Tumgik
#紅葉2020
vegehana-food · 1 year
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✿ もみじ天ぷら | 大阪府 ・大阪北部の箕面市(みのおし)にある箕面山の箕面公園とその周辺は、関西随一の紅葉の名所として知られています。落差約33m「箕面の滝」を含む美しい景勝地には、紅葉シーズンになると毎年多くの観光客が訪れます。この箕面を代表する名物が、「もみじの天ぷら」!滝へと続く道沿いを中心に、もみじの天ぷらが買えるお店が軒を連ねています。 ・天ぷらとありますが、カリッと香ばしく揚げたお菓子なんです。もみじの葉に衣をつけて油で揚げてあるのですが、葉の形が生かされていて、なんとも言えない風情がありますよね。 ・もみじの天ぷらの発祥は、なんと1300年の箕面山に遡ります。箕面山には修験道場があり、道場を訪れる旅人たちに向けて、修行僧たちがこの地の美しい紅葉を油で揚げて供したのがはじまりなのだとか。 ・そして明治中期、箕面公園が誕生したのを機に、紅葉の天ぷらを販売するお店が増えていったそう。その後紅葉の名所として有名になるにつれて店も増え、今の賑わいになりました。
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kyotomoyou · 2 years
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【栃木県】御神木と紅葉 . (2020/11/04撮影) . #御神木 #古峯園 #古峯神社 #杉の木 #杉 #紅葉 #栃木観光 #栃木旅行 #北関東 #鹿沼市 #旅行 #日本旅行 #国内旅行 #旅行好き (古峯園) https://www.instagram.com/p/CjnXhAfPN4w/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 4 months
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中国に駐在する日本の垂たるみ秀夫大使がおよそ3年の任期を終え、日本への帰任を前に記者会見を開きました。 外務省で中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」として40年近い外交官生活の大半を中国との関係に費やすなど、キャリア官僚としては異例の経歴を歩ん���きた垂氏。 習近平国家主席への権力集中が進む中国で、何を目指し、何を感じたのか。離任を前に開いた記者会見の全文で迫ります。 離任の記者会見を行った垂秀夫大使とは 垂大使は、昭和60年に外務省に入り、中国語を専門とする、いわゆる「チャイナスクール」の出身として、中国・モンゴル課長や領事局長、官房長などを歴任し、およそ3年前から中国大使を務めてきました。 いわゆるキャリア外交官は、専門とする国以外に欧米先進国などへも赴任するのが通例ですが、垂氏が駐在したのは中国、香港、台湾で合わせて18年。異例の経歴です。 中国共産党の高官だけでなく、民主化を求め政権に異を唱える人たちにも人脈を築いてきたと言われ、中国政府が日本の政策を批判したときには、SNSも使ってすぐに反論するなど、異色の外交活動が注目を集めたこともありました。 その垂大使の離任に当たっての記者会見は、12月4日午後、北京の日本大使公邸で1時間あまりにわたって行われました。 以下、その全文です。 会見 (垂大使 冒頭発言) 皆さん、こんにちは。こんなにたくさんお集まりいただいて感謝いたします。離任記者会見ということで、ちょっとピンとこないですけれども、こういう機会をいただいたことに御礼申し上げたいと思っています。 中国駐在 垂秀夫大使 私は12月6日に任務を終え、この地を離れて日本に帰国することになっています。振り返れば大使の期間もさることながら、40年近い外交官生活の大半を中国関係に携わってきたという意味でそれなりの感慨はあります。 国民の税金で養っていただいたといいますか、公僕として、長年、力をためてきた知見とか経験とか人脈、これらを生かして、何とか大使の任務を、最後のご奉公をかろうじて勤めあげられたのではないかなと安堵しています。 後ほど皆さんから日中関係や中国の問題で質問があると思いますので、最初は私が大使として何をやってきたか、その時どういう気持ちでやってきたかという内容を簡単にご紹介、ご説明させていただければと思います。 私が中国大使として着任したとき、この場で記者会見が開かれました。そこで私は大使館の今後の大きな柱として2つのことを申し上げました。1つは日系企業支援、もう1つは邦人保護、邦人の安全確保でした。 まず日系企業の支援という点については、日々のいわゆるビジネストラブルへの対応、これはもちろんのことながら真剣に取り組んだつもりです。 また、中国で行うビジネスが昔に比べれば非常に難しくなっている昨今、どちらかというと互助団体的であった中国日本商会の組織改革を提案し、大きく改革していただきました。 その結果として、今年の春から日本商会は会長職が固定化されました。また、これまでの任務以外にもロービングや調査業務、発信機能、これらを非常に強化する力強い団体に変貌しつつあるところです。いいスタートを切れたのではないかと思います。 中国日本商会 本間哲朗会長(左)の記者会見  先ほど申し上げました難しい中国ビジネス、とりわけ経済安全保障という観点からも非常にいい動きではないかと思っています。 次に在留邦人の安全確保という点についてです。私は普段から同僚に対して、(大使館の)政治部にいようが経済部にいようが広報文化部にいようが、すべてが領事担当官であると。そう何度も言って常に館内の意識改革を行ってきたつもりです。 私もかつて領事局長を担当した身です。ひとつひとつの領事案件、本当に、なんというか、普通の事務処理で済ませてはいけないような非常に厚みのある案件がたくさんあるんですね。 そうしたときに、もし事件・事故が起きた時に当事者が自分の肉親であったらどうかと。自分の父親が、自分の兄弟が、自分の子どもが事件・事故に遭ったらどういう対応をするかと。常にそういうつもりで対応しようと皆で確認し合ってやってきたつもりです。 ときには涙を流すこともありました。それでも領事担当の同僚は非常によくやってくれたと思います。邦人の安全確保、邦人保護という点はわれわれの大きな柱でした。ただ、この邦人保護、在留邦人の安全確保という観点から申し上げれば、今年の3月に起きた、国家安全当局に拘束された在留邦人の方がまだこう留されているという状況につきましては、私個人としては極めてじくじたる思いです。 社員が拘束された大手製薬会社「アステラス製薬」 この2つの大きな柱に加えて、私は1つの試みを提案しました。それは何かといいますと、この大使公邸の開放です。この北京には多くの外交団がいます。その数ある外交団の中でもわが日本大使公邸は、その美しさ、あるいは格式の高さ、いずれの点においても最も優れた素晴らしい大使公邸だと自負しています。 調度品もたくさん素晴らしいものがありますし、平山郁夫画伯とか絹谷幸二画伯の絵がかけられているなど、本当に美術館、博物館のような大使公邸です。春には桜が美しく咲きますし、秋には紅葉が見事に色づきます。 北京の日本大使公邸の庭園(垂大使撮影) その美しい庭園も抱えたこの大使公邸を在留邦人に使っていただく。そういう試みでした。この公邸の建設はもちろん、維持管理は全て国民の税金で行われている。そういう観点から言えば使っていただいて当然であると。そういう出発点でした。 当初は、在留邦人の方も半信半疑のところはあったんですけれども、何度もわれわれが使ってくださいとお勧めしているうちにいろんなことで使われ、コロナの時期もありましたが、それでも私の任期中に120回を超える公邸開放、公邸の利用が行われました。 例えば企業間のMOU(基本合意書)の調印式だとか、あるいはジャズのコンサートだとか、あるいは剣道の試合だとか、あるいは某大学の同窓会だとか、もういろんな形で使われました。時には日本人学校の子どもたちを中心にこいのぼり参観、あるいはひな祭り参観、そういうことに使われたこともあります。 大使公邸で開かれた 日本の特産品などをPRするイベント(2023年3月) 普段、公邸とあまり関係がないと思われるような方々には、例えば駐在員の配偶者だとか日本人学校のPTAの方々には一般参観日も設け、対外開放する日もありました。そういう試みを行って、これまで十分に使っていただいたと思っています。この試みは非常に上手くいったのではないかと思っています。 さて、中国で仕事を行っていく上では、特に私の任期中はコロナが非常に蔓延まんえんしている時期でしたし、また、ちょうど去年は日中国交正常化50周年、今年は日中平和友好条約締結45周年というエポックメイキングなこともありましたが、時には厳しい勤務環境の中で日本ではちょっと考えられないようなことが起きることもありました。 閉鎖された武漢の海鮮市場(2020年) 例えば、去年の50周年の関係では、在留邦人の人たちが手作りで祝うために、いろんな交流事業、文化事業を準備したり用意したりしましたけれども、それを日中関係が悪いという状況の中で、コロナを理由に何度も延期されたり中止されたり、そういうことがありました。 また、われわれとしてはなかなか受け入れがたいような理由で、日本の政策を批判されるようなこともありました。そういう時、多くの日本の人たち、とりわけ中国に長く勤務しているような人たちには「中国だからしょうがない、郷に入っては郷に従わないといけない」と理不尽なことを受け入れてしまうきらいが、私はあるのではないかと思っています。 そうしたときに民間の人、それぞれの個人はなかなか言いにくいんだと思うんですね。立場上も言い難い、企業の人も言い難い。でも私は日本の大使として、しっかり主張すべきは主張する必要があるという気持ちで、必要に応じておかしいことはおかしいということを声にしてきたつもりです。 ただ、ここで大事なことは、相手に対して物申すようなときには、その基準が、私は日本の大使ですから、日本の国益、あるいは日中関係をしっかり維持し大局を守っていくためにやるということが基本であるべきだと思っています。 決して反中とか嫌中とかいう感情で批判したり物事を判断したりしてはいけないと自分を戒めてきたつもりです。私のそうしたやり方についてどう評価されるのかについては、これは私自身が決める話でもありませんし、日本の皆さん、あるいは世論が決めることでもないんだと私は思っています。私は常々歴史が決めるものだと。歴史が評価してくれると考えて仕事をしてきたつもりです。 日本では外交に関する資料は30年後には公表されることになるわけですね。その将来の、歴史家か評論家かわかりませんが、そういう人たちがどう評価するのか、判断するのかということが私にとっては一番大きな基準であると、そういうつもりでやってきました。 私は常々同僚に対して、歴史に耐えられる外交をやろうと。歴史に恥じない外交をやろうと。今、その時々を過ごすためのアリバイ作りのためだけの外交をやってはいけないと、そういうことを訴え続けてきました。同僚は皆、本当にそれに応えて非常によくやってくれたと思っています。 そういう意味においては、ちょっととんがっているかもしれませんが、そういう上司、大使を持って非常に大変だったと思いますが、私の同僚は本当によくついてきてくれて非常に良い仕事をしてくれたと思っていて感謝しかありません。 先般、サンフランシスコで岸田総理大臣と習近平国家主席との間で日中首脳会談が開かれました。一番大事な点として、日中両国は全面的に戦略的互恵関係を推進することを再確認するということが示されました。私は非常によい会談だったのではないかと思っています。 日中首脳会談(アメリカ サンフランシスコ 2023年11月) これからが実は大変だと思います。大きな方向性を示すこと、これは何とかやれました。ただそれを具体化、実現していくことが、実はある意味ではもっと大事である、そう思っています。そうした意味では、引き続き日中双方の外交当局、あるいは政府全体がともに努力して、日中関係をさらに高みに押し上げていく必要があると。建設的、安定的関係を強化していく必要があると考えています。 冒頭申し上げましたように、40年近い外交官生活において、18年間、中国大陸、香港、台湾と勤務して参りました。私なりに一生懸命やってきたつもりです。精一杯駆け抜けた外交官生活だったのではないかと今思っています。何の後悔もありません。「風光霽月」の心境です。非常に爽やかで、思い残すことは何もないと、そういう心境です。 私の第2の人生の夢は、何らかの形で写真の世界で生きていけないかなと考えています。そのことを考えると、また非常にチャレンジ精神が出てくるという意味では、風光霽月と言いながら、また気持ちが震え上がってくるところがあります。中国も、日本も、あるいは台湾も、自然の美しさや一般庶民の喜怒哀楽には何の変わりもありません。私は中国大陸で撮りためてきた写真、そして日本、台湾で撮りためてきた写真、これらを多くの日本の方に示して、共通点をしっかりと伝えていくことによって、日中関係の更なる強化をお手伝いしたいと思っています。 垂大使が撮影した中国の農村 冒頭私からのご挨拶は以上です。 質疑応答 中国に長らく携わってきた外交官として今の日中関係についてどのような感想を。また今後の日中関係はどのようにあってほしいと考えるか。 今の質問で思い起こすのは、去年、日中国交正常化50周年のときの大使館公邸での記念レセプションです。私はそのレセプションの挨拶で、こういう風に日中関係をたとえました。これまでの日中関係はジェットコースターのようだと。上がったり下がったり、良くなったり悪くなったりだと。 遊園地で遊ぶジェットコースターは楽しいでしょうが、日中関係というジェットコースターに乗っている両国民はたまったものではないと。今後はジェットコースターではなく、ゆっくりゆっくり走る普通電車がいいのではないかと。要は、日中関係はしっかりと安定的に関係を構築していくことが大事だということを申し上げたつもりです。 日中関係が安定化するためには、やはり一番大事なものは日中間の意思疎通だと思います。日中は永遠の隣人であるのはこれはもう間違いのない事実なんですね。互いに引っ越すことはできないんです。国が違う以上、それぞれ国益を背負っているという意味において、ときには立場の相違だとか摩擦だとかがあるのは正常なことだと思うんです。自然なことだと思うんです。だからそれを恐れる必要は全くないんだと思うんですね。 恐れないといけないのは日中間で意思疎通がなくなることです。摩擦や意見の相違があればあるほど、本来であれば、日中の意思疎通は強化されなければならない。そういうふうに思います。首脳間から本当に民間レベルの交流に至るまであらゆるレベルで意思疎通が行われると。そういう関係が私は望ましいし、それが安定した日中関係につながるのではないかと思っています。 邦人保護の観点から。ことし3月に男性社員が拘束され、いまだ���放されていない。大使は11月28日にみずから領事面会に臨んだ。どういう思いで、なぜこのタイミングで臨んだのか。 サンフランシスコの日中首脳会談で、岸田総理は習近平国家主席に対して、できるだけ早期の釈放を要求されています。 それを受けて、この北京の一番の最前線で働く、なおかつその責任者である私が、そのための仕事を行うということ、これは、当然、まずやらないといけないことであると言えると思います。 さらに申し上げれば、私みずからが領事面会に行く必要があるとずっと考えていました。いろいろ事情があってそれは成し遂げられませんでした。 実は私による面会は領事面会としては8回目で、それ以前に7回領事面会が行われていました。その時、毎回、私は面会に行く同僚にメッセージを託していたんです。「われわれとしてはこの問題にしっかり取り組んでいくので気をしっかり持ってください」という趣旨のメッセージです。 今回、私が帰国することになり、やはりこのまま何もなしに本当に帰っていいのかと。私は、それは人の道ではないと。許されるのであれば直接会って帰国するという報告と、私の任期中に結果的には助けることができなかったことについてのお詫びを伝える必要があると感じていました。それが人の道であると感じていました。 また、私が行くことによって、例えば、メディアが関心を持ってくれ、日本政府としてこの問題にしっかり取り組んでいるというメッセージにもなると考えました。そして、非常に重要なことだと思いますが、この問題は決して風化させてはいけないと、忘れてはいけないと。多くの関係者の中でこの問題がだんだんと話題に上らないようになってはいけないと思っていましたので、私は自分が行くことが必要だと感じていました。 日中関係に関連した質問を。コロナが明けたあともビザの免除が回復しない状況。日本から中国を訪れる人が少ない状況になっている。今後何に期待するか。 人の往来が極めて少ない。とりわけ、日本から中国に来る人の数が極めて少ないです。いろんな理由があると思います。そもそもビザがなかなか取りにくい。昔はノービザということもありましたし。中国から日本へ行く旅行者、こちらも一番多かったときに比べればまだ半分にも達していません。ただこちらはそれでもそれなりの人が日本に行ってくれてはいます。 結果として何が起きるか。何が起こっているか、どういう影響があるかと申し上げれば、生の中国を見る機会があまりない、等身大の中国を知る機会がなく、中国に対する理解が深まらない。 上海 あるいは、万が一中国に対して誤解を持っていたとしたら、それにもかかわらずそれが増長してしまう、それが減じることもない、そういうことにも繋がってしまいます。 いずれにしろ、相互理解が深まらないということが、間違いなく起きています。昨今の日本人の対中感情の低さを表すいろいろな世論調査がありますが、それを見てもそのあたりは歴然と出ているのではないでしょうか。 広報スタイルについて。中国が発表した後に日本側が反論するという広報スタイルがあったと思う。それは垂大使から始まった形式だと思うが、この狙いは。 私どもからすれば、受け入れがたい理不尽な批判等もあったとき、あるいは申し入れがあったときには、われわれとしてあるいは私個人として、しっかり物申す必要があります。歴代の大使も同様にやられ、しっかりと反論されておられたと私は思っておりますし、信じております。 ただ、今おっしゃられたようなことが、私のやり方が特別に見えているのであれば、若干違いはあるのかもしれません。一般論で申し上げて、例えば中国側が私どもに申し入れをした時、私は必ず、あるいは歴代の大使もきっと同じだと思いますが、必ず反論する、あるいは日本側の立場を言う、日本としての申し入れを行うのです。 ところが、中国は国営の新華社通信がそれを流す場合、われわれの発言は完全に無視されるわけです。中国側の言い分しかないわけです。私はそれでいいのかと考えました。ある問題において、日本の大使が呼びつけられて、それに関する報道が中国側の一方的な主張しかこの世に出ない、それでいいのかという問題意識がありました。 ことばが悪くて申し訳ないのですが、中国が出していないのに、私どもがけんかを売る形で、われわれから直接出すということはなかったと私は信じています。中国側が出した時に、われわれが必ず反論すると。われわれも主張していることを出すということは確かに行いました。この世に中国だけの主張しかないことにならないように心がけたつもりです。 日本の(メディアの)皆さんを批判しているわけではありません。日本の皆さんは非常に立派なんです。中国側の主張も、日本側の主張も書かれるんですね。喧嘩両成敗じゃないですけど、大体、一応2つ書かれるわけです。最初の頃、私の主張がすごくちょっとしかなかった時もありましたが、だんだんと相当たくさん書いてくれるようになりました。 中国側はどんなことをしても自分たちのことしか書かないんです。それでも皆さん(日本のメディア)は書いてくれる。私はそれを信じて、中国側の主張しかないということになってはいけないと思ってやってきました。これは私の信念でやったことです。今後どうかということについては、私は申し上げる立場にありません。 大使の任期中、中国では習主席が3期目に入るという政治的に大きな動きがあった。3期目の習主席が率いる中国と日本は今後どう向き合っていくべきか。 極めて大事な、いい質問なんですが、私もまだ現役ですので、なかなか入り込めない部分もあり、答えが奥歯に物が挟まってるような言い方になるかもしれません。 中国は非常に変わってきています。どんどん変わってきています。それに応じた付き合い方、あるいは対中政策を考えていく必要があると思っています。一般論として言えば、私は首脳会談、この重要性がますます大事になっているんではないか。そういうふうに申し上げられるとこの場で言っておきたいと思います。 習主席になってから社会の統制が非常に厳しくなってきている。中国の人たちの価値観も多様化している。中国は社会統制の厳しさに耐えうるのか。また、仮に内側から変えようという動きが出てくる可能性があるかどうか、その場合日本としてサポートするようなことができるのか。 敏感な質問ですね。とても大事な質問なんですよ。いつもみたいに完オフ※だったらいくらでも喋りますが、ここは完オフではないので、そうした意味において申し上げればですね、今、言われたように、中国社会、社会統制がどんどん強くなってきているんじゃないか、それを内側から変えようとする力があるのではないか等々、そういう見方が存在していること自身、私は承知しています。そういうふうにだけ申し上げておきたいと思います。また日本がそれにどういう風に関わっていくべきなのか、あるいは関わっていくのがいいのかということについては、私はまだ現役ですので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。ご理解ください。 完オフ 「完全オフレコ」のことで、取材相手の名前や発言内容など一切を公表しないこと。 福島の処理水の対応をめぐり日本産の海産物の全面禁輸が続いている。この問題について今後どのように対応していくのか。 福島第一原発での処理水の放出(2023年8月) 私の見方で申し上げれば、今回の首脳会談でも2つ大事な点があったと思います。1つは、日中関係の位置付け、戦略的互恵関係を再確認すること。もう1つは、処理水の問題について。日中が、例えば専門家どうしがしっかり意見交換する。そういう形で互いにこの問題の解決に向けて知恵を出すといった方向性を確認したことだと思っています。 もちろん日本としては、今の「ALPS(アルプス)」の処理のやり方について、政府の一員として絶対的な自信を持っています。そうではありますけれども、一方で隣国の中国が別の意見を持っていることに対して、その意見、その主張は一切聞かないと、耳も貸さないというような姿勢は必ずしも適切ではないと思っています。 日中の関係当局、あるいは専門家どうしの意見交換、これを通じて、何とか着地点を見いだしていく、一刻も早く中国側の水産物の全面禁輸を解除するために努力することが大事だと思っています。 大使の在任中に最も印象に残っていること、また離任に当たって心残りなことがあれば。印象に残っている中国の指導者は。エピソードなどあれば紹介してほしい。 まず最も印象がある出来事、これはもういろんなことがありました。コロナについては、皆さんも同じように経験された方はたくさんいらっしゃると思いますが、特に去年の今頃なんかもう大混乱でしたしね。隔離生活も長かったりと、いろんなことがもう走馬灯のようにあるので、どれがと言われるとなかなか難しい。 PCR検査場に並ぶ人々(北京・2022年11月) 中国の古い友人、それから新しい友人とまた深い付き合いができたということも私にとっては極めて印象のあることでした。 あえて1つ申し上げれば、先般の日中平和友好条約締結45周年の際に中国が釣魚台迎賓館で行った記念レセプションで���私は大使としてスピーチする機会を与えていただきました。私はその中で、戦略的互恵関係、これが生み出された経緯を紹介するとともに、日中は戦略的関係の再構築が必要であると訴えました。スピーチが終わったあと、壇上から降りてきたときに、皆が座っている中で、1人、王毅中央外事弁公室主任兼外交部長が立ち上がって私のところまで迎えに来て、「大使、スピーチは良かった。素晴らしかった。ぜひ、戦略的互恵関係を再構築しよう」ということを言って、握手を求めてきたことは、とても印象のある出来事だったと思います。 日中平和友好条約45年の記念式典で垂大使に話しかける 中国 王毅外相(右・2023年10月) 何かやり残したことについてですが、私はやり残したことは、あえて言えば先ほどの邦人拘束の件です。 それ以外に申し上げれば、私は大使になってこういう大使館を作りたい、こういう気持ちで大使としての仕事をやろうと思っていたことについては、ほぼできたと思っています。もちろん、私が独りよがりにできたというよりも、私の同僚たちがしっかりついてきてくれたことが一番大きな理由です。私が思い描いていた大使館像、これをしっかり作れたと思っています。そういう意味では何ら思い残していることはないというのが私の心境です。 それから、心に残った指導者、中国側の指導者でいいですよね。これは、長い外交官生活の中でということで申し上げれば、私はやはり、あえて中国側のことを申し上げます。 日本はまだ何とか頑張ってらっしゃる方がいらっしゃる中で、本当にリスクを取って日中関係をしっかり進めていくんだとか守っていくんだという指導者が、今やそう多くないというかほとんどいない。 そんな中にあって、思い起こせば2009年。詳しいことは申し上げられませんが、2009年に、ある場で引退された曽慶紅※さんに会う機会があったんですね。そこで曽慶紅さんに、私の方から1つ質問したんです。