Tumgik
#禅和庵
metal-cn · 7 months
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イスラエルvsハマス、日本政府は、軽挙を決して慎むべきだ!
このたびの、イスラエルvsハマスの件。ともかく、日本政府に出る幕はない。それは、国際連盟時より、外交を軽視した、つけでもある。
この度の件で、事態が難しいのは、(あ)殺害された人、(か)人質に取られている人、(さ)刻々と殺害されている、この複雑な、外向的構図への、アプローチは、日本政府には不可能だ。
だが、これに並行して、困るのは、CCPの行動。日本政府のもし、軽挙があれば、CCPがそれを言い訳にして、堂々と介在してしまう。それが、事態を複雑化させないようにされたい。せめて。
しかるに(か)(さ)に関しては、むしろ世界的に考えると、なんと、日本の、仏教界は、一定の役割を果たせるかもしれない。だから、不思議といえば、不思議なほど、日本の高僧の、全人類へ果たせる意義は増している。
If JPN Government thinks about some rooms to be during the Israel vs Hamas issue, it inevitably causes serious confusion not to be, this blog recognizes.However the JPN higher Buddism monks can possibly make Hamas re-think about the behaviors of him by himself. Hamas must stop all abusive actions in the name of Human. Hamas has to discover it as quickest as possible by himself.But JPN Buddism monks are vocations religious. They may tell Hamas from the view point of different religion. But the religion exists for Human. Not for abusiveness.
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kshogaki · 1 year
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. 先生が「ずっとやってみたかった」と仰っていた胡座点前 亭主の雰囲気にも茶室にもとても馴染んでしっくりくる感じがありました #小田原大茶会 #松永記念館 #松永耳庵 #黒星 #濃茶 #星窓茶道 #和菓子ももとせ #和菓子 #丁子入り #茶の湯 #茶道 #茶会 #お茶会 #teaceremony #抹茶 #matcha #禅 #zen #thicktea (松永記念館) https://www.instagram.com/p/ClNb5RDrlpL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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helloharuo-diary-2023 · 2 months
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濁りがない心
Friday 7 March 2014
禅寺へ車で行く。ちょっとこの頃、横着をする真観。 今日の言い訳は雪が降り始めていたことと坐禅会が終ったらすぐ東京に行かなければならなかったこと。
S子 『ふ〜ん、そうなんだ』
7時45分、茶畑庵を出発した。御殿場エリアになると銀世界が待っていた。またもや前と同じ様な事態になるんじゃないのか?でも「気配」としては多分大丈夫だなと感じた真観。8時25分、予定通りのバスに乗り順調に東京へ進んだが東名インター辺りで12kmの自然渋滞。バスは遅れたものの10時半過ぎには新宿に到着。東京はけろっと晴れていた。駅前では今日も募金活動をしている。
『アフリカの貧しい子供たちに募金をよろしくお願いしま〜す』&礼。(リピート)
今朝の真観は募金はしなかっった。
総武線に乗ってオフィスへ。Uさんはまだ来ていない。時刻は、11時過ぎ。今日東京に来た第一の理由はオフィスのMacでiPhotoのブックサービスのデータをネットで送ることだった。真観のWifi環境ではスピードが遅すぎてアウト。今週は仕事も学校もないので静岡でゆっくりしようと思っていたが盲点はこの作業が静岡で出来ないことだった。金曜日の今日にこのデータを送れば来週頭には注文したブックは届くであろう。茶畑庵近くで光回線を借りれるサービスがあればいいのだが。このブックとは真観のクラスの卒業記念ZINEだ。この試みは初めてだった。仕上りがとても楽しみな真観。
Uさんもやって来て束の間のおしゃべりをする。何故ウクライナの問題が起きたのか?と真観がUさんに問いかけるといつも嫌な顔をせず答えてくれるUさん。人種とは?国境とは?・・・と話を聞きたいのは山々だったが真観は次の予定があった。Uさんの話を身支度しながらオフィスを出る。今回の東京はUさんとは「会うこと」を優先し話すことは次回と考えていた。
真観は、歩いて九段下駅に行く。そして表参道駅に向かった。約束の時間は、12時半。明らかに数分遅れると思った真観は、JのiPhoneにメッセージを送った。そう今日は、Jと会う約束もしていた。先月末から10日間東京を滞在しているJ。今回Jがセルビアから来日する前からJと会えるかどうかやり取りしていたが真観には東京に行く予定がなかったので諦めていた。2009年の真観の写真展の時にJからとんでもない不義理を受けそれ以来Jとは昨年まで絶交していた。しかし昨年ふと真観は、Jを許す気になって2人の関係は雪解けした。そしてタイミング良くJが東京に来る事になって彼と再会したのは昨年の4月。真観は、Jと和解したがJとの付き合いにあるルールを作った。
「絶対にJを待たない」
昔の真観だったら東京でもどこでも会いに行くと思うがもうしない。
12時半過ぎ、表参道の交差点でJと再会。一緒に共通の知り合いのAもいた。Jと真観馴染みのオーガニックレストランに向かった。前払いのレストランでレジの前では行列。2人はパティオのテーブル席に座って食事をした。Jも真観も山盛りの料理を皿に盛る。玄米ごはんを久しぶりに茶碗一杯に食べる真観。このレストランはマッチアズユーキャンの店だ。Jの今回の来日目的を何となくアレについてだと思っていた真観だったが彼から話を聞くと全く違う国家レベルの一大プロジェクトに携わる仕事が目的だった。その仕事はプロジェクトが大きいためこれからも何回か日本に来る必要がある様だ。
