Tumgik
semonharuichi-blog · 5 years
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1/20 1月も半ばを過ぎて
1月11日
神戸VARIT.でライブでした。
絶望的に体調が悪く(一応インフルの反応は陰性)、もしかすると唄えないかもな。と思っていたが、初めて観に来てくれる人もいるし、今更すっ飛ばせないよなあ、とひたすら薬でドーピング、さよならお金ちゃんたち、それでもどうにかオープンには間に合い、二階席のソファーでくったりしながら青に晴れるの演奏を聴き、ああ良いなあ。と思いながら目を閉じていた時でした。
藤山拓。なんちゅうアーティストじゃ。もう胸が引き裂かれ、、、いや、引き剥がされる。音を立ててベリベリと。
こらあ魔物やで、とギアを入れて、なんとか出番に向けて気持ちを作っていると、西島衛さん(この人は、いつまでも世界は...という京都のフェスを自分で立ち上げてやっている人で、またこのフェスが手作り感ありつつ、しかしその実とても大きいフェス。という、奇跡みたいなことをやりはってる人で、去年のこのフェスの公募バンドで勝ち抜き、見事我らがex.王様は出演させてもらった)のウォーキン・オン・ワイルド・サイドにノックダウン。
いやあ、このあとに? 俺が? 唄うの?
やだよお、と思いつつも乗りかかった舟。愛すべき仲間ハロルドのあと、どうにか命を燃やして無事演奏を終えることができた。
今日は生田コレクター。という神戸のバー・サーキットイベントで、俺はずっとizntでPA業務をやりつつだったが、最後にライブもちゃっかりやった。
最近、少しだけど、バンドを観に来たい。と言ってくれる人たちが増えてきていて、それが涙が出るくらい嬉しい。や、大げさじゃなくて。
DAISY LOOの時は、どこか自分が自分じゃないような気がしていた。
言いたいこと、唄いたいことたくさんあった。
ベースを弾くことも楽しかったけれど、これだけが自分じゃない! と思っていた。
今。ああ、DAISY LOOはすごくお客さんに愛されたバンドだったということに気づく。
気づくのは、僕が王様だったころを観たいと言ってくれる人たちがいるからだ。
それがどれだけありがたくて大変なことか。
死ぬまで勉強。っすねえ。
酒を飲みすぎずゆっくり風呂に入った。
歯を磨き、水を飲み、少し本を読んで眠る。
明日は新しい家を見に行き、尼崎toraでライブするのだ。
明日をも知れず漕ぎ出した舟は怖い。しかし、突き進むしかないのだ。
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semonharuichi-blog · 5 years
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1/7
新年始まってからこっち、なんちゅう忙しさじゃい!
親友たちと年を越し、実家に帰り、祖父母の家に行き仏壇に手を合わせて親族でおせちを喰い、そのままNの家に行き、近況を報告しあい、眠り、2日は一日本を読み、晩はPAIN BROTHERS打ち合わせのため塚口に行き、眠り、3日は三国ヶ丘の太田君の家へ行って書き初めをし、久しぶりに神戸に帰って眠り、4日から仕事始め、十代白書のち晩は飲みに行ってMさんとまた別件の打ち合わせ、朝方に帰り、5日は朝9時〜晩の12時まで働き、眠り、この眠りの前から一人酒が再び忍び込むようになり、6日ロックンロールサーキットは朝10時〜帰宅すると2時過ぎ、ささくれだった魂のために一人飲み、眠り、今日は会社の新年会。出し物で勝利したのがなにより嬉しかった。
、、、ふう。まるでおそろしく長い一日だ。
明日は藁科組の連中と新年弾き語り大会。
やっと出番。楽しみ。
俺はとても人のことが好きなのだが、どうやら少し人疲れしてしまっているみたいだ。
部屋を暗くして、一人で酒を飲み、音楽をかけながら、時折思い出したように本を読む俺はあの頃に戻ったみたいで、それは再び魂の深い場所に降りていかなくちゃいけない時期に来ていることを示唆している。
インプットは終了した。人の心を満腹になるまで食い尽くした。
出さなければ。
筋肉少女帯の「リテイク」っていう曲を知ってますか?
https://m.youtube.com/watch?v=QX_9r_6lceo
「そうだ!撮り直すんだ! 人生は映画なんだ!
僕はそれを知っているじゃないか!
ロールは カラカラと回るんだ
スクリーンに閉じ込め
永遠に 誰もが君の美しさを、
かわいさを、哀しさを、
ポップコーン片手に
見つめる事が出来るには
シネマ!
スポンサーを騙せ!
デニーロを呼んで来い!
脚本は! 監督は俺だ!
