Tumgik
mikeandkaori · 1 year
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過去 3 か月を振り返って: 神さまの真実と誠実さ
この 3 か月間、神さまが香と私、そして私の子供たちにご自身の真実と誠実さをどのように示してくださったかをお分かちしたいと思います。
神さまは、香の寿命を 1 年以上延ばしてくださいました。 2021年 12 月の時点では、がんは非常に広範囲に及んでいたため、主治医は文字通り「今治療するか、さもなくば死ぬかの分かれ目だ」と言いました。 抗がん剤治療が効かなければ、香の余命はあと数週間。 彼女の癌マーカー (CEA) は 26,000 を超えました。 参考までに、400 ~ 500 の CEA レベルは進行した腫瘍病期を示し、死亡率と大きく関連しています。 言い換えれば、彼女の癌マーカーは、進行癌の 50 倍以上でした。 数字の上では状況は絶望的でした。
しかし、神さまは彼女の寿命を憐れみをもって延ばしてくださいました。 彼女の癌マーカー (CEA) は 26,000 を超えていましたが、5 月には589 まで下がりました。 抗がん剤治療が効いている間は、香は肉体的につらい状況下にありました。 何度か救急で病院に行かなければならず、体が回復するために抗がん剤治療を中止しなければならないこともありました。 しかし、9 月になると腫瘍マーカーは急速に上昇し始めました。 癌は抗がん剤治療を凌駕し始めていました。 主治医から告げられた短縮された余命を含め。治療と医師の診察が時々のアップそしてほとんどのダウンを告げる中で、私は彼女が不平を言うのを一度も聞いたことがありませんでした。 彼女は、神さまが与えてくださった時間を最大限に活用しようと努めていました。 そして、神さまは彼女にその姿勢を維持する力を与えたと信じています。
香の心の中で日本は特別な場所を占めていました。 再び日本を訪れ、祖母や親族、そして私たちのために熱心に祈り続けてくださっているすべての人々に会うことが彼女の夢でした。 しかし、治療の継続とコロナによる日本への入国制限という 2 つの大きなハードルがあったため、彼女の夢はまさに夢としか思えませんでした。 彼女がしばらく治療をスキップすることができたとしても、コロナで日本入国は大幅に制限されていました。 日本への旅行が実現可能かどうか、友人や家族を訪問するためのビザを発行してもらえるかどうかを調べましたが、香は日本で生まれたのに米国籍を持っていたため、選択肢がないことがすぐにわかりました. その時点では日本訪問は不可能でした。これは閉ざされた扉だったのです。
しかし、なんと2022 年 10 月 11 日に日本は旅行制限を撤廃し、完全にオープンになったのです。 医師の承認を得て旅行日程を組み、香はフライトを予約し、11月3日に出発することになりました。 私の叔父の一人は、彼女がビジネスクラスで行くためのお金を丁重に申し出てくれたので。 彼女はとても快適に過ごせ、しかもスチュワーデスは彼女の面倒をよく見てくれました。 これは思いがけない祝福でした。 彼女に加えて、私たちの末っ子のダニエル、彼女の両親、2 人の妹、そして甥の 1 人と一緒に行くことができ、素晴らしい時間を日本で過ごしました。 彼女は食べ物と買い物が大好きでしたが、それ以上にみんなと過ごす時間が大好きでした。 みんなと一緒に時間を過ごし、思い出を作ることは彼女にとっては意味ある事でした。そしてなにより末っ子のーダニエルにとっても母親と一緒に過ごし思い出をを作れた事は特に大きな意味ある事でした。 神さまは、一見不可能な状況と思える中で彼女と私の息子にこの贈り物を与えてくださったのです。
11 月 18 日の金曜日、彼女はダラスに戻ってきましたが、すべて順調に見えました。 彼女は 3 日後の月曜日に抗がん剤治療を受ける予定でした。しかし治療前日の 血液検査の結果は、腫瘍マーカーとビリルビンの値が急上昇していました。 特にビリルビンの上昇は、癌が肝臓を凌駕し、肝臓が血液を解毒する役割を果たせなくなったことを示すものでした。 看護師は、彼女をすぐに救急治療室に入院させましたが、 入院中もビリルビンの値は上昇し続けました。 最初の数日間、彼女は昏睡状態にあり、反応がありませんでした。 非常に悲惨な状態でした。
