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#藤田邸跡公園
lierrelearns · 4 months
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写真提供: 小田原市立図書館発行[一枚の古い写真]より
明治憲法と民法を起草、初代の内閣総理大臣 伊藤博文 (1841-1909) 1] 伊藤博文公胸像 (本町四丁目) 伊藤博文の別邸[滄浪閣]跡で[民法発祥の地]として知られます。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供: 国立国会図書館
幕末の志士で、宮内大臣等を歴任した政治家 田中光顕 (1843-1939) 2] 小田原文学館、3] 白秋童謡館 (南町二丁目) 田中光顕が構えた2棟の別邸を、小田原文学館と白秋童謡館として有料公開しています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供:多摩市教育委員会
三井物産等を設立した明治財界の指導者、大茶人 益田孝 (鈍翁) (1848-1938) 鈍翁in西海子(南町二丁目) 茶器など鈍翁ゆかりの品々を展示しています。 写真提供: 国立国会図書館
秋山真之と親父があり、海運業で財閥を築いた実業家 山下亀三郎 (1867-1944) 5] 対潮閣跡 (南町一丁目) 山下亀三郎の別邸[対潮閣]跡で、秋山真之の終焉の地です。後に、田中光顕の歌を彫った[釣鐘石]が置かれました。 *民有地ですので立入りはご遠慮ください。 写真提供:山下真一郎氏
福岡黒田家13代目、貴族院副議長を30年務める 黒田長成 (1867-1939) [6]清閑亭 (南町一丁目) 黒田長成が明治末期に構えた数奇屋風の別邸。周辺の庭園めぐりの案内をしています。 *建物は国登録有形文化財 写真提供: 国立国会図書館
日露戦争における仁川沖海戦等で活躍した司令官瓜生外吉 (1857-1937) 7] 瓜生海軍大将之像 (南町一丁目) 山角天神社の境内に瓜生大将の胸像があります。 8] 瓜生坂 (南町一丁目) 高台にあった瓜生外吉の別邸に通じていた坂道です。 写真提供:瓜生家
多数の詩や童謡を創作した国民的詩人 北原白秋 (1885-1942) 9] 木兎の家跡(伝肇寺境内)(城山四丁目) 北原白秋が大正7年から8年余りを過ごした[木兎の家]が伝肇寺境内にありました。 写真提供: 小田原市立図書館
皇族出身の陸軍軍人で、昭和激動期の参謀総長 閑院宮載仁親王 (1865-1945) 10] 三の丸外郭新掘土塁(南町一丁目〜城山四丁目) 閑院宮載仁親王の別邸跡。広大な敷地の一部は史跡小田原城跡の土塁に重ねっていました。 写真提供: 小田原市立図書館 H25.12 小田原市観光課
Vocab 提供 (ていきょう) providing, donating 発行(はっこう)publication 憲法(けんぽう) constitution 民法(みんぽう) civil code, civil law 起草(きそう) (drafting (a bill, etc.), drawing up 内閣総理大臣 (ないかくそうりだいじん)prime minister (of a cabinet government) 伊藤博文 (いとう・ひろぶみ)Itou Hirobumi 公 (おおやけ)official, governmental, formal 胸像 (きょうぞう)half-length portrait 別邸 (べってい)secondary residence, vacation home 滄浪閣 (そうろうかく)Sorokaku 発祥の地(はっしょうのち) origin, birthplace 民有地 (みんゆうち)private land ご遠慮ください(ごえんりょください)please refrain (from) 国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん)National Diet Library 幕末(ばくまつ)Bakumatsu period 志士 (しし)imperial loyalist samurai of the Bakumatsu-era 宮内大臣(くないだいじん)Minister of the Imperial Household 歴任 (れきにん)successive/consecutive jobs 政治家(せいじかん)politician, statesman 田中光顕(たんか・むつあき)Tanaka Mitsuaki 文学館(ぶんがくかん)literary museum 白秋(はくしゅう)Hakushu (see below) 童謡(どうよう)nursery rhyme 構える(かまえる)to build, set up 棟(とう)counter for buildings 有料(ゆうりょう)fee-charging 公開(こうかい)open to the public 有形文化財(ゆうけいぶんかざい)tangible cultural properties 多摩市(たまし)Tama City 三井物産(みついぶっさん)Mitsuri & Co. 