Tumgik
27sbooknook · 5 years
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本を読む子を見かけたら
5歳娘、読んでもらうだけでなく自分で本を読むことが増えた。私の娘なので当然本に囲まれて暮らしているし、それでいて私たち親は共働きで忙しく、寝る前くらいしか読み聞かせできないことが多い。もともと文の読み書きは好きな子なので、自分で本を読むのも好きになるだろうとは思っていた。ケタケタ笑ったり、登場人物にツッコミを入れたりして、楽しそうに読んでいる。
電車の中で、病院の待合室で、大人の用事に付き合い待たされている時に、習い事に着いて始まるまでの時間に、等、家や図書館以外の場所で読むことも多い。まだ黙読ができないが、迷惑にならないよう小声で読むということもだいぶできるようになった。時々夢中になって声が大きくなり、私に注意されるけれど。
そうやって家以外の場所で読んでいると、大人に声をかけられることがある。そこが問題だ。娘は自分でその日読みたい絵本をリュックに入れ、今なら読んでいい筈だというタイミングで取り出して読んでいる。自分の読みたいものを、読みたいから読んでいるのだ。それなのに、何故か周りの大人が言うのだ。
「本を読んで偉いね」と。
これ、本当にやめて欲しい。
娘は好きなことをしているだけだ。良いことをしようとか褒められようとか何か狙いがあってしている訳でない。「本を読んだら偉い、本を読めば褒められる」という間違った学習をして欲しくない。まだ5歳の子に間違ったことを刷り込むのは本当に簡単だけど、訂正するのはそんなに簡単でない。「本が読みたい」と思って純粋に本を楽しんでる子に「本を読まなきゃ」と思わせないで欲しい。
子どもといっても色々な子がいるとは思うけど、うちの5歳は褒められたら次も褒めてもらおうと頑張ってしまう。楽しんで読んでいる子が、頑張って読むようになってしまう。楽しむことより褒められたいが為のパフォーマンスが優先になって、楽しさが消えてしまうのだ。そういう子はきっと少なくないだろう。
怪訝な顔をしている娘には「静かに本を読んで待っていて偉いね って意味だったんだと思うよ」と誤魔化した。褒めて頂けるならそういうところ、周りに迷惑をかけないようにマナーを守っていたとか、そこを褒めて頂けるととてもありがたい。褒められたらきっと次も頑張れるから。
一度、とても嬉しい言葉をかけて頂いたことがあった。その時娘は電車の中で「三つ子のこぶた」を、やはり声に出して読んでいた。三つ子の見分けがつくように、かあさんぶたが持ち物にたんぽぽとくもとふうせんの刺繍をするシーンを読んでいる時、隣に座っていた年配の女性が「ねえ、それ、なんていう本?」と訊いた。
娘「三つ子のこぶた だよ」
女性「三つ子のこぶた ね。昔うちの子にも読んであげたことがあるお話だわ。たんぽぽとくもとふうせん って聞いて思い出して、何ていう題だったっけ?と思ったの。懐かしいわね。また読みたくなっちゃった。」
娘「面白いよ。はなこがたんぽぽで、まきおがくもで、ぶんたがふうせんのマークなの。最後はクリスマスもあるよ。」
女性「教えてくれてありがとう。また読んでみるわね。」
お気に入りの本のことで声をかけて頂いて娘は嬉しそうだったし、しばらく思い出して「あのおばあちゃん、三つ子のこぶた読んだかな?」と話していた。本の楽しさを語って共有する経験、本を通して人と繋がる経験ができたことは親としてもとても嬉しいことだ。
もしも本を読む子に声をかけるなら、本の楽しみを奪わないような声かけにして欲しい。
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27sbooknook · 5 years
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まだ小さかった頃、幼稚園でこどものともとかがくのともを定期購読していた。その頃読んだ本で印象に残っている、また読みたいと思っているのに、ハードカバーが出てないものがある。タイトルがわかっているのは「こぶたのまーち」と「いいことがいっぱい」の2作品。どちらも大きくなってからは読めていない。読みたい。
「こぶたのまーち」は紙芝居で出ていることがわかっている。でも読みたいのは絵本だ。紙芝居では誰かに読んでもらわないと楽しめない。
どうにかもう一度読めないかな。どこかの図書館に残ってたりしないかな。欲を言えば娘にも読みたい。
福音館書店さん、復刻版やハードカバー化して頂けないでしょうか。
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27sbooknook · 5 years
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ライブ配信してみた
絵本講師になった筈なのに、まだ絵本講座をしていない。働いて家事や育児して、それだけで時間や体力や気力を使い切ってしまう毎日。講座のことが頭にない訳ではないけど、考えたことをメモする余裕もなく過ぎていく。
