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#「お石塔」と書いて「おせっと」らしい
hachikenyakaiwai · 10 months
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【かいわいの時】元禄六年(1693)八月十日:井原西鶴没 (大阪市史編纂所「今日は何の日」)
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
(1693年)下山鶴平・北條団水、西鶴の墓を建立 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている(大阪市指定文化財)。
(1801年)太田南畝(蜀山人)、書肆山口屋の案内で西鶴の墓に参る 寺町をすぎ 誓願寺に入る、甃庵中井先生の墓あり《略》 此寺に西鶴か墓ありと書肆山口屋かいへるによりて墓はらふ下部にとふに志らず、つらつら墟墓の間を見るに一ツの石あり、仙皓西鶴とゑれり。右のかたに元禄六癸酉年八月十日としるし左の方に下山鶴平北条団水建と有り。也有翁の鶉衣にも、作文に名を得し難波の西鶴は、五十二にして世を去給ひ「秋風を見過ごしにけり末二年」といふ句を残せりとかけり。げに八月に終りぬるには折からの句成へし(太田南畝)。『葦の若葉』四月廿一日条より。句読点後付け。ママ。
(1802年)滝沢馬琴、太田南畝に紹介された田宮盧橘の案内で西鶴の墓に参る 西鶴が墓は、大坂八町目寺町誓願寺本堂西のうら手南向にあり。〈三側目中程〉七月晦日蘆橘と同道にて古墓をたづぬ。はからず西鶴が墓に謁す。寺僧もこれをしらざりし様子なり。花筒に花あり。寺の男に何ものが手向たると問ふに、無縁の墓へは寺より折/\花をたつるといふ。
棹石高サ二尺余ヨコ一尺 台石高七八寸 大字 総高サ二尺八九寸
元禄六 癸酉年八月十日 仙皓西鶴 右ノワキ 下山鶴平 北条団水 建
團水は西鶴が信友なり。西鶴没して後、團水京より來り、七年その舊廬を守れり。そのこと西鶴名殘の友といふ草紙の序に見へたり。追考 難波鶴に云。西鶴は井原氏、庵は鑓屋町にあり(滝沢馬琴)。『羇旅漫録』より。句読点後付け。(写真参照)
(1889年1月)幸田露伴、誓願寺無縁墓にある西鶴の墓を探し当て、卒塔婆を立てる 露伴は住職に供物を出して、 お墓をちゃんとしてほしいと言い、香を焚き、水を手向け、卒塔婆を立てて去るわけです。それが、明治22(1889)年の1月のこと。その卒塔婆には、「元禄の奇才子を弔ふて 九天の霞を洩れてつるの聲」と書いた(肥田晧三)。「上町台地から本をめぐる時空の旅へ」『上町台地フォーラムvol.9』2018より。
(1889年8月)尾崎紅葉、西鶴の墓を訪れ、卒塔婆を残す 紅葉も、同じ明治22年の8月に西鶴の墓を訪れ、「為松寿軒井原西鶴先生追善」と書いた卒塔婆を残した(肥田晧三)。
それではなぜ、この二人は西鶴を知ることになったのか。露伴は帝国図書館、今の国会図書館にあった西鶴の本を随分と勉強したんです。また当時、東京に淡島寒月という人がいましたが、彼は時代に先駆けて西鶴を評価し、自身でも作品を手元に持っておりました。その寒月と仲が良かったのが露伴で、彼の西鶴作品を借りて徹底して読んだわけです。紅葉も、露伴に遅れてですが、やはり淡島寒月から西鶴の作品を教えられたんです(肥田晧三)。
(1889年11月)木﨑好尚、読売新聞に「西鶴の墓」を寄稿 大阪朝日新聞の青年記者だった木﨑好尚は、後に頼山陽や田能村竹田の研究で知られるようになる人です。この人が、明治 22 年にやはり誓願寺に行くわけです。すると新しい卒塔婆が二つ西鶴の墓に立てかけてある。一つは幸田露伴、一つは尾崎紅葉。それで、大阪の青年がびっくりするんです。東京の輝かしい新進の作家二人がここに来ている!大阪の自分たちはちっともお参りせんのに、あの二人が西鶴の墓にお参りしていると。そして 明治22年11月に、東京の読売新聞に「西鶴の墓」という題で書く んです(肥田晧三)。ママ。木崎が朝日新聞に入社したのは明治26年(1893)。
(1889年11月)幸田露伴、「井原西鶴を弔ふ文」を雑誌『小文学』に発表 露伴もまた、「井原西鶴を弔ふ文」という題で、明治22年11月に雑誌『小文学』に発表します。「今や露伴幸に因あり縁ありて、茲に斯に來つて翁を吊へば、墓前の水乾き樒枯れて、鳥雀いたづらに噪ぎ塚後に苔黑み、霜凍りて屐履の跡なく、北風恨を吹て日光寒く、胸噫悲に閉ぢて言語迷ふ。噫世に功ありて世既に顧みず、翁も亦世に求むるなかるべし。翁は安きや、 翁は笑ふや、唯我一炷の香を焚き一盞の水を手向け、我志をいたし、併せて句を誦す、翁若し知るあらば魂尚饗。九天の霞を洩れてつるの聲 露伴」(肥田晧三)。
(1890年5月)尾崎紅葉、「元禄狂」を「国民新聞」に寄稿 西鶴に心酔しているということを書き、その中で、「明治二十二年八月、大阪八丁目寺町誓願寺に、 西鶴翁の墓に詣でゝ」と記し、「ででむしの石に縋りて涙かな」という句も詠んだ(肥田晧三)。
木﨑好尚を除き、全員、江戸っ子です。
(写真)「仙皓西鶴」『壬戌羇旅漫録 2巻 [3]』1802-1812(東京大学学術資産等アーカイブズポータル)より。 注記:写本 注記:目首の書名: 著作堂羇旅漫録 注記:題簽の書名: 羇旅漫録 注記:本文末に「享和二壬戌年八月廾四日筆同十一月朔日挍合畢 曲亭瀧澤觧戯記」とあり 注記:[跋]末に「享和二壬戌年冬十一月二日 著作堂馬琴再識」, 「壬申春日 曲亭主人書」とあり
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myonbl · 1 year
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2022年12月25日(日)
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三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、今年はこれが最後である。いつものメニュー(畑無農薬野菜・平飼い有精卵・特別栽培玄米・手打十割蕎麦・鶏肉)に加え、今回はスペシャルで特大の<渡利かき>が同梱されている。生食なら早く食べないといけないが、生憎私は生がダメで3男もアレルギー(?)。夕飯のメニューは決めているので(天ぷら)、明日加熱していただくことにしよう。奥川さん、今年もありがとうございました。
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5時30分起床。
日誌書く。
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昨晩の鍋の残りを汁にして、頂き物の<深川米>で朝ご飯。
洗濯1回。
奥川ファームから定期便届く、今月分を振込、来月の配送希望日時を伝える。
今日は高校駅伝、終日テレビ観戦だ。
ツレアイは奈良で太鼓の練習、昼前に京都駅まで送る
女子の最終区は見応えがあった。
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息子たちのランチは出石蕎麦、届いたばかりのタマゴを温玉にしてトッピング。私は残り物を片付ける。
男子のレースを見ながら、椅子の上に横になってウトウトしてしまう。
セントラルスクエア花屋町店で買い物、トマト・インゲン・薄揚げ。
今夜は天ぷら、早めに用意する。地鶏・ソーセージ・竹輪・ナス・レンコン・サツマイモ・インゲン。
ツレアイはバスで帰宅する。
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みなで早めの夕飯、息子たちはスパークリングワイン、私たちはスペインのオーガニック。
録画番組視聴。
▽桂鯛蔵 「風呂屋番」
初回放送日: 2022年12月24日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は桂鯛蔵さんの落語『風呂屋番』をお送りします。▽ご案内は河島あみるさんとらくご男子の皆さんです。
刑事コロンボ
(66)「殺意の斬(き)れ味(あじ)」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。ピーター・フォークの妻であるシーラ・ダニーズが初の犯人役に。共犯者の愛人パトリックの声は俳優の船越英一郎! 