Jは、面白い!Jはお金がある時とない時の差が激しく今回の来日時の所持金は、100円程度。100円!成田の税関で案の定軽くトラブルになったが難を逃れた様だ。セルビアからの旅費は700€ほど掛かった様だがそのお金はこれまた奇想天外な機関から捻出していた。頼もしい限りだ。Jと真観は、和解してからFacebookで繋がっている。Jは、真観の「Today's Fashion」が大好きな様で絶賛していた。話題は次から次へと移り時間はあっという間に2時を過ぎていた。このランチの後Jは「子どもの城」で他の友人と会う約束をしていた。真観はその友人を知っていた。最初にJと一緒にいたAは共にレストランに来るはずだったがどこかに消えてレストランには来ず「子どもの城」にいるJの友人と合流していた。Jは『一緒に来ないか?』と真観に尋ねて来たが真観はやめておいた。
「絶対にJを待たない」
このルールはJと19年間付き合ってから出した結論だ。Jは、とてもいい人で心に濁りがない人だが時間に極端にルーズだ。今回のランチの間にもその「子どもの城」にいた友人たちから何度もJに催促の電話をして来た。その電話の目の前にいるのが真観。Jは、真観との時間を優先する。だから次の約束に遅れる。待つ方は毎度のことと諦めつつも苛立始める。真観もかつてはそうだった。今回は、待つ立場ではなかった真観。「絶対にJを待たない」Jがこの悪い癖を直そうとしていないのが少し残念でもあり人ごとであればそれも可笑しく見えてしまう。
Jは、また5月に来日予定だという。その時は、是非静岡に来て欲しいとリクエストした真観。今回の来日時もそうリクエストしていた。Jと表参道で別れ1人原宿駅まで向かう。東京も雪が降り始めていた。新宿駅まで移動しヨドバシカメラに寄り、機材の値段やインクジェットペーパーの入荷状況、ラベルシート等の確認をする。また駅前を通ると大震災で飼い主を失ったワンちゃんニャンちゃんたちの里親募集を呼びかけていた。朝のアフリカの子供たちのことと同様複雑な気持ちになる真観。ペットは解体が茶畑庵では無理だ。4時半のバスに乗った。バスに乗る前バスの営業所の自販機でドリンクを買ったがピックアップせずにバスに乗りあとから気付いた真観。キャイ〜ン!な真観。
バスの中にいた時Jからお礼のメッセージが届いた。 『Great to see you today and see you again soon!!』
Jから沢山のことを学んだ真観。 真観の人生のターニングポイントのキーパーソンのJ。 人間的魅力の溢れた素晴らしい人物。彼と出会えて良かった。 でも、「絶対にJを待たない」
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kinop37p · 1 year
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気のあう仲間と、尾道でランチ。
歩道のガード下をくぐり、石段を上ったところにあるお店。
ご飯は炊きたて、料理も作りたて。
コースをゆっくり3時間かけていただきました^_^
ごちそうさまでした(^人^)
#禅和庵 #ぜんなあん #尾道グルメ #尾道 #hitひろしま観光大使
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oniwastagram · 2 years
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📸極楽寺庭園“清閑庭” / Gokurakuji Temple Garden, Kinosakionsen, Hyogo 兵庫県豊岡市の『極楽寺庭園“清閑庭”』が素敵…! “関西の奥座敷”城崎温泉の温泉街に佇む禅寺に昭和年代に作庭された五色の配色が美しい石庭は重森三玲からの影響を感じる…?江戸時代にかの沢庵和尚に再興され、山門は豊岡市指定文化財、大正時代に再建された近代の建築の本堂は国登録有形文化財… 兵庫・極楽寺庭園“清閑庭”の紹介は☟ https://oniwa.garden/gokurakuji-temple-toyooka-kinosakionsen/ ...... 2021年9月、先に紹介した『香住海岸』『帝釈寺庭園』の後に初めて城崎温泉に立ち寄りました♨️ お目当てはこちら、臨済宗大徳寺派の「萬年山 極楽寺」。近畿楽寿観音霊場第三番札所。城崎温泉の代表的なお寺『温泉寺』(国重要文化財)へと至る城崎ロープウェイ🚡の山麓駅からも程近く。 . その歴史は、室町時代初期の応永年間(1394年~1428年)に同じく沢庵和尚ゆかりの出石の『宗鏡寺』を開いた金山明昶(きんざんみょうしょう)禅師により創建。 . その後は一時衰退〜荒廃するも、江戸時代初期の寛永年間(1624年〜1644年)に沢庵により中興。 城崎温泉を好み湯治にたびたび訪れていた沢庵和尚🧖‍♂️はこの極楽寺で寝泊まりし、城崎温泉で詠んだ歌も多く残されているとか。 . その後は豊岡藩主・杉原伯耆守にも信仰され、1652年に寺領を寄進され現在の寺観が整えられました。 元禄年間(1688年~1703年)より残る山門が豊岡市の文化財、本堂(方丈)は後に焼失し1921年(大正10年)に再建された近代の建築ですが、今日では国登録有形文化財に。 . そんな本堂(方丈)前庭として枯山水の石庭“清閑庭”があります。 京都の白川砂、鞍馬の赤石・吉野の青石による七五三の石組、そして苔の緑や黒石と五色の色使いで表現された“心の象形庭”。山に囲まれたお寺のロケーションも含めすごくいい!⛰ 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #japanart #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #bonsai #建築デザイン #アート #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #庭院 #庭园 #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #石庭 #城崎温泉 #toyooka #兵庫庭園 #おにわさん (極楽寺) https://www.instagram.com/p/CfqqpC7PAjG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れざる紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文  暦売る神となりし日遠くして 慶月  極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子  楽団の喧騒を待つポインセチア 順子  幔幕のうちは見せざり年用意 千種  聖夜待つランプの中の空青し 和子  悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  旧華族らしき猫背を外套に 順子  二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月  寒鯉の鐚一文も動かざる 千種  凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子  数へ日の水あをいろに神の池 要  外套のポケットに怒りを握る 和子  冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子  上野は勝つてゐるか像の極月 