しかし、23 日の水曜日までに、彼女はベッドから出ることが出来ました。 体内に毒素がたまって一時幻覚を起こすこともありましたが、そのほかは応対も正常で、状況も把握できていました。 24 日の感謝祭の朝、主治医は、ビリルビンのレベルが非常に高いため、抗がん剤治療はもうこれ以上は無理なので、ホスピスに行くことを癌の専門医から告げられたと私たちに知らせてきました。 そのニュースに私たちの心臓は張り裂けてしまいそうでした。
それを聞いた香は、その日のうちに家に帰り、 感謝祭のディナーを子供たちと一緒に過ごしたいと言いました。 しかし、主治医は、退院する前にホスピスにサインアップするのを待つようにと言ってきました。 そうしなければ、健康状態が緊急に悪化した場合、再び緊急入院のプロセスを経なければならず、入院のためにベッドの空くのを待たなければなりません. 主治医はこんなことが起こるのを見たくないと私たちに告げ、 私は医者に同意しましたが、 香は同意しませんでした。
部屋に入ってきたのは、香のホスピスを探すための病院の事務の人でした。 彼女は私たちの住んでいる場所を尋ね、私たちの近くにあるいくつかのホスピス施設を紹介してくれました。 ホスピスの選び方がわからないので、最寄りのホスピスに行きたいと思い、 フェイス長老派ホスピスを選びました。 グーグルマップで検索してみたら、香の元職場のすぐ隣だったのです。 私たちはその建物を運転中に見たことがあり、外から見るととても素敵で美しいので、何の建物だろうと思ったことがありました。 私はそれを神さまからのゴーサインして受け取り、事務の人にそこに連絡してもらうように頼みましたが、そのホスピスの人さえ、感謝祭の日に誰かがサインアップに来る用意はしていなかったのではと心配したほどです。 しかし、幸いにも神さまの恵みでホスピス関係者が来てくださり、私たちはサインアップすることが出来ました。 その日の午後遅くに私たちは退院し、香は子供たちや家族全員と一緒に感謝祭のディナーを過ごすことができました。神さまは再度私たちの不可能を可能にしてくださりり、 道が見えないときに道を開いてくださったのです。
翌週、香の健康状態は劇的に改善しました。 目覚めているときが多くなり、お見舞客と話していました。非常に気分が良くなったので、抗がん剤療法に戻れるかどうかを主治医に確認するために血液検査の予約までしまたほどです。 彼女がまだ応対できていた時の最後の訪問客は、アーノルド牧師でした。 彼は私たちと結婚式の牧師であり、最終的には彼女のために葬儀を執り行なってくださった牧師ですが、その夜は彼女の最後の聖餐式をしてくださいました。 彼は御霊の導きに敏感で、彼女に主の晩餐を執り行なってくださったことをとてもうれしく思います。 その夜、12 月 2 日金曜日の夜から彼女の容体は悪化しました。
次の数日間は、居合わせたすべての人にとって非常に困難な時でした。 香は私たちと一緒にいるなかで一生懸命戦っていました。. 少し食べたり飲んだりするためだけで精力を使い果たしていました。 食事と薬の服用後、彼女はすぐに眠っていました。 ホスピスの看護師は月曜日の早朝に来て、いつでもホスピスに入院できると言ってくれました。 その夜、子供たちと話し合った後、私は彼女がホスピスに移されるのが最善であると判断しました. 翌朝、私たちは看護師に電話してその手配をしました。 その日、香は痛み止めや吐き気止めの薬を含め、口から何も飲むことができなくなったので、それは正しい決断でした.。彼女がホスピスに到着すると、胸のポートを通して痛みどめを注入することができ、 彼女の表情と呼吸は劇的に改善されました。
香がホスピスに入院する前、まだ意識がはっきりしているときに、彼女と私はどのよにするのが最も理想的かを話し合いました。 私たちは、彼女ができるだけ長く家にいることが最善であり、病院で息を引き取ることが子供たちのために最善であることに同意しました。 この状況が私たちの手に負えないことはわかっていましたが、これが私たちの希望であり祈りでした。 神さまは再び私たちの祈りに応えてくださいました。