曽慶紅さんは、中央組織部長で、いわゆる江沢民さんの側近中の側近であった方ですが、2002年4月だったと思いますが、訪日しているわけですね。 曽慶紅そう けいこう氏とは 元国家副主席。江沢民前総書記に近い実力者で、日本の政界にも幅広い人脈をもっていた。習近平氏が中国政治の表舞台に出てきた背景に、曽氏の影響力もあったといわれている。 なぜその訪日が大事だったかというと、実は当時、小泉総理の時代で、小泉総理自身が靖国神社に参拝した直後だったんです。その直後に、曽慶紅さんは日本を訪問されたんです。日本といっても大分県でした。確か私の記憶が間違いなければ武漢と大分のチャーター便を飛ばすか何かそういう話だったかと思います。 私は聞いたんです。「なぜ日本に行けたんですか。いろいろ反対とかなかったんですか」と。 曽慶紅さんは非常に満面に笑みを浮かべて、「日本には私の友人2人が待っていた。1人は野中広務さんで、1人は大分県の平松知事だ。日本の友人が待っているので、私は行かなければならないと思った。私は、2人の指導者に許可をもらった。1人が江沢民さん。もう1人が外交担当の副総理であった銭其シン【※王へんに、深のつくり】さん。2人とも喜んで行ってきなさいと言ってくれたから行きました。友人が待っていたから私は行ったんだ」と。私は本当にリスクを取ってでも日本を訪問する、日中関係を進めるという素晴らしい人だなと感じました。私にとってはとても心に残ったやり取りでした。 曽慶紅 元国家副主席(右・中国共産党大会 2022年) 改革開放で多くの日本企業が中国に来て経済交流を進めてきたが、足元では中国での事業リスクの高まりもあって対中投資意欲を大きく下げているという実情もある。中国で日本企業がおかれている状況や日中の経済関係は今後どうなっていくと考えるか。 私は2つのアプローチが大事だとつくづく思っています。1つは攻め、1つは守り。現実問題として、改革開放以降、日本経済、日本のビジネス界は中国との間の経済交流・経済往来を強化させてきました。ある統計によれば、今や中国大陸に、拠点数を入れた数字で申し上げれば、3万以上の日本の会社あるいは拠点があると。中国大陸の中で最も大きなプレゼンスを示しているのが日本企業なんです。 日本経済を考える上で中国経済を抜きに語ることはもうあり得ないと思います。もちろん、中国経済の大きなマーケット、これも非常に魅力的ですし、イノベーションやデジタル経済など、日本から見ても極めて目を見張るような動きを示していることもあります。どういうふうにして日本経済としてこれを活用していくのかというような視点は非常に大事だと思います。そうした意味では、中国との経済関係を能動的にしっかりと強化していくということはとても大切だと思っています。 日系企業の自動車工場 一方で、中国でビジネスをやっていく上で、今どんどんと難しくなっているわけです。いろんな問題も生じてきています。まず最初に中国経済そのものが、特に今年に入って、あるいは去年ぐらいから、非常に不景気である、デフレ気味の状況を示しているということもあります。それはまだ1つの経済の状況ですが、それだけではなくて、例えば、よく言われる自立自強のサプライチェーン、あるいは自国産品を優遇するような政策があります。 表面的には否定するんですが、内外差別を行っているのではないかと思われるような対応も見受けられます。業種によっては強制的な技術移転というような動きについても、われわれはいろいろ相談を受けていることも事実です。そういう経済安全保障的な側面から見ても、しっかりと守り、しっかり脇を締めて、中国経済、中国とのビジネスをやっていく必要があると。 私は両方が大事だと思っています。決して守りだけではダメだ、もちろん攻めだけでもダメで、攻めがあって守りだと考えています。 「ゼロコロナ」政策について。大使は着任から隔離を受け、終了まで全部見届けた。日本と全く違うスタイルをとった「ゼロコロナ」政策をどう総括するか。 着任のときは2週間でしたね。10日ではなくて2週間の隔離生活でしたが、総括は、私が行うのではなく本来中国政府ないしは中国共産党が行うべきものです。実際もう何度も総括していて、中国政府・中国共産党としては勝利宣言を行っているので、それに私が横から総括するっていうのは変な話かもわかりませんが、印象だけ申し上げます。 正直申し上げて、前半期は、「ゼロコロナ」、一種の真空状態を中国の中でつくる。そのために隔離を2週間だ3週間だ、地域によっては2か月要求しているところがあったわけですね。そのかわり、そこに入れば無菌状態、実験室みたいな状況をつくって。実はそれはそれでうまく回っていたのも事実なんですね。 ところがオミクロン株の流行となって、それはもう効果を発せられなかった。オミクロンの威力、伝染力がもっと強かったんですね。私は政策を変更するタイミングを逸したんではないかと個人的には思っていますね。そのタイミングは相当間違ったんじゃないかと。それが私の印象です。その結果、後半の方は極めて、世界的にもまれに見るようなロックダウン等があったり、北京では「弾窓(タンチュアン)」という経験した人でないとわからないような政策がとられたり、いろんな不可思議なことがありました。最後は大混乱の中、「ゼロコロナ」政策が取り下げられていく。全体としての評価については、私の個人的印象だけを申し上げれば、タイミングがうまくいかなかったというか、良くなかったと思っています。 弾窓タンチュアン 「ゼロコロナ」政策のもと、スマートフォンの「健康コード」と呼ばれるアプリに表示されたポップアップメッセージのこと。感染者が出た地域に行ったと認識されると、濃厚接触者でもないのに「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」と表示される。この表示は自分では解除できず、数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなったりする。 米中関係について。サンフランシスコで米中首脳会談が行われたが、今後も米中対立の構図は続くとみられている。今後、米中対立が深まる中で日本の役割は何か。また日本政府として現状、どのくらい日本の役割を果たせていると考えるか。 米中首脳会談(2023年11月) 日本大使としての立場で第三国どうしの関係である米中関係について、表だった評価をするのはなかなか難しく、差し控えないといけないんですけれども、一般論として申し上げます。 米中関係の安定化は、日本としては非常に希望しているところです。今回のサンフランシスコにおける米中首脳会談についてもいろいろな論調があるのも承知していますけれども、私は今回の会談を歓迎しています。 日本がどういう役割を発揮するかということについて。アメリカはわれわれの同盟国であり、日米同盟という強固な信頼関係のもとで、われわれは必要に応じて中国に対して対話を重ねながら、必要な時には中国に対して大国としての責任を果たしてもらえるように働きかける。そういうふうに考えています。 拘束された男性社員に領事面会をした判断理由として、帰国の報告と、任期中に結果として救出できなかったお詫びを伝えたいということだった。実際に伝えて先方の反応はどうだったのか。 すみません、私の発言、私の思いはお伝えした通りですが、先方の方の発言、対応等については私の立場上、紹介するのは恐縮ですが、差し控えさせていただければと思います。 (12月4日 BS国際報道2023 などで放送) 垂氏が大使として赴任する前に行ったインタビューの記事はこちら
中国・習近平体制と対峙した垂秀夫大使 ゼロコロナ 邦人拘束 日中・米中関係 離任前に何を語った? | NHK
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kumoriyami-xiuzhen · 2 years
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Hakuoki Character Drama CD Book Vol 1 - Okita
Alright! This is my first post of the month, so I’ll start by asking you to please support me if you can through my ko-fi, and paypal or patreon! Finally got my patreon back in order almost until the start of October though I now have a headache from translating so much lol! Sorry it took so long! Not sure what I’ll do for December yet as I’m considering translating just the 2020 CxM X-mas story and the only other Café Enchante content I have, and then subtitling the rest of the month... as I really would like to get a head-start on my 2023 queue (aka yuugiroku) and want time to get my video stuff out of the way. 
Also, I’m 100% certain that I’ll be shipping the Hakumyu Shinkai Saito-hen Blu-ray I’ve ordered this month since my proxy address has received the Morimyu CDs along with some other things that I was looking for, and I am getting super impatient... plus I helped my brother pre-order two FE3H figurines from Japan so anything else is going to be consolidated when shipping those.
Anyway. I ended up going with deciding to translate all of these Character Dramas... mainly because of Saito’s (obviously due to bias and bias>all :P), but most of them did make me smile while reading them... Slight angst warning for this one though cuz it’s souji hahaha. 
enjoy!
Hakuoki Character Drama CD Book Volume 1  Okita Souji-hen - Autumn Leaves Sentiments (not 100% bout the title name again)
Translation by KumoriYami
Act 1
Time: morning
Location: Bedroom
SE: the sound of sparrows
Yukimura:.....Nn.
【The sunlight stung me when I opened my eyes. The rain/storm windows [literally rain window] opened as they swayed, and chilling feeling from the autumn wind coming in,  reminded me that summer had passed.】
Yukimura: Huh? Why is the window open...
【I looked over to Souji-san, who should have been sleeping beside me.】
Yukimura; Eh? Souji-san, where did you go?
【I used my hand to check where Souji-san had slept in bed, but I wasn't able to feel any heat [word I have is 'temperature'], so it seems like he hadn't just left. As I hurriedly got up, someone from behind suddenly stopped me. 】
Okita: Ah, you're already up. You could have slept a while longer.
【Hearing that familiar voice, I turned my head and saw Souji-san, who was apparently in a good mood.】
Yukimura: Souji-san! Where did you go in your night clothes [alt: pajamas, but given the time period 'night clothes' felt more appropriate...]?
Okita: I woke up too early. After seeing your cute sleeping face, I thought of this..... here, for you.
【As he spoke, Souji-san decorated my hair with something.】
Yukimura: ? What is this...?
Okita: They're Momiji leaves [the tl i use translates to "red autumnal leaves", but since "紅葉 " is in the JP title, I'll be using that term, “momiji”, which are Japanese maple trees.]. The last time I picked wild vegetables with you, I found a maple tree. Afterwards, I realized that it was almost time for the maple leaves to be in season. Actually I originally wanted to come home before you got up to scare you, but that unfortunately failed.
【Once he said that, Souji-san stuck out his tongue with a mischievous expression. Seeing that expression, I couldn't say that I felt uneasy because he had left me by myself...】
Yukimura: Really.... in that case, shouldn't you have left a note?
【Souji-san showed an apologetic expression to me, who was a little angry.】
Okita: Sorry, I was only thinking about making you happy when I went out. As an apology, after finishing breakfast, I'll bring you to see the maple tree.
【With that, Okita-san pressed his index finger over his mouth, as if he were he were keeping a secret.】
Yukimura: hehe, I understand. Then let's go after eating breakfast, and once I finish drying our wet clothes [I'm assuming this is supposed to be "laundry"].
Okita: Eh, if you want to dry the laundry, you can do it tomorrow. I want to show you right away. It really is very pretty. The tree is dyed in red and yellow, it really resembles a dessert/almost like a snack.
Yukimura: I'm looking forward to it, but I must hang my clothes well before going. More importantly, isn't it cold outside? You'll catch a cold when you go in your night clothes.
Okita: Ah, speaking of which, it did seem a bit cold. Because all I was thinking about was the momiji leaves, I didn't notice it that much. But you don't need to worry, I'm fine.
Yukimura: The next time you go out, you must remember to change your clothes.
Okita: Nn, I'll change my clothes then. I don't want to make you worry.... Haaah [this is a yawn. i don't know what's the best sfx text to use], maybe I got up too early this morning, Maybe I got up too early in the morning, I'm still sleepy.
Yukimura: Then go to sleep for a bit, alright? I'll go prepare breakfast, I'll wake you up once it's ready.
Okita: Nn, that so. But, it's fine to have breakfast a little later, come and sleep with me.
【With that, Souji-san pulled my hand and tried to pull me back under the covers.】
Yukimura: But, I'm already awake...
Okita; If you can't sleep, just stay with me until I fall asleep before leaving.
Yukimura: In that case, won't we be too late to see the momiji leaves?
Okita: Oh, how bothersome. Then I'd better get up and get changed.
Yukimura: Then I'll go change and go prepare breakfast.
Okita: Ah, wait.
【With that, Okita-san put his hand on my head.】
Okita: Good morning.
【He smiled at me.】
--------
Act 2
Time: Noon
Location: Outside
SE: footsteps
Okita: Autumn is coming. You're right, wind is getting colder outside. Aah, I won't be able to take a nap in the sun soon.
【As Souji-san walked, he expressed his regret that summer was coming to an end.】
Yukimura: Ah, Souji-san truly loves taking naps on the grass.
Okita: Nn. It's fine now, but it's not doable in the winter. Although sleeping in a room isn't bad, it's more comfortable to sleep outside [when/where] the wind is blowing.
Yukimura: Speaking of which, while we were still in Kyoto, you would often take naps /
Okita: Indeed. At the time I often took naps on the roof to hide from the annoying HIjikata-san. Ahaha, I haven't fallen down even once.
Yukimura: Sleeping on the roof... Don't do that sort of danger thing in the future again.
Okita: I won't. Because I don't need to sneakily hide around like that anymore, and rather want you to take more care of me.
Yukimura: Really... Souji-san is always like this...
【As I spoke, I stared at Souji-san. There was something I always wanted to say to him... so I might as well take the opportunity...】
Okita: Since you're staring at me, is there something wrong?
Yukimura: Well, I find taking it's very comfortable to take a nap, but if you take too many naps, won't you be unable to sleep at night?
Okita: I'm glad that you're worrying about me, but I'll still be able to fall asleep. Because as long as you're lying down next to me, I can fall asleep immediately if I hold onto you. Don't you think so?
Yukimura: That's right.
Okita: As long as I'm holding you as you sleep/If I sleep with you in my arms, I will always fall asleep immediately. That way, even when it comes time for us to part, I feel that I'll always be with you... such a thing is obviously impossible.
【With that, Souji-san held my hand that he was tightly holding even tighter. His hand was gentle and soft, and I grasped his hand.】
Okita: I'm so happy that I'm able to walk with hand in hand with you like this, it's terrifying. We'll be there soon, so don't let go of my hand.
Yukimura: Yes!
-time lapse-
【After a while, we reached the momiji trees.】
Yukimura; Wow, how beautiful!
【The entire tree was adorned with red maple leaves, and looked truly unreal.】
Okita: Rights, it's really beautiful.
