Tumgik
#飼い主の指ごと食べに来る
elle-p · 4 months
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P3 Club Book Koromaru short story scan and transcription.
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虎狼丸の優雅な一日
初夏の爽やかな日差しが心地よい日曜日。今日もなかなかの散歩日和だ。少し早めに出かけて、少し寄り道をするのもいいかもしれない。明確な言葉によるものではないが、だいたいそんなことを考えつつ、その柴犬は神社の石畳から身を起こして軽くあくびをした。
犬の名はコロマル。正式には虎狼丸と書くのだが、本人 (本犬?) は字が読めないので、とくにその違いにこだわりはない。彼がこだわっているのは、毎日の散歩。先日、彼の飼い主である神社の神主が事故で亡くなって以来、新しく神社の主となった人間は、最低限必要な食事は出してくれるものの、散歩に連れて行ったり頭をなでてくれたりはしない。コロマル自身、前の飼い主だけが唯一の主人であると思っており、もし新たな神主が散歩に連れて行こうとしたとしても、以前のルートを変えるなど考えもつかないことだった。なので、今日もコロマルは散歩に行く。まず、長鳴神社からムーンライトブリッジを超えてポートアイランドの駅前まで。その後、再びブリッジから蔵戸台方面に戻り、町をぐるりと巡ってから神社に戻る。これが、毎日の長い散歩のロードマップ。
「わん!」
人間の言葉に直せば、さあ行くか、といった感じだろうか。コロマルは一声鳴くと、いつもののんびりとしたペースで歩き出した。
「あ、コロ助、おはよ!」
ふと、かけられた声に、コロマルは面倒くさそうに顔を向ける。それは、三つ編みの髪を頭の両側でお団子にした、小学生くらいの女の子。いつも、夕方ごろに神社で遊んでいる子だ。
実を言うと、コロマルはこの子が少し苦手だった。嫌いなわけではないのだが、ややコロマルを構いすぎる傾向にあるのだ。大人と比べて体温が高い子供が、気温が高い日にむしゃぶりつくように抱きしめてくることを想像してほしい。毛皮に覆われたコロマルの苦労は、その想像の軽く上をいくものだ。ただし、慈悲深いコロマルは、そんな女の子も無下には扱わない。この子がわりと苦労人であることを、コロマルは知っているのだ。そうしょっちゅうではないが、この子の両親は酷いケンカをするらしく、夕刻の神社で悲しみをこらえるようにコロマルに抱きついてくることがある。群れで暮らす犬族は、それこそ家族や仲間は命に等しい。それが仲良く暮らせない悲しみは、いかほどのものだろうか?そう思うと、コロマルは多少うっとうしくても、彼女に優しくせずにはいられないのである。
「あ、もう時間だ。ごめんねコロちゃん、舞子もう行かなきゃ。あーあ、塾面倒くさいなあ」
そう言って、彼女はコロマルの頭をひとなですると、廠戸台商店街方面へと歩み去った。うん、これぐらいのスキンシップが、コロマルにとってはちょうどいい。少し気分を良くして、コロマルも再び歩み始めたのだった。
潮の香りがする中、コロマルはムーンライトブリッジをてくてく進む。人間は、ここを観光地とかいう扱いでありがたがって見に来るらしいのだが、コロマルにとっては散歩ルート中もっとも退屈な行程である。というのも、橋の手すりが高すぎて、コロマルの体高では絶景と噂の風景も見えないからだ。しかも、やたらとたくさんの自動車が前から後ろから突っ走ってきて、危ないわ埃っぽいわ、嫌な油臭い空気を吐き出すわで不愉快ですらある。
であるからして、コロマルはこの場所を無心で歩く。なるべく潮の匂いにだけ集中し、遠くに見えるポロニアンモールの丸いドームを目指してずんずん歩く。時おり、ランニング中の人間が立ち止まって手を伸ばしてきたりするが、それも可能な限り無視してひたすら前へ。
しかし、それでも2度呼ばれると、つい立ち止まってしまう。コロマルが行ってやらないと、呼んだ人間は時々えらく傷ついた顔をすることがあるのだ。人間を傷つけることは、コロマルの本意ではない。なので、コロマルはあくまで “仕方なく” 人間に思うさま頭をなでさせる。コロマルはそういう自分の性格を時おり誇らしくすら思っているが、じつはなでられている間、ついつい尻尾を振ってしまっていることには気づいていない。コロマルはそんな犬だった。
「あれー、コロちゃん?こんなとこまでお散歩に来てるの?」
「あ、ホントだ。健脚だね〜」
ポロニアンモールに来たところで、厳戸台あたりでよく見る女子高校生に出会った。いつもの制服姿ではなく私服姿。セミロングの髪の子は、ピンクのタンクトップにデニムのジーンズ、ショートの髪の小さい子の方は、水色のワンピースを着ている。もっとも、犬であるコロマルにとって、服の違いは別にどうでもいいのだが。
このふたりは、けっこうコロマルのお気に入りである。水色ワンピースの子は、動物の扱い方を心得ているのか、コロマルが気持ちいい場所を的確になでてくれる。タンクトップの子は、なでかたこそ普通だが、あまりベタベタしようとしない点で好感が持てる。コロマルに触りたいという気持ちは、たくさん伝わってくるので、むしろもっと触ってくれてもいいのに、と思うことすらある。もし犬の言葉がわかる人がいれば、遠慮しないでいいよと言ってあげたいほどだ。まあ、そうそう都合のいいことはないと、犬ながらに買いコロマルはそう思う。
「あ、コロちゃん、こういうの食べるかな?」
そう言って、水色ワンピースの子が手に提げていた袋から何かを取り出す。赤いビニールに包まれた、棒状の何か。漂ってくるかすかな匂いに、ある期待を抱き、思わずコロマルの尾がぶんぶんと大振りになった。
「あれ?ソーセージじゃん。どーしたの?」
「え?あ、た、たまには自分で料理しようかと思って······さっきデパートで、ちょっと」
「ふーん、風花も料理したりするんだ」
「ま、まあね。あはははは」
ワンピースの子は何か焦った様子だが、すでにコロマルは、想像の中に広がるソーセージの味で心が一杯になっている。ワンピースの子は、そんなコロマルの期待に応えるように、できるだけ意いでビニールをむいてくれた。
「はい、どうぞ」
「わん!」
礼を言うのもそこそこに、コロマルはソーセージにかぶりついた。そういえば、朝食をとってからけっこうな時間が過ぎている。ちょうどいいタイミングの思わぬ幸運に、コロマルの心にじんわり幸せが広がっていく。やはり、何かを食べているときが、いちばん幸せだ。それがとくに、好きな人が手ずから食べさせてくれるとあれば、それ以上何を望むことがあろうか。
欠片ひとつ残さずにコロマルはソーセージをたいらげ、もう一度「わん」と礼を言う。
「どういたしまして」
とワンピースの子が答え、買い物の続きがあるからと、コロマルをひとなでしてどこかの店へと向かってふたりは歩き出した。ごくまれにだが、このようにコロマルの意思が、人間に通じているように思えることがある。それは単なる錯覚や勘違いかもしれないが、それもまたコロマルに満足感を与えることのひとつなのだ。
ともあれ、コロマルは今日彼女たちに会えた幸運に感謝しつつ、散歩の続きを楽しむことにした。いずれ、コロマルは先ほどの想像どおり彼の言葉を理解できる存在と出会い、この日もっとも幸運だったことは、ワンピースの子がく��た食物が “調理前” だったことにあったのだと知るのだが、それはまた別の話である。
散歩の折り返し点、ポートアイランド駅に着いたときには、太陽は南天を過ぎ、もっとも暑い時間帯を迎えていた。駅そばにあるオープンテラスのカフェは、日曜ということもあって満員。いつもなら、ここで小腹が空くタイミングとなるために、カフェの客に愛想を振りまいたりすることもあるのだが、今日はもらったソーセージのおかげでその必要もない。
とりあえず、涼しい日陰でも探そうかとコロマルが駅前広場を見回したとき、ぞわり、と背中の毛 が逆立つような感覚がした。無意識に、尻尾が丸くなって足の間に挟みこまれる。コロマルは、その感覚に覚えがあった。
--いた。
花塩そばのベンチに座った、白いドレスの少女。手には大きめのスケッチブックを持ち、空ろな目でしばし前を見つめては、手元に目線を移して右手を動かす。その作業を、少女はひたすら続けている。
コロマルは、あまりこの少女に近づいたことがない。別に危害を加えられた訳ではない。ただ、以前1度だけ、少女の前方にいたときにじっとあの目で見つめられた。それだけだ。その目が、コロマルは今も怖くて仕方がない。
言葉を持たないコロマルは、その印象をうまくまとめることはできないが、あえて説明するとしたら、それは生き物としてはありえないほどの、虚無に満ちた視線だった。コロマルの目からは、少女は既に死者に等しく見えた。
だが、そんな少女が。
「······おいで」
なんと、コロマルを認めて声をかけてきたのである。一瞬のためらいののちに、コロマルは少女のほうへと近寄った。丸めた尻尾は、気力を振り絞って常態に戻している。少女に対しておびえを見せることが、何となく申し訳なく思えたからだ。それがなぜかは、わからない。
コロマルが近寄ると、少女は手に持ったスケッチブックを数枚めくり、やがてコロマルにひとつの絵を示した。強弱が定まらない輪郭線、不安定な色彩。正直、犬であるコロマルに絵の良し悪しはわかりはしないのだが、その絵からは何か圧倒されるものが伝わってきた。それは、この世のすべての生き物が恐れるべく定められた、“死” そのもののイメージだった。
「······これ、お前よ」
その言葉に、コロマルは首をかしげて再び絵を見る。よくわからない。だが、コロマルの生き物としての鋭敏な感覚が、その絵にこめられた別のイメージを感じ取った。
これは、憧れ?