 夫との婚前契約で、離婚すれば文無しになってしまうキャサリン。粗野な夫に消えて欲しいが、彼を殺せば自分に疑いがかかる。そこで夫と金銭問題で係争中のハワードを殺害し、夫を犯人に仕立て上げることに。キャサリンは彼女の愛人で警察科学捜査課に勤務する鑑識員のパトリックと共に、計画を実行する。捜査は2人の予想通りに進むが…
腹ごなしに、軽く町内ウォーキング。
片付け、入浴、体重は800g減。
渡利かきの味見、フライパンで加熱してレモンを搾る、美味なり。
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辛うじて3つのリング完成、水分は1,400ml。
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manganjiiji · 1 year
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スフィア
なんと。開幕爆撃頭痛から回復できず、欠勤。そんな。今日が現場デビューのはずだったのに。ショックです。でもほんとうにびっくりするほど頭が痛いのと吐き気が全く何をどうしてもおさまらなくて、早めに欠勤の連絡を入れて、すこし横になってからどうにか脳神経外科(かかりつけ)に行った。偏頭痛薬の残弾も残り1になっていたので、新しい保険証はまだ手元にないが、とにかく今日しかないと思って行った。偏頭痛にしても緊張型頭痛にしても変な感じで、どっちの痛み止めを飲んでも鈍い痛みが続き、脳神経外科の待合室でも頭を抱えて椅子にうずくまっていた(検査技師の方に心配して声をかけられた瞬間に診察になり、ほとんど声も出ないほどに痛かったがなんとか薬を出してもらった。「飲みすぎないでくださいね」と先生に2回も言われた。そんな。私は飲みすぎるタイプじゃないから大丈夫なのに、相当理性を失っているように見えたのだろうか)。その後なんとか痛みでもやがかかったような頭(かなり重い)でマックに寄ってパイナップルのフラッペみたいなものとポテトLを完食し(なんでだよ。早く帰って寝ろよ)、ふらふらとがんばって家に帰り、横になるも、何も回復しない。熱もないのに熱があるように体が痛く、2020年末のコロナの時のような倦怠感、あの時ほど酷くはないが。いま、つまり26日の3:15になってやっと体の緊張がやわらいできた。今日だけで何錠薬を飲んだのだ。飲んでもほとんど意味がなかったので、飲まないほうがよかったのか?しかし胃は強いので気にしなくていいだろう。というか、消化系も重だるくなってほぼ停止していて、頭痛の波が引いても吐き気で起き上がれない状態が続いた。こんな原因不明の体調不良はひさしぶり。熱中症の心当たりもない。もしかして初現場への緊張がなせるわざ!?いやそんなやわな性質ではない。さすがに。変なものを食べたわけでもないし、本当に何だったんだろう。先程やっとコンタクトを外すことができ、就寝に向かっている。明日の朝には何もかも解決しているといいのだが。
病院への行き帰りで、伴名練編の日本SFの臨界点『死んだ恋人からの手紙』(恋愛篇)を買ってから3年弱経って初めて読み進めた。表題作「死んだ恋人からの手紙」がかなり良かった。ティプトリージュニア(愛はさだめ、さだめは死)を読んでいた時も思っていたけれど、私はSFに温かみを求めているなと思う。2篇目の「奇跡の石」も、そこまで真剣ではないが、読んだ。これはそこまでおもしろくは…というか、好みではなかった。キャラクタの魅力が私の好み/非好みを決めているのであって、展開とか構造とか物語のうまさとかそういうことではない。どんなに面白い話でも、キャラクタがただそこに配置されているだけの、恣意的な没個性キャラクタだと、興味がわかない。性格のいい人とか、善人とか、誰かを愛している人とか、容姿がととのっている人とか、そういうわかりやすく魅力的なキャラクタが好きである。ホームズは読めるかもしれないが、アガサ・クリスティは読める気がしない。とはいえ小学六年生の頃、学校の図書室でアガサを借りるのが流行り、その中ではミス・マープルの話が好きだった。ポアロとかもいるな。よく考えたらたぶん魅力的なキャラクタはいるのだと思うが、なんか、自分好みにひと捻りされているキャラクタを望んでしまう。ホームズはカンヴァーバッチの『SHERLOCK』の1作目を見ているので、たぶん面白いだろうなと思っている。つまり、物語の展開とか、トリックとか、どんでん返しとか、そういうことにあまり興味がないので。キャラクタがいかにかっこいいかしか興味がないので。それにしてもミステリを読む気が起きない。エンタメの礎を全く読んでこなかったしこれからも読まないであろうことを考えると、エンタメの素養が0。シナリオ・センターの講座を受けている時、毎年の、世界の100人が選ぶミステリの10位までは最低限読めとおっしゃっている先生がいて、たしかに。と思った。その時に『春にして君を離れ』がタイトルが美しくて買ったのだがまだ読んでいない。『アクロイド殺し』も持っているが読んでいない。読みなよ。『流れよわが涙、と警官は言った』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』なども持っていたはずだが(読まずに)消えた気がする。27歳の時に、精神も身体もどん底になり、本の背表紙を見ることさえきつくなってかなりの未読の本を手放してしまった。『盤上の夜』とか『皆勤の徒』とか『バレエ・メカニック』とか、ほぼ読まずに。その路線で行くと、いまだに諦められないのが『グラン・ヴァカンス』でこれはまだ生家のどこかにあるはず。爆笑問題の太田さんがものすごく凄いと言っていた『タイタンの幼女』は持ってきているはず。どれもこれも10年前とかそのあたりに買ったものです。そのあたりから小説をほとんど読めなくなっている。ようは、学生時代までは読めていた。社会人になってから、というか、より正確に言えば投薬を始めてから小説を読むのにものすごい困難というか疲弊というか徒労感をかんじて、最初の1ページだけ読んでは次の本を買う、「買うだけの人」になった。昨年からすこし頑張って小説を読もうとしているので、昨年はそれまでよりは読めたと思う。相変わらず腰を据えて大作(というか、溜めている古典的名作)に挑んではいないが。小説は1年に1冊読み切れればいいほう。歌集、詩集、新書、選書、その他専門書のライトなものなどは読める(だいたいノートにメモを取りながら読んでいる)。積極的に読んでいる。ただ、フィクションを摂取するのがかなり難しい。そのなかでも昨年は『月と六ペンス』がここ10年でいちばん面白かったと感じられるくらい良い読書体験だった。手を動かさずにただ「読む」という行為が耐えられないのかもしれない。要因は色々あると思う。最近は今のところ、村上春樹の新刊も面白いなと思って少ないが進められているし、今日も日本SFの臨界点を少し読んだし(はたして円城塔の「ムーンシャイン」までたどり着きたいものだ)、小説の内容を目で追って読むという能力は近年すこしずつ回復しているかもしれない。これがpixivの二次創作だといくらでも読めるんだけど、それは前述の通りキャラクタが魅力的であることが確約されているから。一般文芸は、キャラクタの全体像が見えてくるまで我慢してさまざまな「事象」を頭に入れていかなければならない。そのなかには非好みのキャラクタも出てくるし、とにかくたるい。2行読んだら話が進んでいてほしい。私の読む速度がもう少し速ければ(眼球運動を意識して速めれば)かなり行けるのではないだろうか。どんな小説を書くにも、たとえ文体とキャラクタだけを書きたいにしても、展開がなくてはならない。どんでん返しとか意表を突くものでなくても、とにかく何かが起こって、キャラクタがそれに対応しなければならない。そうなると、どんなに純文学が書きたいと思っても、エンタメのインプットからは逃れられない。手っ取り早いのは映画とか、映像。ただ流しておくだけでよいから。でも私は本との関係を切りたくないので、これからも引き続き小説の読解にも取り組んでいく。
『精読 アレント 「人間の条件」』も数ヶ月寝かせてからやっととりかかっている。これはノートにまとめながら。ノートに文字を書くのが楽しすぎて、ノートを取りながら読むものは意外と進める。今日はパンセクシャル認知の日らしい。
眠気がやってきたので眠れそう。
2023.5.25
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epwf · 1 year
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230409 船で眠る。朝方、風呂に入って、外の見える席で対岸の淡路島を眺めていた。地図を起動して、むこうで点滅する灯台の名前を調べた。江埼灯台。いつかあの灯台から海を眺めたいと思う。瀬戸大橋をくぐってしばらくすると大阪が見えてきた。下船して電車に乗る。太陽の塔と民博を見た。母がずっと、大阪に行くことがあったら見てほしいと言���ていた。父と母と三人で京都へ行ったとき、母はついでに私に民博を見せたかったらしいのだが、父が京都から出ることに反対して、結局一緒には行けなかったのだった。民博の企画展「ラテンアメリカの民衆芸術」がとてもよかった。常設展も、書籍販売の棚も、ぜんぶよかった。ゲストハウスにチェックインしてから、フェスティバルホールへむかう。今回の目的は、ボブ・ディランのライブ。kとふたりで、いま、ボブ・ディランと会ったということはきっといつか過去を振り返るときの点となるだろうな。こうやって、いまをいつかの過去として捉える癖がある。終演後、テンカラ食堂へ向かうがお休みで、路地裏の光に誘われて街中華・三光へ入った。立て込む注文に集中するおじさんと少しあたふたしながらも遅れてごめんなさいねとやさしいおばさん。全部シンプルに美味しくて、とくに野菜スープがおいしかった。2軒目を探して中崎町や梅田、なんばあたりを歩くものの結局入りたい店が見つからず、成城石井のチーズケーキを買って、食べながら宿の近くの西成のあたりを歩いた。飛田遊廓に迷い込んでどきどきした。
/10 喫茶店でモーニングして、新世界のあたりをうろうろした。たこ焼きおいしかった。中心街の賑わいの中から外れたくて、しっぽりとした串カツ屋がないか探し歩いたけど見つからなかった。結局なんばの近くの路地のカレー屋に行き着いた。ひと席だけ小上がりになっていて、店員からも半分くらい死角なその席に落ち着いて長居させてもらった。古本屋の構想について話した。貸本屋という案について検討。実現は難しいかもしれない。そのあと梅田の駅中の古書店街へ行った。5年くらい前に立ち退きで駅中に移ったらしい。太田書店で一冊買って、店主に話しかけたらすごく親身に話をしてくれた。教えてもらった矢野書店へ。豊かな100円棚だった。大阪はいい古本屋がたくさんある。さんふらわあへ乗って帰路。店を始めるにあたって節約しよう!と話したけれど、新造船のさんふらわあのバイキングがあまりに美味しそうで、つい食べてしまう。さんふらわあのリニューアルの時期で、行きと帰りで新旧の船に乗れてよかった。値上がりを訝しく思っていたが、値段なりのグレードアップがなされていた。海の見える席に座って、古本屋を始めるための、これからのことを話し合った。
