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#滝口ひかり
atom-age · 1 month
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滝口ひかり ゑんら
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waifu5000 · 1 year
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Hikari Takiguchi 滝口ひかり
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reo1122 · 7 months
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zircon674 · 2 years
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beolab5 · 2 years
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Baseball Cage - Takiguchi Hikari (滝口ひかり)
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patsatshit · 6 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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atom-age · 11 months
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滝口ひかり ゑんら
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hachikenyakaiwai · 9 months
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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waifu5000 · 1 year
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Hikari Takiguchi 滝口ひかり
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reo1122 · 7 months
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longgoodbye1992 · 6 months
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田園の中の喫茶店にて
最近単発のバイトに中々入れず、退屈な日々を過ごしている。
前のようにパチスロに行く気もなくなり、秋が深まる山やら滝やらに行っては数枚の写真を撮って帰る。
普段カフェインを控えているが、温かい珈琲が美味しい季節になったから、前から気になっていたカフェを周り始めた。
今日来たところは木曜から土曜までしか営業していない、海の側から少し山に入った田園地帯の真ん中にある喫茶店だ。
古民家のような外見から中に入ると立派な梁がある。ピアノやギター、コントラバスまであって、音楽イベントをやっていると聞いた。
オリジナルの珈琲を頼む。
客は自分ひとりで、お店の人も一人だった。
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窓際のいい席に座れた。文庫本を開いてたまに外を見るというのを繰り返す。
すると車が店の前に止まり、女性が一人店の中に入ってきた。
予約していた人なのだろうか、店主は女性の顔を見ると豆を挽き始めた。
香ばしい香りが店内に広がる。
読んでいた桜木紫乃の短編小説にいいアクセントをくれる。
七、八分くらいしてそれが出来上がったようで、女性は袋を持って会釈しながら店を出た。
それから五分ほどして、店主が申し訳無さそうに、珈琲カップを持ってきた。
「大変お待たせしました」
「いえいえ」
「エチオピアです」
「ありがとうございます」
もしこれが町中にあるチェーン店のコーヒーショップならクレームを入れる人もいるだろう。
でもここは時がゆっくり進む田んぼの真ん中の喫茶店。早さなんか求めてはいない。
大人の例えをするならば、メイクをしている相手を待っている時間と同じで、完全に相手が美しい状態で出てくるのはどれだけ待ってもいい。
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珈琲を一口飲む。取っ手が無いタイプだから少し指が熱かったがそれもいい。
あっさりした飲み口だがコクがある。苦味は程々で酸味はあとに少し残るくらい。バランスの良い味で、毎日飲むのにはうってつけの味だった。
小説を読み終えて文章を書く。
聞こえるのは少し前にオーダーした珈琲牛乳を作る音と外にいるカラスの声。
そういえば、と思い出したのは自分の誕生日と一ヶ月違いで大学の同期だった香菜の事。今日がその誕生日だったのをスマートフォンの日付を見て思い出した。二年前くらいに突然泣きながら電話があって以来、たまにやり取りをする。
香菜とは色々あった。大学に入って最初に仲良くなった女の子が香菜で、初めて女の子の部屋に泊まったのも彼女の部屋だ。不思議なものでそんな関係だったにも関わらず、ある時期から互いを嫌うようになって口も聞かなければ目も合わせなくなった。
