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#中国とのアラスカ会談
ogawa-xd · 11 months
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■サピエンス全史
もうかなり熟読しているが、少し時間ができたのでもう一度、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」読み返す。至福だなぁ。
第一部 認知革命
第1章 唯一生き延びた人類種
135億年前「物理学」という物語りが始まり、38億年前「生物学」という物語りがはじまった。
7万年前、〈認知革命〉とともに歴史学がはじまった。そして1万2千年前に〈農業革命〉があり、500年前〈科学革命〉が起きた。
サピエンスは、人類のなかで唯一生き延びた種。ネコ科ヒョウ属にはヒョウもライオンもトラもいるが、人類種にはサピエンスしかいない。なぜか?
3万年前に近隣のネアンデルタール人が滅んだ具体的な理由は断定できない。しかし殺戮にせよ自然的淘汰にせよ、サピエンスの存在が関与していたことはまちがいがない。
その競争にサピエンスが勝ち残ったのは、「言語」によるものだ。
第2章 虚構が協力を可能にした
7万年ほど前に、サピエンスはその「内部構造」を変化させた。見かけこそ変わらないが、それ以降のサピエンスは認知能力(学習、記憶、意思疎通の能力)で格段に優れていた。
それ以前にアフリカを出たサピエンスはどれも成功しなかったが、それ以降の遠征は成功し、南極をのぞく世界中へくまなく進出した。
この「言葉」によるドラスティックな変革を〈認知革命〉と呼ぶ。聖書の創世記「知恵の木の実」を思わせる「言葉の獲得」だが、それ自体はたまたまサピエンスに起きた偶然の結果だった。
この認知革命が、世界の大変革につながるが、それは言葉のどんな効果によるのか。
• 存在しないものについての情報を伝達する能力
• たとえば伝説や神話、神々、宗教
• 総じて虚構、すなわち架空の事物について語る能力
実際には「虚構」は判断を誤らせる危険なものだ。だが、集団で嘘を信じることは、かぎりない力の元となった。鋭い牙や爪を持ったり、走力や筋力で勝ることより、桁違いに強大だ。
われわれはほとんど意識しないが、国もお金も人権も法律も会社も、みな虚構、擬制である。歴史の大半はどうやって膨大な数の人を納得させ、信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。
第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし
サピエンス20万年の歴史の19万年分、つまり95パーセントは狩猟採集のという生活形態だった。認知革命は狩猟採集の時代に起きている。
文字ももちろんなく、詳しいことはほとんどわからないが、ある程度たしかなことをあげれば、
• 農耕以前は「石器」の時代というより「木器」の時代
• 彼らは毎月毎週、あるいは毎日すべての持ち物を手で持って移動していたので、運べるのは本当に必要な所持品だけ
• 精神的、宗教的、情緒的生活は、器物や道具といった人工物の助けなしでおこなわれた
• 狩猟採集社会のもっとも大きな特徴は「多様性」
• 「群れ」と成員は一つの例外「犬」をのぞいて、すべて人だった、つまり家畜もない
• 平均的な人は、自集団以外の人を見かけたり声を聞いたりすることなく何ヶ月も過ごした。一生を通じて出会う人はせいぜい数百人程度。
• つまりサピエンスは広大な範囲にまばらに分布していた。
• 「狩猟採集」というが、一般的な「狩りをする人」のイメージよりも「採集」がメインだった
• 狩猟採集には多大な「脳」力と技能が必要で、個人レベルで見れば、その頃のサピエンスが史上もっとも秀でていた
• 一般に背が高く健康的だったが、平均寿命は30〜40歳。それは子供の死亡率が高いせいで、60からときに80歳まで生きる人もいた
• その理由は食物の多様性、感染症の少なさなど
• 感染症は農耕社会以降の家畜は由来のものが多く、そもそも人同士の距離ががまばらで感染・伝播の機会がほとんどない
• とはいえ、きびしく、情け容赦のない、欠乏と苦難の社会ではあった
最後に、狩猟採集時代のサピエンスが、平和主義者だったか好戦的な種族だったのかは興味がつきない。対サピエンス同士、対他の人類間、どちらの相手にも、平和的な好戦的か断定はできない。好戦的な部族もあったかもしれないし平和的な部族もあったのだろう。とにかく多様であった。
第4章 史上最も危険な種
しかし、餌の対象となる他の動物たちにとって、危険極まりない存在であった。
オーストラリアの例
• 4万5千年前のオーストラリアへの進出は、屈指のできごとだった。コロンブスのアメリカ発見、アポロ11号の月面着陸に匹敵する。
• それ以前にオーストラリアへ到達した人類はいなかった。
• それはサピエンスが特定の陸塊で食物連鎖の頂点に立った瞬間だった。
• 大型カンガルー、フクロライオン、大コアラ、大サイズの鳥、ディプロトドン(象サイズのウォンバット)などすべて姿を消した。
南北アメリカの例
• 最後の氷河期は、7万5千年前から1万5千年前にかけて。7万年前と2万年前の二度のピークがあった。
• 1万6千年前、サピエンスはシベリアから凍結したベーリング海を超えてアラスカをとおりはじめてアメリカ大陸へ渡った。
• それ以前にアメリカ大陸へ渡った人類はいなかった。
• アメリカに到達からわずか1000年から2000年の間に大きなげっ歯類、馬、ラクダ、巨大アメリカライオン、サーベルタイガー、象より大きなオオナマケモノなどを駆逐しながら南米南端に達する。
• この騒ぎからただ一つ無傷だったのがガラパゴス諸島。
そして第二部の農業革命に続く。
余談だが、訳者の柴田裕之(しばたやすし)氏は、自分の愛読書の主要なところで顔を出す。
• 「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「ホモデウス」ユヴァル・ノア・ハラリ
• 「神々の沈黙」ジュリアン・ジェインズ
• 「ユーザーイリュージョン」トール・ノーレットランダージュ
柴田さんが訳しているのなら、読む価値があるかな、などとも思う。
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ari0921 · 9 months
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我が国の未来を見通す(78)
『強靭な国家』を造る(15)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その5)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 最近、意外なニュースで驚いたのは、7月4日、
埼玉県川口市で市内に住む100人を超えるクルド
人が病院に殺到し、救急が5時間半もストップし、
県警機動隊が出動する騒ぎになったということでし
た。そのきっかけは、女性をめぐるトラブルでトル
コ人同士が争い、刃物による怪我で病院に救急搬送
されたことだったようです。
現在、川口市内には市民約60万人の6.5%に相
当する約3万9千人の外国人が住んでおり、東京都
新宿区を抜いて全国で最も外国人住民が多い自治体
になっていますので、よけいにこのニュースが気に
なったのです。
前回、「人口」が「国力」に及ぼす影響を取り上げ
ましたが、現在、国内に滞在する外国人は全人口1
億2330万人の2.5%に相当する約314万人
(うち、7万人は不法滞在)だそうですが、外国人
労働者や移民政策を推進し、仮に外国人比率が川口
市と同じくらいになれば、国内には現在の2.5倍、
約800万人の外国人が滞在することになります。
現時点において、未来の我が国の姿を予測するのは
時期尚早ですが、川口市の事案などはまだまだ序の
口で、現在、欧米諸国などで発生している移民をめ
ぐ���様々なインシデントが社会を揺るがしていると
いう“現実”を知ると、人口減の対策として軽々に
外国人労働者とか滞在者を増やすことには抵抗があ
ることでしょう。
この点も我が国の「歴史」や「文化」の問題ですが、
将来的には外国人が増えることを前提としながらも、
人口の何%ぐらいが限界なのか、あるいは、せめて
現状程度の治安や平穏な生活を維持するためにいか
なる処置を講ずればよいのか、などについても様々
知恵を働かせる必要があると考えます。
川口市の事案自体は、さほど取り立てて騒ぐほどの
ことではないとは思いますが、何か我が国の未来の
姿を“先取り”したようで、一抹の不安感が脳裏を
かすめましたので、あえて紹介しました。出典の
「『移民』と日本人」(産経新聞7月31日、1・
3面)も、最後に「日本人人口そのものが減ってい
く中、私たちは彼ら(外国人)とどのように向き合
っていくのか」の1文で結ばれていました。本文で
も触れますが、仮に有事になれば、“異次元のイン
シデント”を覚悟する必要もあるのです。
外国人との向き合い方に留まらず、我が国の厳しい
未来に立ち向かうためには、大河ドラマの「どうす
る家康」ならぬ「どうする日本」の“連続”という
気がします。前回の「人口」に続き、今回は「領土」
を取り上げましょう。
▼「領土」が「国力」に及ぼす影響(前段)
「国力」の要素としての「領土」に関する国際比較
は、すでに紹介しましたように、面積とか地政学的
位置とか国土の特性など「領土」の持つマクロな要
素が重視されますが、「領土」は「国力」の“指
標”でも“象徴”でもあり、それを死守することが、
時代の変化にかかわらず「国益」そのものになり、
国防の直接の目的になることから、実際にはこれら
と違った要素も入ってくると考えます。
特に、「領土」が「人口」「食料・エネルギー資源」、
「安全保障」など、実際の「国力」の維持・増大
(あるいは低下)の直接の原動力となり、なおかつ
複雑な歴史的経緯を含むような場合、「領土」は、
いわゆる“核心的利益”に格上げされ、武力をもっ
てしてもそれを“手に入れる”ことを企図するレベ
ルまで格上げされます。
人類の歴史は、かつての植民地主義のように、武力
に物を言わせて一方的に「領土」拡大を企図するか、