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abraxas174 · 2 years
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『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』ローリー・スチュワート 高月園子 訳
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「二〇〇〇年のある日、ローリー・スチュワートは故郷のスコットランドを散歩していて、ふと、このまま歩き続けたらどうだろう、と考えた。それがすべての始まりだった。その年、彼はイランを出発し、アフガニスタン、インド、パキスタンを経由しネパールまで、アジア大陸を横切る全長九六〇〇キロを踏破する旅に出た(「訳者あとがき」より)」。だが、タリバンに入国を拒否され、アフガニスタンは後回しにするしかなかった。翌年にタリバン政権が倒れると、彼は大急ぎでネパールから引き返してきたのだ。
通常アフガニスタンの西の都市ヘラートから東のカブールに行くには、ヒッピーたちが旅したように南のカンダハールを経由する。それなのに、あえて最短距離のルートを選択し、積雪三メートルに及ぶ冬の山岳地帯を抜けて歩き通した苛酷な旅の記録だ。誰からも冬季に山岳地帯を行くのは無謀だと説得されるが、南はまだタリバンの勢力下にあり、そこを通るのは危険だ。彼は一刻も早く踏破したかった。歴史学者でもある男はムガール帝国初代皇帝バーブルの日記を通して、彼が同じルートを冬に踏破したことを知っていた。
邦題には「犬と歩く」とあるが、はじめは犬は登場しない。その代わりに武器を携行した男三人が旅のお伴だ。なにしろ、タリバン政権が崩壊してたったの二週間だ。外務官僚のユズフィは言う。「きみはアフガニスタンの観光客第一号だよ。(略)護衛を連れて行きなさい。これは譲れない」。彼は市場で手ごろな木の棒を買い、鍛冶屋に行って両端に補強用の鉄を取り付けてもらう。この杖は「ダング」と呼ばれ、山道を歩くとき重宝するが、いざというときは武器にもなる。
この本のことは、ロバを連れてモロッコを旅している邦人のツイッターで知った。本の影響を受けてのロバ旅らしい。モロッコではマカダム(村長)が行く先々についてきて、次の村まで同行し、そこのマカダムに引き継ぐ。イスラム教の喜捨の精神で、旅人は大事にされるのだ。この本のなかでも、日が暮れて村に着いた旅人は一夜の宿と食事を提供され、翌日次の宿を紹介してもらって旅を続けている。一日の旅程が終わる頃には次の村で休めるようになっている。今は荒れ寂れているが、かつては通商のために人が通った道なのだ。
もっとも、当時のアフガニスタンは、まだ各地でタリバンが戦っており、宗派間、部族間の抗争も続いていた。武器を携行した男たちが同行していては、村人も投宿を拒否できまい。喜捨といえるのかどうか。食事といってもパンとお茶がやっとで、時にはパンさえ出ないときもある。どの村も貧しく自分たちが食べるのもやっとなのだ。旅はおろか、女たちは村から離れることができず隣村のあることさえ知らない。
そんななか、泊まった一軒の家で、犬を連れていけと勧められる。大型のマスティフ犬の一種で、オオカミ対策に飼われているという。ただ、餌代にも事欠く有様で、彼が貰ってくれれば餌にもありつけるだろうという。彼はためらったすえ、その犬を引き受ける。皇帝にあやかって「バーブル」と名づけられた、この犬がいい。イスラム教の国では、犬は不浄な動物とされ、ペット扱いされない。ただ使役されるだけだ。当然、犬の方も飼い主に愛着も示さなければ、遊びにつきあうこともない。だが、スコットランド人はちがう。
はじめは居場所を離れることを嫌がり、歩き出してもすぐに地べたに座り込んで動こうとしない。パンで釣ったり、紐を引っ張ったりしてやっと動き出す始末。ところが、そんなバーブルが少しずつ彼に心を開き出す。雨や雪の中を苦労して歩き、村にたどりつくと、彼は嫌がる村人に頼み込んで、犬をどこか屋根の下で寝させてくれるように頼む。それをすませるまで自分も家の中に入ろうとしない。食事に肉が出ると、犬にも分けてやる。旅が終わったら、スコットランドに連れ帰るつもりでいる。
どこを向いても厳しい自然と貧しい人々の暮らしがあるばかり。そんなある日、険しい山の中で尖塔を発見する。伝説の「ジャムのミナレット」だ。「細かい複雑な彫りの施されたテラコッタにターコイズブルーのタイルが線状にはめ込まれた細長い柱が、六〇メートルの高さにそびえている」。塔の首のあたりにはペルシアンブルーのタイルでこう綴られている。「ギヤースウッディーンはヘラートにモスクを、チスティシャリフに修道僧のドームを建て、失われた都ターコイズ・マウンテンをつくったゴール帝国のスルタンだ」
彼はその辺り一帯の司令官の家に誘われ、塔についての話を聞き、地中から掘り出したものを見せてもらう。何人もの考古学者が訪れながら、遂に発見することのできなかった、失われた都ターコイズ・マウンテンの遺跡は、盗掘者の手で掘り出され、二束三文の値で売り飛ばされていた。かつて、チンギス・ハーンに焼き尽くされた伝説の都は、ずっとイスラムの遺跡として守られてきた。しかし、タリバンが追いやられた今、僻遠の地ということもあり、新政府の目も及ばず、せっかくの文化遺産は荒らされ放題になっている。
地下に貴重な文化遺産を蔵しながら、ヤギが食べる草も生えない高地に暮らす人々は、掘り出した遺物を売って暮らすしかない。皮肉なことだ。遺跡を見る目は歴史学者のそれで、この部分は明らかに他とは筆致が異なる。だが、その後、旅は苛酷になる。赤痢に罹り、下痢で体力を奪われながら雪の山道に踏み迷う難行が待っていた。さすがの彼も凍った湖を行く途中で力尽き、もうここで旅を終えてもいい、と雪の中に倒れ込んでしまう。彼を救ったのはバーブルだった。首に吐息をかけて起きるよう促すのだが、それでも動かないでいると、歩いて行って振り返り越しに一声吠える。その姿に彼は自分を恥じ、再び立ち上がる。
バーミヤンの石仏が象徴するように、過去に偉大な文化を擁しながら、行路にはかつてを偲ぶよすがとてない。荒れ寂れて人も通わぬ道も、かつては隊商が駱駝に乗って通った道である。歴史家として彼はそこに何を見ていたのだろう。果たして人類は成長したといえるのだろうか。著者は声高に語ることはないが、書かれたものを読めば、その思いは読者の胸に迫る。淡々とした筆致で綴られた手記には、最後に物語のような思いもかけない幕切れが待っている。この旅に出ることで、彼はバーブルと出会うことができた。これを縁といわず何といえよう。原題“The Places in Between ”を『戦時のアフガニスタンを犬と歩く』とした訳者の思いがわかる気がした。
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tokyomariegold · 2 years
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2022/10/15〜
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10月15日 修理に出していたカメラを受け取って図書館へ行った。 神保町カレーフェスティバルのポスターにリラックマがいて、san-xに認められた大会になっていてすごい。私が屋台で売り子をしていた時は、小さな公園が会場で知らないコメディアンがMCを務めていたイベントだった(でも入場規制がかかる程混んでいた。)。 図書館で調べものをして、本をただ眺めているだけで、なんだか漠然と、なんでもやろう!という気持ちになれる。多分無理だろうけど、平日の夜にギンレイホールで映画を観る予定と、日曜の夜にライブへ行く予定を立ててみた。 個人空間について書かれたイーフー・トゥアンの本と、女子のSNS投稿について書かれた名物社会学者おじさんの本を借りた。SNSの方は、少し読んでみるとなんだか危なっかしい書きぶり…
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お茶をしよう・写真を撮ろう、の待ち合わせに向かう。 合流できたのは1時間半後。定刻に到着してしまった私は、お祭りを控えた神社の境内を行ったり来たりして、植樹されている木の縁石の上で本を読んだりして、なんだかんだ過ごした。 合流した後、1時間ちょっとお茶をして、30分位お散歩をして別れた。お茶をしましょう、が、成り立つことって凄いな〜、と改めて思う。何を話しても「まぁ皆いろいろ大変だよね」に落としどころをつけられるのが分かりきっているのに、会ってお茶をして近況を話すのって凄い。皆それぞれ衣食住で忙しいのにね。 神保町駅の青山フラワーマーケットに可愛いバラがあったので、ぜひ一輪挿しに!と、購入。お茶の席で「まるで甥っ子と姪っ子にあげるみたいに、お二人にお花を持ってきました…」と、お花を頂いたので、私のバラをあげてしまった。頂いたふわふわの赤いお花は、私の一輪挿しには合わないかもな〜、と思いつつ、帰って生けようとしたら、包装と栄養剤だけを残してお花はどこかへ消えてしまっていた。 作った女の子と写真についてのフォトブックを観てもらった! フィルムカメラが修理から戻ってきて嬉しけれど、自分はもっと喜ぶかと思っていた。 雑司が谷の街は思いがけず人が多くて「アド街効果すごいね〜」と言っていたら「そんなにみんなアド街で生きてない」みたいなことを言われた。 今年初の「よいお年を」を言った。
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10月16日 昨日、残り2つ88円に値引きされたバター餅が気になって、2回スーパーへ行った。午前中の予定を終えて、町のお花屋さんでバラを買う。昨日の分を取り戻す! 紫や青やオレンジのバラがあって、全部名前が違う。オレンジを下さい、と店主さんに言うと「アミナって言います。紙のお包みで良いですか?」と教えてくれた。お会計を済ませて店を出るときに、昨日もらった赤いふわもこのお花がいたことに気がつく。名前を確認すれば良かった…!
