Tumgik
nvi143 · 2 months
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桜の樹
春。桜の蕾が膨らみ、気温が緊張から緩和して、虫が増え、花粉が飛び始めた。僕は公園のベンチで、約束の時間まで待っていた。この木の近くで待ち合わせしようと約束していた。ロミオとジュリエットのチケットを握りしめながら、ベンチで待っていた。約束の時間になっても相手は現れなかった。恋が終わったことを実感した。そういうのには慣れっこだから、僕はその事実を受け入れ、小さく溜息を零した。
隣のベンチに座り、本を読んでいた君に声を掛けた。「チケット、余っちゃって。要りませんか?」君が学生帽のつばを上げて、こちらを見る。吸い込まれるような瞳だった。「いや、僕と…じゃなくて。恋人とか、友人と。2枚あげるので。」と言うと、君は少し考えて「一緒に行きますか?」と言った。
それから僕たちは、一緒に劇場に行った。4時間ほど、無言で肩を並べて舞台を見た。ロミオとジュリエットは悲劇だ、と言われるけど、両思いなだけで幸せだろうと思った。僕は捻くれているのだろうか。君はラストシーンで、少しだけ涙を浮かべていた。終演後、僕たちは別れが惜しく自然に喫茶店に入った。何かを鑑賞したあとは、感想戦をしたくなるものだから。僕たちは劇の感想から、普段何をしているか、最近買った文庫本の話、そういう話で盛り上がった。コーヒーは冷め、茶菓子はいつのまにか皿から無くなっていた。君はチケットが余った理由は聞かなかった。
次の日、学内で君を見た。君の背中をこっそり追いかけて、取得していない授業の教室に来た。君の隣が空いていたので隣に座った。君は驚きながら笑って、僕に本の半分を見せてくれた。肩を並べて聞く授業はつまらなかったけれど、真剣に聞いている君の表情を眺めていると面白かった。
僕たちはそれからよく顔を合わせるようになった。ある日は中庭のカフェテラスで一緒にご飯を食べて、ある日には図書館で本を読んだ。時々喫茶店で待ち合わせをして、そのまま映画館に足を運んで、夜まで語った。僕と君は気が合った。そうやって僕たちは他人から友達になった。もう、君のほとんどを知った気になっていた。過去の恋愛の話も、好きな物語のジャンルも、短期間で網羅したから。そして僕は、友情以上の感情が芽生えていることが分かった。でも僕は昔の恋愛の話を君にしないように、この感情も胸の中に押し殺した。僕には永遠がないからだ。
やがて桜が満開になった。街を歩く人が空を見上げながら、可憐に咲く花に手を伸ばした。僕はその日、君を舞台に誘った。その舞台は学生が書いた戯曲だった。ある人が失った記憶を取り戻し、恋人に会に行くと言う、ありふれたストーリーだった。シェイクスピアやチェーホフのように優れてもいなかったが、僕はその舞台の幕が下がる時、涙が止まらなかった。彼は、「君はロミオとジュリエットでも泣かなかったのに」と笑いながら僕の頬に伝う涙を、指の腹で拭った。そのあと、僕らは喫茶店ではなく人気がない校舎に忍び込んで、照明が落ちた図書館で蝋燭を灯し向かい合って本を読んだ。そういしていると守衛の足音が聞こえて、僕らは蝋燭の火を吹いて消し、本棚の間にしゃがんで隠れた。光がない中でも陰影がくっきりとした、君の鼻先、唇、近付いたそれに触れたい気持ち、いや、キスしてしまいたい気持ちを抑えた。
その日を最後に、僕は君に会うことをやめた。キャンパスに足を運ぶのをやめ、舞台にも行かず、映画にも行かなかった。散る桜が増えて、今年の自分が終わることを自覚した。毛布に包まる夜、雨音が近づく音が聞こえた。雷がぴかりと光って遠くで鳴いた。やがて雨の音は激しくなった。ああ、この雨で、もう桜は散ってしまうのだと、今年の僕はもう終わりなんだと、そう思った。来年桜が咲いた頃には、君も去年の彼女のように僕も、僕との約束もきっと忘れるから。胸の内に閉まって、傷付かないようにしようと、毛布を頭まで被った。雨の音が激しくなるたびに、脳内では君との思い出が鮮明に再生された。君の記憶から逃げようと布団を強く握っても、その記憶は色濃くなるばかりだった。会いたい、君に会いたい。僕は咄嗟に家を飛び出した。雨の中、裸足の中で走った。寝巻きが濡れ、足に泥がつくのも構わずに、散ってしまう前に、会えなくなる前に、僕は君に会いたいと必死に走った。
