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#中国とロシアへのバランス依存
janisonline · 5 years
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世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本市場で溢れかえる
遺伝子組換え作物輸入とセットで広がる
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モンサント社に抗議するスイスのデモ(18日、バーゼル)
毎年5月には「反モンサント・デー」(現在は「反バイエル・モンサントデー」)と称して、世界中の農民や労働者など広範な人人が一斉に抗議行動をおこなっている。今年も18日にフランスやスイス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど数百の都市で一斉にデモ行進をおこなった。行動の主眼はモンサントが開発したラウンドアップを含む除草剤への抗議だ。ラウンドアップの発がん性や遺伝子への影響が問題になり、2013年に始まった「反モンサント・デー」は今年で7回目を迎える。抗議行動の高まりのなかで世界各国ではラウンドアップの使用禁止や販売中止、輸入禁止が主な流れになっている。ところがそれに逆行して日本では内閣府食品安全委員会が「ラウンドアップは安全」と承認し、農協が使用を推奨し、ホームセンターなどでも販売合戦に拍車がかかっている。世界中で規制が強化され販売先を失ったラウンドアップが日本市場になだれ込んでいるといえる。ラウンドアップとはどういう除草剤で、なぜ世界各国で使用禁止になっているのかを見てみたい。
 フランスでは18日、「反バイエル・モンサント」デモに世界中から数千人が参加した。この行動に参加したのち、「黄色いベスト」運動のデモにも合流している。フランスは世界第3位の農薬消費国で、ラウンドアップに対して関心が高い。世界中で200万人以上が参加した第1回目の2013年の行動以来、2015年のデモには世界40カ国以上、約400都市で行動がおこなわれるなど、年年規模が大きくなっている。
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フランスのロリアンでの抗議デモ(18日)
今年1月、フランス当局は安全性に問題があるとして、ラウンドアップ除草剤とその関連商品の販売を禁止した。ラウンドアップはベトナム戦争で使われた「枯葉剤」をつくったモンサントが1974年に発売した除草剤で、グリホサートを主成分としている。このグリホサートが猛毒を含んでおり、2015年に世界保健機関(WHO)の下部組織「国際がん研究機関」が「おそらく発がん性がある」と発表し、17年には米国政府の研究で急性骨髄性白血病との関連が発表された。発表したのは米国の国立がん研究所、国立環境健康科学研究所、環境保護庁、国立職業安全健康研究所の共同プロジェクト。急性骨髄性白血病は急速に発達するがんで、5年の生存確率は27%とした。
 同年にはカリフォルニア州がラウンドアップを発がん性物質のリストに載せた。今年2月にはワシントン大学の研究チームが「グリホサートにさらされると発がんリスクが41%増大する」との研究結果を発表した。
 グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。
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ホームセンターで販売されているラウンドアップ
ラウンドアップの危険性が問題にされた歴史は古く、1996年にはモンサントが「食卓塩より安全」「飲んでも大丈夫」「動物にも鳥にも魚にも“事実上毒ではない”」と宣伝していたことに対し、ニューヨークの弁護士が訴訟を起こした。2001年にはフランスでも消費者の権利を守る運動をおこなっている活動家が訴訟を起こした。争点になったのはグリホサート使用による土壌の汚染問題で、EUは「環境に危険であり、水生動物にとって毒である」とした。2007年にモンサントは「嘘の広告」で有罪判決を受け、2009年に判決が認められた。
 2003年にはデンマークがラウンドアップの散布を禁止した。グリホサートが土壌を通り抜けて地下水を汚染していることが明らかになったことによるものだ。
 2008年の科学的研究では、ラウンドアップ製剤とその代謝産物が試験管の中でかなり低い濃度であっても、人間の胚、胎盤、へその緒の細胞に死をもたらすことが明らかになった。代謝産物とは、分解されて除草剤の役目をしなくなった状態のもので、分解されても動物には同じように死をもたらすことが明らかになった。
 2009年のネズミの実験では、思春期の時期にラウンドアップにさらされると生殖の発達に障害を起こす「内分泌腺撹乱」の可能性が発見された。「内分泌腺の撹乱」とは、脳内ホルモンのバランスを崩すことで、体が思うように動かなくなったり、気分を自分でコントロールすることが難しくなることをいう。
 カナダでは2012年末までに全州で芝生や庭での使用を禁止した。
 アメリカでは、長年にわたるラウンドアップの使用によるがん発生が広く問題になり、昨年8月、今年3月と5月の3回にわたってラウンドアップを使用してがんになったとしてモンサント社を訴えていた原告が勝訴した。同様の訴訟は1万3000件以上も起こされている。
 直近の5月13日には、カリフォルニア州の夫婦が「ラウンドアップが原因でがんを発症した」として賠償を求めた訴訟で、州裁判所の陪審はモンサントに対し約20億㌦(約2200億円)の支払いを命じた。原告1人につき10億㌦という懲罰的賠償額は、2017年にモンサントが農薬部門で得た利益8億9200万㌦にもとづくとしている。この評決を歓迎してアメリカの市民団体は、「何十年もの間、モンサントはグリホサートが無害であると農民、農場従事者、農薬散布者、住宅所有者に思わせていた。世論は明らかに変化している。発がん性のある農薬を市場から閉め出し、生態系を守る農業に移行しつつある農家を支援するときが来た」との声明を発表した。
 なお昨年8月の裁判では2億㌦(後に約8000万㌦に減額)、今年3月にも8000万㌦の賠償をバイエル・モンサント側に命ずる判決が下されている。
 こうしたなかで、アメリカではすべての州でラウンドアップの全面禁止を求める運動が開始されている。ニューヨーク州ではラウンドアップを「安全な農薬」と宣伝することが禁止されている。
次々モンサントを告訴 判決は賠償命じる
 フランスでも今年4月、控訴裁判所がモンサントのラウンドアップの一世代前の農薬ラッソーによって農民に神経損傷の被害を与えたとして、モンサントに有罪判決を下した。
 ちなみにラッソーは1980年代にアメリカでもっとも多く売られていた農薬だったが、危険性が問題になり米国環境保護局が発がん性の可能性を認め、フランスを含むEUでは2007年に禁止した。だがアメリカと日本では使われ続けている。日本では日産化学が「日産ラッソー乳剤」として現在も販売している。 
 フランスはラウンドアップに対しても、今年1月に個人向けの販売を禁止した。政府は今後3年をめどに農家向けにも禁止すると公表している。フランスではまた、1700人の医師がつくる連合体がラウンドアップの市場からの一掃を求めて運動を展開している。
 さらに養蜂農家の協同組合がラウンドアップに汚染されたとしてバイエル・モンサントを訴えている。ラウンドアップを多く使用してきたぶどう園などでは、農薬への依存を減らす動きが活発化しており、条件のいい所では100%使用を減らし、条件の厳しい所でも70%農薬の使用を減らす計画であり、ラウンドアップの命運はほぼつきている状況だ。
 2014年にはスウェーデンやノルウェーがラウンドアップの使用を禁止した。オランダ議会は2015年末でグリホサートの使用禁止を決めた。ブラジルでも2015年連邦検察官が司法省にグリホサートを暫定的に使用禁止にするよう求めた。ドイツ、イタリア、オーストリアなど33カ国は2~3年後には禁止すると表明している。
 スリランカ政府は2014年、ラウンドアップの販売を禁止し、翌2015年にグリホサートの輸入を禁止した。これはカドミウムとヒ素を含む土壌でラウンドアップを使用した場合、飲料水やコメを通して重い慢性腎不全の原因となるとの研究報告を受けてのことだ。
 ロシアも2014年4月、ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え食品の輸入を禁止した。アラブ6カ国も使用禁止に踏み切っており、ベトナムなどアジア5カ国やマラウィはグリホサートの輸入禁止を決定している。エルサルバドルやチリ、南アフリカ共和国などもラウンドアップの販売を禁止するか禁止に向けて動いている。
 流通業界では、昨年8月のアメリカでの判決を受けて、イギリスの流通大手がラウンドアップの販売禁止の検討を始めた。アメリカに本社を置くスーパー・コストコも今年4月、ラウンドアップの仕入れと販売をすべて中止することを発表した。コストコは世界に約768の大型店舗があり、日本にも26店舗ある。
別名で店頭に並ぶ日本 政府が「安全」とお墨付き
 このようにラウンドアップの危険性への認識は世界的に拡散されており、店頭でラウンドアップが簡単に手に入るのは先進国では日本ぐらいになっている。
 世界中からはじき出され行き場を失ったラウンドアップが日本市場に一気になだれ込んできており、除草剤では売上トップの座を占めている。日本では日産化学工業が2002年5月にモンサントの日本での農薬除草剤事業を買収し、ラウンドアップの日本での販売権を引き継ぎ、「優れた効力と環境に優しい除草剤」などと宣伝してきた。
 日本政府はすでに世界的に危険性が明確になっていた2016年に「グリホサートの安全性を確認した」との評価書を公表した。この評価書を前提に2017年12月には、グリホサートの残留農薬基準を大幅に緩和した。小麦で6倍、ソバで150倍、ゴマで200倍、ベニバナの種子で400倍というけた違いの大幅緩和だ。しかもこのことをマスコミは一切報道しなかった。これによってグリホサートの残留基準は中国の基準の150倍になった。中国からの輸入野菜が農薬まみれで危険だと問題にしていたが、その中国産野菜の方がまだましという殺人的な状況になっている。
 また、ラウンドアップの主成分であるグリホサート剤はすでに成分特許が切れており、さまざまな名前で同剤が販売されている。そのなかには住友化学園芸の「草退治」などがある。
 ラウンドアップは日本の店頭では「もっとも安全な除草剤」とか「驚異の除草力」とかいった宣伝文句で販売されている。農協の販売ルートにも乗っており、ホームセンターやドラッグストア、100均などでも大大的に扱っている。またテレビCMや新聞広告もされ、危険性についての説明は一切なく、警戒心なしに購入し使用しているのが現状だ。
 モンサント社が遺伝子組み換え作物を開発したのは、ラウンドアップに耐性のある農作物をつくり、セットで販売するためだった。ラウンドアップの販売促進は遺伝子組み換え作物導入とセットでもある。日本は世界で最大級の遺伝子組み換え作物輸入国で、日本の遺伝子組み換え食品表示は世界の制度のなかでも緩いため、日本の消費者は知らないうちに大量の遺伝子組み換え食品を食べさせられている。
 モンサントのホームページでは「日本は海��から大量のトウモロコシ、大豆など穀物を輸入しており、その数量は合計で年間約3100万㌧に及ぶ。その半分以上(1600万~1700万㌧=日本のコメの生産量の約2倍)は遺伝子組み換え作物」で「日本の食生活安定に大きく貢献している」とし、ラウンドアップとともに「是非、遺伝子組み換え作物の効果やメリットを目で見て、肌で感じて」ほしいと豪語している。
 こうしたモンサントの要求に応えて、日本政府はモンサントの遺伝子組み換え作物をアメリカ政府以上に承認していることも明らかになっている。TPP11の発効や今後の日米貿易協定などを通じて、今まで以上に遺伝子組み換え作物輸入の圧力がかかってくることは必至だ。
 モンサント社(昨年ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。
 ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。
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annjapanenews · 5 years
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世界中が禁止するラウンドアップ 余剰分が日本市場で溢れかえる
遺伝子組換え作物輸入とセットで広がる
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モンサント社に抗議するスイスのデモ(18日、バーゼル)
毎年5月には「反モンサント・デー」(現在は「反バイエル・モンサントデー」)と称して、世界中の農民や労働者など広範な人人が一斉に抗議行動をおこなっている。今年も18日にフランスやスイス、ドイツ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど数百の都市で一斉にデモ行進をおこなった。行動の主眼はモンサントが開発したラウンドアップを含む除草剤への抗議だ。ラウンドアップの発がん性や遺伝子への影響が問題になり、2013年に始まった「反モンサント・デー」は今年で7回目を迎える。抗議行動の高まりのなかで世界各国ではラウンドアップの使用禁止や販売中止、輸入禁止が主な流れになっている。ところがそれに逆行して日本では内閣府食品安全委員会が「ラウンドアップは安全」と承認し、農協が使用を���奨し、ホームセンターなどでも販売合戦に拍車がかかっている。世界中で規制が強化され販売先を失ったラウンドアップが日本市場になだれ込んでいるといえる。ラウンドアップとはどういう除草剤で、なぜ世界各国で使用禁止になっているのかを見てみたい。
 フランスでは18日、「反バイエル・モンサント」デモに世界中から数千人が参加した。この行動に参加したのち、「黄色いベスト」運動のデモにも合流している。フランスは世界第3位の農薬消費国で、ラウンドアップに対して関心が高い。世界中で200万人以上が参加した第1回目の2013年の行動以来、2015年のデモには世界40カ国以上、約400都市で行動がおこなわれるなど、年年規模が大きくなっている。
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フランスのロリアンでの抗議デモ(18日)
今年1月、フランス当局は安全性に問題があるとして、ラウンドアップ除草剤とその関連商品の販売を禁止した。ラウンドアップはベトナム戦争で使われた「枯葉剤」をつくったモンサントが1974年に発売した除草剤で、グリホサートを主成分としている。このグリホサートが猛毒を含んでおり、2015年に世界保健機関(WHO)の下部組織「国際がん研究機関」が「おそらく発がん性がある」と発表し、17年には米国政府の研究で急性骨髄性白血病との関連が発表された。発表したのは米国の国立がん研究所、国立環境健康科学研究所、環境保護庁、国立職業安全健康研究所の共同プロジェクト。急性骨髄性白血病は急速に発達するがんで、5年の生存確率は27%とした。
 同年にはカリフォルニア州がラウンドアップを発がん性物質のリストに載せた。今年2月にはワシントン大学の研究チームが「グリホサートにさらされると発がんリスクが41%増大する」との研究結果を発表した。
 グリホサートは発がん性はもちろん、植物を枯れ死させてしまうが、同様に土壌細菌や腸内細菌も損なう。腸内環境を破壊することでアレルギーなど自己免疫疾患などの原因になったり、神経毒として自閉症や認知症を誘発する可能性が指摘されている。また、生殖に与える影響も懸念されている。精子の数の激減、胎児の発育に影響を与える可能性だけでなく、世代をこえて影響する危険を指摘する研究結果も発表されている。ベトナム戦争で撒かれた枯れ葉剤によってつくられたダイオキシンは三代にわたって影響を与えるといわれるが、グリホサートにも同様に世代をこえた影響が出る可能性も指摘されている。
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ホームセンターで販売されているラウンドアップ
ラウンドアップの危険性が問題にされた歴史は古く、1996年にはモンサントが「食卓塩より安全」「飲んでも大丈夫」「動物にも鳥にも魚にも“事実上毒ではない”」と宣伝していたことに対し、ニューヨークの弁護士が訴訟を起こした。2001年にはフランスでも消費者の権利を守る運動をおこなっている活動家が訴訟を起こした。争点になったのはグリホサート使用による土壌の汚染問題で、EUは「環境に危険であり、水生動物にとって毒である」とした。2007年にモンサントは「嘘の広告」で有罪判決を受け、2009年に判決が認められた。
 2003年にはデンマークがラウンドアップの散布を禁止した。グリホサートが土壌を通り抜けて地下水を汚染していることが明らかになったことによるものだ。
 2008年の科学的研究では、ラウンドアップ製剤とその代謝産物が試験管の中でかなり低い濃度であっても、人間の胚、胎盤、へその緒の細胞に死をもたらすことが明らかになった。代謝産物とは、分解されて除草剤の役目をしなくなった状態のもので、分解されても動物には同じように死をもたらすことが明らかになった。
 2009年のネズミの実験では、思春期の時期にラウンドアップにさらされると生殖の発達に障害を起こす「内分泌腺撹乱」の可能性が発見された。「内分泌腺の撹乱」とは、脳内ホルモンのバランスを崩すことで、体が思うように動かなくなったり、気分を自分でコントロールすることが難しくなることをいう。
 カナダでは2012年末までに全州で芝生や庭での使用を禁止した。
 アメリカでは、長年にわたるラウンドアップの使用によるがん発生が広く問題になり、昨年8月、今年3月と5月の3回にわたってラウンドアップを使用してがんになったとしてモンサント社を訴えていた原告が勝訴した。同様の訴訟は1万3000件以上も起こされている。
 直近の5月13日には、カリフォルニア州の夫婦が「ラウンドアップが原因でがんを発症した」として賠償を求めた訴訟で、州裁判所の陪審はモンサントに対し約20億㌦(約2200億円)の支払いを命じた。原告1人につき10億㌦という懲罰的賠償額は、2017年にモンサントが農薬部門で得た利益8億9200万㌦にもとづくとしている。この評決を歓迎してアメリカの市民団体は、「何十年もの間、モンサントはグリホサートが無害であると農民、農場従事者、農薬散布者、住宅所有者に思わせていた。世論は明らかに変化している。発がん性のある農薬を市場から閉め出し、生態系を守る農業に移行しつつある農家を支援するときが来た」との声明を発表した。
 なお昨年8月の裁判では2億㌦(後に約8000万㌦に減額)、今年3月にも8000万㌦の賠償をバイエル・モンサント側に命ずる判決が下されている。
 こうしたなかで、アメリカではすべての州でラウンドアップの全面禁止を求める運動が開始されている。ニューヨーク州ではラウンドアップを「安全な農薬」と宣伝することが禁止されている。
次々モンサントを告訴 判決は賠償命じる
 フランスでも今年4月、控訴裁判所がモンサントのラウンドアップの一世代前の農薬ラッソーによって農民に神経損傷の被害を与えたとして、モンサントに有罪判決を下した。
 ちなみにラッソーは1980年代にアメリカでもっとも多く売られていた農薬だったが、危険性が問題になり米国環境保護局が発がん性の可能性を認め、フランスを含むEUでは2007年に禁止した。だがアメリカと日本では使われ続けている。日本では日産化学が「日産ラッソー乳剤」として現在も販売している。 
 フランスはラウンドアップに対しても、今年1月に個人向けの販売を禁止した。政府は今後3年をめどに農家向けにも禁止すると公表している。フランスではまた、1700人の医師がつくる連合体がラウンドアップの市場からの一掃を求めて運動を展開している。
 さらに養蜂農家の協同組合がラウンドアップに汚染されたとしてバイエル・モンサントを訴えている。ラウンドアップを多く使用してきたぶどう園などでは、農薬への依存を減らす動きが活発化しており、条件のいい所では100%使用を減らし、条件の厳しい所でも70%農薬の使用を減らす計画であり、ラウンドアップの命運はほぼつきている状況だ。
 2014年にはスウェーデンやノルウェーがラウンドアップの使用を禁止した。オランダ議会は2015年末でグリホサートの使用禁止を決めた。ブラジルでも2015年連邦検察官が司法省にグリホサートを暫定的に使用禁止にするよう求めた。ドイツ、イタリア、オーストリアなど33カ国は2~3年後には禁止すると表明している。
 スリランカ政府は2014年、ラウンドアップの販売を禁止し、翌2015年にグリホサートの輸入を禁止した。これはカドミウムとヒ素を含む土壌でラウンドアップを使用した場合、飲料水やコメを通して重い慢性腎不全の原因となるとの研究報告を受けてのことだ。
 ロシアも2014年4月、ラウンドアップ耐性遺伝子組み換え食品の輸入を禁止した。アラブ6カ国も使用禁止に踏み切っており、ベトナムなどアジア5カ国やマラウィはグリホサートの輸入禁止を決定している。エルサルバドルやチリ、南アフリカ共和国などもラウンドアップの販売を禁止するか禁止に向けて動いている。
 流通業界では、昨年8月のアメリカでの判決を受けて、イギリスの流通大手がラウンドアップの販売禁止の検討を始めた。アメリカに本社を置くスーパー・コストコも今年4月、ラウンドアップの仕入れと販売をすべて中止することを発表した。コストコは世界に約768の大型店舗があり、日本にも26店舗ある。
別名で店頭に並ぶ日本 政府が「安全」とお墨付き
 このようにラウンドアップの危険性への認識は世界的に拡散されており、店頭でラウンドアップが簡単に手に入るのは先進国では日本ぐらいになっている。
 世界中からはじき出され行き場を失ったラウンドアップが日本市場に一気になだれ込んできており、除草剤では売上トップの座を占めている。日本では日産化学工業が2002年5月にモンサントの日本での農薬除草剤事業を買収し、ラウンドアップの日本での販売権を引き継ぎ、「優れた効力と環境に優しい除草剤」などと宣伝してきた。
 日本政府はすでに世界的に危険性が明確になっていた2016年に「グリホサートの安全性を確認した」との評価書を公表した。この評価書を前提に2017年12月には、グリホサートの残留農薬基準を大幅に緩和した。小麦で6倍、ソバで150倍、ゴマで200倍、ベニバナの種子で400倍というけた違いの大幅緩和だ。しかもこのことをマスコミは一切報道しなかった。これによってグリホサートの残留基準は中国の基準の150倍になった。中国からの輸入野菜が農薬まみれで危険だと問題にしていたが、その中国産野菜の方がまだましという殺人的な状況になっている。
 また、ラウンドアップの主成分であるグリホサート剤はすでに成分特許が切れており、さまざまな名前で同剤が販売されている。そのなかには住友化学園芸の「草退治」などがある。
 ラウンドアップは日本の店頭では「もっとも安全な除草剤」とか「驚異の除草力」とかいった宣伝文句で販売されている。農協の販売ルートにも乗っており、ホームセンターやドラッグストア、100均などでも大大的に扱っている。またテレビCMや新聞広告もされ、危険性についての説明は一切なく、警戒心なしに購入し使用しているのが現状だ。
 モンサント社が遺伝子組み換え作物を開発したのは、ラウンドアップに耐性のある農作物をつくり、セットで販売するためだった。ラウンドアップの販売促進は遺伝子組み換え作物導入とセットでもある。日本は世界で最大級の遺伝子組み換え作物輸入国で、日本の遺伝子組み換え食品表示は世界の制度のなかでも緩いため、日本の消費者は知らないうちに大量の遺伝子組み換え食品を食べさせられている。
 モンサントのホームページでは「日本は海外から大量のトウモロコシ、大豆など穀物を輸入しており、その数量は合計で年間約3100万㌧に及ぶ。その半分以上(1600万~1700万㌧=日本のコメの生産量の約2倍)は遺伝子組み換え作物」で「日本の食生活安定に大きく貢献している」とし、ラウンドアップとともに「是非、遺伝子組み換え作物の効果やメリットを目で見て、肌で感じて」ほしいと豪語している。
 こうしたモンサントの要求に応えて、日本政府はモンサントの遺伝子組み換え作物をアメリカ政府以上に承認していることも明らかになっている。TPP11の発効や今後の日米貿易協定などを通じて、今まで以上に遺伝子組み換え作物輸入の圧力がかかってくることは必至だ。
 モンサント社(昨年ドイツのバイエル社が買収)はアメリカのミズーリ州に本社を構える多国籍バイオ化学メーカー。除草剤ラウンドアップが主力商品で、遺伝子組み換え種子の世界シェアは90%であり、世界の食料市場をほぼ独占している巨大なグローバル企業だ。同社は、人間の健康および環境の両方に脅威を与えているという理由から健康情報サイトでは2011年の世界最悪の企業にも選ばれている。
 ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサントの救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサントという一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。
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takahashicleaning · 5 months
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TEDにて
マニュエル・リマ:人類の知識を表す視覚的表現の歴史
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
知識とは、どのように増えていくのでしょうか?
