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tezzo-text · 3 months
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240121 長い!21_21展のキャプション
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2024年3月10日まで、21_21 DESIGN SIGHTで開催中の企画展「もじ イメージ Graphic 展」に、私も参加しております。おもに90年代以降に活躍した日本のデザイナーが集まっている展示で、DTPが登場したことにどういう態度をとるか? という世代から、Macデフォルト世代、その逆張り(わし?)世代等々、縦に分厚く、そして横にも広めの人選でおもろい展示と評判です。
大体1デザイナーに1壁わりあてで、私もいろいろなものを展示している。他の人たちの作品が梱包されて届いて並べられている中、なぜかわしは設営も二日間赤坂に通って自分でやったのだった。大変すぎて何度も途中でぐったりした。でも背後で平林奈緒美さんもご自分で厳密にレイアウトを調整し続けてらっしゃったのを目撃しがんばった。あと男性が近づいてきてご挨拶いただき、どなたかと思っていたら「服部です」とかいうこともありました。
ひとつひとつに個別にキャプションはつけてないので、よくわからない展示になったか……? とちょっと反省もしている。というか「量」だけ見せたい人みたいかも……と。でもキャプションを準備する想定もスペースも時間もなかった。ということで、もう会期の半分になってしまいましたが、ここに解説を載せておくので、現場で気になったものだけ見てみてください。全部見てると人の邪魔になると思うのでほどほどに。
もう見に行かれた方もぜひ再度。一般1,400円です。
印刷用のレイアウト図はこちら(A4)。
A 群像
2019年に講談社の文芸誌『群像』がデザインリニューアルの準備をしていたときに、川名潤さんからロゴのデザインを発注された。毎号少しずつ変わるロゴを作ってほしいとのことだった。私は、文芸誌は漫画誌やファッション誌と違っていいのだから岩波『思想』のような硬派の極北のような表紙デザインはどうか? そしてタイトルロゴは描き文字で、同じデザインだが毎回描き直し、毎号少しずつ違う、というのはどうか? と提案してみた。地味すぎか。 川名さんは表紙にはビジュアルを持ってきたい、若い作家の作品を紹介する場にもしたい、というアイデアを持っており、その方針にハマるロゴにすることになった。 具体的には基本形のロゴがあり、表紙に採用されたアートワークと関係がありそうななさそうな意匠をそこにあしらって毎号の変化を出す、ということになった。
1 最初期のロゴ案。ローマ字や読み仮名ロゴも作ろうとしている。
2 基本ロゴのスケッチと、変化をつける部分をどうするか? のスタディ。
3 相談の結果、「群」は基本形で据え置き、「像」は毎号変化する、ということになったため、「群」をどれだけブレさせていいかのスタディも並行して進めた。右端のスケッチはスキャン後に組み合わせるためのバラバラの部品。
4 このときは毎号思いっきり差をつける案を考えていたので筆記具もバラバラ。下部の図は群像とは関係なく、アラサーポッドキャスト『ラジオ屋さんごっこ』のエース・リー子の誕プレのために、司&バルニーに依頼されて描いた「上質なハムを食べる野生のリー子」。
5 基本形のスケッチ。過去の群像の表紙を見てみると、60-70年代のロゴは像の豕の中央縦画がまっすぐな版画風のデザインがあり、硬派な印象が気に入ったので取り入れてみた。
6 ローマ字とひらがなロゴのスケッチ。ひらがなは使われなかったが、一見普通の極太モダンローマン風の欧文ロゴは目次や奥付用に採用された。
7 川名さんの最初の要望は、私が2016年に作った「TOKYO数寄フェス」のロゴのような黒くごついイメージだった。なのでローマ字ロゴもジオメトリック・サンセリフ案を作ってみた。
8 上の案は、最初に提案した基本形ロゴ4案のうちのC案。川名さんが『映画秘宝』に関わっていたとは全く知らずに、『秘宝』みたいなロゴもよくないですか?? とほざいていた……。恥ずかし〜。しかも全然秘宝っぽくない。
9 同じくA案とD案。Dはフジロックのロゴみたいなイメージ。Aはもうちょっとトラッドなデザインで、でも重い感じ、というので作ったもの。
10 採用になったB案。この段階では、入り隅・出隅に柔らかい質感があって、左はらいにもむくりがついたまろやかなデザインだが、最終的にはシャープで反り傾向の硬質なロゴになった。
11 基本形のロゴが決まった後のスケッチ。毎月バリエーションを描き下ろすのはきついと思い、先にストックを量産している。中列中央の集中線のようなデザインは意外と気に入っていたが最後まで採用されなかった案。
12 この中で採用されていないのはおそらく上段中(上段左の案の別案として提案)と、下段右の案。点描で描かれた虹は松本大洋『ナンバー吾』のナンバー王の夢の世界のシーンに登場していたのを気に入ってまねたもの。
13 ストックは減ってきたタイミングで3回ほど量産したが、これはおそらく終盤で作ったもの。中央上段の案はこのバリエーションロゴのシリーズもそろそろ終わりかも、とのことで気合い入れて作った記憶あり。
14 2倍サイズで描かれているのは同じく気合い入れた案。最初は実際のモチーフにインクをつけてスキャンすればいいかと思っていたが全然うまく映らず、描いた方が早い、と思って描いた。
15 この辺りはおそらく中盤に量産したもの。左に並んでいるのは背表紙に載せるロゴで、表1ロゴの単純な縮小ではなく別途描き下ろしにしたいと言ったのは私から。この時は、せっかく手で描いているのに、大きいものについているアールと小さいものについているアールのサイズが揃っていないことがどうしても嫌だった。基本の形も小さいロゴはオプティカルサイズ用のデザインでディティールが異なる。
16 こちらも同時期のスケッチ。左列の2案などはトンチと美しさのバランスが悪く今見ても微妙。
17・18 初期のスケッチ。メビウスの輪や流星の案は、フィリップ・トレイシーのファシネーターみたいなバランスをイメージしていたもの。こういう感じのデザインがもっとあってもよかったかも。
19・20 初期のスケッチ。初期はわりと具体的なモチーフをベタにイラスト的に入れてみたりもしていたが、のちにアートワークとバッチリ合ってない限り意味不明に見えると思ってやめた。具象的でも質感だけとか、抽象的な幾何学立体の陰影とかはセーフ、という感じ。
21 今思い出したが、子供の頃なぜか映画フリントストーンの下敷きを使っていた……実際映画見たことないが……。そんなフリントストーン風の中段左の案は不採用に。確かにこれはちょっとやりすぎというのは作る前からわかっていたが、描いてみたかったので描いた。
22 これは確か中盤か後半で作った案。最初の一年が過ぎて、もうちょっと暴れてもいいという感じになってきたので、縛り緩めに作ってみたのだと思う。中列上・中のデザインは川名さんも最後まで使いたかったとおっしゃって下さったが、結局使い所がなかった……。
23 この3案は一つのアイデアのバリエーションだったが、右上が2021年4月号に、下が同年7月号にそれぞれ独立して採用された。
24 下段真ん中のボワッとしているのは、後から思い返すと、スタジオ・ダンバーのアルツハイマー病啓蒙団体のためのデザインが脳裏にあった気がする。
B カレンダー
毎年作って売っている、レタリング文字のカレンダー。11年作ってきて学んだことは、早く完成させないと販売期間が短くなり、結果たくさん卸せないので売り上げが減るということである。今回は一応各年度から数枚ずつ手描き原稿を持ってきて展示したが、レイアウト考えてるうちに並び順がめちゃくちゃになってしまった。一応左上に年度が書いてある。
1 四段目右、確かこの頃 Bookman(書体)にはまっていたので、ディティールにその影響を感じる。
2 一段目右は「リンガを取り囲むヨーニ」を思い浮かべながら描いた。何を思い浮かべているのか……という感じだが、とにかくどんどん作っていかないといけないので、パッと思いついたものはなんでも使うことになってしまう。
3 二段目左は、ネットフリックスで『ヴェルサイユ』見てたので文字にトリコーンを被せてみた。髪型は17世紀風だが。
4 この辺りの年は、一段目中、二段目中、三段目左・中など「装飾的ではあるが、〇〇風と一概に言えない」という感じを追求していた。 中高生のころライトの帝国ホテルの写真集を買って感動したことを思い出す。帝国ホテルのレリーフや方杖についたあの飾り……たしかに同年代の他の作家の作品にも似た作風は見出せるが、でもただ幾何学を追求しただけではああならないと思う。明解な確度でデザインしているが、具体的なモチーフや目的を表現しようとしているわけでもない。何か説明のつかない方法で装飾的であろうとしている……と感じる。わしもそういう感じにした〜いと思っていた。
5 一段目左のように、時にはただ稠密な模様だけで乗り切る。
6 確かダニエル・リーがボッテガ・ヴェネタのデザイナーになった頃で、バキッとした70-80年代の乗用車みたいな雰囲気がかっこいいと思っていた。一段目左はそんな気分で描いていた気がするが、全然そんな感じには見えない。
7 二段目左、これも何なのかわからないが具体的に見えるもので装飾したいと思って描いたもの。プランクトンと極楽鳥花のイメージが入り混じっている。 三段目中は、���の数字でも何度も試みているが、字を普通に一画めから書くのでなく、中央から左右対称に書き始めるような構造で形作るという提案。 あとこの頃は四段目右のようなグレコローマン風の雰囲気も常時頭にあった。
8 二段目右はなんのレファレンスもないがただビクトリア朝な感じ……とだけ思って描いた記憶あり。色つけるならオリーブ色に近いモスグリーン。
9 もはやあんまり記憶なし。あんまり読めない感じですね……。読めなくても別にいいのだが。
10 二段目中、いわゆるフローリッシュで鳥とかライオンとか描いてるような超絶技巧のカリグラフィ作品があるが、あの「超よくできてる感」「流れるように描いてるが収まるとこにちゃんと収まる感」みたいなのを再現しようとしてる。しかし全然できない。レタリングでもできないのにカリグラフィでできてるのがすごい。これも3回ぐらい描き直した気がする。 四段目左は、たしか東博平成館の「きもの展」を見にいった時、着物の柄の中に唐突に風景画があったりして、風景というモチーフをあまり使う発想がなかった、と思って描いたもの(多分)。
11 仕事の合間に飯食いながら描いたりしてるのであんまり覚えてないものもあり……。
12 この年はたしかもっとめちゃくちゃな形をどんどん繰り出していこう、と思い、三段目中のようなものを多めに作ったと思う。バッとでたらめな形を描き、それを後からきれいになぞって清書した、というもの。
13 『作字百景』か『作字作法』のインタビューで、カレンダーの数字の意匠は無国籍かつ多国籍になるように描いております、と語ったが、いうほど多国籍か? と思い、おもむろに鼎や香炉のようなモチーフをあしらってみたのが二段目左。
14 二段目中、Armin Haabの変な書体へのオマージュ。ゾロ目の場合でも全体のバランスか何か1箇所を変えて、タイポグラフィでなくレタリングである意味を出そうとしてもいる。 四段目中は、7で述べた「左右中央から書き始める」と似た発想で、ここでは上下の中央から描き始めた形。
15 一段目左のアイデアは、その後城崎国際アートセンターのKIACコミュニティプログラムのチラシに応用。その他、この年はとにかく装飾に自分の競争力があると思い、装飾が主で文字が従、というものをいくつか作った。
16 一段目右、この時もたしかヴェルサイユ気分だった。オーダーはコンポジット式。 三段目左は4で述べたような「様式不明の装飾」から発展したもの。私はかつて気分が平坦になるとニコラ・ゲスキエールのルイ・ヴィトンのコレクション・ページを開き、機能的にも装飾的にも見える凄まじく手間のかかったディティールの写真を一つずつ貪るように見て自分を盛り上げていた。ボタン、ハトメ、ジッパー、レースアップ、ステッチ、切り替え、パイピング、トリミング、それぞれが服を成り立たせるために一応意味を持って配置されているが、そうして成り立った服自体が完全に装飾のための存在、というよくわからない状態。しかしとにかくそれが服をとても複雑に、意味ありげに、要するに高価に見せている。槇文彦のスパイラルに初めて行った時も、機能が要請するディティールに忍んでいる装飾の野心? のようなものを勝手に感じ、同じ印象を受けた。 ちょっとまだその感覚をうまく言いあらわせていないが、この年からその「意味ありげ感」を装飾のボキャブラリーに加えようとしてみている。
17 二段目左の肉感あるテイストは、多分『おてんばルル』のイメージから。
18 四段目右、これも何でもないナンセンス道具の図。ホッチキスとビブラスラップの造形が混ざっている気も。
19 一段目右は、今でも覚えているが、ウトウトしてる時に「夢で見た」と「思いついた」の中間の状態で出てきた図。
20 二段目中、これはスキャパレリのイメージ。
21 二段目右、よく見ると15の一段目左で同じようなことをやっている……が、気にしてもしょうがないので特に気にせず。
22 四段目右、こういう物理的な力や時間を描写したようなものは、まずデッサンが狂っていると一瞬で子供っぽく見えるし、ちゃんと描けていたとしてもそれが美しいとは限らず、ちゃんと描けたからほめてほしい!という印象になって、結局子供っぽくなりがち。意味不明さや諧謔があればややマシに見える。これはどう見えるだろうか。
23 三段目中、これは翌年の表紙デザインに流用された。
24 三段目右、人体は具体的なモチーフの中でも一番よく出てくるものかもしれない。曲げたり伸び縮みさせやすく、ちょうどよく複雑で、数字の形に沿わせることも沿わせないこともでき、沿わせた時には人体の自然な変形の道理と調整が難しくやりがいがあるからだろう。
C 鳥公園の仕事
鳥公園は2013年から宣伝美術を受注し続けている、劇作家・演出家の西尾佳織主宰の劇団。2020年からは公演数を意図的に減らし、代わりに読書会やシンポジウム、ワークショップなどが増えているが、それらの告知物なども定額制で請け負っている。
1 『カンロ』 (2013) 大学の卒展に西尾さんが来て、チラシを作ってくれと言われ初めて担当した作品。
1-1 「恋焦がれる相手を追いつづけズタボロになっているが、なぜか暗くも傷ついてもいない女性」をモチーフにしたいとのことで、相当な枚数の絵を描いた。これはその一つ。しかしやはり可哀想な感じに見える、ということで没になった。
2a 『緑子の部屋』 (2015) 『カンロ』に続く2本目。私は鳥公園の作品で一番(というか唯一?)この芝居が好き。
2a-1 『緑子の部屋』で制作したポスターの下図。たしかこのサイズのステンシルを作って、実家の庭で緑色のNTラシャにカラースプレーで色を塗ってワンオフのポスターを数種作った。
2a-2 チラシの原図。緑子という女性のことを、周囲の人間たちが語るうちに状況が混乱していく……という芝居なので、緑のタイトルの背後にバラバラな色を配して、目立ったり埋れたりして読みづら〜というデザインにしよう、と西尾さんに話した記憶がある。完成版とはちょっと配色が違う。
2a-3 本のしおり型の宣伝物。オフセット印刷。
2a-4 チケット。こちらは緑色の紙にレーザープリント。
2b 『緑子の部屋』再演 (2014) 前年の作品の京都での再演。時期からして私は留学先のオランダでこの制作をしていたようだが記憶になし。
2b-1 初演のチラシは結構パキッとした色味だったが、公演を見てみたら、当初聞いていた「失踪した主人公+残された人たちの証言」という単純な構図では説明のつかない混沌とした出来であり、これはあの明解さは合わないな、と思って作ったもの。直線的なデザインをやめて、墨流しのような模様にしてみた。
2b-2〜3 あんまり曖昧な油模様だけだとそれはそれで単純なの���、具象的なモチーフも混ざってる感じに。この方針が最終案に繋がっている。
2b-4 今気づいたが、これは『緑子』の時描いたものじゃないかも……。たしか何かの公演の時にグッズとしてクリアファイルを作ることになって、その時に作ったものだったかも。でもそれですらないかも。色々やりすぎて忘れました……。
2b-5 全面的に複雑な墨流し模様をほどこした下絵。私はなぜか実際の現象とかハプニングを実験したり撮影したりして素材にするより、そういうものを自分で描いてしまうことを選択しがちだ。多分、実際に墨流しをすると道具をケチったり途中で寝たりして絶望的な仕上がりになるとか、外に出て街中で変な模様を探したりするのもすぐ飽てしまうことに耐えられないのだろう。描くのも時間はかかるが、丸三日の準備が無駄になるみたいなことはない。私にとってはその方が早いし楽なのだと思う。
2c 『緑子の部屋』再再演 (2015) 前年の作品の東京での再再演。これは帰国後に作業をした記憶がある。
2c-1 再再演のチラシは前2回とは全く変えて、再演後に制作した小説版をベースに「一つの戯曲の変奏」という面を強調するチラシにしようとしていた。タイトルなども平明な書体で明解に。 完成チラシ(出展していないが)を今見ると、留学中に本文用ローマンの基礎をビシッと学んだからか、欧文は結構端正なバランス。逆に和文は(変なディティールを意識したとはいえ)骨格がなんか変。でも今まで誰からも和文デザイン規範を示されてこなかったので、いまだに変なのかも……。
3 『空白の色は何いろか?』 (2014) リサーチツアーで香川の山おくのイサム・ノグチ庭園美術館のようなところへついて行った思い出も。
3-1 イサム・ノグチのエナジー・ヴォイドがインスピレーション源になっているとのことで、「無意味な記号がさも意味があるように堂々とチラシになっている」という案を提案した。この図もこんなにはっきりくっきり描いているが、意味はない。
4 『ヤジルシ』 (2016) この公演時は実はチラシのおもて面というより裏面の作り方を模索していて、箇条書きで示されがちなキャスト・スタッフのクレジットを全く新しい形で書こう、などという企画があった。でも意味がわからないという声があり断念した。今度やりたい。
4-1 この頃は『緑子』や『空白』の時のようにワンアイデアでチラシが作れる感じではなく、結構悩んでいたと思う。色々な模様が積層したこの案は芝居の複雑さをそのままあらわそうとしたものだった……気がする。
4-2 昭和島の工場跡施設での公演だったので、たしか工場が稼働していた時代の雰囲気、前衛の時代の雰囲気に沿うようなものはどうか、みたいなことを西尾さんと話していた。 私が最適だと思ったのは井上洋介や谷内六郎の絵のような、懐かしくも息苦しいような印象で、それを表現できたら成功ということにしよう、と思って進めた。かつてのハヤカワミステリの表紙の油絵の抽象画のような雰囲気もよいのでは、と思ったが、なんか陽気になってしまって没。
4-3 あまり雰囲気の演出のために色々描くより、文字だけでチラシらしく、と思って進めたらいい感じに。しかし色味が強すぎて没。
4-4 もうちょいモンワリと……と思って描いてみたが、なんかこれはホッコリすぎる気がして没。
4-5 文字が端正すぎて没。そして絵の具のテクスチャがモダンに見える気がして、色々混ぜ物などした。
4-6 こちらも楽しげすぎて没。
5a 『ヨブ呼んでるよ』 (2017) 『ヨブ記』に取材した作品。ヨブ記からの引用を載せただけのチラシ。
5a-1 現代に文脈をわきまえずに読む旧約聖書の過激さや不条理さに感じ入り、今回の作品はだいぶハードな感じになりそうだな、と思った。最初の方のスケッチでは、重い、どうしようもない、という作品イメージを事前に発するチラシ案を考えていた。
5a-2 同じく、重く硬い深成岩の岩盤のようなイメージの模様を模索。
5a-3 たぶん西尾さんの考えとして、一つの明解な感情やメッセージをただ盛り上げてアピるデザインは、シンプルで挑戦的じゃない、ということがあると思う。絵とか描いてると自然とどんどんそうなりがちだけど、わしも基本的に同意。 聖書からの引用だけでチラシを作るこの案もシンプルに見えるかもしれないけど、実際引用部分は読んでも意味がよくわからない。よくわからないと、観客は事前に意味を考えてくる。芝居を見る前にそういう状況をつくれると、チラシを作った意味が出てきそうだと思った。
5a-4〜6 これは初期のスケッチ。ちょうど表現主義の木版画のようなイメージがずっと頭にあって、ヨブの絵のようなものはどうか、と描いたもの。
5b 『ヨブ呼んでるよ Hey God, Job’s Calling You!』 (2022) 2017年の初演を、三浦雨林演出でリクリエイトした作品。
5b-1 チラシのデザインは今までその時々の必要に応じてやってきたが、全体に結構かっちりした雰囲気に寄ってたのかも……とふと思った。今回はヨブ記の伝統的な解釈から離れた、頼りなげな、危なっかしい雰囲気になってないといけないと思ってヘニョヘニョした字を描いてみたもの。ただし「んで」の下部、「でる」の上部、「るよ」の下部のディティールをそれぞれ揃えて、ある程度の大人っぽさはキープ。
5b-2 別案で提案したもので最終案。5a-1だとちょっとオシャレすぎかも……と思い、作品の救いようのない感じ、荒れた行き止まり感を強調する案。公演を見に行ったら、初演にあったシリアスさがぶっ飛んで明るい雰囲気になっていたので、晦渋なチラシから気持ち作ってきたら拍子抜けする印象になっていてよかったと思った。
6 『すがれる』 (2017) 『ヨブ』で、文字だけでチラシを作るというのが言語重視の鳥公園にうまく合うと思って再チャレンジした。戯曲自体が部分的に引用をつなぎながら書かれている作品でもある。
6-1〜2 『ヨブ』では聖書の短い一句だったが、こちらは引用のパッチワークが重要ということで、2012年に書かれたオリジナルの『すがれる』や室生犀星『蜜のあわれ』などから数百字分をレタリング。 この頃は、ちょっと多すぎか、できるかな? と思っていたが、一文字あたりの注力を減らして漢字はディセンダーありの大文字、かなはほぼ小文字の扱いでカウンター量を重視、という欧文の考え方でサクサク描いてみた。量も思ったり大変じゃなくて、軽快に描いてくことでリズム感も出て逆によかった気がする。