ホスピスでは、彼女は多くの友人や訪問客と直接またはオンラインで応対しました。話すことができず、無反応でしたが、会話はすべて聞こえていたと思います。 時々、彼女は言われたことにからだで反応しているのを見ることができました。みなさ���が彼女に声を出して話しかけてくださったとき、それは私自身の喪失感と悲しみを和らげるのに助けとなりました. 12 月 8 日の朝、私は彼女が私にとって何を意味していたのか、一緒に過ごした楽しい時間、彼女について私が恋しく思うこと、そして私が彼女に約束したこれからの事などを彼女に話す事が出来ました。2時間後、香は私の見守る中で息を引き取りました。彼女の妹とお母さんも彼女のそばにいて、彼女のお父さんはベッドのそばで彼女に賛美歌を歌っていました. この地上での最期の瞬間を彼女の家族だけがそばにいてくれたのはとてもふさわしいことのように思えました。
私の父は 15 分後に到着し、ヒューストンから車で来つつあった姉は父より 30 分遅れて到着しました。 香が亡くなった時、父と妹はそこにいませんでしたが、私のためにそこに来てくれました。 振り返ってみると、神さまの完璧なタイミングが見えます。 各人を適切な場所に適切なタイミングで配置しました。 私の観点からすると、これ以上うまいタイミングはありませんでした。
香がホスピスに行くように勧められたとき、私たちは神さまに、クリスマス休暇を乗り切るためにそれまで命を延ばしてくださるようにお願いしました。 そのほうが子供たちにとってはいいですよね? ご存知のように、神さまは私たちが望んでいた答えを私たちに与えてくださいませんでした。 神さまは私たちが理解できたものよりももっと優れたものを私たちに与えなるために、私たちのその場の望みを聞かれなかったのだとそう信じています。
もし香が新年のいつかに亡くなっていたら、子供たちと私は週末だけか、長くてもせいぜい1週間しか家族に助けてもらえず、それもほとんどが葬儀の準備に使われていたでしょう. しかし、代わりに、神さまは家族が私たちと一緒にいる時をほぼ1か月も私たちに与えてくださいました。 12 月 2 日から 1 月 1 日までの間に、少なくとも 誰か一人、家族、祖父母、叔母、叔父、いとこが子供たちと一緒にいました。 それは私たちにとって大きな支えでした。 17日にお葬式、19日から子供たちの冬休みが始まったので、連休中は大家族で一緒にわが家に泊ってもらいました。 おばさん、おじさん、いとこが家に一緒にいることは、とても幸せなことでした。 私たちの心は悲しみや喪失感に打ちひしがれることもありましたが、私の家は家族の喜びと笑い声にあふれていました。 香はそれ以外には何も望んでおらず、神さまはこれを私と私の子供たちに与えてくださいました。
この 1 年間、特にこの 3 か月間は、非常に困難な闘病の旅でした。 しかし、そのすべてを通して、神さまのご真実とご誠実、ご親切、そして完璧なタイミングを見ることができました。 多くの人が手を差し伸べて私たちを支えてくださっているので、その中にも神さまのお心遣いとそのご愛も見ることができました。
マイク
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mikeandkaori · 1 year
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香の人生のお祝い : スライドショー、記念式と追悼の言葉
私達の家族のために皆様がして下さった全ての事を感謝いたします。
みなさまのサポート、助け、励ましの手紙、美しい花、美味しい食事の差し入れ、身に余る贈り物、気にかけて下さった事、祈って下さった事、遠くても近くても共にいて下さった事、これらの事は私達にとって本当に有難い事でした。
皆様のお心遣い、ご親切、ご厚情、本当に感謝いたします。
友達、家族として皆様がいて下さって、私達はとても多くの恵みを受けました。
ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
マイク 家族一同
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mikeandkaori · 1 year
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祖母の神坂由子から
神さまが香を通して、私に下さった恵みの一端をお話しします。
香は私にとっては、最初の孫でした。
日本では「目に入れても痛くない」と表現しますが、私にとって本当に可愛いくて、愛くるしい幼子でした。「主われを愛す」この讃美歌は香りにとって最初の歌だったと思います。
この曲を聞くと香を想い出します。皆さんに可愛いがられながら、香は、三才まで日本で育ちました。私も香に会うのがが楽しみでした。その後、香は彼女の父親の仕事のためにアメリカ、ドイツ、と移り、テキサスで今日まで過ごして来ました。
