『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
以下、所収論文についての読書メモ。
江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。
とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。
学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味ですべてここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。
すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。
第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。
アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。
たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。
ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。
横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。
著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。
ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。
谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。
ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。
第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。
たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。
木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教から見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。
著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。
池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。
古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。
私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。
近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。
第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。
蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。
一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
明治期の催眠術ブームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。
魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話で��ね。
宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。
日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。
今井信治「「魔法少女」の願い」
1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。
東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。
堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析��ることを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。
「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。
すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。
奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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"岸田文雄首相は16日に会見をおこない、防衛力強化のため毎年1兆円強を増税によって確保すると説明。「わが国の安保政策の大きな転換点にあたって、われわれが未来の世代に責任を果たすために、国民のみなさまのご協力をあらためてお願い申し上げます」と語り、理解を求めた。
だが、こうして国民に負担を強いる一方、政府による海外への支援は惜しみなくおこなわれている。
岸田首相は、11月にカンボジア・プノンペンで開かれたASEAN(東南アジア諸国連合)の首脳会議に出席。コロナ禍後のASEAN各国の経済回復のため、総額2950億円の財政支援を表明している。
12月3日、岸田首相はモルドバのサンドゥ大統領と20分ほど会談。隣国のウクライナから多数の避難民を受け入れているとして、2700万ドル(約37億円)の支援をおこなうと発表。
12月13日には、岸田首相がG7のオンラインによる首脳会議に出席。ロシアからの侵攻が続くウクライナに対し、越冬の協力として250万ドル(約3億4000万円)の支援を表明。発電機やソーラー・ランタンを提供するとし、「ウクライナや周辺国に対し5億ドルの支援を決定した」と説明した。
12月15日には、西村明宏環境相が、カナダで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で、途上国の生物多様性保全を支援するため1170億円を拠出すると表明。
日本はこれ以外にも、「地球環境ファシリティ」(環境問題解決の国際プロジェクト)に2022年から2026年にかけて6億3800万ドル(約870億円)、「生物多様性日本基金」に1700万ドル(約23億円)などの支援をおこなっている。
日本が2021年におこなったODA(途上国のための政府開発援助)は162億ドル(約2兆2000億円)で、過去最高額となった。"
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ウクライナ関係のエントリのまとめと私見のまとめ
今までに投稿したウクライナ関係のエントリをまとめておく。
ウクライナ侵攻について
「プーチンは狂人でもナショナリストでもない」 佐藤優が読み解く「暴君」の“本当の狙い”
ウクライナ侵攻について2
プーチンのウクライナ侵攻、実は25年前から「予言」されていた…!
「キエフ制圧」でもロシアの泥沼は続く、アフガン、チェンチェンの二の舞いに
ウクライナ侵攻について
対露戦略と対中戦略の齟齬
ウクライナの半導体製造用ガス2社が生産停止、世界供給の約半分カバー | REUTERS
ロシア・ウクライナ戦争の和平を実現するために「最も重要なモノ」
ウクライナ戦争は世界の経済覇権をどう変えるか
ウクライナ戦争の影で中国が手に入れる「利権」
ウクライナ侵攻、膠着の原因と今後の展開
ウラジーミル・プーチン
ウクライナの英雄に? 無人機「バイラクタルTB2」大活躍 “バイラクタルの歌”が愛国歌に
停戦の条件はどのあたりか
ロシア軍、キエフ周辺から2割近くを再配置 米分析: 日本経済新聞
ウクライナ情勢2022/04/01
ウクライナ戦争「アメリカが原因作った説」の真相 | ウクライナ侵攻、危機の本質
ウクライナ戦争「数年単位」 東欧での基地拡大を提案―米軍トップ
長引く戦火が世界の人々の生活に与えうる悪影響 | ウクライナ侵攻、危機の本質
プーチンの意図する「非ナチ化」とは
「プーチンは何も諦めていない」佐藤優が明かす「ロシアが狙うウクライナの急所」
[書評]現代ロシアの軍事戦略 小泉悠
ウクライナ侵攻状況2022/05/19
エマニュエル・トッド氏「第3次世界大戦が始まった」
エマニュエル・トッド氏「日本はウクライナ戦争から抜け出せ」
以下は自分の私見のまとめである。
今回のウクライナ侵攻に際して日本はロシア叩き一辺倒である。形式的にも実質的にも侵略戦争であり、ロシアを非難するのは当然である。しかしだからといって、ウクライナが絶対正義であるとか、ウクライナが単純な被害者だとかいう見方は正しくないし、ウクライナを後方から指示するNATOが正義というわけでもない。国際外交や歴史は複雑なものだ。いい大人がそういうことをわかっていないということは残念な話である。
そもそもウクライナ侵攻の火種はNATOの拡大にはじまる。冷戦終結期、ソ連のゴルバチョフは「NATOがドイツよりも東に拡大しないのならば」という条件で東西ドイツの統一に同意した。当時のNATO事務総長も、米国務長官も、独首相も類似の発言をしている。しかしこれは正式な条約ではなく、結局NATOはドイツより東に拡大しつづけることになる。かつてソビエト連邦に属していたバルト三国、東欧4カ国、バルカン諸国が次々にNATOに加盟していくわけだが、これに対しソ連崩壊後のロシアは安全保障上の危惧を抱いた。
そもそもNATOは強大なソ連軍に対抗するための軍事同盟である。したがってソ連が崩壊したならば理論的にはNATOは不要になる。しかし、実際にはNATOは存続した。理由はいくつか考えられる。NATOには他にも目的があった。ドイツの軍事力を抑え込むこと。アメリカが欧州をコントロールする手段を確保すること。また単純に、これほど大規模な同盟を作ってしまうと、解体するのにもかえって混乱を招くからあえて解体しないという消極的な理由もあっただろう。
しかし、これほど大規模な軍事同盟は多額の予算を食う。そんな同盟を維持するには何らかの目標、平たく言えば仮想敵が必要だ。そしてソ連なきあとNATOの仮想敵国になりうるのはロシアしかいない。したがってソ連崩壊後のNATOはロシアを仮想敵とした。のみならず、NATOは旧ソ連諸国を次々に加盟させて東方拡大していった。
NATOとしては、必ずしも積極的に東方拡大するという意図はなかったかもしれない。むしろバルト三国、東欧4カ国、バルカン諸国のほうが、ソ連から離れて軍事同盟を失っていたから、安全な庇護者としてNATOへの加盟を熱望していたという要素はあっただろう。しかもこれらの国々は、NATOに入ることでEU加盟、ひいては経済支援も期待できるのだから、当然といえば当然である。一方のNATOとしては単にオープンドアポリシーに則って彼らを受け入れただけなのかもしれない。90年代~ゼロ年代初頭には、NATOを構成する欧米諸国もロシアのことをさほど脅威とは認識していなかったようなフシもある。実際のところはNATOも一枚岩ではないはずで、その思惑は様々であっただろう。
ロシアは広大な国土を持つが、多くの国と陸続きである。したがって防衛するのがけっこう難しい。歴史的にもナポレオンやヒトラーに攻め込まれた経験を持つ。このため、ロシアは伝統的に戦略縦深を確保することを基本姿勢としてきた。具体的には、モ��クワと他国との距離を確保し、一度攻め込まれても追い返せるだけの緩衝地域を設けることが必須条件であった。ソ連時代にはバルト三国、東欧、バルカン諸国が緩衝地域としての役割を担っていた。ところがこれらの国々がNATOに鞍替えしてしまうと、緩衝地域が敵の攻撃拠点となってしまう。モスクワを守る装甲が、モスクワを攻める銃に変わってしまったわけである。
したがってNATOの東方拡大は、ロシア側から見ればロシアへの敵対行動にしか見えなかった。だからロシアはNATO拡大に対して苦情を言い続けてきた。グルジア(のちジョージア)がNATO加盟を希望した際には、ロシアがグルジアを徹底的に叩き、同国のNATO加盟は棚上げとなっている。これはNATOへの警告でもあった。しかし、欧米はロシアの警告を無視し続けた。
最後に残ったロシアの緩衝地域が、ベラルーシとウクライナである。ロシアはベラルーシとの関係を強化することに成功したが、ウクライナはうまくいかなかった。ウクライナはもともと権威主義的な親露派政権だったが、欧米がウクライナにコナをかけ(ゼロ年代末以降、米独の政治家が何度もウクライナを訪れていた)、2014年のウクライナ危機が発生する。
ウクライナ危機では、ウクライナの親露派政権に対して、親欧米派が反政府デモを組織し、大統領が亡命するという事態になった。新たに大統領を選出したウクライナは、EUやNATOへの加盟を志向する。ウクライナがNATOに加盟するとなれば、ロシアに喧嘩を売るようなものだ。そのことはウクライナ側もわかっていただろう。
しかし、ウクライナは親欧米派一色に染まったわけではない。このときクリミア編入とドンバス戦争が発生する。
クリミア半島は帝政ロシア時代からロシア黒海艦隊があり、ソ連時代もソ連の軍港があったし、ソ連崩壊後もロシア海軍の軍港として機能していた。ロシアとしてはクリミア半島を失えば貴重な不凍港を失うことになるため、秘密裏に特殊部隊を送り込んで軍事拠点を制圧、クリミア半島の海軍司令官がすぐ投降してしまい、のちにロシア海軍にスライドする。さらにロシアはクリミア議会を掌握して独立宣言させたのち、ロシアへの編入を問う住民投票を実施させた。その結果、クリミアはほぼ無血でロシアに編入されてしまった。この編入は西側諸国からの非難を浴びたのだが、もともとクリミア半島はロシアの軍港として長らく機能してきたことから、ロシアへの編入に反対する住民は少なかったようである。要するにロシアの情報操作や工作がなくとも、当の住民が編入を歓迎していたわけだ。西側としては国際法の建前上、承認できないと言い続けるしかないのだが、住民の大半が歓迎している以上、現実問題としてはどうしようもないというのが実情である。