7 『昼の街を歩く』 (2022) 鳥公園の節目になった『終わりにする、一人と一人が丘』(2020)の長期制作を終え、西尾ではなく外部から蜂巣ももさんを演出家として迎えての新作。
7-1 久しぶりの予算なさすぎ案件で、印刷所に発注することもできない規模感だったので、蜂巣さんが所属していた青年団事務所の印刷機で刷ることを前提にチラシを作った。紙にスリットを入れて折ったものをコピー機にかけてそのまま制作。 西尾さん、蜂巣さんの話を聞いて「差別意識が明確に意識されない状態でも、現実に影響を与える」ということが作品のテーマかな、と思い、チラシの奥に何かがある、という感じにしたかった。これは折り方のスタディの一つ。
7-2 これが実際に使った原稿。この後ろに大きくタイトルを印刷した原稿を重ねてコピーした。
8 鳥公園戯曲集 (2020) 東京芸術劇場での『鳥公園のアタマの中展』の時に、物販用に既存戯曲5作を同じフォーマットで制作した。本文のレイアウトもしたが、戯曲の組版というのはタイポグラフィがパフォーマティブな力を発する最も強力で純粋な場面かも……と思った。
8-1〜2 表紙の正方形の枠の中がそれぞれの作品にあてた抽象的なアートワークで、これは『終わりにする』の出力紙に描いているが、『すがれる』の表紙のイラスト。戯曲は鳥公園の(数少ない)資産なので、タイポグラフィとかはそこはかとなく高見え重視。
9 その他 初めに述べた通り、鳥公園は徐々に演劇の公演を減らして、現在は創作のための基礎、リソースというものに関心を向けている。ということで相談会をしたり、ウェブサイトを整備しなおしたり、読書会をしたりトークイベントをしたりしている。
9-1〜3 2018年に東京芸術劇場のギャラリーで開催した『鳥公園のアタマの中展』の告知ビジュアルのために作ったオブジェで、通称「腸」。西尾さんとは「こんど腸を八王子から引き取ってきます」「展示会場に腸とか吊るしてもいいんじゃない?」などと言い交わしている。 『アタマの中展』は、公演そのものよりも、戯曲を共同で読み砕いていく作業、つまり稽古を観客に鑑賞してもらうという「稽古の展示」がメインの企画の一つだった。なので8つの企画で戯曲をどうにか飲み込んで消化しようとする8つの腸を作って撮影し、ポスターを作った。これは渋谷のトーアでいろんなファブリックを買って筒状に縫い、その上に色々混ぜ物をした塗料を塗ったり塗らなかったりして作ったもの。 この頃は初代バイト中山望ッピ(現・リイド社『トーチ』副編集長)が手伝いに来ていて、これを作るのを手伝ってくれた。わし……意味わかんないイカれジジイと思われてるかも……とビビりながら……。
9-4 2020年度から会計担当の五藤真さんが参加し、クラウドファンディングも行ったので、金の使い道を開示するためにアニュアルレポートを作ろうということになった。とはいえ株主がいるわけでもないし、どう考えても金銭価値に換算できないものばかりを蓄積しているし、いきなり真面目にグラフとか出してきてどうした? なんか変なコンサルに騙されてる? という感じになるとスベるだろうな、と思った。 なので、鳥公園自体がそういうことに不慣れである、全然違う原理で動いてる団体がぎこちないながら金勘��してみた、という印象をアピールするために、粘土とか粘菌のような会計グラフを描いてみることにした。この図はそのスタディで、アニュアルレポート全体の表紙になったもの。
9-5 2021〜2022年度にかけて、和田ながら・蜂巣もも・三浦雨林の三人の演出家が、黒田夏子『abさんご』を演劇的に扱うプロジェクトを鳥公園で行った。それぞれワークショップやプログレスの公開などを行い、その告知ビジュアルを作った。西尾以外の演出家と打ち合わせしてイメージを作るのは初めてだったので、それぞれ公演未満のスケールの仕事ながら私も気合いがみなぎっていた。 これは、黒田の文体を微細に観察して繊細なとっかかりを掴む、という2022年度の蜂巣さんのプロジェクトのためのスケッチ。『abさんご』の読みづらさは、日本人にとっての、完璧に均質なスペーシングの欧文本文書体で組まれた文章の読みづらさに近い、と感じて、タイポスみたいなコントラストのイーブンな書体で本文を描いたものを使ってみた。
9-6 鳥公園が色々な識者に運営の悩みを相談し、人前で助けを求めてすがる……という企画『公開相談会』のバナー用スケッチ。文字だけでやってみた。これはこの頃はまっていた肥瘦が極力なく、終端が極力直角なサンセリフ体。和田誠調というか……。
9-7 2020年〜22年は、私の長年の懸案だった鳥公園ウェブサイトのリニューアルにようやくとりかかれた時期。公演と助成金申請で活動のサイクルが規定されないこと、プロセス重視、複数のプロジェクトの並行と協働、という鳥公園の特質をアピールするために、複数性と時間軸の長さを示すガントチャート風のトップページを提案した。とはいえアニュアルレポートと一緒で、「整理されてる感」を出したいわけではない。有機的に蠢いてる感を少しでも演出しようと、チャート内のバーに肉とか細胞とか菌床とか土壌とかサラミのような変な模様を施すことにした。これは公開時に作った模様。
9-8 こちらは2023年に追加で作った模様。途中から月一企画『鳥公園の読書会』の告知バナーにもこの模様を流用することにしたので、肉感ない模様も混ぜてみた。
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221117 トマトソースのスパゲッティ
1 鍋に湯をわかす(スパゲッティ用) 2 トマト1〜2個とベーコンを小さめに切って器に入れ、水(最初は少なめで、後で少ねえと思ったら足すが吉)、塩、胡椒、スープ系(鶏ガラ、粉のコンソメなど)、酢かポッカレモン、ほかタバスコや辛ラーメンの粉など好みの味を入れ、好みの煮え加減になるまで少しずつレンジで加熱する 3 その間に輪切りにしたナスをフライパンで炒め、炒めている間ににんにくを刻む 4 十分に炒めたナスを別の器に移動させ、そのタイミングで沸いたお湯に塩を入れてスパゲッティを茹ではじめる 5 そのタイミングでフライパンに油を多めに入れてにんにくを弱火で加熱 6 にんにくが焦げる前に加熱したトマトと汁をフライパンに投入して、汁気がなくならないように引き続き加熱 7 麺が適度に茹で上がったらフライパンに投入、火を止めてナスも入れて混ぜ合わせ器にもる スパゲッティを食べる時はトマトソースが最も多い。一人暮らしを始めた時から何の疑問もなくそうだった。たぶん他のソースって、いい感じに麺にまとわりつくテクスチャをどうつけるかが難しいのだと思う。ペペロンチーノは店で食べると美味しいのに、家で作ってみると、ただサラサラした油にひたった麺……って感じで愕然とする。あとカルボナーラも好きだが、家であのドロッとしたソースをやるにはチーズとか生クリームとか卵黄とか、めんどくさ系素材が必要なので無理なのだ。あとわしはひき肉が嫌いなので(なんかひき肉って人間に例えると常に言動がしつこく野暮ったい年下のうざい男って感じがする……)それ系も作らない。 トマトソースがいいのは味を担当しているトマトが、煮崩れることにより、麺に絡むテクスチャも担当するというところだ。なので追加で増粘素材を入れる必要がなく効率的。しかもそれが繊維質のジュレ的まとわりつきであって、油脂的でないので、麺をたくさん食えるし、食後もなんか脂っこいもん食ったな……という気分にならない。 トマトソースを作るのに何を使うかだが、トマト缶は缶を資源ゴミでだすのがめんどくさく、できてる状態で売ってるソースは一回買っても一食分で割高かつ、麺の量に比して少なすぎるので、なまのトマトを使うのが一番いいと思う。わしはいつもスパゲッティは大体2把〜2.5把で、その場合はトマトはでかいものなら1.5個ぐらいがバランスがいい。 いままではフライパンでナスを炒めて移動させた後、にんにくを炒め、そこに切った生のトマトを入れて何分も加熱してソースを作っていたが、そうするとにんにくのいい匂いが最終的にトマトに圧倒されて消えて意味ない感じがしたのと、トマトを長時間やってると沸騰して跳ねてなんか台所が汚れるので、最近トマト工程を電子レンジに移管してみた。そしたら楽だしおいしくなったのでうれしい。 ベーコンを、冷凍の刻み海鮮みたいなのに変えてもいいと思う。こないだYouTubeを見ていたら、イタリア人がスパゲッティにチキンが入ってるとかありえない! と言っていたが、小さく切った鶏肉とかもおいしい。
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220227 六月〜二月の読書など
今年は自分のテーマ(文字)について集中して読むぞ! と思ったが置いたままの本がまだたくさんある。昨日ジュンク堂で『魚にも自分がわかる ―動物認知研究の最先端』(ちくま新書)という本を見つけて、お……おもろそう……と思ったが買うのをがまんした。そういうのは趣味として読んで、文字については誰かと一緒に読むのがいいのかしら? なんて思ったりして。
上田としこ『フイチンさん 復刻愛蔵版』上・下(2015, 小学館)  https://www.shogakukan.co.jp/books/09187120
最近かわいいものが目に入ると咄嗟に「カワイッ!」と口に出してしまう。主には赤ちゃんだが、こないだ久しぶりに『キャロル』を見て、ルーニー・マーラがただ立ってるシーンとかで気づいたらカワイ〜〜と言っていた。関係ないけどルーニー・マーラって見る映画全てで脱いでる気が……。 『フイチンさん』では坊ちゃんが出てくるたびにカ…カワイイ……!!!と言っていた。特にかわいいシーン(スケート靴を履いて寝てるシーンなど)では、坊ちゃんのいるコマをひとりでビシビシ指さしてカワイ……とため息をもらしてしまった。 以前に読んだ時は大昔だったので、もっとスケッチーな絵だったように記憶していたが、実際は構図も描き味も非常に整理されていて破綻ない仕上がりで素晴らしかった。ペンで描く曲線のよさに溢れていて、カラーもいい。大いに参考になった。
三島由紀夫『天人五衰』(1977, 新潮文庫)  https://www.shinchosha.co.jp/book/105024/
『暁の寺』を読んだままだったので読む。端的にいうとなんじゃそりゃ……という感じのしめくくりだったが……。『暁の寺』の時も思ったが、三島由紀夫の文章で味が濃い部分は、本筋からその部分を切り離して読んでも大丈夫になっているような気がする。港の見張りのシーンとかやたらとコッテリ書いているが、なぜそんなに印象的な必要があるのか? というとわからない。家庭教師が云々、松坂慶子の日本趣味が云々というところとかもそれがどうしたという感じ。もしかしてそういうもの全てが本題なの? とも思うが、そうだとしたらその意味は? と思ってしまう。 最後に門跡があっけらかんとしゃべるシーンは見どころと思うが、そこへのコントラストをつけるために山門までいくシーンをあれだけしつこく書いたのか、と言われると、やはりそういうことでもない気がする。なんとなく筆が走ってコッテリ書いているのでは……とさえ思うが、キャリアの最後、自決直前の緊張感ある時期にそんなケアレスな書き方をするわけはないか。
恩田陸『チョコレートコスモス』(2011, 角川文庫)  https://www.kadokawa.co.jp/product/201101000515/
たしか移動中のために頭使わず眠くならない小説を……と思って読んだ。『蜜蜂と遠雷』では演奏シーンの描き方とか天才とはどういうものか? という描写が意外なほどおぼこい気がしたが、俳優を描く方が言語芸術に近いのでハマってると思った。
トーマス・S・マラニー 著 比護遥 訳『チャイニーズ・タイプライター 漢字と技術の近代史』(2021, 中央公論新社)  https://www.chuko.co.jp/tanko/2021/05/005437.html
『モダン・タイポグラフィ』に次ぐ文字デザイン方面本のヒットだった。手書きの時代からタイポグラフィの時代、そしてデジタル・タイポグラフィの時代へ、ラテン・アルファベット圏ではある意味素直に技術が進化していったが、その進化が一つのモデルになったとき、それが当てはまらない文化圏、つまり漢字世界ではとてもユニークなことが起こる、という話である。漢字世界でも活版印刷も写真植字も十分効率的に産業化されているように思っ���いたが、わしの頭からすっぽりと業務用・家庭用タイプライターというものが抜け落ちていて、しかしそこが最も漢字世界のタイポグラフィ化における問題がクリティカルに現れる場所だった。 単に文字表現をタイポグラフィで置き換えるといっても、タイプライターは専門業者に入稿するのとは違って、手元で、即時に、直感的に、というのが条件になる。漢字をタイプライターに「適応」させるためにはとにかくその文字量をどう効率的に扱うかが問題で、そこに三つのアプローチがあったと指摘している。常用 common usage(使用頻度に応じた字数・配列)、合成 combinatorialism(分合活字のように限られたエレメントの合成で表現する)、代用 surrogacy(いわゆる符号化)。 現代のタイポグラフィで採用されている代用アプローチを機械の時代(電子以前)の中国語タイプライターで実現していたのが林語堂による「明快」(1947)だった。これは部首ごとに分類されたグリフを何段階かの操作で絞り込んでいくもので、マシン自体は特許、シェア、政治の問題から普及しなかったが、表音ベースではないもののメカニズム自体は現在の入力変換と近い。 しかし最も興味深いのは合成-モジュール化にしろ、代用-コード化にせよ、それは現在想像するようなプログラミング的なアイデアだけでなく、文字の形に直接触れるような、つまり実際に「書く」プロセスから完全に離れないような、具体性視覚性を残しながら試みられてきた、というところだ。漢字が持つ点画や造字原理の特性や表語性と一体となった、ユニークな検字表字処理について、たくさん触れられている。 これを読むと、やっぱ漢字が持つ文字体系だけではなく、意味体系そのものを機械化・電子化するような、全く新しいタイポグラフィ技術がありえたのではないか、と想像してしまう。これはライプニッツとか石田英敬『新記号論』、エモジ、レスポンシブなタイポグラフィなどにくっついたテーマだと思う。その点もっと馬鹿みたいにでも実験的に具体的に考えていくと、何か発明的なアイデアが出てきそうだと思っているのだが………。
紀田順一郎『日本語大博物館―悪魔の文字と闘った人々』(1994,  ジャストシステム)  https://honto.jp/netstore/pd-book_01042176.html
室賀さんに、文字デザインが時代時代の各過程で一般の人々にとってどういうものとして受け入れられてきたのか、そういうことが真正面から書いてある本ってあんまないので、いい本ないですか? と訊いたら、たしか高山宏『近代文化史入門』と一緒に勧められた気がする。 日本語のカタカナ使用、ローマ字化等々効率化の試みについては知っていたが、よりラディカルな新種の文字の開発の試みについては知らなくて驚く。小島一騰「日本新字」(1886)稲留正吉(1919)、大原萃洞「山水文字」(1930)、中村壮太郎「ひので字」(1935)、眼科医・石原忍「東眼式新仮名文字」(1939)東條博「やまともじ」(1969)など。アメリカ先住民の言語に宣教師が文字をつける、みたいなことを日本語で日本人がやるというのが興味深い。明治になって漢字仮名交じり文が突然非効率に見えたんだろうな〜と思う。 ガリ版の達人について(草間京平、小針美男など)も驚く。『チャイニーズ〜』でも、カリグラフィとタイポグラフィの間にある近代の技術、というものを改めて意識したが、まさにそこに咲いた花……という感じ。美術謄写会社のPR誌「昭和堂月報」図版がすごいので、現物を手に入れて見たい。妹尾河童なんかずっと書き文字で出版してたが、ガリ版の伝統が演劇やテレビの台本には残ったということなので、それを受け継いだものなのかもしれない。 そして自分が、一般に効率化といえば経済合理化・市場最適化、という発想の世代で、「改良運動」の語感がかもしだす輝く近代のイメージをほとんど想像できてこなかったというのもしみじみ感じた。陋習残る田舎出���だったら同世代でもわかるのかもしれ���が。
梅棹忠夫『日本語と事務革命』(2015, 講談社学術文庫)(単行本 1988, くもん出版)  https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211818
日本の文書事務の実情は事務というものではない、能筆・正しい用字・文体が秀でていることを求められる点で芸術である、と、悪い意味で言っているところに、また上記の近代を感じる。事務革命は毛筆から金属製のペンへが第一次、ペンからタイプライターへが第二次、機械・電子化が第三次と言っているが、1961年時点で梅棹は日本では第二次をとばして第三次革命へ突入しようとしている、と指摘している。まさに日本語は近代化されずに現代化した、つまり近代の問題を解決せず、ツールの高性能化がすべてを解消した、ということだと思う。 あと後半はワープロを使うと漢字がどんどん出てくるからひけらかすように使うようになる、漢字の割合が文章に増えるだろう(1982)、と言っていて確かになと思う。
田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』(2017, 講談社学術文庫)  https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211925
ボーッとして買って読み始めたところ、漢字制限・排斥論の熱い本だった。が、途中までしか読めず放置。1930年代生まれ、さらにモンゴルがご専門のようで、朝鮮とかベトナムとか漢字世界から脱した地域の研究をされているという背景も想像してみると、こういう主張の必然性があるというか、やはり自分の日本語や漢字に対するアイデアが相対化されたような気持ちになったのだった。……としか……。
大野晋『日本語の起源 新版』(2007, 岩波新書)  https://www.iwanami.co.jp/book/b268159.html
日本語とタミル語同系説の本。あんまりちゃんと読んでない……。これも買った時ボーッとしてた。
中島智章『図説 ヴェルサイユ宮殿』(2008, 河出書房新社)  https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309762913/
ネットフリックスで『ベルサイユ』見てベルサイユ心に火がつき、久しぶりにふくろうの本なんか買ってみたりして……。あの左右対称のところにロイヤルファミリーが住んでたのはいかにも分かるとして、貴族たちもみんな住んでたというアパートメントはどこ? と思ってたが、廊下で繋がった新棟が向かって右にずっと続いてて、そこに住んでたらしい。 わしは14世様式、15世様式、16世様式とパチパチと室内装飾のモードが変わってったのだと思ってたが、すでにルイ14世の治世で、1670年代のイタリア・バロック様式の超ケバい天井画とかあるアパルトマンから、1680年台のわりと簡素なロココ風アパルトマンへ、結構な転換があったよう。オランダとかとの戦争で金が無かったのと、モンテスパン侯爵夫人がヴォワザン事件で失脚して、地味好みで敬虔なマントノン侯爵夫人が当時のおきにだったかららしい。
内村理奈『マリー・アントワネットの衣裳部屋』(2019, 平凡社)  https://www.heibonsha.co.jp/book/b472198.html
18世紀までは紳士服にも色と刺繍が溢れていたとあり、ええな……と思う。アントワネット以降一時期どでかい髪型が流行ったのは有名だが、例えばモンゴルフィエ兄弟の気球が話題になると「気球風髪型」、アメリカ独立戦争の時は軍艦を頭に乗せた「フリゲート艦風髪型」、悲しみに沈んでる時は骨壷や石棺を乗せた髪型、ともはや動くとこのまと化している描写に惹かれる。これに対応する紳士服のパートがアビ(上着)とジレの刺繍だそうで、自然史や『フィガロの結婚』の各場面等テーマを決めて一着を飾る、くるみボタンに一文字ずつ片思いしてる貴婦人の名前を刺繍する、コメディ・フランセーズのタイトル一覧表をジレ全面に描く、等々やりたい放題だったとのこと。あとリボンを贈ることが愛情表現だったとか。ようやるわ……って感じ。 知らなかったのは、19世紀初期から早くもアントワネット人気が興隆して、第二帝政期は特にそれが篤く、皇后ウジェニーも心酔していた、みたいなこと。ジョセフィーヌ・ド・ボアルネとか第一帝政の女子はストンとした服着てていかにも新古典主義という感じだが、やっぱり一度あれだけ膨らんだ服の時代を通過するとやっぱそれじゃ我慢ならんものなのではないか……と思う。
稲垣清『中南海』(2015, 岩波新書)  https://www.iwanami.co.jp/book/b226327.html
あんまり詳しい本ではなかった……。後半の指導者人事について、中国って党と政府両方に序列があって分かりにく〜いと思った。2015年の本なのでやや前感あり。
武井彩佳『歴史修正主義』(2021, 中公新書)  https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/10/102664.html
忘れがちなことだが、否定論や歴史修正主義は、基本的にそこから現在の利益を引き出すために主張される、というところを読んで、そうだなと思った。重要なのは、例えばドイツのホロコースト否定論への法規制もまた、「冷戦の最前線にあっては国の安全保障が最重要であり、同盟国が懸念する『ナチズム復活の兆候』はできるだけ抑え込み、対外的には過去と断絶したと強調する必要があった」から整備された面もあるということだと思う。そのことも忘れがちだ。 「ホロコーストの比較可能性」についても興味深い。イスラエルのドイツへの賠償やアイヒマン裁判が、国際法的に適法でなくとも主張されたのは、ホロコーストが世界史的に例外的な出来事だったから、という根拠があった。しかしスターリニズムによる収容所や迫害の問題が明らかになると、ドイツにおけるホロコーストが「比較可能」かどうかという問題が生まれる。 読んで思ったのは、そういう部分を棚上げして20世紀について考えるのはまずいだろうということ、そして同時に相対化を歴史修正主義や否定論に根拠を与えるものとしてはいけないということ、つまり倫理は原則にあって「硬性」を持つべきだが、人間が決めて責任を負うもので、自然現象のように一意に自動で発効するものと捉えるべきではない、ということだ。