タランティーノより上手く撮る!
君の人生を撮り直すんだ!
今度はハッピーエンドだ!」
高校生の時、ずっとこの曲を聴いて泣いていた。
そして今も泣いてしまった。
俺はこういう、命あることをやりたいのです。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/30
29日
昼前に目覚め、ぬるい風呂に入る。
あちこちが痛み、軋んでいる身体を引きずってどうにか近所の中華料理へたどり着き炒飯を喰い、帰宅して小松和彦『呪いと日本人』読み終わる。
物部村のいざなぎ流から話は膨らみ、呪いという装置が日本に於いてどう機能してきたのか、その構造を説明してくれる良書。
誰か読んでくれんかね。話したい。
考えることがある。
考えなくては生き延びていけない。
考えろ。考えろ。俺になにができるのか。
誰を大切にできるのか。
晩はスーパーに買い出しに行き、ツイッターで見た無水豚鍋作って喰う。
異常に腹が減っている。
傷を癒そうとして、身体が栄養を欲しているのだ。
はは、馬鹿な身体。
大江健三郎『万延元年のフットボール』読み進めて眠る。
今朝。
明け方に目覚めて、眠れずに熱いシャワーを浴びている時、久しぶりに俺は俺を取り戻した。
プロティノスやスピノザの言う本当の心の声。ヌースに近い魂。
間抜けな頭が再び回転を始める。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/29
昨日、一昨日と二日間VARIT.大忘年会でした。
出てくれたアーティスト、そして無茶に辟易しながらも付き合ってくれているスタッフに感謝。
酒を飲んで、心ゆくまで暴れ続けるこのイベントに出演し続けて十年。
でも仲間たちはみんなバンドを辞め(あるいは極少数の連中だけは売れ)、気づけばずっとここにいるのは自分とバンドメンバーだけ。
そして2018年、平成も終わろうとしている今、こういうかつてのライブ・ハウスのようなイベントは時代遅れなのかもしれません。
というか、きっとそうなのでしょう。
さらに時代は進み、あと三十年もすれば、もう誰も煙草も酒も飲まないのかもしれません。
それでもこの伝統を守る! 、、、という考えは別に俺にはなくて、ただ、数は減ってしまったけど、世の中のどこにも行き場がないゴロツキみたいな連中の居場所も必要だとは思っています。
みんなが楽しめるイベント、っていうのはなかなか難しいですが、柔軟に、時代に対応しつつ、そういうイベントを目指していければと思っています。
ま、なにはともあれ、ひとまず。
皆さま、ありがとうございました。
真顔でギャグを言うと、ボケなのか本気なのかの境界線が曖昧になる。
ある日中島らもが町田町蔵のライブに行くと、「はいからうどんに、天かすを入れるなっ!」というBGMだけが流れてきて本人は出てこないままライブが終わった。
落語の緊張と緩和という理論に、さらにメタ的にアプローチをした、緊張し続けている緩和。みたいな笑いの構造が好きだ。
だからたまに(特に酒を飲んだ時に)そういうツイートをするのだけど、「ああいうのは、あなたを知らない人には誤解されるからやめときなさい」と「短くも美しく燃え」が言う。
確かにそれは一理あって、どうも俺は自分のことを知ってくれているのを前提でふざけているフシがある。
知らない人から見ると、ちょっとアブない人に見えかねない、ということだ。
人生で一度も後悔をしたことはないが、反省はする。誰かを思いやることは本当に難しい。至らない自分だ。まだまだ修行を積もうと思う。
来年は、もっと芸術に、自分がやりたいことに打ち込もうと思う。
心静かに。ひとまず今日は酒を飲みません。
皆さま、よい一日を。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/21
昨夜は仕事終わりにVARIT.ブッキングチームで飲み。
帰宅して、朝弾き語りの練習をして出社。
今夜はフラットファイブのDJイベントへ。
明日朝再び練習、のち岩屋友人の家にてパーティー。
このまま絡まって、固まって、年末になだれ込み、気づけば新年を迎えるのだろう。
振り返ってみれば、本当にいい一年だった。
物語の幕開けは華やかなものではなく、泥臭いものだったが、確かに幕は開いている。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/20
師走師走というけれど、どれだけ走っても酒に追いつかれてしまうのは寒さで俺の動きが鈍っているからなのかそれとも俺は「師」ではないからなのかあるいはすべてをひっくるめて二日酔いの千鳥足でそれでもなお走らなければいけないほど忙しいからなのか、そうか、それが師走というものなのか、そうに違いない(自己解決)。
