Tumgik
#田貫湖
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2K notes · View notes
pix4japan · 2 months
Text
Tumblr media
From Fodder to Roofing: Pampas Grass and Thatched Roofs in Modern-Day Japan
Location: Lake Tanuki, Shizuoka, Japan Timestamp: 08:02・2024/02/28
Pentax K-1 II + DFA 28-105mm F3.5-5.6 + CP 48 mm ISO 100 for 1/100 sec. at ƒ/11
For over five centuries, pampas grass was ingrained in the daily lives of the Japanese people. It served not only as fodder for cattle and horses but also as a key component for thatched roofs.
Following World War II, the surge in economic growth had a profound impact on the landscape of traditional houses, which underwent a transformation into Western-inspired designs along with a shift in roofing materials. Additionally, the utilization of natural roofing materials became restricted, primarily confined to heritage sites as dictated by revised building codes.
While thatched roofs are commonly associated with farmhouses and mountain dwellings today, certain structures like buildings and gates at shrines and temples continue to embrace this traditional roofing material.
From its historical significance in thatched roofs to the contemporary challenges faced by skilled thatchers, discover the journey of pampas grass, contributing to nationwide repairs on cultural landmarks, including national treasures and significant cultural properties at the full write-up, which includes Google Maps links and references for further reading (https://www.pix4japan.com/blog/20240228-pampas).
22 notes · View notes
hi-technique · 2 years
Text
Tumblr media
102 notes · View notes
thingsdavidlikes · 6 months
Photo
Tumblr media
田貫湖紅富士|Fujisan by 里卡豆
1 note · View note
soulpatrol345-blog · 1 year
Photo
Tumblr media
_/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/ 2022/12/09 1. 14:41~16:01 2. 16:01~16:57 3. 16:57 4. 16:59~17:02 5. 17:04 6. 17:04 7. 17:04 カラス 8. 17:05 カラス #富士山 #mtfuji #白い雲 #青い空 #雲 #空 #雪 #富士市 #立体駐車場 #雪化粧 #タイムラプス #田貫湖キャンプ場 #田貫湖 #田貫湖祭り (田貫湖キャンプ場 南側テントサイト) https://www.instagram.com/p/CmAUe8KS0xj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
sharp7datwikk · 2 years
Photo
Tumblr media
今一度のSEPIAシリーズを。 あれから約6ヶ月が経ちました♪ ダイヤモンド富士を狙って訪れた『田貫湖』にて。 #富士宮 #田貫湖 #富士山 #mtfuji #あれから #exilim #zr50 #sepia #mymemories (田貫湖) https://www.instagram.com/p/CjW-gBnvGUJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
papatomom · 6 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
2023.11.04(sat)
若狭路をぶらりドライブ。
「海のある奈良」「小京都」と呼ばれている小浜市。紅葉にはまだ少し早かったけれども、初めて訪れる寺院は見ごたえがあってよかった。
昼食は「うなぎ料理 徳右ェ門」さん。
他でもちょこちょこ食べたいものがあるかもっていうことで、ほどほどの量の「うな丼」を食す。肝吸いもついてます。三方五湖で獲れる鰻は、薄皮で身はふっくら絶品です。
家のお土産は、敦賀の「天清酒万寿店(てんせさかまんじゅうてん)」さんで酒饅頭、自分用に「小浜酒造」さんの「純米吟醸わかさ」を購入。
〇高野山真言宗 石照山 多田寺(御本尊:薬師如来)
この御本尊は眼病に効き目があるらしい。
〇比叡山天台宗 霊応山 神宮寺(御本尊:薬師如来)
3月2日に神宮寺の境内にある「閼伽井戸(あかいど)」で汲まれた水を、1.8km先にある「鵜の瀬」から流し(お水送り)、3月12日に奈良東大寺二月堂で「お水取り」が行われる。1300年以上続いている。
神仏習合のお寺でもある。
〇高野山真言宗 延宝山 萬徳寺(本尊 阿弥陀如来坐像)
高齢の名誉住職 田中寛孝(かんこう)さんが説明をして下さいました。
埋石式枯山水庭園が有名。庭園横の座敷の欄間には、小浜藩藩主 酒井忠貫(ただつら)公の水墨画が残されている。また高野山関連で有名な吉祥宝来の切り絵が3点ほど掲げられていた。写真は今年の干支の「兎」
67 notes · View notes
nejiresoukakusuigun · 6 months
Text
『故障かなと思ったら』読書会レジュメ
この記事について
この記事は、文芸同人・ねじれ双角錐群が2022年 文学フリマ東京35にて発表したSF短編アンソロジー『故障かなと思ったら』について、文学フリマでの発表前に同人メンバーで実施した読書会のレジュメを公開するものです。 このレジュメには、各作品を楽しむためのヒントがちりばめられているかもしれません。適宜ご活用ください。
石井僚一「森/The Forest」
一言
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」からのずらし具合が絶妙すぎて良い
よく見るとけっこう別の話になってるのに、ちょっとした場面とかぜんぶベースになってるのがわかるのすごいですよね……
もちろん湖/森の、なんだろう、ちょっと魔法っぽい場(「はる!まほうだよ……」のダメ押しよ!!)みたいなのはちゃんと共通してるし
婉曲的な話運びに圧倒されました。持ち合わせた感性に絶対の自信を持って話の輪郭を描ききる力に畏怖さえ覚えます。
単純に文章がとにかくきれい。もちろんそれは「みずうみ」(の宇野訳)を範にとったものではあるんだけど、それ以上にこの設定・内容にアダプトさせてるのがすごい(宇野訳もけっこうや��らかかったけど、もちょっと柔らかくなっている印象がある)
森を歩く歩きごこちのところとかが特に好き
レイ・ブラッドベリ「みずうみ」読みました。もとの文章がもうきれいなんだけど、それをほとんど違和感なく改変(という言葉が適切でなかったらすみません、単純な改変ではないんだけど)していて、このやわらかい文体で最後まで走り切れるパワーがすごいと思いました。
巻頭の森と巻末の閲覧者のおかげで、アンソロジー全体がstaticな感じがする。取扱説明書としてのすわりがよくなる印象
細部
P13の「ぼくはまだ、」から始まるパラグラフがすごく好きです。ずっと何度も読み返していたい美しい詩のようで、こんな文体に憧れました。
ここすごく美しいですね。
どれくらい推敲に時間を割かれているのでしょうか。言葉選びにどれだけの時間を要すのでしょうか。気になります。それくらい一文一文に隙がなく強度があります。
ざっくり構成をみていく
p10「朝のしめった空気が」~「ひとりでゆっくり回ってみたくなった」」
(ここ消えてる?)
p12「「いいよ。だけど」〜「遠くはなれた向こうで〜」
森のなか、はるとふみなさん。ふみなさんがいなくなる
「みずうみ」では、母と湖でちゃぷちゃぷしてるところ。タリーの役割と母の役割がどちらもふみなさんにかかっている……わけでもないか……でもまあそんな感じになっている
母の役割をいったんおいといたとして、タリーとふみなさんが対応している、のはそうなんだけど、タリーは事故によって命を落としているのに対して本作でははるがふみなさんをここで捨ててきている(p11「彼女をおいてここを去ることになっている」)のは明らかに位置づけが違う
で、捨てるっていうのが、恋人を振るっていう意味じゃなくて、どうやらロボット(?)的なものを物理的に置いて帰るということらしいというのが後でわかるんだけど、でもやっぱりわからない(なんで捨てたかったのかは特に言われてない、よね)
「ひとりでいるのは、」のパラグラフは、原作でもここまで主人公視点(主語 I)の過去形だった語りが、急に三人称(主語 a twelve-year-old child / he)の現在形が挿入されるところに形式的には対応していて(邦訳でどうなってるか誰か確認してくれ)、一方で内容としては子供らしさを求められる子供、から、恋人とはこうするもの、という規範に書き換わっている。
これはミスリードを超えて、はるとふみなさんはやっぱり恋人という位置づけということでいいんだろうか。ロボット(?)だとしても。
「木の枝をふりまわして、魔法つかいだと言って、きれいに笑った彼女を、ただ思い出した」:最後の「はる!まほうだよ……」に対応
p14「そして、ぼくは」〜「ぼくはそこを動けなかった。」
森を離れて、時間がとび、さくらさんと同棲をはじめ、森(箱根!)に戻ってくる。さくらさんもいなくなる(!)
「みずうみ」でも、長じてマーガレットと旅行に来るところ。場所はぜんぜん違っている
でもこの固有地名を出すタイミングは多分原作を参考にしている?かなと思った。原作でも最初のシーンではみずうみがどこなのかは明示されてない(よな)ところから去るときに初めてイリノイが言及され、マーガレットはサクラメントで出会ったというのが明記されてて、地名によるリアリティで急に大人になる感じがでるのと、多分なんだけど東部(中西部か)と西海岸のコントラストが効いている
「みずうみ」の舞台のレイクブラフはシカゴとミルウォーキーの間くらいにある小さい村 https://en.wikipedia.org/wiki/Lake_Bluff,_Illinois
みずうみっていうかもうほとんど海だよね、サイズ感としては https://www.lakebluffparks.org/parks-facilities/sunrise-park-beach/overview/
そして実際箱根町の人口が約1万なの符合がすごくて絶妙だな
p16「ここで待っていて、はる」の展開は「みずうみ」から反転してあって、「みずうみ」では主人公がマーガレットを置いてみずうみのほうへいくところ、本作では逆にさくらさんが主人公を置いていこうとし、かつ、そのときのセリフ「この森の中を回ってみたくなった」「さよなら、さよなら」は冒頭部で主人公がふみなさんを置いていったときのものを使っている
p17「「こちらの子が」〜「そして、パッケージをあけた」
ロボット(でいいのか?)の販売員との会話。ふみなさんを購入
「みずうみ」では、水死体が見つかった云々のところ。ここの改変はかなりでかい。「みずうみ」だと不穏さがぐっと出るところなんだけど、こっちはいっきにSFに飛ぶ
「みずうみ」で死で成長しない、時間が流れない、だったのが機械!っていう、その差し替えがすごくて興奮した
ここでロボット(?)のふみなさんを購入しているのは、普通に考えると過去の回想ということになる?(購入したロボットであるふみなさんを、かつて森に捨てて帰った主人公が、ふたたび森を訪れてふみなさんと再会している、という流れ?)
p18「視界のなかに人かげがあった」〜「はる!まほうだよ!」
固有名詞が出てきていないし、場所と時間が急にふわっとする。が、描写や↑とのつながりから、はるとふみなさんとして読むところのはず
「みずうみ」では、あえていえば、砂の城に戻ってきてオチの部分
箱根湯本から登山鉄道に乗り換えた先の森、強羅とか彫刻の森?
「彼女がぼくの名前を呼んだ気がした」「ぼくだってずっと変わらない……?」から、主人公が名前を呼んで起動する側だけでなく、起動される側?であることが示唆される?
さくらさんに置いていかれるという反転とも合わせて読むと、そう?
原作では主人公にとってタリーは特別、自分とは異なる存在という側面が強いように思うけれど、本作のはるはふみなさんと自分に同じ要素(ずっと変わらない)を見いだしている?