現状ではきちんと講座の準備をすることができない。今手を出すのは危険だ。ハードルが高過ぎる。でも、何もしないままでいる訳にもいかない。1年間学んだことがどんどん遠くに行ってしまう。
考えついたのは、講座のライブ配信だ。インスタライブ(インスタグラムのライブ配信機能)を使って、ミニ絵本講座をしてみてはどうか。会場の準備などがいらないし、練習になる。どんな講座をしようとしているのか知ってもらえるだろうし、練習のための無料の配信なら視聴する人にもこちらにとってもハードルが低い。フルで配信せず、小出しにすればよりハードルは下がる。無理せずにできるところまで下げられる。
という訳で、先日、「ミニ絵本講座(テスト配信)」として初めてのインスタライブを行った。簡単な告知はしたけど、日時の正確なアナウンスはできなかった。それでも20分ほどのライブ配信中に7人の方のアクセスがあった。インスタライブは配信後24時間視聴可能で、合計のアクセス数は14人だった。
絵本講師になりたてで無名のパート書店員の私がどこかの会場で「絵本講座をします」と呼びかけたとして、7人に集まってもらえるかどうかはわからない。5人だって怪しい。そう考えると、ライブ配信はやはり楽だ。
勿論アクセスしてくれた人が皆最後まで視聴してくれたかどうかはわからない。チラッと見ただけでもカウントされるのだから。そこもかえってありがたいと思う。もしかしたら7人全員がチラッと見ただけの人だったかもしれないけど、そうだとしても私は気づかない。これがもし会場を取って開講していた場合はそうはいかない。通り過ぎてしまう人や眠ってしまう人しかいなかったら、きっと心が折れる。
しかしデメリットも多く見つかった。
一番の課題は顔が見えないことだ。どんな人がどのくらいの熱量で聴いてくれているのかわからない。反応が見えない。見事な一方通行で、だんだんどこに言葉を投げていいのかわからなくなる。原稿ばかり見てしまい、伝えようという思いを持て余すような、変な居心地の悪さがあった。反応が悪くても心が折れることはないけど、リカバリーができないまま気づかず過ぎてしまうことになる。
もともと人前で話をすることは慣れているし、全く緊張しない訳ではないけど苦手というほどではない。でも、そこにいるのか、こちらを向いているのかわからない、見えない人に話をするのは本当に緊張した。慣れれば少しは違うのかもしれないけど、苦手な気がしている。
もうひとつ大きかったのは、絵本の紹介がしにくいこと。ネット上に絵本の中身を晒してしまうのは著作権保護の観点からアウトだと思うので、絵本の読み聞かせを避け、表紙を見せてタイトルや作者名を伝え、簡単なあらすじを話すだけに留めるしかなかった。結果、その絵本についてきちんと伝わらなかったと思う。絵本はやはり、絵を見て、文を聴いて、初めて伝わるものだった。
細かいところでは私が操作に不慣れなこと、自宅なので余計な音が入ってしまう可能性があること(例えば雷や緊急車両のサイレンや防災無線など)などがあった。
課題は多いけど、今の私には本格的な絵本講座をするだけの余裕がない。モチベーションの維持の為にも、何回か続けてみたいと思う。
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27sbooknook · 5 years
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平和の話をしよう
娘は5歳。戦争の話、原爆の話、いつかは具体的に話したいけど、今はまだその時でない。恐らくまだきちんと理解できない。たぶん戸惑わせるか怖がらせるか誤解させるかで終わってしまう。
でも、平和は幼児相手に語っていいと思う。平和の話をして、平和な絵本を読んで、平和を体感させて、今のうちに平和を心に染み込ませておきたい。そうして成長して戦争について理解できるくらいになった頃、その時には学校で学ぶのか、親の私と学ぶのかはわからないけど、平和が染み込んだ心で向き合って欲しいな。戦争が平和を壊してしまうことを知った時に、その壊されてしまう平和がどれだけ尊いものか、大切か、幸せかを知っていれば、どうして戦争がいけないのかすんなり理解できると思う。
平和がわからなければ戦争の恐ろしさもわかないんじゃないかな。戦争が何を奪うのか、何を壊すのかがわからないということだから。
原爆の日の今日は、平和な、優しい、楽しい、命が活き活きと描かれた絵本を読みたい。あたごの浦かな。とらのことらこかな。すばらしいみんなもいいな。
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27sbooknook · 5 years
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最近図書館で借りた児童書 「こぶたのピクルス」「ピクルスとふたごのいもうと」に娘がハマっている。
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作者は小風さちさん。
保育園の4歳児クラス(幼稚園でいうところの年中さん)に属する5歳の娘は、エルマーのぼうけんシリーズなどの低年齢向けの児童書も好むようになったけれど、まだまだメインで読むのは絵本 という年頃。その娘がどハマりし、ピクルスの話ばかりしている。