慶月  歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子  聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか  冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼  初対面黄色のマフラーして彼女 政江  花柊零るる坂の神父館 要  未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子  聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天  ��裾冷たき暁星のマリア像 俊樹  なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子  十字架に鳩の休息クリスマス 要  鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹  窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか  朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象  一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子  著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天  霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英霊の言の葉の外年詰まる 軽象  寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江  年逝くや素木の鳥居乾くまま 要  擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子  数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子  大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか  きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子  オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか  数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子  サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹  風冷た悲しくなけれども涙 政江  二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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medickalmalpractice · 9 months
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diggity.info /music/kissaquo/ 
異世界に誘う美しき声と般若心経の旋律…。イケメン 僧侶「キッサコ」のライブ《現代仏教》 
2023 年 4 月 7 日 Diggity.info より 
この記事は、日本の音楽グループ「キッサコ」の活動について紹介しています。キッサコ は、仏教と音楽を融合させることで、古い伝統を現代に活かし、人々に仏教の教えを伝え ることを目的としています。 
副住職を務める薬師寺寛邦が般若心経をポップス調にアレンジした動画が、国内外で注目 を集め、キャンペーンやライブ活動を通じて大盛況を博しました。 
メンバーの変遷や脱退、再始動など、グループの歴史にも触れられています。仏教音楽に 興味のある方や、日本のポップスと仏教文化に興味がある方には特におすすめの記事です。 
Kissaquo 
歌う僧侶!「キッサコ」 
異世界に誘う美しい声と般若心経の旋律で人々を魅了しているイケメン僧侶「キッサコ」 のライブは、現代仏教をより多くの人々に伝える新しい方法として注目を浴びています。 キッサコは、音楽と仏教の融合を通じて、古い伝統を現代に活かすことができることを示 しています。 
薬師寺 寛邦(ヤクシジ カンホウ) 
僧侶ボーカルプロジェクト「キッサコ」として活動している、薬師寺寛邦(臨済宗妙心寺 派海禅寺副住職)は、1979 年生まれで愛媛県今治市出身の禅僧であり音楽家でもあります。
��の歌声は、美しく心を打つものであり、それは彼が禅宗の修行や教えを学んだことから 生まれた独特の感性とも言われています。 
薬師寺寛邦は愛媛県今治市にある臨済宗・海禅寺の副住職を務める傍ら、音楽活動を続け ています。彼が演じるライブパフォーマンスは、禅僧でありながらもエンターテイメント 性に富んでおり、そのため幅広い年齢層のファンを獲得しています。 
「キッサコ」としての活動は、古くから続く仏教の伝統と、現代の音楽との融合によって、 新たな形で人々に仏教の教えを伝えることを目的としています。この新しいアプローチは、 特に若者たちにとって魅力的であり、彼らが仏教に興味を持ち始めるきっかけとなってい ます。 
名前の由来は“喫茶去” 
「キッサコ」という名前は、禅や茶道の言葉である「喫茶去」から取られています。「喫 茶去」は、もともと禅の修行の中で用いられる言葉であり、一休宗純(一休禅師)の言葉 としても知られています。この言葉は、「お茶でも飲んで落ち着いて」という意味を持ち、 煩わしいことから離れて心を落ち着かせることを勧めるものです。 
つまり、キッサコには、「お茶でもどうぞ」という意味が込められており、音楽を通じて 心の安らぎを提供することを目指しています。また、禅や茶道の精神を大切にしつつ、音 楽という形で現代の人々に仏教の教えや禅の精神を伝えるという思いが込められていると 言われています。 
YouTube で大ヒット! 
キッサコの動画「般若心経」は、2017 年 12 月に YouTube にアップされ、インターネット 上で瞬く間に話題となりました。彼自身が唱える般若心経を幾重にも重ね、ポップス調の アレンジで仕上げたこの動画は、仏教の教えを広めるとともに、新たな音楽ジャンルとし て注目を集めました。
この動画は国内だけでなく、台湾や中国でも大変な人気を集め、再生回数は国内で約 170 万回、台湾では約 160 万回、中国ではなんと約 1500 万回もの大きな反響を呼びました。こ の動画の人気は、伝統的な仏教の教えを斬新な音楽アレンジで表現したことにより、幅広 い層の人々から支持されたことが要因となっています。 
YouTube 上では、「世界中に広まってほしいです。お経を聞いて幸せな気持ちになったの は初めて」「いいね!心が洗われます」「般若心経にこんな良いリズムをありがとう!」 などのポジティブなコメントが多く寄せられています。 
大反響の中国ツアー!! 