エレベーターを待っているとお隣さんと鉢合わせ。このところ結婚式続きなのか、いつも正装をしている気がする。「雨が降りそうですよ〜。傘持ちましたか?お気をつけて!」と言われる。 その後会った人に「目が半分くらいしか開いてなかったけれど、やっと開いてきたね。気をつけて帰ってね。」と言われる。 みんなお母さんみたい。
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セリーヌ・シアマの映画も観たい。借りてきた本も読みたい。あおいちゃんがブルーハーツを歌っていた頃のファッション雑誌を読みたい。 今日は自分の文章を見たくなくて、日記を更新できなかった。 帰りにスーパーへ行くと、バター餅はまだ2つ残っていた。でも42円に値引きされていた!セルフレジでお会計をして、スーパーを出るときにもう一度確認すると、1つだけになっている!明日はついて売り切れるかも。 来週は今住んでいる町の市長選なのだけれど、あまり興味を持ちきれない。市民でいるより国民でいたい。
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10月17日 バター餅はちゃんと売り切れていました! 紀の善の閉店を知って、抹茶ババロアを食べたくて仕方がなくなる。もうないものって安心して欲しいって思える。 特別にごほうび!と、修論を終えた時と、夏のなんか冴えないダメダメな日のバイト終わりに食べたことがある。いちごあんみつも美味しかったはず。 今日はつまらなさのターン。でも帰りにトゥアンの本が少し面白く読めた。 人間は神ではないので、複雑な絡みあうものたちを大きくまとめることが苦手。複雑な小さいことを処理することと、大きくて単純な仕組みを作ることが得意(回転寿司?)。社会的である時は全体。生物的、超越的である時は個人。超越的存在でありたいのに、生物的側面があることに恥じて、個を好むことがある、などなど…
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10月18日 昨日の夜、ひどく苦い半額シールのついた豆腐を食べたせいか、胃が気持ち悪い。 趣里ちゃんが根本宗子脚本の映画に出演するようなので是非観たい! 主演の前田あっちゃんを交えた3人でトーク番組に出演していたらしく、Tverで観てみる。おとぎ話のcosmosのPVのこと、おとぎ話みたいの映画のことを3人で「とっても良いよね〜!」と当たり前に話していて「!!!」となった。 10月19日 ライブカメラの映像を眺めるのが好きなマンスーンさんがおすすめしていた演劇をyoutubeで観てみる。 タナダユキの新作映画も観たい。 久しぶりに仕事中に、死んでしまうかも、と思った。 屋上から更に5m上の塔屋の上へ、屋外むき出しはしごで登った。何を考えて、はしごを登り降りすればいいのかよくわからなかった。一通り終えた後、このことを思い出しては、足がガクガクして手に汗を握っていて、心の負債をまた一つ負ってしまったことに気がつく。 紀の善閉店の件を知ってから、抹茶ババロアって他で食べられるところあるの?と検索している。検索結果は紀の善ばかりなので、もうこの世に抹茶ババロアはないのかも知れない!なので、抹茶ババロアが好きな食べ物です!って大声で言えるね。 栗原類って何しているのかな、と調べてみたらyoutubeにラジオをアップしていたので聴いてみている。ぼのぼのが好きすぎて、世の中でつかわれている“ほのぼの”という単語を“ぼのぼの”と無意識に読み違えていた話が良かった。
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10月20日 トゥアンの本、今日はテーブルマナーから個人空間の誕生を考察した章だった。中国では伝統的な、食事の場での作法があり、食べ物を“陰”と“陽”に分けてその案配でもっと健康が維持される、と、考えられているらしい。食事を自然界までひとくくりで考えている。一方で、西洋は、獣をとにかくごった混ぜたご馳走や壺のスープを回し飲む食事から、食事毎に食べ物を切るナイフを用意し、フレーバー毎にワイングラスを用意する程、神経質なテーブルマナーへ変わったために、そこに自意識を持ち出さずにはいられない、らしい。 (中国では穏やかな集団の食事会があるが、西洋にはなく、そこから逃れるために個人空間生まれて…というような流れのようだった。) 明日に予定されていたお部屋の消防点検、時間を早めてもらって午前休をとろうかと思っていたら「いや次回で大丈夫なんで!」と今回は行わなくて良いお返事をもらった。 明日から箱根へ旅行に行く話とこの週末にディズニーランドへ行く話を聞いた。 箱根へ行く方からは、昨日ふいにロイズの小さいラングドシャクッキーをもらって、それが久しぶりにいつもじゃない食べ物過ぎて、自分じゃない人が選んだもので、とても美味しく感じた。そのことを伝えると「いつも何も美味しくないんですか…!」と、今日は塩ちんすこうをくれた。 「箱根でも、美味しいって思ってもらえるお土産を買ってきますね!」と500mlパックの低脂肪乳を飲みながらお話してくれた。
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10月21日 フィルムカメラを持って貴族出勤した日。 同じバスに乗る推している方が、足を引きずって歩いているのに気がついて。大丈夫かしら。 母から珍しくメッセージが入っていて、ちらっと文を見ると、幼馴染(保育園〜中学まで)で家族ぐるみで付き合いのある人達との会が来月に予定されているらしいけれど、知ってた?とのこと。 とっても心がザラ��ラして、仕事中はなんとなく紛れていたけれど、帰宅してかなり焦っていることを実感している。とにかく掃除をして、爪を切って、体を洗って、さっき届いた新しい服をハンガーにかけて、バタバタしてしまった。 参加してみて何がどうなるのかを確かめたい好奇心があるのが嫌だ。 少し想像すると、その場で、社交無理でした!を120%でしでかして、何となく皆様からかわいそうだから優しくされているのを感じて泣いてしまうのが目に見える。心の負債を負うことなく母のメッセージを一先ず無視しようと決めた。セーフ。 明日は早く起きれたら映画を観に行こう。ダメだったらはとバスに乗って図書館へ予約した本を受け取りに行こう。 ひどくそわそわとザラザラが募り、カメラの前で飛び跳ねたりした。
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illaalli444 · 2 years
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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ari0921 · 2 years
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)7月26日(火曜日)
    通巻第7414号
 カリスマ性ゼロ、教養の浅薄さ。嘘の情報しか入らない孤独
   習近平はいずれ中国現代化の成果をすべて破壊するだろう
************************
 重慶にはよく行った。山あり谷あり。奇岩、高い崖の間に深い谷間、天然の要害都市だ。古代の「巴」という王朝は、この谷間のような空間に成立した。
現代では、孫悟空が空を飛ぶように崖と台地を高い鉄塔を組んだ道路が立体的につなぎ、未来都市のような空中回廊のごとき建築構造物の塊となった。メトロよりモノレールが発達し、橋が交通渋滞の原因。高速道路が無数に交錯する。
 四川省の名物は麻婆豆腐。猛暑で湿気が強く、食べ物は腐りやすいから猛烈に辛い香辛料を使用し、味をごまかす。重慶人は火鍋が得意。何回か食べたが、なじめない。胃袋がよじれる。
巴という古代王国は太陽信仰、成都の北で発掘された三星堆遺跡は古代史常識をがらりと変えた。中華四千年の歴史というのは黄河文明史であり、黄河より遠大な長江には、もっと古い文明があった。河母都遺跡などが戦後しられるようになった。
 地形的には嘉稜江に幾本もの河が合流し、三峡ダムが近いため長江の運搬ターミナルとしても重要な戦略拠点である。駐在員こそすくないが重慶には日本領事館も置かれている。
 蒋介石はこの重慶に臨時首都をおいて、終戦後は共産党と延々と「国共合作」の交渉を行った。会談の場所は重慶に残っているが、蒋介石は最後に毛沢東に巧妙に欺された。重慶は喜びが重なるという意味で政治都市としての機能を果たした。
1997年、この重慶市が四川省から分離独立し「特別市」扱いを受ける。人口が3100万、北京、上海、天津とならぶ四大重要拠点、したがって重慶市党委員会書記は、共産党に序列でも高位、現在は習近平の茶坊主、陳敏爾がトップに居座っている。そのまえは共青団のホープといわれた孫政才が赴任したが、醜聞に巻き込まれ、失脚した。
 前置きがながくなった。
重慶市書記として薄煕来が大連市長から商務部長をへて赴任したのは2007年だった。筆者はたまたま、重慶を二回ほど連続して取材したタイミングと重なり「唱紅打黒」の現場を何回も見たのだ。
 公園に市民が集まってジャズや社交ダンスにふけるのではなく革命歌を唱う。ぎこちない合唱団の時代錯誤、薄気味が悪いが、共産党員は競って歌声大会に邁進した。というのも、薄煕来が奨励し、これが「共同富裕」の合い言葉となって、個人的野心を実現し、政治局常務委員を狙っていた。当時のチャイナウォッチャーの間では、長身でハンサムでカリスマ性に富んでいた指導者として薄の政治局常務委員入りは確実と読んでいた。
 ▲クーデタ未遂、公安vsマフィア
当時の政治情勢をいえば、習近平なぞ、「どこぞの馬の骨」でしかなく、対比的に同じ太子党でも、薄煕来には、明らかなカリスマ性があった。薄は薄一波の息子、かたや習は習仲勲の息子で、ともに��の七光りで異例の出世街道にあった。薄が先輩格であり、習は兄貴分として仰ぎ見ていた。
薄は大連市長から遼寧省省長、2004年に商務部長。そして07年に重慶特別市書記に栄転し、マフィアを相手に綱紀粛正、反腐敗キャンペーンで地元やくざをかたっぱしから逮捕し、重慶市民の喝采をあびた。大連からひきつれてきた公安局長の王立軍が大活躍し、実際にマフィア十数名を処刑した。
この王立軍が、土壇場で薄煕来を裏切り、成都の米国領事館に機密書類とともに駆け込んだ。亡命を希望したが、オバマ大統領は決断が出来ず、多くの権力闘争の機密が漏れて、薄は立場を失った。
2011年に薄煕来は夫人の谷開来が英国人を毒殺したことがばれ、突然、失脚した。カリスマに飛んだ指導者が消え、木偶の坊のように体格だけは良い男が、院政を敷いていた江沢民の眼鏡にかなった。この間に北京ではクーデタ未遂事件が起きたというが、戦車が動いたのは事実で、それがクーデタだったのか、どうかは謎である。
しかし習近平は僥倖に恵まれた。最大のライバルだった薄が不在となって、権力基盤を固めるには、反腐敗キャンペーンという武器を浸かって政敵を潰していく。最大最強の協力者が王岐山だった。
しかし軍と公安をてなづけたとはいえ、習近平に何かがかけている。
それは、カリスマ性だ。薄煕来にはあった。安倍元首相には強いオーラがあったという人が多い。トランプにもカリスマ性があり、オーラを感じた人は多いだろう。いまのバイデンにはない。
過去十年の習近平のパフォーマンスを映像で追う限り、まるでオーロがないことに気がつくだろう、また教養のかけらを感じさせない。
偉そうに思想をかたるときなど、薄気味が悪く鳥肌がたつ。個人崇拝だけを求め、中国の夢をたたえるとき、ぞっとするものを感じないか。
江沢民の三個代表論も、胡錦濤の科学的発展観も、何が何だか正確には分からないが、市場経済を発展させ、中国人の生活水準を豊かにしようとしていることだけはわかった。
 習近平は、「中国的社会主義市場経済」をぶちこわし、トウ小平路線を基本から否定した。この暴走を誰も阻止できない。諫言できないとう皇帝支配のぬきがたい体制は、間違いなく中国経済を根底的に破壊する。
その兆候が銀行の取り付け騒ぎ、不動産ローン支払いボイコット、若者たちの何もしないいう無言の抵抗。解答がすでに出始めている。
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namuahi-san · 2 years
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ああああ
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「もういいかなあ」と兄が言ったのでわたしは読みかけの本から視線を上げないまま「なにが?」と訊き返したけれど返事はなく仕方なしにスピンを挟み本を閉じ、読書を邪魔されことに対する文句でも言ってやろうと兄の方を見ると、兄は最初からそうであったかのようにいなくなっていた。わたしはまず部屋の中をくまなく探し、家中をひっくり返し、両親に訴え、警察署に届け、兄の行きそうな店や公園を巡り、学校に確認し、町中に尋ね人のビラを貼り、六年間通った学校に行かなくなり、水晶玉を覗き、Lロッドの行方を追い、恐山でイタコに口寄せしてもらうも圏外だと言われ、失意のわたしを車で轢きかけた男と結婚、兄のことをSNSで拡散してもらい、バズり、当時の同級生を名乗る人物から連絡があり、知り合いだという霊能力者を紹介され願いが叶う薄緑色の石を買い、徳が足らないので世界に三枚しかないというありがたいお札を買い、離婚と同時に出産、ダイソーで売っていたトンカチで薄緑色の石を割り、ガスコンロで札を焼き、海水から作った塩を売って暮らし、わたしが結婚したのと同じ歳まで育った娘が「会わせたい人がいるの」と言って初老の男(以下初老)を連れてきて、わたしはいま初老の運転するバスの中。
「みかん食べる?」娘が冷凍みかんを渡そうとしてきます。初老が娘の恋人なのか気になりましたが、彼がハンドルを握っておりますので機嫌を損ねたら窓の外に広がる渓谷に真っ逆さまということにもなりかねずわたしはなにも言い出せないのです。それにしても、どこに向かっているのでしょうか。ねえ、と娘に尋ねようとすると娘はみかん由来の黄色い手で機械を触っており「なにそれ?」「株」覗いてみようとすると画面を隠し「インサイダ!」と拒絶。反抗期なのでしょうか。
 ハッピ、バッデ、トゥユ、
 ハッピ、バッデ、トゥユ、
 邪悪な秘術を想起させる汚らしい文句。声は娘と初老のものでした。「お母さん」顔を上げると娘がこれまで見せたことのないような笑顔でわたしにノートとペンを差し出しています。ありがとうございます。心根の優しい娘なのです。お義母さあん! と突然、運転席から初老がマイクで叫ぶのでノートを落としてしまいました。ちょうど開かれたページには赤のボールペンで『ギターピックとして代用可能な動物一覧』と書かれているではありませんか。ありがとうございます。ペンギン。ライオン。ワオキツネザル。
「クイズです」初老クイズが始まりました。
「東京タワーと東京スカイツリーは何がために建てられたでしょう」「答えは痛いから」
音割れした初老の声に娘が即答します。
