「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。
悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。
個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。
(1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。
(2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。
(3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。
では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。
(1)国家運営能力の欠如
・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。
・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。
・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。
・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。
・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。
・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。
・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。
・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。
・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。
・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。
(2)外交能力の欠如
・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。
・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。
・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。
・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。
・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。
・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。
・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。
・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。
・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。
(3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質
・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」
・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」
・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」
・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決)
・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」
・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」
・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」
・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞
・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」
・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領
・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上
・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑
・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」
・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」
・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」
・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題
・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ
・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪
・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名
・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与
・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」
・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。
・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。
そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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ちとせ よしのは、日本のグラビアアイドル、アイドル、タレント、コスプレイヤー。佐賀県神埼市出身、女性アイドルグループ「あまいものつめあわせ」のメンバー。SPJ Entertainment所属。 ウィキペディア
生年月日: 2000年1月8日 (年齢 24歳)
出生地: 佐賀県
身長: 158 cm
学歴: 佐賀県立佐賀北高等学校
カップサイズ: H
スリーサイズ: 95 - 65 - 98 cm
デビュー: 2018年10月
趣味は、夢占い、キックボクシング。
特技は、絵を描くこと、大食い、鉄工所にて覚えたCAD。幼少時から米俵を引けるほどの力持ちであったものの運動は苦手であり、2018年11月時点ではフラフープも縄跳びも上手くできないとの旨を明かしていたが、フラフープについては後に中京テレビのバラエティ番組『耳より三姉妹』の企画で克服しており、2023年3月時点では千葉県にて行われたDVD『いとしのよしの』の撮影の際にも普通に回している。
芸名の「ちとせ」は地元の旧名から、「よしの」は本名からそれぞれ取って母が決めた。なお、祖母曰く「小さい頃からあっけらかんとしてる子」だったという。