かたやドンバス戦争は複雑な経過を辿った。ウクライナ東部のドンバス地方はロシア語話者が多く、政治的にも親ロシア的な住民が多い。親欧米派政権に反発した東部の親露派住民は、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国を名乗り、政府軍との内戦に発展する。背後ではロシアが兵器供与を行ったり、特殊部隊による訓練を行っていたが、戦争の主体はあくまでウクライナ東部の親露派が主体であった。つまりドンバス戦争は、ウクライナ国内の内戦であったということになる。
ドンバス地方がクリミア半島と違ったのは、ロシア語話者の割合がクリミアほど圧倒的ではなかったこと、ロシアがドンバス地方の編入を望まなかったことである。最終的にはロシアとフランスが停戦を仲介し、ドネツクとルガンスクを自治共和国とするミンスク合意が締結された。ロシアとしては、両共和国が「ウクライナ国内の自治共和国」という扱いになれば、ウクライナのNATO加盟に反対してくれるので、ロシアの安全保障上のメリットが大きい。ドンバス地方の親露派としては、自分たちの政治的立場が認められる。一方で親欧米派政権は、停戦のため一度はミンスク合意を受け入れたものの、外交上の自由度を制約されることになることを嫌って履行を先送りしていた。親露派とロシアはこれに不満を蓄積させ、結局ミンスク合意は履行されないまま大統領選を迎える。
新たに大統領に選出されたゼレンスキーは、ウクライナの大学で法学を専攻しながらコメディアンになり、テレビで政治ドラマを作って人気を博したという異色の政治家である。それが前の親欧米派政権を徹底的にこき下ろして大統領になったわけで、わりと典型的なポピュリズム的な政治家と言えるだろう。ゼレンスキーは当初はロシアとの対話を意図したようだが、ロシアは再交渉ではなくミンスク合意の履行を迫ったため、ゼレンスキーも強硬路線に切り替えることになった。
そして2022年、ロシア軍のウクライナ侵攻を迎えることになる。
ロシア軍は当初、速攻でドンバス地方とキエフの制圧を狙ったが、ウクライナの防空網を潰しそこねたことで制空権を取れなかった。さらにウクライナの穀倉地帯が雪解けで泥濘化し、さらにウクライナの橋落とし等で移動ルートを制限されたロシア陸軍は、ウクライナの無人攻撃機による爆撃、さらにラジコン式マルチコプターを活用した誘導兵器、欧米から供与された携行対戦車ミサイルにより足止めされ、キエフ攻略を断念する。逆にロシア語話者の多いドンバス地方はほぼロシアが制圧し、ロシア軍はドンバス地方・クリミア半島を拠点として黒海沿岸を奪取する方針に切り替えている。ロシアが黒海沿岸の占領に成功すれば、ウクライナは海軍の拠点と貿易拠点を失うこととなり、穀物の輸出が難しくなる。ウクライナは世界の胃袋を支える穀倉地帯であり、そもそも今年の作付けが怪しくなっているところだから、世界の食糧事情も大きな影響を受けるだろう。
日本を含めた西側諸国は、経済制裁を発動しているものの、欧州がロシア産天然ガスに依存しているために部分的な制裁にとどまっており、ロシア経済はさほど影響を受けていない。かといって軍事介入ができるかというと、ロシアは核保有国であり、核抑止論の観点で言えば「核保有国同士は戦争ができない」ので、NATOは軍事介入することができないし、今からウクライナをNATOに加盟させることは不可能である。ことここに至って、NATOは身動きできない。
以上を振り返ってみれば、問題は以下の2点に集約できるであろう。
①NATOが東方拡大し、ロシアが脅威を感じたこと
②ウクライナが国内問題を解決できなかったこと
①についてはすでに述べたとおりであるが、②については捕捉しておこう。ウクライナはエマニュエル・トッドが「問題は英国ではない、EUなのだ」(文春新書)で指摘したように、「ウクライナは、国民国家として半ば崩壊している社会」であった。要するに、親欧米派が反政府デモで政権を奪取したとはいえ、国内にロシア語話者の親ロシア派住民が生活していることは確かで、正反対の意見を持つ人々が同じ国で生活しているのだ。両者が何らかの合意をするしかなかったのは確かで、ミンスク合意は妥当な落とし所であったのだが、そこで妥協できなかった。
とはいえ、今回の戦争は形式的にも実質的にもロシアによる侵略である。したがってNATOもウクライナも、ロシアの行動を認めることはできない。しかしウクライナは戦争が長引くほど自国の農業、工業、経済が疲弊していく。一方、ロシア軍はグダグダっぷりをさんざん晒されているが、それなりの戦果を上げているし、経済制裁もろくに効かないから、ロシアが兵を引くとは思えない。時間はロシアに味方するから、停戦協議に応じる可能性は低い。そうなると今後の予想としては、この戦争は停戦もない恒久戦争になり、ウクライナはじわじわと締め上げられていくだろう。予想できないのは、ウクライナの重要拠点であるオデーサ(オデッサ)がどうなるかだ。オデーサが維持できればウクライナは戦えるが、陥落すれば戦争の継続が困難になるだろう。いずれにせよウクライナ有利で終わるということは考えにくい。ウクライナが有利になるためには、たとえばプーチンが急死するようなイレギュラーな事態が起きるくらいのことが必要である。
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話す──イスラエル・パレスチナ「敵」との対話
互いのナラティブを語り合う場を提供する非営利法人の取り組みも近年、広がりを見せている。先駆けとなったのは1994年に米カリフォルニア州で創設された「デジタル・ストーリーテリング・センター」(「ストーリー・センター」に改称)(STORYCENTER. n.d.)だ。「誰にでも語るべき物語がある」という視点から、「深く聴く、物語る」をモットーに少数派のエンパワメントなどを目指す(北出 ct al., 2021.p.128)。アイルランドで誕生し、全世界に広がる「Narrative4」も教育者や学生らがナラティブ交換をするためのノウハウを提供している(Narrative4. n.d.)。「ストーリー・テリングは究極の民主主義」と提唱するこの組織は、国境や境界、性別や民族、貧富の差を超えた語りの交換を目指す。その合い言葉は「今日のストーリーをシェアすれば、明日のストーリーを変えられる」だ。
2000年にデンマークの若者らが立ち上げた「ヒューマンライブラリー」は語り手を「本」、聞き手を「読者」と呼び、欧米諸国を中心に広がった。性的マイノリティや難民など主に少数派の人々が自らを「本」としてオルタナティブなナラティブを語る。「日本ヒューマンライブラリー学会」のホームページにはこのほか日本各地の大学や教育機関、市民団体やどでの同様の取り組みが紹介されている(北出 et al., 2021.p.144; 日本ヒューマンライブラリー学会. n.d.)。
イスラエルとパレスチナ間の紛争は75年間も続くが、1995年に創設された非政府組織(NGO)「和平へのイスラエル・パレスチナ遺族の会」(The Parents Cirele-Pamilies Forum = PCFF)は、互いのナラティブの交換を続けている(PCFF.n.d.)。
この会の代表メンバーたちは2003年6月に来日し、フォーラム「和平へ 憎しみを超えて」に参加した(朝日新聞社. 2003)。当時、現地は第2次インティファーダ(対イスラエル民衆蜂起)のまっただ中で、パレスチナのイスラム主義組織ハマスによる自爆テロやイスラエル軍による掃討作戦が続いていた。代表を務めるイツハ��・フランケンタールさん(51)は冒頭のあいさつで、組織を立ち上げた経緯をこう語った。
「あれは1994年7月7日のことでした。長男のアリクがハマスによって誘拐され、殺されました。息子を失ってからと、その前とでは、私の人生というのは、全く違ったものになりました。イスラエルとパレスチナとの和解・和平を達成するために自分ができるこ��はすべてやろうと決意しました。息子の死で7日間の喪に服しました。その時、訪ねてきた友人たちに私はこう言いました。パレスチナとの和平は絶対あるはずだ、と。友はこう言いました。パレスチナ人は人間ではない。敵だ。おまえの息子を殺したじゃないか、と。私は言い返しました。『我々とパレスチナの間に平和がないために息子は殺されたのだ。私はイスラエルとパレスチナの間に和解と平和を達成するために最善を尽くす』」
フランケンタールさんは図書館に通い、新聞情報などからイスラエル人の遺族422家族の名前や住所を調べ、手紙を書いた。44家族が彼の考えに賛同し、やがてその数は数百に膨らんだ。パレスチナ側にも数百人の遺族らを訪ね、活動の趣旨に賛同した210家族が参加した。2023年冬までに開かれた会合は500回以上を数える。
フォーラムのパレスチナ側代表はパレスチナ自治政府社会福祉省に勤務するリハブ・エサウィさんが務めた。イスラエル軍による攻撃で弟、婚約者、母、甥を失い、自身も4回投獄されて復讐を誓ったこともあった。だがその後、フランケンタールさんと出会った。
「彼らの活動を見て自分の居場所はここだ、自分も何か貢献できるのではないかと思いました。以来、和解と平和を目指して自分がすべてをなげうって会の活動を支えてきました。我々の力はささやかなものでしょうが、いつしかこの状況を変えられるかもしれません」
過去の「遺族の会」ではハプニングも起きた。
兵役を終えたある大学生が参加し、その場で告白した。「ガザ地区で任務に当たっていた時に、ひとりのパレスチナ人を殺してしまいました。4、5年前です。それ以来、眠れなくなりました。」するとパレスチナ人の母親が立ち上がり「この人殺し。私の息子を殺したんだろう」と叫んだ。フランケンタールさんは駆け寄り、「あなたの息子さんを殺した人を私がここに連れてくると思いますか」と語りかけた。互いのナラティブに耳を傾ける2日間のプログラムが終了すると、この母親は学生にこう話したという。「私は、あなたを私の息子にしたい」。フランケンタールさんはフォーラムで当時を振り返った。
「これなんです。我々がやっていることは。たやすいことではありません。実に難しい。それぞれが国を愛するがゆえにやっているのです。私は息子を失いましたが、恐怖感も、憎しみもなく、和解を実現したいだけです。双方のすべての人がそんな境地になれるはずだし、そうなってほしいのです」
フォーラムでは、防衛大学校教授(当時)の立山良司さんが基調講演者をした。立山さんは長年、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決にさまざまな場面で尽力してきた。フォーラムの開催から20年を経たいま、イスラエルではかつてないほと極右の政権が誕生し、和平への道はかたく閉ざされたままだ。それでも双方の遺族がナラティブ交換の場を持ち続ける意味はあるのだろうか。私の質問に立山さんは、「相手も普通の人間なのだということが分かる。それだけでも意義があると思います」と答えた。
市民と市民がひざを交えて語り合う。それはいわば、ボトムアップの和平への取り組みだが、国際社会では政治的な「トップダウン」の和平交渉にばかり重心が置かれやすい。
だがそれだけでは本当に持続可能な和平は実現しない。
1995年11月にイスラエルで起きた暗殺事件はそれを裏付けるものだった。パレスチナ国家樹立を目指す「オスロ合意」が締結された2年後、イスラエルのラビン首相がユダヤ教過激派の青年に暗殺された。当時のイスラエル国内には、「パレスチナ国家の建設なんでとんでもない」といった反感や憎悪が漂っていた。
事件を機に和平への機運は一気にしぼみ、四半世紀以上経った今も回復していない。ボトムアップのアプローチを軽視したトップダウンの1本打法では、和平は1ミリたりとも前進しないのではないか。私の問いに、立山さんはこう語った。
「ハマスのナラティブにしろ、ユダヤ教過激派のナラティブにしろ、相手を悪魔化するというか、そういう扇動、洗脳といったものが、互いに相手を知らないと、市民の間で受け入れられたり拡大したりしてしまう。そういう言説、ナラティブは政治的な和平の進歩があってもそれを内側から掘り崩してしまう。ラビン首相を暗殺したのは非常に過激な宗教的なナラティブだった。ああいう過激なナラティブを生まない、生まれても社会がある程度コントロール下に置けるような状況ができていないと和平交渉は進まない。相手の考えることが分かるようになっていれば、和解はより可能になる」
東京学芸大学名誉教授の野口裕二さんは「対立」とナラティブの関係性についてこう述べている(野口. 2009b.p.275)。
「われわれは、『対立』や『問題』に出会うとどうしたら『解決』できるかをすぐに考えてしまう。そして、そのためには、問題の構造と原因を客観的に分析することが何よりも重要と考え、事態を『三人称の主語』で記述しようとする。このとき、『一人称の主語』の物語は周辺へと追いやられ、語られないままに終わるか、語られても聴かれないままに終わる。しかし、『対立』や『問題』は客観的な原因だけでできあがっているわけではない。そこにはさまざまな『物語』が絡まりあっている。したがって、われわれはまず、それぞれの『物語』を互いに『理解』しあうことから始める必要がある。ひとつの『正解』を発見することを目標にするのではなく、差異や多様性を『理解』すること、そこから『和解の物語』や『希望の物語』へとつながる道が見えてくる」
『人を動かすナラティブ──なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』 大治朋子 著 毎日新聞出版 2023年6月30日発行
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まず、この問題について多くの人が誤解しているのは、クルド人問題は他の外国人の場合とかなり違う事情があるということなんですね。
いわゆる正規の「在留資格」を持った人ではない人がかなり含まれていて、実態としての人数も把握しきれていない。
ちょっとあえて批判的な言い方をすると、査証免除措置(トルコ国籍者は観光ビザも不要)で来日したあと、そのまま勝手に居着いてしまって既成事実化し、「難民申請」をすることで「申請中」の宙ぶらりんの状態で長期間滞在して子供も産んで…という形になっているクルド人が多いってことなんですね。
そのあたり、川口市の他のメジャーな外国人集団である中国・韓国・ベトナムの人々とはかなり違う状況なんですよ。
ここはきっちり摘発をして欲しい。ルール違反は強制送還だよ。
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ウクライナのレジスタンス、露方攻撃、英マスコミ人被害か?西側メディア!ハルキウ!
