Tumgik
#旧多宗太
ari0921 · 6 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
   通巻第8221号
 後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
  やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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 皇統後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
 「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
 皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
 小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
 もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
  
 4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
 「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
 自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
 各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
 (2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
 皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。 
 古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
 新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
 「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
 新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
 将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
 そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
 ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
 ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
 白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
 皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
 第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
 その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
                 (『月刊日本』から再録です)
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gaogaoxdy321 · 1 year
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妈妈的奶子
作者:alcomc
第九章
早餐过后,妈妈用极为认真的语气和我约法三章。
“虽然妈妈肯跟你......发生一些母子间不该发生的事,可是......妈妈毕竟只是你妈妈,你也只能当妈妈的宝贝儿子,在外人面前绝不能作出任何失礼的举动,不然就是不尊重妈妈。妈妈答应过的事就不会反悔——在家里的时候,只要你有需要,妈妈一定会满足你,相反的,你也得听妈妈的话,答应妈妈你会好好的努力用功念书,知道吗?”
妈妈如此的说着;而我,对于妈妈的提议,则是持百分之一百赞同的态度,飞快的点头答应。
刚尝过甜头的我,深怕此时一旦和妈妈对立,难保不会失去与妈妈一亲芳泽的机会;事实上,现在我仍旧感到自己正处于虚幻中,这幸福来的太快,快到我需要一点时间分析与消化,如何才能继续保持这份幸福。
我能想象妈妈现在正承受的压力和她无法心宁的顾虑,但妈妈心想的那一些无谓的顾虑其实是很可笑的——姐姐自从上了大学搬出去后,就极少回家住,我俩母子相依为命多年,也不见什么亲戚朋友关心过问,只要我不说、妈妈不说,谁知道我和妈妈发生了一堆不可告人的事。
乱伦,在世俗眼光中是一对异常沉重的字眼,对我而言,不就是一堆狗屎,从妈妈肚子里生出来的我,和妈妈本来就是一体的,乱伦的枷锁,只加深了和妈妈相爱时的刺激感,能得到妈妈这般如花似玉的尤物,要我做什么都愿意。长久以来的美梦终成了真,我怎会挑这种时候反对妈妈的话?
用力的拍拍胸膛保证过后,在妈妈愉快的笑容中,准备迎接美好的生活。
接下来的几日,每一天有如天堂一般的舒爽。
暑期假日还有一大半未过,日夜和妈妈独处在同一屋檐下,身边供着一具美好的肉体任我亵玩,只要任何时候我一想要,即使多忙着做家事杂务,妈妈依旧会停下手边工作,没好气的瞪了我一眼,仍尽心尽力的满足我。用手、用口,甚至用那一对丰满无比的巨乳,给予无时无刻、全年发情的我极大的快感。
餐桌底下,妈妈蹲在我大腿之间,脑袋前前后后的摆动、张大小嘴将粗壮的男茎含入,用最为淫荡的表情套弄着,温热的小嘴努力地替炽热的大鸡巴服务,湿暖的口舌毫不娇持的舔弄丑恶的蘑菇龟头,最后再任由我将腥臭的精液全数喷在她美丽的容颜上。(看精彩成人小说上《成人小说网》:https://crxs.me)
客厅沙发上,坐的有如大老爷般的我,下体赤裸,观赏着电视机里音量全开的三级片,妈妈则趴在我腿边,感受她娇软的胴体,娟娟秀发沿着妈妈娇美的容貌落在腹阜上,柔嫩的乳球厮磨敏感的下体,撩拨挑荡的套弄着,直到发泄终了妈妈毫不介意的将浓浊白精吞食入腹。
母亲口舌并用的服伺着需求无度的淫邪儿子,在无人打扰的房子里无时无刻的玩着禁忌的游戏。在我强烈的要求下,妈妈在家里保持着最清凉的打扮,好让我随时随地能扑倒她玩弄。
妈妈虽然任由我搓揉胸脯、爱抚她半赤裸的肌肤、甚至粗暴的对待她酥软如玉的臀球,无论她再淫荡再放浪,但下体的神秘私处,始终是一处不可亵淫的禁地、妈妈矜持的最后一道底限;好几次我将妈妈挑逗的酥软发麻、淫水直流,可当阴茎排除万难的拨开内裤边缘、几乎陷入小穴时,妈妈总能及时剎车,将我推开,倘若我过份越矩,当天妈妈就会扳起脸、任由我再怎么道歉也不予理会。
妈妈牺牲母亲的尊严来满足我的淫欲,如果能一直维持现状已经让我很满足了;一步错,则全盘皆错,我怎有胆量打破我与妈妈亲密关系的最后一道关卡?
然而......
贪婪,是人类的劣根性之一。
得到越多,想要的也就越多,只要是人,多多少少会有欲望;上帝造人,雌雄性之间的吸引,便是一种最重要的传宗接代的本能,一种谁也不能抵抗的生物本能。
夜深人静,反转难眠的我,脑海中尽是幻想着妈妈被我赤裸裸的压在床上,粗壮鸡巴进出神圣的蜜穴,大干特干,妈妈被我肏的淫水直流的淫荡模样。
走在满是人潮的街道上,左手帮妈妈提着一袋又一袋的购物,右手被妈妈亲密的环抱住,臂上感受的尽是妈妈胸脯的柔软。
妈妈她及腰的长发绑成马尾,俏脸稍施淡妆,穿了件合身的连身套装,美丽的容貌、高贵典雅的气质,再加上一身火辣无比的身材,吸引道路上百分之九十以上的雄性目光,也连同让陪伴在妈妈身旁的我走路有风、面上有光。
瞧,羡慕吧!这美艳的尤物,不是别人,是我的女人,也是我的妈妈。
星期天下午,陪妈妈一同外出购物,也进行着母子俩突破关系后的第一次约会。
偷偷打量着妈妈,除了她美艳的容貌和百看不厌的身段,将视线放低,凝视妈妈优雅的步伐,眼中尽是那双晃动美腿,却又是另一番勾人垂涎的优圣美景。
在我的要求下,妈妈穿起平时极少穿着的裤袜,网状的黑色蕾丝在深蓝色的套装裙的陪衬下,将妈妈一双修长绝美的大腿显露的更加性感撩人,流线般的曲线,由上往下的欣赏那丰满结实的大腿,划过圆嫩的柳膝,连接着妈妈纤细的小腿,丰盈的脚裸下套着一双淡红粉的高跟鞋,配合妈妈高贵的气质,引人遐思之虞,还挑拨起我内心一种淫虐的欲望;紧贴着雪白腿肉的丝袜,更让我有种将之撕破的冲动,恨不得当街捧起妈妈的脚大吻特吻,吸吮妈妈鲜嫩的脚指。
逛了一整个下午,把购物袋卸上后车厢,接着和妈妈来到南区一家小咖啡屋里。
“小伟,不要没事一直盯着妈看,妈妈会不好意。”路人的注目其实还好,但妈妈在接受了我视奸了整整一天后,终于受不了的红着脸出声谴责。
“妈妈这么漂亮,为什么不让人家看呢?”我摆下手中卡布奇诺,笑咪咪的捧起下巴靠在桌台上,毫不掩饰的直盯着妈妈的脸。下巴下的指头微动,我对着妈妈淫笑的说,“妈妈你看,站在吧台的中年大叔,还有......嗯......左手边坐在那儿的大学生,不都也是在偷偷看你?”
随着妈妈疑惑的目光转动,正打量着妈妈的色鬼们匆忙转移视线,但不久后仍用着眼角的余光不死心的偷瞧着妈妈的美貌。
“噗......你这小色鬼......”妈妈娇笑出声,笑骂道,“不要管别人,管好你自己就好了......再怎么说你也是我儿子,那有儿子这么盯着妈妈看的?”
“谁说我是你儿子,”我故做生气,嘟起嘴说道,“妈妈,明明说好今天你是我女朋友的!所以......”
露出淫荡笑容,我色色的捧起妈妈摆在桌上的小手:“从现在开始,我就叫你老婆,妈妈你呢......就叫我老公好了!”
“别这样没大没小......”妈妈红着脸甩开我的手,“早上妈妈是被你缠的受不了才答应的,怎么能当真?”
回想今早母子间刺激的感触,想起我那淫荡的妈妈,居然在帮我乳交时单是被我玩弄乳头而玩到高潮时的失神艳韵,内心忍不住闷出一阵火热性欲。
妈妈被我看的不好意思,偏过头去,斥道:“好啦,小伟,别再这样子看妈妈了,人家都在看啦!”
“咦,老婆,你在说谁在看你啊?”我故意装傻的问道,接着捉起妈妈好似娇软无骨的小手吃起豆腐。
“唉,你这死因仔,大概是妈妈上辈子欠你的......”妈妈叹了口气,用娇滴滴的声音撒娇道,“好了啦,别这样看我啦......老公......”
Oh,Shit!
老公,这两个字一从在妈妈嘴里说出,马上让我兴奋的不能自己,柔嫩的嗓音和性感的语气,顿时令心中舒服不已,忍不住央求妈妈再说几次。
回应我的,却是妈妈千娇百媚的瞪了我一眼,娇哼一声;妈妈的电眼威力一出,杀伤力惊人,让我愣在当场、动弹不得,只能眼巴巴的看着妈妈挣脱我那豆腐魔爪。
买回了该买的杂物,剩下来的时间当然是我和妈妈母子间的亲密约会。既然是约会,少不了遵循约会的四大铁则:喝咖啡、看电影、吃晚饭,以及上旅馆。
晚饭是一定要吃的啦,至于旅馆上不上的了,决定权并不在于我。
踏进西区的电影院,观眼一望,才发觉最近还真没什么好片子可看。
“妈妈,你想看什么?”我转头看向妈妈,问道。
“妈也不知道,随便你挑。”
“呃,没什么好看的耶,要不然......”看着目前上档的片子,最终发觉没任何一部可以实行我邪恶的计划,只好提议说,“妈,我知道这附近好像有一家挺不错的MTV,我们去那儿看好了......”
妈妈一向没有看电影的习惯,对于宝贝儿子的选择,她自然没意见的乖乖陪同。当她知道我们要去的MTV,其实是包厢式的小房间内两人独处,妈妈只用深邃的目光盯着我看,直到我头皮发麻才没好气的点头答应。
订好包厢,偷偷摸摸的在柜台选了一部只曾在网络上看过片段的四级片:“超淫乱-终极性爱”,拿着饮料和妈妈一同踏进了昏暗的小房间。独处的男女,灯光闪烁着澄色霓虹,舒适宽敞的黑皮沙发,和长桌上特地摆置的面纸盒,无一不做出让人脸红心跳的暗示。
看到这等架势,妈妈那还看不穿了我的计划,知道我精虫上脑,等不及回家再解决,好在妈妈仍贴心配合,所以当我拉着妈妈坐上沙发,妈妈除了没好气的敲了我一下,却也没有拒绝我搭在胸脯上乱摸的手。
片头一开始,马上跳入火辣辣的性爱场景——一位戴着眼镜的少年和美艳的熟女,两人赤裸裸的躺在床上互相爱抚。望着宽大的屏幕,听着淫声浪语,妈妈吃惊的张开小口,好一会儿才害羞的偏过头,小声的朝我骂一声:“小色鬼!”
我淫笑嘿嘿的给妈妈一个笑容,脱下长裤,又把内裤褪至腿边,猴急的拉了妈妈的手搭在早已勃起的大鸡巴上,示意妈妈学电影里的美妇人正为那眼镜仔服务的动作。手中感受鸡巴的炽热,妈妈迟疑了一下,才慢慢的开始上下套弄,目光始终留意着影幕。
解开妈妈上半身套装三个钮扣,大手一掏,一对硕大无比的巨型美乳弹跳而出,将白色丝蕾的胸罩往下一扳,雪白的乳肉在空气中抖荡着,和着深红色的硬挺乳果,显得分外耀眼迷人,粗糙的手掌分别掩盖注乳房,低下头去又吸又揉。
肉体上的拨弄,令妈妈娇喘连连,套弄在我鸡巴上的手,也逐渐加快。持续的观赏电影中淫荡的演出,视觉上的挑逗,让脸红通通的妈妈意乱情迷,连我偷偷的伸下裙内脱下她的内裤都没发觉。伸指一探,只觉得热烫的淫水已像溪流般地从那妈妈的私处潺潺而出,滑不溜手。
母子一同外出,在家屋之外的公共场合观看着色情片,互相替对方手淫,粗重的喘息声和电影中毫不掩饰的淫浪声,让这小小的包厢房内顿时春色无边。
妈妈和我同时偏过头去,脸一碰互相舌吻,洁白的贝齿,小小的粉色香舌缠着我不放,这一吻直到天晕地暗、喘不过气才分开,唇分之后,脸前妈妈小嘴吐出诱人的芬芳,仍恋恋不舍的伸着小舌舔弄我的唇。
转头看回屏幕,此时片中男女已改变姿势;我转望妈妈,用眼神询问着,妈妈娇羞的看着影幕中男女做出羞人的姿势,她摇摇头,欲迎又拒,欲挣开我拨弄她私处的魔手,却发觉自己浑身发软,无力靠在我身上;在我半磨半强迫下,妈妈只好任由我搂着她改变体位——让妈妈躺在沙发上头,我伏身趴在她身上,头低在妈妈大腿间和她呈69式。
第一次在如此近的距离欣赏妈妈赤裸的下体,浓密的黝黑毛发,发育完全的成熟阴阜在多年未曾灌溉下显得额外饥渴,散发出一种极为淫腻的气息。淡淡的尿味和浓郁的肉屄骚味,令人窒息的性感,引诱我这种未尝肉味的青涩菜鸟无比的亢奋。
“小伟,别看那儿......”
感受到我视线的奸淫,被我压在身下的妈妈忍不住羞着抗议;而呈现在她面前的,亦是我光秃秃的下体,还有那根高挺的粗大肉茎。
用手指拨开暗红色的肉缝,两片肉瓣左右一翻,露出勃起的肉芽和粉色的小屄,湿漉漉的爱液马上沾满手指,我低下头,吐舌探去,轻轻的来回逗弄妈妈最为敏感的肉缝。在我的服伺之下,妈妈边挣扎边娇啼浪叫,雪白的俏臀任不住随着我的舔嗜轻轻摇摆,一上一下的迎接口舌的侵犯。
“啊啊......小伟......啊......啊......妈妈好舒服......儿子......你舔的......啊......真棒......”
敬爱的慈母被我搞得娇喘淫叫,内心前所未有的满足感,为了回馈妈妈这几日无私的奉献与服务,我更加卖力的舔着妈妈的私处,同时大嘴吱吱有声的吸食着妈妈溢出的淫水。
“妈妈,你也要帮忙啊......”摆腰晃臀,用硬挺的鸡巴像在恶作剧似的划弄妈妈的脸,我笑着要求道。
“真拿你这孩子没办法......啊......”妈妈喘叹了一口��气,认命的伸手扶住肉茎,吐着小舌舔嗜龟头来回应我。
此时,我和妈妈当然已经没办法再转头注意屏幕中那对男女的动作了;随着我兴奋的喘息和妈妈阵阵淫浪呻吟,坚持了许久,暴涨的阴茎前端一下一下的在妈妈娇美的脸上射出精液,而妈妈也在我的舔弄下畅美的泄了身,一道道透明黏滑的爱液溅满了我的脸,为我们母子俩人初次的69写下完美的句点。
在MTV的柜台结了帐,不知是错觉还是什么,总觉得那位年轻的柜台小姐望着我和妈妈的表情有些许怪异,害得妈妈羞的急忙拉着我的手离去。
回家路途,傍晚上人潮稀少,整个人似乎放松了不少的妈妈,酥软无骨的靠在我肩膀上。我和妈妈手牵着手,在昏暗的街灯道下行走,互相依偎,享受着情侣间浓情蜜意的气氛。
“嗯......想吃什么?回到家,妈妈给你煮好吃的。”
“哼,妈妈,现在这时候你应该叫我......”
“呵呵,叫你小色狼吧......啊......嘻嘻嘻......好痒啦......”伸手探入妈妈的胳肢窝搔痒,妈妈马上有如惊弓之鸟似的娇笑起来,她投降的抱起我的胳膀,娇声喊道,“别这样......老公......”
“妈妈,我真正想吃的......”
浑身酥麻,我笑着回答妈妈的问题:“是你!”
妈妈风情万种的瞪了我一眼:“想的美哟,小色鬼......”
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トム・ヴァーレインのブックセールにて
アレックス・アブラモビッチ
昨年の夏、ブルックリンでこんなミームが飛び交った: トム・ヴァーレインのブックセールの会場でキスしたらどうなる? バンド「テレヴィジョン」を結成し、そのフロントマンを務めたヴァーレインは、2023年1月28日に死去した。彼は長年にわたり、アート、音響学、占星術、UFOなど、さまざまなテーマに関する5万冊、20トン以上の本を入手していた。ブルックリンの隣接するガレージで8月に2日間にわたって行われたこれらの本の販売会は、大変な人気だった。アヴァンギャルドポップ・ミュージシャンのアート・リンゼイが立ち寄った。トニー・アウスラーは短いビデオを撮り、インスタグラムに投稿した。旧友たち(中には数十年ぶりに太陽の下に出てきたかのような者もいた)が、長い行列の中にお互いを見つけた。
ヴァーレインは膨大なコレクションをいくつかの倉庫に分けていた。彼が暮らすチェルシーの1ベッドルームから歩いてすぐの場所に1つ、川向こうのゴワナス運河に近いレッドフックに4つ。ヴァーレインはウーバーを使わなかった。ブルックリンの方の倉庫に行くには、おんぼろの食料品カートを持ってF系統の地下鉄に乗り、街でいちばん標高の高い地下鉄駅であるスミス・アンド・ナインストリート駅まで行き、あとは徒歩で移動した。人ごみの中で、ヴァーレインは目立った。背が高く、痩せていて、きれいな姿をしていた。(「トム・ヴァーレインの首はロック界で最も美しい」とパティ・スミスは1974年に書いている。「本物の白鳥みたい」)。彼は一度もタバコをやめず、フィルム・ノワールの登場人物のようなカーコートを着ていた。しかしそんな彼がカートを押して階段やエスカレーターをガタガタと降り、ブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイの下をくぐり、7車線の道路を横切り、レッドフックに向かっていた。本をどこかに運ばねばならなかったのだろう。
ヴァーレインはストランド書店の常連で、かつて出荷部門で働いていたこともあった。店の前の1ドル均一のカートのまえにいるところを見かけることもあった。ツアー中にはサウンドチェックから開演までの時間を利用して地元の書店を訪れた。ブルックリンでは、倉庫にあまりにぎっしりと荷物を詰め込んでいたため、彼の遺品整理を任された友人のパトリック・デリヴァズは、箱を動かすスペースを確保するためだけに別の倉庫を借りなければならなかった。テレヴィジョンの直近のギタリストだったジミー・リップは、1月にアルゼンチンからやってきたが、7ヶ月後にまだニューヨークにいて作業を手伝っていた。ブッシュウィックの書店「ベター・レッド・ザン・デッド」のデイヴ・モースとマティ・ディアンジェロも整理に参加していた。
モースは言う。「ふつう、『5万冊の本がある』と言う電話がかかってきても、行ってると500冊くらいなんだ。今回、僕らは箱を数えた。5万冊よりは少しだけ少なかったかもしれない。ヴァーレインはパッキングがとても上手だったからね。たくさんの詰め物が使ってあった。波形の段ボールを折ったりプチプチを使って、即席で巣のようなものをつくってある。がさつではあったけれどとても几帳面で、ほとんどの本は素晴らしい状態だった。僕らは計算し、自分たちだけでは無理だと悟って頭をかいた。そしてスペースを持っている知り合いのディーラーを考えた。
ディアンジェロはワシントンDCのキャピトル・ヒル・ブックスを思い出した。そこはブックストア・ムーバーズという姉妹会社を持っていて、トラックも調達できた。そのトラックはいま、ブルックリンのガレージの前にあって、デリヴァズがみている。中の本は「文学」、「詩」、「宗教」といったテーマ別に分類されている。ディアンジェロは、神話や神秘主義、オカルト、超常現象、スピリチュアリティを指す「MOPS」という新しいカテゴリーを作った。イスラム教の旋舞教団、アレイスター・クロウリー、アントン・ラヴェイに関する本が、チャップブック[17世紀ごろからの冊子]や料理本(ヴァーレインがコンロで作ったのはコーヒーだけだったが)、中国に関する本の隣に並んでいた。読書家として、ヴァーレインは心理学や過激な理論に思う存分傾倒した。しかし、何度も立ち返ったテーマがあり、興味がずっと昔にさかのぼるものもあった。ヴァーレインのかつての親友でありバンドメイトでもあったリチャード・ヘルは、2013年に出版された自伝『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』の中で、彼がとても若かった頃のことをこう語っている:
世界は彼にとって理解不能の異様なところと写っており、空飛ぶ円盤のようなものから、極端な陰謀論、不明瞭な宗教的神秘主義まで、あらゆる種類の非合理的な説明に影響を受けやすかった。彼は、これらの信念や疑念が多くの人々にとってクレイジーに映ることを知っていたし、それが彼が人前に出るのを嫌がっていた理由の一つだ。
ブックセールの数日後、私はリップとデリヴァズに会うためにレッドフックの倉庫まで歩いて行った。彼らはアンプ、スピーカー・キャビネット、真空管でいっぱいのユニットを見せてくれた。それもヴァーレインが収集したものだ。「曲のキーがE♭だと、トムは真空管を交換するんだ。ほら、ここに、彼が印をつけていたかがわかるだろう」
販売会場には『The Tube Amp Book(真空管アンプの本)第4版』というカタログが、ギオルギー・リゲティの伝記とブルーノート・レコードの歴史に挟まれてあった。私はいま、それを買わなかったことを後悔している。ヴァーレインはまだ製造が続いているスロバキアから輸送した新しい真空管を持っていた。eBayから入手した、あるいはeBayが存在する前に購入したヴィンテージの真空管も持っていた。何百という真空管を持っていた。
ヴァーレインは高価な機材には手を出さなかった。(ルナ・アンド・ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、ヴァーレインがかろうじて弾ける12弦のエレキを持ってスタジオに現れ、それを見事に弾きこなしたことや、ヨーロッパ・ツアーを全く機材を持たずに行い、各都市で新しいストラトキャスターをレンタルしたことを覚えている)。しかし、彼は自分のトーンにこだわった。ジェフ・ベックのように、アンプに直に接続し、ギターのボリュームとトーンのノブを操作して、他のプレイヤーがエフェクターのペダルでしか作れないようなエフェクトを得ることができた。彼はおそらく、どこまでも繊細だったのだろう。リップは彼らのサウンドチェックの一コマを振り返った。「トムが弾くのをやめて『ブーンという音がする』と言った。俺らには何も聞こえなかったけれどトムは言い張った。俺らはその音の元を探して、やっと会場のうしろのほうで見つけたんだ。その下まで行かなければわからなかったのに、トムはステージから気づいたんだ」
「トムは非常にガード固かった」とヘルは自伝に書いている。「防御が強いんだ。それには良いことも悪いこともある。それは彼にある種の整合性を与えた。流行に流されることはなく、慎重で信頼できた。でもそのせいで一緒に仕事をするのは本当に難しかった」。しかし、6年ほどの間、ヴァーレインとヘルは(ふたりは一緒にデラウェア州の高校を飛び出し、ニューヨークで再会していた)同じアパートに住み、同じダブルのマットレスで眠り、「テレサ・スターン」として一緒に詩を書き、ヘルが主宰する詩誌『ドット』から出版した(彼が最初に出版したのはアンドリュー・ワイリーの詩集だった)。
1972年、ふたりはバンドを結成した。ヴァーレインはサード・アベニューの質屋でベース・ギターを選び、ヘルに基本を教えた。髪を切り、名前を変え(「マイヤーズとミラー」から「ヘルとヴァーレイン」に)、ネオン・ボーイズと名乗り、ビリー・フィッカを加入させた。数ヶ月間、彼らはヴァーレインのアパートでリハーサルをした。アンプやセットを買う金はなかった。ジャズ志向の優秀なドラマーだったフィッカは、代わりに電話帳でドラムを叩いた。ヘルは「Love Comes in Spurts」、「Blank Generation」、「Eat the Light」など数曲を書いた。ヴァーレインは「Bluebirds」、「$16.50」、「Tramp」を書いた。彼らは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に「ナルシストなリズム・ギタリスト募集、最低限の才能があればOK」という広告を掲載し、何人かがオーディションを受けた(ディー・ディー・ラモーンになったダグ・コルヴィンや、ブロンディを結成することになったクリス・スタインもいた)が、誰もフィットしなかった。1973年になっていた。ヘルとヴァーレインは13番街にある小さな店、シネマビリアで働いていた。マネージャーのテリー・オークは、チャイナタウンのロフトに寝泊まりしていたリチャード・ロイドを推薦し、ロイドを2人目のギタリストに迎えて、彼らはバンド名をテレヴィジョンに変えた。
CBGBのオーナーであるヒリー・クリスタルは、彼のクラブでカントリー、ブルーグラス、ブルースのバンドを取り上げようと計画していた。テレヴィジョンをマネージメントするようになったオークは、代わりに自分のバンドを演奏させるよう彼を説得した。徐々にひとつのシーンが形成されていった。テレヴィジョンはリチャード・ウィリアムズとブライアン・イーノとデモを録音した。もしヴァーレインがイーノのサウンドを嫌っていなければ、イーノは彼らのファースト・アルバムをプロデュースしていただろう。ヴァーレインは、イーノがそのテープをイギリスに持ち帰ったと確信していた。ロキシー・ミュージックの次のアルバムのグルーヴの中に、自分のアイデアが入っているのが聴こえたと思っていたのだ。それが事実かどうかは別として、同じ頃、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドは、とんがった髪、破れたTシャツ、安全ピンといったヘルのルックスや態度をコピーし、セックス・ピストルズにあてがった。ヘルは回想する。「俺らの演奏はまるで反逆のスクラップが転がり落ち、ぶつかり合う音みたいで、同時にそれを遠くから眺めているみたいに美しくて胸が張り裂けそうでもあった。感動させられ、揺さぶられ、目を覚まさせられた」
しかし、テレヴィジョンがファースト・アルバムをレコーディングする頃には、バンドはそのメンバーではなくなっていた。ヴァーレインは、徐々に、そしてその後は徐々にではなく、ヘルとヘルの曲を脇に追いやった。『Marquee Moon』を何年もリハーサルして手を入れ続け、考え続け、それは1977年、ヘルの脱退から2年後に発表された。ヘルの代わりにフレッド・スミスがベースを弾いていた。曲はより慎重に構成され、短編小説のように構成された。ヴァーレインはジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを愛し、彼のレコード・コレクションの大半はESPやインパルスといったレーベルのジャズ・アルバムで占められていた。しかし、コンサートでも、テレヴィジョンがノイジーで自由だった頃、ヴァーレインとロイドが奏でる連動したソロは高度にアレンジされていた。ウィリアムズはそれを「金線細工を施された」と表現した。
彼らの曲は文字通り「文学的」だった。ロックンロールではめったに美徳とされないことだが、ヴァーレインにははまっていた。彼は手がかりや警官、裏切り者、その他ハードボイルドな小物でいっぱいの探偵小説を書き、それを打ち砕いているかのようだった。『Marquee Moon』に収録されている8曲のうち5曲は、夜に起こる物語を歌っている。4曲は過去形と現在形を行き来している。ヴァーレインの描くイメージにははっとさせられる。「素敵な小舟が欲しい/海でできた小舟」、「世界はとても薄かった/俺の骨と皮のあいだで」、「思い出す/雷が雷自身に落ちたのを」。
しかし、パンクの先駆けとなったテレヴィジョン(ヘルが所属していたときのグループ)がアナーキーで、1977年のテレヴィジョンがほとんどプログラムされたようにコントロールされていたとしても、両者を異なるバンドと考えるのはまちがいだし、ヘルとヴァーレインを正反対の人物と見るのもまちがいだ。ヴァーレインの歌声は神経質で切迫していた。彼のアルバムはやはりパフォーマンスであり、素早く録音され、多かれ少なかれライブだった。奇妙で、絶望的で、すばらしかった。1曲目の終わりに「愛する人と未来を引きずり降ろせ」とヴァーレインは10回続けて歌っている。彼とヘルには共通の恍惚感があった。
もちろん彼らは憎み合っていた。「あいつには我慢できない」とヴァーレインは言い、ヘルも手加減しなかった。しかし、『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』のエピローグで、ヘルはほんとうに久しぶりにヴァーレインに会ったときのことをこう語っている:
このあいだ、レストランから家に帰る途中、古本屋の前でトム・ヴァーレインが安売り本の箱を漁っているのを見かけたんだ。俺は彼に近づいて、「空飛ぶ円盤について何かわかったか?」と聞いた。
ヘルはヴァーレインの歯(俺の歯よりもっと悪い」)、顔(「でこぼこで膨張している」)、髪(「白髪まっしぐら」)を描写している。
俺は背を向け、ショックを受けて歩き去った。俺たちはまるで2匹の怪物が打ち明け話をしているようだったが、ショックを受けたのはそのことではなかった。俺が愛を感じたからだ。俺は彼に感謝し、彼を信じ、自分の中で、彼がありえない人間であり、彼を好きになることがありえないことを肯定した。それまでもずっとそうだったのだ。俺はこれまでと同じように彼を近くに感じた。彼のような人間以外に何を信じればいいのだろう? なんてこった、俺は彼と同じなんだだ。俺は彼だ。
ヴァーレインの本は、Better Read than DeadやCapitol Hillのサイトでまだ購入できる。彼のレコード・コレクションは、そのうちグリーンポイントとイースト・ヴィレッジのアカデミー・レコード別館で販売されるだろう。その本やレコードははいまとはちがう時代、いまとはちがう街を思い出させる。書店やレコード店が遅くまで開いていて、CBGBで夜遊びした後でも店を覗くことができて、そこで手に入るものは安かったし、それを保管するのに必要なスペースも安かった。たとえ書店で働いていたとしても、その金でオフセット印刷機を買って自分で詩の版元を始めたり、ソーホーにロフトを見つけて自分のバンドを始めたりできたのだ。
2024.3.4
ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載
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xiudi1985 · 3 months
Text
Slash:Aragorn/boromir
作品标题:《烟灰》
等级:NC17
警告和说明:
他要开窗透气,但他把手指按在他指节上,拒绝烟灰的气味从他们的空间里消散。
互攻pwp,性瘾老男人,有感情的性爱。
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红色的火星随着吸气,把陈旧的烟斗中最后一斗烟丝燃成灰烬。
阿拉贡缓缓吐出肺里的烟圈,往堆满烟灰的烟缸上随意磕了几下,仍旧低头握着鹅毛笔的笔杆在羊皮卷上继续书写。他眯着眼,思维仍然全然沉浸在繁务的公文中,大脑飞速运作,下笔斟酌着严谨的用句,用头脑应对他国王的职责。他在自己专门的私人书房兼办公区中投身了不知多少个时日,烟量大得吓人,有几个晚上,他直接在工作间的单人床上过夜,书桌上和床上都堆满了写完和待阅的羊皮纸卷。每天仆役们从他的办公区清理出一堆又一堆的烟灰,再给他送去新的劲大的烟草,捧来他要的能让头脑保持清醒的浓茶——都会悄悄感叹他们国王使用烟草的数量,担心他们国君的肺。
有力的敲门声,在书房厚实的门板上敲了几下,得到许可后门把手才被旋开。他不用抬头,熟悉的袍角,和熟悉的盔甲,熟悉的气味,都能告诉他来人是谁。
他起身给波罗米尔一个回归的用力拥抱,把彼此笼在对方怀中,潦草的几个小亲吻扫啄在他熟悉的干燥唇角,他的统帅刚刚扫平了边境残余势力抬头的一场小型战役,像他所期盼又终于放心的那样,平平安安的归来了,第一时间就来见他的国王。
他看出他整理过仪容,修过了胡子,他来见他前至少用毛巾把征战的痕迹从脸上擦去,和国王自己过分投入工作时的不修边幅的邋遢形象形成了小小的对比。但与他拥抱的时候,波罗米尔身上依旧有铁甲、灰尘和汗水的气味。
在拥抱中他们简洁地交流了一些话,问了战况,宫中事务,在牢牢紧抱的肢体接触中表达了对彼此的想念。阿拉贡愧疚又快速地吻了统帅一下,不带过多情欲的,强迫自己把嘴唇从刚铎之子的唇上拉开,把自己黑漆漆的手指从他脸上挪开,尽管如此,统帅的脸颊边还是不能避免地留下了几个墨水指纹。
阿拉贡略微沮丧地看着一桌的羊皮卷,很抱歉他此时无法给他更多,更长的亲密时光。他匆匆披上那件比较日常设计朴素的王袍,和他一起出去,简短又亲切地向带来胜利的战士们表达祝贺与感激,随后又匆忙回到书房,重新投身地狱一般的公文修改。
波罗米尔不知什么时候又偷偷溜进了阿拉贡的办公间,坐在不远处,一直陪着他,呆在他的书房里,连用餐时间都体谅他,让仆从把可口又能快速吃完的餐点与饮料送进书房里,和他的国君一起在没有过多语言的打扰中,简单的把一顿饭吃完。后来统帅干脆和他一块与那些公文战斗,在国王咬着烟斗忙得头都不抬的奋笔疾书中,和烟雾缭绕的封闭房间里,帮他检查羊皮卷上的错别字,把卷轴上的官方用词修改得更漂亮。
当阿拉贡抽完最后一口烟,在羊皮纸上落下最后一笔,他终于能从一大堆文书中抬起头,把自己仰进天鹅绒的椅背,揉搓一下发出声响的后颈脖,晃头转了一圈僵硬的脖子,从鼻间哼逸出一声解放的叹喟。
窗外已是深夜,一片寂静中,只听得到白色城市夜间窃窃的虫鸣,烛火在银质烛台上燃烧,低落的白色蜡块堆积在桌台上,厚厚一层,书桌上有烟斗里飘落的烟灰。
“都这么晚了…我真是抱歉……”
阿拉贡看向旁边帮他整理文书的高大男人,内心不免感到对他的忽略和亏欠。
统帅无声无息地贴上来,垂下狭长的绿眼睛,用粗糙的大手揉搓国王疲倦的脖子,五只手指捏着阿拉贡僵硬的后脖颈,像揉捏一只大型猫科动物的脖梗一样揉搓他。
在一片缭绕的烟雾与滢滢的烛火中,他的统帅还在房间里,他终于好好注意到,他的爱人连归来的衣物都没有换下,像一只忠诚又无时不刻眷恋主人的大型犬科动物一般,一直执着地留在这个被他忽视的房间。
“这没什么…我很高兴我们终于做完它了……”
统帅低沉的回答里没有什么不满意,但国王还是听出了其中暗藏的淡淡寂寞。
阿拉贡抽了一下鼻子,一直处于焦头烂额状态下麻木的嗅觉开始恢复正常工作了,他终于注意到这个封闭的书房内,堆积多日的浓郁烟味有多难闻。
“这里味道太糟糕了,这地方让我熏得像个毒气室一样……”
而虽然嗜酒,他的统帅却没有什么沉迷烟草的习惯,不像他那样,抽起烟来像个烟囱,几十年来几乎烟不离手。
阿拉贡喃喃自语,把手伸向书桌旁的窗户,欲开窗把那些有毒的气味散掉。
但统帅突然把手指强势的按在他粗大的指节上,拒绝让国王把窗户打开。
“波罗米尔…?我只是想开开窗…你不喜欢闻这么浓的烟味……”
“别开……”
“嗯?”