知識は、最初は1つの洞察から始まり、どんどん枝分かれしていくことがあります。
インフォグラフィックの専門家マニュエル・リマが追究するのは、千年に渡るデータ・マッピングの歴史。
すなわち、ツリー構造を使って言語から王朝に至る情報を表現してきた歴史です。これは魅力あふれる視覚化の歴史であり、知識を表そうとする人間の衝動が垣間見えるのです。
カバラの生命の樹?ダーウィンの生命の樹!!!
「出エジプト記」「創世記」「レビ記」「民数記」「申命記」の旧約聖書モーゼ五書も登場する「トーラ」と呼ばれるものの中にも記述されています。
「トーラ」は、古代ユダヤ教の解説書で教育の源泉。
2000年くらい前に義務教育を発明しています。
それから、古代ユダヤ人は、シュメール人が起源という話もあります。
バビロニア?
約3000年前のソロモン王の死後、イスラエルの民族は2つの王国に分かれた。そしてユダ王国とイスラエル王国となった。
その後、アッシリア帝国によって占領され、イスラエル王国は崩壊しました。ユダ王国の人々が現在のユダヤ人として知られている。
近代イスラエル建国の祖は、ロシアで生まれ育ったヨセフ・トルンペルドール。建国の前にまずは、ヘブライ大学を立てています。
写真のない古代から始まり、芸術やデザインで表現できた時代から発展し、そして、現代では、人間を限界を遥かに超えるコンピューターの計算能力により
ビックデータをプログラムにより自動処理できるようになったために、科学者が「生命のウェブ」や「生命のネットワーク」と呼ぶ領域にまで到達しています。
私は、10年以上に渡って人間が情報を構造化し、視覚化する方法について研究してきて興味深い変化に気付きました。
かなり長い間。人間は、世界に自然な序列があると信じていました。これは「存在の大いなる連鎖」ラテン語で「Scala naturae」として知られます。
トップダウン構造になっていて、普通は、神を頂点に天使、貴族、庶民、動物などと続きます。
この発想は、アリストテレスの存在論に基づいていて、人間が知るあらゆる事物を対立、対極するカテゴリーに分類しました。
ご覧の通りです。一方、面白いことに時が経つにつれ、この発想に枝分かれしたツリー構造が取り入れられて「ポルピュリオスの樹」として知られるようになりました。これは「知識の樹」の中でも最も古いものです。
ツリー構造は、情報を伝える上でとても強力な比喩であることから、次第に、様々な知識の体系を図で表す時に使う重要な伝達手段になりました。
道徳を描くためにもツリー構造が使われ「美徳の樹」と「悪徳の樹」がよく知られています。
これは、中世ヨーロッパの美しい図です。血族関係を表すためにもツリー構造が使われ、いろいろな血縁を表します。家系を表すためにも、この構造が使われますが樹形図の原型として最も有名なものでしょう。
皆さんも、家系図を見たことがある方は多いでしょう。こんな風に描かれたものを持っている方も多いかも知れません。
また、法律を表すのにツリー構造を使うことさえあります。王や支配者による様々な布告や決定を表しています。そして、最後に、よく知られている科学の比喩。
すなわち、人類が知るあらゆる生物を表すために、この構造を使うこともあります。
最終的に、ツリー構造は強力な視覚的な比喩になりました。秩序やバランス。統一感や対称性といった人間の志向を様々な面で具体化しているからです。
ところが、現在、私たちは、コンピューターの飛躍的な発展によって、単純な樹形図では理解できない複雑で込み入った新しい課題に直面しています。
そこで、現在、新たな比喩が出現し、様々な知識体系を視覚化する際に樹形図にとって代わりつつあります。この比喩は、私たちを取り巻く世界を理解する新しい視座を与えてくれます。
この新たな比喩こそ、ネットワークの比喩なのです。
ツリーからネットワークへと転換する様子は、多くの知識領域で見���れます。
このような転換は、脳を理解する方法でも見られます。かつて、私たちは、脳をモジュール型で集中型の器官であり、ある特定の領野が一連の振舞いや行動の原因だと考えていました。
しかし、脳の理解が進むにつれ、まるで、何百、何千もの楽器が奏でる壮大なシンフォニーのように捉えるようになったのです。
この美しい画像は、ブルー・ブレイン・プロジェクトで製作されました。
ここには、1万のニューロンと3千万の結合が見えます。これでも哺乳類の大脳新皮質のわずか1割を描いているに過ぎません。さらに、転換の様子は、知識構造を捉える際にも見られます。
この見事な「知識の樹」あるいは「科学の樹」はスペインの学者ラモン・リュイによるものです。リュイは、実際、樹木としての科学という比喩を生んだ先駆者でした。私たちは、この比喩を毎日のように使っていま��。
「科学から生物学が枝分かれしてきた」とか「遺伝学が枝分かれしてきた」と言います。ただ、私が最も美しい知識の樹と考えているのは、1751年にディドロとダランベールがフランスの百科全書に描いたものです。
まさに、フランス啓蒙思想の拠り所です。この豪華なイラストは、百科全書の目次として採用されました。あらゆる分野の知識が一つ一つ樹の枝として描かれています。
ただ、知識とは、はるかに複雑なものです。これは、Wikipediaの項目相互のリンクを表しています。左は「歴史」に関するもの。右は「数学」です。
この2つのマップやWikipediaについて制作された他のマップは、人類が生んだリゾーム状構造で最大規模のものでしょうが、それを見ると人間の知識が、まるで、ネットワークのように複雑に依存し合っているのがわかります。
インターネットは、この枠組みを大幅に変化させます。これは、Perlプログラマーのオンライン上の協働を表した素晴らしいマップです。Perlは有名なプログラミング言語です。
これでわかるのは、多様なプログラマーがどうファイルを交換し、プロジェクトで協力し合っているかです。また、ここに表れているのは、完全に分散したプロセスであり組織にリーダーはいません。ネットワークなのです。
ツリーからネットワークへと転換する様子は、生物の種を分類し、体系化する方法にも表れています。右の図は、ダーウィンが 「種の起源」に載せた唯一の図で「生命の樹」と名付けたものです。
実は、ダーウィンが出版社に宛てた手紙が残っていて、この図の重要性が詳しく説明されています。進化論には不可欠だったのです。
しかし、近年、科学者はある発見をしました。この生命の樹を覆い尽くすようなバクテリアのネットワークが存在し、このバクテリアが、以前は、ばらばらに分類された種を現在、科学者が「生命のウェブ」や「生命のネットワーク」と呼ぶものに結びつけていることを発見したのです。
こういったネットワークの比喩は、最近現れたものですが、すでに、様々な姿と形式を備え、有力な視覚的分類法になりつつあります。コンピューターによって新たな言語の文法になりつつあるのです。
これが、私が惹かれる側面のひとつです。これは長期に渡って私が集めた15種類の類型で、この新しい比喩が視覚的に極めて多様なことを示しています。例をお見せしましょう。上の行は「放射状収束」で、ここ5年でとてもポピュラーになった視覚化モデルです。
ネットワークは単なる科学の比喩ではありません。研究者や科学者が、デザイナーとしてたくさんの複雑なシステムを描こうとし、絵画や彫刻といった伝統的な芸術の分野やたくさんの多様な芸術家に様々な面で影響を与えています。
ただ、ネットワークは、単なる新しいトレンドではなく、そう簡単には片付けられません。ネットワークは、分散化や相互接続や相互依存といった概念を具現化しています。
この新しい思考法は、現在、私たちが直面する多くの複雑な問題。すなわち、脳の解読から広大な宇宙の理解に至る問題を解決するために不可欠なのです。
アトラクターとは、ある力学系がそこに向かって時間発展をしながら集合すること。このフラクタル次元がアトラクターの形状の種類を決めていくようになります。
意味がないように見える大量のデータから生じた確認できるパターンに名前が与えられたものである。全て、支離滅裂に見えるものの中に一貫性が隠れています。
不動点、リミットサイクル、リミットトーラス、ストレンジアトラクターの種類が現在知られているトポロジー、Super String Theory(スーパーストリング理論)に関係する形状です。
人間の限界をはるかに超える大量のデータをグラフィックで表す高度な人工知能を搭載したスーパーコンピューターにより、ニュートン力学では解読できなかったり、あるいは、意味のないデータとして無視されてきたなど、その存在さえ知られていなかったシステムが明らかにされました。
以前は、非線形であるとしていたもの。わけがわからないと思っていたデータが、突然、もっとまとまりのある理解方法で考えられるようになってきたのです。そう言ったデータは、散乱しているか。無秩序だったので確率的な理論や数学を使った伝統的な方法では、アクセスするのは不可能でした。
古代から、人間の感覚を研ぎ澄ますことで体験的には、アクセスできていたかもしれませんが・・・現代のコンピューティングのパワーと蓄積された物理学や数学によりデータとして精密に表現が可能になってきています。
チャーンサイモンズ理論もトポロジーに関係している重要な数学です。
カオス理論?
カオス理論とは、アンリ・ポアンカレによる発見が挙げられる。1880年代、ポアンカレは、三体問題の研究において非周期的で、増加し続けないまたは固定点へ到達しない軌道があり得ることを発見。
ここで言う予測できないとは、決して確率的にランダムということではなく、その振る舞いが決定論的法則に従うものの、数値解析での誤差によっても、得られる値と真の値とのずれが大きくなる。そのため、予測が事実上不可能ということを示している。
人間の限界をはるかに超える大量のデータをグラフィックで表す高度な人工知能を搭載したスーパーコンピューターにより、ニュートン力学では解読できなかったり、あるいは、意味のないデータとして無視されてきたなど、その存在さえ知られていなかったシステムが明らかにされました。
以前は、非線形であるとしていたもの。わけがわからないと思っていたデータが、突然、もっとまとまりのある理解方法で考えられるようになってきたのです。そう言ったデータは、散乱しているか。無秩序だったので確率的な理論や数学を使った伝統的な方法では、アクセスするのは不可能でした。
古代から、人間の感覚を研ぎ澄ますことで体験的には、アクセスできていたかもしれませんが・・・現代のコンピューティングのパワーと蓄積された物理学や数学によりデータとして精密に表現が可能になってきています。
群論にも関係しているアンリ・ポアンカレによる発見は、トポロジーなど結び目理論にも活用されています。
現在の量子力学では、点粒子理論を扱うため、正確な一点での数値で一致しないといけない。しかし、群論、トポロジーなど結び目理論は、三体問題の研究を発展させています。
ここから、スーパーストリング理論。それから、ブレンという概念でこれらの現象を数値化し、巻き付きの概念、場の量子論等も使いトポロジー的に整合性を取ろうとしています。
次元に関してはこの場合、数学的な次元を前提としています。
次元のコンパクト化の説明の前に、数学的な次元の重要性について、さて、一般相対性理論をカルツァは、電磁気力に応用していきます。
当時は、それが重力以外に考えられる唯一の力でした。つまり、電気や、磁石の引き付けなどを引き起こす力のことです。
ここで空間と時間が歪むこと以外に、もしも次元が歪むことで電磁気力が働くかもしれないことに気づきます。
1926年にオスカークラインも、知覚で見えない次元がある可能性を示します。5 次元化して電磁気力も幾何学として表せるようにしたカルツァ・クライン理論というものです。
カルツァが3次元ではなく、4次元の宇宙における歪みと曲がりを説明する方程式を書き出した時、彼はアインシュタインがすでに3次元で導き出していた方程式を見出しました。それらは、重力を説明するための方程式です。
でも、カルツァは次元がひとつ増えたことによるもうひとつの方程式も見つけました。その方程式を見てみるとそれは正に科学者たちが長年の間。電磁力を表すために使ってきた方程式でした。驚くべきことです。それが、こつぜんと計算結果に現れてきたのです。
こうして、数学的な次元は、空間の量子化を数値的に表現できるようになっていくキッカケになりました。
その後のカルツァ・クライン理論は、無限に存在する次元の形状の一部をカラビ・ヤウ多様体として表現できました。
例えば、手を振って大きな弧を描く時、手のひらは3つの広がった次元の中ではなく、巻き上げられた次元の中を突っ切っています。
もちろん、巻き上げられた次元はとても小さいので、体を動かす間に、こうした次元を1サイクルして出発点に戻ることが繰り返され、その回数は、膨大な数にのぼります。このように次元の広がりが小さいと言う事は、手のような大きな物体が動く余地があまりないと言うことです。
それは結局、平均化されてしまい腕を振った時でも、私たちは巻き上げられたこのような次元を横断し膨大に旅したことに全く気づいていません。
これは、結び目の不変量にも関連しています。
まず初めに、円周を3次元ユークリッド空間に埋め込んだものを「結び目」と定義していることから始まります。
結び目理論においては、変形して移り合う「結び目」は、同じ「結び目」とみなして「結び目」を研究する。
「結び目」を研究するひもの結び方はいろいろあるので、様々なタイプの「結び目」がある。では、「結び目」のタイプはどのようにして区別すれば良いのであろうか?
「結び目」に対して定められる値で、「結び目」を変形することに関して不変であるようなものを「不変量」と言う。結び目理論は、トポロジー(位相幾何学)の一分野である。
1980年代に、数理物理的手法が、低次元トポロジーに導入されて、3次元トポロジーにおいては「結び目」と3次元多様体の膨大な数の不変量(量子不変量)が発見された。
これによって、4次元トポロジーには、ゲージ理論がもたらされることになりました。これらからゲージ場の数学的根拠として、活用されることになっていきます。
ゲージ対称性、アイソスピン、クォーク理論、ヒッグス粒子など。
さらに、数理物理に由来する量子群や共形場理論、チャーンサイモンズ理論もあります。
そして、スーパーストリング理論や量子化学の「変分法」にも応用されている。
他には、ジュリオ・トノーニの意識に関する情報統合理論がある。
万物には意識があるとする汎心論という考え方です。
ジュリオ・トノーニの 意識に関する情報統合理論によれば、ネットワークの密度は意識(ここでは、ファイと命名している)と呼ばれる何か?の密度に関連しているということ。
アトラクターパターン?トポロジー?スーパーストリング理論?
これを数値化して、方程式にしている!!
