。
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17.カントリーロード(10×10)
先の診断で「15分以内に作る」という条件で作った問題。キャプションでも書かれているけど、別ゲー。ツイートに画像を貼ってなかったので、開いた人は盤面を見てびっくりしたと思う。
ちなみに、一筆書きで全マス通過できるペントミノ8種類 (分かる人向けの書き方をするとFTXYの4種類以外) が表出の5の部屋になっています。
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18.ヤジリン(10×18)
先の診断で「同じ展開を2箇所以上入れる」という条件で作った問題。10行8列目の[2↑]がわかりやすいと思いますが、これは結構好きな進め方です。手筋に名前とかついてるんでしょうか。
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19.美術館(10×10)
先の診断で「中央4×4を空白にする」という条件で作った問題。広い空間の真ん中あたりにポンっと照明が置かれる感じが好きなんですが、入口が少し難しすぎたかも。些細だけど右下の2も少し悔やまれる。
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20.ましゅ(8×8)
先の診断で「点対称」という条件で作った問題。渦巻きみたい。白黒完全対称の中でもかなりまとまった見た目をしていると思う。
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21.ヤジリン(8×8)
先の診断で「外周マスに表出なし」という条件で作った問題。表出が少なくてスッキリしている。らくらくレベルに収めようとしたけど、最後だけその範疇を超えてしまいました。
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22.ぬりかべ(10×10)
2018年の年賀パズル的な存在。もう残すところ1ヶ月半ほどですが明けましておめでとうございます(!?)。2016年から毎年直感系ぬりかべ作ってるけど来年用のはまだ作ってないです。ていうか自分の技量的に20と19入れて作れるんだろうか。
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23.美術館(12×12)
先の診断で「易しめ」という条件で作ろうとしたら、脇道に逸れまくったまま易しくない状態で完成してしまったので別枠で放ったやつ。(後でちゃんと条件に沿ったやつを作り直しました。雑だけど。)最後右下辺りに某手筋が浮かび上がる感じが気に入ってます。
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24.美術館(12×12)
先の診断で「同じ展開を2箇所以上入れる」という条件で作った問題。「ちえのわ」というキャプションと共に投下しました。どうやらこういう吹っ切れたネタの方がウケるらしい?
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25.さしがね(10×10)
この問題のみならずだけど、表出が一切ないエリアのブロックが不思議な力で確定するのが不思議すぎる。左下あたりの決まり方が結構好き。
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26.のりのり(10×10)
ふと思い立ってとある手筋をチェーンみたいに繋げてみました。もうちょい別の入口も作ったほうが良かった気がする。
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27.アイスバーン(8×8)
左下の1マスのアイスバーンの周りの展開を思いついて形にした問題。割と難易度高めなのに何故か「アイスバーンを初めて解きます」みたいな人が頑張って解いて拡散していて、それを見てなんか申し訳ない気持ちになりました。アイスバーンは直感でも解けたりするとは言え、でもやっぱり初心者にはやさしめの問題を解かせたいなぁなどと。
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28.ぬりみさき(10×10) (ぱずぷれにぬりみさきのプレイヤーがないため、URLはクロットで代用しています。そのため、正誤判定はできません。また、1マス黒くするだけで正解判定がでますが、それは正解ではないので驚かないでください。)
新進気鋭のオモパ。岬のルールと白黒共に2×2禁の制約は案外強いらしいです。JPCの懇親会でも話のタネになりました。
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29.アイスバーン(10×10)
見た目も展開も綺麗にできました。矢印の吸い込みや湧き出しで線が通れないマスが辺沿いにできる問題は多く見かけますが、盤面の中央辺りにそれができるのはあまり見ない気がします。
余談ですが、これが今のところ自作パズルの中では一番伸びた問題です。といってもこれ書いてる時点で5RTと12いいねだけですが。もっとパズルでバズれるようになりたい。バズるパズルを作れるようになりたい。バズるパズル(言いだしたら語感が良すぎて言い続けたくなっただけなので以下略。)
真面目なお話、パズルでバズるんだったらもっとカジュアルな頭の中だけでも解けるような言語系の問題(ミニクロスとか)の方がいい気もするんですけど、それでも今流行りの謎解きみたいな爆発力はない気がしてしまいます。あとはモチーフを上手く時流に乗せた問題とか……?脱線しすぎだし、足りない頭でこれ以上考えても良くない気がするのでこの話はこの辺にしましょう。
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30.ヤジリン(12×12)
これを作る前日にサクトキというオンライン企画でのパズル作りに参加しており、「12×12のヤジリンを1時間以内に作れ」ということをしていました。同じ条件でまた作ってみた、という流れがその日のTLにあったので便乗して作りました。サクトキで作った問題よりいい感じの問題が出来てちょっとヘコんだ。
(サクトキでの問題はこちらから見れます。他の人が同条件で作った問題も見れます。全体的に難易度は高いですが……。)
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31.ヤジリン(10×10)
「難易度はらくらくだけど、考えないと進めない」みたいなのを目指した問題。少なくとも完全なノーシンキングだと解けないようにはできたはず。
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32.LITS(10×10)
ある機構をメインに添えた問題。最初は10×10だとこの機構が入りきらないと思って17×17で作っていたのですが、他の場所から解けないようにこねくり回していたらごちゃごちゃした問題になってしまいました。改良を施した結果、小型化した上に見せたいところを綺麗に見せれた良い問題になったと思います。
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33.へやわけ(10×10)
当時パズル勢が「不定形へやわけ」という部屋の形が長方形でないへやわけで遊んでいて、そこからのクールダウン用に投げたものです。みんな感覚が麻痺してそうでちょっと面白かったです。問題自体は4の部屋の二択を制するゲーム。
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34.ニブンノゴ(10×10) (ぱずぷれにニブンノゴのプレイヤーがないため、URLはクリークで代用しています。そのため、正誤判定はできません。)
比較的新しいオモパ。誰かが「悪いことができそう」って言ってた気がする。なんとなくだけど、海外のパズル勢が好きそうだなーって思う。
最大5個つながりルールをうまく使いたい……使おうとしてる……使えてる……?
