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korekaranojinsei · 5 years
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生きるということ
生きていてもつまらない。 でも死ぬ勇気もない。 物欲はなく、どうせいつか死ぬからとものを増やさず生きていても、食欲はあり体が生きようとしている。 生きていてもつまらないのに体が勝手に生きようとしていて無性に腹がたつ。 いつ死んでもいいのに、死ねない自分に腹がたつ。
知り合いの見てるSNSでは言いにくいことってありますよね。これからの人生。は、あなたの思っていることを自由にポストできるサイトです。お気軽にポストしてくださいね。
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korekaranojinsei · 5 years
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負けだなんて。
「恋愛は好きになった方が負け」らしい。 そんな訳がないだろう? 笑顔を見るだけで満たされて、話すだけで幸せになれる。 これが敗者であってたまるものか。 こんなにも、素晴らしいのに。
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korekaranojinsei · 5 years
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負けだなんて。
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負けだなんて。
「恋愛は好きになった方が負け」らしい。 そんな訳がないだろう? 笑顔を見るだけで満たされて、話すだけで幸せになれる。 これが敗者であってたまるものか。 こんなにも、素晴らしいのに。
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korekaranojinsei · 5 years
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今更気づいた
10年経って気づいた
あなただけだったよ 寝る時は腕枕してくれて 私に歌をリクエストしてくれた人
私の帰りが遅くても ご飯を一緒に食べようって 待っててくれた人
目覚まし時計2つもセットしといて いつも私が起こす人
喧嘩しても きちんと正面からぶつかってきてくれた人
あの頃の私は 仕事が楽しくて でも余裕が無くて いつも我慢させててごめんなさい
休みも一緒に過ごせない中 あなたは睡眠時間削ってまで 合わせてくれて ありがとう
なんだか今日は 久々にあなたの腕枕が恋しくて 眠れないです
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korekaranojinsei · 5 years
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私の帰りが遅くても ご飯を一緒に食べようって 待っててくれた人
目覚まし時計2つもセットしといて いつも私が起こす人
喧嘩しても きちんと正面からぶつかってきてくれた人
あの頃の私は 仕事が楽しくて でも余裕が無くて いつも我慢させててごめんなさい
休みも一緒に過ごせない中 あなたは睡眠時間削ってまで 合わせてくれて ありがとう
なんだか今日は 久々にあなたの腕枕が恋しくて 眠れないです
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私の帰りが遅くても ご飯を一緒に食べようって 待っててくれた人
目覚まし時計2つもセットしといて いつも私が起こす人
喧嘩しても きちんと正面からぶつかってきてくれた人
あの頃の私は 仕事が楽しくて でも余裕が無くて いつも我慢させててごめんなさい
休みも一緒に過ごせない中 あなたは睡眠時間削ってまで 合わせてくれて ありがとう
なんだか今日は 久々にあなたの腕枕が恋しくて 眠れないです
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あなただけだったよ 寝る時は腕枕してくれて 私に歌をリクエストしてくれた人
私の帰りが遅くても ご飯を一緒に食べようって 待っててくれた人
目覚まし時計2つもセットしといて いつも私が起こす人
喧嘩しても きちんと正面からぶつかってきてくれた人
あの頃の私は 仕事が楽しくて でも余裕が無くて いつも我慢させててごめんなさい
休みも一緒に過ごせない中 あなたは睡眠時間削ってまで 合わせてくれて ありがとう
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korekaranojinsei · 6 years
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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korekaranojinsei · 6 years