「痛いから?」とわたし。
「東京にはかつて建設を予定されていた塔があった!」「名は東京バベルタワー」「東京は、夢想していた。正しい、理想の己の姿を」「だがそれが叶うことはなかった」「計画は頓挫したのだ」「なんという悲劇!」
 娘と初老が交互に、オペラのように歌い上げていきます。ありがとうございます。
「東京は悲しみました」「そして、いつしかそこが傷み、疼きはじめたのです」「東京の悲しみを受け、時の権力者はバベルタワーの代わりに塔を建てました」「順番に、二本」「ですが、それは両方的外れだったのです!」「正解はこれから向かう場所にあります」
「どこに向かっているの?」
「アール県」
 ふたりの声が重なり時間はズレます。アール県にある塔は巨大ですがまだ根元しかなく、建設反対派との戦争真っ只中。人を殺傷するのに最適な速さで銃弾が飛び交いバスを出るなり初老と娘がその餌食となりました。二人を埋める余裕もなく走りますと、作りかけの塔の先端にはギトギトとした黒い木でできた小屋。入り口の看板にはペンキで大きく『いろっしょい』と書かれています。ドアは開けっぱなしで、中に入ると小屋と同じくギトギトの木でできた本棚に手作りらしき本がいくつか並んでいました。
「いろっしょい」見ると焦げ茶色のエプロンのギトギトな男が口をOの字にして立っており、わたしにコーヒーを差し出しました。
「テンミニッツ・コーヒーです。黙祷」その十分間でわたしは全てを理解しました。このカフェにいつの間にか忍び込んでは自作の本を勝手に置いていく輩がいて困っているそうです。コーヒーはライカ泥水で、わたしはそれをマスターの顔面に浴びせ本棚に向かいます。悲鳴をあげるマスターこそが犯人なのです。そうやって他人の興味をひいてこの本を読ませようという肚なのです。たちの悪い妖怪のような男。ありがとうございます。そうしてわたしはマスターに代わりそこで本を作ることにしました。絵と文字、それと声。三十年もそうしていると分かります。兄は、そこで奇妙な人生を送っていたのです。兄はこちらで弁当屋の娘に恋をし、交換日記を始めようと迫り、右の耳を捻りちぎられ、通報され、服役し、気のいい模範囚として罪を償い、釈放後は殺人鬼のための懺悔室を西麻布にオープン、週五で気のない相づちを打ち、休みの日にはDIYでギロチン作り、ギロチン繋がりで知り合った女性と結婚するも新婚初夜に誤って妹である私の名前を呼んでしまい、手先の器用な兄の妻がハズバンドと物理的に距離を置くために増築し続けていった家は迷宮となり、膨大な固定資産税に兄がぐずりすぐ近くに地獄を顕現させたことで地価は暴落、やがて妻とも別居し地獄のすぐ隣にある三畳一間に住むことになった兄は、やることがないあまりペンとノートを手に取り本を作り始めました。絵と文字、それと声。その本にはわたしの人生が書かれているではないですか。でもよく見てください、兄の背後から地獄より漏れ出た炎がちるちると、兄(とわたしを)を舐めるようにああ(ああ)。
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asa6fuji · 10 days
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イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。
使徒言行録28・16-20、30-31
イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。
使徒たちの宣教
28・16わたしたちがローマに入ったとき、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。
17三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来たとき、こう言った。「兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました。18ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かった���で、釈放しようと思ったのです。19しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません。20だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、わたしはこのように鎖でつながれているのです。」
30パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、31全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。
答唱詩編
詩編33・12+13、14+15
神の注がれる目は、神をおそれる者に、神の愛に希望をおく者の上に。
詩編33
33・12神を王としていただく国、 神のものとして選ばれた民はしあわせ。 13神は天から目を注ぎ、 人々をすベて見ておられる。
14神はその住まいから、 地に住むすべての人に目を注がれる。 15神はひとりひとりの心を造り、 そのわざを見抜かれる。
福音朗読
ヨハネ21・20-25
アレルヤ、アレルヤ。すべての真理を教えてくださる真理の霊を遣わそう。アレルヤ、アレルヤ。
ヨハネによる福音
そのとき、21・20ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。21ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。22イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」23それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。
24これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
25イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
聖霊降臨・前晩のミサ   復活節
第一朗読
創世記11・1-9
我々は、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。
創世記
そのころ、11・1世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。2東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
3彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。4彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
5主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、6言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。7我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
8主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。9こういうわけで、この町の名はバべルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。
または
出エジプト記19・3-8a、16-20b
主はモーセに語りかけて言われた。「イスラエルの人々に告げなさい…」
出エジプト記
その日、19・3モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。 「ヤコブの家にこのように語り イスラエルの人々に告げなさい。 4あなたたちは見た わたしがエジプト人にしたこと また、あなたたちを鷲の翼に乗せてわたしのもとに連れて来たことを。 5今、もしわたしの声に聞き従い わたしの契約を守るならば あなたたちはすべての民の間にあってわたしの宝となる。 世界はすべてわたしのものである。 6あなたたちは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。 これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」
7モーセは戻って、民の長老たちを呼び集め、主が命じられた言葉をすべて彼らの前で語った。8民は皆、一斉に答えて、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と言った。
16三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。17しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。18シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。19角笛の音がますます鋭く鳴り響いたとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。
20主はシナイ山の頂に降り、モーセを山の頂に呼び寄せられた。
または
エゼキエル37・1-14
わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。
エゼキエルの預言
その日、37・1主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。2主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。3そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」4そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。5これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。6わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
7わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。8わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。9主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」
10わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
11主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。12それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。13わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。14また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。
または
ヨエル3・1-5
わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
ヨエルの預言
主は言われる。 3・1わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。 あなたたちの息子や娘は預言し 老人は夢を見、若者は幻を見る。 2その日、わたしは 奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。 3天と地に、しるしを示す。 それは、血と火と煙の柱である。 4主の日、大いなる恐るべき日が来る前に 太陽は闇に、月は血に変わる。 5しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。 主が言われたように シオンの山、エルサレムには逃れ場があり 主が呼ばれる残りの者はそこにいる。
答唱詩編
詩編104・1+2a、24+33
神よ、あなたのいぶきを地のおもてに。
詩編104
104・1心を尽くして神をたたえよう。 
神よ、あなたはまことに偉大なかた。 
2a誉れと輝きを身に帯びて、 
衣のように光をまとわれる。
24神よ、あなたが造られたものは数えきれない。 
英知によって形造られたものは地に満ちている。 
33わたしは生涯、神に向かって歌い、
 いのちのある限り神をたたえよう。
第ニ朗読
ローマ8・22-27
〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちぱ、神の子とされる。
使徒パウロのローマ教会への手紙
皆さん、8・22被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。23被造物だけでなく、〝霊〟の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。24わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。25わたし���ちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。
26同様に、〝霊〟も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、〝霊〟自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27人の心を見抜く方は、〝霊〟の思いが何であるかを知っておられます。〝霊〟は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。
福音朗読
ヨハネ7・37-39
アレルヤ、アレルヤ。聖霊来てください。信じる人の心を満たし、あなたの愛の火を燃やしたください。アレルヤ、アレルヤ。
ヨハネによる福音
7・37祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」39イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、〝霊〟がまだ降っていなかったからである。
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twktwkt · 14 days
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結晶塔の帝王、傑作すぎ?!?
