Tumgik
okaboshi · 2 months
Photo
Tumblr media
「米軍最強の海兵隊を全滅させた男」 を知っていますか?
彼の名前は、 陸軍中将・中川州男(なかがわ くにお)
太平洋戦争において 最大の被害を米軍に与えたと言われる 「ペリリュー島の戦い」を指揮しました。
日本兵1万に対して、 上陸してくるアメリカ兵は4万8000という 圧倒的な兵力差。
この圧倒的に不利な状況で アメリカ軍を追い詰めた作戦とは、、、
====
ペリリュー島の戦いは アメリカ軍にとって、
隠したくなるほど不名誉で 甚大な被害を出した戦いだった、、、
1944年3月 ペリリュー島に派遣された中川州男
彼はこの時すでに、 絶対的な守備力不足を痛感していました。
「米軍と正面から ぶつかっても勝ち目はない…」
そう考えた中川は ある戦略を実行しました。
それは、、、 島内の中央部に「地下壕」を張り巡らせる というものでした。
ペリリュー島独自の特徴である 天然の洞窟や鉱石の採掘場 の存在に着目し、
大規模な地下陣地を 構築したのです。
日本兵たちは地下陣地を作り、 約5ヶ月という歳月をかけて 入念に準備をしました。
1944年9月、 完全に要塞化されたペリリュー島に 何も知らない米軍が上陸したのです。
まず中川は 米軍が上陸するであろうビーチに 砲撃を降らせました。
そして 米軍を島の内陸に追い込み、
日本兵の姿が見えなくなった と思わせたところで、
地下陣地で待機していた日本兵たちの 容赦ない攻撃が始まったのです。
兵器、兵士の数で 5〜6倍以上の差があったため
アメリカ軍の計画では 島を4日で攻略する予定だったと言われています。
それにも関わらず、 最終的に2ヶ月半を要することとなり、
アメリカ軍の作戦計画を 大きく狂わせることとなったのです。
また中川は、 勝利だけにこだわったのではなく 島民への疎開指示を行いました。
そして 島が歪むほどの戦いと表現された
ペリリュー島での戦いで 住民の犠牲者は1人も出さなかったのです。
このように中川州男は 圧倒的不利な状況の中でも 冷静に状況判断を行い、
一般市民や部下たち を守りながら
準備周到で アメリカ軍を迎え撃ちました。
そして「米軍最強」と言われた、 アメリカ海兵隊の第 1 海兵師団を 全滅へと導いたのです。
現在でも中川州男は アメリカで称賛されるほど有名ですが
日本では ほとんど知られていません、、、
このように 日本人には知られていない歴史が まだまだ存在します。
教科書では数ページで 終わってしまう近現代の歴史、、、
そこには 全く描かれていないような出来事の中にも 確かに日本人の歩みがあり
先人たちの葛藤や苦悩、 ドラマが詰まっています。
一人一人の軍人たちの生涯と 各局面での意思決定を追っていくと
今まで負けたことだけを クローズアップされていた
戦争の真実が 見えくるかもしれません、、、
416 notes · View notes
okaboshi · 3 months
Photo
Tumblr media
P.P. ピンカートンさんのツイート: “みんなにこれを……!… ”
238 notes · View notes
okaboshi · 3 months
Photo
Tumblr media
(【4コマ漫画】おれキレると何するか分かんねーからガチャ | オモコロから)
50 notes · View notes
okaboshi · 3 months
Text
Tumblr media
(満秋楓: 「ナチスドイツ時代のカラーアニメ『verwitterte Melodie(1943)』イデオロギーのいの字も無く、草むらの蓄音機と戯れる虫たちを描いた短編作。三次元的な回り込み演出は今見てもオーパーツのような素晴らしい出来であります。 #描写がすごすぎて言葉を失った映画 https://t.co/SdTw0GMDBH」 / Twitterから)
551 notes · View notes
okaboshi · 4 months
Text
Tumblr media
5 notes · View notes
okaboshi · 7 months
Text
“人は「考え方」を手に入れたとたん頭のよくなる生き物である”
人は「考え方」を手に入れたとたん頭のよくなる生き物である - teruyastarはかく語りき
意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない
比較,ものさし,マインドマップ,議論,プロット,
227 notes · View notes
okaboshi · 8 months
Text
本番で緊張せずに実力を出す方法はあるのか?
