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#十代田八郎
wdhf100083t · 8 months
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hachikenyakaiwai · 2 months
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【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
15 notes · View notes
ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り��く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』��
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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petapeta · 10 months
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 獣肉を「けがれたもの」と考える国民に対して、いきなり「やっぱり食べなさい」といってもうまくいくはずがありません。そこで政府は作戦を考えました。飛鳥時代に「肉食禁止」を宣言したのは天皇です。ならば、「肉食解禁」も天皇にお願いしようというのです。かくして明治5年1月24日、宮中にて西洋料理の晩餐会が開かれました。参加したのは後藤象二郎・副島種臣・江藤新平・寺島宗則・井上馨(かおる)ら、肉食を推進する政府関係者たち。この模様が新聞で「日本では昔から肉食が禁止されてきたが、これに正当な根拠は無いとして、天皇自ら肉を食べられた」と報道されたことで、正式に肉食が解禁されたのです。とはいうものの、実は明治天皇は洋食嫌いでした。「肉食は養生のためよりも、外国人との交際に必要だから食べたのである」と大久保利通にグチをこぼしたそうです。「肉食推進作戦」には当然反発も起こりました。解禁から一ヶ月後、御岳行者10名が皇居に乱入し「万民の上に立ち、穀物の稲を祭司し、古代以来肉食を禁止した歴代の天皇をさておいて、外国の勢力に押しながされて獣肉を解禁するなど、とんでもないことである」と訴え出たほか、明治10年(1877)4月の朝野新聞では「大久保利通が無理矢理天皇に洋食を食べさせている」「洋食洋医を宮中から斥けよ」と糾弾する記事が掲載されました。 どうしても食う気になれない  明治天皇も食した肉ですが、それでも庶民には受け入れられませんでした。実際に食べて美味しさを実感すれば、口コミで広がっていきそうなものですが、そうはならない大きな理由がありました。それは「調味料」。西洋の肉料理は「スパイス」や「バター」を使って調理されますが、これがいけませんでした。ちょっと時代を遡りますが、フロイスが、天正13年(1585)にまとめた『日欧文化比較』の中にはこう書いています。 「われわれ(西洋人)は乳製品、チーズ、バター、骨の髄などをよろこぶ。日本人はこれらのものをすべて忌み嫌う。かれらにとってそれは悪臭がひどいのである」  遣外使節団の1人としてフランスに派遣された奉行池田筑後守長発(ながおき)が、船の中で出された洋食に苦悩している様子を、同行した理髪師の青木梅蔵が記録しています。 「パン・牛肉の焼もの様々、ことごと歎息なしたり、パンは別段臭気なけれども何とやら気味悪く、牛はなおさらなり、さればとて二日三日このかた食事とては一切いたさず、空腹もまた堪え難し。(中略)折からこの処へ御奉行様お一人にて、色青ざめ、ひょろひょろと致しお出ありし有り様、さながらこの世の人とも思われず」  NHKの大河ドラマ『八重の桜』にも登場した明治期の物理学者山川健次郎。学生時代、アメリカに留学するために乗った船中で食べた洋食について『山川老先生六十年前外遊の思出』で以下のように回想しました。 「何しろ西洋の食物なんて云うものは食べた事がない。あの変な臭いがするのがまず第一に困って、船に乗っても食わないで居ると、船の医者が飯を食べにゃいかんと勧めて呉れたが、しかしどうしても食う気になれない」
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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Text
The Gold and Silver Expenditure and Receipt Book (金銀出入帳)
The "Gold and Silver Expenditure and Receipt Book" is a record of the Shinsengumi’s receipts and disbursements, covering the period from the 14th day of the 11th month, Keio 3 (1867) to the 1st day of the 3rd month, Keio 4 (1868). It is approximately ten pages in length and is written in a unique ink script. This record is thought to have been written down by Shinsengumi accountants, and is one of the most valuable official documents of the Shinsengumi for understanding their exact activities and financial situation.
A portion of this document was once published in "Shinsengumi Shimatsuki" (written by Shimozawa Kan in 1928). Until around 1937, it was in the possession of Kondo Isami’s relative, Miyagawa Takashi, who lived in Kamiishihara, Chofu, Tokyo. It’s now kept at Ryugenji Temple (6-chome, Osawa, Mitaka, Tokyo), the site of Kondo Isami’s tomb, along with many other related documents once owned by the Miyagawa family.
The first part of this document is marked with "Start". It then describes the movement of money within the accounting division, and the four people whose names appear in the document, Yasutomi Saisuke, Kishijima Yoshitaro, Otani Isao, and Nakamura Gendo are of course Shinsengumi accountants.
The accountants were usually in charge of bookkeeping, but in times of war, such as the Battle of Toba-Fushimi, they were also assigned to the the logistics division (konida). Yasutomi and Kishijima worked as investigators (諸士調役) (also called "metsuke"), while Otani and Nakamura were treated as the same level as corporals. Some records refer to Otani as an accountant and Nakamura as an equivalent of an accountant.
(source: 新選組史料集)
Out of all the historical texts in 新選組史料集, the Shinsengumi’s account book seemed the most interesting to me, and I kept seeing quotes from it in the articles I’ve read.
It took a while to make sense of the archaic terms and Edo period accounting notation, but I think I’ve mostly figured it out. Here’s my translation: [link], and below are my translation notes and the full original text.
[Read the full translation here]
Translation Notes
一金...也 = formal notation used to clarify and confirm that the money will indeed be paid. Ignore this when translating. (source)
也 = classical modal particle used at the end of sentences to express an explanation or judgement. Ignore this when translating. (source)
右 = classical term of respect. Ignore this when translating. (source)
ニて (にて) = indicates the location where something took place. Ignore this when translating.
江 = river? (not sure why it’s added to some of the entries, but makes more sense to ignore this when translating)
同 = same 一同...也 = 一金...也 同人 = same person as the previous entry
両 = ryo (see: how much was 1 ryo worth?)
分 = bu (1/4 of a ryo)
朱 = shu (1/16 of a ryo)
代 = fee
渡 = transferred
相渡 = handover, transferring from one party to another
手宛 = salary
地役 = easement (the right to use someone else's land for a specific purpose) (source)
入用 = necessary uses
御用 = official duties
帰ル = returned
拾 = ten
廿 = twenty
卯 = year of the rabbit (1867 in this case)
正月 = first month
極月 = twelfth month
一件 = incident
候 or 候事 = the state of things. Ignore when translating.
