Tumgik
#季刊フィルム
shihlun · 2 years
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季刊フィルム Film Quarterly
1968-1972
表紙:粟津潔 Kiyoshi Awazu
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allsadnshit · 2 years
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i'm crying
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gdbot · 4 years
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informationalaffairs: 207.季刊フィルム No.11 ポルノグラフィティ的想像力. 東京:... https://ift.tt/33DtVEO Telegram Design Bot > https://t.me/gdesignbot
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lvdbbooks · 4 years
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2020年4月3日
【新入荷・古本】
『デザイン 第105号』(美術出版社、1968年)
『i-D safe+sound』(i-D Levelprint Ltd.、2007年)
『アサヒ写真ブック84 新しい台湾』(朝日新聞社、1958年)
Jens Müller『A5/08: Best German Posters』(Optik Books、2016年)
志賀理江子『ヒューマン・スプリング』(東京都写真美術館、2019年)
石牟礼道子『苦海浄土 全三部』(藤原書店、2016年)
numabooks編『コーヒーの人 仕事と人生』(フィルムアート社、2015年)
「季刊フィルム」コレクション・編集部編『「芸術」の予言!! 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡』(フィルムアート社、2009年)
伊藤潤二『ギョ 1』(小学館、2002年)
千葉伸夫『評伝山中貞雄 若き映画監督の肖像』(平凡社ライブラリー、1999年)
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bunraku-en · 3 years
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【#人形浄瑠璃 関連ニュース】「白山市で人形浄瑠璃の初共演(HAB北陸朝日放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース」他 全19件
白山市で人形浄瑠璃の初共演(HAB北陸朝日放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
振り込め詐欺防止呼びかける“人形浄瑠璃”上演 徳島市|NHK 徳島県のニュース - nhk.or.jp
瀕死の壮絶ラストシーンが評判 もとは人形浄瑠璃だが現代にも通じるストーリー 女殺し油地獄(1957年)(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
【阿波十郎兵衛屋敷】人形浄瑠璃とくしま座特別公演 - 阿波ナビ
新作の人形浄瑠璃が人気 淡路人形座 - sun-tv.co.jp
人形浄瑠璃保存会に日本キワニス文化賞(KYT鹿児島読売テレビ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
人形浄瑠璃保存会に日本キワニス文化賞|NNNニュース - 日テレNEWS24
編集長からの手紙:文楽の魅力、子どもたちに 人形遣いによる教室 国立文楽劇場(大阪市中央区) - 毎日新聞
フィルム現存ない映画「浪速女」、写真と脚本で再現 田中絹代特別展(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
最後飾る「播州皿屋敷」 修理屏風、絵金蔵でお披露目展 - 朝日新聞デジタル
【日本美女目録 新珠三千代という女優】瀕死の壮絶ラストシーンが評判 もとは人形浄瑠璃だが現代にも通じるストーリー 女殺し油地獄(1957年) - ZAKZAK
浄瑠璃に魅せられた人々の縁描く 作家・大島真寿美さん新刊『結』 - 毎日新聞 - 毎日新聞
演劇のハコ:「東西、東西」を楽しみに - 毎日新聞
『ライオンキング』23年目の再出発 稽古期間中の劇団四季に迫る(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
所ジョージの愛車カスタムは“ラジコンカー”にも波及 遊びの達人が届ける創意工夫を見よ(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
アートのまち大阪・北加賀屋にて同時期開催 この秋、アートイベントが目白押し - PR TIMES
広がる木育空間 徳島木のおもちゃ美術館 24日オープン - 朝日新聞デジタル
「中二病」の観点から読み解く『コードギアス 反逆のルルーシュ』の主人公像。ルルーシュは幸せになれない生き方をする主人公? - ニフティニュース
作家 大島 真寿美さん | ゲスト | 関西ブログ - nhk.or.jp
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momokoikegamiwrite · 4 years
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9/12~20
土曜日
待ちに待った和山やま先生の新刊『カラオケ行こ!』の発売日。書楽には平積みで大きな山になっていた。待ちきれず早速実家へ帰る電車(実家まで15分足らずなので無駄に往復してしまった(ホームの椅子で読めばいいものを))の中で読みきる。これまでの『夢中さ、君に』『女の園の星(1巻)』に続き、いやあ、、ちょっと本当に面白い最高すぎる。ギャグ漫画の分類だと思うけど、なんかちょっと泣いてしまった。これからも和山やま先生のまだ見ぬ漫画が読めるのかと思うとそれだけで生きる活力になる。いやまじで。こういうのは何というか、宗教を持たない自分にとってある種の”祈り”にも似た何かだと思う。実家で茅乃舎の出汁パックでカオマンガイを作った。炊飯器で鶏もも肉と米を炊くと肉が柔らかくジューシーになるだけでなく米が脂で(?)艶やかになってうまいということを知った。
日曜日
家族で近くのカフェへモーニングへ。コーヒーはそこそこ、ケーキが美味しかった。朝からコーヒーを飲んだらカフェインで気分が落ち込んだ。たぶん天気が厚い曇りなのもあると思うがそこからこの日は一日中そわそわして落ち着かなかった。そういう日もある。
月曜日
シフト出勤したのだが10:01にタイムカードを切ったので想定より30分ずれてしまった。失敗。アイスの実が京都の吉兆とコラボした「とうもろこし味」うまい。
火曜日
日曜日に実家で焼いたガトーヤウがうまい。初めてふるさと納税を買ってみた。手始めに5000円で岩手県北上市へ。返礼品はドライフラワー。迷いすぎて何もできないのが毎年のことなので、今年はちまちまとやるぞ、という気持ち。国勢調査の案内がポストに入ってた。やったほうが良いのか?
水曜日
会社を休んで朝から『mid90s』を見に行く。最高だった。ジョナ・ヒルって勝手にコメディアンだと思っていたけど(そういう面も実際にあると思う)コメディ映画じゃなくて、90年代のスケーターとそこにいる若者を16mmフィルムで美しく魅力的に描いた(というか切り取った)最高のカルチャー映画だった。劇中に出てくるスケーターが集まる公園(スケート禁止区域なので警察が来るとみんな逃げる)は実際にあったらしいが、(現在では公式にスケーターのために解放されてる)そこには何らかの事情で家にいたくない若者とか、ホームレスの人とか、中にはドラッグの売買してるヤバめな人々も混じってるようだけど、とにかくそういう”社会からのはみ出し者”が集って「最近どう?」なんて声を掛け合う場所としていて、こういうコミニティとしての居場所って良いよな…と思った。
木曜日
また会社を休んだ。レティシア・コロンバニの『彼女たちの部屋』を読み終えた。とても良かった。というか今個人的に気になっている「シスター・フッド」というキーワードに非常に関係する物語だったように思う。現代のパリで生きる女性と、同じくパリで100年前に救世軍として生涯を全うしたとある女性が「女性会館」を通して繋がる。100年前の祈りが時を経て現代の誰かに受け取られる様に、シスター・フッドとは緩くて不確かだけど強い連体感みたいなものとして働くことがあるよな、とか。それは今その存在を抹消されている「シスター」の声に手をのばすことができるんじゃないか、とか。久しぶりに善福寺川沿いを散歩したら、木の葉が散っていて秋だった。無性にバインミーが食べたくて浜田山まで歩いたが店が9月末まで休業していたので敢え無く帰った。『孤独のススメ』というオランダの映画を見た。おじさん二人が大きめのエコバッグを持ってスーパーへ行くところが可愛らしかった。