“别开…不用开窗…阿拉贡…”
统帅把国王的身体圈在自己的怀里,近到他的呼吸里全是他满身难闻夹杂着汗味的烟草味道。
阿拉贡多日批改卷宗的眼中有红红的血丝,在烛光中他靠近他,用鼻子贴着统帅的鼻子,和他亲昵地摩擦了一下,他随手把他暗金色的垂发顺到耳后,泛红的蓝眼定定的望着他,抚摸统帅浮肿的眼袋。
“波罗米尔…你为什么一定要陪我呆在这个地狱一样的房间里……为什么不回我们温暖又舒服的房间好好睡上一觉?那里既没有那么难闻的烟味…又有柔软的床,这会对你更好…”
“……烟味。”他的声音低到几不可闻,阿拉贡忍不住又问了一遍。
“……那里没有你身上的烟味,我根本睡不着觉。”
他埋在他脖子上闷闷地回答,像一只大狗一样,在他的颈脖间埋着自己的鼻子嗅他,要把他全身的烟草味和体味全部吸进自己肺里。没有他味道的地方,他哪儿都不想呆。
“今晚用你喜欢的方式来拥有我,波罗米尔…”
什么都不需要多问了,国王把统帅扯进一个全是烟味的舌吻里,长长的腿别住他袍子下的靴跟,用肢体向他发出邀约,统帅回吻得比他还急,入侵城池一样咬他的下唇,舌头驱长直入攻击他的上颚,托着国王的后脑勺的手指扯痛了他的发根,阿拉贡泄出呻吟,波罗米尔一路追来的狂热亲吻,逐渐变成在阿拉贡咸味的脖子上湿漉漉又充满原始本能的啃咬。
“波罗米尔!让我洗一下,我还没洗……”
阿拉贡推他厚实的肩膀,他身上全是工作的汗臭,陈日的烟味,不修边幅,邋里邋遢的。
波罗米尔的回应是把他捏碎一样的紧拥,灼热的呼吸喷在他毛发浓密的结实胸口,那根舌头舔他胸肌下的肋骨,往下描摩那些肌肉因为他的唇舌贲张与收缩起来的形状,闻他皮肤上残余的烟味,尝他皮肤上的盐,一道道闪亮又扭曲的湿渌痕凝,留在他深色的皮肤上,阿拉贡难耐地喘气,衣袍下的阴茎在这热烈的挑逗中一点点难以抗拒地弯曲隆起,顶出漂亮的硕大弧度,在布料下留下一小圈明显的湿痕。波罗米尔把他的王袍分开,扯下他的亵裤,一点也不惊讶他国王的热情像一支出鞘的利剑,沉甸甸到几乎像一个耳光一样抽打在他鼻子上。他弯腰用手捧住它,把它牢牢掌控在手里,用鼻尖蹭他胯下毛茸茸的一对珠宝,几近崇拜地把整根含进嘴里,一寸寸吞咽到最深,用力地吮吸上面整个海洋一样的盐味。他的国王下意识地抽身往后退,又被一双有力还带着皮手套的钢爪扣住了腰身,统帅吞咽得更深,逼迫他整个留在他嘴里,他的嘴热到像地狱里的熔炉,紧紧地吸吮他,折磨他,逼迫到阿拉贡忍不住往前在他紧窄的喉咙间抽动自己做了几个让统帅闷哼的重挺。
“阿拉贡…连这里都有你的烟味……”
他退出了一会,舌尖抵在他前端的窄缝上,轻轻往上勾,腺液和唾液在阴茎和统帅的下巴上连出一根丝线,波罗米尔抬脸往上盯着他的眼神充满巨大的欲望,里面流露出藏也藏不住的露骨的肮脏,狂热,渴望,痴迷,和毫不掩饰的下流。他亲吻他的双腿,又低下脑袋去拱阿拉贡的腿侧,重新张开嘴吸咬烟斗一样去吸他的阴茎,舌头顺着囊袋钻进那个热烘烘的窄缝,绕着圈去刺激国王从不会展示于他人的私处。
这让阿拉贡全身的汗毛都竖起来,不停的弓腰低喘,他的双腿微微打抖,阴茎在小腹上狼狈地漏着腺液,有力的长腿勾夹住他的脖子,任由波罗米尔欺身而入用嘴和胡茬挑逗他的肛门,把他的臀部放到全是卷宗的书桌上,用嘴把他的前后都彻底打开。
“奖励我…陛下……请求您给我一个好的奖励……”
他抖掉身上的长袍,褪下那些不便的盔甲和衣物,庞大的苍白身躯挤进去,分开国王深麦色的膝盖,把阿拉贡强壮的胳膊挂到自己宽大的肩膀上,戴着皮革手套的指头侵入那个全是他唾液的窄道,额头贴着阿拉贡的额头,握住国王的阴茎在拳心里上下套弄。阿拉贡的两鬓都是汗,黑发贴在额间,眼神在浓重的呼气中变得失去节制的狂乱,连抱着他的动作都变成了与统帅纠缠不清得密不通风、唇齿啃咬的狂野。统帅把指头插入得更深,深深地往里推顶,在国王呻吟的时候又故意撤出了一寸,咬住他舌尖直到疼痛,再向上准稳的给与一个狠顶,隔着皮套的指头旋转着勾住了那个熟悉的硬块,往上一小下一小下的顶弄,臀下横放的一只鹅毛笔,被阿拉贡坐着,笔尖膈着国王的屁股扎弄。
“让我操你…陛下…让我插进你里面…深深地满足你…阿拉贡……”
在赤裸裸求欢的语言中,手指从一次次地在肠道中施压,从一根逐渐增加到四根,满满的撑在里面,拉开到极限又拳握到极点,几乎像一个能让阿拉贡发出无声嘶叫的轻度拳交,一个让人疼痛到太过强烈,太过彻底的占有。阿拉贡绷直了自己,仰颈露出喉结,任由波罗米尔的利齿咬住,肠液把皮质的手套指节部分打湿,吸了水的皮革变得更满涨,让挤压他身体内部的空间变得更紧。
他发烫的勃起顶住了他溢出了体液的穴口边缘,阿拉贡下意识伸手去握,勃发的尺寸他整个手握住了还有余,顶端的液体蹭了他一手,统帅的呼吸蒸热他的脸,让他脸红到牙关都在打颤。那根无法忽略的器官在阿拉贡的拳头中,随着统帅欺身往前的躯体,去蹭还在阿拉贡体内的手套,在因充血而涨肿起来的肉圈四周顶戳,贴着他的胡茬贴着他的嘴请求。
“恳求你……”
“进来……!”
阿拉贡仰起脖子把自己分得更开,无声的应允,那些手指短暂的抽出,从身体内部缓慢撤离所带来的虚空几乎让他哽咽,他眼冒金星,自己用手将合不上的穴口拉得更开一些,需要一个彻底的填满,他的统帅阴茎的填满。在他低头喘气的同时,那根阴茎就长贯而入撞进来,撞在他此时无比敏感的体内,让他差点哀嚎着夹紧他提前射出来。
“波罗米尔……”国王的声音都染上了极深的欲望、饥饿和苦闷。
“别着急,这就填满你……”
刚刚吃进去的满实柱身又往后撤回一寸,拖曳他肠肉的同时,再精准的重新撞了进去,把他重新装填得足够满,他的金色耻毛扎蹭过他的会阴,刺激到阿拉贡小腹处贴着的阴茎比之前更硬,一下又一下控制不住欲望的深撞,他把它咬得很紧,几乎是饥渴的欢迎他在他内部像台战车一般横冲直撞,书桌的桌腿在地毯上闷闷地摩擦,国王咬着牙关勾住自己亢奋到僵硬的腿窝,任由统帅狂烈的索求。
“我不能…坐在书桌上不够深…我吃不完……到地毯上……到地毯上…让我像骑马一样骑你……”
他抱着他的脖子,开始了主动的抬腰迎合,急切地要撞吃到他的根上,泄出夹杂了呻吟与喘气的混乱语言,这让波罗米尔停顿了一秒钟后,把国王结实的臀部彻底拉到自己身上,将他的背推到铺满卷轴的书桌中,几乎是把阿拉贡的腰对折到更弯,压身将阴茎埋得更深,像头狼一样恶狠狠的操他。
“是谁在骑你,我的陛下?”
“这是否能比你在地毯上骑我更令你满足?”
不够,不够…还远远不能满足,他需要他更强烈的击打,像锤进肉体深处锻钢一样的冶炼。或许他不算最好的接受方,但他在他自己的情欲中,只容忍这独一无二的一个人对他那么放肆。
“再深一点…再用力一些,波罗米尔…!”
他握住国王的脚踝,拉开他的腿到了极限,每一下的插入都做到大开大合,毫不留情。
“是谁在操你…我的阿拉贡?”
“呃…啊…波罗米尔……哈啊…波罗米尔…”
他发不出像样的声音,只能发了疯一样去吞噬他,结实的腰被统帅钳子一样的大手掐着,最后国王抽搐的小腿勾起来,脚弓兴奋到拱起,紧紧的交叉在他宽阔的背上夹住他的腰,在波罗米尔的狠狠撞击中喷射到一塌糊涂。
“感觉好吗?爱人……”
统帅仍然埋在他体内,将阿拉贡黑色粘满了白色精液的耻毛缠绕在指尖玩弄,摸着阿拉贡汗湿的头发,抱住他的爱人,和国王在高潮的余韵中用舌尖懒散地啄吻。
“……你还很硬。”
他夹了夹自己,发现统帅并没有像以往一般高潮,那根战斗勇猛的阴茎依旧硬着,深埋在他已经变得泥泞的身体里面。国王沙哑的声音带着情事后的微喘,他摸了把自己汗湿的面孔,任由波罗米尔埋在他颈间,舔他汗津津的下巴,嗅闻他黑发上的烟味,汗味,荷尔蒙的味道。
“这真让我挫败,我没能夹射你……”国王汗湿的手摩挲统帅仍然压在自己股间的臀部。
“没有你的疼爱,我很难得到彻底的满足……”波罗米尔撑起自己,从他体内不舍地退出来,给阿拉贡一个懒洋洋的微笑。
“那么我的大人,您要什么样的疼爱呢?”
阿拉贡伸手去抚摸波罗米尔依旧坚挺的骄傲。
“或许需要您,我的国王,像骑马一样骑我……”
“噢……”阿拉贡眨眨眼睛,放在他屁股上的手不动了。
波罗米尔转而把脸上的笑容咧开更大一些,像他们初见时那样,语气故意带上一些挑衅的傲慢。
“但也许您老了,我的王,不如您早几年那般能干得动我。”
意会的国王确定自己没有听错,眼睛故意眯起来,打了一巴掌统帅的臀部,用了点力气揉搓上面的肌肉,如果他不了解也不满足他的性癖好,那他是个不称职的爱人。
“你刚刚傲慢地挑衅了你的国君,这相当的无礼,是会被惩罚的,傲慢的大人。”
“那就惩罚我,给我一个好教训,教会我懂规矩,我的陛下。”
“……我等不到回我们的卧室去爱你了…起来,趴到���边的单人床去,你值得在一张床上享受你的马鞭。”
腿间的不便让波罗米尔几乎不能好好走到床边,他踉踉跄跄,又跌跌撞撞的把自己高大的躯体摔进国王不大的小床上。膝盖刚着陆,阿拉贡威严优雅的声音又在他身后响起。
“跪着,波罗米尔。你必须跪着,把自己抬起来,去领受你的马鞭。”
阿拉贡在地上那堆衣物中捡拾起波罗米尔的腰带,那是一根柔软性和坚韧度刚刚好的皮革束腰,他在自己掌心中试了几下,确定这是适合教懂规矩的一根临时马鞭。
他手掌向下,压统帅健壮的腰,“抬起来,再高点。把腿打开到你肩膀的宽度。”
他一只手将折起的皮带沿着统帅的皮肤从腰慢慢拖到尾椎,一只手按着他的腰向下慢慢施压,直到英武的将军在他掌心的施压下撅到他满意的高度,让他看得到他胯下滚烫笔挺的宽大利刃,以及毫无保留的洞开。
啪的一皮带,抽在统帅挺起的臀部。
“告诉我,你因为什么而被我惩罚?”
“我不敬重我的国王。”
啪,又一皮带交错地抽上去,这次苍白的臀肉带上了浮痕。
“我的大人,那你应该学会怎样尊敬我?”
统帅在皮带所带来的灼热中闷喘一声,拱起胳膊的肌肉,双手拳心曲握在一起。
“用我的一切,竭尽所能,带给他毫无保留的至上快乐。”
又数皮带抽了上去,鞭痕红得更清晰了,统帅的喘息变得又粗又闷,腰在被子里扭动,他不敢轻易碰自己,国王用巴掌无情地拍打他发红的屁股,拍打他腿侧颤抖的肌肉。
“这其中包括一些什么呢?你做到了吗?”
阿拉贡用手将波罗米尔的长度包在手心,用力地握住。
“包括我的心和阴茎永远忠诚于他,我的欲望…只为他燃烧…包…包括我的精液在高潮时应该只射在他深处…!”
更多的抽打落在他身上,落在烧着了一样的臀部上,明天他骑马将腿夹在马肚上的时候,他的屁股一定很难受,在马鞍上因为颠簸疼痛又幸福,在他的座驾上悄悄的勃起到难过,他会因为欲望的腾升而汗流浃背,弄湿他的里衣和软甲,又再次需要他的国王给他更多的抚慰,也许他又会因为硬起来而去操他占有他,也许会主动掰开自己让他操,永远不能不渴望他。
国王的皮带折起来卷紧在他狰狞的勃起上,往后残忍的拉伸,牙龈咬住他大腿内侧抽抖的肌肉。波罗米尔的脑袋顶进被褥里,他的国王在这张床上办公的时候抽过烟,残留的烟草味充盈他的鼻腔,这让他亢奋到脚掌都蜷缩起来,脚趾不停地在床单上向后勾蹬,没有发泄过的阴茎变成激动到极点的紫红,顶端快要溢出的精液带出一些前液,从马眼的细缝挤出滴漏到床单上。
“我允许你高潮了吗?无礼的大人?”
阿拉贡咬他的大腿,灼热的气息喷在他的阴茎上,更残酷地束缚他的阳物,皮带在他根处收紧,让他饱胀的睾丸簇起不能流畅的血红。国王粗糙的拇指揉搓他发烫的洞,压进去,沿着圆洞的周围按揉,直到那些软肉开始分泌出体液沾湿他,吮吻一样吸吮国王赤裸的手指上裂开的指纹。但不那么快给他想要的快慰。
“不……”他咬住酸涩的牙关苦闷地摇摇头,小口小口的呼气,为这欲望而学习忍耐,“我的陛下还没有允许我……”
“继续说,波罗米尔大人…您的高潮应该是什么方式的?告诉我,您应该怎么样射精呢?”
“啊……哈啊…”统帅眼花缭乱,额发和额头在被单上蹭出他脑门上的汗花,他用颤抖的双手分开自己,露出他抽搐的洞,让国王能够看清里面因为对他的渴望是如何的饥肠辘辘,腰伏得足够的低,腿张到足够的大,他的腰部因为冒出的热汗而湿溜,光滑,只需要再往上面添加上一张皮革的戎鞍。
“我的高潮……”他的声音里都是含混的唾液,断续,嘶哑,气息难以连贯,“我的高潮……应该被我的国王当做一匹马一样去骑,让我的国王在我身上,尽兴的驰骋……”
这极大的臣服和取悦,令阿拉贡的不应期都缩短了很多,他甚至没有使用统帅的嘴去给自己重新口交,下身的硬挺就在他的语言中重新勃起,硬热地压在统帅的穴口。
“你还要什么?我的波罗米尔?”箭矢搭在弓上,箭头压住他的靶心。
“我要你插入我……国王……阿拉贡……彻底操开我…让我……啊!”
阿拉贡一下捅了进去,躬身抵住他强壮的腰臀,顶在腺体上开始了一下比一下深的贯穿和律动,按着统帅的手背一下又一下发狠的干他。
在抽插中统帅的肉圈收缩得很紧,张着嘴叫都叫不出来,他用牙齿胡乱咬眼前的床单,把鼻子埋进去呼吸空气一样深闻,国王的汗味体味烟味全部包围了他,在强烈的快感中几乎将他熏呛到窒息,在烟草灰烬的包裹中,阿拉贡没有干他很多下,强力原始的性爱交配,勾着他肉的痴缠,也许是操了十几下,也许是几十下,皮带在阴茎上收到最紧又忽然松开,波罗米尔从喉咙里哀叫,喷涌的精液成束地喷射在床单上,喷射在阿拉贡包裹上来的手掌心,他抽紧的身体同样让国王疼痛,咬住他的后颈将精液喷射在统帅的体内。
嘴里是黄铜味的腥甜,他的脖子一定出血了,阿拉贡将自己埋入得更深,舔他血洞中的伤口,睾丸卡在他肉穴的缝隙,在撑到没有缝隙的饱胀肠道里,小股小股喷射的精液,把波罗米尔填满,在统帅的迷失中,和他交换一个又烟草味又有血腥味的甜蜜亲吻。
“你满意吗…波罗米尔?”
国王的声音沙哑疲倦又温柔,把统帅抱在他的臂弯里。
“不能再多,喜欢你这样爱我……阿拉贡……”
统帅一样的疲倦,脖子埋在国王的心口,声音里有满足而幸福的困倦,在被子里把阿拉贡的阴茎笼在手指中,爱抚上面变干的精斑。
国王挑眉,缓慢地张开了腿,把自己贴近了他的统领,额头也轻轻靠近他,把他们两都包裹在足够暖和的被褥里。
“我想,你今天晚上插在我里面睡……”
他亲吻他红肿的嘴唇,合拢了自己,把爱人休战中温热的肉块一点点纳入自己,手腿并用,摩擦到又稍微的半硬。
“阿拉贡……”波罗米尔吞咽一下唾沫,把你是个我见过最无耻的混蛋的赞誉也一起咽进喉咙里,这句话现在最好不要说。
不过他的国王还有话要讲。
“但是,我不允许你在大半夜射出来,或者硬起来忍不住操我,你的陛下九十多岁了,是个老男人,这对老男人的睡眠并不好,对吧?”
统帅的表情和阴茎都在阿拉贡咧开的笑容中变得很僵硬。
“来,让我们打一个小小的,小小的,刚铎第一人一定能完成的赌——”
国王摸了摸统帅的下巴,打了个响指,很清楚自己是个什么样的魔鬼。并且相当的满意统帅的呼吸再次变得粗急,掐着他腰部捏着他屁股的手变得用力,将阴茎重新慢慢往他内部捅,国王很配合的把结实又毛茸茸的长腿搭到他肌肉发达的光滑大腿上,就这么勾住了夹住了,用力量不让统帅动弹。
“你插在我里面,能坚持这么硬着,并且到明天我睡醒之前,都能忍耐下来,绝不会射。如果你能坚持到明天,我也还很干燥,你真是个从古至今最了不起的统帅,为此,你的国王会给你一个更棒,更好,更彻底的Fuck…或许是用手,或许是用嘴,或许是用阴茎,或许是用臀部……”
希望他把那些从现在开始一直堵着,喉咙中好听的脏话留到明天,在边操或边挨操的时候,再骂给他听。
他对他绝望的统帅露出了不容置疑的游侠一般的狡猾微笑,也对他应许国王威严的承诺。
Fin
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lgbtqromance · 8 months
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两个高中男生被猎奸调教
这时是凌晨3点多,天还很黑,一个运动男生走进了公园的树林,打算超近路走出公园,他丝毫没注意到身后正跟着4个如饥似渴的色男,这时运动帅哥也发现了身后的异样,他刚一转身,阿光便扑了上来紧紧抱住了他强壮结实的上半身,小林也迅速冲过来抓住他的脖子。
「我靠!你们…你们这群变…变态…到底想…啊!」由于脖子被人向后拉扯,帅哥的叫喊断断续续,只剩下两只穿着白色NIKE篮球鞋的脚吃力的支撑在地上,站立不稳。这时候翔子冷不防的一脚扫向帅哥的两条腿。
「砰」的一声,这具??190cm的高大身躯轰然倒地,接着便是帅哥一声「噢呜!!」的惨叫。
「哈哈,这小子屁股上的那块骨头正好砸到了石头上!」阿光大笑。
倒地的帅哥顾不着疼痛,更加用力的挣扎着起身,眼看就要按不住他了,这时一直在旁边观看的小C走了过来慢慢的伸出双手,抓住帅哥的脚腕,一手一只,将帅哥的两只脚高高提了起来,「我让你乱动!」话音刚落,他就猛一脚踩向了帅哥裆部!
「呜哇啊啊!」帅哥惨叫了几声就昏死了过去。
「干!你干嘛那么用力啊,要是把这小子的家伙踩废了,我们等下拿什么爽啊!」阿光大声咒骂着。
小C:「放心好了,我力道刚刚好,他长这么帅,我哪舍得把他的宝贝弄废啊,再说,等下我还要他插我呢!」
小林和翔子:「我也要他来干我啊,哈哈哈!」
趁着黑夜,众人笑着合力把运动帅哥抱上了自己的轿车。可他们没发现,帅哥在刚才的反抗中脚上的一只篮球鞋掉在了树林里……
4人打算驱车到郊外几十公里的一个废气的大工厂,由于运动帅哥脚上的篮球鞋掉了一只,所以整个车厢里都弥漫着帅哥的脚味,这运动帅哥淡淡的脚味夹杂着白色运动袜的味道,让车上的4人亢奋不已,小C抱起帅哥的白袜脚放在脸上又是闻又是咬
「干!正宗运动男生的袜子就是好闻!」阿光则捧着帅哥的脸蛋,不停的亲吻,又是亲嘴唇,又是亲喉结,鼻子眼睛耳朵全不放过!还撑开帅哥的嘴,吮吸他的舌头。
「这小子的口水好吃啊!甜甜的!」
坐在副驾驶座的小林也忍不住了把手伸向帅哥下身的红色篮球裤,并在裤裆处又揉又捏,当??他正想解开帅哥的裤头上的松紧带时却被小C制止了,「不许伸进去摸!他的宝贝我得第一个得到!」
小林:「好好好,知道啦,我隔着裤子摸还不行吗。」
小林只好隔着裤子玩帅哥的宝贝。
「他妈的,这小���没up起就这么大了,手感超棒!」
在开车的翔子说话了:「死相,他是打篮球的好不好,你不知道打篮球的男生家伙都是超大号的啦!大夥等下有得享受咯!」
「哈哈哈哈哈」
终于到了目的地,4人把帅哥抬到了工厂里的地下室……
此时,帅哥仍旧没醒来,众人来到了地下室里的一个车间里,锁上了门,这下可怜的帅哥恐怕插翅难逃了。
翔子拿出了手铐将帅哥的手拉到身后铐在了墙上的铁杆上,「要不要把他的脚也给铐起来啊?」
小C:「不用,就是要看他两脚乱踢的样子才够火暴,我们也才尽兴啊,哈哈!」
就在这时帅哥的身子动了动,终于苏醒了过来,「这是什么地方?啊,你们放开我!变态!铐着我到底想做什么?!」
4个人不理会帅哥的叫喊,淫笑着向这个迷人的运动男生走来,八只手在帅哥的胸膛,大腿,脸蛋上肆意摸着,惊恐的帅哥立刻明白了眼前4个人是同性恋,「不要碰我!我又不是!我不喜欢男的!你们凭什么对我这样!」
阿光:「我们就是喜欢像你这样的异性恋男人,玩起来才刺激!兴奋!要怪就怪你自己长的太帅了!」
这时多只手同时摸上了帅哥的裆部,帅哥见状双脚更加用力的乱踢,一脚将小C踢了出去,小C可火了:「敢踢我!这回我就让你变太监!你们抓住他的腿!」
小林和阿光立刻一人抱住帅哥的一只腿,把这粗壮的两腿扒向两边,接着小C走到了帅哥的两腿中间,笑了一下。
帅哥记起刚才在树林里的那一脚,惊恐的睁大双眼大叫:「不要!不要啊!别这样!求你了!」
不过这回小C却蹲下了身子,把脸凑向帅哥的裤裆,用鼻子蹭了蹭。
「好香啊,好男人的味道,我从来都没闻过这么棒的男人味。」
小C陶醉的闻着,一边解开帅哥裤头上的松紧带,跟着缓缓脱下了帅哥的篮球裤,白色的内裤呈现的众人眼前,鼓鼓的,胀胀的,很饱满,很厚实,内裤前端还有淡黄色的痕迹,散发出运动男生下体特有的迷人味道。
众人看了不由得咽了咽口水,都希望马上品尝到这内裤里的肉棒。
小C伸出舌头舔了舔内裤前面突起的部分,一下一下慢而有力的舔,渐渐的,帅哥的内裤有了变化,里面的东西将内裤撑了起来,狭窄的内裤根本包不住里面的庞然大物,帅哥的龟头从内裤的上端窜出了一小截,马眼上有晶莹的液体渗出,立刻被小C的舌头舔了去,小C并不急着剥去帅哥最后的防线,而是隔着内裤咬着吮着,直到内裤被口水湿透,能微微看的到里面肉色的东西,不多久帅哥的家伙完全up起,小C见时候到了,他并没脱掉帅哥的内裤,而是伸出手把帅哥的家伙从内裤的旁边拉了出来,咻的一声,一跟红通通,热腾腾的大香肠跳了出来,又粗又长,又硬又热,小C似乎被眼前美味的香肠惊呆了,二话不说就将帅哥的大香肠含进了自己的嘴里。帅哥没有反抗,只是痛苦的闭上了双眼,因为他知道任何的努力都是徒劳的……
这时其他人也开始行动了,小林爬到帅哥身前,撩起帅哥宽大的T恤,疯狂的抓咬着帅哥那结实的胸膛,硬硬的乳头,古铜色腹肌,齿痕,指痕遍布帅哥的身躯。翔子则抱起帅哥的大脚,脱掉了帅哥的球鞋,忘情的闻着帅哥的袜子。再看看阿光,他正吸食帅哥的手指,一根两根,直到把4根手指全塞进嘴里吸。
回头看小C,他居然能把那根几乎有19cm长的大香肠完完全全含入口中,不停的吞吐,用力的吮吸,不断发出「啵嗤」的声响。
帅哥的大香肠从龟头到睾丸全部都粘满了小C的口水,可小C却不满足,仍旧卖力的吸着。气喘吁吁的浪叫:「你的管子好粗好大啊…快…快,我要喝你的精液,快点射给我,我等不急了…」
帅哥听到这么淫贱话终于忍不住了:「我操你吗死变态!我让你喝!」
说完,猛的向小C的嘴里尿了进去,小C被突如其来的尿液呛了一口,但他反而将帅哥的香肠裹的更紧了,把帅哥的所有尿都喝了下去,「来啊,多尿点啊,我喜欢,好喝极了!」
这完全出乎帅哥的意料,更加火冒三丈!仰天大声怒吼!帅哥充满雄性的吼声让大家更兴奋了!
小林:「叫吧,你太有味了!」
吹,吸,裹,吮,小C将所有的招全使在这个火暴的运动男生的肉棒上,在一阵更大声的吼叫声中,帅哥一泄如柱,一道又一道的精液射进小C贪婪的嘴里,小C一口一口全部吞入,精液的量虽多,但他一滴也没浪费,全部吃进肚子里,在帅哥射了10几道后,终于停了下来,只剩下马眼处还不断冒出少量精液,小C见景连忙又把帅哥的香肠含如嘴中,用之前被的吸力吮吸着帅哥的大香肠,彷佛要榨干帅哥体内所有的精液,强大的吸力让帅哥疼得流出了眼泪,小C听到帅哥的呜咽,连忙道歉:「哈哈,对不起啊,因为你的精液太美味了,我控制不住自己哈哈!大家快上啊」
饱餐后的小C脱下帅哥的袜子坐在地上,闻着袜子上的臭味。其他3人同时奔向帅哥的肉棒,最后是阿光抢先吸到了肉棒,帅哥的肉棒在阿光的嘴里又勃起了,不一会,满满射了阿光一嘴。
接着,翔子和小林也分别美滋滋的喝了一大口帅哥的精液,在4次射精后,帅哥的肉棒终于软了下来,可现在还远远不能满足眼前的4个人,所以小C拿出了一瓶泰国神油抹到了帅哥的肉棒上,马上肉棒又重新勃了起来,而且比之前更粗更硬了!小C见了忍不住又把头埋进了帅哥的裆部,再次把红色的香肠吮咂了一番。然后脱下自己的裤子,用口水在自己的肛门口润滑了一下迫不及待地一屁股坐上??了帅哥的大肉棒,一边抽插一边淫叫,帅哥只能咬着牙痛苦的承受着阴茎上传来的阵阵剧痛,任由小C肆虐着自己的阴茎。20分钟过去了,帅哥终于敌不过小C肛门巨大的吸力,宝贵的精液一波又波射向小C的体内。
满足了的小C气喘吁吁的从帅哥的肉棒上爬了下来,还不忘俯身舔干帅哥残留在阴茎上的精液。
其他3人早就等不及了,也不给帅哥半点休息的时间,又一个接一个坐上了帅哥粗大的肉棒,其实帅哥的阴茎早就因为4人的疯狂的口交疼痛难忍,但由于药物的作用一直粗壮坚硬的勃着,长达一个小时的不停抽插,帅哥的龟头上的表皮已经被擦破了,可以看到有血丝不断的流出,帅哥的惨叫也变的越来越无力。可是3个禽兽丝毫不怜惜,直到3人的直肠注满了帅哥带着血丝的精液才依依不舍的爬起来。
在8次被迫的射精后,帅哥由于剧痛和虚脱再次昏死了过去……众人却在一旁兴奋的谈论着,翔子:「干!这小子真不赖,居然喷了8次!我从来没这么爽过!」
小林:「太棒了,没想到现在的学生发育这么好,只不过是个高中生管子就已经这么大了!」
小C:「看他这身打扮应该是篮球队的,有机会把他的队友也抓来大家一起爽哈哈!」
为了以后能长期享受帅哥的阴茎,众人还拍下了他的裸照作为威胁。之后帮帅哥把衣服鞋子裤子穿好,看着地上这个帅气阳光充满活力的身躯,变态的小C又将帅哥的阴茎从柔软的篮球裤的裤管下面抽了出来,把依然坚硬通红的阴茎含入那贪婪的嘴中,不一会,又满满了吸了一嘴!