払 = payment
付 = assistant
Original Text
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Simplified Text
卯七月
金銀出入帳
(宮川隆司氏や龍源寺の所蔵印があるが、これらは後に押印されたもの)
始メ
卯十一月二十八日 二十両 中村渡蠟印一件 (中村は、勘定方の中村玄道のこと)
十二月三日 六十二両二分 安富渡福林代 (安富は、諸士調役の安富才介のこと)
五日 七十二両 同人袴代渡
十一日 二百五十両 岸嶋渡 (岸嶋は、諸士調役の岸島芳太郎のこと)
十一日 百両 安富渡
五十両 同人渡
五十両 同人渡
百両 同人
十二月二十一日 五十両 安富渡
百両 同人
三百両 同人 大平分
百五十両 同人
百両 同人 大平分
伏見にて 二百両 中村玄道預ケ
二百両 同人 船中にて
品川 二百両 安富渡
百両 中村渡
一月二十三日 百両 同人 品川にて
一月二十三日 五百両 安富渡 布段代
二十八日 五十両 同人
大坂より諸払分 二百二十二両 中村渡
二月六日 百両 安富渡
八日 六百三十両 同人
十一日 百両 同人
十五日 百両 同人
二十三日 五十両 同人
二十七日 五十両 大谷 (大谷は、勘定方の大谷勇雄のこと)
二十九日 二百両 安富
百両 大谷
二月二十九日 五十両 岸嶋渡
三月一日 二百両 道中 大谷
手宛入用出口 (現在は書き出し付箋がはがれ、上から三文字が不明となっている)
十一月十四日 三百五十七両三分 十一月分手宛 (十一月分の月給のこと)
七両 同学講 三人 (講師への手当)
十五日 五両 角楼払 (島原遊廓角屋への支払い)
十七日 十両 山田一郎 刀拵代渡 (二条小川角の研師で、隊士の刀剣の修理代と考えられる)
百両 佐藤安二郎 相渡 (保次郎とも書き、文久三年以来、新撰組といろんな接点を 持つ。この記録からも密接な関係を知ることができるが、実態はいまひとつはっきりしない。幕臣 <小普請組岡田将監支配〉 佐藤喜内の孫で、父を宗三郎という)
十七日 二十五両渡 伏見御用
内十両原田請取 原田岸嶋
内十二両二分□二分入 両人渡 (副長助勤原田左之助、諸士調役岸島芳太郎らが伏見へ公用 で出張した折のもの。坂本龍馬の暗殺により海援隊士などが 大坂から伏見に上り、ここから分散して京都に潜入したのが十七日。この不穏な動きを察知し、直ちに出動したものらしい)
十九日 十七両 七条一件 十七人被 (七条油小路で伊東甲子太郎および高台寺党の面々を襲撃した時に出動した隊士への特別手当。一人各一両が渡されている。記録によって出動が判明している隊士は、永倉新八、原田左之助、大石鍬次郎、岸島芳太郎、宮川信吉、島田魁、横倉甚五郎、三浦常次郎、 芝岡剛三などで、原田、大石、岸島、三浦、芝岡の負傷が確認できる)
十一月十九日 十両 金物屋清兵衛払
十九日 一両 七条一件付下男共遣し
二十一日 二十両 山田一郎相渡
二十二日 一両二分 伏見行入用幷ニ酒料共
二十二日 五両也 帰ル 下坂手宛宮川 渡 (この記載事項は印を押して抹消してある)
二十三日 十両 同入用辛嶋 相渡 (辛島昇司への大坂行きの手当。この辛島は、後に大坂で新撰組を脱走している)
二十三日 五両 荒木新三郎遣し (信三郎とも書く。江戸で病死したと伝わる)
二十六日 十六両二分 大和守身三本 (会津の刀匠大和守源秀国の刀身三本を購入)
十一月二十三日 一二分 御用出入用渡
二十九日 十六両 刀身二本宗安
五両 綿代相渡
十二月 二日 二分二朱 西ノ宮御用行 (上京途上の長州藩兵の様子を探るため、二日夜に西ノ宮へ向かった隊士への費用。翌三日に帰還して作成した報告書が残る)
二日 一二分二朱 土方剣術古手一ツ (「古手」は「籠手」の誤記)
五両 土方入用
六日 十五両 山田一郎相渡
九日 十両 原田渡
二両 宮本 (局長付の宮本騰太のことか)
十二月 十日 六両 着込入用吉村渡
十一日 二百両 歩人足手宛部屋頭 相渡
三百四十四両三分 手宛相渡 (十二月分月給のこと)
三十九両 局長付相渡 (局長付の十二月分月給。局長付池田七三郎の遺談に「十二 月になって一両が渡された」とあるから、三十九人分ということになる)
三千両 山中組十家 返済
十三日 二百二十七両 二条城にて一同 相渡 (特別手当として支給されたもの)
二百両 人足渡部屋頭渡
十両 吉村貫一郎着込 (吉村は本名を嘉村権太郎といい、奥州盛岡藩を脱藩し新撰 組に加入した人で、この時、諸士調役を務めていた)
十五両 賄方忠助福田渡 (忠助とは沢忠輔のこと)
四千九十八両二分 (十一月二十三日の御用出入用渡という記載からの合計金額)
四十五両 山崎烝相渡 (山崎は副長助勤)
二十五両 大坂岩城にて先生 御買物払分 (新撰組は十四日に永井玄蕃頭に従い下坂して、大坂の天満天神に駐屯した。先生とは近藤勇のことである。岩城とは呉服屋のことか)
十両 先生行辛嶋 渡
大坂にて 十六両 局長付残分手宛山崎
十五日 夜 百両 山崎吉村伏見行節 相渡 (新撰組の伏見警備が決まり、偵察と下準備を兼ねて、先発隊として向かったものらしい)
十五日 十両 大坂にて辛嶋渡
十六日 二十五両 伏見地役共被 (十六日、新撰組は大坂を発し、夕方、伏見に到着し、伏見奉行所へ入る)
十両 部屋頭渡伏見人足 入用
十両 大坂表て人夫分 渡
四両 大川七郎相渡代
五十両 先生下坂付山崎 相渡 (十二月十八日、伏見奉行所から二条城へ出向いての帰り、 近藤は高台寺党の残党に鉄砲で右肩を撃たれ、重傷を負った。 会津藩と大坂城の将軍家から医者が来たというが、手当てが 充分できないというので、二十日になって大坂へ赴いた。 沖 田総司も同行し、以後、大坂町奉行屋敷にて療養を続けた。この時に護衛をした山崎烝に預けられたもの)
二十両 伏見部屋頭 相渡
八両 荒木柏村岡田中村残人 相渡
三両 井上源三郎賊相手 節渡 (井上は、副長助勤で三番隊組頭)
四十九両 伏見て歩兵人足 被
十一 十一人賊相手節 (十二月二十一日夜の都城兵との事件に関する特別手当。 一人あたり一両となる)
三十両 伏見部屋頭 相渡
十二月二十八日 百八十五両 伏見にて一同被 (特別手当として支給されたもの)
御口し口
十二月二十八日 三百両 部屋頭 貸渡分
六両 福田平馬相渡
(天然理心流近藤周斎の門人で、神奈川奉行所定役である。 甲州勝沼戦争の時に近藤が神奈川の菜葉隊の応援を期待したのは、この福田の関係からである。明治になって、駿府奉行所支配定番となる)
二十九日 四両 小幡三郎 (+) 行節渡 (薩摩兵の動きを探るため、間諜として潜入する時に渡されたもの)
一両二分 大坂遣ひ人相渡
一月七日 百五十五両 大坂城って一同手 宛渡 (一月分月給のこと)
十八日 五百八十五両 品川宿局中一 同 被三十九 (鳥羽伏見戦争に敗れた新撰組は、大坂天保山沖から富士 丸と順動丸に分乗して江戸へ向かった。 横浜で負傷者を上 陸させ、本隊は品川宿の釜屋半右衛門方を宿所とした。この 時に分配された特別手当で、一人に十五両が渡された)
二百四十両 同局長付二十四人被 下 (一人に十両となる)
百五両 伏見地役七人被 (一人に十五両となる)
百五両 步兵 被 (一人に七両で、十五人か)
六十五両 人足 被 (一人五両で、十三人か)
一月十八日 九十両 役人分被
十五日 百両 横浜病人手宛嶋田 預ヶ置候 (横浜の仏語学校を改造した病院で治療を受けている隊士た ちのことで、伍長の島田魁が世話役として派遣される)
品川にて 二十両 大工仙蔵渡 (近藤の試衛館道場と関係のあった人物)
十八日 二十五両 土方諸買物払
二十二日 三十五両 土方戎屋払 (武器購入の支払い分)
二十三日 二十五両 大工仙蔵相渡
(この日、品川から鍛冶橋御門内の若年寄役屋敷へ移っているので、この役宅の修繕代か)
五両 諸払土方出 (副長土方歳三は、このところ自らいろんな買物をしているようだ)
五両一分二朱 子儘者ぶん硯瀬戸 物色々 (「子儘者」は「小間物」ということだろう)
千八百七十一両三分二朱 (十二月二十八日の部屋頭へ貸渡分という記載からの合計金額)
四百両 大坂先生出分
二十六日 十五両 大工仙藏
二十七日 三百二十両 横浜在留之者相渡
同志十六人局長付六人 人口四人 (一人あたり、同志十五両、局長付十両、人足五両。 これは、 横浜において治療を受けていた隊士たちを岸島芳太郎と尾関泉が迎えに行き、近藤の指示に従って江戸和泉橋の医学所へ移した日に渡されたもの。医学所が収容しきれなかったので、 幡三郎、中山重造、大町通南太郎、大橋半三郎、足立麻太郎、医学館の方へ入ったという。ちなみに鳥羽・伏見戦争で負傷したと考えられる面々は、近藤芳祐、 小原孔三、 粂部正親 山野八十八、 松原幾太郎、 沼尻小文吾、 中條恒八郎、小上原栄作、池田七三郎、和高小刀太、相馬肇、一色善之助、小堀誠一郎などである)
二十八日 五十両 内三十八両帰ル 先生 横浜行持参 (仏人医師の治療を受けるため、横浜へ赴いたもので、この時に近藤と会った通詞田島応親の遺談が残っている)
二十九日 六両 仕立や乙二郎遺
二月二日 三十両 大工仙藏
三日 十両 近藤隼雄 原錠之進
三日 二十五再 原田嶋田両人子供 片付遣し候
三日 百両 元詰鉄炮五丁 (一挺二十両となる)
二月六日 十両 岸嶋芳太郎脇差代
八日 八両 佐藤安次郎刀代
十日 六両三分 買物払
十三日 五十両 先生 出 (永倉証言でいうところの近藤の月給か)
百六十四両一分 手宛相渡 (二月分の月給のこと)
十五日 六十四両 病院詰
十四両 同手宛 (病院に入院中の同志および局長付へ渡された二月分の月給。六十四両は同志の分、十四両は局長付の分と思われる。 同志十六人とすると人あたり四両で、局長付は二両で七人といったところか)
四十三両 中嶋屋払大小七本
十五両 同渡
二十両 大工仙蔵分寺尾君 渡
(寺尾君とは、田安家の家来で寺尾安次郎という人。 近藤上京後、道場の世話をしてくれていた天然理心流の有力者であ る。 板橋で処刑された近藤の死骸を掘り出す時も、その指示をした)