君は僕の桜の樹の下に、傘をさしながら立っていた。雨と共に落ちる花びらが、綺麗に落ちていた。濡れた僕を見て、驚きながら傘の中に僕を引き寄せた。僕は傘の中で君を抱きしめた。「会いたかったんだ」と僕が告げると、小さく君は頷いた。「なぜか眠れなくて、あの場所に行かないとって思った」君はそう言った。僕はそんな君の言葉にたまらなくなって、「好きなんだ」と告げた。「ううん、愛してる」そうやって言葉を訂正した。僕たちはどちらからともなく、接吻をした。それは次第に激しくなり、傘を捨てて、雨に濡れながら舌を交わせ、互いを求め合った。頬に伝う水滴は、雨なのか、涙なのか分からなかった。朝にはこの花びらも散って、ぼくも散って、この恋も散るということは、君には教えなかった。君の中でぼくの思い出が無くなったとしても、ぼくが覚えていれば、いつかは会えるだろうと思ったからだ。
そうして全ての花びらが散って、僕は消えた。暑い夏が来て、長い冬が来て、また春が来た。桜の蕾が膨らみ始めていた。僕は君と出会ったベンチに座りながら、ロミオとジュリエットの舞台のチケットを握り締め、君が来るのを待った。君があのベンチに座ったら、僕はまた君に声をかけて、君と恋を始めようと、そう思っている。君がこの愛を忘れても、僕は永遠にきみの愛を、憶えている。
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nvi143 · 3 months
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不燃愛
ぽたり、と鼻から血が垂れる。外に出るのが億劫だね、と家でポップコーンを食べながら映画を見ていた。ちょうどラブシーンで鼻血が垂れた。それがあまりにも単純なエロで興奮する男子中学生みたいで、馬鹿馬鹿しくて、2人して肩を震わせて思い切り笑った。君が丁寧に、優しくテッシュでそれを拭った。「今日はキスできないんだね」と眉を下げたぼくに対して、君は額に唇を落とした。鼻にティッシュを詰めてるとこ「見ないで」というと、「そういうところも可愛いよ」と微笑んだ。じくりと肺の横が痛んだ。これが、ときめきか、と思った。そうして眠った。
朝が来た。ピクニックに出かける予定だった。カーテンから溢れる日差しは眩しく、目を突き刺した。鼻血のせいだろうか、貧血のように体が重かった。隣で眠る君が額に手を当てると、自分の温度の高さに驚いた。試しに体温を測ると体温計は38.2を表示した。ピクニックは今度行こうか、と眉を下げる君に今日行きたかったのに、と怒鳴り拳で彼を叩き、ベットの上で泣き叫んだ。君は眉を下げながら「君のためだよ」と謝った。僕は泣いても涙が止まらなかった。最近不安定みたいだ。体調も、感情も、何一つとしてコントロールできない。情けなくてさらに泣いた。シーツがべちょべちょになった。泣いている間に君は落ち着きなね、と1人でどこかに行ってしまった。僕のことを置いていくなんて、大嫌いだと、叫びながら泣いた。そのうち涙も枯れて、だるさが襲い眠りについた。暫くして目が覚めると、君がキッチンに立っていた。きみはあたたかいお粥を僕に作っていた。ベットに運ばれたそれをゆっくり食べた。味はおいしいとは言えなかったけれど、君の優しい味がした。そのあとみかんゼリーを食べて、歯を磨いて、君に頭を撫でられながら寝た。不甲斐ない自分すら愛されている気がして、またじくりと肺の上が痛んだ。