はたまた、互いの「領土」争奪を目的とする「戦争」
の繰り返しでした。そして今なお、ウクライナ戦争
のように、武力をもって「領土」を拡大する国があ
り、かつ“隙あらば”と領土拡大を目論んでいる国
もあるという事実を私たちは強く認識する必要があ
るのです。
このような国は、時に、史実を歪曲してでも自国に
有利な歴史戦を展開して、領土獲得の正当性を主張
するのが常道ですし、相対する国と“相対的な力関
係”が逆転したような場合は、過去の“怨念”のよ
うなものも手伝って、領土問題はますます熾烈さを
増すことも歴史が教えるところです。
我が国は現在、歴史的にも国際法上も日本固有の領
土である北方領土、竹島、そして尖閣諸島と3つの
領土問題を抱えています。北方領土と竹島は不法占
領下にあり、尖閣諸島は一応、我が国の施政下にあ
るものの、ほぼ毎日のように、中国が領海・領空侵
犯を繰り返し、我が国の漁船などの接近を拒み、
「実効支配」の既成事実化を企んでいます。
一般に、領土問題は当事国同士が外交で解決するの
が最も望ましいとされていますが、そう簡単に円満
な解決ができないことは言うまでありません。それ
だけ、どこの国であっても、また取るに足らないよ
うな辺鄙な岩礁などであっても、「領土」の取得や
保全を“核心的利益”として「国益」の中心に据え
ているのです。
「当事者同士の外交で解決」や「軍事力による解決」
以外にも、領土問題は、(1)経済力を活用した解決、
(2) 国際司法裁判所(IJC)などに付託するなど
国際社会の支援を得た解決、(3)文化交流や人的交流
を通じた理解の促進、などの多様な解決策があると
言われています。
(1)経済力を活用した解決については、1803年に
フランスがアメリカのミシシッピ川流域の広大な地
域のルイジアナ(現在は15州にわかれています)
を1500万ドルでアメリカに売却したり、186
7年にロシアがアラスカを720万ドルでアメリカ
に売却したような例もありますが、経済力を活用し
て平和裏に領土問題を解決した例は数えるほどしか
ありません。
北方領土についても、ソ連崩壊後のひと時、日本に
返還される可能性が膨らんだ時がありました。その
後もビザなし交流などの文化交流や人的交流も盛ん
に行なわれ(私も2度参加しました)、日本は島民
との和睦のために努力をしてきました。最近も、度
重なるプーチンー安倍会談によって再び返還に向け
た気運が盛り上がった時期がありましたが、このた
びのウクライナ戦争によって、また“振り出しに戻
った”と考える必要があるでしょう。
また、(2)国際社会の支援を得るという観点で言えば、
フィリピンは、中国が主張する「九段線」について
国際仲裁裁判所に訴え、2016年、裁判所は「国
際法上の法的根拠はなく、国際法に違反する」
(「南シナ海裁判」と呼ばれています)の判断を下し
ましたが、中国が、裁決は無効、「紙くずにすぎな
い」として拒否したため、何らの解決に至りません
でした。
同盟国の支援についても触れておきましょう。アメ
リカは、日本が絡む領土問題については、例えば尖
閣諸島については「日本の施政下にある」としなが
らも「日本の主権」については明確にしていません
し、北方領土についても、「日本の主権」を明言し、
日本の立場を支持したのは、つい最近、2022年
の3月でした。
大東亜戦争末期の「ヤルタ会談」密約によって、ソ
連参戦の条件として千島列島などをソ連領土とする
ことを認めた手前、なかなか明言できなかったので
しょう。もっとも、当時のルーズベルト大統領は、
「千島列島の中に、“歴史的に日本固有の領土であ
る北方領土が含まれている”とは認識していなかっ
た」との分析もありますが、“あとのまつり”であ
り、その勢いで北海道まで占領する意図を持ってい
たスターリンに“してやられた”のでした。
尖閣列島のように、「施政権は持っている」と認め
ても「日本の主権」については明言を避けている理
由は、“第三国間の領域紛争に巻き込まれたくな
い”というアメリカの伝統的外交方針から、「特定
の立場を取らず、あいまいな立場を維持している」
との見方が一般的ですが、米国にとっては、東アジ
ア外交戦略上、日本が周辺の3国と領土問題を抱え
ることが「国益」になるとの分析もあります。
米国の“あいまいさ”が、実際に、アメリカの東ア
ジア政策を狂わせるほどの日中接近を拒み、中国に
“付け入る隙”を与えていることから、日米同盟と
いえども、「領土問題」の解決の“手助けにはなら
ない”ことを私たちはよく認識する必要があるので
す。
▼「領土」が「国力」に及ぼす影響(後段)
同様なことは台湾問題についても言えるでしょう。
台湾問題も複雑な経緯があります。少し長くなりま
すが、安倍元総理が「台湾有事は日本有事」と発言
して話題になったように、地理的にも歴史的にも民
主主義という政治体制的にも日本と近い台湾問題は
即、日本の安全保障や「領土」保全と直結する問題
なので、少し触れておきましょう。
かつては、中華民国(台湾)が中国を代表する国家
として国際連合に加盟し、安全保障理事会の常任理
事国でもありました。第2次世界大戦の終末時、本
来「連合国」と訳すべき「United Nations」設立の
主旨からして当然だったのです。
それが変わったのは、アメリカが米ソ対立の冷戦下
において、泥沼のベトナム戦争の最中でした。戦争
の早期解決に向けて、アメリカは対中政策の根本的
再検討を迫られていました。一方当時は、中国とソ
連も対立し、中国は、対ソ政策上、アメリカにアジ
アに留まってもらいたいと望んでいたことから、1
971年、電撃的なキッシンジャーの中国訪問が実
現しました。その延長で、第2758決議(「アル
バニア決議」と呼称されます)によって、中華民国
は国連から追放され、中国を代表する中華人民共和
国が国連に加盟、安全保障理事国の地位も獲得しま
した。
この決議は、正式には「蒋介石の代理人」の追放で、
中華民国が追放されたわけではなかったので、例え
ば「台湾」と名称を変更して国連に残る選択肢もあ
ったようですが、中華民国は国連を脱退しました。
アメリカは、1979年に「台湾関係法」を制定し、
台湾との非公式な関係を維持しながら、中国政府と
正式な国交を結びました。この法律により、アメリ
カは「一つの中国」政策を順守し、中国政府のみを
承認することになったのです。
このような歴史的背景もあって、アメリカは「台湾
問題は国内問題」とする中国に表立った反論ができ
ないまま時が流れました。かのトランプ前大統領で
さえ、多数のF-16戦闘機や戦車、対空ミサイルなど
を含む総額100億ドル規模の台湾向け武器輸出は
承認していましたが、面と向かって「台湾を防衛す
る」と明言はできませんでした。
一方、バイデン大統領は、2022年5月、日本に
おける演説の中で「中国が台湾を攻撃した場合、米
国は軍事的に介入して島を守る」と警告しました。
ホワイトハウスは、「米国の長年の台湾政策に変更
はない」と否定するという奇妙な一幕もありました
が、当時、バイデン大統領は、「ロシアのウクライ
ナ侵攻と台湾には類似点をあることを主張したかっ
た」のだと報道されました。
いずれにしても、アメリカの台湾防衛の“本気度”
が中国の武力行使の「抑止力」になることは明白な
ので、“お互いの腹を探るつばぜり合い”が今後も
展開されることでしょう。
さて一時、「尖閣列島の領有権の争いなどよりも日
中経済交流が大事」と盛んに言われていた時期があ
りました。このような主張を繰り返す人たちは「国
力」、そして「国力」の要素としての「領土」の意
味を全く理解してないということで、外国であれば、
“処刑者”でしょう。
そして、今なお、「領土」の「国力」に及ぼす影響
をなんら顧みない現象の現れが「外国資本による土
地の購入」です。本メルマガでもすでに取り上げま
したが、太陽光発電などの用地として、分かってい
るだけで広島県ほどの面積がすでに中国など外国資
本下にあります。その一部は、我が国にとって重要
なインフラの近傍に所在しています。
ようやく、2021年に制定された「土地取引規制
法」によって、重要施設周辺や国境離島等など「特
別注視区域」近傍の土地取引には事前届出が義務付
けられましたので、米軍基地が自衛隊施設の近傍の
土地取得には制限がかかりました。
しかし、現在の我が国の法律では、私有地の中に簡
単に立ち入ることができないため、平時有事を含め、
この私有地を活用して“様々なことが行なわれる”
ことを覚悟する必要があるでしょう。
巷には、「水源地」として活用されることへの懸念
や電波妨害やライフラインの遮断などは取沙汰され
ていますが、その気になれば、小型ドローンにより
周辺の重要インフラ等への局地攻撃なども簡単に実
施できるでしょう。
つまり、台湾有事と絡めた南西諸島への脅威などに
留まらず、“戦場”は全国各地に及ぶ可能性がある
のです。冒頭にも述べましたように、平時有事を問
わず、目的が解明できない滞在者と「外国資本の領
土」に繋がった場合の国防上の懸念は、このような
事態を「ハイブリッド戦」と呼ぼうが呼ぶまいが、
想像を絶するのです。
中国には2010年から施行されている「国防動員
法」があり、中国人は外国に滞在してもこの法律に
より緊急時の動員を強制されます。一方、中国は、
最近話題になっている「半スパイ防止法」によって
国内に滞在する外国人を常時監視しています。
そして、中国の土地はすべて国の所有物であり、中
国人が取得できるのは「土地の使用権」のみです。
外国人は、この「使用権」でさえも単独名義で取得
することはできず、だれか中国人のパートナーを探
し、「合弁」という形の共同名義のみが認められて
います。外国人が国内に滞在することや土地取得に
絡む“危険性”を熟知しているからでしょう。我が
国も中国のような国に対しては、外交上の「相互主
義」を貫くべきなのです。
「領土」だけではないですが、政治家や官僚、そし
てほとんどの有識者たちの「国力」とか「国益」に
対する無頓着さが、やがて“取り返しのつかない問
題”に発展する可能性があります。最大の問題点は、
それらに対してほとんどだれも警鐘を鳴らさないこ
とにあると考えます。私は、「国力」を顧みない
「領土」に対する認識こそ、“能天気の極み”と考
えます。
繰り返しますが、「領土」を防衛することは、国防