十六日 三十両 日野宿要三幸助遣 (谷春雄氏によると、要三とは侠客小金井小次郎の弟分天野要蔵だという)
二月十七日 三百両 甲州行三人渡 (甲州鎮撫に赴くための下工作資金か)
七両 永倉 両度渡 (副長助勤永倉新八のこと)
十八日 二十一両 伏見地役七人渡 (一人あたり三両となる)
七十五両三分 刀五本脇差三本
二十四日 六両二分
二十五日 二十両 中村屋金払
二十両 石屋弘二本
千疋 芝参詣香料 (芝の金地院にある近藤周斎の墓に詣でた折のものか、あるいは増上寺の徳川家茂の墓か)
二十六日 六両二分 中村屋金兵衛払
七両二分 馬代大久保払 (この頃、近藤はすでに大久保剛と名乗っていたらしい。一説によれば、若年寄格に登用されたという)
二月二十六日 二十両 大工払沖田渡 (副長助勤沖田総司のこと)
十両 佐藤安二郎馬代払
二十七日 十両 大石鍬二郎甲州行 (十両は甲州行きの特別手当。 大石は鎮撫隊先番として先発した)
百両 松本良順石料 (松本への薬代の支払いである)
二十八日 五百九十五両 四十九人二十一人甲 行手定 (甲州行きの特別手当で、同志四十九人に十両ずつ、局長付二十一人に五両ずつが支給された)
二十八日 三百両 二十騎相渡し (近藤の妻子が住んでいる牛込騎町のことを、俗に仕騎と呼んだ。御坊主の家を購入したもので、新しく建て増した勝手と三部屋くらいの広さであった。この後まもなく甘騎の家は福田平馬に譲り、中野の成願寺へと疎開している)
五十両 宮川神前 (天満屋事件で戦死した伍長宮川信吉の神前に供えたもの)
十両 沖田渡 (甲州行きの特別手当と同額であり、沖田が甲州鎮撫隊に途中まで随行したという説が、俄かに真実味を帯びてくる)
三両 忠助妻
二月二十九日 七両 子供手宛 (近藤、土方の召し抱えた小姓のことで、刀持ちなどを勤めた。一人一両ずつとすると七人いたことになり、一両三分ずつとすると四人となる。井上泰助、沼尻愛次郎、渡辺市造、市村鉄之助、上田馬之介、玉置良蔵、 田村銀之助などがいた)
三十一両 中嶋屋弥右衛門払
十三両二分 中村屋佐兵衛づぼん (池田七三郎〈後の稗田利八〉の談話に、「洋服の上着みた いな木綿の綿入れにズボンをはき、これに撃剣の胴を着けて草鞋ばき」という、甲州勝沼戦争時の服装を語った部分がある)
六両二分 沖田遣
四十両 田中福田蔭山嶋崎 (田中恒太郎、福田平馬、 蔭山新之丞、嶋崎は勇三郎か玄弥 か。同志の甲州行きの特別手当と同額なので、この人たちも甲州鎮撫隊に参加したと考えられる)
十両 伏見役人遣し (これも甲州行き特別手当と考えられる)
二十両 松原大橋渡 (松原幾太郎と大橋半三郎への甲州行き特別手当。同志格につき、各十両ずつが渡されている。両名は鳥羽・伏見戦争で負傷し治療を受けていたため遅れたもの)
二十両 三人分手宛 (甲州行きの特別手当で、同志名、局長付二名に対し支給されたもの。同志一名とは、 近藤芳祐か)
金請取口
(現在は付箋がはがれ、一部文字不明となっている)
十一月十四日 六十三両一分 十一月分一同借財
十九日 二十両 会より四人葬敷手 宛受取
(会とは会津藩のこと。 七条油小路で殺害した、伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助の葬儀料を受け取った屯の)
二十三日 三両 東一件持合之入
十二月朔日 二百両 杢兵衛受取 (永倉記録に、部屋頭若松杢之助とある人物のことか)
五日 千両 同人
七日 千四百両 会 大竹受取
六百両 会より受取
十三日 二千両 小堀数馬受取 (所司代支配下の京都代官。 禁裡御所御用支配を兼任した。役高六百石、役料千俵)
四十二両 宮川 紀州より (伍長宮川信吉が、紀州藩公用人三浦休太郎を護衛術中に戦死したため、紀州藩からの弔慰金)
二十日 二十両 会より先生見舞 (近藤が高台寺党の残党に襲われ、右肩に重傷を負った折の見舞金)
一月七日 五百両 大坂城請取
四千二百両 同賄方分請取
二百両 大坂先生請取
江戸にて 二千両 会請取
十二月八日 四千両 大坂山中組合十家 より (帳簿に記載するのを忘れ、後で書き込んだようである)
二月三日 三百両 御城設楽殿 (幕府御目付設楽岩次郎〈備中守〉のことと考えられる)
二十七日 二千三百九十四両一朱 御城請取
二十九日 千二百両 会より
三千両 松本良順より 二万三千百四十一円余 (この分別筆)
(カッコ内は古賀茂作の註解)
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shohsoku · 17 days
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4.2
旧暦二月二十四日。半月。欠けゆく下弦の月。
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朝あわただしく諸手を間違えて、長船・岡山巡りのつもりが、大阪中之島・長船巡りへ。
まあいいか。
気温はあったかく、桜はもとよりたくさんの花が咲いていた。
福田平八郎前期を逃すまいと、展示替えになるのを中心に駆け足で見てきた。
福田平八郎といえば、平たくてポップな色彩で好きだったんだけど、初期は写実を一生懸命やってからの、抽象(というわけじゃないけど)的とゆうかデザイン的とゆうか、だった。やはり、見ることが何よりの頼り、らしい。それがわかる展示で、竹の絵が特に良かった。色合いと模様���
葉っぱのグラデーションというか、たった一枚でも色がどこもちがうのを細密に描いた経験をもと、中期以降はその変化をデフォルメして表しているかも。後期行ったとき、色の変化とか規則性をもっと見てみたい。柿の葉紅葉のスケッチおもしろかった。そうだよね、あれ色すごいもんね。あと鉢の中のはまぐり、黒い器の中の桃、と、御椀的なもののなかの静物が見応えあった。やっぱ色がいいし、現実でも桃の肌の色彩と、蛤の貝の肌の色彩は、見ごたえあるわ。
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福島天満宮にお参りしたとき、落ちてた葉っぱのこの色彩よ。とてもいい。これ、楠か。楠の春の落ち葉はカラーリーフの観葉植物ばりの派手なはっぱ。
いつか描いてみたいな。
では新福島から香登へ。
12:18
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香登。
よく考えたら喉痛いし、身体火照りがちだし、風邪ぎみやんか。急遽歩いてドラッグストアへ。みたことないとこ。あとラ・ムーじゃない大黒天でラ・ムーの激安お惣菜かって栄養補給。
備前長船の地、山に抱かれた土地か。田舎じゃないか‥そりゃそうか。
刀剣博物館の映像で、刀の作り方をみた。
この手間ひまのかけ方、そりゃ文化財になるわ。国宝重文の、美術工芸品総数の多くを占めるわけだわ‥。特に平安から江戸まで、人を斬ろうが斬るまいが時代に合わせて価値を保ち続けてきたのは、この作り方が根底にあるのだな。
刃文の鑑賞は陶磁器と同じに思える。用ではなく、景色を楽しむ。でもそれは研ぎにもよる。ややこしすぎて、奥が深いな刀剣。
刀剣博物館の丁寧な説明により、刃文の匂いと沸がちょっとだけわかった。まだわからないところは多すぎるが。おもしろい。おもしろいか?でももっと深くまで行ってみよう。刀剣の女性ファンはこんな、こんなマニアックな鑑賞を楽しんでるんだろうか。まじで遠目の形だけで十分だと思ってた。
作り方を見れて、鍛えと刃文が少し理解できかけてきた。さあ、帰って寝よ。また来るわ。鍔の企画展示も面白かった。精巧な透かし彫りの鍔、刀振り回してたら割れるとは思うが‥、透かしまくりのきゃしゃなのに室町のもあった。
18:24
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catonoire · 21 days
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「オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展
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早稲田大学 會津八一記念博物館で「小野義一郎コレクション オリエントへのまなざし -古代ガラス・コプト織・アジア陶磁-」展を見る。西アジアの古代ガラスやイスラーム陶器、エジプトのコプト織、東南アジアの陶磁など約80点が展示されている。古代ガラスはこれまで見る機会が多少はあったものの、まとまった数を見るのは初めて。コプト織はまったく未知の領域。東南アジアの陶磁も、散発的に見たことならあった気がするけど……という程度。そんな自分にはおあつらえ向きの企画展で、新鮮な鑑賞体験ができた。また、たとえば古代ガラスだと、ガラスの歴史を通観する展示のなかで見るのと、考古資料の展示の一環として見るのと、古代ガラスだけを集めた展示で見るのとでは、見えかたが違ってきたり、ひいてはそこから気づくことも違ってきたりする。同一ジャンルに属する文物を異なる文脈で繰り返し見ることができるのは幸いである。
さて、メインビジュアルに採用されているのは、ガラスの面カット装飾浅鉢。サーサーン朝時代、4〜6世紀、イランあたり。この下の自分の撮った写真より、上の展示室風景のビジュアル写真のほうが装飾がいくぶん見やすいかもしれない。
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円形切子装飾椀。サーサーン朝、5~7世紀、東地中海沿岸。全体的に黄白色なのは風化のためで、本来は淡緑色の透明ガラスとのこと。円形にカットされた装飾が確認できる。風化した風情も正直なところ好きなのだが、「いまでこそ経年変化で時代がかった見た目になっているけど、作った当時は古色はついていなかったのだから、元の姿を想像しながら見よう」と思いながら(心の目で)見るよう努めた。