朝が来た。お互いそれぞれ仕事をこなし、やり過ごす毎日が続いた。パターン化された毎日でも、君と過ごす時間があればそれは幸福になった。少しのスパイスで格段と味が上がるカレーのように、僕にとって君は特別だった。ただ一つ、変わったことがある。よく体調を崩すようになった。心ではなく、体が。鼻血を出した時から段々と体が蝕まれる感覚がする。前より呼吸が浅くなり、足首が誰かに掴まれてるのではないかというほど体が重くなった。ただの風邪だろうと流していたが、君の心配もあり病院に行った。風邪薬を貰うだけのはずが、アルコールの匂いを嗅ぎながら、多くの検査をした。医者に告げられた結果は、悪いものだった。病名は長すぎて頭に入ってこなかった。愛の病だと言われた。最愛の人と一緒にいることで寿命が縮まるらしい。所謂、末期癌のようなものだった。彼との生活を続けると三日ほどで君は死ぬと、そう言われた。治療薬はなく、彼と離れることで長生きできると言われた。その日は家に帰り、君が帰ってくるのを待った。帰ってきた君には開口一番に具合を問われた。「大丈夫だった?」「薬は飲んだ?」「ちゃんと食べないと」と。僕は、「ただの風邪だったよ」と笑った。心配する君の姿が母親みたいで、それがまた愛おしく、苦しくて、すぐにトイレに駆け込んで、君に見られないように涙をこぼした。思わず出てしまう声を必死で殺した。僕は選択を迫られている。君と居れば死んで一緒にいられないし、君と居なかったら生きれるけど君は居ない。どちらも地獄だと、そう思った。その夜、僕たちはシーツの中で深く深く交わった。冷たいシーツと、君の温かい体に挟まれ、君の熱いそれを受け止めた。僕の中でどくりと脈打つそれから、君の心臓を感じた。何度も奥が抉られ、息が上がる。心臓がじくりと痛い。君にこうやって近づく度に、死ぬんだと、それが実感としてあった。君の背中の皮膚に爪を立てて激しくしがみついた。君を離したくない、離れたくない、離れていかないで。涙が溢れるのは、快感のせいにして誤��化した。君の生温い性液を腹の中で感じるのすら、尊くて、虚しかった。僕を忘れないでという気持ちで、君の首筋に沢山のキスマークを残した。
朝が来た。今日は仕事を休むと君に言い、部屋を出ていく背中を見送った。君がいない時間に、僕は決断を下した。全ての荷物をまとめた。君との思い出のCDや、本、日記帳はゴミ袋に入れた。一冊だけ、君にあげた本だけを本棚に残した。最後の悪あがきだったんだろうか。君に僕を覚えて欲しい、なんて、呪いをかけるような気持ちで残したのかもしれない。夜、君が帰ってくる前に家を出た。僕の痕跡をできるだけ残さずに、僕は君の前から消えた。さようならという言葉も残さずに、温かい場所から自分で去った。飛行機の窓から小さくなる街を指でなぞった。僕の体温が冷たくなる感覚がして、静かな機内で涙を落とした。
何度か朝が来た。君の側から去って、1ヶ月ほど過ぎた。肌にはまだじっとりと、君の温かい感触が残っているのが辛かった。君から離れた場所で、君のことをなんとか忘れようと必死だった。昼間は仕事に追われて平気だった。それなのに夜になると、毛布にくるまっているのに寒くて仕方なかった。医者には離れた時の副作用として、低体温になっていると言われた。耐えるしかないと、そう告げられた。君に会いたい。会いたくて、仕方がない。数少ない君の痕跡を辿った。電話帳から消したはずの連絡先がメモに残っていた。衝動的に10円を握りしめて外に出た。数が減った公衆電話を探し出し、10円を数枚入れて君の番号を打った。ちゃんと君にお別れを言って忘れられれば、僕の体温も戻るんじゃないかと、安易にそう思った。呼び出し音の後に君の声が聞こえる。「もしもし」と僕が口にしただけで、君は僕が誰か分かったようだった。「ちゃんと、さよならを言えてなかったから」というと、君は「そういうの辞めてよ」と怒った。僕はその言葉に動揺して、「また君に愛されたい」と呟いてしまった。君は、苦痛を搾り出すように僕に言った。「僕は、君との恋や思い出をやっと仕舞ったんだ」と。その言葉を聞いて僕は受話器を下ろした。まだ時間は余っていたようで、10円玉がカランと音を立てて数枚返却された。君との物語はもう終わったのだ、というのを理解した。