それで会うことは少なくなりましたが、日本に帰って来た時には、彼女の成長して行く様子を楽しみながら私は過ごしていました。
妹、直子、牧、弟一樹も与えられて、香が中学生か、高校生ぐらいの時でしたでしょうか、香が私に、こんな事を言いました。「わたしは、牧ちゃんや一樹ちゃんの学校のことを見てあげようと思うの、お父さんやお母さんの代わりにーー」と。私は香が、家族の中での、自分の立場を自覚している、優しさとしっかりした考え方の出来る、一面を知りました。
私に対しても、良くしてくれました。よく旅行に誘ってくれました。社会人になってから、私の行きたかったカナダへ、私の娘、千秋と一緒に連れて行ってくれました。結婚してからも、マイク、二歳頃のハンナと一緒に娘と私をカナダに連れて行ってくれました。とても楽しい思い出に残る旅行でした。
2020年頃からコロナ禍が蔓延している中で、去年、香が肝臓癌にかかっていることを知らされた時は、私は「神様、香を助けて癒してください」と祈る日々でした。
その中で、私の香に会いたい思いと香が日本に来たいとの思いを、神さまは、実現してくださいました。誰が見ても不可能と思える状況でしたが、コロナも少しずつ制限が緩和され、香の体調のみとなったので、娘達は、香の夢である日本行きを、主が許してくださるならと祈りの中で行く決断しました。主は道を整えてくださいました。香は、守られて日本に着ました。
日本行きの夢が叶った香は、神様が私に与えてくださる一日、一日を喜んで過ごしたい、と言っていました。香の笑顔は美しく、楽しそうでした。会いに来て下さった方々が、香ちゃんと会えて、元気をもらいましたと言ってくださいました。そんな時、いつも、香は私に、「私の心にイエスさまががいてくださるからよ」と言っていました。又香は「ママちゃんに会えたのも、神さまからの贈りもの、とても良かった」と言いました。私にとっても香と過ごした日々は神さまからの贈りもの���した。
神様は、香の日本行きの夢を実現してくださり、日本滞在中も祝福の中で過ごし、無事テキサスに帰り、家族との温かい時間もくださいました。
その全ての中に、全世界をみ手の内に治めておられる創造主なる神、私たち罪人の救い主なる神子イエスキリストの愛を覚えました。
私達に奇跡の日々を下さった主のみ名を崇めます。
神坂由子
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mikeandkaori · 1 year
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いとこの栄里ちゃんから
香ちゃんへ
神様の御許へ旅立ったんですね。
あまりにも早くて、もう会えないかと思うと心が張り裂けそうなぐらい悲しくて涙が止まりません。
病気がわかってからの一年、どんな風に過ごしてきたのかな…家族を想い、友達を想い、きっといろんな気持ちを抱えながら辛い治療にも耐えてきたのでしょうね。
ブログを拝見しながら、それでも強く、そしていつも優しく、みんなに感謝している香ちゃんはすてきな人だなぁ、すごい人だなぁと思っていました。
私にとって香ちゃんは妹のような存在でした。小さい頃の思い出から、私がテキサスにいた時のこと、一緒に行ったラスベガス旅行、私の結婚式と香ちゃんの結婚式、
母のお葬式、思い出はたくさんたくさんあります。
いつもニコニコ、優しくみんなのことを気遣っている香ちゃん。
一緒にいるとほっとしました。
テキサスに行った時に、すぐ帰らないといけないのにわざわざダラスから来てくれたことがありましたね(その数日後に会えるのに)。
とても嬉しかったです。
ラスベガスに行った時に、ゆっくり2人でいろんな話をしましたね。
私の結婚をとても喜んでくれて、どんな人なの?どうやって出会ったの?どんな家族になりたい?とたくさん話しました。
香ちゃんもすてきな人と出会って結婚したい、という思いも聞かせてくれましたね。
その3年後にマイクくんとの結婚。
香ちゃんは絶対幸せになれる人だと思っていたので、私もとても嬉しかったです。
子どもが産まれて、日本にも来てくれて子ども同士が会えたことも嬉しかったです。
そして1ヶ月前、日本に来てくれて本当にありがとう。
病気を知ってから、会いたくて会いたくて、私が行こうか考えていましたが、まさか香ちゃんが来れるなんて!
