Tumgik
#確かに忌み嫌い合ってるかもしれんけども
ari0921 · 20 days
Text
織田邦男先生の論考です。
真の「平和国家」を目指すときだ
麗澤大学特別教授 元空将・織田邦男
政府は3月26日、日本、英国、イタリアが共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。もし日本だけが輸出できない場合、開発交渉で著しい劣勢に立たされる懸念があったが、ギリギリ間に合った。
次期戦闘機の第三国輸出
防衛装備品は年々、高性能化、高価格化し、特に先端技術の塊ともいえる戦闘機開発は一国では手に負えず、価値観を同じくする国が共同で開発する趨勢(すうせい)にある。
装備品の調達方法としては大別して3種ある。①外国から完成品を輸入②外国からライセンスを購入して自国で生産③開発(独自開発、共同開発)。その内、開発のメリットは①自国の防衛戦略に合致した装備品が入手できる②取得後、自由に改修ができる③防衛産業を育成、強化できる④先端技術が得られる⑤得られた技術を民需に活用できる―などがある。
第三国輸出には次のようなメリットがある。①生産機数が増え価格低減が図れる②維持、整備を通じ、輸入国との関係強化が図れる③輸入国の防衛力を高めることができ、日本の抑止力向上につながる④友好国を増やし、良好な安保環境醸成に資する。
他方、批判的なメディアからは「平和国家として歩んできた日本の信用を揺るがしかねない」「憲法の平和主義に反しかねない」といった主張があった。
「日本製の武器で人が殺されることがあってはならない」「死の商人になるのか」といった上滑りの情緒論的批判は論外として、「平和国家としての日本の信用」「憲法の平和主義」といった批判については違和感を覚える。
そもそも日本は「平和国家」としての責務を果たしてきたといえるのだろうか。戦後、日本は安全保障をワシントンに丸投げし、金儲(もう)けに専念してきた。他国での戦争や紛争には目を背け、自国さえ平和であればという「一国平和主義」にどっぷり漬かってきた。
日本は責務果たしてきたか
この偽善を暴いたのが湾岸戦争だった。サダム・フセインのクウェート侵略に対し、国際社会は冷戦後の平和な国際秩序維持を目指し、結束して立ち上がった。だが日本は汗を流さず、金で済まそうとした。結果、「小切手外交」「身勝手」などの汚名を着せられ、顰蹙(ひんしゅく)を買った。
平和は努力して創造するものであり、戦争に目を背けるだけでは得られない。日本の「平和主義」は「戦争」を忌み嫌うだけで、平和の創造に貢献してきたとは言い難い。「平和国家としての日本の信用」などは独り善がりの思い込み、幻想に過ぎない。我々が思うほど国際社会から評価されていないのだ。
先の大戦後、日本が全て悪く、日本さえ何もしなければ平和が達成できるといった風潮があったのも事実である。1945年8月のニューヨーク・タイムズの記事が当時を物語る。「この化け物(日本)は、一応倒れはしたがまだまだ安心ならない。我々は永遠にかかっても徹底してこの怪物(日本)の牙と骨を抜き去らなくてはならない」
国際社会の厳しい視線や、贖罪(しょくざい)意識も手伝って、安全保障については「何もしない」ことが「平和国家」と思い込み、更には「平和国家」は決して侵略されないとの「空想的平和主義」が蔓延(はびこ)った。
その後、日本の国力も増し、国際情勢の激変もあって、2013年12月、「国家安全保障戦略」を策定して「国際協調主義に基づく積極的平和主義」へ転換を図った。観念ではない地に足の着いた「平和国家」を目指すものであり、この構想は現「国家安全保障戦略」にも受け継がれている。
観念論的「平和主義」脱せ
だが、今回の「次期戦闘機輸出騒動」や「ウクライナへの支援態様」によって、いまだに観念論的「平和主義」から脱し切れない現状が白日の下に晒(さら)された。
ロシアの侵略に立ち向かっているウクライナに対し、武器、弾薬支援は認められないとして防弾チョッキや発電機でお茶を濁す。ウクライナの敗北は「力による国境変更は許さない」という戦後国際規範の崩壊に繫(つな)がり、やがては東アジアの平和を脅かすことになる可能性があるにもかかわらずだ。
G7の中でもわが国だけが異質である。これで「平和国家の価値と理念」などと胸を張れるのだろうか。侵略を許さない国際規範を守り、将来の平和を確保する。このためにあらゆる支援を惜しまない。それでこそ真の「平和国家」であり、国際社会で「名誉ある地位を占める」ことができる。
作家の司馬遼太郎氏は生前、次のように語っていた。「おかしなもんやなあ、大方の日本人にとってはある種の観念の方が現実よりも現実的なんやから」と。
「平和主義」といった実体の伴わない観念を振り回している場合ではない。今回、次期戦闘機の第三国輸出解禁で一歩前進した。今後は全面輸出解禁に踏み切り、「真の平和国家」という物差しで案件ごとに熟慮、判断し、国際平和に積極的に貢献していくべきである。(おりた くにお)
Tumblr media
7 notes · View notes
aronespace · 5 months
Text
まちかどAronespace9〜11月まとめ
 まちかどaronespaceを始めて半年が経ちました。途中抜けた期間はあるものの、一応折り返し地点にはいるのだと思うとあっという間な気がします。
【第4回・9/10(日)@ドトール仙台一番町3丁目店】
 この回は1名の方に参加いただきました。前半は持ってきた本をひとりで読んで(主に最小の結婚第4章を読んでいました。買ってから4年近く経つけど未だにこの本の難しさ・読みにくさに慣れない。でもめちゃくちゃ面白い本です)、途中からいらした方と話しました。単身者として生活することで発生する公/私空間どちらにもある難しさや煩わしさ、それらがどこから来ているのか。その中で私たちは本当に必死にサバイブしていることを再確認したり、単身者の(老後含めて)ロールモデルが身近にいないことを話したり。Aスペクトラムパーソンとして生活する中で仕事で直面する差別や個人的な困難について、色々と話しました。Alloパーソンに限らずAスペクトラムパーソンの中でも、何らかのパートナーシップを築いて他者との近しい関係の中に身を置きたい人が少なくない中で、単身者であることを選びたい表明をするのは大変だし、孤独が忌避されるのに単身であることが特権的になるアンビバレントな社会の中で、それでも単身生活ではないものをするのはなんか嫌とか、何となくそれを選びたくないというような、何となくレベルで感じる嫌さをそのまま持っていたいな、と思いました。
Tumblr media
【「第5回・10/16(日)@珈琲館BiVi仙台駅東口店】
 この回は1名の方に参加いただきました。ちなみにこの方は第1回、第4回と来てくれている方です。前半はひとりで本を読んで、来られてからは本を読んだり話したり、という感じでした。この日はいつもより読む割合が多く、シモーヌVol.5(これは日記が一つのテーマになっている号です)や個人のブログなど他者の言葉に触れる時間になりました。クィアやAスペクトラムの人々の言葉を読みたい、欲しい言葉が足りなすぎると、もう更新されなくなったブログの文章に触れて書き手に思いを馳せたり、自分がクィアであることで社会から背負わされる苦しさとの向き合い方、「レインボー・プライド」への思いを話したりしました。
Tumblr media
【第6回・11/19(日)@錦町公園】
 この回は2名の方に参加いただきました。この日は宮城のレインボーパレードの日でしたが、私はそちらには参加せず、いつも通りのまちかどaronespaceでした。でもフラッグやプラカードでいつもよりにぎやかだったかもしれない。非シスパーソン(的/でありたい表象)の見られ方、Aセクシュアル/ロマンティックの名乗り、Aスペクトラムの多様さ、自分の体や欲求の扱い・感じ方、家族との関わり、解決したくないものについてなどを話しました。ひとりでいる・やることの政治性とAスペクトラムであることの差異とかそこで発生する対立については、もやもやしていたことを話せてすごく楽になりました。
 まちかどaronespaceの記録という点から少し逸れた話になりますが、私がパレードに参加しなかったのは、いわゆる「LGBTコミュニティ」に帰属意識がなく、対立したいわけではないが連帯したいわけでもない、という思いがあるからです。まちかどaronespaceをやる上でのテーマになっている「ひとり」「Aセクシュアリティ」を考えやっていく上でこれらは譲れないポイントです。しかしこの連帯を避ける態度は個人主義や自己責任論、自分はできるからやってこれたというマッチョさ、負うべき社会的責任から逃げる脱ポリティカル的な考えと繋がりやすくなってしまう側面もあって、そこと折り合いをつける難しさをずっと感じてきました。それはまちかどaronespaceが結局何を目的にしているのか分かりにくいことも関係していて、それだけ「ひとりでやりたい」はあらゆる生活や社会規範と絡まったものなのだと思います。そういうことを、同じく地方に住み運動をやっている方と、曖昧ではっきりしないものをそのままやることの大変さや葛藤について、解決をゴールにしないやり方で話せたのが大きかったです。
Tumblr media Tumblr media
 
【第7回・11/21(火)@代々木公園】