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35.ぬりかべ(10×10)
最後に残る右下の5の形が盲点を突いてる感じになってると思います。早とちりすると全消しループから抜け出せないかも……?右上をもうちょっとサクッと決めれればもっと良かった。
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36.∀人∃HEYA(10×10)
若干ごりっとしてる感じはなくもないけど、至って普通の ∀人∃HEYA 。へやわけと違って数字点対称にした際に左上が広く空いても無理のない展開ができる気がします。(というより∀人∃HEYAなら数字なしでも滅茶苦茶な問題になりにくい感じですかね。)
なお、この問題には「正解判定が出る方の∀人∃HEYA」というキャプションがついています。なにやら不穏な文章ですが、その不穏の正体は次の問題のコメントで。
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37.不定形∀人∃HEYA(10×10) 
こちらは「正解判定が出ない方の∀人∃HEYA」というキャプションがついています。つまりそういうことです。
ぱずぷれの仕様をおもちゃに使った闇のゲーム。流石に流行は収束したようですね。へやわけ及び∀人∃HEYAでは、部屋の形が歪だと他の正解条件を満たしていてもチェックボタンを押すと「四角形ではない部屋があります。」というNoticeが出て不正解扱いになります。逆に言うと、そう表示されたら他のルールを満たしているので正解です。何を言ってるかわからないかもしれませんが、書いてる私もよくわかってません。
何も知らない人は「この部屋の形で部屋内の黒マスが点対称ってどういうことだってばよ!?」と思う方が多いでしょう。実際JPCの懇親会で不定形∀人∃HEYAが話題に出たときにも一帯が騒然となったレベルです。手探りで条件を探るのもいわゆるインストラクションレスみたいな感じで面白いので、あえてここには書きません。どうしても今すぐ知りたい方はTwitterでいい感じのワードで調べてみてください。
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38.ぬりかべ(8×8)
気を取り直して、ここからはこの記事を読んでる人なら多くの方が見知った普通のパズルです。さっきみたいなゲテモノ要素はありません。
知り合い用に例題レベルの問題を作ろうとしたところ、例題としては少し難し目になってしまった気がしたのでTwitterに流しました。分断禁の練習にいい問題だと思います。
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39.スリザーリンク(10×10)
程よく高めの難易度で表出もバランスいい感じにできたと思います。右下あたりの線の伸び方がさっき(といってもだいぶ上の方だけど)の10×18ヤジリンっぽい。
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40.LITS(10×10)
記事書いている現在で最後に出題した問題。9つ同じ形のヘキソミノをばーーーーっと適当に並べて、周りを適当に固めてみたら、何故か1発で右下の辺り以外が確定してしまい、びっくりして5回ぐらいその状態で解きなおしました。最後右下だけ調整して完成しましたが、結果的に割と難しめになりました。制作時間の半分ぐらいが解きなおしっていう。「本当にこれ確定??本当にこれ確定?????」みたいな。
以上40問、ぶっちゃけまとめるの疲れました。
かいつまんで紹介しましたが、Twitterでは他にもちょっと微妙な問題やミスって複数解になってる問題、一発ネタすぎる問題などをいろいろ出してきたしこれからも出していくと思うので、気になった好事家の皆さんは「url:http://pzv.jp/ from:Euex」でTwitter検索してみるといいと思います。あと、時々はTumblrも更新するようにします。見てる人いるのかわからないけど。
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i-am-daisy-grrrl · 4 years
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folklore
インディーラバーかつTaylorオタク(通称Swiftie)である私がTaylor Swiftの8枚目のアルバム「folklore」についてなるべく簡単に解説するポストです。どうしても洋楽を聞くときはメロディー重視になってしまうという方に読んでいただきたいです。
The NationalやBon IverというUSインディーの代表格と制作したことでメガポップスターが最高のインディーズアルバムを作った、とも評される今作。今までと違った音楽性で多くの人を驚かせていますが、何よりも、Taylorの一番の武器であるストーリーライティングが遺憾なく発揮されています。
Swiftieはやはり彼女が語るストーリーに魅了されている人が多いので、1989~Loverのポップ音楽から一転したフォークっぽい音作りながらも、folkloreは過去最高のアルバムだと言う人も少なくありません。むしろファンの多いREDに近い秋を感じさせるメロディーはかなり好意的に受け止められていて、全曲がファンの中でも最も人気の高い “All Too Well” に値する、とまで言われています。Taylorファンはこの音楽性をどう受け止めているんだろうと思われている方、ご心配は無用です。 ここで紹介する解釈はあくまで一例ですが、ファンの間で広く支持されているものを選んでいます。けれど全ての楽曲のテーマが明らかになっているわけではないので、Taylor本人が意図した解釈とは必ずしも一致しないかもしれません。私が理解しきれていないものについてはあまり説明しきれていないので、なんとなく把握するために読んでいただければ。
今回Taylorは「自分自身の話だけではなく、出会ったこともない人、良く知っている人、出会わなければよかったと思うような人について、あるいはそういった人たちからの視点で」物語を綴っています。
過去の楽曲ではTaylorの人生に当てはめることで大体何について歌っているのか推測できました。1989までのアルバムではCDのブックレットに書かれる歌詞の一部が不自然に大文字になっていて、それを抜き出すと伝えたいメッセージが分かる、という仕掛けがありました。reputationのリードシングルLook what you made me doは良くも悪くもかなりインパクトのある楽曲ですが、MVではTaylorの経験に紐付いたヒント=「イースターエッグ」が数多く隠されています。Taylorいわく誰にもまだ見つかっていないエッグが隠れているそう。最近はMV、SNSへの何気ない投稿、そして歌詞の中からイースターエッグを見つけることがファンの使命ともいえました。
けれど、リリースの前日に突然アナウンスされたこのアルバムでは、今までのそういったヒントがほとんどありません。cardiganのMVこそあるものの、「イースターエッグは歌詞に隠した」らしいのです。分かりやすいビジュアルや短いキャプションではなく、現代詩人のようなTaylorが書く歌詞からヒントを探すことは一筋縄ではいきません。
ただTaylorはこうも語っています。 「民話になった物語たちは語り継がれ広められる。時には歌われることもある。ファンタジーと現実の境目は曖昧になり、真実とフィクションの間の壁は見えない。推測は時間が経つにつれて事実となる。神話、怪談、寓話。妖精物語やたとえ話。ゴシップと英雄談。誰かの秘密が空に描かれみんなに見られる。 自己隔離のあいだ私のイマジネーションは膨らみこのアルバムが生まれた。意識の流れのように漂う歌と物語のコレクションになった。ペンを取ることで私はファンタジー、歴史、記憶へ逃避できる。私はこれらの物語をそれに値する精一杯の愛、驚き、気まぐれさを持って語る。 次はあなたが語り継ぐ。」
この作品をどう語り継ぐかは聞き手にかかっているので、解釈も自由にしてほしい、と聞く人に委ねていること。それが今作と過去作の一番大きな違いだと思います。
昔の曲を思い出させるアルバム、と言われているのを多く目にしましたが、少し違う気がします。確かに穏やかな曲調はRED以前のアルバムを思い出させるものの、やはりこのアルバムはカントリーとは違います。むしろ、reputationやLoverの中のいくつかの曲に近い。内容も、Joe Alwynとstableな関係を築いたかつてのゴシップクイーンの創作源が自己を飛び出し、新型コロナの状況下で広がったイマジネーションを曲にまとめあげた、というイメージ。