2018 年 12 月には、キッサコは中国本土・台湾を巡る全 6 箇所公演のワンマンライブツア ーを開催し、約 5,000 人を動員して大盛況となりました。公演を通じて、現地での反響を 直接感じることができた薬師寺寛邦は、その経験からさまざまな気づきを得ました。 
彼が特に印象に残ったのは、観客の世代が非常に若かったことです。若い人たちも彼の般 若心経を聞きながら、ずっと拝んで何かを念じている姿が印象的でした。これから、薬師 寺は「拝む」という行為が日常にあると感じたと語っています。(中略) 
キッサコ結成ストーリー 
元々はグループバンド「キッサコ」 
薬師寺寛邦は、海禅寺に生まれましたが、お寺の跡を継ぐことに悩みを抱えていました。 そんな彼が 2003 年に大学在学中にボーカルスクールに通い始めることで、人生が大きく変 わりました。ボーカルスクールで出会った田中まさやと麻生勇作と共に、「キッサコ」と いう音楽グループを結成しました。 
精力的に音楽活動!! 
2003 年 7 月 20 日、京都・建仁寺禅居庵にて行われたライブ&アートイベント「オトノア コニハ」に出演したことをきっかけに、西慎嗣氏のサウンドプロデュースを受けて、イン
ディーズレーベル「japanative records」よりシングル『ハイム~郷愁~』を発表。西日本 を中心にキャンペーンを敢行し、福岡のキャナルシティではおよそ 300 人の観衆を集める など、各地で大盛況を博す。 
2004 年には京都の街の魅力に惹き付けられ、その美しい風景を描いた『花街』を発表。西 本願寺聞法会館での隔月開催のライブ、京都・永運院のワンマンライブなど、関西全域で のショッピングモールライブ、ストリートライブを精力的に展開し、2年間でライブ公演 数は 300 ステージを超える。 
(中略) 
薬師寺寛邦が仏門修行のため再び一時的に活動を休止 
2010 年をもって、リーダー薬師寺が活動を一時休止することとなりました。休止前の最後 のコンサートとして、450 人を超える動員を記録し、京都コンサートホールムラタで大盛 況の内に幕を閉じました。これに伴い、リーダー薬師寺は仏門修行に入ることとなりまし た。 
「僧侶になりたくない」そんな自分を見つめ直すため 
薬師寺寛邦は音楽活動での成功を目指していたが、なかなか成果が出ず、自身の逃げから 始まった音楽活動に疑問を抱くようになりました。彼は自分自身と向き合うために、禅の 本を読み、心の在り方を見つめ直すことになりました。その結果、彼は自分に伝えたいも のがなかったことに気づき、禅の修行に打ち込むことを決意しました。結婚していた彼は2 年間、京都の天龍寺での厳しい修行に取り組んでいました。 
「お経を音楽にのせてみたい」修行中に今に繋がるスタイルを思いつく 
朝 4 時に起き、掃除や庭の剪定、畑仕事を行いながら座禅をしていた。月に1度ほど、1 週間連続で早朝から夜中まで座禅を行う「接心」も体験した。座禅中、歌詞やメロディが ひらめいたこともあり、一度嫌いだった音楽が身近になっていた。
修行中、大勢で音程をそろえてお経を読み、気持ちがよかった。寺を周回しながら数人で お経を唱える托鉢の際、ロングトーンの部分を音程を変えてハモってみることもあった。 
薬師寺寛邦は修行を終えた後、仏教のお経を音楽にのせてみたいというアイデアを思いつ きました。彼は般若心経を選び、伝統的な読経の調子に合わせて伴奏や和音を重ねること で、音楽的にも美しい仏教の教えを表現することに取り組みました。彼は、「意味もすご いが、まず音として計り知れないパワーがある」と語っています。この取り組みは、仏教 の教えを広めるとともに、新たな音楽ジャンルとして注目を集めました。 
修行が終わり再び音楽活動を再開!スタイルは“仏教” 
2 年の時を経て、2013 年春に薬師寺が修行より戻り、キッサコは夏から再始動しました。 
薬師寺が僧侶になったのを機に、懐かしいポップスのメロディーとハーモニーを用いて、 仏教の教えをわかりやすい日本語に置き換えて伝えることをコンセプトに、寺院ライブを 軸に活動を展開していく。 
7 月 12 日に京都府民ホールアルティにて復活ライブを開催し、大盛況の再スタートを切り ました。そして、メンバーそれぞれの故郷やファンの街へと活動の場を広げ、11 月には 500 人の動員を記録したチャリティーライブを開催しました。 
そして、2014 年 12 月には、3 枚目のフルアルバム「伝言板」をリリースし、全国6カ所の ライブツアー「帰郷」を開催しました。 
(後略)
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wizardlq · 1 year
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阴天湿冷,不想出去走动,就在家把玩收藏很久的一幅日本回流老字画。此画为精品太湖赏石图。馆藏品。绫裱绢本。装裱形式学宋制,逸笔草草,兼工带写,墨线勾勒皴擦,石青石绿罩染,古朴典雅,空灵诧寂,颇俱有宋一代大小青绿之意趣,题跋亦好,诗文很有宋代禅僧之机风妙旨,其诗曰:庵中靜打坐,看雲起峰頂。頂雲閒不徹,澗水流齊等。詩款:己未之夏日石蓮題。印:石蓮。畫款:秋峰。印:自然。此画为日本著名画家竹村秋峰所作,石莲上人贊。竹村秋峰 ,明治15年(1882)愛媛県生。名は清治、別号に狸々軒・樵月。名古屋に移り、画をはじめ渡辺秋谿に学び、のち菊池芳文に師事。文展で活躍。大阪に住した。昭和30年(1955)存。放大镜下从局部细节可见,题跋诗文中“顶”字墨色含胶,画面枯笔处墨与绢接触面墨粒光亮,分离自然,上色处石绿等矿物颜料时有较大颗粒粘附,印章处印泥覆盖于墨色之上,印泥覆盖绢丝之上有断续不连之感,当为印石与绢丝粘带之效,背之柔软细腻,似小孩皮肤,地轴处有虫蛀痕迹,必为手绘真迹无疑!(在 Shanghai City, China) https://www.instagram.com/p/CqM6Niuvc1i/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sadaki-ino · 1 year