金曜日
会社。仕事中に通販でグレゴリーのリュックを買った。まぶたを虫に刺されたのか急に腫れて視界が狭くなる。友達の家に行って夜を過ごした。デンマークでよく歌われている曲とか(留学中に歌わされたらしい)、韓国、ロシア、台湾、異国の最高な曲をたくさん聴いて楽しい。本題のフリーペーパー作りもテーマ決まったし創作意欲が!湧いていい夜。
土曜日
なんとなく友達が持っていた『ウジョとソナ 独立運動家の子育て日記』を読む。1910年代から戦後を生きた夫婦の日記を元に描いた漫画。植民地化された韓国から亡命し、中国で臨時政府の一員として活動していた夫婦と子育ての話で、日中戦争の最中幼い子供を抱えながら何度も空襲から逃げたり引っ越ししまっくたり、もう息も絶え絶え、それでもいつか独立して祖国で平和に暮らすであろう希望を我が子に見て生きてきた軌跡に圧巻。漫画だから読みやすいしこういうのを翻訳して読める様にしていただけるのは本当にありがたい。フリーペーパーを早速進めてみる。ものは試しでまずはあまりこだわらず、形にすることころまでちゃんと持っていきたい。どんどん描いていくことにする。友達の家から帰宅して、ちょっとパンを食べて、少し昼寝…と思ったらそこから13時間も寝てしまった。
日曜日
奇跡の13時間睡眠を経て起きるとちょうど新しい1日が始まった朝になっていた。ついにイテモンクラスを見始めてしまった。今野書店で『��貨の終わり』という本を買��。今野書店の隣の隣の隣?くらいにあるFALLという雑貨屋の店主が描いたエッセイらしい。全然面識は無いけど行ったことある素敵な雑貨屋で、(書く人だったんだ…)という少しの驚きと、立ち読みした無印良品とかのことが書いてある話が面白かったので買った。何となく、他でもない今野書店で買うのが筋だろう、という本という気がしたので。そこから川を辿って歩きTitleへ行った。本棚からこの本屋の意思というか「祈り」みたいなものがひしひしと伝わってくるかなり熱い店だ。自費出版が充実していて、日記をまとめた『やがてぬるい季節は』を買った。早速読んだら大学〜就職までの本当に何てことの無い(褒めてる)日記なんだけど、なんというか好きなことを続けることの素晴らしさとか何かを観て影響されることとか日々思ったこととか、そういうものがどんなに愛おしいかということを突きつけられたような気がして、途端に自分もこういうことを書きたいと思って今に至る。なんというか、誰目線?って感じだけどあなたにしか書けないことを書いてくれてありがとうと思う。良い。本当に良い。Titleではもう一冊、『ボッティチェリ』という小冊子みたいな本を買った。これはロックダウン中のニューヨークで作者が”書かずにはいられない”みたいな感じで綴って柴田元幸に送った12の寓話集。副題「疫病の時代の寓話」ってこれ今読まずにはいられないな。初版が5月末(スピード出版!)で売れ切れてて買えなかったけど、重版したようで第2版で買えた。
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hidenobu-suzuki · 7 years
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普段の美容室の営業と早朝の撮影を行いながら今年も忙しい春を駆け抜けていました。
梅の撮影から桜へと。。。
自分的には今年も例年と異なる作品が創作できたことに満足をしています。
おかげさまで海外での紹介も続いていて、創作した作品が色々な国で紹介されていることを嬉しく感じています。
2014年のナショナルジオグラフィックでの紹介から今現在まで、色々なことを経験したり感じたりする数年間を過ごしています。
とくに昨年末に行われた美術展では貴重な経験をしました。
150年以上続く歴史ある美術展です。フランス国民美術協会が主催するルーヴル美術館内で行われるカルーゼル・ルーヴル展は、ヨーロッパ美術界の登竜門とも言われる名誉ある美術展です。
1893年、黒田清輝が日本人として初入選、歴代会員には、マティス、藤田嗣治、横山大観など、著名な美術家が関わってきた大きな祭典です。
近年では、書家・紫舟や書家・中塚翠涛、空間デザイナー 長谷川 喜美、石垣焼窯元、金子晴彦が金賞を受賞して活躍しています。
そのルーヴル展で私も金賞を受賞することができたことは、大きな経験と実績になりました。
日本とは異なる海外で、文化や言葉の違い、コネやツテのない環境で挑戦することは大きく成長するきっかけになり、続けて評価されていった経験は大きな自信につながっていきました。
フランス国民美術協会会長のミッシェルキング氏が私のために作ってくれた文章があります。私のプロフィール用の説明文です。
”Ma photographie se dévoile sur un chemin parallèle à celui de la peinture japonaise. La nature dans ses quatre saisons, au printemps privilégié, a depuis les temps les plus reculés, inspiré les émotions des Artistes et poètes du Pays du Soleil Levant. La spiritualité ancestrale du Japon est née de la contemplation de ses paysages. Pourrais-je espérer que mes cueillettes d’images soient baumes pour ceux et celles qui les goûtent, et que les rectangles de mes photographies soient des fenêtres qui s’ouvrent sur l’harmonie. Avec le piège de l’obturateur qui s’ouvre et se referme en ma chambre noire, je m'efforce de capturer les émotions méditatives sources de sérénité. Ces calmes sensations qui offrent au cœur de tout être, de tous pays, les rythmes harmonieux de la paix."
日本語訳はコチラ
”私の写真は日本画と似た道を歩んでいます。 遥か遠い昔より四季の自然はその芽吹きで、日出づる国の芸術家や詩人たちの感情に働きかけてきました。 日本古来の精神性は風景を見つめることで生まれました。 私の摘み集めた光景を目にした人々が安らぎを得て、四角い写真が調和へと開く窓になることを願っています。 私は開閉するカメラのシャッターを構え、平穏の源である瞑想的な感情を捉えようと励んでいます。 この穏やかな感覚が全ての国の全ての心に、平和な調和の調べを運ぶように願っています。”
この文章を頂いた時に、私は自分の作品に対しての見方が少し変化したと思います。海外の人たちが感じた日本らしさがとても奥深かったからです。
自分の製作している作品のテーマは日本らしさでしたが、日本人の考える日本らしさと海外の人たちが考える日本らしさには異なる感情があることに気づきました。
とても些細なことなのですが、私には大きな発見と喜びを感じることができました。
文化や言葉が異なる人々と英語を使ってコミュニケーションをするのですが、下手な文章が目立ち上手に会話をすることは困難な日々なのですが、どの国の人たちも作品から自分自身がどう感じるのかを誠意を持ってお話をしてくれます。共通する作品を通してお互いに理解し合う意思の疎通は、ここ数年の間に多くの国の人たちとすることができました。とても勉強になる時間を過ごしています。
このような経験を通して慌ただしい毎日を過ごしています。
本業の美容室も年末年始の忙しい時期でしたし、昨年の12月8日に誕生した我が子の育児も重なり本当に慌ただしい毎日でした。
子供も順調にスクスクと成長をしていて充実した毎日を過ごしています。
運気が好調の時は良いことは重なり、新年1月号に掲載された月刊文藝春秋も好評でしたし、NHKから連絡を受けたり国内外販売の問い合わせなども多々ありました。
しかし、問い合わせの多かった販売や個展なども行動に移さず、今まで通りの生活していました。
私は全くの素人で知識も経験も少ないので、サポートやアドバイスをしてくれる仲間や自分が学習して経験と知識を養ってから今後のことを考えていこうと決めていました。慌てずにコツコツといつも通りです。
私は主に500PXやFacebookやナショナルジオグラフィックを通して作品の紹介や海外で紹介されている出来事などを紹介していましたが、今後はTumblrを利用して個人的な思いや感想など日記のように書き綴っていこうと考えています。参考にしたい方は気軽にフォローしてくださいね。