【Souji-san wasn't looking at the momiji leaves, but rather at me, and his expression seemed very satisfied. [reword later. the sentence structure is screwed up... but im lazy and have a tendency to follow what the tl does until i need to worry about subtitling]】
Okita: That's great. I just wanted to see you with that expression.
Yukimura: Thank you, Souji-san. You brought me to see such beautiful momiji.
【After expressing my thanks, Souji-san revealed a smile, and he finally looked towards the maple trees.】
Okita:....Ah, you may not remember, but this isn't the first time we've gone together to enjoy momiji. A long time ago... although I don't remember the exact time, but on the way back from a patrol, I brought you to mountains in Kyoto. At the time, while it was only the two of us, the feeling was completely different from now.
Yukimura;....I remember. It was quite windy that day, but the maple leaves were also very beautiful.
【Okita-san seemed to be startled by what I said. It seems that he didn't think I would have remembered. Then, Souji-san sat beneath a huge momiji tree and waved to me, so I sat down next to him. 】
Okita: I'm certain, that during that time, I started paying attention to you because you were the first person to listen to my jokes... No, it was just Kondou-san and you.
Yukimura:........
Okita: I didn't expect to recall that upon seeing these momiji, and how I would always say mean things to you. I hope you can forget that, at look at how I am now.
Yukimura: No, I won't forget that. Because that's an important memory from before I met Souji-san and when we lived here together.
Okita: That's really amazing, since you put it that way, it seems that it's become a very important memory.... Well, it's not that there are no memories that you want to forget. But the time we spent together with everyone is still firmly kept in my mind [reword later?].
【With that, Souji-san placed a hand over his chest, and I put my hand over his.】
Yukimura: Please don't forget any of your memories. Because we've been able to live together like this today, all of those memories have accumulated.
Okita:....Well, yeah. No that won't do, I always let you see how weak I am. In fact, I want you to depend on me a bit more.
Yukimura: I am always depending on Souji-san. I'm able to live peacefully in my hometown now because Souji-san is here.
Okita; I'm happy that you're able to say that.
【With that, Souji-san lifted his head and looked at the momiji.】
Okita: Let's go back after looking at these for a while. I really like looking at stuff together with you like this.
Yukimura: Nn, I like that too.
【Thus, the two of us snuggled up together and looked up at the momiji.】
--------
Act 3:
Time: Evening
Location: Bedroom
【After making the bed, I used one of the momiji leaves I had picked as a bookmark. At that moment, Souji-san came in from behind. 】
SE: Footsteps
Okita; What are you doing?
Yukimura: I want to make something out of the momiji leaves we brought back today as a souvenir/memento...
【As I said this, I put the maple leaf into the book that was in my hands. As a result, in order to not interfere [tl is 'disturb' or 'bother'] Souji-san hugged me from behind...】
Okita: As a souvenir from today, is it. If only we could ? I wish we could commemorate more [things like this] for just the two of us in the future/["I wish we could create more memories for the two of us in the future".... i suppose would work?].
【As he spoke, Souji-san gazed sleepily at the book that the leaf had been put into it. Seeing him like this, I knew what he was thinking.】
Yukimura:  We'll be together in the future, won't we?
【To alleviate my uneasiness, I said something like that.】
Okita: Nn, we'll always be together.
【Souji-san only said one sentence, and smiled.】
Okita: Okay, let's go to sleep. [I/We. got no subject in this sentence..] walked a lot today, and seem to be quite tired.
Yukimura: Okay.
【With that, we laid down together. After putting out the light, I closed eyes, but drowsiness didn't come... just then, Souji-san suddenly spoke. 】
Okita: Hey, are you asleep?
【Hearing Souji-san's words, I opened my eyes.】
Yukimura: No
Okita; Before falling asleep, I want to ask you something. Getting up in the morning... going for a walk together after eating breakfast, eating together, and then falling asleep like this...
What do you think of such an ordinary day?
【In the face of Souj-san's slightly impatient question, I thought of my response for a moment. 】
Yukimura: I think it's just because it's so normal, that's why its a very important day. I'm very happy to be able to live peacefully with Souji-san like this.
Okita: hehe, it's great that you can say that. But I think differently.
【With that, Souji-san patted my head.】
Okita:  Being able to spend my days peacefully with my lover/spouse, is already extraordinary for me. Every day when I wake up, you're right beside me, eating the meals you've cooked together, walking with you while holding your hand, and sleeping with you... For me, everything is already a miracle.
I want to spend every day with you together like this.
【Perhaps seeing the unease in my heart, Souji-san deliberately spoke in a gentle words to reassure me. 】
Yukimura: I love you, Souji-san.
Okita: Nn, I love you too
【After that, he gently kissed my forehead. Listening to Souji-san's words, my mind was at ease, and I finally closed my eyes. I could vaguely hear Souji-san's voice.... 】
Okita: Good night, see you tomorrow.
【I fell fast asleep】
Starring: Okita Souji.... Morikubo Showtaro  
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Like the Hijika one I translated for last week, I put in the -san suffix everywhere I though it would likely go. This is also going to be the last time I mention this... cuz I’m lazy.
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fcgrblog · 6 months
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FREEDOM UNIVERSE " 秋 "
10月も終わりですね~。
いよいよ秋本番!!ってな感じになりましたので【 Freedom Universe 】 第3弾のご紹介をさせていただきます。
今回の基本モデルは、Rhino-4st.。
気になるお題は「秋」、そして『 紅葉(こうよう) 』です。
F.U. Rhino-4st. FT / 紅葉
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(これまでのおさらい)
・第1弾…テーマは「春」 モデル:Hydra LS-22F インレイ:桜 カラー:夜桜 記事はコチラ 👈 クリック
・第2弾…テーマは「夏」 モデル:Dulake-5st. インレイ:海 カラー:浅瀬から深海グラーデーション 記事はコチラ 👈 クリック
今回の企画を考えていた時は、まさか今年の夏がこんなに長いなんて思っていませんでしたので、ご紹介するのをちょっと躊躇しちゃっていました!
なんて、本当は文章を書くのが遅くて気が付いたら涼しくなってきただけなんですけどね(笑)。
実は今回のRhino-4の基本アイディアはコロナ禍で残念ながら開催されなかった " 2020年楽器フェア " に出展予定だった物を復活させたのですぐに決まったのですが、そこはやはり 【 Freedom Universe 】なので、当時のスペックから相当ブラッシュアップしてあります!
《 ネック 》
● ネック:インディアン・ローズウッド
ネック材はヘッドから丸々と、音響特性にも定評があるローズウッドにしてみました。
もちろん指板も、同一材を貼り合わせてありますよ~。
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● 指板インレイについて
今回も指板のインレイは、インレイワーク専門工房 『 OGAWA INLAY CRAFT 』 さんに入れてもらいました!!
・OGAWA INLAY CRAFTさんのオフィシャルウェブサイト 👉 https://ogawainlay.com/
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過去2回の【 Freedom Universe 】で、『 OGAWA INLAY CRAFT 』 さんには何度もデザインをやり直してもらったり等、ご迷惑をおかけした反省も踏まえて、今回は先にラフスケッチをお送りしてからご依頼させていただきました。
その後「 2023ハンドクラフトギターフェス 」で直接打ち合わせも出来たので、過去2回よりはスムーズには進みましたが、しかし!色々とわがまま放題なお願いもしてしまいました・・・スミマセン!!
僕:今回のテーマが「秋」と『 紅葉(こうよう) 』なので、もみじだけではなく銀杏等も入れて、色味も赤だけじゃなく黄色や緑、さらにはグラーデーションもかかっている葉っぱをフレイム(虎杢)のスタビライズドウッドでお願いします!
と、言いたい放題、わがまま放題なお願いにも関わらず、様々なトライアウトを経て仕上げて頂きました。
そして、インレイが入って出来上がったネックを見た瞬間に思った事は、「まるで絵画の様な仕上がり!美し過ぎるでしょ!!」でした。
杢目と相まったグラデーション、染色の濃淡を活用した紅葉や銀杏は気品溢れるカラフルな風合いを醸し、まさに「秋」のイメージにぴったりの仕上がりになりました!
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《 ボディ 》
● ボディトップ材:キルテッドメイプル
ボディトップはキルテッドメイプルですが、全面にキルテッドが入っている物ではなく1/3位バール部分がある、非常にレアな物を使いました。
でもね、この手の材料ってなかなか使いづらいんです…
個人的にはキルテッドの杢も深くてギラギラしてIるし、バールもバランス良く共存している感じの大きさだから結構好きなんですけど、木取りに関してはどっちを上にするとカッコ良い?とか悩む、作りて泣かせの材なのですが今回は敢えて使ってみました!
だって【 Freedom Universe 】だから!
そんなこんな悩みつつも仕上がってみたら、びっくりです。
ボディ上部のキルテッドからバールに変わっていく流れや、丁度ブリッジ搭載部をよけてバールが出ている等々、まるでこのベースの為に生まれた材料みたいな感じで、奇跡的に狙い通りとなりました!
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● ボディバック材:ホンジュラスマホガニー 1P
ボディバックは1ピースのホンジュラスマホガニーを、贅沢に使っています!
最初は2ピースの予定だったんですが、丁度いい感じの2ピース材がなかったので、イイ感じの1ピース材にしちゃいました。
だって【 Freedom Universe 】だから!!
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● カラー:紅葉グラデーション
ボディカラーは「紅葉」をイメージしたグラデーションカラーで仕上げてもらいました。
ボディの上から下へ向かうにつれ、キルテッドからバールへと変化してゆく流れが、ハラハラと地に舞い降りた紅葉を想像させ、カラーと相まってより一層「秋」を感じさせるアクセントになっています。
指板インレイとのマッチングもドンピシャリ!で、狙い通りカッコよく仕上がっていますね~。
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● ピックガード:アクリルクリア 1P "カスミ柄"
「秋+紅葉」と言えば「=旅」でしょう!ということで、弊社営業担当の小野から飛び出たピックガードのイメージ…
「古い感じの旅館にある、模様入り硝子窓」
…そんなリクエストにお応えするため、今回はピックガードもちょっと変わった素材を使っています。
一見クリア(透明)のピックガードじゃん?って思うかもしれませんが、実は表面がデコボコしていて光の当たり方で見た目も変わるんです!
そして、ちょっとだけピックガードがある所と無い所の見た目が違うところなんて、「古い旅館の窓ガラスから見える紅葉」な風景が浮かんでくるじゃないですか。
同じアクリルクリア素材でも単なる艶消しやちょっと黄色がかった物も試してみたのですが、イメージ的にこれに決まりました。
だって【 Freedom Universe 】だし、前から使ってみたかったので!!
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【 Freedom Universe 】だから!っていい言葉ですね~。
木工職人的には絶対カッコいい杢目なんだけど、材の状態で説明しても完成イメージが伝わらないし、伝えづらいし…とか、個人的には好きだけどこれはちょっとハードルが高いな~…、ていうような材料を使ってギターやベース作ってもいいんですよ(笑)。
もちろんカッコ悪くなったりとかしたら大問題なのでプレッシャーは相当ありますが、今の所は大丈夫かな・・・
てな感じで、今回も音に関しては弊社営業担当でベーシストでもある民谷にお願いしました。
《 インプレ 》
ネック���リップや指板R、フレット形状、そしてピックアップやプリアンプ等に関しましては、Rhino-4st.のデフォルト仕様 (Standard Style)ですので、その辺に関しましては割愛させていただきます。
自分らで企画しておいてこんなこと言うのもなんですが、一瞬試奏するのを躊躇うほどでした。
それほど眩く綺麗な楽器に仕上がりっています。
ボディ材にメイプル・トップ、ホンジュラスマホガニー・バック仕様のRhinoは今までも製作したことはありますので、何となく音のイメージはついたのですが、やはり今回のポイントはローズウッド・ネックでしょう。
基本的には暖かみのある中低域寄りの音ではありますが、このモデルはトップにメイプルを貼ることで程良いアタックを含ませ、そこにローズウッド・ネックによる低域をタイトに締めた分離感のあるトーンが、スピーディで細かいパッセージのベースラインでも音像にメリハリを持たせ、一音一音が「見える」ベース・サウンドとなっております。
一言で表しますと「強い音」のひとつに属するかと思います。
これがまたパッシブでも " グリグリ " くる音なので、「プリアンプは無くても良かったのでは?」なんて一瞬頭を過ぎりましたが、この上質で「強い」パッシブ・サウンドを活かし過度な色付けをせずに、様々な使用状況での外部機器や音場に準じたアジャストをする為の補正ツールとして、弊社オリジナルプリアンプの効き目は秀逸だと思いましたので、結果オーライでしょう。
 【 Freedom Universe 】だからって言うのもなんですが、今回もやはり才色兼備の逸品には間違いないと思います。
以上、試奏現場から民谷でした。
今回ご紹介した F.U. Rhino-4st. FT / 紅葉 はShop & Show Room 『 Universal Space 』 で試奏&ご購入可能ですので、是非弾いてみてください(ご来店にはご予約が必要です)!
弊社25周年Annive.期間は後ちょっとですが、まだまだネタはありますので頑張ります!
そして先にお伝えしときます!
次の【 Freedom Universe 】のお題は、「冬」です。
それ以外は内緒ですので、乞うご期待ください(笑)。
木工長:郷右近
新Shop & Show Room
『 Universal Space 』がオープンしました!!
https://global.fcgrtokyo.com/ja/universal-space.html
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kosa-photo-insta · 1 year
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アキのイロドリ 彩る紅葉を探しながら回るのも楽しい😆 . Location:兵庫 Hyogo / Japan🇯🇵 Date:2022年11月 Camera:Z9 / Z 50mm f1.2 in frame:chami . #Japan_Daytime_View #nikoncreators #nikoncreators_2022seasons #みんすと紅葉祭 #gogohyogo #mf_landscape #ポトレファン倶楽部 #ポトレ撮影隊 #jp_mood #jp_portrait部 #tokyocameraclub #art_of_japan_ #jgrv_member #team_jp_ #photo_jpn #sorakataphoto #LBJ_KING #mst_vip #広がり同盟メンバー #special_spot_legend #japan_waphoto #じゃびふる #japan_of_insta #japan_bestpic_ #raw_japan #deaf_b_j_ #colors_portrait_gallery #ミライヘシソウ2020 #宍粟市 #長源寺 (Hyogo Japan) https://www.instagram.com/p/ClcP7XiStDf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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style-yesnews · 9 months
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年紀大咗除咗特別留意肌膚健康,都會感覺個人好易攰尤其早排連眼仔都感覺經常乾澀,唔通真係老了?而家電子化世代,生活上離唔開電子產品📱💻加上夜瞓🌙特別容易令眼仔👀疲勞、乾澀,有時仲眼矇添‼️
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是次小分享完畢,有興趣可按 麵語錄食玩遊記 by Aminn 其他分享 :)
Aminn | Beauty.Food.Fun.Parenting.Trendy|  
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【呢單嘢唔係我跟開】Mirror 2022演唱會事故 責任誰屬:大國文化?MakerVille?藝能?菱藝?協興隆?ITP?紅館?康文署?機電署?