それゆえ、人間の脳内では、膨大な情報統合が行われるため高度なファイがあることになり、かなりの意識が存在します。
マウスにおいては中程度とはいえ、かなりの情報統合が行われるので相当な程度の意識があるといえます。しかし、虫や微生物や粒子レベルになると、ファイの量は低下します。情報統合の量が低下してもゼロにはなりません。
日本では、「一寸の虫にも五分の魂」という言葉もあります。
トノーニの理論によると意識の程度はまったくのゼロには、ならないのだといいます。事実上、トノーニは意識に関する基本的法則を提案しています。つまり、高度なファイには高度な意識が宿るのです。
そこには、ただ淡々と善も悪もなくて古来から有る日本の「魂」という概念みたいなことにも似ています。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
2022年のノーベル物理学賞の受賞者に、物質を構成する原子や電子のふるまいについて説明する理論「量子力学」の分野で
「量子エンタングルメント」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通して示し、量子情報科学という新しい分野の開拓につながる大きな貢献をした。
フランスのパリ・サクレー大学のアラン・アスペ教授、アメリカのクラウザー研究所のジョン・クラウザー博士、オーストリアのウィーン大学のアントン・ザイリンガー教授の3人です。
量子論で有名な「ベルの不等式」などから、ゆらぐ物質の定義についての議論が始まります。
実在論も。
ザイリンガーは「ザイリンガーの原理」でも有名です。
量子論で有名なベルの不等式は、量子レベルでは、観測されるまで、不確定性な量子場という状態が、この世の法則の真実ということを数学で表した(隠れた変数がある場合、多数の測定結果の相関は「ある数値」を超えることはない)
ここから見えない領域を確率的にしか、人間は認識できないと言う限界が、明確に示されたため、場の量子論、ディラック方程式が産みだされるキッカケにもなった。
ディラック方程式は、特殊相対性理論と量子論を融合してます。
これを具体的にある程度言語化する超古代の方法を個人的に研究して知ってるけど秘密です。
不確定性原理とも整合性させるため、このままではコントロールできないから、一度、シュレーディンガー方程式で粒子として量子化する。
こうすると現象も数学で人間に説明できる形にできる。
量子化から、どんなに離れていてもエンタングルメントによって別地点にある量子の情報も状態が確定してしまう特性も生じます。
量子レベルでは、光速を超えて近接作用以外で伝播するとも言える。さらに人工的に情報処理へ応用して、エンタングルメントの構造を量子ゲートとして、活用しようとしてる。
「量子エンタングルメント」(古典力学では見られない多事象間のもつれで、遠隔作用とみまがう相関を生み出す)から始めて
もつれた二体間の一方のみを観測したとき、ホーキング放射からの数学を活用して、どれだけの情報が欠落するのかを測れる「エンタングルメント・エントロピー」で数値化できます。
量子情報理論の基礎となる。小さな量子系が多数集まって大きな系(量子多体系)をなす場合、その中での局所的な相互作用を扱うのは「場の量子論」になります。
量子情報理論の考え方を導入した量子力学の特徴たる量子エンタングルメント。
続いて・・・
仏教の無明にも似ているホーキング放射は、ブラックホール・エントロピーという概念でスーパーストリング理論から数値化されています。
これによって、ブラックはどのくらいブラックか?を計算できます。
ブラックホールの面積増大の法則とエントロピーの必然的増大の法則の類似性はホーキングも気付いていた偶然の一致として。
このブラックホールと熱力学の法則は、ブラックホールの事象地平とエントロピーが方程式で同一視せざるをえないが
同時に、ブラックホールに温度があることにもなるからです。
ブラックホールに温度がある?ブラックホールの物理学の重力法則は、極端な熱力学の法則の書き換えに他ならないことも示している。
エンタングルメントや量子コンピューターの誤り訂正にも応用されている。
カラビヤウ相が、別のカラビヤウ相に変わってしまうことで一度、消滅し、トポロジー的に転化
ホーキング放射によってブラックホールは素粒子に相転移します。アクシオン?
一般相対性理論と量子力学を融合させるツールがスーパーストリング理論で確立している。
航空機の飛行する原理なども・・・
つまり、ベルヌーイの定理は、揚力をどの程度得られるか?を数値化できる。他には、流体全般も扱えるなど応用範囲が広い。
ベルヌーイの式は、流体の速さと圧力と外力のポテンシャルの関係を記述する式で、流体の力学的エネルギー保存則ともみなせる。ダニエル・ベルヌーイによって1738年に発表。
運動方程式からのベルヌーイの定理の完全な導出は、その後、1752年にレオンハルト・オイラーが示している。
完全流体についての条件。これは、非圧縮性と非粘性を持つ流体のこと。
ベルヌーイの定理は、主に現実的な場所では、水道管など経路が固定された内部を隙間なく押し出されていく状態を数値で表現できる方法です。
高温の蒸気なども配管を通して計算を行い数値で表現します。
配管の径は変更せず、蒸気圧力を上げた場合、蒸気の流量は増加します(計算できるので精密に表せます)
逆に、圧力損失等により蒸気圧力が低下した場合、蒸気の流量は減少します(計算できるので精密に表せます)
これら配管内部の「高温の蒸気」「水」の圧力と流量にはある関係性があります。
めんどくさいので圧力計測は静圧を対象としており、静水圧、流水圧、動圧、全圧等を直接測定することは基本的にできません。
「圧力=静圧」は閉じられ限定された空間内分子の「エネルギー状態」とも読みとれます。
エネルギー保存則なので・・・同時に、「流水圧は動圧との保存則」「静水圧は位置エネルギーとの保存」も表せます。
ベルヌーイの定理は、他にも飛行機の翼の先端など自由度の高く限定のない空間内分子の「エネルギー状態」も計算できます(ゆらぐので計算は非常に難しい)
似たような感じで・・・
開かれた空間内分子の「エネルギー状態」のワームホール。
イメージ的にワームホールも具体的な水道管が配置されているわけではなく、ある経路を通過するためのメカニズムが存在すると言う意味にもなります。
ワームホールとは、アインシュタイン - ローゼンブリッジと言われていて、時空構造上のトポロジー幾何学として考えうる構造の一つ。
また、ホーキング放射にもあるブラックホール内にできるワームホールは、高温の蒸気などが通る自然の配管ともみなして計算しています。
こう仮定することで、初めは計算できない概念を計算できるフレームワークに落とし込んでホーキングはブラックホールを計算しています。
物理学では、新しいことではなく伝統的な手法です。
量子論もボルツマン、マクスウェル、リュードベリー、プランクなどの当時の天才たちが、熱力学を土台としてから最初は構築しています。
その後、量子力学の黎明期に次世代の天才たちが、今の形に発展させています。
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ジム・サイモンズ:ウォールストリートを制した天才数学者
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
カーター・エマート:三次元宇宙地図のデモ
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ono-masahiro · 6 months
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小野正裕分析:ロシア・ウクライナ紛争が世界経済に及ぼす影響
小野正裕分析:ロシア・ウクライナ紛争が世界経済に及ぼす影響
ロシアとウクライナの紛争は世界経済にどのような影響を及ぼすのでしょうか? この紛争は、苦しみや人道危機を引き起こすだけでなく、世界経済全体の成長鈍化とインフレの加速にもつながるでしょう。この影響は3つの主な経路を通じて伝わります。 まず第1に、食料やエネルギーなどの一次産品価格の上昇がインフレをさらに押し上げ、それによって実質所得と需要が減少します。第2に、特に近隣諸国は、貿易、サプライチェーン、送金によるの混乱、そして歴史的な難民流入の急増に直面することになるでしょう。第3に、景況感の低下と投資家の不確実性の増大により、資産価格が下落し、金融状況が逼迫します。よって新興国市場からの資本流出が刺激される可能性があります。 ロシアとウクライナは主要な一次産品生産国であり、生産の混乱により世界的な価格の高騰(特に石油とガス)が生じています。ウクライナとロシアが世界の輸出の30%を占めているため、食料価格も特に小麦の価格が高騰してます。 世界的な影響に加えて、私たちが直接貿易、観光、金融取引を行っている国々はさらなる圧力を感じることになるでしょう。それに石油輸入に依存する経済は、財政赤字と貿易赤字の拡大とインフレ圧力の増大に直面するでしょう。しかし、中東やアフリカなど一部の輸出国は価格上昇の恩恵を受ける可能性があります。 食料と燃料の価格の急激な上昇は、サハラ以南のアフリカやラテンアメリカからコーカサスや中央アジアに至るまで、より大きな不安定リスクを引き起こす可能性がある一方、アフリカや中東の一部では食料不安が悪化する可能性があります。 影響を測るのは難しいですが、世界経済フォーラムの成長予測は来月下方修正される可能性が高いでしょう。長期的には、エネルギー貿易が変化し、サプライチェーンが再構成され、決済ネットワークが分断、各国が基軸通貨の保有を再考すれば、この紛争は世界の経済的・地政学的秩序を根本的に変える可能性があります。地政学的な緊張の高まりにより、特に貿易とテクノロジーにおける経済分裂のリスクがさらに高まります。
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ヨーロッパ ウクライナの損失は甚大です。対ロシアは前例のない制裁を金融仲介や貿易の正常な運営に影響を与え、深刻な不況につながることは避けられません。ルーブル安はインフレを加速させ、人々の生活水準をさらに低下させました。 ロシアはヨーロッパにとって天然ガスの重要な輸入源であるため、エネルギーはヨーロッパの主要な波及経路となっています。より広範なサプライチェーンの混乱も深刻な結果をもたらす可能性があります。こうした影響はインフレを加速させ、パンデミックからの回復を遅らせるでしょう。東ヨーロッパでは資金の調達コストと難民の流入が増加するでしょう。国連のデータによると、最近ウクライナから逃れてきた300万人の大部分は東ヨーロッパに吸収されています。欧州各国政府は、エネルギー安全保障や防衛予算への追加支出による財政圧力にも直面する可能性があります。 ロシア資産の急落に対する海外のエクスポージャーは世界基準からすると控えめですが、投資家がより安全な逃避先を求めれば、新興国市場への圧力が高まる可能性があります。同様に、ほとんどの欧州銀行とロシアへの直接エクスポージャーは控えめであり、管理が可能となります。
コーカサスと中央アジア ヨーロッパの外では、これらの近隣諸国はロシアの経済衰退とロシアに対する制裁のより大きな影響を感じることになるでしょう。貿易・決済システムにおけるロシアとの緊密な関係は、これら諸国における貿易、送金、投資、観光を阻害し、経済成長、インフレ、貿易収支、財政収支に悪影響を与えるでしょう。 一次産品輸出国は国際価格の上昇から恩恵を受ける可能性があるが、制裁がロシアのパイプラインにまで拡大すれば、エネルギー輸出が減少するリスクがあります。 中東および北アフリカ 食料とエネルギー価格の上昇と世界的な金融情勢の逼迫は、重大な波及効果をもたらす可能性があります。例えば、エジプトは小麦の約80%をロシアとウクライナから輸入しています。さらに、両国にとって人気の観光地であるエジプトの観光収入も減少するでしょう。 政府補助金の増額などインフレ抑制政策は、すでに脆弱な財政収支を圧迫する可能性があります。さらに、対外融資条件の悪化は資本流出を刺激し、債務水準が高く資金需要が大きい国では成長が鈍化する可能性もあります。 一部の国、特に社会的セーフティネットが弱く、雇用機会が少なく、財政余地が限られている政府の支援が低い国では、価格の上昇により社会的緊張が悪化する可能性があります。
サハラ砂漠以南のアフリカの地域 大陸はパンデミックから徐々に回復しつつあるが、危機がその進展を脅かしています。この地域の多くの国は、特にエネルギーや食料の価格上昇、観光客の減少、国際資本市場へのアクセスの潜在的な困難などにより、戦争の影響に対して特に脆弱です。 ほとんどの国には、危機ショックの影響に対処するための十分な政策余地がまだありません。これにより、社会経済的圧力、公的債務の脆弱性、そして何百万もの世帯や企業が耐えているパンデミックのトラウマが悪化する可能性があります。 記録的な小麦価格は特に懸念されており、この地域の供給量の約85%が輸入品で、そのうちの3分の1はロシアまたはウクライナから来ています。
西半球 食料とエネルギーの価格は波及効果をもたらす主な経路であり、場合によっては重大な影響が及ぶ可能性があります。食品とエネルギー価格の上昇は、ブラジル、メキシコ、チリ、コロンビア、ペルーの5大経済大国がすでに年間8%のインフレ率に直面している中南米・カリブ海地域でインフレを大幅に加速させる可能性があります。中央銀行はさらなるインフレ防止策を講じる必要があるかもしれません。 さまざまな商品の価格上昇はさまざまな影響を及ぼします。原油価格の上昇は中米とカリブ海の輸入業者に打撃を与える一方、石油、銅、鉄鉱石、トウモロコシ、小麦、その他の金属の輸出業者は影響を軽減するために価格を引き上げることができます。 金融状況は比較的良好な状況が続いていますが、紛争の激化は世界的な金融危機につながる可能性があり、国内の金融政策が引き締められる中で成長が圧迫される可能性もあります。 米国はウクライナやロシアとの関係がほとんどなく、物価上昇は米国に直接的な影響をほとんど与えていませんが、戦争前に米国のインフレ率は一次産品価格を押し上げる4年ぶりの高水準に達していました。これは、連邦準備制度が利上げを開始するにつれて、価格が上昇し続ける可能性が高いことを意味しています。 アジアと太平洋 この地域では、ロシアとの緊密な経済関係がないため、ロシアの波及効果は限定的かもしれなませんが、欧州および世界の経済成長の鈍化は、この地域の主要輸出国に大きな打撃を与えるでしょう。 ASEAN経済、インド、一部の太平洋諸島を含む辺境経済の石油輸入国の経常収支が最も大きな影響を受ける可能性が高いと思われます。この状況は、ロシア人観光客に依存している国々の観光客の減少によってさらに悪化する可能性があります。 中国にとっては、財政刺激策が今年の5.5%成長目標を支援し、中国がロシアから購入する輸出品の量も比較的少ないため、直接的な影響は小さくなるはずです。それでも、一次産品価格の上昇と大規模な輸出市場での需要の低迷が中国の課題をさらに増大させるでしょう。 ロシアとウクライナ紛争の波及効果は日本と韓国でも同様であり、新たな石油補助金が影響を緩和する可能性があります。エネルギー価格の上昇はインドのインフレを押し上げるでしょうが、インドはすでに中銀の目標範囲の上限に達しています。 アジアにおける食料価格の圧力は、現地生産や小麦の代わりに米の使用を増やすなどの手段によって軽減されるべきです。高価な食料とエネルギーの輸入は消費者物価を押し上げるでしょうし、燃料、食料、肥料に対する補助金や価格制限により当面の影響は緩和されるかもしれませんが、財政コストが発生するでしょう。
世界的な衝撃 ロシアとウクライナの紛争は世界に衝撃を与え、経済緩衝材としての世界的なセーフティネットと地域協定の重要性を指摘しました。 IMFのクリスタリナ・ゲオルギエワ専務理事は最近、ワシントンでの会見で記者団に対し、「私たちはショックに対してより脆弱な世界に住んでおり、これから起こる衝撃に対処するには総合的な力が必要だ」と語りました。 一部の影響は長年にわたって顕著にならないかもしれませんが、戦争とその結果としての生活必需品の価格上昇により、一部の国の政策立案者がインフレを制御しています。また、経済を支援し、流行からの回復との間の微妙なバランスですが、済的打撃を与えることがさらに困難になるという明らかな兆候がすでに現れています。
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shimadasyouzi · 7 months
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中国経済の躍進:島田 秀次の専門的視点
島田 秀次は、世界経済の成長鈍化の後期に不確実性が高まったと見ています。
5月上旬の時点で、今年第1四半期のGDPデータを発表した経済体は多くはありません。公表された国々を見ると、中国以外の主要な経済体は前年比成長率が傾向的に減少しています。グローバルなサービス業と製造業の差異は顕著で、サービス業は引き続き急速に拡大しており、製造業は縮小し続けています。この現象は、ヨーロッパ、アメリカ、日本などの先進国で特に顕著であり、一方、発展途上国はよりバランスの取れた発展を遂げてきた。これは国際貿易の生態に合致しており、製造業の商品は通常、途上国で生産され、先進国へ輸出されています。
WTOによると、2023年のグローバルな商品貿易量が1.7%増加すると予測しており、これは以前の1%の予測を上回っています。今年以来、アメリカ経済は銀行の破綻事件によって回復が妨げられています。1月~2月にかけて、アメリカの雇用、消費、PMIなどの経済指標は全体的に強調で、連邦準備制度理事会は利上げを予測する声が高まりました。しかし、3月に欧米の銀行が破綻したことで、経済の不況が急増、経済指標が低下し、1四半期のGDP成長率が低下しました。
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アメリカの各部門が市場を支援したおかげで、パニックムードは改善され、4月には多くの経済指標が回復しました。しかしながら、5月1日に米ファースト・リパブリック銀行が接収され、市場のパニックで指数が急騰し、アメリカの主要株価指数が急落しました。5月のアメリカ経済指標も辛うじて回復する可能性があります。米連邦準備制度理事会は予定通り5月に金利を25BP引き上げましたが、これが今回の利上げサイクルの最後となり、年末には利下げに転じる可能性があります。連邦準備制度理事会が引き続き通貨政策を引き締める一方、ドルが信頼危機に直面しているため、海外投資家はアメリカ国債を減持し続けており、その中でも日中両国の減持幅が最も大きいです。アメリカ政府の債務が上限に達し、アメリカ下院は1.5兆ドルの債務上限引き上げ法案を可決しました。共和党と民主党は政府支出削減で協議中ですが、最終的には上院で承認される見通しです。
ユーロ圏は第1四半期に前年同期比・前四半期比で好調な結果を記録し、予想を上回り、不況を回避しました。エネルギー供給コストの影響を受けて、ドイツはヨーロッパ最大の国として第1四半期には、前年同期比の成長率がマイナスになり、一方でフランス、スペイン、イタリアはプラスを維持しました。失業率が23年ぶりの低水準、インフレが上昇しているにもかかわらず、ヨーロッパ中央銀行は5月に利上げを緩和し、7月には資産購入プログラムの再投資を停止すると発表しました。これは、アメリカの銀行破綻がヨーロッパの銀行に及ぼす外部リスクを一定程度懸念しているためです。ユーロ圏のインフレ率が非常に高いため、大きな予測不能な出来事がない限り、ヨーロッパ中央銀行は25BPずつ2〜3回の利上げを行うと予想されています。
世界全体を見ると、今年は世界経済成長率が2〜2.5%の範囲で持ち直し、2年連続で減速することはありますが、景気後退は予想されていません。大きな予測不能な出来事がない限り、イギリスやウクライナなど一部の国を除き、他の主要国は成長を維持できるでしょう。
世界経済の成長率が鈍化し、世界の貨物貿易は微増が予想されています
2023年5月上旬までに、第1四半期のGDPデータが公表された経済体は多くありませんでした。公表された国々を見る限り、中国を除いて、他の主要経済体の同期成長率は全般的に減少傾向にありました。アメリカの第1四半期のGDPは5.06兆ドルで、年同期および前四半期比でプラス成長を記録し、不況は発生していませんが、成長率が大幅に鈍化しました。第1四半期の前年同期比成長率は1.6%で、前期の0.9%を上回りますが、過去8四半期で2番目に低い成長率です。四半期対比成長率は0.3%で、2四半期連続で鈍化しています。アメリカの1-2月の経済データは全体的に強力なものでしたが、アメリカ連邦準備制度理事会は継続的な通貨政策の引き締めを行っており、その遅れた効果が徐々に現れています。3月には銀行の破綻事件がアメリカの回復プロセスを妨げ、経済指標が低下し、第1四半期の経済成長率に直接的な影響を与えました。
中国の第1四半期のGDPは、前年同期比で4.5%増加し、主要な経済国の中で最も高い成長率を記録しました。これは昨年のベースが比較的低かったこと、そして感染症の制御が緩和された後、中国の経済が急速に回復し、消費と製造業が成長をけん引した結果です。ユーロ圏の第1四半期の年間比成長率は1.8%で、前四半期比では0.6%の成長率となり、成長率はやや鈍化しましたが、予想を上回る結果となりました。昨年下半期、多くの経済機関は今年のユーロ圏での景気後退を予測していましたが、少なくとも第1四半期のデータからは、ユーロ圏は冬季エネルギー危機を軽減するためにさまざまなエネルギー供給源を活用しました。
春の到来とともに、ユーロ圏のインフレ率が緩やかに回復し、産業経済と市民生活を保護し、景気が早期に後退するのを防ぎました。ただし、欧米の経済と金融市場は密接に関連しており、3月にはアメリカの銀行の破綻が、クレディ・スイスの破綻やドイツ銀行のCDSスプレッドの急騰など信用危機を引き起こし、第1四半期の成長率に影響を与えました。ベトナム、韓国、シンガポールの場合、前年同期比の成長率が著しく鈍化しており、アジア諸国は西洋諸国への輸出に相対的に依存しており、欧米の需要が低下すると、輸出貿易量に大きな影響を与え、それに伴い生産能力の縮小を引き起こしています。去年第4四半期から、多くのアジア諸国で製造業PMIが拡張から縮小に転じました。
今年の最初の四か月間、東南アジア諸国の輸出額は一般的に前年同期比で10〜20%減少しました。さらに、中国、ベトナム、シンガポールの第一四半期のGDPは前期比でマイナス成長しました。特に、中国とベトナムは前期比で-14%以上の収縮を記録しましたが、これは春節休暇の影響が主な要因です。2022年までに、中国の実質GDPはアメリカの83.65%に達しています。ただし、季節の要因から、2023年第1四半期には77.5%に低下しました。
産業の発展を考えると、世界的にはサービス業と製造業の差異が顕著です。今年の1~4四半期、世界のサービス業PMIはすべて拡大基準線を上回り、先行して回復し、増加ペースも高まっています。一方、世界の製造業PMIは2021年9月以降一貫して拡大基準線を下回り、生産能力は持続的に縮小しています。主要な理由は、感染症の制御が緩和された後、旅行、飲食、ホテルなどのサービス需要が急増し、サービス業への消費需要が高まったことです。それに対して、民間の人々は再び品物を買いだめする必要がなく、特に耐久消費財の使用寿命が長いため、短期間で再度購入する必要がありません。この現象は、発展途上国が比較的均等に成長している一方、日本、ヨーロッパ、アメリカなどの先進国で特に顕著に現れており、国際貿易の生態に比較的適していると言えます。製造業の製品は、通常、発展途上国で生産され、発達国に輸出されます。
