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katojyuken · 2 months ago
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t-tumble · 12 days ago
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共働き夫婦が建てた家事時短を叶える家 - MY HOME STORY │スーモカウンター注文住宅
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hiruzenmegata · 8 months ago
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただし同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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[2]
成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってきます。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所だ」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びてもなお、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。久しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣したという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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tamuzo · 9 months ago
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jinkensho
塵涓抄(じんけんしょう) – 足立大進老大師 遺書
涅槃冗語(ねはんじょうご)
 お釈迦さまがお亡くなりになった時、お葬式をどうするかが問題になった。  その時、一番弟子であった迦葉(かしょう)尊者が申された。「葬儀はこの土地の人々にお任せしたい。わたしたち佛弟子にとって大切なことは、お釈迦さまがお説きになった教えを、後世に伝え貽(のこ)すことである」と。  そこで、後に、『経典結集(きょうてんけつじゅう)』と呼ばれる第一回目の集会が開かれることになった。集った仏弟子達は、それぞれに「私はお釈迦さまからこの様に聞きました」と一同の前で唱え、それが経典冒頭の『如是我聞(にょぜがもん)』になったのは周知のことである。  自宅で葬儀を行(おこな)った戦前は、通夜は肉親と向こう三軒両隣りの主婦だけが集った。土葬が主(おも)であり、男子は翌日の穴掘りもあって、通夜には出なかった。故人の生前の話をすることが通夜の主眼で、僧侶が読経することも無かった。  近頃、僧侶の葬式を密葬と津葬(しんそう)に分けて行うことも多くなったが、津葬は文字通り、港で船を見送ることであって、遺体は方丈(ほうじょう)に安置するものではなく、山門の外に置いて、出棺するものであった。戦前の古尊宿の話に依ると、「施餓鬼(せがき)」の行事のように、導師は本尊様を背にして、葬儀を行ったと聞いた。  「形見分(かたみわけ)」と言って、親族や友人などに、故人の衣服や所持品を分け与えることも古くからあったが、今はその形式だけが残り、品物を用意する。  僧侶の遺品として、最も評価されるべきは、その僧が生涯を貫いた行履(あんり、日常の生活)である。
 若い住職が入寺する時に、私は色紙に「黙」と書いて渡し、坊さんは喋ってはいかんと諭(さと)してきた。  しかるに、朝比奈老師の命により、管長を三十年。その間、雲水への提唱(ていしょう)、日曜の説教、夏季講座など、「よくぞまあ」と呆れるほど話をしてしまった。  良寛和尚は辞世の句として
形見とて 何か残さむ 春は花 夏ほとゝぎす 秋はもみぢ葉
 と詠まれた。  良寛さんのように、気の利いた句も詠(よ)めないので、この冗語を遺教(ゆいきょう)代りに、準備しておく。  一篇は、平成二十年に、神奈川県立逗葉(ずよう)高校で、荘厳(しょうごん)寺河野(こうの)住職のお骨折りで話したもの。今一つは、東京臨済会主催の「禅をきく会」での要旨を、知人がその会誌に転載されたもの。  没後の斎会(さいえ、年忌法要)は一切無用。頂相(ちんそう)・語録(ごろく)作るべからず。  法要での読経回向ではなく、若い世代にこの冊子を読んでもらえば、最高の法要となる。
驢年猫日(ろねんみようにち) (平成二十六年涅槃会之晨)
若者に伝えたい「人間としての在り方生き方」 – 何を目指して生きるのか –
 産経新聞に「私の失敗」という題の記事がございました。  逗子にお住まいの、ある会社の社長さんが、部下の結婚式に招かれ祝辞を頼まれた。社長さんですから、一番最初です。  その部下を褒めて、「彼は前途有為(ゆうい)な青年である」というつもりでした。ところが緊張して、マイクの前に立った途端に「彼は前途”多難”な青年である」と言ってしまいました。「しまった。」冷や汗です。なんとか取り繕って話を終えました。その後で部長とかあるいは係長のような人たちが「先ほど社長が話したように、人生は前途多難ですから頑張ってください。」というように話をしてくれて、助け舟を得て安心をしたと。  彼は前途”有為”であると、非常に有望でなんでもできると言おうとしたのが、前途多難といってしまった。本当に私たちの前途は多難です。わかりやすく言いますと、障害物競走に出ているようなものだとお考え願いたい。障害物競走、私たちはそれを生き抜くために、乗り越える何かすばらしい力を、持っていなければいけない。それはいったいなんだろうか。  若いあなたがたには、私たち年寄りにはない、すばらしい財産がある。それが何であるか。それに気付いていただきたい。自分が持っているすばらしいものとは、いったい何か。それは夢であり、希望であると申し上げていいと思う。  教育学の上では、可塑性(かそせい)と申します。塑と言う字は塑像などといいますけれども、やわらかい粘土のようなものをこねて、何かを作ることです。あなた方は若いのです。やわらかい粘土と同じで、これから何でも作られる。何にでもなれる性質をみなさんは備えている。そのことを自覚し、自信を持って生きるということが、一番大切だと申し上げたい。  その、夢や希望を、実現するために、私たちがどうすればいいか、何を大切にすればいいかということを、きょうは考えていただきたい。  日本のある新聞の論説委員が、オーストラリアのブリスベーンという町へ行きました。ブリスベーンというのは東海岸の、シドニーから七百キロばかり北のほうにあります。そしてそこの小学校の先生と話す機会があつた。  「小学校に入ったばかりの一年生に、あなたの国は何を教えますか」と聞かれ「日本では平仮名とか片仮名とかあるいは数を計算するというふうなことを教えます」と答え「あなたの国ではなにを教えますか」と聞き返したら、その小学校の女の先生はこうおっしゃった。「この宇宙というものは、百数十億年前に、ビッグバーンという現象が起きて宇宙が出来上がつた、そして、四十六億年前と言われていますけれども、その頃に地球と言う形が整った。そのことを教えます。」と。  みなさんご存知の通り、まず微生物からやがて魚のようなものが生まれてそしてその後に両棲類とか爬虫類とか鳥類とか哺乳類というふうに順を追って生まれてくる。四十六億年の地球の上で、人類と言うものは、わずか百数十万年にしかすぎないのです。「今ここにある命というものは、そういうずっと昔からのつながりの上で私たちが命をいただいていると、この大事なことを教えます。」とオーストラリアの先生がおっしゃった。  そこで、その日本の論説委員の方が「そんな難しい話を小学校の一年生がおとなしく聞いていますか。」とたずねたら、「二週間か三週間そういった話をしますけれども、子供は一生懸命に聞いています。だからオーストラリアでは日本の、いじめのようなものは極めて稀で、めったにありません。」と答えられた。  私たちが生きていくのに、何が大切か。