カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意��を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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10超えした時・その2
「ちょっとシャワー浴びてくる」といい起き上がると、さっきのポカリがいい仕事してる。心地よいふらふら感を楽しみ移動すると、ベッドのシーツがドリチンに触れて気持ちがいい。風呂場のドアを開けた時の風が乳首に当たると気持ちいい。洗面台にある鏡を見ると、すげぇいい顔してた。
熱めのシャワーを浴びると、また体の中がグルグルと流れる。そんな感触を堪能してベッドに戻ると、奴は追加の準備をしてくれていた。やはり次も10。やっべぇ、どうなるんだろう。やばいといいつつも期待しかしていない。奴はオレが来たのを確認すると、ニヤッと笑いながらお代わり発射。オレもさっそく準備をし、腕に巻き、プスっと。引くと中に今日2回目の赤いもの、それを確認すると今度はさっきよりもゆっくり入れてみる。すると、ゾワゾワゾワゾワゾワゾワゾワゾワがズズズズズズっと入ってきて、「あ、あああ、ああああああも、漏れるかも。もれ、もれももれれれ漏れ・・」言い終わらないうちにヤツはオレのチンポコに吸いついて、軽く漏れたションベンを口で受けてくれた。スッと抜くとさっきよりもヘロヘロになってしまい、震える手で道具を慎重にテーブルの上に置き、ベッドに倒れ込むように横になった。つま先から脳天までビリビリビリっという感触を楽しんだ。
ふと上を見ると、彼が口を開けろと。そのまま口を開け、吸い取った水を口の中に入れてくれた。しかし、今度はその水を半分くらいしか入れてくれない。「あれ?」って思っていたら、水が入ったオレの口の中に、さっきのポカリの要領でオレが漏らしたションベンを流し入れてくれた。アレをすすいだ水と入れたときに漏らしたションベンが口の中で混ざり合う。「うめぇええええええ」と頭の中で思う前にごくごく飲みこんだ。筒の中の残りの水はオレの乳首やドリチンやケツマンコにかけて、丁寧に指で刷り込んでくれた。
完全にお互いドリチン。すると奴が持ってきたハリガタを使い、各々マンズリするところを見せつけ合う。
ベッドの上に突き立てたハリガタに跨り、両手で乳首をコリコリしながら腰をふり、ドリチンがプルンプルンと上下に揺れる。
やっべぇ、変態がここに二人いる。相手の乳首にそっと手を伸ばし、コリコリ乳首を触ると声を立てずに泣くような笑うようなどうしようもねぇ顔でオレの乳首を触ってきた。ドリチンいじり、乳首をこねくり回しながら腰をふる。あー、ずっとこうしてられるわ。
ずるんと相手がハリガタから腰を上げると、奥からウナギを持ってきた。太さはそれほどないのでオレでも十分入るサイズだ。奴は全体にローションを塗り、ヌルヌルの状態にして、オレにもハリガタ出すように言ってきた。すると、片方にかけらをパラパラとふりかけ、そのままケツに挿入。オレの方にもパラパラっとかけてくれて、こぼれ落ちないように慎重にケツマンに入れる。ああああ、熱い!ケツの入り口、中、奥。ウナギが当たったところが熱くなっていく。それなりの長さがあったはずなのに、ケツの奥の快感を感じるとズヌヌヌヌと広がるのが分かる。オレは左の乳首を舐められるとケツが広がるので、それを伝え舐めてもらった。するとグワーっと奥の奥にウナギが入っていった。
お互いのケツの中でウナギを押し合いして、あっちに行ったりこっちに来たり。乳首いじりながらドリチンしごいて、ベロチューしながら変態ウナギ相撲。ヘロヘロになりながらふと思い出したように「じゅ、10ってすげえ。思った以上にすげえぇ。体験談よりもすげぇ!」みたいなことを言うと、ヤツはヘロ顔で「へっ。へへへ、10じゃねぇよ、20だったんだよ。追加の時は10だったけどな」と嬉しい嘘を暴露してくれた。
そのままウナギ相撲をヘロヘロになりながら楽しんだ。
続く
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スマホを解析されて、薬物売買のログを見せられたときのレポ
―逮捕から7日目。この日は2回目の検事調べが予定されており、今回はワゴン車による単独の護送ではなく、護送車での複数人共同の護送になるとのことで、僕は初めて護送車に乗れることを少し楽しみにしていた。
朝8時30分頃、点呼とともに居室から出され、留置場の出入り口扉の前に連れていかれると、扉の前には既に2人の収容者が縦一列に並ばされており、僕はその2人の後尾に立つよう指示をされる。そして例によって身体検査をされると、いつもよりキツく手錠をかけられる。
その後、留置官が先頭の収容者の手錠の間の輪に、通常より長い腰縄を通してから腰に巻き付け、同じ要領で、その長い腰縄を中間の収容者、そして後尾の僕に巻き付け、見事に3人を数珠繋ぎにすると、その長い腰縄を自分の腰につけているフックに括りつけ、後尾に立つ僕の後ろについた。
それから、3人の前後に警官が3人ずつついた体制で、地下の駐車場まで連行され、しばし駐車場で待機をしていると、白色と灰青色のツートーンカラーで、黒色のスモークガラス窓のマイクロバスがやってきて、3人の手前に停車した。
僕はその時まで、護送車とは、青地に白のラインが入っている、窓に金網のついたバス型の車だと思っていたので、実際の護送車がひどく凡庸なことにがっかりした。
上が護送車、下は人員輸送車(警察官を輸送する車)
そうして、3人は連結されたまま護送車に乗せられる。護送車の車内は、右側2座席に左側1座席の3列配置で並んでおり、窓には鉄格子が嵌められていて、運転席との間には壁があって全く見えないようになっていた。
また、護送車は周辺地域の警察署を順繰りにまわり、地検に移送する被疑者らを拾っていくシステムのようで、すでに15人ほどの先客が座っていた。