推しのVがポケモンごっこしてたので懐かしくなって劇場版をしっかり見たんですけど超~~~~~オモロかった………こんなにオモロかったっけ、懐かしさバフとセル画美しすぎバフとアニメBGM良すぎバフも多分にかかっていることを考慮しても久しぶりに見たら面白すぎてビックリしちゃった 
ま~~クソガキの時に映画館で見たっきりだったし純然たるクソガキだったワタシには話が難しすぎたというのがありましてね……カタルシス担当になる明確な悪役キャラクターが存在しない、ミーちゃんの心情に寄り添えない、主人公陣営がバトルで負けまくる、装置の暴走という突然の危機が理解できないあたりの要素が引っ掛かってクソガキにはハードルが高かったんだと思います
クソガキ兼クソオタクがポケモンアニメに求めてるのってポケモンバトルで、伝説のポケモンに求めてるのは作中最強の格の高さだから当時のワタシは突然湧きエンテイが最後まで理解できなかったし謎の幼女に傅く伝説ポケモンという絵面にパワーバランスの歪さを感じたし最後なんやかんやで全員で協力してアンノーンのバリアを突破するという流れが納得できなかった クソガキのオツムなんてこんなもんよ
しかもこの劇場版ってバトルにまっっったく重きを置いてないのよね、ヒトカゲを選んで旅をしていたワタシにとってタケシとカスミは序盤でアホほど苦しめられた厄介ジムリーダーの象徴だったからそんな2人が初めてポケモンバトルをする小さい女の子に手持ちポケモンをワンパンされるシーンてのはすげーショックだったのでよく覚えてる
サトシの手持ちもジョウト編リセット仕様で小粒なポケモンしかいないからリザードンくるまでハラハラしっぱなしだった カビゴンとかベトベトンとかケンタロスとかキングラー連れてこいよ~~~!て思ってた エンテイの前に出されるヒノアラシ あまりにも赤ちゃんサイズすぎるて………
劇場版スタッフも前年で冒険活劇ルギア爆誕やったから今年は好き放題してええやろ!の気持ちが少なからずあったんじゃないですか もしかしてここのスタッフ1年ごとに自分たちがやりてぇ話としゃーねーから子供にもわかるような話を交互にやってねぇか?!?街々を結晶にしたのはなんで??石化が性癖なスタッフがどうしても街を神秘的で美しい結晶で包みたいよ~~!てゴネたとしか考えられないんだけど……あと力が入りすぎているミーちゃんの作画(年齢操作して大人の姿になるのはやりすぎ)、少女から出力される空想には∞無限大∞のパワ~~~が秘められてると信じて疑わない いい歳こいた大人たちの”””癖”””がこれでもかってくらい集約されてたよ ま~~それがオモロかったんですけど……
当時のクソガキも今ではすっかり小さな女の子のイマジネーションには世界の因果を書き換えるほどの力があると信じて疑わない いい歳こいた大人になりましたので改めて鑑賞したらミーちゃんの心情が刺さる刺さる 幼気な少女がお父さんが行方不明になっちゃってクソデカ屋敷に独りぼっちで残される境遇……可゛哀゛想゛す゛ぎ゛る゛よ゛ぉ゛!゛!゛!゛そりゃエンテイだって竹中直人の声帯引っ提げて登場するってもんよ
セル画のぬるぬる動くバトル、懐かしすぎる主題歌「OK!」、金銀ポケモン大集合になんかOPで泣いちゃった……情緒大丈夫か?(A.駄目)
今作さ~~サトシのママがヒロインとして据えられてるのもいいよね、お母さんの影がない孤独な少女がひとりぼっちになった寂しさからそこら辺のお母さんを求めてしまうっていう事件の動機からの役割配置に無理がない  ゲストヒロインを救出するために頑張るサトシくんていう設定より説得力があるよ
ミーちゃんの作り出した結晶塔に乗り込むサトシたち、今更なんだけど劇場版のタイトルを結晶にしちまったからゲームの後続作の水晶となんか若干かぶってない?て気になる……ライコウさんが統一感出せなくてこっちを見てる…… 何言ってんだよアニメ版���イコウさんにもあるじゃん!クリスタルフィールド!(悪の組織)
番外編アニメのキーワードとしてお出しされるクリスタルの立ち位置が敵組織の捕獲ギミックなことあるか??悪の象徴みたいになっちゃっただろ
エンテイがミーちゃんの創り出した幻であることはすんなり理解できました、大人なので……
ミーちゃんの描写って一貫して切ないんだよね、手持ちのポケモンも幻の力で作り出した架空の存在だし、バトルが終わったら容赦なく結晶化して消えてくところに少女の無垢な残酷さが見えて興奮しましたね……その延長戦上にミーちゃんに心を砕きまくる自称父親のエンテイがいるところまで含めて……(最悪の大人)
ミーちゃんの声帯矢島晶子さんなんだけど大きくなったミーちゃん役までやらせるのはズルいだろ!!!スタッフ!!ありがとうね!!こういうのを素直に喜べるキモオタになりました
結晶塔の最上部を目指すためにタケシが残りカスミが残り最後にリザードンが助けに来てくれる 一連の流れはほんと~~~~にアツくて最高だった バトル描写を丁寧にやってくれたら尚更……
あのタイミングでリザードン出てくるのは激熱すぎるでしょ エンテイとまともにやりあえそうな戦力が補充された安心感もあるし、もういっちょ空中に放り出されそうになったサトシを今度はロケット団も一緒に助けてくれるところもアツかった
サトシのママとサトシ君がちゃんとミーちゃんの心情に寄り添いつつ説得してくれるのすんごい良かったね…… このままじゃいけないんだよっていう理由をミーちゃんはひとりぼっちのままだからって言ってくれるサトシ君 それをさぁ一緒に連れ添った仲間と離れてても助けに来てくれる仲間と普段は敵だけど時々助けてくれる奴らを背にしたサトシ君が言うんだから このシーンほんとに良かった ていうか今回 脚本が良すぎませんか???なんで当時のワタシはこの話が理解できなかったんだろうね
作中のアンノーンは願望器であり寂しさに耐えられなくなったミーちゃんの願いに呼応して無限のパワーを出力してたけどサトシやサトシのママに説得されてミーちゃんの心境が変化したため矛盾をおこして暴走した、とオタクは捉えています このまま暴走アンノーンにミーちゃんが取り込まれて自我崩壊バッドエンドまで、見えたよ(見るなそんなもん)
でっけ~~エンテイに縋りつく幼女という図が感銘として深く心に沁みわたるキモオタクになったのでどのシーン見ても人外と少女、良すぎ~~~~?!?!?の感情に支配された 
ミーちゃんが信じればそれだけエンテイは強くなる エモすぎ?!?こんなんミーちゃんとエンテイ大好きになるじゃん そしてこのコンビの絆パワーを実感すればするほどエンテイはミーちゃんが創り出した幻の存在にすぎないことを思い出しもうすぐそこまで来ている別離の気配を感じ打ちのめされるオタク……立ち上がれそうにありません
あとさ~~~いちばん最後のさ~~~~ロケット団がひとりぼっちでもいいんだよって軽い感じで言ってくれるとこまでがメチャメチャ良かった 今更ポケモンの映画見てうめいてる孤独な大人まで刺してくるじゃん すげーー!この映画!!そんでさあ!このあとひとりぼっちじゃないが流れるんだろ序盤・中盤・終盤隙が無い構成最強じゃんつって勝手に勘違いしてたけどあれは5作目のEDだった
虹がうまれた日もいい曲でした……エンディングでミーちゃんが改めてヒメグマをゲットしているところと写真でしか見てなかったお母さんと再会できたところで普通に泣いた 本当にいい映画でした ありがとう結晶塔の帝王
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shintani24 · 23 days
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2024年5月4日
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Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問
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まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、上記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も
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一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩谷議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航
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続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国へ、それぞれ渡航する。
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また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察のためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)
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「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグルメ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も整っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる���動についてネット上で報告すると、「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあったというが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、どんな支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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myonbl · 2 years
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2022年8月13日(土)
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毎月1日付けで<京都市民しんぶん>が、15日付けで<下京のひびき(市民しんぶん下京区版)>が発行される。今朝は<下京のひびき>を組内に配付した。今回の特集は<敬老乗車証制度の見直しについて>、赤字が酷いので対象年齢を引き上げるというものだ。<敬老乗車証制度は、現在、70歳以上の希望する市民の皆様に、 所得に応じた負担金(年額0円~15,000円)で市バス・地下鉄共通全線定期券 (年額20万円)相当の価値があるフリーパス証を交付する、 高齢者の社会参加支援を目的とした福祉施策>なのだが、私の場合で言えば73歳から対象となる。施策についての批判はあるが、まずは73歳まで元気に社会の一員であろう・・・、何て健気な納税者!