の目的そのものです。上杉謙信が言い始めた言葉と
される「寸土を軽んずるもの、全土を失う」を戒め
として、私たちは、“寸土”といえども「領土」を
守りぬくこと、そして歴史の事実なき不法占拠には
断固として立ち向かうこと、さらには、国内の土地
を外国資本に売却する“危険性”を再認識し、必要
な処置を講ずる必要があるのです。
私自身は、将来の厳しい情勢に備えるためには「憲
法改正待ったなし」と考えていますが、憲法改正前
に「やるべきこと」「できること」が山ほどあるこ
とも事実でしょう。いい加減に目を覚ましてほしい
と切に願う昨今です。
「強靭な国家」を造るために「国力」に焦点を充て
て分析していますが、いずれも“宿題”を残しつつ、
ようやく「人口」と「領土」が終わりました。「強
靭な国家を造ることは容易なことではない」ことを
再認識せざるを得ません。まだまだ続きます。読者
の皆様も“我が事”としてぜひ一緒に考えて頂きた
いと願っています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
4 notes · View notes
jaguarmen99 · 3 years
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大西洋会談でルーズベルトは、参戦を求めるチャーチルに対して「3カ月はやつら(日本)を子供のようにあやすつもりだ」と述べました。戦争準備のため時間稼ぎをするのでしばらく待ってくれという意味です。ルーズベルトはわが国に対して「ハワイは無理だが、アラスカのジュノーでなら会談してもいい」などと回答して気を持たせましたが、初めから首脳会談を行うつもりなどありませんでした。 実は前年の1940年10月、米海軍情報部極東課長アーサー・マッカラムが、日本を追い詰めて先制攻撃させる方法として8項目の覚書を書いています(マッカラム覚書)。そこには「在米日本資産の凍結」や「オランダとともに日本への石油輸出を禁止する」といった内容がありました。それがほぼ実行に移されたのです。 1941年11月15日、米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは非公式の記者会見で「紙でできた日本の都市を燃やす」「市民を爆撃することに何の躊躇も感じない」と言い放ちました。 26日、米国はわが国に中国大陸からの撤退などを求めるハル・ノートと呼ばれる最後通告を突き付けてきました。
【入門・日米戦争どっちが悪い(5)】日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ(4/5ページ) - 産経ニュース
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xf-2 · 5 years
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丸山穂高衆議院議員が、北方領土の国後島へのビザなし交流訪問団に参加して、宿泊場所の「友好の家」で、訪問団団長の元国後島民の大塚小弥太さん(八十九歳)に、「戦争で奪われた島は戦争で取り返すしかない」という趣旨の発言をして、それを聞いたマスコミが報道して騒ぎが広がった。そして、丸山議員が所属する日本維新の会は同議員を除名したうえで、他の党派の議員達とともに同議員の議員辞職を求める動きが大勢になりつつあるという。その理由は、産経新聞の産経抄(五月十六日朝刊)の言葉を借りれば、丸山議員の発言は、「ロシアとの返還交渉に水をさし、ビザなし交流に悪影響を与える」ということだろう。   私は、この認識は間違っていると思う。丸山議員の発言は、ロシアとの返還交渉に水をさすどころか、有利に展開させる方向に作用する。但し、我が国内で、現在のように同議員に対する非難が大勢をしめておればダメだ。丸山発言を非難する現在のマスコミと大衆(議員を含む)は、意識せずにプーチンに至るロシアの為政者達の一貫した方針を強化する方向に貢献している。これを利敵行為という。以下その理由を述べる。   丸山発言を非難する人は、「返還交渉に悪影響をあたえる」からだと思っているようだが、長年の返還交渉の経緯とロシアの言動をよく見られよ。ロシアのプーチン大統領の真意は何か。ロシア研究の第一人者である木村汎北海道大学名誉教授は、「ロシア、プーチンには北方領土を我が国に返す意思は一切無い」と言い切っておられる。これが、安倍総理と十数回の会談を重ね、お互いに、「シンゾウ」、「ウラジーミル」と呼び合う親密な友人になったと日本側が片思いのように信頼しているプーチンの本質だ。   では、この返還意思が一切無いプーチンが「ウラジーミル」と言われて笑いながら「返還交渉」をするのは何故か。その理由は「領土問題をロシアが全く無視していると日本が思ったら、ロシアとの経済協力などに日本が無関心になると畏れているからだ」、と同じくロシア研究者の袴田茂樹新潟県立大学教授が書いている。つまり、ロシアは北方領土問題を、日本という馬の前にぶら下げるニンジンとみているのだ(同教授筆産経新聞「正論」平成三十年十月三十一日)。つまり、プーチンは、日本は「平和憲法」で萎縮したカネだけ持っている哀れな馬で、馬を思いのままに操るには、その前にニンジンをぶら下げることだと思っている。そして、昨年、プーチンは、突如、領土問題の解決を抜きにして平和条約を締結しようと日本側に提案した。この提案の本質を指摘し批判したのは、日本側ではなく日露領土交渉に深く関わったロシアの元外務次官であり、彼は次のようにプーチンを批判したのだ。「これほど侮辱的な提案は、ブレジネフのソ連時代でさえも日本に対して行わなかった」   ここまで書けばお分かりいただけるであろう。今までのロシアには「領土交渉」は無いのだ。あると思っているのは日本だけだ。従って、領土交渉がないのであるから、丸山発言が領土交渉に水をさすことはなく、反対にロシアが本当の領土交渉に乗り出さざるをえない方向に作用する可能性大である。何故なら、「戦争で取られた島を戦争で取り戻す」というのは日本以外の国、特にロシアがもつ常識であり、この鉄則に日本が立ち返る動きが日本国内に出てくれば、さすがのプーチンも、従来のように、日本を馬のように侮辱することができなくなり、東に増大する脅威に直面して本当の領土交渉に入らざるをえないからである。   百六十年前にユーラシアの西のクリミア戦争で経済的に疲弊したロシアは、十年後に東のアラスカをアメリカ合衆国に売却した。これがロシアである。現在、ロシアは、同じくクリミアに侵攻して西側の経済制裁を受けており、従って、東ではウラジーミルと呼ばれて微笑んでいるのだ。しかも、今までは、頭から領土を戦争によって取り戻すというロシア的発想がない日本に対しては安心して、馬に対すると同じようにニンジンを垂らして侮辱することもできた。しかし、ニンジンのからくりは見破られ、日本国内には戦争をしてでも取り戻すという空気が湧いてきているようになれば、ロシアはユーラシアの西と東で難問を抱えることになる。従って、百五十年前と同じように、ロシアは東で大幅な譲歩をする可能性が出てくるのだ。我が国は、数十匹の猟犬でヒグマを追い詰めるようにロシアを動かさねばならない。従って、我が国は、西方でのロシアの脅威増大を煽ると共に、東においてもロシアにとっての軍事的脅威の増大を謀る必要がある。このことは、対中共と対北朝鮮対策にとても有効に作用する。この意味で、本人の意図は知らず、丸山発言は有益である。世界から見て奇妙な「平和憲法」の「平和主義」を掲げて「平和主義者」ぶって内部で非難合戦をするのはもう止めろ。  
10 notes · View notes
deusnatura · 5 years
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ラーメンの国民食化。それはあるいは、日清食品の創業者・安藤百福氏が戦後に売り出したチキンラーメンの偉業であったかもしれない。そう考えても、あながち大げさではないだろう。 1950年代に始まった初期の南極越冬隊が昭和基地に持ち込んだ即席麺があった。開発したのは台湾人だ。と言っても、安藤氏ではない。麺の名前もチキンラーメンではなく、「長寿麺」という別の即席麺だった。 大阪市阿倍野区の天王寺駅を訪れると、再開発の波が激しく押し寄せていた。多くの古いビルが取り壊され、駐車場になり、さらなるプロジェクトを待ち受けている。そんな天王寺の古い路地を進んでいった私は、突き当たりにある古いマンションの一室のドアを開けた。  玄関には、大きな木製の看板があった。「東明長寿麺本舗 東明商行食品部」。  この一室は「東明」という会社の本社で、現在の社長は清川信治さん(75)だ。「長寿麺」を売り出したのは、すでに他界した清川さんの父親、台湾出身の張國文さんだった。東明商行(現・東明)も、張さんが立ち上げた会社だ。 清川さんは事務室の押入れから、少し茶色がかった1枚の広告を引っ張り出した。そこには、こう書かれている。 「インスタント・ラーメンの元祖 即席えびラーメン(東明長寿麺) 南極越冬隊・ヒマラヤ遠征隊 アラスカ調査団 ほか各学術団体ご採用」   日本での「元祖インスタントラーメン」はチキンラーメンではなかったのか。  清川さんは、即席麺を安藤氏が発明したというストーリーについて、 「あれはファンタジー。歴史はつくられる、と言うんでしょうか……。死人に口なしかもしれないけれど、事実は1つ。父が最初に即席麺をつくったという以外にありません」 と言い切った。  清川さんの父・張さんは、1917年に台湾の屏東県にある東港という町で生まれた。18歳のときに日本へ渡り、歯科技工士として働いた。戦後も日本に残り、まもなく阿倍野で「東明食堂」というレストランを開業。そこで「長寿麺」を売り出し、大ヒットしたという。  料理が上手だった張さんは、よく家族にも料理を振る舞った。清川さんが覚えているのは、小学生だったある日、張さんが母親や子供をそろって食卓につかせたときのことだ。  普通の料理が出てくると思っていたら、張さんが蓋をしたラーメンの丼を運んできて、「5分待ちなさい」と言う。5分後、蓋を開けてみると、ほかほかの湯気があがるラーメンが入っており、「美味しいだろう?」と語った張さんの誇らしげな表情が、忘れられないという。