よって今年の本ブログの一文字は、生。もしくは死。
ついでに本ブログが選ぶ話題。
(あ)イスラエルvsハマス。開始。
(か)CCP体制で独裁色、強化。日本の当然たる領有の、沖縄県石垣市尖閣諸島周辺に迫るCCP。
(さ)ウクライナのレジスタンス。子供病院や、産院への攻撃も?
(た)台湾(独立国)。総統選へ。CCP圧力高める。殲(殺し尽くす)なる名称の戦闘機、CCP投入続く。
(な)気候変動。人類生存に関わる大問題やろね。
(は)日本において、広域強盗拡大。もはや安全神話なくなる?高齢女性死者も?
(ま)世界的トレンド。どーなる難民?
(や)ハイチで、ギャング抗争。マフィア。
(ら)米で著名人、開明人の死去相次ぐ。米カーター元大統領夫人、女性最初連邦最高裁判事、、、
(わ)潮位変動か、なかなかはっきりせいへん地球物理学的現象相次ぐ。
(ん)アイルランドで火山噴火も。
★紅海ってなんだあっけ?なんだあっけ?
★★番外編、"北"暴走止まらない。また、へんてこなの企画か?
★★★韓も暴走か?発覚せり。日本の当然領有たる島根県竹島(韓不法占拠中)。先の大戦。いわゆる戦後補償。供託なる法概念悪用か?
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満天の朝焼け (2)
彼は男の相談をされると思っていなかったので少々面食らったが、それだけ自分のことを信頼してくれているということだろうと思い、少し誇らしくなった。思えば在学時代から大学という場所は人間関係の治外法権のような部分があって、個人的に所属したうえで活動する部活やサークルはその坩堝のようなものだった。それゆえの問題も多くあるのだろうが、個人的には好きな環境であった。
「分かりました。その交際相手のことを教えてください」
数分後、早くも連絡が来た。マメなのだ。
「ありがとうございます。しかし、現在の状態を説明するのは難しく、大変厄介なので、明日にでもまとまった内容のメールをお送りすることになると思います。それでよろしいでしょうか。ひょっとしたら、明後日になるかもしれません」
「はい、それでいいですよ」
真司は返信を行った。思ったよりハードな展開になったなと思いつつもまぁ、いいかと少しのんきだった。
彼は弁当を買ってきてからテレビのバラエティーを眺めながら食べ、翻訳の仕事に取りかかった。真司は明治学院大学の文学部英文学科イギリス文学コースを履修卒業しており、英語の発話スキルはネイティブの高校生に及ぶほどであり、西洋文学への理解は専門家レベルに達しているだろう。
彼が翻訳を担当するのは都内ある映像制作会社が配給を請け負う最新の映画やドラマであり、主にアメリカ合衆国が製作しているものである。最新のコンテンツに触れたうえで金が得られるというのはおいしい職業だと感じていたし、彼はもともと国内外の映像作品を好んでよく見ていたのだ。さらに自己表現の機会をも得られることはありがたかった。彼は文学は作家性に他ならないという理念を持って大学で文学を学ぶことにしたのである。ただし、雇用形態は派遣社員であり(所属先が映像制作会社ではなく人材派遣会社)、ウーバーの配達員という現在の仕事含め、いささかだらしのない風じんに思われてもしかたないであろう。
ウーバーの配達業務が終わり、千代田区神田のマンション、ガーラ・グランド神田に帰ってきたのは午後五時半ほどだった。家賃は十三万円でトイレと風呂が別で、それからキッチンが玄関に鎌の柄のように手前に配置されており、とスタジオと呼ばれる縦に長い十畳のリビングダイニングがあり、そこにベッド、ソファー、テレビ、書棚といった諸々の家具、家電を置き生活している。立地と周辺住民の生活レベルから考えると非常にに安いマンションであるといえるだろう。それに彼は読書量が尋常ならざるほど多い。特に海外文学や洋書が多く蔵書として保管されていることが、やや、悩みの種だ。貸し倉庫が必要かもしれない。
先ほど来ていることを確認したメールを開く。
「2023年2月14日16時32分 件名:昨日の件です。
彼氏からのハラスメントに悩んでいます。彼とは一年前から交際していますが、たびたびの性差別と手のひらであたまをはたくといった勢い任せの行動が常態化しています。更に嫉妬深く男性と会ったと分かれば、その人との関係を事細かにに詮索してきます。友達に相談しましたが、自分で何とかするしかない。それか別れればいいのでは、と問うてきます。そういうのがうんざりで、あまり親交の深くない真司さんに相談した次第です。どんな簡単なアドバイスでも頂ければ幸いです」
真司はやや思案した。これはたしかに厄介な問題を打ち明けているようではあるものの、あまりにも陳腐な内容でありそれほど差し迫った案件でもないと感じた。これはオードリー・ヘップバーンであり、フィフティーズ調のわざとらしさなのだ。やはり知り合いがスパムメッセ―ジを送ってきているのだろうか、と思った。しかし重要なのはそのようなスパムメッセージを送ってくる人物の頭の中身だろう、ということになる。なので大丈夫だ。彼はそこまで考えた。
以前から知っていた問い合わせ先を紹介することにする。
「例えば僕が住む千代田区ならば、人権擁護委員が設置されているので、そのような行政サービスに頼むのも手だと思います。あるいは親御さんに相談するなりしてみてはどうでしょうか。お住まいはどちらですか
(URL)」
数分後返信が来た。
「現在、実家のある葛飾区で両親と祖母の四人暮らしです。なるほど、ご返信の件、考慮に入れさせていただきます。わざわざありがとうございます。なお、このことはくれぐれも内密にして頂きたいです。よろしいでしょうか」
真司は返信した。
「はい、他言しません」
彼は昨日と同じく、翻訳作業に取り掛かる。アメリカ合衆国のテレビドラマの翻訳である。締め切りが一か月後で、すでに半分ほど終わっているので、余裕で間に合うだろう。
渋谷駅の改札をくぐると、人がごった返している。これは多くの国民が知ることだが、実際にその場に居合わせると、ここには不思議な秩序があると思わさせられることになる。それはたしかに不思議さなのだ。すなわちここにある喧騒の性質が、である。駅前の大型ビジョンや大量の照明で照らされた広告群を見ていると「ブレードランナー」のような近未来的表現が思い浮かぶが、それはまんざら連想止まりではなく、実際にそのような都市開発がなされているのだ。いわばそれがこの自治体のスタミナであり、よもすればこの国のスタミナでもある。政権与党の一部の者が采配すれば、街の風景を変容させることなどたやすい。あるいは特定個人の人格でさえも。法的規制と予算配分業務の力は未来を切り開く。実際のところ、少なくとも真司が務める某映像制作会社はそのような荒唐無稽とも思えるイノベーション指向と、軽薄さで運営されているのだ。実際にこの街は前世紀九十年代に、エポックな発展と影響力を成し遂げ、かつ実現した。今でも国民はその恩恵を受けている。これがこの渋谷という街の理論的な実情である。「チルドレンオブメン」ならぬ「チルドレンオブエルディーピー」かな。
すでに日も暮れており、夕食も済ませた。目当てのクラブイベントは十時に開場開演なので、109横のハンバーガーチェーンロッテアリに入る。ここで一時間ぐらい潰そうか。
彼は渋谷のクラブ後方に敷き詰められるように設置された茶色のソファーに腰掛けながら、先ほどからDJブースとテーブルのそばに立ちながら、酒もしくはドリンクを少しずつ、しかし軽快に飲む女を眺めていた。DJは曲を流し続けており、表情は見えないが、まんざらでもないといったところだ。さながら公民館の出し物である。
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我が国の未来を見通す(80)
『強靭な国家』を造る(17)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その7)
宗像久男(元陸将)
──────────────────────
□はじめに
本メルマガは当初の予定をはるかにオーバーし、8
0回まで来てしまいました。浅学菲才の恥をしのん
で、知見も経験もない様々な分野に首を突っ込み、
それぞれ表面的ではありますが、知り得る限りの知
識で書きなぐっていました。そうしているうちに、
(前にも紹介しましたように)「その道の専門家の
限界」のような、新たな問題意識を持つに至り、
「では、どうするべきか?」が再び首をもたげ、悩
むことになりました。その結果、最近のメルマガの
ように、「国力」の観点から再整理することしまし
たところ、これはこれで面白くなってきました。
今回は「軍事力」を取り上げます。世界的な呼称は、
「軍事力」ですが、事柄の性格上、我が国の「軍事
力」を語る場合は「防衛力」と置き換えます。
私は、37年間、陸上自衛隊で勤務し、各級指揮官
はもちろん、陸上幕僚監部の幕僚として防衛力整備
を主に担当してきましたので、「防衛力」について
詳しく語り出すと、書籍1冊では足りないぐらい
“言いたいこと”がありますが、あえてテーマを世
間ではあまり語られていない、いわゆる「タブー」
とされている部分などに絞って、しかも要点のみを
紹介したいと思います。
我が国の「安全保障」とか「防衛」に関する最近の
話題についてもっと知りたい読者は、最近、元空将・
織田邦男氏が『空から提言する新しい日本の防衛』
を上梓しましたので、ぜひご一読いただきたいと思
います。織田氏は私と同期で、幕僚監部勤務にあっ
ては陸上、航空の違いありますが、いつも同じよう
な部署で勤務してきた経験があります。よって、
「ライバル」というより「戦友」であり、家族ぐる
みで親しく付き合ってきた仲でもあります。
『空から提言する新しい日本の防衛』
本書は、「将来の我が国の防衛のあり方」に対して、
元自衛官ならではの“切り口”から迫り、一般の軍
事専門家などが追随できない視点から貴重な一石を
投じているとの読後感を持ちます。なかでも、「我
が国の防衛」が抱えている課題、あるいは昨年末に
策定された「戦略3文書」の不十分なところの指摘
などについては私も全く同意です。
あえて違いがあるとすれば、陸上自衛官だった私は、
どうしても「国土」とか「国民」目線から防衛を考
える“癖”がついてしまっているせいか、「国防」
など頭の片隅にもない方々などにとってはどうして
も理解が難しくなってしまいます。その点、元航空
自衛官の織田氏の解説や提言は、難解な領域にはほ
とんど踏み込まないのですっきりしてわかりやすい
と思います。