だから泣きながら電話してきたのは何故なのかわからなかったが、それをすんなり受け止めて泣き止むまで話を聞き続けた自分もどうしてなのかわからない。
とりあえず誕生日メッセージを送っておいた。
珈琲牛乳がテーブルに置かれる。
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昔、母親が作ってくれたような優しい甘さ。
ミルクの膜があってそれをスプーンですくって食べるのが好きだ。
村上春樹の短編を読む。三分で読み終わるくらいあっさりしたものだが、村上春樹の色が確かにそこにあって、純粋にさすがだなと思った。
まだ外でカラスが鳴いている。洗い物をする店主の息遣いと厨房の奥で流れるピアノの音楽が微かに背中越しに聞こえる。
香菜から返信が届く。
お礼と今度公開される映画の監督を務めた事を報告してきた。
おめでとう。さすがだね。と返した。香菜はずっと優秀だった。いや、人に評価されるのが得意だった。作った作品を面白いと思ったことはないが、教員や審査員たちに認められる物を多く作っていた。 
反対に俺は落ちこぼれのような物で、自分主演のハードボイルド作品を作ったり、クドカンもどきの恋愛コメディを書いたりしては、不評を買っていた。
そんな二人が今こうして連絡を取り合ってるのを同期が聞いたら驚くだろう。
そんな事を考えていたら珈琲牛乳が温くなってしまった。
閉店時間も近い。
家に帰りたくない。
ずっとこんな風にどこかの店の片隅で本を読んだり下手な文章を書いたり誰かと話をしていたい。
窓の外の田んぼからは、稲のひこばえが大きく育っている。もう秋も深いというのに元気だ。
店にあるアコースティックギターを弾きたいなと思ったが、恥ずかしいので店主に言えないまま店を去る。
夕飯なのか夜の部の仕込みなのかコンソメスープの香りがした。
家の今夜の晩御飯はヒレカツだ。
今日もまた酒を飲んで睡眠薬を一錠多めに飲んで寝るのだろう。最近上手く眠れない。
明日は面接。
帰りにまた寄ろうかな。
この田園の中の喫茶店に。
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kennak · 2 months
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新型コロナウイルス感染症については、令和5年5月8日に感染症法上の位置付けが5類に移行したことを踏まえ、段階的に幅広い医療機関で受診できる体制の整備を図ってきました。 都民の方が利用される事業で、令和6年3月末をもって終了する事業について、お知らせします。 (1)東京都新型コロナ相談センター及び外来対応医療機関の指定・公表 3月31日(日曜日)23時59分で終了します。 なお、医療機関の案内や救急の相談等については、他の疾病と同様に、医療機関案内サービス「ひまわり」、東京消防庁救急相談センター(#7119)、子供の健康相談室(#8000)等が対応します。 医療機関案内サービス「ひまわり」 東京消防庁救急相談センター(#7119) 東京版救急受診ガイド(WEB検索サイト) 子供の健康相談室(#8000) (2)都立病院のコロナ後遺症相談窓口 病院名 受付終了日時 墨東病院 多摩総合医療センター 多摩北部医療センター 多摩南部地域病院 3月29日(金曜日)11時00分まで受付 駒込病院 3月29日(金曜日)11時30分まで受付 大久保病院 大塚病院 東部地域病院 3月29日(金曜日)16時00分まで受付 ※コロナ後遺症に対応する医療機関は、引き続きホームページで公表します。 (3)高齢者等医療支援型施設 施設名 終了日時 渋谷 3月15日(金曜日)17時00分終了 赤羽、世田谷玉川、青山、足立東和、八王子めじろ台、府中、滝野川 3月31日(日曜日)17時00分終了 ※3月18日(月曜日)12時00分まで新規の方を受付 (4)ワクチン大規模接種会場 会場名 受付終了日時 都庁北展望室 3月31日(日曜日) 乳幼児(生後6か月~5歳) 15時00分まで受付 小児(5~11歳) 17時30分まで受付 12歳以上の方 18時00分まで受付 ※12歳以上の方の予約なし接種は17時00分まで受付 三楽病院 3月22日(金曜日) 12歳以上の自力移動が困難な方 18時00分まで受付 3月26日(火曜日) 乳幼児(生後6か月~4歳) 14時30分まで受付 3月29日(金曜日) 小児(5~11歳) 16時30分まで受付 ※対象年齢により運用している曜日や時間が異なりますので、事前予約時にご確認ください。 ※会場運営の終了に伴い、東京都ワクチン接種会場コールセンター及び予約システムの運用も終了します。 ※東京都新型コロナウイルスワクチン副反応相談センターは、受付時間を変更し、4月以降も継続します。 電話 03-6258-5802(4月から9時00分~17時00分、毎日) ホームページ 問い合わせ先 (東京都新型コロナ相談センターについて) 保健医療局感染症対策部医療体制整備第二課 電話 03-5320-4526 (外来対応医療機関の指定・公表について) 保健医療局感染症対策部医療体制整備第二課 電話 03-5320-4179 (都立病院のコロナ後遺症相談窓口) 保健医療局都立病院支援部法人調整課 電話 03-5320-5870 (高齢者等医療支援型施設について) 保健医療局感染症対策部医療体制整備第一課 電話 03-5320-5906 電話 03-5320-7034 (ワクチン大規模接種会場について) 保健医療局感染症対策部医療体制整備第二課 電話 03-5320-4533
新型コロナの特別体制を終了通常の体制に移行|東京都
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poetohno · 3 months
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鐘の音 7
 「時の音」
(未来がないと絶望する人は 同じようにして花を見つける)