また、自分以外の人の視点から語っていると言いながらも、これまで使ってきたモチーフ(blue, golden, New Yorkなど)が随所に���りばめられていることもあり、TaylorとJoeが破局した? という心配も一部ではされています。私は2人が破局したとは思えないので、これは「自分の経験がもしこの人のような境遇に置かれていたらどうなっていただろう」といったwhat ifの語りもよるものだと受け止めています。cardiganの歌詞にも “I knew you’d haunt all of my what-ifs“ という一節があるし、the 1には “If one thing had been different, would everything be different today?”とあります。「もし」を考えても仕方ないけれど、それを考えてしまうこの状況下で生まれたアルバムだということがよく分かります。
ということで、以下は各曲の簡単な紹介です。
1. the 1 あなたが運命の人だったらよかったのに、という曲。この曲は誰の物語なのかよく分からない。 Roaring twenties、狂騒の20年代というフレーズが出てくるあたりがモダニズムの影響を感じさせる。 (モダニズム文学との関連性について指摘したスレッドはこちら:https://twitter.com/daisy_grrrl/status/1287033294626799616?s=20)
2. cardigan リードシングル。リリース直前のYouTubeチャットでTaylorは「10代の愛の三角関係」を描いた曲があることを明かしているが、そのうちの一つ。 Bettyが10代の時に付き合っていたJamesの浮気が原因で分かれたことを思い出して、それでも素敵な恋だったと振り返っている。
3. the last great American dynasty TaylorがRhode Islandに所有する別荘のかつての住人Rebekah Harknessについて歌った曲。いわゆる石油王と結婚して大金持ちになった彼女はそこで周りから「この街史上いちばんの狂った女」として「あらゆるものをぶち壊す最高なひと時を送った」。その屋敷を後に買った自身を「この街でいちばんうるさい女 あらゆるものをぶち壊す最高なひと時を送った」とRebekahに重ね合わせている。RebekahのニックネームはBettyなので、ここから間接的にBettyにも自身を重ねているのかもしれない。 4. exile Bon Iverをフィーチャー。これも解釈が定まらないけど、「こんな映画を前に観た気がする、終わり方が好きじゃなかったけれど」というように破局について歌っている。「君は一度たりとも警告を出さなかった/私は何度もサインを出した」という掛け合いが最高。共作のWilliam Boweryという謎のソングライターは恋人のJoe Alwynではないかという説が有力だけど、ハリー・スタイルズという説もある。大人になった二人が過去を振り返ってこの曲を書いたとしたら最高すぎる……。
5. my tears ricochet ricochet=跳ね飛ぶ、というような意味。前レーベルのCEO、スコット・ボルケッタにあてた曲。すでに亡くなってお墓の中から歌っているような描写で、「私があなたにあげた宝石(レーベルにもたらした富、マスターを売って得たお金)を身に付けながら私を(お墓に)埋めている」「盗まれた私の子守歌(=Taylorの6枚のアルバム)を歌ってあげる」など。
6. mirrorball 自分をミラーボールに見立てて、「あらゆるバージョンのあなたを写し出してあげる」「壊れたらいくつもの破片になる」などは世間からのイメージを演じていたTaylorとそれに苦しんでいた彼女のもろさを描いている�� 7. seven 7歳の頃の大切な、毒親を持つ友達について。「一緒にインドへ越して、フォークソングのように語り継ごう」と歌う部分は表題曲っぽい。同性愛について歌っているとも言われる。
8. august 三角形についての曲の一つ。これは浮気相手の視点から。「8月はボトルワインのように飲み干されていった、あなたは一度も私のものではなかったから」と自分が運命の相手ではないことを分かっていながらあっという間に過ぎる時を嘆いている。
9. this is me trying これはタイトル通り。ただ何から頑張って抜け出そうとしているのか分からない。プロローグにA whisky bottle beckoningとあるようにアルコールや薬物などの問題から抜け出そうとしている話についてではという説もある。 あるいは1989以降のキャリアの変遷についてかも。Miss Amercanaでreputationがグラミーにノミネートされなかったとき、「次はもっといいアルバムを作る」と述べているように、「もっと良いものを」という後悔と挑戦を歌っているとも取れる。「私が帰ってくるかあなたが心配するかどうかなんて分からなかった。それについてはかなり後悔している」という1節も、バックラッシュにあったTaylorがreputation発表前の約1年、公に全く姿を見せなかったことと重なる。
10. illicit affairs 題名通り不倫と受け取れば、augustと同じく浮気相手の視点から語っているとも取れるし、Taylorが恋人Joeの存在をしばらく隠し通していたことを考えれば、周りに見つからないように秘密の恋を続けている様子を歌っているとも受け取れる。
11. invisible string これは間違いなくJoeについて歌った曲!ナッシュビルのセンテニアル公園で誰かに出会えることを夢見ていた自分やJoeがバイトしていたヨーグルトショップ、Joeが初めてLAに旅行したときにBad Bloodを耳にしたことなどに言及。「交際3周年の記念旅行では湖のそばでランチした」という一節もあり、フィジカル盤だけに収録されている “the lakes”のイースターエッグかも。「一本の金の糸が私をあなたに結び付けている」という日本で言うところの「運命の赤い糸」ソング。
Aaron Dessnerが4月25日に投稿しているインスタライブでは、invisible stringのもとになった曲を弾いていて、彼が作った曲をTaylorに提供したという制作過程が想像できる。 https://twitter.com/catchfireswift/status/1287834808450781185?s=20
12. mad woman 前出のスコット・ボルケッタ、そして彼女のマスターを買ったスクーター・ブラウンへの恨みソング。「あなたが私のことをクレイジーだというたびに私はもっと狂う/あなたが私に怒ってるみたいというたびに私はもっと怒る」「私に死んでほしいと思ったことがあなたたち二人を結び付けたことは明確」などなど。
13. epiphany 第二次世界大戦に派兵された自身の祖父と、現在のコロナ禍を重ね合わせて、医療従事者に捧げた曲。
14. betty 三角関係の3つめ。Bettyを裏切って浮気したJamesが自身の過ちを悔いてる。パーティーに顔を出さなかったJamesは、かつての恋人ジェイク・ギレンホールがTaylorの誕生日パーティーに来なかったことと重なる。
15. peace DelicateやCall It What You Wantなどのように、有名すぎる自分と一緒にいるとあなたの平和を乱すかもしれないけれど、愛は送る、というJoeにあてた曲。
16. hoax これも解釈が難しい。けれど本当の愛を見つけることの難しさを歌っていると思う。Loverに収録されているAfterglowの悲しいバージョン、という解釈が今のところ一番ふに落ちる。「私はあなたという炎から落ちた灰」(hoax)と「私が2人を焼け落とした」(Afterglow)が重なる。
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tmk527 · 5 years
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塩田千春展 魂がふるえる
夏に見たボルタンスキーと合わせてどうしても見たかったんだけど、連日の80分待ち、60分待ちにくじけ続けてやっと滑り込み。 前売りチケットなら5分もしないで入れたよ!!