紙の上にすみずみまで満ち溢れる、死というマイナスイメージの中、ほんのかすかに匂う生への憧れというプラス。それはまるで、地平線まで広がる黒々とした底なし沼の真ん中から、すがるように空に向かって伸ばされた白い手。
「普通は······誰かに見せたりしないけど······お前は、勝手にモデルにしたから、一応······」
目を合わせず、言い訳するように少女は呟き、そそくさとスケッチブックを畳んでしまう。
「く~ん」
と、コロマルは、甘えるように鼻を鳴らす。少女に付きまとう、得体の知れない死のイメージは微塵も薄れてはいないが、それでも小さな小さな助けを呼ぶような気配が気になった。だが、少女にはそんな想いは通じず--。
小さな体に不釣合いな大きさのスケッチブックを抱え、少女は無言で立ち去ってしまった。
自分には、あの虚無から彼女を助けることはできない。それを本能的に知覚し、コロマルは少し悲しくなる。そしてコロマルは気づく。
--誰かを守れる力が欲しい。
そんな想いが、自分でも意外なほどに、強く強く満ち溢れていることに。それは、愛する主人を突然の事故で亡くして以来、自分の気づかない場所で、静かにっていた火だった。
それから、コロマルは沈んだ気分を晴らすように、ポートアイランド駅近辺をたっぷり散策した。今日はなかなか面白い人間が多く、別に吠えたり呻ったりもしていないのに「ちょっと!アタシは犬って苦手なのよ!犬は悪い人がわかるって言うし、アタシなんか噛まれるに違いないんだからね!しっし!訴えて慰謝料とるわよっ!」と叫ぶ中年男にじゃれ付いたり、なにやら月高の女生徒を付け回す同じく月高の男子生徒を、真似して尾行してみたりした。そして、ほんの少し気持ちが復活したところで、コロマルはポートアイランドをあとにして、行きと同じ道を辿って帰路に着く。
ポロニアンモールで立ち話をする主婦の、買い物袋から漂う匂いの誘惑に打ち勝ち、相変わらず埃っぽくて油臭いムーンライトブリッジをずんずん進み、ほんのちょっと厳戸台駅前に寄り道をする。これもいつものルート。
このあたりに来ると、昼が長い夏とは言え、すっかり日は傾きかけていた。駅前商店街に多数存在する食べ物屋からは、それぞれに違ったいい匂いが漂ってくる。とくに気になるのが、香ばしく焦げたソースの匂い。���に1度だけ食べたことがある、たこ焼きの匂いである。
ちょっとした気まぐれで、店主が散歩中のコロマルに投げてよこしたたこ焼きは、今までに経験のない美味だった。
「ホンマは犬猫にタコやイカはあかんのやけどな。ウチのはほら、タコ入ってへんから」
店主はそんなことを言っていたが、コロマルにとってはどうでもいいことである。ただ、もう1度だけ店主が気まぐれを起こしてくれないかと、このあたりで足を止める癖がついてしまったのが、我ながら情けない。
空腹をこらえながら、コロマルは商店街を進む。今日はあいにく、コロマルに食べ物を恵んでくれる気になる人間はいないようだ。いつも新しい神主が提供してくれる食事は、コロマルにとってはやや物足りない分量である。今日はちょっと疲れたので、もしかするとあれでは足りないかもしれない。今夜は、空腹をこらえて寝るしかないかと、コロマルが覚悟したとき。
「よう、コロちゃんじゃねえか」
後ろからかかる声。
大きく尻尾を振って、コロマルは声の主のもとに走り寄った。亡くなった主人を除けば、おそらくコロマルがもっとも大好きな人間だ。
「ほら、焦るなって」
そういって、その人は懐から容器を取り出し、地面に置いて開けてくれる。中身は何か肉を煮込んだもの。巌戸台商店街やポートアイランドでよく見かけるその人は、いつの頃からか、定期的にコロマルに食べ物を持ってきてくれるようになっていた。口調は乱暴だが、優しい人だ。
「よし、いいぜ。食えよ」
いつものことだが、コロマルは律儀に一声吠えて礼をいい、それから出された食事を食べ始める。あまり味を気にしないコロマルだが、その肉は絶品だった。濃すぎない味付け、適度な歯ごたえ、神社で出されるドッグフードとは雲泥の差である。食べながらコロマルは思う。色々あったが、今日は総じていい日だった。明日もいい日になるだろうか?
どちらにせよ、コロマルは毎日を精一杯生きるだけだし、日課の散歩も変わらないだろう。手が届く範囲の幸せ、それを守ることがコロマルの重要事であり、それは確かに、生き物すべての真理なのである。
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guidepermaculture · 29 days
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自然と調和する生活への一歩: パーマカルチャーの実践ガイド①
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1. パーマカルチャーとは何か?
パーマカルチャーは持続可能な農業・生活システムを構築する考え方であり、自然と調和しながら地球環境を保護することを目指します。化学肥料や農薬を極力使用せず、自然の循環を活かした栽培方法や建築技術を取り入れます。この記事では、パーマカルチャーの基本原則や実践方法について解説します。読者はパーマカルチャーを学ぶことで、持続可能なライフスタイルを築く手段や、自然との共生を促進する方法を理解できます。また、地球環境への負荷を減らすための具体的なアイデアを得ることができます。パーマカルチャーは個人や地域社会のみならず、地球全体の未来に向けた持続可能な解決策を提供しています。
1.1. パーマカルチャーの基本概念
パーマカルチャーは、持続可能な農業・生活システムを構築するための総合的な考え方です。その基本概念は、自然との調和、多様性の尊重、サイクルの閉鎖です。自然との調和では、化学肥料や農薬を極力使用せず、生態系を乱さないような栽培方法を取り入れます。また、多様性の尊重では、単一の作物だけでなく、様々な植物や生物の共存を重視します。さらに、サイクルの閉鎖では、廃棄物を最小限に抑え、資源の循環を促進します。
この基本概念に基づき、パーマカルチャーでは「自然の模倣」というアプローチが採用されます。これは、自然界の生態系を観察し、その模倣によって持続可能なシステムを構築するという考え方です。例えば、自然の生態系における植物や動物の相互作用を模倣し、互いに支え合う関係を築くことで、農業や生活を営んでいきます。
パーマカルチャーの基本概念は、単なる農業技術や生活方法にとどまらず、地球環境の保護や社会の持続可能性にも深く関わるものです。我々はこれらの基本概念を理解し、日々の生活に取り入れることで、より持続可能な未来を築くことができます。
1.2. パーマカルチャーの歴史と起源
パーマカルチャーの歴史は、1970年代にオーストラリアのビル・モリソンとデイヴィッド・ホルムグレンによって提唱されました。彼らは、持続可能な農業や生活の方法を模索する中で、自然のシステムを理解し、それを応用することの重要性を認識しました。彼らの考え方は後に「パーマカルチャー」と呼ばれ、世界中で広く受け入れられました。
パーマカルチャーの起源は、オーストラリアの農村地域での実践から始まりました。地元の環境に適した作物の栽培や、自然エネルギーの利用など、実践を通じてその有効性が証明されました。その後、パーマカルチャーのアイデアは世界中に広まり、様々な地域や文化に適応されています。
パーマカルチャーは、持続可能な農業や生活の方法としてだけでなく、社会や文化にも大きな影響を与えています。その理念は、地域コミュニティの結束や、地球環境の保護、食料安全保障の確保など、多岐にわたります。パーマカルチャーの歴史と起源を理解することで、我々は持続可能な未来を築くための知恵や知識を得ることができます。
1.3. パーマカルチャーの主な特徴
パーマカルチャーの主な特徴は、自然との調和、多様性の尊重、サイクルの閉鎖です。まず、自然との調和では、化学肥料や農薬の使用を最小限に抑え、自然の生態系と共存しながら農業を行います。これにより、土壌や水質の汚染を防ぎ、生物多様性を保護します。
次に、多様性の尊重では、単一の作物に依存せず、様々な植物や生物を栽培・飼育することを重視します。これにより、生態系のバランスを保ち、病害虫や害虫の発生を抑制します。また、異なる植物や生物が互いに支え合う関係を築くことで、生産性を向上させます。
そして、サイクルの閉鎖では、廃棄物を最小限に抑え、資源の循環を促進します。例えば、家庭での有機廃棄物を堆肥化して肥料として再利用することで、資源の無駄を減らし、土壌の健全性を維持します。
これらの特徴により、パーマカルチャーは持続可能な農業・生活システムを実現し、地球環境の保護や地域社会の発展に貢献しています。我々はこれらの特徴を理解し、日々の生活に取り入れることで、より持続可能な未来を築いていくことができます。
まとめ
パーマカルチャーは持続可能な農業・生活システムを構築する考え方であり、自然と調和しながら地球環境を保護することを目指します。この記事を通じて、パーマカルチャーの基本原則や実践方法について学びました。パーマカルチャーは持続可能な未来への道を示し、自然との共生を促進します。我々は、化学肥料や農薬に頼らず、自然のリズムに従いながら健康的な食生活を送る方法を見出しました。地球環境への負荷を減らし、地域社会や環境に貢献するために、パーマカルチャーの考え方を日常生活に取り入れることが重要です。これからも、パーマカルチャーの理念を広め、持続可能な未来を築くための努力を続けていきましょう。
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canty-essay · 3 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
 「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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chaukachawan · 4 months
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演劇サイボーグ、白子です。
…実はまだどの公演の役者紹介もしていないという事実を横置きにしておいて、新人公演の役者紹介をしていきます。
皆が人柄などについて書いてる中、演技のことばっかり書いちゃう私をどうか許してください。
折角なので白デミー賞の授賞式も一緒に行います。
●縦縞コリー:父(川上一雄)
主役は君しかいないで賞
1番1緒にご飯を食べてる気がします。食べるのが早すぎて、いつも待ってもらってますが…。やっぱり自分で考えて演技してくれる役者はいいよなぁと、こりちゃんの演技を見る度に思います。上手なんですよ、本当に。もっと言うと、こなれていて、直ぐにそのキャラクターになってしまうんですよ。いやぁ、羨ましい。最高の主役です。こりちゃんが主役でよかったなぁといつも思ってます。新人公演のクオリティーを担保してくれるのは、彼の演技力だと常々思っています。そのうえで、彼のどこか子供っぽいところが好きです。お父さん、イヤーカフ付けてるの見た時はちょっとだけ君が遠くに行ってしまったみたいで悲しかったよ。