彼ら15人は、非常に長いロープで数珠つなぎにさせられており、全員が上下グレーのスウェットに茶色の便所サンダルの恰好で、手錠をかけられ、姿勢よく無言で着座しているので、捕虜の集団のようだった。
車内にいた警官らによって、3人は各自指定された座席に座ると、3人を連結していた長い腰縄が外され、今度は15人を連結している非常に長いロープに括り付けられる。
18人の被疑者と1本のロープによる数珠が完成すると、1人の警官が、「車内では会話や目配せはもちろん、足を組むのも禁止する」などという護送車内の規則を、大声かつ歯切りのよい口調で説明していた。
車内に5人ほどいる警官らも、これだけの逮捕者を移送するというだけあってか、非常に緊張感を持った面持ちで、ちょっとでも無駄に声を発したら怒鳴られそうな緊迫感がある。
僕は幸い、右側2座席���窓側の席で���ったので、外の景色でも見て気を紛らわせていようと思った。なんだったら、前回の単独移送では、両隣に警官が座っていて、窓はほぼ塞がれている状態だったので、久しぶりに外の景色を見られることは楽しみだった。
そうして、護送車が出発する。捕虜同然の惨めな状態というのもあってか、留置場では見ることのない格好や表情をした道行く人々を見ると、外の世界は自分とはもう関係がないように思えてきて、非常にセンチメンタルな気持ちになる。梅雨時で曇天模様だったのがまだ救いであった。
出発からおよそ1時間が経過し、護送車が地検に到着する。護送車のドアが開くと、地検で待機していた警官がドア横に立ち、日本陸軍の点呼のような厳格さを感じる大声で「第三系統! 総員十八名!」と号令をする。車内の被疑者らが数珠つなぎにされたまま、1人ずつ車内から降りていくと、その警官はやはり日本陸軍のように「一!二!三!…」と点呼をとっていた。
数珠つなぎのまま連行され、待合室のある広間に出ると、そこには前回よりもはるかに多い、100人弱の被疑者らがおり、見るからに力士のような者からヤクザのような者まで、前回より威圧感のある男が多く集結していて、全体的に迫力があった。
また今回は人数が多いためか、警官の人数が多く、警官らはみな厳格な号令と点呼を行い、鋭い眼光で被疑者らを監視しているので、今までに味わったことのない張り詰めた空気が漂っている。
それから例によって、待合室という名の牢屋で、座る者の事など考えていない直角の硬い椅子にすし詰め状態で座らされ、時間もわからないままひたすら待ち、昼食時にコッペパンを食べ、いつ自分が呼ばれるか分からないまま、またひたすら待つ。相変わらず地獄。
おそらく3時くらいになってようやくお呼びがかかり、僕は一人の警官に連れられて、検事のいる部屋に入室した。あくまで検事が起訴か不起訴かを決めるので、入室の際、僕は少しでも検事の心証を良くしようと、礼節を重んじている風の挨拶を決め込む。
前回同様、義務的な質問などがされ、黙秘権について告知がされるので、僕はここぞとばかりに、昨日弁護士にアドバイスされた通りに、「担当の弁護士さんから抗議書が送られていると思いますが、昨日、留置担当官の方に「ブチ殺す」などの脅迫を受けて、警察や検察の方を信用できなくなったので、取り調べには協力できません」などと、あくまで被害者ぶった深刻な表情で言う。
すると検察官は、こちらの会心の一撃をまるで意に介さないような表情と口調で「わかりました。その件についてはこちらでも事実確認と調査を行ってまいります」などと流暢に返事をし、「ただ、本日は見ていただきたい資料があるので、応えられるものに関しては応えていただけませんか?」と尋ねてきた。
僕はその見せたい資料とやらが気になったので、「資料は見せていただきたいですが、黙秘はします」と応えると、検察官はそれを了承し、A4サイズの紙が200枚ほど綴じられている分厚いバインダーを取り出して、付箋の貼ってあるページを開き、僕に見せてきた。
そのページには、僕がプッシャーから薬物を買おうとやり取りしていた、Telegramのログ画面の写真が貼り付けてあった。
僕はまず、そもそもスマホの解析承諾をしていなかったので、無断で解析をされていたことに度肝を抜かれたし、露骨な薬物売買の証拠を見せられて、少し動揺が出てしまった。
ただ幸い、今回一緒に逮捕されたプッシャーとのやり取りのログは完全に消去していたし、見せられたログは、僕が「在庫はいかがですか?」と尋ね、プッシャーが「こちらになります」と隠語で書かれた薬物のメニュー表を画像で添付して送り、僕がそれを既読無視しているという、購入の意思を見せていない内容ではあった。
メニュー表のイメージ
ちなみにTelegramにはパスコードロックをかけていなかった。
検察官は僕が動揺している隙に、「これは、あなたが薬物を購入しようとして、売人にコンタクトをとったものじゃないですか?」と単刀直入に質問をしてくる。
僕は、このログについてはどうとでも取り繕って否定できそうだったので、つい否定をしたくなったが、下手に喋ってボロを出しては検察の思う壺なので、「黙秘します」と応える。
それに対し、検察官は無言で頷き、プッシャーが提示していたメニュー表の画像を指さして、「この“罰”っていうのは、コカインのことですよね?」と尋ねてくる。
僕は反射的に、「いえ、罰はMDMAの隠語です」と本当に危うく口走りそうになったが、一呼吸置いて「黙秘します」と応えると、検察官はやはり無言で頷き、再び付箋の貼ってある別のページを開いて、僕に見せてくる。
そのページには、一緒に捕まった友人の吉岡とのLINEでのやり取りの写真が貼ってあり、どう見ても薬物を言い表した代名詞でのやり取りや、それに付随して、「悟ってる時の顔」などと言って、僕がLSDのピーク中に目を瞑って微笑んでいる顔写真を吉岡に送りつけている赤面不可避のログも載っていた。
当然、これらに関する質問にも黙秘を貫いたが、検察官は少し呆れた表情で、「…うん。でもね、小林さん(一緒に捕まったプッシャーの本名)のTwitterアカウントのリンクが、吉岡さんからあなたに送られているんですね」などと言って、今度はそのログの写真を見せてきた。