 この回は初めて宮城を出ての開催でした。3名の方に来ていただきました。オンラインでは知っていたけど初めて会う方、本当に久しぶりに会った方と話せて楽しかったです。「ひとり」を取りまく社会構造、「ひとり」の暮らしと他者との関わり、Aセクシュアリティや性的マイノリティに関する情報の少なさ、その中で生きることのハードさ、大切にしたい他者との関わり方、それぞれの「ひとり」の在り方(への望み)、現状の暮らしの中の「ひとり」と他者を大切に思い、それを伝えたり行動で示すやり方(そしてその方法がわからなったり伝わりづらかったり、逆に案外伝えることは拒まれないこともあること)、孤独と孤立の違い、解決され(たく)ない寂しさについてなど、暮らしを取り巻くあらゆることについ���話す場になりました。まちかどaronespaceは交流会やコミュニティ作りを目的にはしていないと提示しているので、いらしてくださるということはきっと話したいことがあるから、という理由で来られるんだろうなと思うのですが、オンライン上でもほとんど絡みのない初対面の相手と生活や人生の話をする経験ってなかなかレアだと思いますし、それが何となく成立しているから不思議です。
 まず地方で生活する者として、宮城だとまじまじ見られてきた場が良くも悪くも自然にスルーされる環境が新鮮で、また都心のアクセスの便利さと相対的な地方でやっていくことの諸々の差異を感じ、改めて自分が生活する場でこのまちかどaronespaceをやる意味が私にとって大きいのだと感じました。
 Aスペクトラムとして生きることで、何に悩むかと言われるとはっきりは表現できなくとも常に何らかのしんどさはあるよねということから、 Aセクシュアリティへの偏見としてある「他者を好きにならなくてかわいそう」ってそんなわけない、人は好きだし大切にしたい人はいる、でも大切にする方法は恋愛・性愛的なルートだけじゃないのにそれが理解されないから面倒なんだけど、という共通認識があり、そこから参加された方それぞれの他者を大切に思うこと・大切にする方法・伝え方についての語りができたのがとてもよかったです。今まであった人間関係で他者を大切にする・したいことを伝えることを諦めてきたことの寂しさや悔しさ、でも自分にその欲求がないことを受け入れている矛盾をどう扱えばいいかわからない、という話をしたのですが、それを解決することは望んでいない、だから寂しさもそのまま受け入れながら、欲求が生まれる瞬間は自分の意図しないタイミングで来ることもあるから、その時に大切にしながら今の在り方も同じように大切にすればいいという話を聞いて、思わず泣きたい気持ちになってしまいました。まちかどaronespaceをやるにあたり、「ひとり」を考えることに気負っているところがあったのだなと半年かけて気づくことができたのだと思います。寂しさや孤独を解決されたくはないし、でも自分にとっての寂しさや他者を大切にしたいと思うことを諦めずに言語化・実行したいと思っているという自分以外の思いを知り、そしてそれを人に伝えられてよかったです。私は寂しくて悔しかったんだなという事を感じることができて、すごくよかったです。任意の誰かに大切に思っていると伝えることに悩み、ためらってしまう現状がやっぱり悔しいし、そういう規範によって阻害される私たちの感情の語りがもっと必要だと感じました。ひとりでやりたいからこそ、私の中にずっとあった「解決されたくない寂しさ」というものを明かすことができたのがだいぶ楽になりました。
Tumblr media
 
 12月〜2月の屋外開催は厳しいので、屋内開催がメインになると思います。場所や内容はツイッタとtumblerでアナウンスしますので、確認をお願いします。また現時点での予定ですが、12月ももしかしたら東京での開催になるかもしれないです。(19〜21日のどこかを考えています) 最近喋るのに集中して全然ボムってないですが、活動内容も話す話題も自由にやっていきます。いつでも参加可能・退出自由です。今年度中は開催を続けていきますので、ひとりでやっていくのを一瞬でもともにできたら嬉しいです。お待ちしています🖤
2 notes · View notes
kennak · 8 months
Quote
まず書くと、俺は嫁を数年前に亡くしている。そこの詳細は省くが、先日7回忌を終え気持ちに余裕があるので、おまいらにも同じ後悔をしてほしくなくて書くぞイ!余裕と書いたが別に元気だぞイ!嫁は写真が嫌いだった。会社の集合写真でみんな笑顔で!とか言われてたのに1人だけすげー変な笑顔で映っていたから上層部判断で嫁だけ外されたのは今でも義母さん達と話のネタになるぐらい、それぐらい写真に対して抵抗があった。就活の時は証明写真機の前で5時間ぐらい己の中の写真嫌いな気持ちと戦って撮ったらしい。だから俺も嫁の写真は撮ってなかった、別に撮らなくても困らなかった。むしろあれだけ嫌がってるのに撮ろうという気にもならなかった、カメラを向けたら俺は殺されていたかもしれない(^_^)俺たちは訳あって結婚式とかもしてなくて、嫁もウェディングドレス興味ないって言ってたし、まあ普通にいつも通り旅行行って、嫁の家族と食事会して、ぐらいで、だから写真が必要な時がなかった。ちなみに食事会の写真は嫁が撮った、結婚指輪持った俺と嫁の家族、何の写真なんだ。嫁が死んだ時、遺影に使われたのは随分と若い時の写真だった、高校の卒アルだ。義母さん達と話し合った結果、これが1番まともに写ってるねとのことで。葬儀屋の方には何度も本当にこれでいいんですね?と確認されて、本人に聞いたらこれもダメって言われますよ、って答えた。こいつらヤバい奴らだと思われていたかもな。こじんまりとした、知り合いだけのお別れ会みたいな感じで、高校や大学からの付き合いがある参列者の人達��ら、え?なんで?生前からの本人の意思なの?と聞かれまくって、いや実は嫁は写真が嫌いでして…って話をしたら、確かに嫁ちゃん写真映りたがらなかったねー!嫌いだったんだー!と言われて、嫁の好きな堅苦しくないお別れができて、それはそれで良かったのかもしれない。(その後、嫁の友達からは微妙に1/3ぐらい嫁の写った写真や写真撮るの気づいて残像になってる嫁の写真など送られてきました、ありがたい)遺影の話があったからか、嫁の写真ないな、と改めて思ったりした。旅行に行った先で撮った写真は数あれど、嫁が写ったものは全くない。(手とかはあるけど)嫁との思い出は俺の中にしかないのだと、唐突に理解した。俺は怖かった、この先嫁のことを忘れていくんじゃないかって、けどその時、何をきっかけに思い出せるだろう。嫁の持ち物や、旅行の写真や、そういうもので嫁の顔や声を思い出すことができるんだろうか。結果、まあ忘れていく。しょうがないよね。旅行に行ったことも、嫁とこんな話したな、ということも、あんなことあったな、こんなこと言ってたな、これ食べてたな、とかおおかた覚えてはいるけど、あの時嫁はどんな顔で笑っていただろうか、そう思うとなにもない。こんな顔で笑っていたな、と思っても、それはもはや俺の記憶の中でしかない、答え合わせがしたいんじゃなくて、もう何もないという事実に押しつぶされそうになったことが何度もある。寂しくて仕方がない。嫁が死ぬの前提で写真を撮るって話はおかしいけど、演技でもないけどもう死んでるから、もし嫁が死ぬのがわかっていたら、俺は嫌がっても撮っていたかもしれない、それは俺の都合で、嫁は死んだ後にまで嫌いな写真があるのなんか嫌がるかもしれない、けど俺は、ああ1枚ぐらいはあればよかった。そう思ってやまない。年齢的にももちろん気持ち的にも再婚は考えてないし、義母さん達とは普通に家族同然に仲良くさせてもらっているので、これからも俺は俺なりに生きていく。嫁のことを細かいことも、場合によっては大きなことも忘れていくのは寂しいけど、まあ死んだ先できっと暇そうに待っている嫁が未来にはいると思うと、少し嬉しい、というか、早く会いたいって気持ちがある。お別れしないなら別に写真がなくてもいいから嫁も嫌がらないし。別に死のうとかじゃないよ!今度義父さんとゴルフ行く約束もしてるしな!パートナーがいる諸君、パートナーの写真は少しでいいから撮っておこう。毎日じゃなくても、何かあった時の1枚が積み重なったら生きてても死んでても、意義のあるものになると俺は思う。あと、俺は俺の知らない幼少期の頃の、まだ写真が嫌いな嫁になる前の、嫁の写真をよく見せてもらう。小学生ぐらいまでの写真が山ほどある、嫁は唯一の子供だったから義母さん達が山ほど撮ってた。義母さん達の家の居間に置いてあるからご飯食べに行った時とかに適当に見ている。知らない頃の嫁だけど、それでもああ嫁だなと思う、っていう話も付け足しておこう。パートナーの幼少期の写真があって見られる人は是非見ておくといい、おすすめだぞイ( ^∀^)
パートナーの写真は撮っておこう
3 notes · View notes
hitujijp · 1 year
Text
やる気が無いと思われるぐらいで丁度良いんだよ
強度の高い運動をする度に筋肉の破壊、又その他運動に付随する一連の代謝によって肝臓と腎臓には大きな負荷が掛かる。
オレが思うに、真面目な日本人はサボる行為を忌み嫌いがちだが、それは必ずしも合理的では無い。長く練習した、過酷な練習に耐え続けた、毎日休まず皆勤で励んだ、常に全力で取り組んだ、などという話はただの精神的自己満足で、自己の身体を虐待しているかの様なものだから余り真に受けない方が良い。
むしろなるべく短時間で、要点以外で無駄な力を使わず、しっかり休息の時間を取るのが大切であり、そうした運動方針は確かに刺激や爽快感、達成感は少ないかも知れないが、オレはどちらかと言えばそういう練習方針の側を重用しているのだ。
また対人において敵に回した場合も、常に全力で来る者の行動は予想し易く対処もしやすいが、緩急の激しい相手は気が付いたらやられている状況を容易に作り出し最大の脅威となる。緩急とはそれ自体が心理的奇襲の効果も合わせ持っているのだ。
8 notes · View notes
zdlmlq · 9 months
Text
法事の前に髪の毛を切ろうと思い、美容室の予約をしました。私は忘れないでください
一周忌ということは人が亡くなって一年経つということですが、生活に関わらない人の不在はそういったことで実感できません。いないんだ、ということは、いたんだ、ということですが、いたんだ(実感)が、いたのか?という疑いに変換されます、私は私をあまり信用していないので、私の周りにはあまりにも実在が疑わしい人たちが多い。いますか?