就在众人把帅哥抬出地下室的时候,帅哥裤袋里的手机响了,众人犹豫了一下,由阿光接了电话,电话的那头是充满男性沙哑但又带着稚气的声音。
「张悍吗?我是王雷啊,我在公园等你的时候发现了你的一只球鞋,你出什么事了?!」
阿光:「你是张悍的朋友吗?张悍刚才和人发生冲突打了起来,幸好我开车路过救了他!他现在在我家。」
「打架?!他没事吧?我是平时和他一起打球的也是他的好朋友!你们现在在哪我马上去!」
「他现在还是昏迷,这样吧,我开车去接你,你就在公园后面等!」
「太好了!现在公园这里就我一个人!很容易看到我的!你快来!」
「好!我马上开车去!」
挂了电话,一阵奸笑声回荡在宽敞的地下室,于是,第二个「猎棒计画」又展开了……
小林开了车门,让王雷坐在副驾驶座上,随后自己也上了车。
「把安全带系好,准备开车了。」
趁王雷系安全带的时候,小林连忙调整了下镜片的位置,正好对准王雷的裤裆,以便在开车的时候能随时饱饱眼福。
从镜片里可以看到王雷穿的是银白色的篮球短裤,由于刚刚打完球,汗水湿透了整条球裤,使得里面的内裤隐隐约约的衬了出来,可以判断是条深色的内裤,裤裆处向上微微隆起,想必是帅哥的重要器官了!
再往上看,是不断起伏的腹部,虽然被深蓝色的球衣覆盖着,但仍可看得出是多么的结实有力。小林正看得出神,却被王雷的声音拉了回来。
「大哥,可以走了吗,我想快点见到张悍」
「好好,放心吧你那个朋友没事的,大清早路宽,很快就到的!你等等你我拿个东西,就在你座位后面。」
说着小林就向王雷靠了过去,一手从王雷两腿上方穿过,按在王雷的座位边缘,以便支撑身体,接着俯下身,伸出另一只手到王雷的座位后面找着什么东西。
此时小林的鼻子正好对着王雷的腋窝,因为王雷穿的是件无袖的球衣,所以他线条刚劲有力的手臂一览无遗,腋下散发出年轻的小夥子充满活力的迷人麝香味,使得小林顿时飘飘欲仙,从球衣的缝隙还能清楚的看到帅哥那性感坚硬的乳头,黑黑的,就像颗小葡萄,恨不得一口咬下来!
「我先起来吧,我挡着你不好拿」
王雷刚要起身,可被横在他腿上的手给挡住了。
「没事的不要紧,我再找找」
说着,小林用手臂把帅哥的双腿给按了下来。这么一碰触,便感觉到这??帅哥腿上的肌肉是多么的结实有弹性。
「啊不在这后面」
小林从背后爬了起来,鼻尖还故意摩擦过帅哥有力的手臂。
「大哥你到底在找什么啊」,王雷似乎有点不耐烦。
「就几本杂志,哦!想起来了,是在座位下面!」
不等王雷回话,小林立刻附下身去,这次他是埋头到座位的前方,也就是帅哥的双腿间,一只手正好按在帅哥的裤裆前方,几乎碰触到了帅哥的阴囊,王雷条件反射般的向后缩了一下,以免自己的重要器官被别人碰到,可没想到他越是往后缩,小林的手越是不经意的向前靠近,王雷的身体退到了顶,而小林的手也正好停在了帅哥裤裆的最深处,刚好接触着帅哥的阴囊,还时不时轻轻碰到帅哥的蛋蛋。
而这一切在王雷的眼里还以为小林不是有心的,只好僵着身体等待底下的小林找到杂志。他根本看不到小林在下面的举动,谁知道此时小林正在底下闻着帅哥那两条毛茸茸的小腿,真是性感万分啊!
王雷脚上也穿着双NIKE篮球鞋,和之前张悍脚上那双是同种款式的,只是颜色不同罢了。小林小心翼翼的把鼻子凑到帅哥的鞋口和脚之间的缝隙,轻轻的吸着从球鞋里散发出来的迷人味道。
「找到了吗」,王雷忍不住又问。
「啊,总算找到了!」,小林终于从底下爬了起来,并拿出了几本杂志,按在王雷裤裆前的手这才依依不舍的收了回来。
这时王雷全身紧绷的肌肉也松弛下来。
「怕你在路上无聊,这几本给你在路上看」
「啊!」,王雷先是一惊接着神情就变得有些兴奋起来,双眼直直的盯着杂志封面上裸体的女郎。
「小夥子,你应该满18了吧,看看这些对你有帮助,嘿嘿!」
小林有点失落,因为他知道这个男生喜欢的不是男的。
「噢….是…我已经19了,以前都是在网上看的这些…看杂志还是头一回……」
车子开动了,王雷津津有味的看着杂志,两眼发直,嘴微微张着,好像连口水都要流下来了。而一边的小林则通过镜子观察帅哥裤裆的变化。王雷越看越兴奋,裤裆明显突了起来,胸前的肌肉也加大了起伏的力度伴着粗粗的喘息声,完全没注意到旁边的小林正看着自己的裤裆咽口水。
「我说兄弟不错吧!」
「啊?…是哇,太棒了!」,小林在想你裤子里的宝贝才是太棒了,心里早在盘算着呆会要怎么品尝眼前这篮球帅哥运动裤里那条诱人的大肉棒。想到这,小林又咽了咽口水。
王雷看得起劲,根本没注意到车子已经开到了郊外几十公里的地方了,这时车停了,停在一个巨大的废弃工厂前(续集1里那四个GAY强奸另一个篮球男生张悍的地方)。
王雷这才会过神:「大哥,这是哪里?我们为什么来这?」
「哦,这样的,我怕那些打你朋友的人会去找帮手所以我把他带到这偏僻的地方来,你在车上等着,我先进去看看。」
王雷只好听小林的话在车上等。
小林一走进工厂,小C他们3个人便急忙围了上来,迫切的询问情况,于是小林把之前的情况大概说了一遍,众人变个个热血沸腾!恨不得马上冲出去把外面那流落荒郊的年轻帅哥拖进来一起轮奸!
不一会小林走了出来
「同学,过来吧。」
王雷虽然觉得有点疑虑,但还是跟着小林进了工厂。小林心想要是身边这个高高大大阳光帅气的篮球男生能是自己的男朋友该有多好!
「张悍呢,他在哪??」,王雷有点着急了。
「再往前,就快到了。」
���人向工厂的深处走去。王雷的呼吸加重了,心里越来越觉得发慌,但他仍然继续向前走。
这时,小林猛得将王雷拉进了旁边一个昏暗的车间!
「啊!!你干嘛!!」,王雷发怒的叫道。没等小林回答,「当」 的一声,车间的门被关上了!
「啊!!怎么回事!你关门干嘛!张悍到底在哪里!!」
这时小林终于露出了真面目,故意装出女人腔:「讨厌~~你猜我干嘛~~只要你把裤子脱了,让我吸吸你下面的大香肠,我就带你去找你朋友~~怎么样啊大帅哥~~」
王雷几乎不相信自己的耳朵!原来眼前这个人居然是个同性爱!怒吼道:「我不知道你在说什么!!快点把门给我开了!!不然我撕了你!!!」
他刚要向小林冲来,突然下身一凉,有只手从自己身后的裤裆下面伸来,狠狠的向上抓住了自己的生殖器!并用力的向后拉扯。
王雷被下身突如其来的攻���痛得立刻弯下腰去。这时身后的人也装出一副女人腔:「哥哥你好帅啊~~他要吃你的香肠我也要吃~~不能偏心~好不好嘛~~」,然后就大笑起来。
由于篮球裤质地很薄,而且很柔软,所以可以很容易抓住整条阴茎。小C隔着球裤不停的用力揉搓着王雷的阴茎,而且将阴茎向后180??度拉着。
「真的很大根嘛,越来越大了,你的管子一点也不输给你那个朋友也~~哈哈!」
「啊啊噢呃.!你说什么!!呃啊!放手啊!!!噢!」,王雷疼得额头上冒出了豆大的汗珠,双手紧紧抓着小C的手腕,想要拉开身后这只手。
「你把我的手腕抓的很痛啊帅哥!放手!」
说着,小C用力拧了一下王雷的左睾丸!王雷顿时痛得钻心,但立刻意识到要马上松开自己的手。王雷痛苦的几乎要哭出声来!
「给我安分点,不然我就用手把你的鸟蛋挤出来!让你做太监!」
王雷吓出一身冷汗,自己落在变态手里,又身处荒郊,就算对方真把自己阉杀弃尸也没人会知道。顿时惊恐万分,头脑乱成一团!周围的3人都等不及了,发疯一样扑向王雷。
翔子一把撩起了帅哥的篮球衣,一口就吸住了帅哥坚硬黝黑的乳头,与其说是吸,不如说是在咬!一会咬左边一会咬右边,弄得帅哥胸前湿湿的一片,原本黑色的乳头被咬的红红的,双手则抓着帅哥腹部那六块错落有序的腹肌。
另外阿光则是蹲在帅哥的屁股后面,抱着帅哥窄窄的没有赘肉的腰,陶醉的牙齿来回用力咬着帅哥的屁股,还隔着球裤对准帅哥的肛门用舌尖使劲的舔。
小C已经从帅哥的胯下钻到帅哥的身前,迫不及待的隔着裤子捏出帅哥生殖器的轮廓,张开大嘴就咬住帅哥的圆圆的龟头不放。
小林则对帅哥的脚情有独钟,他蛮横的抱起帅哥的右腿,从大腿一直咬到多毛的小腿,不愧是平常经常运动打篮球,帅哥的腿没有一点的赘肉,咬起来非常舒服,还时不时拔下帅哥一两根脚毛,一直咬到脚腕处,小林便解开帅哥的鞋带,脱掉了帅哥的NIKE球鞋,故意「当」一声重重扔在车间的门上,隔着帅哥厚厚的运动白袜使劲咬了起来,咸咸的湿湿的,男生打完篮球后迷人的脚味不一会弥漫了整个车间,像是催情剂,使得4人更加亢奋了!……可怜的王雷就这么一只脚着地艰难的支撑着身体,身体四处正被四副牙齿疯狂的咬着,车间里充斥着王雷痛苦的喊叫声……
比起之前的张悍,王雷所受的痛苦可谓大得多,因为张悍虽然也是极力反抗,但四个GAY毕竟是用唇舌来强奸他的身体而此刻的4个人用的却是牙齿,二者差别可想而知,也难怪王雷叫声是如此凄惨,但这充满男性阳刚气息的惨叫更加刺激了4人的性欲。
由于身下的睾丸仍被小C握着,所以王雷丝毫不敢用力反抗,要知道睾丸遭到重创后果是不堪设想的,就这么半小时过去了,王雷的脖子胸膛腹部裆部臀部大腿小腿甚至被脱掉袜子的脚底板,到处都是牙印,有深有浅,尤其是左边乳头,已经被翔子咬的红肿了起来,手指的关节也不知道是被哪张嘴咬破了皮,由于篮球裤还没被剥掉,所以看不到阴茎和屁股被咬成什么样,但可以想像的到,情况一点好不到哪去。
当众人继续啃咬帅哥身体的时候,小C由于咬阴茎咬的太过投入,居然松开了握着王雷蛋蛋的手。
这下可好,王雷见自己身上唯一的要害离开了对方的掌控,于是咬足了劲一个飞腿将正埋头在自己裤裆的小C狠狠踢出去两三米,再加上几拳几腿把其余3个也打翻在地,真是年轻力壮血气方刚小夥,整个过程不到5秒。
王雷见四个变态都躺在地上滚来滚去呻吟,于是捡起刚才被强行脱掉的鞋子和袜子,准备打开车间的门,可没想到居然打不开!他用力的朝门猛踢几脚,门发出巨大的响声可还是丝毫不动!
王雷发了狂一样用力提起小林,不犹分说一个膝盖便砸在小林肚子上,小林感到喉咙里一甜,一口鲜血吐了出来,小林很难受,并不因为肉体带来的疼痛,而是心在流血,其实之前第一眼看到王雷的时候就已经被这个男生深深吸引住了,再后来在车上再到工厂外,自己已经渐渐喜欢上他了……可现在眼前这个男生正不留余力的对自己挥拳,这能怪谁?……而正在此时小C慢慢爬了起来,悄悄的拿起一根木棍照王雷的后背就打了下去,但被王雷迅速察觉到,于是一脚就踢开了小林,飞快的一转身用手臂将小C的木棍给挡住了,而阿光和翔子也已经回过气来。
「兔崽子,我看你今天能跑到哪去!」阿光恶狠狠的说。
「你们这群变态,要打就一起上,我不会怕你们的!!!」,王雷脱掉了上衣,露出精壮结实的上半身,眼里发出愤怒的火光,在昏暗的车间里就像一头威武的雄师!
小C使了眼色,3个人便把王雷围在中央,只有小林还瘫倒在地上,有了之前在公园里制服张悍的经验,3人显得心里很有底,王雷虽然人高马大,但毕竟还是个19岁的学生,面对3个比自己要大四五岁的男人不由得冷汗直冒,肌肉紧绷,他心里清楚要是自己被打倒将有什么下场,管不了那么多了,王雷决定先发制人,冲上去抓住翔子便猛打起来,其他两个人见状,也从后面向王雷扑去,「噢!!」的一声,王雷的小腿不知道又被谁用木棍重重打了下去,顿时抱这小腿,身体向后摔了下去,王雷试图爬起来,可马上两条腿分别被阿光和翔子抱了起来,小C冷不防的再次抓向王雷大开的两腿中间,也就是王雷的生殖器,狠狠的拧捏着王雷的睾丸,「他马的!看来今天真的是要把你的管子废了!!你是要我把你的鸟蛋捏爆还是挤出来!!说!!」,小C气急败坏的说。
纯爱睾丸传来的巨痛使王雷更加凄惨的叫了起来,「杂种!!有本事别玩阴的!噢啊…喔啊呃!」
3人并没有停手的意思,阿光和翔子抱着帅哥的双腿朝左右两边最大限度的拉开,大腿根处发出骨头「咯咯哒哒」的声响,整个人被拉成了倒T字型,王雷痛苦的发出一声悲鸣后便昏死了过去。
3人见帅哥停止了挣扎就把他放了下来,拿出了随身带的童军绳把帅哥的双手绑在一起,挂到车间顶上的铁圈上,又将绳子绑在帅哥的脚脖子处,拉向两边各绑在两跟铁杆上,王雷此时的姿势就像水瓶座黄金圣斗士发绝招时的姿势,大家觉得要把帅哥弄醒后再强奸他才够火爆,于是阿光走了过去点燃了两支烟,塞进了王雷的鼻孔里,剧烈的咳嗽了两下后,王雷苏醒了过去,立刻大力挣脱着绳子的束缚,可他每加大一次力度,鼻子便深深的将烟头吸得发亮,呛得他狂咳不止,连眼泪都呛了出来,坐在地上的小林看得很心疼,连忙起身将两根香烟从王雷的鼻孔里拔了出来,没想到王雷丝毫没有感激的意思,反而朝小林吐了口浓浓的口水,阿光看不下去,一拳打在帅哥的腹部。
「噢!」
「让我来!」小林终于火了瞪着王雷喊着,一手就往帅哥的裆部摸去,肆意的揉搓帅哥的阴茎,「刚才在车上的时候早就想尝尝你的大香肠了现在总算可以如愿了!」
小林蹲了下来,脸正对着帅哥的裆部,毫不犹豫的一口咬了上去,双手环抱着帅哥的屁股,捏着,掐着。
虽然隔着球裤和内裤,但小林嫺熟的口功不一会就让血气方刚的王雷玩完全全的勃起了,肉棒直挺挺的顶着球裤,小林一口吸在了帅哥的龟头上。
「滚开!别碰我!!」
「好大啊,帅哥哥,我要把你的裤子脱下来吸了,你准备好哦~」
因为王雷的双脚被拉开太大,无法脱下裤子,所以小林拿出一把刀子,从帅哥的裤管处向上「嘶啦」一声滑了上去,篮球裤碎成两半掉在了地上,现在王雷仅着黑色CK内裤的裆部就在小林的鼻子前,男生打完球后浓重的下体味道扑面而来,狭小的内裤根本无法包裹住帅哥下体粗大的器官,「穿的太紧啦帅哥,龟头都快冒出来了!」
说着,小林猛得剥下了帅哥最后的防线,一条又粗又长的肉棒立刻跳了出来,从未在他人面前暴露下身的王雷羞愧的无地自容!
这时翔子忍不住也凑到了帅哥的阴茎前,伸手握了上去「哇靠,才19岁管子居然就这么大了,让我量量看有多长!
」于是翔子从口袋里拿出了国外进口专门用来测量男性性器官长度的工具,套在王雷厚实的阴茎上,「干!这小子的家伙是19.3cm/5.1cm!」
于是他又从袋里拿出了个本子记下,本子上写有:崔雨时21岁、身高181、阴茎18.0cm/4.8cm、鞋码45,张悍19岁、身高189、阴茎18.9cm/5.1cm、鞋码47,王雷19岁、身高185、阴茎19.3cm/5.0cm、鞋码…
「这家伙的鞋子穿多大号的?去看看。」
「47」
原来阿光刚才一直在那里闻着帅哥那只被脱下来的篮球鞋。
「哈哈,小帅哥没想到你的管子比你那个叫张悍的朋友还长啊,哈哈哈!」,小林得意的笑着。
「什么!?你们把张悍怎么样了!!」,王雷惊恐的瞪着小林。
「一个帅哥落到我们手里还能被怎么样?!他从头到脚全身都被我们4个尝遍了,还喷了9次,血丝都喷出来了!不知道是你厉害还是你朋友厉害,嘿嘿!」
「不是,应该是12次,你刚才开车出去后我们3个又吸了那小子3炮童子精,满满一嘴呢!后来还想我们3个还想吸,可那家伙只能在那放空炮!」,小C插了一句话。
「禽兽!!!你们这群杂种!!我发誓一定要杀了你们!!!我……啊…啊不…不要这样!!…」
王雷的脸上已经布满仇恨的泪水,当他刚想骂下去时,身下的小林已张开大嘴正要含住自己的阴茎,自己就要被一个男人强行口交,王雷拼了命一样扭动身躯,想让自己的阴茎逃离那张贪婪的淫嘴,可小林岂会让眼前这鲜美多汁,红通通热腾腾的大香肠逃掉!猛的将帅哥的肉棒裹进自己的嘴里,卖力的吮吸起来。
王雷无能为力,只好眼睁睁的看着自己的阴茎被一个男人含进了嘴里,。
其余3人也连忙上前玩弄起这个阳光的运动男生的身体。
阿光扯破了帅哥的篮球衣,看到球衣下那招人喜爱的两颗硬硬的乳头以及那起伏的胸肌和腹肌,张口就吮咋了起来,手指也疯狂的抓着帅哥的后背,留下一道道红色的指痕。
小C正掰开帅哥结实的两片屁股,看着帅哥那一缩一缩的密洞,忍不住伸出舌头舔向屁眼的最深处,似乎帅哥屁眼里有什么好吃的东西一样,舔的津津有味。翔子则躺在地上抱起帅哥那只还穿着球鞋的脚,不过一下就把球鞋给脱了下来,让帅哥的脚掌贴在自己的脸上,闻着帅哥的白袜大脚,沉醉于球鞋和运动白袜散发出来的味道中。
接着帅哥身前的小林正变着各种嘴功玩弄着帅哥的肉棒,一会咬咬龟头,吸吸枪身,一会又将整根肉棒全吃进嘴里,使劲的吮吸再吮吸。随着小林嘴唇套弄帅哥阴茎的速度不断的加快,王雷也不由自主的叫出声来,小林感觉到帅哥的马眼不断的渗出咸咸的液体,更是加大吮吸的力度。
「啊啊….啊…啊…啊」,在王雷的叫喊声中,一股又一股浓稠的精液射向了小林的嘴里,前面的几下甚至直接射进了喉咙里,小林见状将帅哥的肉棒裹得更紧了,不让一滴精液流到嘴外,待到帅哥的阴茎不再射出精液后,小林这才肯吐出嘴里的大肉棒,肉棒上到处都是小林的唾液,阿光看到帅哥的马眼上还有少量的精液慢慢冒出,赶紧蹲下身,一口叼住了帅哥的龟头,把上面的冒出的精液全部吸走,然后又疯狂的将整条阴茎一含到底,激动的为王雷口交起来,「咂咂」作响。
刚喝下帅哥补汤的小林凑到帅哥的脸前,淫荡的说「你的香肠真是新鲜啊,比张悍的香肠还美味,哈哈!」
小林原以为王雷又会吐自己一口口水,没想到王里根本不理会他,仍然闭着眼,「怎么不吐我了,我还想吃你的口水啊!」
说着,他捏着帅哥的下巴,强行的将帅哥的嘴巴撑开,然后把自己的舌头伸了进去,蛮横的在帅哥的口腔内用力的乱舔着。
「呜呜呜」,王雷突然带着哭腔叫了起来,不是因为自己的阴茎被阿光吸疼也不是因为自己的脚掌被翔子咬疼,而是身后的小C居然用食指插进了自己的肛门内,然后小C又把抽出来的手指放到嘴里吸食,接着又插进帅哥的肛门,又抽出来放进嘴里,如此反复,王雷也「呜呜呜」的叫个不止。
阴茎和屁眼、同时受到侵犯,王雷在一阵低吼中,精液再次有力的一波波射进阿光的大口里,可阴茎刚从阿光嘴里推出来,小C飞一般从身后扑过来,将王雷那条有些软下来的阴茎塞进嘴里,在小C熟练的唇舌下,帅哥的肉棒很快又硬了起来,阿光绕到帅哥的身后,把鼻子埋到帅哥的屁股缝里,吐了一口口水在帅哥的屁眼周围,��用舌头来回舔了舔,确定足够润滑后,将自己的中指「啵嗤」一声插了进去,长长的中指整根没入了帅哥的屁眼里,接着阿光便在里面缓而有力的抽插起来,好不快乐!
王雷痛的「呜啊!!禽兽!!」叫了起来,他愤怒的转过头瞪着阿光,而阿光还故意对着王雷傻笑「小帅哥想报仇吗,等下你也来狠狠的插我吧,我求之不得,哈哈!」
「噢!噢!噢」,王雷的阴茎根本不是小C舌头的对手,他紧紧的闭上眼睛,下身再次一泻如注,喷向小C嘴里。
一脸满足的小C站起身抱住帅哥结实的躯干,细致的亲吻着刚才被众人咬的青一块紫一块的肌肉。
之前一直在玩弄帅哥白袜大脚的翔子也爬了起来伸手握住王雷已经软下来的肉棒,失望的说「我还以为你们运动型的男生有多猛,怎么才3下就软成这样啦,你那个朋友被我们连吹了4炮还是威风猛猛(因为阴茎被涂了药),你太没用啦,哈哈!」,王雷感到一阵耻辱,正想张口骂,可嘴却被小林用嘴堵上了。
突然王雷感到下身传来前所未有的火辣辣的感觉,觉得自己的阴茎涨的难受,有着使不完的能量,他低头定睛一看,原来是翔子正往自己的阴茎上抹着什么油油的东西,这时王雷的阴茎就像一根刚出炉的大香肠,红红的烫烫的,饱满的枪身,厚实的睾丸,硕大的龟头,惹得翔子两眼发直口水直流!连忙把这根香喷喷的红香肠吃进了嘴里,大口大口的吮起来,在药力的作用下王雷只觉得自己整个人飘忽忽的,头脑陷入一片空白。
他只知道自己在接下来的时间里不断的射精,不断的有人用嘴吮吸的自己的生殖器……从头到尾4个人总共吸了满满10大嘴,直到王雷的肉棒和张悍一样不再有汁液冒出来为止。
「太过瘾啦!一大早就玩上了两个大帅哥,还都是篮球队的!」
「是啊!太棒了,好久没这么爽了,要不是他都已经射出血丝来,我非得尝尝被这小子的兵器插起来是什么感觉,哈哈!」
「别急啊,我们拍了他两的裸照,还怕他们以为不听我们的命令吗?嘿嘿」
「还有,我说你啊,你不是想做天下第一吹萧高手吗,还用什么黄瓜练习啊,这两个学生的大吊不是摆在那么,以后让他们两每天轮流到我们家陪你练习吹功不就行了!哈哈哈哈!」
「今天玩了两个打篮球的,以后我们再去抓个踢足球的来爽怎么样?」
「嘿嘿!或者抓个帅员警,还有阿兵哥也不错啊!以后我们1人玩一个,都不用抢啊,哈哈哈……」
然后4人把昏迷不醒的王雷和张悍捆好手脚搬到了车上,车开动了,向4人共同居住的别墅开去……
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avitasashag · 2 years
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bipolar dairy 3
我们的时代依然中意引用陀氏,虽然是不出意外以一种名人名言式的引用频繁出现,很令人惊叹,陀氏的行文中其实很难提炼出简体中文式的名人名言,但存在某种一蹴而就一眼即中的共鸣,我不认为这种共鸣是时代式的共鸣,甚至大量阅读陀氏的人也与我基本南辕北辙,自我的先验经验在此又鲜活显影了,甚至,大多引陀氏经据典的男性都被我秘密的嗤之以鼻了,在今天的难说是什么的社会中,我们难道真的会在男性中看到一个什么他妈的彻底的阳痿者,一个没有世俗竞争力的疯狂的将形而上奉为至宝的人,难道会是男人吗。我曾与一个用数期播客谈论陀氏的男人论一些精神疾病与陀氏的感想,被他立刻用到了新一期的播客当中,我作为燃料当然不是第一次,但确实在对“陀思妥耶夫斯基同好”的认知挫败上是全新的,我以为能够忍受许多个前几十页读下去陀氏的人,必定是抱着某种孤独的幼稚的高远意象,必定在幽闭的大屋中像我一样睫毛颤抖的发热的无用的苦涩心脏来下酒,我是难以相信陀氏的爱好者只是把它当一个什么工具这样吸引信众的。感谢我们这个时代有林奕含这样的作家,大胆无畏的发出一些比如文学到底是不是巧言令色的质问,我几乎可以肯定这样大谈陀氏的男人们是巧言令色,是某种个人政治的诉求。
很多人谈林奕含的所谓文学性缺失,说她无法跨越个人痛苦而过度沉溺个人痛苦,实际上这个说法的残忍远远大于它看上去的客观,再次谈到所谓女人的碎片时,到底该不该将碎片滩成一地的讨论本身的残忍难道会低于群氓观凌迟刑的残忍吗,首先人类社会罔顾且倾向于不为女人的不适与痛苦创造共情可能,当然诸多带有现代主义色彩的哲学家早都开始个人主义不正常实验的一个多世纪之后,女人依然要在流血时装作正常的来一同建筑神庙,因为每个女人都知道,如果你一旦开始真的不正常,开始符合你所经历的身体不协调与痛苦时,你就面临真正的被抛弃了,绝不是什么红糖水暖水袋的狗屁关怀。女人要被教习与痛苦共生,然后再有一些其他的可能,然而人之肉身与痛苦共生这合理吗,在男人们中最痛苦的那群中,痛苦有时生发出的金光被庙堂所赞叹,余下的,在日常生活中是无法体会循环的刻骨的痛苦是如何的。在讲述或描述或探讨这种与生俱来的痛苦时,连比喻都不再是一种堂皇的文法,痛苦在一开始是呼吸一样的补助,直到一个陌生人或者一个亲属,最不济是一块卫生巾或棉条或月经杯来提醒这部分的呼吸已经生长成熟,痛苦开始独立了,就连最便捷的棉条或月经杯都在提醒你的身体有一条路径可以被轻易攻陷,对于“爱你自己的身体”这套当代理论我坚信了一段时间,但这并不能完全在所有时刻解释这种独立却共生的痛苦,我并不完全爱我的身体,或者说,令你坚信你的身体无论如何都值得被你自己爱——这件事,很难说不是一种神圣谎言:这个谎言的不容辩驳,就像诸如神殿式的偶像和上帝到处存在一样无可辩驳,你不相信你的身体,你就无法解释诸多横祸与身体必须内陷,以及你为什么随机生为一个女人这个事实。Sarah kane说,I hate my genitals,I hate my genitals,我确实恨这无法在中文中被中性表达出的东西,它是什么都可以,唯独不可以是我光天化日之下可以泰然共处的东西。我是自由主义者中被教化最深的那群,唯独没办法与左翼自由派们共论的就是性,在这一条上我只能同人类每一代的自我献祭者们一样,拒绝与人们试图相信的“我主宰我的身体”共谋,这项秘密不共谋已经耗尽了我某部分的生命能量(如果我以为它耗尽了),我被迫忍受听着人们一遍又一遍的对身体自由的自信,每一个人的自信都深深刺痛着我,人们自如平淡的处理着关系、等待着关系、尽享欢喜与悲伤,每个人都不至于完全走到极端的两边去,像小时候室友嫉妒我被家暴男喜爱着,我看着她的眼睛说,你知道你自己在说什么吗。一遍又一遍的我渐渐明白了,对于我喜欢的人我都无法避免完全的抛弃惧怕与厌恶,恨不了已逝的魔鬼们,我只能恨自己,恨自己令我再也不能安然爱着谁了,这严重极端的患得患失令我缓慢的疯狂,在这个关键点上,我还要求被爱和救赎吗(尽管好像是最需要的东西),不会有了。酷刑的时间之长已经将我致残,一两次的谈话与陪伴早就已经毫无用处了。
讨论一种连环杀手式的痛苦,是永远在担心自己有没有清理好现场,有没有在第二天的天光中与他人平静处之,哪怕头一天的晚上将尸体切割成一千片,熬夜与血浆腥臭为伍,在黎明将至之时再强吞下碳酸锂和可卡因令自己冷静,在郁期我被迫与这名连环杀手为伍(在燥期他化为一名反社会分子),我被迫被他操纵一遍遍回顾我被酷刑的部分筋肉几何、皮肤以甚种模样被活剥,我身体中化解出去的独立的散魂都是一个个肉身,连回忆中的魔鬼们也算,燥期的我似乎就是在为郁期的屠杀做万全的准备,包括自己在内的每一个东西,我一点一滴的搜罗回忆中的每个细节去复原复活他们,这整个成瘾过程如此陈旧又如此全新,除了它在物理上从未成型过,在幻觉中早都进行了一百万次的屠杀,每一个连环杀手在践行之前都在幻觉中杀掉了几百万倍多的人,这些杀戮也从来不是干净利落的,没有帮手,只有自己一个人费力去猎取和诱惑猎物进入陷阱,日常的人类在许多时刻都服从社会化训导,从未跨入或接近过这条线以内,为此我只能一次复一次的自己筋疲力尽的动手,掐死一个人和刺死一个人同样费力,你永远也不能预测血液是否会太滑而令刀脱手,在幻觉的每次杀戮之后我都想在日光下大喊,经过我的人都大笑或报以完全的沉默,脱力令我只能原地抱头蹲下去,这沉默比酷刑和不断地杀戮更加冰冷,有人回应吗,我难道不希望有人回应吗,尽管我不得不面对一个事实,人们永远将疯狂束之高阁,哪怕自由主义的主张里永远优美的宣称每一种疯狂都值得被看到与关怀,事实则用所有越过轨道的人们之死告诉我,没人真的理会疯狂。疯狂内化,最好的结果是人们收尸之后深情缅怀,疯狂外显,人们将你绳之以法。法律很大程度上并不会真的惩罚完全视他人为无物的社会积极者,法律惩罚的是失败者,你呼喊,回应你的是震耳欲聋的沉默。
