Tumgik
tsukiyoluna · 5 years
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夏の日
ふたりで会うの数回目の友人(男性)と私は、カフェでたくさん話し込んで意気投合していた。
次の場所に移動する前に荷物を自宅に置くということで、近所の彼の自宅に寄った。
私は外で待って居ようとしたら、「暑いから、少しの間だけど、もしよかったら中に入ってていいよ。もちろんよかったらだけど」と軽く声をかけてくれた。
その瞬間、本当に暑いから中に入れてもらおう、ということと
決してそんなに大きな人じゃない。でもたぶん、腕の力は私より強い。ということ。
いきなりこの人の気が変わっても、私は逃げられない。
そして、何があっても誰も私に同情しないだろうし、ネットでは滅茶苦茶に書かれるだろう。
だって「男の家に上がった」んだから。
そこまでされなくても、せっかく友達になったのがダメになるようなことされるかもしれない。そこまで頭を駆け巡っていた。
次の瞬間、こんなこと少しでも考えるなんて、目の前の親切そうな人に対して申し訳ない。という罪悪感と、せっかく仲良くなったのにこんなふうなことを考えないといけないなんてと忌々しく感じる気持ちとでぐちゃぐちゃになっていた。
結果、ここに書いているということは、もちろん何もなかった。
本当に私は一瞬玄関に上がっただけで、彼は私の半径2メートル以内に近づかなかった。
自分のぶんの水と、私のぶんの水も、水道から空のペットボトルに目の前で汲んで、わたしてくれて、2分も経たずに家を出て、
その後は友達も一緒に、楽しい時間を過ごして終わった。
**************
私がもっと若くて恋を夢見ていたころ、男性に玩具のように扱われたとき、
あこがれも、優しい気持ちも、私の大切なものは全部踏み荒らされて、汚れてしまったと思い知らされた。
何よりも「人の心」というものへの基本的な信頼が壊れたのは、もう戻らないんだと思った。
それでも今の私がやっぱり目の前の友人と笑ったり、信頼を築こうとまたし始めている。
「もう戻らない」という絶望感は、確かにそこにあったけれども、けっして事実ではなかった。
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tsukiyoluna · 5 years
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大人が友達をつくるには?
以前の記事
で友達が宝。ということを書いた。でも、意外と大人になってから、「その場だけ」じゃない友達を作るのって難しいと感じている人が多いんじゃないかと思う。
「都会」にいて、色々試行錯誤しながら「こういうのが良かったのかも。」って思ったことを残しておきたい。
これはあくまでも私一人の体験だから、あてはまらない人もいるかもしれない。でもちょっとでも参考になったら嬉しい。
****************
●「楽しいけど面倒もあること=主体的な活動」に参加する
自分が「受信」すること(例えば映画や音楽鑑賞など)より、自分が主体で行なう活動(スポーツ、ダンス、演奏、料理、スピーチ、ボランティアなど!)の方が、苦労もある分、人とも心を通わせる機会が多く、親しくなりやすいと思った。(受信の活動も楽しいし学びもあるから悪いわけじゃないよ。)
●まず、お酒がメインじゃない場所にしよう
これは、私が下戸だからかも。お酒が好きな人なら、行きつけのバーで友達ができる事もあると思うし、クラブで知り合ってその後また会って仲良くなることもあるから、一概にお酒が出る場所=駄目、とはもちろん、思っていない。 ただ、「その場の友達」じゃなくてその後も続く友達がほしい場合、はじめのステップは夜よりは昼間の場所から始めた方が「確率が上がる」が私の経験かも。
●「自分が嫌なこと」をハッキリさせて避ける
例えば私は「ジェンダー、外見、年齢、人種、国籍など」による差別を感じるイベントは出来るだけ避ける。面倒だけど、「嫌だと思う点」が合うのは、友情をはぐくむうえで何より、大事だから。
●自分から誘おう
仲良くなりたい人がいたら自分から遊びに誘おう。相手が好きなこと、興味があること、好きな食べ物などを知ろう。一緒に楽しめることを見つけて、それに合う場所に誘おう!
