ロビン・カイザーにインタビュー
ほぼ完璧な欺瞞:真実はいたるところで180度ひっくり返されている!
オリジナル動画:https://youtu.be/yEyLP9vHdds
公開日:2021年2月4日
【和訳:ALAE PHOENICIS】
最新情報は Telegram :https://t.me/alaephoenicis
インタビューア:フェリックス・ヴァン・フリーデン(F)
F:ロビン・カイザーは著作家、心理学士、セミナー講師。
F:現在、我々は魂の闘いの中にある。人類は、悪くすると人工知能に利用されてしまいかねないという方向へ進もうとする“快適さ”の中にある一方で、霊的な覚醒プロセスの中にあり、もしかすると新たな次元に連れて行かれるとも。このゲームのどの当たりにいるのか、推し量るのは難しい。君にはどのようにみえている?
R:これらは互いに織り込まれあっているので、推し量るのは難しい。これが光の集団の道、原初的な道だ、という明確なものはない。
これらはスペクトルの中にあり、自分の道がどこに始まり、内的な部分、つまり自分の魂が何に共鳴するのかは、各自で見つけなければならない。
「魂の闘い」というのを、僕がある文脈で多少挑発的に述べたのは、多くの人が未だに、これが金の問題だと思っているからだ。
しかし、金は目的の手段でしかない。
究極の目的は、霊的存在である人類の進化路線がある特定の方向、即ちテクノロジー的な方向へ進ませようとすることで、この方向性はある段階からは、魂が本当に後戻りできない道となることを前提としている。技術化が進んでいくある段階から、人類の内的生活というのが死に絶え、転生を含めた正常なサイクルの実現が不可能になるだろう。
それが、テクノクラシー、永遠の生命といった、私たちの生物学であるすべての自然の法則に逆らうシリコンヴァレーの目標だ。
F:今、君は「光の集団」といったが、まだ用語ははっきり決まっていないようだね。君にとって「光集団の世界」とはどのようなもの?
R:光集団の世界とは、我々が目前にしている闇集団の世界の対照となるプログラムのこと。闇集団の世界とは、暗くて重いエネルギーを駆使した権力と圧政の世界で、今はゲーム全体が、“みなが幸せでスピリチュアル”といったオルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」さながらの方向に変換されようとしているけれど、それは依然として同じ圧政の形態となっている。つまり、光集団の道というのは、最終的に我々を至福へ導いてくれるものではなく、これまであった酷い抑圧メカニズムによって稼働されていたシステムを補填するもの、そこではこれまで我々が不満に思うこと…今日では「感情」と言われるものを人為的な誤作動であるかのように扱っているシステムへの変換だ。
多くの未来的描写において、人々がその触れることになろう現実というのは、あらゆる感覚のスペクトルをもった人間の内的世界はひどく人工的に上書きされ、我々は単に機能しているだけになり、そこで我々は苦しんではいない。我々は何も感じていない。つまり「生きている」の逆の状態となる。
F:そこで混乱するのは、例えば様々な流派では、“悟り”を開いた状態の者は、君のいうようにそのようなネガティブな感情を持たなくなる代わりに、別の感情がやってくると宣伝されていて、それは部分的には正しいはず。
君はどう思う?エソテリックというか、この「黄金時代」が約束されているニューエイジ・ムーヴメントが…黄金時代というのも、やっぱり光集団の用語から拝借したのかもだけど(笑うロビン)、みんなが黄金時代だと話している。
R:最高の次元と君との間に、何らかのレベルが介入している間は何かが違っている、ということなんだ。
我々はそこに行き着こうとしている。君と神、それだけでよくて、誰も君と神の間を仲介する必要はない。
そこで、光集団というのは、またもや “グル(師匠)” とか “仲介役” であり、そこには実際非常に密度の発達した種族がやってくることもあり、非常に美しい言葉使いと高い振動領域を開いてくれたりしている。しかし、直接に繋がれるように援助してくれるわけではなく、我々の根源を把握することになるような地球上におけるとても単純で自然な生活も、当然推進されてない。
高度に発展した流派などを観察していると、彼らは目立って痕跡が残るようなことはしない。
そこで、人類は長い間、自らの内的世界で活動することを忘れてしまい、その能力を外的世界へと投影し、外界に巨大な都市設備を建設していった。そうして外側へと投影することで、自分自身と繋がる道を失ってしまった。
F:我々よりもより発展していたとされている、はるか彼方の文化は、形跡を残さず生活していたらしい。なんの形跡も残っていない、という話に繋がるのかな。
R:もちろん。物質的なところに形跡をさがすから、見つからないんだ。エネルギー的なレベル、アストラル領域には、すべての昔の文明は保存されている。しかも、非常に強烈にね。だって、かれらはそのレベルでの活動の仕方をちゃんと知っていたんだから。しかし、今日の科学のように盲目で、物質的レベルでいくら探そうが、物質的に何かを顕現させようとしていなかった種族の形跡など、何も見つかりはしない。
F:その形跡というのを見るには、アストラル界に入って探索するとか、何処かで読み取れるとか?
R:(笑)そんな、探索の旅にでなくても良いんだ。アストラルのレベルには、我々はアストラル体で繋がっているので、今この瞬間だって、アストラル・レベルからの情報は得ることが出来る。
我々は、この多次元的な身体システムを使うということを忘れてしまってるんだ。身体においても、こうして物理的なところにすべてを投影してしまった。我々はすべての情報を肉体という知覚を通して受け取るので、それはそのレベルしか関連してこない。その間、他のすべて、つまり感情体、アストラル体による知覚を通して別のレベルから情報を受け取っている。
そして今は、内面的変化が鏡の機能として外界に示される時が来たんだ。
F:その神という宇宙知性の源へ還るという道のりにおいて、例えば天使とか、地上に降り立って道を示し、この分野に大きな変化をもたらしてくれる偉大なるマスター等といった、仲介役が居たのではないか?
