Tumgik
hochagera · 1 year
Text
お知らせの発信をnoteに移行します。
さようならtumbler。 諸般の事情により今後はnoteにて劇団/前田斜めの情報を発信していきます。 ほぼ月いちメルマガも配信中。 チェックしてください🍑 https://note.com/norabou/ MAIL:[email protected]
劇団野らぼう 前田斜め
1 note · View note
hochagera · 1 year
Text
劇団野らぼうより2ガッツのお知らせ🍖
Tumblr media
さて、2月も中旬でございます。
松本のこの時期は凍れるですね。 私(斜め)は倉庫に構えた稽古場兼事務所で作業をしているのですが、そこが猛烈に寒く、去年もこの時期に大変苦しめられ来年こそは絶対に作業スペースを暖かくしようと決意を固めていたんですがその願い叶わず、節々をコリ固めながらここのところは事務作業に追われていました。来年はキット。 やっと事務作業トンネルの出口も見えてきたところ。 今月話題多めです。 本題へ移ります🍑
目次 1.成田明加出演情報 2.春公演、ロレンスの雲の目玉 3.せんがわ演劇コンクール 4.野羅母兎(のらぼう)スケバン隊発足予告 5.にゃんにゃん展@marsmoo
1.成田明加出演情報
Tumblr media
もう直前がすぎるんですが、本日(2/18(土))劇団員の成田明加出演舞台の人形劇『さんびきのこぶた』の公演が松本短期大学にて、13:30からあります。 これ、松本在住の人形劇師くすのき燕さんが企画されている公演なんですが、私どものような劇団の人間を親しく誘っていただき、そのメソッドや演出を教わるような形で成田が参加させていただいています。 人形劇師として屈指のキャリアをお持ちの方からこうして近くで接していただけること、興味深いし光栄です。 私個人も人形の操演にも人形作りにも興味がありますので、今後とも関わっていけたらという所存。 そして我々劇団野らぼうの次回作でも人形を多用する予定です。ということを、告知していましたでしょうか。 今春の作品は、人形劇なのです。
2.春公演、ロレンスの雲の目玉
Tumblr media
次回作となる『ロレンスの雲』ですが、前作に続き『ロミオとジュリエット』を下敷きにした、といいつつ大幅に改変した、独自のストーリーを編み込みながら構成する作品になっています。 なおかつ人形劇。人形と人間が織りなす滑稽で慈愛のショーとなる予定。 野外公演も劇場公演も企画しております。 そして何より目玉となるのが拠点となる松本市・あがたの森公園での公演形態。 本作は全公演オール太陽光発電によって発電された電力をモバイルバッテリーに蓄電して上演に使用するのですが、その性質上連続公演というものができません。 これは使用するバッテリーの性能にもよりますが、現状出ている機器の性能では演劇公演を1回打つくらいがせいぜいです。つまり、公演後には必ず充電しなければならない。満充電になるためにはおよそ3日間要します。 そんな特性を加味しつつ、松本公演ではなんと公演期間を1ヶ月設け、その期間中に“充電が満タンになった日にだけ公演する”という超変則型・非合理・人為皆無の天候次第公演という形式を試走しようと思っています。つまり、公演に関するノルマだとか、集客見込んだ週末公演だとか、1日2回公演とかいう俗悪な慣習に縛られず、お天道様が3日間くらい照った後にだけ公演するという、誰にも何も確約できない公演を行うのです。 これ、半分ギャグですが半分本気です。 晴耕雨読じゃないけれど、その日その時の環境に対応してこちら側の動きも変えていくというのは、再生可能とか循環を考える上ではキーになるのではないかと思います。 太陽光発電で公演するっていうのなら、この形式でやらないとマズイだろうという感覚があります。 ですので、松本公演は1ヶ月の期間がありますが、実際どの日に公演するかはわかりません。それゆえ予約も取れません。 昨日も今日も晴れているなぁ。じゃ明日公演あるかもなぁ。そんな具合です。
3.せんがわ演劇コンクール
丁度先日発表されたんですが、我々劇団野らぼう、東京は調布にて行われるせんがわ劇場演劇コンクールにおいて、最終選考まで残ることができましたので5月某日その選考上演会に参加してきます。 なかなか東京で、しかも劇場でやる機会は持ち合わせていなかったのですが、せっかくの機会ですので良い経験にしたく思っています。 関東方面にお住まいの方。もし宜しかったら劇場にお越しくださいませ。 詳細は追って出るかと思います。 またお知らせいたします。
https://www.chofu-culture-community.org/events/archives/13471
4.野羅母兎(のらぼう)スケバン隊発足予告
Tumblr media
そしてなんとこの度、劇団野らぼうを支える下部組織、“野羅母兎スケバン隊”という組織が発足するようです。 これ、劇団野らぼうファンクラブのようなもの。 劇団野らぼうは常々その財政難に悩まされながら転覆しかかった船でもなんとか持ち直し、これまでやってきました。昨年秋に四国までのツアーを組んでいたのに、この春またそこそこの規模のツアーを組んでいます。なかなかに稀有なやる気を持ち合わせている劇団だと言えます。そしてさらに、なんとこの秋念願としていたテント芝居の公演を行う予定です。 自前のテント劇場に舞台と客席を構えての公演ですね。劇団野らぼうはそもそもその目標を掲げて結成されています。それからかれこれ5年ほど過ぎました。今年は、ついに、5年越しの念願を叶えるメモリアルな年でもあるのです。 つまりそれゆえ、なお一層諸々の支えが必要になってくるかと朧げに考えています。 そんな支えとして、野羅母兎スケバン隊、隊員を募集するようです。是非ともご入隊ください。 開始は3月を予定。続報を!
5.にゃんにゃん展@marsmoo
Tumblr media Tumblr media
2023/2/22~3/22まで場所はmarsmoo(僕らの稽古場のある倉庫)にてにゃんにゃん猫グッツ展『LOOK AT MY CAT EXHIBITION』が開かれます。 Marsmooをこんな風に使ったことってあったんだろうか?なかなか面白くなりそうな企画です。 出品者は猫にまつわる思いをそれぞれのテクスチャに落とし込んで一挙に集める。 私はキムジーと共に1点出します。 何にしようか迷ったんですが、マグカップにしました。 マグカップはコーヒー飲むには大きいから元々はそんなにグッときていなかったんですが、使い始めると相棒感出てなくてはならない存在になったりする。 1ヶ月会期ありますので是非とも足をお運びくださいませ〜◯
-------
春公演の情報も3月いっぴに公開予定です。 どどんと出しますのでお待ちくださいませ○ おしまい
🍖⛰🍑
1 note · View note
hochagera · 1 year
Text
劇団野らぼうより、新年のご挨拶!
Tumblr media
賀正 新年あけましておめでとうございます。 旧年は劇団としては初の西会津や四国での県外公演、さらに県内でもいくつもの公演など、貴重な経験を様々させていただきました。 2023年、今年も我々は芝居作りに勤しんでまいります! 少しづつ、より良いものを目指して創作して参りますので今後ともよろしくお願い申し上げます。 本年は、春に新作公演、そして秋にこれまでずっと目標としていたテント劇場での公演を予定しています。 劇団での活動も振り返れば4年が経ちました。本年が5年目。 これまで、”野外”という条件の中で演劇がどのように可能か、ということを軸に数々の試みを行なってきましたが、最近はそんな活動の意味が"継続"に変わってきたように感じます。続けること。 今までの方法論をもちろん参照しつつ、そこに過去作で見つかった課題に対応すべく作品作りをしていくと、ますます創作の難しさを感じることが多く、なるほど継続の難しさはこういうところにあるのか、と思い知らされます。新しいことを生み出す以外の力も必要になり、ある意味そこに劇団としての真価が問われる。 しかし、この継続こそずっと憧れていた部分でもあります。かけた時間はそのまますぐに手に入るものではありませんから、続けたからこそ見えてくるもの、できることがあるんじゃなかろうか。そんなことを信じて、とはいえそんなに気負わずに、我々なりの答えを紡いでいけたらと思っています。 こうして日々演劇に向き合って生活をしていますと、日々のサイクルが演劇中心になってくるのはもちろんのこと、ものの考え方までそれっぽくなってしまうことが少なくありません。 そうなっている演劇人は世の中に結構います。良くも悪くもですが、大抵悪しくある病みたいなもので、演劇に何事もつなげてしまう。 集団であり、生であり、ストーリーがあったりなかったりして、オンとオフのある演劇というものが、かくも雄弁に物事を語り得てしまう(と勘違いしてしまう)のは、これが極めて原初的な人としての行為である、ということで一旦理解していいのかもしれません。演劇は猛烈に古いメディア(表現手段)です。 流行り廃りに発展に開発に周辺の環境が爆速で変化し続けている中にあって、懲りもせずにこんな行為を続けてしまっているのですから何か特有の中毒性か、あるいはもはや体内に植わっている生き物の習慣としてのなにか、根源的な行為として演劇があると疑ってしまいます。そうなると、息を吸うことすら演技なのではないかと勘ぐってしまう。 そう感じる私(斜め)もやはり、この病いにかかってしまっているのでしょう。芝居を始めて今年で10年になるようです。10年前には考えもしなかった道に立って、いや沼の中で、まだまだやりたいこと知りたいことがたくさんあるという、大変重篤な夢見心地でいます。 しかし最近同世代か少し下の世代の作劇にシンパシーを感じることが多くなったように感じます。なるほど同じ時代の空気を吸っていた、ということでしょうか。面白い集団や人、多いです。そしてますます面白くなっていくんじゃなかろうか、とも感じます。 何事も価値観の更新のタイミングであるとも感じる昨今ですね。数千年脈々と続いてきたこの演劇という行為ですが、その時代や場所でのフィット感はもちろん違うわけで、2023、我々もなにか現代の感覚や日々にあった方法としての演劇を思考し、大いこの時代の空気を吸って沼から花を咲かせてみせたいと思っています。 そんなわけで、次回予告。 次回作、タイトルや概要が決定しています! ------ 劇団野らぼう 第7回公演 新作人形劇 ロレンスの雲 公演時期 3月21日(火祝)15時 愛知県名古屋市ひまわりホール 3月下旬〜4月上旬 長野県内数カ所予定 作演出 前田斜め 出演 くずおか由衣 成田明加 深沢豊 音響/照明 哲 スタッフ キムジー 水野安実 概要 本作はウィリアム・シェイクスピア著『ロミオとジュリエット』をベースに、劇団野らぼうが独自のストーリーを編み込んで創作する作品です。 原作にはロレンス法師という神父が出てきて、様々な場面で街に暮らす人々の支えになります。そんな彼が、”2日間だけ仮死状態になれる”という謎の薬を使って、ロミオとジュリエットの若きふたりの恋の成就を手助けしようとします。 しかし結局、その薬が仇となってか、ふたりは命を落としてしまいます。 もちろんそのことを、最初からロレンス法師も望んでいたわけではないでしょうが、それといってもしもこの薬を使わずにふたりを手助けする方法があったとしたらそれはなんだったのでしょうか。 本作は、そんなロレンス法師の心境に想いを馳せながら、今自分たちにできる物語を創作します。 劇団が作る、人形劇作品。その人形と人間が織りなす表現の模索にもぜひご注目ください。 ------ なんと次回は人形劇作品。 それというのも、2020P新人賞(パペットやオブジェクトを使った舞台作品に送られる新人賞)を受賞した我々の受賞記念公演なのです。 3月21日の名古屋での公演は確定していますが、その後の長野県内での公演も予定しています。決定したらご案内いたします。 今はその稽古が始まろうとしているところ。 『事象T』に続いて古典ベースであること、そして『あの日から彼は私のことをしげると呼ぶようになった』以来の人形劇作品であること、など、いくつか再び向き合い直して作っていく要素がある本作品ではございますが、いい作品にしたいと意気込んでいます。 そしてさらに、なんと本作の創作に新たなメンバーが加入しています。 その名も深沢豊氏。かの人の存在をよく知っている人も松本市内には多いのではないのでしょうか。これまでに市内各所で演劇作品に出演経験があり、特有のキャラクターで異彩を放っていた深沢氏がなんと次回作に出演してくださることになりました。劇団として関わることは初めてですが、共に作ることを楽しみにしています。 そして次回作は、わたくし斜めと、水野安実は出演いたしません。 そもそもはわたしも出る予定ではあったんですが、なにぶん演出を兼ねての出演となりますと作品作りの不都合も多いもので、出演と演出兼任問題を先送りにはしていたんですが、次回作では深沢氏も出ていただけることとなりわたしは演出に集中させていただくこととなりました。 演出のみで創作するのは2作品目。学びながら進めていきたく、こちらもとっても楽しみにしているところです。 そして水野は春の作品では2歳の息子ちゅみのこともあって出演は見送ります。ちゅみもますます元気に育っていて家族、劇団共々嬉しい限りなんですが、夫婦で稽古だ本番だとなってくると色々と話が変わってくることもあり…ここは一旦間を開けて、また秋のテント芝居での公演は水野も出演予定でいます。 音響照明スタッフには去年に引き続き哲さん、キムジー。強力です。 そんなわけで、新生とは言いませんが緩やかに形を変えつつ陣営を整え、いざ舞台の上までいかんとする劇団野らぼうでございます。 本年は春の作品から、またお目にかかれることを嬉しく思っています。 皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。 🍖⛰🍑
0 notes
hochagera · 2 years
Text
劇団野らぼう2022秋公演先行情報
Tumblr media
8ガッツの公演情報先行公開!
お盆。 毎年この時期は秋公演のための美術作りや、稽古、人形美術作りと奔走しているのが常なので、お盆の感覚がないことには慣れているのですが、今年はなにかと予定が詰まって創作のアクセルを踏みあぐね、ちょっと予定がずれてきてしまい目下脚本執筆に追われています。頭脳労働にはそれなりの精神統一、集中力を要します。 何が悲しいって甲子園が聞けない。 いつもこの時期は熱い稽古場で甲子園を聴きながら作業するってのが乙だったんですが、本書き中にラジオを聞くわけにはいかず、歯がゆくも机に疾走の日々を送っておます。 先週で脚本締め切りだったんですが、来週まで伸ばしてもらいました。ともかく今はそこの突破する。 原案はロミオとジュリエットです。 ロミジュリ坪内逍遥訳を読みながら構想は8周くらいしました。あーしようこーしよう。しかしあーでもない、こーでもない。 目標と理想と現実と興味が入り乱れ、結果的に何がしたいんだを問い続け、今は自分にできることをやるっきゃないの心意気です。 やってみよう、そこから何か見えて来るはず。
野らぼうも結成4年目?に入っています。繰り返す創作のサイクルに、毎度描いた理想を見つめている遠景と、その一方でいつもと変わらない現実の近景みたいなものに立ち止まっています。なんだかいつもここにいるなぁと思いつつ、そこから軽やかに飛び出せるほど器用でもない。現実そんなもんだよな、と腑に落ちて、ならばこの近景と向き合ってよりよく有意義に過ごすがよいでしょう。
秋公演の公演情報、先行公開致します! 全15公演、公演数多め。松本では3箇所で公演あり〼。 投げ銭制、なのに福島&四国の県外公演あり〼。 30分の短期決戦。劇団&斜めが初めて古典に取り組む。一体どうなる!? どうぞよろしくおぎゃんたまいたします!
〜劇団野らぼう公演2022秋の陣〜 第6回公演 タイトル 『(仮)ロミオとジュリエット』 原作 / ウィリアム・シェイクスピア 翻訳 / 坪内逍遥  企画構成・演出 / 前田斜め
松本①: 9/28(水)ー10/1(土) 20時開演 場所:あがたの森公園 グラウンド
福島・西会津:星善之のひとり芝居と2本立て! 10/8(土)ー9(日) 18時開演 場所:8(土)たかはし桜公園    9(日)⻄会津国際芸術村 校庭
上田: 10/22(土) 19時開演 場所:旧上田市民会館前
松本②: 10/27(木)ー29(土) 20時開演 場所:大手門桝形跡広場
下諏訪イベント<Cosmos>出演: 11/3(木/祝) 昼ごろ 場所:四ツ角駐車場
長野・松本③: 11/18(金) 15時(むつみ高校アートフルDAY)・19時 場所:南部公園<〒399-0014 長野県松本市平田東1丁目963-3>
四国: 11/20(日)ー22(火) 四国・高知市&松山市公演予定!