普段使用しているカメラはCanon 5DⅢ&6D・オリンパスOM-D・富士フィルムX-Pro1・LEICA X2。パソコンは27インチのiMac。 編集で使用しているソフトはAdobe Lightroomです。
レンズは各メーカーに合わせて色々ありますが、30本近く所有しています。
現行のレンズ以外にオールドレンズなどもあります。
Photomatix などを使用したHDR合成・Photoshop などを使用した合成などは滅多に行いません。基本的にはLightroomを使った色彩調整がメインになります。
編集する前に必ずモニターのキャリブレーションを行います。
画面の色合いとか明るさは、出荷時の個体によって差があったり、使い続けていくことで変化したりする。そのせいで、自分が「こんな感じ!」と思って色補正しても、他人のモニタでは見え方が違った!!なんてことがあります。私はi1 display proを使用して正しくディスプレイを調整していますよ。
創作した作品は500PXなどに投稿して腕試しをしています。
各サイトごとに特徴があるので評価はマチマチですが、1つだけ言えることは素晴らしい作品はどのサイトでも必ず評価されます。必ず不特定多数のサイトに投稿してみるのが良いでしょう。
続けていく先に海外から声のかかる可能性があります。
もちろん誰もが絶対に保障されているわけではありませんが、優れた才能の所には多くの声がかかることでしょう。
自分自身を表現して可能性を広げよう。
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nitesha · 7 years
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緬北監獄 呂楠(馬小虎) 写真集 PRISON CAMPS IN NORTHERN MYANMAR The Work of LU NAN 
北京出身的攝影師・呂楠(Lu Nan)的攝影集。在日本他以「馬小虎」之名發表作品,在台灣則以「李小明」之名出版攝影集。呂楠高中畢業後,歷經數年的流浪生活,於1985年在北京的某雜誌社暗房擔任相片沖印師直到1988年初。離職後,他花費兩年走訪全國10省共38間精神病院,拍了近500多卷底片,而後集結成書《被人遺忘的人 (The Forgotten People)》,和另外兩組作品集──拍攝中國天主教徒的《在路上 (On the Road)》以及記錄西藏農民的日常生活的《四季(The Four Seasons)》被喻為「呂楠三部曲」,享有極高的評價。
此書收錄呂楠於2006年造訪緬甸撣邦第一特區(也稱果敢)的楊龍寨監獄和果敢縣勞教所時所拍攝的照片。此地區過去長年盛行種植麻藥的原料罌粟,絕大多數的被攝者皆為因吸食、販運和零賣麻醉品而被捕入獄。然而,曾吸食麻醉品的犯人,刑滿釋放後,都無一例外的復吸。
2015年中國民族攝影美術出版社推出相同內容的攝影集, 然而,此書為此系列首次作為攝影集發表的原版,其編排、書本尺寸和紙質等,皆與2015年版本迥異。此書已絕版多年,一書難求。■ 延伸閱讀:呂楠《緬北監獄》報告
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北京出身の写真家・呂楠(Lu Nan)の写真集。日本では馬小虎という名で、台湾では李小明と名前を変えてそれぞれ写真集を出版している。呂楠は高校を卒業した後、何年間か浪人生活を経て、1985年から北京の雑誌社で暗室のプリンターとして働いていた。在職中、北京テレビ放送大学に通いながら写真に接し始める。1988年の初頭に雑誌社を退職し、二年間かけて全国10省、38の精神病院を回り、500本余のフィルムを撮影している。この時の写真をまとめた写真集『 被人遺忘的人(The Forgotten People)』に、中国のカトリック教徒を撮影した『On the Road(在路上)』、チベットの農民に密着した『The Four Seasons(四季)』が彼の代表三部作として高く評価されている。 本書は2006年にミャンマー(旧ビルマ)のシャン州にあるYanglongzhai刑務所とコーカン地区にある更生施設を訪れ撮影した写真集。この地域では麻薬の原料であるケシ栽培が盛んなことから、被写体のほとんどは麻薬関連の犯罪者たちである。たとえ彼らは刑期を満了しても再び同じ犯罪に手を染めるという。ミャンマーが抱える深い闇に目を向けたドキュメンタリー・フォト。2015年に中国民族撮影美術出版社版が同内容の写真集を出版しているが、本書はおそらく書籍としては初出にあたるもので、レイアウトや判型、紙質などが全く2015年版とは異なっている。本国ではすでにほぼ絶版で入手困難な一冊。
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購書 BUY 編集:那日松/Na Risong アートディレクター:段志佳/Duan Zhijia デザイナー:肖劍韜/Xiao Jiantao 出版社 publisher:中国図書出版社/China Tushu Publishing Limited 刊行年 year:2009 ページ数 pages:63 plates サイズ size:H323×W242mm フォーマット format:ソフトカバー/softcover 言語 language:中文/英文-Chinese/English 付属品 attachment: 状態 condition:良好です。/very good.
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shibaracu · 4 years
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∵ ∵ ∵ 日本の時の読み方
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∵ ∵ ∵ 日本の時の読み方 ★比較文化史の試み37 旧石器時代  https://00m.in/8ulBa 旧石器時代 日本の旧石器時代は、約3万5千年前の後期旧石器を始まりとする。 いわゆる、原人や猿人などのことではなく、私たちと同じ 「新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)」の時代に入ってきてからである。 しかも、ナイフ型石器というかなり完成された石器を伴う。 つまり、旧石器人は高度な技術をもって、日本列島にやってきた。こ のナイフ型石器には日本固有の特長があり、周辺地域とは異なる点がいくつかある。 もちろん、彼らには日本人などといった意識はないし、 単に現在の日本の領土内にいたということにすぎない。 文化の継承があるとは断定できないが、現在に我々が存在する以上、 旧石器時代に我々の先祖にあたる人々どこかにがいることは間違いない。   ★比較文化史の試み38 旧石器時代2  https://00m.in/i84RV 旧石器時代 その2 北海道は大陸と陸続きの関係で、本州・四国・九州とは異なった石器文化をもっていた。 大陸から見れば半島であり、北海道までは容易に到達することができる。 ナイフ型石器が日本列島独自の文化であることは前述のとおりだが、 それは本州・四国・九州が対象となる。 北海道に到達した旧石器人が「まだ舟をつくっていない」と仮定するなら、 津軽海峡を越えられるのは厳寒期の凍結時だけと思われる。 おそらく、これが文化を分けた理由だろう。   ★比較文化史の試み39 旧石器時代3  https://00m.in/TbNdW 旧石器時代 その3 ナイフ型石器II期になると、角錐状の石器が出現する。 しかし、現在のところ北海道では出土しない。 これも津軽海峡という「海」が影響しているのだろう。 北海道は旧石器時代を通して本土とはやや異なる文化圏に属していたようだ。 旧石器時代の黒曜石の産地のひとつに神津島があり、神津島が本土と 陸続きになったことがないと考えられ、このことから舟の存在が指摘されている。 その根拠となった「石斧と砥石(といし)」がナイフ型石器I期の途中で 忽然(こつぜん)と消えてしまう。 この原因は全く不明である。磨製石斧が舟を作る道具で、より便利で 新しい道具に置き換わったのなら、その石器が出土するはずだが、 現実には、そのような石器は見つかっていない。 その結果、磨製石斧を動物解体用の道具とする説が有力視されることになる。 そして、大型動物の激減が磨製石斧の生���を止めさせる。 そのように説明するのが「動物解体道具説」である。 出土した磨製石斧の一部から動物の脂肪酸が検出できたとの報告もあるが、 疑問視するむきもある。 ★江戸時代の時間の感覚は弥生時代と変わらない...?: あまのじゃくの羅針盤 http://aze.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4ff7.html 2011/02/17 江戸時代は,なんせ...2時間単位で行動していたみたい。 この間の1時間は半刻と呼ばれてはいたが、これはもう時間の経過が分からない。  したがって腹時計でやっていたとも...?  「明け六つ」も一定の時刻ではなかった。 文字通り夜のあける時間...