設立(せつりん)establishment, foundation 財界(ざいかい)financial world, business circles 茶人(ちゃじん)master of the tea ceremony 益田孝(ますだ・たかし)Masuda Takashi 鈍翁(どんのう)Donnou, an alias he took on as a tea master 西海子(さいかいし)Saikaishi 茶器(ちゃき)tea utensils ゆかりconnection (to a person, place, or thing) 品々(しなじな)various articles 展示(てんじ)exhibition, display 秋山真之(あきやま・さねゆき)Akiyama Saneyuki 海運業(かいうんぎょう)shipping industry, marine transport 財閥(ざいばつ)zaibatsu, financial conglomerate 築く(きずぐ)to build up, establish 実業家(じつぎょうか)business, entrepreneur 山下亀三郎(やました・かめさぶろう)Yamashita Kamesaburo 対潮閣(たいちょうかく)Taichokaku 終焉(しゅうえん)end (of life), death; (peacefully) spending one’s final years 彫る (ほる)to carve, engrave 釣鐘石 (つりがねいし)Tsurigane-ishi (Hanging Bell-shaped Rock) 代目(だいめ)nth generation 貴族院(きぞくいん)House of Peers (Meiji constitution) 副議長(ふくぎちょう)vice-chairman 黒田長成(くろだ・ながしげ)Kuroda Nagashige 数奇屋(すきや)tea-ceremony arbor めぐり tour 教育委員会(きょういくいいんかい)board of education 日露戦争(にちろせんそう)Russo-Japanese War における in, at, on, regarding 仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)Battle of Chemulpo Bay (Feb. 9, 1904) 仁川(インチョン)Incheon 活躍(かつやく)activity, great efforts, active participation 司令官(しれいかん)commanding officer, general 瓜生外吉(うりう・そときち)Uryu Sotokichi 海軍大将(かいぐんたいしょう)admiral 之(の)of 山角天神社(やむかくてんじんじゃ)Yamakakuten Shrine 境内(けいだい)grounds (esp. of temples and shrines) 坂(さか)milestone; slope, hill 高台(たかだい)high ground, hill 坂道(さかみち)hill road 創作(そうさく)creative work 国民的(こくみんてき)popular on a national level 北原白秋(きたはら・はくしゅう)Kitahara Hakushuu 木兎(つく)horned owl (rarely used kanji form) 伝肇寺(でんじょうじ)Denjo-ji Temple 皇族(こうぞく)imperial family 陸軍(りくぐん)army 軍人(ぐんじん)soldier 激動(げきどう)turmoil, upheaval 参謀総長(さんぽうそうちょう)chief of general staff 閑院宮載仁親王(かんいんのみやことひとしんのう)Prince Kan’in Kotohito 外郭(がいかく)outer fence, outer enclosure 土塁(どるい)earthen walls 広大(こうだい)immense, huge, grand 敷地(しきち)site, plot, grounds 史跡(しせき)historic site
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oniwastagram · 1 year
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📸旧藤田邸庭園(藤田邸跡公園)/ Fujita-tei Garden Park, Osaka ——近代の大阪を代表する富豪“藤田財閥”藤田傳三郎の大邸宅の跡に開かれた都市公園。ベールに包まれた大阪市指定文化財の近代日本庭園も…。 ...... 「藤田邸跡公園」は近代の大阪を代表する実業家で藤田財閥の創始者・藤田伝三郎(藤田傳三郎)が明治時代に造営した大邸宅の跡に開かれた都市公園。 園内の一部に当時作庭された庭園が残り、「旧藤田邸庭園」として大阪市指定文化財(大阪市指定名勝)となっています。 公園の東には「曜変天目茶碗」など多数の国宝・国重要文化財を含む藤田家が収集した美術品が見られる『藤田美術館』が隣接(戦前までは同じ藤田家本邸の屋敷地)。 2022年12月に美術館を訪れた際に紅葉の残る公園にも立ち寄りました🍁 他の写真は @oniwastagram のプロフURLか以下のURLから。 大阪・旧藤田邸庭園(藤田邸跡公園)の紹介は☟ https://oniwa.garden/fujita-garden-park-%e8%97%a4%e7%94%b0%e9%82%b8%e8%b7%a1%e5%85%ac%e5%9c%92/ - - - - - - #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #kyotogarden #osakagarden #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #大阪建築 #庭院 #庭园 #藤田財閥 #藤田伝三郎 #藤田傳三郎 #都市公園 #文化財庭園 #大阪庭園 #近代日本庭園 #紅葉 #大阪紅葉 #おにわさん (藤田邸跡公園) https://www.instagram.com/p/CnW9cCdPv86/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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illaalli444 · 8 months