上演時間:約30分 料金:投げ銭制 出演:くずおか由衣 成田明加 前田斜め 水野安実 (五十音順)
🍖⛰🍑
1 note · View note
hochagera · 2 years
Text
<号外>トヨダヒトシ 映像日記/スライドショー 松本上映会
Tumblr media
劇団野らぼうより号外です!7月は早々イベントの開催。光で写真を表現する、異色の写真家トヨダヒトシ、『映像日記/スライドショー松本上映会』が本日と明日、野外・あがたの森公園特設スクリーンにて開催されます。天気にも恵まれ最高のロケーションが整っています。
Tumblr media
------------- <<トヨダヒトシ 映像日記/スライドショー 松本上映会>> 2022年 7月 8日(金)・9日(土) 19時30分開演(19時開場) 予約:一般2,000円・学生1,500円・中高生1,000円・小学生500円・未就学児無料 (当日:一般・学生・中高生500円増) あがたの森公園 芝生の広場 ///雨天の場合///まつもと市民芸術館 オープンスタジオ |晴れれば野外、雨の場合は屋内での上映です。飲食は自由。お好きなものをお持ちください。 |8日(金)はおよそ100分、9日(土)はおよそ80分のスライドショーの上映を予定しております。 |19時30分より前田斜めのオープニングアクトが15分ほどございます。 |雨の場合の会場の変更は当日正午までに判断いたします。劇団野らぼうtwitter(@norabou_)、もしくは下記問い合わせにて最新情報をご確認ください。 |なお、雨天の場合は会場の都合上当日券の発券がございませんのでご注意ください。 ご予約: https://docs.google.com/forms/d/1TL1G1TSgLzqnJtrVJciSQ8TGfBZaRcMGmuiO4bitWD0/edit |ご予約は各本番前日までとさせていただきます。 問い合わせ: アーカイブセンターマツモト アブセント 080-6425-9861(代) [email protected] 主催: アーカイブセンターマツモト アブセント 劇団野らぼう -------------
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
先日建て込みを行いました。 自分たちにも経験したことのない大きさのスクリーンの設置。はらむ風。そして映写される写真の圧倒的なスケール。なかなかに見応えのある催しになりそうです。開催できて本当に良かった。 まだまだ間に合いますので気になっている方、是非足をお運びいただければ幸いです。映写機から溢れる光の『写真』を野外で眺める静かな時間。特別な体験になればと願っています。 飲食自由、お好きなものをお持ちになってお越しください。 長野県では初の開催です。 以下、案内です。今回の企画を劇団として、そして演劇に関わるものとして、どうして開催するのか。 その趣旨が、なかなか伝わりづらく感じたのでこんな文章にまとめました。 長いですが、お読みいただけると幸いです。 -------------------------------- <<イベントのご案内>> きたる7月の8、9日に長年構想していた作家の作品を松本市に招聘します。 これ、トヨダヒトシさんという写真家の作品なんですが、写真をスライドショー(映写機による投影)で鑑賞します。しかも野外で。 なかなか例がない稀有な作品です。 その魅力を1人でも多くの人に知ってもらいたく、案内を送らせてください。 ー写真を上映するー トヨダさんは写真を撮りながらも、その写真を本やプリントの紙媒体にはせず、投影、つまり光でのみ表現している作家です。 常に自身が会場に訪れ映写機を操作して写真を投影する。そこにまずパフォーマンスの要素があり、上演という舞台芸術に近いものを感じています。 複製技術を持った以上、写真でも映像でも音楽でもコピーして拡散して再生できる、それが最大の能力であり宿命といっていいでしょう。たとえフィルムで撮った写真や映画であってもそのフィルム自体を複製したり、デジタル化して上映するというのが主流です。 しかし、トヨダさんはそれをあえてしない。複製技術を一度(シャッターを切る瞬間)しか使用しないというところに私は不思議な魅力を感じます。 そしてそれを観る人は光の像として鑑賞します。 光ですから持つことも掴むことも、所有することもできない。そこでしか起こり得ない体験になる。 私は演劇人ですから常にこの体験のことを考えますが、写真によって体験を生み出すこの妙は他には例がないと思っています。 芝居もその人本人が現場に行かないことには始まりませんが、トヨダさんの写真も本人がいないことには成り立たない。そういったところに身体表現としての共通点があります。 ー踊りのような、映画のような、そして自分自身の記憶のようなー この作品には台詞がありません。そして音楽もありませんので無音の中、写真だけを眺める。 そこに、野外での上映の場合は街の音、遠くの声、鳥の声、夜の気配、風、匂いなどが一緒になって浮き上がります。 そして現れる写真群にはタイトルが付いていて、とあるテーマのもと組み立てられた一連の流れになっています。 今回だと、1日目の8(金)にはNAZUNA(100min)が、2日目の9(土)がspoonfulriver(80min)が上映されます。内容も尺も違います。spoonfulriverはNAZUNAの続編と位置付けられています。 これらは、ある期間に撮られた写真が基本的に時系列順に並んでおり、その流れの中にトヨダさんの表現があります。 写真を見ていると、最初はセリフもなく現れる、踊りを観ているような感覚。しかし次第にひとつひとつの写真が繋がり物語が紡がれてゆき、最終的には一本の映画を観た後のような感慨が浮かびます。 そしてきっと物語の内容は百人百様、ひとつとして同じものはないのだろうと想像します。これもこの作品の魅力のひとつです。 トヨダさんは写真を観せながら、同時に写真が消えていく瞬間を観せている、と言います。 消えていく写真。 確かに、スライドショーでは投影される写真が目の前で次、そしてまた次へと消えていきます。アナログの映写機ですのでその写真と写真の間には微妙な暗闇があり、その暗闇が自分の瞬きであるのか、それとも映写機の動作であるのかを錯覚してしまう程です。まるで瞬きをした瞬間に消えていくかのような写真は、同時に様々なものを想起させます。 それは多くの場合が自分自身の記憶。 私はこのスライドショーの中に、消えていく写真と立ち現れる幾多の記憶の交差が起こっているように感じます。 今回も、そんな記憶との遭遇を楽しみにしています。 以上がトヨダさんの紹介です。 スライドショーと聞くと無機質なイメージですが、想像力を多分に含んだ有機的な作品です。 番外編で、今回のオープニングアクトに関しても紹介させてください…! 今回の催しで、私(斜め)がオープニングアクトを務めます。 短い出し物ですが、今私が取り組んでいる、ゼロカーボン演劇というものをやろうと考えています。 ゼロカーボン、最近よく聞くワードですが、実際問題サスティナブルな社会の実現に向けて何が問題でどのような活動が待望されているのか。演劇で何かできることはあるのか。今後取り組んでいきたい内容なんですが、今回はその走り。 まずは電力から。 演劇における電力の部分を再生可能エネルギーに置き換えることは可能ですが、それでもまだなかなか容易ではないようです。 一気に全部、とはなかなかできないので小さいことから始めようと、とりあえず600Wh程(ドライヤーを約30分使用できる程度)の電力が使えるアマテラス初号機という装置を作りました。 そこには花と声、というキーワードもあります。 太陽光のエネルギーを発電だけでなく有機的な生命のエネルギーにも変換したいという想い。 環境活動も実感を伴わないことにはなかなか能動的になれない部分があります。 今回はそんな実感が得られる体験を、その場にいる方々と共有したいと考えています。 ここまでお読みいただきありがとうございます。 最後に、このイベントは飲食自由です。 気ままにお好きなものをお持ちになってご参加くださいませ。 https://docs.google.com/forms/d/1TL1G1TSgLzqnJtrVJciSQ8TGfBZaRcMGmuiO4bitWD0/edit それでは 🍖🗻🍑
1 note · View note
hochagera · 2 years
Text
6ガッツのお知らせです🍖🍖🍖
Tumblr media
劇団野らぼうより6ガッツのお知らせです! 5月まではまだ今年も始まったばかりモードですが、6月にもなると一気に夏な心地。ここらのスピードの具合にまだまだ慣れないこの頃でございます。 ちゅみくんもすくすく育っています。なかなかにコミュニケーションが取れるようになってきまして、喋る言葉も文章化して、〇〇だヨ!とか〇〇だネ!とか活用したり、修飾語も使ったり、オナラして恥ずかしそうに笑ったり、愉快です。しかし今だに朝起きて第一声は「バナナ食べる」です。「おはよう」を覚えません。「おはよう」的な意味で「バナナ食べる」と言っているのかな。しかしちゃんと食べます。今でも朝、そして夕方に必ずバナナを1本食べます。
今月のお知らせは、先月の5月号に先行でご紹介していた通り、7月のイベントの詳細!そして本日6月から開始する斜めの個人事業!そして劇団新メンバー到来? 以下目次でっしゅ!
1.トヨダヒトシ 映像日記/スライドショー 松本上映会 2.Absent 3.くずさん
1.トヨダヒトシ 映像日記/スライドショー 松本上映会
Tumblr media
------------- <<トヨダヒトシ 映像日記/スライドショー 松本上映会>> スクリーンに現れる光の群像、日々の写真群 その写真が送られるごとに光は消え、そして残るなにか 野外で、場と空気と光の明滅が織りなす記憶のスライドショー 松本にて初めての開催
開催日: 2022年 7月 8日(金)・9日(土) 19時30分開演(19時開場)
|晴れれば野外、雨の場合は屋内での上映です。飲食は自由。お好きなものをお持ちください。 |8日(金)はおよそ100分、9日(土)はおよそ80分のスライドショーの上映を予定しております。 |19時30分より前田斜めのオープニングアクトが15分ほどございます。
上映作品: 2022年 7月 8日(金) NAZUNA (2005-2022/100min/35mm slide film/silent) -ある夏のブルックリンの裏庭からはじまる1年数ヶ月の日々を綴った長編スライドショー
2022年 7月 9日(土) spoonfulriver (2007-2022/80min/35mm slide film/silent) -2005年春先のニューヨークの平凡な道からはじまる約510枚の写真からなる映像日記
料金: 予約 / 一般2,000円・学生1,500円・中高生1,000円・小学生500円・未就学児無料 (当日 / 一般・学生・中高生500円増)
開催地: あがたの森公園 芝生の広場 ---〒390-0821 長野県松本市県3丁目1-1(駐車場の利用22時まで) ///雨天の場合///まつもと市民芸術館 オープンスタジオ ---〒390-0815 長野県松本市深志1丁目10-1
|会場の変更は当日正午までに判断いたします。劇団野らぼうtwitter(@norabou_)、もしくは下記問い合わせにて最新情報をご確認ください。 |なお、雨天の場合は会場の都合上当日券の発券がございませんのでご注意ください。
予約: https://docs.google.com/forms/d/1TL1G1TSgLzqnJtrVJciSQ8TGfBZaRcMGmuiO4bitWD0/edit |ご予約は各本番前日までとさせていただきます。
問い合わせ: アーカイブセンターマツモト アブセント 080-6425-9861(代) [email protected] -------------
音楽も、台詞もなく写真だけを眺めるこの作品は、特別な心地にさせてくれます。 映写機の音もまた吉。飲食自由ですのでどうぞお好きなものを片手にお越しください。 7月ですが梅雨の合間か抜けた頃、晴れてあがたの森公園で開催できればと思っています。 ご予約制になります。 今回から予約フォームを導入してみました。ご都合つく方、ご予約お待ちしております。
※上映日前日の7日(木)にあがたの森公演にてスクリーンの建て込み作業を行います。真夏の炎天下が予想されますが、この建て込み作業を手伝ってくださるという方、募集中です。 公園に高さおよそ6m横幅およそ8mのスクリーンを設置します。 (仕事や学校の活動には辟易だ!)たまには体動��したい!という方、是非ご都合つけてご参加ください。大体午前9時ごろから夕方までに作業しているかと思います。
Tumblr media
2.Absent
Tumblr media
この2ヶ月間、次なる自分(斜め)のエネルギーの注ぎ口を模索しておりました。 何か有効な体制が築ければ自分のこれまでやってきたこととやっていくことを繋げていけるのではないか。 その私なりの答えがでました。それが、”アーカイブ”であります。 アーカイブ、というと、何か情報や知識やものを集積して保存しておくことですが、重要なのはその活用にあるはず。むしろ活用が大事。 日々、私たちの生活も、誰かの創作の元に成り立っているわけで、長い長い時間をかけて形成されていったものの上に今が成り立っている。そしてそれらを自分なりに活用して新たな創作を生み出しているというのが普段行われていることでしょう。 それらはつまり、(無意識に)誰かがアーカイブしてそれを活用できるようになっていると言える。 逆に、アーカイブがうまくいってなかったり、閲覧できてもうまく使用するための工夫がなかったり煩雑になってしまっていてはその創造は途絶えてしまう。 そういった場面のお手伝いがしたいと考えました。 アーカイブにはさまざまな手段があるかと思います。映像、写真、文章、デジタルアーカイブも然りですが、口承、踊り、そして芝居も然りです。あと雰囲気、匂いも大事。 何か残す、というのはもちろんのこと、その創作を今後に活かすための手立てになれればと存じます。 (無意な)新しいものは作りたくない、ということもありますが、逆に、アーカイブできるようなもの、残してもいいと思えるものを作っているか、という自戒でもある。急速に動く何かよりじんわり効いてくる何かを作る現場のお手伝いができればと思っています。
アブセントと名付けました。 ドキュメンタリーベースの映像制作等、承ります! その他イベントやWSも企画予定。体験も重視。 その活動と並行して芝居作りも行ってまいります。 うまくいったらこの名義でNPO法人化したい!? 今年はその器量が試される。どうぞよろしくおぎゃんたまいたします!
Tumblr media
|アーカイブセンターマツモト アブセント |[email protected] |080-6425-9861
3.くずさん 最近、野らぼうに新たな参加者が現れています。 くずさん、高知県出身の女性です! まつもと市民芸術館の演劇工場に参加するため松本に移住してこられた方ですが、今は期間限定”次回作まで”の期限付きで野らぼうの活動に参加してくださっています。 演劇に関しては鳥取の劇団に長く所属しておられたこともありいろいろと豊富。声もよく出る威勢のいい方。 そもそも私どものメンバーは役者3人+ちゅみ1人の心許ない体勢ですし、なにせ役者が出てしまっては照明・音響のオペレーションスタッフも欠けてしまうという脆弱っぷり。そのため、今回は技術スタッフとしての参加者を募っていたわけですが、くずさんは役者としての芝居経験もおあり。 そんな訳で役者が増えつつ🙌、オペレーションスタッフは引き続き自分たちでなんとかしていこう✊という所存です。 しかし3人と4人では全然違う。創れるものに広がりが見られます。 秋公演、どんな形にしようか考え中。 また来月には情報お出しできるかと思います。 どうぞこちらもお楽しみに、よろしくおぎゃんたまいたします!
|写真はトヨダヒトシスライドショースクリーンイメージの図
Tumblr media
おしまい 🍖🗻🍑🐿
0 notes
hochagera · 2 years
Text
劇団野らぼうより(ギリギリ)5月のお知らせ!