業務のことをずっと考えているのですが、選書とか本棚の編集であるとか、そういうことが自身の表現活動かのように思われていることをたまに感じます。実際はもっと淡白な業務です。頭を働かせていることに違いはないのですが、自分が何を意図してそれをしているか、棚の文脈などを考える時の話ですが──つまり料理の棚であれば材料の切り方によって味の染み込み方がどう変わるのか、と言った基礎的な理屈を書いた教本からその前提を踏まえたレシピ本、公式からその応用に流れていき、基礎を踏まえているからこそできる省略、或いは応用をもっと進ませて盛り付け方やテーブルのセッティングについての話に繋げていくようなことが棚の文脈を作るということであり、それは決して私の意思表示ではありません。全ての棚においてそういう流れを考えて組み立てているだけで、強いていうならその本をどうして基礎または応用として解釈したのかが個としての決定になってはくると思うのですが、その解釈が自分独自のものか多数にとってそうなり得るかの検討はわりと慎重に行っているつもりで、その本のタイトルや著者を知らない人にとっては突飛になり得てもひらいたことのある人やその著者に対するWikipedia程度の知識を有する人であれば頷いてくれるだろうということが並べる時の前提にあります。
棚に触る人間は私一人ではないので──そこから漏れだした並びになってしまうことはまぁ確かにあるのですが、それが個人の表現活動になるかと言われたらそんなことは決してない、と、棚を眺めていて思います。確かに一般的な新刊書店では奥の方にひっそりとしまわれているようなタイトルが私、或いは他のスタッフによって目立つ箇所に陳列されていることは珍しくありませんが、一般流通されているような本はそもそも多数の人間が関わった上で形作られていくものですし、そうして作られたものは概ね──例外も存在しますが──目に留まる箇所に置かれれば誰かの興味はひくようにできていて、手に取られ、ひらかれたら、それは誰かしらの、入場料を払わないと基本的には入ることもできないという奇怪なシステムの書店にわざわざ足を運ぶような方であれば、発行されてからの時間が随分経っていたとしてもきっと面白がってくれるだろうという期待と商売人としての計算のもとでそうしているのであって、大切だから、だいすきだから広めたいという意思はあまり持っていません。
私は退屈な人間だし、本屋というものは感性だとか確固たる意思によってその棚を編集している訳でもないですよ、という話です。
おそらく、ここ数年増加し続けている個人書店とそこを営む人々が発信する個人としてのメッセージなどが書店を一種の表現活動の場のように思わせているのだろう、とは思います。そういう面のある書店も実際にありますし、そういった人々の編集する棚はあいによって見事な物語を作り上げてそこへ共感する人々との対話の場になっているように感じます。
でも私は──この手の話を100回してきましたが──本当にそういう場としての本屋に興味がない。アンチもヘイトもカオスもなんでもござれで清濁を混ぜ合わせ清を濁らせ濁りを濾過して、その全てがあってこその世界それぞれが切り取られた本が形に残っていることだけが面白い。いくら個人のつくる物語性のある棚がヘイトを拒絶し文化をあいした素敵な連帯をうたっていてもです。私は私の働いている書店に並ぶ全ての本にヘイトが含まれていないと約束することはしないです。まぁなんか、その手の有名どころは並べたところで売れない上に文脈を作る上でも馴染ませにくいので避けがちではありますが、他の新刊書店で働いていた時は売った覚えもあります。なんというか、かなり、思想が強い雑誌などを。
その時におぼえた幻滅の矛先は買った人に対してではなく、「ヘイト本は置かない」と宣言していたのにそれを置いていた店に対してでした(以降、入荷は止められましたが)。嘘じゃねーか。と思いました。それは自分が働いていた店以外でも棚を見て思うことがあります。入荷する本の全てを隅々ひらいてそれを確認する覚悟とその言葉がどの立場の人たちにどう響き得るかの知識と想像力がないなら宣言などしなければいいのに。誰も踏み躙らないようにする時はじめに必要なのは、自分と、自分が信頼する人々の全てをまずは疑うことなのに。
絶望しなさいよ、という話ではありません。
諦めなさいよ、という話ではありません。
よく見ろよ、という話です。
私が約束しないのは全ての本を隅々まで読んでから棚に置くという覚悟がないせいもありますが、まずそもそもあまり連帯に興味がないというところが大きいです。どうしても、そういうことがしたくなった場合は手の届く範囲の本だけを並べられる規模で働く術を作り出すと思います。その可能性はかなり低いですが。
機嫌が悪いのは買ってきたフラッペを所望した人が目に留めることもなく眠っているせいです。フジロックの長谷川白紙があまりにもよかったんだろう感想がTwitterに(私はTwitterと呼び続けますよ、まだしばらくは)とめどなく流れてきていいな〜〜となっている自分だけが可愛いです。観たかったな。
今日の写真がありませんから今日着ていたTシャツからひいて鏡鏡鏡鏡のリンクを貼っておきます。
2 notes · View notes
manganjiiji · 9 months
Text
沙羅沙羅
肉体が限界を超えて、破壊され、また再生されようとしているため、痛いし、きつい。これこそが労働の喜び。さて、新しい仕事が始まっています。オー。圧倒的。強襲される、という表現でもってあらわしたいくらい、息つく間もない現場で、非常に自分に合っている。こうでないと生きている気がしない。前職を1ヶ月で辞めたが、それはもう逃れ得ないことだったと思う。死んだ気持ちで働くことに意味がない。勤務初日からコロナ(2年半ぶり2回目)で5日間出遅れたが、なんとか最初の1週を越えた。まあ、なんとかなるような気がしている。フリーターとして新しい職場に入っていくのももう10箇所以上をゆうに超えていると思う。新人としての振る舞いだけは自信がある。それでもだんだん気が抜けてゆるくなってきている、慣れとはすごい。今度の職場はとにかく同僚の数が多い。色んな人がいる。可愛がってくれる人が多い気配を察知してかなり喜色満面(気持ち悪い表現だ)である。歳も歳なので後輩指導に当たることも増えてきた昨今だが、最初は自分が後輩として甘やかされるのでスーパーミラクルご褒美タイムだなと思う。これがおそらく数ヶ月でもう次の後輩に教える立場になる。外見年齢と実年齢に乖離があるため最初はとにかく若者として可愛がられるのだが(8〜10歳程度の誤差がある)、そのうち段々実年齢がばれてくるので、その辺りでやりづらく感じる周りの人も出てくるであろうが、その頃には私も実力でもって先輩たちに並んでいないとな〜と思う。あまり今から考えているのもよくないが。若い人の多い職場であれば、社員側の事情を汲んでそちら側の思考もできるフリーターというのはまあまあ何と言うか、社員と妙な親近感というか連帯感ができる。自分ももうそちら側に行かなくてはと思う。フリーターとしてはこの職場で最後にしたい。体力の問題と持病がなければ、正社員として働く道もあったのかもしれないが、この体と頭ではそれは夢のまた夢でしかないので、ただただ駒として動くことを楽しむに留める。とにかくどんな仕事も嫌がらずに食らいついていくこと。生まれてからそれしかしてこなかった気がする。そもそも別に嫌な仕事というのは私にとっては無い。人の反応を見ていると「面倒くさい仕事」「気が滅入る仕事」「疲れる仕事」というのがあるようなのだが、私は仕事の種類によって忌避感をいだくということはたまたま無いので、何でもできる。優秀という意味の「できる」ではなくて、単にやることができる、着手できる、嫌がらずにできるの意です。駒としてのフリーターにはこの能力がけっこう重宝する。肉体労働も金勘定も接客も単純労働も、どれもこれも特に嫌だと思ったことがない。やればできる。間違えたらやり直す。スピードを求められるのはやや苦手かもと思っていたが、実際のところ、スピードは慣れればあとからついてくるので、あまり気にしなくてもいいのである。そして慣れるまでは急かされても急がなくて良い。そんなことより正確にこなすことが遥かに重要だ。まずもって何事も「正しく」行えない人間は、その後に続く行いもすべて破綻する。
みなさんの長らくの応援とお祈りの甲斐あって、障害年金の申請が通ったとの通知が来ました。これでなんとか生きていけると思います。給付はまだ先のようだけど、とりあえず通ったよということで、心から安堵。ありがとうございます。アルバイトで週4×7時間が限界の身にとって、単純計算で月の収入は最高でも10万程度なので(実際には病欠するためそこまで行かない)、そこに障害年金が加わってくれれば、どうにか、生活(家事)を維持できれば1人で生きていけるかなという感じです。長かった道のりですが、ようやく私も大人としての一歩を踏み出したのかもしれないと思います。
5年分の遡及でどのくらい貰えるのかは分からないけれど、通信制大学で福祉職の資格を取るための勉強をするという夢も現実味を帯びてきました。なんとなく人生の先が拓け、希望が見える。感謝であります。20代から30前半まではとにかく働くことで生き延びようと足掻いたけれども、そしてそれは破綻していたけれども、それでも働くことで生計を立てたいと願って奮起した日々も、それはそれで糧になっていると思います。最初から障害年金をもらいつつ無理のない範囲で働くよりは、1日13時間以上2つの職場で働いて、週休0で、ゲロ吐き散らかしながら筋肉を破壊し続けるという青春をやりたいところまでやったからこそ、今こうして落ち着けているんじゃないかなと思う。
勉強、読書、小説などの趣味は一旦すべて停止し、あんすたを数日おきに叩くに留まっている。とにかく仕事に慣れるまではこの嵐のような(体の痛みに呻く)日々が続くことでしょう。やりたいことは多けれども、実際にやれることは少ない。満足など到底できないが、それでも生きていくより他にない。最近はどうにか熱中症にならずに済む日が続いている。とにかく日中は外に出ない。朝出勤する時も夕退勤する時も、必ず帽子、日傘、サングラス、アクエリアス(2倍薄め)を徹底し、夜寝る時は24℃で毛布をかける。体力が向上すればさらにもう少しましになるはず。ポケモンスリープは2時間ごとの睡眠や、休日の寝ては起きるスタイルにまったく合致できなくて時間が勿体なく感じられてきたので、もう消してしまった。続けて6時間寝ることが絶対にできない体質の人間には、睡眠結果を見てさらに疲労を感じるのでおすすめできない。2時間細切れではなく、6時間続けての睡眠ができたら楽だろうなと思う(その体力がない訳だが)。これは使っている抗うつ薬が強力であることも関係していると思う。薬を減らしたりやめたりできれば、きっと眠れるようにはなると思うが、果たしてそれをして生きていけるのかの自信はない。再発が非常に容易な病気のため、減薬は現実的ではない。もちろん、自分の体のことなので、それでも減薬したいというなら協力するけれど、とは医師に言われている。今のところはまだこの10年続けてきた処方を変える勇気は出ない。まだもう少し生きなければ。次の目標は自炊回数を増やすこと。
2023.7.25
5 notes · View notes
travelfish0112 · 11 months
Text
All day
昼間は暑いけど、夕方からは涼しくなるこの時期が好き。シャツ一枚羽織ればちょうど良くて、梅雨前だから湿っぽくもなく、あの汗ばむ暑さもまだ先。
私は伸びた髪を手櫛で梳いて、今年こそは髪を切ろう、と小さく誓う。やっぱり長いと首元があまりにも暑い。
そんなことを考えながら、私は海を見ていた。目の前の太平洋は、私の1.0の視力では地平線まで何も見えなくて、だからこそこのままずっと進んでいくと果ての世界があると考えた昔の人の気持ちも少しは理解できる。
特にやることがない時は、気づくとこの海岸まで車を走らせてしまう。
小石で出来ているこの海岸は、遊泳禁止のお陰かほとんど人が居ない。朝はぽつぽつと釣り人がいるが、夕方はあまり見かけない。
型落ちのSUVをガタガタ言わせながら海岸まで乗り入れて、海に対して平行に車を止める。そして海岸側にある助手席に周り、ドアを開けて海を見るために横向きに座る。
ダッシュボードを開けて、中からセッターを出して火をつける。喫んで、ゆっくりと煙を吐いた。上る煙は風で流れていく。
この前、斉藤 海人の3回忌だった。
私の恋人だった。
海人と出会ったのは確か5年前。あの時の私は仕事も上手くいかず、趣味も無いから発散出来ることもなかった。そして限界に達した私は仕事を辞めた。
そんな時、私は近所の中古車屋で80万で売られてた型落ちのフォレスターを衝動的に購入した。趣味も無く、大して交友関係もなかった私は、当時の同世代の人たちと比べると貯金残高はとても多い方だったと思う。でも、何も目標が無いのに貯めているのが突然馬鹿らしくなったから起こした衝動的な行動だった。
ペーパードライバーだった私は初心者マークを付けて、Googleマップで見つけた行って��たいところにとりあえず車を走らせる、みたいなそんな事をして毎日を過ごしていた。
ある日、私はこの海岸に初めて車を走らせた。初めてきたその時から、人があまり居ないこの海岸が好きになった。景色も、雰囲気も。
1時間くらいぼーっとして帰ろうとした時、海岸の入り口でバイクに跨って何度も何度も蹴っている人が居た。
「大丈夫ですか?」
いつもは声をかけないのに、何故かその日は声を掛けた。
「いや、なんか調子悪くて……。エンジン掛からなくなっちゃいました」
そう困ったように笑いながら返した彼が海人だった。
そのバイクは、全く詳しくない私が見ても明らかに古いと分かった。正直、この場で直すのは難しいような気がした。
「何処まで帰るんですか? よかったらとりあえず送っていきますよ」
そんな言葉を私は口走っていた。正直、今でもなんであんなことを言ったのか分からない。彼も少し驚いた顔をして、少し迷ったような顔をした後、地名を言った。そこは、私が住んでいるところからもあまり離れていない場所だった。
「そこなら本当送りますよ。私の家からも15分くらいなので」
恐縮する彼を押し切って、私は彼を車に乗せた。バイクは一旦、海岸の入り口に留め置いた。軽トラを持っている友人に連絡をしたら、一緒に取りに行ってくれる算段をつけられたらしい。
こうして私は、車に初めて乗せた人が海人になった。
車で何を話したか、正直覚えていない。きっと本当に他愛もない雑談をしていたら、もう彼の家に着いた。
それからも私は時折車を海岸に走らせた。暫くしてまた就職してからも、やる事がない休みの日は海岸にいた。
海人も直した原付に乗ってたまに海岸で釣りをしていて(彼曰くここは釣れないけど人が居ないからここで釣りをしているらしい)、会ったら少しずつ話すようになった。そして、彼とは海岸でたまに会う関係から休みに会う約束をするような仲になり、気づけば海人がいない生活を考えられないくらい、お互いの生活にとってお互いが大切な存在になっていた。
付き合い始めてからは海岸待ち合わせでは無く、海人は私の家に原付で乗り付けてきて、私の車に乗り換えて一緒に海に向かった。そして海に着くと、何をするわけでも無く、たまに話して、たまに微睡んで、たまにくっつき合い、ただ海を眺めていた。
海人は海岸に着くと車を降り、後部座席のドアに持たれてセッターを吸った。いつも自分の胸ポケットに入れていて、そして忘れた時用にとダッシュボードの中にも一箱置いていった。
私は煙草を吸っていなかったけど、この海岸に流れるあの煙の匂いは嫌いじゃなかった。
そんな彼が居なくなったのは2年前。
あの時期、私は再就職した会社で新規事業の立ち上げメンバーに選ばれ、その仕事の佳境だった。一番忙しい時は休日返上で働き、平日も早朝から深夜まで働いていた。少ない休みも、気づいたらすぐに過ぎ去っていた。
小さい飲食店を友人と経営していた海人は、私の休みに自分の休みも合わせてくれた。ただあの日は海人だけが休みの日だった。晴れて気温も高かったけど、風が強かった。
あの海岸で小学生が3人遊んでいたらしい。ただあそこは遊泳禁止だ。海岸は小石で出来ているし、水深もすぐ深くなり、何よりも潮が速い。そんな場所であの日は南風のせいで波も高かった。
海で遊んでいた3人のうち1人が足を滑らせて溺れかけていたのが見えたらしい。波を被り、見えなくなる。
そこで咄嗟に海人は海に突っ込んだ。そして海に沈む彼の掴み、陸に向かって引っ張った。その瞬間、波を被り、溺れた子はその波に押されて陸に打ち上がった。
でも海人はそのまま飲まれた。
他の小学生が近くの家に助けを求めたお陰ですぐに海人の捜索は始まった。でも、見つからなかった。帰ってこなかった。
あの古い原付だけ、海岸に留め置かれていた。
そんなこの海岸が、私は少し憎かった。それでも私はここに通ってしまう。
海人にまた会いたい。でも、私は自分で海に入っていく勇気は無い。
だから私は今日もセッターに火を付ける。せめて、少しでも思い出せる様に。そして、願わくば、少しでも私の寿命が短くなります様に。
吐いた煙は変わらず、海風に流された。
4 notes · View notes
ryoko-1 · 2 years
Text
マキシム・ヴィヴァス:真実で反中国勢力をあぶり出す
ヴィヴァスとは?