再讨论这种连环杀手式的内耗,杀人之人在杀人之后所面临最大的困境难道仅仅是疯狂吗(无论这疯狂看上去痛哭流涕还是志得意满),真正落手杀人之时,一个人已经在幻觉中完成了自杀,幻觉中的自杀与现实中的自杀不同之处无非在于是否被队伍挤着被动登上过山车,幻觉中的自杀则更为缓慢细致,一片片凌迟自己之后再浇上热油,他人的沉默中透露着对油温与刀痕是否见血的猎奇,我问自己,你还要割下去吗,这切割的必要与杀戮的必要同样重若千斤。杀人且亲手杀人,是一个社会化过的人对自己能够做出的最接近神的事情(宗教可以随后讨论),我不以信徒的方式信仰任何宗教,如果对爱的困惑会令我陷入迷宫的痛苦,人们指责我渎神并不会令我产生任何震动。杀人永远被列入渎神的范围,尽管神本身在各种意义上都在屠杀人类(我也不全然相信神的存在)。神深恨人们在我讨论的范围内彼此屠杀,神派遣许多使者(我们自己的分身)来指责和阻挡即将发生的杀戮,神害怕人们跨越了杀戮的警戒线,真正接近与威胁神的地位。杀戮的解释权属于极少数被神化的人类,很可笑,我不得不用这样的语言来解释或讨论,这是人发明的语言,同样也是神发明的语言,使用这种语言本身就削弱了真正发生过的所有心理细节,一种冷静的理智告诉我如果需要完全的向外在世界解释清晰,我必须通过要么成功的自杀要么一系列的他杀来完成,在这个终极的二元选择中我竟然做到了现实中永远无力做到的摇摆不定,这是一种什么东西,这是一种能简单归之为求生欲的东西吗,我不这么认为。求生欲是这个世界所歌颂的诸多神圣谎言中的一个,是一种罔顾个人的、完全社会化的产物,人的生命本身就是反生命的,让一个人的生命自由生长,最终它能产生的只有对生命本身的厌倦与无法结束的循环痛苦,一盆花会因为莫须有的原因干枯死掉,植物在这一点上比我这个哺乳动物还要神化,不通过任何他妈的挣扎就结束了,一夜之间,这个世界就毁灭了,这是我渴求而不能得到的完美结局。
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azariy · 7 months
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本田宗一郎・ざっくばらん
【真理に徹す】
今度うちは三重県の鈴鹿に新工場をつくることになった。
僕は、この工場も浜松や和光の工場と同じように、エア・コンディション付の無窓工場にするつもりだ。
これなら外気の温度や湿度に影響されずにすむからだ。
日本にはずい分のん気な人がいる。
無窓工場なんてトランジスター・ラジオやカメラみたいな精密工業には必要だが、自動車なんてものにはゼイ沢だと思っている。
自動車はそんなにヤワなものではないということらしいが、精度を問題にしないその神経の図太さには恐れ入るほかはない。 それだけではない。
海辺に工場を建てようと考えている人がいる。潮風は、製品に悪影響があるだけでなく、機械そのものを傷める。
日本は島国だから、どこへ行ったって潮風はくるさとタカをくくるのはよくない。
あるピアノ会社が、社長の出身地だからという理由で、海岸のそばにピアノ工場を建てて失敗したことがあるが、これこそ音痴的なものの考え方である。
製鉄所みたいに、精密度はあまり要求されず、運送費の多寡がそのまま利潤の大きな部分を占めるというのなら話も分かるが、自動車みたいに高度な加工をやる工場を、単に運賃が安いとか、土地が安いということだけで海辺に建てるのはどうかと思う。
話を戻すが、エア・コンディションは、機械や製品にいいだけでなく、なによりも工場で働く人たちが気持ちよく働けるという利点がある。
最近は、冷暖房をする会社が多くなったが、それは本社だけ、あるいは重役室だけの話であって、工場の方は旧態依然たる有様である。夏は汗をかき、冬は吹きっさらしの中で仕事をしているところが多い。
これでは自由にして平等だとはいえない。第一、工場で働く人間を大事にしないような企業は長持ちしない。僕は自分が大事にされたいから、みんなを大事にする。
愉快に働いてもらって能率をよくしてもらった方が、どれほどいいか分からない。
設備は一度やれば一生なんだから、充分にしてもたいしたことではないと思う。
日本のように温帯にある国では、夏と冬の温度差が激しいから、余計働く人たちに気をつかう義務がある。
ドイツみたいなところなら、冬はべらぼうに寒くても、夏は窓を開けなくても仕事ができる程度だから、暖房だけあれば事足りる。
外国の工場も暖房しかないとそのままウのみにしては困る。
それから従業員に休息を与えるということ��、何かマイナスになるというか、罪悪視する人がいる。
仕事というものは、何か目をつり上げて息もつかせずにやらなければいけないという固定観念にとらわれている人がいる。
TTレースに行ったうちの河島監督が帰って来ていうことには、うちのチームは、日曜も夜遅くまで仕事をやるし、風呂に入るにも順番を決めて、廊下にプラン表をぶら下げていた。
それをみたイギリス人が、日本人は何て能率の悪い国民だろうといったそうだ。
二宮尊徳流に薪を背負って本を読まなければならない国民にとって、団体生活をするときに、入浴の順番を決めることなんて普通のことだが、個人主義が徹底しているイギリス人からみればミリタリズムの変形にみえるのは当然かも知れない。
TTレースの期日は何年も前から分かっているのに、夜明かししなければならないというのでは、非能率にみえるのは無理もない。外国人の考える能率とは、働くべき時間にいかにたくさん働くかということで、休み時間に働くのは能率ではないわけだ。
この間、楠トシ江と対談したときにも話したが、僕が床屋に行って十五分でやってくれと頼んだら、やっと四十分でできた。いつもなら一時間もかかる。
そこで床屋のおやじ曰く
「あんたは遊ぶひまがあるんだから、その時間に床屋に来てくれれば、こうせかせないでゆっくりキレイになる」
そこで僕は 「冗談いうな、遊ぶために働いているんだから、床屋にきて一時間もかかってたまるかい。こんな能率の悪い床屋なら一生来ない」 と言ってやった。
本当のことをいって、人間は八〇%ぐらいは遊びたいという欲望があって、それがあるために一生懸命働いているのでないだろうか。それを働け働けといってヤミクモに尻を叩いても能率が上るわけはない。
よくイミテーション・パーツが問題になるが、イミテーション・パーツが出るのはメーカーの純正部品が高いか、高い割に性能がよくないか、潤沢に出回っていないかの三つの条件が満たされていない場合である。
この点は、うちも大いに反省しなければならない。しかしそのためにかくしナンバーを打つようなことはやらない。
そんなことをすれば、手間が多くなって能率が悪くなる。ならばその分だけ安くする方が先決である。
人間は疑り始めたらキリがない。
コップ一杯の水を飲むのにいちいち毒が入っていないかどうか疑い出したら、自分で井戸を掘って、毎朝水質を調べなければならない。
これはいささか極端な例だが、人は信用した方が得である。
うちは、クレーム部品の判定権をディーラーに任してしまった。
代理店といっても数が多いから、いい人ばかりではないかも知れない。
中には悪い人もいるかも知れない。
しかしそれはあくまでもごく少数である。そのごく少数の人のレベルに合わせて、何かいかめしく、人を頭から疑ってかかるような検査制度をつくっては、大多数のいい代理店は気分を害してしまう。
検査制度なんてものは、警察や検察局がそこら中やたらにあるのと同じことで、気持ちよく仕事はできない。
こういうものは非生産的なものだから、生産の中にたくさんあればあるだけ、モノが高くなるのは当然である。
また人間というものは信用してまかせられれば、悪い人も悪いことができなくなるものである。
逆に四六時中疑われれば、反感からいい人も悪いことをしたくなるものである。
そういう意味から、うちはディーラーに判定権をまかせてしまったわけである。
もちろん統計は一応とってあるから、ある一店だけ特定のクレーム部品がべらぼうに多く出るということになれば、チェックできるようにはしてある。
近ごろ、わが社は厳重な検査をやっています、といった広告が新聞によく出る。
しかし厳重に検査をやっているから、品物がいいというのはおかしい。
初めからつくる目的はわかっているのだから、つくってしまってから検査するのを、オニの首でもとったように宣伝するのはうなずけない。
つくってしまったものはあとに戻らないのだから、つくる前に、検査しなくてもいいようにすることがいちばんいいわけだ。
本当は検査なんかやらなくてもミスがないというのが理想である。その理想に近づくために検査員がいるというのならいいが、検査しなければいけないような品物をつくっていて、それを検査しているからといって自慢しているのではスジが通らない。
うちでも検査設備は、もちろん完璧なものにするよう努力しているが、それに頼ってはいない。検査員だってよそよりは相当少ないはずだ。
それに僕は、ミスを出すたびに検査員を一名ずつ減らすといっている。
人間が多すぎると検査はミスが多くなる。シビアな感覚がうすれてくる。
自動車というものは、人命を預かる機械だから、つくる側に徹底した慎重さが欲しい。
科学技術というものは、権力にも経済的な圧力にも屈してはいけないものである。
ガリレオが「それでも地球は回っている」とつぶやいたように、権力をもった者が、どんなに真理を否定しても、真理は真理として残る。
真理は一見冷たい。しかしその真理を押し通すところに、熱い人間の面目がある。
工場には、その冷たい真理だけがある。
真理だけが充満していなければならぬ。 こういう体制を押し通していけば、少なくとも機構上の欠陥からくる事故はほとんどなくなるはずだ。
悪いところに気がついても、いま変更したら金がかかるとか、混乱するとか、発表したばかりのものを改造するのはみっともないとか、変な面子がからんで、ズルズルと見て見ぬ振りをするところがある。
うちは面子がないから、悪いところを見つけ次第改造してゆく。ラインに乗せてからも一日に数回変更することもある。
そのために、工作機械の位置を大幅に移動させるようなことも少なくない。工場の連中も、初めは面喰らったようだが、いまでは、いつでも変更に対処できるような準備ができている。
とにかくお客さんには、うちで考える最良の品を提供しなければならないのだから、無理はあくまでも通すつもりだ。
いささか古い話だが、昭和二十八年に、うちの新車につけたキャブレターの性能が思わしくなかった。そこで売ってしまった一万台の車のキャブレターをすぐ取り替えた。
そのときの僕の考え方は頭をペコペコ下げたって、悪いものは悪いのだから取り替えるより仕方がない。
たとえそのお客さんと親戚になったって、夫婦になっても、キャブレターの悪いのが直るわけではない。
このとき、うちが取った処置が実に早かったし立派だったといってくれる人がいるが、僕はまだ遅かったと思っている。
よそとの比較でいえば早いかも知れないが、お客さんにとってはまだ早くない。
比較対照でいえば、カラスが白いのと同じである。いまだに僕はクレームの処理が遅いとどなることがある。
お客さんにとっては、取り替えるのに一分しかかからなくても、壊れれば遅いわけである。待っている時間は永久に帰ってはこない。壊れることは、壊れないことよりも絶対に悪い。
それからもう一つ考えなければいけないことがある。
それは、この工場の製品は九九%の合格率だからすばらしいと賞める人がいるし、賞められて鼻を高くする人がいるということである。
ところがお客さんは、自動車にしてもオートバイにしても、百台も買いはしない。
買ってもせいぜい一台か二台である。
もしその一台の車に、残りの一%の悪い車が当ったとしたら、そのお客さんにとってその車は一〇〇%悪いことになる。
だから工場というのは最低一〇〇%、理想的にいえば一二〇%くらい合格しないと話にならない。
お客さんというのは、金を払って自分が目的地に行くために走っている。
もしエンコすれば、ほかに直す人がいないから自分でいじらなければならない。
それが人里離れた山の中ででもあれば、分らないなりに全知全能を費やしてひねくるわけである。それだけにエンコしたという意識は痛切である。
うちがいちばん最初の五〇ccのバイクエンジンを売っていたころ、お客さんから電話がかかってきてエンコして動かない、こんなものを売りやがってとガンガンどなられた。
慌てて飛んで行ったら、ガソリンがなくなっていた。しかしそのお客さんは、二度とガソリンがないのをエンコと間違う失敗はやらなくなる。そこでそのお客さんは一段進歩したわけだ。したがって、売ったりつくったりする僕らが、お客を馬鹿にしていると反対に遅れてしまう。
ところが工場の連中は、案外こういった感覚が抜けている。
どうしてかといえば、その道の専門家が、その辺にいっぱい控えているからだ。
この故障は電気部品だと思えば、電気屋を引っ張ってきて、自分は知らん顔をしている。みんな技術屋でありながら、依頼心が強い。
そして実際のレベルは低くても、俺たちがつくっているのだということで、いかにも自分たちが専門家であると錯覚を起こしやすい。
お客さんから苦情が出ても、やれ使い方を知らないからだとか、それは一部であって全部ではないとか、勝手な屈理屈をつけて、真剣にその苦情の内容に取り組もうという気を起こさない。
このうぬぼれが技術屋をいちばん危うくする。
会社そのものを危うくする。
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kennak · 1 year
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旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が東京都下多摩市に約6,300平方メートル(1,905坪)もの広さを有する土地を購入していたことが判明し、物議を醸しています。本来、岸田政権が解散命令を出していれば、この団体には保有し続けられないだろう土地です。(『 今市的視点 IMAICHI POV 』今市太郎) 多摩ニュータウンに旧統一教会の巨大施設が建つ? 旧統一教会が東京都下多摩市に約6,300平方メートル(1,905坪)もの広さを有する土地を購入していたことが判明し、物議を醸しだしはじめています。 永山7丁目といえば、昔の言い方をすると「多摩ニュータウン」のど真ん中。正確な取引金額はわかりませんが、9億円から10億円程度で現金で取得したものとみられています。 現行法上では、新興宗教とりわけ壺カルトでお馴染みの旧統一教会が土地を取得することを止めることは、できないようになっています。 そのため、隣地の都立永山高校も国士舘大学多摩キャンパスもまったくそれを止める手立てがないままに、上物の建設が進みそうな状況であると言われています。 本来、文科省から解散命令が出ていれば保有し続けられなかった事案の可能性 何事にたいしても明解な姿勢を示さない岸田首相は、案の定、統一教会の解散命令請求を進めておりません。
壺カルトに解散命令を出さない岸田政権…とうとう多摩ニュータウンが統一教会の聖地となるか?=今市太郎 | マネーボイス
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tanakadntt · 1 year
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旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は��世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入れられていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるものだった。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒屋は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だった。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいいよ」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮が後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いていった突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたのか」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「おいしいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
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gufeng123 · 2 years
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时至今日, 当苏木把悲伤刻进字里,然后将其搓成一条条句子;让它们如同黑色的树木般插满这好似茫茫雪原般的文档时,决计不会想到,曾经看似走不出的黑森林能变成一个记录在案里的故事。
人们常说:‘假如生活强奸了你,如果不能反抗,就干脆好好享受。’然而结痂的心告诉苏木:生活不是强奸犯,如果它本身就是一把刀;倘若它直截了当的捅入你的心脏,那么、宝贝!这实在没有什么快感,你忍得住就生忍不住就亡。而这一路前行,好不容易将当初带血的脚印,变成了如今的黑色文字,已是而立之年苏木却才终于发出了长叹。
是啊!岁月终于风干了彷徨,
曾经的血与泪,
你不必咽下肚子,
我也敢挂向脸庞。
你无须在躲在童年的积木里,
掐断麦秆丟块石子,
望着遥遥无期呐喊!
我也不会溺在青春的泡沫中,
续杯寡酒拿把小刀,
对着连绵不绝添伤。
那她呢?
她还在也很好,
既在心里也在身旁。
她是诗、是梦、更是成长。
(一)
新年才过去不久,墙角根那些代表着热闹的鞭炮纸屑还并未被泥巴完全埋葬,于是清晨的过堂风就如同泼妇的指甲,将巷弄的水泥地抓出一道道血痕。
苏木站在铁锅旁,看着一头波浪黑发、身穿白色连衣裙的少妇将掐掉的油条放进少年的瓷碗中。
“快吃!”她催促道:“九点钟之前就要到车站。”
纤瘦的少年不是很情愿的点了点头,然后小心翼翼的将油条夹入口中,一边盯着自己的母亲一边细嚼慢咽。对于一个农村来的孩子来说油条当然很好吃,但已经是城里人的妈妈却更好看。
“你磨叽什么呢苏木?”用手托着腮帮看着孩子吃早餐许久的少妇不耐烦皱眉道:“车可不等人我给你说,别做什么都像你那个死老汉——懒逼死样的看着就心烦。”
少年还是直愣愣的盯着自己的母亲,不过加快了吃东西的速度,在哽下一节油条后又问:“爸爸呢?怎么这两天都没看到他?”
“这两天工地上加夜班,”母亲语气缓和了几分,“你爸来回跑既浪费钱又浪费人,所以就住在工地——闭嘴!小孩子吃东西不要说话!”少妇见儿子又要张口,于是严厉的制止了他。
少年果然乖乖闭嘴,捧起有自己整张脸大的瓷碗大口大口的喝起了豆浆,大概那时的天气还很炎热,他的额头上已经冒起了颗颗汗珠,然而今日的苏木知道,当初自己捧起瓷碗喝豆浆的时候,含在眼眶里的泪水可不是太阳能晒出来的。
这时候有人离开,苏木终于可以坐在自己曾经坐过的位置上要了一碗豆浆两根油条。事实上这不过是自我欺骗罢了,如今这条爬满油污的塑胶凳肯定不是当初的那一条,就如同那旧日的时光般一去不复返,留下的只有让人产生悲悯的记忆。
苏木幻想着用讨厌的现在去悲悯无助的往昔,就好像用一支弄脏了的画笔去涂抹抽象的向日葵,然而生活不是梵高,不是所有痛苦都能成为艺术品。
“我听说大脸猫进去了。”
早餐店老板的儿子谢欢放下盘子时小声的说了一句后,又去为别桌的客人上早餐了。苏木懒得理这个戴着个黑框眼镜的死胖子,只是用手中的筷子调戏着在豆浆里渐渐发胀的老油条。
“谢老板算是个实诚人,”他想,“不但将油条炸得又大又粗,还将豆浆熬得如同他妈憋久了的精液。”
这个有着一头长发的好看男生刚将油条递到塞进嘴巴,谢欢又端着空盘子转了回来,“二娃被人打了。”他说。
“怎么回事?”苏木眉头一紧,“事情暴露了?”
“那倒不是,”脸肥得如同发霉面包的死胖子凑近苏木神秘兮兮的说:“他个狗日的去按摩搞完后还不满足,趁那妞子不注意——也不知道在哪里弄的石棉——往人家内裤上抹,结果被发现给打了个鼻青脸肿。”
“该!”苏木含糊不清的吐出一个字。
“是该,”谢欢笑着附和后又道:“昨晚我看到他躺在沙发上痛得咧嘴的样子真是活该,不过那帮人打归打——这也是刘二娃自找的——但打了人还抢了他的钱,这就有点过分了。再怎么说那傻逼也是我们的兄弟,所以这事木哥你看……”
布满裂缝的层板桌面如同一张黑色的蛛网,苏木眼中突然闪过某种画面让他一阵恶心,不过青年只是面无表情的用指关节在桌上敲了三下。
“电影院。”他说。
“明白!”谢欢打了个响指。
苏木站起身来。
“不吃了?”
“没胃口,像狗屎。”
这时炸油条的老谢看见自己的儿子忙里偷闲,于是不得不用请求的目光冒死谏言,大意应该是:客人们都还在等着的,卑微老谢我抽不出手,小祖宗你忙完了再叙江湖情可以不?
而小谢捕获到自己老子的目光可没有那么温柔,死胖子厌恶的摇晃着大脑袋。“望、望、望、望你妈个丧啊!”他一边嘀咕一边走开了。
苏木被这一幕给逗笑了,青年点燃一支烟,让目光顺着对面的楼层往上爬,最后定格在七楼,那是他的家——如果那叫家的话。“苏秋乐和常怀兰这两口子又在干嘛呢?吵架?打架?沉默?都有可能,但绝不会做爱。”他边想边将目光继续往上移,然而嘴角的幅度却在往下沉,青年的心就像一个风烛残年的老人在上楼梯,谁也不敢保证它下一秒还能不能跳动,最后他终于看到了天空。
灰白色的天空毫无血色犹如产妇的脸,电桩上、旧楼间、乱七八糟的铁丝将苍穹分成一个个小格子,抬头仰望、它脏得好似婊子的丝袜。
“如果老子在吃屎的话,” 苏木鄙视的吐出一个烟圈儿,“这世界就是个大粪坑。”
想到这里青年大步走出巷弄,他要浪费自己木偶一样的青春。
******
苏木大病初愈的曾经,那时的天空还算晴朗,纤瘦的小男孩被自己的母亲牵着赶往汽车客运站。二人走在逐渐升温的路上,身边是来去匆匆的行人,苏木扭动着小脑袋四处张望,他已看过镶有玻璃、二十一层楼高的房子;比家里堂屋还干净的柏油马路;跑得飞快的小轿车。在经过涂上白条的人行道时,小男孩看见那个会变来变去的红绿灯。然后他念道:“红灯停,绿灯行。”
“以后都要记住,”头顶处传来常怀兰的声音,“在城里就要遵守交通规则,你看这么多车,要是像我们乡下那样乱跑的话迟早被车给撞死。”
但小苏木显然对红绿灯本身更感兴趣,或者说只是对让人停下来的红灯感兴趣。
“妈,你说那灯为什么会自个儿跳来跳去?还变着颜色真好看。”
“木木要好好读书,等你长大以后就知道了。”常怀兰说完这话后陷入惆怅暗想:“长大、长大……怎么长大……”
“那如果我考到全班第一名,”苏木昂起脖子望着自己的母亲,“就可以到城里来挨着你和爸爸了吗?”
常怀兰看着远处的红色‘宜庆南客站’嗯了一声。
正是这声轻飘飘的‘嗯’让苏木仿佛在汹涌的人潮中抓到了浮木,他好像一只被丢弃在河流中的小猫又看到重生的希望,原本即将与父母分开而难受的他,却被‘懂事’逼着要开心的脸现在是真的开心了。
“好耶!”小苏木原地蹦达了一下,“寒假的时候我还能到城头来,到时候我还要去公园,还要去住医院那种亮堂堂的房间,穿着斑马衣服——”由于他的天真勾起了母亲的伤心事,话被打断。
“呸!呸!呸!你小娃儿家家的瞎说什么呢?”苏怀兰居高临下的看着苏木,“医院是正常人该去的地方吗?以后不准再说这样的话了,别像你老汉儿(四川某地方方言是爸爸的意思。)那样……憨。”
小男孩想要表达话被掐成两节,说出来的只是摇曳的枝蔓,而埋在肚子里的才是他欲望的根。虽然想说的话被打断,苏木也并不沮丧,因为他想到反正寒假的时候自己又可以回到爸妈的身边。这是他的希望,就好比草原上的春风,而春风总是能让草根萌芽的。
“唔!”他乖巧的回答一声后,又看见人行道左边的围墙下站着一个女孩。那女孩五官玲珑十分好看,她别着草莓发夹,身穿白底蓝色小碎花连衣裙,苏木觉得她就像池塘边的水仙花。这女孩站的面前摆了很多书,那堆书顿时引起了苏木的兴趣,于是在离女孩约莫十步的地方不由自主的停了下来。
常怀兰知道自己儿子喜欢读书,又知道这女孩站的围墙后面是孤儿院,也许是出于对儿子的关心;也许出于对孤儿的同情;更多的觉得这样做是让儿子行善,说不定阎王爷就可以放过他;于是‘大方’的从自己的人造皮革小钱包里掏出了二十元钱递给了小苏木说道: “那个姐姐的书是卖的,你去挑一本吧!剩下的钱就不要人家找了。”
苏木有点羞怯的走到女孩子前面,他发现她比自己可能要高出大半个脑袋,女孩那双眼尾微微上翘的眼睛犹如深秋的湖泊般漠然。孩提时的苏木不会明白这种眼神出现在孩子身上是桩怪事,只是觉得人家既在看他看又没有看他。
“你这书是卖的吗?”苏木问。
“嗯!”
“多少钱一本?”
“三元。”
“喏!”
苏木将钱交给女孩自己蹲下去翻书,他跳过了卷了角的语文和数学,将一本名叫《霍比特人》的书拿在手里翻了翻,觉得带有外国人名字的书没有意思于是又放下,最终选定了金庸先生的武侠小说《神雕侠侣》
“这本书好,”他回想起电视中的武打画面,“杨过的武功自然是要比周伯通高的。”
“就只买一本吗?”女孩问。
“嗯!”苏木转身欲走。
“等等!”女孩叫住了他从衣兜里掏出一大叠零钞,“找你钱。”
“不用!”苏木咧嘴一笑露出洁白的牙齿,“我妈说剩下的钱姐姐不用找了。”
“那怎么行?”女孩皱眉说。
“可是……我妈都说了……”
女孩只是觉得这个瘦弱的男生像鬼片里的小僵尸,他右脖子上的那颗黑痣如同白纸上的墨点。
面对突然的拒绝,这个年仅八岁的小男孩显然不知道怎么办,他习惯性的抓了抓后脑勺,但看起来并不显得虎头虎脑。苏木的肤色和面相遗传母亲更多一些,这让他看起来比大多数农村孩子更文静,再加上大病初愈,小苏木纤弱得如同教科书上的小萝卜头,于是他只能向自己的母亲求助。
“小姑娘你是住这里面的吗?” 常怀兰走过来问的。
女孩当然知道她问的是什么于是点了点头。
“这剩下的钱是弟弟给你的,你收下吧!可以买好多好吃的。”
这句话说得她心中一阵彷徨,因为一个比对面女人只大不小的男人,也在她的耳边说过大致同样的话。对于还未进入青春期的女孩来说,这样的话还不算重锤,一些罪恶并不能立即让她产生耻辱感,它们只会埋藏在女孩的小腹处慢慢腐烂,直到有一天,它们将化为最脏的毒药杀了她的心。
“我不要你们的钱,”女孩把手一伸,“把书还我。”
“你这孩子真是的,给你的钱就收下啊!怎么……”常怀兰突然看到女孩那双瑞凤眼中流露出了厌恶之色,而且她的眼睛布满了血丝红得像只啄人的鹰,她没法再劝解了。“我们多买几本书总可以吧?”