写真などを見て、車椅子で旅館でもベッドに横になってるのかな、と思っていたのに、普通に歩いて机を囲んでおしゃべりできて、思っていたよりもずっと元気そうでほっとしていました。
すごく久しぶりだったけれど、みんなの話をニコニコ聞いて、話す声は香ちゃんらしく優しくて、何も変わらないことが嬉しかったです。
次はアメリカでね、待ってるから、と別れる時に言ってくれたので、また必ず会える、これが最後ではない、と強く思いながら京都へ帰りました。
まさかこんなに早くお別れの時がくるなんて。まだ信じられません。
香ちゃん、いつも優しくしてくれてありがとう。
香ちゃんからもらったメールは私の宝物です。私も香ちゃんみたいに優しく生きていきたいと思います。
天国がどんなところかわかりませんが、おじいちゃんやおばあちゃん、こうちゃん、みっちゃんおばちゃん、そしてお兄ちゃんに母、みんなに会えましたか?
そちらはそちらで賑やかですね。
どうかみんなと一緒にこっちのみんなを見守っていてね。
神様の御許で、どうかゆっくりとしてください。
また会える日まで。
今までたくさんたくさんありがとう。
栄里より
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mikeandkaori · 1 year
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妹の直子から
私の姉、香はいつでも人の為に時間を作り、いつも微笑み、躊躇せずに人に手を貸す人でした。彼女が社会人になって間もなく、家族全員をディズニーワールドに連れて行ってくれました。これは私達家族の大切な思い出です。エピコットセンターで食べ歩いたり、スペースマウンテンでお母さんの絶叫を聞いたり、弟の寝言をからかったりしました。
香は絶対怒ったり声を上げたりしませんでした。信頼して頼りになるたのもしいお姉さんで、私の弟と妹には母の代わりのような存在でもありました。私は姉と違って反対の性格です。それでも、私がどんなに反抗的で、大声を出しても、姉は全然平気な顔をしていました。姉は私が最も信頼できる人物でした。私は昔、ボーイフレンドと別れて、姉に電話で泣いて話した事があります。彼女はノーテルの会社の駐車場で私の話を一時間も聞いてくれて、その日は遅刻しました。
私の家族は香がたった一度だけ怒った出来事を思い出します。
40年前、私達はドイツに住んでいました。そこで、香が最も好きなものに出会いました。ドイツのチョコです。私はいつもの通り自分の分のチョコをいつもすぐに食べました。しかし、姉は違います。自制心の塊である彼女は大切にチョコをどこかに密かに仕舞って、食べる日を楽しみにしていました。私は宝探しが大の得意です。彼女がチョコを食べずにどこかに隠したことを知った私は、意気揚々と探し始めました。その宝物は見えないようにタンスの中の奥の後ろに隠されてました。私が早速二つ目のドイツチョコを楽しんでいた時に香が部屋に入ってきて、口の周りはチョコだらけ。現行犯で捕まってしまいました。すると彼女はカンカンになって怒りました。「なんてことをしたの?!大っ嫌いあんたなんか妹でもなんでもないから!!」
皆さんの今考えていることは手に取る様に分かります。そんなにドイツチョコって美味しいの?美味しいです。想像を絶する美味しさです。
マイク君、
香があなたと出会えた事で、最高のパートナー、最高の親友と結ばれたのだと思います。私は一度も香があなたの事を悪く言うのを聞いた事がありません。一度もないです。彼女は貴方の事を本当に愛していました。それほど愛せるご主人に出会えたことを私達は感謝しています。
ハンナちゃん、ネイスン君、ダニエル君。
香は母親になる事を何よりも願っていました。彼女はあなた達一人一人が生まれたことを心から喜び、誇りに思っていました。彼女が病気の時、唯一泣いたのは、貴方たち三人の事を考えていた時だけです。彼女は貴方たちとの時間を少しでも長くするために、辛い治療を我慢して、癌と闘い続けました。
私の知人が私にこう質問したことがあります。
「もし神様の御手にある計画が気にいらなくっても、神様の計画を信頼できますか?」香は癌になりました。しかし、彼女は一度もその事に関して文句を言ったことはありません。どんなに抗がん剤治療の副作用が酷くてもです。彼女は神様を心から信頼して、神様の愛を離しませんでした。だからこそ周りの人に微笑みを絶やさず過ごすことが出来たと思います。だからこそ彼女のブログは「やったー!」と「ありがとう」の言葉で溢れています。彼女は死に至る病気を抱えても、感謝だけを心に抱いて生きました。彼女は神様の御心と計画に身を委ねました。それがどんなに理解できない計画でもです。