無形で概念的な死を静かに見せてくるボルタンスキーとは対照的に、塩田さんは繊細さ不穏さ、ヒリヒリする感じがしながら、熱量がすごくて圧倒される。 なのに「死をもう恐れることはない、死ぬことも生きることも同じ次元」とかすごく達観したキャプションがついていて、そのコントラストがよくてずっと見てしまった。 ある種、とても女性的。 最後にあった子供たちに「魂は何か」と聞く映像がボルタンスキーの「どう思った?」というあれの解答みたいだった。
黒は宇宙、赤は人をつなぐ赤い糸、または血液を表すそう。 すごく恐ろしいほど一途で孤独なんだけど、人が好きな方なのかな。
驚いたのが、私はすでに演劇「タトゥー」のチラシ(オブジェが載っていた)や「皮膚からの記憶」(2001年の横浜トリエンナーレ)を見ていたこと。 展示を見て気づいた時には背筋がビリッとして1人こっそりとテンションがあがってしまった。
まだまだお元気でいて、次の展覧会をやってほしい。
塩田千春/《不確かな旅》、《静けさの中で》、《集積―目的地を求めて》、《内と外》 この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示 - 非営利 - 改変禁止 4.0 国際」ライセンスでライセンスされています。
#塩田千春展 #shiotachiharu #魂がふるえる #森美術館 #moriartmuseum (Mori Art Museum 森美術館) https://www.instagram.com/p/B39zMwSFMB1/?igshid=1inxw0j3mlen8
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bububonbo · 5 years
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2019/7/25 「ギュスターヴ・モロー展」
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2019/7/25 「ギュスターヴ・モロー展」
あべのハルカス美術館
モローの描く「女性」に焦点を当てた展示です。あべのハルカス美術館でのキャッチコピーは「愛して、夢見る」。モロー自身を回顧するというよりは、モローが「愛した女性」と、「夢見た女性」に重点が置かれた構成となっています。
会場に入ると「Ⅰ モローが愛した女性たち」の章から始まります。ここではモローの母ポーリーヌと妹のカミーユ、愛した女性であるアレクサンドリーヌの素描作品が出迎えてくれました。彼女たちはどの素描作品も表情が穏やかで、モローが一心に愛情を注がれていたことが伝わってきます。特に母との強固な絆にはある種の異常さが伺えるほどです。モローといえばグロテスクかつエロティズムなイメージが先走ってしまいますが、こちらのコーナーではそんな素振りは一切見られません。
モローが愛した女性を観た次は「Ⅱ 《出現》とサロメ」「Ⅲ 宿命の女たち」と、サロメを主体にモローの真骨頂である夢見た女性「ファムファタル」へと続いていきます。
モローは「サロメ」を沢山のバリエーションで表現しており、今回の展示では《出現》のサロメがメインに構成されています。サロメは一見妖艶な全裸同然の姿ですが、幻想のヨハネの首をしっかりと見据え、左手で指差す彼女の力強さにはエロティズムは一切無く、いっそ英雄のようです。本当に踊り子なのか……?というくらいの勢い。登場人物の服装や背景の宮殿のデザインは独特で、ヨーロピアンを土台としつつも、エジプシャンのような、はたまたオリエンタリズムのような不思議な雰囲気を感じます。モローは様々な美術作品を模写する等してデザインを構成していったようです。
ハルカス美術館巡回ではこの《出現》がメインビジュアルとなっていますが、率直な感想を言うと、裸同然のサロメと首からダラダラと血を滴らせるヨハネという衝撃的な作品を広告塔にするなんて凄いなといった気持ちではあります。(流石に駅等でのメインビジュアルは《一角獣》のトリミングでしたが。)
私としては数あるサロメの中でも、1576年作の横顔をタイアップした《サロメ》が好きです。何より表情が良い。左奥の斬首される瞬間のヨハネを見つめているようにも見えるし、流し目で鑑賞者を見ているようにも見えます。冷ややかな表情が《出現》のサロメにも共通する、運命に立ち向かう力強さを彷彿とさせます。
「Ⅲ 宿命の女」ではモローの「ファムファタル」が登場します。ファムファタルといえば、男性を魅了し破滅へと導く女性というイメージがありますが、モローはその側面だけではなく、神話や物語に沿った様々な解釈・シチュエーションのファムファタルを描いています。出展されていた中でも「クレオパトラ」や「セイレーン」等は、私でも見知ったタイトルです。「宿命の女」と一括りになりながらも、描かれた女性のバリエーションは非常に多彩で、ヘレネは上品さが際立っており、怪物たるセイレーンやスフィンクスは少し不気味な雰囲気があります。エレネは好奇心の含んだ生娘であるし、デリラは妖艶かつギラギラとした野心があるように感じます。メッサリーナは……なんかえっちですね。(物語の特性上、そうなるのは当たり前ですが。)
ラストの「Ⅳ 《一角獣》と純潔の乙女」に向かいます。「Ⅲ 宿命の女」とは違った清らかな女性たちがメインです。この「清らか」にも種類があり、《一角獣》のような清らかさの他、《妖精とグリフォン》の不可侵の清らかさや、《神秘の花》のマリアのように、清らかであらねばならぬものとした表現もあります。
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《一角獣》の細やかな装飾や、女性とユニコーンの白さはまるで宝石のようです。こちらの作品は中世のタペストリーに影響を受けたとキャプションに書いてありました。
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画像は「貴婦人と一角獣展」の図録表紙《視覚》(トリミング)
《貴婦人と一角獣》のタペストリーは2013年に国立国際美術館で開催された「貴婦人と一角獣展」で観たことがあります。テーマ性にも心が擽られますが、あちらも宝石のような美しさ。そして細かい植物の描写にも圧倒されました。モローも独自の視点で鑑賞し、刺激されたのだとすれば、勝手ながらシンクロニシティを感じざるを得ません。少し嬉しい。
モローの作品はどれも宝石のようにきらびやかですが、宝石というものは光を反射する箇所と影に沈む箇所が隣接しています。終わりのある栄光、進み行く破滅。そんな不穏な気持ちを思い起こさせる不思議な画風でした。
今回は回顧ではなく、ファムファタルについての一風変わったテーマ展示でしたが、モローが現実に愛した女性にも触れられていたので、彼の人となりが知られる良い展示であったように思います。今回は来ていませんでしたが、いつか刺青のサロメを観てみたいです。
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tokyomariegold · 1 year
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2022/12/10〜
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12月10日 13時に有楽町で待ち合わせ。 昨日は1時まで夜ご飯を食べていて、寝て、8時に起きた(ちなみに豚肉をちゃんとレンジで調理できた!すごい!)。 クリーニングを出して、待ち合わせより早めに東京駅へ向かう。 12月の東京だった。 少し歩くとクリスマスツリーがあって、みんなどことなくおめかしをして、手には大きな紙袋を下げていたり、キャリーケースを引いていたり。年末ジャンボ宝くじに行列ができていて、また今年も「宝くじ当たらないかな〜」と、その行列を眺めるだけ。