女孩点了点头。
于是苏木带上了六本书坐上了回老家的客车,而常怀兰手里捏着女孩找回两元钱望着出站的客车发呆,直到客车消失在街口的拐角处后,这个在当时长得十分有韵味的少妇,才转身离开。也许在那段不太长的时间里,她感受到了与骨肉分离的痛苦;也许她会把积德心善却被小女孩拒绝归咎于天意;她的匆匆离开是因为她还要赶去上班。
不能说这个女人不爱自己的孩子,也不能说她假慈悲,只是常怀兰如同社会中的很多人那样——不懂,因为生存总是让人忙碌,生活才会教人思考。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)8月2日(水曜日)
    通巻第7845号
ウクライナはクリスマスをカソリックの12月25日にする
ゼレンスキー大統領はユダヤ教からカソリックへ改宗した。
************************
 ウクライナのゼレンスキー大統領はクリスマスをカソリックの12月25日にすると発表した。これはウクライナの歴史を揺るがす「大事件」である。
��ゼレンスキー自身はユダヤ教からカソリックへ改宗した。
7月28日だった。クリスマスをロシア正教会が採用するユリウス暦(旧暦)の1月7日から、カトリック教会と同じ西暦の12月25日に変更する法案にゼレンスキーは署名した。ロシア正教会との決別を宣言したことになる。
ウクライナ議会のHPにかかげられた法案説明では、「アイデンティティを求める絶え間ない闘争が成功を収めたことは、ウクライナ人全員が独自の伝統や祝日を持って自分の人生を送りたいという願望に貢献している」との文言がある。
 この法律の目的は「1月7日にクリスマスを堂々と祝うというロシアの伝統を放棄する」ことだ書かれている。
 ウクライナ正教会は東方正教会系がアルメニア、グルジアを経由して十世紀にウクライナに拡がった。ロシアより早くキリスト教を受け入れたのだ。
 いわば先輩格であるにもかかわらず、ウクライナ正教会はソ連時代の宗教弾圧の残滓を引き継いで、ロシア正教会の管轄下にあった。
ところが、2014年のクリミア併合以降、独立機運が高まり、2018年にロシア正教会管轄から独立した。一部は地区の独自性からロシア正教会傘下にとどまっていたが、ロシアによるウクライナ侵略以後は、関係断絶を宣言していた。ロシアのミサイル攻撃は、こうした改宗教会が標的となった。
最初の攻撃は2022年3月12日、ドネツク州のウクライナ正教会(モスクワ総主教庁系)修道院の近くで爆発、これは生神女就寝スビャトヒルスク大修道院で、モスクワ管理から離脱したばかりだった。
 2023年7月23日、ユネスコの世界遺産となったオデーサ大聖堂がミサイル攻撃で損壊した。ウクライナはロシアの攻撃と批判しているが、ロシアでも戦意をたかめるための自作自演説が根強い。真相はわからない。
 戦争が始める三年ほど前に筆者はオデッサに四日ほど滞在した。
 絵に描いたようにきれいな町でオペラ座前の広場にはエカテリーナ女帝の像が聳えていた(その後撤去)。観光名所の「ポチャムキンの階段」付近は世界からの観光客に溢れ、付近に日本料亭があったことも拙著に書いた。
 クルーズ船で黒海沿岸をみた。豪華別荘がたちならび、じつに壮観、豪華ヨットも舫割れていた。旧市内の中心部だけが寂れた感じをうけた。ガイドに聴くとユダヤ人街で多くが海外へでていったからだと解説された。
 攻撃された大聖堂を含む世界遺産の「歴史地区」には豪壮華麗な建物が林立し、美術館も、劇場も、そしてチェーホフ文学館もあって、とてもすべてを回りきれない。
 ▼宗教戦争の断面を見落としていないか
 ロシアは戦争中に教会の攻撃は極力控えてきた。例外はロシア正教会がウクライナ正教会に宗旨替えした教会だけだったのだから。その後、協会の宗旨替えは活発化した。
 ウクライナの宗教分布は東方正教会(ロシア正教)72%、東方典礼カトリック教会(ロシア正教の礼式でカトリックを受容)が14.1%、プロテスタント2.4%、カトリック1.7%、イスラム教0.6%、ユダヤ教0.2%、その他9%となった。ロシアの侵略以後、この分布地図はさらに激変し、各宗派のシェア拡大争いとなった。カソリックへの改宗が目立ち、現在の推定で12%程度がカソリック教徒ではないかといわれる。
 
 バチカンはウクライナを全面的に支援していることは明らか、このバチカン系カソリックの最も強い国がポーランドである。
 欧州の信仰の度合いには温度差があるとは言え、おおむねカソリックである。プロテスタント系が強いのはドイツくらいだろう。
また米国はプロテスタントの国の筈だが、諸派に分裂しているため少数派のカソリック信者の大統領はJKF以後、多い。バイデンもカソリックであり、ゼレンスキーのカソリックへの改宗も、そうした打算にもとづくのではないか。
 それにしてもクリスマスの日取りの変更は大きな反発を呼んでいる筈で、ウクライナ社会も分裂を深くしたように観測される。
ユリウス暦とは共和政ローマのユリウス・カエサルによって紀元前45年から採用され、1年は365.25日とする太陽暦である。太陽年は365.24日でその差は11分15秒。しかし十六世紀にローマ教皇グレゴリウス13世が、太陽年との誤差を修正したグレゴリオ暦を制定した。
 ▼ユリウスの由来がシーザーだったとはブルータスも驚いただろう
わかりやすく言えばカソリック系はグレゴリオ暦、東方正教会系はいまもユリウス暦を導入している。
 科学的合理性から言えば、グレゴリオが理に適っているが、伝統への固執はナショナルアイデンティティに属し、文化的心理的感性を尊ぶ側に立てば、異教徒の掟は受け入れがたいということになる。
 日本のカレンダーは縄文遺跡から天文台に似た構造物が発見されているように古くから存在したが、詳細は不明のままである。
 記録が残っている最古の暦は「日本書紀」欽明天皇14年(553)、百済から「暦博士」を招き、「暦本」を入手しようとした記事がある。
大化の改新(645)以後の律令制では、中務省陰陽寮が暦見の作成にあたった。古代の暦は「太陰太陽暦」で、月が地球をまわる周期(29.5日)に添って、30日と29日の長さの月で調節した。
天平七年(735)に吉備真備が唐から持ち帰った大行歴(だいえんれき)が、およそ三十年もの準備期間を経て、天平宝字元年(764)、藤原仲麻呂が実施した。その直後に仲麻呂は叛乱に失敗して斬となるが、暦は百年近く用いられた。
したがって万葉集も源氏物語も、この古代の暦から季節感を鑑賞する必要がある。
爾後は、貞観4年(862年)に宣明暦が導入され、それから和暦、貞亨暦を経て明治新政府は明治六年にユリウス暦、その後、明治31年からグレゴリオ暦に適応させて欧米と暦もあわせた。
したがって東方正教会系のユリウス暦に、かなりのウクライナ人には違和感があったことは事実だろう。
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ruruaa · 1 year
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中国神学-政治问题浅论
作者:中国的,太中国的
 
《中华人民共和国宪法》总纲第一条:社会主义制度是中华人民共和国的根本制度。中国共产党领导是中国特色社会主义最本质的特征。对中国神学-政治问题的分析始于这一断言。社会主义思想,或说中国特色社会主义思想,毋庸置疑,始于马克思(列宁)主义。“我国将长期处于社会主义初级阶段。国家的根本任务是,沿着中国特色社会主义道路,集中力量进行社会主义现代化建设。”我国将长期而非永远处于社会主义初级阶段,换言之,我国总会处于社会主义高级阶段,进而步入共产主义社会。
什么是共产主义?根据马克思和恩格斯的著名论断,“分工立即给我们提供了第一个例证,说明只要人们还处在自然形成的社会中,就是说,只要特殊利益和共同利益之间还有分裂,也就是说,只要分工还不是出于自愿,而是自然形成的,那么人本身的活动对人来说就成为一种异己的、同他对立的力量,这种力量压迫着人,而不是人驾驭着这种力量。……在共产主义社会里,任何人都没有特殊的活动范围,而是都可以在任何部门内发展,社会调节着整个生产,因而使我有可能随自己的兴趣今天干这事,明天干那事,上午打猎,下午捕鱼,傍晚从事畜牧,晚饭后从事批判,这样就不会使我老是一个猎人、渔夫、牧人或批判者。”(《德意志意识形态》)总结来说,共产主义有两个特征,第一个特征是共产主义社会的生产力极度发达,第二个特征是人类出于自愿,而非被逼迫而做事。只有在生产力极度发达的情况下,自然世界的种种情况才能不再成为阻碍,这是所谓的“物质基础”。在有了物质基础的情况下,我们这些非共产主义居民可以设想,在共产主义社会里所有人都“心往一处想,劲往一处使”。那么自然而然地,所有的分工都是出自自愿,人可以随着他们的兴趣从事任何工作,不会再有任何地压迫和不满,人至少不再需要为生计而发愁。
共产主义社会这一最终理想,是神学与政治的连接点。共产主义和基督教神学中的天国有其相似之处(洛维特《世界历史与救赎历史》),共产主义社会可以说就是天国的地上版本。美不美妙?天国完全符合共产主义的两大特质,物质极大丰富、人性极大美好。不同的是,基督教神学并不认为天国能在此岸实现,而马克思主义则相信彼岸的“自由王国”(乌托邦)能被实现。[1]“一旦社会占有了生产资料,商品生产就将被消除,而产品对生产者的统治也将随之消除。社会生产内部的无政府状态将为有计划的自觉的组织所代替。生存斗争停止了。于是,人才在一定意义上最终地脱离了动物界,从动物的生存条件进入真正人的生存条件。……只是从这时起,人们才完全自觉地自己创造自己的历史;只是从这时起,由人们使之起作用的社会原因才在主要的方面和日益增长的程度上达到他们所预期的结果。这是人类从必然王国进入自由王国的飞跃。”(《反杜林论》)对历史终结点,对美好生活的“末世论”式追求,使得马克思主义和基督教神学有一定的类比性。
基督教神学之所以不认为天国能在此岸被实现,是基于其人性观。人性天生是好的,只是在“伊甸园”中,被人类的始祖亚当败坏了。只有在末日之后,人性才能得到复原,不仅会变好,还会变得比“伊甸园”中更好。人性在“伊甸园”和“天国”中的区别在于,“伊甸园”中的人有选择为善和作恶的能力,而“天国”中的人只会选择为善。而在此世生活在,人类因其被污染的本性,只能陷于一种可悲的境地,人永远处在精神修炼般的路途中,努力克制自己无法抑制的败坏而不能全善。真正的善好、真正的幸福,只能在世界历史之外去寻求。
马克思主义所要实现的共产主义社会,其人性必然不能是坏的,否则无论有多么丰富的物产,人依然会因为自私自利而陷入互相剥削的境地。对于康德来说,“建立国家这个问题不管听起来是多么艰难,即使是一个魔鬼的民族也能解决的(只要他们有此理智)。”然而,建立一个真正的共产主义国家,或许只能依靠天使般的人民。天使民族从浪漫的想象上看来,就是充满“爱的原则”以及“自我牺牲精神”的人。马克思本人会否定所谓的“天使民族”,他认为,“在共产主义社会中,即在个人的独创的和自由的发展不再是一句空话的唯一的社会中,这种发展正是取决于个人间的联系,而这种个人间的联系则表现在下列三个方面,即经济前提,一切人的自由发展的必要的团结一致以及在现有生产力基础上的个人的共同活动方式。因此,这里谈的是一定历史发展阶段上的个人,而决不是任何偶然的个人,至于不可避免的共产主义革命就更不用说了,因为它本身就是个人自由发展的共同条件。当然,个人关于个人间的相互关系的意识也将完全是另外一回事,因此,它既不会是“爱的原则”或dévouement〔自我牺牲精神〕,也不会是利己主义。”(《德意志意识形态》)对于马克思来说,共产主义社会是“自由人的联合体”,且人的道德意识会进入一个新的境界。无论如何,共产主义的实现必然要求不同于“旧人(我们现处的阶段)”的“新人”,不管这种“新人”是神学意义上的天国子民,还是人类在现实中也可以达到的境界。
不可否认的是,在共产主义发展的历史中,涌现出了无数为了实现共产主义理想而奋斗乃至于牺牲的伟人。以神学来类比,这些人就是“殉道者”,而正是源源不断的殉道者支撑了基督教和伊斯兰教成为一个世界性的宗教。与共产主义的“殉道者”相对的是“大多数人”,大多数人并没有高尚的革命情操,也许他们有着某种程度上的道德意识,但绝对没有共产主义的自觉,否则,大多数人都会自发投入共产主义事业。为此,列宁提出的解决方案是建立一个以少数人为领导的核心团体,即“民主集中制”。“民主集中制”使得大多数人能够将他们的权利授予革命精英团体,并接受精英团体的领导。一方面,这些“被选之民”获得了“人民”的授权并成为了“人民”的代表,从而能够代表“人民”;另一方面,这一“选民团体”本身就有足够的力量,因而他们应该带领其他人实现共产主义理想。
除了在物质上进行奋斗之外,这一团体还必须对“大多数人”进行思想上的改造,使其能够克服人性的弱点,进而适配于革命事业以及未来的共产主义社会。既然普��人先天上无法适应共产主,那就必须在后天上被改造成共产主义新人,因而党必须不断的在普通人的“灵魂深处闹革命”。另外,“被选之民”本身也是人,为了确保“被选之民”永远是人民的先锋队,他们就必须也要进行自我革命,保持革命激情不褪色。因为人,既然不是神学意义上的天国子民,就难以摆脱犯错以及腐化的缺点。借用马克思·韦伯的词汇,“被选之民”必须一刻不停地产生卡里斯马型的权威。他们首先要确保自身的超凡魅力,进而要一刻不停地制造卡里斯马激情,让党本身(因为党也是人组成的)以及党的子民都保持这一激情,从而形成一种良性的互动。只有这样避免韦伯所说的卡里斯马型权威的“常规化”。
在这一运动过程中,“被选之民”的领袖并没有僭据基督教神学中上帝的位置。毋宁说,他们只是代表。从神学角度来看,他们是上帝的代表;从政治角度来看,他们是人民的代表。真正可以类比上帝的,是“末世论”式的共产主义理想以及实现这一理想的运动本身。在基督教神学中,上帝的存在导致了一个无法解决的问题,即“神义论”问题,如何调和(全爱、全知、全能)上帝的正义以及世间存在的罪恶?一个十分狡诘的回答是,上帝因其特性是永远不会犯错的,犯错的原因在于人。即使世界上存在再多的罪恶,在天国来临之时,我们也终究会发现,这些罪恶的存在其实是正义的,只是我们暂时无法理解。共产主义运动自然无法回避其暂时的失败以及造成的问题,不过,对于革命的子民来说,只要能实现最终的目标,路途上的阻碍都是暂时的。既然“被选之民”也是人类,那么他们自然也会犯错。但只要路线正确,正确的理想没有被放弃,部分堕落的“被选之民”可以被更为正确“被选之民”所取代,从而带领人民走向革命的更深处。人民虽然只能被代表,但是只要确立了正确的目标,在革命热情地不断感染下,为了实现共同的理想,也能做出正确地抉择,从而将革命与自我革命进行下去。
(初稿)
 
 
[1] 马克思本人不一定相信这一论断。“真正的自由王国只有在由必需和外在目的规定要做的“劳动终止的地方”、在“物质生产领域的彼岸”、在“必然王国的彼岸”才开始、才存在“,欧力同,“自由王国”的此岸性与彼岸性——马克思与恩格斯的自由观比较研究。
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nyantria · 2 years
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最近、ふと思ったのです。のび太って、学校では先生に叱られて、ジャイアンにはいじめられて、家に帰ってドラえもんに不平不満を言うわけです。そこでドラえもんはポケットから「奇跡的な」道具を出します。しかし、のび太にとってのドラえもんの真のありがたみは、「ドラえもんがなにか道具を出してくれる」ということ以上に「ドラえもんはのび太の愚痴を聞いてくれる」「家に帰ればドラえもんがいる」ということではないかと思うのです。
これは、ホームレス支援で知られる牧師の奥田知志さん(抱樸代表理事)が提唱してきた「問題解決型」と「伴走型」の応用です。ドラえもんが「奇跡的な道具を出してのび太の問題を解決する」というのが問題解決型だとすると、「家に帰ればドラえもんがいる」というのが伴走型です。奥田さんは、たくさんの困っている人を助けて来られました。テレビでご覧になったかたも多いと思います。「問題解決型支援」はとても大事です。食べ物がない人には食べ物を。住むところがない人にはアパートを。しかし、それだけでは本当の支援にはならないと奥田���んは言います。肝心なのは「伴走型支援」です。奥田さんの著書から、北野孝友さんという元ホームレスの故人のかたの言葉を紹介いたします。「ホームレスをしていたときは、食べるものも心配でしたが、人と話すことがほとんどないことがしんどかったのです」(奥田知志『いつか笑える日が来る』275ページ)。要するに、「話す人」「友だち」が大切なのです。
みんな「相手にしてほしい」のではないでしょうか。人が神様を求める気持ちも、おそらくそれではないかと思われます。「自分のこの苦しみはだれにもわかってもらえない」と多くの人が思っています。でも、神様だったら、どんなに複雑な事情があっても、自分のことをわかってくれるのではないだろうか。そう思うから、多くの人が神様やイエスさまや仏様に「より頼む」のではないでしょうか。宗教の存在する理由はこれであるような気がしてなりません。それで皆さん、教会なり神社なりお寺に行くのだ。神様か仏様に相手にしてほしいから。そして、そこに集う人間の皆さんにも相手にしてほしいから。
『×(ペケ)』という漫画に出てきた話です。記憶に頼って書きます。織り姫と彦星が言っているのです。私たちは年に一度、7月7日にしか会えないのに、その貴重な日に、なんでこんなにたくさんの人の願いをかなえなければならないのだ!と憤慨するというお話です。確かに、私たちは、七夕様には極めてあつかましい。短冊に願いごとを書きまくります。それから、サンタクロースにも極めてあつかましいです。子どもたちは、あれがほしい、これがほしいとサンタさんにお願いをします。サンタさんって、クリスマスイブの一晩で、世界中の子どもの家をまわりきれるのだろうかと心配にもなりますが、とにかく私たちはサンタさんにも極めてあつかましい。
「聖書を読む人」と「ドラえもんを読む人」というのは、本質的に変わらないような気もします。聖書を読んでは「目の見えない人が見えるようにしてもらえた、歩けない人が歩けるようにしてもらえた。いいなあ」と思い、ドラえもんを読んでは「ドラえもんは毎回、すごい道具を出す。いいなあ」と思うわけです。「『空を自由に飛びたいなあ』『はい、タケコプター!』」という歌があります。私が子どものころのドラえもんの歌です。みんなが期待しているのはまさにそれです。七夕様には願いをかなえてもらいたいし、サンタさんにはほしいものをプレゼントしてほしいし、ドラえもんには道具を出してほしいし、イエスさまには奇跡を起こしてほしいのです。
でも、本当はみんな「相手にしてほしい」のではないでしょうか。「恐れるな。私はあなたと共にいる」(旧約聖書イザヤ書43章5節)という言葉に励まされている人がどれほどたくさんいることでしょう。もちろん、ドラえもんが単にのび太の愚痴を聞くだけで、なんの道具も出さず、ただあぐらをかいてどら焼きを食べている人物だったら、漫画として成立しないでしょう。聖書だって、「求めなさい。そうすれば、与えられる」(新約聖書ルカによる福音書11章9節)と書いてあるから聖書なのであって、「求めなさい、そうすれば与えられるかもしれないし与えられないかもしれないし、わからない」と書いてあったらそれは聖書として成立しなくなるだろうと思います。神社に行ってお札を買うのも当然の行動だと思います。みなさん必死なのです。でも、のび太にとって、じつはドラえもんというのは「家にいてくれるだけでありがたい」存在であるのと同様に、神様というのは「天にいてくれるだけでありがたい」存在なのだと思います。
ドラえもんや神様に望んでいる本当のこと 【発達障害クリスチャンのつぶやき】 - クリプレ
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一场纵情式体验——非理想读者琉璃的《绍宋》答辩报告
  0.马甲
  《绍宋》对我意味着什么?
  截至2021年7月29号下午,阅读时间合计13273+2888共计16161分钟,相关同人约5万字,所谓的“粉丝值”也比较靠前(琉璃的号就够了甚至不用加另一个白银马甲),不敢自称是《绍宋》读者中最喜爱这本书的人,显然也不是榴弹的理想读者,但或许可以算是比较喜爱这本书的深度读者了。
  自08年注册起点以来,从没有对一本书如此投入。因此读到后期,出于种种原因,我已经开始反思,为什么会对《绍宋》如此偏爱,是否已经在不自觉中陷入了非理性的狂热,跨越了读者与粉丝的边界。
  作者之前开玩笑称期待长评如面对答辩,实际上,对于这样一部作品与和它一起走过的十九个月,站在答辩席上总结阅读体验的应该是读者。
  那么,以下就是我的《绍宋》答辩报告。
  P.S.后文中不可避免会涉及一些人事,而为避免过度暴露私域对话,提及相关人名时会使用字母代称——算是在伦理委员会缺位的情况下一点自欺欺人的努力。
  1.锚——时代精神与共同文化记忆
  2020年2月初的一个夜晚,一位医生的离去点燃了几乎所有人的情绪。我所在的一个在这段日子里几乎成了情绪支持小组的私人小群连炸四次,最后一次毁灭于一位加拿大华裔哈佛政治学博士的“天灭XXX”,外媒开始铺天盖地书写切尔诺贝利与苏联的陨落,微博上几乎亡国。
  我是从这个私人小群中听说《覆汉》和作者的。
  这个群属于我曾经的朋友F,一个世代诗书传家,通旧学,文笔有灵气的江南姑娘(她族谱顶端的先祖为元祐党人碑上某位曾任待制以上官——或许这是她喜爱《新宋》而对我推荐给她的《宰执天下》不以为然的原因之一),她的HP同人在优书网上评分8.5,发表于lofter或其他论坛的历史和欧美作品同人也都备受称赞。后来F建立了一个十几人的私人亲友群,成员大多为水平相当的自娱自乐型女性历史同人和其他欧美圈同人圈写手。
  《覆汉》完结后,F,群中的历史同人写手兼作品曾上过B站日榜第一的剪刀手N对文中穿越女给其子纳妾的设定和蔡文姬相关情节并不认同,同为历史同人写手的哈佛政治学博士L批判文中对世家的态度,抱怨这部三国作品也没有走大宪章的路线,不过她们三人都承认《覆汉》的故事设计与文笔有可观之处,而这引起了我的兴趣——之前虽然在起点排行榜也注意过《覆汉》,但毕竟熟人的(逆向)推荐更令人信服,我第一次认真正视官家的名字和作品。而读完《覆汉》前三卷,我决定将其存进收藏,打算等看过足够的三国史料专著后再回来,以免被作者有感染力的文笔迅速说服,形成对特定势力人物的预设印象,干扰日后的史料理解。
  不过,对并非别有用心之人而言,两宋之交至南宋初的重要历史人物大多并不像三国人物一样存在比较大的争议和理解角度。而凭着《覆汉》前三卷留下的作者印象和知乎上看到的黄巾一章的史观印象(以及L的立场性反对),抱着一种安稳的期待,《绍宋》开书没几天就进入了我的书架。等到年末读到第八章最后一段主角凝练有高度甚至有一丝似曾相识感的内心独白后,意识到这部作品,甚至作者的格局和立意超出绝大多数起点历史文,也超过之前的想象,于是开始追更。
  然后便是疫情。
  内外各方席卷而来的信息洪流宣扬着绝望仇恨与原罪论,仿佛只有先跪下认输认罪,承认另一种意识形态的正确甚至另一种族的优越,才能够赎罪,才配得到拯救,才能拯救一切。
  即使在潮水般的恶意冲击中几乎窒息,又出于工作习惯没法停止刷新外媒新闻与外网论坛,也终究无法相信这样的谬论。
  贺拉斯在《诗艺》中提到诗歌——广义上也许可以理解为文学——应兼具“甜美”和“有用”(dulce et utile)双重属性(1)。这一观点或可商榷,但在那个苍白压抑的春天,《绍宋》对我而言确实两者兼具。它是定住心神的锚——徐徐展开的故事具有足够的吸引力,提供足够的愉悦反馈,而且足够鼓舞人心。在被信息洪流淹没,已经很难读进去任何其他虚构或非虚构作品的时间里,《绍宋》几乎成了唯一的避难所,唯一确定的期待——作为读者,我知道将会看到什么。历史虽无可更改,但文中的胜利遥远却可预期;文名《绍宋》,故事的结局就绝不会是主角与徽钦二帝在五国城“团聚”;通往东京的道路虽然曲折,但即使不在这一卷,也会在下一卷中车驾还京;金人兵强马壮,气焰嚣张,但无论是历史还是文中,都会有人民中涌现的英雄和英雄的人民站出来,而在故事里,再顽固凶残的敌人也终究会被消灭。
  正如八十多年前一支队伍所坚信的一样。
  正如,当时坚信的,这次一样。
  在卸载了Reddit,Twitter和Youtube,除工作需要不再打开外媒网站,暂时屏蔽了立场争执带来的负面情绪逐渐大于正面作用的情绪支持小组,报名了大学社区的志愿服务团队后,大半是被吸引,小半是主动令自己被吸引,我沉入了《绍宋》,而在精神状态有所好转后,一并沉入它背后的历史。
  二三月份典型的一天是这样的:最期待新章节的更新,读过新章节,可以重温前文,重温次数太多,那么点开《宋史》。从第一册徽钦高本纪十九到本纪三十二,第八册的后妃,到第十二册的李纲宗泽赵鼎张浚,到第十三册全册,到十五、十六册忠义与奸臣……补完列传,还有志表可以翻查,还有《建炎以来系年要录》可以从头读起,还有许多之前在书架上但一直没认真看过的宋人随笔、谭图与《读史方舆纪要》,还有新下单的《辽宋西夏金社会文化史》和几十本相关书籍,乃至知网上的论���……无穷无尽,从一本跳转到另一本,从一个PDF跳转到另一个PDF,然后回过头,与章节对照。
  沉入小说并借助小说潜入历史后,信息的洪流逐渐远去。
  等再次彻底探出水面,已经是四月了。
  后来无意间在微博上刷到疫情时的宣传歌曲之一,宝石Gem的《出征》,对那几句“怒发冲冠”,“潇潇雨歇”的歌词只有一种殊途同归的感慨。
  毕竟是血脉中共同的文化记忆,是英雄,祖先和历史。
  而优秀的文艺作品确实可以化身“再现的艺术”,“让伟大的死者重获生命”(2),激励人心,在每一个时代呼唤起共鸣。
  时代精神Zeitgeist是德语时间zeit和鬼魂/精神geist的拼合。
  简单粗暴概括《绍宋》主线,大抵是普通大学生落井穿越赵构,为自身也为民族,抗金绍宋,雪靖康耻,洗英雄恨,令踏破贺兰山缺不再仅为纸上《满江红》中锥心之言,使十二道金牌化作文中英雄人物数句并不知情的笑谈——一句话,是YY、爽文,是could have been,是what if,是一部历史童话,是一场精心织就的美梦。
  但除抒出了一口千百年来中国人共同文化记忆中最深切憾挽之气之外,与《绍宋》共鸣的,确实是时代的精神。可以说,它某种程度上回应了特定的“时代核心焦虑”(3)。不必真的对知乎入关学有深度研究或者参与键政,无论是具体到20年的疫情,还是放大到国际政治的环境甚至国内经济的发展趋向,自2016年以来,生活在这片土地上的绝大多数人每一天都能比上一天更加清醒地意识到国族的存在与现代民族主义的意义。而无论有心无心,时代影响作品抑或作品呼应时代,以绍宋抗金为主题的《绍宋》确实与大时代的脉搏隐隐同步,与人们藏在心底的期盼相呼应。
  自古至今,流传下来的经典故事大多经历了文本流变,三国、水浒,哪怕如昭君出塞的故事,我见犹怜的轶事等等均经历了文本流变——每一个世代的人的书写都有那个世代的痕迹,《说岳》自然也不会例外。而我曾经期待且认定《绍宋》能够成为这个时代的《说岳》,在经历了对经典的“创造性误读”与重新诠释的文本流变之后,根植于时代,为古老的故事写下新的刻痕。
  2.门——故事,叙事、史料及价值观
  “史家追述真人真事,每须遥体人情,悬想事势,设身具中,潜心腔内,衬之度之,以揣以摩,庶几入情合理。盖与小说、院本之臆造人物、虚构境地,不尽同而可相通,记言特其一端。……《左传》记言而实乃拟言、代言,谓是后世小说、院本中对话、宾白之椎轮草创,未遽过也。”——钱钟书《管锥编》
  而《绍宋》成功继承了自《左传》以来至班固《汉书·艺文志》,自六朝志怪,唐传奇与敦煌变文,宋元讲史平话,到明代演义的叙事传统。不用读到第二卷,甚至不用到第二十章,读到斤沟镇赵玖只身入韩世忠营地情节的“遥体人情,悬想事势”与对历史人物的“传神写真”(4),就能意识到作品的高明与文脉相承。
  很想这么说,但事实上,这些都是在第二遍,甚至第三遍重读后才有所感悟的。一开始如闪电击中我,直觉吸引追更的,却并非开头引人入胜的悬念设置——主角该怎样突破内臣的包围接触外界并为“失忆”找到合理的借口,而是第八章绝杀最后一段:
  “赵玖头脑空白一片,却依旧升起了一个本能的念头:这些人一定见过更残忍、更直接、规模更大的杀戮与暴力行为,否则绝不会淡定如此……”中一种似曾相识的感觉。
  起初不完全确定捕捉到的是什么,但随着作品展开,这种令人眼前一亮的熟悉感一次又一次出现。最终,通过第六卷第六十九章梦呓中:
  “其实,地毯不必多言,而波斯红花也好,绿宝石也罢,对于人类来说,真的算是天赐之物,因为人类对香料和药物的追求,对宝石的追求,基本上是扎根于人类最基础的五感之中的……前者是嗅觉和生理需求,后者是视觉和审美需求。”
  这一段落彻底确认,打动我,令我感觉《绍宋》与其他书不同的似曾相识感来源于散落在文中,娓娓道来的叙事旁白和叙事者的声音。在第一卷第八章章末的段落里,它恰巧和角色声音有所重合,但后文中也同样体现于叙事旁白之中——无论是对乡村或都城的介绍,古代节日风俗的评论,战争的侧写,地方含宗教色彩的农民义军评述,亦或是更多情况下一两句“不经意间”融入角色独白/对白的点评分析,叙事者的声音简洁、凝练、流畅,令人回忆起那些社科历史专著中格外迷人,浸着知识与思想本身甜美与愉悦感的选段。绝大多数情况下,这些叙事旁白并不突兀,也没有说教感。作者的学识与立意高度藏在字里行间,交融在汩汩流淌的故事里。这令《绍宋》与大多数作者有心无力,在文中塞满一眼可辨、令人尴尬扶额只想迅速跳过的大段文献甚至百度百科摘抄转写的起点历史文形成碾压般的鲜明对比。
  《绍宋》的另一重迷人之处在于作者声音、叙事者声音与主角声音的复调感和叙事的层次感。
  作为类型文学,穿越文的“核心快感机制”(5)之一,即满足读者心理欲望,通过主角与配角视角差异进行反讽。作者通过安排穿越者主角以超越时代的思想和技术,解决问题,赢得配角的赞美和崇拜,为读者提供代入感和快感。在《绍宋》中,如“借用”后世诗词,“发明”配重投石车,“创新”税种制度等等,与大多数穿越类型作品所采用的手法相似。
  但除此之外,全文中时常出现的对主角并不遮掩的讽刺与道德评判——特别是主角在文中大体上可以称之为正面形象时——令人着迷。在网络小说中,叙事者对道德有较明显瑕疵的主角或配角进行批判或讽刺是较为常见的手法。此时,叙事者与角色拉开了道德距离,但通过批判,叙事者与读者的道德价值距离却拉近了,对这样的主角,读者的代入感和快感来源于叙事者的批判;对绝大部分形象正面的主角,叙事者与主角则更多在“价值、道德、认知、审美轴心”(6)上同一,从而为读者提供单纯的代入感和快感。
  但在《绍宋》中,叙事者视角与形象正面的主角视角大多数时候相似,但时常也会拉开微妙距离,由此产生了叙事者声音与主角声音的复调感。这种简单反讽的应用让读者既从主配角视角差异反讽和主角成功克服困难中得到代入感和快感,又从叙事者和主角视角差异(7)中获得了更多一层的愉悦,如第四卷第三十章新酒的末尾部分等等。
  而如第五卷第二十五章取舍的第一段、第六卷第二十四章回首的第一段等甚至更进一步,除了主配角视角差异、叙事者与主角视角的差异带来的反讽批判,读者还能识别出作者与叙事者的视角差异,以及作者对叙事者的若有似无反讽。客观上,这产生了格外丰富的叙事层次感,提供了多重解读空间。
  此外,《绍宋》的悲剧喜剧多重性也赋予了它另一维度的迷人层次感。
  作为一篇“历史童话”,一方面,《绍宋》可以说是一部喜剧——从历史角度和主角个人均是如此。相比真实历史中“西湖至今树枝南向”、“膏锋锷填沟壑”、“泪尽胡尘南望王师”,任何人都没法宣称文中结局收复河山金瓯一统不是一部喜剧。对主角,从文初的提心吊胆随时有被拆穿可能的穿越者到文末实权在握文治武功成就辉煌的帝王,无疑也是一部喜剧。但同样,随着文中时间进度条的流逝,主角现代人灵魂的一部分逐渐被旧制度吞噬、磨平乃至同化。他在开头明道宫道祖像前是孤独的,结尾劈开神像之举的本质依然无人能真正理解。而从始至终,他的现代人文主义精神与时代里的绝大部分人有隔阂。主角自己的帝王功业愈发成功,他被人理解的可能性也就愈发降低。赵玖个人悲剧与历史童话的喜剧交错,反衬现实的悲剧,层次丰富,每读一次都可以产生新的体会。而这种丰富的多义性和可重读性,一般而言,是一部作品成为经典的必要条件。
  另一特别喜爱之处是众多史料在故事中的巧妙化用。
  绝大多数情况下,文中既倚重史料,又大胆虚构,无论逆用正用,都是巧妙融入情节而符合人设的,其间逆用又格外精巧。主角相关的炼金、橘灯、乌鸦、辩经、宫室;单独配角变化如汪伯彦的谥号和万俟卨的“谏言”;若干组对配角人物如娄室与李彦仙的死生细节、郦琼与王德的配合、曲端与王庶的相同观点……例子数不胜数。这些化用半藏半露,似讽似谐,在情节中水到渠成、毫无刻意感,令故事自如地从细微处押上历史的反韵,增添了一分奇异的虚实对偶之美,也体现了作者高明的创作技巧。
  由于相似的部分阅读书目与原始史料,无论正逆,每认出一处史书上的段落与情节、一处文人笔记里的轶事、一个特别眼熟的用词都能会心一笑,在阅读时无数次体会到挖掘金矿一样的乐趣与惊喜。而若主动深入探索,作品阅读体验带来的趣味还会进一步增加。至今仍记得一个周日下午在平板上点开谷歌地图、书桌上摊开谭图和另一本历史地理文献同时翻看手机对比情节时,回忆着过去驾车穿越太行八陉之一的体验,然后对山河形胜的顿悟时刻。那是久违的,特别愉快的eureka时刻——上一次这样的时刻还是在几年前在剑桥旁听医学史课程期间。