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
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関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸能―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の交差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよいのではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛八幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここでは兵藤の『琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。
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「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので注意。
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市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一が「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は調べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。
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近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオラマがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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tttetta · 10 months
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特別回: 長崎旅行編
今回の旅行を一言で: 旅のパートナーとしてのりおっぴは偉大。
7月2日
・お昼の便で成田から長崎へ。
・タイムズの72時間パックで新型ノアを借りる。
・旧香港上海銀行長崎支店記念館に行く。
・軍艦島デジタルミュージアムに行く。
・大浦天主堂とグラバー邸の目の前まで行くが、なぜか中に入る失せる。
・長崎孔子廟中国歴代博物館の目の前にも行くが、入場料600円の文字が目に入り、またも入る気が失せる。
・三八ラーメン大浦支店で皿うどんを食べる。太麺って言うの忘れてがっかり。
・日栄湯(入湯料400円)へ行った。良き。
・長崎水辺の森公園で車中泊。ワイン2本開けて死ぬほど酔った。どうやら、田村→川本隆史(zoomゼミ)→高野と通話をはしごしてたらしい。どうやって寝たか記憶がない。3mmくらい自己嫌悪。
7月3日月曜日
・出島和蘭商館跡へ行く。あまりの天気の悪さと二日酔いでぐでぐでになり、15分くらいで退散する。でも、めちゃおもろしかったから年パス買った。
・デイリーヤマザキの駐車場で2時間ほど横になって休憩する。
・長崎原爆資料館へ。有料の音声ガイド使ってみた。かなり良かった。これから博物館では積極的に使おう。その後近くに路駐し、3時間ほど昼寝する。
・出島和蘭商館跡にもう一度いく。なにせ年パス買ったから入り放題。無料ガイドツアーやってたから参加する。なかなか良かった。
・皿うどん食べる。今度は太麺。やっぱり味の素は偉大だ。
・別の銭湯(入湯料400円)に行く。前回のところもそうだったが、東京ではなかなかみられないノスタルジックな銭湯がまだまだ多く長崎には残っている。
・夜に山本と合流する。そしてこの日3回目の出島和蘭商館跡に行く。
・稲佐山展望台で、”1000万ドルの夜景”を見る。夜景って本来ブルジョワのものだって思ってるから特に��和感なかったけど、下品なキャッチコピーだって言われてハッとした。
というか、まさかこの夜景を二度も見ることになるとは、いやはや人生はわからん。
ちなみに前回はめちゃくちゃ見晴らしよかったけど、今回は濃霧でなにがなんだかって感じだった。
・道の駅 夕陽が丘そとめで車中泊。半額の寿司を3パックかって、地酒で流し込む。
7月4日月曜日
・遠藤周作記念館へ行く。
・音浴博物館へ行く。ここはめちゃくちゃ良かった。
・海上自衛隊 佐世保史料館 (セイルタワー)へ行く。
・500ml缶ビールを5本とスト缶1本を買い込み、佐世保バーガーも3つ買う。酒を3Lも飲んでバカなのかな。
させぼっくす99で車中泊する。結局カラオケ大会になった。
7月5日火曜日
・旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(市民文化ホール)へ行く。なかなか香ばしい展示だった。
・旧佐世保無線電信所(針尾送信所)へ行く。ヘルメット着用義務があり被る。あまりの顔のデカさにヘルメットが浮く。
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・途中蕎麦屋に寄る。帝国ホテルの元シェフがいるらしく、シャリアピンステーキを格安で食べることができた。もちろんそばも素晴らしい。
・四次元ぱーらーあんでるせんに一瞬寄る。たくさん人が並んでた。
・14:30のフライトで東京へ。
・帰宅してクタクタになったから、熱い風呂に入り酒を飲み優勝する。
・むくむくと気分が上がってきてジムに行けそうな気がしてきた。歩きの道中でpodcastsの収録もしてジムもする。ぼくって天才だ…!
