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#見ただけで逃げる三毛猫
ichinichi-okure · 7 months
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2023.9.29fri_yamanashi
こんにちは。マリンバ&ビブラフォン(木琴と鉄琴)奏者でシンガーソングライターとしても活動している 影山朋子といいます。
今回このような日記を書く機会を頂けてとっても嬉しい。最近文章を書いていきたいなと思っていたのでした! さて、初めに鷹取さんから日記のことでお声かけてもらったのは7月末のこと。2年前から突如ご縁ができて毎年通わせてもらっている大好きな能登半島のイベントに出演する日が候補日だったので、これは!と思い是非書かせてくださいとお返事し意気込んでいたところ、出発当日になって発熱しはじめ、抗原検査は陽性。泣く泣くイベントを欠席する事になりました。 それでも、日記は書きます!と申したものの、どんどん熱が上がり動けなくなり、コロナ舐めてましたごめんなさい!! ということでまた後日にとお願いしたのでした。
-コロナ罹患の思い出- 初めてのコロナ、3、4日寝続けるなんて何年ぶりだろう。熱が上がってだんだんと苦しくなってくるにつれて、 多分これまで何十年と溜め続けてきた、”ああ、私なんて・・” みたいな笑っちゃうほど自虐的な惨めな気持ちや不安が奥から奥からぐろぐろ出てきて( 笑 すみませ ん、、) 自分ネガティブキャンペーンがピークに達した頃、突如「あ、そういえば鬼滅の刃の新しいのまだ見てなかったな、何もできない今こそ見るのにぴったりやん」と思い立ち、 ネットフリックスで鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を一気観したのでした。 そうしたらば、どうでしょう、最後に出てくる上弦の鬼が、それはそれはみみっちい人(鬼)格で、自分は悪くないのに何故咎められるんだろう、自分はなんて可哀想なんだろうと、ずっと泣いているのでした。人を殺めるようなことをしても「私が悪いのではないです、この手が勝手にやったのです」と泣いているそのどうしようもなさ・・。
あああ~、私にも、こういうところがあるので、鬼を見ていて自分の悪いところそ っくりだなと思っていたら、炭治郎が鬼の首を切ったところで、自分の中の鬼も成敗されて付き物が取れたかのような爽快さとともに、コロナから回復して行ったのでした。 なんだかそれが面白かった初めてのコロナ体験でした。 うちは夫と猫二匹と暮らしているのですが、夫も同時にかかったので、かかる前と後で二人ともなんか取れた(浄化された)みたいで家庭の空気もすっかり良くなった のでした。 大変な思いをされた方が沢山いらっしゃる中で、ちょっとふざけた文章でごめんなさい。今も患っていらっしゃる方、後遺症などで苦しんでおられる方のご回復をお祈りいたします。
-河口湖猫LIFE- さて、前置きが長くなりましたが、今日、9月29日の日記を書いていきたいと思います。 昨年、八王子から山梨の河口湖に引っ越しをしました。週に2、3日、夫と一緒に東京方面に行き八王子に住んでいた時にしていたお仕事 (音楽療育やマリンバのレッスンをしています)を続けながら、それ以外の日はライブなどが無ければ山梨の家 で自分の仕事(音楽の作業)などをしています。
今住んでいるお家は山の入り口辺りにあり、目を覚ますと 一日の始まりに緑が揺れる素敵な光景を見ることができます。
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今日は曇りで見えませんが、ありがたいことに富士山がよく見える場所です。 最近少し涼しくなってきて嬉しいのは、起きた時、大概猫ちゃんが体の上に乗って いることです。
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今日は休みの日にしては早起きして、朝近所のカフェに用事に行き、帰りに河口湖浅間神社にお参りに行きました。
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こちらは杉の木が、ほんとにすごいんです、大き~な杉の木がたくさんそびえたっておられます。 神社の奥にまた立派な杉の木が並んでいます。
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鎮爆の文字。この地域ならではですね。
本当はこの神社から少し登ったところに 母の白滝、父の白滝という素敵な滝があってそこまで行けばとっても気持ち良いのですが 今日は作業があるのであきらめました。
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いつも行くわけではありませんが、今日はせっかくの日記の日なので、河口湖の人気のパン屋さん レイクベイクに寄ってパンを買って帰りました。なんだか優雅な気持ち。 天気が良ければパン屋の小窓から富士山が見えるみたい。
。 家に帰って、最近新しくできたルーティーン “もみ散歩” 飼い猫の紅葉(もみじ)の散歩に付き添います。
これはなんだかとっても、いい すごく癒される時間です。
今のお家に引っ越してから最近まで猫ちゃんは室内飼いにしていてお外には出さないようにしていましたが、 1ヶ月ほど前に外出を解禁したのです。(前の家では自由に外に出してあげていたので二匹ともお外大好き)
二匹のうち三毛の紅葉(もみじ)は、気高くナワバリ意識が強くて、喧嘩っ早く、 紅葉の娘猫の心(ココロ)は気ままでマイペース、外の猫ちゃんに遭遇しても臆病ですぐ逃げ帰ってきます。
お外に出すようになって二日目のこと、紅葉が外の猫ちゃんと喧嘩しめちゃめちゃにやられてゼーハー言って帰ってきたのでした。 お腹と脇の下が傷だらけになってそれはそれは可哀想な状態でした。 とても心配でしたが、1日静かに寝てから動物病院に行き、抗生物質を飲ませて3日ほどすると回復し始めてもう薬を飲まなくなり、 1週間くらいで大分元気になりました。
もうお外に出すのは無理かなと思っていたら、懲りずに、、外に出たくて窓のところでドアを開けようとするのです、 傷がすっかり消えたところで、また外に出してあげる事にしました。 でも外猫ちゃんと遭遇したら、また喧嘩しかねない・・ プライドの高い紅葉はきっと・・危ないなと思い、 紅葉の散歩は毎回付き添う(というか見張るというか様子を見る)事にしました。
まずお外に出てプラプラ、日向ぼっこしてごろごろして、お気に入りの場所と縄張りを一通りパトロールして、 そして、草を食べます。(可愛い・・)
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(手頃な草を探す紅葉)
( 実は、紅葉が草を食べ終わったくらいのところで、「もみちゃんそろそろおうち 戻るよ。私仕事しなくちゃいけないからね」 と言って抱っこして無理やりつれて帰ろうとしたら シャーって怒られて噛みつかれて逃げられました、、 その後に、おトイレをしてから自分で家に戻ったのでした ) ああやっぱり大人の(人間の)都合で動かそうとしたらダメなんだなぁ。 待つことや ちょっと遠目で見守ること 大事なんですね~ (人間の子どもと同じですね~)
おかげで紅葉の散歩ルーティンや行動パターンがわかってそれはよかったです���安心しました。
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(お外やベランダで気ままに過ごす猫ちゃんたち) ああ可愛い。
ギターとシタール演奏のほか映像作家もやっている旦那さん(田井中圭)が、細かい 作業を手伝ってくれてめちゃくちゃ助かりました。 ありがとう!!!
家で仕事をしていると猫ちゃんたちがそばで応援してくれる時もあります。
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時々ベランダに出て休憩していると見たこともない綺麗な虫たちをよく見ます。 この辺りの虫はだいだいキラキラ光っていたり、透明に透き通っていたりして、綺麗です。
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そうして夕方、またお外に行きたい猫たち。
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私も体がガチガチになってきたので、家の周りを一周歩いたり走ったりしにいきます。 すぐ近くに川が流れているのでそこに行くとすごくリフレッシュできます。
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大分日が暮れてきました。 家には、浅間神社のコノハナサクヤヒメのお札(というのでしょうか・・?)と、 夫がインドで買ってきたサラスヴァティーと 能登半島の天日陰比咩神社のハガキを飾って(祀って)います。
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夜、旦那さんが外で草を摘んできて紅葉にあげていました。 可愛い・・
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さて、もうそろそろ寝る時間です。
とても平和な1日でした。 読んでくださりどうもありがとうございました。
本当は、河口湖や富士山周辺のおすすめスポットもご紹介したかったです。 忍野八海や、樹海や、道の駅や、温泉・・ 楽しいところがいっぱいあります。
そのうち、家で自然療法(蒟蒻湿布や石の温灸やよもぎ蒸しなどでの身体のあたため)と楽器の音でのサウンドセラピーのようなことと、 山や川、河口湖周辺の散策などをするリトリート的なことをやっていきたいなと思っています。 ご興味ある方いましたら声かけてください。 まだ準備中ですが、ひっそりと、”森のおとリトリート”というインスタグラムアカウントを作りました。 https://www.instagram.com/morinootoretreat/
こちらに引っ越してから、だんだんとやりたいことが自然とできるようになってき ました。 ありがたい。 カバー動画もやっていきたいし、 音楽以外にも、やりたいことが沢山あり、デザインやグッズ制作、文章も書いてい きたくてnoteも始めようと思っています。 楽しみ。
とりあえずは!! 11/15に、マリンバの弾き語りでのセカンドアルバム(8曲入り)をリリースいたします。 ゲストミュージシャンに夫のシタールの田井中圭と、クラリネット奏者の渡邊一毅 さんを迎え一曲ずつ参加してもらいました。 よかったらこちらSENSAさんに詳しく情報掲載いただいているのでご覧ください。 https://sensa.jp/news/20230927-kageyama.html
リリースパーティは!!ゲストミュージシャンのお二人と、シンガーソングライター のkiss the gamblerちゃんを迎えて 恵比寿リキッドルーム二階のKATAで開催します。 世田谷の美味しい硴とお酒のお店 アリク が 硴めしや、炊き込みご飯などで参加してくれます!! ぜひ遊びにきてください♪ 詳細こちら https://t.livepocket.jp/e/tampopo
ええと、こんなことを書いている今。夜寝る前。 ふと見ると室内にいるはずの紅葉がベランダに・・! 窓の網戸用鍵はかけてあるのになぜ?! と思ったら、なんと網戸を破いて外に出ていました。 恐るべし・・
-プロフィール- 影山朋子 1982年6月 神戸生まれ 11年間の東京生活の後、昨年より山梨県富士河口湖町在住 マリンバ・ビブラフォン奏者、シンガーソングライター、 風と木の音楽教室主宰(八王子と河口湖でマリンバのレッスンをしています) ときどき療育のお仕事にもたずさわっています。 HP https://www.tomokokageyama.com twitter https://twitter.com/momotukituki instagram https://www.instagram.com/tomoko_kageyama632/ 風と木の音楽教室 https://kaze-to-ki-music.webnode.jp
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4komasusume · 2 years
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夢見るままに待ちいたり。クトゥルフ4コマが熱いーーぽんとごたんだ『ギャルとクトゥルフ』 ぱんだにあ『ねこのクトゥルフ』
 『クトゥルフ』
 果たして本当にこの発音でいいのかわからない。私はこの名を何度口にしたか、この名を口にするたびに私の中で何かが崩れていく。今この文章を書いている私は昨日の私と同じなのだろうか?だが書かねばならない。あの異形のものとの日々を。私が見た全てのものをこの手記に残す事にした。
 なんちゃってコズミック・ホラー風で初めてみました。今回は『クトゥルフ』をモチーフにした2作品を紹介します。
 ぽんとごたんださんの『ギャルとクトゥルフ』とぱんだにあさんの『ねこのクトゥルフ』です。
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ギャルとクトゥルフ(1) (星海社コミックス)
posted with AmaQuick at 2022.07.23
ぽんとごたんだ(著) 講談社 (2021-10-08)
Amazon.co.jpで詳細を見る
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ねこのクトゥルフ (ビームコミックス)
posted with AmaQuick at 2022.07.23
ぱんだにあ(著) KADOKAWA (2022-07-12)
Amazon.co.jpで詳細を見る
 今ではかなり知名度を得ているクトゥルフですが一応説明しておきます。クトゥルフはアメリカの幻想作家ハワード・フィリップス・ラブクラフトにより創造されたキャラクターです。海底都市ルルイエで眠りについていて時折覚醒するのですが、この時クトゥルフと同調した人間は精神がぶっ壊れます。完全に目覚めると人間は滅びるという邪神です。ラブクラフトの死後、弟子であるダーレスを中心にクトゥルフを含めたキャラクターと世界は広がりを見せ「クトゥルフ神話」として確立していきます。日本には1950年代に江戸川乱歩が連載していたコラムで紹介されたのが本格的な上陸のようです。その後の日本での広がりはクトゥルフ神話について多数の著作を持つ森瀬繚さんのインタビューが参考になります。
クトゥルー神話って日本でどう広まったの?『デモンベイン』が安心感を与え、現代怪奇としての『クトゥルフ神話TRPG』がニコニコ動画にマッチし、『ニャル子さん』がブーストさせた【インタビュー:森瀬繚】
 日本ではホラー、伝奇ジャンルのクトゥルフ神話に加え、もう一つ萌えとコメディ路線をいくクトゥルフ神話が生まれました。大きな影響力を持ったのが、逢空万太さんのライトノベル「這いよれ!ニャル子さん」とアニメですね。詳しくはこちらを参考にしてください ラヴクラフト最大の誤算。 今回紹介する2作品もニャル子さんが広く一般に認知させたジャンルに連なる作品だと思います。ラブクラフトが提唱したコズミック・ホラー(宇宙的恐怖)において、クトゥルフ神話の神々に対し人間は理解も対話もできないし接触すれば精神が崩壊する存在でした。ニャル子さんではコミュニケーションがとれます。クトゥルフ神話の神々に人格を与えているのです。人格を与えることで異質だけど人の理解の範疇にある存在にできる。俄然キャラクターとして動かしやすくなったのです。
 軽くですがクトゥルフとクトゥルフ神話について説明しました。では作品の紹介にいきます。
『ギャルとクトゥルフ』現在2巻まで発売されています。
 新人アイドル稲葉ふたばがペットタレント戦略を取ろうとペットショップに行きますが、予算が足りずに萎えていたところに一人の男が差し出したイカともタコとも見える緑色の生き物をもらいます。これこそクトゥルフです。ふたばが背を向けているとクトゥルフは世にもおぞましい姿に変化して彼女に襲いかかるのですが…。
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 なんか受け入れちゃいました。この変化を成長期と捉える残念な思考にくーぴんと名付けられたクトゥルフも毒気を抜かれ、ふたばとの生活を受け入れます。クトゥルフの影響を受けないふたばとクトゥルフがトラブルメーカーになり、ドタバタを起こしていくコメディ作品であるのが、最初のエピソードを読むことでわかります。
 クトゥルフ神話をネタにしているので読者に知識があればあるほど、笑いの深淵を覗くことができます。
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 くーぴんが「ボェ〜」と鳴き声を出しています。これはクトゥルフは人の神経を逆なでるオーボエのような声を発するという設定から来ています。鳴き声を聞いた人が苦しんでいるのはネットスラングでいうSAN値チェックに失敗した状態です。(余談ですがSAN値チェックは公式TRPGクトゥルフの呼び声にはないのです。4コマめの人たちはルール的には正気度ロールに失敗したというのが正解です。詳しくはこちらでSAN値 )
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 ふたばがペットアイドルとしてデビューするためにTwitterにくーぴんとの写真をあげた時の人々の反応。3コマめは3分割されて様々な反応を見せています。一番左のコマの人たちだけ歓喜の雄叫びをあげていますが、この姿を見て思い浮かべるのは「ダゴン秘密教団」と「深きものども」たち。ラブクラフトの短編小説「ダゴン」と「インスマスの影」のネタです。ちなみにクトゥルフの姿を直視した人間は発狂してしまいます。
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 ふたばはこのフードを被った人からオフ会に誘われます。彼のTwitterアカウントが「DEEP@」です。深きものの英語名であるディープワンから。
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 オフ会終わりに大量の魚をお土産に持たせてくれるのは、深きものどもと契約すると魚や金を得ることができるというネタ。
 このようにクトゥルフ神話の元ネタを知っていると作中に散りばめられたネタの数々にニヤリとでき笑いの深淵を覗くことができるのです。
 先にクトゥルフ神話の「這いよれ!ニャル子さん」で説明したクトゥルフの神々に人格を付与することで、キャラクターとして動かしやすくなる。これを『ギャルとクトゥルフ』でも用いています。一見すると何を考えているかわからないくーぴんですが、怒り、嫉妬、喜びなど感情が見て取れます。
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 このシーンではダイレクトに「寂しい」とふたばに訴えかけ、クトゥルフに可愛さを感じることができるのです。
 さらにクトゥルフ以上に人間くさいキャラクターが登場します。
 ハスターです。風の神々のトップに立つ存在で元ネタでもクトゥルフとは敵対関係にあります。『ギャルとクトゥルフ』でもふたばの元にいるクトゥルフを監視するために姿を変えて人間界に潜伏します。
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 その姿がハムスター。ハスターがハムスター。いくら凄んでもハムスター。可愛いです。結局ハスターも人間に飼われる立場を満更でもない気持ちになっていきます。元々クトゥルフと敵対しているため人間に協力的である神なので、人に近い人格がハスターには付与されているのでしょうか。
 『ギャルとクトゥルフ』はコメディ作品だから成立するクトゥルフたちのマスコットキャラクター化に成功しています。そして人格を付与することで異種族交流作品に仕上げているのです。とはいえ作品全体に謎はあります。ふたばにクトゥルフを譲った存在と何故ふたばは邪神たちの影響を受けないのか。その謎を知っていそうなキャラが登場します。
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 彼は「I am CUPIN」という言葉を残します。果たしてクトゥルフによるパニックの真相を知っているのか。これからの展開が楽しみです。
『ねこのクトゥルフ』
 猫キャラクターの4コマといえばぱんだにあさん。今回はクトゥルフ神話の神々を猫にしました。
 作品はクトゥルフ神話をモチーフにした不条理4コマと言えましょうか。ただこの不条理もクトゥルフ神話をネタにしているのが大きいです。コズミック・ホラーにユーモアを加えたのが『ねことクトゥルフ』と言えます。
 元々ウルというねこを飼っていた少年がクトゥルフを新たに飼いはじめてから次々とクトゥルフ神話の神々ねこと邂逅していき、奇妙で冒涜的な世界に足を踏み入れていきます。
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 ぱんだにあさんがクトゥルフの神々をどうねこ化しているか見てみましょう。実際の神々の解説とのリンクを貼っておくので比べてみてください。
クトゥルフ
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 名状しがたき声で鳴くがしいて言えばにゃあとも聞こえる。頭足類に顎鬚のような触腕と蝙蝠の羽をつけている緑色のねこ。寝起きの悪さは恐怖そのもの。肉球の代わりに吸盤が付いていて匂いを嗅ぐと三日間人事不省になるエグさ。ちゅる〜というねこ用おやつが大好きであげると機嫌が良くなる。
 ハスター
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 黄色い長毛種に見えるが実は触手。死体安置所を這い回る芋虫の音のような鳴き声をするけどしいていえばにゃあと聞こえる。少年に非常に懐くが、クトゥルフとの仲は最悪。出会ってそのまま大喧嘩をして危うく地球が滅びそうになるが、ねこ用おやつのちゅる〜で仲直り。ちゅる〜最強。
 ヨグ=ソトース
 虹色の毛玉を持つねこで狭いところが大好き。あらゆる可愛さが同時に存在する最強ねこ。虹色の毛玉は数多のねこを浮かび上がらせる。あとで出てくるシュブ=二グラスとも仲良し。
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 ニャルラトホテプ
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 漆黒のねこ。喋る時だけ浮かぶ白い口が印象的。少年に色々アドバイスをしてくれる。ていうかしゃべるんだ。飼い主は星の智慧教会の神父ナイ。この男も漆黒でしゃべるときだけ浮かぶ白い口はニャルラトホテプとそっくり。どこか人をバカにしたようなところもある。なんか面倒くさい人。
 シュブ=二グラス
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 グレーの体に可愛い顔をしたねこ。地属性を持ち地母神として崇められていた色々な神の妻であり母なねこ。ゆえにクトゥルフとハスターから絶大な好意を向けられるモテモテねこ。あらゆるものと子供を作ることができるので、あっという間に子猫だらけに。
 ティンダロスの猟犬
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 「角」を好み不浄を好む犬…だと思う存在。4本足で歩行するし息遣いも犬っぽいから多分犬。狙った獲物は逃さないが、球体に覆われているところには行くことができない。
 アザトース
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 町を覆うほどの巨大なねこ。周りには従者ねこがいてアザトースの無聊を慰められ眠り続ける。世界はアザトースの見ている夢なのでアザトースが目覚めれば世界は消える困ったちゃん。
 クトゥルフ神話の神々の特徴とエピソードを絶妙な具合でねこにして描いています。『ねこのクトゥルフ』はクトゥルフ神話とラブクラフトが提唱したコズミック・ホラーの知識があればあるほど作品世界を楽しめることができます。自分が最初にクトゥルフ神話に触れた30年前のブームの時には成立しなかった作品だと思います。クトゥルフ神話というものが娯楽の中に浸透している今だからこそこの『ねこののクトゥルフ』は世に生まれたのではないでしょうか。
 ネタバレになるので書けませんが、ストーリーの締め方が非常に秀逸です。なぜクトゥルフたちがねこなのか、なぜ少年の元に集まったのか。真実を知った時は声を上げてしまいました。各4コマエピソードが重なり合い、全体のストーリーを仕上げる。読み終わった後のカタルシスは格別です。
ぱんだにあ作品ではすいーとポテトさんが紹介した記事もありますのでこちらも読んでみてください。
モンスターのイメージとネコあるあるネタの巧みな接続――ぱんだにあ『ねこもんすたー』
 今回はクトゥルフ神話とそれをモチーフにした4コマを取り上げました。30年以上前にクトゥルフ神話を知った時にここまでメジャーな存在になるとは思いませんでした。メジャーになったからこそ、説明なくクトゥルフを扱った作品が次々と生まれるのでしょうね。これからも色々なクトゥルフが生まれてくることを期待しています。
(量産型砂ネズミ)
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画像出典 星海社 『ギャルとクトゥルフ』電子版 1巻P7,P8,P11,P13,P37,P40 2巻P10 1巻P112 
KADOKAWA『ねこのクトゥルフ』電子版 P7,P6,P17,P32,P43,P63,P97,P107 
掲載順
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過去ログ
うたよみんからの引っ越し分
2018/12/15 14:45 陽光に 目もくれずただ ストーブの 息遣い聴き 机に向かう
2018/12/16 00:44 午後三時 夢に呑まれる 子羊に 響き導く 白墨の硬さ
2018/12/18 00:38 傲慢な ブルーライトを 耐え抜きつ ホットミルクの 白さたるや
2018/12/18 21:10 向いてない 言われなくても 分かってる 理由は知らぬ 止まれないだけ
2018/12/20 21:17 正論と 空気の狭間で 揺れ動く 振り子の君が 眩しくもある
2018/12/21 23:49 日中は 行方も知られず 夜嗅げば ただおひさまが 匂いたつのみ
2018/12/22 00:00 颯爽と 一段飛ばしで 駆ける朝 ドアに手を掛け 鐘の音は今
2018/12/22 08:23 先生に 黙って外に 駆け出した 真昼の家路は 忘れ物のせい
2019/01/05 20:38 今日もまた ヒートテックに 包まれる
2019/01/05 21:08 待ちかねて 夢に流れる 四分儀座 光芒数えて 目覚ましを待つ
2019/02/01 00:39 宵闇と 時雨に惑う カップルに 我手渡すは 傘の一本
2019/02/01 00:47 雨宿り 六年越しの 君と僕 ぽつりぽつりと 雨垂れと言葉
2019/06/07 20:31 なにもかも 春から変わった 生活と 何も変わらぬ ただの日���
2019/06/13 02:28 形ある ものは壊れる だからこそ 創り続けて 命を燃やす
2019/07/04 08:53 朝ぼらけ 車窓にかかる 雨の御簾 ホームで我待つ 彼は誰か
2019/07/06 22:52 サイダーの 氷を通して 覗く夏 鋭い陽射し 水底に沈む
2019/07/08 00:22 家路にて 時計の針が 十二を指す 七夕が明け 一つ歳をとる