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これから会う友人にジャンポールエヴァンでクリスマスプレゼントを買った。 いつかマカロンを食べてみたい、と思いつつ、冷蔵物なので諦めている。 有楽町のマルイの前で、右翼っぽい方が演説していて、でもよく聞くと自分の訴えというより日本の歴史をつらつらと語っていた。 その前で友人と会って、国際フォーラムの干支ツリーを見て、大島さんの展示を観た。“多摩多摩”というタイトルで、多摩というワードにどこか親近感を抱いていたけれど、多摩って広い。 でも郊外のいわゆる“どこにでもある風景”は、やっぱりどこにでも、で、多摩から引っ越した今住んでいる町にもよく似ていた。 友人が住んでいる町にも似ているらしい。 大島さんの日記に登場する同居人とは、この写真を撮った方なのかしら?と思った。インターネットで見ていた大島さんのイラストが壁に貼ってあって、愛おしくてうっかり剥がして持ち帰っちゃいそうだった。
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ギャラリーまでの道で外国人の女性の方に「very nice!」とコートを褒めてもらった。 ウエストでお茶をしようと歩いている途中の絵本屋さんの前に、クリスマスのオーナメントやリースが売られていて足を止める。 鳥がマフラーを耳当てをしている可愛いオーナメントを買ってしまった…! 友人は玄関用にリースを買っていた。 ウエストは列がターンする程並んでいたので、その奥のコーヒー屋さんに入った。とっても昔、1wall展の公開審査会までの時間つぶしに入った以来で、その時も友人と一緒だった。 元気な人と元気じゃない人がいる話や、日記を書いたり自分の日記を読みたくなくて代わりに絵を描いたり、クリスマスの予定を話したり、生活が忙しくて、別にそうしなくと良いこと、に、忙しくさせられている話などをした。 友人は、もっとマメになれば良いのかな、と言っていた。 次はクッキーを焼いたり、銀座スカイラウンジでお茶をしたりしようね、と言って、良いお年を、をした。
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12月11日 昨日あった友人が“花束みたいな恋をした”を観た、と言っていたので、思い出したようにamazonで鑑賞した。 前評判から、何となく怖くて観られていなかったけれど、何も怖がらなくて良かった!という結果でした! とてもわかるストーリーで、私にはわからない世界のお話、という感じ。 昔好きだった、大切だったものに、社会や生活に挟まれて熱量を入れられなくなる話だと思っていて、その“好きだったもの”として描かれているカルチャーにどれもピンとかなかった。 それでも、自分にとっての大切なものに置き換えてみても、当時の好きが、今おろそかになってい���ことはないかもしれない、と映画を観て元気になってしまった。 自分のことがよくわからなかった学生時代、少しの好きをきっかけに、関わる好きな人たちを通して広がる自分の世界が楽しくて、数珠繋ぎしていくように好きがつながる感覚が幸せだった。 それが写真だったし、東京だったし、今も生活をしながら(生活は今はそんなに嫌ではなくなっている)その好きをもっと発展させたい!というところが一番の悩みどころ。 この映画のレビューで、たくさんのコンテンツが並ぶがどれもそれらが選ばれた背景がない、というのを読んだことがある。私が、その人が何かを好きになる過程や理由が好きなので、だから何かしらないたくさんの記号が出てくる恋愛映画ね〜、とだけ思ってしまったのかもしれない。 やっぱり“おとぎ話みたい”のかほちゃんに感情移入をしてしまう。 まあまあ君って若いんだね、まだ、と言われて、田舎で生活する大人を出戻り文化人!と罵って、屋上で一人で叫ぶシーンに泣いてしまう。(最果タヒの一葉ちゃんがパフェを潰すシーンも同じ。) 映画を観て、大学の先輩たちを思い出して、夢にも出てきて、何か失礼なことをした気持ち。もしかして万が一の���と、この映画を観て私のことを少しでも思い出す人がいなければいいな、と思う。誰かの花束なんかになりたくない。 大島渉の展示のブックレットを読む。 やっぱり大島さんの文章もとても好き。作品とその人の書く文章が好きな作家さんが多くて、ソフィカルの研究とかしてみたいかも。
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12月12日 職場が寒くてしもやけが痛くて冷えて吐きそう。 お昼休みは“多摩多摩”のトークイベントの配信を聴きながら歩いた。 途中で“飲み込みについての実験”の会場案内を見かける。水やヨーグルトを飲み込んで、ラジオ体操をした人の様子を記録するらしい。 トークを聴いて展示会場で「大島さんの日記に登場する方は、この写真を撮った方かしら」と思った自分をひどく、とても、気持ち悪いと思った。 それと会場で友人が「TOEICの勉強は3点ですかね」と言っていた意味を今になって理解した。(生活の中でできたこと・できなかったことに点数をつけている大島さんのキャプションを読んで、その前に何も考えたくなくてTOEICの勉強ばかりしてしまう私の話をしてくれていた!)
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12月13日 職場が寒すぎて泣いていて、何でこんなにも仕事内容でなく外的要因で辛いの?と思って、いろんなところに“節電”のお知らせが掲示されていたり“節電見回り中”のキャンペーンたすきが用意されているのを発見して、さらに泣いてしまう。 ギャラリーを探しているのだけれど、場所を選ばなければどこでも展示ができてしまう。「恥ずかしそうに写真を展示しているんでしょ(どうせ)」と、初めて写真展をする話を母にした時(来てほしいとは言ってない)に言われたことを思い出す。 スーパーの出口にバター餅とごまゆべしとくるみゆべしがカゴで売られていて再会。
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12月14日 不意に知った人の誕生日にパパブブレのお菓子をあげたら、2月に焼き鳥を焼くので来てください、と誘ってくれた。IHしかない新居に、やっとガスボンベのカセットコンロを買ったので焼き鳥をするのだそう。 工作みたいで楽しそう。 SNSの好きな女の子が、自撮りをまとめた動画をストーリーに投稿していた。 とても良かった。 防衛本能でamazonで防寒グッズばかりを検索してしまう。 心が死んじゃう節電ってなに。 12月15日 今日も職場の寒さが異常でお腹が痛かったし、吐き気と震えが止まらなくなって辛い。でも帰り道で写真を撮ったり、一期下の方とお話しながら帰ってきて少し回復した。 このままずっと元気ないままなのかも、と思うと、来月で終えることも悪くなくて、今日は上司から積み立てNISA(?)や出産支援金(?)の制度の話を聞いて、そうゆう情報をちゃんと収集して損するべきではない!と言われてショックだった。 上司の奥さんは産休期間に金髪にするらしい!いいな〜。
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12月16日 このところ生肉や生魚をレンジで調理している。 「○○(食材の名前) レンジ」で検索結果に出てきたレシピより2分多めにレンジで加熱している。よくわからないけど実験みたいで楽しい。 生肉や生魚にお酒をかける工程が、何か上等っぽくて楽しい。 今日は鶏肉に挑戦しようとしたけれど、寒さと疲れで身体がボロボロで泣いていて、何も考えられなかったので、値引きシール出来合いのものの日、にしてしまった。 今日も“多摩多摩”のトークを聴いた。 多摩川を眺めたくなった。 かつてインターネットで、大島さんのイラストが、のらねこちゃんが、とっても人気で流行っていたよね、みたいな言われ方をしていて、私はずっと波風なく登場した頃から穏やかにインターネットにいるものだと思っていいたのでショックだった。 そういえば一緒に展示に行った友人も「大島さん、懐かしいって思っちゃいました。」と言っていた。
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supersoniclevel · 7 years