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10年ぶりに参拝させていただきましたが、変わらず美しい紅葉でした。 源光庵【京都の紅葉と神社仏閣】① 2022年11月25日(金) https://youtu.be/BJFd06wJd_0 源光庵さんは2019年6月から拝観中止でしたが2022年4月1日より再開されています。 また紅葉シーズンの11月の駐車場は混雑のため利用休止でしたが、この駐車場の真っ赤な紅葉が自撮りスポットとなり特に若い女性の方々が自撮りされていました。 本堂にはあの有名な「悟りの窓」と「迷いの窓」という名の丸と⾓の窓があります。 源光庵 縁起 ホームページより 『源光庵は正式な名を鷹峰⼭寶樹林源光庵という曹洞宗の寺院です。 今から約670年前の貞和2年(1346年)、臨済宗⼤徳寺2代・徹翁国師によって開創され、元禄7年(1694年)に加賀・⼤乗寺27代・卍⼭道⽩禅師が住持、以降、曹洞宗の寺院となりました。本堂は卍⼭禅師に帰依した⾦沢の富商・中⽥静家居⼠の寄進によって元禄7年に建⽴され、ご本尊として華厳の釈迦牟尼佛、脇⽴に阿難尊者、迦葉尊者をお祀りしています。 本堂北側にある開⼭堂は享保4年に建⽴され復古堂とも称します。堂内には卍⼭禅師の⽊像を安置しており、その像の下には舎利を収めます。本堂裏の庭園は枯⼭⽔であり、北⼭を借景とし四季を通じて趣があります。 特に秋の紅葉時には、全国か���ご参拝の多くの⽅々で賑わいます。 また、境内の⻄の⾕にある稚児井には660年前のある伝説が今も語り継がれています。 ⽔飢饉によって多くの⼈々が苦しんだ時のこと。ある夜、池に棲む⿓が童⼦と化して徹翁国師の夢枕に現われ、⻄の⾕から⽔の湧き出ることを告げたのです。これにより多くの⼈々を救ったとされています。 さらに本堂⻄に安置する霊芝観世⾳は、天和元年(1681年)の春、卍⼭禅師が京都・宇治⽥原の⼭中にて御感得された霊芝⾃然の観⾳像です。第111代 後⻄天皇の尊崇が厚く、宮中で御供養されたことから「開運霊芝観世⾳」とも称され、広く世の信仰を集めています。』 #源光庵 #稚児井 #悟りの窓 #迷いの窓 #伏⾒桃⼭城の遺構 #⾎天井 #⿃居彦右衛⾨元忠 #紅葉 (源光庵) https://www.instagram.com/p/Clc-qffvBfH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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7131122 · 2 years
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瑞岩禅寺卍にて 父の七回忌の法要を 行いました。 徳寿庵で 天せいろ とろろそばと小鰻丼を 美味しく頂きました。 #神社 #神社巡り #神社仏閣 #神社めぐり #御朱印 #御朱印帳 #御朱印巡り #御朱印男子 #御朱印集め #御朱印男子 #御朱印ボーイ #御朱印おじさん #神社巡り#東京福めぐり #御朱印おじさん #散歩 #寺社仏閣 #お寺 #お寺巡り#お寺 #墓参り#彼岸 #お彼岸 #お彼岸参り #瑞岩禅寺 #瑞岩寺 #所沢市山口岩崎 #徳寿庵 (徳樹庵 東大和店) https://www.instagram.com/p/CjN13WXPILA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kl-na · 2 years
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2022/5/12 (木) - 柳生
起床。熱は36.8度。
今日はガイドグループの研修(兼定例会)。37度を超えていたら参加を見合わせようかと思っていたが、ギリギリで回避。実際、関節の痛みがなくなって、動くには問題ない。ただ、病み上がりのだるさのようなものはある。頭もまあまあボーッとしている。
母、デイサービス。母の迎えと同じタイミングで、自分も家を出た。 今日は雨。今のところ、大した降りではない。
研修先は柳生だ。 歴史や地理に詳しくない方だと、「柳生一族の陰謀」やらで、柳生家は江戸幕府の近所みたいなイメージが何となくあるんじゃないかと思うが、柳生一族がいたのは奈良なのだ。かく言う自分も奈良に来るまで知らなかったが。
奈良駅からバスに乗って一時間ほどのところ。バスに乗り込んで10分も経つと、田舎の山中といった様相になった。ただ、今日は雨が降っていたので、車窓から眺める風景がなかなか良かった。晴れてクリアな風景も悪くはないが、雨ふりだと風景に変化が伴い、今の季節だと新緑も映えて、実によろしい。
バスから降りると、カエルの声が至るところから聞こえてくる。まだ体が小さいのか、少しキーの高い軽やかな音。うん、良いな。雨の日の研修も捨てたものではない。ワクチンの副反応上がりだが、来て良かった。
久しく出番がなかったGPSロガーだが、YAMAPを起動して、今日の行程の記録を開始する。…もっとも、記録開始のボタンを押したら放っておくだけだが。