という程度の割り振り、感覚だった? 故に、この明け六つは季節によって動いていく。 季節が変われば明け六つの時刻が変わり 「一刻」の時間の長さも季節によって変わっていた。 また昼と夜の長さが季節で変わるから、 一刻の時間の長さも昼と夜では少し違うものになる。 ★第75回 時計と時間 – 縄文エッセイ - 縄文ファン https://aomori-jomon.jp/essay/?p=7477   2014/12/09 蚊やダニは我々が気づかない間に皮膚に穴をあけて管を刺し、血を吸って立ち去るという離れ業をやってのけます。小さくてすばしこい蚊の眼には人間の巨大な肉体の動きはスローモーションに見えると聞いたことがあります。反対に、静かに立っていると思える樹木は早回しのフィルムで見ると、実は生き生きと陽の光を追って葉や枝を動かし、成長していることがわかります。 小さな虫、大きな木それぞれに流れる時間は、その速さが違うということになります。 木と虫にとどまらず、あらゆる生き物にはそれぞれに流れる時間の速度があって、惑星レベルで考えれば、マントルの動きや季節風の代謝などさらにマクロな時間が流れ、宇宙に至っては時間の流れはさらに混沌とした不確かなものになると考えられます。 ★西孝二郎著『古代史のからくり』の紹介 http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/ekikyo.htm  1  古代日本の古典や祭祀・信仰が道教など中国の古代思想の影響を受けているという指摘が、これまでかなりなされてきた。個人的には、扶桑国問題などで『山海経』が興味深いものの、これを含めて中国や朝鮮半島の経典・祭祀を念頭においた観点からの日本古代史の考察や古典の分析も望まれる。  さて、本書(2007年8月刊、彩図社ぶんりき文庫)は、儒教の基本テキスト「五経」の筆頭に挙げられる易経と記紀との関係について、考察を加え所説を展開するものである。裏表紙に記載の紹介文には、「古代史料のあちこちに潜む文字遊び・言葉遊びの数々。その大半は『易経』に立脚して創作された記紀の内容……。長年月の間に築き上げられてきた数多の定説の塔を粉砕し、一からの再考を強いる、古代史研究のための新・基礎解釈!」と記される。通読してみても、これは要を得た説明といえよう。 ★「古事記」「日本書紀」の読み方(地名、人名) https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2018/e/2097f44e1e6324b1c803c2b9bac344b7 2018-06-09  歴史の祠(ほこら)  魏志倭人伝の読み方(地名、人名) https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2018/e/61bca435a9719951984e1a1073501a6a を参考に日本の歴史書「古事記」「日本書紀」の漢字について考えてみましょう。 漢字が仏教と共に日本に伝わったのが飛鳥時代の6世紀ごろ 氏姓制度で、地名や豪族の名前に漢字が使われます。 基本的には、漢字二文字が名前です。 ★日本が好きになる!歴史全授業(小6・中学) 2013/05/14 http://aokihumu.blog69.fc2.com/blog-category-6.html ★弥生時代の開始年代 http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yayoi.htm 国立歴史民俗博物館で「弥生はいつからか」というテーマで企画展示が行われているので2007年8月11日に四年ぶりに佐原まで出かけました。四年前にマスコミに大きく取り上げられ、その後の成果の報告を期待してでかけました。九州から東北までの縄文晩期~弥生の遺跡で発掘された土器に付着した炭化物や、水田に打ち込まれた杭(くい)や矢板で年代測定が行われました。国立歴史民俗博物館では、弥生時代の開始時期の定義を、水田稲作の始まった時期とし、九州北部で水田稲作が始まった前10世紀後半としています。従来の弥生観では、水田稲作と金属器がセットで生産性が非常に向上し、わずか100年間で畿内や東海の一部にまで伝播したことになっていましたが、報告された弥生時代では、早・前期の600年間が石器時代であり、ゆっくりと時間をかけて水田稲作が広がっていきました。   ★道祖神 男根 胞衣(えな)信仰 猿楽  [No5] http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/enasinko.html 精霊の王/中沢新一 註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。 猿楽の徒の先祖である秦河勝は、壺の中に閉じ籠もったまま川上から流れ下ってきた異常児として、この世に出現した。この異常児はのちに猿楽を創出し、のこりなくその芸を一族の者に伝えたあとは、中が空洞になった「うつぼ船」に封印されて海中を漂ったはてに、播州は坂越(サコシ)の浜に漂着したのだった。その地で、はじめ秦河勝の霊体は「胞衣荒神」となって猛威をふるった。金春禅竹はそれこそが、秦河勝が宿神であり、荒神であり、胞衣であることの、��ぎれもない証拠であると書いたのである。     ●onia222さん 縄文時代は,みな3,4時間ほどの労働で,あとは歌ったり踊ったりと楽しい生活をしていたと思います。 なので世界中から永く日本は憧れの的だったようです。
諸外国は先天的に戦う宿命を持つ蕃族割拠のローカルの地でしたし、 従って歴史文化も永続きはなかったですからね。 今のほうが便利かどうかも疑問です。便利が進歩ではないかも知れません。
今と古代とは、価値観が全く違いますから、単純に比較できません。 人口比や食糧の多少で比較しても其れが要件になるかどうかは分からない。 貧しさとは何なのか?今は食料が豊かなのか?今は平和なのか? こうした点についてそもそも日本人は認識できていない。
例えば、縄文時代は戦争をした形跡が見られないのに対して、 「20世紀は戦争の世紀」だったと言われる。 それで凡そ1億人が犠牲になった。今も何処かで戦争や内乱が続いています。 食料と水飢饉で何百万人もが苦しんでいます。
此れでは、人類には学習能力が皆無である証拠であり、今の世間の常識が 「生命第一」としたり、モノカネ主義の価値観こそ大きな誤解である事を 知るべきです。 日本人は昔から長寿でしたが、長寿は結果であって、病気や苦しみの中で 生き永らえるのは無意味です。
戦後の日本や今のアジアのように多産多死ではなくて、今のように少子化でした。 縄文時代は、今のようにどっさり食ってどっさりウンコをする快楽文明ではなかった。
マスプロ、マス消費、大量生産、大量消費と大量ゴミと大量殺りくの戦乱、 病気、苦しみはなかった。 寧ろ其れをなくす知恵や哲学がありました。 また四季折々の滋味豊かな旬の食べ物が、家の周りの天然の冷蔵庫である 森や川に多種多様に幾らでもあった。
其れに比べて今はスーパーに色んな物があるけど、全て年中変わり映えのない 汚染された加工食品や偽装食品であり、ペットフードと大差ない商品。 そんなものしか食べられない生活は貧しいし、量より質の問題です。
それしかない中で、毎日仕事仕事の状況で有るなら、 ペットでも欝になってしまいますね? 其れとは違って縄文時代から江戸時代までの日本は、 凡そ上述のような平和と調和の暮らしでした。
一体どこが違ったのかと言えば、モノカネ主義ではなくて、 根本的には、どうせ一生、生きるなら悪魔の中ではなくて、 神様と共に生きようとする考えで暮らしていたからです。
◆消えた歴史 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-922.html 戦後、ほんとうに日本的なもの、日本人が絶対に知っておくべき様々な歴史が、 次々と消えて行っているように思います。 たとえば、物語として、日本の神話や、 曽我兄弟、二宮尊徳、赤穂浪士、山鹿素行、乃木希典、天狗党、天誅組、 義経と頼朝の相克、壬申の乱、朝鮮進駐軍、ハーグ陸戦条約、軍人勅諭、 教育勅語等々、数え上げればきりがない。
◆縄文紀行 北日本の遺跡~実像に迫る http://okome-okome.sakura.ne.jp/data/touhoku.htm 47 ナゾの板材 縄文の戦争論に一石  (2004.03.16)  「縄文の狩猟採集民は富や蓄えがなかった。従って戦争はなかった。  定義は難しいが、戦争は農耕社会が成熟した弥生時代から始まった」  これは三年前に青森市内で開かれた、ある原子力関係の大会で、  佐原真・国立歴史民俗博物館館長(故人)が、  特別講演の中で述べた弥生の戦争論だ。
◆大平山元I遺跡 - Wikipedia http://bit.ly/ylekLh 大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)とは、青森県外ヶ浜町にある、縄文時代遺跡である。出土した土器片.この遺跡から発掘された縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法の算定で16500年前(暦年較正年代法による)と...