今野元『ドイツ・ナショナリズム』(2021, 中公新書)  https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/10/102666.html
わしはなぜドイツ史について読む時、プロイセンよりもハプスブルク家のオーストリアや右派・カトリックのバイエルン、フランス革命やナポレオンよりも貴族的なヨーロッパの国際性を自然に「自分側」と見做して読んでしまうのだろうか……。でも複雑すぎてわけわからんドイツ史で、恣意的にでもどこか一つを主人公と仮に決めると取りつきやすいのも事実。 正直20世紀まではいろんなことが起こりすぎててなんど読んでもアタリがつかないが、戦後の政治思想みたいなことをザクっとまとめていたところは理解力がおいついてよかった。 ・68年世代 過去の克服、ドイツ固有のものの告発。団塊世代と比定して考えるとわかりやすいが新左翼であって東側陣営とは違う。緑の党、ハーバーマス、ドイツ社会史派=ヴェーラーなど。「憲法愛国主義」。環境政策など西側的価値の学習国から牽引国へ、現在のドイツの評判のよさの地盤になっている、とあって納得。 ・68年世代のカウンター 保守中道のコール政権以降(1982-)、ノルテ…ドイツ固有の悪を歴史上の普遍的なものとする分析で相対化と非難され『歴史修正主義』でも見た「歴史家論争」に。ほかニッパーダイなど。 ・90年世代 68年世代が望まなかった統一ドイツの誕生を契機に、国民国家、国際関係において現実主義を唱える。ヴァイスマンなど。在野多い。潮流としては西独アゲ東独サゲ、前近代のドイツ史や被害者としてのドイツ人への注目など、フンボルト・フォーラムの再建などもこの流れに絡んでいる。ハプスブルク家を追い出したオーストリアと違い、ドイツは貴族名をまだ名乗れる、云々。 去年読んだ『反西洋主義』 でも西洋とドイツの対立について興味を持ったが、ここでも普遍と固有の対立が説明されていて興味深かった。『モダン・タイポグラフィ』ではナチスは政権末期にゴシック風ドイツ文字を否定しローマンを採用したとあったが、それはここでは「ドイツ『固有』の文化だと思われてい���『ドイツ文字』を廃止し、欧州一円のドイツ的=『普遍』的支配に備えようともしていた」とあって整理がついた。
サーシャ・バッチャーニ著 伊東信宏 訳『月下の犯罪』(2019, 講談社)  https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000315311
1945年ハンガリー貴族の邸宅で起きたユダヤ人虐殺について、著者の大叔母マルギットがそれに関わっていたのか? と帯や表4にはミステリー仕立てに書かれているが、実際その事件については途中からちょっとおざなりな扱いになってる、一貫して大きく取り上げられているのはもう一つ別のユダヤ人殺人事件で、そちらも別のハンガリー貴族の屋敷で起こり、そこにはもうひとりの貴族女性マリタが間近にいた。 わしはこの二つの事件こそ対比的だと思ったが、著者はマルギットを戦後もひたすら貴族的生活を続けた女性として若干記号的に描き、後半はもう一方の事件について悩みつづけた祖母マリタにフォーカスして、むしろ彼女と、あるユダヤ人女性アグネスとを対比的に扱う。それは地元の有力者と被迫害者、加害と被害の問題であって、本人も書いているが、しかしこれも21世紀のナイーブなリベラルが典型的に関心を持つテーマなように思う。マルギットも含め、なにかシンプルな構図にハマるキャラクターとして描写しているように思えて、展開があるように思えなかった。 むしろ迫力を感じたのは、街中を歩く多くの人が、戦時中は軍人、看守、抑留者、ファシスト、コミュニスト、捕虜、スパイだった、国際関係史そのものだった、というところ。戦争に巻き込まれることは人を国際関係史につなげるが、全人的に吸収はされない。そういう人々が戦後大量に個々の生活を送っているということ、それが特別ではないということにこそ、気の遠くなるような複雑さがある。この著者は祖母の事件の加被害の問題よりも、シベリアに抑留された祖父、祖父を通訳として使ったソ連兵、戦後を生き延びたと仮定されているユダヤ人を撃ったドイツ兵、そしてその子供の世代である父、そういう人々が戦後を生きている普通さというテーマの方に、本当は展開可能性を感じているんじゃないだろうか。わしもそちらの方が興味深く読めるような……そんな書きぶりだった。
ラファエル・バケ『カール・ラガーフェルド──モードと生きて』(2021, 早川書房)  https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000014891/
中野豪雄さんがカール・ラガーフェルドの別の評伝の装丁をやったとツイートしているのを見て、こんなの出たのか! 買いに行こう! と思って店で現物を見たら、たしか原著のクレジットとかが載ってなくて謎な本に見えたので、隣にあったこの早川の別の評伝を読むことにした。 冒頭、ハンブルクからパリに来た若いラガーフェルドについては、終戦直後とはいえ、移住者vsコスモポリタン・パリ、というコントラストがかなり苛烈に体験としてあったように読め、過去をあんまり明らかにしない(あるいは作り話ではぐらかす)性格はそれもまた一つの戦後ドイツ人の屈託なのかもしれないと思った。中盤は退廃的・大陸的・貴族的なサンローランと、アングロサクソン風なラガーフェルド、という対比でまた見方が変わる。 クロエからシャネルに移って、アナ・ピアッジからイネス・ド・ラ・フレサンジュ、さらにクラウディア・シファーにミューズが移る、恋人や知り合いがエイズで死ぬ、70年代から90年代にかけての流れは、わしの知らない戦後ヨーロッパの文化史を読んでいるような気持ちになった。
阿川弘之『エレガントな象』(2010, 文春文庫)(単行本 2007, 文藝春秋)  https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167146092
ツイッターにも書いた気がするが、悠仁親王誕生に絡んで女系天皇についてかたってるとことか興味深かった。断固男系、旧宮家復活と言ってるのは戦後生まれの保守主義者っぽいので、いにしえの保守はどう言うのか……と思ったら、「陛下は現行憲法のお立場上沈黙を守つていらつしやるが」「大変僭越な私見だが、私は今上天皇のご意見を承りたいと思ふ」とあり、「その代り、内々にでも当今の御意志表明があつたら、綸言汗の如し、皇太子様秋篠宮様始め、皇族御一同、それに随つていただきたい」とのこと。これがこの世代のティピカルな意見かどうかはわからんが、なんかそういう考えを持つのか、なるほど……と思った。でも、日本の天皇がということではなく、古代からのアイデアとして、君主ってどうにもならんことを専制でとにかく決めちゃって、悪ければスケープゴートにされることが、最古層の機能なのかも……みたいに思った。『金枝篇』みたいな感じ(適当)? それがブロックされてるのが現代の君主制なんだな~~と思った。
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tezzo-text · 3 years
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211012 『作字作法』補遺
グラフィック社より10月8日発売、『作字作法 日本語文字デザインの思考とプロセス』にて、レタリングの仕事の具体的なプロセスについて、16名の同時代のデザイナーとともにインタビューを掲載いただいた。 私のパートには、自分の仕事について全体的に・カレンダーについて・「都市と芸術の応答体2021」メインビジュアルについて・『群像』ロゴについて、の4本を載せていただいたが、紙面の都合上、YCAM《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》のタイトルロゴについて書いた原稿は、今回載らなかったので、ちょっとだけ手直ししたものをこちらに載せておくことにした。
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戦前の日本で独自の議論を展開した京都学派を題材とする映像作品。その新作展の告知印刷物や資料展示、カタログのためのタイトルレタリング。 タイプメディアでは教授の Erik van Blokland が、よく黒バックにホワイトで空間を埋めていき、削り取られたような形のアルファベットのスケッチをしていました。あるいは白い紙を黒く塗っていき、文字の形を白く残すようなスケッチも。それらを学生にもいつも勧めていたのを覚えています。多分、タイプデザインにおいてスペーシングをいかに美しくデザインするか? という文脈から、字間の空間と、字体のオブジェクトを等価に扱う意識を鍛えるために取り組んでいたのだと思います。私が大学院にいた2015年、タイプメディアに縁の深い3年に一度のヘリット・ノールツァイ賞をサイラス・ハイスミスが受けて、『Inside Paragraphs Typographic Fundamentals』という本をもらいましたが、まさにそういうアイデアを解説したものでした。 私はむしろ、そうやって描くことでしか出てこない形があるな、と、やはり目に見えるオブジェクト側の造形に心惹かれていました。 私は書体の知識があまりないまま留学したのもあり、オランダではじめて色々なタイプフェイスを知りました。ウォルプのレタリングから、戦前の中央やロシアの版画まで、直線的であれ曲線的であれ、少しコンデンスドで、硬さと切削感のある鋭い書体に惹かれました。 この「Voice of Void」の書体も、版画のように削り取るような手法で描いていったものです。そもそも筆のストロークを自明に基本にしがちな漢字や和文デザインですが、書道の素養のない自分には、北碑の硬さや、徽宗のように引き締まった造形は、筆で描いても真似することができないものです。書き文字で書くと、どうしてもどこかのどかなのびのびした印象になりかねない。そこで、字形を一旦鉛筆で下描きしたあと、余白をスミで埋めて白い骨格を残す方法で制作しました。 京都学派について調べていると、21世紀から振り返れば理解しがたく思えるような議論も、戦前戦中の矛盾した状況の中で、四方から凄まじい圧がかかった結果、いやおうなく研ぎ出されてしまったもののように思えます。その印象から、上記のように量塊から削り出したような、限界まで肉を削り取って引き絞った字体を直感的に選んだのだと思います。 ディティールとしては、欧文でいうフレア・セリフみたいなものの和文バージョンが一つのテーマで、遠目には明朝・宋朝、近目にはコントラストのついた細身のゴシック、というバランスになっています。またポスターもフライヤーもイメージと文字だけのシンプルな構成なので、画像のキャプション、会期や会場の情報、注意書きなど、おもて面に出てくる文字は小さな部分も全て手で描いて、鑑賞の余地を広げています。「世」や「年」や「曜」の異体字も忍ばせて、字体がブレブレだった時代の雰囲気も出そうと試みました(「曜」は赤字が入りましたが……。)
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撮影 三嶋一路
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tezzo-text · 3 years
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210820 親子丼
親子丼って作るの楽だから好きだが、丼ものにしてはピシャッとした弱々しい印象があり、あんたはもうちょっと…覇気があるといいんだけどね……と何かの稽古のお師匠のようなことを思ってしまう。自分で作った薄味の出汁っぽい料理ってなんか不潔感があって、食事で最も大事な、食ったら明るく気合が入る感覚があんまりないのだ。 そこで、水(というかだし)ベースで作るのでなく、油ベースでやったらもっとアグレッシブになるのではないか?と思い、数年前に作りはじめたのが、私の親子丼である。おいしいしこっちの方が早くできるので、だしの親子丼は作らなくなった。今後、食に気合いではなく優しさを求めるようになったときには、また水分とだしの親子丼に戻っていきたい。
1 鶏肉、入れたい野菜を切る。わしがよく使うのは舞茸、椎茸、エリンギ、えのき、ねぎ(太い白髪ねぎのように切る)などのうち1種か2種。じゃが芋などをやってみた時も意外に美味かった。
2 小麦粉と塩を具にはたき、よく落とす。
3 サラダ油かごま油を、フライパンを傾けたら5~10mmぐらいの水位になるぐらい入れる。
4 具を入れて焦げないようにカリッとやく。
5 椀に味覇か顆粒鶏ガラを数さじの熱湯で溶き、卵(いつも二個)を入れて混ぜる。
6 具が焼けたら卵を入れる。早く食いたい時は固まる前に火止めて完成にしてもいいし、全部が揚げ物のようにカリッとするまで焼いても可。
7 米の上に乗せ、海苔や胡椒や唐辛子をかけて食べる。
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210531 十二〜五月の読書など
気づいたら前回のメモから半年経っていた。その間、まあ色々仕事をしていた。2末に「都市と芸術の応答体」イベントがあってその記録集が大変だった。大和田さんの展示カタログと同時進行だったし。その後F/Tの冊子の中身を望君にやってもらう。あと小大事務所の「一畳十間」を阿部伊東とやったり、ウェブのレイアウト案を2個同時にやったり(鳥公園と小大事務所)、YCAM仕事でYCAM行ったり、芸大仕事で芸大に行ったり、締め切り破りつづけ案件で勇気を出して末松さんに対峙したりしていたらもう春…というかつゆに。
最近はなぜか宝石に興味があり、手掘りで宝石をどんどん採掘する動画(半分これフェイク…?と思いながら)見たり、真珠養殖の動画を見たりしている。貝の中に真珠のもとになる核を入れる作業のこと「挿核手術」というらしい。全然エロくないのになんか字面がエロい……。
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細谷雄一『国際秩序』 中公新書(2012) https://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/11/102190.html
国際関係における現実主義と理想主義みたいなことについて、右寄り左寄りみたいな理解しかなく、もう少し詳しく…と思って読んでみた。とはいえ副題にもある通り歴史メインの本だった。面白かったけど。
17世紀のブルボン=フランスvsハプスブルグ帝国の構図から、18世紀スペイン王位継承戦争後に五大国の勢力均衡、19世紀のウィーン体制下では「均衡」に加えて(ヨーロッパの文化を共有する意識と、18世紀的な理性に支えられた)国際会議ベースの「協調」が国際秩序の原理に。
19世紀後半からは各国でナショナリズムが強まり、ビスマルク時代になるとイギリスが不干渉政策に切り替わって協調原理は後退、殺伐とした均衡の時代に。20世紀はヨーロッパ文化を共有しないドイツ帝国・アメリカ・日本の新興国が国際社会のプレイヤーに加わってバランスが崩れ、世界戦争の時代に入る。第一次大戦後の国際連盟は均衡原理を無視した米主導の共同体志向で弱く、日独を制することができなかった。第二次大戦後は核抑止ベースの冷戦均衡、西側では民主主義・自由・「英語諸国民」(チャーチル)イデオロギーに基づく協調体制による長い平和の時代になる。
一番興味深かったのは、18世紀のイギリスが「その国家理性がヨーロッパの中で領土を拡大することを必要としない、唯一のヨーロッパの国であった。ヨーロッパの均衡を保つことが国の利益になると認識して、一つの力によりヨーロッパが支配されるのを防ぐということ以外には、ヨーロッパ大陸上に自分自身のために何も求めなかった唯一の国であった。」(キッシンジャー)と評されていること。
日中・日韓関係についてのレクチャーや文章をみると、どう共通の利益を作っていくかが問題、という話がどこでも出てくる。この本の〆にあるように、とにかく対中均衡のために日米同盟強化、みたいに考えると、それが現実的とは承知ながらも、冷戦下の核抑止のイメージがあるからなのか、どうも一民間人としてはなんかキツい気持ちになる。均衡状態を、それは緊張していることではなくて逆に安全保障コストを割かなくていい安定状態、互いにそこから利益が引き出せる状態、国家間の感情的な紐帯がゆっくり地道に育まれる下地、と思えるようなイメージがなかった、というか。
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高村雅彦 世界史リブレット『中国の都市空間を読む』 山川出版社(2000) https://www.yamakawa.co.jp/product/34080
北京について知りたいと思って読んだけど蘇州の章が面白かった。東西・南北方向の水路の条理構造が一見混沌としているように見えるが、それは水路が作られた時代が違うかららしい。王朝が変わると度量衡も変わって同じ1里でも実際の長さが変わるので、周、唐、北宋それぞれの時代の里の単位で測ってみると明確に5里ピッチとか1里ピッチとかで解けるらしい。それでこの地域は後の時代に市域に入ったとかがわかるとのこと。
王朝の歴史より都市の歴史の方が長いというのは当たり前だが、なんかおもしろい。都市はフィジカルにあって可変的に見え、国家・政治はアイデア上の存在で触れ得ないもののように思えるが、実は都市の方がしぶとく度しがたい、というような。日本の都市には東京・大阪・京都ぐらいにしかそういうイメージはないが……。
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『PLOT 07 妹島和世』 エーディーエー・エディタ・トーキョー(2015) https://www.ga-ada.co.jp/japanese/ga_plot/plot007.html
隈事務所のパートナー座談会めあてで久しぶりにGAを買って読んだら「GA広場」の妹島和世「日亜化学工業横浜研究所」がよかった。特に「(…)一つ考えていたのは、プログラムが商業建築ではなく研究所ですから、あまり華美なものにはしたくないということです」「注意していたことは、工業地帯の中で、ガラスや石といった素材で、変に豪華な感じにならないようにすること。最近は、仕上げで誤魔化す建築が多いように感じるのです。小学校なのに、ちょっとした大学か短大のように見える外観が現れたり」と言っているところ。
 https://youtu.be/xrMVmobmrzE あとでこの藤村龍至の動画を見ていたら、外観を作るにも、内部を透徹する論理と建築をめぐる政治との複層的な議論がなければならない���と言っていて確かにと思った。妹島が上記のように言っているのも、けして地味ならいい、石を使わなければいい、ガラスならいい、という単次元の話ではない。AでもBでもないが、Cすぎない、という正答点があり、それは地べたを舐め尽くすようなスタディや議論によってしか見つからないということだ。(ちなみにかつて妹島は「敷地環境は低密度か中密度か高密度しかない」と言っていたらしいが…。本人は覚えてないらしい https://youtu.be/uUDU-cSUFS0 )
それで妹島のPLOTを買って読んでみた。冒頭の豊田史生涯学習センターの選定者のインタビューが面白かった。妹島案は空間の質が勝っているように見えて、その実、機能や管理面が考え尽くされているところでコンペを採ったとあった。もちろんそこで造形言語みたいなものが一旦決まった後も、怒涛のスタディがある。
例えば自分は小冊子なんかを作る時、高齢者向けにしたい、写真をメインにしたい、あるいは掲載情報が等価になってるようにしたい、とかオーダーを出されたら、その要件を満たす範囲内で戻せるなら、一旦密室に持ち帰って最大限恣意性を発揮してよい、というふうに仕事を捉えていた。それは大枠正しいし、わがままな仕事をやっているつもりはないが、気を抜くと容易に「年寄りも読みやすいからいい」「写真がメインになってるならいい」「等価になってるならいい」という素朴な仕上がりになりうる。実際、直近二つの仕事がそういう仕上がりになって、わしは顧客の信用を失ったと思う。
そうではいけない、と思う時、何と自分に言い聞かせればいいのか。「繊細に」「デリケートに」「知的に」だとな���か違う感じがして、案外「まともに」「ちゃんと」「しっかり」というのが馬鹿みたいだがしっくりくる。具体的にはこの妹島のインタビューの感じを思い浮かべていきたい。
でも「京都の集合住宅」の施主インタビューでは、妹島は「雨仕舞のことなんかはあまり気にしない……」とか言ってたので、そういうとこもあるのネ……という気になった。
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北畠雙耳・北畠五鼎『文房四宝入門』 里文出版(2006) http://ribun.co.jp/books/3kobijutsu.html
半分仕事、半分興味で読む。古硯があのように分厚くて、裏面が傾斜した下駄のようになっていることなど知らなかった。
「硯屏」という文具がある。青磁でできたものが多いが元は石製で「天然にあらわれた斑紋を正面にして小屏風に仕立てたものである。もともと文人の書斎において賞玩するための用具、いわゆる文房具として仕立てられたのであろうが、それがいつのころからか、たぶん明時代のころから硯を飾るためのもの、つまり硯屏に進化した」とあるが、硯を飾るというのはそこに硯を置く飾り台ということでなく、ただ単に硯の近くに置く装飾品、ということらしく、機能性は全くないようで面白い。
詩箋・信箋というものもある。これは一筆箋、便箋のこと。でも画家に花鳥の挿絵を描いてもらったのを紙面にめいっぱい刷っているので、まあ建前上その上に字を書く想定なのだろうが、これも実用ではなく観賞用(半分画集みたいなもの)だったらしい。そんなものばっかり!