というワケで御多分に漏れず、明後日の弾き語りの演目決め(友人のシェアハウスで行うためカバー中心での選曲)とその練習、忘年会で行うスペシャル・バンドの練習、僕が王様だったころの練習、新年会での出し物、新年から動き出す新しいプロジェクトとその打ち合わせ、MV撮影、それらスケジュールの管理に加えて通常の仕事、語学学習、執筆、ギター&ベース練習に読書。
と、ここに友人たちとの飲みの約束まで入ってしまうと、まあこんなことができるはずもなく、ワタクシはパニック真っ只中です。笑
ふう~、しかし書くということ、つまり可視化するってことは大事ですね。
だいぶ自分がなにを抱えているのかがわかってきたぞ。笑
アントニオ猪木が言っていたように、(と中島らもがエッセイで七万回くらい書いていた)「ピンチはダマになってやってくる」ならば、やはり一つ一つ解きほぐしていくしかないワケで。
今回のピンチを解ききったら、ちゃんと受けられる量だけの仕事を受けよう。と固く誓いつつ、今のてんやわんやを楽しんでいる(というか楽しむしかない)ワタクシなのでした。
ざっと備忘録兼告知をしておきますと、
12月22日にプライベート・ライブが
25日にはVARIT.×otohatobaでクリスマス・パーティーが
27日にはVARIT.忘年会でスペシャルバンドの演奏が
その翌日28日には再びVARIT.忘年会で僕が王様だったころのライブが。
年が明けて
1月8日は神戸VARIT.で新年弾き語り
11日にはVARIT.でハロルド・青に晴れるとのライブが、
19日には三宮外国人BAR izntでライブ、
20日には尼崎toraにてライブがあります。
......ひえ~~~。笑
この合間を縫って、イベント制作、HP制作、MV制作とその打ち合わせ、ニュープロジェクトの立ち上げをやりつつグノーシス主義とプロティノスの哲学との相似について考えたりしてると、またあっという間に次の年の瀬でしょう。
来年の目標は、時間も金も手に入れる。です。
本を読み、文章を書き、音楽をやるにはそのどちらも必要なのです。
サンタさん。よろしくお願いしますね。
俺の人生はもう十分、
苦労す。
おあとがよろしいようで(よろしくない)。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/17
家に帰り、酒飲まず、風呂に入りながら『グノーシス』読む。
一読しただけでは内容は漠然としか理解できないが、文章は平易で読みやすい。
今はこの本と小松和彦『呪いと日本人』、菊池成孔『東京大学のアルバート・アイラー』を並行して読んでいる。
目を覚ますと、むちゃくちゃ体調がいい。酒か。やはり酒につかまっていたのだ。
風呂に入り、本読み、昼間はガストにてTHE PACとの打ち合わせ。
のち、VARIT.。今日のイベントは面白そう。
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semonharuichi-blog · 5 years
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12/16
君はイナズマクラブを知っているか?
本当のロックンロールは、今も確かに、TVには映らないところで鳴り響いていることを知っているか?
君は花田裕之を知っているか?
ロックンロール・ジプシーの生き残りは、今日も酒場で、唄い続けていることを知っているか?
村八分、ルースターズ、RC、スライダーズで育った俺だって確かに、ロックンロール・ジプシーの末裔なのだ。
俺の中で自分の血が逆流していくのが分かる。
汝、自らを知れ。
昨日は新進気鋭のシンガー・ソングライター「みらん」のMV撮影。
精神中央から舞子まで、一日中神戸を駆け巡る。
お疲れ様。いいものができるはず。
晩はルミナリエへ。「短くも美しく燃え」と飯を喰う。
家に帰り、ギターを弾き鳴らし、そのまま一曲作ってしまった。
まだ身体から抜けていないのだ。本物のロックンロールが。
だから俺はイライラしていたのかもしれない。
俺はなにをやっているんだ。酒なんて飲んでいる場合ではない。
いや、ここであえて酒を飲み続けて、魂をくずせ。そうやって音楽を作ってきたじゃないか。
そのやりかたは捨てたはずだ。俺の身体はくたびれて、もう持ちそうにない。
それは相対的に生きているからだ。社会の目を気にする必要はない。音楽と共に野垂れ死ぬなら本望だろう?