さて、私の現在の最大の関心事は、「現実進行形の
ウクライナ戦争が国際社会の将来にどのようなイン
パクトを与えるか?」、そして、「そのインパクト
が、やがて“形を変えて”我が国の“眼前”に迫っ
てきて、我が国の平和や独立や国民の安寧な生活を
左右する可能性があるのかないのか?」にあります。
織田氏も再三、同趣旨の切り口で解説していますが、
“予想外のことが起こる可能性を表す”言葉の「ま
さか」や「もしかして」のうち、これまでは“予想
外のことが起こる可能性が低いと考えられる場合”
に使われる「まさか」の範疇として無視あるいは軽
視してきた事態が、“予想外のことが起こる可能性
があると考えられる場合”に使われる「もしかして」
の範疇に移動し、その実態の解明や未然防止の対策
までを含め、考え、検討し、具体化しなければなら
ない割合が増えているように気がするのです。
昨年の「戦略3文書」にあっても、これまでのこの
種計画の“歴史”を継承しつつ、どうしても踏み込
めない憲法上の制約や戦後の防衛政策の変更に対す
る批判への“予防線”を張っているのか、いくつか
の「もしかして」には自ら目をつぶり、「まさか」
の範疇で取り扱い、その上で無視あるいは軽視した
と考えざるを得ない論点がかなりあるとように思う
のです。
現役時代も、毎度ながらの“政治決定”に呆れ果て、
言いようもない“むなしさ”を味わったものでした
が、“我が国の特殊事情からやむを得ない”と自ら
納得させてきた側面があります。
繰り返しますが、“失うものがない”今、自らを納
得させてきた論点まで少し踏み込んで、その要点は
紹介しようと思います。実は、そう思い立って文献
を漁ると参考になる書籍もたくさんあることもわか
りました。ただ、表題からして大きなインパクトを
与えないと手に取ってもらえないからでしょうか、
このジャンルの書籍はタイトルからしておどろおど
ろしいような気もします。例えば、『自滅するアメ
リカ帝国』(伊藤貫著)、『腹黒い世界の常識』
(島田洋一著)、『国連の正体』(藤井厳喜著)な
どです。インターネットで発信しているものも数多
くありますが、共通しているのは著者の皆さんの
“強い危機意識”でしょうか。
なかには、『新しい日本人論』(加瀬英明、ケント
・ギルバード、石平共著)のように、日本人の根底
に流れている「性善説」が背景にあって、この「も
しかして」を考えることができなくっていると指摘
するものもあります。多くの日本人が宗教のように
ひたすら信じている、憲法前文にいう「平和を愛す
る諸国民の公正と信義に信頼して……」のくだりな
どを指すものと考えます。
さて、「もしかして」の領域が拡大したのは、我が
国の「安全保障」とか「防衛」に限ったことではな
いことも明白です。すでに本メルマガで再三触れて
きましたように、我が国の未来に立ちはだかるであ
ろう「暗雲」として、「もしかして」が様々な領域
に広がる可能性があると考えます。
本メルマガ発信の目的は、「我が国の未来について
様々な視点から見通し、“最悪の状態にならないよ
うに”早急に処置すべき具体的な対応策を明確にす
る」ことにありましたが、知れば知るほど“まだ道
半ば”との思いを強くしています。もう少し続けま
すので、しばらくお付き合い下さい。
▼「軍事力」の国際比較
さて、国際的な影響力という点でいえば、「軍事力」
こそが「国力」の“ど真ん中に位置づけられる”こ
とは明白です。しかも、その良し悪しは別として、
核戦力保有の有無は決定的です。
まず、これまで同様、「軍事力」の国際比較につい
てもチェックしておきましょう。発刊されたばかり
の今年の「防衛白書」は、冒頭、「戦後最大の試練
の時を迎える国際社会」から始まります。子細に読
むと、これまでの「“まさか”戦争なんて起こりっ
こない」を否定し、「“もしかしたら”我が国の周
辺でも起こり得る」ことを肯定しているのです。
白書は、「だから、未然防止のために反撃能力の強
化が必要」と言いたかったのでしょうが、白書の性
格上、それが限界なのかも知れません。そして、我
が国の陸海空防衛力については、「我が国の周辺に
は大規模な軍事力が集中している」ことを具体的な
数値で説明するために、世界の陸海空戦力それぞれ
のベスト10を紹介しています。しかし、白書らし
く、我が国の防衛力についてはそれぞれの兵力量の
みを掲載するにとどめています。ちなみに、実際に
ベスト10に入るのは海上自衛隊のみで、保有船舶
総トン数から第5位にランクされるはずです。
陸海空戦力を含む、軍事力を構成する様々な要素ま
で含め、通常兵器の世界軍事力ランキングは、「Gl
obal Firepower 2023」によれば、1位アメリカ、2
位ロシア、2位中国、4位インド、5位イギリス、
6位韓国、7位パキスタン、8位日本、9位フラン
ス、10位ドイツとなっています。
また「軍事予算」のランキングは、「ストックホル
ム国際平和研究所」(SIPRI)によれば、1位アメリ
カ(8010億ドル)、2位中国(推定2930億
ドル)、2位インド(766億ドル)、4位ロシア
(659億ドル)、5位イギリス(659億ドル)
と続き、日本は9位(517億ドル)になっていま
���。つまり、日本の防衛予算は、2021年時点で
米国の約6.5%、中国の約18%だったことがわ
かります。
前回上げたような各国の「購買力平価」を使用する
と、実際の軍事予算の様相は違ってくるものと考え
ます。また、年末の「戦略3文書」には「GDPの
1%から2%に引き上げる」旨が盛り込まれていま
すので、実現すれば数年後のランクは上がることも
予想されます。
現在、世界の核保有国は9カ国で、上記SIPRIの推計
による保有弾頭数は、1位米国(5244発)、2
位ロシア(5889発)、3位中国(410発)、
4位フランス(290発)と続き、9位には北朝鮮(3
0発)がランクされています。これらから軍事予算の
上位国はほとんど核保有国であることもわかります。
これらはあくまで静的な比較で、ウクライナ戦争に
より、ロシアや西側諸国の兵器の生産量や消耗量も
大幅な変動があったことでしょうから、最新のデー
タを比較すると、すでに変動している可能性もある
でしょう。
厳しくなりつつある周辺情勢や我が国の「国力」と
比較して、これらのランクや防衛力の量・質が現状
程度で適切か否かにについては各論あることでしょ
う。しかし、増強論に反対する側に立つ人たちの意
見の背景に、戦後の「平和ボケ」とか「平和の毒」
が今なお根強く定着しているとすれば、やはり「時
代は変わった」ことに気づく必要があると考えます。
目を開け、耳をふさがないで、しっかり見極めた上
で、自分たちの主張が正しいか否かを再考する時が
来ていると思うのです。
8月16日、有楽町駅前で、この暑さの中、背広を
着た日弁連の皆さんが「憲法違反の平和安全法制の
廃止を」との看板の前で街頭演説しているのを見か
けました。周りにはだれもいませんでしたが、“司
法試験に受かるくらい頭が良いのだから、法律以外
のことも少しは勉強すればよいものを”と思いつつ、
私も無視して通り過ぎました。ちなみに、「平和安
全法制」が制定されたのは9年前の2014年です。
「今頃、何を言っているのか」という点でも呆れま
した。
白書も言うように、“戦後最大の試練の時を迎えて
いる国際社会”を、我が国はけっして傍観できるわ
けがなく、予想される“戦場”が我が国近傍にある
ことを考えると、逆に“国際社会を戦略的にこの地
域に引きずり込めるか否か”に我が国の存亡がかか
っていると考える必要があります。そのために“何
をすべきか”については、ウクライナ戦争をみれば
明らかでしょう。多少苦しくても、「自助努力」す
るしかないのです。
▼我が国の「防衛力」の“急所”──核抑止
「戦略3文書」に書かれていない視点で、我が国の
「防衛力」の“急所”」と題して、いくつかの論点
の要点のみを紹介しましょう。“急所”ですから、
口に出すこともはばかれ、普段は隠れています。大
方の日本人のように、関心がない人には思いもよら
ないでしょう。されど“急所”なのです。ものすご
く大事なのです。
その筆頭は「核戦力」の取り扱いでしょう。織田氏
も「国家安全保障戦略」の中で、核抑止については
わずか1行しか触れず、米国に丸投げしていること
を「最大の欠陥」として問題視していますが、私も
全く同感です。
言うまでもなく、中国、ロシア、北朝鮮のような、
核・ミサイルを保有する権威主義国家に囲まれてい
る我が国が、「非核三原則」のような“現実離れ”
した政策を保持して「考えもしない」段階に留まっ
ている“危険性”について、安全保障や防衛を“���
剣に考えている人たち”は皆、多少の温度差はあっ
てもよく認識していると思います。しかし、その範
囲が“真剣に考えている人たち”に留まっているの
が問題なのです。
『自滅するアメリカ帝国』の著者・伊藤貫氏は、ア
メリカ在住が長いせいか、今どきの国際政治学者に
は珍しく、ハッとすることをスバっと指摘します。
一例を挙げれば、日本にもなじみが深い、アーミテ
ージ、ジョセフ・ナイ、それにライス元国務次官ら
が「日本の核武装をさせたくない」とする一心から
アメリカの「核の傘」の有効性を繰り返して主張し
てきた事実、しかし、昨今のアメリカの相対的な力
の衰退や国際環境の大きな変化もあって、キッシン
ジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリスト戦略
家たちは、「日本もアメリカに過剰依存しない自主
防衛に舵を切るべき」と提唱していることを紹介し
ています。当然、自主防衛には核戦力の保持も含ん
でいます。
私たちは、通常兵器の世界では「敵と我が拮抗した
戦力を保持しておれば戦争は発生しにくい」ことを
軍事常識として理解していますが、伊藤氏は2人の
有識者の分析を紹介して、これまでの常識をくつが
えしています。実に興味深いです。
まず、MITの軍事学者パリ─・ポーゼン氏の「他
国からの先制攻撃によって破壊されない核兵器を所
有している国は、世界覇権を握ろうとする超大国に
よる軍事的な恫喝と攻撃を拒否する能力を持ってい
る」、同じくMITの国際政治学者ハーヴェイ・サ
ポルスキー氏の「核武装国同士の戦争はリスクとコ
ストが高すぎる。したがって、核武装した諸国は、
お互いに核戦争を避けようとするだけではなく、通
常兵器による戦争まで避けようとする」との分析で
す。
つまり、核戦力保持の有効性は、たとえ彼我の格差