Tumblr media
5月も終盤のところ恐れ入ります! わたくしどもの活動もわたし個人(斜め)の活動も、色々と組み上がってきたところではありますが、5月、まだ公開できない状態にいます。 とはいえ先行でご紹介。 野らぼうの劇作進捗といたしましては、なんと1ヶ月遅れでやっと新作に扱う原作が決定したところで、今現在全員で理解を深めています。 今回のことで著作権に関する大変な勉強になりました。著作権法も自動車の免許制度改変よろしくたちまち煩雑なことになっているんですね。この業界にいながら無知でした。 4月に最初に選んでいた作品は、三島由紀夫著『班女』でした。この作品は能がベースになっているため大変由緒ある作品です。そのため自分たちで読み込んで改題していくのも大変有意義な時間でした。しかし…残念なことに三島作品の劇作において、その原作の翻案(書き換え、独自の解釈)は一切認められていないのです。既に亡くなっている著者との間に入るのは著作物を管理しているエージェント、そして遺族となります。そうなってくると三島遺族の一枚岩は我ら如きの荒野の残党、弱輩者にはとてもじゃないけれど交渉してどうこうなるレベルではないのです。何度か当たってみましたが、何の感触も得られなかったのでおそらく時間と体力の徒労に終わると考え泣く泣く諦めました…三島作品ができようになるのは2039年。その頃には向後万端引き立ってよろしくお頼もうしまする。 そんな訳で気を取り直して1ヶ月遅れで創作進んでおります!🍖🍖🍖 そんで別件ですが、7月上旬にイベントを企画しています。 写真をスライドショーとしてスクリーンに映し出す、”上映”というパフォーマンスの形態で発表し続けていらっしゃる写真家、トヨダヒトシ氏を松本に招聘します。 この人、写真家でありながらその写真を、紙の媒体、プリントや本などにはせず、あくまで映写機の光の表現として映し出すことにこだわって作品を作っていらっしゃいます。そうすることで、写真は掴み取ることができないものになり、また、複数の写真で構成されるため時間軸を持った作品となり、その写真群でなければ表現できない唯一無二の作品になっています。 わたくしは学生時代に札幌で初めてトヨダ氏の作品を観ました。 街中のビルの屋上で、その空間の非日常と、暮れなずむ空の感じと街の音、遠くの鳥の声などまぜこぜになって、そこで光る写真群から沸き立つイメージに大変な感慨を覚えたのを今でも思い出します。 そんな経験から早くも10年たったのでしょうか。その後も何度かトヨダ氏の作品を拝見してはいたんですが、この度、満を持して松本へ招聘する運びとなりました。 場所はあがたの森公園。ちと梅雨とかぶるのが心配なんですが、最高の舞台が整えられようとしています。 6月頭に詳細出します。 みなさん是非是非チェックしてお越しくださいませ。 ------------------ もうちょっと踏み込んだ宣伝 トヨダヒトシ氏は写真家でありながら、その作品の肝は写真であることに加え、時間であったり光であったりするところにあるかと思います。 通常なら、写真を撮ったらその写真をデジタルで処理するか、もしくはそのまま現像するかで紙、もしくは画面上で接することになる。 しかし、その写真のアウトプットを少し変えてやることで、たちまちその素材は別のメッセージを発し始めるのです。わたしはこういった伝え方に着目したアート作品に注目しています。 トヨダ氏はそれをフィルムカメラとアナログの映写機で行っています。 一枚一枚手動で繰り出されては次の写真へと送られる、その写真の流れと写真と写真の間のわずかな闇、微妙なバランスで調整される映写機の光の焦点と映写機の小気味良い音。これらに、見る人は如何とも言い難い体験をします。 音楽もなく、言葉もない、街の空気とその場に漂う時間にただ接する豊かな時間にどうぞお越しくださいませ。 ------------------ トヨダヒトシ氏のインタビュー記事を転載させていただきます。(出典:広島市現代美術館) https://hiroshima-moca-museum.note.jp/n/n18253d3e6f40 🍖! 6月からはわたくしの個人事業家業もスタートさせていく予定です。 いやーこの2ヶ月間、色々なことを考えたくさんの方にお会いしました。 今度もその線で活動を継続していく予定です。 まだまだずっと勉強中。 どうぞよろしくおぎゃんたまいたします。 また6月頭に連絡いたします。 では 🍖🗻🍑🐿
0 notes
hochagera · 2 years
Text
劇場は可能かレポート インタビュイー:橋本祐介さん
劇場は可能かインタビューシリーズより、2022.2.15に行われた橋本裕介さんのインタビューをレポートします。
橋本さんはこれまで、演劇作品の企画・制作の立場から現場に携わり、KTOTO EXPERIMENT京都国際舞台芸術祭のプログラムディレクター、舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)の理事長などを歴任され、現在はロームシアター京都でプログラムディレクターとして勤務されている方です。そして2021年から現在は海外研修制度を使ってニューヨークに滞在中。その立場から、欧米諸国と日本の文化芸術産業の違い、また、京都と他の都市の違いなどを、具体的な問題点とその解決策を橋本さんの実感のこもったお話として聞くことができました。
様々な事業の断片を伺うにあたり、小さな取り組みでは今横たわっている一枚岩の閉塞感を取り除くことはできない。けれども、志を共にする集団で知恵を絞って戦略的に対処していくことができれば、地域ごとの理想的なあり方に漕ぎ着けるのかもしれない。そんな気持ちが湧きました。
やるべきは積み重ね。制度すら変えうる社会的コンセンサスを獲得することが、文化芸術に関わる人間として求められるアクションだと思いました。
以下、インタビューの内容をまとめます。
インタビュイー:橋本裕介
1976年、福岡県生まれ。京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始、2003年に橋本制作事務所を設立後、京都芸術センター事業「演劇計画」など、現代演劇、コンテンポラリーダンスの企画・制作を手がける。2010年よりKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭を企画、2019年までプログラムディレクターを務める。2013年2月から2019年3月まで舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。2014年1月よりロームシアター京都勤務、プログラムディレクター。2021年4月から文化庁新進芸術家海外研修制度でニューヨークに滞在中。
------------------------- 劇場は可能か シーズン0
インタビュー録画8本+イベント2回  全て込み1万円(学生5000円) 各イベント・動画単独2500円(学生1500円) 企画司会:岸井大輔 横山義志
優れた活動をしている多くの劇場が存続の危機に晒されている中、今日も新しい劇場が開く。 しかしそもそも日本で劇場をやるというのはどういうことか?コロナが続きオリンピック終了したこのタイミングで考え直してみたい。 まずは、インタビュー8本と2回の対話の場。
●インタビューイー(各2時間程度・録画次第都度共有) 石神夏希 木ノ下裕一 佐藤信 白神ももこ 長島確 橋本裕介 横堀ふみ 吉本有輝子 (敬称略)
https://docs.google.com/document/d/1c0AcRmH1GKlbLfu5W_DnwICJCSMz3Rdob11YtkCslbs/edit?fbclid=IwAR131hPTEWIpHwOF0LIbRpLPrIOUkPUwgPMNG6hGJG2fwJ_fuzlfKyYwL74 -------------------------
司会進行:岸井大輔・横山義志 文責:前田斜め
○場所として、劇場 まず、橋本さんは現在ロームシアター京都に勤務する劇場職員でもあります。流れでいつの間にかそのポジションに就いたとのことでしたが、現実問題として劇場にはどのような制約があるのか、というところから今回の”劇場は可能か”は始まります。
橋本さんのような劇場に勤務している人間に対して”劇場は可能か”と問うのですから、如何せんややこしくもありますが、しかし、劇場というものに対して抱いている危機感のようなものは立場は違えど同じなよう。この企画の発起人である岸井さんは劇場は不可能で不要だ、という意味でこの問いを立てられたわけではありません。皆一様に劇場という場所に一旦魅せられてはいる。しかしそれ故に、このまま今の状態で残っていいの?これを維持するにはどうしたらいいの?もっと魅力的に運営できないの?などを問うておられるわけです。もう一人の本企画発起人の横山さんにしてもSPAC(静岡県舞台芸術センター)職員であります。ではどうして違った立場の人物が一様に劇場というものに対して違和感を覚えているのでしょうか。このシリーズで重ねて問うていくことですが、橋本さんが語る根本的な、というか本質的な(?)問題が、簡単なようで根深く蔓延っているようです。
それが、”身軽ではいられなくなる”ということ。
これまでプログラムディレクターという立場として、様々なアートイベントや公演の立ち上げを行ってこられた橋本さんにとって、国内外のシーンのリサーチや交流は欠かせない仕事の一部だったわけですが、物理的に劇場という場所に勤務することによって場所の制約が生まれ、誰かが劇場を開けておかなければいけないとか、劇場を離れるわけにはいかない重要な任務が時々行われるためにそこにいなければいけなくなったといいます。その制約の中でも現在でもリサーチ活動に各地に赴いているといいますが、それもまた専門性をもった仕事である故に誰かに委任することができない。となるとまた、劇場職員内部での勤務条件の不平等が生じ、軋轢を生むことになっているようです。
このことを岸井さんは、企業でも営業と開発の課の違いで起こりがちなセクショナリズム(縦割りタコツボ化)の問題であると解きます。その感覚、すごくわかります。個人の範疇を超えた集団、企業といった場合に基本的に机上で構想する人と現場に出て動く人は別の人間であることがほとんどです(でなければ現場は回らないし危険です。)。そんな時に絶対におこるのが理想と現実のギャップ。構想通りに予算内で期日までに終わらせたい営業側と、そんなこと言っていられない現実的な条件と対峙する現場側。だいたいの場合お互いがお互いの文句を言い合っていることがほとんどです(私個人観)。そんな問題が、劇場という組織の中でも起こりうるようです。
そんななか、橋本さんは劇場の設置根拠にみられる問題を指摘します。
日本における公共劇場は現在、2012年より劇場法が定められたにもかかわらずその設置根拠を、地方自治法に基づいた”劇場=公(おおやけ)の施設”と定めているのだそう。つまり、市民一般に公平に場所を提供しますよ、ということ。
その言葉のレトリックに問題があるといい、つまり、現状の定義では”演劇表現において何をどのように見せるか”、ということが劇場設置の主体になっておらず、表現とは異なるところにその存在意義があるということです。それによってどのようなことが起きるか。それは、「芸術監督の仕事や影響力も、建物の一部でしかない」ということを意味すると橋本さんはいいます。
この意味を理解するにはやや実感が必要かと思います。
公の施設として運営される、図書館、美術館、学校、公民館、公園など、他の施設からもわかるように、そこは身分や性別によらず、平等に与えられた公共施設であるということは理解できます。そして劇場もその公共施設の一部として、劇場法によって規定されている。それも一旦わかったような気がします。しかし、実際のところを考えてみてどうなんでしょう。劇場という場所が図書館と同じように公共財として誰もが出入り可能な場所として開かれた施設になっているのか。そう実感する人は少ないでしょう。美術館にしてもそうですが、まず、劇場という場所はフリーで入ることはできない。さらに、劇場内の大ホールや中ホールとなると、いくら好き好んでいるとしても頻繁に通うにはおよそ公共性があるとはいえない値段設定がなされていたりするのです。
それはつまり、値段設定がおかしいということでもありますが、遡って劇場のあり方から考えるとするならば、その設置根拠が”演劇表現をどう見せるのか”、ということを主体に考えられていないことから生じている問題なのです。
”皆に平等な公共施設”として劇場を定義するならば、芸術監督の仕事もその公共財としての役割しか果たせない。しかし例えば、横山さんが勤めるSPACではその定義を”舞台芸術の振興のため”とあらかじめ条例で定めたため、独自の方針で活動ができているのだそうです。
橋本さんは”劇場”というものの定義を”劇場と学校の間”と解き、こう提言しました。
劇場とは人を育て、記憶を留めて、新しい創造の源となる場所。
これは、物理的な意味での劇場というハードを飛び出し、その一方で常設する建築物としてその場所に歴史を染み込ませていく、そして表現の出発点として創造的に機能する、そんな場を思い描いていると語るのが印象的でした。
橋本さんが職員として勤務するロームシアターは、小中大のホールと、それから中庭として利用可能な野外スペース(私も2021年に借用し公演をさせていただきました。)を技術的なスペックとして保有しており、バリエーションに富んだプログラムが可能で、橋本さんとしてはこれまで現代演劇を中心に関わってこられた身として、伝統芸能に関する知見を得られたことは貴重だったそうです。実験的活動を続けていく中でも、その伝統芸能の中で取り組まれている実験的な部分に触れていくことは価値のあることで、そのようなことが記憶として場所に刻まれてゆく。そんな点からも、やはり演劇上演のための専門施設として劇場の維持は希望であるといえるでしょう。
では、セクショナリズムな問題が根源的にあるとした場合、いったいどのような解決策が考えられるのでしょうか。
その問いに対して橋本さんは、文化芸術団体の職員の自主独立性の獲得を挙げられました。
文化芸術団体とはここでいう劇場も含まれるでしょう。
アメリカと比較して、日本の場合は使い道の決まっていないお金が多くあると橋本さんは言います。例えばそのお金の使い道として、アメリカの形態に習って寄付の制度を活用できるように自治体や国へ働きかける。過去に実際に風営法の改正につながったロビイング活動があったように、制度の改正を促すのも業界団体の仕事だと橋本さんはおっしゃいます。
職員の自主独立性とは、つまり、芸術監督や既存の規定などによって自分たちの活動を限定的に留めておくのではなく、自らの価値を基準に主体的に考え動く、場合によっては条例を定めたり世論を変えながら動いていく。それこそ芸術というものに関わる以上求められる仕事なのではないかという提案です。確かに、自らの問題は自らの手で変えていく以外に解決はあり得ないということを、今更ながら気付かされました。
もうひとつ印象的な発言がここで飛び出します。
「芸術文化団体は複数のリソースを獲得する必要がある。」
これはつまり、劇場にしても劇団やNPOにしても、その財源を複数の出どころから確保しておく必要がある、ということです。裏を返せば、圧倒的に助成金頼みだったりする運営には現状打開の観点からも、職員の自主独立性の獲得の観点からも問題があるということ。財源においてどこかでバランスが動いても流動的に対応可能な状態でなければ現状は動かない、ましてや主体的になれないという意味でしょう。なお、ここでのリソースのひとつに自治体、つまり”公共”も含んでいるところが肝でしょう。公に平等であることを定義する”公共”をあくまでもリソースの一部として、それと同等に自主施設の運営やアーツカウンシル、企業の協賛、個人の寄付、などが扱われるということに、公共性の理解の新たな一面を垣間見た感覚がありました。
文化芸術団体としての”劇場”は公共であることだけに依拠せず、公共の一部であり、その一方で公共の定義に入り込めない新たなリソースを主体的に発掘していく必要がある。
そんな意識をお持ちなのだと理解しました。
○個ではなく層で動く
話を聞いていく中で、印象的だったのが京都芸術センターのお話でした。
京都芸術センター[ https://www.kac.or.jp/ ]
京都芸術センターとは京都市の中心部に位置する廃校で、124年の歴史を持ち1993年に閉校したそうです。かつては小学校として親しまれたこの場所が、取り壊されることなく京都芸術センターとして開設されたのが2000年とのことなので、およそ7年間、はっきりと使い道を定められることなく岐路に立たされていたことが想像されます。一般的に公共財である学校校舎を、たとえ廃校であったとしてもあるひとつの組織が独占して運用するということには高いハードルがあります。
その立ち上げ自体に橋本さんが関わっていたわけではないそうですが、この場所に関わる人や京都におけるイノベーションが起こり得る地域特有の気風というものに影響を受けてきたそうです。
この京都芸術センターの発足の話で重要だったのが、個ではなく層として動くということ。行政の意見では、ひとりひとりの意見をいちいち聞いているようではキリがない。組織として意見をまとめて、例えば”京都の演劇界はこうなんだ”というように層として扱えるようにしなければ現状は動かせないとのことでした。ですので京都芸術センター開館にあたってもNPO法人京都舞台芸術家協会という組織が発足しているようです。
橋本さんは上記のことからも、今後実験的な舞台芸術作品を作っていくためには”分厚い中間支援組織の層”を構築していく必要があると語ります。
この意見には現在橋本さんがアメリカ、ニューヨークにてファウンディングとアートの関わりを研究されていることが大きく影響を与えているようです。
アメリカには自治体や国などによる補助金の運用よりも個人の寄付が大きくアートシーンを支えていて、それはそもそもの建国の理念から日本とは違っているからだそうです。
アメリカは個人主義、個人の自由の獲得が建国の元となっており、その土壌によって成り立つ個人の寄付も、個人の信頼関係の上に成り立っていると言います。
プロジェクトやイベントごとに寄付を募って資金を調達するのではなく、ほぼ日常的に寄付の財源が確保されている。それは個人ひとりひとりが文化芸術に投資したということがある種のステータスとなっており、またそこに、組織ではなく個人の芸術に対する同意がありそれが社会全体に浸透している。逆を返せば個人的信頼関係に依存するこの関係性により、高額寄付者に縛られる(開拓できない)問題も生じているようですが、少なくとも個人が寄付の形で文化芸術に関わることが社会的コンセンサスになっていると言えるでしょう。このコンセンサスの獲得こそが日本に求められることで、それこそがセクショナリズムの問題を解決しうる、そしてそれを担えるのが、日本の場合は”分厚い中間支援組織”ということになるようです。
橋本さん曰く、日本のように文化助成金がひとりの個人という形態に何百万、何千万と支払われる国は稀だと言います。しかし日本の場合はその支援した自治体や財団が作品の内容にも口出ししてコントロールしたがる問題があるとのこと。ここが欧米諸国とは違うところのようで、往々にして日本の助成金支援には膨大な計画書と報告書が付きまとい、作品の芸術的価値よりも報告書の明確な書き方や上手な言い回しの方に重点が置かれています。