好物は、鶏肉などの肉類。小学生の時期には大食いを自覚しており、食パンを単独で1袋食べていたほか、父がパチンコで勝った日は回転寿司に連れていってくれたが、ちとせは大食いゆえにあらかじめアメリカンドッグを食べさせられていた。その後、高校生の時期には毎日コンビニエンスストアにて買い食いしていたうえ、「残飯処理班」なるあだ名が付くほど友人たちの給食の残り物も食べていたことから、ボディサイズも大幅にアップした。
地元では自宅の周囲に出前が可能な店が無かった(自宅が水田に囲まれていた)ため、上京後は「ポストの中に出前のチラシが入っている。それだけで幸せ」と語るなど、出前を頼めることを嬉しく思っており、上京した当初はピザばかり食べていた。
鉄工所では、作業着、ヘルメット、すっぴんの姿に加えて唯一の女性社員だったことから、既婚者ばかりの周囲には親戚の子供のように扱われていた。また、芸能活動を社長以外には内緒にしていたため、作業着の下が恵まれた身体であることについては、周囲に知られていなかった。それゆえ、「YAグラ姫2019」にてファイナリストに残ったことについては、恥ずかしくて連絡を取っていないという。なお、鉄工所の社長はちとせの退職に際して勤務期間が8 - 9か月だったにもかかわらず優しく背中を押してくれたうえ、退職が決まった後に求人を出すとすぐにCAD経験のある女性から応募があったため、ちとせは神様からも上京を命じられていると思ったという。また、作業着については、上京後も初心を忘れないよう自室に置いているという。
家族については、弟が1人いるほか、自衛官である父の仕事柄ゆえに小学生時代は佐賀県から沖縄県・久米島、福岡県、高知県へ移住していた転勤族であり、小学5年生から再び佐賀県に在住した。なお、弟もかつては自衛官だったがこちらは退職し、上京してちとせの自宅にて同棲しながら彼女のサポートを担当している。しかし、同棲を発表した当初は弟がちとせのことを呼び捨てにしていたことからも彼氏と見なして疑うファンがいたため、実弟であることを後に改めて発表している。
YouTubeチャンネル「よしのんチャンネル」は、コロナ禍による休業に遭って外出自粛期間中に何かできることはないかと考えて始めたものであり、YouTubeで広く知ってもらえるきっかけにもなったため、本当にやって良かったと思っているが、グラビアアイドルがよく通る道である収益化停止に遭った際には、悔しい思いでいっぱいだったという。SPJ Entertainmentは関わっておらず、当初は企画、撮影、編集をすべて自分で担当していたが、弟が同棲するようになってからは撮影を担当してもらっているほか、編集も一部手伝ってもらっている。また、弟は企画も一緒に考えてくれるうえ、編集についてはちとせよりも高いクオリティに仕上げてくれるという。なお、2023年5月時点での最多再生回数を誇るのは『Eternal』のメイキング映像を収録した動画であり、227万回再生を記録しているうえ、YouTubeでちとせを知ってイベントを訪れるファンも増えていることから、YouTubeの凄さを実感したという。
「よしのんチャンネル」にて、ポジティブな意味でオカズにされて嬉しいとの旨を公言しているほか、グラビアアイドルをそういう目で見ないでほしいとの意識への反論として、美味しそうなケーキを見た際に無意識に思う本能を挙げている。
佐賀県への思い入れは上京後も変わらず、2020年には写真週刊誌『FLASH』(光文社)のグラビア撮影を祖父母の暮らす実家にて行う、地元のラジオ番組にゲスト出演する、2021年には大町自動車学校のハロウィンイベント「大町 車肉祭 2021 in鍋島」にてトークショーに登壇する、2023年にはサガテレビのミニ番組『ユビサシカクニン』に出演するなど、地元への貢献のためにも時間を作っては帰郷している。また、将来は地元に貢献できるような仕事をしたいとも明かしている。
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このごろ恵与いただいた書籍、2冊。
まずは、先日鷺さんがご旅行のついでにお立ち寄りくださった折に、今度新しい本出たんで送りますね!とのお言葉通りにいただいた『河井寬次郎記念館』(京都新聞出版センター 2023年)。水野克比古氏が撮影した記念館の風景と河井寬次郎の言葉が配された、すてきな一冊です。「民藝」本年1月号には、今回の企画を取りまとめた上野昌人さんによるご案内も掲載しておりますので、あわせてご覧ください。
もう一冊は、今村治華さんの『ジーファーの記憶』(南方新社 2022年)。先日神保町の美学校内のギャラリー「PARA」で展覧会を行っていた遠藤薫さんと対談をした際、僕の前にお話をされていたのが今村さんでした。遠藤さんからは何を尋ねられるのかが全く不明で些か不安だったのですが、会場に着くと今村さんがいらっしゃって、ジーファーの話から柳が「民藝茶会」にべっこうのジーファーを茶杓として用いた話になり、そこから沖縄と民藝、そして「戦争と工芸」へとするする移行することができて、たいへんありがたかったです。本書はジーファーの歴史を巡り「金細工(くがにぜーく)またよし」の又吉健次郎氏らに聞き書きを行い、また資料を細かく調べ上げた密度濃い一冊。坂本万七、濱田庄司への言及などもあり、民藝誌でもご紹介できるといいなと考えています。
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自民党の谷垣禎一元総裁(78)の自宅を訪ね、岸田文雄内閣の支持率がなぜ上がらないのか、一杯やりながら率直に質問をぶつけてみた。岸田首相の外交面の成果は、知らぬ間に立ち消えになってはいませんか。
「確かにね。今回のウクライナ戦争で存在感が高まっているグローバルサウス(新興国・途上国)の取り込みなどは、日本の強みを生かしてよくやっている。彼らの一部には、西側の先進国に『あいつらは今も上から目線だ』と腹を立てている国が多い。事実上の『一強』となった米国や植民地支配の過去を抱える英仏に対し、『西側リベラリズムのおごり』と批判する国さえある。その中で、日本は独自のODA(政府開発援助)を駆使して努力を重ね、『欧州はうんざりするが、日本は違う』と評価も集めた。首相はここをうまくすくい、西側とつなぐ役割を果たしている」
ただ、今後はこの外交でも、首相にとって厳しい難局面が待つと説く。
「この戦争が終わったとき、どう新しい国際秩序を作っていくのかが焦点となる。そこでは、日本がすごく損な立場になるわけにはいかない。日本は必ず、それなりの地位を占めなければならない。国内では国民生活に目配りしながら、対外的にはこの難題に挑まなければならない。岸田さんに限らず、自分が首相になりたいと狙っている人にとっても、答えを出すのは簡単ではないはずだ」
テーブルには『野菜の揚げびたし』が登場した。パプリカとカボチャ、なすを素揚げして、甘辛いマリネ液にしっかりしみこませている。香ばしい夏野菜の香りと甘さが、冷えた久保田によく会う。
谷垣さんが「水内さんは産経新聞だからこっちが好きかな」といいながら、テーブルには白い陶器に「中華民国立法院」と書かれた蒸留酒「白酒(バイジュウ)がやってきた。テーブルには、「中華人民共和国」と書かれた「貴州芽台酒」も登場。「酒に国境はありませんよ」と酒巻俊介カメラマンが笑ったが、私はなんとなく中華民国を注ぐ。
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影)
食卓には、台湾からいただいたという白酒も登場した=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影)
谷垣さんに「一気に飲み干すんですよ」と言われたが、アルコール度数は50度! しかし、独特の香ばしい匂いがさわやかだ。昨年、谷垣さんのインタビュー連載を担当し、今回同席した豊田真由美記者は「食道の位置が分かる」とむせながら飲んでいる。
「この前、フランスのマクロン大統領がNATO(北大西洋条約機構)の東京事務所開設に反対したでしょ。私は心理がよくわかるんですよ」
谷垣さんが語りだした。 「海洋国家の道を選ぶか、大陸のつながりを大切にするか。各国が個別の事情を抱えていますよね。英国は海洋国家の道を選び、EU(欧州連合)から抜けた。残った独仏を中心とするEUはどうするか。陸続きの中国に経済などの利益を全部取られては大変だ。中国とうまく付き合いつつ、必然的に、カザフスタンなど中国の周辺国とも協力する。フランスがNATO日本事務所に反応した背景は、ここまで見なければならないと思うんです」