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次の2点はイスラーム時代のガラス。左は12~13世紀、シリアかエジプト、マーブル装飾扁壺。文様がちょっとラテアートっぽい。右は型吹長頚瓶、11~12世紀、イラン。香水を散布するために使われたもの。10世紀ごろ蒸留技術が確立してバラ水などが普及したことから、このようなガラス製品が作られたものと見える。
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ローマ時代のミルフィオリ・パテラ形杯。前1~1世紀、東地中海沿岸。棒ガラスを組み合わせて金太郎飴のように輪切りにして文様を作っている。
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これもローマ時代、型吹双面瓶、1世紀後半〜2世紀、東地中海沿岸。微笑んでいる顔と怒っている顔が型吹きの技法で作られている。
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前期青銅器時代、紀元前2300~前2000年ごろの土器、掻落彩文杯。シリア北西部で出土したもの。直線や波線の文様はヘラのようなもので掻き落として作られている。
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ラスター彩人物文鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。2人の女性が描かれている。
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藍釉鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。
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色絵金彩鉢。イラン、セルジューク朝時代、12世紀後半〜13世紀前半。花のような太陽のような星のようなものが描かれている。白釉の上に藍彩で下絵付けをして焼成し、その上に色絵金彩で上絵付けを施す、ミナイ陶器と呼ばれるタイプらしい。
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コプト織は、エジプトの遺跡から出土する染織品の総称で、必ずしもコプト教と関係があるとは限らない。下の2点は6~7世紀のコプト織で、左は踊る女たち、右は馬に乗る男の図柄。
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10~11世紀の幾何学文のコプト織。
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左は4人の聖人が並んでいる図柄、7~8世紀。右は5~6世紀、幾何学文だが、ふたつの四角形を組み合わせた形はキリストの十字架を表現したものらしい。そして貴重な染料で紫色に染められている。
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蕾モチーフのコプト織、6~7世紀。蕾のモチーフはコプト織でとても好まれていた由。
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クメール陶器、黒褐釉象形壺。12~13世紀。壺の高台が象の4本脚になっていてかわいらしい。象は背中に宝珠のようなものを背負っている。
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クメール、12~13世紀の黒褐釉線文壺。黒褐釉の平壺はクメール陶器の典型のひとつだそう。
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クメール、11~12世紀、施釉刻線蓋付高坏。須弥山を模したと思しきこの形もクメール陶器の特徴とのこと。アンコールワットなどのクメール建築とも相通じていておもしろい。
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ベトナム、14世紀、鉄絵草花文椀。ベトナム産の鉄絵陶器は日本の大宰府などからも出土しているとか。海外へ輸出するために数多く生産されたらしい。
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ベトナム、15世紀、青花神獣文瓶。獣類の長である麒麟と鳥類の長の鳳凰が描かれている。
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タイ、14~15世紀、青磁刻線文双耳小壺。小さくてかわいいやつ。
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タイ、15世紀、白磁鳥形水注。
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タイ、15~16世紀、白・黒象嵌瓶。象嵌する土と胎土とでは耐火度や収縮率などが異なるため、ひび割れたり象嵌が剥がれたりしないためには高い技術力が必要だとのこと。つまり下の写真の陶器は手練の作なのだろう。
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tutai-k · 4 months
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2023年が終わるらしい
2023年のはじまりは、3月から転職も決まっていたし、持病の悪化による日常生活への不安もあったので、2月いっぱいまで休職した。 療養もかねて尾道に一週間滞在したが、出発の日に地元が大雪ですっころび、カメラのレンズを破壊するという暗黒の始まりを告げるなど、つらいことがたくさんあった。 2月も、結局、休養することがないまま、次の職の仕事をずっとしていた。どこかで休みたいと思いながら、全く休めないまま、2023年が終わりそうだ。 意外だったのは、誰の力も金銭的援助も借りずに十年近くひとりでやってきたこと、というのは、なんだかんだ「使える」ということだった。通用するんだ、これが。というおどろきは大きかった。手応えがあったとか、結果が出たとか、そういう意味ではなく、するっと不安なくやっていける。いままでやってきた、他人の顔色をうかがい、他人の動作に合わせて平均的に働くというのとは違った。積んできたものが、無駄にならない機会に巡り会えてよかったと思う。 休みたいと思いながら、休めないでここまで来たし、年始の休みも8日まであるけど、いろいろと休めないことが多い。雇用契約のある労働は休みだが、個人的な仕事はいくらでもあるし、なんなら山積みになっている。九日間で終わるのだろうか…と思いながら一日目をもう半日終えてしまった。(2024年のしいたけ占いには、おまえはだいたい気づいたら働きまくっていて休んでない、みたいなことが書かれていてちょっと悲しかった)
毎年毎年、何を年間のまとめに書いていただろうかと思うわけで、今年も悩んでいるわけだが、全然答えが出ない。とりあえず、読んだ本とか作った本をまとめていたような気がするから、それをやる。
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★作った本★ 1月 『山梔の處女たち』 pixivのいつだったかの百合文芸で佳作をもらったオメガバース百合「首輪とロマンス」、恋愛/性愛から離れたところで手を取り合う少女たちの魔法学園小説「魔女の選択」収録の短編集。Kindle版は、いつだったかのKino-Kuni文学賞で大賞をもらった滅び行く漁村の女二人の物語「迎え火」も収録している。
5月 『けものと船乗り』 現代物、というか、現実世界の不均衡や理不尽に焦点を当てたものがたりを多く書いてきたな、という自覚もあり、あと「幻想文学はもう書かないんですか」とたくさん声をかけてもらったりもしたので、ひさしぶりに幻想文学らしい幻想文学を。 全ての船を沈めてしまうけものが棲むという「島」を望む岬でまちのひとたちにこれまた「けもの」と呼ばれている存在が、船乗りを拾って海へこぎ出そうとするお話。 『ヤールルカ』 写真家の女の短い物語。撮ること/撮られることの暴力を考えているので、そのこととかを中心に、これは短い物語だったが、もう少し長く書けたらいいなと思ってちょっとずつ書いてる。ひとつ、暴力的な経験を「してしまった」ので、それも書けるか…とすごくいやな気持ちになりながら思っており、だが、これは書くことでしか報復も抗議もできないという思いがあるので、この物語とは2024年以降きちんと向き合いたいと思う。
9月 『ゆけ、この広い広い大通りを』 日々詩編集室から出た本。二児の子持ちの専業主婦・バイクと音楽がすきなトランスの女性・都会で働けなくなったフェミニスト、三人の同級生が「地元」でささやかな試みをするお話。 「ちがいのある人がともに過ごせる共有地をつくる」をコンセプトにしている団体を母体にもつ出版社から出る本だったので、いろいろ考えたし、思っていた以上にいままで読んでくれていたひと以外のひとに受け取ってもらえてよかった。自分が持つ切実な課題とかもたくさん載せた物語だったので、ベストをつくしたし、2023年のベストだと思う。この物語に全力をつくしていたので、2023年は、ヨモツヘグイニナでは大きめの物語は作らなかった。 この本は、ヨモツヘグイニナの通販の他に、本屋lighthouseさんとか、シカクさんとか、mychairbooksさんとか、日々詩編集室とかでも買えるので、お気に入りの書店さんで買ってもらえるとうれしい。 『いづくにか、遠き道より』 再録短編集。たくさんたまっていたのでつくった。2014年に書いた小説とかをおそるおそる読み返したら、思っていた以上に「小説」だったのでほっとした。
