Tumgik
h-app--y · 7 years
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加虐被虐性愛
サディストのS = サービスのSと言うように、サディストはマゾヒストの望む侭に苦痛の快楽を与え、その満足を以て自分の快楽を得る。 SとMの関係性とは何方が優位なのか、単純に虐めたいのは苛めっ子。虐められたいのは構ってちゃん。 マゾヒズムの中の拘りを尊重するならば、結局『虐めて下さい私の思う通りに』であって絶対的な力と誘導力を持つサディストが出逢わない限り成立しない。
サディスティックな性癖を持つ者よりも優位に立ち得るのはマゾヒスティックな性癖を持つ者の方で。苛めて蔑んで嬲って満たして、その欲求は尽きず、かつ受身、であることが絶対的な要因。相性次第とはいえ大抵先に潰れるのは前者。
一頻り性的欲求とパラフィリアを孕んでいるサディズム、人は人を簡単に殺めるけれどそれは単なる暴力と殺意であってサディスティックな性癖とは異なる。ヒトなんて簡単に傷つけられる。純粋な性的サディズムに浸る人間は、事実少ないんじゃないか。
マゾヒズムは被虐への性的欲求。然し他者への意識倒錯でも起こる。悲劇の主人公に陶酔するのも正しくそれで、性的快楽に繋がる。自分が悪い、罰される事で得られる安心感に浸りたい。己を傷つける人間の瞳の中に、己を見出す、悦に浸る。自分が中心であるが故に、其処に誰かの悦は関係しない。それから傷つける側もまた、時に傷付きたがる。傷付いて悦び勇む相手の奥底に、己の被虐を隠している。それを見出されないように、ただただ、相手を満たしうるだけの力を以って相手を征服し、服従を以って己の優位性を確立。そして自分という獣を、押さえ込む。となればサドマゾヒズムとマゾヒズムの相性が良いのではないだろうか。言ってしまえば同性愛が一番合理的で、脳内麻薬を一番分泌出来る快楽に新しい生命は必要無い。ただ激情に呑まれて快楽にだけ浸って叫んで、高揚した気分の侭で空にイって、お終い。
サディズムを詠うなら常に揺らがぬ提供者で在れ。マゾヒズムを詠うのなら常に揺らがぬ受領者で在れ。本当にその性癖を心に咲かす人間は、事実自分と相手の満たし方を良く知っている。
倒錯の果ての快楽は至上最高の現実逃避。
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