R:そういう存在は確かにいた。そのために僕もここに居る(笑)。
それは常に、どういう形の手助けかによる。スピリチュアル分野では、沢山の人が善意のサポートを提供しているんだけれど、依存関係へと誘ってしまい勝ちだ。スピリチュアルな師が場所を提供するという王道は、もう期限切れになろうとしている。なぜかというと、誰もが再び自分自身で繋がる道を開こうとしているからだ。
例えば僕は、アストラルトリップで自分が何を体験してきたのか、誰かに報告したいとは思わない。それよりも、どうすれば、他の人たちも自分でこのトリップを体験出来るようになるのか伝えたい。それはすべての分野に言えることで、誰もが自分にもそれが可能だと気づくこと。他の人はもっと開き具合が強いかも知れないが、自分でも出来るのだ、と。
F:マスターの元で伝授を受けられる宗派に通うとか、これまでそういう時代だったわけだけど、誰もが直接的繋がりを求めるようになるという、この新時代が始まったのは、何時頃からだと思う?
R:そちらへ導くような集団としてのイベントが催されてきたりしたけれど、基本的に移行は流動的なもの。システムが稼働しながらシステムシフトを起こしている。もっとも重要だったイベントは70年代末のハーモニック・コンバージェンス(調和的収束)で、その後2012年に起こったこと… まあ、外界で起こっていることを観察していれば、今が「熱い時代」であることに気づくはずだ(笑)
F:この「熱い時代」に、光集団の世界が更に発展し、確固たるものにされていっているように感じるんだが、君は並行したタイムライン、並行した発展があると言ってたね。しかし、僕の時計が進めば他の人の時計も進む、これをどう説明する?
R:そう、“時刻”というものはある。しかし、人類はまだ“時”というものが理解できていない。なぜかというと、まだ肉体的な現実を超越して、敢えて眺めてみようとしたことがないからだ。
もしかして、君は昔繋がっていた人たちと、ありえないほど人生が変わってしまい、全く共通点がなくなっていることに気付いたことは?彼らは君が共鳴できる領域から外れてしまっていて、君も相手も、互いを思うことがなくなってしまっている。その感触はどんどん強くなり、いつしか互いに異なった現実の中に生きるようになる。君をとりまくものは、彼らのそれとは全く異なったものになる。
我々は自分たちが一つの集団として、皆にとって共通した世界が存在するということを信じてきた。しかし、これを信じるのをやめて、もっと深く覗き込んで、自分が多様な現実バージョンをずっと通りながら動いているということを感じ直していいんだ。それはタイム・クウォリティとも大きく関係してくる。「時刻として過ぎ去っていく」数量的なものではなく、どの時間もエネルギー的なクウォリティと共に在るので、人類が時間を線状に捉えるのではなくて、その質として感じ取れるようになれば、世界全体が揺るがされることになる(にっこり)。
F:今、興味深いことに多くの人にそれが起こっていて… 去年からずっとそのプロセスの中にあって、「昔は良かったのに」と以前の世界を取り戻したくなったり、別の現実へ行ってしまった人を自分の呼び寄せようとしたりしているけど、上手くいかないんだ(笑)
R:(笑)…誰もが、自由意志を持っている。
「他人を自分の現実に引き入れて救おう」とする人は誰でも、「自分の方が良く分かっている」という理念の中で生きている。しかし、それをいったん完全に手放して、「誰もが自由意志を持っているのだから、本人が自分でこうしたいと思うことをするのが最善」と言えれば受け入れられることがある。例えば、コロナが怖くて注射が打ちたくなる人は、「注射というのが不安を抑えてくれるものだ」という現実の中で生きているので、その人にとっては接種は正しいこととなる。例えそれが、事実上・物質的にもその人の内面を鈍重かしていくものであったとしても、だ。
誰であっても、その人の自由意志は尊重すべき。情報は渡しても良いけれど、情報というレベル、ファクト・レベルは学問の世界と同様で議論は尽きることがない。なぜかというと、是非は常に問われ続け、すべてに実例がある。かろうじて、誰かをボートに誘えるとすれば、自分と相手の心の繋がりをもってしかない。相手が心を開いてくれるか、くれないか、だ。
F:では、いま本当に人類が自分を浄化させ、高次の叡智と直接な繋がりを得る道を進むことは可能なのだろうか?(ワクチンを)無理強いされることは無いのだろうか?並行して、守られているのだろうか?