中国の王毅(おう・き)国務委員兼外交部長は中国毎年恒例の「全国人民代表大会」「政治協商会議」(「両会」と呼ばれている)の記者会見で「外国人記者は中国をどう取材しているか」というテーマで、2人の外国人の友人について語ったことがある。
一人は『中国の赤い星』を書いたアメリカのジャーナリストエドガー・スノー、もう一人はマキシム・ヴィヴァスである。
Tumblr media
ヴィヴァス氏は80数歳で、スペイン系のフランス人である。 2016年、2018年と2度にわたり新疆を訪れ、2020年には『ウイグル「フェイクニュース」に終止符を打つ』を出版した。
ヴィヴァス氏は、「大虐殺」や「何百万人ものウイグル人が拘束されている」という噂を払拭するために、ヨーロッパの人々に本当の新疆を知ってほしいと言いている。
しかし、新刊の発売は、まるで水中に投げ込まれた爆弾のように、大きな波を引き起こした。
Tumblr media
Facebookなどのソーシャルメディア上では、ヴィヴァス氏は真実を知らない読者から攻撃された。 中国政府との金銭的なつながりが疑われ、一時は家族との関係もギクシャクしていた。 彼自身、「私はこの本を出版するために 「自爆テロ」のような行動をとった」と語っている。
実際、「自爆テロ犯」はかつて、中山服を着て米しか食べないという、欧米の一般大衆と同じステレオタイプで限定的な中国人像を持っていた。
2008年になって、ヴィヴァス氏は奥さんと一緒に北京で仕事をしている息子を訪ねた。 ヴィヴァス氏はこの体験で、中国人のイメージや生活が、報道されているものと大きく違うことに衝撃を受けたのだ。
Tumblr media
2010年には、『ル・フィガロ』紙のルノー・ジラード(Renaud Girard)記者、『ル・モンド』紙のレミー・ウルダン(Rémy Ourdan)記者らとともに、再び中国を訪れ、チベットを訪れた。
この時、彼は欧米のメディアが描くチベットとは全く異なるチベットを目の当たりにした。
2011年には、ダライの素顔を暴いた『笑顔の裏側:ダライ・ラマの知られざる一面』を出版し、6カ国語に翻訳され、大きな反響を呼んだ。
Tumblr media
そしてその後、ヴィヴァス氏は新疆ウイグル自治区で綿密な取材を行い、前述の『ウイグル「フェイクニュース」に終止符を打つ』を執筆した。
Tumblr media
彼は誰と戦っているのか?
中国の実情に詳しいヴィヴァス氏は、同じ話を何度もオウム返しにするフランスのメディアに呆れている。 このような嘘を捏造するいわゆる「情報源」や「学者」は、彼にとって忌み嫌うべき存在である。 彼は、こうした反中国勢力の正体をあぶり出すために、真実を利用しようと考えたのだ。
47歳のドイツ人アドリアン・ツェンツ(Adrian Zenz)は、一夜にして、欧米のメディアや政治家にとって、新疆に関する唯一の情報源となったのである。 しかし、実際には15年前の2007年に観光で新疆を訪れたことがあるだけだ。
Tumblr media
ヴィヴァス氏はこの話を著書の中で書いている。
ツェンツ氏はかつて、新疆で「強制労働によって生産された」と主張する靴の写真をリツイートし、その横に英語で「助けて!私はウイグル族で、中国の刑務所にいるんです。 助けて!」と書かれた小さな紙を添えたことがある。
Tumblr media
皮肉なことに、その靴が新疆でも中国でもなく、ベトナムで作られた靴であることはネットユーザーによって発見されたのだ。
また、「新疆で90万人から180万人が拘束されている」というツェンツ氏の報告もその一例だ。 しかし、米国の独立系調査報道サイト「グレーゾーン」の調査によると、この数字は8人へのインタビューをもとに反中国組織が導き出した荒唐無稽な結論だという。 同様の手法は、彼の「報告書」でも繰り返されている。
2018年以降、ツェンツ氏は新疆を中傷する10数編の文章や報告書を相次いででっち上げた。いわゆる「強制労働」から「強制不妊」へ、「文化的絶滅」から「大量虐殺」へ。彼はこれらのセンセーショナルな語彙をでっち上げ、新疆についてよく知らない多くの欧米民衆を騙した。
ツェンツ氏は米国の極右組織「共産主義被害者記念基金会」のメンバーで、正真正銘の反中研究機関の幹部だ。言い換えれば、反中は彼の生業だ。このような一人のいわゆる「学者」が西側の反中勢力から大いに支持されていることは容易に理解できる。
米国のポンペオ前国務長官は、ツェンツ氏のいわゆる「論文」を引用して、中国に暴言を吐いた。
Tumblr media
ヴィヴァス氏の調査で名指しされた「反中国の魔手」には、全米民主主義基金も含まれている。中央アジアから北アフリカまで、東欧から南米に至るまで、さまざまな国の「色の革命」の背後に彼らの姿があった。
この組織は長年にわたり中国で「香港独立」、「台湾独立」、「新疆独立」、「チベット独立」などの分裂勢力を支持し、2020年だけで70近くの中国関連プロジェクトに1千万ドル以上を提供し、もっぱら中国の政治・社会の安定を害する行為を行っている。
このほど、同基金会のデイモン・ウィルソン会長は、「台湾独立」勢力のために台湾地区を訪問し、10月下旬に台北でいわゆる「世界民主運動全球大会」を開催し、中国の国家主権と領土保全を深刻に挑発すると主張した。
Tumblr media
基金会はまた、「国境なき記者団」のような、意気投合するさまざまな「馬先に立つ兵士」にも資金を提供している。
この組織は、キューバ、ベネズエラ、ロシアなどの国や、ヴィヴァスなどの人、アメリカが嫌うものすべてに敵対している。「国境なき記者団」の事務局長は、ヴィヴァス氏を4回にわたって脅迫している。
Tumblr media
ヴィヴァス氏の見解では、多くの非政府組織、いわゆる独立シンクタンクの背後には実に多くの黒幕がいる。オーストラリア戦略政策研究所もその一つだ。
同機関が昨年発表した年次報告書によると、総額1000万豪ドルの資金源は、37.5%がオーストラリア国防省から、24.5%がオーストラリア連邦政府から、18.3%が外国政府機関から調達された。
これらを合計すると、オーストラリア政府とその同盟国、軍需産業からの経費が9割近くを占めている。これはこの機関が対外的に「独立シンクタンク」という看板を掲げており、明らかにオーストラリア軍産複合体の代弁者であることを十分に説明している。
Tumblr media
アメリカが援助した費用をどう使うのか?
総額98万5000豪ドルの経費の中で、米国務省は新疆の人権、中国の科学技術、海外への影響力などの方面で議題を設定するよう明確に要求した。もう一つの60万豪ドル近い経費は、中国の人材募集、偽情報、ソーシャルメディアなどの議題に注目する必要がある。
Tumblr media
言を守って筆を持つ
多くの圧力と生命の危険にもかかわらず、ヴィヴァス氏はペンを放さなかった。
今年初め、ヴィヴァス氏の中国新疆についての2冊目の本『燕の帰還』の英語版が発行した。彼がこの本の中で、「中国は多民族共存を促進し、文化の多様性を尊重していて、まさに人類文明の進歩を推進する源泉である。」という話を書いた。
Tumblr media
最近、ヴィヴァス氏は他の2人の学者と共著した新刊『フランス反中勢力の譫語』もフランスで出版された。
譫語とは、いい加減な言葉である。昨年10月、フランス軍事学校戦略研究所IRSEMは、中国の影響力に関する報告書を発表した。しかし、ヴィヴァス氏にしてみれば、654ページにも及ぶ、ミス、矛盾、フェイクニュースばかりだ。
彼は、21世紀の中国が平和的な経済競争相手として、軍事的にはフランスを脅かしていなく、このいわゆる報告書は、フランスの反中勢力が米国の外交政策に盲目的に追従していることを反映していると論じている。
6 notes · View notes
2comlog · 2 years
Text
週報2022-07-04
・高山さんに行ってきました!!!!