そのため、アーティストは実験的な試みを行うことが難しく、一番やりたいこと(結果があらかじめ予想できないこと)はバレない程度にやるしかないという問題が起こっています。
これは支援する側(自治体や財団)とアーティストの信頼関係が成り立っていない、という問題、つまり文化芸術シーン全体が社会的コンセンサスを獲得していない、という問題に繋がります。
その問題を埋めるのが中間支援組織、ということになるのでしょう。
日本では個人に支給されることの多い助成金ですが、その助成金を地域に根ざした文化芸術に関する活動を包括するNPOなどの中間支援組織がいれば一旦お金をそこに集め、そこからアーティストに分配する、もしくはプロジェクトに分配するという構図も生まれてくることになります。
アメリカの個人主義に変わる日本式の信頼関係を獲得できれば文化芸術活動のあり方も変わるのではないかと考えさせられた話でした。
そもそも現状の形式に固執し文化庁の予算に頼りきり、考えることをやめ実験的な取り組みも起こせない舞台芸術業界に問題意識を抱える橋本さん。「ショック療法として文化庁の予算を無しにして、助成金自体無くしてみれば。」とまで語る姿は、ニューヨークでの洗礼を浴びながら新たな知見を見つめようと研鑽する強い主体性を感じます。
インタビューの冒頭「この世界(舞台芸術業界)に足を踏み入れてしまった」と、仰っていましたがインタビューの最後には「社会に不安を抱くような感覚があるのなら、少ない可能性に賭けて競争の中でしがみつこうとするよりは、開き直って自分で何か始めても結果的に(リスクは?)あまり変わらないのでは」と言って笑っているのが印象的で、一筋縄には行かない活動の混沌と、それでいてそれを引き受ける覚悟に学ぶべきものがあると強く考えさせられました。
0 notes
hochagera · 2 years
Text
劇場は可能かレポート インタビュイー:長島確さん
劇場は可能かインタビューシリーズより、2022.2.25に行われた長島確さんのインタビューをレポートいたします。
長島さんの活動は、サミュエル・ベケットの研究から始まり(もともと演劇や戯曲には触れていなかったそう)、上演台本の翻訳、そしてドラマトゥルクとしての活動から徐々に演劇活動に関わるようになったそうです。現在は東京芸術祭副総合ディレクター(〜2020までフェスティバル/トーキョーのディレクター)を務められ、劇場での仕事のかたわら劇場を飛び出して街で展開するプロジェクトにも多数参画しておられるその視座は、ひとえに人、ひいては技術への関心から、テクニークを用いた人の集いに可能性を感じておられるようです。作品が作られるバックヤードへの興味から、劇場という専門空間での上演において、どこからどこまでを作品として収納させられるのか、その裾野を広げることはできるのかを問います。
裾野を広げること、それは、見る側と作る側の関係性を考えることであり、ギリシャ悲劇から遡ると時代により変容したその関係性の変化を知ることになります。時代は変われど生き残ってきた舞台表現としての”演劇”というものの魅力は、時を重ねた人間の営みとして、ここで言う”技術”の集積とも言えるでしょう。
閉ざされた場所・ゼロベースから、技術を集積させる実験場としての”劇場”。そして作品ごとに偏りを持ち、その偏りを集めた集合体を包括する機能としての”劇場”。そこに真価があると長島さんは語ります。単に技術の研鑽としてのテクニークではなく、個を認め、地域性を生み出し、条件にうまく反応するための知恵として、プロアマの垣根を越えた劇場にはまだまだポテンシャルが潜んでいることに気付かされました。
以下、インタビューの内容をまとめていきます。
インタビュイー:長島確 ドラマトゥルク。1969年東京生まれ。大学院在学中、サミュエル・ベケットの後期散文作品を研究・翻訳する傍ら、字幕オペレーター、上演台本の翻訳者として演劇に関わる。その後、日本におけるドラマトゥルクの草分けとして、さまざまな演出家や振付家の作品に参加。近年は劇場のノウハウを外へ持ち出すことに興味を持ち、アートプロジェクトにも積極的に関わる。東京藝術大学特任教授。中野成樹+フランケンズのメンバー。2018〜20年フェスティバル/トーキョーディレクター。2021年より東京芸術祭副総合ディレクター。
------------------------- 劇場は可能か シーズン0
インタビュー録画8本+イベント2回  全て込み1万円(学生5000円) 各イベント・動画単独2500円(学生1500円) 企画司会:岸井大輔 横山義志 優れた活動をしている多くの劇場が存続の危機に晒されている中、今日も新しい劇場が開く。 しかしそもそも日本で劇場をやるというのはどういうことか?コロナが続きオリンピック終了したこのタイミングで考え直してみたい。 まずは、インタビュー8本と2回の対話の場。
●インタビューイー(各2時間程度・録画次第都度共有) 石神夏希 木ノ下裕一 佐藤信 白神ももこ 長島確 橋本裕介 横堀ふみ 吉本有輝子 (敬称略)
https://docs.google.com/document/d/1c0AcRmH1GKlbLfu5W_DnwICJCSMz3Rdob11YtkCslbs/edit?fbclid=IwAR131hPTEWIpHwOF0LIbRpLPrIOUkPUwgPMNG6hGJG2fwJ_fuzlfKyYwL74 -------------------------
司会進行:岸井大輔・横山義志 文責:前田斜め
○演劇のバックヤード 長島さんは例えて、映画のディスク2に入っているメイキング動画を見ることが大変好きだと語ります。 この気持ち、私はよく分かります。しかし以前、そのメイキングを見せられるのが好まないと言う人もいたので、きっと意見は分かれるところでしょう。個人的に私は好きです。そもそも演劇や映画、テレビ番組でもなんでも、それが一体どんなふうに作られているのかを知ることはいつでも好奇心をくすぐられます。そこには普段見られない役者のプライベートな姿が写っていたり、セットの構造が組まれているのが垣間見えたり、そこに凝らした知恵の数々があるのだと想像するだけで楽しくなったりします。 長島さんも同じで、劇場にいる職人の技に最大限魅せられた人物なのだそうで、当時ベケット研究に没頭していた長島さんが、劇場と関わるようになった時にそのバックヤードの面白さにのめり込んでいったと言います。
そして、その興味は近年では劇場の外に飛び出し、生活に直結した営みとして働く職人さんたちに向いていると言います。(何を隠そう私もその魅力から職人の近くで仕事をしてきました。)劇場にいる人間の閉ざされた取り組みは、下手をしたらそうやって生活に根ざした営みに負けてしまうと思慮します。 その思いは、劇場という空間の持つ密室性、そして、上演という形態による限定性に依拠するものと推察されます。上演という機能により、上演している部分しか観客の目に触れない。つまり、プロセスが見えないということ。
プロセスに関する問題意識のようなものが、この劇場は可能かのシリーズを通して複数の方から提示されているように感じます。 ここでもその話が挙げられました。それは、演劇を作っていく過程や上演における技術の開示がなされにくい、という内容でした。 しかし、ある意味では提示されていることもあるといいます。それは、演劇(や舞台芸術)というものが絶対的にその身体と場所の可処分時間でしか動けないことから起こるある種の制約です。
演劇を見る場合、観客はそこで行われていることがまず間違いなくフィクションであり演技、見られる��めに演じられているのだということは前提として意識されているはずです。そしてその動きは当たり前ですが全てリアルタイムで行われていることですからそれ故に制約が生まれる。下手にはけたら上手からすぐに出られないとか、衣装を変えるには一定の時間が必要とか、声を一旦温存するために別の展開が必要、など。演劇を見に来る人たちは作品をみると同時にこの制約の部分を見て、尚且つ楽しんでいるところもあり、つまりそれがある種の演劇のプロセスの開示なのだと言います。 これは、演劇や舞台作品をどれくらい好んで見ているかによって違い、つまり、コアなファンになるとより一層味わい深くなってくる部分かと思いますが、広くこの身体と時間の関係を開示できる作品を作れるかどうかが、上演型の芸術における、もしくは劇場における、プロセスの開示の課題として浮かび上がってきます。
○境界からの解放 しかしここで持ち上がってくるのが”劇場”としての本質的な機能は、疑いようもなくそれは雑音を除去することであり、「ある種のノイズキャンセリングとして劇場は存在する」と横山さんからも指摘されます。そしてそれは、劇場というものがプロセスの開示をそもそも拒否している、ということでもあります。 環境そのものをゼロから立ち上げる劇場の機能として、そこには様々なノイズキャンセリング機能があるでしょう。それこそが劇場の技術の根幹といっても言い過ぎではありません。それ故に、プロセスを見せることに強い徒労感が生まれるということも言えるでしょう。境界を創ることに長けた劇場に、偶然外の世界が見られるという機能を持ち合わせることはできないのか。この、プロセスを開くという課題は、境界線からの解放という意味を持っていることを感じます。
劇場の起源を遡れば、演劇は貴族王侯の採算度外視した非合理であるが故に生まれた魅力であるといいます。 それは、圧倒的な力の誇示でもあり、覇権を示す機能として政治に演劇が利用されてきたという歴史もあります。もちろん時代は移り変わり、現在においてはその創作活動のホストは、絶対王政による貴族からパトロン、資本主義、国家、自治体、そして個人にまで広がってきたと言えるでしょう。 それではこの先、舞台芸術のあり方はいったいどのように展開されるのか。
長島さんはその点に関しては答えの明示を避けつつも、現代において、”憧れの連鎖”が止まっているように感じるということをおっしゃいました。 憧れの連鎖、それは岸井さんによりミメーシスの連鎖と言い換えられます。
○ミメーシス/模倣・再現・描写 ミメーシスとは調べると、ギリシャ語で『真似る』、つまり『模倣』という言葉が出てきます。 憧れの連鎖とはつまり、模倣(「こうなりたい!」とか「これを目指そう!」)することにより達成されることへの憧れ、と言えるでしょう。これまでこのミメーシスへの憧れを原動力に大衆が動いていたということは確かに言えるようです。しかし、現代において、個人にまで達したある種の権威からの解放が、逆に問題として模倣する希望を失った状態にあるとも言うのです。(これは確かに実感としても感じるところはあります。)
長島さんは「人はミメーシスに喜ぶ」と言います。わかりやすくいうところの食品サンプルやモノマネ、似顔絵など。それは社会を投影する演劇にも言えることですが、本物ならば見たくないけれど模倣なら面白がって見れてしまうという感覚。そんな経験は誰しもあることと思います。
しかし、大きな意味でのその模倣への憧れを現代では失っているのではないか。だとすれば小さな営みにおける憧れにこそ、個人の喜びや希望が隠されていると思えてなりません。 またここで語られたミメーシスの話で、模倣というところから対照的なものとして挙げられた”習熟”との関係性が印象的でした。 演劇を作りたいわけだが上手い役者と作りたいわけではない。こう断言するにはやや語弊がありますが(もちろん技術としての演技力を否定する訳ではありません。)、ただ、これは演劇だけでなく創作活動全般において言えることだと思いますが、一般的に創作を繰り返すことによってその習熟さにある種のつまらなさを感じてしまうということはよく起こり得るのです。”段取りになる”という感覚でしょうか。もちろんそこに新たな展開を仕込むことが腕の試されるところでもあるので向上心を失ってはいけない訳ですが。 しかしここで岸井さんの言われた”寄席の手立て”の話が印象的でした。寄席、つまり落語などの会ですが、あれは岸井さん曰く技術交換会になっているというのです。それは一体どういうことか。 寄席では若手からベテランまで、ずらっと並べられてお客はそれを(だいたい若手から)順番に鑑賞する訳ですが、寄席とは往々にして”技術を見せる”ということに背反して”下手なところを見せる”性格があるというのです。正確に言うと”習熟していないところを見せる習熟”。 これにはなるほどと膝を打つ思いでした。たしかに、寄席ではだんだん上手くなってくる若手や、やっぱり上手い大御所の噺家をみる訳ですが、それは別に技術を見せつけるための発表になっておらず、むしろ何気なしにやってのけることにこそ美徳があるように感じます。それが、”習熟していないように見せる習熟”であると理解しました。
アートの良さとは習熟していない、つまり価値が基準化されていないところにあるのではないか。また、習熟を高めれば権威的なものに飲み込まれてしまうのではないか。など、習熟との距離の取り方、キッチュものを作るところにむしろ技量が問われているのだと展開する話に納得させられました。
ミメーシスの活用もそういったところにあるのではないでしょうか。つまり、習熟して本物に近づかないためにも工夫の余地が限りなく残されている、ということ。 長島さんは”創ること”を体現することに底知れぬ喜びを見出し、また、その”創る”という行為があくまでも本物と結びつくことなく、ミメーシス・模倣として工夫や技術の交換が続いていくことに期待をされているようでした。
「アーティストは創る面白さを独占しなくてもいいのではないか」と、長島さんは言います。 創作の喜びに公共性を持つ。誰でも参加可能な状態にする。そこで、もちろん上手・下手が発生するだろうが、下手でも工夫の余地や参加の余地、やってみる喜びはきっとある。そしてそこで初めて、創作活動を専門でやっている人に対して(ある種の習熟に対して)権威ではなく、ピュアなリスペクトが生まれるのではないか。そんな交流や、技術交換の場の受け皿のひとつとして、”劇場”という専用施設はあり得るのではないだろうか、というのが長島さんの意見でした。
長島さんの言葉には、ミメーシス・模倣への憧れを起点に、技術の集積場として街と専門家(個人と個人)を繋ぐ”劇場”の新たな展開が垣間見えたようで、そこに小さな憧れの連鎖が生まれるように感じました。
0 notes
hochagera · 2 years
Text
劇場は可能かレポート インタビュイー:横堀ふみさん
劇場は可能かレポート
劇場は可能かインタビューシリーズより、2022.3.14に行われた横堀ふみさんのお話をレポート致します。 横堀さんは神戸・新長田において主にダンスシーンで活動を行っているNPO法人DANCEBOXのプログラムディレクターであり、当法人は劇場、ArtThaeterdB神戸を拠点として運営しておられます。 個人的に、DANCEBOXの活動は友人が参加していたりして存じ上げてはおりました。新長田の劇場にも伺ったことがあり知ってはいたのですが、あくまでもその劇場運営を基本に様々な活動をしておられるんだろうな、というのがこのインタビューを伺うまで私が抱いていた印象です。 それが、今回の話を聞いて一気に瓦解されました。 頭の中で抱いていたイメージを大きく覆し、劇場という箱をひらりと飛び出し広く広がる活動のフィールド。感服いたしました。お話を聞いていて気持ちが良かったです。
DANCEBOXは劇場を作っているんじゃない。ダンスを作っているわけでもない。それはまさしく新長田のダンス事情を作っておられるのだ。
インタビューをお聞きした感想を以下にまとめます。
インタビュイー:横堀ふみ NPO法人DANCEBOXプログラム・ディレクター。神戸・新長田在住。劇場ArtTheaterdB神戸を拠点に、滞在制作を経て上演する流れを確立し、ダンスを中心としたプログラム展開を行う。同時に、アジアの様々な地域をルーツにもつ多文化が混在する新長田にて、独自のアジア展開を志向する。ベトナム人の夫をもち、一児の母でもある。 [ DANCEBOX HP: https://dancebox.studio.site/ ]
------------------------- 劇場は可能か シーズン0
インタビュー録画8本+イベント2回  全て込み1万円(学生5000円) 各イベント・動画単独2500円(学生1500円) 企画司会:岸井大輔 横山義志
優れた活動をしている多くの劇場が存続の危機に晒されている中、今日も新しい劇場が開く。 しかしそもそも日本で劇場をやるというのはどういうことか?コロナが続きオリンピック終了したこのタイミングで考え直してみたい。 まずは、インタビュー8本と2回の対話の場。
●インタビューイー(各2時間程度・録画次第都度共有) 石神夏希 木ノ下裕一 佐藤信 白神ももこ 長島確 橋本裕介 横堀ふみ 吉本有輝子 (敬称略)
https://docs.google.com/document/d/1c0AcRmH1GKlbLfu5W_DnwICJCSMz3Rdob11YtkCslbs/edit?fbclid=IwAR131hPTEWIpHwOF0LIbRpLPrIOUkPUwgPMNG6hGJG2fwJ_fuzlfKyYwL74 -------------------------
司会進行:岸井大輔・横山義志 ゲストインタビュアー:和田ながら 文責:前田斜め
○DANCEBOXは新長田のダンス事情を作っている
上の定義は今回私がインタビュー動画を拝見して勝手に打ち出した題目ですが、恐れ多くもおそらく的を得ない言葉ではないように思っています。”ダンス事情を作る”、それだけでも私のような弱小の作家として創作し、自分の作品中心に物事をみてきた人間にとって、尊い活動です。そうだ、こんな目線が必要だったんだ。と、横堀さんの話を聞きながら何度も膝を打つ思いでした。 事実として、横堀さんはインタビューの冒頭でも「私は絶対に踊らない!」と断言されている通り、踊り手(創作者・表現者)ではなく、あくまでも自分は作家と社会を繋ぐ担い手である、という態度から、必然的に環境を作る目線の活動になっていったのかと思います。それが結果として”ダンスを作る”のではなく”ダンス事情を作る”ことになっていったのと想像します。(これは個人的に、以前アウトサイダーアートを手がける事業所へ訪問した際に、作品を作る作家と、それを商品化したりよりよく展示したりして収益化、社会貢献化する職員さんとの関係性から学んだ仕組みを思い出します。つまり作家脳と、それを広めたり運用したり実装したりする脳は別々なんだ!それを自分の中でも切り分けて動いていかなければいけない…!ということ。しかし意識していたはずなのにやはり自分はそうできていなかったのだという事をひしひしと痛感いたしました。)
”ダンス事情を作る”とはどういう事か。ダンス、事情?、雰囲気?概念…?でもこれって意外と重要で、意識されるとされないでは大きな違いがあるように思います。ややもすれば作品を作るよりも大切なのでは?と思ってしまうほどに。 ”ダンス事情を作る”とは、その街(新長田)に根ざしたダンスにまつわる活動を吸い上げると共に顕在化させる、そして尚且つ、そこに新たなアクセントを加えて活性化させていく事だと考えました。その結果、DANCEBOXが地域の役割の一部を担って、街にダンスの雰囲気が漂っていく。妙な言い回しですが、そんなことが起きているように思います。