僕は吉岡とは完全にクロな証拠のやり取りをしていなかったつもりでいたので、これにはさすがに焦りを感じたが、そのメッセージの前後に脈絡はなく、リンクだけが送られているという内容のログではあったので、これだけでは証拠として不十分であろうとは思った。
検察官は続けて、「この小林さんのアカウントにコンタクトを取って、小林さんから大麻を購入したんじゃないですか?」と名推理をしてきたが、僕はなんとか無表情をキープしたまま、「黙秘します」とだけ言っておいた。
検察官は表情を変えず、「わかりました。それでは本日はこれで以上です」などと言って、この日の取り調べは終わることになり、僕は当然、調書への署名・押印を拒否して、部屋を後にした。
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つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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27歳の時に書きました。使い回ししないと思うので一旦公開します。
テーマは入り組んでいますが大題材は反出生主義で、小題材はシスターフッド/毒親/性風俗事業/貧困層女性/婚活/セックスレス など。
反出生主義という題材は良かったんだけど構成がそれを活かしきれていないかなぁ。なぜ二次までは残してもらえたんだろう。文章がある程度安定してるから、読みやすさが評価されたんかな?いまだに選考のあれこれの軸が、全くわかりません……
語り手は1人に絞るべきだったのでは、と千歳先輩に言われたし実際書きながら迷っていたんだけど結局絞らなかった。シスターフッドロードムービー小説にしたかったからかもしれない。
大人が大人の家に泊まりに行く描写が欲しくて、それぞれいろんなところに泊まっている。男性の描写の弱さが悪い方向で出てしまった作品。とは言え、社会人を書くことに抵抗がなくなってきたな。仕事の描写はほぼ入れていないとはいえ。
タイトルはかなり気に入ってる!好きなキャラクター特にいないけど伶の夫くらいかな。唯一リアリティがある人物かも。
恐ろしいことに肝腎要・語り手の清夏からリアリティがほとんど感じられない……けど破綻はギリギリしていないのが我ながらすごいと思った。正反対とも言える立場の清夏(高卒の貧困層、野心家、独身)と伶(大卒で大手出版社の編集、保身的、既婚)が友達なのは、小説内でも触れてるけど、伶が彼女の才能を買っているから、なんだよな。でもそんなのありか?
この小説の素晴らしいところは課題を冒頭に持ってきてプロセスをかなりすっ飛ばしてるところかな!もちろん小説においては基本中の基本ですが。
構成さえどうにかやればもっともっとすごい話にできたのかなぁ。どうなんだろ。賞とれないのわかっててタイムリーな題材にチャレンジしたのはえらかったと思う。書いた当時はまさかチャトレがパキちゃんによってある程度知られた仕事になるとは思わんかったし。
読んだ人に清夏=書き手と思われるのが嫌で少しずつ現実とずらした設定にしているけど、まんまわたしでも良かったかなって今となっては思わないでもない。貧困層の女性を描くことは今後も課題になりそう。
にしても清夏の母親のキャラクターもうちょっと工夫できただろうに、伶の母親を描写するのに疲弊しすぎてそこらへんボロッボロだな。
題材は直球なのにエロの描写がわたしにしては珍しくかなり控えめ。手加減と露悪を行ったり来たりしている。
読むのめちゃ疲れるとは思うけど、同年代の女性だったらどこかには共感できると思います。共感できなかったとしても、才能がある文章ってこういうことかあ~!と脳天をぶん殴られる貴重な体験ができることでしょう。
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愛のふりだし
「いかにして役立たずを愛するか?」
最近読んだ小説に書いてあった。物語は、酔狂な慈善家が、不具者、醜女、老人、性的少数者その他あらゆる「役立たず」の救済に立ち回る、というもの。
私たちは基本的に物事を役に立つかどうかを見ている。最新家電や、有用な資格や、いかした服が欲しい。それは人間に対する視点もそうで、気の利く後輩や、頼れる上司や、賢い友達や、身持ちのいい恋人や、太い実家が、役に立つなら、そばに置いておきたい。もっといえば、役に立つなら愛せるし、役に立たないなら、愛するのは難しい。これは露悪でも優生主義でもなくて、我々はそういうスカウターみたいな色眼鏡をかけさせられて生きている。
他者を愛せないことは怖い。そして他者から愛されないことはもっと怖い。先天的な障害は誰にとっても「そうだったかもしれない自分」であり、後天的な障害は誰にとっても「そうなるかもしれない自分」である。誰かを役に立たないといって断じるとき、いま現在たまたまそうじゃない自分があぐらをかいて嗤っている。
我々は役に立ちたい。一見美しい情動だ。役立って愛されたい。その実、役立たないと愛されないのを知っているから。勉強して知識を蓄え、運動して体力を養い、気を遣い、冗談を言い、口淫をし、席を譲り、金を払い、常に自分を役立たせたい。自己愛に置き換えても同じだ。自分が自分の役に立っている。その実感が自己を愛させる。
機械化によって人間の仕事が奪われる、といわれて久しい。農業も畜産も漁業も林業も建築も金融も小売も卸売も教職も医療もマスコミも司法も行政も戦争も性欲処理も芸術さえも、全ての仕事が機械化されたら、全ての人間は役立たずだろう。
役に立とうとすることがダメだと言いたいわけではなくて、だから、愛されるために誰かの役に立ったり、愛するために誰かを役立てたりしていたら、いずれ誰も愛せなくなるし、誰からも愛されなくなるんじゃないかってことがいいたい。
そもそも愛って何だ。