◆大平山元遺跡 - 北海道・北東北の縄文遺跡群 https://jomon-japan.jp/jomon-sites/odai-yamamoto/ 大平山元遺跡. [おおだい やまもと いせき]. 2013(平成25)年3月27日 史跡指定. 時代区分-草創期. 青森県津軽半島の東側中央部、陸奥湾に注ぐ蟹田川左岸の標高26mの河岸段丘上に立地する、縄文時代草創期初頭(紀元前13,000年頃)の遺跡です。 旧石器時代の特徴を持つ石器群とともに、土器片と石鏃(せきぞく)が出土しています。土器片に直接付着していた炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ、12,680±140~13,780±170yrB.P.という年代が得られました。これにより約16,500年前のものである可能性が指摘されています。また、共伴する神子柴・長者久保石器群は、旧石器時代末期の特徴を引き継いでいます。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時の流れていうか時間の使い方は様々で時間を遡るほどのんびりしていた。
現代人が果たして時間を無駄に使っているのか。    人それぞれの考え方がある。
忘年会 新年会 懇親会 など 身近で行う模様しや宴会などは短時間で企画して実行できる。
人を集めるとなると最低 経験では三ヶ月。 大きくなればなるほど時間は掛かるもの。 時間かければ良いとは限らないけど。
時の流れの中で時間の観念はその時の情景なども加味されて人により変わってくる。
縄文時代は,みな3,4時間ほどの労働で, あとは歌ったり踊ったりと楽しい生活をしていた
こんな生活をしてみたいもの。 キット時間はユックリと たゆとう様に流れ居たのだろう。
時計に縛られて生活している。  現代人は幸せなのかな。
今は 武漢コロナウィルスに触り回されている。
支那人や 白人が 関わると 碌なことは無い。 のんびりと ゆったりと 行きたいものである。
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cluboftigerghost · 4 years
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informationalaffairs: 207.季刊フィルム No.11 ポルノグラフィティ的想像力. 東京:... https://ift.tt/33DtVEO
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gdbot · 4 years
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txtmatango · 5 years
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私の映画遍歴
その頃、ドナルド・リチーは『季刊フィルム』に「私の映画遍歴」という一文を寄せているが、私は、これはドナルド・リチーによって書かれたもっとも感動的なエッセーと考えている。映画に耽溺することの恍惚と病いを、これほど真率に告白したエッセーは稀であり、次に引用する冒頭の一節は、おそらく、今野雄二さんも深く共鳴していたのでないかと想像されるのだ。
「妻は、私と離婚する��前にこういった。「私がもし、これから結婚しようとする人にアドヴァイスを頼まれたら、その女性には、映画を好きな男とは結婚するな、っていうでしょう」。彼女の判断は正しかった。映画が好きな男は、ほとんどの時間をひとりぼっちで暗闇で過ごすために、自己本位で社交嫌いになってしまう。そのうえ、それほど映画が好きだというのは、幼い頃から映画を見始めているに違いないのだ。彼の幼年期は歪んだものだ。自分の家族よりもスターを愛し、彼は暗闇の中にひとりぼっちで坐っていた。最後には、彼がそれほどまでに映画が好きになるには、スターが必要となったはずである。これは不幸な家庭を意味し、あまりにも不幸であるために彼は映画館へ逃避せざるを得なかったのだ。あまりにも映画が好きな子供は、病める子供であり、病める人間になる。彼は現実よりもスクリーンの幻影を愛するようになる。」(今野雄二訳)
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hiro-photograph · 5 years
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週刊タイラヒログ!VOL.25_久しぶりに使ったフィルム『業務用100 24枚撮り』の作例あり。
  はいさいびーさい。タイラヒロ(@tairahirog)です。
毎週日曜日更新の【週刊タイラヒログ】のお時間です。
今回の週刊記事では、いつも通り今週更新した記事の紹介、最近気になるモノ・ガジェット、ブログ記事や気になるニュース、そして記事終わりのワンデイフォトシリーズでは、久しぶりに使用した35㎜カラーネガフィルム『Fujifilm 業務用100』で撮影したフィルム写真をまとめて紹介したいと思います。
それではどうぞ!
タイラヒロ
今週もブログ書くのだいぶサボりました…
今週更新した1本の記事!
今さっき更新しました!毎月初めに書いてる『月間ベストスナップ』の記事です。この記事にも書いていますが、1月は夜スナップの機会が全くなかったので、今月は意識して夜の街に繰り出して写真を撮りたいなと思ってます。
1月のベストスナップとして選んだ4枚の写真は夕焼けの写真ばかりですが、よかったら見て行って下さいね。
 はいさいびーさい。タイラヒロ(@tairahirog)です。月の初めは前の月に撮影した写真のベスト4を選出し、月間ベストスナップとしていつもまとめて紹介させて頂いてます。今回紹介する写真は、全て夕陽夕焼けのシチュエーションで撮影した4枚です。この時期は空気... 1月のベストスナップ_ #1月を写真4枚で振り返る - タイラヒログ
今週の気になった記事を紹介
Twitterのタイムラインに突如として流れてきたのがこちらの記事。
5年間の服役と自宅軟禁で学んだ写真。 世間に戻った写真家は、社会の歪んだ側面を切り取る。 Donato Di Camillo(ドナート・ディ・カミッロ)
すごく面白かったです。
記事内で紹介されている写真がいい。生々しさと迫力がある写真。ぜひご一読ください。
今気になってるモノ
物欲はだいぶ落ち着いてるので、モノではなく3月に開催される予定のイベントについて紹介します!
3月9.10日に開催される『Okinawa Coffee Festival 2019』がとても気になってます。台湾の有名コーヒーショップも参加するらしく、国境を越えたこのイベントに沖縄在住のブロガーとして参加しないわけにはいかない!
3月の沖縄は「うりずん」といって、冬の寒さを乗り越えた草木が一斉に花を咲かせる時期で、また気候も穏やかで寒すぎず暑すぎず、屋外でのイベントに参加するにはうってつけの季節です。
沖縄を訪れるのも、この時期がベストかなと個人的には思うので、今年沖縄旅行をお考えの方はうりずんの季節に沖縄にめんそーれ。
今週たくさんいいね!をもらったInstagramの写真
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  hiro.photographさん(@taira_hiro)がシェアした投稿 – 2019年 1月月28日午後3時37分PST
夕焼け空と星空を長秒露光で撮った写真が最多いいね!獲得となりました。ありがとうございます。
この日は真後ろにほぼ満月な月が空を照らしていたので、新月の時期を狙ってまた同じシチュエーションで撮ってみたいなと思ってます。
それから、最近からInstagramのストーリー機能を使って、各種フィルムの作例をまとめてアップしてたりします。今後も追加予定ですので、興味のある方はぜひフォロー下さいー
Instagram→@hiro_taira
ONE DAY PHOTO『Fujifilm 業務用100』
まずは『業務用100』で撮影した朝焼けと朝陽の写真です。
いい色出てます。程よい粒状感も温かみがあって、フィルムで撮る写真ってやっぱりいいなって思います。
続いては日常を切り取ったフィルム写真です。
『業務用100』はお手頃な価格なので、ハッとときめいた瞬間を躊躇する事無く写真に収められるのでいいですね。ここ最近やや高めのフィルムを使って大事に撮影を進めていましたが、業務用フィルムで気軽にスナップする楽しさも大事だなと感じた次第です。
まとめ
タイラヒロ
2月はコンスタントにブログ書きたいですね。
毎週言ってる気がしますが、も少しペース上げてブログ更新したいです。本当に。
書きたいことは山ほどあるのですが、気持ちが追い付かず…
ブログ書けてない分写真はデジタルもフィルムもたくさん撮ってるので、明日からはその写真をブログで紹介できるように取り組みたいと思います。
とりあえず今月は毎日5時起きを目標としているので、早寝早起きできるようまずは就寝時間を意識して日々の生活を送りたいなと。(まだ一回も5時に起きれてないorz)
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furoku · 3 years
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【フラゲレビュー】sweet(スウィート)2021年7月号増刊号《特別付録》JILLSTUART(ジルスチュアート)カードケースつき花柄マルチポシェット
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sweet(スウィート)2021年7月号増刊号(2021年6月10日(木)発売)のふろくのみを出版社様のご厚意でお譲りいただきましたので、いち早く「ふろく.life」でフラゲレビューとしてご紹介します。 ※発売前の見本品になりますので、発売後のものと違いがあるかもしれません。その点はご了承ください。 JILLSTUART(ジルスチュアート)カードケースつき花柄マルチポシェットはどんな付録? sweet 7月号増刊の付録はジルスチュアートの今季の花柄をプリントしたマルチポシェット。 ホワイトをベースにした色合いで春夏のコーデに爽やかさをプラスしてくれる! 表にはスマホを入れるのにぴったりなポケット。 裏面にはカードポケットやファスナーつきポケットもついているのでコレされあればお出かけできちゃう。 宝島チャンネルより
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サイズ(約):タテ18.5×ヨコ14×マチ3cm 宝島チャンネルより 爽やかな白地に、大人っぽいフラワープリント。 ジルのロゴは金の箔押しで高級感があります。
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裏面は、カードポケットが3か所。サイドファスナーポケットが一つついていました。
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ファスナーのツマミに使われている華奢なリングがカワイイ💛 金具類は全てゴールドで、大人かわいいです。
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  付録のサイズ感は?何がどれくらいまで入りそう? 全体の大きさはB6サイズくらいですが、ポシェットにB6サイズを入れると、はみ出してしまいました。
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ということで、A6サイズを入れてみましたが、かなり余裕で入りました。
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正面のポケットにもA6サイズが入ります。
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サイドポケットからは、入口が狭くてA6サイズは入りません。ポケットティッシュはこの通り入りました。
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ショップカード類を入れた様子。 一番手前の透明ケースは、カードがぴったり入る大きさですが、後ろのポケット2つは、写真のように少しカードが飛び出す大きさになっています。
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    付録の素材はなに?原産国は? <素材表記> PVC合皮 ポリエステル 鉄 合金 <製造国> 中国 MADE IN CHINA
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  付録素材を見た、触れた感じは? 表地はしなやかでやわらかな合皮素材。よーく見ると細かなシボが入っていて高級感があります。 裏地は同じ白色で、薄いハリがあるポリエステル素材です。裏地がしっかりついていることに少し驚きました。見えない部分まで丁寧に作られています。 カードポケットについている透明フィルムは、しっかりとした厚みがあるしなやかな素材です。 全体的に素材の質については、高クオリティーと感じました。
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  付録の品質はどう? 縫い目は一定で、まっすぐに縫製されています。 ファスナーの開け閉めも問題なし。カーブの部分の開け閉めも、引っかかりがなくスムーズです。 そして、大事なファスナー終わりの部分、ちゃんと最後まで閉めることができました。
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  付録を使ってみた感想は? sweet(スウィート)2021年7月号付録、JILLSTUART(ジルスチュアート) ハーフムーン形 二つ折りウォレット と、ハンカチを本体部分に、スマホを前面ポケットに入れてみた様子です。 長財布は入れることができませんでしたが、二つ折りウォレットはぴったり入りました。 また、肩掛けのショルダーストラップは、全体の雰囲気にマッチはしていますが、細くて華奢だなあと感じました。 何度か引っ張ってみましたが、若干、伸び縮みするような気がしました。ミニポシェットなので、それほどの重量はかからないとは思いますが、使用時には少し気をつけたほうがいいかもしれません。
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この付録、アリ?ナシ?