谷垣さんも白酒をなめる。
「日本もずっと、2つの選択を迫られていたでしょう。海洋国家としてアングロサクソンと組むか、大陸につながるところと組むか。日本では明治以降、右翼を中心に、中国や韓国と組んで欧州に踏みにじられない大義の旗を立てろという議論があった。しかし、当時は日英同盟を選び、今は日米同盟。アングロサクソンと組む流れを継いでいる」
「韓国も、似たような選択を迫られてきましたよね。北朝鮮との関係強化を図った文在寅(ムン・ジェイン)前大統領は、日本でいえば、沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設にブレーキをかけた鳩山由紀夫元首相の言動に近いと思っているんですよ。韓国では『北と南の連携を強くしていこう』という訴えが国民の喝采を浴びる面もあるでしょう。ただ、今の時代に文政権みたいな道をとるとあまりに支離滅裂になる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が誕生したのは、日本にとっても本当によかった‥、ああ、すっかりいい気になってペラペラしゃべっているなあ」
谷垣さんが車いすを少し動かしながら話題を変えた。
「最近は新聞を読みながら、私と同世代の方の回顧録をよく読むんですよ。私たちの世代は一体何を残したか-と考えながらね」
谷垣さんは昭和20年生まれだ。
「例えば歌手の加藤登紀子さん。読売新聞で連載していたが、彼女は私の1歳年上で、東大の五月蔡でシャンソンの『赤い風船』を歌っているのを聞いたことがあります。彼女と政治的立場は大きく異なりますが、同じ時代の空気を吸ってきた。もう1人挙げれば、ピアニストの山下洋輔さん。彼は麻布高校の先輩で、文化祭でピアノを弾いていたのを覚えている。ジャズという日本でまだ珍しかったやり方に挑んでいた」
「もう1人、倉本聰さん。彼は喫茶店でアベックのすぐ横に座り、会話をじっくりと聞きながらシナリオを練ってきた。テレビをどう活用するのか、一生懸命考えてきたんですね。戦後日本の可能性を開くためさまざま頑張ってきた」
「逆にいえば、そうそうたる大会社に行き、少し前まで『半導体は日本だ』と頑張った友人がいた。しかし、今は見る影もない-。俺たちの世代は何をやってきたんだろう。私とすべてジャンルは異なるが、この年になって、じっくり考えるんですよ」
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影)
日本酒のグラスを手に語る自民党の谷垣禎一元総裁=東京都世田谷区の自宅(酒巻俊介撮影)
少し遠い目をする谷垣さん。自らも、政治の中枢で時代を動かしてきたじゃないですか。
「自分のやってきたことはこんな副作用を生んでいたのかと考えるものばかりですよ。自分の思った通りになったことは絶対ない。ほとんど、予期しないことが起きている。例えば難民の問題。私は議員になりたての頃、自民党法務部会の副部会長としてこの問題に取り組みました。当時は無制限に外国人を入れるととんでもな���という議論があり、入国には『職業訓練』という形を取り入れたが、今から思えば、物の見方が足りなかったと自省することが多い。『こんなこと考えもしなかった』という問題が次々と起きてね」
もう一例として挙げたのが、女性の社会進出の遅れだ。
「私は昭和20年生まれだから、現行憲法の『男女同権』は素晴らしいと教わった。しかしその私が何をやってきたかといえば、政治家の傍らで、家事は全部女房に押しつけた。家事はやってみると結構大変ですよ。こんなこと言ったら、あの世の女房に怒られるかもしれないが、専業主婦じゃない人が家事に取り組むのは大変だ。今は働く女性が圧倒的に増えたでしょ。亭主と女房がどっちも働いているのに、家事は女房だというんじゃね。子育てしながら政治に携わる上川陽子外相や加藤鮎子こども担当相は相当優秀ですよ」
子供2人を育てる豊田記者が「家事をしない人と結婚できませんよ」と合いの手を入れる。
「でも、少子化対策って、政府の政策でこなせるものなんですかね」
シャッターを切っていた酒巻俊介カメラマンが尋ねた。(聞き手 水内茂幸)
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明日から1泊2日で沖縄に出張するのに前泊で博多に参りました。🚅
早起きしたら広島発で間に合うのですが、ジジイのクセに(笑)朝が弱いのでこちらで休みます。☘️
去年も7月に1泊2日で出張だったですが、なかなかハードです。💦💦💦
元気なうちにプライベートで2泊3日位の撮影旅行📷とかしたい。。。
そういえば、カープは交流戦でこっちに来てたので博多駅内に沢山カープのユニホーム姿の方が沢山いらっしゃいました。⚾
今日もまけほーで残念じゃったね~😭
おやすみなさい、また明日。
#博多 #福岡 #博多駅 #夜景 #いい休憩をしよう #夜景 #nightscape #panasonic #lumixtz95 #tz95
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《(半グレ集団は)県内の市町村議員や首長、国会議員ら政治関係者への接触も確認されている。》
その記事が指摘した通り、沖縄の半グレ・グループは首相主催の「桜を見る会」に招待されるほどまでに、国会議員に食い込んでいるのである。
「桜を見る会だけではありません。那覇にあるグループのリーダーだと県警が把握している男性A氏が、沖縄出身で政府要職に就く国会議員と一緒に撮影した写真が出回っていて、“どのような関係なのか”と警察当局は重大な関心を寄せているのです」(地元政界関係者)
元「SPEED」のメンバーとして、全国区の知名度を誇る今井絵理子参議院議員(36才)は、今年9月、安倍首相によって内閣府政務官という政府要職に抜擢されたばかり。10月末に首里城(那覇市)が焼失すると、率先して再建に動くなど、その活動が注目されている。
そんな今井氏が笑顔でガッツポーズを取る1枚の写真が、物議を醸している。
◆「地元の後輩」「私が信頼する男です」
「A氏がSNSにアップする写真に、たびたび今井議員が登場すると話題になっています。また、沖縄選出の衆議院議員であり、安倍内閣で法務政務官を務める宮崎政久議員(54才)と写った写真も多数ある。A氏を中心に今井氏と宮崎氏がガッツポーズを取る写真は、2~3年前、宮崎氏の地元選挙区である浦添市で撮られたもののようです」(前出・県警関係者)
A氏は、宮崎氏の公式SNS上にも登場し、宮崎氏はA氏のことを「地元の後輩」「私が信頼する男です」と紹介している。SNS上で交換されたメッセージを見ると、宮崎氏が今井氏のことをA氏に紹介したようだ。
「A氏は金融業や飲食店経営、観光業などを手広く展開してきました。地元市議の後援会に入ったことをきっかけに、国会議員にもネットワークを広げているようです。4年前には、金融業のトラブルが発端で、知人男性に暴行を加えた上に、手足を縛って拘束したとして、那覇署に逮捕されました。A氏はその事件の弁護を、宮崎議員が所属する弁護士事務所に依頼。結果的に、不起訴になったそうです」(前出・県警関係者)
今井絵理子議員 沖縄半グレリーダー疑惑男性との写真流出|NEWSポストセブン - Part 2
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サツラク 贅沢濃味 〜本和香糖仕立て〜
サツラクさんからの頂き物8点目。
これ、食べたかったやつ!!!!!
通常タイプは食べたことあってんけど、「本和香糖仕立て」は初めて!
何年か前に展示会でお見かけして気になってたから嬉しい🥹
スペック
乳脂肪分8.0%!!!
サツラクさんの組合員さんの牧場で搾乳された生乳にサツラクさんの生クリームを贅沢に加えて、アイスクリームと同等の脂質の濃さに🍨💕
沖縄産のさとうきびから作られた含蜜糖の「本和香糖」で甘み付けされてて、さとうきび本来の風味やコクが感じられるそう。
もうこれでお腹いっぱいやのに、さらにビフィズス菌とアシドフィルス菌を配合!