高校生の時から使っている市営の駐輪場に、おっさんたちが働いている。定年後と思われるおっさんたちは、高年の男性特有のどこかぶっきらぼうな気さくさでいつも我々利用者を迎え入れ、見送ってくれる。この4月から、その駐輪場に機械式のゲートが導入された。利用者にはICカードが発行されて、契約期間の更新の管理もそれで行うことができる。だからといって、おっさん達が仕事を追われたというわけでもないようで、人員もどうやら以前と変わっていない。ただ、おっさん達はどこか手持ち無沙汰な様子。出入りするゲートには、ICカードの読み取り機が設置されている。見ればわかるのに「←ここにカードをかざす」なんてわざわざ手書きの貼り紙がある。おっさんたちの仕業だろう。四方をセロハンテープで補強されたポストイットに、そこに書かれたおっさんの筆跡に、その人間臭い承認欲求に、俺は親しみを覚える。これは愛だろうか。多分違う。でも少しは近いかもしれない。
「いかにして役立たずを愛するか」
だから、たぶん、私たちにいずれ必要なのは、無償の愛ではなくて、愛着だと思う。手垢のついた古道具みたいな。できれば、わたしとあなた、双方向の愛着。愛着が生まれるには、ひどく時間がかかる。とっくに時代遅れで、とっくに型落ちで、とっくに役に立たなくなって、それでもなぜか手放せない、しみったれた未練とも違う、あのあたたかい気持ちの正体を、俺たちは見極めていかないといけない。愛着って言葉に愛って字が入ってるのは、なんて皮肉だろう。
もっと個人的なことも書けるけれど、これでやめます。
*
成田悠輔氏の言動によせて。5年前に書いたものを少し書き直しました。
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Monday,March4,2024
昨日は23歳の誕生日だった。去年は個人的な日記を書き始めて、誕生日とか星座とかについていろんな人と語る機会も多い年で、そんな中ではじめて迎える誕生日はすこし楽しみだった(ちなみに去年の誕生日は卒業ライブの練習期間真っ只中で、スタジオとバイトと家を往復して過ごしていたみたいだ)。23歳になった瞬間は、また中野から家までの道を歩いていた。でもここ数日の泣きたい気持ちはどこかにいっていた。不思議なくらい気持ちは変わっていく。大好きな女の子から泣けてしまうメッセージが届いたのを見て、あたたかい気持ちで眠った。
朝から起きる。原宿でネイル、誕生日の瞬間を一緒に迎えてくれたひととは山手線の中で別れる。続々と携帯にはやさしいメッセージが届く、それをひとつずつ嬉しく返した。朝からすこぶる気分がよかった、こんな気持ちになることはそうそうない(誕生日だし、天気もいいし)。日曜日の原宿なんて最悪なはずなのに、人混みも歩くのが遅い人たちも何も気にならなかった(誕生日の持つパワーはすごいのだ)。お世話になっているネイリストのお姉さんに開口一番「今日誕生日なんですよね?」と言われ、祝われる。このお姉さんはふんわりした雰囲気を持っているのに、時折激烈なスピードで爆弾を落としていくひと、とてもおもしろい。この日は寝不足のわたしのまま、B級カルト映画の題名を考えたり、自分への誕生日プレゼントの話・好きな食べ物の話をしていた。爪はミルキーな紫色にした(そういう気分だったから)。帰り際、お姉さんに教えてもらったエスニック料理店に寄る。こういう雑多な雰囲気のお店は、なにも自分のことに関心がなくなっていく(ただの景色に溶け込んでいく)ようでいい。トムヤムチャーハンを食べて、辛さを中和させるために本能的な水の飲み方をした。いい昼食だった。
渋谷まで出て、井の頭線で高井戸。各駅停車に座っていたらいつの間にか眠っていた。凜ちゃんとなつみさん、だいぶ前からわたしの誕生日のスケジュールを空けておいてくれたのだ。うれしい。はじめてマカボイに行く、着席した瞬間に隣のお姉さんと店主が「夏目くんがさ」と話していてヒッとなる。頼んだバナナジュースは笑っちゃうくらい濃くておいしかった。隣の青年は本を読みながら大量のチーズナポリタンを平らげていて気持ちがよかった。高井戸のスーパー銭湯へ(わたしのリクエスト)。三人で温泉に行くと、凜ちゃんはひとりでサウナ街道へ行ってしまって帰ってこない。ジェットバスで赤くなった白い腰を見つめた。明るい天気の中、でかい露天風呂に入っているととんでもない気持ちになる。今年は温泉にもハマりたい。みんなでフルーツ牛乳飲んだ。
ぼやっとしながら吉祥寺へ。学生時代のゼミの先生が教えてくれた地中海料理のお店に行く。牡蠣のグラタン、雲丹のムース、鴨のロースト、パエリア(だいすき!)、なつみさんが選んでくれたワイン、ぜんぶが夢のようにおいしくてわたしたちはほぼ会話してなかったと思う。たばこを吸いに外に出ると、怖そうなマスターも外に出てきて「あんた今日誕生日なの?」と聞かれる。灰皿を渡されながらそうですと答える。店に戻るとハッピーバースデーのBGM、実は全然怖くなかったマスターがニコニコしながら「だれの誕生日だろうね〜」、おいしくてかわいいバースデープレートをサーブしてくれた。わたしはこんなに幸せな気持ちになったことあまりなくて、一堂に受け止めることができないくらいだった。本当に凜ちゃんとなつみさんと、そしてお店のマスターには感謝だ。帰り際、急に距離が縮まったマスターとおしゃべり、わたしの父親と同い歳なことがわかり、「第二の父親と呼んでくれ」と調子づいていた。とてもキュートであたたかいお店だった(なつみさん、月光荘のお皿ありがとう!大切にする)。
帰り際、明日しながわ水族館に行くなつみさんと別れ、スタジオ終わりの稲吉さんと折田と合流する。ひさしぶりの大茂で何てことない会話をした。こういうのもひさしぶりだった気がする。稲吉さんは、わたしがサウナ室のテレビから流れる二枚切り食パンのCMに物申してた話をたいそう気に入っていた。あー、大切な人たちに囲まれて、ほんとに幸せな誕生日だった。いつの間にこんなに大切な人たちができたんだろう?みんなのことが大好き。中野から帰る道が煌めいていた。23歳はもっと愛に触れて、どんどん愛を返して生きていたいと思う。めっちゃありがとう!