●あろハム権左衛門:母(川上なぎさ)
使いたい役者ナンバーワンで賞
ちゃうかで1番好きな役者を聞かれた時、いつもあなたの名前を出しています。本当に大学からか?と思わせる圧巻の演技力と声の圧。なのにどんな役でもスルッと自然体でこなしてしまう感じ。とっても好きです。個人的には今公演で一番好きなシーンは動物園のあそこです。オレンジの時からいい役者だなぁと思っていたのですが、今回の母は抜群に上手です。でも何よりも、こうしたらどう?という提案をすれば次の瞬間には120%の状態で持ってきてくれる吸収力と再現性。アローが主人公・ヒロインの劇、一緒に作ってみたいなぁ。いつかまたシャボン玉で一緒に遊びたいです。
● 海泥波波美:子A(川上ひろし)
圧倒的吸引力、みんなの意識と視線を鷲掴みで賞
君に好かれたい。メンヘラな僕でごめん。私は君のことが好きです。でも、どうやったら皆みたいに君と仲良くなれるのか分からない。一緒にいる時間はだいぶ長いけど、まだ君が麻雀と競馬が好きだという事くらいしか理解出来てないです。でも好きなんです。いや、これは嫉妬に近い感情かもしれません。何でそんなに人を惹きつけ、みんなを巻き込んで楽しい空間を作れるのか。近づきたいのに、どう近づけばいいのかまだ分からないです。大道具も子Aも私の分かりずらい口出しを理解することも、全部大変だったと思うけど、お疲れ様。最高の舞台をありがとう。これからも一緒に大道具頑張ろうね。
●苔丸:子B(川上たくや)
役者にスタッフに、二刀流で大谷越えてるで賞
帰りの方向が一緒で話すことが多くて凄く嬉しいです。喋ってて落ち着くし、心地良い合いの手をくれるとこがすごく好き。やっぱり香夜から一緒やと他の人よりも何となく結束力(?)みたいなのが1段階上な気がします。いやぁ、声出るようになったね。演技の幅の広がり方は指数関数的で、キャスパ師としてもそうだし、演技指導の方でもちゃうかをリードしていって欲しいなぁとよく思います。いやぁ、いいですよね苔丸。皆さんどうですか?苔丸のこと好きになりませんか?一緒の座組でいてくれる事の安心感。敵になったら厄介なタイプですよ、ホントに。小道具、あなたがいないとどうにもならないです。今後ともよろしくお願いします。
●衿君:遠藤圭一
緩急の魔術師であり、誰よりも一緒に稽古したくなる人で賞
エリちゃん、大好きです。何かね、凄い好き。役者としても話し相手としても、いやぁ、いいですよね、彼。周作の時から上手だったのに、謙虚で努力家で、何より伸びようとする強い意志を持って稽古に来てくれてるのが、一緒に練習していて凄く伝わってくるんですよ。そりゃ一緒にいて好きになるに決まってますわ。動きやリアクション、声色ももがきながら手探りで見つけていった最善手って感じがしてね、いいんですよね〜。個人的には、声や演技が爆発しているエリちゃんも好きだけど、普段の大人しめなエリちゃんの方が好きなんですよね。声を聞いていると心が落ち着くんです。だからこそ、今回の遠藤はね、すっごく良いんです。あぁ、あと一週間あったらもっともっと良くなってますよ。けど、彼は私が教えられることは全て教えてきたといっても過言では無いので、彼の才能に乗っかって生産者の顔しときます。
●冊まいむ:子C (瀬尾マイ)
舞台上に自分の世界を作り出すマイペースクイーンで賞
最初はね、霧島みたいな感じで博士やってもらうかなぁとか考えてたの。でも、あなたは子Cです。あなたにしか子Cの無邪気さと心の奥底にある物憂げさは出せません。ダメも演技指導も何にも出来なかったけど、それだけみそかが完成していて、求めていた子Cを見せてくれたということです。なのに忙しい中たくさん練習してくれるじゃん。そりゃ好きになるしかないでしょ、君のことを。初めてな上にパソコンも壊れて大変な中、立派に音響チーフを全うしていたのも最高にえらいです!私が無理に納期を早めさせようとしたり、稽古でサンプラー使わせろとか言っても、真剣に悩んでくれて本当に信頼できて一緒に作品作りをしたいと思える仲間なんだなぁと思いました。役者としてもチーフとしても、どんどん成長していくみそかが楽しみで仕方ありません。君が娘でいてくれて、お父さん本当に嬉しいです。
●ミル鍋:博士
言葉に誰よりも説得力をもたせられるで賞
言わずもがな演技が上手なんですよね、はい。でもね、ゆにの凄いところは、自分の演技だけじゃなくて他の人の演技プランも考慮しながら、全体が動きやすく見やすいものになるよう動けるところなんですよ。アドバイスが思いつかなくて逆に困りました。凄いです。あと、エンディングの映像や舞台装置、その他色々な宣伝美術等に関して美的センスをいかんなく発揮していて、毎回圧倒されます。でも、何気に一番好きなのは点つなぎの表紙です。可愛い動物たちを全員が互いを尊重し合うように配置されていて、センスがあるってこういうことなのかと思いました。何より、食欲に忠実なところが可愛くて好きです。美味しそうにご飯やお菓子を食べているところを見るとこっちも幸せになります。誰よりも気が使えて周りを見れるところも、演技にも表せていますが、稽古場の雰囲気をすっごく暖かくしてくれるので居てくれるだけでThank you!です。
●大福小餅:助手1
可愛くてかっこいい最高の舞台監督で賞
多分仕込み期間中、君と1番練習した気がします。私は小福ちゃんの真っ直ぐに話を聞いてくれる目が好きです。君がぐんぐん成長してくれるから、私も指導に熱が入っちゃいます。ラップ、上手になったね!カレーライス、最高のスタンドだったね!自然なお喋り、力まなくなったね!褒め出したらキリがありませんが、それも全てこふくの絶え間ない努力の賜物です。仕込み週も暇になったら自主練してて、かっこいいライムを学生会館で響かせていて、聞く度に笑顔になりました!演技だけじゃなくて、舞台監督としても超有能で、私の手の届かない仕事を全部こなしてくれて、君がいるから私が好き勝手できたんです。自信を持って!今後も舞台監督チーフ、頑張ってください!!!私も微力ながらお手伝い致しやす!!
●中森ダリア:助手2
魅せる演技が誰よりも上手いで賞
言わずもがなのラップの名手。曲のセンスとフロウのカッコ良さは聞いた人全員を虜にしちゃうと思います。でも、私の推しポイントは何も言わなくとも大胆に、でも正確に動いてくれる身体表現のうまさです。カレーライスのシーン、いいですよねぇ。クラムボン名付けるとことかもめっちゃ好きなんですよね。こふくとは真逆みたいな動きや声色なはずなのに、舞台は統一感があって、華があるのに荒々しくもなれて、すっごく素敵な役者さんだと思います。でも、皆が書いていることですが、ひらりの周りの人のエピソードがどれも強すぎて、丸山ゴンザレスのインタビューに答えられそうで聞いてて楽しいです。ひらりの個性が爆発するような、素敵なキャラを演じて欲しいなと心から願ってます。
●帝京魂:作業員
フラットな喋り方が誰よりも上手で賞
コンちゃん、いいですよね。やっぱり彼は何気ない台詞をスルッと言う技術に長けてるんですね。くどくなくて、でもちゃんと心に残るような、そんな話し方ができるコンちゃんの演技が大好きです。耳あたりもすごくいい声で、でもはっちゃける所はめっちゃ遊びがあって、作業員・飼育員・素の姿の3つのどれもに味があって、ちーちゃんカンパニーがコンちゃんで良かったなぁと常々思います。しかも、細部の動きも本番当日でも試行錯誤していて、演技上手なのに努力家だからこそ、安心して演技が見れるよなぁと感じます。真面目な一面と遊び心が良い塩梅でまたコンちゃん主演の劇も見たいなぁと思っておりますが、その時もまた一緒にエモい感じをね、作れたらなぁと、華月での去り際、めっちゃかっこいいじゃないですか…あぁ言うのをね、やってほしいなって、思うわけですよ。
●鴨兎春:読み聞かせの人
関西人の血があなたの個性を伸ばしているで賞
読み聞かせのビジュ、最高にいいですよね。可愛いのにちょっと怖くてかっこいい。読み聞かせやりたいなぁって読み合わせの時から言っていて、いざなってみたら改訂後はどんどんセリフ量が増えて、でもそれに対応して演技力もぐんぐん伸ばして、読み聞かせの冷徹な感じとお喋りを演じているっていう雰囲気が、今となってはらびにしか出せんなぁと白子は感服しております。今回は誰よりも一緒に舞台にたったと思うんですけど、安心して隣で演技出来ました。母のナレーションもいっぱい練習してて、最初に比べて格段に良くなってますよ!舞美作業とかで話すこともわりかし多くて私は凄く嬉しいです。センスを爆発させているあの立て看板も最高にかっこいいよね!もっともっとらびと稽古をして、最高の役者に育てたいと、私は切に願っております。漫才劇場、一緒に行こうね!
●黒井白子:道化師
もっと自分の演技も指導も上手になりたいで賞
私(白子)です。道化師、すっごく楽しかったです。いい舞台だったなぁとたまにニヤニヤしてます。こういう馬鹿馬鹿しいけどちょっと良いとこあるみたいなキャラをね、今後もやれたら本望ですわ。
●しょこら:ルロイ修道士
君にしかできない役がいっぱいあるで賞
ある意味今公演で1番振り回されたのは君かもしれません。でも、ルロイを演じれるのも君しかいかったです。だからこそ、舞台に立ってルロイを演じてくれてありがとう。良い演技でした。皆が言っている通り、こらしょにはこらしょにしか出せない独特の雰囲気があります。それが役とマッチした時、黒閃みたいな感じで、ポテンシャルが何倍にも増幅されたものを、君は表現できるんです。だからこそ、今後も技を磨いて欲しいし、役者をやって欲しいなぁと思います。その時は、いくらでも稽古に付き合いますんで、今後ともよろしくお願いします!
●園堂香莉:照明オペ
臨機応変で準備も万端って、有能すぎで賞
本番直前なのに、読み聞かせの照明を足してくれなんて言ってしまい申し訳ありませんでした。でもなぽりなら、きっと叶えてくれるかなって、信じてたから。仕込み週とか、ずっと大集にいて、シュートに明かり作り、場当たりの後はキャスパ照明の練習と連日大忙しなはずなのに、焦りを一切見せずにケロッとボケる感じが凄く安心感があって良かったです。外公の時、こんなに演技上手なんだって感心したけど、オペとしても照明チーフとしても有能すぎて、分身してくれたら最強なのになぁとか考えてました。
●まろん:音響オペ
どんなオペでも安心して任せられるで賞
体調悪いのに引っ張ってきちゃった様ですごく申し訳なさを感じています。でも、とってもいい音響オペでした。通しに来てくれる?とかサンプラー使って稽古したいんだけど?とか色々投げても丁寧に対応してくれて、雑な白子は見習わなきゃなぁと脱帽しました。折角なら引退までのどこかの公演で役者もやってくれればね、嬉しいんですけど。私が演出補佐になることがあれば、オペに対して無理難題を押し付けることもあると思いますが、その時もどうぞよろしくお願いします。
●テキストを入力:映像オペ
映像、プロとして食べて行けるで賞
PVが神すぎて、本番当日の昼、皆でPVを見た時の感動は今でも忘れられないわ…。世界取れるなって、思っちゃいました。前説の前に流して本当に正解だと思うわ。だってお客さんの期待感と盛り上がりをMAXまで高められるじゃない!もう最高。私、エピとはあんまり話した事がないから、君が最近ちゃうかが楽しくなってきてるって話を小耳に挟むくらいしか知らないんだけど、それでも凄く嬉しいです。是非、最強の映像班員としてちゃうかを盛り上げて欲しいですわ!
