落語家椿家一門の師匠團路が演目「死神」後、本当に死んだ。寄席には右京と冠城も居て……という形で始まった事件。相棒を長らく視聴してきた者としては、右京の落語好きはよく知られています。以前、鑑識の米沢とよくCDの貸し借りとかしてたんですけどねぇ、としんみり。
本当に落語家である林家正蔵さんも椿家小ん路として登場し、(少しですが)「芝浜」の一部を聞くことができます。ちなみに、路里多は「道灌」を演じていました。
S19から、篠原ゆき子さん演じる出雲麗音が捜一に加わり、警察組織のジェンダー問題と、今話では落語界(というか、広く演芸業界)のジェンダーにも踏み込んだ話だったと思います。出雲は捜一に、というか、警察組織にどういう波紋を投げ、それを見て私はどう思うのか、個人的に楽しみです。
【以下は大きめのネタバレを含みます】
■デュープロセス
何人も法の定める適正な手続きによらなければ、生命、自由または財産を奪われないとする原則。適法手続き。(大辞林より)
今作「死神はまだか」は相棒の中でも少し異色だと思いました。「杉下右京がはっきりと決断を下せない」「後は捜一に任せた」というオチは初めて(詳細に検証した訳ではないので、この話もそうではないか。というものがあるかもしれません)だと思うのです。デュープロセス。右京が推理を終えた後、椿家一門を逮捕するだけの証拠は未だありません。捜一の三人が気合を入れるところで推理は終了します。
椿家の一門の寿命は未だ尽きていませんが、その蝋燭は非常に短いものとなり、後で捜査一課という死神が椿家一門の前に現れると思えば、まさに演目「死神」の通り終わったと言えるかもしれません。最後、右京と冠城が祈りを捧げた落語界の大看板も、裁判が始まれば後ろ暗い部分も暴かれ、その時本当に火が消える……のかもしれないという残香がありました。ニクイ演出ですね。
調べて知ったのですが、青木君演じる浅利陽介さんは春風亭正太郎さんに落語を習っているそうです。青木というキャラクターを通してでしたが、着物姿で語る浅利さんを見れたのも面白かったです。
今回の相棒は、本当にきれいに、且つ面白くまとまっていたと思うので是非ご覧になって頂きたい。1月27日までTVer(https://tver.jp/)で配信中です。
【まとめ切れなかった名前】
師匠、團路
弟子 小ん路、怪路、いろ里(この辺までは暖かそうな名前)
丈團 、駄々々團、路里多(この辺から雑)。
Prime video.
【あらすじ】
山奥にキャンプに向かう大学生一行は、キャンプ場に向かうまでに奇妙な男二人組と出会う。巨大なカマを持ち、ぎこちなく仲間に話しかけてくるクマの様な大男と、痩せぎすの男。どうやら二人は古びた小屋に住んでいるようだ。
男たちと別れ、キャンプを楽しんでいた大学生たちだが、夜中、仲間のアリソンが男二人に攫われたと知り、彼女を救うため男たちへの攻撃を企てる。
一方、目覚めたアリソンは……。
さて、もう一つあらすじがあります。
【もう一つのあらすじ】
タッカーとデイルは仲良し男二人組。デイルは女性と触れ合ったことが少なく、道中であった大学生一行の女性たちに勇気を振り絞って話しかけるも怖がられてしまう。山奥の別荘(という名のボロ家)を購入した二人はDIYを決行。夜、湖をボートで遊覧していたら、二人に驚いたアリソンが湖に落ちてしまう。
彼女を救助したタッカーとデイルは、アリソンを休ませるため小屋に連れていくことに……。
そう、この映画、「スプラッタホラー映画の怪人に間違われた二人組が、大学生から襲撃を受ける」というスプラッタホラーコメディ。スプラッタホラーのあるあるを踏襲しつつ、タッカーとデイルの二人組に起こった不幸と、大学生たちの不幸、そして救助したアリソンとデイルの恋模様を描いた作品でもあります。面白かったです。
デイル役のタイラー・ラビンはその昔『Reaper デビルバスター』という作品に出演しており、存在を覚えていました。この作品のサムネイルを見たとき「見なきゃ!」と思い、見ました。
当時からコミカルな演技が素晴らしく、また面白くて、作品が途中で終了してしまった(放送しているチャンネル自体が終わった)のが残念でなりませんでした。また、演技を拝見できてうれしい限りです。
さて、タッカーとデイルに話を戻します。彼らは勘違いと偏見に満ちた大学生たちの襲撃を受けることになります。この大学生たちが非常に運悪く残酷な死を遂げていくことになるのですが、大学生たちが不慮の死を遂げる度、タッカーとデイルに対する疑いが深くなり、ますます逆恨まれてしまうのです。
本当にタッカーとデイルは反撃を決意するまで何もしていません。
逆恨みが募りに募った挙句、ある事実が判明するのですが……、映画が進むにつれ、このオチについては想像できてしまうものの、コメディとしても、スプラッタ作品としても、ホラー作品を揶揄した作品としても楽しめると思います。
タイラー・ラビン出演作をもっと見たくなりました。
英BBC。Prime videoで視聴。
【あらすじ】
アリソンとマイケルは自分たちが住むための家を探している若い夫婦。そんな時、縁戚の老婦人が巨大な屋敷を残して亡くなったことを知る。唯一の親戚筋となったアリソンは、その館を相続することを決め、ホテルに改装して再利用する計画を立てる。
古すぎる屋敷のリフォームに追われるアリソンとマイケル。そんな時、アリソンが館から転落し、生死の境を彷徨うことに。
目覚めた彼女は、館に住む“様々”な幽霊が見えていた。
幽霊が出てくる作品ですが、完全なホラーというわけではなく、ブラックファンタジーコメディというのが説明として近いのではないかな、と思います。非常に面白かったです。
幽霊側は魂が捕らわれている古い館を改装してホテルにしようとするアリソンとマイケル夫妻を追い出そうとするのですが、人間世界ではアリソンとマイケルは金に囚われ、館から離れることができないジレンマという構図も面白かったです。日本にも高すぎる家賃や、一軒家のメンテナンスにお金が割かれ、住まいを追われることが問題になっていますが、それはたぶん、先進国どこも同じなのでしょうね。
館にすむ幽霊たちも死んだ年代様々で、人より猿に近い時代に死んだ幽霊、アリソンの先祖に値するボタン家の夫人、ドレスを纏った純粋なアフリカ系女性、魔女裁判にかけられた女給、館の貴族だっただろう詩人、大戦中の軍人、ボーイスカウト(?)の指導者、セックススキャンダルの後死んだ議員などなど、残念なことにS1しかプライム(調べたところHuluにも)作品がありません。2020年はおそらく英国でもドラマ・映画・舞台非常に悩ましかった年で、続編がいつ撮影されているのか、予算が割り振られるのかもやきもきしながら待たなければならないのだと思います。無事にS2がこちらでも見られることを願うばかりです。
これはイギリス貴族にしかできないジョークだなーと思ったのが、館を英国歴史ドラマの撮影に貸し出すことになり、セットの家具を見た詩人貴族が「この時代にロココ調の家具なんて時代遅れだ!」と叫ぶシーンが個人的に興味深かったです。
日本の時代毎の幽霊が、大河ドラマ見たらどうなるんでしょう。ぶっ倒れるか、賞賛してくれるか、どちらなんでしょうね?