原作では足跡(よくわかってないんだけど)を見た主人公が最後に気づいて(?)砂の城を完成させる(ええと、原作の読みに自信なくなってきた。今度はタリーが半分作った城の残り半分を主人公が作ったシーンでいい?)のに対して本作では作った墓がそのままになっている(新たにというよりも最初のシーンで作った物そのままの印象を受ける)ところにある説明書(誰の?)を見つける
原作の最後は主人公が死によって永遠になったタリーを永遠に愛し続けることに気づいて、それでマーガレットを見る目が変わっている強烈なオチで終わるけど、本作ではさくらさんはフェードアウトしており、あくまではるとふみなの二人で終わっているように読める
「みずうみ」との人名対応
ハロルド→はる:音だよね
タリー→ふみな:なんだろう
マーガレット→さくら:花だよね
小林貫「取説ばあさん」
一言
CM好き。この微妙にバリエーションあるのめっちゃ良いでしょ。ジオを抱こうとしたら流れるとこでマジで笑いました。
ここ、ぼくも笑いました。
「DNAを、統制せよ」じゃあないんだよ
YoutubeのクソCMの経験をしている現代だからこそ通じるところがあっていい
モチヅキはCV津田健次郎というかんじがします。シブい。
わかる
小林作品の中で一番好きかもしれない。ちょうどサイバーパンク2077やってるから情景がめっちゃ浮かんでくる。
トリガーにアニメ化してもらおう。
ベルチナとのシンクロニティを感じる。今回ち〇こが出てくる作品多い。
ばばあ勝負では正直負けたなと。次のばばあ勝負では勝ちます。
台詞回しが上手いのと、描写の際の言葉選びにセンスを感じました。会話描くのが上手すぎるので参考にしたいです。今俺が理想としているのはこういう小説なんだなあと思いました。CMのインパクトが最強ですね。頭から離れません。
登場シーンで羅生門のばばあ以来のヤバいばばあが出てきたと思いました。
完全に「サイバーパンク」っぽい文体やガジェット、そして物悲しさみたいなものを自家薬籠中にしていやがる……そんななかでどうしても残ってしまってる人情みたいなのもいいんだよな
細部
俺もスマートウォッチかカシオの腕時計で迷って、大体主人公と同じ思考でカシオを選んだのですごく親近感がありました。
スポンサーがついている娼婦のアイデアが面白すぎてばあさんが全部どこか行きました。……結局、何でばあさんは紙の説明書を集めてたんでしたっけ……。
「終わりかけのおしっこのようなうめき声」という比喩、良すぎる。
「老婆通いの日々」みたいなのも、こう、ユーモアだよな……
ユーモアのちりばめめっちゃ良いんだよね
ざっくり構成をみていくコーナー
p22 冒頭のCM〜「ひさしぶりにいい夢を見た気がする〜」
サイバーパンクだよ、という導入。怪しげな道具屋(モチヅキマート)や焦燥感はやっぱり必須なんだ……(ほとんど「クローム襲撃」なんだよな)
p25「太陽も昇り切らない」〜「思わずつむってしまった目を〜」
取説ばあさんが出てくる。取説ばあさんて。「怪しげな稼業に手を出してしまう」も定番だけど、それが取説ばあさんなのはなんなんだよ
だからそう、ここでいかにもな電脳とか身体強化とかメガコーポがとかに向かわず、いっけんミスマッチな「取説」に向かうのもすごくいいんだよな
p29「老婆通いの日々が始まった」〜「自嘲めいた笑みがこみ上げてきたので」
取説ばあさんの噂、娼婦がなにか知っているらしいことを知る
p32「次の休み、おれは夜の」〜「抗うことのできない眠りに〜」
ジオという娼婦を買う。うまくいかない(途中でCM)。これもファムファタールなのか……?
p36「しかしそれ以来」〜「しずかに黒い幕がおりる」
取説ばあさんに襲われる。ここの襲撃描写の加速感が地味にうまい
p40「わたしには名前がない」〜「おぉ、おぉ……。」
ジオ=取説ばあさんの悲しい出自。めっちゃ義体化してる
p43「深海のように」〜「…………一分が経過した」(※便宜上ここで区���る)
ジオに縛りつけられピンチ
p47「我慢できずに」〜「いかめしいサイバー視覚器の下で」
モチヅキが颯爽と助けにくる。ジオ=取説ばあさん=キヌ(ばあさんぽい名前だ!)とモチヅキの血縁が明かされる。モチヅキがばあさんを撃退して、なんかブルースな感じになる
なんか世界の理不尽さ?を説明してくれる?知識欲?みたいなのが取説集めにつながってんのかとか、自分が何者かわからなかったところから名前を知ることが少しの救いになる?のとか、わかりそうなところとやっぱりわからない感じとのせめぎ合いがあり、怪異としての取説ばあさんの謎は解けてはいけない(解けてないからラストが光る)のと、でも結局ばあさんなんだったんだという、もやもやの残りと、両方ある
そうそう、ここの「結局なんだったんだよ」のわかりそうでわからない具合がかなりいい味なんですよね……
p50「おれは街を出た」〜「ねえ、取説ばあさんって知ってる?」
それでも人生は続く
しれっとネオンシードFにツッコミを入れているのもニクい
これは個人的には非常にポイントが高いというか、CMのリフレインに対応する形でこういうツッコミがあるのが良いんだよな
ラストが再度の怪っぽいのも自分は好きですね
笹幡みなみ「私の自由な選択として」
一言
SF設定が素晴らしい。パラスタット技術によって人間の精神活動が大きく変わることは想像、納得しやすい。古代の人間が神の声として並行世界の自分の声を聞いていた(『神々の沈黙』への接続)ことと結びつけるところがエレガント。バウマイスター野の刺激による本当の沈黙を経て、じつは現代においてもその声は沈黙していなかったというくだりも自然に受け入れられる。
読み終わった後また頭に戻って読み直したくなる終わり方。
テーマとギミックと文体と視点が綺麗に噛み合っていて圧倒的でした。前半は割とライトな感じで読めるのですが、進むうちに結構重めでこちらに取っ組み合いを仕掛けてくるような構成になっていて、そのエスカレートぶりが好きです。
第二論文の紹介あたりまでの説明のそつのなさ(ほんとそつがなくてこれはこれですごいんよ)から一点、第三論文の紹介で並行世界の話がぶちこまれてオッオッってなって、ユニカの過去の話とかでウェットになりつつ(このへんも淡々として見せつつ情念が滲んでる塩梅が良い……)、終盤に雪崩れ込む構成すげえうまいですよね……
各要素が違和感なくつながっていって上手だなーとおもいました。
いつもの作風に比べるとオールドスクールで、それが海外SFっぽい味わいでよき。
この内容で大きな破綻なく話を書き切るの、強すぎる……。
細部
冒頭の語りの時点はいつか。語りは並列世界を移動していないか。
p.33 「そして彼は愚かにも(ユニカはそこでエアクオートして、彼女の爪が非常灯の光を反射した)」ここのディテールが好き。
好き
わたしだけかもしれませんが最後の一文に謎が残っています。
俺もでした……。後日もう一度読み直します。「長い話」どこからどこまで?
ここは自分もわからなかったので読書会の論点にしたいです
ユニカが臨床家であるという設定が実はすごく効いていると思っていて、自由意志と決定論というテーマにもし臨床的な切り口を与えたら? というifに反射療法という道具を与えて真相に迫ろうとするのはチャレンジングでワクワクしました。
それを踏まえて、最後の実験に他人を使った人体実験を行わないのも彼女のキャラクターを表していて好きです。人道的……なのか?
タイトルにもある「私の(その人の)自由な選択として。」というフレーズの繰り返しが不気味な感じでよかったです。自由な選択に固執していて、逆説的に全然自由じゃない感じ。
ざっくり構成をみていく
p54「二〇二五年」〜「彼女のために〜」
いきなりエレベーターで足を揉んでいる。反射療法がテーマっぽいなというのもわかるところ。話のマクラとしてヒキがありすぎるんよ
p55「ユニカ・クーリッジは」〜「臨床家であったユニカは〜」
ユニカの実績を紹介するにあたっての、反射療法および自由意志(自由意志信念)に関する前提知識の共有。ユニカの第一論文の内容以外はほぼ現実そのままの説明になっている……はず(逆にここがフックになってるということでもある)。パラスタットについてもここでいちおう出てくるが、詳しい説明はされない(勘がよければわかるよね、くらいの温度感)
p60「第一の論文」〜「人類の痛みへの反逆の歴史を〜」
ユニカの三本の論文についての説明。第一第二は前節からのわりと素直な延長なんだけど、第三で並行世界が導入される(エスカレーションの第1段階)
p63「私がユニカ・クーリッジと」〜「この一連のできごとが〜」
冒頭の話に繋がる筆者個人に関する語り。冒頭に繋がる出会いや、ユニカの出自、モチベーションなどが紹介される。パラスタットについても(前節でほぼわかるとはいえ)ここではっきり判明する
p67「ユニカ・クーリッジの研究に」〜「電気刺激を停止しても」(*で区切られてはいないけど便宜上ここで区切る)
ユニカが温めていた仮説(神々の沈黙っぽい)についての説明(エスカレーションの第2段階)。バウマイスター野を直接刺激する実験(筆者も手伝った)と、その結果「ひとりになってしまった」というユニカ。ここらへんから「これ何の文章だっけ?」みたいになってくる
p71「彼女の実験ノートの中に」〜「私は開頭用ドリルを手に取った。私の自由な選択として」
ユニカの手紙を見つける。「ユニカはこう記していた」〜「次の一歩を踏み出そう。私の自由な選択として」
「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と」からまた筆者の語りに戻る。「私が事情を説明するために語ってきたこの文章と、彼女のこれまでの研究の一切は――このあと実施する実験も含めて――データ化され、彼女の脳に信号として入力される。」
最後の一文のやつ、これか!(これか?)
p75「ユニカは長い話を終えると、二杯目のコーヒーを求めて立ち上がった。」
Garanhead「故障とは言うまいね?」 
一言
直球で説明書の奇想(?)をやってて良い
王道の良さがある
この説明書産業っていうでっかい嘘にこまかいギャグとかセンチメントとかをすべて集約させる腕力も良い。なんというか変な設定で王道の話がされてるのを読むのは単純に楽しい
「故障とは言うまいね?」のミーム画像がめちゃめちゃ想像できるのが良い
文量的には長めのはずだけどスッと読めました。
ちゃんとした小説だ!となる。ねじれ双角錐群の良心。
会社間の関係とかの設定をちゃんとしているところが見習わないとなと思う。
設定が説明的になりすぎず、物語のなかで自然と読ませるかたちになっているのがすごいな、と思いました。リーダビリティが高い文章。
細部
p78「その日、ウニベルシダマニュアルカンパニーで」~
復刻版説明書の販売とサイン会。説明書とマニュアリストロの導入
ここで、この世界では説明書に異常な価値があること、マニュアリストロという資格者に異常な価値があることが、戯画化された掴みシーンと共に印象づけられるのが、さらっとすごいことをやってる
「完売。説明書、完売」とか「本間くんを、包囲しろ!」とかパシパシとノリ良く無茶を導入していて良いよね
女性に顔のインク拭いてもらってるのとか、御曹司感とギャグ具合を絶妙に表現できてて笑うんだよな
p81「時を四十年ほど遡る」~
マニュアリストロに至るまでのこの世界の設定説明パート
前のシーンで無茶苦茶ながら導入された上での説明なので、言ってることは無茶なのだがなんかそれっぽさがあってなるほどねという感じが出る(?)