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jackansai · 2 years
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2022年7月11日 藤田邸跡公園にて(第49回スケッチ同好会
藤田邸跡公園及び大川沿い)
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honda-shigekazu · 2 years
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藤田邸跡公園
感情の起伏に振り回されない生活は言葉と行動をそこそこ一致させることだと思う今日このごろです。
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japanisamazing · 7 years
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DSC07355 by MrSUIZOU http://flic.kr/p/SojY1T
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navetin · 2 years
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近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。 建築家も芸術家の内ではあるが、 ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、 また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。 このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。 ▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区        アトリエは太田の設計で採光に拘った作り 東郷青児邸  石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず        インターナショナルスタイルの「白い家」 吉田博邸   渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン 三岸好太郎  山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮         バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は        近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた 安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子 前田青邨邸  山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築        山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する       林芙美子邸  山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館        数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ 上村松園邸  西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町        現・唳禽荘(れいきんそう) 岡本太郎邸  坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館        岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同 吉村益信邸  磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ        前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった        通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ 東山魁夷邸  吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市        東山の依頼に基づいた簡素な住居 猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布        RC造3階建ての二世帯住宅 非公開 赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス        竣工時は屋根にニラがなびいていた その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが 吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、 好まれていた事が伺える。 ▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸  昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず        昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建        現・鏑木清方記念美術館 小林古径邸  昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築         現・小林古径記念美術館 川合玉堂邸  昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず 山川秀峰邸  昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず        昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸 山口蓬春邸  昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず        昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築        現・山口蓬春記念館(改修は大江匡) 梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術村に移築        昭和33 同地に新居を建設 その後は不明 吉屋信子邸  昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、 古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、 もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。 コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。 (例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と    岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、 公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、 たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。 モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。 その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。 ▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心  明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計       東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建 橋本関雪  大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計       現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館       画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた       昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される 横山大観  大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失       昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館       旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている 坪内逍遥  大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ) 山元春挙  大正10  大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計       現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう) 安田靫彦  大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計       昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず       昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内       経蔵・持仏堂・平唐門等を設計       昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館       天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計 朝倉文夫  昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計       8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館       中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている 柳宗悦   昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計       昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計 河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計        鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・河井寬次郎記念館 川端龍子  昭和13 大田区中央 画室を設計       昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成       昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計       昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計 堂本印象  昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の美意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。 素材や意匠など細���に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。 日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており 両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、 時を経て実現している。
20220108<加筆修正> 日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
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rnakabuchi · 5 years
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#plandosee さん色全開でした! #ザガーデンオリエンタル大阪 #旧藤田邸跡公園 #藤田男爵 #迎賓館 #大阪城北詰 https://www.instagram.com/p/ByyrvMtA8vS/?igshid=1vrs2grqjmwfa
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oniwastagram · 1 year
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📸藤田美術館庭園 / Fujita Museum Garden, Osaka ② ——19歳以下は美術鑑賞無料!国宝を9点所蔵、“藤田財閥”藤田伝三郎の志を現代に受継ぐ美術館の2022年に生まれ変わった庭園…。 茶室“光雪庵”や高野山から移築された多宝塔、世界遺産『東大寺』礎石と伝わる巨石も。京都 #中村清草園 作庭。 ...... 続き。藤田美術館の庭園で特徴的なところ…というより今回のリニューアルでおそらく最も大きかったポイントは《藤田邸跡公園との間にあった塀が取っ払われ、空間として繋がったこと》。 . 藤田美術館と藤田邸跡公園、かつては同じ藤田本邸があった場所ですが、公園は現在大阪市の都市公園なので所有者・管理者が異なる。その中で「空間を繋げた」ことは(視覚的にはもちろんだけど)歴史的な意味も大きい。 ちなみに公園の方が少しグラウンドレベルが高いので、公園側から見て「美術館が身近になった」感じがするんですよね。 . 多宝塔も公園側からも見え易いように今回15メートルほど曳家で移動。そして多宝塔が目立つけど、枯流れの始点にある巨石、これは奈良の世界遺産『東大寺』にかつて東大寺にそびえた七重の塔の基礎(礎石)だったと伝わる逸品! 東大寺の礎石と伝わる巨石は隣接する旧『太閤園』や奈良の国指定名勝『依水園』にもあった。 . 庭園の中央に建つのが茶室“光雪庵”🍵 藤田伝三郎の号“香雪”にちなんで名付けられたこのお茶室はかつて藤田邸内に存在した40もの茶席のうちの一つ“会庵”を再構築したもの。リニューアル前にも同名の茶室がありましたが、露地庭と共に今回装いを新たに。この露地の中・周囲にもいかにも古そうな礎石が点在…。 . 最後に、とても印象的だったのがエントランス・ロビーと『あみじま茶屋』。500円でお茶とお団子🍡をいただけるのですが、この茶屋だけを利用しに訪れている若者がとても多かった…! . 日本の古美術や茶道具を中心とした美術館にここ2〜3年多く訪れているのですが、その系統の私設美術館は正直「他にあまり人が居ない」ことがとても多い。 やはりそこに課題感もあるそうで、新しくなった藤田美術館は「名前こそ“美術館”だけれど、街の中でふらっと立ち寄っていただける場所」としての想いもあるのだとか。茶屋だけの利用でもOK、なのだけどなんと19歳以下はギャラリーへの入館も無料!(要証明書) . ほんと、入り口はなんでも良い。藤田美術館〜藤田邸跡公園へと繋がる和のランドスケープにも興味を持ってもらえたら嬉しい! . 大阪・藤田美術館の紹介は☟ https://oniwa.garden/fujita-museum-osaka/ - - - - - - #庭園 #日本庭園 #美術館 #建築デザイン #ランドスケープ #japanesegarden #japanesegardens #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #japanmuseum #artmuseum #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #大阪建築 #庭院 #庭园 #藤田伝三郎 #藤田傳三郎 #国宝 #茶室 #露地 #露地庭 #茶庭 #大成建設 #おにわさん (藤田美術館) https://www.instagram.com/p/CmiS9FDP8HY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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m-louis · 4 years
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蓮池や新緑の地に葉点描 May 11, 2020 at 17:48 #m4reflection -fresh green leaves become ground -by leaves pointillism -on the water lilies pond *** #haiku #575 #俳句 #写真俳句 #五七五 #pond #monet #bridge #reflection (藤田邸跡公園) https://www.instagram.com/p/CAH42hbASPg/?igshid=thw2ia8nom2p
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ichinichi-okure · 4 years
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2020.4.15wed_tottori
朝6:30起床。眠い。 今日は令和建設の現場へ出かける。令和建設というのは最近結成された建設会社で、「パーリー建築」というパーティーしながら建築する手法を編み出した宮原翔太郎くんと鳥取のナイスな大工兄貴、高藤さんが結成した会社である。各現場でバンドを組むように、ミュージシャン兼大工、木こり兼パエリア職人兼大工、DJ兼大工、ラッパー兼大工、そしておれのような本屋兼ファーマー兼大工(の真似事)のような人間を適材適所で現場へ招集し愉快に真面目に建築する。異様な時間と愛を壁に注ぐ左官屋(八田人造石)もバシっとした壁が求められる時にはやってくる。そのような愉快な仲間たちはそれぞれ独自の生活を営みながらこうして現場で会ったり会わなかったりしてお互いの近況を報告すると共に日当を稼いで暮らしている。
今回の現場は1月から施工している家で、大きな機械を使わずほぼ人力で丁寧に解体し、使える材は全て釘をキレイに抜き、瓦も割らずに保存し、土壁の土も仕分け、そして新たに建てるヤギ牧場の小屋へと生まれ変わる(という予定だった。計画は変更され、別のかっこいい小屋に転用された模様)。そのような、個人個人の生き方も建築物も尊重し、且つ使えるものはどんどん転用する柔軟さもある最高の建設会社なのでR。「ガテン」とはそもそも「合点」、ちょうどいいものをちょうどいい場所へ据える機敏を指す言葉であったらしい。
今日現場へ来ているのはミュージシャン兼大工のキョウちゃんと高藤さん。おれは今日と明日、この現場へ入って土間を打つ予定。コンクリを打つ為の下準備として土や石を取り除くのが今日の仕事。ザクザクした土の音、身体を動かして流す汗が気持ち良い。キョウちゃんは最近自宅の庭を開墾し野菜を育て始めたらしい。みんな畑をやり始めた。
おれは以前から借りている畑を「汽水空港ターミナル2」と名付け、誰でも来て遊べて食える公園として解放する計画を進めていたが、今回のコロナ騒ぎでみんな時間に余裕が出来、一方で収入は減っているのでみんなターミナル2の畑仲間に加わり始めている。本当に嬉しい。以前から呼びかけてはいたが、みんなそれぞれ生活に忙しく共に畑をやるまでに至らなかったから。これから関わる人たちみんなが食べても食べても食べきれない程の多種多様な野菜を協働で育て、茶室をつくり、zine図書館をつくり、友人の子どもらが遊べるようにブランコもつくる予定。子どもにとっても大人にとっても遊びになり、学びになり、さらに生きる糧ともなるような、そんな公園としてターミナル2を発展させていこうと思っている。だから最近の生活は午前中はパートナーの明菜、それからその時々の畑仲間と畑へ繰り出し、昼は弁当を持ってピクニックをし、そして午後は店の改装工事をする日々(汽水空港はたまたまコロナ関係なく改装の予定を入れていた)だ。金は徐々に減ってきているから、こうして時々建築現場へも出る。
休憩時間に高藤さんと我が家のそばの廃校跡地利用計画について話す。その廃校を最近畑仲間として加わってくれた友人カップル(一人は陶芸家でもう一人は溶接や木工の作家)のアトリエ兼公共工作スペースとして申請し、広い敷地には令和建設が日々生け捕り(まだ使える材をきれいなままストックすることを高藤さんはこう呼ぶ)する木材や家具、各種パーツ等を保管し販売もできる場所として使わせてもらおうという計画。この中学校のすぐ裏手に汽水空港ターミナル2があるから、もし計画が実現すれば工作スペースでは溶接や木工、陶芸などのモノづくりが出来、畑では土から食べ物をつくるという、ありとあらゆるものをつくる環境が整ってくる。これを是非実現したい。おれの尊敬する建築家、岡啓輔さんは常々「モノをつくる悦び」の素晴らしさを説く。おれはそれに影響を受けてきたし、実際小屋を建て、野菜を育てることでその悦びを知ってもいる。それは芸術家や職人だけに許された行為ではなく、全ての人に開かれている悦びだ。