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Aminn 自由撰稿人,主打美容扮靚飲飲食食玩樂無窮,曾獲邀出版合輯《80後》、《我的博客城2》及《我的博客城》
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oniwastagram · 1 year
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📸東福寺 霊源院庭園 / Tofukuji Reigenin Temple Garden, Kyoto ——2022年秋に特別拝観。京都の紅葉の名所『東福寺』の通常非公開の塔頭寺院に、東福寺御用達庭師・曽根造園が2020年に作庭した枯山水庭園“翠陰苑”(お地蔵さまの庭)。織田信長・徳川家康の家臣/大名 #水野忠重 など水野家とのゆかりも。 京都・東福寺 霊源院庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/tofukuji-reigenin-temple-kyoto/ ...... 「霊源院」は京都を代表する寺院の一つで紅葉の名所『東福寺』の塔頭寺院。山内の最北部で東福寺仁王門から比較的すぐ、JR・京阪の東福寺駅や東福寺バス停から最も近い寺院の一つ。 . 通常非公開ですが、2022年11月に特別拝観をされていた際に初めて拝観。東福寺や世界遺産『天龍寺庭園』の御用達庭師・曽根造園作庭の複数の庭園“翠陰苑”があります。 . 前身の「天護庵」の創建は約670年前、南北朝時代の延文年間(1356~1361年)。後醍醐天皇の皇子と伝わる龍泉令淬和尚により開かれました。 . その後を継いだ東福寺62世住持・在先希譲和尚の代に「霊源院」に改称。 その在先和尚を画僧・吉山明兆🎨が描いた『絹本著色在先和尚像』や在先和尚が編纂した『松山集』、『海蔵和尚紀年録』などが霊源院に伝わる国指定重要文化財。 . 戦国時代〜江戸時代にかけては三河国出身で織田信長や徳川家康の家臣として活躍した水野忠重をはじめ、江戸時代に各地の大名や老中をつとめた水野家ゆかりの寺院に。 きっかけは「本能寺の変」🔥変の際に霊源院が水野忠重を匿ったことから、後に水野家から寺領を寄進。同じく武将〜大名として活躍した #水野勝成 の墓所も残ります。 続く。 - - - - - - #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都紅葉 #建築デザイン #ランドスケープ #京都観光 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #kyototemple #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #特別拝観 #庭院 #庭园 #おにわさん (霊源院) https://www.instagram.com/p/CmULrbIPw5h/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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memory-of-hiroshima · 2 years
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77回目の8月6日が来ました。 あの日、そしてその後の“ヒロシマ”を知ってもらうことが、核兵器廃絶への道につながることを信じたいのです。 2年前に書いた文章ですが、読んでいただければ嬉しいです。
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胎内被爆者の綴り方
<はじめに>  長い間、私は不特定多数の人に被爆体験を語ることにとまどいを覚えておりました。胎内被曝のため、実際に被爆の被害・惨状を見たわけでもなく、肉親を失ったわけでもなく、私自身もこの年齢まで生きてこれた幸運もあり、大きな嘆きの人々に比べれば語る資格がないと思っていました。  しかし、ここ数年、特に日本政府は広島・長崎の被害の事実をなかったものかのように動き始め、核兵器禁止条約に対しても、日本の代表とは思えぬ動きで、私は不安でたまりません。  今まで、生協の平和行進や集会、そして募金に参加したことがあるくらいで、平和や反核に対する運動をほとんどしていません。平和公園での座り込み運動にも、心をよせてはいても、ただの傍観者でした。私が育った戦後、ついこの間までは多くの活動をする人がいて、私も黙っていてもよかったのです。ただ被爆者の会も高齢化で消滅解散する中で、何かしなければならないのではと思い始めていました。  そんな時、オーラルヒストリーを研究しておられる元TBSアナウンサーの久保田智子さんの講演を聞く機会がありました。私が記憶を語るとしたら客観的事実ではないかもという懸念をもっていたのですが、久保田さんは「その人が感じ考え思ったことをいっしょに述べること、主観的事実でいい」と言われました。「複雑でいい、矛盾していい、個人的なものを社会的なものに関連づけて解釈するのだ」と。これは私を勇気づけました。  また、ピラミッドの一番上に直接被爆者がいて、その下にいろいろな人が階層的に存在し、それぞれに思うこと感じ考えることがある、それも大切だと。「ああ私の位置はヒエラルキーの二番目だ、それでも語っていいのだ」と強く励まされました。  それから1ヵ月後、ニューヨークの2020年NPT(核兵器不拡散条約)会議に広島生協の代表として行くことになった友人が、胎内被爆者の会が証言集を出す予定であることを教えてくれました。思い迷った末に、証言集に応募するしないにかかわらず、記憶がうすれる前に一度整理してみようかなとの思いに至りました。
<8月6日>  1946年1月24日生まれの私は、1945年8月6日原爆の炸裂したあの日、母の胎内にいました。予定より早く生まれたと聞いていますから、妊娠4ヵ月位ではなかったでしょうか。悪阻が激しく空襲警報がなっても「このまま死んでもいいから」と逃げるのが億劫だと言っていた母は、朝の洗たくものを干すため両手をあげた時、原爆の光を浴びたといいます。あっと思った時は、胸と腕に火傷をしたようですが、幸いにも「天ぷら油をぬったらいい」と教えてもらい、ケロイドにならずにすみました。借家だった家の前はごぼう畑が広がり、己斐駅がすぐ目の前に見渡せました。光線をさえぎるものは何もありません。爆心地から2.5kmとS42年(1967年)2月18日取得の被爆者手帳にはしるされています。  その時父は観音町の三菱重工の工場、爆心地から4kmの所で被爆。父がどのルートでどのように己斐まで帰ってきたのか全く知りません。9月に4才になる姉は、家の中の布団で寝ており、布団ごと部屋の端から端まで飛ばされていました。壁が少し崩れたくらいで、家は倒れずにすみ、姉も無事でした。  これらの話を父や母から直接聞いたという記憶はなく、どこでどのように知ったのでしょう。母が黒い雨にうたれ、髪の毛が抜け寝こんだこともどうして知ったのでしょう。それには一つの類推があります。
<近所の人々との思い出>  私が小学校低学年の頃住んでいた家はやはり己斐ですが、被爆した時とは違う近くの家です。家の前にも横にも40cm位の側溝に水が流れ、夏には青い露草の花が咲き蛍もとんでいました。暑い暑い8月6日の前後には、近所の人々が涼を求めて集まり、石垣に座って思い思いに語ります。クーラーも無い時代、手にはうちわがあります。冷蔵庫も氷で冷やす木の冷蔵庫です。家には西瓜が待っており、私たち子供は浴衣を着て、大人のまわりをうろちょろしています。そんな時大人の話が聞こえるともなく聞こえるのです。 「ようけえ逃げてきたのお」「おう、水あげりゃあえかったのう、どうせ死ぬんじゃったらのお」「Tさんの家は壊れたらしいのぉ」「下敷きになって男ん子が死んだんよ」「Nさんの奥さんは今年も日傘さして行きよっちゃったよ」「式典なんじゃろう。姉妹や親はえっとこ亡くなったって」  話が聞こえてくるうちにだんだん恐くなります。帰ってトイレに行くのも、夜寝るのも恐くなります。こんな会話の中で私の母の話も語られ、私が覚えたのだという気がします。  Nさんとは、私を実の娘と同じようにかわいがって、お風呂に入れて身体をごしごし洗ってくれたり、焼きリンゴを作ってごちそうしてくれたおばちゃんです。あの優しいおばちゃんが大きな悲しみを抱えておられたのに深く気づくのはずっと後です。このおばちゃんは小学生の女の子2人を残して腎臓病で、身体をパンパンにむくませて亡くなられました。きっと被爆の影響だったと今なら思いますが、当時小学生だった私は、おばちゃんの変わり様に恐ろしかっただけです。  あの夏の日々は、あらためて語り部と言わなくても、みんな思い思いに自然に語って、私たちに伝承されていたのだなあと改めて思います。
<己斐小学校でのこと>  伝承というと小学校の担任を1年から6年まで受け持ってもらったY先生のことが思われます。8月6日宝町の自宅から己斐小学校へ通勤した日のできごと。爆心地近くから相生橋、本川を通ってひたすら己斐へ歩く途中に見た被災の光景。川の中に浮かぶたくさんの人々、横たわる死者たち。その話を聞いた記憶がしっかり残っています。教壇に立って語る先生の息づかい。並ぶ生徒たちの机。写真のようにまぶたに残っています。先生はその日どのように自宅へ帰られたのでしょうか。全く知りません。Y先生はその後私たちが4年か5年生の頃、だから戦後10年くらいでしょうか、肝臓を悪くされ長く入院されたことがありました。きっとこれも原爆と関係があるに違いないと今は思います。  私の小学校は己斐小学校ですが、己斐はたくさんの被災者が流れ込んできて、小学校の校庭ではたくさん人を焼いたと言います。春秋に運動会があったのですが、グランド整理で土をならすと骨が出るというのをよく聞きました。私は直接拾ったことはないのですが恐くてたまりませんでした。それに春は校庭の桜が葉桜になる頃の運動会でしたから、毛虫がぞろぞろはい回ります。私は大の虫嫌い。二重に恐くて――。今と違って素足でかけっこですものね。
<ABCCの記憶>  私が唯一当事者として語れるのはABCC(現・放射線影響研究所)のことかもしれません。小学校低学年の時だったと思います。母と、あるいは近所の友と、そして級友と何回かABCCが近所まで迎えに来て出かけました。学校まで迎えに来たこともあります。黒塗りの大きなハイヤーが来るのですが、私はすぐ酔うので苦手です。行くと、全てがすんだあとクッキーやサンドイッチ、紅茶などをご馳走してくれるのです。異文化への興味や憧れのようなものがありました。けれども何しろアンパンやジャムパン育ちで偏食も多かった私は、なれないものを何とか口にし、帰りの車でまた気分が悪くなるのでした。  さて、ABCCの記憶で長く私が語れなかったことが一つ。検査に行くとズロース(パンツ)の上に白いスモックのようなものを1枚かぶるのですが、それを着てある部屋に一人連れて行かれます。大きな机、私には3m×4mぐらいにも思われましたが、その端に足をぶらんと下ろして、入口のドアに向かって不安そうに座っている自画像が脳裏に残って消えません。そして、立つように促されたのでしょうか。服を脱いでズロース1枚でテーブルに立ったと思うまもなく、大きな180cm位の白人男性がこれまた大きなカメラを抱えて10人近くどたどたと入って、テーブルの回りから、四方八方カメラのフラッシュをたきました。驚きと恥ずかしさと何があったかわからないのとで呆然としていたのでした。一番大きかったのはたぶん恥。何かいけないことのように思ったのでしょう。この話は帰りの母にも友にも誰にも話しませんでした。話せば自分一人の体験ではなかったことがわかったかもしれません。後に語れるようになり、友人夫妻にこの体験を話した時「つらい話をさせてしまった」と言われ、ああそうだったのかと納得したものです。映画のワンシーンのようなこの記憶は今後も決して消えることはないと思います。
<病気に思うこと>  私が生まれたのは、母の母・未亡人だった祖母のいた広島県北部の旧・山縣郡千代田町壬生です。大雪で2階の窓から出入りするような日だったということです。戦後の広島を避けてお産をしたのでしょう。私は乳を飲んでもすぐ吐き、胃の入口の調子が悪くて薬を飲んで治したといいますが、詳しいことはわかりません。その後10カ月位の時には百日咳の激しいのにかかり骨と皮になりました。母は父の実家の香川県高松市鬼無町にひきあげました。そこで祖父から「こんな子を連れて帰って」と非難されたことを相当うらめしく思ったようで、時々同じ話をしてくれました。父の家の事情もあり、結局両親と私たちはまた己斐に戻りました。  そこで成長して22才の大学卒業まで暮らすのですが、父も母も被爆者でしたが、特に母の身体が弱かった気がします。家事だけの人でしたが、一日中かかって掃除・洗たく・食事の支度をし、少し動くと休みながらという具合です。おまけに度の過ぎた清潔好きで、洗たくもハンカチを洗って次は上のもの、下着はその次、そのあとパンツ…といったくらいに丁寧でした。今思えば、それもこれも細菌におびえていた事情もあった���もしれません。私は母の身体の弱いのは偏食のせいと思っていましたが、ひょっとすると被爆の影響があったかもしれません。父は61才、母は57才で亡くなりました。二人とも脳内出血ですが、母は一度肺ガンということで、広島市のM病院で放射線治療を受けたこともあります。  私はよく熱を出し、決して強いとは言えず、身体も細く背も前から一・二・三を争うくらいのチビでした。それでも高校時代は皆勤賞をもらいました(授業中寝てばかりの子でしたが)。  それが結婚して1ヵ月ちょっとだったでしょうか。盲腸になり、夫も手術をしたこともあり夫の家族の中では名医と呼ばれていたN外科で手術をしました。なぜか2、3日眼が覚めず熱も出て、私が被爆者手帳で受診したからでしょうか、先生は慎重になられ結局1ヵ月入院しました。  また、二人目の子のお産の時、妊娠5ヵ月くらいから妊娠中毒症になりとうとう7ヵ月ころ入院。そして子供が9ヵ月に入った時母体がもたないということで早く生みました。お産がすめば蛋白尿がよくなるということでしたが、数値は4本プラスが2本プラスになっただけで入院がその後も続きました。家族を心配して泣き、食事もとれなくなり、そんな私を心配した先生が退院させてくれました。1年位かけて漢方薬をせんじて飲みながら治ることができました。この2回のトラブルで、人がスムーズにできることが上手にできないのは被爆と関係があるのかなあと思ったりしました。これが被爆者共通の心理かもしれません。
<家族の中で>  私が被爆者であるということを夫に初めて言ったのがいつかは覚えていません。当時は手帳取得が結婚にさわるという風評もあり、姉などは「いらない」とすぐにはとらなかったような気がします。私はそんな思いもなく所持していたのですが、夫が戦争の責任とか社会のものの見方などで、私よりはるかに反戦の意識が強かったので何も心配ありませんでした。広島・長崎の式典中継でも私より深く正座してみるような人で、これは幸いでした。  家庭の中で被爆体験を話せたこと。それを淡々と聞いてくれる家族がいたことはうれしいことです。  初孫が5才のころでしょうか。我が家には「原爆の図」「ひろしまのピカ」「ピカドン」(いずれも丸木位里・俊作)や原爆ドームの本など夫が集めた本がたくさんあります。それらを持って帰るほど興味をもち、「原爆ドームに行きたい」と親にねだるほどの孫娘。ホロコースト記念館にも何回か行き、私たち夫婦にもアンネの部屋を丁寧に教えてくれ、「ああこの子は平和の担い手に」と期待をこめて見守っていました。なにしろ8月15日生まれですから。そしてその孫に、佐々木禎子さんについてまとめたダイジェスト版の本を夫は作りました。それを読んだ孫は「禎子さんちは散髪屋さんだったんだね」と。夫はその一言に苦笑していました。2、3年もすると興味を失った孫娘が、いつの日かまた興味と関心を持ってくれれば幸いです。  孫娘が小学校1年生くらいの夏に遊びに来て、寝物語に被爆体験の話をしたところ「おばあちゃん(生きてて)よかったね」と言われ、私ははっとしたのを覚えています。「生きてて申しわけない」という被爆者のことばがよく言われます。私に明確にあるのではありませんが、いくらか私にも長生きへの申しわけなさみたいなものがあります。でも「よかったね」というのはありがたくかみしめたいと今では思っています。
<最後に>  たまたま2020年3月15日付の中国新聞に、「被爆オリンピアン肉声現存・広島市出身36年出場故高田静雄氏」という見出しを見ました。その人は小学校時代の級友の父親です。また、米兵たちの被爆をほりおこし追悼してオバマ大統領にハグされた森重昭さんも級友のお兄さんです。佐々木禎子さんが白血病で亡くなられたころ入院した級友もいます。でも、私たちは戦後60年、還暦を迎えた同窓会でほんの少し被爆のことを話したことがあるくらいで、級友でも詳しいことはほとんど知りません。日々衰えていく記憶と、語りあう機会も減っていく中で、今回書き残してみたのはよかったように思います。記憶とは不思議なもので、自分流にゆがめているかもしれません。この主観的な記録がどのように伝えられていくのか少し楽しみです。長生きすれば「最後の被爆者」となる可能性もある人間の記録ですから。そのためにも両親からもっともっと話を聞いておきたかったです。
<さらに>  この原稿のパソコン入力を娘がひきうけてくれました。彼女は幼い頃、原爆資料館のろう人形母子を見ておびえましたが、私と平和行進に参加したことや、大会で「青い空は青いままで子どもらに伝えたい。燃える八月の朝…」と歌ったことは覚えています。8月6日の式典で峠三吉の詩を子供代表が語ったのに感動して、東京から電話をかけてきたこともあります。彼女には彼女のヒロシマとの歴史が作られているのですね。いろいろな形でヒロシマが伝承され続け、子や孫・その先まで、この愚かなことがくり返されぬように祈ります。私の胸を今でもゆさぶる歌「原爆許すまじ」を心に銘じて。
(2020年4月記/上村洋子)
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李克勤 Variety Show Live Songs Now On Spotify
tumblr only lets me put 10 little spotify widgets on a post, so i'll only put my favorites like that and the rest will be hyperlinks
2020 - 我們的歌
富士山下/愛情轉移 (w/ 周深)
突如其來的愛情(w/ 周深)
2021 - 中國好聲音
菊花台(w/ 陳奕迅,劉歡)
我愛你中國(w/ 那英,汪峰,李榮浩,吉克雋逸,張碧晨,吳莫愁,黃霄雲)
2022 - 聲生不息
好歌獻給你(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,單依純,炎明熹)
傾城
花火(w/ 李健)
傻女
最佳損友(w/ 毛不易)
世間始終你好(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,單依純,炎明熹)
紅綠燈(w/ 周筆暢)
飛花
下一站天后(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,張智霖,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,王源,單依純,炎明熹)
這麼近(那麼遠)(w/ 單依純)
雨中的戀人們
紅日(w/ 林子祥,林曉峰,李健,李玟,周柏豪,馬賽克樂隊,魔動閃霸,單依純)
中國人(w/ 魔動閃霸)
東方之珠(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,單依純,炎明熹)
雨夜的浪漫(w/ 李健,魔動閃霸)
不再猶豫(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,單依純,炎明熹)
她來聽我的演唱會
我和我的祖國(w/ 林子祥,葉倩文,林曉峰,楊千嬅,李健,李玟,周筆暢,劉惜君,馬賽克樂隊,曾比特,毛不易,安崎,魔動閃霸,單依純,炎明熹)
2022 - 中國好聲音
海戀
上海灘/最愛上海灘(w/ 劉德華,廖昌永,梁靜茹,李榮浩,黃霄雲,希林娜依・高)
飛花(w/ 梁玉瑩)
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real-sail · 1 year
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3年ぶりの、年始の野望
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「年始の野望」と称して、「その年に達成したいこと」を新年に投稿していた時期がありました。最後にそれを投稿したのは2020年、そう、まだパンデミックを知らない頃です。
今年は3年ぶりに野望を認めようかという気持ちになったので、まずは3年前に並べた野望の自己採点からおこないます。この3年間で結果的に達成したものもあるし、叶わなかったこともあります。
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Crockett & Jones のあの靴を買う ▷ John Lobb のヴィンテージを手に入れたで良し
ロンドンでリサイ��ルをおこなう ▷2022年に達成、願わくば今年も?
英語のプレゼンをおこなう ▷2021年秋に実施、今年も機会持ちたい
IELTS再受験 ▷してないが英語レッスン受けたで良し
行ったことがない国を訪れる ▶︎これは今年かなあ?
Aquascutum の古着で膝下ステンカラーを見つける ▷ Soeur のコート買ったで良し
そろそろツイードのジャケットほしいな ▷2つほど揃った
現在25種の茶葉があるマイ紅茶棚をベスト5に絞る ▷絞った
マイベストコーヒー豆を見つける ▷今んとこ Monsoon Malabar
イザイの無伴奏ソナタ5番の譜読み ▶︎してない、今年こそ!