この辺の細かい設定は元ネタがありそう
ここの設定の練り込みがまず好き。無茶苦茶なんだけど、すごく「それっぽさ」が出てる……
p83「俺は顔のインクを綺麗に落としてもらって車を降りる」~
チャリア工業でのマニュアルコンペ。タアナとの出会い
「食堂のカプチーノマシンがぼかーんって芸術的に故障したので、うっとりして眺めてました」そんなギャルゲヒロインみたいなやつおる?(好き)
「え、根回ししてなかったのか?」この微妙なメタツッコミみたいなやつ人を選ぶだろうけど自分は好きで、そもそもマニュアルのコンペってなんだよみたいなところから言い始めたら切りがないところを、いやまあそこはいいんですよって押し通してくれる推進力に繋がる
「ボイスチェンジャーで加工された声が響く」なんで父親がボイスチェンジャー使ってんだよ、とかさ、ずるいだろ
p86「大空タアナを捕まえたのは地下の駐車場だった」~
本間くんの因縁の提示、タアナの動機の提示(ここ結構複雑な構図をさくさくっと作ってるからちゃんとまとめたいな)
十年前、マニュアル記載漏れによる「チャリアトル事故」で主人公の母親が死亡、父親は右足を失くして顔面に怪我
声帯やられたのかな
これによりチャリア社ソーラーセイルのマニュアル作成はウニベルシダ(主人公社)からヘリオス(タアナ社)に変わる
マニュアリストロの制度ができるきっかけになる
安全なガルダのマニュアルを作るのが母への償いになると考えている
タアナの動機
マリウスくんの説明書をつくった主人公に会いたかった
「そつないなあって思いました」この口調のぶれって計算してやってんの? そつがなさすぎるよ
「過激だな。ヘラクレスか」すき
p97「車は高速道路に入り最初のパーキングエリアで停車した」~
「故障とは言うまいね?」のコラ画像
言葉の元ネタ的には卑怯とは言うまいね?���のかな
でも自分はなんか英語のミーム画像をイメージしたんだよな(画像に文字を入れるっていうところが?)
p100「案内されて大広間に出た」~
タアナからマリウスくんの説明書を一緒に作ることを要求され快諾
p102「組み立て工場はタイにあるようだったが」~
自分はここのパートがめちゃくちゃ好きで、この設定の上で相当にデフォルメされた「説明書作り」の醍醐味が伝わってくるのすごいなと思うんですよね。本作について、個人的にはここがいちばんの推薦ポイント
もちろんそのデフォルメ具合自体(現実の説明書はそうやって作らんやろ)自体も楽しい
工場に行くぜ!
まずは現場という謎の納得感があるのが良い
冷静に考えると設計のほうにいくんじゃなくて工場で現物から図面起こしてたりとか、何かがおかしくて笑うんだけど突破力があって良いんだよな。
「なぜなら俺はマニュアリストロだから」
なんだこの洋画感
「尻尾センサーを三年以上引っ張って『おやすみモード』にした場合の注意書き」
三年以上引っ張ったら子供も成長してるよ
とかいうギャグやりとりの流れから主人公が自然に笑うことができたという、「故障なんかしていない」の流れに持ってく
p106「大空タアナは死んだ」~
このへんの説明書と感情のなぞらえかたやタアナの粋なはからいもクール
最初読んだ時ロジックが結構複雑でよくわかってなかったけど、読み直したら尻尾センサーネタを上手くひっくり返してバッチリ噛み合うようになっててすごい
それで主人公の因縁というかトラウマを乗り越えて救われることができる
p112「それから月日は流れて」~
最後にミームオチなの良いんだよな
全自動ムー大陸「直射日光の当たらない涼しい場所」
一言
「なめたねじ、」好き
「電源ひ」と「大人にな」が好き
「ばらしてる」が好きです
短歌だと最初は気づかずに読んで、全部通して詩のように感じました。全てに通ずる何かの企てがあるのか、果たして……。
全ムーさんの歌、やわらかな読み心地がある
わりと視覚的イメージを軸にした歌が多い印象で、その視覚的イメージがちょっと抽象に寄っているところが特徴な気がしています。
細部
「めくるめく〜」
呪文の詠唱みたいで好きです。
「説明書→綴じる」の自然なつながりから、冒頭の「めくるめくこの世はでかい」(この時点ではたんにでかいということしか言っていない)を引き継いだ最後の「銀河」に至って「銀河が綴じられる」という形に具体化するイメージがすごいいい
「沈黙の倍」っていうのもそのでかさの表現というか、茫洋とした感じが出ていると思ったんだけどどうだろうか
紙を綴じて折ると厚さは倍になることと関係あるかな
紙をたくさん折ると月に届く的な話も連想した
「この世」をすべて説明ないし記載可能なものとして捉えているうえに、それを「綴じよ」と製本みたいなことができるものとして考えているのが面白い。「綴じる」に入っている「閉じる」のニュアンスも含めて、世界をぜんぶ掌握したい、みたいな意識も感じます。「沈黙の倍の銀河」はちょっとイメージしにくい。
沈黙は金との対応
「この世=地球」「銀河」の対応
ドラゴンボールのOPが脳内再生される騒がしさと、「沈黙」との対比が出る
「まちがいを〜」
「涙 - 氵 = 戻」ってこと……だよね?
まちがいにたいして、「よくあること」と言って手を引いて「戻す」ときに、(まちがいであったことによる?)涙が云々みたいな雰囲気で読んだ(いやこれだと「手を引くほうの」が組み込めてないんだが)
「まちがいなんてよくあるねー」となみだが言っていて(思っていて)、私の意志に反してなみだが引っ込んじゃうんだけれども、そこに涙の痕跡が残っているよ、が歌意かと思います。そこに上述の漢字のユーモア。目から出てる水(=さんずい)と別に「手を引くほうのなみだ」(=戻)があるよ、という。
「手を引く」がここだと「退く」みたいな意味かと思うんですが、別の「手を取って導く」みたいなほうも出てきてやや読みにくいかも。と言いつつも「手引き」からこの語をつかうことにしたならやむなしだが。
皆さんの考察を読んでめちゃくちゃ好きな歌になった
てへんにもどるの「捩る」もあって、さらにそこから↓に繋がる!!!
「なめたねじ〜」
突き放しているようで、これは優しさじゃねえか?
「いいので」という結句の言い方が、おっしゃる通り突き放しているようだけれども、歌の内容自体が優しいので、別の響き方になりますね。前の歌に引きずられながら読むと、ちょっと涙をこらえながら「もう回らなくていいので……(だいじょうぶだよ……)」と言ってるような感じも。
もう回らなくていいってことはそのねじは何かを固定していて現在のところ分解する必要がないっていうことだと思って、説明書というベースから想像を膨らませると、説明書を読みながら頑張って不慣れな人が(子供かもしれない)何かを組み立てたり組み替えたりしていて、下手だから潰してなめたねじにしてしまったりするんだけど、それが完成したあと時間が経っていてもう回らなくていい(たとえばもう使わなくなった子供用の椅子とか)、みたいななんか優しさを感じる。
「YES/NO〜」
「はい/いいえ」で答えていくと「あなたにはこれがおすすめ!」ってところにたどりつくあれでいいんだよな。あれやってるとなんか自己なりなんなりに気付いてしまう感じじゃなかろうか、べつに気付いてもたいして嬉しくもないのに、みたいな
視覚的には指と紙面しか出てこず、その指先に灯るっていうのは見た目にもクールな感ある
表現としては全体的にやわらかい歌の印象。「ユリイカ」なのでチャートを通してある程度の気づきは得られているのだけれども、あくまでチャートに沿った規定の気づきということで「怠い」という修飾語が出てくるのかな。ぼんやりした目ざめ、みたいな一首。
YES/NOチャートによって提示されるおすすめなのかタイプなのかに対して、こんなので自分のことがわかってたまるかよという冷めた見方と、でも気づきがある発見があるという自覚と、その両方なのかなと思った。
Y音のリフレインが気だるさや脱力感をかもす。N音もあり「なよなよ」感が出る
「電源ひ〜」
まずもって「馬」まで来ないと像が結ばれないのが楽しかったです。で、そこまできてやっと「あーこれ遊園地とかにあるコイン入れて動く馬か」(なのかな、わからんけど)とかなった次ですぐに「ただしさ」、そうだよね、正しいよねー、なりたいよねーってなる収束(言ってること伝わるか?)
電源につながれた馬(メリーゴーラウンドかな、と)がいて、たぶんその馬が自分で電源コードを引きちぎって、あえて朝に駆ける(普段は夜にキラキラと駆けている)ことを「きたない」と言いつつも、その与えられた役割からの逸脱に正しさを感じて憧れている感じの歌としてとりました。
馬の描写までの荒々しさと、そこ以下の弱弱しいような言い方の対比が歌の魅力。
メリーゴーラウンドって木馬自体に動力があるわけじゃないから電源つながってないような気もするんだけどイメージ的にはやっぱりメリーゴーラウンドなのかな。コイン入れて動く馬、みたいなあれは充電式?なイメージがある。
ライ麦畑的な……(あれは朝じゃなかった)
ゲーセンの競馬ゲームが思い浮かんだ。メダル賭博の対象である(しかも疑似的な賭博にすぎない)ことのきたなさや情けなさからの解放を想起。
「完ぺきで〜」
ひどい話のような気がする
「どうして」っていうからには不本意なんだろうけれども、それでもやさしいきみに打ちひしがれるしかないんだよ……。
こういうシンプルな歌のパワーよ……
「組み立てよ〜」
(短歌の読み方よくわからんのだけど)「いち葉の」でいっぺん切れて、まあ葉っぱのすんとした感じに読まれての、「かさぶた」で生っぽくなって、とはいえ意味としては依然通じる(かさぶたのないことの淡白さ)あたりの動きが好き
「淡白な日々」に「しずかな暮らし」を重ねる効果はよくわからなかった
「組み立て」は説明書の文言ですね。
「かさぶた」=傷の治る途中のもの。傷つかない暮らしをしましょうよ、という歌としてとりました。あんまり具体的な描写が無いので、感情の問題としての傷つかない、と解釈。「組み立てよ」という文言で、その暮らしの達成をあくまで理知的に促しているところが面白いです。感情を理性で抑えようとする感じ(1首目の「綴じよ」と似たイメージ)。
傷つかず心が動かない生活をしたい(していないからしたいといっているのか、半ばすでにそうなのか)、いずれにしてもさみしい話なのかな。
「大人にな〜」
強そうな名前の電池。エボルタ……かな? マクセルは会社名か。
自分は「これエボルタだな……」と思いながら読みました
ちょっと自分に充電しようとしてないか?