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(クリックで拡大) しょーもないものをせっせと作って休日が終わる…(楽しかったです) どうもミハルに死相が見えるせいで、脳内でミハルとクリスの結末がいろいろと出来てしまったんだぜという話。 レイアウトがヘタクソなのはすみませんっていうか特に理由も無くドットにこだわったのに縮小したらその意味すら無くなったという… 細かい話とおまけを続きに畳んでおきます。 いつものことですが全然世界樹関係ないしぜんぶBL。
BADがだいぶ悲惨ですが、とりあえず右はさわやかが混乱で笑い出すのが全部悪い。これボイス回収目的でクリスをネクロマに転職させた瞬間に降りてきたやつなんですが、うん…さわやかはね…追い詰められると何をしでかすかわからない怖さがあるからね… 左のは記憶喪失を二回やったらそれはもうギャグだろうというのは重々承知しているんですがよく考えてみてほしい、ミハルは無くした過去には囚われず、今一緒にいるボレロの仲間やハウンド一家のことを大切にしていこうとする人なのですが、お前はそれで良いかもしれないけど、両親とか友人とかミハルが生きていたとなったら喜ぶ人はたくさんいたはずなのに、それを全く意に介さずバッサリ斬り捨ててしまえるのスゲー怖くない? っていうENDです ちなみに記憶を失ってしまったらサルコウとは意思疎通できなくなると思うんですが、それでもサルコウはミハルに寄り添うし、ミハルのほうもたとえ思い出せなくても、とてつもなく大切な存在だったということがなんとなく分かる程度には強い絆で結ばれていてほしい。 え? あっさり存在抹消されてるクリスは何なのかって? さあ… 実はずっと、ミハルとクリスが普通に幸せになる結末が全く思い浮かばない…このチャートで言うとNORMAL右が正史かな…などと思っていたんですが、友人に「ミハルを守って死ぬサルコウもかっこいいと思うよ…」って言われたことからこのTRUE ENDが生まれたのでした。 目から鱗とはまさにこのこと… サルコウが死ん��しまうので手放しのハッピーエンドではないのですが、かれが命を懸けることによって、ミハルが必要以上の自己犠牲をやめて自分の命を大切にするようになるだとか、これまで嫌なことから逃げ続けてきたクリスがミハルのために奮起するだとか、二人のダメなところを補完する結果をもたらして明るく幸せな未来に繋がっていくところが、TRUEと呼ぶにふさわしいかなって。 無邪気にコロコロしている子犬たちに囲まれて暮らすミハルとクリスとても幸せじゃない…? クリスは犬嫌いだけど、この子たちのことだけは自分から撫でたりお世話したりするようになるんじゃないかな。うちの一匹はのちにミハルの新しい相棒になるといいよね。きみのお父さんはとっても格好良かったんだよって話されてちょっとジェラったりするといい。 というわけで幸せそうなおまけ。
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オフ服のうえ髪型を変えると完全に誰おまである 文脈と色でわかってほしい… ミハルは「サルコウみたいに格好いい男になりたいんだ」って言って髪をみじかくするよ! 後ろを軽く刈り上げてたりすると男みがあって良い。クリスは結局かわいいんだよなあ…とか思ってるけど、髪型以前に本人の男らしさが増してるから今まで見せなかった男っぽい表情とかにドキッとしたりするんだろ夜とか クリスはもともとカッコつけのためにオールバックにしてただけなので、ミハルの家に嫁いだら基本髪下ろしスタイルになります。でもデートのときは髪上げて「こういう時くらいは格好いい俺でいたいからね」とか言うのでミハルがキュンとしたりするんじゃないかな!
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なにげに差分もある。 というか最初こっちでかいてて、「なおこのあとミハルは死ぬ」っていう不穏すぎるキャプションとともに上げる予定だったんだけど、かいてる途中でTRUEルートができたので無事に上のになったのでした。 お幸せに!
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aveshi04 · 7 years
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スプリング・ハズ・カム
 「 探偵社の現在が、四年越しの春だといいね」(キャプション)  『銀河鉄道の夜』風味な太織で書きました。彼が在りたいと思う時期が春になります。探偵社が太宰にあたたかな夢を見せてくれる限り、その間、彼という生き物は淘汰されずにすむでしょうし、廻らない季節はないでしょうから、もし冬が来ても、また春のあたたかな風は吹きます。
 真っ暗な、空が広がっていた。  いや、何もかもが黒く塗りつぶされている視界の中の世界は、本当に其れが空なのかどうかすら、私にはわからなかった。ただ、間違えて溢してしまった粉砂糖の星のようなものが、時折チカリチカリと瞬くから、私は空だと認識していただけの話だ。此処には寒さも温かさもない。落ちていってるのか浮いていってるのか、それとも、私は立っているのか、或いは座っているのかもわからなかった。此の半円の球体だと認識している天空だって、実のところまさに私に向かって落ちてきているのかもしれない。  何もかもが不明確な世界に放り出された私は、しかし恐いとは微塵も感じていなかった。何故なら私は独りではなく、私の本当に、心の底から信頼をしている人間が隣にいたからだ。  彼一人がいればまるで百人力のような気がしたし、実際、彼は私よりよく考えよく動く性質だった。彼はあの、広く狭い街を不発弾処理のためにあちらへ、仲裁のために其方へ、縦横無尽に毎日のように飛び回っていた。自由な彼だからこそ、私は其の姿に憧憬を覚えていた。愚かしいものに縛られるくらいならば、彼のことをこうして、いっそある種の信仰のように思うことはしなかったはずだ。  しかし思いとはうらはらな本音を云えば、彼にはずっと、それこそ永遠と表現しても差し支えないほどに、隣にいてほしかった。単刀直入に云えば、私は彼を、愛していた。いや、此れは本当に愛であったのだろうか。私は彼より年若く、私自身の心の機微というものをこの十余年の中で、いかばかりか蔑ろにして生きてきた自覚があった。もし他に正しい表現や言葉があったとしても、私にはわからなかった。だから私は此の気持ちを、私の知り得る中で最適な言葉として、「愛」と形容した。  「愛」は、彼は素晴らしかった。其れを覚えているとき、私はこの剥がれ落ち行く鍍金のような世界を、錆び落ち、私の生きてきた全てが無駄だと囁いてくる世界のことを、ほんの少しだけ許すことが出来た。いや、世界が私を許していたのかもしれない。厳しい季節を乗り越えた春の陽射しが、柔らかな産毛をきらきらと光らせている。雪解けの水と、霜の解けた姿の露が葉の青さを一際に見せる草原の、もう孤独に凍えなくても良い気温の中で、私は彼の手を握る。すると強張った私の指先を、存在を認める親のように彼はしっかりと握り返してくれるのだ。其れが「愛」だった。  彼は私の春だった、陽の光は、無条件で人々を、私を導いた。だからどんな闇の中に閉じ込められても、私は私でいられた。
*   *   *