「緊張して、実力が出せなかった」という話をよく聞きます。  
私は元プロボクサーです。「殴られて死ぬかもしれない!」というリスクのあるプロボクシングの試合前は、プレッシャーと恐怖からほとんどのプロボクサーが極度の緊張状態にあります。  
私もこの緊張が嫌で嫌で、大好きなボクシングなのに試合直前で毎回やめたくなっていましたし、何より「この緊張さえなくなれば、もっと実力を発揮できるのに!」と悩んでいました。  そこで、私はプロボクサー時代、「『緊張』の正体を正確に理解できれば、それをなくすことができるのではないか?」と考え、まず緊張しているときと通常時の場合と比べて、体の中で、どんな変化が起こるのかを調べてみることにしました。
緊張時に起こる体の変化として、私が理解したことは以下のとおりです。
・戦うためのホルモン、ノルアドレナリンやアドレナリンが体内で放出される ・その結果、心臓の鼓動が早くなり、血圧が高くなる ・同時に肝臓に蓄えていたグリコーゲンが分解されブドウ糖になり、血糖値を上がる ・筋肉の血管が開き、筋肉に血液とブドウ糖(エネルギー)が送られる  
つまり、緊張により体は戦うために、筋肉をより動かしやすい状態にしていることがわかります。  
しかし、そうなると緊張をなくすことで「ボクシングのパフォーマンスが向上するはず!」と考えていたことに疑問が湧いてきたんです。  緊張により体は戦う準備をしているはずなのに、「緊張がなく、戦う準備がされていない体のほうがうまく動く!」と感じているのは理屈が合いません。車で例えるなら、エンジンの温まった状態のほうが当然、スムーズに速く走るはずですから。  
体は戦う準備ができているのにもかかわらず、パフォーマンスが落ちてしまうのはなぜか? さらに深く調べてみることにしました。
その後、水泳選手であるイアン・ソープの話をネット記事で見かけ、緊張状態で実力が発揮できない理由は、「これだ!」と思ったのを覚えています。
 ソープもかつては試合で実力を発揮できない選手だったといわれています。  そんな悩みを抱えるソープにメンタルトレーナーが送ったアドバイスが「両サイドのレーンで泳ぐ選手を気にせず、一人で泳いでいると思って、自分がコントロールできることだけに集中して泳いでみなさい」でした。  
自分がコントロールできることだけに集中するとは「手足の動かし方、力の抜き方、力の入れ方など自分の意思だけで100%自由にできることに集中する!」という意味です。  
ソープはこのように自分がコントロールできることのみに、心(マインド)をフォーカスし、試合で実力を発揮できるようになったとのこと。
 私はこの「自分のコントロールできる範囲のみに全集中する心」こそ、緊張状態で最高のパフォーマンスを発揮するための鍵だと思い、ボクシングの試合で何度も試しました。  
思い返してみると、練習時のスパーリングでは「自分が何をするのか?」をメインに考えて体を動かしているのに、試合になると緊張していつも相手のサイズ、相手が何をやってくるのか、リングのキャンバスの踏み心地、リングを照らすライトの明るさなど、練習では気にもならないようなことにいつも意識を取られていました。  
自分がコントロールできる範囲のことに全集中できていなかったのです。  
運動能力が低下したはずのキャリア終盤のほうが、あきらかにパフォーマンスがよかったのはこのことに気づけたからだと確信しています。
もちろんボクシングは水泳と違って、相手が攻撃してくるスポーツです。  水泳のように、自分だけの行為に集中するだけでうまくいくわけではないのですが、その中でも自分がコントロールできる範囲の部分により多くの意識を集中させるというのは、緊張状態でのパフォーマンスを上げるのにとても大事なことだと私は考えています。  
スポーツ心理学でよく話題にされる「ゾーン」という言葉を聞いたことはありますよね?  ゾーンは「超集中状態」とも呼ばれるもので、この状態にあるアスリートは、非常に高いパフォーマンスを発揮できるのです
私も一回だけですが、ボクシングの試合中にゾーンに入ったことがあります。「試合中に相手のパンチがスローに見えた!」と表現するしかないのですが、相手のパンチが飛んできている最中、妙にリラックスできていた事を覚えています。  