○新長田のダンス事情、というフィールドワーク NPO法人DANCEBOX(以下DB)は2009年に神戸・新長田へ移転し劇場であるArtTheaterdB神戸を立ち上げ、この地での活動を開始されたそうです。(ここに至るまでかなりの紆余曲折があったそう…。)組織としては1996年に結成、2002年にNPO法人化されたとのことですので、その活動は新長田以前から続いており、むしろ新参者として新長田の街にやってきた、というように窺えます。その時の街の雰囲気や自分たちの立ち位置などがどのようなものだったのかは想像することしかできませんが、その土地に受け入れてもらうのは簡単な事ではなかったように想像されます。 そのような状態でDBが行った事というのがまず面白く、それがまさしく新長田のダンス事情(ダンス・身体表現にまつわる活動)をつぶさにリサーチしアポイントを取り、実際に稽古場に会いにいく、というものだったそうです。(戦うわけではないので道場破りではありませんが、しかし飛び込んでいく感じが似たような雰囲気を感じさせます。) この姿勢、大変見習うべき部分があると自戒を込めて思いました。
ある場所で何かしらの活動を始めるにあたって、その地域に根ざした視野を持って動く。「新長田で踊る人に会いに行く」をテーマに実際に街に出てフィールドワークを広げていくことで、その街の自分たちの地図を作っていく、という活動を横堀さんたちは新長田に移って最初の年から、しかも5年計画で始めたというから驚きです。実際始めたら思っていたよりも多くの踊っている人達がいた、とのこと。ダンスという括りで、取りこぼすことなくその地域のポテンシャルを活かしていく活動はDBの団体の精神と肉体が同期した健康的な態度であり、同時にその姿勢こそが現在までの活動を通底して支える土台になっているように思います。
実際にその時訪れた場所は様々で、市民グループから婦人会、日本舞踊会、また神戸奄美会館という奄美からの集団移住したコミュニティが継承している舞踊の場であったり(!。私は奄美で幼少期を過ごしました。神戸で奄美とは…!)。自分たちから行動をうつさないことにはなかなか出会えない、しかし、目を向ければこんなにも豊な活動の数々が地域に眠っているのだ、というの知ることは希望でしかありません。DBはそんな活動を続けながら同時に自分たちの自己紹介を行い、お互いに知り・知られることで活動の基盤を作っていき、そこから幹を伸ばしていったようです。
○マフィア・留学・レジデンス なかなかにキャッチーなワードが並びますがDBの活動の一部であり、幹となる部分であるかと思います。 ひとつひとつピックアップしていきます。
・新長田アートマフィア(https://shinnagataartmafia.wixsite.com/geitose/artmafia) 藝賭せ(げいとせ)。いかついです。(DB全般に仁義を纏った道の精神を感じます…。)ビジュアルもなかなかのものですがその実���は大変ハートウォーミングなものでした。
DBの活動の基盤が、何にしても自己表現の実現でもなければ自劇場の運営、維持でもない。それよりももっと本質的に必要に駆られた思いを行動に移している印象を受けます。 このアートマフィアの活動は、”アーティストに創作の場を与える”というもの。まさに、という感じがあります。舞台制作者にとってその活動に付随する現実的問題は”劇場問題”というものもありますが、”稽古場問題”というものも大きくあります。作る場所がない。 往々にしてその稽古場は活動する地区の公民館のような場所になるのが都市でも地方でも同じかと思いますが、その中での活動は制約が多く、物の移動や人の移動、それから場に蓄積させていくことの出来ない不便など、様々な困難が生じています。 作品が生まれる母胎が稽古場なのだとしたら、私は稽古場をかなり重要視します。
そんな活動の場を確保することはアーティストにとってなかなかに大変なことなわけですが、この新長田アートマフィアでは街に点在する様々な場(店舗や事務所など)の稼働していない時間にその場所をお借りしてアーティストがクリエイション活動を行うというもの。その場所を募ってマッチングさせて実際に運用していく、これがアートマフィアの活動なわけです。さらに基本的に使用料は無料。その代わりその場所に芸で還元してゆく、芸を肥して芸で返せ、それが藝賭せ(げいとせ)ということのようです。
・国内ダンス留学 これも胸熱コンテンツです。私の友人もこの事業に留学生として参加していたため経過公演を拝見させてもらったことがありました。 国内ダンス留学とは、ArtThaeterdB神戸を拠点に約半年間の留学(日本各地から新長田に短期移住)して講師陣のレクチャーを受けながらアーティストとしての資質を高めていく、というもの。内容も豊富だし価格もそんなに高くないと思いますので、今まさにダンサー、身体表現者としての活動のきっかけを探している、という方にはうってつけの企画に思われます。
ここで重要なのがDBが作り出す、”留学”の雰囲気でしょう。ダンスを学ぶ、というのが言わずもがなこの企画の第一の目的であるかと思いますが、それに加えて約半年、ダンスを中心にとある街で”ダンサーとして”生活する。ダンサーがダンサーとして生活を送ることが何よりも重要な糧になるでのはないでしょうか。
・アーティストインレジデンス レジデンス事業と言われると全国的にもそう珍しい事でもないのかと思いますが、実際に関わるとなるとなかなかに腰が引けてしまいます。 しかし横堀さんが語るにはこの事業に関しては難しいことは何もないとのこと。 アーティストを選定して招聘さえしてしまえばあとは自分たちでリサーチしてアウトプットしてくれる?(困ったのはひとりで寝られないダンサーがいた時くらいとのことでした…) DBでは主にアジアからのダンサーが多く訪問しているようです。
しかし国内ダンス留学においてもこのレジデンス事業においても、DBが築いてきた土台なしには成り立たないわけで、新長田という街がレジデンスとしてアーティストを受け入れる。その雰囲気がある。ここにDBのこれまでの活動が活かされ、他の場所では味わえない新長田であることが特徴となる留学体験となっているようです。
○ダンサーがどう生きていくのか、の実験 まさに地域に根ざしそこから幹を伸ばした活動の数々は、時間をかけてその場所の空気をはらんで循環を生み出し、そしてまた、その場所に吹く風を受け止めるまさに樹木のような活動を描いているように思います。もちろんまだ続くわけですからこれからの活動が楽しみですが、今ひとつの形を成しているように話を聞いていて想像しました。 その活動の数々に通底して貫かれていること、それは横堀さんが当たり前のこととして仰った”やりたいことしかしない”精神、そしてやりたいこととは、”ダンサーがダンサーとして生きていくための、実験の数々”なのだと理解しました。 正解はわからない。でも試してみる。試すことで現状が動き、楽しみが生まれている。
冷静に考えて、そうか、ダンサーもダンサーとして生きていくのは確かに大変だろうし、それは役者、絵描、作家のみならず様々なアーティスト誰も彼もに言えることで、やはりダンサーも当たり前にそうなんだ、と気づきました。 その問題を解消するには何が問題になっているのか。問題はひとつではなかったり、複雑だったり、大きかったりする。でもそのひとつひとつに対処するように、もしくはアーティストひとりひとりに対処していくように実験を試走することができれば、もしかしたら物事はゆっくり動いていくのかもしれない。そんな展望を感じさせられました。
横堀さんのインタビューで印象的だった言葉はいくつかあります。 「舞台上でダンスの良さが全て立ち現れるわけではない。むしろ出会う場が重要。」「他者がここにいることがおかしくない、他者が来ることが許される場所を作りたい。」「アートマフィアに関しては民間のアーツカウンシルとして機能したい。」「買取公演ではお客さんは来ない。地域の人との接点を増やす、もしくは地域の文脈を作品に取り込む必要である。」そして、「仕事として、もっと楽に運営することは可能だったかもしれない。しかし、仕事としていい場所を作れるとは思えない。」など。
特に”仕事として”の部分。 アートという淡い、物事を既定しない価値を残していきながら、圧倒的な量とスピードの外の世界と繋がっていく。これは容易ではないことです。さらに、アートであることだけを頼りに、思いだけを胸に乗り越えていく、というのも難しくなっている時代であると感じます。 どちらかを求めるとどちらかが崩れる。表現が死ぬか、もしくは組織として維持できなくなるか。DBはこのバランスを保ちながら、実行してゆく行動力とハンドリング、”ダンサーをダンサーとして”見つめる眼差しが横堀さんを始めとしたメンバーに備わっていたのかもしれません。 しかし、実際はそれが備わっていた、などというと大変烏滸がましく、おそらくその視線を強く保ち続けることが、DBのいわゆる”仕事”ではない活動だったのではないでしょうか。
あくまでも器、もしくは制度として、自分たちは時に劇場で時に街中でアーティストを受け入れていくと語る横堀さん。しかしその一方で、それだけでは物足りなく、むしろアーティストから新たな視点を求めるアクションがやってくるのを待っている、と気丈に語るその姿が頼もしく、またそれを楽しんでおられるようで印象的でした。
1 note · View note
hochagera · 2 years
Text
劇団野らぼう 4月のお知らッせ!
Tumblr media
3月のお知らせをすっ飛ばしてしましました…(2月にせっかくこの配信再開したというのに情けない…)年度末でなかなかに忙しいですね。事務作業に追われていました…
しかし本日より4月!新年度、新学期、新ステージ、新領域! 新たな幕開けとともに越冬終えてこれより邁進してまいりましょ〜🍖🍖
劇団野らぼうより4月のお知ら、せ!
・秋公演は原作もの ・<成田明加>劇王出演!2022.5.4@新潟! ・便利屋サンシャインは廃業いたしました ・映像業を開始します ・芝居
・秋公演は原作もの 前回のお知らせで、可能なら3月中にWSを開催したいという展望があるにはあったんですが…呆気なく霧散してしまいました。その代わり秋公演に向けてのクリエイションを開始しています。 秋の公演では個人的にも劇団史的にも初めての”原作もの”に挑戦します。一般的に演劇ってこれまでに創られた戯曲というものが大量に出回っておりますからそこから演じることが多いのですが、私としては演劇的知識に乏しいということもあり基本的に自作の本でこれまでやってきておりました。しかし!既存の台本の上演を忌避している訳ではありません。というか是非やってみたかった。そんな創作に今回チャレンジできることになったのでごいます。原作をそのまま活かすもよし、自分たちなりに解釈して創作するのもよし。今現在はディスカッションを重ねつつ、徐々にその解剖に手をつけているといったところです。その作業が既に面白い。 原作や公演情報についてはまた追って情報公開いたします🙌 とりあえず公演は9月と10月の予定!
・<成田明加>劇���出演!2022.5.4@新潟! 秋公演までは稽古期間なのですが、劇団員それぞれバラバラにクリエイションもあり、そのひとつ、劇団野らぼう役者成田明加が、宮城県にて活動する演劇企画集団LondonPANDAの作品に出演いたします!5月、新潟県にて。 少数の座組で20分以内の作品を上演し、その時の最優秀賞を決める企画『劇王』ですが、これまで愛知や四国、九州にて行われていたのは存じ上げておりましたが、今回は新潟大会であります。しかし出演は東京京都石川など様々。なかなかに濃厚なエントリーとなっておりますのでGWちょうど新潟へ、という方いらっしゃいましたら是非目撃くださいせ〜🚗🍖💨
Tumblr media Tumblr media
・便利屋サンシャインは廃業いたしました 私(斜め)が松本に移り住んで以来、芝居と生活の両立をモットーに営んでいた便利屋業ですが、この度2022年3月を持ってその看板を下ろさせていただきました。ご愛好賜りました方々、本当にありがとうございました。正味5年弱でしょうか、営業を続けて来ることができました。元々抱いていた目標である二足の草鞋スタイルは概ね成功したのではないかと思っています。作品も作り続けられたし、子どもを含めて生活も賄えた訳ですし。ですので、ある意味ではこのスタイルは完成形であり、表現活動と仕事をともにコントロール可能な状態で両立させるのだとしたら便利屋おすすめです!と言えなくもありません。しかし、わたしは近年その両立が難しくなっていました。 肉体的にもそうですが特に精神的に、というか脳内の思考棲み分け的に、創作活動と仕事とが切り分けられなくなってきて、体は動いているんだけど頭は全く別の方向で働いている、ということが頻発するようになってきていました。それでは危険ですし何しろ仕事に対して失礼です。 私は便利屋と称しつつ最近では主に電気工事、特に電気通信関係の仕事を請負の請負でずっとやらせてもらっておりましたので、基本的に外仕事。さらには高所に登って重かったり細かかったりする作業をそこそこの危険に身を晒して従事しておりました。そこにある職人仕事や野外での適応力、めちゃくちゃきついですけれど雨風そして雪が降り頻る中での高所作業なんかに自分の持っていないものとして憧れている部分がありました。そんな仕事を軸として続けることができていれば、そこそこ持続可能なバランスで今後も活動することができていたと思います。 しかし、去年の12月にこのスタイルを止めることを決心いたしました。やはり脳内のスイッチを一緒にしたい。できれば創作活動で、無理でもせめて似たような草鞋で仕事がしたい、の思いです。 今バランスを変えることはなかなかにリスキーですし不安な部分も多々あります。しかし、創作と生活にまつわる部分をできるだけ近いところで、そして思考的にも同じベクトルで取り組めるとしたらそんなに喜ばしいことはありません!今後はそんなスタイルを目指して画策していく所存でございます。 とりあえずやってみます。ああそんな春。 みなさまどうぞ、今後にご注目してやってください!
・映像業を開始します で、その代わりにですが、私映像業に携わっていこうと思っています。 こんなところで宣言するにはあまりに未熟で恐縮です。しかし、最初は皆初心者。知ってもらわないことには広がらない。 で���から宣言です。この4月はあくまでも移行期間として準備を進め、4月中には個人の映像屋として動ける状態にしていこうと思っています。 それに至るにはいくつかの理由がありますが、大きなところは”残す”というところでしょうか。カメラによって、映像によって、本当の意味で残すことはできるのだろうか。という向き合うべき点はあります。しかし、それでも一抹の希望を胸に、映像が残ることで残すことのできる何かがあるのではないか、そんな気持ちがはたらいています。これは、今まで関わってきた仕事に対するカウンターでもあります。これ以上何か物事を”進める”ということよりも、残すしたり、保存したり、記録する、維持するための手立てとなる、そんな仕事がしていきたいと思っています。それは映像だけの役割ではないと思いますが、映像というメディアにはもともと興味がありました。 大学時代には映像をかじっており、編集ができたり撮影について考えたり、それから構成や企画を考えることは芝居を作るときに最も主体的にやっている部分でもあるので、今後はその経験を生かしつつ、スキルを磨いていこうと決意する次第でございます。 もちろん”残す”以外のところでも、広めたり伝達したりする手段としてドキュメンタリー的手法で動いていけたらと思っています。 こんな突拍子もない決断を笑ってください。
そしてなにかお役に立てそうなことがございましたら是非ご連絡くださいませ。斜めTel:080-6425-9861 今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
・芝居 演劇は”残す”という活動とは真逆に位置する行為でもあります。現れた瞬間に消えていく。それ故に演劇の面白さに魅了されている、ということも大いにある訳ですが、最近は演劇のことを学べば学ぶほどその面白さにのめり込んでいます。こちらの演劇方面の活動に関しても、今後は劇団のみならず創作の機会を増やしていければと考えています。
最近こんなインタビューシリーズが行われており、そこに私もインターンとして混ぜてもらっっています。インターンと言いつつ完全リモートですのでそんなにお手伝いできることもないのですが。
------------------------- 劇場は可能か シーズン0
インタビュー録画8本+イベント2回  全て込み1万円(学生5000円) 各イベント・動画単独2500円(学生1500円) 企画司会:岸井大輔 横山義志
優れた活動をしている多くの劇場が存続の危機に晒されている中、今日も新しい劇場が開く。 しかしそもそも日本で劇場をやるというのはどういうことか?コロナが続きオリンピック終了したこのタイミングで考え直してみたい。 まずは、インタビュー8本と2回の対話の場。
●インタビューイー(各2時間程度・録画次第都度共有) 石神夏希(劇作家) 木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎) 佐藤信(演出家) 白神ももこ(振付家/演出家/ダンサー) 長島確(ドラマトゥルク) 橋本裕介(企画制作/プログラムディレクター) 横堀ふみ(DANCEBOXプログラムディレクター) 吉本有輝子(舞台照明デザイナー) (敬称略)
https://docs.google.com/document/d/1c0AcRmH1GKlbLfu5W_DnwICJCSMz3Rdob11YtkCslbs/edit?fbclid=IwAR131hPTEWIpHwOF0LIbRpLPrIOUkPUwgPMNG6hGJG2fwJ_fuzlfKyYwL74 -------------------------
このインタビューシリーズ、演劇関係者にはもちろんですが、そうでなくても集団の営みに興味や関心がある方にはイチ推しのコンテンツであります。ご自身に近しい立場の方やご関心のある方の回だけでも聴講してみることをお勧めします。 多彩なゲストとそこで繰り広げられる思慮深い話の数々に毎回力をもらっています。 このシリーズの基調講演に関してレポートを執筆いたしましたのでよろしければご高覧ください。
”劇場は可能か シーズン0”基調講演レポート https://hochagera.tumblr.com/post/679650928042868736/%E5%8A%87%E5%A0%B4%E3%81%AF%E5%8F%AF%E8%83%BD%E3%81%8B-%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B30%E5%9F%BA%E8%AA%BF%E8%AC%9B%E6%BC%94%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88
そんな訳で、芝居にもますます邁進しつつ、地味にハラハラしている岐路としての春、この4月! のるかそるかどーなるかだが分からないけど嗅覚信じていきましょー頑張ります!