 闇は依然として私の眼前に広がり、大きな口をぱっくりと開けて待っている。夜の山の森のような底無しの深さと、其処にあるしんとした湖のような光景は、忘れていた孤独を思い出させるような何かを私に突きつけた。  私は堪らず手を強く握った。「ねェ、私達きっと助かるよね。」  彼は春だった。私はもう長いこと、のんびりとした春を満喫していて、すっかり忘れていたのだ。季節は巡り、春はいつか移ろい夏が来て秋が来て、そうしてまた、あの孤独に打ち震える冬が来ることを。いつか私の知らぬ世界、違う場所へと春は旅立って行ってしまうことを。春は、心地好さも光も、私だけのものではないということを。  「ねェ、私達きっと助かるよね。」  不安になって私はもう一度云った。ぎゅっと心臓が握られるような不安を掃う彼の言葉の息吹が欲しくて欲しくて、夢中になって声をかけているのに、彼は何も云わない。ねェ、君は私の春なのだよ。春というのは温かくて、心地好くて、なんだか眠くなるような穏やかさなんだよ。私を包み込む蕩けた光、其れが君なんだよ……  「ねェってば!」  握りしめた彼の手は冷たかった。当たり前だ、其処に彼の手は無くて、私はただ闇色の空くうを掴んでいただけなのだから。慌てて彼を探そうにも、何も見えない此所では、彼が隣にいるのかもわからない。もし彼が隣にいたとしても、右にいるのか、はたまた左にいるのかもわからない。或いは前なのか後ろなのかも。  彼のところに行きたかった。彼に抱き締めてもらえば、この冷え切った淋しさから解放され、私は温まることが出来る──其処で私は初めて「寒い」と感じていることに気付いた。此処は寒かっただろうか? 闇だって、こんなに塗り潰されていただろうか? あの塵のような星達も此れほどまでに遠かっただろうか? 急に身体が落下しているような気持ちになってきた。怖くなって私はもがいた。「助けてよ織田作!」返事はない。それでも、兎に角早く目覚めなければと思った。こんな悪い夢から覚めて、私は織田作の腕の中にすっぽりと収まらなければと思った。  手も足も、千切れんばかりにじたばたと滅多に振り乱してみたが、とうとう夢から覚めないとわかったときに、心の中にぽっかりと穴が空くのを感じた。広い広い虚だった。周りの空間同様、すっかり闇色に染まっていた其れは、じわじわと私を内側から浸食して、そうして最後には私を丸ごと飲み込んだ。  「私」という人の形をしたものがいなくなった後、残されたのは空間と同化した闇だけだった。浮かんでいるのかも沈んでいるのかもわからない、意識だけの存在になった私のことを、果たして彼は見つけ出してくれるのだろうか。春はまた、私の元を訪れてくれるのだろうか。春、はる。……  「会わないと忘れてしまいそうだよ……」  早く会いたいよ、織田作。私が私であるうちに。君のことを、まだ認識できるうちに。私という自我すら、この闇に飲まれて霧散してしまわぬうちに。私をそちらに導いておくれ──  失われたはずの手をそっとのばす。答えは、未だない。
(2017.01.05 初投稿)
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shikinose · 7 years
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「ゆめのはなし」 あとがき
◯pixivに投げた文章(http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7658706)のあとがきです ◯個人的に「私の感想とかいる?」って思いながら「説明不足なところもあるし」って悩んだ妥協点として、別サイトに載せて小説本体とは離してます、面倒ですみません ◯長々と言い訳めいたあとがきも苦手なので3項目に絞ってなるべく簡潔にします ◯何でも許せる人だけ読んでください ではいきます ◯書きたかったこと 「もしスコールがウィンヒルで、4人で暮らしていたらどうなるのかな」って考えたのがきっかけです。 それと「ぜんぶ終わったら」のその先を考えた結果と、ラグナの誕生日おめでとうを混ぜた産物です。 あと実は最後、ラグナにメアド交換しようと言われてスコールは「嫌だ」と断っていますが、これは咄嗟にツンデレのツンが出たからということと、もうしばらくはこのまま抱き合っていたいからということ、二つ理由がありました。 ◯書いてて楽しかったところ スコールはラグナがエルオーネを助けなければならなかったこと、エスタを放っておけなかったことも知っている、というところで、「この身で、すべて。」と言っているところです。 実際にスコールはジャンクションでそれらを体感したことを指していました。 大分卑怯ですよね。スコールだって小さいときに一人になったことはトラウマレベルで傷ついているのに、ジャンクションで身をもって知ってしまったから、もう本気では怒れないと思います。 それを分かっていてラグナは「そう物分かり良くなるなよ」と言っています。 あとはウィンヒルのパブに入ってラグナとは一席空けてスコールが座ったところです。 この後ラグナは一席隣に移動します。これはラグナの「もっと二人の距離を埋めていこう」というメッセージとか、覚悟の表れです。 ◯タイトルについて 「ゆめのはなし」 スコールが目を閉じて見た夢と、四人で暮らすという決して叶うことのない夢、そのダブルミーニングです。 キャプションには「一人ぼっち四人がずっと一緒にいられたら良かったのに。」と書きました。 四人はラグナ、レイン、エルオーネ、スコールを指しています。みんな一人ぼっちです。 ラグナにはキロスとウォードがいましたが、仲間ではあっても家族ではありません。エルオーネを捜していたときの緊迫感は、他二人とは格段に違っていたのではないでしょうか。そういう意味で壁があって、一人です。 レインもまたスコールを産んだときは一人でした。 エルオーネはレインが死んだ後スコールが赤ちゃんのときは、頼れるのは自分自身だけでした。 スコールはエルオーネがいなくなってから一人ぼっちでした。 みんな一人ぼっちでばらばらです。別に嫌いだったわけでも、離れ離れになりたかったわけでもないのに。 一緒に暮らせていたら、みんな家族として平穏な幸せを手に入れられていたのではないかな、みんなが魔女をどうこうしなきゃっていう大変な思いをすることはなかったんじゃないかな、という思いでその一文を書きました。 以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/4〜
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2月4日 型抜きを買ってクッキーを型抜く日! なのでネイルオフをしてもらいに、朝はネイルサロンへ行った。
上野で待ち合わせをして合羽橋へ向かう。 合羽橋の道具屋街のビルに、バルコニーがコーヒーカップになっているデザインの建物があったり、コックのおじさんがそびえ立っていたり、たくさんの食品サンプルが実際の食事よりも高価だったり楽しい街。 またふらっと遊びに行きたい。
1階から8階まで型抜きがずらーっと並ぶお菓子道具屋さんで、3人それぞれお気に入りの型を見つけて買った。 友人は小さい魚とうさぎ。わたしはおばけちゃんにした。
上野駅横の首都高は改築工事をしていて、日本橋の首都高を地下化して空を取り戻す計画、の一環らしい。
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クッキーを作るため、友人の家へ移動。 移動中に見えるスカイツリーや川で、自分の住んでいるまちとの位置感覚を掴んでいて、まさかスカイツリーが、川が、シンボルとして自分の生活に入り込む日が来るなんて〜、と思った。
友人2人は、小さい頃おばあちゃんの家でクッキーを焼いていたらしい。クッキー用のミックス粉とバターをスーパーで買って、やっぱり節分を過ぎて春が来たのか、暖かいね、と言って歩いた。 誰かのお家に行くと、みんな生活をしていてえらいな〜、という気持ちになる。 今1番の苦痛で抗いたいものが生活になってきている。生活のために社会にも出ているし、生活が忙しくて頭が毎日混乱していて、生活をさぼると精神衛生がよくない。そしてずっと回っていくんだな、と思わせてくる生活って怖い。
クッキーを作りながら、写真を撮ったり色んな話を取っ替え引っ替えしたり、昔、みんなでガスコンロでマシュマロを焼いた日のことを思い出して、こーゆーことしたい!という事ができて幸せだった。
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この数日、すごく不安でSNSにも頼れないで、でも漠然と安定した30歳でいることが悲しかったので、今日の型抜き会はとても救われる時間だった。
バターを溶かしている間に、バレンタインのチョコレートを交換しあった。特に予定してなかったのに3人ともそれぞれ用意していて、幸せな机の上になった。