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葛西薫『葛西薫の仕事と周辺』 六耀社(1998) http://www.rikuyosha.co.jp/products/detail4027/
これをペールが買ってきたのはわしが小学生の時だった。新刊で買ってきてたとしたら98年刊だからわしは9歳。そういえば実家にあるから今の家にない、と思って改めて買った。今この本を見ると、意外にも何か取り立てて意義深い感想が全然出てこない。見飽きた、あるいはあまりにも凄すぎるから、ということではなく、何と言えばいいのか……。あえて言えば、葛西薫の仕事があまりに自分の感性の古層にありすぎる、素晴らしいとか憧れとかいうほどもはや対象化できない、という感じか。
小学生の時、将来何になるか考えていたのかは忘れたが、まあこういう感じの仕事するんじゃない?とは思っていた気がする。だから画家とかデザイナーの仕事を見ても、憧れることはなく、競合…!と焦っている自意識の強い子供だった……。まあこの本はステキ〜と思ったから見ていたわけだし、こどもの常として真似してなんか作ったこともあるが、こうなりたい!と思ったわけでなく……なんか、とにかく無心に見ていた……という感じだった。そして目から葛西薫の仕事を吸い込み、脳の中の一時的な領域でなく普遍的な領域にそれが入っていった。そういう意味で葛西薫ってわしにとって数少ない特別なグラフィック・デザイナーなのかもしれない。
かつて萩原俊矢くんと北川一成と東京ミッドタウン・デザインハブでトークショーをやったとき、楽屋スペースに葛西薫が見えてご挨拶をしたことがあった。思ったより小柄で華奢でいらして、なんか本能的に「守りたい」と思ったのを覚えている。まあこれは関係ない(キモ)エピソードだけど…。
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八木保『八木保の仕事と周辺』 六耀社(1997) http://www.rikuyosha.co.jp/products/detail4025/
これもペールが買ってきた。同シリーズでこちらの方が前に出版されているが、うちに来たのはこっちが後だったかと思う。
八木保の方が、葛西薫よりも objectify? して見られる。子供の時からそうだった。それは、冒頭ちょっとノスタルジックなミッド・センチュリー・ビンテージっぽいテイストではじまりながら、続くページで鮮やかな紫や黄色や緑を案外普通に使うような感覚、いわゆるポストモダンっぽいセンスが当時のわしの好みの真逆で斬新に見えたからだと思う。ファッション・フォトとかも載っててやっぱ90年代っぽく、中学生高校生になってから見ると、やはりそのちょい古感が分かる。クリアでシンプルなものも、後半に載ってる落ち着いたものも、それぞれに普遍的ではなく「テイストがある」「時代の感じがある」という感じがする。
葛西薫だってサントリーとか西武の仕事をちゃんと見たら時代めいてるしテイストがあるはずなのだ。だがなぜか私のハートの真ん中にいすぎるからなのか、〇〇っぽいとか、〇〇なところが好き、という言葉が出てこない。「好きすぎる」からではなく。八木保についてはもっと言葉が出てくる。
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安野モヨ子『後ハッピーマニア 2』 祥伝社(2021) http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=9784396768232
ある年代になると目の周り、特に上瞼の上が痩せてきてそれがゴージャスな陰翳になる顔立ちの女性がいるが、田嶋の妻の目はそれな気がする。かよ子は19話の冒頭のカラー部分での老け顔表現が見事だった。フクちゃんは若く見えるが、それは顎のラインがシュッとしすぎてるからだろうか? あのお手入れの甲斐ありということだろう。フクちゃん好き。1巻の時もふけがおのことばっか感想書いた気がする……。それはそうと話がおもしろすぎる。
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高村薫『マークスの山』 早川書房(1993) https://honto.jp/netstore/pd-book_00942400.html
急に小説を何か読みたくなって、前から読もうと思っていた高村薫を続けて読んだ。面白かったけど、殺人者は殺人者であって理由はいらない、小説にはそこから起きることのディティールを書いたのだ、という感じがした。特に殺人者の子供の頃、過去のことなどが出てくるので、なんか因果関係を期待して読んでたから期待が外れた気がしただけかもしれんが。こういう感想は宮部みゆき『理由』にも思った。犯罪小説じゃないが恩田陸『蜜蜂と遠雷』も、天才は天才であって理由はない、という感じがあって似た感想を持った記憶がある。
ところで有能で頑張り屋だが拗ねてて暗い年下の男(森君)をかわいく思う気持ちは、わしには有能で頑張り屋だが拗ねてて暗い年下の男の知り合いがいないにも関わらずリアルに感じられた。義弟との特別な友情みたいなのはあんまり共感しないが。いまは『リヴィエラを撃て』を読んでいる。
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萩尾望都『一度きりの大泉の話』 河出書房新社(2021) https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029627/
『ポーの一族』(大学のとき草壁に借りた)と『百億の昼と千億の夜』しか読んだことないが……話題の本ということで読んでみた。感想があんまりないが、昔の人って家が安かったからんなのか高かったからなのか、結構簡単に一緒に住も〜とかなってたのいいなと思った。まあそれがよくなかったという話なんだが……。そしてある時代のシーンのうちの一人になることにちょっとかっこよさを感じる私だった。「青騎士」みたいなのとか。山岸涼子先生がいい人として登場しててよかった。
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山本静山『花のこころ 奈良円照寺尼門跡といけばな』 主婦と生活社(1968) https://honto.jp/netstore/pd-book_01091217.html
女官や戦前の宮廷に興味があった流れで、かつて河原敏明『昭和天皇の妹君』https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167416041 という本を読んだ。宮中では双子が凶兆とされていたゆえ、三笠宮の双子の妹が子爵家に養子に出され、名を変えて奈良で尼門跡をされているという話(仮説)である。圓照寺というその寺が、『春の雪』のあの尼寺のモデルだそう。
それでその本を実家の棚に入れといたら、父が出して読んだようで「そういえば日本橋高島屋で働いてた時、定期的に奈良からものすごい小さい尼さんが来て催事場でお花の展示をやっていて、それがこの人ではないか」と言っていた。調べてみると確かに高島屋では圓照寺が家元の山村御流のいけばな展を昔からやっているそう。
ということでこの本を古本屋で見つけて思わず買ってみた。お花の写真もたくさん載ってるが(モノクロだけど)どれも大袈裟さが全然なくてかわいい。田中純の夫人が毎月ブログに静かな感じの花を載してて http://tanaka-yuko-hana.jp/inori.html 、ふとそれを思い出したが、見比べてみると本のお花の方がさらにもっと静かで緊張感ないのんびりした感じだった。でも花器や後ろに映ってる軸や屏風はやっぱ格式高くて、塗りの手桶みたいなのも菊紋入りだったりしてすごい。
ちょうど横浜高島屋で今年の展示をやっていたので見にいってみたら、ほんとになんでもないささやかなお花で逆に驚いてしまった。芍薬なんかを手前じゃなく向こうに向けていけたり、奥に開いた花を置き、手前に枝や細い葉っぱをいけてそれを半分隠す、みたいな構成もおもろかった。でもそういう技巧さえ目につかないものもあって、まさに「花は野にあるように」という感じ。
門跡の文章も素朴。圓照寺の開山というのが宮尾登美子『東福門院和子の涙』に出てくる「およつ御寮人」の皇女だったと書いてあって、そういう人が開基というのは、失礼ながら禅寺らしい無常さに似つかわしいもの……と思ってしまった。
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浅井虎夫『新訂 女官通解』 講談社学術文庫(1985) https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000150272
職業上の興味あるテーマとなんら関わりを持たない私の関心事の一つ、女官。我ながらなぜ…と思うが、下橋敬長『幕末の宮廷』山川三千子『女官 明治宮中出仕の記』みたいな本をたまに読んでいる。女房の通り名について、一条・近衛・春日みたいな小路名・地名だと上臈、宮内卿みたいな父や兄の官職名で呼ぶのは中臈、官職名でも少納言・小侍従とかだったり、伊勢・相模みたいな地方名は下臈とのこと。あと上古時代の制度である采女が清少納言の時代までいたらしくて王朝期の女房たちとの距離感気になる……。そんなこと知ってどうするって感じだが……。
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河出書房新社編集部 編『恩田陸 白の劇場』 河出書房新社(2021) https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309980263/
対談のみ読む。大森望と全作品解説をしているのが面白かった。恩田陸が専業になる時、プロットをたくさん用意して各出版社の編集に「コンペというかオーディションというか」をしていたという有名な話がある。対談の中で恩田が『月の裏側』はジャック・フィニイ『盗まれた街』をやりたかった、『ドミノ』は『マグノリア』をやりたかった、短編集『いのちのパレード』はひとりで『異色作家短編集』をやりたかった、『蛇行する川のほとり』は『ひぐらしの森』、『ユージニア』はヒラリー・ウォー『この町の誰かが』、『チョコレート・コスモス』は『ガラスの仮面』……とポンポン元ネタを挙げまくっているのを読んで感心してしまった。「こういうものをやりたい」というとき、それは作品を one of them とパッケージ化して外から見ているわけだが、しかし恩田陸ほど小説の中に入って中からどうにかこうにか作っていることが明白な作家もいないだろう。その二つはここまで露骨にも両立するのだと思った。ふと最近グッチ・メイズさんの「JAGDA風」を揶揄するツイートに、佐々木シュンシュンが反応しているのを見たことを思い出した。外から意匠をつらまえる、それを中から組み立てていく、それが普通でまともで大人っぽいものの作り方だというか。
あと対談での語り方を読んでいて思ったが、なんか恩田陸の口調(文体?)が西尾さんに似ていると思った。しゃべってる中で自分の経験したエピソードを出してくる感じとか、真面目でも常にうっすらとのんきさが漂っている感じなどが。
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ロビン・キンロス『モダン・タイポグラフィ』 グラ���ィック社(2020) http://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=43021
昨年買ってすぐ読み始め、合間合間で別の本読んだりして全然進まず、これ…興味あるとこだけ読むのでもいいかしら? と思いつつ、気づいたら読み終わっていた。
最近、デザイン学生の歴史教育(普通に政治史、思想史も、デザイン史も)とは……と考える機会があった。デザイナーの歴史認識が本当に疎かというか素朴であることは事実だ。何より自分がそうなのでよくわかる。では教育の段階で、デザイン史を知ることのメリットについて、どう説得的に説明できるのか? これはでかい謎である。実際、ツールとか同時代の(市場に絡む)思想や分析の知識ほどには、歴史の知識は実制作にあんま役立たないので、自然にはそちらの方へモチベを誘導することがむずいからだ。
生まれた時がすでにポストモダンだったからなのか、逆にわしにはあまり「全てのスタイルはすでに出尽くした」「アレンジしかない」という感覚がない。また、歴史に対して意識的であることは誰にとっても必要だと思うが、父が「実効的な」広告の仕事をしていたからか、デザイン業務の多くの場合でそれがどうでもいいとされてることも、わりとためらいなく受け入れている。そもそも歴史的な価値を評価をする主体が広告デザイン界にはいないだろうし。これは同世代の認識と変わらないんじゃないかと思う。
もう30代なので、その認識は大きく改まらない気がするが、それでもなおデザイン史について読むといいことがあるな、と、これを読んだ時に思った。それはオルタナティブを考えるということが実務の基礎の一つであるという私自身の実感に、この本の内容がバッチリはまったからだ。
例えばサンセリフについて。サンセリフはおそらく、いつの時代もその当時の基準でのモダンさを表現するスタイルだったと思う。
19世紀頭にサンセリフが初めて登場したのは、商業印刷、看板文字の文脈の中でだった。ただ、それらがエジプシャン、グロテスク、ドーリックと名付けられていたように、人はサンセリフ体を見た時、古典古代のシンプルさの印象を受け取っていて、それが新古典主義の時代ではモダンだったのだ(p.41)。
戦間期のドイツ、ニュー・タイポグラフィの時代は、同時代の芸術から持ち込まれたアヴァンギャルドごころ、規格化、「『意図的にデザインしたものではなかった』伝統的なグロテスク書体の枠を超える」左翼的な?書体が求め���れたこと、そういう時代の欲求を新しいジオメトリックなサンセリフが受け止めた。(p.129)。
戦後のスイスでもサンセリフが擁護されて、スイス・タイポグラフィというものが出てくるわけだが、それはスイス特有の抑制された商業文化、直接民主制ゆえの情報の透明さ、中立性みたいなものの反映だった。三つの公用語があるので、ファミリーを拡充して使い分けられるユニバースみたいな書体が、ローマンより優位だったという実際的な理由もちゃんとある(p.176-177)。
1990年代以降、ソ連の崩壊を機に「モダニティ」は資本主義に接近する。現代については「最近の西側世界に見受けられるスタイルは、初期の、まだ近代化することに正当性があった時代の模倣である。(…)1960年代中期の大衆文化の模倣なのだ。それはサンセリフ書体と幾何学が注目された時代でもあり(…)」と評されている(ちなみに佐藤可士和展を見に行った直後に偶然ここを読んだ)。これは同時代の者としても納得で、確かにいろんなブランドやスタートアップのブランディングを見ると、今サンセリフが担う表象は商業主義の中でだんだん新しい形に固着している感じがする(p.208)。
こう考えると、同時代のデザイン環境だけからは生まれ得ないオルタナティブな表現が、歴史を素材にすることではたしかに可能、と改めて思う。例えばサンセリフを、今改めてグロテスク・エジプシャン・新古典主義的な解釈で扱うと面白そう〜〜とデザイナーなら誰でも思うはず。ていうかそういうフォントすでにあるけど…。でもいいのよ! 2020年代にそれを実践するのは、また違ったパラレルなオルタナティブな表現になるだろう。
またもうちょっとアバンギャルドな向きには、今までリレー形式・伝言ゲーム形式でつながってきたサンセリフの歴史を、ここでもまた新たに私の手でツイストする、ということも試みたいことだろう。そういう意識も歴史知識から生まれてくる。例えばめちゃくちゃ雑な案を考えれば、エジプト、ギリシャ、(イギリス)ドイツ、スイス、アメリカと西へ西へ移ってきたサンセリフづかいのイニシアティブ(?)をさらに西へ動かして東アジアなりの受容に焦点をもってくるとか。
私自身、他にもオッと思ったトピックはいっぱいあった。
KABKタイプメディアOBとしては、ヘリット・ノールツァイの書体分類について、あれもまた一つのオルタナティブだったと歴史上の位置が示されていて納得した。それからオランダのグラフィックデザインの規格通りの素材を粗末に使いつつ人間性をアピるあの感じ…オランダ人の先生たちのあのラフで乾いた諧謔みのある感じ…あれもおそらく占領下でのサンドベルフの試みなんかが受け継がれているのだろうと思った。あとジョンストンやドウィギンズ、ギルらの、タイポグラフィ界に並走してきたカリグラフィやカービング界の存在もおもろかった。
あと、なんで日本人のタイプデザイナーやタイポグラフィ系グラフィックデザイナーは、文字のデザインについて透明透明と言っているのか? なんで1ページにフォントを使いまくるとよくないのか? と思っていたことについては、20世紀初頭のイギリスで、モノタイプ社を中心に進められた機械印刷改良運動の一つのモットー(?)が受け継がれた結果なのだと知った。(ちなみにこの改良運動というのは案外この本を読んで知った一番でかい収穫だったかもしれない。どちらもシステムやプロダクトを大量に生み出すムーブメントだが、第一次大戦前イギリス式の改良運動みたいなものもあれば、戦間期ドイツ式の芸術運動もある。この二つは対比的で面白かった)
「「活字書体は歴史的な血統を持つのであるから、誤った(非歴史的な)組み合わせをしてはならない」、「さまざまな活字サイズや太すぎる活字を多用してはならない」(略)「タイポグラフィは読者と本文テクストとのあいだに介入すべきではなく、(ビアトリス・ウォードの「クリスタルの杯」のように)透明で教導的な器でなければならない」。こういった印刷改良運動の教義によって「印刷業者のタイポグラフィ」の極端に俗悪な部分は、徐々に弱められていった。このような一見したところ完全無欠に見えるタイポグラフィの哲学が、印刷業界とその刊行物、技術系の大学における印刷術教育や(存在する場合には)美術学校におけるデザイン教育、さらには新しく出現しつつあった「タイポグラフィック・デザイナー」の領域にいたるまで、印刷に関するあらゆる領域に受け継がれていった。」(p90)
なんかこういうことを知れば知るほど、いや……そうじゃないんじゃない? てかそうだとしても、もはや全然違う技術環境の時代にしかも東アジアで働いてるデザイナーにとってはまた違う規範があるんじゃない? と思う。思うのはタダなので、そういうところから何か自分の仕事をするモチベーションが湧いてこようというものだ。だから学生に対して歴史教育について説得力ある説明をできるとしたら、なんかそういう気持ちを植え付けることになるのではないかと思う。
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前田詇子『近世 女人の書』 淡交社(1995) https://honto.jp/netstore/pd-book_01182977.html
前田詇子『女人の書』 講談社(1974) https://honto.jp/netstore/pd-book_00643419.html
『モダン・タイポグラフィ』を読み終わって本棚にしまったら、この2冊を買ったまま読んでなかったことに気づいて、一気にプレモダン・カリグラフィだし男中心の『モダン〜』とはま逆だわね、と思いつつ読む。ユリイカ2020年2月号でアンケートに参加した時、好きな書体は?の質問に、とにかく女筆手本がアツい!と長々語った私。『近世〜』の方は時代範囲としてはまさにドンピシャだが、しかし実際わしがいいと思うスタイルは、時間的にも人間的にも案外ひろがりが狭いのだということも知った。
わしが見てハッとするほど惹かれる手蹟というのは、戦国時代の北政所、細川ガラシャ、浅井三姉妹、小野お通のあたりから(偶然にも圓照寺開基の消息も載っていた)、時代降って江戸初期〜中期の女筆手本のあたりまで。わしはお通という人は中世の伝説上の存在のように思っていたが、淀殿や東福門院の侍女だったとのこと。能書だったので非常勤の「女右筆」のような扱いだったのではないか、とある。ちなみにこの本ではお通と呼ばれる女性は実は母娘2代にわたっていて、「織田家ゆかりのお通は初代、寛文の頃江戸で評判のお通は二代目」という説がサラッと書かれていたが……そうなのか? 「女三筆」「女の三能書」として、長谷川妙躰、沢田お吉と並んで名前が挙げられている。とにかくこの時代の女筆の暴れっぷりがすき。
ただ、これはツイッターにも書いた気がするが、女筆手本って字はあんなに自由なのに「女中はかりにも男の書たる手本よき手なりともならひ給ふべからす。男の手をならひたる女筆は筆だてするどにみへ文章も何としても男らしき事間々あるものなり」(女重宝記)、「夫女子の専にすべきは裁縫ふの業。さては文書(ふみかく)やう。其外の事ハしらずても人ゆるしぬべし」(女九九の聲)とあって、実態は体制教育の手立てであったことについては、前近代のこととはいえアンチセクシストとして複雑な気持ちになる。
後半は女流俳人、女流詩人(跡見花蹊が詩文とか南画の人って知らなかった)、庶民などの書きものも紹介されてるが、イケ度は減衰していく。太田垣蓮月は好きだが、蓮月焼や書き物の注文で家に押し寄せる人から逃げるために引越ししまくっていたこととなど知ってウケる。あと明治まで生きてた人だったとはこれも知らなかった。
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tezzo-text · 3 years
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210228 2020年の言及したいコレクション群
2008年���ろから何もわからずコレクションをウォッチしてきたが、それはファッション・ウィークのカレンダーが変則的になってゆく流れを見てきたということでもある。今でも覚えているが、初めは浪人生のころ毎日予備校帰りに立ち寄っていたジュンク堂書店三越アルコット店で、GAPやFASHION NEWS、MODE et MODEなどを立ち読みしていた。当時は年4回、つまり2月と9月のレディ・トゥ・ウェア、1月と7月のクチュールの期間になると、おっ今その時期か、と気づいてそれらを見た。次第にプレフォール、クルーズ、メンズなども規模が拡大し、コレクション・サイクルの加速やその弊害について議論されるようになるのと同時に、わしは大学生になり卒業し、三越アルコットは潰れてビックロになり、専らオンラインでコレクションを見るようになった。そうなるとほぼ年中何かしらが発表されていて、常時チェックしている状況になった。
そして今年はさらに正規のスケジュールでの発表がなくなったりしてより変則的な状態になり、一昨年のカール・ラガーフェルトの死も重なって、わしがはたで見ていた体制がいったん終わった、という感じがした。今年市場自体が一気に収縮したようで、見返してみても防衛的なコレクションが多くて覚えているものがあんまりなかった。まあでもいつの時代も防衛的なデザインと革新的なデザインがあるだろうし、防衛的なデザインの中にも美しいものもある。そもわしはジャーナリストじゃないし、どういう状況であっても出てきたものをただ見るというだけなのだが…。
Schiaparelli FALL 2020 COUTURE PARIS, July 6, 2020
https://www.vogue.com/fashion-shows/fall-2020-couture/schiaparelli
同年代に並立する、対比的なデザイナーのペアのひとつに、ガブリエル・シャネルとエルザ・スキャパレリがいると思う。同じパリの女性デザイナーで、どちらもいろんな芸術家と仲よしだった点では似てるが、(素人目にだが)シャネルはドイツ的・ブルジョア的・モダニストで、21世紀まで続くデザインの基本的な価値観をその資質が共有しているからこそここまでの興隆をみたのだろうという気がする。
対してスキャパレリはどう見たってラテン的・貴族的で、その精神のまま現代でビジネスをするにはあまりにも世界は変わりすぎたという感じ。実際スキャパレリも、意外だったが自社ECでレディ・トゥ・ウェアも展開したりして柔軟に変化してはいる。しかしわしがいいなと思ったのは、今回ダニエル・ローズベリーの手描きスケッチからコレクションが始まってますよ!という作家主義みたいなものをアピっていたところだ。ただ商業デザイナーのスケッチというのはそう素朴に見られるものではなくて、安藤忠雄の図面みたいな問題もあるし、ローズベリーも実際はデザインチームのモックが上がってきてから描いてる可能性も十分にあるが、スキャパレリの属人性・ロマンチックさを担保する神話みたいなものとして、そういうことは嘘でも必要と思う。そしてクチュールも結構よかったし、この次のシーズンでスケッチが実際に製品になってるのも、かなりアクセサリーにフォーカスしてるが悪くなかった。
こういう素朴なロマンチックな作家性みたいなものって、時代遅れかもしれんが、逆に言えば単に時代遅れなだけで、有害でもないしダサくもない。そういうブランドがあってもいいし、スキャパレリはそうじゃないといけないよな〜と思う。
Emilio Pucci RESORT 2021 July 8, 2020
https://www.vogue.com/fashion-shows/resort-2021/emilio-pucci
プッチ、ミッソーニ、エトロ等々の、一個これだというモチーフがあって、伝統と忠誠心ある顧客をガッポリ抱えているブランドに興味ある。そういうとこのクリエイティブ・ディレクターになるのって、大変だけどやりがいあるだろうな〜と思ってた。特にプッチなんか、下手するとなんか昔っぽくてダサい感じになりそうだけど、そこがいい!そうきたか!みたいなもの作れたらいいよな〜…と。でも、ピーター・デュンダス、そのあとのイタリア人、さらにその後コシェのデザイナーが入ったりしてたが、正直常にどれも微妙では…と思っていた。
ところが前回から結局デザインチーム体制になった途端、いい……となった。スキャパレリでは個人から発想されたデザインであることが重要と思っていたが、プッチは個人がやってた時の方がなんか変なマーケティングをしてたように見えた。前回、今回と、最小の手数で最良の市場に持ってきた、という感じで、気楽だし、それでいて迎合してる感じがなくていい。なんか審美学上の(?)どでかい資産を抱える一族が、時にディレクターを迎えたり、内製したり、外部のマーケティング会社やコンサルを招いたりして、うまくいったりいかなかったりする大河ドラマの中の、ホッとするような幸せな回を見た…という感じ。これが最終回、正解、ということではなくて、長い歴史の中にすばらしいハマり具合の時期もあった、みたいなよさ。今年一月のプレ・フォールもますますいい感じ。カプリ島行ってみたい。
Givenchy SPRING 2021 READY-TO-WEAR PARIS, October 4, 2020
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2021-ready-to-wear/givenchy
去年はクレア・ワイト・ケラーの地味で爆発力がないデザインの固有性がいい感じがする…と書いたが、その後すぐにワイト・ケラーは退任してしまった。ちなみに同じくいい!と書いたシーズ・マージャンもブランド休止になったし、ナターシャ・ラムゼイ・レヴィもクロエを退任した…ここはデスブログ(古い)なのか…。