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし)
朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻)
西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真
▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도
京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器)
寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者)
このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配)
一 行年廿六歳
一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず
一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢
右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也
四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機)
崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景)
朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波)
この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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2023.4.22(土)
家から1時間ほど車を走らせて、越前海岸にある越前温泉「日本海」の温泉に入ってきた。
越前海岸には入浴施設がいくつか点在するが、ここは洗い場が5人位でいっぱいになるような小規模の温泉だ。14時くらいに到着したが、入浴客が結構いたのには驚いた。
体を洗って露天風呂に入る。ナトリウム炭酸水素塩の温泉で、お湯が口に入るとしょっぱさを感じる。
目の前には日本海が広がり、春の日差しを受けてきらきら輝いている。
風はやや冷たいが、日差しが強くお湯からの照り返しもあってか顔が露天風呂焼け?しそうな感じだった。
ぼくの前に小さい若葉が一葉ながれてきた。なぜか春を感じた。
温泉の後、織田(ota)町にある劔(tsurugi)神社に参拝。織田は織田信長公の祖先の故郷で劔神社とも関係が深い。
この神社にSNSで話題になっている「ちゃちゃ」と名付けられた猫がいる。人懐っこく皆さん盛んに写真を撮っていた。
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映画を観終わった頃には、4時半前ですっかり空は明るくなっていた。一晩中付いていた電気を消して、カーテンを開けると、くもり空を透かした青白い光が部屋いっぱいに落ちてくる。ベッドに座れば、窓から道路を見下ろせる。そこでぼんやりとしながら、この文章を書き始めている。新聞配達の自転車がカラカラと音を立てて通り過ぎていく。窓を開けると自然の中で目覚めるキャンプの朝のような、露天風呂の湯気のような匂いがした。夜中に一雨降った札幌だ。これは湿度の匂いなのかもしれない。空のタクシーが通ったと思えば、すすきの方面からは車内に女性の足が伸びた、タクシーが通る。
あと3時間もすれば、ここらに住まう人たちの通勤通学路となり、人の往来で騒がしくなる。明朝だとはいえ、明るくなってもこんなに静かなのが可笑しくて、パーカーを羽織って外に出た。
ここに住むのは徒歩圏内に豊平川があるからだ。なんとなく外に出たい時の行き先に丁度いい。ジョギングをする人、犬の散歩する人、自転車でゴミ拾いをして行く人、こんな朝っぱらなのにもうスーツ姿で出勤するだろう人、めかし込んだ服装で手を繋ぎ帰路につく男女、小さなテントの脇にロードバイクを置いて眠る人。早すぎる札幌の朝を、思い思いこの川で過ごしている。
遠くのビルの隙間からさっぽろテレビ塔と目が合った気がしたので、そこへ向かって歩いてみる。酔った夜中にふらふらと片道歩いて帰ってきたことはあるけれど、行って帰るのは初めてだ。勢いよく自転車を停めて、神社に入っていく人を見かける。少しして、ガランガランと音がして賽銭箱の上の鈴を鳴らしたのだと気づく。帰り道はわたしも習って鈴を鳴らそうと思う。札幌の街中は、東西を創成川、南北を大通で分ける碁盤の目のような構造をしている。さっぽろテレビ塔は、大通りの上、創成川のひとつ西に位置しているので、住所は札幌市大通西1丁目となる。南3条から南1条通りまで出てみても車通りはほぼない。大きくて静かな道路を闊歩する。気持ち良い。気持ち良いのは朝の空気だけでなく、自分で選択した生活を営んでいるという実感も含まれているのだろう。いつまでこんな自由気ままにな生活ができるのかなと思う。わたしも社会の目に留まらないように、しれっと結婚して何もない住宅街にいつかは引っ越すのだろうか。終電を逃してもすすきのから歩いて帰れる、豊平川の流れるこの街を去るのだろうか。きっとそうなるだろう。けれど、自分と同等かそれ以上に男の人を大切に思える気がしなくて苦笑。その人との将来のためにガラッと生活様式を変化させることをわたしは許容できなさそうだ。テレビ塔に着く。創成川を小さな橋から見下ろす。そんなまだ見通しのたたないことに不安がっていても、自分らしさを見失うだけかもしれない。自分の感情に対して実直に過ごさないと、そこに見合った未来はやってこないだろう。スーパーに寄って20%引きになっているアップルパイを手に取り、頬張って家に着く。家についてから、神社の鈴をを鳴らしに帰り道に寄るのを忘れていたことに気づく。また今度、こんな眠れなかった日の朝にとっておこう。
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「御即位式」
大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事であったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。
その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。
明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。
多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。
待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。