今朝、3時ごろ目を覚まして、レトルトのほうれん草カレーをそのままスプーを突っ込んで食べていた話をしたら、友人1人はあんバターサンドを作って食べていて、もう1人はグミを食べていて、なんか少し安心した。 カレーを食べながら、IMAのコンペの講評トークのアーカイブを鑑賞した。久しぶりに長島先生のお話を聴けて、少し遠い存在の人から自分の写真について話してもらえて、これは幸せな事で、やっぱり写真を通して人と関わりたい、と思った。 写真、というか、私がしてきたこの7,8年間の生活を、みてもらえている感覚。写真を通して人と関わることが、1番望ましい自分との出会い方なのかも知れない。今は具体的な方法はわからないけれど、生活と写真をどうにかしたい。
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2月5日 昨日のクッキー作りの会が幸せだったな〜、と色々思い出しながらも、生活がだるくてしかたない1日。 昨日クッキーを作った3人は、それぞれ誕生日の季節が違う。みんな自分の季節でない秋が好きなので、秋に祝いたいね、と合同誕生会を秋にすることに決めり、Perfumeのチョコレート・ディスコの“なぜか教室がダンスフロアに”は、聴き取れないよね、と話したりした時間がとても良かった。
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そして今日はフィルム現像を待つ間にデパートのチョコレート売り場を眺めた。モロゾフのナインチェチョコを思わず買ってしまいそうになったけれど、ちゃんと手を止められた。 他のフロアでは5のつく日にくばられる100円引きクーポンをもらって、クーポン墓場(お財布)へ行く前に、お花を買って使っちゃおう!と思ったところで、こんなと前にも日記に書いたな…と思い出す。 今日はお花を買うのをやめた。
帰宅するとamazonセールで買った、本当に必要なモノ、だけが入った段ボールが置き配されていた。
本当に生活にまみれていて、よくわからないことがなくて、悲しけれどずっと真顔。 生活したくないのに目の前のちょっとした汚れを落とすことに身体を使っている。
何となく昨日行った友人の部屋を思い出しては、今頃あのソファに座っているのかな?とか台所でお湯を沸かしているのかな?とか時々他人の生活までも考える日だった。
わけの分からないことをすることに歯止めばかりかけていて、もらったハンドパックをした直後にガシャガシャ手を洗った事くらいが、今日の私の面白さのハイライト。
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2月6日 忌引で休暇していた上司が今日から出勤されていて、社会人として当たり前のことなのだろうけれど、えらいな〜…と思ってしまう。 必要以上に振られた他愛ない話を広げてしまっている自分がいる。 なぜ私の方が気が動転してしまっているんだろう。 そして今日は血糖値お化けをしてしまっている。 朝からコンビニを梯子して食べられるお菓子をさがしてしまい、買ったものを全部一口ぐらいだけ食べて捨てて、をしてしまった。 昨晩NHKオンデマンドで観た某女子校の29歳の同窓会のドキュメンタリーに、大学時代のサークルの後輩が出演していて、思わず彼女にスクリーンショットとメッセージを送ってしまった。 私は、彼女と、彼女の高校時代の友人達(バンド仲間、といってしまうのはおこがましい程のとても愛おしい関係の方々)の関係性がとても好きで、彼女以外の方と直接面識はないけれど、彼女達のSNSを今でも見に行ってしまう(フォローはしていない)。 初めて会った時、こんなに若くて(一つしか違わないけれど)コンセプチュアルにセルフプロデュースできる女の子がいるなんて!!!と思って、今でも私にとってはアイドルでしかなくて昨日のメッセージを送るのも少し緊張していた(お高い感じは全くない、とてもかわいくて気さくな彼女なのに)。 その番組を観ていて、29歳の同窓会という文字に、29歳ってだいぶ大人だな〜とふと思って、私はそれをもう超えていることに一瞬で落ち込んだりもした。 友人からのラインを確認しようとして、届いていたメッセージの文頭から、妊娠の報告なのかもしれない!と察知して、なんだかどうしていいか分からずメッセージを開けずにいる。 オンライン機種変をしたiPhoneを途中駅のauショップに受け取りに行かなくてはいけないのに、全てが面倒でふらふらで、今日はやめておこうかな、と思っている血糖値お化け。
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2月7日 ちゃんとiPhone14を受け取りに行ったよ。えらい! ショッピングモールの3階のテナントがauショップ。3階は主にレストランフロアなので今まで行ったことがなかった。 平日の夜のショッピングモールって従業員の方が多いんじゃないかな、というくらい穏やかで、でも不思議と閑散とした印象ではないのは、このまちの雇用を守って回っている経済が確かにあるからなのかもしれない、と思った。 ショッピングモールのテラスや外の広場は、上品に程よくイルミネーションが施されていて写真を撮りたくなる。バスから降りて歩く30分ほどの道でも、あ、ここで写真を撮ってみたいかも!と思うスポットがいくつかあるのに、今朝もカメラと三脚を玄関で持ち上げてはその重さに断念してしまった。 長島先生の講評を聞きながら昼休みを過ごしている。 セルフポートレートのこともだけれど、先生はキャプションをとても大切に考えていることがよくわかって、文章と写真のことも考えたいと思っていたので、その辺りもお話ししてみたいな〜、と思った。 ムキムキにならなくても三脚とカメラを持ち歩いてどこでも自撮りをしたいし、 頼り甲斐がない物言いのままでも、自分と同じ内容を言っている年上の上司のように社会の人たちに話を聞いてもらえるようになりたいし、 がに股で歩いて舌打ちしないでも夜道で変なおじさんに暴言を吐く当てにされないように、30年で培ったどこまでもふわふわへにゃへにゃな自分を、 誰かでなくて自分で守っていきたい。 年賀状のお年玉は一枚も当選していなかった。
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2月8日 2期下の方をお昼のおしゃべり相手にお誘いしてみた。 半分は写真を撮って過ごして、半分をお話する時間に充てて昼休みを過ごしてみる。
ご飯を食べられないので、ひたすら歩いてラジオを聴いたりトークイベントを聴いたりして過ごすお昼休みを、誰か他愛無い身の上話をして過ごして、いつものお昼休みに起きている時間の使い方の迷いや後悔の焦りがなかったので良いことなのかも知れませんね。 でもとてもあれ?えっとなんだっけ?という気持ちで、帰り道を歩いてた。 そろそろ日記をノートに書く余裕がある気がする。 でもここでノートに戻したら、その瞬間また寒気が舞い込んで来る気がして、寒さは心理戦。
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2月9日 今日は三脚を持って出勤して、少し写真を撮ることができた。 そして、とても楽しかった。 明日の東京出張が、また雪予報でどうなってしまうか不安だけれど、フィルムを出して現像の合間に用務を済ませて、帰りに受け取って帰る予定を立てたので、楽しみになっている。 今は自撮りと一緒に伝えたい言葉が明確にあるわけではないけれど、自分の置かれた環境が変わったところでもう一度我に帰りたいと思って、三脚立てて写真を撮ってみている。 バスを途中下車して帰り道でも写真を撮るぞ〜と思っていたら、一期下の方に声をかけてもらって、お話ししながらバスに乗った。 「今日はこれから写真を撮って帰るので、わたしはここで降りますね」と言って三脚をガタガタさせながらちゃんとお断りを入れて途中下車させてもらった。こんなに堂々と写真を撮っていて、そのことを他人に話していて、わたし大丈夫かな? 職場の二期下の方はベローチェを知らない。時間つぶしにカフェに入るようなことはしなくて、車でわざわざカフェに出かけるとのこと。もう2時間も居座ってしまったから流石に移動しようかしら、と、ベローチェからドトールへカフェ梯子をするような経験はないのでしょうね。 スタバよりベローチェのある街が都会だと思っています。
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