●紫仏瑠唯:有能スタッフ
誰よりも話を聞いて欲しくなるで賞
私のしょうもない愚痴を聞いてくれ、その上でアドバイスや訂正何かもしてくれたおかげで、私は演出補佐をら続けられました。本当にありがとう。私が一方的に話しただけだけど、るいは話を聞くのが上手だなぁと感じましたわ。先生、向いてるんじゃなくって。でもね、私はるいの世界史話を聞きたいのよねぇ。私はウィーン会議以降の帝国主義が闊歩し衰退するまでの100年半くらいが好きなので、ぜひお話聞かせてください。
●近未来ミイラ:脚本・演出
次回作、本当に本当に楽しみで賞
我らが最強の脚本家兼演出家。君がちゃうかに入ってくれて、筆を執ってくれて、新人公演を最高の舞台にしてくれて、感謝してもしきれません。皆そうだけど、みーらの言葉遊びと小ボケは無限に読みたくなるし見たくなります。として突っ込む時は誰よりも声を張る感じがすっごく好きです。合宿で仲良くなれて本当に良かったな。こんな私を演出補佐に選んでくれて本当に嬉しいです。少しでも君の期待に応えられたのなら幸いです。もしね、今後も脚本を書いて演出したいなぁって時、私に演出補佐やらない?って声掛けてくれたら二つ返事で喜んで承諾しますんで、是非是非。あと、勝手に私が思っているだけかもだけど、感性があんまりズレていない気がするのよね。まぁそれは縦置き、個人的にはちゃうか1の文才を君は持っているでしょうし、ちょっと優柔不断だけど、その分誰よりも優しくて気を使えて、誰も傷付けずに周りを元気にしてくれる君が大好きです。脚本・演出、共に本当にお疲れ様でした!
他の人みたいに上手いこと書けないし、書き足りないことも沢山あるけど、ひとまずこんな感じで良いでしょう。
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ikuyome · 1 year
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2023年3月13日にディーノくんが永眠しました。
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享年16歳9ヶ月でした。
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最後は眠るように旅立ちました。
・・・。。。・・・。。。・・・。。。・・・。。。・・・。。。
年末頃から食が細くなり今年に入ってから
ガクンと体重も減り3月になってからは
食事はムース状や液状のご飯を指先に取り
それを少しづつ舐める感じでした。
段々食べる事も嫌がり
ただ
お水だけは飲んでくれました。
2回だけ粗相しちゃいましたが
フラフラな状態になっても
おトイレで用を足す頑固なディーノでした。
亡くなる2日前ぐらいに
ようやく猫用のおむつをしましたが
必要なかったです。
・・・。。。・・・。。。・・・。。。・・・。。。
ディーノくんとの出会いは
多頭飼いで立ち退きになる家から
レスキューされた
成猫4歳の保護猫ディーノくんを
迎え入れました。
2010年9月19日でした。
その時の名は「きん太」くん(笑)
「きん太」くんは生後2〜3ヶ月ぐらいに
駐車場で一人ぼっちのところ
多頭飼いの飼い主さんに保護され
誕生日を6月18日に決めたと聞きました。
それと
立ち退きが決まった時、きん太(ディーノ)くんは
一度トライアルして返って来た子だったそう。
今となってはうちの子になるために
返って来たのかも。
↓2011年1月うちに来て4ヶ月ごろのディーノくん
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結婚後、初めて迎え入れる子は
保護猫で茶トラと決めていて
「きん太」くんの家が会社から近かったのも
なにかのご縁だったのかも。
うちの子になってくれて良かった。
ほんと良かった。
1度ディーノくんが膀胱炎になって
旦那さんに抱っこされてる間に
私がお薬をあげてすぐに治ったことがあって
それから旦那さんを慕うように。
(お薬飲ませたの私ですよー)
甘えたさんで旦那さんにべったり♪
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約1年前の昨年2022年2月16日のディーノくん
↓いいおじいちゃん猫してますw
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大きな病気をすることなく、最後まで全うしてくれて
お世話できて良かったです。
ありがとう。
ディーンくん
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ari0921 · 1 year
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桜林美佐の「美佐日記」(212)
迷い猫だった私を救ってくれた靖國の桜
桜林美佐(防衛問題研究家)
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おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、212回目となりま
す。
前回の日記にも感想を頂きました。「日本では、民
生品と軍用品は分けられると考えている(ふり?)
をする人が多いですが、両者は分けることは難しい
のに、軍事転用されることはよくないという指摘は、
的外れだと思います」とのこと。ありがとうござい
ました。
さて、今朝ほどBS-NHKで興味深いことを知りました。
それは野良猫をネズミ退治のために雇用する取り組
みです。
猫をあっせんしているのはHard Hut Catsという組織
で、全くのボランティア。シェルターに収容されて
いる猫たちに仕事を提供しているといいます。
通常、こうした猫や犬のマッチングは、人に慣れる
かどうかが決め手になりますが、この仕事の場合は
違います。
むしろ、人懐っこさではなく、ネズミ退治向きかど
うかという素養が重視されます。夜にひとりで動き
出して活発なパトロール活動をするとか、そうした
性格が求められるのです。
猫の雇用主としても、ネズミ捕りの業者に委託した
り、罠をしかけたり毒を撒いたりするより安価で
(かかるのは猫の糧食費だけ)環境に優しいという
ことで、すこぶる好評のようです。
また、猫の存在がそこにあるだけで、かなりの抑止
効果があるようです。そして、何より仕事を得た猫
たちの誇らしい表情が印象的です。実に堂々として
いてシェルターにいた時とはちょっと違います。
シェルターにいた猫が飼い猫として引き取られて、
人間に対し恐怖感を持っていた頃とは打って変わっ
て甘えん坊になる様子を見ることがありますが、一
方で飼い猫にはなれなかったけれど「就職口」を見
つけた猫は誇らしげに見えます。
こうした取り組みがぜひもっと広がって欲しいと思
います。人間もそうですが「何かの役に立つ」とい
うことが生きるための糧になり、それを見つけるこ
ともまた人生の醍醐味と言えますよね。
猫や犬、馬・・といった生き物たちも懸命に日々を
暮らしているのだと思うと、人間として私も頑張ら
ねばと思う4月です。
3月はお別れシーズンで、私は米国に帰国する米軍の
友人を連れて靖國神社に行きました。一緒に参拝し
た後に遊就館もじっくり見学し、実に熱心に見入っ
ている姿に私の方が感動してしまいました。
彼女が日本を立ってから再度、靖國を訪れると満開
の桜が待っていてくれて、何か話しかけてくれてい
るようでした。
この時期に必ず思い出すのは「靖國の掃除夫になり
たい」と言って自衛隊を退官した故倉林和男・元空
将補のことです。
英霊のために残りの人生を捧げたいという強い意志
で、さすがに元将官に掃除をさせるわけにはいかな
いと、創設された「英霊にこたえる会」の事務局長
を長く務められました。
ちょうど桜の開花を待つ頃だったでしょうか、神社
の近くでお昼にお蕎麦をご馳走になり、帰り路に1本
の桜の木を指さして倉林さんはこんなことを教えて
くれました。
「あの木に、桜が咲くと必ず会いに来るご婦人がい
るんだよ」と。戦死したご主人がその木に毎年帰っ
て来ると約束したのだそうです。だからそのおばあ
ちゃんは、歳を取って歩くのが大変になっても毎年、
毎年、桜が咲くと来て、ずっとその木に寄り添って
いるのだと。
「靖國で会おう」と約束したのに、他の場所に勝手
に変えてしまうなんてあり得ないんだよ、と語気を
強められていたことが今でもハッキリと思い出され
ます。
独身で家族を持たず散った人、妻や子のことを案じ
ながら散った人、あらゆる英霊と出会える場所はこ
こしかありません。お墓に行ってもそこにはいませ
ん。また子孫を残せなかった人は子や孫が墓参をす
ることもなく、お墓すらないのです。
倉林さんと出会ったのはもう20年以上前のことで、
その頃の私はまだ迷い猫のようでした。自分がする
べき仕事というより、毎月の家賃を払って日々生き
ているのが精一杯。でもそんな毎日の中でも、なん
となく自分の役割があるような気がしたのがこの時
のちょっとした会話でした。
もしかしたら、野良猫だった私を救ってくれたのは
靖國神社の桜だったのかもしれません。
今年も咲いてくれてありがとう!