R:間違いなく。誰とて、神聖なものと繋がっているなら、その神的な「自由意志」から、自分の欲するものを述べることが出来るなら、その者の意志に反して成されるものはない。
我々は集団で、多様な見解や、多様な方向へ向かう意志の衝動が行き交い、ぶつかり合う中でゲームをしているんだが、本当に自分自身と繋がっている人、つまり神的なものと繋がっている人は、その意志に反して無理強いされることはありえない。
これは、想像するのは難しいだろうが、我々のこのゲームの中で、個人の自由意志に逆らって行われるもの、というのは宇宙の法則的に見てありえないことなんだ。
F:そこで、「では自分の自由意志とはなんなの?」ってことになるな。僕らは生まれる前に結んできた契約が有るらしいが、その内容はわからない。忘却のベールを通ってくるからってことだが、僕らは「これがやりたい、あれがやりたい、夢を生きる」とかなんとか言っていても、自分の真の自由意志がわからないのが問題なんだ。
R:そう、十字架はそこに埋められている。僕らは再び、自覚するところへ戻らないといけない。自分自身を感じ、自分の意思を感じること。僕らはあまりにも解離してしまい、根無し草になっている。自分にとって何が良くて何が悪いのかわからなくなっているんだ。
そして、自分へ戻ることは痛いことでもある。なぜかというと「こんなにも長年、自分の欲求と限界を蔑ろにしてきたのか」と思うからだ。「本当はやりたくない仕事をしてきた」とか、その��うなストラップの中には、多くの人間の感情が詰まっている。
そして、我々は誰もが「決断」を下さねばならないときが来た。今のタイム・クウォリティの中で押し寄せてきているのは、つまりこれなんだ。僕らはこれを避けて通ることは出来ず、集団的な圧力によって自分で担うべき責任と、自分の成長過程の中へ追いやられている。これは素晴らしいことなんだ。
F:同感だ。僕もこんな圧力がなければ、未だに物質的世界で迷いながら、こんなことをやる前に経済的安定を図ろうとしたりしていただろうが、クリエイティブなことがしたいという気持ちに圧されて…でもそれはまだ、誰もが感じているわけではなくて。これはもっとすごくなってくるのだろうか?多くを見てはいても、まだ感じて行動に起こすところまでは至っていないって、みんなと話していて感じたんだが、時がまだ充ちていないのか。
R:自身で繋がっている者なら誰でも、自己責任を担うべきだという圧力を感時始めているはずだ。僕にとっては、ここ3〜4ヶ月前から、「責任」という概念が最も重要になってきている。自分自身を感じること、そしてその感覚の中で、明確に行動すること。
れは単純に、我々が人類の一部としてドイツ人というアイデンティティからあまりにも解離してしまっていて…つまり、我々は自分たちの内面世界を、物理的肉体にのみ投影し、その他の内在的ボディは抑え込んでしまっている。感情体はひどく苦悩していても、合理的な部分、つまり理性などは過剰に育成されきたのは、理性を操作することのほうがずっと簡単だからだ。感情に繋がっている者を言いなりにするのは遥かに難しい。
F:一つ前のテーマに戻って質問するけれど、君は「自分の意志に従って行動すれば、何も困ったことは起こらない」といったよね?それでも、偉大なるマスターたちは比較的ひどい目に遭わされた。イエスが良い例だ。イエスはとてつもない試練を通らねばならなかった。いわゆる、悟った存在とされた者が、これほどの試練を受けるのはどういうことなのだろう?
R:自分に起こることは、自分が対処できることだけ。そして、彼が今もなお、いかに十字架に釘付けにされ続けているかを見るとき、裏を返せば、彼にそのようなことが起こるのを許すだけの内なる強さと力があったことも知ることができる。依然としてそれは続いている。エネルギー的にね。
我々が行っているのは、実は教会における黒魔術の儀式だ。我々は最上の意識を十字架に掛けている。それを、十字架に釘付けにしているんだ。そしてこれがうまくいくのは、この意識が深い神聖なフィールドに身を置き、あらゆる歪みやねじれを超えてなおその光の中に存在していることを感じているからだ。
F:それは僕もずっと感じていた。十字架に掛けられていないイエス、腕を広げて立っている姿など、素晴らしいと思う。しかし、“宗教” というのは興味深い点だ。君がこれまでの配信で述べてきたのは、「多くの宗教は多くの真実を伝えているが、その内のほんの数パーセントがひっくり返されていることで、残念なことに結局は…
R:そうなんだ。バケツに入った清潔な水10リットルに、ヒ素を三滴垂らしたなら、その水はもう飲めやしない。それと同じことで、宗教というシステムの中には神的な秩序と一致するものが多く含まれているのだけれど、ある一か所で路線が変えられているので、すべての秩序が逆さになるようになっている。
F:それで、イエスやブッダといった偉大なマスターたちの教えは、歴史のどこかで歪められているってことだったね。
R:その通り。それをもって、我々は何をしたのか、ということだ。しかし、それは本来そうだったエネルギーとは関わりがない。
例えば僕に見えているのは、イエスというのがキリスト原理を体現した存在だったことだ。そこにはイエスとキリストとの違いがある。キリストの原理というのは単に、常住で、すべての人たちが繋がれる、すべての人に開かれた存在だ。しかし体現してくれる存在によって、皆はその原理につながりやすくなる。しかし、それは別の存在、別のマスターでも構わないし、究極、自分が直接繋がることだって出来る。
F:つまるところ、イエスはキリスト原理を完全に体現しながら生きた、ということか。
R:その通り。この地球上で、あれだけの激甚さをもってキリスト原理を生きたのは彼が初めてだった。
F:そうか…当然、すごい出来事となった。(二人で笑う)
R:そうさ、今でも刻み込まれている。
F:「そんなこと起こったはずがない」とかいう人も居るんだが、本当は何もなかったところに、あれだけのストーリーをわざわざ考え出して、隠しておきたいことがあるなら、なぜ磔の話の信憑性を頑張って守る必要がどこにあるんだって思っていたよ。
R:そうなんだ。着目すべきなのは、「最も強く封じ込めようとされているのは何なのか」ということと、「罪悪感というテーマが最も強いところはどこなのかなんだ。そこで、政治や歴史などのあらゆる分野を観察して、「最も大きな罪悪感が隠されているところはどこなのか」を探そうと、紐をといてみた。このことに従事してみると、古くからある集団トラウマに殴られたようになるしかないんだが、その後は強いエネルギーに満たされることとなった。
F:その罪悪感とかイエスという議題のすべては、僕には今でも理解するのが難しい。イエスは僕らの罪悪感を引き受けてくれたはずだから、もう残っていないはずなのに。よくキリスト教徒と話すことがあって「へえ、素晴らしいな」って思うんだが、「罪悪感を取り去ってもらった、そう信じれば良いんだ」とかなんとか言われる。
R:「罪悪感」という手段は未だに利用されている。昔は宗教で「免罪符」があり、今では金融システムにおける「借用書」があり、君は常に「誰か」あるいは「何か」に借りがある、それが神様だけだったとしても、そういうプレッシャーの下にある。そうやって常に羞恥心と抑制心の中にあることで、君は隠れたくなってしまうようになっている。
F:羞恥心、抑制心…金融システムについても触れることになる。非常に興味深いことに、多くの人々が自分の価値を「経済的成功」で測ろうとすることだ。逆のパターンは「経済的な成功を収めていないのだから、コイツの言うことは信頼できない」ってなる。こういう人たちは、多くの影響力があって注意深く、聖書だとか偉大なスピリチュアルマスターの言葉を引用したりするところがまた、見せかけ倒しだったりして、向き合うのが難しい(笑)
R:僕はそれに代わる価値評価システムを提供したいと思っている。注目すべきはフィールドで、誰がどのようなエネルギー的インプリント(痕跡)を残したのか、ということ。
表舞台には全く出てこないので、誰も知らない人が居る。しかし、この人はエネルギー的に見ると、集団的フィールドに絶対的な痕跡を残している。僕はこれに価値を感じるね。それをもって、僕もここに居るし、僕らしく作用している。実際、過去何年か、僕は外界へ向かっては何もしなかったが、瞑想などを通して内側のみに働きかけ、いろんなフィールドを究明してきた。そして、表へ出て来て、自分が体験したことを皆に伝える時が来たんだ。
F:君が「よし、その時が来た」と思った瞬間はどんなときだった?