おしまい 🍖🗻🍑🐿
1 note · View note
hochagera · 2 years
Text
”劇場は可能か シーズン0”基調講演レポート
2022年1月より、"劇場は可能か"と題したインタビューシリーズ(8本のインタビューと2回の対談)が、劇作家の岸井大輔氏と劇場勤務兼演劇研究者の横山義志氏によって始まっています。
わたくしはそのインターンとして関わらせていただけることになったので、ここにそのレポートを寄稿します。
毎回、ボリュームに富んだインタビューの内容は、全回通しでも各回単独でも視聴可能。 アートプロジェクト企画者やプログラムディレクター、劇作家、ダンサー、照明家の方々に聞く今回のお話。 是非、ご自身のテーマや関心に近い方だけでも聞いてみることをお勧めします。 以下詳細です。
------------------------- 劇場は可能か シーズン0
インタビュー録画8本+イベント2回  全て込み1万円(学生5000円) 各イベント・動画単独2500円(学生1500円) 企画司会:岸井大輔 横山義志
優れた活動をしている多くの劇場が存続の危機に晒されている中、今日も新しい劇場が開く。 しかしそもそも日本で劇場をやるというのはどういうことか?コロナが続きオリンピック終了したこのタイミングで考え直してみたい。 まずは、インタビュー8本と2回の対話の場。
●インタビューイー(各2時間程度・録画次第都度共有) 石神夏希 木ノ下裕一 佐藤信 白神ももこ 長島確 橋本裕介 横堀ふみ 吉本有輝子 (敬称略)
https://docs.google.com/document/d/1c0AcRmH1GKlbLfu5W_DnwICJCSMz3Rdob11YtkCslbs/edit?fbclid=IwAR131hPTEWIpHwOF0LIbRpLPrIOUkPUwgPMNG6hGJG2fwJ_fuzlfKyYwL74 -------------------------
劇場は可能か 基調講演(2022年1月11日・1月28日)レポート 司会進行:岸井大輔・横山義志 ゲストインタビュアー:和田ながら 文責:前田斜め
◯自分にとって劇場とは
私は元々テント芝居を行う劇団に所属していたので、そのツアーに参加する形で様々な場所にテント(劇場)を設営していました。そして、旅人である私たちが訪問先であるその場所に”自分たちの場所”としてテントを設置し、言葉として「いらっしゃいませ」と言いながら観客を誘導し公演を行う。このことがなんとも不思議であり、しかし実際この土地(公有地や私有地)を借りたのは劇団側とその土地の協力者なのだからそれはそれでいいのかと思ったりして、旅人でありながらその土地の観客を迎え入れるというその違和感をむしろ強みと考えて旅を続けていました。 そして私は今、長野県松本市に移住して主に野外での演劇活動を続けています。 移住、つまり定住した場合においても場所性への問いは大きな興味のひとつです。
移住したのち、私はまず野外劇というスタイルでの活動から始めました。照明もなければ音響もない。舞台を示す境界線も客席もありません。しかし技術や空間としての機能がないということが問題なのではなく、むしろあるのは場所(路上)と私の身体のみ。そこから全方位に向かって広がる世界を観客として、点から始まる演劇を思考した、ということになるかと思います。演劇のあり方としては今でもこの点から始まる思考がしっくりきています。
場所や時間が示す普遍的な制約や価値というのはこの世界の上に間違いなくあるかと思います。この場所でなくてはならない、とか、この時間の方が望ましい、など。それらは人間の知覚や習慣によってモラルとして、また歴史的価値や宗教的理由のタブーとして意味づけられているかと思います。そのことが意義深いと同時に不思議でなりません。どうしてこの場所でこの行為を行ってはいけないのか。どうしてこの場所に女性が入ってはいけないのか。地平線上にある場所全てをフラットに眺めて、場所や時間を平等に扱えないか。その考えから点として始まる演劇を思考していた、と言えます。 どこまでもフラットに場所を扱うことは実質的には大変難しいことです。やはりどうしても、そこで事を起こす以上、その意味が付随してきます。そしてその意味はその場所特有の価値を生むので、”場所性に関わる”か、もしくは”関わらず硬質で変わらないでいる”かを天秤にかけながら、これまで駅前や公園や飲食店や個人宅にて演劇を試行してきました。(その考察自体は終わったわけではありませんが。)
そして、私事ですがそんな活動も徐々に大きくなり、劇団を構え、ついに、ささやかですがテントとしての構造体を自前で組めるようになりました。これはまさしくこれまでの活動の主旨をひっくり返す出来事であります。”点の内側に空間を有する”(つまり劇場となる)ということです。
劇場内部は言うまでもなく演劇専門の空間です。作品ごとにその題材にとって好ましい空間を組むことができるでしょう。まさにゼロベースから作品を組み立てていくことが可能になるわけで、往々にして演劇はその環境で創作されるため、劇場があることは驚くことではありません。しかし、私たちの劇団にとってそれは当たり前のことではないわけです。自分たちの作品のゼロベースたり得る空間を有するということは、それ自体が強烈な意味を持ちます。つまり、点ではなく空間としての場所性を自ら生み出すわけですから、それはやはり今までやってきたこととは違うわけで、意識の変革が必要だと考えました。そしてそれは、かつて抱いていた違和感、自分たちがいかにして「いらっしゃいませ」と言えるかどうか、ということに繋がっています。 私(劇団)にとって劇場とは、作品を包括する、しかしそれ自身が意味を生み出すものだということです。
◯集まるための場所、劇場
舞台芸術とは”特に”集まることを重要視し、また、”特に”集まることに喜びを感じている表現手段であると感じます。 それは原始以来変わらないスタイルで、観る/観られるという関係を貫き、身体や言葉を介したドラマの創作を未だに続けている表現手段で、時代の潮流やテクノロジーの発展にめげずに残り続けている手段としては、他のジャンルと比べてもやはり稀有な存在であると言えます。 これは基調講演の中で、横山氏によるボウモル&ボウエンのコスト病(効率化する社会とそれに背反する舞台業界の話)として紹介されました。 確かに芸術の世界において合理的に計らうものをあまり良しとしない傾向があると思いますが、極めて持ち運びしづらく、また、場と時間を共有した集団でしかありえない演劇(舞台芸術)はそのコスト病の最たる患者かもしれません。しかし、演劇人は往々にしてそのことに盲目的になりがちです。当たり前のように演劇を作り、当たり前のように演劇を行い、当たり前のように劇場を使用して疑わない。それが実はとてつもなく尊く、また、一般的にみて、とても理解に苦しまれる行為だということに気がつかずに。 それゆえに今回の”劇場は可能か”という問いが立てられたのかもしれません。 今回のインタビューシリーズでは以下のことをインタビュイーに投げかけてゆきます。
「劇場は可能か」4つの質問 1)劇場を経済的に成り立たせることは可能か? 2)「公共劇場」は可能か? 3)常設屋内劇場は舞台芸術にとって必要か? 4)非西洋モデルの「劇場」は可能か?
集まる必要がある表現手段が、集まるための場所として設けたのが”劇場”であったはずです。では、その劇場に今どのような問題があり、維持するにはどのような手立てが必要なのかを8人へのインタビューから解きほぐしていくことになります。
◯”劇場は可能か”は、応用できる
私の創作活動は、野外劇から劇団、そして劇場というように推移してきました。点から広がって、点の状態は維持しつつも徐々にその内側に空間を有し作品や観客を含めた集団の営みへと変化していった、というイメージです。ですから、演劇を作ることは同時に、集まることの意味を考え、集団のあり方を考えることに自然と繋がります。 作る段階においても、観せる段階においても集団で行う必要がある。それゆえ作品を作る行為は集団を作る行為であって、公演を成功させることは集団の営みを成功させることでもあります。作品の良し悪しが、集団のあり方の良し悪しに左右されることもある、と思えるほどです。 作品を作ることは専ら専門的な活動です。ですからそこにはある程度の知識や美学が必要でしょう。しかし、”集団を考える”とはどうか。集まることのノウハウは、集団で生きていく以上、広く汎用性のある技術に思えてならないのです。
主催者のひとりの岸井氏は今回のプロジェクトをシーズン0とし、2022年の舞台芸術に関わる方々の意識のアーカイブを主たる目的としています。そしてそれは、今度も続くであろう集団の営みとして”劇場”の意味をアップデートして捉え直す、という狙いがあると言います。 人が集まる最善な場所として”劇場”というものがあったのではなかったか。それを今捉え直すとすれば一体どのような転換点を迎えているのか。"劇場"を捉え直すことは、過去の価値観が通じなくなった"集まるための場所"を捉え直すことに繋がります。そしてそれは、集団で生きていく術として、舞台芸術に関わりのない人にこそ聞いてみてもらいたいインタビューシリーズだと感じるのです。
演劇を作る行為はなかなかに大変です。私も演劇を始めて多くのことを学んだ気がしています。 自分を曝け出し、他と共有し、他を認めつつひとつの集団を形成していく。それは面倒で不本意なことの方が多いと私は言えます。 しかし、それでも続けるのはその集団としての営みに価値を見出しているからで、なお、複数の人間の集まりの煩わしさなど慣れてしまえばそのまま反転して集団の面白さに変わると今回登場する方々を中心に皆気がついているからではないでしょうか。 その営みに価値があります。 そしてその積み重ねを行う今回のインタビューシリーズは聞いて活かす、様々な応用が期待できるように思います。
2 notes · View notes
hochagera · 2 years
Text
劇団野らぼう月イチ配信の再開の2020,2月号!🍖
Tumblr media
長い間、言葉を失っていました。
というと言葉をもともと持っていたかのようですが、もともと持っている言葉は少ないです。書くことに才があるわけでもないので失っていたというには烏滸がましい。ただ単に暇がなかったのかもしれません。それは言い訳ですが、それよりも、思いつく言葉とそれを書き留めようとするうちに移ろう気持ちの変化に自分がついていけてなかっただけなのかもしれません。何度も文章を書こうとしましたがその瞬間を言葉にして収めるには思考と努力が足りませんでした。
発言する機会や思いを書き留めて残しておくこと、ましてやそれを拡散する機会は貴重です。こうして月イチでも発信できる機会があること、幸せに思わなくてはなりません。その機会を逃してしまったことが悔しいです。これまでの数ヶ月にも様々な発見と学びがありました。今後はそのかけらを逃さないように言葉にして溜め込んでいきたいです。
というわけで、月イチ配信、再開します! 2022の2月。 本号はこれまでのこととこれからのことをザッと。 それからちゅみ(息子)の成長日誌。すくすく育ってもう時期2歳になろうとしています(3月が誕生日)。言葉を覚え感情を覚えいたずらも覚えて毎日が上機嫌。助手席から消防車やトラックを観ては興奮し、寝言でコキンちゃん(ドキンちゃんの妹)の名前を呼び、目覚めてはバナナを求めて泣いています。(寝起きと保育園帰りに必ずバナナ一本食べる。近所のセブンで調達しています。)体の大きさは人並みなんですが食べる量がものすごく多い。基本的に目の前にある食べ物はなんでも欲しがって無尽蔵に食べてしまいます。ま、食べないよりは気持ちがいいのでたくさん食べてもらって将来は立派なラガーマンになってもらいます。2歳になるとイヤイヤ期に入って何かと大変だということを覚悟してはおりますが今のところ一応大丈夫。イヤイヤ言うことはありますが布団を敷くときには手伝ってくれるくらいの気概はあります。それよりもハイテンションで頭から突っ込んでくることの方が問題ですね。 ぐい。2月のおしらっせ、です!🍖
2021、これまでのこと 遅ばせながら劇団野らぼうの公演”銀輝”はたくさんの協力のもと終了いたしました。
その節は誠にありがとうございました。 数ヶ月、平日も土日も関係なく駆け抜けて終えた公演の数々、その一つ一つに大切な発見がありました。それを咀嚼して解釈しながら公演の日々を送っていました。未熟さも痛感しながら実り大き公演になったこと、感謝です。劇団としては初めての県外公演があったことも大きかった。環境が変わり客席が変わる、表現する意義を考えさせられた公演でした。 銀輝に関してはまたまとめます。 芝居作りからその内容、また運営に関してもフィードバックすることは多いです。
そして銀輝に参加した役者、柳原良平も京都へと帰還しました。約6ヶ月、劇団としての初めての長編作品のクリエイションに参加してくれてどうもありがとう。メンバーも4人になり、また、メンズが増えたことも舞台の中でも外でも功を奏したことは多かったです。彼は京都での個人、または劇団での活動を続けていく予定です。
我々は今はまた3人+ちゅみ、いつものメンバーでまずは稽古場の快適化を図っています。
『銀輝』的なそれなりにボリュームを有した作品と付き合い続けることはなんとも有意義なことだと思いました。いつもはある公演期間のために作品を作り、それが終わってしまったらもう付き合うこともないんですが、それだと何かと燃費が悪い。また次の作品のために1から準備し直すには時間も労力もかかってしまいます。それよりももっと長いスパンを標的にして手を替え品を替えてでも付き合い続けられる作品作りに今は興味があります。
これからのこと、2022 今年の動き。今決まっている分をザッとです。
まず、春(夏)はメンバー各々散ります!野らぼうとしての公演は作品を1から作り直す必要があり少々時間的にも気持ち的にもタイト。エネルギーを要しますのでここはひとつ間を開けて、本公演は秋に行うことにしました。この公演は昨年受賞した愛知人形劇センターが主催する2021P新人賞の副賞として名古屋市での公演が決まっておりますのでそちらと合わせつつ、松本ではテントでの公演も行う予定です。そこそこボリュームを持った作品にしたいと考えています。
それまでの期間はメンバーそれぞれが別団体や個人での活動を継続します。実はその動きはもう始まっていて、水野安実はもともとゆかりある下諏訪の地で独自のパフォーマンス、鶏夫人としての公演を12月に決行。成田明加は新潟で開催される劇王に出場する可能性が高い座組みに参加(写真添付)。公演は5月の予定です。わたし(斜め)は兼ねてから時間をかけて制作したいと思っていたひとり芝居のクリエイションをいろいろな方々の協力のもと始めています。公演時期は未定。また詳細分かり次第ご案内します。
Tumblr media
こうしてメンバーは各地に散りつつも夏、6月くらいにひとつイベントを打とうと目論んでいます。せっかくテントも保有して部材も機材も持っているわけですし使わないのはもったいない。それならばと以前からぜひ松本に呼んでみたかった作品がございますので今年、招致する予定です。野外で気ままに鑑賞できて、それでいてわたしは過去に拝見していたく胸を打ったパフォーマンスです。またこちらも詳細決まりましたら追ってご報告いたします。
そんなわけで、メンバー各々の活動や夏のイベント、そして秋の本公演(願わくばその次の春も公演)など、こんな一年になるかと思います。ご贔屓のほどよろしくお願いいたします。
野らぼうの特色、その存在意義みたいなことを考えなくもないんですが、今、変わりゆき揺さぶられ続けている状況の中で必要とされるものが変わって、その在り方が変わって、気持ちいいとされるその方向性が変わって、見たこともない世界が目の前で繰り広げられているように感じているんですが、野らぼうに関しては割と安心していて、愚直に、バカでもいいからそのまま真っ直ぐに変わらない姿を、他と距離感を測らなくてもいいからそこに居続けられればそれでいいかなと思っています。(抽象的ですが)雑観です。
そんな我々の活動に興味あるぞ、参加してみたい、かじってみたいという方いらっしゃいましたらお気軽にご連絡くださいませ。
まだまだ活動は続きます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします!