ウィンターセールで、SIMS4『Snowy Escape』を購入しました。SIMS4は2014年の発売後から追加コンテンツを発表し続けることでゲームを拡張しつづけています。もうすでに次回の追加コンテンツの発表もされているので現在進行形であるというのが正しいです。こういった販売方法には賛否があるのも理解していますが、SIMSの場合は、ゲーム単品でも素晴らしい作品であるため、「DLC詐欺」と揶揄される類ではないと私は感じています。
SIMS4に関して言えば、ゲームの流行だけではなく社会の情勢を受けてのゲーム拡張を続けてきたという印象があります。例えばBLM運動が始まったときは強いメッセージを発表したり、後、肌の色を細かく変更できるアップデートや、メイクのカラーをもっともっと変更できるようにするため、UI自体を変更してきました。また、様々な人種がゲームを遊んでいることをプレイヤー側に意識させるために、ゲーム内に旧正月を祝うアイテムや、ヒスパニック文化に即したアイテムや料理を登場させたり、以前のコンテンツでは一部国の料理を販売する屋台が登場しました。この『Snowy Escape』では、普段から箸を持って食事するか否かすら選べるようになりました。
『Snowy Escape』はスキーやスノーボードといったウィンタースポーツを楽しめるようになった他、アジア文化(特に日本)をリスペクトしてくれた追加コンテンツとなります。上の写真は雪まつりの写真です。(現実では残念ながら中止となりました…)
コモレビ山と呼ばれる大きな山とその麓に住み、四季折々の祭りを楽しむことができます。街並みもどこか日本の片隅にありそうで、鳥居、神社、変なもの、便利なものを販売している自動販売機が設置されるようになりました。食べる販売機には「あたたか~い」と「つめた~い」あるいはそのどちらも、とあります。
そして日本のファンシーな文化も表現されてます。写真はゆるきゃらの「ヤマちゃん」と自撮りするマイシム。
たいやきの屋台に浴衣、着物も!
シムと一緒に街を歩いていると「あるあるあるある」と言いたくなる風景が描かれていて驚きます。
お祭りの一つ。先祖に対して感謝を示す祈りの祭りです。
様々な祈りを乗せた灯篭が流されているのでしょう。
一方、ファイアーダンスをしながら盛り上がるシムもいます。
この辺の折衷感がシムズ! って感じがします。
もう一つの魅力は何といっても温泉。でしょう。今までも「温泉っぽい」プールを作ったりはできたのですが、暖かい温泉につかってのんびり…というのは今作が初めてになるのではないでしょうか?
ちゃんと入る前に体は洗いましょう。
入口は赤青わかれてるんですが、混浴です。
裸で入ることもできますが、みんな水着で入っていたので、水着で。
温泉は大きいのですが自宅にも据え付けることができるようです。小さめの自宅温泉…になるとホットタブになってしまうのかな。
温泉につかると、様々なことを考えるのか、シムがいろんなリアクションをしてくれます。温まりながら一日あったことをいろいろ反芻してるのかもしれませんね。
クレープも追加になりました。原宿で有名なヤツですね。
写真を撮影していなかったのですが、「こたつ」や「たたみ」また、床素材で「枯山水」のようなものも表現できるようになりました。このシムの家は常に土足なのですが、靴を脱ぐなどの設定もできるようです。
タイニーハウス(小さい家)にぴったりな日本アパート風の出窓や、引き戸といった新しい建築家具も魅力的です。本年も良いシムライフを!