があっても、核戦争の抑止に留まらず、通常戦争の
抑止にもつながることを指摘しているのです。「核
抑止」と「核廃絶」の区別もつかない大方の政治家
・有識者・マスコミ人には“目から鱗”であろうと
思います。
だからこそ、湾岸戦争やイラク戦争から「イスラム
諸国が非核保有国だから、簡単にアメリカの攻撃を
受けた」との教訓を学んだ北朝鮮は、国民が明日の
食事さえ飢えているなかにあっても、莫大な経費を
費やして核実験やミサイル発射実験を繰り返し、有
効な核戦力の保持を企図しているのです(北朝鮮の
今年の餓死者は例年の3倍との報道がありましたが、
実態はかなりひどそうです)。
そして、中国は、日本を現状のような“与(くみ)
しやすい状態”に留めおくために、福島原発の処理
水について、自らがもっと濃い濃度の汚染水を垂れ
流している事実を知りつつ、“天つば”にもなりか
ねないリスクを冒しても、日本人が原発にも原爆に
も“眠ったまま”積極的な意思表示をしないように、
戦略的に反対論をぶち上げているのです。
さて、我が国の「核抑止」については大きな問題点
が2つあると考えます。まず、我が国のように「非
核3原則」を唱え、自らは核兵器を「持たず」「作
らず」「待ちこまず」としてすべてアメリカに“丸
投げ”している国が、ボーゼンやサポルスキーのよ
うな考えを適用しつつ、核抑止も、さらに通常戦力
の抑止も本当に可能なのか、という点です。
言葉を代えれば、アメリカの「核の傘」は未来永劫
に有効なのか、という点ですが、これについては、
次回、「日米同盟の有効性」に関連づけて詳しく触
れることにしますが、アメリカ政府の“一存”でそ
の有効性が突然、反故(ほご)になる可能性がある
ことは間違いないでしょう。
問題点の2番目は、中国や北朝鮮のような権威主義
国家に、アメリカのように「自国(民)の膨大な被
害回避を最優先し、核保有国とは戦争しない」との
考えが通じるかという点です。もし両国の為政者が
自国(民)の犠牲など一顧だにせず、戦争目的を遂
行しようとすれば、世界最大の核保有国・米国の
「核の傘」であっても、抑止が有効に機能しない可
能性があります。
なんせ中国には、1969年、ウスリー川の中ソ国
境問題を解決するため、当時は非核保有国だったに
もかかわらず、核保有国・ソ連に対して果敢に攻撃
を仕掛けたという“前歴”がありますし、同じく北
朝鮮も、“朝鮮半島はアメリカの防衛ラインの外”
と宣言した「アチソン声明」があったとはいえ、韓
国の後ろ盾に核保有国・アメリカがいることを知り
ながら、朝鮮戦争を仕掛けたのでした。
将来、これらの国とさらに緊張が高まるような事態
になれば、当然ながら、最大限の卑劣な文句を乱発
しつつ“露骨な核恫喝”を予想しておく必要がある
でしょう。
一方、本メルマガでも指摘したように、ウクライナ
はソ連崩壊時に領内に1240発の核弾頭を保有す
る世界第3位の核保有国でしたが、1994年の
「ブダペスト覚書」によって核兵器をすべて撤去し
ました。「歴史のif」ですが、仮にウクライナに
数発でも核兵器が残っていたなら、このたびの「ウ
クライナ戦争」は発生したでしょうか。少なくとも、
プーチン大統領の脳裏には、“ウクライナが報復と
して核兵器を使用すれば自国に膨大な被害が出る”
ことが浮かび上がり、侵攻を躊躇することにうなが
る可能性はあったと推測できるでしょう。
悩ましい問題でありますが、国際社会は、理想では
あってもいつ実現するか全く見通しが立たない「核
廃絶」ではなく、明日の「核抑止」をいかにするか、
で動いていることは間違いないのです。ゆめゆめ優
先順位を間違えないことが肝要です。
今回はこのくらいにしておきますが、我が国の「防
衛力」の盲点について、「もしかして」、つまり
「考えられないことを考える」ことまで拒否せず、
“急所”だけに“そっと覗いてみる”くらいの知恵
が必要であると私は思います。
ついでに私がアメリカをうらやましいと思うことが
もう一つあります。MITという、日本の東京大学
にランクされるような大学の教授たちが堂々と「正
論」を述べていることです。
それに対してと言うわけではありませんが、日本の
学者先生方は自らに恥じることはないのでしょうか。
前述の日弁連もそうですが、優秀なはずなのに、も
はや「つける薬がない」のでしょうか。
8月15日、終戦記念日の産経新聞社説は、論説委
員長の記名入りで「首相は核抑止の重要性を語れ」
と題して、“悲劇を繰り返さぬため”にも「核抑止
の有効性」について、普段の倍ほどの長さで堂々と
述べていました。過去にもあったのかも知れません
が、私自身は「核抑止」についてこれほどの内容を
マスコミ人が語ったのを初めて知りましたので、と
ても驚きました。
これなどはとても珍しいケースだと思いますが、我
が国の最大の問題は、様々な「もしかして」など
“夢にも思わない”人たちが政治家・有識者・マス
コミ人・教育者などに数え切れないほど存在し、な
おかつ、依然として“その人たちの声が大きい”こ
とにあると思うのです。その結果を受けて、大方の
国民もなんら危機意識を持つことなく、時間だけが
進んでいきます。本当に困ったものです。次回は、
もう一つの“急所”を紹介しましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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感染症流行下の暮らし19
流行下の暮らしと言っても、この数ヶ月、中韓台といった周辺諸国の感染拡大を尻目に、落ち着いた推移を見せていた本邦である。
ロシアによる意味不明のウクライナ侵略戦争の影響もあり、いわゆる主要国ではCOVID-19等どこかへ吹き飛んだかのような扱いである。
報道を見ても、マスクをしている人等見かけないのである。
ただし、難民以外の外国との行き来がどうなっているかは不明である。
一方の我が国…否、我が身の周りに置いては、国外旅行は皆無、国内でも地域を跨いだ移動はかなり内密に行われるものであり、日常生活でのマスク着用は継続し…という中で、まん延防止等重点措置・緊急事態宣言のない内はまあ皆さん大人の対応で上手くやってくれ、と云う、及び腰な対応が続いている。
先日、元首相の安倍晋三氏暗殺という大変ショッキングな事件が起きた。
まずはご冥福をお祈りする。
報に接し、最初何かのデマかと思い、次いで恐怖を感じ、今は戸惑いを覚えている。
さて事件の背景にはカルト宗教の問題があると言い、政治的テロルの季節はやってこなかった事はせめてもの救いかも知れぬにせよ、却って消化不良の雰囲気が世相を歪めている様に思われる。
このトーンは、政治も宗教も触らぬ神に祟りなしの風潮を強めてしまうのではないか。
森山大道の犬の記憶を読んで改めて考えていたが、やはり70年安保闘争の挫折を日本社会は引きずり続けていると思う。ノンポリを自称する森山氏においてすら、人生史と重ね合わせて何か一つの時代の終焉を感じでいるのであって、同時代人のそうした雰囲気の無数の集積が今でも我々を苦しめている。
襲撃の背景が報道で言われている様に特定宗教団体による…「反共」の亡霊が引き起こしたものであるとしたら、やはりここいらで、我々の社会として、政治、宗教に対する画期をはかる必要があるのではと感ぜられる。
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岩波書店「路上を子どもたちに返す」という虚妄
岩波書店『世界』2022年2月号に「路上を子どもたちに返す」という記事が掲載されていた。端的に言えば、道路は自動車が通過する場所ではなく子どもたちが遊んだりする「広場」的な性質を持たせるべきという内容である。この手の「道路で子供たちを遊ばせろ」という主張は手を変え品を変え繰り返されて��ている。この記事も「昔はよかった」的な保守層が好きなノスタルジー的言説と、ヨーロッパ諸国を持ち上げ日本を批判するリベラルが好きな言説が結合していたというのは興味深かったが、内容自体に新規性は特になかった。記事の内容に関しても首肯できるものではないし、因果と相関の区別の甘さや海外事例を雑に敷衍するなど首を傾げるような記述も多々あった。はっきり言ってコロナワクチンや米国大統領選に関する陰謀論と同レベルの有害無益な議論であるが、大手出版社の岩波書店がそういう記事を掲載したということは批判されてしかるべきだろうし、それを無邪気に肯定した記事を掲載した『朝日新聞』の見識も疑われる。
さて、この記事の最大の問題点だが、道路遊びによる騒音被害に一切触れていないことである。インターネット上で道路遊びによる被害を告発する人が目立ちつつあるが、道路遊びによる被害として特に目立つのは騒音被害である。子供が遊ぶ中で大声を発し、それが自宅など生活空間に闖入することで、場合によっては心身症などの健康被害が引き起こされる。もちろん子供が大声を出せる空間は必要かもしれないが、一方でそういう音が健康被害などを誘発しないよう、音の生活空間への闖入を避けるよう配慮しなければならない。例えば保育園や公園など「子供が遊ぶことが前提となっている場所」においては、行政や事業者などが近隣の住宅などに届く音の量を減らすよう施設運営や設計を行う必要がある。
一方、道路は本来車両や人が往来することを前提として形作られた空間である。幹線道路ならまだしも、住宅街の生活道路においては音の生活空間の闖入を避けるような工夫はなされていない。それは生活道路においては人や車の往来は短時間で終わるため、幹線道路と比べて道路から発せられる音が少ないということも考えられる。そこでは長時間反復して続く音の抑制については一切考慮されていない。子供が遊ぶことで発生する音は短時間で終わるわけではなく、比較的長時間続き、しかもそれが反復して続くが、住宅街の道路ではそういう音を抑制するための設備がないため、生活空間に音が闖入することによる被害が発生すると考えられる。