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5時30分起床。
日誌書く。
シャワー。
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納豆そば+そば湯+ヨーグルト。
涼しいうちに、<下京のひびき>を組内に配付する。
ツレアイはチラシ睨んで買物計画、私はあれこれ家事。
麺つゆを作って冷やす。
キュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
枝豆を茹でる。
糠床メンテナンス。
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Apple から Magic Trackpad が届いた。実はこのところ、2日おきくらいに充電しなければならなくなってしまった。さほど古いものではないと思うのだが、使い勝手が悪いので新調したのだ。
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ランチ、息子たちには出石蕎麦、私たちは残り物を片付ける。
録画番組視聴。
▽桂りょうば 落語「強情灸」▽酒井くにお・とおる 漫才
初回放送日: 2022年8月13日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は桂りょうばさんの落語『強情灸』と酒井くにお・とおるさんの漫才です。▽ご案内は南沢奈央さんと桂あおばさんです。
軽く午睡。
資料整理。
夕方、長男夫婦来訪、玄関先で近況報告会。先日の奈良旅行の土産を渡す。
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早めに夕飯準備、暑さの中で揚げ物を頑張った。何しろ、大きなカボチャを処理しなければならず、それならと安売りの地鶏も唐揚げにした。
熊野のHさんから電話、昨日送った残暑見舞いが届いたとのこと。やはりコロナの影響で盆の帰省客は少ないとのことだ。
録画番組視聴。刑事コロンボ
(47)「狂ったシナリオ」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。若き特撮映画監督が旧友を殺害し、遺体の身元がわからないよう工作…パトリック・ウィリアムズの音楽がエミー賞にノミネート
 映画監督アレックス・ブレイディのもとを、旧友のレニーが1本のフィルムを持って訪ねてくる。そこにはブレイディの秘密が映し出されており、それを公表するというのだ。キャリアを守りたいブレイディは、レニーをオープンセットへと連れ出し感電死させる。その後、身元をわからないようにして海岸に遺体を遺棄した。だが、遺体のそばに落ちていた1冊の本から、ブレイディのシナリオは狂い始める。
早めに片付け、そのまま布団の中へ。
露の新治さん、鈴本3日目は<魂切源五郎>とのこと。
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3つのリング完成は最初から諦め、水分は2,000ml達成。
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tobiphoto · 2 months
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ドラマ・小説・Audible感想『殺人分析班シリーズ』
※サスペンス作品についての感想です。暴力についての描写があります。
 元は麻見和史さんによる警察小説。警視庁捜査一課十一係が様々な帳場(事件が起きた場所近くの警察署にたてられる捜査現場)から関係者に聞き取りをして、犯人との一進一退を如月塔子と犯人の目線を通じて堪能できる。個人的肌感覚としては様々な邦作品の中でも「硬派」なシリーズだと思っていて、殺害の方法や担当する事件も比較的エゲツナイ。それ故に美術も怖い。以前、台湾ドラマの『次の被害者』について「美術がスゴイ」という感想を書いたのですが、このドラマも負けていないと思います。わたしはHuluで視聴しました。  ちなみに、わたしが「軟派」だなと思っている作品には『探偵が早過ぎる』(元は井上真偽による小説、原作は未読、ドラマ版はコメディミステリとして良作でした)、『ブルックリン・ナイン-ナイン』(ドラマ、Netflix)、『警視庁・捜査一課長』(ドラマ、4/18スペシャルが放送予定)、『MIU404』(ドラマ)、杉下右京がいれば大丈夫補償を「ハラハラせず見れる」と考えるなら『相棒』(ドラマ)なども含まれるかもしれない。
 ドラマ版初期の2作(『石の繭』と『水晶の鼓動』)は如月の組織を信頼しきれていないところが自分にも体験のある「周りを信じられない突っ走り」を覚えて、歯ぎしりしたくなる「ぐぎぎぎ」としていた部分があったのですが、3作目の『蝶の力学』では相棒鷹野の現場の見方、筋読み(ミステリの場合推理ともいえる)などを吸収し、刑事としての活躍を安心して見ることができ、さらに魅力を感じました。
※ここから後、作品に関する大きいネタバレが含まれます。
 実は鷹野が主役ともいえる『邪神の天秤』から視聴しました。元々、Huluの『十角館の殺人』(元は綾辻行人の小説)ドラマ化で、青木崇高さんの演技をもっと見たいと思ったんです。そんな時、おススメ作として彼が天秤を持っている『邪神の天秤』に魅力を感じて試聴したという経緯があります。『十角館の殺人』『邪神の天秤』どちらも良い作品でした。  ただ、一気見してしまうと日本の公安が裏をかかれ過ぎて、「この組織がある麻見世界の日本大丈夫か!?」度合いが深まる。いや、刑事だった時もエゲツナイ事件をいっぱい担当させられていた鷹野ですし、『警視庁捜査一課十一係』がある日本は一般人が恨みつらみを募らせて起こす事件の度合いがスゴイ派手なので、「麻見世界の日本ヤバイ」は変わらないのですが。そんな社会の中、それをどうみんなで解決するのか、というのも見どころだと思います。  不満として、松雪泰子さんの声が一部聞き取りにくい部分があり、これは日本のドラマに映画全体の問題で、音声にもう少しお金をかけてほしいという過去からの希望��あります。誰かを避難させる���ーンなどは凛として鋭い彼女の声が届くので、お願いなのでマイクにもうちょっと金かけてほしい。
 良作は良作に繋ぐものだと思っていて、例えば『十角館の殺人』(ドラマ)→『邪神の天秤』『石の繭』『水晶の鼓動』『蝶の力学』→Audible『殺人分析班シリーズ』と勢いで遷移してしまいました。今度は小説をこの目で読みたい…ということでウズウズし、現在手元に小説もあります。さっそく『鷹の砦』を読みました(実は作品の順番を一つ間違えた)。 わたしの場合なのですが、ドラマ版を先ず見たことによって、十一係のメンバー、組織の動きがぼんやりと想像しやすくなったこともあり、小説にもすんなりと入りやすかったです。
リンクは今(2024.04.02)直ぐ見れるHulu版で記しました。 ■Hulu 『石の繭』https://www.hulu.jp/stones-cocoon 『水晶の鼓動』https://www.hulu.jp/crystals-beating 『蝶の力学』https://www.hulu.jp/a-butterfly-effect-the-murder-analysis-team 『邪神の天秤 公安分析班』https://www.hulu.jp/the-evil-gods-scales-public-security-analysis-team
■Audible 殺人分析班シリーズ 
他この記事内で言及した作品 ■Hulu 『十角館の殺人』https://www.hulu.jp/jukkakukannosatsujin 『探偵が早すぎる』https://www.hulu.jp/the-detective-is-way-ahead 『MIU404』https://www.hulu.jp/miu404 ■Tver 『探偵が早すぎる』https://tver.jp/series/sryx3kaw3q 『警視庁・捜査一課長』https://tver.jp/series/srhaimmbn7 『相棒』https://tver.jp/series/sr9nwp97r5 ■Netflix 『ブルックリン・ナイン-ナイン』 https://www.netflix.com/jp/title/70281562
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kachoushi · 2 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅳ
花鳥誌2024年4月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
6 葛城の神臠はせ青き踏む
 大正六年二月十日、松山に帰省の途中で京阪に寄った。白鳥吟社主催堺俳句会(於開口神社)で出句。西山泊雲・野村泊月・岩木躑躅・原田濱人・島村はじめ・久保田九品太・青木月斗・大橋櫻坡子らが出席。『ホトトギス』の同年三月号「堺俳句会の記」に詳しい。
 この句会は、大阪の『ホトトギス』派の旗揚げに位置する記念碑的な一件で、その詳細は櫻坡子の『大正の大阪俳壇』に詳しい。この句は『新歳時記』にも登録された、虚子の自信作である。大和と河内の国境に位置する葛城山の神一言主は醜貌の女体と言い習わされ、夜しかお出ましにならなかったと謡曲にも出てくる(「葛城」)。
 その引きこもった神に向かって、麓の春を足で確かめて野遊びしております。「山の上からせめて密かに御覧ぜられ度い」(虚子自注「俳句朗読原文」)と悪戯っぽく詠んでみせたのである。「みそなはす」とは、「ご覧になる」の最上級敬語表現で、これまた謡曲に神を主体とした用例がある(「高砂」など)。
 「臠」の字は画数も多く、呪術的なイメージを本来持つが、虚子の字は軽く「糸」の二か所が崩されていて、内容の「滑稽」と対応している。これは活字でなく、虚子の書によってこそ鑑賞が可能で、「臠」は一句の眼目であったことが了解される。
 神や霊魂に命令形を以て呼びかける表現は、江戸俳諧からある。
  塚も動け我泣声は秋の風 芭蕉
  五月雨の空吹き落せ大井川 芭蕉
  笈も太刀も五月にかざれ紙幟 芭蕉
 これらの芭蕉句は、痛切な哀しみや祈りが託されているが、虚子は次にあげる蕪村の例などに学んだか(『蕪村句集講義』)。
  裸身に神うつりませ夏神楽 蕪村
 蕪村の敬語表現「うつりませ」は、祈りとともに一種の滑稽というか余裕があって、そこが夏の禊を「裸身」で具象化する視線と対応している。虚子も、「野遊」の軽々と晴れやかな気分を、この敬語の命令形に託した。命令形は、祈りではあるが、痛切なそれと、軽い挨拶の二種があって、この句は山本健吉の言う俳句の本質「滑稽と挨拶」の典型例と言ってよい。
 ちなみに水原秋櫻子系の俳人の命令形には、自己に執着し、自己に言い聞かせる気分の命令形が多い。
  木の葉降りやまず急ぐな急ぐなよ 加藤楸邨 
  柿若葉多忙を口実となすな 藤田湘子 
  逝く吾子に万葉の露みなはしれ 能村登四郎
 このあたり、命令形の二系統は、俳人の質や俳句観をも照らしだす「鏡」と言ったら言い過ぎだろうか(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
7 雨の中に立春大吉の光あり
 大正七年二月十日、『ホトトギス』発行所句会のものと『五百句』に注記される。
 実景は雨だが、「立春大吉」の御札とその文字に、心中春の光を予感し、見て取る主観句である。もちろん、雨や雨粒にはわずかな光はあるかもしれない。だとしても、それを読み取ろうとする構えから生まれた心象を詠んだ句であることに変わりはない。特にこの句で詠まれた「光」に対する予感は、「立春大吉」の文字から触発されたものであることは、肚にとめておく必要があろう。
 虚子の揮毫では、この「立春大吉」をことさら御札めいて、黒々と墨書したりはしていない。ただし、注意深く見ると「大吉」の「大」の撥ねと、後に来る「光」の字の撥ねとは、対応している。