2021/11/17 23:12 さようなら 今日もばっさり 黙りこむ そんなにうまく 生きられやしない
2021/11/17 23:24 空っぽを 埋める何かを 探さなきゃ そんなものはない 分かってるけど
2021/11/17 23:43 「皆のため」 勝手に背負って また潰れる みんなって誰 お前の勝手
2021/11/18 09:37 一つずつ 握りつぶして 忘れつつ 今日も死んでく 心の冷たさ
2021/11/18 23:33 瞼閉じ そっと煮詰める 怨み節 訳は忘れた 空虚な怒り
2021/11/20 23:04 正しさを 正しさ故に 呑みこめぬ 縺れた筋を 綴じ渡りゆく
2022/01/16 15:44 爪先の 三日月の距離を 育んだ 怠惰の夜を 数えて眠る
2022/01/16 15:51 生きるのが ヘタクソなので 仕方なく たった1ミリを もがいて進む
2022/01/16 16:02 わたしには 出せない声の 歌を聴く いいねを押せた 多分成長
2022/01/16 16:06 才能や 美声や美貌が なくたって もう悔しくない これも成長
2022/01/16 22:05 分からない ここに水だけ 置いとくね 傷の形は 人の数だけ
2022/01/18 20:26 器から 千々に溢れる 情動を 取りこぼしても 強くなりたく
2022/01/26 01:25 なりたくて 強くなってる わけじゃない 強くならなきゃ 自由になれない
2022/02/02 22:28 フィクションじゃ 足りないほどの 非日常を 現実に起こす 力が欲しい
2022/02/02 22:43 空想を 泳いだからだ いなのめの 明け去りにける うつつを歩く
2022/03/08 02:12 マンションの 廊下の灯りの せいにした 眠れぬ夜の 理由は追わない
2022/03/08 02:24 春の風 脳裏の声も 吹き荒れる 身から出た錆 ぬるま湯の日々
2022/03/10 00:33 緩みくる ぬるりとした陽が 満たす道 梅の木陰に 猫を探した
2022/03/11 21:34 ESの 虫食い眺め 席を立つ 身体にないこと なんて書けない
2022/03/11 21:38 本を読み ボランティアをし 自己分析 全ては歯抜けの ESのため
2022/03/12 01:20 もう二度と 戻らぬそれを 青春と 呼んだりしないで そっとしておく
2022/03/12 01:35 もう今日は 頑張れないから 逃げ込んだ IFの空想 焼増しの世界
2022/03/12 23:33 テストなら そこそこ優秀 だったけど メールのひとつも まともに書けない
2022/03/25 00:28 四月朔日の 名残の雪に もの思う 死出の門出に 遅れたさよなら
2022/03/25 00:41 まあどうせ 全てが過去に なるならば 今の怠惰を 殺してほしい
2022/03/25 00:44 追いかけて 追いかけただけ 疲れたから 追うのはやめて 勝手に歩く
2022/04/01 13:41 何の木々とも 見ぬ枝を あれは桜と 知るころの来る
2022/05/22 22:08 定まらず 虚しくあくがり 腹が立つ 意識にリードを つけておきたい
2022/05/22 22:10 人はみな 嘘をつくって 知ってるので 自分を一番 信用しない
2022/10/27 01:21 深い影 厳しき気配 換毛期 冬の支度の 合図なりけり
2023/01/18 11:05 来年はと 年末にした 祈りごと 絵空事へと なりかけている
2023/01/18 11:16 短歌とは 私の生を 生きる呪文 ここで生まれて ここから生きて
2023/01/18 11:24 「本当に  大事なものは  失って  初めて分かる」を 今じわりと知る
2023/01/18 13:24 支え手の 労苦の土地に 寝そべりて ただまほろばの 夢を見ていた
2023/01/19 01:47 草の実を 集めて進め ヤギの群れ 厚き毛並みに 冬は来にける
2023/01/19 01:54 もう少し 頑張りたいから ここからは インターネットに さよならを言う
2023/01/19 02:02 つながりが 鬱陶しいよ 本当は cellular dateを オフにしちゃいたい
2023/01/19 03:25 人生の 全てを誰かの せいにして そんな気持ちを 閉じ込める夜
2023/01/19 03:30 ルサンチマン 蹴散らし歩け 人生は きっと短く 戻らないから
2023/01/19 03:33 自分には 厳しいくらいが ちょうどいい 甘やかしても つけあがるだけ
2023/03/27 00:03 道のりを 陽炎の日々と 偲びつつ この歩を祝えよ 門出の桜
2023/03/29 08:17 車窓より  雪かと仰ぐ  愛宕山  弥生の白は  桜なりけり
2023/4/28 1:07
陽に灼かれ 花白みくる 雛罌粟の 俯きに似た 諦めの味
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shukiiflog · 6 months
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佐伯光(Saeki Hikaru)  → 雪村光(Yukimura Hikaru) W小学校→M中学校 最終学歴、おそらく高卒 36歳前後 11月5日生まれ 蠍座 身長143㎝ 体重32kg B型 夫・雪村真澄 息子・雪村絢 (亡父・佐伯岬  亡母・佐伯昴  義父・佐伯春輝) (※小学生の頃に、父・岬が海外のテロで死亡。その後、昴が春輝と再婚。昴が岬のあとを追うように持病を悪化させて死亡。血の繋がらない春輝は光を代理ミュンヒハウゼン症候群の犠牲者に選んだ) 髪の色:黒 目の色:黒に近い焦げ茶色、陽にあてると薄くなる(水っぽい体質。涙や体液で眼球が常にキラキラ光る) イメージ:りす(By絢)、人形、鈴、七五三の着物を着た童女、ハーバリウム(液体に漬けられた標本)、レオナルドダ・ヴィンチ、ポロック(後期)、ダリ「ポルトリガトの聖母子」
天真爛漫。素直。 自我が強く、いつも謎の自信を持って迷いなく行動する。 快感や快楽を好む。作り出すことも好むが作ったあとのことを考えていない。 向こう見ずで、危険を想定するより前に好奇心と興味が大きく優って動いてしまう。高いところに登って降りられなくなる猫のような感じ。 物怖じしない大胆な性格。毎度やらかしが大規模だったり派手。 斜め上の天然ボケを地でいくが本人はいつもいたって真剣。 澱みなく普通に話すが、自分の思考や頭の中のものを言語化して言葉で表現するのが下手で、顎が小さく弱い体質・口調と相まって、どこか舌足らずだったり突飛な発言になることがある。 身体能力は高い。運動神経抜群で逃げ足が速い。教えれば経験がないが教えれば運動はなんでも簡単にマスターする。 誰も入ってこれないベッドの下や狭い場所に入るのが好き(必ず見つけてくれる父・岬との思い出から) じっとしていてもエネルギー消費が激しい体質。知らない間に水分が足りなくなって熱中症になってすぐ熱を出す。→雪村家にきてからはほぼ絶え間なくなにかいつも水分を摂って補っている。 噛み癖(自傷癖)、拒食、味覚障害、睡眠障害(不眠)がある。 つけ狙われやすいほう。
外見/
施設内: 外見は髪型から服まですべて養父・春輝の決めたとおりに整えている 厚めに切りそろえられた眉上までの前髪 量が多く腰より長いまっすぐな黒髪に鈴をつけている 全身白いレースのワンピースやロングスカート(逃走防止も兼ねている?)
雪村家内: 前髪も後ろ髮も真澄に梳いてもらって量がすっきりしている。一番長くて髪はお腹くらいまでの長さ(今後髪型や髪色で遊ぶ可能性) 逃避行中に真澄に着せてもらった「三つ編み・彼シャツ・サロペットスカート」の姿がお気に入り。真澄に選んでもらうものはだいたいお気に入り。 三つ編みはほぼ毎日固定? きつい三つ編みにして解いてもうねったり跡のつかないハリとコシのあるまっすぐな強い黒髪、染髪経験なし処女髪、キューティクルで天使の輪ができる 頭が丸い。顎が小さくて細い。 歯の数や体の骨がところどころ足りない。 未発達な印象の童顔。 実際に肉体的に、実年齢にそぐわずいびつに未発達で未成熟。生活に支障が出ているという意味では病的といってもいいライン。 黒くて艶めいた長くて太い睫毛。化粧なしでもアイラインを引いてるような目元。 口小さめ、唇だけ少しぽってりめ、鼻低くて小さめ。 髪や肌が全体的に水分と油分多めで乾燥知らず。いつも全身艶々している。睫毛や目や唇もいつも少し濡れたように光る。 ちいさな子供のような体躯。 (逃避行後に初潮や第二次性徴が始まって体型が僅かにだが女性らしくなる) 頭、顔、肩幅、手、足、耳、爪、すべて規格外に小さい。すべて小さいので全体のバランスは普通。集合写真を撮ると一人だけ縮小加工したみたいになる。 痩せ型で細め、とくに腰・首・手首・足首が折れそうなほど細い。 真澄の手で一周できるウエストサイズ。
佐伯岬/春輝視点・過去編 光視点・過去編
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oisiihito · 11 months
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「すこしでも水みたいな部屋にすみたくてさ」 窓が大きい 普通の部屋より 1.5倍くらい窓が大きい 西側と北側に全部で四枚 「窓を開けておくと 水の匂いが 部屋の隅々まで満ちていくんだよ」 耳を澄ませなくても 湖の音が聞こえる 何かを引きずっているような? それよりももう少し落ち着いた 湖の音は 海とは違って ずっと静かで 「いい部屋」 「これで家賃いくらだと思う?」 「え~……」 部屋の中に灯りはなく あくまで外からはいっ���くる明かりだけが かろうじてニカの顔を照らす のを クワノは目を細めて 確認するように 目や鼻や 口を 部品ごとに点検していって そんな様子をニカは いぶかしげに茶化して 「家賃、いくらだと思うかって」 「5万」―――「よりもうちょっと高い」 唇が結ばれ 目は閉ざされた ためて「5.7k!」 「お~なるほど」 思っていたよりも 高かった この部屋にニカが住むことになると 思うと なんだか不思議な感じがする 一人暮らしなんて とクワノは少し心配で それでもこうやってニカが大丈夫になっていくのを 祝えるように 微笑んでみてから この部屋の暗さにも もうだいぶ目が慣れてきているのに気付く 「今日はそろそろ帰ろうか」 「うん でも もうすこし」 例によって大きな窓から 月?なのか 妙な明かりが 影の間をステッチするようにして 差し込み ニカはまるで静かな湖の様子を 真剣にみつめていた ポケットの中で なにかがじゃれて これから始まるはずの 生活が 少しでも穏やかなものでありますようにと クワノは祈った そうして時間が経っても まだ部屋の中は 明るかった /
🛋️
ニカは疲れてしまって 車の中では 一言二言 言葉を交わした後は もうずっと 左に傾き 車が揺れると それに合わせてニカも揺れるのだった Bluetoothでつなげた 車のオーディオから 前日に作ったプレイリストの3周目が流れている もうBGMになって久しいフランク・オーシャンが もごもごなにか足早に口ずさむのが 風や摩擦や 振動の音にかき消されていく 「ねむ」 ハンドルはしっかり握ったまま 前の車のナンバーから 外の景色に目を移す 完全な抽象画 そのうち色遣いを間違えた都市がだんだん見えてくるはずだ / 
🥡
クワノは今月で22になる 18の時に普通車の運転免許をとってから 交通事故は一回も起こしてない 親のフォルクスワーゲンゴルフを乗り継いで 今年で三年目の 夏が迫っているのを クワノはあっという間だと 当然思う ニカは免許を持っていない 教習所へは通っていたがしかし 途中で諦めて 「私は車 運転するより 乗るほうが好きだったことに気づいてね やめた通うの」といった 「そっかそっか」 「だからさあ これからもクワノのごーふに乗せてね」 「ごーふ?」 「名前 この子の」 車に名前を付ける人を見るのは はじめてだったから うまく物が言えなかった 「ごーふね!」 とクワノは まるで前から知っていた名前みたいに 知らない名前で自分の車を呼んだ 「ごーふ」なんてもう 最近は呼ばない たいていさ 愛着がつくにつれて もともとの名前は雲みたいにかわっていくもので いまニカは「ビジー」と呼んでいる 理由はわからない クワノは「アルバトロス」 ゴルフにちなんでいるし かっこいいから クワノは男にみえるけど女のような女で 髪は長いし いいにおいもする 背は 家屋のへりよりも もう少し高い ニカのことがちゃんと好きで 同じくらい音楽も好きだ でも 映画は全く見ない 一時間も二時間もジッとして 画面を観続けるというのが性に合わないし 退屈におもえる そこにある作品的な意義とか 美的な応酬が 理解できない 出自は複雑で 東京に生まれたかとおもうと 岐阜に籍を移し そのあとまたすぐに神奈川に籍を移した なんでそんなことになったのか そのせいで いまは東京に住んでいるにもかかわらず 本籍は神奈川のままだ クワノは その理由を 何度も両親に訊いてみて そのたびに「風水」と答えられてはみるが まだうまく納得できていない 車を運転するのはいい 自分が動かす限り いつまでも動く 景色は常に変わり 抽象画が繰り返されるのは 永い美術館にいるみたいで 素敵な気持ちだ 音楽も聴ける たいてい気になった新譜は 車で聴くことになる 距離がうまくとれるような気がするから 家だと環境が良すぎたりする /
📼
「そういうことってない?」 コンビニの駐車場で ニカは目を覚ましてトイレに行き ホットスナックのポテトを二個買って 帰ってきてほとんど一人で食べているので クワノはなるべくもらえるように 手を伸ばすが そのたびにニカは背を丸め 顔を隠して食べつづけた 「……まあ わかるけどね」 「映画も 映画館で観ると だいたいの作品くらっちゃうんだけど うちで観ると そうでもないことがある 場にあてられないと まともに文化を受け取れたりする」 もぐついているニカは 背をむけたままで クワノはいった 「ソレ くれるつもりないわけ」 「いいよ」 まるまる一個 手渡され 「もともとあげるつもり」 笑って 油にまみれた口を 舌で拭った クワノはあきれて 笑った 「でも場も含めて文化だというヤツも」 「まあねえ」 「でも距離をとらないと、まともになれない」 「それはたしか」 「だよねえ」 クワノは肩をすぼめ シートに深く腰掛ける 「ポテトうま」 「うまい」 「ミニストップのホットスナックって あまり食べないけど」 「うまい」 「あとどれくらいだっけ?」 「逗子まで?」 うなずくニカ もうポテトは手にない 「50min」 クワノの 英語の発音がいいのは 小さいころに 情操的な教育をされた名残で あまりいいことだとは思っていないクワノに反して ニカは英語の発音のいいクワノが好きだった 「ポテト、もう一個買ってくる」 「アセロラジュースも!」 「OKラジャ」 ニカはスカートをたくしあげて走っていった ドアは静かにしまって また車内に独特の あの沈黙がやってきて ニュージーンズのAttentionが その上に色を塗りたくるみたいに 流れるだけの時間を クワノは目を閉じて息を止める やり過ごすことにした / 
🐘
「水みたいな部屋だったでしょ」 「うん まさか湖の近くとは思わなかった」 クワノは本当に報らされていなかった 彼女が来月から 県外の博物館で働くことにして 部屋を探している間 ニカはクワノにその話をしなかった これまでは なんだって話してきたのに 「だって水みたいな部屋なんて言ったら反対されそうだったから」 反対するのだろうか するような気がして なんで?と思う 別にいいような気もする 「病気ひどかったとき よく水の中にある部屋のことを 考えてたんだよ そこは静かで 良くて」 頷くクワノ 「そこでは 濃い水の匂いがするんだよ 海だと潮の匂いが強いし 川だとあまりに薄い 流れてるからかなあ 湖がちょうどよかったんだ」 クワノには「濃い水の匂い」がわからない そもそも水に匂いがあることも わからない でもニカには感じ取れるのだろうなと そういう気遣いで聞き続ける話が クワノは嫌いじゃない 「湖畔の静けさは質が高い」 「そんな気がするよね」 喫茶店のブラインドは半分下がって 陽を遮って 影が切れているのを 机の上でなぞってみた アイスココアが ガムシロップで甘さを調節するタイプの アイスココアで コレを出すのは この辺だとここしかない 名前は「スキップ」とか「ホップ」とか ニカはここでジャーマンポテトドックしか食べない 「逃げれなくなった」と語った ジャガイモが好きなの? いやそういうわけでもないんだけど…… 再来週から ニカは湖のほとりにある 街へ行く そこにある水みたいな部屋に住む 水の濃い匂いがする 水みたいに静かな部屋で 博物館の事務員として 暮らす 「手紙かくよ」 「消印はうちの近くがいい」 「わかった」 そうしてニカは旅立っていった その日はやけに曇った水曜日で なんか嫌だった / 
⛰️
六月 梅雨になるまえに 手紙を書いておこうと クワノは 駅前の文房具屋まで 足を延ばして 思っていたより強い日差しに サングラスの下の目を細めている 妙に落ち着いた街なのだ 海へは少し遠い それもあってのんびりとした空気が しらけたグルーブを生んでいた 店の中に入ると 若い女が店番をしていた 文具のほかに適当な雑誌が いくつかおいてあった 地方放送局のラジオともう何年も売れていない鉛筆削り器 そういう店だ 「いらっしゃいませ」 どうもこんにちは 心の中でクワノは応えた ポパイが置いてある 手でめくると 紙のこすれる音が 手に伝わってくる 汗 拭う間もなく流れる 便箋を探しにきたんだった 上等な紙だと プリントに耐えないから クワノは手紙を手で書かない 必ずパソコンかスマートフォンで打ち込んで それをプリントアウトして 丁寧に封筒へ入れる 上等な封筒を選ぶ 手で書かなくたって気持ちはこもると 本気でそう思っている 淡い黄色がいいだろうか 封筒の大きさは? ああでもないこうでもないと 選ぶ時間があることが素晴らしい 世間において 過程はしばしば美化される傾向にあるが 手紙については 反論のしようがない プロセスがあまりに美しい時間の費やし方なのだと思う 大体どれくらい選んでいたのだろうか その間に客といえば腰の曲がりすぎたおばあさんと 近くに住む三毛猫ぐらいだった 店番の女は青色のスツールに座って ジッと珍しい地下甲虫の観察でもするみたいにして 午前中のテレビ番組を眺め続けている ラジオとの兼ね合いで 店の中ではテレビの音量が極めて小さく定められ トーキーの映画をみているみたいに ワイドショーが流れ CMが流れ 時々 番組なんだかCMなんだかわからないような ネットショッピングのCMが流れた クワノは便箋と封筒を決めた ようやく決まった封筒はうすーく伸びた水色のやつ 便箋はコピーが可能なきちっと白いものにした あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・し・た とハッキリ 1音ずつ聞こえるように 女はお礼を言ってから お辞儀をした 湿度を保って熱気がまず 足元を焼くようにすると 太陽の地道な熱さが服ごしに背中を焼く音がする クワノはうんざりしながら帰る / 
🪞
「手紙ありがとうございました また手書きではなかったので ガッカリでしたが 消印があなたの街の郵便局のものだったので 安心しました こういう言い方はよくないのかもしれませんが あなたがあの街で あの声で そこにいる誰かと話していることが ここにいる私のことを なぜか落ち着かせるのです どうかそういうことを笑わないでくださいね さて こちらは忙しい日々を送っています と書くと心配するかもしれませんが 忙しいことは本当です しかしながらそれは悪いことではないかもしれません 働くということは もちろん働くことなのですが それ以外の複合的な意義を持つ営為でもあるのです 他者があり 自己があり そこに起こる会話や交渉 場の雰囲気やある種のトラブルが 私には まるっきり人生の縮図のように思えるのです 働くということは つまるところ人生を 自分自身の人生を小さく送ることに他ならない と近頃思っています あなたはまだ働くということに上手くリアクションできていないけれど そんなに悲観的になる必要はないのかもしれません 職場では ミネヤマさんという 事務の女の人によくしてもらっています 彼女はアイロンビーズがとても上手で 私に時々キツネやイルカのビーズ作品を作ってきてくれます bitの粗いビーズでできているのに ミネヤマさんの作るアイロンビーズは妙なリアリティがあるのです 生き物が持つ生命の質感が みごとに実現されているような気がします おこがましくもいつかあなたにも作ってもらおうと画策しています 短いですが今回はこの辺で 最近はダウ90000のラジオを聴いています 何を言ってるのかは ほとんど分からないけれど 面白いと思います」 明らかにニカの文字で書かれた ニカの手紙が届いたのはクワノが手紙を出してから二か月が経った頃だと思う 消印は湖のある あの街のものだった 手紙の最後には 秋にはまたここへ来てくださいとつづってあり クワノは秋のことを考えようにも 今 暑くて仕方のない 夏の終わりを肌で感じ取るしか能のない 動物になっていた 汗が止まらない こけたほほを撫でてみる この夏はろくに食事を摂らなかった 気づかないと三日間 食べないこともあった でもそんなものではないですか 夏なんて 食べなくたって生きていけるように できているような気がしませんか 困らないならしたくないことはしなくていい歳になったと クワノは思って 大人ってそういうことなのかもと考えて 夏の風がまだ残っているうちに 外に出よう さあ! オーラリーとニューバランスの2002RDは 暑くてもうはかなくなった夏は ビルケンシュトックの名前もしらないサンダルを履きつぶしそうな��いで 繰り返し履くのだった これを買ったのはいつだったっけ 家を出て駅へ向かう道をまっすぐ歩くと すぐに2LDKほどの公園が見える 公園には申し訳程度の鉄棒 そして青色の豚のスプリング遊具が二匹 木はないが 蹴ればたちまち崩れそうな花壇が情けないながらも 入口に位置している 
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kasayoichi · 1 year
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美しき故国②
 朝明と己煥を乗せ福州を発った船は、行きのような荒天に見舞われることもなく順調に帰路をたどっていた。
「加子たちに聞いたが、あと二日もあれば港に着くそうだ」
 朝から船の表を見回り様子見をした朝明は、薄暗く湿った空気が立ち込める船室に戻ってきた。それを聞いた己煥は相変わらずその顔を白くさせながらも、伏していた瞼を持ち上げ、普段は切れ長で冷やかに見えがちな目元を緩ませる。
「一昨日出たから……五日か」
 冬と違って風を待つ必要がない夏は、大風さえなければ本来一週間ほどで帰国できるのだ。もうすぐ小さくも美しい母国の港に入り家族が待つ屋敷に帰れるのだと思うと、だいぶ気が楽である。さすがに一日中この密閉された船室で寝ているわけにもいかず、己煥は横たえた体を起こしてみる。
 ちょうどそのとき、船室の下からなにかが崩れ落ちるような物音がした。ふたりで梯子から下を覗き込むと、己煥らと同じ年の頃の小柄な青年が、「待て」だの「こらっ」だの声を上げながら暗い船底でなにかを追いかけまわしている。
「なにをやっているんだ聡伴」
 聡伴―――梅永繁こと永波間筑登之親雲上は朝明同様、書記の副官としてこの船に乗っている中流士族の子息である。
 朝明が船底に降りてみると、大小の行李や木箱がごった返すなか聡伴が尻餅をついており、その足元では金の両目を光らせた茶色の毛玉がちょこまかと動き回っている。 なにか獲物でも仕留めたあとなのか、口の周りを丁寧に舐めまわしていた。その隙をつき、静かにしゃがみ込んで持ち上げてみると、これまで暴れまわっていたとは思えないほど腕のなかで大人しく丸まった。
「私がいた船室からここまで散々逃げ回った癖に……朝明様の腕のなかではすっかり借りてきたなんとやら、ですね……城下の娘たち同様に人を見る目がある 」
「一応此奴は雄のようだぞ」
「選り取り見取りでよろしいじゃないですか。それより己煥様の体調はいかがです?従人の林宗信とやらが福州の商人からやたらに薬を仕入れていたので船酔いに効きそうなものを少し分けてくれと頼んだんですがね、さっぱり断られまして。もしかすると怪しげな仙薬でも手に入れて独り占めでもするつもりですかね」
 聡伴が猫を抱えて突っ立っている朝明を横に、崩れ落ちた行李や周りに散らばった細々とした積荷をてきぱきと積み上げなおしていると、上で休んでいた己煥が降りてきた。
「眉唾物の仙薬は不要だが……だいぶ治まってきたし、あと二日もすれば港に着く……かたじけない」
「とんでもございません己煥様!大事に至らず安心しました。旅役のあいだお二人にはずっと助けられっぱなしでしたから、私もお力になれたらと思ったのですが……」
「次に期待しておこう」
「ははっ、まったく朝明様は誠に無理難題をおっしゃいますねぇ。”次”があるように功績か運を上げられれば、の話ですね。さて……今日のぶんのお水、取って参りますよ、己煥様。あぁ朝明様、此奴の面倒もう少し見てていただけますか?」
 猫の処遇を朝明に丸投げした聡伴は、あっという間に水を汲みに船の最後尾へと消えていった。
 しばらくすると、大人しくしていた猫は両の後ろ足をばたつかせ、ぬめるように朝明の腕を抜け出して地面に着地すると、今度は積荷の間からはみ出している組紐とじゃれはじめた。
「待て!」
「このっ……」
 申し訳ないと思いつつも、体調が万全ではない己煥は壁に寄りかかり見守ることに徹していた。
 紐とのじゃれ合いは加速し、結局朝明も聡伴のようにつかみどころのない柔らかい身体を捕らえるのに苦戦することになり、  あたりの床はすっかり小箱やら紙やらで元通りに散らかっている。 ふたりが散乱した積荷を片付けはじめる頃には、 事の元凶は動き疲れたのか、口に赤い組紐を咥えたまま床に転がってぐるぐると喉を鳴らしていた。
 なんらかの封の役割をしていたであろう組紐の先を、ふと目で追ってみると、大きな積荷の隙間に蓋のずれた朱漆の小箱が落ちていた。己煥が箱を拾い上げ蓋を取ると、艶やかな薄桃色の切り身が三切れ、窮屈そうに――― 先程の大乱闘の犠牲になったのであろう―――箱の端に収まっている。
「へぇ、肉か?旨そうだな」
 それなりの厚みがあるにもかかわらず蜻蛉の羽のように透きとおり、目が眩むような光を放つその一枚一枚にはすこぶる脂が乗っていることがわかる。船旅で削がれた食欲が戻ってくるような気すらした。 いっぽうで、あまりにも活きの良さげなその様は、口に入れるにはいささか恐縮で躊躇われる。それでも不思議と湧いてくる食欲を唾液と一緒に喉へ追いやった。
「いや、肉にしては……」
「なあ己煥、腹が減ったな」
 この船に積み込まれた荷物は、ほとんどが大陸の皇帝に謁見した礼として下賜されたものだが、己煥らをはじめ使節たちが現地で私的に買い入れた物品も含まれている。公的に取引された品々は清冊―――物品一覧に記載されて事細かに確認されるが、私貿易についてはその限りではない。
「らしくもないことを考えるな朝明」
 少しくらい積荷が減っていたとしても、
「出航から何日経っているかわかるだろう?」
 慌ただしく福州を発った我々は、
「煮てもいないし塩に漬けてすらいないんだ」
 たかが小さな箱ひとつになんか、構ってはいられない。
「朝明、おそらくこれは肉ではない」
 清冊に書かれていない箱の中身なんて、誰も知らない。
「たったの三切れでは、腹も満たされまい」
 出航から三日も経てば誰がなにを船に持ち込んだかなど、きっともう誰にもわかりやしないのだ。 立ち尽くす己煥が手に持つ箱から切り身のひとつをつまみ上げ、宙にかざしてみる。日の入らない船底で、薄桃色の肉は美しくその身を七つの色に光らせていた。
「朝明……!」
 
 なあ己煥―――腹が減らないか?