こういう議論をすると「子供の発する音が騒音なのは心が狭い」という主張をする人が出てくるが、少なくとも環境基準を超過した音は人間の心身を痛めつけるという点においてある種の暴力である。戦闘機が発する音だろうが子どものはしゃぎ声だろうが、環境基準を超えた時点でそれは暴力になる。人がどのような音に耐えられ、どのような音に耐えられないかについては千差万別であるが、環境基準はそういった問題を客観的に把握・解決するためのものさしである。「子供の声が騒音ではない」と主張する人の主観では、子供の声は不快ではないのだろう。一方で子供の声が苦手な人も存在している。そういう人同士で発生した軋轢を解消するために環境基準がある。確かにすべての音は暴力的側面を持つが、音を一切出さないということはほぼ不可能である。環境基準を超えない範囲の音は受忍する必要があるが、一方でそれを超過した音に対しては人に与える害が大きいため暴力と同等に扱う必要があるといった、ある種の切り分けが必要となる。保育園から環境基準を超過する騒音が漏えいしていた事例から判断すると、道路遊びにおいても子供の声が環境基準を超過することも発生する可能性は高い。
こういった騒音被害者をバッシングする議論が出てくる背景には、音が暴力であるという認識の薄さがあると考えられる。数年前、石破茂が「デモはテロ」と発言し物議をかもした。むろ���デモの形態は複雑に分化しており、すべてのデモをテロと扱うことは雑駁に過ぎる。一方で「サウンドデモ」とよばれる、大きな音を出して相手を脅すデモに関しては、大きな音という暴力を用い政治的主張を通そうとするという点においてテロの定義を満たす。したがって「デモはテロ」という言説は粗雑だが、デモ行為がテロの要件を満たすことがあるという点においては「あたらずと雖も遠からず」といったところである。この発言に対しては、特にリベラル派からの非難が集中したが、果たしてその中に音の暴力性に自覚的だった人がどれだけいるのか疑問である。ほかにも灯油の移動販売や廃品回収車など拡声器を用いた商売が規制されることなく野放しにされているどころか、それを擁護する人が多いということも実例としてあげられる。そういう音に対し「寛容になれ」という主張もあるが、暴力に寛容になるというのは倒錯でしかないし、そういう優しいようで実は無責任な議論に対しては眉に唾を付ける必要がある。どの音が暴力かに関しては、環境基準を用い判断するしかないし、当然子供の声も暴力になりうる。
環境基準を超過した子供の声が道路遊びで発生し、それが周辺住民に被害を与えるという観点に触れることなく、無邪気に道路遊びの正当性を訴える人は、結局暴力に無頓着なだけである。そういう無頓着さに目も向けない議論に正当性があるかどうかは大きな疑問である。音は暴力であるということは一人一人が常に意識しなければならない。
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ロシアが機密映像を解禁
1961年10月30日、ソビエト連邦が開発した人類史上最大の水素爆弾「ツァーリ・ボンバ(Tsar Bomba)」をノヴァヤゼムリャ上空から投下した実験映像をロシアは機密解除し公開した。正式には「RDS-220」で広島と長崎に投下された原爆の1500倍の威力。
その40日後の同年12月10日にはアメリカも核爆弾の実験に成功している。
日本は翌日の10月31日に当時の総理大臣池田勇人がソ連のフルシチョフ首相に抗議している。
【抗議内容】
ソ連邦政府が十月三十日超大型爆弾の実験をついに強行したとの報道により,私はこれまでにない大きな衝撃を受けました。
日本政府は,核実験に対し繰り返えし抗議しソ連邦政府の反省を強く求め,また国連も決議を行なつて実験の中止を要請してきましたが,閣下がこれらの抗議や実験中止の要請になんらの考慮を払うことなく今回空前の核爆発実験をあえて行なつたことを衷心より遺憾とするものであります。日本国民の憤激は名状すべからざるものがあります。
閣下は常々平和共存の政策を唱えておりますが,今回の暴挙は世界人類の平和の希望を踏みにじる力の外交を赤裸々に示すものと云わざるをえないのであります。
私はソ連邦政府による一連の強力な核実験が世界の平和と人類の安全を脅威するものとしてその重大なる責任をここに更めて指摘し抗議するものであります。
日本国総理大臣 池 田 勇 人
【11月9日フルシチョフ首相書簡】
日本国総理大臣 池 田 勇 人 閣下
本年十月二十八日および三十一日付けの貴簡を受領しましたので,貴下に回答を寄せたいと思います。
貴下が,全人類のために平和を堅持し,擁護することを唯一つの目的とするソ連邦政府の措置を評価するに当つて客観的な態度をとる希望を示されなかつたことを遺憾に思います。このことに,米国およびその同盟諸国の軍事・政治体制に対する日本政府の愛着のほどが表明されているようにみえます。
貴下は重ねて,ソ連邦の立場につき根拠のない断定を下して,われわれが自国の防衛力強化のために余儀なくとつた諸措置が「力の外交を暴露する」ものであるかのように述べてさえおられます。
これが正しくないことは,もちろんであります。われわれは,長い熟慮の後にしぶしぶ核実験再開の挙にでたのであります。われわれをしてこの挙にでるのを余儀なくしたものは,力の政策を実際にとつているNATO加盟諸国がつくり上げた情勢であります。われわれが他の行動にでることのできなかつたことを,貴下自身においてもお考えのうえ,御理解をえたいものであります。
現在における枢要な問題は,全面完全軍縮であります。この問題に関する合意を達成することは,核実験,核兵器一般に関する問題をもことごとく解決するでありましよう。
ソ連邦政府の代表たちは,国連における代表をも含めて,もし他の列強が全面完全軍縮に進むならば,単にあらゆる形態の核実験が停止されるばかりでなく,われわれは,その保有する核兵器の一切の貯蔵を喜んで海中に投ずるであろうと一度ならず言明してきました。
ソ連邦政府は短期間に全面完全軍縮を実現すべき具体案を国連に提出しました。しかしながら,西欧列強の立場にたつて,今日までこのような重大な問題についてなんら実際的結果が達成されるにいたつていないのであります。
この関連において,日本政府がわれわれの計画を支持されず,軍縮に関する具体的方策の作成につき熱意を示されなかつたことを指摘せざるをえないのであります。日本の国連代表は,言葉のうえでは軍縮の重要性を認めてきましたが,実質的には,今日の諸条件の下では軍縮が不可能であることを立証するためにその努力を傾けてきたのであります。本年十月二十八日付けの貴簡によつて判断すれば,日本政府はいまもつて全面完全軍縮を遅滞なく実現する必要があることを考慮しようとしていないのであります。
日本政府は,米国と新たな軍事条約を締結して,意識的に極東情勢を複雑化する挙にでました。この条約は,米軍による日本占領を維持することを米国に許しました。日本の領土は目の細かい米軍基地網で蔽われました。米国軍部は,南朝鮮にも根をおろし,中国の島である台湾を保持し続けています。核ロケットを含む近代兵器の予備が強度に蓄積されています。米軍が東方からソ連邦とその友邦および同盟国たる中華人民共和国および朝鮮人民民主{前1文字ママとルビ}共和国とを脅威するために,これらの地域に駐留していることは誰にも明らかではないでしようか。
ソ連邦政府は,米・日軍事同盟の締結が日本を危険な道に押し進めるものであることに対し,一再ならず日本政府の注意を喚起してきました。しかしながら,日本政府はこれを考慮しないで,西欧列強,特に米国によつて実施されている戦争準備のますます積極的な参加者となりつつあります。
われわれが一再ならず,極東および全太平洋地域における非原子地帯の創設に関する提案を行なつたことを想起せしめることも時宜に適することであります。米国による原爆の惨禍を経験した日本は,このような地帯の創設に他国に劣らない関心を寄せるべきであるように思われます。しかし,日本政府は,このわれわれの提案をも拒否しました。いまや,極東は,平和地帯に代わつて,日本の直接参加のもとで,戦争の危険な火元の一つになりつつあります。
また,十月二十八日付けの貴簡でなされたドイツ問題に関するソ連邦政府の立場を歪曲した姿で示そうとする試みも看過することができません。われわれは,対独平和条約の締結およびこれを基礎とする西ベルリンにおける状態の正常化に関するわれわれの見解をすでに一再ならず申し述べてきました。ソ連邦政府がドイツの軍国主義および報復主義に対する確実な障壁をつくるために,欧州の中心部における戦争の脅威の危険な火元をなくすために,ドイツ問題の調整に努めていることは周知のとおりであります。
しかるに,西ドイツの軍国主義および報復主義の抑圧を目的とするソ連邦のこれらの措置に対して,西欧列強は何をもつて答えたでしようか?われわれが対独平和条約を締結した場合にはNATO列強は実力を行使するであろうとの威嚇が,すでにここ数ヵ月間も全世界に聞え渡つております。この列強によつて展開された戦争準備は,これを考慮に入れなくてもよいというような単なる口先だけの威嚇でないことを物語つています。米国官辺筋の人々は,米国が核兵器をも使用しうる旨を直言しています。西欧列強のこのような行動が国際情勢を極度に灼熱化したことは,もちろんであります。われわれは,それでもなお寛容を示し,ソ連邦の安全を十分に確保するために必要な措置をとらないことができましようか?いや,できません。
ボンの報復主義者およびその庇護者たちと連携するものは,平和の事業に対して良くない奉仕をなしています。
われわれは,米国およびその同盟諸国が軍事侵略諸ブロックを組織し,われわれを軍事基地で包囲し,社会主義諸国および他の平和愛好諸国家に対する挑発を行なつてきたとき,日本政府が抗議したということを耳にしたことがありません。
われわれは,米国および英国が太平洋にある日本の島々の直接近辺で,核爆発を実施してきたとき,日本政府の声を実質上,耳にしなかつたのであります。日本政府がその西欧友邦に送るわざとらしい形式的な書簡をまじめに受け取ることはできないのであります。仏国がサハラで原子兵器の実験を行なつたときでも,日本政府の声はほとんど聞かれなかつたのであります。しかして,われわれがわれわれに対する露骨な威嚇に直面して,ソ連邦の安全を強化する措置をとつているとき,日本政府は,ソ連邦に対して敵意ある運動を煽るのに努めております。
総理閣下,私は貴簡についても,ソ連邦政府に圧力をかけ,われわれの防衛力強化を放棄することを強いようとする試みであるとのほかには,これを評価することが困難であります。もちろん,もしソ連邦が自己の合理的利益を守り,また,もし必要ならば,われわれまたはわれわれの友邦に対する攻撃がある場合には,侵略者に対して殲滅的打撃を与えるために不用意であつたとしたら,誰かにとつて非常に好都合でありましよう。