何度か朝が来た。あれからまた数ヶ月経った。時々病院の検診に行った。レントゲンを見せてもらった。「病気の進行は完全に止まった」と医者に言われた。レントゲンには、心臓や肺に白いツタのような物が巻き付いているのが写っていた。医者曰く、これは骨のような物で、最愛の人の近くにいるとこれを育ててしまい、これが育ち花のように咲く頃には、心臓や肺を締めて止めてしまうと言われた。死ぬ寸前だと言われたのがよく理解できた。僕は君を完全に忘れるために努力をした。夜の街に繰り出しては、孤独を埋めるための恋をして、お酒を飲んで、冷たいベットで肌を寄せ合った。「君は、すごく冷たいね」とその子たちは肌を撫でた。僕の体温は君といた頃の体温には戻らなかった。心臓が高鳴る、痛くなるあの感覚が、恋だったとは思いたくなかった。
朝が来た。朝が来るのが怖かった。何も楽しくなかった。映画を見るのも、ご飯を食べるのも、音楽を聴くのも。自分の中の大事なピースが欠けて、そこの空白がどうしても埋まらない。そんな毎日が続いた。たまたま用事があり、君の住む街に行くことになった。半年だと、何も変わってはいなかった。君と住んでいた街は、温かかった。というより、君との思い出が温かった。気が緩んだ。君を捨てて、僕は傷つかないことを選んだのに、その温かさに許された心地になった。用事を済ませた僕は、自然に君とよく行っていたカフェに足を運んだ。日曜日、いつもの窓際の席。そこに君はいた。君はまだそこに座って、僕があげた、本棚に閉まったはずの詩集のページをめくっていた。横顔を見詰めるだけで、涙が溢れた。声を掛けたい気持ちを抑えて、僕は君が見える離れた席に座った。机にあった紙ナプキンに、ぎっしりと君への手紙を書いた。もし、君がこれを受け入れてくれるのなら、僕は死んでもいいから君に会いたいと、そう思いながら言葉を綴った。謝罪と、君の思い出がどんなに尊いかということ、そして、君への愛。それを一心不乱に綴った。それを君に渡して欲しいとウエイターに渡し、僕はカフェを出た。あの日、ピクニックをするはずだった公園に行った。これで、君が現れなかったら、もう諦めようと、そう思いながらベンチで君を待った。しばらくして、僕の隣に君は座った。僕たちは何も言葉は交わさなかった。ただお互いの手を握り合って、指先で気持ちを伝えた。久々の暖かさに、溶けてなくなりそうだった。
朝が来た。君の腕に包まれながら、僕は目覚めた。「君はあたたかいね、」と笑った。あんなに冷たかった肌は、一晩にして戻ったようだった。帰りのフライトはキャンセルした。君の腕の中で死のうと、そう覚悟した。僕は、彼に逃避行がしたいと懇願した。旅行に行きたいと、君にワガママを言った。近場なら、と君は頷いて、僕たちは昼過ぎから出かけた。車を山奥に走らせて、僕らは現実から逃げた。君の助手席で、思い出の曲をかけて、窓を開けて息を吸い込んだ。心臓と肺が押し潰されて体は苦しいけれど、生きている、という心地がした。僕らはその夜、山奥のペンションに泊まった。焚火をして、思い出や、空白の期間何をしていたかを話し合った。君も君で、僕じゃない人を愛そうとして涙を溢したこと、僕は君じゃないと日常が埋められないと気付いた日のこと、色々語りながら、時に涙を溢した。夜空を見上げると、星が煌めいていた。僕は君に言った。「いつかあの星に、楽園に、2人で行こうね」と。君は優しく微笑んで頷いた。そうして、僕らは社会から離れた小屋で2人で眠った。僕は君の心臓の音を忘れないように、耳に刻むように、聴きながら眠った。