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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korekaranojinsei · 6 years
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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人を愛するという事
自分は、ある意味愛の多い家庭で生まれ育った。
父親は父親自身を愛していた。小学生の男児のような、無垢で、何も見えてない、稚拙な理論で固まった自己愛というエゴで。 母親は我が子達を愛していた。自分と同じ轍は踏ませぬと自分を酷使して、結局堕ち果てた狂愛というエゴで。
そういう、愛というエゴでいつも満ちていた。それはもう息もできないほどに、それはもう前すら見えないほどに。
そういう環境で育った親愛なる兄弟姉妹たちは、それぞれ自分の愛を、エゴを見出した。
では自分は?自分の愛とは何なのだろう?自分のエゴとは何なのだろう? これだけの愛に囲まれて生きてきたのに、自分にはそれらが驚く程無いと思い至った。
別に自分自身はさして好きでもない、むしろ自分の性根を愛する方が無理というものだ。 かといって他者を愛しているかと言われたら否定するしかない、単なる興味で愛を囁き、単なる飽きで離れるようなソレは愛と言わない。 では友愛は?親愛は?そのどれもが当てはまらない、心の全てを預けれるような友も、その人の為なら命すら惜しくない同胞もいない。 自分の口から滑り落ちる愛の全ては空虚で、虚飾で、欺瞞だと気づいた。 自分が愛だと思ってきたそれは、ただ潤滑な社会生活に最低限必要な道具でしかないと気づいた。 これまで生きてきて、明確に断言できる愛を持っていないと気づいた。
愛することが人生だと言うのなら、自分のソレは人生と形容できるような物ではない。 つまりこれは、生ではない。 自分は生きてなどいない。
いつか、生きれる日が来るのだろうか? 両手いっぱいの愛を受け取り、誰かに手渡すような、そんな生が、いつか訪れるのだろうか?
これだけの愛に囲まれても尚、誰も何も本心から愛せない自分には、夢のまた夢でしかないが。
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korekaranojinsei · 6 years
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前半までは良かった。
自分の性格のせいであるのはわかっているけれども、仲良くなりたい友達や好きな人は、いつもほとんどわたしから離れていく。離れていくのは仕方ない。人間だから。
しかし今回は違った。友達になって、絵の技術や良いものを教えてもらおうとした人々の中の一人が、SNSにわたしの悪口をかいた。人間関係についての愚痴を言っていたのが気に食わなかったようだ。それは悪かったなと思ったし、申し訳ないなと思った。 しかし、傷ついた。もうその人とは友達になれないだろうし、その人の友達に言いふらしているだろうと思った。 本当につらい。自分の行動のせいでここまでになるとは。 しかし仕方ない。自分のせいである。自分が未熟な青二才だった。 それから、これまで本を貸してくれた友達も、好きなジャンルについて話をしていた友達も、あまり話さなくなってしまった。
そしてまだあった。今度はよく知らない人だったが、よく席が近くになった人だった。嫌だったのか、聴こえる声で「●●とまた近くなのは嫌」と言われた。これもまた言われてショックだった。けど仕方ない。わたしのことがそれほど嫌だったんだろう。仕方ない。
そしてわたしは、辛く過ごした。どうせ嫌われてると思ったし、たとえ仲良くしたくても近づかないほうがいいと思った。
ついに、わたしが好きだと感じてしまっていた、本の貸し借りをしていた友人も、私を嫌悪するようになった。仕方ないことはわかっている。自分が悪いことはわかっている。仲良くなるべきではなかったと思っている。迷惑をかけたと思っている。しかし、とても辛かった。自分が悪いんだと思った。
そしてまたしばらく経ったとき。今度は怒った。 またSNSに悪口を書き込まれた。今度は私だけではなく、私のかけがえのない男友達の方までも書かれていた。外見のことや、笑い声のことなど、痛烈に書き込まれた。自分の悪口は仕方ない。しかし、かけがえのない友人にまで悪口を言ったことが許さなかった。SNSに悪口を書き込んでも、軽蔑しても、いつも自分の好きな友達と笑いながら学校に来て、一緒に遊んだりするその、元友達になりたかった人間のことを恨んだ。敵視した。死んでしまえばいいと思ったし、もう学校に来ないでくれとも思った。 ぶん殴りたい気持ちでいっぱいだった。
そして、その人間だけでなく、私を軽蔑する人間たちにも敵意を持った。関わりを持たなくするため、全て断ち切った。もう友達になりたいたいなんて思うもんかと思った。 壁を作れるなら作りたい。もう嫌なんだ。みんな嫌いなんだ。
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