※天穂のサクナヒメのネタバレを含みます。
『天穂のサクナヒメ』は2020年11月12日に発売された稲作アクションRPG。親の権力に胡坐をかいてのうのう過ごしていた娘のサクナヒメ(以下“サクナ”と呼ぶ)。ある時、人間界と天界を結ぶ橋から人間の侵入を許し、献上するはずの米を蔵ごと焼き落としてしまうという失態を犯す。サクナの怠慢にお怒りになったカムヒツキ様の命により、彼女は人間と共に鬼が島に「島流し」されてしまうことになる……。
サクナヒメ、クリアまで行けていないのですが、非常に楽しんでいます。田植えのこだわり、島に向かった後の展開、時間が経つ毎に新しい農業法が始まったりして、米造りを何とかすることでサクナが成長するので、アクションが苦手なら米造りを頑張るというシステムが何よりありがたかったです。
遊んでいてサクナヒメは新時代ヒロインと言ってよいのではないか? と思った箇所がいくつかあったので、それを少し話してみたいなと思った次第です。シナリオのネタバレを含みます。
親の遺産や威光を持つ、高貴な身分の主人公はゲームには多いかなと感じています。『ディスガイア』のラーハル、『サガフロンティア2』のギュスターヴ、『ドラゴンクエスト』Ⅰ~Ⅲの主人公もそのタイプですかね。親の遺産を食いつぶすキャラというのは、脇役や悪役などには多いですが、女性で、しかも島流しに遭った主人公というのはサクナくらいなものではないでしょうか。
金持ちで不肖の娘というのは「縁談」や「結納」に話がいきやすいです。役に立たないから嫁に出してしまえというわけですね。少女漫画であれば、ラブコメに展開が進むかもしれませんが、本作サクナヒメは泣いて願っても容赦なく島に流されます。新しい主人公だと思います。
サクナは流された島で、人々を守る側に立つことになります。女性は守られるものという古い観念は捨てられつつあります。が、ゲーム中の女性キャラクターは後方支援(魔法、回復なども含みます)や弓、細剣といった武器を扱う速度の早いキャラクターが平均より多めという問題が未だあります。
サクナは鎌や鍬などを使い、鬼と化した動物たちと容赦なく戦う唯一のキャラクターで、島にいる仲間、好意的な動物たちを守るという責務を次第に持ち始め、それを全うしようとする物話でもあります。
時に同じ島で暮らす仲間と喧嘩をし、仲間がどこかに飛び出してしまったり、帰ってこないという問題が発生した場合、サクナは優先的に島を探して回り、仲間を救います。誰かを救いに行くアクティブロールな女性キャラクターは新しい条件の一つだと私は思っています。
今まで選ばれて救われる側だったのが、自ら選んで助けに向かうのですから。
■親友ココロワとの関係
サクナには親友のココロワという女性がおり、彼女はサクナの陰に隠れ、天界で評価されないという不遇を味わっています。しかし、サクナが島流しにされたことにより、サクナの仕事をココロワが引き継ぎ、彼女は着実に成果を出します。
サクナの評判がまた天界で聞かれるようになると、ココロワはサクナへの嫉妬を隠さず吐き出します。後、サクナの代わりにココロワが管理する蔵が燃えてしまい、二人で叱責を受け、仲直りします。
『アルプスの少女ハイジ』『ふしぎ遊戯』『ちびまる子ちゃん』、親友と主人公が喧嘩するシーンは物語の中に必ず1つある「成長の一過程」として描かれがちなシーンだと思います。
ゲームでは親友と喧嘩した後はイベントが終了し、RPGだったら友情の証明として何らかのスキルやアイテムなどが手に入ったりする主人公に都合の良い演出で終了してしまうことが多いです。
サクナとココロワの関係が新しいと思ったのは、親友との仲たがい→仲直りの後にココロワが活躍するシーンが用意されていたことです。物語から蚊帳の外にいる親友は主人公を盛り上げると、その後に現れない(もしくは、ラストシーンに主人公を支えていたと証明する1シーンが挿入されて終了する)ことが多いです。サクナは最初から親友を得ていて、後に連帯し、何かを成すというのは驚くべきことに、最近取り入れられ始めた比較的新しい価値観の表現と言えるのではないでしょうか。
今回はサクナヒメが新しいタイプのヒロインだと述べましたが、『天穂のサクナヒメ』は田右衛門という体の大きい山賊だった男性が登場します。この田右衛門、体が大きいけれど武芸は苦手、田植えは下手ととことん肉体労働に向いていません。「お前向いてないのかよ!」と驚きますが、大きい体の男性が肉体労働に向いているであろうという意識こそ私たちの持つ偏見で、改善しなければならない意識の一つだと思います。
田右衛門は田んぼに関する知識が豊富な学者として、そして皆をまとめ上げるとは言いませんが、「唄を歌いながら田植えをする」という知識を使って仲間を連帯させる謂わば知識系キャラクターなのです。彼は学者と言って遜色ない活躍を見せます。
大きな体に杖を振り回して回復するヒーラーが居たって良いのです。そしてそれが何れ「当たり前」になって欲しいと思います。
そして同様に、戦うヒロインが当たり前となり、サクナの様なパワフルで無駄に露出するわけでもなく(大事)、戦いの為に目的を持つ女性キャラクターがさらに増えてほしいと願います。
中年だとなお良いです。
する必要ないくらい良い年ではないのではないか?
昨年は怒っていたが、今年は比較的平穏だったというよりも、私と同じような怒りを感じている人が少なくないのだと気づき、同時に知れて、できることを少しずつ始めたことが怒りを発散……というのとは少し違うけれど、小さな活動のエネルギーになり、健全な方向に向いたと思う。同時に、少し楽に物事を考えられるようになった。
悲しみと驚きとハイテンションな部門では、ノートパソコンとデスクトップパソコンの2台が壊れた(畜生)。現在、新たなデスクトップPCを迎え、このブログを書いている。そのあたりのことは以前日記に書いたけど、前パソコンの脳は無事であったので、データのお引越しは比較的容易に行えた。
ただ、同時に、今まで使っていたソフトウェアも新しいVerに引っ越さなければならず、そちらに慣れるのにやや時間をかける必要はあると思う。
パソコンが壊れたことに気が付かなかった日の悪夢
(スピリチュアルな発言をするのであれば予感のようなもの)
とか、悲しみに暮れる前に脳がノルアドレナリンを放出して「あっ、新しいパソコン買わないとやばい!」にすぐさまスイッチが切り替わって悲しむ間もなく決断を下した己の行動力に少々驚いたりもしている。
皮膚病はそのままだが、一時期よりは安定している。
ただ、最近はアルコール消毒のおかげで、手指に油が無くて大変。
海産物を買った時に張り付く水分で、何とか透明なビニール袋を開けることができている。マスクのおかげもあって鼻を触って油をとることもできないので、この悩みはおそらく来年も続く。ユースキンを勧められた。
今年買ってよかったものは、ニトリのNウォームスーパーがめちゃくちゃ暖かくて良かった。あれほどもっちり肌に張り付く毛布は初めてで、自分が体験した中では2番目くらいに暖かい。一番は引っ越し前に使っていた重たい毛布、あれは今少し恋しい。
今年遊んでよかったゲームはダントツでNintendoSwitch『あつまれどうぶつの森』、他は『聖剣伝説3』『ニノ国』、PCゲーでは『The SEXY BRUTALE(ネタバレ交じりの語り/Switchでも販売しています)』、アーリーアクセスですが『WORLD of HORROR』『Cloud Gardens』が良いゲームだと思った。
『WORLD of HORROR』は今年に日本語翻訳された作品が販売されるなどのうわさがあったが、今のところその様子は無さそう。残念。
年末遊んでいるゲームは『Fallout4』。VaultBoyはスマブラ登場など大きな話題を振りまいてくれた。今はとにかく、何が起こったのか探りながら、拠点を拡張しているところです。驚くべきことに、『あつまれどうぶつの森』に始まり、『Fallout4』と町ばかり作っている。ただし殺伐さは対局である。
何かと理不尽な世の中で、小さな苦しさに真綿で首を絞められるような感覚を覚えている人は、私の見えないところにも多くいるのだと思う。私ができることは更新することだけだが、もし、暇があったら覗いていただけると嬉しいし、少しでも楽しみにしてもらえると嬉しい。
あと、来年はサガフロリメイクの発売も決定したから!!!Switch,PS4(5?),iOS,Andoroid,Steamでも出るから!!!夏だよ夏!!!ヒューズも来るから!!!