 そもそも「大」の字の運筆は、先に左に筆先を払い、取って返して右に払うもので、本来撥る字ではない。ところがこの句の虚子の「大」は右の払いの最後が若干撥ねていて、後にくる「光」の右撥ねの呼び出しになっている。こうして一句の眼目は、「光」であることが視覚的にも確認できるところに、虚子の揮毫で句を鑑賞する醍醐味が出てくる。
 「立春大吉」とは、立春の時期に玄関や部屋の入口に張る厄除け札のことである。あたりは雨だが、外界との通路である門口に貼られた「字」から、眼には見えない「光」を感じた。その意味で中七を字余りにする「の」はこの句の重要なレトリックである。
 一般に「中八」の言葉通り、字余りの中でも、中七を字余りにするのは禁忌とされる。俳句のリズムの研究は、五七五が実は休拍・無音の一拍を加えて、六八六であること、さらに前と後の六は伸びる傾向にあることを計測・実証した(別宮貞徳『日本語のリズム』)。これを前提にすれば、中七は延ばして詠まないものなので、ここでの字余りは、おおむねダレるのである。
 ただし、上五で既に字余りがある場合、続く中八は字余りの反復となり、このダレが感じられない。所詮リズムとは反復と同義なのである。
  春や昔十五万石の城下哉 子規
 掲句も上五・中七の連続の字余りだが、掲句の「立春大吉」に、わざわざ「の」を加えた意図は何だったのだろう?類例を挙げよう。
  春ひとり槍投げて槍に歩み寄る 能村登四郎
 やはり「中八」を、堂々とやっているばかりか、上五に字余りはない。しかし、この句は「槍投げ槍に」ではいけない。あえて「て」を入れ、ひと呼吸を置くことで、投げた槍に歩み寄る主人公に焦点があたる。「槍」の繰り返しが独自のリズムを作っており、中八も気にならない(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
 掲句で言えば、まず上五に「雨の中に」と「の」が用意周到に置かれている点が注目される。この字余りを際立たせる「の」の印象を引き継いで、「立春大吉の」の「の」があることが了解される。
 加えて、「の」の繰り返しは、求心性をもたらす。
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の      塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱
  この庭の遅日の石のいつまでも 虚子
 掲句も字余りの「の」の反復を行うことで、光など一切ない春の雨の中、「立春大吉」の文字にのみ「光」を感じたことを焦点化して見せたのである。
 最後に、先の「葛城」の句との関係で言えば、神仏への祈りというテーマのつながりもある。このあたりに編集の妙を認めることも可能かと思う。
『虚子百句』より虚子揮毫
7 雨の中に立春大吉の光あり 
8 さしくれし春雨傘を受取りし
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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unicodesign · 3 months
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インド建築縦走旅vol1 デリー編
メキシコでルイスバラガン、ブラジルでオスカーニーマイヤー、インドでコルビュジェ、という世界遺産巨匠建築を40代に見たいと思っていました。2012年にメキシコに行ってから12年。インドは2020年に行く予定がコロナ襲来で、50代に突入してしまいましたが、ついに念願のインド初上陸へ。2019年以来の海外旅ということ、インドの噂を色々聞くにつけ、緊張感しかない・・・という状況で出発。しょっぱな飛行機が遅延して、バンコクのトランジットは、スタッフに連れられて空港内を走り抜けるも、無事、デリーインディラガンジー空港に到着。
ナマステー。
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トイレのサインが大変わかりやすい。
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とワクワクしながら入国すると、荷物きませんでした。
ロストバゲージは想定範囲内で、一泊分の着替えや必要なものは手荷物にしていたので動揺少なめ。タイからの便は1日3便で翌朝には届くとのことで手続き終えて外に出ると、首を長くして待っていてくれたドライバーとガイドさんと無事合流。デリー市内の行きたいところをお伝えして出発。まずはクトゥブミナールへ。
平日のはずだが、すごい人。
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インド最古のイスラム遺跡群だそうです。ゴール朝の指揮官クトゥブtディーンアイバクが、北インドを制圧した記念に建立されたもの。1192年(日本では源頼朝の時代)に建設が始まった。インド初のイスラム支配で、アイバク自身が奴隷だったことから、奴隷王朝と呼ばれる。塔の高さは72.5mの5層構造。
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塔の手前にあるのがクワットゥル・イスラーム・モスク。1188年に建設されたもの。破壊されたヒンドゥー寺院の石材を使って建てられたため、偶像崇拝を認めないイスラム寺院でありながら、列柱に女神像が残る。
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美しい列柱空間。
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3〜4世紀のグプタ朝時代に造られたとされる鉄柱は、鉄の純度が100%に近いとかで、いまだ錆びないという謎の鉄柱。
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イスラム様式、ヒンドゥ様式が混在するモスク。
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奴隷王朝を滅ぼしたジャラールッディーンはハルジー朝を開くも、甥のアラウッディーンに暗殺されてしまうが、その甥っ子が建てたのがこのモスク。模様がきれい。
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繁栄しては滅ぼされ、時代を変えて建てられた建物たち。
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日本の城もそうですが、人間の建設技術力のすごさが想像の域を超えます。
移動して中心部へ向かいランチタイム。ガイドのアシラさんオススメのお店に連れていってもらう。
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さっそくカレーカレー。
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マサラチキンとパニール、ラッシーも忘れずに。
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ランチ後、国会図書館を目指すもリノベーション中で見れず、フランス語学習・文化施設アライアンス・フランセーズ(インドフランス文化センター)へ。
建物は2004年に建てられたもの、2020年に内部の改修が行われたそう。またも入口でとめられるが、施設の代表の方?が登場し、「今日は天皇誕生日ですよね」などと話しかけてもらいながら、入管許可を得る。
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入口のホワイエは高い吹抜けの上の屋根フレームを十字形のコンクリート柱が支えている。
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このあと見に行くチャンディガルにあるコルビュジェの「オープンハンド」のモチーフが廊下に光る。インドとフランスを結ぶ?
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地下のギャラリーの中にも十字柱があらわれていて、インド人のガイドがおもしろがっていた。
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改修後のフロントオフィス。
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日本語堪能な熟練ガイドさんもこの建物は初めてだったようでした。そして、ここから、ニューデリー2つ目の世界遺産、フマユーン廟へ。
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門を抜けると。
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ムガル朝第2代皇帝フマユーンの墓廟で、王妃が建てたもの。9年の歳月をかけて1565年に完成。ミニタージマハール、とガイドのアシラさんは言ってたけれど、頂点にドームをおくムガル様式の礎となる建物で、100年後のタージマハルなどへ受け継がれているそう。
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穴あきレンガから差し込む西日がとても美しい内部で、みんな順番に撮影タイム。
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特徴的な赤い建物が、西日でさらに赤くみえる夕暮れ時。
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そしてデリー3つ目の世界遺産、ラールキラー(赤い城)を見るためにオールドデリーへ。ガイドのアシラさんは17時にクローズと言っていたのですが、地球の歩き方に20時までと記載があったので、とりあえず行ってみる。
が、残念、やっぱりクローズ。しかし城壁だけでも十分に堪能できる赤い城。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって、1639年から9年かけて建てられたもので、城壁は2.4キロとのこと。
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ライトアップと月。相変わらず人だらけ。
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そして、最後にマーケットへ。リクシャリクシャリクシャ、人人人、へー、やっぱり頭に載せるんだ、と驚く初日の私。
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ガイドのアシラさんが「絶対食べて」というお店に連れていってもらうと、すごい人だかりが。
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人だかりの奥には、揚げ物してるおじさん。
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人気の正体はJALEBIというインドのお菓子。サモサと一つずつ買ってみる。美味!
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1日を満喫しホテルへ向かう途中、今回、いろいろをお願いしたシゲタトラベルさんに立ち寄って、両替したり、SIMの手配をお願いする。待ってる間にふるまっていただいた初チャイ。
長い1日のあとのチャイがなんとも体に染み渡る。最高です。この素焼きカップ「クリ」というそうですが、飲んだら叩き割って捨てちゃうのです。びっくり。ヒンドゥ教は人の使った食器は不浄なんだそう。
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人人人、車車リクシャ、クラクションという喧騒のデリー初日、22時も過ぎてしまったのでホテルの食堂でカレーを食べて寝る。インド建築縦走旅、スタート。
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