あり! 作りの丁寧さ、素材のクオリティー、大人かわいいフラワープリント、どれをとってもアリです。「あり!◎」 JILLSTUART(ジルスチュアート) ハーフムーン形 二つ折りウォレット といっしょに使えば、気分も2倍盛り上がりそう。 夏のファッションにぴったりなJILLSTUART(ジルスチュアート)カードケースつき花柄マルチポシェット、ぜひチェックしてみてください!
購入した付録つき雑誌/sweet(スウィート)2021年7月号増刊号
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誌名 sweet(スウィート)2021年7月号増刊号 出版社 宝島社 発売日:2021年6月10日 価格:1,100円(税込) ブックマークしたときのタイトルより 予約・購入ができる公式サイト:宝島CHANNELはこちら>>(別サイトへ移動します) 宝島CHANNNEL、セブン‐イレブン、セブンネットショッピング限定販売商品購入ページはこちら>>(別サイトへ移動します) ※一部の店舗では取り扱いがない場合があります 付録違いのsweet 2021年7月号も同時発売 詳しい予告記事はこちら>>   Read the full article
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robertfrank2017kobe · 7 years
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写真の原点と、原点の写真について——写真展『Robert Frank: Books and Films,1947-2017 in Kobe』によせて(竹永知弘/日本現代文学研究)
After seeing these pictures you end up finally not knowing any more whether a jukebox is sadder than a coffin. That's because he's always taking pictures of jukeboxes and coffins  and intermediary mysteries [...] .
"THAT CRAZY FEELING IN AMERICA" Jack Kerouac
 写真家、ロバート・フランクは無名の大家である。写真に疎遠な者には、その影響を受けた後続たちに比しても残酷なまでに無名だが、ひとたび写真に関わってしまった者には、決定的な原点として避けようもない大家であるという当たり前の意味において。原点について考える。
 その写真家は1924年、スイス・チューリヒに生まれる。6歳にして、大戦下ながらグラフィック・デザイナー、ヘルマン・ゲゼッサーのもとで写真に触れはじめ、翌年より、チューリヒにスタジオをかまえていたミヒャエル・ヴォルゲンジンガーに師事することで本格的に写真制作の基礎を形成する。以後、趣味的な撮影を続けていたフランクだが、そのキャリアの決定的な転換点となるのは戦後1947年、蒸気船=ジェムス・ベネット・ムーア号に乗り込み、アメリカへと移住したことだろう。主な活動の舞台をアメリカ・NYへと移したフランクは、地道に写真制作を続ける他方で、アートディレクターとして知られるアレクセイ・ブロドヴィッチの紹介により伝統的なファッション・マガジン『ハーパース・バザー』のカメラマンの仕事をこなし、当面の糊口を凌いでいた。後年になって「彼らの作るものは僕にはわざとらしすぎて、(…)お金は稼げたけれど、それは僕の目指す世界ではなかった」と振り返らずにはいないその修業時代を脱するきっかけとなったのが、彼の言わずと知れた最初の代表作『The Americans』である。
 彼についての最新の展示会「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」に行けば、その写真集『The Americans』をはじめ、90歳を超えたいまなお継続的に発表され続けるものなど500点近いフランクの作品を目撃することができる。と言ってまず気づくのは「Books and Films」という副題に顕著なように、本展がスポットライトを当てるのが「書物」と「映画」だという点だろう。すなわち、そこでは単体の瞬間を集積し、組織し、伝達するメディア的な空間が中心的問題となっている。それはもちろん、あとで紹介する本展の一風変わった展示方法やキュレーションのコンセプトと具体的に関与しているはずだ。本稿ではさしあたり、彼の代表的写真集『The Americans』(つまり「書物」のほう)をおもに取り上げつつ、ロバート・フランクという写真家をめぐるいくつかの関心事について書いていく。
  ビートニクを代表する詩人、ジャック・���ルアックによる序文が添えられた『The Americans』(現在手元にあるシュタイデルから刊行された2008年の決定版は、三色刷りで180ページ)には、1955年から翌年にかけてグッゲンハイム奨学金を運用してアメリカを旅行し、撮影したという83点の写真が収められている。 
 グッゲンハイム奨学金というと、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、それは毎年、優秀な科学者や芸術家に与えられるスカラシップである。フランクと同年の獲得者リストには当時、西アメリカ原住民やアフリカを被写体にしようとしていた写真家のトッド・ウェッブが名を連ねている。周縁地帯の積極的な撮影を試みたアメリカ人であるという意味でウェッブは、フランクときわめて正対的な写真家だと言えるだろう(フランクは中心を撮影しようとする非アメリカンである)。1937年のエドワード・ウェストンをはじめ、多くの写真家がこの奨学金の恩恵に与ってきたのだが、フランクはアメリカ人以外の写真家でそれを受け取った最初の例だった。
 よく言われるように『The Americans』のフランクは、異邦人の視線(≒写真)により大国・アメリカの実相に迫ろうとしている。1946年に撮影された最初の写真集『40 Fotos』(2009)に続いて1949年にすでに撮影されていた第二作『Peru』(2008)の場合がそうであったのと同様、スイス人の彼にとり、ここで撮影の舞台となるアメリカはごく単純な意味において他国/異国である。しかし、その一応の所属先であるスイスもまた、その写真家には、他国/異国として認識されている点に触れておくべきかと思う。戦前のフランクは、法的にはスイス人でありながら、家系的にはドイツ人であり、かつ血統的にユダヤ人であるという帰属のトリレンマに苦しみ続けた。彼は生来のストレンジャーである(その精神のもっとも捻れた、あるいは正統な継承者が1984年『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を撮った映画監督、ジム・ジャームッシュだろう)。フランクは写真家となることで、その自らの宿命をラディカルな方法へと転化することに成功する。『The Americans』とは、フランクが異邦人としてありありと剔出してみせた、あの50年代アメリカという時空間の光と闇(エピグラフ/序文のケルアックに倣えば「jukeboxes」と「coffins」)の集積である。異邦人(あるいは亡霊?)としてアメリカ各地を徘徊するフランクは撮影という行為を通じて、華やかな50年代ハリウッドのムービー・プレミアといった華やかな世界から、デトロイトの工場の下級労働者までを有するその国の懐をわれわれの眼前に剥き出してくれる。