もし貴総理が国際の平和を確保するために有益な諸措置をとることを真に欲しておられるならば,なぜ貴下は米国,英国,仏国,西独および他の西欧友邦に対して,ソ連邦に対する威嚇と戦争準備を止め,直ちに全面完全軍縮に進み,もつてあらゆる核実験を停止するように呼びかけられないのでしようか。
ソ連邦についていえば,われわれは有効な国際管理を伴う全面完全軍縮の早急実現を強くかつ断乎として支持するものであることを貴下に確言することができます。われわれは,いかなる時でも,いかなる瞬間でも,例えば今日にでも,当該国際条約に調印する用意があります。
最後に,私は日本政府が言葉のうえでなく,事実において国際緊張の源泉を除去することを助長し,また日本が全面完全軍縮に関する国際的合意の早急な達成を目ざすソ連邦の努力に同調するよう期待したいと思います。
敬 具
エヌ・フルシチョフ
【11月15日池田勇人首相書簡】
閣下
私は,さきに閣下のお送りした本年八月二十六日付け私の書簡に対する返簡として閣下が送付された本年九月二十五日付けの書簡を注意深く拝見しました。
貴簡の中には軍事基地の問題,日米安全保障条約の問題,軍縮問題等いくつかの重要な問題が触れられてありますが,これらの諸問題に対する日本政府の見解は,閣下ならびにソ連邦政府にあてたこれまでの私の書簡ならびに日本政府の文書においてすでにたびたび述べたところで明らかなとおりでありますので,ここに再び繰り返えす必要はないと思います。しかしながら領土問題については,これが極めて重要な問題であると考えますので,閣下の述べられているところで遺憾ながら事実に反する点を是正する意味で,私の所信を表明したいと思います。
閣下は,日ソ間の領土問題についてこれが一連の国際諸協定によつてすでに解決済みであると述べておられますが,元来戦争の結果としての領土の帰属変更が平和条約により初めて確定されるものであることは閣下も十分に御承知のところであります。
しかして日ソ両国政府は,歯舞,色丹を除いては領土問題について合意に到達できなかつたので,戦争状態を終結する形式として平和条約によらず共同宣言によることとし,もつて国交を回復することとなつたのでありまして,こうした経緯に徴しましても,未だ平和条約の締結されていない現在,領土問題が日ソ間において解決済みでないことは余りにも明瞭であります。
閣下が日ソ間の領土問題は解決済みであると主張する根拠とされている「一連の国際協定」なるものが,具体的にはどのような協定を指しているか明らかではありませんが,おそらくヤルタ協定,サン・フランシスコ平和条約等を指しておられるのではないかと推察されます。
しかしながらヤルタ協定は,ソ連に対し南樺太を返還し,千島列島を引渡すべき旨述べてはいますが,しかし同協定については,米国は「単にその当事国の当時の首脳者が共通の目標を陳述した文書にすぎず,その当事国によるなんらの最終的決定をなすものでなく,また領土移転のいかなる法律的効果をもつものでない」と,明言しているのであります。
しかのみならず,わが国はそもそも本協定の当事国でもなく,またわが国が受諾したポツダム宣言も,ヤルタ協定にはなんら触れておらず,しかも本協定は当時全く秘密とされていたのであります。したがつてわが国としては,法律的にも政治的にもなんら同協定に拘束されるものでなく,貴国政府はわが国との関係において本協定を援用することはできないものであります。
また閣下がおそらくその主張を根拠づけるため援用しておられると思われるサン・フランシスコ平和条約についても,日本が同条約により「南樺太および千島列島に対する一切の権利,権原および請求権を放棄した」こと事実でありますが,同条約には,日本が何国のためにこれら地域に対する権利を放棄するかは規定されておりません。サン・フランシスコ平和会議のソ連首席代表であつたグロムイコ現外相は,同会議の席上行なつた演説の中で,「日本がこれら領土に対するソ連邦の主権を認めるべき日本の明白な義務についてなにも述べられていない」と述べて,同条約がソ連政府の主張する権利を否定するものとして非難した経緯があり,しかもこのような点をも理由としてソ連政府が同条約に署名を拒否していることからみても,ソ連は,サン・フランシスコ条約によつて日本が放棄した領土に対し,なんらの権利をも主張できる立場にないのであります。
こうした事情を考慮すれば,領土問題はすでに解決済みであるという閣下の主張が根拠を欠くことはきわめて明瞭であります。
日本政府が受諾したポツダム宣言にはソ連政府も参加しておりますが,同宣言にはカイロ宣言の条項が履行されるべき旨明記されております。しかして,このカイロ宣言には,日本は,日本が「暴力および貪欲により略取」した地域から駆逐されると述べられているほか,連合国自身については,「自国のためになんらの利得をも欲求するものでなく,また,領土拡張の意思も全く有しない」旨がはつきりと宣言されております。しかるにソ連政府が,日本が決して「暴力および貪欲により略取」した領土でない千島列島のみならず,古来日本人のみが居住し,しかもかつて他国に領有されたことのないクナシリ・エトロフ両島にまで,その領有権を主張していることは,このカイロ宣言の条項とも全く矛盾するものと申さざるをえません。
閣下はまた,日本政府は「日本の領土でない領土の日本への返還問題を提起し,『固有の領土』についての問題をみずから提起することによつて,サン・フランシスコ条約の当該規定の承認を避けようとしている」と述べておられますが,「『固有の領土』についての問題」とはおそらく,クナシリ,エトロフ両島を指すものと考えられます。しかしながら,これら諸島は幕府時代の十九世紀中頃よりすでに日本固有の領土として国際的にも認められていたものでありまして,帝政ロシア政府も一八五五年の日露通好条約によつてこれら諸島が日本の領土であることを承認しているのであります。しかして日本政府とロシア政府との間に結ばれた一八七五年の千島・樺太交換条約は「千島列島」としてウルツプ以北の十八島をあげ,その千島列島は南樺太と交換の上で日本領土とさるべきことを定めたものであります。従つて日本政府がサン・フランシスコ条約によつてその権利を放棄した「千島列島」は,この歴史的にも明らかな概念であるウルツプ以北の十八島を指すものであつて,元来「千島列島」に含まれぬ固有の日本領土であるクナシリ,エトロフ両島については,日本政府はなんらの権利をも放棄したものではないのであります。
しかもこれら両島には戦争終結に至るまえで日本人のみが居住していたのでありますが,いまやこれらの日本人は,総て放逐され,父祖代々の墳墓に参拝することすら許されない状態にあるのであります。しかして終戦と同時にこれらの島を占領したソ連政府がその国民を続々と本国よりこれらの島へ移住せしめている事実に,日本政府は無関心たりえないのであります。
固有の領土に対する民族の愛着は,他国の固有の領土を占領したうえこれを合法化せんとするこのような試みによつても決して消えさるものではありません。私は閣下が,日本民族固有の領土を速やかに返還されることによつて,日ソ両国民が良き隣人として共存しうる基盤を作り上げるよう尽力されることを切望してやまないのであります。私は何人にもまして,日ソ間に領土問題が解決し,速やかに平和条約が締結されることを望むものでありますが,遺憾ながらいまだその実現をみるに至つていない現実においては,両国は専ら日ソ共同宣言を指針として相互の関係を律して行くべきものと考えます。すなわち,それは一般的原則として,国際紛争の平和的解決,武力による威嚇または武力の行使を慎むこと,国連憲章第五十一条の個別的,集団的自衛の固有の権利の確認,相互の国内事項に干渉しないことの四点を含むものであります。
私は両国政府によつてすでに確認せられたこの基礎の上に立つて,日ソ両国の善隣関係増進のため,ひいては全世界の平和のために,あらゆる努力をおしむものではないことを本書簡を結ぶに当つて特に申し添えるものであります。
敬 具
日本国内閣総理大臣 池 田 勇 人
ソヴィエト社会主義共和国連邦
大臣会議議長
エヌ・エス・フルシチョフ 閣下
【12月8日フルシチョフ首相書簡】
日本国総理大臣 池田勇人閣下
本年十一月十五日付けの貴簡を受領しましたので,若干の見解を申し述べたいと思います。
貴下が一九五六年十月十九日付けの宣言の諸原則にしたがい,日本国とソ連邦との間の善隣関係を増進させるために努力を惜しむものでないと述べられたことを拝聴し欣快でありました。ソ連政府は日・ソ関係を完全に正常化し,かつ両国国民の死活的利益に副う善隣的協力を調整することを希���するものでありますので,このような御意見には全く同感であります。
他方,直言すれば,両国関係の今後の発展に関する実際的な諸問題につき意見を実務的に交換する代わりに,われわれの書簡交換を究極においていわゆる領土問題に関する無益な論議に帰せしめようとする意図が表明されていることを私は悲しむものであります。
この論議は,平和条約の締結を阻止し,かつソ連邦と日本国との関係の完全正常化を妨げる目的をもつて人為的に,故意に煽られているのであります。
特に軍事同盟によつて米国と結ばれている日本が,ソ連邦を目標とする外国軍事基地としてその領土を自発的に提供している現在の条件では,この論議が他の結果をもたらすことのできないことは,閣下御自身御了解のことと思います。
貴簡は,あたかも領土問題が周知の国際諸協定にかかわらず,今なお,未解決のままであり,この問題についてソ連邦から態度の変更,すなわち一定領土に対するその既得権の放棄を取り付けるなんらかの根拠があるかのように問題を見せようとする試みが再び行なわれております。貴総理,右のような意図は日本政府が無条件降伏の結果,周知の国際諸協定によつて引きうけた義務の履行を回避しようとする意図を証明するに過ぎないものであることを,私は極めて率直にかつ断固として閣下に述べねばなりません。本質的には報復的なそのような日本政府の態度は日本とその諸隣国との関係の尖鋭化,極東における情勢の紛糾をもたらすものであると見るのは困難ではありません。
私の見解では,日本政府の領土請求権の根拠として引用されている数々の歴史的事実および文書を再び取り上げる必要は現在ありませんん。それにもかかわらず私は,それらの事実と文書の若干について想起せしめたいと思います。
日本の降伏条件の基礎となつた連合国のポツダム宣言は,日本の主権を本州,北海道,九州,四国の諸島および若干の小島に制限しています。
日本政府は,降伏に関する文書に調印して,同政府およびその後継政府が誠実にポツダム宣言の諸条件を履行するであろうという誓約をしました。千島諸島が日本の主権の下に残された領土の中から除外されている限り,日本政府側からの千島諸島に対する現在の要求は,上述の誓約に反するものであります。