実際、このゾーンに入っているアスリートを調査したところ、ある共通点が見つかったそうです。
・極度の緊張状態にあること ・目の前の問題解決のために、全集中していること  つまり、緊張しているからこそ、入ることができるのがゾーンであり、緊張している状態というのは、マイナスどころか実は超ハイパフォーマンスを発揮するための環境が整っているということだと私は理解しています。
「どうすれば、緊張しなくなるのか?」「緊張しなくなれば、実力が発揮できるはず!」という考えからスタートした私がまさか「緊張したい!」と思うようになり、緊張することに喜びを感じれるようになるとは思ってもみませんでした。  
すでにお気づきだとは思いますが、これはアスリートだけのお話ではありません。緊張状態での高いパフォーマンスは、すべての人間に必要な能力だと思うからです。  
緊張やプレッシャーに弱いと思っている人ほど、以下の言葉を心の中で繰り返していただきたいです。
「緊張したら、自分がコントロールできることに全集中!」  あなたも必ず実力を発揮できると信じています。
https://nikkan-spa.jp/1881644/4
677 notes · View notes
okaboshi · 8 months
Text
“A「先方がjpgやpdfで原稿を送ってくるんです。コピペできないから毎回手打ちで入力し直してるこっちの身にもなってほしいもんですまったく…」 B「Googleドライブにアップして右クリック⇒『アプリで開く』⇒『Googleドキュメント』で全て文字起こしされるぞ。何しとんねん」 A「こりゃ手厳しい」”
— カワハラ / X
449 notes · View notes
okaboshi · 8 months
Text
NO SMOKING NO LIFE 細野晴臣
失われかけているものの中にこそ、かけがえのないものがある。ミュージシャン・細野晴臣が、今後も「遺したいもの」や、���心を持っている「伝えたいこと」を語る連載の第11回。一つ一つの言葉から、その価値観や生き方が見えてくる。
最後に会った日。
 2023年になってから、本当にいろいろなことがあったね。幸宏、鮎川誠くん、岡田徹くん、そして教授。みんな立て続けだったから、気持ちが追いつかなかった。落ち着いてひとりひとりにさよならも言えない、仲間が戦死していくときの気持ちってこういうことなのかな、と。  幸宏の印象はいまも2019年当時のまま、その後の4年のあいだ止まってる。僕がロサンゼルスでライブをしたとき、幸宏が観にきてくれて、そのあと呼ばれたDJパーティにも幸宏が来た。ちょうど幸宏の誕生日だった。だからバースデー・パーティになってね。そのときの元気な印象が強く残ってる。それから4年間でなんでこういうことになったんだろう。  最後に会ったのは2021年、スケッチ・ショウのアルバムを再発して、『Daisy Holiday!』にゲストで来てもらったとき。辛そうだったけど、まさか亡くなるとは思ってなかった。それからはちょっと会えなくなって、今年に入って訃報を聞いた。昨年行われた幸宏の50周年記念ライブは、本人がいなかったから、心からお祝いできなかった気がする。2019年のバースデー・パーティのときは本当のお祝いだったんだよね。  坂本くんとは、ずっと会えないままだった。ふたりだけでやるライブを、以前やったみたいにまたやりたいと思ってたけど、残念ながら実現しなかった。  最後は2018年のロンドン、バービカン・ホール。そこで僕がソロ・ライブをやったときに、奇跡的に坂本くんと幸宏も集まって、アンコールで「アブソリュート・エゴ・ダンス」を一緒に演奏した。坂本くんは最初、別の用事があって来れないと言ってたんだ。でも結局時間を割いてくれて、アンコールのときに会場に来てくれたので、そのままステージに呼び込んだ。  実際は2019年の『イエロー・マジック・ショー2』の収録でYMOをやったのが最後だけど、自分のなかではバービカンで3人集まったときが最後の集いだと思ってる。日本じゃなく、なんでロンドンだったのか、いま思えばちょっと不思議なんだけどね。
YMOについて。