サツラクさん、アディショナルな菌も抜かりないなぁ。
同じメーカーさんの商品を連投してると、傾向が見えてきておもしろい😊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
開封
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
平らに凝固し、離水多め。
ヨーグルトがクリーム色💛
本和香糖の色かなぁ☺️
すくいあげると重い手応え。
練るとソフトクリームのように渦巻くもっちりとした質感!
食べる前から濃さがすごい。
きめ細かくてツヤはなし。
香りはほとんどなくて、少しコクのあるお乳の雰囲気を感じるかな??
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
頂きます🙏
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
もーーーーーーー、おいしいに決まってるねんけど、おいしい🤤♡
モッタリ濃厚で、甜菜糖蜜みたいな風合いのある香りがめちゃくちゃいい!
乳脂肪と、ほっこりこっくり系の糖の香りって抜群に合うなぁ👏
アイスクリーム並みに濃くて粘りもあるのに、後味は儚い。
乳脂肪のリッチさに和の香りとヨーグルトの爽やかさが味方して、ものすごく上品に仕上がってる🥹
甘さが程よいところで抑えられてるのがまた絶妙。
これ、練って撮影しちゃったけど、練らんほうがおすすめやった!
固形のままで口に含むと、みるみる体積がなくなる溶け方が気持ちいい😳✨
粘りをほとんど感じずに、雪解けみたいにきれいに消えてゆく。
ご褒美にゆっくり静かに味わってたら、なんか精神統一されてきた🧘🏻
瞑想できそうな神秘的な味。
============================
無脂乳固形分 8.5%
乳脂肪分 8.0%
—————————————————
栄養成分(1個100gあたり)
エネルギー 137kcal
たんぱく質 3.6g
脂質 8.5g
炭水化物 11.5g
食塩相当量 0.1g
カルシウム 120mg
—————————————————
原材料名
乳(生乳(北海道))、クリーム、砂糖、脱脂粉乳
—————————————————
製造者
株式会社ミルクの郷 本社工場
販売者
サツラク農業協同組合
============================
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自転車で礼文島を走ってきました(後編)
2泊3日の行程の後半。
2泊目の設営を終えて島の北側を散策します。
この界隈は丘陵地帯が多く、アップダウンもかなりのものでした。
波風が穏やかな西岸で休憩したり写真を撮っているうちに青空が見え始めます。
丘を登った先に見えるのは礼文島最北端のスコトン岬と、沖に見えるはトド島。
この日は昼食を食べ損ねていたので、お土産屋さんで補給。
生地に熊笹が練りこまれているらしい熊笹まん(左)と、トド肉の煮込みが入っているらしいトドまん(右)。どちらもクセがないので普通の中華まんと違いがわからない。
往路とは違う道を探しつつキャンプ場へ戻ります。
この道は途中で林道になっており、先が長そうだったので引き返しました。
高台に上がると道北らしい景色。
道北らしいといっても利尻島には無い景色。
日が傾いてきたので再度西岸へ出ます。
澄海(すかい)岬。夕方なので全然観光客がいなかった。
このまま日の入りを見たかったのですが、雲行きが怪しいので諦めて帰りました。
そしたら晴れました。
明るいうちに夕食を食べます。
まともな買い出しができなかったので、非常用に持ち込んだインスタントパスタで腹を満たしたのち、軽く晩酌。
明日帰るのに今更になって観光案内を読むなど。
朝の便に乗って帰るため、余裕をもって3時起き。
朝食は北海道最北のキャンプ場で沖縄そば。
近所のスーパーで手に入る南国。
6時前に出発。かなり時間に余裕があるため久種湖畔を軽く散策しながら南下。
島の発電所。結構小さく見えますが、これくらいで島の電力をカバーできるもんなんですね。
出向の1時間半前に香深港へ到着。徘徊するほどの余裕はないので、ゆっくりお土産屋さんを見たりしていました。
遠洋の雲が切れていたので、この後晴れるようなら昼便で帰るという選択もありましたが、素直に帰ることとします。
ファットバイクだと輪留めの違和感がない。
稚内港到着後は防波堤ドームで記念撮影ののち大人しく自宅へ直帰(5時間)しました。
ほとんど晴れなかったうえに潮風をたくさん浴びたので念入りにお片付け。
以上が初めてのファットバイクキャンプツーリングの顛末となります。
MTBでのキャンプツーリングは以前持っていたバイクで経験がありますが、ファットバイクだとまた一味違います。どこでも入っていける安心感とエアボリュームによる衝撃吸収は良いものの、やはり重たいと言わざるを得ませんでした。平地ではそれほど気になりませんが、登りはかなりの鈍足です。
あと、見た目のインパクトは圧倒的です。各所で「これは自転車?バイク?」とか「重くない?」と声をかけられました。
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2023/7/31〜
7月31日
先週末から夏休みをとって沖縄へ旅行へ出掛けていた上司が、台風接近のため、予定していたフライトがキャンセルとなり、追加でお休み予定となる連絡がくる。
ちょうど仕事が立て込んでいるタイミングだったので、旅行先のホテルで持参していたノートパソコンで仕事をしてもらうことになった。上の立場になるといつでもお仕事ができるような準備をしてしまうものなんだろうか。
そういえば、金曜日に早退している中で、その上司の個人携帯から私の個人携帯へ着信が入っていたことを思い出す(折り返しはしていない)。
写真展のDMができて、HPに展示概要やプロフィールが掲載されて、なんだかいよいよという気持ちで嬉しい。
たくさん見積もりしてもらったけれど、写真集の発注もやっと完了させた。
重い重い診断書を持って、でも幸い(?)今日は上席の方々が揃って不在。お世話になっている保健師さんに相談メールをしてみてよかった!