昼休み、フジロッ久の藤原さんから電話があった。告知も出来ぬままコロナで中止になってしまったイベントのことについて。どうやら今回のことで飛行機代は払い戻しできることになったらしい。安心した。開催する予定だったイベントは「音楽をつくる」というテーマで参加者それぞれに「あなたが音楽にしてみたいと思う人生の記憶、感情、瞬間等を持ってきてください」と呼びかけ、それを藤原さんに即興で音楽にしてもらうという企画だった。家を建てることが全ての人に開かれた行為であるのと同じく、作物をつくることも、衣服をつくることも、料理をすることも開かれている。そこに音楽を奏でることも加えたい。自分自身がリスナーという立場で居続けるのではなく、生活の中でメロディをつくったり、人とセッションすることができたらどんなにいいことかと思うから。だけど果たして音楽というものがどうやってつくられるのか、つくればいいのか分からない。家を解体して建て方が分かったように、実際にその場で音楽家が音楽をつくるのを目の当たりにすることが一番良いヒントになるだろう。そんな意図で依頼した企画だった。今、みんなが自宅待機せざるを得ない世の中の状況を眺める程に、自分自身で芸術をつくりだしそれを楽しむということの重要性を確かめている。また時期を改めて必ずやりたい。
それからwhole crisis catalogという去年から汽水空港周辺で開催している企画についても話し合った。この企画は「CRISIS(困りごと)」を人と人とを結びつけるツールに、生活と政治を結びつけるツールにしようというような企画で、そもそもは3.11があって原発の是非を問うまでもなく答えが明確に出たと個人的には思っていたにもかかわらず、そこで意見が別れケンカになること、twitterのタイムラインにはいつも自分と同じ意見の人しかいないのに選挙になると毎回ガッカリな結果になること(選挙は毎回自分がマイノリティであることを自覚する機会にしかならない)、強い抗議の気持ちを持って何か行動したくても、鳥取という地方で官邸前のデモの様子をネット上で見守ることしかできないこと、自身の生活から政治へ投げかけることのできるボールがどこにも見当たらないこと、心優しい近所のじいちゃんばあちゃんが何故かずっと自民党を支持し続けていること(絶対政策とじいちゃんばあちゃんの願いマッチしてなさそうなんだけど…)、田舎の町で対抗文化やアナキズム精神強めの本屋を運営するということ(理解されないことからスタートするのが前提で、何事も時間がかかるということを学んだ)、意見することがかっこわるいと冷笑されること、政治の話しができないこと、それら全てのことをキッカケとし閃いたのが「じゃあ、あなたが現在困っていることはなんですか?」というシンプルな問いかけだった。困りごとに対して税金をどう分配するのか。それが政治であるというシンプルな立ち位置に戻ろう。そして世代とセンス、立場を超えてまずはお互いの困りごとを把握しよう。そして相互扶助での解決を試み、それでも解決できないことこそ政治へ意見として求めよう。理想やイデオロギーから政治を語るのではなく、あなたの/わたしの困っていることを基点に政治を語ろう。そういう会を日本各地で様々な人が開催したらどうなるだろうかというアイディア。『whole crisis catalog』とは文字通り、「全困りごとカタログ」と訳して欲しい。日本に暮らす全ての人々の困りごとが掲載された時に完成するカタログ。困りごとがこのカタログに掲載される過程で、隣人の困りごとに耳を傾けあう文化が生まれることを願い、それを解決する/できるという自信と実感を得る機会が増すことを願い、想像力だけでは知り得ない様々な病気、状況、立場があるということをお互いに知りあうことを願い、そして掲載された困��ごとが政治へ投げかけることのできるボールとなることを願いながら全ての人々とつくるカタログ。壮大で無謀な企画。藤原さんは面白がってくれつつも果てしなさや難しさも感じていて、思うことを率直に意見してくれた。もっと話したかったけど、昼休みが終わってしまった。また一晩中でもこの企画については語りたい。おれは自分の個人的な研究として、この活動がどう人に受け止められるか、広まるとしたらどうアプローチした時か、開催してから起きた出来事などを地道に記録していくつもり。
午後は施主のHさんがやってきて、みんな大好きプレミアムモルツをプレゼントしてくれた。ビール大魔王のキョウちゃんはたまらなく嬉しそうだった。おれも金ないのに田畑や大工作業をする最近は夜のビールが欠かせなくなってきた。ビールも自給したほうがいいんじゃないかとキョウちゃんと作戦を練る。
帰宅したら明菜がコロッケをつくってくれていた。塩で食べてもケチャップで食べてもうまい。つまみ食いで3つも食べてしまいやや満腹。 今日は畑でえんどう豆の支柱にネットをかけたりしていたらしい。畑も順調だ。
現在、汽水空港は改装工事中。工事が終わっても開けていいものかどうかと考え続けている。コロナとは緩やかに共存するしかないとおれは思う。すぐにではないがその時が来たら、みんな近所に引っ越してこないだろうかと期待している。その為にターミナル2を充実させ、田んぼも勉強している。そもそも田舎で本屋をやっているのは、「家を建てる余白もあり、作物をつくる為の土もありながら、都市が生み出すような人間の芸術に触れられる世界」をつくる為にやっている。動物のように巣をつくり、食べ物を採集or育て、そして芸術に触れる。それら全部ができないと、おれは生きるってことが細切れにされてるような気がして窮屈になる。何千回「なんでこんな田舎で本屋やってるの?」と聞かれたか分からない。そういう自分にとってちょうどいい世界が現時点では実在しないから、今つくってるところだ。
-プロフィール- モリテツヤ(33) 鳥取県 汽水空港店主 https://www.kisuikuko.com/
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jackansai · 2 years
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2022年7月11日 藤田邸跡公園にて(第49回スケッチ同好会 藤田邸跡公園及び大川沿い)
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2ttf · 12 years
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see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
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honda-shigekazu · 2 years
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藤田邸跡公園
気持ちの安定は丁寧な思考に必要不可欠だと思う今日このごろです…。
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