  伊格尔顿曾经在评论大众文化时表示“无人知晓何处《科里奥兰纳斯》落幕,何处《加冕街》上映”(”…nobody quite knows where Coriolanus ended and Coronation Street began[…]”)(8),布鲁姆也抱怨过“当今很多只应被称为超市小说的东西被……当作正典来研究。”(9),但那是身为学术精英的文学评论家们对文化研究中普通观众评论与专业学术研究边界愈发模糊的批判。作为《绍宋》的普通读者,以业余爱好者的身份在这种模糊地带,在学术的浅水洼里玩耍可以感受快乐,在幻象中体验到一种并不需要费很大精力,必然浅薄但又确实存在的“智识上的愉悦”。
  另外值得提及的还有令人称道的高光情节与令人折服的创作角度。第一卷的扶腰,第二卷的并旗与各问东西;第三卷的嘱托、落雕与不忘;第四卷白马、抬枪和遗篇;第五卷的劝说、武林、赋诗,第六卷的忧惧、一掷,以及更多仓促回忆间无法一一列举的章节,从故事角度讲,都是灯下读史时或怒或叹,恨赵家天子无耻、悲英雄壮志难酬、百姓流离难安、河山破碎难全后心中一点不甘不平气所化的模糊幻梦,那些心中默念的“若是……但凡……如果……哪怕……”。而这些掩卷后被压在心底的模糊的梦却在这些章节中,通过作者的妙笔,以天才的模样,带着庞大充沛炽热的情感,不属于我们的王者之气,回到我们的面前,引出极强的共鸣。
  不过,这一点已经有无数评论珠玉在前,之前也在一些高光章节上盟时提到过,这里就不再赘述了。
  与其他起点历史作品相比,《绍宋》一书中又一格外突出的优点是文中的价值观和人文主义关怀。
  清人章学诚认为“凡为古文辞者,必敬以恕。临文必敬,非修德之谓也。论古必恕,非宽容之谓也。敬非修德之谓者,气摄而不纵,纵必不能中节也;恕非宽仁之谓者,能为古人设身而处地也。嗟乎!知德者鲜,知临文之不可无敬恕,则知文德矣。”(10)可以说,章氏所论的敬恕二字是基本贯穿《绍宋》全文的。以阶级视角阅读《绍宋》的文本,能够清晰感受到作者能为古人,以及比章氏更进一步,能为古人中最广大的劳动人民设身处地的悲悯。这悲悯并非许多起点历史作品中所弥漫的居高临下的施舍,为主角涂脂抹粉的点缀,乃至乏味做作,为了政治正确的象征性套路口号,而是作者在文中一以贯之,时时刻刻站在人民立场上所怀着的温情。从张永珍的遗言、东京婢女的讨论,张荣的反问,西夏老妇的挣扎到获鹿前的青苗等等无数细节中,从常被忽略的角度以小见大,猛然给读者当头一棒。甚至全书最大争议点保全一章主角行为背后,本质还是站定了阶级立场和价值观,在一部群像英雄传奇中抱定了人民史观的“中节”,为人民设身而处地,由此以敬以恕,“文德”自生。全书从头到尾,作者笔下流露出的人文主义关怀真挚、朴素而耀眼。
  自史书经传而来,可上溯到“春王正月”及更遥远的中国叙事传统隐含着强烈的价值评判倾向。《隋书·经籍志》提到,“小说者,街谈巷语之说也,《传》载舆人之颂,《诗》美询于刍荛,古者圣人在上,史为书,瞽为诗,工诵箴谏,大夫规诲,士传言而庶人谤;孟春,徇木铎以求歌谣,巡省,观人诗以知风俗,过则正之,失则改之,道听途说,靡不毕纪。”在古典时代,“小说”甚至被认定是一种可以“裨益风教”的“稗史”。诚然,古代“小说”和现代小说并不能等而论之,而过度强调文学作品的价值观和道德宣教属性很容易滑进宣传分子的窠臼。但“艺术作品不仅包孕着价值,而且本身就是价值构建的大厦”(11),在拥有相似审美强度的前提下,站在人民立场,发出人民声音的作品永远更值得赞美,而继承了叙事传统的《绍宋》正是这样的作品。
  3.人物、符号、双刃剑的前置知识和心理预期
  毫无疑问,《绍宋》中的人物群像特别出色。
  作为一部主线改变历史的历史穿越作品,《绍宋》中多数历史人物形象传神写真,摹写如见,仿佛从史料中走出,时常寥寥数笔,人物便跃然纸上。文中历史进程变动,人物举止言行虽在史书上“事之所无”,却竟能在文中“理之必有”。章学诚曾又论史学,称“记言之法,增损无常,唯作者之所欲,然必推言者当日意中之所有,虽增千百言而不为多。苟言虽成文,而推言者当日意中所本无,虽一字之增,亦造伪也。”(12)以其前句赞《绍宋》中的历史人物事迹言行虚构创作,我想,也是恰当的。
  并不讳言,对文中的曲端是偏爱的。这位历史上有着令人叹惋结局的将军在作者笔下被赋予了特别精彩的人物成长弧线、内部动机和细节塑造。作为一位典型的圆形人物,曲端从初登场时的历史形象——尧山战前——获鹿后的性格变化,每一次都令人赞叹不已。后文中一条令人印象深刻的章说评论他为“作者的心猿意马”,其实某种程度上,我更愿意称他为“读者的心猿意马”。现实中很难想象会愿意与类似性格之人共事,但作为书中角色,曲端的人物魅力所在确实是其性格中伤人的部分,是其内心激烈的不甘和矛盾。他的挣扎越激烈,与其他角色互动时言行越刻薄,读者便会愈发感受到人物对命运的强烈反抗——人物也因之愈发鲜活而有生命力。同时,作者极好地把握住了分寸,塑造角色时令其相关言行保持在比较失礼到非常无礼之间(例如与大宗正一家的互动),偶有触到令人厌恶的边缘(如西夏‘马球’),但从没有真正突破不可原谅的时代道德底线——特别是在如抗金等大义大节面前,成功在可悲、可悯、可爱、可恶间保持了微妙的平衡。由此,人物缺陷便成功化为了人物魅力,而其肆意打破不成文社交规矩禁忌的言行举止甚至会为读者提供某种宣泄感与快意。
  但更为打动人心的是作者每每对人性幽微处刻画的神来之笔。至今不能忘记读到第三卷第五十八章陕西人时的内心震动——那是彻底喜欢上该人物的一章,从文字的节奏韵律,视角的切换,背景环境细节的铺垫,情绪层层积累,步步进逼,令读者不自觉地代入——不是代入一位封建王朝的待罪武臣,而是一个犯下大错而渴盼原谅,渴盼第二次机会之人。当曲端最终泣涕于地,俯首求恳原谅之时等待判决那一转笔停顿,又将积蓄的情感张力送上更高一层,令读者加倍屏住呼吸。而当他最终得到宽恕、赦免和第二次机会时,谁能不为创作者笔锋回转间主角的魅力所折服,而为人物真心感到宽慰,谁又能不被这一幕中的情感冲击所打动呢——说到底,从这样精彩的人物高光中,读者真正看到的是普遍的人性,是我们自己——每一个曾经犯下大错,渴盼原谅与第二次机会的自己。
  而当读到人物在最终战后的第三次转变,终于放下执念,熄灭内心的火焰后,有一种读到《魔戒》精灵西归时的感觉,那也是第一次确实感觉到《绍宋》的故事即将落幕。
  胡寅,吕好问和基本原创的林景默都是中前期的圆形人物,成长型角色,各有铺垫充分合理的高光情节生动刻画。但到了书后期,能够感受到——特别是吕好问和林景默——角色性格形象趋于固定,人物的独特魅力也随之有所消隐。而文中对张浚、赵鼎采用的抓取历史人物突出性格侧面刻画人物的方法,前期区分度很高,几次人物成长也十分亮眼。但根据观察,文中后期对这二位人物所采取的史料特定向解读和固定方向的塑造,令角色变得逐渐单薄标签化,同时也导致了一些读者对相应人物的描写塑造逐渐失望乃至心中积怨,事后回想,也为后来激烈爆发的矛盾添了一重伏笔。不得不说,虽然这些角色的后期塑造客观上或受更新与创作压力影响,事出有因,非作者不想铺垫丰满而本质力所不能及,但依然令人感到遗憾而惋惜。
  关于岳飞的符号与代价,从个人体验看,在早期尚未对大部分相对陌生的历史人物建立起共情时,岳飞出场章节会令人格外期待,能让人保持对作品的关注——有时会在章节中反复翻看提及人物段落,期待更多相关剧情,甚至关注岳飞线宗泽线超过主线。
  但岳飞作为文学形象的代价是很难与其符号形象相剥离。这位前期对读者产生强大吸引力的特殊人物在后期因自身的larger than life特质阻碍其作为再创作文学形象的接受。岳飞二字的意义早已超出了具体个体本身——在时光中纪念碑化,他本人就已经成为了文化记忆中对家国之爱,对英雄、名将、忠诚、坚定、崇高的悲剧注解,此后百代千年,无数原本历史中可能上演过的一时失误、犹疑、退缩、迷惘,就都再也与他无关。读者会从心理上抗拒分明鲜活的血肉之躯,更愿意将其安置于安全遥远的历史神龛里。作者尝试与如此沉重的升华抽象概念作斗争——可见的努力令人钦佩——体现在主角上,是让主角并非直接在心理上拜服岳飞,继承对历史演变下的文化符号形象的接受,而是克服一系列“嫉妒”过程,最终战胜心中的泥金神像;而体现在文中岳飞身上,以个人体验来看,最鲜明的例子出现在第五卷第六十章举火成炬中,岳飞关于宏大篇章与时代浪潮的思考。
  但很遗憾,包括我在内的许多读者其实并没有真的迈出放下心理预期和符号化理解这一步。岳飞的符号性如此强烈,导致读者对文中人物心理预期,乃至整部作品的心理预期都主要在弥补其历史遗憾,改变历史悲剧上——而这意味着,岳飞的文中形象越贴近历史人物乃至文化符号,越能满足读者的代入感和补偿心理。而即使作者在前文中多次尝试扭转读者对其的符号化理解,依然只能形成短时的刺激——特别是岳飞相关情节一般为并不连贯的独立支线时——即时的理解很快又会被深刻的文化符号烙印所取代。
  因此,以个人体验看,当读到:“这不是什么无奈与自私,也不是完全没有牺牲的自觉与伟大,只是个体纯粹的渺小,在时代浪潮中的微不足道而已。”等等数段时,会产生强烈的抵触——不是没有共情,恰恰相反,能够感受到强烈的共情,这一刻或许是与文中该人物心理距离最为接近的一刻,然而与此同时,会感到迷茫与撕裂——那个光辉的神像,伟大的符号,背负历史命运之人,真的会有这种感触吗?退一步说,即使放下符号化理解,但此处读者感受到的强烈共情主要是在共情历史上的岳飞、文中的岳飞、还是在共情作者本人的当代生活感触?作为读者或许应该接受文学形象与历史人物的偏离,但对已然具有历史神性的岳飞而言,在《绍宋》这样一部以挽回历史悲剧为重要主题之一的作品中,偏离多少是合理的?作者此处的文字是否已然承担了令它不堪重负的价值表达?而当读者开始抵触文中表达时,便有可能自然脱离原有的沉浸式阅读体验,拉开与文本的距离,而这又会进一步导致读者去寻找更多在沉浸式阅读时无暇顾及的,可能存在的漏洞与历史形象偏离。
  不过,另一些读者在这个具体问题上会更加宽容。例如针对这一段文本,我的一位朋友Q虽然认为“此处的抒情像作者大过人物”,但同时也认为“价值表达本来就是写小说中最让作者期待的部分,是奶油尖上的浆果,而在丰碑的高度上进行价值表达则会带来更大的快感”。然而,由于岳飞的特殊性,能够如Q一般比较彻底地区分岳飞的历史人物形象和文学形象,一定程度上放下对其的心理预期,同时理解作者价值表达需求的读者,或许是相对较为少见的。
  万俟卨是一位非常精彩的圆形人物,从原历史形象出发,他的人物弧光因起点为负而拥有了分外广阔的成长空间。与岳飞不同的是,有秦桧承担历史形象在先,“洗白”文中的万俟相对压力没有那么巨大——但仍然是个雷区。更轻松安全的做法显然是按部就班,延续历史,对熟悉历史叙事的读者来说也更好接受。令人佩服的是,作者再次选择了更高难度的路线,丝毫没有浪费这块金矿。万俟的转变在剧情层层铺垫下顺理成章,令人信服。但当下的审查制度令举报往往行之有效,这位蕴含巨大潜力的人物被迫半路而隐,对个人而言,这在对《绍宋》全书中最惋惜的事情里大概能排进前三。
  韩世忠这位一出场即定��“忠勇”,“泼皮”的名将,其豪情,胆略,将心,武勇,即名将和“忠勇”一面通过多次高光章节塑造得非常丰满,而不拘小节与“泼皮”一面则在后期的辛词情节和其他细节中得到了充分表达。尧山后,由于情节发展导致人物地位逐渐超越了其历史轨迹,其人物形象从符合大众解读的历史形象开始有了小心翼翼、充满克制的微小叛离——所谓“居功骄纵自满而优游林下”等等。但总体而言,这微小的叛离是符合情节与人物性格逻辑的,也为多数读者所接受,但依然不幸引起了一些读者的激烈反对——其代表为一位曾活跃于lofter历史同人tag下,对两宋拥有深厚知识储备的写手。在这个具体案例中,除了该写手自身精神状态原因外,正是因为其对历史人物足够了解、足够热爱,才会有如此激烈的,为文中人物鸣不平的反应。可以说,她的前置知识和心理预期已经成为了对接受文中韩世忠形象变化的阻碍——正如一些读者对张浚,许多读者对岳飞一样。个人曾与这位写手有过非常愉快的约稿经历,但因这段韩世忠情节被对方隔空通过亲友“开除人籍”——而我仍然能够理解她。当我自己无法毫无异议地全盘接受书中对岳飞的文学塑造时,我大概也无法真心指责对另一位历史人物投注了真挚感情,进行过认真研究的对方,只能时刻对前置知识和心理预期在文学形象解读上双刃剑般的作用保持警醒。
  而前置知识的破坏性甚至不止于此。在一本薄薄的《忠正德文集》到手后,个人对文中赵鼎履历和设定就变得略有不以为然。按照集中《自志笔录》所言,赵鼎履历十分清晰,他自崇宁五年登进士第后,“初调凤州两当尉,次任岷州长道尉。以劳改京秩,调同州户曹。次任河中府河东县丞……调河南府洛阳县。靖康元年,除开封府士曹……”而这与文中描述“靖康前……铁打的开封士曹”出入颇大。因此,以文中设定为基础的赵鼎相关情节在个人眼中便仿佛沙上楼阁,每每读到时心中不免多了几分挑剔。
  事情转折于一篇同人,在这篇同人中我挑出了吕好问诸子之一的吕揆中——从宋史吕好问传中发现了他的名字——并颇为自得地为他安排了行动。然而因为曾对吕好问有更高期待,后来在知网上翻查下载了几乎所有吕氏相关论文,最终从数篇吕氏家族墓志研究中发现,吕揆中实际殁于靖康之前——这意味着在那篇同人的时间线上,他早已去世。而这令人意识到前置知识会带来怎样的傲慢。仅仅一篇不到万字的同人,仅需要查阅寥寥数人的资料,我自己仍犯下了这样与事实严重不符的错误,而作者面对数十上百历史人物以及繁杂无数倍的人物关系与剧情,偶有与文献不符之处,作为读者,我又有什么资格扔石头呢。
  与其余众多人物相比,张荣甚至带有一种独特的音乐感,闭目回忆该人物,首先回想起的不是画面,而是声音。两首渔歌、一句反问、一首劳动号子为代表的高光,饱含着勃勃生机与泥土气息、与其他人物颇有区分、刻意接近话本口语化的出色对白令人物活灵活现,刻画出一位起自草莽却“不忘初心”,糅合了理想化的《水浒》江湖气和义军英雄气的抗金豪杰。这样的张荣每一出场,便提醒读者,那个重合了“英雄世界,野蛮世界”(13)的《水浒》世界正在他身后若隐若现。更重要的,那个导致英雄世界与野蛮世界诞生,黑暗可怖的“丰亨豫大”世界也就随之一并回到了读者的视线之中。而理想化之外,文中同时又不乏对其私心、挣扎和相应局限性的描写。这令人时而想起姚雪垠《李自成》中形形色色的义军领袖。在文中众多王侯将相之间,作者能为一位貌似“标准”但并不僵化或充斥着说教感的起义领袖类角色多留一笔是一件令人非常愉快的事情。
  以一人经历代指时代堕落恢复与世态人心变迁的周镔一直是一条非常关注的线索,而无论是否出于设计,他的退场——也就是没有特意再多加一笔阐明战后下落——非常符合心意,因为这无痕的消失中反射的正是无情的历史常态。
  张永珍与侯丹的高光中,打动人心的是令人战栗的真实。小人物到英雄,从胆怯到英勇的过程通过几次草蛇灰线,层层递进,最终爆发于跌宕起伏的高光情节,而作者的高明之处,在于塑造人物时不单不吝笔墨于英雄之壮举,同样不吝笔墨于其小人物的私心,而这英雄壮举非但不为其私心所掩,反而由于私心而愈发令人信服,带来极为强烈的真实感与亲切感——其情愈朴,其抉择之勇,壮行之贵愈彰,而这种张力下,文字间极为饱满的情绪带来的分外强大感染力毫无刻意之感,只显得浑然天成。
  杨沂中是另一位提取历史人物主要特征加以文学创作的典型人物,也是文中的重要配角,在一些关键剧情中起到了关键作用。作为主角融入世界最初也是最重要的助力之一——为此作者罕见地模糊改动人物历史原型亲属相关时间线以赋予其接受主角的强动机——杨沂中之后成了主角事实上的“金手指”,一个人型“百科系统”,合理弥补了穿越者主角的诸多常识缺失漏洞,也在情节需要之时顺理成章成为读者的历史背景介绍旁白。而该角色功能安排之所以不显突兀,一部分原因在于作者对其历史原型经历性格的精炼概括与化用,一部分原因则在于作者通过一句与主角及读者共鸣的“国仇家恨”巧妙扭曲了其历史原型身上最突出的忠君特点,转而提纯升华,赋予人物表面极为相近但本质不同的忠诚——忠于君主所代表的家国。这微小的变化由于切入点的精准,在伏笔的遮掩下几乎难以分辨,令人物更加符合现代价值观与读者期待的同时也尽可能保留了与历史原型的相近之处。而读者会因此更容易接受人物行为逻辑,也自然不会去深思人物与其历史原型具体价值观异同、质疑该角色和主角相应情节的合理性。
  这也是全文对有历史污点的人物如万俟卨、张俊等人正向刻画的共同创作手法——提取历史人物主要性格特点,如万俟之媚上、张俊之贪财等,并以此为基础朝现代价值观前进一小步,对文中人物进行塑造,这令他们更容易被读者接受——至少是大大降低了令人厌恶的程度,也正是本文的历史童话感重要来源——穿越者���角和其带来的现代价值观对历史人物、乃至对时代的触媒般连锁反应与正向影响。
  对杨沂中在中前期的成长刻画则体现了作者高超的伏笔水平。作者将一个重大秘密被巧妙隐藏在重重细节“闲笔”之中,令读者在最终翻开谜底回顾前文时,不得不承认秘密的暧昧线条早已由不起眼的人物对白行动和心理活动勾勒而出,只是当时被视而不见。而作者在通过文中早中期宗泽的显性对白、张永珍、张荣的高光情节阐述人民、家国远重于君王立意的同时,更通过伏笔中杨沂中的“隐性”行动对该立意进行了长线呼应。从全文讲,以杨沂中一人代指抽象靖康军民“国仇家恨”动机为全文开端,以切换由同一人物通报的广大东京市民——人民视角描写靖康军民得知“国仇家恨”已报心境行为为全文结尾,同样体现出非常令人欣赏的对偶结构,还隐隐为尾声的人民史观立意做了另一层铺垫。这些异同交织、显隐交错、互补交融的呼应对偶,充分显示出作者对该人物塑造的用心——从角色功能上,杨沂中的设计或许在所有配角中最为精心。
  不过,之前虽然曾表达过对硬币梗的喜爱之情,但保全一章后就意识到,感染力极强的硬币梗确实不是一个应该出现在中期的情节。提前的情节对人物形象的连贯性造成了破坏,在最大的穿越秘密已经心照不宣,人物与主角再无相疑后,其在保全中的举止便显得有些违和。或许硬币情节如按原计划安排在尾声,人物形象和人物间关系会更加合理,长线伏笔收束的冲击力也会更强。
  此外,更有众多包括宗泽、吕颐浩、许景衡、李彦仙、吴玠、马扩、兀术、希尹、娄室、粘罕、秦桧等等在内,无论宋金刻画同样入神的配角,篇幅所限无法一一详述——这些无不体现作者从繁杂的史料文献中精准抓取提炼历史人物性格内核的创作功力,以及对历史人物本身的尊重。他们与前述诸多人物共同构成了一幅格外精彩的群像画卷。
  4.镜——性别视角
  别有用心的身份政治令人警惕,但很难否认性别差异以及基于性别体验的不同视角客观存在。在《绍宋》中,以及在广义的阅读体验中,确实会感受到性别视角带来的差异。
  从创作角度来看,男性女性创作者的关注点客观上也有区分。去年无意间顺序听完了玛格丽特·阿特伍德、尼尔·盖曼、萨尔曼·鲁西迪、谭恩美四位作家的MasterClass讲座,然后意识到,同样以英语为创作语言,西方世界读者为主要受众,身为白人女性、白人男性、印裔男性、亚裔女性的四位作家在讲座中均提到了性别与族裔对创作本身和作品的影响,而重视程度明显根据自身的性别和族裔而有很大差异。盖曼讲座中虽涉及性别族裔,但相比另外三人,谈论相关内容时就略显空泛。而当阿特伍德谈起自身性别、鲁西迪谈起族裔身份、谭提及性别及族裔对自身创作和作品出版的影响时,情感强度、细节丰富程度和重视程度则显著高于盖曼。与此同时,阿特伍德对族裔和鲁西迪对性别均涉及不多。
  由此可见,视角和体验的局限是公平降临在所有人身上的,哪怕是世界一流的作家在创作时也无法幸免,一个理性读者不应指望更多。而历史小说里,从理智上说,对主要女性角色不应抱有期待——古代女性没有独立人身权,被同化进所属的主体是很真实的,而小说人物为他的身份、阶层、所属利益团体代言,其思想被同化,也是一种合理的塑造。
  但同时,当代创作历史穿越小说的作者显然会受生活其中的社会大众记忆影响,也会有意无意在作品的历史书写中,特别是通过穿越主角,导入一些新的迷思,而它们反映的正是今人认可的思维模式与作者赞同的进步价值观。读者读到的实际上则是作者以对过往感觉口吻的模拟和再创造——读者其实并不会读到,也不真的想要一个真实的十二世纪。而作为当代的女性读者,渴望看到的是作者对笔下受到结构性压迫的男男女女平等对待(这不意味着期待同样数量的“镜头”)与现代书写,哪怕这种书写角度在十二世纪并不存在。因此,性别视角带来的对比过于鲜明时,相关读者群体确实会产生一定的心理落差。
  在女性向《绍宋》读者群中,可以观察到女性读者群体(n>60)多有共同的几处不适情节或不愉快的阅读体验——譬如南阳的指婚、张荣之女的指婚、潘妃的不教而诛等等。或可说这是某种情绪投射与共情,女性读者会更易代入文中的女性角色,从而共享客体视角的愤怒和恐惧。但以作品提供给读者的娱乐价值角度看,如果男性读者在阅读中代入文中身为皇帝的主角或统治阶级的高官显贵满足心理欲望,获得快感被认为是理所应当的网文体验,女性读者则不应因有时代入文中部分统治阶级女性共情她们所受的苦难而收到额外的嘲讽。
  更何况,能够注意到的是,女性读者的共情并不仅限于皇妃贵女,而是囊括了涉及各阶层女性的相关情节。其中,潘妃吴后情节所涉女性角色为后宫妃嫔;张荣之女情节所涉的女性角色为兼具高级将领/起义领袖两重属性者之女;南阳指婚情节所涉的女性角色为中小地主阶级或中下层官僚之女——具体而言,即遭受由穿越者主角代表/带来的君权、夫权、父权压迫,物化、客体化的女性。女性读者会很容易意识到,主角在面对阶级压迫时每每愿意额外多费心力,行动中闪耀着现代人文主义价值观的辉光,却时而无视同时存在的性别压迫,甚至亲手带来额外的压迫。而作者描写男性角色的局限性时,会在文中表现出结构性压迫带来的扭曲,但到了女性角色,特别是激起极大反对声浪的潘妃情节中,就只有她们自己的扭曲,“哪怕与天性相冲突”也要自发的扭曲——造成这一扭曲的体系中最强大的施力者却自然而然消隐在作者笔下——主角甚至还对她们扭曲的现状加以指责。
  男性读者或者创作者视角中,这些细节或许一晃而过,不会格外留意,但对于女性读者,对比就会显得刺眼而令人叹息。甚至可以说,正是因为主角在日常行为和重要情节中显露出的人文主义辉光格外耀眼,作者在描写男性角色时对结构性压迫展露出的理解格外深刻,才导致女性读者对主角和作者怀有更高的期待,而阅读相应情节时的失望就会更深。
  此外,通过统计发现,在这部长达二百五十三万字的小说中,有直接对白描写的女性人物一共九位,梁红玉(1句)、范秀娘(11句)、吴瑜(2句)、一丈青马夫人(3句)、潘妃(11句)、郑太后(2句)、韦太后(1句)、正店“花魁”娘子(3句)、秦桧夫人王氏(4句),而其中塑造最为优秀的女性显然是王氏和范秀娘——原因也显而易见,她们是唯二具有主体性的人物。其余人物的对白都围绕着他人——丈夫、君王、兄弟、子嗣——是附属性的,作为客体需要服务他人、被解决问题、被解惑、被安抚、化用历史典故,总体而言,是需要拯救的。而在其余时刻,她们的想法就均被作者交给他人代述,由父兄(吴瑜),由丈夫/官家(吴瑜、潘妃),由流言(郑太后),由宦官(韦太后)等等,完全失去了自己的声音,她们是妻妾,是后妃,是母亲,是女儿,是花魁,是姐妹,是麻烦制造者,但不是自己。而文中提到的其余女性人物如李清照,从始至终活在引用和玩笑之中,而其余如早期被指婚给军士的宫女、南阳指婚的女性、南归公主贵女、张荣之女……她们是完全沉默的。只有范秀娘和王氏的言论和行动具有主体性——她们无论是否成功,但都是在主动努力的,在对白和行动中为自己和家人寻找活路,而该人物的生命力便从中迸发出来。女性角色的总体沉默和男性角色的音量对比,同样是刺眼而令人叹息的——或许历史上的宋代,女性的声音和主体性也没有消失得如此彻底。
  (而意识到、下意识察觉或被这一点刺痛的女性读者有时会转化为同人创作者,以同人的形式进行某种意义上的对抗,既重构叙事,具体在后文详述。) 
  可更令人叹息的是,必须承认,在起点主站历史作品中,《绍宋》已经算是罕见的男性凝视含量较少的作品。从文中几乎没有对女性身体的格外露骨性暗示类描写,到刻意避开有充足原始文献的对靖康女眷的侮辱性猎奇描写等等,都能分辨出作者的努力和尊重。在大多数情况下,文中最广大的男性女性都被作者当作人看,给予了同样平等的,对于人的尊重(典妻、东京婢女等情节便是绝好的例子)——这个期待值不高,但主站符合条件的作品并不多。
  因此以“作品没有说出的东西,以及它如何不说这些东西,与它所清晰表达的东西可能是同等重要的。”(14),以部分情节否定《绍宋》全书的女性角色创作或是一种苛责,是以偏概全。但应该可以说,许多女性读者对一些情节的阅读体验或许和男性读者并不一样。
  从读者氛围及互动角度来看,性别差异导致的区别依然存在。从读者氛围讲,曾在榴弹的私人群内聊天中见到一句提问:“为什么《绍宋》有这么多女性读者?我记忆中历史文一向不是太太们的好球区。”完全能够理解发言者是以友善语气提出了真诚疑问,但它仍然令人印象深刻乃至警醒。
  同样是读者,历史分类作品的男性读者无须自证,在大众观念中被默认是类型作品的爱好者,不言自明,而女性读者则会收到疑问——可以是友好的、关切的、打趣的提问,但本质上,女性读者是在被期待为自身的存在给出相应的解释——需要给出一种闯入男性空间,打破默认秩序的解释。这时而令人思索,历史是否是理所当然的阳性名词,历史文是否为理所应当的男性读者特供。
  而许多时候,章说中的读者情绪表露就更加直白,并富有恶意。曾在章说中多次见到“这书有女读者吗?”“还有女读者?”等类似留言,而一到涉及女性角色的争议情节(如靖康女眷,西夏皇妃,潘妃等),便会有人跳出来,将女性读者无论是否出于逻辑与理性的分析直接从性别身份角度加以否定与嘲笑,或者无视。
  章说增加了参与度,但同样会带来不愉快的体验——不得不承认,有时甚至会让人迁怒作品、书评区管理者甚至更多。
  ��于作者与运营是否应该插手,对书评与章说的管理到何种程度,是否选择如一些游戏中,令非氪玩家成为氪金玩家体验的一部分一样,让女性读者的窘态、不适乃至愤怒(客观上)取悦男性读者,成为他们阅读体验的一部分,我想,真正能够以行动选择如何回应这些问题的,或许不是读者。
  5.争议情节
  “糟糕的作家经常发生这种情况,在他们自己的头脑中,一切都捆绑在一起,他们无法完全理解为了读者而将其清楚呈现出来的必要性,即使是好作家偶尔也会身陷其中。”(15)
  先从保全说起。
  首先,从素材史料和结构上看,能够理解一个漂亮的自虚而实和自实而虚对称结构巧思令创作者心动。但就像前文所述,《绍宋》文中大部分时间对史料的扬弃择用是非常优秀的,作者在选材上的慎重克制是前文中的显著优点。相比之下,保全一章中高丽相关史料的选择便令人颇感意外,其低俗下流程度与全文的格调迥异——几乎达到了以猎奇恶俗吸引眼球的程度,阅读时带来的不适感是相当强烈的。以个人观感,即使是为了应用对称的结构技巧,该素材也不值得选用。  
  其次,文中绝大多数所化用的史料轶事对所涉情节属于锦上添花的彩蛋类惊喜,没听说典故不会影响读者理解情节。但在保全一章中,如果没有事先对《碾玉观音》的了解,则对读者的情节接受度的打击仿佛釜底抽薪——现代人主角纯粹无中生有的栽赃抹黑和化用借用古已有之的话本的观感完全不一样。以个人体验,如果说了解宋元话本《碾玉观音》存在前对该情节反感度极高,了解后能够稍降——依然很高,但至少现代人凭空奇想泼韩世忠一盆脏水的感觉确然淡去不少。
  问题在于,读者是否理应预先拥有对《碾玉观音》的知识储备。
  以个人为例,在保全一章时,对文中韩世忠认知来源于对作品的至少六次重读;对历史上韩世忠的认知则通过以下文本所建立:《宋史》韩世忠及关联人物传记、《系年要录》相应部分、邓广铭先生所著《韩世忠年谱》以及宋人笔记与今人建炎研究若干——或可觍颜自称在《绍宋》读者中不算对韩世忠一无所知之人。但情节原型《碾玉观音》依然是在保全一章的轩然大波后,找来《中国小说史略》,读到第十二篇宋之话本后搜索阅读《碾玉观音》才有所了解,至于将颇有改编的《玉观音》与早前读过的《警世通言》中“崔待诏生死冤家”一卷联系到一起更是非常后面的事情了。
  需要承认,通过调查得知,《碾玉观音》曾出现在某届苏教版语文课外读本中,也在大学汉语言文学专业古代文学史教材部分有所提及。但如果将苏教版教材的改版次数、其在全国的应用比例和会认真阅读课外读本的学生比例、及汉语言文学专业读者数量纳入考量,依然可以认为,在保全之前读过或听说过《碾玉观音》的读者占比不会很高,而该章章说内容同样可以辅证这个观点。
  翻寻保全现存的两千二百余条章说可发现,最早一条提及《碾玉观音》的章说发布于“原来,这个短篇唤作《玉观音》……”段后,发布时间为6月29日01:22,位于六楼,至今只有二十四个点赞,远非热门。具体内容则仅有“碾玉观音(话本)”六字,并无详细内容介绍。其发布时已是深夜,距保全一章发布时间0:10将近一个半小时,第一时间的追更读者——通常是对作品最为关注的活跃正版读者群体——错过它的概率很高,甚至可以说,连第二天一早的订阅读者注意到这条章说的概率都不高。而根据个人回忆,其余第一时间的章说中并无提及《碾玉观音》为宋元话本或介绍具体情节者,相关段落章说多以为《玉观音》为主角(作者)原创,并以此为基础评论调侃。至于其他带有《碾玉观音》具体情节介绍的章说,则基本发布于29日12:06之后——即作者于外站论坛发布回应贴明确情节原型后。此时风波早已扩大。
  保全一章虽经修改,章说内容或有连带消失或由运营官删除,但背景介绍类章说可视为支持作者的正面评论,被删除的可能性相对很小。由此推测,早于或热门于前述章说的介绍性章说存在的概率应当较低。那么,综合章说统计、体验和回忆略作推想,在保全之前读过或听说过《碾玉观音》的读者占全书读者比重、第一时间感受到锦上添花式彩蛋体验而不是无中生有抹黑感的读者数目恐怕不会十分乐观。更何况即使了解文学作品《碾玉观音》,也不一定能够即时将其与历史人物真实行为(《碾玉观音》全文未提及文中咸安郡王姓名)挂钩。以此观之,《玉观音》情节的信息传递与接收似已超过作者对读者的合理期待。
  第三,对余下了解《碾玉观音》并已知其暗示历史人物行迹的读者,文中韩世忠事涉人命案的话本编排也显得突兀割裂。
  书中确然数度提及韩世忠的劣迹与性格缺陷,在斤沟镇百姓下落、平丁进杀俘、淮西几乎民变、侵夺延安府库、汾水畔放火烧山等细节处,对其性烈如火与大处明断细处粗率的性格特点有所刻画,但这些刻画多为笔墨寥寥、出现在他人对白回忆中的侧写、丰满人物形象对其正面高光情节的衬托性描写或概括性的虚写。事件起因也并非与时局无关,更未曾有人物日常行为中主动迫害无辜百姓至全家丧命的细节描写实例,反而多有刻画人物被指出错误后改正之举,其负面描写总字数合计不过千余。
  而作为一本群像英雄传奇,无论具体到刚刚结束的大战与封爵,或是保全前的大情节北伐,乃至广义的全书,均以绝大部分篇幅书写歌颂韩世忠等人正面作为,前文重要立论章节武林甚至以抗金大义大节为韩世忠等人失德之处辩解。那么,“一切适用于真人的评价也同样适用于他们(人物)。他们都是‘真实的’(他们具有一种现实维度)只是以不同的方式。现实的水平因作者而异,而我们对某个人物身上特定的深度或现实度的欲望,必经受每一个作家的调教,最后适应每一本书的内在规范。”(16)当读者适应了书中的内在规范,对人物现实度深度的期望值已被调至特定方向时,保全情节的突兀便会令读者感到茫然、矛盾乃至下意识抵触,激起反感。
  而真正点名历史人物,具列功过的评判性分析则主要出现在作者连载期间数条发布于知乎现已隐藏或删除的详尽回答,以及第二卷卷末总结之中。我相信作者接触了大量人物相关史料,对其劣迹污点总结自实据而来,上述分析回答或与全文相辅相成,但这些未曾在正文中出现的内容能否算在作品的合理边界之内十分值得商榷。默认读者与作者掌握相同史料并推导出相同结论、或期待读者理应熟记卷末总结和作者其他平台文字,并将其视为作品的一部分加入对文内人物的理解、或指望读者时刻谨记连载至保全时已达五百六十三天,二百四十三万余字的前文中极少量人物负面刻画细节,而非占据全文绝大多数篇幅的正面形象,并以此为基础理解保全,似已超出作者对读者的合理期待。
  第四,即使读者接受文中韩世忠确行此恶,但原版保全并未提及胡寅对岳云的观察,也未再度强调公主与岳云结亲一事——岳飞岳云并未出场于河东战场章节,而岳云之名全文仅在九章中提及,上一次在更新中出现为保全近三个月前。读者很难在未经强调时忆起其正史中并不存在的驸马身份,更绝难联想到主角会因此爱屋及乌,对岳飞有所抱怨。而从前文情节看,岳飞苛责家人程度并非颇深,未至需“小受大走”的程度,而严父责子,正己齐家以古典中国伦理观甚至可称美德——如史书上张浚对岳飞不报岳云平杨幺功劳事所言“岳侯避荣宠一至此,廉则廉矣,然未得为公也”中虽含责备,也含赞美。那么主角以苛待家人酿成惨祸的创作加以申斥,期望惩前毖后,即使相信作者与主角的主观善意,仍未免令人产生以非罪见责的“莫须有”之感。而若按原保全,面对胡寅质疑,主角仅以“总不能其他十七个人都写了,就他不写吧?这不是给他招事吗?”为由追求一种细枝末节上的公平,那更是不打自招地承认岳飞相关话本纯属信口编造,离无中生有捏造罪名的“莫须有”典故本意又近一步。
  而对十八将领中的其他人,主角称“要写就写一个系列,十八王一人一个,按照他们性格写韩世忠是暴躁强势、张俊就是贪财无度、张荣是放纵老兄弟。杨沂中都有,乃是过于重视家门名誉。反正最后都要落到一个无恶心而成恶事,只是一个念头、一个疏忽、一个性情暴露,便使百姓、平民家破人亡,弄出人寰惨剧。”同上,若读者接受上述文中人物均有恶行实迹——以前文描写观之,吴玠、张俊、王德、曲端、王彦、李彦仙、张荣、杨沂中性格缺点明显,虽无直接描写,但令百姓破家灭门之事尚有可论之处;郦琼、刘錡、解元“弄出人寰惨剧”则前文无一笔铺垫,甚至有相反情节塑造人物,勉强加以军阀积习定性;余下文中本就着笔极少的马扩按固执己见、李世辅算党项风俗不与汉家相同,已然近似无中生有,姑且“无恶心而成恶事”;那么以全书情节观之,从第一章起便“忠恪勇直”、常在御前的刘晏又何以犯下大罪,莫非过于在意夷夏之别?这已经与强词夺理,强行构陷没有太大区别了——如为论证情节合理性,读者对文本空白处的主动补全需要做到上述程度,那么应很难称该情节的创作是成功的。
  而如无实迹——那么君王欲以无罪见责,岂非再度证实多重“莫须有”之论?