上席の方と産業医の先生も交えた面談をしましょう、とのこと。
だんだんと私の訳のわからない病気のことに巻き込まれる人が増えていってしまうな〜と、面談の席でも、病識薄めの他人事口調で自分のことを話す自分が想像できて、でもお仕事をする人間としてだめなのがわかるので、あやのちゃん一体あなたはたくさんの大人達を巻き込んで何がしたいの?!という気持ちで泣きながら帰ってきた。
社会的に大きな組織なので、きちんと対応してくれることは確かで、でもそれが建前上のきちんと、であり、実態は裏でなかなかに言われたい放題になりかねないのも目の当たりにしているで、そうゆうところで怯んでしまっている。
(それを主治医の先生に言ったけれど、そんなの無視無視!と一喝されただけだった。)
とにかくなってみないとわからないし、今日もお外の現場に繰り出せたし、もうこの手のことを考えるのが面倒にもなってきたので、写真集を作ろうと思う。あと早く帰れない日も、飽きるまで桃を買おうと思う。
8月1日
久しぶりに日差しが強くない日だった。
朝から、昨日ギャラリーのHPに公開された展覧会の告知ページをSNSでお知らせしたり、並行線で上司に診断書を渡さなくてはいけないことで緊張したりしていた。
出勤してから、上司へメールを送り、面談をして、とりあえず先週の診察で言われたことと診断書に書かれていることだけを伝える。
伝える中でやっぱり泣いてしまって、そんなに仕事頑張りたくなかったんじゃないの、よかったじゃん、なにいい子ぶってんの?あやのちゃん!!という気持ち。
ちょっとした仕草や動作についてを��なんかね〜かわいいんだよね〜、と褒めてもらって少し回復。
相談メールを送っていた保健師さんから“緊張したでしょう”と、労いのメールをいただき、また泣きそうになって、どこまでもいつまでも大人の人に甘えている。
写真でも撮って帰ろう、と、ロッカーに置きっぱなしだった三脚を持って帰る。バスの中で一期下の方とあったので、今日は自撮りはできず、でもお話をしながら、日中は雷雨で鳴けなかった分を取り戻すようにセミが怖いくらい鳴く道を歩いた。
今日は心も身体もへとへとで、ちょっとしたことでまた泣いてしまいながら、1日を終えることになりそうです。
8月2日
今日は満月だけれどもう早くお部屋へ帰ってしまおうとしている。
外の現場を禁止するための文章だったのではなかったの?!と思いながら、今日もお外で立ち会いをする。診断書が出たから、それ以降すぐ外に出たら倒れてしまうのか、と言われたらそうではないけれど、なんか話が違う気がするし、それに乗って気丈に振舞ってしまう自分もいる。
昨日からの泣きぐせがついて、誰かとの少しのディスコミュニケーションで泣いてしまう。
時間があったら銀行をはしごする予定だったけれど、待ち時間が長そうで、すっかり体力がなくなっていて、中途半端にしか予定をこなせなかった。
出張先のまちは夏休みモードで、それぞれのお家のまえに小学生が夏休み期間中にお持ち帰りさせられる朝顔のプランターが置かれていた。
隣り合うお家で、一軒は枯れ果てていて、もう一軒は水色の朝顔が咲いていた。
観察日記とかで朝顔の絵を描いたことある人多い気がするけれど、朝顔って書くの難しい。ラッパ状の奥行きのある感じとか、花びらの柔らかい感じとか、支柱につるが絡まる感じとか、平面的なお花ではない感じ。着彩も花びら一枚の中で白いところと紫とか色があるところがなだらかにあって難しかった気がする。
そしたら、その朝顔のプランターのお家から女の人が駆け足で出てきて、私と鉢合わせた時に、あ!!と自分に笑いながら忘れ物を取りに玄関へ駆け戻っていった。足元がクロックスだったので、それを履き替えにもどったのかな。
午前中いっぱいで現場の用務を終えて、もうへとへとだったので職場には戻らずに、池袋PARCOでミッフィーのグッズを少しみて(やっぱり思ったより小さい売り場展開で過度な期待は厳禁)、丸ビルのおしゃれドラッグストアで少し買い物をして帰宅。
レジをしてくれたお姉さんの名札を見たら、私と同じ苗字の漢字で(かなりかなり珍しい)、え??妹かな?とドッキリしてしまった。
丸ビルの地下はランチに出てきているオフィス街の方々でとても混んでいた。
丸ビルの地上はオープントップバスに乗り込む外国人の方々がたくさんいた。
明らかに昨日から何かがすり減っている。
8月3日
全方向において落ち込んでいます!
8月4日
金曜日の魔法で少し復活して、あまり記憶がないくらいバタバタと提出間際の忙しさに紛れた1日だった。
取り立てて何も日記に書きたいこともなくて、これくらいの日々を毎日送れるようになれば、程よく充実できていいのかな、と、この帰り道で死んでしまったりするのかもしれない、と思っている。
先日職場に出した診断書に基づいて、誤魔化さずに体調優先で仕事をしたい旨と、体調回復に100%を注げることができない気持ちも含めて治療中である旨を、ちゃんと伝えないと!と昨晩泣きながら思っていた。
最近、お金関係の動きが2件あり、1つは身に覚えのない引き落としが発生しており、カード会社からの注意告発で判明したこと。カードの再発行中なので、なにか何も欲しくなくなる。世の中のプレスリリースに興味を持てなくなる。そうゆうことじゃなくて、カード不正利用されること怖がってよ。
もう1つは写真展用貯金をおろした時、9円の利子がついていたこと。
なんとなく覚え書き。
死なないで帰りたい。
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『キル・ビル Vol.1』観終わった。妊娠を機に殺し屋から足を洗った女は、所属していた組織のボスであるビルとその四人の部下から襲撃を受け、夫もお腹の子供も失い自身も四年間昏睡に陥ってしまう。目覚めた女はビルとその部下への復讐を決意し、日本刀を得るため沖縄へと飛んだ。
夫と子供を殺されたことへの復讐劇という、言ってしまえばありきたりな題材ではあるんだけど、タランティーノの手に掛かればそれがこんな日本を舞台にしたトンチキアニメの実写版みたいに劇になるんだなぁ……と感動してしまうくらいハチャメチャでバチバチにキマってる作品に仕上がって���り、復讐のために得物が必要と考えた主人公が、テキサスから沖縄へと飛び寿司職人として隠居している刀鍛冶に日本刀を打ってもらうという、あまりにも真面目に考えるのを放棄したくなるようなストーリーが序盤に展開されるのだが、タランティーノがおふざけではなく真剣に撮っているため、馬鹿なんだけど真面目さを感じる出来栄えになっていて、そして常時異常なテンションで繰り広げられるアクションメインの殺陣がとにかく素晴らしく、主人公が日本刀をバッサバッサと振りかざすたびに身体の一部が飛んだり血飛沫が舞い散ったりと、非常にゴア描写が強いながらも魅せを意識した描写が多く、終始アクションしかない作品だったけどそれによる中だるみもなく楽しく最後まで突き抜けていったのはとても良かったですね、最高。途中で始まったアニメ回想シーンは完全に小夜をやりたかっただけだろお前!!!
