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論文完成
サルトルの戯曲『アルトナの幽閉者』と大島渚の映画『儀式』を比較する論文を完成させました。18000字前後ですから400字原稿用紙にして45枚くらいでしょうか。
締切は来年の3月(!)ですが、まあ「備えあれば憂いなし」です(本当は現在執筆中の新作戯曲から逃げるために書いたのですが、まあそれはそれ、これはこれです)。
次はどうしよう。懸案の戯曲に取り掛かるべきか、12月24日締め切りの別の論文(ロブ=グリエの映画について書くつもりです)に取り掛かるべきか。
戯曲の方は最初と最後はできているのですが、真ん中ができていません。
ピッコロ演劇学校時代、主任講師の辰さんこと島守辰明さんが「点を作るのは簡単だ。難しいのは、そしてだからこそ大切なのは、点と点をどう繋ぐかだ」と言っていたのを思い出します。
どちらにするか決めかねて、気分転換に(気分転換は大事です!)近所の本屋へ行きました。
文庫・新作の棚を見ていると、『笑う警官』とか『長いお別れ』とかいう本が並んでいました。作者はどちらも日本人です。
え?
『笑う警官』はスウェーデンの「刑事マルティン・ベックシリーズ」の中の最も有名な作品、『長いお別れ』はレイモン・チャンドラーの名作のはず。
そんな有名な題名を違う小説につけるのはどうかしている、これはしちゃいかんだろうと思いました。
かつて野島伸司が『人間失格』というテレビドラマを書いて、太宰の遺族の抗議を受けて『人間・失格』と中黒を入れて誤魔化したことがありましたが、出版社は何も学んでいないのでしょうか。
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スリランカ「収容」故女性、ハンガーストライキ騒動?それは、衰弱高度疑い者への、最低限の人道援助(尊厳)に直結せざるを得ない!If she is about to be weaker for death in front of you, what to do as Humanity?
いわゆる、日本における「収容」中とされた、スリランカ故女性の死。その原因を巡るハンガーストライキ騒動。それは、衰弱高度疑い者を目前に、人として、何ができるか?すべきか?という、人道上、最低限の『尊厳』の問いへ、行き着かざるを得ない。見捨てる、相手にしない、最低限の人道援助すらしない、これを加勢幇助する、などは、蘭ハーグ国際法廷(人道)へと、つながる可能性は、誰しも認識すべきだ。検死は?行政解剖は?死因。『衰弱死』否定する、確信を得たのか?つまり、まずは故意作為による、過酷死の可能性こそ、否定されるべきだ。それは、まさに人道問題。日本の故坂本龍一氏(米アカデミー賞)も描いた、先の大戦、バターン死の行進。無理強いして、人を過酷死させた。それを繰り返しては、ならない。無理強い死。
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映画『儀式』
Amazon Primeで大島渚監督の映画『儀式』(1971)を見ました。
「古い」、「若い」と思いました。「登場人物たちはみな非常に複雑な人間で、小難しいことばかり言っている」とも思いました。そして「そこがいい!」と思いました。
私は大昔、この映画をビデオで見たはずですが、ほとんど記憶にありません。でも改めて見ると傑作です。
物語は主人公のマスオ(河原崎健三)がテルミチなる人物から電報を受け取り、リツコ(賀来敦子)と東京からはるか南の島へ行こうとしているところから始まります。
マスオはリツコに「僕たちの関係は何なのだろう」と言います。リツコは「親戚の人。結婚式やお葬式の時にだけあう関係」と答えます。
そこからマスオとリツコの旅を縦糸に、マスオやリツコやテルミチが出席した葬式や結婚式を横糸にして、彼らの物語が語られます。
タイトルの『儀式』とはそういう意味ーー親戚が集まる結婚式やお葬式を意味しているわけです。
マスオは子どもの頃、母親と命からがら満州から引き上げ、財界の大物である祖父・桜田の家に身を寄せ、そこで桜田(佐藤慶)や祖母(乙羽信子)、いとこのテルミチ、リツコ、タダシやリツコの母でマスオの叔母に当たるセツコ(小山明子)と一緒に暮らすことになります。
マ���オは母親と満州を去ったとき、まだ赤ん坊だった弟を葬った、弟はまだ息があったのに土の中に埋めた、今でもその息遣いが聞こえると言って地面に耳を当てます。
リツコやタダシも興味を持ち地面に耳を当てますが、当然ながら何も聞こえません。マスオより一つ年上のテルミチは「この話は誰にもしてはいけない。リツコやタダシも誰にも言うな」と言います。
次の「儀式」はマスオの母親の葬式ーー19歳になり一高で野球をしているマスオは野球の全国大会に出場していたため母親の死に目に遭うことができませんでした。
彼はバットやグローブを燃やして、もう野球はやめると言います。そこへ叔母のセツコが現れ、マスオが成人したら渡してくれと言われたと言って、父親の遺書を渡します。
するとそこへ祖父・桜田が現れます。桜田はマスオを下がらせ、セツコと二人で話をします。その話の中で一家の秘密が少しずつわかってきます。
もともとマスオの父親とセツコは恋仲で結婚するつもりでした。しかし、桜田は結婚に反対し二人の仲を裂いたばかりか、セツコを自分の愛人にしてしまいました。