命のあること、今ここに生きているということの素晴らしさに気付くことが一番大切です。そしてその命を無駄にしないために、自分が何をすればいいのか。  ここにこんな小さな本があります。これは私が高校生の時に買った画家ミレーの伝記です。当時この本は三十円でした。今も私は大事に持っていて、中には赤い線がいっぱい引いてあります。何故この本を私がここへ持ってきたかをお話ししたいのです。  ミレーの絵は、値段を考えるのはおかしいのですが、世界で一番高い、高価な絵であると言っていいと思う。何億とか何十億というような値段で取引されています。フランスにあるルーブル美術館のなかで、一番素晴らしいものはなんですかと聞くと、美術館の方は「ミレーの晩鐘です。」と答えるという。  そのミレーがどうしてあんな素晴らしい絵を描けたのか。ミレーは十歳すぎにお父さんを亡くしています。姉さんが一人いて、そして、ミレーの下に七人の男の子がいました。ですから全部で兄弟が九人ですね。そしてお父さんが亡くなったものですから、自分は毎日、畑へ出て仕事をしなければいけない。ところが、絵がたいへんうまかった。ミレーも絵を描くことが大変好きでした。それでみんなが褒める。絵を勉強したいけれども、貧しくてなかなか勉強する機会が与えられない。やがて才能を見出した人が「君は絵描きになった方がいい」というので、絵描きの勉強を始め、やがてパリへ出てさらに精進をしました。  ところが、いくら絵を描いても売れません。本当は農民の生活を描きたかった。農民の絵なんか描いても、ひとつも売れない。仕方なく、看板や女性のヌード、裸体画を描いて生活費を稼いでいた。  ある時、ミレーが町へ出て、つい最近の絵を展示してある画廊の前を通りかかったとき、そこに、二人の青年がいて、「これは誰が描いた絵か」とたずねている。聞かれた方が「ミレーといって、女の裸ばっかり描いている奴の絵だよ」といった。それを聞いてミレーはうちへ帰って奥さんに話した。「僕はもう二度とヌードの絵は描きたくない。もっと貧しくなるけれども、いいかい?」と。  そしたら奥さんはミレーの味方をして、「私はかまいません、あなたの好きな絵を思う存分描いて下さい。」と言って励ました。それからは、バルビゾンの田舎にこもって、後に有名になった作品をたくさん書き始める。四十歳近くになってからです。作品は少しも売れません。そして、四十後半から体を壊して五十をすぎてからは更に結核がひどくなって、喀血をくりかえすようになってしまいました。  心配した友達がお金を届けたときに、ミレー夫婦と子供三人は地下室の隅っこで抱き合って、毛布をかぶって震えていました。お金を届けた友達に、「申し訳ない。とにかく寒い。薪を買ってきてくれ。」と、こういった。そういう生活の中で、ミレーは今日、世界の宝物となる絵を描き続けました。若い可塑性、”何にでもなれる力”を持ったみなさんにとって一番大切なものは夢と希望です。自分が何をやりたいかという希望を持つことが一番大切であると、こう申し上げたい。  先ほど、河野先生がスライドを使いながら円覚寺の説明をしておられましたけれども、この河野先生のお父さんと私とは同じ頃に円覚寺で席を並べて坐禅していた間柄です。今の河野先生も、円覚寺で坐禅をされました。  その坐禅はなんのためにするのかといえば、禅の世界ではこういう風に言います。(黒板に己事究明と書いて)コジキュウメイと読みます。コは己れです。自分とは何か、自己とは何かと。あなたがたはこういう問題を真剣にお考えになったことがありますか?自己とはなにか。言葉を変えて言うと、今どうしてここにおるかと。  それを真剣に考えていないから、オレの勝手じゃないかというのが出てくる。オレの自由じゃないか、オレがオレがと出てくる。禅の修行で一番大切なのは、自分の命とは何か、どうして今ここに私が立っているか、この問題です。  お釈迦様は真剣にこの問題に取り組まれた。なぜお釈迦様がこの問題と取り組まれたかと言うと、お釈迦様のお父さんとお母さんはご結婚なさってから、二十年位も子供ができなかったのですが、お母さんが四十歳を過ぎた頃に、お釈迦様がおなかに宿られた。今ですと、大きな産婦人科の病院があつて、帝王切開というような方法で、子供を産むこともできるでしょうけれども、今から二千五百年前のインドではそういうことはできません。お釈迦様のお母さんは、おなかの胎児を大事に育てられましたが、お釈迦様を生み落して一週間、昔は産後の肥立(ひだ)ちが悪いと申しますが、七日目にお母さん自身がお亡くなりになりました。  私も体が弱くて四歳半で親の所から離れて、田舎の空気のいいところへと兵庫県の山奥へ預けられましたが、母親がいないということほど幼児にとって寂しいことはない。そこでお釈迦様は、お母ちゃんどうして死んじゃったの、お母ちゃんどうして死んじゃったのと、生命の問題が、大きなテーマとなつて、お釈迦様に迫った。  どうして死んじゃったのということは、どうして今この命があるのかという、そしてどうして死ぬのかと。そこでお釈迦様は、「自分とは何か」という、この己事究明のご修行をなさった。そして、やがて、お悟りをひらかれた。お悟りの説明はいくらでもありますけれども、縁起という言葉は皆さんもよくお聞きになっていると思います。縁起がいいとか悪いとか。縁起。縁によって、起こるということです。縁というのは条件です。条件が整わなければ、今ここに自分の命はない。みなさんいつも親に向かって「オレの勝手じゃねえか」「オレの自由にさせろ」とおっしゃるけれど、縁がなければそのオレは今ここにいません。そのことすら今は忘れられてしまっている。 仏教の教えと言うものは縁によってすべてのものが存在をしている。いろんな縁、条件というものが絡まりあって命を支えていると説いています。  華厳経というお経の中にこういうことが書いてあります。(黒板に帝網珠と書いて)「タイモウジュ」と読みます。帝釈天のいらっしゃる世界というのは人間の世界よりずっと上にあります。その空いっぱいに、網がはりめぐらされている。その網を帝網珠といいます。網というと餅を焼く平面の網を考えますけれども、この網は立体的な網です。空いっぱいに網が張り巡らされている。そして、世の中に存在するすべてのものは、その網の目にちりばめられている珠であると。それが帝網珠です。帝釈天の空に掛けてある網の結び目ごとについている珠です。しかもその珠がすばらしい。水晶とか真珠のような素晴らしい珠で、みなさん一人ひとりが全部その珠であると。この世の中に存在するものが全て帝釈様の世界の網の珠である。  さて、あなたの珠、ぴかっと光ると隣の珠に光が映(うつ)る。隣の珠もまた綺麗(きれい)に磨かれた珠ですから、またそれも反射してまた別に伝えていく。あなたの命が、世の中の全てのものにずっとつながっている。そして、綺麗な珠ですから、向こうの珠が光れば、全部反射しあって、最後には、自分の珠に全部うつる。そういう素晴らしい世界を華厳経では説いています。  オレ一人なんていう存在はないんです。いろんなご縁やお蔭をいただいている。そういうとみなさんの中には、いや電気代だって水道代だって払っているよと、おっしゃるかもしれない。でも、太陽の光線がさんさんと注いで、この明るさがある。太陽からあったかい熱を受け取って、料金払ってらっしゃる方ありますか?ないんです。空気だってそうです。今月あなたはこれだけの酸素を使ったから支払いなさいなんて請求はない。  世の中の全てのものに支えられ、生かされているのがこの命であると。これが仏教の縁起の教えです。私たちはそれに気付かないでいる。仏さまの教えと言うのは、そういう全ての存在の関わり合いで私たちが支えられて、生かされているということを説いています。  私の大学の頃、今津洪嶽という老教授がいらした。仏教の講義で、こういうことをおっしゃった。今は大学の教授が酒を飲んでから教室へ来たりすると、すぐにクビになりますが、私たちの時代は、古き良き時代であった。  この先生は講演先の岐阜からの帰りで、車中でウイスキーのポケット瓶を傍へ置いて、チビリチビリ飲んでくる。午後になって京都の学校へ着いたころには酔っ払っている。その先生が赤い顔をしながら「X=無限大」と黒板にお書きになる。そして、「X=無限大、こいつがわかればな、もう仏教のお経なんか読むことはないよ。仏教は全部これでつきるんだ。」と。「禅宗、禅宗というけれども、禅の教えもX=無限大がわかりやあいいんだよ」そういう駄ボラみたいなことをおっしゃっていた。酔っ払っていうのですから、私たちはこんちきしょう、いい加減なことをいってやがると思った。  いま考えてみると、これはすばらしい講義です。