5年親しんだ形式の手帳を変える ▷これ以降 Rollbahn
ワードローブを本当のスタメンだけにする ▷これはまあまあ実行できた
イギリス英語の発音力向上キャンペーン ▷発音レッスン受けたら、ほんと変わった
香水を発売元の勧め通り1年で使い切りまた買う ▷やはり1年では使い切れないが2本目使ってる
日本でもコンサートを行う願わくばバッハ ▶︎これはまだなかなか難しいところあるよね
でもロマン派のソナタもどこかで弾きたいなぁ ▷去年はちょこちょこ弾けた
来年度は(固定メンバーで)室内楽をやりたいなぁ ▶︎これはコロナで叶わなかったな
ツイッターのフォロワー目指せ3000人 ▶︎今2000、でももう数は求めなくなった
インスタグラムのフォロワー目指せ1000人 ▶︎とはいえインスタもう少しで1000
英語のブログもちょこちょこ更新するぞ ▶︎したようなしてないような
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だいたい3分の2くらいは達成できたみたい。3年たったらどうでも良くなっていることもちらほら。変化はあるよね。では今年の野望をば。
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博論提出 ▷野望とかじゃなくてマスト、ミッション
バッハを何度でも ▷教会で録音をしたいと思っていて、YouTubeに「無伴奏ヴァイオリンのための3つのソナタと3つのパルティータ」全曲揃えたい、現状半分程度は公開してあるので、残りの曲を埋める(シャコンヌとか、ソナタ1番のフーガとか)
ものを減らす ▷3年間で結構減らしたけどまだまだ、本当のお気に入りだけにする、量より質、身軽になる
もっと書く ▷紙でもデジタルでも、もっと書く、書くことは「言葉を探す」こと、何かを思考して言語化することをやめない(5月以降の書き仕事大歓迎です)
研究者であれ ▷論文を出したあとでも、研究者でいられるように、環境を整えたい、博論出してはい終わり、にしたくない
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ほかにレクチャーコンサートしたいなとか、講習会やりたいなとかアイデアはありつつ、書きながら、それは野望とか言ってないでもうやれば手をつければ? と思いました。企画書作ろう。
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kyotomoyou · 2 years
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今さらながらですが 過去の写真に過去写真って書くのやめました . 日付書いてあるし . 投稿時に自動で日付を取り込む機能欲しい . 見たり参考にする時は 1日単位で欲しいんです . (2020/11/23撮影) . #善峯寺 #善峯寺の紅葉 (善峯寺) https://www.instagram.com/p/CkBKo2Fvr2I/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 6 months
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本項「NHKの不祥事(エヌエイチケイのふしょうじ)」では、NHK(日本放送協会)職員による業務に関わる不祥事や、業務外で行われた犯罪などのうち主なものについて記載する。また後段でNHKの組織的問題として批判を受けたものを挙げる。 目次 1 概要 2 職員による不祥事・誤報・放送事故など 2.1 2000年以前 2.1.1 「ムスタン」やらせ問題 2.2 2004年 2.2.1 番組製作費着服事件 2.3 2005年 2.4 2006年 2.5 2007年 2.6 2008年 2.6.1 インサイダー取引事件 2.7 2009年 2.8 2010年 2.9 2011年 2.10 2012年 2.11 2013年 2.12 2014年 2.12.1 「魂の旋律」事件 2.12.2 「出家詐欺」過剰演出問題 2.13 2015年 2.14 2016年 2.15 2017年 2.16 2018年 2.17 2019年 2.18 2020年 2.19 2021年 2.20 2022年 2.21 2023年 3 批判・訴訟など 3.1 2000年以前 3.2 2002年 3.3 2005年 3.3.1 NHK番組改編問題 3.4 2007年 3.5 2014年 3.6 2015年 3.7 2016�� 3.8 2017年 3.8.1 記者過労死事件 3.9 2018年 3.9.1 「かんぽ生命」番組介入疑惑 3.10 2020年 3.11 2022年 3.12 2023年 4 脚注 4.1 注釈 4.2 出典 5 関連文献 6 関連項目 7 外部リンク 概要 編集 NHKの受信料制度は最高裁で合憲とする判決が確定しており、受信料納付が義務化しているが[1]、とくに2004年の番組製作費着服事件、またそれにつづく数々の不適切な経費処理の発覚で、その使途には視聴者からきわめて厳しい目が向けられるようになった。NHK側も公金処理に関する不祥事には厳格にのぞみ[2]、カラ出張やタクシー券の不正処理などの懲戒処分が素早く公開されるようになった。また職員による痴漢や軽微な窃盗なども、さまざまな情報に接しうるNHKという組織内部における規律の緩みのあらわれとして、細かく報道されるようになっている[3]。    さらにNHKは他の放送局同様、放送法によって「不偏不党」を求められており[4]、時の政府の意向と放送内容のバランスをどう取るかがつねに注目を集めるため、その判断が問題化しやすい。2005年の「NHK番組改編問題」は、その典型的なものである。 職員による不祥事・誤報・放送事故など 編集 業務外で行われた職員による不祥事等は、NHK職員・関連団体職員の事件として報道されたものに限って掲載する。 2000年以前 編集 1991年(平成3年)5月24日、松平定知アナウンサーが、泥酔してタクシーに乗車した際、運転手に対し自動車電話で殴って足蹴りするなどの暴行をしたことが報じられ、謹慎処分を受ける[5]。「ムスタン」やらせ問題 編集 1992年(平成4年)に放送された『NHKスペシャル』「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」にやらせがあったと朝日新聞が報道、大きな問題となった。この番組では、高山病で苦しむ取材スタッフとして撮影・放送された映像が実際には演技だったなど、製作倫理上の問題が数多く指摘された。詳細は「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」を参照 2004年 編集 番組製作費着服事件 編集 東京・渋谷にあるNHK放送センター(2016年)7月、番組制作局のチーフプロデューサーが巨額の製作費を着服していたことが『週刊文春』の報道で発覚[6]。着服額は約6200万円にのぼった。このチーフプロデューサーは1998年から2001年にかけて、知人の経営する企画会社に、実態のない業務名目で支出、それをキックバックさせて遊興費に使っていた[6][7]。NHK内部では不正を数年前に把握しながら放置していたことも発覚した。 この事件では、受信料が着服されたことや、不正の舞台に花形番組の「NHK紅白歌合戦」が含まれていたことなどから、大きな衝撃を与えた。不正を行ったチーフプロデューサーはNHKに刑事告訴され、2006年に詐欺罪で懲役5年の判決を受けて確定している。 NHKはこの事件に関して民事訴訟を3件起こし、チーフプロデューサーへの請求額は時効となったものも含め最終的に約1億4000万円にのぼった[8]。またこの事件が明るみに出た後、岡山放送局の放送部長が架空経費を着服していたことや、韓国のソウル支局長が業務発注の上乗せ請求が明らかになるなど、NHK内部のコンプライアンス違反が次々に報道された[7]。 この事件が発覚したあと視聴者からの批判は厳しさを増し、受信料の支払い保留・拒否件数は2004年から2005年3月頃までに約75万件にのぼった。収入のほとんどを受信料に依存するNHKにとって「開局以来最大の危機」とも指摘された[3]。 この着服事件に関して、9月11日、NHK総合テレビジョンとNHKラジオ第1放送で、1時間の謝罪番組が放送され、衆議院総務委員会の様子の一部が放送された他、海老沢も出演し謝罪した。また、同年12月4日放送の『NHKニュース7』でも、一連の制作費不正支出事件に関してのお詫び放送に出演した。 9月9日の衆議院総務委員会では海老沢勝二会長の参考人招致が行われたが、普段は国会中継を行うNHK総合テレビジョンが、この日だけは「編集権の問題」などとして中継せず、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)とテレビ神奈川が京浜地区で生中継を行った。 12月19日には『NHKに言いたい』というタイトルで、視聴者からの声を海老沢会長と外部の有識者の出演で放送。海老沢会長は、9月9日に衆議院総務委員会の参考人招致を生中継しなかったことを「判断ミスだった」と陳謝し、NHK再建に向けて取り組んでいくと表明した。しかし相次いだ不祥事で視聴者の信頼を回復できず、翌2005年1月25日にNHK会長を辞任した。2005年 編集 2月、NHKは解説主幹と国際放送局チーフプロデューサーの2名が、シンガポール支局に勤務していた際、不正な経費処理を行っていたとして、それぞれ懲戒処分にしたと発表[9]。解説主幹は1995〜1998年にかけて、チーフプロデューサーは1998〜2002年にかけて記者としてシンガポール支局に駐在。それぞれ契約カメラマンや外部スタッフの報酬を水増し処理していた[9]。NHKはチーフプロデューサーに対し、業務として使った裏付けが取れなかった262万円を弁済させた。解説主幹については、水増し額が特定できなかったが、本人が紛失したと申告していた取材費40万円の弁済をさせた[9]。 5月、「NHKニュース おはよう日本」などに出演していた放送総局の男性アナウンサーが、強制わいせつ容疑で逮捕。渋谷区富ヶ谷の路上で、女性に抱きついて胸を触るなどした疑い[10]。 5月10日に放送された『プロジェクトX〜挑戦者たち〜」の「ファイト!町工場に捧げる日本一の歌」にて、淀川工業高校元教諭高嶋昌二によるグリークラブ設立のエピソードが取り上げられたが、事実と相反する内容として批判を受け、後日NHKは学校に謝罪、同回は書籍版への掲載が見送られ、NHKオンラインからも削除された。 11月、大津放送局に所属する20代の記者が放火容疑で逮捕。同年4〜5月にかけて大津市内で発生した11件の連続放火、また6月の岸和田市内での放火事件のいずれも自分がやったと自供[11][12]。のちの捜査段階で心神耗弱と鑑定されたが、大津地裁で懲役7年の実刑判決を受けた。2006年 編集 12月、渋谷の放送センターに勤務する30代の男性職員が、千葉方面へ向かう総武線車内で男子大学生の尻をさわるなどして東京都迷惑防止条例で逮捕された[13]。2007年 編集 2月16日、NHK情報ネットワークの社員の私用パソコンがファイル共有ソフトWinnyを通じて暴露ウイルスに感染、「およそ130人分の外部の方の個人情報」(名前やメールアドレス、電話番号など)を含む取材情報が外部流出[14]。 9月16日放送の『NHK海外ネットワーク』において、インドの経済発展について特集した際、番組中で自動車を購入したとして紹介された農家の男性が、実際には購入していなかったことが発覚した。購入後に自動車で移動するシーンまで紹介されていたが、実際には販売店の指示で購入したように振舞っていただけだった。NHKは、2010年5月29日放送の同番組内で「確認が不十分だった」として、視聴者に謝罪した[15]。2008年 編集 4月、NHKがニュース番組で企業による風力発電のファンドが設立されたとの内容のニュースを放送するに当たり、札幌市在住の写真家が撮影した風車の写真を使用し放映したが、この写真使用に当たり、写真家が「写真を無断使用された」として、NHKや取材担当の記者を相手取り、札幌地方裁判所に訴訟を起こした。NHKは「事件報道では、出所表示の慣例や義務はない」と主張したが、2010年11月10日に同地裁は、「写真はファンド設立とは無関係」などとして著作権・著作者人格侵害を認定、NHKなどに対し約40万円の支払いを命じた[16]。1月30日、NHK経営委員会の菅原明子が社長を務める会社が所得隠しを指摘され[17]、経営委員職の辞意を表明。 3月28日、『ラジオ名人寄席』(ラジオ第1)で、音源の無断使用を指摘されたパーソナリティの玉置宏が降板し、番組が打ち切りとなった[18]。インサイダー取引事件 編集 1月17日、複数の職員によるインサイダー取引が発覚[19]。水戸放送局のディレクター、報道局テレビニュース部の製作記者、岐阜放送局記者の3名が、ニュース番組の制作現場で使用される局内共通の原稿端末などを利用し、特定企業に関する放送前の情報を入手、これをもとに取引を行って合計で106万円の利益を上げていた[19]。3名の職員は金融庁から課徴金を課されたほか、4月10日付で懲戒免職となった[20]。 この事件はNHKの職員が業務で知った情報を悪用したケースとして大きく報道されたほか、他の新聞社などがもっている報道関係の職員による株取引を禁止する就業規定が、NHKには経済部などをのぞき存在しなかったことも、驚きをもって受けとめられた[21]。 NHKは全職員を対象にした実態調査を行い、この過程でさらに81人が勤務中に株取引を行っていたことが判明[20]。加えて1100名が調査協力を拒否しており、NHK組織内の規律の緩みが厳しく批判された[20]。以後NHKは報道端末を扱う職員に対して「株取引の禁止」への同意を義務づけるようになった[22]。詳細は「NHK職員によるインサイダー取引事件」を参照 2009年 編集 3月5日、『クローズアップ現代』の取材中、外部プロダクションのカメラマンが関西本線の線路からほとんど離れていない場所に三脚を立て、列車の運行を妨害した[23]。 4月、『NHKスペシャル』「日本海軍400時間の証言」の中国でのロケに参加していた映像制作会社所属の男性が、現地での中国共産党関係者が開いた宴会で、中国流の「乾杯」で、アルコール度数の極めて高い酒を何度も飲まされて泥酔状態に陥り翌日、嘔吐物を喉に詰まらせ死亡した。死亡男性の両親は、渋谷労働基準監督署に遺族補償一時金や葬儀代などの支払いを求めたが却下されたため、東京地裁に提訴。2014年3月18日に同地裁は「中国人参加者の気分を害しないようにするためには、大量の飲酒は断れなかった」として、労働災害に当たるとの判決を出した[24]。 10月8日、NHK京都放送局の記者が、Winny事件の京都地方裁判所での公判中に、被告である金子勇(のちに最高裁で無罪が確定)に対して送った手紙の内容[注 1]について、担当の壇俊光弁護士が「デスノートの『魅上』並の狂気。露骨な弁護妨害だ。」とブログで批判し[25]、NHKは「不適切だった」と謝罪した[26][27][28][29][30]。2010年 編集 7月2日、NHKの関連団体・NHKサービスセンターで派遣社員として勤務していた女性について、名目は専門業務派遣だったにもかかわらず、実際は庶務的な一般の職務に就かされていたとして、東京労働局が同サービスセンターに対し「偽装派遣である」として指導を行い、同センターが直接雇用に切り替えていたことが判明した[31]。2011年 編集 8月、40代の青少年・教育番組部チーフプロデューサーが、小田急線車内で会社員女性のスカート内をカメラ付きの携帯電話で盗撮した疑いで現行犯逮捕された[32]。 10月17日、情報番組『あさイチ』内で、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の影響で発生した放射性物質に関して、食事に含まれるセシウムの放射線量について、誤った数値を放送していた[33]。2012年 編集 2月16日、松山放送局が放送した『おはようえひめ』で、実際には発生していない偽事件のテロップ『窃盗の疑い 愛媛大学教授逮捕』が約2秒間流れた。職員の操作ミス��よって、放送試験用の字���が誤って放送された[34]。この事故の原因調査の過程で、同局の原稿閲覧システムをアクセス権限のないアルバイトが日常的に操作してきた疑いが出ている[35]。 3月4日、BSプレミアムで放送の『晴れ、ときどきファーム!』において、2月6日の番組収録の際、MAXのメンバー3人が軽自動車の運転席と後部座席に乗り、東京都内から千葉県内のロケ地へ向かう車内の様子を助手席から撮影していたが、この際、運転席と助手席のヘッドレストが邪魔になると番組ディレクターが判断し、外して走行した。3月26日の再放送の後、視聴者から問い合わせがあり発覚。NHKはこの件で、警視庁代々木署から道路運送車両法違反で注意を受けた[36]。 5月1日、鹿児島放送局がNHK受信料の契約業務などを委託している請負会社の契約社員が、鹿児島県の霧島市の男性の衛星放送受信契約書を偽造していたことが発覚した。男性の口座からは、半年分のデータを偽造されたNHK-BS放送が含まれた受信料を、銀行口座から引き落としていた。鹿児島放送局と委託会社が男性に謝罪し、NHK受信料は返還された[37]。 11月、放送総局に所属する40代の男性アナウンサーが電車内で女性の胸をさわったなどとして、強制わいせつの疑いで現行犯逮捕。男性はニュース番組「おはよう日本」の週末・祝日キャスターなどを務めていたため大きく報道された[38]。翌12月、東京地検は被害者側の告訴が得られなかったとして不起訴処分とするが、NHKは男性キャスターに3か月の停職処分を下した[39]。2013年 編集 名古屋放送局が、4月1日から8月19日にかけて放送した東海・北陸地区向けの天気予報において、三重県の津市と岐阜県の岐阜市の予報表示が入れ替わっていたことが明らかになった。コンピュータシステムのプログラム更新の際に設定ミスがあったことが原因だった[40]。 6月26日から7月19日にかけ、総合テレビとEテレで、EテレをPRする目的で流した映像について、1秒間につき3回までと定められている光点滅ガイドラインの基準を超える、計8回の光点滅を含む映像が計45回流された[41]。 10月16日、NHK放送技術研究所の主任研究員が音響設備会社に架空発注を行い、約280万円を振り込ませる、百数十万円相当の物品を受け取っていたなどして、同職員を懲戒免職処分とし、詐欺罪の疑いで警視庁に刑事告訴すると公表した[42]。2014年 編集 「魂の旋律」事件 編集 2月5日発売の『週刊文春』2月13日号が、当時盲目の作曲家として注目を集めていた佐村河内守を取りあげ、実際には佐村河内が視力を失っておらず、自作として発表された曲の大半も別人の作曲だったと暴露した(「全聾の作曲家はペテン師だった!」)。のちに佐村河内は会見を開いてこの事実を大筋で認め、実際の作曲を行っていたのが新垣隆であることも明らかになった。 佐村河内の人気を押し上げるきっかけの一つとなったのがNHKが前年2013年の3月に放送した「魂の旋律 音を失った作曲家」だった。この番組は佐村河内が自ら作曲を行う内容で構成されており、暴露報道によって、その大半が否定されることとなった。「魂の旋律 音を失った作曲家」はNHKオンラインから大部分が削除され、NHKオンデマンドでは映像配信が停止された。 詳細は「魂の旋律 音を失った作曲家」を参照 「出家詐欺」過剰演出問題 編集 5月に放送された『クローズアップ現代』(追跡 “出家詐欺” ~狙われる宗教法人~)で、多重債務者が出家して融資を受ける「出家詐欺」のブローカー役が出演したが、これが大阪放送局の男性記者による捏造だったと『週刊文春』が報道[43]。NHKは調査を行い、番組に「過剰な演出」があったと認めて、男性記者を停職3か月の懲戒処分とした。これを受けて『クローズアップ現代』でも当時の国谷裕子キャスターが番組内で謝罪した[43]。詳細は「クローズアップ現代#問題を指摘された事項」を参照 2015年 編集 2015年1月2日、籾井会長が私的にハイヤーでゴルフ場に出かけた際、乗車代金がNHKに請求されていたことが内部通報で明らかになった。 NHKの子会社であるNHKアイテックの本社と千葉事業所の社員計2人が、実体のない会社に対し、受信施設の工事や業務などの架空発注を繰り返し、計約2億円を着服していたことが12月17日に明らかになり[44]、2人は2016年2月に懲戒免職、2016年12月逮捕[45]、2017年1月再逮捕[46]、東京地裁で2017年4月東京地裁で懲役2年2カ月の実刑判決[47]と2018年3月懲役4年の実刑判決[48]が下った。