どうして即席麺をつくったのか聞かされたことはなかった。 1枚の新聞記事のコピーを清川さんは見せてくれた。 「ブームに乗る簡易食品 食生活の改善に一役」という『日本経済新聞』の記事で、日付は1959年5月1日。「中小企業版」の特集記事として、即席ラーメンのことが紹介されている。 「昨年11月、大阪のH百貨店に初めてお目見得し、人気を呼んでいるのが、味付け不要という即席ラーメン。独特のラーメンに鶏肉、豚肉などのスープを濃縮し、調味料、ビタミンなどを加えたもので、そのまま熱湯に3分間入れるだけで食べられるというもの。試食実演で、夜食として適当だとPRした効果が現れてか、だんだん人気が人気を呼び、日に約2千食分売れるという」  企業名は特定されていないが、文中の即席ラーメンとは東明商行の即席麺のことであるという。張国文さんが大切に記念として保存していたものだ。  安藤氏が自著で「油熱乾燥法」という即席麺の製法を「発明」したと書いているのは1958年。こうした経緯をみれば、長寿麺が、同じ時期にすでに市中に出回っていたことは間違いない。 『実業界』という経済誌が1961年5月号で「インスタント食品ブームと即席ラーメン」という記事を掲載していた。張さんと主婦団体の人々が対談し、即席麺の日本の食文化への意義を語り合う内容だ。  その中で雑誌側は、「この即席ラーメン業界も今日では乱立気味ですが、この種類の食品の元祖として」と、長寿麺のことを紹介している。対談の中で張さんも「一番先に私が作り出したのですが、その当時(昭和33年秋ごろ)は即席という言葉も今日ほど流行しておりませんでした」と述べている。 清川さんは、自分の机から分厚い書類の束を取り出した。  そこには、多くの権利関係の書類が挟まれていた。「自分でも整理しようと思うのですが、ちょっと面倒で……」と、苦笑いする清川さん。私は、書類の束を1枚ずつ仕分けしながら、内容を精査していった。書類は、即席麺の特許に関するもので、張さんが取得した特許を日清食品に譲渡する内容であった。  何種類かある譲渡契約のうち、もっとも重要なものが1961年8月16日に結ばれている。書類の���後に安藤氏と張さんの署名押印がある。 書類によれば、張さんの特許は「味付乾麺の製法」というタイトルで、その譲渡に際して、安藤氏が張さんに2300万円を支払うことになっている。いまの価値に換算すれば数億円ぐらいになるとみられ、かなり大きな額のようだ。  すでに東明商行はエース食品など10社の在関西食品会社に即席麺を販売委託していたが、これら食品会社への製造に関わる「実施権」も日清側に継承すると定めている。  なぜ張さんは、特許を安藤氏に譲渡したのだろうか���  安藤氏の著書にはこの点について「類似品が乱立した」とだけ触れられている。清川さんもこう振り返る。「類似品がいろいろ出回って争いにもなり、父親も嫌気がさしたのでしょう。だから権利を安藤氏に譲渡したのだと思います」 すでに日本に帰化している清川さんら家族はこうした契約書の存在はまったく知らされておらず、張さんの死後、遺品の整理で金庫から出てきたのだ。 「おやじは小さいときは『おれが最初に作ったんだ』と自慢していましたが、だんだん話をしなくなりました。どんどん成長していく日清食品をみて口には出さないけれど悔しさがあったんでしょうね。ドラマでみんな安藤さんの『発明』を信じてしまうのが残念です」  安藤氏と張さんによる発売と特許申請のタイミングを整理してみよう。  安藤氏が「チキンラーメン」を売り出したのは58年の後半。これに対して、張さんが「長寿麺」を売り出したのは58年の前半からそれより前と見られる。特許出願も張さんが58年12月(味付乾麺の製法)で、安藤氏側の59年1月(即席ラーメンの製造法)より少し早い。実はほかにも、(上)で取り上げた「鶏糸麺」の名前で特許を同時期に出願した台湾人もいた。  つまり、この時期は、即席麺の市場は特許紛争も絡んだであろう「戦国時代」で、そのなかで最終的に勝ち残って特許も買い取ったのが安藤氏率いる日清食品のチキンラーメンだったのである。
NHK『まんぷく』チキンラーメンは本当に「発明」なのか https://www.fsight.jp/articles/-/44828
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abraxas174 · 3 years
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『フリント船長がまだいい人だったころ』ニック・ダイベック 田中 文 訳
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スティーヴンソンの『宝島』に出てくる「フリント船長」が題名に取られているところから分かるように、主人公は十四歳の少年である。時は一九八七年、合衆国北西部ワシントン州にあるロイヤルティ・アイランドという漁師町が舞台。町の男たちは大半が漁師で船に乗ってアラスカにカニをとりに出て行く。一度漁に出ると一年のほとんどは家を空ける。残された妻や子はひとしきりその不在をかこつ、そんな小さな町の話だ。
十四歳の少年カルの父、ヘンリーはカニ漁船の船長。たまにしか帰ってこない父に一人息子は話をせがむ。大好きな『宝島』の話が終わっても、続きを聞きたがる。父は仕方なく、フリント船長がまだいい人だったころの話をして聞かせるのだった。『宝島』の話を知ってる人なら、あのフリント船長が、いい人だったことなんてあるのか、と疑いたくなるだろうが、人の人生には、往々にして他人の知り得ないことがあるのだ。
カルの母は父に連れられてカリフォルニアからこの町にやってきた。大量のレコードと一緒に。父はそんな母のために地下室を改造してスタジオを作ってやった。何かやりきれないことがあると母はそこに独りで閉じこもって何時間も音楽を聴くのだった。どうやら、その頃、父と母は息子の将来について異なる意見を持っており、互いに譲ろうとはしなかったらしい。その町では息子は父の跡を継いで舟に乗るのが当たり前だった。しかし、母は別の世界を知っていて、息子を小さな世界に閉じ込めたくなかったのだ。
その町が今あるのはゴーント家の曽祖父ローリーがカニ漁を始めたことによる。代々手を広げ、今ではすべての船や工場、その他の会社が三代目、ジョン・ゴーントのものになっていた。そのジョンの突然の死が町を騒然とさせる。ジョンが死ねば一人息子のリチャードが継ぐことになるが、リチャードは一度も船に乗ったことがなく、相続したらすべてを日本の会社に売り渡すと噂されていたからだ。そんなことになったら、カルの父ばかりではなく、町中の男たちが仕事を失ってしまう。
ジョンの葬式も終わり、恒例の記念日の会食が、今年ばかりはヘンリーの家で行われた晩、招かれざる客であるリチャードが姿を現し、噂が本当であることをぶちまけてしまう。漁師たちはヘンリーの家に集まっては、夜な夜な打開策を相談するが、万策尽きる。そんなある日、カニ漁の再開が告げられ、町中が沸き立つ。なんと、ヘンリーらの説得が功を奏し、リチャード自らが舟に乗り、アラスカに向けて出発するという。
その出航前夜、父と母はまたもや激しい言い争いになり、出産の準備のために母は家を出てカリフォルニアに引っ越すことになる。母に一緒に来るかと訊かれたが、カルはうんと言わない。一人暮らしとなる息子の身を案じた父は同僚で、ジェレミーという同級生の息子がいるサムの家に息子を預ける。他人の家で父の帰りを待つカルのところに吉報が舞い込む。今年の漁は奇蹟的な大漁だった。しかし、その後に飛び込んで来たのは、リチャードが海に落ちて死んだという哀しい知らせだった。
そんなとき、久しぶりに立ち寄った自分の家の地下から音楽が聞こえてくる。母がこっそり帰ってきたのかと喜んだカルだったが、カリフォルニアの母から電話があった。地下室にいるのが母でないなら、いったいあれは何なのか。ひょっとしたら自分の気のせいかと思い、再度訪れてもやはり音楽が聞こえてくる。カルは自分の気は確かなのかと思い悩み、遂に、地下室に声をかける。すると、そこから帰ってきた返事は思いもよらないものだった。
小さなコミュニティに暮らす少年が自己を形作っていくときに頼りにするのは、父である。ところが、その父が一年の大半留守をする。残された母が地域の中でコミュニティとうまくつきあっているなら、それなりに何とかなるのかもしれない。ところがカリフォルニアから来た母にそんな気はさらさらなく、友人と言えるのは今は引退したジョン・ゴーントくらいのもので、ジョンは父の留守中も、よく母のスタジオを訪れ、地域の噂など気にせず、二人で音楽を聴いていた。
父の留守中にとんでもない厄介ごとを背負いこんでしまったカルは、ジェレミーの手を借りながら、何とかそれを処理しようと躍起になる。しかし、自分の意志を通そうとすれば、父を、ひいてはコミュニティを裏切ることになる。しかし、もしそうしなければ事態を解決することができない、というディレンマに陥ってしまう。これは、少年が大人になるために誰もが一度は通らなければならない「通過儀礼(イニシエーション)」を描いた物語である。
カルは自分の背負いこんだ厄介ごとと格闘する中で、父の仲間のビルや同い年のジェレミーたちとそれまでにないほど濃厚な接触をすることになる。それまで自分というものを深く考えたこともなかったカルだったが、他者の目から見たかルは、意外なことに、自分でも気づかない性格や能力を持っていた。いよいよ事を決しなければならなくなった時、カルは思いもよらぬ行動に出るのだった。
デューク・エリントンの「ロータス・ブロッサム」はじめ、マイルスやコルトレーンのジャズの名曲、ボブ・ディランやニール・ヤングといったフォーク、ロックの懐かしい曲が地下のスタジオから流れてきて、真空管のオレンジ色の灯りとともに、物語に色を添える。母がカリフォルニアから連れてきた音楽が小さなコミュニティから出て行くための翼になっている。作者は『シカゴ育ち』のスチュアート・ダイベックの子息。瑞々しい抒情性に溢れた鮮烈なデビュー作である。
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protestsong · 3 years