みんな〜〜〜〜!!!! 津田沼の✨高山写真館さん✨に ぎんしおのフライヤーだけでなく ポストカードを置かせていただきました! 描き下ろしアイテムです、見てネ❗ ポストカードの方は 「現像して下さった方に差し上げてください…」とお願いしてあります(思想が強い)! よろしくね〜〜〜〜! pic.twitter.com/peE4vniSWA
— 若鶏にこみ📸6/27ぎんしお②巻でるよ〜 (@tori_nico2) July 25, 2022
お週報読者さんにはおなじみかもしれない津田沼の高山写真館さん!! http://www.takayama-photo.com/
営業時間  平日・土 朝10:00~夜7:00  日・祝日 朝10:00~夜6:00 定休日 毎週火曜日・第1第3水曜
…に、またお世話になってきました。 先日、「#ぎんしお少々コピーライト選手権」まで開催し、 ぎんしお少々ってこんな漫画だよフライヤーを作って置かせて頂いたのですが、 ソレ用に描き起こした絵が結構良かったので、そのままポストカードにし、また置いて頂く事にしました。
うれしッ!うれしい…!こういうのやりたかったんですよ!!うれしい!! 高山写真館の前をもゆると銀が歩いている絵です。 ポストカードを手に入れたらその場で聖地巡礼が完了するすごい仕様です。
お近くの方や、機会がありそうな方はぜひ、高山さんで現像して、ゲットしてみてください。 結構強気で刷った気持ちでいるので、残部は大丈夫だと思います。 …もし速攻で無くなっていたらまた考えます…なぜなら原稿は私が持っているので…。
フライヤーの方は現像した方〜とかいう縛りもなくポンとお店に置いてあります。
こちらも、たそがれさんことたそちゃんにデザイン手伝って頂いたり、 超地味〜〜にデフォルメが書き下ろしだったりとカワイイので、ぜひよろしくお願い致します…!
・祭壇
上記高山さんもそうですが、先月辺りから色々と外に出る事が多いです。 無職だから!?そうです、無職は案外外に出る事が多い。逆に。
そういった都合と、たまたま外出の日にたそがれさんが「暇?」と言ってきたので、遊んできました。
最近隔週くらいで遊んでいる気がする…うれしい… 私自身は引きこもりの精神なので、人に会う時いつもある程度の「気合」が必要なのですが、 たそちゃんには「気」を全く割かなくても対峙出来るので、ほんとうにうれしい…… いつもありがとね……
そんなたそちゃんは私を何のために呼び出したのか。 「推しが誕生日で、祭壇作るから協力して」 祭壇。
祭壇?
アニメキャラやアイドルなどのグッズや写真を一か所に集積し、ディスプレイした状態の場所や飾りつけのことです。 多くは自分の部屋に設置しますが、推しの誕生日を祝う「本人不在の生誕祭」などでは、大掛かりな祭壇が作られることもあります。 https://eeo.today/media/2021/09/03/5849/
祭壇(さいだん, ラテン語: altare, 英語: altar)は、神や精霊、死者などに犠牲や供物を捧げるための壇。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%AD%E5%A3%87
勉強になるなあ。
そして今回は上記の説明に則ると「本人不在の誕生祭」であり、「大掛かりな祭壇」のケースでした。 「池袋パセラに集合な」と言われ、 「眼下にパセラ二つあるやんウケるな」と思いながら待っていたら、 たそちゃんは、かわいらしいケーキ屋さんの袋と、 逆の手には2〜3泊くらいは問題無くこなせそうなサイズのキャリーケースをカラカラと引き、現れたのでした。
このコロコロの中に、無数の「供物」が。
ミチミチのかわいい供物たちを、一匹一匹丁寧に救い出し、ケーキの前に並べて、 ああ…これが…祭壇……
確かに何かの儀式味はありました。 キンブレの光のせいでしょうか。 綺麗に並べられ、一面「イメージカラー」になった空間のせいでしょうか。 パンと葡萄酒ではなく、ケーキとオレンジフロートでしたが、そこはもう立派なミサ会場でした。
「オタク 祭壇」でGoogle検索に打ち込むと、類似検索ワードとして「オタク 祭壇 なぜ」と出てくるのですが、 なぜも何もない。 私もわからん。 なぜこんな儀式を?
でも正直とても楽しかったです。 そりゃそうなんだよな。そもそもぬい撮りってメチャクチャ楽しい。 どうしたらかわいく映るのか検討し、位置を工夫し、明かりも使えないかと工夫し… 祭壇の方も、どうやったら色どり豊かに見えるのか、画面が輝くのか。
ていうか…そう…私はヒトのフィギュア撮りとかも大好き………… ヒトの推しちゃんかわいく撮るの、めちゃくちゃたのしいーー!!! 推しちゃんかわいい写真を撮りたい友人はぜひ呼んでください。わたしを。
しかし私はまだ「なんで呼ばれたのか」の本当の意味を、まだ理解していませんでした。
そうやってひとしきりカワイイ写真を撮り終え、よかったねえ、めでたいねえ…とした後、 「じゃ、食べよっか」と。
「食べる」。
そう、食べる。 このアホかわいいケーキと、なんかカラオケ屋さんのプランサービスで全自動で付属してしまった、クソデカハニトーと、 長い撮影でアイスデロデロになったフロートを。
……一応言わせてください、もし伝わらなかったら嫌だから。
ケーキ、おいしい!!!!!
かわいい袋だった時点で期待感が凄かった。 たそちゃんは私のことアホ程分かってるから「ショートケーキじゃなくてチョコにした〜」と言ってくれてて、 ヒェ〜!うれしっと思ったし、とても美味しかった。 バターっぽいクリームと、こっくりしたそこまで甘くないチョコスポンジがベストマッチ!
ハニトーも良かったです。 ケーキのクリームとは別の若干軽いタッチの食べたら消えるタイプの真っ白い生クリームに、 オレンジのソースの酸味が爽やかで舌がうれしい。 クリームがケーキとまったく方向性が違ったのが良かったです。ベストコンボ。
そしてフロートは今まで飲んだことがない味がした。
でもね…… 先週も同じ言葉を記した気がしますが、「幸」って有限なんですよね。
なぜなら私はそんなに甘いモノを食べる事が得意ではない、胃が小さくそして弱い。 そんな私が半ホールのケーキと、 ハニトーとかいうたった三文字のくせして、その実一斤食パンとパフェという2In1を。 最初にハニトー考えたやつ、どういう胃袋してるんだ?
ハニトー、上にプチシューが乗っていたのですが、 私はずっと、「これがじゃがバターだったら」という妄想ばかりしていました。 もうずっと「じゃがバタ食べたいbot」になり果てた私に引っ張られ、 気が付いたらたそちゃんも「ポテト頼もう」とか言い出して…
麦茶とポテトのうめーこと、うめーこと。
「二人で『あすけん(食事記録アプリ)』に罵倒の限りを頂戴しような!」と言い合った。
その日の私はたそちゃんに会う前にも用事があったため、 朝ごはんは駅のコンビニで何も見ずにひっつかんだ 「キッコーマン豆乳バナナ味」と「ザバスプロテインバナナ味」という終わり方(単発2連ガチャ?)をしていたのに関わらず、 接種目標カロリーを600程オーバーすることに成功しました。 でもどういうわけか体重には響きませんでした。ただ体に悪かっただけ!?
ともかく、楽しい一日を過ごしました。 胃以外は楽しかったと言っています。
そして重たい胃を抱え、命からがら家に帰宅したら母がドーナツ焼いてて泣きそうになりました。 (若い頃ドーナツを勝手にくすねて胃をおかしくした愛しい愛犬の一回忌だったので) こちらも美味しかったです!!!!!!!!! 胃の中スイーツパラダイスやめて!!!!!!!!!!
・あっ…ついでにコレ言うか…
imPulse(2com)の通販・購入はフロマージュブックス https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=1569869
コミケ新刊、二次創作写真論bookの予約がはじまりました。
ドキドキビジュアル4コマガジンでは絶対やれない写真の話をやりました。 ポラロイドカメラと男男と死の話です。いうほど男男はしてない。 ドキビジュは男男も「生い死(ナマい死)」もNGなのでダブルNGですね。
4コマガジンではフィルムトイ、それもブローニーフィルムという修羅カメラの話をやっていましたが、 今回はポラロイドカメラというのも差があります。 ドキビジュフィルムトイ漫画は「現像」の過程とラグに重きを置いており、 速攻で現像されるインスタントなカメラを扱うことは不可能だったので、私本人はドキドキビジュアルを感じていました。
サンプルまだなので…またコミケ直前にご案内することにはなると思いますがよろしくお願い致します。
4 notes · View notes
qofthequinine · 10 days
Text
美しさと綺麗について
父親にこんなことを言われた記憶がある。
「綺麗」と「美しい」は全然違うんだよ。例えば、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケは、綺麗ではない。むしろグロテスクな想像さえ掻き立てる。しかし、美しい。綺麗なものは、印象に残ることもない。こざっ��りとしていても、面白くない。さらにはこの「面白い」にも難しさがある。例えば、あるアイデアを「面白いやないか」と称賛したり、作ったものを「面白い」と評価すると、「バカにするな!」と怒る人に接したことがある。ここで自分が発話した「面白い」は「興味深い」「発展しそうだ」という意味であるんだが、「バカにするな!」と怒った人はおそらく、嘲笑しか知らない人なのだろう、と思うよ。
その記憶をさっき話した。「うん。たぶん言うたんやろうし、自分が思ってることと一緒やから、確実に話したと思う」と。
そして、映画を見ていても思う。どれだけ残酷な描写でも美しい瞬間があるし、愛が結ばれたように見えるキスシーンが綺麗なだけだった途端に興醒めする。
で、父は友人に一人や二人、そういう価値観を共有する人物がいると、話してくれた。
自分もまた、「綺麗やけどつまらん」「飲みやすいけど面白くない」「こざっぱりしてるけどダサい」「読みやすいけど芯食ってない」などの意見を共有できる友人が少なくとも3名いる。表向きには真っ当なんだが、対話を深めるうちに美学といえば大袈裟だが、なんだか見ている世界が一緒だなあと思う。おそらく、綺麗すぎる世界よりは美しい世界を見たいのだと思う。
ここからは、いろんな問題を掘りながら、結局内心の吐露になる。
綺麗すぎる場所には誰も住めないだろう。その人は綺麗の基準を満たさなければ排除されてしまう。汚すぎてもいけない。それは衛生学の専門だ。あるいは生理的嫌悪。でもこれを「嫌だから無くなってしまえ」と思うなら、我々が食べている畜産物を飼育している場所に赴くといい。動物の臭いが充満している。糞尿の臭いもする。しかし、この環境で飼育された肉を食わなければ、人間には無理が生じる。ヴィーガンとか言って動物性タンパク質を忌避する人もいるが、あれは南アジアの環境として宗教に衛生学がくっついたものだ。「動物を食べるなんてかわいそうに!」と言いながら、植物をものすごく残酷に扱う。桜の枝を手折るのは、本当にやめてほしい。綺麗な花を飾りたい気持ちは理解するが、その桜が来年咲かなくなったらどうしよう?その花が花を摘んだことによって死んでしまったら?弱肉強食までは言わない。食わねえと死ぬ。それだけである。知らなかったから美しいものを奪った、とは恐ろしいことである。
そうなってくると、「清い水には魚が棲めない」と話が発展する。
純水を思い起こして欲しい。全くの水だ。不純物はない。理科の先生が言っていたのは、「飲んでも害はないけど、めちゃくちゃ美味しくないよ」と。ミネラルウォーターにはある程度のミネラルが含まれているから飲める。硬水だとか軟水だとか、聞いたことあるはずだ。また、植物に水やりをする場合にも、おそらく純水では無理で、浄水器の水をやっても枯れてしまう。可能なら井戸水がいい。そうして、純水に放り込まれた魚は、割とあっけなく死んでしまう。そもそも酸素も二酸化炭素も含まれていない純水だから、水の中に生きる魚も呼吸が止まる。呼吸が止まるというよりも、いくら鰓呼吸してもしんどくなるばかりだ。実は今まさに、藻場を喪失した海では、これに近いことが起こっている。
藻場は、魚の産卵する場所だ。卵はやはり、酸素を必要とする。二酸化炭素を酸素に変換するあの場所がなくなれば、魚なんていなくなる。植物でさえ、酸素呼吸が必要だが、そこをうまいこと自己解決してしまった植物。しかし、彼らにも栄養が必要で、その栄養は窒素リンカリウムと覚えているように思うが、それ以外にもたくさんある。降雨とともに雨粒に含まれて土壌から河川に流れ、海に到達し、吸収される。
しかしまあ、そもそも山を管理する人はもう機能していない。林業はほとんどボランティアである。儲けようとすれば大量に伐採しなければならない。大量に伐採すれば山は崩れる。戦後すぐには、住宅の確保のために、まっすぐに伸びて資材として使いやすい杉の木を植えなければならなかった。致し方のないことである。
で、ここからは悪循環が始まった。戦後すぐに、蚊の多さゆえに殺虫剤を散布して蚊がいなかった時期があるらしい。しかし、蚊に刺される小児がいなくなったことで、若いころに形成されるべきアレルゲンへの抗体が少なくなった(真偽のほどは定かではない)と聞き及ぶ。蚊に刺されて痒いのは当たり前だ。しかし蚊はああいうアレルゲンを運びつつも少しずつ抗体を作り、蚊のみならずあらゆる害虫さえ、少量のアレルゲンを注入して慣れさせていたらしい。DDTを散布したらしく、即効性は虫に強くあったとのこと。花粉症は日本で初めて確認されたのだ。
もちろん全く良くなかった方法ではない。フェイタルな感染症は少なくなっただろう。衛生学として当時は正しい方法だったと思う。今度はコロナ禍である。
コロナ禍で、病原菌やウイルスは忌避された。手洗いとアルコール消毒とマスク。未知の病気に対する方法として、自明に正しい。ワクチンもちゃんと4回打った(5回目は都合がつかなかった)。マスクもしていたし、手洗いも入念にした。およそ三年間、無菌室にいたのと同様である。大人の振る舞いとして正しい。
じゃあ子供は?呼吸器がまだ不安定で、免疫を獲得する過程にいる。亡くなった子には哀悼を示すが、今生きている若い人たちは、もしかすると三年間、恋した人の顔を見なかったかもしれない。もしかすると両親の顔さえ、生まれてすぐに見れなかったかもしれない。こんなに悲しいことがあるだろうか?