マスオの父親は別の女性と結婚し満州に渡り、マスオが生まれました。しかし、父親は定期的にセツコと会っていたようです。そういう事情があったからマスオの父親は自殺を決意したとき(なぜ自殺したのかこの段階ではまだわかりませんが、映画の終盤では天皇の人間宣言にショックを受けて自殺したということが明かされます)セツコに遺書を託したわけです。
桜田は「最後の決着をつけようじゃないか」と言って、セツコを仰向けにして喪服の着物の裾に手を入れます。
この映画の紹介によく使われる場面ですが、実に官能的な場面です。
マスオはその場面を隠れて見ています。マスオはセツコに恋心を抱いているのですが、それでも飛び込んでいく勇気はありません。するとそこへ今度はテルミチ(中村敦夫)が現れます。
テルミチは襖を開けて中に入り、「お祖父さん、これが教育の始まりですか」と言います。桜田は「お前にはわからんだろうが、ある教育の終わりなんだ」と答えます。テルミチは「ではここで見学させていただきます」と言って座り込みます。
いやあ、名場面、名台詞ですね。
桜田はセツコの着物を脱がそうとしますが、セツコはその手を振り払い、自分から着物を脱ごうとします。それを見た桜田は「これをもって決着としようか」と言って部屋を出ていきます。
テルミチは横たわったセツコに近づき「僕の最初の先生になってください」と言い、二人は体を交わします。
二重の意味でたまらない場面です。一つはその匂い立つような官能美ですが、もう一つはそれを見ているであろうマスオの心中の葛藤ーーマスオがしたかったことをテルミチにされてしまったというその気持ちを思えば、たまらないものがあります。
いかん、この調子で書き続けるといつまで経っても終わりません。少し端折ることにしましょう。
そのあとの「儀式」は、叔父(小松方正)の結婚式ーーこの叔父は共産主義者という設定で、新婦(原知佐子)もそうなのでしょう、座敷でみんなが一人ずつ歌を披露していく場面でインターナショナルを歌います。
それほど大事な場面ではありませんが、原知佐子が若くかわいらしく、私は好きでしたが、それはともかくその夜、マスオ、テルミチ、タダシが部屋で呑んでいるところにリツコがやってきて、母親つまりセツコが死にたがっていると言います。
戦犯として中国で抑留されていた父親を殺したがっているタダシが日本刀を持って部屋を出たあと、マスオとテルミチはリツコと一緒に布団に入ります。
「え? なぜ?」と思わないではないですが、まあわからないでもありません。若い頃はそういうことがあるものです。私も似たような経験はあります。
しかし、マスオは何もできません。セツコが死にたがっているというのが気になるのでしょうか、彼は布団を出てセツコの部屋へ行きます。
セツコは眠っています。マスオはずっとセツコの寝顔を見ています。やがて目を覚ましたセツコは「死にたいなんて言ってません」、「リツコが適当なことを言ったんでしょう」と言います。
すごすごと部屋に引き上げてきたマスオはそこでテルミチとリツコが同じ布団ですやすや眠っているのを見つけます。二人は肉体関係を持ったということでしょうね。ここでもマスオのしたかったことをテルミチがしてしまったわけです。
翌朝、裏の山でセツコの死体が見つかります。彼女の体には前夜タダシが持ち出した日本刀が深々と刺さっています。何が起きたのかはわかりませんが、桜田は自殺として処理します。
次の「儀式」はマスオの結婚式ーーマスオは桜田が選んだ相手と結婚するのですが、花嫁は盲腸炎で急遽入院、なんと花嫁抜きで結婚式をします。財形の大物である桜田は要人たちを式に招いているので、今更中止にはできないということなのですが、その滑稽なことと言ったら……
タダシはその頃警察官になっています。右翼革命を目指すタダシは披露宴で檄文を朗読しようとして取り押さえられ、ホテルを出るとき交通事故に遭い死んでしまいます。
その夜は花嫁抜きの初夜でありタダシの通夜でもあります。泣き続けるタダシの父親(渡辺文雄)の横で、枕に羽織を着せ花嫁に見立て抱こうとしたり、棺桶からタダシの遺体を出し、上半身裸になって棺桶に入り、さらにリツコの手を引っ張って棺桶の中に入れようとしたりするマスオの姿は、異常といえばこれほど異常なものはありません。
えーっとそれから桜田の葬式があって(マスオは心ならずも喪主になります)、ようやくマスオとリツコは目的地の孤島につきます。
そこでようやくマスオが受け取った電報の文面が明かされます。そこには「テルミチシス」テルミチ」とあります。つまりテルミチ自身が自分の死を知らせる電報をマスオに送ったのです。
そこからは……まあ、いいや。決して悪い終わり方ではないのですが、それまでがあまりにすごすぎたので、個人的にはこのラストには不満が残ります。
とはいえ、この映画が傑作であることに変わりはありません。
昔の私はどうしてこのよさがわからなかったんだろう。歳をとって少しは賢くなったということなんでしょうか。
『儀式』は素晴らしい映画です。ぜひご覧下さい。
追記:
ふと思ったのですが、昨日ぼろかすに貶したサルトルの『アルトナの幽閉者』とこの『儀式』は、戦後の社会を財界の大物とその家族の観点から描いている点、非常に複雑なイプセン風の家庭劇である点で似ていますね。
それなのになぜ私は『アルトナの幽閉者』を嫌い、『儀式』を高く評価するのかな。きっと私にとって『アルトナの幽閉者』は家庭劇として成立していないが、『儀式』は見事なまでに成立しているということなのでしょうね。
それに加えて、常に先を越され、人生の傍観者でしかなかったマスオに自分自身の姿を見たからかもしれません。
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