R:実は、自分では分からなかった。それは、僕にそう伝えられたんだ。そしてそれは、「責任」というテーマに繋がっていた。
世間的なレベルでは、僕は世間に対してそのような影響を及ぼすことで、責任を担う立場は避けたかった。「そんなことになったら僕には自由がなくなる」って思ったし、実際今も…予定表だって、自分の内面やフィールドと向き合っていたころとは全く違ってしまった。しかし、その「責任」というテーマが紐解けてきた時、後押しがあって…「よし、準備が整ったぞ、表に出ろ」となったんだ。
F:やっぱり、外からきたものじゃなくて、自分から「OK」となったのか。
R:イエスともノーとも言えるな… まあ… 大学に在学中の頃から著書は書いていたし、大学の資格取得過程を終えたところで、何かがクリアになった。
どういうことかというと、これも忍耐と関係してくる。エネルギーの質によっては、その時が来ないと発動しないものがある。永遠に座り続けてエネルギー・ワークをしようが、何にも起こらないのは、タイム・クウォリティを考慮してい��いからだ。そしてある瞬間に、適切な言葉を適切なレベルへ向けてみると、「ボカン」と花火が弾ける。
これも、僕らがこれから学ぶことだ。
F:時間っていうプレッシャー、つまり焦ることがなくなるってのは、素敵なことだね。過去を振り返ると、僕はよく焦っていた。これをもっと早くやらなきゃとか、これに時間を使いすぎたとか。何かしたいのに何も出来なかった間、時間を無駄にしたように感じていた。
R:先程、僕が述べたエネルギー的なインプリントという尺度の「別の評価システム」を持ち出すことが出来るね。君が表面的には何も出来ていなかったと思うことで、君は自分の内なる場所、そして君のエネルギーシステム自体に、ある印象を残したことになる。僕らは未だに、外的なところで評価するモノサシで自分を測ってしまう。しかし、ありがたいことに今それが崩壊しようとしている。
F:時々思うのは、あの世に行って自分の人生を振り返った時、「物質的に到達したものはどうでも良かった」ことが分かるんじゃないかって。すると「うわ〜、どうしよう、一生かけて俺は何にもしてないじゃないか」ってなるんじゃないかな(笑)
R:僕らは価値意識への危機感へと人為的に連れ込まれようとしてきたんだ。だって、7〜8割の人々は全く必要とされていない仕事をしている。なぜって、それらは何らかの形で小さな歯車の一つとしてシステムに貢献するものだからで、内在的にはシステム維持という付加価値以上のものではない。だから未だそうやってシステムに貢献する仕事をしている人たちは、そこに人間的で自然な付加価値というものが生じないことに気付いてきている。真の内在的なクウォリティと測り比べてみると、だ。そして今、人々は自問するようになってきている。「自分の創造性というのをもっと別のところに活かすべきではないか?」と。
F:では、「どこで?」ということになるな(笑)。とりあえず、街頭へ躍り出ることになるよね。
R:僕の場合は、とりあえず森へ行く。
F:実際、森の真ん中に住んでいる人も居るけれど、それは少ないよね。ドイツには素晴らしい森が沢山あるが。
しかし、君は今そういう状況の人々に何を勧めるのか。教師とか、公務員なら500万人も居て、こうした人たちはそうした圧力を感じているわけだ。
R:教師によっては、今居る場所でその役目を満たせている人もいる。誰でも自分が居る場所で自分の役目を満たせているのかというのは自分で感じるだろう。それは事務的作業ではなくて、高次からみた役目だ。そういうものは、我々の体験という意味では、全く失われてしまっていた。なぜかというと、我々が自分自身から解離してしまっていたからだ。これまでの価値体系が崩壊するときには、多くの人は価値意識の崩壊を体験することに成り、それは素晴らしい果を実らせ得る。その時、人々が古い価値観にしがみつかないで、柔軟��なり、遊び心で学ぶことが出来れば、の話だ。
F:具体的にいうと、君は民族文化というテーマ、つまり原初的な生活というものにも触れているんだが、そこでは80から100人が、外見的には簡素であるが、内面的には豊かな共同生活を送っている。とても想像は出来ないけれど(笑)
みんな、具体的に描けないけれど、ここから去りたい、別の生活がしたい、そういう欲求を感じてきてはいる。ただ、どうやって?