その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。
御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである、というようなお話であった。
御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。
又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。
御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。
父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。
その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に酔って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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photo KIM
7/21
「Callにて」
体調キープが困難な熱暑の7月
また、屋外での演奏という空模様リスク
人智のコントロールを超えた要素が大きく関係する
難しいイベントでしたが
当日は太陽の残るリハの時点でも
天の下の演奏可能で
本番では風も心地よく
特別な夜の宴となりました。
「Call」の7周年のイベントにて
光栄にも演奏するお話しが進み
素敵な設えのうちに当日気分よく臨むことができました。
ミナペルホネン皆川さん源泉ワールドに
包まれました。
ちょうどミナの白金台オフィスができる少し前に
我々は白金台から拠点を栃木県に移し、
8年後多摩地域に戻ってきてから
久々活動再開しアルバム「Brown Eyes」発表。
そのうちの一曲「transit」のPV撮影監督の中野裕之さん、
撮影場所国分寺のスタジオ「The Glass House」(写真家与田弘志さんオーナー)に
その白金台のミナからテキスタイルを借り抱えてやって来ました。
奥様のヘアメイクアーティスト明海さんと共に演出くださり
当人比五割り増しの美しさで仕上げてくださいました〜 笑
写真家戎康友さん撮影の紋黄蝶ルックブック-後にRIZZOLIから出版された「ripples」にも一枚掲載-
に参加したお話はかろうじてライブ中にお伝えしましたが、こぼれたお話をこちらに。
自分の預かり知らないところから
イメージ集まって来ていて現象化していますね〜
コントロール下ではないのは通常モードだったか。。。
ちなみにこの度は、晴天バージョンと雨天バージョンの衣装が用意されていて
披露できなかった雨天バージョンも素敵でしたよ。
いつか!
当日の角銅さん ピンク系コーディネイト 足元は緑でした。
丁寧に作られた気持ちの良い衣装で。ボトル柄シャツ木村。
photo mondo
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を泡立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ��今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言ったんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せなくなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねると、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているかもしれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
・
つづく
・
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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2024年3月27日(水)
SOU・SOUの足袋下と手ぬぐいが毎月届く頒布会、<卯月号>が届いた。今月のテーマは「笑み」、<ちょっと不器用な感じがする大きな花 ななめになって 上へ上へと伸びている ちょっと ほほえましい大きな花柄(脇阪克二)>とのことだ。をを、足袋下が先月までの普通丈から踝丈に変わっている。よし、新学期に向けて週末には衣替えをしよう。
5時45分起床。
洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*2。
空き瓶缶、20L*1&45L*1、先週出し忘れたので少し多い。
ツレアイの職場経由で出勤する。
今朝も名神は吹田JCから先が渋滞とのこと、茨木ICで下りる。
このところ、自宅の書籍を少しずつ研究室に運んでいる。整理は後にして、まずは書架の隙間に入れ込む。ところが、気になるものがあるとつい手に取ってしまうが、読了していないものが多いことをいたく反省させられる。
総務課から入学式の式次第が届き、学内フォルダやClassroomの更新についての連絡が入る。明日から在学生の新学期オリエンテーション、だいぶ慌ただしくなってきた。
いつも通り12時10分に退出、アプリで高速道路の状況をチェックすると、またも名神上り線で事故渋滞が2箇所。10分程度の遅れで帰宅する。
ごぼう茶煮る。
酢タマネギ仕込む。
糠床メンテナンス。
今夜はインタビューが入っているので、息子たちの夕飯を用意、阪急西院駅から梅田を目ざす。
露の新治さんの古くからのファンのひとりであるYさん、先日の<門戸寄席>の際にお願いしていた。ところが、高槻市当たりで着信、私は19時の待ち合わせと思っていたが18時とのこと、待ち合わせ場所を梅田から十三に変更していただく。
西口で待ち合わせ、ずいぶん前に言ったことのある<十三トリスバー>に入る。ハイボール飲みながら1時間、収穫の多いインタビューになった(¥1,760)。
阪急桂から自宅に戻ったのが20時30分、ツレアイが肴を用意してくれていたので🍶をいただく。
録画番組視聴、新日本風土記。
「太宰府」
初回放送日: 2024年3月19日
学問の神様・福岡県の太宰府天満宮は、京から左遷され非業の死を遂げた菅原道真の墓所。今も道真ゆかりの人々が支える。千百年間、道真を慕い仕えてきた人々の町の物語。
太宰府天満宮で道真の御霊を守る宮司は代々道真の子孫。側近の子孫も神職を務める▼道真を救った老婆の子孫に伝わる家宝▼若い氏子たちは町ごとに結集し伝統の神事を守る▼文化・芸術の神としてアートを支える天満宮。十年越しの壮大な襖絵がついに完成▼参拝者に人気の梅ヶ枝もち。江戸時代から続く店が守る、天満宮との特別なつながり▼参道ぞいに並ぶ土産物店に秘められた倒幕の物語▼燃え上がる巨大な炎の神事・鬼と人々の攻防
片付け、入浴、体重は800g減、よし!