うるさいな……。
気づけば俺は酒を飲んでいた。
最近、俺はずっと酒につかまっている。
このままじゃヤバいのは目に見えている。
風呂に入って、筒井賢治の『グノーシス 古代キリスト教の<異端思想>』を読みながら酒を抜き、上がるとパンツも履かずにボトルを取りに行き、シンクの中にアルコールを流し捨てた。
は。ざまあみさらせ。俺は清々した気持ちで、眠れない眠りに就いた。
迎えた朝は、気怠くて、寒かった。
プロティノスは、肉体(素材)は悪であり、内なるヌース(知性)に近づくことが一者(神)へ通じる道だと書いたが、彼が書くように単に肉体から魂を切り離せばいい、というものではなく、徹底的に肉体を知ってこそ、はじめて肉体から自由になれるのではないだろうか。
そう考えるならば、俺の肉体が重く、疲れていることだって悪くはないのだった。
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semonharuichi-blog · 5 years
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SANTAL33
「一篇の詩を生むためには、
われわれは愛しいものを殺さなければならない」
田村隆一『四千の日と夜』
あの頃。
神戸は王子公園にある、関西でも屈指の(そしていまだ機能している数少ない)巨大商店街「水道筋商店街」。その大通りに対して縦に張り巡らされている何本もの細い路地の中に、ひっそりと佇んでいる「あんご」という偉大な文豪の名を冠した喫茶店で、俺は毎日ロクに働きもせず馬鹿みたいに煙草を吸いながら本を読み続けていました。
耳の遠いマスターと、若く美しい奥さんが二人でやっているその店の奥の棚にはマスターの蔵書が所狭しと並べられていて(彼のフェイバリットは田村隆一だった)、店に一人の客もいなくなった平日の昼過ぎには、よくマスターと文学談議にふけったものでした。
しかし、初めてできた恋人と別れて、一緒に暮らしていた友人に恋人ができると、半ば追い出されるような形で(ま、いってしまえば都落ちですね)王子公園を出て、今の大石にまで下ってきました。
大石は寂れている街で、アクセスもあまりよくなかったので、俺を訪ねてくる連中は次第に減っていきました(これはもちろん、ヤツらが仕事や家庭、いわゆる各々の人生を着実に歩み始めたこととも関係しています)。
俺は、静かなこの街の中で、一人本を読み、曲を作り続けてきました。
煙草はやめて、俺が参加していたバンドはことごとく解散してしまいましたが、それでもバンドをやることだけはどうしてもやめることができませんでした。
「お前がバンドを解散に追いやったのだ」
時々、自分自身に対して吐き出していた呪詛は強迫観念となり、やがて極限にまで追い込まれた俺は、当時勤めていた仕事を��めて日本最北端の稚内まで旅に出ました。
道中で読んだミラン・クンデラ『不滅』に書かれている「あなたの人生の問題は、いつも同じ資材で組み立てられる」という言葉が預言となり、俺は再び新たな問題に巻き込まれるハメになります。
俺はクンデラの預言を反転させました。 俺が抱えていたあらゆる問題をすべて並列に敷衍することによって、ついに資材を見つけ出しました。
それが、この『SANTAL33』という楽曲です。
ここで俺が唄いたかったのは、一人の女のことではありません。
一人の女は二人の女に連なり、それは人生ですれ違ったすべての女、いや、人々へと連なり、それはそのまま、俺が(所属していようといまいと)失ってきたバンドへと連なっていきます。
誰か、俺の言っていることが分かりますか?
『カメラは見た!』ではありませんが、例えばカメラの電源がついていなくて、録画ボタンを押されていない時にだって、我々はカメラそれ自体には映っています(そう、これは量子力学の問題でもあるのです)。
我々の新しいMVはもう見てくれましたか? 
このMVは、対象が観測されていることを意識していないところから始まります。
そして本編の最後で、対象を観測し終えたカメラは、カメラという肉体を離れて映像それ自体として、映像それ自体が持つ記憶を辿ってある音楽を思い出すことになります。
1967年6月25日、通信衛星を使って24カ国で世界で初めて同時放送された番組『アワ・ワールド』で、The Beatles『All need is love』のレコーディング風景が中継されました。
イントロにはフランス国歌が、エンディングにはバッハとグレン・ミラー楽団とイングランド民謡、そして自身の初期に制作された楽曲『She loves you』がコラージュされたこの楽曲は、まさにコラージュ的に制作した『SANTAL33』にぴったりだった。と、カメラは、いや、映像それ自体は考えました。
なにより、「愛こそすべて=All need is love」という壮大なテーマを持つ楽曲が、結局のところ「彼女は君を愛してるってさ=She loves you」という非常に個的な帰結を迎えるその美しさ!
いささか出来すぎているとしても、やはり涙を誘う話だと思いませんか?