現在、世界経済には多くのリスクと不確実性が存在しています。これには各中央銀行の利率政策、高金利政策の継続期間、欧米の銀行の再度の経済破綻のリスク、リスクの外部への影響、世界的な債務危機、貿易保護主義、地政学的な軍事的な対立、インフレの低下速度、ロシアとウクライナの黒海での食糧協定などが含まれます。いずれかのリスク要因がブラックスワンイベントを引き起こす可能性があり、それが世界経済の大幅な後退リスクを引き起こす可能性があります。経済の不確実性が後半に加速していることを考慮し、国際機関は2023年の世界経済予測を再調整しています。
さまざまな予測データに基づいて、次の3つの結論が導かれます。まず第一に、2023年の世界GDP成長率は、2021年~2024年までの4年間で最低値になる可能性が非常に高く、2024年には経済成長率が回復するでしょう。次に、通常の状況では、2023年には世界経済が衰退することはありません。すべての機関は今年の世界経済が正の成長を示すと予測しており、その平均は約2.3%です。さらに、WTOを除く他の主要国際機関は、2023年の経済予測を下方修正しました。したがって、今年の世界経済状況は依然として悪化していることがわかります。
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ryotarox · 2 years
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https://twitter.com/gjmorley/status/1496666555593412611
モーリー・ロバートソン @gjmorley 先ほど「スッキリ」をご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。以下、ウクライナ情勢に関する一問一答を列記します>> 午前11:01 · 2022年2月24日
1)ロシアによるウクライナ侵攻について、関心を持つべきポイントは何だと思いますか? ☆ルールに基づいた国際社会の秩序を変更しようとしています。プーチンは「ウクライナはそもそも国家ではない」とまで言い切っているので、これを放置すると際限なく領土を拡大し、 かつてのワルシャワ条約機構をすべて支配下(もしくは影響下)に収めることすら正当化されてしまいます。 2)日本人として、ウクライナ情勢をどう受け止めるべきだと思いますか? ☆日本人としては最大限に関心を持つべきです。ここで米国とEUが怯んでしまい、 部分的にでもウクライナの占領を認めてしまうと軍事力を持つ国家には現状を変更する権限があることになってしまい、NATOも日米安全保障も崩れてしまいます。その先には中国による台湾侵攻や尖閣侵略が待っています。東アジアにはNATOに匹敵する集団的自衛体制がないため、 中国の軍事的な威嚇に対して米国抜きで対応できません。つまり日本はウクライナと極めて似た状態にあるのです。 3)NATOや日本のロシアに対する対応について、どう思いますか? ☆NATO諸国はドイツを筆頭にロシアからの天然ガス提供に依存しています。 そのため、長期に渡って紛争が続いた場合、ドイツを筆頭にロシアに対して融和的に振る舞ってしまう可能性があります。それこそがロシアの思うツボです。一方日本はロシアに配慮し過ぎです。北方領土の部分的な返還などへの期待もあるようですが、 ロシアが紛争抜きで北方領土を返還する可能性はほぼゼロだと思います。欧米に歩調を合わせて最大級の経済制裁を行うべきです。 4)アメリカなど海外メディアの報道と、日本のメディアの報道では 伝え方や受け止め方に違いはありますか? ☆日本の報道はロシアの主張を両論併記しがちです。しかしロシアが流している情報はデマであり、歴史の歪曲なので、欧米の主張とロシアの主張を並列に並べてしまうとその中央値はロシア寄りになってしまいます。ロシアは「進駐」しているのではなく、一方的に侵略していることを正しく伝える必要があります。 5)プーチン大統領についてどう思いますか?(思惑・手腕・政策 などについて) ☆ソ連、ひいてはロシア帝国の復興を夢見て危険な賭けに出る人物だと思います。現在は独裁体制が長引いているため、側近もイエスマンばかりでバランスの良い判断をできる情報が耳に入っていないかもしれません。 平和を撹乱する手腕は天才的ですが自国の経済を立て直す術を持っておらず、長期的にロシアの国民は不幸にしかならないでしょう。言わば「巨大な金正恩」です。プーチン氏が「やれる」「いける」と思う理由を与えてはならないと思います。 (以上)
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kennak · 2 years
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先ほど「スッキリ」をご覧いただいた皆さま、ありがとうございました。以下、ウクライナ情勢に関する一問一答を列記します>> 1)ロシアによるウクライナ侵攻について、関心を持つべきポイントは何だと思いますか? ☆ルールに基づいた国際社会の秩序を変更しようとしています。プーチンは「ウクライナはそもそも国家ではない」とまで言い切っているので、これを放置すると際限なく領土を拡大し、 かつてのワルシャワ条約機構をすべて支配下(もしくは影響下)に収めることすら正当化されてしまいます。 2)日本人として、ウクライナ情勢をどう受け止めるべきだと思いますか? ☆日本人としては最大限に関心を持つべきです。ここで米国とEUが怯んでしまい、 部分的にでもウクライナの占領を認めてしまうと軍事力を持つ国家には現状を変更する権限があることになってしまい、NATOも日米安全保障も崩れてしまいます。その先には中国による台湾侵攻や尖閣侵略が待っています。東アジアにはNATOに匹敵する集団的自衛体制がないため、 中国の軍事的な威嚇に対して米国抜きで対応できません。つまり日本はウクライナと極めて似た状態にあるのです。 3)NATOや日本のロシアに対する対応について、どう思いますか? ☆NATO諸国はドイツを筆頭にロシアからの天然ガス提供に依存しています。 そのため、長期に渡って紛争が続いた場合、ドイツを筆頭にロシアに対して融和的に振る舞ってしまう可能性があります。それこそがロシアの思うツボです。一方日本はロシアに配慮し過ぎです。北方領土の部分的な返還などへの期待もあるようですが、 ロシアが紛争抜きで北方領土を返還する可能性はほぼゼロだと思います。欧米に歩調を合わせて最大級の経済制裁を行うべきです。 4)アメリカなど海外メディアの報道と、日本のメディアの報道では 伝え方や受け止め方に違いはありますか? ☆日本の報道はロシアの主張を両論併記しがちです。 しかしロシアが流している情報はデマであり、歴史の歪曲なので、欧米の主張とロシアの主張を並列に並べてしまうとその中央値はロシア寄りになってしまいます。ロシアは「進駐」しているのではなく、一方的に侵略していることを正しく伝える必要があります。 5)プーチン大統領についてどう思いますか?(思惑・手腕・政策 などについて) ☆ソ連、ひいてはロシア帝国の復興を夢見て危険な賭けに出る人物だと思います。現在は独裁体制が長引いているため、側近もイエスマンばかりでバランスの良い判断をできる情報が耳に入っていないかもしれません。 平和を撹乱する手腕は天才的ですが自国の経済を立て直す術を持っておらず、長期的にロシアの国民は不幸にしかならないでしょう。言わば「巨大な金正恩」です。プーチン氏が「やれる」「いける」と思う理由を与えてはならないと思います。 (以上)
モーリー・ロバートソンさんはTwitterを使っています
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ari0921 · 1 year
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我が国の未来を見通す(54)
「気候変動・エネルギー問題」(19)
 我が国のエネルギー問題(その1)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 たまには、映画の話題に触れてみましょう。Fa
cebookでは紹介しているのですが、年末に邦
画「ラーゲリより愛を込めて」を、つい最近は、ア
メリカのゴールデングローブ映画祭の非英語映画賞
と歌曲賞に輝いたインド映画「RRR」を観賞しま
した。
 「ラーゲリ」の二宮和也演じる主人公は、島根県
出身の実在した方で、戦後、シベリアに抑留され、
1956年の日ソ平和条約締結によって最後の引き
揚げとなる直前に現地で病気に亡くなった方です。
私自身、シベリア抑留の状況については書籍や写真
などを通じて全く知らないわけではなかったですが、
あらためてその生活や労働の悲惨さ、生きて帰ろ
うとする抑留者の皆様の思いや葛藤などが本当にリ
アルの描かれており、何度も何度も涙が流れました。
映画では、主人公のお人柄がたっぷり描かれた最
後の方で、子供たちに残した遺書の「生きる上で大
切なことは道義である」との言��にも強く胸を打た
れました。
 「RRR」のRRRは、蜂起(Rise)、咆哮
(Roar)、反乱(Revolt)を意味し、イ
ンドがまだイギリスの植民地だった頃を舞台に、立
場の違う2人の主人公が出会って友情が深まり、立
場を知って争いもあったが究極的には助け合って目
的を達成するというストーリーですが(細部は省略
します)、評判どおりの迫力やキレキレのダンスも
あって3時間があっという間でした。私自身は、英
国のインド支配がいかに残虐で卑劣なものであった
かを強く印象づけたこの映画をアメリカ映画界が認
めたことに驚きましたが、そのくらい、当時の状況
がリアルに表現されていました(実際にはこの程度
でなかったことは容易に想像つきます)。
私は、日本人はこのような映画をしっかり観るべき
と考えます。前者からは、今ある我が国の独立とか
平和の陰にこのような日本人がたくさんおられたこ
とを知ってもらいたいし、後者からは、わずか70
数年前までは、インドのみならずアジアやアフリカ
各地で西欧文明至上主義のもと、徹底的な人種差別
による残虐な植民地支配がはびこっていた事実や、
国家が独立するという意義や価値を感じ取っていた
だきたいと願っています。
「RRR」には100億円近い製作費が投入された
ということですが、ハリウッド映画に引けを取らな
い完成度だったことから、この世界の“格差”が縮
まっていることにも強く印象に残りました。インド
映画を馬鹿にしてはいけません。
▼ドイツのエネルギーひっ迫と事態打開方策
 さて前回の最後に、エネルギー危機の原因は、地
球温暖化対策を強調して間欠性のある再生可能エネ
ルギーに依存し過ぎた結果、コロナ禍やウクライナ
戦争という予期せぬ事態に追随できず、需要と供給
のバランスが崩れてしまったことにあると述べまし
たが、問題は、このような“不可測な事態”が発生
するのは今回限りなのか、あるいは、将来も起こり
得る可能性はあるのか、ということにあります。こ
れの対する見解も立場によって意見が真っ二つに分
かれることでしょう。
この細部は後述するとして、今回の非常事態に対し
て、ドイツがどのように対処したかは、我が国にと
っても大いに参考になると思いますので、概要のみ
を紹介しましょう。
ロシアのウクライナ侵攻によって、欧州諸国は、地
球温暖化対策上、「化石燃料はダメだ」とばかり言
っていられない状況になりました。“背に腹は代え
られない”ということでしょう。まさかの時には、
環境や気候変動よりも、日々の快適な生活や生存が
優先するということのようです。
これまで信頼できるエネルギー供給国と信じ込んで
いたロシアが当事国になったのです。特にドイツは、
2020年時点で石油の34%、天然ガスの43%、
石炭の48%をロシアからの輸入に依存していまし
た。それにメルケル前首相とプーチン大統領の蜜月
を背景に着手したパイプライン「ノルドストリーム
2」が稼働すれば、対ロシアガス依存度は7割に達
するところだったのです(「ノルドストリーム2」
はすでに完成はしているようです)。
そのようなロシアガス依存の背景は、福島原発事故
の後、地震も津波もないドイツが「脱原発」の大幅
前倒しを決めたエネルギー政策に発端がありました。
つまり、ロシアのガスの供給の増加と再生可能エ
ネルギーの拡大に合わせて、原発を大幅に縮小する
という計画でした。
CDU(キリスト教民主同盟)のメルケル首相退陣
後のドイツの現政権は、社民党、緑の党、自民党3
党の連立政権になっています。特に緑の党は、今で
は環境党として知られていますが、結成当時は、反
体制、反核、反原発、ウーマンリブ、フリーセック
スなどを謳っていた新左翼でした。その後も「反炭
素」「反原発」を掲げ、2022年以降は「脱石炭」
も掲げており、彼らが目指しているのは、再生可
能エネルギー100%の世界なのです。
現政権は、緑の党の主張を取り入れ、2021年暮
れに、6基残っていた原発のうちの3基を止め、2
022年1月、再生可能エネルギー比率の目標をそ
れまでの65%から80%に引きあげました。
そこに、ロシアのウクライナ侵攻が勃発したので、
ドイツは悲鳴を上げました。そのはずです、EUが
対ロシア制裁を決めると、ロシアガスがストップし
て窮地に追い込まれることを覚悟して、ドイツも加
わらなければならなかったのでした。そして案の定、
ロシアのガスが徐々に減り始めると、ドイツは、
誰が誰に制裁を科しているのかわからないような状
態になり、その代替として、予備の褐炭発電を稼働
させる方針を発表しました。褐炭は石炭よりCO2
排出が多いことで知られていますが、これまでCO
2を“毒ガス扱い”にしてきた緑の党を含む現政権
にとっては、「苦渋の選択」などの言葉では言い表
せないくらい、真逆の政策への変更を余儀なくされ
たのです。
ドイツは、ロシアの代わりにカタールやカナダへ天
然ガスの供給を懇願しましたが、どこも不首尾に終
わりました。そして残った3基の原発については、
1基は予定通り止め、残りの2基は予備として4月
まで待機させるという方針に発表しましたが、国民
の反発もあって、4月半ばまで稼働延長を打ち出し
たのです。
昨年の9月26日には、2011年以来稼働してい
た「ノルドストリーム」が爆発し、その後の調査で
50メートルほど破損していることが判明しました。
その真犯人は未だに不明です。
このように、ドイツのエネルギー政策は大幅に揺れ
ています。これまでのロシアガスより安いガスは存
在しないため、インフレも進みました(最新の発表
では昨年12月で9.6%)。ただ、政府がガス代
を支援しているため、予想以上にインフレは減速し
ているとも分析されています。
幸いにも、今年の“暖冬”が味方したようですが、
ドイツは、フランスからは原発で発電でした電力を、
ポーランドやチェコからは石炭火力で発電した電
力を輸入しています。これは「ドイツの原発は不可
だが、フランスの原発はOK」あるいは「ドイツの
石炭火力は不可だが、ポーランドやチェコの石炭火
力はOK」ということを意味し、あまり身勝手で矛
盾しているとの批判もあります。
最近、ドイツがウクライナに歩兵戦闘車「マルダー」
を供与することとか、ポーランドがドイツ製の戦
車「レオパルド」を供与することがニュースになり
ました。ウクライナ戦争勃発後、それまでの「紛争
地域に武器を輸出しない」としてきたドイツはその
政策を変更して、軍事、経済、人道支援の総額は、
アメリカ、イギリスに次いで3番目に多くなってい
ます。背景には、エネルギー源のロシア依存から脱
却するため、おおよそのメドがついていることがあ
るのかも知れませんが、欧州の歴史的経緯からドイ
ツ自体が複雑な立場にあることなども重なって、依
然として不透明な部分が残っており、今後ともドイ
ツの政策に注目する必要があるでしょう。
このように、エネルギー政策は、一歩間違うと国家
の存亡にかかわるといっても過言でないでしょう。
その前例として、我が国はドイツの今回の混乱(失
敗というべきか)から大いに学ぶべきと考えます。
▼我が国の資源エネルギーの変遷
 
さて我が国のエネルギー事情です。ご存じの通り、
各省庁は毎年、政治社会経済などの実態や政府の施
策の現状を国民に周知することを目的に「白書」を
発刊しています。個人的にも防衛白書をはじめ、こ
れまで多くの白書を紐解いた経験がありますが、経
済産業省の資源エネルギー庁が発刊している「エネ
ルギー白書」は、その中でも我が国の資源エネルギ
ーの実態や政策が実によく整理されている“優れも
の”との印象を持ちます。ぜひ皆様もぜひ一度ご覧
ください。白書の中身を抜粋する形でまず我が国の
資源エネルギーの変遷を紹介しましょう。
 最も新しい2022年版白書の第1部第1章が「
福島復興の進捗」から始まるように、我が国は、「
東日本大震災」を契機にエネルギー政策が大きく変
貌し、依然としてその後遺症から抜けきれないこと
がわかります。
 その細部はのちに触れるとして、GDP世界第3
位の我が国のCO2排出量は全体の約3%というこ
とからもわかるように、実質GDP当たりのエネル
ギー消費は世界平均を大きく下回る水準を維持して
おり、インド、中国の5分の1から4分の1程度の
少なさであり、 省エネルギーが進んでいる欧州の
主要国と比較しても遜色ない水準となっています。
これは誇れることです。
これには長い歴史があります。我が国のエネルギー
需要は、1960年代以降急速に増大し、それまで
の国産石炭依存から中東の地域で大量に生産される
石油に転換したことによって高度成長時代を迎える
ことになりました。当時は石油が安価だったことも
あって、1970年代前半には、一次エネルギー供
給の75.5%を石油に依存していました。
しかし、1970年代に発生した2度の石油危機に
よって原油価格の高騰と石油供給断絶の不安を経験
した我が国は、エネルギー供給を安定化させるため、
石油依存度を低減させ、石油に代わるエネルギー
として、原子力、天然ガス、石炭の導入を進め、新
エネルギーの開発を加速させていきました。その結
果、一次エネルギー供給に占める石油の割合は、2
010年には40.3%と大幅に低下し、その代替
として、石炭(22.7%)、天然ガス(18.2
%)、原子力(11.2%)の割合が増加すること
で、エネルギー源の多様化が図られました。
一方、2度の石油危機を契機に、製造業を中心に省
エネルギー化(省エネ)が進むとともに、省エネ型
製品の開発も盛んになり、こうした努力の結果、エ
ネルギー消費を抑制しながら経済成長を果たすこと
ができ、その結果が、実質GDP当たりのエネルギ
ー消費が世界平均を大きく下回る水準の維持につな
がりました。
こうしてみます��、まだ人為的CO2の排出削減が
世に叫ばれるだいぶ前、つまり、地球が寒冷化して
いた頃から、我が国はエネルギー消費を大幅に削減
してCO2排出を抑制してきたことがわかります。
しか し、2011年に発生した「東日本大震災」
の結果、その後の原子力発電所の停止により、原子
力に代わる発電燃料として化石燃料の消費が増え、
減少傾向にあった石油の割合が、2012年度に
44.5%まで上昇しました。その後、発電部門で
再エネの導入や原子力の再稼動が進んだことなどに
より、石油火力の発電量が減少しました。その結果、
一次エネルギー供給に占める石油の割合は8年連
続で減少し、2020年度には、1965年度以降
最低の36.4%となりました。
ただ、この石油に加え、天然ガス、石炭を加えた化
石燃料が一次エネルギー供給に占める依存度は、2
019年時点で88.3%となっています。このあ
たりが環境団体から「化石賞」を受賞した要因にな
っていると考えますが、確かに、化石燃料の比率だ
けをみれば、原子力の比率が高いフランスや、風力、
再生可能エネルギーの導入を積極的に進めてきたド
イツなどと比べると高い水準にとどまっています。
化石燃料の依存度が高い国を挙げますと、中国が8
7.6%と日本に次ぐ高依存ですが、中国の場合、
CO2排出量が大きい石炭の化石燃料に占める比率
が61.1%と、日本の27.8%に比してダント
ツで世界一になっています。それ以外では、米国
(81.8%)、イギリス(77.3%)、インド
(75.6%)などが続くなど、列国とも依然とし
て化石燃料の比率が高いことがわかります。
これらの化石燃料のほとんどを輸入に依存している
我が国なので、前回紹介しましたように、エネルギ
ー自給率12.0%という数字となって現れるので
す。つまり、これらの安定的な供給は、今もそして
将来も我が国の大きな課題と言わねばならないでし
ょう。
そして、二次エネルギーである電気は長期的には多
くの分野で使う場面が増え、電力化率は、1970
年度には12.7%でしたが、 2020年度には
27.7%に達しました。家庭用及び業務用を中心
に電力需要は2000年代後半まで増加の一途をた
どりましたが、特に東日本大震災後は節電等により
水準が一時的に低下し、2020年度以降はコロナ
禍の影響で、最終エネルギー消費に占める非電力エ
ネルギーの消費が減少したのに対して、テレワーク
の普及から情報・通信機器利用増加や在宅率上昇に
伴う家庭用の電力需要が増加したことなどによって、
2019年度対比で1.5%上昇した結果が20
20年の数字のようです。
一方、昨年来、電気料金の値上がりが深刻な話題に
なっています。今年の4月頃には各電力会社とも平
均28~45%の値上げを申請していることもニュ
ースになっています。元々の自給率の低さに加え、
東日本大震災の影響、気候変動対策、ウクライナ情
勢などを考えるとこれまでが安すぎたのかも知れま
せんし、安定供給のためにある程度の値上がりは容
認する必要があるとも言えるでしょう。
人為的CO2排出ゼロ、つまり2050年までに
「脱炭素」を目指して、我が国が現状のエネルギー
資源をどのように転換するか、つまり今後のエネル
ギー政策をどのように考えればよいのか、またそこ
にはどのような問題が内在しているのかなどについ
ては、「エネルギー白書」で紹介されている政策を
含め、次回以降、取り上げましょう。
(つづく)
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dainana-seagull · 4 years
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇が、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュ���いった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。 
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてで��なく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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sqiz · 4 years
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ゆえにアメリカは単独で、中ロが画策する国家資本主義の陣営の拡大に対抗しないといけない状況になっているのですが、トランプ政権の方針として、世界中での影響力の保持よりは、国内問題の解決にベクトルが向いていることから、中ロの影響力の拡大への効果的な対抗力を発揮できていません。 このようなポイントが同時に作用することで、世界は再び欧米軸の自由経済陣営と、中ロが推し進める国家資本主義の陣営の2軸に分かれる構造になり、これは第1次世界大戦、そして第2次世界大戦直前の国際情勢と似ていて、国際協調体制・相互依存体制が弱まり、世界は政治・軍事・経済などすべての面においてブロック化する方向に進み、両陣営の力のぶつかり合いによる微妙な、非常にデリケートなバランスに直面しています。
『シベリアの力』開通。中国とロシア接近が物語る新しい世界地図 - ページ 4 / 4 - まぐまぐニュース!