小風さちさんといえば、かつてわにわにも長いこと娘を虜にしていた。2歳3歳の頃の娘は足を引きずって歩きながら「ずり、づづ」、お風呂でシャワーヘッドに手をかけては「うりうりうりうり、おーいぇい」と、わにわにの真似ばかりしていた。
「ピクルスとふたごのいもうと」はまだ最後のお話を読んでいない。特にお説教などにならない限りは今夜寝る前に読むのだろうな。
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27sbooknook · 5 years
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あたごの浦が好きすぎて
先日娘と図書館へ行ったら、児童書コーナーのカウンターで男性と司書さんが話をしているのが耳に入った。
男性は昔話を探しているらしく、司書さんが「あたごの浦」を勧めていたのだ。
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↑これが「あたごの浦(讃岐のおはなし)」
絵本講師の勉強をしている時に出会って大好きになってしまった絵本のひとつで、でも私の拙い説明ではこの絵本の良さが今ひとつ伝わらないことが多く(もともと好みの分かれる作品なのかも知れない)、だから司書さんが「あたごの浦」と口にしたのを聞いて、わかる人がいた!と嬉しくなってしまった。
帰り際に司書さんに話しかけてしまったのは言うまでもなく。ほんの数分ですが、「いい絵本ですよね!」と盛り上がって、幸せな時間を過ごしました。司書さんに感謝。
好きな絵本をわかってくれる人と出会うと本当に満たされる。
この絵本の魅力を、きちんと伝わる、説得力のある言葉で語れるようになりたい。今のところ、語り始めるといきなり戦争の話とかに飛んでしまうので引かれ気味…
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27sbooknook · 5 years
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弟のところの次女がもうすぐ1歳になる。伯母である私からのプレゼントの絵本はこの2冊。
「くまさん」の詩は弟が小学校1年生の時の国語の教科書に載っていた。授業でくまさんの絵を描いたのだけど、やんちゃ坊主だった弟の描いたくまさんといえば、くまらしいのは輪郭だけで、目は蚊取り線香のようなぐるぐるのうずまき、鼻は人間のような鼻で、口は笑ゥせぇるすまんの喪黒福造の口 というもの。
気持ち悪いのにどこか憎めない容姿のそのくまさんを母が気に入って、ぬいぐるみを作ってしまった。弟とぬいぐるみ遊びをする時には当然そのくまさんも参加する。他のおもちゃ達と同じように私と弟の生活に馴染み、溶け込んでいった。
そんな思い出の「くまさん」の絵本。優しくて可愛らしい、ましませつこさんの絵を見ながら、弟はあのくまさんを思い出すかな。今思うと弟のくまさんも好きだった気がする。姪にと言いながら、弟へのプレゼントでもあるかも。
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27sbooknook · 5 years
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先日図書館で借りた「いばらひめ」の絵本を娘と一緒に読んだ。長いこと子どもを欲しがっていたお妃に、カニが受胎告知をする というシーンで始まる絵本で、あれっ?となった。私の記憶では、カニではなくカエルが受胎告知をする物語だった筈。
検索してみたら、カエルやカニの他にザリガニバージョンもあるらしい。ザリガニだとだいぶ趣が違ってくるような気がする。
気になったので図書館に行き、絵本コーナーにあった「いばら姫」の絵本の冒頭シーンを全て見てみた。今借りている「いばらひめ」はほるぷ出版から出ているエロール・ル・カインのもので、それ以外でカニが受胎告知をしていたのはフレーベル館から出ている世界名作えほんライブラリーの「いばらひめ」だけ。あとはどれもカエルだった。タイトルが「眠り姫」のものや児童書コーナー、大人向けの文芸書コーナーのグリム童話集なども確認したが、圧倒的にカエルが主流。
因みに、類話として知られる「眠れる森の美女」には、受胎告知そのものがなかった。
ザリガニが受胎告知をするものは1時間近く探してようやく1冊だけ見つけた。それが写真の「ベスト・セレクション 初版 グリム童話集」(白水社)。借りてきたので今夜から読むことにする。
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27sbooknook · 5 years
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始めます
絵本〜児童書のこと、子どものことなどを中心に書いていきたいと思っています
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