傍から見れば、この一年間を悲劇だと言う人はいるでしょう。しかし、私にとってこの一年は神様から与えられた、かけがえのない大切な一年でした。香にとってのこの一年間はどれだけ自分が色々な人から大切に思われているか知る一年でした。自分がどれだけ他人の心に触れて過ごしてきたかの証になりました。アメリカのテキサス州からカリフォニア州、日本からドイツ、アフリカから中国、香は世界中の人からメール、食事、そして祈りを頂きました。それはここにいる皆さんとインターネットを通して参加されている皆さんを含めてです。皆様がこの一年間香と香の家族を愛し、励まし、支援して下さったお陰で、香の事をどれほど大切に思って下さっているのか伝わりました。本当に、本当にありがとうございます。この一年を香にとっての最高の一年にして下さった事を心から感謝いたします。
彼女の家族を始め、私達の家族も感謝で一杯です。抗がん剤治療で寿命を延ばせたこと、この試練を通して家族の絆が更に強まったこと、��本に旅行して最高の思い出を作れたこと、あなた方お一人一人が香を愛して下さった事、全て感謝します。そしてこの世のどんな困難に遭ってもイエス・キリストが死を乗り越えたことにも感謝します。香はイエス・キリストの勝利を信じ、信頼し、その信仰は私達家族全員の誇りです。
香ちゃんへ、
貴方と一緒に過ごせた時間は掛け替えのない時でした。あなたが私の姉であることは私の誇りです。もし、天国で宝を頂いたのなら今度は私に見つからない所にちゃんと隠しておいてくださいね。
直子
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mikeandkaori · 1 year
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娘のハンナから
お母さんとの一番の思い出を皆さんとお話しさせて頂きます。
これはダニエル君からです。
お母さんは優しく、穏やかで、争いごとが嫌いな人でした。お母さんはiPadと同じく、僕の質問になんでも答えてくれました。お母さんが亡くなって寂しいですが、天国で楽しく過ごしていると思います。お母さんとは沢山楽しい思い出があるので、居なくなるのは寂しいです。辛い時でもお母さんは明るく振舞って、優しい人でした。お母さんはいつも僕たちの事を考えて、楽しい計画を立てたりして色々考えてくれました。お母さんの愛を忘れません。
これはネイスン君からです。
お母さんはいつも他の人を思いやって、優しく、助けてあげて、愛で溢れている人でした。僕には勿体ないくらい素敵で最高のお母さんでした。お母さんがまだ癌の治療を受けていたとき、誰もいない時は裏庭でよく一人で休んでいました。学校から帰ってきたら僕は真っ先にお母さんとお話がしたくて、お母さんの傍に座って、30分から40分今日あった出来事のお話をしました。お母さんは治療で疲れていたのに、全然構わず僕の話を一生懸命聞いてくれました。どんな時でも僕のお話を聞いてくれました。僕の事を本当に愛してくれて、居なくなって寂しいです。
これは私、ハンナからです。
お母さんは私にとって、一番尊敬できる、最高のお母さんでした。お母さんは心優しく、思いやりがあって一緒に居て楽しい人でした。何より、秘密を守る人でした。私との信頼を守る為に、お父さんにも言わない秘密も守ってくれました。だからお母さんとはなんでも相談出来ました。私にとってお母さんは宝箱のような人です。それは、お母さんに何を託しても、絶対守ってくれたからです。そして、宝箱と同じく、開ける度に中に宝物が隠れてあったからです。
学校のテストで70点とか悪い点を取ったら、お母さんには言えましたが、お父さんに言ったら殺されると思い、言えませんでした。そういう時はお母さんは優しく相談してくれて、励ましてくれて、元気づけてくれました。
お母さんはみんなと一緒に楽しく遊ぶことが好きな人でした。家族みんなで裏庭のプールで私、お母さん、お父さん、ネイスンとダニエルでよく遊びました。みんなで鬼ごっこをしようと決めたら、お母さんが鬼になるべきだとみんな納得しました。それは、お母さんが物凄く水泳が上手な人だからです。猛スピードで泳ぐお母さんを止めるべく、浮き輪で妨げたり、お父さんは大声で叫んでたり、私達も出来るだけ遠くに逃げました。これは私のお母さんとの一番の思い出です。お母さんからは文句を言うより、笑って問題を乗り越える事や、秘密を守る大切さを学びました。
私達兄弟はお母さんと数えきれないほど沢山楽しい思い出があります。私達兄弟の事を一番に考えてくれて、助けてほしい時はいつも助けてくれました。秘密を守ってくれました。励ましてくれました。微笑み、笑いかけて、笑わせてくれました。一生懸命私達を支えてくれました。たった14年しか一緒に過ごせませんでしたが、どれほどお母さんが世界一やさしく、世界一尊敬できる、世界一の母なのか理解できるには十分な時間でした。私の母、トング・香は私の自慢のお母さんです。
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mikeandkaori · 1 year
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父の和田良一から