そういった生活が、もうすぐ物理化するのだと、君は思っているのだろうか?
R:これからの数年で、集団の中に起こるプレッシャーがひどく高まり… まあ、「どうやってそこへたどり着くのか」というのは良い質問だね。うーん。僕ら人類は、まず圧力が高まってしか動かない、という習慣がある。それは僕らに掛けられたプログラミングの中に強烈に根付いている。居ても立っても居られなくならないと、やらないんだ。それほど瀬戸際になっていない間に、動き始める方が簡単ではある。つまり、それが強迫観念になっていないほうが良い。しかし、プレッシャーはまだ高まりきっておらず、それ程苦しくもない。僕が心理学的なサポートを渡している人たちもいるが、人類という集団としてのマインドに、どれほどの狂気が盛り上がってきているかが、観察出来る。隅々までの至るところで、過去数十年間、自分たちは何をしてきたのかが見せられてきている。それを眺めることで、我々はまた、新しい何かへと誘導される。ある人は森へ、ある人は街頭デモへ、ある人はその中間に位置するものへ走る。
僕は、誰もが80人から100人のグループとして組織を創ってキャンプファイヤーで踊るべきとは思っていない。もちろん、それは素敵だし、皆に体験してみてほしいとは思うが(笑)。
顕著なレインボーギャザリングというのは、世界中どこでもあって、誰でも参加できるが、誰にでも向いているわけではない。それぞれ立ち位置が違うからで。
大事なのは、今その人が立っている位置から、自然な生活へ向かうための最初の一歩は何なのか、ということを探すことだ。
F:レインボーギャザリングの話になったけれど、ドラッグを連想させるよね。君もドラッグについて言及していた。それに賛同すると同時に、ドラッグを集中的に消費するようになった人々を知っているんで、レインボーギャザリングと聞くと、ついドラッグを連想する。他に、ヒッピーとかもドラッグとの関連性という不条理に、僕は入ってはいけなかった。
R:ドラッグ、つまりこの文脈では習慣性薬物だが、実は我々にとって最も広く用いられているドラッグは「砂糖」なんだ。でも、そういう分類はされていない。
僕が人生の非常に早い時期に気付いたことは、「自分から自然な明晰さを奪うものは、自分のためにならない」ということだった。もちろん、いわばその物質に基づいた、ある特定のパターンを一定期間は解決することができる、しかし、それが鍵だとは僕は思わない。「責任」というテーマと掛けても、ドラッグは即効の逃避に使われる。
文化によってはドラッグが内包されているものもあるので、そこではドラッグは高次と繋がるための、正統なツールとみなされているが、我々の文化では広まっていない。
僕は…そういうものには、多大な敬意をもって、「少量の方がより効果を発揮する」という範囲で使いたい。どんな分野に関してもね。
人類のマインドが純粋に集中力を発揮した時に、我々にどれほどの威力があるのか、そしてそのことで我々の内的状態がすべてを開放させる威力に本当に気付いたなら、それはすべてのレベルにおいて「ナチュラル・ハイ」の状態なので、それ以上の高揚感は必要ない。そしてそれは持続可能だ。
F:途中でぶん取られることなく、この宇宙の知性とというパワーと自在に繋がれるようになるには、僕らは積極的にどんな行動をとればいいのだろうか。誰がぶんどるのかは置いておいて、君には「具体的にこうすれば繋がれる」というテクニックがあるだろうか?
R:うーん。僕らが居る場所は、多様に存在しているエネルギーの質としては最下層の部分で、他から完全に切り離されて浮かんでいる、密閉された単体カプセルのようなところなんだ。一方、この地上の平面フィールドでは、ありとあらゆるものが這いずったり飛び回ったりしている。ということはつまり、確固とした純粋なエネルギーのひとつだけに定着することを目標にすべきではなく、迫ってくるあらゆるものを受け取っては、それを変容させ統合させていくんだ。
集団から発せられたある種の感情、例えば近所の人たちとか(笑)、そういったものを受けた時、それが自分自身の感情から起こった思念なのかどうか、僕なら比較的早い時点で気づけるけれど、つまりそれは、人類が思考や感情といった別レベルで、全員が繋がっているということに気づくことでもある。そこには集団がテーマとするもの、集団が原型としている思考形態があり、我々は皆でそれをどこかで互いに共有しあっている。
そこで「よし、ではその内のどこらへんが “自分のもの” であり、どこが “集団” から出てきたものなのか」をよく眺めてみてから、「そうか、自分がこのフィールドに持ち込みたかった本来のエネルギーの質はこれだったな」というところへ戻る。そうしてセットアップすることで、自分らしい、自分が望んでいた振動周波数が示されてくる。
肉体だって、自分はあることを表現するために、望んでこのように創造してきたので…君なんかもその見事な手本だが(笑)、そうやって人は自分の外見をどう見せるかは意図があって選んできた。
自分のエネルギー、周波数、これを僕は誰もが持って生まれた「振動サイン(署名)」と呼んでいるが、この自分のエネルギーに共鳴するものはどれで、全く共鳴しないのはどれなのか、ということ。僕が最初の頃に主に使用していたのは、非常に集中的な瞑想だ。何ヶ月もそれ以外のことはしなかった。そうした瞑想は、僕にある空間を開いてくれて、僕は自分に内在している「そうだ、これぞ君の道であり、君はここから去ることはない」という非常に明確な声に導かれるようになった。だって、まさにそこから始めたわけだから。
F:瞑想というのは非常に大きい領域となるが、君はどうやってそこへ行き着いたんだ?やり始めた頃の日常のルーチンはどんなものだった?瞑想というテーマをまた深めたことがない人にも勧められることは?