冒頭で引用した田村隆一の詩には続きがあります。
「これは死者を蘇らせるただ一つの道であり、
われわれはその道を行かなければならない」
実は、今回のMVと、リリースしているCDで使用しているテイクは違います。
MVで使用している楽曲はほとんどDemoに近いバージョンですが、改めて聴き直してみて、俺に今必要なのは(つまり欠けているのは)この切実さだと痛感しました。
そして、そのワガママを貫き通したがために、公開がかなり遅れてしまいました。
ぜひ、CDと聴き比べてみて下さい。
最後に。
この楽曲はとても多くのコラージュで成り立っています。
一部ではあるがその出典を以下に示しておきます。
ま、あっけらかんと言ってしまえば、パクリ元探しを楽しんでいただければ幸いです。笑
例えば、『SANTAL33』というタイトルは、カートの恋人がつけていた香水からその名前を拝借したNIRVANAの『Smells like teen spirit』へのオマージュです。
忘れられつつある、すべての美しいロック・ミュージックにもう一度光を当てること。
それが俺の人生のテーマです。
ぜひ、聴き比べてみて下さい。
基本的に時間軸に沿って並べているので分かりやすいとは思います。
・Roger Nichols & The Small Circle of friends『Don’t take your time』
・Cajun Dance Party『The Next Untouchable』
・The Strokes『Reptilia』
・The Libertines『Can’t Stand Me Now』
・The Rolling Stones『Time Waits For No One』
・あの頃誰もが憧れていたヒーローが歌を唄っていたバンド『G』
・The Beatles『Ask Me Why』
魔法と偽ってあなたを騙してきたの
今までごめんね
矛盾と言わないで お気に入りの一人だったこと
それは嘘じゃないわ
君は見破られた手品師のような顔で笑った
あの時の言葉、想いはどこへ
そう言って俺も笑ってみた
目に映る街がやけに綺麗だぜ
ヘイ、なぜか滲んでいる
ギターを弾かないで
哀しみを誘うような歌は聴き飽きてしまった
「例えば」と「もしも」  人生に分岐点なんてない!
その口を閉ざせよ
ミモザの指先も白檀のような匂いも忘れた
あの日から俺は強くなれたとか
勘違いしているけど
逃げ続けただけ 救えなかっただけ
また今日も卑怯に卑怯を重ねている
黒く深い森の奥でいつか殺したはずの
宝物の声が囁いた
''あの頃誰もが憧れていたヒーローが歌を唄ってくれれば
なにもかもすべて上手くいくような そんな気がしているのに''
「美しいままじゃいられないから」
あれはきっと叫びだった!
そして、思い出すこともやがて減りゆく先の永遠へ
君は去って去って叫んで叫んで叫んで滲んでいる
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semonharuichi-blog · 6 years
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12/4 私、という私の総体
仕事をし、昼食を取り終えたので、気分転換と眠気覚ましにこの文章をタイプしている。
一昨日は会社の仲間たちと飲みに行き、夜中の三時頃に帰宅。
昼過ぎにまだ酒が残ったまま目を覚まし、半身浴をしながら本を読み、袋麺を食べ終えたあとに眠気に襲われて、それをはねのけることもできずに三十分ほど午睡し、コーヒーを飲み、二枚ほど書き物をしたあとで京都へ向かった。
本を読もうと思っていたが、電車の中で(現在Music Videoを作成している)自分の楽曲を聴き直してると、突然書いた時と同じくらいの力でその楽曲が俺の中で立ち上がった。
揺れる電車内で俺は突っ立ちながら、まっすぐに驀進する電車の速度(しかし車窓の外の後方にスッ飛んでいく景色を速度と認知しているわけで、速度というものがいかに視覚と結びついていることかがよく分かる)とよろめく人々を、まるで映画のワンシーンのように見つめていた。
季節と速度が噛み合ったのだろう。冬には疾走がよく似合う。
結局本なんて一度も開かず、西院に降りると、バスに乗り換えて北野白梅町まで向かった。
夜。パーカーにつっかけで、自動販売機まで飲み物を買いに出て行った。
あちこちで暖冬、と言われているように今年の冬は暖かい。
硬く冷たい空気の中で突っ立ち、身体と感覚が切り離されて思考が研ぎ澄まされてゆくのを感じている時(それは身体のどっかでざわめいている未来をそっと感じる、とかつて彼女が唄った感覚に近い)、俺は自分がいかに冬を愛しているかに気づくのだが、別に冬が暖かくてもこれはこれでいいものじゃないか、と考えを改めた。