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xf-2 · 6 years
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脱化石燃料・脱原発の野心的な目標をぶち上げたドイツだが、送電網の再整備が立ち遅れロシアの天然ガス頼みに
今年8月の猛暑の日、ドイツ北部のバルト海沖に浮かぶリューゲン島に数百人のツアー客が集まった。お目当てはビーチではない。アルコナ洋上風力発電所が開催した「魅惑の洋上風力発電」展だ。 世界の海洋プラスチック廃棄物の9割は、わずか10の河川から流れ込んでいる 港には巨大な白いグラスファイバーのブレードが並んでいた。この長さ約75メートルのブレードは、約30キロ沖合にそびえる風力発電用タワー60基の上に設置されると、ガイドが説明した。2019年初めまでに発電量は385メガワットに達し、40万世帯分の電力を供給できるようになるという。 「わが社がここでやろうとしていることを一般の人たちに知らせて、『おお、すごい!』と言ってもらいたい」と、アルコナの幹部シルケ・ステーンは話す。 もっとも、ツアー客が港の別の場所に目をやれば、同じくらい壮大な人工物に気付いたはずだ。こちらは見学予定に入っていないが、港の一画にはコンクリートのコーティングを施した巨大な鉄鋼のパイプが積み重ねて並べてあった。 これらのパイプは、ロシアとドイツを結ぶ全長約1220キロの天然ガスのパイプライン「ノルド・ストリーム2」の一部として海底に敷設される。予定どおり来年に工事が完了すれば、既に稼働中のノルド・ストリームと合わせて現在の2倍のガスがロシアから輸送される。 皮肉にも積み出し港を共有するこの2つのプロジェクトは、再生可能エネルギーに懸ける夢と、ロシアのガス頼みという苦い現実の板挟みになったドイツの苦悩を物語っている。 <「南北問題」がネックに> ドイツは10年、今世紀半ばまでに電力の80%を再生可能エネルギーで賄うという野心的な目標を掲げた。さらに翌年には日本の福島第一原子力発電所の事故を受け、22年までに「脱原発」を達成すると発表した。 ドイツはいち早く固定価格買い取り制度を導入(17年に入札制度に移行)するなど、個人や企業による太陽光と風力発電事業をテコ入れしてきた。おかげで1990年には電力比率の3・6%にすぎなかった再生可能エネルギー(風力、太陽、水力、バイオガス)が、発電量の3割超を占めるようになった。 しかし高邁なビジョンは、厳しい現実に突き当たった。世界屈指の工業国ドイツが脱化石燃料・脱原発に舵を切るのは容易ではなく、当初の予想以上にコストがかかり、政治的にも困難を極めた。結局、政府はエネルギー政策を見直して化石燃料への依存度を高め、気候変動対策で世界をリードする役目もある程度返上せざるを得なくなった。
送電網の全面的な再整備が必要
問題は送電網にある。太陽光・風力発電を主役にすると、従来よりも複雑でコストも高い送電網が必要になる。ドイツが目標を達成するには、「送電網の全面的な再整備が必要だ」と、再生可能エネルギー推進政策に詳しいアナリストのアルネ・ユングヨハンは言う。 風力発電ブームがもたらしたのは、供給と需要のミスマッチという予期しない問題だった。ドイツでは風力発電所は常に強い風が吹く北部に集中しているが、大規模な工場の多くは南部にある(南部に集中する原発は次々と運転を停止している)。 北部の風力発電所から南部の工業地帯に電力を送るのは容易ではない。風が強い日には、風力発電所は大量の発電が可能になるが、電力はためておくことができない。供給過剰になれば送電線に過大な負荷がかかるため、電力系統の運用者は需給バランスを維持しようと風力発電所に送電線への接続を切断するよう要請する。こうなるとツアー客が眺めた巨大なブレードも無用の長物と化す。 一方で、電力の安定供給のためには莫大なコストをかけてバックアップ電源を稼動させなければならない。ドイツでは昨年、こうした「再給電」コストが14億ユーロにも達した。 解決策は、北部の風力発電施設から南部の工場にスムーズに電力を送れるよう送電網を拡張すること。そのための工事は既に始まっている。巨額の予算をかけて(事業費は電気料金に上乗せされて、消費者が負担する)、総延長約8000キロ近い送電線が新たに敷設される予定だが、今のところ工事が完了したのは2割足らずだ。 <風力発電で大量の失業者> 「壊滅的に工期が遅れている」と、ペーター・アルトマイヤー経済・エネルギー相は8月に経済紙ハンデルスブラットに語った。遅れた理由の1つは住民運動だ。4本の高圧電線が通る地域の住民は電磁波の影響を懸念し、地下にケーブルを埋設するよう要求。そのために工期は延び、コストは膨らんだ。 今の見通しでは工事が全て完了するのは25年。原発が全て運転を停止してから3年後だ。 こうした状況下で、ドイツは再生可能エネルギーへの転換のペースを見直さざるを得なくなった。与党キリスト教民主同盟(CDU)の広報担当ヨアヒム・ファイファーは本誌の取材にメールで応じ、「再生可能エネルギーの発電量を増やすことに注力し過ぎていた」と認めた。「発電量を増やすと同時に送電網を拡張する必要があるのに、後者が後回しになった」
風力発電業界では大量の失業者
再生可能エネルギー推進派は政策の後退に強く反発している。ドイツ風力発電連合のウォルフラム・アクセレムCEOによると、風力発電業界では大量の失業者が出ている。「19、20年にこの業界は苦境に陥るだろう」 一方、ノルド・ストリーム2の建設工事は着々と進んでいる。このプロジェクトの事業費110億ドルは、ロシアの国営エネルギー企業ガスプロムと5社の欧州企業が出資しており、ドイツの納税者には直接的な負担はない。パイプラインはドイツ、ロシア、フィンランド、スウェーデン、デンマークの領海を通過するが、通過を拒否するデンマークを除く4カ国は既に敷設を許可している。 今でもEUが消費する天然ガスの約3割はロシア産だが、予定どおり来年末にノルド・ストリーム2が稼働を始めれば、欧州のガス市場におけるロシアのシェアはさらに拡大する。欧州最大のガス田があるオランダは地震頻発のため30年までにガス田を全て閉鎖する予定で、EUのロシア依存は一層進む。 ドナルド・トランプ米大統領は7月、「ドイツは完全にロシアに支配されている」と発言。米政府はノルド・ストリーム2に投資する欧州企業に制裁を科す可能性があると脅しをかけた。 <褐炭の採掘はフル操業> ドイツ政府もロシアへの過度の依存を警戒しているが、エネルギーの安定供給を求める産業界の要望は無視できない。現実問題としてロシア産ガスに頼らざるを得ないと、ドイツ国際安全保障問題研究所のエネルギー専門家クリステン・ベストファルは言う。「大きな需給ギャップを埋めるには、(ロシアの)ガスが必要だ」 再生可能エネルギー用の送電網整備が立ち遅れるなか、二酸化炭素(CO2)の排出量が最も多い化石燃料である褐炭の需要も伸びている。褐炭による火力発電はドイツの電力供給の25%近くを占める。化石燃料業界が逆風にさらされるなか、褐炭の採掘会社は稼げるうちに稼ごうと事業の拡大に余念がない。 石炭火力発電が大きく伸び、ドイツのCO2排出量は15、16年と連続で増えた(17年には微減)。ドイツは今なおヨーロッパ最大のCO2排出大国だが、アンゲラ・メルケル首相は汚名返上に努めるどころか、20年までに1990年比の40%という削減目標を撤回するありさまだ。 わずか数年前、パリ協定の採択に向けた議論が行われていたときには、ドイツはEUの気候変動対策のリーダーを自任していた。だが最近、ミゲル・アリアスカニャテ欧州委員会気候行動・エネルギー担当委員が30年までの削減目標を90年比40%から45%に引き上げようと提案すると、メルケルは渋い顔をした。 「既に決めた目標があるのだから、その達成が先だ。次から次に新しい目標を打ち出すのはいかがなものか」 <本誌2018年10月23日号掲載>
ダニエラ・チェスロー
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thunderheadhour · 2 years
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エルデンリングプレイ日記6日目
 金曜夜、星野源のおんがくこうろんを見てからエルデンリングやろうと10時半前にいそいそテレビをつけたら、Eテレではパラリンピックの開会式を放映していて星野源の姿も形もない。そういえばパラリンピックはそのままやっているのか。戦争の真っ最中に。
 そう今は戦争の真っ最中。日本とも領土問題を抱えている隣の核保有大国が、無茶苦茶な論理を押し通して主権国家を侵略している真っ最中だ。名状しがたい違和感を覚えてテレビを消す。
 ウクライナとロシアのゲーマーたちはエルデンリングどころではないだろう。暗澹としてくる。
 平和な世界では、ゲームの世界で繰り返されるヴァーチャルな死をエンタメにできる。安全に、何度も体験できる死。それは平和な世の中ではメメントモリ、いつか来たるべき死への恐怖をやわらげるワクチンのようなものになるのかもしれないが、いざ本物の死がかくも暴力的に迫ってきている世界では、全てを現実の強度が上塗りしてしまうだろう。エルデンリングの死の、なんとエレガントで慈悲深く計算され尽くしていることか。現実の死の、なんとグロテスクで理不尽でままならないことか。
 何を言っても空疎な気持ちになるが、彼らがヴァーチャルな死を取り戻せる日が早く来ることをただ願う。
 などと書いてはきたが、名状しがたい違和感の正体、単に胃が痛いだけでは? 戦争、ブルシットジョブ、結晶坑道……胃酸過多になる要因は枚挙にいとまがありませんね。2回休み。
 日曜日にようやく起き上がれたので活動再開。うどんと粥しか喉を通らぬ。褪せ人の皆さんはちゃんとご飯食べてるのかな。
 さて結晶坑道。落ち着いてよく観察すると、出口と思い込んでいた上方ルートは、そこを歩く敵の動きを見る限りどうやら行き止まりらしい、と気づく。ということは下だ。そちらのルートも���く見ると、ちゃんと先に続く道のようなものが見えた。
 屈んでこそこそ下っていくと、特に攻撃を受けることもなく、その先の祝福&出口に到達。いざたどり着いてみると不思議なくらいにあっけなくて乾いた笑いが漏れ出る。このバランスなー。
 外に出ると、何やら荒涼とした風景が。左手には城壁、下の坂にはめちゃくちゃデカい球体状のフジツボみたいなのがいて、ブシューと緑色のガスを吐き出している。キモい。速攻で祝福ワープで帰りたい衝動に駆られるが、せっかくここまで来たし失うものもないのだから、行けるとこまで歩いて帰ろうと思い立つ。
 とりあえずキモくない城壁方面へ。ほどなく「サリアの魔法街」なる、街の廃墟にたどり着く。あれじゃろ? ここで高度な魔法が手に入るんじゃろ? と足を踏み入れると、高度な魔法を使う亡霊さんたちがたくさん襲ってきたよ。こんなこったろうと思ったよ! ウヒョーと奇声を発しながらダッシュで逃げる。
 意外にも逃げ切れて関門に到着。ボロ屋にいるNPCからお使いの依頼をされるが、受けるが、うん、待ってて、すげー先になると思うから。
 関門を見張ってる狛犬みたいなデカい犬が怖いのでお馬さんに乗って走り抜ける。途中で腐りかけの竜に襲われたりしつつも地図もゲット、祝福も色々起動。たまたま行き合ったお婆ちゃんに手相を見てもらったら、東と南でヤベーことあるわよ、あなた地獄に落ちるわよ、みたいなお告げをいただく。すまん、それも後。おれは早く帰りたいんだ、あの愛しいマルギットさんの元へ……(トラウマによる記憶の改竄)
 リムグレイブに入った表示が出た時はちょっとホロっとしやしたね。あの地獄がもはやふるさとよ。つらつらと歩いて知っているエリアへ帰還を目指す。お馬さんありがとう……動物はよい……人間はクソ……。
 途中の水辺で船を漕ぐ船頭さんがいたのでワーイこんにちはーと話しかけにいくとボス。全速で逃げる。今回このパターン多くないですか。
 風の強いエリアまで戻ると、どこからか助けを求める声が。崖の上へ登ると、見覚えのあるデカい壺が穴にはまっている。
 発売前の素材画像とかロード画面とかで、なんかデカくて意思を持った壺が存在するのは何となく知ってたんですが、やっと会えたね(©️辻仁成)。出会い頭で「思い切りケツをぶっ叩いてくれ」と頼まれるとは思ってませんでしたが。
 たまたま拾ってたクラブを両手持ちしてスパンキングするとオウオウ喜んでもっともっとと催促する壺。これどういう時間? 3発目に思いっきり溜め攻撃をぶち込むと、大きな壺は抜けました(童謡・おおきなかぶのメロディで)。お礼にこれをやろう、と差し出されたものが「勇者の肉塊」で、うん、ちょっと待って何それ? 「の」という助詞がどの意味合いで使われているかによってだいぶあなたへの感情が変わるんですけど……。
 壺曰く、東南の城で戦祭りが開かれるので行きたいんじゃよーとのこと。なんかさっき手相のお婆ちゃんもそんなこと言ってたな。イヤな予感しかしませんがいずれまた会いましょう。
 嵐の丘から東のあたりまでたどり着いてフラフラしてると怪しい円形の建物が。中には何もないが、ひとり行き倒れの亡霊が。話しかけると「最後にせめて戦いてえ」などと言い出し、また赤い人の侵入。頼むからひとりで死んでてください!