 さて、ここで写真集のページをぺらぺらと捲っていくと、その表題の通り、収められた写真の大半がアメリカ人(かは正確にはわからないが、ひとまず、その写真が撮られた瞬間にアメリカという空間に存在した人物)を撮影しているものだとわかる。たとえば、物陰に潜んで体の一部のみを覗かせている人物(「Navy Recruiting Station, Post Office  Butte, Montana」)や、鬱蒼とした茂みに潜んでいる人物(「Backyard  Venice West, California」)などを含む、このアメリカ人を撮影するという一種のルール。ときには窃視者のやり方で行われる対人撮影というこの事情が、限りなく少ない枚数しかシャッターを切れないという制約をフランクにもたらしている。その写真集の増補版として、シュタイデル社から刊行された『Looking In』(2009)に収められている『The Americans』のコンタクトシートは、そこでのフランクの苦闘を目に見えるかたちで証明してくれるだろう。その制約に漏れる「例外」として収められたアメリカのランドスケープを撮影した写真と見比べるとき、(窃視的なものをのぞく)対人撮影におけるシャッター数にかかる制限は明らかである。一例として、表紙に採用された「Trolley New Orleans」を筆頭とする対人撮影では平均して3〜4コマほどしかシャッターを切っていないのに対し、カリフォルニアの道路脇に停められた車(「Covered Car  Long Beach, California」)には少なく見積もって倍以上を撮影しているというような差異に着眼しておこう。対人撮影はフランクの撮影を制限する。さらに推し進めて言うなら、フランクが第一人者とされる方法論、すなわちブレ・ボケ・アレの三拍子もこの対人撮影の制約のうちで考えることができるだろう。それは撮影対象がもたらす不可避的な制限=否定性を事後的にであれ、先回りしてであれ、ブレ・ボケ・アレというフランクの方法=肯定性へと明確に転化するレトリックであるのだから。どちらが先かは判らないにせよ、ふたつは確実に連動している。
  この指示機能を「あえて」失調したアクシデンタルな写真によりフランクは、ビル・ブラントやウォーカー・エヴァンスなどの理解者による推輓を得て、業界内での地位を次第に獲得してゆく。フランクは写真を「ありのまま」に提示する。このような評価が確立されるまでに、さして時間はかからなかった。ちなみに言うなら、こうしたフランクの評価の裏面には、大きくふたつの仮想敵が存在している(もちろん、ふたつは密接に互いに関与している)。ひとつ目は『ライフ』などの雑誌(すなわち文字と経済)と癒着したフォト・ジャーナリズム。ふたつ目はアンリ・カルティエ・ブレッソンによって提唱された「決定的瞬間」の概念である。そうした仮想敵との相対性のなかにフランクの写真を置いて見るとき、なるほど、文字によるわざとらしい説明を可能なかぎり排除しているという意味で「ありのまま」であり、ブレッソン的な構図への執着が見えづらいという意味で「ありのまま」である。写真史的には、そう説明できるだろう。
  けれども、この「ありのまま」ということの質にも多少の配慮が必要である(文学におけるリアリズムがそうであるように)。第一に、われわれが目にする『The Americans』には「ありのまま」という言葉とは裏腹に、きわめてエディトリアルな操作が介在している点。たとえば、われわれが写真集に見る83点が27,000点もの膨大なネガからフランク自らにより選択されたものだという事実や、版毎のトリミング位置の変更など、フランクは〈撮影者〉であると同時に〈編集者〉として、自らの作品から立ち上がるイメージをきわめて意図的/恣意的に操作している。この点には配慮しておこう。さらに第二に、自覚の有無という程度の差こそあれ、撮影者のいかなる意図にも反し、撮影という行為が原理的に「決定的瞬間」を創出するものであるという点について。なるほど、その写真は実際、奔放に撮られたものなのかもしれない。だが、そうした撮影方法とはまったく別の次元で、カメラによる撮影行為は構図をひとつに固定し、否応なく対象のイメージを切り出してしまうというプロセスであるはずだ。この意味でそれは、やはり「決定的瞬間」と呼ばれるほかないものである。あらゆる写真は事後的に「決定的瞬間」を創り出す。とはいえ、さして心配はいらない。というのも、この写真における「決定的瞬間」という発想が原理的に含み込む欺瞞を解消する技術はすでにその言葉の半世紀以上も前に発明されているからだ。言うまでもなく、リュミエール兄弟による映画の発明がそれである。周知のとおり、フランクは本作が先に見たような評価を得るにしたがって、『Pull My Daisy』(1959)をはじめとする映像作品へと関心を積極的に転じていく。写真から映画へ。それはきっと、「決定的瞬間」を別の「決定的瞬間」によって絶えず素早く、遠く後ろへと繰り返し流し去る、あの映写機という機械に魅せられてのことなのだ。少なくとも、私はそう思う。
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  ここでもうひとり、別の写真家の作品を召喚しておこう。『The Americans』と並べられ多く語られてきた作品としてまっさきに想起されるのは、ウィリアム・クライン『NY』(1956)である。「夜の会」や「記録芸術の会」への参与で知られる写真評論家・重森弘淹による入門書『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)などは、その比較的古い例と言えるだろう。当然だが、同時代に同じ場所が撮影されているという意味では、その対比は少なからず正当なものである。さらにそのふたりがブレ・ボケ・アレという似通った手法を用いているという共通点や、それぞれがタイトルに冠するのが「ニューヨーク」という都市/「アメリカ人」という人間であるという際立った差異を有している点など、比較への興味を掻き立てる要因も少なくない。だが、本展でフランクの写真、とりわけ『The Americans』の写真を見ていて、すぐに思い出されたのはむしろ、地理的にはアメリカから遠く離れた日本という島国で近年刊行された写真集、林忠彦『AMERICA 1955』(2015)であった。そこには、フランクのそれとも、クラインのそれとも決定的に違う、もうひとつのアメリカが写し出されている。これから少しだけ、そのことについて書こうと思う。フランクの写真について考えるための遠回りである。
  林忠彦の名は、文学者には銀座・ルパンでいわゆる無頼派の小説家・織田作之助や太宰治のポートレイトを撮影した人物として馴染み深い。その写真家においてひとつのメルクマールとなる写真集『AMERICA 1955』は、フロリダで開催されるミス・ユニバース世界大会に高橋敬偉子が参加する際に、カメラマンとして同行した林が大会終了後にアメリカ各地で撮影した写真から構成されている。訪れた場所はロングビーチ、ウォール街にセントラルパーク、MoMA、メキシコタウン、ディズニーランド、ハワイなど。撮影旅行が敢行されたのは1955年、奇しくもフランクが『The Americans』の撮影を開始したのと同年のことだった。 
 言うに及ばず、それは単なる偶然である。ただ、両者の作品をいま見比べてみれば、林の写真がフランクのそれと真逆を志向するものである点だけは、はっきり判るだろう。日本とアメリカの間にある数年の写真史的な時間軸のラグを考慮するなら、撮影対象に対して過剰な「演出」を強いる林の手法はむしろ、フランクが反抗した一世代前の写真家のものなのだから、それは当然の事態である。若き日の中平卓馬や森山大道らの写真家が集結した『provoke』や、牛腸茂雄らによる「コンポラ写真」などの後続世代、すなわち現代日本写真へのフランクの影響(もちろん、中平が見せたような反動的転回をも含めて)はすでに屢述されるところだが、同時代に活動していた林がフランクという写真家を知っていたかもよく判らない。フランクの日本への本格的な受容は1972年、邑元社より刊行された1945年から刊行当時までの写真を編年体でまとめるオムニバス形式の写真集『私の手の詩(Lines of My Hand)』(日本版には『死霊』の小説家・埴谷雄高が書いた「ロバート・フランクの写真集に」という手書きの原稿が掲載されている)を待たねばならない。
 本題の比較に戻ろう。評論家・川本三郎が林の『AMERICA 1955』に寄せた解説は、その写真家の特徴を端的に捉えている。少し長いが引用しておく。 
 今回、林忠彦のアメリカ滞在中の写真をまとめて見たが、まず何よりの特色は、明るいことだろう。季節が夏ということもあって陽光はまぶしいし、人々の表情も屈託を感じさせない。カメラを除く林忠彦自身の気持が明るいからに違いない。/「遠いアメリカ」「憧れのアメリカ」に来ている。その高揚した気分がどの写真にもあふれている。はじめて目にする豊かな社会に対する驚きが想像以上に大きかっただろう。確かに表面的な写真ではあるが、あの時代、はじめてアメリカに足を踏み入れた人間として、まさにその表面にこそ魅了されている。ニューヨークの表面というべきショウウィンドウの写真など、「ぴかぴかのアメリカ」に驚嘆している当時の一日本人の初々しさを感じさせる。