 傍らの猫がなにかの味を思い出したかのように、舌なめずりをはじめた。
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来週からさすがに資格の勉強再開しないとまずいんですが今がのってるんですよねぇ……脂が?
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habuku-kokoro · 1 year
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三毛子がこの世に伝えたかったこと 米田佐代子
<劇評>
『三毛子』観劇感想                 2023.03.21
 三毛子がこの世に伝えたかったこと
米田佐代子(女性史研究者)
このたび銀座観世能楽堂での『三毛子』公演にあたり、わたしは能舞台に上がって有名な「平塚らいてうと与謝野晶子の母性保護論争」について一言解説するという光栄に浴しました。ここに登場する「お師匠さん」と「フユ子さん」はらいてうと晶子になぞらえられていて、二人が「母性保護論争」をかわすシーンがあるからです。三毛子も『青鞜』ならぬ『青足袋』という雑誌の愛読者で、「元始、雌猫は実に太陽であった」という一節を読みあげたりするのですから、これは見逃せないと馳せ参じました。
 その『三毛子』の舞台は前回よりさらに深まり、わたしの心を揺さぶりました。ご存じの通り、三毛子は夏目漱石の『吾輩は猫である』に登場する愛らしい雌猫がモデルで、原作ではふとした風邪がもとで早やばやと虹の橋を渡ってしまうのですが、今回は最初に猫の神様が「三毛子や、お前は賢い猫であった…お前は死んだのだよ」と語りかけるところから始まります。これにはびっくり。でも三毛子は納得せず、猫の神様に「後生だから三毛子をお師匠さんとこにかえらせて!」とおねだりして走り去ってしまいます。そこで気がついたのですが、この物語は三毛子が自らの死を予感しながら人間の世界と向き合って精いっぱい生き、遺したメッセージなのではないか。『三毛子』に「母性保護論争」が登場するのは、彼女の人生(猫生?)から紡ぎだされた魂の声が聞こえるからにちがいない、と。
 なにやらナゾめいてきましたがそのヒントは作中何回もリフレインされる「み空の彼方 深い傷」という一節にあると思いま���。ある日箱に入れられ棄てられた子猫が心に深い傷を負い、命も尽きるかと思われたときお師匠さんとフユ子さんに拾われて生きる気力を取り戻し、やがておとなになって「母性保護論争」に出会うのです―。
この論争は、晶子が「女性も働くべき」と言い、らいてうが「母親は子育てに専念すべき」と言ったことになっていますが、じつはそうではありません。女が母となってこの世に生れ出たいのちとどう向き合い、母も子も幸せに生きることができるかどうかという一大議論だったのです。晶子は十指に余る子を産み、失意の夫与謝野鉄幹をあてにせず自力で稼ぎまくって育てながら子らを愛する歌をたくさん詠みます。「人間はだれでも働かなければならない」というのが晶子のモットーでした。一方二児の母となったらいてうも事実婚の夫奥村博史の描く絵は売れず、生活のため産後直ぐ徹夜で原稿を書いたら母乳が出なくなってしまいます。その経験から、「男に頼らず(頼れず)女が働こうとすれば子どもを育てることができず、子どもを育てようとすれば働くことができない」現実に対し、今でいう「育児休業」や「児童手当」にあたる「国の政策」としての母性保護を訴えたのでした。二人とも壮絶な子育てを体験しながら「女性に権利がなければ子どもを幸せにできない」ことを問いかけたのが論争の真実であったとわたしは思っています。
三毛子は、「わかんない~」を連発しながら勇敢にもこの論争に向き合い、「子どもにだって人権があるのよ…人権!」と叫びます。そして夏の日盛りに赤ん坊の泣き声と黄金日車(こがねひぐるま)の花の香に包まれながらお昼寝のヒマもなく子守りに気を配り、自分が死んだら小さい子たちはすぐ忘れてしまうだろう、でもそれでいいの、女たちが「山の動く日」を信じ、隠された「太陽」を取り戻すとき、「人間も動物も自然の中で平和に暮らせる世の中がくるでしょ」と告げて現世に「さよなら」して行くのです。かつて人間に捨てられた三毛子が、心の深い傷を乗り越えて「すべての生き物が幸せに生きる世界」をよびかけたとすれば、それは今もいじめや差別、貧困、戦争、性暴力などにうちひしがれているたくさんの女や子どもたちへの希望のメッセージではないでしょうか…。エピローグでお師匠さんが三毛子の首輪を手にしてあらわれ、「あなたの帰りを待っています」と語りかけたとき、わたしは不覚にも涙が出そうになりました。
いささか深読みかもしれませんが、わたしは今回『三毛子』の舞台から、あらためて現代を生きるたくさんのいのちへの愛を受け取ったように思い、ますます三毛子が愛おしくなりました。能舞台にふさわしい所作を見せてくれた瑠々子さんにも喝采を贈りたい。そして、これまで「前口上」役を務めてきた柳志乃さんが、今回は猫の神様をはじめ出ずっぱりで活躍されたことも新しい実験です。次の『三毛子』はどんな進化を遂げるでしょうか。わたしも年をとりましたが、『三毛子』だけはもう一度観てから現世に「さよなら」したいものだと思っています…。
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kachoushi · 1 year
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各地句会報
花鳥誌 令和5年4月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年1月4日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
年賀状投函ポスト音を吐く 世詩明 大冬木小枝の先まで空を突く 同 猫寺の低き山門虎落笛 ただし 福の神扱ひされし嫁が君 同 石清水恙の胸を濡らしつつ 輝一 阿弥陀様お顔に笑みや秋思かな 同 去年今年有縁ばかりの世なりけり 洋子 潮騒の聞こゆる壺に水仙花 同 羽根をつく確かなる音耳に老ゆ 同 時々は絵も横文字も初日記 清女 初電話友の恙を知ることに 同 暁に湯気立ち上がる冬の海 誠 大寒のポインセチアに紅のあり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
初暦いかなる日々が待ち受けん 喜代子 おさんどん合間に仰ぐ初御空 由季子 病院の灯消えぬや去年今年 同 雪掻に追はれつつ待つ帰り人 さとみ 海鳴りや岬の水仙なだれ咲く 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
あをき空うつし蓮の枯れつくす 和子 蓮枯れて底の地獄を明るめる 軽象 枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 破れ蓮の黄金の茎の高さかな 炳子 枯蓮の無言の群と相対し 秋尚 弁天の膝あたたかき初雀 慶月 面差しの傾城名残青木の実 順子 男坂淑気を少し漂はせ 三郎 恵方道四方より坂の集まり来 千種 葬儀屋の注連縄なんとなく細い いづみ いかやきのにほひに梅の固くあり 要 枯蓮のやり尽くしたる眠りかな 佑天
岡田順子選 特選句
枯はちす揺り起こすなり鐘一打 三郎 鷗来よ枯蓮の幾何模様へと 俊樹 そのあとは鳶が清めて松納 いづみ 毛帽子にまつ毛の影のよく動く 和子 北吹けりもう息をせぬ蓮たちへ 俊樹 蓮枯れて水面一切の蒼穹 和子 人日の上野で売られゆくピエロ 三郎 石段に散り敷く夜半の寒椿 悠紀子 恵方道四方より坂の集まり来 千種 よろづやに味噌づけ買うて寒に入る 眞理子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
双六やころころ変る恋心 朝子 下の子が泣いて双六終りけり 孝子 短日は数が減るかもニュートリノ 勝利 歌留多とり式部小町も宙に舞ひ 孝子 小春日や生ぬるき血の全身に 睦子 骨と皮だけの手で振る賭双六 愛 京の町足踏み続く絵双六 散太郎 粛々と巨人に挑む年始 美穂 来世から賽子を振る絵双六 愛
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
双六の終着駅や江戸上り 時江 たかいたかいせがまれて解く懐手 昭子 てのひらの白きムースの初鏡 三四郎 火消壺母のま白き割烹着 昭子 木の葉髪何を聴くにも左耳 世詩明 街筋の青きネオンや月冱てる 一枝 姿見に餅花入れて呉服店 昭子 はじき出す男の子女子のよろけ独楽 時江 一盞の屠蘇に機嫌の下戸男 みす枝 初詣寺も神社も磴ばかり 信子 御降や傘を傾げてご挨拶 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月9日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
初明かり故山の闇を払ひゆく かづを 万蕾にある待春の息吹かな 々 小寒や薄く飛び出る鉋屑 泰俊 勝独楽になると信じて紐を巻く 々 仏の前燭火ゆらすは隙間風 匠 筆箱にニトロとんぷく老の春 清女 二千五百歩小さな散歩寒に入る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
鋳鉄製スチームの音古館 宇太郎 始業の蒸気雪雲を押しあげて 美智子 溶けてなほ我にだけ見ゆる時雨虹 佐代子 失ふはその身ひとつや冬の蜂 都 寒灯下遺影に深く法華経 悦子 大木を伐られ梟去つたらし 史子 枯木立通り抜けたる昼の月 益恵
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月10日 萩花鳥会
人生の余白少なし冬の薔薇 祐子 裸木が絵になる空を展げゆく 健雄 山茶花や気は寒々と花紅く 俊文 守らねばならぬ家族や去年今年 ゆかり 一椀に一年の幸雑煮膳 陽子 故郷で一つ歳とる雑煮かな 恒雄 昼食後一枚脱いで四温かな 吉之 亡き人に届きし賀状壇供へ 明子 逆上がり笑顔満面四温晴 美惠子
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令和5年1月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
初生けを祝成人と命名す みえこ 薪焚の初風呂済ませ閉店す 令子 御降りに濡れても訪ひぬ夫の墓 同 初詣光􄽄現れて良き日かな あけみ 注連飾父の車の隅に揺れ 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
閼伽桶の家紋色濃し寒に入る 多美女 養生の大樹潤す寒の雨 百合子 勤行の稚の真似事初笑ひ 幸風 いつもならスルーすること初笑 秋尚 臘梅に鼻近づけてとしあつ師 三無 寒椿堂裏の闇明るうす 多美女 多摩堤地蔵三体春立ちぬ 教子 均しある土の膨らみ春隣 百合子 掃初の黒御影拭き年尾句碑 文英 悴んで顔を小さく洗ひけり 美枝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飛石を跳ね蝋梅の香に酔うて 炳子 木道の先の四阿雪女郎 幸風 その奥に紅梅の蕊凜として ます江 黒き羽根なほ黒々と寒鴉 貴薫 不器用に解けてゆきぬ寒椿 千種 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 同 谷あひに弥生の名残り水仙花 炳子 椿落つ樹下に余白のまだあ���て 三無 木道まで香り乱れて野水仙 芙佐子 寒禽の群を拒まぬ一樹かな 久子
栗林圭魚選 特選句
山間の埋れ火のごと福寿草 斉 空昏く寒林よぎる鳥の影 芙佐子 厚き雲突き上ぐ白き冬木の芽 秋尚 福寿草労り合ひて睦み合ひ 三無 そのかみの住居跡とや蝶凍つる 炳子 水仙の香を乱しつつ通り抜け 白陶 入れとこそ深き落葉へ開く鉄扉 千種 竹林の潤み初めたる小正月 要 椿落つ樹下に余白のまだありて 三無 せせらぎのどこか寂しげ寒の水 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
若きより板に付きたる懐手 雪 北窓を塞ぎさながら蟄居の間 同 昨夜の酔ひ少し残るや初鏡 かづを 九頭竜や寒晴の綺羅流しゆく 同 除夜の鐘八つ目を確と拝し撞く 玲子 初明り心の闇を照らされし 同 一点の客観写生冬の句座 さよ子 翳す手に歴史を語る古火鉢 同 笑つても泣いても卒寿初鏡 清女 餅花の一枝華やぐ奥座敷 千代子 年賀状手描の墨の匂ひたつ 真喜栄 若水を汲むほどに増す顔のしわ 同 裸木村は大きな家ばかり 世詩明 春炬燵むかし昔しの恋敵 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
水仙や悲恋の話知りしより 啓子 堂裏の菰に守られ寒牡丹 泰俊 餅花やなにやらうれしその揺れも 令子 左義長の遥けし炎眼裏に 淳子 寅さんを追つて蛾次郎逝きし冬 清女 飾り焚く顔てらてらの氏子衆 希子 御慶のぶ一人一人に畏みて 和子 眉を一寸引きたるのみの初鏡 雪 初髪をぶつきら棒に結ぶ女 同 束の間の雪夜の恋に雪女 同 マスクして睫毛に化粧する女 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月20日 さきたま花鳥句会
凍星や夜行列車の窓あかり 月惑 葉牡丹や鋳物の町の鉄の鉢 一馬 どら猫のメタボ笑ふか嫁が君 八草 小米雪運河の小船音もなく 裕章 老木に力瘤あり春隣 紀花 竜神の供物三個の寒卵 ふゆ子 医学書で探す病名寒燈下 とし江 おごそかに雅楽流るる初詣 ふじ穂 人のなき峡の華やぐ柿すだれ 康子 小正月気の向くままの古本屋 恵美子 寒梅や万葉がなのやうに散り 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
福引の種考へてゐるところ 雪 枯れ行くは枯れ行く庭の景として 同 懐手して身も蓋も無き話 同 思ひ遣り言葉に出さぬ懐手 昭上嶋子 言ひかねてただ白息を吐くばかり 同 きさらぎや花屋はどこも濡れてをり 同 父の碑を七十余抱き山眠る 一涓 藪入りを明日に富山の薬売り 同 人日や名酒の瓶を詫びて捨つ 同 一陣の風に風花逃げ廻る 世詩明 安座して児の母となる毛糸編む 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月22日 月例会 坊城俊樹選 特選句
舞ひ上がる金子銀子や落葉掻 千種 春近し湯気立つやうな土竜塚 昌文 寒林や父子のだるまさんころんだ 慶月 紅梅のどこより早く憲兵碑 同 冬帝に囲まれてゐる小さき者 いづみ 出征を見送る母子像の冷え 昌文 青銅となりて偉人は寒天に 千種 火の雨を知る大寒の展示館 いづみ
岡田順子選 特選句
狛犬の阿形の息を白しとも 俊樹 勾玉のほどけ巴に冬の鯉 千種 ただ黒し桜ばかりの寒林は 同 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 石に苔泥に苔あり日脚伸ぶ 和子 息白く母子像見てひとりきり 俊樹 寒林の一木たるを旨とせり 晶文
栗林圭魚選 特選句
冬の雲弛びそめたり大鳥居 要 朽木より梅百蕾の薄明り 昌文 ボサノバを流し半熟寒卵 慶月 能舞台脇座に現るる三十三才 幸風 日向ぼこして魂は五間先 俊樹 霜柱崩れ鳥居の崩れざる 同 青銅となりて偉人は寒天に 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年1月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
大枯野太古は大海だつたかも ひとみ 初景色常の神木よそよそし 美穂 椰子の実のほろほろ落ちて神の留守 孝子 緋あけ色の空へ音ひき初電車 美穂 嫁が君大黒様の手紙持ち ひとみ おんちよろちよろと声明や嫁が君 睦古賀子 歌留多取対戦するは恋敵 睦吉田子 水仙はシルクロードの香を含み ひとみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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groyanderson · 1 year
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン3 第五話「外道vs邪道」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
→→→☆書籍版発売までは既刊二巻を要チェック!☆←←←
(シーズン3あらすじ) 謎の悪霊に襲われて身体を乗っ取られた私は、 観世音菩薩様の試練を受けて記憶を取り戻した。 私はファッションモデルの紅一美、 そして数々の悪霊と戦ってきた憤怒の戦士ワヤン不動だ! ついに宿敵、金剛有明団の本拠地を見つけた私達。 だけどそこで見たものは、悲しくて無情な物語…… 全ての笑顔を守るため、いま憤怒の炎が天を衝く!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་  