 襲ってきたのは火を吹くメイスを両手持ちでぶん回す破戒僧みたいなやつ。受けると一発でのけぞらされるが、追撃が遅いのでギリッギリ避けられる。持っててよかった物理100%カットの盾……!隙を見てチクチク刺し続け、どうにか撃破。ヤッターーー。瓶3本飲んだけど生き延びたぞ……。ご褒美にタリスマンをゲット。
 戦技を教えてくれるおじさんも見つけたのでそこで休息。なんか今のうちに買っといた方がいいやつあるのかな。キックとかあると狭いとこで敵を突き落とせそうな気もする。
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ono-masahiro · 6 months
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小野正裕の専門的評価:持続可能な投資と市場動向
パレスチナとイスラエルの紛争は、エネルギー、化学物質、金、その他の商品市場にどのような影響を及ぼしますか?
パレスチナとイスラエルの紛争で市場心理が過熱する中、軍事エスカレーションの可能性は引き続き高まっており、事態が急激にエスカレートした場合、イスラエルとイランの直接紛争につながる可能性がある。パレスチナとイスラエルの紛争は中東情勢を不安定にするだけでなく、世界経済を混乱させる可能性もあり、より多くの国が関与すれば、より広範な影響がアラブ世界に新たな混乱をもたらし、世界経済は不況に陥ります。紛争の潜在的な影響はすべて今後数週間、数か月で戦争がどのように展開するかによって決まります。パレスチナとイスラエルの紛争は 3つのシナリオへ発展する可能性がありますが、どのシナリオでも影響の方向は同じで、原油価格の上昇、インフレの上昇、成長の鈍化ですが、規模はそれぞれ異なります。
歴史的に見て、紛争が石油市場に永続的かつ意味のある影響を与えるためには、供給や輸送で混乱を招く必要があり、そうでない場合は地政学的な出来事に対する価格の反応は一時的なものになる傾向があります。イスラエルとその隣国は大規模な産油国ではなく、原油供給に対する直接的なリスクは限定的だが、パレスチナとイスラエルの紛争が地域戦争に発展した場合、原油価格への影響は甚大となるだろう。地政学的な出来事が拡大せず、地政学リスクが沈静化した後にのみ、原油価格はファンダメンタルズロジックに戻り、地政学的プレミアムも一掃されるだろう。
化学品については、パレスチナとイスラエルの紛争が石油とガスの価格に影響を及ぼし、コスト面から化学製品の中心価格を押し上げている。この紛争がさらに地域戦争に発展した場合、化学製品の生産や輸送に影響を及ぼす可能性がある。これは化学品の供給停止のリスクをもたらし、化学製品のこの部分のリスクプレミアムをさらに高めます。我が国が中東から輸入しているメタノール、エチレングリコール、LPG、ブタジエンゴム、PE、スチレンなどの品種については、潜在的な価格リスクを無視することができず、投資家は警戒する必要があります。
金は準通貨として米ドルで価格が設定される商品でもあり、地政学などのブラックスワン現象が発生すると、その安全資産の影響を受けて金価格も上昇する可能性があります。このパレスチナ・イスラエル紛争の余波では、状況の推移と、価格変化からインフレ期待、そして連邦準備制度の金融政策に至る原油供給の伝達経路を追跡する必要がある。通常、金価格に大きな変動を引き起こすのは、米ドルの信用に一定の影響を与える米国関連のイベントリスクのみです。 FRBの金融政策サイクルのタイミングから判断すると、今回の対立はFRBの利上げ終了と重なっており、これにより中東情勢がさらに不安定化すれば、たとえ原油価格が上昇したとしても、利上げは困難となる可能性がある。 FRBはよりタカ派的な行動をとり、米国債利回りは上昇する。余地が限られているため、金の抑制は2022年上半期ほど厳しくないだろう。価格面では、地政学的な状況の影響が顕在化する前に、短期市場での安全資産への需要が高まり、金は激しい変動を示し、2,000ドルの大台に達する可能性がある。
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イスラエル・パレスチナ紛争の歴史的背景 パレスチナとイスラエルの歴史は、この地がユダヤ人の故郷であった紀元前にまで遡る。西暦 70 年にローマ帝国がエルサレムの第二神殿を破壊し、パレスチナから大量のユダヤ人が追放された。その後数百年間、パレスチナはアラブ帝国、オスマン帝国などによって統治され、19世紀末、シオニズム運動の台頭により、多数のユダヤ人がパレスチナに戻り始め、ユダヤ人の流入が自分たちの生存を脅かすと考えたアラブ人の間で懸念が生じた。両者の対立は日に日に深まり、ついに1948年に第一次中東戦争が勃発した。戦後、イスラエル国家が樹立され、パレスチナ人は広大な土地を失った。
今日に至るまで、パレスチナとイスラエルの紛争は未解決のままで現在、パレスチナ人は主にガザ地区とヨルダン川西岸に住んでいる。イスラエルはパレスチナ領土の大部分を占領しており、これらの地域に多数のユダヤ人入植地を設立している。世界で最も長く続いている複雑な地域問題であるパレスチナ・イスラエル紛争には、宗教、文化、民族紛争などの内的要因と、外国による介入などの外的要因という歴史的ルーツが隠されている。しかし最終的には、この 2つの民族グループは同じ土地に対して独占的な権利を主張する。
パレスチナとイスラエルの間の紛争は、2021年5月以来、双方の間で2回目となる大規模紛争であり、過去20年間でパレスチナとイスラエルの間で最大の紛争でもある。現地時間10月7日、中東の「火薬庫」に再び火がつき、パレスチナとイスラエルの間で大規模な武力紛争が勃発し、パレスチナ・イスラム抵抗運動(ハマス)がイスラエルにロケット弾数千発を発射し、イスラエルに侵入した。 軍事作戦を実施し、一部のアナリストは、エルサレムのアルアクサ・​​モスクでのユダヤ人入植者の最近の挑発行為とヨルダン川西岸でのイスラエル軍によるパレスチナ人の殺害がハマスの報復行動の直接の引き金となったと指摘している。
ハマスの軍事力はジハードよりも明らかに強力であり、改善された武力紛争は短期的には終わらないだろう。将来的にはさらに多くの国が参加する可能性があり、中東では現在も戦争が続いている。イスラエル国防軍のダニエル・ハガリ報道官は、イスラエル軍は「中東のどこでも」活動すると述べた。これまでのところ、パレスチナとイスラエルの間の新たな紛争により、双方で約4,000人が死亡した。 さらに、レバノン・ヒズボラとイスラエル軍はレバノン・イスラエル国境地帯で銃撃戦を続け、死傷者が出た。レバノンのヒズボラは、その時が来ればハマスとの対イスラエル戦争に参加する「準備ができている」と述べた。イランは以前、国連を通じてイスラエルにメッセージを送り、イランはイスラエルとハマスの戦闘がこれ以上激化することを望んでいないと強調したが、イスラエルがガザ地区での行動を続ければ、イランは介入せざるを得なくなる。イランがレバノンのヒズボラを支援し戦争に全面参戦するなどの決定を下すなどして直接的または間接的に介入すれば、ハマスとイスラエルの間の戦闘は地域戦争に変わるだろう。
パレスチナとイスラエルの紛争の起こり得る展開と影響 災害をめぐり市場心理が高まる中、軍事的エスカレーションの可能性は高まり続けている。レバノンとシリアの親ハマス民兵組織が戦闘に参加するのではないかとの懸念がある一方、イランはハマスへの武器と資金の供給国であり、急激な激化はイスラエルとイランの直接衝突につながる可能性がある。イスラエルとハマスの紛争は中東情勢を不安定化させるだけでなく、より多くの国が関与すれば世界経済を混乱させ、さらには景気後退につながる可能性もある。より広範な影響はアラブ世界で新たな不安の波に及ぶ可能性があり、ガソリン価格が有権者の心理の鍵となり、紛争は来年の米大統領選挙に影響を与える可能性がある。
中東地域は重要なエネルギー供給源であり重要な輸送路であるため、中東紛争は世界に衝撃を与えるだろう。エネルギー産出地域での新たな戦争はインフレを再燃させ、欧州と米国の中央銀行に対し、経済成長を犠牲にして金融引き締めを継続するよう圧力をかけ続ける可能性がある。最も明白な例は1973年のアラブ・イスラエル戦争で、これは石油禁輸と長年にわたる産業経済のスタグフレーションをもたらした。比較的言えば他の紛争は、たとえ犠牲者の数が多くても、影響はより限定的である。 世界経済は、昨年のロシアのウクライナ侵攻によって悪化したインフレから依然として回復途上にあり、脆弱な状況が続いている。紛争の潜在的な影響はすべて、今後数週間、数か月で戦争がどのように展開するかによって決まる。パレスチナとイスラエルの紛争は、以下の 3 つのシナリオに発展する可能性があり、これらすべてのシナリオにおいて、影響の方向は同じであり、原油価格の上昇、インフレの上昇、成長の鈍化ですが、規模は異なる。紛争が広範に広がるほど、その影響は地域的なものではなく世界的なものになる。
イスラエルとハマスの紛争が発展する可能性のある 3 つのシナリオ 1、紛争は主にガザとイスラエルに限定されている。イスラエルの死者数の多さは、血生臭い報復や地域戦争の可能性を高めているが、人的被害のコストは高いものの、経済や市場への影響は限定的であり、確率のバランスは依然として紛争の封じ込めに有利である。例えば、2014年にハマスはイスラエル人3人を誘拐・殺害し、2,000人以上が死亡したガザへの地上侵攻を引き起こしたが、戦闘はパレスチナ領土を超えて拡大せず、原油価格や世界経済への影響は非常に小さかった。
2、紛争は代理戦争に発展し、イランも武装勢力を支援しているレバノンやシリアに紛争が拡大すれば、事実上、イランとイスラエルの間の代理戦争となり、経済的コストが増大するだろう。激化す��ばイスラエルとイラン間の直接紛争の可能性が高まり、原油価格が上昇��る可能性がある。たとえば、2006 年のイスラエルとヒズボラの間の短期間ではあるが血生臭い戦争の間、原油価格は 1 バレルあたり 5 ドル上昇した。より広い地域でも緊張が高まる可能性があり、ハマス攻撃に対するイスラエルの対応は地域の数カ国で抗議活動を引き起こし、エジプト、レバノン、チュニジアはいずれも経済的、政治的停滞に陥っている。アラブの春(2010年代初頭に政府を打倒した抗議活動と反乱の波)の再来は考えられないことではない。このシナリオにおける世界経済への影響は、原油価格の上昇と金融市場のリスクオフの動き(アラブの春の間に起こったことと一致する)の2つのショックによってもたらされる。
3、紛争が 2 つの地域の敵対勢力間で直接的な軍事衝突にまでエスカレートして、イランとイスラエルの間で直接紛争が発生する可能性は非常に低いですが、最も被害が大きく、世界的な経済不況の引き金となる可能性がある。原油価格の高騰とリスク資産の暴落は経済成長に大きな打撃を与え、インフレをさらに押し上げるだろう。深刻な石油危機も世界的な物価抑制の取り組みを阻害し、世界的なインフレを高止まりさせる。連邦準備理事会(FRB)の2%インフレ目標の達成も難しくなり、高価なガソリンがバイデン米大統領の再選活動の障害となるだろう。ブルームバーグ・エコノミクスは、この基本シナリオの下では世界経済成長率が1.7%に低下し、景気後退により世界の生産が約1兆ドル減少すると予測している。
パレスチナ・イスラエル紛争が商品市場に与える影響 3.1 パレスチナ・イスラエル紛争が石油価格に与える影響
これまでの中東戦争から判断すると、原油価格の急激的な回復を引き起こしたのは第四次中東戦争だけであり、他の戦争に対する原油価格の反応は比較的穏やかであった。第四次中東戦争ではアメリカが公然とイスラエルに武器の空輸や軍事援助を行ったが、その後アラブ諸国は対抗措置として減産や石油禁輸を相次ぎ、石油危機は最高潮に達した。したがって、中東戦争が必ずしも原油価格の上昇を引き起こすわけではなく、原油価格への影響は、戦争の進展やアラブ諸国の対応次第でもある。しかし、現在は過去とは異なり、原油市場構造や国際政治情勢が若干変化しており、パレスチナ・イスラエル紛争が第四次中東戦争の過ちを繰り返す可能性は極めて低いと考えられる。
第一に、湾岸諸国はこの戦争に協力して介入しておらず、現時点ではエジプト、ヨルダン、シリア、サウジアラビアなどのアラブ諸国は傍観者に過ぎないこと、第二に、現在の海外経済圧力が高く、新たなエネルギー消費が減少していることである。伝統的な石油消費は低迷の兆しを見せており、サウジアラビアやアラブ首長国連邦などの中東諸国は依然として余剰生産能力を持っているが、現在の原油市場は第四次中東戦争時よりも回復力がある。米国は主要な原油生産国として中東諸国の原油への依存度が高く、原油価格の下落により米国はSPRを原油価格を規制する重要な手段として利用する可能性がある。供給市場の緊張を緩和し、米国のインフレ圧力を軽減するためにSPRを解除する。
歴史的に見て、紛争が石油市場に永続的かつ意味のある影響を与えるためには、供給や輸送の混乱が見られる必要があり、そうでない場合は地政学的な出来事に対する価格の反応は一時的なものになる傾向がある。イスラエルとその直接の隣国は大規模な産油国ではなく、原油供給に対する直接的なリスクは限られているが、パレスチナとイスラエルの紛争が激化して他国に拡大し、紛争が地域戦争に発展した場合、その影響は大きくなるだろう。原油価格を巡るパレスチナとイスラエルの対立は深刻になるだろう。地政学的な出来事が拡大せず、地政学リスクが沈静化した後にのみ、原油価格はファンダメンタルズロジックに戻り、地政学的プレミアムも一掃されるだろう。
3.2 パレスチナ・イスラエル紛争の化学製品への影響 中東は原油に加えて、一部の化学製品の主要生産地でもあり、パレスチナ・イスラエル紛争が地域戦争にエスカレートし、我が国の化学製品の一部に価格リスクがもたらされることに警戒する必要がある。中東に輸入される主な化学製品には、LPG、エチレングリコール、メタノール、PP、PE、スチレンなどが含まれる。
3.3 パレスチナ・イスラエル紛争が金価格に与える影響 準通貨である金も米ドルで価格が設定されている商品であり、地政学などのブラックスワン現象が発生した際には、安全資産としての性質から価格が上昇する可能性もある。しかし、現在の世界的な地域情勢の原因と影響はより複雑であることが多く、市場への影響を予測することは困難である。原油供給、価格変動、インフレ期待、連邦準備制度の金融政策。したがって、通常、金価格に大きな変動を引き起こすのは、米ドルの信用に一定の影響を与える米国関連のイベントリスクのみ。
2022年のロシア・ウクライナ紛争前後の資産価格の動向について言えば、2月下旬にロシアが対ウクライナ特別軍事作戦を発表した当初、市場は事態の進展に対する期待が限定的であった。国際金価格は急騰し、2 月 24 日に取引を終えましたが、その日は 5% 以上の変動と長い上値と下値の陰線を伴って下落し、原油相場の悪化を受けて、金価格は一時2070ドルまで過去最高値まで高騰した。しかし、3月10日に欧米など各国が対ロシア制裁を発表すると、市場では事件による最悪の結末が現実になると予想され、金価格はたちまち史上最高値から下落した。その後数か月の間に、ロシアとウクライナの紛争がヨーロッパやアメリカのエネルギーやその他の供給に深刻な影響を及ぼしたことから、各地で深刻なインフレが発生し、連邦準備制度を含む中央銀行は最も厳しい引き締めを余儀なくされた。インフレ抑制のための金融政策 実質金利が上昇する中、金価格は下落を続け、過去最高値を更新、感染症流行以来の安値を更新。 現在の米国の経済雇用はいまだ高金利で圧迫されており、2024年の米国選挙では全政党の世論のバランスを取る必要があることを考慮すると、与党がパレスチナとイスラエルの両方に対して明確な立場を持つのは難しいかもしれない。 FRBの金融政策サイクルのタイミングから判断すると、今回の対立はFRBの利上げ終了と重なっており、これにより中東情勢がさらに不安定化すれば、たとえ原油価格が上昇したとしても、利上げは困難となる可能性がある。 FRBはよりタカ派的な行動をとる。米国債利回りは上昇し、余地が限られているため、金の抑制は2022年上半期ほど厳しくないだろう。価格面では、地政学的な状況の影響が顕在化する前に、短期市場での安全資産への需要が高まり、金は激しい変動を示し、2,000ドルの大台に達する可能性がある。
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1291年以前[編集] 詳細は「初期スイスの歴史(英語版)」を参照 ローマ帝国の衰退まで[編集] スイスの都市クール(ドイツ語: Chur)など5000年以上前の歴史がある。具体的には紀元前3900年から3500年頃のフィン文化(Pfyn culture)まで遡ぼれる。考古学の研究によれば、アルプス北部の低地諸国に人間が住むようになったのは旧石器時代の後期のことである。新石器時代に入ると住民が増え、青銅器時代になると湖上に高床式の家をたてて人々が暮らしていた痕跡が発見されている。紀元前15世紀ごろ、ケルト人のヘルウェティイ族が住み着いた。当時、今日のスイスに相当する地域を版図としていた政治勢力は、彼らの部族国家と、スイス東部に住んだラエティ人(英語版)と呼ばれる非ケルト系の集団であった。 紀元前3世紀以降、共和政ローマはイタリア半島の北の守りとして、ヘルウェティイ族の勢力圏に勢力を伸ばしていった。当時のローマ人はこの地域をヘルウェティイ人の部族国家名からラテン語でヘルウェティイ族の土地を意味する「ヘルウェティア」と呼んでいた。紀元前58年、ゲルマン人の圧迫をうけたヘルウェティイ族は西方への民族移動を開始したが、移動によって統治構造のバランスが崩れることを恐れたユリウス・カエサルはこれを実力で阻止すべく進軍。ビブラクテの戦い(英語版)でヘルウェティイ族を打ち破ってヘルウェティイ族の国を滅ぼし、この地を占拠した。これ以降、ローマ帝国は同国の治安維持と開発による安定化策(ヘルウェティア)を進めた。当時の統治の中心都市はラテン語でアウェンティクム(ラテン語: Aventicum、今日のアヴァンシェ(英語版))であった[1]。259年になると、当時のゲルマニア地方の動乱状況を経てゲルマン系のいくつもの古い部族が融合して形成された新興勢力であるアラマンニ人がヘルウェティアに侵入し、ローマ帝国の統治基盤を揺るがした。 4世紀に入ってキリスト教の司教区が初めてスイス地域に設立された。このころになると西ローマ帝国の統治能力は低下しており、ゲルマン系集団が流入してスイス地域にブルグント王国を築いた。5世紀にローマ帝国がスイスから撤退していくとアレマン人が再びスイスに流入した。ここでアレマン人・ブルグント人・ラエティ人(英語版)・ランゴバルド人の4民族がスイスで共存するようになり、ドイツ語・フランス語・ロマンシュ語・イタリア語がスイスで用いられる基礎を作った。 ヴェルダン条約の爪あと[編集] 6世紀に入るとスイスはフランク王国の統治下におかれた。不安定なメロヴィング朝は戦闘民族アレマン人の自治を認めた。8世紀、アレマン公が今でいうバーデン=ヴュルテンベルク州・アルザス地域圏・スイス北部をふくむ地域を支配下とし、複雑な住民構成に合わせ『アレマン法典』を編纂・通用させた。841年のヴェルダン条約により、スイスの西部はロタール1世の中フランク王国、スイスの東部はルートヴィヒ2世ドイツ人王の東フランク王国となった。870年、メルセン条約で中フランクからイタリア王国ができた。そこでマジャール人が917年にバーゼル、927年にザンクト・ガレンを破壊した。イスラム教徒が940年から980年にかけてヴァリスにまで攻めてきた。外寇が度重なった時期に、スイスの諸地域が自立化した。それらはイタリア政策の目標となった。 11世紀までにはスイス全域が神聖ローマ帝国の支配下に入った。12世紀には古ブルグント王国の領域の支配者は神聖ローマ帝国によって封ぜられたシュヴァーベン公からツェーリンゲン家へと引き継がれていた。ツェーリンゲン家はスイスを自らの勢力基盤として整備し、フリブールやベルンといった都市を築いた。1218年にツェーリンゲン家の血統が絶えたことでそのスイス支配は終わったが、その後を縁戚のキーブルグ家が継ぎ、さらにキーブルグ家の後を縁戚のハプスブルク家が継いだ。「ハプスブルク」という家名は、同家の祖がスイスのアールガウ地方に築いた城が「鷹の城」(ドイツ語: Habicht burg - ハービヒツブルク、後にSchloss Habsburg)と呼ばれていたことに由来している。ハプスブルク家はスイスでじわじわと力をつけていった。 13世紀になってザンクト・ゴットハルト峠が開通すると、ヨーロッパの南北を結ぶ交通の要衝、交易ルートとしてスイスの地理的重要性が高まった。特にその通路にあたるウーリ州は交易を利用して経済力をつけた。ツェーリンゲン家が絶え、家領の帰属が神聖ローマ帝国に移ったとき、ウーリは抵当権を自ら買い戻すことで自治権を獲得した。やがてウーリに隣接するシュヴィーツ州・ウンターヴァルデン州も自治権を手にした。ハプスブルク家出身で初めて神聖ローマ皇帝となったルドルフ1世の死後に行われた選挙で、ルドルフの子アルブレヒト1世は神聖ローマ皇帝に選ばれなかった。失意のアルブレヒトは自分の根拠地であるスイスの経営に専念したが、スイス人たちはこのアルブレヒトによって自分たちの権利が失われるのではないかと危惧した。1291年、ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3つの州の代表者たちは集まって対ハプスブルク家自治独立を維持するための永久盟約を結んだ[2]。これがスイス連邦の原型である「原初同盟」(盟約者団)の結成である。このシュヴィーツ州という地名こそが「スイス」の語源となっていくのである。有名なウィリアム・テル(ヴィルヘルム・テル)の伝説はこの時代を舞台としている。 原初同盟の成立(1291年-1523年)[編集] 詳細は「原初同盟(ドイツ語版、英語版)」を参照 伝説では原初同盟(誓約同盟)の結成は「リュトリの野」で行われたとされている。