2016年 編集 1月29日、さいたま放送局が「埼玉県警察の記者クラブに所属する記者3人が1年余りに渡り、業務用タクシーチケットを友人との会食など私的な移動に使用していた」として、31歳の記者を諭旨免職(約36万円分)、23歳の記者を停職1ヶ月(約12万円分)、29歳の記者を出勤停止5日(6,850円分)としたほか、管理・監督責任のある放送局長や放送部副部長など上司5人も3日から14日の出勤停止とした[49]。2017年 編集 1月、横浜放送局営業部に所属していた40代の男性職員が、受信料数十万円を着服していた疑いがあると発表した。職員はNHKが調査を進めていた2016年10月中旬に死亡したという。NHKによると、職員は2015~2016年、受信契約に関する架空の伝票を複数回にわたって作成。受信料を先払いしている受信契約者の個人情報を悪用し、契約を解除したように装うなどして、払戻金を着服していたとみられる。NHK広報部は、個人情報を悪用された契約者への影響は「ない」とし、今後も調査を続け被害額を確定させた上で、遺族らに弁済を求める方針である。NHKは「誠に遺憾であり、再発防止に努めてまいります」としている[50]。 2月、山形放送局に勤務する20代の男性記者が強姦致傷などの罪で逮捕された[51]。男性記者が山形、および前任地の山梨(甲府放送局)の両県で2013〜2016年に女性3人の自宅に侵入、性的暴行を加えた疑い。男性記者は逮捕後に懲戒免職され、2018年に山形地裁は「常習性が高く、反省の態度が見られない」として懲役21年を言い渡した[52]。 警視庁調布警察署は3月30日、強制わいせつ容疑でNHKが業務委託する会社の社員を逮捕した[53]。2016年11月14日、NHK受信料の契約のために訪れた調布市内のアパートで、犯行に及んだとみられる。2018年 編集 2016年及び2017年の紅白歌合戦の責任者を務めていたNHK制作局エンターテインメント番組部元部長の50代の男性職員が、女性職員にセクシャルハラスメントをしたとして、8月に停職3ヵ月の処分を受けていたことが判明した[54]。 オウム真理教の後継団体であるアレフの取材をしていた札幌放送局のディレクターが、住民らへのインタビューを録音したデータの含まれたサイトを、アレフ本部へ誤送信していたことが明らかになった[55]。 同局のバラエティ番組『テンゴちゃん』の制作の委託を受けている会社が、街頭インタビューの映像などの含まれたファイルを、誤ったメールアドレスに誤送信していたことが明らかになった[56]。 帯広放送局の51歳の技術部副部長が、単身赴任手当など524万円を不正に受け取っていたとして12月11日付で懲戒免職処分にした[57]。2019年 編集 2018年に放送したNHKワールド JAPANのドキュメンタリー番組『Inside Lens』で、家族や友人などの代役を派遣するサービスについて取り上げたが、サービスを運営する派遣会社のスタッフが利用客を装って出演していたことが明らかとなり、5月29日の記者会見で謝罪した[58]。 6月、NHKは、放送総局大型企画開発センターの40代の男性チーフ・プロデューサーが、2月に強制わいせつの疑いで逮捕されていたと発表した[59]。東京都練馬区の歩道で、徒歩で帰宅途中だった40代女性の肩をつかんで押し倒した後、わいせつな行為をした疑い。男性はAI(人工知能)を活用した特別番組を担当していた。 2019年9月18日に放送した「アッキー&ヤナギーがゆく!もっと知りたい沖縄・石垣島」において、石垣島の陸上自衛隊施設の予定地付近に、農業用水に使用されている川があることに対し、配備予定地から約1.6km離れた農業用ダムの水源の映像に併せて、石垣島の水道水の8割を賄っていると、誤った発言やテロップを流した。これに対し、沖縄県の石垣市議会は抗議決議を可決した。NHKは川が農業用水であるとを承知しており、配慮すべきだったと釈明した[60]。 2019年12月27日、NHKニュースサイトなどで「北朝鮮のミサイル 海に落下と推定」などとする誤報を流した。その後、NHKは速報を取り消し、TV放送などで訂正・謝罪した。「ミサイル発射対応訓練中に、誤って放送ボタンを操作したことによるミス」と説明された[61][62]。2020年 編集 2020年6月7日放送の「これでわかった! 世界のいま」で、黒人男性が白人警察官から暴行を受け死亡した事件に端を発した2020年ミネアポリス反人種差別デモなどについて、アニメーション映像で解説が行われたが、この内容について有識者などから「差別を助長する」「問題の実態を正確に表していない」などの批判が多数寄せられ、ジョセフ・ヤング駐日米国臨時代理大使は「侮辱的で無神経」と批判した[63]。NHKはこの件について謝罪し、配信動画を削除した[64]。詳細は「これでわかった! 世界のいま#不祥事」を参照2021年 編集 2021年5月30日放送の『将棋フォーカス』において、一部コーナーで外部サイトの説明文をそのまま無断引用する形で同番組のナレーションに使用していたことが後日判明し、ホームページにて謝罪した[65]。これを受けて、同サイトの運営者はNHKを相手取り裁判を起こしていたが、東京地方裁判所は2022年9月に請求棄却の判断を出した[注 2][66][67]。 2021年12月26日にBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」が放送された際、番組内のインタビューで表示された「五輪反対デモに金をもらって参加した」とする字幕について、翌2022年1月、制作した大阪放送局は誤りだったと発表して謝罪した[68][69][70][71]。この問題はのちに放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が制作関係者などへの聞き取りをもとに審議し、2022年9月に「重大な放送倫理違反があった」と結論づける見解を公表した[72]。委員会によると、聴き取りに対し、番組制作に関わったほぼ全員が「デモや社会活動に関心がなかった」と答え、「デモの参加者にお金が支払われることに違和感を抱かず、報道価値も感じなかった」と話したスタッフもいた[73]。委員会はNHK側の事後対応の「不誠実さ」と合わせ、「NHK全体の信頼を毀損しかねないものだった」と厳しく批判した[73]。詳細は「BS1スペシャル#不祥事」を参照2022年 編集 NHKが関連会社であるNHKテクノロジーズに対して発注した和歌山県の高野山テレビ中継放送所の更新工事を行った際に小型運搬車で資材を搬入する目的で和歌山県や高野町の許可無く、世界遺産である「紀伊山地の霊場と参詣道」構成資産の高野参詣道女人道の路肩や階段を一部破損し、文化財保護法違反にあたるとの指摘が寄せられたことを受けて、4月15日に謝罪すると同時に工事を一時中断した[74][75][76]。 6月1日、取材の移動のためだと偽って旅行会社から乗車券と特急券計120枚(販売価格計約105万円)を詐取したとして、NHKの子会社であるNHKグローバルメディアサービスの元社員が詐欺容疑で逮捕された。同様の手口を繰り返し、2017年7月~21年10月に計780回、総額約1億8千万円の不正な購入をしていたとみられている[77]。 6月8日に尾瀬国立公園において、同月19日にBSプレミアムで放送予定の番組撮影として、撮影スタッフが同公園内の木道を通行止めにした状態で撮影を行った[78]。同公園を管理する関東地方環境事務所によれば、NHK側は「ドローンの撮影がメイン」としていた[78]。 6月24日、NHKは国際放送局に所属する50代男性の管理職職員を24日付で諭旨免職にしたと会見で発表した[79]。この職員は海外特派員だったこともあり、チーフ・リードと呼ばれる管理職だった。2019年6月から22年1月にかけて、まだ公共交通機関が動いている時間帯に帰宅のためタクシー券を使ったり、日帰り旅費の電車代を虚偽の理由で請求するなど、合計70万3728円の不正を働いていた[80]。男性は不正を認め、全額弁済したと発表されている[81]。管理・監督責任で国際放送局局長など管理職5人も懲戒処分となった[82]。2023年 編集 2月20日、札幌放送局に勤務していたアナウンサー船岡久嗣が同僚女性アナウンサー邸宅への侵入容疑で警視庁に逮捕された[83]。この事件により船岡はストーカー規制法に基づく禁止命令を受けた後、不起訴となったものの、NHKは4月21日に「公共メディアの職員として社会的信用を大きく損なった責任は重い」として船岡を諭旨免職処分とした[84]。 5月15日放送の『ニュースウオッチ9』で、「新型コロナ5類移行一週間・戻りつつある日常」と題したVTRを放送。その中でインタビューに応じた患者遺族3人は、患者がいずれもコロナワクチン接種後に死亡していたにもかかわらず、そのことに関して訴える発言をカットして放送していたことが発覚。翌日の放送分で田中正良らキャスターが事実を認め、謝罪するコメントを発表した[85]。 6月13日、独ソ戦を取りあげたドキュメンタリー番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』(5月22日放送)の中に誤りがあったとNHKが発表した[86]。発表によると、番組中でスターリンのものとして紹介した発言がまったく別人のものだったほか、複数の誤りが見つかった。放送後にSNSなどで専門家から批判が集まっていた。NHKは6月11日に誤りを修正して再放送したが、番組中では修正の有無は触れず、番組ホームページで謝罪したのみだった[87]。 6月19日、1955年に放送された、長崎県の端島炭坑(通称:軍艦島)を紹介した番組『緑なき島』を巡り、NHK幹部が自民党会合で、坑内とされる映像の撮影に使われたフィルムは放送と同じ年の30年製だったと説明したことが分かった[88][89][90]。特命委員長の有村治子参院議員によると、出席したNHKの担当者は今後この映像を使用しない方針を示したとされる[89]。韓国メディアが朝鮮半島出身者が戦時中に軍艦島で強制労働させられた証拠としていたがその根拠が崩れることとなった[90]。 8月9日、水戸放送局はかつては茨城県内で開催されていたものの、新型コロナウイルス感染対策などの観点から2022年から会場を千葉県に移して開催していた野外音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」を2024年は茨城県ひたちなか市の国営ひたち海浜公園でも開催することを独自報道として報じた[91]。しかし、同イベントの総合プロデューサーである渋谷陽一はNHKに対して「公式と同時に発表することを要望していたにも関わらず、全く聞いてもらえなかった」として、同局の姿勢を批判した。同月10日、水戸放送局は「(同イベントの)開催について、関係者の皆様が様々な調整を重ねてこられた実情をくみ取り切れていなかった」として、謝罪した[92][93]。 批判・訴訟など 編集 職員の不祥事ではないがNHKの組織的問題等として報道された事件・事故、またNHKが関連する訴訟など。NHK側が問題性を否定しているものも含む。 2000年以前 編集 1969年(昭和44年)、前田義徳会長が「長い髪の毛のグループ・サウンズは出演させない」と発言し、国会で参考人招致される。 1976年(昭和51年)8月24日、小野吉郎会長がロッキード事件で逮捕された田中角栄前首相を保釈後に見舞ったことが問題となる。小野会長は、日本放送労働組合の運動などにより辞任に追い込まれた。 1981年(昭和56年)2月4日、『ニュースセンター9時』の特集「ロッキード事件5年の真実」で、三木武夫元首相の発言が島桂次報道局長の指示によりカットされ国民から批判される。 1989年(平成元年)4月、池田芳蔵会長がNHK幹部から言語不明瞭と批判されて辞任した。 1991年(平成3年)7月、島桂次会長が野中���務から国会虚偽答弁の責任を追及され、引責辞任した。同時に海老沢勝二専務理事も解任された。(海老沢は後に復帰し、副会長に就任。)2002年 編集 4月28日に放送された『NHKスペシャル』「奇跡の詩人」では、重度の脳障害を抱えた少年が文字盤にある文字を母親の補助で指すことによって他の人とコミュニケーションを図るという内容であったが、子供が居眠りをしたりしている間も正確に文字盤を指しているなど、不自然な場面が多々見られるという指摘がなされ国会でも取り上げられた[94]。NHKは釈明放送を行い、児童が自分で文字盤を指しているように見えたので児童の意思であると結論付けたが、放送終了直後関連書籍を発行した講談社とのタイアップ疑惑も指摘された[94]。この疑問を巡っては『異議あり! 「奇跡の詩人」』という批判本も出版された。詳細は「奇跡の詩人」を参照 2005年 編集 NHK番組改編問題 編集 1月、従軍慰安婦問題を扱った番組『ETV特集』(2001年1月放送)で、番組を担当したプロデューサーが会見を開き、自民党議員による政治的圧力で当初の番組内容が改変されたと告発。また同時期に朝日新聞も、この議員らが事前にNHK幹部を呼びつけて圧力をかけた結果、番組の内容がねじまげられたと報じた。両議員とNHK側は、ともに報道を完全に否定し、NHKと政治の関係をうかがわせる事件として大きな注目を集めた[95]。 番組に出演・協力した市民団体などは、当初説明されたのとは全く異なる内容が放送されたとしてNHK側を提訴した。控訴審では原告側の訴えを一部みとめ、NHKなどに損害賠償を命じたが、最高裁判決はこれを破棄し、原告側の敗訴が確定した[96]。一方で「放送倫理・番組向上機構(BPO)」放送倫理検証委員会は、市民団体から提議をうけてこの問題を審議し、NHKに放送倫理上の問題があったことを認めた[97]。詳細は「NHK番組改変問題」を参照 2007年 編集 2007年9月12日、NHK関連33団体の2005年度末の余剰金が、計886億8800万円に上ることが、会計検査院の調査で判明し、改善を求められた[98]。2014年 編集 2014年7月23日、STAP細胞論文問題の渦中にいた理化学研究所の小保方晴子を取材をした際、小保方が���や右肘などに負傷したことが発覚した。理化学研究所は翌24日に、NHKに対し文書で抗議を行なった[99]。 2014年1月25日に会長に就任した籾井勝人が、就任記者会見において「個人的」と前置きした上で、NHKの放送内容が「日本国政府と懸け離れたものであってはならない」などと発言したと報じられた[100][101][102][103][104]。市民団体から報道機関としての役割を歪めているなどと批判を浴び、また衆議院予算委員会に2度にわたり国会に召喚される事態に発展した。外国メディアからも「NHKが国営放送・大本営発表化しつつある」などと報道された[105]。詳細は「籾井勝人#発言」を参照2014年2月、浜田健一郎経営委員長が「(経営委員は)経営委員服務準則[106]に則り節度を持って言動を行うべき」と異例の見解を出した[107]。これは2014年東京都知事選挙において、経営委員の百田尚樹が田母神俊雄を推して他候補を批判したことや、また経営委員の長谷川三千子が、活動家の野村秋介が1993年に朝日新聞東京本社を訪れて自決したことを称えて、この行為によって天皇が「再び現御神となられた」などと述べたことが念頭にあったとされる。これらの発言に関しては衆議院予算委員会で集中審議が行われたほか、NHKが駐日アメリカ大使のキャロライン・ケネディにインタビューを申し込んだところ、百田の極東国際軍事裁判や南京事件を否定する発言、籾井会長の慰安婦に関する発言を理由として、駐日アメリカ大使館が難色を示していたことも判明した[108]。詳細は「百田尚樹#政治・思想・歴史認識」および「長谷川三千子#主張」を参照 2015年 編集 NHKが、子会社9社と共に、NHK放送センター近くの渋谷区内の土地を共同購入する計画を立て、子会社が約350億円で落札したが、この計画について、NHK経営委員会に諮っていないことが新聞報道で判明[109]。経営委員から報告を求められたNHKは、計画を撤回する方針を決めた[110]。2016年 編集 2016年8月18日の『NHKニュース7』で、子どもの貧困問題をテーマとした神奈川県主催の講演会を放送、女子高校生が実名で窮状を訴える様子を伝えた[111]ところ、インターネット上で、画面に映っていた画材や携行品が「貧困」というには不釣り合いなため「NHKによる捏造」などとする批判が起きた。個人情報がさらされるなど広範なバッシングに発展し、参議院議員片山さつきがSNSで「NHKに説明を求める」などと発表した[112][113]。NHKは「放送内容は、すべて事実に基づくもの」[114]と捏造疑惑を否定。講演会を主催した神奈川県の担当者は「『相対的貧困』と『絶対的な貧困』の混同」と述べて片山らの動きを批判した[114][115]。2017年 編集 2017年2月10日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は、2014年7月27日に放送された番組『NHKスペシャル 調査報告 STAP細胞 不正の深層』について、真実性・相当性の認められない疑惑の指摘と受け取られる編集になっており、申立人である小保方の名誉を毀損し人権を侵害したと認め、再発防止を勧告した[116]。これに対しNHKは、番組内容は客観的事実に留まるとして人権侵害を否定した[117]。記者過労死事件 編集 10月4日、『ニュースウオッチ9』が2013年にNHK職員が過労死していたと放送。この職員は首都圏放送センター所属の31歳の女性記者で、うっ血性心不全による過労死、2014年に労働災害に認定されていた[118][118]。東京都議会議員選挙や参議院議員通常選挙の取材に携わっていたおり、時間外労働時間は死亡直前の1か月間が159時間37分、5月下旬から1か月間が146時間57分に及んでいたという。死後4年もたってからの放送となったのは、NHK側の対応に不満をもった遺族が事実を公表したためとみられている。放送につづいて、上田良一会長が記者の両親宅を訪問して謝罪した。 放送が遅れた理由についてNHKは「遺族の要望で公表を控えていたため、報道しなかった」と説明したが、遺族は「NHKの説明は間違いである」と、厚生労働省での記者会見でさらに批判した[119]。NHKに対しては、遺族が事実を公表しなければ情報を隠蔽しつづけたのではないか、なぜ『NHKニュース7』など他の番組では放送しなかったのか、といった批判が集まった[120]。 本件により、NHKはブラック企業大賞2017年度ウェブ投票賞を受賞した[121]12月14日、女性記者の過労死事件を受けて、4月1日から記者職を対象に導入した専門業務型の裁量労働制について、渋谷労働基準監督署から指導を受けた[122]。 2018年 編集 「かんぽ生命」番組介入疑惑 編集 2018年4月に「クローズアップ現代+」で、かんぽ生命保険の不正契約問題を先んじて報じた「郵便局が保険を“押し売り”!?」を放送したところ、日本郵政グループから動画削除の申し入れなど複数回の抗議があり、同年10月にNHK経営委員会より上田良一NHK会長が議事録非公開の場で厳重注意処分を受けるとともに、インターネット上の関連動画の削除や続編放送の延期などの対応が取られたことが、2019年9月に毎日新聞のスクープ報道で明らかになった[123][124][125][126]。 NHK経営委員会の石原進委員長は厳重注意について、郵政側とのやりとりの中で番組担当者が「制作の責任は会長にはない」などと間違った説明をしたことについて会長に対応を求めたもので、番組への介入意図はないとコメントした[127]。また、処分についてNHK経営委員会の議事録に記載がなされなかったが[128]、これに関し追及を受けた森下俊三NHK経営委員長職務代行者は議事録について「内規で非公開としている」と答えた[129]。 日本郵政の長門正貢社長は同月、NHKの番組内容が事実であったことを認め、抗議や申し入れについて陳謝した[130]。一方、元総務事務次官の鈴木康雄日本郵政上級副社長はNHKを暴力団に例えて批判を続けたと報道された[131]。 2020年 編集 2020年5月6日のNHK NEWS WEBは「防衛省はイージス・アショアの秋田県新屋演習場への配備について、住宅地との距離や地元の反対を理由に事実上断念し、別の候補地を検討する方針を固めた」と読売新聞オンラインに後続して報じたが河野太郎防衛相や菅義偉官房長官は断念はしておらず、ゼロベースの検討下であるとしてこれら報道を否定し、防衛相はフェイクニュースと非難した[132][133]。6月15日、防衛省は山口県むつみ演習場内へのブースター落下が困難であることを理由として、秋田・山口両県への同システム配備プロセスの停止を発表したが、防衛相は自身のブログで、この決定と5月6日の報道は無関係であると回答している[134][135]。2022年 編集 知床遊覧船沈没事故に関し、兵庫県在住の犠牲者遺族への取材を巡り、兵庫県警記者クラブにおけるメディアスクラム防止の申し合わせに反し、幹事社であるNHKはこの遺族に対して個別取材を行い、その際に記者に遊覧船会社の遺族らに対する説明会での情報・資料を「記者クラブ全社で共有してほしい」と託されたにもかかわらず、5月5日に「独自スクープ」として報道。