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ガストへの帰省 くらやみの浜辺
実家というリソースにもたれかかり、かなり身軽な格好で帰省する。渋谷に繰り出すときとさして変わらない量の荷物を肩にかけ、戻ってまいるは柳井駅。この重さのかばんなら友人と会うのに家に一度帰るのも面倒だと思い、直行で集合場所のガストに歩を進める。途中高校時代の女の先輩ふたりの姿。ひとりは部活の先輩で目が合えば話になってもよい距離感のひと、ひとりは剣道部の部室が横でよく帰宅時間が被り話していたひと、ではあるが特に話したいことはなかったので、そのまま顔は向けずに横を抜ける。これから会う康太とは中学の同級生である。わたしの多くない地元の友人のひとり。毎年の盆と暮れ、柳井に戻るとガストでごはんを食べながら半年間の話をする。せっかく山口は柳井に戻ってきているし、おいしい蕎麦屋や飲み屋もあることはわかっているが、ここが全国チェーンのガストに集まるというのが良い。康太に関しては柳井に住んでいるので、増してひさしぶりの再会の地がガストでも別に構わないと思ってくれていることにわたしはなんだかうれしさがある。彼は久しぶりの対面でも適当ハンバーグやスパゲティーを頼み話すことを許してくれるのだ。さっそくわたしたちは電子タブレットから全部のせカレーのご飯大盛りと、から揚げ定食を頼み、ドリンクバーに向かう。セットドリンクにはしていないので山なりに並んだグラスを手にとり、水だけ入れる。まずはゆったりと今日は何時に出たのかから話し始め、次第に仕事や生活の話をした。わたしはみんなの生活の話を聞くのがとても好きであるが、生活の話をするにはそれなりに関係値も必要であり(別にわたしとしてはそんなこともないと思うのだが) わたしにはちゃんと生活の話をしあえる友人は多くはない。お水で乾杯して、しばらく話すと、彼はここ最近今いろいろ悩んでいたそうだった。仕事は若干の小休止、先日は沖縄にひとり旅に出たと言っていた。話をしながらしばらくすると円柱のネコ型配膳ロボットがごはんを持ってくる。昨年からこの毎年集まる柳井の店舗にもこの配膳マシン導入されたわけだが、ネコが人間に配膳をするというのはなんともアイロニカルな時代である。わたしたちはそれからもいろいろ話した。こはんは地元に帰って早々満腹になるのもおもしろくないと思い、ごはんのオプションは特盛ではなく大盛りにしただったわけだが、大盛りといっても全然大したことはなかった。会話と食事で口がよく動く。途中で共有の友人の話になる。康太との会話中、今である必要はないがどちらにしろ帰省中には会いたい人なのでその場で連絡をしてみることにした。善は急げというわけである。検索窓にふじいと打ち込みトークルームを開いて(ご年末!)(今日帰りました)(どっかで会いたい)と3通のLINEを送ると5分ごくらいにはすぐに返事があった。どうやら今からごはんまでの間なら空いてるということらしい。ガストで話し始めてから1時間経たない程度、例年の感じからすると比較的速やかに退店する。康太が乗ってきた車に乗り込み、連絡をもらった彼女のところへ向かおうと思ったとき、(ちなみに今焼きそばを食べ始めました笑) との返信。予定があちこち気配にものぐさな心持ちがありでたとえば明日とかでも大丈夫という旨を送信した。すると再びすぐに連絡。21時に妹のバイトの迎えに出るからその時でもいいか、それか新年明けての3日。ときたので、わたしとしては年末にさっそく年始の予定をあっちにこっちにしたくないとで即日会う方を選び、そのように返信した。ふじいさんのLINEに翻弄された結果、せっかく康太との半年間のいろいろ談義も半端に店を出てしまい、21時までも時間がある。ふとわたしは康太に「黒島へ行かないか」と提案した。黒島とは海水浴場である。正式に黒島というのかは分からないし、康太にも一発では伝わらなかったので、たぶんわたしが独自にそう呼んでいるだけかもしれない。そこにはヤシの木が生え簡易的なシャワー室がいくつかある以外は、ただの海岸である。わたしは年の暮れの7時頃、完全に暗くなった夜の海に自然の畏怖を感じたいと思いたったのであった。思い出すは大学4年生の夏の��と。コロナ禍で前期全過程がオンライン授業であり、わたしは任意のロックダウンの勧告を無視し、地元で過ごしていた。あの時期は体感時間というこものにとても関心があり熱心にいろいろ考えたり調べたりしていて、その日も柳井にあるわずがな本屋をめぐり、なにか考えの手がかりになる文献がないかを探し歩いていた。結局めぼしいものは見つからぬまま3店舗目を出たところ、見知った女の人が3人いる。高校時代の陸上部の後輩ふたりとその友達であった。向こうも気づくとこちらによってきて、なにしてるんですか?と絡んできた。ちょっと���倒なことを感じさせるイントネーションと絡まれ方だったのだが、一日中なんの手掛かりも得ずに市内を彷徨っていたわたしには、おもしろい出会いに思え、聞けば今から海で花火をやるという話の流れ、たけい先輩も来ますか?と聞かれたので行ってみることにした。