X=無限大、Xというのは自分の命です。自分の存在です。あなたがた一人ひとりが全部Xなんです。イコール無限大であるという。世の中の全てのものによって支えられ生かされている、空気も太陽も水も、ご両親も、あるいは弟や妹も。食べるもの、着るもの、全てのものに支えられて生かされている世界がある。  天秤(てんびん)というはかりがあるでしょう。「天秤ばかり」。みなさんご存知ないと思うけど、昔はそういう重さを量(はか)る器械があつた。一方に重しを置いて、五グラムとか十グラムとか、こちらに物をのっけます。私のうちは歯医者でしたから、親父はよくそれで薬や金(きん)を量っておりました。あなたがたが天秤の片方に乗ったら、もう一方に宇宙のすべてのものを乗っけてやっとバランスがとれている。命というのはそういう素晴らしいものなのです。それをご縁であり、お陰であると受け取らなかったら、人間らしい生き方はできないと、こう申し上げていい。  十日ほど前に、判決が下されましたけれども、福岡で一昨年酔っ払つた市役所の人が、追突して五人家族の乗った車を海へ落っことしました。その判決がこのあいだ言い渡されて、七年の懲役になりました。本当は危険罪(危険運転致死傷罪)とかなんとかで二十五年の求刑だったのですが、たった七年になってしまった。  その報道の中でお母さんがこうおっしゃっていました。「残念だけれども、本当にわかってほしいことは、三人の子供の命は、ずっとずっと昔からのご先祖様からつながってきた命である、そしてこの事故がなければ、これからもずっと続いていく命であったということを知っていただきたい」と。お母さんは、あんまり愚痴を言わずにそうおっしゃった。素晴らしいお母さんだと思う。三人の子供の命が無限の過去からずっと、お爺ちゃんお婆ちゃんを通じて、伝わってきた命である、この事故さえなければ、これからもずっとつながっていく命であるとおっしゃっています。素晴らしいことだとおもう。  最期にひとつ和歌をご紹介したい。これは与謝野晶子の歌です。  「劫初(ごうしょ)より作(つく)り営(いとな)む殿堂(でんどう)に 我(われ)も黄金(くがね)の釘(くぎ)ひとつ打(う)つ」私たちのこの世の中、世界を”劫初より作り営む殿堂”と表現しています。  劫(こう)というのは時間の一番長い単位です。何分とか何秒とかいうのがあって、何時というのがありますけれども、その一番上の長い時間の単位を「劫」という。反対は何かと言うと「刹那(せつな)」です。刹那主義なんていいます。短いほうは刹那であって、一番長い方が劫という。説明ができないほどの長い時間です。石劫(いしごう)とかケシ劫とかいう。  昔は四十里(中国の古い単位では十里が四キロメートル)と言いましたが、今の単位に直すと十六キロメートル。その十六キロメートル四方くらいの大きな石がある。そこに百年に一度、天上界から天女が舞い降りてくる。その三銖(しゅ)ほどの重さの(今の二グラムくらい。着ているものが全体で二グラム。)着物の袖(そで)で、今の大きな石の上を一回スーツとなでるんです。そして天に帰っていく。また百年したらやってきて、同じようにスーツとなでる。そうしているうちに、十六キロメートル四方の大きな石がだんだん磨り減って、なくなってしまう時間を一劫という。  ケシ劫というのは、十六キロメートル四方くらいの大きなマスがあって、いっぱいケシの実が詰まっている。やはり百年に一度天女が天上界からやってきて、一粒のケシを外へ放り出す。そして、十六キロメートル四方の大きなマスが空っぽになってしまう時間を劫という。  いいですか?ビッグバーン以来ずっと続いてきた、この私たちの世界、劫初、より作り営む殿堂。いま私たちの住んでいるこの世の中は、そういう長い年月を経て、みんなの努力で作り上げられたものである。  その素晴らしい世界に我も黄金の釘ひとつ打つ。鉄の釘というのはさびてしまいます。黄金の釘はさびない。柱一本立てるだとか、屋根に瓦乗っけるだとか、そんなことまではできないかもしれないけれど、私も自分の一生を通じて、そこに永遠にさびない釘一本を添える努力をしたいという歌です。  「劫初より 作り営む 殿堂に 我も黄金の 釘ひとつ打つ。」  自分の命がたくさんのご縁とお陰に生かされていると気がついたときに、自分の命の全てをかけて、その世界にプラスになる何かをしたいという。  ミレーが一生貧乏の中で描き続けた絵が、世界最高の絵だといわれている。儲(もう)かるとか、儲からないとか計算ばかりしていないで、あなたがたも自分の命を、世の中のために捧げたいという気持ちで努力していただきたい。  そういう心のこもった生き方をしなかったら、僕は本当にやるだけのことはやったと言って、胸を張ることはできないのです。  あそこに「やる気! 元気! 逗葉高校!」と書いてある。自分が志をたてて、何かやろうとする気持ちが溢(あふ)れているから、字がどんな形をしていようと、それが心を打つのです。あなたがたの生き方を通じて、この世の中に爽(さわ)やかな何かを残すということを今から志していただきたい。それをお願いいたします。  たった一冊の三十円の本です。私を今日まで支えてくれたのはこの本だと言ってもいい。みなさんもどうか自分の一生を正しい方に向けていくような、そういう一冊の書物を持って欲しい。あなたがたがお父さんやお母さんの本棚を覗いても、必ずそういう本があるはずです。夢と希望を持って、そしてやわらかい粘土のようなあなたがたが無駄な生き方をしないように、お願いして私の話を終わらせていただきます。
紫衣(しえ)から黒(くろ)へ
夏の夜の夢
 「聖人に夢なし」といふ言葉がある。聖人といふのは、中国における理想的な人物ですが、仏教で言へば、悟りを開いた方と申し上げてもいゝかと思ふ。  聖人は、心が正しい、したがって迷ひがなく、ぐっすり眠ることができる。安眠をすると、つまらない夢を見ない。何か心に引っかゝるものがあると、それが夢に現れます。
 この夏、私はこんな夢を見ました。  京都の或る本山にお供を連れて、大きな儀式に参列を致しました。受付へ行きますと、今日の法要にはこの法衣を着てご出頭下さいと頼まれた。承知しましたと言って、風呂敷包みのような物を預って、お供の者に托した。  ずっと、奥の方の控室へ通されて、お茶が出たり、先方の和尚の挨拶があったりし、やがて時間となり、鐘が鳴り太鼓が鳴り始めた。  そこに居らした各山の管長さん方は、どんどんお召替へをなさってゐる。私はお供の者に、「おい、先程の法衣は」と言ひましたら、「あ、どっかに忘れて来ちゃった」と言うんです。「探して来ます」と飛び出して行った。  他の老師方は、全部支度をなさってゐるのに、私は着るものが無い。どんどん時間が経ち、お供は帰って来ない。やきもきしましてね。さあ、どう仕様、どう仕様と、狼狽(うろたえ)てゐる。実はこれが夢なんです。  このやうな夢を、私がなぜ見たのか、その経緯(いきさつ)を少しお話したい。
 「緇素(しそ)」といふ言葉があります。「緇(し)」といふのは黒いといふことで、「素」は白いといふことです。「緇素を別(わか)つ」などといふ言ひ方をしますが、緇は坊さん、素は在家のことを言ふ。坊さんは黒い物を着て、在家の人は白い物を着てゐる。  明治までは、殆んどの坊さんが、黒い法衣を着てゐたんです。今でいふ、老師方とか、管長さんクラスの特別の方が黄色い法衣をお召しになって居られ、「黄衣(こうえ)の僧」として尊敬されてきた。  紫の法衣といふのがありますけれども、紫といふのは、天子様の色であって、庶民の手の届かないところにあった。  そこで紫の法衣といふのは、天子様が特にすぐれた坊さんに対して、お与へになるものでした。数が非常に限られてゐる。道元禅師は御辞退をなさったけれども、勅命であるといふのでお受けになった。ところが一度も手を通さずに、詩を作って居られる。  「勅命、重きこと云々」、勅命で戴いたけれども、こんなものを着たら永平寺の猿に笑はれるであらうといふやうな詩です。そして、生涯に一度もお召しにならなかった。  円覚寺では、開山さん以来、明治の今北洪川老師までは、紫衣の和尚は無かった。私が浄智寺の副住職になりました時に、住持職といふ紫を着てもいゝ位になった。そこで京都の法衣店さんに「紫の法衣を作って欲しい」と申しますと、その店の老主人が、すぐに言はれた。「円覚寺さんは紫、要(い)りませんのや」と。「あんた、何で紫の法衣を作るんだ」と言はんばかりに……。  ところが今、その「住持職」といふのは、大学を出てから僧堂で三年ほど修行すれば資格が与へられる。そこで、円覚寺派の僧籍にある坊さんの、八割くらいが紫を着る資格を持ってゐる。  そして、檀家の人々が、うちの葬式には紫を着て格好(かつこう)つけて欲しいと頼むもんですから、お葬式には殆んどが紫の法衣を着用いたします。  私は在家の出身ですから、お寺へ入ってから金襴の袈裟や、紫や緋の法衣を目にするたびに、どうもおかしいといふ疑問を持ってゐた。内心では苦々(にがにが)しい思ひで、それを見て居りました。