同記者クラブにはこの遺族からの抗議が寄せられ、NHKはこのことについての説明責任を果たそうともしなかったことから、同月27日に記者クラブの総会で「幹事社業務を怠り、遺族と報道機関との信頼を損ねた」「説明責任を尽くさず、クラブの品位を傷つけた」としてNHKの除名が決定。今後はクラブ主催・共催の記者会見に出席できなくなり、クラブ内のブースも使用できなくなる。なおNHK側は同月30日にはクラブから退去しているという[136][137]。 9月、NHKが会見を開き、首都圏放送センター(現在の首都圏局)の都庁キャップを担当していた40代の男性管理職が2019年10月に死亡し、渋谷労働基準監督署から2022年8月に労働災害認定を受けていたと発表した。過労死とみられている[138]。NHKは会見で「長時間労働による負担があった」と認めて謝罪[138]、男性の遺族は「職員の命を奪うほどの長時間労働を認める組織風土」を強く批判した[139]。2023年 編集 2022年7月頃から当時のNHK会長である前田晃伸の下でインターネット同時配信サービス「NHKプラス」の配信対象波にBS放送も加える計画を秘密裏に進め、まだ関連規則などが改正されていないにもかかわらず、2023年3月に国会にて承認された同年度のNHK予算にその関連費用が計上されていたことが発覚したため、この計画を白紙撤回すると共に謝罪した[140][141][142][143]。 脚注 編集 [脚注の使い方] 注釈 編集 ^ 「悪あがきをすればするほど、あなたの評価は下がる一方だ」「仮に有罪判決になってもインタビューに出て世間に本音をさらしたことで執行猶予がつくのは間違いない」「逆に無罪を主張し続ける限り、減刑の余地はなく、実刑になる可能性も否定できない」などと書かれていた。 ^ なお、外部サイトの運営者(原告)は人格権の侵害(精神的苦痛、名誉毀損)のみを主張し、著作権侵害については訴訟の対象として争ってはいないことに留意する必要がある。 出典 編集 ^ “最高裁大法廷,放送法の受信料制度を合憲と判断|NHK放送文化研究所”. 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(2016年9月9日). https://dot.asahi.com/articles/-/110316 2016年9月22日閲覧。  ^ “放送人権委員会 委員会決定 2016年度 第62号「STAP細胞報道に対する申立て」に関する委員会決定”. 放送倫理・番組向上機構 (2017年2月10日). 2017年2月14日閲覧。 ^ “BPO放送人権委員会決定を受けたコメント”. 日本放送協会 (2017年2月10日). 2017年2月14日閲覧。 ^ a b NHKの31歳女性記者が過労死 残業、月159時間 - 朝日新聞、2017年10月4日 ^ 牧内昇平 (2017年10月13日). “NHKの説明「事実ではない」 過労死記者の遺族が会見”. 朝日新聞 (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASKBF5CN9KBFULFA02C.html 2018年7月21日閲覧。  ^ 篠田博之 (2018年2月13日). “NHK女性記者の過労死はなぜ4年間も伏せられていたのか”. 創 (Yahoo!ニュース). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3d2e2fe2bc865d43d687b2040252d15e89dc7d86 2018年7月21日閲覧。  ^ ブラック企業大賞 ^ NHK裁量労働制に指導=渋谷労基署時事通信 2017年12月26日 ^ NHKの自律揺るがす 経営委「統治」口実に かんぽ報道、異例の注意毎日新聞2019年9月26日 ^ 「NHK報道巡り異例「注意」 経営委、郵政抗議受け かんぽ不正、続編延期」毎日新聞2019年9月26日 ^ “「厳重注意」議事録なし 「介入」批判回避か NHK経営委”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2019年9月30日). 2019年10月1日閲覧。 ^ 竹中明洋 (2019年9月29日). “NHKは日本郵政の「圧力」になぜ屈したか、ウラに隠された事情”. 現代ビジネス. 講談社. 2019年10月1日閲覧。 ^ “報道巡りNHK会長を注意 郵政の抗議受け経営委”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2019年9月26日). 2019年9月28日閲覧。 ^ 会長注意、議事録に残さず=番組介入の批判意識か-NHK経営委時事通信 2019年09月30日12時07分 ^ NHK番組への圧力疑惑議事録など提出要求野党ヒアリングしんぶん赤旗 ^ “NHK抗議、郵政社長陳謝 かんぽ番組「全くその通り」”. 毎日新聞. 毎日新聞社 (2019年10月1日). 2019年10月1日閲覧。 ^ 「NHKはまるで暴力団」日本郵政副社長、記者団に語る朝日新聞デジタル2019年10月3日 ^ “河野防衛相「フェイクニュース」連呼 イージス・アショア配備先は「ゼロベース」、会見でも強調”. J-CAST ニュース (2020年5月8日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “イージス・アショア 秋田市の候補地を事実上断念”. NHK政治マガジン. 日本放送協会 (2020年5月6日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “イージス・アショアの配備に関する河野防衛大臣臨時会見”. 防衛省 (2020年6月15日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “ごまめの歯ぎしり: イージス・アショア”. 衆議院議員 河野太郎公式サイト (2020年6月18日). 2020年6月24日閲覧。 ^ “NHKが兵庫県警記者クラブから“追放”された! 知床遊覧船遺族と加盟他社を激怒させた理由とは(1/2)”. デイリー新潮. 新潮社. (2022年5月30日). https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05301643/?all=1 2022年5月30日閲覧。  ^ “NHKが兵庫県警記者クラブから“追放”された! 知床遊覧船遺族と加盟他社を激怒させた理由とは(2/2)”. デイリー新潮. 新潮社. (2022年5月30日). https://www.dailyshincho.jp/article/2022/05301643/?all=1&page=2 2022年5月30日閲覧。  ^ a b “NHK「都庁キャップ」が過労死 長時間労働解決されず”. 毎日新聞 (2022年9月2日). 2022年9月3日閲覧。 ^ “NHKの都庁キャップだった男性死亡、労災認定…「過労死ライン」上回る勤務時間”. 読売新聞オンライン (2022年9月2日). 2022年9月3日閲覧。 ^ “NHK、規則違反の予算9億円…BS番組のネット配信巡り国会承認後に撤回”. 読売新聞 (2023年5月29日). 2023年5月30日閲覧。 ^ 後藤洋平、滝沢文那 (2023年5月29日). “NHK、実施できない番組配信に予算約9億円 放送法抵触の恐れも”. 朝日新聞. 2023年5月30日閲覧。 ^ “NHK、規則違反のBS番組配信に予算9億円 発覚し白紙に”. 日本経済新聞 (2023年5月29日). 2023年5月30日閲覧。 ^ NHK広報局 (2023年5月30日). “インターネット活用業務に係る不適切な調達手続きの是正について”. 日本放送協会. 2023年5月30日閲覧。 関連文献 編集 川崎泰資『NHKと政治 : 蝕まれた公共放送』(朝日文庫, 2000) 高島秀之『NHK改革』(創成社、2008) 永田浩三『NHKと政治権力 : 番組改変事件当事者の証言』(岩波現代文庫, 2014) 飯室勝彦『NHKと政治支配 : ジャーナリズムは誰のものか』(現代書館、2014)
NHKの不祥事 - Wikipedia
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mutukikuroha01 · 3 months
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「区民課浅草分室あやかし交渉係 (双葉文庫)/紅原 香」シリーズ全巻のあらすじ・感想
今回の記事は、「区民課浅草分室あやかし交渉係 (双葉文庫)/紅原 香」シリーズ全巻のあらすじ・感想のブログです。 「区民課浅草分室あやかし交渉係 (双葉文庫)/紅原 香」シリーズは1巻まで刊行されており、各巻のあらすじと感想を紹介しています。 「区民課浅草分室あやかし交渉係 (双葉文庫)/紅原 香」のあらすじ・感想 区民課浅草分室あやかし交渉係posted with ヨメレバ紅原香 双葉社 2020年02月13日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindlehonto ebookjapan 「区民課浅草分室あやかし交渉係 (双葉文庫)/紅原…
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momijiasuka · 3 years
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フリーランス一年目を振り返り今後やりたい事、自分の絵について考える✍
こんにちは、紅葉です。イラストレーターとして
フリーランス1年目の2020年12月の振り返り日記になります
―――
これまでのヘッダービシュアルについて思うこと
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上記はサイトTOPや名刺用に年明け最初に制作したイラスト請け負い用のオリジナル絵です。
ゲーム業界では主に背景とアイテム制作・キャラ彩色などを中心に制作していましたが、
個人的にはアニメ・デフォルメテイストのコミカルでポップな可愛い系の作風が好きな為
自分を親しみ易い絵柄で制作しヘッダーと名刺に使用していました。
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こちらが実際にデザインし1月にクリエイター交流会やイベント・セミナーで配り歩いた名刺になります。
イラストレーターとして名乗り、初めて制作した名刺の為
🍁『イラスト何でも描きます!!なんでも任せてください!!!!』
感が強く情報も多いのでちょっとバラエティー豊かですね。😅
(”デザインは余白が大事”と聞く中で詰め詰め賑やかに入れてしまっていますが色合いは今でも自分らしく好みです!)
――――
今年1年の月別概要
※私の略歴について
💡2018年年末務めていたゲーム会社倒産、失業を切っ掛けに2019年職業訓練校で新たにwebデザインを学んだ後イラスト受注会社にアートディレクター就職、残念ながら社内悪環境の為2019年年末をもって退職・フリーランスイラストレーターとして活動を始める。
2020年
1月  フリーランス準備 名刺にサイト、人生初のクリエイター交流会やSNS創作垢✊
2月  ストックイラストで新たな出会い・交流の楽しさや知識を沢山増やして行く😊
    ブランディングについて、自問自答の自己分析がはじまる
3月  WEB面接打合せなど初の体験、個人で色々請け負っていく📝
4月  コロナが蔓延し新規受注案件が0になり不安定に😓
5月  SNS経由でつながった方の攻撃的な言葉に傷付き人生を見つめ直す✍
6月  新たな継続案件クライアント様と出会い高評価と自信を得る😊
7月  イラストレーターとして大きなご案件ご相談・高評価を得る😳 
    🎊7月7日に個人事業主として正式開業致しました㊗💡
8月  コロナの影響でドタキャンが発生しだしまた不安定に。😭
9月  自身のやりたい方向性の仕事を平行で請け負いスケジュール帳が埋まり出す
10月 毎日何かしらの提出・納品日となり過労スケジュールに..😇(成果物評判は良好
  今後の為にクリエイターエキスポに下見に行きました💡 様々なイラストレーターの方々の活動がまた一歩良い刺激になりました
11月 仕事の合間に相場感や契約書・交渉・著作権利問題について知識を深める
 クライアントワークのみで直面する様々な問題、低単価案件や収入を見つめストックイラストの良さを改めて感じ検討しだす
12月 今後の活動、来年に向けて 今年の自己分析の結果、方向性をまとめる
――――
会社員時代の安定とは程遠い波乱万丈な感じに怒涛に過ぎ去った1年でしたが、
その分自分で考え、これまでの経験を活かしたり新しい出会いや先人のクリエイターの方々の経験談や知識を取り入れ学ぶ事で会社員時代では中々得られなかった部分の知識・行動力・視野が広がった1年でした😊
今年よく考える事になったテーマが自分の今後やりたいこと 自分の本心から目指したい目標についてでした。
いろいろ挑戦してみて伸ばしていきたいと見つけたやりたい事について、
そんな1年を振り返る目的でこの日記を記録しています。
1~2月
完成した上記の初名刺を持参しいざ!初の交流会やセミナーなどで名刺やポートフォリオを見て頂いて
様々な方とお話した際にお褒め頂き恐縮したりする中で(会社員時代は特に視野が狭かった為たとえお世辞でも褒められなれておらず、とても嬉しかったです😊💦)
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と質問いただく事が増えました。
企業勤めの間は自身の絵柄・オリジナリティでは無く企業の求める絵柄・要望に沿う物を制作し続けていたので、自分自身の好きなもの・やりたい描きたいと思う物を具体的に言えず、
言えても胸を張って心から【私はこうです!】という自信が無かった為、春先に出会った方々と対話する度に
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と、悩みながらもブランディングという言葉と出会い
今年は度々、今後自分はどういう風になりたいのかな..と自己分析と自分理解を深めるきっかけを頂きました。
3~5月
自分が本当にやりたい事、得意な事…
苦手だし、不得意な事      ×
好きな事、好きだけど不得意な事 △
得意だけどやりたいと思わない事 〇
得意で普通と思う事       ◎
得意であり好きな事       ◎
――――――
絵仕事はどれも苦痛なく引き受けていた為、
背景もアイテムもキャラもミニキャラもどれもこれも自身の中では好きな物の一部でありこれまでの成果物・経験は全て自分が歩んできた武器⚔です。
なので”やりたくないな..”というのがあまり湧かず、本心と向き合い自問自答していました🤔
――――――
そんな中、春先のある日SNSの知人からDMに
知人『あなた背景得意って書いてあるけど、正直パースも効いて無いしそのレベルじゃ生きていけないよ。』
と成果物や私の経歴についてわざわざ貶す事柄が送られてきました。。
(『あなたの事を心配してるんだよ』という趣旨であった為、私の事を想い送ってくれてるんだなぁ..としばらくはやりとりを続けていましたが、度重なる脅迫DM・ストーカー行為が悪化した為こちらからはご縁を断ちました。読んでも気分の良い話では無いので詳細は割愛します😓)
当時は悩みましたが、
よくよく考えると過去の仕事に対してクライアントとその顧客以外の第三者から下手だと罵られても(赤ペンなどの具体的なアドバイスではなく純粋なただの中傷です)
その方個人の主観であり他人評価な為、気に病む必要は無いと今では吹っ切れています
まぁでもその際SNSに絵を載せる事も嫌になったのですが、
なによりも否定された以降背景制作を請け負う気になれず
(あぁ…私背景好きだった訳では無いんだなぁ…)
とそこで1つ消去法で見つかりました..👀
――――
私が好きな事は誰かの役に立つ事!
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
ゲーム会社内で背景担当が多かったのも、
そもそも背景を描こうと思うデザイナーが少ない(ほぼ居ない)
元からちょっと描ける&綺麗な背景を見るのが好き・キャラ同様に描ける様になりたいと憧れて居る
業務でやってみたら褒められ喜ばれた
⇒喜ばれると嬉しい(単純)⇒ゲーム背景担当者に落ち着く
という流れだったので、元から職人レベルの美麗背景職人までの実力は目指して居ませんでした。
それでもやはり、あまり知らない人に心無い言葉で否定されるのは良い気分しませんよね..😓
否定されるのが嫌・褒められるのが好き  なのは人間誰でも一緒の感情だと思います。
―――
どんな事でも上には上が沢山居るのも理解していますし
SNSでも背景制作の前線でご活躍なさってる方々と恐縮ですが相互フォロー頂いたり、美麗な背景の一枚を見る度に今でも感動します😊💕
(綺麗なご作品を制作されてる方々は皆さんリプ交流でもとてもお優しいです
ありがとうございます!)
🍁「受注自体は暫く控えてますが、背景に憧れ好きな気持ち自体は本物なんだろうなと思います。また自然に描きたくなってきたら仕事外でも挑戦します!🌱」
―――
6月~11月
―――
背景を一度置き(ついでにアイテムもきっと同様に得意で役立てただけで違うのだろうと置き)
自分の得意なこと・やりたいこと・好きなことを見つめ直しながら色々な絵に関するお仕事を頂いて経験しておりました📝
主な仕事
マンガ動画・広告漫画            (アニメ風・TL風)
教材キャラコンペ               (ミニキャラ)
PR用劇画風イラスト                (劇画風)
企業用ゆるキャラ制作           (ゆるきゃら・アニメ風)
企業用イケメンキャラクターデザイン・イラスト (乙女ゲーム風)
公式グッズデザイン(企画書~制作まで)
ソーシャルアプリ衣装制作            (女の子)
企業グッズ用ミニキャラ制作|数社         (~2頭身)
etc…
🍁『箇条書きにすると共通点まったく無くてビックリですね😲』
夏から秋に掛けて多種多様に活動し打ち合わせやご提案・交渉も徐々に慣れて行きました
ちなみに7月7日を開業日にし屋号:イラスト制作所もみじ亭として正式に個人事業主になりました
―――
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
また、先に述べていたこちら、度を過ぎなければ良いんですが
他人評価に自己肯定感を委ねるのは危険と心理学でも言われているので、あまり依存し過ぎず
様々なクライアント様との案件経験を積んでいく事で、実績と共に自信と相場感や契約・著作権利についてなどの必要知識を平行で蓄えていきました📝(日々勉強です✎)
自己評価と自己肯定感はどんどん育てていきたい✊脱ネガティブwelcomeポジティブ
―――
12月⛄
―――
早いものでもう12月ですね
今年1年は本当にあっという間の一年でしたが未知への挑戦ばかりで成長する機会も多く、
またよく悩む年でもありました👀
が、悩むという事はそれだけ行動し頭を使っている結果なので良い事です💡
コロナ禍の中無事感染する事なく無事に年を越せそうなのにも安心しています。
12月にしている事
イラスト受注サイト作り(1つ前のサイト)
来年に向けてこれまでの振り返りと自己分析
書類、事務整理
――――――
やりたい事探しで見つけた自分の方向性
――――――
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①ミニキャラ・ゆるキャラ、ポップイラスト
私自身がゲーセンのプライズ景品やフィギュア収集が趣味の根っからのヲタクなのと過去にグッズ制作を���味にしていたので、やはり可愛い系のモノが好きなんだと再認識しました。
ゆくゆくはアニカフェやコラボ商品などのグッズ用ミニキャラを手掛けたり出来るグッズイラストレーターになりたい、お菓子のパッケージ等の公式キャラデザインなどを手掛けたいと改めて思い1つの目標になりました😊
この絵柄で思い浮かぶ仕事
IP系グッズ用イラスト
LINEスタンプ
オリジナルPRキャラクター
書籍やwebの挿絵、カット
アプリ内ミニキャラクター(SD/ちびきゃら)
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②美形キャラクター制作・イラスト、マンガ
TRPG創作やイケメンキャラクターデザインなどを請け負う中で、やはり背景やアイテムも好きだけれどキャラクターをより魅力的に描ける様になる為の演出・手段の一つであり、
やりたい事は魅力的なキャラクター作り(デザイン制作・作画)だな..