そして夜道を歩いていると、雨に濡れたアスファルトや歩道に植えられた草木から匂いが立ち上がり、しんとした道路を時折車が走り去る音が聞こえる。風が吹いていることに気づく。そういう営みを曇天の夜空はただ見ている。その後ろの空では、本当はいつも傷口のように鮮烈な黄色い月が輝いている。
営みを見る月も夜空もまた俺の営みに含まれている。
死にたくない、と思った。
俺は人生を、この世界を愛しすぎている。
そういう昨日のことがあったからなのだろう、ふと古井由吉のことを思い出し、バスの中で彼についていろいろ調べていると、こんな論文を見つけた。
極めて興味深い論文で、確かに「私」という言葉には今まで書かれてきたすべての「私」の可能性が折り畳まれている。
つまりあまねくすべての水平的・垂直的に偏在する「私」は「私」という言葉一字に収斂している、といって過言ではない、ということであり、これはようするに言葉とはそのまま「どこでもドア」のように、あらゆる可能性に(幽霊にさえ!)通じる扉でもある、ということだ。
阪急電車の岡本を過ぎたあたりで、妙に今日の山間は……と思っていると、隣に座っていた恋人の男の方が「おっ、なんか山、ええやん」と言ったので驚いてしまった。
天気は相変わらず曇天、澄んだ青空の方がくっきりとその稜線も目に付くだろう。はっきり言って綺麗とは言い難いはずなのに、俺とこの男は、同じタイミングで山について気を向けたということだ。
曇天であるが故に落とされた明度が奥行きを作り、この妙にどっしりとした存在感が生まれているのだろう。
俺はそう納得して、せっかく持ってきたのだから、とプロティノス『エネアデス』を開いて読み進めると、そこにこう書いてあった。
「一者はすべての可能性を自己の中に含みもっているものであり、全存在はその現実態である」
「私とは誰か。私とはアントナン・アルトー」とアルトーは言った。
「ゴルゴダの丘で処刑されたのはキリストではなく、私だ」とも言った。
<私>とは誰なのか。
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semonharuichi-blog · 6 years
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12/2
ようやく仕事も一区切り、と言って本当は区切りなんてものはなく線路は続くよどこまでも状態なのだが、ええいここらでいったん自分のための文章も書かねば! ネバー・ダイ! とまあこれくらいくたびれているので、頭の中をひとまず空っぽにしてキータイプしているワケですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
俺はといえば、ようやく新曲の歌詞も書き終えて、しかし書き物、英語学習、ギター&ベース練習はまったくはかどらず、というと俺がただなまけているように見えるのだがそうではなく予定だけは売れっ子ミュージシャン・あるいは作家のようにいっちょまえで、やたらめったら人に会い、酒を飲む日々が続いていて、それはそれで充実しているのだが、ひとまずこれでお腹いっぱい。もう食べられません。というところまで来たので、12月はなるべく人に会わずに過ごそうと思ってます。
やあ、電気が止まって、金を振り込んだのに送電再開の電話をしようとしたら電話も止まっていることを思い出した時は笑ったよね。ははは。
しかしこの身に宿った酒(これぞ中原中也が言う宿酔、ですね)を抜くために、夜中に一人で半身浴をしている時に読んだプロティノスによれば、幸せには別に健康も地位も名誉も金銭も関係ないのであって、そういう感覚に惑わされずに知性(ヌース)の方へ向かうことこそが幸福である。
ヌースの方へ向かうってなんじゃい。というと、髪の毛をこうセットする時に、、、ってそれはムース。ヤバいな。この寒さ。シベリア超特急やで。
失礼。
まあ簡単に言うと身体的な欲望から切り離された場所で、自分自身が本当に望んでいること。自分自身の、本当の、内なる声を聞くこと。
でして、まあスピノザもほとんど同じこと言ってましたよ。ウィトゲンシュタインが言う「幸福に生きよ!」っていうのも、つまりはそういうことでしょう。『論理哲学論考』にはワタクシまったく歯が立たなかったけど。
だから、まあ金なんぞなくても俺は賢者。智者。覚醒を目指すもの。
というと、狂ってるだのなんだの言われるけれど、そう思えなくなった瞬間、待っているものこそが真の発狂なんですよ。
とまあ、自分自身でこうして浮き沈みしている状態こそ、結局安定だということで、ワタクシそろそろ仕事に戻ります。
文章から漂うスノッブ・いけすかないヤツ臭を感じ取って頂けたら幸いです。
飲み過ぎたら吐く。ま、一種の自己療法ですね。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/29
年の瀬が近づいてまいりました。
朝から練習。石井さんの新曲と、自分の新曲を触る。
新しい曲がうまくいきそうな時、ボイスメモに吹き込んだ音源を何度も聴く。
もしかすると、これが一番楽しいのかもしれない。