お釈迦さまの原点
 有名な一休さんに、かういふ話があります。  京都で指折りのお金持が、一休さんに供養を頼んだ。何日に来て、家でお経を読んで欲しいと、お願ひした。そこで一休さん、よしよしと引受けたんですね。  ところが、茶目気のある一休さんです。その前日の夕方、ぼろぼろの雲水法衣を着て、その金持の商家の前へ立って托鉢をなさった。托鉢の時は、網代笠(あじろがさ)を深くかぶるきまりがあり、顔は見えない。  使用人たちは、翌日の準備で忙しい時です。そんなところへ立ってゐるんじゃない、早く向ふへ行けとばかりに邪慳(じやけん)にします。表が騒がしいので、そこの主人も出て来て、「そんな乞食坊主、早く追ひ出せ」と言った。それで、一休さんはそのまま、すごすごと帰った。  次の日、一休さんは立派な法衣を着て、何人かのお供を連れて、その家へおいでになった。すると、主人をはじめ番頭さんたちが表に勢揃ひして、どうぞ奥へお入り下さいと丁重に案内を致します。  そしたら、一休さんは、「いや、俺は此所でよろしい」とおっしゃる。そして「昨日はたいへん痛いおもてなしを頂いて……」と言った。皆は何のことか、さっぱり判りません。  「昨日の夕方、坊主が来ただらう。その時、叩き出されたのは、この俺なんじや。お前さんたちが用のあるのは、この綺麗(きれい)な法衣じやらう。そんなに法衣が有難ければ、この法衣にお布施をやってくれ」と言って、その場で法衣を脱いで、家の中に放り込んでお帰りになったといふ逸話がございます。
 山田無文老師といふ方も、寺院の行事がだんだん派手になり、形式化していくことに対して、鋭い批判をなさいました。ある時、かう言はれました。  「立派な本山があり、管長がゐる。しかし、管長に何ができるのか」「緋の法衣に金襴の袈裟を掛け、儀式に出るだけじゃないか。ぞろぞろ並んでお経を読む。あれでは花魁(おいらん)道中に過ぎん」  と、かう言はれて物議をかもしました。  その山田無文老師が妙心寺の管長におなりになった。ご自分は茶色の法衣で通さうとなさったんですけれども、遂にそれを続けることができなかった。そして無理やり紫を着せられてしまった。  私の師匠は朝比奈宗源老師です。朝比奈老師も、寺の行事に坊さんがぞろぞろ集ることに対しては非常に厳しい批判をなさって居ります。ご自身は止むなく紫を着ていらっしゃいましたけれども、夏用と冬用と、たった一枚だけで、着たきり雀のやうな状態でありました。  私は、大学では山田無文老師の教へを受け、僧堂へ来てからは朝比奈宗源老師の鉗鎚(けんつい)を受けました。  「仏教はこのまゝでは滅びてしまう、なんとかしなければいかん。仏教を、お釈迦さまの原点に戻す努力をしよう」といふお二人の老師の熱烈な思ひに接して来た。
 昭和五十五年、私は円覚寺派の管長に就任を致しました。そして、その時からこのお二人の老師方の熱い思ひを受け継いで、何か改めたいと、さういふ気持は持ってゐたのですが、仲々すぐには実行することはできず、内心忸怩(じくじ)たるものがあった。何もできないなあと恥入ってゐました。  二十年経って、ひとつの、今の言葉でいへば、チャンスが到来した。それは、平成十三年三月の末、天皇・皇后両陛下が、ノルウェー国王夫妻を伴はれ、円覚寺に行幸遊ばすことになりました。  そこで私は、こゝは私自身の進退を賭(か)けても、一石を投ずる千載一遇の好機である、この時を逸したら、坊さんとして何もしないまゝで一生を終へてしまふ、とまで考へた。  「墨染(すみぞめ)の黒い法衣こそ、禅坊主の本領である。禅坊主にふさわしい」と考へてゐましたので、本山の係の人たちに対しても、その少し前から、「今度は、私は黒の法衣でお迎へしようと思ふ」と内意を伝へてゐた。  ところが、その前日になりまして、本山では、やんちゃな管長で困ったなあといふことなんでしよう。協議した結果でせうけれども、宗務総長から「困ります、明日は紫を着て頂きたい」と、かういふ申し入れがありました。  しかし、こゝで私が譲歩(じようほ)したら、三十年間、雲水に向って仏法を説き、禅を説いて来たことが、全部嘘になってしまふ。反対がありましたけれども、それを押し切って、黒い法衣で両陛下をお迎へしたわけでございます。幸ひに、逮捕もされなかった。  それで力を得たと言ひますか、平成十四年の元旦から、すべて黒の法衣で通すことにした。持ってゐた紫や茶色の法衣は全部、末寺の僧侶にあげてしまった。  さうした中、三月の十三日、東京の円覚寺の末寺で五十回忌の法要をしたいといふ。三十三回忌までは不祝儀ですけれども、五十回忌から後はお祝ひになるのです。さういふこともあるものですから、その案内に見えたご住職が、私が黒で出歩いてゐるのを知ってゐますから、「然るべき服装でお越し頂きたい」と、わざわざ言ふ。然るべき服装と、意味深長な挨拶を受けた。  「俺は紫ないよ」と言ふと、「支度をさせますから」と言ふ。当日は黒い法衣だけを持参した。さうしますと、知客寮(しかりよう)と申しますが、その法要の進行係が新品の紫の法衣を恭(うやうや)しく持って来て、「もしお召し下さるなら仕付(しつけ)をすぐに取らせます」と言ふ。  そこで私は、「わがまゝ通させてくれよ」と言って、黒で押し通した。それが十三日です。  次の十四日の早朝、まだ暗い時、床の中で、心臓が締めつけられるやうな痛みを覚えた。てっきり、これは狭心症か心筋梗塞だと思った。「おさらばだ」と感じた。  門前の懇意な方に、心臓が痛かったといふ話をしたら、知り合ひに心臓専門の先生がいらっしゃるからと、無理矢理に引っ張って行かれた。心電図やレントゲンなども撮ったのですが、どこにも異常がないといふ。心臓そのものには問題はないらしい。  前の日に、黒い法衣で押し通したものですから、今でいふストレスが、私の心臓を苛(いじ)めたのです。
 さうかうしてゐる内に、五月の十三日に京都の建仁寺の管長さんの晋山式があるといふ案内が来ました。もともと隣りの建長寺においでになってゐた方で、顔見知りですから、是非出席したい、お祝ひに駆けつけたいと思った。ところが、紫の法衣が無い。借りて行くのも癪ですから、まあ、今回は遠慮しようかなあと、弱気を起した。  そんなときに、末寺の住職をしてゐる弟子が来た。これが心許す弟子といふか、何でもずけずけ言ふ弟子なんです。「いやあ、今度は他流試合だから、京都へ行くの遠慮しようかなあ、葉書に欠席と書いて出そうかなあ」と言ふと、その弟子がかう言った。  「老師らしくないじゃないの、それじゃたゞの内弁慶だ」。  厳しいのが居る。それで、よし判ったと、黒い法衣を持って京都へ行った。  各本山の管長さん方が、みんな紫を着用されてゐるところで、私だけが黒を着た。黒を着ると、一番後へ並ぶといふしきたりなんです。私は他の管長さん方に、お先にどうぞと言った。ところが、管長就任順といふと一番古い。後ろへ並ばしてくれない。東福寺や相国寺の管長さんも居られるのに、どうぞどうぞとおっしゃる。  いつまでも譲り合って居ても埒(らち)があきませんから、御高齢の南禅寺の管長さんの次に、黒い法衣で並んだ。これで鎌倉も京都も黒の実績ができた、もう大丈夫だと思ってゐたんです。
 さうしましたら暫くして、最初お話した法衣がないといふ夢を見た。夢にうなされたり、心臓に痛みを覚えたり、これほど私を苦しめた法衣の色ですけれども、在家の皆さんにとっては、そんなことは、どうでもいゝことでせう。実際、法衣の色なんかどうでもいゝんです。  それなのに、紫の法衣から黒い色に代へるという、そんな些細な改革すら、思ひ立っても、仲々実現できないんです。  紫から黒にといふ色に振り回され、坊さんになってから五十六、七年、管長になって二十五年、迷ひ続けて迎へた古稀でございました。
(足立大進老大師「塵涓抄」より)
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laugh-eigo-bennkyou · a year ago
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2020.12.15 ニュースで英語術
2020年12月15日(火)の放送内容
冬を前にコイの引っ越し TRANSFER OF GIFU CARP HERALDS WINTER'S ARRIVAL