朝が来た。起き上がるのも、指一本動かすのも、辛くなってきた。息も上手くできず、視界が霞んだ。死が近づく気配がした。顔が青白い僕を見て、君は心配して帰ろうと諭した。僕は行きたいところがあるんだ、と君に頼み込んだ。どうしても最後に君と、最初に出会った場所に行きたかった。君はまた困った顔をした。僕は、一生のお願いだからと、君の手を握った。そうして、僕らは、僕らが出会ったキャンパスに向かった。ここで初めて、彼に出会った。卒業して暫く経ったキャンパスは、少しだけ変わっていた。僕らがよく逢瀬していた秘密基地は、綺麗に整理整頓されていた。授業を受けていた教室に行くと、あの頃の気持ちに戻れた。初めて、振り返って、後ろにいた君と言葉を交わした日を思い出した。君の前の席に座れたことは、僕の人生において1番の幸運だった。そして、屋上に向かった。今にでも倒れそうな僕に帰ろうと、不安そうに諭す君を振り切って、なんとか階段を登った。あの日、ここで、君のことが好きだと気づいた。カメラのシャッターを君に向けて切った時。僕の臓器に埋められた種は、この時に芽を出したのだと思う。ここで、きみとこうして手を繋げていることが、本当に幸せだと思った。そう思った瞬間、心臓が何かに突き刺される心地がして、血を吐き、鋭い痛みに耐えきれず、僕は倒れた。君は「駄目だ」と泣きながら僕を抱いた。朧げな視界の中で、君を目に映そうとして、僕は君の頬に手を伸ばす。暖かい涙が頬に落ちる。この暖かさが僕の拠り所だった。最後に言いたい言葉はたくさんあった。だけど、不思議と、この言葉しか出てこなかった。シンプルでありふれた言葉だけれど、この言葉だけを言いたかった。「愛してる」きみを、世界でいちばん愛してる。急激な眠りに襲われ、僕は瞼を閉じた。幸せだと、心から思った。
君には朝が来て、僕には朝が来なかった。僕の体は燃やされた。けれど、僕の中で育ち、僕を殺した花は綺麗に咲いて、燃えなかった。遺骨のように、その花も残った。僕が死んでも、僕の愛は燃えなかったらしい。生まれ変わっても、この愛は燃えない。僕は、君への遺書にこう書いた。「もし、生まれ変わったら、どんな形であれ、君に会いたい」
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nvi143 · 3 months
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愛の悲しみ
主は、柔らかな花だった。君が笑いかければ、周りは癒されいつも人に囲まれていた。主の為なら身を捧げていいと献身する人や、弟子や、愛おしさを込めて高級な油を使って足を洗う女や、そんなのが沢山いた。僕は他の弟子たちより出会うのが遅かった。その頃僕は世界に僕しか居ないんじゃないか、というほどに孤独に苛まれていた。孤独で死にそうな朝方、初めて河のほとりで彼に出会った時僕は救われた心地がした。朝日に照らされた君が伸ばした手を掴んで、そこから側にいた。君は「君が1番信頼してて、愛しているよ」と笑った。信頼しているからこそ、会計を任されたりもした。でも僕は日が過ぎれば過ぎるほど、その愛が分からなくなっていった。主が、他の人に手を差し伸べる度に、慕われる度、微笑みかける度に、心の中にどろりとした感情が湧いた。マリアが香油で主を祝福したとき、自分のものが汚される心地がした。邪な心が沸いた時は神に祈ればいいと言われて、星に祈った。返ってくる答えはなくて、君への思いが募った。主が「僕だけ」を見ればいいのに、と。僕だけの主でいればいいのに、と。
君を慕う人は日に日に増えていった。それに伴って、自分の権力や地位が揺らぐと考えた人々は君を排除したがった。そういう奴らと、君を独り占めしたい僕は目的が合った。彼らは僕にイエスを引き渡せば金をやる、権力を失わせるだけだから。と僕にささやいた。君が権力を失う事で、絶対的な神の子の地位を失って、みんなから捨てられた君が僕のものになればいいと、そう思った。僕は君が苦しんででも、君を僕のものにしたかった。