「自分に充電」はめっちゃ良い読みですね。
なんで大人になったことを嘆いているんですかね。電池に子ども時代を見ているような印象も。おもちゃの電池とかを大事にするようなニュアンスを少し感じます。
世代差もあるんだろうけど子供の頃おもちゃに入れるものとしての電池って存在感大きかったし、ブランドも重要だったりしますよね。大人になるとリモコンの電池替えるみたいなのは機械的な日常になる
最近だと(昔どうだったかは覚えてない)パナソニックとタカラトミーは仲が良くて最強のエボルタ電池でトミカやプラレールがめちゃめちゃ動くぜみたいなプロモーションをやっているので子供はエボルタ覚えがち
「エボルタ」は「エボリューション」と「ボルテージ」が由来みたいですね。このへんは���かに子どもに象徴的かもしれない。
「ばらしてる〜」
「〜思い出す」まででとりあえず中途半端に組み合わさってる家具みたいなのがイメージされて、そこから「ページが」で説明書の組立手順のとこみたいなのが浮かぶんだけど、「あった」で落とされて、なんか奥行きを感じる(何も言ってないなこれ)
少なくとも説明書としては役に立たない無のページ。このページを見ているときは解体も組立もしておらず手が止まっているはず。その現実には何も行われていないふわっとした瞬間にささげるアンセム。
そういうページに対する憧憬なのかな
「季がくらむ〜」
「○月なのになんだよこの気候は」って日に「文字を焚く」までひとつらなりでいったん切れて、その次、「肘かけた杢」でまた切れる(で、「けぶる目のはし」で焚かれたときの煙に戻ってくる)でいいんだろうか
杢の模様と文字のイメージの関連とかあるか
名詞も動詞も多くてちょっと読みにくいが、初句の「くらむ」で宣言されている通りに、その連なりをイメージのままにめくるめく感じていくかたちで読むしかないのかな。
この歌のわかりにくさは、そもそも説明的な言葉への否定みたいなものもある気が。「文字を焚き」なんかは、ある意味で1首目でやってることを最後に全部なかったことにしようとしているようにも捉えられ��す。
murashit「子供たちのための教本」
一言
続柄の欄に書く初恋の人、のところめちゃくちゃ良い。
終盤がまだ全然わかんないんだけど。
父が作った街で生まれ育った自分も父が作ったもので、でも一度は街を出ていくんだけど、また戻ってきて、父が死ぬ、死ぬけど都市が消えるわけじゃない、けど父が作った都市ではある、という、こう、父権からの逃れと逃れられなさとそれも悪くなさみたいな話……か!?
この果てしない不条理な葬送を巡るお話に、総じて自分は寂しさを受け取りつつ、作品全体に散りばめられた()の形式で明かされる心の声が、客観的であろうとする語り手の支えになっているような気がしました。
もう少しじっくり読んでみたいですね。
むらしっとさんの描く冠婚葬祭、冠婚葬祭特有の一切合切がめんどくせえな、でも仕方ねえという淡々とした感じがありとても好きです
panpanyaっぽい
なんかわかる
父が作った街であり世界を歩くということがメタファーとして愛おしくさえある、ような心持ちになってしまうパワーがこの飄々とした文体にはある。父殺しの対極(地の文の視点:父が作った世界に内包されているという意味で)のようであり、じつはしっかり父殺し(括弧内語りの視点)であるところの二面性がいい。
最後(合唱曲以後のところ)が圧倒的によかったです(ぶっちゃけ内容はよくわかっていないが)。
細部
はじめの「そうだったのか」、初読でなにが? と思ったんだけど、そういうことなのか(まだ言語化できていません)。
これわかんないんだよな
直接的には、直前の文「郵便局のバイクが門の前に停まった」に対して「そうだったのか」と言っているように読めるが。
緻密作為コーナーにも書いているとおり、この最初のパラグラフでは一番最初だけ語り手の一人称「私」が出てきて、それがパラグラフの最後になると「ア兵」と三人称名前呼びにすり替わり、以降本作の地の文では「私」ではなく「ア兵」という呼び方で焦点化して語りが続く。
この場面での「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことが縁側で将棋をしている二人の目には入っていなかったという解釈を考えることができると思う。配達員が「縁側の二人に声をかけた」とあるから、配達員の方からは縁側に人がいることが(覗き込めば、少なくとも部分的には)見えるわけだが、二人は将棋に集中していたのか、あるいはア兵は背を向ける角度だったからで、少なくとも見えていなかった。だからア兵は当時「郵便局のバイクが門の前に停まった」ことを知らない。知らなかったことをここで知ったから、「そうだったのか」
つまり現在の「私」が過去の「ア兵」の周辺の物事を何らかの形で知覚し語り直しているのがこの文で、当時の自分が見えていなかったことをこの語り直しなのか追体験なのかの中で発見して「そうだったのか」と言っているとする説。
これはなんか、控えめすぎるというか、そこに注目して「そうだったのか」と言うほどのことなのか、というのがよくわからない。直後に配達員から呼びかけられているんだから、そこに配達員が来たタイミングはその少し前というのは当然の類推のはず。たとえば配達員が投函していって将棋が全部終わった夕方に郵便受けで発見したとかいう話の流れならば「そうだったのか」は自然ではあるが……。
あと、これは弱い要素だけれど、p151ではア兵がクリップボードの方を見ていたので実際に視覚的に確認したわけではない職員の挙動を、地の文で書いて、カッコ内で「実際には目にしていない」と断っている。これはやはり、当時知覚できなかったことは推測でしか書けないのではないかと思われ、そういうルールが全編に適用されるのなら、バイクが停まったことに対して「そうだったのか」はやはり不自然になる。
なのでこの説は微妙だ。
直前の文のカッコ内、「ようやく詰みまでの道筋が見えたところで」に対して「そうだったのか」と応答しているとする説。
つまり、片方は「ようやく詰みまでの道筋が見えた」のだが、対局の相手方は詰みがあることに気づいていなかった。詰みが見えていたことをこの語りの中で知らされて、「そうだったのか」と反応している。
これはしかし、地の文とカッコ内の文の語り手がいずれもア兵で一貫しているとすると矛盾が生じる。
地の文については最初の一行で「私」=「ア兵」であることが明記されている。
カッコ内の文についても続く行で「誘ったのは父」「こちらといえば」と言っているのだからやはりア兵であるはずだ。
であれば「詰みまでの道筋が見えた」のもそれに対して「そうだったのか」と言っているのもア兵なので、応答としては不自然である。前段のバイクが門の前に停まった説は、当時のア兵がそのことを認識していなかったという解釈がとれるが、バイクと違い詰みまでの道筋が見えたのはその時点でのア兵の認識そのものだから、後から気づいたというのもおかしい。
「括弧内語り→地の文に対してコメント」はあるが、「地の文→括弧内語りに対してコメント」の方向は全体通してあった?なかったような印象
p137「(誰かと会った?)」→「会った」みたいな応答はしている
では地の文とカッコ内の語りの一部を父が担当していて、対局者であるア兵が既に詰み筋に気づいていたということをこの語りの中で知った、という解釈ならあり得るのか。
前述の矛盾は解消されるのだが、そんなシームレスに語り手が父になって良いものだろうか。
地の文がア兵でカッコ内が父、とかならまだそういう構成はあり得ようが、そんな単純さでは少なくともないように見える。
いいのか。父がア兵を作ったから。ア兵がそう考えるよう父が作ったから。だから混ざっていて良い?
まあでもそれはそれで、そういう全知性を持ってたら、「そうだったのか」ってならなくない?
この説は有力な気がする。だからこそ「対局は途中止めにされた(体よく逃げられたと言っていい)」
俺は「詰み」に対しての「そうだったのか」だと思ったんですが、まあその後の語りのルール?というか、わかんないんですよね。
ア兵とかサン議とかのネーミングが新鮮でした。
「夏ハバキ」好き。「岩本」とか普通っぽいのが混じってるのもいいですね。
ネーミングはまじで上手いと思いました。
老人たちが流れてきて賛辞の嵐を浴びせてきたり、役所の職員が手続きのための説明を一息でやり終えて仲間が拍手を打たんばかりの状態になり紙吹雪(書類)も舞ってといったり、唐突に始まるミニゲームみたいなお祭り感が好きです。
(けれどもフクロウではぜったいにない)好き
p.148 「高基線の建設による変化」高基線って高速道路みたいなやつ?だとすると、この建設で雪が降るように気候が変わるというのはどういうことか。フェーン現象を形成する山脈を取り去る勢いで高速道路を敷設しているのかもしれない。
p.154「ポイントが十倍ですので」流石になんのポイントだよ
p154「二人が役所から出ると」あたりからなんか「やってる」んだよな
なかったはずの全裸男性の銅像が出現しているが、ア兵がそれを無視する
(さすがにやりすぎ)
全裸男性の銅像(父をモデルにしている?)を出現させたことに対して、やりすぎ、とツッコミを入れている
そんな銅像を出現させるという理外の力がここにあり、かつ、それをア兵は認識していて誰がやったかもわかっていて無視していて、この発言?
「いずれにせよこの期に及んで父が受け答えすることなどできはしない」
やりすぎ、と指摘している相手は父であり(つまりア兵は銅像を出現させたのが父だと思っていて)、しかし父はそれに応答しない、ということ?
「それにしても、どうして今になって――/(え、わかんないの?)/藤十郎のこと――と、間髪入れず、ア兵は今度は声に出し、「連れて行かなかったらどうする?」」
読みにくくてわからない。「今度は声に出し」で問いかけている相手は父。なのでやはり前段から続く「さすがにやりすぎ」も含めて父に対する呼びかけ。
途中で切れている藤十郎のこと、のところは、「どうして今になって初恋の人である藤十郎と一緒にこの役所に来るように取り計らったのか」ということ?
p154までは引っかかりを覚えながらも何とかたどり着けるんですが、ここから先で一気に振り落とされるんですよね。でも、きっとここからが重要なパートなのでしょう。
p155あたりまで読み進めると、なんかまるっと総合すると、
この都市を作ったのが父であり、だから父が基本的になんでもできる(?)
銅像をいきなり出したりして遊べるのはそれを端的に示した描写だ
だから「父が決めたことだ。自分勝手に死ぬことを決めて、その埋め合わせにでもしてやろうと」初恋の人である藤十郎と二人で役所に赴くイベントを起こした
父の筋書に沿って物事が進んでいて、だけどそれが「悪くない」
p156「(ぐずぐずじゃん)」以下で、
この街は父が作っていて、
父が自分に死亡内定通知を届かせた、
父が死ぬに際して、だから街はぐずぐずになりつつある
ア兵も父が作ったのでありア兵がどのように考えるかは父の作意の通りだ
(本文と順序が前後するけど)でも父が死ぬからと言って街やア兵や藤十郎が消えるわけじゃない
地の文が父になっていて、カッコ内のア兵と会話になっている
この地の文で父が出てくることの先出しが冒頭の「そうだったのか」なのか
死を計算する機械も父が関与してるんだっけ→特別そんな説明は無かった
p158「すり潰される」「グラインダーのような機械で、喩えるならコーヒーミル」はこどもブロイラー感があり、その前のp154「ポイントが十倍ですので」とかの戯画化もなんかそれっぽい
ラスト、()が語りを途中で終わりにすることで(父の死を語らないことで)、父の世界を、ないしは親子の関係性をふわっとしたまま残存させることを狙っている気が。泣ける。
ここ緻密に作為をもって語られているだろコーナー
人称と焦点
冒頭だけ「私」、以降「ア兵」
一番最後の括弧内に「わたし」「わたしたち」が出てくる(「わたしたち」のところ、藤十郎と目配せしあってという記述なので、このわたしたちは、ア兵からみたア兵と藤十郎を指しているように読み取れ、したがってこの括弧内の「わたし」はア兵のように思える、が)
地の文の語りと括弧内の語り
括弧内は、単純にア兵の心内語や言い足しであるように見えるところと、そうではない主体が語っているように見えるところがある
ア兵が描写せざるをえないとか描写しようとしたとか、語りに対して括弧の内外共に意識的である
「そうだったのか」問題のところに書いたとおり、基本的に両方ア兵のように見えるのだが、使い分け方がわからない
単なるア兵の心内語や言い足しを超えて他者的であるように読めるところ:p125「あー、なるほどね」、p126「ははあ、発育が、いい、と」、p129「で、次はなにを?」、p131「そうですか」、p136「老人が流れるってそういうことか」、p137「誰かと会った?」、p139「同意する」、p141「「老人が一人」だったんじゃないの?」、p154「え、わかんないの?」
仮説1:地の文=父にとってのア兵、括弧内=ア兵と読めないか
p.154「やはり父は何も答えない(これだけ饒舌なのに)」饒舌なのが父だとすると、地の文が父の語りと読めないか
p.155「「しかも、初恋の人と」〜(中略)〜それは父が決めたことだ」藤十郎と行くことを決めたのは地の文のア兵だが、括弧内のア兵はそれを決めたのは父だと言っている。
父が自分が作った世界をたたむにあたって、それを外側から眺めているア兵の語りが括弧内の語りということ?(→仮説3)
この仮説が無難な気がします。前半は地の文と括弧内の思考かなり近いけれども、物語が進むにしたがって括弧内の自我が強くなって最終的に地の文から完全に分離するイメージ。親離れの主題?