2020年11月30日のニュース
As winter nears, people in central Japan's Gifu Prefecture have moved some local residents to more comfortable accommodation before the chill sets in. 和文 冬が近づくにつれ、日本の中部にある岐阜県の人々は一部の「地元住民」を、寒さが始まる前により居心地の良い宿泊先に移動させました。 解説 文頭のasは時の同時性を示す接続詞で、「~するにつれ、~すると同時に」などの意味です。 ここでのnearは「近づく」という動詞です。 local residentsは「地元住民」ですが、このニュースを読み進んでいけば、residentsが1,000匹の「コイ」であることが分かるでしょう。コイが地元で愛されている存在であることを伝える、ユーモラスな表現になっています。 accommodationは「(ホテルなどの)宿泊施設や住宅、収容設備」です。普通は人間を念頭に使う単語ですが、ここでは「住民であるコイ」のニュースなので、あえて使っています。なお、イギリス英語ではaccommodationと単数形で、アメリカ英語では通常accommodationsと複数形で使います。 the chillは、冬の厳しい「寒さ」を表します。「凍りつくような寒さ」や、文脈によっては「不快感、悪寒」などを指します。 句動詞set inは、季節や悪天候、概して好ましくないことが「始まる」です。
Some 30 people in Hida City participated in an annual event in which about 1,000 ornamental carp were moved from a water channel to a pond on Sunday. 和文 30人ほどの飛騨市民が毎年恒例の行事に参加し、およそ1,000匹の観賞用のコイが日曜日、用水路から池に移されました。 解説 この恒例行事が行われたのは、Hida City「(岐阜県)飛騨市」です。 participate in ...は「~に参加する」で、take part in ...で言い換えることもできます。 ornamentalは「飾りの、装飾用の」ですが、ここではコイを形容しているので「観賞用の」と訳せます。 carp「コイ」は、本文のように複数形のsを付けずに、集合的に捉える用法が一般的です。fish「魚」に準じた扱いです。 water channelは「用水路」ですが、次のセンテンスに出てくるように、地元では「瀬戸川」と呼ばれています。このニュースのchannelは「用水路」ですが、channel自体はさまざまに使われるもので、大きくは「道筋」や「経路」という意味があります。テレビの「チャンネル」や、sales channel「販売経路」にも使われる単語です。 瀬戸川は400年以上前、新田開発のために作られました。コイたちは、もともと瀬戸川へのごみの不法投棄を防ぐ目的で1968年に放流され、それが今では1,000匹にまでなったということです。
Locals usually dump snow from rooftops and roads into the Seto River, as the channel is called. 和文 地元住民は大抵、雪を屋根の上や道路から、瀬戸川と呼ばれるこの用水路に投げ捨てています。 解説 localsは、ここでは人間としての「地元住民」です。センテンス1では「コイ」のことでしたが、読み分けが必要です。 usually「普通は、大抵は」は、この行事が毎年行われていることから、習慣的にこうした雪の処理がなされていることを示すために使われています。 dumpは「捨てる」です。ちなみに、日本語の「ダンプカー」は和製英語で、実際にはdump truckと呼ばれます。大量の土砂を積み降ろすことから、このように呼ばれています。 This means the fish have to be transferred to more suitable quarters before snow begins to fall. 和文 これは、雪が降り始める前に、コイをより適した住まいに移動させなければならないということなのです。 解説 thisは、前のセンテンスに出てきた「地元住民が屋根や道路に積もった雪を用水路(瀬戸川)に投げ捨てる」という内容を指しています。 the fishは、carp「コイ」を言い換えています。 transferは「移動する」で、ここでは主語をコイにして、be transferred「移動させられる」と受身形になっています。 suitableは「適した」です。 ここでのquartersは「地区、区画」を意味するquarter(単数形)ではなく、「住居、住宅、(軍人や使用人の)部屋、宿舎」を意味するquarters(複数形)です。センテンス1のaccommodationとほぼ同じ意味で使われています。
Some of the older carp are 80 centimeters long and weigh over 10 kilograms. 和文 成長したコイの中には、体長80センチ、体重10キロを超えるものもいます。 解説 ここでのoldは「成長した、年長の」という意味合いです。 weighは動詞で、後ろに数値を続けて「~の体重がある」という使い方をします。 The fish are released into a nearby pond where they will spend the colder months in relative comfort. 和文 コイは近くの池に放され、そこで比較的快適に、より寒くなる数か月を過ごします。 解説 ここでのthe fishも、コイを指しています。 ここでのreleaseは、コイを「放つ」という意味です。 the colder monthsと、coldが比較級になっていますが、現時点よりも冬の厳しさが増す日々をこれから迎えるためです。 ここでのrelative は「比較的、比べれば」という意味で、in relative comfortは「比較的快適に」です。
(Citizen) "After seeing this, I feel like winter is on its way." 和文 「これを見たら、冬がやってくるんだという気持ちになります」 解説 地元住民の言葉を英訳したものです。 feel like ...は「~という気持ちになる、気分になる」という表現です。 be on one's wayは、人・物・事象などが「その途上にある」で、「もうすぐやってくる」といった意味合いになります。例えば、Your pizza is on its way.なら「(あなたが注文した)ピザはもうすぐ届きますよ」です。
Come April, the carp will be moved back to the channel to add color to the townscape. 和文 4月になるとコイは用水路に戻され、街の景色に彩りを加えることになります。 解説 come Aprilは少し特殊な用法で、説明的に書けばwhen April comes「4月が来ると」ですが、簡潔でリズムを重視した省略表現といえます。 add colorは文字どおり「彩りを加える」で、観賞用のコイが持つ美しい色が街中に戻ることを示しています。 townscapeは「街の景色」で、飛騨市の街並みを示しています。
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blacksuwam · a year ago
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ゲッコーパレード『ファウスト』を観劇して
※この記事は「山形ビエンナーレ2020」における映像作品『ファウスト』(ゲッコーパレード)の内容を含みます。ご覧になった後にお読みいただくことをおすすめします。公式サイト:https://yamagatako.jp/mogaumi/08/geckoparade.html