 ドマルの力で一時的にアイスランド語が理解できるようになった私は、塔の書斎で数冊の本を読み漁っていた。それらは全て手書きで、魔術に関する覚書や報告書の束、日記などが殆どだった。 「ねーヒトミちゃん、私も読みたいー」  暇を持て余したイナちゃんが駄々をこねる。けど、ここに書いてある内容は……本当に共有していいものなのかどうか……? ༼ あの。私が忘れてるだけで常識なのかもしれないけど、一つ聞いていい? ༽ 「なに?」 ༼ 『霊能者の三大禁忌』って知― ༽  その言葉を口にしかけた途端、イナちゃんが私の口を塞いだ。 (それは声に出して言っちゃだめ。たとえ私達しかいなくても)  影体にテレパシーが伝わってくる。禁忌というだけあって、やはり大っぴらに話せない事らしい。私はドマルのように自分の体から影の糸を伸ばし、イナちゃんの魂に接続した。 (『影電話』。これなら大丈夫?) (うん。霊能者の三大禁忌は、霊能者や神様、精霊が世界のどこでも絶対に守らなきゃいけない掟なの)  テレパシーを介した会話だから、イナちゃんの訛りが一切なくなっている。彼女は自分の母国語で学んだ知識をそのまま私に転送してくれた。  霊能者の三大禁忌とは、『創造主について探ってはならない』『宇宙の外に救いを求めてはならない』『見えざる者に与えてはならない』という三つの掟だ。簡単に言うと、この世界そのものを創った一番偉い神様について詮索してはいけないし、生まれつき霊感のない普通の人を霊が見えるようにしちゃだめ。その理由も詮索してはだめ。というルールのようだ。 (私みたいにプロの霊能者は、どこかで必ずこの掟を知る機会があるの。破ったら必ず最寄りの神様や霊能者から天罰が下ると、キツく念を押されて……それより、三大禁忌がどうかしたの?) (金剛を創った親玉の覚書に、禁忌が生まれた成り立ちと創造主の話がぜんぶ書かれてる) 「ええぇーーーーーっ!!!??」  急に大声を出すイナちゃん。驚いた私は尻餅をつき、とんでもない禁忌がミッチリ綴られた本を何冊も床にばら撒いてしまった。 「オモナぁぁ!? トップシークレットが! きゃー!!」  二人して慌てて本を閉じ、元の棚に戻す。そ、そこまでとんでもない禁忌だったとは……。けど金剛を滅ぼすためには、この話もイナちゃんに共有しなきゃいけない。私は再び彼女と接続した。 (なにせ金剛の本だから、どこまで真実かはわからないけど。とにかく書いてある内容をそのまま伝えるね) (わかった。私もできるだけ淡々と聞く!) (ええと……)  まず、古代人には全員霊感があり、死後に自分の魂を鍛えて神や妖怪になる人も多かった。だけど誰もこの世界の創造主を知らないから、皆で外の宇宙へ繋がる『塔』を建設した。ところが外宇宙が見えてくると、当時の人と神は塔を壊して引き返してしまった。その後ある預言者が、『天国へ続く塔を建てた人間には天罰が下る』という神話を拡散した。それでも当時は外宇宙を追い求める人や神が多かった。  それから数百年後、かつて塔の建設で開いた綻びから外宇宙の物質が地上に降り注いだ。それが人間の女性の胎内に入ると、後に自らを『神の子』と名乗る人型生物が生まれた。神の子は物質を増やす謎の力で生涯何千人もの人々に食べ物を与えたが、この時彼から施しを受けた人達を媒介に、人類の殆どから霊感が失われていった。  それから更に数百年後、再び外宇宙の物質が地上に降り注いだ。それはある瞑想中の若者の体に降り注ぎ、彼を大預言者に変えた。彼は当時中東に潜んでいた外宇宙由来の怪物を討伐し、『霊能者の三大禁忌』の提案やそれに因んだ厳格な宗教を立ち上げた。 (こ……これは……これはダメだヨ! こんなの冗談でも広まったら、世界中の宗教さんが困っちゃうヨ!!」  イナちゃんは思わず途中から��に出して叫ぶ。うん。私も色んな一般教養を忘れてるけど、さすがにこれがマズい内容だって事はわかる。だって創造主や歴史上の偉人が宇宙人か何かだと言っているようなものだし。 (でもなんで、金剛の書物にそんな事書かれてるの?) (ああ。こっちの日記によると、それは多分……)  宇宙から降り注いだ物質。それは一度目は『神の子』、二度目は『大預言者』として人間の姿になった。しかし、 (三度目の外宇宙物質は……猫になったんだ。中世の魔女裁判によって飼い主を失い、人間に強い恨みを持つ化け猫に)  その猫の名はロフターユール(大猫ロフター)。外宇宙物質の力で愛輪珠やナタリアという怪物を生み出し、金剛有明団を創設した『大魔神ロフターユール』だ。
 གཉིས་པ་
 数十分後にドマルからテレパシーがあり、一同は塔の安全地点、五十階で集合した。分裂していた魂を一つにまとめると、わた……!!!??!? ༼༼ えええええっ!? ༽༽༼ 待って、待って追いつかない! えっと待って、え外宇宙ってえっ!? ༽༼ 光く……御戌神!? え大丈夫!? ええぇ!!? ༽ 「ややや、ワヤン不動! ドマル! 落ち着くので!!」 「スリスリマスリ!」  ……………………………………
གསུམ་པ་
༼ ごめん、取り乱した ༽  危ない。お互い余りにも衝撃的な経験をした後、急に魂をくっつけたから人格がパニックを起こしてしまった。私はイナちゃんの理気置換術で冷静さを取り戻し、頭の中を整理する。  まず、二人はナタリアを無事に倒した。御戌神がずっと抱えていた滅びの光も今は一旦落ち着き、とりあえず地上にいた頃よりは晴れやかな表情だ。  そして断片的ながら幾つか情報も手に入れた。金剛を創ったのは人間を恨んでいる化け猫で、人類史に度々影響を与えてきた外宇宙物質のうち一体だった。禁忌だけどこの話は、御戌神にも全て伝えた。 「そりゃケッタイな……その神の子って、やっぱイ」 「名前は言っちゃメッです!」 「……とげとげロン毛さんで?」  それを聞いた途端、私の中でドマルがプッと吹き出した。ロン毛なんだ、神の子……。 ༼ ああそれと、ナタリアや如来の正体もわかったんだ。あいつらは大魔神ロフターユールが外宇宙物質で生み出した怪物だ。ナタリアはカビ菌と人間の負の感情から生まれて、愛輪珠如来は…… ༽  ピピピピ、ピピピピ。 ༼ ん? ༽  この文明感皆無な塔内で、突然電子音が鳴り響いた。あ、と閃いた御戌神が霊的タブレットを取り出すと、画面に電話マークが点滅している。御戌神は目から細い光線を出して、器用に画面をスライドした。 「もしもし?」 「ミラです。光さんのお電話が鳴っています。今は大丈夫ですか?」  御戌神が地上に残していたスマートフォンに着信が来たらしい。 「ええ。こっちにお繋ぎを?」 「可能だと思います。スマートフォン、触りますね……」  数秒遅れて、電話口の声がタブレットを介して流れてくる。 『あっ光君?』 ༼ ! ༽  この声は……! 「はいー。何かご用で?」 『それがね! 今夜テレ湘(しょう)のカウントダウン生に一美ちゃんが出演する予定だったのに、昨日あたりから誰も連絡つかなくて困ってるの。もうすぐ本番なんだけど、何か知らない?』  電話口の女性の声……覚えている。以前一緒に戦った。けど名前が出てこない。 「ゆ、行方不明で!? 僕が最後に会ったのは一昨日の朝だ。けど、その時は何とも」 『そっか……』  すごく大切な人だったはずなのに……いや、そうでもなかったっけ? 『……じゃあ、光君さぁ……』  ある意味重要というか、だぶか遭遇するとろくな目に遭わなかったような記憶も…… 『そっちに『本物の』一美ちゃんはいる?』 ༼ !? ༽  ヌーンヌーン、デデデデデン♪ ヌーンヌーン、デデデデデン! 突然電話口から流れ出すメロディ。それを聞いた瞬間、私の影体に緊張の電流が走った。そ、そうだ、この人! ༼ 佳奈(かな)さん!! ༽  そうか、志多田佳奈(しただかな)! バラエティ番組で私を幾度となく熾烈なドッキリにハメ続けた極悪ロリータアイドルだ!! 『あーっ一美ちゃん! 今どこにいるの!?』 ༼ 金剛の本拠地です! 私を遠隔で操ってる如来をぶっ潰しに来たんですけど、私の体が行方不明ってどういう事ですかぁ!? ༽ 『も~っ、それならそうと私にも教えてよ! この薄情者! 今回は私とタナカDがスタッフ全員ドッキリで海外に拉致った事にするから、今度示し合わせの弾丸ロケ覚悟しといてね! それと、ちょっと待って……』  電話口でごそごそ音。 『……もしもし。紅さん?』  男性の声。この人も……どこかで……? ༼ あ、あの、すみません。実は私…… ༽ 『記憶がないんだろ? 俺はNIC関係者だ、さっき悟君から事情を聞いた』 ༼ あ、はい ༽ 『時系列から推理すると、君の身体を操っていた奴は、ワヤン不動が復活したと聞いて日本から逃亡したと思われる。今君が敵の本拠地に潜入しているなら、そいつも近くにいるかもしれない。逃げられる前にすぐに探し出すといい』  私の体がこっちにある……? もし彼の推理が当たっているなら、この塔やソルモラ島内ですぐに身体を取り戻せるかも! ༼ ありがとうございます。あの、あなたは? ༽ 『今は俺達の事は気にするな。次回こそ……来年こそ、一緒に映画に出ようね、ひーちゃん!』  プツン。電話はそこで切れてしまった。最後に一瞬だけ喋り方が変わった、あの妙に頭の切れる男性……確かに覚えてる。彼らもまた、私の大切な仲間だ。 ༼ 今すぐ出発しよう、御戌神! 如来はどの階層にいる? ༽ 「塔の最上階、千階。ちなみにそこは、物体や生身の人間も存在できる物理空間で」 「じゃあ、ヒトミちゃんそこにいるかもしれないですか?」 「ですだ。けど、そこまでは敵がワンサカ」  問題ない。全員戦闘態勢に入り、一気に塔を登るぞ!
བཞི་པ་
 百階を過ぎたあたりから塔内は殺風景になり、ちらほらと悪霊らしき物が襲い掛かってくるようになった。しかしナタリアが消滅した今、散減やそれに類する強力な怪物は現れない。道中は大した負担なく通過できそうだ。 「ヘンな感じ。金剛なのにあんまりキモいお化け出て来ないね」 「最初にバイアス外しのルーンを作ったからかもだ」  御戌神とイナちゃんも余裕を残したまま戦えているようだ。 ༼ さっき本で読んだけど、信心によって見え方が変わってたのはナタリアの魔法の影響だったみたい。金剛との良縁が強いほどこの空間が美しく見えるんだって ༽ 「へえ、じゃああいつがおっ死んじまったら、もう魔法は解けちまったと……」 「「ギシャアアァァーーーッッ!!!」」  気がつくと私達は五百階に達し、少し強そうな敵と遭遇! ハイエナやサメなど凶暴な動物の生皮を被った、黒い煤煙状の悪霊…… ༼ あれは亡布録(なぶろく)、愛輪珠如来の手下のゾンビだ! ༽  対野生動物! 私とイナちゃんは既にイタチの亡布録、アンダスキンと戦った事がある。でも御戌神は初めてだ。 ༼ こいつらは中の煙を燃やし尽くせば消える! ༽ 「浄化も効きます。スリスリマスリ!!」  二人で手本を見せるように亡布録一掃! 私は炎を纏ったティグクをファイヤーポイの如く回転し三六〇度焼却、イナちゃんは理気置換術を樹形図状に連鎖させ黒煙無力化だ! 「なるほど、それなら僕も!」  御戌神は赤白く全身発光すると空中浮遊する巨大ホオジロザメ亡布録にかぶりつく! サメは振りほどこうと体を激しくくねらせるが、御戌神の歯が更に食い込むと途端に全身の穴から黒煙を激しく噴出! 遠赤外線による蒸し焼き地獄だ!! 「シャアアァァーーー!」  スパアアァァァン!! ホオジロザメ亡布録破裂! 超高温に熱されたサメ肌の弾丸が周囲一帯の亡布録へ霰の如く降りかかる! 「ギャァーッ!」「ギシャアァァーー!!」  混乱する亡布録共。チャンスだ! 私はこの隙にイナちゃんに影電話を繋ぎ、ある作戦を囁いた。 (イナちゃん。亡布録の中に……がいたら、理気置換術で…… ) (……OKです!)  そして何事もなかったかのように亡布録を斬る、叩く、焼却する!
ལྔ་པ་
 そして千階! 「ヒューッ」「コヒューッ」  敗北を察した黒煙どもは動物亡布録を捨て、モクモクと一つにまとまっていく。 ༼ カハァーッハハハハァ!! 自ら集まってくれるとは好都合よ、消えろおぉーーーっ! ༽  私は全法力を込めた影炎でティグクを肥大化させ、黒煙の塊へ振りかぶる。しかし…… 「そこまでだ」  ぴたり。突然フロアに響きわたる、生身の人間の声。これを予め想定していた私は、影炎を振り上げたままその場で静止した。 「……ほう、先程の挑発はブラフか」 ༼ ああ。お前が一箇所に集まってくれるのを待っていたんだ ༽  人間はカツカツと歩み寄り、その顔を上げた。斬っても焼いても無限に湧いてくる黒煙の化け物を全身に飲みこんだ、その肉体は…… 「残念だったなワヤン不動……貴様の体は、紅一美は既に俺様の物だ!」  ……アレ? 「愛輪珠如来! 一美ちゃんを返してもらうので!!」 「黙れ負け犬! おっと、この体に一歩でも近付いてみろ。貴様の嫁がどうなっても知らんぞ? フハハハハハ!!」  いや、ちょ、ちょ、ちょ。 ༼ 御戌神、私の中身は如来だったって言ってたよね? ༽ 「そうだ。このドクサレ如来のせいで僕らは新婚生活を……って、え? 違うので?」 「その通り! 我こそが金剛愛輪珠如来……」  ヴァンッ! 「ぎゃああああああ!?」  影炎と神経エネルギー塊の合わせ技で私の肉体に命に別状はない程度の激痛を与えると、鼻から細長い黒煙の龍がはみ出した。 「オマッ、おま!? 嘘だろ!? 自分の体に攻撃するか普通!?」 「オモナ! その声は、あの時のキモい龍!」  イナちゃんは既に知っている、こいつは金剛倶利伽羅龍王(こんごうくりからりゅうおう)。愛輪珠如来が私の肋骨から生み出した龍の悪霊だ。 ༼ 散減族はナタリアと共に滅んだんじゃなかったのか? ༽  初めて出会った時、こいつは散減の特徴に酷似していた。綿埃に似た縮れ毛、歯周病の歯茎の如き醜い肌色……しかし今は、イモリの黒焼きのような龍型黒煙と化している。まあ、前に私がこいつを完全燃焼したからだけど。 「ほざけ! 今更母菌を倒された程度で、俺様に影響はないわ! なにせ今の俺様には愛輪珠如来のご加護と強力な影法師使いの肉体が」  焼却! 「ほぎゃああああああ!!?」  熱傷指数二十パーセント。身悶えしながら龍王が更に体外へ出てくる。ドマルによると人間は全身の約九十パーセントまで火傷に耐えられるという。 ༼ お前にはもう一度立場をわからせる必要があるな ༽ 「バぁ! バカじゃねえのお前ぇ!? 自分の体だぞ!? こんなにしたら死んじゃ」  焼却! 「うぎゃああぁぁあぢぃぃぃぃぃぃ!!?」  熱傷指数四十パーセント。こちらのバックにはNICという世界最高の医療チームがついている。火傷など後でどうとでもなる。 ༼ 私はお前の何だ ༽ 「モデルだったよねお前!? ファッションモデルがお肌ズルッズル! ズルッズル」  焼 「あああああ待ってごめんなさいごめんなさい!」 ༼ 答えろ。私は���お前の、何だ? ༽  邪尊としての記憶も能力も得た今、こいつに過去最大級の圧をかける。 「ヒ、ヒ、ヒィィ~! お、お不動様ですぅぅぅ!! この金剛倶利伽羅龍王めを剣としてお使い下さる仏様ですぅぅぅぅぅ!!!」 ༼ わかっているならその体を返せ……このゲスメド野郎がぁーーッ!! ༽ 「ぎゃあああーーーー!!!」  熱傷指数八九.九九九九九九九九九九九九!!!! 命に別状ない瀬戸際の瀬戸際までこの身を焼き、金剛倶利伽羅龍王を完全に炙り出す!! 一メートル、五メートル、十メートル……って、なんか前より長くない? 「ヒャァハハハハ、かかったなバカめ! 貴様の生命力と霊力を吸った過去最強の俺様を解き放つとはなぁぁ!」 ༼ ! ༽  龍王は私の影体に巻きつくと、ボール状に全身をくまなく覆う! 「このまま貴様の肉体を道連れに自爆じゃボぴぎゃあああああああ!!?!?」  しかし次の瞬間、強烈な閃光と共に奴の体が爆散! 光が落ち着くと、そこにはオールバック前髪になった御戌神が、ハザードシンボル状に目をぎらつかせていた。 「ガルルルル……僕達の新婚生活……こんなクソ野郎に……」 「って、そんな事より一美ちゃん!」  イナちゃんが私の肉体に駆け寄る。しかし、途端に訝しんだ。 「オモ? 火傷は?」 ༼ あれはタルパ……いや、影法師流に『幻影』と言おうか。見せかけの炎や熱傷にドマルの神経塊を忍ばせて、激痛を与えていただけだ。それよりも…… ༽  直撃ではないものの、御戌神の『滅びの光』を生身で浴びてしまった私の体は甚大なダメージを負った。まあ、肉が崩れる前に治してしまえば問題はない。抜苦与楽の法力を使えば。 「……ふう」 「「一美ちゃん!」」  肉体奪還完了! ワッと駆け寄ってきた二人と抱擁を交わす。 「ごめん、一美ちゃん! こんな事になっちまって、本当に……わああああ!!」 「いいよ、光君。やっと、一美��て呼んでくれたね」 「あ……ごめっ、ワヤン不動! 僕、やっぱそんな資格など……」 「結婚式」 「!」  脳と魂が繋がり、失われていた沢山の記憶が一気に蘇る。 「理由つけて、挙げないでくれてたんだよね。帰ったら全部やり直そう。何もかも、全部」 「ひ……一美ちゃん……一美ちゃああうわあああああん!」  涙と共に、歪んでいた御戌神の光の色は完全に零れ落ちた。彼は二度と危険な光は発さないだろう。 「それから、イナちゃん」 「!」 「強くなったね。もう、呪いに怯えていた巫女じゃない。NICで働く、プロの霊能者だ」 「……うん。頑張た、私。あの時の一美ちゃんみたいになりたくて頑張たヨ! わーーん!!」  感動の再会。ここ数日ずっと一緒に戦ってきたけど、今やっとみんなと再会できたんだ。願わくばこのまま塔を降りて打ち上げでもしたい気分だ。けど、そうはいかない。  パチ、パチ、パチ。どこからともなく空虚な拍手が鳴る。すると最上階であるここ千階の扉が開き、高度三千メートルの冷たい風が塔内になだれこんだ。全員で扉の方を見ると、吹きすさぶ風の中で仁王立ちする一柱の怪異…… 「ここまで来た事を褒めてやろう。貴様に敬意を表し、最期はあの裏切り者の姿で葬ってやる」  それは顔面と股間をくり抜かれた亡布録。すらっとした長身で、美しく滑らかな肌を持つ東洋人。私の、和尚様……ムナル様のご遺体だ。 「やっと」  やっと、この邪道の権化に辿り着いた。しかし、まだ。まだ奴の挑発に乗ってはならない。 「やっと会えたな、金剛愛輪珠如来。世界中、長い年月で蓄積した、死の残滓(ざんし)を集めて造られた邪仏。それは人魂でもなければ、残留思念でもない」  ナタリア・サミヤクはカビ菌に人間の負の感情が宿ってできた怪物、すなわちある種の生き物だった。一方で如来を構成する概念は、人間社会や自然界で生き残れなかった名も無き者達の死……結末そのものが、具現化した存在だ。 「死体がお前に取り憑かれると、その生皮は亡布録(ゾンビ)に変わる。一方、生物がお前を吸い込むと、その生物の『生きる機能』が著しく劣化する」 「下で我らの書物を盗み見たようだな。まさに外道の仏らしい行動だ」  一度負けたから調べたのは当然だ。かつてこいつと戦った時、私は体を幻覚性の毒に冒されたような感覚に陥った。奴を正確に攻撃したはずが全く当たらない。それどころか、何故か自分の方にダメージが蓄積していく…… 「お前の法力は、要は黒煙を吸い込んだ相手をどんどん不器用にして自滅に導くだけ。下等存在らしく実に惨めな能力よ」 「……ほう?」  ピクリ。顔のない顔が微かに歪んだように見える。  愛輪珠如来の煙を吸った者は、まず普段行えるような簡単な動作に支障をきたす。料理人が包丁で手を切ったり、スポーツ選手が何度も転ぶようになったり。次に正常な判断ができなくなって、怪我の手当もせずパニックに陥る。そして最終的には五臓六腑まで不器用になり……多臓器不全で、自らの体の中身を全身の穴からブチ撒けて、死ぬ。 「だが、仕組みがわかれば大した事はない。生存戦略に敗れた三下共の残りカスが如来を名乗った罪に、仏罰を下してくれる」 「……」  ビキビキッ! 更に側頭部や手の甲にも血管が浮き出てくる。そう。幾度もの情報と戦いにより知った、こいつの最大の弱点…… 「気が変わった、表へ出ろ。貴様は我が最上の姿で完膚なきまでに葬ってやる」  こいつは人の事を散々煽る癖に、やたらプライドが高くてキレやすいんだ。 「たかが明王部の下等仏が、如来の私に立てつくなどと……身の程を弁えろ、この薄汚い邪道者がァァ!!!」  怒り心頭の如来は完全体へ覚醒するため、手狭な塔を飛び出した!