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中国共産党結党100周年記念行事が目前に迫っている中、中国の情報機関ナンバー2が米国に亡命したといううわさが広まっている。18日の香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストと英紙デイリー・テレグラフによると、中国国家安全部の董経緯副部長(57)が今年2月、娘と一緒に香港で米国に亡命したといううわさが急速に広がっている。  特に、董氏が亡命した際、新型コロナの起源地が武漢ウイルス研究所だという情報を持ち去ったといううわさや、先月米国と中国の外交担当長官・国防担当長官がアラスカで会って舌戦を繰り広げた時、董氏の亡命問題が取りざたされたといううわさまで飛び交っている、と一部海外メディアは伝えている。  今年57歳の董氏は中国の防諜活動責任者だったと言われている。もし董氏の亡命説が事実だと確認されれば、これまで亡命した中国官僚の中でもトップクラスに該当する。  亡命説が広まると、中国当局は直ちに反論した。中国の司法・公安機構を総括する組織である中央政法委員会は亡命報道が出た18日午後、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じ、董氏がスパイ摘発懇談会を招集したというニュースを伝えた。亡命説を否定したものだ。環球時報や中国中央テレビなどほかの国営メディアもこのニュースを伝えた。  しかし、このように中国政府が迅速に対応することの方がむしろ釈然としない、という指摘が中国共産党に批判的なメディアを中心に取りざたされている。法輪功系メディアのエポック・タイムズ(大紀元時報)は「中国共産党と政府の対外情報業務を総括する機関が官僚と活動状況を伝えるのは非常に異例だ」と報道した。 鄭智燮(チョン・ジソプ)記者
「武漢のコロナ情報持ち去った」…中国情報機関ナンバー2に米亡命説-Chosun online 朝鮮日報
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sumikko-antena · 3 years
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【ウイグル】中国がジェノサイド認定に反発「今世紀最大の嘘や」
在日ウイグル人が明かす ウイグル・ジェノサイド ―東トルキスタンの真実 ムカイダイス(著) ¥1,540 1: 2021/03/22(月) 06:39:13.29 ID:1F0ODSdn9 ABEMA TIMES https://times.abema.tv/news-article/8650869?utm_source=abematimes&utm_medium=web&utm_campaign=linenews_times 米、ウイグル族弾圧を「大量虐殺」と認定 中国側が反発「今世紀最大の嘘だ」 【ABEMA TIMES】 アメリカのアラスカ州で開かれていた米中外交トップ会談が終了した。中国側は「中国共産党の地位は人民が選んだものだ」と述べ、アメリカ側に共産党による指導の正当性を強調している。 【映像】「中国を見くびるな」米中会談、繰り広げられた激しい言葉の応酬…
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newsvoice420 · 3 years
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熾烈な対立が浮き彫りに 米中外交トップ会談終了(2021年3月20日) - ANNnewsCH #最新ニュース
熾烈な対立が浮き彫りに 米中外交トップ会談終了(2021年3月20日) – ANNnewsCH #最新ニュース
熾烈な対立が浮き彫りに 米中外交トップ会談終了(2021年3月20日) – ANNnewsCH 熾烈な対立が浮き彫りに 米中外交トップ会談終了(2021年3月20日)  ANNnewsCH 中国「メディアの前で侮辱」手法に、米国「記者団、出て行くな」正面対応(中央日報日本語版) – Yahoo!ニュース  Yahoo!ニュース 異例 米中外交トップ“非難”応酬、わざわざ経由地アラスカで  TBS NEWS 米「中国と率直な話をした」 2日間の協議終わる(写真=AP)  日本経済新聞 米中高官が直接協議、バイデン政権下で初 冒頭から激論(ロイター)  Yahoo!ニュース Google ニュースですべての記事を見る 外国人へのPCR検査命令を撤回=「差別」と批判―韓国・ソウル市 –…
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kachoushi · 3 years
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零の会
2021年1月9日
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岡田順子選
コロナ渦でのメール句会
岡田順子出句
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岡田順子出句
耳袋とりオルガンに子は指を 雪しまく循環バスの灯の連鎖 墾田の夢果てたると枯木星 捨てゝゆく家の名残りの青木の実 男と女しまきの夜を密談す 雪しまく合羽に身詰め魚売女 罵詈雑言あびせしごとく榾晒す 大年の位牌拭へば指清し 音消して古きキネマに去年今年 耳に吊る真珠ひとつぶ冬銀河
【岡田順子選 ◎特選句】
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【岡田順子選 ◎特選句 句評】
冬服の短き袖の父叫ぶ 和子
冬服を着込んだ父は不格好である。頑固で体裁を取り繕いもせず何か叫んでいる。子には厄介だが切なくも愛おしい。その哀歓がたまらなく滲む。
雪しまき記憶のなかの三国歩す 三郎
福井の花鳥新年会の前日はいつも三国へ行っていた。幾度か雪しまく中を歩いた、その記憶だろう。思い馳せる心情を「雪しまき」へ昇華させた。
溜息の出るほど生きて粥柱 瑠璃
自虐か礼賛なのか・・と思い巡らせるが、どちらにしても健啖ぶりは目出度い。ハラハラ見守る家族にしても、生きる逞しさを教えられる。
美少女の耳霜焼けてロック座へ 俊樹
浅草のストリップ劇場へ向かう少女。美しいが耳は霜焼。それは「うぶ」を指すのか、スターになる夢の一途さか・・。ただ興味で覗くだけなら話はお終い。
月光の鎮めてゆけり雪しまき 千種
雪を巻き込むしまきは全ての視界を消し、人はただ止むを待つしかない無力さに襲われる。やがて寒月が照り、天意のようにそれを鎮めてゆくという。
濯ぎ物竿もろともにしまかれし 美智子
大仰な詠みっぷりに、「しまき」が人の暮しに及ぼす本質の様なものを摑みとっている。物干竿ごとひっくり返されてしまった、軽い恨み。
楪の鬱蒼として女系とか 要
新しい葉が成長してから古い葉が譲って落ちるので、この葉の名がある。それにあやかり、女系という古風な風趣に結び付けた。「鬱蒼」が良い。
貨物機はアラスカを発ち鰤起こし いづみ
何だか分からない、映画でも観ている様な句。でも、アラスカから発った貨物機が「鰤起こし」の中、日本を目指しているらしいのだ・・と鑑賞。
去年今年アンモナイトは目覚めざる 光子
アンモナイトが目覚めるはずはない。でも、そう言い切れることと同じくらい当然、地球に「去年今年」は巡る。しかし、永遠にか?・・・と思う昨今。
雪うさぎ人来るまでに耳落す 千種
誰かに見せたくて作った「雪うさぎ」。でもなかなか来ない。そのうち一番大事な耳の部分の雪が融けてきたという。なんとも絵本になりそうな。
【岡田順子選 ▲問題句 句評】
初夢ゆ「金閣を焼かなければならぬ」 公世
「金閣を焼かねばならぬ」は小説の名。この「ゆ」と、現存の作者の作為との絡まりが分からない。何か、初夢らしい感じはするけれど。
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ari0921 · 11 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月31日(水曜日)弐
    通巻第7775号 
テスラは「人質」である。テスラの総売上高の21%は中国である。
イーロン・マスクが突如、北京へプライベートジェットで乗り付けた
************************
イーロン・マスクが5月30日に突如、北京へプライベートジェットで乗り付け、秦剛外相と会談した。
マスク所有のジェット機は「2015 ガルフストリーム G650ER」で、アラスカで給油後、日本、韓国上空を飛行したことがロイターの追跡で判明しており、当初の予測ではマスクは北京で李強首相と面会する予定と言われた。
中国外務省によれば、会談で、「テスラはデカップリングや供給網の分断に反対し、中国での業務拡大を続けていく」と話したという。
「米中対立のさなかだが、テスラは中国重視の姿勢をアピールしたい。世界第2位の経済大国(=中国)がさらなる市場開放に向けて努力し、海外投資に対する魅力を高めている状況にあることを世界的に宣伝できる機会ともなった」と関係者は言う。
蛇足だが中国の報道では「秦国務委員兼外相がマスク(世界一の金持ち。資産2000億ドル)と会見」となっており、報道の重点の置き方が、順番と資産にあることを物語っている。
秦剛外相は「テスラを含む諸外国企業に中国が市場志向、法的、国際的なビジネス環境の構築に尽力する。中国の発展は世界にとってチャンスだ。健全で安定した建設的な中米関係は、中国と米国だけでなく世界全体にとっても有益だ」と綺麗ごとを述べた。
 中国に大工場をかかえ年間45万台を上海工場で生産するテスラは、換言すれば「人質」である。なにしろテスラの総売上高の21%は中国である。
 イーロン・マスク訪中の直前にもスターバックスのCEO、ラクスマン・ナラシンハンが、アップルCEOのティム・クック、ファィザーCEOのアルバート・ボウラらが訪中した。
 スタバは中国全土に展開しているが、価格は日本より高いのに若い世代に人気がある。
 アップルのスマホは中国で組み立てられており、またファイザーの中国における売り上げも巨大である。
 ▲マスクはトランプ支持からデサンティスに乗り換えたのか?