主にいい話があると提案し、君と群衆達を彼らの前に案内した。裏切りの時。僕は君が主だということを知らせるように、頬に接吻をした。慈しみと、独占欲と、愛が混ざった口付けをした。その瞬間、君は柔らかい視線を僕に送った。僕が「裏切り者」になるということを君は前日から悟っていたのにも関わらず、彼は許した。奴らは群衆の中から君を捕まえ、引き摺るように連れて行った。群衆に紛れるように小さくなっていく彼の姿に胸騒ぎがした。僕は奴らからしばらく豊かに生活していけるほどの、まあまあな報酬を貰った。そのお金でパンを買い食べたが、味はしなかった。裏切りがバレた時点で、君はもう僕の元に帰ってこないことを悟った。それでもまた、愚かな僕は君に会いたいと思ってしまった。ぽつりと落ちた涙のせいで、味がしないパンは少し塩の味がした。
それから数日経ったある日、町に噂が流れた。イエスが十字架にかけられるらしい、と。奴らは僕に言った以上のことをした。目障りだから殺したかったのだろう。頭が真っ白になった。裸足で家を出て、群衆を押し除けた。君が十字架を引いて、他の2人の弟子と歩くのを見た。いつも貧しい民に食べ物を分け与えていた為元々細かった体は、さらに拷問で細くなり、白い肌からは血が垂れていた。民衆は石を投げた。「やめろ」と呟いても、民の罵声が大きくその声は掻き消された。苦しい状況にも関わらず、君は先を見て祈っていた。山の頂上に辿り着いたところで、君は十字架に貼り付けられた。見物に飽きた民衆たちは家に帰り、ただ君を慕っていた人たちが泣いていた。僕はそこに立ち尽くし、夜を明かした。祈っていた君はいつのまにかぐったりと眠り、死体は暫くして回収された。君は、息が絶えるその瞬間まで空を見ていた。僕が君の命を奪った。君の心を占めるものは結局神だった。何も勝てなかった。恨まれもせず、1番にもなれなかった。せめて、一緒に十字架にかけられた弟子達のように一緒に死にたかった。
君の死を見届けて、家に帰った。棘が刺さった足が今更じくりと痛む。そして、そういう痛みを感じるたびに、痛みを拭ってくれた手の温かい手のひらを思い出しては、もうそれを感じられないことに虚しくなり、涙が溢れた。声を上げて、どんなに泣いても、涙は枯れなかった。君の居ない世界では、生きている意味がないと悟った。そして、僕は柱に吊るしたロープに手をかけた。きっと死んでも、君の元にはいけないだろうと思う。行き先は地獄だけれど、このまま君のいない世界で生きている方が地獄だから。喉仏にロープが食い込む。その時に思う。もし時間が戻せて、君に手を差し伸べられたとして、また僕はその手を掴んでしまうんだろう、と。だって、どうしても、君を愛してしまう運命だから。
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nvi143 · 4 months
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永遠の惑星
xx年xx月24日 12:00
ニュースのキャスターが告げた。「あと24時間半で地球に彗星が追突します」と。切羽詰まったように。僕はそのニュースを他人事のように見ていた。お金持ちも、貧しい人も、芸能人も、僕も、どうやらみんな等しく死ぬみたいだ。1週間前、そのニュースが確実になった時、人々は騒いだ。死にたくない、怖い、痛いのは嫌だ、と。1週間のうちに自分で命を絶った人もいた。ある人は、最後まで食い止めるための研究をするという人もいた。喧騒は数日で落ち着き、多くの人々は残りの時間を穏やかに過ごし始めた。みんな仕事を辞めて、街は静けさに包まれた。君も、活動をやめてゆっくり過ごしているみたいだ。カトクの通知が鳴った。“僕たち、会おうか”と。すぐに返事を送った。
xx年xx月25日 00:00