神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の死後、ハプスブルク家のアルブレヒトの息子フリードリヒ(ドイツ王フリードリヒ3世)がバイエルン公ルートヴィヒ(ドイツ王ルートヴィヒ4世)と帝位をめぐって争ったが、アルブレヒトを敵視していた原初同盟はバイエルン公を支持した。これに怒ったフリードリヒはハプスブルク家の精鋭を揃えてスイス領内に侵攻したが、1315年のモルガルテンの戦い、1386年のゼンパッハの戦い(英語版)でスイス農民軍に打ち破られた。こうしてスイスからハプスブルク家の影響力が排除された。 このハプスブルク家との死闘のさなかの1353年に最初の3州に加えてグラールス州・ツーク州の両州とルツェルン・チューリッヒ・ベルンの各都市が原初同盟と個々に同盟を結ぶという形で同盟に加わった。こうしてできたのが「八州同盟(ドイツ語版、フランス語版、イタリア語版、アレマン語版)」である。アッペンツェル戦争(1401年 - 1429年)中の1411年に、アッペンツェル(ドイツ語版、英語版)(1403年 - 1597年)は原初同盟と防衛条約を締結した[3][4]。 1440年代、トッゲンブルク伯領をめぐりチューリッヒがシュヴィーツら諸州と争い、分が悪くなってハプスブルク家に接近し同家の帝位を回復した(古チューリッヒ戦争(英語版))。このころハプスブルク家に近い司教領同盟(1367年成立)など幾多の勢力が、互いに結んで貴族間のフェーデに参加した。1470年代にブルゴーニュ戦争でスイス領内へ侵攻したブルゴーニュ公国のシャルル突進公の軍勢を破ったことと、スイス人傭兵がヨーロッパ全域の戦場で活躍するようになったことで、スイスの国際的な地位は向上した。 1488年にシュヴァーベン同盟(ドイツ語版、英語版)が結成され、1499年に皇帝マクシミリアン1世がスイスを勢力下に収めようと侵入したがスイス軍の前に敗れ(シュヴァーベン戦争(ドイツ語版、英語版))、この勝利によってスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取り、シュヴァーベン地方ではドイツ農民戦争(1524年 - 1525年)へと向かうことになった。 1501年、バーゼル司教領(英語版)(1032年 - 1803年)が原初同盟に参加し、カントン・バーゼル(アレマン語版、英語版)(1501年 - 1833年)となる。1506年には教皇ユリウス2世が近衛兵として初めてスイス人傭兵を採用している[5]。この頃、スイスはイタリア戦争などの周辺地域の紛争に干渉したが(ノヴァーラの戦い(フランス語版、ドイツ語版、英語版))、1515年のマリニャーノの戦い(英語版)でフランソワ1世率いるフランス軍に大敗を喫した。同年、ミュルーズが十都市同盟から盟約者団へ移ってきた。 宗教改革の嵐(1523年-1648年)[編集] 詳細は「スイスの宗教改革」を参照 宗教改革者フルドリッヒ・ツヴィングリはもともと1518年にチューリッヒの大聖堂の説教師として招聘された。1523年に始まるツヴィングリの宗教改革運動はチューリッヒ市の政治体制と不可分の政教一致運動でもあった。ツヴィングリの始めた改革運動は他の州にも拡大したが、森林五州とよばれる5つの州は従来のカトリック信仰の保持を表明した。プロテスタント諸州とカトリック諸州は争いを避けようと交渉を繰り返したが、自らの力を頼みとするチューリッヒがプロテスタント陣営の中でも独走気味となった。1529年の第一次カッペル戦争はぎりぎりのところで交戦が回避されたが、ついに1531年の第二次カッペル戦争(ドイツ語版、英語版)でチューリッヒ軍がカトリック連合軍と激突し、ツヴィングリ自身も戦死した。1531年に和平協定であるカッペル協定が結ばれ、スイスにおいてカトリックとプロテスタントは互いを攻撃することなく共存していく体制を作ることで合意した。ここでは各邦が宗教問題に対応すると決められ、アウクスブルクの和議の先取りとなった。また、この決定により、西南ドイツ都市と締結していた同盟は破棄され、ツヴィングリの死(西南ドイツ都市はルター派の影響下となる)とともにスイスが神聖ローマ帝国から分離していく原因の一つとなった。このころ、ジャン・カルヴァンが指導していたジュネーヴが盟約者団の一員として加わった。1560年、森林五州はサヴォイア公国と同盟した(ボロメオ同盟)。 1602年、サヴォイアがジュネーヴを奇襲したが失敗。1604年、森林五州はヴァリスをカトリック側へ連れ戻した。 三十年戦争(1618年-1648年)の前菜に、ユグノーと和解したリシュリューがサヴォイアを攻撃した。また、多くのスイス傭兵の血が流れた。三十年戦争で勇名を馳せたスウェーデン王グスタフ2世アドルフの軍には、多くのスイス人傭兵が参加していた。プロテスタント陣営に優勢をもたらしたグスタフ・アドルフは、スイス人の多勢を占めるゲルマン人とスウェーデン人の祖先を同一視させる政策(古ゴート主義)をとった。この王の死後、フランスでもスイス人の傭兵を得るために同様の政策をとり、スイスの独立を後押しした。 三十年戦争の最中、スイスは「武装中立」という立場を初めて公式に宣言した。そして、中立を維持するための国境防衛軍として連邦軍が創設された。 アンシャン・レジーム(1648年-1798年)[編集] 1648年のウェストファリア条約でスイスは法的にも神聖ローマ帝国から独立した。 1653年、ルツェルン・ベルン・ソロトゥルン・バーゼルに属する共同支配地の農民たちが通貨の切り下げに反発して蜂起した。反乱軍はルツェルンとベルンを囲んだが、やがて和解した。1656年と1712年のヴィルメルゲンの戦い(英語版)で、再び農民が放棄した。英仏でユグノーが台頭する陰でスペイン・ハプスブルク家は凋落していた。1531年のカッペル協定を打破したいベルンとチューリッヒが、そこで1656年の戦いを利用し軍事的決着を試み失敗した。フォンテーヌブローの勅令が出てプロテスタントの都市邦が一気に経済力を増した。カトリックで工業化したのはゾロトゥルンだけだった。1712年スペイン継承戦争の間隙を縫い、ベルンとチューリッヒがヴィルメルゲンに凄絶な電撃戦を展開した。森林五州を破ってバーデンの共同統治枠から追放し、地理的にオーストリアから切り離した。チューリッヒはスイス東部全域でプロテスタント住民に対する教会裁判権を獲得した。ベルンも行政に関わるようになった。森林五州は講和条約にもかかわらず勝手に五州の同盟を更新し、フランスとも連邦名義で秘密協定を結んだ。このとき森林五州は更新の条件として失われた地方代官区の権限回復を頑なに要求した。これが災いして、スイス連邦全体がフランスと結んでいた本当の同盟がルイ14世の死後に期限切れとなってから約半世紀も更新できなくなった。1781年、ジュネーヴでブルジョワらの間接民主制が成るも、翌年にフランス・サヴォイア・ベルンの連合軍が包囲・��落した。 ナポレオン時代(1798年-1848年)[編集] フランス革命が起こると、その影響はスイスへも波及した。フランスの革命軍はオーストリア帝国との戦いを通じてスイスを脅かした。1798年3月にベルンが落とされ、やがて総裁政府がヘルヴェティア共和国を設立した。啓蒙思想の革命家が従来の地方自治制を廃して中央集権政府の確立を目指し、言葉の壁と人材の不足から不徹底におわった。1800年1月から分権派によるクーデターが続き、財政を困窮させながら共和国は崩れた。 1803年、第1統領のナポレオン・ボナパルトが調停者となり、スイス各州の指導者がパリに集まって協定を結び、スイスは地方自治の体制に戻った(ナポレオン調停法)[6]。このとき、それまで共同支配地とされて格下の扱いだったアールガウ州、トゥールガウ州、グラウビュンデン州、ザンクト・ガレン州、ヴォー州、ティチーノ州が同格のカントンとして同盟の一員に加えられた(新カントン)。 1815年、ナポレオン戦争後のヨーロッパについて協議したウィーン会議で、スイスの独立が改めて確認されると共に、永世中立国として国際的に認められた。このとき、ヴァレー州・ヌーシャテル州・ジュネーヴ州がフランスからスイス連邦に返還された。フランスの逆襲に備え、スイスはサルデーニャ王国の上サヴォイア地方の中立を保護する役を与えられた。失地として、ミュルーズがアルザスに編入された。グラウビュンデンのアルプス南側にある3つの代官区も、285年におよぶ自治権を奪われイタリア王国に組み込まれた。この年に画定された国境線は今でも維持されている。同年、新旧カントンの妥協により同盟規約が成った。カントン間の軋轢は狭い国土に非関税障壁を蔓延らせた。このころにスルザーなどが創業した。 フランスの7月革命をきっかけに、およそ半数のカントンでブルジョワの改憲運動が起こった。ここから同盟規約が綻びだした。1841年、アールガウの急進派政府が一度に8つの修道院を廃止した。これは同盟規約の第12条に真っ向から違反した。盟約者団会議は4つの女子修道院を救済したが、しかしカトリックが劣勢であることに変わりなかった。1844年にイエズス会を招いたルツェルンには周囲のカントンから義勇軍が殺到した。義勇軍はルツェルン市民の決意を挫くことができなかった。するとスイス全土が無政府状態に陥った。カトリック派のカントンは1845年12月に保護同盟を結成した。 スイス連邦の成立(1848年-1914年)[編集] 1847年、カトリック諸州とプロテスタント諸州の緊張状態が紛争に発展した。自由主義の気運の高まりと進展に危機感を抱いたカトリック諸州が同盟規約を保護する同盟を結び(1845年)、盟約者団が同盟の解散を命じたため、争いになったのである。紛争は1ヶ月続き、100名あまりの犠牲者が出た(「分離同盟戦争」)。ユグノーによるスイス支配体制の確立は「1848年革命」へと発展し、ウィーン体制が事実上崩壊した。そしてフランスがスイスに対する影響力をつけていった。 内戦の結果、1848年に連邦制度が採択された。各州の代表からなる連邦議会が防衛、通商、憲法に関する事項を扱い、それ以外は全て各カントンに委ねられた。このとき出来たスイス連邦の基本的な枠組みは、現代まで維持されている。 従来フリードリヒ・ヴィルヘルム4世がプロイセン国王とヌーシャテル侯をかねていたが、1848年の革命でヌーシャテルが奇襲により共和国となった。1856年、ヌーシャテルで王党派の反革命運動がおこり指導者が断罪された。プロイセン王国は彼らを見殺しにできず派兵した。ナポレオン3世の仲裁で、ヌーシャテルは共和制を維持するかわりに王党派を逃がした。この年、クレディ・スイスが創業した。1860年サヴォワがイタリア統一の駆け引きによりフランスへ移譲された。これをスイスは阻止できなかった。1862年、スイス・ユニオン銀行(現UBS)が創業した。1864年、赤十字を創設した。1865年、ラテン通貨同盟と万国電信連合に参加した。普仏戦争においては中立維持のため全軍を総動員したが、その経費を削るため大部分の動員を解かなくてはならなくなった。このときフランス軍がドイツ軍に押されて国境を侵犯し、この疲弊した部隊8万7千人をスイスが保護した。 ドイツもスイスをめぐる外交で巻き返しを見せた。1874年、スイスを万国郵便連合に加盟させたのである。1882年ドイツは三国同盟を編み上げ、スイスを地理的に包摂する構えをとった。三国同盟のドイツとイタリアに挟まれて、スイスは鉄道政策をめぐる緊張状態におかれた。ゴッタルド鉄道トンネルの敷設をバスラー銀行(現UBS)などが支援した。 2つの世界大戦(1914年-1945年)[編集] 「戦時国際法#スイスの自衛努力」および「スイス軍#歴史」も参照 第一次世界大戦と第二次世界大戦では中立ゆえにすべての陣営がスイスを舞台に国際諜報・外交・通商を行った。スイスは政治難民たちの避難地ともなった。1917年に始まったダダイスムの動きは戦争に対する文化的反応ともいうべきもので、スイスに逃れてきた芸術家たちによって推進された。レーニンもチューリヒに逃れていたが、そこから直接ペトログラードに向かってロシア革命を指導した。1919年、カトリック保守派が二人の大臣を出した。そして1873年以来絶えていた教皇庁との外交関係も回復した。1920年、国民投票で非ドイツ語圏が賛成に回り、スイスは国際連盟の一員となった(1938年脱退)。 化学工業が生産力を持て余した戦間期、ナチスはスイス国内で反ユダヤ主義の扇動を行った。その立役者となったヴィルヘルム・グストロフはユダヤ人の若者に射殺され、故郷のドイツで国葬されている。1932年、ファシストを糾弾する左翼とスイス軍の部隊がジュネーヴで衝突している。あらゆる政策をめぐり国民投票が連続し、どれも否決されていった。1935年、スイス・フランを切り下げた。1938年、絶対中立を認められた。しかしナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した事で、スイスでも緊張が高まり43万人の民兵が兵役に動員され、アンリ・ギザン将軍のもとで非常体制がとられた(軍最高司令官による統治体制は非常時のみ行われる)。1940年5月11日、ドイツがベルギーに侵攻すると、スイスでは国民総動員の態勢がとられ、史上初めて15,000人の女性兵士も動員された。スイスは中立を標榜していたため、難民の受け入れはしていなかったが、それでも26,000人のユダヤ難民を受け入れている(ただし、同時に相当数のユダヤ人の入国を拒否した事や、密入国を許可した警察担当者が戦後になって有罪となった事実もある)。連合軍はスイス側のドイツ寄りの中立を牽制するためか、チューリヒやバーゼルなどの国境の都市に空襲(表向きは誤爆としている)を行っており、1944年4月1日に行われた米軍によるルートヴィヒスハーフェン・アム・ラインへの空爆ではスイス領シャフハウゼンへの誤爆を引き起こし40名の死者を出している(第二次世界大戦におけるスイスへの空襲(英語版))。また、しばしば両陣営の航空機による領空侵犯が行われており、空軍が出動して強制着陸を行わせるなどした他、戦闘も発生している。 1940~44年にかけて、スイスの国境の向こう側は全てドイツとその同盟国であるイタリアに占領されており、この時期のスイスは枢軸国によって生殺与奪の権利を握られていた事情もあった(実際にドイツはフランス降伏後、極秘裏にスイス侵攻作戦(タンネンバウム作戦)を計画していたが、実行されなかった)。このような状況下において、スイス政府としては「中立違反」の非難を受けたとしても、ドイツ側とある程度の妥協をせざるを得ない側面もあった。 太平洋戦争末期の1945年初頭、マニラの戦いにおいて、戦闘に巻き込まれた在比スイス人が多数死亡する事案が発生したことで、政府は日本との断交を検討したが結果的に見送られ、8月14日のポツダム宣言受諾の連合国への通知は、スイス政府を仲介して行われた。 大戦中にスイス銀行が金を中心とするナチスの資産の隠し場所となったことが戦後に明らかとなり、1995年から2000年にかけて詳細な調査が行われた。スイスのこの行為は重大な中立違反であるとして国際的な非難を受けた。ナチスの資産と称するものはほとんどが迫害したユダヤ人から巻き上げたものだったといわれている。スイスは1952年に旧連合国側に対して中立違反の賠償金を支払っているが、1999年にアメリカのホロコースト基金に対し、改めて12億ドルを支払っている。 1945年以降のスイス[編集] ネスレなどが戦後景気を享受し、土地投機が野放しにされた。スイスは原子爆弾(原爆)の製造と所持を検討し、連邦工業研究所のポール・シェラー博士に計画の作成を依頼した。しかし、1958年の国民投票で原爆非保持が決まり、計画は破棄された。国民投票で婦人参政権が否決された1959年以降[7]、政府に任命された連邦議会は4つの政党の代表者によって構成されている。プロテスタント自由民主党、カトリック・キリスト教民主党、左派の社会民主党、右派の人民党である。 1960年5月3日、イギリス・オーストリア・スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・ポルトガル・スイスの7か国で欧州自由貿易連合を結成し、外国人労働力を導入した。これがもとで世界中へ瞬く間に投資信託が広まった。1963年5月6日、スイスは欧州議会に参加した。スイスは中立を国是としているが、国際的な承認を得続けるために国際活動には積極的に参加している。1971年の国民投票で女性の参政権を認めた。1979年、ベルン州の一部が独立してジュラ州となった。1984年、連邦閣僚に選ばれた最初の女性が財界との癒着を指弾する世論に降ろされた。1985年、総人口に占める農民の割合が5%になった。1940年では20%もいた。スイスが農民連合であった面影は失われた。1990年、冷戦で連邦検察庁が不審な市民のブラックリストを作成していた事実が公となった。一民間団体がロマを半世紀近く軟禁できる国である。個人情報の漏洩は公然の秘密である。 戦後、何度か国際連合加盟の是非を問う国民投票が行われたが、賛成票が必要数に満たず見送られていた。しかし、2002年の投票で賛成派が可決数を超えたことで加入した。スイスは国民投票によって国際連合への加入を決定した唯一の国である。ただ、依然としてEUには加入していない。1995年、オーストリアのEU加盟によって、リヒテンシュタインを除く全ての国境をEU加盟国に囲まれることになった。2004年10月26日、シェンゲン協定に加盟(2008年12月12日に施行)し、シェンゲン圏に入った。 脚注[編集] [ヘルプ] ^ 現代でもアヴァンシェではローマ時代の遺跡を見ることができる。 ^ 川口マーン惠美 『世界一豊かなスイスとそっくりな国ニッポン』 講談社、2016年、152頁。ISBN 978-4-06-272965-9。 ^ この時点ではAssociate Memberで、1513年のアッペンツェル同盟でfull memberとなる ^ 伝統的にスイスの諸州の表記は連邦への加入順にされている。初めに原初同盟の最初の8つの州と都市があげられ、1481年以降に加入した州が時代順にならぶ。 ^ スイス人傭兵というものが存在しなくなった現在でも、教皇の衛兵は伝統的にスイス人が務めている ^ ナポレオン調停法は、ナポレオンに対し兵員(1万6000人)を提供するという軍事協定でもあった。 ^ ヴォー州ではカントンレベルでその日のうちに参政権が認められた。ヌーシャテルとジュネーヴが直ちに続き、バーゼルがやや遅れて女性の投票権を受け入れた。 参考文献[編集] Geschichite der Schweiz und der Schweizer, 3 Bde., Basel, 1982/1983, 2. Auflage 1986. Handbuch der Schweizer Geschichte, 2 Bde., Zürich 1972/1977. 森田安一著 『物語 スイスの歴史』 中公新書 2000年 ISBN 4-12-101546-0 柳澤伸一「スイス誓約同盟とシュヴァーベン同盟」、『西南女学院大学紀要』第10巻、西南女学院大学、2006年2月28日、 31-39頁、 NAID 110004866386。
https://ja.wikipedia.org/wiki/スイスの歴史
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dancingpoeta · 6 years
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ステファン・ランビエール2017年ロステレコム杯インタビュー
Rostelecom Cup2017, mixed zone talk with @StephaneLambiel 
Text&Photo(C) Reut Golinsky(@tuerush)
Japanese Translation(日本語訳)  @MrAmadeus4jazz
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SPの後のミックスゾーンでお話を伺う事ができました。
ステファンはスクリーンに映し出される結果を見てデニスに何か話しかけていて、少し感心できないといった様子。
どうしたのかと聞くと、冗談交じりにデニスは数を数える事ができなくてね(スピンの回転数を誤り、減点となった)と微笑みました。
彼らにインタビューしようとしている記者が私1人だったので去年の2人の人気を考えれば奇妙な気分になりましたが。(去年デニスは前半の滑走グループでその後強豪グループを観る事も可能だった為に記者が話を聞きに行きやすかったというのもあるかもしれませんが。私も羽生結弦以外は観れなかったので。2人に観ておきたい演技はあるかと聞くと羽生結弦と答えたので、彼の滑走までの間だけ話す事に。)
 R:先ずお伺いしたいのが…貴方のチームで迎えたスケーターに注目が集まっています。公式に貴方が誰のコーチをしているのかは発表されてはいませんが、彼らのインスタグラムから様子を伺えました。それぞれの選手についてお伺いできますでしょうか。
『チーム・シャンペリー』のファンも多いものの、状況が解らないという方もいらっしゃり…
S:本当に知らないの?(と微笑む)
それってすごく、すごく不思議な話だね。だって3人はリレハンメルのユース・オリンピックに出てたのに。
R:そうですね。『リレハンメル繋がり』で。 S:確かに『リレハンメル組』と呼んでも良いかもしれないね。高志郎に会ったのは… R:…『Ice Legends』… S: 高志郎に出会ったのは『Ice Legends』より前で、僕が日本で教えていた時だよ。
彼はノービスにいて、とても良いスケーターだなと思ったんだ。それをきっかけに『Ice Legends』への出演をオファーしたんだ。その後、リレハンメルでの彼を見た。
そしてその後ショート・プログラムの振り付けを頼まれてね。同時期に彼の当時のコーチが両親の面倒を見る為に市外へ引っ越す事が決まっていて。高志郎自身、新しい練習環境を探していたんだ。
彼はデニスと僕が抱えていた怪我を彼も抱えていたので、だから何と言うか、そういった全ての偶然や共通項等の関係が僕たちを繋げた。
…たった16才の少年に遠い国の日本からスイスに引っ越してくる事を提案する事になったけどね…
R:彼は英語を話すんですか?余り得意ではない?