ふたりの後輩の友人であるスズさんが乗ってきた車の助手席にわたしが乗り、後輩ふたりは後部座席に座った。なにを話したかあまり覚えてないが地元感の拭いきれない取るに足らない話であったことは記憶上たしかである。海辺に着くころにはなんだがわたしはひとりになりたくなっていた。みんなで花火をトランクから出し、浜辺で準備する。この時点でわたしはあまり花火をする気分もなく、火をつけ始めた三人に散歩してくると伝え、ひとりで浜辺を歩いた。黒島の海水浴場は外灯が少なく真っ暗であり、海に近づくと街灯はより存在感を薄めた。そして夏の波は力強かった。本当に真っ暗な浜辺に打ち寄せる波の境界線すら見えずに、少し間違えば十分に陥溺できるほど暗闇であった。なにも見えず、しかし絶えずこちらに迫ってくる波音にわたしは、恐怖と高揚を覚えた。そこには偉大なる自然に対する畏怖があり、弱々しいひとりのわたしはそれを真っ向から浴びたのであった。それからしばらく波打ち際の比較的控えめなところに座って、海面を眺めたり、さらに彼女たちから遠ざかった方に歩いたりした。時折、来た場所の方を見ると3,4つの花火がちらちらと彼女たちの姿を映していた。結局花火が終わるまで1時間ほどわたしは彼女たちから離れた暗闇のなかでひとり考え事をし、後に後輩のひとりから電話を受けて戻った。その後はあまり覚えていないがまあ、なんとも不思議な時間であった。そしてこの日、その時の偉大さを再び感じたいもしくは感じられるだろうかと思い海に向かったのであった。着くと以前よりは明るく感じられた。なぜあの日があんなに暗かったのかが不思議であった。康太とガストの話の続きをしながら浜辺に向かうと、思い出してきた。明かりは浜辺から波際に近づくにつれて小さくなり辺りが闇に包まれてく感覚。高揚感こそないがだんだんうれしい。うっすらと波の明かりが見え、全体的にはぼんやりしている。少し湿度があるのかもやがあるように感じた。黒のレベルが以前よりは高く感じられ少し白んだ暗闇、波の音も冬らしいささやかな音量で、しかしそれでも自然の畏れを見るには十分であった。4年ぶりに圧巻され次第にわたしはハイテンションになり、康太はすこしそこにも怖さを感じていたかもしれないと想像する。すこしだけ海面を眺めてから岸壁に行ったりした。岸壁は海に突き出ているため、海岸よりも数倍怖さがあったが足元のコンクリのかたさは、自然的なこわさというより、夜の海というシチュエーションも相まってすこし人工的なまたは幽霊的なこわさを感じるきっかけとして機能していた。わずかに波に散った光の跡がきれいだったので、携帯を取り出し写真を撮ろうかと思ったが、それを写すにはあまりに露光量がなく変に撮って湿気るよりは記憶に留めておくほうが良いとやめた。しばらくそこで最近読んだ本の話などをしていたら雨がちらほらと降ってきたので、駐車場に向かった。駐車場までは割と距離があり、途中シャワールームのある建物の踊り場のようなところに一時退避した。ささと車に戻ってもよかったがせっかくならここでタバコを一本吸いたかった。康太は運動家で吸わないので風上に、風下にわたしが並んで座り少しだけ待ってもらって一服した。少し強くなった雨のなか、冷たい風と波音。シチュエーションが良かった。一本吸い終えるとわたしたちは車に戻った。年末だといかに満足しても許される感じがあり、夜の海に大満足をしてしまうことにいつも以上に恐れもなかった。少しだけ遠回りをしてわたしは家の前まで送ってもらい、一時解散した。20時過ぎであった。どこにでもあるファミレスとなにもない海、たわいのない会話。どれが特質して良いとかではなく全てが闇のなかに均質に溶け込み、とても良い帰省直後の小旅行であった。
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Floral Friday #129
ブーゲンビリアは冬の花。南国では年中咲いてはいるが、短日植物だから夏にはあまり花を咲かせない。だからこの写真は八重山で4月に撮ったもので、今の写真ではない。何だか南国のイメージだから沖縄の夏に咲いているような気がしているが、観光用にうまく育てている場所でなければ今は花が少なめのはず。一方で、横浜あたりだと秋には室内に入れて暖かで日差しのある場所に置くのが必須。元気なままで冬越しすらできない。ギリシャあたりだと東京より少し北なのに庭に咲いていたりするので、やっぱりエーゲ海は暖かいんだなと思う。
Blogにアップするにあたり調べてみたら、オシロイバナ科だという。そう言えば花の部分はそう見えなくもない。花は中央の白い部分で、ピンクなどの色とりどりの部分は包葉である。1週間前の台風の被害は大きかったようだが、また、美しく賑やかな八重山が戻っているといいなと思う。
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まだ咲いていましたよ。
2022.9.28
台風が大変なことになっていますね。
決して沖縄地方だけの話ではなくて、台風の影響をうけて日本全国が大変なことになっています。
今、大阪も警戒レベル4相当らしいです。避難した方がいいんでしょうか?こうやって書いてる場合なんでしょうか?