仮説2:フィクションにおける語り手 vs 読者・作者との関係性の違いによって、地の文のア兵と括弧内のア兵を使い分けているのではないか
フィクション論はよく分からないのでよく分からない
仮説3:父が作った世界のなかのア兵と、外側のア兵の違いではないか(仮説1に近い)
安直なたとえだがVR世界のなかの父・ア兵・藤十郎を外から見ているア兵の語りが括弧内に書かれているようなイメージ
性別
ア兵には父がいて、母がいて、父にはでかいちんこもついているが(身体全体がでかいんだよ)、一方でア兵と藤十郎の性別は意図的に不明確にされている(あるいはそもそも性別があるのかどうか自体が定かではない)(ように読める)
藤十郎は我々の日本で言えば男と思われる名前だけど、「ははあ、発育が、良い、と」みたいなことがかいてあり(いやこれは別に背の高さとかでも一応は成立して、あまり手がかりではなくて、ミスリードされているだけなのかもしれないのだが)
ア兵は陰茎を備えていない様子の描写がある(これは割と明確なようには思える)
二人が同級生に囃し立てられたりする話からすれば、我々の日本の今の前提からすると二人が異性である蓋然性が高いという読み取りが生じるっちゃ生じるんだけど、強い根拠にはならないよね
ア兵には母がいて、とかいたけど、父は母がいたという体でいるけれど、ア兵のほうは(少なくともカッコ内の語りは)自信がなさそうだ p129「(そういえば、母のことが思い出せない、ほんとうに母などいたのだったか」p130「(ほんとうに母とやらに」
父がこの街を作ったという設定の本当らしさと嘘らしさ(おそらく語る視点によって異なっている)
この街のリアリティラインもですね。イオンモールとか書いてあるからいやらしいんだが、本屋が無限スクロールしたり、一点透視の商店街の消失点、とか、無限遠の太陽から光が届く、とか、つくりもの感を所々に出している感じがある
街路樹の果物が食えるのとかもゲームっぽい
予感はさせてくれるんですが、尻尾がつかめないんですよね。最後に全裸の男の銅像が出てくるところで「父にはこの世界の創造権がある?」と思わせてくれるんですが、これが決め手で良いのかと思うところもあり。
リスペクト先
タイトル「子供たちのための教本」
ドナルド・バーセルミ『死父』(柳瀬尚紀訳)(原題:The Dead Father)
読んだことないけど、死んだ父を墓穴に連れて行くらしい(?)
作中に「息子たちのための教本」(A Manual for Sons)という章があり、もとは独立して発表された短編が取り込まれる形となっているらしい
だからこれが説明書要素であると同時に、でかくなる父を墓へと運ぶという要素だろう。
紹介文
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
読んだことないけど、役所から死亡予告を通知された子どもを墓地に連れて行くという要素があるようで、その部分が子どもではなく父という形で引かれているのだろう。
エピグラフ
円城塔「良い夜を持っている」
読んだことないけど、異常な記憶能力を持った父親が、物事を彼の頭の中の都市のなかの事物と関連付けて記憶するみたいな話のようだ。
父が都市を創造しているという要素だろう。
鴻上怜「沼妖精ベルチナ」 
一言
説明書要素は……ない!
説明書要素が薄いので「社会を識る」という補足をつけてみたのですが、姑息なエクスキューズはよくない気がしたので最終的に削除しました
ISMSとかeラーニングとか、体温報告とか、数え切れないちりばめられたダメ総務・情シスしぐさが面白すぎる
アクションとバイオレンスが飄々とした文体によって綴られていて、何箇所も笑いどころがありながら、最後はハッピーエンドで締めるのが憎いですね。ベルチナかわいい。闇のジブリが映画化しそう。
とにかくまず文体が良くて、講談みたいな語りで無限に繰り出されるホラを読んでるだけで楽しいのがいい。こういうのが書きたいんだ……
あと鴻上さんがこうやって醸し出すサラリーマン的ダルさはいつも好き
めっちゃウケました。全体がユーモアに覆われているけれども、物語の土台が労働と人生過ぎる……。
出てくるものが全体的にぬめぬめしている。
細部
「もいもい食べはじめる」のいいな
のんのん、じゃないという工夫
https://d21.co.jp/akachan-ehon/
「オッドラときたらたいしたもんだ。」という最初の一文と「もいもい」でこの小説の雰囲気がみごとに提示されたな、と思いました(もいもい以外も全体的にオノマトペが良い)
ISMSを遵守するババアでめちゃくちゃ笑いました。
「eラーニングで学んだろ?」良すぎる。
物理的な情報セキュリティ対策。こういうのに弱いです。ああ面白い。
アクションシーンが上手すぎて、モーションまで想像できてしまうのが悔しい。
ベルチナに肉と骨が詰まってふくふくしているのは……→いい!
いいところを書き出したらキリがなさそうなのでやらないぞ
なにかと出てくるオッドラの自由気儘新入社員ぶり
「死と太陽を直接見つめると目がつぶれるから、労働というサングラスで保護してやる必要があるのだ」が名言すぎる。
あらすじ文の「そしてそれとは関係なく」ずるすぎる。実際本当に関係ないし。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p162「オッドラときたらたいしたもんだ。朝」〜
出社、データがぬるぬるになるトラブル
NULLs propagateってことでいいんだよな!?
こういうのをネタとしてメインにするのかと(あらすじ文での言及も含め)思ったらサクッと流されるのが良すぎる。
電子粘菌ってなんだよとかいろいろ言いたいことが多いんだが、それにつけてもダルダルの職場感が最高
ちなみにこのへんの「オッベルと象」オマージュはとくに別にどこにもかかってないですよね?なんなのもう!
「デウスに誓って」とかあたりの雰囲気くらいか?
宮沢賢治のあの作品も、象がブラックな労働をさせられる話なので、孤独な老象辺りでかかっているはず…
p166「オッドラときたらたいしたもんだ。内勤のくせして」〜
サーバー室に入り対処しようとしたらサーバ(ー)やまんばと遭遇し、追い返される(主人公の諦めが早いのもダルい感じでいい)
途中でダークソウルになるところとかいろいろ言いたいことが依然多い
老婆が退職再雇用の平社員とはいえ重役と昵懇かもしれんみたいな下りが良すぎる
p171「どのみち今日は仕事にならないから」〜
残業のうえ帰宅。ベルチナ登場、餃子、フェラ、そして我に返る
ベルチナの描写に主人公のドルオタ性が滲むところとかいろいろ言いたいことが依然多い
さっきの「同僚老婆を殴っちゃまずいよな」の我に返りの相似形としての沼妖精に舐めさせたらまずいよなの我に返り方!
p179「ヨギボーを掌底で押し込み」〜
主人公のしょんぼり、沼妖精は印旛沼の妖精である、印旛沼を襲う地上げと妖精婆率いる反対運動、その婆を探している、婆の道は婆
婆の道は婆ではないんよ
地名とか固有名詞のズラし方がいちいちずるい
p184「翌日、俺は」〜
ベルチナを伴って出社、おかげで職場でちょっといざこざ
このへんのなんか妖精とか学校に連れてきちゃったドタバタ的なやり口が良い
p188「サーバ室へ通じる」〜
ベルチナを伴ってサーバ室へ、セキュリティの観点からババアの攻撃を受けベルチナが死亡、主人公もピンチ!、一人情シスのヘモトにより助けられる
「何って、マシンを強制終了しただけだが?」をはじめいろいろ言いたいところが多い
p193「俺は地上へ戻ると」〜
業務への復帰、終業ののちベルチナを想い苦しむ主人公、オッドラに誘われてラーメンへ、オッドラによるベルチナの復活
いや!なんかいい話ふうに締めるんじゃないよ!
ベルチナシスターズが普通にかわいいんだよな
cydonianbanana「閲覧者」
一言
みんなだいすきメタ構造。
1:1地図、ヘッドセットの説明書、本書の説明書と説明書の多層構造が作られているのに貫禄がある。
描写しまくり系がしっかりできる体力、すごい。
タイトルからしてかっこいい。
感覚的なことをいいますが、潜っていく感じが気持ちよかったです。
ストリートビューの棒人間を地図へぽんと落とすあの感覚
視点を担う対象にの心的描写を排し、純粋なカメラとして作品全体を眺め回すスタイルはハードボイルド風でありつつも、選択したオブジェクトやシチュエーションにどこか回顧的で懐かしさを呼び覚ます効能があり情緒が失われてもいない。細部に神が宿ってる。物語構造を引っこ抜いて、物語の説明を試みたまさに「物語の説明書」だと感じました。すごい。
「覗き込む(=作中作に移行する?)とインデントが一段下がる」の使い方がうまい。最後できっちりおっと言わせてくれる……
これを軸にちょっと内容まとめたい気持ちがあります
インスパイヤを感じたもの
作中作に潜る、潜る、潜る、ドーンみたいなのはインセプション感
VRの多層性や、ヘッドセットを外すという行為への注目は、PROJECT: SUMMER FLARE感
そのワールド性というかVR的な題材を地図の話と作中作の議論に結びつけて小説としての強みというか特徴に繋いでいるのが良いですね
細部
細部に神が宿ってる。何度でも書く。
小説における情景説明のパラグラフ、その作法をレイヤー化して表現しているのが技法として新しい。私も感覚としては無意識にやっていることだけど、大枠から細部へと向かう描写の手法を字下げというかブロック分けで詳らかにしているのが「分かる」って感じでした。
「いま、あなたが見ているその地図、わたしが立っているこの場所は〜」から「たまらずヘッドセットを」へのジャンプが読み手の視点を物理的にジャンプさせている。そしてまた次のパラグラフで「潜る」。このジグザグ加減がたまらない。
文章に点在するこの切れ込みのちょうど境目の描写が好き。長すぎるエレベーターとか、バス停とか。モンタージュを多用した古いソ連の映画みたいで好きです。
構成をざっと見ていこうのコーナー
p204「盛夏の日射しと」の段落
レイヤ0(便宜的にここをいったんレイヤ0とする。部屋の外)
p205「玄関の中は」〜
レイヤ1(部屋を進む視点)〜2(仕切りの奥や棚の中、置かれた説明書の中など)の行き来
男性の一人暮らしのように見える
っていうかばななハウスすぎるだろ!!