たとえその時は都合が合わなくても、誘うと「仲良くしたい」という意思表示になるし、意外に喜んでもらえることが多いから。相手の反応が悪かったら残念だけど、サラッと「そっか、またねー。」で締めくくろう。個人的に受け止めないように気をつけること。
●自分が楽しもう
楽しいことが一つあると、楽しいことがまた連鎖するから。 逆に言うと、うまく行かない時もまた連鎖しやすくなる。そういう辛い時は思い切って出入りする場所を変えるだけで、大きく状況が変わることもある。自分を責めないようにしよう。
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tsukiyoluna · 5 years
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友達は、いるよ。
「都会」にひとりで出てきて、もうすぐ4年になる。
ここで「自立」の次に得た宝は「友達」だと思う。
私は「深い友達ができない」 「できても、すぐにひどい事をされたりして疎遠になる」ということに、思春期から長い間、悩んでいたから。
そんなとき、「友達を夢見すぎてる」「あなたが受け身すぎるから悪いんじゃないの」
みたいなことを誰かから聞くと、余計に傷ついてた。
私は現実にありもしないユニコーン(友達)を追いかけてるのかな…一生、孤独なままなのかな…って。
あの頃の私みたいな人がいたら、「大丈夫。あなたが求めてるものは現実にあるものだよ。」って言いたい。
私が求めてたのは、何でも叶えて許してくれる神様みたいな存在じゃなくて、
思いやりや、敬意や、愛情や、優しさを、キャッチボールしあうこと。
時には傷つけ合っても手当てし合える「人間対人間」の輪。
孤独をすべて吸い取って欲しかったんじゃなくて、「できることがあったら言ってね。」ってお互いに言い合いたかった。
それがかなうようになった今は、かなり心が暖かくなったよ。
それは、まるで、自分の存在が風で飛ばないように「おもし」が付いたみたいに。
私が居なくなっても、悲しんだりする人、家の外にはいないんだろうな。と思っていた時は、生きていても、本当にいつでも風で飛んでいきそうで、心もとなかったから。
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tsukiyoluna · 5 years
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【ビアンよりのバイ、と言われたら感じるモヤモヤの話】  
バイセクシュアルって前に言った時に、
「ビアンより?ノンケより?」って言われたことがある。
まず、この「割合」って何をどう計算するのかなああ??っていうのが、私にはよくわからなかったりする。  
本人が自分の表現として「〜より」という表現を使うことは、もちろんおかしいと思わないし、ジャッジするつもりもない。(ビアンよりのバイ、とかパンセク、みたいな表現はネットでもかなりよく見る。)
バイセクシュアル、と言う言葉の内訳は多様で、
例えば同性にだけ性的な欲求を感じるけど、同性にも異性にもロマンティックな感情を抱く。という人もいれば(※ここでいう同性とか異性にはジェンダークィアやノンバイナリーも含むよ)、その逆もあることだし、
同性にも異性にも性的欲求とロマンティックな感情を抱くことがある人ももちろん含むし、
これまで交際や性的な経験があるのは異性相手だけ(その逆もしかり。)です。という人もいる。
でも、ぜんぶ(本人がアイデンディファイすれば)「バイセクシュアル」の傘の下に入るんだよね。
こういう複雑な話をちょっとでもわかりやすくする意味もあって、「〜より」と言う表現を使う人が多いかもしれない。
ちなみに私は、
交際したり性的なあれこれは男性との方が多分多いけど、恋に落ちたのは女性その他に対しての方が多い。
これは確かに測ることができる部分。
でも、ひとつひとつの経験をみて、好きになる気持ちや、性的欲求の濃度がジェンダーでどう変わるか、それを測るのは難しい。
もちろん性別(ジェンダー)により変わる部分もあるんだけど、それは「傾向」の話でしかない気もするから。(私にとってね。)
「他人が」「多人のバイセクシュアリテイに対して」「ビアンより」とか「ノンケより」という言葉を当てはめることが続くと、私はほんの少し違和感を覚えたりする。
いい例えじゃないかもしれないけど、「犬を飼ってます。」と言ったら「キツネよりの犬?オオカミよりの犬?」と言われるみたいな。 
たしかにかなりキツネっぽい犬とか、オオカミっぽい犬とかいるけど…なんで「犬飼ってるんだね」で終わらないんだろう。みたいな……
(言いたいことわかるかな…。笑)
「バイよりのノンケ」とか「バイよりのビアン」とは、あまり言わないんじゃない?少なくとも、私は聞いたことない。(バイキュリアスという言葉はあるけど)
バイについてはやたら「〜より」と言われるのが、なんかバイの存在が消されがちな実状と地続きなんじゃないかなーっていう気もしちゃうから、だからモヤッとするのかもね。
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tsukiyoluna · 5 years
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bisexualityと私
「自分はbisexual なのかな。」と感じる機会がふえました。口ではうまく話せないし、話すひつようはないのかもしれないけど、私にとってはすごく大事な気づきだったので、シェアします。
🎶🎶🎶🎶🎶🎶
私が12さいのころ、父が
「思春期の男性というのは、自分の女性への気持ちがただの欲望なのか、それとも恋なのか、よくわからなくて「かっとう」するものだ」というような意味のことを言った。  
その場には兄と母もいた。
父はまじめで、母は何か、とまどっていた。(※普段はどちらかといえばあまりたくさん話をしなかった父が、何でいきなりそのような話をしたのかはわからない。旅行先だったからかな?)