行程は、旧柳生藩家老屋敷→摩利支天碑→柳生八坂神社→歯痛地蔵→陣屋跡→天乃石立神社→一刀石→芳徳禅寺→柳生家墓所。柳生観光協会の方に、ガイドをお願いしている。
家老屋敷は山岡荘八が一時期所有していたことがある。そして実際に住み、大河ドラマの原作を執筆していたりもする。…知らなんだ (今回、何も予習せずに臨んでいる)。
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摩利支天碑。最近のもので、建立の際に千葉真一が来てくれたそうな (柳生一族の陰謀つながり)。
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摩利支天碑は小高いところにあり、眺めが良い。手前の建物は廃校になった中学校で、現在はコスプレ撮影会場やドローンの飛行練習場所になっているそうな。
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歯痛地蔵。人徳も商才もある人物が、それ故に謀略に嵌められ、処刑されてしまう。そのとき「三年で柳生を灰にする」と言い残した。果たして三年後の最後の一日、柳生家の陣屋が焼け、灰となった。その亡き霊を鎮めるため、彫られた地蔵。…でも、何で「歯痛」なんだろう (聞くのを忘れた)。
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天乃石立神社。一刀石に行く手前にある、巨石がご神体の神社。一刀石よりも神々しい。後ろ姿はちょっと猫っぽいシルエット。
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芳徳禅寺。柳生家の菩提寺。開山は沢庵和尚。資料館が併設され、柳生関連の古文書や武具などを見ることができる。新緑が美しかった。
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柳生家墓所。少し変わった形の墓石。とっくり型の墓石に、酒樽型の台座、手前の盆はお猪口型という、なかなか振り切った墓もある。
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柳生家墓所から急な坂道を下って、スタート地点の柳生バス停付近に戻る。 バスを待つまでの間に、十兵衛食堂というバス停近くのお食事処で昼食。とろろ定食を頼んだ。美味しい。店屋物の類は安くて、天ぷら丼550円とか。鬼滅うどんという、なかなか興味そそられるメニューもあった。
帰りのバス。研修中、歩いているときは気にならなかったが、帰りのバスではさすがに疲れやだるさを強く感じる。 でも、参加して良かった。柳生はいいところだった。
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新型コロナ。5/12午前 (日本時間) の時点で死者数増加が、アメリカ230人弱、インド24人、ブラジル120人強、ロシア100人弱、メキシコ記載なし、イギリス記載なし、フランス100人弱、イタリア120人弱、ドイツ230人弱。 世界全体での今日1日の感染者数は、577,000人弱の増加。
日本では、今日一日で感染者41741人増加、死者32人増加。感染者数は、東京4216人、大阪3290人、神奈川1841人、愛知2373人、福岡2424人、北海道3176人、沖縄2330人。奈良の感染者数は467人。 (出典: Worldometer、NHK)
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helloharuo-diary-2023 · 2 months
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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kinako08 · 4 years
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お正月もそろそろ終わる3日の今日は
同じ町内会の素敵なご夫婦のお店、
禅和庵(ぜんなあん)さんに行きました。
禅さんと美和子さんのお店で"禅" "和" 庵。
前に日記に書いた時はお店のリノベーションを
1日だけお手伝いに行った時でした。
すっかり綺麗になった店内には
お正月の素敵なしつらえがしてありました。
すでに常連さんの姿もあり凄いなぁ!と
感心しきり。
多才で優しいおふたりのお人柄ですね。
今日はお正月メニューで、
お雑煮が食べたかったけど、
(私が憧れている京風の
白味噌のお雑煮だったようです!!)
お昼を食べたばかりだったので自粛して…
飲んだことは無かったのですが、
既に店内がすごくいい匂いがしていて
きっとこの匂いだ!と、ベンガルティーに
してみました。夫はお抹茶セット。
お正月らしく花びら餅もついていて、
なんと手作りだそうです。美味しかった。
またお食事が始まったら行きたいです。
持光寺とサティコーヒーの間くらいの場所で
そのまま上に登ったら千光寺の展望台に近道
なので、千光寺に上がったり下りたりの
途中の休憩にぴったりです。
商店街から行く時は、
パン屋航路の駐車場の前の信号を山手に渡り
高架下のトンネルを潜って
そのまま上に続く階段を上りきって
(階段の右手にはイチリヅカシューズがある)
突き当たりを右に行ったらすぐの分かれ道を
左に上ってすぐ。駅から徒歩10分くらいです!