たぶん楽しいことはこれからも増えてくれると思います。
来年はもう少し良い年でありますように。願うばかりです。
一年お疲れ様です。まだだって人もお疲れ様です。
今は、暖かいものでも飲んで、食べて、元気出して。
数年前、年賀はがきを作るのを手伝ってくれと頼まれてから、ズルズルと今に至るまで頼まれ続けている。
頼まれた当初の私は、年賀はがきを作るソフトウェアが持つ、パソコンの解らない人向けな独特の用語や動作が好きではないことと、情報データの取り扱いに慣れておらず、情報を処理する思考の構築が赤ん坊レベルで、非常に苦労していた。
今では、その大嫌いなツールの「癖」のようなものを掴み、プロフェッショナルとまでは言わないながらも使いこなせるようになったし、情報を処理するためにはこうしたらよいのだなという部分は、自分のサイト制作経験が生きていると思う。
あの大量の画像とページの処理が知らないうちに私を鍛え上げていたらしく、最悪、よくわからないときは、メモ帳などのテキストツールで未来の自分にメッセージを残せばよいのだとのんきな気持ちでいる。その余裕を持つまでには数年かかった(というか、一年に一回しかないのだけれど)。
この年賀はがきを頼まれた当初の私は、「こんなアナログなもの、未来に必要か?!」と反抗期の子供のようにブチギレながら作業していたが、ここ数年、知りたくもない年賀はがきの事実に気づきつつある。
今年、ウィルスが猛威を振るい、その気づきはなんだか確信に迫りつつある。世の中にはパソコンも持たなければ携帯も持たず、テレビもラジオもあるけれど、使わない人もいる。そこまでは想像つくかもしれないが、そんな人がこの騒動の最中、誰とどう連絡とるのかと考えたら「手紙」しかないのである。
世の中、そんな年に一回のアナログが人の孤独を癒す手段でよいのかと思うと共に、この年賀のハガキが唯一の楽しみであるという人もいるということに想像及ばなかった己の想像力の無さ!
年賀はがきはいろいろ私に突きつけるものがある。
ボントン公園の自由の記念碑が爆破された。近くを通りがかかった青い髪の女性が容疑者となる。”私”は新しく導入された”Orwell”というソフトウェアを使用し、情報の欠片から爆破事件の真相と、犯人を見つける事が目的となる。
Orwellは『1984』や『動物農場』といった作品を記したイギリス人作家ジョージ・オーウェルから取られたもので、”私”は『1984』で言うビッグ・ブラザー側の人間となり仕事をすることになります。情報の欠片、ネット上に上げられたプロフィールアカウント、そこに記されたメールアドレスから内容をハッキングし、反政府的な行動を探し、テロとのかかわりを探す…、一人の女性の情報から、物語は次第に広がっていく。
システムOrwellは今回が初めて犯罪行為の検証に利用されるらしく、調査を命ぜられる”私”の行動如何によっては、「監視」というのが人々を守るものなのか、それとも個人情報が奪われるだけの非常に危険な行為なのか、是非も問われます。情報の中には明らかに個人的過ぎるものや、偏ったものも含まれていて、Orwellで探り出した様々な情報と照らし合わせて判断しなければならない。
ゲームはSNSやネットの記事、個人的なメールや、電話の盗聴などから様々な情報をドラック&ドロップして報告し、警察が派遣されるか否かの判断を”私”の上官が行い、物語が進んでいきます。似たような作品で『Legal Dungeon』というのを遊んだことがありますが、Orwellの方がとっつきやすく、グラフィック面でも良かったと個人的には思います。翻訳が不安定なのがマイナスポイントではありますが、自分の報告が事件を紐解いていくミステリー感も、誰かの秘密を暴く背徳も感じられ、面白かったです。ビッグ・ブラザー側ですが『1984』を読むよりも、とっつきやすい印象があるので、監視される政治や社会の問題点を提起した作品としても評価できるのではないかと思います。
Steamでは2020年に日本語版が対応になりました。EAゲームが運営するOriginでは日本語化されていたので、そちらの方がもしかしたら翻訳がマシなのかもしれません。
【以下は少しネタバレが含まれます】
Orwellを使うのは人間である。
このOrwellなのですが、使う人間が「対象を調査する国外の人間」であれば、どのように運用されてしまうのか。という疑問を投げかけた作品だと思います。所謂、日本人は日本人として日本の法律を見ているが、その日本人を「日本人ではない何者か」が報告する場合、どうなるのか。という問題です。
もう一つ思ったことは、やはり暴力行為は反感を抱くということでした。Orwellの運用是非について様々人は思うのでしょうが、たとえそれに問題を投げかけたとして、それで奪われる生命があるのであれば、それは愚行で、評価できないと個人として思った部分もあります。
Orwellは2も出ているそうなので、落ち着いたらまた遊びたいです。
ただ…こちらは未だSteamで翻訳されていない様子。
データの移動や、使用しているフリーソフトを導入したり、新しくサブスクサービスを申し込んだり、今までできていたことを「もとに戻す」ために忙しい数日でした。
12月3日に記した『脳』という日記の後、新しいパソコンを注文し、古いパソコンからデータを取り出すためのケーブルを購入したり、もし古いパソコンからデータが取り出せなかった時のために、バックアップしていたCD,DVD,BRディスクの中から、使えるものを探し…、と精神的に疲れた数日でした。