今週も最後まで読んで頂きありがとうございまし
た!皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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shukiiflog · 8 months
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ある画家の手記if.39  告白
三人で家族旅行をして、香澄の睡眠も落ち着きだしてからしばらく経ったある日に、情香ちゃんは唐突にこの家を出て行った。 もともとこのままずっとここにいる気じゃないのは僕も香澄も分かってたし、出ていくことに変な他意はなくて、そろそろいつもの体を動かす忙しい仕事に戻りたくなったんだろうなと思った。
荷物もないし玄関まででいいというから、香澄と二人で玄関で見送る。 一人靴を履いた情香ちゃんは玄関で香澄の頭を髪が爆発したみたいになるまでわしわし撫でたあとで、満足したみたいに笑った。 「ん。もうそんな痩せこけてないな」 「…うん。ありがとう。情香さんの料理おいしかった」 情香ちゃんが香澄をまっすぐ見つめる。 「困ったらいつでも呼びなよ」 「うん」 「…香澄の目は綺麗だな」 そう言って情香ちゃんが香澄の頭を両手で挟んで持って引き寄せ て 「?!」 「ちょっ…」 香澄の目元に軽くキスしていった。香澄はフリーズして目をぱちくりさせてる。 僕は後ろから香澄を抱きしめて牽制する。 「…情香ちゃん、や、やめて…。香澄口説かないで」絶対僕が負けるから。 「そう思うならもう少しお前も大人になるんだな」 情香ちゃんは笑いながら颯爽と扉の向こうに消えていった。 「……。」 「………。」 室内に残された二人でしばらく同じ体勢のまま固まる。 「……香澄…情香ちゃんに心変わり「してないよ?!」 つっこまれるみたいに否定されてほっと息をつく。…へんな感じだ。前だったらそんな、香澄が誰を好きだって、こんなに焦ったりしなかったのに…今僕に気持ちの余裕がないのかな、家族になろうって言ったときだって僕は、香澄にほかに彼女とかがいるならそれで…って思ったり…してたのに。 ……もしかしてこれが独占欲ってやつかな。 もやもやを新鮮に感じながら、香澄に提案する。 「…ねえ香澄。僕はこれからどうしてもやりたいことがあるんだけど、香澄も手伝ってくれる?」 香澄は後ろから抱きしめてくる僕の腕の上に手を乗せて、僕の足の上に足を乗せて、僕もそれに合わせて足をぶらぶらさせたり体をゆらゆらさせて二人で玄関先で一緒に揺れる。 「いいよ。やりたいこと?」 僕はそのまま足の甲に香澄を乗せて二人羽織みたいな二足歩行を戯れにしながらリビングまで戻った。 香澄をソファに待機させると、家族旅行で買ったばかりの防寒具一式をすばやく取ってくる。 ソファに座った香澄にぐるぐるマフラーを巻いて頭に大きめのニット帽をしっかりかぶせて耳まで覆った。体にコートをかける。 僕は寒さに強いから適当なコート一枚でいいや。 「よし、出発」 二人で家を出て、すぐ隣のひらけた公園まできた。 まだ雪が積もったままで、隅のほうに少しだけ子供が雪で遊んだあとが残ってる。 一番綺麗に高く積もったあたりを二人で探して見つけた。 「…よし。香澄、雪だるま作るよ」 僕の真剣な声にとなりの香澄がふっと息を噴き出すみたいに笑った。 「…え。なにに笑ったの」 香澄は手袋をした手で口をおさえて笑いを堪えるみたいにしてる。 「な、なんでもないよ…作ろっか」 …また僕へんなことやらかしたのかな…でも香澄は嫌な気になってるわけじゃないみたいだ 「香澄…」 じと…と香澄を半目で見たら、香澄が笑って両手を掲げて降参しながら白状する。 「直人かわいいなと思ってつい、だってすごく気合い入ってて、ほんとに真剣にやりたいことみたいだったから、なにかと思ったら…」 まだ笑ってる。雪だるまは子供の遊びじゃないんだぞ。 二人で小さな雪玉を転がしながら、僕が胴体、香澄が頭を担当することになった。 香澄が凍った空気に白い息を吐く。 「はー…… 今日からもう情香さんいないんだね…」 「香澄が呼べばきっといつでもまた来てくれるよ。僕が呼んでもあんまり来てくれないけど…」 「そういえば直人は情香さんと一緒に暮らしたことないって言ってたけど、二人が一緒にいるのすごく自然だったよ。幸せそうだった。どうして別々に暮らしてたの?」 「………」 僕の返事がそこで途切れたから香澄は慌ててつけくわえた。 「ごめん、口出しなんて…「いや、なんでも聞いていいよ。香澄も家族なんだから」 笑って香澄が謝るのを遮ったものの、質問には答えられずに、話は自然と別のことにうつっていった。 かなり大きくなった雪玉を、バランスをとりながらふたつ重ねて、���人で支えてしっかり立たせる。 長身の男二人で丸め続けた雪だるまの身長はなかなかのものになった。少なくとも子供が集まって作れるサイズ感じゃない。 「僕は目を探してくるから、香澄は鼻か口を見つけてきてくれる?」 「なんでもいいの?」 「いいよ」 二人で手分けして公園内の木や石を見て回って、手頃なものを探す。僕は黒々としたつぶらな石の瞳と元気に広がった枝の腕二本を見つけた。香澄も尖った石を持ってきて、顔の真ん中に鼻にして刺した。 目も腕もついて、ちょっとだけ天を仰ぐ顔の角度で、かわいくできた。完成だ。 「香澄、ケータイ持ってきた?」 「持ってるよ。写真撮ろうか」 「うん、……誰か…撮ってくれる人がいたら…」公園内は平日だからか閑散としてる。香澄と僕と雪だるまを撮ってくれそうな人が通りがからないか待ってみる。 すると一匹の大きなシェパードが遠くから僕らのほうに向かって猛スピードで走り寄ってくるのが見えた。 人なつこいのか、雪だるまに興味があるのかな。 「首輪つけてるね、飼い主に写真が頼めないかな」 二人で飼い主の影がどこかにないか見回す。 すぐに体に触れられるほど近くにきた犬の頭を撫でる。吠えたり噛んだりもしない、よく躾けられたいい子だ。 「直人、犬には嫌われないんだ」 「ね、猫だけだよ…あんなに嫌われるのは」 「犬も好き?」 聞かれて一瞬ぼうっとする …似てるってよく言われるな 犬は好き 特に大きい犬は僕がぎゅって抱きしめても骨を折ったりしなくて安心だし 犬は好きだったよ 飼い主が …いや、飼い主のことだって別に嫌ってたわけじゃ その時、雪上に大きな指笛の音がまっすぐ空間を貫通するように響き渡った 「…あ、この子の飼い主さんかな」 香澄が音のしたほうに振り返って、丘の上の散策路に人影を見つけた。 笛の音で犬は全身をぴしっと引き締めてまた一直線に音のしたほうへ駆け出した。 犬の…首輪に下がってたあれは名札? BU…STER…? 「come,バスター」 散策路の人影が一言発した 介助犬とかの訓練用に共通で決められてる命令語だ 犬と一緒にすぐ木立の陰に消えていって僕にはほとんど見えなかった 襟を立てたロングコートだけちらりと見えた 「………人違い…」 …だと思う。あの人はこの時期に日本に滞在してることは滅多にないし ここに居るほうが変だ 「直人」 横から怪我してないほうの腕を香澄にひっぱられた。顔を覗き込まれる。 「変な顔してるよ。大丈夫?」 「…うん。なんでもない」 いつも通り笑ったつもりだったけど香澄に手袋をはめ���手で顔を挟まれる。…心配かけちゃってる。 「…さっきの人、知り合いだった?」 「…ううん、人違いだよ」 今度こそうまくちゃんと笑って、香澄をぎゅっと抱きしめる。 「雪だるま…大きく作ったからきっと明日もまだちゃんと残ってる。今日は写真は諦めて帰ろうか」 「…うん」 二人で雪だるまを公園に残して家のほうへ歩き出す。 まだちょっと心配そうにする香澄の頭をわしゃわしゃ撫でて頭を胸に引き寄せてこめかみにキスした。 香澄の右手から手袋をすぽっと取ると、素手になった香澄の指に自分の指を絡めて、しっかり繋いだ手を僕のコートの左ポケットに突っ込んだ。 夜。久しぶりに二人だけで夕飯を作って食べる。 ひとり分の賑やかさが消えて、ほんの少しだけ寂しいような、不安なような。 それをかき消すように二人でいつもより手間をかけて凝った料理をいくつも作った。 食事が終わって片付けも済んで、僕がソファに座ったら香澄が横からするりと僕の膝の上に座った。…かわいいな。 香澄の体を包むように抱きしめる。 「…こういうの久しぶりだね」 って、自分で口に出しておいてだんだん恥ずかしくなる。 情香ちゃんもいたときはそういうことを意識して避けてたわけではなくて、自然とそういう気分にはならなかった。 「…香澄、こっち向いて」 僕の腕の中でゆったりリラックスしてた香澄が顔をあげて僕を見る、手で顎をとって軽く開かせると舌をさし入れて深くキスした。香澄も目を閉じて舌が口内でゆっくり絡み合う。一度少し唇を離してもう一度、角度を変えてもう一度、そうやって何度も深いキスを繰り返してるうちに、身体の芯からじんわり溶けそうになる。…気持ちよくて目が潤む。 一旦休憩。口を離すと少しだけあがった息が至近距離で混ざり合う。 「…香澄… …したい」 正直にこう言っても大丈夫。香澄はもう嫌なときはちゃんと嫌って言える。迫られても襲われても、意に沿わないときは自分の身を守れる。…帰ってきてくれた。それがすべてだった。 香澄の両腕が僕の背中に回って、ぎゅっと僕の体に絡められた。 「……うん…」 首元にあてられた香澄の顔は見えないけど、ちゃんと聞こえた、返事。 そのまま香澄の脚の下に腕を通してもう片腕で背中を支えて、横抱きにしてソファから抱え上げる。 左腕に少しだけ痛みがあった。負担がそっちにいかないように香澄の体の重心を少しずらす。 ドアを開けっぱなしだった僕の部屋に入ってベッドの上に香澄をおろすと、少し赤らんだ頰にキスを落とした。
続き
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shredderwastesnow · 9 months
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではな���かと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛される���トシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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sakananoko-news · 2 years
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『さかなのこ』9/11(日) 実施 大ヒット御礼舞台挨拶 レポート
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SNSでは、「早くも下半期邦画のベストに相応しい傑作。」など絶賛の嵐が吹き荒れている本作。
この度、映画の大ヒットを記念して大ヒット御礼舞台挨拶の実施いたしました!
SNSにて事前に募集した質問にのんさん&沖田監督がお答えするQ&Aコーナーやイベントの模様をギョギョッとご紹介いたします!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【イベントスタート】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
チケット即完売・満員御礼で、上映後の余韻冷めやらぬ観客が待ちわびる会場に、のんと沖田修一監督が登壇すると盛大であたたかな拍手に包まれました。
のんさん:「おかげさまでたくさん観ていただいていると聞いて、とっても嬉しいです!」と笑顔で挨拶。
沖田監督:「観ていただいた方から、色々な嬉しい声を聞いています!」と嬉しそうな様子で幕開け。
事前に公式SNSで2人への質問を募集し、用意された質問BOXから2人が質問を引いて、時間の許す限りどんどん答えていくことに。沖田作品と言えば、実にユーモラスで魅力的キャラクターがたくさん登場し、映画を観終わった後にも心に残るシーンが数多いことでファンが多く、本作もそんな印象的なキャラやシーンがたっぷりで、読み上げられた質問には会場も共感があふれるように笑いが何度も沸きあがりました。
Q&A全文はこちら▼
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●1問目:この映画が、のんさんの演技や創作意欲にどんな刺激・影響を与えましたか?
さっそく濃厚な質問を引き当てたのんさんは「ほう!」と一言。「主人公のミー坊は好きなおさかなさんを追い求めてまっすぐ突き進む、何にも影響されない“好き”を持っている姿にすごく勇気づけられました。私もミー坊と似たところで、猪突猛進にやりたいことへ突き進む傾向にあるので、ミー坊のように生きていいんだな、そういう風になりたいな、という気持ちになりました。背中を押してくれる役柄だと感じてます!」と今回演じた主人公・ミー坊への思い入れを語りました。
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●2問目:沖田修一監督に聞きたいです。床屋の店主は何者なのでしょうか? モモコの裏設定、シングルマザーになるまでの人生があれば教えてください。
 みんなが気になっていたキャラがさっそく質問に上がって会場からも笑いが起こるなか、沖田監督は「ロケハンであのアパートがいいね、となったときにもともと横にあの理容室があって無視することができなくて。上京したミー坊が新しい“愛の巣”に帰っていくような設定だったので、隣の床屋の主人を“愛の象徴”みたいにしてみたらミー坊たちが家族のように見えるんじゃないか、床屋のクルクル回るところもミー坊の新しい生活が始まった、人生の始まりみたいになったら、と思って裏設定にしてみました。
演じているのは『キツツキと雨』で一緒に脚本を書いた守屋文雄くんで、渋い方なんでメイクをさせて「ウン」しか言わない人としてやってもらいました(笑)」と話し、モモコについては「台本には最初タカナシという悪い男がいて、酷いことをされてシングルマザーになる話を書いたんですが、あんまり面白くなかったんで思いっきりハショりました(笑)」と知られざるエピソードを明かしました。
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●3問目:ミー坊&ヒヨ、幼いころから右手をくるんくるんさせています。この仕草を2人が始めたエピソードを知りたいでギョざいます。
 子ども時代から2人がやっている仕草についての質問に、沖田監督が「走るときにあれをやると速くなる、というような話を大人になってもやろう、とミー坊とヒヨでやってくださった。大人になって最後にものんさんがやっているのを最初は気づかなくて、「あ、そっか!」と編集してて気づいたんです。やろうと決めてたんですか?」とのんに聞くと、「そうですね、子供たちと皆で走るシーンだったので、走るときはこれをやらなきゃ!と思って」と振り返りました。
●4問目:サンマを頭から食べるシーンはヒィーとなりました。実際にはどこまで食べられますか?