11月 『アルバトロスの語りの果てへ』 売れない作家のノイと、そのパートナーで人気役者のターが、アルバトロスの繁殖ボランティアに参加するお話。 物語を自分自身が語るとき、そこには当然自分も含まれている物語のこともあるし、そうでないこともある。だけど、埒外にあっても内にあっても、ひとは、語ったり語られたりせずとも、勝手に他者に物語を見いだし、それを消費してゆく構造がある。『山梔の處女』収録の「魔女の選択」によく似た内面を持つ物語だと思うが、他者のふるまいや言動に「物語」を見いだすとき、「なにを見ているか」に自覚的になりたいよね…というようなことを考えながら書いていた。
12月 『浜辺の村の大みそか』 日々詩編集室で出た小さい本。『浜辺の村でだれかと暮らせば』の番外編みたいなやつ。いまから日和と八尋がやったような大晦日をわたしも過ごします。
★読んだ本とか観た映画そのほか★ 色々読んだけど、印象深かったものについて。 『銀河英雄伝説』全巻 銀英伝のコンセプトバーやカフェにいくので読んだ。相変わらずめちゃくちゃおもしろい。 『豊穣の海』全4巻 来年参加する八束さんのアンソロジー父親の死体を棄てに行くやつの資料(?)イメージをつかむのに読んだ。今西が金閣寺のように燃えて、それを本多が眺めている(『暁の寺』)がよかった。あと、大人になって読み返してみると松枝清顕……「全部おまえが悪いじゃん!」ってなるのがおもしろかった。勲に対しては共感するところも多かったし、あいかわらず『天人五衰』が一番好き。 『雨の島』 今年の1月1日に読み終えてた。呉明益の本、『歩道橋の魔術師』も読みたいんだけど、未訳のチョウチョのなんとか…?が読みたい。 『苦海浄土』 ネイチャーライティングをやろうとすると必ず出てくる石牟礼道子、の代表作。水俣へ3月と10月といくことになったし、石牟礼道子を筆頭に水俣関係の本をとてもたくさん読めた一年だった。とてもよかった。来年は『水俣病を旅する』『苦海浄土』(全3巻)を読みたい。 『アフターヘブン』 八束さんの本。めちゃくちゃよかった。 『フィリックス・エヴァー・アフター』 すっごくおもしろくて、何度でも読み返したい! 『鋼鉄紅女』 最高だった……「地獄へようこそ……」って武則天が宣言したところから、もう一気に読んだ。家父長制と、男女の二人の「ペア」というかたちに反旗を翻す最高のSF小説。 『私と夫と夫の彼氏』 2023年で読んだ中で、一番一番おもしろかった漫画!11巻が待ち遠しい! 『琥珀の夢で酔いましょう』 この漫画もめっちゃおもしろかった~! 『父の時代、私の時代』 堀内誠一の自伝的エッセイ。「ウッチェロ!!!!!!!」澁澤龍彦・瀬田貞二との思い出を添えて。めちゃくちゃ古本価格高騰していたので文庫で出してくれてありがとう! 『ガザに地下鉄が走る日』 ずっと読みたかったけど、なかなか読めずにいて(岡真理さんの本は『記憶���物語』を2020年に読み、もう一度これも今年再読した)やっと読む。見過ごしてしまわないように、何が出来るかを考え続け、アクションを取る、できることをやるしかないんだけど、「人間が人間として生活するということ」が、誰にでもある世界にたどり着きたい。 本だと、吉田育未さんの翻訳作品を井上彼方さん/紅坂紫さん編集の『結晶するプリズム』で知り、『聖なる証』『星のせいにして』を読む。めちゃくちゃおもしろかった!年越し読書本は『イエルバブエナ』。「このひとが翻訳している本ならぜったいおもしろい!」という翻訳者さんに出会えたのがうれしかった。 映画もいろいろみたけどとくに『バービー』『his』『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』がよかったな~。結局体力がなくて窓際のトットちゃんを見に行けなかったのがちょっとさみしい。 さいたま文学館で開催されていた澁澤龍彦の展示にはいけた。パンケーキも食べた。 12/24にITOプロジェクトの『高丘親王航海記』を見に行く。それについてのくわしいことは静かなインターネットに書いた。
★旅行★ 「今年はいろんなところへ行ったんじゃないですか?」と言われたけど実はあんまり行ってなかったりする(さみしい) 1月 尾道 ライターズインレジデンス尾道でまたみはらし亭に滞在する。だいたい伊勢うどん食べてた。 3月 水俣 はじめて水俣へ。というか九州自体がはじめて。いろんなひとに出会い、いろんなことを学び、いろんなおいしいものを食べた。『常世の船を漕ぎて』を水俣病歴史考証館で買った。 5月 東京 行ったという記憶しかない。なにしたっけ…?なにもしてないのか…もしかして…。 9月 大阪 銀英伝のバー「海鷲」へ行く。ロイエンタールの透けてる板を買った。文フリ大阪も行った。 10月 東京 銀英伝のカフェ「イゼルローンフォートレス」へ行く。かおりさんと会う。ながいことSNS上ではお付き合いがあるのに生身で会うのは初めてで、だけど「すっぱいものきらいだもんね」とか長年付き合ってきた人間同士の会話ができてとてもおもしろかった。次の日は吉祥寺や多磨へいき、緑色のインコとオナガを見る。 水俣 ふたたび水俣へ。熊本市内も立ち寄ったが、土砂降りだったので熊本大学と、橙書店へ行く。島尾ミホと石牟礼道子の対談集というめちゃつよBOOKを買った!めちゃくちゃ楽しかった。 11月 文フリ東京。ヒマラヤ鍋を食べる。次の日は埼玉文学館へ。武蔵野うどんに衝撃を受ける。
★来年の予定とか★ 1月14日に文フリ京都。辰年なので澁澤龍彦のコラージュみたいな『兎島にて』という本をだします。こういう物語で「兎」って単語がでると、誰か特定の人をみんな思い浮かべると思うんですけど、その特定の人は卯年のわたしです。他の誰でもありません。 3月までに出さないといけない原稿がめっちゃいっぱいあるので頑張ってます。 オープンにしてるのは八束さんの家父長制アンソロだけだけど、そのほかもまた媒体に載るなどしたらお知らせします。 やりたいことは、三宅島・舳倉島・天売島、この三つのどれかの島にいきたい!2023年は労働が忙しすぎてぜんぜん鳥写に行くことがなかった(かなしい)一年になっちゃったから、2024年はちゃんと鳥写したいです。 あと、日々詩編集室から『ゆけ、この広い広い大通りを』もでたことだし、もうちょっと小説を書いて発表する幅みたいなものをひろげたいかなと思っている。つらいことがたくさんありすぎたから、アンソロは主催も参加もいやだったけど、そういうのとか……あと、書いたらお金がもらえるタイプの原稿とかも、書ける媒体があるのなら書いていこうかと思っている。 これはずっとそうなんだけど、賃労働をしながらほかにわたしの体力で「できる」ことが「小説を書く」ことしかなかったので……。タイミングや機会があれば、頑張ってみようと思っている。
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togekiss4ss · 2 months
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(中译)Rockin′On(1993.9 Vol.22) Simon Gilbert & Mat Osman
translated in Chinese by ME(´-ω-`)
走入解放区Suede,远离“性的束缚”与悲惨过去的二人回想明星预备役之时
采访=田中宗一郎        翻译=伊佐山健
●问得有点突然,但我想知道英国《Select》杂志中的sex特辑里所刊载的Simon的话是真是假呢?
S(Simon Gilbert):嘻嘻,都是真的。除了Ride的Mark*注是我的理想型那条之外(笑)。
●所以,您是最有名的性伴侣,曾经在双层巴士的车顶上做过爱,这些都是真的了。但是把自己的性生活公之于众,您就不害怕吗?
S:(笑)。没什么问题啦。我还是想做个诚实的人,被问到我自己的性取向这方面我都会如实回答的。我们几个都是很诚实的人。Brett写的东西不是捏造出来的。他写的都是他自己的亲身经历和他身边的人。
M(Mat Osman):没有亲身经历是做不到洞察的。
●那么,有没有哪首歌让你觉得“这是以我为原型写的”?
S:这我从来没直接问过Brett,所以我也不清楚(笑)
M:我们可能受了身边有Simon的影响,但我觉得男同性恋是无论如何都会涉及的话题。又不是采访别人“男同之间怎么做?“(笑)
●那么,Brett和David Bowie谈论了歌唱非正常的性行为是否需要真实体验的问题,您又会如何回答这个问题呢?
S:嗯——这个问题很棘手啊。
●您对明明没有那种经历却歌唱非正常的性行为的Brett有什么想法?
S:嗯,即使是用我的真实体验为原型,我也觉得没什么问题。我还觉得挺好的(笑)。而且我不觉得人没有过男同性生活就不应该谈论它。我认为对不同性取向和性体验应该更加开放。我真心不希望看到任何人因为人种、性别等差异而受伤。
●那么,您能认同Brett说他“想让大众堕落”吗?
S:想让大众堕落?他在说什么东西(笑)。嗯——堕落这词用得不太好吧。对大多数人来说男同就已经是堕落了。肮脏!可怕!
●不不不,我并不是那么想的。
S:真的?(笑)
●那么我想问一下Mat,您和Brett在小时候就是朋友吧?
M:我们是在上了同一所大学之后才认识的。虽说如此,我十五六岁的时候就知道Brett这个人了。在我们镇上他还蛮出名的。也可能是因为我们镇7点45分开往伦敦的列车一开,镇里就一个人影都没有了。每个人都冷淡而理智,没有格格不入者,世界上没有其他地方比这里更无聊了。
●所以,您就是在那个时候想成为明星的吗?
M:很奇怪,我七八岁的时候就在想这个问题。但我成长的环境是完全忽视创造力的环境。所以,我不确定那种机会是不是真的会降临到我身上。
S:我是从四岁的时候开始的。我老是想成为Beatles,成为Stones。所以,大粪一样的工作也叫我忍下来了。扫厕所之类的。Mat应该是扫过飞机上的厕所吧。我想过这可能是成为明星前的修炼制度(笑)。
M:所以是从Bernard加入后开始的吧,从那时起,一切都变得更有现实感,让人严肃对待。因为他一开始就是一名非常特别的音乐家。从那以后,我们才第一次把自己视为一支名为“Suede“的乐队。
●那么,作为“Suede”,你们想做出什么样的内容呢?