その中で、過去の自分から「お前またパソコン壊れるから、このデータ撮っといたぞ、あと、このソフトつかってたぞ」とビックリなtxtメッセージも受け取り、「ありがとう過去の私、昔の方がしっかりしてたな。今お前KIRIMI.ちゃん推してるぞ」と感謝をする一幕もありました。
…その頃から、まあ、このパソコンは壊れるぞ。と理解していたのですね。
夢の話に戻るのですけれど、脳ミソの中に入っていた様々なデータは無事でした。おそらく、壊れた大きな理由は電源部分が劣化した為ではないかと思います。母親から引きずり出されたデータという名の子も、また使われていくのだろうと思います。悪夢の中で唯一、希望となりました。
……一番懸念していたのはフォントでした。
漫画に使っていたオリジナルのフォントが使えなくなった場合は、最悪サイトを閉じることも考えていたので、一年に一回ぐらいは大切なデータをバックアップして! とさらに未来の私の為にリマインドする必要がありそうです。
実は、過去の私が残してくれていた一番のデータがこのフォントで、ジブンはこれが失くなったら、創作を辞めると予見してたんでしょうね。
データが取り出せたことにより、諦めていたマロングラッセと日向夏のカラー編集も、数年ため込んだ写真も取り出すことができたので、「何とかなってラッキー」くらいの気持ちでいます。新しいことも少しずつやりたいね。
今のうちにリマインドは設定しておこう。バックアップ大事。
昨日、怯える女の夢を見た。舞台は移動式の手術室。救急車の大きなバージョンと言えばいいのか、それに乗った医者と看護師が2名、患者は、脳移植を希望する者と、死亡している患者(脳を移す側)が一名、もう一人は妊婦で子供が生まれそうなため、救急車に載せられたらしい。
夢の中の医者は苛々しながら手術台に向かっており、先ず脳死した患者から脳を摘出した。この後、「ア゛ーア゛ー」と手術室の中に悲鳴が継続的に繰り返される。摘出した脳を移植希望者に移し替えようと、別な患者に向かう医者。「ア゛ー」という声は大きくなっており、声に注視せざるを得ない。声は子供を産もうとしている妊婦のものだった。だが、妊婦はぐったりとして、起き上がろうとしない。子供は何とか摘出された。しかし、怯えた目線が医者に向けられる。隣で死んだはずの女が起きていて、脳が抜かれていたのは妊婦の方だった。医者は苛々しすぎて、患者を誤ったのだった。
最初に話した怯える女はここで登場した。死んでいた筈の女だが、脳を移されたことで目を覚ましたのだ。彼女は新たに救われた。若い女だった。遺体にかぶせられるシートを胸に当てながら、震え、血まみれで取り出される子供と、死んでいる母親の姿と医者の目を見た。そして目覚めた。
そんな悍ましい夢を見た今日、午後9時頃になってからかな。4コマ漫画にフォントを入れるパソコンの電源ボタンを押した。しかし、起動しない。何回か押す。起動しない。電源を引っこ抜いて、また刺してを繰り返す。……起動しない。
脳が覚醒していくのが解る。あ、これは寿命を迎えたのだ。今もだましだまし使ってきたパソコン。パソコンというものに詳しくない時代に私が選んだパソコン。色んな創作物をつくってきたパソコン。起きない。目の前にあったが、死んでいたのだ。
夢の事が何となく思い出された。時代は移動し、身体は古くなり、脳を移さなければならない時期にあった。差し掛かっていたとかではない。もう寿命だと解っていたのだけれど、使い続けていたのである。私が新しいコートに浮かれている間に、私のアレコレを支える脳の部分が死んでいたのだ。
マロングラッセと日向夏のいくつかのカラーデータが無くなったのは素直に惜しい。撮影した写真データも残されている。部屋の中をひっくり返して、過去使っていたソフトのディスクを探したりする。私は幾度かそういうことを繰り返しているのに、どこにあるのか不明瞭で、途方に暮れている怒りもあるが、埃をかぶりながら部屋の中をひっくり返しても無いものは無い。
実はそれほど、慌てていない。というのも、面倒はあるが、やはり古い故のサブ機として使用していたに過ぎないと頭の片隅で思っていたのだろう。ただ、私は本当にナマケモノなので、データの移動がめんどくさいとか、理由を付けて延命治療を続けていただけなのだ。
夢の中で唯一解らなかった事がある。産み落とされた子供が生きているか死んでいるか、だ。子供は無事なのか、それは未だわからない。
コートを買った。新しいものを買うというのは心が躍る。たとえそれがどれほど他人から見て魅力的に見えなくても、私には戴冠式のエカテリーナ女帝のドレス(そんな気分)。
買った時に吟味に吟味を重ねた暖かいコート、ただ、コートなので脱ぐ必要に迫られる。一年に一回しか会えない恋人と離れるかの如く、私はコートに頬ずりし、クローゼットにしまう。
コートを脱いだ途端、エカテリーナからピョートル3世。床が冷たい。寒さに殺される。コートのぬくもりを求めたとて、コートはクローゼットで冷え始める。愛の如く、帰って来て!
我ながら余程、御気に入っているらしく、購入した店のオンラインショップを眺めている。思い切って買った品なので、値段もそこそこ、しかし、それでも眺めている。寒さは私の心を挫くことが多いので、部屋の中でもドレスが必要なのよ! と心の中のロシア貴族が叫んでいる。なんでだろう、地域的に?