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itokawa-noe · 2 years
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ねこはいるだけでいい
「お母さん」をめぐるSF。
Kaguya Planet公募(ジェンダーSF特集)参加作品でした。(1,1802文字/2021年12月12日)
ーーー
【マーサ】
 信じるもんかと彼女は思った。  白い肌に金の髪に青い瞳などという不気味な色をした人間が、まともであろうはずがない。向こうは向こうで緑の肌に銀の髪に紫の瞳という彼女の外見にぎょっとしたようだが、表情に出したのはほんの一瞬、のぞきかけた腹のうちを笑顔の下にしまいこんだそのすばやさが、かえって彼女を警戒させた。相手の女の口から出てくる妙ちきりんな音の連なりは自動翻訳機によると友好的な文句ばかりで、それがまた胡散臭さに輪をかけた。  女はしつこかった。おなじ色をした子どもとふたりで朝な夕な彼女を訪ねてきた。  彼女は船に立てこもり、まともにとりあおうとしなかった。  扉の前に置いてゆかれた物資は、慎重に検めたうえで使えるものだけ船の中にひっぱりこんだ。燃料や毛布は害なしと判じた彼女だけれど、食べものには手を出さずに我慢した。冷凍睡眠明けの飢えは、草や実や根を食べてしのいだ。同じ未知なら人間よりも植物のほうがまし。それが彼女の見解だった。  連中が大きなバスケットを抱えて現れたときは、心が揺らいだ。  子どものほうが「ほら」と目の前であけてみせたバスケットの中身は彩り豊かで匂いもよく、ちらとのぞくなり口の中が唾でいっぱいになった。思わず手をのばしかけたとき、女のほうが言った。 「私はマーサ。この子はチリル。あなたの名前を訊いてもいい?」  彼女はふたりに背を向けた。それから数日というもの、一歩も船から出なかった。  堅牢な要塞は、だけど突然やぶられた。敵が飛び道具を持ち出したのだ。  マーサと名乗った女が使ったのは火。燃やしたのは彼女の船、ではなく、拾い集めた枯れ枝や落ち葉だった。焚き火の上に吊るされた小鍋から立ちのぼる匂いに鼻先をくすぐられるや、投げ縄に捕まったみたいにぐいと体が引き寄せられた。そこから記憶が曖昧になり――気がつくと、からっぽの鍋が目の前に転がっていた。 「うちにくればもっとあるよ」 「でっかい鍋にたっぷりとね」  最後はあっさり陥落された。
 浮遊車で連れてゆかれた先は、赤い三角屋根の家。  マーサは彼女を風呂に入れ、温かい服を着せ、鍋いっぱいの煮こみ料理を食べさせてくれた。 「しちう」というらしいそれは、緊張にこわばっていた顔が一瞬でとろけてしまうほどおいしかった。味のしみた野菜や舌のうえでほろりとほどける肉をとろみのついた汁と一緒におなかの中へと送りこむにつれ、体がぽかぽかぬくもってくる。夢中で掻きこみ「おかわり!」と視線をあげ、やわらかく細められた瞳に見守られていたことに彼女は気づいた。〈お母さん〉みたいな人だ。耳が火照るのを感じながら、そう思う。自分の〈お母さん〉のことは、なにひとつ知らないけれど。 「どうして親切にしてくれるの」彼女には、それが不思議でたまらない。 「困ったときは助けあうものでしょ」横っちょにしちうをくっつけた口で、こともなげにチリルが返した。 「でも私は異星人だ。もっと疑ったり怖がったりするものじゃないの」 「でもおなじ人間だ。生まれた星が違うだけで」 「しかも、あなたはまだ子どもじゃない。たったひとりで遠くからきて、心細い思いをしているでしょう」 「子どもじゃないし」むっとして、彼女は頬をふくらませた。「年齢的には〈お母さん〉にだってなれるぐらいだ」 「おかあさん?」 「そうだよ」と尖らせたくちびるが、ぽろりと続きを取り落とす。マーサの肩越しに見えたものに、彼女の瞳は釘づけになる。  まるい顔、三角の耳、長いしっぽに光るまなこ。  へんてこな姿をした毛むくじゃらが、窓の外から彼女を睨んでいる。 「あれはなに」 「なにって、猫だよ。知らないの」  知らない。四つ足の獣なんて、彼女の星ではもう図鑑の中にしか存在しない。〈役割〉を自覚する以前、幼かった頃の彼女は図鑑を愛読していた。けれど、こんな意地の悪そうな目つきをした生き物はどこにも載っていなかった。 「どうしたのサミィ。入っておいでよ」  全身の毛を逆立てて、ねこは呼びかけを拒絶する。チリルは困惑しているようだが、彼女にはわかる。射殺さんばかりの眼光、剥き出しの牙と憎悪の唸り。これは糾弾、彼女がここにいることを責める顔。彼女にはわかる。彼女はこの顔を知っている。  彼女は立ちあがった。 「帰る」 「帰るってどこに」 「船」 「船って、まさかあの地面にめりこんでるやつのことじゃないよね」チリルが目を剥き、 「このままうちにいればいいよ」マーサが肩に手を置くも、 「私には〈役割〉がある。馴れあいは不要だ」  ぴしゃりと言ってはらいのけ、彼女は家を飛びだした。    マーサもチリルも追いかけてはこなかった。  ほっとしたような肩透かしを食らったような気分で、彼女は足をとめる。  森の中だった。  彼女の船が不時着した、落葉広葉樹の小さな森だ。  この土地の人々にとってはありふれた風景らしいが、彼女は一向に慣れる気がしない。両腕をまわしても抱えきれない幹に、雨宿りができるだけ茂った枝葉に、ふりそそぐ鳥のさえずりに――自分の背より高い木を見たことのなかった彼女は、何度だって圧倒される。  ひらきっぱなしになっていた口が、ゆっくりと笑みの形になる。  完璧だ。申し分のない環境だ。  約束された未来を思い、彼女は胸を昂ぶらせる。――この星には私たちが失ったものが残っている。きっと誰もが私を見直す。新しい家を見つけた私を、みんなの〈お母さん〉と称えさえするかもしれない。  問題は、この大発見を同胞に報せる術がないことだ。  自動操縦で彼女をここまでつれてきた船は、墜落の衝撃ですっかり壊れてしまった。通信機だけでも早急に修理したいところだが、彼女には機械を扱う心得がない。学ぼうにも学ぶ機会がなかった。彼女に求められる〈役割〉には必要のないことだったから。 「こんにちは」  急に声がして飛びあがった。  いつの間にか、背後に老女が立っている。 「はじめまして。わたしはトキエ。あなた、お名前は?」  不意打ちの問いに彼女は凍る。心臓が乱れ打ち、冷たい汗が噴き出してくる。 「……忘れた。記憶がない。宙から落ちて頭を打って、ぜんぶ忘れた」  言うだけ言って船に逃げこみ扉を閉める。  その場にへなへなしゃがみこみ、膝を抱えて小さくなった。
【ハオラン】
 彼女の星にだって様々な色の人間がいた。  いたにはいたが、ともに暮らす者どうしは同じ色をしているのが普通だったから、ちぐはぐな色に並ばれると居心地が悪くなる。 「はじめまして」ふわふわ喋るのは髪も瞳も黒い女。 「マーサからあなたのことを聞きました」ほわほわ笑うのは赤っぽい髪に緑の瞳の男。 「マーサ、あなたを気にかけていたよ。でも急に出かけなくちゃならなくなって」 「かわりに様子を見てきてほしいと頼まれたんです」 「どうかな、一緒に朝ごはんでも」 「きっとおなかが空いているでしょう」  まんじりともできなかったせいで充血した目で、彼女はふたりを睨めつけた。 「べつにおなかなんて」  空いてない。そう続けようとしたのを遮るように、ぐぎゅ��ぐるると腹が叫んだ。  頬を赤らめ、彼女は俯く。  ふわふわとほわほわが、顔を見あわせにっこりした。
 ふわふわ女の名はハオラン。ほわほわ男の名はエドゥアル。  ふたりはマーサとチリルの「お隣さん」で、マーサたちの家の屋根だけを青くしたような一戸建てに住んでいた。  改めて見まわしてみれば、周囲の家々はどれも似たり寄ったりの外観だ。こぢんまりとした三角屋根で、塀がない。住宅どうしが共同の庭でゆるやかに繋がったさまが、彼女の目には奇妙に映る。国も街も住居も人も、彼女の星では区切られ隔てられていた。  ハオランの用意してくれた「さんどいち」はおいしかった。だけどマーサのしちうのほうが、彼女はずっとすきだった。
 朝食が済むと、エドゥアルはハオランに口づけをして出ていった。  エドゥアルだけじゃない。窓の外の広い庭は、いつのまにか近隣住民と思しき人たちでいっぱいになっている。「おはよう」「おまたせ」などと挨拶をかわしながら、続々とどこかへ出かけてゆく。 「みんなどこに行くの」  窓辺の花に水をやっていたハオランに、彼女は訊ねた。 「人によって違うけれど、子どもは学校、大人は職場に行く人が多いんじゃないかな」 「ハオランはいかないの」 「いかないよ」  なるほど家で働いているのか。そう考えた彼女は、自分も仕事を手伝いたいと申し出た。 「仕事? そんなのないない。さ、お茶しよう」  冗談を言っているのだと思った。他の人達が〈役割〉を果たしているあいだに自分だけお茶なんて。ところが、ハオランは本当にお茶を淹れはじめた。小皿に焼き菓子まで添え、いそいそとソファへ運び、準備ができたよと彼女を呼んだ。  得体の知れないものを前にしたような気味の悪さに襲われ、彼女はハオランを凝視した。 「どうしたの? こっちにおいでよ」  不思議そうに見返してくる黒い瞳と目があって、そこではっと気がついた。ゆったりした服が体の線を隠しているせいでわからなかったが――そうか! 〈お母さん〉になるのだ! であれば彼女も納得だ。新しい命を胎に宿した〈お母さん〉は、盗まれたり傷つけられたりすることのないよう家に仕舞いこまれるものだから。  彼女はハオランを言祝いだ。  ハオランはきょとんとし、そのあとで吹き出した。 「このおなかに詰まってるのは、ほどよい量の脂肪と内臓だけだよ」  早とちりを彼女は詫びて、 「でも」気まずさを紛らわせようと急いで言った。「いずれ〈お母さん〉になるんでしょう」 「おかあさんってなあに?」  今度こそ冗談だと思った。だけどハオランの表情に悪ふざけの色はない。 「〈お母さん〉は、女の親だよ」面食らいつつ説明するも不十分な気がして「ええと、それから」頭の中にある〈お母さん〉を言葉にしようと試みた。「おいしくて栄養のある手作りごはん、よく手入れされた服、掃除のゆきとどいた住まい、そういうものを整えて、子どもを健やかに育む人。いつも家族が優先で、自分のことは後まわし。愛情深くて忍耐強く、対価は決して求めない。自己犠牲と献身と無償の愛、それが母性、すなわち〈お母さん〉の条件だから」  彼女の演説のなかばから詰めていたらしい息を、ハオランは「……へええ」と吐きだした。「すごいんだねえ。人間というよりも、神様かなにかみたい」 「本当にこの星には〈お母さん〉がいないの?」 「いないよ、そんなすごい人」 「だったら、子どもは誰が育てるの」 「親と周囲の大人たち。みんなで一緒に育てるよ」ハオランはにこやかに答え「そういう意味なら」と話をもどした。「わたし、親にもならないよ」 「それってつまり」口にしかけた問いが、音になる直前で喉につまる。鼓動が速くなるのを自覚しながら、彼女は訊いた。「あなたも産めない女なの?」 「うーん、どうだろう。そもそも産もうと思ったことがないんだよね。わたしとエドゥアルは、ふたりの暮らしが気に入ってるから」  彼女は絶句した。顔色を失くし、瞬きを忘れ、唇を震わせてハオランを見つめた。 「おかしいよ」やっとのことで出た声は悲鳴みたいに引き攣っていた。「産めるかもしれないのに産まない? そんなのおかしい。あ���えない。子を産み育てることが女の〈役割〉でしょう。〈役割〉を果たさない者は罰をうけるよ。生きてる価値がないって責められるよ」  ハオランの瞳がゆれた。  おだやかな笑みに彩られていた顔が、痛みを堪らえるように歪んだ。 「そんなことないよ」ハオランは彼女の手をとった。そっと握って、静かに言った。「他人から押しつけられる役割なんてない。そんなことをしようとする人がいたら、うるせー知るか! って蹴散らしていいんだよ。もちろん罰なんてものもない。この星では、誰もあなたを責めたりしないよ」  ハオランの言っていることが、彼女にはわからない。わかるのは、自分を抱きしめんとするようにさしのべられたまなざしのせいで胸がざわざわすることだけだ。  逃げるように目を逸らす。  窓の外にねこがいた。  陽だまりのベンチで丸くなり、気持ちよさそうに眠っていた。 「そうだよ、ほら」彼女からねこへ、また彼女へ。視線を移し、ハオランが口もとをほころばせた。「猫は、ただそこにいるだけでいいでしょう。人間だって同じだよ」 「違うよ。ぜんぜん違う」彼女は激しく首をふる。「それに私、ねこは嫌いだ」  ハオランが悲しげに目を伏せる。  短い沈黙のあとで、 「訊いてもいいかな」彼女を見据えた双眸は、夜の湖面を思わせた。「あなたは『おかあさん』になりたいの?」 「当たり前でしょ。女に生まれた者は誰だって――」 「そうじゃないよ。あなたの心は『おかあさん』になることを望んでいるの?」  彼女は答えなかった。  心のどこにも、答えがなかった。
【ユースフ】
――あなたの心は『おかあさん』になることを望んでいるの?  それならいいの。でも、もしもね、自分の心の声を聞くより先に外側からそう思いこまされているのだとしたら、それは苦しいことなんじゃないかって。  考えないほうがいい考えるべきじゃない早く追い出してしまえ、でないと頭がぐちゃぐちゃになる、と彼女は思う。だけど何度寝返りを繰り返しても、ハオランの声をふりはらえない。 ――「おかあさん」のことは、わたしにはよくわからない。でもね、産まなくても、同じ家で暮らさなくても、誰かと一緒に子どもを育てる方法はたくさんあるよ。  扉を叩く音に物思いが破れる。  彼女は息を潜め、招かれざる客が去るのを待った。  だが敵は粘り強い。  痺れを切らして起きあがる。追い返してやろうと扉をあけて、驚いた。  ひとつには、いつの間にかすっかり夜がふけていたから。もうひとつには、そこにいたのが予期したのとは違う人だったから。 「夜分遅くにごめんなさい。格好いいおうちを見つけたから、どんな方が住んでいるのか気になって」 「おうちじゃなくて、これは船」 「あら、お船なの。色も形もイルカみたいでお洒落ねえ」くしゃっと丸めてゆるく広げた紙を連想させるしわしわの顔のうえで、きらきらっと瞳が光る。「はじめまして。わたしはトキエ」  昨日も会ったよ。憶えてないの。突っぱねかけて、はっとした。異星人に遭遇したことを憶えてない? そんなの普通じゃありえない。 「あなた、お名前は?」昨日とおなじ質問に、 「ない」昨日とちがう答えを彼女は返した。どうせ明日には忘れられる。そう思ったとたん、嘘をつくのがばかばかしくなったのだ。「昔はあったけど、今はない」  名前を所有できるのは、社会にとって価値のある人間だけだ。  社会にとって価値があるというのは、求められる〈役割〉を果たせるということだ。  だから彼女は、ハオランのような人がのうのうと暮らしていられることが理解できない。どうして名前を取りあげられないのか。どうして役立たずと糾弾されないのか。どうして「不要な」髪を剃られたり「無駄な」腹を蹴られたりしないのか、生きている価値がないと罵倒されないのか。 「おなかが痛いの?」  トキエの声で、無意識に腹をおさえていたことに気がついた。  額に湧き出した脂汗を、ひんやりした指がぬぐってゆく。トキエの体温でぬくもったストールが、すっぽりと彼女をつつみこむ。 「行きましょう」言うなりトキエは彼女を抱きかかえるようにして歩きだした。  細腕に見あわぬ力の強さに彼女はたじろぐ。「行くってどこに」本気で抵抗すれば勝てるのだろうが「ねえったら」年寄り相手にそうもゆかず「離してよ!」そのままどこへやら運ばれてゆく。
 星あかりの下を引かれてゆくうち、男に出会った。  がっしりとした肩のうえの人懐こい笑顔を見あげ、この星の木みたいな人だと彼女は思う。大柄で体格もよいけれど、雰囲気がゆったりしているせいか怖くはない。広々とした胸に抱かれた赤ん坊が、青みがかった澄んだ瞳を彼女に向けた。 「こんばんは、ユースフ。こんばんは、ココちゃん」 「こんばんは、トキエさん。そちらは宇宙から来たお嬢さんだね」  名前を訊かれなかったことに、彼女は内心で安堵する。ほっと息を吐いたその口から、次の瞬間、心臓が飛びだしそうになった。ココが大声で泣き出したのだ。 「ああ、ごめん、ごめんね」ユースフが太い腕を揺らしてココをあやす。「立ちどまっちゃうとだめなんだ」  そう言って歩きだした大きな背中を、彼女は追いかけこっそり告げた。 「このおばあさん、昨日も今日もひとりで徘徊してたんだけど」 「徘徊じゃなくて散歩だよ」 「どっちだっていい。ひとりでふらふら出歩いて、事故にあったらどうすんの」 「平気だよ。トキエさんも僕たちも、トキエさんにできることとできないことを知っている。困ったときは誰かしらが手助けする。ね、トキエさん」ユースフがトキエに向かって首を傾け、 「ね」とトキエも同じ角度に首を倒す。  待ちあわせでもしていたような自然さで一緒に歩きはじめた。  トキエの体が離れ、彼女は自由をとりもどす。ひとりで船に帰ることもできたけれど、なんとんなくそうはしなかった。 「ねえ」ゆきずりの道連れに、歩調をあわせてついてゆく。「〈お母さん〉はどうしてるの。お留守番?」 「おかあさん?」 「その子のもう一人の親のこと」 「ココの親は僕だけだよ」  では、いつもこうなのか。眠らない赤子を抱え、夜な夜なひとりで歩いているのか。ぎゅうと胸が苦しくなって、彼女は思わず呟いた。 「片親なのか。大変だな」 「かたおやって?」ユースフが訊き返す。 「親が一人しかいないってこと」 「うーん、大変なのかな」 「大変じゃないの」 「そりゃ、子育ては大仕事だよ。でも親の数はあんまり関係ないんじゃないかな。一人だろうと二人だろうと三人だろうと、結局はまわりのみんなに助けてもらうわけだし」 「かたおや。おかしな言いまわしね。まるで、親は二人いるのがふつうみたい」 「だってそうでしょ」 「そんなことないよ」「そんなことないでしょう」 「え、そんなことないの?」 「ないね」「ないない」 「私の星では、親は二人そろっているべきだとされてるよ」 「じゃあ、僕みたいにパートナーを必要としない人間は親として失格なの」  失格どころか資格がない。養子をむかえるのも第三者の協力を得て人工的に子をもうけるのも、両親がそろっていることが大前提。彼女の星の彼女の国では、そういうきまりになっていた。  だけど彼女にはそれが言えない。隣りを歩くユースフに言いたくない。  気づまりな間を埋めたのは、おっとりとしたトキエの声だった。 「ところ変われば、考えかたも変わるのね」 「そうか。そうだね。人それぞれ、星それぞれ」  ユースフの顔に笑みがもどり、彼女は胸をなでおろす。  人それぞれ、星それぞれ。心の中で復唱し、なるほどな、と小さく頷く。  その一方で、こんなふうにも思うのだ。  もしもユースフが彼女の国に生まれていたら。ひとりで親になりたいと望み、ひとりでも子を育てられる環境にあったとしたら。  残念、この国ではとおりません。  そんな一言で握りつぶしてしまって、よいのだろうか。    やがて、行く手にぼんやりと白っぽい影が浮かびあがった。  「到着だ」「到着ね」  ユースフとトキエが、同時に言った。
「夜の図書館には、ねむれない人たちが集まってくるんだ」  ユースフがひそひそ声で説明するのを聞きながら、ランプの灯りに照らされた通路を行く。ふかふかの布団が敷きつめられた館内でくつろぐ利用者は大半がユースフのような子連れだが、そうではない人たちもちらほら見えた。耳打ちや筆談でおしゃべりを楽しむ者、ぶあつい本を膝に置いて船を漕ぐ者、天井に投影された星を寝転んで数える者……ぬるめに入れたお風呂みたいな空気に身をひたし、めいめいが思い思いの時間を過ごしている。 「あら、ここは」貸し出しカウンターの前でトキエが足をとめた。「そうそう、そうだった。ちょっと寄ってゆきましょう」  どこに? と訊ねた彼女にユースフが教えてくれる。 「トキエさんは、時々ここでお手伝いをしているんだ」 「楽しいのよ。赤ちゃんにミルクをあげて、おむつを替えて、大人には温かい飲みものや小さなチョコレートをお出しして。あなたもどう?」  彼女は首をふった。赤ん坊はすきじゃない。  トキエにありがとうを言ってストールを返し、ユースフについてゆく。  前方からふわふわした声が流れてきた。絵本かなにかの読み聞かせをしているらしい。声を手繰るようにして奥へとすすみ、驚いた。毛布をかぶって、ぬいぐるみを抱いて、天幕から顔だけのぞかせて――おのおの好きな格好で寝そべる人たちに向かって本を読んでいたのは、彼女の知っている人だった。 「ハオランは、毎晩ここでお話を読んでくれるんだ」  ユースフが床のうえの揺りかごにココをおろす。彼女はとっさに身構えたけれど、ココは泣かなかった。ふわふわした声に聴き入るように、じいっとハオランを見つめている。  ぱっちりひらいていた瞳は、だけどたちまちとろんとし、数分とたたないうちにぴたりとふたをされていた。  ハオランの声は、彼女の耳にも心地よい。 「これがハオランの〈役目〉なの?」子が、親が、一人またひとりと眠りに落ちてゆくのを眺めながら、あくび混じりに彼女は訊ねる。 「役目とか、そういうのはよくわからないけれど」彼女からひきとったあくびをふああと宙に放り、ユースフが答える。「ハオランは、すきでやっているんだと思うよ」    彼女は毛布にくるまって、ハオランの朗読にココとユースフの寝息が合いの手を入れるのを聞いている。とろとろと微睡みはじめた矢先、なにやらもぞもぞうごく小さいやつが懐にもぐりこんできた。大声をあげて図書館じゅうの人たちを叩き起こしてしまわずに済んだのは、毛布の端からはみ出したしなやかなしっぽで、そいつの正体がわかったからだ。  悲鳴を呑みこみ、静かに胸を高鳴らせながら天井を眺めることしばし。 ……ぷう、ぷすうう、ぷすすう、ぷう……  耳に届いたかすかな音が寝息だと気づくや、しちうを食べたときみたいなぬくもりが全身にひろがった。  堪えきれずに笑みがこぼれる。その顔のまま瞼を閉じる。    仄白いひかりの中で、彼女は自然に目をさました。  懐がもぬけの殻になっているのを残念に思いつつ身を起こし――そこでぴたっと動きが止まった。  言伝のように。ささやかな贈り物のように。  マーサから借りた服のおなかのところに、柔い毛がぽそぽそとくっついていた。
【マーサとラウラとアヌシュカ】
 彼女はユースフの家で朝ごはんをご馳走になり、いったん船へと引きあげるところ。  おなかにくっつけたままの毛を落っことしてしまわないよう、そっとそうっと歩いている。一歩いっぽに集中しているせいで「おーい」という声が近づいてくるのに気づかない。特大の「おーい!」にようやく足をとめたのと傍らに停まった浮遊車のドアがひらいたのとは同時だった。 「マーサ! チリル!」  毛のことをすっかり忘れ、彼女はマーサに飛びついた。 「よかった。どうしてるか気になっていたの」マーサが彼女を抱きとめて、 「元気そうだね」チリルもぴとりとほっぺたを寄せてくる。 「元気だよ。みんなに助けてもらってた」でも私は。マーサの腕の中でもじもじと身をよじり、彼女は早口に打ち明けた。「マーサのしちうが食べたかった」 「シチュー?」マーサが首を傾げかけ、ああ、と笑って手を打った。「あれを作ったのは私じゃないよ」 「え?」 「私、料理はからっきしなの。わが家のごはん担当は、このアヌシュカ」  車からおりてきた小柄な人を、マーサが彼女に紹介する。 「あたしのシチューを気に入ってくれたの? 光栄!」  握られた手をぶんぶん上下にふられながら、彼女はぽかんとする。  アヌシュカの後ろから背の高い人がおりてきたことで、困惑はさらに深まった。ラウラと名乗ったその人は、腕に赤ん坊を抱いていた。ココより小さくふにゃふにゃで、まだ目もあいていない、正真正銘の生まれたてだ。 「ぼくのきょうだい」  チリルは胸を張るけれど、それはおかしい、と彼女は眉を寄せる。マーサのおなかは数日前までぺたんこで、出産を控えているようには見えなかった。チリル、マーサ、アヌシュカ、ラウラ、赤ん坊……せわしなく視線を走らせ、口をひらく。  だれが〈お母さん〉なの。  転げ落ちかけた問いが、舌先で止まる。  彼女はもう一度、目の前の人たちを見た。三人の大人は色も顔だちもてんでばらばら、マーサとチリルにしたって面ざしはあまり似ていない。けれど彼女に向けられた八つの瞳は、あったかさがそっくりだ。  そうか、と彼女は理解した。なるほど、と心から思った。こういう形もあるのか、と。  誰が産んだとか誰がごはんを作るとか親は何人とか、そういうことはもう、どうでもよかった。 「……かわいい」  彼女は赤ん坊がすきじゃない。何を考えているのかわからないところやひとつ扱いを間違えたら壊してしまいそうなところが怖くて遠くて落ちつかず、無理やり抱かされたり褒めそやすよう強いられたりするたび、どろりとした苦いものに喉を塞がれて息がつまった。いつからか、そういうふうになっていた。  だけど今。ラウラの胸で眠る小さな命が、彼女は愛おしくてたまらない。 「ほんとうに、かわいい」  眩しさに細めた瞳から、はらはらと涙が落ちる。彼女は気づいていない。気づかないまま、まだ名前のない、性別もさだまらない、まっさらなひかりを見つめつづける。