 衝撃的シーンについての質問にのんが「さかなクンが、本当に背骨が後ろに伸びているから頭から食べれば骨は刺さらない、と言うので沖田監督が試してくださったんです」と話をむけると、体を張って試した沖田監督は「大丈夫だったんですけど、さかなによっては危ないなと思います(笑)」とトロ🐟(吐露)。
実際の撮影にあたっては、のんが「本当に食べてるんですけど、ちょっとズルを…背骨をちょっと抜いてもらってすごく柔らかくしてもらいました。(笑)」と裏話を披露。沖田監督も「(母役の)井川遥さんもめちゃくちゃ食べてましたよね」と続け、のんさんも「美味しくてカットかかっても2人でばくばく食べました」と満足そうな様子でコメント。
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●5問目:ミー坊の口元に食べかすがついているのをお母さんのミチコが指摘するセリフはアドリブですか?
 のんさんは少し照れくさそうに「あれは…勝手に私が口元につけてたんですよね?」と聞くと沖田監督はすかさず「そうだと思いますよ!井川さんがサっとやってくださんだと思います」と即答。続けて「いつもついてて何度も井川さんがやってくださって、独り立ちさせたいけど母はどこかでまだ子供だよ、と思っている名残にも思えて良かった。井川さんは狙ったのかな?とも思い最後までわからなかったけどそのままにしました」とアドリブをそのまま採用したそうで、のんは「私よく口の周りに食べかすがつくんですよ…この間はおでこにドーナツのお砂糖が張り付いていて…(笑)」と普段のおっちょこちょいな一面を明かし会場を沸かせました。
●6問目:居酒屋でししゃもを注文したのにカペリン(カラフトシシャモ)が出てきて怒って店員に絡むシーンが、酔っぱらった昭和のおっさんぽくて大好きなのですが、監督からはどのような演技指導があったのですか?
 のんさんは「私もあのシーンすごく好きです!監督が酔っ払いの演技を目の前でやってくれたんです。それがすごく面白くてマネしました。監督が“酔っ払いの師匠”です!」と宣言、沖田監督も「2人で、酔っ払ってくだをまく練習をしましたね、昭和のおっさん感は僕がやったからですね(笑)。本番を撮っているときは、お猪口のお酒がめちゃくちゃこぼれてるのを見て大笑いしちゃいました。あそこまでならないけどな、と(笑)」と振り返り大きな笑いに包まれました。
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●7問目:のんさんは、『さかなのこ』でミー坊役以外にやってみたい役はありますか?
 のんさんは少し考えてから「(柳楽優弥演じる)ヒヨかな。“狂犬”とあだ名の付いた不良で鎖を付けていて、アウトローで暴れそうなのに縛られている、飼い主がいる、その矛盾した魅力が味わい深いなと面白かったです(笑)」と語ると、沖田監督もうなづきながら「似合いそうですね。コンパスで左手を刺さなきゃいけないですよ?(笑) ヒヨとミー坊のやりとりは微笑ましくてこっちが笑っちゃいました。柳楽さんが昭和の不良がすごい似合う、まさに昭和のスターみたいでした」と重ね、ちょっと世界線の異なる『さかなのこ』アナザーバージョンに期待も膨らむ(?)一幕も。
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●8問目:お互いにここがスゴイ、こんなところを尊敬している、というところを教えてください。
のんさんは「もともと沖田監督のファンで大好きだったので、沖田組で役を演じられて本当に幸せでした。映画へのすさまじい集中力で、それが明るいパワーでいい空気が流れていて、私も乗っかるといい演技ができる、そんな威力のある監督でした。今日お話を聞いていても、映画の随所にちりばめられた沖田監督の演出がすべてキーになる、それを直接見せていただいて凄い方だなと、本当に勉強になりました。あと、酔っ払いの演技も(笑)。現場では、ファンだとバレないように、私は役者です、演技しに来ました、と舞い上がらないよう頑張ってました。」と照れながら笑顔に。
対する沖田監督は、少し照れくさそうに「そんな冷たくならなくても!(笑) 後から(ファンだと)聞いてビックリしたんです、気づかなかったです。ありがとうございます。この映画はのんさんがミー坊をやっているから成立しているし、他に誰ができるのかと思っていたので、やってもらえて嬉しかった。(役について)一生懸命ずっと考えて練習しているはずで、でも現場でそういうところを見せないようにしているんだと思うんですが、現場でズバっと表現してくれて様になっていく。すべてOKを出してしまいそうになる、こんなことは初めてで、のんさんの凄さ。のんさんだから上手くいくことが沢山ありました。感謝です。僕もそういうことをあんまり現場では言わないように、まあ頑張ってますね、みたいな顔しているようにしてました(笑)」と振り返り、のんさんは「2人とも現場ではスカしてたんですね(笑)」と笑いながら話しました。
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時間いっぱいまで話しつくした2人から最後に一言。
沖田監督:「自分でも気に入っている作品で、また度々ミー坊に会えたら良いなと思うくらい好きな作品です。沢山の方に観ていただきたいです」と改めて語りました。
のんさん:「この映画でミー坊を演じられて、本当に嬉しくて、これから自分の宝物になっていくと感じています。“好き”を追い求めるミー坊のまっすぐさは、皆さんにも大切にして欲しいなと思いますし、皆さん一人ひとりの映画になっていくと嬉しいです。」と力を込めてイベントを締めくくりました。
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撮影秘話たっぷりで、注目シーンばかりの『さかなのこ』をまだ観ていない方は劇場へと急ぎたくなる、一度観た方もミー坊と皆の物語にまた会いたくなる、笑顔と多幸感(タコ🐙)にあふれたイベントとなりました!
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kennak · 2 years
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視され��いて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出し���す。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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hotelinfernoll · 1 year
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F氏の休暇③
[fanfic] フロイドと巨悪
これまでの話
9
北へ向かう大型客船は大浴場やサウナやドッグランまであってさながら海に浮かぶホテルだ。 例の2人はのんきにオープンデッキの椅子に寝そべって沈んでいく夕陽を眺めている。さっきまで船首の先に立ってタイタニックの真似をしようとしていたが、どっちがどっちに立つかで小競り合いになったところを船員に見つかってデッキに移動してきた。賭郎頭首の船旅だから客船ごと貸切してるのかと思ったが、今回は本当にプライベートらしく一般客として乗り込んでいるようだが、ドレスダウンしているものの紫のスーツに派手な柄物シャツの胸元を大きく開けた銀髪と、オールバックに上等な生地のピンストライプのネイビーのスーツの2人組は遠目からでも“玄人”臭をプンプン放っている。おかげで2人がデッキに来た途端それまでいた数人の客がいつのまにか消えて、隣のレストランからターゲットの様子を伺う俺には好都合だった。
「コーヒーのおかわりはいかがですか?」 「ありがとよ。だがもう5杯も飲んで腹ん中がタプタプだ」 「お食事のメニューやアラカルトのご用意もありますが」 「いや結構。気持ちだけもらっておくぜ」
笑顔のままメニューを下げたウェイトレスにウィンクを投げた。俺以外客がいないのかさっきから入れ替わり立ち代りやってきてやたらと話しかけてくる。さすが高級客船、サービスが手厚い。それにしてもデッキのふたりの方は何を話しているのか。さっきから特に会話をする様子もなく、ただ時々目を合わせてはいる。こちらからは嘘喰いの顔しか見えないが奴が時々やたらとニヤついているのが見えた。 「一体何やってんだ…気色悪い奴だな」 「お前がな」 後ろで声がしたような気がしたがウェイトレスが数人たまっているだけだった。そろそろ夕飯時で客も増えてきたので場所を変えよう。 「また来るぜ」 おっと、日本はチップがいらないんだっけ。そういうところは気楽でいいよな。
10
その夜、船の中でちょっとした事件があった。 あるマダムのダイヤの指輪が盗まれたらしくクルーが船内中を右往左往していた。そんな事はお構いなしに嘘喰いと切間創一は遊戯室のクレーンゲームでキーホルダーをとろうと躍起になっていた。すでにケースの中身が全部買えるくらいの金はつぎ込んでいる。俺はといえば、一度部屋に戻って変装して奴らの後ろのスロット台に座って会話を聞いていた。
「んも〜〜〜っ またダメだ」 「下手くそだね貘さん。いい加減あきらめたら?」 「やだ! 絶対取る! 取るまで船を降りない!」 「買ったほうが早いよ」 「ハルと一緒に取らなきゃ意味ないの! 分かるでしょ?」 「……」 「あん時取れなかったからさあ……やっぱ取りたいじゃん」
斑目貘は切間創一を“ハル”と呼ぶ。これに関しても誰に聞いてもその理由はわからなかった。おそらくこの名前が誰も知らない2人の過去の秘密の鍵になるのではないか?