  至于后面的文臣话本,就更不必提了。
  第五,以上论证尚且建立在修改后保全的话本私发基础上。原保全并无一字提及话本系列私下发行,与之相反,章中提及的若干类似文作,无论是主角此前创作的《西游降魔杂记》《水浒》,还是与此番新作风格相差仿佛的“东京太学生本子”,均为公开发行作品。从读者角度看,在没有额外否认的前提下,其暗示是很明显的——主角的新作话本自然与上述作品相同,将要刊行天下。那么,诸将北伐前可以包容甚至为之辩解的错误,北伐成功后便要以流言毁誉的手法加以惩处,即使相信作者与主角的主观善意,客观上此举也自带一种鸟尽弓藏,兔死狗烹的凉薄感。而若联想起此前主角以辛词“了却君王天下事,赢得生前身后名”激励配角,对比更令人迷惑且心碎——原章成功营造了一种主角不但不会兑现政治承诺,反而准备彻底粉碎配角梦想的氛围。这种对主角的塑造完全背离了前文塑造的主角一贯“不负”人设。
  有人为之辩解,文中人物的梦想声名会比破家灭门的百姓性命重要吗?主角并未背离他令人喜爱的“不负”人设——他从始至终“不负”的是人民,而不是五毒俱全劣迹斑斑的军阀,之前的允诺、妥协只是达成阶段性目标的手段。但这是错误理解了被读者所接受喜爱的“不负”本质。我们的历史中,被辜负的不仅仅是人民,同样也有这些现代价值观下确有污点、坚持抗金但壮志未酬的历史人物。能够从章说中观察到,阶级和民族在这本书的主要读者群体中是基本同等重要的政治正确——如果不是后者更加重要。“不负”的根本隐含条件是穿越者主角不能辜负历史的两端,既包括人民、也包括从人民中走出,带着历史局限性的诸多英雄。因此,在前文并未致力描写配角们如前文刘光世杨政一般突破两者之一的底线,反而因另一者有功时,读者对作者和主角的期待是找到一种兼美的解决方案——读者以订阅将模糊的、可笑的、破碎的、明知不会成真的梦交托给作者,是想换一场史书上不曾有的公道,以同飨那些刻在竹子上的壮志未酬、天日昭昭和刻不进竹子的汗泪血膏。而章中对主角的塑造会令读者感到茫然、矛盾乃至下意识抵触,激起强烈的反感。
  第六,无论公开或私发,文内的主角和配角胡寅都应知道后果。更令人无法为之辩解的是,文外的作者同样完全清楚后果。在此文第二部分中我赞美了作者的史料掌握与应用——保全当日,最令我沮丧的同样是这一点。从前文观之,作者在第五卷第三十六章赋诗时明确展现出了对朱胜非《秀水闲居录》及后果相关史料的掌握,对南宋初舆论的破坏性早有深入了解——作者此后辩称“朱胜非是直接日记体编排人,主角是写故事,终究是以一种故事的文体,否定了真实性。”且不提话本真实性时而被承认以辩护情节合理,时而被否定以辩护情节合理——按真实计的问题已于数段前讨论——按否定计,那么第五卷第八章猜度中,主角创作的《水浒》人物“姓名随意、背景虚幻、内容现编”,而作者赋予此情节的后续仍是“上则震动朝堂,引来各种揣度君王心意与无据弹劾;下则取信百姓,导致高氏无姜豉可买”。那么合理推测,主角完全能够预估原保全中除姓名外封号经历皆真的话本会引发更大动荡,绝不会达成他所期待的“批评与自我批评”目标。此外,第五卷第八章时,胡寅已从外任转任工部尚书,对《水浒》及其政治影响当有了解,那么无论改前改后,向来行堂皇正道的人物赞同均显得匪夷所思。 
  后来考虑过为什么包括我在内,也有许多读者都没有第一时间意识到原保全的巨大问题,如同文中胡寅一般被蒙蔽。其中一种可能性是被不自觉的主角视角绕了进去——大多数读者此前根据前文塑造的主角形象,会默认主角和作者的主观善意和创作水平,不会恶意揣度,更不会第一时间去与历史“莫须有”勾连对比,也会顺着主角的思路去考虑——主角的担忧并非无根之木,无源之水。可一旦读者切换视角,就会猛然发现逻辑的极大不合理处和各种各样难以自圆其说的细节,发现作者通过六卷塑造了智商正常的主角和道德水平出众的配角,然后突然令他们准备犯下看上去颇经一番设计的大错——与历史悲剧有多处相似元素,令人愈想愈难以忍受的大错。那么,如果不接受主角和配角突然失去理智,读者对主角和作者的前述默契就有可能变得摇摇欲坠,甚至可能陷入逻辑滑坡谬误,推定作者明知故犯,恶意推理此事上及此后作者的一切言行。
  第七,另有人认为一时失智是个合理的原因,在保全后以类似“人类历史中更多的是偶然、任意、无理性和无意义,远超过我们的自负所能允许的范围”(17)的观念,将该章节中主角行为辩解为人类历史常态以论证该章节的合理性。这同样是可笑的,原因正在于历史与故事的区别。现实是混沌的,充满随机的偶然——连宇宙本身都在熵增。但故事不一样,故事是人工拣选的宇宙,选择性排列的素材与情节,相对于现实是熵减的,有其内在逻辑,需要与自己自洽。否则,故事提供的信息就变成了无法解读的噪音。对故事而言,叙事一致性带来的是故事的真实,而保全情节违背了人物逻辑,既打破了虚构故事的真实感,也打破了故事虚构的梦幻感。
  第八,即使接受上述一切,保全的存在依然是个坏主意。从角色上说,主角身为皇帝,为达成目标本可以有更加光明磊落的途径,作者完全可以通过更优秀的设计表达自己的立意。从章节本身说,它的存在就是一道伤疤,见证了巨大的争议和恶意,也令参与讨论的无论哪一方回顾时身心俱疲,唤起痛心的情绪,甚至在后续章节如第六卷第三十章畏惧的暗示中再度陷入本不必有的争执。但作者在章后说明中将不修改宣称为一种自我的职业道德要求、个人的道标与提醒。不赞同此章的读者只能从人的角度将心比心,努力理解这种“自挂路灯”行为。但这就要求这些读者在作者因为自身缘故将读者符号对待的同时,对作者加之以人的体谅和理解。我不是在追求公平——作者与读者从来没有公平可言——可事实上,作者又悄然修改了原章节,宣传不改而改。这种行为即使不做恶意揣度,也难免会对其他无论哪一方都造成进一步的误解,激化矛盾——赞同者认为作者屈服于外界压力,发表违心言论;反对者并不满意于不删除的结果;而后来的读者则会在读完虽然未能抢救回主角的智商和前文塑造的英雄磊落形象,但还是在U字弯后勉强保住了重要配角胡寅的道德底线的修改后的保全和保全(续)后,认为章说中激烈抨击的反对者近似无理取闹。
  一篇恶评或许是一种发泄与嘲讽,但真正有分量的批评是为了捍卫一种价值。我想,保全后许多正版读者的激烈反弹并不是真的想要将作者打入十八层地狱,而是在捍卫一个梦,一场作者用了十八个半月二百四十三万字四百二十二章精心塑造的,读者共同沉浸的美梦。至于我,不敢宣称上述评论有什么分量,但写下这一部分也不是为了朝作者的伤口撒盐。或许它是一种捍卫,然而更主要是一种悲悼与纪念,悲悼曾经的美好,纪念一种错失的可能性,并尝试通过它最终与这一切和解。
  如果保全唯有一点可以辩解,那就是不能说它的立意有问题——人民史观的立场正是喜爱这部作品的重要缘由之一,而作者笔端始终连着历史的骨肉,连着真正撑起史书上丰亨豫大乃至书中建炎中兴气象的无数人民脊梁与汗泪膏血。如果立意的高度不能遮掩技术上的重大失误,那么技术上的失误同样不能遮掩立意的高度。无论是情节中智商突降、性情大变、莫名忘却皇帝身份影响的主角,忘记价值观的配角,还是创作出多有可商榷之处情节的作者,主观上都出于最高的善意。
  非常遗憾,对于故事,仅有善意和立意是不够的,而作者的立意和善意值得更优秀的表达与设计。
  综上,个人认为保全一章在前文正文中未能提供足够的铺垫的情况下,突破了读者的合理期待边界,过度强调章节结构技巧的应用,而在两份原始材料选择上也失之轻佻偏僻���最终逻辑断裂,破坏了整本书塑造出的主角、配角形象,很难称之为一次成功的创作。而该章后作品口碑未能达到预先高度,固然有网络舆论场对其猎奇标签化定性放大传播的缘故,但传播绝非主因。
  虽然保全爆发于全文95.9%处,但此前的其他争议章节也出现过类似问题。与前四卷相比,文中后两卷或大或小的争议情节出现频率明显增加,如第五卷第二十三章献礼(潘妃)、第五十二章且行且观(续)(石皋)、第六十章举火成炬(岳飞)、第六十五章堤坡面理(十二道金牌)、第七十章进军(曲端)等等,最后矛盾激烈爆发于第六卷第二十二章保全。这些争议章节其实都出现了共同特点,即人物行动背后的逻辑似乎未能第一时间通过文本呈现出来,而是需要通过增补章节内容、进一步于后续章节解说、乃至单独开章后解释才能成功传递信息,而这或与书中后期的叙事时间速度变快有关。
  从两张图表中可看出,将第五卷北伐部分剥离后,该卷叙事疏密与叙事时间速度与其余卷明显不一。以具体北伐自第五卷第三十七章夏雨算,第五卷北伐前叙事时间速度达到了0.99万字每书中月,与前后卷的两三万字每书中月相比,速度提升了一到两倍。前文中或有文字余裕以更多情节铺陈细节,刻画丰满人物,埋下逻辑变化线索,到第五卷时铺垫空间和文字余裕便大幅降低。这或许是导致书中后期争议章节出现频率有所增加的原因之一——从叙事节奏和结构上,第五卷确实早为矛盾的总爆发埋下了伏笔。
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6.同人、粉丝社群、社交价值与情感价值
  由于从未考虑过一个同人社群因来源于创作者的不可抗力而迅速失去活力的可能性,此前我也从未考虑过将该同人社群作为人种志的观察对象进行分析——因此这里没有知情同意书,没有访谈,没有调查问卷,也没有伦理委员会——只有根据相关数据和个人回忆体验的观察统计。我承诺尽力保持公正、诚实和回忆的准确性,在不能保证准确时明确声明,并尽可能模糊能够精确涉及身份/账号身份的信息。以下为一些描述性的观察结果。
  “文本本身的意识形态构建和粉丝的意识形态期许必然有其相合之处。”(18)从个人观察到的现象上看,其反推也有一定的合理之处——《绍宋》会令倾向于自由主义的亲西方价值观读者感觉不适。在退出曾经的朋友F的私人亲友群前,我曾在群内推荐《绍宋》。当时虽然群内大部分人前去订阅到了最新章节(落雕后两三章),但多表达了对文中渲染的民族主义氛围的不赞同。
  此后,出于对作品的喜爱,及希望通过文本的意识形态筛选结识一些基础价值观更加相近的同好,个人于2020年8月下旬建立了《绍宋》及其同人讨论群,并因此结识了D、K、M、Q、S、X、Y等在内的一些《绍宋》读者。
  该群最高人数在65左右,成员以女性为主,也有零星(n<5)自我表明身份的男性存在。其中起点粉丝值盟主及以上者9人,约占13.85%;个人能够分辨的正版订阅读者(即个人能将群内ID与起点ID对应,且在起点ID等级在舵主以上者)20多人,余下成员没有透露起点ID,不确定是否为正版订阅读者。
  该群入群审核问题为“最喜爱的绍宋CP”--所有入群者均提供了答案,其中大部分(60%以上)为主角和一位重要配角,其余基本为主角中心相关,约30%的入群者提供多个答案。
  截至2022年4月15日,lofter绍宋tag下显示328篇作品,参与度371(由此可知有43篇同人创作由作者或平台隐藏删除),保全之前显示出187篇,其中107篇为群成员所发——但若考虑被彻底隐藏或删除的《绍宋读书会》(不少于20篇)和其他由于各种原因曾经出现过但不会再度出现的若干个人已知的同人创作(不少于18篇),可以说,保全之前不低于65%的同人创作来源于此群成员。
  由于《绍宋》亚文化向简体中文同人作品主要发布于lofter和AO3,而AO3上绍宋tag同人创作者与lofter上几乎重合,其余平台如wland和海棠上的篇目数量少到可以忽略不计,那么可以说,lofter绍宋tag为使用简体中文的绍宋亚文化向同人创作者和读者的主要平台,而该群集中了大部分活跃的绍宋亚文化向同人创作者。
  可以观察到,该趣缘社群主要讨论内容围绕《绍宋》文本和宋代,特别是建炎朝历史。而多数群内成员会进行重读,与文本不断重复接触。其原因之一是出于对作品的迷恋与热爱——除了上文中提到的优点,作者文中更通过细节描写和化用,尽量模拟了一种遥远的十二世纪过往感觉——可以说,它看上去像是一个“高度完备的世界”,是“百科全书式的,提供能够让消费者构筑想象的素材资源”,“它能够分解开来成为若干部分,让人只记得它的组成部分,而不考虑这些组成部分与整体的原有联系。”(19)而作为一部历史穿越类型作品,我们的历史和大量史料又天然为它的文本空白处,提供了“高度完备的世界”和“构筑想象的素材资源”的基石,而这正是令人迷恋的重要条件。
  此外,由于作品连载后期更新节奏放缓,在更新的间隙中,暂时无法得到新的文本材料,对作品充满热情的群内成员也更有可能开始重读——成员们被迫将视线从后续情节揭秘中移开,转而回到前文重温故事。
  另外,由于社群内互动的鼓励,群内成员也会更容易进行重读。在作为一个局部共同体的趣缘社群中,对文本的熟悉、乃至相应史料典故的了解,在某种程度上,会在这种半封闭的社群内构成另类的“文化资本”,而群内围绕文本和与文本相关同人创作的社交为群内成员提供了社交价值与情感价值(20),因此,重读体验对社群中活跃成员颇为重要。
  可以观察到,通过这样的重读,群内读者便更有可能逐步转变为深度读者,会更容易将兴趣从已在首次阅读中揭秘的情节转移到文内人物关系上,也因此会更容易发现文本的叙事断裂、空白和冗余细节。而在进一步的重读或者某些争议章节的第一时间阅读中,这些现象和问题会变得越来越显眼。同人社群成员会对此加以讨论,并通过对原文的归纳、推论与重构,有可能最终形成一种能够满足连续性、一致性和完整性的坚定群体共同理解——一种元文本理解,以补足原文本的断裂空白,解释细节。
  这种元文本理解有时会被嵌入同人创作者的叙述文本之中,以同人创作的形式回应同人社群内部的常见需求,包括社交需求和原文未能满足的阅读偏好需求等等。例如个人的一篇女性视角同人,情节上不但安排一位原文中失声的女性角色发出声音,还特意沉默了主角(奇妙的是,当时我甚至还没有意识到这种弥补性对抗的真正原因,这么做只是出于一种模糊的直觉)。又例如K创作的若干女性视角同人,同样展现了重构的叙事,令这些在原文中失声的边缘化女性角色获得了文中未能得到的主体性。又如Q的某篇同人,将视角平均分配到主角和一位配角上,尝试通过制造一个危机,重构叙事来为当时原文文本中未能得到解答、却又被同人社群共同注意到的主角和该配角的“冗余”细节提供一种解释。而有时,元文本理解则会以公开争议质疑的形式体现——例如发表于书评区或某论坛的东京使女章节、潘妃相关章节、石皋相关章节、乃至保全的讨论等等。
  有时,同人创作者的元文本理解还会以与作者互动,积极参与作者创作过程(如向作者提供素材、创意、剧情人物推演分析等)的形式体现——但可以观察到,这种积极参与在趣缘社群内部也富有争议。多数成员的观念相对传统,认为读者与作者在创作时的距离是有意义的,会更在意尽可能不干扰作者创作,较为难以接受作者与读者共同设计新章节。对于喜爱的连载作品,这部分人会更希望看见作者的独立原创,而不是作者为特定读者提供的脑洞创作特定情节。
  由此可见,这种对文本权威/作者权威的对抗性和屈从性,对文本的挪用与重构、对叙事重心和文本阐释权的大声争夺和协商实际上天然共存于同人创作者群体身上。
  值得注意的是,同人社群和同人创作者只是深度读者群体的一个代表,事实上,上述结论同样可以放在任何一个深度读者社群,甚至极端一点,有组织的读者群体或者深度读者个体上。
  而亚文化同人趣缘社群的特殊性之一在于,亚文化同人创作者在大众读者——特别是主流男性读者面前暴露网络身份、作品甚至审美偏好时,极易将自己“变成俗世男性观众的色情化视觉奇观”(21),并因此遭受网络上的语言攻击侮辱。例如在M早期的论坛活动遭遇中,这种倾向已经微露端倪。而在章说中,也时而能够看到类似攻击性发言。而如果作者表明对亚文化同人,或者特定分级以上亚文化同人的明确反对,则更易导致主流读者对亚文化同人创作者和读者的群起围攻。这也是个人多次尝试确认作者态度——包括早期某次不说出言不逊也可称相当无礼的上盟评论和后来私下确认的原因之一。
  同人社群的另一特殊风险来自于潜在的版权与利益相关纷争。坦诚说,与其他一些起点作品相比,《绍宋》的同人圈小到可��忽略不计,距离能够通过同人创作获得经济收益的地步很远,因此大部分趣缘社群成员对《绍宋》同人创作抱有一种传统的礼物经济态度:同人创作诞生于他人的知识资本,属于爱好者间的交流,是某种意义上的评论和社交货币,是一种交换的礼物,而同人创作者并不拥有版权且不应因此获得经济利益。(例如顺带提一句,这也是为什么作者对X、Y在《绍宋》完结后约稿的某同人图反馈令约稿者郁闷的原因之一——对于接受传统礼物经济的同人社群成员来说,那是一份私人礼物,不是商品,并不适用商品逻辑(追求商品展示位置/时长))
  不过,依然有人选择开启lofter上的打赏功能,这引来了一些不满,以及我个人来源于过去在livejournal、fanfiction.net和AO3等平台上围观作者与同人创作者纷争冲突经历的风险担忧,也是我后来多次尝试确认作者对同人态度的另一个原因。
  由于以上诸多原因,大部分群内成员满足于停留在亚文化趣缘社群和平台之内,通过简单粗暴的“圈地自萌”来避免纷争和恶意的窥视目光,但这也同时令亚文化同人创作者的影响力局限在亚文化社群和平台之内。不过,仍有人和其同人创作走向更主流的读者视线之中,其中代表便是《读书会》。
  对趣缘社群的内部成员而言,或由于同人创作需求,或通过日常群内讨论,相应历史人物的《宋史》传记已经成为某种“圈内”常识,但这对主流读者而言或许并不成立。而几乎不涉及亚文化的《读书会》恰好弥补了空白,成为了《绍宋》与史传间的桥梁,为希望进一步了解历史人物又不打算费心搜索的读者科普历史。从这个意义上,M的《读书会》为这样的读者群体提供了礼物,做出了贡献。此外,阅文通过打赏系统将消费行为嵌入个人对粉丝圈贡献,将读者卷入这套差异编码体系,一定程度上干扰了传统的同人礼物经济,同时也使得粉丝值头衔为代表的经济资本成为主流读者公认的重要粉丝贡献之一——在M的案例上,身为盟主,M进一步成为主流读者承认的深度读者。而作者文中为《读书会》的推广、梅学士龙套的出现和相应的大量作者读者互动,更为M赋予了来自作者的权威性。三重叠加之下,M和《读书会》很快成为了深度读者和同人创作的代表,而某论坛也为活跃其间的M提供了另外的社交价值。因此,保全时,M能够成为某种意义上的意见领袖也是并不令人意外的事情了。
  但在保全风波中,或许,M没有意识到她行为的潜在后果——由于年纪尚轻,未出校园,她可能尚未意识到这不仅是作者的作品,还是作者的全职工作,也没有完全意识到她自己作为朋友和读者的双重性。
  同时,以一位旁观者的视角,我同时在亚文化同人群里和私聊里见证并能理解M当天看到论坛回应的愤怒。如果不是对榴弹有所了解,旁人或可能感受到的是作者第一时间将一次大失水准——甚至在某些人心中可以映射人品——创作的责任推给一位同人作者和朋友。这令当事人感到承担了非她本人应承担的责任,也令她感受到并未被当作朋友对待。而能理解她的愤怒的,甚至不仅仅是熟人和朋友,在此仅举一例。
  由于石皋相关章节引发的政治理念讨论,亚文化向《绍宋》讨论群中爆发过激烈争论,其中一位同人创作者D由于与M观点不和,退群并和M双向互删,乃至事后在某论坛上继续批判乃至讥讽M的观点。当时我和Q都与D依然保持着私下沟通,也都见证了D与M的双向敌意。但在见到保全一章当天中午作者于某论坛发布回应后,D第一时间的反应是私聊Q,拜托Q向榴弹转达论坛表述中将剧情错误蔓及同人作者行为的不认同与不妥之处,以及该回应可能对M造成的伤害。
  当天中午我没有第一时间看到作者回应,见到后最吃惊的甚至不是回应本身,而是在榴弹当时活跃的读者群中,没有任何人公开为榴弹指出该段的不妥之处,指出它会在风口浪尖给不熟悉作者的旁观者留下怎样的印象。事后回想,或许出于对榴弹的了解、喜爱与崇拜,一部分人过于自然地认为榴弹的言行合乎榴弹的性格和行事逻辑,且没有恶意,因此下意识忽略了大众可能会做出怎样的解读,并认为该发言毫无问题。根据个人观察,这部分人一般更愿意公开发声捍卫这种观点。在这种情况下,认为其欠妥的另一部分人可能就更倾向于保持沉默。说到底,进群的读者毕竟是因为喜爱作品、钦服作者而进群,当指出问题容易被激进的粉丝在不冷静的氛围里判定为刻意抹黑或吹毛求疵时,在作者和粉丝面前保持沉默或许是更安全的选项。
  又或许如一些人所言,榴弹的部分读者粉丝化并非毫无道理。
  至今仍记得当时作者的一位资深粉丝曾将文末风波完全归咎于同人作者——甚至不是具体的个人,而是广义的同人作者,而更有人将风波归咎于女性读者的存在。无论从普通读者角度,还是从第一时间深度旁观了事件起因经过结果的“粉丝”角度,我都完全不能赞同上述两种观点。同人作者、女性读者并不能概括反对者的身份——其实更恰当的概括是并非作者本人粉丝的作品深度读者,而会存在反对者的根本原因是保全本身的巨大失误。但深度读者又时常与阅文所支持粉丝值体系下的高粉丝值用户具有较强的相关性,这显然为作者带来了矛盾。
  不过,归咎某类读者虽易,想来却应无益于日后避免重蹈覆辙。但同样,这一切依然取决于作者取舍。作者支持哪一种态度观点,哪些读者/粉丝是作者真正希望留下的读者/粉丝是作者自身决定的事情。
  作为非理想读者,我想,我能理解每一种选择。
  但M的第二次某论坛发言后,我想我需要为将榴弹拖进私聊进行迟到的道歉。正如榴弹的第一次回应让我眼前一黑一样,M的第二次发言同样让我感觉难以置信。但由于榴弹的私人群内愤慨者大有人在,还有人在此前的线下交流中与M交换过现实地址,我当时非常担忧——过度担忧——会有人在为朋友与偶像满心愤怒,并不冷静的氛围中影响到M的现实生活,因此强行打断了榴弹的群中倾诉,将榴弹拖进私聊。现在想来,我很抱歉,这对同样受到伤害且需要倾诉的榴弹也是不公平的。而榴弹最终对此事的低调后续处理,以及在并非无理,能够反击并号召反击时选择克制的气度和理性确实令我钦佩。
  说来惭愧,毕竟起初是M通过我的一篇同人入坑,加入我创立的《绍宋》亚文化同人群,在群内鼓励和脑洞补充下开始了阅读体同人创作。而后又是我出于风险担忧,强烈劝说她在开打赏前向作者申请授权,以避免可能的纠纷,自此她与榴弹相识。保全一章的纷争后,我庆幸于当时的决定,又悲伤于当时的决定。之前一直担心去年四月的读者聚会让榴弹对一切现实社交产生更深的心理阴影——此前格外冒昧失礼的登门拜访也是想最后确认一下——真心高兴并非如此,那么也许,我能够被允许放下对前事的愧疚之心了。
  书后期的卡牌活动确实是难得的体验——这种活动对作者或只属于锦上添花,可有可无,并不放在心上。但对读者,能够参与这套卡牌的设计本身即是一种特权,而过程中确实与朋友进行了非常有意思的关于文字和画面的探讨。很高兴能有机会参与。
  说到同人亚文化,另外需要坦白的是作为有意识抵抗的活动参与意外的同人作品展示。如前文所述,一些观念较为传统的同人创作者只会在相应的趣缘社群和网站论坛讨论、发布同人,既通过所谓“圈地自萌”以避免纷争。例如我和Q会有意避开主体不能接受相应亚文化二次创作的《绍宋》起点书友圈,甚至避免在章说中提及相应的亚文化梗,主动保持沉默。但显而易见,我们的行为并不具有代表性,根据个人在《绍宋》亚文化同人读者群中一年的观察,有不少相对更年轻的女性读者会更加大胆积极,乐于活跃在章说中刷亚文化梗。
  然而到《绍宋》连载中后期,因多次在争议情节章说中见到各种以性别身份嘲讽否定女性读者的评论,我决定有意识地选一篇会更有可能令相应男性读者感到冒犯的亚文化同人提交参与活动,进行无声但有意识的抵抗——这抵抗仅限于此,对其期望也仅是以在活动中展示存在以证明女性读者的深度阅读及参与。而正因如此,这篇以马甲提交的同人活动参赛作品并没有指望真的会被展示。由于评委A的审美及趣味偏好,该活动文获得提名我并不意外(虽然A在那时还不知道该白银马甲的归属),但作者同意在主流读者所在之处展示一篇亚文化同人——文字微调后比lofter上的原文含蓄,但其亚文化指向还是明确的——确实令我感到意外。
  无论是出于对A选择的尊重,对白银盟马甲的宽容,还是如同不在意卡牌活动一样压根不在意同人活动本身,感谢作者,最终结果已然超出了事先目标。
  7.媒介、连载与传播
  “在一定意义上,听众是口传故事的合作者,扩展或限制了说书人能够精彩演绎的故事。叙述者与听众的交流是即时性,它至关重要,又变化无常。[…]他需要迎合的是口味反复无常、要求稀奇古怪、构成五花八门的听众。”(22)
  阿特伍德曾经谈论传统小说写作与其他形式如歌剧、芭蕾、戏剧等故事讲述的区别,她认为一出歌剧是即时性的表演,而其“故事讲述者”和观众处于同一时空,同在现场,而这意味着表演者在很多情况下能够且会随时根据观众反馈调整表演取悦观众。但一部小说则不然,作者完本定稿到读者拿到书开始阅读之间总会存在一个时间差,读者收到的是作者“向世界寄出的一封信”(23),并非同在同一时空。
  然而,“根据传播媒介的特征,某种媒介可能更加适合知识在时间上的纵向传播,而不是适合知识在空间中的横向传播,尤其是该媒介笨重而耐久,不适合运输的时候;它也可能更加适合知识在空间中的横向传播,而不是适合知识在时间上的纵向传播,尤其是该媒介轻巧而便于运输的时候。”(24)显然,技术与媒介的变化动摇了传统的作者读者关系,使得网络连载小说在某种意义上向古老的口述文学传统回归。网络连载小说的读者不再仅仅是阿特伍德口中传统意义上与作者处于不同时空的读者,而是同时成为了以连载章节为虚拟现场的“说书人听众”。
  但与古代说书人不一样的是,传播媒介的变化同样极大削弱了空间对商业网络连载小说传播的限制——作者无需如同当地说书人一样为自己的故事创作地方变种,但时间依然对作者形成考验,令其需要在取悦“现场观众”的流行性和文本在时间上纵向传播的经典性间进行取舍,具体到《绍宋》中,一个代表便是书中各种各样的“梗”。仅列举其中极少部分,便有如外国历史典故(Et tu, Brute?)、古典文学(城中妓女、葡萄架)、时事政治(消毒水和推特治国、南方系)、影视作品(大决战系列、让子弹飞)、游戏(全战系列家族成就点数)、知乎(入关、枷号)、B站(通辽)、抖音(空虚公子)到对其他网络小说的致敬(《宰执天下》沙盘)等等,这些梗在与读者群体的文化知识结构进行互动的同时,也是对读者的多重考验与筛选。
  从个人感受来说,无论是诗词的借用,还是流行梗的数量,书后半部分的梗远多于前半部分——而且对历史轻佻打趣的程度也高于前半部分,作者似或为保证流行性和下沉用户的趣味性,或出于更新压力,在后期选择了梗应用的增多而减少了对文字克制与无冗余的追求——为此不惜对作品的经典性造成影响。作为一种商业选择,这或无可厚非,但对于期待这部作品成为经典的读者来说,依然是略有遗憾的。
  此外,虽然由于读者层次与分布的不同、个人审美趣味的不同,本身对梗的接受度就不一样。宽容度较高的读者会因为梗本身的巧妙幽默、被戳到笑点而接受,或者因为这些梗整体占比较低而忽视,而另外一些读者会对历史的轻佻打趣一向并不宽容。但一个显而易见的事实是,随着梗的增多,客观上其遇到读者雷点的可能性越高——被举报的“掀锅盖”涉政梗便是一个很典型的例子,而那些不太典型的例子可能完全超出作者的想象——比如据个人所知,一位《绍宋》订阅读者出于对起点早期经典奇幻作品《暴风雨中的蝴蝶》的喜爱,十分厌恶与其多有相似之处的新作《钢铁、火药和施法者》,而当这位读者读至第五卷第六十三章南北并起时,立刻辨认出了该章节对《钢》的致敬,而这导致该读者直接弃文。
  另外一种值得提及的特殊分类是亚文化梗,即“CP发糖”与福利性写作。在绝大多数情况下,个人充分相信作者对笔下文字的掌控力。因此到书中后期,对于特定人物,有时会猜测是否会存在迎合亚文化爱好者群体的福利性写作,而且并不确定是否愿意听到答案——当呈现在眼前的暧昧词句的多重解读足以让亚文化爱好者尖叫时,它们也足以让读者不安。但或许,这仍然是商业连载需要做出的流行性和经典性取舍。
  与古代说书人相似的是,传播媒介的改变令网络连载小说读者能够与作者进行即时性交流互动。在过去,淹没编辑部的愤怒或崇拜的读者来信也要受限于交通工具和通讯媒介的传输速度,对于商业网络连载小说,限制读者发表回应速度的只有光纤里光流动的速度——发布章节的下一秒,章说中可能就会出现读者打卡的身影。而参与文化的兴起,还使得作品边界愈发模糊。作品文本、章说、书友圈、趣缘社群、交流平台经历很有可能都被读者算进即时阅读体验的一部分里。