 問題はイーロン・マスクの政治的立ち位置だろう。
政治的にはトランプを支援し、巨費を投じてツィッターを買収して、「永久凍結」されたトランプのアカウントを再開する。マスクは共和党支持である。
 ところが一方で、次期大統領選挙ではトランプに挑戦するデサンティスを熱心に支援している。
 マスクの政治行動で気になるのは台湾統一に関して「台湾を特別行政区として統一すれば良い」と中国側に吹き込まれてことを直截に表現していることだ。
バランス感覚から言えばテスラの市場は中国であって台湾ではない。したがって台湾独立には距離をおいているか、無関心である。
 したがってマスクがのこのこと北京へ詣でたことは中国の政治宣伝の鴨だったことにならないか。
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jaguarmen99 · 3 years
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米中外交トップ会談が18日、米アラスカ州で始まった。米国のアントニー・ブリンケン(Antony Blinken)国務長官は冒頭で、中国の行動は「世界の安定を維持しているルールに基づく秩序を脅かす」と述べた。  アンカレジ(Anchorage)で2日間実施される会談には、中国からは外交担当トップの楊潔チ(Yang Jiechi)共産党政治局員、王毅(Wang Yi)外相が出席している。  ブリンケン氏によると、米側は「新疆(ウイグル自治区、Xinjiang Uighur Autonomous Region)を含む中国の行動に対する深い懸念」を伝える方針。米政府は新疆で中国政府がイスラム系少数民族ウイグル人に対する「ジェノサイド(大量虐殺)」を行っていると非難している。  ブリンケン氏は「香港、台湾、米国へのサイバー攻撃、同盟諸国への経済的な強制措置」についても協議する意向を示した。  会談に出席しているジェイク・サリバン(Jake Sullivan)米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は、米国は中国との対立を望んでいないが、戦略的ライバルとの厳しい競争は歓迎すると述べた。(c)AFP
米「中国の行動は世界の安定脅かす」 米中外交トップ会談開始 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News
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xf-2 · 5 years
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1月14日、北方領土・平和条約問題をめぐって、モスクワで日露外相会談が行われた。これは、22日に行われる安倍首相とプーチン大統領の首脳会談の準備と位置づけられる。
 昨年(2018年)の11月14日、シンガポールで日露首脳会談が行われ、安倍首相とプーチン大統領は、1956年の日ソ共同宣言に基づいて、問題解決のための交渉を加速化させることで合意した。日ソ共同宣言を基礎にするということは、平和条約締結後に歯舞・色丹二島が日本に引き渡されるということである。
 しかし、国後・択捉については、これからの協議次第である。これは、「四島一括返還、その後に平和条約」という我が国の従来からの主張とは大きくかけ離れている。歯舞・色丹二島のみを切り離し、先行して返還することを是とする理由は何か。
圧倒的だった「四島一括」より「二島先行」が多数派に
 12月8、9日に産経新聞社とFNNが実施した世論調査で、北方領土帰属問題についてどの案を目指すべきかを問うたところ、「歯舞・色丹二島返還先行、国後・択捉引き続き協議」が50.0%、「四島一括返還」が30.8%、「歯舞・色丹の二島だけでよい」が7.7%であった。
 かつては「四島一括返還」が圧倒的に多かったが、今回「二島先行論」が過半数になったとことに驚いている。しかもこの調査は、保守色の強い新聞社・テレビ局が行ったものだけに尚更である。他のマスコミの調査でも、6割前後が二島先行返還論に賛成しているのである。
 この変化はなぜ起こったのか。私は、日本人が北方領土問題への関心を失いつつあるからではないかと思っている。北方領土担当大臣が、四島の名称を正しく発音できない時代である。
「戦後外交の総決算」という安倍首相の決意を評価する雰囲気が支配的になり、「四島一括返還、その後に平和条約」という日本のこれまでの主張が一気に反古にされそうである。それでも構わないということを、安倍首相は内外に説明することができるのであろうか。
「日本は第二次世界大戦の結果を認めない唯一の国」
 タテマエ上は、「まず平和条約締結、そして二島返還、その後に四島を取り戻す」ということであろうが、平和条約を締結することがそんなにも重要なのであろうか。1956年の日ソ共同宣言以降は、平和条約が存在しているのと同じ状況にあり、日露両国民とも何の不便も感じていない。形式的には、平和条約締結が「戦後外交の総決算」となるのかもしれないが、実質的にはほとんど意味の無いことである。
 ロシアには国後・択捉を返還する意思はないので、二島先行返還論は、結局は二島のみ返還になってしまうということである。
 ロシア側は、北方領土は、第二次大戦の結果、ロシア(当時のソ連)が獲得したものであり、不法な占拠ではないと主張している。ラブロフ外相は、「北方領土」という呼称も批判しているし、16日の記者会見では、国連憲章107条(旧敵国条項)に言及し、「日本は第二次世界大戦の結果を認めない唯一の国」と批判した。そして、日露関係は「国際関係でパートナーと呼ぶにはほど遠い」と厳しい見方をした。
ロシア首都モスクワで記者会見に臨むセルゲイ・ラブロフ外相(2019年1月16日撮影)。(c)Kirill KUDRYAVTSEV / AFP〔AFPBB News〕
 このようなロシアが二島を日本側に引き渡すのは、一つの恩恵を与えることを意味し、経済支援など何らかの見返りが必要だとロシア側が考えて当然である。この論理を突き詰めれば、かつてアラスカをアメリカに売ったように、自らの領土を売却するということになる。
 二島の引き渡しにしても、歯舞島には軍関係者しかいないが、色丹島には約3000人のロシア人が住んでおり、土地の所有権をはじめ、彼らの処遇をどうするのか、旧日本人住民の権利や賠償をどうするのかといった様々な問題が出てくる。
北方領土解決策としては、従来の四島一括返還論と「二島+α」論がある。後者は、「平和条約締結後に歯舞・色丹二島が返還される、その後、国後・択捉については協議を進め、共同で開発を進めたり、日本人の自由往来を可能にする措置をとったりする」という考え方である。
 この考え方の人たちは、サンフランシスコ平和条約で千島列島の放棄を定めたときには、国後・択捉は千島列島に含まれていると解釈されていたと主張する。吉田茂首相は、両島を「千島南部」と呼び、歯舞・色丹の二島については「北海道の一部」という異なった表現をしたことを根拠とする。
 安倍首相がこの主張を取り入れて国���線の画定を行えば、ロシアとの間で協議がまとまるかもしれないが、従来の主張との整合性がとれなくなる。この点を考えると、解決が容易ではないことが分かる。安倍首相の支持基盤である保守層は、四島一括返還論に固執するであろう。
 四島一括論を弊履のように捨て去ると、それは他の領土問題にも影響する。竹島や尖閣諸島は、それぞれ韓国と中国が領有権を��張している。日本は容易に主張を撤回する国と見られれば、韓国や中国はますます態度を硬化させるであろう。
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 一方、四島一括返還に固執すれば、一島たりとも永遠に戻ってこないという観測もまた成り立つ。つまり、時間が経てば経つほど、北方領土のロシア化が進み、返還はますます困難になる。従って、二島だけでも帰ってくるときにチャンスを逃すなというわけである。
 つまり、「時間の経過がどちらの側に有利に働くか」という観点からは、四島一括論者は日本、「二島+α」論者はロシアと考えるのである。そこで、前者は「焦る必要はない」、後者は「急げ」となる。
ロシアにとって認めがたい「北方領土への米軍駐留」
 交渉が順調に進む前提は、安倍首相、プーチン大統領の権力基盤が強固であることであるが、日本では春に統一地方選挙、夏に参議院選挙が行われる。その結果次第では、安倍首相のレームダック化の可能性もある。
 ロシアにとっては、アメリカ政府の意向も問題となる。ロシアが絶対に避けたいのは、返還した北方領土に米軍が展開することである。トランプ政権が、米軍を駐留させないことを日本側に約束できるのか、これも大きな論点である。
 先に北方領土に対する国民の関心が薄まっていることに言及したが、その背景には領土の経済的効用についての冷徹な視点が広まっているのではあるまいか。石油や金が大量に埋蔵されているような領土なら別だが、寒冷地の領土の資源的価値は大きくない。北方領土の場合、水産資源が最大の経済的利益をもたらすが、島を管理するためにかかるコストと経済的利益を天秤にかける発想が出てくるのも仕方ない。
 1970年代に中国が尖閣列島に対する領有権を声高に主張し始めたのは、周辺海域に石油資源が眠っているという観測が1960年代に出たからである。竹島に関しては、漁業資源以外にはめぼしいものはない。
 しかしながら、領土は、単に経済的利益のみならず、ナショナリズムのシンボルとして大きな意味を持っている。韓国が竹島を実効支配しているのは、反日ナショナリズムの砦にしたいからであるが、ナショナリズムは高くつくこともある。20世紀が生んだナショナリズムや民族自決主義のイデオロギーは21世紀には克服する対象と考えてもよいのかもしれない。
 いずれにしても、平和条約締結・北方領土問題の解決はロシアという相手との交渉次第である。両国の国民世論をはじめ、乗り越えなければならないハードルが山積している。
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tak4hir0 · 4 years