https://cydonianbanana.net/2022/02/06/%e8%87%aa%e5%ae%a4%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%86%e3%83%aa%e3%82%a22022/
だからばななハウスをフォトグラメトリでVRChatのワールドにして閲覧者ワールドとして公開して欲しい
内側から鍵がかかった扉(レイヤ1)のむこうからくぐもった女の声がする(レイヤ2)
あとのほうでも女の声が出てくる
ウイスキー棚(レイヤ1)に並んでいる瓶のラベル(レイヤ2)から未来っぽいことがわかる
ただここは基本的に実在のウイスキーの名前っぽい?(「UMC2273〜」から出てきたりはしてねえ)
董啓章『地図集』からの引用(レイヤ2):ボルヘスの縮尺一分の一地図の話。考察ポイントだ
読んだことあるはずだけどぜんぜん覚えていない。っていうか、この 『地図集』-「学問の厳密さについて」-『賢者の旅』の(引用もしくは作中作による)重層構造がそもそも本作全体の示唆にもなってるのか
p212「《……作中作とは」
レイヤ2(部屋にあるコンピュータの画面上)
原寸地図についての話。ここも考察ポイントだ
emacsおじさん
p215「書斎の机に載っているものは」
レイヤ1(部屋にあるヘッドセットの描写)〜レイヤ2(ヘッドセットを被って見るなかで映写機)〜レイヤ3(映写機の映し出す映像と女の声)
レイヤ3の女の語りも考察ポイント
ファムファタール感
レイヤ3の最後で炎→レイヤ2の映写機も燃える→レイヤ1の部屋にも煙
p220「もうお気づきのことと思いますが」
いきなり3段階落ちて、ここまで出てきていないレイヤ4
「出口を」ということで、逃げてね的なことを言われる(お前は誰や)。このへんの語りの内容も考察ポイントだ
p220「たまらずヘッドセットを脱ぎ捨てると」
そしていっきにレイヤ0に上がる
冒頭では「屋外=レイヤ0、部屋のなか=レイヤ1……」であったが、ここでは「冒頭から一貫した描写をVR内と捉えなおしたときの、そこからヘッドセットを外した状態」がレイヤ0になっている(「レイヤ0」でインデックスした先がズレていることに注意)。これ言ってること伝わるか?
これは脱ぎ捨ててるヘッドセットが違う(一段上)のかもと思ったけどどうですか?
いや、むらしっとさんはそのことを書いてるのか。
ここはここまでのレイヤ1の「部屋のなか」と同じ部屋のなか(だが煙は出ていない)。「次の地図の記憶から」と言うとおりである
p221「踏み出した足が」
レイヤ1だが、先ほどの部屋(レイヤ0)との「ズームイン/アウト」関係が(すくなくとも一見)ないように見える。もちろん最初のほうからの「レイヤ1」ともまた別
「次は出口、出口」
いつもの伊豆要素
実際に伊豆市に出口という地名・バス停がある
p221「目の前に」
(空行を挟んで)レイヤとしてはマイナス1相当(本書の版面の上端より上から始まっている)
説明書を読んでるのにレイヤが変わってないとか、最初のほうで出てきた説明書とちょっと組み方が違う(階層でのインデントもあるし、空行も入ってる)とか
煙が出てるんですけど→お近くの非常口へ
目次の横のページの火気に注意っていうのと繋がる
3 notes · View notes
wangwill · 2 months
Text
大年初一(20240210)
H:今天星期六,農曆正月初一。以前初一早上吃素食,中午可開暈。穿新衣,拜拜,到住家週邊拜年。到廟走走。如今在家,懶人一個。心態影響生活。熱鬧藏於心中。龍年生肖今天正式開始!20240210W6
網路資料:
《元日》 北宋•王安石
爆竹聲中一歲除,春風送暖入屠蘇。
千門萬戶曈曈日,總把新桃換舊符。
元日是大年初一,古代的爆竹不是火藥,而是去燃燒竹竿,據說竹子的爆裂之聲可以驅鬼避邪。
《田家元日》唐•孟浩然
昨夜鬥回北,今朝歲起東。我年已強仕,無祿尚憂農。
桑野就耕父,荷鋤隨牧童。田家佔氣候,共說此年豐。
「春節」出現在中國歷史上是非常晚近的事。民國以前,大年初一都稱作「元旦」或「元日」,在先秦《尚書.舜典》中就已出現。一直到辛亥革命以後,開始採用西曆,才把元旦這個詞讓給西曆1月1日,並將傳統的元旦改為春節。中國第一個「春節」在1914年,距今不過百年時間。
古時有「歲後八日」的說法,正月初一是雞日,初二是犬日,初三是豬日,初四是羊日,初五為牛日,初六為馬日,初七為人日,初八為谷日,所以有「正月初一不殺雞」或「正初初一忌殺生」的說法。
大年初一不能煮新飯,要吃除夕留下的過年飯,意寓去年的東西吃不完,到今年還有剩,所以年夜飯建議可以多煮一點。
【正月調】 
簡上仁:曲、編詞(取材自傳統唸謠) 
初一早 
初二早 
初三睏到飽 
初四接神 
初五隔開 
初六挹肥 
初七七元 
初八完全 
初九天公生日 
初十吃食 
十一請子婿 
十二請查某子返來吃泔糜仔配芥菜 
十三關老爺生 
十四月光 
十五元宵暝
初一禁忌
1.不可以借錢給別人:
初一借他人錢財容易把財氣借光。
2.初一不可睡懶覺:
3.催睡夢中的人不宜叫全名:
4.不要睡午覺:
初一不要睡午覺,可外出走走。
5.忌動針線:
初一動針線未來一年容易有血光。
6.忌動剪子和刀子:
7.忌掃地洗衣:
8.不要砸破東西:
9.不要倒垃圾:
初一倒垃圾容易把財氣與好運倒光。
10.不要吃稀飯、葷食:
古代人認為稀飯是窮人在吃的,因此初一吃稀飯容易吃窮,不吃葷是有句俗語說:初一早吃菜恰贏吃全年齋。
笨惰仙
一天過了又一天,
身軀無洗全全仙,
走去溪仔邊洗三遍,
毒死烏仔魚數萬千。
十二生肖 
一鼠賊仔名,二牛駛犁兄,
三虎爬山棚,四免遊東京,
五龍皇帝命,六蛇給人驚,
七馬走兵營,八羊吃草嶺,
九猴爬樹頭,十雞啼三聲,
十一狗顧門埕,十二豬菜刀命。
《青玉案·元夕》宋•辛棄疾
東風夜放花千樹。更吹落、星如雨。寶馬雕車香滿路。鳳簫聲動,玉壺光轉,一夜魚龍舞。蛾兒雪柳黃金縷。笑語盈盈暗香去。眾里尋他千百度。驀然回首,那人卻在,燈火闌珊處。
荊楚歲時記
荊楚歲時記
梁宗懍撰
隋杜公瞻注
《荊楚歲時記》一卷,〈兩江總督採進本。〉舊本題晉宗懍撰。《書錄解題》作梁人。考《梁書‧元帝本紀》載承聖三年秋七月甲辰,以都官尚書宗懍爲吏部尚書。又《南史‧元帝本紀》載武陵之平,議者欲因其舟艦遷都建鄴,宗懍,黃羅漢皆楚人,不願移。此書皆記楚俗,當卽其人。舊本題晉人,誤也。《唐》、《宋志》皆作一卷,與今本合,而《通考》乃作四卷。考《書錄解題》載懍自序曰︰「傅元之《朝會》,杜篤之《上巳》,安仁《秋興》之敍,君道《娛蜡》之述,其屬辭則已洽,其比事則未宏,率爲小說,以錄荊楚歲時風物故事。自元日至除日,凡二十餘事。」然則必無四卷,知《通考》爲傳寫之譌。又檢今本,實有三十六事,幷知陳振孫所記懍序,亦以三字譌爲二字。然周密《癸辛雜識》引張騫乘槎至天河見織女得支機石事,云出《荊楚歲時記》,今本無之,則三十六事,尚非完本也。其註相傳爲隋杜公瞻作,故多引開皇中杜臺卿《玉燭寶典》。然《唐志》宗懍《荊楚歲時記》一卷下,又出杜公瞻《荊楚歲時記》二卷。豈原書一卷,公瞻所註分二卷,後人又合之歟?