医療を否定したいわけではない。医療は与う限りの尽力をして、命を救い、そのために自分自身が不安定になるリスクさえ犯している。人間、わからないことに飛び込むのは怖いことだ。よほどの胆力がなければできないし、もし間違えば診察室で対面している彼の命が明日費えてもおかしくない。命がけのルーチンワークだ。その精神力に敬意を表する。
最近の子供を見ていると、真っ直ぐ歩いていないような気がする。軌道の予測ができない。顔が右を向きながら足は左に向かうような。理解できるだろうか?
と、防疫と救急の違いを述べてみた。防疫は行政が行い、医療は医療法人の管轄だと理解している。研究は国立機関か製薬会社だ。
ブルーハーツの曲に『人に優しく』がある。人に優しくある以前には、人を守らなければならない。その「人」とは誰だろうか?と考えると、小生意気なガキである。気に食わない。が、守らなければ、と思う。理由はない。考えもない。ひとつだけ感覚するならば、「自分たちより不幸にならないでほしい」。
この言葉を発するためだけに長ったらしく書いていたのだ。こんなバカっているんだろうか?頭ハッピーなヒッピーだったとしてもこんなことは言わないだろう。「色即是空」とは言うものの、全部虚しいと悟るのは死に際であってほしい。全部楽しかったと思うのも、最期の瞬間であってほしい。
美しい瞬間をずっと覚えていてほしい。苦労した記憶も、悲しかった記憶も、楽しかった記憶も、怒り散らした記憶も、どこか美しいはずだ。随分前に亡くなった曽祖母が言っていた。「冬は凍えるようでなあ、藁草履に服着て半纏着て、みんな鼻水ズルズルやから袖なんてカピカピでなあ、でもあのとき一緒に行きよったみんなはよう覚えとるなあ、苦しいけど楽しかった」
0 notes
Text
21
目まぐるしい昨日を終えても私は忙しい。
今日はオカルト研究同好会の集まりがあった。
ここでの詳細はいずれ記す事になるであろう。
その為、大幅に割愛させていただく。
ビートスで行われていたオカ研同の集まりを終え愛車で帰宅した。
玄関を開けキッチンに向かうと狼狽えた様子のテレスが居た。
強情な振りを決して辞めないあのテレスがここまで参った表情を浮かべているのもそうそう珍しい。
「どうしたのなにかあった?」
あまり深入りすればテレスの事だから面倒臭そうであるが、こればかりは無視できない。
「ラヴィの野郎から執拗に次回のアポイントを組もうとしてくるんだ。もう二度とあの人誑しなんざに割く時間なんてねえのに一歩返事を間違えれば底無し沼のように連絡が届きそうで嫌なんだ。なんか良い突き放し方の一つや二つあるか?」
「そうね。今のテレスが何をしてもラヴィさんは喜んでしまうと思うけどなあ。逆効果って奴かな。遠ざけようとすればする程、返って近づけかねないわよ。」
「じゃあ尚更身動きが取れないじゃない。無視択一黙り込みを決め込めば現状より悪化しない訳ではないだろう?」
「んー。そうだなあ。匙を投げてしまうようで申し訳ないんだけれど成るように成るんじゃあないと思ってしまっちゃうわ。」
「そりゃねえぜ。もう少し親身にもなってくれよ。」
「親身は荷が重いから姉妹身にならせてよ。んーそうね。幾ら思案したとて結局望まない展開に頭を抱えそうな気がしてならないけどね。どれだけ駆引をしたって悩みは尽きないのだから。一度は思うが儘に返信をしてみたら?」
「とは言っても中々に難しいぞ。経験が無い事を平然とやってのけるなんて。」
「じゃあ貸してみてよ。」
「ちょ、待てよ。」
往年の名台詞が飛び出たが易々と携帯を取り上げてやり取りを開き中身を見る。
都合の良い日取りを尋ねられていた所で会話は終了していた。
わたしはテレスにバイトが無い日を訊き適当に返事を返す。
「おい、勝手な事してんじゃあねえぞ。」
と漸くテレスの声が聞こえて来て携帯を取り上げられてしまった。
テレスは暫しトーク画面を見たまま固まっていた。
禁忌を犯してしまったアダムとイヴを彷彿とさせる程に絶望している。
「お前…これ…もう既読付いてやがる。」
「良いじゃあない。話が進展するわ。何々?見せてご覧なさいよ。」
今度は素直に携帯を渡したテレスの素直さには褒め称えたい。
煌々と光を放つ液晶にはこう記してある。
“せやなァじゃあ3日後の夜とかどうやァ?有無を言わさずに決まりやなァ。”
「良かったじゃあないかしら。面倒なやり取りを省略出来て。」
「面倒なやり取りを省略した所為で面倒な面会が決まったじゃあないか。なんて事してくれるんだ。」
22
ただただ流るる出来事を目の当たりにしていたが最悪で災厄で最厄である。
あたしに携帯を返す前に“よろしくね。”とだけ返事を返答して返してきた。
「良かったわね。キッカケが出来て。いいなあ。わたしもそんな突飛な出会いが欲しいものだわあ。」
「そこまでのロマンチズムも感じないしドラマチックなんかでも無い。ただ現実的に男女が出会う過程じゃあない。誇大表現にて劇的にするのはやめてくれるか?」
「それほど憤慨する程の事でも無いかと思うけどなあ。せっかく仲人になってあげたというのに感謝の言葉の一つも無いなんて今度の初デートが思いやられちゃうな。」
「まさかだと思うが恋愛に発展するとでも勘違いしてないだろうな?世迷言も大概にしてほしいわ。」
「緊張からかまともな判断ができていない様に思えるわ。早く寝て頭冷やした方が良いんじゃなあい?」
「はあ。これでは会話にならねえな。あんたの方が粗熱を放出、出来てねえだろ。笑わせるなよ。」
「まあ、随分と怒り心頭な事ね。淑女は落ち着きが大事よ。」
「黙ってろ。」
そう勢い任せに言い捨て自室へと戻った。
怒りを通り越して自暴自棄になってしまっている自分への自己嫌悪でメンタリティと言えば最悪である。
徐にヘッドフォンを取り出してプレイリストを再生し始める。
外界との遮断が一旦の解決方法である。
現実は何ら変わりがないがこの夜を凌げればそれで良い。
歪みの効いたギターサウンドが脳味噌を劈く。
気が付けば朝を迎えていた。
今度はアラームの音が耳を劈く。
気絶に似た寝落ちであろう。
耳元からはヘッドフォンは無くなっていた。
僅かに聞こえる音漏れを頼りに何処にあるのかを探し当てる。
寝相が余り良く無いのもあってかヘッドフォンは枕元から遠く離れた所に位置していた。
手繰り寄せてまた装着する。
プレイリストはこの夜で何巡目なのかは判らないが昨晩の最後の記憶に流れていた音楽と同じ曲が今も流れていた。
今日こそは学校に行かないといけない日だ。
最近はサボり気味であったから今日こそはと思い身支度を始める。
アリスはまだ睡眠に没頭しているのを確認しキッチンを片付ける。
一通り片付けも終えて久しぶりにバイクの鍵を手に取り家を出た。
昨日の鬱憤を晴らすかの様に大きくエンジンを唸らせる。
昨日迄の曇天がフリになっている程、今日の空模様は快晴であった。
大学に到着し何ら特筆すべき事項も起こらないまま授業を終える。
こうして誰とも話さずに帰ろうかと思ったのも束の間肩を強めに叩かれた。
ヘッドフォンを着用しているから音が聞こえないのだ。
こればかりは悪気も無いし致し方ない。
振り返ってみると見た事のない男性が立っていた。
23
鈍な身体を起こすのに時間を要したのは言うまでもない。
寝起きの悪さなら一級品だと自負しているが悪気のに迷惑を掛けてしまうからより腹が立つ。
起きるとテレスの姿は無かったが特段不自由な事も無いので芸人ラジオを爆音で流しながら溜まっている家事なりを済ませた。
やる事も無いと居ても立っても居られない性分なのではあるが、いざこうしてゆっくりしているのも悪くは無い。
珈琲でも淹れて、ずっと気になっていた名作映画でも見ようとするか。
プロジェクターを起動してサブスクを接続する。
我ながら極上の余暇を過ごせている事実に思わず頬が綻んでしまう。
至極の映画体験を終えて携帯端末を確認すると40分程前にバイト先の社員に当たるリンカさんからメッセージが届いていた。
「アリス。お休みの所申し訳ない。急遽シフトに穴が開いてしまったから来れるタイミング〜ラストまで穴埋め頼めないかな。」
文面に滲み出る様にリンカさんは物腰の柔らかな中年女性である。
「もー仕方ないですね。すぐに向かいます‼賃金割増でお願いします‼︎」
とだけ返事をし、すぐさま身支度に取り掛かる。
折角のヴァカンスだったのにと思わず文句も出て来る。
でも溜まっていた家事と映画を一本丸まる見れただけ収穫のある元休日を過ごせたのではないかと感じるようにした。
程々にメイクを施し車の鍵を持って地下駐車場まで移動しエンジンを始動させる。
軽快にアクセルを踏み込みバイト先へと向かう。
そういえばバイト先についての説明をしなければならない。
今ではめっきり見なくなった国内最後のアメリカンダイナーチェーン店である日の丸ダイナーで働いている。
日の丸ダイナーは前出したリンカさんの旦那であるエイブラさんの父に当たるジェームさんの更に父であるランクリさんが日本で本格ダイナーの普及を目的に設立した店舗である。
なぜこの職種かと問われれば理由は古いアメリカン映画の中に出てくる世界の追体験が出来るからなのと可愛いカーホップな衣装に惹かれてこのバイト先に応募したまでだ。
あと何よりこの店を推したいのは怪我の暴発の根源であったローラーシューズを撤廃しているのが働き手としては感謝しきれない。
そんな我が店内には現役で稼働するジュークボックスやギラギラネオン。
カウンター席もあるし赤革のソファーのテーブル席だってある。
もし当店にいらして頂けるのであれば私からお薦め出来るメニューはやはり無難なチョイスにはなりますがダブルビーフバーガーと細いポテトのセットにドリンクをシェイクにして頂きたい所だ。
塩味と甘味のバランスと言ったらもう最高ですから。
おっと、話が大きく逸れ過ぎましたね