  由于前文的出色,很多热爱《绍宋》的读者会确实对其抱有超出一般起点历史作品的期待。例如我的一位朋友,由于对这部作品的喜爱,曾多次在网络上与现实中向他人推荐《绍宋》。但随着争议章节评价的飞速传播,她当天从其他网络社群的友人和现实中的熟人处都收到“十八倍莫须有”的询问,这令她感到伤心、愤怒与羞辱。我的朋友曾对作品投入了很多时间和心力——除了当时正在更新的同人连载,她甚至还基于《绍宋》创作了跑团模组——模组设计精妙,内容丰富,当时正测试到一半——但在逻辑断裂的保全之后,无论是同人、模组、还是她为A组织的《绍宋》同人活动所写下的贺文,一切戛然而止。
  而我完全能够理解她的失望。
  以部分读者视角看,连载追订是隐含期望的——追订代表了一种预支的信任,代表相信作者不会犯下颠覆主角形象的技术性创作失误,创作水准不会出现离谱波动——否则大可等到作品完结口碑尘埃落定再去订阅。每一章节单独商品化后,其对作者的期待如同对流水线上合格产品生产商的期待——同一批次的产品应该都在质量范围之内。作者的疲倦,压力,偶尔犯错,读者完全可以理解——但本质上没有理解的义务。而当期待被打破,信任被辜负时,读者会失望、产生错付感,甚至愤怒,然后离开。
  技术与媒介的变化和文娱产品的极大丰富让作者与读者的面目比以往更容易地隐没在01之间,虽然一种视角可以认为读者是活生生的,会产生期望会喜悦会伤心会信任会感到错付的人类,但对作者而言,更可以认为这一切毫无意义,即使某一章出现较大失误,读者的愤怒和失望也纯属一个面目模糊个体的自我感动——作者已经为读者订阅的每一章提供了文字,钱货两讫,无需承担更多责任,而单个读者的订阅只代表三分钱/千字的入账,也无关紧要。
  但同样,读者也有两种视角的选择,可以如前段所言,把作者当作面目模糊的抽象符号,章节流水线上的商品提供者;也可以把作者当作人看,当作会经受更新创作压力,具有喜怒哀乐,有血有肉,也会疲倦、会犯错的人类。我不能评价双方哪一种视角更适用于当下,但如果能够双向奔赴,符号对符号,人类对人类,或许双方不愉快的可能性就都更少一点。
  我至今只能将保全当作打破次元壁的作者附身看待,自此再也没能完整重读整部作品(曾经十分期待完结后的全文重读)。对我而言,修改前的保全强烈破坏了主角的人物逻辑、故事的叙事一致性、全文的连贯性和沉浸感,当重读高光章节如第五卷第三十三章武林和第四十四章私信“赢得生前身后名”情节时,保全的记忆总是不合时宜地冒出来,对角色和沉浸式体验发出讥笑。
  但我当时曾与作者在线下有过一面之缘,亲耳听到榴弹谈起关于创作后期的种种现实压力。而去年一月底深夜榴弹关于刷票者与创作者的愤怒评论又确实给我留下了很深的印象,可以说,“榴弹怕水”对我个人早已不再能是一个虚拟01组成、面目模糊,可以被轻松还原抽象成“作者”二字的符号。于是,当意识到文末高潮情节基本结束,又出现了引发巨大争议的章节,《绍宋》次月可能不会再有机会进入月票榜前十,六月月票排名可能是全书最高,也是最后的机会时,我仓促将预备留给结尾的黄金提前到六月底,除了出于对作品于那个春天二三月间拯救精神状态的感谢,更是希望能尽浅薄之力,在争议时刻以上盟推广的模式表达对作品之前部分的喜爱赞美,助《绍宋》赢回应得的历史月榜第一和月票前十,对冲一下争议口碑,还上几分作品的情分。
  当然,这如蛇吞象的一石多鸟型设想究竟实现了几分,效果如何,大概同样不是我能评判的事情了。
  关于其他传播和作品模糊边界相关的体验,如误赞事件与fake news的影响,这里可以试举几例:例子之一,关于沉默扩散传播的女性正版订阅读者口碑。Z和H是我早年结识的晋江作者,也是线下相识的多年好友。而她们除了本身是各拥有自己数百人“铁粉”讨论群的作者外,同时也是沉默的读者。误赞事件后,我在两人的群中均发现相关负面讨论。而当分别私下询问时,她们都表示因见到误赞相关新闻而取消对《绍宋》的订阅。而她们自身既是读者,又因身为作者而在各自的社群中具有权威和信用,负面口碑便在社群讨论中逐渐扩散。更何况大多数情况下,趣缘社群中的读者并不会仅参加一个社群。以一斑而窥全豹,误赞事件的负面口碑或可说在女性向网络小说社群中与读者间沉默传播。(事后我将实情告知两人,并请托她们在各自的读者群里做相应澄清,努力降低fake news的影响——这样的努力对已经传开的fake news而言只是杯水车薪,但在力所能及的情况下澄清一点真相似乎还是比不做要好一点。)
  另一个例子,《绍宋》完结两个月后,我曾在lofter中收到陌生私信询问争议情节和争议事件,提问者希望了解传闻是否为真,《绍宋》是否值得订阅。后来我尽力尝试以客观视角向对方解释误赞与保全的来龙去脉,但对方在了解后依然表达了担忧,随后也没有进一步的回应。这或许只是个例,但当代网络小说篇幅较长,读者的阅读成本除了订阅成本之外也包含了时间成本,而有限时间下,各种媒介提供了足够多元的娱乐选择,这都会导致读者耐心降低——虽说直接向陌生人提问者应属少数——更有概率提前搜索作者和作品口碑以避免付出沉没成本。
  第三个例子,我的朋友Q在《绍宋》完结后继续活跃于其他非历史类热门网络小说社群,她观察到,由于保全一章,作者的读者粉圈化特征和作者运营官群体的负面口碑已经在这个不相干的千人群成为某种共识,群内发言者多以委婉或不委婉的方式表示会主动避开具有该类特征的作者和作品。
  上述例子或许均只是个例,也不一定具有代表性,但它们至少部分表明,作者口碑在争议事件和争议章节后传播中的嬗变发酵,误解与误读是确实存在的,或会影响到沉默或潜在的订阅读者。
  8.反思、道歉、感谢及祝愿
  答辩基本上到了尾声,上文中或许充斥着陈词滥调和不自觉的偏见冒犯,暴露无知,随时过度解读,而且全是私人体验。但唯一可以承诺的是,文字是坦率的,且出于真心。
  另外,如果按标准MLA格式列参考文献,这篇答辩可能就要再往后拖了,请允许我以照片和简单列表的形式代替一下。
  回顾看,《绍宋》与时代的脉搏同步,书写了令人赞叹的故事,绘出了特别出色的人物群像画卷,而全文底色价值观熠熠生辉。书中绝大多数情况下对史料的选用、应用与化用克制巧妙,但从性别视角看或仍有可商榷之处——这也为同人创作者的重构叙事留出了空间。
  但到后期,由于文化工业对章节商品流水线化的更新压力要求和艺术创作本身无法流水线化的矛盾,将作者异化为生产者,而作者选择勉力维持商业连载更新速度,作品的纰漏瑕疵开始增多。书后期叙事时间速度发生较大变化,相应细节未能得到足够铺垫,最终于第六卷保全处逻辑断裂,人物形象崩塌,打破了虚构故事的真实感,也打破了故事虚构的梦幻感。虽经紧急修改,该章节的存在仍为全文添了一抹憾色。
  此外,由于传播媒介的变化和作品边界的模糊,参与文化的兴起,读者作者关系随之改变。双方或成功或不太成功的互动也对作品的舆论口碑产生了一定影响。
  但瑕不掩瑜,《绍宋》依然成功同时打击了我的起点书架和现实书架。这两年曾多次尝试点开其他起点历史文,十分遗憾的是,再也没有见到能够比肩的文字,与《绍宋》相比,这些作品中的文笔、人物、故事、史料应用、史观、立意与人文底色,总会有一项或多项中会出现更刺眼的缺憾。《绍宋》成功提高了我的期待阈值,设立了一个其他作品很难达到的门槛。而现实中,几十本新增的宋史相关书籍也为书架布置增加了一定的困扰。
  在这两年的时光里,《绍宋》是锚,是门,是镜,我用心沉入了这个故事,得到的是一场淋漓尽致的纵情——有头痛欲裂的时候,但更多的是收获,是自我精进,是和解,是有意识的参与,是内省与共鸣。
  回到最开始的疑问,不得不承认,虽非有意,但先前我可能也客观上跨过了读者与粉丝的边界。意识到这一点后,我感到惭愧不安——这是我从未涉足,也从未打算涉足的领域,如果之前的言行因此有所冒犯——大概率是有的——为榴弹带来了困扰与伤害,那么在这里再次向榴弹诚恳道歉。
  作为业余同人爱好者,无论如何,感谢作者的开明与宽容。
  作为读者,谢谢官家,《绍宋》是一个值得的故事。
  一般而言,相比传统文学,网络文学会被认为商业性更强,或许终不必加之以“经国之大业,不朽之盛事”的期待。但我相信,榴弹并不仅仅想要生产出如快销色情作品一样用作剩余欲望消费的产品,而是对文字有更高的追求,笔下也依然蕴含着更多理想与寄托。那么祝官家“凡事必有初”,书写每个故事、每一章、每一段时都能感受到最初创作时发现写下一段精彩文字、讲述一个好故事的快乐,都能感受到从表达中获得愉悦,思想被更广袤的世界接收到并激起共鸣的快乐。也许我们不会在这一本书或者下一本书相遇,但作为读者,我相信我终将与作者相遇在日后的作品之中,而那将是我的荣幸。
  作为琉璃,谨祝榴弹生活平安幸福,创作顺利,新书长红,日后遇到更多的理想读者。
  参考文献
  (写到过半意识到应该附上参考文献,然而为时已晚,标准是不可能标准的,为每处引用去再翻一遍书重查页码也是不可能的……简单按记忆中的引用顺序列一下附一张图,然后假装做了这件事情……)
  01.《文学理论》[美]勒内·韦勒克 等
  02.《影响的剖析》[美]哈罗德·布鲁姆
  03.《网络文学的断代史与传统网文的经典化》邵燕君
  04.《从史实到虚构性:中国叙事诗学》[美]鲁晓鹏
  05.《网络文学的“网络性”与“经典性”》邵燕君
  06.《小说修辞学》[美]韦恩·布斯
  07.《叙事的本质》[美]罗伯特·斯科尔斯 等
  08. Sandvoss, Cornel. “The Death of the Reader?” Cornel Sandvoss in Fandom: Identities and Communities in a Mediated World, edited by Jonathan Gray et al
  09.《如何读,为什么读》[美]哈罗德·布鲁姆
  10.《文史通义》(清)章学诚
  11.《批评的诸种概念》[美]勒内·韦勒克
  12. 同4
  13.《中国古典小说》[美]夏志清
  14.《二十世纪西方文学理论》[英]特里·伊格尔顿
  15.《文化失忆》[澳]克莱夫·詹姆斯
  16.《小说机杼》[英]詹姆斯·伍德
  17.《历史和故事》[德]戈洛·曼
  18.《文本盗猎者——电视粉丝与参与式文化》[美]亨利·詹金斯
  19.《融合文化——新媒体和旧媒体的冲突地带》[美]亨利·詹金斯
  20. Fiske, John. “The Cultural Economy of Fandom” John Fiske in The Adoring Audience: Fan Culture and Popular Media, edited by Lisa A. Lewis
  21. 同18
  22.《中国叙事——批评与理论》[美]蒲安迪 主编
  23. https://www.masterclass.com/classes/margaret-atwood-teaches-creative-writing/chapters/the-writer-s-path
  24.《传播的偏向》[加]哈罗德·伊尼斯
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moonshine-utopia · 11 days
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《聊斋志异·王六郎》故事改编
暮霭沉沉。
淄川城郊的河上,一叶扁舟缓缓飘荡着。船上的书生站在船头,放眼眺望四周,远山呈黛青色,郁郁葱葱;江水一色,颇有“潮平两岸阔,风正一帆悬”的美感。
书生斟了一杯酒,少年意气,他的脸上写满了自得。这位书生姓王,排行第六,称“王六郎”。他十分聪慧,自幼饱读经书,常常希冀能够在科举中一战成名、光宗耀祖。但他生性嗜酒,常常喝到不省人事。江上漂泊的时光总是乏味且漫长的,书生杯中的酒未曾断绝,随着拂面的江风,他渐渐醉了,连日奔波,疲倦袭上身来,他和周公相会。
俄而惊雷划破天际,淅淅沥沥的雨点落下,原本拂面的微风此刻变成了张牙舞爪的狂风,十分怖人。“救命——救命——”急促的呼救声惊醒了六郎。他本欲走出船外一探究竟,但这船也在狂风暴雨中变得岌岌可危,号称熟悉水性的船夫此时也躲在船舱内祈求上苍,盼望暴风雨赶快过去。“我本一介书生,又不善水,万一救人不成反害己,得不偿失啊!”在斗争了许久之后,他选择充耳不闻。
水面上的呼救声逐渐微弱,最后已经无法寻觅踪迹,而天神似乎也感知到王六郎与船夫的祈祷,江面的动乱已然平息。船依旧慢悠悠地在江上飘荡,六郎走出船舱,正准备略微舒展身体之时,船底似乎被巨大的物体撞击,“咔——咔——”,六郎与船夫用尽全部气力才勉强保持平衡。刹那间,江上形成了一个巨大的漩涡,似乎有一双大手托举着船,急湍拍打的声音显得阴森可怕,本来暗暗庆幸自己逃过一劫的二人很快卷入漩涡,不见踪迹。
再次苏醒时,二人发现自己赤身裸体地躺在布满青苔的泥地上,旁边站着两个鼠头蛇身的妖怪。这妖怪嘴里嘟哝着,不知道在说些什么,它们用手上的长矛逼迫二人起身并向前走着。这泥地是蚀骨的凉,周遭不时传来哀嚎与啼哭,不同颜色的血液在地上流淌,空气里弥漫着腐臭与咸腥。二人此时意识到自己身处阴曹地府,而这妖怪便是要将他们带至阎王殿上接受审判的小兵。
阎王的宫殿呈灰黑色,楹联与对联居然是由人血书写成的,殿上挂满了由人肋骨做成的铃铛,阴风吹过,这些铃铛发出的响声让人十分不适,仿佛是死亡的召唤。阎王慵懒地坐在人皮包裹的椅子上,翻看着二人的审判状:
“王六郎,山东淄川人,年十七。船夫某,山东淄川人,年二十。二人在进京赴考途中因一己私利置他人性命于不顾,导致他人丧生,按阴间律令应当剥皮烹烤,给饿死鬼充饥,肋骨做成铃铛,永世不得超生。”
听完审判状的二人脸色惨白,身体不受控制地打颤,王六郎更是吓到跌坐在地上。一时间,殿上数十名小厮哄笑着要将二人当堂剥皮,他们身上的血腥味使王六郎吐了出来。他给阎王磕了无数响头,忏悔道:“殿下,我本一介书生,天生不善水,在听到呼救声时已然起了读书人应有的恻隐之心,但本身不熟悉水性的我担心会害人害己,故而没有及时救助。恳请阎王看在我本有恻隐之心的份上饶过小生吧!”
阎王思忖片刻,认为六郎所言有理:“《孟子》言:‘生,亦我所欲也,义,亦我所欲也。二者不可得兼,舍生而取义者也。’亏你饱读诗书,却没有读书人高尚的品格。也罢,诚然你有恻隐之心,但你的懦弱与胆怯也致使无辜之人丧命,本王罚你来世面容恐怖,科考永远不中,一生碌碌无为,你去人间赎罪。”言罢摇了摇头,“至于船夫,见死不救,情节恶劣,本王不能对你开恩,拖下去,行刑!”小厮们放下王六郎,撕扯着船夫的衣服与皮肤,船夫的呻吟与嚎叫在殿中回荡,皮肤被扯下的一刹那,温热的鲜血溅在王六郎的脸上,受到极大生理与心理冲击的他昏死过去,已然失去了知觉。
不知过了多久,再醒来时,六郎只感觉到刺眼的白光,他本欲开口说话,却只能发出咿呀之音,试图伸展手臂却发现自己的手臂只有婴儿般的长度,此时六郎才意识到自己已然转世。他打量着周遭的环境:残破的墙壁、剥落的墙皮,略显风霜的家具,硌人的床板,看来这是阎王的惩罚:这一世的他注定是清苦的。
远处传来了略微沉重的脚步声,看来是一名男子。他走近床铺,细细打量着刚降生的六郎,忽然他跌坐在地上,颤抖道:“这孩子脸大如盘,如墙缝般细的三白眼,塌陷的鼻梁,突出的人中,三瓣唇,浑身冰凉也不哭闹,这样可怖,看来是妖怪降生了!我必有大劫!”言罢,男人颤颤巍巍地立起身子,半跪着爬出了房门。六郎听罢男人的一席话,才得知阎王的审判成真了,而此时的他也不能开口为自己辩护什么,只能等待自己的宿命。
男人很快收拾好行李,他指责自己的妻子是不贞不忠之人,家中才会降生“天煞孤星”,这个妖怪注定会折煞他,他火速离开了家,留下了痛苦的妻子与无奈的六郎。六郎的母亲并不因为他面容丑陋而虐待他,反而悉心照顾他成长。她知道六郎生来丑陋,便将家中所有的铜镜藏起来,甚至不让他接近水源,生怕他看到自己在水中的倒影而感到自卑与难过。六郎一天天长大,他逐渐承担了家中顶梁柱的角色,也不得不在外“抛头露面”,每当他走上街头,总会有人对他指指点点,甚至女性看到他便绕道走,过分的人会对他吐痰。每当他感到委屈时,他的母亲总会宽慰他:“相貌不可改变,但是如果我们一心向善,上天总会被我们感动,你的未来也总会光明的。”十余年来,王六郎不曾知晓自己真正的容貌如何,但他一直非常感念自己的母亲对自己的呵护。
六郎的母亲是村中教书先生的女儿,一直以来在父亲的熏陶下识字学习,看到六郎因相貌而感到痛苦,她便希望借读书转移六郎的注意力,出人头地后自然不会再有人敢于嘲笑他的面容。这一世的六郎并没有遗忘上一世所学,十余岁的年纪已然是当地比较有名的“小文曲星”,母亲也对他充满了希望。但是王六郎一直不敢忘记阎王对他的惩罚,果不其然,他屡战屡败,屡败屡战,最后连个秀才都没考中,世人纷纷讥笑他“小文曲星”的称号,他自己也感到羞愧难当。
又是一年科考,王母按惯例希望六郎前去应试,疲于准备且感到前途无望的六郎向母亲表达了自己不愿意再参加考试的愿望,母亲自然是不同意的,她认为六郎只是一时的怯懦,语气严厉地斥责他。王六郎便将自己上一世被阎王审判的经历告诉了母亲,母亲更是愤怒,认为他在为自己的胆怯找借口,拿着扫把将他赶出家门,要他好好反省。
郁郁寡欢的王六郎来到街上的酒铺,买了一壶酒后朝江边走去。夕阳西沉,江上来来往往的渔船与江畔浣衣女的歌声相映成趣,微风拂来,这份安然似乎使人沉醉其中。有些醉了的王六郎来到江边,回想起自己的平庸,他不禁吟诵“天生我材必有用”,但内心却是十分哀愁。他低下头,本欲捧起一泓江水靧面,却在江水的倒影中看到了一个无比丑陋且恐怖的面孔,他吓得跌入水中,此时酒精的麻痹已然使他失去了对身体的控制,他只能一点点没入江水之中。
虽然身体失去控制,奇特的是,他的思绪还相对清醒。在江底的黑暗中,粗重的呼吸声慢慢靠近他,一个嘶哑声音说道:“本来让你重新投生为人,是感念你尚有人的恻隐之心,但现如今你不过经历小小挫折,便留老母独身一人,无人赡养,这是天大的不孝!看来你已然失去了做人的资格,本王罚你在这江中做溺鬼,以此赎罪!”话音未落,六郎发现身体变得轻盈起来,原本不熟悉水性的他在这一刻能在水中自由行动着,当他来到有光的地方,惊喜地发现自己的容貌已经恢复到第一世的模样。虽然作为溺鬼,他需要等候另外一个溺死之人来接替他,才能够再度投生,但自认经历了太多罪孽的他自发保障渔船的安全以及救助想要投水自尽的人,这份差事虽苦,但六郎却甘之如饴,或许是第二世的碌碌无为使他惊慌,在江中赎罪能让他感到略微的存在于心安。
某日,一位姓许的渔民来到江边,他一边饮酒,一边捕鱼,饮酒时,他还将一些酒祭撒在地上,供溺鬼饮用。王六郎对他的举动感到惊异,于是在暗中帮他赶鱼,这位渔民最后总是满框满篓地回家,这样的日子持续了很久。有天晚上,当渔民自斟自饮时,六郎从水中现身,在他身边徘徊,渔民邀请他一同饮酒,他也不推辞,二人相谈甚欢,但是那晚渔民一条鱼也没打到。六郎便下水替他赶鱼,只见水中的鱼儿“咕叽咕叽”地向渔网中聚集,不一会儿渔网便像往日一样满。许某向六郎致谢,并想将鱼送几条给他,但是六郎拒绝了:“平日里喝了许多你的酒,这只权当报答。”许某这时才明白六郎便是自己一直祭拜的溺鬼。六郎相貌清秀,性情温和,许某并不害怕。二人自此之后常常一同饮酒,许某的家境也越发富裕起来,他对六郎一直心怀感激。
大约半年后,一日,六郎突然对略带凄楚地���许某说:“一直以来和您相处得十分愉快,但是我很快就要离开了。”许某大吃一惊,连忙询问缘由。六郎道:“其实我原本是这江中的的溺鬼,因为抛弃老母,被阎王罚到江中赎罪。明天我的罪期便满了,会有人来代替我的,我要再次在阳间投生。”许某听后,伤感二人即将分别,长长叹息:“您又为何难过呢,罪期已满,脱身苦海,本是一件值得庆贺的事情,请您不要再悲痛了!”言罢,二人又痛饮起来。许某问:“来代替您的是什么人呢?”六郎回答道:“是一位妇人,明天中午来到江边,您不用来同我告别。”
翌日中午,许某来到江边,希望送六郎一程。只见一位妇人满脸泪痕地站在江边,许某知道这便是要代替六郎的溺鬼。那妇人一步步缓慢地向江中走去,似乎对世间已然不再有留恋,她越陷越深,许某不忍心看她溺水的过程,将脸别过去。这时,水浪将她重新冲回岸上,那女子呛了几口水,缓缓睁开了眼睛。六郎此时从水中现身道:“这女子已然有孕,我不忍心看到两条人命来换我一人。况且,第一世的我已然犯了您今天所犯的‘见死不救’之罪,没有做到读书人应有的‘舍生取义’,已经让我追悔莫及,我无法做到白白看他人溺死。许兄,或许你我二人的缘分还没有尽呢!”许某在内心十分感慨,先是对自己的见死不救感到羞愧,又庆幸六郎及时出现使得自己免于收到阴间审判,最后又为朋友的“失而复得”而感到欢喜。二人依旧像从前饮酒作乐。
数月之后,六郎又来告别,原来这次是因为天帝被他的善心所打动,决定宽恕他的罪孽,并派他去招远县邬镇当土地神,过几天便要上任。许某同样非常高兴,但是想到这次可能是真正的诀别,内心又有些不舍。六郎告别道:“你我二人相识已久,您的恩情我一直铭记在心,请您不要担心,只管前去就好。”说完便化作一阵风不见了。
许某不顾妻子的劝阻,来到了邬镇。酒店老板见到他,便问道:“您是否从淄川来,姓许?”许某疑惑不解,但还是点了点头。这时,酒店中所有的人将许某围住,说道:“前几天土地神托梦给我们,要我们善待从淄川来的许先生,想必就是您。”店家呈上最好的酒菜,众人相谈甚欢。许某来带土地庙祭拜六郎,为他奉上酒水,并焚烧纸钱。当晚许某梦到了六郎,六郎看起来容光焕发,他说自己已经拜托邬镇的百姓好好照顾许某,为他准备了些许薄礼,希望他不要推辞。在他回淄川时自己便会相送。果然,在接下来的日子里,许某受到了邬镇百姓的款待,最后当他坚持会淄川时,大家纷纷前来送上礼物。
刚一出村,便有一阵风平地而起,随着许某走了十多里路。许某知道这就是六郎,拜谢道:“看到邬镇人民生活幸福,您一定是一位庇佑百姓的仁爱之神,作为朋友的我无需再叮嘱什么。”最后这阵风慢慢消失了,送别许某的村民也惊异地回去了。此后多年,许某一家的生活十分富裕,他乐善好施,喜欢帮助贫困好学的子弟,一直拥有极好的名声,许某去世后,他资助过的子弟纷纷为他吊唁。
六郎在邬镇当了几百年的土地神,邬镇的百姓安居乐业,生活充实,大家对土地神十分尊崇。但随着时间推移与社会发展,土地神这一职务因为邬镇的兴旺发展变得越发安逸起来,六郎发觉自己的生活越来越单调乏味,而他心中对江中溺亡之人以及对家中老母的愧疚之情与日俱增。他有时会在夜半惊醒,为前世的罪行感到痛苦,此时的他突然意识到,即使自己罪期已满,但这些罪行必须要自己亲身去偿还才能达到真正的心安。于是,六郎向天帝上书,希望天帝念在自己守护邬镇有方的份上,让自己能够重新投生于母亲家中,以回报母亲前世的养育之恩。天帝虽有不舍,但感动于六郎的孝心,最终让他再次投生在母亲的家中。
时光荏苒,又是十七岁少年的王六郎踏上了自己的科考之路,再次泛舟湖上,他的脑海中突然闪现自己前世在江上或遇险、或溺亡、或救助他人、或相遇挚友的经历。“看来我与这江水缘分极深啊”,六郎略带自嘲地笑道。天神似乎眷顾着这一世的六郎,他顺利中了进士,被朝廷安排到湖广担任武昌府知府。在任期间,王六郎延续自己在邬镇当土地神时体恤百姓、勤恳工作的习惯,百姓十分爱戴他。六郎是带着母亲一起从淄川奔赴武昌上任的,他对母亲态度恭敬,从来不曾忤逆,众人都十分艳羡王母有如此孝顺的儿子。
过了几年,王母出面为六郎求亲,听说也是出身名门的大家闺秀。新人拜完天地回房后,当六郎掀起新妇的红盖头时,意外发现新嫁娘正是自己前世曾救过的那位女子。新娘看出六郎的意外,握住六郎的手,浅浅一笑:“郎君前世曾救过小女,小女怎能忘却您的恩情?唯有今生以身相许,希望您不要嫌弃我。”六郎见新嫁娘笑靥如花,眉眼间尽是温柔,心中也十分欢喜。婚后,二人琴瑟和鸣,新妇悉心照料家中一切事务,侍奉婆婆尽心尽力,二人生下三子二女,儿子都在仕途中取得一定的成就,女儿也都是远近闻名的贤媳,家庭和睦美满。
即使生活简朴,六郎也十分热心于捐助寒门学子。他听闻江夏有一寒门子弟,三岁成诗,七岁成文,但囿于家境贫寒,十多岁却无法进入学堂读书。六郎为这名子弟感到惋惜,便派侍从将他接入府中,想要有所交流。当子弟到来时,六郎只觉有些眼熟,再听到他熟悉的淄川口音,便问道他祖上是否是山东淄川,子弟感到惊讶,便说道祖父辈时,因淄川饥荒而逃到湖广,定居江夏。六郎这才意识到,这子弟便是许某的后人,他拉住子弟的手,眼眶不觉有些湿润,感念前世与许某相处的种种,他便将这子弟收为自己的门生,悉心栽培,本就天资聪颖的少年在后来竟连中三元,成为千古传奇。
王六郎的母亲活到百岁后才离世,此时六郎已然七十有余,官至湖广总督。他向朝廷上书,希望能够将母亲的灵柩扶回淄川,同时希望致仕,安享晚年。皇帝虽有不舍之心,但还是应允了他的请求。
将母亲安葬、服丧期满后,六郎常常捧着一壶酒,在江边漫步。前世的种种,随着年老记忆力的衰退,已然变得模糊,在这一世,终其一生,他完成了自己的心愿,真正成为了仁义之士。江上依旧忙碌,白色的船帆来来往往,远处的渔民“嘿呦嘿呦”地收着渔网,浣衣女拍打衣物时清脆的声响,一切似乎都改变了,一切又都似乎没有变过。
他渐渐有些站不稳了,扶着江边的树,他缓缓坐在了地上。人总是渴望自己在来世能够弥补自己的过失,这一世的他小心翼翼地为过去赎罪,但倘若一开始便一心向善,恪守道义,又怎会有后来的是非曲折呢?他斟了一杯酒,苦涩地笑了。一阵疲惫感袭来,他知道自己大限已至,靠着树干,他最后看了一眼暮色下微微闪着金光的江面,闭上了双眼,眼角淌下一滴清泪。
没有人看到过王六郎的尸身,有人说他最后又成为了神仙,有人说他又一次轮回,又有人说他永远住在了江水之中。
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ggbaoba2345 · 14 days
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《旧血脉之秦桧后人》
第三章 惠波笑着从怀里掏出来一锭金子,偷偷塞到太监手里道:“以后还请多多在圣上面前美言几句。” 太监看着手里的金子,脸上的笑容就像那秋日里的菊花:“好说好说,咱家这就不打扰秦公子了,还要回去复命了。” 从昨天接到系统的任务开始,惠波就一直愁着让谁去当卧底,只是没想到历史居然还在正确的轨道上行进,宋徽宗那老小子居然封他当密州教授,那岂不是下一步就是太学学正,太学啊那可是相当于现在的清华大学啊,去清华大学当老师还找不到人才吗? 只是现在惠波还得先去密州挖掘属于他的死党,毕竟现在暂时是密州教育厅的厅长。 当天晚上惠波就马不停蹄地连夜开始修订属于他的计划书,《有关于秦桧历史上的党派人士调查》《关于与金国建立交流协作的制定方案》《在密州开始建立属于自己的组织架构》,对了还得想办法把岳飞那小子挖出来,政和五年这会儿岳飞这小子还在种地,差不多才十二岁。 早挖早培养,这样的人即使不能留也要做好心术,他可是用来制衡完颜家族的一步狠棋。 当天晚上惠波就抱着他写出来的一堆方案沉沉的睡了过去,过几天就要去密州报到教书,他一个来自二十一世纪的看过大世界的分子可不能耽误了时辰,要当这个世界的领导者统治者,卷死宋朝和金国,为以后的蒙古铁骑做好抗击准备。 到达密州的前一天,惠波磨磨唧唧地收拾好细软然后出门。 一路上惠波都在想北宋政和五年,密州到底发生过什么大事,可就靠他脑子里那点可怜的历史知识,想破头他也没能想出政和五年到底发生了什么大事,问他一美元炸鸡去哪儿买他倒是知道。 算了算了不想了,想到了又能怎么样,他现在就是个九品芝麻小官,只有明哲保身才是最重要的,惠波在马车上沉沉睡去。 到达密州之后惠波被眼前的一幕所震撼,这是古代吗,放眼望去双层小木楼林立,街道两旁全是叫卖声,人来人往,一片繁华的景象,跟清明上河图不相上下啊。 他突然又觉得自己能行了,这一片大好盛世,他难道还不能作为秦桧治理好,现在怎么说也是大官前途身居高位,当了很多年宰相的狗贼,现在自己马上就要当宰相了。 晚上吃的公家饭,一碗薄粥,一碟子咸菜,算了算了既来之则安之,草草吃了几口惠波就去街上溜达了,一路像做贼一样左看看右瞅瞅,毕竟了解周围的生活环境是每个穿越者必备技能,虽然惠波是所有穿越者里面可能混的最惨的。 忽然惠波耳朵一动,听到了马路边情报部门大妈的话:“哎你听说了吗,我告诉你啊,你可别跟别人说,听说咱们这附近发生了一起情杀案件,性质非常非常恶劣,行凶者还是个当差的,啧啧啧。”
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