 敗戦国・日本を代表するカメラマンとして戦勝国・アメリカを訪れた林は、自国にもかつてあり得たかも知れぬ栄光をその国で反実仮想的に目撃し、驚愕する。川本が『AMERICA 1955』に看取するのは、おおよそ、そうした物語である。たしかに林の撮影=演出するアメリカは極端なまでに明るい。(写真集を見るかぎりでは個別の作品にタイトルがないので具体的な例示は難しいが)表紙に用いられているニューヨークで撮影されたブロンドの女性の写真を初めとして『AMERICA 1955』に収められた写真を一瞥するとき、そうした印象はきっと確信に変わるはずである。その写真家が戦後日本を撮影した一連の作品をまとめた代表的な作品集『カストリの時代』(朝日ソノラマ、07・4)の表紙に収められた女性がビルの屋上らしき場所に横たわる無防備な姿態と見比べてみるなら、『AMERICA 1955』の林が「笑顔」に満ちた燦然と耀う「ぴかぴかのアメリカ」のイメージをいかに撮影=演出しようとしているかは、いっそう明らかだろう。いささか不自然なまでに、林の写真集に現れるアメリカの人々の大半は、こちらに向かってにこやかに微笑みかけている。林の執拗な演出の産物として。
 けれども、同じ時空間を写し撮るフランク『The Americans』の作品がわれわれに与える印象は『AMERICA 1955』のそれとは決定的に異なる(実を言えば、むしろ対偶の位置にある『カストリの時代』のほうが質的には限りなく近い)。たとえば、表紙に採用されている写真(「Trolley New Orleans」)。どこかフィルムにも似た横並びの路面電車の窓枠からこちらを見ているのは、肌や目の色、年齢や性別は異なれ、総じて「無表情」のアメリカ人たちである。先にアメリカの輝かしい側面を写すものとして触れた「Movie premiere  Hollywood」でクローズ・アップされた女優の顔もまた陰影を帯びて無表情である(林が撮影するミス・ユニバース世界大会のモデルたちの表情と見比べてみればいい)。だから、おそらくこう言うことができる。いくつかの例外を除いて『The Americans』は、エディトリアルに笑顔を排している、と。思い出されるのは、フランクが本作の直前に発表した第三作『Black White and Things』のエピグラフにある「顔を曇らせた人々に黒く不吉な出来事、/静かな人々に平穏な場所/そして人々が出くわしたもの/それが、私が写真で見せようとするものだ」(「somber people and black events/quiet people and peaceful places/and the things people have come in contact with/this, I try to show in my photographs」)という宣言である。この「顔を曇らせた」「静かな」人々を撮ってこそ「写真」だというステイトメントには、その写真家の特色が端的に表れている。 
 といって誤解のないよう言い添えておけば、社会の裏面を撮影することは、作品の良し悪しとは根本的に無関係である。それは、フランクの写真の価値とさほど関係ない。ではフランクの写真の価値とは、何か。考えるヒントになるのは、ここでも林忠彦という対立項である。川本三郎が林の演出する輝かしきアメリカのイメージの裏面に「アメリカのかげりを感じさせる写真」の存在を指摘していたのは示唆的だろう。すなわち、過度に明るいイメージを演出することで、見る者はむしろ、そこから排除された陰翳の存在に思いを及ばせるというような思考のプロセス。川本は林の写真集にこのような可能性を見ていた。
 だが、対照的にフランクは、こうした逆説を選ばない。こう言ってよければ(遠近法的倒錯のうちにあっては陳腐に見えるかもしれないが)、フランクの写真は徹底して非意味的である。そして何より重要なのは、それが先に触れたあの「ありのまま」という言葉とは決定的に違う何かだということである。喩えるなら廃墟的な非意味。でもそれは、後年のフランクが写真集『Beirut City Centre』(1992)や『Come Again』(2006)において、内戦により廃墟になったレバノン・ベイルートの街並を撮影したという事実とは何も関係ない。いまここで言おうとしているのは、フランクの写真がもとより、おしなべて廃墟的であったという点である。どういうことか。『明るい部屋』(1980)のバルトが「写真」の本質的な要素に〈それは=かつて=あったça-a-été〉という指示的意味を持つことを挙げていたのを思い出そう。いまバルトの顰みに倣うなら、写真とは「過去の存在の証明」であると同時に「現在における不在の証明」であるというような二重の証明の機能を有するテクノロジーである。そして、それはさながら廃墟が、ある建造物について「過去の存在の証明」と「現在における不在の証明」の機能を同時に果たしてしまうというのとほぼ同様の構図である。素朴なまでに、写真と廃墟は似ている。この抽象された次元において、写真と廃墟を弁別する術はない。けだし、フランクはこの写真の廃墟的な二重性=非意味性を問題にした、ほとんど最初の写真家の例である。そしてもちろん、それは彼が初めて「写真」を撮った人物であるということに等しい。フランクの写真史的な価値はおそらく、ここにある。そして同時に、その写真を見ることは、われわれが「写真」それ自体と自覚的に遭遇する原初の経験であっただろう。だから、現代写真の歴史はこの写真家からはじまっている。
  写真家、ロバート・フランクのヴィンテージ・プリントが一般に公開されるチャンスは、そのニーズに反して、さまざまな理由からきわめて少ない。そこで立ち上がったのが、写真同人誌『provoke』の復刊などで知られるドイツの出版社・Steidl社であったという。その経営者、ゲルハルト・シュタイデルとフランクが協議して編み出したのは、いわばモダン・プリントの変種として(?)、廉価な新聞用紙にその写真をハイクオリティで印刷するという、いささかアクロバティックな方策だ。これにより展示費用の低コスト化がもたらされ、本展はドイツ・アメリカをはじめ、カナダやトルコ、そして日本を含む世界50都市以上を巡回するという大規模な展開が可能になったのである(もちろん、作品自体の魅力と相俟っての結果であるのは言うまでもない)。こうして世界中で開催される運びとなった本展に共通するひとつの特徴は、印刷された写真を展示後に処分するという制約を設けている点である。それゆえ、撮影可の展示場で撮影され、Web上にアップされつつある大量の断片的な画像をのぞいて、本展のあとには何も残らない(むしろ、それを防ぐために自らが撮影者となり、部分的なものであれ本展の模様をアップすることが求められる)。本展のために印刷された写真は処分されることを運命づけられている。会期の終了は、先に見たバルトの言葉〈それは=かつて=あった〉は入れ子構造を無慈悲に二度書きしてしまう。写真はかつてあった、すなわち〈〈それは=かつて=あった〉は=かつて=あった〉という二重の存在否定として。言葉遊びのようだけれども本当にそうなのだ。この意味で、本展を見る者がやがて、真に考えるべきは記録=機械のことよりも、きっと記憶=人間をめぐる問題なのだと思う。本展は記憶されるために開催されている。それがわれわれが会場に足を運ぶべき、最も単純な理由である。 
 ここで書いた内容に取り立てて新しいことは何もない。写真展「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」のいちばんの効用はきわめて当たり前のことを当たり前に、考えなおす最良の機会を与えてくれることである。現代写真の原点としてのロバート・フランク。ひとはときどき、原点に帰らなければならない。
  《参考文献》
重森弘淹『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)
京都造形大学・編『現代写真のリアリティ』(角川書店、03・6)
日高優『現代アメリカ写真を読む』(青弓社、09・6)
イアン・ジェフリー『写真の読み方』(創元社、11・12
  | Writer's Profile |
竹永知弘
1991年生まれ。神戸大学人文学研究科博士後期課程在学中。専門は日本現代文学。研究対象は「内向の世代」(古井由吉・後藤明生など)。Twitter:@tatatakenaga
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