 YMOからもう40年以上たつんだな。結成したときは僕が30代になったばかり、ふたりは20代。当時の写真を見ると、さすがにみんな若いね。本当は年齢の順に逝くはずなのに、順番がちょっと狂ってしまった。  幸宏に初めに声をかけたとき、目を輝かせて飛んできてくれた話は前にもしたよね。目というか、オーラが光ってたんだ。YMOを引っ張っていく運命だったんだと思う、幸宏は。  そのあと坂本くんに声をかけたんだけど、よく覚えてるのは、白金台の近くにある焼き鳥屋さんに3人で集まって、渋る坂本くんを口説いたこと。半信半疑だったんだろうね。そのころアレンジャーをしていて、独立してやってくつもりだっただろうし、バンドも初めてだったから。正直に言ってくれたんだ、不安だと。でも幸宏やまわりのスタッフに頼まれて、世界に羽ばたいてくれというニュアンスで説得した。それでちょっとやる気が出たのかもしれない。  YMOについては、始まったころのことをいちばん覚えてる。坂本くんを説得したあと、もっと親密になって、3人でよく会うようになった。楽しい時期だったな。ご飯を食べたり、坂本くんがアレンジを担当するレコーディングに呼ばれて、ベースを弾いたりした。アレンジの方向が坂本くんらしい、フュージョン系のものが多くて、そういうのを演奏するのが楽しかった。  だからYMOを始めたときも、フュージョンっぽさがけっこう残ってる。ニューヨークのスタッフとか、ああいうスタジオ・ミュージシャンにすごく魅了された。YMOで最初にレコーディングした曲は「ファイアークラッカー」。でもアルファレコー��のスタジオに入って、生演奏で録音したら、ちょっとフュージョンっぽすぎて面白くない。それでコンピュータでやればいいんだと確認できたんだ。ただ、1枚目のアルバムはニューヨークのミュージシャンの影響がやっぱり強い。例えば坂本くんの「東風」は、オリエンタルなテーマもあるけど、濃厚にそういう影響を受けてると思うよ。  YMOのスタイルが決まっていったのはクラフトワークの影響が強いのかな。3人でクラフトワークを聴いて、彼らのアートワークからロシア構成主義に首を突っ込んで、本を買って勉強したりした。でも勉強すればするほど、ドイツの歴史を背景に持つ、彼らの鋼のようなコンセプトには太刀打ちできない、と。じゃあ我々はどうしようかってよく話してたね。  2枚目のアルバム『ソリッド・ステイト・サバイバー』あたりからロンドンとのやりとりが始まって、ニューウェーヴの影響が入ってきた。ロンドンにいるトシ矢嶋が送ってくれる音源をたくさん聴いて、とくに僕と幸宏が盛り上がった。そのとき坂本くんは少し距離を取ってたかもしれないね。僕も幸宏も根っからのポップス人間だから、クラシックや現代音楽に拠ってたつ坂本くんとは距離感があったのかもしれない。  何十年もたてばきれいな思い出になるけど、その後は大変だったな。まるで余裕がなかったから。3人とも音楽が好き。レコーディングが好き。音楽を作りたいという一心でスタートしただけで、あんなに人気が出るとは思わなかった。それぞれのバイオリズムもあるしね。長期的に見ると、年単位で心も体も変化する。だから、例えば坂本くんのバイオリズムが低下してるときに、5枚目のアルバム『BGM』を作らないといけなかった。でもまあ、バンドなら、やるとそうなるんだ。
 YMOのころの幸宏との思い出というと、歌の生番組に出たときに助けてもらったこと。そのころ僕は神経症で、緊張したり、ある色合いを感じたりすると過呼吸になっていた。色合いというのは、明るいグリーンとか、白とか、昔の都バスみたいな色だね。あとスタジオにこもって、煮詰まった大豆のような匂いのする、酸味の強いコーヒーをしょっちゅう飲んでたのも引き金になったかもしれない。レコーディングが終わって、帰るときにいつも発症してたから。そういうことも、幸宏は知ってたと思うんだ。  歌番組の出番の直前に過呼吸になって、全身が痺れて動けなくなった僕を、幸宏は手を握ってリードしてくれた。「幸宏ってる」という言葉があるくらい、彼のコミュニケーションは独特なんだ。人の目を見ないで話すとか、挨拶しないとか(笑)。だから初めて会う人はみんな戸惑ってた。それを面白がって、「幸宏ってる」と言ってたんだね。でも歌番組のときの幸宏は優しく支えてくれた。もとは非常に優しい人間なんだ。よく覚えてるよ。