 私は岐阜県に住んでいるので、大きなイベントがない限り演劇が観られない。去年の「あいちトリエンナーレ2019」ではじめて演劇に触れることができ、その悪魔的な魅力に憑りつかれたままでいると、偶然「山形ビエンナーレ2020」の映像作品『ファウスト』に出会った。この映像作品はインターネットを通じて無料で!観劇ができるということで、電車嫌いの私は以前から注目していた。先ほど言った通り私は演劇の知識はまったく持っておらず、ファウストという文学作品についても耳にしたことがある程度なのでどれだけ楽しめるか自分でもわからないまま作品を3本観た。黒を基調にした公式サイトが説明しているのはゲーテ版『ファウスト』であり、今回の映像作品としての『ファウスト』の説明は最小限に抑えられている。初心者の目から見て演劇の紹介文でその作品のあらすじが載っていないことに珍しさを感じた。しかし第一幕から第三幕を一通り見た今言えるのは、この作品にとって紹介文は蛇足になり得るということである。霧のような映像作品だと感じた。
 どこに論を集中させて書いていけばいいのか、自分の中で消化不良な点が数多くあるため今回は私の一番好きな台詞から言葉を紡いでいきたい。
「どんな服装をしたところで、この狭い地上の生の煩いは逃れられまい。(中略)それもない、あれもない、ただ我慢しろ。これが生きている間ひっきりなしに嫌な声で歌われて、だれの耳にも聞こえてくる永遠の歌だ。」(ゲッコーパレード『ファウスト 第二幕 窓』)
暗転した画面で数秒間の沈黙の後、私の敏感になった聴覚が長く力強い台詞を掴んで離さない。少なくとも劇を観ている間は「狭い地上の生の煩い」を忘れることができた。なぜなら舞台に立っている役者さんたちは視聴者に世界観への集中を要求しているからである。この作品が非常に上手に構成されているなと思うのは、自宅から画面を通じてくつろいで観ている”参加者”の気を散らさない演出そのものをひとつひとつ粘土のように丸めて固めてまるまるひとつの作品に仕上げているところである。(演劇初心者の私がこのように偉そうな表現をしたらゲッコーパレードさんに怒られてしまうだろうか。とてもリスペクトをしています。)先ほど言及した長い沈黙や、台詞のないシーン、役者さんではない(?)方の語り、絵画の静止画などなど、語り始めたらきりがないし、そのいちいちを挙げていって説明しようとしても言葉に詰まってしまうだろう。かといってそれを「難解な作品である」という風に言い切るのには強い抵抗を感じる。この微妙なあわいを言語化しきれないのは私の鑑賞が不十分であったためである。私は今後、第三幕が上映中の間に何度かこの『ゲッコーパレード』を観返したいと思う。山形で開演されていたら私のような鑑賞者は一度しか観られなかったであろうが、オンライン上映にしていただいたお陰で何度も楽しめる機会を与えていただけたことに心から感謝する。
「事態の把握に躍起にならずに空想の赴くまま、ごゆっくりとお楽しみください。」
公式サイトでのあいさつはこのような言葉で結ばれている。私はこの言葉と作品に重なる体験を去年のあいちトリエンナーレでしたことを思い出した。劇団アルテミス+ヘット・ザウデライク・トネール『ものがたりのものがたり』(https://aichitriennale.jp/artwork/A68.html)公式パンフレットのイェツェ・バーテラーン氏の言葉を借りたい。
「人間というものはどうしても物事に意味や価値を求めたがります。自分が意味のある存在、何らかのストーリーの一部でありたいのです。(中略)そもそも「何もないこと」はそんなに悪いことでしょうか。実は「何もない」と思っているものの中には十分以上に色々なものが残されているのではないでしょうか。」
『ファウスト』には色々なものが詰め込まれることで、逆説的に「何もない」空間が創造されている。その空間について書こうとするが私の力量が追い付かない。この記事を読まれている方々の様々なご意見を心待ちにしている。
いつか山形に行ってみたいな。
ゲッコーパレード『ファウスト』公式サイト↓
https://yamagatako.jp/mogaumi/08/geckoparade.html
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koshimemo · 4 months ago
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New model ‼︎! ・ 丘の上に建つスターバックスを目指してデザインしました! ・ 場所は多治見市。 緑豊かな丘陵地で、眺望も素晴らしく良いです👀 ・ 建物は完全な平屋建てになっていて、長〜いテラスが周りを走っているプランです。 ・ 旅行好きなご夫婦なので、このご時世でもお家に居てリゾート気分が、味わえると良いなと思って設計しました😁 ・ ・ https://www.field-h.net ・ ・ #建築模型 #模型 #家の模型 #プレゼン #平屋 #平屋暮らし #モスグリーン #テラスハウス #テラスのある家 #緑のある暮らし #丘陵地 #傾斜地に建つ家 #多治見 #土岐 #瑞浪 #flathouse #architecturemodel #maquette #architecturephotography #architecturelovers #architecturestudent #岐阜 #名古屋 #注文住宅 #家づくり #家づくり記録 #マイホーム #設計事務所名古屋 #フィールドの家 (Tajimi, Gifu) https://www.instagram.com/p/CTmM0UlnjC-/?utm_medium=tumblr
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tyhaodiary · 2 years ago
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在某種程度上,我同意安東尼・波登(Anthony Bourdain)對日本的鬼掰理論,「..日本男人的內心彷彿都很清楚,他們其實喜歡中重地踩踏東京公寓、發飆、對女人做出真的很可怕與噁心的是一樣,所以他們把自己最粗暴的分身囚禁在最美的監獄裡。他們沒有沈溺在幻想中,而是把注意力集中到食物、園藝、一杯完美的好茶,或是一片黑鮪魚生魚片上,只准自己去看棒球與參加公司聚會而已。」但道地是不是,多半如他自己所說的瞎掰理論,也許他對於日本男人的認知來自於影片、茶道或壽司餐廳。
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但我更能同意的是集中注意力於某件事情上,我想像大多數日本人都有這樣的職人精神,一件事做到好,做到完美,做到驚奇,做到不可思議,無論工藝、編劇、電影、創作、料理甚至…色情片等。
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東京夜晚匆而不忙
無論是親自在東京街頭上,或是根據書籍以及在日本工作朋友的說法,上班族壓力大,下班總要約個人在居酒屋裡喝一杯,總是要跟隨長官喝酒示誠,男人下班不提早回家一定要在外頭應酬飲酒表示工作繁忙。
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東京春天的太陽逐漸晚歇息,雖然五點多了但似乎天才剛進昏暗,銀座的大樓百貨及主幹街道閃娑霓虹,銀座通上兩側開始人人搶道;那步乏飛快不用猜一定是日本人,慢條斯理手牽著手,不用猜一定是外國人,成群集團站在免稅店門口,也不用猜,肯定是中國大陸旅遊團,而我洽在銀座四丁目交叉口正面對著名的每整點會唱歌的時鐘地標走下了銀座站,此時此刻便是感到腳步即將匆匆急促。
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成群西裝Suit walk日本男女上班族忙著進地鐵站,有的低頭不語步伐匆匆,有的成群結隊邊聊天邊進站,似乎準備要前往聚會場地,有些穿著高雅的女子左顧右盼似乎在等待她的情人,有的情侶手勾著手踏著不忙的步伐出站,而我則受到這種匆而不忙的氛圍給帶動,我也匆匆地加快腳步進站,準備前去晚間訂好的餐廳。
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稍加觀察,週五東京的夜晚又不一樣了,無論男女上班族都是可以好好事放自己的時機,飲酒、聯誼、男歡女愛,雖然腳程不必要像早晨上班一樣快速匆忙,但腳步仍是匆匆,但內心則是十分雀躍期待。
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港區白金Les Alchimists