M:总之就是做有意义的音乐。优秀的艺术家都有一副特殊的眼镜,向你展示透过它看到的世界。事实上,世界可能并没有发生什么改变,但如果戴上它,你就能看到一个不一样的世界。我们想要这么做。这一点就是乐队的核心所在。
●最后Simon加入了。
S:嗯。当时我在Suede的经纪人的店里卖票。那人在店里放着还在使用鼓机时代的Suede的磁带。然后,我想着他们应该有一个鼓手,就说给我一个面试的机会吧。但是那人说绝对不行。从那之后过了半年,乐队开始招募鼓手,看着75个人被踢了之后,我终于得到了这份工作。
●之后人生就一下子豁然开朗了。
S:是啊,我特别开心。我之前也搞过几次乐队,但最后哪个乐队都不是很在意我自己是个什么样的人。但是在Suede,我们最开始就谈论了我是男同这件事。现在我真的觉得我们四个人就像一个整体。
M:我和Brett两个人刚刚一起合作的时候,因为我们两个的演奏水平都不怎么样,所以我们只是在说理。比如说,我们会事先商量好这次要写这样的歌。但是从那个时候开始,我们不再特意思考我们在做什么。Brett的歌词也不再磕磕绊绊,变得更加行云流水了。
S:于是,我们抛弃了之前的所有作品,重新开始。当时我只知道Brett写的大约三首的歌词,这些歌词零零碎碎,有点情绪化。当时他可没有现在这样仿佛腰上佩枪的坐姿。
●我想再问一点乐队成员之间的关系的问题。
M:大家都是我的助手。
●(笑)比如说,我听说在美国Mat假扮Brett接受了很多次采访。
M:啊——那个啊……
●那时候您不会想“有啥好处啊,再也不演了“之类的吗?(笑)
M:因为那段时间Brett和Bernard在写作品呢(笑)。
●那么,Brett说过“为了保持创造力必须要紧张起来”,和他在一起的时候,那份紧迫感会不会传染给你们……
S:啊,啊啊啊,会的会的。
●这种时候您不会感到很窒息,或者感觉他可怜吗?
S:可怜?我才不会那么想呢(笑)。骗你的。有时候会觉得他是有点可怜吧。众人的目光都一直集中在Brett一个人身上,他很不容易的。多亏了他我们才有放松的时间。
●原来如此。那么,请说说乐队目前已经有定论的、未来的方向吧。
S:我们想在下张专辑做更多的弦乐器和管乐的导入。比如法国号。所以,需要的时间可能比以前还要长得多。回英国演完艾滋病的慈善演出后,我们九月还要再去美国,进行为期六周的巡演。然后做专辑。不出意外的话会在一月份开始做。在那之前我们还要出单曲。
●最后,您觉得Suede为世界带来的下个主题是什么呢?
S:嗯,不知道啊。日本吧。
●啊?
S:就唱“大家都很温柔啊!”(笑)
译者注by我
​注:Ride乐队成员Mark Gardener
汉化仅作为语言自学、交流之用!翻译水平有限,恳请批评指正。 请不要进行任何形式的转载。
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kennak · 3 months
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理財局長に就任[編集] 2016年6月17日、佐川は理財局長に就任[20]。同年6月20日、財務省近畿財務局は、学校法人森友学園との間で豊中市の国有地についての売買契約を締結した。売却金額は非公開とされた[25][26]。 2017年2月8日、豊中市議会議員の木村真は、国が森友学園に売却した国有地の代金が公開されないのは不当だとして、開示を求める訴えを大阪地裁に起こした[26][注 1]。2月9日、朝日新聞が、払い下げの国有地に新設予定の安倍晋三記念小学校の名誉校長が安倍昭恵であること、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていたこと、森友学園の籠池泰典理事長が売却額が買い戻し特約と同額と認めたこと、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1であること、籠池が日本会議大阪の役員を務めていることなどを報じた[28]。2月10日、同紙の報道を受け、財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表した。売却価格が格安になった理由については「地下に大量のごみがあったため」と説明した[29]。 公文書改ざん[編集] 2017年2月15日の衆議院財務金融委員会を皮切りに野党の追及が始まる。日本共産党の宮本岳志は、国交省職員から土壌汚染除去費用の総額を聞き出し、佐川に対しても質問を行った[30]。 同年2月17日、安倍晋三首相は衆議院予算委員会で民進党の福島伸享から追及を受けると「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と答弁した[31][32][33]。2月23日午後、森友学園は「瑞穂の國記念小學院」の公式サイトから、安倍昭恵の写真と挨拶文を削除した[34]。 同年2月22日、佐川と財務省大臣官房総括審議官の太田充は菅義偉官房長官に官邸に呼ばれ、国有地売却の経緯などについて説明した[35][36]。 2月17日の衆議院予算委員会、2月24日の同予算委員会、同日の同財務金融委員会のいずれかの委員会において、安倍の秘書官の一人が十数メートル先に座る佐川に歩み寄り、「もっと強気で行け。PMより」と書かれた1枚のメモを手渡した[37][注 2]。2月24日、佐川は衆議院予算委員会で「森友学園との交渉や面会の記録は速やかに廃棄した」と答弁した[21]。同日午後、内閣官房長官長官記者会見で、記者は佐川の廃棄発言について菅に質問した。菅は「面会等の記録についてはその保存期間は1年未満とされている」と示したうえで、「契約書を含む国有財産の取得および処分に関する決裁文書については30年間の保存期間が定められており、��こにほとんどの部分が書かれてある」から問題はないと説明した[38]。 同年2月26日、財務省は、国有地売却の決裁文書から安倍昭恵、鴻池祥肇の秘書、平沼赳夫の秘書、北川イッセイの副大臣秘書官らに関する記述を「できる限り早急に」削除するよう、近畿財務局の職員7人にメールで指示[注 3]。近畿財務局は同日から文書の改竄を開始した[39][42]。安倍首相と籠池の関係を指し示す記述も改竄が行われ、「籠池康博氏は、『日本会議大阪代表・運営委員』を始めとする諸団体に関与」「日本会議と連携する組織として、超党派による『日本会議国会議員懇談会』が平成9年5月に設立され、現在、会長に平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが就任」などの文言が削除された[43][44][45]。 同年3月20日、財務省国有財産審理室は、近畿財務局職員に「局長からの指示により、調書につきまして、現在までの国会答弁を踏まえた上で、作成するよう直接指示がありました」と記されたメールを送信した[40][41]。当該メールは、元近畿財務局職員の赤木俊夫が改竄の経緯をまとめた文書(通称「赤木ファイル」)に保存されており、佐川の関与は、そののちファイルが公開されたことで明確なものになった[46]。 同年4月3日、衆議院決算行政監視委員会で、「行政文書は紙もパソコン上のデータも同様に取り扱いにしている。データは短期間で自動的に消去され、復元できないようなシステムになっている」と答弁した[47][48]。4月7日、部下の中尾睦理財局次長は衆議院内閣委員会で「自動消去という機能は基本的にない。データを削除した場合は14日間は復元可能だが、それを超えると復元できない。通常の職員はそういうことはできない仕組みになっている」と述べ、佐川の答弁を事実上訂正した。4月10日、財務省情報管理室の担当者は朝日新聞の取材に応じ、「復元は難しいが、できないとは断言できない」と復元の可能性を認めた[48]。しかし佐川は4月12日の衆議院財務金融委員会で「電子データも文書管理規則にのっとり、紙と同様に削除している。その後、一定期間が経過すれば、自動的に削除される」「専門家においてもデータの復元ができないと聞いている」と主張し続けた。また、「財務省全体として大量のデータを日々追加、更新しており、サーバーの容量にほとんど余裕がない中で、(削除されたデータは)日々置き換わっている状況だ」と述べた[48]。 同年5月15日、市民団体「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」(代表:八木啓代)は、財務省が森友学園との交渉記録を廃棄したとして、佐川、迫田英典、田中一穂、中尾睦、武内良樹、田村嘉啓、池田靖ら7人に対する公用文書等毀棄容疑での告発状を東京地方検察庁に提出した[49][50][51](東京地検はのちに被疑事件を大阪地方検察庁特別捜査部に移送した[52])。 同年7月4日、財務省は、佐川を7月5日付で国税庁長官とする人事を発表した[3]。自由党の森裕子は「あからさまな論功行賞の人事だ。首相を守るため、『ありえない』答弁を平然と繰り返して栄転された」と反発。与党の閣僚経験者も「事実に背を向けてでも、官邸の意向に従っていれば出世できるというあしき前例になる」と述べ、起用した政府の姿勢を疑問視した。これらの声に対し麻生財務相と菅義偉官房長官は「適材適所」と口をそろえた[3][53]。 大阪地検特捜部は豊中市議会議員の木村真らが3月に行った刑事告発[54][55]を一旦は受理したものの、背任容疑の捜査に手間取っていた。そこで近畿財務局のコンピュータから押収したデータをもとに、先に公文書の変造容疑を固めることにした。同年夏から秋にかけてDF(デジタルフォレンジック)センター準備室がデータの復元および解析を行い、決済文書改ざんの痕跡を突き止めた[56]。 