その後任に楽しみにされていたマシュー・ウィリアムズのデビューはランウェイじゃなかったが、よかった…。ウィリアムズがバックルとかハードウェア(金物?)のデザインに熱量を注いでらっしゃって、モノグラムやロゴの代わりにそういうところでブランディングするというの確かにいいな〜と思っていた。そのアプローチはジバンシィでより明確に追求されているようで、チェーンや南京錠みたいなやつは、写真で見るだけで、触って金属の重みや冷たさを感じたい、わしもぶら下げたい!という気持ちにさせられた。
服自体も、SFっぽくもストリートウェアっぽくもあるがそ��ちらでもなく、細かい変なディティー���が色々あるが、おもろいディティールでしょ?と媚びてる感じもせず、なんとも言えずよかった。バッキバキのズボンとか、溶岩のようなセットアップとか、素材もおもしろいし、アクセサリーにしか目がいかないスタイリングじゃないところがよかった。
ただハンドバッグは、M字のハンドバッグ(バレンシアガのHOUR GLASをさらにデフォルメしたような…)とか薄い四角いやつとか、ハードウェアとの取り合わせもかっこよくて面白いはずなのに、なんか原始的な所有欲を刺激しない雰囲気なのはなぜなのか…?変すぎるから?でも総じてイケてた。
その他
Salvatore Ferragamo SPRING 2021 MENSWEAR September 27, 2020
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2021-menswear/salvatore-ferragamo
5番と18番のセーターがイケてる。どうなってるのかよくわからないが、編み地が胸のとこと右腕と左腕&腹部分で3種類あってすごいこってるけど、全体の形が普通なとこがかっこいい。こういう服がほしい〜
Eckhaus Latta SPRING 2021 READY-TO-WEAR September 18, 2020
https://www.vogue.com/fashion-shows/spring-2021-ready-to-wear/eckhaus-latta
毎回好きだが、今回は実際のショーをやった数少ないブランドのうちの一つってこともあって若干感動的にさえ見えてしまった。服ももちろんよくて、緑の茂みっぽい模様のタイトスカートとかセーターがかっこいい。ジョギングの人がモデルを避けながら走ってるのもいい。
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tezzo-text · 3 years
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210118 燃えるような社会悪への怒り、燃えるような金稼ぎ、そこへ身を投じがたい私
今日はかなり抽象的なことを考えた。数年前までは気楽なノンポリでいられた私だが、最近は書店の平積みや、知人との会話や、各種SNSを見るだに、まあ色々あるよね&その中でまあ稼いでいければいっか&ていうかそれさえ大変なんだが…というような態度はのんきすぎるか相対主義か社会悪のはびこる現状追認と指弾されるものなのかも…という気になってきた。
わしは社会の中の悪を憎むべきと思う。とりあえず便宜的に、悪を排除すべきものと定義するなら、悪が存在することで利益を得ている人がいるから…とか、悪も必要…みたいなことは言い訳にならない。悪を同定し、駆逐する方法を考えていきたい。少なくとも、生活の中で悪の香りがした時に意識できた方がいいと思う。そしてそれを仕事にできたらなおいい。法律家でもいいし、政治や法や倫理の研究者でもいい。活動家でも治安維持の専門家でも慈善事業家でも宗教家でもいい。
問題はそうストレートにいかない場合だ。私は悪を憎むが、フルタイムで悪を憎むことはできない。「フルタイムで」というのはつまり、悪を憎むことが正しく、なすべきことで、それに人生を費やそうにも、私には別のやりたいことがあって、時間と注意力の総量が足りない、ということだ。
昨年、京都で友禅の人間国宝、森口邦彦の展覧会を見た。会場には森口がきものを制作している映像もあった。お年は召されているが、なかなか屈託のない顔をしてらっしゃる。インタビューで原料が不足している染料のこととかについても仰っているし、鈴田滋人との対談では公募展のことについても意志を示しておられる。ただ映像を見ていると、そういうこともあるが、彼はただとにかく無心に屈託なく下図を描いたり、糊を蒔いたり、染めたり、という友禅の制作作業をしていたい、それが根深く淡々と人生の髄にある人なのだ……という感じがものすごくした。
わしも、ブログを書いたり、いろんな報道を読んで批評的に何かを考えようと試みたりすることもある。でもそれよりも古く深く太く、人生を占めるものがある。家でコーヒーを飲んだりしながら、一人で誰にも話しかけられず、いろんな形の文字をかき続ける、というのがわしの人生の(楽しみの)コアなのだ。もちろんそれは「他のことを考えるのは嫌で、本当はそれだけやっていたい」ということではない。金勘定も好きだし、顧客と打ち合わせするのも大好きだ。しかし、家で一人で字をやることだけは、それがないと人生ではなくなることというか、何かに替えられないものである。それが後の仕事に使えるデザインボキャブラリーの開発の場だから、カレンダーが売れないと収入が減るから、という理由ではない。なんというか…おそらく森口邦彦にとっての友禅制作の全工程のような、固有の喜び、生きがい、人生の基礎、精神的な面で必要な習性みたいなもの。
同じことを、西尾さんと話している時も思った。鳥公園は目下、どうすれば持続的に創作を続けられるか、とくに経済・組織のマネジメントの面で…ということについてずっともがいている。西尾さんは観察力と、そこから違和感を感じ取る能力がずば抜けているから、俳優の権利、劇団における収益の分配、子育てをしながら創作すること、などさまざまな問題について意識的である。そのどれも重要な問題だ。しかし鳥公園は役所や文化財団やNPOや経営コンサルみたいにそういうことを解決するための組織ではない。劇団は創作のためのもので、何より西尾さんがしたいことや得意なことは、社会的な活動やファンドレイジングや啓蒙活動そのものだけではないはずなんじゃないか、と思う。創作が劇作家の西尾さんの基盤にこの十数年あったし、それは変わらないものなのではないか。西尾さんて東大文1出身らしい(この事実にウケたので何度でも言及するわし…)から文化行政に関わる官僚になった未来もあったはずだが、そうならなかったのだから。
これは、じゃあ官僚になればよかったじゃん、おとなしく劇作品書いてろよ、と言っているのではない。この惣田さんの嘆きを読んで思った。社会悪への怒りに対し、そんなものは無意味だ、前も聞いた、怒ってても仕方ない、いい加減感情的になってないで冷静に行動すれば?そんな言ってるなら選挙出ればいいじゃん、という醒めた言葉というか冷笑、わしも虫唾が走るほど。それは恋愛で不幸になった人間に対し、こうこうすればよかったじゃん、あるいは自分で不幸になりたくてやってんでしょ、というのと同じ。
社会悪への怒り、是正せねばと思っている人間、もしかしたらそれは本当に愚かしい場合もあるかもしれないが、人がどうこう言うことではない。しかしおそらく、なぜある種の者たちが上記のような冷笑的な言葉を繰り出してくるかと言えば、それは自分自信が素直に社会悪への怒りを燃やすことができないからなのではないかと思う。
問題は再び、そこへ身を投じられず、正直…興味ないんですけど…と思いつつ、若干自分でもそれを後ろめたく感じるそういう者たち(わし含)についてである。
そこで、以下のように思った。私は悪について考えるとき、何よりも人間的に考えたい。社会悪を憎む私と、字をやることをかけがえない喜びとする私とが、統合されたものとしてのアイデアを考えたい。
例えば、デザインや文字をやることを社会悪との戦いに役立ててみては?プラカードを書くとかあるじゃん!と言われても、それは後者の私が前者の私に雇用されているということであって、なんで一人の人間がわざわざ分裂して、しかも片方は頭空っぽにして役割分担するみたいな面倒臭いことをせんといかんのじゃ、という気がする。あるいはそんな深く考えずに、仕事の時は仕事、そうじゃない時はパートタイムで正しいことをする、でいいじゃん、というのは全くの組織労働者の行動であり、雇用契約に縛られない心の中までそうなってどうすると思うし、自分の中に自分で責任の取れない領域が発生していると思う。雇用とか職場とプライベートの分別みたいな、ある意味非人間的な概念のメタファーを使っていては、私は統合された人格がものを考えられているとは言えないと思う。
だからそれがどうにかならないうちは、悪や正義について、全人的に実感を持って考えることは難しい。そしてそうしているうちに時間切れになって人類滅亡…となりかねない。それは困る。
でもこれが、わしが実感を持って憎んでいる種類の社会悪であれば、おそらく仕事を通じてもそれを表現することができる。その一つは、個人が自由な人生の喜びを味わうことを妨害するように作用する悪だ。例えばあるイデオロギーのもと個人のてんでに発展するはずの関心を抑えることや、娯楽が他者(特に営利組織)から供給されるものに限定された環境が気づかずに作られることなど。
それからかわいい赤ちゃん、かわいくない赤ちゃんに限らず、すべての赤ちゃんへの暴力も、わしが実感をもって憎む悪だ。そういう実感は、確実に私が文字をやるときの意識(自由や、せせこましくないものを尊重する気持ち)と関係している。
だから、わたしは社会正義について考えるとき、本当はその大小は気にした方がいいとは思うが、それよりも自分の実感していることを軸にしか考えられないのだ…。そういう点で、正直、今すごく話題にはなってる社会悪のうちいくつかには、自分でも非情と思えるほど興味がない。
それは理性や想像力の放棄と言えるかもしれないが、正直それが私の限界である。大事なのはこの限界について意識的であることだと思う。自分の実感の外にも社会は広がり、そこにも正義と悪とその混淆がある、という慎みというか…。
話は変わるが、さっきこの動画とこの動画を見てマジでびっくりした。Marukidoさんという方について、失礼ながらZoom GalsのPVで「初めてなの?チャH…」とユラユラしながら仰っている方という認識しかなかったが、今まで手広くビジネスを手掛けてらした方だと初めて知った。30代で1億めざすって…。年収約400万という日本の同年代の中央値にピッタリハマり、金融資産ない単身世帯としては貯蓄額もド平均な私。Marukidoさんみたいに稼ぎて〜と一瞬血迷ったが、ふとこれも同じ問題だな、と思った。つまり金を稼ぐことに人生を捧げれば、もしかしたら5年内に年収1億に届くのかもしれない。でも多くの人がそうはいかず、そしてもちろんわしもそれが絶対に無理だとわかるのは、それよりも自分にしかできず、自分だけが感じられるかけがえのない仕事があり、それがなくなっては自分の人生ではなくなるが、しかしそれに全然収益性がないからだ。そして繰り返すように社会的正義における正当性もない。
ともかくそうやって多くの人はまっすぐに正義の闘士や財産家となることを阻まれるのだ。正義、財産ともに、それと接続できる種類の生来の喜びをもつ人もいるが、ほとんどの人はそうでないから。人間には固有にやりたいことがあり、それはおそらく正しいとか儲かるとかいう次元よりもより基礎的、より古層の、人格から消したり分離できない位置に存在するのではなかろうか。そして自分の人格を無視して悪に対しても、人間が悪に対したことにはならない。その単純なことが現実であって、動かせない事実である…とわしは思う。正義や金稼ぎについて考えるとき、まずそれを前提に考えないと現実的ではない。
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tezzo-text · 3 years
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201202 十・十一月の読書など
10月も忙しかった…。11月も……。そしておそらく12月も…。あんまり忙しい忙しい言ってるとモテないという説もあるが、事実だからしょうがない。そしてモテないのも事実。ところで全然関係ないが、先日ツイートした内容に誤りがあったので訂正したい。 https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/1327190105656705025?s=20 ここでは、いつ行ってもすいてるタイ料理「バーンリムパー」と、元バイト先のカレー屋「草枕」が新宿でのわしの飯どころ…と書いたが、もう一つ、大塚家具の近くの「達磨」という中華もよく行くのだった。あと西新宿だったらタイ料理「ピッチーファー」か、靖国通りだとケンタッキー・フライドチキンとか、その近くのタイ料理(タイ料理好きすぎ?)とか、あとは適当なそば屋とか。決まったところで飯を食い続けるのは、新しく入ったところで失望したくないからなのだ。この前草枕が並んでたので新宿通りの向かいにある小さいとんかつ屋に入ってみたが、まさにそういうことが起きたのだった…。
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201024
高坂正顕 西谷啓治 高山岩男 鈴木成高『世界史的立場と日本』 中央公論社(1943)
先月からずっと半藤一利『昭和史』を読んでて中断していたが、クライアントの学芸員の方が仕事の資料として送ってくださったので読む。これは京都学派の4人の学者による座談会の書き起こしであり、彼らは同時期に並行して海軍からの依頼でブレーントラスト的な会合に出席していた。陸軍派の統制が強まっていた時期だったこともあってそれは秘密会合だったが、こちらに収録されているのは「中央公論」に載ったもので、この戦争を思想面から論じ、援ける目的のもの。収録されている1942年1月の「世界史的立場と日本」、同4月の「東亞共榮圈の倫理性と歷史性」、43年1月の「總力戰の哲學」のうち、真ん中はとばして最初と最後だけ読んだ。
正直「世界史的立場と日本」は、普通に戦争と直接は関係のない世界史の話もかなりあって、素直に読めたところもあったが、「總力戰の哲學」になるとかなりノリが変わって空虚な印象だし、抽象的な議論が続くのでしっかり理解できたとは思わない。わしの感想は以下のような感じだ。
7月に読んだ『独ソ戦』には、ドイツにおける対ソ戦は「通常戦争、収奪戦争、世界観戦争(絶滅戦争)」の三つの性格のうち、42年ごろから収奪戦争、絶滅戦争の比重が大きくなり、43年後半にはその二つが通常戦争としての形式を完全に飲み込んだ、とあった。その理解からいくと、この座談会は収奪戦争としてはじまった日中戦争が太平洋戦争へ移行し、名実のうち「名」が先んじて世界観戦争へ突入したのに合わせて、思想的に、つまり「実」の部分からも戦争の性格を変質させようとする企て、というふうに思える。ここで取り上げられている大東和共栄圏、総力戦、国防国家というスローガンは、政治的に、先に打ち出されたものであって、それらを後から、裏側から論理づけすることが彼らの仕事だったように読めた。
では説得力あるロジックが組み立てられているかというと、しかしそうは思えない。暗に今の情況は植民地戦争に過ぎないといい、真の総力戦、真の思想戦だとするならこうではなく、ああでなければならない、という話を延々してはいるが、その核心で具体的な説明を常に欠いている。例えばこんな感じ。
高山 だから共榮圈總力戰といふことになれば、さつきも議論のあつたやうに、植民地だ、搾取だ、などといふことは出てこない。かういふ意味の總力戰があくまで今度の戰爭の特色だと思ふ。今度の戰爭を本當に遂行してゆけば、どうしても、從來のやうな利益功利の次元を越えた高い道義の次元のものが、秩序の原理として出てくる。
こういうのをずっと読んでいると、悪の多様さ…というようなことに思い至ってくる。
そもそもただ経済的な動機での戦争、収奪することで成り立っている植民地帝国というのものはとことんおぞましく思える。しかしそうでないもの、ナチス・ドイツのように国民の他人種排斥感情からあらゆる戦争犯罪がガッチリと一貫したイデオロギーのもとに連動している状態というものを考えると、それこそ悪の極みに思える。ではそういう体制が一貫してなければいいのかと言えば、曖昧なスローガンを当時最も知的な人々が後から論理的にしかしあやふやに補強せざるをえない無残と言ってもいい状況こそ悲惨とも思える。
それぞれの悪は比較できず、つまり、どうであれば最も悪か、あるいはより悪でないかということは一貫して言えない。
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201116
入江曜子『紫禁城』 岩波新書(2008) https://www.iwanami.co.jp/book/b225929.html
世界のいろんな城とか王宮とかについて知りたい、見に行きた〜い、という好奇心があるが、故宮には並ぶものない特別な関心があって、それは紫禁城が世界で最も複雑で大袈裟な宮城だったからかもしれない。
とにかく、常に宮廷・宦官・官僚が腐敗しまくっている描写、火事防止のため湯沸かしが一箇所にまとめられてるので常にお湯をいつも宮殿外から運んでいたこと、水はそもそも北京から離れたところの名水を深夜に車で毎日運んでいたこと…など、大袈裟であればあるほどなんか惹かれる。しかしただすごければいいというのでなく、わしが王宮というものに惹かれるのは多分、異常に複雑な伝統・装飾・機構にくるまれて、その一番奥の芯の部分に、その権威の起源に関係する、ものすごく原始的でシンプルなものが純粋な形で保存されている、というコントラストがあるからだと思う。皇居でいう賢所のようなもの。
そしてやはり紫禁城におけるそれは、プリミティブさにおいて賢所の比ではなかった…。後宮の中軸線上最も北、つまりある意味紫禁城の最も奥にある、坤寧宮について読んでたまげた。他の殿舎が漢民族様式なのと違って、ここは清朝祖地の満洲様式で内部が改装されていて、毎朝4時からシャーマンが踊りながら豚2頭を生贄に捧げる儀式をしていたらしい。そしてそれをずっと茹でといて、夕方になったら今度は部屋を真っ暗にして裸で儀式をして、その後で豚を食うのが習慣だったとのこと。清…というか中国という国のはかりしれなさに圧倒される話である…。
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201121
大橋良介『京都学派と日本海軍』 PHP新書(2001) https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=4-569-61944-4
海軍の依頼による京都学派の秘密会合の内容を、当時の京大文学部副手大島康正がメモしたものがそのまま収録されている。それがこの本の第3部で、これは本当にメモなので結構読みづらいが、中国における塩の専売を日本が押さえる戦略とか具体的な話もとびとびにあって興味深い。
第1, 2部はそれに絡むいろんな人の話で、海軍と京都学派を結びつけた海軍軍人高木惣吉、陸軍におけるカウンターパートの矢次一夫、ウルトラ国粋主義者蓑田胸喜、三木清、近衛文麿、東條英機、下村寅太郎などについて。
『世界史的立場と日本』の裏話的に読めたところもあった。「デモクラシーは一つの思想となってゐるが、八紘一宇は未だ思想ではない。日本人は誰でも漠然と具体的には解ってゐても、具体的に人から訊かれて説明する事は殆どの人が出来ない。」「所が今日右翼の人々はその思想化を嫌ってゐる。」云々とあるように、京都学派は海軍をバックに秘密裏に陸軍・国粋主義者たちの批判をしていた。それに対し蓑田一派は猛烈な攻撃を加えていて、それは「国粋ピューリタニズムともいうような偏執狂的なエネルギーに燃える」ような明らかに破綻した論理にもとづいていたようだが、実際に『中央公論』が解散させられたり(1944年)、京都学派周辺の大学人が退官させられたりと、その迫害は政治的には成功している。
そういう時代の中でも、「京都学派がその行動において内的なモチーフとしていた、植民地戦争の方針是正など、もはや夢のまた夢だった。戦争方針はますます硬直化し、戦局は泥沼へと進み、無条件降伏という見通しは、実際の無条件降伏の少なくとも半年まえには、京都学派のメンバーには分かっていた。」とあるように、実際は京都学派の人々は会合で「現実的な」議論をしていたわけで、後に大島は、攻撃に晒され身の危険を感じている状況では、公刊物では「總力戰の哲學」のような内容にならざるを得なかった…と書いている。芯を食ったことを言ってないように見えるのにはそういう理由があったのだった。
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201122
諸富徹『グローバル・タックス』 岩波新書(2020) https://www.iwanami.co.jp/book/b539117.html
租税回避の具体的なテクニックの一つを初めて知る。すなはちグローバル企業内部で開発したパテントとか商標とかの無形資産を、タックスヘイブン所在の子会社Aの所有にして、売り上げの多い先進国の別子会社Bが、あらかじめ高額に設定しといたその使用料・特許料などをAに支払うことでものすごく経費がかさむ状態にしておき、B国内で課税対象になる収益を極限まで減らす…というもの。『ザ・ランドロマット -パナマ文書流出-』とかを見ても全然理解してなかった…。
有形資産と違って無形資産は比較できる市価が曖昧なので、恣意的に価格を操作でき(その価格を移転価格という)、それがこのテクを可能にしているらしい。この秋、わしもアマゾン・ファッションのオンデマンド・サービスのキャンペーンに参加したが、あのシステムももしかしたらケイマン諸島とかバミューダの子会社が権利持ってたりするのかも…。
移転価格が確実に租税回避目的と判断されれば利益に課税できるが(移転価格税制)そう簡単には捕捉できなくて、先進国が所得税や法人税を下げることで税源の流出を防ぐ租税競争、国内では高所得層の所得税負担が軽くなる逆進化はとどまることをしらない…とのこと。
後半はそれを解決するためのアイデアとしてのタイトルのグローバル・タックス(一国では限界があるので、国際機関がグローバル企業に対する課税権力を持つ)について書いてあって、これが税の分野の理想主義か、という感じ。OECD主導の(事実上の)グローバル・タックス実現に反対しているのは主にトランプ政権だけで、Googleとかフェイスブックのトップはどういうわけか前向きだそう。これは今月発売の本なので、政権委譲後にどういう方針になりそうかは特に書いてなかったけど興味深い。
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201127
アンゲラ・メルケル『わたしの信仰 キリスト者として行動する』 新教出版社(2020) http://www.shinkyo-pb.com/2018/08/24/post-1309.php
ウィキペディアかなんかでメルケル首相は東ドイツ出身で理系だった、中道右派の与党(CDU)政治家になったことを意外と思われていた、というの読んでへ〜と思っていたが、お父さんが牧師ということを読み飛ばしていて、この本見つけてそんなバックグラウンドがあったのか、と思った。
これはマニフェスト集ではないので、そこまで明確に個人的な主張が載っているわけではないし、まあ飛ばして読んだところもあった。でもこどもみたいな感想だが、ドイツの歴史とか政治の文脈で当然のものとして頻出する用語で知らないことがいろいろあって、それを知ったのでよかった。知らなかった言葉は「ショアー」。ヘブライ語の一般名詞だけどホロコーストのこと。
「補完性原理」もたくさん出てきた。メルケルは何度も中道保守らしく家庭が大事と言い、家族を「両親が子どもに対して、子どもが両親に対して人生の始めから終わりまで担う責任」とまで表現してるが、政治が「家族がどう生活すべきかを規定すべきではない」とも言っている。あと自由についても「「〜からの自由」ではなく「〜のための自由」」、「自分のため、しかし常に他者との関係においても責任を担う自由」みたいなことを、これは社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)にからんで何度も言っている。ヒト胚の医療目的の利用については「最初から原則を疑問視すべきではなく、むしろ例外規則を求めるべき」と言っている。
全体をずっと読んでると、政治の担う範囲をあるときは狭く、あるときは広く、しかし明確に厳格に決めて、それが及ばないところではキリスト教的な(というのはこのスピーチのほとんどが教会関係の場でのものだからだと思うけど、そうでなければモラルとしての)方向づけが下から社会を支えている、というようなメルケルの整理している図が頭に浮かんでくる。日本だと政治以外全て市場、という認識が強い気がして、政府がカバーする範囲を狭めれば、経済的なインセンティブや趣味的な選好が支配する(保守的に言えば生き生きとした、リベラルに言えば殺伐とした)世界になる…という感じがするが、ヨーロッパにおいてはそういう感じにならないために宗教が大きな役割を果たしてるんだな~と思った。
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tezzo-text · 3 years
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201115 Shopping Guide (pre-notice)
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(01/05 19:40更新)
毎年の売り物、カレンダーのショッピングガイドの予告です。それがどんなものかを知りたい方はこちらやこちらをご覧ください。私は毎年カレンダーを作って売り、顧客のみなさんがそれを求めるおかげで、私の出納帳に、受注型のデザイン業務に加えて毎年変動の少ない収入の一部門が出現すると同時に、それがいろんなレタリングの形を試すよい機会になっております。今年は231字が新しく描かれた数字です。 A3サイズ、6枚綴り裏表印刷、表紙付き、ビニール製パック入り、2,500円。 今年取り扱いいただく販売元は以下の通りです。11月中より発売の予定ですが、販売開始日はそれぞれのお店によって前後します。情報は随時更新いたします。Twitterもご覧ください。
Here is the shopping guide of the Calendar. Please visit here if you want to know what it is. Thanks to the customers who have bought it, my annual profit has been getting much stable. The customers are also the ideal people who pressure me to do lettering in more interesting and unpredictable style than last year’s. This year, 231 numerals are replaced by new ones. A3, 6 sheets printed on both sides + cover page,  all in a vinyl envelope. 2,500jpy.  The following retailers deal in the it from late November but some of them can start selling later. Information will be updated here and twitter.