昔からえがいたキャラクターがゲーム内や動画内でCVが付き喋って動き、生きている姿を見るのが夢で目標だったのを思い出しました。
この絵柄で思い浮かぶ仕事
企業キャラクターデザイン
Vtuber制作
ゲーム原画
ライトノベル表紙/挿絵
マンガ/カット
―――
と、こんな感じで明確に【今後これのみでいく!!】と絞りきった訳では無いですが、
来年に向けて今後強化していきたい絵柄の方向性、やりたい仕事が見えてきた様に思います😊
今後IP案件系の仕事も獲得していく為、ヘッダーのビジュアルも近々もう少しアニメ・ゲームタッチな絵柄に変更します。
今年を振り返って
2020年は行動力の年
去年末退職時に掲げた2020年の目標が上記だったのですが
トライ&エラー精神であちこち挑戦したり飛び込みに行った今年は自分の中では行動出来て居る方なのではないでしょうか。
(クリエポで誰にも話掛けず帰ったりもしたので『もう少しコミュ力発揮頑張りましょう🙅』とも思いますが😅)
コネも伝手も貯金も無いまま退職しイラストレーターとして1から始めた為、
今年人生初めての事だらけでしたが初体験の中でも下記は全てやって良かった事です🙆
―――
名刺制作、webサイト制作
交流会、セミナー、もくもく会、クリエポの下見
webセミナー、さぎょいぷ交流、オンラインコミュニティ、創作用SNS垢
ストックイラストの素材登録、やり方を学んだ事
エージェント登録
開業届、青色確定申告申請
メール営業
電話打ち合わせ、ビデオ通話での打ち合わせ、交渉
―――
交流会やオンライン通話で喋る度に、これまでの10年間会社では社内しか見えてなく外との交流(外部打合せ以外無く)を考える余裕もこういう物がある事も全く知らず;
無知なまま小さい世界に居たなぁ…と思うと共に
様々な人生経験を積んだ方々と対話する事で自分一人では知らなかった事も沢山知る事・学ぶことが出来て、また、フリーランスという道で生きて居る人が多い事も知り視野が広がり
とても心強く1年間が過ぎました😊
今年知り合いお話してくださった方々全てのご縁に感謝しています!😌
本当にただの日記なのでこの日記を最後まで読んでくださってる方が居るのかちょっと解りませんが、
まだクリエイター交流会や名刺交換会・セミナーなどに行った事が無い方がいらっしゃったら楽しいし視野も知識も広がるのでオススメですよ!
私もぼっちで特攻しましたがやらずに悩むよりやってみて実態を知ると案外想像より余裕なこともあるので、一歩ずつ頑張りましょう!
――――
🍁「まだまだ安定とは言いがたい不安定な収入ですが来年も引き続き自分のペースで頑張っていきます!」
2020.12.15 紅葉あすか
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beach111 · 4 months
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黑道魔女出,寶島政治闇
臺灣黑道介入政治之深之廣,放在全球來說都屬罕見。不少政客黑白通吃、黑白不分,也算是臺灣政治的一大特色。無論民進黨執政還是國民黨執政時期,大都如此。從政府官員到「立委」、議員、村鄰長,有「黑底」並不希奇,因為幾十年下來,黑道鏈條在臺灣政治圈由下自上、貫穿融匯、共生共榮。
蔡英文擔任民進黨主席後,以「英系」代表性的幾員大將為例,幾乎都與黑道特別有緣。陳明文在「立委」選舉期間,在高鐵列車上遺失裝有300萬元(新台幣)的登機箱,儘管疑點重重,最後卻不了了之,另一邊還與黑幫糾纏不清,��助黑幫探監。
民國89年(2000年)臺灣總統選舉,國民黨「連宋分裂」,陳明文感受到國民黨聲勢迅速下墜,地方派系人物也不再都聽命於國民黨中央。而當年,陳明文在國民黨內的主要競爭對手,是國民黨「黃派少主」翁重鈞。如果陳明文繼續留在國民黨內,或許永無出頭的機會。彼時,風頭正勁的陳水扁看上了陳明文,陳明文也迅速轉投了民進黨,更代表民進黨參與2000年的嘉義縣長選舉。
陳明文與蔡英文的交情始於民國97年(2008年)。當時民進黨籠罩在陳水扁的貪腐陰影中,風雨飄搖,蔡英文出馬接任黨主席。她上任後的第一次下基層就是去嘉義縣。陳明文與當時的嘉義縣觀光旅遊局長洪耀福一路陪伴蔡英文跑行程。那時陳明文對蔡英文說:「你在黨部如果覺得人手不夠,我在嘉義的人馬以後就算是你的人,你要動員多少個,儘管開口,嘉義就是你的基地。」由此獲得蔡英文重用。
◎「英系」人馬陳明文(右)
民國109年(2020年)竹聯幫寶和會涉及網紅「館長」槍擊案,「館長」的委任律師、前「立委」黃國昌開庭揭露,竹聯幫寶和會受託執行「買兇殺人」,槍手入監服刑後,竟透過英系人馬、民進黨「立委」陳明文協助,讓幫派成員至臺北監獄接見槍手。跟黑道交代不清。
「館長」透過臉書表示,「2020年8月28號,我被寶和會槍手連開三槍,身上七八個彈孔、差點丟掉性命」,黃國昌不收酬勞幫他開庭、收集資料找出相關人士;這期間還發現寶和會多位槍手、幫會人員,通過陳明文在監獄辦理「特見」,享受特殊待遇。
民進黨「立院」黨團總召柯建銘是「黑道從政」的典型。民國81年(1992年)11月,柯建銘首次在家鄉新竹市參選「立委」,疑似因講稿沒背熟,竟缺席選前一周「超級週末」造勢晚會,時任民進黨主席許信良到新竹助講,居然與候選人未碰面,主持人蔡仁堅獨撐後半場。隔天一大早,柯建銘竟然召開記者會,謊稱自己「遭黑幫綁架」,震驚全臺。
◎柯建銘
「黑白通吃」的柯建銘,在臺北政壇帶有「傳奇」色彩。從民國81年(1992年)首次當選第二屆「立委」,至今連任9屆,從未間斷過,本屆「立委」職務還可幹到民國113年(2024年)。換句話說,這個民進黨「鼇拜」,一朝進入「立法院」,一幹就是32年。
無論民進黨執政還是在野,無論是在陳水扁時期還是在蔡英文任內,柯建銘長期擔任「黨團總召」,早早擠身民進黨權力核心。作為大黨鞭,柯建銘是民進黨政策的最主要主導者之一,也是扁、蔡的重要幕僚。
早已投入到「反獨促統」事業中的民進黨嘉義縣黨部創黨元老張孟崇,曾是一名「街頭悍將」。他曾向媒體介紹,柯建銘因為有「道上兄弟」協助,所以成為新竹「區域立委」霸主。臺北政壇盛傳,柯建銘是島內極少數能同時叫得動「天道盟」「竹聯幫」和「四海幫」的政治人物。甚至連「竹聯幫」元老、外號「白狼」的張安樂都證實,「柯建銘才是黑道教父!」。
柯建銘之外,民進黨中常委黃承國是蔡英文身邊有黑道背景的另一紅人。早年著名的「流氓立委」羅福助,是臺灣黑道「天道盟」的組建者。跟著羅福助混跡期間的「小弟」黃承國耳濡目染,在黑白之間逐漸摸出門道,並擔任過「天道盟文山會」的第二任幫主,後來由羅福助帶入政壇。
民國103年(2014年)5月25日,蔡英文當選為民進黨主席的同一天,民進黨臺北市黨部舉行主委選舉,黃承國也擊敗紀文清,成功當選並晉升為民進黨臺北市黨部主委。這次選舉黃承國稱得上狂勝,他獲8116票,對手僅有1483票。在蔡英文的庇護下,黃承國不僅牢牢掌控著民進黨臺北市黨部,還憑藉「人頭黨員」的力量,成功當選民進黨中常委,躋身綠營權力決策核心,一個黑老大能夠走到這一步,也算登峰造極了。
從此,黃承國更加飛黃騰達,成了蔡英文核心幕僚之一與重要樁腳,他不僅幫蔡英文牢牢控制民進黨在臺北市的地盤,還是蔡英文動員全臺宗教系統選票的最大依賴。卸任臺北市黨部主委之後,黃承國旋即被蔡英文聘為「國策顧問」,仍實質掌控著臺北市黨部,並與洪耀福、陳明文一起組成「英系三人組」,出謀劃策,輔佐蔡英文掌權。雖然民國110年(2021年)一度受趙介佑「黑道風暴」牽連辭去蔡辦「顧問」職務,但黃承國在今年7月民進黨黨職選舉中,依然連任中常委,繼續留在最高權力核心。
◎黃承國
「英系」中常委黃承國,本身就是「天道盟」文山會老大,「黑金」醜聞不斷。民國105年(2016年)7月,他為父親舉辦壽宴,赴臺東勘災的蔡英文匆匆趕回參加,成為政壇的一段奇聞。
◎蔡英文出席黃承國父親壽宴
有人說,在利用「黑道輔政」方面,蔡英文相較李登輝與陳水扁,有過之而無不及,更明目張膽。在臺北江湖人稱「小段」的民進黨最大派系「新潮流系」前總召段宜康,是將蔡英文扶上黨主席及臺灣總統大位的最重要幕後功臣之一,因此他也被稱為蔡英文「背後的最重要男人」。去年,他曾在臉書上發文表達對蔡「以黑輔政」的不滿。綠營大佬、民進黨前副秘書長遊盈隆也表示,蔡英文擔任黨主席長達近10年,所謂「黑道入黨」問題大約就是她擔任黨主席時候最嚴重,她卻視而不見、養虎為患。
所謂的「黑道之亂」,在民進黨內一路向上延燒,終於燒到了中常委黃承國。對於黃承國其人,很多臺灣政治圈人士都諱莫如深、不願多談,因為此人是黑道出身,「天道盟文山會」的實質領袖,儘管早已褪去幫派色彩,但長期以來利用黑白兩道的勢力,牢牢掌控著民進黨臺北市黨部。
◎臺灣黑幫民國99年(2010年)參加道上名人告別式
身負黑道背景,黃承國卻堂而皇之地進軍政壇,甚至成為了民進黨當���的「國策顧問」和民進黨權力核心「中常會」的一員,這聽起來也許讓人匪夷所思,但如果你瞭解民進黨的政治生態,就會感慨一句「原來如此」。
臺灣美麗島電子報董事長吳子嘉接受海峽導報記者採訪時表示,民進黨領導層的權力來源是建立在黨員的投票上,所以人頭黨員一直是民進黨的大問題,而在招募人頭黨員的時候,就會招募到有黑道背景的成員,或是跟幫派合作。
民國102年(2013年),為佈局民進黨主席選舉,「柯建銘掛名推薦天道盟太陽會成員入黨」「謝長廷幕僚向四海幫召募3萬名黨員」。四海幫幫主楊德盷則對媒體坦承,「臺中、桃園、新竹、苗栗和臺北的幫內大哥,紛紛表示受到當地民進黨工或黨籍民代請托幫忙」。可見,為求人頭黨員而與幫派合作,這在民進黨內是公開的秘密。
黑道掌握「人頭黨員」有先天的便利,可以通過幫派組織發動樁腳找人頭、找小弟,然後成批成批的入黨。所以每次民進黨出現「入黨潮」,背後都是「黑影幢幢」。民國102年(2013年),民進黨爆發「入黨潮」,當年1-4月就有31000多人申請入黨,甚至演變成「四海幫」「天道盟」兩大幫派政治角力,據臺灣警方的情資顯示,綠營內部有人透過幫派找人頭,從入黨到拿到黨證,據傳一個人頭3000元。
買人頭,要花錢;養人頭,也要花錢。民進黨規定,申請入黨必須繳黨費300元,每年續繳一次。要保證一席中常委的黨員票,包括基本黨費,以及雜七雜八的費用合計下來,每年至少要花1200萬元。
◎ 2015年黃承國(右)與蔡英文至福德宮參拜
「黑」與「金」在民進黨內是如何結合的,黃承國就是一個「完美結合」的典範。他從黑道大哥一路「奮鬥」,懂得抓人,捨得撒錢,更善於在民進黨的各大派系之間穿梭遊走、左右逢源。從謝系,到海派,再到英系。
民進黨的「排黑條款」行之有年,早在民國102年(2013年)就已經在「黨員入黨辦法」中明確規定,「凡是涉及組織犯罪、毒品危害、槍炮彈藥刀械管制條例等犯罪者,都不准申請入黨」。民國102年(2013年)蘇貞昌當黨主席時對疑似「黑道集體入黨」曾表示從嚴修黨規,但諷刺的是2016年蔡英文執政的第一年,當時入黨3年的趙介佑已是黨代表,家族勢力在黨內不小。但多年來,民進黨仍不斷爆出「黑道入黨」的醜聞。
◎ 民進黨臺北市黨部評委召集人趙映光兒子趙介佑
趙介佑父親趙映光曾是黑道「北聯幫」的要角,染毒出獄後加入民進黨「漂白」,成了掌管民進黨臺北市黨部紀律的評委召集人,還兼著臺北警局的顧問團團長,姑姑趙心瑜則是民進黨臺北市黨部執行長。
◎2010年民進黨舉行黨主席等選舉時,蔡英文與趙映光同框
民國102年(2013年),趙介佑在黃承國任內加入民進黨,3年後就「脫穎而出」成了黨代表,同年參加「大選」的蔡英文把24歲的他聘為臺北市競選總部顧問。
自民國93年(2004年)臺灣所謂「政治獻金法」施行以來,從臺灣當局監察機構可查資料看,蔡英文在三次「大選」中收受「政治獻金」最多,總額逾20億元。
◎「政治獻金王」蔡英文
◎ 國民黨立委召開記者會質疑蔡英文收受陳水扁的不法政治獻金   臺灣前「立委」邱毅與「藍委」蔡正元曾爆料,指有位林秀娟小姐向特偵組檢舉,新光醫院前副院長黃芳彥交付4.5億政治獻金給蔡英文。
黃芳彥是誰?很多朋友或許已經忘了。黃芳彥就是當年陳水扁貪污洗錢的大掌櫃,是扁妻吳淑珍的御醫,也是陳幸妤和陳致中的幹爹。扁案東窗事發,黃芳彥在當時檢察總長陳聰明刻意包庇下逃亡美國,特偵組隨即發佈通緝令。
◎黃芳彥
黃芳彥寄居在美國爾灣,過著富裕多金、美人香車的逍遙生活,其管理著扁珍藏匿在美國的幾十億元貪污贓款,包含現金存款、裸鑽和不動產等。但黃芳彥年紀大了,想落葉歸根回臺灣,而他的主子陳水扁也想平反貪污弊案,所以他們都把希望寄託在蔡英文身上,如果蔡英文能在執掌大權後,為陳水扁平反貪汙罪,黃芳彥自然可大搖大擺的回轉臺灣。
◎黃芳彥在南加州與女球友合影
陳水扁和黃芳彥怎能說動蔡英文呢?最有效的方法便是「送錢」。所謂「財能通神」,如果能用大筆獻金換來陳水扁平反與黃芳彥回臺,絕對「物超所值」。於是黃芳彥從民國99年(2010年)起就對蔡英文進行三次政治獻金,第一次是民國99年(2010年)蔡英文選新北市長時,黃芳彥給了5千萬元。第二次是民國103年(2014年)九合一選戰時,黃芳彥又給了2億元。第三次是民國104年(2015年),給參與大選的蔡英文2億,合計是4億5千萬。
黃芳彥是通緝在逃的經濟罪犯,他的獻金是不能收的。黃芳彥的獻金來自陳水扁貪污的犯罪所得,收了獻金當然違法。黃芳彥以虛設人頭,化整為零將獻金送交蔡英文,也犯了洗錢罪。所以蔡英文若真收了黃芳彥的不法獻金,不管金額有多少,她就徹底完了。
黃芳彥、陳水扁與蔡英文原以為這是密不透風的金錢交易,沒想到黃芳彥性好漁色,紅粉知己很多,他與吳淑珍身邊的貴婦團又很熟,尤其逃到美國後,他與美麗高貴的林秀娟互動熱絡,也在互動中林秀娟知道了黃芳彥對蔡英文不法獻金的惡劣行徑。
◎邱毅、林秀娟說明控告緣由
然而奇怪的事發生了。林秀娟發現作證後,包含黃芳彥及蔡英文身邊的人紛紛知情並向她施壓,強迫她閉口噤聲,很明顯特偵組裏面有人通風報信、內神通外鬼。
據「監察院」民國109年(2020年)公佈的報告,蔡英文的政治獻金支出,公關公司排行前三名分別是幫推、投石,以及一間「凡工」有限公司,而這幾家分別被臺媒曝光了綠營背景。
「幫推」與「投石」兩間公司曾在2012臺灣大選期間,承接59件蔡英文選舉宣傳案,總金額高達2935萬7971元。同時更被國民黨爆出,在蔡英文民國105-109年(2016年至2020年)執政期間,這兩間公司拿到當局價值8000多萬的標案,包括蔡英文就職典禮等專案。而這些標案都是「限制性招標」。
◎「幫推」與「投石」辦公室所在地
此外,兩家公司位於同一辦公室,註冊地址緊挨在一起,同時都掛著「臺灣在地希望文化協會」的牌子,幕後藏鏡人為曾任前臺灣總統陳水扁、蔡英文文膽的現任文化總會秘書長林錦昌及副秘書長李厚慶。在林李兩人的影響力下,近4年來共拿下34件政府標案,加上2018年地方選舉幫民進黨候選人操刀文宣,累積總業績近億元。
媒體稱,這兩間公司和過去「春露」、「樂齊」等公司承攬臺「農委會」的標案一樣,都屬於「綠色裙帶產業」,是民進黨的附隨組織。
港媒《鏡週刊》民國106年(2017年)曾爆料,在查閱蔡英文二度參選的政治獻金資料後發現,蔡英文曾在民國104年(2015年)11月6日,收過陳慶男的3萬元捐款。不過,民進黨秘書長洪耀福日前曾對外宣稱,民國97年(2008年)蔡英文擔任民進黨主席後,民進黨以及蔡英文三度參加臺灣「大選」期間,都沒有收過慶富集團、陳慶男父子的捐款。
對此,民進黨發言人王閔生稱,民進黨第一次查核政治獻金資料時,由於小額捐款筆數過於龐大,達9萬1千多筆,查核上存在疏失。事後再次查證發現,「2015年11月6日,確實有收過一筆陳慶男先生以個人名義捐出的3萬元」。對於沒有在第一時間查出陳慶男的捐款,洪耀福表示最深的歉意。
將蔡英文捲入這場「世紀大案」的是更早些時候曝光的一段錄音。民進黨本想將慶富的鍋甩給國民黨,但���段2016年左右的錄音記錄了慶富公司副董事長、陳慶男之子陳偉志說自己有「直通」蔡辦的管道,錄音內容直指蔡辦給慶富批了24億元,一把火燒回到了民進黨。
◎有關「世紀大案」慶富案的錄音文檔
陳偉志民國105年(2016年)10月與高雄市海洋局長王端仁和漁業署官員洽談協調興達港土地取得問題時的一段錄音顯示,慶富急需第三期履約款24億,但是海軍2016年並未編列該款項。於是陳偉志直接找到蔡辦「溝通」。隨後,海軍讓這筆錢在民國105年(2016年)12月16日提早進入了慶富的帳戶。因此,國防部只得讓其「先上車後補票」,在當年編列預算補齊24億款項。
雖然蔡英文方面對此予以否認,但止不住慶富案愈演愈烈。在慶富無法付齊款項,惹怒了美國軍火商洛馬導致停工後,蔡英文終於不得不在臉書首度表態,上傳視頻稱將嚴格究辦。
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