 この星には、新しい命が生まれると〈お墓参り〉をする習慣がある。  それで彼女たち――マーサとアヌシュカとラウラとチリルに、少し大きくなってミンナという名前をもらった赤ちゃん、そして彼女は、お弁当をもって〈お墓〉を訪ねた。   〈お墓〉は、かつて彼女の星にあったという動物園に似ていた。   動物園は生きた動物に会うための施設。動物たちは檻か柵の向こうにいる。   〈お墓〉はもういない動物に会うための場所。動物たちはすべてよくできた映像で、ゆえに檻も柵も必要ない。  まっしろなクマが、思慮深げな顔つきをした大きなサルが、岩と見紛うような甲羅を背負いヒレ状の脚で這うカメが……図鑑でしか知らない生き物たちが暮らす森の中を、彼女は顔を輝かせ、チリルとふたりで駆けまわった。  大人たちが静かなのに気づいたのは、ひとしきりはしゃいだあとだった。 「〈お墓〉に来るとね、考えずにいられなくなるの。ひとつ違えば私たちもあちら側だったんだって」マーサの口調は常に似ずしんみりしていた。 「あたしらがここにいるのは、先人が踏みとどまってくれたおかげだ」日頃は陽気なアヌシュカも神妙な面持ちになっている。  その横顔の向こう、茂みの陰に、緑色の人が視えた。  彼女は息をとめる。まばたきの隙間に緑は消える。だけど呼吸はもどらない。 「私たちは」喘ぐようにひらいた口から、声が落ちた。「踏みとどまることができなかった」  大人たちが彼女を見る。頷き、屈み、寄り添って、言葉の先をじっと待つ。 「競いあい蹴落としあい奪いあい、星をめちゃくちゃにしてしまった」ぽつりぽつりと彼女は続けた。「勝てないものや戦えないものから死んでいった。人も、それ以外のみんなも」 「この星でもそうだったよ」ミンナを抱いたラウラが言った。「このままでは星そのものが駄目になる。わかっていても、当たり前のようにやってきたことにブレーキをかけたり、既に持っているものを手放したりすることは、難しかった」 「そこからどうやって踏みとどまったの」 「いくつかきっかけがあったんだ。たとえば」 「たとえば?」 「猫」 「ねこ?」 「猫がいなくなったの。ある日突然、この星から」 「なにそれ。絶滅したってこと?」 「そうじゃない」「消えたんだって」「溶けるみたいに」 「溶けた? 猫が?」 「溶けた、じゃなくて、溶けるみたいに」 「……どいうこと?」 「猫は臆病で繊細だから」「平穏とやすらぎを好むから」「殺伐とした星に嫌気がさして、出ていったんだろうって言われてる」 「……それで、どうなったの」 「ずっと傍らにいてくれた友を失い、先人たちは悲しみに暮れた」「打ちひしがれたそのあとで、手をとりあって立ちあがった」「この星を、猫がもどってきてくれる場所に作り変えよう」「不均衡をならし、壁を取りはらい、競って蹴落としあう世界から、寄りかかりあい分かちあう世界に」「長い時間が必要だった」「気が遠くなるような時間がね」「何世代もかけてようやく、猫は帰ってきてくれた」「だけど彼らは」  大人たちの語りに聴き入っていた彼女の前に、子どものゾウが立った。耳をぱたぱたさせて彼女を見あげ、握手をもとめるみたいに鼻をさしだしてくる。つられてのばした指の先が、幻影をすりぬけ空を掻く。 「もう二度と、戻らない」
 帰り道、やわらかな夕陽のさしこむ後部座席で、彼女は淡い夢をみた。緑のねこにぐるりと囲まれ、よってたかって詰られる夢だ。  剥きだしの牙にも憎悪の唸りにも、彼女はもう怯まない。首をふって受け流し「さようなら」を風にのせる。別れの言葉がねこに届く。彼女の肌とおなじ色の輪郭がふるふると震えてゆらぐ。ゆるんでとけて土に還るのを見送っていると、背後から声がかかった。 「はじめまして」  ふり返った彼女にトキエが訊ねる。 「あなた、お名前は?」  マーサがかけてくれた上着の下で、彼女は微かに身じろぎをする。 「名前はね」にっこり笑って、こう返す。「これから探しに行くところ」
ーーー
【参考文献】
伊藤亜紗他『「利他」とは何か』集英社 小川 公代『ケアの倫理とエンパワメント』講談社 ケア・コレクティヴ 他『ケア宣言』大月書店 渡邊淳司 他『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために』ビー・エヌ・エヌ新社
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toshiki-bojo · 2 years
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「虚子への俳話」151
「花鳥」令和4年7月号より転載
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東京のこと(二十年前のこと) 平成8年・1996.8月 坊城俊樹
「私」
  われの星燃えてをるなり星月夜 虚子          (『五百句』より昭和6年作)
という名作があるが、近頃そういった心境すらどういうことなのかイメージできずに困っている。あまりにも日々の暮らしに追われてしまっている自分がとても恒星のごとく燃えてさかっているとは思えないからである。  日々の花鳥の運行に目を向けろと言っても、この東京というところはどうもいけない。
  酒うすしせめては燗を熱うせよ
といった心境である。どこぞの生命保険のテレビコマーシャルを見ては、疾病担保特約に加入しておかねばと思ったりして、娑婆の世界からは一歩も踏み出せずに悶々としている。そういえば、最近は若いきれいな女性に惹かれることは惹かれても、かつてのような異様な惹かれ方もないようである。ましてや、
  酌婦来る灯取虫より汚きが
ともなってしまえば、私は近頃我慢がたりない。行く店々ですぐに不機嫌な顔になっているらしく、まわりを困らせてしまっているようである。そういえばこのところ友人からの電話がめっきりと減った。もっとも元来電話無精、筆無精である私自身の責任であることも明白であるが、何やら梅雨の蝶や虻たちが野卑な醜草を避けて飛んでいってしまったようでふと不安がよぎる。その上、夜中に不気味な声をあげる猫を傘で打ってやろうとしては逃げられて塀の上から嘲笑されている酔った自分が情けなく、ますますいやになってしまう。  おそらくここのところ、自分自身に自信がなくなっているのだろう。  湿り気のある風が出てきたようだ。事務所の外には蝿のようなマフラーの音をまき散らしながらオートバイが走り去って行く。うちの現代的な女子事務員はもう帰ってしまった。残るのは冷房の無機的な連続音だけである。  だから反省を込めて我が来し方を考えてみた、
 三歳のころ…  あまり覚えていないが、どこぞで転んで泣く。保育園の若い女の先生のふくよかな胸に興味を示す。
 五歳のころ…  伊豆は伊東のハトヤという旅館に行きたくて、一日五回も母親にねだる、結局行けず。幼稚園の遠足の前日はいつも緊張して神経性の下痢で休む。
 八歳のころ…  車の模型を深夜までかかって作り続けながら最後の仕上げの塗装がうまく行かず癇癪をおこし模型を放り投げる。また本物の自動車レーサーになろうと親に懇願するが相手にされず再び癇癪を起こして近所の窓に石を放って割る。家政婦のおばさんに子供の生まれるしくみを聞き目が回る。
 十三歳のころ…  姉に聴かされていた洋楽にのめりこみはじめる。鍋を逆さにして底を叩いてドラムと称す、が、むろん続かず、不良とつきあい始めるがなりきれず、今の事務局の近隣マンション地下駐車場にてオートバイの無免許3人乗りをして補導される。
 十五歳のころ…  少し色気づくが、ちびのためあまりもてず、アイスホッケーをして気分転換をする。そろそろ酒を「きたない酌婦」と酌み交わすことを覚える。六本木などへ行き、ディスコで不良女子高生に嗤われる。成績は学年二〇〇人ごぼう抜きで落ちる。
 十七歳のころ…  勉強はしないが他人に学校のノートを取らせ及第点を取る。喧嘩はすると負ける。年のわりには酒を飲むとくどくなる、と言われるようになる。髪の毛をビールで脱色しようとするが失敗、たてがみの様になり、教師に切られた上殴られる。そのうっぷんで友人宅へ侵入し酒によって大声で歌を歌い、となりの家へ教科書を投げ、当然通報されて補導。
 二十歳のころ…  波乗りをしていて台風のときに幾度か流されたり肋骨を折ったりする。救急車のお世話になり一応反省はする。生まれて初めてタキシードを買い、すかしてホテルのバーなどへ行くが、いつもボーイと間違えられる。
 二十二歳のころ…  就職をしてただただ働く。給料をどぶに捨てるような遊びもする。たまに大波に打ちひしがれ、ふと正気に戻ることもあるが、翌日の酒で再び脳細胞がやられる。格好と品行の悪い慶応ボーイに彼女も取られてしまう。
 二十五歳のころ…  いよいよ、酒乱。東京は新橋の場末の酒場の板塀にもたれては戯れ言を繰り返す。タクシーの運転手とよくもめごとを起こす。酒場の女に小心者とののしられる。その女の争いでその日に逢った男と大喧嘩をして目尻を強く打ち、視力の低下で眼鏡使用となり、見せた医者におまえのような者は社会人失格であるから自業自得なのでもう二度と来るなと言われる。
 二十九歳のころ…  おやおや、なんだかんだと書いてきたら結構おもしろい人生ではないかと思えるようになってきた。 (つづく…かも)
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subarutokiomi · 3 years
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猫は柑橘類が苦手、という情報通りの若者組3匹(特に海)と、情報通りじゃない年長組1匹。 #cat #neko #猫 #ねこ #にゃんすたぐらむ #ハチワレ #茶トラ #黒猫 #三毛猫 #みかん大好きハチワレ #大体の食べ物大好き #小さい頃から大好き #鼻息荒いハチワレ #飼い主の指ごと食べに来る #見ただけで逃げる三毛猫 https://www.instagram.com/p/CLn6zj2BSxl/?igshid=1hdccpo0kdrcc
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shootsay · 4 years
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網の上がお気に入りのサビちゃん。
こっちを見るだけで逃げようとしません。
動きたくないんだね。
首をゴリゴリする三毛猫
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toubi-zekkai · 3 years
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厚着紳士
 夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。  昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
 家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家に戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。  みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。  すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。  かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。  名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。  しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。  例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。  暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。  しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑え込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着かなくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。  泳ぐ視���がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。  しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい視線を天に投げ掛けた。  ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にしたメロンソーダを飲んで喉の渇きを潤した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。  坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝の上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想��の脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。  耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。  すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。  私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっくりとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿へと復活する事に成功した。  膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。  プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こえなかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。  すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。  私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。  白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。  私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。  ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。  言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。  間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始めた。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。  流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の巨塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。  徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。  すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡って��く銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。  冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。  しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。  『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』  高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。  一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。  まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。  飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。  間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
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kurihara-yumeko · 3 years
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【小説】The day I say good-bye (1/4) 【再録】
 今日は朝から雨だった。
 確か去年も雨だったよな、と僕は窓ガラスに反射している自分の顔を見つめて思った。僕を乗せた��スは、小雨の降る日曜の午後を北へ向かって走る。乗客は少ない。
 予定より五分遅れて、予定通りバス停「船頭町三丁目」で降りた。灰色に濁った水が流れる大きな樫岸川を横切る橋を渡り、広げた傘に雨音が当たる雑音を聞きながら、柳の並木道を歩く。
 小さな古本屋の角を右へ、古い木造家屋の住宅ばかりが建ち並ぶ細い路地を抜けたら左へ。途中、不機嫌そうな面構えの三毛猫が行く手を横切った。長い長い緩やかな坂を上り、苔生した石段を踏み締めて、赤い郵便ポストがあるところを左へ。突然広くなった道を行き、椿だか山茶花だかの生け垣のある家の角をまた左へ。
 そうすると、大きなお寺の屋根が見えてくる。囲われた塀の中、門の向こうには、静かな墓地が広がっている。
 そこの一角に、あーちゃんは眠っている。
 砂利道を歩きながら、結構な数の墓の中から、あーちゃんの墓へ辿り着く。もう既に誰かが来たのだろう。墓には真っ白な百合と、あーちゃんの好物であった焼きそばパンが供えてあった。あーちゃんのご両親だろうか。
 手ぶらで来てしまった僕は、ただ墓石を見上げる。周りの墓石に比べてまだ新しいその石は、手入れが行き届いていることもあって、朝から雨の今日であっても穏やかに光を反射している。
 そっと墓石に触れてみた。無機質な冷たさと硬さだけが僕の指先に応えてくれる。
 あーちゃんは墓石になった。僕にはそんな感覚がある。
 あーちゃんは死んだ。死んで、燃やされて、灰になり、この石の下に閉じ込められている。埋められているのは、ただの灰だ。あーちゃんの灰。
 ああ。あーちゃんは、どこに行ってしまったんだろう。
 目を閉じた。指先は墓石に触れたまま。このままじっとしていたら、僕まで石になれそうだ。深く息をした。深く、深く。息を吐く時、わずかに震えた。まだ石じゃない。まだ僕は、石になれない。
 ここに来ると、僕はいつも泣きたくなる。
 ここに来ると、僕はいつも死にたくなる。
 一体どれくらい、そうしていたのだろう。やがて後ろから、砂利を踏んで歩いてくる音が聞こえてきたので、僕は目を開き、手を引っ込めて振り向いた。
「よぉ、少年」
 その人は僕の顔を見て、にっこり笑っていた。
 総白髪かと疑うような灰色の頭髪。自己主張の激しい目元。頭の上の帽子から足元の厚底ブーツまで塗り潰したように真っ黒な恰好の人。
「やっほー」
 蝙蝠傘を差す左手と、僕に向けてひらひらと振るその右手の手袋さえも黒く、ちらりと見えた中指の指輪の石の色さえも黒い。
「……どうも」
 僕はそんな彼女に対し、顔の筋肉が引きつっているのを無理矢理に動かして、なんとか笑顔で応えて見せたりする。
 彼女はすぐ側までやってきて、馴れ馴れしくも僕の頭を二、三度柔らかく叩く。
「こんなところで奇遇だねぇ。少年も墓参りに来たのかい」
「先生も、墓参りですか」
「せんせーって呼ぶなしぃ。あたしゃ、あんたにせんせー呼ばわりされるようなもんじゃございませんって」
 彼女――日褄小雨先生はそう言って、だけど笑った。それから日褄先生は僕が先程までそうしていたのと同じように、あーちゃんの墓石を見上げた。彼女も手ぶらだった。
「直正が死んで、一年か」
 先生は上着のポケットから煙草の箱とライターを取り出す。黒いその箱から取り出された煙草も、同じように黒い。
「あたしゃ、ここに来ると後悔ばかりするね」
 ライターのかちっという音、吐き出される白い煙、どこか甘ったるい、ココナッツに似たにおいが漂う。
「あいつは、厄介なガキだったよ。つらいなら、『つらい』って言えばいい、それだけのことなんだ。あいつだって、つらいなら『つらい』って言ったんだろうさ。だけどあいつは、可哀想なことに、最後の最後まで自分がつらいってことに気付かなかったんだな」
 煙草の煙を揺らしながら、そう言う先生の表情には、苦痛と後悔が入り混じった色が見える。口に煙草を咥えたまま、墓前で手を合わせ、彼女はただ目を閉じていた。瞼にしつこいほど塗られた濃い黒い化粧に、雨の滴が垂れる。
 先生はしばらくして瞼を開き、煙草を一度口元から離すと、ヤニ臭いような甘ったるいような煙を吐き出して、それから僕を見て、優しく笑いかけた。それから先生は背を向け、歩き出してしまう。僕は黙ってそれを追った。
 何も言わなくてもわかっていた。ここに立っていたって、悲しみとも虚しさとも呼ぶことのできない、吐き気がするような、叫び出したくなるような、暴れ出したくなるような、そんな感情が繰り返し繰り返し、波のようにやってきては僕の心の中を掻き回していくだけだ。先生は僕に、帰ろう、と言ったのだ。唇の端で、瞳の奥で。
 先生の、まるで影法師が歩いているかのような黒い後ろ姿を見つめて、僕はかつてたった一度だけ見た、あーちゃんの黒いランドセルを思い出す。
 彼がこっちに引っ越してきてからの三年間、一度も使われることのなかった傷だらけのランドセル。物置きの中で埃を被っていたそれには、あーちゃんの苦しみがどれだけ詰まっていたのだろう。
 道の途中で振り返る。先程までと同じように、墓石はただそこにあった。墓前でかけるべき言葉も、抱くべき感情も、するべき行為も、何ひとつ僕は持ち合わせていない。
 あーちゃんはもう死んだ。
 わかりきっていたことだ。死んでから何かしてあげても無駄だ。生きているうちに��てあげないと、意味がない。だから、僕がこうしてここに立っている意味も、僕は見出すことができない。僕がここで、こうして呼吸をしていて、もうとっくに死んでしまったあーちゃんのお墓の前で、墓石を見つめている、その意味すら。
 もう一度、あーちゃんの墓に背中を向けて、僕は今度こそ歩き始めた。
「最近調子はどう?」
 墓地を出て、長い長い坂を下りながら、先生は僕にそう尋ねた。
「一ヶ月間、全くカウンセリング来なかったけど、何か変化があったりした?」
 黙っていると先生はさらにそう訊いてきたので、僕は仕方なく口を開く。
「別に、何も」
「ちゃんと飯食ってる? また少し痩せたんじゃない?」
「食べてますよ」
「飯食わないから、いつまでも身長伸びないんだよ」
 先生は僕の頭を、目覚まし時計を止める時のような動作で乱雑に叩く。
「ちょ……やめて下さいよ」
「あーっはっはっはっはー」
 嫌がって身をよじろうとするが、先生はそれでもなお、僕に攻撃してくる。
「ちゃんと食わないと。摂食障害になるとつらいよ」
「食べますよ、ちゃんと……」
「あと、ちゃんと寝た方がいい。夜九時に寝ろ。身長伸びねぇぞ」
「九時に寝られる訳ないでしょう、小学生じゃあるまいし……」
「勉強なんかしてるから、身長伸びねぇんだよ」
「そんな訳ないでしょう」
 あはは、と朗らかに彼女は笑う。そして最後に優しく、僕の頭を撫でた。
「負けるな、少年」
 負けるなと言われても、一体何に――そう問いかけようとして、僕は口をつぐむ。僕が何と戦っているのか、先生はわかっているのだ。
「最近、市野谷はどうしてる?」
 先生は何気ない声で、表情で、タイミングで、あっさりとその名前を口にした。
「さぁ……。最近会ってないし、電話もないし、わからないですね」
「ふうん。あ、そう」
 先生はそれ以上、追及してくることはなかった。ただ独り言のように、「やっぱり、まだ駄目か」と言っただけだった。
 郵便ポストのところまで歩いてきた時、先生は、「あたしはあっちだから」と僕の帰り道とは違う方向を指差した。
「駐車場で、葵が待ってるからさ」
「ああ、葵さん。一緒だったんですか」
「そ。少年は、バスで来たんだろ? 家まで車で送ろうか?」
 運転するのは葵だけど、と彼女は付け足して言ったが、僕は首を横に振った。
「ひとりで帰りたいんです」
「あっそ。気を付けて帰れよ」
 先生はそう言って、出会った時と同じように、ひらひらと手を振って別れた。
 路地を右に曲がった時、僕は片手をパーカーのポケットに入れて初めて、とっくに音楽が止まったままになっているイヤホンを、両耳に突っ込んだままだということに気が付いた。
 僕が小学校を卒業した、一年前の今日。
 あーちゃんは人生を中退した。
 自殺したのだ。十四歳だった。
 遺書の最後にはこう書かれていた。
「僕は透明人間なんです」
    あーちゃんは僕と同じ団地に住んでいて、僕より二つお兄さんだった。
 僕が小学一年生の夏に、あーちゃんは家族四人で引っ越してきた。冬は雪に閉ざされる、北の方からやって来たのだという話を聞いたことがあった。
 僕はあーちゃんの、団地で唯一の友達だった。学年の違う彼と、どんなきっかけで親しくなったのか正確には覚えていない。
 あーちゃんは物静かな人だった。小学生の時から、年齢と不釣り合いなほど彼は大人びていた。
 彼は人付き合いがあまり得意ではなく、友達がいなかった。口数は少なく、話す時もぼそぼそとした、抑揚のない平坦な喋り方で、どこか他人と距離を取りたがっていた。
 部屋にこもりがちだった彼の肌は雪みたいに白くて、青い静脈が皮膚にうっすら透けて見えた。髪が少し長くて、色も薄かった。彼の父方の祖母が外国人だったと知ったのは、ずっと後のことだ。銀縁の眼鏡をかけていて、何か困ったことがあるとそれをかけ直す癖があった。
 あーちゃんは器用だった。今まで何度も彼の部屋へ遊びに行ったことがあるけれど、そこには彼が組み立てたプラモデルがいくつも置かれていた。
 僕が加減を知らないままにそれを乱暴に扱い、壊してしまったこともあった。とんでもないことをしてしまったと、僕はひどく後悔してうつむいていた。ごめんなさい、と謝った。年上の友人の大切な物を壊してしまって、どうしたらよいのかわからなかった。鼻の奥がつんとした。泣きたいのは壊されたあーちゃんの方だっただろうに、僕は泣き出しそうだった。
 あーちゃんは、何も言わなかった。彼は立ち尽くす僕の前でしゃがみ込んだかと思うと、足下に散らばったいびつに欠けたパーツを拾い、引き出しの中からピンセットやら接着剤やらを取り出して、僕が壊した部分をあっという間に直してしまった。
 それらの作業がすっかり終わってから彼は僕を呼んで、「ほら見てごらん」と言った。
 恐る恐る近付くと、彼は直ったばかりの戦車のキャタピラ部分を指差して、
「ほら、もう大丈夫だよ。ちゃんと元通りになった。心配しなくてもいい。でもあと1時間は触っては駄目だ。まだ接着剤が乾かないからね」
 と静かに言った。あーちゃんは僕を叱ったりしなかった。