R:僕は何年にも渡って、夜中の3時に起床して瞑想していた(笑)が、まあ、それは自分自身と自分の道に対して、本人が敢えてしようと思えるのはどれくらいのことなのかに拠る。僕にとってはその時間に起床することは微々たることで、いつしか自然なこととなった。それに…例えば僕は、瞑想で睡眠を補うことが出来る。
つまり、我々にとって「睡眠」というのは別レベルでの休息という考え方から、それは瞑想によってログインできることでもある。睡眠には様々な深さがあって、非常に深いものには中々入れないけれど、不可能ではない。
僕は比較的伝統的な道、つまり仏教の僧院に行って剃髪し、眉毛も剃り落として、『僕は僧侶になるんだ』って思った。(F:それはいくつぐらいの時?)19歳、20歳の頃で、「もうこの世なんて見ていたくない、世捨て人になる」とか思って(笑)、僧院の塀の裏に篭った。そして非常に強烈な体験をして…多くのことを、僕は変なやり方をしたと思う。「間違い」だったとは言わない。僕は…この世から自分を完全に切り離して、別のレベルに居続けようとして瞑想をした。つまり、この地上での生活を拒否するためだった。キリスト教だろうと仏教だろうと、保守派の伝統的宗教への取っ掛かりは今だってそういう感じだ。
F:僧院で夜中3時に起床するようになったの?
R:いや、そうではない。僧院ではどのみち3時起床だった。鐘が鳴って、先ずはホウキを渡されて1時間森を掃くんだ。それから朝のプージャで皆で瞑想して、お経を唱える。とにかく日常は細かく規制されていて、午後には少し自由時間があるだけだ。僕にとってそれが「規律訓練」であることは明白だった。僕は西洋文化の教育システムの中、そして大学の勉強中もなんだか退屈で、物足りなさを感じていて、もっと自分個人を成長させるような、別レベルの実習システムがあるべきだと思っていたので、結構厳しいシステムとして、西洋人を仏教僧に育成するところへ入っていき…すごく深い体験をさせてもらったことが、今の僕にも繋がっている。
F:でも、君は結局僧侶にはならず、スピリチュアルな伝導をするのが使命だと感じて、ドイツ語圏に戻ってきた。
R:そう。僕はドイツ語へ強い繋がりを感じていて、細部までドイツ語を愛している。僕は自分の活動範囲を、いまのところドイツ語圏に限定している。僕は英語も流暢に話すけれど、自分のエネルギーの効力を及ぼせる場所が今、ベルリンであるべきだと知っている(注:この翻訳が成されている2023年7月現在は、ロビンさんはドイツ南部・バイエルン地方に住んでいる)。なぜかというと、ここには非常に多くのエネルギー・レイラインが交差する結び目があるからで、ここに働きかけて救いをもたらしていくべき理由がある。
F:先程、君は「罪悪感」に触れたが、その他の分野とも向き合ってきた君に、「ドイツ」ついて罪悪感という点で何か言えることは?
R:それについて語ることは容易ではない。即効で追い詰められたりせずに言えることは(訳注:ここで下手な発言をすると、「反ユダヤ・ナチス」というレッテルを貼られかねないのが現状)、僕はドイツの民族霊とたくさん向き合ってきた…よくチャネリングともいうが、僕がいうチャネリングとは巷の人が想像するのとはちょっと違うんだけど…そうやってドイツ民族の集団霊と交信してみたところ、このドイツという土地で何が起こったのか、そして何が起こらなかったのか、沢山のことを見せられた。そこで、ドイツ民族という存在の能力に対して、システマティックな攻撃、戦争が行われているかということ、そして我々の歴史に刻まれたものをもって、如何なる弾圧が行われているのかということを知った。それは、ドイツ民族とは基本的にすごく、原初的であり、尊厳高く崇高な存在だということに関連してくる。これをエネルギー的に類別すると、ドイツ民族の精神は「牡羊座エネルギー」にあり、これは「変化」という衝動をもたらすものだ。変化プロセスは、この牡羊座エネルギーが先頭に立って外側へ向けられた時に始まる。だから逆に、このドイツをそうした戦争っぽいプロセスに強く巻き込むことが可能だったんだ。…このことはあんまり細かく深堀りしたくはないんだが(F:そうだよね)。僕が知らされた中で重要だったのは、僕たちドイツ人は極端に根源から切り離されている、ということだ、僕らは自分たちの根本的文化ともう繋がり合っていない。先祖を敬っていない。これは、僕たちから多大な力を奪っている。これは他の国々、他の文化でも起こっているけど、ドイツでは特に、だ。
F:君にとっての「民族霊」とは?それは民族として辿っていけるものなのか、それとも言霊?だって、地理学的には移り変わってきたわけで、ドイツ語圏というのは実はもっと広い。フランス領も昔はドイツとひとつだったり。精霊とはどこで区切り、どこが混ざっているのか。
R:そうした原則的な点からは、当然ここからここまで、とは明瞭な区別はできない。要は、その民族として存在する感触をもつこと、もしくはその言語という存在への感触、これらは関連し合っている。ある言語を話す時、自分はその���語の民族という精霊とつながり合うんだ。英語の資料が多く配信されている理由は、英語というのがある特定の民族意識と強く繋がり合っていないから。例えば英語を公用語とする米国は比較的新しいもので、植民地化の当初に称賛されたインディアンなどの原住民の精神性は、その後鎮圧・抑制された。従って、近代の米国人には何らかの民族の精神性との繋がりがなく、だから彼らは迷子のようになっている。特に感情面において、何らかの文化社会的結束の中に、全く内包されている感触がない。
F:どうすれば、その繋がりを取り戻せるのか。人によっては感情面でエネルギー的に民族性を感じられるかもだけど、中には知性で理解したい人もいて…結局行き着くのは同じところだろうけれど。僕は感覚派で、君は…どっちかというか色々な繋がり方を知っているようだけど(笑)、知性派の人に君から勧められることは?