よくわからないまま、台風で天気が崩れる直前に撮ったひまわりの写真です。8月の最終日に、まだまだ夏を追いかけて、ひまわりの咲いてるところを探して撮ってきました。
夏も盛りを過ぎた感が否めませんが、まだ夏を感じることが出来るでしょ。でも、空がそろそろ秋の気配ですかね。
まだまだ夏を追いかけるか、そろそろ秋を受け入れるか思案中です。
行ってる間に彼岸花が咲き始めているんですけどね。
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悪夢
見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。
ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ち��くしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。
そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
ある夜、こんな夢を見た。
ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。
あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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2023 first half
2023年の上半期を振り返ってみる。
1月
せっかく地元に帰ったのに、元旦に弾丸で県外にドライブ。ついでに弾丸でアウトレット行って全然今必要じゃない夏物を買う。
2月
目標月収を達成。吸い取られる税金に泣く。
ついに最後の親知らずを抜歯。過去イチで痛い。これが最初の1本じゃなくて本当によかったと思う。
地元の友達が、半日かけて熊本に遊びに来てくれる。草千里をご案内
3月
人生初のいちご狩り。美味しかったけど3月なのに暑くていちごがぬるい。
初めての天草!一人ドライブ。海がきれい。ドーナツに衝撃を受ける。今まで食べた中で一番おいしい。
4月
東京出張でオフィスに2回目の出社。楽しかったけど思いきり体調を崩す。1週間後に控えている沖縄に向けて死ぬ気で治す。
同僚と1週間の沖縄ワーケーション。airnb初利用。沖縄の虫は大きい。マンゴーパフェが美味しすぎたのでもう1回食べたい。
熊本に来て1周年を迎える。
5月
人生で2人目のカメラマンさんとのポートレート撮影。写真の空気感ドンピシャで好き〜!(記事サムネイル)
ミッフィー好きな友達がはるばる遊びに来てくれたのでハウステンボスのミッフィーコラボカフェに行く。うっかりミッフィーが好きになる。
絶対似合わないと思っていたワイドバングに挑戦してそこそこ好評を得る。
仕事で思い悩むことが多すぎて本格的に精神が参る。周りがいい人すぎるから逆に困る。
6月
福岡日帰り旅行の帰りに駐車場が故障し、1時間半閉じ込められる。檻と化した駐車場の中から、パチンコ店に違反駐車している人たちの帰路を10人近く見送る。
紫陽花とポートレート撮影。花×人はやっぱり素敵だ。
宮崎初上陸!残り九州は鹿児島だけ!
同居人の誕生日にリファのシャワーヘッドを買う。自分もちゃっかり恩恵に預かる。
撮影会にモデル&カメラマンとして初参��。友達以外のポートレート撮影は初めてで、大いに刺激を受ける。
撮影会の1週間後くらいに勢いに任せて初フルサイズに手を出す。もう直ぐ届くはず…
下半期に向けて
タイ旅行に行く。
好きな髪型を見つける。
もっと身体しぼっていく。
UIUXもっと勉強する。
好みのカメラストラップとカメラバッグを買う。
撮影・被写体どちらでも自分の好きな表現を創り上げていく。
最低もう1回モデルの撮影をする。
レタッチのスキルをあげる。
55mmの単焦点をひたすら使い倒して作例をnoteにまとめる。
構築中の写真の作品サイトを公開まで繋げる。
ジップスライドに乗る。
ここで総評。
なんだかんだ、「はじめてだな〜」みたいなことにチャレンジする半年だった気がする。熊本にきてから知り合いが特にいないので、ポートレートのカメラマンは全然やっていなかったけど、ひさびさにやったらやっぱりめちゃくちゃ面白かったしもっともっとやりたくなっちゃった。
仕事については、実力以上のことが求められたり、入社してからというもの「やったことないことしかやっていない」という毎日なので、ぜんぶ伸び代〜〜!という気持ちはありつつもしんどいのは間違いない。何がしんどいのかもう少し分解すると「私のこれまでの経験をフルに活かせます!」といえないこと。私もわからないのでとりあえずやってみるしかない。聞かれたってわからないから全部調べる。とにかく時間がかかる。脳死でできる仕事がない。笑
周りにいる人たちは本当にすごくて、「自分が力が及ばない」ことに申し訳ない気持ちになるばかりだけど、でも胸を張っていえることは、一年前より明らかに成長しているってこと。知識も、使えるものも、どんどん増えているのが振り返ってみた時に気づいた。
そのときすこし気持ちが楽になった。昔の自分よりは確実に成長している。だからこのまま頑張っていこう。
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昨年から僕は海外の観光地に行っています。関係者に話を聞くと、「2019年の観光には戻らない」と言う人が多いのです。「戻りたくない」とも言うのです。
例えばイタリアのベネチア、ハワイのビーチのようにオーバーツーリズムになっていたようなところでは、人が多すぎて海水が汚染されたり、渋滞が起きたりしました。
観光客がいなくなって初めて、自分たちは被害を受けていたことに地域住民が気づき始めてしまったんですね。
――では、これからどう変わるのでしょうか。
私はアフターコロナの観光は「ステークホルダーツーリズム」だと考えています。観光産業のステークホルダーといえば、今までは旅行会社、交通機関、ホテルでした。
しかし、そこに地域住民、観光客を入れていくべきです。幅広いステークホルダーがフェアなリターンを受ける。そういう方向に持っていくことです。
ハワイのハナウマベイでは、入場制限をし、海が自然の力で元の姿に戻る時間を与えています。人の数を制限し、その代わり入場料金は2倍になりました。
日本では、今も19年の数字を目標にしているところがあります。19年モデルではなく、アフターコロナの観光モデルへと転換することを決断してみんなが向かっていけば、10年後、20年後に振り返って、「あれがきっかけだった」と言える3年間になると思います。
写真・図版
多くの観光客らで混雑する清水寺へ向かう参道・清水坂=2023年4月29日午前11時53分、京都市東山区、筋野健太撮影
――1人当たりの消費額を増やすということですか。
少ない人数で高い金額を取ろうとすると、富裕層ターゲットということになりがちですが、そうではない方法へと世界は向かっています。
例えばニュージーランドのクイーンズタウンでは、富裕層をターゲットにしようなんて発想はしなくて、自分たちのターゲットを明確にしています。
1泊だけの客を断っているそうです。連泊すれば、ホテルの外のレストランで食べたり、お土産を買ってくれたりする。さらに、マオリ文化に敬意を払う人をターゲットにしています。
――星野リゾートでは取り組んでいますか。
西表島ホテル(沖縄県)では、今年から1泊だけの予約を取るのをやめました。
そういう方向にもっと踏み出せるよう、国内施設にも号令をかけているのですが、時間がかかることもあります。どうやったら連泊してもらえるのか、真剣に考え始めています。
――「1泊2食つき」のスタンダードを変えるということですね。
「このままではインバウンドはブームで終わる」星野リゾートの危機感:朝日新聞デジタル
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