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日本国外にお住まいの方向けには、以下のお店で取り扱い予定。お住まいの地域への配送に対応しているかはウェブサイトをご覧ください。
For customers outside of Japan, you can purchase at the web shops in the following list. It’s not sure if delivery to your location is covered by them, please see the websites.
 ・XXXI (NY) ONLINE on sale/販売中
 ・Editions B42 (Paris) ONLINE out of stock/売切
 ・Letterform Archive (CA) ONLINE out of stock/売切
日本にお住まいの方向けには、以下のお店で取り扱い予定。発売され次第こちらで更新いたします。
For customers in Japan, you can find web shops and physical stores near your place in the following list. Some of them might be still ready for selling right now, information will be update when it’s available.
 ・GOAT ONLINE out of stock/売切 / SHOP out of stock/売切 
 ・NEW PURE+ ONLINE out of stock/売切 / SHOP 
 ・古本YOMS ONLINE out of stock/売切 / SHOP 
 ・トースト ONLINE out of stock/売切
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tezzo-text · 3 years
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201109 Quasi-slogan T
SHOP LINKS BELOW
This autumn, I was luckily invited as one of the first artists to Merch By Amazon which is launched in Japan lately. By using this web based on-demand service, you can produce T-shirts, sweaters, tank tops and iPhone covers printed your artwork on them. What I made for it is the Quasi-slogan T-shirts and it’s now available Amazon shopping pages in US, Spain, UK, France, Germany, Italy, and Japan now. (Links below)
I’m not a fan of slogan T-shirts, don't even like simple printed T-shirts. It's uncomfortable when I wear them because it feels I shout messages unknown person produced. It’s sure that a slogan (I know it’s called hashtag today) sometimes play a vital role in the political and cultural landscape. But I personally think it's more important for us to focus on the ambiguous, subtle, unknown part of what each of us really think/feel about and trying to figure out. The T-shirts I made is not actually about a slogan but something more personal, vague, informal, in-between and something before becoming a manifest phrase. The text-like drawing on it is seemingly meaningful but actually meaningless. It's up to you how you read it.
この秋 Amazon Fashion のオンデマンド・サービス  Merch By Amazon が日本でもローンチとなり、そのキャンペーンとして最初に製品を制作する者たちの一人に選んでいただきました(広告代理店によって)。このサービスでは、自分の作ったアートワークをプリントしたTシャツとかスエットとかタンクトップとかiPhoneケースが作れます。私が作ったのは “Quasi-slogan T-shirts” です。 私はスローガンTシャツ…どころかプリントTシャツもあんまり好きではない。知らない人が書いた(描いた)メッセージを自分が発信してる気持ちになって嫌だからです。確かにスローガン、ハッシュタグというものは政治なり文化において重要な役割を果たしているが、私は個人的に、我々自身もまだはっきり理解できていない曖昧で微妙な意思や、それを表現しようとすることの方が大事なのではないかと思う。だからこのTシャツは、スローガンTではあるが、もっと個人的で、形式的でなく、中間的で、明白なワンフレーズに結実する前の何か…のためのものです。 書かれたスローガンは意味ありげですが、実際は意味のないただの模様です。ご自分でお好きなように読みを当てていただいて結構です。
NO MORE... (white & baby blue) US / Spain / UK / France / Germany / Italy / Japan
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NO MORE... (black) US / Spain / UK / France / Germany / Italy / Japan
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SAVE OUR... (white & baby blue) US / Spain / UK / France / Germany / Italy / Japan
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SAVE OUR... (black) US / Spain / UK / France / Germany / Italy / Japan
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tezzo-text · 4 years
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201005 九月の読書など
9月は忙しかった……。ということでろくに本を読んでない。今日は久しぶりに二子玉川の上海で飯を食ったが、唐揚げがピーナッツっぽい風味でおいしかった。ピーナッツ油(?)で揚げてるんだろうか。二子玉川に行くといつも上海かケンタッキー・フライド・チキンで迷う。上海は半端な時間は閉まってるのでケンタッキー多し。でもフライド・チキンて本読みながら食えないのが難点よね。手が油まみれになるから…。 -
200916
阿川弘之『葭の髄から』 文春文庫(2003) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167146078
201004
阿川弘之『人やさき 犬やさき 続 葭の髄から』 文春文庫(2007) https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167146085
盆に父の実家へ行くと、芥川賞の時期だからか、あるいは単に暇だからか、父は文藝春秋を買って持っていった。いつだかの巻頭随筆で、阿川弘之が高松宮家の侍女長を紹介した記事が興味深く(微温的皇室ウォッチャーでもあるので…)切り抜いて取っておいたが、ふとそれを思い出して連載の文庫版を買ってみた。
ま、読んでみればそう拡張高いわけでもなく、『この国のかたち』ほど教養深い内容でもなく、素朴に保守的な随筆という感じだが、やっぱり出てくる話々におっと思うところが沢山あった。戦中の話では、たとえば高級将校でさえ終戦を論じていなかった時すでにその気配を察知していた株屋の話、海軍は陸軍と違って知英派・知米派を登用し続けていた話など。戦後では香淳皇后の崩御時に宮殿で棺に祗候する不思議な儀式の話、本来「べし」というべきところに「べき」は誤用という話などが興味深かった。
その中で、素直にためになったと思ったものもある。阿川弘之は根っからの戦中派、海軍出身なのもあってベッタリとした国粋主義者というのではないがとことん親米反中で、2000年4月の石原慎太郎による「三国人」発言には「やること言ふこと、今回の件に限らず、群を抜いて爽やかな感じがある」と共感している。
そこはどうにもならんが、しかし「あんまり人の気分をすつきりさせたり、御自分ですつきりしたりなさるのは考へものですよ。」と述べ、嗜めとしてある言葉を載せている。同誌で中西輝政京大教授がギリシャの歴史家ポリュビオスの言葉を引いていたのを紹介しているもので、ひ孫引きになるがそのまま引用してみる。
「物事が宙ぶらりんでどつちにも決らない状態のまま延々とつづくこと、これが人間の魂を一番参らせる。その状態がどちらかへ決した時、人は非常な気持ちよさを味はふ。ただし、それが国の���導者に伝染したら、その気持ちのよさは国の滅亡をもたらす。ポリュビオスがカルタゴの滅亡について論じた此の言葉は、英国では軍人も政治家もよく知ってゐて、エリートは物事の決らない気持悪さに耐へねばならぬといふ教育をされてゐる。残念ながら日本にはさういふ文化が無かつた」 -
201005
藤野裕子『民衆暴力』 中公新書(2020) https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/08/102605.html
・明治期の大規模な制度改革(徴兵制、学制、地租改正、賎民廃止、違式詿違…)の中で、1872年の『徴兵告諭』で「血税」という言葉が使われた。これがきっかけの一つとなって、「徴兵されると「異人」に血を抜き取られる」「西洋人は小児の生き血を取って薬を練る」「西洋式の病院に行くと、患者は鉄串の上に乗せられ知らぬ間に身体の「膏」(脂、あぶら)を抜かれ、笑いながら死ぬ」という噂が流れたが、この頃の一揆はそういう社会不安をベースにしていたらしい。今、納税者として税のおもみをアピる時にも「血税」と言いがちだが、このオカルティックなニュアンスが脳裏にあるとなんとなく不気味な感じがしていいかも…。
・上記のような時代、いわゆる「新政反対一揆」が多く起きた。これらについては60-70年代に充実した研究がされていて、民衆発の抵抗運動としてある種の評価をされている。ただし、それらは地元役人宅、学校、交番などと同時に近隣の被差別部落も襲撃の対象にしており、権力への抵抗とシンプルには言えない。
・日比谷焼き打ち事件の原因には日露戦争後のさまざまな世論が関係しているが、それが暴力として発露した背景には、都市部・男性・社会的経済的に低層と目される・日頃から暴力と親和性のある・しかし侠気もある肉体労働者たちの存在がある。焼き打ちには彼らのような労働者たちが参加していて、彼らの暴力が合流したことで予想外の規模に発展した。このように暴力はコンセプトと別に成分としてあり、それが合流、結集、委譲されることで民衆暴力が成立することがある。
・その明確な例として出されているのが関東大震災後の埼玉県本庄警察署での一連の事件である。本庄町は検挙者が群馬方面へ移送されるルート上にあり、多くの朝鮮人が警察署に収容されていた。県が朝鮮人に対する攻撃を正当化するような通達を出したことと、東京から避難してきた人たちの流言から、9月4日夕から町民の自警団が署へ集まり、到着したトラックに乗せられていた朝鮮人を虐殺、その後5日未明にかけて署内にも侵入して70名以上の朝鮮人を虐殺した。さらに証拠を消すため死体を山林で焼き、埋めている。
その描写はほんとうに凄まじいが、本当に恐ろしいと思ったのは翌6日の事件のことである。虐殺のあった翌日夜、再び町民約1000人が集まり、今度は本庄警察署自体を襲撃、放火寸前まで行く。実は半月前からお祭りでの神輿担ぎに関する問題、遊郭についての問題などで町民は署長に反感をもっており、今回の襲撃の背景にはそれがあった。さらに自警団が「朝鮮人を本庄署に連行したところ「司法権の侵害だ」と怒られた」こと、前日の襲撃の際「村磯所長に「一般大衆は手を出すな」と言われ、「今までたのむといっておきながら、何事だ」となり「署長を殺せ」」となったことも直截の原因だった、とある。一つの暴力が被差別者へも権力者へも向けられている点では、これは新政反対一揆と同じである。ただ一揆においては少なくとも一つらなりの不安・不満が複数の対象に向かったのに対し、ここでは国や県の通達によって自警団に暴力が委譲された結果、それを使って何ができるか、理由はどうあれもっと使いたい、という感情が暴力行為を惹起しているように思える。
・わしは、暴力は、ものごとを繊細で豊かで複雑な状態から、シンプルな状態に、ときに無にするものと思うが、どの部分が許されざる暴力であり、どの部分が時代を進展させる原因になった暴力か、という風に分けられない点で、ものすごく複雑でもある…と思った。あとがきでも書かれているが、では原理として暴力はすべて許されざるものとしていいのかというと、それこそシンプリファイというもので、暴力に頼るしかないほどの状況に追い詰められた人々への追い討ちの暴力のように思えてしまう。
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tezzo-text · 4 years
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200901 八月の読書など
前もぼやいた気がするが、通勤通学時は電車で本を読んでいたが、最近はチャリを買ったので少ない電車移動時間がさらに減った。そんな中でも記録をつけようと思うと本の続きを読もうという気になるものである。
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200812
加藤典洋『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。』 岩波ブックレット(2018) https://www.iwanami.co.jp/book/b359795.html
幕末の尊王攘夷〜開国運動、戦時下の皇国思想、60-70年代の日本の学生運動等を「現実の壁にぶちあたり���る運動か」「ぶち当たった後現実的な関係性の中で転向しうるか」という基準で評していてハッとする。吉本隆明の戦後体験を引用して「自分の手元にあるだけの材料から判断し、そこから『真』を割り出す考え方が『内在』の思考であり、他との関係から、『真』はカッコに入れて次善の策として『善』を割り出す考え方が、『関係』」の思考と整理している。
真、善、とくると、個人的に自分が担当するパートとして(?)、では美は?という気持ちになるが、美は真とも善とも違う動きをするよな〜と、読みながら脇道に逸れた連想をした。
ところでそのように変容可能な思想はどれも、一階部分に「どんな明察からもへだてられたただの人、普通の人間」が「『どう考えても、これは違う、本当ではない、おかしい』という感じ方を入り口にしてはじまる」普遍的な思考を持ち、その上の二階部分に理論とイデオロギーを備えていて、それらが必ず拮抗している構造を持っているとのこと。攘夷運動はそうだったので開国運動へ変容できたが、皇国思想と連合赤軍は上部構造が下部構造を封殺したのでそのまま破滅した。
後半触れられている護憲論については、井伏鱒二『黒い雨』の「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」という苛烈な戦争体験からの実感を一階部分に、「憲法九条を字義通りに受けとめたばあいに現れるいわば日本国内の文脈でいう理想型の平和主義」を二階部分に当てはめている。
しかし2014-15年以降「二階部分である憲法九条を単に守るだけでは、もはや憲法九条が保証してきた一階部分の地べたの平和主義が守られないところまで来」たとして、「そのために、日米安保条約を解消する。そのために、憲法を変えることが一つの活路となるなら、それを躊躇すべき理由はない」としている。
わしが日本に特殊な憲法の問題について一市民なりに考える時、いくつかの歴史的なターニング・ポイントを糊塗するように切り抜けてきた結果、解釈やレトリックに支えられた袋小路にはまってしまっていることが思わされる。確かにそれを根本からどうにかするには、改憲を現実的なチョイスと考えないとどうしようもないかもしれないとは思う。問題は、日本の歴史上「平和主義をユニークな信念とする国家の意志を厳密かつ現実的に法制化する」ということを実現した前例のなさと、そのためにそういうことを考えたり行動する政官民の知的体力のなさであろうと思う。これはもし(もちろん望んでないが)日本が正規軍を持つ国になっても同じで、軍を統制する政府にも、監視する民間人にも、どちらにもそんな知性を働かせつづける粘りがそもそもないように思えてならない。その代表がまさに私です…って感じだが。問題はだから、市民もエリートも、より複雑なことを常時考えられるよう地道に成熟していけるか、ということだと思う。
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200814
福間良明 『「勤労青年」の教養文化史』 岩波新書(2020) https://www.iwanami.co.jp/book/b505594.html
終戦〜1970年代の中卒のブルーカラー青年たちが、農村部では青年学級、都市部では定時制高校、出版物では「人生雑誌」の購読を通じて教養を得ようと努めていた…という話。そのモチベは主に経済的理由で高校に行けなくて、知識への憧れ圧が非常に強まっていたことにある。
その後青年学級は教育格差の広がりと都市への若年人口の流出で下火になり、定時制高校は逆に全日制への進学率アップやそもそもの制度の問題もあって学生が減り、人生雑誌も学生運動の時代になると内容が素朴すぎると非難され、労働者たちは経済成長で不満がなくなって離れてゆき、部数減・廃刊となる。
意外だったのは、青年たちが求めていたのは21世紀の教育格差が問題にしてるような、社会階層上昇・経済的安定のための(学歴)教育じゃなくて、「実利を超えた教養」だったと書かれていたこと。しかし実際一部を除いて本当に青年たちが知識をものにしたのかははっきりしない。ていうか劣等感を薄めて自信を持ちたかったのであって、「頭よくなりたい」みたいなことが目指されてなかった気配がある。ただ二次資料ベースの研究では「人生雑誌」の投書欄なんかを除いて、青年たちの思想の変遷を追えないというのも、著作活動の乏しい労働者階層に特有の問題かもしれん。後書きで実際にその世代の「人生雑誌」の読者だった人たちに取材をしたとあったので、具体的なエピソードも紹介してほしかった。
示唆的だったのはエピローグで短く触れられていた初等教育について。青年たちがここまで強く知識に憧れ続けたというのは、青年期以前、少年期の戦後教育の中で、教養・読書・民主化が本当にすばらしくきらめく目指されるべきものと刻みこまれたことがそもそもの発端という気がする。今の子供って物知り・利口になりたい(仕事できるようになりたい・余裕になりたい、ではなく)って思ってんのかな?思ってなさそう。
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200816
辰巳JUNK『アメリカン・セレブリティーズ』 スモール出版 (2020) http://www.small-light.com/books/book075.html
特に前半のポップスターと左右対立みたいな話に興味あって、ビヨンセなんかレディ・ガガに比べて全派閥的にそれなりに人気あると思ってたが「共和党支持者から最も嫌われる女性」と書かれていてへ〜と思った。むしろ政治的に立場をはっきりさせて半数の人口の支持を切り捨ててもなおマッシブなスターでいられる…というのがアメリカの市場のデカさってことだろうか。
そういえばスーパボウルでのレディ・ガガによる国歌独唱(2016)https://www.youtube.com/watch?v=GbXSZBnBOQ4 やハーフタイム・ショー(2017、特に冒頭)https://www.youtube.com/watch?v=txXwg712zw4の映像を見るたびに「アメリカ人は右派も左派も愛国者なんだ」と思う。ビヨンセのハーフタイム・ショー(2016)での『Formation』は賛否両論だったと書いてあるが、確かにレディ・ガガの方が全アメリカ的・祝祭的、ビヨンセの方がコンセプチュアルと言えるかも、と思った。なんとなく逆っぽく思ってたが。
ところでこの本、カギカッコ閉じの後に句点を打たないなどタイポグラフィ面で見慣れぬ点がいろいろあった。
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200816
田村明『都市ヨコハマをつくる』 中公新書(1983) https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784121006783
この春、横浜をうろうろしているときに、関内周辺で首都高横羽線が半地下(地下だけど上にフタがされてない)になっているところ( https://bit.ly/2HNM5fZ )が気になっていたので、そうなった経緯など主に興味深く読む。昭和43年当時は、首都高は横浜駅方面から今の関内駅前の新設インターチェンジを経て大通公園上を走る全区間高架の計画だったそう。市はこれだと関内〜伊勢佐木町間が分断されるし、なにより大通公園の緑化が実現できないと反対して、国とのシビアな折衝ののち、現在の桜木町〜横浜公園間の地下化と、石川町ジャンクション〜中村川上空へのルート変更が実現した由。
しかし…実際この周辺を歩いてみると、どう考えても関内と以南が分断されている印象は強い。やっぱ地上に穴が空いててなんもない帯状の空間があるのは、上を高架が通ってるよりも分断効果が高いように思う。歩行者にとってはアイレベルに何かがあるかどうかが都市空間の連続性をほぼ100%左右するのではないか。特に横浜スタジアムの裏の料金所のところなんか超裏っぽい公園になってたりして、突然の無!という感じがする。