情報流出に関しては、苦言を呈されても仕方ないと思いますが、カプコンの流出騒動で、ジェンダー指導項で任天堂のゲームが例として挙げられていたという記事を読み、“カプコンが”批判を受けていたのですが、攫われる姫(女)を救うヒーローの構図はジェンダー例としてステレオタイプなのは事実で、なぜこれに関してどうしてカプコンが怒られるのか、と、任天堂のソフトファンである身でも思います。
任天堂は同性愛の表現に関しても保守的な所があり、『ファイアーエムブレム』(の2作品)と『トモダチコレクション新生活』の表現で批判を受けました。元々恋愛を大っぴらに表現するキャラクターは少なく、恋愛表現に強い会社ではないので、時代と共に進化する「新しい考えを取り入れる事に時間がかかる企業なんだろうな」とは思います。それは、ネットでよく言われる「枯れた理論の水平利用」の欠点といえるのかもしれません。
ただ、全く進歩していないかといえばファンの欲目もありますがNOとも言え、『トモダチコレクション新生活』の精神的続編ともいえる『Miitopia』では男女ともに「好き!」という(ファニーな)愛情の表現に変わり、性別の垣根を超えるようになりました。
また、E3では『あつまれ どうぶつの森』をプロデューサーの京極あやさんが登壇して紹介していた事を思うと、「変えるべきところは変わっている」と評価もできます。
『あつまれ どうぶつの森』はポリティカル・コレクトネスを意識していると思いますし、新たなアップデートで新しい髪型が追加になり、もっと魅力的になりました。私も現実では中々思いきれない坊主ヘアスタイルを楽しんでいます。
あつ森のヒットは後作品に新たな影響を与えると思います。その一つは「あのゲームではできるのに、どうして男女同じ服を着用できないのか」という疑問をプレイヤー側にもたせたことだと思います。
最初の話に戻りますが、トムとジェリーのように、一種のお約束としてピーチ姫が攫われることは今後もあろうと、ゼルダ姫と伝説の「緑の勇者」が女性である可能性の希望は抱いています。売上は芳しく無かったそうですが、ピーチを主役にした『スーパープリンセスピーチ』という作品もありましたし、マリオRPGで戦うピーチ姫を嫌う人もそういないでしょう。
露出の高い服ではなく、スカートでもなく、胸が奇妙に出っ張った鎧でもなく、普通の兵士と同じ格好で女性が王を助けに行く作品がもっとあっても良いと思うのですがね。サムスなんてかっこいいじゃないですか。無口で最後に仮面を脱いだ時「女だったんだ!」って作品がもっとあってもいいと思いますよ。
視聴媒体:Netflix ネタバレあります。
【あらすじ】
秋子は学が無く、金も無いシングルマザー。息子の周平と共に生活保護を受け、親や妹からの支援で生活している。趣味はパチンコやメダルゲーム。お金を早々に使い果たしてしまう生活を送っている。
しかし、親と妹から支援を拒否され、生活保護費を使いこんでしまい、ゲームセンターで出会ったチンピラ男とケースワーカーを脅し、失敗したうえに、ケースワーカーを刺してしまった事から、秋子、チンピラ男、そして息子との逃避行が始まる。
隙無く続く虐待描写に、 親の非情さに腹立たしさも感じ、同時に(秋子が)手を差し伸べられ得る対象の一人なのに、零れ落ちているような気がして同情も覚え、感情がジェットコースターで地下まで落ちる。非常に辛い映画でした。
秋子の子育ては、客観的に見れば恐らく「良い」とは言えません。勉強を拒絶し、「勉強だけが全てじゃない」と息子を連れまわし、息子を都合よく使って家族に金をせびらせに行かせ、チンピラ男と享楽的に遊びにハマり…。
秋子が息子に勉強をさせなかったのは、恐らく自分が勉強できなかったからでしょう。金を借りに行った居間で「昔から可愛がられてこなかった、妹の楓ばっかり、あたしは大学にも行っていない」と吐き捨て、妹から「お姉ちゃんが勉強してないから悪いんでしょ! 偏差値低いしさ!」と言われた後、衝動的にグラスを投げる描写があります。秋子は病か、性格か、環境がそうさせたのか、仔細にはわかりませんが、自分の衝動にブレーキをかけるのが下手で、学の無さにコンプレックスがあるのだと思います。
秋子はパチンコやメダルゲームにハマっているのですが、他者との交流が薄く、ゲームから受ける刺激に夢中になります(ゲームオタクには耳が痛い)。
ゲームセンターで知り合った阿部サダヲ演じるチンピラ男と知り合った秋子は、息子を置いて男と共に西の方に行き、ホストにハマります。浴びるように酒を呑む享楽映像の一方、息子が残された家は電気が止まるなどの貧困が続く現実が映し出されます。家に帰って来た秋子と男は金を得る為、チンピラと一緒にケースワーカーを脅し、金をせびろうとしますが失敗し、ケースワーカーを刺殺したと思い込んだ二人は、逃亡生活を送ることになります。これだけでまだ序盤も序盤です。
映画を通して、私は秋子に同情を感じました。 大学に行っていないシングルマザー(それもかなり素行が悪い)が就職するのは難しく、秋子が貧困に陥るのは必然、且つ、一般的に褒められる容姿を有していたが故に、依存できる男を捕まえる事ができる、とは言えるのですが、彼女が捕まえられるのは元夫以下のダンスダンスレボリューションが得意な下っ端チンピラといった風体の男で、特段金回りが良い、エリートという訳でもありません。
秋子は人懐っこさを持ってはいますが、それはある意味処世の為で、「人懐っこくないと話せない」という問題があったのに、誰も気づかなかった気がしてならないのです。恐らく、秋子は生活保護ではない別の支援が必要であった可能性があります。様々な物事にブレーキをかけられない秋子はチンピラと共に逃亡し、その内に妊娠が発覚します。チンピラ男は「俺の子じゃない!」と秋子と息子に暴力を振るい、秋子の元から去ってしまいます。
金に困った秋子は自分の母親に妊娠を告げますが、「そんな娘に育てた覚えはない!」と怒鳴られ、親子の縁を切られてしまいます。
数年後、路上生活を送る秋子と周平、そして生まれた娘は保護され、施設で生活することになります。周平は保護団体の女性を通し、勉強の楽しさを感じる、社会生活の楽しみを享受し始めるのですが、秋子と周平、お腹の中にいた娘を捨てたチンピラ男が帰ってきてしまい、彼に巻き込まれる形でまた逃亡生活が始まります。
秋子は男を拒絶できません。DVを受けている人が、加害する者の処に戻ってしまうことはDVに対する啓蒙サイトで書かれていることが多いです。加えて、秋子は外的刺激が少なく、褒められず、戻って来たチンピラ男が強烈な刺激と言っても過言ではなく、男と共に逃げることを決断し(てしまっ)たのではないでしょうか。