「じゃあリミットを決めよう。時間は限られてる」 「わかった、その方が燃える。あと3回?」 「あと1回」 「マジか」 「あと1回で取れなかったら、今夜は君が下」 「……ハッ! オッケー。負けらんないねえ」
おいおい、まさか客室もダウングレードして大部屋の二段ベッドに泊まってるのか? なかなかやるじゃねえか。だがそれじゃあ危なっかしくてしょうがない。お屋形様がノーガードで一般客と雑魚寝じゃさすがに心配だろうが。賭郎に連絡するか……。
11
カジにメッセージを送ると「余計な心配しなくていいですから。今スマブラ中なんで」と返信があったあと未読スルーになった。せっかくお屋形様の身の安全を心配して連絡したのに、意外と薄情な男だ。 俺がメールを確認しているあいだに2人の勝負は終わっていた。というか不測の事態で中断した。最後の100円を入れて嘘喰いがクレーンを下ろそうとした瞬間に1匹の真っ白いヨークシャー・テリアがゲームコーナーに入ってきて、嘘喰いの両脚の間を走り抜けた。 「キャンッ!!」 悲鳴を上げたのは犬ではなく嘘喰いだった。その声に驚いた犬の口から光るものが飛び出し、切間の足元に転がった。例の盗難にあったダイヤの指輪だ。切間はそれを拾い上げると次の瞬間ゲーム機のクレーンが宙を掴んで元の場所に戻るのを確認した。 「君の負け」 「ちがう! 今のはノーカウント!!」 「ダメだよ、勝負は終わった」 「無理無理、犬が乱入したら勝負は無効でしょ」 「そんなルールは決めてない。だから立会人がいないとダメなんだ……貘さんと勝負すると本当めんどくさい……」 「はい?!?」 ふたりが揉めているあいだ犬は俺の脚に両手ですがりついていた。かなり興奮していてヨダレを垂らして俺の脛に顔を擦り付けている。飼い主らしきと船員達がやって来て俺の足にしがみついて恍惚とした犬と切間が持っていた指輪を回収し、嘘喰いと切間も喧嘩をしながら去っていった。 ゲームコーナーには再び静寂が戻り、俺の足元には犬のヨダレで湿度と光沢を増した革靴だけが残された。
12
「俺のフェロモンに動物もメロメロって訳だ」 「アホですね」 「何だって?」 「いちいちそんな事で電話してくんのやめてください。それに聞きたいのはフロイドさんのモテ話じゃなくて貘さん達の秘密なんですけど」 「あーそれな。まあ、あとちょっとだな」 「さすがの陰謀屋も今回は無理っすかね」 「あとちょっとって言ってるだろ!! それに陰謀屋ってなんだよ。俺は陰謀売ってる訳じゃないぞ」 「怒鳴らないで下さい。マルコが起きちゃうじゃないですか。もう切りますね、みんな待ってるんで」 「まだスマブラやってんのか」 「深夜の方が人が増えるんですよ」 「……俺は誘われた事ねえな」 「やるんですか? スマブラ」 「誘われたらいつでもウェルカムだ」 「あ、カールさんも入ってきた。じゃあがんばって!」
To be continued...
おまけ
深夜の賭郎スマブラ大会オンラインメンバー (スマブラやったことないホテルインフェルノの勝手な使用キャラ妄想)
レギュラー:ちゃんみだ(ピーチ)、カジ(ヨッシー)、マルコ(カービィ)、銅寺(ロックマン)、紫音(ピカチュウ)、亜面(ジョーカー)
たまに参加するメンバー:カール(ソニック)、門倉(リュウ)、南方(サムス)、巳虎(ネス)、信男(プリン)、のぶ子(スネーク)、ヰ近(カズヤ)
巳虎は父がいない時だけ参戦する。銅寺が亜面を誘って、亜面がヰ近を誘った。ヰ近はたまーに参加して翌日ちゃんみだにうざがらみしていやがられる。
(221222)
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yotchan-blog · 18 days
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2024/4/5 20:59:54現在のニュース
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kandaanimalhospital · 2 months
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2月10日(土)
木、金と午前のみの診察になってしまい、ご迷惑をおかけしました😞
まだまだ、感染症が流行っているので、
手指の消毒やマスクの着用、質の良い食事や睡眠をしっかりとって、
元気でいましょう‼️
今週は、四国犬のニュースが2件ありましたね💦
大きさや性格など四国犬を初めて知る機会になった方もおられると思います。
四国犬は、四国の土佐地方に古くからいる中型の狩猟犬で、
イノシシ狩りに用いられ、筋肉質な体と俊敏な動作、そして持久力がある犬です。
ちなみに柴犬は、小型の狩猟犬になります🐕
それに比べると大きいし、体重も倍ほどあります。
柴犬は、今は家庭犬として、広く可愛がられているので、
当院にもたくさん来ます。
それに比べ四国犬は1匹…となかなかお目にかかることがないわんちゃんですね。
そんなわんちゃんが一躍有名に、しかも悪者として名を轟かせてしまったことで、
何の問題もなく家庭犬として飼われてる四国犬や日本犬、もっと大きくくくって犬が、
悪者になるのは、私たち飼い主にとって悲しいことです😞
噛まれたり、怖い思いをした方は、一生心に残る傷を負っただろうし、
命を奪われたわんちゃんのことを思うと本当に気の毒でなりません。
やってしまったのは犬ですが、飼い主の責任は重いです‼️
悲しい事件を起こさないためにも、今一度、
犬の飼い主としてモラルを再確認しようと思い、紙を作ってみました。
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今後も犬と幸せに暮らせる社会が続くかどうかは、
今犬と一緒に暮らしている私たち飼い主にかかってると思います‼️
偉そうなことを言ってますが、私も気をつけます。
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indigolikeawa · 3 months
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2024年2月6日火曜日
病院の待合室にて10
16万ちょっとの
 前回、病院に行ってかかりつけの医師に確認を取り、辞めた会社に連絡して「傷病手当金の申請書の私と医師が記入した分については、問題がないはずだと確認が取れました。ですので再度、健康保険協会に申請してみて下さい」と伝えたのが1月の24日だった。それが1週間たった31日まで辞めた会社から何の連絡もなく、2月になってしまった。だから私から連絡した、辞めた会社、ではなく健康保険協会に。なぜなら辞めた会社の人間は本当に吐かなくて良い嘘を吐くから。「私はちゃんとやってます」みたいな嘘を。悲しいのは、全然出来てないのがこちらには分かっているのに、その嘘を吐かれることで、「こいつにはどうせその嘘が分からないだろう」と思われているのが伝わってくることだった。私も癇癪を起こしそうだから、極力辞めた会社の人間と話したくないし。私の心にただひとつあるのは、言っていることを信用出来る人と話したいという、シンプルな願いだった。
 健康保険協会の徳島支部に連絡して訳を話すと、辞めた会社の本社が岡山にある関係で、保険証を交付したのが岡山支部なので、岡山支部に連絡した方が、私に伝えられる情報が多いとのこと。岡山支部に連絡して訳を話す。電話で応対してくれた方曰く、申請書は29日に届いており、現在審査中とのことだった。良かった。ホッとしました。先週、会社の常務より「協会の方から突き返された」と聞いた件については、「ご本人に連絡することなく会社に送り返すということはしませんので、会社の社労士さんの方から、労災になるのでは、と指摘されたんじゃないんですかね…」とのことだった。また嘘を吐かれたのかもしれない。細かい説明が面倒だったのか。でもいいの。本当のことが分かったから。まだ私に真実めいたことを伝えてくれる人がいる。世界は捨てたもんじゃない。かなりの部分で捨てたもんな気もするけれど。それにしても最初に申請書を私が書いたのが1月3日、医師に書いてもらったのが4日、会社に郵便が着いたのが9日で、審査開始が結局29日って。仕事の遅い会社です。そんなことだと潰れますよ。ていうか潰れろよ。
 いらいらを鎮めるために猫の話をします。現在のレギュラーメンバーは、家で飼ってる不動のセンターである三毛猫のミケちゃん、そして、ほぼ毎日やってくる茶トラの野良猫、トラちゃんこと寅吉の2匹です。続いて準レギュラーの紹介です。2回前の病院の待合室で紹介しました黒猫のクロちゃん。彼女もあれから2度来てくれました。随分と大人しい様子で、ミケちゃんに追い払われるほどの気の弱さですが、謎の貫禄があって(普通にサイズが大きめ)、毛並みが綺麗です。CIAOちゅ〜るを与えましたので、また来店があるかもしれません。更に最近人気赤マル急上昇なのが、トラちゃんが連れてくるサバトラ(たぶん)のチャビです。名前については、うちの母親が「サビか…チャビか…」となっていたので、私がチャビがいいと進言し、命名されました。サビって「錆び」ってことなのでしょうか。何故なのかは訊かなかったので分かりません。急にスペイン人みたいな名前が付きました。チャビはトラちゃんの彼女ではないかと思われていますが、私はトラちゃんの妹説を唱えています。まだ全然懐きませんが、目が大きくてかわいいです。大���朝にトラちゃんと来ます。モーニングを食べた後はあまり姿を見せません。夜に来たことも一度だけあったか。辞めた会社からの連絡を待っていた1週間、私はほとんどの時間を猫たちの相手をして過ごしていました。みんなが少しずつでも良いので貨幣を持っていれば、CIAOちゅ〜るを1人前70円くらいで出して、純喫茶のマスターになれたかもしれませんが、猫は資本主義を採用しておりませんので、相変わらず私は無職です。でも毎日ほっこりしています。みんなかわいいから。みんなかわいい。
 2月2日の金曜日に病院に行きたかったのですが、昼過ぎまで眠ってしまって行く気がなくなってしまった。3日の土曜日も何となく行かず、4日は日曜日なので、当然行かなかった。昼ごはんが済んだ後、コーヒーを飲みながら何となくゆうちょのアプリを開いたら、残高が増えていて、明細を見たら、2日に全国保健協会から傷病手当金が入金されていた。仕事が早い。さすがである。ただ、その金額が思ったより多く、ちょっと怖くなってしまった。外の空気が吸いたくなって庭に出たらお母さんが洗濯物を干しており「どしたん」と訊かれたので、「傷病手当入ったんですけど、額が多くて、間違ってるかもしれません。返せって言われるかも」と答えた。お母さんと、事前に調べていた傷病手当の計算式で計算したらなんとなく合っているようだった。5日の月曜日に全国保健協会から「審査しました」という葉書が届き、中身を読んだら、やっぱり金額は合っていた。16万ちょっと。何にも天引きされてないとはいえ多いような気がする。仕事していた時の給料によってもらえる額が決まるので、意外ともらっていたんだと思った。無駄遣いばっかりしていた。ありがとうございます。これでCIAOちゅ〜るが買えます。
 5日の月曜日も寝坊しまくって病院に行けなかったので、その夜は気合を入れて眠剤のブロゾチラム0.25mgを2錠飲んで、23時に布団に入ったら6時半に起きられました。庭に出たらトラちゃんが待っていた。CIAOちゅ〜るをお出しする。お母さんは「安いやつ」と呼んでいる猫ごはんをお出しする。おはよう。顔を洗って朝ごはんを食べて庭に出たら、クロちゃんがいつものようにトラちゃんの残りを失敬しているところに出くわした。黄色い目がきれい。CIAOちゅ〜るをお出しする。お母さんも来て安いやつを追加する。おはよう。行ってくるね。ということで、私は今、病院の待合室にいます。火曜日の午前中だけど患者さんが多めで、時刻は11時を少し過ぎたところですが、まだまだ診察には呼ばれません。さっきから患者さんの中に携帯の音が出ちゃってはあわてて消してる人がいるんですが、全部Royal Matchの広告だと思います。間違いありません。親の顔より見ました。