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oniwastagram · 1 year
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📸東福寺 正覚庵庭園 / Tofukuji Shogakuan Temple Garden, Kyoto ——12月11日(日)まで特別公開中! 京都の紅葉の名所『東福寺』🍁の国宝三門から南へすぐ。伊達政依・伊達綱村など鎌倉時代からの伊達家ゆかりの寺院の枯山水庭園“拝茟園”と、白洲次郎の父・白洲文平が築いた近代和風建築“旧白洲屋敷”。 京都・東福寺 正覚庵庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/tofukuji-shogakuan-temple/ ...... 「正覚庵」は京都を代表する寺院の一つ『東福寺』の塔頭寺院。通常非公開ですが、毎年11月23日に“筆供養”🖌が行われ一般公開される“筆の寺”として知られます。 . またここ数年は前述の11月23日以外にも『京都非公開文化財特別公開』でほぼ毎年特別公開。 過去に訪れた京都非公開文化財特別公開では境内撮影不可でしたが今回の11月下旬〜12月の特別公開は(主催が異なることもあって)撮影可でした。客殿の前に広がる庭園を中心に紹介! . 創建は鎌倉時代の1290年と東福寺の塔頭寺院の中でも比較的古い歴史があり、東福寺の5世住持・山叟慧雲(佛智禅師)を開山として鎌倉幕府の御家人・伊達政依(奥州伊達氏の4代目で伊達政宗にとっての先祖)により建立されました。 . 仙台には「京都五山」や「鎌倉五山」⛰を模した「北山五山」(伊達五山)という寺町がありますが、それを設けたのがこの伊達政依なのだとか。 . 関ヶ原の戦いの後の1601年に戦国武将で豊臣秀吉の“五奉行”のひとり・前田玄以の追善のためにその家臣・尾池清左衛門により再興。その際には伏見桃山城の遺構(血天井🩸)が用いられたとか。 . 江戸時代は再び伊達家に信仰され、大名茶人でもあった仙台藩4代目藩主・伊達綱村は堂宇(の部材?)を寄進。 . 明治時代(1883年)に元々現在地にあった『正統院』を統合する形で移転。 1973年(昭和48年)に現在の本堂(旧白洲屋敷)、1986年に書院・庫裡が新築/改築され現在へと至ります。(なので現在見られる庭園も比較的新しい年代のもの) . 一方で庫裡の前にある“筆塚”は正統院だった時代の江戸時代後期から残るもので、“筆の寺”にふさわしく近代〜昭和には日本画家・西山翠嶂、西山英雄、書家・川浪青漣、俳人・川端茅舎など文人墨客が集いました🎨 . まずは書院に面した主庭園“拝茟園”。張り巡らされた苔の中に飛び石や石灯籠が配された枯山水庭園で、今回の特別拝観では頭上の紅葉も美しかった!(写真は一週間ほど前のもの)🍁 書院の中では現代の作家による襖絵も鑑賞できます🖼 続く。 . 京都・東福寺 正覚庵庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/tofukuji-shogakuan-temple/ ------ #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都紅葉 #建築デザイン #ランドスケープ #京都観光 #京都旅行 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #kyototemple #庭院 #庭园 #特別拝観 #特別公開 #京都特別拝観 #京都特別公開 #京都穴場 #おにわさん (正覚庵) https://www.instagram.com/p/ClyFGjXvLMB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 3 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年2月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年11月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
星の出るいつも見る山鳥渡る 世詩明 人の世や女に生まれて木の葉髪 同 九頭竜の風のひらめき秋桜 ただし 太陽をのせて冬木の眠りけり 同 生死また十一月の風の音 同 朝湯して菊の香に上ぐ正信偈 清女 懸崖の赤き菊花の流れ落つ 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月2日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
秋空の深き水色限りなし 喜代子 故里は豊作とやら草紅葉 由季子 菊花展我等夫婦は無口なり 同 しぐれ来る老舗ののれん擦り切れて 都 狛犬の阿吽語らず冬に入る 同 謎々のすつきり解けた小春の日 同 杣山の織火となりぬ紅葉山 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路 逝く秋をくづれゝば積み古書店主 順子 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 太き棘許してをりぬ秋薔薇 和子 弥陀仏の慈顔半眼草の花 昌文 綿虫のうすむらさきや九品仏 小鳥 参道で拾ふ木の実を投げ捨てる 久 綿虫は仏の日溜りにいつも 順子 香煙はとほく菩提樹の実は土に 小鳥
岡田順子選 特選句
腰かける丸太と秋を惜しみけり 光子 九品の印契結ぶや冬近し 眞理子 古に大根洗ひし九品仏 風頭 綿虫や浄土の風が抜けるとき はるか 奪衣婆の知る猿酒の在り処 光子 神無月ならば阿弥陀も金ぴかに 俊樹 蚤の市に売る秋風と鳥籠と 和子 下品仏とて金秋の色溢れ 俊樹 綿虫と彼女が指せばそれらしく 瑠璃 梵鐘のはらわたに闇暮の秋 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ありきたりの秋思の襞を畳みをり かおり 秋日入む落剝しるき四郎像 たかし 返り花ままよと棄つる文の束 美穂 凩や客のまばらな湖西線 久美子 凩のやうな漢とすれ違ふ 睦子 小鳥来る小さなことには目をつむり 光子 流れ星キトラの星は朽ちてゆき 修二 凩に雲や斜めにほどかれて かおり 人肌を知らぬ男のぬくめ酒 たかし 老人が老人負うて秋の暮 朝子 冬の日や吾が影長く汝に触れて 同 身に入むや妣の財布の一セント 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋思消ゆ「亀山蠟燭」点せば 悦子 この町へ一途に滾り冬夕焼 都 新蕎麦を打つ店主にも代替はり 佐代子 添ふ風に方位はあらず狂ひ花 悦子 HCU記号音満つ夜の長し 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