財務省を退官[編集] 2018年3月2日、朝日新聞が一面トップで、国有地取引をめぐる決裁文書が書き換えられている疑いを初めて報じた[4]。同年3月7日、赤木俊夫が神戸市内の自宅で自殺した[57]。翌8日、近畿財務局管財部長の楠敏志が赤木の家を弔問した[58]。 同年3月9日、佐川は麻生太郎財務大臣に、国税庁長官の職を辞し、退職したい旨を申し出た[5]。政府は持ち回り閣議で佐川の辞任を認める人事を決定した[59]。赤木の死について記者から問われると、佐川は「今日のニュースで知った」と答えた[58]。 同日夜、麻生は記者会見し、「国有財産行政に対する信頼を損なったことを踏まえ、減給20%3ヶ月分の懲戒処分を実施する」と述べ、同時に処分を科したことを明らかにした[60][22]。辞任を申し出た理由は「(1)理財局長当時の国会対応が丁寧さを欠いており、混乱をもたらした。(2)行政文書の管理について指摘を受けた。(3)書き換え疑惑のある決裁文書について、担当局長であった」の三点とされた[61]。矢野康治財務省大臣官房長の財務金融委答弁によると、額にすると約66万円の減給となり、退職金4999万円から差し引かれた[62]。 同年3月12日、財務省は「14件の決裁文書を書き換えた」ことを認め[63]、「決裁文書の書き換えの状況」と題する書き換え前と書き換え後の対照表を公表した[64]。3月13日付の読売新聞夕刊は、自殺した職員(赤木)の遺書に「本省の指示で文書を書き換えさせられた」との記述があると報じた[65]。 同年3月27日、佐川は衆参両院の予算委員会で証人喚問を受けた[66][67]。文書改ざんの指示などに関する質問に対して「刑事訴追の恐れがある」との理由により証言を拒否した答弁は40回以上に及んだ[68]。ただし、自民党の丸川珠代から「安倍総理からの指示はありませんでしたね」「安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね」と聞かれると、それぞれ「ございませんでした」と明確に答えた。丸川は「官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官、安倍総理の秘書官、麻生財務大臣、麻生財務大臣の秘書官、財務省の事務次官、官房長などの大臣官房、他の局の幹��」からの指示はあったかと繰り返し尋ね、佐川はそのたびに立ち上がり「ございませんでした」と答えた[69][68][70][71]。 同年5月31日、大阪地検特捜部は、佐川ら財務省幹部38人全員を不起訴処分とした[72][73]。同年6月4日、財務省は「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」を公表するとともに[74]、退職者2人を含む幹部ら20人の処分を発表した。佐川は停職3ヶ月の懲戒処分を受けた[75]。 2019年3月15日、大阪第一検察審査会は、不起訴処分とした38人のうち、有印公文書変造・同行使容疑などで佐川ら6人、背任容疑などで管財部次長の小西眞ら4人について「不起訴不当」と議決した[注 4]。しかし同年8月9日、大阪地検特捜部は佐川ら10人を再び不起訴処分とした[79]。 赤木雅子による提訴[編集] 2020年3月18日発売の『週刊文春』3月26日号が、総計15ページにわたる森友学園問題の特集記事を組み、赤木が死の直前に書いた手記全文を掲載した[80][81][82]。手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えしました」と記されていた[83][84]。 同年3月18日、赤木の妻の赤木雅子は、国に約1億700万円、佐川に約550万円の損害賠償を求め、大阪地裁に訴えを提起した[85]。雅子の弁護団は同日、手記全文を公表した[83][86]。 2021年12月15日、国は、自殺と森友学園問題に関する決裁文書改竄作業との因果関係を認め「請求認諾」を行ない、訴訟を終結させた[87]。 2022年2月9日、大阪地裁で口頭弁論が開かれ、赤木雅子は、佐川側が賠償請求を認めて「認諾」をすることを避け、尋問などで改ざんの経緯を明らかにするため、賠償請求額を550万円から1650万円に増やした[88]。 同年9月16日、赤木雅子、川内博史、辻恵らは、情報開示請求に「不存在」と虚偽の理由で不開示決定をされたとして、佐川、元理財局総務課長の中村稔、元同局国有財産審理室長の田村嘉啓の3人に対する虚偽有印公文書作成・同行使容疑の告発状を東京地検特捜部に提出した[89][90][91][92]。 同年11月25日、大阪地裁は、佐川に対する1650万円の損害賠償を求める裁判で、「公務員の個人責任を認める法的根拠は見いだしがたい」として請求を棄却した。佐川は裁判中は公の場所へはいっさい出ず、当該裁判においては代理弁護士まで出廷しなかった[93][94]。同年12月2日、赤木雅子は控訴した[95]。 同年12月27日、東京地検特捜部は、虚偽有印公文書作成・同行使容疑の刑事告発についていずれも嫌疑不十分で不起訴とした[96]。 2023年5月1日、佐川に損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、赤木雅子は、一審で認められなかった佐川への本人尋問を実施するよう大阪高裁に申請した。またそのほかに、中村稔、田村嘉啓、近畿財務局の赤木俊夫の上司ら計4人の証人尋問も求めた[97][98]。同年9月13日に控訴審第1回口頭弁論が大阪高裁で行われ、黒野功久裁判長は「尋問を実施する必要がない」として佐川の尋問を認めず、結審した[99]。同年12月19日、大阪高裁は1審判決を支持し、赤木雅子の控訴を棄却した。判決理由で黒野裁判長は、赤木雅子が佐川に経緯の説明や謝罪を求めていることについて、「誠意を尽くした説明や謝罪があってしかるべきとも考えられるが、法的義務を課すことは困難」と言及した[100]。27日、赤木雅子側は判決を不服として上告した[101]。
佐川宣寿 - Wikipedia
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chuck-snowbug · 2 years
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でか口カエルさん付きの、日本酒二種飲み比べ(篠峯 夏 カップ 純米吟醸 山田錦一火 & 十六代九郎右衛門 特別純米 八重原産ひとごこち 火入れ)、牛肉のしぐれ煮・キュウリ添え、ミョウガの梅肉和え、自家栽培ゴーヤとツナの玉子炒め、ミニトマト。
Two Kinds of Japanese Sake(Shinomine & Jyurokudai-Kurouemon) feat. Hungry “I WANNA EAT” Frog, Stir-Fried Beef & Carrot Dinner - July 16, 2022.
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gupaooooon · 8 months
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・Nagasaki Peace
「An atomic bomb exploded over Nagasaki on August 9, 1945, three days after the explosion of the first atomic bomb over Hiroshima. The bomb was assembled at Tinian Island on August 6. On August 8, Field Order No.17 issued from the 20th Air Force Headquarters on Guam called for its use the following day on either Kokura, the primary target, or Nagasaki, the secondary target. That same day, the Soviet Union declared war on Japan. The B-29 bomber "Bockscar" reached the sky over Kokura on the morning of August 9 but abandoned the primary target because of smoke cover and changed course for Nagasaki, the secondary target, and detonated the atomic bomb at 11:02 a.m.」
・NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM
「The nuclear weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki burned the victims to unrecognizable forms, and brought suffering from illness, poverty and discrimination unto the survivors. Nuclear weapons and humanity cannot coexist.