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ichinichi-okure · 4 months
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2023.12.18mon_kanagawa
パスポート!が必要!!それも10年のやつ!!! と朝飛び起きて思った、 最近のもろもろを全部パスポートの有効期限がきれているせいにしてとにかくシャワーであついやつを浴びる。 本当はお風呂につかりたかったけど、私にはそんな時間はない、 とにかく今日は横浜にいって新たにパスポートを作る、それしかないのだ。 タオルを用意せずにあがってしまったのでびしょびしょのままタオルの干してあるとこに移動して拭いていたら犬が私の足のまわりで回転しながら毛をまきちらしているのでついでに床掃除もする。 それから二軍来季戦力外候補セーターを着て犬の散歩に飛び出る、 また天気がいい、いつもいつも天気だ、週に三日くらい雨でもいいのに、犬はお気に入りのコーギー風味の犬に出会ってご満悦、ふたりで互いの尿のにおいをかぎあったりして楽しんでいる。犬同士が交流している間の飼い主の正しい立ち位置が私にはいまだにわからない。 今日のコーギーの主は顔を真っ白に塗った妙齢の女性で、 「おたくのわんちゃんは、草を食べますか?」と聞かれたので、「はい、食べます」と答えた。そして別れた。 公園には今日もムギちゃんがいなかった。 ムギちゃんは、私の大好きな元気すぎる柴犬で、サッカーがとてもうまい。ムギちゃんのボールさばきに私の心はいつも動かされる。
長めの散歩を終えて急いでパスポート申請の準備をする、 かなり前に同じようなパスポート衝動が湧き上がったときに申請しておいた戸籍謄本を掘り出して有効期限を確認大丈夫、それから免許とか諸々をカバンに詰め込む。そういえばパスポート用の写真もとらないと、と思ってすっぴんはやめてレベル3くらいのメイクを顔に施す。 飯はもういい、とにかく電車に乗る話はそれからだ、と横浜行き特急列車にのってやっと腰をおろした。 Spotifyで最近はじまったTrevor Noahのポッドキャストを聞く。 「同意できない、わけがわからない、理解できないことをもっと話したい、白黒つけるためにコミュニケーションがしたいわけじゃない」 的なことをTrevorさんが冒頭で話していて、すごくいいなあと思った。 岩みたいな見た目のプロレスラー"The Rock" Dwayne Johnsonがゲストで、声がやさしくて耳がありがとうと言ってる。
電車の揺れでうとうとしながら昨夜の飲み会のことを思い出す、 本当は私は、Q氏とふたりだけで飲みたかったのかもしれない。 「私って人より爪が薄いのかもしれない」 とQ氏がつぶやいた話を、私はもっと聞いてたかったのかもしれない。 どうして人より爪が薄いと思うのか、厚くなりたいとか思っているのか、とか、そういう話をしたかったのに、やはり大人数の飲み会では、そういう話は他のもっと派手できらびやかな話に流されていって、きこえなくなってしまう。 私は、足の小指がたぶんひとより丸まっているんだ――そういうことを打ち明けたかった。おもしろくも目新しくもないだれも手を叩いて笑わないそういう話をしたかった。 自分の身体の小さな違和感を聞いてくれるひとがいなくなったら、きっとすごくさみしくなる。 だからお年寄りは病院に通うんだろうか。 自分のからだのことを、だれかに聞いてほしいと思うこと。
横浜から乗り継いで日本大通り駅で降りて、 パスポートセンター まわりのよさそうな写真スタジオを探す。 シルクセンター近くの半地下でパスポート写真3分仕上げ1100円にいったら数人が列をつくっており、私の前は大学生くらいの男の子ふたり。 「前髪大丈夫そ?」「お前今日ビジュ結構いいよ」 と互いを褒め称えながらスマホで自分たちを確認しあっている。 簡素なつくりの写真スタジオでは青いタートルネックをきた小さなお姉さんが撮影からレジから電話番まで一人でやっている。 ワンオペで忙しそうな人をみると胸がきりきりといたんでしまうので、 みないようにして手鏡でせっせと前髪を調整してみる。 テキパキと男の子ふたりの撮影印刷会計が終わる、 男の子たちがダウンジャケットを羽織りながら「まぁこれが現実だよなぁ」と肩を落としていたので不安になる。 と、すぐに私の撮影がはじまってすぐに終わる。 仕上がった写真は証明写真恒例の死んだ魚の目プラス肌のアラをあますことなくとらえた写実主義的な写真に仕上がっており、 会計を終えた私はすぐにgoogle mapをひらき 「kirei 証明写真機」 と入力Search、徒歩7分だなオッケとざっざかイルミネーションの巻きつけられた大通りを歩く。 あんな写真と10年も付き合うなんてゴメンだ、いくらなんでも私はあれよりまだいけてるはずだ、いやもしかして人の目にはあんな風に見えているのかもしれないけどそんなこと私には関係のないことだ、私の目に見える私が私だ。 喉が渇いたことに気がついて自販機でミルクティー半分飲み干す。 それからファミマ脇の証明写真機へカーテンしゃっと背筋壁にベタづけ目ひんむき撮影。補正オプション全追加して金千円也。満足。 証明写真機の中からぬっと外へ躍り出る、ビルの駐車場でKing Gnuの概念みたいな人がタバコを吸っていて目があう。なぜか会釈を交わす。
やっとパスポートセンターの中に足を踏み入れたのはもう午後3時をまわったころだった、 申請書に諸々記入していたら、 私の隣の記載台にいる老夫婦がずっとローマ字の書き方に苦戦している。 「ああ、お前また新しいのもらってこないといけないじゃあないか」 「そんなこといってもねぇ、あなた」 と昭和の白黒映画みたいな喋り方、この夫婦がこれからどこか海の外に旅立とうとしているのだ、それから、ここにいるみんなもどこか遠くにいつか行くのだ、と思った。 書類を揃えて窓口にいく、 「これから海外にいくご予定は?」と聞かれ「ないです」と答える。盛れてる方の証明写真を渡す。
25日以降に取りにきてくださいね、といわれて外にでたら、うっすら灰色と橙色の夕方ムード一歩手前になっていて、山下公園のイルミネーションが中途半端にひかっている。 あと1時間も待てば、きっともっと綺麗にみえる。そう思って帰りの電車に飛びのる。
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-プロフィール- みっちぇる 35 神奈川県 これから大工 https://mikinakamura.wixsite.com/work https://www.instagram.com/dosankolondon/
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yui-kuroki · 2 years
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WVlog:personal
会場|Art Center Ongoing 会期|2022.05.27[金]_ 2022.06.12[日] 水木金 18:00‒21:00|土日 12:00‒21:00(月火定休) 出展作家| 石居真信、尾﨑藍、黒木結、小山友也、小山渉、斎藤英理 入場料| 400円(セレクトティー付き) 企画|尾﨑藍 主催|Art Center Ongoing
Art Center Ongoingでは、アーティストの尾﨑藍による企画「WVlog : personal」を5月27日(金)より開催いたします。 展覧会タイトルの「WVlog」とは、WorksとVlogを合わせた造語です。Vlogは、YouTube などに数多くアップロードされているジャンルの一つで、主に日々の暮らしを記録して動画で 紹介するものを指します。 この展覧会は、企画提案者の尾﨑がコロナ渦で身動きが上手く取れない自身と、Vlogを通 して人々の日常を画面越しに見て重ねた経験から着想した企画になります。「WVlog」は、今回はひとまず「Vlogを下敷きとした作家自身の身体性や思考、時間に焦点を当て記録した映像作品」として位置付けました。 会期に合わせてYouTube上で参加作家による「WVlog」の公開と、会場では作家それぞれの「最もparsonalな作品」の展示を行います。2つの作品を通して、作家たちの制作の根幹を見つめ直す試みを、この機会にぜひご高覧ください。
【YouTube上の参加作家による「WVlog」】 https://www.youtube.com/channel/UCv9oNd9v_El9ryCGhpTjtbw
会期中イベント|※終了しました 5月28日(土)16:00〜 オープニングパーティー 1,000円(軽食+1Drink+入場料)
6月12日(日)15:00 – 18:30 artist talk + Ongoing School ※終了しました 1,000円(お好きなケーキ+1Drink+入場料) イベント中は1Fでゲストを迎えたトークイベント。2F展示会場ではゆるりと作家に��る作品解説。 ・15:00 – 15:50 石居真信 × 小山渉 ゲスト:かわかみしんたろう (精神科医) ・16:00 – 16:50 尾﨑藍 × 黒木結 ゲスト:田辺裕子 (演劇研究者) ・17:00 – 17:50 小山友也 × 斎藤英理 ゲスト:野村眞人 (演出家) ・18:00 – 18:30 座談会
statement| 一番”personal”な作品を見せてほしい。その思考を辿れるような作品も見せてほしい。 “personal”というところにはVlogを見るときの興味のようなものが続いている。 人の生活を覗き見るようなVlogは面白い。会ったことのない人が、料理してご飯を食べたり散歩に行ったり、その日の出来事を話す様子を貪るように見た。もちろんそれらが本当のことなのかは分からない。ただ誰かの生活に、自分を重ねて見ることがしたかった。なにか変化が必要なんだけど身動きが取れない。私は繭の中にいるのだろうか。繭の出方がわからない、あの時の蚕(※1)なんじゃないだろうかと、考えることが全部蚕に巻き取られていく。 何か変化が必要なんだけど身動きが取れない時、自分を人に重ねることはできた。Vlogを撮る側ってどんなことなんだろう。自分を振り返ることができて更新もできる。考えの共有、イメージも扱える。撮る側の方が収穫がありそうだ。Vlogを撮ってみたい。蚕のことも消化できるだろうか。 日々の様子を記録する。なんとなく見てしまうものも、なんとなく記録する。自分が食べるものの下拵えをするところを記録する。編集の時には見返しながら、記録された無意識を意識的に拾っていく。 Vlog的な映像を作って時間が経つうちに熱が冷めた気がした。そんなものだっただろうかと考えてみたら、距離ができたから熱を感じにくかっただけで、辿ってみるとまだまだ熱い。 発酵するのか腐敗になるのか、この内容にどう付き合えばおいしくなるのか。この距離感を探るような、ちょうど良い塩梅を見つけるのは難しい。他の人はどんなふうに料理していくのだろう。 たくさん食べてパンパンに膨らんだ蚕は食べるのをやめて糸を吐き始める。満足していない私は繭を作る前なのかもしれない。まだまだ見たいものがあると思った。
2022/04/23 尾﨑藍
※1…海で強い日差しを浴びたら肌がひどく日焼けした。皮が剥ける直前の肌は昔触った蚕の幼虫にそっくりだったことから、蚕の幼虫を飼い始める。短い時間で大きく変化する蚕の体と、小さな変化に最近気がつき始めた自分の体を重ねて1万字のテキストと映像インスタレーションを制作。尾﨑藍「蚕の肌、藤沢、卵を茹でて、繭を茹でる(2020/7/31~2021/1/7)」(2020, text)、「silent tango」(2020, video installation)
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