とても素直な人。
 幸宏と一緒になると、それぞれの病気自慢をしょっちゅうした。そういうときは幸宏の病気自慢がいちばん痛いんだ。僕も麻酔なしで盲腸を切ったとか、痛い経験はあるけど、幸宏は痛そうな手術の話が得意だった。それをみんなで聞いて、「うわ! やだやだやだ! 痛い痛い!」って。そこに坂本くんがいたかどうか……。一緒に聞いてた覚えがないな。  坂本くんは怖がりっていうかね。ニューヨークに一緒にいたとき、どんなホラー映画が怖いか話したことがある。そうしたら真剣な顔で『エルム街の悪夢』だって。「え! あれが?」って僕は思ったけど、なんで怖いのか聞いたら、「起きたらまだ夢だったというところが怖い」って言うんだ。実は中身が子どものまんまなところがあるんだね。  坂本くんとの思い出でとくに印象深いのは、そのときのことか、「ライオット・イン・ラゴス」を聴いたときのこと。坂本くんの2枚目のソロ・アルバム『B-2ユニット』に収録された曲で、とにかく素晴らしい出来だった。だから彼に言ったんだ、あんな曲を聴いたら立ち直れないって。すると、「え、そう?」みたいな、すごく嬉しそうな顔をしてね。糸井重里も言ってたけど、とても素直な人だったんだ、坂本くんは。  YMOの最中はぎくしゃくしたときもあったけど、ひょっとすると坂本くんは彼の偉大な父親(注・三島由紀夫らを世に送りだした編集者の坂本一亀)と僕を、父親像として二重写しにして見てたのかもしれない。だから反抗期の息子みたいに感じる面もあってね。  幸宏と僕は友だち同士と言っていい。でも坂本くんは友だちとは違う関係だった。むしろ親子や兄弟に近かったのかなと思う。ライバル心もあったかもしれないね。そういう気持ちがあればあるほど、やっぱり反発するだろうから。だからこそ僕が「ライオット・イン・ラゴス」を褒めたときに喜んでくれたのかもしれない。  坂本くんと幸宏が還暦を迎えたときには、僕の大好きな洋食屋さんに行って、みんなでハンバーグを食べた。そうしたら、とくに坂本くんが「美味しい美味しい」って言ってね。そこからハンバーグの会みたいなのが始まったんだ(笑)。
3人がお互いにファンだった。
 亡くなったあと、坂本くんが『HOSONO HOUSE』を好きだったことを知って、ほんとに意外だった。たぶん自分からいちばん遠い音楽だったと思うんだ。彼は畑が違うところで育ってきたから、単純素朴な音楽への憧れがあったんだと思う。でもそれはお互いさまでね。幸宏は僕が音楽活動50周年を迎えたときに、ずっと僕のファンだったと言ってくれたけど、3人がお互いにそうだったんだ。  ふたりへの追悼はこれから一生続くことになる。でも音楽家だから、残ってるものがいっぱいあってね。音楽を聴けば、そこにスピリットがある。それに触れることは、生きてる人に会うのと同じなんだ。音楽をやってると、そういうことがはっきりわかる。もちろん文学だって何だって、そういうことはあるだろうけど、音楽は特殊だよね。音として聴こえてくるから。そこにあるスピリットは決して消えない。そう思うよ。  まあ、いろんなことが起きた、ひとつの時代のなかの出来事として、この3年間の出来事は忘れられないな。彼らが弱ってしまったこともきっと無関係ではないし、それは自分にも降りかかってるはずだから。このあいだ村井邦彦さんと話す機会があったんだけど、この世代の人たちのあいだでは別れ際に交わす合い言葉があってね。それは「がんばって長生きしようね」って。ミッキー・カーチスさんとも、川添象郎さんとも、この前そういう話をした。70代後半になってくると、先がそんなにないんだと思う。でもあんまり考えてもしょうがない。音楽をやりつづけるしかないと思ってるよ。
272 notes · View notes
okaboshi · 8 months
Text
“Favorite tweets: 以前、なんでも鑑定団の中島誠之助さんが、「昔は古伊万里なんて不人気で二束三文だった。だから市場に出ているそれらを集めて、その後に図録を作る。情報が整理されると、欲しがる人が出てきて価値が出る。二束三文で集めたモノが宝の山になる。(要約)」と言ってたのを聞いて衝撃を受けた。— 高木夏美 (@natsu_mix) September 28, 2014”