We want people around the world to know about the consequences of nuclear weapons, and the journey of the Hibakusha - the atomic bomb survivors. As Hibakusha of Hiroshima and Nagasaki, we have held exhibitions at the United Nations four times to date, at the timing of the NPT Review Conferences. As the risk of the use of nuclear weapons is today at its highest, we have decided to open this exhibition as an online museum.」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・2023長崎平和宣言 全文
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した。」
・「長崎の原爆ドーム」なぜ解体されたのか? 浦上天主堂が幻の世界遺産になった理由【長崎原爆の日】(22/08/09)
「8月9日は「長崎原爆の日」。長崎市内への原爆投下で、1945年だけで7万人以上が亡くなった。長崎では平和祈念像が犠牲者に黙禱を捧げるモニュメントとして知られているが、実は広島の世界遺産「原爆ドーム」に匹敵する原爆遺構が、かつて長崎市内に存在していた。爆心地からわずか500メートルの位置にあったカトリック教会の大聖堂「浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)」だ。」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)(20/08/06)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。」
・祈りと異質な巨大芸術 平和祈念像 法王は今回も立ち寄らず(19/10/27)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/554327/
「長崎新聞の元論説委員長、高橋信雄さん(68)によると、浦上教会の主任司祭だった故川添猛神父は生前、高橋さんの取材に対して「私自身は平和祈念像の前には決して行かない」「巨大な芸術品の前で祈りをささげることなどできない。いくら像の名前に平和を冠していても、被爆者として、あの像とは相いれない」と語っていたという。」
「北村は戦前戦中にわたり、戦意高揚のための軍人像などを数多く手がけた。反核、反戦の美術評論家、故針生一郎氏は、北村について「戦後一転して平和や自由をうたいあげる公共彫刻に意欲を燃やしたが、戦前戦中の自作についての深い反省もなく百余歳まで生きたので、各地に醜悪無残な彫刻公害を残している」と酷評。その代表格が、北村の戦前戦中の作風そのままの男性裸像、平和祈念像ということなのだろう。」
「祈念像の周りをぐるりと歩くと、像の裏には北村の言葉が刻まれ、こんなくだりもあった。「山の如き聖哲 それは逞(たくま)しい男性の健康美」。祈りとはかけ離れた異質なもの。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府(22/09/05)
「長崎の「被爆地域」は、原爆投下時の行政区域をもとにしている。爆心地から12キロ圏内で原爆に遭っても、国の指定する「被爆地域」外にいた人々は「被爆体験者」として、被爆者と線引きされてきた。」
「原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。 「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」 残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。」
「広島の「黒い雨」訴訟で、国側は国際放射線防護委員会(ICRP)国内メンバーが記した論文を引用した上で、「内部被ばくをより危険とする根拠はない」などとしていた。国が政策で依拠するICRPとはどのような成り立ちなのだろうか?この組織は1950年、米国放射線防護委員会(NCRP)議長らが中心となって組織された。NCRPは1946年に発足しており、あの「人体実験」にも携わったマンハッタン計画の医学部長らが執行委員となっていた。中心メンバーも、マンハッタン計画に従事した科学者たちだった。」
「「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」」
・核廃絶専門委、長崎の被爆者落選 禁止条約に否定的な政府支援なく(23/07/23)
「【ニューヨーク共同】核兵器禁止条約の諮問機関「科学諮問グループ」の専門家委員に推薦された長崎の被爆者が落選していたことが23日、国連関係者への取材で分かった。核廃棄や被害者支援など「核なき世界」実現の方策を締約国に助言する「要」の機関。核実験の影響に苦しむカザフスタンが推したが、条約に否定的で非加盟の日本政府の支援は得られず、外交筋は落選への影響を指摘した。」
・NHK長崎放送局 WEB特集 原爆
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s39k · 9 months
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上大岡総鎮守 鹿嶋神社 例大祭
■令和5年8月26日 (土) 宵宮
◆各町内で、縁日やゲーム
(場所は異なります。 各町内会にお問い合わせください)
■令和5年8月27日 (日) 例大祭
◆境内にて、 お神楽&お囃子の演奏
10時頃から19時頃迄「里神楽 橘樹会」「里神楽 加藤社中」
昔懐かしい、本格的なお囃子とお神楽!!
ほかでは見られません!聴けません!
巫女の舞、浦島太郎、天の岩戸など、演目多数!
(プログラムは、 回覧板をご覧ください)
◆御輿・子供御輿・山車の渡御など (町内)
鹿嶋神社宮入(到着) 予想時刻 (交通状況で前後します)
●10時30分前後 : 第二町内会 子ども神輿
●14時15分前後 : 第三町内会 子ども神輿
●15時50分前後 : 武輿会 大神輿 (神輿会)
(神輿の参加など詳細は、各町内会にお問い合わせ下さい)
■上大岡総鎮守 鹿嶋神社 総代世話人会
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町内掲示板より 2023-07-31
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■近隣の ⛩️天照大神 令和5年例大祭
9/2(土)-9/3(日) のお知らせ テキスト化
《 ⛩️ 天照大神 境内の掲示物より 》 
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鹿嶋神社 例大祭 スケジュール - テキスト化
令和五年八月二十七日(日)
神楽奉納 出演/「里神楽 橘樹会」「里神楽 加藤社中」
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■十時
●巫女舞 横浜市に伝わる巫女舞は扇子の舞、榊の舞、弓矢の舞があります。 今回は扇子の舞を小学生の女の子二人で奉納します。お楽しみに。 ●獅子舞 横浜市に伝わる獅子舞は、お正月などに玄関先で立ったままでも踊れるようのが特徴です。 上大岡でも昔は盛んに行われていました。 ●祭り囃子 締め太鼓二丁に長胴太鼓、鉦に笛が入った五人編成で演奏します。大太鼓は上大岡から伝わった打ち方を継承しています。
■十時三十分前後 【子ども神輿】
●鹿嶋神社に宮入 第二町内会子ども神輿
■十一時
●天降降臨 天孫とは「天」天照大神の「孫」の瓊瓊杵尊が、天照大神から授かった三種の神器を携え、天児屋命や天鈿女尊を連れて、降臨された話です。道案内の神様 「猿田彦(天狗)」と「肝潰し」のチャンバラや天鈿女尊との連舞が見どころです。
◆天照大神(あまてらす おおみかみ) ◆瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) ◆天児屋命(あめのこやねのみこと) ◆天鈿女尊 (あめのうずめのみこと) ◆猿田彦 (さるたひこ)
■十三時
●黄泉醜女 伊弉冉を黄泉の国まで迎えにきた伊弉諾は既に腐りかけている伊弉冉を見てびっくりして逃げ出します。姿を見られ激怒した伊弉冉が鬼になって追いかけて戦いになります。般若の姿をした伊弉冉と桃のせいの立ち回りが見どころです。
◆伊弉冉 (いざなみ) ◆伊弉諾 (いざなぎ) ◆黄泉醜女 (よもつしこめ)
■十四時十五分前後 【子ども神輿】
●鹿嶋神社に宮入 第三町内会 子ども神輿
■十五時
●浦島太郎 津波で流された我が子は死んだのではない、今頃竜宮城で乙姫様と楽しい時間を過ごしていると言い聞かせた親心。関東大震災から百年、東北の震災から十二年。小学生の子ども達による御伽神楽、お馴染みの浦島太郎のお話です。
■十五時五十分前後 【大人神輿】
●武輿会 大神輿 (神輿会) 鳥居付近まで
■十六時半
●敬神愛国 恵比寿様の家に大黒様が家来の祈祷師を連れてやってきます。恵比寿様は酒や鯛を釣り歓迎すると、大黒様は祈祷師に祈念をさせ、自らも喜びの舞を舞います。恵比寿様の家来と祈祷師による滑稽な舞と大黒様からの福銭撒きが見どころです。
■十八時
●天の岩戸 天照大神が岩戸に隠れて世界が真っ暗になってしまい、思金神は八百万の神を集めます。天鈿女尊が舞おどり、手力男が岩を開けると、再び世界が明るくなります。アフターコロナ、益々 鹿嶋神社のお祭りが華やかになる事を祈念して。 ◆手力男 (たじからお)
●終い天狗 お祭りの最後は山の神さま(天狗)が締め括ります。神楽殿を清め払い、 総代さんと一緒にお菓子を撒きます。是非お集まりください。
■天候や道路状況などの影響で、時間が変更になる場合がございます事をご了承ください
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ari0921 · 6 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)10月28日(土曜日)
   通巻第7978号  <臨時増刊>
 李克強前首相は知日派だったか? 
  安倍晋三を理解した一方で、小沢一朗宅にホームスティ
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 急死した李克強は心臓発作と言われるが、夏に敦煌を見学した写真をみると、健康そうで顔色も良い。台湾ではいちはやく暗殺説が行き交った。
 ホテルのプールで斃れたなどと報道されているが、ホテルも入院した上海の病院も厳戒態勢で、立ち入り禁止となった。
 李は安徽省合肥生まれで、戸籍上は胡錦濤と同じ、改革思想も同じ。経済学にあかるく中国経済の本質を知っていた逸話がある。
河南省書記時代に米国大使と会見し「中国の統計数字を信用しているのですか。われわれも信じていないのに?」。
「では何を指標としているのか」との米大使の問いかけに応じて、「電力消費量と貨物輸送量だ」とごまかせない数字を示したという。
 李克強は1985年に外務省の招待で中国青年団の副団長として初来日。新橋の中華レストランでの歓迎会に出席、この時は池田大作を訪問している。1992年には岩手県の小沢一郎邸宅にホームスティの経験がある。
 政治履歴は97年に中央委員、2002年に河南省書記、07年に二段飛びで政治局常務委員にジャンプし、将来の希望の星と言われた。
 胡錦濤政権の重鎮として八面六臂の活躍をしたが、胡錦濤政権の十年は江沢民院政であり、土壇場で江沢民は改革派を嫌い、習近平を指名した。
 2018年に日中友好40周年で来日し、安倍晋三と懇談、またトヨタを見学している。だが、かれは果たして知日派であったか。
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medickalmalpractice · 9 months
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
 新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。  『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。  『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。  同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。  (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。  (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。  宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。  騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。  こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。  (10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。  私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。  (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。  (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。  武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本居宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。  「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。  (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。  こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。  世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現した精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。  (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。  (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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 4月から新学期が始まり6月に中間テストがあり「現代社会」89点「コミュニケーション英語Ⅱ」85点、あまり良い点は取れませんでしたが期末はもっと頑張ります。それと簿記3級の試験もありまだ合格はわかりませんがそのまま2級の勉強始めました。出所までに2級合格頑張ります。
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