トランペット響く多摩川冬に入る 美枝子 竹林の風音乾き神の留守 秋尚 公園の隣りに棲みて落葉掃く 亜栄子 句碑の辺の風弄ぶ式部の実 同 新のりの茶漬に香る酒の締め 同 歩を伸ばす小春日和や夫の癒え 百合子 朔風や見下ろす街の鈍色に 秋尚 ぽつぽつと咲き茶の花の垣低�� 同 リハビリの靴新調し落葉ふむ 多美女 濡れそぼつ桜落葉の華やぎぬ 文英 露凝りて句碑に雫の朝かな 幸風 大寺の庭きりもなや木の葉散る 美枝子 山寺の風の落葉を坐して聞き 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
風除の日だまりちよっと立ち話 和魚 風除の分厚き樹林影高き 秋尚 揚げと煮し切り干やさし里の味 あき子 薄日さす暗闇坂に帰り花 史空 渦状の切干甘き桜島 貴薫 切干や日の甘さ溜め縮みたる 三無 風除けをせねばと今日も一日過ぎ 怜 切干や少し甘めに味継がれ 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
確かむる一点一画秋灯下 昭子 幽玄な美女の小面紅葉映ゆ 時江 釣り糸の浮きは沈みし日向ぼこ 三四郎 六地蔵一体づつにある秋思 英美子 赤い靴なかに団栗二つ三つ 三四郎 着飾りて姉妹三人千歳飴 ただし 正装で背中に眠る七五三 みす枝 雪吊の神の恐れぬ高さまで 世詩明 七五三五人姉妹の薄化粧 ただし トランペット音を休めば息白し 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月14日 萩花鳥会
夜鴨鳴く門川住居六十年 祐子 捨てられて案山子初めて天を知る 健雄 ゴルフ玉直ぐも曲るも秋日向 俊文 山茶花や現役もまた楽しかり ゆかり 舟一艘ただぼんやりと霧の中 恒雄 献茶式津和野城下や朝時雨 美惠子
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令和5年11月14日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋の暮百均で買ふ髪飾 令子 虫食ひの跡そのままに紅葉かな 紀子 背の丸き鏡の我やうそ寒し 同 小春日や杖つく母を見んとする 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
小春日や日々好日と思ひたり 世詩明 禅林を通り来る風秋深し 啓子 何事も無き一日や神の旅 同 炉開きの一花一輪定位置に 泰俊 一本の池に煌めく櫨紅葉 同 三猿を掲ぐ日光冬日濃し 同 立冬こそ自己を晒せと橋の上 数幸 小六月笏谷石は饒舌に 同 如何にせん蟷螂は枯れ僧恙 雪 猫じやらしもて驚かしてみたき人 同 一匹の枯蟷螂に法の庭 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
小鳥来る赤き実に又白き実に 雪 幽霊の出るトンネルを抜け花野 同 おばあちやん子で育ちしと生身魂 同 見に入みぬ八卦見くれし一瞥に やす香 時雨るるやのつぺらぼうの石仏 同 近松忌逝きし句友の幾人ぞ 同 季は移り美しき言葉白秋忌 一涓 菅公の一首の如く山紅葉 同 落葉踏み歩幅小さくなる二人 同 冬ざれや真紅の句帳持ちて立つ 昭子 今日の朝寒む寒む小僧来たりけり やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月17日 さきたま花鳥句会
からつぽの空に熟柿は朱を灯し 月惑 白壁の色変へてゆく初時雨 八草 六切の白菜余すひとり鍋 裕章 一切の雲を掃き出し冬立ちぬ 紀花 小春日や草履寄せある躙口 孝江 柿を剥く母似の叔母のうしろ影 ふゆ子 いわし雲よせ来る波の鹿島灘 ふじ穂 鵙たける庵に細き煙たつ 康子 雲切れて稜線きりり冬日和 恵美子 水鳥の羽音に湖の明けにけり 良江
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令和5年11月18日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
紫のさしも衰へ実紫 雪 蟷螂の静かに枯るる法の庭 同 二人居て又一人言時雨の夜 清女 母と子の唄の聞こゆる柚子湯かな みす枝 還りゆく地をねんごろに冬耕す 真栄 帰省子を見送る兄は窓叩く 世詩明 人に無く芒にありし帰り花 同 香水の口よりとどめさす言葉 かづを 時雨をり故山の景を暗めつつ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
浮寝鳥日陰に夢の深からむ 久子 呪術にも使へさうなる冬木かな 久 無敵なる尻振り進む鴨の陣 軽象 冬日和弥生も今も児ら走る 同 冬蝶の古代植物へと消えぬ 慶月 谿の日を薄く集める花八手 斉 冬天へ白樫動かざる晴れ間 慶月 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 旋回す鳶の瞳に冬の海 久 冬の蜂おのが影這ふばかりなり 千種 水かげろうふ木陰に遊ぶ小春かな 斉
栗林圭魚選 特選句
竹藪の一画伐られ烏瓜 千種 遠富士をくっきり嵌めて冬の晴 秋尚 白樫の落葉急かせる風のこゑ 幸風 切り株に鋸の香遺る冬日和 久子 四阿にそそぐ光りや枯れ芙蓉 幸風 白樫の木洩れ日吸ひて石蕗咲けり 三無 小春の日熊鈴つけしリュック負ひ 同 青空へ枝先細き大枯木 秋尚 寒禽の忙しく鳴ける雑木林 貴薫 草の葉を休み休みの冬の蝶 秋尚 逞しく子等のサッカー石蕗咲けり 亜栄子 甘やかな香放ち桂紅葉散る 貴薫 あづまやの天井揺らぐ池の秋 れい
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年11月26日 月例会 坊城俊樹選 特選句
薄き日を余さず纏ふ花八手 昌文 耳たぶに冬の真珠のあたたかく 和子 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 雪吊をおくるみとして老松は 緋路 冬空を縫ふジェットコースターの弧 月惑 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 上手に嘘つかれてしまふ裘 政江 嘘つつむやうに小さく手に咳を 和子 手袋に言葉のかたち作りけり 順子
岡田順子選 特選句
池一枚裁ち切つてゆく鴨の水尾 緋路 黒松の肌の亀甲冬ざるる 要 自惚の冬の紅葉は水境へ 光子 玄冬の塒を巻きぬジェットコースター 同 光圀の松は過保護に菰巻きぬ 同 ペチカ燃ゆフランス人形ほほそめる て津子 雪吊を一の松より仕上げをり 佑天 不老水涸れをり茶屋に売る団子 要 遊園地もの食ふ匂ひある時雨 俊樹
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kshogaki · 5 years
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