追:稽古場の舞台面が拡充され3間(5.4m)×3間(5.4m)のスペースがあります。 もしも稽古等で使いたい方いらっしゃいましたらご相談くだ��いませ。
Tumblr media
追追:3月にもしかしたら芝居のWSを開催するかもしれません!?ご興味ある方またメールやSNSで告知いたしますので気にかけておいてくだされば幸いです。 諸々の事情により開催できない場合もございます。
追追追:わたくし斜めは3月をもって便利業をたたむ予定です。今のうちに頼みたいことあったら頼んどけ!?でもけっこー忙しくしています。
追追追追:長いこと考えていたことを長い文章で書きました。ご興味ある方覗いてみてください。まだまだ思考を続けます。 [フィクションを立ち上げるー場とその場からの解放ーライブと映像の出会い直し] https://hochagera.tumblr.com/post/675516608601604096/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%92%E7%AB%8B%E3%81%A1%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%82%8B%E3%83%BC%E5%A0%B4%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%A0%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%94%BE%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%81%A8%E6%98%A0%E5%83%8F%E3%81%AE%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%84%E7%9B%B4%E3%81%97
🍖🗻🍑🐿
0 notes
hochagera · 2 years
Text
フィクションを立ち上げるー場とその場からの解放ーライブと映像の出会い直し
フィクションを立ち上げる、ということについて考える。(『フィクションを立ち上げる』という表現は演劇界隈ではよく聞かれる言葉で、舞台を創る上でそのフィクションが客前で違和感なく(あるいは意図的に異物として)むくむくと起き上がる感覚があるかどうかでそのパフォーマンスの良し悪しが判断される。日常生活では全く意識されない感覚ですが、しかし日常においてもフィクションを扱う瞬間はたくさんある。舞台創作者はその根源的な”演じる”ことの意義を噛み締めつつフィクションが立ち上がる場、そのあり方、その行為の視点に最も興味を注ぐ。人と人が絡み、場所が絡み、時間をも絡めてある場所にフィクションが立ち上がってゆく。それが、舞台作品を創るということ。)
わたしはテント芝居を創っています。テント芝居においてフィクションとはその劇の内容であり、またはその借景と共におかれているテント構造物の存在そのものでもあり(夢遊するように突如現れ消えてゆく物質)、またその内部の空間のことでもある。テントは空間を保有している。つまり、ある環境、具体的にはある町のとある場所に”線を引くこと”が重要になる。 この点を野外劇と最も差別化していて、野外劇では一応に”その環境に馴染むこと”を重要視してきた。市街劇でも実際の街を使って演じられたわけで、私がやっていた駅前でゲリラ的に行う芝居も飲食店を循環して行う流し芝居も実際の環境を利用して行なっている。役者の身体をまずは起点に、舞台装置も美術も舞台と客席の境目すらないところから始まる。それが野外劇。 そんな野外劇から、徐々に規模を広げテント芝居に移行していく自らの活動を鑑みて、自分たちは空間に線を引くことができるだろうか、そもそも線を引く必要があるのかどうかを考えた。 ”線を引く”ということ、それはその空間は”劇場になる”ということを意味する。それは間違いなく野外ではない。たとえ野外に程近いテントという空間であったとしても、そこは劇場という固有の場所になる。芝居は劇場で上演されるのが往々にして好まれる。しかし劇場でなくとも芝居ができることは証明されている。それなのに何故、劇場を求めるのか。劇場という場所。
(”劇場”、”舞台”、つまり)”場"の捉え方。 芝居に限らず、人は集まる必要がある。家、学校、会社、公園、喫茶店、クラブ、愛好会、委員会。社会的な集団を都合よく一気に運用するために何かしらの共通項を持って集まって(集められて)個別ではなく集団で対処する。時代に応じて変革を遂げながらそのあり方は更新され続けている。いつも正解はどこにあるのかわからず、時に時代に出遅れながらその集団のあり方は変容していく。身近な血縁関係として家族の在り方は変わり、大きすぎて見えない公としての学校の在り方も変わり、公共とは何か、共有するとはどういうことか、平等に与えられているものとその土地特有のもの、その土地が誰のものなのか、そこに漂う空気やそこに差す光にまで線を引くのか。 ぎゅうぎゅうに押し詰められて次第に窮屈になってくるテリトリー。誰のものでもない場所がなくなっていく。大きな力で小さな存在をコントロールし、それは徐々に管理の性質を強め、効率が良過ぎるほどにより高度に振り分けられ、”自分たち”と”それ以外”を区別し、そこから漏れでる感情や事情には無頓着になる。これが、現代を生きている上での雑観で(”現代”だけが抱える問題なのかは不明。しかし今はこのことがより高度に、あまり気がつかないうちに蔓延しているように感じる。)、それゆえこの構図に対するカウンターアクションも方々から噴出する。テーマは”多様性”。平等に、他者を認め、共にあることを認める。 そんな心地よい場づくりが求められた。どこかから漏れ出てしまった、行き場を失った者が集まれる場所。そしてその存在を認め合う意識を得られる場所。(意識の変革こそが最大に重要で尚且つ困難なグローバル化であって、形や制度があるから解決できるものではない。白人が作った映画に黒人を出演させれば多様性が生まれるわけではない。男が配偶者を”妻”と呼んだから多様性が認められるわけではない。重要なのはその抑圧されている側の現実を知ることとそれを理解する手立てを得ることだろう。それを会得するには時間がかかる。”有意義な”時間が。自分と向き合う必要があるし、そもそもその個人が置かれている状況、経験に基づく必要があるわけで、島国の日本人に身近に感じられる多様性は欧米のそれとは全く別の内容であるはずで、それでいて半径5m以内にあることを理解するという意味においてはなんら変わらない。それ以上外のことを持ち出して理解する必要はない。)長い時間をかけて構築された集団のあり方はいつも、その”場”を設けることに始まり、そしてその”場”から解放する動きにより次第に国境を越え、人種を越え、男女の壁を越えてよりスーパーフラットにグローバル化された新たな”場”を形成する。
舞台芸術においてのその場とは”劇場”。では、”劇場”とは何か。そのルーツを野外に持つ芸能は多い。本来人前でフィクションを立ち上げるために劇場は必要なかったはずで後発的に集まる場として開発された装置が劇場であり、その劇場には、観劇にふさわしい装備が備えられ、舞台芸術は当たり前にその劇場で上演される。劇場の形式がその後の舞台のあり方を規定し、その結果、劇場の形式に乗れる舞台芸術が残り、乗れないものは力を失ってゆくことになる。集団として効率よく処理するための痕跡。 驚くほどに手仕事の集積である舞台芸術は効率化を図ることが難しく、維持するにはコストがかかりすぎるため公的な援助を受けることが多いし街の機能の一部として守られている劇場も多い。つまり、劇場を扱うとはそもそも公共性を扱うということであり、経済的価値を扱うことでもある。この、公共性という性格を帯びた”場”において、その劇場は効率性や経済性等の判断によってあらゆるフィクションに価値をつける(線を引く)というジレンマを内包していると言える。 劇場は空間。空間を保有している以上、その中に収められるもとそうでないものが発生してしまう。 何事も、なんらかの価値判断で淘汰されることはいささか已むを得ず、名もない芸能や辺境の芸能が消滅していくことは仕方のないことでもあるが、それが”劇場”の持っている機能の側面であると考えるとやるせない。目的と手段がてれこになっている。だが、グローバリゼーションというのはこういった芸能にも光を当てる。 人、物、コトが飛び交う現代の中で、限りなく近くなった辺境の土地の見知らぬ”フィクション”。それに触れる、異国の地の大学生など。グローバリゼーションとは創造的破壊で、スーパ���フラットに情報を消費できるようになったことにより軽視される伝統と受け継がれなくなったその土地特有の価値が、一見文化的価値の破壊を及ぼしているように見えるものの、思わぬところで再発見されまた受け継がれることにも繋がっている。 国境を越え、人種を越え、男女の壁を越えてよりスーパーフラットにグローバル化された新たな”場”を形成する。 本来の意味での”劇場”とは、立派な建造物としての”人が入って鑑賞できる場所”ではない。あくまでも”フィクションを立ち上げる場所”をベースに考えるべきである。 つまり、箱がそうさせるのではなく、舞台上に上がる当事者そのものがフィクションとして立ち上がれば、そこが劇場となる。
”場”の捉えから派生して。人は、”記録”もしくは”保存”することが可能な人智を超越した技術を開発する。それが、舞台芸術においては”カメラ”ということになる。 映像の世紀は早過ぎ去りし今、当たり前に存在する映像媒体とそうでないもの。それぞれの手段はお互いにその存在を脅かしつつも食いつぶすようなことはなくそれぞれの道を辿っているように見える。演劇、映画、テレビ、ネット配信。 ”フィクションを立ち上げる場所”として、その場所からの解放が劇場やそれ以外の場所で起こっていると考える時、今、このカメラが残す映像の中にも同様の変革が起こっていると強く考えるべきである。映像(という”場”)が、従来のあり方から解放されようとしている。それが、”ライブと映像の出会い直し”によるものである。
これはコロナ禍が発端ではないものの大きく起因している。その速度を早めたとか、止むに止まれぬ状態にしたという印象。 本来ならばこれまで推移してきた舞台芸術の”場”のあり方とそこからの解放の動きが今後もゆっくりと推移するのかと思いきや、昨今の状況で地殻変動が一気に起こり、場の解放を凌駕する新たな場所作りが舞台芸術においても起きている。これまで拓かれた様々なフィクションを立ち上げる場所、そのそれぞれの道の変遷を越境して構築される新たな場。それは舞台芸術のカメラとの出会い直しによって起きている。キーワードは、新たな技術の開発によるものではなく”出会い直し”によるということ。
岡田利規”映像演劇”ー長久允”(死なない)憂国ー濱口竜介”偶然と想像”にみるフィクションを立ち上げる場所の変化。
人は集まれなくなった。かつて集まり、そこに組織ができ規格が生まれることによって秩序が保たれ、またそこからはみ出したものが別の場所に集まる離合集散を繰り返していた人が、強制的に集まれなくなった。それは、”場”を形成することができなくなった事を意味し、従来の方法が成り立たなくなったということ。それでも人は集まる方法を考えた。 舞台芸術においても、それはいくつもの実践が試されており、その多くが”カメラ”を用いて行われた。 これまで舞台芸術が”フィクションを立ち上げる場所”のために必要としてきたのは、まず舞台に上がる本人の身体。そしてそれを起点として構築される環境、多くの場合それが劇場。この場作りが実現できなくなった時、その”場”創りはカメラを用いた映像の中に求められた。 これ自体はコロナ禍が無くとも今までに起こり得ていたことで、事実、舞台作品を映像として観ることは少ないことではない。しかし、絶対的に集まることができなくなった状況下で行われるそれは、今までのそれとは全く異質のものであって、今までの思考とは別のプロセスや想いを含んでおり、”カメラ”という技術を扱う上で、その扱い方の違いと最終的に目指される”フィクションを立ち上げる場所”の意義の違いが、従来の映像が目指した場所の形成(多くは映画)のそれとは大きく異なっている。
今起こっている”ライブと映像の出会い直し”によって目指されるものは、あくまでも”映像”としての表出であるものの、しかし、その映像を作っている人たちはその映像の中身がどこでどう起こっているかという”場”を重視していたり、もしくは、映像を視聴する”場”(映画館やテレビやパソコンでは無く)を公演という舞台芸術に類似した特異な形で創出することにその創作の重きを置いている。 これが本来カメラを手に入れた人々がやってきた映像によるフィクションがもたらす場所作りとは一線を画すもので、場所作りから始まる映像を用いた新たな作法となっている。
映像は恐ろしい。カメラは恐ろしい。本来”生”(”ライブ”)である媒体を扱う舞台芸術において往々にしてカメラというものは忌み嫌うべき存在である。その技術を取り入れることは表現として別々の道を歩むということになる。”ライブ”と”映像”、これらはこれまでに別々の発展を遂げてきた。そのどちらの道にもフィクションを立ち上げる場所がある。 人は身体性の拡張として道具を生み出して使用する。道具によって人の限界を超えた力やスピードが生み出され、それをコントロールして日々生活をしている。その道具の中でも単に身体能力を拡張したものと、そうではなく(疑似的に)時空をも超越したものとで道具(や知恵)の種類が大別できると思っている。(単に肉を切ることのできる石の使用と、肉を瞬時に老朽させる火の使用との違い。またその時々の実りを採集する籠の使用と、実りを前もって準備し掌握する田畑の使用との違いなど。)そしてこれまで、この時空をも超える道具の力によって、歴史は大きく転換しその時代の価値観を揺さぶったのではないかと想像する。 舞台芸術において、その時空を超える道具とは”カメラ”である。カメラとは記録装置で目の前にあるものをそっくりそのまま記録することに使われる道具である。カメラによって人は忘れたものを呼び起こし、複製し、保存し、そして繰り返すことができる。カメラは”ライブ”とは全く違う性格を要している。 ”フィクションを立ち上げる場所”を命題に掲げて進めてきた思考ですが、その多くはその他のシーンの事象にも応用できることと感じます。 目的から手段が生まれ、そこに技術の発明が起こり袂を分かって平行線に歩んできたそれぞれの”場”創り。共存可能な今まで、氾濫する革新のもと推し進められてきたその解放の上塗り。ここから先、まだこの平行線を辿ってどこまでも見えない地平線に突っ走っていくのか。その真っ只中で今回コロナ禍が起こした一端の行き止まり。立ち止まることが求められた今、舞台芸術において新たな場作りが始まったと感じた。それが奇しくもカメラという”ライブ”が最も大切にする核心とは全く性格の異なった道具によって。でもそれは、何か今まで人が知らなかった示唆を与えてくれている。カメラは新たに発明した道具ではない。自らの目的と手段を見つめ直し、尚且つ時代の潮流に乗った今だからこそ、かつては見えなかった方法を編み出すことができている。 ”出会い直し”。人は何かを手にする。それを眺めて答えを出す。でも今、色々な場面でもう一度、新たな再会が求められているのかもしれないと思った。
Tumblr media
0 notes
hochagera · 3 years
Text
劇団野らぼう 新作公演のご案内
Tumblr media
月イチで行っているお知らせ配信が作品作りに飲みこまれてつい後手後手にまわってこの後に及んでしまったこと、誠に申し訳ございません! 公演のご案内はtwitter(https://twitter.com/home)や、はがきサイズのDMも発送しています。ご所望の方いらっしゃいましたらこちらまでお名前とご住所をお送りください。次回から公演の約1ヶ月前にDMを発送します。(Mail ● [email protected]
Tumblr media Tumblr media
------------------------------- 劇団野らぼう 第5回公演 銀輝<ギンギラ> 声は光だ 何も見えないけどここが光っている 9月17日(金)18日(土)19日(日) 松本:あがたの森公園 9月24日(金)25日(土) 上田:上田城跡公園 10月2日(土) 下諏訪:赤砂崎公園 11月5日(金)6日(土) 京都:ロームシアター ローム・スクエア ○全日程PM7より開演(30分前開場) ○投げ銭制 (ご予約は承っておりません・50席程座席を準備) ○お問い合わせ 080-6425-9861(斜め) ○劇団twitter https://twitter.com/home ●公演時間は約100分を予定しております。 ●荒天の場合や新型コロナウイルスの感染状況によって公演の中止があり得ます。お越しの際は必ず劇団twitter、もしくはお問い合わせにて最新情報をご確認の上お越しください。 ●会場空間は野外ですが少しでも体調がすぐれないとお感じの方は観劇をご遠慮ください。 ------------------------------- ここ数ヶ月毎日毎日稽古や作業を行い、それでも日程に追いつけない過去最高に熾烈な作品作りを行ってまいりました。 幾重にも襲いかかった数々の壁を乗り越えて、今回の作品は劇団員全員の努力の結晶が凝縮し大変エネルギッシュに仕上がっていること間違い無いし。 その公演も全8公演のそれっきり。実際にナマで、是非その目で目撃していただきたいと切に思います。 私たちは夢売り。夢を見ることが必要だと思って作り始めた本作品でございます。演劇は”再現”ですのであの日あの時あの瞬間をその場所でどれだけ雄大に再現してみせることができるかが勝負ですが、私たちも今、舞台上でそれを演じて再現してみせることを大変楽しみにしております。 どうぞお楽しみに、心して劇場までお越しくださいませ。 夢は時に、現実よりも濃厚に現実的なんだわよ。 お待ちしております。
劇団野らぼう
🍖⛰🍑
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
1 note · View note
hochagera · 3 years
Text
どぎゃんと6ガッツのお知らせぇえ🗻
Tumblr media