母は「(女は)そんなこと、ないよね〜。」と私に言った。私は「うん。」と言ったし、そう思った。
ところが15歳になったら、「かっとう」とかレベルじゃなくて、欲望が、つらいくらいに感じた。
かと言って、それが現実の人に向かうようなこともなく、自分の欲望の向かう先はよくわからなかった。
ただ、自分を持て余していた。そこにはホルモンに加え「自分の存在をみとめてほしい」という精神的な欲も入っていたと思う。
いくらスターを好きでも、自分を見つめ返してはくれない。
ただでさえ、肉体も心も振り回されてつらいのに、学校でもマンガでも教えられるのはいかに「男の子をうまく断るか」「妊娠したらどんな大変な目に合うか」みたいなことばかりで、母のように誰もが「女の子なら欲望の「かっとう」なんてないわよね」と悪気なく顔を見合わせてくるみたいだった。
自分のリアルな身体とどう付きあうか、みたいなことは誰も相談に乗ってくれない…というか、身体はないことになってるみたい。ただ静かに勉強をして耐えた。
***
そして、sexできる年齢になったら、sexしたくてしたくてたまらない、という男性に出会う機会がきゅうに増えた。
人に求められると自分がえらくなったみたいで嬉しかったし、それまで、しずかに生きてきた分、この機会を逃すまい!と思ったのも確かだった。ロマンティックな期待もあった。
ところが、本当にしてみたら、なかなか思ったようには行かなかった。
まず、痛い。 殺す気なの!と思った。(ほんとに)
痛みがなくなったらなくなったで、
避妊してくれないとか。
ポルノの見過ぎだよ。とか。
危ない目にも何度かあった。 それでも、「せっかくの機会」をすべて捨てるには、私の性的な興味も、そしてさみしさ(居場所がないと思っていた。)も大きすぎた。
もちろん、探究する中で楽しいこともあった。
「自分を大切にしないから」
「いい男性を選ばないから」……
言われると、罪悪感でいっぱいになった。自分が「悪い女の子」だから、もしくはバカな人だから苦しむのかな、と思った。
だから、今度こそ優しい男性と付き合うの、ときめた。
でも、その男性はウソをついていた。私と強引に関係を結んだ。
途中で私はそれを知った。でもsexして、私はそれを楽しみもした。そして、何度も、私が望まないことをされた。
***
 
その関係が終わった後何年かは、私は性的な欲望自体を、不思議なくらい、ぜんぜん感じなくなった。ロマンティックな期待もなくなった。
完全にブラックアウトしたような時間が何年かあった。
ある日急に訪れたロマンティックな感覚は、女性に対してだった。
私が「全面的同意」(嘘やlead onがない)で関係を結ぶようになったのも、女性とがほぼ初めてだった。
何だかぴったりくる感覚に、私はレズビアンだったんだ、と思った。
(※この経過を知るストレートの人には「あなたは良い男性に知り合えてないだけのストレートだ。」と言われることがあるけど、私は自分がストレートとは思ってない。)
初めて将来を夢に見たのも、
女性に対してだった。
ところで、sexは男性とするのと、女性とするのとで、違っただろうか?(たまたまどちらもシスジェンダーだったけど)
それはyesであり、Noだとも思った。
女性、と病院で認定されている身体は、確かに男性と認定されたままの身体よりは、私の身体に似ていると思う。
でも、やっぱり他人だから、全然違う。
女性でも、男性でも、人の身体、それから身体にまつわる感じ方は、個人個人で違う。
私は「ポルノの見過ぎ」な男性に嫌悪感をいだきながらも、
そんな人といるときには、そのクッキーカッターの「男性器のイメージ」に寄り添うように、相手がそれで喜ぶように、ということを考えるようになっていたようにも思う。
自由とは程遠かった。
でもじゃあ、女性といれば、自由だっただろうか。
自由になれた気は、した。
それでも、そのうち、
私を傷つけたものは男性器じゃなかったんだな。ハッキリと悟らずにはいられなかった。
蔑み、偏見、支配、権力、無関心、ごうまん、
誰からであっても、違う形の、同じものにおびやかされたし、
楽しいことも、とたんに不安なことに変わった。
本能じゃなくて、理性が人を傷つけるんだ。
***
恋人とも別れ、そういう色々を経過した後、またしてもsexは
しばらくの間は、私から遠いものになった。
そのかわり、心で「愛する」ということが、ようやくわかり始めた時期でもあった。
どれも同じような性別「イメージ」とは違い
実は全く1人1人違う
「体の有り様」
「強い部分」
「弱い部分」
徐々に、目が向くようになった。 
私が思っていたより、世界はカラフルだった。
男、と女、の2つしかない。