帰って、昼から水炊きをして、少し眠って、目を覚まして少し本を読んだり仕事をしたりする。
なかなか書き物をするところまでたどり着けず、ようやく今こうして日記を書くタイミングができた。
書き物終わりの鍋と焼酎を楽しみに、今から頑張ります。
しかし今日は全然冴えない一日だったな。
まあ、いい曲ができたからいいか。
新しいMVもね、もうすぐできそうです。早く観てほしいなあ。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/24~26
24日は神戸サッスーン邸にて親友ユースケの結婚式。
ユースケは俺の友人たちの中でもズバ抜けて頭がよく(笑)、有名私立~神戸大学の大学院というエリートコースを歩んだ男で、どうして俺と仲が良いのか分からないが、一番保守的なはずの彼が(彼は煙草も酒もドラッグもやらない。これは冗談)、俺にギターと競馬を教えてくれた先生というのが面白い。
式が終わると、そのままアホ共を率いて(俺は虎の威を借る狐なのだ)、四次会まで行く。
どうやって家に帰ったのかも覚えていないが、一緒にタクシーに乗って帰ったニシガミが朝起きると、スーツの上着をなくし、顎がブチ割れて服が血まみれになっていることに気づいた。
「ま、指はあるか……」と呟いてヤツは帰っていった。adieu、俺の兄弟。
昨日は仕事終わりに、ボスがスタッフみんなを飲みに連れて行ってくれた。
俺は風邪気味でフラフラだったが、帰宅して馬鹿みたいに眠り倒すとどうにかなっていた。
どうにかなっていないのは生活の方で、すっかり払い込みを忘れていた電気が止まり、今日の昼過ぎに目覚めてしばし呆然としていた。
しかし呆然としていて電気がつくわけでもない。と、瞑想中に悟りを開いた俺は早速金を支払い、電話をかけよう、、、と思って電話も止まっていることに気がついた。
結局公衆電話から関西電力に電話をかけて、送電を再開してもらった。
俺は相変わらずだ。ずっとこんな調子。今ここがきっと現在地。by The Groovers。なんてアホなことを言いながら、頭を掻いてヘラヘラ笑っている。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/22~23
昼過ぎに店の前に出てぼんやり通りを眺めながら、ふと「ああ。やっぱりもう冬じゃないか。いいなあ」と思った。
天気が良くて空気が澄んでいるからだ、と最初は思ったのだが、その条件を満たす日なら春にでも夏にでも秋にでもある。それに空気の冷たさで冬を感じたのではなく、どうしてなのか、視覚的にそう感じたのだ。
視覚的……。行き交う人々の服装が冬の装いに変わっている、ということももちろんあるだろうが、それよりも、時間に対しての陽の射し込み方が変わっているのだ、と気がついた。
夏の間なら、この時間にはもっと高い位置から陽が射し込むわけで、そうすると建物が通りに落とす影も違ってくる。
まだ時間は早く、空は晴れ渡っているにも関わらず通りには陰影がある。その陰影が、あらゆる物の奥行きを作り出しているのだ。
事務所に上がり、仕事をしているとボスが来て、窓の外を見ながら「今日、なんかむっちゃ冬って感じせえへん?」と俺に言った。
仕事終わり、ボスと副店長と飲みに行く。
今後の展望について話をする。
夢も見ず、浅い眠りから目を覚ます。
酒のせいでひどく喉が渇いている。
コップに入れた麦茶を飲み干し、ぬるい湯をためてしばらく半身浴をして、花盆栽水作業を終わらせて、朝から働いて、少し落ち着いて、今。
日記を書くと、文章を書くスイッチが入るのでありがたい。
よし。引き続き働きます。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/21
春から夏にかけて例年よりも多く降り続いた雨による悪天候を取り戻すかのように、連日いい天気が続いている。
昨晩は遅くまでチェットやマイルスを聴きながら筒井賢治『グノーシス 古代キリスト教の<異端思想>』、ダダの自殺三人組ジャック・ヴァシェがアンドレ・ブルトンに宛てた手紙を抜粋した『戦場からの手紙』、暗黒舞踏を設立した土方巽の全集などを手繰りつつ、書き物をした。
焼酎をカップ一杯分お湯割りで飲み、深い眠りから目を覚ますと、花の水を換えて盆栽に水をやった。
Y.エンデからもらった花器は最初から少し水漏れがする。気になったので調べると、どうやら花器とはあまりそういうことを気にしないらしい。
自然と草花から出るアクが、わずかな隙間をふさぎ、そのうち水漏れはなくなるという。
本当か? 米のとぎ汁にも隙間をふさぐ効果があるとのことなので、昨日から朝米をといだ汁を入れている。
気づけば少し積み重なってきた原稿用紙の厚さが嬉しい。
目に見える分はこれだけだが、実際にここには反故にした枚数も積み重なっている。
こういう考え方は保坂和志から学んだ。いや、もともと自分にあったそういう素質が強化された、というべきか。