姊妹计划: 百科·图册分类·语录·数据项
正月一日,是三元之日也,謂之端月。
【按︰《史記》云︰「正月為端月。」《春秋傳》曰︰「履端于始。」元,始也。】
鷄鳴而起。
【按︰《周易緯通卦驗》云︰「雞,陽鳥也,以為人候,四時使人得以翹首結帶、正衣裳也。」注云︰「《禮‧內則》云︰『子事父母,婦事舅姑,雞初鳴,咸盥漱櫛纚笄。』」則惟其常,非獨此日。但元正之朝,存亡慶吊,官有朝賀,私有祭享,虔恭宜早復位于餘辰,所以標而異焉。】
先於庭前爆竹,以辟山臊惡鬼。
按︰《神異經》云:「西方山中有人焉,其長尺餘,一足,性不畏人,犯之則令人寒熱,名曰山臊。人以竹著火中,烞〈音朴。〉熚〈音必。〉有聲,而山臊驚憚遠去。」《玄黃經》所謂山㺐鬼也。俗人以為爆竹燃草起於庭燎,家國不應濫於王者。
帖畫雞,或斵鏤五采及土鷄于戶上。造桃板著戶,謂之仙木。繪二神貼戶左右,左神荼,右鬱壘,俗謂之門神。
按:莊周云︰「有掛雞于戶,懸葦索於其上,插桃符於旁,百鬼畏之。」又魏時,人問議郎董勛云︰「今正、臘旦,門前作烟火,桃神,絞索松柏,殺雞著門戶,逐疫,禮歟?」勛答曰︰「禮。十二月索室逐疫,釁門戶,磔鷄。漢火行,故作助行氣。桃,鬼所惡,畫作人首,可以有所收縛,不死之祥。」又桃者五行之精,能制百怪,謂之仙木。《括地圖》曰︰「桃都山有大桃樹,盤屈三千里,上有金雞,日照則鳴。下有二神,一名鬱,一名壘,并執葦索,以伺不祥之鬼,得則殺之。」即無神荼之名。應劭《風俗通》曰︰「《黃帝書》稱︰『上古之時,有神荼、壘鬱兄弟二人,住度朔山上桃樹下,簡百鬼。鬼妄搰人,援以葦索,執以食虎。』于是縣官以臘除夕飾桃人,垂葦索,畫虎于門,效前事也。」
於是長幼悉正衣冠,以次拜賀,進椒柏酒,飲桃湯,進屠蘇酒,膠牙餳,下五辛盤,進敷于散,服却鬼丸,各進一雞子。凡飲酒次第從小起。梁有天下,不食葷,荊自此不復食雞子,以從常則。
按:《四民月令》云︰「過臘一日,謂之小歲,拜賀君親,進椒酒,從小起。椒是玉衡星精,服之令人身輕能〈讀作耐。〉老;柏是仙藥。」成公子安《椒華銘》曰︰「肇惟歲首,月正元日,厥味惟珍,蠲除百疾。」是知小歲則用之漢朝,元正則行之晉世。《典術》云︰「桃者,五行之精,厭伏邪氣,制百鬼也。」董勛云︰「俗有歲首,酌椒酒而飲之,以椒性芬香,又堪為藥,故此日采椒花以貢尊者飲之,亦一時之禮也。」又晉海西四令問勛曰︰「俗人正日飲酒,先飲小者,何也?」勛曰︰「俗云小者得歲,先酒賀之,老者失歲,故後飲酒。」周處《風土記》曰︰「元日造五辛盤,正月元日,五薰鍊形。」注︰「五辛所以發五藏之氣,即大蒜,小蒜,韮菜,雲臺,胡荽是也。」莊子所謂「春正月,飲酒茹葱,以通五藏也。」《食醫心鏡》曰︰「食五辛以辟厲氣。」敷于散即胡洽方許出散,並有藥斤兩種類。敷于散出葛洪《煉化篇》。方用柏子仁、麻仁、細辛、乾薑、附子等分為散,井華水服之。又《天醫方序》云︰「江夏劉次卿見鬼,以正旦至市,見一書生入市,眾鬼悉避,劉問書生曰:『子有何術,以至於此?』書生言︰『我本無術,出之日,家師以一丸藥絳囊裹之,令以繫臂,防惡氣耳。』於是劉就書生借其藥,至所見諸鬼處,諸鬼悉走,所以世俗行之。其方用武都雄黃、丹散二兩,蠟和,令調如彈丸。正月旦,令男左女右帶之。」周處《風土記》曰︰「正旦當吞雞子一枚,謂之鍊形。」膠牙者,蓋以使其牢固不動,取膠固之義。今北人亦如之。
熬麻子、大豆,兼糖散之。
按:《煉化篇》云︰「正月旦,吞雞子、赤豆各七枚,辟瘟氣。」又《肘後方》云︰「旦及七日,吞麻子、小豆各十七枚,消疾疫。」張仲景《方》云︰「歲有惡氣中人,不幸便死,取大豆十七枚、雞子、白麻子并酒吞之。」然麻豆之設,當起於此。今則熬之,未知所據也。
又以錢貫繫杖脚,廻以投糞掃上,云「令如願」。
按:《錄異記》云︰「有商人區〈一作歐。〉明者,過彭澤湖,有車馬出,自稱青湖君,要明過家,厚禮之,問何所須。有人教明,但乞如願。及問,以此言答,青湖君甚惜如願,不得已許之,乃是一少婢也。青湖君語明曰︰『君領取至家,如要物,但就如願,所須皆得。』自爾商人或有所求,如願並為即得,數年遂大富。後至正旦,如願起晚,商人以杖打之,如願以頭鑽入糞中,漸沒失所,後商人家漸漸貧。」今北人正旦夜立于糞掃邊,令人執杖打糞堆,以答假痛,又以細繩繫偶人,投糞掃中,云「令如願」,意者亦為如願故事耳。
正月七日為人日,以七種菜為羹,翦綵為人,或鏤金箔為人,以貼屏風,亦戴之以頭鬢,亦造華勝以相遺,登高賦詩。
按:董勛《問禮俗》曰︰「正月一日為雞,二日為狗,三日為羊,四日為猪,五日為牛,六日為馬,七日為人,以陰晴占豐耗,正旦畫雞于門,七日帖人於帳。」今一日不殺雞,二日不殺狗,三日不殺羊,四日不殺猪,五日不殺牛,六日不殺馬,七日不行刑,亦此義也。古乃磔雞令畏鬼,今則不殺,未知孰是。荊人於此日向辰,門前呼牛羊雞畜,令來。乃置粟豆於灰,散之宅內,云「以招牛馬」,未知所出。劉臻妻陳氏《進見儀》曰︰「七日上人勝于人。」董勛曰︰「人勝者,或剪綵,或鏤金箔為之,帖于屏風上,或戴之,像人入新年,形容改從新也。」華勝起于晉代,見賈充李夫人《典戒》云︰「像瑞圖金勝之形,又取像西王母正月七日,戴勝見武帝于承華殿也。」舊以正月七日為人,故名人日,剪綵鏤金箔為人,皆符人日之意,與正旦鏤雞於戶同。今北人又有至人日諱食故歲菜,惟食新菜者,與楚諱食雞正相反。又餘日不刻牛羊猪犬馬之像,而二日獨施人雞,此則未喻。郭緣生《述征記》云︰「魏東平王翕,七日登壽張縣安仁山,鑿山頂為會望處,刻���於壁,文字猶在。銘云︰『正月七日,厥日為人,策我良駟,陟彼安仁。』」《老子》云︰『衆人熙熙,如享太牢,如登春臺。』《楚詞》云︰「目極千里傷春心。」則春日登臨,自古為適,但不知七日竟起何代。晉代桓溫參軍張望,亦有正月七日登高詩。近代以來,南北同耳,北人此日食煎餅,於庭中作之,云「薰天」,未知所出也。
立春之日,悉翦綵為鷰以戴之,帖「宜春」二字。
按:綵鷰即合歡羅勝。「宜春」二字,傅咸《鷰賦》有其言矣。賦曰︰「四時代至,敬逆其始,彼應運於東方,乃設鷰以迎至。翬輕翼之岐岐,若將飛而未起。何夫人之功巧,式儀刑之有似。銜青書以贊時,著宜春之嘉祉。」
立春日,為「施鈎」之戲,以緶作篾纜相罥,綿亘數里,鳴鼓牽之。
按:施鈎之戲,求諸外典,未有前事。公輸子自遊楚為載舟之戲,退則鈎之,進則強之,名曰「鈎強」,遂以鈎為戲。意起于此。《涅槃經》曰︰「鬬輪罥索。」其外國之戲乎?今鞦韆亦施鈎之類也。〈施或作拖。〉
又為打毬鞦韆之戲。
按:劉向《別錄》曰︰「寒食蹴鞠,黃帝所造,本兵勢也。」或云起於戰國。案鞠與毬同,古人蹋蹴以為戲也。《古今藝術圖》云︰「鞦韆本北方山戎之戲,以習輕趫者。後中國女子學之,乃以綵繩懸木立架,士女炫服坐立其上,推引之,名曰鞦韆。」楚俗亦謂之「施鈎」,《湼槃經》謂之「罥索」。
正月十五日,作豆糜,加油膏其上,以祠門戶。
按︰《齊諧記》曰︰「正月半,有神降陳氏之宅,云是蠶室,若能見祭,當令蠶桑百倍。」疑非其事。祭門��之七祠。今州里風俗,是〈一作望。〉日祠門戶。其法先以楊枝插於左右門上,隨楊枝所指,乃以酒脯飲食及豆粥餻糜插箸而祭之。」《續齊諧記》曰︰「吳縣張成夜起,忽見一婦人立於宅東南角,舉手招成,成即就之。謂成曰:『此地是君家蠶室,我即此地之神。明年正月半,宜作白粥,泛膏於上以祭我,當令君蠶桑百倍。』言訖而去,遂失所在。成如言,為作膏粥。自此已後,年年大得蠶。」今世人正月十五日作粥禱之,加以肉覆其上,登屋食之,咒曰︰「登高糜,挾鼠腦,欲來不來,待我三蠶老。」是則為蠶逐鼠矣,與《齊諧記》相似。又覆肉亦是覆膏之理。石虎《鄴中記》︰「正月十五日,有登高之會。」則登高又非今世而然者也。
其夕,迎紫姑,以卜將來蠶桑,并占衆事。
按:劉敬叔《異苑》云︰「紫姑本人家妾,為大婦所妬,正月十五日感激而死,故世人作其形于廁中迎之,卜咒云︰『子胥不在,〈云是其壻。〉曹夫人已行,〈云是其婦。〉小姑可出。」《異苑》又云︰「於廁邊或猪欄邊迎之,捉之覺重,是神來也。平原孟氏恒不信,嘗以此日迎之,遂穿屋而去。自爾廁中著以敗衣,蓋為此也。」洞覽云︰「是帝嚳女,將死,云︰『生平好樂,至正月半,可以衣見迎。』又其事也。《雜五行書》︰「廁神名後帝。」《異苑》云︰「陶侃如廁,見人自云後帝,著單衣,平上幘,謂侃曰︰『三年莫說,貴不可言?』」將後帝之靈,憑紫姑而言乎?俗云溷廁之間必須淨,然後致紫姑。
正月夜,多鬼鳥度,家家槌床打戶,捩狗耳,滅燈燭以禳之。
按︰《玄中記》云︰「此鳥名姑獲,一名天帝女,一名隱飛鳥,一名夜行遊女。好取人女子養之,有小兒之家,即以血點其衣以為誌,故世人名為鬼鳥。荊州彌多。」斯言信矣。
正月未日夜,蘆苣火照井廁中,則百鬼走。
元日至于月晦,並為酺聚飲食,士女泛舟,或臨水宴會,行樂飲酒。
按︰每月皆有弦望晦朔,以正月為初年,時俗重之,以為節也。《玉燭寶典》曰︰「元日至月晦,人並酺食渡水,士女悉湔裳,酹酒於水湄,以為度厄。今世人唯晦日臨河解除,婦人或湔裙。」又是月,民並脯食,□□之名又似之矣。出錢為醵,出食為脯,竟分明。擲虜名為博射,《藝經》為擲博。
晦日送窮。
按:《金谷園記》云︰「高陽氏子瘦約,好衣敝衣食糜。人作新衣與之,即裂破以火燒,穿著之,宮中號曰『窮子』。正月晦日巷死。」今人作糜棄破衣,是日祀于巷,曰『送窮鬼』。
0 notes
raccoon-pizza · 3 months
Text
852:底名無し沼さん (スップ Sd03-USzX [1.66.105.115]):[sage]:2023/12/11(月) 15:31:32.83 ID:qJfumJxUd
富士宮焼きそばってB級グルメとしてもたいして美味しいとは思わんけどなぁ
【静岡県内発 世界で手応え 「コナモンコンテスト」富士宮やきそばが米国で圧勝(東京新聞)】
静岡県富士宮市のご当地グルメ、富士宮やきそばを全国区の知名度に押し上げた「富士宮やきそば学会」は、米国で開かれた「コナモン(粉もん)コンテスト」に初めて参加し、グランプリに輝いた。
新型コロナ禍もあって近年は海外進出に向けた動きが停滞。今年に入ってから本腰を入れ始めており、「日本のご当地グルメを引っ張っていく存在になりたい」と意気込む。
https://news.goo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-295226.html
https://i.imgur.com/wcpgcpH.jpg
853:底名無し沼さん (ブーイモ MM43-m4TX [49.239.64.75]):[sage]:2023/12/11(月) 19:33:37.85 ID:iV1vnFCwM
日本人の口に合わなくても向こうの人の好みには合ったんだろう、ってだけのこと。
854:底名無し沼さん (ワッチョイ 9bec-CbLu [2001:268:9673:d67d:*]):[sage]:2023/12/11(月) 20:58:39.30 ID:+iaYEpdH0
旨いかどうかはともかく
知名度でそこまでか?とは思う
856:底名無し沼さん (ワッチョイ 95b1-cbrN [36.2.249.60]):[sage]:2023/12/11(月) 21:19:50.66 ID:I6XGOGEM0
それ世界大会というからどんなもんかと思ったらジャパンフェスの1企画で参加者が7団体しかいなかった
857:底名無し沼さん (ワッチョイ 3581-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/12(火) 00:18:39.89 ID:SM9+0HDM0
道の駅とかSAでまぁご当地ものだから食うかって感じで食う事はあるけど
ぶっちゃけ普通の焼きそばの方がうまいと思うわw
858:底名無し沼さん (ワッチョイ b530-GdqS [110.131.34.241]):2023/12/12(火) 00:52:31.03 ID:hrL2IX430
情弱観光客狙いは明白
861:底名無し沼さん (スッップ Sd43-rx0E [49.98.129.212]):[sage]:2023/12/12(火) 15:45:17.94 ID:mATzwEf5d
富士宮焼きそば出すとこなら大抵あるホルモン焼きそばオススメ
鉄板前で食べるとこなら しぐれ焼きも
862:底名無し沼さん (ワッチョイ 3584-USzX [240b:10:20c0:5700:*]):[sage]:2023/12/12(火) 22:07:36.51 ID:dfI1C6CS0
>>861
普通の人が富士登山と焼きそば以外で富士宮市に行く観光目的って何かあるん?