法式餐廳『Les Alchimistes』位於港區白金,距離都營三田線白金高輪站比較近,店名在法文的意思就是「煉金術師」,走現代法式料理路線,餐廳的食材皆為主廚親赴原產地親自確認,再透過產地直送式予以採購。
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但是在菜單上只能夠看到菜名,似乎要顧客體驗日本食材的風味,因此這回來東京也列入我要嚐試的法式餐廳之一,此外侍酒師的選酒搭配也是我要觀察的地方。
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用餐日期:2019年3月1日(五) 天氣:晴氣溫:11。所在地:東京港區白金
Chef:山本健一Kenichi Yamamoto Sommelier:山本麻希子Makiko Yamamoto。酒類:葡萄酒。
環境:精緻優雅。套餐價位:¥13,662(已含服務及消費稅)~,新臺幣3,832元起。
佐餐酒水
1.Larmandier Bernier Champagne blank de blanc NV。
2.Vignoble du Rêveur, Vibrations 2016。
3.Vin Coeur Vin Cul Blanc。
4.Cidrerie du Vulcain Jacquess Perritaz Switzerland 2016。
5.Daino bianco fattoria castellina Toscana Rosso IGT 2011。
6.Chateldon 1650 Sparkling Water。
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雲丹、菊芋、巴西利葉
Sea Urchin/Jerusalem artichpke/persil
搭配酒款
Larmandier Bernier Champagne blank de blanc NV
第一道菜是「海膽、菊芋以及巴西利葉」等的溫前菜。是以日本海膽還有菊芋做成的慕斯,最後加上製作成如冰沙的巴西利葉,裝盛載像是貝殼的容器裡。
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挖起一瓢來試試味道,當然這冰沙不是冰的,而是帶有些微溫的,而菊芋慕斯非常綿綢可口,而且溫溫的享用美好極了。誒..對,還有煙燻味..難怪我一瓢接著一瓢吃,尤其又有嫩鮮的海膽風情,真不錯。
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搭配開胃香檳Larmandier Bernier Champagne blank de blanc,除了酒色有秀麗的金黃色澤及活躍彈跳的氣泡,氣味又帶有礦物、酸酸的黃檸檬、水梨、鹽礦、石頭等等,入口舒適而後刺激乾爽,而果香番茄等逐步展現但較淡雅。
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搭上這道料理,真好,且讓香檳的果香和礦味展現的無比均衡。
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甜蝦、豬蹄、春菜
Shrimp/ Pettitoes/ Fukinotou
搭配酒款
Vignoble du Rêveur, Vibrations 2016
第二道前菜是「甜蝦、豬蹄、與季節食用花」等製作的小料理。口感介於溫涼之間,帶些酸尤其是豬肉展現出像是培根的滋味。
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這和甜蝦帶有棉綢甘甜的滋味是不同,但卻不會混淆的這份料理的味道。
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搭上微甜的Riesling,其口感溫順清爽,馥郁芬芳儘管與料理搭配也有相當清楚鮮明的果肉味,反倒不會與豬肉或食用花的香氣給覆蓋,這道搭配的算是柔順清爽。
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麵包
Bread
餐前麵包,常溫不熱,全麥麵包皮脆,沾奶油都對味,吃完兩道前菜接著處理這塊簡單的法式麵包,不過這盅奶油可不少,同時是一種極為滑順的口感,不屬於種滋味的奶油,抹在麵包上吃相當不錯。
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黑米、晚白柚
Black rice/Banpeille
搭配酒款
Vignoble du Rêveur, Vibrations 2016
第三道菜是「黑米、晚白柚」製作如一口食的Tapas。用日本紫黑米做成米餅,搭上晚白釉做成的cream。
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一口食,讓cream帶來好口感,紫米餅脆帶著米有的甘醇。
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搭上Riesling,讓原本帶甜的Riesling的果味更為凸顯,然後會有些水梨、鳳梨以及風乾葡萄的味道,尾韻帶些乾爽。
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白花椰、松露、帆立貝
Cauliflower/Truffle/Scallop
搭配酒款
Vin Coeur Vin Cul Blanc
第四道菜是「白花椰菜、松露、帆立貝」等製作的湯品。侍酒師將花耶濃湯緩緩倒入碗中,飄出一陣清爽的乾爽的香氣。
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這道湯品味道十分柔美好喝,其中穿插些火腿風乾的小切丁,同時也可感受到松露誘人的香氣,搭配湯品相得益彰。
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再咬帆立貝,談口袋點鮮美與甘甜味,這滋味相當理想,再挖上一口將料理綜合再一起入口,層層風味十分均衡,且濃香的湯品更添上溫暖的滋味。
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侍酒師選搭羅亞爾河谷的白蘇維濃,這款白酒原本品嚐時帶有水梨、番茄的甘鮮水果風味,搭上湯品帶有順暢、柔和的口感,但風味上似乎也點憋著,沒能展現更多層次的滋味,不過也讓這款酒的個性凸顯出分明。
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小牛胸、血橙、花生
Ris de veau/ Blood orange/ Cacahuete
搭配酒款
Cidrerie du Vulcain Jacquess Perritaz Switzerland 2016
第五道是「小牛、血橙、花生」等搭配的熱前菜。這道料理上菜時聞到的氣味感覺像逛夜小吃的味道,用小牛胸以及血橙醬汁與香草油,清炒的時蔬以及看似焦香的花生,肉質柔美且調味十分均衡。
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搭上瑞士的蘋果酒,色調深啖其酒精濃度微弱的可直飲,喝起來就是舒爽氣泡蘋果酒且不會太酸,搭起來非常平穩舒服,或許因為這道菜的口感與味道。
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讓侍酒師做這樣的選擇,看來侍酒師部會僅拘泥在葡萄酒搭餐,相當有想法。
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鹿肉、人參、金柑
Deer/ Carrot/ Kumquat
搭配酒款
Daino bianco fattoria castellina Toscana Rosso IGT 2011
第六道是主餐「鹿、人參、金柑」。約三分熟的紅紅深邃來自岐阜縣的小鹿肉,搭上蘿蔔漬皮、金柑醃漬、芝麻葉、葡萄等,讓這道主菜有繽紛的變化,且帶有甘甜、帶有酸香。
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鹿肉脆而不腥,緊實也有勁,搭上紅酒雖然有鹽礦酸味,但瞬間即刻爆香,讓這款紅酒像波爾多紅酒一樣迷人;將鹿肉與各樣配菜搭起,為酸澀後竟然帶來紫羅蘭香味,梅洛的本色。