 僕は最後まで、あーちゃんが大声を出すところを一度も見なかった。彼が泣いている姿も、声を出して笑っているのも。
 一度だけ、あーちゃんの満面の笑みを見たことがある。
 夏のある日、僕とあーちゃんは団地の屋上に忍び込んだ。
 僕らは子供向けの雑誌に載っていた、よく飛ぶ紙飛行機の作り方を見て、それぞれ違うモデルの紙飛行機を作り、どちらがより遠くへ飛ぶのかを競走していた。
 屋上から飛ばしてみよう、と提案したのは僕だった。普段から悪戯などしない大人しいあーちゃんが、その提案に首を縦に振ったのは今思い返せば珍しいことだった。そんなことはそれ以前も以降も二度となかった。
 よく晴れた日だった。屋上から僕が飛ばした紙飛行機は、青い空を横切って、団地の駐車場の上を飛び、道路を挟んだ向かいの棟の四階、空き部屋のベランダへ不時着した。それは今まで飛ばしたどんな紙飛行機にも負けない、驚くべき距離だった。僕はすっかり嬉しくなって、得意げに叫んだ。
「僕が一番だ!」
 興奮した僕を見て、あーちゃんは肩をすくめるような動作をした。そして言った。
「まだわからないよ」
 あーちゃんの細い指が、紙飛行機を宙に放つ。丁寧に折られた白い紙飛行機は、ちょうどその時吹いてきた風に背中を押されるように屋上のフェンスを飛び越え、僕の紙飛行機と同じように駐車場の上を通り、向かいの棟の屋根を越え、それでもまだまだ飛び続け、青い空の中、最後は粒のようになって、ついには見えなくなってしまった。
 僕は自分の紙飛行機が負けた悔しさと、魔法のような素晴らしい出来事を目にした嬉しさとが半分ずつ混じった目であーちゃんを見た。その時、僕は見たのだ。
 あーちゃんは声を立てることはなかったが、満足そうな笑顔だった。
「僕は透明人間なんです」
 それがあーちゃんの残した最後の言葉だ。
 あーちゃんは、僕のことを怒ればよかったのだ。地団太を踏んで泣いてもよかったのだ。大声で笑ってもよかったのだ。彼との思い出を振り返ると、いつもそんなことばかり思う。彼はもう永遠に泣いたり笑ったりすることはない。彼は死んだのだから。
 ねぇ、あーちゃん。今のきみに、僕はどんな風に見えているんだろう。
 僕の横で静かに笑っていたきみは、決して透明なんかじゃなかったのに。
 またいつものように春が来て、僕は中学二年生になった。
 張り出されていたクラス替えの表を見て、そこに馴染みのある名前を二つ見つけた。今年は、二人とも僕と同じクラスのようだ。
 教室へ向かってみたけれど、始業の時間になっても、その二つの名前が用意された席には、誰も座ることはなかった。
「やっぱり、まだ駄目か」
 誰かと同じ言葉を口にしてみる。
 本当は少しだけ、期待していた。何かが良くなったんじゃないかと。
 だけど教室の中は新しいクラスメイトたちの喧騒でいっぱいで、新年度一発目、始業式の今日、二つの席が空白になっていることに誰も触れやしない。何も変わってなんかない。
 何も変わらないまま、僕は中学二年生になった。
 あーちゃんが死んだ時の学年と同じ、中学二年生になった。
 あの日、あーちゃんの背中を押したのであろう風を、僕はずっと探してる。
 青い空の果てに、小さく消えて行ってしまったあーちゃんを、僕と「ひーちゃん」に返してほしくて。
    鉛筆を紙の上に走らせる音が、止むことなく続いていた。
「何を描いてるの?」
「絵」
「なんの絵?」
「なんでもいいでしょ」
「今年は、同じクラスみたいだね」
「そう」
「その、よろしく」
 表情を覆い隠すほど長い前髪の下、三白眼が一瞬僕を見た。
「よろしくって、何を?」
「クラスメイトとして、いろいろ……」
「意味ない。クラスなんて、関係ない」
 抑揚のない声でそう言って、双眸は再び紙の上へと向けられてしまった。
「あ、そう……」
 昼休みの保健室。
 そこにいるのは二人の人間。
 ひとりはカーテンの開かれたベッドに腰掛け、胸にはスケッチブック、右手には鉛筆を握り締めている。
 もうひとりはベッドの脇のパイプ椅子に座り、特にすることもなく片膝を抱えている。こっちが僕だ。
 この部屋の主であるはずの鬼怒田先生は、何か用があると言って席を外している。一体なんの仕事があるのかは知らないが、この学校の養護教諭はいつも忙しそうだ。
 僕はすることもないので、ベッドに座っているそいつを少しばかり観察する。忙しそうに鉛筆を動かしている様子を見ると、今はこちらに注意を払ってはいなそうだから、好都合だ。
 伸びてきて邪魔になったから切った、と言わんばかりのショートカットの髪。正反対に長く伸ばされた前髪は、栄養状態の悪そうな青白い顔を半分近く隠している。中学二年生としては小柄で華奢な体躯。制服のスカートから伸びる足の細さが痛々しく見える。
 彼女の名前は、河野ミナモ。僕と同じクラス、出席番号は七番。
 一言で表現するならば、彼女は保健室登校児だ。
 鉛筆の音が、止んだ。
「なに?」
 ミナモの瞬きに合わせて、彼女の前髪が微かに動く。少しばかり長く見つめ続けてしまったみたいだ。「いや、なんでもない」と言って、僕は天井を仰ぐ。
 ミナモは少しの間、何も言わずに僕の方を見ていたようだが、また鉛筆を動かす作業を再開した。
 鉛筆を走らせる音だけが聞こえる保健室。廊下の向こうからは、楽しそうに駆ける生徒たちの声が聞こえてくるが、それもどこか遠くの世界の出来事のようだ。この空間は、世界から切り離されている。
「何をしに来たの」
「何をって?」
「用が済んだなら、帰れば」
 新年度が始まったばかりだからだろうか、ミナモは機嫌が悪いみたいだ。否、機嫌が悪いのではなく、具合が悪いのかもしれない。今日の彼女はいつもより顔色が悪いように見える。
「いない方がいいなら、出て行くよ」
「ここにいてほしい人なんて、いない」
 平坦な声。他人を拒絶する声。憎しみも悲しみも全て隠された無機質な声。
「出て行きたいなら、出て行けば?」
 そう言うミナモの目が、何かを試すように僕を一瞥した。僕はまだ、椅子から立ち上がらない。彼女は「あっそ」とつぶやくように言った。
「市野谷さんは、来たの?」
 ミナモの三白眼がまだ僕を見ている。
「市野���さんも同じクラスなんでしょ」
「なんだ、河野も知ってたのか」
「質問に答えて」
「……来てないよ」
「そう」
 ミナモの前髪が揺れる。瞬きが一回。
「不登校児二人を同じクラスにするなんて、学校側の考えてることってわからない」
 彼女の言葉通り、僕のクラスには二人の不登校児がいる。
 ひとりはこの河野ミナモ。
 そしてもうひとりは、市野谷比比子。僕は彼女のことを昔から、「ひーちゃん」と呼んでいた。
 二人とも、中学に入学してきてから一度も教室へ登校してきていない。二人の机と椅子は、一度も本人に使われることなく、今日も僕の教室にある。
 といっても、保健室登校児であるミナモはまだましな方で、彼女は一年生の頃から保健室には登校してきている。その点ひーちゃんは、中学校の門をくぐったこともなければ、制服に袖を通したことさえない。
 そんな二人が今年から僕と同じクラスに所属になったことには、正直驚いた。二人とも僕と接点があるから、なおさらだ。
「――くんも、」
 ミナモが僕の名を呼んだような気がしたが、上手く聞き取れなかった。
「大変ね、不登校児二人の面倒を見させられて」
「そんな自嘲的にならなくても……」
「だって、本当のことでしょ」
 スケッチブックを抱えるミナモの左腕、ぶかぶかのセーラー服の袖口から、包帯の巻かれた手首が見える。僕は自分の左手首を見やる。腕時計をしているその下に、隠した傷のことを思う。
「市野谷さんはともかく、教室へ行く気なんかない私の面倒まで、見なくてもいいのに」
「面倒なんて、見てるつもりないけど」
「私を訪ねに保健室に来るの、――くんくらいだよ」
 僕の名前が耳障りに響く。ミナモが僕の顔を見た。僕は妙な表情をしていないだろうか。平然を装っているつもりなのだけれど。
「まだ、気にしているの?」
「気にしてるって、何を?」
「あの日のこと」
 あの日。
 あの春の日。雨の降る屋上で、僕とミナモは初めて出会った。
「死にたがり屋と死に損ない」
 日褄先生は僕たちのことをそう呼んだ。どっちがどっちのことを指すのかは、未だに訊けていないままだ。
「……気にしてないよ」
「そう」
 あっさりとした声だった。ミナモは壁の時計をちらりと見上げ、「昼休み終わるよ、帰れば」と言った。
 今度は、僕も立ち上がった。「それじゃあ」と口にしたけれど、ミナモは既に僕への興味を失ったのか、スケッチブックに目線を落とし、返事のひとつもしなかった。
 休みなく動き続ける鉛筆。
 立ち上がった時にちらりと見えたスケッチブックは、ただただ黒く塗り潰されているだけで、何も描かれてなどいなかった。
    ふと気付くと、僕は自分自身が誰なのかわからなくなっている。
 自分が何者なのか、わからない。
 目の前で展開されていく風景が虚構なのか、それとも現実なのか、そんなことさえわからなくなる。
 だがそれはほんの一瞬のことで、本当はわかっている。
 けれど感じるのだ。自分の身体が透けていくような感覚を。「自分」という存在だけが、ぽっかりと穴を空けて突っ立っているような。常に自分だけが透明な膜で覆われて、周囲から隔離されているかのような疎外感と、なんの手応えも得られない虚無感と。
 あーちゃんがいなくなってから、僕は頻繁にこの感覚に襲われるようになった。
 最初は、授業が終わった後の短い休み時間。次は登校中と下校中。その次は授業中にも、というように、僕が僕をわからなくなる感覚は、学校にいる間じゅうずっと続くようになった。しまいには、家にいても、外にいても、どこにいてもずっとそうだ。
 周りに人がいればいるほど、その感覚は強かった。たくさんの人の中、埋もれて、紛れて、見失う。自分がさっきまで立っていた場所は、今はもう他の人が踏み荒らしていて。僕の居場所はそれぐらい危ういところにあって。人混みの中ぼうっとしていると、僕なんて消えてしまいそうで。
 頭の奥がいつも痛かった。手足は冷え切ったみたいに血の気がなくて。酸素が薄い訳でもないのにちゃんと息ができなくて。周りの人の声がやたら大きく聞こえてきて。耳の中で何度もこだまする、誰かの声。ああ、どうして。こんなにも人が溢れているのに、ここにあーちゃんはいないんだろう。
 僕はどうして、ここにいるんだろう。
「よぉ、少年」
 旧校舎、屋上へ続く扉を開けると、そこには先客がいた。
 ペンキがところどころ剥げた緑色のフェンスにもたれるようにして、床に足を投げ出しているのは日褄先生だった。今日も真っ黒な恰好で、ココナッツのにおいがする不思議な煙草を咥えている。
「田島先生が、先生のことを昼休みに探してましたよ」
「へへっ。そりゃ参ったね」
 煙をゆらゆらと立ち昇らせて、先生は笑う。それからいつものように、「せんせーって呼ぶなよ」と付け加えた。彼女はさらに続けて言う。
「それで? 少年は何をし、こんなところに来たのかな?」
「ちょっと外の空気を吸いに」
「おお、奇遇だねぇ。あたしも外の空気を吸いに……」
「吸いにきたのはニコチンでしょう」
 僕がそう言うと、先生は、「あっはっはっはー」と高らかに笑った。よく笑う人だ。
「残念だが少年、もう午後の授業は始まっている時間だし、ここは立ち入り禁止だよ」
「お言葉ですが先生、学校の敷地内は禁煙ですよ」
「しょうがない、今からカウンセリングするってことにしておいてあげるから、あたしの喫煙を見逃しておくれ。その代わり、あたしもきみの授業放棄を許してあげよう」
 先生は右手でぽんぽんと、自分の隣、雨上がりでまだ湿気っているであろう床を叩いた。座れと言っているようだ。僕はそれに従わなかった。
 先客がいたことは予想外だったが、僕は本当に、ただ、外の空気を吸いたくなってここに来ただけだ。授業を途中で抜けてきたこともあって、長居をするつもりはない。
 ふと、視界の隅に「それ」が目に入った。
 フェンスの一角に穴が空いている。ビニールテープでぐるぐる巻きになっているそこは、テープさえなければ屋上の崖っぷちに立つことを許している。そう。一年前、あそこから、あーちゃんは――。
(ねぇ、どうしてあーちゃんは、そらをとんだの?)
 僕の脳裏を、いつかのひーちゃんの言葉がよぎる。
(あーちゃん、かえってくるよね? また、あえるよね?)
 ひーちゃんの言葉がいくつもいくつも、風に飛ばされていく桜の花びらと同じように、僕の目の前を通り過ぎていく。
「こんなところで、何をしていたんですか」
 そう質問したのは僕の方だった。「んー?」と先生は煙草の煙を吐きながら言う。
「言っただろ、外の空気を吸いに来たんだよ」
「あーちゃんが死んだ、この場所の空気を、ですか」
 先生の目が、僕を見た。その鋭さに、一瞬ひるみそうになる。彼女は強い。彼女の意思は、強い。
「同じ景色を見たいと思っただけだよ」
 先生はそう言って、また煙草をふかす。
「先生、」
「せんせーって呼ぶな」
「質問があるんですけど」
「なにかね」
「嘘って、何回つけばホントになるんですか」
「……んー?」
 淡い桜色の小さな断片が、いくつもいくつも風に流されていく。僕は黙って、それを見ている。手を伸ばすこともしないで。
「嘘は何回ついたって、嘘だろ」
「ですよね」
「嘘つきは怪人二十面相の始まりだ」
「言っている意味がわかりません」
「少年、」
「はい」
「市野谷に嘘つくの、しんどいのか?」
 先生の煙草の煙も、みるみるうちに風に流されていく。手を伸ばしたところで、掴むことなどできないまま。
「市野谷に、直正は死んでないって、嘘をつき続けるの、しんどいか?」
 ひーちゃんは知らない。あーちゃんが去年ここから死んだことを知らない。いや、知らない訳じゃない。認めていないのだ。あーちゃんの死を認めていない。彼がこの世界に僕らを置き去りにしたことを、許してい���い。
 ひーちゃんはずっと信じている。あーちゃんは生きていると。いつか帰ってくると。今は遠くにいるけれど、きっとまた会える日が来ると。
 だからひーちゃんは知らない。彼の墓石の冷たさも、彼が飛び降りたこの屋上の景色が、僕の目にどう映っているのかも。
 屋上。フェンス。穴。空。桜。あーちゃん。自殺。墓石。遺書。透明人間。無。なんにもない。ない。空っぽ。いない。いないいないいないいない。ここにもいない。どこにもいない。探したっていない。消えた。消えちゃった。消滅。消失。消去。消しゴム。弾んで。飛んで。落ちて。転がって。その先に拾ってくれるきみがいて。笑顔。笑って。笑ってくれて。だけどそれも消えて。全部消えて。消えて消えて消えて。ただ昨日を越えて今日が過ぎ明日が来る。それを繰り返して。きみがいない世界で。ただ繰り返して。ひーちゃん。ひーちゃんが笑わなくなって。泣いてばかりで。だけどもうきみがいない。だから僕が。僕がひーちゃんを慰めて。嘘を。嘘をついて。ついてはいけない嘘を。ついてはいけない嘘ばかりを。それでもひーちゃんはまた笑うようになって。笑顔がたくさん戻って。だけどどうしてあんなにも、ひーちゃんの笑顔は空っぽなんだろう。
「しんどくなんか、ないですよ」
 僕はそう答えた。
 先生は何も言わなかった。
 僕は明日にでも、怪人二十面相になっているかもしれなかった。
    いつの間にか梅雨が終わり、実力テストも期末テストもクリアして、夏休みまであと一週間を切っていた。
 ひと夏の解放までカウントダウンをしている今、僕のクラスの連中は完璧な気だるさに支配されていた。自主性や積極性などという言葉とは無縁の、慣性で流されているような脱力感。
 先週に教室の天井四ヶ所に取り付けられている扇風機が全て故障したこともあいまって、クラスメイトたちの授業に対する意欲はほぼゼロだ。授業がひとつ終わる度に、皆溶け出すように机に上半身を投げ出しており、次の授業が始まったところで、その姿勢から僅かに起き上がる程度の差しかない。
 そういう僕も、怠惰な中学二年生のひとりに過ぎない。さっきの英語の授業でノートに書き記したことと言えば、英語教師の松田が何回額の汗を脱ぐったのかを表す「正」の字だけだ。
 休み時間に突入し、がやがやと騒がしい教室で、ひとりだけ仲間外れのように沈黙を守っていると、肘辺りから空気中に溶け出して、透明になっていくようなそんな気分になる。保健室には来るものの、自分の教室へは絶対に足を運ばないミナモの気持ちがわかるような気がする。
 一学期がもうすぐ終わるこの時期になっても、相変わらず僕のクラスには常に二つの空席があった。ミナモも、ひーちゃんも、一度だって教室に登校してきていない。
「――くん、」
 なんだか控えめに名前を呼ばれた気はしたが、クラスの喧騒に紛れて聞き取れなかった。
 ふと机から顔を上げると、ひとりの女子が僕の机の脇に立っていた。見たことがあるような顔。もしかして、クラスメイトのひとりだろうか。彼女は廊下を指差して、「先生、呼んでる」とだけ言って立ち去った。
 あまりにも唐突な出来事でその女子にお礼を言うのも忘れたが、廊下には担任の姿が見える。僕��クラス担任の担当科目は数学だが、次の授業は���語だ。なんの用かはわからないが、呼んでいるのなら行かなくてはならない。
「おー、悪いな、呼び出して」
 去年大学を卒業したばかりの、どう見ても体育会系な容姿をしている担任は、僕を見てそう言った。
「ほい、これ」
 突然差し出されたのはプリントの束だった。三十枚くらいありそうなプリントが穴を空けられ紐を通して結んである。
「悪いがこれを、市野谷さんに届けてくれないか」
 担任がひーちゃんの名を口にしたのを聞いたのは、久しぶりのような気がした。もう朝の出欠確認の時でさえ、彼女の名前は呼ばれない。ミナモの名前だってそうだ。このクラスでは、ひーちゃんも、ミナモも、いないことが自然なのだ。
「……先生が、届けなくていいんですか」
「そうしたいのは山々なんだが、なかなか時間が取れなくてな。夏休みに入ったら家庭訪問に行こうとは思ってるんだ。このプリントは、それまでにやっておいてほしい宿題。中学に入ってから二年の一学期までに習う数学の問題を簡単にまとめたものなんだ」
「わかりました、届けます」
 受け取ったプリントの束は、思っていたよりもずっとずっしりと重かった。
「すまんな。市野谷さんと小学生の頃一番仲が良かったのは、きみだと聞いたものだから」
「いえ……」
 一年生の時から、ひーちゃんにプリントを届けてほしいと教師に頼まれることはよくあった。去年は彼女と僕は違うクラスだったけれど、同じ小学校出身の誰かに僕らが幼馴染みであると聞いたのだろう。
 僕は学校に来なくなったひーちゃんのことを毛嫌いしている訳ではない。だから、何か届け物を頼まれてもそんなに嫌な気持ちにはならない。でも、と僕は思った。
 でも僕は、ひーちゃんと一番仲が良かった訳じゃないんだ。
「じゃあ、よろしく頼むな」
 次の授業の始業のチャイムが鳴り響く。
 教室に戻り、出したままだった英語の教科書と「正」の字だけ記したノートと一緒に、ひーちゃんへのプリントの束を鞄に仕舞いながら、なんだか僕は泣きたくなった。
  三角形が壊れるのは簡単だった。
 三角形というのは、三辺と三つの角でできていて、当然のことだけれど一辺とひとつの角が消失したら、それはもう三角形ではない。
 まだ小学校に上がったばかりの頃、僕はどうして「さんかっけい」や「しかっけい」があるのに「にかっけい」がないのか、と考えていたけれど、どうやら僕の脳味噌は、その頃から数学的思考というものが不得手だったようだ。
「にかっけい」なんてあるはずがない。
 僕と、あーちゃんと、ひーちゃん。
 僕ら三人は、三角形だった。バランスの取りやすい形。
 始まりは悲劇だった。
 あの悪夢のような交通事故。ひーちゃんの弟の死。
 真っ白なワンピースが汚れることにも気付かないまま、真っ赤になった弟の身体を抱いて泣き叫ぶひーちゃんに手を伸ばしたのは、僕と一緒に下校する途中のあーちゃんだった。
 お互いの家が近かったこともあって、それから僕らは一緒にいるようになった。
 溺愛していた最愛の弟を、目の前で信号無視したダンプカーに撥ねられて亡くしたひーちゃんは、三人で一緒にいてもときどき何かを思い出したかのように暴れては泣いていたけれど、あーちゃんはいつもそれをなだめ、泣き止むまでずっと待っていた。
 口下手な彼は、ひーちゃんに上手く言葉をかけることがいつもできずにいたけれど、僕が彼の言葉を補って彼女に伝えてあげていた。
 優しくて思いやりのあるひーちゃんは、感情を表すことが苦手なあーちゃんのことをよく気遣ってくれていた。
 僕らは嘘みたいにバランスの取れた三角形だった。
 あーちゃんが、この世界からいなくなるまでは。
   「夏は嫌い」
 昔、あーちゃんはそんなことを口にしていたような気がする。
「どうして?」
 僕はそう訊いた。
 夏休み、花火、虫捕り、お祭り、向日葵、朝顔、風鈴、西瓜、プール、海。
 水の中の金魚の世界と、バニラアイスの木べらの湿り気。
 その頃の僕は今よりもずっと幼くて、四季の中で夏が一番好きだった。
 あーちゃんは部屋の窓を網戸にしていて、小さな扇風機を回していた。
 彼は夏休みも相変わらず外に出ないで、部屋の中で静かに過ごしていた。彼の傍らにはいつも、星座の本と分厚い昆虫図鑑が置いてあった。
「夏、暑いから嫌いなの?」
 僕が尋ねるとあーちゃんは抱えていた分厚い本からちょっとだけ顔を上げて、小さく首を横に振った。それから困ったように笑って、
「夏は、皆死んでいるから」
 とだけ、つぶやくように言った。あーちゃんは、時々魔法の呪文のような、不思議なことを言って僕を困惑させることがあった。この時もそうだった。
「どういう意味?」
 僕は理解できずに、ただ訊き返した。
 あーちゃんはさっきよりも大きく首を横に振ると、何を思ったのか、唐突に、
「ああ、でも、海に行ってみたいな」
 なんて言った。
「海?」
「そう、海」
「どうして、海?」
「海は、色褪せてないかもしれない。死んでないかもしれない」
 その言葉の意味がわからず、僕が首を傾げていると、あーちゃんはぱたんと本を閉じて机に置いた。
「台所へ行こうか。確か、母さんが西瓜を切ってくれていたから。一緒に食べよう」
「うん!」
 僕は西瓜に釣られて、わからなかった言葉のことも、すっかり忘れてしまった。
 でも今の僕にはわかる。
 夏の日射しは、世界を色褪せさせて僕の目に映す。
 あーちゃんはそのことを、「死んでいる」と言ったのだ。今はもう確かめられないけれど。
 結局、僕とあーちゃんが海へ行くことはなかった。彼から海へ出掛けた話を聞いたこともないから、恐らく、海へ行くことなく死んだのだろう。
 あーちゃんが見ることのなかった海。
 海は日射しを浴びても青々としたまま、「生きて」いるんだろうか。
 彼が死んでから、僕も海へ足を運んでいない。たぶん、死んでしまいたくなるだろうから。
 あーちゃん。
 彼のことを「あーちゃん」と名付けたのは僕だった。
 そういえば、どうして僕は「あーちゃん」と呼び始めたんだっけか。
 彼の名前は、鈴木直正。
 どこにも「あーちゃん」になる要素はないのに。
    うなじを焼くようなじりじりとした太陽光を浴びながら、ペダルを漕いだ。
 鼻の頭からぷつぷつと汗が噴き出すのを感じ、手の甲で汗を拭おうとしたら手は既に汗で湿っていた。雑音のように蝉の声が響いている。道路の脇には背の高い向日葵は、大きな花を咲かせているのに風がないので微動だにしない。
 赤信号に止められて、僕は自転車のブレーキをかける。
 夏がくる度、思い出す。
 僕とあーちゃんが初めてひーちゃんに出会い、そして彼女の最愛の弟「ろーくん」が死んだ、あの事故のことを。
 あの日も、世界が真っ白に焼き切れそうな、暑い日だった。
 ひーちゃんは白い木綿のワンピースを着ていて、それがとても涼しげに見えた。ろーくんの血で汚れてしまったあのワンピースを、彼女はもうとっくに捨ててしまったのだろうけれど。
 そういえば、ひーちゃんはあの事故の後、しばらくの間、弟の形見の黒いランドセルを使っていたっけ。黒い服ばかり着るようになって。周りの子はそんな彼女を気味悪がったんだ。
 でもあーちゃんは、そんなひーちゃんを気味悪がったりしなかった。
 信号が赤から青に変わる。再び漕ぎ出そうとペダルに足を乗せた時、僕の両目は横断歩道の向こうから歩いて来るその人を捉えて凍りついてしまった。
 胸の奥の方が疼く。急に、聞こえてくる蝉の声が大きくなったような気がした。喉が渇いた。頬を撫でるように滴る汗が気持ち悪い。
 信号は青になったというのに、僕は動き出すことができない。向こうから歩いて来る彼は、横断歩道を半分まで渡ったところで僕に気付いたようだった。片眉を持ち上げ、ほんの少し唇の端を歪める。それが笑みだとわかったのは、それとよく似た笑顔をずいぶん昔から知っているからだ。
「うー兄じゃないですか」
 うー兄。彼は僕をそう呼んだ。
 声変わりの途中みたいな声なのに、妙に大人びた口調。ぼそぼそとした喋り方。
 色素の薄い頭髪。切れ長の一重瞼。ひょろりと伸びた背。かけているのは銀縁眼鏡。
 何もかもが似ているけれど、日に焼けた真っ黒な肌と筋肉のついた足や腕だけは、記憶の中のあーちゃんとは違う。
 道路を渡り終えてすぐ側まで来た彼は、親しげに僕に言う。
「久しぶりですね」
「……久しぶり」
 僕がやっとの思いでそう声を絞り出すと、彼は「ははっ」と笑った。きっとあーちゃんも、声を上げて笑うならそういう風に笑ったんだろうなぁ、と思う。
「どうしたんですか。驚きすぎですよ」
 困ったような笑顔で、眼鏡をかけ直す。その手つきすらも、そっくり同じ。
「嫌だなぁ。うー兄は僕のことを見る度、まるで幽霊でも見たような顔するんだから」
「ごめんごめん」
「ははは、まぁいいですよ」
 僕が謝ると、「あっくん」はまた笑った。
 彼、「あっくん」こと鈴木篤人くんは、僕の一個下、中学一年生。私立の学校に通っているので僕とは学校が違う。野球部のエースで、勉強の成績もクラストップ。僕の団地でその中学に進学できた子供は彼だけだから、団地の中で知らない人はいない優等生だ。
 年下とは思えないほど大人びた少年で、あーちゃんにそっくりな、あーちゃんの弟。
「中学は、どう? もう慣れた?」
「慣れましたね。今は部活が忙しくて」
「運動部は大変そうだもんね」
「うー兄は、帰宅部でしたっけ」
「そう。なんにもしてないよ」
「今から、どこへ行くんですか?」
「ああ、えっと、ひーちゃんに届け物」
「ひー姉のところですか」
 あっくんはほんの一瞬、愛想笑いみたいな顔をした。
「ひー姉、まだ学校に行けてないんですか?」
「うん」
「行けるようになるといいですね」
「そうだね」
「うー兄は、元気にしてましたか?」
「僕? 元気だけど……」
「そうですか。いえ、なんだかうー兄、兄貴に似てきたなぁって思ったものですから」
「僕が?」
 僕があーちゃんに似てきている?