周平は初めて抵抗しますが、「あの女(保護師)はアンタのことが嫌いだって、嫌らしい目線でみたんじゃないの」と吐き捨てるように言います。この発言を受けた周平は母親と逃げる事を決断します。
しかし、親子はまたチンピラ男にアッサリ捨てられます。
それから、また数年後、周平が稼げる年齢になり、秋子は周平の稼ぎに依存します。工場の親方が秋子の指示で盗みなどを働く周平を見とがめられ、秋子は思い切り叱られます。
ここで初めて、秋子が料理を作っているシーンが見られるのですが、ジャガイモの皮むきが美しく、手際良くて印象的でした。秋子は親方と恋仲(これは快楽だけではないと思います)になるのですが、この工場でもチンピラ男に (生命に関わる問題で) 助けを乞われ、工場の金を盗み、逃げる事を選択してしまいます。
秋子は唯一持っていたそれなりの美貌を年と共に失い、住む家も失くし、再び路上生活に戻ってしまいます。逃避行に限界を感じた秋子は、「母親を殺し金を手に入れる」企みを周平に話します。
この映画は前半と後半で主人公が変わります。前半は母の“秋子”が、後半は息子の“周平”が物語の中心的人物になります。
映画初期から中盤の秋子は非常に人間らしさがありました。欲望に流されやすい欠点はありますが、よく笑い、若々しく、過ちも犯しますが、まだ戻れる可能性に満ちています。
後半の秋子は生気が無く、くたびれ果て、何もかもを諦めたような悲愴が漂います。選択を誤り、金を手に入れる為に暴力的な手段にでることを厭わないほど歪み、唯一持っていた若さを失い、息子と娘も失うことになります。
一方の周平は物語前半で力が無く、母親と父親を名乗る奇妙なチンピラに暴力を振るわれる弱者でしたが、後半は周平が金を稼ぐ立場になり、最後の決断を実行する側になるのです。
周平は母親の傍に付き、母親がどう喜ぶのか図っていたが故に、最後の決断をしたのかもしれません。ミラーリングという言葉が心理学の用語にあるのですが、「秋子がして欲しかった事を周平がしていた」ような気もして。簡単にこの複雑な胸中は語れそうもありません。
本屋に行けずにいる。欲しい本は幾つもできた。だが、やっぱり再流行し始めたウィルスのニュースと寒さと、マスクの中に溜まる己の息が蒸気となり張り付く水滴に嫌気がさして、今日は買い物に行くのを辞めた。
代わりに、Amazonを覗いていた私はどうしても地元で手に入りにくいアレやコレをカートに入れて注文したのだけれど、その中で一冊、本を買おうとして辞めたという経緯がある。幸い、お金が引き落とされる前で、商品キャンセルも利く時であった、つまりは、商品を注文して「直ぐ」気が変わったので買わなかったということだ。
頭の中にいる私が本棚の前に立ち、手に取った本を本棚に戻したそんな感覚、レジまで向かい、やっぱやめます! と本棚に戻り、本を戻したそんな感じ。それが多分当たり前になっていって、周りの本屋が消えていくのは本当に怖いと解っているけれども、便利の魅力に勝てない物臭な己が居まして。
前に、コンビニとケーキ屋の話もしたのですが、そういうものが昨今のアレコレで色々と可視化されて、自分が嫌でも地域の中にいるのだと思い知らされます。周りが亡くなっていけば、私もまた屍になるのだろうと、哲学めいた事を考えて、Googleマップで本屋を調べてみたりします。難しいですねぇ。
朝から少し難しい事を考えている。昨日、ワークマン女子という言葉に不快感を持つ人がいたと聞いて、「ワークマン女子」「山ガール」にそれほど不快感を抱かなかった私は、なぜ自分が不快感を抱かなかったか、考えていて。
まず、この「〇〇女子」は“ファッション用語”での使われ方で、検索するときにものすごく便利。私は数日「ラップスカート(巻きスカート)」を探していたのだけれど、「ラップスカート」に「登山具」とか、「防寒」と入れて検索するよりも「山ガール スカート」で検索すれば、山ガールが使っているような服がパッと表示されやすい。既に「山ガール」は「ああ! あーいう服ね!」とイメージしやすいモデルとしてそこに存在するのだ。
不快感を感じなかったもう一つの理由は、「山ガールが誕生した理由が登山業界にとって重要だったから」というのがある。若者の登山者が増えることは、登山にとって死者を減らす活動の一つで非常に重要だ。
「ワークマン女子」という言葉も、「ワークマンで売ってるような女性服」としてこれから定着していくだろうと思う。苦言があるとするなら、作業服中心かと思えば、結構普通のアパレル中心だったと。
でもまあ、ワークマン女子とネット検索すれば「ワークマンの女性向け服」がパッと表示されるようになるし、非常に上手なマーケティングだと思う。
美術館女子含めた「〇〇女子」の安易な利用には否定的ですが、こういった、「姿形を定義して、こう呼んでいくのはどうだろうか」というのは、広がり続ける共通の認識や概念に言葉を与え、便利且つ、それをしてみたい人にも見つかりやすい行為なので極度の不快感を持たなかったのかもしれません。
ところで、私は防寒具を探しています。
※『MOTER2』と『MOTHER3』のネタバレにも触れます。
『MOTHER』に触れないのは、クリアしていないからです。
ここ数日の炎上案件にも触れています。
なんのこっちゃか解らない人には大変申し訳が無いが、MOTHERに関わった某コピーライターがDVに無理解な記事を「サイコー」と引用し、拡散した件で炎上している。記事に対して「DV加害を助長する危険な記事だ」と思い、ファイティングポーズを思わずとっていた私(そして、福祉に関心があったり、携わる多くの人がそうだったのではないか)だったが、火元となった記事とそれを載せた企業は「無理解を認め、今後勉強する」と謝罪した。いつでも構えられる体制のままだとは思うが、ファイティングポーズは一旦解いた。勉強するという姿勢は素直に称賛されるもので、これ以上は「とりあえず」言わない。
しかし、某コピーライターは記事を寄せた相談者に対して謝罪はしたものの、記事を拡散したであろうことと、自身の無理解と無神経については謝罪しておらず、未だ火は燻っているし、MOTHER2ファンの私としても言わなければならないことが幾つかあって、この記事を書く程度には怒っている。
『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』を書いた北村紗衣さんはブログで「冷蔵庫の女」という概念について解説している。親しい女性が殺され、男性が奮起する。これはどこかで聞いたことのある話ではないか?