というのはあまりにも大ざっぱな区分けだな、とも思うようになった。
そんな時期を経て、「これは私の身体」だから「そんなに罪悪感を抱くことはない」という感覚をつかんできたのがさいきん。
だからなのかな。
自分が魅力を感じる人のなかに、男性も、女性も、どちらかに当てはまらない人も入ってくると
きづくようになった。どちらにしても、そんなにしょっちゅう起こることじゃないけど。
でも、今の私にはあんまり「ジェンダー」の境界が、(欲望、とか愛の中で)ハッキリ見えなくなった。
その経過について考えると、上に書いたようなこともでてくる。
でも、本当は、私の体がどう反応するのか、心がどういうふうに揺れるのかは、説明しきれないし、理由はないとも思う。
はっきりしているのは私は「この世には男と女しかいない。(そして男女が自然に愛し合う)」と言われて信じていた頃から、
かなりたくさんの自分の中の境界線をこえた。
信じていた「普通」は、次々にこわれた。
ということ。
「普通」にフィットインできないことで、生きる道がなくなるようなメッセージをいろんな場所で受け取って、くるしいと思うこともあった。
でも不器用でも「自分の正直に生きる」ということができてきた、そういうことは幸運だったと思う。
自分に正直に生きることが、死を意味する場所もあるから。
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tsukiyoluna · 5 years
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tsukiyoluna · 5 years
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LGBTは子供できない。の嘘。
「LGBTは(全員)子供できない」って、その発言の人道的な問題は当たり前として、そもそもそれ、全然正確な事実じゃないよね??って素朴なつっこみをしたい。
L=体外受精で出来ることがある(国によっては卵子同士で出来る研究が進んでるとか)
G=精子提供など出来ることがある
B=上記2つに加え、異性との間に子供をもうける可能性も(人によっては)ある
T=身体のあり方、セクシュアリティも様々のため、上記3つの可能性どれかを持っていたり、重複する人もいる。
もちろん、バイオロジカルな子供以外に養子ということもあるし、またこれは少し複雑な話になるけど、
L自認やG自認でも、異性とのあいだで子供を持つ人も現実に居る。(理由は様々。)
LGBTと呼ばれる人たちの中に子供がいる未来を描き難い人が多いのは事実だと思う。
ただし、その要因は社会的なものが大部分を占める。(金銭面含む)
子供、子供と言うなら、LGBTQ含む多様な人、多様な家族が生きやすい社会にする方がずっと理に適ってるよ〜。と思う。
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tsukiyoluna · 6 years
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私が「日本にひどい女性差別はない」と答えていた理由。
今でこそ「日本はさほど女性差別がない」などと誰かに言われたら「日本は世界でジェンダー平等指数114位ですが‥
パラレルワールドの日本の話?」とつぶやいてる私だけど、
昔は違った。
大学生のとき、ヨーロッパに短期留学した際、私が戸惑ったことの一つに、バラバラの国籍の人たちから、しかもバラバラのタイミングで、
「ねぇ、日本の女性差別って酷いんでしょう?」
と「気の毒そう」に言われた。ということがある。
そこで、当時19歳の私は「いいえ、昔はともかく、今はそこまででもないですよ。」と答えていた。答えただけでなく、けっこうそう思っていた。
だからといって、私が差別を経験していなかったわけではもちろんない。
こういう考えの背後には多く分けて5つ、理由があった。
1。差別されてるのが日常過ぎてそれが差別だとも気づいてなかった。
高校生の頃「電車にはち漢がいる。街角には女の子を買おうとする男がいる。」というのは、女子の間では「当たり前」のことだった。
ある日、「そんなスカートが短いと、痴かんにあった時、君が悪いことになるよ、それが世間の常識だから。」と父には大真面目に助言された。
真剣に加害者のことを怒ってくれる大人は(私の周りには)いないと感じていた。女の子なんだから、狙われるのは仕方がない。うまく、切り抜けるのは、女の子の責任。そんな雰囲気が漂っていた。