「顔のつくりとかは、もちろん違いますけど、なんていうか、表情とか雰囲気が、兄貴に似てるなぁって」
「そうかな……」
 僕にそんな自覚はないのだけれど。
「うー兄も死んじゃいそうで、心配です」
 あっくんは柔らかい笑みを浮かべたままそう言った。
「……そう」
 僕はそう返すので精いっぱいだった。
「それじゃ、ひー姉によろしくお伝え下さい」
「じゃあ、また……」
 あーちゃんと同じ声で話し、あーちゃんと同じように笑う彼は、夏の日射しの中を歩いて行く。
(兄貴は、弱いから駄目なんだ)
 いつか彼が、あーちゃんに向けて言った言葉。
 あーちゃんは自分の弟にそう言われた時でさえ、怒ったりしなかった。ただ「そうだね」とだけ返して、少しだけ困ったような顔をしてみせた。
 あっくんは、強い。
 姿や雰囲気は似ているけれど、性格というか、芯の強さは全く違う。
 あーちゃんの死を自分なりに受け止めて、乗り越えて。部活も勉強も努力して。あっくんを見ているといつも思う。兄弟でもこんなに違うものなのだろうか、と。ひとりっ子の僕にはわからないのだけれど。
 僕は、どうだろうか。
 あーちゃんの死を受け入れて、乗り越えていけているだろうか。
「……死相でも出てるのかな」
 僕があーちゃんに似てきている、なんて。
 笑えない冗談だった。
 ふと見れば、信号はとっくに赤になっていた。青になるまで待つ間、僕の心から言い表せない不安が拭えなかった。
    遺書を思い出した。
 あーちゃんの書いた遺書。
「僕の分まで生きて。僕は透明人間なんです」
 日褄先生はそれを、「ばっかじゃねーの」って笑った。
「透明人間は見えねぇから、透明人間なんだっつーの」
 そんな風に言って、たぶん、泣いてた。
「僕の分まで生きて」
 僕は自分の鼓動を聞く度に、その言葉を繰り返し、頭の奥で聞いていたような気がする。
 その度に自分に問う。
 どうして生きているのだろうか、と。
  部屋に一歩踏み入れると、足下でガラスの破片が砕ける音がした。この部屋でスリッパを脱ぐことは自傷行為に等しい。
「あー、うーくんだー」
 閉められたカーテン。閉ざされたままの雨戸。
 散乱した物。叩き壊された物。落下したままの物。破り捨てられた物。物の残骸。
 その中心に、彼女はいる。
「久しぶりだね、ひーちゃん」
「そうだねぇ、久しぶりだねぇ」
 壁から落下して割れた時計は止まったまま。かろうじて壁にかかっているカレンダーはあの日のまま。
「あれれー、うーくん、背伸びた?」
「かもね」
「昔はこーんな小さかったのにねー」
「ひーちゃんに初めて会った時だって、そんなに小さくなかったと思うよ」
「あははははー」
 空っぽの笑い声。聞いているこっちが空しくなる。
「はい、これ」
「なに? これ」
「滝澤先生に頼まれたプリント」
「たきざわって?」
「今度のクラスの担任だよ」
「ふーん」
「あ、そうだ、今度は僕の同じクラスに……」
 彼女の手から投げ捨てられたプリントの束が、ろくに掃除されていない床に落ちて埃を巻き上げた。
「そういえば、あいつは?」
「あいつって?」
「黒尽くめの」
「黒尽くめって……日褄先生のこと?」
「まだいる?」
「日褄先生なら、今年度も学校にいるよ」
「なら、学校には行かなーい」
「どうして?」
「だってあいつ、怖いことばっかり言うんだもん」
「怖いこと?」
「あーちゃんはもう、死んだんだって」
「…………」
「ねぇ、うーくん」
「……なに?」
「うーくんはどうして、学校に行けるの? まだあーちゃんが帰って来ないのに」
 どうして僕は、生きているんだろう。
「『僕』はね、怖いんだよ、うーくん。あーちゃんがいない毎日が。『僕』の毎日の中に、あーちゃんがいないんだよ。『僕』は怖い。毎日が怖い。あーちゃんのこと、忘れそうで怖い。あーちゃんが『僕』のこと、忘れそうで怖い……」
 どうしてひーちゃんは、生きているんだろう。
「あーちゃんは今、誰の毎日の中にいるの?」
 ひーちゃんの言葉はいつだって真っ直ぐだ。僕の心を突き刺すぐらい鋭利だ。僕の心を掻き回すぐらい乱暴だ。僕の心をこてんぱんに叩きのめすぐらい凶暴だ。
「ねぇ、うーくん」
 いつだって思い知らされる。僕が駄目だってこと。
「うーくんは、どこにも行かないよね?」
 いつだって思い知らせてくれる。僕じゃ駄目だってこと。
「どこにも、行かないよ」
 僕はどこにも行けない。きみもどこにも行けない。この部屋のように時が止まったまま。あーちゃんが死んでから、何もかもが停止したまま。
「ふーん」
 どこか興味なさそうな、ひーちゃんの声。
「よかった」
 その後、他愛のない話を少しだけして、僕はひーちゃんの家を後にした。
 死にたくなるほどの夏の熱気に包まれて、一気に現実に引き戻された気分になる。
 こんな現実は嫌なんだ。あーちゃんが欠けて、ひーちゃんが壊れて、僕は嘘つきになって、こんな世界は、大嫌いだ。
 僕は自分に問う。
 どうして僕は、生きているんだろう。
 もうあーちゃんは死んだのに。
   「ひーちゃん」こと市野谷比比子は、小学生の頃からいつも奇異の目で見られていた。
「市野谷さんは、まるで死体みたいね」
 そんなことを彼女に言ったのは、僕とひーちゃんが小学四年生の時の担任だった。
 校舎の裏庭にはクラスごとの畑があって、そこで育てている作物の世話を、毎日クラスの誰かが当番制でしなくてはいけなかった。それは夏休み期間中も同じだった。
 僕とひーちゃんが当番だった夏休みのある日、黙々と草を抜いていると、担任が様子を見にやって来た。
「頑張ってるわね」とかなんとか、最初はそんな風に声をかけてきた気がする。僕はそれに、「はい」とかなんとか、適当に返事をしていた。ひーちゃんは何も言わず、手元の草を引っこ抜くことに没頭していた。
 担任は何度かひーちゃんにも声をかけたが、彼女は一度もそれに答えなかった。
 ひーちゃんはいつもそうだった。彼女が学校で口を利くのは、同じクラスの僕と、二つ上の学年のあーちゃんにだけ。他は、クラスメイトだろうと教師だろうと、一言も言葉を発さなかった。
 この当番を決める時も、そのことで揉めた。
 くじ引きでひーちゃんと同じ当番に割り当てられた意地の悪い女子が、「せんせー、市野谷さんは喋らないから、当番の仕事が一緒にやりにくいでーす」と皆の前で言ったのだ。
 それと同時に、僕と一緒の当番に割り当てられた出っ歯の野郎が、「市野谷さんと仲の良い――くんが市野谷さんと一緒にやればいいと思いまーす」と、僕の名前を指名した。
 担任は困ったような笑顔で、
「でも、その二人だけを仲の良い者同士にしたら、不公平じゃないかな? 皆だって、仲の良い人同士で一緒の当番になりたいでしょう? 先生は普段あまり仲が良くない人とも仲良くなってもらうために、当番の割り振りをくじ引きにしたのよ。市野谷さんが皆ともっと仲良くなったら、皆も嬉しいでしょう?」
 と言った。意地悪ガールは間髪入れずに、
「喋らない人とどうやって仲良くなればいいんですかー?」
 と返した。
 ためらいのない発言だった。それはただただ純粋で、悪意を含んだ発言だった。
「市野谷さんは私たちが仲良くしようとしてもいっつも無視してきまーす。それって、市野谷さんが私たちと仲良くしたくないからだと思いまーす。それなのに、無理やり仲良くさせるのは良くないと思いまーす」
「うーん、そんなことはないわよね、市野谷さん」
 ひーちゃんは何も言わなかった。まるで教室内での出来事が何も耳に入っていないかのような表情で、窓の外を眺めていた。
「市野谷さん? 聞いているの?」
「なんか言えよ市野谷」
 男子がひーちゃんの机を蹴る。その振動でひーちゃんの筆箱が机から滑り落ち、がちゃんと音を立てて中身をぶちまけたが、それでもひーちゃんには変化は訪れない。
 クラスじゅうにざわざわとした小さな悪意が満ちる。
「あの子ちょっとおかしいんじゃない?」
 そんな囁きが満ちる。担任の困惑した顔。意地悪いクラスメイトたちの汚らわしい視線。
 僕は知っている。まるでここにいないかのような顔をして、窓の外を見ているひーちゃんの、その視線の先を。窓から見える新校舎には、彼女の弟、ろーくんがいた一年生の教室と、六年生のあーちゃんがいる教室がある。
 ひーちゃんはいつも、ぼんやりとそっちばかりを見ている。教室の中を見渡すことはほとんどない。彼女がここにいないのではない。彼女にとって、こっちの世界が意味を成していないのだ。
「市野谷さんは、死体みたいね」
 夏休み、校舎裏の畑。
 その担任の一言に、僕は思わずぎょっとした。担任はしゃがみ込み、ひーちゃんに目線を合わせようとしながら、言う。
「市野谷さんは、どうしてなんにも言わないの? なんにも思わないの? あんな風に言われて、反論したいなって思わないの?」
 ひーちゃんは黙って草を抜き続けている。
「市野谷さんは、皆と仲良くなりたいって思わない? 皆は、市野谷さんと仲良くなりたいって思ってるわよ」
 ひーちゃんは黙っている。
「市野谷さんは、ずっとこのままでいるつもりなの? このままでいいの? お友達がいないままでいいの?」
 ひーちゃんは。
「市野谷さん?」
「うるさい」
 どこかで蝉が鳴き止んだ。
 彼女が僕とあーちゃん以外の人間に言葉を発したところを、僕は初めて見た。彼女は担任を睨み付けるように見つめていた。真っ黒な瞳が、鋭い眼光を放っている。
「黙れ。うるさい。耳障り」
 ひーちゃんが、僕の知らない表情をした。それはクラスメイトたちがひーちゃんに向けたような、玩具のような悪意ではなかった。それは本当の、なんの混じり気もない、殺意に満ちた顔だった。
「あんたなんか、死んじゃえ」
 振り上げたひーちゃんの右手には、草抜きのために職員室から貸し出された鎌があって――。
「ひーちゃん!」
 間一髪だった。担任は真っ青な顔で、息も絶え絶えで、しかし、その鎌の一撃をかろうじてかわした。担任は震えながら、何かを叫びながら校舎の方へと逃げるように走り去って行く。
「ひーちゃん、大丈夫?」
 僕は地面に突き刺した鎌を固く握りしめたまま、動かなくなっている彼女に声をかけた。
「友達なら、いるもん」
 うつむいたままの彼女が、そうぽつりと言う。
「あーちゃんと、うーくんがいるもん」
 僕はただ、「そうだね」と言って、そっと彼女の頭を撫でた。
    小学生の頃からどこか危うかったひーちゃんは、あーちゃんの自殺によって完全に壊れてしまった。
 彼女にとってあーちゃんがどれだけ大切な存在だったかは、説明するのが難しい。あーちゃんは彼女にとって絶対唯一の存在だった。失ってはならない存在だった。彼女にとっては、あーちゃん以外のものは全てどうでもいいと思えるくらい、それくらい、あーちゃんは特別だった。
 ひーちゃんが溺愛していた最愛の弟、ろーくんを失ったあの日。
 あの日から、ひーちゃんの心にぽっかりと空いた穴を、あーちゃんの存在が埋めてきたからだ。
 あーちゃんはひーちゃんの支えだった。
 あーちゃんはひーちゃんの全部だった。
 あーちゃんはひーちゃんの世界だった。
 そして、彼女はあーちゃんを失った。
 彼女は入学することになっていた中学校にいつまで経っても来なかった。来るはずがなかった。来れるはずがなかった。そこはあーちゃんが通っていたのと同じ学校であり、あーちゃんが死んだ場所でもある。
 ひーちゃんは、まるで死んだみたいだった。
 一日中部屋に閉じこもって、食事を摂ることも眠ることも彼女は拒否した。
 誰とも口を利かなかった。実の親でさえも彼女は無視した。教室で誰とも言葉を交わさなかった時のように。まるで彼女の前からありとあらゆるものが消滅してしまったかのように。泣くことも笑うこともしなかった。ただ虚空を見つめているだけだった。
 そんな生活が一週間もしないうちに彼女は強制的に入院させられた。
 僕が中学に入学して、桜が全部散ってしまった頃、僕は彼女の病室を初めて訪れた。
「ひーちゃん」
 彼女は身体に管を付けられ、生かされていた。
 屍のように寝台に横たわる、変わり果てた彼女の姿。
(市野谷さんは死体みたいね)
 そんなことを言った、担任の言葉が脳裏をよぎった。
「ひーちゃんっ」
 僕はひーちゃんの手を取って、そう呼びかけた。彼女は何も言わなかった。
「そっち」へ行ってほしくなかった。置いていかれたくなかった。僕だって、あーちゃんの突然の死を受け止めきれていなかった。その上、ひーちゃんまで失うことになったら。そう考えるだけで嫌だった。
 僕はここにいたかった。
「ひーちゃん、返事してよ。いなくならないでよ。いなくなるのは、あーちゃんだけで十分なんだよっ!」
 僕が大声でそう言うと、初めてひーちゃんの瞳が、生き返った。
「……え?」
 僕を見つめる彼女の瞳は、さっきまでのがらんどうではなかった。あの時のひーちゃんの瞳を、僕は一生忘れることができないだろう。
「あーちゃん、いなくなったの?」
 ひーちゃんの声は僕の耳にこびりついた。
 何言ってるんだよ、あーちゃんは死んだだろ。そう言おうとした。言おうとしたけれど、何かが僕を引き留めた。何かが僕の口を塞いだ。頭がおかしくなりそうだった。狂っている。僕はそう思った。壊れている。破綻している。もう何もかもが終わってしまっている。
 それを言ってしまったら、ひーちゃんは死んでしまう。僕がひーちゃんを殺してしまう。ひーちゃんもあーちゃんみたいに、空を飛んでしまうのだ。
 僕はそう直感していた。だから声が出なかった。
「それで、あーちゃん、いつかえってくるの?」
 そして、僕は嘘をついた。ついてはいけない嘘だった。
 あーちゃんは生きている。今は遠くにいるけれど、そのうち必ず帰ってくる、と。
 その一週間後、ひーちゃんは無事に病院を退院した。人が変わったように元気になっていた。
 僕の嘘を信じて、ひーちゃんは生きる道を選んだ。
 それが、ひーちゃんの身体をいじくり回して管を繋いで病室で寝かせておくことよりもずっと残酷なことだということを僕は後で知った。彼女のこの上ない不幸と苦しみの中に永遠に留めておくことになってしまった。彼女にとってはもうとっくに終わってしまったこの世界で、彼女は二度と始まることのない始まりをずっと待っている。
 もう二度と帰ってこない人を、ひーちゃんは待ち続けなければいけなくなった。
 全ては僕のついた幼稚な嘘のせいで。
「学校は行かないよ」
「どうして?」
「だって、あーちゃん、いないんでしょ?」
 学校にはいつから来るの? と問いかけた僕にひーちゃんは笑顔でそう答えた。まるで、さも当たり前かのように言った。
「『僕』は、あーちゃんが帰って来るのを待つよ」
「あれ、ひーちゃん、自分のこと『僕』って呼んでたっけ?」
「ふふふ」
 ひーちゃんは笑った。幸せそうに笑った。恥ずかしそうに笑った。まるで恋をしているみたいだった。本当に何も知らないみたいに。本当に、僕の嘘を信じているみたいに。
「あーちゃんの真似、してるの。こうしてると自分のことを言う度、あーちゃんのことを思い出せるから」
 僕は笑わなかった。
 僕は、笑えなかった。
 笑おうとしたら、顔が歪んだ。
 醜い嘘に、歪んだ。
 それからひーちゃんは、部屋に閉じこもって、あーちゃんの帰りをずっと待っているのだ。
 今日も明日も明後日も、もう二度と帰ってこない人を。
※(2/4) へ続く→ https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/647000556094849024/
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