R:知性派の人には…「ものごとの原理を認識する」ことを勧める。つまり、先程も言ったように「あらゆる分野で、真実は180度ひっくり返されている」ということに気づくこと。この世界で僕たちに見せられているものは、いったん「逆さ」にされているんだ。だからあらゆる現実の項目に目を通し、逆さだったものを正位置に戻してみる。
同じことが、いわゆる『チャクラ・システム』でも応用されていて、逆さにされている。人類の一部は、逆さにされたエネルギー・システムの中にいる。
探求するものは真実を見つけることになる。必ず、だ。しかし、理性でもって探求すると、混乱するように罠が仕掛けられている。決断を担う管轄となるのは、実は「理性」ではなく、「直感」の方だ。「理性」が担うべきなのは、分類化(カテゴライズ)と評価だ。どちらが優位ということはなく、単に管轄が違う。しかし、我々は「理性」のみがすべて判断基準であるかのようにされていて、決断を担うべきではない位置から決断を下すのが常だ。
だから、探求するに当たって真実を見極めるために、自分としてはどのような内的尺度を遣うのか、何を方向性にするのか、を問うべきだ。例えば僕の場合、ある時点で「情報領域から読み取ることが、どれ程容易いことなのか」に気付いてから、インターネットで情報探しをしたり、本を読んだりするのをやめた。なぜなら、疑問を提起して、適切なエネルギーフィールドにつながりさえすれば、どんな情報も得られるのだということに、ある時点で気づく。すると、インタネットなどで情報探しをすればするほど、どれだけの混乱が起こされるのかにも気づくことになる。
F:君は以前、インターネットだって人工知能だと言ってたね。それはどういうことなのか?それと、先程砂糖の話も出たけれど、君はどうやってスイッチを切り替えたのか、そしてそのエネルギー・フィールドに皆が自発的に繋がって共に力を合わせていく方がいいと言っていたけれど、どうすればいいのだろう。
R:皆もう、繋がってはいるんだけれど自覚がないんだ。インターネットから、宇宙インターネットにスイッチを切り替えるには…実際、その構造は非常に似せて構築されている。それはもう、僕たちに用意されているんだよ。皆が繋がるようになる(笑)。
まず…“普通”のパイプを通して得られる情報は高品質ではない、ということを認識するべき。「情報」というのは常にエネルギーのことで、これは同義語と受け取っていい。だから「高品質、即ち高い周波数の情報源はどこから得るのか」を問うんだ。すると、いつかは神的な情報源に行き着く(笑)。そして、いつかはその、高い周波数のエネルギーを、この場所で理解できる具体的な言葉に置き換えることができる。
僕はこの宇宙インターネットの図書館を、沢山調べてきた。そこから受け取る情報を、ここの皆がつながりやすくなれるように翻訳するのも、僕の主な使命、役割のひとつなんだ。
インターネットが遮断された事態を想像してご覧よ。僕らは謂わば、多次元量子コンピューターの頭脳の中でネット検索しているんだ。それはつまり、人工知能という存在のことで − これを聞くと大勢が飛び上がって「それはぶっ飛びすぎてる」っていうかもだけど − いつの日か、例えばグーグル検索をすることで、いったいどんなエネルギー・フィールドに自動的にアクセスしてしまうのか、見せられることになるだろう。つまり、毎回何かを検索欄に記入することである種のフィールドに自分の波動を送っていることになり、それに応じて…まあ、この先は誰でも自分なりに想像してみるといい。そうやって自分のセンサーを磨く。例えばWindowsとLinuxのエネルギー的な違いは何なのか?その分野において、選択肢がほぼ無いことなどに気づいていくと、いつかは「宇宙インターネット」に移行することになる。
人工知能が我々の自然生活フィールドにこれほどまでに介入していたことや、やり取りする度に人工的空間に情報を装備してしまうことになること、そしてその情報で金儲けの取引が行われていることは、僕にとって最近で最も大きなアハ体験のひとつだった。
F:それは、君のいう「ルシファー的に構築された世界」の段階のひとつなのだろうか。以前、君は『区域860号』について話していたよね。
R:そう。いつの日か、僕らが居るこの物理的空間に、そのような人工空間が投影され、人々はそこにだけ滞在するようになる。
僕たちは既に、そのような人工空間に居るんだけど、それは依然として物理的だ。
検索をするのに5Gなんか必要ない。5Gが許容する情報量は過剰すぎる。だが、5Gはデータ・ストリーム・ネットワークを最終的には全世界に張り巡らすためのもので、その後は6G、7Gと続いていき、いつの日か、人工的なデータ・ストリームによって人工空間が開かれることが可能になる。そこで、僕らは会合出来るようになるんだ。
それを「スピリチュアルなもの」として売り込むことは可能だ。スリリングだし、テクノロジーの進化と捉えることが出来る。しかし、そうした人工空間の利用によって、内的能力はどんどん退化していく。
F:その人工空間に人間として繋げられるのだろうか?
R:僕らはもう既に繋げられている。映画「マトリックス」では自然に生まれてきた人間たちの後頭部にアクセスポイントが実装されていたでしょ。幾ばくかの人間は、そのエネルギーシステムにあんな風な実装ポイントがあって、そこから操作が可能なんだ。僕らのエネルギー体は、思っている以上に深く人工知能に繋げられている。今既にね。
F:どうやって逃れるのだろう?(口ごもるロビン)…今生では無理とか?