大学受験の時、予備校講師(男)に、胸をドキドキさせながら、自分の夢の話をした。
「そんなに頑固なことだと「イイ女」になれないよ。」と言われた。
そうかなあ。とヘラヘラしたけど、胸に桐で穴を開けられたような気がした。「先生」が「生徒」を見るようにして、自分の考えを見てもらえるかな、と期待していたのが、
この人、私のことを「女」という形でしか見てなかったんだな、と絶望した。
こういう様々な事柄に自分が遭ったのは「差別されていたから」とは気づいていなかった。誰にも、気にも留められないことだったから。ただ、出口のない悲しさや怒りが胸の中に積もっていた。
2。「構造的な差別」に気づかなかった。
医師、大企業の重役、政治家、大学教授。日本では、こういう人たちの大多数が男性なのを知らなかったわけではない。
でも「女の人って、やっぱり赤ちゃんを産むから、自然に男性が多くなるのは仕方がないのかな。」と、思っていた。
出産や育児も含めて、女性だけに負担が偏らないように工夫して、職場を運営する。
そういうサポート制度づくりも含めて「平等」なんだ。と気づくには、まず「そういうことをしている国もたくさんある。」ということを見て、実感する必要があった。
3。自分の国の文化を否定されたくなかった。
これは繊細な問題だと思う。
例えば、私が語学学校で「ひな祭り」について説明したら、スペイン人の学校の先生から、「君のように先進的な女性が、結婚こそが女性の幸せだと吹き込むような伝統行事を喜べるものなの?」と言われた。
今考えれば彼の指摘は良いポイントをついていた。実際、ひな祭りの諸々は私にだいぶ、一夫一婦の理想を刷り込み、潜在的に苦しめていたと感じる。
でも、私は彼の言葉に反発を覚えた。それはひな祭りと言えば私にとっては母の甘い稲荷寿司の思い出であり(私がちらし寿司より稲荷寿司を好きだったから!)、日本人である自分のアイデンティティに繋がる大切な記憶だったから。
それに、その時私の周りのヨーロッパ人が「先進的な」と口にする時、それは言外に「我々(ヨーロッパ)のような」と言う意味を含んでいたと思う。実際、褒める意味で「君は西洋的だね。」と言われることは少なくなかった。
「日本の性差別は酷いでしょう」という言葉の裏に「後進的なアジアである日本」への憐れみや侮蔑を読みとった結果、たしかに存在する「差別」まで直視することを拒否したくなった、というのはあったと思う。
性差別について、じっくり考えたり話したりするためには、自分の出自が否定されない(つまり、人種や国籍で差別されない)という安心をまず感じる必要があった。
4。「被差別者」であることを利用されたくなかった。
「日本の差別は酷いでしょう」と言ってくる人の動機は、同情ばかりではなかった。
「性差別が酷い国」日本の女性に、捻れた関心を向けてくる様々な国の男性がいる、と言う事に、私は気がついていった。
素直に「はい、日本にはこんな困りごとがあります。」等と認めようものなら、
「それに対して、僕はこんなにジェントルマンですよ!!優しいですねーほらほら、有り難いだろうー!」とばかりに上から目線全開で近づこうとしてくる男性‥。
自分の国のフェミニズムの台頭について行けず、フェミニズムに「汚染」されていない国の「かよわい」女性を自分の思い通りに(肉体的に、または精神的に)したいという欲望でいっぱいの男性‥。
そんな男性がうようよ生息している。という事に気づいていった。(※男性だけではないかもしれないけど、とりあえず私が認識したのは男性)
自分が「差別されてる」と認めることは、自分をより搾取.利用されやすい、より危険な立場に置くことだと感じた。
(実際、そういう形で女性が二重に利用される場面に、私はその後イヤというほど立ち会うことになった。)
嘘だと思う人は、YouTubeとかでJapanese women dateとかで検索して、ビデオのコメント欄を見てみてほしい。地獄だから。
5。「差別され、傷ついている」と認めたら自分を保てなくなりそうだったから。
これはそのまま。平気なように振る舞わないと、後が怖かったから。
大きくこの5つの理由から、私は自分が「差別されてきた」と認めるのを拒んだ。
それでも、留学した時に耳にした言葉や、色々な国の人たちとの会話は、確かに、私の心に小さな風穴をいくつか開けた。
それが、より深い理解につながるまでには、やはり本を読むこと、そしてさらに人との出逢い、人との縁が必要だった。
「差別」の存在を認識することは、悲しみや辛さの「出口」を見つけることだと思う。
そして、自分がひとりではないんだ。
と知ることなしには、向き合うことも、進むことも、
私には出来なかった。
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tsukiyoluna · 6 years
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傷の手当て
私が傷ついている。ということが明らかになると、そのことは恥になった。
私が傷ついている。と口にすることは、罪になった。
そのことが、大好きなひとを傷付けるから。
私は私が大好きなひとに傷ついてほしくなかった。
でも自分の感じ方は変えられなかった。
そのうち、自分の存在じたいが、邪魔なのだと思うようになった。
私の大好きなひとも、私のことが大好きだと思った。
でも、本当は時々、、
温かい会話の中で、背中から突然グサリと刺されるような痛み。
そう感じること自体が「酷い」ことだと、苦しめることだと、同時に思う。
それに、そんな筈はない。そんな筈はないという、行動があり、言葉があるから
でも、ほんの些細な声音や、気配や、小さな一言一言に、私は何か、もっと、
安心出来るヒントを求めていた。
たしかに。
怖くて、冷静になる。
そこにはただ壁がある。言葉という壁がある。
壁を押し続ければ、大丈夫と期待し続ける。きっと。きっと。
傷ついたなんて、何かの間違いだよ。
と言い聞かせる。血は止まらない。むしろ止めたくない。
だって、気づいてほしいから。
私はそうして、気づいたら同情の目で見られるようになった。
そして、苦しめたくないと思えば思うほど、苦しめるようになった。
そのまま、大人になった。
誰にも、子供の私は気づかれないままで、
どうしようもない大人になった。
虚しい。
そして、悲しい。
「傷ついた」のは間違いではなかったということが、
年を追うごとに自分に伸し掛かって、自分の基盤をぐらぐらと揺さぶる。
悲しいけど、やはり誤魔化しはきかなかった。
安心したいからとつかまろうとするほど、期待をし続けるほどに、私は自分のことが嫌いになっていった。
期待をやめる。なんて宣言すればするほど、それがうまくいくとも思えない。
ただ、せめて、また壁にぶつかって、新しい血を流すよりも、、
優しさの方に、今は歩いていきたい。
私は安心したかっただけだった。
ただ、ここに居て大丈夫だと思いたかっただけだった。
せめて、自分だけでも、
傷ついた、ところに手当てしたっていいんじゃないか、
だれが、してくれなくても。
虚しくても、
気付かれなくても、
確かに愛があった、
私の中には。
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tsukiyoluna · 6 years
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tsukiyoluna · 6 years
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人はただお互いに行き交ってるだけで「分かり合っている」と感じるなんてただの幻想だ、と言ったのはSchubertだった。
これは正しいと思うし、そんな残酷な現実を忘れさせてくれる幻想の最たるものが「恋」だろう。
お互いの体と心が欲望していることがたまたま一致した偶然を「運命」と感じて、肌がふれあいでもすればこれまでの不幸は全部忘れられる。
この時のために生まれてきたんだ、この指も髪も、この人のために造られたんだとさえ感じる、相手の目に映るのが私一人だと感じる時に。
これから生きていく中で訪れる千夜一夜よりも、このたった一夜の方がずっと価値があり素晴らしい、とさえ感じる。
でも、気が付いて、目が覚めると、残り火の中に、ひとりで取り残されている。
人ふたりが寄り添えば、温かさは実は簡単に作り出せるもので、ただひととき優しい目に包まれることは、毎秒毎秒痛みの中で生きていくよりもはるかに安易なことだった。
夢見てしまったぶん、その残骸を背負う。
夢を見ては全部が壊れる。
でも夢に生きていたかった。
ただどこかへ消えていくようにして。
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tsukiyoluna · 6 years
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フラッシュバック
自分が人にされたことで、
自分が悲しい思いをしても、
自分が辛くても、
自分が傷ついても、
「きっと、あの人にも理由があったのよ。」
そうやって自分に言って聞かせる。
そして、それは多分、正しい���
人にはいつも理由がある。
私が心配しても、私が相手の気持ちを思いはかっても、
そんなことはほんの少しもかまわないだけの理由が。
「理由」を思いはかっているうちに、いつの間にか、
私は巻き込まれて踏まれている。
私の気持ちがめためたに壊れるまで。
・・・・・
私「そんな顔して大丈夫?疲れてるの?」
A「休む場所を探してほしい。寒気がする。横になりたい。」
私「ごめんね、待っててね、今探すから。」
・・・・・
いやな思いをさせまい、
悲しませまいと、
思ったことも、
でも結局、無意味だった。
「だって、その人はそういう人だから」。
私の考えたことは、その人に一ミリのインパクトも与えていなかった。
どうでもよかった。
私が勝手に相手を間違えた。
だから?
だから‥ 私が馬鹿なんだ。そうだよね。
だから?
だから…私は意志を無視された?
心の中にはやはり
「じゃあ、私のきもちは?」という声が
抑えても、抑えても、渦巻く。
私の悲しみは?
私の痛みは?
どうでもいいの?
どうして?
どうして?
どうして?
ねえ、どうして?
ガラスの窓をドンドンドン、と叩くような声。絶対にその声は黙らない。
絶対に。
そして、たまらずに誰かに打ち明けると、
言われてきたことがある。
「あなたが気をつけてればそんなことにならなかったよ。」
「そんなこと大したことじゃないよ。」
密室で、暗闇の中で傷ついた事から、
逃げ出そうともがくと、
外に出たときに真っ先に触れる
「恥」の感覚。
逃げられない。
人の甘さを、優しさを、肌の暖かさを、
求めるたびに、
甘さにくるまれた冷たい刃に刺される。
体よりも心が裸にされるのが辛いのは
私が私を恥じているから。
逃げようとするたびに、
違う暗闇におっこちる
変なビデオゲームみたいに
子供の頃の悪夢みたいに…‥
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tsukiyoluna · 7 years
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“We live in a world that is so full of pain that I would like to be on an island where there is lots of love, where everyone cares for each other and shares whatever. It would be a longer life for everyone if the world were like this, you know?”—Ruth Robinson for Portrait of the Artist
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tsukiyoluna · 7 years
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!!!  So my friend sent me this video on growing up and dealing with antiblackness in Japan and it’s SO. REAL.  
It’s only in Japanese (sorry non-Japanese speakers).  I encourage you to watch and share.  
For students of Japanese language - the dialogue is super clear and you might be surprised at how much you understand!
人権啓発ビデオ 「わたしたちが伝えたい,大切なこと ~アニメで見る 全国中学生人権作文コンテスト入賞作品~」(1/4)【差別のない世界へ】(字幕あり)
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tsukiyoluna · 7 years
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Below her mouth鑑賞記
【English follows Japanese】 Lなカナダ映画Below her mouth(邦題はなぜかアンダー・ハー・マウス)を観てきました。
たまたま、以前からこの映画の話をしていた映画好きの友人女性(※ストレート)も、何と同じ上映に居合わせていました!
映画館をでたとたんに彼女がぽーっとしながら言った「・・これ、何の夢小説?!」と言う言葉が名言。
他にも彼女は「ダラス役のエリカ様が、二時間ひたすら屋根仕事をしているだけ(※役柄が屋根職人なのです。)のDVDを出したら売れる筈だ、私は買う。」などの素晴らしい名言を残していました。笑
ストーリーは、ずいぶん主人公ジャスミンに都合良く設定したな…という感は否めないです。(途中、エリカ様演じるダラスが可哀想な余り、けっこう主人公にいらいら!)
ただ、下世話な映画と一線を画しているのは扇情的なだけではない女性の心と身体の描写の真実味(さすが監督はじめクルー全員女性)と、神聖な印象さえある映像の美しさだと思う。
私は直裁な性描写は映画には基本的に必要ないと思っている方ですが、この映画においては余計とは感じませんでした。
女性のオー、ガズムを、隠微なものと言うよりもあるがままに美しく力強く、そして自然なものとして描きたいという、作り手の強い意志を感じたからかと思います。
I watched a Canadian L movie " Below Her mouth " today .I ran into my straight female friend there who I had been talking about that movie with ! I can 't forget that she said " What fan fiction was that?" (Yes, she's otaku) in very fascinated tone as we exit the movie theater.
She also left WORD such as " They should publish a dvd of Erika Linder only roofing for two hours. I 'd totally buy it!"
I have to say the story is quite "Harlequin" like
(A heroine who is already engaged to someone else, a heart stealer who is super duper aggressive and " takes her somewhere" , a wild player who has a vulnerable child deep inside and shows affection only to a heroine.. etc )
and the heroine , Jasmine kind of irritated me for putting Dallas through a lot of pain in the middle of the movie !
But I think the breathtaking beauty of the cinematography and the reality of the female sensuality excludes this movie from simply being erotic or corny. Although I'm usually reluctant to see crude sexual scenes in movies, those in " Below her mouth" didn't look excessive nor unnecessary. I assume it's because they intended to show the female orgasm as it is, something beautiful, powerful, and natural above of all.
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tsukiyoluna · 7 years
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ざっくり日本語訳付けます。
”LGBT+への受容を呼びかける活動において、「Love is love」( 愛は愛)や「Love wins」( 愛は勝つ)が一番の話題になっていることに飽き飽き‥。まず、このポストが指摘するように、これらのフレーズは完全にトランスジェンダーを除外している。トランスジェンダーは恋愛対象によってではなく、彼ら自身のジェンダーによってLGBT+に含まれる人々だから。
それに…私自身も、自分が愛するのは誰か、あるいは将来愛するかもしれないのは誰か、ということでLGBTQIA+なんじゃなくて、自分が誰か(何者であるか)ということで、そうなっていると感じる。私は私が愛する人のためじゃなく、私自身のために、そしてそれが私の一部だから、と言うことのために人々に受け入れられたい。
私が愛する相手が私と言う人間の定義ではない。私は私が定義なんだ。それに私は、私の恋愛が敬意に値するからという理由で受け入れてほしい訳じゃない。私が誰とつき合おうと、誰を愛そうと、誰と人生を歩もうと、私という人間が敬意に値するから、と言う理由で受け入れてほしい。”
im so…tired of “love wins” and “love is love” being the #1 talking point in lgbt+ acceptance campaigns. for one thing, as this post points out, it completely excludes trans people who are lgbt+ because of their gender, not because of who they love
but also….i feel like i’m lgbtqia+ because of who i am not because of who i love, or who i might love in the future. i want people to accept me for who i am, and because this is a part of me, not because of who i love. 
the people i love don’t define me, i define me, and i dont want people to accept me because they think my relationship is worthy of respect. i want people to respect me because they think that i am worthy of respect, no matter who i date, who i love, who i have in my life. 
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tsukiyoluna · 7 years
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Cinderella
Valentine Cameron Prinsep (1838–1904)
Manchester Art Gallery
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