もう少ししたら昼飯を喰い(今日も秋鮭としめじの炊き込みご飯だ。美味くてつい、昨日は喰い過ぎてしまった)、仕事へ向かおうと思う。
文章を書いているうちに、ははっ、空が曇ってきやがった。
まあこういうこともあらあな、と一人頷き筆を擱き。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/20
連絡を取る仕事なのだから当たり前なのだけど、凄まじい量の連絡が来ていて、休みの日とそうでない日の境目が曖昧になってゆく。
休む時は休むのだ! と決めていながらもなかなかそういうわけにはいかない。
昨夜はJANUSを出た後、旧友と酒を飲む。
蕎麦屋で天ぷらを喰い、馴染みのバーに連れて行ってもらい、酒はすべて奢ってもらい、いつものように大言壮語を吐き帰ってくる。
朝目を覚まし、花の水を替え、盆栽に水をやる。
この盆栽はLotus leafというバンドのナリトモが誕生日にくれたものなのだが、いったいなんという名前なのか一向に分からない。
花も一度赤い花を咲かせたきりで、その時は三月だったのだが、いったいいつになれば咲くのかももちろん分からない。
水作業が終わると保坂和志『草の上の朝食』読み終えて書き物。最も苦しいところを書き終わる。
昼にはMV撮影の打ち合わせで三宮へ。
帰ってきて、30分ほど昼寝をし、スーパーに買い出しに行く。
塩鮭を買ってきたので、コイツで炊き込みご飯を作るつもりだ。
そう、MV撮影の仕事をしているPAIN BROTHERSという映像チームで脚本(というほどおおげさなものではないが)を担当していて、このたび新しい作品をリリースしました。
今村モータース『青とWhite』
VARIT.に出演し始めてすぐの頃、モータースさんに出会った。
こんなにいい歌を唄う人が、こんなに普通にライブハウスにいる! ことに衝撃を受けた当時の気持ちを思い出す。
尊敬し、憧れていたモータースさんのMVを、まさか自分たちが撮ることになろうとは思ってもいなかった。
齢39歳にして初MV。これを機に、全国にこの才能が知れ渡ってほしい!
「願い」を詰め込むための空瓶を拾い、僕=日常的モータースと君=非日常的モータースが交錯してゆく。
��いう狂ったコンセプト(笑)も含めて楽しんでいただけたら。
よし。まず書こう。連絡はくつろぐころに返してゆこう。
戦います。
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semonharuichi-blog · 6 years
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11/19
脳がくたびれきっていたので、アラームをかけずに眠り、目を覚めせば昼前だった。
よく眠ったしシャワーでも浴びるかと思いながら、それでも部屋がいつもよりも寒く、ああそういえば昨日天気予報で見たが今日の天気は悪いんだったな、と思い、なかなか動く気になれずそのままベッドの上で保坂和志『草の上の朝食』を読み、ようやく動く気になり浴室へ向かい、ふと鏡を見ると左目が腫れていた。
めばちこのようなもの��ろう。親父もよく目を腫らしていた、やはり俺はあの男の息子なのだ、などとその時に思ったのか今思ったのか分からないが、とにかく俺がそう思っているのはこうやって書いている以上事実で、鏡に向かってにやりと笑ってやると、腫れた目のおかげで不気味になった俺がにやりと笑った。
花の水を換え、盆栽の水をやることにはとても大切な意味があって、水場が台所にしかない以上そこで水をやらざるを得ないのだが、シンクにはほとんどいつも昨夜の食器が片付けられないまま残っている。
だから、まずは片づけをしないと花の水を換えられないわけで、必然俺は後回しにしていた皿を洗うことになる。
こうしてシンクは片づき、花と盆栽は新しい水を手に入れる。
で、少しギターを触った後でコーヒーを飲みながら、山本無我という人の音楽を聴いていた。
この人は福岡の伝説のバンド「ライカスパイダー」のフロントマンで、日本のルー・リード、日本のヴェルヴェット・アンダーグラウンドと言っても過言ではない。
あまり人に教えたくないのだが「燈台」という凄まじい楽曲がある。
隠しきれない殺気とドラッグの匂いを、 Televisionにも引けをとらない凍てつくような知性が神の如き視座から纏め上げる。
このところスポティファイでジャズやクラシックをランダムで流していたが、どうも今日は毒気を求めているようだ。
書くムードが立ち上がった。書き物をして、飯を作り、夕方からJANUSに行き、担当しているアーティストのライブを観てくるつもりだ。
帰宅したら、書き物と英語学習、ギターとベースの練習。
昨夜は焼酎のお湯割りを一杯だけしか飲まなかったので、酒も残っていず、頭がよく働く。偉いぞワタクシ。それではみなさま、よき一日を。
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