これから一曲賛美します。この賛美歌は私にとって非常に思い出深い讃美歌です。父が私の年齢であったとき、父は妹のために葬儀をしましたが、それは教会での葬儀でした。叔母がクリスチャンだったからです。父はそれまでにいくつかの葬儀をしました。一つは私の母である妻のため、私の弟である息子��ため、姉の息子である孫のため、そして私にとって祖父である父にためでした。また父はその他にもたくさんの葬儀に出ましたが、教会での葬儀は初めてでした。その妹の葬儀が執り行われる中で、父は今までの葬儀で経験しなかったものがあることに気付きました。特にこの賛美を聞いた時に感動を覚えました。それで葬儀が終わった時に私の姉に、私の葬儀もこのようであったらと思うと語ったのです。10年後に父は亡くなりましたが、亡くなる直前にイエス様を救い主として受け入れました。それで父の葬儀も叔母と同じ教会で執り行い、父が感動を覚えた同じ讃美歌を父の願いで歌ったのです。20年後に姉が亡くなり、姉もまたクリスチャンだったので、同じ教会で葬儀を執り行い、同じ讃美歌をうたったのです。この賛美かは英語の讃美歌から訳されたものですが、日本語訳では、死者にというより、死者から私たちへという点に重きが置かれています。つまり香から私たちに、特に、夫のマイク君と3人の子供たち、ハンナ、ネイスン、ダニエルに香が送る歌として訳されています。
   神ともにいまして、行く道を守り、
   神の御糧もて力を与えませ。
   また逢う日まで、また逢う日まで、
   神の恵み、汝が身をはなれざれ。
マイク、ハンナ、ネイスン、ダニエル、これが香があなたに願っていることです。
   強くありなさい、神が共にいてくださるのですから。
香ちゃん、あなたの使命はこれで終わりました。素晴らしい働きでした。わたしも香ちゃんがしたように出来たらと思います。神の御許で再び顔と顔を合わせて会う日まで、しばしの別れです。その時まで、さようなら。
ありがとうございました。
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mikeandkaori · 1 year
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ライブストリーム
お葬式はこちらでは土曜の朝10時から、日本時間では日曜日の午前1時からになりますが、もしライブで見て下さる方がいらしたら、下のリンクをクリックしてください。
https://youtu.be/SDduhYj-prc
後程録画したのを出す予定です。
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mikeandkaori · 1 year
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mikeandkaori · 1 year
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主の御許へ
深い悲しみとともに、香が今日12月8日午後12時に天に召されました事をご報告申し上げます。
この一年の皆様のお祈りとご支援、本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
皆様への感謝の気持ちは言い尽くすことはできません。
彼女が主の御許に帰る時、家族は彼女のそばにいて、最後を見守る事ができました。
葬儀については後程お知らせしたいと思います。
ありがとうございました、
マイク
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mikeandkaori · 2 years
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ホスピスケア
私のビリルビンと白血球数が高いため、抗がん剤療法はもはや機能せず、選択肢ではなくなり、 ホスピスケアに切り替えることになりました。
診断から1年経ったなんて信じられないくらいです。 毎日が神様からの贈り物でした。 日本行きの夢が叶い、そこでの滞在の日々を本当に楽しみました。 おばあちゃんは、私が来たときも帰る時も涙を流していました。 行けて本当に嬉しかったです。 あとどれくらいの時間が残っているかわ��りません(ERの医師は「数週間」と言っていますが、それは常に推測にすぎないことを知っています)。神様が私に与えて下さる毎日を喜んで過ごしたいと思っています。
皆さんが私と私の家族のためにしてくださったすべてのことに感謝しています。 抗がん剤治療を中止し家族と一緒にいるので、今は気分は良好です。 皆さんは信じられないほどの愛を私に示してくださいました。 ありがとう! いつの日か、私の子供たちが皆さんが私に示してくれたのと同じ優しさと愛を示すことができることを願っています.