歩いた距離は少ないので仕方なし。
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芙蓉からそうびまで
薔薇って漢字は、「しょうび」と読むのだと思えば、なるほど納得して覚えられる気がする(たぶん覚えないと思うが)。
気圧が下がって今はかなりきつい。夕方、精神科の診療だったのだが、家を出る直前まで寝て、どうにか頭を洗い、ぎりぎりの時間に病院に着いた。この1ヶ月のことを報告するのは気が重いな…くらいに思っていたが、いざ診察室に入ったら、先生にもはや何も話せず、そこで自分がかなり深くうつ状態に陥っていることがわかった。先生もかなり心配して、アリピプラゾールを増量して、睡眠薬は今まで自力で寝る方向だったが、今回はもうフルニトラゼパムが出た。フルニトラゼパム、有名な薬だが私は飲んだことがなく、少しどきどきしている。たぶん飲んでからすぐ目を閉じたほうがいいのだと思うが、全然眠気が来ず、思ったほどの効果が無いかもしれない、とちょっと安堵した。シクレスト舌下錠を以前に処方された時は、口の痺れというか感覚麻痺とともに深く眠り、かなりの吐き気を伴ったので(結局すぐに服用を中止)自分に効くレベルの睡眠薬となると、身構えてしまう。デエビゴは効かなかった。そのほか短時間系のものはほぼ全て試したが効かないので、中長時間系のもの(今までは働いていたので日中に残りそうなものは試していなかった)でとりあえずスタンダードなフルニトラゼパムが出されたのだと思う。本当に中途覚醒が無いのだろうか。今のところ1~2時間置きに目が覚めて睡眠をロスしているので、続けて眠れるのならばかなり有り難い。薬を追加した関係もあってか、次回の診察は最速で予約が取れる再来週にねじ込まれた。そこまで心配しなくても、と思ったが、先生のまえでうつ状態を披露するのはあまりないことなので、確かにおおごとに捉えるかもしれない。普段の振る舞いとうつ状態の時の振る舞い(ほぼ動かず、喋らない)があまりにも異なるため。
21時から、ままごとという劇団の「わが星」という舞台をYouTubeでみんなと同時鑑賞して、とてもよかった。日本語ラップミュージカルで、つねにバックグラウンドで時報が流れており、人物はその四拍子に乗ってしゃべり続ける、歌う、ポエトリーリーディングする。本当に耳に心地いいうえに動きも面白い舞台だし、なにより私にとっては脚本がよかった。人間賛歌、命への愛情というのはこういうことだと思った。完膚なきまでに、制作者に降伏した。くちろろさん(□□□)というか三浦さんの音楽で��台本も公開されているのだがこれがもう大変凝ったことになっていて、すご〜いと思いました。エンドロールで制作助手につくにうららさんのお名前を見てとてもうれしかった。つくにさんは、我が友たちの劇団水中めがね∞の一員だった方であり、カミグセの主宰かつ脚本家であり、なんか最後に見た時は大きいお腹で、つまり腹の中に命を宿しながらなんらかの舞台で制作としてお働きになっていたような気がする。バイタリティと誠実が天元突破しているような方という印象。そもそもそういう人にしか制作というのは務まらないのかもしれない。「わが星」のURLをかつての我が友に送り付け、その節(私が彼女の世話をし入院させ面会のたびに必要なものを持っていき彼女の家に住んで猫の世話をした期間)は、あなたを生き延びさせるためとはいえ、意に沿わぬ決定をさせてしまって、いくら恨まれても仕方ないと思っている、と前から思っていたことをLINEに書いて送った。返信がくることはないとは思うが、とにかく自己満足のために送った。私は彼女の作る舞台が好きだった。過酷な環境と理不尽の中で苦しんでいた彼女を、歌舞伎町のショーレストラン(ショーパブの現代版)は卒業して、うちの店で暫くのんびりやるのはどうかと誘い、同僚として働いたりもした。その頃も毎日笑いころげて、だいぶん楽しかった。彼女が数日家を空ける時には猫の世話を請負い、その家で暮らしたので、生活も混ざりあっていたような感じだ。一緒に金曜ロードショーのラプンツェルやライオンキングを見て、ずっとミュージカル調で会話しながら面白おかしく暮らした記憶は、死ぬまでずっと宝物だと思う。彼女にはそういう力があった。辛い中でも、なんでも笑いに変えて、優しさで世界を包み込むような力が。私は今でも彼女の作る舞台をまた見たいと思っている。できれば演劇の途中で突然コンテンポラリーダンスが始まる、あの形式で。
フルニトラゼパムは効くのだろうか。ともかく明日は気圧が下がりに下がるので、15時頃までは眠って動けないことだろう。
というところまで書きかけて寝ていた。
2023.10.15
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ポケモンSV!🌸スグリがいっぱいコレクション編🫐
👆おむらぁいすに貰ってた猫ミームミータマ(可愛い)
👆ダチ達と過ごす美しき日々(ワロタ)
拙者てゃ、けーちゃん、おむのイツメンすこすこ侍。
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おはこんハロチャオ! ᕲ(˳⊙̿͆˳)ᕳ みーくんです( ΦωΦ )
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おいッ‼️みー太郎テメェッ‼️忘れてねぇだろなァ⁉️😡👇
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👆覚えとるよ🐈⬛🎶 ホントォ?>😅
上記のような口約束は簡単に責任を作れる呪いの言葉なので迂闊に発しない方が身の為というのが今回の教訓です。ッてもスグリはやっぱり可愛いので久々に記事を書いてくぞ‼️ほぼ三ヶ月近く空けやがってよ‼️
👆マジでこれといって特に見所が無いミー太郎VSスグリ戦(30秒録画を継ぎ接ぎしてるのでお見苦しくてスマソ)
さっそく完走した感想なんですけど僕はね、これでもちょっと重めの記事を書こうとしていたんです。藍の円盤がね、まぁ結構ね、重かったじゃないですか。スグリに感情移入が出来るか否かで大分その辺の受け取り方は変わって来るとは思うんですが。人によっては最悪ただの拗らせたクソガキで印象が終わってしまう場合すらある。
だからね一応、本当は真剣にド真面目な記事を書こうとしていたんです。していたんですよ。(過去形)
番外編を遊ぶ前までは。(キビキビ)
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👇本来この記事を書こうとしていたテンション。