昼過ぎ、君が家に来た。最後の日なのにいざ仕事がないとやることがないんだよ、と笑った。僕もだよ、と笑った。僕は、君に初めて会った時から君が好きだった。君が部屋に入ってきて、視線を交わしたあの瞬間から。最初は演技をして、役が入ったからだと思っていた。初めて重ねた君の唇は柔らかくて、愛おしくて、苦しかった。このままカットが掛からなければいいのに、とすら思った。僕らの仕事があるのが嬉しかった。君が僕を見つめるのが嬉しくて、その瞳の奥を独占したかったし、2人でいる時間は独占できている気がしていた。君との夏は早くすぎた。運命が始まったと笑っていたあのドラマの撮影も。なにもかもが。旅行を最後に、君はみんなのものになった。隠れて見に行ったコンサートで、君は眩しくスポットライトを浴びて輝いていた。それは君にとても似合っていた。きみは、僕の手に届かないものだと悟った。僕の君を手に入れたい気持ちに、蓋をした。墓場まで持っていくつもりで。布団を譲るからそっちで寝てくださいといったのに、君は頑なに拒んでソファで眠った。そういうところが優しくて、君らしくてやっぱり好きだと思った。君の耳の形まで覚えてるくらいに好きなんだと。洗面台に行くと吹き出物ができていた。僕の蓋をした気持ちが湧き出るみたいに膨れたそれを、爪の先で潰した。
xx年xx月25日 14:00
昼下がり。朝から早く起きてトーストを食べた。お互い読みたかった本を寄り添いながら読んで、お互いの好きな曲を聴きながら観葉植物に水やりをした。昼ごはんは君が作った即席ラーメンを食べてから、散歩に出た。風が心地よかった。犬を散歩させている人や、手を繋ぎながら歩いている人がいて、日常と変わりがなかった。日が落ちてコーヒーを淹れて、残らないだろうけど、遺書を書こうかとふざけながらレターセットを取り出して、真剣に取り組んだ。僕の遺書の8割は、君への思いで埋まった。なぜか涙が溢れて、それが紙に落ちてインクが滲んだ。君の���かい指が僕の頬を拭った。「怖い?」と尋ねた。「違うんです。死ぬのが怖いんじゃないんです。僕は」と言葉を飲み込んだ。君に、君が、ここで言えなかったら死んでも一緒になれない気がして泣いたんだ、とは言えなかった。死ぬのに、言葉が出ないのがバカバカしかった。潰したニキビが傷んだ。
xx年xx月25日 23:00
もうすぐ地球が滅亡する。夕方から、最後の晩餐に贅沢しようと考えたご飯は、いつも通りで君と笑った。世界の終わりはもっと混沌とすると思っていたけれど、君と笑うとは思わなかった。晩餐を囲みながらボトルワインを開けて、最後に見たい映画を何本か見た。そのうち、雨音が響き始めた。終末に天気が悪いなんて、笑えた。いつもよりもお酒が進んで、死なんて怖くなかった。あと数時間で世界が終わるなら、この気持ちに蓋をする必要なんてないんじゃないかと思った。死んでも、君にとってきれいな思い出でいたいとは思うけれど、ひとつになれないなら、それは意味のないことだという思考が脳みそを侵食した。映画のラストシーンで2人はキスをした。お酒の力も借りて、同時に僕は君の唇を塞いだ。「最後くらい、いいでしょ」と。きみも、今から終末を過ごす他の相手を探せないだろうという僕の狡さもあった。相変わらず君の唇はとても柔らかかった。驚いたように君は瞳を見開いたけれど、そのまま僕の口付けを受け入れた。そして、君も僕の唇を拭うように口付けした。好きを通り越して「愛してる」と、堪らずに呟いた。頭に響く水音が雨音なのか、水音なのか分からなかった。
xx年xx月25日 23:55
昨日は1人で寝たベットに、今日は君がいた。君の肌の柔らかい感触や、中に放たれた熱や、首筋に付けられた痛さが生々しく残っている。シーツの中で指先を滑らせて、君の指を握った。手が届かなくても良かった。君の隣でこうやって体温を感じたかった。ずっと。「彗星が落ちるのが見えるって、見る?」と声をかけて、布団に2人で包まったまま、抱きしめられたまま雨で濡れたベランダに出た。水が頬を濡らす。雨なのか、涙なのかは分からなかった。君の心臓の音に耳を傾けながら、曇り空を遮るほどの眩しい光で落ちてくる星を見つめる。この終わりに、きみと、永遠になれてよかった。君の手を、ぎゅっと握った。