— via http://ift.tt/MiujiM (via nsx)
2K notes · View notes
okaboshi · 8 months
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
(via うえはらけいた|漫画家さんはTwitterを使っています: 「成長する人ほど使わない「ある言葉」の話(1/2) https://t.co/PiM3ZEePwh」 / Twitter)
450 notes · View notes
okaboshi · 8 months
Text
“わたしが「これがコピーライターの仕事か!これぞインサイトなのかっ!」と、大きなヒントに出会う機会がありました。 それは仕事ではなく、姉の出産がきっかけでした。生まれて間もなく甥っ子は、なかなかの慎重派であることが判明。離乳食を始めたくても、どんな食材も断固拒絶。空腹なのか夜泣きもひどく、姉はふらふらになって育児書を読みあさっていました。お医者さんも、先輩ママも、親身になってアドバイスをくれます。「次第に慣れていくから焦らなくても大丈夫だよ」と。それでも姉の不安は増すばかりでした。 「これ、涙出た」。吹っ切れた顔で姉が冊子を見せてくれました。それは役所でもらったものらしく、内容は育児書とほぼ同じです。ただし、赤ちゃん言葉で書かれていました。 “ママがせっかくつくってくれたのに、はじめての味はビックリして出しちゃうんだ。何度も口にするうちに食べられるようになっていくよ。だから心配しないでね。” ノイローゼになるほど姉を悩ませていたのは、離乳食を食べないことでも、夜泣きがひどいことでもなく、「赤ちゃんが喋ってくれない」ということでした。「なんで出しちゃうの?」「なんで泣いてるの?」と、姉は幾度となく問いかけたでしょう。生後数カ月の赤ちゃんが言葉を持たないのは当たり前だと、わたしたちは思い込んでいます。 その冊子を読んだら、赤ちゃんの声が聞こえるようだったと姉は言っていました。姉が何より欲しかったのは、大人からの「大丈夫」ではなく、赤ちゃん自身の「大丈夫」という声だったのです。”
— インサイトは、共感という灯りを点ける「スイッチ」 | 宣伝会議デジタル版
341 notes · View notes
okaboshi · 9 months
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
(これからママになる方がTwitterで子育て情報を検索 先輩ママたちの奥義がどんどん集まってきました。から)
2K notes · View notes
okaboshi · 9 months
Text
“人生においては「中途半端な状態だな…」と思うことがあります。でも「あらゆることに白黒つける人」はすぐに仕事をやめ、人間関係も切り、どんどん孤立して選択肢がなくなっていきます。白黒はあまりつけない方がいいことはたくさんあります。モヤモヤに耐えることは強さです。”
— ぱやぱやくん / Twitter
278 notes · View notes
okaboshi · 9 months
Text
“「お前さ、なんか”鋭い一言”みたいなのを言って相手をギャフンとさせたくて必死になってない?浅いんだよ、考え方に下心があり過ぎてキモい」 すげえ名言が流れてきた。”
— 籠原スナヲさんはTwitterを使っています
343 notes · View notes
okaboshi · 9 months
Text
リアルでは9割の人は自分の話がしたいが、ネットでは9割の人はほぼ見る専門。なので、対面では話を聞く側に周り、SNSでは発信する側に回ると価値が出る。人間は自分の話を真剣に聞いてくれる人に好感を持ち、ネットでは情報発信者にさらに情報が集まる。一石三鳥。
佐藤航陽(さとうかつあき)さんのツイート
144 notes · View notes
okaboshi · 9 months
Photo
Tumblr media
(via バズるんです🐝さんはTwitterを使っています: 「この広告めっちゃいいな https://t.co/e0G3ZvjEbb」 / X)
175 notes · View notes