口語と文語を交互に披露してしまうと読者様に疲労を与えかねないですもの。
謝罪をここで申し上げさせてください。
すみません。
だなんてこんな寄り道をしていたら、あっという間に店先に到着した。
回転数が上がりグルルと唸るエンジンを落ち着かせる様に丁寧に駐車し裏口から入り制服へと着替える。
更衣室でテレスに
「申し訳ないけど急遽バイトラストまでになったから晩御飯は各自で宜しく‼︎」
と連絡しておいた。
厨房は挨拶しデシャップへと向かう。
「ほんと、無理言ってごめんなさいね。助かるわ。」
リンカさんから感謝の意を受け取った。
平日夕方だというのに店内はそれなりに盛況している。
24
「え?なんか用でも?人違いなんじゃあ?」
ただでさえ嫌いな学生の責務を全うした後だというのに気分を逆撫でする行為を行った男性に対して増して無愛想に応対した。
「ほらやっぱりテレスじゃん。覚えてない?小中の同級生のギタンだよ。わかる?」
「え?あー確か神馬公園の近くに住んでたりしたっけ?」
「意外と覚えてくれてんじゃん。やるな。何か他にも覚えている事あったりする?」
“やるな”の上から目線には腹が立った。
「小中野球部だったとか?」
「意外とテレスって他人の事、覚えてたんだな。アリスとまるで違うから淡白な奴だと勝手に思ってたわ。」
ヘラヘラ笑いながらギタンはそう言ってのけた。
久しぶりに会う奴等は何奴も此奴も雁首揃えてアリスアリスアリスとばかり言う。
はっきりと言ってもう仲介役には疲れたものだ。
どれだけ他人からの愛を受け取るつもりなんだよ。
「そうだな。じゃあ帰るわ。」
イライラが募りすぎかけたので多少の語気は荒かったかもしれないが今後を過ごす相手でもないのでそこは気にならなかった。
別れの言葉をと思い発した言葉だったが思いもしない返事が返ってきた。
「ちょいちょい待って待って折角やし一緒に帰ろうや。沢山の積もる話もあるやろうしさ。」
「申し訳ないけど一般的な大学生みたいに駅通学してないから。」
「え?何で通ってんの?執事が送迎してくれているとか?」
「いや、普通にバイクだけど。」
「すげー女なのにバイク乗りなんだ。俺、後ろに乗っけてよ。」
「あーもうなんか全部気になってくるな。鮮やかなまでの女性蔑視にバイク乗りよりかはバイカーかライダーが表現的に適しているしお前みたいな奴なんか乗せる訳も乗れる訳ねえだろ。」
「コテンパンじゃん俺。どうやったら乗せてくれる?」
「そうやって自分で考えて行動しないからなんじゃあない?あたしにとっちゃあ知ったこっちゃねえけど。」
「えーもう少し協力的になってくれてもいいじゃん。」
「それはあたしの勝手でしょう?本当に帰るからな。」
じゃあなとギタンに背を向けて駐車場へと向かっている時アリスから連絡が来ていた事に気付く。
“申し訳ないけど急遽バイトラストまでになったから晩御飯は各自で宜しく‼︎”
と来ていたので「じゃあ今日はダイナーで済まそうぜー」と返しておいた。
なんで出会う男共は揃いも揃ってヘラヘラした情けない奴等ばかりなのかと鬱屈な感情を募らせながらもバイクのエンジンを捻り街を爆走して発散する。
帰りは一緒に帰る為バイクを置いてから電車で日の丸ダイナーまで向かわなければならない。
少し回り道をして帰宅し洗濯機を回してからダイナーへと向かう。
カランコロンとドアを開け店内を見回すと中平日だというのにそれなりに人で埋まっていた。
シェイクとポテトフライを注文しアリスの上がりの時間までは大学で出された課題に取り組む事にする。
0 notes
kokotama · 23 days
Text
旅行が好きじゃない。
もともと家族も、旅行を忌み嫌い、
非日常によりストレスを溜めてしまうひとたち。
小さな頃の家族旅行は全て社会経験と教育の一環であり、
それにはとても感謝している。
大人になった今、
そもそも休日はゆっくり眠って家で静かに過ごしたいと心から思う。
行けば楽しいのだろうけど、
そもそも休みをとることで仕事から離れることもある意味ストレスになってしまう。
そうすることで仕事は減るばかりか激増するのだから。
主治医確認待ち、という誰かを待たせる状況でタスクがストップすることがものすごくしんどい。
もちろん誰かから誘われることなんてもはや有り得ないし、
発生し得ないイベントなのだけど。
自分が楽しみであろう予定すら、
辛いなぁと思いがち。
そもそも旅行に行くとわたしはずっと、
予定通りに帰れるかを気にしてばかり。
天候や交通の不具合などを過度に恐れていて、
帰宅すると「無事に帰ってこられた」という、
クエスト達成感しか残らない。
0 notes
azure358 · 1 month
Text
--深海人形-- 命はゴミだが
霊を侵してはならない
…。
…私は、楽園を、約束の地を、浄土を、神の御国と呼ぶ。
楽園へ行こう。神の御国へ。
…。
※クロスオーバーネタ注意
※全体的に閲覧注意
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
ガンダムは私の人生が終わる所
…最近、ネコトモとディスカバのアルティメットカップTAばっかりやってます。ネコトモ良いっすよ。退屈な位平和だし。
後、ディスカバの話すると、歴代的にもアイスは変態コピーだと思います。あんなのトリデラでもロボボでもスタアラでもWiiDXでも使い熟せる気がし無ぇ……。
…。
…協業する側がしたいのは、墓標を新調して其の墓を守ろうする模範的道徳行と供養では無く盗掘と墓荒らしである事はよーく分かった(遠い目)。
…随分と他所様所有の墓地を墓荒らしをする気満々ですね()。他所では『死体蹴り』呼ばわりされてたけど(呆れ)。
…。
今考えてるシロッコネタ一覧
FA(フルアーマー)シロッコ ※ZZかよ(※呆れ)
シロッコ ヘビーアームズ
忠犬シロ公
(※ソロモンの悪夢っぽい並)狂犬シロ公
ネオジオンシロ公
クラウンドシロッコ(※カービィWiiネタ)
動物と植物の中間生物・歩根類(※早い話がピクミンの様なモン)シロッコ ※凍らせてから倒すと、大量に、大地のエキスかゲキカラエキスを出す
限り無く胞子生物に近い動物 歩菌類 キノッコ(※同上 キノガッサみたいなモン)
シロッコ AGE-1(※実質MS鍛治みたいなモンだし)
※…結論:シロッコはおもちゃじゃ無いんだぞ!(※迫真)。
…。
名人狙击传 名人狙撃伝
相手の額・首・心臓を、正確に弓で狙撃して最低限の矢だけで仕留める。因みに、此の技の使い手は、主に女性を狙う。
…。
機動戦士ガンダムAGEの大爆死の冥福を祈る part629
※未だにあるのが凄い(※然も今も大好評絶賛現役)。
…。
Q.ジオン公国の軍人を尊厳破壊するには、如何したら良いですか?(※尊厳破壊が癖の者より)。
A.捕虜にした後、処刑(絞首刑での)をちらつかせながら、ティターンズに編入する(※模範解答)。同胞ハンターの爆誕だよ⭐︎(※外道の所業)。
…。
(※漫画版ゲッターパロです)
エリミーヌ「…良い加減に、此の終末の冬で滅ぶのよ、…は、爬虫類共……!!(※生粋の竜族アンチ)。」
アトス「……嗚呼、…嗚呼!!エリミーヌ、エリミーヌゥ!!!!……莫迦め……(※竜族共和推進派)。」
※…ワイのエリミーヌ像此んな感じ(※キャライメージの間違いが酷い)。
…。
星の夢→宇宙の生命はどいつもこいつも不完全なので全宇宙の生命を滅ぼします
エンデ・ニル→虚無のまま生命も宇宙の全てを破壊し尽くす為その限りを尽くす
エフィリス→世界に我以外の存在は要らない、我以外は皆滅ぼすし、滅んで仕舞えば良い
此奴等の目的って結局同じなんだよなぁ()。
…。
意気揚々とこの世界で侵略活動するぜウェーイwwな加害者かと思ったら、ホントに呆気無くピエロか見せ物にされて被害者だからなぁ、エフィリスの立ち位置複雑過ぎなんよ(※遠い目)。
…。
…『他人と言う存在は、自分(達)が利用する為、搾取する為、踏み躙るために存在する(キアラさん並感)』。…其う考え切れる人間程、偉大で人生は確実に成功するとしか言い様が無い。…実際、其れの究極形であるキアラさんは、末長く語り継がれる位トンでも無い女だった(※…無論、fgoじゃない方のです)。
…。
…最近のカービィは積極的絶滅、破滅主義、エフィリズム支持してる様な存在がラスボス・真ボス務めがち(※其の真意は如何であれ、反出生主義を実質掲げる強大な存在がラスボスか真ボスやって居ると言っても過言では無い)。
…。
…其の上、エフィリス以上にどうかしてるのが、新世界捨てて行った連中と言うのマジで救いが無い(※改めてカービィの裏設定黒過ぎなんよ)。
…。
…原語じゃ『Roper(自らのナワバリを区切る者)』だけど、英語名だと『Doomer(地球規模の問題がこの世の終わりをもたらすと信じている人、ドゥームズディが来るのは近いと考える人、<古> 判決を申し渡す人 ※多分ネーミングとしては真ん中では無いか?)』…と言うの格好良過ぎる(※アナザーディメンジョンのローパー属の話)。
そして、スフィアローパーとグランドローパーは、マスクラか何かが原因で破滅して行った古代ハルカンドラ文明人か故郷を軽率な理由で捨てた新世界の住人が成れ果てた姿じゃないかって言われてる(※…だけど、其の一方で、イカサマタマゴやらハルカンドルディとかにも古代ハルカンドラ文明の末裔説あるけど……)。
…。
ボロロア御面「…クゥ……クゥ……(※可愛い声で鳴く)。」
ワイ「…良い声で鳴くのぉ〜〜ww(※最高だぜ)。」
※…とっても良い声で鳴くので、大歓喜しながらゲラゲラ笑ってた(※悪趣味)。
…後、エフィカスの御面好きよ(※…だけど、ローパー属の御面が一番好きかも)。
…。
Q.…イカタマがろーあの中に、カミーユ監禁する話描くって話はどうなったの?(ろーあ可哀想)