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nvi143 · 4 months
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甘い毒
特に夢も無く、ショコラティエとしての毎日を僕は過ごしていた。勉強や社会が馬鹿馬鹿しいと逃げたお菓子作りの才能を運良く見出され、なんとなく有名な人の元で学び、なんとなく実力を付け、有名にもなり、自分の店を構えた。退屈な毎日。誰のためにも作らず、ただ生きる為に甘いものを作った。自分で作った作品を食べても、感動も、甘さも、美味しさも感じなかった。ある美食家にはネットで「取り繕った美味しさはあるが、感情がない」と書き込まれた。その通りだった。賑わうバレンタインの時期も、ただチョコを生産するロボットのような心地だった。
何も変わらない毎日。ショーケースに並ぶチョコが消費される何気ない毎日に、「きみ」に出会った。客足も少ない、閉店間際の遅い時間だった。くたびれたスーツに似合わない端正な顔立ち、ムスクの香水、血管が浮き出る白い手首。きみは少し疲れた表情でカフェ席に座った。その日の君は、残ったオランジェットと、コーヒーを注文した。ただ黙々と、それを口に運び、中で溶かし、ごくりと喉仏が動く姿が美しかった。「美味しかったです、」という彼の言葉が頭に染みついた。「次は遅い時間でも残しておくので、また来てください」と言うと、彼は微笑んだ。
それから2週間に1回程度、週末半ばの遅い時間に彼はお店に足を運ぶようになった。作る意味などない、暇つぶしだ、と思っていたショコラ作りは「彼」という存在を前に、意味のあるものになり、没頭した。いつでも君の甘美に溺れる表情が見たい、という気持ちで。君は僕のショコラに酔いしれるように味わい、食べた。そうしているうちに、客足は増え、嫌味のように書いてあったレビューもインターネットから消えた。客足が増えることよりも、君の姿が見たいと願いながらショコラを作り続けた。
2月。バレンタインデーが近付き、さらに客足が増えた。意味のないと思っていた日付。君が来るかもわからない日に向けて、毎晩工房に残り、チョコを作り続けた。最高傑作を君に食べてもらえたら、このまま倒れて死んでもいい、そう思いながら試作を続けた。そうしてそれが出来上がった。
バレンタイン前日、君がお店に足を運んだ。最高傑作のショコラを君に勧める前に、君が口を開いた。「恋人に、贈りたくて」頭が真っ白になる感覚がした。僕と君は、ただのショコラティエと客で、何もないのに好意を寄せていた僕が異常だったと思い知った。でも、欲望は止められなかった。用意するからと、ついでに試作品の試食を勧め、君をカフェ席に座らせた。普段から服用している睡眠薬を君が飲むコーヒーに溶かし、差し出した。数分後、君は眠りに落ちた。工房の奥に閉まっていた最高傑作を運ぶ。リキュールを入れたボンボン・ショコラ。椅子で寝落ちた君の傍に座り、それを一口齧る。中のガナッシュが口の中で溶ける。その唇で、ぼくは君の唇を齧り、舌で溶けたチョコを彼の口内に押し込み、僕の味を忘れないようにと、そう願いながら舌を絡めた。眠っているから、意味もないのに。もう死んでもいい、と。そう思った。
暫くして、君は目覚めた。君は寝落ちたことを謝り、僕は適当に余物を詰めたショコラのセットを恋人にと手渡した。それから数日後、僕はショコラを作るのをやめ、店を閉じた。
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