そう、MOTHER3はまさしく『冷蔵庫の女』の話なのだ。
母親ヒナワを殺された息子のクラウスは、母親を殺した者への復讐を果たすため力を手に入れようとする。そんなクラウスを止めるべく向かうフリントと、弟のリュカ、これは総て、母ヒナワが「冷蔵庫に入れられた」から起こったことだ。
私は、今回の炎上で、某コピーライターが作り出して来たMOTHERという世界の中には「いつでも優しく微笑んでくれて、何があっても手料理をふるまってくれる主人公の母親」”しか”いなかったこと、「都合よくて力強く、優しい女」に、触れていかなきゃならない。
MOTHER2に出てくる女性達はどこかパワフルだ。囚われていたポーラ、実は危険な力が使えて、ネスに助けを求められた。ネスのお母さん、主人公の旅を見守るやさしくて強い母親。ネスの妹、アルバイトをして兄を助けてくれるたよれる妹。まちに出てくるおばさん、マップを貸してくれるお姉さん、無口なグミ族の女は岩をどけてくれた。悪い方だが、ポーキーのお母さん。
MOTHER3、 息子を庇って死んだヒナワ。 拳で敵を殴りながら、PSIで敵と戦うクマトラ。えーっと、ほがらかに生きる町の人々。
この中に、メソメソしている女は含まれていない。居ないのだ。ゲームの中にそういうキャラクターが居たら心が痛むから登場させないという判断は否定しない。が、私達が生きる世界はそうではない。誰にも言えず苦しむメソメソした母親だって世の中には存在し、子どもの問いかけに答えられない程疲れる女も生きている。ゲームの中に登場させなかった女性達のように、無かった事にはできないし、世の中はヒナワや、MOTHER2のおかあさんのように、毎日家に居て、おいしいものをいつでも出してくれる「都合のいいおかあさん」や、尋ねたらマップを渡してくれる図書館のお姉さんや、アレやコレやプレゼントしてくれる「都合のいい女性キャラ」だけではないと強く言いたい。立派に母親しながら、毎日外に出て働いている母もいるはずだ。
ここまで書いてふと思ったのは、MOTHERシリーズに登場する”兼業の母親”はポーラの母以外に誰かいただろうかと思いを巡らせている(そのポーラの母も、夫が園長、妻が保育士だ)。そして、その働く母の姿が大っぴらに登場してこなかった事を、今だから指摘しないといけないと思った。MOTHERにそういうキャラクターを登場させなかったのではなくて、登場させる目線が無かったのではないか、と。無視してきたのではないか。
今回の炎上で思った一番の事は、涙が出ない程泣いている人が居るという目線が欠けている人が余りにも多いという理解の無さだった。「MOTHERは良いゲーム”だが”」と、今後、批評する時に必ずSNSで行われた言説については触れられていくだろうし、私は忘れない。
余談だが、「冷蔵庫の女」は私も漫画を描く中でやっていた。そして、この概念を自分が受け継いでいることに衝撃を受けたが故に、母親を「蘇らせよう」と決意したことをここに言いたい。
Netflixオリジナル作品。
【あらすじ】
ある学園の保険教師として勤めるアン・ウニョンは、子どもの頃から”人に見えないもの”が見える不思議な力を持っている。七色に輝くレインボーの剣と、オモチャの拳銃を武器にゼリー状の化物を祓っている。
ある日、学校のあちらこちらに生徒の幻影を見たウニョンは、地下室の調査に向かう。地下室の鍵を持つ理事長は不思議なゼリーで守られていて……。
個人的な事を少しお話するのですが、私は数年前の韓流ブームで見事にハマった母を持つ、うんざりしていた娘の側で、これまで韓流ドラマを忌避していた歴史を持ちます。『保健教師アン・ウニョン』を見ようと思ったのは、『クリミナル・マインド KOREA』の素晴らしさや、韓流ドラマの多くが「ダサピンク現象」と呼ばれる日本独特のポスターデザインにより「恋愛ドラマ」のような側面を強調させられているという事を知り、韓流ドラマに対するバイアスを自身に感じたからです(実際かなりウンザリしていたのですが)。
アン・ウニョンは恋愛要素が皆無というわけではありませんが、少なく、不可思議な生物と戦うウニョンの葛藤や、問題調査、学生模様などがメインの日本で言う”学校の妖怪退治もの”だと思います。
このドラマ、色合い鮮やかでファンタジー色が強く、カワイイです。ウニョンが対峙する化物には「うわぁ」と言いたくなるグロテスクなものもいるのですが、七色の剣を振り回して戦うウニョンの姿はカッコよくも愛らしいですし、学校生活を彩る生徒たちの演技も素晴らしいです。
世界を支えるCGの技術も素晴らしく、ドラマに使う技術ではなく、映画で使われる非常にお金のかかった丁寧なグラフィックです。空から降って来るハート型のゼリーや、学園内に徘徊するメンダコみたいな生物。夜空を泳ぐ大きなクジラは美しく、作品を盛り立てます。
欠点としては、突然仲間が増えたりと、多分原作ではストーリーがあった部分をドラマのため削った故に、無くなってしまった話が幾つかあるのではないかと感じる節はありました。原作は小説で、『保健室のアン・ウニョン先生』として日本でも刊行されているそうです。表紙のパステルカラーデザインが素敵だなと思った事を記録しておきます。