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👆いま冷静に見直すと論点がズレてる気がするし書き口調が段々と飲み屋で酔った面倒くさいオッサン上司になってしまっているので止めて大正解。こんなん長々と綴ってたら読み手が胃もたれするゾ。上司という言葉で思い出してしまった最近マジで転職したい。
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番外編はキタカミが舞台として戻って来たのもあって、藍の円盤の補足でスグリ休学までの過程に対して匂わせ程度でも仄暗い話も来るかな?って身構えてたんですよね。とはいえ流石にスグリにスポット当たり過ぎかとも思ったので、あくまでメインはホームウェイ組で三人がスグリに助言してくれたりするのかな?とか。
したらね。唐突にギャグホラーが始まるもんだから温度差でブッ倒れたミー太郎はキタカミの公民館に用意された自室に戻り、畳の上に敷かれた質素であるが清潔な布団に潜り、瞼を閉じて深く深く考えた…
―…スグリ、俺らって本当に色々あったし…お前の事、俺なりに寄り添って沢山考えてみていたけど…―
畏まった堅苦しい言葉の羅列を並べる段階は、とうの昔に過ぎ去ったもので、そんなちんけな文字よりも今必要なのは前を向く事なのだ。スグリにも。俺にも。
スグリ、俺はさ…―――
お前が笑って明日を迎えてくれるなら、それで良いよ。
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感動の再会。挨拶がてら猫吸い宜しくスグリ吸い。髪型そのままなんかーい。
番外編はホームウェイ組メインかと思いきや割とガッツリとスグリが関わってて笑ってしまったが、そういや藍の円盤だと闇堕ちスグリとはそれなりに関わっていたものの光堕ちスグリとは一瞬しか絡めてなかったもんな…お前気づいたら失踪(休学)してたもんな…。
ここの掛け合いザ・少年漫画のようで大変◎。心做しかスグリも主人公に頼られて嬉しそうに見える!
前述でギャグホラーとは書いたものの、おばあちゃんのお餅催促のくだりとか要所要所では従来通り怖い演出を踏襲して来るのは流石ゲーフリ。子供泣くぞ。
特にお餅は「ひぐらしのなく頃に」のおはぎのくだりを思い出した平成&昭和生まれトレーナーは多かったのではないか。
tumblrで画像付きの記事を書いた事あるブロガーの皆様なら薄々この詰めッ詰めな画像見て察してらっしゃるかと思うのですが画像転載数がとうに上限の10枚超えてるのでもうこの記事は限界です。そんな…!🐣
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ホームウェイ組に触れれてなかったがペパ先は愛が重くて刺さる人には刺さった男だろうなと思うし(お前この刺さる系の言い回し好きだな)ネモちはヒソカネモちのままで実家のような安心感があり、私的にMVPだったのはボタちゃんで主人公ん家のオヤツに駆け寄る程はしゃいでたり、礼儀が少々なってない場面でペパ先に窘められたりとメスガキ過ぎて可愛かったのでホームウェイ組で最初に特別講師に呼んだりしてました。ボタちゃんの特殊会話での主人公へのお礼もまた良いんだよな(涙)
まあ結局三人とも好きなんだが。
ゼイユは相変わらずイイオンナだったしな。番外編だと出番少なかったのが若干寂しかったが碧と藍で露出が多かったのでバランスとっての事かなと自己解釈。
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四天王とか更生スター団とか諸々書きたい事は沢山あるが記事内容がごっちゃになりそうなので割愛‼️
…するが、ブルベリ四天王についてはちょっと書く。僕はおタロとアカマツが特に好きです。おタロはキャラビジュ出た時点でもう好きだったんだが、アカマツ…!真っ直ぐで素直な少年に弱いのだ俺は…!!特にあの空気が最悪の状��下だったから一筋の光みたいに見えていた。
ギスギス四天王時代のカキツバタとスグリに対してのアカマツの 「 そーゆーの! マジで めんどくさいよ!!」 マジで好き。
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あとパルデア四天王の方だけど特別講師のポピーちゃんとの特殊会話可愛すぎない❓マジでオススメ。
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こっからメッチャ自己満余談。(ケジメ的なのも含む)
癒しを求めて最近は某美少女ゲーってか所謂ブルーアーカイブにハマりまして勿論キャラの可愛さも要因だが〝エデン条約〟というストーリー(序盤は良くある?美少女ものなんだけど中盤辺りから血を見る展開に…)と各総力戦の戦闘曲がガチで良い‼️因みに僕はBGMから入った人間。(マルク好きはゴズ戦の曲を聴きなさい多分絶対好きだから) んでね。
久しぶりに(2年ぶりぐらい?)Xで新規垢動かしてるぐらいには絵の方ちょっと頑張ろうかなと思えてるので暫くブログの更新を休止します。
なので本当、そういやこんなブログあったな〜って思い出したら立ち寄ってくれよな💋♡ イツメンの皆はdiscordまた声掛けると思うので不定期的に遊ぼうネ★🤪(なんて身勝手な野郎だ)
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更に余談も余談ですがBlueSkyの方に一瞬だけナポ男の垢で生息してました(支払い関係の都合で近々会員を抜けてしまう&少々自分が描くものに思うところがあり現在更新停止)。ポイピクにも同じ絵➕気に入らなくて消した絵を載っけてますがブルスカにはポイピクのURLすら貼っていなかったと思うので同一人物ですよとだけ。賑やかで優しい界隈でした。推しを推す皆様に幸あれ!
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とはいえ描かなくなった=もう動画を見てないという訳でもなく、コメントは基本しないので陰ながら応援のスタイルにはなりますが一視聴者は継続してます。これは船長♡にも言える。
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ほなばいにゃら!🐈⬛ (2024/03/25)
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