祝・脱稿ー!🍖先日、我々劇団野らぼうの次回作の脚本を無事脱稿いたしました。わーい。久々のコノ感じ。いや去年も書いたりはしていたんですが、今回はまた時間をかけてじっくり向き合いましてなんとか筆を置けた。何と言っても次回作は劇団として初めての中長編作(90分くらい?)となり、ボリュームもスケールも過去最大。その全てを私の台本でまかなうわけではないんですが、大きな根幹となる部分でした。書きながら、自分自身を再発見したり、どうもうまく言葉が出てこないものを工夫したり苦悶したり、学びもたくさんありました。たくさんの時間と、たくさんのチョコレートと、たくさんのコーヒーにどうもありがとう。これでなんとか次のフェーズへと迎えそうです。次はチラシ作り!🍑🍑下記次回作情報あり! そして、ちゅみ(息子)も元気です。 ここんところ準イヤイヤ期が始まっており、自己主張を始めました。喋り出すのはもうすぐか!?嬉しくもあり少し寂しくもあります。ちなみに、先日最初に覚えた単語は「おいしー」でした。美味しー!私たち周りの人間がいつも美味しい。美味しい。といってもりもりご飯を食べているからでしょう。なんと素敵なあなたの辞書!この世は全部おいしーに染まっている!空が夏模様です。ガッツ6ガッツのおしら、せ! 追)やなぎーも元気です。私共野らぼうチームにすでに溶け込み、松本での生活にも徐々に馴染んできたようでバイクで方々出かけています。意図せずこれはレジデンス事業だとこちらも解釈し、松本での生活に馴染んでもらいつつ共に創作活動を進めていくであります。やなぎーはちょっとちゅみに似ています。
目次 1.速報版情報公開〜題名は『銀輝(ギンギラ)』! 2.野外劇ってなんだろう? 3.それだったら浪曲をお聞きvol.2
1.速報版情報公開〜題名は『銀輝(ギンギラ)』! 速報版!情報公開!いざ! ---------------------------------- 劇団野らぼう 第二回公演 『銀輝(ギンギラ)』 声は光だ 何も見えないけどここが光ってる ----------------------------------
松本公演:あがたの森公園 芝生広場 9月17日(金)18日(土)19日(日)
上田公演:上田城跡公園 芝生広場 9月24日(金)25日(土)
下諏訪公演:赤砂崎公園 防災ヘリポート広場 10月2日(土)
京都公演:ロームシアター ローム・スクエア 11月5日(金)6日(土)
時間:全公演PM7開演予定 料金:投げ銭 出演:成田明加 / 前田斜め / 水野安実 / 柳原良平(ベビー・ピー) 音響照明:平井碧 映像制作:小田部剛 / 小海祈 / 横澤裕紀 / 吉村佑馬 作演出:前田斜め ----------------------------------
長野県内3箇所+京都1箇所の全4公演地!全8公演! これまでにないスケールで、遠方京都あり!2トントラックレンタルあり!天幕あり?私たちも戦々恐々と震えております。考えなきゃならないこと山盛り。 それに加え今回はプロの映像制作クルーによる作品の映像化も行います!楽しみ!遠方の方も、また公演後でも、映像として楽しめる作品が作られればと思っております。 そしてさらに!本作品で音響照明のオペ操作を担当するのは平井碧!若干小学6年生!色々とシステムを一新した私達のテクニカル面を一手に担うこの小学生。果たしてできるのか?結構ややこしいぞ?いや、きっとできるはずだ!頑張れ!公演ではそこんとこも合わせてお楽しみ下さい。
本作品もわたしたちが今まで取り組んできた野外劇スタイルでの構成になるかと思います。テント芝居を目指しているといったものの、その助走期間として取り組んできた野外劇に、最近はそのスタイルならではの魅力を見出しており、工夫すればいろんなアウトプットの方法がある。今回も、少し形を変えてもう一度そのスタイルで取り組んでみようと思うのです。
お題は投げ銭制。座席も用意しますがどこから見ても大丈夫。終演後にお志を頂戴いたします。
時間は90分を予定。この尺はこれまでに私たちが作って来た作品の中では一番長いです。ですので、その構成や内容といったところに今まで以上に注力を注ぐ必要があるわけですが、どうだろう。最近は脚本執筆を行なっていたので、その”物語”ってものについてよく考えていましたが、今回の脚本の内容云々とは関係なく、その物語に思いを寄せるという行為自体が、私にとって勉強になりました。 というのは、今まではストーリーでない部分、”身体や情景、熱量”で見せることに思考を凝らしていたり、また、他の表現でもストーリーを持たないもの、”絵や写真だったり景色、音としての浪曲だったり”に随分心を潤わせてもらっていたので、自分自身の作品で物語に注力を注ぐってことがあんまりなかったんですが、しかし、今回はその末端の部分ですが少しだけ、いやかなりか、物語に希望を求めました。演ずるということをやりたい。 自分たちの表現(演劇)としては、今後、物語性を帯びつつも、ストーリーでない部分まで飛躍できればいいのかもしれない、的な展望を今は見ています。ですので、この脚本を考えるって作業はできる限り今後も続けたいというのが、今思う感想であります。 とはいいつつ先日、初めての本読みを行ったんですがその内容の乏しさに自分でも情けなく、それなりに時間をかけて書いていたものだったんですが、そのスケール感が自分が思っていたよりも乏しかったことが不甲斐なかったです。もう少しディティールを丁寧に描けるようになりたい。しかし脚本の仕事はここまで。今後は稽古で肉付け行くとして、本番ではモリモリに芳醇な状態で提供できること目指して、これから稽古に励んで参ります!🍑
2.野外劇ってなんだろう? ここでちょっと補足的説明。 野外劇ってなんだろう。 私たちは、”空間を区切らない”ということを、”野外劇”のひとつの判断基準としています。客席と舞台の境界線があいまい、また客席自体の境界があいまい(どこからどこまでが客席か)。ことごとくその周辺の環境に溶け込み、ぽつねんとその場所に存在している演者。それが”野外劇”のイメージです。 一方でテント芝居はというと、その立地条件は類似するものの、テントはあくまでも劇場であり、観客を一度テント内の空間に飲み込み、その上でその劇空間が外へと開かれてゆくというバイアスがかかっていると考えるのでその劇世界(虚構)の扱い方は野外劇と違ってくると考えています。テント芝居の醍醐味はやはり、そのテントに足を踏み入れた瞬間の境界を越えた感じ、背筋にひんやりと感じる背徳感と優越感、どこでもない場所に来てしまったと感じる危険な越境性にあると考えているのです。野外劇では残念ながらこの効果は生み出せません。やはり単純に物量や規模で観客を飲み込むその劇場空間というものがなければ、体験として異空間に飲み込まれた越境性という感慨は産み出せないわけです。 ではそれでいて野外劇の旨みとはなんだろう?と、これまで劇団で取り組んでいたわけですが、やはり環境を利用することにあると思います。”環境と併走する”。流し芝居なんてものが一番如実かと思いますが、飲み屋という場所、この街、今夜、そこにやって来た夫婦、というのが現実と地続きの場所に存在している。非現実的な現実を産み出すことがこの構造の旨味だと考えていたわけです。 テント芝居は劇場空間ごと虚構を作り、それがいつしか反転して現実と交錯する。野外劇は、道の上空の下、この時間この場所においてあらゆる���実の中に虚構を創出する。そんなまとめです。その感覚は今も変わっておらず、基本的にはこう考えています。 の、上で。 ここからは次回作以降の話ですが、僕たちは野外劇において、より一層その内容を担う僕たち役者や、音響照明のテクニカル面、そしてその他美術の質を効果的にしてその虚構性というものを強固にしていくことができれば、このセオリーはまだまだ崩すことができるのではないかと思っているのです。”現実と沿う”ことが有効だとは思うが、そこからの脱却はありえないのか?そしてその起因は?演劇生産者としてこれからまだまだ品種改良に取り組んで参ります。
3.それだったら浪曲をお聞きvol.2 さて、浪曲案内通信第2回目。1回目では故国本武春師匠をご紹介いたしました。 国本師匠は浪曲をとにかくメジャーに、若年層に向けても発信していった人だったので伝統芸という立ち位置から果敢に革新的取り組みを行っていた方でした。三味線弾き語りをしたり、バンドを組んだり、エレキギターで浪曲をしたり。その胴声の晴れやかさはまさしく晴天に弾ける太陽のようで、武春節唯一無二の売りだったことと思います。そんな武春師匠はこれからも浪曲界を牽引していくであろう時、55歳にしてご病気により他界されてしまいます。 その教えや鑑は今を駆け走る浪曲師たちの礎にもしっかりと刻み込まれているのですが、その中でも注目すべき存在は、国本はる乃さん若干25歳、なんと入門は小学4年生の頃というこの人でしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=z9t-kZvn54A
おお、この貫禄、恰幅の良さ、滲み出る滋味。これは名人級の逸材であること間違いなく、浪曲界最年少とも言われるこの人が浪曲界をずしずしと押し上げているということ間違いありません。この人は東。
東の最年少が国本はる乃なら西の最年少はと言いますと、こちらも若干25歳、どんな運命の巡り合わせか西と東でしかも女と男で最年少にして最高峰の座を競い合っているのが関西でご活躍中の真山隼人さんであります。(ネット上音源あまりない。)
https://www.youtube.com/watch?v=Za_jcv-aFQo
この人も貫禄、と言いますかもはや年上にしか見えない、見るたびに歳を重ねている不思議生命体にして、多芸の持ち主であり勉強家。浪曲界きっての浪曲音源コレクターとして公私をともに浪曲に染め続けている人物なのでございます。
浪曲界、名人方や中堅層も面白いんですがこの若手の層も厚くまだまだ面白い方おります。キャラクター豊富。声の総合芸術、と呼ばれているだけあって音楽、声楽、台詞芝居、雅楽への魅力からこの世界へ飛び込んだ各人の様々なアプローチが見られます。純粋に浪曲への魅力から入門されたのは、今回ご紹介したはる乃さん隼人さんがそうですが、そうではないところから浪曲と向き合うというのが、一つの芸にして千差万別の魅力を産み出し、また、この令和においても継承され続けていく由縁のひとつなのではないかと、浪曲師を見ながら、そしてそれを聞く様々な客層を見ながら思うのであります。 てなわけで、今回もお耳遊ばせくださいませ。
おしまい 🍖🗻🍑
2 notes · View notes
hochagera · 3 years
Text
滑り込み5ガッツのお知らせ🐿
どぎゃんとギリギリ5ガッツのお知らせ!
Tumblr media
んだもしたん5月のくれになってしまいました。先月に比べ便利屋仕事はすこぶる減ったんですが芝居仕事が山とあり、公演地各地の事務仕事、屋外稽古場整備、舞台考案、そして脚本執筆とやっていたらあっという間に時がたっていました。信州松本は暑かったり寒かったり。寒暖差凄まじいのでちゅみ(息子)風邪をひき、家族に移して一周して治りかけたところで再び罹患のリ・サイクルをおこなっております。今ターンで己の健康死守すべし。 次回作秋の公演日程ぼちぼち決まってきました。すぐ6ガツですので次の案内で若干情報公開しようかしら。もちろん野外公演、スペシャルな遠方もあります。規模もちょこっと大きそう?現在わたしはその台本をせっせと進行中!迷わず進むぜ、色々と発信がおろそかになっていますが6月から稽古本格始動です!5ガッツのお知らせ!🍖🍖🍖
目次 1.やなぎーがくる! 2.脚本術 3.勝手に宣伝『楽市楽座』!
1.やなぎーがくる! まずは私たち野らぼうにとっての一大トピック。なんと、新・劇団員加入です!(次回作までの限定参加) 常々、メンバーを募っていた私たちですが、野外で活動したいなんていう奇特な根性をお持ちの猛者には松本平では出会えず、諦め掛けていた此の方、なんと嬉しい知らせが届きました!京都より、劇団ベビー・ピー所属のやなぎー(柳原良平)が役者として参加してくれることとなったのです!なんと嬉しや!(野外稽古場も探していましたが某所を今シーズンはお借りできることとなりました🙌) やなぎーはと言いますと、もちろん元々知っていた存在で役者としてのステージも何度か拝見したことあり、ベビー・ピーの芝居では松本市のすすき川緑地にてテント芝居の公演も行っているそこそこ旧知の中なのでございまして、年齢的にも芝居芸歴的にも私たちからしたらお兄さん世代に当たる大変経験豊富な頼れる(?)人物なのであります。テントでは全国巡業を数回行っているしテントじゃない公演でもツアーしたり、瀬戸内芸術祭招聘作品に出演したり、大地の芸術祭に出演したり、京都でも引く手数多の役者さんで、定期的にひとり芝居も行なっており魔剣Xなるそのシリーズもパワフル&おバカ街道まっしぐらで熱量で成り立たせる姿が目に焼き付きます。舞台を降りれば気さくな兄さんで話しだすとほとんどずっと喋っています。 芝居の経験豊富はあったとしても、テント芝居で旅巡業の経験も豊富となってくるとこれ以上の逸材はおりません。そして、何と言っても男手。私たちの劇団にスタッフとしても役者としても男性が加わってくれるのは大変嬉しいこと。きっと僕たちの芝居もひと味もふた味も変わってくることでしょう。たくさんお勉強させてください! 皆様もやなぎーのこと、どうぞお楽しみにご期待くださいませ〜🍑
2.脚本術 んで、今その脚本を書いている。しかしこれがまた、頭の切り替えムズかしい。 もともと脚本を書くこと自体は好きな部類ではあったんですが、それだけに邁進することなく、むしろ体を使ったり、実際手を使って道具を使って何かを作るといういうスキルの方に興味があったので、ここ5~6年はそっちの方に傾向しており、基本的な道具の操作や素材の選定、そしてそれぞれの難易度、美とされるものの違いについてはまがりなりにもわかってきたつもりでそれ自体は良かったんですが、しかし、その間にやはり架空の物語を書いたり、何か無駄なこと想像したり、そしてそのことにものすごくテンション上がって眠れなくなったりっていう能力が衰えてしまっていて、そのことが悲しい。 人間そう柔軟ではいられませんから、事務作業するときは理性モード、身体動かして作業するときは身体脳になっている。それぞれの作業の肝は違うし何が”旨い”かも違う。一方では超必要なことが他方ではテキトーでよかったり、その逆も然り。脚本は理性でも身体でも書けません。役者脳もまた違うところにあると思っている。 物語を書くには、現実の生活は置き去りにして作品に没入するその集中力と好奇心、お花畑を疑うことなくどこまでも飛んでゆくバカさ、能天気さが必要なんですが、こいつがなかなかすぐにはそう成れない。スイッチの切り替えだけに時間を要したりして、昔は相当緩かったんだなぁわたし。今の己に直面しています。 しっかし今後はこれでは行かれんです。日々コンスタントに文章書く習慣が必要。そして自分の回路を果敢に開放してやるべし。なんやかんや脚本も毎度毎度試しながらですがこれまで独学でやっておりますから、ここいらで何か方法論を仕入れることも必要になってくるんでしょうが、知識を知ってしまう怖さとつまらなさもわかっているので簡単には手が出せずにいます。もともとアウトサイダーアート(美術的教育を受けていない領域のアート)のシンパでもあることも相まって、下手くそでも匂いがあるならそれでもいい、とも思っている。道具使いなんかはその典型でもあって、最短ルートがわかるけどわかればいいってもんじゃない。表現はその結果よりも道筋、痕跡、手垢が肝なので最短を選んでしまうことで失ってしまうものは多いです。 他のアウトプットに比べ文章は、これは自分にとって気持ちがいいとか、こっちに展開すると筆が止まるとか、ひとまとまり書いて見直した時にしっくりくる/こないなどの差異で、自分の無意識の部分に対面することが直ぐにできるのでその点が興味深い。もっと時間をかけて向き合っていく態勢を作られればと考えております。いざ没入。
3.勝手に宣伝『楽市楽座』! そんでもって5月はこれ、野外劇団楽市楽座の長野市公演があるのです。
Tumblr media
楽市楽座とは=大阪を拠点に活動する野外劇団で家族3人、そして近年は娘萌ちゃんご結婚されて2世帯4人+猫で旅をしている現存する数少なき(というか唯一?)旅行商一家なのでございまして、その芝居は野外にて設置される回転盆舞台の上で演じられ、料金はなんと投げ先制。諸々が今や懐かしいどころじゃない先鋭味を帯びている野外劇団なのです。 私も以前観劇させていただいたことはありますが、長野県に住んでからはまだ行けてなく、今回久々の観劇に加えてこのご時世のそろそろ外でなんかみたい欲求が合間って大変楽しみなイベントになっています。 いくつかの公演が延期などの影響が出ているようなんですが、長野公演は無事開催される見通し!私どもちゅみも連れて馳せ参じる予定でございます。 自分たちが野外でやってる割に、なかなか野外で他の作品を鑑賞する機会がないんですよねぇ。そもそも数が少ないし。しかし最近小諸市のわかち座さんが自宅のブルーベリー農家の直売所を改装されて稽古場兼野外劇場みたいにされていて、そこに見学に行って来たんですがこれがすこぶる面白かったり、そこで紹介していただいた千葉県鎌ヶ谷市の劇団、鎌ヶ谷アルトギルドの演出の方が梨農家さんで自宅の梨園で公演(蜘蛛の糸)をされていてこれも面白かったりで、どれもこれも面白いんです。今後も演劇問わず野外での表現活動が多方面からなされることを期待しています。わたしはテント芝居はもちろん好きだが野外での活動をそもそもを愛している向きもある。来年以降はそういった方のサポート、他ジャンルの招致にも取り組んで行く予定です。
以下楽市楽座情報
劇団HP http://yagai-rakuichi.main.jp/
---------------------------- 野外劇団楽市楽座 「うたうように」長野公演 会場・湯福神社 5月29日(土)~31日(月) 19時開演(18時半開場) (長野市箱清水3-1-2) ※入場無料投げ銭(予約なしの自由席) ★ゲスト出演 29日(土)タケダ(二胡) 30日(日)松本オブ・ザ・デッド(ピン芸) 31日(月)焼酎亭呑み鉄(落語) (協力:ナノグラフィカ) ----------------------------
恒例にしたかった浪曲コーナーも来月(数日後)にお預け。
🍖🗻🍑
2 notes · View notes