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攻殻機動隊SACシリーズの監督を務め、日本のアニメーション業界を牽引してきた神山健治監督と、神山監督の大ファンでもあるNiantic(ナイアンティック)の川島優志氏が対談。前半に続き、後半は神山監督、川島氏がアニメーションやゲーム業界で求められる最強のITエンジニア像について熱く語り合った。モデレータをHEART CATCH 代表取締役の西村真里子氏が務めた。 神山監督、川島さんが考える最強ITエンジニアとは 西村:神山監督、川島さんが考える最強ITエンジニアとはどんな人材でしょうか。 神山:僕がアニメーションの現場でよく思うのは、作りたいものが具体的にあるのにコードを書けないアーティストが多いこと。一方で、その技術を持っている人はオペレータで終わってしまっていることが多い。CGアニメーションの創世記には、ゼネラリストと呼ばれる人が多くて、コードを書けることを含め、絵作りをトータルでできる人が多かったんです。 しかし、今のアニメーションの現場では、ゼネラリストよりもスペシャリストが求められる。トータルでできる人がどんどん少なくなっているんですね。だからどうしても枯れた技術を使うしかなくなって、行き詰まってしまう。一方、アメリカではなんでもできるスーパーマンの数がすごく多いような気がします。 ▲アニメーション映画監督 脚本家 神山 健治氏 川島:僕は日本のGoogleでも米国のGoogleでも働いていたので、いろんなエンジニアを見てきました。僕が見るすごいと思うエンジニアの特徴は、第一に余力がある人です。 例えばコーディングをしている傍らで、実はクロスワードクイズの国内チャンピオンだったりします。バイクで全国を走ってその様子をYouTubeで流し、日本でも有数のYouTuberになっているというような。仕事以外でも、常に何か好奇心を持っている。天才だなと思う人はそういうタイプが多いですね。 今はわかりませんが、僕がいた頃のGoogleでは、どれだけ速くタイピングするかを競い会うサイトが社内にあって、何百人というエンジニアがそれに挑戦していました。そこで上位に並んでいたのは、エンジニアの中でもレジェンドと呼ばれているすごい人たちだったんです。単純に優秀で生産性のある人はタイピングも速いんだなと思いました。 ▲Niantic, Inc. アジア・パシフィック オペレーション 副社長 川島 優志氏 神山:天才アニメーターも描くのが速いですね。 川島:人の何倍も速くタイピングできたり、描ける人は、間違いも人よりも多く、その改善も多く経験できます。そういうイタレーション(反復)を速くできることも、最強のエンジニアの条件と言えるでしょう。 神山:僕もそう思います。 川島:速く手が動けば、同じ作業を人の半分の時間でできる。もう半分の時間で趣味に関することができます。Ingressのアニメの櫻木監督は、普通の人が3枚描く時間で5枚~10枚を仕上げるそうです。キーボードがとにかく小さくて、さらに不必要なキーは全部取っているとか。 神山:押さないキーは外しているらしいです(笑)。 川島:よく使うキーには、滑り止めのパッドが敷いてあるそうですね。とにかく何百回、何万回と、作品が終わるまでキーボードを打つので、ほんの数秒の節約が積み重なる。「何秒かの節約が積み重なると大きくなるんです」と話していました。デキる人は生産性が高くなる工夫をしているんです。 神山:私が思う最強のエンジニアは、プログラミングができて、ソフトも使えて、かつ最終的なゴールから逆算して、自分のやるべきことがわかっている人材だと思います。多くの人が入り口や目の前にあることに集中してしまうが、スゴイ人は最終ゴールから逆算しているような気がします。 もちろん、作ってみないとわからないところはありますが、ある程度ゴールをイメージし、途中経過でどんなものが必要か考える。この経過まで行くと遡れなくなるので、2個前の工程までに仕込むというように、俯瞰して見ることができる人。これができるのは、ゼネラリストの方だと思います。 例えばモデリングだけをやってきた人は、それをどのように動かすかは考えていないことも多い。リガー(リグと呼ばれる動かす仕組みを設定する人)も、俯瞰的に見ることができる人とできない人ではリグの入れ方も変わります。 勘のいい人は、「夕焼けは太陽のある側はオレンジだけど、太陽のない側はグラディエーションがかかってだんだん青くなるので、切り返しを青くしてほしい」と伝えると、絵を描いたことがなくても、すぐ取りかかってくれる。多面性を持っている人が、僕らの現場でも最強のエンジニアであり、最強スタッフだと思います。 西村:最強のエンジニアの条件である、ゴールを見て動ける人、ゴールが見えるような勘のいい人にはどうしたらなれるのでしょうか。 神山:僕はエンジニアではないので、もしかしたらちょっとずれたことを言うかもしれませんが、何かものを見るときには異なった視点で見ることです。僕は映画を観るとき、主観だけで見ていません。お客さま側の視点でも見るようにしています。これは作り手になった場合も同じです。 川島:もう一つ、別の視点を持つことはそうですね。例えば、ライゾマティクスの真鍋大度さんも最強エンジニアの一人だと思っています。真鍋さんはDJもやっているのですが、横断歩道で信号待ちをしているとき、目をつぶって周りの音を聞くことで、信号が変わったかどうかを判断して耳を鍛えているそうなんです。 真似してみると、普段歩いている道が、違うような音に聞こえるんです。異なる視点や考え方のヒントは身の回りのあちこちに転がっているのですが、それに気付くことはなかなか難しい。常に意識して探していくことが大事だと思います。 おそらくアニメ分野で活躍できるエンジニアとは、エンジニアの領分だけではなく、絵を描いたり、演劇したり。本業とは異なるエンターテインメント分野に積極的にチャレンジする好奇心がある人なのではないでしょうか。 【Q&A】会場から寄せられた質問を紹介 10分間の休憩の後、神山監督の「日本のエンジニアさんが、地位が向上してお金が稼げて楽しい仕事になりますように。乾杯!」という発声で後半戦がスタート。会場もリラックスした雰囲気となり、質問も多数寄せられた。 Q.小島監督のゲーム「ポリスノーツ」の映像監修をされていましたが、インタラクティブアニメーションに興味はありますか?どのような可能性を感じますか? 神山:「ポリスノーツ」は25年ぐらい前に、僕が初めてアニメーションの演出としてクレジットされた作品です。小島秀夫監督と仕事したことが、今の僕の基礎を築いたと言っても過言ではないぐらいの経験でした。 当時はまだアニメーションの業界にデジタルが入ってきていない時代。フィルムスキャンからデータ化するという小島監督のやり方を見て、僕たちは信じられないぐらい最先端技術に取り組んでいると驚いた記憶があります。ポリスノーツはアニメにすると7時間分ぐらいの脚本でした。 小島監督からは「ただ、アニメーションにしてほしい」というオーダー。本来は全編テレビアニメのように動いている絵がほしかったのかもしれませんが、こちらも何を発注されているかわからない状態でした。それぐらいゲーム業界とアニメ業界の間には深淵が存在している頃だったのです。 僕は当初、美術監督として呼ばれていました。しかし、何をどうすればいいのかわからないため、なかなか美術の発注がこないんです。その待っている間に台本を読んでいたんです。全部を映像にした場合、フィルムスキャンでデータ化するアニメスタジオはありません。 それをコナミ側でやってもらえるのか、予算が大きくなるけど難しくはないのかなどという話をしたとこ��、「じゃあ、君がやって」と(笑)。なぜか演出の作業をすることになりましたが、僕にとっては素晴らしい体験となりました。 西村:面白いですね。7時間の脚本を読む必要はなかったものの、読んだからこそ、次のキャリアにつながったということですね。 神山:インタラクティブに興味があるかという質問に戻ると、その時に、「ゲームはなんて深く掘りさげることができるんだ」という驚きがありました。小島監督のイメージでは、2時間の映画を作っているつもりだったそうです。ゲームもあってストーリーもある。いくつかの分岐を当時から遊べるようになっていました。 アニメは一方向なので、こちらが提示する絶対的な面白さがあります。実はこの面白さがあるから、映画がなくならないんです。映画はクリエイターが自分の任意で作った時間軸で相手を納得させる芸術。そこには絶対的な面白さがある。 映画を一回作った人は映画を作ることをやめないし、ゲーム業界から映画に入っていく人がいるのは、作り手になったときに映画が持つ絶対的面白さがあるから。双方向性とストーリー、この2つが書けるのはいいなと感じましたね。 西村:Pokémon GOのストーリーは、プレイヤーごとにストーリーがありますからね。 川島:そうですね。ゲームの中にストーリーがない半面、プレイヤーごとにストーリーがあるんです。 神山:Ingressは映画ではできない、フィクションが叶わないドラマが、次々と生まれています。 川島:インタラクションがスマホのゲームの中で行われているだけではなくて、実際にクラウドファンディングでセスナを借りて、アラスカまで飛び、難攻不落のポータルを崩しに行くようなことをするプレイヤーもいますからね。 西村:お二人が組んだら、今までにない面白いゲームができそうですね。ぜひ、作っていただきたいです。 川島:何かできればいいですね 神山:こちらこそ、ぜひ。 Q.もう一つの視点という話があったが、私はゲーム製作者だがゲームで素直に遊べません。制作者視点を排除できない。神山監督は映像鑑賞の時に製作者の視点を完全に排除して一本最後まで純粋に楽しめるのでしょうか。そのコツは? 神山:僕は楽しめます。誰もが複数の視点で映画を観ているそうなんです。単純にストーリーを追いかけていくという見方がありますね。次はどうなるのか。先を予測しながらストーリーを追う見方、過去に自分が体験したものと今起きている映像と照らし合わせながら見る視点。そして1時間経つから、そろそろ解決するだろうという違った見方です。 「こういうカットは作るのが大変だっただろうな」という制作者側の見方をすることもありますが、最初の1回は純粋に楽しめます。 川島:僕も楽しめます。株式会社ポケモンの石原恒和社長は、伝説的なゲーマーなんです。囲碁の腕前もスゴイですし、バックギャモンのスマホゲームでも日本国内で一桁台になったこともあるぐらい。Ingressを紹介したら、すぐ始めてくれました。忙しい方なのに、Ingressもかなりやりこんでくれたんです。 Googleの社内イベントで石原社長に、ポケモンがどのように世界を変えていったかという講演をしていただいたんですね。その講演の最後で、「ところでみなさん、Ingressをやっていますか?」と問いかけ、六本木界隈に多重コントロールフィールドをどうすれば引けるかという解説を淡々と始めたんです。 Ingressを知らない社員は、何が画面で行われているかがわからない。ですが、その全力で楽しむ姿勢が、Pokémon GOが誰からも面白いと思えるゲームにつながったんじゃないかと。