S:いや、とても上手だよ。
D:一緒に料理が出来るって事は、喋れるって事だよ。
S:実際よくやっていると思うよ。怪我の治療のリハビリの為にトロントに長く滞在していたから、短期間で英語がとても上達したんだろうね。
(ここでステファンにデニスから話を聞く必要があるか尋ねられ、後で羽生結弦の演技を観る時に声をかける約束をしながら「よくやったね。本当によくやった」と声をかけながら休憩に行くように促しました。(そして私に向かって)「美しかった、本当に、とっても、とっても…美しい演技だったよ…」と呟きました。)
R:待って。衣装について聞きたかったんだけど。これはエキシビジョンで着たのと同じ衣装? (と質問をしながらも目の前のデニスを見てロンバルディアで着てたのとは違うものだと気付きましたが遅かったです。/笑)
D:いや、これは新しい衣装だよ。この前のはエキシビジョン用の衣装だったけど。 S: Reutさんらしくないな!君はもっと観察眼に長けてるはずなのに!
R:貴方が余りにもたくさん生徒を抱えてらっしゃるから!全部憶えられるだけの許容量が私には無いんですよ!
S: 『たくさんの生徒』だなんて。他のコーチに比べたら僕は少ない方だよ! R:その沢山の生徒についてお伺いしたいのですが。去年、この同じ場所のミックスゾーンで他のコーチが同じ大会に複数の教え子が出場する場合どうやってこなしているか想像もつかないと仰っていましたが。
今回、高志郎とノエミが同時にジュニア・グランプリに出てみてどうでしたか?
S:思ったほど大変では無かったよ。ノエミは2012年から教えていて、もう5年にもなる、長い教え子だから。 高志郎も責任感の強い子だし、さほど大変ではなかったよ。
初戦のロンバルディアではデニスに集中しようと決めてたんだ。初戦から僕が四方に注意力が散漫してしまっている様ではいけないからね。それで上手くいったよ。
その次がディアナのブラチスラヴァ。彼女の初戦にもきちんと帯同してあげたかったからね。その次がジュニア・グランプリ2戦…僕自身がヴェローナのショー(インティミッシミ)に出るから全部には行けなかったんだけどね…だからこの6週間の間に…ロンバルディア(イタリア)、ブラチスラヴァ(スロヴァキア)、その後にザグレブ(クロアチア)、そしてインティミッシミ(ヴェローナ/イタリア)があって、スイス大会の後に、このロステレコム(モスクワ/ロシア)…
R:あぁ、スイス大会も… S:先週スイス大会もあったんだ。だから内容の詰まった6週間だったね。
だけど皆で必死に頑張って作り上げたプログラムだからね…とても自然な事に、僕自身も揺らぐことは無かったよ。
彼らと一緒にスケートをしてきたし、例えばディアナの調子が悪い日があったとすれば「よし、課題を与えてみよう」ってね。僕が実際に滑って見せる事によって闘争心を駆り立てるんだ。
僕自身がまだ現役で滑っているし、ステップをやって見せて、一緒に滑ってみて、エッジワークをつきつめる。一緒にいれる事も、お互いに触発し合えるのも良い事だと思う。互いを高め合える良い環境だと思うんだ。前進できるから。デニスやノアや、ノエミだけに限らずね。
R:全員一斉にリンクで滑らせるんですか? S:いや、分けて滑らせてるよ。午前中にセッションを2回、午後にセッションを2回して、分けてるんだ。
R:各選手それぞれセッションを受けられるんですか? S:いや、2グループに分けてる。基本的に午前中に2グループ、午後に2グループと分けてセッションして。最後の1時間はアナとロブと一緒に小さい子たちを教えながら、各自更にもっと練習したい者がいれば(高志朗やデニス等が) 滑れる時間を設けているんだ。 
R:コート、脱がれます? S:熱いね。そうしようかな。
R:ファンがそのコートの事を『コーチング・コート』って呼んでるって、知ってました?
S:『コーチング・コート』か。なるほどコーチ用のコートだね!
僕もそう呼ぼうかな。
R:高志郎がどうやって貴方と出会ったかはお伺いしましたね。ディアナとはどうやって?
S:トライアルを受けたいと申し出があったんだ。いつだったか正確には憶えてないけど、場所はチューリッヒで、『ファンタジー・オン・アイス』に行く前だったな。
R:ユース・オリンピック前には繋がりは無かったんですか?サマーキャンプに来たとかでもなく?
S:違うね。彼女とはユース・オリンピックで出会って。5月にトライアルを受けたいとの連絡を受けたんだ。
その数日後、お父様とシャンペリーに来て、その後数日間の間にコーチを頼まれて…5月か6月の末だったと思うんだけど憶えてないな…いつだったかと聞かれると…
R:今年後半の記憶がおぼろげでしょうか… S:あやふやでは無いよ、ただ本当に『いろいろと沢山』あっただけで。(笑)
それにもう過ぎた事に関しては、あまり憶えていようとは思わないしね。
R:だけど私達には全て真新しい情報ですよ。今まで情報が無かったので。
S:まぁともかく、トライアルに来たんだよ。それに彼女は怪我も抱えていてね。昨シーズン踵を痛めていて、少し背中やお尻にかけても痛めていた。  
R:成長期でもありますしね… S:そう。成長期だったから、注意を払わなければいけなかった。だけどトライアルは上手くいってね。彼女のお父様にシャンペリーの学校に迎え入れられる余地はあるか聞かれたんだ。そこで計画し始めた。
この夏は僕が多忙を極めていて国外に出ている事を伝えて、帰国するまではスケジュールがハッキリしないと告げたんだ。
だけど一先ず彼女はシャンペリーに残る事を決めて、僕が日本に行っている間はラトビアに戻った。 プログラムを一つ組んで、トライアル期間中にプログラムを出来るところまで仕上げて、出来なかった所は追々という事にしたんだ。
シャンペリーのリンクがまだ整ってないから翌週はチューリッヒに行くことを告げると、お父様が『ディアナがこのまま残ってプログラムを完成させられれば良いのですが…』と仰るので完成させて、一旦ラトビアに帰って自国のスケート審査を受けて。その後サマーキャンプに参加して、今シーズンのプランを練ったんだ。
彼女の為に競技用のスケジュールを組んで、それで…
R:だけど、何故あなたを選んだのでしょうか?デニスの影響? S:なんで僕の所に来たかって?それは解らないけど。彼女の猫の名前が… R:ウォンカ?
S:ステファンなんだ。(と微笑む)もしかしたら、僕のファンなのかもね。
R:もしかしたら?ファンなのかどうか彼女に聞いて無いのですか? S:多分そうなのかな。解らない。
ステファンという名前の猫を飼っているんだから、そうかも。 ディアナはとても良い子だよ。才能もあるしね。とってもとっても才能がある。
R:本当に?追々それが発揮できれば良いんですが…(ディアナのファンには申し訳ないけど、私はそういう印象を持てませんでした。ステファンが自身のスケートの為の時間は勿論のこと、 睡眠時間、休憩時間や自由時間を割いて教えているのにという偏見があったのかもしれませんが。)
S:今彼女のフィギュアスケートへの方向性を見直しているんだ、ジャンプさえこなせれば良いと思っている節があるから。だけど僕はディアナに伝えようとしているんだ…彼女は天性の振り付けへの感応力と音楽への興味を備え持っているから。持って生まれた動きの才能と音楽への愛情を繋ぎ合わせて、それを観客に魅せることができれば最高だと思うんだ。彼女はそれだけの能力をもっているからね。まぁ、結果は追々だね…
R:ディアナはトリプル・トリプルのコンボはこなせるんですか?
S:うん。いとも簡単にね。ブラチスラヴァではベストな状態でのパフォーマンスとは言えなかった。昨シーズンは沢山の怪我を抱えていたしね。
ジュニア・ワールドではFSに進めなかったし、成長期で、手術も受けて、厳しいシーズンだったと思うし、彼女にとってシーズン初の試合だから、勿論プレッシャーも大きかったと思う。彼女はオリンピックに出場したいと強く願っているので、出場枠を獲得できる様に頑張ってるよ。
R:ナショナルでそれは決まりそうですか?
S:翌週はザグレブのゴールデン・ベアーがある。このタイトなスケジュールの6週間の後にデニスとのNHK杯があって、高志郎の為にも時間を割かないといけないから、(ザグレブには)ロブが帯同する事になってるよ。 ロブは高志郎とノエミと一緒にグダニスク(ポーランド)にいく事にもなっている。
 R:アンゲリーナは今シーズン競技に出ていませんが、何かありましたか? S:僕は何も聞かされてないから、全く解らないんだ。だけど彼女は確か… R:ブラチスラヴァを棄権しています。出場する予定だったはずですが。
S:そう。競技できると願っていたんだけど実現しなかった。 アンゲリーナ の事も、僕は気にかけてる。
R:ワールドで(オリンピック出場枠)を獲得したのは彼女の方でしたね。
S:そう、だけど枠を獲得した人が(オリンピックに出場する)なんてルールがある国は無いはずだ。その時調子が良い選手が出れば良いと僕は思うのだけど。ただ僕はアンゲリーナにが出場する事に異論は無いよ、僕はただディアナのコーチだし、アンゲリーナが頑張るのであれば、彼女が行くべきだと思う。
その時ベストな状態の選手が行くべきだ。
(R:アンゲリーナは今週末ミンスクに出場しましたが結果は良くありませんでした…彼女に何が起きてるのかは把握できませんが、ステファンが1人どころか2人の教え子を連れて韓国に行く確率が上がったという事は確かです!)
 R:貴方がデニスのコーチをすると決めた時、我々の大多数は『どうやってコーチと自身のスケートを両立させるのだろう?』と疑問に思いました。今3人の生徒を抱えて…
S:いや、生徒は6人だよ。
R:いえ、国際大会に出る生徒という意味で…6人ですか?ノアとノエミと他に誰が?
S:もう一人の子はスイスレベルのスケーターだよ。彼女は『パフォーマンス』グループに属している。
僕たちは『パフォーマンス・グループ』、『競技グループ』、『スケート学習グループ』に分けてるんだ。 『パフォーマンス・グループ』と『スケート学習グループ』を重点的にやっていて、一日の終わりのセッションで一握りの『競技グループ』を教えているんだ。
 R:質問に戻りましょう。そもそも、どうやって両立を?今シーズンは貴方にとってこなさなければいけない事が山積みの様に思えます。どうやって全て両立させているのですか?限界は決めてらっしゃいますか?許容量として、あと何人の生徒を抱えれると思いますか?
S:生徒を何人抱えるかは考えていないんだ…今現在、今シーズンにおいては現状が僕の限界かな。
他にも沢山のオファーがあって、依頼も他にもいっぱい、本当にいっぱい受けているんだけど…
R:ええ、どう対応されているのだろうと。デニスと帯同する事によってあれほどまでに彼に注目を集めさせ、Twitterで「自分もキスクラで『君が1番だ』ってステファンに言われたい」という書き込みを目にしたりしますよ。
S:(笑いながら)依頼は沢山受けているんだけど、残念ながら僕にも限界があって…
R:ここまで、と決めてらっしゃるなら良いんですが!まるで限界が無いように見えるので…
S:大丈夫だよ、自分の限界は解ってる。今は有難い事に悪い事は何も起きてないし、何も犠牲にしていない。自分で『ここまでだ。この状態ならバランスを保てる』と自負できているからね。
将来的にどうなるかは解らないけど、僕はまだパフォーマンスをする事を愛しているし、まだスケートがしたい。僕にとって大事な事だから…
R:御存知だとは思うのですが、貴方自身がまだパフォーマンスをし続ける事を多くの方が願っている事も大事なのです。どうぞそのことを忘れないでくださいね。
S:そうだね…僕自身にとっても大事な事だ。それに、パフォーマンスを出来るだけの状態を維持できていないなら、表舞台に立つ意味は無い。例え観客が僕に演技をし続けて欲しいと願っていたとしても。それだけのクオリティを保てないなら…
R:いえいえ、ゆっくりで良いんですよ…ワルツ・ジャンプができる間は大丈夫ですよ。 S:そうだね…ってワルツ・ジャンプ?!解ったよ、ワルツ・ジャンプだけのプログラムを作るよ。(微笑む)
いや、実際まだ僕は演技し続けたいと思ってるよ。サロメと相談してて、4月には自分の為の時間を割いて…
R:新しいプログラムを振りつける予定なんですか?しかし『Art on Ice』に向けても2つ新しいプログラムを作りあげる必要があるのでは。
S:うん。来週サロメと会って…
R:プログラムを組み始めるんですか?
S:えーと…スケジュールを組もうかと。今は取り敢えずスケジュールを組むことが先決で、そこから先はまぁ何とかなるよ。
R:最後の質問です。明日のコンテンツにクワドが入っているようですが。当初からロステレコムで組み込む予定だったのですか?何故小さな大会では無く今なのですか? S:ロンバルディアでクワドを入れたかったんだけど、6分間練習の時にトリプルにしなさい、と僕が言ったんだ。
だけど明日は、できれば成功すると良いなと願ってる。デニスは今、新しいことに挑戦する必要がある。今は着氷に成功する事に集中しなければならない、絶対にやってやるんだという気持ちを持ってね。
R:練習で10回中、何回成功させているんですか?
S:まだ現時点では成功できてないね。
R:4回転サルコウは?
S:両方。トウとサルコウ、現時点では同程度の仕上がりだね。着氷できる状態だけど、持ちこたえられていない。
自分自身を強く信じて着氷する事だ。ジャンプの仕上がりとしては、そこまできてるよ。
R:また明日の6分間練習の出来で考えるのか、それとももう既に『モスクワでやってみせる』と心は決まっているのでしょうか。 S:『モスクワで、やってみせるよ』!
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