完全な地下トンネルなら上を緑化するなりできたはずだが、なぜ掘割になったのか?それは本では簡単にしか触れられてないが、ここで詳しい経緯を読めた。https://www.city.yokohama.lg.jp/city-info/seisaku/torikumi/shien/tyousakihou/63.files/0006_20191121.pdf
そもそもこの道自体がもとは川で地盤が緩かったこと、同ルートにはすでに高架で根岸線が通っていた(昭和39年開業)こと、同じ地下に途中まで市営地下鉄も通る計画だったこと、高速道路の幅員のトンネルを掘ることがこの時代難しかったこと等々が理由のようだ。なんというか…都市計画というものが、常に効率よく上手くいくわけではないことを深く味わわせるというか、空間と同じぐらい時間・歴史の問題でもあるのだ…と重く感じ入る話だ。もし時代が前後して国鉄と一貫して計画できていれば、むしろ根岸線を地下化して首都高は高架、地上には船場センタービルや銀座ナインみたいなものを作れただろう。本の感想じゃなくなっちゃった。
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200829
網野善彦『古文書返却の旅』 中公新書(1999) http://www.chuko.co.jp/shinsho/1999/10/101503.html
網野善彦は1950年からの5年間、水産庁所管の水産研究所に所属して、漁業制度調査のため、日本国内のいろんな地方の古い家の蔵とかたんすにしまってある古文書を組織的に探し回っていた。それらを調査研究のために��用して、借用書も書いて、東京に持ってくるのだが、取り扱いに不慣れだったり、研究所の閉鎖や改組で混乱したりして、返却が約束から数十年遅れてたりしていた…という話。状況は違えど、目前の仕事が忙しく、長いスパンの約束を反故にしかける…という状況に心当たりありすぎて悪夢のような気持ちに。
いろんな土地の話が出てくるが、奥能登の旧家が総合商社みたいになって北海道まで船で行ってたとか、前田の故郷古座川や、わしの父祖の地(実際には父の母の故郷)伊東市宇佐美も登場して全部興味深かった。
芦屋のある家に保管されていた文書が、阪神淡路大震災で家は焼けずに残ったので無事ではあったが、半壊した家の中になかなか入れず、歴史学会の協力でやっと探索できたときには何者かが持ち去った後だった、という話などは胸の痛くなる話だ。古文書の写しやその研究成果が出版されるというのは、一番の保守作業でもあるのだなと思った。500部でも100部でも出版すれば、日本に文書が500箇所100箇所に散在していることになって、一発の地震や盗難や火事や過失で消えていく可能性が低いから…。
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200829
安野モヨコ『後ハッピーマニア』 祥伝社(2020) https://www.shodensha.co.jp/gohappymania/
重田、45歳にしては顔面老いてないな…と思った。目元には若干しわある感じするが、輪郭とか鼻の脇のかわがズルッとなってる感じは描きづらいのだろうか。痩せてても中年になるとそうなる気がするが。フクちゃんは若干腹出てるのとか結構中年に見える。高橋の好きになった女の人は髪のツヤベタが異様に繊細なのがすごい。描き方がていねいだとていねいな人(?)のように見える…。あとフクちゃんのマッサージ師みたいなやつ、もっと二の腕とか太くてむちむちした感じの方がリアルな気がしたが、フクちゃんはマッチョ嫌いなのかも。絵とかキャラの話ばっかり…。
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200901
I. ブルマ、A. マルガリート、堀田江里・訳『反西洋思想』 新潮新書(2006) https://www.shinchosha.co.jp/book/610182/
西欧・近代・資本主義・都市・科学などに代表される「西洋」に対して、19世紀末から20世紀前半のドイツ、ロシア帝国、第二次大戦下の日本、イスラム原理主義者などその外部の人々が抱く「殺人的な憎悪」のことを「オクシデンタリズム」というとのこと。
興味深かったトピックはドイツと日本について。19世紀後半のドイツでは、営利・効率主義(=ロンドン)、フランス革命以来の理想的な普遍主義(=パリ)に対し、商人(英)vs 英雄(独)、作家・芸術家・法学者(仏)vs 詩人・哲学者(独)、という構図で、ドイツをロマン主義的に称揚する思想が展開された。日本から見たらドイツも西洋の一国だけど、ドイツにとっては「西洋」としての西欧は対抗するべきものとする国民感情が育くまれていた(トーマス・アプト、ヴェルナー・ゾンバルト等)。
日本で特攻隊に(強制的に)志願した学生たちは、戦前のドイツロマン主義の著作を読んでいたし、そもそも明治の知識人や政治家たちが「近代国家の政体そのものに関して、最適な手本」として共感を寄せたのが「愛国的な民族が軍事的君主によって統治されるドイツ民族ナショナリズム」でもあった、とある。かなりシンプルに整理して書いてる感じするが、とにかくオクシデンタリズムというのはまず西洋の中で始まったし、特に非西洋の国に移植つまり恣意的な政治利用をされうる、そのとき最も先鋭化し暴力的になりうる、ということである。
後半結構集中力が切れて適当に読んでしまった…。あとで気づいたが10年以上前の本なのだった。イスラム原理主義についてかなり紙幅を割いているのもその時代だからだろうか。
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tezzo-text · 4 years
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200803 転注についての読書など
仕事で六書のうちの転注について調べていた(どんな仕事?)。六書の表記で現在通用しているのは、後漢の許慎『説文解字』による序文(の写し。通称「許叙」)にあるバージョンで、それぞれ象形、指事、形聲、會意、轉注、假借をいう。https://ctext.org/shuo-wen-jie-zi/xu/zh
表記は許叙のものが一般的だが、順番はなぜか班固『漢書』芸文志に倣って上のとおり並べる。六書はほかにも『周禮』の鄭衆による注釈(を甥の鄭玄が引用した注)にも登場し、この三つが主な資料となっている(どれも後漢のもの)。
六書のうち象形・指示が文(それ以上分割できない文字、木・生など)、会意・形声が字(文の組み合わせでできる文字、鈴・哲など)の造字原理で、転注・仮借は、字と字義の結びつき方の原理、つまり用字原理とのことだが、この転注についてだけは記述が曖昧で、いろいろな人がいろいろな説を出しているがはっきりしたことがわからない。
まあわしは研究者ではないので、どの案が今の自分に説得力があるかが分かればいいのだが、それにも根拠がなければ納得しないわけで、少しものを読んだ。
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200802 諸橋轍次・渡辺末吉・鎌田正・米山寅太郎『新漢和辞典 改訂版』附録 大修館書店(1963) https://www.taishukan.co.jp/book/b197675.html
私の漢和辞典は子供の頃からこれ…というか元々父の物だったが知らないうちにわしのになったのだが…。これは『大漢和辭典』後に出た一般向け卓上版みたいな感じで、巻末にいろんな資料が載っている。「漢字の構造」という章の中で、転注について「一定の論がない」が「しかしいずれもすでにできあがっている文字を、種種に働かせ活用させていく上の工夫」とまず概説し、ざっくりと「文字の持つ原義(本義)をおし広めて、新しい意味内容を書き出してゆく方法」と紹介している。例えば「好」の原義は若い女であり、そこからよい・美しいの意となり、さらに好むの意と転じていく(引伸義)。また音楽を表す「楽」(ガク)がたのしいの義に展開すると、「楽」(ラク)となり音も変わるとある。
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200802 河野六郎 西田龍雄『文字贔屓 文字のエッセンスをめぐる3つの対話』 三省堂(1995) https://www.sanseido-publ.co.jp/sinagire/mojibiiki.html
この本では河野六郎が、転注も他の五つと同じくわかり切った簡単なアイデアのはずと言っている。エジプト・オリエントの文字の研究経験を通じて、そこに「六書の中にはない原理が一つある」ことを発見したとのこと。
例えばエジプト文字(ヒエログリフ?)で◎は sun と day 両方の意味と読みを持ち、のちに◎を要素に持つ二つの形声文字として各々分化した。そのとき読みも sun(ラア)と day(ヘレウ)に分かれた。このような事例が転注ではないか?という。つまり仮借は声を軸にした転用、転注は義を軸にした転用、という主張である。
説文解字にある「考、老」の例については以下のように説明している。そもそもは「老」が原字で「ロウ=おいる」が原義。しかしかつて「コウ=亡くなった父親」という語を表すために同じ「老」を転用してやりくりしていた用例が多数ある。この homograph(同じ字で違う語を表す)的状況はしかし「伝達には障害」だったため、のちに老は部首化して耂となり、「コウ」はそれへ声符のついた「考」と書かれるようになった。これは仮借字でむしろ原字のほうに義符をつけて弁別したのと対応する(求→裘など)。
仮借字は文脈に唐突な文字が入ってくるし、それを「知らないと古典は読めないというほど」だったが、転注字は字が同じで義も近く混乱することが多く、ほとんどが形声字のようになって多くは淘汰されたので、転注と言うものがわかりにくくなっているのだと述べている。
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200803 阿辻哲次『新装版 漢字学 『説文解字』の世界』 三省堂(2013) https://www.press.tokai.ac.jp/bookdetail.jsp?isbn_code=ISBN978-4-486-02010-3
こちらでは転注について「中国文字学二千年の謎」と断ったうえで、転注とは「互訓」のことだと書いてある。説文解字本編で老・考を引くと、老には「考なり」、考には「老なり」とまず出ている。こういう「二つの文字がお互いに他方を注釈しあうというこの方法は訓古学で『互訓』といわれるもの」であり、これがつまり転注のことだという。これは転注が「数字一義」、仮借が「一字数義」と対応関係にあると書かれている。若干説得力がない気もするが…。
また、文字の構成原理である象形〜形声と、用字法についての仮借・転注の、別の二つの種類のものが六書としてセットになっているのは、より理論的に由緒正しい詩経の六義などに通ずる(名数的?)アイデアから出てきたもので、ある意味六書成立の経緯に絡む権威性のアピールのために選ばれたのだとも言っている。
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200803
白川静『漢字百話』 中公新書(1978) http://www.chuko.co.jp/shinsho/1978/04/100500.html
白川静は「奕声」というものに注目して転注についても論じている。形声字における声符のうち、半分義符の役割もはたしている場合、これを奕声というらしい。例えば「兪」は「ユ」音の声符ではあるが、原義は(白川の定義では)一種の外科手術の場面をあらわす字である。それで「愈・愉・癒などはみなその系列の字であり、逾・踰・輸なども、これを除去して他に移すことと関連するものといえよう」とある。
ほかにも「ケイ」音の声符であり「垂直にして基軸となるも」を表す義符である巠(經の原字)が人体においては頸・經、事物には莖・輕などに用いられている例もある。
転注については「『建類一首、同意相承(ママ)く』るものであるという。この規定を、一つの形体素が声義の上で系列をなしているものと解しうるならば、さきにあげた奕声字がこれにあたることになる」と述べているが、ちょっとよく分からない。例にある「字例として『孝(ママ)老是也』と声の異なる字をあげていることが問題」だがこれを「後人の附加とする説もあ」ると退けているのもちょっと中途半端な気が…。学術書じゃなくて一般向けの新書だから紙幅が足りなかったのであろう。
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200803 狩谷棭齋『轉注説』 http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/1835_tenchusetsu.htm#B
ここでは主に清代の研究者たちのいろんな意見が書いてある。
「転」は「物の移る」こと、「注」は「水の甲より乙に流し注ぐが本義なり。(中略)物は其物ながら、名を異にするを云ふ。(中略)轉じて書の解しがたきを釋するを注と云ふ。」という字義の解釈があり、「戴震は此義によりて、轉注を互訓とせり。段玉裁此説に從ひた」る、と述べられていてこれは阿辻哲次のアイデアと同じ。
これに対し「許宗彦が鑑止水齋文集の轉注説に是を破りて、東漢以前古書を釋するをば(中略)注と云へること無し。鄭玄始めて箋注の名ありて後、多く注と云へり。かく東漢に始まりし注の義を以て、古より有る轉注の注に當てんとするは篤論にあらずと云へり」とあって、「注」がそのように用いられることは考証上おかしいと反論もあるようだ。
しかし冒頭で、許叙のうち「一曰指事」「二曰象形」と六書の名前を表した以外のそれぞれ15字×6行の部分は後世の人の勝手な追加(羼入)だという、前提を覆すような主張がある。これは白川静も書いていたが、ここでは、だから転注についても「建類一首、同意相受、考老是也」をベースに解釈しているものはなんにせよあやふやな可能性が高いというのである。
江永は義が「展轉引伸」して音は変わったり変わらなかったりするようするのが転注、義は関係なく音が同じか近いものを借りるのが仮借、とあって、これは河野六郎の意見に近いし、棭齋も評価している。ただし棭齋は「羼入」にこだわっているので、これを考慮せずこのアイデアが導かれたのはたまたまで、しっかりした説とは言えない、と厳しい。
最後の附録では白川静の奕声=転注に近いアイデアが紹介され、これが転注であると述べられている(多分…)。
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色々読んでみると、やっぱ河野六郎と江永のアイデアが整合的なような気がする。ちなみに江永は清の学者(1681-1762)で戴震や段玉裁の先生とのこと。
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tezzo-text · 4 years
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200727 七月の読書など
昔読んだ本をもう一回読んだ時、内容をごっそり忘れていて愕然とする…。ということで短くてもサマリーや感想を書いとこうと思い立った。いにしえのミクシィやってた時は読書メモみたいなのつけてたんですけどネ…なんつって。
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200712
大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』 岩波新書(2019) https://www.iwanami.co.jp/book/b458082.html
玉川高島屋で買って駅の喫茶でちょっと読もうと思ったら一気読みしてしまった。ちなみに昼は実家ですき焼きを食ったので、そこへコーヒーを飲んで胃がもたれ、鎮まり、ぶりかえしもたれ、鎮まり、を繰り返しつつの読書であった。
興味深かったトピックは以下の通り。
・ソ連は戦術と戦略を繋ぐ「作戦術」(戦略の下位分類)を重視していて、軍事思想家による理論化が他国に比べて相当進んでいた。独ソ戦以前から内戦でも実践されて理論が練り上げられ、満洲でも展開、ベトナム戦争以降のアメリカにも注目される。
・ドイツの収奪戦争の原因としてヒトラーのイデオロギーが強調されるが、戦間期の国内世論を優先したゆえの財政出動と、軍拡との、本来不可能なはずの両立を目指したことがもう一つの原因だった。ナチスにいい思いをさせられていたという点で、ドイツ国民は東部戦線が絶望的になっても第一次大戦のときのように騒擾やストなどで内側/下側から戦争を終わらせようとする運動を起こしえなかった。実際に国民に困窮を強いる総動員体制があった日本と、ユダヤ人はじめ被迫害層を作り出すことで労使や階級間の対立を糊塗していたドイツとで、戦後の感覚が違うんでは?と思った。
・ソ連はドイツの戦力を引きつけていることから、連合国側に対する「貸し」があり、独ソ戦の最中には米英に対して西部戦線の再開要求をする等、また戦後処理にあたっても交渉材料にしていた。逆に日本はドイツが東部戦線に投下している軍事的資源を対米戦争にも回してほしくて、独ソ講和のために工作していた。
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200715
三島由紀夫『暁の寺』 新潮文庫(1977) https://www.shinchosha.co.jp/book/105023/
『春の雪』は大学生の時に華族の生活とは…ということが知りたくて読んだが、再読してみると、松枝清顕という人はやたらひねくれてるのに、こんな風にまっすぐ恋に引きずりこまれることってある?というデリカシーゼロの感想に…。あるか。
『奔馬』は関係するいろいろを見聞きしながら読んでたので興味深かった。
https://youtu.be/AlpWBGPwjl0 https://youtu.be/im5aRdSN7Dw
例えばこれである。
ここで自決直前の三島由紀夫���「単なる右傾化した文化人��して保守勢力に利用されるのでは?」と言われ、「僕は絶対その手には乗らない、今にわかります」と明るく喋っていてたまげる。
関係ないが彼の肉声を聞いてると、〇〇ですね、というところを、〇〇ですねぃ、とちょっと古風な感じに発音していて、彼と話した人は、そのなんともいえないかっこよさに感じ入ってみんな好きになっちゃうんじゃないか…という気がする。
後半、学生は革命のために死ぬか?という話の中で、明治維新あるいは戦争末期のインテリ青年たちは葛藤の中で死んでいったけど、昔の人は単細胞だから死んだのではない、安田講堂事件では学生は意外にあっさり降伏したが、それは命が一番大事という戦後教育の現れではないか、と二人は言っている。三島由紀夫が死んだのが1970年、あさま山荘事件が72年。もし彼がそこまで生きていて事件の報道を見たとしても、よりガッカリが深まるかもしれないが、その認識は動かないだろうと思った。
それから、防大出たての3尉と話したら「自衛官は純粋な技術者なので、日本が共産主義国だろうと国を守るために仕事する」と言っていた、という話も興味深かった。戦中も海軍ではわりと合理主義的だったとのこと。
https://genron-cafe.jp/event/20190309/
最近ポッドキャストでこれについて話して思い出したが、ここでも軍人が「職業」倫理を超えた一般的市民的な倫理(あるいはイデオロギー?)みたいなものを持つべきかどうか…みたいな議論があった。確かに、自衛官はそういう個人的な議論から疎外されてもいいのか…なんて考えたこともない。他の仕事でも似た問題はあるが、軍人に限ってはなんといってもクーデターの可能性があるから例外的な問題のように思っていた、としか言えない。
https://www2.nhk.or.jp/archives/tv60bin/detail/index.cgi?das_id=D0009010235_00000 https://youtu.be/l-yOlKFOIko
クーデターといえば二・二六事件。なんかドキュメンタリーがないかと思って探したら、まだ生きてる家族にインタビューしている番組があった。奥さん方が夫や同僚の自死や処刑について話している。仕事の中に死が含まれているのが当然の時代と、仕事中の死が大事故大労災でしかない時代を両方知っているというのはどんな経験だろうか…。その転換に呆然としつづけたまま戦後社会に適応して生活してしまうしかないだろう、というのを、死について話す奥さん方の語り口が淡々としているのを聞いて思う。
https://www.youtube.com/watch?v=NdwxVkQP2Tw
などと考えていたら、先日フランスのタイプ学生エミリーさんにこの映画を勧められたことを思い出したので、見た。戦士階級は実質軍事的な業務に就かなくても、「仕事の中に死が含まれている」という建前を特権の源泉にしていて、この映画では生活上の切実な本音とそれとが全面的にぶつかり合っている。
https://youtu.be/bO-w-cn-pJM
前後して『憂國』も見た。後から知ったが、三島由紀夫が映画『憂國』を作ったのは『切腹』の影響もあったそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)#%E8%A9%95%E4%BE%A1
彼は『切腹』をこのように評価している。本物の日本刀でスパッと腹を切ることができない、竹光と皮膚がすさまじい摩擦を起こしつつ突き抜けてゆく、というのはまさに、建前と本音の摩擦そのものだ。それは「主題の強調と展開のため」の的確な表現ではあるが、確かに切腹シーンのインパクト自体が独立して迫ってきて、単に「かわいそうなお侍さん」「本音を建前が殺した悲劇」という感想を持つのが逆に憚られる気持ちになる。ただし彼がいうように残酷「美」を感じはしなかったが…。
ということで『奔馬』は読みながら色々考えていたが、『暁の寺』がどうだっかというと、(松坂?)慶子の印象のばっちりキマり具合の面白さ……はさておき、まあ今のところよく分からんというのが感想である。上の対談で、前半の唯識についてのとこがわかりづらいと古林尚が言っているが、そこはわりとスッと読めた。それより若い娘への惹かれ具合なんかが全然意味わからんという感じ。むしろところどころ、話の本筋とそこまで関係ない5〜10行ぐらいの描写なんかに感心したりした。
「彼はそもそも「物」に触ったことがなかったのではないか?  これはこの年になってからの奇妙な発見だった。本多はその生涯を通して、およそ閑暇というものを知らなかったが、それは労働者たちが労働をとおして知る自然の手ざわり、海、その波、樹、その堅さ、石、その重さ、それから船具や引網や猟銃などの道具の手ざわりに、別の方向から、閑暇をとおして親しむにいたる貴族的な生活とも、ほとんど無縁にすごしてきた証拠であった。」など。
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200726