こういう楽しむ気持ちは、仕事とは別に持つことが大事だと思います。   神山:そうですね。自分の作品を見なくなる時期がありますが、それも良くないと思います。ある日本の起業家が話していましたが、その方は自分の会社の商品は自分でお金を出して買うんだそうです。商品の価値がその金額に見合っているかどうかが実感できると。それにも通じる話だと思いました。 Q.僕はプログラムを勉強してエンジニアになりました。絵を描いたりするのは苦手で、弱点だと思っています。その弱点を攻略したいのですが、そのやり方やモチベーションを維持するコツがあれば聞かせてください。 神山:好きじゃないことをやるのは、なかなか難しいことです。新人の時に、上司に「好きに絵を描いていいよ」と言われて絵を描いたら、色のない絵ができ上がりました。その時、「致命的に色感がない。色感と構図はもって生まれた感性で作られる。だからお前に美術監督は無理だ」と言われました。 その時、僕は愕然としましたが、苦手なことを言葉にしてロジックで攻めることにしたんです。たくさん色が使えている人はどんな色を使っているのかを推理して、言葉にする。理屈で色の数を増やせるようにしたら、気がついたら、自然に好きじゃなかった色も使えるようになっていた。ガムシャラにやるのもいいですが、構造の部分を一度言語化してみることもお勧めします。 この方法は苦手な英語の克服にも使えると思っています。英語で何が苦手なのか考えたら、読めない文字があることを発見したんです。小文字のbとdが入っていると、単語が読めなくなるんです。そこで文字からアプローチするのではなく、音で覚えていくように視点を変えたら、開くのも嫌だったテキストが開けるようになりました。苦手だと思っていることを言語化することは有効です。 もう一つの方法としては、人に聞いてみること。質問しまくることです。「致命的な色感と言われましたが、これはどうやって描いているのですか」というように。すると天才タイプの人は説明できないので、「色は目で出すんだよ」などと言うのですが、観察していると隣に色を置いたりして確認しているんです。そんなかんじで苦手を克服したことがあります。   川島:僕もいまだに英語は苦手です。Googleに転職する前に働いていたロサンゼルスのデザインプロダクションの入社する際の面接で、マネージャーに英語のプレゼンをしたんです。無事入社することができ、1年後のクリスマスパーティーで当時のマネジャーと飲んでいたとき、「マサ、お前が1年前に入るときに、プレゼンしてくれたけど、何を言っているのかさっぱりわからなかった」と言われたんです。 僕は渾身の英語プレゼンをしたはずなのに、見せたもの以外は何も伝わっていなかった。 彼としては1年経って、ずいぶんとお前は英語が話せるようになったなという意図で言ってくれたのですが、それ以来、英語は苦手。息子にも発音を馬鹿にされる。それでも、話すしかないんです。 自転車と一緒で乗るしかない。話せば聞いてくれる。人間対人間なので、通じ合っているだろうと押し切る。そして分からないときは、プライドを捨てて聞くこと。こいつ英語がわからないんだなと思われたとしても、必ず聞いた方が良い。そして覚える。その繰り返しだと思います。 神山:相手は聞かれると意外に喜んでくれますからね。 Q.Pokémon GOを開発する上で一番大変だったこと。それをどう解決したのかを教えてください(技術面で)。 川島:僕はエンジニアではないので技術面を答えるのは難しいですが、現場の人間はあらゆる面で大変でした。Pokémon GOをローンチしたときは、ナイアンティックの社員は全体で50人。その内、専任のエンジニアは10人程度。その人数でものすごい量のアクセスを捌いてました。 大変なミスをしたり、上手くいかなかったりしたときに、チームの強さや本当の姿が出ます。大変だったのは、シカゴでポケモンGOの公式イベントを最初に開いたときに、通信障害が発生したことです。 何万人もの人がそこに集まっていたのに、プレイができない状態になったんです。そのときに現場で創業者のジョン・ハンケがステージの端に座り、一人ひとりに対応していったんです。その場所から逃げ出したくなるような問題が起こったときに、目の前のこと一つ一つに逃げずに取り組んでいく。それが一番大切なことだと思います。 神山:たくさんありすぎて思い出せません(笑)。日々、問題が発生します。スタッフと話しているうちに、誰かが対策を思いついたりするので、絶対、解決のできない問題はありません。僕だけの哲学かもしれませんが、最終的にゴールに行ければいい。なので、途中で失敗したり、解決できないことがあったら、一旦止めて、最短でゴールでいける方法を考えようと、フレキシブルに動くことだと思います。 川島:そうですね。ゴールを自分で決めたらそこに向けてやりきること。シカゴのイベントは、翌年も開催したんですよ。ちゃんと向き合って大成功させました。失敗を失敗で終わらせない。ちゃんと目標を定めてそこまでいくんだというガッツを持つ。それが最終的には力となり、キャリアを形成していくと思います。 西村:神山監督、川島さん、貴重なお話、ありがとうございました。 神山健治監督とNiantic川島優志氏が語る ──アニメとゲーム作りでこだわった「現実感」 を読む
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pata2thursday · 4 years
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これは夢じゃないぞ/2020年の抱負
あけましておめでとうございます。
去年のうちに2019年のまとめみたいなのを書こうと思ってたんだけど、仕事が忙しくて時間が取れなかったのといざ仕事が納まったら心が弛緩しきって全てがどうでもよくなってしまい、ただ一番楽しかった旅行の動画をあげただけになってしまった。去年の記憶があまり無いんだけどモロッコとアラスカ旅行は端から端まで楽しかったのでまた今度時間があるときに何かしら書きたい
スーファリのhappiness is a worn pun
MVがきらびやかだしめでたい気がするのでこれを正月ソングとする。ビートルズのhappiness is a warm gunをもじった曲らしい。高校生の頃使ってたiPodをいじくり回してたら出てきた。いつ聴いても良い曲だ
全然関係ないけど2006年のフジロックで、グリフがMC中にみんな僕たちの後に出るモグワイを楽しみにしているのか?と冗談混じりに聞いたら、英語のわからない観客達が適当にイエーイと返事をしてしまい一気にしょんぼりしてチューニングを始めたというエピソードが好き。あと1996年の初来日の時の客が14人だったらしい。不憫なエピソードが沢山ある。96年に見に行けたら行きたかったけど、その頃私は4歳で卵かけご飯を死ぬほど食べててそれどころじゃなかった。親から聞いた話なので確かだと思うんだけど、私は小さい頃かなり偏食してて2歳から4歳まで卵かけご飯しか食べなかったらしい。親に自分の幼少期の頃の話を聞くと不気味なエピソードしか出てこなくて悲しい気持ちになる。
6歳の頃は異様に人見知りをしていて知らない���に会うと白目をむいていたらしい。これは自分でも少しおぼえている。「白眼視する」とは現代日本でもたびたび聞く言葉だけど、この由来は中国の、いわゆる竹林の七賢の中でも特に奇行で有名だった阮籍が、嫌な客人を出迎える際には白目を剥いたまま応対したという故事によるものらしい。私が適当に考えた話みたいだ。
メルカリで本を売ると300円とか値切ってくる奴がゴロゴロいるんだけどその300円を何に使うつもりなのか教えてほしい
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六五年前の夏、我が国は戦いに負けて武装解除された。そして、武器を持った戦勝国が入ってきた。戦勝国民が支配者で敗戦国民は被支配者となった。すると「戦勝国民」だと言い出す元日本人がでてきた。そして本当の戦勝国は、これらの民を戦勝国民でもなく敗戦国民でもない「第三国人」と呼んだ。
そこで、敗戦国民はいかにして生きたか。戦勝国に対するレジスタンス運動に身を投じたのか。私は、高校生の頃、紀州の山中の貧乏な寺でマッカーサーを殺しに行く計画を立てていた人からその時の話を聞いたことがあるが、しかしこういう人はごくまれだった。
反対に、利益を得るために戦勝国にすり寄って、戦勝国が正しいのですべてごもっともという態度で生きる者の方が多数派になった。そして、敗戦国民であるにもかかわらず、あたかも戦勝国民になりすまして自国を貶め自国の為に命を捧げた同胞を「犬死に」と軽蔑することで戦後を快適に生きるようになった。これを「敗戦利得者」という。
この敗戦利得者は、左翼と単なる権力主義者だ。両者とも無国籍である。つまり、現在の多数派である。左翼は、もともと日本解体を目指すコミンテルンの信奉者であるから、「日本を二度と脅威にならない国に貶める」という戦勝国の論理を受け入れる。
権力主義者は、敗戦国において権力のうまみに近づくためには戦勝国の論理を受け入れるに如かず、と心得た者である。近頃はやりの○○政経塾などでは、この利得の方法や身のこなしを教えてくれるらしい。
そして、この度、菅内閣が企んでいる日韓併合百年に当たる菅総理大臣談話こそは、この敗戦利得者の利得の源を再確認して自国を辱め自称戦勝国に媚びへつらう代物である。
そこで、細かいことではなく、明治九年の日朝修好条約(江華島条約)以来の日朝関係の大略を申しておきたい。
結論、およそ、朝鮮という疲弊した他民族の近代化のために、これほどの貢献をした民族は世界を探しても日本人以外にない。はっきり言って、現在の韓国は日本の存在なければあり得ない。
日本は韓国から感謝されてしかるべきである。なお、百年前の日韓併合は、文字通り併合であって植民地化ではない。これは、19世紀に併合されたテキサス、カリフォルニア、カンザス、アラスカ等々のアメリカ各州が東部十三州の植民地ではないのと同じである。
2001年、ハーバード大学アジアセンター主催学術会議におけるケンブリッジ大学J・クリフォード教授(国際法)は、「自分で生きていけない国について周辺諸国が国際秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と結論づけた。
” - 敗戦利得者の風と国家再興の風 西村眞悟 (via itokonnyaku) (via etecoo) (via kml) (via petapeta) (via ipodstyle) (via karasunoasiato)
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