日本政府が,あなたも自己の書簡で確認されているように,千島諸島に対するすべての権利,権原および請求権を放棄しながら,今これらの諸島に対する要求をあえてするといる事実は,不審を喚起せざるをえません。総理閣下よ,どこに論理がありますか。
あなたの書簡中に,千島諸島に対する日本の権利放棄を規定した条約の中にこれら諸島がいかなる国に帰属すべきかが記されていないので,問題は未解決であるというように主張されています。日本は,千島をいつでも要求しうるものでないことが周知のことであるのに,このような問題を提起することにより日本政府は一体何を得ようとしているのかをききたいものであります。日本政府は,誰の利益について配慮しているのでしようか。あるいはソ連の極東沿岸への道を遮蔽している千島諸島が,スペインだとかポルトガルにでも帰属することを日本政府は望んでいるのかも知れません。
それとも日本政府は,すでに日本の島々をはりめぐらしているソ連を目標とした軍事基地に追加して,新たに千島をも軍事基地とすることにまんざら反対でもあるまい,海のかなたの自分の同盟国のために奔走しているのですか。
いや,貴総理,ソ連邦は自分の権利を譲渡するわけにはいきません。三大国のヤルタ協定は南樺太および千島諸島の帰属問題を明確に決定しております。これらの領土は無条件かつ無留保でソ連邦に引き渡されたのであります。
あなたは千島諸島のソ連帰属に疑問をもたせようとして,日本政府がヤルタ協定の参加国でないこと,従つて同協定があたかも日本に関係がないかのごときことを引用されています。同協定が日本を敵として戦つた各国間で締結されたものである以上,日本が同協定に参加しなかつたこと,また参加できなかつたことはもちろん当然であります。しかし,日本は降服に際し連合国によつて決定された条件を受諾しました。そして連合国はこの点でこれら諸国間に存在していた諸協定から出発したのであり,その中にはあらゆる国際協定と同様に拘束力を有するヤルタで署名された協定も含まれているのであります。
米国政府の若干の声明を引用することによつて日本側の確信を裏付けようとの書簡中に含まれた試みは全く成立しません。アメリカ合衆国政府もかつてヤルタ協定を自身にとつて拘束力があるものと無条件で認めましたし,本協定に従つて行動をしてきたことを指摘しなければなりません。このことを確認する幾多の文書があります。例えば,この関連において一九五一年三月二十九日付けおよび五月十九日付けソヴィエト政府あて米国政府の覚え書に注意を向けることができますが,これらの覚え書から明らかなことは,南樺太と全千島列島がソヴィエト連邦に帰属する問題については米国とソ連邦の間になんらの不一致もなかつたことであります。
周知のごとく,ヤルタ協定の中にも,一般命令第一号の中にも,サン・フランシスコ条約の中にも千島列島の区分はなんらなされておりませんし,全体としての千島列島が問題となつていたのであります。このことはとりわけソ連邦と米国の政府首脳間にとり交わされた往復書簡によつても確認されます。従つて当該国際諸協定があたかもソ連邦に全千島列島ではなく,ただその若干の島のみを譲渡することを考慮に入れているかのように確認しようとする日本側の試みはあらゆる根拠を失つております。
クナシリ島およびエトロフ島が千島列島中に含まれていないという主張は成り立ちません。このような遁辞を弄して,戦前日本の歴史および地理的文献が逆のことを主張していたことを忘れているようにみえます。例えば,一九三七年に日本海軍省水路局出版の水路図や交通公社が一九四一年に出版した日本の公式旅行案内書や,その他の多くの日本出版物を御覧になれば,貴下は看板を塗り替えて地理に適合しないようにしようとするものがいかに自分を滑稽な立場に陥入れるかを確信するでありましよう。クナシリ島およびエトロフ島が千島列島に帰属していることは,たびたび戦後においても日本政府によつて認められていることも周知のとおりであります。
貴下はその書簡で,一八五五年および一八七五年の日露条約を基礎にしていますがこれらの条約が本件となんらの関係もないことは明らかであります。
もし貴下のやり方に従つて歴史を反転すれば,一九〇四年に日本がロシアを背信的に攻撃し,開戦し,ロシア国民に多大の悲しみを与え,ロシアから樺太の半分を奪取し,ロシアにポーツマス平和条約の苛酷な掠奪的条項を強いたことを想起させる必要がありましよう。
これらの行動によつて日本は一八五五年および一八七五年にロシアとの間に締結された諸条約を破り,もつてこれらの条約を引き合いに出す権利を自ら失いました。二十年代の始め頃にわたるもつと新しい例を挙げることもできます。すなわち,当時日本は一九〇五年の条約を破り,再びロシアへ侵入し,北樺太とソヴィエト領極東を占領し,これを掠奪しました。他にも周知のこの種の歴史的事実があります。
私は日本の現政府を非難するためにこれらのことに言及するのではありません。しかし,貴書簡は,貴下の挙げられた事実が日本の利益になることを物語るものでないことを示すために,私をしてこの歴史を回顧せしめずにはおきませんでした。論議を続けるための基礎を遠い過去に求めずに,日本に定められた義務を課している国際諸協定を厳重に守ることが必要であるように思われます。
日本側によるソ連との平和条約締結の引延しは当然日本政府の企図についてソヴィエトの人々に警戒的な気持を起させないわけには行きません。なぜ日本は平和条約の調印を欲しないのか,あるいは日本はソ連と平和裡に生きることを欲しないのではないか,という当然の疑問をソヴィエトの人々は提示しております。
あるいはこれは,一部の人が平和条約の欠如を,日本における軍国主義的,報復主義的気運を復興するために利用しようと考えていることによつて説明されるのでありましようか。
もし国家が,平和と相互の友好を要望するならば,平和条約を調印しないという理由はありえないでありましよう。
平和条約の欠如はわれわれの国の間の協力の発展を困難ならしめているのであります。日本政府はこのことを考慮しないばかりか,最近,われわれ両国関係の完全な正常化と善隣関係発展のための条件の醸成とに対する途上に新たな障害を造る措置を講じたのであります。ソ連の人々は,日本が特定層の努力によつて,その鉾先がソ連邦およびその他平和愛好諸国に向けられている米合衆国の結集している侵略的軍事同盟およびブロックに引き入れられるという悲しむべき情勢に注意を向けざるをえないのであります。日本は強力な戦争準備を行なつている人々と積極的に協力し,かれらに対し,日本の隣国の安全を脅威するため,自国の領土を利用せしめているのであります。
このような情勢のもとにおいて,貴国の公的代表者たちが平和愛好とソ連邦に対する友好感情を確約するとしても果してかれらが,日本領土に配置されている米軍基地および米ロケット・核兵器の援助のもとで,ソ連およびその他の諸国と友好および相互理解を強化しようと考えているのかという問題が生ずるのもやむをえないのであります。
ソ連政府は一連の既知の文書において余すところなく日本軍事条約に関する自国の立場を表明しました。従つて私はここで再びこの問題のあらゆる面に触れるつもりはありません。
現在われわれの共通の課題は現存する困難と障害を克服し,日ソ間の真の良好な善隣関係設定への道を求めることにあると思います。この関連において,日ソ間の貿易,経済,文化,その他の関係を一層拡大し,また完全全面軍縮,核兵器の禁止,保存核兵器の破壊,植民地主義の一掃をはじめとする最重要の国際問題の解決をめざす闘争に協力することに相互に努力すればそれは現在第一義的な意味を持ちえるであろうことを私は再び強調したいと思います。これが,私の信ずる所によれば両国国民の利害が完全に一致する分野であり,相互の協力が特に実を結びうる分野なのであります。
疑いもなく現代の最重要問題は,全面および完全軍縮問題であります。右問題の進展は,すべての政府の共同的努力によつてのみ可能であり,各国政府の義務は人類の運命に重大なる意義をもつ,この崇高事業に貢献することであります。国際関係において重要な地位を占める日本としても,軍縮に関する最終的協定の達成の容易ならしめるため多くのことをなしうることは疑いを入れません。しかしながら,今まで日本の公的代表者たちは,この問題においてアメリカ合衆国の影に隠れており,もし,行動するとしても,それは通常西欧大国とともに軍縮問題の解決に向けられていない諸提案の支持のためであります。
ソ連政府は,核および熱核兵器の実験禁止に関する具体的協定案を提出いたしました。貴下は,すでに,右新提案の内容を知る機会を持つたものと思われます。右は,疑いもなく,日本を含むすべての国民を不安ならしめている問題に関して合意を速やかに達成するための現実的可能性を開くものであります。
広島および長崎の悲劇を体験した日本国民の右問題に対する態度は,われわれには全く理解できます。日本政府は,核兵器の実験継続に対して否定的態度を言明した一連の声明を行いました。
右声明は,特にアフリカにおけるフランスの実験実施を非難することを同時に確認したのであります。事実多くの人々は日本が最近これらの声明に反して,アフリカにおける核兵器の実験と配置の禁止決議の支持を国連で放棄されるに至つたことに驚きました。しかし,米国が作り出したパキスタン,イラン,タイ,フィリピン,ノールウェイ,デンマーク,アイスランドのごとき侵略的軍事ブロックの構成国がこの決議に賛成投票をしたではありませんか。
軍備競争と戦争の脅威から人類を開放し,全人民の平和愛好の希望に応えられるような決議の支持に,日本政府が大きな一貫性を表明し,かつ自分の声を高めるよう期待したいのであります。
最後に現在意見の食い違いがあるにもかかわらず良識が勝ちを占め,日本とソ連との間の関係が相互の利益になるよう真に善隣的となるとの確信を表明したいと思います。われわれは日本政府が日ソ関係の完全な正常化の事業に���要な意義を与え,この途上に横たわる障害を排除する手段をとることを期待したいのであります。
ソ連政府としては,われわれ両国民のために,世界平和の強化のために,ソ連邦と日本国との間の関係を改善すべく今後ともあらゆる努力を傾けるべきことを,貴総理に確言することができます。
敬 具
エヌ・エス・フルシチョフ
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