Richard Coyne, 松井健太・訳『思想家と建築 デリダ』 丸善出版(2019) https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/?book_no=303548
ラ・ヴィレット公園内の庭園をピーター・アイゼンマンが担当し、デリダを招いて設計した(実施されず)の話など興味深く読む。プラトンが提唱したといわれる、イデア界でも現実界でもない三つ目の場所「コーラ」を庭園に表現しようとしたらしいが、そのコーラが何なのかわからない。検索してみたら中沢新一『精霊の王』に出てくる「後戸の空間」と重ねて評しているものを見つけ、そういえばあれを読んだ時も全編謎だったのでなんか納得してしまった。
このアイゼンマンとデリダのやりとりは出版もされたが、デリダは議論に不満だったとのこと。本の編集者は、「彼(デリダ)はゾッとするようなことを私にいった。『植物のない庭なんてあるのかい』、『木々はどこにあるんだい』『人が腰掛けるベンチはどこにあるんだい』。こういったものこそが、哲学者たちの望んでいることなのだ。彼らはベンチが置かれる場所を知りたがっているのだ。」とデリダの発言を紹介しているが、アイゼンマンの方がコーラや脱構築というアイデアをデザインに落とし込めるものと捉えてしまって、デリダを招いた甲斐のないものをやりたがっているように思った。
デリダは「コーラは建築であるとか建築の新しい空間であるとかいったように述べることはできないのです」「ピーターのような建築家と建設を妨げるあらゆる権力とのあいだの交渉、このような交渉こそがまさに建築としての脱構築、あるいはひとつの建築としての脱構築が生じ得る場なのです。」「脱構築的なものとみなすことができるようなオブジェクトは存在しない」などと言っている。どれも確かにという感じ。「デリダがアイゼンマンに求めたのは、貧困、公営住宅、ホームレスといった建築に関連する別の問題について考えることであった。」とも。
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tezzo-text · 4 years
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200613 森の人々
2009年は芸大の一年生キャンパスがある茨城県取手に1年間住んでいた。常磐線下り電車で千葉に入って松戸や柏を過ぎ、茨城との県境である利根川を渡ってすぐにあるのが取手駅である。私はその駅西口の坂を登ってすぐのアパートで生まれて初めて一人暮らしをした(当時20歳)。大学のキャンパスは駅から5kmぐらい離れたこれも川辺にあり、私は雨の日はスクール・バスで、それ以外の日は自転車で主に通学していた。
大学までの行き方は日によって気分で変えていて、基本的にはバスと同じ経路が一番近い。でも私が好きだったのは、利根川沿いを走る道だった。私のアパートは大利根橋を走る国道6号線沿いにあり、家から出て橋のたもとまで行って川辺に出、そこから東へ左折すればあとは大学のあたりまで川沿いの遊歩道の一本道である。
私の高校も多摩川のほとりにあり、たまに河原に出て遊んだりしたものだ。高校の裏の河原にはちょろっとグラウンドがあり、その先はすぐ礫がちの河川敷である。あるいは二子玉川とか、そんなような私の見慣れた河原と、利根川の河原は違っていた。堤を降りるとグラウンドがあるのは同じだが、その先に大規模な茂みというか森があって、それに阻まれて川面に接することはできないのだ。
森の帯は駅側から大学まで行く途上で分厚くなったり狭くなったりするが、ちょうど中間地点の浄水場あたりから、芝生の広々した空間はなくなって、河川敷のほとんどが森に覆われてしまう。その森の中に果樹園や小道や小さな堀のようなものが散在している。さらに進んでいくとより分厚い森の地帯に入り、その中を小貝川の合流地点までまっすぐ約2kmほどの道が通っている。川面側の右手は目線の高さまであるススキの茂みと低木で水面はもちろん望めない。
私が大好きだったのは、その進行方向左手に続く景色だった。そこはもう芸大の敷地の裏手になっているところだが、一番高いところに校舎の屋根が見え、森はそこからおそらく数十mの高低差がある斜面を覆っている。傾斜がおさまったところからは下生えと灌木が続き、その中に洪水で傾いた木々が点々と、ときに密集して生えている。こちら側はススキに覆い隠されていないので、道からその林の奥の方まで見えるのだが、50~60mは奥行きがありそうだった。それがとても美しい林で、木々の低い枝と下草の草叢の間の空間がゆったりと広がっていて、それがどこか人工的に整えられた優雅な屋外広間にも見える。人のいない天然の庭園が長々と伸びているようだった。
この森の中には人が住んでいると大学では言われていて、実際に大学のごみ捨て場から拾われた石膏像や画材で飾り付けられた、森の中の何者かの家の映像を私も見たことがある。そんな噂を聞いていたからか、私がこの風景を見て思い出したのは戸川純の『森の人々』という曲である。
https://music.apple.com/jp/album/%E6%A3%AE%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%85-2016-remaster/1184272336?i=1184272635&l=en
森に迷い込んだ自分たちを誰かが眺めている、顔を見合わせクスクスと笑っている、でも藪の向こうにチラリと目が見えるだけでそれが誰なのか、悪意があるのか、もてなしているのかわからない…そんな感じ。どうも林の奥の方が広くなっているようで、実際よく目を凝らすと林の奥の方に何かが干してあったり、菜園のようなものが作られていたり、テーブルを出して趣旨のわからないパーティをしている人々がいるのが見えたような気がしたが、それは本当に見えたのか、それらがあるように思っていたのかはわからない。
そこから大学の門まで行くには、その中にわずかに通じている獣道を通って、舗装されているんだかいないんだか分からない斜面を巻く道までたどり着き、民家のある崖上まで登るのだが、その道の脇は茂みになっていて林の奥は見えず、なにか巧妙に林の奥の空間が隠されているような意図さえ感じた。
確実に奥に何かがあるようだがよく見えない、そして壁で囲われていたり、入ってはいけないことになっていたり、藪が繁っていたり湿地になっていたりして歩けず、奥まで行くことができない、でも誰かがいて、私の知らない何か楽しい集まりをしている…というような感じ…。これは私が昔から庭というものに惹かれる感覚の根本にあるものだ。だから皇居にも興味があるし、住宅街を散歩していて入り組んだ庭が垣根の隙間から見えた時や、古いマンションの一階に居住者しか入れない庭があって、アプローチや自転車置き場を構成する複雑に折れ曲がった壁の端に、庭へ通じる小さなドアがあって鍵がかかっているのを見るにつけ、なんとも言えない苦しいような、羨ましいような、緊張するような気持ちになる。「ゆかしい(行かしい)」とはまさにこういう気持ちのことだと思う。だから私はフランス庭園やイギリス庭園より、神秘的で不気味なイタリア庭園に惹かれる。
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森の人々のことは実際の景色だけではなく絵を見たときにも思い出す。
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Félix Vallotton - La Mare   1909
この池の絵は、今は誰も写っていないが、人々はどこかよそに物を集めに行っているところで、もう少ししたらここに戻ってくるような気がする。
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Thomas Wilmer Dewing - Summer   1890
この絵では、森の人々が我々には分からないテーマで集まって楽しんでいる貴重なシーンで、滅多に見れないところに運よく遭遇した、という感じがする。
とくにオチはないのだが、このように森の人々のことが気になりつづけている私であった。
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追記(200616) 利根川ともう一つ、私が心打たれた河原の風景を思い出した。それはデュッセルドルフのライン川の川辺である。2013年秋、私は大学院見学の��の合間にアムステルダムからドイツへ電車で出掛け、デュッセの駅から長大な橋を渡ったところにあるユースホステル(DJH)に泊まった。荷物を置いて川辺に出てみると川が増水していて、おそらく普段はピクニックに最適と思われる毛足の長い芝生がタプタプと水に漬かっていた。ひとまず河原を散歩してみようと思い下流へ進んでいくと、小さなすばらしい農園のようなものが集まっていると思われるところに通りかかった。なぜ確証を得ないかというと、農園と思しき区画の中は木がものすごく繁茂しフェンスで囲われているので、外から中に何があるのか見えなかったからである(写真参照)。ここは確かに市民の活動範囲内であり、森の人々が隠棲しているようなところではない。しかしナラやポプラの木のヨーロッパらし���木々の雰囲気や、中を覗けない様子などにほだされ、何かエキゾチックな森の風景として私の頭に残っている。 今調べたら上流側に少し歩いた工業地帯の脇に、Ölgangsinsel という保護区になっている湿地帯もあるようで、そちらの風景も素晴らしそうだ。そっちも行けばよかった。ろくに調べもせず、私はその後市内へ歩いていってデパートでハムやパンを眺めていた(だけで買いはしない)のだった…。
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さらに追記(200617) もう一つ思い出したことがある。これは2013年の記事だが、何かのきっかけでローマの郊外の湿地に住むこの家族について読んで、その時も森の人々のことを思い出した。 https://www.theguardian.com/artanddesign/2013/feb/15/the-garden-alessandro-imbriaco-photographs この Alessandro Imbriaco という写真家はこの作品の前に、イタリアの主に東ヨーロッパ・アフリカ系の移民たちが都市部郊外を問わずいろんな場所に(不法に)住み着いている様子を取材しているが、彼のサイトでは記事で紹介されている前プロジェクトの一部がpdfで見られる。 http://www.alessandroimbriaco.com/A_place_to_stay_files/a%20place%20to%20stay%20bassa.pdf 重要なのは、移民にこのような居住形態を強いる経済的な問題についてジャーナリスティックに紹介していくことは望ましいとはいえ、Imbriaco も私も、むしろ隠遁・穴居する伝統的なヨーロッパの隠者のイメージを彼らに重ね合わせて鑑賞している、ということである。記事にある通り写真集『The Garden』では光の美しさ、娘の経験の豊かさなどが意図的に強調されている。それは新古典主義時代の貴族の地所の「お雇い隠者」にも通ずる理想化趣味(?)の名残りともいえそうだ。
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tezzo-text · 4 years
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200522 ギャル&ババア&aiko
前々回の続きだが、世の中の問題で、私が人並みに悩まずに済んでいる問題、そのうちの一つが性にまつわる問題だと思う。なんか…まあマジョリティだから悩みなんてないでしょうね!と言われたら、それこそ横暴な決めつけで誰でも問題を抱えている可能性はある、と答えるのが正しいが、自分に限ってはまじであんまり葛藤がないというのが正直な気持ちである。
それゆえに私は、性に葛藤を持たぬ無頓着な者として、周りの人にセクシスト的な言動を繰り出してきたことはまちがいない。それは今後とも気をつけてゆきたいが、それが周りの人にだけでなく、自分や自分の言葉遣いにも向けられているのではないか?ということをちょっと思ったので、そのことをメモしておきたい。
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いつからか私が発するようになったフレーズに「私の心の中のギャル」「私の心の中のババア」がある。
時折、何かの拍子に自分の中のギャルの軍勢が活気だち、男性性が与党である心の中の議会を揺るがすことがある。そうなると仕事上の判断、審美的な判断、友人のとの会話での言葉選びに、ときおり私のギャル人格が影響を及ぼす。ギャルさがどんなものかというのはいろんな定義があるのでなんとも言いがたいが、私にとっては、とにかく溌剌さとケバさ・超効率的な割り切れ感・単に生き生きしているだけでなく満足できない時はブスッとすることになんら躊躇しない気高さ(?)が圧倒的にあり、周囲を巻き込み心なしか体を火照らせる…みたいな魅力のことだと思う。その奥の方に可憐さ、守られたいような風情があるかどうかというのはわりとどうでもよく、実際にある場合も、あってほしいという需要を戦略的に汲み取っている場合も、ない場合もあると思う。ギャルが私の心の議席を占拠しかけている時は盛り上がってなんか金額高めのものを買ったり、デザインの仕事をしていても細かい部分で判断に影響があったりする。
とはいえ今までの仕事の中で、ギャルが連立与党として意思決定の主体となったまでのものはないので、もっと勢力が伸長して仕事の表面に出てくることはこれから期待したいことだ。そうなったときいつでも対応できるように、ラインストーンとかフェザーとかネイル用のちっちゃいシール(揚羽蝶モチーフ)などの素材を買って家に置いとくといいのかもしれない(?)。まあ…私は自分のギャル性は藤井みほな的ギャルではなく矢沢あい的ギャルのような気もするが…。
ババアについては、ババアという蔑称を私(若い男)が使うことが非難されることを年々強く意識しているが、ここで森茉莉の文章を引用したい。
怠け者で、掃除嫌いで、どこか茫洋として大陸的な、それでいて徹底的な勘定高さ、吝嗇を通りこした合理性を持っていて精力的な、支那の大衆の一部が、この南京街の暗い硝子戸の中に強靭に生きているのを、私は感じないではいられなかった。そうしてその大衆の後ろには「支那」という、私が尊敬と恐怖とを抱いている大国が座っていた。
(中略)
臆病な私は理由もなく怖れ、彼らを怒らせまいとして、内心では中華民国なんていう新出来の国名は、大国支那を安っぽくすると、考えているにも係わらず、「中国の人は……」などとことさらに彼らの耳に届くように、伴れの青年に囁き、ウロウロした眼を辺りにさまよわせたのだった。
森茉莉『私の美の世界』(1968)
森茉莉が正しくないと理解しながらおそるおそる「中国」を「支那」と呼んでいたその気持ちで、私も「中年女性」「高齢女性」「おばさん」に対する尊敬、憧憬、畏怖を込めて「ババア」と呼んでいるのである。ただ森茉莉はおそらく戦後「支那」という呼称が差別語として確実に駆逐されるギリ直前に死んだが、私の場合は近いうちに「ババア」が駆逐されたあとの時代を生きるだろうから事情は違かろう。
ともあれ私が「ババア」に込めているのは、当人にとってもその内実がブラックボックスになっているタイプの創造性が、生活と連関しつつも、ときに暴走するようなキャラクターである。例えば私の心の中には辰巳芳子、志村ふくみ方面の人格もいるが、彼女たちはババアではない。森茉莉、黒柳徹子、平野レミとなるとやや微妙だが、厳密には違うと思われる。米原万里などはエッセイを読んでいると実は結構ババアのような気配がある。
2013年、アイントホーフェンの Van Abbemuseum で Self Unself という展覧会を見た。Loes Veenstra というオランダのババアが1955年からなぜか作り続けた550点の手編みのセーターの展示が、今も心に残っている。 https://christienmeindertsma.com/The-collected-knitwork-of-Loes-Veenstra 誰かに着せるためのものじゃなかったというのもすごいが、そうでなくても550個って…。確実に創造性が合理性を凌駕して暴走している状態、これこそまさに私が畏れ、しかし親しみを感じるババアみである。
あとかつて渡辺さんが言っていたが、例えば戸棚にお人形を飾るのが好きなババアは、微妙なお人形のテイストや趣味のよしあしに各人こだわりはあれど、「戸棚にお人形を飾ることは(かわ)いい」ということに対し徹底的に無反省なことが多い。その範囲内において過激に暴走する。私は江國香織『流しのしたの骨』に登場する「母」が好きだが、彼女の中では鍋物などをするとき食卓に置く卓上コンロが無粋なものとして「なぜか決定」されており、いつも枯れ枝や落ち葉で覆い隠してしまう。風情はファンシーだがその意志は冷徹なほど…。それもババアの特質の一つである。
正直私の中にも確実にババア性があるというのはおこがましい(というか自覚できるものではないと思うので実際分からない)が、少なくともそういう性質に親近感を持ち、惹かれてもいることは確かである。
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ところで、aikoという者がいる。
わしは前から結構好きで、曲がいいし、あんなピッチいい人いるかねと思っていた。そして歌詞は…あのような歌詞である。よく知らない者はいろいろ聴いてみたり、歌詞を読んでみたりするとよかろう。どういう詞か改めて言語化するとすれば、多くの人が学生時代にロマンチック・ラブ・イデオロギーの不慣れな新規参入者だった時の心情を持続させている���じとでも言おうか。陶酔感、不安&焦燥感、可憐さ、可憐な自分への若干の自意識、卑屈さ…。
先ごろApple Musicに公開されたのでアルバムを聴いてみたりして、少しずつaiko性についての理解を深めていた。そんな折に偶然「King Gnu 井口理のオールナイトニッポン ZERO」にaikoさんがゲスト出演した時の音源を発見したのだが、それを聞いて私は絶句した。井口とのでれついた小芝居をしているが、まじでその辺にしとけ!!!!!!!!と投網を投げかけたくなるほどの凄まじい「後で後悔するタイプのおどけた好意の発露」ぶりなのである。もちろんデフォルメした小芝居ということは承知のうえだが、ふざけてじゃれつくたわごとのやりとりの中から確実に本物のエキスを少しずつ吸い、その陶酔感にまだ身を委ねていていいと判断するラインを予想より遥か甘めに設定なさっているのをありありと感じた。しかしそれを聞きながら私は、私の中にはギャルがおり、ババアもいるが、aikoもいるのだと…そのことを認めざるをえなかった。なぜならそれを聞いた多くの人々はそこまでドン引いているわけでなく明らかに自分だけが過剰反応していたからだ。つまり私はaikoのそのやばぶるまいを揶揄しているのではなく、自分がしかねない問題として危惧していることを自覚したのだ。いや…別にいちゃつき小芝居が罪深いことだと言いたいのではなく、むしろ誰もがやりたいだけやるべきなのだが…。
私がaikoの恋愛集中力ぶりを揶揄できないのは(音楽が好みなのをさておいても)自分の中にもこういう危険な行動を分かっていつつもとりかねない人格があるからだ。わしの心の中のギャルの心の中に、ウェットなギャルがいる…(構造複雑すぎ) 8 Mar 2020
aikoさん「えりあし」『5年後あなたを見つけたら背筋を伸ばして声を掛けるね』ってまじやめとけ系発言界の横綱感ある。 5 Sep 2014
https://twitter.com/TezzoSUZUKI/status/1236642153738072064
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そのことを考えていて気づいたことがある。
私は男として特に葛藤なくこれまでやってきているが、別段男性的であろうとはしてこなかった。もし男性的でありたいという拘束が激しければ、自分の中にギャルやババアやaikoさんがいるということを許せないだろう。それを許せることは私の強さだと思う。
しかし私は自分の中のギャルのようなラメ感、ババアのようなレースのティッシュカバー感、aikoのような陶酔、そういうものを「ギャル」「ババア」「aiko」と女性名のキャラクターでパッケージする限りにおいてしか認め、許すことができない。だからこそ先に書いたように与党は男性であるが野党にギャルやババアを抱えているというような比喩が出てくるのである。つまり、私は自分の中にaiko性があることを認められないほど弱くはないが、それをaiko性とパッケージングしないでただaikoわかる〜🥺と言えるほど強くない。そう気がついた。ただ、確かにそれは私にもある男性性の拘束ゆえであろうが、別にそこから自由になりたいと思っているわけではない。それより問題だと思うのは、そういった性質を女性性として切り分けているということである。
これに気づいた間接的なきっかけは『ラジオ屋さんごっこ』で「ギャル」を自称するValkneeにつーちゃんが「『ギャル』の文化盗用」と切り返していたのを聴いたことだ。私も、私の中のラメ&スワロフスキー的輝きを説明するのに、気恥ずかしさからなのか客観性を装ってなのか、ギャルという独自の文脈ある存在を援用していただけなのでは…?とふと思ったのだ。
私は私の人格が十分に一貫していて統合されているとは思わないが、その分裂の仕方も、議会会派単位に明確にわかれて分裂しているのでさえなく、もっとゲル状に混ざり合っていてもいいのかもしれない。そしてそこに漂うきらめき、ケバさ、不可解さ、あえかさ、かわいさ、そういったものにロールプレイめいた女性名をつけず、私(わたくし)、そういうきらめいてケバく不可解であえかなかわいい者でございます…と言っていいのかもしれない。副次的なキャラが私の中にいるのではなく、複雑なフレーバーが重層した切り分けられないムースのようなものだと。
実際そのパッケージが溶融しかけているのも最近は少しだけ感じてもいる。最近メディア・アーティスト(?)の稗田直人さんがネイルしてる話などを聞いてわしもやりたいと思っているが、そう思った時、その発想は私の中でギャルを経由しなかった。以前なら必ずギャルとしてのごっこ遊び的な段階を頭の中で一度踏んでいただろう。https://naotohieda.com/blog/podcast-012-ja/
しかし最後に矛盾したようなことを書くが、女らしさ、男らしさというようなステレオタイプな表現や、キャラクターやステータスや属性をあらわす語の盗用(?)は避けるべきだとするのは、人の自由さを制限するからという理由においては賛成だが、同じ理由から留保したくも思っている。これらの言葉は単に目指されている概念なわけでなく、足掛かりにされ、組み合わされ、全く別の意味のルビを振られ、したたかで複雑な性の実践のための道具として使い倒されるべきで「形骸化した言葉として残る」のでもよいのではないかと思う。
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