声は誰にも聞こえることなく 木霊して 消えていく 涙が誰にも見えることなく 零れて 流れていく
時を超えて 誰の手に触れ 時を経て 誰かの心に聞こえる
光と闇の混沌の中で 生と死の鬩ぎ合う中で
目覚めた時には 既に世界は形を成していた 命が鼓動した時には 肉体は既にあった
足音が鳴り響き 車の音が滑走し クラクションが錯綜し 時計の音が交わる
海の波の音は 運命の針のよう 押し寄せて音の洪水に世界は溢れている 濁流に流されて底に沈んでいくしかない
命をも飲み込む 理由すらも分からないままに 世界に放り込まれた
生きよと心臓は告げている しかし世界は慈悲に溢れたものではない
進むべき道が欲しい しかし道は見えない 利用することしか考えない者達が 道を閉ざす
与えておいて奪うのか… 一体どこに行けばいい 道を閉ざしておいて進むように急き立てて何を望むというのか
失望と嘆きが聞こえるか 見えないのか この道は既に断崖…
利用されるだけの玩具と同じ いっそ消えてしまえたらどれほどいいだろう 勇気もないから膝を抱えて蹲っている
誰も理解しようともしない 無気力に消化するだけの 命でしかない
無意味とあざ笑い 無価値と蔑む者たちは この世界に足を踏み入れてみるといい
この場所から世界を見下ろせば
足は竦むはず
世界は煌めくのではなく
闇そのものと混沌と恐怖が心に降り注ぐ戦慄
恐怖と動悸 支配と不安が心を蝕む 渦に飲み込まれ 走り―もがき
何かを掴もうとする 闇から逃げ―それでも生きようとしている 圧倒的な流れは服を手繰り寄せ 手をも絡み取る
それでも光を求めて 手を伸ばす 光もまた消えてしまう時 なすがままに闇に沈むしかなくなる
森のよう どこを行こうと出口は見えず 焦り―駆け出そうとも―根に足を捕まれる ますます彷徨い落ちていく
堕ちていく 階段から 転げ落ちるように 闇の中に 諦めないことが 苦しいのなら ��ってしまえばいい 絶望すら 歓喜するほどに
未来が閉ざされて見えなくなるなら
一生を過去に閉ざされて生きればいい
ここは堕ちる滝
手を伸ばそうとも登ることは叶わない
圧倒的な流れに抵抗したとしても無様に大地に叩き落とされる
天から涙が空へと舞い上がる姿はあまりに虚しい
この場所は運命に抉られて闇へと沈んでいく
深く―深く―暗い―闇へと―…
何故こんなにも苦しいというのに 願いすら叶えられないというのに 祈らずにはいられないのか 誰も理解する者など いないというのに
無力 無気力 失望 絶望 嘆きが見えない雨のように 重力となって 心に降り注ぐ
重さは 鉄さえ 容易く へし折り ねじ曲げる 心は 拉げ 苦しみの咆哮が 聞こえない涙となって溢れる 鼓動 生命 宇宙の暗黒の闇のように 肉体にのし掛かる 生きるだけが あまりに重い 耐えられそうにない 呼吸さえも苦しい
雷のような鋭さで心を切り裂き粉々に破壊する
決壊した海のように憎しみと怒りを混沌に解き放つ
自我という言葉は洪水の前に無力に倒れる建物でしかない
全てが 黒く 塗り潰され 消えていく 灼熱の 溶岩に 焼かれ 塵となる 心が内側から ひび割れ 崩れ 壊れていく 叫び 涙流す 痛みが奔る 理由もなく 日常が 足下から 崩れ 堕ちていく 取り残され 世界は周り 置き去り 忘れられる 知らない 恐怖が 迫り上がる 崩れ 消えていく 死の 恐怖 心が 散り 混沌となり 鬩ぎ合う 誰かが囁く 意志も消える 想いが彷徨う
刃のような風が願いを無視して吹き荒れる どこへ行くのか分からない
何かの存在に乗っ取られるかのように 生きる意味が分からない
風が切り裂き粉々に風化させ塵にしたから 行き先が定まった瞬間に向きを変えてしまう
移ろい続ける矢印の向きに翻弄されている 自分に見失う
信じられなくなっていく 何もかもを―世界そのものを
どうすればいい
誰も理解されないからこそ 世界で生きる場所がない 心など見えないものが支配している
解きほぐす術すら与えられない 誰かいないのか 見つめられない心に触れられる誰かは 心が救われることを祈るしかない
刃の風となって祈りさえも切り刻む そんなものを願っても意味はない… 利用されるだけ… 声は誰にも聞こえない
操り人形
傀儡の人生を生きているかのよう
心を取り戻すことはできるのだろうか
大地に力尽きて倒れてもなお…指先に触れた光を祈り続けている
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tu1book-blog · 4 months
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2023年12月19日(火)
17日は夫の誕生日だったのだけど、実のところ、私はまだ許していない。しかし今日ばかりはと思い、豚の角煮を作ったり予約していたケーキを買いにいったりして、祝った。『今日もふたり、スキップで』を読了する。良い本なのに読むべき時をすっかりと間違えた。いいな、いいな、とおもって、夫への不快さが増していく。と同時に作者のカラッとした性格がねちねちと怒っている私にぐさぐさと突き刺さる。優しさの飴玉をポケットに。そりゃわかってはいるんだけどね。
さて、今日は娘の初予防接種。両手足4本と経口1本の5本のワクチンを打った。娘は初めて見る泣き方をしていて、病院から帰宅すると泥のように眠った。注射を思い出すのか、時折、はたと目を覚ましては大泣きする。夜には声が枯れていた。今はぐっすりと眠ってくれているので、明日の夫の弁当を作り(習慣とは恐ろしい)、読みかけだった『夫婦間における愛の適温』をひらけて根落ちるまでは読もうとおもう。これまた読むタイミングを間違えている可能性もあるけれど、しかし今だからこそ、という気持ちもある。
乾燥して肘が痒い。もうそんな季節か。あ、そういえば、大滝瓶太まじでかっけぇよと興奮したのだった。おやすみ。
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