本当にありがとうございます!
愛する 皆さんへ。
 かおり
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mikeandkaori · 2 years
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祈りのリクエスト
香は今日抗がん剤療法を始める予定でしたが、血液検査の結果は、白血球数が高く、ビリルビンが高いことを示していました。 主治医は、感染症の場合、および肝臓医がビリルビン値を下げる処置ができる場合に備えて、緊急治療室に行くように彼女に指示しました.
肝臓医がビリルビンを下げる処置を行うことができるように、また彼女が感染症にかかっている場合に、それがすぐに解決されることをお祈りください.
マイク
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mikeandkaori · 2 years
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感謝
日本に来てもうすぐ2週間。 ��日は丸一日残っており、金曜日に出発します。 夢が叶いました。滞在中、祖母、親戚、友人と楽しい時間を過ごし、美味しい食事を楽しみ、比較的元気に過ごすことができました。
ありがとうございました! この旅行は、皆様のお祈り、サポート、ご親切がなければ実現できませんでした。
日本での2週目のハイライト。
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mikeandkaori · 2 years
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家族とおいしい料理
私たちが出発する前日(水曜日)、私は一日中寝ている状態でした。 母は私たちが飛行機に乗れるとは思っていませんでしたが、翌日は神様がたすけてくだっさたので、元気いっぱいでダラスから飛行機に乗ることができました。 ただ、出発の際搭乗機のメンテナンス上の問題が起こりました。 「主よ、私は飛行機に乗りました。この飛行機は飛ばないのでしょうか??」と思いました。 しかし、神様は慈しみ深く、わずか 30 分遅れで ロスアンジェルスに到着し、大阪行きの飛行機に乗ることが出来ました。 関空では祖母の教会の方々が(車3台で!)空港まで迎えに来てくれていました。
ほぼ1週間経ちましたが、吐き気は1回だけで、祖母との時間を楽しんでいます. 明日、京都から来る叔父といとこに会えるのを楽しみにしています。
実は私が楽しみにしていたことの もう一つは日本食でした。
ここでは、これまでのハイライトをいくつか写真で紹介します。
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mikeandkaori · 2 years
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とうとう着きました!
信じられません! たくさんの祈りとサポートに感謝します! 元気に日本に到着しました。
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mikeandkaori · 2 years
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一歩前進!
いつもお祈りありがとうございます!
内視鏡検査はとてもうまくいきました。 出血はなく、静脈瘤を 2 つバンドするだけで済みました。
日本へ! 11月3日に出発し、18日に戻る予定です。 私たちが実際に行くなんて信じられない。 ちょっとクレイジー!
私は血液検査を受けましたが、私のCEA値はわずかに上昇しました.
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私の祖母もとても喜んで楽しみにしています。皆様、本当にありがとう。
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mikeandkaori · 2 years
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日本行きチケット購入!
11月3日から11月18日までダラスにいません。 私の両親、2人の姉妹、そして私の末っ子が私と一緒に旅行します。 楽しみであると同時に不安でもあります。 そのことを祈ってください
私の健康が、飛行中も日本でも持ちこたえられますように。
11 月 1 日に行われる私の内視鏡検査中、何の驚くことも見つかりませんように。
日本の祖母、いとこ、叔父と再会する時間を楽しめますように。
たくさんのお祈りとサポートを感謝します! 本当に行けるなんて信じられません! 癌だと初めて診断されてから約1年経ちます。 かなりアップダウンがありました。 今年一年を通して皆さんが私に与えてくださった愛とサポートのすべては思いもよらないことでした。
神様の御心なら、一週間ほどで日本に出発することになります!
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