A.其の中に、『ソロモンの悪夢』さんも加わる事になったよ(※満面の笑み)。『異宇宙から来た虚言の旅人〜The Best Friends.』と『ボクは許さない〜The Worst Friends.』の続編みたいな話になるかも(※…だけど、描かない可能性の方が高い)。
…もっと書くと、あの団長達みたいな悪党の所為で、「…ヒトと言う生き物ハ、何でも出来て頭が良いだけの救えない下等生物ノチクショウ(※…でしか無い)。」…だと思う様になった、イカタマが団長達よりも明らかに弱いヒトを誘拐して、売り飛ばそうとする話だよ(※未だ企画段階)。
--……人間とは、本当に、面白イナ。
…、
かの船は乗り込む者を楽園にいざなう船(※公式設定)である。…が、その船の邪悪な船長は、地獄に慣れきった全宇宙一ハイプライスのワンマンアーミーである退屈な男、キリコですら、足を踏み入れる事を躊躇する程の地獄へと、彼等を送り込む……。人は楽園を嘲笑う。そして深い地獄に堕ちて行く。神はもうヒトを愛さない。
次回 原罪
神の御国は人と人の間にある。
…。
日本刀好きには悪い奴しかいない。然し、其の悪い奴には二つの種類がある。『死後天国に行ける程度に悪い奴』と『地獄に行く程に悪い奴』と言う二つの種類が。
…。
ちいかわのセイレーンは、何故か世間では一方的に悪者、加害者扱いされてるけど、皆だって、何時も仲良くしてて楽しく一緒の時間過ごして居る友達を、何か(※幾ら小さくて可愛かろうが)訳分からん奴に煮付けとして食われた挙句、其の煮付け奴等が不老不死ロボになって、のうのうと生きてる事(兎に角死なないし厄介)知った途端に「…仇取ったる(※任俠心)!!。」…って思う様になるでしょ?(※…其う言う事です)。
…で、世間の其う言う認識は、『愛の前には強者も弱者も無い(※愛は最強)』…って言う考えから来てるんだろうなぁ(※遠い目)。…でも、あっちはあっちで友情でして……(※友情ですよね?)。
…。
キリストの十字架は、生命の木で作られて居ると言う伝説がある。
WiiDXで彼奴(※某大樹)が追加された事によりクロロ団長(※基督教モチーフ)との関わりが出て来たのは……、…いや、元々あったな……(※思い出した)。
…。
…ショタリョナ・男リョナ嫌いの男塾勢なのに、わざわざ館主様&ふーけつリョナ見に来る、読みに来る達ってドマゾ豚(と孤独死と嫌われ者)の才能あるよ、マジで(※確信)。誇れ、お前は(どドマゾ)豚だ(※すくーな並)。
…因みに、ワイの事を忌嫌いながら、文句言いながら、拙作の格ゲーネタ見に来る人達もドマゾ豚の才能あります(※孤独死の才能も)。…と言う訳で、ワイが責任を持って調教してあげるから、…此れから、一人前のドマゾ豚になろうね(※キモ)。
…此んな自分が嫌いで嫌いで仕方無いな人間に、ジャンル燃料の供給を頼らなくても、今は、ChatGPTとか小説執筆AIなんてのは沢山あるんだから、其れに頼れば良いのに……(※…もしかすると、元々からドマゾ豚だから調教されたいだけなのかなぁ……??)。
…そして、ガソダム&ロボアニメ勢で見に来て、読みに来て下さった方は……。…「…もうすみません(本当に御免なさい)。」…としか言い様がありません。…本当に、すみません(※…昔から此の様な奴です)。
…。
…ごく一部のマイナージャンル民へ。其処迄、粘着する、然もストーカーみたいに、なんて、私の事好きで好きで仕方無いんですね?…ハッキリ言ってキモい、…気持ち悪いです。…今度からは、隣の同類と言う名の同胞か、対話AI(※特にChatGPT)と仲良しになって下さい。…ワイはもっと描きたいジャンルあるので(※…其れと、ストーキングが辞められ無い様なら、ワイが調教して治療しても上げても良いですよ)。…何時迄も執着し続けるなんて、本気で気色悪いですね()。
…。
…桃玉ゆぎおわんぴきめつじゅじゅつメジャーロボアニメみたいなメジャージャンルに長年触れて分かったけど、マイナージャンルは、ファン層に多様性と言う物が無くて、基本的に何処行っても孤独で、嫌われ者で、自己中心的で、気持ち悪いヒトしか居ないんだなぁ?(呆れ)。
…。
御互いに人間性も性癖も意見も相性最悪で「…ジャンルと界隈が同じじゃなけりゃ、…此んな奴とは金輪際付き合いたくねぇ〜〜!!(※縁切りてぇ〜〜!!)。」…って奴でも、居るジャンルと界隈が同じだけで(※だって、他に人が居無さ過ぎるので)正に奇跡なレベルだから、必死に空気読んで、其の貴重極まり無い仲間を失わない為に、どんなに、相手へのヘイトとストレス貯めても仲を取り繕ろわなきゃやって行けないマイナージャンル民はスタート地点の時点で不幸だよな(涙を禁じ得ない)。
…寧ろ、惨めで不幸な人生を送る為に、限界集落マイナージャンル民人生してる嫌いすらある(※極端な話)。
…。
…自分の縄張りを確保する目的で界隈に居座るマイナージャンル民、マジで底辺企業の無能御局様と同じやな(※…メジャージャンルの一角に、ナワバリ作った方が、圧倒的に楽だろうに……)。
…。
?「…御気持ち文章乙ww(※暇人)。」
ワイ「…ワイの事が、嫌いで嫌いで仕方無い筈のドマゾ豚が、ストーキングめいた行為した上で、何か言ってる(※マジキモ怖い)。」
…。
…皆も生き恥をかく事無く、清廉潔白に御亡くなりになろうね⭐︎(※ガトー御兄さんとの約束だよ⭐︎)。
…。
0 notes
crydayz · 1 month
Text
240320 EXTRA
特定個人への嫌悪というものは呪いだ
僕は数人のサブカル絵描きを嫌いになってしまった所為でその界隈全てに忌避感を感じるようになってしまった
相変わらず自分が好きなものや得意とする方向性は彼らが好むものと一緒なのに
自分のムカつきのトリガーに触れないように、極力そのカルチャーを視界に入れないように心がけている
自分サイドにも落ち度があった事とかはぶっちゃけどうでもいい
心が「怨モード」になっている限り理性や建設性を維持する事は極めて困難
自身の怨スイッチをONにするムカつきトリガーからは遠ざからなければならない
僕は最近満たされすぎていて怒りや憎しみの感情が足りないとボヤいているが、それは半分嘘だ
「ムカつきすぎてどうしようもないもの」からは徹底的に逃げている
向き合ったところで何の建設的エフェクトも生まないからだ
僕自身が誰かにとっての「ムカつきトリガー」になっている事だって自覚している
そりゃあそうだろうよ、と思う
エンタメのバカデカい見出しの一つを陣取ってしまったのだから
「お前にその椅子は相応しくない。下がれ下郎!」と言いたい人は大勢いるだろう
繰り返すが、僕自身10年前はそういうルサンチマンまみれの陰湿嫉妬マニアだったのだ
-----------------------
「俺程度の人間があの椅子に座るのはおこがましいと思っていたが、流石にあいつよりかは自分の方に資格がある・・」
そう確信できるドンズレ人選ってものはこれまでも散々観てきた
ヘイト感情を一瞬で燃え上がらせるファイアスターターはWEB上の何処にでも転がっている
社会は「積み上げた苦労や愛を侮辱される機会」に満ちている
無論、自分が無自覚 / 無意識に誰かの苦労や愛を侮辱してしまう事だってある。お互い様だなんて言えない
許せないもんは許せない。許すメリットは自分サイドには無い
だってさ、あのヤローは「僕の愛」を侮辱したんだ。侮辱された愛を放置���たらその後に待つのはさらなる侮辱と凌辱だけだろ???
奪われた対象が「人間」ならまだいい
「そいつの下で働かされ、あるいは共に暮らしてみて幸せですか?」って聞けるしメディア通して確認する機会だってあるじゃん
それで「あんたといるよりずっと幸せだよ」って言ってもらえりゃ諦めもつく
けど「概念」や「文化」の場合はそうはいかない
ずっと無限に、死ぬまで「あるいは自分と関わった方があの概念 / 文化は幸せだったかもしれない、それを介して多くの人を・・何よりも自分を救えたかもしれない」と感じ続けるんだ
だって自分が生み出す絵が、設定が、あのポンコツが描いたそれよりも「遥かに優れている」と確信できるのだから―
単にデカいインフラに乗って金の力で流布されただけで、同じ条件下であれば自分の方が遥かにポジティブなエフェクトを生んだと確信できるのだから!!
え? そんな確信抱いた事一度もない?
ハァ・・どんだけサボり魔なん。どんだけ自分を低く見積もってんの??
惨めなだけだろ、そんなん。メンタル80歳だろ、それ
自身のクソな運命捻じ曲げ奇跡や革命起こすには、お行儀よく我慢したり身の程弁えちゃあいけない
憎いあンちくしょうを叩きのめし当然自分がその椅子に座り責務をちゃらっと果たし、誰もたどり着けなかったゾーンへ・・・
いや・・ 自分、東アジア人だったわ
東アジア人の時点で、ダメだ。
僕は東アジア人コンプレックスなんだ。こんな頭蓋骨デカくて顔が扁平な人種に国際社会のイニシアチブを握る権利も資格もない
どう転んでもどんぐりの背比べ。偏屈へんてこドワーフ / ホビット族
いや、それならまだいい、きっと我々はオークかゴブリンポジションだ
家畜人ヤプーが自我を持ったってしょうがない
その被差別ポジション・ビューなら、同じ東アジア人の事は当然全員許せる。だって、被差別階級仲間だもん
バカバカバカバカ、バカ!!
サイテーなメンタリティ。つまり僕はアングロサクソンの肉体に転生できたらアジア人を見下すレイシストってわけだ
ああ、ロバート・ダウニー・Jrの振る舞い観て「だよね!」って素直に思っちゃったもん
俺はやっぱ、湿ったアジアの怪談の世界に閉じこもっていたい
日本が世界に敗けない点。それは湿り気に満ちた「和製ホラー」文化
怖さとキモさで勝負したら、日本人や東アジア人は欧米人や北欧人なんて目じゃないぜ!!
覚悟してやがれ、世界・・
0 notes