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這道菜搭這款義大利梅洛紅酒十分有趣,色澤深厚,氣味像波爾多的merlot一般,嗆而奔放,紫羅蘭花香美滿,啜飲時代有厚重酒體強勁的味道,丹寧、乾澀、酸香…。
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但這就是葡萄酒有趣的地方吧,就是看起來會衝突,搭配卻完美,尤其是這鹿肉三分熟,軟嫩而脆,香而存留餘韻。
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巧克力、花生醬、咖啡
Chocolate/ Nutella/ Coffee
最後的甜點是「巧克力、花生醬、咖啡」。這道甜點,以其組成是重味但甜口的點心,巧克力慕斯苦甜而微酸,榛果花生味的慕絲綿而香甜。
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刨上的白巧克力還有搗碎的咖啡豆,混在一起吃還滿不錯的,不過會有些太甜。
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茶菓子
Mignardises
伴隨飲品的點心甘醇的餅乾兩款,一個較基本但可以將迷迭香放在一起,越咀嚼越香甜,迷迭香味道更迷人。
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另一款是日本茶餅乾,一如蛋白餅概念中間是紮實榛果,吃起來像金沙巧克力,這個讚。
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Coffee
飲品最後我選擇了選擇熱咖啡,就如同許多餐飲最後的咖啡,也想回到老式飲法,牛奶、紅白糖。熱咖啡飲下挺甘醇的,清楚且有理想的氣味,而所謂老就是加糖加牛奶,甜口帶微微的韻味,不過這牛奶還真好喝。
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關於Les Alchimists
Les Alchimists,自2011年開幕以來迄今連續獲得8年東京米其林一星餐廳的肯定。2018年經過除新裝潢,門面更充滿了神秘的色彩,更一如店名之鍊金術士,原來餐廳名稱是『L′Alchimiste』一位的鍊金術士,而現在則改為複數『Les Alchimistes』也就是鍊金術士們。
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我推開木質大門,清楚看見餐廳以淡紫色為設計基調,餐廳算是精緻型的餐廳,除了開放式的廚房外,關於席位的部分,約算有15個位置,吧台座僅3席,進門後即會看到一處以屏風及隔牆的半開放式包廂約為4人座位,主用餐區則約為8個座次並以2人餐桌為數,因此可以併桌做為多人次用餐使用,儘管精緻但動線清楚,同樣不影響到顧客用餐。
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主廚山本健一,出生於大阪,1977年出生年紀竟然與我相當。於公元2001年遠赴法國學習廚藝,除了曾在「全球50大餐廳」中榮獲法國第一的巴黎『le chateaubriand』外還有Pâtisserie PAIN DE SUCRE工作,也陸續在尼斯的Hôtel NEGRESCO以及里昂的Nicolas Le Bec等餐廳工作,此外也曾造訪阿爾薩斯、巴斯克、布列塔尼等法國各地餐廳研修歷經8年光陰。2008年回國,並且在2011年開始經營Les Alchimistes餐廳。
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而葡萄酒部分也有專任的侍酒師山本麻美子,選酒主要以自然派為主,提供產自法國及世界各國的葡萄酒,且針對料理搭配的葡萄酒。
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小結
幾道料理下來,除了第一道料理與中午餐廳類似外,其他的料理無論再搭配或是產地方面皆不一樣,一套下來儘管要價不斐,不過整體來說仍是開心滿足;而Les Alchimistes的廁所也別有洞天,牆上的漫畫主廚還是法國主廚留字等,對於餐廳都有著不同的意義。
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離開餐廳時是由侍酒師Makiko送我離開,由於我告訴她,我知道餐廳是因為從米其林指南所得知的,所以特別前來,而她也開心的告訴我,未來的他們將要往二星之路努力邁進,當下聽了我覺得很有活力的一間餐廳而且十分有目標的餐廳,這是一件相當好的事情啊。儘管許多餐廳對於米其林評鑑都抱持著平常心看待,但日本的餐廳就從網站、網路等等方式查詢,架上親自體驗的結果,多為中規中矩專注於料理與餐廳經營與服務,因此屢屢常識都皆大歡喜,不感到有膨風與誤差,這個夜晚能不愉快嗎。
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由於要趕回銀座的下一攤酒吧朝聖,沿著原來的路走回白金高輪站,這一路上是十分寧靜,因為店家休息,建物也似乎多為住宅區與商辦大樓,晚上八點多人煙就十分稀少,隨著空氣的溫度逐漸降低,喘氣時冒出陣陣白煙,寧靜的東京夜晚,也可以感受不一樣的城市氛圍。
分享餐廳
Les Alchimists
(アルシミスト)
地址:日本東京都港區白金1-25-26
訂位:https://pocket-concierge.jp/zh/
營業時間: (週三公休)
LUNCH 12:00~15:00 (L.O. 13:00)
DINNER 18:00~23:00 (L.O. 20:30)
【參考資料】
Anthony Bourdain. (2010).No Reservations:Around the world on an empty stomach・波登不設限(洪慧芳譯)‧臺北市:臺灣商務。
pocket-concierge,網址:https://pocket-concierge.jp/zh/restaurants/244537
Les Alchimists官網http://alchimiste.jp/
東京匆匆一瞥—「東京的夜晚」 在某種程度上,我同意安東尼・波登(Anthony Bourdain)對日本的鬼掰理論,「..日本男人的內心彷彿都很清楚,他們其實喜歡中重地踩踏東京公寓、發飆、對女人做出真的很可怕與噁心的是一樣,所以他們把自己最粗暴的分身囚禁在最美的監獄裡。他們沒有沈溺在幻想中,而是把注意力集中到食物、園藝、一杯完美的好茶,或是一片黑鮪魚生魚片上,只准自己去看棒球與參加公司聚會而已。」但道地是不是,多半如他自己所說的瞎掰理論,也許他對於日本男人的認知來自於影片、茶道或壽司餐廳。 但我更能同意的是集中注意力於某件事情上,我想像大多數日本人都有這樣的職人精神,一件事做到好,做到完美,做到驚奇,做到不可思議,無論工藝、編劇、電影、創作、料理甚至…色情片等。 東京夜晚匆而不忙 無論是親自在東京街頭上,或是根據書籍以及在日本工作朋友的說法,上班族壓力大,下班總要約個人在居酒屋裡喝一杯,總是要跟隨長官喝酒示誠,男人下班不提早回家一定要在外頭應酬飲酒表示工作繁忙。 東京春天的太陽逐漸晚歇息,雖然五點多了但似乎天才剛進昏暗,銀座的大樓百貨及主幹街道閃娑霓虹,銀座通上兩側開始人人搶道;那步乏飛快不用猜一定是日本人,慢條斯理手牽著手,不用猜一定是外國人,成群集團站在免稅店門口,也不用猜,肯定是中國大陸旅遊團,而我洽在銀座四丁目交叉口正面對著名的每整點會唱歌的時鐘地標走下了銀座站,此時此刻便是感到腳步即將匆匆急促。 成群西裝Suit walk日本男女上班族忙著進地鐵站,有的低頭不語步伐匆匆,有的成群結隊邊聊天邊進站,似乎準備要前往聚會場地,有些穿著高雅的女子左顧右盼似乎在等待她的情人,有的情侶手勾著手踏著不忙的步伐出站,而我則受到這種匆而不忙的氛圍給帶動,我也匆匆地加快腳步進站,準備前去晚間訂好的餐廳。 稍加觀察,週五東京的夜晚又不一樣了,無論男女上班族都是可以好好事放自己的時機,飲酒、聯誼、男歡女愛,雖然腳程不必要像早晨上班一樣快速匆忙,但腳步仍是匆匆,但內心則是十分雀躍期待。 港區白金Les Alchimists 法式餐廳『Les Alchimistes』位於港區白金,距離都營三田線白金高輪站比較近,店名在法文的意思就是「煉金術師」,走現代法式料理路線,餐廳的食材皆為主廚親赴原產地親自確認,再透過產地直送式予以採購。 2,312 more words
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