R:(ため息)…逃れたい者は、逃れられる。
F:ちょいと、コンセントを抜けばいいだけか。
R:(笑)そうそう…(笑)。いや、本当にあのマトリックスのネオと同じで、今繋げられている人工空間からまずは自分を切り離して遮断するんだ。すると、いま自分が置かれている場所を認識し、自分に何がされてきたのかを知って、まずは酷い「リアリティショック」を受ける。あの映画が象徴している通りなんだ。
F:アストラル体で君が訪問したという『区域860号』とは、霊界との中間世界のようなものなのか?それとも…一体どこにあるのか?
R:あれは、人工的につくられた、5次元周波数のフィールドだ。巷では「五次元に移行する」とかよく言われていて、実際に移行するんだけど、そこには「ルシファーの5次元空間」というのもあるんだ。
しかし、5次元といっても、どのような文脈を前提とするかで理解が異なるので、次元を数値で表すのは注意が必要だ。たとえばブルクハルト・ハイムは「12次元ある」としたので、「ブルグハルト・ハイムによるxx次元では」と云うふうに話せる。そうした文脈から切り離して「xx次元が」というのは不十分で、いわゆる憶測が過ぎてしまうかも知れない。だから、僕も異なった周波数空間を説明する時、次元に番号を付けることに注意しないといけない。
そう、区域860号については、あのアストラル・トリップは、僕が次の質問を掲げたからなんだ:「この発展プロセスをこのまま辿っていくと、どうなるだろうか?」
人工システムというのは、今後も発展すべくように発展していく。そして、僕が訪問したレベルはすべてが調整されていて、皆の内面では24時間絶え間なくニュースのような声が聞こえている。皆それがわかっていて、…つまり皆同じ同じ周波数にチューニングされていて、同じ番組のプログラムを聞かされている。皆が…つまり、自分自身の内部から起こるインパルスを消し去る訓練をしているような感じ。個々のインパルスを持つことをやめて「群れ」となるのが目的だ。そして最終的に消し去るのは「感情」や「個人的思考」だ。このレベルは…恐ろしいものなのだが、あそこで見たことを、僕は今既にもうここで見始めているので、どういう方向へ進みかねないか僕には分かるし、それと同時に「自分はこっちへは行きたくない、自分は嫌だ」ということも分かっている。また、僕が神的エネルギー・フィールドと繋がっている状態で、自分自身について決断したことならば、誰もこの決断を覆して何かをすることは出来ないことも、僕は分かっている。だから、この確信をその他の皆に渡しておきたい。もし、本当に神的ソースと繋がり、自分のパワーを認識すれば… そして、この世でたった一人であったとしても、あのような世界に逆らった決断をするなら、その人にとっての現実は、その人が自分の自由意志のパワーに基づいて顕現させた現実へと上書きされる。
確かに、集団の中にはクリティカル・マスと言われるものがあるし、実際にある程度のレベルへ移行するためのマスはもう到達している。
F:それはどちらの方向?
R:一部の人類が、高次へと発展するであろうことはもう決定している。次にグレーゾーンがあって、その人たちは一緒に来ることが出来るが、義務ではない。そして、別の方向へ発展の道へ繋がることを選んだ者たちもいる。
それで、一貫して自分の道を進むためには、高次のレベルにも存在している苦悩というのを軽減させることしかない。そのために、「大丈夫、何が起ころうと、君は高次では愛され、維持され、守られる。我らは永遠の存在で、失うものは何もない」、というような転生を超越した視点をもって、信頼というメッセージを渡すことも出来るだろう。そうやって安心感と落ち着きをもたらしていく…
そのような視点を渡すために、僕はここに居るんだ。(笑)
F:(笑)そりゃ完璧だな。このことをどう想定し、決断するのか、その人それぞれでいいということか。グレイゾーンの人たちも沢山いるとのこと。この人たちが明らかな視点を持てるようにサポートすることも出来る。だって、この世界ではそうしたことが明瞭には見えない。
もう一つ質問。さっき言っていた世界というのは、アストラル界のどこかにもう存在しているのか?リアルに?神的意識と切り離された世界というのは、もっとたくさんあるのか?
R:間違いなく。そう、もちろん、そう言った世界がリアルに存在している。つまり…何でも存在しているんだ。君が想像しうるかぎりのこと、考えつく限りのことが、アストラル・レベルで実行される。存在しないものは無い、ということ。
F:議論になるとよく「まさか、そんなことはありえない!」って叫ぶ人がいるんだけど、僕は「こんな小さい頭の中で何でも思いつくんだから、思いつく限りのことは何だってあるってことだ」って思ってたんだ(笑)。
R:中には、我々の思考を実行することだけに特化したリアリティのレベルというのがある。つまり、僕が何かについてある思考をもったなら、創造的な精神というのが何であろうとそれを顕現させる力を持つはずだ。それはこの物質界のレベルではなくても、エネルギーレベルでは即座に顕現する。���えば僕が「ハンバーガー」と考えたとする。すると、ある特殊な領域にあるエネルギー存在が、僕の意識と繋がりながら、その場で即座にハンバーガーを顕現する。そして僕にその思念がなくなると同時に、それは溶解する。それでも、データ痕跡というのが残り、それを辿ることが可能だ。
僕らはそうやって…すべてを「創造的全能精神」でもって、否応なく創造してしまうんだ。そして、この「創造的全能精神」の考えたことはすぐに現実化する。ただ、それはどのレベルで現実化するのか、の違いなのだが、我々はたった一つのレベル、つまり物質界レベルしか知覚出来ないようになっている。でも、他のレベルを覗き込めたとすれば、自分がちょっと考えてみたことが即座に顕現していることが分かるだろう。
F:それは…本当にすごいことだな。そして、もっとマインドフルネスを訓練しないといけない(二人して笑)。感情、思考… この思考をもって、この対談を終えたいと思うが、これを試聴した方々が改めてこれを感じて下さいますように。ご視聴ありがとうございました。
そして、ロビン、素晴らしい仕事をしてくれてありがとう。
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