863:底名無し沼さん (ワッチョイ e3ed-cbrN [115.125.17.26]):[sage]:2023/12/12(火) 22:10:28.22 ID:9YATfCBf0
>>862
おいおい
浅間大社参拝や白糸の滝やまかいの牧場とか富士宮は観光スポットはたくさんあるぜよ
864:底名無し沼さん (エムゾネ FF43-USzX [49.106.237.91]):[sage]:2023/12/13(水) 00:32:34.45 ID:WlgZSXdcF
>>863
華厳の滝とかなら知ってるけど白糸の滝ってここ?
なんか動画見る限り富士宮焼きそばみたいにB級スポットらしいけど
https://youtube.com/watch?v=t_MNB4-X8eI&si=zUlWBSZkDQH8YAmM
865:底名無し沼さん (ワッチョイ 35d7-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/13(水) 02:34:35.91 ID:EtlcjX/40
白糸の滝はかなり有名だし、逆さ富士やダイアモンドで有名な田貫湖とか富士五湖ではなけど富士山を見る上では外せないだろう
浅間大社の湧き水とか忍野八海並の透明度でビビるで
地味に🦆がいっぱい居て癒される
866:底名無し沼さん (バットンキン MM19-3yS0 [114.156.46.117]):[sage]:2023/12/13(水) 07:50:41.75 ID:Ce1igEv/M
まかいの牧場もいいけど道の駅朝霧高原もいい
隣にフードパークもあるのもポイント高い
867:底名無し沼さん (ワッチョイ b588-Z9Xq [180.35.99.245]):[sage]:2023/12/13(水) 09:40:30.66 ID:+9HKDrNl0
>>862
無いな
観光スポットがあるから行くのではなく、あの辺行くから何があるか調べたら出てくるのがレスに挙がってる観光スポット
868:底名無し沼さん (スフッ Sd43-J7TY [49.104.26.72]):2023/12/13(水) 12:17:16.20 ID:yKLA3W97d
白糸の滝は自分のイメージよりも小振りだった
地下水が岩盤の途中から涌き出てたのが印象的
869:底名無し沼さん (ワッチョイ fdd3-69xs [240b:c010:442:8b65:*]):2023/12/13(水) 12:18:34.03 ID:5D47Mx1d0
軽井沢のより大きいじゃん
870:底名無し沼さん (スッップ Sd43-USzX [49.98.161.106]):[sage]:2023/12/13(水) 15:30:03.74 ID:CQ348TuYd
富士宮以上に御殿場のほが富士登山以外に普通の人が行く目的なくないか?
思いつくのでも御殿場アウトレットと足柄SAくらいだぞ
875:底名無し沼さん (ブーイモ MM43-m4TX [49.239.66.40]):[sage]:2023/12/13(水) 20:49:11.36 ID:AgtI8H6iM
御殿場と富士宮なら、東名だと裾野ICと沼津ICを挟むくらい遠いから一括りにはならんぞ。
>>870
足柄SAより駿河湾沼津SAのほうが一般受けしてるでしょ。
871:底名無し沼さん (ワッチョイ fd3c-ndax [2001:268:9867:b489:*]):2023/12/13(水) 15:41:04.42 ID:N3ycy2Me0
その御殿場アウトレットが強すぎんのよ
そういうの例外にしだしたら吉田も富士五湖も何もねーよ
872:底名無し沼さん (スッップ Sd43-rx0E [49.98.135.67]):[sage]:2023/12/13(水) 18:21:53.43 ID:xT6E/3TUd
御殿場アウトレットは数回行けばもういいような
関東圏の人にはそもそも行く理由も無いような
御殿場は山中湖周辺まで行けば色々遊べるけど富士登山と一緒は遠いな 
後は時之栖で肉と御殿場高原ビール
880:底名無し沼さん (スップ Sd43-USzX [49.97.106.3]):[sage]:2023/12/14(木) 01:17:30.40 ID:uXlTtvErd
>>872
御殿場アウトレットはバスタ新宿から毎日直通バス出てるし5年くらい前にその直通バス往復券予約して乗ったら満席だったぞ
御殿場アウトレット内にある「さわやか」は休日とか開店前に1日の整理券全部売り切れるって聞いたけど
https://i.imgur.com/MshpY94.jpg
881:底名無し沼さん (ワッチョイ 359d-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/14(木) 01:21:41.35 ID:ELDwqxeH0
>>880
まぁあそこのさわやかは異常だわな
昼前に見たら7時間待ちとかで初見の人は理解するのに少し時間かかるレベルw
882:底名無し沼さん (スップ Sd03-USzX [1.75.7.201]):[sage]:2023/12/14(木) 02:12:02.21 ID:8aTba2oud
>>881
富士登山の行列含め並ぶの嫌いだから行ったことないけどさわやかのハンバーグってそんなに美味しいの?
873:底名無し沼さん (ワッチョイ fdff-5Qt1 [114.177.66.134]):[sage]:2023/12/13(水) 19:33:58.50 ID:4ZhRHIHF0
あそこ、元々遊園地だったから無駄に広い
一筆書きで歩けないから好きじゃないw
874:底名無し沼さん (ワッチョイ 1576-TPys [240d:1a:77a:fe00:*]):[sage]:2023/12/13(水) 19:38:13.74 ID:U/J2BPL80
そうそう小田急ファミリーランドな
ガキの頃行ったことある
877:底名無し沼さん (スッップ Sd43-USzX [49.98.134.240]):[sage]:2023/12/14(木) 00:01:07.75 ID:9UC++uBad
富士サファリパークとか富士スピードウェイも御殿場じゃなかったっけ?
878:底名無し沼さん (ワッチョイ 359d-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/14(木) 00:50:04.23 ID:ELDwqxeH0
サファリは裾野だぞ
883:底名無し沼さん (ワッチョイ 359d-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/14(木) 02:30:15.65 ID:ELDwqxeH0
うまいのはうまいよ
とびきりうまいから行くと言うより静岡にしかない有名なご当地チェーンだから折角だし行っとくかって感じの店
車で来てるなら態々アウトレット内でアホみたいに並んで食わなくても
ちょっと行ったとこにもあるからそこで食えばいい
885:底名無し沼さん (スッップ Sd43-rx0E [49.98.138.63]):[sage]:2023/12/14(木) 07:16:05.52 ID:Rc+nlrDAd
さわやかはユッケ好きな人なら楽しめる
886:底名無し沼さん (ワッチョイ b588-Z9Xq [180.35.99.245]):[sage]:2023/12/14(木) 14:29:35.65 ID:IRMHXE8G0
中までしっかり火を通してくれって注文するから普通のハンバーグとたいして変わらん
887:底名無し沼さん (ワッチョイ fdb0-CbLu [2001:268:966e:ba0b:*]):[sage]:2023/12/14(木) 22:46:11.62 ID:p+s2RcyZ0
御殿場に限らず
大抵のさわやかは待ちが発生する印象
889:底名無し沼さん (ワッチョイ 35bf-ndax [240b:11:60e0:3600:*]):2023/12/15(金) 01:03:45.24 ID:51FQBmS/0
>>887
御殿場のとこはどうしてもね。平日ならまだマシだけど
浜松の店舗ならまぁまぁ空いてる
0 notes
pix4japan · 26 days
Text
Part III: Landscape Photography at Lake Tanuki, Shizuoka Prefecture, Japan | 静岡県・田貫湖と富士山の風景写真
Join me for a 60-second visit to the shores of Lake Tanuki in Shizuoka Prefecture, Japan.
Pampas Grass in Modern-Day Japan https://www.pix4japan.com/blog/20240228-pampas Pentax K-1 II + DFA 28-105mm F3.5-5.6 + CP 48 mm ISO 100 for 1/100 sec. at ƒ/11
Anglers Admire Mt. Fuji on Lake Tanuki https://www.pix4japan.com/blog/20240228-invasive-species Pentax K-1 II + DFA 28-105mm F3.5-5.6 + CP 45 mm ISO 100 for 1/400 sec. at ƒ/6.3
8 notes · View notes
hi-technique · 2 years
Text
Tumblr media
48 notes · View notes
fujisanfarm · 5 months
Text
田貫湖
Tumblr media
1 note · View note
soulpatrol345-blog · 1 year
Photo
Tumblr media
_/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/ 2022/12/09 mame no ne chocolate milk ショコラ M 500円 ✴︎ホイップトッピング 田貫湖の森の中にあるカフェ。 こんな所に?ときっと驚きます。 豊富なカフェメニューにランチもある。 今週はミートボール。 屋外のテラス席でまったりと。 これから寒いので、暖かくしてどうぞ! 今日10日からフードカーが戻ってきます。 詳しくはこちら ✴︎050のIP電話は使えません mame no ne 静岡県富士宮市内野1790-7 https://tabelog.com/shizuoka/A2204/A220401/22039605/ mame no ne https://maps.app.goo.gl/ruKdZ15ca54QALX18?g_st=ic #マメノネ #mamenone #田貫湖 #薪ストーブ #フードカー #フードトラック #カフェ #cafe #ホットチョコレート #hotchocolate #焼き菓子 #カヌレ #パウンド #ショコラ #富士宮 (田貫湖) https://www.instagram.com/p/Cl95iasyn7A/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
twletterpress · 6 months
Text
Tumblr media
一張明信片可以紀錄生活上重要的日子,尤其這張還是我親手印製的一張手工片~這張是我寄給自己的一張片,我在臺中長大,對於臺中這土地發生的事從小就很愛大人講起,聽故事真的超有趣~
臺中曾經是省城的所在地,到1908年縱貫鐵道通車典禮也在臺中,臺中都還是重要的那個城市,這條鐵路影響後續城市的發展,更影響到現在深深不可沒有這條鐵道,這張片的背面,我把115年後的這一天寫下我的感想,每一年我都會寫上一張來紀念~
2023-10-24 臺中湖心亭
#活版印刷的明信片#PostCard#1908年縱貫鐵道通車典禮
#台中市#樂田活版工房
0 notes
sharp7datwikk · 2 years
Photo
Tumblr media
静岡県は富士宮市にある『田貫湖』にて。 ダイヤモンド富士を撮ることができた、奇跡的な朝でした♪ #富士宮 #田貫湖 #富士山 #ダイヤモンド富士 #mtfuji #myeos_m100 #mythrobbing (at 田貫湖) https://www.instagram.com/p/CfjZTLbPwsj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes