これは脳内の会話です
「昔は才能があったのかもしれない」と時々思う。続けることが才能だと、そういう努力を努力と思わないことが才能だという言葉も随所で聞く。なんだかんだで物心がついたころから漫画や絵なんかをかいて今に至るわけだから、先述の理屈を用いれば「昔は才能はあったのかもしれない」。だけど、色んな情報を取り入れるうちに、あれをしなければ、これをしなければ、と思ううちに全てが嫌になってきた。責任転嫁なのかもしれない。もしくはそんなもので潰れるようなものは才能とは呼ばないのかもしれない。
ということはそれはつまり、どんな苦難にも折れず、現実を知っても続ける事ができて、かといって不純物だと思わないで、常に邁進する事ができる人が「才能」を持っているということだろうか。それってどんな人間ですか。
奇抜で個性的で、お金になるコンテンツを持ちうる人間、そういうものを生み出せる人間。そしてそれを継続してられる人間。そちらの方で就活していると、会社はそういう人間を引き当てるガチャをしているのかな、と感じるようになった。私はハズレ、次もハズレ、ハズレ、ハズレ。ハズレの人間。どこかの女性が腹を痛めて一生懸命産み落として、何百、何千万かけて、それに伴った時間をかけて育てた元子供の大人も、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ、ハズレ
(だけど一番悲惨なのは、普通にもなれず、変わった人間にもなれない。どこにも属せない、ハズレの中からさらに外れた人間。)
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